【ミリマス】千鶴「これからは貴方と共に」 (35)

 司会者さんが私の名前を呼ぶ。舞台袖でもはっきりと聞こえてくる歓声。
 マイクを受け取る手は少しだけ震えていた。私はそれを包み隠すように両手でそっとマイクを持ち上げる。

「お~っほっほっほ!」

 高らかに笑いながらステージへと上がっていくと歓声は一段と大きくなった。熱気に一瞬飲み込まれかける。
 けれど最前列で手を振る友人たちを見つけ、少し落ち着きを取り戻した。
 観客に手を振りながら進んでいきステージの中央に到着した私は一度会場を見回した。
 こんなにも大勢の人たちに応援されている。興奮が全身を電流となって駆け巡っていった。
 呼吸を整える。よし、大丈夫。

「ふふっ。みなさま、応援ありがとうございます。
 わたくし、二階堂千鶴は、セレブの名にかけて、ミスコンテストで優勝することを誓いますわ!」

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1508515121


 いつからか、誰かが私のことをセレブと呼び始めた。
 それは違う、そう答えることは簡単だったかもしれないけれど、私はそうしなかった。
 誰もが憧れの目で私のことを見てくれた。それが私には嬉しかった。

 もちろんセレブと呼ばれるからには、そう呼ばれるに相応しい人間になろうと努力もしてきた。
 嘘をついていることを心苦しく思うときもある。けれど私を信じ慕ってくれている人たちの期待を裏切りたくはない。

 それに、追い続けていれば、いつか本物になれるかもしれない。そんな淡い期待が私を突き動かした。

「ですので、どうかみなさま! この後も応援のほど、よろしくお願いいたしますわ!」

 歓声に包まれる。優勝を誓った以上、ここで気を抜いてはいけない。
 けれど今、目の前に広がる光景を見ることができただけで、私は充分満足だと、そう思えた。

「みなさま、ありがとうございます! お~っほっほっほ……ゴホッ、ケホッ!」

 その後のアピールタイムでは私が必死に考えてきたセレブトークを披露した。
 司会者さんの質問に何度かボロが出そうになったけど、どうにか答えきることができた。

 ……まぁセレブトークよりもお客さんは私の作ってきた伝説に興味があったみたいだけど。
 伝説、とは言っても大半が噂に尾ひれがついて広まってしまったものばかりだ。
 私が屈強なボディーガードを連れていたという話はお父さんがスーツ姿でお弁当を届けにきただけ。
 この大学を裏で支配しているという話は先生方と談笑していたところから発展したらしい。

 他にもとんでも伝説がたくさんあり、微妙に真実も混じっているから訂正するのは大変だ。
 でもこの場においては最大の武器になる。私は友人と厳選した伝説の数々を紹介した。
 その結果、アピールタイムはかなり盛り上がった。私は盛大な拍手に包まれながらステージを後にした。

 そして遂に、結果発表の瞬間が訪れた。


「優勝は……二階堂千鶴さんです!」

 私の名前が呼ばれた。そう理解するまで少し時間がかかってしまった。

「えっ……? あっ、はい!」
 
 慌てて椅子から立ちあがると大きな花束を渡された。顔をあげると観客のみなさんの笑顔が見えた。
 ようやく思考が追いついた私はぎゅっと花束を抱きしめながら頭を下げた。

「……みなさん! わたくしを選んでいただき、本当にありがとうございますわ!」

 拍手喝采を浴びながら私は涙が流れないよう必死に堪えながら手を振り続けた。


 それからしばらくして、私は友人たちと食堂で祝勝会を開いていた。

「ふぅ……。宣言通り優勝できて、一安心ですわね」

「さすがは千鶴さんね! 並み居るライバルを押しのけて、ぶっちぎりの優勝……」

「そりゃあ、千鶴さんだもの! 推薦した私たちも鼻が高いわ!」

「ふふ、みなさまの期待に応えられたようで何よりですわ。ま、まぁ、わたくしにしてみれば当然ですけれど! お~っほっほ……!」

 ついそんな風に強がってしまう。無理に出した高笑いは、いつもだったらそのまま盛大にむせてしまっていただろう。
 けれど、今回はそうならなかった。

「あの、すみません!」

 突然後ろから声を掛けられた。驚きで一瞬息が止まる。振り返ってみるとスーツ姿の男性が立っていた。
 学生には見えないけど、かと言って先生にも見えない。随分と急いでいたようでうっすらと汗をかいていた。


