女「犠牲の都市で人が死ぬ」 男「……仕方のないこと、なんだと思う」 (187)

人が一人が死んで、何人救えれば納得できる?
人類は一度滅びた。天に現れた黒く、巨大な星によって。
人間は地下に都市を作った。その存続には犠牲が必要とされた。
……堕ちてきた星は、人間に有害な粒子をまき散らした。その粒子はどこにでも入り込む。対抗手段として、人はその粒子を道具として使った。そのためには、ある理由により人が一人死ぬ必要があった。
――いったい何人救えれば、死ぬべき犠牲者は満足するのだろうか。
百人? 一万人? 数十万人? どれも同じこと。
それでも、犠牲になる人間は必要だった。犠牲者本人の意思は、決して汲み取られることがない。
「犠牲になる人のこと、どう思う?」
彼女はたまに、そんなことを言っていた。僕はそれにかわいそうなことだと答えた。けれど仕方がないと。現実的には、誰かがそれをやらなくてはならないと。だって、そうしないと何十万もの人が死ぬ。
「生真面目さん」と彼女は笑った。それは関係ないだろうと、なぜだかむきになって返したのを今でも覚えている。
――幸せ、だった。
彼女といられることが。一緒に笑って、おかしなことを言って、彼女の笑顔を見て余韻に浸って。
当時、僕らは十七だった。同い年の彼女と一緒にいることが多かった。
欠けているものなど、なかった。
たびたび犠牲者についての話題は繰り返された。
僕の結論は、いつだって変わらない。そういう決まりは、法は守られるべきだ。社会の秩序は絶対的でなくてはならない。それならば、たった一人の個人はその意思を……無視されなければならないと。
そのたびに彼女は笑った。気づくことが、できなかった。
「立派だね、よく考えてる」
決まって彼女はそのあと、少しの間だけ後ろを向いていた。表情は見えなかった。
――見えれば、きっと、見捨てられたような顔をしているに違いなかった。


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『我々の命は常に犠牲の上に成り立っている。我々が住むのは犠牲の都市だ』
人が一人を犠牲にし、ようやく自分たちは生きていられる。それを忘れないための、自戒の言葉。
それは頭に浮かんだ最初の言葉だった。とても、信じられなかった。
「……どういうことですか」
「私たちの娘が、犠牲者として選ばれた」
彼女は忽然と姿を消した。僕の日常から、なんの前兆もなしに。
彼女の両親の表情に、いつもの穏やかさと言ったものはない。それが否が応にも、真実なのだと知らしめた。
「一年前からだ。緑の矢が、私たちの娘には立っていた」
緑とは、命を表す色。緑の矢がたてられた者はその身を捧げなければならない。
『星堕ち』という出来事で人類が滅んで以来、人は魔法という能力を手に入れた。大抵の人は炎やら氷やらを生み出すことができる。しかし、体力の消耗と生み出されるわずかな奇跡は、結果として釣り合っていない。犠牲に選ばれるのは、決まって魔翌力が高い者だ。魔法とは、ただただ犠牲のための身に存在する。……一般的には、何の意味もない奇跡。
「……嘘ですよね?」
呆然とつぶやく。言葉が宙にうく。否定してくれと、誘うみたいに。だがそれは、ひらひらと落ちていく。
認めたくなくて、さらに言葉を紡ぐ。
「緑の矢がたてられるほど……魔翌力は高くなかったはずですよね?」
「……」
沈黙が続く。

……どうしてこんなことになっているんだろう。
じゃあ防げたのか?と自問する。まさか、そんなはずはない。
確かに、彼女の魔翌力は高めだった。「まあ、あんまり意味はないけどね」と彼女は言っていた。実際、日常生活で魔法というものは不要だった。……魔法というのは実に、犠牲のためにしか使い道がないもりだった。
沈黙。咳払い。溜息。
「私が話そう」
と、彼女の父が言った。
これは本当は関係者の親族以外には話してはいけないことなんだけどね、と彼女の父は続ける。
「犠牲者の平穏な日常を乱さないために、定期的な魔翌力検査の結果は、魔翌力が高い者に限り……調整が入るらしい。実際に緑の矢が立てられたのは一年前だ。しかし、私たちが知ったのはもっとあとになってからだ」
馬鹿げてる、と思った。平穏な日常を乱さないために? そんなもの、ただの詭弁だ。要するに無駄な混乱を起こしたくないのだ。
そんなもののために、と拳を握り締める。
知ってしまったら戻れない真実、というものが存在する。確かに、一年前に自分が緑の矢がたてられる予定であることを、彼女が知ったらどうなるだろう。きっと、その一年間ずっと死に怯えることになるだろう。だがだからこそ、最後の一年間を有意義に過ごそうとするはずだ。突然、緑の矢があなたにたちました、人々のために死んでください。なんて言われても、悔いが残って仕方ないはずだ。
――本当にそうか?
そう考えるのはただの自分のエゴではないのか?
『ねえ、この都市を保つために犠牲になっている人たちについてどう思う?』
――目の前が真っ暗になる。
僕はこの彼女の言葉に何と答えた?
仕方ない、と答えたのだ。可哀想だけど、必要なことだと。
――じゃあ、彼女はこれを聞いて何を思ったのか。

「娘はね、あなたのことが好きだったみたいなの」と彼女の母は言った。なにかをこらえるように、それだけを言った。
頭が痛い。立ち上がるもふらつく。
「失礼……します」
「気を付けて帰りなさい」
「はい」
扉を開ける。目の前にはどこまでも真っ暗な風景が広がっていた。
罪悪感。それを今、僕は感じている。だからと言って何かができるわけではない。
「……きさん……ゆうきさん!」
誰かが呼ぶ声。その方向に眼を向ける。そいつが誰か、僕は知っている。
「卓也」
彼女の一つ年下の弟だ。彼は僕のことを裕樹さん、と親しみをこめて言う。今、最も顔を合わせたくない相手だった。
「こっちに来て祐樹さん。話があるんだ」
「……わかった」
卓也に黙ってついていく。やがて人気のしない場所に出た。そこでようやく、彼は話し始めた。
「父さんと母さんから、話は聞いた?」
「うん」
「じゃあさ――」
姉さんを救おう。飛び出したのは、そんな言葉だった。
「馬鹿な。何を言って……」
「父さんと母さんには許可はとってある」
その言葉に思わず絶句する。その言葉がどういった意味を持っているのか。
この都市において、法は絶対だ。それを守りきるために、破れば過剰な罰が与えられる。特に、反乱行為には顕著だ。
……実際、前例がある。緑の矢に選ばれた者を救うために、施設に忍び込んだものがいた。そいつは犠牲者の父親だった。結果はあっけなく捕らえられた。……それだけで終わったわけではない。
『犠牲者の血縁関係があるものがその奪還を目論んだ場合、その血を絶やす』こんな条文がある。
まさか。本当に実行されるとは思わなかった。国民のほとんどは、これがただのこけおどしの法だし思っていただろう。
果たしてそれは実行された。
今でもよく覚えている。


私は娘を救おうとしただけだ!私たちは関係ないじゃない!せめて子供だけは……

処刑は市街地、誰にでも見られる場所で行われた。最初はたくさんのやじ馬がいた。だが最初の一人が処刑されたあと、その場に残っているものはほとんどいなかった……。
つまり、卓也が言っているのは。
「親が死んでも……いいの?」
「本人が望んだんだ」
「それでも……」
言葉を詰まらせる僕にまくしたてるように彼は言った。
「心配しないでくれよ! 調べてみたんだけど『犠牲者の血縁関係があるものがその奪還を目論んだ場合、その血を絶やす』っていうのはおそらくミス法文なんだ! 『犠牲者の血縁関係』が奪還を企てなければ罰せられることはないんだよ! 俺、ほかにも調べたんだけどさ、裕樹さんの言う通り、法に例外はないみたいだ。明らかに間違ったことが行われても、法の穴を通ってしまった場合は見逃されて、それを元に法が組み替えられて、ようやく次に起こした奴が罰せられるんだ! ……裕樹さんの家族が殺されることはないよ」
たしかに、裕樹さんには命をかけてもらうことになるけどさ、と彼は付け足すように言った。
犠牲に関して、一歩でも間違えれば壊滅するこの都市は、法を絶対的に遵守している。絶対的な統治のために、必要なものとして。だから、きっと卓也の言うことは間違っていないのだろう。僕は法を今まで勉強してきた。法の番人こそが、将来目指すものだったからだ。
しかし、
「違う」
彼は勘違いしている。
「だったらなにを――」
「犠牲者とは、必要な犠牲なんだ」
今度は卓也が言葉を詰まらせる番だった。まるで理解できないという表情。
「なにいってんだよ裕樹さん」
「法破りの罰があまりに厳しいのは、例外を極力生まないためだ。……特に、『犠牲』に関して厳しいのは、もしものミスで失敗をしたらこの都市すべての人間が死んでしまうからだ。だから、いくら彼女が犠牲者だからと言って、例外は認めることはできない」
そう。それが法の番人を一心に目指してきた僕の答え。僕の考え。大のために小を切り捨てる。それが正義だ。
そして、例外は認められない。一度法が破られ、無意味なものとなったらこの都市は終わる。
……ほとんどの奴は気づいちゃいない。自分たちは、運が悪ければ次の瞬間にも死んでしまう、そのことを。
「……なんだよ」
呻くような声。
「裕樹さんの考えも、その正義もわかる。俺だって一度は本気であんたと同じ道を行こうとしたから。でもさ」
その声は、悲痛に染まっている。
「俺たちが生きてるのは現実なんだ。そんな理論は仮想で使うものだ! ……大事な人を助けるためなら、平然と投げ捨てる。そういうものでしょ?」
そういう彼の口調は、僕に問いかけるものだった。だが、彼はもう、僕がどう答えるのか知っている。
『ねえ、この都市を保つために犠牲になっている人たちについてどう思う?』
胸がズキンと痛む。それでも、僕の理論は正しい。すべての人間を犠牲にするほど、彼女の命は重くない。
僕は首を横に振る。
「全ての人間が自己の犠牲を拒むなら、この都市は終わる。平等でなくては、ならないんだ」
「そんなの……」
「それに、どうやって助けるつもりだ?」
「……」
「政府の部隊はどうする? 助けたあとはどこに行く? そもそも成功の確率的に君と両親、合わせて三人分の命をかける価値はあるのか?」
いくら本人の了解を得ているからって、人の命なんて他人が背負えるわけがない。人の命とは、人にとって重すぎる。
救出の後も先も、どうやったって未来がない。たった二人で何ができる? この都市は一生分逃げ回れるほど広くない。僕が彼女に対してなにかを想う。なにかをしようとする。それで……? それでなにかなるのか? 無理だ。現実的に、彼女は助けることができない。
――僕がなにを想おうと、現実は現実のままだ。
「嘘だ」
泣いている。十六にもなる少年が、最後の希望に裏切られたと泣いている。
「嘘だ!」
せきを切ったように、涙がこぼれている。
「姉さんはアンタのことが好きだっていってたんだぞ! どうせアンタだって姉さんのことが好きなくせに! 告白してない? はっ、そんなことを言い訳にするのかよ!」
怒鳴っている。感情をむき出しにしている。悲しんでいる。
僕にとって、彼女がどんなに大切でも自分の打ち立てた理論に逆らっている限り、救うということはできなかった。
まるで見当違いの言葉だった。現実も理屈も何もかも、どの要素をとっても『僕は彼女を救わない」という答えが出る。
――なのに……なんでこんなにも胸が痛むんだろう。
「見損なったぞ!」
きっと、客観的な第三者がいれば、こういうだろう。お前の選択が正しい、と。
第一君が命をかける必要もない。現実的にも難しい。|仕方のないことなんだ《、、、、、、、、、、》。 
泣いている少年の姿を見ていた。彼が静かになるのを待つ。
そして赤く目を泣きはらし、彼は言った。
「なあ、頼むよ裕樹さん」
願いを込めて、思いを込めて、愛情を込めて。
悲哀のまま彼は縋る。
「お願いだ……どうしても、助けて、助けて。姉さんを助けられるのは、裕樹さんだけなんだ。俺じゃ無理なんだ。だから、だから……」
溢れ出すのは悲惨なまでの切望の言葉。
それでも僕は。
「ごめん」
選択は変わらない。
息の詰まる、音がした。

「俺はレジスタンスに入るよ。なんとかして姉さんを救う手段を見つけるんだ」

それが彼が去り際に残していった最後の言葉だった。
――きっと、彼は僕が来ることを期待している。

地の文SSです。不慣れなところもありますが、よろしくお願いします。
書きためがあるのでしばらくしたらまた来ます

わかりました。そうします。感謝です

暗い照明が地を照らす。
この地下都市では、夜を表現するために暗めの明かりが用いられる。朝はもっと明るい光だ。

大勢の人々がたむろしている。息苦しい、むせかえるほどの人ごみ。
流されていく。行き場のないまま。なにもみえないまま。

思えば、そんな風に生きていくのが、一番嫌だった。生きていく目標が欲しかった。
何のために生きる?なんのために死ぬ?
世情を見て、その答えを出した。
世の中を、変えてやるんだ。生きた証をどこかに刻もう。そうだ、できれば人のためになることをしよう。
所詮、子供の考えることだった。だが、その思いはどこまでも純真で、それだけに僕の基盤となった。

『裕樹クンは立派だねー』

……思えば、他にも要因があった気もする。

『私、雪っていうんだ。ユウキ、から一文字とればユキ。これって運命じゃない?』

人に認められるということ。

『そっか。じゃあ私が応援してあげるねー』

ほんの少しの勇気をもらうということ。

『君ならできる!』

……。
だが、だからと言ってなんだというのだ?現実には刃向かえない。
小さいころは何でもできると思っていた。でも今はそんなことはないと、十分わかっている。
大人になるということ、何かをあきらめるということ。それら二つはよく似ている。もう十七という年
は、大人にならなければならない年だ。
突然何かにぶつかる。違和感を覚える。前に何かがある気配はなかった。

「おっとすまないね」

その人物が口を開く。
どこまでも異様な雰囲気を放つ人物だった。確かにそこにいるはずなのに確信が持てない。しかし、強い存在感を感じる。矛盾の塊。
男は笑っている。

「認識できるみたいだね」

注意してみれば案外、その声は若い。

「……だれ」
「占い師だよ。水晶玉は持っていないけど」
「はあ」
「少年よ。君は悩みがあるようだね」

フードで隠れて見えない表情。余裕と澄み切った声の口調。

「ありませんよ」

ぶっきらぼうにそう言う。
僕には余裕がない。なにもできことに追い詰められていく焦燥感。
答えがひとつしかないことに苦しみ、それが正しいことを認めてしまう。だから、なにもできない。

「今日もどこかで人が嘆き、悲しんでいる。犠牲の都市ではひとりが殺される。今日もどこかで、心の中で誰かが泣いている」

占い師は歌うように言った。
そんな鼻にかけた台詞に、周囲の人々は注目することがない。

「……それで?」

彼は笑う。

「それで?」と僕の言葉を繰り返す。

ひたすら不気味な存在感。

「痛みを知っているんだ。大切なひとが死んでしまう痛みを。僕は些細な手助けをしたくて、君に話しかけている」

なんなのだ、と思う。
存在は酷く歪だった。気のせいではない。周囲の人々から、僕たちが認識できていない。

「……なにものなんですか」

怖かった。未知との接触。知らないものへの邂逅。

「君の大切な人が死ぬんだろう? この都市の犠牲になって」
「なんで知って……」
「鎌をかけただけだよ。僕は人の死に敏感でね。人の心の在り方がわかるんだ。で、いろいろ考えて適当なことを言って、君から情報を引きずりだした」

……弄んでいるのか?
思わずそう思う。そんなことをしてなんになるのだろう。趣味の悪い暇つぶしか、なんなのか。それぐらいしか思いつくものがない。

「大切なひとが死んでいくのを、看取ったことがあるんだ。なにもできないまま」と彼は言う。
淡々とした言葉だった。つとめて感情を出さないようにしているような、そんなような。
もしかして善意なんだろうか、と考える。
思わず感情が揺れた。彼の言葉はやけに真実味があるような気がした。
死に敏感だという言ったこと。大切なひとが死んでいくのを看取ったということ。

「ところで君に聞きたいことがあるんだけど」

目が合う。吸い込まれるような黒い瞳。

「君はどれぐらい生きたていたい?」

瞬間、身動きが取れなくなった。人ごみの中でとまっているのに誰も気に留めない。異様な状況。
催眠術めいた、魔法のような。どこまでも追いかけてくるような感覚。まともじゃない。そういうものを無理やり引きずりだされている。なぜだか正直なことを話したほうがいい気がした。彼の言葉は、不思議な引力を携えていた。

「ぼくは」と呟く。

たった一つの目標のために生きているのかもしれない。
愚かしいけれども、確かにそれは僕を占める重要な部分であったのは確かだ。

「ぼくは」

それでも感情は犠牲にしなければ。仕方のないことなのだ。犠牲とは、必要なものだ
こみ上げてくるものがあった。自分の奥深くからくる、理屈ではない感情。


「彼女が生きている間……まで」
「普通、こういう話には他人はでてこない」

男は驚いていた。そしてなにか見定めるようにこちらを見る。

「じゃあその彼女が死んだらどうするの?」

そんなもの……。

「君は死ぬのかい?」

諦めが心を満たす。そんな気がした。
誰が死のうと、結局人は生きていく。そして忘れる。それが現実だ。

「そんなものだよ。答えなんて」

だがそれでも。

「じゃあどうすればいい?」

受け入れるのは許容しがたい。
忘れたくない。失いたくない。だが取れる手段なんてない。
詰んでいる。終わっている。意味を失っている。

「消去法的選択というのがある」と男は言った。

例えば、君は武器を持った大量の敵によって崖に追い詰められている。崖の下は深く、底が見えない。でも君は飛び降りなければならないんだ。飛び降りるのがどんなに怖くても、敵の元に向かえば、絶対死ぬのだから、身を落とすという選択肢しかない。
さて、君は崖の上に立っているか?

