街中で初めて彼女を見かけたとき、彼の身体は雷に打たれたかのような衝撃に見舞われていた。
それほど彼の印象に深く刻まれた出来事だった。普段は怪しまれないようもっと慎重に声をかけるのだが、その時ばかりは衝動のままに声をかけていた。
彼女の名前は高森藍子。都内の学校に通う高校生で、優しくおだやかな雰囲気を持っている魅力的な女性。それと反対に瞳の奥では疲れと怯えが巣食っていた。
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――――――
ある日の午前、事務所内は軽く慌ただしい雰囲気が流れていた。
この日は雑誌の記者が、当事務所のアイドルにインタビューをする予定が組まれていた。
記者が来訪するまではまだ時間があるのだが、肝心のインタビューを受けるアイドルがまだ到着していない。
デスクで携帯をチラチラ気にしながら仕事をしている職員ープロデューサーーは、彼の担当アイドルの到着を今か今かと待ちわびていた。
流石に到着していないとまずい時間になったころ、ようやく彼は携帯を手にとって発信履歴から素早くコールをする。
プルルルルル プルルルルル
コール音がしばらく鳴り続け、彼の不安を煽る。
―まさか藍子のやつ、寝坊してるんじゃないだろうな。
想定通りの状況だった場合、記者にどう申し開きをしようか。ここまで反応がないとインタビューは記者に謝罪して諦めるしかない。
ちょうどそのとき、ようやく電話が繋がった。
「……もしもし、高森藍子です」
おっとりした声。しっかりと聞き取りやすく、寝起きではないことがよく分かる。
どうやら彼女は寝坊して遅刻ではないとわかり、少しだけ安心できた。
「藍子! まだ事務所につかないのか? あと数分のうちにつかないとインタビューに間に合わないぞ!」
「すみませんプロデューサー、もうそんな時間ですか。すぐに着くので急ぎますね」
焦りが見える彼とは対照的に、彼女はひどく落ち着いていた。遅刻をする芸能人はもってのほか。それを理解していないのだろうか。
「なるべく早く頼む! ……ただ着く前に一つだけ聞いておきたい。どうして遅れた?」
叱るのも対処を考えるのも後。まず彼は理由を尋ねた。
仮に事故に遭いそうになっていた場合なら責められない。逆に聞くことはたくさん発生するのだが遅れたことにも納得できる。
「……時計を見ていなかったんです」
返ってきたのはそれだけだった。
事故に遭いそうだとか、交通機関の遅れではなく、ただただ彼女の過失だった。
「そうか。それについては後で詳しく聞くからな。まずはインタビューのことを優先しろ」
「はい」
それからは問題なく仕事を終えた。
電話を切った数分後に彼女は到着し、急いで支度を整え、インタビューを卒なくこなした。
強いてダメ出しをするとしたら、急いだせいか少しだけ表情に疲れが浮かんでいたことだ。
雑誌のインタビューなので表情が載ることはまずないのだが、プロとしてそれを許せるほど甘い世界ではない。
彼女も必死に隠そうとしていたことが窺えたし、気づいたのもプロデューサーをはじめ彼女と親しい人だけだろう。
「藍子、カフェに行こうか」
その日の夕方、非常に珍しく定時よりも前に仕事がすべて片付いたプロデューサーは、藍子を誘って外に出ることにした。
「……カフェ、ですか?」
事務所のソファーで学校の課題を片付けていた藍子は顔をあげて繰り返した。
普段藍子からカフェへ誘うことはあっても彼から誘ってくることは滅多にないことだった。そのせいで藍子は少し困惑している。
「そうだ。この前藍子に教えてもらった大通りから外れた路地にある店だよ」
「いいですけど。プロデューサーさん、あそこのカフェ気に入ったんですか?」
藍子の記憶では以前一緒に行った時はそこまで気に入った素振りを見せていなかったように思う。
何か裏があるのだろうか。もう夕方になっているが、今朝の叱責をまだ受けていないことも藍子にとっては勘繰ってしまう要因の一つだった。
「最初はそうでもなかった。いや、良いカフェだと思ったよ? 街中にあるのに静かで、どこか世界と隔離されたような雰囲気があるから疲れた時に行きたくなるんだよね」
彼は少し恥ずかしいのかわずかに顔を背けながら語った。
