男「はぁ……」
仕事終わりで妙にハイになった心と、疲れでだるくなった身体のちぐはぐさが気持ち悪い
公共の場で、思わず出てしまった大きなため息を慌てて飲み込んだ
前を見れば仕事を終え、クタクタになったスーツ姿のおじ様たちが帰路につくのだろう、くたびれた行進が続いていた
上は、星一つどころか月明かりさえも見えない曇天の夜空が広がる
道端の電灯は寿命なのか不規則にチカチカと明滅し不快感と、少しばかりの不安を煽られる
そんなものを見ていると、一人の女の子が目に付いた
駅から家までの間にある小さな公園
時間は夜の22時を超えており、当たりはすっかり夜の闇に包まれていた
外で遊んでいる子供がいるはずもないその空間に、女の子がブランコに座り、ゆらゆらと揺られていた
不良娘だろうか
なんて勝手なことを思いながら普段は絶対に近付かないであろう、そんなタイプの子になぜか引き寄せられていく
隣のブランコに腰掛け、俺も同じようにゆらゆら揺れてみると、俯いていた彼女はのっそりと顔を上げた
男「ははっ、ブランコなんて何年ぶりだろ」
女「…………」
努めて明るく話しかけたつもりだが返事はない
まぁそれはそうだろう
もし俺が彼女の立場だったら、いきなり話しかけてきたブランコでテンションが上がってるおっさんに関わりたいとは思わない
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男「なにしてんの、こんなところで」
女「ブランコに座ってるだけです」
男「高校生? こんな時間まで出歩いてちゃ親御さんが心配するよ」
あぁ、これはダメな声のかけ方だったと言ってから気がつく
この子はきっと何かしらの理由があってここにいるんだ
帰りたくない理由まで知りたいとは思わない。だが帰りたくない理由があるのに帰れというのはあまりにも冷たい言葉だったなと猛省する
女「関係ないじゃないですか。 放っておいてください」
男「声をかけちまったんだもう放っておけないだろ。 女の子がこんなところに1人でいたら危ないっての」
女「なら、あなたがその危ない人ってことですね」
男「あ、なるほど」
なんだか妙に納得してしまった
女の子の夜の独り歩きは危険だと思って声をかけたが、当の女の子にとっては俺みたいなのが危ない人のことなのか
男「なにがあったのよ」
女「何もありませんよ」
男「行くとこ、あんの?」
女「家に帰りますよ」
男「本当にー?」
女「…………」
返事は帰ってこない
彼女の言うことが嘘ばかりなのは子供でも分かる
見え見えの嘘を重ねなければならない程の何かが彼女にはあったのかもしれない
実は俺の勘違いで彼女には何も無ければ、ないで別にいいのだ
ただもし本当に何かがあったのなら力になってくれる人がいるのは心強いだろう
ぴょんとブランコから飛び降りた彼女の背中に声をかける
男「制服じゃ、満喫には泊まれないよ」
女「しつこいなぁ! ちゃんと帰りますよ!」
振り返った彼女の頬には涙が一筋流れているのにようやく気がついた
強気な仮面を被ったまま、その下には崩れそうな程に揺れる瞳が見える
思わず俺は彼女の腕を掴んでいた
男「ならうち、くるか?」
女「え、あ、はい」
彼女は目を見開きながら答えた
俺にとっても予想外の答えに思考がまとまらず拡散しながらも何とか言葉を紡ぐ
大人の余裕ってやつが大事なんだ。多分。
男「ま、俺は襲ったりしねーから安心しな? 俺はガキに興味無いの、年上好きなの、おーけー?」
女「ふふ、はい」
女「あ、私もおじさんに興味無いですから」
男「へー。聞いてないよ別に」
茶化した言葉に彼女も少し落ち着いたのか笑みが戻ってくる
髪こそ茶色いが、よくその顔を見てみれば化粧っ気は薄く、美人ではあるがどちらかと言うと清楚な感じだ
一人で夜を楽しむようなそんなギャル系の子にはとても見えなかった
男「ったく、おっさん呼ばわりとは。 かわいくねーな」
女「…………」
男「おい、落ち込むなよ!?」
女「今から交番に駆け込むのもやぶさかではないです」
男「いや、ほんと今日いい天気だなー!」
女「月も見えない曇りですよ?」
男「ふっ、そうだった」
お互いなんだかおもしろくて思わず笑ってしまう
ひとしきり笑ったところで彼女の目に少し真剣な色が宿った
女「あの、ありがとうございます」
男「うん? あぁ、いいよ別に」
一瞬なんのお礼か分からなかったが彼女の泊めてくれることへの礼だったらしい
こっち、と指さしながら俺達は家に向かって歩いていく
彼女の携帯のストラップについている鈴の音が妙に心地が良くて、二人の気持ちを落ち着かせてくれた
女「お、お邪魔します」
男「そこ洗面所ね、手洗いうがいするんだぞ」
女「はーい」
男「はいは1回だ」
女「1回しか言ってません……」
男「口答えするな」
彼女の頭をぐしゃぐしゃとすると、うぅーと唸りながら不満を口にする
女「私犬じゃないです」
男「あ、わり……」
女「………?」
いつもの癖が出てしまった
平静を装いながら俺はリビングにバッグを置く
身軽になって袖をまくりキッチンに立った
男「どうせ飯食ってないんだろ? 何か嫌いなもんはあるかー?」
女「……作ってくれるんですか?」
男「もう夜も遅いから簡単なものな」
女「わーい」
手を洗って髪を一つに緩く纏めた彼女が洗面所から出てくる
さっきまでとは違う彼女の姿にどきりとしながら、その一瞬生じた思いに蓋をするように自制の心が働く
なにがドキリだくそっ……!
