【ゆるゆり】櫻子「告白予告」 (39)
夏本番を控え、ピークはこれからだというのに連日猛暑が続き、蒸し暑くてなかなか寝付けない、とある夜。
目を閉じて身体を休ませ、まどろみの中に溶けていこうとする私の耳に、LINEの通知音が入ってきた。
鳴った瞬間は、確認する気はなかった。
時刻は夜11時を過ぎている。一般的には遅い時間だ。何が送られてきたのかはわからないが、送ってくる相手も「もしかしたらもう寝てるかもしれない」ということくらい考えているはず。それなら今は通知を聞かなかったことにして、明日の朝に確認すればいい。
じわり汗ばむ熱帯夜、やっと体温も下がり始めて睡眠に適した環境が整いつつあるのに、わざわざ身体を覚醒させることはない。まだギリギリ夏休みではないため、明日も学校があるのだ。早く寝ないと、ただでさえ低い寝起きのテンションが底値に達し、朝から櫻子に煙たがられてしまう。私にとって、この寝付くまでの時間というのは意外と大切な意味を持っていた。
……でも。
向日葵(…………)
なんとなく感じる、胸騒ぎ。
もしかして、あの子から? という直感。
私が寝ているかどうかなんてお構いなしな、あの子が送ってきたんじゃないかという予感。
目を閉じている私の胸の中で、いくつもの思考がぐるぐると渦巻く。考えれば考えるほど、あの子かも、たぶんあの子だ、あの子くらいなものだ、あの子で決まりでしょうと、予想が強く固まっていく。
一息ついて、閉じていた目を薄く開ける。身体はもう少しで眠ろうとしていたけど、心はどんどん物事を考えてしまって落ち着かなくなっていた。
せっかく寝付くところだったのに。つまらない用事だったら明日怒ってやる。楓を起こさないように静かにベッドを降りて、机の上のスマホを確認した。
向日葵「……?」
画面に表示されたのは私の予想通り、櫻子からのLINE通知。けれど私が思い浮かべていたような、明日の学校に持っていく荷物の確認などではなく、通知ダイアログからは内容がわからないよう改行が重ねられたメッセージだった。
トークルームを開かないと主要部分が読めないようになっている。通知だけで内容を知られてスルーされたら困るのだろう。もともと私はあまりメッセージを無視しない方なので、櫻子は私に対して滅多にこういうことをしない。
こうまでして私に見てほしい何かが、ここには書かれている?
一瞬の間を置いて、私は櫻子から送られてきたメッセージの全文を表示した。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1504714914
「
。
。
。
。
。
向日葵へ。
このメッセージには、絶対に返信しないで。
読んでも、何もせずに、そのままにしておいて。
このメッセージについて思ったことがあっても、何も言わないで。
私と顔を合わせても、絶対に話さないで。
ただ見るだけ、ただ心に留めておくだけにして。
この下に、書くからね。
あさっての、7月21日。夕方の6時に、向日葵の部屋に行く。
私から、向日葵に、話さなきゃいけないことがあるから、絶対この時間は部屋にいてね。
絶対だからね。
それだけ。
上にも書いたけど、このメッセージに返信はしないで。
明日、学校に行くときにも、このメッセージはどういう意味なのとか、絶対聞かないで。
いつもどおりにしてて。
おやすみ。」
向日葵(は……はぁ……???)
なにこれ。
いや、なにこれ。
なんですのこれ。
思いがけない長文、思いがけない内容、把握しきれないメッセージ。
最後に書かれた「おやすみ」に少しだけ心がとくんとなったけど、それよりもこのメッセージ全体が何を意味しているのかがまったくわからなくて、もう一度最初から読み直した。
一文字一文字、誤字や脱字にもきちんと気をつけながら読み返した結果、やっぱり全然わからなかった。
まずそもそも、これは本当に櫻子が打ち込んだメッセージなのだろうか。そこからして私の頭には疑問符が浮かんでいた。あの子からはいつも、「宿題の答えおしえて」とか「明日なに持ってくんだっけ」とか「ごめん遅れる」とか、味気ない短文がぽんと届くだけだった。こんな長文は初めてだし、こんな意味不明な内容が来たのも初めてだ。
誰かに送り間違えた?……と思ったが、ご丁寧に最初に「向日葵へ」と書いてある。私たち二人しかいないグループなのだから、わざわざこんなこと書かなくていいはずなのに、きちんと書いてある。
らしくない。本当に櫻子らしくないメッセージだった。
明後日の? 21日? 夕方に櫻子が来る? 私の部屋に?
そこで私に? 話したいことがある?
向日葵(……このメッセージで言うわけには、いかないんですの?)
辛うじて察せるのはそこまでだ。直接顔を合わせて話さないといけないことなのだろう。それが一体なんなのか? 質問することは許されない。最初に丁重に断りを入れられてしまっている。私はこのメッセージに対して何も聞くことはできないようだ。その、当日まで。
向日葵(なんなんですのよ……話したいことって……)
こんなことを言われたら嫌でも気になってしまうのに、何も聞いちゃいけないなんてずるい話がありますか。私は心の中で櫻子に文句を言った。
せめて話の概要だけでも教えなさいよ。いい話なのか、悪い話なのか、それだけでも教えなさいよ。直接聞くことくらい許しなさいよ。ヒントくらい寄越しなさいよ。
さっきまであったはずの眠気は、とうにどこかへ吹き飛んでいた。もう一度メッセージをよく読んで、最後の「おやすみ」をつっと撫でてアプリを閉じた。
「おやすみ」なんて書かれたメッセージをあの子からもらったのは初めてかもしれない。きっと櫻子はこれを送りつけてすぐ寝たのだろう。返信することは許されないが、約束を破って何かを送ったとしても、すぐに既読はつかない気がする。
画面をロックしようとして、その前に……とカレンダーのアプリを開いた。
明後日って、何の日?
私たち二人にとって、何か重要な日だったかしら。
確かめてみても、特に重要な日ではなさそうだった。強いて言うなら赤座さんの誕生日が近いくらい。でもそれとは関係ない気がする。
私はもぞもぞとベッドに戻って、櫻子が言う「話さなきゃいけないこと」に思いを馳せた。
赤座さんの誕生日パーティをサプライズで開くことになったとか、プレゼントを買うのに悩んでいるとか、そんなことかもしれない。
でもそんなこと……わざわざ明後日まで待たずに、今言えばいいだけのはず。
「話さなきゃいけない」って……そんなに思いつめたようなこと、あなたの胸の中にあるんですの?
一体なんなんですの? それ。
どれだけ気になっても、今回ばかりは何も聞いちゃだめだなんて。
当日まで何も考えないようにするのが一番だと思うけれど、寝ようと思って目を閉じると、逆に色々なことがぐるぐると思い浮かんでしまう。
このままじゃ私、不眠になっちゃいますわよ。
今夜眠れなくて、明日の朝はすごくだるい身体を引きずって、学校に行くの?
その最中も、あなたに何も聞いちゃだめなんですの?
私は明後日まで、一体どう過ごせばいいんですの?
櫻子の顔を思い浮かべて、考えついたことをたくさんぶつける。
もしかして。
もしかしたら……私にとって、嫌な話かもしれない。
たとえば……そう、
大室家が遠くに引っ越してしまうとか。
だってそれくらいのことじゃなかったら、こんなに回りくどいことをしてくるはずがない。
櫻子は確かにいたずら好きだけど、こんな不可解なことはしてこない。
そういえば最近のあの子は、どこか思いつめたような顔をしていることがあった。
ぼーっとしていて、どこを見てるのかわからなくて、体調でも悪いのかと気にかけても、私には「大丈夫」としか言ってくれない。
思い返せば、わがままや文句を言う頻度も減ってきたような気がする。
ふとしたときに、私に優しくしてくれることが増えた気がする。
私の話で、楽しそうに笑ってくれることも多くなった。
なんとなくあの子に目を配ったとき、たまたま視線が合ってしまって、気まずそうにしていることもよくある。
1ヶ月ほど前の私の誕生日……あの子はやけに素直にしていて、すごく一生懸命お祝いしてくれたっけ……
向日葵(あれは……何のため?)
向日葵(もしかして……本当に、遠くに行っちゃうんですの?)
向日葵(最後くらいは、って気持ちで、優しくしてくれてたんですの……?)