「ゴホッ。あら、貴方は……?」

 スーツの男性はがばっと頭を下げ、両手を突きだしてきた。いきなり現れて頭を下げられ、何がなんだかわからない。
 もしかしてファンというものなのかしら。それともまさか、告白とか?
 そんなこと考えていると私はその手に小さな紙が握られているのを見つけた。手紙よりもずっと小さい。
 そう、まるで名刺のような。

「はじめまして! 俺は765プロというアイドル事務所で、プロデューサーをやっている者です」

 はっきりとした声で男性は話しはじめた。今だ理解の追いつかない頭でも辛うじてアイドルという単語は聞き取ることができた。

「アイドル……? ええと、なんのお話かしら?」

「さっきのコンテスト、見てました。ぜひ、あなたをスカウトしたいんです!」

「スカウト!? わ、わたくしを?」

 それはつまり、私がアイドルになる、ということ?


「はい! どうか、うちの事務所の、アイドルになってもらえませんか?」

「お、お待ちくださいな。急にそんなこと言われましても……」

 あまりに急な話だ。けれど、この人は本気みたいだ。
 どうしようと困惑する私の耳に、一緒にいた友人たちの声が聞こえてきた。

「うわぁ、スカウトだって! すごい……!」

「えっ?」

「アイドルにスカウトされるなんて、さすが千鶴さん! セレブでアイドル……もうカンペキだよ!」

 セレブでアイドル、そんな人になれたら。

 そう考えた瞬間、コンテストで見た景色を私は思い出した。
 あれと同じ、いえ、それ以上の人が私に注目して、応援してくれて、私がそれに応えられられるのだとしたら?

 体が僅かに震えた。何かが私の中で弾けた気がした。
 気づけば私は差し出された名刺を受け取っていた。


「えっと、あの……。あ、アイドル……でしたか? それは一体、どんなことをするのでしょう?」

 逸る気持ちを必死に抑え、私はそう聞いた。

「そうですね。歌を歌ったり、ダンスをしたり。……あとはモデルや、演技の仕事もあります」

 プロデューサーは私を観察するかのようにじっと見ながら例を挙げていく。
 歌やダンスはまったく自信が無いけれど、見た目だけならそこそこ自信がある。
 綺麗な服を着て、写真を撮られている私の姿は容易に想像することができた。

「それってもう、カンペキに芸能人ってことだよね。いいな~憧れちゃうな~」

「セレブなアイドルなんて、セレブの中のセレブだよ。やっぱり、千鶴さんは特別なんだね!」

 友人たちはそう言って目を輝かせる。


「セレブの中の……セレブ……!」

 芸能人、人気アイドルになれば本当にセレブになることも夢ではない。
 高級住宅街に住んで休みの日は海外旅行。食事も服も、最高級品をいつだって買うことができる。

「やっぱり、ダメ……ですか?」

 不安そうに聞くプロデューサーの声にハッとして、私は慌てて答える。

「そ、そうですわね! 突然のことで、ちょっと驚いてしまいましたけど……。
 たまたま、たまたま、何か新しいことでも始めてみようと思っていたところでしたの」

「ということは……」

 大学を卒業した私は、きっとどこかの企業に就職するか、実家の仕事を手伝うことになるのだろうと思っていた。
 何になりたいのかを本気で考えなければ。そう思ってもなかなかやりたいことは見つからなかった。

