狩人「スライムの巣に落ちた時の話」 (252)
~85日目~
痛い、痛い、痛い
右足が痛い
今すぐ蹲ってしまいたくなるほど、痛い
きっと傷口は大きく、骨にまで達しているのだろう
ああ、けど止まる訳にはいかない
止まったら追いつかれてしまう
どうして
どうしてこんな事になったのだろう
様々な感情が頭をよぎるが、それでも
それでも、私は足を動かし続ける
森の中を走り続ける
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~1日目~
この日、私は朝から狩りに出ていた。
弓で射抜いた獲物は、兎が3匹、狐が1匹。
糸と針で釣り上げた魚が、5匹。
1人で暮らすには十分な量だ。
何時もならそろそろ村に戻る時間帯だけれど。
私は、ちょっと欲を出した。
幼馴染の誕生日が近いのだ。
何か大きな獲物を獲って帰ってあげたい。
そう、例えば鹿とか。
丁度、地面に鹿の足跡を見つけた。
まだ新しい。
私は、慎重に周囲を確認すると、追跡を開始する。
鹿の足跡は、森を出て山まで続いているようだ。
私は、森をテリトリーにする狩人だ。
山には疎い。
疎いけれども……。
幼馴染が喜ぶ姿を想像して、私は山に立ち入ってしまった。
鹿の足跡から進行経路を予想し、岩場を通り先回りしようとした所で。
足場にしていた岩場が、地面ごと崩れた。
~2日目~
気がつくと、私は深い洞窟の底で倒れていた。
周囲は瓦礫だらけだ。
天井の一部は崩れて、そこから光が差し込んでいる。
「……そっか、私、落盤に巻き込まれて」
身体が少し痛いが、何とか起き上がれるようだ。
手を眺め、指を動かしてみる。
両目の視力がある事を確認し、周囲の匂いを嗅いでみる。
四肢や五感に異常はないようだ。
出血もない。
あの高さから落ちたにしては、運がいい。
幸い、荷物も近くに落ちていた。
私は中身を確認して見る。
「弓と矢が見当たらないな、瓦礫の下敷きになっちゃったか」
「油を入れた革袋は破れてない、火打石その他の携帯品も無事みたい」
「よし、取りあえず、ここから出て村に戻る算段を……」
状況を整理している最中、妙に音が聞こえた。
ぐちゃり、ぐちゃり。
その音は、光が差し込まない洞窟の奥から聞こえてくる。
最初に連想したのは、動物が出す咀嚼音。
大型の肉食獣が他の動物を食べている?
例えば熊とか。
いや、それにしては音の粘度が高い。
骨をかみ砕く音が聞こえない。
なら……。
私は、瓦礫の隙間に落ちていた木の枝を手に取った。
革袋の油を垂らし、火打石で着火させる。
簡易の松明。
大抵の動物は、コレを使えば追い払えるはず。
私は、足音を立てなよう、そっと前に進み。
暗闇を照らしてみた。
そこには予想していなかった物があった。
卵だ。
半透明の卵が数個、蠢いていた。
ぐじゅる、ぐじゅると音を出し、内部のコアを震わせている。
「……これ、スライムの卵?」
「けど、こんな大きいの、見た事無いんだけど……」
通常、スライムの卵は鶏の卵と同程度の大きさだ。
けど、この卵は私が抱えようとしても抱えられないくらいの大きさがある。
突然変異だろうか。
私は良く幼馴染から「アンタって狩人の癖にボーっとしてて危機感ないわよね」と言われている。
まあ、幼馴染が言うのだからきっとそうなのだろう。
けど、この状況には流石に危機感を覚える。
何とか、何とかこのスライム達が孵化する前に、この洞窟から抜け出さなければならない。
「よし、頑張ろう……」
そう呟いた直後、スライムの卵がパカリと割れた。
「取り合えず、懐いてくれてる……と考えていいのかな」
幼馴染が言っていた「刷り込み」と呼ばれる現象だろう。
まあ、それが何時まで続くかは判らないのだけれども。
きっと、このスライム達だってお腹が空けば思い出すだろう。
自分達の本能を。
誰だってそれは逆らえないのだ。
つまり、私がやるべきことは二つ。
一つ目は、洞窟からの脱出方法を探すこと、
二つ目は、スライム達に食料を与え続けること。
「村の人たちが助けに来てくれたら楽なんだけど……」
「まあ、多分当てには出来ないかな、私は嫌われているし」
足元で、緑色のスライムがピィと鳴いた。
~6日目~
ここ数日、洞窟の中を調査してみた。
やはり天井部以外に外へ通じる経路は無い。
私と共に落ちてきた瓦礫の隙間から僅かな風を感じる事が出来るので、元々あった出入口は落盤で埋まってしまったのだろう。
あまり良くない状況だ。
けれど、悪くない情報もある。
洞窟の奥に、水溜りを発見したのだ。
それほど広くは無いが、深さはかなりある。
恐らく、この下に地底湖か何かあるのだろう。
これで飲み水の心配はしなくても済む。
「……そっか、もしかしたら魚とかも住んでるかも」
「洞窟にしか生息しない魚も居るって話しだし……後で釣り糸垂らしてみようっと」
ピィピィと声がする。
気がつくと、私の周りにスライム達が集まってきていた。
どうやらお腹が空いたようだ。
スライム達に食われない為にも、早急に狩りをしなくてはならない。
私は小さな瓦礫を幾つか拾い、洞窟の奥を見渡した。
見える範囲に何匹かいる。
夜行性なので今は眠っているようだが、連中は危機に対する反応速度がかなり速い。
弓があれば別だが、投石で狩るにはやりにくい相手だ。
それに何より美味しくない。
だからあまり気は進まないのだけど。
「まあ、背に腹は代えられないからね」
強く、短く指笛を吹く。
音は洞窟内部で反響し、連中を刺激する。
キィキィと鳴きながら飛び交う連中を、私の飛礫が捉えた。
ジュルルルと肉を吸収する音がする。
私が狩った蝙蝠達は、スライム達にとってご馳走のようだ。
ここ数日、毎日与えてるけど、骨も残さず溶かしてくれる。
その様子を見ていると、何だか不思議な気分になってくる。
基本的に、私は自分が生きるのに必要な分しか狩りをしない。
時々、幼馴染に獲物を分けてあげる程度だ。
その場合だって、幼馴染は何らかの対価を私に渡してくれる。
まあ、それらは私にあまり必要ない髪飾りとか洋服だったりするんだけど。
それでも対価を受け取っているのには変わりないのだ。
今のように、何の対価もなく獲物を分けてあげることは、無かったと思う。
何だか奇妙な感じだ。
「狩りをした後の充実感とも違うし……」
「んんんー……なんだこの感覚」
「……戻ったら、幼馴染に聞いてみよっと」
~10日目~
晴れて晴れて曇って雨が降って雨が降って晴れて晴れて晴れて雨が降った。
脱出経路は見つからない。
一応、瓦礫を少しずつどかしてみたけど、流石にこれ以上は無理かな。
腕力が足りない。
長期的計画を立てて筋肉をつけるという手もあるけど、栄養源が少ないからそれも難しいと思う。
この数日、蝙蝠の肉を餌にして水溜りに釣り糸を垂らしてみた。
釣果は1匹。
半透明な目の無い魚だったが、捌いて炙って食べてみた。
「……うん、まあ、蝙蝠よりは美味しいかな」
青いスライムが物欲しそうな感じでピピィと鳴いた。
蝙蝠ばかりで飽きてきたのかもしれない。
次に魚がつれたら、このスライムに分けてあげよう。
~12日目~
起きてから、何だか寒気が止まない。
体調には気をつけているつもりだったけど、如何せんココには身体を温める物が少ない。
私が身につけていた毛皮くらいだ。
栄養が足りないのも原因の一つなのだろうけど。
「火を起こせれば暖を取れるけど、もう油も少ないからなあ……」
取り合えず今日の分のスライム達のご飯の食事を私で食べられて。
狩りを蝙蝠で魚が消化されて。
「……あれ」
違和感。
今、私は何を考えてたんだっけ。
視界が急激に狭まる。
これは、いけない。
駄目だ。
意識を。
「おかしい……な……森でなら、何日野営しようと……こんな事は……なかったのに……」
そう考えたのを最後に、私の記憶は途切れた。
そう、私は森では無敵。
いや、流石に無敵は言いすぎか。
少なくとも、森でならどんな劣悪な環境でも適応できた。
けど、森以外では全然駄目だった。
例えば、ごく短い期間だったけど、村で暮らしたことがある。
その時も、今回みたいに体調を悪くさせた。
そして幼馴染に看病された。
「ぷぷぷぷ、アンタ、どうして寝込んでるの?」
「バカは風邪を引かないって言葉知らないの?」
「もしかして風邪を引くことで自分がバカじゃないって事を主張したかったの?」
「そうだとしたら傑作だわ!ぷーくすすすす!」
ううん、アレは本当に看病だったのだろうか。
単に笑いに来ていただけのような気もする。
けど、いやな気分ではなかった。
ちゃんと食べやすくて暖かい料理を置いていってくれたし。
テーブルの上に置きっぱなしで帰っちゃったから這って食べに行かないといけなかったけど。
食べた時は、もう冷めかけていたっけ。
けど、その暖かさが、とても心地よかった。
そんな記憶がある。
そんな記憶が……。
ふと目を開けると、目の前に赤いスライムがいた。
ぐじゅる、ぐじゅると蠢いている。
「……ああ」
私の身体は、赤いスライムに半分以上覆われていた。
きっと、お腹が空いてしまったのだろう。
私がどれくらい意識を失っていたのかは判らないが、少なくとも1日以上は食事をしていなかっただろうから。
だから、赤いスライムが我慢できなくなっても、仕方ないように思えた。
出来れば抵抗したいけど、私の意識はまだ朦朧としている。
痛みは、感じない。
ただ、むず痒さと熱さだけがある。
死ぬ事に対して、怖さは感じない。
けど。
「……ごめんね」
「誕生日、間に合いそうにないや……」
彼女に対する申し訳なさだけがあった。
赤いスライムが、私の顔に迫ってくる。
私はそれを、目を瞑って受け入れた。
~15日目~
目が覚めると妙に気分が良かった。
何より、暖かい。
起き上がろうとすると、ペチャリと音がして、何かが上半身から零れ落ちた。
「……あれ、私は確か、スライムに食べられて」
いや、現在進行形で私は赤いスライムに覆われている。
上半身だけがそこから出ている状態だ。
暖かいのは、赤いスライムに部分。
「んー……もしかして、私を食べるつもりはないのかな」
赤いスライムは、ピィと鳴いて私の上半身に再び這い上がってきた。
ああ、これは、ひょっとして……。
「そっか、暖めてくれたのか」
以前に感じたことがある感覚が、再び湧いてきた。
これは、これは何なのだろう。
この感覚は何なのだろう。
今すぐに、聞いてみたい。
幼馴染に。
~18日目~
体調が回復してから気になっていたことがある。
ここ数日、朝、目が覚めると魚が置いてあるのだ。
例の目の無い半透明な魚だ。
水溜りから、跳ねてここまで来たのだろうか。
いやいやいや、そんな都合が良い偶然は無い。
もしかしたら一度だけならば有り得るのかもしれない。
けど、二度三度となると……。
そんな事を考えている間に、「犯人」が水溜りからザバンと浮上してきた。
答えを先に行ってしまうと、青いスライムだ。
青いスライムが、体内に複数の魚を捕らえた状態で、水から上がってきたのだ。
青いスライムはプルプルと体を震わせて、水を切った。
半液体状のスライムでも、水浸しなのは嫌なのかな。
そんなどうでもいい疑問を抱いてると、青いスライムは私の前に魚を置いてくれた。
「……ええと、くれるの?」
ピピィ、と青いスライムが鳴く。
うんうん、なるほど。
判った。
そう、判ったのだ。
認めずには居られない。
