南条光「カンシャノアカシ」 (36)
【はじめに】
○公式設定から逸脱した個人的な解釈、推測、キャラづけがあります。
○先日、投稿した 佐久間まゆ「めぐりめぐるは」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1504785702/) と話がつながっております。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1505306634
(ありがとうっていう気持ちを、ちゃんと届けるには何を用意すればいいんだろ?)
白いハンカチでその手を拭きながら、南条光はそんなことを考えていた。
少なくとも、感謝の気持ちは一対一の相互交換なのではなく、誰かから誰かに次々とめぐりめぐってゆくものだと光は感じている。
さて。茨城県はつくば駅の近くにあるショッピングモールに、光はいる。
土曜日である今日は午前中から、同じ芸能事務所の小関麗奈、そして二人の担当であるプロデューサーと一緒に地方ロケをこなした後、ランチおよび次の仕事の打ち合わせをしていた。
緩いロケであったため、普段よりは見栄えが良いが私服とほぼ違わないカジュアルスタイルでいられることが、光には嬉しかった。
そして、レストランに麗奈とプロデューサーを残し、一人お手洗いに行った帰りに見つけたのである。
エスカレーター前で、深いため息をつきながらウロウロしている少年を。
(どうしたんだろう……)
小学四、五年生くらいだろうか。
短く切りそろえた髪型や程よく焼けた肌、ひざ下で途切れるハーフパンツに長袖のTシャツ姿一枚といった格好には似合わない、渋い面構えで黙々と右往左往している。
好意的に解釈すれば困っているように、正直に言ってしまえば挙動不審なその少年を見て、(迷子かな?)と思うあたりは、光の人の良さであろう。
くわえて、つい最近、似たように自分も困っていたことがあったことが、その理由としては大きい。
しまいかけていた純白のハンカチを見る。
そこには可愛らしい翠色のリボンマークをしたワンポイントが刺繍であつらわれている。
今朝、事務所の先輩である佐久間まゆから貰った誕生日プレゼントであった。
先日、とある事情で貸した自転車のお礼もかねてもらったものである。
つい先日のまゆの誕生日のことである。
彼女は困っていた光を助けたがために、自分のプロデューサーに渡そうと思っていたプレゼントの入っている黒い紙袋を落とし、光の自転車その他もろもろを巻き込んだ追跡劇の末、大切な紙袋が見知らぬ誰かのトラックに乗ったまま、どこかへ消え行く姿を見送るハメになってしまった。
光は気にしていたが、まゆは
「いいんですよぉ。気にしないでね。素敵な思い出は作れましたから」
と笑顔で答えてくれた。
(でも、あの時のまゆ姉は……ちょっと寂しそうだったな)
今朝、プレゼントをくれたときのまゆの様子を見てから、彼女が助けてくれたことへの感謝を、どうやって返そうか、それを光はずっと考えていたのである。
光の頭を占めていたのは、それだけではない。
今日これから待っている仕事。
それを考えると、心がソワソワするような、身体がゾクゾクするような、なんとも言えない震えを感じる。
トイレがいつもより近いのも、そのせいかもしれない。
さて、少年はというと、エスカレーターの前を行ったり来たりすることに徒労を感じたのか、トボトボと通路の隅に置かれているベンチへと向かい、腰を下ろした。
(まゆ姉に向けてじゃなくても……もらった分、他の誰かにお返しできるのが、ヒーローだよな)
光もそのベンチへと歩き出す。
「ねぇ、キミ。どうかしたのかい?」
「ふぁい!?」
顔を上げた少年に向かって、光は笑顔を返す。
「べ、別に何でもない……」
今度はその瞳を右往左往させながら、モジモジと少年は答えた。
その元気のない返事に光はますます心配になる。
「そう? 困ってるように見えたけど……お父さんやお母さんは近くにいるの?」
光が優しく問いかけると、少年は視線を光からそらして、こめかみのあたりを人差し指でかく。
「……いないよ」
ポツリとつぶやいた少年の横に、光も腰を下ろす。
「アタシは南条光。キミのお名前は?」
「えっと……俺は、コータ」
「コータくんか。よろしくね! それで、もしかして、はぐれちゃったとか?」
「えっと、その、まぁ、そうかな……」
「そっか、それじゃあ、お父さんとお母さん、探そっか」
「へっ?!」
大げさなくらい目を丸くして、少年は光の方を見つめている。
「心細かったでしょ?」
光が首をかしげると、少年はゆっくりと光から視線を落として、小さな声で「うん」とうなずいた。
「じゃあ、まずはお店のサービスカウンターにでも行って」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って! あ、えっと、待ってください、の方がいいのかな?」
少年は慌てた様子で立ち上がって、光の言葉をさえぎる。
「そ、その、えっと――一緒に来た弟とはぐれちゃって、だから、弟も探さなくちゃっていうか」
「それなら、弟さんも探そう!」
光も立ち上がる。少年と目線の高さが合った。
そして、ニコりと笑い、少年の手を取って歩き出す。
「うわわわ」
頬を赤らめて、なすがままに引っ張られる少年を尻目に、光は
(まぁ、どっちにしても、サービスカウンターだよね。次の仕事までは充分、時間あるし)
などと考えていた。
と、ここで少年が恐る恐る尋ねる。
「あの……君は、いくつ……ですか?」
思いもよらない質問に戸惑いながらも光は、まさに今日、ひとつ増えた数字を答えた。
「えっ!? 光さんは……俺より上なんだ」
***
「アーハハハハハハッ、傑作じゃない!?」
麗奈は腹をかかえた。
とあるショッピングモールのとあるレストラン。
そこに麗奈はいた。
そして、その向かいでは、プロデューサーが大笑いする麗奈の様子を苦笑いしながらながめている。
「だから、さっきまでのロケ、あんなにユルかったのね」
「はい。三ツ谷さんはいつもこの調子ですから」
光と同様、普段通りの服装とさほど変わらない麗奈の向かいに座るプロデューサーは、かけた眼鏡の位置を直しながら、麗奈の手からスマホを受け取った。
「今日の仕事の依頼主である三ツ谷さんは、高校の陸上部の先輩ですけど、
このノリは当時から変わりませんね」
彼は、芸能事務所『グラスリッパー・プロダクション』のパッション部門プロデューサーであり、光と麗奈の担当を任されている男である。
スクエアフレームの眼鏡と誰にでも敬語を崩さない口調のせいでお堅く見られるか、柔和な目つきと緩いカーブを描くクセっ毛のおかげで、優男に見られるか、どちらかなのだが、実はどちらもそうでもないことを麗奈はよく知っている。
「それにしても、マネージャーから現場ディレクター、AD、音声、カメラマン、全部アンタが兼任の現場なんて、研修生の頃以来ね。
懐かしくなっちゃったわ」
「その分、お二人が伸び伸びとロケをしていて、私も楽しかったですよ」
三ツ谷はプロデューサーが高校時代から懇意にしている先輩であり、業界の先輩でもある。
今は、茨城県の地方局で勝手気ままに雑多な番組制作に関わっている。
先ほどまで麗奈が見ていたプロデューサーのスマホには、三ツ谷からの依頼メールが表示されている。
『今度、つくばの魅力を紹介したネットTVっていうの?