考えれば考えるほど、そうとしか思えなくなってしまった。
手の甲を額に乗せて、くらくらと痛みだす頭を抑える。
そんなことあるわけない。
私と櫻子が離ればなれになるなんて、そんな……
さっきまで頭の中の櫻子に文句をぶつけていたのに、今はただ、あの子の優しい顔を思い浮かべることしかできなかった。
でもまだわからない。ひょっとしたら何かいい報告をされるのかもしれない……必死にそう思い込もうとしたけど、どうしたって頭は最悪のケースを想像してしまう。
私は静かに目尻から溢れる涙を、枕に染み込ませた。
神様、どうかそんなひどいことはしないで。
私は……あの子がいないと……
毛布をぎゅっと握りしめながら、強く強く祈った。それだけを一心に祈った。
力尽きて眠ってしまうまで、ずっと。
~
強い考えごとをしながら眠ると、身体は眠っていても脳は起きたままになってしまう。
いつもならあまり効果を発揮してくれない、第一陣の目覚まし時計で今朝は目覚めた。むくりと起き上がった瞬間に感じる倦怠感が、昨晩に抱えていた重苦しい不安を思い起こさせる。いつになくスムーズに起きたが、まったく眠れた気がしなかった。
カレンダーの日付は7月20日。木曜日。
空は気持ちのいい快晴だった。きっと今日はとても暑くなるだろう。そういえば今日は朝から外での体育があった気がする。憂鬱だ。どうも今朝は朝ごはんを食べる気が起きない。水以外何も喉を通らない。低血圧の私が朝ごはんを食べないと、本当にお昼近くまでエンジンがかからない。憂鬱だ。澄み渡る空とは対照的に、私の心はどんより曇っていた。
櫻子はどんな顔をして出てくるだろう。私はどんな顔で接すればいいのだろう。明日の夕方に何を言われるかはわからないけれど、それまで櫻子と微妙な距離感が続いてしまうことがもうすでに嫌だった。なんで明日にしたんだろう。そんなに持たせなくたっていいのに。
のろのろと靴を履いて外に出る。朝日で熱された空気が私の身体をむわっと包み込んだ。まだ早い時間なのにすっかり外は暑かった。晴れ渡る眩しささえも、私の重いまぶたには堪える。
手で目の上にひさしを作って門をくぐる。すぐ横に見慣れた制服姿が見えた。どんな言葉をかけようか迷ったが、ここはやっぱり、いつもどおりにするしかない。
ごめんなさい、待たせちゃいました?……そう言おうとすると、向こうから先に、せきを切ったように話しかけてきた。
櫻子「おっ、おはよう!!///」
向日葵「…………」
……家の中にいる楓にまで聞こえそうなほど、大きな声で。
かばんを持つ手を、ぷるぷると力ませて。
背伸びをするように、足のつま先をぴーんと立たせて。
櫻子は、真っ赤な顔で、挨拶をしてきた。
向日葵「…………」
櫻子「おっ、おはようっつってんじゃん! なんか言えよ!!」
向日葵「お…………はよ、ございます」
櫻子「はいっ! おはよっ!」ふんっ
櫻子はくるりと身体ごと翻してそっぽを向いた。
まるで、紅潮した顔を私から隠すかのように。
重かった私のまぶたが、自然とぐぐっと持ち上がった。
どんより曇っていた私の心に、澄み渡る晴れ空と同じくらい眩しい光が差しこんだ。
気怠かった身体に、急激に生命力が満ち溢れてきた。
向日葵「えっ、ど、どうしたんですの!?」がばっ
櫻子「はぁ!?」
向日葵「なんか変ですわよあなた! その、なんか……なんか変ですわよ!」
櫻子「へっ、変じゃないだろ別に! 櫻子様はいつもこのくらい爽やかだろ!」
向日葵「いやいやいや、絶対変ですって! やっぱり昨日のLINEが……」
櫻子「ああ~~~~~っっ!!? おい! それダメって言ったよな!? 昨日のLINEについて何も質問しちゃダメって言ったよな!?///」
向日葵「いや、だっておかしいんですもの! 絶対、あなた変ですもの!!」
櫻子「変でもなんでもダメーっ!! その話は絶対にしちゃダメ! 約束守れよ!」
向日葵「約束ったって、あなたが勝手に送りつけてきたくせに……」
櫻子「だぁぁーーーっ!! うるさいうるさいうるさーい!!」
「うるさいのはあんただよ」ぽこっ
櫻子「あだっ」
近所迷惑も考えずにわめきちらす櫻子の後ろからやってきたのは、制服姿の撫子さんだった。
向日葵「あっ、おはようございますっ」
撫子「おはよ。こんなところでケンカしてないで、早く学校行きな」
櫻子「け、ケンカはしてないもん……!」
撫子「なんでもいいから。遅刻するよ」
向日葵「そ、そうですわね」
櫻子「ほらっ。行くぞ」くるっ
撫子「あ……櫻子」
櫻子「ん?」
撫子「あんた……もしかして、送ったの?」
向日葵「あ」
櫻子「あああぁぁ~~~ねーちゃんまで!! だからその話はしないでよ! なんの意味もなくなっちゃうじゃんっ!!///」
撫子「うっわぁ……全然隠せてないけど……ま、いっか」
向日葵「な、撫子さんも知ってるんですの?」
撫子「ん、まぁ……」
櫻子「おーい!! 変なこと話すな話すな! ねーちゃん早く学校行きなよ! 遅刻するよ!」
撫子「うるさいな……ともかく送ったんだね。じゃあ頑張んなよ」すたすた
櫻子「頑張んなとかも言わなくていいのーー!!」ぷんすか
向日葵「…………」
さっきからずっと怒り散らしている櫻子。
その怒りの正体がなんなのか、私にはまだはっきりとはわからない……わからないけど、ひとつだけ感じるものがあった。
昨日のLINEは……おそらく、マイナスなものではない。
櫻子「……ほらっ、行くぞ向日葵! 私たちも遅刻しちゃう」
向日葵「ええ」
明日の夕方に待ち受けている「それ」は、たぶんきっと、いいことだ。
いつもより数倍可愛く思える櫻子を隣から眺めながら、一緒に学校へと向かった。
~
学校に到着するまでの間、櫻子とはほとんど何も話さなかった。
別にだんまりを決め込んでいたわけではない。私も櫻子もさりげない会話の糸口を探し続けていた。探しているうちに学校に着いてしまったのだ。
どう考えても話すべきは昨日のLINEのことなのだが……それに触れると櫻子はかんしゃくを起こしたように真っ赤になって怒る。書いてあったルールを守れということなのだろう。櫻子もずっと「そのことだけは話すな」という顔をしていた気がする。
だが私は当然そのことしか頭にない。櫻子がこんな状態になってしまうほどのものなのだ。何かとんでもないことを起こそうとしていることだけは確かだった。
しかもどうやら、昨日の内容は撫子さんも把握していたようだ。私に送るメッセージをなんで撫子さんが……最後に言った「頑張んなよ」とはどんな意味なのか……
低血圧を振り切って、私は脳内コンピュータを懸命に働かせた。櫻子の「話さなきゃいけないこと」とは何なのか。間近でその横顔を見ながら考えた。
櫻子「……な、なんなのさっきから……あんまこっち見ないでくれる?///」かあっ
向日葵(あ)
……弾き出された答えは一件。
もうこれしかない。これ以外に何もない。
正直、口に出すのもはばかられる答えだ。もし間違っていたら死ぬほど恥ずかしい。だけど絶対に間違っていないという確信が、?を赤らめる櫻子を見ているほどに固まっていく。
これを「話さなきゃいけないこと」に仮定した場合、すべてのパズルが綺麗に当てはまってしまうのだ。どうしてさっきから恥ずかしそうにしているのか。
どうしてルールに抵触すると怒るのか。どうして最近、私への態度が少しずつ優しくなっていたのか。
そういうこと?
そういうこと、ですの?