「どうだろうか」
「僕は……」

彼女はそこまで大切だろうか?
要するに僕には藁にすがるという選択肢が残されている。だが失敗すれば全てを失う。成功しても全てを失う。あまりにも釣り合わない、愚か者の選択。大人にならなければならない。もう、いいかげんに。

『ずっと一緒にいようね』

それでも……感情が否定している。
泣きそうだった。もういい加減にしてほしかった。だって無理だ。前例だってない。前例をださないように、この都市は徹底している。
僕は崖に立っている。

「彼女は死なない」
「そっか」

男は優しく笑っていた。
もし他人の、第三者がいればきっと僕を否定する。
諦めたほうがいい。 だって仕方のないこと、、、、、、、、、、なんだから。

「世の中意外と何とかなるものだよ。世界には手段が溢れすぎているから。そして君には素養がある」
立ち去ろうとしているのが気配でわかる。
「最後に聞かせてほしいんだけど、もしその彼女が永遠に生き続けるなら、君も永遠に生き続ける?」
「うん」
「いい答えが聞けたよ。じゃあね」

違和感が消える。どこまでもいつも通りに。
世の中のルールは規則的に回り続ける。逆らうことは許されない。秩序を守るために。
枠外からはみ出ることを、愚か者と、世間一般は呼ぶ。



 彼女を助ける。そしてそのあと、どうやって生活していくのか。

 この二つの問題を見つれられなければ、助けることなんて諦めるしかない。今までの僕は手段を考えることさえしなかった。今は考えてはいる。だがあまりにも難しい。
 最も重要なのは助ける前よりも後だ。すぐ捕まりました、では意味がない。

 試しにこの都市の地図を眺め、隠れひそめそうなところを探ってみた。なんとか見つかりそうにもないところを見つけ出した。しかし……政府の本気には対応できない。何年かは防ぐことができる。だが一生逃げ切るというのは確実に無理な話だった。

 頭を悩ませる。土台、無理な話だ。
 民間人が普通に立ち回って出し抜けるような隙間。そんなものは万が一つもない。
 本来なら諦めるところだった。いくら思いが強くても、無理なものは無理。駄々をこねたって揺るがない、意味がない。現実に逆らうというのは不可能だ。

 しかし、

『俺はレジスタンスに入るよ。なんとかして姉さんを救う手段を見つけるんだ』

 卓也の言葉。
 本来詰んでいて、諦めるしかない状況だが、まだ全てを試したわけではない。彼の言葉がそうさせたのだ。

彼女の一つ年下の弟は、なぜだかレジスタンスの繋がりがあるようだ。現在、何一つ問題は解決していないが、解決方法を探す手段を探す、という頭の痛くなるような道だけは残されている。
 だが卓也はいなくなっていた。その親も行先は知らないらしい。
 ということは、卓也は組織に潜り込めた……あるいは殺された、ということだ。状況は動いている。

 レジスタンス……あまりにも危険な相手だ。馬鹿げた空想ともつかぬ妄想を謳い、殺人をするだけの組織。300年ほど前に大きな事件を起こし、最近だと40年ほど前に人を殺した。だが皮肉なことに、彼らの存在はこの都市の人々の結束を高めている。法に仇名す、唯一の脅威として。……実際、長い目で見れば、彼らは良い影響を与えている。だいぶ昔に、僕はそう結論付けていた。

 
 目隠しをとかれる。

「……」

 彼らを捜索して三日目。僕はようやく手掛かりを得た。革命論を唱える演説家あたりに目星をつけ、そこに出席する共通人物を探っていった。

「小僧、ここから先はもどれないぞ」

 そんなわけで、僕はレジスタンスの拠点の前にいる。接触してきたのはあちらからだ。政府が見つけられない場所を、個人が見つけられるはずもない。

「わかってますよ」

 いかつい面の男が扉を開ける。埃っぽい雰囲気。
 そこにはいかにも大物らしいオーラを出す男と……。

「裕樹さん!やっぱり来たんだね!ボス、あの人が俺が言っていたひとだよ」

 卓也がいた。ほっと一息をつく。一つ年下の彼は、生きていたのだ。それどころかなじんでいるような感じもするが。

ボス、と呼ばれた男がじろりと頭のてっぺんからつま先まで、観察するようにこちらを見た。

「なあ、おまえ。俺たちの組織に入りたいらしいが……志望動機をきかせてもらおうか」

 この場を支配する雰囲気。背負っているものがあるという自負が、決意が、感じられる。

「現在の貧富の格差を強く感じたからです。だから世界を変えたい。それにはここしかない、と」
「で?」

 ――見抜かれる。
 まともじゃない。ただのうのうと、生きてきた人間じゃない。
 冷や汗が滲むのを感じる。下手なことはいえない。真に迫る何かを、引き出さねばならない。

「法は絶対に正しく、また、そうあるべきです。実際、そういう流れはあります。――でも今の法は完璧ではありません。それを変えようとする答えが、ここにいる理由です」

 つっかえずによく言えたものだ、と我ながら思った。
 ふと思う。これは真から出た言葉。つまりはそういうことではないか?

「まあ、いいだろう」

 ボスと呼ばれた男は頷く。気配は緩まっていた。もう見定め終えたということだろう。

「これから俺のことはボスと呼べ。慣れんだろうが形からだ。照(てる)!こいつは賢そうだ、図書室へ連れていけ。教育は任せる。羅門!お前はこいつの訓練係だ。ほかの新入りと同様かわいがってやれ」

今のところ、カクヨムに投稿する予定はありませんが、一応完結したあとにTwitterかなにからの作者証明をしておきますね

 照がこちらに近づいてくる。

「じゃあ付いて来てくれる?」
「はい」

 卓也がこちらを心配そうに見ている。卓也の時とは違う誘導なのだろうか?
 歩く照の後をついていく。通路は武骨なつくりだった。まるで飾り気がない。機能性を追求したような作り。

「座って」

 本がずらりと並んだ部屋。いわれるまでもなく、図書室とわかるその場所で、椅子をすすめられる。
 恐る恐る、慎重に座る。

「君ってさ、何か大きな力に憧れてここに来た?」

 いきなりそんなことを問われる。

「……え?」
「あー違うか。気にしないで。じゃあ、何か欲しいものがあるのかな?それとも別の目的があるのかな?」

 それに答えようとする、寸前で咳がこみ上げる。通路が埃っぽかったのか。

「大丈夫かい」
「あ、はい。ぼくは――」

 ……待てよ?この質問に答える必要がどこにある?最初にこの組織のボスにいったことを繰り返す、それでいいはずだ。

 ふと気づく。この照という男の人の好さそうな顔。そしていつの間にか緩まっていた緊張感。
 会話がどこかに誘導されようとしている。

「最初に言った通り、世の不平等を正すために来ました」
「なるほどなるほど。立派なことだ」

 それから世間話が続いた。あれはほんとはこうするべきだ、こっちにすればもっとよくなるのに。博識だねとかいい考えだ、とか、時々僕を褒めるようなことを照は言った。だが一度違和感を感じると……それがますます確信的になっていく。

「照さん。もうやめませんか」

 照は人のいい笑顔のままだ。スキンヘッドにもかかわらず、威圧感というものが全くない。細められた目のパーツ、頬のあたりのえくぼ。それがこんな印象を生むのだろうか。

「やっぱり頭がいいみたいだね。名前を聞かせてもらっても?」

 隙あらばこんなことを言う。家族に迷惑がかかるかもしれないのだ、いうわけがない。だが一瞬答えそうにはなってしまう。会話術、というものだろうか。
 照が明るく笑い始める。

「いやーまいったまいった。どこらへんで気づいた?警戒心が強いのか、気づくという能力に長けているのか。わからないけど君みたいな人は良い」
「まだそんなことを――」
「いやいや、待ってくれ。今回のは本心だよ。そう怒らないでくれ」

 ウインクをしてみせる。その程度で一度根付いた猜疑心は消えやしない。

「君は有望だよ。是非ともうちに欲しい。でもだからこそ、一度チャンスを上げよう」
「……はあ」
「君は一度帰っていい。戻ってくるかは君しだいだ。今日のことをまるまるなかったことにしてもいい」

 到底意味が呑み込めなかった。

「なんでですか?」
「作戦会議が必要なのさ」
「作戦会議ですか」

 話す気はなさそうだった。

「まあ、こっちの事情は置いといて君ももう少し考えてみるといい。わざわざ暴力に訴えてまで世界を変えたいといってるんだ。君はそういうタイプに見えないけれど、内側から変えるには成績がたりないとか、法を変える立場は一般人がいけるものじゃないだとか、何かしらあるんだろう。でも現実の生活を脅かしてまで理想を叶える必要があるのか、本当にこんな道でいいのかゆっくり考えるべきだ」
「……わかりました」

 再び基地の入り口まで送られる。そこでは羅門という男が待っていた。
 目隠しを渡される。確かに、本当に僕が戻ってこないと決めたなら、通報をさけるためにも基地の機密性は重要だ。

「じゃあね。また会うことを願ってるけど……君次第だ」

 照の声が聞こえる――。


続く

ずっと考え事をしている。
 結局、何事もなく僕は帰された。尾行の気配すらなかった。明日にでも革命派がどうたらこうたら言っている場所に行けば、レジスタンスに入ることになるだろう。きっとあちらから僕を見つけられるはずだ。

「……」

 考える。いまならまだ、引き返せる。だが引き返すといってもどこまでだ?彼女はいない。彼女の弟、卓也だって。ここまで来たんだ、今更引き返せない……なんて考えは捨てる。ギャンブルに嵌る思考だ。もっと論理的に、指針を見つめねば。
 なんで今更迷うんだろう。

『現実の生活を脅かしてまで理想を叶える必要があるのか』

 照の言葉。わかっていたことだ。だが、他人に言われると、また違う方向で心に来る。失敗すれば何も残らない。僕の親だって悲しむ。僕の親は生き残るだろう。僕は今までずっと法を勉強してきた。

『犠牲者の血縁関係があるものがその奪還を目論んだ場合、その血を絶やす』

 この法に穴があるのは実際の奪還の例が一度しかないからだ。もう一度でもあれば見直しが行われ、きっと塞がる。今の社会は、そういう体制だ。何年も何年も努力し、法を考察してきた。だから確信がある。

 そう、失敗すれば、僕は死に、親は生き残る。考えが及んでいなかったわけではない。だが浅かった。僕が彼女を救うがために、親を悲しませる。成功しようと、きっともう会えなくなる。
 頭が混乱する。結局、今更悩むのは成功を信じていないからではないか? 他人に現実を突き付けられ、自信を失ったのだ。決心が弱かったわけではない。あの時の思いは本物だ。だが、何よりも自分自身が成功するはずがないと思っているのにどうして自分の道を信じていられる? 僕はそこまで強い人間ではない。

 こんな時に彼女がいてくれたら、なんてことを思う。誰かに背中を押してほしい。お前ならできるといってほしい。でも赤の他人に聞けば、きっと無理だというだろう。
 それが現実だって、そんなことはわかっている。

トントン、と扉が叩かれる。「どうぞ」という言葉の後に開かれる。入ってきたのは、父だった。
 父は老けた容姿をしていた。母が病で死んで以来、白髪が増えた。きっと男手一つで息子を育てるのはさぞ苦労しただろう。だが代わりに、父と僕の関係は良好だった。

「裕樹、悩みごとか」
「……」

 何も言うことができない。言ったところでなんになる?否定の言葉なんて聞きたくない。その後に来るのは同情とか、おまえは悪くないだとか、そういう生ぬるい言葉だ。
 そしてこう言うのだ。「そこまで思うことができるなんて、お前は優しいな」。優しさを尊ぶ父は、きっとこう言う。優しい父は、絶対に最後は僕を肯定する。

「聞いたよ。連れていかれたんだってな。その……残念だったな」

 そう思っていた。だからこそ沈黙を貫いたのに、向こうから踏み込んできた。怒りにも似た感情。でも父は悪くない。父は優しいだけだ。『結果が実らなくても、努力や気遣いは、特に身近な人に対しては、認めるべき』彼女と僕が考えた結論。
 彼女がいない今、絶対に守らなくてはならない誓いに似た約束。優しい親に当たり散らしてはならない。理屈ではわかっているし、当然のことだ。だが、こみ上げる感情を抑えることのなんとも難しいことか。

 承認と肯定が欲しかった。だが父が僕を大切に思うからこそ、きっと父は彼女を助けるという行動を止めるだろう。

「大丈夫、なにも問題はないんだ」と僕は言う。
 父と争いたくない。どうせ互いに認め合うことができない。誰かが悪いわけじゃない。けれど、これが現実だ。せめて、何事もなく出て行こう。……申し訳ない気持ちはある。
 そんなことを思った。仕方がないんだと。だが父はさらに踏み込んできた。

「あのな、裕樹。聞いて欲しいことがあるんだ」

 背筋がざわつく。やめろ、と叫びたい。

「お前は優しすぎるから、自分を責めているかもしれない」

 やめてくれ。

「でもお前は、悪くないんだよ」

――歯を食いしばった。
 誰も、何も悪くない。能力の欠如による失敗は社会では咎められる。結果がすべてだからだ。だがせめて、身近な人だけはそれを咎めないであげよう。だってそこにいる自分は最後の見方なんだから。
 だから、僕は耐えなければならない。それが正しいと、誰よりも、僕自身が信じているから。

「どうだっていいよ」
「諦められないのか?」

 まだ、続けるのか。

「……」
「時間が解決してくれるさ。というよりも、それしかないだろう」

 月並みな言葉。月並みな慰め。父はそれを繰り返す。別に父が悪いわけじゃない。でも……欲しい言葉は何一つくれない。それでも、誰かが悪いわけじゃない。
 向けられる感情は憐憫、そして愛情。思いやりの心。それだけだった。当たり前の、ことだった。

「……父さん」

 父は紛れもなく味方だった。だから、この悩みを聞いて欲しい。背中を押してほしい。
 いいんだろうか、と思う。結末はわかりきっている。父は僕を思うがゆえに僕を肯定しないだろう。切り出せば喧嘩別れになるかもしれない。

 ――恐怖に似た感情。

 もういいや、なあなあですまそう。逃げてしまえばいい。
 そんなこと思考が渦を巻く。だがそれは気持ち悪かった。逃げるということはしたくない。リスクを承知してでも、父を大切に思うからこそ、話さなければならない。

 ――そう決めてようやく、僕は父に言った。

「彼女を助けたい」

 父の顔は歪んだ。

「やめなさい」
「迷惑はかけない。法に穴が開いているんだ。とれあえず、被害を被るのは彼女の家族と、実行する僕だ。父さんは大丈夫だから」
「そういうことじゃないんだ」
「無理っていうわけ?」

 この瞬間も、父は次の言葉を考えている。どうやって説き伏せるかを。なんとかして、僕を傷つけない言い方を。

「それもある」

 僕は目を瞑る。わかっていたことだ。

「だがな、それ以上にお前には危険な目にあってほしくないんだ。お前が雪ちゃんを助け出せて、命が無事な可能性がどんなに高かったとしても、父さんは感情的には……いってほしくない。理屈はまた別の話になるが」

 わかっている。わかっているんだ。父は息子のほうが大事なだけ。感謝こそすれど、恨むなんて筋違いだ。

 ……だけど、

「もう決めたんだよ。応援してほしいんだ」
「……無理だ」

 嘘を言うことのない誠実さ。いや、今、嘘をつくのは、最悪の事態を招くとでも思ったのかもしれない。

 沈黙が続く。夜の静寂が、逆に耳に突き刺さる。

 はあ、と心の中でため息をつく。気持ちが揺らぎすぎている。自分自身が嫌になる。身動きが取れない。息が苦しい。
 溺れている。もがいて苦しんで、答えを探している。

 いったいどうすればいいんだろう、と胸に問う。答えは、返ってこない――。

「なあ、裕樹」

 と、父が言った。

「なに」
「人は何のために生きるだと思う?意味はあるのか?きっとないんだろう」

 父は首を振る。僕は黙ってそれを見ている。

「結局、意味なんて自分で決めるしかないんだ。心の奥底では、誰だって気づいてる。神様は意味があって人を生んだんじゃない。理不尽な現象が存在するのがその証拠だ。迷路の話、覚えてるか?」
「うん」