そんな感じのやりたいんだけど、まずは某Tubeとかで気楽に
観れるぐらいの作りたいから協力お願いします。
お代ははずむぜ!
紹介したいスポット教えるから、そこでアイドルと楽しんでくれれば、後は何でもいいよ~。
よろよろ~』
プロデューサーはため息をついた。
「同行スタッフ、ゼロの企画なんて、番組プロデューサーの仕事放棄もいいとこね」
麗奈はニヤニヤしながら頬杖をついている。
「なんで引き受けちゃったのよ?」
「なんででしょうね? 自分でもわかりません。
あの人、中学時代は砲丸投げ、高校時代で円盤投げと槍投げ、大学ではハンマー投げと、
投げるもの一通り投げつくした果てに、『ブン投げるのも飽きたわ』とか言って
演劇サークル入った勢いで、業界入り。
かと思ったら、今度は仕事をブン投げてますからね。
自分の発言には責任を持っていただきたい、と常に言ってるんですけど」
「なるほど。で、アンタは匙を投げるのがお得意になっちゃったってわけ」
「たしかに! うまいこと言いますね、さすがレイナサマ」
「その拾い方はやめなさいよ! むずがゆいじゃない!」
「投げてきたのは貴方です。
まぁ、さすがに構成と編集までキャッチするつもりはありません。
投擲王・三ツ谷でもさすがにファールです。
『普段は暇さ』なんてよく言ってるんですよ、あの人。
ですから、そこはわかってると思います」
そこで、またプロデューサーはため息をついた。
「ま、その三ツ谷さんって人のおかげで、光の喜ぶ仕事が取れたわけだけど」
「ええ、そこは感謝してますよ。茨城のご当地ヒーローとは言え、ヒーローはヒーローです。
そのショーの特別ゲストとしてヒーローヴァーサスを推薦してくれたのは三ツ谷さんですからね」
「フン、アタシまで巻き込まれたんだから、いい迷惑よ」
今度はプロデューサーがニヤニヤした。
「何よ?」と片眉を吊り上げる麗奈の鞄には、光の誕生日を祝うお手製びっくり箱が入っていることを彼は知っていたし、この仕事が決まった後、特にこの一週間はいつもより機嫌がよかったことも、彼はお見通しだ。
光にとっても嬉しい仕事であることは間違いなかった。
なぜなら、地方の小さいショーではあるが、これがアイドル南条光のはじめてのヒーローショーの舞台であるからだ。
「で、この後はどうするのよ? まだ、ショーのゲストまで時間あるけど」
いまいましそうに麗奈は言いながら、テーブルの上に置かれた三角ポップを手に取る。
そこには大げさな書体で「サーカス来る!」と書かれている。
「そうですね。もう少し紹介映像用の素材を撮っておきたい気もします。
光が戻ってきたら、ショーの会場に向かいつつ、尺を稼ぎましょう」
「そうね。……それにしても、遅くない? アイツ」
「はい。まさかとは思いますが、光、迷ってないですよね……」
***
「お連れ様のお呼び出しをいたします。
東京都からお越しの小関麗奈さま。
お連れ様が二階サービスカウンターでお待ちでございます」
館内に放送が流れるのを確認し、光は「よし」と一息ついた。
まずは、プロデューサーたちにも来てもらった方が安心できる、と判断してのチョイスだ。
「つい麗奈の名前で呼んでもらっちゃったけど、プロデューサーのでもよかったかな。ま、いっか」
次は少年の弟さんかご両親の番と光は考え、後ろで待っていた少年に声をかける。
「さて、次はコータくんの番だけど、お父さんとお母さんのことについて――」
「あっ、で、でも、やっぱり自分で探す。ひひ光さんにメーワク、メーワクかけられないし」
コータは引きつった笑みを顔に貼りつけながら、ガタガタとまくし立てた。
「えー。でも絶対、ここで放送してもらった方が早いよ」
光は首をかしげながら言った。
「そ、そうかな? そうかもね? あ、あっ、でもですねぇ、なんか恥ずかしいというかさ」
「恥ずかしいことなんてないぞ! 麗奈みたいに名前よばれるだけだって」
光は二カっと笑うが、コータは一向に目を合わせようとしない。
額から一筋、汗が流れた。
「……」
「どうした? 大丈夫??」
コータは、光の気づかいに反応する代わりに、突然「あっ!?」と声をあげ、光の後方を指さした。
「あの人たちじゃない? そのレイナさんって人!?」
「えっ!?」
光が振り向く。そこに麗奈はいない。
瞬間、コータは光から離れるように走り出していた。
「あっ!? 待って!」
光も気づくと同時にコータを追いかける。
コータはかなりのスピードでビルから飛び出していく。
光もそれを追い、人をかき分け、モールのドアを押し開け、青い空の下へと駆け出す。
コータは大きな道路にかかる橋をずんずんと進む。
光もそれを追うが、彼の脚力はなかなかのものだ。
残暑の中、汗を拭くスーツ姿のサラリーマン、仲睦まじげに歩く若いカップル、ベビーカーを押したママ友達、アーガイル・チェックの洒落たキャメルカラーのキャリーケースをひくおばあちゃん。
橋の上をいく人たちに気をつけながら、光もまたずんずんと進んだ。
橋の先には、他の敷地より一階分高く整地された広場がある。
コータが大きく左に曲がるのが見えた。
広場にはところどころ背の高い木が植えこまれており、コータはその木に片手をひっかけ、ぐるりと回りながら、速度を落とすことなく、むしろ、加速を増して、一気に方向を変える。
「はぁ~、やるなぁ!」
そして、光もコータをマネて、遠心力を使って進行方向を大きく変えた。
想像以上の重さが腕にかかり、身体の軸がたわむのを感じながら、コータが向かった先――広場から一階分低いつくば駅のロータリーに向けて、階段を駆け降りた。