声には出さずに、櫻子の横顔に語りかける。
もちろん櫻子は何も言ってこない。言ってこないけど……私には伝わってくる。
向日葵(櫻子……)
ついに、というか。とうとう、というか。
お互いがずっと守っていた均衡が……崩されてしまうときが来たみたい。
青い空を見上げて小さく息をつく。私の胸は高鳴っていた。
心の中では、いつかはそうなると思っていた。でも今じゃないと思い込んでいた。けど一方で、いつでもそうなってよかったと思う自分もいた。むしろ……そうなりたかった。
互いの気持ちが拮抗して、凝り固まってできた大きな壁。私はこの壁に身体を預けてもたれているときが、一番安心感を得られる時間だった。壁の向こうではきっと櫻子も、同じようにして壁に背を預けていた。
いつかはこの壁を壊すときがくる。いつかは必ず壊さなきゃいけない。
どちらが先に動き出すかはわからなかった。私は「なるようになる」と、時の流れに身を任せていた。
でも櫻子は……そんな現状に、我慢できなくなったのだろう。
動き出さなきゃ、動かない。自分から強い意志を持って行動しなければ、一生何も変わらない。そう思ったのだ。
昨日のメッセージは……きっと何日も前から書きしたためていて、何度も送ろうとしては断念してを繰り返して、誤字が無くなるほどに推敲を重ねて、撫子さんにも相談したりして、やっとのこと昨日、私に送り届けられたのだろう。
最後の「おやすみ」に込められていたのは、送ってしまえば「あとはもうどうにでもなれ」という気持ちだったのかもしれない。
思い切って送信ボタンを押して、そのままベッドに飛び込んで、何も考えないようにして眠ったのだろう。
あとのことは全部、明後日の自分にまかせると。
そうでもしなきゃ、送れなかったのだ。この子には。
教室に到着すると、まるで同じ極同士の磁石のように櫻子はすいっと私から離れ、目も合わせずにかばんを置いて、他の友達との談笑の輪に入っていった。
その華奢な背中が……今の私には、いつもよりちょっとだけ大きく見えた。
向日葵(ありがとう……櫻子)
私には出せなかった、勇気を出してくれて。
「ひーまわーりちゃん、おはよっ」
向日葵「あら、吉川さん、赤座さん」
あかり「実はあかりたち、ずっと向日葵ちゃんたちの後ろにいたんだけどねっ? なかなか話しかけられなくって」
ちなつ「二人の様子がいつもと違うような気がしたから……もしかして、また喧嘩でもしたの?」
向日葵「ふふ、そう言われると思いましたわ」
不思議そうな顔をしている友人たちに、言葉では説明できない高揚感を笑顔で返す。
なんだか今日は、いい日になりそう。
~
朝から控えていた体育を終え、気持ちのいい汗をかき、教室の冷房も効いてきて過ごしやすくなってきたところで迎えた理科の時間。今日の授業内容は期末テストの返却と試験内容の復習だった。
今はほとんどの授業が同じように期末テストの返却と復習、そして来学期に向けての準備のような内容になっていた。周りにはきちんと復習に耳を傾けているものもいれば、西垣先生が大量に課した夏休みの宿題に早くも手をつけている生徒もいる。
今日が20日の木曜日。明日が21日の金曜日。土日を挟み、24日の月曜日に終業式。25日からいよいよ夏休みだ。ほとんどの授業は今日と明日で一学期の最後を迎える。
向日葵(あっ……)
そこまで考えて気がついた。
そうか、通常授業は明日で終了。明日の学校が終わったところから、私たちは実質夏休みに突入するのだ。
向日葵(もしかして……それでその日を選んだんですの?)
櫻子が指定した時間は夕方6時。学校が通常通りに終われば、私は普通に家にいる。生徒会活動も明日はない。
わざわざ決行の日をそこに持ってきた理由……
向日葵(夏休みを……晴れ晴れとした気持ちで過ごしたいから?)
櫻子の方をちらっと見てみた。どうやら向こうも私の方をずっと見ていたらしい。慌てて視線を戻して勉強しているフリをした。
向日葵(……たぶん、そうなんでしょうね)くすっ
きっと櫻子は、ここ最近ずっとそんなことを考えてくれていたのだろう。
一緒に登校しているときも、学校でみんなで談笑しているときも、生徒会で二人で作業しているときも、一緒に夏休みの宿題に手を付け始めたときも。
スマホの中には書きかけのLINEメッセージがあって、いつ送ろうか、いつ決行しようかと悩んでいたのではないか。ふと話しかけた時に上の空だったことが何回もあった気がする。期末テストの結果がボロボロで血の気が引いているだけかと思ってた。よくよく考えれば、あの子がそんなことを何日も引きずるわけがない。
昨日のメッセージが送られてきた夜中のことを思い出す。嫌な報告をされるのかと思って涙まで流した自分が無性に恥ずかしくなってきた。私はあの子のことになると心配性になるフシがある。
櫻子はどこにもいったりしない。神様は私を見捨てなかった。
安心感がじわじわと湧きあがってきて、昨晩まったく休めなかった頭が今になってとろけてきた。ほどよい暑さもあいまって、まどろみに包まれる。私は視界の端に櫻子を入れながら目を閉じた。
問題を解説する西垣先生の声が遠のく。まったりとした時間の流れを全身で感じる。その一秒一秒が心地よかった。
こうやって時間をすごせば、授業はすぐに終わる。学校もすぐに終わる。今日が終わって明日になる。明日の学校が終わったら、櫻子が私のところに来る。どんなことを話すのだろう。どんな顔で聞いてあげればいいのだろう。今はまだ何もわからない。でも何を言われたって、私たちはきっと前に進むことになる。歩みを揃えて、一緒に一歩ずつ未来へと踏み出していく。目の前には、大きな大きな夏休みが控えている。
そうか。今年の夏は……あの子とずっと……
西垣「……ってなわけで、ここの答えはどうなるかわかるな? 古谷」
向日葵「…………」
西垣「……おや、珍しいな。まさか古谷まで、もう休み気分なのか?」
あかり「向日葵ちゃん、呼ばれてる呼ばれてる……!」ゆさゆさ
向日葵「ひあぁっ、は、はい!」びくっ
西垣「さあ、ここの答えは」
向日葵「え……わかりません」
西垣「おいおい、適当言うな。確か古谷はこの問題を正解した数少ない生徒のうちの一人だったはずだが?」
向日葵(う……)
西垣「たとえ答えがわかっていたって、寝てていいわけじゃない。授業なんだからきちんと聞くように」
向日葵「す、すみません……///」
幸せな時間から現実へと引き戻され、とんでもない赤っ恥をかいてしまった。ちらっと櫻子の方を見ると、なぜかいたずらっぽい笑みを浮かべていた。
私を寝不足にさせた張本人のくせに。まぎわらしいメッセージを送るんじゃありません。私の涙を返しなさい。
~
放課後。今日は一学期最後の生徒会活動の日。本日の仕事はしばらく使わなくなるこの生徒会室の掃除だった。
今日に限ってはデスクワークよりもこういった身体を動かす作業のほうがいい。寝不足の影響で身体が気怠いため、おとなしくしているとまた眠ってしまう。私は小気味よくモップを動かして隅々まで掃除をした。
千歳「不要なものは処分してしまわんとなぁ。捨てていいプリント類は会長がまとめておいてくれたみたいやで」
綾乃「一回ゴミ捨て行きましょうか。私はたまった古紙を持つから、千歳はゴミ袋お願い」
千歳「りょーかい」
櫻子「あっ、私! 私行きます!」
綾乃「え?」
ゴミ捨てに向かおうとする先輩たちの背中に、椅子の上に立って窓拭きをしていた櫻子が声をかけた。
千歳「んん、ありがたいけど、こっちはうちらで大丈夫やで?」
櫻子「いやいや、それ重そうだし! 私こう見えて力あるんで! むしろ一人で全部持てますよ!」
綾乃「これを一人は無理よ……大室さんは窓の拭き掃除やっちゃって? まだ途中でしょ?」
櫻子「あぅ……」
綾乃「帰ってきたら私たちも手伝うから。それじゃ行ってくるわね」
先輩たちがゴミ捨て場へと向かう。櫻子は何か言いたげにしていたけど、またすぐに椅子の上に立ってせっせと窓を拭きはじめた。そこでやっと櫻子の意図に気づく。どうやら先輩がいなくなって、私たち二人きりになるのを避けたかったらしい。
向日葵「…………」じーっ
櫻子「…………」きゅっきゅっ
向日葵「……櫻子」
櫻子「なっ、なに」
向日葵「……なんでもない」
櫻子「な、なんでもないなら話しかけないでよ!」
向日葵「なんで怒ってるんですの?」
櫻子「怒ってないよ!」
向日葵「あ、それマジックリンじゃなくてアルコールスプレーですわよ」
櫻子「……まちがえた」
向日葵「はい、こっち」
櫻子「……うん」
明らかに気まずそうにしている櫻子。その気まずさを振り払おうとするかのように、ごしごしと窓ガラスを磨いている。
向日葵「…………」さっさっ
櫻子「…………」しゅっ
向日葵「…………」
櫻子「…………」きゅっきゅ
向日葵「……あの、櫻子」
