十時愛梨「いつもの特訓」 (17)
「おはようございますっ!」
朝、事務所の中にある個室。私のことを担当してくれている、私のプロデューサーさんの部屋。挨拶の言葉を声に出しながら、その入口の扉を開いて入る。
書類の積まれた机の向こう側。いくつかの紙を前に広げながらカタカタとキーボードを叩いていたプロデューサーさんが、私のその声に気付いて私のほうを向いてくれた。
忙しそうにキーボードを叩いていた指を止めて、パソコンの画面や書類の文字へ注いでいた視線を私のほうへ向け変えて、そうして私を見てくれた。
「ん……今日は早いんだね」
今日は、というより今日も、なのかな。
そんなふうに言いながらガサガサ。
机の上に広がっていた書類を一つに纏めて、脇のほうへそっと置く。
「はい。その……今日も、です。ちょっと早く、来ちゃいました」
「まぁうん、たぶん今日も来てくれるんだろうな、とは思ってたけどね」
「えへへ……」
「ん。とりあえず……おはよう、愛梨」
「はいっ、おはようです!」
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パタン、と閉まった扉の鍵を後ろ手に閉じて。
それからパタパタ。まっすぐプロデューサーさんのほうへ向けて進みながら話す私と、プロデューサーさんも同じようにまっすぐ私へ視線を向けながら言葉を返してきてくれる。
その視線と、その優しく微笑む温かい表情と、その私を気持ちよく震わせてくれる柔らかくて大好きな声と……そんなプロデューサーさんに、ドキドキと。ふわふわ、ぴりぴり、いろんな幸せの高鳴りを感じながら進んで。プロデューサーさんの傍、私のプロデューサーさんの隣まで歩いて進む。
「……」
ここまで手に持ってきていたものはバッグだけ。それも今はソファの上。歩いて進みながら部屋の真ん中にあるそれの上へぽてんと置いてしまったから、もう私には何もない。
今の私が持って……身に付けているのは、薄い服の一枚だけ。
事務所の中の皆が使えるロッカー。他のものはそこに……羽織ってきたもの、重ねてきたものは全部入れて置いてきた。だからもう、今の私にあるのは薄い服の一枚だけ。
今はまだ……きっと、まだ大丈夫。だけどもしほんの少しでも濡れたりしたらすぐに透けてしまうような、間に挟んでいても触れたものの感触や温かさがしっかり全部伝わってきて感じられてしまうような、そんな薄い服を一枚。それだけを上に着て、その格好で隣……プロデューサーさんのすぐ傍、目の前に添って立つ。
「……」
「……」
「……えっと」
胸が高鳴る。吐息が濡れて、お腹が熱い。
部屋の扉を開いて中に入って、そうしてほんの少し歩いただけ。たったそれだけのことしかしていないのに……それだけ。こうしてプロデューサーさんの傍にいるそれだけで、こんなどうしようもないくらい心も身体も駄目になる。
駄目になって、駄目になりながら、そうして傍へ添って立つ。
立って、まっすぐじぃっと視線を送る私のことを、プロデューサーさんも見つめ返してくれる。じぃっとまっすぐ見つめ返して……でも見つめ返してしか、くれない。
「……プロデューサーさん」
「うん?」
「うー……」
「……」
「むー……うー……」
「……もう、ごめんごめん。そんな涙目にならないで。いつもの、だよね?」
きっと少し赤くなっている火照ったほっぺ。それをぷくっと膨らませながら唸って不満を訴えて。そうして膨れていると、見つめ合ったまま少し言葉のない間を置いてからプロデューサーさんが声。
いくらか悪戯っぽい色の混じった謝罪の表情を浮かべながらゆっくり身体を立ち上がらせて、私のほうへ近付きながら『ごめん』を送ってくる。
「……分かってるじゃないですかぁ」
「ごめんって。ほら、期待にむずむずしてる愛梨が可愛くってさ。つい」
「むー……昨日もそう言ってー……次はしないから、って約束したのに……」
謝るプロデューサーさんに、私は膨れたまま。
怒って拗ねて、機嫌を悪くしたような態度で向かい合う。
「あー……そうだったね。ごめん、約束してたのに」
「約束を破る人は嫌いです……じゃなくて、嫌いになっちゃうかもです……。私、プロデューサーさんのこと嫌いになりたくなんてないのに……」
怒って拗ねて。……本当は全然そんなことないのだけど。でもそんな、そういう格好のふりをして、謝るプロデューサーさんへ言葉を送る。
ずるいなぁ、とは思う。いけないなぁ、とも思う。……でも、ついこうしてしまう。いつものように。……いつかの時、早苗さんから教えてもらったアドバイスの通りにこうしてみて。そして、こうすることで貰えるものを知ってしまってからはずっと続けてしまっている。
それを、今日もまたいつものようにしてしまう。怒ったふり。私がプロデューサーさんを嫌いになるなんて、そんなことあるはずがないのに。それなのに『嫌いになるかも』なんて嘘を言って、怒っているふりを。
だって。