 頷いて答える。
 以前、父にこの世はまるで、『出口のない迷路のようだ』という話をされたことがある。
 その迷路に出口はなく、自分がどこにいるのかがわからない。みんな出口を探している。途中でそんなものはないと何人かが気づく。だから代わりに目的地を探す。でもそれだってほとんどの人間は見つけられずに死んでいく。だから、多くの人は死を目的地と定め、いい人生だった、なんて言って死んでいく。「父さんはな、それが納得できないんだ」と言っていた。納得したふりをすることはできる。でもそれは嘘だって、他の誰よりも、自分が気づいているんだ。だからずっと悩み続けているんだよ。そしてこの問題が解決することはないんだろうって思っているんだ。
 そんなことを言っていた。

「お前の目的地は……彼女と共にあるんだろうな。父さんはどうしても、お前が危険な道に行くことを応援することはできない。でもな、やっぱり、自分の道は自分で決めるべきだし、他人が決めれるわけじゃないんだ。……お前が本当にその道を進むと決めたら、どんなものに逆らうことになっても進むしかない」

 父は気弱そうな笑みを浮かべる。

「応援してあげられなくてごめんな。でもこれは、変えられないことだから」

 父の言葉は、確実に欲しい言葉ではなかった。要するに、自分のことは自分で決めるしかない、とながながと説いただけだ。突き放した言葉だった。助けてはくれなかった。

 ……だが確かに、父は信念を僕に伝えた。

「そっか」
「ああ、本当にすまない」
「……ありがとう」

 きっと。きっと、僕が決心をしていなかったら、この言葉は決定打にはなりえなかった。
 父は僕を助けなかった。信念だけを与えた。でもそれで十分だった。元々考えは固まっていた。自信がなくなっていただけだ。
 父を見つめる。

「明日からはもう会えない」

 父は悲痛な表情をしていた。

「アテはあるのか」
「あるよ」
「そうか」

 僕は身支度を始めた。長く留まることは、あまりいい効果を生まない。
 そして最後に、言うことがあった。

「お父さん、今まで育ててくれてありがとう。本当に、感謝してる」
「……ああ」

 扉に手をかける。

「裕樹……頑張れよ」

 応援はしないって言ったくせに。
 最後につぶやかれたその一言にただ頷いて答えた。


 照が僕を出迎えた。

「ああ、結局、来たんだね」

 彼は穏やかに笑う。

「いい目をするようになったね。さて、歓迎するよ。茨で作られた、反逆者の道へ、ようこそ。ここから先の道は、君次第だ」

続く

◆◆










 ――影が踊っている。
 笑い声。否定の嘲笑。

 白衣の男が、私のほうが正しいと勝ち誇っていた。これで理想の世界が来るのだと。
 相対する男は首を振る。そんな保証はないと。

 両者の関係は、元はといえば、とても親密だった。互いが互いの最大の理解者だった。認め合っていた。
 絶望の歌が鳴り響いていた。ほとんどの命は今日で絶える。大いなる星が、終末の時が、人類を滅ぼす。

「あなたの気持ちはわかるんだ」と男が言う。

 でも結果が保証されるわけではない。理想のために犠牲になる人々のことを考えなければならない。
 そんなことを言った。

 ――前に進むためには犠牲が必要だ。

 しかし、

 ――人を犠牲にする権利は誰にもない。

 世の中は理不尽に回っている。誰かがそれを変えたいと思った。人々は幸せになるべきだと、報われるべきだと説いた。
 その結末がこれだった。

 誰よりも理不尽に納得していなかった。腹を立てていた。

 そんな奴が何人もの命を犠牲にしようとしている。そう、いつだって、世の中は理不尽だ、だから。

 ――小を切り捨て、大を取る。

「今現在の百億を捨て、未来の千億のために」と白衣の男はそう謳う。

 民族、宗教、政治。異なる価値観によって起こる紛争、夥しい死体の群れ。それらはすべて必要のないものだった。
 星は本来、人類への贈り物。しかし、それは人の滅亡のために利用される。白衣の男は同じ思想をもつものと自身を犠牲にして、星を堕落させた。人を滅ぼすための道具に、変えてしまった。

――大いなる星が堕ちてくる。

 もう、止める手段は、存在しなかった。
 人間賛歌。肯定と肯定と肯定。人は理想の姿に生まれ変わる。普遍的な価値観は共有され、争いは最低限にしか起こらない。誰も無意味に死ぬことはない。互いが互いに権利を認め合う。そこには嘆きだって、差別だって生まれる。だが、最小限なのだ。綺麗事を限りなく現実で成功させる、現実に迎合した理想。問題は今いる人類が邪魔だということだった。それら何百億が[ピーーー]ば、理想の世界を作ることができる。今いる何百億を犠牲に、未来の何兆人を救う。

 価値観の壁さえなければ叶うかもしれない理想。犠牲さえなければ、どんな人間も肯定する、綺麗な理想。
 白衣の男は笑っている。「私が正しい」と。

 ほとんどの人間からはそう見えた。だが、たったひとりの男の眼には、違うものが見えた。

 ――罪を背負っていると自覚している表情。

 犠牲なんて、本当は誰も望んでいなかった。もっと違う手段があったらよかったのに。誰も悲しまない、誰も死なない世界があればいいのに。
 互いが互いの最大の理解者だった。だから、その本当の心情が、誰よりもわかった。

「やめろ」と男が言う。
「手遅れだ」と白衣の男は答えた。

 ――星が堕ちる。



 ーーーーーーーーー


この一か月、僕はありとあらゆることを仕込まれた。照には知識を。羅門には力を。比重は知識のほうが多かった。つまりはそちら側に僕は期待されているらしい。

 彼女はいつ犠牲になるのか。焦る気持ちはあった。だが無闇に動いて解決するほど現実は甘くはない。

 犠牲執行の日にちは、ある程度なら想定可能だ。ようは僕が犠牲の取り組みを決めるとすればどうするか、それを考えればいい。
 犠牲が都市の命運を握る以上、マージンはとるはずだ。仮に一日の間で犠牲が引継がれるとしよう。それで、もし手違いやミスで失敗が起きたらどうなる?

 ――何人もの人が死ぬ。

 絶対に失敗は許されない、重い、重い責任だ。だから日にちは余裕をとる。おそらく、早くて三か月、遅くて一年以上。……だいたい六か月というのが妥当な気がする。目標は彼女がいなくなった日から三か月――今からで言えば、二か月以内に何とか助け出す、といったところか。ここまでの推測に、断固たる根拠はない。ただ、この程度の期間は最低限必要だからここまでに救出しよう、と思っているだけだ。

 選ばされているな、なんてことを思う。あまりいいことではない。本来なら、できる限り早く彼女を助けなければならない。でもそれは、現実的に無理だからそうなった。消去法的選択。これしか取れる手段がないから、こうするしかない。

 僕はパラパラと本のページをめくる。ここには一般開放されている図書館にはないものが、たくさんあった。思うに、政府が一般人に必要のないと定めたものは公開されていなかったということだろう。
 確かに情報の統制はある程度必要だ、と僕は考える。規制しすぎるのは、一般市民の権利を無視しすぎることになるから、やってはならないことだ。だが都市壊滅の可能性を誘発するものは……多少、権利を侵害してでも統制したほうがいい。
 例えば『犠牲』に関する本。この本には次のようなことが書かれている。

 犠牲の装置『メギナラムシステム』について。
 犠牲の装置は対象者の魂の容量と比例し、奇跡の業を起こす。十のエネルギーを持つものを犠牲にし、都市を守れる時間を百とする。そしてこの場合、百のエネルギーを持つものを犠牲にすると五千の期間守れることが、わかっている。このことから犠牲者は、より高い魂容量を持つものを選ぶことが、少しでも失われる命を軽減する助けになる。また、魂容量は魔翌力容量と比例していることが多く…………

 そんなことが書かれていた。そして問題なのはこの後だ。

 仮説ではあるが犠牲者はその身体を装置に収めた後、魂としての意識は生き続けているのではないか、というのがある。もしそうであれば、犠牲者はさらなる苦しみを過ごしているのかもしれない。また、この仮説が正しければある意味人間の寿命の数倍を過ごすことが…………

犠牲者は、死んでもなお、苦しんでいる可能性がある。作者は仮説、と定めているがどこか確信があるような文体だった。
 ……これが本当なら、あまりにも惨い。これを知っていて、自分の大切な人が犠牲になるという人がいたら……間違いなく、奪還を目論もうとするだろう。全員が政府に抗おうとするほど怖いもの知らずではないかもしれない。だが、間違いなく大切な人を救おうとする人の増加は避けられないはずだ。

 そういうわけで、情報の統制は仕方ないことなのだ。例え死んでもなお、犠牲者が苦しむとしても、それでも犠牲は必要だ。例え、あまりにも過酷で、不平等な重荷が個人に課されるとしても……何人もの命が失われるよりもは、ましだ。
 法を学んだ身としては、痛いほどこれが最適解だとわかる。

 綺麗事は現実では通用しない。本当はこんなことにはならないほうがいい。それでも。

 僕はかぶりを振る。せめて犠牲者を減らさなければならない。理想通りには確かにならないかもしれない。それでも、理想にできる限り近づこうとするべきだ。本の作者も、暗にそう言っている。
 僕は本をめくる。今は魂、という言葉の意味を探していた。どれもはっきりとした答えは書かれておらず、唯一まともな情報は犠牲の装置の製作者がそういった説明を残した、ということぐらいだった。他のものは
『どうにも存在する可能性は高いらしい』のようなことしか書かれていない。

 魂。カルト的な馬鹿げた妄想に近いものだ。死んだらそこで終わりだと認めたくない奴が願うようにして信じている、幽霊のような存在。
 だが、魔法というのも奇跡の力で、本来ありえないものと、昔はされていたらしい。ならばあるいは……。

「裕樹さん!」

 鼓膜を揺らす大声。思わず頭をおさえる。

「聞いてなかったでしょ」
「……ああ、ごめんごめん」

 そういえば途中で卓也も来たんだっけか。彼も彼で、調べたいものがあったらしい。
 僕と彼女より一つ年下の彼は、調べるということに秀でている。元は僕と同じ、法の番人を目指していたが、能力の関係で諦め、歴史の方面に向かった。「裕樹さんはやっぱりすごいや」とその時の彼は言っていた。何を言っても卓也を傷つけるような気がして、僕はその時、何も言えなかった。

「それでなんだけどさ、やっぱり不自然なんだよ」
「えーと、なにが?」
「ほら、やっぱり聞いてなかった!」

 ごめんごめん、と僕は謝る。こういう変わらない彼を見ると、少し安心する。
 彼はむすっとした顔でこちらを見た。

「この都市って独裁政治でうごいてるだろ?いちおう複数人で動いてるけど王の権力が強すぎてなんでもできる状態だし」
「まあ、特に問題はないし、いいんじゃないかな」
「問題がないのはおかしいんだよ。常に優位な地位にある人間が、下位に位置する人間の権利を脅かさないなんておかしいんだ。罰する役割の人がいないんだから、普通自分の権力をさらに大きくするはずなんだよ。しかもこんなにも長い間!」

 この都市の歴史は五百年程度だ。

「まあ、確かに王を止めれる人はいないし、少なくとも王自身はなんでもできるけど」

 僕の言葉は若い熱弁者に遮られる。

「しかも王の継承は長男って決まってるんだぜ? それなのにボンコツな暴君が現れないのはおかしい。いや、現れてるはずなんだ。なのに俺たち一般人がなにか押し付けられたことは一度もない。絶対におかしいんだ」

 卓也の言葉には熱が籠っていた。
 確かに、人間のメカニズム的に人間は自分をより有利な状況にしようとするはずだ、という理論を鑑みれば、王の暴走が五百年間で一度もないというのは不自然かもしれない。おまけにそれを止めれる者もいないの
 だから。

 そういう点で考えてみれば確かにおかしい、という気がしてくる。だが言われなければ絶対に気づけなかっただろう。なにしろそういう視点で見る機会がない。人間の基本的な本能と、王の独裁体制。自力で繋がりを見出すのは難しい。


「前々から思ってたんだ。『星堕ち』前の人類の歴史では、大きかった国のいくつかは反乱が起きて、滅んでる。だいたいそれは官僚間での賄賂の横行、ボンコツ暴君の圧政、とかの政治体制の腐敗が原因で起こってるんだ。なのにこの都市にはその傾向が一切ない」

 聞けば聞くほど、納得させられる話だ。
 卓也は自分には能力がない、と言っていた。だがこうして彼の理論を聞いているとそうは思えない。多角的に物事を捕らえ、調査能力による不自然の発見ができる能力。その点でいえば、彼は断トツだ。卓也は、法に関することが、ただ向いていなかっただけなのかもしれない。

「卓也、すごいよ」
「え、そう?」

 努めてそっけないフリをしているように見える。

「こんなこと普通は思いつけないよ。少なくとも僕には無理だ」
「へへ……そうかな、ふふふ」

 卓也はレジスタンスのメンバーと比較的早く馴染んでいた。彼のこういった素直な態度が、そうさせているのかもしれない。

「すごいすごい」
「へへへ」

 なんだかな、と思う。もう少し、卓也は変わってしまうと思っていた。……僕らは人を[ピーーー]手段を、多少なりともだが、教わった。卓也は僕よりも上達が早かった。それは才能の差もあったかもしれない。僕が人よりもできなかったわけじゃない。だが怯えや躊躇、そういった覚悟の差が、あるような気がしてならないのだ。だが卓也は依然として卓也だ。人懐っこく、すぐに人の輪に溶け込み、敵を作らないタイプ。冷酷な人間に変わってしまうと思っていた。でもこうもアレだと……。

「卓也はさ……いや、なんでもない」
「……?」

 異常な空間にいるからこそ、というのもある。

「なあ裕樹さん」
「ん?」
「こっからが俺が言いたかったことというか、なんていうか」
「どうぞ」
「笑わないで聞いてくれる?」
「……それは聞いてみないとわからないけど」

 それでも彼は「笑わないでくれよ?」と僕に念を押した。

「俺が言っていた『矛盾』の話の続きなんだけど。これはなにかが裏で動いててるからだと思うんだ。俺たち一般市民どころか、政府の中でもほとんどの人が知らないよう何かが。陰謀論臭いけどさ」
「うん」
「俺の中で二つの仮説があるんだけどさ。一つは完璧な人工知能が人間を統治している。もう一つは……価値観の変わることのない不死身の人間が裏で政府を操ってる」

 なかなか、現実的にあり得なさそうな話だ。だが魔法、というものが存在している時点でそうとも言い切れないような気もする。昔の人類は火をおこすことさえできなかった。電気をつかってものを動かす、なんてことを考え付く土台すら持っていなかった。

……ならありえない、と切り捨てるほどでもない気がする。まあ、空想にすぎないという可能性のほうが高いのだが。

「笑わないのか?」
「まあ、笑うほどでもないというか」

 僕は奇跡を必要としている。彼女を助けるなんて普通に行動するだけじゃ無理だ。
 縋りつくこととよく似た願望。それが、こういった考えを引き起こしているのかもしれない。

「それで俺が考えてるのは人工知能よりも、不死身の人間のほうなんだけどさ。機械だと故障とか、なんとなく無理がある、っていうあやふやな理由でそっちを押すんだけど……」

 まあ、いろいろ考えた結果らしい。

「不死身の人間がいれば月日がいくら経っても考えが変わるはずがないんだ。歴史の引用によれば、『もっともよい政治方式は賢君による独裁体制だが、継承の問題とそれほどの能力をもつ人間は生まれにくい。だから我々は民主主義的な競争体制を取る』なんだけど、不死身の人間がいればその問題は全部解決するんだ」
 永遠の命があれば継承に問題はない。能力は最高峰のものになるし、手が足りないなら組織を使えばいい。一貫した思想による統治なのだから良い環境に進み続けることができる。

