【ミリオン】前略、仕掛け人さま (36)

私、しあわせですね。


・三年後のエミリー妄想
・ややしっとりめ
・グリマスの設定準拠


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 始まりはいつも突然に。誰が今日だと予想していただろう。
 あぁ、違う。そんな日なんてずっと、こないのだと思っていた。それはある晴れた春の日こと。

 舞い散る桜の花びらと、風に揺れる黄金色の髪。

「仕掛け人さま。大事なお話があります」

 そう呼びかけられ、顔を上げるとエミリーが正面に立っていた。今日はレッスンのはずだから事務所による必要はないはず。真剣なまなざしをしているが、なんだろう。またいつぞやの時みたいに修行に行くなんて言い出さなければいいが……。

「どうした?」
「こちらを、見ていただいてよろしいですか?」

 エミリーが差し出したそれはA4サイズの用紙。目を落とす。春らしく、ピンクを基調としたデザインとロゴ。
 来月の定期ライブのポスター、か? いつの間に刷り上がっていたのだろう。今回は目を通していないが……。
 
 エミリー、大きく写ってるなぁ。確かもう十六歳だっけ。随分髪も伸びて大人っぽくなって……。

「え……?」

 思わず声が漏れた。エミリーがステージ衣装に身を包んで、こちらに向かって手を差し出しているその写真の下には。


『エミリー スチュアート ラストシアター』


「あの、仕掛け」
「エミリー。一つ聞きたいことがあるんだけど」

 言葉を遮って問うた。今からする質問はおそらくばかげている。だからそんなことはないと否定してくれる。エミリーの顔が何かを察したように曇った気もしている。だけど、それはたぶん気のせいで、これも考えすぎなだけ。だから。

「……何でしょうか」
「ラストってさ、最後って意味だっけ……?」

 エミリーが戸惑ったように眉を下げる。
 否定をしてほしい。そうじゃないのだと言ってほしい。違いますよ、とだけ。たったそれだけでよかった。

「……そう、ですね。私、エミリー スチュアートとして舞台に立つことが次の定期公演で最後だという意味で使われています」

 何かの崩れる音がした。それが何なのかはわからないけど、声がとっさに出なかった。こんな顔をすればきっと心配するだろうから。どうか冷静な顔でいてくれ。ポスターを見てからもう一度見たエミリーのその瞳に揺らぎはない。これはまぎれもない事実なのか。

「ずっと、黙っていて申し訳ありませんでした。今年の春で、私はこのお仕事を、『アイドル』を辞めることになります」
「どうして……」

 やっと絞り出した声は掠れていて、どれほど自分が動揺しているのか思い知らされる。エミリーは伏し目がちに答えた。

「私が、日本へ来たのは父の仕事があったからだということは最初にお伝えしていましたよね」
「あぁ、それは聞いている……」
「今回も同様です。父の仕事が日本で行う必要がなくなりましたので私は家族と共に祖国へ帰ることに。ですから、次回の舞台が最後になります。それが終了すれば私は翌日の昼、飛行機で祖国に帰ります」
「……荷物、とかはどうするんだ」
「もう既に引っ越しの手続きも終えて、荷物も殆ど送り終えました。社長さんにもお話はしてあります。もう、残っていることは仕掛け人さまへのご挨拶と最後の公演になります」
 
 淡々と答えられて、悲しくなった。こんなにもショックを受けている自分と、答えるだけのエミリー。つい、語気が荒くなる。

「なんで……、先に言ってくれなかった」
「それは………」
 
 違う、責めたいわけではない。別にプロデューサーとしてこんなことは珍しいわけではない。知っていた。ずっとアイドルでいられるわけじゃないことくらいは知っている。だけどそれがこんなにつらいものだとは知らなかった。
 責めたいのはエミリーではなく、自分の考えの甘さだった。

「仕掛け人さまにはあれほどお世話になったのに、最後に無礼なことをしてしまったと深く反省しています」

 謝罪の言葉が聞きたいのではないと、エミリーは知っているか。
 ポスターをトンと指でたたく。驚いたのかエミリーは肩をはねた。

「わかった。それで……、このライブだけど……」
「仕掛け人さまは、他にお仕事があるんですよね。音無さんから聞いています」
 
 そう言って笑ったエミリーを見て、これがどれほど入念なことであったのか思い知らされる。自分の知らないところですべてが動いていたのだ。ライブの手配も、セットリストの管理も、衣装の用意も、ポスターのデザインも、エミリーのことも。全部、自分以外は知っていた。それが誰の気遣いなのかもわかってしまった。