櫻子「なに」
向日葵「その……普通の日常会話くらいは、してくれてもいいと思いますわよ」
櫻子「ちょっ、だからそういう話は……!」
ぐらっ
櫻子「あっ!」
向日葵「きゃっ!?」
椅子の上でバランスを崩した櫻子が大きくよろける。私はとっさにもっていたモップを捨て、櫻子の身体を抱きついて支えた。間一髪で間に合った。
櫻子「ぁ…………」
向日葵「あ、危ないですわね……気を付けなさいよ」
櫻子「ごめん……っていうか、今のは向日葵が変な話するから……!」
向日葵「変な話なんかしてませんわ。そうやってなんでもかんでもそっちの方向に持って行こうとしないでほしい、って言ってるんですの」
櫻子「えっ……」
私は櫻子を抱きしめたまま、諭すように言った。
思えば、昨日から私の頭の中は櫻子のことだらけなのに、あれから櫻子とはほとんどまともに言葉を交わしていなかった。
自分から「予告」してきたくせに、櫻子は自分がやってしまったことが恥ずかしくてたまらないようだ。本当は「それ」を実行する勇気もまだ100%持てていたわけではなかったのだろう。だからこそこんな手法をとってきたのだと思われるが、いくらなんでも過剰反応しすぎだ。
私には「いつもどおり」を命じたくせに、櫻子は全然いつもどおりなんかじゃない。
こんなことじゃ、明日の6時に自分から約束を破って逃げ出してしまうのではないか。
向日葵「……周りの人たちからも、変に思われてますわよ。ケンカでもしてるのかって」
櫻子「わ、わかったから、離して……///」
向日葵「だめ。そうやって逃げないで」
櫻子「に、逃げてないよ!」
向日葵「逃げてるじゃないの。なんで私の話を聞いてくれないんですの?」
私の腕の中でもぞもぞともがきながら、どんどん紅潮していく櫻子。私はわざと離さないようにしながら、その耳元へ語りかけた。
向日葵「明日話すことを、今話せって言ってるわけじゃありませんわ。ただ何も話さなくなるのはおかしいですわよ。私にとっては、今のあなたにはいつも以上に喋ってほしいところなのに」
櫻子「え……?」
向日葵「せっかくあんなメッセージをくれたんですもの。恥ずかしがってほしくない。正面から向き合ってほしい。私、今まさにあなたのことが知りたくて仕方ないんですわ」
櫻子「…………」
向日葵「今こそいつも通りのさりげない会話がしたいのよ。今こそ。だって私は、あなたがここ最近どんな想いで過ごしていたか、まったく気づいてあげられなかったんですから」
向日葵「そういうところも、フェアに行きましょ?」
ずっと抱えていた自分の気持ちを、いきなり一方的に送りつけてきた櫻子。
私は櫻子にされるがままで、自分からは何もできない束縛感にもどかしさをおぼえていた。
こんなに大事なことなのに、一世一代の転換点なのに、櫻子は全部一人で済まそうとしている。主人公が自分だけだと思い込んでいる。そうじゃないはずだ。私の視点で見れば、私がこの物語の主人公なのだから。
櫻子はわざわざ事前に「予告」をしてきた。それはサプライズじゃ打ち明けられないほど大きなことで、どうしても勇気が出なかったから、自分で自分にリミットを課すことで「言わなきゃいけない状況」を作ったのだろう。
そうしてきてくれたのは、私にとってはありがたいことだった。幼いころからずっと一緒だった私たち二人の大事なシーンに、今更サプライズなんていらない。むしろそんなことはしてほしくない。
櫻子がそういう気持ちだったこと、私は本当に気づけなかった。これは私の落ち度と言ってもいい。こんなに一緒にいたのに、こんな手段に出るほど思いつめてくれていたのに、その高まる気持ちに気づいてあげられなかったのだから。
櫻子は今、ものすごく浮き足立っている。何日も何日もシミュレーションしたであろう日がもう目前に迫っている。今ならその気持ちが手に取るようにわかる。
だからこそ、私は何としても櫻子と同じステージまで上がらなければいけなかった。自分の気持ちを高めて高めて、万全の準備でその瞬間を迎えなければ。
向日葵「私は逃げませんわ。たとえどんな用事が舞い込んだとしても、明日の夕方6時に、必ずあなたを待ちます」
櫻子「…………」
向日葵「だから……どこにも行きませんから、その……いつもどおりで、いてくださいな」
櫻子「……う、うん」
櫻子を抱きしめる腕に、とくんとくんと心脈が伝わってくる。こんなに櫻子と密着したのは久しぶりだった。きっと私の胸も同じくらい高鳴ってしまっている。でも今はいい。私は櫻子と同じ気持ちになりたい。櫻子のことをもっとわかってあげたい。
櫻子「……わ、かった」
向日葵「…………」
櫻子「私も……決めたの。もう、逃げないって」
向日葵「そう……」
櫻子「だから……さ、向日葵……っ」
櫻子のうるんだ瞳が、私の目を見つめる。
胸の奥が一気にしめつけられるような気持ちになった。
櫻子のこんな顔は初めて見たかもしれない。一体何を言おうとしているのだろう。すべてがスローモーションになった気がした。私の目は櫻子の口元に釘づけだった。
櫻子「あの……その……///」
向日葵(っ……!)
がららっ
千歳「帰ったで~」
戸が開かれる音が鳴った瞬間、私は櫻子を突き飛ばすように引き離して、落ちていたモップを掴み取った。櫻子はバランスを崩して倒れかけたが、なんとか持ち直してガラスをごしごしと拭きまくった。
櫻子「お、おかえりなさい!! 早かったすね!?」
綾乃「そうかしら? べつに普通だけど」
櫻子「そうですか!?」
綾乃「……大室さん、まだその窓拭いてたの? こっちの方はやった?」
櫻子「ま……まだです」
綾乃「もう、早くしないと帰れないわよ。私と千歳もこっちやるから、ちゃちゃっと済ませちゃいましょ」
櫻子「あ、ありがとうございますっ!」
なんだか申し訳ないことをした気持ちになったが、それよりも、わかったことがひとつあった。
明日、櫻子が私に話してくれることは……やっぱり、いいことみたい。
それも、とびっきりのいいこと。
朝の段階でもそれは感じられていたけど、今なら心の底から信じられる。
密着して近づいた私の心とあの子の心が、言葉では交わせない何かを交わし合った。
まだ腕の中に残っている温もりが、その正体なのかもしれない。
モップでほこりを集めながら、櫻子の方を見る。
櫻子も、ほぼ同時に振り向いた。
恥ずかしそうに、てへっと笑った。
私も自然と顔がほころんでしまう。
生徒会室の時計は、午後5時をまわるところだった。
今から24時間と少し後……あの子が、私の部屋に来る。
なんだか今すぐにでもその時間になってほしいような、心の準備期間に1年は欲しくなってしまうような、変な気持ちだった。
~
いつもどおりの日常会話を望んだくせに、一緒に歩いた帰り道では、やっぱり何を話してもぎこちなくなってしまった。
何を話そうとしても思考が明日のことに行きついてしまう。明日もこうやって一緒に帰るのだろうかとか、変なことばかりが気になってしまう。
ようやく家に到着して、自分の家に到着したときの安堵感がすごかった。昨日から休まっていない身体が思い出したように疲労を訴える。今はもう、やることをさっさと済ませてゆっくり休みたかった。
しかし実際はそうもいかない。ごはんを済ませて楓をお風呂にいれて、さあ一息つこうと思ってふとスマホを手に取る。私の手は自然と昨日の櫻子のメッセージを表示してしまう。一見おかしなその文章を、櫻子がこれを打ったんだと思いながら、何度も何度も読み返す。
そうしてふと我に返れば、自分の部屋の掃除をはじめないわけにはいかなかった。明日はここが「舞台」になるのだ。一大決心した櫻子が来てくれるというのに、いつも通りの部屋でいいわけがない。もともと散らかっているわけでもなかったが、すみずみまで綺麗にしなければ気が済まなかった。生徒会室を掃除した2倍の速度で部屋をてきぱきと片付ける。あまりにもせわしなく動く私に気を遣ってくれたのか、楓も一緒に掃除を手伝ってくれた。
やっとこさ掃除を終えると、もう夜もいい時間。早めに身体を休めたかったのに、結局いつもと同じような時間になっていた。
電気を消してベッドに横たわっても、まだ心がドキドキしている。思い浮かぶのは櫻子のことばかり。
生徒会室で櫻子を抱きしめたときの感触が忘れられない。私は再現するように毛布をまるめて抱きついた。あのときのうるんだ目。紅潮した頬。ふわふわした香り。私の心には、正直、魔が差していたと思う。櫻子のことが愛しくてたまらなくて、先輩たちの帰りがもう5分遅かったら、首筋にキスのひとつもしていたかもしれない。
考えないようにするのはもはや無理なので、とにかく目をつむって身体を落ち着けた。私はこんな状態だけれど、櫻子は今頃どうしているだろう。