そこはバスターミナルになっている。
コータは後ろを振り向いて、光の姿を確認すると、軽く叫んだ。
キョロキョロと周りを見回す。
すると、今にも扉が閉まりそうなバスが一つ、目に入った。
コータは勢いもそのままバスの扉に駆け込んだ。そのまま、バスの扉が閉まる。
「ふぅー」とコータは一息つき、そのままバスが動き出すのを待つ。
が、なかなか発車しない。発車しないばかりか、バスの扉が再び開く音さえした。
「ごめんなさい! ありがとうございます!」
溌溂した声とともに、もう一人バスに乗る音がし、今度こそバスは発車した。
息も整わないうちに、コータが顔を上げると、そこには光が困った表情で立っていた。
「これじゃあ、アタシが迷子になっちゃうなぁ……」
***
「ちょっと! アタシが迷子になったみたいじゃない! 違うでしょーが!」
「まぁまぁまぁまぁ」
プロデューサーと麗奈は館内放送を聞いて、慌てて席を立った。
麗奈がぷんすこしている間に、プロデューサーが会計を済ます。
そして、二人は急ぎサービスカウンターに向かった。
「ファンが集まりでもしたらどうすんのよ?!」
特に人は集まっていなかった。
腑に落ちない表情をしている麗奈を横目に、プロデューサーはサービスカウンターの受付の女性にスマホを見せている。
「それじゃあ、さっきの館内放送を頼んだのは、たしかにこの子だったのですね?」
「ええ、間違いありません。ボーイッシュな格好でキレイな長髪の女の子でした。
ですが、放送をした途端に走りさってしまって。
どうやら小学生くらいの男の子と一緒で、その子が走っていったのを追っていったようです」
「……そうですか」
プロデューサーは右の手のひらで口元を覆いながら麗奈の元に戻る。
「で、どうだったのよ?」
「……参りましたね。光はもうここにいないようです。
向こうの方に向かったことはわかりましたが、その後にどこに行ったかまでは追跡しようがありません」
さらに悪いことに、光の携帯電話を含めた持ち物は、今、プロデューサーが預かっている。
お互いに、お手洗いに行く程度のこと、と思っていたので、光はほぼ全ての荷物をレストランに置いてきていた。
「わかったわ。……じゃあ、アタシが次の仕事の打ち合わせに先に行くから、アンタは光を探すってのはどう?」
「いいのですか、麗奈?」
「やむなし!」
麗奈は腕を組んで、大きく息をついた。
「で、次の場所はたしかつくば駅から一駅行ったところの大きなショッピングセンターだったっけ?」
「そうです。このあたりで一番大きい――」
「――あのぅ?」
二人の会話に入ってきたのは、年配の女性であった。
そのおばあちゃんはシルバーのフレームがきれいなメガネをかけて、アーガイル・チェックの洒落たキャメルカラーのキャリーケースをひいている。
「もしかしてお二人が話してる女の子っちゅうのは……ワタシぐらいの背で、眼の綺麗な元気な子のことかねぇ」
「えっ? まさか……」
プロデューサーと麗奈は顔を見合わせた。
そして、プロデューサーが急いでスマホを取り出し、光の写真をおばあちゃんに見せる。
「あぁ、間違いねぇ。たしかに、この子ですわ」
「ご婦人、彼女がどちらに行ったか、ご存知なのですか?」
「ええ。なんだか大急ぎで筑波山行きのバスに乗りましたで。あなた方はあの子の知り合いなのかね?」
プロデューサーに代わって麗奈が答える。
「仕事仲間よ」
「そうなんですなぁ。いやぁ、実は彼女には先日お世話になりましてねぇ。
たしか、光ちゃん、言うてたねぇ。ほんに良い子で」
「ご婦人、そのお話も非常に気になりますが、まず私たちは、なんとしても彼女と合流しなければならないのです」
「おぉ、それはそれは、時間を取ってもうて悪いねぇ」
「いえ。それじゃ、麗奈、私は光を追います」
「アタシは次の仕事場に。つくば駅の次の駅にあるショッピングセンターね。
ちょっと道に自信ないけど、なんとかするわ」
「あれ? もしかして、お嬢さん、ワタシと行くところ、同じかねぇ」
「え? アタシがこれから行くところはココだけど……」
麗奈もスマホで地図を開き、目的地をおばあちゃんに見せた。
「ふむふむ。やっぱ同じところだねぇ。この辺で一番大きいところ。
道に自信がないなら、一緒に行きましょうか~?」
「お願いしてもよいですか、ご婦人?」
プロデューサーが頭を下げる、麗奈もそれに続いた。
「遠慮しないでええよ、ええよぉ。困ったときはお互い様ですわ」
「ところで、どのようなご用事で?」
プロデューサーが尋ねると、おばあちゃんは少し誇らしそうに胸を張って言った。
「実はな、ワタシの息子、ヒーローでして」
***
「俺の父ちゃんは、悪いヤツなんだ」
バスに揺られながら、コータが話した。
バスの後方、ちょうと空いていた席に二人並んで座っていた。
光は「うん、うん」とうなずきながら聴いている。
さかのぼること少し前。
光がバスの中でコータに追いついて以降は、彼もおとなしくなった。
財布も携帯も持っていない状況に、さすがの光も不安を感じたが、幸いなことに、いつも母から言われている「ポケットの中の三千円」は今日も忍ばせていたので、少しは気持ちを落ち着けることができた。
気持ちが落ち着くと同時に、コータを気にする余裕が出てくると、彼が初めて見かけたとき以上に肩を落としていたので、光は(ただの迷子じゃないな)と察したのである。
彼の肩に手を置き、優しく
「何か理由があるんだよね、困っている理由が?
