May diary(名探偵コナン二次) (32)
お断り
本作は、「名探偵コナン」の一作品の
ネタバレそのもので構成されています。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1492792150
前書き
今回はほぼ即興です。
約一日以内を目処に
次回投下で書き溜めを一挙に投下する予定です。
ネタ元詳細に就いてもその冒頭で。
すいません、名前変更します。
それでは、次回本編投下します。
今回はここまでです。
続きは折を見て
本作の元ネタは、
2017年公開の劇場版名探偵コナン或はそのノベライズです。
原作を外さない様にしたつもりですが、
かなり独自解釈かも知れません、と言うかかなり「作って」います。
扱いが厳しい、かも知れないキャラクターがいます。
それでは本編投下、スタートします
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2012年
「あ―――」
(しびきの)
「わ―――」
(たの原)
「この辺にしよか」
「はい」
一礼し、楽にする。
いい汗をかいた。
夜、我が家の奥座敷。
一人の取り手、一人の読み手になる事が出来る時間。
これから、少しばかりのお茶の時間。
あの人、阿知波研介の乾いた喉には水割りの方がいいだろう。
今さっきまでの読み手、私の良人。
明日は早い、又、過ごさない様に目を光らせなければ。
× ×
「珈琲入りました」
「ああ、有難う」
朝食を終え、珈琲をいれる何時もの朝。
「福岡でしたか」
「ああ、二日か三日か、土産買うてくるわ」
「楽しみにしています」
良人は元来多忙な人だ、
人一倍働いて、そして、人一倍の成果を上げて来た。
人が羨む程の富も築き上げて来た。
その事に就いて、きな臭い話の十や二十が転がっている、
と言う様な話も知らないでもない。
私にとっては良き夫。子宝には恵まれなかったが、
多忙な中でも家族、私の事を何より大切にしてくれる、
そして、私が大勢の子ども達と出会い、育む機会を作ってくれた。
少し不器用で強引な所もあるけど、
優しい良人、可愛い男性、大切な人。
私も、出勤の頃合い。
× ×
「お早うございます」
「おはよう」
ビルの1フロアの事務所に出勤した私は、
職員に見送られ「会長室」に入り
用意された書類とスケジュールに目を通す。
かつての選手としてこの職に就いたとは言え、
会社勤めの経験もある。
かなりの部分は良人が派遣してくれた人達が噛み砕いてくれる事もあり、
事務仕事等とても出来ない、等と錯乱はせずに済んでいる。
それでも、責任重大である事に変わりはない。
「皐月会」
確かに、この会を作ったのは私。
競技かるたの世界で私と、
親しい、志を同じくする仲間達が集まって結成した、
あの当時は新興の競技団体の一つだった。
そして、そこであの人と出会った。
本当は読み手志望、でも取り手としても有望株だった。
経営する会社が軌道に乗り、選手としては距離を置く事になったが、
かるたに対してはあくまで真摯だった。
その分、社会的な面で大きな助力をしてもらった。
そのお陰で、今は私も、「皐月会」もこの世界でも押しも押されぬ存在。
その様な中で、取り手と読み手として、会長と有力理事として
関係を深めていた私と阿知波は私生活を共にする事を決めた。
当時、脂の乗った経営者であり、
そのために綺麗事では済まないビジネスに関わる話も、
それに付随して女性の事も色々囁かれていた。
そんな阿知波との関係に、色々言う人間は私の身近にもいた。
阿知波も、返答がどうあれ今後も会に、かるたの世界に、
そして私と言うかるた取りに尽くす、金で心を買う心算は欠片も無い。
不器用な人らしく、ストレートにそう告げた。
駆け引き無しに読まれた言の葉を信じて、私はその札を手にした。
あの人の芯を知り、その選択は正しかったと胸を張れる。
会も大きくなり、阿知波からも周囲からも、
会長であっても実務は名誉職程度に。
そういう含みも幾度かもたらされた。
それでも可能な限り通勤しオフィスに馴染んでいるのは、
自分で言ってしまうのはどうだろうか、
やはり責任感と、意地みたいなものかも知れない。
× ×
「ウチの方が早い気ぃがしましたけどなぁ」
(嗚呼………)
その言葉が放たれ、未来子が手を引く。
公式戦を訪れた私は、心の中で嘆息しながらその情景を見ていた。
私の弟子筋に当たる枚本未来子に、今はほんの少しだけ足りなかったものを。
そうして札を取った少女の名は大岡紅葉。
未来子もそうだが、紅葉も競技かるたには幼い頃から親しんでいる。
今からクイーン候補の呼び声も高い逸材の大岡紅葉。
そして、あの男の愛弟子の一人。
競技かるたは闘い、闘争心は大事。
紅葉はそれを持っている。
今は、度が過ぎる訳ではない、
