佐久間まゆ「瀬をはやみ、ですよ」 (13)

劇場版名探偵コナンから紅の恋歌絶賛放映中SS

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「まゆ。……俺は君の担当Pを外れる」

 当たり前だと思っていた時間は、不意に終わりを告げました。

「どういうことですか……プロデューサーさん」

 まゆを見つけてくれた運命の人。彼に出会ったとき稲妻が落ちたかのような感覚に陥ったのは今でも忘れられません。きっとこの人に会うためにこの世に生を受けたのだと思うくらいに、狂おしいまでに私は生まれ変わった。

 だからこそ、アイドルとして輝こうとしたの。他の皆はファンのためとか小さな頃からの夢のためとか、素敵な理由でアイドルを目指した。私の理由なんて他の人には理解してもらえないのかもしれない。だけど人を好きになる、愛することはそういうことなのと自分に言い聞かせてきた。その思いだけで、私はガラスの靴を履けたのだから。私にとって、彼への想いが全てでした。

「……ハリウッドの本場のエンターティメントを肌で触れることが俺の夢だった。その夢を叶えるチャンスが来た。佐久間まゆというアイドルをシンデレラガールにした今、事務所もNoとは言わせないだろう」

「夢……」

 私にとっての夢がプロデューサーさんに寄り添い続けることだとしたら、彼の夢は未来を見据えたもの。でもそこに、私は映っていない。

「後任は信頼できる後輩に任せてある。だからまゆの活動に支障は」

「まゆも……アメリカに行きます」

「! それは……ダメだよ。まゆは日本に、残るべきだ」

「っ! どうしてですか!?」

 柄にもなく大きな声で叫んでしまう。心の奥底からの激情が胸を焦がして口から放たれて。わがままを言っていることくらい、理解しています。最後まで手が焼ける女の子で、嫌われたって文句を言えないのに。

「まゆは……皆の憧れになる。シンデレラとして、君に憧れる子も出てくるし……これからのアイドル業界を引っ張っていってほしいんだ。それがガラスの靴を履いた女の子の、責務だと俺は思っている」

 それなのに俺だけアメリカに行きたいって無責任もいいところだけどな――そう言ってプロデューサーさんは自嘲気味に俯きました。それはいつか、読者モデルをやめてアイドルになった私とオーバーラップしているように思えました。

 結局、夢や恋を叶えることは……何かを捨てるということなんです。私だって、よくわかっていたことなのに。

「……少しだけ、時間をください」

「えっ?」

「今のまゆじゃ……プロデューサーさんを笑顔で見送れないから……気持ちの整理、させてもらえませんか?」

「わかった」

 その後、プロデューサーさんの運転する車で寮まで送ってもらいました。いつもなら私が積極的に話しかけているのに、2人して言葉はなくカーラジオから聴こえてくるラジオドラマだけが虚しく響いていました。

「はぁ……」

 自室に戻った私は倒れこむようにベッドに横になりました。別に体力的に疲れていたわけじゃないですが、心が重りになってそのまま私の足取りを鈍くしているようで。だけど流した汗をお風呂で流したいと思っていました。少しでもスッキリすれば、冷静に今後のことも考えられるはず。ゆっくりと立ち上がって浴場に行こうと準備していると扉がトントンと叩かれました。

「まゆはん、おばんですー」

「あら? 紗枝ちゃん?」

 小早川紗枝ちゃん――京都から来た事務所でも一二を争う純和風アイドルです。まるで竹取物語のかぐや姫がそのまま出てきたような雰囲気を醸し出していますが、実際話してみると冗談が好きでお茶目な一面のあるあいくるしい女の子でした。何度か同じユニットで活動したこともあって、事務所のアイドルの中でも親しい方だと思っています。

「いやなぁ、実家から差し入れが届いたもんやから皆で食べよ思てたんやけど……まゆはん、どうかしたんどすか? 苦しそうな顔してますえ?」

 紗枝ちゃんに言われて姿見を見てみます。そこに映っていたのは、悲しみと怒りと諦めを綯交ぜにしたようなひどい顔の私。とてもこんな顔でテレビになんか出られません。

「これは」

「どないかしたん? 何か嫌なことでも?」

 紗枝ちゃんは心配そうに声をかけてくれます。

「いやですねぇ、演技の、練習ですよぉ。今度のオーディションで悲しい演技をすることになっ」

「忍ぶれど色にでにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで。今のまゆはんに、ぴったりな歌どすえ。まぁ、今に限った事やあらへんけど」

「えっ?」

 私の言い訳を遮ったのは古い時代から歌われ続ける31文字。その意味がわからないほど、私は子供ではありませんでした。

「百人一首ですか?」

「正解。平兼盛が歌った恋の歌どす。その顔見るに、意味は分かってはるみたいやねぇ」

「ふふふっ。紗枝ちゃんには、適わないですね」

「まゆはん、嘘が下手やからなぁ」

 こうもピタリと心の中を読まれてしまうなんて。不思議なことに心を覗かれた不快感はなく、却って爽快感すら覚えてしまいました。

「うちでよければ、話聞きますえ? それとも、年下のうちじゃ何もできひん?」

「紗枝ちゃん、いけずですよぉ」

「よう言われます」

 悪戯っぽく笑う紗枝ちゃんの掌の上で転がされてるようで。だけどそれが、今の私には救いのように思えたの。

「そないなことがあってんなぁ……」

 紗枝ちゃんは私の話を黙って聞いてくれました。口にして誰かに話すことで、私の中の澱みが少しでも消えたような気がします。鏡を見ると、さっきよりかは幾分かましな顔をしていましたから。