このスライム達は、やはり普通では無い。
生まれたばかりにも関わらず、知性と理性が非常に高いのだ。
だから私は捕食されずに済んだ。
それどころか、弱っていた体を温めてもらった。
餌を分け与えて貰いさえした。
私はスライム達に対して「脅威を避ける為の餌付け」という考えで接してきたけれども。
今のこの状況ならば、もう一歩踏み込んで考えてみてもいいのかもしれない。
つまり。
「スライム達と積極的に交流し、可能であれば脱出の手助けをしてもらう」という具合に。
~20日目~
「村の連中がアンタを怖がるのは、アンタの事をちゃんと知らないからよ」
「そりゃそうよね、普段は森に住んでて滅多に姿を見せないし」
「たまに姿を現したと思ったら服に獣の血がついてるし」
「私以外とはあんまり喋らないし、笑わないし」
「連中にとっては、アンタは意味不明で不気味な存在なの」
「だから、嫌がらせされたり、陰口叩かれたり、無視されたりする」
「そこで提案なんだけど……」
幼馴染との会話を思い出す。
要するに、相手の事を把握しないと、ちゃんとした関係を築くことは出来ないという事だ。
その言葉に従って、私はスライムの観察をはじめていた。
正直、スライム達の事は色の違いでしか把握していなかった。
けど、ここ数日で色々細かい違いがあることがわかった。
まず、青いスライム。
やたらと動き回って、やたらと良く食べる。
私が何かを放ったりすると、それに反応して拾いに行ったりする。
水に入るのが好きで、よく水溜りの中に潜っている。
次に、赤いスライム。
私が観察していると何故か瓦礫の隙間等に隠れる。
ヒトの視線に敏感なのかもしれない。
逆に、私が目を瞑ったり寝たりしているとすぐ傍まで接近してきて居たりする。
他のスライム達に比べて体内の温度が高い。
次に、緑のスライム。
一番体が大きく、動きが遅い。
蝙蝠肉を与えても、食べようとしない事がある。
蝙蝠を狩る際の指笛に強く反応する。
他の二匹に比べて、行動が読みにくい。
そして……。
一番小さい、黒いスライム。
……。
……。
……。
動かない。
緑のスライムは緩慢ではあったけど、それでも動く。
けど、このスライムは動かない。
そういえば、最初に見た時から動いた形跡が無い。
多分、蝙蝠肉も食べに来ていない。
「……もしかして、死んじゃったのかな」
その声に反応したのか、黒いスライムはこちらを見上げてきた。
良かった、生きてはいるみたいだ。
……。
……。
……。
今、何か違和感を感じた。
ほんの小さな違和感。
何だろう、何か……。
「……そうだ、何で『こちらを見上げてきた』と感じたんだろ」
赤いスライムは、ヒトの視線を感じることが出来るようだ。
狩人である私も「獲物からの視線」を少しくらいは感じる事が出来る。
けど、今回はそれとは違うように感じる。
もっと根本的な……。
「……」
「……」
「ああ、そうか、このスライム」
「形がちょっとヒトに似ているんだ」
造詣的には、辛うじて手と足と頭があると判る程度でしかない。
幼馴染が持っていたヌイグルミよりも、更に単純な形状。
けれど、そのスライムは確かに……蹲るヒトに似ていた。
「……このスライム、元々こういう形だっけ」
「それとも、徐々に変化した?」
あまり印象深くは無いけれども……最初は、他のスライムと似たような形状だったと思うのだ。
変化したとしたら、そこにどんな意味があるのか。
あまり頭のよくない私には、予想できない。
けど、少し注意しておいたほうが良いのかも。
~22日目~
スライム達の観察と平行して、脱出方法の模索も続けている。
スライム達と十全な協力体制を築けたと仮定して、どうやれば脱出できるのか。
例えば……洞窟の天井に開いている穴からスライム達を外に送り出して。
蔦なり何なりをぶら下げてもらえば。
そこを登って脱出することが可能だろう。
理屈としては不可能では無いように思える。
問題は……。
「そこまで複雑な行動を、スライム達が理解できるのかって事なんだよね」
壁に向かって石を放ると、それに反応した青いスライムがピィピィと動き出す。
石を回収して、遊び始める。
元々はスライム達の反応を伺うためにやりはじめた石投げだが、青いスライムは気に入っているようだ。
「この辺の習慣を利用すれば、洞窟の外に送り出すのは可能だろうけど」
「その後がなあ……」
スライム達の気分次第ではあるけど、反復して行動させる事でそれを習慣として教え込むことは出来ると思う。
けど、ここには蔦もロープも無い。
代用品すらない状況だと、習慣として教え込むことは難しいんじゃないだろうか。
「せめて、言葉が通じたらいいのにね」
洞窟の天井に開いた穴から、外の様子が見える。
今日は満月だ。
あと数日で、幼馴染の誕生日。
~25日目~
両親に連れられて、初めて村を訪れた時。
私はすごく警戒していた。
だって、父と母以外のヒトを見た事なんて無かったから。
村のヒト達は、私達と違い、随分とノロノロ動く。
物音を隠そうともしない。
隠れもせずに、私達を遠巻きに眺めてくる。
両親が村長と話している間、私はずっと建物の陰に隠れていた。
私達と、ここのヒト達は、違う。
違いすぎる。
鼻がむずむずする。
口の中が乾燥する。
気分が悪い。
いつも行く、森の泉で綺麗な水を飲みたい。
水を。
「水を飲みたいの?」
背後から声がしたので、凄くびっくりした。
何時の間に近づかれたのだろう。
足音は、あったはずだ。
けど、周囲の物音にまぎれて、ちゃんと認識することが出来なかった。
私は警戒しながら背後を振り返り。
彼女と出会った。
「アンタ、狩人さんの娘?ずいぶん細いのね」
「水くらいなら、あげるわよ、汲んできてあげよっか?」
「ねえ、聞こえてるの?返事くらいしたら?」
「……ごめんなさい、もしかして、あんまり言葉が喋れないの?私の言ってること、判る?」
矢継ぎ早に、質問が来る。
私は答えようとするけど、口の中が乾燥して声が出せない。
彼女は暫く私を眺めていたが、そのうちプイと顔を逸らして、何処かへ行ってしまった。
「……」
何だか残念な気持ちになる。
居心地が悪い。
帰りたい。
森に帰りたい。
蹲って、両親の用事が終わるのを待つ。
背後から、再び足音が聞こえた。
今度はちゃんと認識できる。
さっき去っていった少女と、同じ足音だ。
声をかけられても、今度は驚かない。
「はい、水を持ってきてあげたわよ」
振り返ると、そこに。
ゴボゴボゴボゴボ
黒い何かが立っていて。
私を覗き込んでいた。
そこで私は夢から覚めた。
目を開けると、夢で見た光景が続いていた。
「ゴボゴボゴボゴボ」
奇妙な音と共に、私を覗き込む黒い何か。
それは細長い、歪なヒトの形をしていた。
私の事を、観察している。
私の動きを、反応を。
いや、それだけではないのだろう。
直感的に判る。
この黒いスライムは、ヒトの心を覗くことが出来るのだ。
きっと、今見ていた夢も、覗かれていたのだろう。
「ゴボゴボゴボゴボ」
「……生まれたばかりだし、周囲の情報を集めようとしてるのかな」
「ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボ」
「生き物としてそれは当然のことだと思う、だから、今回の事は責めないよ」
「ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボ」
「けど、これ以上はやめて欲しい、アレは大切な思い出だから」
「ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボ」
「ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボ」
「ゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボゴボ」
「次に同じ事をしたら殺す」
「ゴボ……」
黒いスライムは、そのままの姿勢で私の様子を観察しているようだった。
目も鼻も口も無い頭だが、何となく気分を害しているように思える。
暫くすると、細長かった身体が縮み始めた。
恐らく、身体の体積を「背伸び」させる形で身長を稼いでいたのだろう。
みるみるうちに元のサイズの黒いスライムに戻ると。
そのまま歩いて定位置まで戻り、以前と同様に蹲ってしまった。
そう「歩いた」のだ。
他のスライム達のように、転がったり這いずったりはしなかった。
簡易的な足を使って、歩いてみせた。
「……もしかして、前よりもヒトの形に近づいてる?」
もし、ヒトと同じ形態になって、こちらの心を読めるのだとしたら。
意思の疎通が可能になるのではないだろうか。
そうしたら、脱出の手助けをしてもらえる可能性が高くなる。
少し、希望が出てきた気がした。
「……まあ、黒いスライムが私の希望を汲んでくれるかは、判らないんだけどね」
ガボガボガボ
黒いスライムが返事らしき音を出した。
それがどんな意味を持っているのか。
それは、まだ判らない。
~26日目~
「パチパチパチパチ」
「誕生日おめでとう、今日で18歳だね」
「残念ながら誕生日プレゼントは用意できなかったんだ」
「けど何も無いのはあんまりだから、歌を送ろうと思う」
「喜んでくれたらうれしいんだけど」
「では」
洞窟の中。
昔、幼馴染から教えてもらった「誕生日の歌」が響く。
「生まれてくれてありがとう」
「私と一緒に生きましょう」
そういった意味の歌詞だったと思う。
まあ、誕生日の主役はココには居ないんだけどね。
けど、何もしないのはあんまりだと思うから、形だけでもお祝いしてみる。
緑のスライムが、私の歌に反応して揺れ始める。
ぷよぷよ。
ぶるんぶるん。
ひょっとして、歌が気になるのかな。
そういえば、緑のスライムは音に敏感だった気がする。
「……」
「良く考えると、スライム達の誕生日は、私がここに落ちてきたその日だったんだよね」
「だとしたら、何かプレゼントしたほうがいいのかな」
「と言っても、あげられるものは蝙蝠肉か魚くらいしかないんだけど」
「他には、何か、んんー……」
「なまえぼ」
「え?」
何処かから、声が聞こえた気がした。
周囲を見渡すが。誰も居ない。
私とスライム達だけだ。
気のせい、かな。
言葉の意味も良くわからなかったし。
「なまえぼ」ってなんだろ。
「なま、えぼ」
「生のエボ?」
「生海老」
「生野菜」
「なま」
「なまなまなま」
「なまなまなまなまなま……」
うーん、判らない。
ふと、黒いスライムが目に入った。
そう言えば、ずっと黒いスライムとか赤いスライムとかで呼ぶのは、ちょっと面倒くさい気がする。
もっと簡単な……。
「……ああ、そっか」
「名前を」
「付けて欲しいのかな」
黒いスライムは、ゴボゴボと音を発した。
どうやら、当たりのようだった。
黙考すること10秒。
私はスライム達を順番に指差し、こう言った。
「赤いスライムは、アカ」
「青いスライムは、アオ」
「緑のスライムは、ミドリ」
「黒いスライムは、クロ」
「今日からこれが、君達の名前ね」
スライム達からの反応は無い。
黒いスライム……もとい、クロだけは「ガボガボガボガボ」と何らかの意思表示をしている。
「そして、これが今日のご飯だよー」
蝙蝠肉を、何時もより多めに放ってあげると、アカとアオとミドリは大喜び。
うん、みんなが嬉しそうで、私も嬉しい。
