第一の試合に於いて、今西一刀流の剣士である双葉杏が、同門の幼馴染である諸星きらりを血刀をもって打斃した後、
血潮に塗れた美城家の試合場に、其れを覆い隠すかの様に新しい白砂が撒かれた。
その後、小姓たちによって綺麗に掃き清められた試合場は、最早普段と何の変わりも無く、
一見した所、何事も無かったかのような静謐に満ちていた。
しかし、居並ぶ列席者の顔色は、既に青を通り越して白、葬儀に並ぶ弔問者のそれである。
見た目だけは如何に取り繕おうと、場に流れる生臭い血潮と臓物の匂いに、年若の藩士の中には席を外し、
胃の腑の中身をぶち撒けに、外へ駆け出す者すらあった。
そんな異様な雰囲気が立ち込める中、試合場の中央へと進み出た美城家の家老が、第二試合の開始を告げた。
その直後、東西の陣幕から現れた二つの異形に、列席者たちは思わず目を見張ったのだった。
東の陣幕から現れたのは、当世流行らぬ黒の南蛮合羽を頭まで深々と覆い、顔すら見えぬ一人の人物である。
南蛮合羽の左腰が得物の形に盛り上がっている所を見ると、この人物が御前試合の参加者なのは間違い無いだろう。
それは良い。
少々小柄であるとは言え、その見た目は列席者たちの理解の範疇だったからである。
しかし、西の陣幕から運び込まれた「物」は、完全に列席者たちの理解を越えていた。
檻である。
白の麻布に覆われ中身を隠されてはいたが、四人の藩士が四方を抱える様にして持ち運んで来た際に布の端が捲れ、
檻の一部が衆目に曝され、その不気味な存在感を辺り一面に振り撒いていた。
檻とは如何なる事か。
御前試合に余りにそぐわぬその物体に、列席者たちはその中身に様々な想像を巡らせた。
罪人や物狂いの類か――
それならばまだ良い。まだ少なくとも人である。
例えば野の獣、蝦夷に住むという赤茶けた毛皮を持つ大熊か、はたまた大陸渡りの虎などの猛獣ならば如何にすべきか――
野獣の気儘な殺意が、居並ぶ自分達にも向けられるかもしれないのだ。
未知の恐怖に場がしぃん、と静まり返る。
その列席者達の戸惑う様子を、青白い顔に残薄な喜色を浮かべた顔で満足そうに見届けていた美城家の女当主が、
檻の傍で侍る近侍に向い、顎でくい、と檻を指し示した。
すぐさま深々と女当主に礼を返した近侍が、檻の布を勢いよく剥ぎ取った。
その瞬間、姿を現した檻の中の生き物を見て、会場のほぼ全ての人間が瞠目したのだった。
なんと檻に閉じ込められていたのは人間の女だったのである。
それも見目も麗しい年頃の少女で、薄汚れてはいるが豪華絢爛な遊女の衣を見に纏い、
その裾は大きく乱れ、肩を出し太腿も露わに放り出した、目の毒な事極まりない恰好で檻の隅に蹲っている。
少女は本来であれば、檻に閉じ込められていると言う異常な現状を差し引いたとしても、充分に人目を惹く顔立ちである。
しかし、その乱れた姿に欲情を覚えた列席者は一人たりとも居なかったであろう。
なぜなら彼女の髪はまるで獣の耳の様に逆立ち、口から覗く八重歯は牙の様にも見え、その爛々と光る金色の眼は
瞳孔が縦長に開き、見つめて来る人々総ての眼を呪いの籠った眼差しで見つめ返していたのだった。
その場に居並ぶ人々のほぼ総てが一目で理解した。 理解せざるを得なかった。
この娘は常人の類では無い――
化生の類である、と――
列席者の背筋に冷たいモノが走る中、家老からこの化生の娘に対する説明が始まった。
この者こそ過日、美城藩の藩士七名を殺害し、多くの者に手傷を負わせた、恐るべき猫の獣憑きの化け物である、と――
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猫憑きの少女、前川みくは十二の時に美城家の城下町の遊郭に売られてきた。
実家は堺の裕福な商家であったが、父が創業者である先代の後を継いだ後、一気に家勢が傾いたのだった。
創業者である祖父は、一代で身を起こす為に可也阿漕な真似をしていたらしい。
周りの恨みを相当に買っていたようだ。
四方八方から潰しに掛けられたみくの実家は、後を継いだばかりのお人好しの父一人だけでは如何する事も出来ず、
あっという間に身代を潰し借金を重ねたのだった。
親の因果が子に報い。
町でも評判の美少女だったみくが、真っ先に借金の肩として遊郭に売り飛ばされる事になったのは、当然の仕儀だったのだろう。
借金取りに強引に店の外に連れ出されたみくは、嘆く両親と涙ながらに引き離され、
以来、この齢まで一度も実家の消息を耳にしていない。