「ごめん。……お詫びに今日はなんでもしていいからさ。ほら、機嫌直してよ」
「……なんでも、ですか?」
「ん、なんでも」
「……なら、いいです。……でも、もう嫌ですからねっ?」
「分かってる。愛梨が望まないことはしないよ」
だってこうしていれば、こうやってプロデューサーさんがいつもよりもずっともっと私のことを受け入れてくれるから。
だからわざと。プロデューサーさんも、分かっていてわざと。二人でわざと、分かっていて、いつもこう。
プロデューサーさんは私が嫌がることはしない人。私の欲しいものを分かってくれて、そしてそれをくれる人。だから時間が迫っていたり他の人が近くに居たり、そういうことがないときは私の望むことをしてくれる。私がしてほしい意地悪をして、私がしたい怒ったふりを叶えてくれる。
私のわがままを聞いてくれる。
(えへへ……)
顔の表情は固くしつつ心の中で……顔の表情も、もう全然固くなんてできずに緩んでしまっているのだけど……笑う。
いつものように。いつも通りいつもより嬉しくて、温かくて、幸せで。自然と、笑みが溢れてくる。
「それじゃあ、あい」
り。と、プロデューサーさんが私のその名前を言い切るより早く動いて掴む。
差し出された両手。柔く開かれて、私を迎えてくれようとしていたその両手をぎゅっと掴んで握る。
ぎゅっぎゅっ、と。すりすり、と。プロデューサーさんのその両手を、私の両手で包んで触れる。
「……えへへ」
まず最初。
私とプロデューサーさんの、いつもの。そのまず最初。
握ってみたり擦り付いてみたり、時々指を絡めてみたり。そうして叶えるプロデューサーさんとの触れ合い。これから叶える触れ合いの、その一番初め。
「もう……」
呆れたような仕方なさげな、でも全然嫌そうじゃない声でプロデューサーさんが呟く。
私の手とプロデューサーさんの手、それを挟んで互いの胸が重なっている。私のはプロデューサーさんの、プロデューサーさんのは私の、時々相手の胸へ手が当たる。そのくらいの近くだから、もうすぐにでも抱き締め合えてしまうような距離だから……だから、その呟きが頭の上から降ってきた。
触れたり離れたり。そっとくすぐるみたいに擦れて触れてくる顔の感触と一緒になって、その呟きと吐息が私の髪をなぞってくる。
それと、手から伝わってきて感じられるプロデューサーさん。その二つに熱く強く胸の奥を高鳴らせられて……我慢できなくて、振りほどく。
「プロデューサーさん……!」
そのまま前へ。私にほどかれて自由になった腕を優しく広げて待っていてくれるプロデューサーさんの身体を、飛び付くみたいに近付いてからぎゅっときつく抱き締める。
少し早い鼓動の音を聞かせてくれる大きな胸。私を受け入れて、優しく抱き締め返してくれる腕。隙間もなく重なる、誰よりも大好きで何よりも大切なプロデューサーさんの、恋しくて愛おしい身体。そんな全身に伝わってくるプロデューサーさんをいっぱいに感じて心の底まで満たされながら、でもこれよりもっともっと……そう願って、思いっきり抱き締める。
「ん……よしよし……」
「あ、ふ……」
「ふふ」
抱き締めながら抱き締められて。
抱き締めてもらいながら、優しく頭を撫でられて。
大好きな人にいっぱいの大好きを伝えながら、大好きな人からいっぱいの大好きを贈ってもらえて。
幸せで。
もう、たまらなくなってしまいそうなくらいに幸せで。とくんとくん高鳴って。甘く蕩けてしまうような痺れに震えて。焼けて、どうにもならなくなってしまいそうなくらい熱くなる。
熱くて、暑くて。
たまらなく気持ちのいい幸せに燃やされる。
「…………プロデューサー、さん……」
「うん……?」
「顔、もっと、こっちに……」
「……ん、こう?」
「はい……えへへ……。…………んっ」
優しく微笑みながら私を見つめていてくれるプロデューサーさん。その顔がすっと下へ、私のほうへと傾いてくる。
私は上へ。それまでプロデューサーさんの胸へ埋めていた顔を上げながら背中を伸ばして、軽くつま先立ちになりながら上。顔を……唇を、上へと送る。
「ち、ぅ……ふ、あふふ……。……えへ、プロデューサーさん……」
「うん……?」
「だいすき。……だぁいすき、です……」
そしてキス。
普段よりも少し赤いそこ、プロデューサーさんの耳へ唇を触れさせる。
触れさせて……押し付けるようにして、挟み込んで甘く噛むようにして、ちゅうちゅう音を立てながら吸い上げるようにして。そうしてキス。想いが高まりすぎて極まりすぎて、幸せすぎてふるふる震える唇で口付ける。
いっぱいいっぱい。たくさんたくさん。何度も何度も繰り返す。
そうしてそれから。私の唇全部がすっかり濡れて、プロデューサーさんの耳がどっぷりふやけてしまってから、それから囁き。
熱くて、興奮して。鼓動も吐息も何もかもが荒くなって。そんなふうになりながら、プロデューサーさんへの想いに溢れて焼かれながら、そっと囁きを贈って注ぐ。