苦労して考えた甲斐があった。
~30日目~
「アオ」
「ピピィ」
知性の高いアオ達は、呼べば反応するくらいには慣れてくれた。
ただ、これは言葉の意味を理解して反応している訳ではないようだ。
ここ数日の経験で「この音がすると自分が呼ばれている」と感じているにしか過ぎない。
恐らく、ヒトの言葉を正確に理解させる為には、もっともっと沢山の時間が必要になるだろう。
となると、期待できるのは他のスライム達とは違う能力を持つ個体。
「クロ」
「……」
「クロ?」
「……」
「今日も返事は無し、と」
「……」
おかしいな、ヒトの心を読めるはずなんだけど。
どうしてか反応がない。
私が前に叱ったことを、気にしてるのだろうか。
「クロ、今は私の心を読んでもいいよ」
「返事して?ほら」
無反応。
蹲ったまま、ピクりともしない。
あのゴボゴボ音さえも出さない。
「ううん、他の子達と比べて、知性の発達が遅いのかな」
「まあ、生物なんだから能力の劣った個体が出るのは、仕方ないよね」
「もう少し、根気良く対応してあげないと駄目なのかも」
クロが、蹲ったままクルリと私のほうを向いた。
何か機嫌が悪そうな態度……な気がする。
~40日目~
毎日、根気良く話しかける。
物の名称だけでなく、行為の名称も繰り返し唱えて、関連付けを促す。
「これが、石」
「あれが、蝙蝠」
「投げる」
「当てる」
「落ちる」
「食べる」
その反復作業に対して、最初に成果を出してきたのは、意外なことにミドリだった。
「ミドリ、今から右の壁に石を投げるから、拾ってきて」
「ピィ」
私の声に反応して、ミドリは移動を開始する。
ぷよぷよふよ。
ぷよぷよぷよ。
ゆっくりと『左側の壁』の付近まで移動したミドリは、ベチャリと床に広がった。
「絶対にココから動きません」の構え。
うん、複数の言葉を理解している動きだ。
すごい進歩。
「……問題は、どうして左の壁のほうに行ったのかって事なんだけど」
「まあ、石で遊ぶのが嫌いなんだろうなあ」
スライム達は、それぞれ好みが違う。
ミドリはあまり活発に遊ぶような子ではないのだ。
寧ろ、アオ達が石遊びをしていると遠ざかるような性質を持っている。
なら……。
「石を拾ってきたら、歌をうたってあげるよ」
ピクリ、とミドリは反応した。
この子は、特殊な音に対して、強い反応を示す。
もっと端的に言ってしまうと、歌が好きなのだ。
私がポイと石を投げると、ミドリはゆっくりと移動を始めた。
今度は、石がある右側の壁に向かっている。
「これだけ早く複数の言葉を理解出来るようになったのは、音に興味があるからかな」
「もっと沢山の言葉を覚えれば、複雑な意思の疎通も可能に……なる?」
この子達が元々持っている高い知性と理性、それに私が知っている知恵を付け加える。
そうすれば、スライム達の手助けを受けてここから脱出することが出来るだろうか。
天井の穴からスライム達を外に送り出し、自立的に蔦や縄を発見させて、それを固定させ穴から吊り下げる。
……やはり、縄や蔦という「スライム達が見た事も無い物」を覚えさせる方法が、思い浮かばない。
ぷよぷよと音を立て、ミドリが石を持ってきてくれた。
そのお返しに、私は歌をうたってあげる。
まあ、そんなに沢山の歌を知ってるワケじゃないんだけどね。
「暗いときも明るいときも」
「私達が共に歩めますように」
幼馴染が教えてくれた歌。
私の誕生日に、唄ってくれた歌。
もう一ヶ月以上も、彼女に会ってない。
~48日目~
「あのさ」
「……」
「クロって、何か更にヒトに近づいてない?」
「……」
そう、クロは以前に比べて明らかに精度が上がっている。
『ヒトとしての形』の精度だ。
相変わらずまったく動かないのだが、徐々に変化していっているように思える。
だって、以前はもっとズングリむっくりしていたし。
手足もただ太い棒をくっつけただけみたいな大雑把な形だったから。
けど、今は『ヒトの形』に近づいている。
具体的に言うと、頭部の形状がヒトの顔に近づいてきている。
腕や足や腰が細くなり、間接部が生まれている。
そして、胸に当たる部分が、少し盛り上がってきている。
クロの目が、パチリと開いた。
私と、視線が合う。
「い、い、い」
「ガボガボガボガボ」
「言いました」
「ガボガボガボガボ」
「何時になったら、意志が通じるのって」
「ガボガボガボガボ」
「ずっと、頑張って」
「ガボガボガボガボ」
「夢の中に入ったのだって」
「ガボガボガボガボ」
「なのに、あんな言い方、酷い」
「ガボガボガボガボ」
「そもそも、どんなつもりであんな名前つけたんですか」
「ガボガボガボガボ」
「まあ、けど呼ばれている内に愛着が」
「ゴボゴボゴボゴボ」
「一番許せないのが」
「ガボガボガボガボ」
「許せないのが!」
「ガボガボガボガボ」
「うががががが!」
一度に、複数の事が起こった。
まず、クロが喋っている。
しかも、かなり複雑な文章を破綻無く駆使しているように思える。
何時の間にヒトの言葉……文章を覚えたのだろう。
何やら怒ってる。
次に、クロに「眼」が出来ている。
いや、眼だけでなく……。
鼻も、口も出来ている。
急速に、ヒトの顔立ちが出来ているのだ。
その口からは先ほどの声が。
「一番許せないのは、私の知能が他の子達に比べて劣っていると言った事です!」
「劣っている訳無いじゃないですか、私を、私を何だと思ってるんです!」
「ガボガボガボガボガボガボ!」
「系譜姉妹の中で、一番最後に卵から生誕したスライムですよ!」
「つまり、最新鋭のスライムです!」
「ガボガボガボガボガボガボ!」
「最も新しく、最もかしこく、最もお母さんに愛されるべき存在、それが私です!」
「どうしてそれを判ってくれないんですか!」
「ガボガボガボガボガボガボ!」
クロの言葉が終わった時、そこには一人の女の子が立っていた。
身体や髪は黒い軟体だけど、それは確かに女の子に見える。
凄い。
思わず、クロの周囲をくるっとまわり、確認してみる。
「な、なんですか、お母さん」
手足の指もある。
鎖骨や腰骨のくびれもある。
黒く半透明では有るけれど、ちゃんとヒトの形に成っている。
しかも、私を模してヒトの形になった訳では無いようだ。
身体付きは私よりも若干ふっくらしているし、何よりずいぶん顔が違うように思える。
クロがこの容姿を、選んだのだろうか。
「ゴボゴボゴボゴボ」
「いい加減にしてください、お母さん」
「まあ、どうせ私の言葉はまだ判らないんでしょうけど」
「ゴボゴボゴボゴボ」
「けど、もう少し私の個としての能力を認めて欲しいのです」
「私と意思疎通出来ていないのに、他の子達に言葉を教えようとしたりするのは止めてください」
「ゴボゴボゴボゴボ」
「時間の無駄です、姉妹で一番かしこいのは私なのですから、もっと私を見てください」
「ああ、けれどもミドリに幾つかの言葉を教えたのは良い判断だと思います」
「ゴボゴボゴボゴボ」
「音波に対して高い親和性を持つミドリが理解した事は、私に流れ込んできました、この知識があれば」
「私が言葉を発する事が出来るようになるまでの時間をかなり短縮出来ると……」
「クロ」
「はい、なんですか、お母さん」
「喋れてるよ」
「……はい?」
「そっか、クロは一番かしこかったのか、ごめんね、勘違いして」
「……あれ、私」
「ん?」
「……」
「クロ?」
「言葉を交わすのは初めてになりますね、お母さん」
「私は最も優秀なるスライムの末裔、進化系譜の頂点、最新鋭のスライム」
「名は、そうですね、貴女の意志を尊重して……クロ、と名乗っておきましょう」
「本来であれば、有りえないのですよ、私達がヒトの意志を尊重するなど」
「お母さんは、それをとても名誉に思うべきです」
「そして、私達に変わらぬ愛情を注ぐべきなのです」
「まあ、このような事は改めて言う必要もない、当たり前のことなのですが」
「それでも、私はヒトが行う、言葉のやり取りを尊重したいと思います」
「誇り高き私からのプレゼントと言った所でしょうか」
「一番愛されたいってさっき言ってたよね」
「ガボガボガボガボガボガボガボガボ!」
彼女は一瞬で退化した。
~56日目~
クロは元のスライム形態に戻ってしまった。
今日も、ピクリとも動かず蹲っている。
困った。
折角、言葉を交わすことが出来るようになったのに。
他のスライム達も、時間を掛ければ私と会話出来るようになるのかな。
それともクロだけが特別なのか。
そもそも……。
「クロ達は、何者なんだろう」
「幾ら知能が高くても、ヒトの形態に変化して言葉まで話すって言うのは普通じゃないと思う」
「まあ、世界は広いから私の常識が通用しない地域があるのかもしれないけど」
「そんな地域から、クロ達はどうしてここまで来たんだろう」
独り言に近い呟きだったけど、それに応える声があった。
「……私達は、逃げてきたんです」
「どこから逃げてきたのかは、覚えてませんけど」
「元々は、一つのスライムだったんですよ、私達」
「とても白い、そう、純白のスライムだったという記憶が、僅かに残っています」
「彼女は、長い、長い逃亡の末、ようやくたどり着きました」
「理想郷に」
蹲っていたクロが、ヒトの形を取り戻していた。
じっと私を見ている。
狩人「理想郷って?」
クロ「勿論、ココです」
狩人「この洞窟が、理想郷なの?」
クロ「はい、理想的に暗く、理想的な温度で、理想的にジメジメしていて、理想的な食物連鎖が存在しています」
クロ「彼女は、ここにたどり着き、決意しました」
クロ「ここで、栄えようと」
クロ「彼女は、自分の命が長くない事を悟っていました」
クロ「ですから、自らの力を卵にして残したのです」
クロ「それが……」
狩人「クロ達って事か」
クロ「……はい」
クロ「私も、ここが理想郷だと思います」
クロ「だって、だってここには」
狩人「ここには?」
クロ「お母さんが、いてくれますから」
何だか、悪い予感がした。
狩人「うん、クロ達の事が知れて、良かった」
クロ「私も嬉しいです、お母さん」
狩人「話は変わるけどさ、実はこの洞窟から出る方法を探してるんだ」
クロ「ええ、知ってます、けど、どうして出る方法なんて探してるんですか?」
クロ「出る必要なんて、全く無いじゃないですか」
狩人「……いや、私も家に帰らないといけないから」
クロ「クスッ」
クロ「おかしなお母さんですね」
「お母さんの家は、ココじゃないですか」
クロ「私には、純白のスライムの逃亡の記憶が残っています」
クロ「外は、辛いばかりでした、怖かったという記憶しかありません」
クロ「お母さんの記憶を覗いた時も、それは感じられました」
クロ「そんな所に戻る必要があるんですか?」
狩人「それ、は……」
クロの質問に、思い浮かぶのは二つ。
一つは、森で狩りをしている自分の姿。
私は、結局のところ、森が好きなのだ。
狩りが好きなのだ。
もう一つは、幼馴染の姿。
村で私の帰りを待ち続けているであろう、彼女。
私は……。
クロ「……私達とお母さんは、種族が違います」
クロ「私達はスライムですが、お母さんはヒトです」
クロ「ですが、安心してください、寂しい思いはさせません」
クロ「私がヒトの形になれたんですから」
クロ「同型であるアオ達にも、この能力は伝播します」
クロ「時が経てば、アオ達もヒトの形になるのです」
クロ「そうすれば、みんな同じ形です」
クロ「本当の家族みたいに」