 そんな私の前に突然現れた、輝かしい未来への道。
 私はプロデューサーの目を見て、笑顔で頷いた。


「ええ。この二階堂千鶴、喜んで引き受けさせていただきますわ!」

 そう言うとプロデューサーの顔がぱぁっと明るくなり、もう一度深く頭を下げた。

「あ、ありがとうございます!」

 お礼を言いたいのは私も同じだ。私を見つけてくれて、アイドルになるという道を示してくれたのだから。本当なら私がお願いする立場のはずだ。
 それだけ私に期待してくれているんだ。だったら私は堂々としていないと。

「もちろん! わたくしがアイドルになるからには、トップに立たせていただきますわよ!」

 私に期待してくれたプロデューサーのために、何より私自身のために。
 私はトップアイドルになってみせる。

「お~っほっほっほっ……ゲホッ、コホッ!」

「だ、大丈夫ですか!?」

「え、ええ。それよりアイドルになるとは言いましても、具体的に何をすれば?」

 プロデューサーは少し考えた後、ポケットから手帳を取り出してパラパラとめくる。


「えっと……二階堂さんが空いている日はありますか?」

「そうですわね……次の土曜日でしたらお昼から空いていますわよ」

「土曜日……ちょうどいいですね。それでしたら名刺に書いてある住所に午後の四時に来てもらうことはできますか?
 765プロで検索してもらえばホームページに地図も乗ってるはずです」

 私もスマホを取り出し765プロで検索してみた。それらしいページを開くとトップにアイドルの集合写真が表示される。
 よく見れば全員テレビでよく見るアイドルだった。

「水瀬伊織ちゃんに高槻やよいちゃん、星井美希ちゃん……765……ええっ!? 7、765プロってあの!?」

「ははっ、そうですよ。それでですね、中央の39プロジェクトと書かれたページを見てください」

「ええと、39……これですわね。……劇場?」


「はい。ここが二階堂さんの活動の拠点になる劇場です」

 なかなか立派な建物の写真。劇場ということはここでライブとかを行なうのかしら。場所も家からそう遠くないし、問題なく通える範囲だ。

「この劇場に土曜の四時に行けばいいんですわね?」

「はい、お待ちしています。何かあれば名刺の電話番号か事務所の方に電話してください」

「わかりました。土曜日はよろしくお願いいたしますわ」

「楽しみにしててくださいね。それでは、次の予定が迫っていますので俺はもう行かないと。あっ、そうだ。コンテスト、優勝おめでとうございます」

「ふふ、ありがとうございますわ。それでは土曜日にまた会いましょう」

 プロデューサーは何度も頭を下げながら行ってしまった。
 土曜日に何があるんだろう。今から待ち遠しい。


 それから友人たちとプロデューサーのことや765プロの話題で盛り上がり、しばらくして解散となった。
 帰り道、電車に揺られている間も歩いている時もずっとアイドルとなった自分の姿を想像していたら、いつの間にか家の玄関まで辿り着いていた。

「ただいまー!」

 そう言いながら家に入ると美味しそうなカレーの匂いが漂ってきた。お腹が空いている時に嗅ぐカレーの匂いはまさに犯罪的。
 急いで靴を脱いでいるとバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。

「お帰り千鶴! 今日はカツカレーだぞ! ミスコンで優勝できますようにってな!」

 振り返ると扉から顔だけ出した私のお父さんがそう言って豪快に笑った。私は嬉しさ半分、呆れ半分でため息を吐く。

「お父さん、ミスコンは今日のお昼。もうとっくに終わっちゃってるよ」

「なっ!? そ、それじゃあ結果は? 優勝できたのか?」

「うん。ぶっちぎりだったって」

 ピースしてみせるとお父さんの表情はみるみる晴れやかな笑顔に変わっていく。


「ほ、本当か? お~いっ母さん! 千鶴、優勝したって! 優勝!」

「ふふ、はいはい。そんな大声出さなくっても聞こえてますよ」

 お父さんはまるで自分のことのように喜んでいる。ここまで騒がれるとさすがに少し恥ずかしい。
 奥から苦笑混じりのお母さんが来てくれて本当に助かった。

「お帰り、千鶴。お父さん先に飲みはじめちゃって」

「やっぱり。そうだと思った」

「千鶴も飲むだろう? 優勝記念パーティーだからな」

「はいはい。着替えた後でね」

 階段を上っていき二階にある自室へ。鞄を置いて部屋着に着替え、下に降りる前に私は財布からあの名刺を取り出した。
 これから私はアイドルになることを報告しなければいけない。考えると少し緊張してきた。