よかったら話してみてよ。何か力になれるかもしれないからさ」
と伝えると、コータはポツリポツリと話し始めたのであった。
「俺の父ちゃんは悪いヤツなんだ。
一番偉いからって言って、みんなに威張り散らして、俺の兄ちゃんや姉ちゃん、弟や妹たちに危ないことさせる。
みんなはね、いいヤツなんだ。お父さんのことを悪く言ったりもしない。
でも、きっとそれはお父さんが一番偉いから逆らえないだけさ。
弟や妹たちなんて、いつも狭い檻の中に閉じ込められてるし」
「本当かい?」正直なところ、光は驚いていた。
「うん。しかも、お父さんは、それを俺にも『やれ』って言うんだ。
『お前は大きくなったら私の後を継ぐのだ』とか、勝手に押しつけて……
がまんするのが毎日すっごくたいへんなんだよ。
えばるための方法とか、お金を稼ぐ方法とかの勉強ばっかり。
お母さんも一緒だ。悪いヤツの子分なんだ」
「それで、家出を……?」
「……家出、っていうか、みんなを助けたいと思って。
それで、一番頼りになる弟を連れてきたんだけど……途中ではぐれちゃって」
「そうか。う~ん……」
光は腕組みをして、難しい顔をする。
とはいっても、それらしく眉間にしわを寄せようとするが、元が可愛らしい顔つきであるから、なかなか深刻な表情にならない。
なんだか、拗ねたポメラニアンみたいな顔になってしまっているのを、コータは少しおかしく感じた。
しばしの思案の後、光が口を開く。
「じゃあさ、まずは弟さんを探そう」
またコータの目が丸くなる。
「それで、お父さんとお母さんの説得はそれからだ」
「ど、どうして……?」
目を丸くしたままのコータの真っすぐ見て、光が答える。
「だって、コータくんは嫌なんだよね。お父さんやお母さんの言う通りにするのが」
「……うん」
「お父さん、お母さんには何か理由があるのかもしれないけど、コータくんが嫌なら何とかしたいなぁって。
……あんまりいい方法は思いつかないんだけど」
そう言いつつ、光はうつむいた。
コータもそれにつられて、うつむく。ただ、なんだか、先ほどまでよりは心細くないと感じた。
「うん。ありがとう……」
コータの口から自然に漏れた言葉であった。
光は気を取り直す。
仕事のことが気にならないと言ったらウソになる。
だから、最悪の場合はコータを警察に任せてしまうことになるかもしれない。
でも、そうはしたくない。
光の中の譲れない何かがうずいている。
「ねぇ、弟くんの名前はなんて言うの?」
「タイチ」
「タイチくんか。――じゃあ、次のバス停で降りようか。
タイチくんもきっと心細いだろうから、急いで戻ろう」
***
「戻れない? そこは、どうにかなりませんか?」
『んー……なんとも難しいかもねぇ』
プロデューサーが電話をかけている相手は三ツ谷である。
バス停まで来て、時刻表を見た時点で、プロデューサーは三ツ谷に助けを求めるという判断をし、電話をかけた。
つくば駅のロータリーはきれいな外見と入っては出ていくバスの密度から、本数が多いと思われたが、実際に本数が充実しているのはごく一部の路線のみであった。
醸し出ている「本数ありますから田舎じゃないですよ」感は、路線数の多さを狭いロータリーに集中させることで取り繕っている見栄なのだ。
そもそも、バスをバスで追いかけたところで、追いつくはずがない。
タクシーを利用しようかとも思ったが、タクシーは行き先を指定する必要がある。
それは土地勘のないプロデューサーには無理だ。
ゆえにそれは最終手段である。
できれば、土地勘も豊富で自由の利く運転手が欲しい。
それならば、「普段は暇さ」と豪語する、今回の企画立案者、三ツ谷に頼ろうと考えるのは自然であろう。
自分で投げた槍を自分で回収することを、そろそろ覚えていただこうと考えていた分、好都合であった。
しかし、三ツ谷は三ツ谷で、どうやら大変な状況らしい。
『いやさぁ、今、地方興行に来ているサーカスの取材に来ててね。
で、支配人さんの取材を受けるつもりだったんだけど、大変なのよ』
「何があったんです?」
『なんかねぇ、支配人の息子さん、いなくなっちゃったらしいのさ』
「息子さん?」
『そう。小学四年生だってさ。午前中に突然。
なんか最近、いわくつきでねぇ、このサーカス。
ついこの間まで、都内で公演してたけど、そのときも動物が逃げ出す騒動があったなんて噂があるし、
それより前にも練習中に事故があったって聞くし』
「なるほど。なら、都合がいいですね。
取材なんてできないでしょうから、早く戻って、合流してください」
『君も言うねぇ』
「こちらだって三ツ谷さんの企画です」
『まぁ、そうだけど、まだちょっと様子見させてくれよ』
「まったく――」
その時、プロデューサーのスマホに別の着信が入る合図がした。
「あ、すみません。他から着信が。また折り返します」
『ん。よろよ――……』
三ツ谷が全てを言う前に切ると、着信画面を見る。
「公衆電話」の文字。
すぐさま、プロデューサーは電話に出た。
『もしもし、プロデューサー?』
「光ですか?」
『うん』
「無事ですか?」
『うん。ゴメン! 心配かけちゃって!』
「いえ、無事ならよかった。光のことです。きっと何か事情があるのでしょう。迷子でも拾いましたか?」
『う~ん、そんなような状況? でも、もうちょっとたいへんかな。
で、本当にゴメンなんだけど、どうにかして合流できないかな?』
「近くに住所や目印になるようなものはありますか?」
『えっと、あ、わかるよ。ちょっと待ってね――』
そうして、光が自分の居場所を説明している最中、突然、電話の向こうでノイズが起きた。
「大丈夫ですか!? 光っ!?」
プロデューサーの大きな呼びかけに対して、『ゴメン! ――が、変わった――』と返ってきた直後、電話は無音となる。
プロデューサーは、静かな動作でスマホを切ると、眼鏡を外し、鳴らすように左右へと首を振った。
「ふぅ」と一息つくと、眼鏡をかけなおし、再びスマホを操作し、三ツ谷へと連絡をする。
『はいはい、もしもし、三ツ谷です』
「三ツ谷さん。車を出してください。どうか、頼みます」
その声は普段に増して重く力のこもった声であった。
『ん、わかった。ちょうどこっちも騒がしくなっちゃってさ。
なんか、息子を見つけた部隊がどうだかって、支配人も出払っちゃって。
これ以上、ここにいると面倒になりそうだから、そっちに行くよ』