「不死者たる英雄」と卓也は言う。

 それはある意味、民衆が焦がれていた偶像であり、これ以上にないくらいの安定をもたらす人類の英雄。

「まあ、全部俺の妄想なんだけどさ。いたとしてもあんま現実に影響なさそうだし」
「確かに」



 ーーーーーーーーーーー

続く

あれから二か月、彼女が僕の日常から消えてから三か月たった。
 組織が手放そうとは思わないほどの人材には、なれている気がする。
 人心掌握。処世術。人間関係。
 すべて順調だった。現実的に可能な完璧に、限りなく近い、と思う。
 組織もまた、動いていた。六十年以上、表立った活動をしていなかった反社会組織だが、なにやら大がかりなことをするらしい。政府への反発として、地表の捜査、魔法の探求などの様々なことだ。確かに、これらのことに関して民衆からの疑問はあった。政府はなぜ新たな探求に手を伸ばさなかったのだろうか? もともと、市民からも声が上がっていた問題だ。
 政府の回答は「今の社会は完璧ではない、その努力を欠かさなかったことはないが、問題がある状態で多くに手を伸ばすことはできない」とのことだった。
 多くの者は納得した。僕だってそうだ。よりよい社会を目指す政府が、余計なことをして、新たな問題が発生したらどうなる? 少なくとも、今の政府は間違っちゃいない。そんな結論だ。
 異論を唱える奴もいた。新たな探求の結果は富裕へとつながり、今ある多くの問題を解決に導くかもしれない、と。だが確実な手ではない以上、多くの民衆からは支持されることはなかった。
 ……そういう意味では、このレジスタンスは実に反社会的で、抵抗的だともいえる。汲み取られなかったわずかな意思。そういったものを拾い上げるつまはじきもの。だからこそのレジスタンスだ。
 魔法は、地表と関係している。だから組織は、それを重要視していた。だが、魔法とは犠牲を除けば役に立たないものだ。ほとんどの人間は、かがり火程度の火を灯すことができる。けれど、結果として待つのは、成果に見合わない体力の消耗だ。五十メートルを全力疾走するほどのそれは、はっきり言って役に立たない。場合によっては死にさえも至る、欠陥品だ。
 だが……犠牲に選ばれるほどの魔翌力を持つ人は、どうなのだろう? 魔法は皆が使えるが、体力の消耗の多さから、危険だとされ、一般的には使用を禁止されていた。でも……内緒で、秘密の場所で、僕らは禁を破ったことがある。今の法を遵守するような僕からしたら、考えられないようなことだけども。
 組織の魔法の研究はまるで進んでいなかった。体力の消耗の大きさからいっても、材料が無さすぎるのだ。だからこそ彼女は、組織としては価値があるはすだ。
 やれるだけのことはやった。彼女のいる場所も偵察してきた。助けに来る実例がほとんどないからだろうか。警備は存外緩く、様々な考察の結果、二割程度の確率で、救出は成功しそうだ。決して高い数字ではなかった。だが現実的な数字ではあった。
 失敗すれば、見せしめの処刑が待っている。
 死ぬのだ。だけど。
 ――命を懸けるだけの理由はある。
 すぺてすぺて、可能な限りにおいて、完璧な行動をとった。すべて順調だった。
 そんなある日のことだった。
「祐樹君、君はボスに呼ばれたようだ」
 照の声。
「どういう理由ですか?」
「重要な理由だよ。とても重要な、ね」
 照は意味深にそう言う。少したりとも、笑ってはいなかった。
「……そうですか」
「なあ、祐樹君」
 照は笑ってはいない。目も口も、何もかも。
「我らがボスはご多忙だ。少し、時間つぶしに話さないか?」


 ◇

「それで、話ってなんですか?」
「なに、くだらない話だよ。くだらない、くだらない話だ」

 照は絡みつくような物言いでそう言った。
 なにかが起きる。そんな予感がする。どちらにせよ、彼女が消えて三か月だ。僕は、そろそろ行動を起こす必要があった。

「君はずっとこう思っていたはずだ。『なぜ照はこんなにも自分のことを好くのだろう』と」

 それは、思っていなかったといえば嘘になる。だがそれは重要なことではなかった。
 人心掌握。処世術。人間関係。
 相手の望む言葉には、その相手が不快になる言葉もある。だがそれを悟って嘘をつけば、失うのは信用だ。結果が重要なのだ。そこに僕の意思、真実は、関係がない。

「そうですね。変だとはずっと思っていました」
「私はね、勝手に君と私が同類だと、思っていたんだ。……まあ、そういうわけではなかったようだけど」

 ――嫌な予感がする。

「私と君はかなり似ている……そんな仲間意識をもっていたんだよ」
「はは。そこまでとは、思ってもいませんでしたよ」

 照は人との距離をうまく保つ。踏み込みすぎず、されど支えられる位置にはいる、そんな男。
 僕は初対面のこともあって、そこまで照のことを好かなかったが、実は組織での照の評判は低くない。その人の好さそうな顔と、トレンドマークである髪のない頭が、まるでお坊さんのような雰囲気を生み出していて、話していなくても、勝手に好印象を持たれるのだ。事実、組織の構成員が、彼に悩み事を相談しに来たりするらしい。話がうまく、敵愾心を感じさせない彼は、非の打ちどころのない優秀な幹部だった。

「『人が目指すは完璧という高見。見えず、届かずともいえど、それを目指すということには意味がある』こんな言葉を、知っているかい」
「いえ……」
「ははは」

 照が笑い声をあげる。何がどうおかしいのか、まるで判断がつかなかった。

「この組織にある昔の本さ。『星堕ち』以前に書かれた小説で、私はその本のファンなんだよ」
「……」
「君は、知らない、と言ったね、でもこの言葉と同じようなことを、考えた事があるはずだ」

 確信したような口調。
 こういった考えを持つものは一定数存在するだろう。当てはまりやすい事象をかまかけで聞いているだけだ。

「完璧な人になりたかった」と照は言う。

 その言葉は。そしてそれに対する僕の反応は。照に『なにか』を確信させたように見えた。

「私はね、ずっとそんなことを、子供のころから、思っていたんだよ。ちっぽけな自分が嫌でたまらなかった。こんな自分は自分じゃないと、憎んですらいた。君もそうだろう?」

 引きずり出された。そんな気がした。
 なにもかも見抜く、一歩手前の状態。
 照は訴えかけている。本心を話せと。真実をさらせと。

「そうですよ。それが……それがどうしたっていうんです?」

 照は笑っている。

「人は大きすぎた失敗を前に、その原因を求める習性がある。それは根本的で、絶対的な原因だ。

 不完全な世界のせいにする奴。
 特定の誰かのせいにする奴。
 ……そして、自分の能力のなさにせいにする奴。

 何も恨まず、なんて風にはいられない。はけ口を求めているんだよ。理由が欲しいんだ。『なにか』がなくてはやっていけないんだよ」
 無意味さには耐えられない。物事がうまくいかない。じゃあそれはなぜだろうか。
 きっとそれは……。

「そういう風に、何かに負荷をかける。一つに原因を集中するんだ。わかりやすくかみ砕いて、定義を置いておくんだよ」
 もっと能力があればいいのに、と思ったんだ。全部、自分のせいにしたんだよ。運とか奇跡を信用していなくて、世界というのはむしろ敵対者で、だから全部、自分で完結させたんだ。
 そういう意味で、君は僕に似ているんじゃないかな?
「なにかを信じるのがばかばかしかったんだ。そんなものより自分を信じるほうが現実的だった。私はね、なにもかも信用していなくて、世界の全てが大嫌いだったから失敗を全て自分のせいにしたんだよ。でも、君は違ったようだ」
「……」

たしかに。照の言っていることは僕に一定の共感を与えた。しかし、決定的な部分が違っていた。

「そういうことですか。だから照さんは僕を似ている、というくくりでとどめた。同類とは見なさなかった」

 まるで、照は……照は『彼女がいなかったら』なっていたかもしれない、僕だった。

「完璧な人になりたかったんです」と僕は言う。

 照は黙ってそれを見ていた。

 世界は絶対に救われるべきで、けれど救われないのが現実で。
 それは、もとはといえば、彼女の受け売りの考えで、僕の考えではなかった。優しすぎた彼女は僕にそれを分け与えた。影響された。決して不満はなかった。例え自分を苦しめる考えだとしても、それでもこの考えは正しいと信じていた。
 そんなことを思っていたから、僕は失敗を自分のせいにした。
 しかし、照は違う。

「至った結論は同じでも、原点がまるで違う。一瞬見ただけではわからない。そういうことなんでしょう」


「世界は素晴らしくあるべきで、救われるべきだと信じていた」と僕は言う。
「世界とは救いようがない敵対者で、決して信用できなかった」と照は言う。


 つまりはそういうことだった。彼はむしろ、最初は僕に対して同族嫌悪を抱いてさえ、いたかもしれない。でも違った。まるで僕らは、別物だった。
 照が力なく微笑む。

「私はね、力ない自分が嫌だった。可能なら世界を思うがままに操りたかったんだ。でも、現実的にそれは無理だった。だから、届かないと知っていても努力したんだよ。間違えない人間に、失敗を修正できる人間に。それで、今の私があるわけだ。組織の幹部。ちっぽけでは終わらない、世界にとっての重要人物。副産物としてついてきた対人関係は、今でも役に立っている」

 汚い考え方だった。他人のことなんて見向きもしなかった。結果的には私は組織の人間からいいやつ、として扱われているし、実際に何人も助けた。
 それでも、それでも私はこう思うんだよ。

「君は……よくぞそこまで綺麗な考えでいられたものだ。そりゃそうだ。積極的に人の不幸を願う奴なんていない。そんな奴は自分が世界で一番不幸だと信じている奴だけだ。でも、そんな奴でも、不幸じゃなかったのなら人の幸福を願うんだよ。……私は、君のような考えをもってこの場に居たかった。君のようで、ありたかった」

 幾度となく聞いてきた照の称賛。だがそれは、決して偽物ではない、そういうものだった。

 だが、僕の考えは違った。
 綺麗な考え? それがなんになる?

 まただ。幾度となく湧き上がる自己否定。
『お前は優しいな』と父はよく言っていた。今にして思えば、それは慰めなどの建前の言葉じゃなかったのかもしれない。本気でそう思い、わが子を誇りに思い、褒めていた。
 それを聞いていた当時の僕は、今も変わらず、嫌でたまらなかった。

なぜかって?


「照さん、それは違いますよ。隣の芝が青く見えるように、それでそんなことを思っているだけです」

 わかりきったことだ。

「僕は少したりとも結果をだしていない。だから、あなたのほうが素晴らしい人なんですよ」

 あまりにも単純明快な、それだけのことだった。
 究極的結果主義。
 どういうところで今までの行動を正当化するのか。いままでの悪事があったとしても、それが自分を成長させ、その悪事以上に人を救い、自分が幸せなら、なにも咎められる要素はないはずだ。そうじゃない、という人もいる。けれど、他人が他人をどこまで詳しく見る? 見ることができるのは切り抜かれた、現在という枠組みだけだ。さらけ出さなければ他人は他人のことなど気にしない。
 照は、最初はそれを聞いて、呆れてさえいた。けれどそれは長くは続かなかった。

「……本気でそう思っているのかい?」
「目に見えるものが現実、、です」

 そういうものだ。

「過程を汲み取ろうとする人だって」と照は言った。

 だが次には表情を歪ませていた。失言ではないのに、間違えてしまったかのような表情。
 なんとなく、照はもう気づいているはずだ。彼がこういったことを考えたことがないはずがない。
 きっとそれは、絶対に正しくて、綺麗な考えだ。
 けれども、

「ほんとうはそうあるべきなんです。でもそれはどちらかと言えば明らかに少ない。――だって現実はそういうものだから」

 人は何かに捌け口をもとめると、照は言った。
 僕も照も、自分にそれを向けた。
 誰がどう認めても、『自分だけは』認めることができない。よりよい結果を求めるから、満足はできない。人の欲望にはきりがないように、理想には果てがない。
 人の称賛はひどく耳障りだ。嬉しくないわけじゃない。でもどこか納得できない自分がいる。そういった思いが大きくなるのは、決まって物事がうまくいっていない時だ。彼女を救える見通しはたった。
 けれど、されど、その確率はいまだに――とてもとても、現実的じゃない。

「完璧な人になりたかったんです」と僕は言う。

 照は――

 ◇


「学力試験第一位、佐藤祐樹」

 それは、なにもかもを破壊する魔法の呪文のようだった。
 照は濁りきった瞳でそれを発した。
 動揺と、諦念と、何かに対する失望。

 組織の調査能力を甘く見ていたわけではなかった。だが組織に余力は、あまりない。だから志望者を詳しくなど調べない。特に末端はそうだ。裏切りはその地帯を切り離すことによって対処される。同時多発的な裏切りは組織の壊滅だ。政府が取れない手段じゃない。常々思っていたことがある。反社会的な抵抗組織はかえって法に対する市民の結束を強めている。全力をだせばつぶせないことはない組織を、なせ政府は潰さない?
 半分、泳がされている、侮っている、そこまでの余裕はない、なにかしら考え付かない事情がある。
 そんなことを推測した。だから自分の身元に関しては調べられたとしても、そこまではないと、そう判断した。
 だがそれは賭けだった。防ぎようがないから、臭いものに蓋をするように見ないようにした。

 消去法的選択。
 でもこれしか、やれることはなかった、だから。

「それが……?」

 強がりだった。それがなんだと。だからどうしたといわんばかりに、平静を保った。
 声は震えていた。

「幼馴染の近藤雪は今年選ばれた犠牲者である」

 ――すべて終わった。

 いやまだだ。最初からバレていたなら僕はここに入れてはいなかっただろう。つまり気づいたのはあとからだ。今や僕は組織として非常に欲しい人材になったはずだ。まだ芽はある。
『祐樹君、君はボスに呼ばれたようだ』
 照が最初に言った言葉だ。予感がある。だがそれでも、最良の選択肢を取り続けるという選択は間違ってはいないはずだ。

「そうですよ、ちょうどよかった。その件についてずっとボスに話そうと思ってたんです。ボスは時間がなかなか時間が取れない人だから」

 自分の言葉がどこまでもしらじらしく聞こえる。
 落ち着け、と強く念じる。
 焦ったところでいいことはなにもない。いつものように最善を選べばいい。やることはいつだって同じだ。

「なにをするつもりなのか、私にはわからない。だがこれは、確実にウチに来た理由にかかわってるんだろうね。君は社会を変えたい、と言った。けど普通、少なくともウチにくる前に、その学力をもってなにかをやろうとするだろう」

 冷汗が背をつたうのを感じていた。
 だがそれでも、平然としたなりを装って僕はこう言う。

「それがなんだっていうんです?」

 照は、長い、長い溜息を吐いた。

「助けるつもりかな?」
「ええ。組織に迷惑はかけません。僕が自分――」
「諦めたほうがいい」

 ――なぜ。

「そうかもしれませんね。でも一度、ボスに相談しようと思ってるんですよ」

 照の判断は関係ない。ボスの指示で全てが動くのだ。有利となる材料はいくつかある。照はやり過ごせれば、それでいい。

「それはやめたほうがいい。絶対に成功しない」
「……理由を聞いても?」

 照はただ首を振った。

「君のためを思って言っているんだよ。理由は言えない。でも絶対、止めたほうがいい。諦めるんだ」
「それは僕が選びます」

 今更、選択肢がほかにあるとは思わない。
 照は痛みを抱えたような表情をしていた。僕に対しての悪感情は感じられなかった。ただただ、同情していた。

「今の君を見ると胸が痛むよ。私が言えることじゃないが、自分を責めずに、もっと楽に生きたほうがいい。私はね、君の生き方を尊敬してるんだよ。信じられないことかもしれないけど、君には幸せになってほしい。君みたいなひとが報われるべきなんだ」

 それはひどく矛盾した言葉だった。
 照は本心でそう言っているのだろう。でもやはり、それは僕にとって関係がないことだった。

「なあ、君のいうことはわかる。わかるんだよ。でも私は、感情的にそれは嫌なんだよ。君は自分を絶対に許さないだろう。でも時間が解決してくれるさ。バカみたいなことをいうけど、それだって感情的な愚かな行動だ。私が君に言う資格がある言葉はなに一つとしてない。だけど……」

 そうだ。それらすべては照が正しく、もう想定の終えた結論だ。僕は間違っている。それでもやり遂げる必要がある。
 それは経験や思い出、人生と目標において、必要なことだから。

「もう一度言う。君は――」
「――なんでですか!」

その大声は、照を黙らせた。
 彼は何も言わない。言えないのだろう。きっとその情報はボスから話される。彼にはその権利がない。……今、彼が言っている言葉だって、おそらくは逸脱した行為なのだろう。
 照は天を仰ぐ。何かを誤魔化すみたいに、きまり悪く笑う。

「ああ、自分らしくないことをしたなあ。嫌になるぐらい感情的な行動だ。なあ、祐樹君?」

 扉に指を指す。

「行ってきなさい。私は全てを知っているから君を止めた。でも土台、無理な話だったんだと分かったよ。自分で何とかするといい」

 なんともできないと、暗に言っている。

「言われなくても」

 扉に手を掛ける。

「なあ、最後に聞くけど、考えを改める気はないかい?」

 沈黙をもって、その言葉に答えた。
 照の最後の一言は、僕を苛立たせただけだった。


 ◇

「よう、小僧……じゃなくて祐樹。最近、首尾はどうだ」
「上々ですよ。現実的に可能な限りにおいて、ですが」

 からからと、ボスは笑う。
 僕はゆっくりと息を吸う。照に言われた言葉がわずかに余韻を残していた。それはこれからのことに邪魔になる。必要な要素だけ抜き取り、使うのだ。ただただ、最善を選ぶ。今まで通りに、同じことをすればいい。

「それで、話とは何ですか?」

 不用意なことは決して喋らない。相手の出方に合わせ、対応する必要がある。

「ああ、そうだったな。俺はおまえに話があるんだよ」

 狭い個室。机と椅子と、湯気の立つコーヒー。
 ボスはそれに口をつける。ボスが好む、あの苦さと甘さを混同したコーヒーだろう。僕はそれに触れなかった。

「苦いな。なのにわけもわからんぐらいに甘い。良いことと悪いこと、どっちから先に聞きたい?」
「ボスが好きなように」
「ははは、つれない奴だな。堅物すぎると人生損だぞ? もっと楽に生きろ」