 なんて言われるだろう。賛成してもらえる? それとも反対される?
 しばらく悩み、私はとりあえず下に降りようと名刺をポケットにしまった。
 話すタイミングはいくらでもある。この時はそう思っていた。


「千鶴もカレー大盛りにする?」

「う、うん」

「今日は疲れただろう。なんたって優勝だからな! あっはっは!」

「そうでもない、けど……」

 話そうと思っても何故だか言葉が出てこなかった。
 カレーの味も両親の会話もあまり耳に入ってこない。
 話そうと思えば思うほど緊張は大きくなっていった。誤魔化すように機械的に手を動かし、口を動かした。

「千鶴、どうかした? あんまり美味しくなかったかしら」

 そう言われ顔をあげるとお父さんとお母さんは心配そうに私を見ていた。

「いやいや母さんのカレーは絶品だよ。千鶴、何か悩みでもあるのか?」

「……ううん、あのね」

 言うならこのタイミングしかない。私はポケットから名刺を取り出して両親に見せた。
 それから私は事の顛末を説明した。
 アイドル事務所のプロデューサーにスカウトされたこと。アイドルになってみたいという私の気持ち。
 お父さんとお母さんは何も言わずに聞いてくれた。


「よし。だったら今日は優勝記念じゃなくて、千鶴がアイドルになった記念日だな!」

 全てを話し終えたとき、お父さんは膝をパンと叩いてそう言った。

「へ……?」

「違いますよお父さん。まだ正式にアイドルになれたわけじゃないんですから」

「ん? ああ、そうか。それじゃあスカウトされた記念日だな!」

「ちょっ、アイドルになるのよ? そんな簡単に」

 許してもらえるなんて。そう言おうと思った私は、二人の嬉しそうな笑顔を見て言葉を飲み込んだ。
 それはこれまで何度も私に見せてくれたもので、その時は決まってこう言うのだ。

「千鶴の好きなように生きればいい」

 お父さんの言葉にお母さんも頷いた。子どものころから私が将来について話すときはいつも最後にこの言葉で締めくくっていた。
 家の仕事を継ぐのも、別の生き方を選ぶのも、私の自由だと。


「家のことなら心配するな。俺も母さんもいる」

「ふふ、お兄ちゃんのときもこんなことがありましたねぇ」

「そ、そうなの?」

 兄は大学を卒業した途端カメラを片手にあちこちを飛び回るようになった。時々意外すぎる場所から手紙が届く。
 そっか。兄も私と同じように相談した時があったんだ。

「にしても千鶴がアイドルかぁ。今だって千鶴は商店街のアイドルみたいなもんだけどな?」

「それじゃあ千鶴がここの宣伝をテレビですればいいんじゃない?」

「おっ! そしたら客が押し寄せて店も商店街も大繁盛だな!
 いっそ千鶴のグッズでも商店街で作るってのもいいな。アイドルと言えば団扇とかTシャツか?」

「服は沢渡さんに頼めばいいし、団扇は友田さんとこが夏祭りのとき作ってましたね」

「今度の集会で発表したらあいつら驚くだろうなぁ!」

 矢継ぎ早に話が進んでいく。こうなったお父さんとお母さんは止まらないのだ。
 このまま黙って感動していればどこまで話が大きくなっていくか想像するだけで恐ろしい。私は慌てて止めに入った。


「そ、それはちょっと難しい、かも。大学で私のことをセレブだと思っている人がいるって前に話したじゃない?
 プロデューサーも私のことをセレブだと思ってるかもしれなくて」 