それ以来、みくはこの遊郭で客を取り続けているのである。
廓暮らしは地獄、と噂には聞いていたが、想像以上の苦界であった。
みくが美少女だった事が幸いし、筋目の良い廓に高値で売られた事も有りそれほど待遇は悪くはなかった。
食事も日に二度、ちゃんと食べられるし、綺麗な着物を着れる。
しかし、顔も碌に知らぬ男に身体を売らねばならぬ苦痛は有るし、物の様に扱われる毎日が辛い事には何の変わりもなかった。
何度死のうと思ったか、数えきれない。
だが、みくには辛い毎日を送る自らを慰める一つの愉しみがあったのだ。
それだけを頼りに何とか辛い毎日を耐えてきた。生き抜いて来れたのだった。
みくは自分より十歳年上の同じ廓の太夫、雪美太夫に大変可愛がられていたのである。
雪美太夫は唖(おし)かと思われる程の無口だが、目を見張るばかりの美しい黒髪と白い肌が評判の、
城下でも一番人気の太夫だった。
みくと同様に商家に生まれたが、親の商いの失敗で出来た借金の肩として僅か十歳で廓に売られ、禿(かむろ)として育てられた。
廓に来た時は、身の回りの物は全て借金の肩として取り上げられ、
その胸に抱いていた幼い黒猫の他は何も持っていなかったらしい。
それから十数年、美しく成長した雪美太夫は城下でも一番の美人として評判となり、廓を大いに賑わせたのである。
その傍らには、雪美太夫と共に廓にやって来た黒猫が今も一緒に居た。
尋常では考えられない程長生きなその猫を気味悪がる者も廓の中には居たが、猫好きのみくはその猫を大変可愛がっていた。
そんな所を雪美太夫に気に入られ、売られてきた経緯が似てると言う事も有り、みくは随分と目を掛けて貰っていたのである。
辛い廓暮らしでは有ったが、雪美太夫と黒猫が居るだけで、みくは随分慰められ、また、救われてもいたのだった。
そんなある日、悲劇は起こった。
日頃の疲れが溜まっていたのか、みくは朝から決して低くない熱を出し、床に着いていた。
熱に魘される中、様子を見に来てくれた雪美太夫が、
「安心して……、貴女の変わりは私が務めるから……、今はしっかり身体を治す事だけを考えて……」
と、ひんやりする冷たい掌で、みくの額を優しく包んでくれた事だけをぼんやりと覚えている。
その次の日の朝、ようやく熱が下がりつつあったみくは、廓の騒然とした気配に目を覚ました。
何が有ったのかとふらふらと寝床から立ち上がり、騒ぎの元へと向かうと其処にはなんと、
廊下の向こうから、頬や全身に青痣や擦り傷を抱えた雪美太夫が、
息も絶え絶えと言った様子で、両脇を男衆に抱えられて運び出されて行くところだった。
あまりの様子に立ち竦んだみくとの擦れ違い様には、その身体中から噎せ返る様な生臭い精臭が立ち昇っていた。
幾ら遊女と言えども、こんな酷い扱いをされる事など、考えられる話ではない。
一体、雪美太夫に何があったと言うのか……。
みくがまだ熱の残る頭で必死に考えていると、その瞬間立ちくらみが起こり、近くの襖にふらっと身体を預けた。
するとみくは、雪美太夫が運ばれて来た座敷の方から、
鼻の奥にじわりと広がる鉄錆の様な嫌な臭いが漂ってきている事に気が付いた。
女ならば嗅ぎなれた―― この臭いは血の匂い――
みくの心の中の理性は、決して見るなと告げていた。
しかし、みくはふらふらと熱に浮かされる様に、その座敷に歩み寄り――
襖を開いた。
其処に有ったのは、荒らされた宴の席の真ん中で畳一面に血を流し、
胴体の半ばまで両断されて惨殺された、黒猫の死体が転がっていたのだ――
みくは思わず声の限りに泣き喚き、喉が裂けんばかりに悲鳴を挙げたのだった。
翌日、廓は葬儀の支度に追われていた。無論、猫の葬儀ではない。雪美太夫の葬儀である。
雪美太夫はもう既に心が壊れていたのか、
目を覚ますなり周りの目を盗み、廓の境を分けるドブ川に自ら身を投げ、命を絶った。
廓一番の美女を称えられた彼女の最後にしては、余りに哀れなドブ塗れの悲惨な最後だったと言う。
その雪美太夫の死体を、涙も枯れたみくが拭き清めながら周りの廓の人間に聞いた話によると、
彼女は病気で休んだみくの代わりに他の座敷にも出ており、元々予定に入っていた美城家の宴に、ほんの僅かに遅れてしまったらしい。
雪美太夫が座敷に着くなりその事を詫びると、白面の額に青い血管を浮き立たせた美城家の女当主が、
「売女の分際で私を待たせるとは無礼千万、売女に相応しい罰を与えてくれるッ!!」
