伊織「ドンガラ釘」 (19)




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伊織「大変大きな拍手に迎えられ、感無量でございます」

伊織「どうか1万字と少しの落語、お付き合い頂きますと嬉しく存じます」


伊織「しかし高い所から見まわしてみるって言いますと、拍手一つとっても人によって様々でして」

伊織「御婦人方はこう手を十字にしてお上品に『パチリパチリ』と言う感じで」

伊織「男の人になると大きく手を広げて『バチンバチン』と豪快に叩くような感じで」

伊織「様々な音色を奏でます。さながら拍手のオーケストラですな」

伊織「まったくの余談になりますが、拍手と言うの中指をそろえる様に合掌し」

伊織「そこからほんのわずかだけずらして叩くと、綺麗で大きく鳴るようですな」

伊織「それでは私が今から指揮棒を振り上げる素振りをしますので」

伊織「今一度、揃って大きな拍手をお願いいたします」

伊織「こう」


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伊織「としたら鳴らして下さい」

伊織「本日の会場はせっかちな方が多いようですな」

伊織「いきますよ?」

伊織「はい!」



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伊織「大変結構でございます」

伊織「先ほどより私も幾分か心持がようございます、ありがとうございます」

伊織「えー次からは是非、これくらいの全力の拍手でお迎えくださいませ」

伊織「なんて調子の良い事ももうしますが」





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伊織「皆様ご承知の通り、このようなわずかな事ではありますが、その人の≪我≫に任せるとそれはもうやり方性格は十人十色、七彩ボタンでございます」