 少しだけ嘘をついているけど間違ったことは言っていない。それを聞いたお父さんはハッとした顔をして私を見る。

「じゃあもし千鶴がこんな小さな商店街の肉屋の娘なんて知られたら!?」

「……最悪、この話は無かったことに、なんてこともあるかも」

 お父さんの顔がみるみる青くなっていく。ちょっとした冗談のつもりだったけど、お父さんには効果覿面だったみたいだ。

「そうかしら? 千鶴は私たちの自慢の娘なんだから。きっとセレブじゃなくてもみなさんに受け入れられると思いますけれど」

「いやいや母さん、世間は厳しいよぉ! 産地偽装したって噂されるだけで店を畳むしかなくなったりするんだからさ!」

 少し効きすぎたかもしれない。まぁお父さんにはこれぐらいがちょうどいいか。

「そうねぇ。千鶴はどうしたいの?」  

「あのね? セレブを演じるのも慣れちゃったし、それにやってみたら案外楽しかったから。
 だから私はセレブなアイドルに、なってみたいかなーって……」

 少し恥ずかしかったけど本心を言った。セレブなアイドル。もし本当になれるのだとしたら私はそれになってみたい。


「そう? でも大変だと思うわよ? 自分のことを隠してやっていくなんて」

「それは……大丈夫! 大学でもバレたことないんだから!」

 胸を張って答える。そうそう、大学でも一度もバレたことが無いのだからアイドルになってからも隠し通せるはず!

「いいぞ千鶴! その意気だ!」

「それにしても、千鶴がアイドルになるなんてねぇ。お給料ってどれくらいなのかしら」

「売れるまでは殆ど貰えないと思うけど、テレビに出られるようになれば変わるんじゃない?」

「千鶴は母さんに似て美人に育ったからな。きっとすぐテレビに出られるようになる」

「ふふ、褒めたってなにも出ませんよ?」

「はいはいノロケはそれぐらいにして、ご飯食べちゃおう。すっかり冷めちゃった」

「おっと忘れてた。母さんおかわり!」

「はいはい。千鶴はどうする?」

「私も!」

 それから私がアイドルになってからのことをたくさん話した。
 二人とも私が売れないとはこれっぽっちも思ってないみたい。なんだかとても嬉しかった。
 大学はどうするかという話になったけど、卒業に必要な単位はほぼ取ってあるのでそこまで問題はない。
 元々就活する予定だったのが、アイドル活動に変わっただけだ。

 だからあとは進むだけ。私がアイドルになるために。


「ここが……765LIVETHEATER……」

 時刻は三時三十分。家にいても落ち着かず予定よりずっと早く来てしまった。

「人がいっぱいいる……」

 予想していたよりも劇場はずっと大きかった。ご近所のスーパーよりもずっと大きい。
 入り口には長蛇の列が出来ていた。並んでいる人たちは一様に顔を輝かせ、扉が開くのを今か今かと待ち望んでいる。
 これが楽しみにって言っていた理由かしら。

 そんなことを考えながらしばらく立ち止まって眺めているとスタッフの一人が私のことをじっと見ていた。
 帽子を被っているから表情は見えない。もしかして不審者と思われてる?