黙って静かに目を閉じていると、今にもスマホからLINEの通知音が聞こえてきそうだった。昨日は私がたまたま起きていたからよかったものの、あのまま朝までまったく気づかずにいたら、今日という日はどう変わっていただろうか。
櫻子はいつからあのメッセージを送ろうと考えていたのだろう。一週間前? 一ヶ月前? そういえば先月の私の誕生日のとき、なんとなくあの子の様子がおかしかったから、それよりも前なのかもしれない。Xデーを私の誕生日にするつもりだった可能性すらある。何度も何度も送ろうとしては断念して、とうとう明日に決まったのかもしれない。
櫻子は本当に大きな勇気を出してくれた。もし私が同じメッセージを櫻子に送ることになっても、気恥ずかしくて絶対に送れないだろう。だからこそ明日はちゃんと受け止めてあげなきゃ。
寝返りを打って、ふと生徒会室で自分が言った言葉を思い出す。
「そういうところも、フェアに行きましょ?」
向日葵(…………)
果たして私は、フェアに努めているだろうか。
こうやってぬくぬくと毛布を抱きしめて、幸せなことだけを考えて、櫻子が私の元へ来てくれるのをただ待っているのが「対等」なのだろうか。
私は今、櫻子を心の底から尊敬している。「なるようになる」と私が目を背けたものに立ち向かった櫻子を。私が踏み出せなかった大きな一歩を、代わりに踏み出してくれた櫻子を。
「受け止める」なんて上から目線になっていたけど、あの子の方が私よりも、私たちのことを真剣に考えてくれていたのだ。
向日葵「っ……」
閉じていた目をぱちりと開け、ゆっくりと身体を起こす。闇に慣れた目で、ぽわりと月明かりが差し込む窓の外を見た。
あの子がせっかく頑張ってくれたんだから、私も同じくらい……いや、それ以上に頑張らなきゃ。
私は楓を起こさないように静かにベッドから降り、そろそろと身支度をした。
~
こんこん
櫻子「なにー?」がちゃっ
向日葵「あっ」
櫻子「うわあえっ!? な、なんで!?」
向日葵「あの……来ちゃいました」
櫻子「いやいやいやいや! えぇ!? なんで!!」あわあわ
向日葵「しーっ! 花子ちゃん寝てるんですから……!」
櫻子「わかってるけど……!」
私はパジャマのままこっそり家を抜け出して大室家にやってきた。まだ起きていたであろう撫子さんに連絡して、大室家の玄関の鍵を開けてもらった。急にこんなことをお願いしても、撫子さんは特に理由も聞かずに言うことを聞いてくれる。本当に感謝してもしきれなかった。
突然の来訪に驚きまくっていた櫻子だが、寝ている家族が起きてくると困ると思ったのか、観念して静かに私を招き入れてくれた。
向日葵「よかった、まだ起きてて」
櫻子「いや、もう寝るところだったよ……眠れなかったから、適当に雑誌読んでたけど」
向日葵「そう」
櫻子「それより、なんで来たのさ……! 言っとくけど、私は明日って決めたんだから、明日にならなきゃ……」
向日葵「いや、それはわかってますわよ。私だって……今すぐに言ってほしいわけじゃありませんし」
櫻子「だったらなんで……」
向日葵「私も……その、私からも、あなたに言いたいことがあったんですわ」
櫻子「えっ?」
ベッドに腰掛ける櫻子の隣に座り、私はぽつぽつと言葉を紡いだ。思い立って櫻子の部屋まで来たはいいけど、具体的に何かプランがあったわけじゃない。
ただ、無性に櫻子に会いたかっただけだった。
向日葵「いきなりあんなLINE送りつけてきて……失礼ですわよ。私だってあなたに送り返したいメッセージのひとつもありますわ。でも返信するなって言うし……だから直接伝えに来たんですの」
櫻子「なんで直接……」
向日葵「黙って聞いて。それから……これを聞いても、なにも質問しないで。心の中に留めておいて」
櫻子「……うん」
向日葵「明日、21日の……夕方6時。私の部屋に絶対に来ること。私からもあなたに、話さなきゃいけないことがありますから」
櫻子「!」
向日葵「ちゃんとその時間は、誰にも邪魔されないように準備を整えましたわ。部屋も綺麗に掃除したし、楓は花子ちゃんと撫子さんが見てくれるそうです。だから……心置きなく、話しましょ」
改まってこんなことを言うのはとても恥ずかしくて、私は櫻子の顔が見られなくなった。それでも少しずつ言葉をしぼりだして、一語一句ちゃんと伝える。
櫻子だって、これと同じことをしてくれたのだから。
向日葵「待ってますから……絶対に待ってますから。ちゃんと、来てちょうだいね」
櫻子「うん……絶対、いくよ」
向日葵「…………」
櫻子「……おわり?」
向日葵「おわりです」
櫻子「じゃあ、帰……」
向日葵「ああっ、それとあとひとつ。今日はここに泊まりますから」
櫻子「は、はぁ!? なんで急に!」
向日葵「急でもなんでもいいでしょう、せっかくこんな夜遅くに来たのに、のこのこ帰れますか!」
櫻子「だって、今のやつ伝えるのが目的で来たんじゃ……」
向日葵「それだけなわけがないじゃない。布団敷かせてもらいますからね」
櫻子「もー勘弁してよ……」ぽすん
向日葵「私と一緒にいるの、嫌なんですの?」
櫻子「そうじゃないけど……」
向日葵「こんなこと言うの恥ずかしいですけど……私は、あなたに会いたくて、仕方なかったんですのよ」
櫻子「……え?///」
向日葵「あなたの方から色々としてきてくれたのに、私からなにもしないのは……その、もどかしいんですわ。だから今日は泊まりに来ました」
櫻子「……なんか言ってることとやってることが噛みあってない気がするんだよなぁ……」
向日葵「なんとでもおっしゃい」
私は自分の家のように勝手に布団を引っ張り出してきて、櫻子のベッドの横に並べた。
櫻子は猫のように伸びをしてベッドに大の字になる。一瞬迷ったけれど、私はもう部屋の明かりを消して、敷いた布団の上に座って暗闇の中の櫻子に向き合った。
向日葵「はぁ……眠い」
櫻子「……そういえば今日、理科の時間に寝てたね」
向日葵「誰かさんのせいで、昨日の夜は全然眠れなかったんですわ」
櫻子「…………」
向日葵「確か……昨日のこのくらいの時間でしたわね。あなたが送ってきたの」
櫻子「……うん」
向日葵「私、本当に寝ちゃう寸前だったんですのよ。よかったですわね、ギリギリ間に合って」
櫻子「……べつに、いつ見てもらっても構わなかったけどね」
向日葵「でも私……あれを読んで急に眠れなくなったんですの。櫻子が何を言おうとしているのか、本当にわからなくて」
櫻子「…………」
向日葵「……もしかしたら、急に引っ越すとか言われるんじゃないかと思って……久しぶりに泣いてしまいましたわ。怖くて……悲しくて」
櫻子「ええっ……!?」
向日葵「ごめんなさい……これだけは、改めて聞かせて? あなた……どこか遠くに行ったりなんてしませんわよね?」
櫻子「しっ、しないよ! そんなの絶対にしない!」
向日葵「そう……よかった」
櫻子「ごめん……そんなこと思わせてたなんて、知らなくて……」
向日葵「いいんですのよ。それがあったから私、あなたのことを……もう一度真剣に考えることができたんですの」
櫻子「向日葵……」
向日葵「どこにも行かないで、いなくなったりしないでって、神様にお願いしながら眠りましたわ。だからこそ気づけたんですの。私、やっぱりあなたのこと、本当に……」
櫻子「え……」
向日葵「……あ」
櫻子「だ、だめだよ!? それだけは言っちゃだめだからね!? 明日にしてよ?」
向日葵「……そ、そうですわね、この言葉は今言っちゃだめですわね」
櫻子「……でも、向日葵がそんなことまで考えてくれてたなんて……嬉しい、かも」
向日葵「そう?」
櫻子「うん」
向日葵「……で、私はそんな感じだったから、今朝のあなたを見たときは、本当になんというか……ホッとしたんですわ」
櫻子「あー……今朝ね」
向日葵「あなたってば、あんな意味深なメッセージ送ってきたくせに、全然隠せてないんですもの。もう全部の内容が顔からダダ漏れって感じで」
櫻子「うるさいなぁ……私だってずっと恥ずかしかったんだよ。送っちゃったからもうどうにもならないけど、まだまだ心の準備できてなかったし」
向日葵「……そういえば、撫子さんはなんで知ってたんですの?」
櫻子「毎晩私がうんうん唸りながら送ろうか送るまいか悩んでたから、うるさいって怒られて、成り行きで話すことになっちゃって」
向日葵「……私も今、撫子さんにこの家の鍵を開けてもらって来たんですけど、『はいはいそういうことね』って感じの顔をされましたわ」
櫻子「も~……今も聞き耳立ててんじゃないの実は? あー見えて結構汚いとこあるよねーちゃんは」
向日葵「さすがにそこまではしないと、信じたいですけど」
暗闇の中、櫻子が使っている毛布のしわを指でいじくりながら、小声で話し合う。
こういう会話を、私はずっとしたかった。いつもなら何かと張り合ってしまうことが多い私たちだけど、自分の素直な気持ちを真剣に話せば、櫻子だって大人しく聞いてくれる。