「まゆはんは……答え、とっくに出しとるんちゃいます?」

紗枝ちゃんはお茶を飲み干すと真剣な眼差しで私を見据えます。

「はい。分かっているんです、彼の夢を応援すべきなんだって。だけど」

「だけど?」

「アメリカでまゆ以上の女の子に出会ったら……」

「まゆはん以上の子なんて、それこそそうおらへんよ」

「それだけじゃないんです。不安なんです。離ればなれになって、2人の関係が消えてしまわないか、ううん。まゆの思いが、薄れてしまわないかって」

 この想いは一方的なものです。あらゆることにおいて、私はプロデューサーさんが喜ぶような行動を選んできました。しのぶれど、と言われましたが私は常に忍ぶどころか見せつけていたようにも思えました。例え彼が何も答えてくれなくても、一度たりとも私の望む言葉を言わなくても。私にとっては幸せな時間だったから。

 だからこそ、離れ離れになった時私が私で無くなるような気がしてしまったんです。それほどまでに、佐久間まゆという女の子は彼の色に染まっていたんだから。別れる時が来るなんて、思いたくなかった。

「まゆはんの想いが薄れるなんて、そないな冗談言ってしまうくらいやなんて。プロデューサーはんもいけずなお人やなぁ。今度お説教せなあきまへん」

 深刻に考える私に対して、紗枝ちゃんはあっけらかんとしています。

「冗談なんかじゃ、ないです」

「あー、今のは失言やったわぁ、堪忍なぁ。やけどまゆはんの不安は、杞憂やとうちは思いますえ?」

「どうして?」

 どうしてそこまで言えるの?

「第三者視点から見て、の話どす。きっとプロデューサーはんも、まゆはんと同じやろうし。せやねぇ、こういう時は……瀬をはやみ、どすえ」

「ネオ速水?」

なんでか分かりませんが頭の中にとても筆舌にし難いシュールな映像が流れた気がします。

「瀬をはやみ、りぴーとあふたーみー」

「せをはやみ……?」

 自分でも繰り返してみたけど、いまいちピンと来ません。

「それも百人一首ですか?」

「崇徳院の歌どす。きっとまゆはんにもプロデューサーはんにも、ぴったりどすえ。お茶、美味しゅうございました。ほな、失礼します。お菓子でも食べて気分りふれっしゅするんもええと思うよ?」

 そう言って紗枝ちゃんはお土産のお菓子を置いて部屋を出ていきました。せおはやみ――スマホからウェブページを開きそのまま入れて検索をして――。

「今までお世話になりました!!」

 プロデューサーさんがアメリカへと旅立つ日が近付いてきました。その間、プロデューサーさんが気を使ってなのか私と接する時間はほとんどありませんでした。少しの間だったのに、それすらも永遠のように思えて。これから本当に離れ離れになってしまったとき、私はどうなってしまうのか……本音を言えば、自分でも怖いです。

「プロデューサーさん、少し……歩きませんか? 会えなくなる前に、伝えたいことがあるんです」

「分かった」

 事務所を二人でこっそりと出て、夜道を歩きます。春の麗らかさも鳴りを潜めて、梅雨のジメジメとした空気が私たちを包みますが隣に彼がいるということが、不快さを感じさせませんでした。彼も同じことを思っていてくれたのなら、嬉しいな。

「こうやって一緒に歩くと、いつかのアニバーサリーを思い出すな」

「はい。事務所にとって大切な日のお仕事をまゆに任せてくれて……本当に、嬉しかったんですよ」

「そうか。それはなによりだね」

 他愛のない話をしながら、本題を切り出すにはまだ早くて。もう少し、もう少しこの時間が続けばいいと願っていたのに。

「それでまゆ、話ってなんだい?」

 どんなに夢のような時間であっても、いつかは終わりが来る。その瞬間に悔いを残さないように、私はあの言葉を伝えたんです。

「瀬をはやみ、ですよ」

「……!」

 まゆとプロデューサーさんが離れ離れになって会えないとしても、運命の糸はきっと繋がっているはずだから。たとえ何年、何十年掛かったとしても。

「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」

「われても末に逢はむとぞ思ふ」

私たちは、また巡り会えるはずなんだ。

「! プロデューサー……さん……」

「ま、まぁ。そういうことだからさ。少しの間、待っててくれよ?」

 そう言って彼は小指を立てました。恥ずかしそうに背けた顔はほんのりと赤くなっていて、私もそれに倣って小指を立てます。まるでダンスレッスンみたい。目には見えなくても、確かに私たちは繋がっている。川の瀬の流れが速くて、岩にせき止められた急流が2つに分かれたとしても。いつかはまた、一つになる事が出来るのだから。

「はい、待っています」

「ありがとう、まゆ」

「あっ、でも。ほかの子を見ていたら……」

 忘らるる身をば思はずちかひして人の命の惜しくもあるかな、ですよ?

以上です。お付き合いいただきありがとうございます

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