ぴちゃぴちゃ。熱い吐息と一緒に声を漏らす度、唇と耳とを触れさせて音を立てて。触れる度、囁く度、その度に私の身体を抱き締めてくれているプロデューサーさんの腕の力がぎゅうっと強くなるのを感じながら、何度も何度も続けて尽くす。
好き。大好き。愛しています。……そんな言葉を、何度も。
「……愛梨」
「はぁい……なんですか、プロデューサーさんー……だいすき、ですよぉ……」
「ありがとう、僕も愛梨のこと大好きだよ」
「えへへ……嬉しいです……。……嬉しいから、もっと……誘惑の、ちゅー……」
「……もう、すっかり蕩けちゃって。……愛梨」
「んーうー……?」
「服、脱げてきてるよ」
言われて気付く。
熱くなって暑くなって。いつの間にか、服を脱ぎかけていた。
汗を吸って半透明になったそれがすっかり上へと捲り上げられて、もう胸の辺りまで進んできている。
「あっ……」
「これはどうなの? ここまで?」
覗き込むように視線を送りながら聞いてくるプロデューサーさんを見て、慌てて服を元へ戻す。
「まだですっ! まだ全然大丈夫ですっ!」
ぐいっ、と勢いよく下ろして。そうしてそれからぎゅうっとプロデューサーさんの身体を抱き締め直す。
胸を思いっきり押し付けて。お腹をぐりぐりぴったりくっつけて。そうしてもう、私とプロデューサーさんの身体の間でそれが動いてしまわないように。さっきまでより強く、それまでより深く、ぎゅぎゅっとしっかり抱き締める。
「ほんと? まだ大丈夫?」
「大丈夫ですっ!」
「ん、そっか」
ふふ、と微笑むプロデューサーさんの顔を見ながらほっと胸を撫で下ろす。
服を脱ぐ。そうして、今のこのこれが終わってしまうのを止められて。
「うー……危なかったですー……」
「あんまり暑くて駄目そうだったらいいんだよ?」
「嫌です! とっても熱くて暑いですけど……でも、今日はなんでもしてくれるって言ってもらえましたから……だから、なんでも……もっともっと最後まで、するんですっ!」
暑くなる。
見ているだけで。聞いているだけで。触れているだけで。
プロデューサーさんを感じているそれだけで、たまらなく暑くなってしまう。
暑くなって、我慢できなくなって。そして服を脱いでしまう。
いつでもどこでも。他に誰がいる時でもいない時でも、プロデューサーさんがいるなら脱いでしまう。
そんな私の癖を直すため。服を脱がずに済むよう、プロデューサーさんに慣れるため。そのための、この時間。
見つめ合って触れ合って。そうして重なるこの時間は、そのためのもの。
「ぎゅー!」
だから、暑くなって脱いでしまったらそこで終わり。その日のこれは、そこまでで終わり。そういう決まり。
もうどうしようもなく、もうどうにもならないくらい暑くても……暑くて脱ぎたくても。でも駄目。脱いだら駄目。この時間を、終わらせたら駄目。
「ふふ……」
抱き締める力を緩めずに強くする私のことを、プロデューサーさんが撫でてくれる。頭を撫でて、ほっぺを撫でて、背中を撫でて。優しく、私のことを撫でてくれる。
それにまた暑くなって、ついまた服を上へ捲ってしまいそうになるのを我慢する。
我慢して、ぎゅっとして。ぎゅむぎゅむ、すりすり、プロデューサーさんへ押し付いて擦り付く。
「ん……それじゃあ、愛梨」
そうしていると上から声。
優しく撫でるのはそのままに続けながら、プロデューサーさんが私へ向けて声を降らす。
「はいー……?」
「少し落ち着いたみたいだし、そろそろね。……ほら、次はどうするの?」
「次。……次は、えっと」
なんでも応えてあげるから。
そんなふうに言いながら私のことを撫で続けて、受け止め続けてくれているプロデューサーさんを感じながら、考える。
一瞬。一瞬だけ考えて、そしてすぐ、答えを返す。
「……キス」
「ん?」
「キスがいい、です。いっぱい、たくさん、プロデューサーさんから」
「僕から?」
「から、です。……何度も何度も、いっぱいたくさん贈った耳へのキス……私の、その……誘惑に、応えてほしい、です……」
「……いいよ、分かった。それじゃあ」
「あ、そのっ」
私の言葉に応えてくれる。応えて、キスを贈ってくれようとしているプロデューサーさんを止める。
止めて、そして一息だけ間を置いて、それから言葉。
プロデューサーさんへのわがまま。お願い。それを、届けて渡す。
「私、今日は最後まで頑張りたいです……。最後まで、頑張りたいから……だから、その……頑張れるように、してほしい……。頑張れるように、プロデューサーさんの愛情、感じたいです。……だから。愛情の……唇へのキス、たくさん、ください……」
以上になります。
お目汚し失礼しました。
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以前に書いていたものなど。
よろしければどうぞ。
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