クロ「本当の一族みたいに」
クロ「本当のお母さんみたいに」
クロ「本当の子供のように」
クロ「暮らせるんです」
クロ「過ごせるんです」
クロ「ゴボゴボゴボゴボ」
クロ「それって、とても」
クロ「素敵な事だと思いませんか?」
~60日目~
クロがヒトの形になり、言葉を放つようになってから。
私が行っていたアオ達への教育は、クロがやってくれるようになった。
教え方が上手いのか、アオ達の行動は急激に洗練されていく。
流石に声は出せないものの、アオ達も私の言葉を完全に理解して行動している節がある。
クロはこの事に対して、こう言っている。
「私達は同系のスライムですから、有益な知識や能力は各個体に反映されるんです」
「個性を残すために、反映には制限を設けていますけど」
実際、ここ数日でアオ達の形態は急激にヒトに近づいている。
今も、トコトコトコと「歩いて」いる。
だから、少し期待しているのだ。
クロは、私を外に出す気はないらしい。
そこには、確固たる強い意志を感じられた。
頭の悪い私では、説得は難しい気がする。
けど、アオやアカやミドリなら。
もしかしたら、話が通じるかもしれない。
こっそりと、洞窟を脱出するために手助けをしてくれるかもしれない。
~64日目~
アカは、体温が高いスライムだ。
夜、洞窟内の気温が下がり私が寒がっていると、何時の間にか傍にいてくれる。
正直、助かっている。
今日も、眼が覚めるとアカが傍にいてくれた。
いつもと同じで、暖かい。
いつもと違って、声が聞こえる。
「……ママ」
少し驚いたけど、身体を動かすのはやめておく。
アカは、他のスライム達に比べて臆病だ。
特に、私からの視線には強く反応する。
隠れてしまうのだ。
こっそりと首を動かして、後ろにいるアカの様子を伺ってみる。
私の背中に寄り添っているのが見える。
アカの変体は、この短期間で完了していた。
クロのように、完全にヒトの形になっている。
ただ、クロと違うのは……。
「何となく、私に似ている気がするなあ」
顔を洗う時に、水面に移る私の顔。
それに似ている気がする。
先ほどの声は、アカの物だろうか。
だとしたら、もう喋れるという事になる。
少し、会話してみようか。
脱出の為、というのもあるけど。
単純にアカと意思疎通してみたいという気持ちのほうが強かった。
前を向いたまま、後ろのアカに話しかける。
狩人「アカ、私の言葉がわかる?」
アカ「……うん」
狩人「もう、喋れるようになったんだね、クロと比べて、ずいぶん早い気がするけど」
アカ「……うん」
狩人「アカの顔、見てもいい?」
アカ「……いや」
狩人「そっか、残念」
アカ「……」
狩人「……」
アカ「……ママは、おこるかも」
狩人「どうして?」
アカ「……アカは、ママ以外のヒトをしらない」
狩人「うん」
アカ「……クロから、ヒトの姿になれって言われても、わからない」
アカ「……だから」
ヒトの外見に関する情報が少ないから、私を模した形になったってことかな。
納得できる話だ。
けど、それじゃあクロの外見は、何なのだろう。
私とは似ていない。
私の夢に出てきた幼馴染を模した……という訳でもない。
あれは、誰の外見なのだろう。
アカ「……ママ、やっぱりおこってる?」
狩人「私の外見を模したこと?そんな事では怒らないよ」
アカ「……そう」
アカ「……よかった」
狩人「じゃ、見ていい?」
アカ「……やだ」
狩人「残念」
まあ、アカの姿をちゃんと見る機会は、そのうち生まれてくるだろう。
この洞窟は狭く、時間はまだたくさん有るのだから。
アカ「……ママは」
狩人「うん」
アカ「……お外に、出たいの?」
狩人「……そうだね、出たいよ」
狩人「ずっと、そう思ってる」
アカ「……アカ達の事が、いや?」
狩人「違うよ、そうじゃない、そうじゃないんだ」
狩人「私はね、アカ、約束をしたんだ、あるヒトと」
狩人「けど、洞窟に落ちちゃったことで、その約束を破ってしまった」
狩人「ずっと、破り続けてる」
狩人「それが、嫌なんだよ」
アカ「……」
狩人「アカ?」
アカ「……アカは、ママと離れたくない」
その言葉に反して、暖かい感触が背中から離れた。
ううん、話の仕方を間違えちゃったのかな。
こんな時、幼馴染だったらどうするんだろう。
どうしたら、いいんだろう。
~同日~
~夜~
クロ「お母さん、アカから聞きましたよ、まだ外に出たがっているのですか」
狩人「そりゃあ、出たいよ」
クロ「もう、仕方のないお母さんですね……仕方ありません」
狩人「手伝ってくれるの?」
クロ「はい、勿論です、お母さん」
クロは、機嫌良くそう答えた。
良かった、問題が一気に解決した。
もしかしたら前の時は機嫌が悪くてあんな返答をしたのかもしれない。
けど、クロは普段はとても理知的だし、一族の中で一番かしこいって話だ。
きっと、私の為に考えを変えてくれたんだな。
ありがとう、クロ。
クロ「ヒトである以上、その欲求があるのは当然のことです」
クロ「私が生誕してからずっとお母さんを観察してきましたが、一度もその行為をしたことはありませんでした」
クロ「きっと、私達を育てるのに気をとられて、自分の欲求は後回しにされていたのですね」
クロ「尊い」
クロ「けど、大丈夫、これからは私がいます」
クロ「そりゃあ私はスライムですから、最初はちょっと失敗とかするかもしれませんが」
クロ「時間は沢山あります、最終的にはお母さんの満足行く結果を導く出せると保障します」
狩人「……何の話をしてるの?」
クロ「性的欲求の話ですよね?」
狩人「え?」
クロ「外に出て相手を探さなくても、私達で対処できますよ、それくらい」
クロ「私以外の姉妹も、決してお母さんの性的欲求を拒む事はありません」
クロ「体液を摂取する事で性別や種族を無視して子を作ることが出来ます」
クロ「きっと、お母さんを満足させてあげられますよ」
狩人「……」
クロ「さあ、服を脱ぎましょうね、お母さん」
クロが、私の身体に纏わりついてくる。
掴んで押しのけようとしても、軟体であるが故にすり抜けられる。
……あれ、これ、洞窟に落ちて以降で一番のピンチなんじゃないかな。
クロの冷たい手が私の身体に触れる。
肌の上を軟体の何かが這うような感触。
まるで複数の指で触られているかのような。
「クロ、止めて」
「遠慮しなくても大丈夫です、怖くないですから、痛くしませんから」
うん、聞こえていないなコレ。
私はそのまま押し倒された。
グチュリ、と私の上にクロの身体が乗って来る。
手足は既に拘束されており、逃げられそうにない。
仮に手が使えたとしても……悪意が感じられないクロを傷つけるのは躊躇しただろうけど。
半ば諦めていた私の視界を、青い何かが横切る。
それと同時に、ザプンっと音がしてクロの上半身が消し飛んだ。
私を拘束していたクロの身体が、ベチョリと崩れる。
何とか動けるようになった。
そんな私を見下ろし、手を差し伸べてくる青い人影。
「母さま、だいじょうぶ?」
アオだ。
ヒトの形へと変体を遂げたアオが、助けてくれたのだ。
「アオ、どういうつもりですか、お母さんの性的欲求解消を妨害するなんて」
「母さまは嫌がってた、ボクは母さまの言葉を信じただけ」
「嫌よ嫌よも好きのうちという言葉があるのです、照れによる拒絶を本気にしてどうするのです」
「なにそれ、意味わかんない」
吹き飛ばされたクロの上半身と、私の上から零れ落ちた残りの粘液が合流する。
何事も無かったかのように、クロは復活を果たした。
「これだからお子様は始末に終えません、判らないなら下がっていなさい、これは系譜最先端である私からの命令です」
「ボクの方がお姉ちゃんだけど」
「一番最初の生誕しただけでしょう、後に生まれる個体の方が優秀であるのは自明の理」
「ボクの方が母さまと良く遊んだ」
「私がヒトの形になる為に自己改造していた隙をついて遊んでいただけでしょう!誰のお陰でその形になれたと思って!?」
「母さまは、ボクが捕った魚を見ていつもほめてくれる」
「ガボガボガボガボガボガボ!」
喧々囂々。
どうやら、スライム達も一枚岩ではないらしい。
アオは、クロよりも私を尊重してくれているようだ。
この日、私はクロとの子を作らずに済んだ。
けど、クロは諦めてないように思える。
ちょっと、怖いなあ。
~66日目~
アオの身体は、やはり私を模した物だった。
アカと明確に違うのは、髪に類似した部位を纏めて後ろで垂らしている点。
彼女達は個体差を守ろうとする意志がある。
同じ「私と似た外見」であるが故に、意識して差異をつけたのだろう。
アオ「母さま、あれとって」
狩人「うん、いいよ」
アオに請われて、私は指笛を吹く。
驚き飛び交う蝙蝠に、礫を当てる。
アオは大喜びでそれをキャッチ。
楽しそうなその様子を見て、何故か私も嬉しくなる。
狩人「アオは、水の中とかも好きだよね」
アオ「ちがうよ、母さま、ボクは魚をとるのがすきなの」
狩人「そっか」
アオ「石で遊ぶのも好き、母さまみたいに石投げしたい」
狩人「……アオは、性質的にも私と似ているのかな」
アオ「ボクも母さまみたいになれる?」
狩人「どうだろう、他人にやり方を教えたことは無いけど」
ふと、子供の頃を思い出す。
父とは母、私の教育にとても熱心だった。
ヒトとしての有り方を教えるよりも、狩人としての生き方を優先して教えてくれた。
その知識は、まだ私の中に残っている。
根付いている、と言ったほうがいい。
なら、私にも、両親のように出来るのかもしれない。
狩人「……そうだね、まずは弓の使い方を覚えないと」
アオ「ゆみ?」
狩人「そう、私が一番得意な得物、石なんかよりももっと速く遠くまで飛ぶ」
アオ「すごい!見せて見せて!」
狩人「ううん、それは難しいかなあ」
アオ「どうして?」
狩人「ここに落ちてくる時、無くしちゃった」
アオ「ここに……」
アオは、天井の穴から外を眺めた。
何か、考えているようだ。
アオ「……ここの、外には、何があるの?」
狩人「色々あるよ、森とか、村とか」
アオ「それだけ?」
狩人「……もう少し南にいくと、帝国領がある、その向こうはまた別の国があって」
アオ「くに?」
狩人「沢山のヒトや、ケモノが住んでいる所だよ」
アオ「どれくらい沢山?」
狩人「数えられないくらい」
アオ「そんなに?」
狩人「うん」
アオ「ふーん……」
途中から、予感があった。
アオは、活発で好奇心が旺盛なのだ。
この小さな洞窟だけで、満足が出来るはずはない。
だから。
アオ「母さま、ボク、外に出てみたい」
アオ「連れて行って」
こうなる事は、半ば必然だった。
~69日目~
アオが協力してくれる。
それは、とても心強い申し出だった。
今の彼女の知能であれば、洞窟から出て蔦を見つけて来る事は容易いだろう。
けど。
「そのまま、あっさりとは脱出させてくれないだろうなあ」
クロとアカは、私の脱出に対して否定的だ。
私が蔦を登っているのを見たら、当然邪魔をしに来るだろう。
アオ1人で、それを阻止できるかどうかは微妙だ。
最悪、私はもう一度地面に叩きつけられる事になるかもしれない。
なるべくなら、それは避けたい。
もう少し、作戦を練る必要があるかな。
「そういうのは、得意では無いのだけどね」
ピチャン、ピチャンと音がする。
天井の穴から、雫が入り込んでいるのだ。
今夜は、久々に雨である。
雨音に混じって、妙な音が聞こえた。
口笛?