伊織「お客様の中にも様々な性格、気分、気性の方がいらっしゃると思いますが」

伊織「落語の世界でよくよく出てきますのが【粗忽者】と呼ばれる者ですな」

伊織「粗忽と言う言葉自体、なかなか最近聞かなくなった言葉ではありますが、今の言葉で言いますと」

伊織「そそっかしい人、あわてんぼう、なんて人の事を粗忽者と呼びます」

伊織「粗忽者にも二通りありまして、『まめな粗忽者』と『無精な粗忽者』がいます」

伊織「まめな粗忽者と言いますと、皆さんの周りにもいると思いますが、こんな人です。例えば買い物に行くときもですね」


伊織『あー、アレ、アレだよ、アレを持ってかなきゃいけないんだよ、買い物にはなアレ、アレを出してくれないかね』

伊織『アレっつったらアレだよ、ほら、うん、鍵、違う、鍵はもう持ってるんだよ、アレ、アレだよアレが無いと話にならない』

伊織『アレ、だよ、お金を出したりしまったりの、そう! ポケット、じゃなくて! あーそうそうそうバック! 違う!』

伊織『そうそう、財布だよ財布、これがなきゃね、始まらない』

伊織「と言った具合に財布一つ出すのにも大騒ぎでございます」


伊織「無精な粗忽者になりますと、こういう騒ぎは一切起こしません」

伊織「だまーって、何も入ってない空のバックを持ち出して現地で『あれ?』となるわけですな」

伊織「まぁまぁ、難儀な物です」


伊織「私共、アイドル仲間の中での粗忽者といったらこりゃあもう完全に決まっておりますな」

伊織「そう、皆様の頭にも思い浮かんだでしょう、あの赤いリボンを頭につけたアイツでございます」

伊織「ただねー……まぁ、春香のね、営業妨害になるやもしれませんが……春香の粗忽はですねぇ……そのぉ~」

伊織「どこか、狙って? やっている所が有ると言いますか……『その粗忽本当?』となる事がですねぇ……」






伊織「今回のお話は、上方では『宿替え』江戸落語では『粗忽の釘』と呼ばれる落語を現代風にアレンジしました『ドンガラ釘』と呼ばれる物です」

伊織「ドンガラ、と、なりますってーと主役は……言わずもがなですな?」

伊織「え~~ある日ある所、春香と千早と言う連れ合いがおりました」



伊織『春香、ねぇ、春香、春香ったら』

伊織『んん? どうかしたかい?』

伊織『どうかしたかい? じゃないわよ、今日が何の日か知ってて言っているの?』

伊織『今日は平日だろうよ』

伊織『違います、引っ越しの日でしょ?』

伊織『そうだね』

伊織『そうだね、じゃないわよ、だとしたらもっとちゃんとしてくれないと困るわ』

伊織『ちゃんとしてって……ちゃんとしてるじゃあないか』

伊織『そこにちゃんと『ちょこん』って座り続けられちゃあね? 邪魔だし役には立たないし困るの、何かしてはくれないの?』

伊織『千早ちゃんの目にはね? 私はぼっとして写るかもしれないけどね、私だってただぼっとしてるわけじゃあないんだよ』

伊織『…………ぼっとしてる以外には見えないけど……いったい何をしているの?』

伊織『段取りってもんを組んでるんだよ、どこをどうしたら早く片付くかってね』

伊織『そうしてる間にも私だけ片付けてるでしょう!? 私は何かしてって言ってるの!!』

伊織『わかった! わかったからそうワンワンワンワン言いなさんなって……じゃあ、そのーー……それ、そこにあるソレを取ってくれない?』

伊織『……ソレって何?』

伊織『あのね? 何って言う前にだね、ソレって言ったらパッと出してくれるって言うのが私達の間柄じゃあないかい?』

伊織『ないかい? って言われてもね、物が解らなきゃ出しようがないでしょ』

伊織『ソレって言ってるじゃあ!! ……とと、そうだね、そうだった、そのリュックをちょいととっておくれ』

伊織『リュックを? 何で?』

伊織『何で何で何で何でってね、良いんだよ、パッと言ったらパッと出す! 黙ってできないかね全く!!』






伊織『コレでもってだね、そこにある鏡台を私が引っ越し先まで運んじゃおうって寸法さね』

伊織『……いや、引っ越し屋さんのトラックが外にあるからそこまで運んでもらえればそれで良いんだけれども』

伊織『あのね……コレは私が朝から考えに考え抜いた段取りの元決まった事なんだから口を出さないでもらいたいな本当に!!』

伊織『……登山用リュックに鏡台背負って……観音様じゃああるまいし』

伊織『いいから、この口をジジッって開けてね、ちょっとそっち持って千早ちゃん、これを……よっ! としてね、リュックの中に入れてだね』

伊織『ううん……まだ何か入りそうだね……そうだ、そこの電子レンジも入れちゃおうか』

伊織『そんなに入れたら持ち上がらないと思うけど』

伊織『だからね千早ちゃん、グヂグヂグヂグヂ言う前に少しは私と言う人間を信用したらと思うんだよ、そう! そうそう入れてね……あとは……そうだ、そのクラシックCD100枚のラック』

伊織『コレは私の大切な宝物だから』

伊織『だから私の手で運ぼうって言うんだろう!? 良いからほら入れて入れて!! まだ入るから……律子さんから貰った謎の部族の仮面、コレも入れよう、あとは~そこの青い羽ペンそれも入れておくれ』

伊織『よしよし、それじゃあね千早ちゃん、私が「1、2、3、ヴァイ!」って言ったら一斉に持ち上げてね? こういうのは一度上がっちゃえば簡単な物だから』

伊織『行くよ? じゃあ「1、2、3、ヴァイ!」って言ったらって重い! まだ!! まだだって!! リハーサルだから!! 重い重い!!!!』

伊織『あわてんぼうだねぇ、千早ちゃんって人は本当に……じゃあ、本当に行くよ? 1、2、3、ヴァイ! っっっっ!! ヴァイ!! ヴァ!! ヴァゥッッッッ!!!!』

伊織『春香……だから私は言ったでしょ、こんなに入れて持ち上がるわけがないって』

伊織『違うんだって、こういうのは一度持ち上がっちゃえば、行くよ!? 1、2、3、ヴァイ!! ヴァイ!! ヴァーーーーッッッッ!!!!』


伊織『…………』ハァゼェハァゼェ


伊織『ちょっと青い羽ペン取って』

伊織『そのくらいでもちあがるようになるわけないでしょ』

伊織『違うんだって千早ちゃん、そこが素人考えなんだよ、こういうのは何かが減ったって言う心持が大事なわけ。見ててね? いくよ!? 1、2、3、ヴァッッッッ!! ッッッッ!!!!』