 まるで、照のようなことを言う。だがまるで意味の違う言葉だ。込められた意味が、感情が、厳しさが、そういうものがない。

「では、おめでとう祐樹君。君は晴れて我がレジスタンスの幹部候補になったのだ! 嬉しいか?」

 わざと場を盛り上げるような演技がかった仕草。

「……そうですね。早すぎる気もします。悪い点を聞いてから判断したいです」
「いや、お前が嫌がらないなら特にない」
「なら、嬉しいんじゃないでしょうか?」

 それは組織が僕の価値を認めたようなものだ。僕にとっては得になる。だが、それにしても早すぎる。幹部候補? 入ってたった三か月程度の子供を? 無論、本物の幹部になるには時間がかかるだろうが、そういう問題を差し引いてもおかしい。組織は人材が不足しているとは思っていたが、ここまでではないはずだ。

「いろいろ照に教えてもらえ。羅門は武闘派だからおまえとはそこまでかかわりがなくなるな。それで――」
「――待ってください」
「なんだ?」
「なぜ僕なんですか? 不満があるわけじゃないんです。でも、早すぎませんか?」
「知りたいか」
「はい」
「……どうしてもか?」
「……はい」

 はあ、とボスは溜息をついた。

「教える気はなかったんだがな。今教えとかないと後が怖そうだ。まあ、どっちでもよかったんだが、仕方ない。あのな、祐樹。おまえは……」

 俺の後継者になるんだよ。

「…………は?」

 はじめは、幻聴かと思った。だがボスの真剣な顔や、何も次に喋らないことから、本当なのだと分かった。
 これは夢か? あまりにもうまくいきすぎている。もし夢でないのなら、彼女を助けられる確率はぐんと伸びる。本来、僕単独で、卓也さえなしに彼女を助けようと思っていた。彼がいようといまいと、見つかったら守衛に警戒される。そうなれば終わりだ。つまり、卓也はいてもいなくてもそこまで救出の確率は変わらない。だが、組織の手があるなら話は違う。何事もなく、長い間安全すぎた犠牲者の収容所は、僕単独での救出成功率が二割ほどある。ならば、プロに任せれば九割……いや、ほぼ確実に成功する。
 胸が高鳴る。現実的だ。これならできる。彼女を助けられる!
 ……落ち着かなくては。まだやるべきことは残っている。

「驚いたか?」
「そりゃ……そうですよ」
「おまえのことだ、きっと理由を知りたいだろう」
「お願いします」
「まず、後継役の問題は深刻だった。照も羅門も、最終まとめ役には向かないからな。それで、人材が欲しかった。客観的に物事を見れる奴。冷静でいられる奴。自分を機械にでもするかのような、そんな奴」
「……」
「自分自身を歯車に徹底しようとするような奴だ。何かを遂行するためには、感情は邪魔でしかない。冷静に冷徹に、組織柄、そういうことができなければならない。だがそれでも、俺たちは人間で、支配しなければならないのも人間だ。単純な機械じゃだめなんだ。組織の頂点は人に裏切られにくい、人の気持ちがわかって、場合によっては汲み取れなくてはならない。……再度いうが、組織柄上、な」

 なるほど、と思った。
 レジスタンスは危うい組織だ。それこそ、こんなに存続できたのが不思議なぐらいに。五百年の歴史を誇るこの都市で、レジスタンスは実に二百年もの存続を続けている。都市の歴史の半分ぐらいだ。これだけの期間、そこそこの被害を、与えているのにも関わらず。

「わかるか? 要するに『機械を目指す人間』が欲しかったんだ。なれないと知っていながら、完璧を目指す。そういう人間はなにかしらで能力を発揮する。それがボス、という存在に適役かは置いといてだが。照は適役ではなかったタイプだが、能力の高さは発揮している」

並びたてられていく言葉の数々。
 それは、やや過剰な称賛とも言えた。僕が精密な機械を目指す、ミスをしないことを目指す、完璧な人を目指している、というのはあながち間違いではない。
 人心掌握。処世術。人間関係。
 ボスの言っていることに、いくつかの心当たりはある。僕がどういう目的で、人との付き合いを円滑にしたのかとか、そういうことは、あまり関係がないのだろう。結果はすでに出ている。それが自分に嘘をついた仮初の姿だったとしても、三か月の期間、演じ続けられたのなら、これからもできる。『能力がある』そういうことだ。

「照にお前の観察を頼んだ。お前がどういう人間か、どういう考えをするのか、どういうことができるのか、そういうことを。照はな、心理学を極めた男なんだ。あいつは感情なんかじゃなく、経験と理論で人を理解できる。知ってるか? 人間の表情っていうのは面白いもので、ある物事に対する反応が約0、1秒の間、顔にそのままでるらしい。どんなに取り繕っても無駄で、嘘はつけない。時間の短さから、その分野を極めたわずかな人間しかできないが……照にはそれができる」

 ボスはじっと僕の顔を見る。どういう感情が浮かんでいるのか、さっき言った方法で確かめるみたいに。
 ……照は、だからこんなにも僕のことを見通し、理解していたのだろう。嘘を見通すのではないかというあの感覚。それは間違いではなかった。真実だった。ただの勘と感覚で、それを感じ取っていた。

「十分に時間をかけた。はりぼてかどうかは、関係ないぐらいには。おまえは適役だった。ならばもう、教育は早いほうがいい。理由は、こんなところだ」

 ボスの言葉には、違和感がなかった。筋道は通っている。自分を過大評価するわけではないが、確かに、僕みたいな人間はあまりいない。この思考と考えは、ただ重くて苦しい。おまけに救いようがない。
 自分の行動を考え、周りの人間を見てきたからわかる。
 簡単に人を否定する奴。
 いわなくてもいい悪口で、争いを始める奴。
 自分の行動がどれだけ人を傷つけるのか、考えた事のない奴。


 それらすべてが、最終的に自分に返ってくるかもしれないことが分かっていない奴。
 これらは、軽率な行動と言え、しかし細かすぎて絶対に自分に返ってくるとは言い切れないものだ。人を傷つけたり、自分を誇示することによって、周りに強い自分の印象を与える。発言力の上昇と、声の大きい者に付き従う人種の列が、さらに強化を生み出す。暗にスクールカーストのようなものができあがる。
 だがこれらには代償が存在する。強さは誇示するがための行動は、結局、人を不快にさせることが多い。大きなミスからその立場は危うくなり、影で失敗を笑われる。
 無論、そういうことにならないことだって多くある。要するに致命的なことをしなければ、その立場は続いていくことが多い。メリットとデメリットをどれだけ天秤に乗せるかだ。致命の時に仲間がいなくなるかもしれない。影で何かを言われるかもしれない。だが優位性による通常時の満足感は得られる。
 最終的な結果なんて、運と行動いかんによって変わる。ただ自分はそういうリスクを負いたくなかっただけで……。
 良い人間であろうとした。人の悪口で盛り上がらないように気を付けた。その場の空気というのもあるし、愚痴のようなことは言ったかもしれない。だがそうであることを望んだ。そうなりたいと目指した。努力した。そういう届かない高みを見つめていた。完璧な人で、人には優しくあれることを望んだ。
 きっとそれはいきすぎた行動で、無意味な葛藤と苦しみだ。自分にとってを考えれば、もっと楽に生きたほうが都合がいいと、僕だって思う。
 でも、もしかしたら、苦しんだかいがあったのかもしれない。全ては最終的な結果で語られる。この葛藤が、考えが、苦悩が、もし彼女を救うために役に立ったのなら……願ったり叶ったりだ。

「祐樹」とポスが僕の名を呼ぶ。

「ここが境界線だ。了承の選択をすれば引き下がれない。その前に、なにかいうことはあるか?」

 ――熱のこもった、おどろおどろしい気迫。

 きっと第三者から見れば、なにも不自然な雰囲気はなかった。
 僕だけに向けられた、そういう気迫。最初にボスにあったときのことを思い出す。
 ――ただものではない、なにかを背負っている。
 僅かに怯む。
 予感がある。
 このままでは終わらない、いいことだけで終わらない、予定調和めいた不幸。

 なにを? なんてことを聞くのは無粋だった。ついさっきまで、浮かれていた。

引き戻された。頭の中にあった絶望を、言葉を、思い出した。
『諦めるんだ。それは絶対に成功しない』
 照の言葉。
 それは僕がこの先、有利に動かすための言葉だ。だがそこに『彼女』は入ってない。ただ僕一点のみの有利。未来の行動の制止。
『諦めたほうがいい』
 そうすれば、僕だけは有利になる。そういう情報。

「……ボス、言わなければいけないことがあります」

 そう、ここでいわなくてはならない。
 僕が助かってなんになる? 決意の日以来、もう自分の中にそういう選択肢は存在しない。
 当然、ボスだって僕が彼女を救おうとしているなど、知っているはずだ。照が報告したのは間違いない。照はボスに逆らわない。でもその中で、僕を助けようとした。
 もしかしたら、ボスは『救う』なんてことは知らないかもしれない――はずがない。
 そういう人種だと、わかっている。

 試されている。きっと最後の。言わなければならないこととして。
 ここを境界線だとボスは言った。匂わせた。次はない、と。

「僕は今回選ばれた犠牲者、近藤雪を助けたい」

 言った。どうなるかはわからない。だがそれは、彼女を諦めないという選択を取るなら、最善のはずだった。

「そうか」とボスは短く言った。

 沈黙は続く。僕のコーヒーは満たされていた。ボスのコーヒーは空だった。コーヒーは暗く、濁っていた。

「知っていた。照から聞いた。俺に会う前、照に会っただろ? どうせ言わなくていいことをアイツは言ったんだろうな」

 乾いた笑い声。やはり、照は組織にとって余計なことをしていた。だが、ボスは見通している。照すらも、見通している。ぞっとする。なにもかも利用して、てのひらのなかだ。

「テストだったんだよ。俺の独断でなにもかもを謀った。お前がそれを言ったのは今この場までは正解だ。そして言うことがある」

 続く言葉は、わかっていた。

「諦めろ」

 照は、あくまで僕に心の準備と、諦めるという選択肢を濃厚に示しただけだった。救いはなかった。

 これになんと答えるか、それは決まっている。だがなんと答えるのか、どう説得するのか。
 予感があった。予定調和めいた不幸。
 諦めれば、僕の人生は決まる。だが諦めなければどうなる? ただ、ろくなことにならないのは確定していた。

 ――予感がある。

 たぶん、殺されるか、飼い殺しか。結末が顔を覗く。うすら寒い。

 ――だがそれでも。

「無理です」

 嫌だとか、どうしてだとか、そういうことは言わなかった。
 断定の一言。愚かしい、そういう行動。だがそれでも、やるしか、ないのだ。

「――諦めろ」

 命令形。最終通告。
 けれど決して、揺らぐことはない。ばかばかしい気さえする。結果はなかば、わかっている。なのになぜこんなことをするんだろう?

「――無理です」

 ボスは目を閉じた。そして開く。諦めと失望。

「やはりか。俺自身がおまえを見てきたわけじゃない。だがやはり、そういうやつなんだな」

 悟ったような、諦めたような、そして――ただただ残念だという声音。それが全てを体現していた。結果だった。

「さっきまでの話はなしだ。おまえは一生平で、もう外に出すわけにはいかない」

 殺しはしない。せめてもの、温情ってやつだ。どうせ個人じゃどうにもできないしな。ボスはそう言った。

「いいえボス。彼女を助けるのはぽく一人です。組織には一切負担をかけることもなく、連れてきます。その後は忠義を誓います。身を捧げます。それでなにもかも、あなたの思がままに。だから一度でいいんです。チャンスを下さい」

 なにもかも、材料をぶちまけた。出せる手札全てだった。しかし、ボスはそれらに大した反応はしない。どうでもいい、とばかりに。

「教えてやるよ。この組織のことを。そうすればおまえは納得するだろう。諦めがつけば道もわかれるかもしれない、だから」

 ボスには、僕の言葉欠片ほども届いていなかった。

「なあ、考えた事はないか? なんでこんな社会の害になる組織がこんなにも長い間続いてるのかって」

 なにかを刺激するような声音。


「おまえは思ったことがあるはずだ。この組織の存在は、むしろ結果論でいえば、市民の団結と法の統治を補助している、と」

 まさか。

「ああ、さっき言った表情を見分ける術を使わなくてもわかる。驚いただろ? そして理解したはずだ」

 バカな。

「俺たち《レジスタンス》は政府とグルだ。不穏な存在、社会に対する敵対者は、人々の結束を促す。その結果、多少の死人は仕方ない」

 そんな。

「――我らが住まうは、犠牲の都市だ」

続く

ここから先はちょっと出来が良くなくて、いろいろ改変させたために手間取ってました
この先を更新してもロクなことにならなそうですが……一応キリがついたので更新していきます
弱音のようなことを書き込んで申し訳ない。ここからは更新間隔が安定します


「点呼だ」
「一」
「二」
「三」
「四」
「よし、全員いるな」

 短く髪を切りそろえた男――隊長は元気よくそう言った。
 ついに、地表に出る時が来た。
 あれから僕は少々の体力訓練と、地表に対する見解予想を学ばされた。僕に与えられた番号は四番だ。この探索では仲間を見捨てる可能性もあるので、無駄な感情は必要ない。よって互いに名前はしらず、僕らには番号が与えられている。

「俺たちは仕事をしに行く。だが……地表は我々の夢の場所だ! 少々ならハメを外して構わん!」

 ……しかし、隊長はあまり規則を気にしない人物のようだ。
 僕以外の番号を与えられた者はみな若者で、隊長だけはやや中年といったところか。みんな夢があってやってきた。未知なる場所への冒険心、好奇心。そういったものを抱えて。
 残していく者のことを考える。

 卓也のこと。父のこと。彼女の両親のこと。
 今からするのは奇跡を願うことだ。魔法がさらに発現して彼女を救えるようにしたり、その技術の痕跡を盗む。政府から逃げられる場所を用意する。
 最悪、ここにいるもの全員を裏切ってでも、なにかしらの特異ななにかを持ち帰らなければならない。とても、ばかばかしくても、やらなければ。
 彼女を助ける。不可能に近くても、死ぬかもしれなくても。
 誰かを傷つけないといけなくても。自分の信念を裏切ってでも。

 僕らは移動を開始する。地表にいくために秘密裏にあけられた洞窟の中へ。
 犠牲の装置メギナラムの効果はその装置の周囲数百キロメートルを、薄い膜の球で覆うことだ。その膜は人体に有害である粒子を防ぐ。魔素、という粒子だ。星が堕ちてきたあとに発生した謎の粒子。それはメギナラムの力以外では防げず、人類をほぼ滅亡に追いやった。さらにやっかいなことに、電波当を強烈に妨害し、探索機などが使い物にならなくする。
 だから、人間が直接調査するしかない。僕らはそのための防護服を着ているが、魔素を防げるのは三日が限界だ。それ以上地上を闊歩しようなら、命の保証はない。
 やがて、僕らは膜との境界線上までやってきた。
 隊長が立ち止まる。そして、他の者も。

「ここまで掘るのに何人かが正体不明の病で死んだ」と、隊長が言う。

 祈るように手を合わせ、それに他の者も習う。
 やがて顔を上げた。隊長は重々しく言う。

「原因はおそらく魔素だろう。防げないものである以上、死体は速やかに処理され、保管ができないから、対処するための研究もできなかった。――諸君、肝に銘じることだ。我々は他人の命の犠牲の上で成り立っている。我らが住まうは犠牲の都市だ」

 はい、というまばらだがしっかりした声。みな、思うところはあるのだろう。自分たちの命があるのは犠牲者のおかげであり、地表を探索するためにも誰かが死んでいる。自分も命を懸けるからといって、そういう者たちのことをないがしろにはできない。そういうことだ。
 ひとり、ひとりと膜を通過していく。ある程度の説明は受けている。ここからは世界が変わる。通常とは異なる違和感が常に、付きまとうと。

 そうだ、ここが境界線だ。今なら戻れる――なんてことを思うのも今更過ぎることだ。
 僕の番になる。みなこちらを見ていた。背後からも視線がある。僕らが異常を抱えたまま帰還した時、処理をする者たちだ。役職を処理係という。
 緊張する。何かが変わることを願い、祈り、僕は一歩踏み出した。

 ――突如、襲うのは違和感だ。存在しているのに存在する。矛盾だけを感じる。なにも外見に変わったことはない。だが……。

「みんな、大丈夫か?」

 隊長がひとりひとりの顔を覗き込む。
 それに全員頷いて答えた。僕も同じように頷く。
 背後を振り返れば、処理係は消えていた。長居はしたくないのだろう。現にここを掘った人達が正体不明の病で死んでいることを考えても、この辺りは魔素の濃度が高いのだと想像がつく。
 隊長が上のマンホールに手をかける。そこが地上への入口だ。
 光が僅かに漏れる。都市では見られない、作り物ではない、本物の光。


「いくか」

 隊長が最初に潜り抜ける。そして一番が続く。

「どうした三番?」と二番が言った。
「ああ、いや」
「故郷がさみしくなったか?」
「いや、違うんだ。なにか後ろのほうで見えたような気がして……」
「ははは、幽霊でもみたか? むしろ幽霊なら地上にたくさんいそうだがな」