心から想う言葉を伝えて、櫻子からの気持ちを受け取る。そんな優しいキャッチボールが、今までの私たちにはずっとできなかった。なんだか出会って間もない、喧嘩なんてしたこともなかった、あの頃の私たちに戻れた気がした。
向日葵「……櫻子」
櫻子「……なに?」
向日葵「…………あ、また言っちゃいけないことを言いそうになりましたわ」
櫻子「……ばかなの?」
向日葵「仕方ないじゃない……本当に、今の私の中にある気持ちが、そういうことなんですから」
櫻子「……そっか」
向日葵「……明日、ですわね」
櫻子「うん、明日」
向日葵「どうして明日にしようと思ったんですの? たまたま?」
櫻子「半分は、踏ん切りがつかなくてずるずる引き延ばされちゃったって感じだけど……もう半分は、やっぱり夏休み目前だからだよ」
櫻子「今年の夏こそは……もう、小学生の頃とは違ったものにしたいなって思ったの。中学生になったんだから、一歩大人の夏にしなきゃって」
向日葵「……あら。じゃあ宿題もきちんと計画的にやりますのね?」
櫻子「うん……まあそういうところも含めて、明日いろいろ精算しておけば、夏休み序盤から宿題教えてって言いやすくなるじゃん?」
向日葵「……ある程度は協力しますけど、自分でやらなきゃ意味ないんですからね」
櫻子「わかってますわかってます」
向日葵「まったく……」
櫻子「あはは……」
向日葵「…………」くす
櫻子「……向日葵」
向日葵「なあに?」
櫻子「この夏は……いっぱい、遊ぼうね」
向日葵「……ええ」
櫻子「私ね……明日を “その日” にできて、すごくよかったと思うの」
向日葵「…………」
櫻子「学校が無くなっちゃったらさ……私たちって、一緒にいる理由があんまりなくなっちゃうじゃん。学校があるから朝は一緒に登校するし、一緒に帰ってもくるけど……それがないと、なんだか一緒に居づらいっていうか」
向日葵「私たちが毎日理由もなく遊んでたら、ちょっと変ですものね」
櫻子「夏休みはもちろん大好きなんだけど……そういう意味では、毎年毎年ちょっとつまんないなって思ってたの」
向日葵「……私も、そう思うときもありましたわ」
櫻子「私たちが……そういう関係になっちゃえばさ、一緒にいてもいいんだもんね? 夏休み初日から最後の日まで、毎日ずっと一緒でも、おかしくないんだもんね?」
向日葵「ええ。夏休みが終わっても、ずっとね」
櫻子「それってどんなに楽しいことだろうって、最近ずっと考えてたの。朝から向日葵がいて、向日葵と遊んで、ちょっと勉強もして、一緒にご飯食べて、一緒に友達とも遊んで、プール行ったり、買い物行ったり、お祭りに行ったり、花火見たり……」
向日葵「…………」
櫻子「自分でもびっくりするくらい、そんなことばっかり思い浮かんできちゃってさ。ああやっぱり私って……向日葵のこと……本当に……///」
向日葵「……え?」
櫻子「……ああ、これ言っちゃだめなんだった」
向日葵「……ばかなんですの?」
櫻子「……ばかだよ」
目を閉じて楽しげに話をしてくれる櫻子。私もその手に手を重ね、指を絡めながら相槌を打った。
肝心の “それ” だけは言わないけれど、私たちの心はひとつになっていた。
ふたりの間に凝り固まってできた大きな壁は、いつの間にか姿を消していて、私はようやく本当の櫻子に出会えた。
繋いだ手から、あたたかすぎて、幸せすぎる想いが伝わってくる。私も負けじと心を込めて、櫻子への愛しい気持ちを送り込む。櫻子がもう片方の手を伸ばして、私の頬を撫でた。私はその手にキスをした。
櫻子「……もうそろそろ寝よ。向日葵」
向日葵「…………」
櫻子「……疲れてたんでしょ? 明日も一応学校あるんだから……また授業中に寝て怒られちゃうよ」
向日葵「…………」
正論を言う櫻子。私もほとんど頭が働かなくなっていたけれど、この愛しい時間を終わらせたくなくて、櫻子の手をどうしても離せなかった。
櫻子「……向日葵」のそっ
向日葵「ぇっ……?」
櫻子が手を絡め合わせたまま、ベッドから転がり落ちるようにして、私に覆いかぶさってきた。布団の上に押し倒された私は、そのまま櫻子に抱きしめられる形になった。
向日葵「ちょ、ちょっとぉ……」
櫻子「いいじゃん……誰も見てないんだから」
向日葵(うぅ……)
櫻子「ひまわり」
向日葵「……なんですの」
櫻子「明日……あした、だよ……っ」
向日葵「!!」
闇の中、わずかに差し込む月明かりを映す雫が、櫻子の目元で光っていた。
櫻子「もう……あしたは、我慢しなくていいんだよ……」
向日葵「っ……///」
櫻子の声が震える。
私を抱きしめる腕に、ぎゅっと力が込められる。
櫻子「あしたはわたしも……全部言うからね……っ」
向日葵「……さく……らこ……」
櫻子「ひまわり……ありがと……ありがとね……」
櫻子の声を聴いて、何かが決壊したように、私の目からも自然と涙が溢れた。
静かに嗚咽する私の喉に、櫻子がキスをする。
重なり合った身体全体から伝わってくる櫻子の体温が、私の中の想いを溶かしていった。
もう、我慢しなくていいんだ。
もう、本気で想いを伝えていいんだ。
あまりにも長く一緒にいすぎて、いつしか私たちは、本気で本音を交わすことを恐れるようになっていた。密接なようでいて壊れやすいこの関係に傷がつくことを恐れていた。つまらない意地の張り合いでしか、お互いの距離を守ることができなくなっていた。
最初から、想いはずっと同じだったんだ。
櫻子の情熱的な抱擁を受け、心からの愛を感じて、つうと頬を滴が伝う。泣いている子供を落ち着かせるかのように、櫻子は私の背中をさすった。私は櫻子の肩口に顔をうずめて呼吸を落ち着かせ、胸いっぱいに彼女の匂いを吸い込んで、全身で幸せを感じた。
よしよしと頭を撫でられながら、櫻子の名を小さく呼び続けていたことはなんとなく覚えている。私は彼女の優しさに包まれながら深い眠りに落ちていった。結局櫻子もベッドには戻らず、私が敷いた布団の方で、抱き合ったまま寝てしまった。
朝になって、いつまでも起きて来ない妹に痺れを切らした撫子さんが突撃してくるまで、私たちは完全に熟睡していた。飛び起きた時間はもう遅刻ギリギリ。撫子さんと花子ちゃんにシラけた目で見つめられながら、大慌てで学校の支度をした。
今日も世界はからっと暑くて、空は雲ひとつない快晴だった。
櫻子「急がなきゃ!」
向日葵「ええ」
昨日の夜からずっと絡めっぱなしだった手を改めて繋ぎ直し、私たちは一学期最後の通常授業日となる学校へと向かった。
~
今日という日は、学校全体が活気に満ちていた。
いよいよ待ちに待った夏休み。テスト地獄を抜け、解放的な気持ちになった生徒たちは、みんな自然と笑顔になっている。落ち着きのない生徒たちをいさめる先生も、今日だけは仕方ないかというような気持ちで微笑ましく見ていた。
「今日で終わりじゃないからね。終業式は月曜日だから。その日休んだら夏休み中も学校に来てもらうよ」
「「えー!?」」
先生の冗談に本気で抗議する生徒たち。話を聞いているものは半分、あとの半分は夏休みの予定を立てあったり、さっそく明日から遊ぼうと計画したりしている。
しかしそんな中で、櫻子だけは机に突っ伏して寝たふりをしていた。ほとんどのクラスメイトは気に留めていなかったが、こんな時に一番騒ぎそうな女の子が静かに黙っていることに、友人たちは疑問を浮かべる。
あかり「ねえ向日葵ちゃん、櫻子ちゃん寝てるのかなぁ」
向日葵「いえ、起きてると思いますけど」
ちなつ「どうしたんだろ……体調悪いのかな」
向日葵「……そういうわけでもないかと。たぶん」
櫻子の心中を察する。昨晩はまるで母親のように大きな優しさで私を包み込んでくれたのに、きっとこの後に待ち構えることについて緊張しすぎて、何も考えられなくなっているのだろう。私も同じようにドキドキしてはいるが、それとは比べものにならないようだ。
ちなつ「向日葵ちゃんはなにか知ってるの? なんで櫻子ちゃんがあんな風になってるのか」
向日葵「ええまあ……でも、みなさんが気になさるようなことじゃありませんわ。きっと明日になったらいつも通りのあの子に戻ってますから」
あかり「そう?」
向日葵「ええ」
今日のことが全て終わったら、二人にもきちんと報告した方がいいのだろうか……私も内心迷っていた。
今日を境に、私たちは何が変わるのだろう。私たちはどこにでもいる普通の中学生で、単に小さい頃からの幼馴染で、家も隣でクラスもずっと一緒の腐れ縁で、よく一緒に遊んでいる友達同士。それは今までと何ら変わりないことで、これからもずっと変わらない。そういった意味では、これといった報告をしなくても周囲にはなんの影響もないだろう。
しかし……恐らく今日、私たちの関係は大きなステップアップを迎える。
向日葵(ステップアップ……なのかしら?)