伊織『…………部族の仮面も取ろうか、持ちあがらないのもこの仮面の呪いのせいな気がしてきたからね、うん』






伊織『仮面はおろしたかい? じゃあ行くよ? 1、2、3、ヴァイ!! ヴァイ!! ヴァイッッ!!!!』


伊織『……このCD100選は千早ちゃんのだったよね? 自分の宝物なんだからさ、自分で運んでくれない?』


伊織『よしよし、これなら……ヴァイ!! ヴァイ!! ヴァ、ヴァ、ヴァ、ヴァイッッ!! ……電子レンジなんて持ち歩くもんじゃないね』


伊織『これだけならいくらなんでもね、ヴァイ!! ヴァッ…………ちょっと鏡台おろしてくれない?』


伊織『リュックだけ運んでちゃただのバカでしょ!! ……ほらしっかり! 1、2、3、ンアー!! とそら、乗ったわよ!』

伊織『急に載せる人がいますか!? とと、よしよし、一回乗っちゃえばね、うん、こんな感じで楽勝ですよ、よしよし、いよっしょっと』

伊織『それじゃあね、現地で会いましょう、え? 場所? 知ってるよバカにしちゃあいけない、通りの豆腐屋さんの路地入った所、近いでしょ、うん、大丈夫大丈夫、じゃあ行ってくるよ! と、うわ、うわわわわわ!!!!』