「ありがとうございます。できるだけ早く、全速力で来てください」
『おっけー、おっけー。なんかそっちもあったみたいだね。
大事じゃないといいけど。できるだけ急ぐよ。
んじゃ、駅だよね。
親父から借りてる軽しかないから、それでつけるけど、よろよろー』
三ツ谷との通話が終わると、プロデューサーは少し頭を冷やそうと無糖のコーヒーを買う。
光から今いるだいたいの場所が聞けたのは幸いであった。
(三ツ谷さんと合流したら、すぐにそこに向かわなくては)
バス停のベンチに腰を下ろして、歯ぎしりをする。
こんなときの、三ツ谷の軽口はかえって頼りにはなるが、イラつきもするというのが本音である。
思わず独り言をつぶやく。
「だいたい、なんであの人、双海姉妹推しなんだよ……」
***
「兄ちゃん! 姉ちゃん!」
光が公衆電話から飛び出すと同時に、コータが叫ぶ。
次々と車が通り過ぎる大通り沿いに、ひっそりと佇んでいた公衆電話の周囲には既にただならぬ緊迫感が漂っている。
男女問わず、屈強な者たちがアスリートのような格好で、光とコータを取り囲んでいた。
いずれもその目つきは鋭く、獲物を狩る猛獣のごとく、二人を見つめている。その数、ざっと十人。
「えっ!? これみんな、コータくんのお兄さん、お姉さん?」
「違うよ!? あ、いや、ちょっと違くないけど、今はそれどころじゃないよ!」
じりじりと距離を詰めてくる集団に対して、二人も距離を取りたいところだが、前方180度は塞がれ、後ろは車が行き交う大道路だ。
「コータ、戻ってこい」
ひときわ筋骨隆々の大男が呼びかける。
「嫌だ!」
「お父さんも心配してたわよ」
スラリと背の高い女性もそれに続く。
「ウソだね。そうやって、連れ戻して来いって言われたんだろ。
俺は嫌だ! もうみんなに偉そうにしているお父さんを見るのも、危ないことをするみんなを見るのも!」
「そうならないように、みんな練習してるし、お父さんも厳しいんだ」
先ほどの大男が再び叫んだ。
コータは強く首を横に振った。
「その練習中だろ!? ジローがあんなことになったのは!」
その場にいた誰もが口をつぐみ、なんとも居心地の悪い静寂があたりを包む。
光は何がどうなっているのか、さっぱり呑み込めなかったが、唯一、コータが必死になって涙をこらえていることだけはわかった。
「……逃げるよ」
コータが静かにつぶやく。
光は返事をする代わりに、コータの手を強く握ってやった。
その静寂に一切の走行音すらなくなった瞬間、光とコータは後ろに一気に駆け出した。
取り囲んでいた大人たちが青ざめた表情で、二人の背中を追い、大通りに面した途端、再び車の走行音が静寂を破り、大通りを占拠する。
大人たちは無事に向こう側に渡り切り、こちらを全く振り返らずにかけていく少女と少年を、半ば悔しい気持ちで、半ば安心して見送った。
光とコータは走り続け、もう体力が切れそうになるところまで来て、追ってくる者がいないことを確認し、歩みを緩めた。
「はぁ、はぁ……コータくん、あの人たちは一体?」
コータは息を整えた後、「ごめん……」と一言だけこぼし、押し黙ってしまった。
「……ふぅ。とにかく、歩こっか。大丈夫そう?」
うなずくコータと、ゆっくり歩き始める。
閑静な住宅街は、いつの間にかの曇り空のせいで、真昼だというのに、心なしか薄暗い。
公園もさびれて見えて、そこを囲う木々も悲しそうに風にそよぎ、ざわめいた。
光はコータのペースに合わせて、ゆっくりと歩く。
その横顔を伺うと、涙が今にも滴り落ちそうだ。
光はポケットからハンカチを取り出し、彼にそっと差し出した。
それを手に取ったコータの目に映ったのは、純白のハンカチとそこに刺繍された翠のカッコいいリボンであった。
公園の脇を通り過ぎようとしたとき、木の影が大きく動いたと思うと、幼児ほどもある影が光たちの目の前に降り立った。
「キキーッ!」
光は一歩、後ずさる。
「な、なんで、こんなところに猿が!?」
それ以上に光を驚かせたのは、続くコータの言葉であった。
「タイチ!? どうしてこんなところに!」
「え? ええーっ!?」
タイチと呼ばれた猿は、驚愕する光にかまうことなく、コータにすっと近寄り、そばで大きな声でわめき始めた。
「ま、まずい、タイチが呼んでる!」
「呼んでるって、まさか!?」
ますます猿は大きな声を発する。
「キーッ、キキーッ! キャー!!」
「おい、向こうの方でタイチが叫んでるぞ!」
「あっちの方だ!」
どこかで叫ぶ大人たちの声が聞こえる。
光とコータはまたもや駆け出した。が、思うように足が動かない。
タイチもコータについてくる。
「いたぞ! あっちだ!」後ろの方で声がする。
突然、光たちの進行方向に軽トラックが現れ、二人の道を塞ぐように止まった。
(これまでか……!)
光は唇を噛んだ。
コータくんが親元に帰れるのは悪いことじゃないのであろう。
だけど、何か、納得できない気持ちが光の胸をじわりじわりと絞める。
そのとき、軽トラックの窓が開き、光の良く知った顔が見えた。
「荷台に乗ってください、光!」
「プロデューサー!?」
光とコータは大きく跳んで、軽トラックの荷台に飛び込んだ。
タイチも一緒になって、荷台に飛び込む。
「じゃあ、出すよー。振り落とされないように、よろしくちゃ~ん」
「お願いします、三ツ谷さん!」
三ツ谷は余裕をもってアクセルを踏み、だんだんと追跡者たちとの距離を話していった。
三ツ谷が軽トラックでつくば駅に到着したとき、流石のプロデューサーも頭を抱えた。
(軽ってのは、軽トラのことかよぉ)と毒づきそうになったのは、呑み込んだ。
(ともかくも、来てくれたことを良しとしよう)そう言い聞かせた。
二人と一匹が乗った荷台は農作業の道具やら、ビール瓶を入れるケースやら、薄汚れた紙袋やらで、ごちゃごちゃしている。
光は、そのわずかな荷台のスペースに脚を投げ出し、大きく息を吐いた。
「ギリギリだったぁ~」
***
「ホント、危ないところだったわよ」
「すまんねぇ、麗奈ちゃん。最近、身体が思うように動かんくてねぇ」
時は若干巻き戻る。
プロデューサーと分かれた直後、麗奈は知り合ったおばあちゃんと一緒に、ヒーローショーの会場へと向かう電車に乗り込んだ。
おばあちゃんの動きが想定よりスローであったため、危うく一本逃すところであった。
その一本を逃せば、三十分間の立ち往生を強いられる。