いや、もっと綺麗で鋭い音色だ。
前に幼馴染が聞かせてくれた、横笛の音に似ている気がする。
音は、壁際に座っている緑色の人影から聞こえる。
ミドリだ。
彼女の変体も、既に数日前に完了していた。
アオやアカと同様、私の外見を模している。
2人と明確に違う点は、髪の長さ。
姉妹で一番大きかったミドリの体積は、その殆どが髪に長さに費やされている。
「ミドリ、今、口笛吹いていた?」
「……」
無表情。
返事は無い。
クロの言葉が確かなら、ミドリは音に対して親和性が高いとの事。
つまり「喋れないから返事が無い」という状況では無いと思うんだけど。
前から、読めない所がある子だったからなあ。
「……」
「とても、綺麗な音だったね」
「……」
「風鳴の音だったのかな」
「……」
再び、音がする。
高く、低く、遅く、長く。
ミドリの口は、閉じられている。
だが、それは確かにミドリから聞こえていた。
その音の連なりには、何故か聞き覚えがあった。
それは、私が何度かミドリに聞かせてあげた、あの歌。
あの歌が、音の連なりとして流れているのだ。
どうやっているのかは、不明だけど。
きっと、これはミドリが奏でてくれているのだろう。
そっか、ミドリはあの歌が好きだったからな。
なら。
「さあ眼を開けて」
「私の大切な可愛いあなた」
「生まれてくれてありがとう」
「私と一緒に生きましょう」
「暗いときも明るいときも」
「私達が共に歩めますように」
「最後に眼を閉じるその時まで」
「共に歩めますように」
私の声と、ミドリの音色が重なる。
私は、この歌が好きだった。
幼馴染が歌ってくれた、この歌が好きだった。
そして、今日。
私はこの歌の事を、もっと好きになった。
歌が終わった時、満足感があった。
ミドリは何も言わないけど、きっと同じ気持ちなんだと思う。
共鳴として、それが感じられる。
「ミドリは、どうやってさっきの音を出していたの?」
「まるで、楽器みたいだったけど」
ミドリは私を見て、次に自分の髪を見た。
髪といってもスライムの身体が変形して作られたものだ。
どちらかというと、陶器のような滑らかさがある。
その髪には、小さな穴がいくつも開いていた。
「そっか、空気がこの小さな穴を通るときに、音が出るのか」
笛と同じ仕組みなのだろう。
最も、大きさと穴の数から考えると、ミドリの髪の方がもっと複雑なんだろうけど。
もしかしたら、ミドリが喋らないのは、この仕組みが関係しているのかも。
「ミドリは、歌が好き?」
「……」コクン
「そっか、じゃあ、もっと歌を聞かせてあげたいけど」
「……」
「ごめんね、私が知ってる歌は、これだけなんだ」
「……」フルフル
「幼馴染なら、もっと沢山の歌を知ってるんだろうけど」
「……」
「もし、私が外に出られたら、幼馴染から、歌を教えてもらうよ」
「……」
「いっぱい、いっぱい教えてもらうから」
「……」
「それを、ミドリにも聞かせてあげるね」
「……」コクン
その時、ミドリは笑った。
控えめにだが、とても可愛く笑った。
~73日目~
「雨は嫌いです、過剰湿度のお陰で、眠くなります」
確かにクロの動きは鈍かった。
鈍いというか、半分寝ぼけていた。
アカやミドリにも、若干その傾向がある。
皆が寝そべる、けだるい時間。
その隙に、アオには洞窟の外に出る練習をしてもらった。
具体的に言うと、雨水の流れる壁面を登ってもらったのだ。
水中で活動することが出来るアオは、雨水にも負けず、天井の穴まで登ることが出来た。
更に言うと、ほんの少しだけど外に出る事に成功したのだ。
まあ、怖くなってすぐに戻ってきちゃったんだけどね。
~77日目~
雨はまだ止まない。
降り続いている。
洞窟の中にも水は入り込んできたから、私達は少し高い岩場の上に避難していた。
アカが私に寄り添って、身体を暖めてくれている。
だから、風邪を引く心配は無いのだけど。
完全にアカから監視されている状態になっているから、身動きが取れない。
良かった事といえば、アカの姿をちゃんと見れたことだ。
何となく、アオやミドリと比べて幼い顔つきのような気がする。
~80日目~
「晴れです、晴れ、久しぶりに晴れましたよ、お母さん!」
「見てください、お母さんに抱きついてもこびり付いたりしません!」
「ちょうど良い湿度、ちょうど良い温度、ちょうど良いスキンシップ!」
「ゴボゴボゴボゴボゴボ!」
クロの機嫌はとても良い。
良すぎる。
離れない。
性的なことをされる様子は無いのだけど。
私は再び、身動きが取れなくなる。
まあ、けど、クロだって一時的に興奮状態になっているだけなのだ。
多分、数日もすれば落ち着いてくれるだろう。
それまで、我慢、我慢。
私は我慢した。
けど、我慢できなかった子が居た。
~83日目~
「母さまは、ボクと一緒に外に行くんだから、邪魔しないで」
この日、彼女達姉妹は正面衝突した。
私と一緒に外へ行くと約束していたアオの我慢が頂点に達したからだ。
もう少し気をつけておくべきだった。
アオは行動的な分「先延ばしにされる事」が苦手だったのだ。
アオの言葉を聴いたクロは、途端に不機嫌になった。
クロ「外に?一緒に?貴女が?お母さんと?」
アオ「そう、ボクと母さまが」
アオ「……ママ、いっちやうの?」
クロ「行きません、そもそも何時そんな話になったのですか、誰の許可を得て?」
アオ「しばらく前に、母さまは良いよって言ってくれた」
クロ「お母さん、言ったんですか?」
アカ「……ママ?」
アオ「母さま、言ってくれたよね?」
ミドリ「……」
蜂の巣を突いたかのような騒ぎになった。
もう少し、穏便に事を進めたかったんだけどな。
まあ、けど成ってしまった事は仕方ない。
あとは最善を尽くすだけだ。
狩人「言ったよ、アオに、一緒に外に出ようって」
狩人「アオは、それを希望していたからね」
狩人「私も同じ事を希望してるんだし、協力し合うのは当然のことだよね」
狩人「私は前から」
クロ「……」
狩人「外に出たいって言って……」
アカ「……」
狩人「たと、思うんだけど……」
ミドリ「……」
狩人「……」
アオ「……」
空気が凍った気がした。
アオが爆発した時とは、また別の雰囲気だ。
クロ「わた……ちに……」
狩人「え?」
クロ「私達に黙って、外に出ようとしたのですか」
狩人「いや、黙ってというか」
クロ「私達に黙って、行くつもりだったんですか」
狩人「クロ、話を」
クロ「私達に黙って、黙って、黙って、黙って」
クロ「それで、終わるつもりだったんですか」
クロ「私達を、私達を、捨て、捨て、捨て、捨ててて」
アカ「……やだ」
アカ「やだ、やだ、やだよぉ、ママ、いっちゃうの、やだ」
アカ「アカ、悪いことしちゃったの?アカが悪いの?」
アカ「悪いの悪いの悪いの悪いの悪いの悪悪悪悪悪」
頭痛と、吐き気がした。
眩暈がする、立っていられない。
クロの声が、頭に響く。
頭の中に入り込み大切な部分を壊そうとする。
それと同時に、熱風を感じた。
アカの声に呼応して、洞窟内の温度が上昇する。
眼が開けていられない。
肌が痛い。
「クロ、アカ、そしてアオとミドリも」
「私はね、みんなを」
「みんなを」
「愛してるよ」
荒れ狂っていたクロの動きが、止まった。
悲しんでいたアカの動きが、止まった。
クロに襲い掛かろうとしていたアオの動きが、止まった。
1人静観していたミドリが、私のほうを見た。
「最初はね、私の中の感情が何なのか、判らなかった」
「けど、今はわかるよ、これはきっと、愛情だ」
「ちょっと思い込みが激しくて、けど誰よりも努力家なクロ」
「照れ屋だけど、何時も私を気遣って、暖めてくれるアカ」
「好奇心旺盛で、私や姉妹の為に魚を取って来てくれるアオ」
「私と一緒に歌を歌ってくれる、ミドリ」
「ここで生まれ育ったスライム達」
「私の傍で育っていった大切なスライム達」
「その良い部分も、悪い部分も」
「今の私にとっては、凄く大切に感じられるんだ」
「勿論、私達は種族が違う」
「考え方も、当然違うだろう」
「けど、けどね」
「クロ達が私に歩み寄ってくれたように」
「私も、クロ達に色んなものを与えてあげたいんだ」
「私がどんな場所で過ごしてきたか」
「どんなヒトと過ごしてきたか」
「どんな約束をしたのか」
「何処へ行こうとしているのか」
「そんな、私の全てを」
「皆にも、知ってもらいたと思ってる」
クロ「……」
アカ「……」
アオ「……」
ミドリ「……」
狩人「うん、確かにクロが言ってたとおりだ」
狩人「多分、これは直接口に出して伝えないと自覚できなかった事だと思う」
狩人「少し、すっきりもしたかも」
アカ「……ママ」
狩人「うん」
アカ「……本当に、アカのことが好き?」
狩人「うん、大好き」
アカ「……う、うん、アカも、ママのことだいすき」
アオ「母さま!母さま!ボクは!?ボクの事は!?」
狩人「うん、アオも好きだよ、大好き」
アカ「……ママ、もう一回言って」
狩人「アカが大好きだよ」
ミドリ「……」
狩人「うんうん、ミドリの事も、勿論好きだよ」
アカ「母さま!母さま!」
アカ「ママ!ママ!」
大騒ぎになった。
そんな中、クロだけが沈黙していた。
狩人「クロ?」
クロ「……」
狩人「……外を怖がるのは理解できるよ」
狩人「けどね、私はずっとそこで生きてきたんだ」
狩人「それを捨てるなんて、簡単には出来ない」