「いや。だけど、絶対に……」
「仕掛け人さま」

 凛としたその声にはっとなる。顔をあげて自分が下を向いていたことに気がついた。エミリーは微笑んでまっすぐ見つめる。

「私、もう十六歳ですよ。一人でも応援してくれていたごヒイキ様方のご声援があれば、全力の舞台をお見せできます。ですから、心配しないでください」
「そうか……。でも本当に、ごめん……。見送りには絶対行く」
「はい、楽しみにしていますね」

「仕掛け人さまにだけお教えしますけど、同い年の星梨花さんと亜美さん、真美さんと一緒に『感傷的な女神』を歌うんですよ」
「………そ、っか」
「もう! 仕掛け人さま。ここは笑うところです! 奈緒さんに日本のつっこみを教えていただいたんですよ。今のは『なんでやねん、それを言うならSentimental Venusやろ!』と言うところです!」
「あぁ……。ごめん」

 うまく、笑えているか。こんな公演前にエミリーを心配させてはいけない。こんなだから、隠されるんだ。ふがいないから、こんな風に。
 
「そんなお顔、なさらないでください。私も笑っていますから」

 エミリーは口角に手を当てて口を横に広げる。不格好だったけどその笑顔はいつもより心が癒された。失格だな、こんなんじゃあ。
 アイドルを心配させて何がプロデューサーだろう。

「……こんな仕掛け人じゃエミリーも思い通りのパフォーマンスができないよな。だから、笑っているよ。二人で微笑み日和だ」

 同じように口角に指をあててにいと笑ってみせる。それが心からの笑顔でないことに気づかれているだろうが、それでも今はこれでいい。

「……はい!」

 心の何かが抜け落ちた気がしたけれど、エミリーには黙っていよう。これ以上心配かけてはいけないから。

 * * *

 クソッ……! 打ち合わせ長引かせやがって、あのディレクター。

 時間はギリギリ。せめてエミリーの最後の歌だけでも……。頼む、間に合ってくれ。

 息を切らしながら客席の一番右奥の扉から入った。邪魔にならないように壁に沿って立った。席は満員。紫のペンライトが目立つ。スポットライトに照らされたステージには亜美と真美と、星梨花が立っていた。MC中のようだ。

「真美! おセンチメガミン、チョー楽しかったね!」
「亜美! それを言うならセンチメンタルビーナスっしょ~?」
「まあまあ、そういうことは置いといて。それよりもせりかっちから言いたいことがあるんだよね!」
「はい! 先ほども私たちと一緒に歌ってくれたエミリーちゃんですが、皆さんもご存じのとおりエミリーちゃんは今回の舞台が最後の出演になります。淋しかったり悲しかったりする気持ちはたくさんありますが、エミリーちゃんはいつも私たちに笑顔をくれました。だから私たちも笑顔で見送りたいと思います。それでは、エミリー スチュアートで『微笑み日和』です!」

 
 会いたい明日へと 迷わず行きましょう

 ♪~

 星梨花が手を差し出すと同時にライトが落ちた。暗闇から突如始まるその歌声と続くメロディライン。そしてスポットライトがばっちりエミリーにあたる。エミリーは顔を上げて客席を見る。形容しがたいその表情には人を惹きつける何かがあった。ペンライトを振ることも忘れて聞き入ってしまうような。

 これはこんな曲だったか。何かが違う。違うのはエミリーの方か、聴き手の方か、あるいは両方か。

 透き通って空に抜けるような爽やかなすっきりとして。どこまでも届いて、海を越えた遠くの国まで渡って人々を笑顔にする。
 例えばそれは、空に虹がかかるように。星が夜空を切り裂く流星群のように。

 瞳を、心を、奪われた。

 感情を置き去りにしたまま曲は進んでいく。もう二番のサビ。間奏が始まる。あぁ、終わってしまう。
 エミリーは間奏の間、何も話さなかった。感謝の言葉とか、自分の想いとか、話すことは尽きないはずだから何か言うものだと思っていた。ただエミリーは、真っ直ぐ客席を見つめる。柔らかい眼差しとその笑顔で、客席を見ていた。何を想って、何を感じているのだろう。
 そして最後のサビへと移る。エミリーがステージで歌う最後の歌。最後の歌詞。

