勇者「ちくしょう...」
「なにか食べるものを...」
勇者は黒い革の鎧を身に纏い、その上から外套を着ていた。
一見すると威圧感のある風貌だが、その身はげっそりと痩せこけていた。
髭は伸び、目はどこか虚ろで、虚空を見つめていた。
アングロ・サクソン様式のような建築法でできた石造りの教会の壁にもたれかかり、彼は身じろぎ一つせずに座っている。
勇者「あぁ...皆...どこへ逝ってしまったんだ...俺をひとりにしないでくれ...」
「俺はひとりでは生きていけないよ...」
勇者は何かを掴むかのように手を伸ばすが、宙を切り彼は前のめりに倒れた。
そして、動かなくなった。
彼は勇者だった。
人望も厚く、知略、武力ともに優れた人材だった。
だから旅団一つを任された彼は、魔王討伐を味方にひとりも死者を出すことなく完遂できた。
国王から軍人の中では最も名誉「勇者」という位を賜り、このまま順風満帆に人生が進むと思われていた。
しかし、そうはいかなかった。
魔王討伐後一年経ち、徐々に大地が腐るという現象が起こった。
草木は枯れて青紫色に変色し、動物の死骸は紫色になっていき、水は茶色に変色した。空には厚い雲がかかり、陽の光は大地には降り注がなくなっていった。
大地に根ざす植物を食べたものは感染症にかかり、発熱、嘔吐、下痢、またそれによる脱水症状にかかった。
民は腐った水で喉を潤し、過分に摂取した水分で餓鬼のように腹を膨らませ、亡霊のように水を求めてさまよい歩いた。
多くの者が苦しむ中、上流階級のものは保存食と貯蔵していた大樽の酒で飢えを凌ぎ生きながらえていた。
その頃勇者は長い眠りについていた。
称号を授与されてから植物人間のようになり、国立の医薬舎で治療を受けていた。
その為、病室の外で何が起きているか何も知らなかったのだ。
勇者が起きたのは、おおよそすべての動植物が死んだ後だった。
勇者「...ここはどこだ...」
「...」
目を覚ました彼は、自分の腕に刺さった数本の点滴の針であるガチョウの羽先を抜いて寝台から降りた。
寝覚めは最悪だった。
窓から見える景色も鬱々とした景色だった。
累々と積み重ねられた屍は、何も事情を知らない勇者にとっては衝撃的だった。
事態が把握出来ない勇者は医薬舎で資料が無いかと探そうとした。
流石に誰かが事態を書き記しているだろうと。
彼は、おぼつかない足取りで医薬舎の中を探した。
扉を開き廊下に出て最初に目に入ったのは、「紫色、食べるべからず」という壁に書かれた落書きだった。
大きな達筆な字だった。
勇者「誰かいないか」
久しぶりに出した声は大きくかすれていた。
不気味なほど静寂に包まれた院内を、彼のかすれた声が反響した。
廊下を進んで階段を降りる。
窓から見た景色はここがおおよそ三、四階であることをわからせていたが、この医薬舎には初めて来ていたため自分の位置がわからない。
下の階層に着いて廊下を見るが、誰もいない。
勇者「だれかいないか?」
ほぼ一年ぶりに出す二度目の声は、先程よりは大きかった。
勇者「...」
やはり誰もいないようだ。
更に下の階層に降りてまた同じことを行う。
反応はない。
この階層が1階だろう。
医薬舎というのは診療のために1階に機能が揃っているというのを部下に聞いたことがあったのを思い出す。
寝たきりだったため、足の筋肉は萎んでいる。
足を引きずりながら歩く。
勇者「誰か...」
1階を探すが誰もいないようだ。
玄関口から見える広場にはひれ伏した屍がうずだかく積まれていた。
「なんだこれ...」
先程の3階から見えていたものはこれだろう。
大地の色のせいで先程はあまり違和感を感じなかったが
横から見ると、紫色の屍というのはやはり不思議なものだった。
唖然としたが、資料探しを始めようと思いたつ。
誰かに「いままで何があったのか資料などはないか」と訊こうとしていた宛が外れた。