と、激高し、周りの男性近侍達に雪美太夫を嬲る様に命じたのだった。
激しく暴行され、複数の獣(けだもの)に穢されていく身体。
しかし、それでも雪美太夫は廓の女である。
それだけならばまだ耐えきれたのだろう。
しかし、凌辱される彼女を救う為か、彼女の飼う黒猫が雪美太夫に獣の様に伸し掛かる近侍に飛び掛かり、
その頬に鋭い爪を突き立てたのだった。
一瞬、仰け反り鋭い悲鳴を挙げる近侍。
だが、勇敢な黒猫の抵抗はそこまでだった。
「己ッ!!畜生!!」
と、罵声を挙げた近侍が、脇に置いてあった刀を抜き打ち一閃、黒猫の身体を半ばまで切断したのだった。
雪美太夫は、己の半身とも言える黒猫が無惨に切り捨てられたのを見て、その時、始めて叫び声を挙げて取り乱した。
それまでは如何に責めても呻き声一つ挙げずに、まるで人形を抱いている様で味気なく感じていた獣共は、
漸く興が乗って来た、とばかりにその後もなお執拗に雪美太夫を辱め続けた。
そのまま彼女は、自らと十数年を共に過ごした愛猫の死体を眼前に見せつけられながら、朝まで輪姦され続けたのである――
朝方、漸く狂乱の宴から解放された時、雪美太夫の心は、既に粉々に壊れていた――
そのあらましを聞かされながら、みくは怒りに体の震えが止まらなかった。
相手が幕閣にも覚えが目出度い美城家の女当主と有っては、泣き寝入りするしかない――
廓の主がそう嘆いた時など、激怒の余りに目の前が真っ白になった程である。
そんな事が許されるのか―― こちらが遊女だから―― あちらが殿様だから――
こんな人を人とも思わぬ暴虐が許されてしまうのか――
みくは激しく思う。
あんな獣以下の人間、生かしておくものか――
憎い憎い憎い憎い憎い、憎い――
――なにより、あの獣共に復讐できぬ己の非力さが、一番、憎い――
未だ半ば汚泥に塗れた雪美太夫の遺体に顔を埋めながら、みくは総てを呪った。
太夫と黒猫をこんな目に合わせた獣共も、借金の肩に娘を取り上げる金貸しも、
売り飛ばされて来た娘を買い身体を売らせる遊郭も、権力を振りかざし、人を塵芥の様に扱う権力者も、
恩人の為に振るう力も無い、ただの遊女である自分さえも――
そして、一頻り泣き喚いた後、ゆらりと顔を上げたみくの顔を見た周りの遊女たちは、心底ゾッとした恐怖に慄いたのだった。
頬に涙の流れた跡の残るみくの両目はキッと釣り上がり、瞳孔は縦に裂け、
まるで先日斬り殺された猫の様に鈍く、怪しく、金色に光り輝いていたのだった――
その日、一人の遊女がまるで掻き消す様に遊郭から消えた。
その翌日から美城家の城下では、不気味な事件が次々と巻き起こる事になる。
女当主の近侍が、一人、また一人、と、斬り殺されはじめたのだ。
最初の犠牲者は、黒猫を斬り殺したあの、頬に瑕の有る近侍だった。
彼は飲みに行った帰り、酔い覚ましに河原を独りで歩いていた所を、無惨に惨殺されたのを、翌朝町人に発見された。
刀を抜き放っていた所を見ると、不意打ちではない。
だが、彼は真っ向から顔面を、三筋の切り込みを深く入れられて絶命していた。
まるで大型の獣に爪で斬りつけられたかの様な、無惨な傷跡。
最初に疑われたのは、熊の仕業である。
しかし、河原とは言え、街中にこの様な傷を穿てる大熊が迷い込む訳が無い。
肉を喰らっていないのも奇妙である。 大熊説は一顧だにされずに消えた。
その代わりに立ち昇って来たのが化け猫説であった。
美城の女当主と近侍が遊郭で起こした残虐非道な行為は、既に詳しく街中に噂話として人口に膾炙していた。
その斬り殺された黒猫が遊女の骸を借りて、無念を晴らす為に化け猫として黄泉返り、近侍を見事討ち果たしたのだ――
既に骸なる故に、肉を喰らわぬのだ――
猫の祟りは恐らく美城の女当主を仕止めるまでは止まるまい――
町の人々はその様に噂したのだった。
そして三月の間に七名の近侍が斬り殺された。
その全てがあの夜、雪美太夫の輪姦に関わった者たちである。
此処まで来ると藩としても捨て置けず、なにより、
お気に入りの近侍達を、次々に惨殺された美城家の女当主の怒りは凄まじかった。
命に代えても不届きな凶賊を捉えるべし、と、全藩士に厳しく通達し、翌日から藩士総出で山狩り等の捜索が行われた。
そして遂に、美城山の麓にある不動尊の廃寺の境内に、野の獣の様に蹲るみくを発見したのだった。
その後、駆けつけた藩士が十重二十重にみくを取り囲み、刺股・突棒・袖搦で捉えようとするものの、
みくの動きは尋常では考えられぬ程素早く、その何れも掠る事すら叶わなかった。
ならばと腕自慢達が白刃を抜き連ね、境内へと進み出るが、犠牲者が増えるだけで何の解決にもならない。
思わぬ激烈な抵抗に全藩士達が手を拱いていると、美城藩にその名を知られた槍の達者、喜多見柚が、
一計有り、と進み出たのだった。
彼女こそ若くして宝蔵院槍術を修め、美城家の先代当主の姪、桃華姫が怪しげな邪教に傾倒しかけた折、
当主の密命を受けただ一人でその邪教の本拠地である寺へと乗り込み、秘丹弥虚羅多尊像なる怪しげな本尊を、
自慢の名槍「暗見坊」で一撃の元に叩き割った事で近隣に名を知られる、剛の者である。
それ以来、この寺の生き残りの者に付け狙われ、遂にはこの日の御前試合の後の試合で、
教団の刺客の代表者と決着を付ける事になってしまった、御前試合の参加者の一人でもある。
ともあれ、それは別の話。
柚は、一計を案じて夜が更けるのを待ち、日が暮れると黒の着物に身を包み、黒頭巾まで被り、
顔や手に炭を塗り、借りて来た槍にまで墨汁を塗り込んだ。
そして、隅から隅まで黒ずくめと成り果てると、ただ一人、境内の傍の叢に身を隠した。
その場で柚は、気配を殺しながら槍を扱き、ただひたすらみくが来るのを待ち続けたのだった。
そして、境内の方では柚に計を授けられた他の藩士たちが、わざとらしく松明を連ね、昼の様に長物を持ち、
ただ、みくを追い立てるかのように柚が潜む叢だけを空けて、三方から一斉に突き掛かり始めた。
当然、みくは叢の方に逃げ出した。
この包囲から逃れる絶好の機会だと見た為である。
そこを突如、暗闇から凄まじい速さの黒槍がみくに向けて突き出された。
そこに伏せていた喜多見柚の、渾身の一撃である。
常人とは思えぬほどの身体能力を誇る今のみくと言えど、槍名人の身を伏せた奇襲には思う様に反応できず、
僅かに身を捩るのみ、であった。
その行動でみくは辛うじて致命は避けたが、深々と太腿を槍で抉られ、身動きが取れずに地に倒れ伏した。
その後、すぐさま駆けつけてきた藩士達の長物で押さえつけられたみくは、檻に入れられて、此処まで運ばれて来た訳である。
不覚としか言えなかった。だが、みくは檻の中で蹲りながら喜びにも満ちていた。
今のみくには分かる。
あの憎んでも憎んでもなお憎い、獣たちの親玉の気配をすぐ近くに感じる。
仇を打つ絶好の機会である。死中に活を求めるべし。
みくは人知れず檻の中で笑みを浮かべながら、爪を舐めて獲物の予感に舌舐め擦りをするのだった。
そして、現在、檻は開け放たれ、みくは飛び出す。
仇を討つために、恨みを晴らす為に――
その瞬間、もう一方の人物も勢いよく南蛮合羽を脱ぎ捨て、その姿を列席者の前に曝した。
その時の列席者達の衝撃は、人外の存在である猫憑きの少女を見た時よりも、むしろ強かったかもしれない。
何故ならば、南蛮合羽の下より現れたのは、輝く様な金髪で陶磁器の様な滑らかな白い肌を持つ、
南蛮人の少女だったのである。
彼らに衝撃を与えたのは、それだけではない。
異国の女神の様な秀麗な美貌の少女の身体を包む衣服は、全身を黒のワンピースで覆い肩を白く飾った、言わば修道服であった。
しかも、彼女の胸に光輝く金色のロザリオは、彼女が確実にご禁教である切支丹伴天連の関係者であることを雄弁に物語っていた。
その推測は間違っていない。
彼女の名はクラリス。 はるか遠く西方の国・伊西把邇亜(イスパニア)からやってきた、
歴としたキリスト教カトリックの教会員である。
幕府は長らく鎖国政策を取っている。
南蛮人が長崎の出島より出入りする事は固く禁じられており、ただ南蛮人が今此処に存在するだけでも御法に触れ、
これが幕閣に知れたりでもしたら、厳罰に処される事は、火を見るよりも明らかである。
しかもそれが、過日、島原で大乱を引き起こした切支丹の関係者とは。
どう考えても正気の沙汰ではない。
このご時世に真剣勝負で可惜、練達の剣士達の命を散らすことですら、常軌を逸していると思っていたと言うのに…。
列席者達は戦慄の想いで、愉快そうに試合場を眺める美城家の女当主を見詰めるのであった――
家老の始めの声が掛かると共に開いた檻の中、みくは投げ与えられた三振りの短刀を指の間に挟み、
獣の爪の様に握り込むと、檻から勢いよく飛び出した。
そのまま、憎き美城家女当主の元に飛び込もうとするが、その前に敢然とクラリスが立ちはだかる。
クラリスは、みくが今まで見た事も無いような先が尖った棒の様な刀を、腕を内側に捩じり口と同線上に構え、
優美かつ流麗な動きでみくの方へと切っ先を向けた。
みくはその奇天烈な構えに油断する事なく腰を落とし、「爪」を構える。
獣憑きの野生の直感で感じたのだ。
憎き怨敵に牙を届かせる為には、この金毛の異人を打ち倒す他は無い、と――
一方、クラリスはれいぴあを眼前に構えながら、その切っ先の先に居る少女をジッと観察していた。
そして、こう思ったのだ。 今までに見た事が無いタイプのウェアウルフ(人狼)だと。
クラリスは遥か西方、イスパニアと呼ばれる土地で貴族の三女として生まれた。
長年を戦場で過ごした父が病に倒れ、その快癒を祈る為に十五の時に修道女となった。
そして数か月を祈りの中で過ごしていたのだが、ある日、司祭に呼び出されて別の教会に移動する様に伝えられた。
その手に、一振りの銀色に光り輝くれいぴあを与えられて――
クラリスはその武器には良く見覚えがあった。
軍人として戦場で戦う父が家に帰った時、口下手な彼は息子や娘と語らう術を持たず、その時間を剣を教える事に費やした。
他の兄弟姉妹はそのあまりの厳しさに閉口していたが、クラリスだけは普段滅多に会えない父が手を取って、
自らに教えてくれる剣を、ただひたすらに愛した。
そして父が戦場に出てからも、また帰って来た時に父に褒めて貰うために、ひたすら庭で稽古に励み続けたのだった。
天稟も有ったのだろう。
やがて、十を数える頃には既に成人に達していた兄ですらも遥かに及ばない、凄絶な腕前を誇る様になっていた。
父はそんな娘を誇らしく思うと共に、深く嘆いた。
男ならば一廉の剣士として名も称えられよう。
軍人として共に戦場に出て、名を挙げるのも難しい事ではない。
しかし、クラリスは女だ。
女であるクラリスが如何に剣の腕が立とうとも、その腕前を十全に生かす場所は、
この太陽の沈まぬ帝国と言えど何処にも存在しないのだ。
そんな父の嘆きを敏感に感じ取ったクラリスは、十五になった時に自ら剣を置き、修道院に入った。
表向きの理由は病がちになった父の快癒を神に祈る為に――
しかし、その実はこれ以上父を苦しませないために…。
以来、剣を見ることは無く、もう生涯持つことはないのだろう――
そう思っていた矢先に、この愛剣との再会だった。
クラリスが愛剣と共に送られた教会は、欧州中の信者達から集められた武芸の達人による「エクソシスト」の集団であった。
エクソシストとは、キリスト教、特にカトリック教会の用語でエクソシスムを行う者、と言う意味である。
エクソシスムとは誓い、厳命を意味するギリシャ語であり、
悪魔に取り憑かれた人から悪魔を追い出して正常な状態に戻す事を言う。
クラリスが所属する事になったこの教会は、祓魔師と呼ばれたエクソシストの中でも、特別武芸に優れた者が多く集められていた。
彼等はこの教会から、教会の教えに仇なす化け物(フリークス)から信徒を護る為、各地に派遣されて行ったのだった。
クラリスは、その中でもライカンスロープと呼ばれる人狼を狩る事に特化した存在に任じられた。
多くの悪魔祓いが、医療が未発達のこの時代、精神的にまたは肉体的に傷を負った人に対しての対処療法であった事は明らかである。
未発達な医療では対処出来ない事を呪いと呼び、神の名の下に対処していく、それがクラリス達エクソシストの役目である。
しかし、そんな中でも人狼化はもっとも質の悪いモノの一つであった。
怪談話の様に、夜ごと二足歩行の狼に転じて月に吠え、人を喰らう為に人家を襲う――訳では無い。
しかし、狂った犬や狐などに噛まれた者の中には理性を無くし、
凶暴化し涎を垂らしながら人を襲う様になる者が、確実に存在した。
医療の発達した現代ならば、狂犬病と言う存在を知り得たのだろう。
だが、この当時の人間は、この様な状態に陥った者を人狼と呼び、自らにも感染する事を極端に恐れ、その対処を神に祈った。
その祈りを代行する者の一人が、クラリスであった。
一度この病に侵されると、治す事は100パーセント不可能である。
医療の発達した現在においても、である。
当時のクラリスが出来る事は、病に苦しみ暴れ回る者を周りに累を及ぼす前に、一秒でも早くその命を神に帰す事であった。
そして、多くのライカンスロープを屠って来たクラリスは、
教会に命じられる儘に、次々と剣を振るい続け、遂には欧州から遠く離れて澳門(マカオ)にまで流れ着いていた。
この地で狂犬病、いや人狼化(ライカンスロープ)が流行し、その対処の為にクラリスが派遣されて来たのである。
彼女は今までの経験通りに、様子のおかしい野犬を駆除して回り、人狼化した人間の命を神に返し続けた。
そうして二か月余り、漸く事態が鎮静化しつつ有った頃、クラリスは教会に出入りする澳門総督府の職員から、
奇妙な噂を聞きつけたのである。
曰く、この東の果ての澳門より更に東に、ジパングと呼ばれる島国が有る。
その場所に於いて、獣に取り憑かれた少女が数か月に渡って、サムライと呼ばれる戦士階級の者たちを食い殺している、と言うのだ。
その話はクラリスの心を大いに惹きつけた。
普通、人狼化して凶暴化した者は退治されない場合でも、二週間ほどで全身が麻痺し動けなくなる。
しかし、その少女は既に凶暴化した後も数か月を生き延びているらしい。
もし、その少女を調べられたとしたら、人狼化で命を落とす者たちを延命化する事が可能になるかもしれない。
そうなればいずれ、治療法さえも見つかるかもしれないのだ。
神に仕え、人々を護る為とは言え、幾多の人狼化した人々の命を奪ってきたクラリスにとって、
それはまさに救いとなる天の導きの光の様に思えたのだった――
翌日からクラリスは東の果ての島国、ジパングに渡るべく、商人たちに八方手を尽くした。
多くの商人たちからは彼の国は鎖国政策を取っており、外国人が渡る事は不可能と難色を示されたが、
ある一部の敬虔な信仰を持つ商人に巡り合い、ナガサキのデジマと呼ばれる居留区に辿り着くことに成功した。
だが、ここにきて更に問題が持ち上がってきた。
なんとジパングは嘆かわしい事に、キリスト教を禁教にしているとの事で、
教会員であるクラリスは動きを大幅に制限されることになってしまった。
しかし、彼女は自らに示された光を諦める事が出来ず、信仰を隠し、マントに顔を隠し、
出島に出入りする日本人の役人、商人達から、只管に人狼の少女の情報を集め続けたのである。
その中に、美城家に出入りする一人の商人が居た事は、クラリスにとって幸運だった。
異国の対魔師が、自らの領地を荒らす獣付きに興味を示している事を聞いた美城家の女当主はいたく興味を引き、
裏から手を回し、クラリスを自らの領地に招き入れたのである。
南蛮人を入国させると言うだけでも大問題であると言うのに、禁教であるキリスト教の教会員であるクラリスを招き入れた事が、
幕閣に知れたらどうなる事か……。 想像するだに恐ろしい事である。
それすらも意に介さない所にも、この美城家の女当主の増長の程が伺えるのだが…。
みくとクラリスが向かい合い、しばしの時が流れた。
双方共に動きは殆ど無いが、その異様な気配に観戦者達は残らず固唾を呑んで見守っている。
一方のみくは、薄汚れた遊女の衣装に身を包みながらも身を撓め、爪の様に握り込んだ短刀三本を軽く前に突き出し、
クラリスの様子を伺う。
一方のクラリスは修道服に、右手を捩じる様に構えた銀のれいぴあを構え、切っ先をみくに差し向け、左手は腰に据えている。
貴族出身の彼女に相応しい、優雅にも見える構えだが、その構えには一部の隙も無い上に、
幾多の命を奪ってきたその腕前に相応しい殺気に満ち満ちていた。
左手を腰に据えるのも格好つけの為ではない。
いざとなれば右手を失っても左手で武器を持ち戦う為に、腕を守り抜くという、闘志の表れである。
その睨み合いから一転、日が試合所に差し込み始めたその時、クラリスの右手が霞む様に蠢き、
突き出されたれいぴあが、白銀の蛇の様に鎌首を擡げ、みくの頸部に狙いを定めた。
刀身がうねる。
折れず曲がらずを信条とした日本刀に慣れた観戦者達にとって、その光景は不可思議以外の何物でもなかった。
あるいは対手が他の御前試合参加者の武芸者であったならば、
その意表を突き、勝負は一撃で決まっていたかもしれない。
それ程までに凄まじく、鋭い一撃であった。
だが、みくは猫に憑かれる前までは、剣については全く素人の遊女である。武芸のぶの字も知らなかった。
それ故にその不可思議な剣の軌道に惑わされる事無く、
野生の感と驚異的な身体能力だけで見切り、僅かに身を捻るだけでその斬撃から逃れた。
驚嘆したのはクラリスの方である。
クラリスが今まで相手取って来たのは人狼だけではない。
旅をする彼女の美貌を狙う山賊や、人狼化した家族をそれでもなお守ろうと武器を取り、
クラリスに襲い掛かる人々を相手にする事も、多々有ったのだ。
その中には、中々の腕前を持つ者が少なからず居た。