俺の様子を不審に思ったのか彼女は首を傾げながら俺の顔を覗き込んでくる
男「あぁ、気にすんな。 すぐ作るからテレビでも見てて」
女「はーい」
手早く作るならパスタだろう
鍋に水を入れて火をつける
俺は慣れた手つきで二人分の麺を手に取ったことに気が付き、また気持ちが沈んでいった
男「はい、お待たせ」
女「わぁ、おいしそうです!」
男「ココアでよかった?」
女「ありがとうございます」
男「よし、じゃあ食べよっか」
女「いただきますっ」
綺麗な所作でパスタを口に運んだ彼女は破顔した
おいしい! と一言漏らしてからもそのフォークは止まらない
見る見るうちに平らげられていくのを見ているのがなんだか嬉しくて俺も元気を貰えるようだった
女「ほんとにおいしいです……」
男「そりゃよかった」
女「あつっ!」
ココアに口をつけた彼女が慌てて口を離した
猫舌なのだろう、そこまで熱い湯を入れたつもりはなかったのだが彼女にとっては熱かったらしい
男「猫舌なんだ」
女「生まれつきなんです……」
男「別にいいじゃん」
女「あ、ビール」
男「これが堪んねえんだよ」
缶を開けると、プシュッと音を立てて芳醇な香りが溢れてくる
それを喉に流し込めば1日の疲れも飲み込んでしまうようだ
つい、あーと声が漏れてしまう
女「ふふ、おじさんみたいですね」
男「うるせーよ」
女「冗談ですよ。 まだ全然若いじゃないですか」
男「いくつに見える?」
女「その質問がおじさんくさいです…… そうですね、25くらい?」
男「26でしたー、べろべろばー」
女「1個しか変わらないじゃん!!」
声を荒らげて怒る彼女が面白かった
こんな風に誰かと笑い合うのは久しぶりだったかもしれない
友達とも最近は会っていなかったな、と少し場違いなことを考えていた
女「それにしても広いお家ですね」
男「そう?」
女「とても一人暮らしとは思えないくらいです」
男「……まぁなー」
女「すごくお金持ちだったり?」
男「だったらよかったのになー」
女「違うんですか?」
男「ここは、前の嫁さんと住んでたからな」
女「あ、そうだったんですか」
男「今は持て余してるよ。 おかげでお前が来ても平気ってわけだ」
女「亡くなったんですか……?」
男「どうしてそう思う?」
女「何となくです……」
男「さぁな。 そんなのどうでもいいだろ」
俺のその言葉を肯定と捉えたのだろう
彼女は俯いてフォークの動きを止めた
少し大人げなかったと反省し俺は自分が放った拒絶の言葉が作る壁を自ら壊そうと必死だった
男「ってか風呂入るだろ? 入れてくるから待っててな」
女「あ、はい」
……逃げてしまった
女「お風呂、ありがとうございました」
男「ほいほい」
まだ濡れたままの髪の毛をそのままに、タオルを肩にかけ元嫁の寝巻きを着ている彼女がいた
男「ドライヤーそこね」
女「はい」
ブォォンという音がテレビの音をかき消す
字幕だけのバラエティ番組をみても面白さは伝わってこない
暇になって髪を乾かしている彼女を見ていると目が合い、微笑みを返されると、なんとなく気まずくなって目をそらした
ドライヤーの音が止み、そうするのが自然のように隣に彼女が座ってくる
男「で、どしたの」
女「言わなきゃダメ……ですか」
男「別にいい。 悪かった」
女「いえ、ごめんなさい……」
男「よし、海に行こう」
女「え、いきなりなんですか?」
驚くのも当然だろう。もう時刻は日付が変わりそうなほどに進んでいる
でも海に行きたいと思ってしまったのだ
彼女に上着を放って寄越して、その手を引いていく
男「バイク乗るのは初めて?」
女「は、はい!」
男「しっかり捕まっててくれればいいからね」
女「ほ、本当に今から行くんですか!?」
男「当たり前じゃん」
彼女をタンデムシートに座らせエンジンをかける
バイクの振動が体の芯まで響く感覚に驚いたのか、彼女はぎゅっと俺に抱きつくように捕まってきた
男「あっはは、そんなぎゅっと捕まらなくても平気だよ」
女「わ、分からないんですよ!」
男「うんうん、役得だ」
女「何がですかっ!」
男「よし、じゃあ行くよー?」
女「は、はい!」
ドゥルルル……
と重低音が鳴り、音とは対照的にスーッと加速していく
やがて大きな道に出ると、スピードに乗り、車では味わえない風と一体感になる感覚に体は支配されていった
女「あはは、すごい楽しいですね!」
男「だろ? バイクは最高だよ」
女「ちょっと勘違いしてました! こんなに楽しい乗り物だったんですね!」