そして、彼が語った内容を藍子はとても理解できた。そのカフェには藍子自身同じ感想を抱いているのだ。
「そうですか。じゃあ行きましょうか。プロデューサーさんもお疲れのようですし、私も今日は疲れました」
「決まりだな。書類だけ提出してくるから準備して待っててな」
そんな何気ない会話でも藍子は気分が高翌揚するのを感じた。
ただ彼からカフェに誘ってもらっただけなのにどうしてこうも嬉しいのか。
彼が戻ってくるほんの数分の間、藍子はずっとそわそわして待っていた。
――――――
街中にあるというのにカフェの中はとても静かだった。
聞こえてくるのはコーヒーがドリップされる音とカップとソーサーが奏でる金属音。それにスピーカーから流れる音楽と他の利用客の会話声くらいか。
そのどれも大きな音でないことがカフェの雰囲気を良くしていた。
「アイスコーヒーとアイスミルクティーで」
注文を取りに来た店員につげ、プロデューサーはメニューを閉じた。
彼がコーヒーで藍子がミルクティー。どこのカフェに行っても同じ飲み物を頼む。
「ほんと、ここはリラックスできるな」
「そうですね。ボックス席になってて周りの目を気にしなくていいですし」
カフェのほとんどの座席がボックス席になっている。そのため隣の席は背中合わせで壁1枚隔てている。
会話の声が聞こえてもよっぽど大声でない限り気にならない間隔がポイントだ。
「内装も木製で揃えてるからか温かみもあるな。外観とは裏腹に店内が明るいから前来たときは驚いた」
「こういうカフェって意外と多いですよ? チェーン店とかだとお洒落な内装を重視してるカフェが多いですけど」
「あー、俺そういうところは無理だわ。どうしても若者が好きそうな場所って感じがして気が引けるんだよな」
「プロデューサーさんだって十分若いですし気にすることないんじゃないですか?」
そんな他愛もない話をしていると注文したドリンクが届く。
値段に反して量が多い。
そこも彼が好感を持つポイントの一つだった。
「さて、」
お互いに一口飲み、彼は切り出した。
「藍子、今日はどうして遅れそうになったんだ?」
「……それは、今朝も言いましたけど、時計を見ていなかったんです」
言葉を区切りながら藍子は言う。
どこか絞り出すような、苦しそうな声音。
「そうか」
「…………」
重い沈黙。
たった一瞬の間だとしても、藍子にとっては長い時間のように思える。
「じゃあどうして時計を見ていなかったんだ? 藍子もプロなんだ。時間の大切さはよくわかってるはずだろ?」
「はい。……時計を見ていなかったのは、今朝気分が悪くなったんです」
「気分が?」
「といっても吐きそうとか、だるいとかそういう症状ではないんですけど……」
藍子にとっても説明のしようがない感覚のせいか、語尾になるにつれ声が萎んでいく。
「何かの病気だったりはしないのか? 一度病院に行ってみるとか」
「いえ、昔から、小さいときから起こってた現象なので病院には何度か行ったことがあるんです。大体ストレスとか精神面の問題って診断されてました」
「そういえば藍子の履歴書にそんなことが書いてあったな。特に今まで問題なくて忘れてたけど」
藍子の履歴書には補足事項として書いてあった。デビューするまでの期間、それとなく注意していたが結果的に一度も発作は起こらなかった。
「はい。成長するにつれてその発作も起こらなくなってて油断してました。……ストレスが問題かもしれませんね」
「ストレス…か。藍子も知名度があがってきてるころだしなー。わかってるかもしれないけどあんまりネットの声に耳を傾けすぎるなよ?」
「はい。それは大丈夫です」
ストレスが問題と藍子は言い切った。何か心当たりがあるのか、彼は少し注意して様子を窺った。
「俺もできるだけサポートするから。今は疲れとかないか? 仕事と学校の両立でゆっくりする時間が全然取れないとか」
「ゆっくり……。確かに大変な生活ですけど、それ自体にやりがいがあるので疲れるのは苦にならないんです。……むしろ……」
「むしろ?」
そこではっと余計なことを口走ったのに気付いたのか、藍子は言葉を切った。
「あ、いえ。何でもないです!」
「……そうか」