田舎電車はエクスプレスと銘打っていても、そういうものだ。
二人並んで座れる席がなかったため、おばあちゃんを座らせて、その前に麗奈は立った。
「麗奈ちゃんも光ちゃんのお友達だけあって、優しいねぇ」
「はぁ!?」
思わぬ言葉をかけられて、麗奈は狼狽した。
「アタシは光みたいないい子ちゃんじゃないわよ! いちおうね、悪の女王として売ってんの!」
「あらまぁ、こんな可愛い悪の女王様がおるんだねぇ」
「ぐ……いちおう誉め言葉として受け取っておくわ」
「ふふ……。悪の女王は、こんなおばあちゃんに席を譲ってくれないと思うけどねぇ」
「ふん。悪の女王だけあって、おばあちゃんにだってタメ口よ」
麗奈は手すりにかけていない方の手で、アッカンべーのポーズを作る。
その様子をおばあちゃんはほほ笑んで見ていた。
「ところで、さっきの話。おばあちゃんの息子さんがヒーローってどういうこと?」
「ワタシの息子はね、これからやるヒーローショーのヒーロー役をやってるのよ。
何って言ったか……すーつなんとかとか言う――」
「スーツアクター、ね」
「そうそう、それ。でも、この話は内緒でお願いなぁ。
なんでも、ヒーローはその正体を秘密にしないといけんらしいからねぇ」
「アタシに言っちゃってるじゃない……」
「あらまぁ」
麗奈は思わず笑ってしまった。いつもの大きな高笑いではなく、クスリとかわいく、笑った。
「ま、それはヒーローのお約束ってやつね。知ってるから、大丈夫よ」
「詳しいんだねぇ。麗奈ちゃんもそういうのが好きなのかい?」
「まさか。このレイナサマは悪の女王、イタズラクイーンよ。そういうのとは正反対。
そっちは光の趣味なのよ」
「へぇ、光ちゃんが」
「そ。アイツといると、もうそんな話ばっかり。
どこそこのヒーローがあーだこーだカッコいいんだとか、そんなのばっか」
「うふふ……ワタシの息子の小さい頃と一緒ねぇ」
「それが今も続いてるんだから、大したもんよ」
「そうだねぇ。特に光ちゃんは女の子ですもんねぇ。きっと大変だったんじゃないかねぇ」
麗奈は「そうね」とだけつぶやいて、少し遠くを見るようにほほ笑む。
「今の光はね、自分の好きなことを好きって、はっきり胸を張れるだけの強さがあるの。
そこはね、このレイナサマだって一目置いてる。それ以外は甘ちゃんだけどね」
麗奈はそう言い切った後、少し頬を赤らめた。
「ほんに、光ちゃんは良い子よねぇ……」
「優しすぎんのよ、アイツは。おばあちゃんもよくわかってるようだけど、アイツ、底抜けのお人好し」
「だねぇ。自分も道がわからないのに、迷子になってるワタシに声をかけられるぐらい、優しいし、強い子ねぇ」
「ホントよね。……もう、危なっかしくて、見てられないわ」
そんな麗奈を見て、おばあちゃんも優しく笑う。
「優しいっていうのは、素敵なことよ。麗奈ちゃんもそう」
「このアタシが?? 優しい!? ……変なの」
「変じゃあないわ。おばあちゃん、見ればわかります。光ちゃんは、大好きなお友達なのねぇ」
麗奈は咳ばらいを一つした。
頬の赤みが増しているようにも見える。
「アタシは、アイツの――南条光のライバルよ」
***
小関麗奈のライバルの話に時を戻そう。
三ツ谷の運転する軽トラックで、ヒーローショー会場に向かう途中、彼らはコンビニに寄った。
二人と一匹をいつまでも荷台に乗せておくのは危ないであろうというプロデューサーの判断である。
「まさか、猿だったなんて……」
深く息をつきながら、光は言う。
当のタイチは、軽トラックに乗ってからは大人しいものだ。
何も言わずにコータのそばで毛づくろいをしている。
コンビニの駐車場、そこに停まる軽トラックの荷台には少年と少女と猿、運転席ではアロハシャツのおじさんが開けた窓から腕を出し、助手席側のドアのすぐそばにはスーツ姿の男が一人が立つ。
その光景に対して、コンビニの店員が店内から心配そうな視線を送っている。
「もしよければ、話してみませんか、全てを」
プロデューサーがコータにむけて静かに語りかけた。
光もうなずく。
コータは二人の顔を交互に見つめると、観念したように話始めた。
その視線はタイチに向けられている。
「タイチが弟っていうのは本当だよ。俺には、弟みたいなヤツ。俺のお父さん、あのサーカスの支配人なんだ」
コータはコンビニの窓ガラスに貼られている、サーカス公演のポスターを指さした。
三ツ谷も得心したようにうなずいている。
「じゃあ、さっきまで追ってきた人たちは?」
「サーカスの団員さん。本当の兄弟じゃないよ。でも、お兄ちゃん、お姉ちゃんだと思ってる。
弟や妹はコイツら、猿とか熊とかライオンとかトラとかヘビとか、いっぱいいる」
「じゃあ、さっき嫌だって言ってたのは、サーカスのことだったんだね」
「うん。俺もさ、団員で、ステージにも立ってたんだ。
前はすごく楽しかったんだよ。キラキラした舞台で、弟や妹たち一緒にお客さんをワーッって言わせるの。
でも……今は楽しくない。みんなが危ないことしてるってわかったから……」
コータの話によると、それは三か月前の練習中の事故であったらしい。
コータが物心ついたころから、そのサーカスのエースであった一匹の猿、ジロー。
コータにとっては、大切な友人であり、教師であり、兄弟であり、親でもあった。
たしかに、ここ一年は急に老け込んでいたし、そろそろ引退かと団員の中でも話があがっていた。
コータの父は、団員の前でジローの死について、涙ながらに謝罪をしたという。
それからであった。支配人の練習に対する態度が一層厳しさを増したのは。
「タイチはね、ジローの子どもなんだ。で、今の俺の一番の親友」
さっきまで毛づくろいをしていたタイチは、のんきに荷台に積み上げられている雑多な荷物をほじくっている。
「お父さんが練習で厳しくなる気持ちも、私はわかりますけどね……」
プロデューサーは誰に言うでもなくつぶやく。
「でも、コータくんにはしんどかったんだな」
光はうつむきながら言った。
「お父さんのしてることはわかるよ、なんとなく。でも、逆なんだよね……。
お父さんは俺をもうステージに上げないって。これからは人の上に立つことを勉強しなさいって」
コータは立ち上がって、荷台の上から跳び上がる。
そのまま後ろに一回転して、駐車場へと見事に着地した。
プロデューサーは目を見張り、光と三ツ谷は「おぉ~」と拍手した。
「それって、おかしくないかな?