私たちがたどり着く「そこ」は、友情の延長線上にあるものなのだろうか? 改めて考えてみると、なんだか違うような気がした。友情を突き詰めても突き詰めても、友達は親友に変わるだけだし、一緒に抱き合って眠ったりはしないと思う。
きっと、私たちが歩いてきたのは最初から「友達」の路線ではなかったのだ。友達よりももっと特別な存在だと、出会った時からなんとなく思い合っていて、恥ずかしさに押し負けてしまっていたから、「友達」と片付けることで自分を納得させていただけだ。
私にとって櫻子は、もうただの友達じゃない。
今日は、それをきちんと確認し合う日だ。
どんなに親しくても、なあなあで片付けてはいけない大事な部分。正面から向き合って、はっきりと言葉を交わして、思いを伝え合わなきゃ。
ホームルームが終わって、しばらくこの学校ともお別れなのねと思いながら掃除をしていると、後ろからちょんちょんと肩をつつかれた。誰かと思って振り返ったら櫻子だった。
櫻子「あ、向日葵っ」
向日葵「あら、どうしたんですの?」
櫻子「あの……その、私先帰ってるね」
向日葵「ああ……わかりましたわ」
櫻子「うん……それじゃ」
向日葵「はい……」
櫻子「ま、またね」
向日葵「ええ。また」
ぎこちなさすぎる笑顔を見せて、櫻子はぴゅーんとどこかへ行ってしまった。時計を見ると、午後4時をまわったところ。いよいよその時は目前に差し迫っている。
一緒に掃除をしていたクラスメイトから「櫻子どうしちゃったの」と驚かれたが、私もだんだん落ち着いてはいられなくなってきた。
昨晩の櫻子の優しい目が、甘い声が、温もりが急に思い起こされる。
ああ、まさか本当に、こんな日が訪れてしまうなんて。
きゅんと苦しい胸に耐えきれず、箒を握る手にぎゅっと力を込めた。
このまま目を閉じたら、ふらっと倒れてしまいそう。
私はばくばくと音を立てそうなほど脈打つ心臓を抑えながら、掃除を終えてそそくさと帰路についた。
こんなに緊張しているのは、生まれて初めてかもしれない。
~
かっち。かっち。
向日葵「…………」
家について、楓を花子ちゃんのところにお願いして、自分の部屋に戻った私は、何をするでもなくただ座って時計とにらめっこをしていた。
最初は5時を少し回ったくらいのところだったのに、時を刻む秒針の音を聴きながら櫻子のことを考えていると、恐ろしく早く時間がすぎていく。
ああもう少しだ。もう少しで来てしまう。私と櫻子が「友達」として過ごしてきた長い長い時間が、あと数分で終わりを告げてしまう。長いようで短かった。本当にこんな瞬間が来てしまうんだ。なんて言われるんだろう。なんて話せばいいんだろう。なるようになるしかない。あの子だって緊張しているはず。ちくたくちくたく。着実に時間が刻まれていき、もうすぐ6時というところで、家のチャイムが鳴った。
玄関を開けると、夕陽よりも真っ赤な顔になった櫻子が、もじもじと立っていた。
向日葵「……あ」
櫻子「…………あっ」
向日葵「い、いらっしゃい」
櫻子「うん……っ」
向日葵「どうぞどうぞ、中へ」
櫻子「お、おじゃまします」
ぎこちない挨拶をすませて、櫻子を中へと招き入れる。私の家に訪れた櫻子が「お邪魔します」と言ったのは何年ぶりだろう。スリッパを用意してあげたのなんて初めてかもしれない。櫻子も言われるがままにぱたぱたと私の後ろを歩き、一緒に部屋へ入った。
どんなレイアウトにするか迷いに迷ったが、私は部屋の真ん中に、二つの座布団だけを敷いておいた。その片方に私が正座する。櫻子ももう片方にすっと正座し、私たちは正面から向き合った。
向日葵「…………」
櫻子「…………」
しばしの静寂が流れる。櫻子は座りながら、少しだけ乱れた洋服をなおしていた。よく見ると髪も綺麗に整っている。私ももう少し身だしなみを整えておけばよかった。
向日葵「……6時、になりましたわ」
櫻子「……うんっ」
向日葵「……あなたから、どうぞ?」
櫻子「うん……」
向日葵「…………」
櫻子「…………」
私たちは互いに、正座する脚あたりを見つめていた。爆発しそうなくらい恥ずかしすぎて顔があげられなかった。
けれど櫻子が先に、思い立ったようにぱっと顔を見上げた。私もつられて顔を上げる。
櫻子「……ひ、ひまわり!」
向日葵「は、はいっ」
櫻子「……え、えっと、そのっ」
向日葵「…………」
櫻子「あの……まずは、急にこんなことになって、ごめん」
向日葵「えっ、そんな。全然急じゃなかったと思いますけど」
櫻子「いやいや、最初のLINEは急だったっしょ……びっくりしたよね?」
向日葵「まあ……そうですわね」
櫻子「最初からはっきり言えればよかったんだけどさ……何回かチャレンジしたけど、緊張しすぎちゃって全然だめで。いつも向日葵の隣で言おう言おうとして失敗して……結局こんな形にでもしないと、伝えられなくなっちゃって」
向日葵「…………」こくり
櫻子「あのね……もうぶっちゃけ、きっかけは覚えてないの。気づいたら私、こうなってた」
向日葵「……気づいたら?」
櫻子「向日葵はずっと昔から隣にいたけど……なんとなくいつからか、向日葵と話すの楽しいなってなったり、向日葵を見てたいなと思うようになったり、向日葵に会いたいなって思うようになったことが増えたりして……」
向日葵(うっ……)
櫻子「こ、こんな気持ちになったのは、はじめてだったの……///」
向日葵(か……かっわいい……)かああっ
櫻子は本来、恥ずかしいと思うようなことからはすぐに逃げてしまう子だ。
人よりも何かを恥ずかしがること自体少ないが、自分の気持ちに冷静に向き合うことがあまり得意じゃない。
その櫻子が、自分自身の心に問いかけて引き出した本音を、逃げずに打ち明けてくれている。それも笑顔で。
全部全部、私が未だ見たことのない櫻子だった。櫻子にこんな一面があったなんて、夢の中でしか知らなかった。
櫻子「それで、昨日も言ったけど……もうすぐ夏休みだったから、今年の夏こそは向日葵と一緒の時間をいっぱい作りたいなって思って、夏休みになる前に、きちんと告白しようって思って……」
向日葵(こ、告白って言った……///)どきっ
櫻子「えっと……あのね……」
向日葵「うん……」
櫻子「…………」
向日葵「…………」
櫻子「……あーだめだ! なんて言おうとしてたか忘れた!///」ぷはっ
向日葵「ええ!?」
櫻子「違うの! ちゃんと考えてたんだよ! なんて言おうか! 今日も授業中にノートにちっちゃく書いて覚えてたのに……!」
向日葵「ま、まあいいですわよ。用意した原稿を読んでほしいわけじゃありませんわ。今のあなたの心の中にある本心を言ってくれれば。それが正解なんですから」
櫻子「本心……」
向日葵「ええ」
櫻子「……そ、そうだよね。よし! じゃあもう、言う!!」ぱんっ
向日葵(!!)