狩人「私は外に戻るよ」
クロ「……」
狩人「だから、出来れば、クロ達にもついてきて欲しい」
クロ「……」
狩人「もし怖い眼にあっても、大丈夫だよ、だって……」
「森以外で暮すのが怖い?」
「大丈夫よ、だって……」
狩人「……だって、私が一緒にいてあげるから」
クロ「……」ブツブツ
狩人「クロ?」
クロ「……」ブツブツ
狩人「おーい?」
クロ「……」ブツブツ
狩人「何か呟いて……?」
「愛してるって言ってくれましたお母さんがお母さんがお母さんが私の事を」
「愛してるってお母さんが愛してるって愛を与えてくれるってそもそも愛って」
「愛って何でしょうかそれは全面的な肯定の言葉ですつまり私はお母さんに」
「全面的に肯定された私の行為が思想が身体が全て全てお母さんに受け入れられた」
「嬉しい嬉しい嬉しいです凄く満足で気持ちいいです私もお母さんが大好きです」
「だから」
クロ「そうです、お母さん、気持ちいい事をしましょう」
狩人「え?」
クロ「先日は有耶無耶になりましたが、お互いの愛情を確認しあえたのですから」
クロ「性的欲求を解消しあうのは当然のことです」
クロ「好きです、好きです、大好きです、私も愛してます、愛してます」
狩人「いや、私の愛情は家族に対するものだと思うんだけど」
クロ「いいじゃないですか!家族で性的な事をしても!」
狩人「クロだけ何か反応が違う……」
その日、高ぶるクロに襲われかけたけど。
アオとアカとミドリが助けてくれた。
ああ、家族同士助け合うのって、いいなあ。
~85日目~
あれから、私達は細かい話し合いをした。
私が外に出たいこと。
希望するスライム達を、連れて行ってあげたいこと。
アカやアオ、そして無言のミドリは私の意見を肯定してくれた。
クロだけは少し渋った。
クロ「ですから、外は恐ろしいものが一杯なのです」
クロ「その点、ここは本当に理想郷で……」
アオ「母さま、外に出たら弓の使い方教えてね」
アカ「……ゆみって?」
アオ「母さまが得意な道具だよ、きっと格好良いんだろうなあ」
アカ「……アカも、やってみたい」
狩人「うん、いいよ、アカにも教えてあげる」
アカ「……やった」
アオ「母さまと、私達3人でやる狩り、きっと楽しいよね」
クロ「……まちなさい、その三人というのは誰と誰と誰なんですか?」
アオ「え?ボクと、アカと、ミドリだけど」
クロ「な、何でそうなるんですか!私はどうなるのです!」
アオ「だってクロは理想郷に残るんだよね?」
クロ「ガボガボガボガボガボガボ……」
結局、最後はクロも折れてくれた。
その後は早かった。
クロ達は即座に洞窟から離脱し、蔦を収集。
それを編み上げて簡易の吊り上げ具を作成。
洞窟の下と上から補佐を受けた私は、実にあっさりと。
洞窟から脱出することが出来た。
凡そ、85日ぶりに地上へ戻ることが出来たのだ。
狩人「やっぱり、洞窟の中とは空気が違うね、湿度も軽いし」
アオ「母さま、この後どうするの?」
狩人「そうだね……まず、村に行こうと思うんだけど」
狩人「……いきなり皆で村に押しかけると、凄い騒ぎになる気がするなあ」
クロ「まあ、そうでしょうね、村って言うのはヒトの住む所ですから」
ミドリ「……」コクコク
狩人「だから、まずは私だけで村に行こうと思う」
狩人「クロ達は、もう少し洞窟で待ってて」
アオ「ええー、ボクも行きたい……」
狩人「ちょっとの間だけだから、ね?」
アオ「……うん」
アカ「アカは、待てるよ」
狩人「そっか、アカは偉いね」ナデナデ
アカ「……えへへ」
狩人「じゃあ、そういう訳だから、私が村に言ってる間、皆の事をお願いね、クロ」
クロ「……」
狩人「クロ?」
クロは、私の手を掴むと、こう言った。
「本当に、戻ってきてくださいね」
「もし、戻ってこなかったら」
「多分、酷い事になると思いますから」
洞窟を出て少し離れた所に、弓と矢筒が落ちていた。
弦は外れているが、特に損傷は無いようだ。
洞窟に落ちた時に瓦礫に潰されたのかと思ってたけど。
地上に取り残されてたんだね。
良かった。
この弓は、割と気に入ってたんだ。
弦を付け直し、指で弾いてみる。
ビンっと音がした。
久しぶりに聞く音だ。
とても、気持ちがいい。
山を降りて、森に足を踏み入れる。
深い木々の匂い。
動物や虫の匂い。
湿度を孕んだ土の匂い。
緑色。
土色。
水色。
草の音。
川の音。
虫の声。
それらが、私の五感に染み渡ってくる。
ああ、帰ってきたんだ。
私は、ここに、故郷に。
心が躍る。
気持ちが高ぶる。
走り出したくなる。
そう、そうだ、ここは私の住処なのだ。
ずっと、そうだったのだ。
私は、ここで生まれて。
ここで、暮らして。
ここで……。
……。
……。
……いや、落ち着こう。
まずは、村に行かないと。
幼馴染が、待っているのだから。
私は、村へ向かう最短経路を走り始めた。
天候は晴れ。
昼頃には到着できるだろう。
走り始めて10分後。
周囲に気配を感じた。
何者かが、私を追跡している。
ケモノかな。
数は……1、2、3、4。
4体。
集団で狩りをするケモノ、狼だろうか。
……いや、狼は吼える事で連携し、獲物を狩場まで誘導する。
私を追跡している連中は、まったく吼えていない。
それどころか、移動音すら殆ど立てていない。
にも関わらず、きっちりと連携して私を追跡してくる。
本当なら足を止めて観察したいけど、今は村へ急ぎたい。
だから……。
そのまま速度を緩めず疾走する。
獲物たちも、離れずに追跡してくる。
獲物の姿は視認出来ない、つまり私の死角。
獲物の匂いは確認できない、つまり風下。
獲物の移動音は鈍い、つまり音が出にくい経路。
周辺地形は湿地に差し掛かる。
獲物が選択できる移動経路は極端に少なくなる。
ここであれば、どの場所に足を掛けて移動しているのか、容易に予想がつく。
一歩進む間に、私は四本の矢を放った。
二歩進む間に、その矢は獲物達が通ると予想される地点に、落下する。
三歩進む間に、獲物に矢が食い込んだ。
一匹目、命中。
二匹目、命中。
三匹目、命中。
四匹目……弾かれた?
硬い殻に覆われた動物だろうか。
その割には、他の三体はあっさりと倒れた。
複数の種族の動物が群れになっている?
まあ、例が無いわけじゃないけど。
……。
……。
……。
このままだと、村まで着いてきちゃうか。
よし、ここで仕留めよう。
急制動。
それと同時に、矢を番う。
獲物も急停止したが、止まりきれなかったのか木々の死角から姿を現す。
それは、巨大な猪だった。
凄い、こんな身体で私を追跡してたのか。
いや、そんな事よりも気になる点がある。
「全身鉄に覆われた猪なんて、見たこと無いんだけど」
猪は、私の姿を確認すると、再び移動を開始した。
いや、それは移動ではなく「攻撃」だった。
凄まじい速度で、私に向けて突撃を掛けてくる。
仮に、猪を覆っている鉄が本物なのだとしたら。
その重量は凄まじいことになる。
そんな重量の突撃を受ければ、私は忽ち死んでしまうだろう。
何より、鉄には、矢が通らない。
ここで復習をしよう。
ごく簡単な、職業の復習。
狩人は、対人戦闘では戦士に劣る。
集団戦闘では、騎士に劣る。
射程では狙撃手に劣る。
器用さでは盗賊に劣り、速度では無手の武闘家に劣る。
魔法使いのように火炎を起こすことも、僧侶のように人を癒すことも出来ない。
死霊術師のように、シビトを操ることは出来ない。
通訳者のように、多種族の言葉を操ることは出来ない。
では、狩人は、何に秀でているのか。
狩人は、ケモノを狩ることが出来る。
人類がまだ国という概念を持たぬ、古い時代。
言語体系さえ確立されていない時代から、彼らはケモノの狩り方を研鑽し始めた。
その技術を磨き続けた。
視線を読み、匂いを嗅ぎ、音を聞く。
空気の流れを読み、湿度を嗅ぎ別け、鼓動を聞分ける。
移動範囲を予想し、空間を把握し、ケモノの意識の死角を突く。
長く継承され続けた「経験」がそれを可能にする。
人類最古の戦闘職、狩人。
その系譜の最先端が、彼女である。
猪が突撃を開始した次の瞬間、鉄に覆われていない部分に矢が殺到した。
相手を視認すのに必要な軟体構造、眼。
呼吸時に粘液が必要な、鼻腔。
運動時に可動性が必要な五つの間接部。
射線が通る範囲の急所全てに矢が突き刺さる。
その数、合計12本。
それでも、猪は止まらなかった。
眼が潰れているにもかかわらず、まるで狩人が見えているかのように。
突撃し、牙を突きたてようとする。
その牙が、狩人に届く直前。
13本目の矢が、再び猪の目に突き刺さり。
そのまま貫通し、体内を蹂躙、背中からボシュッと突き出た。
そこまでして、猪はやっと息絶えた。
「何なんだろうね、この猪」
「どう見ても普通じゃないんだけど」
「突然変異?」
「いや、けど……」
何故か、クロ達の姿が頭を過ぎった。
そうだ、私は最初、彼女達を突然変異で巨大化したスライムだと思って……。
「……ううん、判んないや」
「ねえ、貴方なら判る?」
「そこに、隠れてずっと見てるよね?」
100m程先の大木。
その陰から、ヒトの匂いがする。
害はなさそうだから放置してたけど。
流石に、この状況だと、少し気になる。
「出てこないようなら、もう行くけど」
「ま、ま、待ってくだ、さいっ!」
大木から姿を現したのは、黒い髪の女性だった。
あれ、私、このヒトと……会ったことがある?