それからは長い沈黙が訪れた。それ以上追及することが逆に藍子の負担になるのではないかと考えたからである。
それに、彼は気づいていた。藍子が目を見て話すことが極端に少なかったこと。
ただ気落ちしていたわけではなく、まだ真実をすべて話していないこと。
それらを尋ねるのは彼にとっては容易なことだが、それを避けた。
気づけば窓の外では夕陽が沈もうとしていた。
「と、もうこんな時間か」
彼が改めて腕時計を確認すると、時刻は午後6時30分を過ぎたころ。
グラスの中身もほとんどなくなっていたので彼は伝票を取った。
「さ、帰ろうか。明日は藍子が学校あるし」
「もうそんな時間ですか?」
「そうだよ。やっぱ藍子といると時間の流れが早く感じるな」
伝票に書いてあるオーダーの時間からすると、店内で話していたのはだいたい1時間とちょっとだろうか。
「……えっとお代は、」
「ああ、いいよ。俺が出すから。元々誘ったのは俺なんだし」
藍子を手で制しつつ、彼は立ち上がった。
「じゃあお言葉に甘えますけど…」
藍子は納得していない様子だった。しかし先にレジへ向かってしまった彼を引き止めるのもどうかと思い、素直に後に続く。
藍子の足取りは重かった。
――――――
数日後。
「おはよう藍子。この前のインタビューの見本できてるぞ」
藍子が事務所へ来て、挨拶をするよりも早く彼から声をかけられた。
どうやら先日のインタビューが載る雑誌の見本誌が届いたようだった。
「おはようございます。どんな風に書かれているんでしょうか?」
藍子は彼のデスクへ近づくと、隣から覗きこんでみた。
「んー? 特に改変もされてないし、だいたいインタビュー通りの記事だよ。ただ紹介文にリップサービスがしてある感じかな」
そう言われて藍子も少し読んでみるが、抱いた感想は全然違った。
「……これでリップサービスですか? 少し大袈裟に書きすぎだと思うんですけど」
藍子にとっては大きく書かれすぎていて、どうにも実感が湧かない。自分はそんな立派なアイドルじゃないだろうと。
―今注目のアイドル
―笑顔が可愛い癒し系
これくらいならば恥ずかしくは思ってもまだ認められるだろう。けれど、さらに二行ほど言葉を並べられていて、藍子としては大袈裟に思うほかなかった。
「いや、十分藍子の魅力を書いてるよ。もちろん表現は少し大袈裟かもしれないけど、特別不思議なことは書いてない」
「そう、なんでしょうか…」
藍子の中の自分と、他人が見ている自分の姿が解離していて、藍子は困惑するしかない。
「自信がない?」
そんな困惑を読み取ったのか、彼は率直に尋ねる。
「…正直に言えばそうですね。もちろんアイドルになって応援してもらったり、褒められたりすることには多少慣れましたけど」
藍子にとって、これを告白するのは辛い。
彼が仕事を持ってきてくれて、少しは成長した実感があるからこそ、失望させてしまうのではないかと。
「でも私はそんな立派な人間じゃないと思っています」
けれど、はっきりと言い切った。
ファンや周囲の人間は褒めてくれる。
でも、肝心の藍子自身が納得できていないからこその言葉。
「俺はそう思わないけどな」
予想通り彼は否定してくれる。
どこまでいっても平行線で、藍子が変わるか周りが変わるかしない限り終わらない問題。
けれど、一度堰を切った想いは止まることがなく、言わなくていい言葉まで紡ぎ出される。
「……プロデューサーさん、ゆるふわってなんでしょう?」
ゆるふわ。
藍子のことを指す言葉として、これほど適している言葉は他にないだろう。
プロデューサーが売り出すために考えた言葉ではなく、ファンも含めて自然と浸透していった言葉。
それが永年藍子のことを苦しめていた。
「何って、そりゃあ……」
当たり前のことすぎて、彼は続ける言葉を失った。
柔らかく、ふんわりした雰囲気。
藍子が持っている独特の空気。
さまざまな言葉が当てはまるだろうが、どれも正解で不正解にしかならない。
それには誰も、答えを持ち合わせていないからだ。
「………………」
「……プロデューサーさん、カフェへ行きませんか?」
唐突に藍子は彼を誘う。
意味も目的もないが、口をついて出た言葉だった。
「そうだな、行こうか」
彼も断ることはなかった。