 確かに、と僕は思った。
 背後を見る。なにもいない。きっと哀愁がもたらした幻覚を、三番は見たのだろう。残していくものは、誰にだってある。

「俺たちは死ぬかもしれない。それでも……人生を特別なことに消費したいと思ったからここにいるんだ」

 二番がにやりと笑う。
 ここに集まったのは普通以外を求めた酔狂なものたちだ。
 なにかを成したいと思い、勇気を胸に、集った若者。

「さあいこう」

 その言葉に、三番は頷いた。
 もう一度僕は振り返る。やはりそこには、なにもなかった。


 ◇




「雪様、こちらへ」

 感情を感じさせない表情をした女がそう言った。

「わかってますよ」

 ここではすべてが手に入る。望めば現実的に可能な限り、叶う。ここはそのための場所だった。
 叶わないものも多数ある。それは本当に大切なものだ。親しい人間とか、家族とか、愛する人とか。そして、自分の命とか。
 私は、長く生きることができない。この都市の犠牲に選ばれたのだ。逃げることはできない。だって、誰かが犠牲に、ならないと、何十万もの人が死ぬ。
 機械のようだ、といえば共感されそうな女が私に服を着せていく。女の子なら一度は来てみたいと思うような、綺麗な服だった。彼女はメイドとして淡々とその職務を全うしていた。
 私は、最初にここにつれてこられたとき、次のようなことを言われた。



「あなたは死にます」
「ここで手に入るものは何でも手に入ります」
「傷つけるという方法以外なら、人を使役することができます。風俗的な意味でも可能です。また、あなた自身の体なら傷つけても構いません。危険な薬物に酔うことだってできます」



 ここは、まるで現実ではない場所のようだった。自分の命を犠牲にする代わりに、可能な限りを実現できる最期のための場所。

「お困りでしたら今までの具体的な例をあげましょうか?」

 メイドの女は返事も待たずに言葉を続ける。

「最初に多いのは一般的な娯楽です。やはり、気が引けるのでしょうね。次に豪勢な食事、異性の肉体、薬物の使用。あと、可能な限りの都市の真実や、犠牲の装置について聞かれることも多かったですね。特殊なものですと死の一歩手前の経験を望んだ者もいました。予行演習だと」

 メイドの女はさまざまことを語った。恋の演習で肉体関係を望まないものもありました。あと女性の方ですと姫となることを望んだ方が多かったです。薬物に早々と染まるものもいましたが、絶対に嫌だという方もいました。ただ平凡な生活を過ごして終わる方もいました。
 そして、と彼女は言う。こうしてあなたは様々なサービスを受けることができます。また、実際に私たちが行ってきたものは完成度の高いサービスとして行うこともできます。新しいことをしてもいいのですが、それはあなたに任せます。

「ねえ……えっと、あなた?」
「メイドとお呼びください」
「……じゃあ、メイドさん。なんでこんな無駄なことをするの? どうせ死ぬ人のために過剰な資源を使う必要はないと思うのだけど……」

 こういうことを最初に考えてしまうのは、彼に影響されたせいだろうか。

「あなたの気分を害する情報の可能性があります。前もって言っておきますが、あなたは真理を求めるタイプに見えます。なので私はすべてを話しますが、止めたいときは言ってください。可能な限り、汲み取ります」
「わかりました」
「では……。私たちはサルではないということです。ここの方針は『我々は人間である』なので、一部を除いた人道的な支援を行います。また、これは言い訳でもあるのです。犠牲になる人に感謝していると、申し訳ないができるかぎりのことはするから許してほしい、と」
「……」
「無論、あなたが私たちを許す必要はありません。ただ、理解が得られなくてもやれることを最大限する。……私たちにはそれだけしかできませんから」

 メイドは頭を下げる。

「仕方ないってことなのね」
「そういうことになります。誰かが死ぬことを、望んでいるわけではありません。……なるべくなら、犠牲はないほうがいいのです」

 そう言ったメイドの表情には、僅かに感情の色が見えた。それすらもわざとなのかもしれない。けれど、そんなことはあまり重要ではなかった。きっと、人が死ぬことを積極的に願っている人はいない。それは普遍的なことで、納得できた。メイドの彼女も私に対して興味はないかもしれない。でも少なくとも、積極的に私に死んでほしいとは思っていないのだ。
 それから、メイドの女に進めるがままにサービスを受けた。強制はされなかった。どんなものでも私の意思を聞いた。『今日は何も食べたくない』というくだらないことにも真摯に対応した。
 都市のことを聞いた。ここがどういう仕組みなのか、とか、裏で何が動いているのか、とか。彼女はすべてを教えてくれた。きっとここまで知ったら絶対に逃げれないだろうな、と思いながらそれを聞いていた。抵抗組織は、実は政府が操っているとか、最近、法に対する民衆の意識が低いから、見せしめがほしい、だとか。逃げないように念を押された。また、実は私を誰かが助けに来たらその人を見せしめにしようと計画されていると聞いた。この場所は実は厳重すぎるほどの警戒態勢が施されているらしい。
 それを聞いて、いろいろ考えて……少しだけホッとした。彼が私を助けに来たりしたら、彼は見せしめに殺されるのだ。だけど、彼はきっとこない。彼は感情が現実を動かすことはできないと知っている。また、法は絶対に守るべきものだと思っていて、彼はその職務を目指していた。助けに来れば私の家族が死んでしまうことも冷静に考えるはず。だからきっと、こない。
 ……でも、きっといろんなことを考えて、悲しんでくれるはずだ。思えば彼はあまり感情の起伏をあらわにしない性格だった。そんな彼をくすぐったり、からかったりして彼が感情を見せた時、鉄壁の守りを破ったみたいで嬉しかったものだ。

 ……彼はどうしてるんだろうか。
 心配だ。彼はきっと、なにもかもを自分せいにしてしまう。理性的に自分が悪くないとわかっていても、苦しんでしまう。でも彼はなにもすることができない。卓也が、私の父と母が死んでしまうことを考えると、きっとなにもできない。
 ごめんね、と思う。一度でいいから彼と話したかった。でも……それができないのが現実だ。

 ――彼の幸せを願う。

 夢を見る。彼が誰かにキスをする。誰もが祝福していた。そこに私はいない。彼は幸せそうな顔をしている。私はそれを遠くから眺めている。胸が締め付けられる。でも、それでも私は、彼が幸せになることを望んだ。


「この都市の秘密はそれだけ?」
「いえ……もう一つあります」
「なに?」
「この政治は幼少期から専門の教育を受けた議員によって動き、王が決定を下します。大まかな方向はすべて王によって決められ、実質の独裁です。ここまでは知っていますよね?」
「はい」
「王は飾りです」
「……え?」

 常識外のことをなんども話された。しかし、この話はその中でも特におかしかった。

「王は『誰か』から指示を仰いでいます。ここからは憶測ですが、王がそれに逆らったことがないのが不自然です。歴代の王は非常に人道的な方、あるいは逆の方もおられました。しかし、明らかにその『指示』に不満を覚えているように見えても、逆らおうとはしませんでした。昔は『誰か』が政治を支配していたのを議員は知っていました。しかし、長年の王の支配のせいで、その事実を知るものは少数ですし、選べと言えば王につく方が多いでしょう。ですが、愚直なほどに王は『指示』に従います」
 不確定な情報を話してしまい申し訳ありません、とメイドの女は詫びる。こんなことまで話す意味はなんだろうか? もはやこれはある種の不敬罪になりうるというのに。……まあ、そこらへんに対応する法が、なにかあるのだろう。

 ……卓也が、弟が政治体制が変だ、と言っていたのを思い出す。これ以上先はメイドもしらなそうだし、実際どうなっているのだろう?

「変な話ですね」
「たしかに、この都市はなにかしらが特殊です」

 メイドとはいろいろなことを話した。……犠牲についても、話した。

「あなたは非常にまれな魔力の質を持っています。あなたはいままでの犠牲者五人分の魔力を犠牲の装置に供給できるでしょう」
「……私が自殺したら?」

 メイドが私の目を覗き込む。ほんとうのことをいっていいんですか、という表情。
 私は頷いてそれに答えた。

「現在、犠牲になれるものの候補が不足しています。あなたがいなくなれば次に犠牲になるのは十にもならない少年です。しかし、彼では五年ほどしか持たないでしょう。その次も子供です。少年の犠牲を考えると年は十一を過ぎた状態で犠牲になるでしょう。彼は四年しか持ちません。あなたは二百年持ちます」
 それを聞いて、震えた。「ここまで候補がいないのも異常な事態なのです」とメイドは付け足す。

 私一人が犠牲になれば、数十単位で人が犠牲にならなくて済む。どちらにせよ、私は逃げられる状態ではなかった。メイドの言葉はせめてもの抵抗に私が自殺しないための嘘かもしれない……とは思わない。彼女はいままですべて本当のことをいっている。そう感じた。確かに根拠はない。でも……。
 嫌になって考えるのをやめる。どうせ意味がないのだ。余計なことを考えて苦しみたくない。
 せめて、と考え、この場所の娯楽を堪能した。見たこともないもの、普通に暮らせていたら経験できなかったであろうことをたくさん経験した。……だけど。
 私は普通に暮らしたかった。彼と一緒に笑って、手を繋いで。彼の困ったような顔をみて、満足そうな顔をみて。それらすべては、もはや絶対に叶わないものだ。……考えてはだめだ。胸が、苦しくなるだけだ。
 私はひとり、綺麗な景色を見つめていた。でも、ここに彼はいない。
 メイドには近づかないように言っておいた。といっても、自殺しないように見張りぐらいはついているし、それが可能な道具に私が近づけば、きっと彼女はここに来る。
 目頭が熱くなる。私は、死ぬのだ。なんでこんなことになっているんだろう? 彼さえいてくれればよかった。多くは望まなかった。


 きっと、運が悪かったのだ。だがそんなことで納得できるわけではない。
 告白しておけばよかったなあ、なんてことを思う。彼はどんな反応をするだろうか。きっと、最初は動揺するに違いない。そのあと困ったような顔をする。でもきっと、嬉しそうに私を受け入れてくれるはずだ。まあ、私のうぬぼれかもしれないけど……。

 でも、と思う。告白しなくてよかったかもしれない。そんなことをすればきっと、彼は余計に苦しむ。きっと、だから、私は……。
 なにをしても、後悔だけが残る。泣きそうだった。彼との思い出を想う。そこには弟もいて、毎日が楽しかった。
 どんなに辛くても、涙だけは流さなかった。それは無意味だが抵抗的で、まだ大丈夫だと自分に言い聞かせているかのようだった。
 私は部屋の中に戻る。「大丈夫ですか」というメイドの言葉に微笑んで頷く。

「大丈夫」

 一体何が大丈夫なんだろう? 自分を誤魔化していないとメイドに当たり散らしてしまいそうで怖かった。誰かを傷つけることだけは、したくなかった。

「なにかにおぼれることはできますよ」とメイドは言う。風俗、薬物、各種のリストを私に手渡す。男の人の裸が乗っていた。たくさんのリストからはどんな人でも好みに当てはまりそうなものもあった。薬物からは幻覚作用のパターンや、詳しい説明が乗っていた。量によって効果をずいぶん調節できるようだ。

「いいえ」と私は言う。

「なぜですか? あなたは死ぬんです。なにかに溺れたって誰も文句をいいません。もしそんな人がいたら私が排除しますよ。あなたはすべてを許されているんです」
「そうかもしれませんね。でも、私が私を見ているんです。だから、やめておきます」
「それでも」とメイドは言う。少しだけ荒い語気、込められた感情。それに気づいて彼女は恥じ入ったように俯いた。
「どうせ死ぬんです。たとえ自分が自分を許せなかったとしても、もう時間はないんですよ……? プライドなんか重要じゃありません。辛いことばかり考えて死ぬつもりなんですか? 最後ぐらい、楽をしてもいいのに」
 ああ、と思う。初めてこのメイドのことが分かった気がした。人の苦しむ姿が、彼女は好きではない。他人の不幸が許せない、そういうタイプ。
「すみませんでした、こんな強制させる言い方をしてしまって……」
「いいんですよ」

 メイドは不思議そうな顔で私を見つめる。私の声に悪意や、苛立ちを感じなかったからだろう。
 ……人が、誰かを思いやるということ。それが結果に結びつかなかったとしても、そういうのを感じるだけで救われたような気分になる。
 メイドはなにかを言おうと、してやめた。食事をとってくるといってこの場を去った。

「……きっとキミなら、こうしたと思う」

 ひとり、そんなことを呟く。彼とはいろんなことを話した。難しい話だったが、彼の思いや優しさが垣間見えるあの時間は、嫌いではなかった。

「……祐樹くん」

 彼の名を呼ぶ。
 ここに、彼はいない。
 なにかに溺れてしまいたかった。もう何も考えたくなかった。ひたすら辛いだけの時間は、もう嫌だった。それでも、私は溺れることを拒否する。
 彼のことを思い出して、浸って、それで……満足して死んでいく。いや、きっと満足なんて一ミリもできない。でも、私はこういうふうに、死んでいきたかった。


 ◆


 ◇


 僕はゆっくりと周囲を見渡す。彼女を救うために、裏の支配者とやらがいれるのなら、地下にある都市からそれほど遠くないところに居を構えているはずだろう。少なくとも、ばかげた遠方からはるばるくる……なんてことはないと思いたい。僕らの都市に、飛行機を作る技術というのはあるにはある。だがそれでも、利便性を考えれば車で来れるぐらいの距離であるのが妥当だろう。
 ついに来た地表には、砂嵐が吹いていた。生き物の気配なんて感じられない、だだっ広い砂漠。

「きつい天気だ。といってもほとんど年中こんな有様らしいがな」と隊長は言う。
 望遠鏡を用いた地表の探索は何度も繰り返されている。しかし、基本的には砂嵐や霧が立ち込め、周囲が見えない状態だ。そもそも、砂嵐と霧の共存というのがあり得ない。出た結論は地上はおかしい、とのことだった。地表は現実とは思えない、異常が続くミステリアスとも言ってもいい謎だらけの場所だ。
「おい見てみろよ、サラサラした土だぞ」

 一番がはしゃぐ。

「それは都市にもあるだろうが……」と二番。
「はめをはずしていいとは言ったが早すぎるだろう……」と隊長。

 たがみんな、抑えているだけで似たような状態だった。押し寄せるのは未知への期待感と、興奮だ。現に僕も、そういったものを感じていた。ここは、明らかにおかしいが、だからこそ何かを期待してしまう。
 肉声は防護服と砂嵐の影響でほぼ聞こえない。用いているのは特殊なトランシーバーだ。だがこれも近距離でないと魔素の影響で届かないので、はぐれたら使えなくなる。

「知っての通り、今回の我々は仕事は地表の探索だ。期限は三日。よってマージンもとって一日かけて真っすぐ移動し、また一日かけて戻る。元の位置に戻れるよう、特別性のワイヤーを出発地点にくくりつけ、それを装備して、帰るときはたどっていく。食料は活動に適した少量のものだ。……まあ、都市を作った『賢者の塔』なるものでも運よくみたいものだ」

 賢者の塔。そこに住まう科学者が、星が堕ちたときに都市を作ったとされている伝説だ。もっと昔の資料はある程度存在するにも関わらず、星が堕ちたその瞬間についての資料は、不自然なほど都市には残っていない。星堕ち当時の資料だけが少なすぎて不自然なのだ。そもそも、考えてもみれば、星が堕ち、人が死んでいく中でどうやって都市を作ったのだろう。魔素は急速に人体に影響を与え、拡散スピードも速い。であれば、前もって星が堕ちてきた対策を用意し、そうして都市はつくられているわけで、それをしたのは誰かのか、ということになる。それが賢者の塔の伝説というわけだ。

『先を見越した賢者様は未来のわれらを救いたもうた』

 ……これは単なる伝説であり、おとぎ話。でも、これを聞くと否が応でも……なにかあるのでは、と考えてしまう。まあ、他の隊員たちはそこまでは思わないだろうが。

「出発」

 周囲を見渡しながら僕らは歩み始める。地表には生き物がいると聞いていたが、あるのは砂ばかりで、緑すらみえない。辺りは砂と霧が混じり、空は暗く、濁っていた。
 ワイヤーが僕らの歩みを証明するみたいに、跡に伸びている。

「死んだ土地」と誰かが呟く。

 まったくその通りだと思った。何かが生きている様子が、まるでない。

「おい!」

 歓喜に似た叫び声。

「興奮しちゃだめぞ一番」と二番が冷静に諭す。それをろくに聞かず一番はある方向に指さした。
「生き物だ!」


 途端に皆の目の色が変わる。
 トカゲがいた。しっぽの短い、普通にいそうでいない、地上でみた初めての生物。

「捕まえよう」と三番が言う。

「慎重にいけ、まんがいち防護服が破れたら死ぬぞ」と隊長。
「僕が回り込みますよ隊長」
「任せた四番」
「では俺たちは横に……」

 囲い込む形になった。
 三番がにじり寄っていく。

「なんか、興奮するな」
「生き物なら都市でも見れるだろう」
「だが見ろよ二番、こいつ、みたこともない種だ。そもそもここで生き延びてるってだけで奇跡の生物みたいなものだぞ」
「たしかに」

 トカゲは目を閉じていて、眠っているように見えた。こんな無防備に、と思ったがどこを見渡しても砂しかないこの場所では、どこも同じようなものなのかもしれない。
 ゆっくり、ゆっくりと近づいていく。みんな興奮に酔っている。単純だな、と我ながら思う。しかし、そういったものに身をゆだねるのも悪くない。
 実行するのは三番だ。身振り手振りで今から捕まえると合図。自然と周囲の気が締まる。