 その人が近づいてきた。冷や汗を流しながらどう言い訳しようか考えているうちにその人は目の前までやってきて、被っていた帽子を脱いだ。

「おはようございます、二階堂さん。お待ちしていましたよ」

 見覚えのある顔だった。それもそのはず、私をここに呼んだ張本人だった。


「あっ……ああ!? プロデューサーさんでしたの! なんだ……てっきり不審者と間違われたのかと」

「あはは……すみません、誤解させてしまったみたいで。それよりよく一目で俺だと分かりましたね」

「こほん、こう見えて人の名前と顔を憶えるのは得意なんですわ」

 私の数少ない特技と言えるもの。お店の手伝いをしているうちに自然とできるようになっていた。
 プロデューサーはそれを聞いて何やら顔を輝かせている。

「それは、凄いですね! もしかして……社交界とかで身に付けられたんですか?」

「えっ……も、もちろん! その通りですわ! 著名な方々の名前を間違えるわけにはいきませんもの! おーっほっほっほっほ、ゴホッゲホッ!」

「だ、大丈夫ですか!?」

「え、ええ……大丈夫ですわ」

 調子に乗ってむせてしまったけどどうにか誤魔化せた。ほっとしているプロデューサーを見て、ふと疑問が生まれた。


「わたくしの方こそ、時間よりも早く来ましたのによくわかりましたわね。服も前と違うはずですけど」

 恰好を見るからにたまたまスタッフとして外に出ていただけのプロデューサーさんがどうして早く来ていた私を見つけることができたのか。
 プロデューサーさんはキョトンとした顔で私の顔を見つめたあと、気恥ずかしそうに笑った。

「ええと……あはは、俺も得意なんですよ。アイドルの顔を憶えるのが。……なんて、恰好つけ過ぎですね! あはは!」

 そう言ったあと、プロデューサーさんは顔を真っ赤にしながら頭を掻いた。

「……いいえ」

「えっ?」

 プロデューサーさんはそう言うけれど、何も恥ずかしがることはない。

「素晴らしいと言っているのですわ。さすが、わたくしを見つけたプロデューサーさんですわね」

 私はプロデューサーさんを真っ直ぐ見つめながらそう言った。
 プロデューサーさんはまだ恥ずかしそうにしていたけれど、目を逸らさずに頷いてくれた。


「それよりプロデューサーさん? これからあそこで何が始まるんですの?」

「決まってるじゃないですか。ライブですよ」

 私たちは裏口から劇場に足を踏み入れた。中は表以上の騒々しさで、スタッフたちが忙しなく歩きまわっている。
 スタッフの中には中学か高校ぐらいの女の子も混じっていた。誰もが一生懸命に準備を進めている。

「あんな小さい子も働いていますの?」

「ええ、あの子たちも二階堂さんと同じアイドルですよ。ここは皆で作る劇場ですからね」

 皆で作る劇場。なんだか思っていたものとは全然違った。
 アイドルなんだし歌ったり踊ったりするのが仕事でそれ以外はスタッフさんに任せるものだとばかり。

「この先が舞台裏です。少し暗いので足元に気をつけてください」

 プロデューサーさんが分厚い扉を開けると冷たい空気がぶわっと流れ込んできた。
 扉の先へ一歩踏み出す。既にお客さんが入り始めているらしく、遠くからざわめきが聞こえてきた。