 未来の欠片 集めて 憧れに咲く明日へと

 深々とお辞儀して、アウトロが終了した。しばらくしてから誰かが手を叩く。それが拍手だと一瞬わからなかった。慌ててそれに続く。まばらな拍手は徐々に増えていき、それは歓声と感激に変わる。ありがとうと感謝する者、お疲れさまと労う者、泣いて言葉が出ない者。反応は様々だったが、それは紛れもないエミリーにできる最良のパフォーマンスであり、最高のステージだった。

 自分は、拍手をするだけで言葉が出なかった。それは動揺からなのか感動からなのか。

 エミリーは拍手が終わるまでお辞儀を続けた。みんなはその顔を見たいのだろうが、きっとそれができないのには理由がある。顔を俯けたまま、光に反射して光りながらステージに落ちていくものがあった。何粒も、何粒も、とめどなく零れているそれは涙であろう。悲しみの涙ではなくて、喜びのなみだ。

 暗転し、拍手が落ち着く。

 暫くしてスポットが当たった。ステージ上にいたのはエミリーと星梨花と亜美と真美。星梨花の手には花束。星梨花が口を開く。

「エミリーちゃん! すごく、すっごく良かったです! 私、私……、あの…!」
「せりかっち興奮しすぎだよ! 落ち着いて!」
「そういう亜美だって感動して泣いてたくせに~」
「ま、真美だっておんなじっしょ~!?」

 わちゃわちゃとステージ上で会話を続ける。エミリーは三人のやり取りを見ながら微笑んでいた。その目元が赤いのは、気のせいではないだろう。

「皆さん……。ありがとうございます」
「エミリーちゃん、本当に素晴らしいステージでした! これ……、私たちからです! 受け取ってください」
「Wow! なんて綺麗な花束なんでしょう! 皆さんが選んでくださったんですか?」
「はい! 劇場のみんなと選んだんです。気に入ってもらえるかわからないですけど……」
「いいえ、とても気に入りましたよ! ありがとうございます」

「本当に、私は幸せ者ですね……」

 花束に顔を近づけて、慈しむように匂いを嗅ぐ。豪華なほど飾られたその花束はエミリーによく似合っていた。

「もう、そんなに悲しい顔してたらゴヒイキサマに心配させるよ?」
「そうそう、笑顔が一番だよ!」
「……そうですね。ありがとうございます。亜美さん、真美さん。……あの、最後の、ご挨拶をしてもよろしいですか?」
「モチロンだよ! でも亜美たちはお邪魔虫だからいったん捌けるね~!」

 そう言って亜美と真美と星梨花が下手に捌けていく。ステージ上にエミリーは一人。手には花束とマイク。すぅと息を吸う音が聞こえた。

「本日は765プロ劇場公演にお越しくださり、誠にありがとうございます」

「皆さんも既に周知とは思いますが、私、エミリー スチュアートは本日の公演をもちましてアイドル活動を引退いたします。私がここまでくることができたのは今まで応援して下さった方々のあたたかいご声援のおかげです。日本で経験したこと、知ったこと、触れた優しさを忘れることは決してありません」

「日本が大好きで幸せでした。日本に来られて幸せでした。日本でアイドルをすることができて幸せでした。星梨花さん、亜美さん、真美さん……。たくさんの大和撫子な方々とお会いすることができて幸せでした。こうして応援されることがこんなにも嬉しいなんて……、以前の私には到底知り得なかったことです。未熟者の私を応援してくださって、支えてくださってありがとうございます。私……、とても幸せです!」

「そして、これからもどうぞ、765プロの皆さんをよろしくお願いいたします!」

 エミリーは深くお辞儀をした。拍手を受けて顔をあげる。涙はもう、ない。晴れ晴れとした笑顔。この景色を目に焼き付けているのだろうか。

 * * *

 終了後に控え室へ行こうとすると音無さんとすれ違う。今はみんなとお話しているみたいですからもう少し後にした方がいいと思いますよとアドバイスをいただいたので少し時間を置いた。私服に着替え終えたエミリーが花束や紙袋を抱えながら控室から出てきたところで声をかける。