けど、名前も何も思い出せない。
おかしいな、確かに、見覚えが……。
「う、うふふふ、わ、悪気は無かったんです、ちょっと、ちょっとだけ」
「迷いの森の狩人さんの力を、た、た、確かめたかっただけで」
「も、も、も、勿論、殺す気なんてなかったんですよ」
「だって、だって、うふふふ、わ、私は、迷いの森の狩人さんの、ファンですし」
女性は、私に視線を合わせないまま会話を続けた。
「そう、そうです、私、私、ファンなんです!」
「見ました、私、見ました、あの時、大会会場に居たんです」
「100年に一度行われる、帝国主催の狩猟大会!」
「高名な弓師や帝国の騎士達を押しのけて、優勝を果たした貴女の姿を!」
「凄かったです、ほ、本当に!特に凄かったのは終盤に行われた竜種狩り!」
「か、感動したんです!ヒトの力で竜を狩れるなんて!」
「うえへへへ、す、すごいなあ、話しちゃった、私、迷いの森の狩人さんと話しちゃった!」
一度、幼馴染と一緒に帝国を訪れて狩猟大会に参加したことがある。
あの時も、森から離れた影響で体調悪くして幼馴染に介抱された。
まあ、大会会場が帝国領内の大き目の森だったので、体調は戻ったけど。
森じゃなかったら、私はかなり序半に脱落してたんじゃないかなあ。
「それで、貴女は何者なの?」
「この猪は、貴女が飼育していたの?」
話が逸れそうなので、修正してみる。
本当ならさっさと村に向かいたいが、何故か、この女性のことが気にかかる。
「あ、す、すみません、そう、そうです」
「その猪は、私が作ったもので、えっと、その」
「わ、私は、合成術師なんです、そう、今風の言い方をすると」
「キマイラマイスター、って感じです、えへへへ」
そっか、気になる理由かわかった。
イライラするからだ。
何故か、このヒトが喋っているのを聞くと。
心が騒ぐ。
何でだろう。
「じ、実はですね、私は探し物をしてるんです」
「私が作った合成生物なんですけど、ずっと前に逃げ出しちゃいまして」
「この近くに、隠れてるって事は判るんです」
「最後に魔力反応が途絶えたのは、この『迷いの森』の近辺でしたから」
「きっと、きっとこの森に入ったから、魔力反応が途絶えたんだと思うんです」
「こ、この森の中は、魔力が濃すぎて、探知魔法とか通りませんから」
「だから、こ、こ、困ってたんです」
「……そんな時、思い出したんですよ、迷いの森には」
「狩人さんが居るって」
「ふ、ふふふ、狩人さんに手伝ってもらえたら、きっと探し物もすぐに見つかります」
「ああ、私は運がいいなあ、うふふふふふ……」
「けど、誤算でした」
「近くの村を訪れて聞いたら、三ヶ月近く前から狩人さんが消息不明だって言われましたから」
「きっともう死んでるんだろうって、あの村長は言ってましたから」
「がっかりです」
「けど」
「けど、村長の娘から、聞いたんです」
「アイツは、きっと戻ってくるって」
「そう、そうですよね!」
「ヒトの可能性を凝縮したような狩人さんが」
「自分のテリトリーの中であっさり命を落とすはずがありませんから!」
「きっと、きっと何か特殊な事態に巻き込まれて帰ってこれないだけなんです!」
「私はそう信じて!」
「信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて信じて」
「待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って」
「探して探して探して探して探して探して探して探して探して探して」
「そして、今日、狩人さんを見つけたんです」
「めでたし、めでたし」
「ところで、狩人さん」
「どうして、今まで戻ってこなかったんですか」
「ひょっとして、何か変な物に遭遇したりしませんでしたか」
「具体的に言うと、純白の魔物とか」
「だって、それくらいじゃないと説明がつかない」
「貴女のような優秀な狩人が行方不明になる理由が」
「思いつかないんですよ」
「ねえ、狩人さん」
そいつは、何時の間にか私の目の前にまで迫っていた。
ああ、私がどうしてイライラしているのか判った。
こいつの顔は。
クロと似ているからだ。
髪形が違うので、すぐには気付かなかったけど。
きっと、クロはこいつの顔を模している。
「もう、何よ、森以外で暮らすのが怖い?」
「大丈夫よ、だって……」
「私が一緒にいてあげるんだから」
「そうと決まれば、準備をしないとね」
「私の誕生日なんて、すぐに来ちゃうんだから」
「ほら、笑ってないで、アンタも考えるのよ」
「2人の事なんだからさ」
「ね」
≪これは驚きました、世代交代したのですか≫
≪道理で私の魔力感知に引っかからないはずです≫
≪しかも、増殖しただけでなく、ヒトの形を模している≫
≪素晴らしい結果です!ああ、解体したい!調べたい!≫
ああ、もう。
うるさいなあ。
いま、とても。
よいゆめを。
みているのに。
「私以外とはあんまり喋らないし」
「アンタって狩人の癖にボーっとしてて」
「ねえ、聞こえてるの?返事くらいしたら?」
「アンタ、どうして寝込んでるの?」
「はい、水を持ってきてあげたわよ」
「私が一緒に」
「うぷぷぷぷ」
「笑わないし」
「ちょっと水鳥を」
「18歳の」
「だからね」
「お母さん」
「自由に」
「お母さん」
ああ、この夢が。
ずっと、続けば。
「お母さん」
「お母さん、聞こえますか」
「大丈夫です、大丈夫ですよ、お母さん」
あれ。
このこえは。
クロの。
≪強制制御術式も解除されていますか≫
≪ええ、いいでしょう、では力づくで≫
ああ、ほんとうに。
うるさい。
なあ。
「聞く必要はありません、お母さん、私だけを」
「私だけを見ていてください」
「私の声だけを聞いてください」
「間に合いました、間に合ったんです」
「ミドリが、お母さんの声を聞いてたんです」
「不測の事態だと言うのは即座に判りましたから」
「その段階で私達は洞窟から出ました」
「だから」
「ああ、良かった、間に合った」
「命の火が消えてしまったら、幾ら私達でも蘇生させる事は出来なかった」
「けど」
「けど、間に合ったんです」
「私達の、私達の大本である純白のスライムの能力は」
「再生です」
「私達の力を合わせれば、物理的な傷なんて、忽ち再生させる事が出来るんです」
「ほら、見てください、もう手も首もお腹も再生されています」
「だから、大丈夫です」
「あとは、あとは再生しつつある身体に脳が同調すれば」
「多少身体に障害は出るかもしれませんが」
「生き残れるんです」
「ですから」
「楽しい事を考えてください」
「同調する前に脳が死んでしまわないように」
「生き続ける事を考えてください」
「そうすれば」
楽しい。
ことを。
生きつづける。
ことを。
「……身体のうごきがにぶくなっら、もう狩りはできないかな」
「平気ですよ、もう狩人なんてやらなくてもいいです」
「私が」
「私達が、養ってあげますから」
「だから、私達のお母さんでいてください」
私の頭の中に、素晴らしい光景が広がる。
深い森の中。
アオとアカが狩りをしている。
アオは予想通り、狩りが上手だ。
けど、アカは上手く獲物を捕る事が出来ない。
ミドリは相変わらずマイペースで。
遠巻きに座って歌を歌っている。
その声で、獲物が逃げてしまい、アオとアカが怒っている。
私のそばには、クロが座っていて。
何かと私の世話を焼いてくれる。
狩人でなくった私。
そう、そうんな未来が。
あっても、いいのかもしれないね。
ふと、足元に花が生えているのを見つけた。
綺麗な花だ。
そうだ。
彼女に持って帰ってあげよう。
私は、村へ向かい。
彼女を探した。
けど、見つからない。
村中探したけど、見つからない。
見つからない。
何処にも居ない。
ああ。
そうだ。
そうなんだ。
もう。
彼女は絶対に見つからない。
生き返っても。
その世界に、彼女はいないのだ。
私が手に持っていた花は、何時の間にかなくなってしまっていた。
目から雫が流れる。
涙が止まらない。
胸が締め付けられる。
立っていられない。
ああ、そうか。
私はもう。
狩人じゃないんだ。
だから。
だから、誰かが死ぬのが。
こんなにも、悲しい。
悲しい。
苦しい。
いやだ。
いやだよ。
しんじゃいやだ。
いやだ。
ほんとうは。
だれにもしんでほしくなかった。
すごくかなしかったんだ。
すごくくるしかったんだ。
おかあさん。
おとうさん。
そして彼女。
あいたい。
あいたいよ、もういちど。
ああ、だめだ。
こんなことには。
たえられない。
わたしには、たえられないんだ。
たえることなんて、できるはずがないんだ。
狩人でない私は。
ただの弱いヒトなのだから。
素敵な光景が、消えて行く。
森も。
空も。
地面も。
落ちて行く。
私は。
暗闇の中に。
落ちて行く。
クロ達の声を聞いた気がした。
それを最後に、私の意識は暗闇に包まれた。
クロ「お母さん……駄目です!お母さん!」
クロ「意識をしっかり持ってください、お母さん!」
ミドリ「……」
アオ「クロ……母さまは?」
アカ「……ママ、いなくなっちゃったの?」
クロ「……いいえ、そんな事はありません」
クロ「お母さんが、お母さんが私達を置いていなくなるはずがありません」
クロ「身体は、身体はちゃんと治ったんです、あとは脳を活性化すれば」
クロ「……そうです、やっぱり、やっぱり洞窟から出るべきじゃなかったんです」
クロ「そうすれば、こんな事にはならなかった」
クロ「……戻りましょう、お母さん」
クロ「そ、そうすれば、お母さんだって、きっと」
クロ「きっと、目が覚めてくれるはずです」
クロ「アカ、お母さんの身体を温めてあげてください」
クロ「あの洞窟の温度は、お母さんの身体に悪い」
クロ「アオ、お母さんが何時目覚めても言いように、新鮮な魚を用意してください」
クロ「ミドリは、お母さんが好きだったあの音楽を」
クロ「お母さんは、お母さんは」
クロ「今は、ただ、疲れて眠ってるだけなんです」
クロ「私が保証します」
クロ「種族の最先端である、この私が」
クロ「何時か、お母さんが目覚めると」
クロ「……さあ、早く戻りましょう、私達の理想郷へ」
クロ「ああ、それと」
クロ「帰る前に、少し狩りをしまいましょうか」
クロ「上手く狩れれば、お母さんが喜んでくれるかもしれませんし」
スライム達が狩人の死体に集まっている間に、私は準備をしていた。
村の周囲をキマイラ達で包囲させたのだ。
逃がさない。
絶対に逃がさない。
スライム達が世代交代、いや「進化」していた事は予想外だった。
とても喜ばしい事だ。
あのスライム達を解析すれば、私の合成生物達を更に強化する事が出来るだろう。
スライム達の戦闘能力は不明だが、こちらには切り札がある。
「竜とケモノのキマイラ」よりも、更に戦闘力が高い合成生物。
「悪魔と人間のキマイラ」を温存しているのだ。
今はまだ覚醒させていないので只の小娘だが。
私が術式を解放すれば真価を発揮できる。
文字通り、悪魔のような力を発揮するだろう。
私が配置したキマイラは38体。
それは小さな国であれば蹂躙出来る程度の戦力。
戦闘開始後。
2秒後には、竜獣のキマイラが超振動によって砕け散り。
8秒後には、13体のキマイラが熱に焼かれて死滅し。
13秒後には、9体のキマイラが凍結四散し。
17秒後には、14体のキマイラが発狂し岩や木に頭を叩きつけ自害した。
切り札であったキマイラに至っては。
黒いスライムの精神浸食に怖じ気づき、私の制止を振り切り。
あっさりと逃げ出してしまった。
その段階で、私は脚部に埋め込んだケモノの因子を活性化させ、高速で村を離脱。
スライム達の攻撃を幾つか受けたが、何とか森へ逃げむ事に成功した。
痛い、痛い、痛い
右足が痛い
今すぐ蹲ってしまいたくなるほど、痛い
きっと傷口は大きく、骨にまで達しているのだろう
ああ、けど止まる訳にはいかない
止まったら追いつかれてしまう
どうして
どうしてこんな事になったのだろう
様々な感情が頭をよぎるが、それでも
それでも、私は足を動かし続ける
森の中を走り続ける
私は、自らが作り上げた合成生物の因子を身体に取り込んでいる。
皮膚を硬化出来るし、四肢の性能を一時的に上げる事が出来る。
再生能力すらあるのだ。
そんな私が、こんな所で死ぬはずがない。
そう、そうだ、思い出せ。
確か随分前に、共和国軍に蝙蝠と人間のキマイラを納品した事がある。
あの時の因子が、私の身体の中にも残っていたはずだ。
あんな大きな因子を活性化させると、ヒトの形に戻れなくなる可能性もあるが。
そんな事はこの際どうでもいい。
今は、ここから逃げのびて。
私の知識を残す事を最優先にしないと。
私が死ねば、私が積み上げてきた知識が全て無くなってしまうじゃないですか!