仕事はまだ残っている。というよりまだ何も仕事に手をつけていないが関係ない。
今この場において、彼は藍子の誘いに乗ることが正解だと不思議と理解していた。
仕事を残して彼は藍子とカフェへ向かう。
いや、これも仕事のひとつだろう。自身のアイドルの悩みを取り払うことは。
――――――
「アイスコーヒーとアイスミルクティーで」
以前と変わらない注文。
これからも変わることがないとも思う。
注文する時期によってホットかアイスか変わるだけ。
店内は静寂に満ちていた。
それもそうだろう。時刻はまだ午前で他の利用客も少ない。そのため店内に流れる音楽が大きく聞こえる。
「……それで、ゆるふわについてだったな」
こくんと藍子は頷く。
「ゆるふわってなんでしょう?」
さっきと同じ質問。
時間を空けても100パーセント自信を持てる答えは出なかった。
「私ずっと悩んでたことがあるんです」
「それがゆるふわについて?」
「そうでもありますけど違います」
藍子は間をあける。
長い間かもしれないし、短い間かもしれない。
「……プロデューサーさんの家には時計ってありますか? 壁掛け時計でも置き時計でも何か」
そう尋ねられて彼は思案する。
自身の部屋に時計はあったか。もちろんあった。壁掛け時計ではないが、ベッドのそばに小さな置き時計が。
「あるよ」
それが何の疑問なのか分からなかったが答えた。
「私の家には時計がないんです。いいえ、正確に言えばありますけど、どれも動いていません」
それがゆるふわとどう関係があるのか。
そして、ふと彼は気づいた。
―時計を見ていなかったんです。
いつだったか藍子から聞いた言葉。
ただ時間の確認を怠っただけだと思っていた言葉。
「もちろん、スマートフォンをつければ時間はわかります。けど、私は、時計を見るのが怖いんです」
藍子の目にはハッキリと恐怖の色があった。
いつの日か見たのと同じ色。
「どうしてだか、わかりますか?」
「………………」
正直な話、理解が追い付かない。
何が怖いのか、なぜ時計が怖いのか。
「……昔の話です。ある女の子がいました。女の子はいっつも学校に遅刻しています。
遅刻するたびに怒られて、遅刻するたびに女の子はこう言うんです。『時計があっという間に進むの』って」
何の話だろう。
何でそんな現象が起こるのだろう。
「ある時、女の子は気づいたんです。見ても意味がない時計に何の価値があるんだろうって。
それ以来、女の子は家中の時計から電池を取り外しました。
両親は電池が外されるたびに入れ直していましたが、いつの日か諦めてテレビに表示される時間や携帯の時計を頼りにするようになりました」
どうして藍子はそんな話をしているのだろうか。
どうして悲しい表情で話しているのだろうか。
「でもそうしたことで女の子の負担は減ったんです。不思議と心が軽くなって、遅刻する回数も減りました」
「……藍子」
どれだけ目の前の少女は苦悩を抱えていたのだろうか。
「けれど女の子は、私はアイドルになって現実を突き付けられたんです。
―ゆるふわアイドル―
仲の良い友達やプロデューサーさんは言うんです。私といると時間が早く感じるって」
「……っ!」
何度も口にしたことがある言葉だった。
そのたびに彼女はどんな表情をしていたのだろうか。何も思い出すことができない。
でも、笑っていたことは一度もなかった気がする。
「それがすごく嫌だったんです。私は何もしていないのに、勝手に時間が早く流れていく。それでゆるふわだって言われても何も嬉しくありません」
「………………」
「どうして、こんなに苦しまないといけないんでしょうか?」
何と答えればいいのだろうか。彼女の重い悩みに解決策などあるのだろうか。
これがただの友達なら答えないという選択肢を選んでいただろう。
けれど、彼女は担当アイドルで、自身がスカウトしたからこそ、向き合う必要がある。
現実を突き付けた一人の人間として。
「……藍子はゆるふわって言われるのが嫌なのか?」
絞り出したのは、質問を質問で返すことだった。
それでも、彼にとっては会話を続けることが必要だった。
「……嫌ってわけではないです。嬉しくもないですけど、ただただ辛いです」
なんて悲しい声音だろうか。