「エミリー、お疲れさま」
「仕掛け人さま! 来てくださったんですね!」
「あぁ、間に合ってよかった」
「そうですか。あの、それで……」

 エミリーはもじもじと自分の顔を窺う。それで何が欲しいのかわかった。ただ一言だけが欲しいのだろう。

「最高だったよ。いいステージだった」

 それを聞いてぱあっと顔を明るくするところが昔と全然変わらなくておかしかった。意外と表情が豊かなのだ。

「それ、そのまま持って帰るの大丈夫か?」
「はい! だって皆さんがくださったものですよ。お茶とかお菓子とか、お手紙とか……。ちゃんと自分の手で持って帰りたいんです」
「エミリーがいいならそれでいいけど……。あんまり無茶はするなよ?」
「大丈夫です! 車で父が迎えに来てくれることになっていますから」
「あぁ……、なるほど」
「それでは仕掛け人さま、失礼いたします」

「あ、エミリー!」

 ぺこりと頭を下げて出口の方へ行こうとするエミリーに声をかける。エミリーは振り返って「どうしました?」と首を傾げた。

「ま、また明日。空港で!」
「はい。お待ちしておりますね」

 もう一度頭を下げたエミリーは角を曲がって見えなくなる。
 この「また」を言う日は今日限りなのだと思うとどうしようもなく胸が締め付けられた。

 心に開いた穴に風が吹く。

 * * *

 空港に来るのなんてあまりないからつい周りを見てしまう。エミリーから教えてもらった場所はこのあたりのはずなのだが……。

「仕掛け人さま」

 上着の袖を引っ張られて後ろを見ると髪の毛を下ろして白い帽子をかぶったエミリーがいた。なんとなく事務所や劇場で見ていた雰囲気とは違っていて驚く。

「おはようございます。本日はわざわざお越しくださってありがとうございます」
「そんなにかしこまらなくても……」

 遠くにエミリーの両親と思しき方が見えたのでそちらにも挨拶に行く。二人とも日本人ではなかったが、日本語には堪能らしく助かった。まだ時間はあるから娘と話していてくださいと言われる。

「まだ搭乗しなくても大丈夫なんだっけ」
「はい。まだ時間はありますよ」
「………ちょっと、その辺歩こうか」

 そう提案して空港内を歩き回る。近くにあったお土産屋さんを覗いていく。富士山の置物を見てエミリーが欲しそうな顔をしていたので買ってあげた。エミリーが手に提げていた紙袋を持つ。

「申し訳ないです……。最後まで甘えてしまって」
「まだ、エミリーの仕掛け人だからな」
「仕掛け人さま……」
 
 搭乗時間まであと三十分。後少しで手を振るときがくる。

 ガラス張りになっているあたりのロビーで休もうと思ったが椅子が余っていなかったので、並んで手すりにもたれかかった。

「もうすぐ、ですね」
「そうだな……」
「あの、私、幸せでした」

 それは昨日の公演で最後にエミリーが言った言葉と同じだった。だけど意味が違っていた。帽子のつばで顔が隠れてよく見えない。

「仕掛け人さまと出会えて、本当によかったです」

「アイドル、できてよかったです」

 エミリーは言葉を紡ぐ。返事はいらないのか、相槌を打つ間もなく続けた。

「本当は……、不安だったんです。憧れていたけれど、全く知らない土地で大和撫子を目指すということが、最初は怖かったんです」

「大和撫子になるなんて、こんな私が言って笑われはしないかと。以前は、大和撫子とは艶やかな真っ直ぐな髪で立ち居振る舞いの美しい女性のことを指すのだと思っていました」

「だから山に修行に行くなんて言ったり、激しく踊ることがはしたないと思ったりして、仕掛け人さまの三歩後ろを歩いたりすることで何とか理想の大和撫子になろうとしていたんです」

「だけど、仕掛け人さまが違うって言ってくださって。外見だけじゃなくて、内面が美しい女性のことを言うんだって言ってくださって。とても嬉しかったんです」

「こんな私でも、なれるんだって思えました」

「最初は横文字を使わないことや、英語を話さないことで大和撫子に近づこうとしていたのですが……。貴音さまや伊織さまを見ているとそうではないと気づきました。横文字だって立派な日本の文化です」