みんな必死に練習してさ、お客さんを喜ばせてるのに、俺だけ裏でえばってろって言うんだよ。
俺……本当は、みんなと仲良く、楽しくできれば、それでいいのに。
弟や妹たちと一緒にさ」
コータは、ゆっくりと荷台に近づく。
タイチは相変わらず、荷台でゴソゴソとやっている。
「だって、ジローが教えてくれたことって、そういうことだもん」
そう言って、タイチの背中をなでてやった。
タイチは目をしぱしぱさせながら、コータの手の感触に気を緩めているらしい。
そして、タイチの手がコータの長袖の裾をキュッと掴んだ。
その様子を黙って見守っていた三ツ谷がつぶやく。
「好きな事、忘れたらあかんで」
それを聞いたプロデューサーは、(なんで関西弁やねん)と心の中でツッコミながら、静かにコータに語りかける。
「……コータくん。その気持ちを、お父さんとお母さんには、伝えましたか?」
コータは首を横に振った。
「あんまり、しっかり……話してない」
「それじゃあさ、その気持ちをしっかり伝えようよ! お父さんとお母さんに」
光はコータに向かって力強く呼びかける。
コータは少し戸惑ったような表情を見せた。
「大事なことだと思う、ゼッタイ! だって、コータくんは好きなんだよね?
弟や妹たちと舞台に立って、キラキラするのが。
それが、やりたいことなら、諦めちゃダメだよ!」
「……伝えたい、伝えたいよ、俺だって。
でも、怖いんだ。わかってくれなかったらどうしようとか、舞台で失敗したらとか、
タイチがあんなことになったら、とか」
「……うん、わかるよ、怖いよね、ステージの上って。
でも、やりたいなら、好きな事ならさ、勇気を振り絞るんだ。
そして、がんばってみようよ、一歩ずつでいいからさ」
コータは光の言葉ひとつひとつにうなずく。
「ねぇ、コータくん。この後、アタシさ、ショーに立つんだ。
憧れのヒーローショー。
でも、はじめてでさ、実はすごく怖い」
そういって、不器用な笑顔を作った。
「でも、すごく楽しみなんだ。
この日のために、一生懸命、練習してきたつもりだから。
どんな舞台になるのかな? どんな自分になるのかな? って」
光も立ち上がり、勢いよく荷台から飛び降りると、片膝を立ててもう片方の膝と同じ方の手を地面につけて、三点着地をした。
光なりのヒーローランディング。
立ち上がった彼女は振り返って、ニカッと笑う。
「どう?」
コータも笑った。
「観に来てよ、アタシの初めてのヒーローショー。相棒がいるんだ。二人で最高にカッコよく決めるからさ」
***
「アタシは光の、ラ・イ・バ・ル、よッ!」
合流するなり、光に「相棒の麗奈」と紹介された彼女は、コータに向かって訂正した。
コータはその圧に気圧され「は、はい」と控えめにうなずいた。
プロデューサーはあの後、コンビニまで呼んだタクシーで光とコータをショッピングセンターまで届けた。
三ツ谷とタイチは、支配人にことの顛末を伝えるため、別行動だ。
今からのヒーローショーは、ショッピングセンターの一画にある二〇〇人ほどが入るホールを使って行われる。
その舞台裏は、既に準備を進めるスタッフで慌ただしかった。
光はプロデューサー、コータとともに控え室入りし、そこで麗奈との再会を果たしたのである。
そんな光たちのいる控室のドアが、ノックの後に開く。
そこから、シルバーのメガネをかけた高齢の女性が入ってきた。
「光ちゃん、無事に見つかってよかったねぇ」
「えっ! あの時のおばあちゃん? どうしてここに!?」
光の質問に答えが返る前に、おばあちゃんの後ろから大きな赤い影が入ってくる。
深紅をベースに、矢印をモチーフにした流線型の白いラインが眩しく、かぶったヘルメットには青く輝くメタリックなバイザーが下ろされている。
「わぁ!?」
光の表情がパァっと輝いた。
それは、本日のショーの主役である、茨城県が誇るヒーローその人であった。
「キミが光くんだね。このおばあちゃんを助けてくれたと聞いたよ。ありがとう!」
ヒーローが手を差し出す。
「えっ? えっ? いいんですか!?」
光は感激した様子でおずおずと手を伸ばし、固い握手を交わした。
麗奈は「ふん」と鼻で息をつく。
その様子をほほ笑みながら見ていたおばあちゃんが
「実はねぇ、ワタシの息子――」
と言いかけ、麗奈が慌ててそれを制止する。
ヒーローも、さわやかに口元(とおぼしきマスク)に人差し指を押し当てた。
コータは、光のあまりにも嬉しそうな表情を見て、自分も心が弾むような気持になった。
「助かりました、麗奈、ご婦人。無事に合流出来て本当に良かった」
「別にアタシはたいしたことしてないわ、プロデューサー。全部、このおばあちゃんが説明してくれたのよ」
「そうだったのか。おばあちゃん、本当にありがとう!」
今度は光がおばあちゃんに手を出した。
おばあちゃんはその手を両手で握ると
「ええのよぉ。これは恩返しだから。
あのリボンのお嬢さんに返せなかった分も、しっかり受け取ってくれると嬉しいからねぇ」
と柔らく笑った。
うんうん、とうなずきながらヒーローもプロデューサーもその様子を見守っている。
そして、プロデューサーが告げる。
「さて、そろそろ時間です。光、麗奈、しっかり準備してくださいね」
「はいっ!」
「任せなさい!」
二人の元気のいい挨拶が合図であった。
ヒーローは「今日はよろしく頼む!」と爽やかに告げると、胸を張った堂々とした姿勢で戻っていく。
プロデューサーは、他のスタッフと最終確認の打ち合わせを始める。
麗奈と光は衣装とメイクをあらためてしっかりと確認し、台本と動きを一緒に振り返った。
おばあちゃんはコータを連れて、観客席に。
コータは部屋を出る直前に光に「がんばってね」と声をかけた。
光は、サムズアップで返事をした。
おばあちゃんはコータに対しても優しく話をしてくれた。
コータも今まで触れたことのないタイプの柔らかさに、心細かった気持ちがほぐれたのか、観客席につくまでに今日の顛末を一通り話してしまった。
それを聞いたおばあちゃんは、何を言うでもなく「あらまぁ、たいへんやったねぇ」と頬にしわを寄せて、優しくコータの頭を撫でてやった。
観客席に二人並んで座ると、周囲は楽しそうな子どもの声や、それに優しく応えるお父さんお母さんたちの声でにぎやかだ。
「光ちゃん、優しい子じゃったろう?」