 ――瞬間、トカゲが動いた。

 三番の手を潜り抜け、駆け抜けた。
 みな意表を突かれた。しかし、それだけではない。

「……嘘だろ」

 三番が驚いた声を上げた。
 トカゲは速かった。明らかに普通以上に。

 もう終わりか? とでもいいたげなトカゲを見送る。予想外だった。

「すごいな……」
「隊長?」
「これが地上種なんだよ……! 明らかに普通じゃない。この五百数年で、急激な進化を遂げたに違いない……!」

 みな色めき立った。そうか、と納得が降りる。自分たちは大発見をした、そういった興奮が周囲を囲った。

「しかし、注意しなければいけないかもしれませね」

 そういったのは二番だ。
 なぜなら、と彼は言う。

「生物が進化したというのは我々人間にとって不利なことかもしれません。過去にあった戦闘機、核など、兵器全般が衰退している我々は、地上では捕食される側にもなりえます。そういった危険生物がいるとしたら……我々は武力を強化せざるをえないでしょう。今は平和な都市ですが、武力の統制がおいつかなくなるかもしれません」
 隊長が困ったような顔をする。水をさされた、とでもいいたげな表情だ。
「たしかに、そうかもしれん」
「地上への進出はまだしばらく後になるかもしれませんね」
「……まあ、まだそうときまったわけでもない。先に進もう」

 それを止める者がいる。


「待ってください隊長」
「どうした一番」
「危険生物が存在する可能性がでたんですから、決め事を作っておくべきです。襲われたらどうするか、とか」

 そうだ、と僕は思う。想定されていない可能性ではなかった。しかし、主な予想は地表では生物が死滅しているという前提で動いていたのだ。実際、プランもそれにそったものが多い。だからここで簡易的に決まり事を作る必要があるだろう。

「そうだな、我々が来たのはやはり仕事のためだ。予算もかけた、人も死んだ。てぶらで帰ることだけは許されん。……脅威に対しては逃走を選択する。誰かが死にかけても撤退が優先だ」
 厳しい言葉だった。だが、妥当だ。結果は絶対に必要だ。なにしろ、この調査のために人が死んでる。
「我々がそこまで親密でないのもそういった理由ですしね。異論があるものはいるか?」

 二番の言葉にみな首を振る。反対する理由はなかった。
 再び僕らは進行を始める。

「なあ」と二番が僕が話しかけてきた。

「どうしました?」
「ここにどんな生物がいると思う?」
「さあ……毒を持った生物とか、いるかもしれません。あとあながち巨大生物がいる可能性も捨てきれないかも。生き延びるために大型化するなんて話をよく聞きますし、さっきのトカゲのことを考えると異常な進化があってもおかしくないかもしれません」
「たしかに。『星堕ち』が起きて人間はほぼ全滅した。そう考えると他の種が多数全滅していると予想するのが妥当だ。いま生きているものは大なり小なり魔素を克服したやつらだと思うしな。……けど」

 言おうか言うまいか、迷っている表情。

「話してみてください」と助け船を出す。
「なんかあれなんだがな」
「はい」
「人間はどうなってるんだろうな?」
「……はい?」
「『人間となってから種としての環境適応は遅くなった、だから他の生物が生き残れても星堕ちで人間は死滅するだろう』というのが今も昔も変わらない、科学者の見解だった。けど……本当に、地上に人間はいないのか?」
「というと?」
「ほぼ役に立たない力だとしても、俺たちは魔法という力を獲得している。これは進化の一つとして考えられないか? いや、機械で増幅しているとはいえ、この力が都市を守っていることを考えると間違いなく進化だ。なら単体で生き延びた人間がいないとほんとうにいえるのか? そもそも俺たちが人類最後の生き残りだと信じ込みすぎだ。星堕ち当時の情報がほとんどないし、都市の外を俺たちはあまりにも知らない。俺たちはあまりに多くの情報を抜き落としてしまっている」
 それは多くの都市の人たちに当てはまることだ。僕も無意識の影響か何か、人類は都市でしか生き残れていない、という情報を確定した情報、、、、、、として扱っていた。
「そもそも俺たちの都市に矛盾を多く感じるんだ。長い年月をかけたのはわかるけど……統制が完璧すぎる」


 ……気づく者、といえばいいんだろうか。
 レジスタンスの真実を知る僕は、統制のシステムに、政府が並々ならぬ労力をかけていることを知っている。例えば……批判の統制をするために、その批判者は実は政府の回し者だったりする。一般的集団心理を利用した誘導法。誰かが不満の声を先頭に立ってあげているなら、自分が先頭に立つ意味はない。ついていくだけでいいのだ、といった誘導。
 しかし、これだけのことをしても、これほど長い時間、完璧に統制できるかどうかは難しい。その難しいことをボスが担ってはいるが……。
 ボスは裏の支配者が「いる」と言っていた。だがやはり、想像以上になにも足取りをつかめていないのではないのだろうか?

「もしかしたら都市は末端なんじゃないか? 実はもっと大きな人間の集合地があって都市に指令をだしているのかもしれない」
「……」
「俺が思っている矛盾はこうだ。『人間が魔法なんていう力を扱えるのはおかしい、進化が早すぎる』。もしかしたら魔素は生命に進化を促すためのものだったのかもしれない。その種の数が減るのはむしろ予定調和で――」

 二番は他にも様々な考えを展開した。もともとこういうことを考えるのが好きな性分なのかもしれない。突拍子がすぎるものも多かったが引っ掛かりを覚えるのも多くあった。

「僕の知り合いが言っていたんです。『政治体制が腐敗しないのは不自然だ』なにかあるかもしれない、と」
「おお、なるほど。それでそれで?」
「『不死者たる英雄』がいるのかもしれないと。星堕ち前の科学者たちならできたかもしれない、そしてなにより、統制が完璧すぎるのは一貫した思想が用いられ続けているからだと」
「面白いな、その人も矛盾をどうにかして説明しようとしたわけだ」

 実際、どうなのだろう、と僕は思う。感覚が麻痺しているのかもしれない。たしかに地表は非現実的だが、だからといってありえないことというのはそうそうおきないはずで。
 歩いている長い間、二番と会話しながら過ごした。無論、周囲を警戒しながらではあるが。

「死んでも満足だな」なんてことを彼は朗らかに言う。

 微妙な気分になった。


 ◇

続く




『世界全体は絶対に幸福になるべきで、されどそうはならないのが現実である』

 その事実を許せないものがいた。争うのが人の性、資源が足りないのが現実。人は分かり合えない。宗教、言語、思想、各々の価値観。それらが大きな壁となって、世界全体の幸福を阻む。
 もっとこうすれば少なくとも世界はもっとよくなるはずだ。しかし、その『少し』をすることは難しすぎる。世界は規模が広すぎる。個人では手に負えない。誰も世界を変えられない。
 民族、宗教、政治。異なる価値観によって起こる紛争、夥しい死体の群れ。それらはすべて必要のないものだった。

 ――そう思う白衣の男のことを誰よりも相対する男は理解していた。

 白衣の男は、同じ思想の者たち、そして己を犠牲にすることによって星を呼び寄せた。星を本来の用途から別の使い方へと堕落させた。
 男は白衣の男の思想を知っていた。最大の理解者だった。尊敬していた。そんな恩師ともいえる相手の表情をみると――胸が痛んだ。

 ――大いなる星が地表に堕ちる。

 星は本来、人類への贈り物。しかし、それは人の滅亡のために利用される。もう、星は堕ちた。人の滅亡は、確定してしまった。

「私が正しい」と白衣の男が言う。

 人間賛歌。肯定と肯定と肯定。人は理想の姿に生まれ変わる。普遍的な価値観は共有され、争いは最低限にしか起こらない。誰も無意味に死ぬことはない。互いが互いに権利を認め合う。そこには嘆きだって、差別だって生まれる。だが、最小限なのだ。綺麗事を限りなく現実で成功させる、現実に迎合した理想。
 誰もがその理想を肯定した。「価値観の壁などの障害さえなければ可能かもしれない」と、誰もが諦めた。
 相対する男は滅んでいく命を見つめていた。世界がかわるための犠牲だ、と白衣の男は言った。
 男はそれに対してこう反論した。「あなたの思想はすぺてが間違っているわけではない。だが、結果が保証できないうえに行為が他人を踏みにじるものである以上、間違っている」と。
 白衣の男の体の一部が、劣化した建造物のように崩れ落ちた。星を呼んだ代償が、彼の体を蝕む。
 彼は目の前の男を、見つめていた。

「もうとめられやしないさ」

 死んだような声音で白衣の男は言う。
 男は首を振った。

「後悔、してるんですか?」
「……」
「人を何千億と殺して、それで胸が苦しみを訴えて、それなのになんでこんなことをしたんですか」
「私は……」

 世界は幸福に包まれるべきだと頑なに信じた男がいた。しかし、そうはならないのが現実だ。……許せなかった。

「罪悪感に耐えられないから、それで死のうと思ったんですか?」

 白衣の男は、自分にとって恩師だった。親近感と、感謝の念を抱いてさえ、いたのに。その死を見つめなくてはならない。罪深いこの人間を、誰よりも理解していたのに。

 ――白衣の男の一部が崩れ落ちる。

「そうだ」

 足は一本たりとも残ってはいなかった。片腕はもげていた。耳がひしゃげている。指を動かせば、それは直ちに失われた。
 星が堕ちていた。苦しみの声が溢れかえる。
 怨嗟の声が鳴り響く。殺せ殺せと泣き叫ぶ。

「人が死んでいるんだ」と白衣の男が言う。

 恨みの声が聞こえる。何かにはけ口を求めている。私はそのために殉じる。信じてくれないかもしれないけど、これは罪滅ぼしなんだ。全く足りていないかもしれない。けど、私にできることはこれだけなんだ。
 そんなことを、言った。


「なあ、任されてくれるかい?」
「……」
「君が人を導いてくれ。私にはその資格がない。もうことは起こってしまった。人が死んでしまった。だから……現実に迎合した理想の世界を、作ってくれ」
「……」
「君は断らない。君ならば、やれるだろう」

 男には相手の感情が見えていた。自分を悪だとわかってるその感情と、それでもやらなければやらなかった、矛盾を。

 ――世界は絶対に救われるべきだ。そう唱えた奴が、世界の人間を殺しつくした。

 やりたくなかった。そしてなにより、誰かの悲鳴を聞きたくなかった。他人の苦痛の声は自分にとっても苦痛だった。
 男は白衣の男の手を握る。それに白衣の男は救われたような顔をした。
 男はそれを見据える。目の前の者は償い切れない罪を犯した。だが、それでも――。
 脳裏に浮かぶのは理想を語ってた白衣の男の姿だ。彼は本気でその理想が正しいと信じ、また、叶わないことを知っていた。

「あなたは許されるぺきじゃない。でも、周りが何と言おうと、僕はあなたの気持ちを知っている。苦悩を、悲しみを知っている。僕はあなたを助けません。でも、こぼれ落ちたその罪を、僕が背負います」

 焼き尽くし、根絶やしを広める緑の炎。分散され、空気に散っていく、人を殺す魔素。

「ありがとう」

 許しを乞い、求める声。

「ありがとう……」

 命の鼓動が止まっていく。
 男はたったひとりで辺りを見渡す。
 できる限り理想に近い、そんな世界を作らなければならない。
 死んでいく者たちを見ながら、そう思った。
 それが、これからの生涯の使命だった。

 ◇




 彼女のことを考える。楽しかった時の思い出。些細な苦労と、乗り越えた時の喜び。それらすべては、僕にとって大切な宝もので。

「君は死ぬのかい?」

 ――声が聞こえる。

「大切な人を置いて、諦めて、死ぬのかい? 君は言っていたはずだ。『彼女』が生き続ける限り、自分も生き続けたい、と。そんなばかばかしいことを、言ったはずだ」

 無理だ、と思った。もうなにもかも限界で、擦り切れていて、人としての領分を超えている。

 ――誰かの声が聞こえる。

 若い声。僕の知っている、大切な人の。死んでしまった、願いの籠った意思。

『約束してくれ』

 ――目を覚ます。

「は……あ、はあ、はあ……」

 何も見えない空間。最初にそう思った。しかし、目の前にぼんやりと人影が現れた。僕はこいつを――知っている?
 たぶん前は、顔が見えなかった。しかし、今は見える。
 冷酷な顔だった。なんら感情をたたえていない、まるで機械のような、人間ではないような、そんな表情。
 彼は僕の方を見て微笑む。途端に雰囲気がかわった。人を安心させるような、自然とそう思ってしまう表情。彼が微笑むのを止めれば、また感情をたたえていない表情に戻った。

「大丈夫かい?」
「ここは……?」
「どこだと思う?」

 止まっていた頭を動かす。僕は砂漠で力尽きたはずだ。最後に見た光景は、開いていく扉と、視界に指す光。そびえたつ塔。

「賢……者……?」

 確かめるように、その言葉を喉に上らせる。


「そんな大層なものではないけど、記号として僕は『賢者』と呼ばれているね」

 賢者の塔の伝説。星が堕ちて、人類は壊滅した。だが一部の人間は生き延びている。なぜだろう? それはきっと、誰かが先を見据えて人が生き残る手段を講じたからだ。ああ、未来を知る賢者様は我らを救いたもうた。

 おとぎ話にでも迷い込んだような感覚。現実感が麻痺していく。でも……つまりは彼が、都市を支配する裏の支配者、ということで……いいのか?

「どうして僕は、ここにいるんです?」
「いちおう、君の頭の中に答えは入ってるよ。でも突拍子もないから教えておくと……魂の成長と、魔素の適合のおかげかな」
 魂? 魔素の適合?
「最初に僕と会った時に唾をつけたおかげだよ。特別や偶然でもなく、必然でここに君はいる。僕はあの日の君の答えを気に入っているんだ」
「なにが……なんだか……」

 まるで、わからない。

「そんなことは重要じゃないんだ。大事なのは君がどういう選択をするか、ということだ」
「選択……?」
「ほら、わざわざ選択肢を表示するほど僕は優しくない。なにを思うか。なにをしたいか、そして僕に何をいうかを、君自身が選択するんだよ」

 ……選択。
 たったひとつの、当たり前に優先するべきことがあった。そしてそれは彼にどう思わせるだろうか。それすらも選択なのだろう。そういうことを、求められている。

「僕は彼女を助けたい」
「ふむ、いいんじゃないかな? それで?」

 彼は、目の前の賢者は部外者でしかない。僕がなにかをしたいと言った。だが、賢者は「それで?」と答えた。関係がないという立場であると、お前がなにをしようと勝手だと、そう意思を示した。

「力を借りたい」
「なんで僕がそんなことをする必要があるのかな?」

 そうだ。彼は関係がないのなら、メリットが、見返りがなければなにもしない。「助けてください」で助けてくれるほど、そもそも世界が甘くない。
 また、賭けだ。でも、やるしかない。根拠はいくつかある。それがどれぐらいあっているのかはわからない。希望を見たいからひねり出した願望でしかないのかもしれない。
 ……いいや、どれか一部は当たっている。その、自信がある。

「僕が……あなたに協力します」
「そんな価値が君にあるのかい?」
「わかりません。しかし、僕はあなたが彼女を助けるために協力をしないのなら僕はあなたの言うことを一切聞きません。なにもかも、絶対に」
 彼が僕を生かした。そして……彼は、僕に以前、都市の中で出会っている。そして、現にここにいる。
 結果論だ。結果論ではあるが……僕にはなにかしらの価値がある。そこは、間違いないはずだ。
 確証があるわけではない。他の可能性などいくらでもあり得る。しかし、僕自身に価値がなければ彼女を助けることはできない。価値がなくとも、僕だけは助かるのかもしれない。だからこれは……。
「ははは、考えてることがわかるよ。僕が言った言葉だ。さて、なんと言ったんだったかな?」
「……消去法的選択」


「そんな大層なものではないけど、記号として僕は『賢者』と呼ばれているね」

 賢者の塔の伝説。星が堕ちて、人類は壊滅した。だが一部の人間は生き延びている。なぜだろう? それはきっと、誰かが先を見据えて人が生き残る手段を講じたからだ。ああ、未来を知る賢者様は我らを救いたもうた。

 おとぎ話にでも迷い込んだような感覚。現実感が麻痺していく。でも……つまりは彼が、都市を支配する裏の支配者、ということで……いいのか?