ドンガラガッシャーン


伊織『春香、ドンガラ納めは良いけど早く行っておくれ』

伊織『ドンガラ納めって何だい!? ワザじゃあないんだからね、まったく、じゃあ行ってくるよ!!』



伊織「と、春香の方は鏡台背負ってでていっちまう」

伊織「千早はもともとしっかりしてますから? 御近所さんの力も借りてすっかり引っ越し荷物をトラックに詰め込み、現地に到着」

伊織「現地で荷物も入れちゃって、ある程度の片付けもすませちゃってなんならカモミールティーなんか飲んで一息つく」

伊織「そうするとてっぺんにあった太陽が傾き、夕暮れに近づいてくる、一番星が輝き始める時分になってもまだ春香が帰ってこない」

伊織「心配になって電話を鳴らしたら先ほどの部族の仮面の中から着メロの『1、2、3、ヴァイ!!』と聞こえる始末」

伊織「まぁ千早も春香のこういう所には慣れっこですから頬杖付きながら春香の帰りを待っていると」


ピンポーン


伊織『ごめんくださぁ……い』


ガチャ


伊織『あら春香……こんな時間までどこをほっつき歩っていたの?』

伊織『ああ……千早ちゃん……お久しぶり、会いたかったぁ~』ダキッ

伊織『ちょっとちょっと、泣きつくのは良いから事情を説明してくれないかしら?』

伊織『いやいや、もう大変だったんだよ』






伊織『外へ出てさぁ向かおうってなると、外にいぬ美ちゃんが居てね? そうそうあの響ちゃんの所の大きな犬だよ』

伊織『アラどうしたの~? なんて声をかけて通り過ぎようとすると、なんでか付いてくるわけ』

伊織『私って鏡台背負ってたでしょ? だもんで太陽が反射して出来る光に反応してるようでね?』

伊織『その光をおっかけて付いてきてたみたいなんだけどこっちはそれに気が付いたのは後になってからだからね?』

伊織『どうしたのかしら? なんてしゃがみこんだら鏡も傾く、光が私の膝小僧に乗っかる、それにいぬ美ちゃんが乗っかってきたわけだ!』

伊織『千早ちゃんも知っていると思うけどいぬ美ちゃんってのは「トラ? それかライオンの種でしょ?」ってくらい大きいわけ、それが膝に乗ったわけだよ』

伊織『拍子でドンガラー! と前に倒れちゃってね、いや鏡台は重いし、いぬ美ちゃんは騒ぐしで大変な大騒ぎ』

伊織『駆けつけてくれた飼い主の響ちゃんが抱き起してくれたんだけど、あの娘も力が強くていけない』

伊織『急に起こすもんだから、勢い余って今度は背中からバターーン!! と倒れてね!?』

伊織『背中の鑑は地面に付くけど私は浮いちゃうわけだから、手足バタバタさせてたら響ちゃん何て言ったと思う!?』


伊織『あはははは~~カメ香だ!! とか言って指刺して笑ってるんだよ!? 失礼しちゃうよ全く!!』


伊織『後から来た貴音さんにも「まこと、カメの如きですね」なんて笑ってるから「さっさと助けろカメェェェッー!」って言ったわけよ!』


伊織『そうしたら響ちゃんが「賢者ギードにキレてるエクスデスかよ!!」なんて更に大笑い!! にっちもさっちもいかないけど、なんとか助けられたわけ』






伊織『話がこれだけで済めばよかったよ、その後も大変だったんだよぉ』

伊織『途中お昼時だったでしょう? その時蕎麦屋さんの出前に出会ったんだよ』

伊織『今時自転車で運んでる蕎麦屋も珍しいなと思って見てたら何か凄い勢いでフラフラし始めたのさ』

伊織『それで事もあろうか私の方へ向かってくるから、私も避ければあっちも避ける、何でだろう? なんて思って蕎麦屋の方見たら何か言ってるわけだ』

伊織『身体をよじりながら聞いてみたら『うっまぶしっ!』って言ってるのね? そうだよ、私鏡背負ってたんだよ』

伊織『蕎麦屋の出前もチラチラチラチラ私の光を受けてたからフラフラしてたってわけ、で、もう「ぶつかるっ!」ってなって、ドカーンだよ』


伊織『うそ!? ぶつかっちゃったの!?』


伊織『いや、寸での所で私を交わして、私の後ろの鳥屋さんへズドーン!!』

伊織『鳥は騒ぐわ、卵は割れて鶏は怒るわ、鳥屋の主人も「コケコッコー!!」って怒り心頭!!』

伊織『鳥屋の主人が蕎麦屋の出前の胸倉掴んで「月見蕎麦なんて頼んでねぇぞこの野郎!!」なんて言ってる間に私の光で卵が焼けて「へぇ、ですので卵とじでございます」なんてもんだからもう取っ組み合いの喧嘩が始まっちゃってね』