 そう、遠い。目の前の壁の裏側が舞台でそのすぐ先に座席があるはずなのに、とても遠い。
 熱気を拒むかのような張りつめた冷気が舞台裏を満たしている。


「おっいたいた。おーい皆、遅くなってごめんよ」

 プロデューサーさんが手を振る。その目線の先には可愛らしい衣装に身を包んだ女の子が三人。

「どこ行ってたのよ。もう開場しちゃってるわよ」

「ごめんごめん。ちょっと連れて来たい人がいてな」

 プロデューサーさんに怒っているのは水瀬伊織ちゃん。

「あっ、もしかしてこの前言ってた人ですか? あの、はじめまして! 高槻やよいです!」

「は、はじめまして。二階堂千鶴、ですわ」

 元気にお辞儀してくれたのは高槻やよいちゃん。

「あふ、それよりもプロデューサー、この衣装どう? 可愛い?」

「可愛いぞ。バッチリ似合ってる」

 褒められて嬉しそうに笑っているのは星井美希ちゃん。

「ほ、本物ですわ……」

 思わずそう呟いてしまった。


「当然でしょ。私の偽物なんて世界中の誰にも務まるわけないじゃない。
 それで? これがアンタの言ってた新人? 見た目は……まっ悪くないわね」

「はい! 千鶴さんとっても綺麗です!」

「うんうん。美希も良い感じって思うな」

 いきなり現役のアイドルに褒められた。こんなときは、とりあえずお礼を言わないと。

「えっと、ありがとうございますわ」

「ねぇねぇ、千鶴もアイドルになるの?」

 美希ちゃんが私の顔を覗き込みながら聞いてくる。

「え、ええ……ええ! そうですわ!」

 私の答えに満足したのか美希ちゃんはにっこりと笑顔になる。テレビで見たときよりもずっと可愛い。


「それはいいけど。その語尾のですわってなんなのよ」

 伊織ちゃんの発言に私の心臓が飛び跳ねた。そう言えば伊織ちゃんはあの有名な水瀬グループのお嬢様。正真正銘のセレブだ。

「実は二階堂さんも伊織と同じお嬢様なんだ。ですよね二階堂さん?」

 プロデューサーさんが追い打ちをかける。悪気の無い笑顔が今は痛い。
 案の定、伊織ちゃんは怪訝な表情で私を見ている。

「二階堂、二階堂……聞いたことないわね」

「お金持ちとは言ってもまだまだ新参者でして……お、おほほほ」

「ふーん。深くは聞かないでおいてあげる。そろそろ時間だしね」

 まだ疑いは晴れないらしい。もっと上手い言い訳を考えておかないと。
 それよりも時間、ということはライブがもうすぐ始まるみたいだ。

「おっともうそんな時間か。それじゃあ二階堂さんを席に案内してくるから」

「じゃあねー」

「また後でお話ししましょう、千鶴さん!」

「アンタもアイドルになるならしっかり見ておきなさいよね」

 離れていく三人に私は手を振って答える。

「もちろんですわ。わたくしも全力で応援しますわよ!」


 三人を見送ってから私とプロデューサーは関係者席まで移動した。舞台裏と違い、ここは熱気で満ち溢れている。
 プロデューサーから良かったら、と三人のイメージカラーのサイリウムを受け取った。

「そう言えば、アイドルのライブなんて初めてですわ」

 テレビで流れているのをチラッと見たことがあるだけで、それは遠い世界の出来事だった。
 だけど私は今ここにいる。そして、アイドルになろうとしている。

「不思議なものですわ。プロデューサーさんにスカウトされた、ただそれだけなのに」

 照明が落ちる。歓声が上がるもののそれはすぐに治まる。ステージには誰も立っていないのだから。
 まだか、まだかと期待が高まっているのが全身で感じ取れる。

「本当に、不思議ですわ」

 全く知らなかった世界なのに、今だって何も知らないはずなのに。
 私が求めているものがここにあると、私の心が叫んでいる。

『みんなー!! いっくわよー!!』

 それが始まりの合図。私は全力で声を出した。


 一生忘れない、そう思えるライブが終わった。半ば放心状態だった私の隣にいつの間にかプロデューサーさんが立っていた。

「楽しんでいただけましたか?」

「ええ、もちろんですわ。皆さんに今すぐにでもお礼が言いたいぐらいです」

「それはなによりです。では二階堂さん、改めて聞かせてください」

 プロデューサーさんは私を真剣な眼差しで見つめる。私は立ちあがってその眼差しを受け止めた。

「アイドルに、なりたいですか?」

 答えは決まっている。私は……わたくしはアイドルになりたい。

「……プロデューサーさん。いえ、プロデューサー」

「はい。なんでしょう」

「わたくしはトップアイドルになると言いました。でも具体的にどうすればトップアイドルになれるのか。
 どんな人がトップアイドルと呼ばれるのかまでは考えが及びませんでしたわ」

 一番になりたい、ただそう思ってトップアイドルと口にした。
 けれどそれが何を意味するのかわたくしは理解できていなかった。今までは。


「少なくとも、あれを超えるステージを実現できなければトップアイドルにはなれない。そうですわよね」

「はい。そして彼女たちでさえ、トップアイドルの座を目指す途中にいる」

「ではわたくしは追い抜かないといけないのですわね」

 途方もない話だ。わたくしはスタート地点に立ったばかり。彼女たちは遥か先にいる。
 一人ではきっと不可能だ。でも、二人だったらできるかもしれない。

「一流のアイドルには、一流のプロデューサーが。そう、貴方が必要ですわ」

「……えっ?」

 呆気にとられるプロデューサー。わたくしは気にせず話を進める。

「わたくしはトップアイドルになります。わたくしが望み続ける限り、わたくしはトップアイドルを目指します。
 だけど、わたくしは何も知りません。ですから、プロデューサー」