「どうして僕は、ここにいるんです?」
「いちおう、君の頭の中に答えは入ってるよ。でも突拍子もないから教えておくと……魂の成長と、魔素の適合のおかげかな」
 魂? 魔素の適合?
「最初に僕と会った時に唾をつけたおかげだよ。特別や偶然でもなく、必然でここに君はいる。僕はあの日の君の答えを気に入っているんだ」
「なにが……なんだか……」

 まるで、わからない。

「そんなことは重要じゃないんだ。大事なのは君がどういう選択をするか、ということだ」
「選択……?」
「ほら、わざわざ選択肢を表示するほど僕は優しくない。なにを思うか。なにをしたいか、そして僕に何をいうかを、君自身が選択するんだよ」

 ……選択。
 たったひとつの、当たり前に優先するべきことがあった。そしてそれは彼にどう思わせるだろうか。それすらも選択なのだろう。そういうことを、求められている。

「僕は彼女を助けたい」
「ふむ、いいんじゃないかな? それで?」

 彼は、目の前の賢者は部外者でしかない。僕がなにかをしたいと言った。だが、賢者は「それで?」と答えた。関係がないという立場であると、お前がなにをしようと勝手だと、そう意思を示した。

「力を借りたい」
「なんで僕がそんなことをする必要があるのかな?」

 そうだ。彼は関係がないのなら、メリットが、見返りがなければなにもしない。「助けてください」で助けてくれるほど、そもそも世界が甘くない。
 また、賭けだ。でも、やるしかない。根拠はいくつかある。それがどれぐらいあっているのかはわからない。希望を見たいからひねり出した願望でしかないのかもしれない。
 ……いいや、どれか一部は当たっている。その、自信がある。

「僕が……あなたに協力します」
「そんな価値が君にあるのかい?」
「わかりません。しかし、僕はあなたが彼女を助けるために協力をしないのなら僕はあなたの言うことを一切聞きません。なにもかも、絶対に」
 彼が僕を生かした。そして……彼は、僕に以前、都市の中で出会っている。そして、現にここにいる。
 結果論だ。結果論ではあるが……僕にはなにかしらの価値がある。そこは、間違いないはずだ。
 確証があるわけではない。他の可能性などいくらでもあり得る。しかし、僕自身に価値がなければ彼女を助けることはできない。価値がなくとも、僕だけは助かるのかもしれない。だからこれは……。
「ははは、考えてることがわかるよ。僕が言った言葉だ。さて、なんと言ったんだったかな?」
「……消去法的選択」


「後継者はいますか?」
「……傲慢だね。頭はちゃんと働いているのかな? そんな価値、君にあるのかい?」
「……たぶん」

 ははは! と彼は笑った。それに驚く。
 だが意外なことに、それは辛辣さといったバカにしたものは含まれず、単純におかしいというものしか伝わってこない、そういった笑いだった。

「ここまで強気にきて自分の価値は信じられないわけだ? まあ、そういう人間だもんね、君は」
「……何もかも知ってるみたいに言うんですね」
「でもこうなんじゃないかと、君は予想してたんじゃないのかい?」

 こくり、と僕は頷く。
 最初に会ったとき、彼は僕のことを見通すかのような喋り方をした。彼が僕のことをなにかしら知っていても不思議はない。

「後継者、ね。そういう存在は欲しいね、たしかに。まあ、そういうつもりで近づいたんだけど」

 しかし、と彼は言う。

「ほんとうに君なんかでいいのかな?」
「ここまで来れる人間はそこまでいないんじゃないんでしょうか? 結果はでていますよ、一応」
「そんなものは求めていない。能力なんて必要ない。僕が求めているのはただひとつ。ふさわしい思考を持つかというだけだ」

 瞳の奥を覗きこまれる。

「いいよ、力を貸してあげるよ。でももう一つ言っておくことがある」

 指さす方向には僕がいる。

「君はもうそういうことができる存在だ」
「……え?」
「魂の成長と、魔素の適合が起きたんだ。まあ、それは最初にあった時にそうなるように僕が仕込んだからだけど。それでも普通なら無理だ。君の魂は本当に特殊な形だったんだよ。魔素に向き合えるだけの魂に成長したキーはこれだ。



「『世界は絶対救われるべきだが、救われないのが現実。完璧な人になりたかった。人の善意は、少なくとも悪いものじゃない』」

 僕の思想。そしてその答え。

「ほんとうに?」

 ――暗い空間になにかがなだれ込む。人の……記憶。

 三人の、少年、少女がいた。彼らは善意で行動をした。しかし、結果がでなかった。結果は他人を傷つけるものだった。取り返しのつかない、ひどい結果だった。

「彼らは失敗したんだ。世の中では結果がすべてだ。けれど彼らは、失敗したんだ」
 静かにそういう賢者。
 僕は彼の言葉にこう答える。

「誰かがそれを認めてあげるしかないんです。努力したことを。少なくとも善意は、悪いものじゃなかったと」
「確かにその通りだ。だが……それは取り返しのつかない時でも言えるのか? 人が死んでるんだ。苦しまなくてもいい奴が苦しんだんだ。耳が聞こえなくなったものは、一生不自由さが付きまとう」
 人の善意は少なくとも悪いものではないかもしれない。だが、それが取り返しつかない結果を生んでしまったら?
「彼らは罰せられるぺきだ」と賢者は言った。
 なにも言い返せなかった。善意のために失敗した者たちに、お前は悪くないといってやりたい。しかし、その被害者はどうなる? 僕が悪くないと言えばそれは被害者に対する冒涜だ。いいことだけを言う、偽善行為だ。終わったことだと、被害者の意思を汲み取らない悪事だ。
 どちらかにつけば、どちらかを否定することになる。
 それでも。

「いいえ」と僕は言う。

「なぜ?」
「現実問題として、その結果的加害者は罰せられるべきかもしれません。でも僕個人はそうしません」
「なにをするんだい?」
「僅かな救済」

 いつだって、僕の答えは変わらない。

「加害者に、『お前は悪くない、しかし罰を受けるだろう、けれど僕はお前を認める』と言います。このことは被害者は知りません」
「誰に彼にもいい顔をするって?」

 思わず苦笑する。嫌な言い方を、わざとしている。

「被害者への否定はなかったことになります。知らないんですから。加害者は少しだけ救われます。誰かが僅かに、そいつのことを肯定したんです。僕は卑怯なことをします。加害者には、お前悪くない、といい。被害者にはそのことを知らせないんですから。でも、それでいいんです。程度さえあれ、結果的に誰もが救われている」
「どうだろうか? それがばれるかもしれない。嘘をつきとおせる保証などどこにもない」
「そうですね。でも少なくとも、怒りの矛先は僕に向くはずです。加害者と被害者がまた争い始めることはない」
「……君は馬鹿なことを言ってる。君が怒りを代わりに受けるのか? 不条理の犠牲になって? ばかばかしいじゃないか、そんなの」

 そうかもしれない。
 だがそれでも、僕の答えはいつだって変わらないのだ。
 世界は絶対に救われるべきで、救われないのが現実。
 しかし、せめて助けようとはするべきだ。
 そういう考え。

 僕がこれをして殺されたりするなら……やらないかもしれない。だが恨みが向くだけだ。僕は出来る限りを現実的に可能な限り救う。時には見捨てなければならないときだってある。けれど、この考えは、きっと正しい。

「君だけが損してる。君は愚かだ」

 英雄的行動に酔っている? 善意を振りまくことために狂っている?
 なにかに影響されたがゆえの思考停止?
 ……いいや、そうではない。


「でも僕はそれが正しいと思うんです。自分だけは、この考えを裏切れません。僕だけが僕を見る。人が報われないのをみると、夢見が悪いんですよ」

 自分のためだと言い訳して。それで僕はこの考えが正しいという。

「本当なら、世界全体は救われるべきなんです。運が悪いかったから仕方ない、は嫌なんです」

 僕の考えは、実に抵抗的で、しかし、もう変えられないものだ。

「ほんとに……はあ……」

 賢者はため息をついた。あきれているような、ある意味感心したような。

「君みたいな人は嫌いじゃないよ」と呆れながら言う。
「損していて苦しいのは、もうわかっていることなので」
「どこまでも曲がらないね。なんていうか……効率が悪いというか、自分に無頓着というか」

 僕は笑う。
 僕がするのはあくまで現実的に可能な限りだ。あまりに救いようがなにものは、救わない。あまりにも自分に被害がくるなら無視する。だが心を痛める。そいつが救われますようにと、願う。
 抵抗的な行動、そういうことをする。
 賢者はやれやれと首を振る。

「現実主義者で理想主義者、ここに極まりって感じだ」
「そうかもしれません」

 賢者が笑う。仕方ないなあ、という表情。

「君を認めるよ。ただ、勘違いしないように。別にこの思想は君だけが持っているわけじゃない」
「わかってますよ。僕は特別なんかじゃない。むしろ、考え方は一般的な人のものに近い」
「ある意味、ラッキーで選ばれたってことだ。まあ、君の大切な人が犠牲にならなければ僕は君を選ばなかっただろうから、不幸の上で成り立つことでもあるんだけど」

 なにかを乗り越えた人間、そういった者でないと、この位置は任せらない。
 そんなことを、賢者は言った。
 依然、彼は大切な人を看取ったことがあると言っていた。

 ……そういうことなのかもしれない。彼が僕を選んだのは、彼女が僕のそばにいたから。おそらく、彼と似たような境遇になりかけている僕が、信用できるような気がしたからだ。
 他にも変わりはいた。でも、強いて言うなら……その役目は、僕でいいと判断したのだ。

「頑張ってね。『彼女』、とやらを救うために。わかってると思うけど『彼女』を救うというのは他に犠牲者を生み出すということだ。君が彼らを間接的に殺すんだ」
 超然とした口調。やはりというか、命の数をそこまで重要視するタイプではないらしい。あるいはそこはもう擦り切れたのか、なんのなのか。僕にとっては有利な状況ではある。もやもやしたものは残るけども。
「……わかってます。それでも、やらなきゃいけないんです」

 僕を射貫くように見つめる目。しかし彼は、僕を認めていた。肯定していた。

「実は君に魂の成長と、魔素の適合が起きたている。まあ、それは最初にあった時にそうなるように僕が仕込んだからなんだけどね。それでも普通なら無理だ。君の魂は本当に特殊な形だったんだよ。魔素に向き合えるだけの魂に成長したのは、君が苦しんであがこうとしたからだ」
「そんなことで?」
「大事なことだよ。まあ、君は僕みたいなことができる。時間は限定的だけど、ここに帰ってくるまでの時間は続くだろう」
 暗い空間が破れていく。辺りは無の領域へ。
「いってらっしゃい」と言う声がする。

 ごめんよ、と胸の中で、彼女の代わりになる犠牲者に言う。誰にも届かない声だった。彼女を救うという僕のエゴで、彼らを殺すことになる。それでも思い出があったから。彼女が狂おしいほどに大切だったから。

『姉さんを救ってくれ』と卓也は言った。どうあがいたってやることはひとつだ。

 だからといって僕の行動が許されるわけではない。それを痛いほどに肝に銘じる。僕は罪を背負っている。
 どうしてもそのことは気がかりだった。だがどうすることもできなかった。
 だが、それが現実だ。

 だから「ごめん」と僕は言う。誰にも届かない。許されるわけではない。それでも、僕は謝り続ける。そういうものだった。

 ――視界が開ける。

 ◇


 目を開ければそこは見覚えのある場所だった。いままで過ごしていた、組織の建物の中。賢者がなにかをしたのかもしれない。

 ――人の声が聞こえる。

「もう四日だな。あの冒険狂たち、帰ってこなかったな」
「ああ」
「でも少し……安心してるんだ。接点はなかったけどあいつらだって俺たちの仲間だ。それを殺さなくて済んだと思うと……。俺って、矛盾してるよな」
「矛盾してるな。だが、気持ちはわかる」

 彼らに近づいてみる。その服装で処理係だとわかった。地表探索隊が魔素に侵されて帰ってきたとき、処理を実行する者たちだ。
 自分の中にあるのものを意識する。彼女を助けるためのものだ。僕は彼らに近づいていく。
 処理係のひとりは怪訝そうな顔をした。だが首を振って思い直すような動作をする。

「どうした?」
「なんでもない。きっと気のせいだ」

 『そこにあるのにそこにない』。矛盾した存在感。それが僕にできることだった。僕を認識できる人間はいない。僕が認識させようと思わなければ、できない。
 おまけに飲み食いなしに体内器官を動かせる。魔素に適合して、僕は人間なのか、人間でないのかよくわからない存在になったようだ。
 彼女を連れ出して賢者の塔に匿う。彼女は魔素に侵されたとしても進行は遅いだろう。そして塔につけば彼女は生き延びることができる。
 僕はひとり、組織の中を歩いた。誰にも気付かれなかった。途中、羅門を見た。元気にやっているようだ。照はひとりで退屈そうに読書をしていた。照らしいといえば照らしい。
 最後にボスのところへやって来た。僕がしているのは自己満足だ。だがこの三か月過ごした彼らを見ておこうと思った。
 ボスはひとり、机と向き合って資料を眺めていた。テロに関する計画書だ。
 ぴくり、と肩が動く。

「誰だ」

 自分の心臓が飛び跳ねる音。
 まさか、と思う。尋常ではない。まともな人間のそれではない。今の僕を認識できるなど、ありえない。
 ボスは用心深く周りを見渡す。僕がいる方向も見た。だが、

「……ばかばかしい」

 気付くことはなかった。

「変な気分だ」

 僕は息をひそめていた。そしてボスの様子をうかがう。

「あいつが来てからだ。ほんとに、変な気分だ」

 もしかしたら気付いてるのではないか? そんなことさえ思う。だが確信があったのなら、ボスは僕を見逃してはくれないだろう。ボスは、そういう人間だ。魔素の適合が僅かに起きているのだろうか? とにかく、尋常ではない。

「ばかばかしい」と彼は言う。

 僕はその場からひっそりと立ち去った。
 これで……ここにくることはもう、ない。


 ◇

 ◇


 目を開ければそこは見覚えのある場所だった。いままで過ごしていた、組織の建物の中。賢者がなにかをしたのかもしれない。

 ――人の声が聞こえる。

「もう四日だな。あの冒険狂たち、帰ってこなかったな」
「ああ」
「でも少し……安心してるんだ。接点はなかったけどあいつらだって俺たちの仲間だ。それを殺さなくて済んだと思うと……。俺って、矛盾してるよな」
「矛盾してるな。だが、気持ちはわかる」

 彼らに近づいてみる。その服装で処理係だとわかった。地表探索隊が魔素に侵されて帰ってきたとき、処理を実行する者たちだ。
 自分の中にあるのものを意識する。彼女を助けるためのものだ。僕は彼らに近づいていく。
 処理係のひとりは怪訝そうな顔をした。だが首を振って思い直すような動作をする。

「どうした?」
「なんでもない。きっと気のせいだ」

 そこにあるのに、、、、、、、そこにない、、、、、。矛盾した存在感。それが僕にできることだった。僕を認識できる人間はいない。僕が認識させようと思わなければ、できない。
 おまけに飲み食いなしに体内器官を動かせる。魔素に適合して、僕は人間なのか、人間でないのかよくわからない存在になったようだ。
 彼女を連れ出して賢者の塔に匿う。彼女は魔素に侵されたとしても進行は遅いだろう。そして塔につけば彼女は生き延びることができる。
 僕はひとり、組織の中を歩いた。誰にも気付かれなかった。途中、羅門を見た。元気にやっているようだ。照はひとりで退屈そうに読書をしていた。照らしいといえば照らしい。
 最後にボスのところへやって来た。僕がしているのは自己満足だ。だがこの三か月過ごした彼らを見ておこうと思った。
 ボスはひとり、机と向き合って資料を眺めていた。テロに関する計画書だ。
 ぴくり、と肩が動く。

「誰だ」

 自分の心臓が飛び跳ねる音。
 まさか、と思う。尋常ではない。まともな人間のそれではない。今の僕を認識できるなど、ありえない。
 ボスは用心深く周りを見渡す。僕がいる方向も見た。だが、

「……ばかばかしい」

 気付くことはなかった。

「変な気分だ」

 僕は息をひそめていた。そしてボスの様子をうかがう。

「あいつが来てからだ。ほんとに、変な気分だ」

 もしかしたら気付いてるのではないか? そんなことさえ思う。だが確信があったのなら、ボスは僕を見逃してはくれないだろう。ボスは、そういう人間だ。魔素の適合が僅かに起きているのだろうか? とにかく、尋常ではない。

「ばかばかしい」と彼は言う。

 僕はその場からひっそりと立ち去った。
 これで……ここにくることはもう、ない。


 ◇


 彼女がいる建物についた。父に一度会おうと思ったが、やめておいた。すべてが終わったら、その時は一度家に帰ろう。僕が成功したか失敗したかどうかは、僕がみせしめの処刑にされるかされないかで判別できる。まずは、彼女を助けることを優先しなければ。
 建物の中にはいたるところにガラスが張られていた。きっと、僕が単体で彼女を救出しようとしていれば必ず捕らえられていただろう。
 今だからわかる。ガラスの反射を利用して、死角から覗くいくつかの監視カメラが見える。気付いた時には見つかってしまう。そういう仕掛け。
 僕はなにものにも認識されることがない。だから、今なら突破できる。彼女のいるところへたどり着ける。
 ゆっくりと歩いていく。途中、メイドや執事の恰好をした者などを見た。犠牲者はその死までは最大限の敬意を払われる。彼ら、彼女らは犠牲者へ奉仕をする者たちだろう。
 誰にも気づかれずに、歩き回る。建物の中は広かった。だが探していればいつかは彼女のもとに辿りつく。扉を開けたりしても誰かに不審がられることはない。誰もがいつも通りの行動をし、異常に気づけない。

 そしてその扉を見た瞬間、胸が高まった。確信した。ここにいる、と。
 打ち震えた。もう何年もあっていなかったような錯覚。ようやく、辿り着いた。
 僕は扉を開く。光が差す。穏やかな雰囲気と、しかし、刺すような悲痛。



 ◇

「祐樹……くん?」

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