伊織『おまわりさんは来る、野次馬はくる、私も乗りかかった船だし鏡台背負ってから動き取れないから結局落ち着くまでそこにいて』

伊織『蕎麦屋も鳥屋も手ぇ出しちゃったもんだから「一度署まで!」なんて話になっちゃって私も止せば良いのに「これが本当の大鳥物だね!」なんて言っちゃったから火に油』

伊織『もとはと言えばテメェが! 何て言いながら蕎麦屋が傍に寄ってきたから急いで逃げて』

伊織『へとへとになりながら逃げてきて、周りを見たってーと知らない街』

伊織『こっちの便りは豆腐屋だけってなもんだから、豆腐屋頼りに方々歩いてみるけどコレが中々見つからない』

伊織『背中は重いし、鏡に反射した光は頭を焦がすし泣きそうになってると、目の前に豆腐屋があるじゃないかい!』

伊織『ただ私にとって不幸だったのはその豆腐屋が自転車で売り歩く豆腐屋だったって所だ、移動する豆腐屋の路地って何さって所だろう?』

伊織『だもんで、知ってる住所を伝えてね? これこれここは何処ですか? って聞いたら親切な人がいるじゃないか』

伊織『これこれここですよ~ってな具合でそこまで案内までしてくれてね? やれやれよかったよぉ、なんて一息ついて、家に入ってよっこいしょと座ってみたところ』


伊織『ここが前の家』


伊織『改めて鏡台背負ってへとへとになりながら辿り着いたってわけ』






伊織『いやぁ、そりゃあ大変だったねぇ』

伊織『いや、変な癖がついてるのかも知れないけどね、まぁだ肩が重くて重くて仕方なくてねぇ』


伊織『そうね、せめて荷物下してからその長話を喋れば良かったわね』


伊織『…………何でそれを早く言ってくれないかなぁ!?』



伊織『いやはや、へとへとだよぉ、あと私、ここにスマートフォン置いていったよね?』

伊織『そうね、私も春香と付き合い長いけど、自分の電話を忘れる程の慌て者だとは思って無かったわ』

伊織『へとへとな所に何か言わなくても良いもんじゃあないか、ちょいとツイッターをチェックするからそれを貸しておくれ』

伊織『その前にやってもらいたい事があるのだけれども』

伊織『まぁまぁ、ツイッターのチェックくらいはいいじゃない』

伊織『見て、鏡台以外、全部、私、一人が、運んで、配置して、掃除したの』

伊織『いや、少しチェックしたらすぐにやるから』

伊織『春香』

伊織『ちょっとだけ』


伊織『春香』


伊織『……』



伊織『春香』







伊織『春香』







伊織『……はい、わかりました』






伊織『で? 何をやれば良いんですかね?』

伊織『時計をかけたいから、柱に釘を打ってほしいのよ』

伊織『それこそ千早ちゃんでもできそうなもんだけど』


伊織『春香』


伊織『わかりました、やりますよやります』

伊織『えっと、釘とトンカチは……』

伊織『そこに用意しておいたから』

伊織『……用意までしといてやらないんだからいよいよだねこりゃ』


伊織『春香』


伊織『すいません』

伊織『で~釘、釘っとぉ、って千早ちゃん、何この小さな釘!』

伊織『時計かけるんでしょ? もっとちゃんとした釘じゃあないといけないよ、こんなんじゃすぐに落っこちちゃうよ』

伊織『釘って言うのはね、こういう瓦釘みたいな長くて丈夫なやつにしないといけないんだよ全く』

伊織『25cmだよ25cmこれくらいの釘で打たないといけないよ』

伊織『小さいのは千早ちゃんの胸だけにしてもらいたいねっと全く』


伊織『……』ゴゴゴゴゴゴ


伊織『ごめんなさい!! 本当にごめんなさい!!』

伊織『何も言ってないわよ』

伊織『いや、殺気が、覇王色の殺気で溺れるかと思った、本当にごめんなさい』