櫻子は両手を思い切り膝に打ち当て、大きく息を吸い込み、背筋を伸ばして前を向いた。
真剣すぎる熱い眼差しが、私の意識を貫く。
言われる。とうとう言われる。
胸いっぱいに何かがこみあげてきて、息ができなくなった。
櫻子「ひ、向日葵……っ!」
向日葵「は、はいっ!」
櫻子「わ、私……ずっと……」
向日葵「…………っ」
うるりと目が潤む。
その瞳に釘付けになる。
櫻子「ずっとずっと……ひまわりのことっ」
向日葵(あぁぁ……っ)
「だ……ぃすき、だったの……」
大粒の涙をこぼしながら、櫻子は、言った。
私の手にも、あたたかい雫がぽたぽたと落ちる。
ずっと封印してきたその一言を言い終えた櫻子は……気が抜けたように肩をちぢこめて、大きく息を吐きながら号泣してしまった。
私は思わずすり寄って櫻子を支えた。その手にまるで命綱のようにしがみついて、櫻子は嗚咽しながら言葉を絞り出した。
櫻子「だいすき……大好き、なの……っ!」
向日葵「さ、さくらこ……っ///」
櫻子「ずっと、ずっと、大好きだったよ……っ、さいしょから、ずっと!!」
向日葵「うぅ……っ……」
櫻子「もう、向日葵がいないと、だめなの……! ずっと一緒にっ、いてほしいの! これからも、ずっと、ずっと……っ!!」
赤子のようにわあわあと泣く櫻子を抱きしめ……私も想いを注ぎ込むように、ゆっくり語りかけた。
大好き。
私も櫻子のことが、大好きですわ。
出会った最初の最初から、ずーっとずっと、大好きでした。
私はあなたを、心の底から、運命の相手だと思います。
あなたと出会えたことが、きっとずっとこれからも、私の生涯で、一番幸せなことでしょう。
あなたのいない人生なんて、これっぽっちも考えられない。
私はきっと、櫻子と一緒になるために生まれてきたんですわ。
いままで、いろんなことがありましたわね。
小さい頃の私は、引っ込み思案で、人見知りで、自分に自信が持てなくて。
あなたがいなかったら、友達の一人もできなかったかもしれない。
櫻子がいたから、櫻子が私をひっぱってくれたから、私は少しずつ変われたんですわ。
あなたのそばにいたくて。あなたと釣り合う女の子になりたくて。
でも、どんなに勉強ができたって、どんなにお菓子作りがうまくなったって、
私にとって櫻子は、いつも届かないくらい、輝いて見えていましたわ。
私たちは一緒に大きくなったけど、私があなたの背を追い抜かしたくらいから、些細なケンカが増えましたわね。
向日葵に負けたくない、向日葵のくせにって、あの頃からよく言ってたっけ。
今でもそれは変わらないですけど、そんな子供っぽいところも、全部全部、私は愛しく想います。
私もついつい張り合ってしまうことがありますけど、本当はいつだって、あなたのことが大好きですわ。
きっとこれからもいっぱいケンカをしちゃうと思いますけど、これだけは忘れないで。
私は、絶対にあなたのことを嫌いになりません。
だから、どうかあなたも、
私のことを、ずっと好きでいて。
向日葵「好きよ……櫻子」
櫻子「好きだよ……向日葵」
向日葵「一生、あなたを離しませんわ……何度生まれ変わったって、必ずあなたを探し出して、あなたの隣にいますからね……っ」
櫻子「わたしだって……絶対にどこにもいかせない。絶対に向日葵を飽きさせない! 何度だって振り向かせてやる……何度だって、私を好きにさせてやるっ……!」
かぶりつくように、口づけを交わした。
ひっかき傷ができてしまうくらい、お互いをかき抱いた。
飽きるほどの「好き」を、一生分の「好き」を叫んだ。
陽が沈んでまっくらになっても、明かりもつけずに、私たちは愛を求め合った。
――――――
――――
――
―
疲れ果てた私たちはベッドに倒れ込み、そのまま眠ってしまったようだった。
気が付いたときにはもう世界は朝になっていて、先に起きていた櫻子が私の髪を撫でていた。
こんなに幸せな朝があっていいのだろうか。まるで夢が現実になったみたい。私は櫻子の太ももに頭を乗せて、すりすりと甘えた。
櫻子「……いや、あの、起きて」
向日葵「……えっ」
櫻子「ごめん、めっちゃおなか減ったの……昨日のお昼から何も食べてないから……」ぐきゅる~
向日葵「…………」
何も食べていないのは私も同じだったが、櫻子が本気で辛そうにしていたので、私はベッドに移った愛しい温もりを手放して起きることにした。
時刻は朝6時すぎ。せっかく朝食を作るならみんなの分もと思い、私たちは顔を洗って身支度を調え、手を繋いで大室家に向かった。
気づかれないようにそっと玄関を開けようとしたが、櫻子が取っ手に手をかけようとしたところでドアが自然にがちゃっと開き、私たちは驚いて飛び上がった。土曜日なのに早起きだった撫子さんが、新聞を取るためにちょうど外へ出てきてしまったらしい。
撫子「……うわ」
向日葵「……お、おはようございます……」
撫子「……朝帰り?」
櫻子「ちゃうわ!!///」
撫子「あーあー、すっかりお熱いことで……もしかしてこれから毎日こんな感じを見せつけられるの? 勘弁してよ」
向日葵「も、申し訳ありません……」
櫻子「いやいや、謝ることじゃないでしょ!」
撫子「…………よかったね。二人とも」ぽん
櫻子「!」
撫子さんは、私たちの頭に手を乗せて笑った。
撫子「ひま子、櫻子をよろしくね。もうこれからはひま子の方が、私よりも櫻子といる時間が長いだろうから」
向日葵「は、はいっ!」
撫子「櫻子も。頑張って前に踏み出したのは偉いけど、ここからがスタートなんだからね。ひま子泣かせたらただじゃおかないよ?」
櫻子「……うん。わかってる」
撫子「よし。おかえり」
私たちは、揃って大室家へ帰宅した。
今日も空は相変わらずの晴天で、突き抜けるように高く澄み渡り、青く青く広がっていた。
きっと今日も暑くなる。私たちは朝食の用意をしながら、本日の予定を立てあった。付き合って最初の二人のデートは、赤座さんに送る誕生日プレゼントを一緒に選びに行くことに決まった。じきに花子ちゃんと楓も起きてきて、みんなでゆっくりごはんを食べた。
撫子「夏休み、今年はなにしよっか」
櫻子「あーそうだ! もう今日から実質夏休みじゃん!」
花子「え、気づいてなかったの?」
撫子「櫻子はちょっと昨日大変なことがあってね、色々忘れちゃったんだよ」
櫻子「ちげーわ!///」
楓「みんなでどこか行きたいの♪」
向日葵「いいですわね。久しぶりに」
撫子「私も忙しいけど、なるべく予定開けるようにするよ。でも計画立案は櫻子とひま子に一任するからね」
櫻子「なんで?」
撫子「もう大人になったから」
櫻子「いやだから! ちょいちょい変なこと言わなくていーの!///」
花子「さっきから何真っ赤になってるんだし」
櫻子「なってない!」
からかわれながらも、櫻子はとても嬉しそうだった。
こんな笑顔を、これからもずっと、隣で見守っていくんだ。そう思うと、私もついつい顔がほころんでしまった。
朝食を終えた私は家に戻り、初デートに向けてせいいっぱいのおしゃれをする。想定外に時間がかかってしまって、待ちくたびれた櫻子が家にやってきてしまった。
櫻子「まだー? おそーい」
向日葵「ごめんなさい、もうちょっと……ねえこの服で大丈夫かしら。こっちの方がいい?」
櫻子「いいよどっちでも~」
向日葵「いいわけないでしょう。私はあなたの彼女なんですから。妥協したらあなたに失礼ですわ」
櫻子「か、彼女……///」
向日葵「……そういうことになるんですのよ。今日から」
櫻子「彼女……彼女かぁ……♪」ぎゅっ
向日葵「きゃっ、ちょっと! 変なところ触らないで!」
櫻子「だめだ私、選べない……どの向日葵も全部可愛い。ぜんぶ」
向日葵「もう……///」
紆余曲折あったけれど、最初から両想いだった私たち。
そんな私たちにとって、「告白」しあうことに何の意味があるのだろうと、ずっと考えていた。
今更そんなことしなくても、すでに想いは通じ合っている。
でも、それでも、きちんと想いを伝え合うことには、やっぱり大きな意義があったみたい。
ふにゃけた笑顔で甘えてくる櫻子を抱きしめながら、私はそう思った。
向日葵「さて、そろそろ行きましょうか」
櫻子「うん!」
可愛い可愛い、私の櫻子。
この桜は、「好き」という想いを注ぐほど、可憐な花を咲かせてくれる。
これからも、いろんな表情のあなたを見せてくださいね。
私たちは手を繋いで、新しい一歩を同時に踏み出した。
~fin~
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