そんな声を出させるために彼女をアイドルにしたのではない。
「それでも、それでも俺は……。藍子のゆるふわなところが好きだよ」
愛の告白とは違う、素直な感想が自然とこぼれていた。
藍子の顔は見えない。見る勇気がなくて視線を外してしまったせいだ。
「藍子だけが持ってる柔らかい雰囲気。その中で微笑んでいる藍子はとっても魅力的なんだって俺は知ってる」
「……それでも、私は辛いです。時計が怖くて、私や誰かの時間を無意識に奪ってしまう」
果たして彼の言葉が届くのだろうか。
どんな言葉でも拒絶されてしまう気もする。
だったらどうすればいいのか。
「……俺がそんな認識を変えてやるよ。
藍子が自信を持てないなら何度だって魅力を伝える。
ゆるふわが辛いならそれが良いものなんだって思えるまで気持ちを伝えよう」
「でも、私は……」
「俺が時計になって時間をしっかり管理しよう。なんたって俺には電池が必要ないからな。
まあ、正確性には欠けるだろうけど、だんだん精度も高めていこう」
これ以上何を伝えよう。
言葉を伝え、想いを伝え、あとは何を伝えるのか。
彼はもうしっかりと藍子のことを見ることができていた。
「なあ、藍子。アイドルにならないか?」
「……?」
「アイドルになって、LIVEをして、ファンの時間を奪っちゃおうよ。
もちろん物理的にじゃなくてさ、楽しくてあっという間に終わっちゃったって言わせようよ。
もーっと高森藍子を見ていたいってさ!」
カランとグラスの氷が音を立てた。
いつの間に届いていたのか気づかなかったが、まだ氷は全然大きい。
「私は……」
「うん」
藍子は俯いて、小さく呟く。
「私は……、誰かの時間をもらってもいいんでしょうか……?」
グラスの氷のように、彼は藍子の心が揺れた音を聞いた。
「もちろん! 誰かの時間をもらったなら、藍子は最高の時間を返せばいいんだよ」
「最高の、時間」
藍子の心をもっと揺さぶるために彼はとびきりの笑顔で言う。
「だって、それがアイドルだろ?」
どんな言葉よりも、想いよりも、笑顔は時として人の心を動かす。
藍子の瞳から一滴の涙がこぼれ、次第にそれは、大粒へと変わった。
「……私、アイドルに、なってもいいんでしょうか?」
「もちろん。最高のアイドルに藍子はなれるよ」
「……はい!」
涙を流しながらも力強い言葉だった。
――――――
「落ち着いたか?」
数分の後に、藍子は泣き止んだ。
いまだ瞳は赤く充血しているが、もう恐怖の色は微塵もなくなっていた。
「……はい。みっともないところをお見せしました」
「みっともなくなんてないさ。そうやって成長していけばいい」
「もぉー。また泣きそうになることを言うのはやめてください!」
藍子から自然と笑みがこぼれた。
顔はぐちゃぐちゃでも、今まで見たなかで一番綺麗な表情だった。
「さ、仕事に戻ろうか。まだ今日の仕事が残ってるもん、な……?」
彼の語尾から力が抜ける。
外を見たまま固まってしまったので藍子は釣られて視線を外に向ける。
「……ええと、プロデューサーさん」
申し訳なさそうな言葉と、少しのイタズラ心をもって、
「私の時計になってくださいね?」
空は茜色に染まっていた。
「ど、どりょく、できるかなぁ……」
何とも頼りない声だけど、藍子はそれが心地よく感じた。
(プロデューサーさん。今はまだすぐに向き合えませんけど、見ていてくださいね。いつかきっと、ゆるふわに相応しくなりますから)
彼女の決意は固く結ばれる。
『私、アイドルの高森藍子です! みなさん、私に時間をくださいね。その代わり、最高の時間をみなさんにプレゼントしますから!』
いつの日か、そんな光景が訪れることを願って
終わり
あーちゃんって時計壊さないのかなって考えてたらこんな作品ができました。
読んでくださった方、お付き合いくださった方。
ありがとうございました。
今回からトリップをつけてみました。
よろしければ以前書いたものも読んでいただけるとありがたいです。
【モバマスSS】茜色の空、星々の輝きを添えて
【モバマスSS】茜色の空、星々の輝きを添えて - SSまとめ速報
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