「昔は、わけのわからない日本語言ったりして混乱させてましたね。えへへ……」

「それから、プロデューサーさまと呼ぶことも少し考えたりはしたのですが……。やはり、仕掛け人さまは仕掛け人さまが一番しっくりきますね」

「いつの間にか、この日本語が、私にとってとても大事で特別なものになっていて……」

「エミリー?」

 声に違和感を覚えて顔を覗き込もうとしたが帽子を盾にして塞がれた。震えている肩と声は気のせいじゃない。

「み、見ないでください!」

「……変ですね、おかしいですね。笑顔でいるって決めたんですけど。仕掛け人さまに悲しい顔をしてほしくなくて、最後まで笑顔の私でいたかったんです。それなのに……」

 帽子で顔を覆っているから今、エミリーがどんな顔をしているのかはわからない。だけど、その涙が昨日の公演のように嬉しさからきているものではないことは誰だってわかる。

 帽子に一粒、染みこんだ涙。それをぎゅうと握って誤魔化そうとするエミリーはひどく愛おしかった。

「大和撫子、なれませんでしたね」

 なんでこの子はこんなにも。

「ずっと、目指してきたんですけど。やっぱり駄目でしたね」

 真っ直ぐなんだろう。挫折した日もあったはずだ。くじけてもう立てないと思った日もあったはずだ。

 それでも、前を向き続けていたのは。

「ずっと、ずっとなりたかったんです。私は……!」

 あぁ、そうだ。

 忘れかけていた。背が伸びて目鼻立ちがすっきりしてきて同年代のアイドルよりも大人っぽかったから忘れていた。


 エミリーは、まだ十六歳なのだ。


 アイドルだけど、その前に、夢に憧れ、夢を見る、少女だ。

 その夢を叶えるために今まで隣にいた。支えてきたつもりだった。それでも、叶えたと思わせてやれなかったのは完全に自分の不甲斐なさのせい。

 だけど、エミリーがそう思えなかったとしても。

「仕掛け人さまはこんなに支えてくださったのに。ご贔屓さま方もたくん応援して下さったのに。私は、わたしは……!」

 公演で涙を流した顔を見せようとしなかったのは何故だろう。昨日の歌が心に響いて、今も余韻が残っているのはなぜだろう。
 引退のことを隠していのは、誰のためだろう。笑顔でいようとしたのはなんのためだろう。

「そんなこと、ない」

 そう言って頭をくしゃっとする。エミリーは帽子を顔から外して顔を上げる。涙で濡れた顔と腫れた目。

「しかけ、にん、さま……?」

「エミリーは大和撫子だったよ」

「え……?」

「で、でも……! 昨日の舞台では泣いてしまって、今もこうして泣いてしまって。こんなの、全然、ちっとも大和撫子じゃありません!」

 変なところで頑固なエミリーだからそれだけでは納得してくれない。でもエミリーがそう思っていたとしても自分にはそうは思えない。

「なんかさ、エミリーは勘違いしてるみたいだな」
「かん、ちがい……?」

「エミリーはそう思わないかもしれないけど、エミリーは自分にとって大和撫子だったよ」

 山に修行へ行こうとした日のこと。三歩後ろを歩こうとした日のこと。横文字を使おうとしなかったこと。初めて出会った日のこと。全部大事な思い出で、宝物で。
 そんな思い出を積み重ねていくうちに、エミリーが自分にとってかけがえのない存在になっていた。
 気がついたときにはもう、エミリーは大和撫子になっていた。