伊織『じゃあ、打ちましょうかね、と、ととと!! うわわわ!!!!』


ドンガラガッシャーン


伊織『あいたたたた……』

伊織『いくら新居でまだドンガラやってないからってわざとやらなくても良いもんだと思うけどね』

伊織『わざとじゃ無い!! 私のドンガラはいつだって本気だっていつもいつも言ってるで……あ』

伊織『…………何? その『あ』って』

伊織『どうりで額がヒリヒリすると思ったんだけど……転んだ拍子で頭で釘を打ちこんじゃったみたい』

伊織『手間が省けたじゃない、たまには春香のドンガラも役に立つ…………って、ちょっと、冗談じゃないわよ春香!』

伊織『え、えへへへへ』テヘペロ

伊織『テヘペロじゃあないわよ、釘! 柱じゃなくて壁に打ち込まれてるじゃない!?』

伊織『ち、千早ちゃんが覇王色の殺気で驚かすからでしょ!』

伊織『覇王色の殺気ってそもそも何だよって話だよ!! あーあーもう、これ、根本までずっぷりいっちゃってるわよ?』

伊織『どうしよ』

伊織『どうもこうもないわよ、この分だとおそらくお隣さんの家まで突き抜けちゃってるから……謝りに行ってきなさい』

伊織『え? 何で私が』

伊織『春香のやらなくても良いドンガラのせいでこうなったんでしょ!!』

伊織『だから私のドンガラは掴みネタでもなんでも無くて、本気の転倒だって何度も』


伊織『春香』


伊織『言ってるで』



伊織『春香』



伊織『しょ……って言うか……』





伊織『春香』





伊織『はい、謝ってきます』






ピンポーン



伊織『ごめんくださいまし、もし、ごめんくださいまし』

伊織『はいはい、あら、いらっしゃいませ』


伊織『あの、こちらの家に釘の先が出てませんか?』

伊織『……何ですかあなた、藪から棒に』

伊織『いや、壁から釘なんですけども』


伊織『そういうこっちゃなくて、えっと、まずアナタはどちらさんですか?』

伊織『私? 私はさっきこちらのアパートに越してきた者でして』

伊織『……あ! あーーあーー、先ほど廊下で「へぇへぇ」言いながら鏡台背負っていたあの!!』

伊織『あ、見られちゃいました? お恥ずかしいことで』

伊織『で、どういう訳で壁から釘です?』


伊織『いえね? 見た通り、へとへとになって新居についたんですよ、それでちょっとSNSの様子でも見ようかしらと思ったら同居人の千早ちゃんがですね「時計をかける釘を打ってくれ」なんて言うんですよ』

伊織『私も「あとでね」と言ったんですけど、御存じの通り覇王色の殺気でしょ? 早くやれってんでやろうとしたら転んじゃいましてね?』

伊織『その拍子に柱に打ち込もうとした釘、こーーんな長い釘ですよ! 25cmあるんですよ! それを頭で壁に打ち込んじゃいましてね』

伊織『それで千早ちゃんも「お隣に謝ってきな」って言うもんですから、こうして馳せ参じたわけですよ、どこかに釘の先は出てませんかね?』


伊織『いや、途中覇王色の殺気とか訳の分からない事を仰ってましたが、まぁ、そう言う事なら家は大丈夫です』

伊織『いやいや、25cmですよ? 普通の釘じゃあないんですよ、25cm、こーーんな釘ですよ、ちょっと見て頂いても』

伊織『いえ、大丈夫です』

伊織『いやいや、そう言う素人考えが一番いけない、もし大事な物に傷でもついてたら』

伊織『大丈夫ですって』

伊織『分からない人ですね!! 25cmですよ!? いくらね? 壁が厚くたって根本までブッスリいってるんですから!!』

伊織『だって、アナタが越してきたのは向かいのお部屋でしょ?』

伊織『向かいったってね!? 25cmあるんですから! 普通の釘じゃないですよ!? この廊下を貫い………………あ、お向かいさんでしたか、こ、これは大変失礼しました』