 ほんの少し、震えた手を差しだす。



「貴方は、わたくしを導いてくれますか?」


 プロデューサーは差しだされた手を見つめ、再びわたくしの目を見つめ。
 力強く、わたくしの手を握ってくれた。

「もちろんです。俺は、最初からそのつもりでスカウトしたんですから!」

 喜びで気が抜けそうになる。胸からこみあげる何かを必死に堪え、わたくしは笑顔を作る。

「では、よろしくお願いしますわ! プロデューサー!」

「はい。こちらこそよろしくお願いします、二階堂さん」

「あら? わたくしたちは共に歩んでいくのですから。千鶴、で結構ですわよ」

 苗字で呼ばれていては一緒に歩いているという気がしない。

「ええと、では千鶴さんと呼ばせてください」

「……さんも必要ないと言ってますのよ?」

「いやぁそれは流石に……なんだか落ち着かなくて」

 まぁいきなり呼び捨てもあれですわね。こういうのは順序が大事と言いますし。

「……いいでしょう。でも、いつか必ず千鶴と呼ばせますわよ? おーっほっほっほっほ、ゴホッゴホッ!」

「ちょっ、千鶴さん大丈夫ですか?」

「え、ええ。これぐらいなんてことありませんわ。それよりも皆さんに挨拶に行きますわよ」

「あの子たちならもう楽屋に入っていると思いますよ」

「楽屋ですわね。では、案内してくださいまし」

「はい、こっちです。人の行き来が激しくなりますので気をつけて行きましょう」


 プロデューサーに連れられて会場から出る前に、わたくしは振り返って会場全体を見回した。
 空っぽの座席、誰もいないステージ。そこにわたくしの理想を思い描く。
 わたくしがステージに立ち、大勢のファンがわたくしを迎えてくれる。何を思うだろう。どんな気分だろう

 それはきっとすぐにわかるはずだ。わたくしは、トップアイドルになるのだから。

「必ず叶えますわ。そうですわよね、プロデューサー」

 会場から出る。少し先で待つプロデューサーの元へ、わたくしは歩きだした。


おしまい、ということで二階堂千鶴の誕生日を記念して投稿してみました。
この作品、実はミリシタがリリースしてすぐに書き始めたのですが投稿する時期を逃してお蔵入りしてました。
ですが千鶴の誕生日ということで完成させて投稿したという次第です。

ミリシタの千鶴コミュ1から765プロに入るまでを妄想してみました。
千鶴の両親、兄の設定ももちろん妄想です。お父さんから破天荒さを、お母さんから気配り上手なところを受け継いでたらいいなぁと。

千鶴の魅力は共に歩いていこうと思えるところだと思っています。千鶴が手を差し伸べてくれるから私は頑張ろうと思えます。
そんな千鶴の魅力が少しでも伝わったら幸いです。

読んでくれた皆さん、本当にありがとうざいました。またどこかでお会いしましょう。

http://i.imgur.com/mpCWPUM.png
http://i.imgur.com/BG4kowW.png
http://i.imgur.com/cycEbk9.png
あれを補完してる感じいいねえ
おつです、千鶴さん誕生日おめでとう!

>>1
二階堂千鶴(21)
http://i.imgur.com/v1Mtsnk.png
http://i.imgur.com/EJsnhZn.png
http://i.imgur.com/01SGcDl.jpg

>>24
水瀬伊織(15) Vi/Fa
http://i.imgur.com/cm3SO5F.png
http://i.imgur.com/ryy0RgG.jpg

高槻やよい(14) Da/An
http://i.imgur.com/LWnU2R6.png
http://i.imgur.com/MF7lCey.jpg

星井美希(15) Vi/An
http://i.imgur.com/98RlShW.png
http://i.imgur.com/407375s.jpg

乙、こういう話に弱いんだ…家族とのやり取りの辺りとか特に好き

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom