佐城雪美「今なお暮れつつある日に」 (16)
地の文有りモバマスssです。
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私が小さい頃から飼っていた猫が寿命で失くなってしまった日の晩に、夢をみた。
内容は、一両しかない電車に揺られてどこかへ向かうというだけのもので、私は同じ夢を以前に二回ほどみたことがある。
一度目は私がまだ小学生だった頃、大好きだったキャラクターのプリントが施された食器を落として割ってしまった晩だった。
たしか私はひどく泣いた覚えがある。
失ってしまったものはもう元には戻らないことを知った。
二度目は中学生だった頃で、大きな舞台でのライブで、緊張して曲の歌詞が飛んでしまった時のことだった。
ファンはそれでも盛り上がってくれたし、事務所の皆は仕方ないと言ってくれたけど、ライブが終わって自宅に帰った後、私は自分の部屋で一人、涙を零した。
泣き疲れて眠った先には、電車があった。
だから私が周りを見渡して、私以外に誰一人として乗客のいない空間に一人揺られているのを確認して、すぐに夢だと気付けた。
そのあとに、飼い猫が遠くへ旅立ってしまったことを思い出した。
陽は沈んでいた。
とはいえ完全に暗闇とまではいかなくて、仄明るい空と深い木々ばかりが車窓を流れていた。
私はそれをぼうっと眺めたり、車内を歩き回るだけで、特別何か考えたことといえば、猫に会いたいというくらいだった。
それも悲しさや寂しさに端を発するものではなくて、ただ単に私の人生にはどの局面にも猫がいたというだけで、今はいないというその違和感を埋めてしまいたかった。
電車は時折減速し、停車する。気の遠くなるような時間をかけて、何事もないように動き出す。
それがどうしてだか、私に不安を煽る。
取り返しのつかない未来に、無理やり運ばれてしまっているような。
電車が三度目の停車をしたときのことだった。私から遠い方のドアが開いた。
諦念と祈念とが心臓の内側でせめぎあっていて、ドアはすぐに閉まってしまったが、小さな乗客が増えた。
黒く整えられた毛並みと、大きな黄色の目玉が二つ、なに食わぬ顔で悠々と歩み寄ってくる。立つことに疲れて座席に腰掛ける私の元へ。
電車が動き始める。
足元が大仰に揺れ、一度身をすくめるも、猫は再び歩を進めて私の膝に飛び込む。つい癖で頭を撫でてやると、目を細めて喜んだ。
そうして猫を撫でては、この子に別れを告げなければならないんだと思ったけど、どうしてだか涙は出なかった。
私の顔を見て一言小さく鳴くと、膝の上で微睡み始めた。まるで揺り篭に揺られているような、穏やかな波の中に漂うような感覚の中に、私達はいた。
ふわふわの毛並みを撫で付けながら、窓の外を見遣る。
夢だからだろうか、まだ夕闇はその片鱗くらいしか見せていなくて、私はその奥をじっと眺めていた。
どうやら私がどこかへ出かけるというよりは、私が猫をどこかへ送るらしい。
電車は減速する。猫は不意に目を覚まして、私の膝から降りる。どこかでドアの開く音がする。
その場で大きく伸びをして、ドアの元へ走ってゆく。彼女の名を口にする。
「 」
その言葉は瞬く間に、夕闇に霧散してしてしまう。
それでも猫は一度だけ振り返ると、またすぐに向き直って行ってしまった。
ドアが閉まる。
窓の外は、今なお暮れつつある。
次の日は、レッスンがあった。
正直気乗りはしなかったけど、プロダクションまで足を運んだ。
いつものように着替えて、いつものように身体を動かして、いつものように皆と話すだけ。
頭ではそう理解できても、どうしてだか身体は思うようには動かなかった。
身体の至る所に何重にも蔓が巻き付けられているような感覚があって、すべての動作がぎくしゃくとしてしまう。
不思議な思いがした。
飼い猫が亡くなってしまっただけで、私はなんともないというのに。
結局私は、その日のレッスンを休んでしまった。
私の様子を気遣ったプロデューサーが、トレーナーに計らってくれたのだ。
どうして、と理由を尋ねると、私が悲しそうだったからとだけ答えてくれた。
私にはプロのアイドルとして、ファンに夢を届ける役目がある。
彼の対応に、少しだけ私は苛立ってしまった。
そんな私が幾ら悲しそうにしていたからといって、それだけの理由でレッスンを休んでいいわけがない。
それでも彼は、それ以上はなにも言おうとしなかった。
ただ優しい目をして、それだけだった。
私の方も、なにも言い返すつもりも、気力さえなかった。
事務所のソファに腰かけながら、猫のことを考える。
間違いなく私の半生の中で、最も長い時間を共にした親友だった。
気紛れで、温和で、柔らかな毛並みの黒猫。
昨日の夜更けに、眠るように自然に息を引き取った黒猫。
ああ、今になって気付き始める。
私にとってあの子が、どれだけ大きな存在であったかを。
これから私は、たった一人で歩いていかなければならない。
アイドルとしても、一人の人間としても。
まるで魂の一部が欠落してしまったような心地だった。
潮が満ちるようにして、時間をかけてではあるものの、その事実は肌に馴染んでゆく気がした。
ただ一人座り込んだまま、漸くその言葉を言う勇気が出た。
「さようなら」
口にした言葉は、誰にも、なににも届かない。
空の上に、遥か上に、昇っていく。
私は、私で、頑張っていくよ。
そう思って初めて、死を受け入れられたような気がする。
「ペロ、さようなら」
「今までありがとう」
今になって漸く、涙が零れてきた。
短いですが、以上になります。
ありがとうございました。
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