伊織『狭いアパートたってね、柱ぶち込んだわけじゃあないんですから、家は大丈夫です』

伊織『あ、あはは、そ、そうですよね、そ、それじゃあ、と! うわ! うわわわわ!!!!』


ドンガラガッシャーン


伊織『……あの、何をなさっておいでで?』

伊織『あ、いえ、ちょっと何も無い所で転ぶのがアイデンティティみたいな所が有る人間でして、あははは、そ、それじゃあ、ごめんください』

伊織『……えらいひとが越してきちゃったねどうも』






伊織『ただいまー』

伊織『おかえり、どうだった? 大丈夫だった?』

伊織『いや、向かいの家に行っちゃったね、参った参った、あっはっは』

伊織『春香』

伊織『ついうっかり』テヘペロ


伊織『そう言うの、本当にいいから』


伊織『違うよ!? ワザとじゃないんだよ!? 私のそそっかしさが招いた結果でね!?』

伊織『今、そういうの、本当に迷惑だから』

伊織『だからね? 私ってほら、ちょーーっとあわてんぼな所があるでしょ? だから』

伊織『次やったら、本気だから』

伊織『本気って、や、嫌だなぁ』


伊織『本気だから』


伊織『いや、だからワザとじゃ』



伊織『本気だから』



伊織『あの』




伊織『ちゃんとして』




伊織『……』






伊織『ちゃんとして』







伊織『……はい』

伊織『春香、アナタはちゃんとしてれば普通なんだからお隣に入ったらまず落ち着くのよ?』

伊織『ちゃんとしてれば普通ってどこにも褒めの要素が介入しなくないかい?』

伊織『春香』

伊織『はい……』



伊織『ちゃんとして』



伊織『はい、わかりました』






ピンポーン



伊織『ごめんくださいませ』

伊織『はいはい、いらっしゃいませ』


伊織『…………』

伊織『…………』

伊織『…………』

伊織『…………え?』


伊織『あ、いいえ、ちょっと落ち着かせてもらえればと思いまして』

伊織『落ち着かせてって……えっと、じゃあ、あの……ど、どうぞ?』

伊織『失礼します』

伊織『雪歩~どちら様~? ってえ!?』

伊織『……どうしよう真ちゃん』

伊織『え? 誰? 何で家の中でじっとしてるの?』

伊織『いや、なんだから、落ち着かせてくれって言ってきて……』

伊織『怖っ! 何だいそりゃあ……と、ともかく、ざぶとん、どうぞ』

伊織『……どうも』


伊織『…………』

伊織『…………』

伊織『…………』

伊織『…………えっと、あの、何か御用で?』


伊織『いえ、用って物でも無いんですけどね』

伊織『……』スゥーー

伊織『……』ハァーー

伊織『まずは落ち着かせてもらおうと思いまして』


伊織『え? え? 何? 怖いよ真ちゃん』

伊織『雪歩が入れちゃったんでしょ!? 何なのこの人!?』






伊織『隣に越してきた者でして』

伊織『あ、ああ! そうでしたかそうでしたか! いや、長らく隣が不在でボク達も寂しい思いをしてたんですよ! ようこそようこそ』

伊織『雪歩、お茶淹れてあげて、うん、熱くしてね、お隣さんだって、わざわざご挨拶に来てくれたんだよ』


伊織『……先ほどの人は同居人さんで?』

伊織『あ? 雪歩ですか? あ、はい、そうなんですよ、結構長い付き合いでして』

伊織『なれ初めなんか、聞いても良いでしょうか?』

伊織『え? 初対面でですか? 間合いの詰め方が凄い人ですねどうも』

伊織『私の家にも同居人がいましてね?』

伊織『あ、ああ、そうなんですか?』

伊織『同じ事務所で働いておりまして、最初はツンツンしてたんですよ』

伊織『でもある日ちょっと患いましてね、声が出なくなっちゃった時がありましてね?』

伊織『いやぁ、見ていられない程ふさぎ込んじゃいましてねぇ、その時にね、甲斐甲斐しく構ってたわけですよ』

伊織『そしたらね「もう私の事はほっといて!!」何て言いだしましてね? そこで私は言ってやりましたよ!』

伊織『ほっとけないよ!! ってね!!』

伊織『そしたら、まぁアレよアレよと言う間に声も戻ってね「春香のお陰だわ」何て頬を赤くして言いだしましてね?』

伊織『可愛いもんですよ、普段はもうこうキツい感じなんですけどね? もう小型犬かー! ってくらいチョコンとなっちゃう時もあってですね』

伊織『いやぁ、そちらのね、お連れさんも器量良しで羨ましいですが私の千早ちゃんも負けてませんよ本当に!!』

伊織『あ、は、はぁ、作用で』


伊織『いやぁっはっはっはっは!! そんなわけでね、お邪魔しました』


伊織『ちょっと!! ちょっと待って下さい!! え!? な、何しに来たんですかアナタは!?』

伊織『何しに? ……ああ!! そうだったそうだった!!』






伊織『実はですね赫赫云々ありまして、転んだ拍子に壁に25cmもある瓦釘を打ち込んじゃいましてね、その先がこちらの家の壁から出てないかと』

伊織『ええ!? それならそうと早く行ってくださいよ、そっちののろけ話よりよほど大事じゃないですか』

伊織『ええ、ええ、ですからね、どこか壁に穴が空いてないかと』

伊織『えっと、どの辺かはわかります?』

伊織『まずここに箪笥があるでしょ? その脇に千早ちゃんの宝物のCDラックが』