「うん」
「麗奈ちゃんも、いい子なんだよぉ」
「うん」
「二人並んだら、さぞかしカッコいいだろうねぇ」
「うん」
「コータくんも楽しみかぇ?」
「うん!」
そして、本番が近づく。
舞台裏で衣装に身を包み、真っすぐと立つ影が二つ。
「光、体力は大丈夫なの?」
「問題ないよ、麗奈。それに、万が一もないと思うけど、キツかったら頼りにしてる」
「フンッ、アンタなら大丈夫だろうけど、もしそうなったら、今日の美味しいところは全部、アタシのものになるわ」
「望むところ! 今日は麗奈よりカッコよく決めてみせるさ。負けないからね!」
「いいわよ、それでこそ、このレイナサマのライバル!」
会場のBGMが勇ましいものに変わる。子どもたちの歓声が聞こえてきた。
「アタシたちのステージ、見せてやろうじゃないの」
麗奈が不敵に笑った。光は拳に力をこめ、凛とした表情で言う。
「そうだね。見せよう、ヒーローヴァーサスの力を。さぁ――行くぞ!」
***
コータは心に決めた。
自分の「好き」を「好き」と言うために、父の元へ行くことを。
時間にしては短いステージであった。
しかし、いつものカッコいいヒーローの大立ち回りにくわえて、可愛らしくも勇ましい二人の少女が乱舞するステージには、いつもの何倍もの歓声が上がった。
子どもたちだけではなく、その親や周りを通りかかった大人たちも同様であろう。
「誰? あの子たち? すごくない?」
そうヒソヒソ話をするママ友同士の会話を聞き、コータも嬉しくなった。
最後は、二人で一曲歌い、その歌の力で見事に怪人は打ち倒された。
全てが終わり、コータは再び控え室に迎えられた。
おばあちゃんは、用事があると言って、どこかに行ってしまった。
光も麗奈もヘトヘトといった様子で、衣装のまま椅子の上でへばっていた。
その様子を見て、思わず吹き出したコータに気づき、光も麗奈も恥ずかしそうに居ずまいを正す。
「どうだった、コータくん? アタシたちのステージ」
「うん……なんて言うか、うまく言えないんだけど」
光も麗奈も固唾を飲んで、その先を待つ。
「――すごく、ワクワクした。
俺も、こんなステージに立ちたいって思うぐらい、ワクワクしたよ!」
コータは満面の笑みを見せる。
光と麗奈は目を合わせて、「やったね」と互いの拳を交わした。
「光姉ちゃん、ありがとう。俺も――」
コータは続きを言葉にしようとするが、上手く言えない。
もどかしさが募る。
すると、光は
「うん! がんばって、いっておいで! アタシも応援してるからさ」
とコータの肩を叩いた。
コータは「がんばる!」とだけ答えて、探した言葉を口に出すことはやめた。
探した言葉は、お父さんに言えばいい、そう思ったからだ。
ドアのノックの音がした。
「どうぞー」と言うと、プロデューサーが入ってくる。
「光、麗奈、ちょっといいですか? 衣装のままでもいいので、舞台裏まで来てもらえます?」
そう告げると、そそくさと行ってしまう。
「何だろう?」光はきょとんとした。
「う~ん……この仕事が終わった後だと思ってたけど」
麗奈は首をかしげる。
コータも不思議そうな顔だ。
ともかくも、三人は舞台裏に向かった。
そこには、たくさんのスタッフが集まっていた。
中には、深紅のヒーローもいる。
光とコータは相変わらずの表情だが、麗奈は意図に気づいたようで、そっとプロデューサーの元に行き「マジで?」と小声で尋ねた。
プロデューサーも小声で「マジで」と答える。
すると、人だかりの中央から、おばあちゃんがトレーを押して現れる。
トレーの上には、大きなケーキが乗っている。
「光ちゃん、お誕生日、おめでとうねぇ」
おばあちゃんが告げると同時に、スタッフからの大きな拍手が起こる。
「えっ! ホントに!? 誕生日か!!」
光はすっかり忘れていた自分の誕生日に驚いた。
「麗奈ちゃんに教えてもらったのよ、あなたが今日、誕生日だって」
おばあちゃんが光の元に歩みながら告げると、その後ろでヒーローも言った。
「そして、おばあちゃんが我々にも教えてくれたんだ。
せっかくの機会、小さなヒーローをみんなでお祝いしようってね」
コータも光の方を向き直して、言う。
「おめでとう、光お姉ちゃん!」
麗奈とプロデューサーは少し離れたところからその様子を見ている。
光の潤んだ瞳が二人の眼と合うと、二人そろってニヤニヤしているのが見えた。
なんとも二人らしいなと思った光は、拍手の中でほほ笑んだ。
「みんな、アタシのために!? ――ありがとう、ホントにありがとう!」
ケーキを切り分けてる間に、さらなる来客があった。
三ツ谷とタイチ、そして、サーカスの支配人だった。
コータは光と握りこぶしを交わすと、胸を張って父の元へ向かった。
後は二人の時間である。
コータと分かれ、歓談のざわめきの中、一人になった光の元に、ススッと寄ってきた影がある。
タイチであった。
「どうした?」と光が声をかけると、タイチは頭をぐわんと下げては上げてを繰り返す。
「お礼でもしてるのかい?」
何回かぐわんぐわんとした後、タイチはその後ろに隠していたものを取り上げ、光に差し出した。
それは薄汚れた紙袋であった。
茶色い泥を払ってみると、シックな風合いの黒い紙質で、中央にファッションブランドのロゴがスタイリッシュに印字されている。
袋自体はボロボロであったが、中身はきれいなままだ。
取り出してみると、可愛らしいリボンでメッセージカードのようなものが括りつけられている。
そこには
『Dear Producer From S.M.』
と手書きされている。
光の体に電流が走った。
(そっか……感謝の証って、こうやって――)
しばらく立ち尽くしていると、後ろから「ケーキ、切れたわよー!」と麗奈の呼ぶ声がする。
光はその顔に満面の笑みを浮かべながら、麗奈たちの元へ戻る。
その手には、黒い紙袋をぶら下げながら。
「喜んでくれるかなぁ」
以上となります。
お読みくださった方々、ありがとうございました。
本作は後日、推敲の上、別の媒体でも公開する予定です。
タイムマネジメントが下手で、十分に練り切れなかったこと、申し訳ないと思いますが、どうしても今日中にあげたかった。
光、誕生日おめでとう!
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