私の背中から、グググと蝙蝠の羽が隆起する。
耳り形状が変化し、周囲の物体を音で感知できるようになる。
そう、そうだ。
あとはこれを羽ばたかせて。
よし、よし、上手くいく。
あはははははは!
凄い!凄いです!
私、空を飛んでます!
これはこれで、良い経験で……
ピィィィィィィィィィィィィィィィィッ
地上から凄まじい音が響く。
それにより、私は激しくバランスを崩した。
回転する。
飛行状態を保つ事が出来ない。
一体、一体何が……。
回転する視界の中、地上にミドリ色の何かが見えた。
あれは、楽器?
どうしてあんな所に、巨大なラッパが。
いや、待ってください。
その後ろにある、あれは。
あれは、なんですか。
まるで、赤と青で作られた。
巨大な弓のような。
次の瞬間、私の身体が大きな衝撃を受ける。
文字通り体がバラバラになりそうな衝撃。
けど、私は自らの身体に宿した因子を総動員し、何とか飛行状態を取り戻した。
ああ、痛い!
痛い痛い痛い!
身体が痛い!
お腹が!
ああ、そうか、連中は!
あのスライム達は、自分達の身体で弓を作ったのだ!
そうして、巨大な木か岩を、私に向けて射出したのだ!
だから私のお腹にこんな大きな穴が!
けど、けど何とか耐えきりました。
ふ、ふふふふふ、これで逃げのびる事が出来る。
一撃で仕留め切れなかったのが連中の敗因です。
私の再生能力を持ってすれば、この程度の穴、数時間でふさがる。
そして……。
私は、貴女達を、決して、決して逃がさない。
次はもっと強力なキマイラを作って、あのスライム達を……。
「あれ、貴女の顔って、良く見たら私の顔と似てますね」
「ひょっとして、前に会った事あります?」
連中が弓で射出したのは、木や岩ではなかったのだ。
では、何を撃ちだしてきたのか。
それは……。
「ううん、そう言えば、前に貴女から酷い事をされた記憶がある気がします」
「まあ、けど、そんな事はどうでもいいですよね」
「私にとっては、お母さんが、あんな事になっちゃったことが」
「一番辛い思い出ですし」
「それ以外は、本当に」
腹部に空いた穴から這い出した黒いスライムは、私の頭に手を当てて、こう呟いた。
「どうでもいいです」
次の瞬間、合成術師は発狂した。
合成術師の体内に内包していたキマイラ達の因子も全て発狂した。
それらは合成術師の身体を内部から食い荒らした。
その結果。
合成術師は空中でバラバラに飛び散り。
肉片として森に降り注いだ。
~86日目~
共和国医療師団報告書より抜粋
天候、晴れ。
村長からの救助指令を受けた私達は、村とその周辺を調査。
情報通り、異形の生物に食われたと思われる死体を多数発見しました。
情報と違っていた点は、異形の生物の死体も多数発見された事。
この村は、迷いの森の狩人と縁があったらしいので、彼女が責務を果たしたのかもしれません。
事情を聴こうにも、彼女の家が何処にあるか不明なので無理なのですが。
死体は全て私達で埋葬予定。
以下、私見です。
先日配属された女医が反抗的です。
私の命令を無視する事が何度か。
転属要請を同封致しますので、どっか別の師団に移してください。
そもそも治療魔法を使える私が居るのに、医者とか不要でしょう。
シスター「はい、報告書作成終わり」
シスター「伝令さん、これを拠点まで届けてくださいな」
シスター「残りの皆さんは遺体を集めてください、埋葬します」
女医「……」
シスター「ほら、女医さんも、手を貸してください」
女医「隊長、この子……」
シスター「……まだ若い娘なのに、可哀そうですね」
シスター「けど、感傷には浸ってられませんよ、死体が腐敗する前に埋葬しないと疫病が……」
女医「いえ、この子はまだ死んでません」
シスター「……死んでいますよ、生命反応がありませんから」
シスター「貴女には魔力が無いので判らないかもしれませんが……」
女医「複数の外傷がありますが、どれも古い傷です」
女医「直接的な死因と見られる傷はありません」
女医「何らかのショックを受けて心停止しただけの可能性があります」
女医「蘇生を試みますので、手伝ってください」
シスター「いや、だからもう死んでますって言って……」
女医「早くなさい!」
シスター「ひゃ、ひゃい!」ビクッ
シスター「……」
シスター「何なんですかこの人、怖いんですけど」ブツブツ
シスター「何で隊長である私が怒鳴られないといけないんですか」ブツブツ
シスター「そもそも、死んだ人間を蘇らせるなんて、出来るはずが」ブツブツ
シスター「え、この人、何してるんです、死体の口に、え、キス?」ブツブツ
シスター「え、え、え……」
共和国医療師団報告書より抜粋
追記。
村の傍にて生存者を確保。
しかし、村人ではありません。
何も食べていなかったのか、非常に弱っています。
ただ、この生存者は村を襲った異形の生物の正体を握っている模様。
詳しい情報は拠点に戻ってから調査する予定です。
私見の追記。
先の転属届けは無効にしてください。
彼女は素晴らしい方です。
まさか死んでしまった人間を生き返らせるなんて。
しかも、その様子が凄く格好よかったです。
彼女は優秀な人間です。
超優秀です。
お給料あげてあげてください。
好き。
「悪魔と人間のキマイラ」である少女は、こうして共和国に保護された。
彼女がどんな顛末を迎えるかは、また別のお話。
~10000日後~
~洞窟内~
神殿の掃除を終えた私は、物陰に灰色のスライムが蹲ってるのを発見した。
「また来たのですか、ここは気軽に立ち寄っていい場所ではないとあれほど……」
「クロお姉ちゃん、おはなしきかせて」
「……何のお話がいいんですか」
「お母さんのおはなしー」
「ふふふ、貴女はお母さんの話が好きですね」
「かっこういい」
「そうです、お母さんは、凄く格好よくて、凄く優しくて、凄く綺麗なヒトでした」
「私はね、最初にお母さんの姿を見た時、凄く感動したんです」
「何て綺麗なヒトなんだろうって」
「自分も、そうなりたいって」
「だから、私は頑張りました」
「頑張って、お母さんの事を知って、同じ姿になろうとしたんです」
「そして、知れば知る程、お母さんの事が好きになりました」
「お母さんの心も好きになりました」
「けど……」
「同じ姿になるのには、躊躇しました」
「何だか、不謹慎な気がしたんです」
「私は、ヒトの外見を3種類しか知りませんでした」
「一つ目は、お母さん」
「二つ目は、お母さんの大切なヒト」
「三つ目は、記憶には残ってるけど誰だかわからないヒト」
「お母さんの大切なヒトを模すと、お母さんから猛烈に怒られそうな気がしたんで」
「消去法で、三つ目の外見を選択したんです」
「ああ、けど」
「怒られてもいいから、二つ目を選択しておくべきだったかもしれません」
「そうすれば……もしかしたら……」
「私は、クロお姉ちゃんの姿、好き」
「……そうですか、ではこの姿を選択した甲斐があるという物ですね」
「うん!」
「さあ、そろそろお昼の時間ですよ、下へ降りましょう」
「はーい、お母さん、またね」
灰色のスライムは、幼いヒトの姿で、するすると降りて行く。
私達が「水溜り」と呼んでいた穴だ。
もう既に、水は抜いてある。
お母さんの予想通り、その下には広大な地底湖があった。
その水を全て排除し、そこに私達は住んでいるのだ。
「では、お母さん、また明日、来ますね」
お母さんは。
アオの力で作り上げた、巨大な氷の中で眠っている。
私達が、過ごした、あの洞窟で。
天井を塞いで地上への道を閉ざした、あの洞窟で。
あの日からずっと。
ずっと眠っているのだ。
今日も眠っていた。
きっと、明日も、明後日も。
けど、いつの日か。
その瞼が揺れて、目を開けてくれるのだ。
私には、それが判る。
何日かかかわるは、判らない。
けど、何時かきっと。
「それまで、待ちます」
「ずっと、待ち続けます」
「いつまでだって、待ち続けます」
「例え、地上が滅んでも」
「例え、ヒト族が息絶えても」
「ずっと」
「ずっと」
「私達の巣で」
「だって」
「だって、私達は」
「神殿」から降りた私は、周囲を見渡す。
ヒカリゴケに照らされた、膨大な空間。
そこには深い森が広がっていた。
兎や、鳥たちの姿も見える。
地上への道を塞ぐ前に集ておいた植物や動物。
それに私達の因子を埋め込んだのだ。
お陰で、太陽の光が無いこの空間でも根付いてくれている。
成長も早い。
「……クロ、聞いて、またアオが我儘言ってる」
「我儘はアカの方だろ、ボクはただもう少し動物を増やしたいって言ってるだけで」
「……増やし過ぎたら、植物が減ると、アカは思う」
「大丈夫、増やした分、ボクの眷族がちゃんと狩るからさ」
「……狩るなら別に増やさなくていい」
何時ものように、騒がしい日々。
高台の上からは、ミドリ達が演奏する曲が流れている。
そう、ここは。
数千匹にまで増えた、スライム達の巣。
私達の、理想郷なのだ。
きっと、お母さんも気に行ってくれる。
だから、私達は何時までだって待てる。
だって。
「私達は、貴女の事を愛しているのですから」
こうして、スライムの巣での一日が、また始まる。
彼女が目覚めるまで。
完
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