ジパングに渡ってからも、ミシロと言う国のクィーンの前で腕前を見せる為に、
腕利きのサムライと呼ばれる戦士たちと剣を交えた事も有る。
その何れも侮り難い腕前だった。
しかし、その何れもクラリスのれいぴあの初撃を躱し得た者など、一人たりとも存在しなかったのである。
クラリスは続けざまに軽俊なステップで前後に足を運び、みくの間合いに踏み込み、鋭い突き、突き、薙ぎを繰り出す。
みくはそれを常人では考えられない素速さで、躱し、躱し、拳に握り込んだ短刀――「爪」で受ける。
クラリスが突き、みくが避ける。
みくが「爪」を突き立て、クラリスが受ける。
ぶつかり合う二つの高い金属音が、まるで曲を奏でる様に響き渡り、
二人の美女による舞の様な剣戟が、数十合に渡って交わされたのだった。
そして列席者達がその舞に目を奪われつつある頃、試合場に朝日が昇り切ったその最中、
息の切れ始めたクラリスが、みくの眼前に苦し紛れに横薙ぎの一撃を放った。
それは充分な距離が有るにも拘わらず、何故かみくは顔を歪めると、後ろに向けて大きく跳躍し、クラリスから距離を取った。
息を整えながらクラリスは思う。 助かった――と。
命をやり取りする真剣勝負での数十合、しかも相手は常人とは思えぬ身体能力を有する化け物(フリークス)である。
長年修羅場を潜って来たクラリスとは言え、これ程梃子摺った事は記憶になかった。
見た所、4ヤード(およそ3,6m)ほど離れた向うに立つ対手には、それほど呼吸が乱れた様子は見られない。
人外に相応しい驚異的な体力(スタミナ)を備えているようだ。
あのまま勢いの儘に抑えつけられていたならば、クラリスに勝機はなかっただろう。
ならば何故、あの人狼の少女は距離を取ったのか――
考えるまでも無く、答えは自分が握りしめる右手の中に有った。
白銀に光り輝く自らの愛剣が、差し込んできた陽光を受け、眩しいばかりの輝きを試合場の白砂の上に振り撒いていたのだ。
試しにクラリスが二度三度れいぴあを振るうと、その光にみくは顔を歪めて目を細めた。
その一連の動作にクラリスは勝機を見た。
後ろに回した手を腰のベルトに回すと、普段は護身用に持っている幅広の短刀(ダガ―)をそろりと引き抜いた。
これもれいぴあとお揃いの、魔を払うと言われる銀製である。
人狼を相手取る為に自ら特別に誂えた代物で、愛剣と同じ様に白銀に光り輝いていた。
みくはそんなクラリスが二刀を構えたのをみて、自らも爪から一刀を抜き取り、逆の手に握り込んだ。
奇しくも共に二刀。
南蛮人と化物、異形の二人が二刀を構えるのを見て、列席者達は改めて息を呑む。
何れの武器がどの様に相手の肉を抉るのか―― まるで見当も付かぬ――
列席者たちがそう考えていた刹那、先に飛び掛かっていったのはみくの方である。
まるで猫科の猛獣が得物を仕留めるかのような動きで爪先立ち、右から左へと、変則的な動きで「爪」を薙ぐ。
それをれいぴあとだがぁで辛うじて受けるクラリス。
絶妙の捌きでいなしてはいるが、みくの少女の様な細腕から繰り出されてるとは到底思えない、
野の獣の様な凄まじい膂力で振るわれる「爪」に、クラリスは己の腕が一撃ごとに力を無くしていくのを実感していた。
恐ろしい腕力(パワー)だ。
一撃毎にまるで引き裂かれそうになる。
長引けば長引くほど、私に勝利は無い――
そう思い定めたクラリスは敢えて対手の足を目掛けて、れいぴあを渾身の力を込めて突きかけた。
その一撃は、神速、と言っても良かった。
並の人間なら、そのまま足の一本は地面に縫い付けられていただろう。
しかし、みくはまたもや人間の知覚の域を超えた超反応で、その場から飛び上がり、クラリスの神速の突きから逃れたのだった。
そしてそのままの勢いで、「爪」を振り上げクラリスの頭上に向けて飛び掛かったのだ。
れいぴあは下に突き出されている。もう一方のだがぁでは二刀を受けるには、短すぎる。
つまり、その今や隙だらけのがら空きの頭上に向けて、今、まさにみくの「爪」が振り下ろされようとしていた。
この攻防を見切っていた場内の腕利きたちが、揃ってクラリスの絶命を確信した。
その瞬間。
神の奇跡が起こった――
クラリスの腕から放たれた一条の光が、一閃みくの目を晦まし、飛び掛かるみくの体勢が大きく崩れたのだ。
無論、奇跡などではない。
頭上に陽光が輝き始めたのを見たクラリスが、護身用の幅広のだがぁを引き抜き、それを用いて陽光を反射させ、