伊織『ちょちょちょ、お待ちなさいな、アナタの家のどこに何があるなんてこっちではわからないですからね』

伊織『あ、そうでしたね、えっとそれじゃあ』

伊織『じゃあこうしましょう、アナタはとりあえずご自身の家にお帰りになる、そうしたら釘の先を軽くコンコンと叩いて下さい、こっちから目星をつけますから』

伊織『なるほどわかりました! 任せてくださ! と! わわわわ!!!!』


ドンガラガッシャーン


伊織『だ、大丈夫ですか?』

伊織『あ、新鮮なリアクション、嬉しい』

伊織『はぁ?』

伊織『あ、いえね、私が転ぶと皆言うんですよ「わざと転んだりしてリアクション芸するのやめなさい」と』

伊織『あ、リアクション芸だったんですか?』

伊織『いいえ!? 違いますよ!? リアルな芸ですよ!!』

伊織『芸なんです?』

伊織『ああ、いえいえ、本当の事でございます、それじゃあまた!!』


伊織『何だいありゃあ』

伊織『お茶……』






伊織『ただいま!』

伊織『お帰り、どうだった?』

伊織『隣かい? いやぁそそっかしそうな人だったよ』

伊織『春香に言われるとはとことんね』

伊織『こっちから釘を叩いて場所の目星をつけるって話になってね、すまないがねトンカチを貸してくれないかね』

伊織『はいどうぞ』


伊織『それじゃあ、よろしいですか? お隣さん!』

伊織『…………』

伊織『お隣さーん!?』

伊織『…………』

伊織『春香、いくらなんでも叫んで聞こえる家じゃないんじゃない?』

伊織『あ、そっか、ちょっと電話番号聞いてくる』


伊織『聞いてきた』

伊織『じゃあよろしいですかお隣さん』

伊織≪はい、お願いします≫

伊織『はい、ここです』

伊織≪…………どこです?≫

伊織『ここです、ここ』

伊織≪…………いや、だから、どこです?≫


伊織『ここだって!! 今指刺してるここ!!!!』


伊織≪だから、ボクからはアナタの指見えないじゃないですか、軽くたたいて下さいって言ったでしょ≫

伊織『ああ、すみませんすみません、行きますよ、コンコン、コンコン、そりゃコココンコココンコココンコン♪コンコンコココンコココンコン♪』

伊織≪ちょっと! 優しくお願いしますよ!! あーーもう良いからこっちに来てください!!≫

伊織『あいわかりました、少々お待ちを』






伊織『いやいやとんでもない人が越してきちゃったよ雪歩』

伊織『壁をリズミカルにボコスカ叩くもんだからね、壊れたらどうするんだい本当に』

伊織『でー、釘だけどたしかこのトロフィーの辺り…………』


伊織『…………おいおいおいおい勘弁しておくれよおい!』


伊織『ボクの瓦割大会のトロフィー見ておくれおい!!!!』


伊織『お邪魔しますよ、わかりましたか? と、わわ!!』


ドンガラガッシャーン


伊織『リアクション芸している場合じゃないんですよ!! これこれ!!』

伊織『だから芸じゃなくてですね、どれですか?』

伊織『ほら見てくださいこのトロフィー!!』

伊織『はぁ、立派な瓦が乗ってますな黄金の』

伊織『でしょう!! じゃないんですよ! 瓦の真ん中!!』

伊織『んん?? …………ああなるほど、この釘ね、瓦釘って言いましてね、だからここに出ましたか』

伊織『冗談言ってる場合じゃあないですよ! どうするんですかコレ!? とにかくこの釘をどうにかしてくださいよ!!』


伊織『え? こっち向いている釘を? それは難しいですね』

伊織『はぁ!? どういう事です?』


伊織『リアクションって本当にケガしちゃだめなんですよ、映像で使われなくなっちゃいますから』

伊織『今、その話は関係ないでしょ!?』


伊織『いえいえ、こっちから転んだら、額をケガしちまう』






伊織「お笑い「粗忽の釘」を現代版アレンジしました「ドンガラ釘」でございました、お聞きいただきありがとうございました」






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何だこれ。


落語でございました。

今回はお笑い色の強い「粗忽の釘」でございました。
文字だけで面白さを表現するのはやはり難しいです。

原作はとても面白く笑える物ですのでこの機会に是非。


伊織落語の独演会も4作目、よろしければ他の落語も原作落語も是非に。

①落語「壷算」のアレンジ 伊織「スイッチ算」
伊織「スイッチ算」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1503052535/)

②落語「時そば」のアレンジ 伊織「国そば」
伊織「国そば」 - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1503326920/)

③落語「死神」のアレンジ 伊織「裏原神」
伊織「裏原神」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1503565918/)



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