「でも、私には、そうは思えないです……!」
 
「引退のこと黙ってくれてたのとか、最後まで笑っていようとか、そうやって思うところが大和撫子みたいって思うけど」

 思いやりの心を持つことがどれほど難しいことなのかエミリーは知っているのだろうか。それが意識的でも無意識でも、どちらだとしてもいい。

「それは、私が仕掛け人さまの悲しい顔を見たくないからで……! 結局私の、ためなんです。仕掛け人さまのためにやったことじゃなくて、私がそうしたかったからで」

「エミリー」

 何度も呼んだその名を口にする。名前を呼ばれてはっと顔をあげた。

「それに、大和撫子っていうのは別に無理して泣かない人のことじゃない」

 エミリーが帽子を落とした。それを拾いながら続ける。埃を払うとガラスからこもれた光が乱反射して輝いた。

「悲しいときは、いっぱい泣いていいんだ」

 それを皮切りにしてしゃくりあげるように涙をこぼす。ロビーの隅から聞こえる少女の泣き声とそれを見ているだけの自分を世間は痛い目で見てくる。

 落ち着いてきたあたりで帽子をエミリーの頭に被せる。エミリーは、真っ直ぐ見つめる。そっと手を伸ばして、目元の涙を拭ってくれた。
 
「……仕掛け人さまも大和撫子ですね」

 エミリーの姿を見て、なんだか感情の波が押し寄せて溢れてしまったのか。昨日のライブでも泣かなかったのに。

「えへへ……。おそろい、ですね」

 くしゃっと笑うエミリーは絵になっていて、写真に収めたかったけれど生憎そらさんはいないし、カメラも持っていない。
 だから、せめて脳裏に焼き付けよう。

 十六歳の金髪少女とサラリーマンが二人で横に並んで、空港で泣いて。傍から見れば滑稽に見えるかもしれない。だけど、それでもいいと思えた。

 エミリーの仕掛け人でいることができてよかった。そう思わせてくれただけで、十分彼女は大和撫子だと言えるだろう。

 * * *

 搭乗口の近くまでエミリーを送る。このゲートをくぐれば、多分エミリーが日本に来ない限り会うことはないだろう。

「エミリー……」
「仕掛け人さま。私、さよならは言いません」

 それじゃあ、と言いかけていた言葉を遮られる。何を言おうとしていたかなんてお見通しだったのだろうか。

「言いましたよね。この空は繋がってるんです。だから、淋しくありませんよ。それに、いつか会えるかもしれませんよね。劇場の皆さんのこと、ずっと応援しています!」
「……みんなに伝えておくよ。海の向こうから応援してくれる人がいるなんて765プロは無敵だな」
「はい!」

「元気でな」
「仕掛け人さまも、お元気で!」

 くるっと振り返ってゲートをくぐるエミリーを見届ける。一度振り返って深くお辞儀をして、歩き出した。手を振って見送る。

 何となくポケットに手を突っ込むと知らない感触があった。取り出したそれは小さな手紙。


「前略、仕掛け人さま」

 あぁ、どうか、もう振り返らないでほしい。
 きっとこんな顔を見たらエミリーは悲しんでしまうから。

 知らぬ間にポケットに忍び込ませられた小さな手紙。



「私の仕掛け人でいてくださって、ありがとうございました」



 それは、こちらこそなのに。

 年甲斐もなくこんなにも涙が溢れて、とても見せられるものではないのだ。力が抜けて立てなくなるのを堪えて手すりにもたれる。

 青く晴れた空と、飛行機雲。春の匂いと、小さな手紙。大事な思い出と、流した涙。

 これは大和撫子と、仕掛け人の物語。


 ― Fin ―

8あたりまでメール欄のところ変になってました。申し訳ありません。 

忘れがちですがエミリーちゃんはまだ13歳なんですよね……。
三年後を想像して滾ってしまった結果です。エミリーちゃんいいです……。

そしてそして、シアターデイズ、リリースおめでとうございます!
アイドルちゃんたちがスマホの中で動いて歌って喋っているの感動です。
リリース前に書いたのでグリの方のエピソードに沿っていますが少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。

最後まで読んでくださってありがとうございました!

おつ!

せつないなあ、現実だったら帰国ってこともあるのかねえ
乙です

>>2
エミリー(16) Da/Pr
http://i.imgur.com/QiBF6Zg.jpg
http://i.imgur.com/MsbuzJq.jpg

>>11
箱崎星梨花(16) Vo/An
http://i.imgur.com/bDaf1XU.jpg
http://i.imgur.com/PGJUcGt.jpg

双海亜美(16) Vi/An
http://i.imgur.com/vhLe0fj.jpg
http://i.imgur.com/tMHPrve.jpg

双海真美(16) Vi/An
http://i.imgur.com/C3mf1Kp.jpg
http://i.imgur.com/xiw237e.jpg

>>9
『Sentimental Venus』
http://www.youtube.com/watch?v=sc61TVMYuEk

>>12
『微笑み日和』
http://youtu.be/avaB0TvUA8c?t=94

エミリーが表情豊かってほんとそうだと思う。 喜んで怒って哀しんで楽しい、喜怒哀楽が激しくてそれが魅力的な子ですよね。
乙です。

乙撫子

乙。
仕掛人してるけどいつかはエミリーも英国に帰っちゃうんだよなって考えることが頻繁にあるんだよな…

13才なのにしっかりしてる頑固者なエミリーかわいい
三年後の一つの姿として面白いイメージだった

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