男「おいおい、テンション上がりすぎて手離すなよ?」
女「分かってますよ。 ねぇ、もっとスピード上げてください!」
男「振り落とされんなよ?」
女「きゃぁっ! あはは、すごーい!」
女「なんだか、悩みなんて……吹っ飛んじゃうみたいですね!」
男「だな。 そんなもんどっかに置いてきちまえよ」
女「……うん!」
誰もいない砂浜に座り込む
暗い海に立つ白波と、その音だけが支配する世界
見ているだけで吸い込まれていきそうな不思議な感覚に囚われていく
男「はいよ」
女「ありがとうございます」
缶コーヒーを渡して口につける
彼女はやはり猫舌なのか、あつっと漏らしてからゆっくりと飲んでいった
どれくらいそうしていただろう
雲の隙間から覗いた月の光が海に反射し宝石のように煌めき出した
女「……私、猫なんです」
男「はぁ? なんだいきなり」
突然のことに勢いよく振り向く
予想していたのだろう反応に彼女は苦笑した
女「いえ、元々はただの人間なんですけど…… 子供の頃に遊びで呪いみたいなのが流行ってたんですよ」
女「小学校で呪いがブームになって、ある男の子が一冊の本を持ってきたんです」
女「その中に書かれていたものの一つが、人を猫に変えるというものでした。 当然そんなの誰も信じるわけないじゃないですか」
女「ふざけてその男の子が本当に呪いをかけたんですよ。 そしたら……信じられないことに私猫になってしまって」
女「……不思議ですよね。 猫と人間を行ったり来たりできるんですよ、私」
男「……マジで言ってんの?」
女「信じられないのも無理ありませんよね。 でも家に戻ったら見せますよ」
女「ここだと……服が脱げてしまうので、遠慮させてください」
男「……それが本当だとして家出と関係あるのか?」
女「……父が再婚するそうなんです。 別にそれ自体は反対しないんですけど」
女「両家の顔合わせで知ったんですけど……相手の連れ子がその呪いをかけた男の子だったんですよ」
男「うわぁ……」
女「なんかそれがショックで……逃げてきちゃいました」
男「そりゃご愁傷さま」
女「…………」
男「猫か…… にゃんって言ってみてくれる?」
女「……場違い発言ですにゃん」
男「うほっ」
女「別に猫になること自体はいいんですよ。 特に不便はありませんし」
男「うん」
女「ただ、まさか再婚相手の息子があの子だったなんて…… 嫌ですよさすがに」
男「そりゃそうだな」
女「私、帰れません……」
男「……そうだなぁ」
膝を抱えて蹲る彼女の横に一歩近づく
肩と肩が触れ合う距離になっても彼女は拒絶しない
ならば俺が彼女の手を引いてあげればいいだけだ
男「気持ちの整理がつくまで、俺んとこに居ればいい」
彼女は次第に鼻をすすり、嗚咽を漏らしながら泣いた
その流す涙にどんな感情が含まれているのかは俺には分かることは出来ない
それでも吐き出させる努力はしてあげられる
彼女の肩を抱き、頭をぶつけ合う
零距離のまま彼女は歯を食いしばり、目を閉じた
どのくらいそうしていただろう
涙の筋が乾かず、鼻を赤くしている彼女が口を開いた
女「頼っても、いいんですか」
縋るように揺れる瞳に俺は射止められた
彼女の小さな体を優しく抱きしめる
男「笑いたくなければ笑わなくていい。泣きたければ声を上げて泣いていい。甘えたければ沢山甘えていいんたまよ」
女「……じゃあ、もう少しだけこうしてていいですか」
男「あぁ」
何も言わずにさっきよりも少し強く抱きしめる
再び溢れ出した彼女の涙は俺の服を濡らし、彼女の心を洗い流していった
女「えへへ、ごめんなさい」
男「なんのことだ」
女「恥ずかしいところを見せてしまいました」
男「気にするな。 役得だ」
女「もう、それは言わないでください!」
女「でも、なんででしょう。 今日あったばかりなのにあなたといると落ち着いて……なんでも話せてしまうんです」
男「あぁ、分かるなそれ。 波長が合うというか」
女「運命、ですかね」
男「そりゃバツイチには複雑だな」
女「あはは、そうですね」
お互いの言葉は止まる
唐突に訪れた沈黙は不思議と苦ではなくむしろ心地が良い
まさに波長が、呼吸が合うのだ
女「そういえば、名前聞いてませんでした」
男「だな、俺はかずや。 和の也と書いて和也だ」
女「私は優しい月と書いて優月です」
女「これからよろしくお願いしますね、和也さん」
また今度
あまあまにしていきたいと思います
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