みくの顔に向けて照らしたのだ。
だがぁを引き抜いたのは身を護る為でも、二刀で相手を押し切る為でも無く、全てはただ、この一手の為だったのだ。
僅かに崩れたみくの隙を見逃すクラリスではない。
空中で身動きの取れないみくに向けて大きく一歩を踏み出し、羽子を投げ込む様に、全身で空中のみくに突きかかった。
過たずれいぴあの切っ先は空中のみくの心臓を貫き、半ばまでその刀身をみくの身体に埋めて、
彼女の命を一突きで奪ったのだった――
心の臓を刺し貫かれ、絶命したみくの身体がどうっと試合場に倒れた瞬間、我に返った家老が、慌ててクラリスの勝利を告げた。
その瞬間、巻き起こる喚声とどよめき。
だが、勝者である称えられるべき存在であるクラリスは、我関せずと言った様子で、試合場にぼうっと立ち尽くしていた。
みくの心臓をれいぴあで刺し貫いた時、クラリスは総ての事のあらましを悟ったのだ。
如何なる不思議の力か、みくの命を奪った瞬間、複数の生物の「想い」が頭の中に流れ込んできたのである。
産まれた瞬間から親と逸れ、飢えて死ぬだけの所を幼女に拾われて、共に十数年を過ごしてきた黒猫の想い、
廓に売り飛ばされてきた悲しみの中、ただ共に来た黒猫だけを頼りに、長年の辛い廓暮らしを耐えてきた遊女の想い、
その人生の最後を、獣共に輪姦される主人を助ける為に命を投げ出した黒猫の覚悟――
その黒猫の命が消えていくのを眼前にしながら、その身を穢される遊女の無念――
その全てを背負い、我が身を捧げて復讐に身を投じた、一人の娘、猫憑きの少女、みくの想い――
その思念を一身に受けながら、クラリスの閉じた様な細目からは、知らず涙が次々に零れ落ちていた。
嗚呼、私は間違っていた。
この娘子は獣付き等ではない。私が退治するべき存在などでは無かったのだ――
神よ、我を許したまえ。
私が退治すべきは、真に屠るべき神の敵は―― あそこにいる獣共だ。
クラリスが自らの細めた目を僅かに見開いたその隙間からは、金色の復讐に光る眼差しが、
美城家の女当主をしかと見詰めていた――
第一試合の勝者、双葉杏にそうした様に、美城家の女当主が、お褒めの言葉を与えようと近づいてくる。
それを見てクラリスはれいぴあを手に下げて、一歩一歩近づいていく。
家老がそれを見て慌てて控える様にクラリスに声を掛けた。
だが、それでもなお歩を進めるクラリス。
構うものか。私が倒すべき獣はまだそこにいるのだ。
異常を察した近侍達が脇差を抜き放ち、クラリスの元へ駆け寄ってくる。
しかし、既に間合いに入っていたクラリスは、その細めた目をクワッと見開き、
金色の眼差しで睨みつけながら力強く踏み込み、女当主の喉元に向けて渾身の突きを繰り出していた。
並の人間ならば、そのれいぴあは対手の命を絶っていたのだろう。
しかし、美城家の女当主は剣士としても新陰流の免許を収めた腕前である。
しかも縁側と白砂、その段差が有る故か、クラリスの必殺の刺突は僅かに彼女に届かず、女当主の頬を掠めるだけに至った。
まるで、何時かの黒猫の様に――
その瞬間、身体ごとぶつける様にクラリスに殺到する、近侍達の脇差。
クラリスは四方から切られ、抉られ、その身体は襤褸屑の様に崩れ落ち、
彼女の生命活動は、その時、永遠に休止した。
誰の目にも無念、またもや黒猫の怨みは届かぬか、と見えた。
だが、その瞬間、クラリスを斬り殺した近侍の一人の眼の色が、金色に鈍く光り輝いた事に気付いた者は一人も居なかった。
後に美城家はこの凄惨な御前試合を主催した責任を問われ、お取り潰しになる事になる。
その際、記録にすら残されていなかったこの御前試合のあらましの全てを語り、美城家の女当主を切腹にまで追い込んだのは、
彼女に絶大な忠誠を抱いていた筈の一人の近侍だったと言う。
当主が白を黒と言えば黒と即答する近侍が、お家大事なこの時代に、
自らの主家を滅ぼす供述を敢えてした事に、取調に当たった幕閣達は揃って首を傾げたものである。
その近侍の眼が金色に輝いていた事に、その場の誰も気付く事も無く――
そして、更に後日、美城家当主が切腹の折、介錯を務める幕府の首切り役人の目も、
また同様に金色に輝いていた、と伝えられている。
何らかの方法で首切り役人にも憑り付き、遂に主人の敵を討ったのであろう。
猫の祟り、真に恐るべし、と言った所であろうか――。
【完】
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