玄関口からいちばん近い診療室に這入る。
綺麗に整頓された事務机が目に入る。
机の袖の引き出しを開けた。
病症録の紙束を出して見る。
『6月 17日 アレンジャー 発熱 下痢
〃 トンプソン 飢餓感
〃 パンプ 腹痛
〃 ナイノ 下痢 嘔吐
:
『所見欄:下痢、発熱などの患者がいつにも増して多い。』
『6月 18日 ……』『所見欄:紫色の植物を食べたことが原因か?』
『6月 19日 ……』『患者が多すぎて回しきれない』
『6月 20日 ……』『陛下がお触れを出された。やはりあの紫色の植物か。』
『6月 21日 ……』『保存食が尽きそうだ』
:
:
勇者「...」
いくつかの診療室を回ったが、病症録は同じようなものだった。
勇者「紫色の植物は駄目で、保存食は大丈夫なのか?」
とりあえず医薬舎から出て自分の家を探す。
おそらくここから自宅までは遠くないだろうと、暗がりに見える王城からあたりをつける。
勇者「............」
どこを見ても屍が転がっている異常な町に驚く。
屍は一様にお腹が膨れている。
堀や川は紫色に染まり、屍が沈んでいる。
堀などは屍で埋まっている所もあった。
自宅は荒らされていた。
主に食品が無くなっていた。
剣や防具、装飾品は元の場所にあったが、地下室の酒樽や、肴の干物は無くなっていた。
勇者「...頼みの綱が切れてしまったな...」
町をさまよい歩いたが誰もいないし、食べ物も見つからなかった。
勇者「困った...」
休止
そして冒頭に戻る。
勇者は孤独の身となってしまった。
自分の愛する人を、信頼する人を、仲間を、知り合いを失ってしまったのだと思った。
食べるものもなく、飲むものもない。
病院の僅かな点滴の水で凌いではいたが、もう底をついた。
一週間の間、彼は何も食べず生存者を探した。
しかし、もう希望は潰えてしまっていた。
勇者「もう、無駄かもしれない」
彼は何度もそう思った。
しかし、もう力は尽き果てた。
何より、誰もいない という絶望感が足取りを重くしていた。
足取りを重くしていた→体力の消耗を早めていたのかもしれない。
うつ伏せに倒れた彼は長い夢を見ていたような気がした。
全部嘘だったのだと。
もう一度目が覚めたら、何事も無かったかのように街は活気を取り戻し、また勇者も働けると。
しかし、飢餓感が彼にこれは現実だと教えていた。
そして意識を失った。
休止
目が覚めた勇者は違和感を感じていた。
なぜうつ伏せに倒れたのに今自分は仰向けに寝ているのかと。
目を開けるとトタンの屋根が見えた。
勇者「なんだここは」
勇者は起き上がる。
床に寝かされていたようで背中が痛んだ。
周りを見渡すと、壁や床、天井。全てトタンであることに気づく。
それ以外には何も無い。
栄養の足りない頭を振り絞って考えるが、何故ここにいるのかがわからない。
誰かが運んだのか。いや、皆死んだのではなかったのか。
ふらつく足を前に出し、この何も無い狭い部屋から出ようと目論む。
勇者「....出入口はどこだ」
取り敢えず、どこかが何かしらで開く仕組みなのかもしれないと思い、壁を叩いてみる。
どこかが扉だったら、その部分だけ音が違うのではと思ったのだ。
勇者「うぅむ...」
トタンであるからして、どこが空洞なのかがわからない。
どこを叩いても同じような大きな音が鳴るのだ。
勇者は諦観の境地に至った。
もう無駄だと。
ただエネルギーを消費するのは喜ばしくない。
座り込んで壁に背をかける。
数分経っただろうか。
女の声がする。
女「生きてますかー?」
なんと不謹慎なやつだろうか。
私が死んだとでも思っているのか。
私は紫色ではないだろう。
勇者「あぁ」
そう返事したあと、目の前の壁が取れた。
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