選手として大事なものを持っている、と言える範囲だ。
だが、取れるものは絶対に逃さない、
己の名である紅葉の得意札を決して譲らない。
闘争心を前面に容赦の欠片も見せないそのスタイルは、
細かな所まであの男をそのまま受け継いでいる。
有り余る、持ち過ぎる程持っている、
それをギラつかせるあの男を。
ーーーーーーーー
こういう時にばったりと、と言うのだろう。
会場の廊下で彼女に出会った。
「おめでとう」
「おおきに、有難うございます」
今日の優勝を受けて私の言葉に応じた紅葉ちゃんは、
いかにも京女らしい如才なさ、そう見えた。
京都、近畿でも知られた名家大岡家のいとはん。
競技のための和装にも、既にして隙が無い。
まだ十を幾つも出ていない年頃だが、
見た目は若い娘と言ってもいい大人びたお嬢さん。
何れ、いや、もう、男はんが放っておかない、
そんな魅力に満ち溢れている。
そして、すれ違った時、確かに見た。
ほんの一瞬、横目で私の事を見た彼女が、
ふっ、と、意味ありげな、おんなそのものの笑みを浮かべたのを。
私が振り返った時には、彼女は如才のない笑みでぺこりと頭を下げ、
執事らしい男と共にその場を離れる所だった。
嗚呼
やはりあの男、弟子に吹き込み、吹聴しているのだろう。
× ×
「受ける必要はない」
自宅リビングで跳ね付ける様に言う良人の言葉は、
いつも通り、頼もしいものだった。
「マスコミ等、私がどうとでもする。
あんな品の無い邪道に君が乗せられる必要はないだろう。
名人戦の近くまで来ているとは言え、
選手の格としてもクイーンを取った君とは」
「その意味で彼と並ぶ者が彼を敗る事は、
残念ながら今の皐月会では難しい。そう言わざるを得ません」
「皐月は、皐月会の会長だ」
「はい、競技かるた団体のトップです。
そして、名頃鹿雄が私に挑んでいるのはかるたです。
荒っぽく綺麗ではない、でも、間違いなくかるたです」
「だが、名頃会と言っても、今の皐月会とは比べものにならん。
確かに本人や弟子の対戦成績は目覚ましいものがあるが、
やはり秩序と言うものがあるだろう。
あんな安っぽい挑発に君が乗ってしまえば、それが前例になってしまう。
今後も力任せに順序を飛ばす横紙破りを認める事になる」
皐月会会長、そして、元クイーン。
私がこの腕一つで勝ち取ったクイーンに至る迄の事を思い浮かべても、
あの男の横紙破りのごり押し、それに対する良人の評は当然であり、
社会的にそうであるのと共に、やはり、
競技かるたに対する真摯な言葉としても、それは正しい。
だが、同時に、クイーンを勝ち取ったこの腕に覚える違和感はなんだろう。
それも又分かり切っていた。
綺麗なカルタではない、伝え聞く言動も、
信頼出来るソースのものですら不快なものが少なくない。
それでも、私がそうやって切り捨てる事が出来ないのは、
彼の技量、或は我武者羅な迄のかるたに未練があるからだろう。
一人のかるた取りとしての私が、そう言っているのだろう。
あの男、大岡紅葉らの師匠でもある名頃鹿雄のかるたには、
私の腕にも響く何かがあると言う事を。
「素人のマスコミだけではありません。
大っぴらに私に挑もうと言うあの男の実力の程は、
選手の間でも聞こえてきています」
「ああ、相応のものがあるのはその通りや。
だが、それは順序を踏めばいい話や。
こんな邪道なやり方に付き合う必要はない、
小さい派閥のボス猿として内にも外にも己を誇示して、
やたら大物に噛み付いてあわよくば、と、安い挑発や」
そう、「皐月会」がここまでになる迄、
少なからず選手馬鹿な所があった私達に、
競技者としての関わりが難しくなった阿知波は
叩き上げの実業家として有形無形の多くの手助けをしてくれた。
一度等、甘い言葉に騙されて持ち出された大金の手形を、
その筋の人間が蠢く中から取り返してもらった事すらある。
まだまだ世間知らずのお嬢さんだった私達を
表から裏から支えてここまで尽力してくれた。
そんな阿知波の言葉は正しいのだろう。
そして今、憚りながら私を含め
この世界の現・元のスター選手や重鎮の方を表看板に、
政財界の名士を顧問に迎えた「皐月会」は、
何れこの世界の公式そのものになろうと言う、
それ程の権威に祭り上げられている。
それを可能にした大きな要因は、間違いなく阿知波の奔走、人脈財力政治力。
実業家として成功し、一代で関西の不動産業界に君臨する迄になった阿知波は、
政財界やマスコミにも色々と顔が利く。
そんな阿知波が協力を惜しまなかった結果、
「皐月会」は文化事業として活動において行政や新聞社の後援を受け
教育の世界にも食い込み、少なからぬ税金も使わせてもらっている。
成り上がり者の名誉欲、売名税金対策等と言う者もいる。
私を飾り立てたい、そういう愛情表現も含まれている、
恐らくそういう事もあるのだろう。
私も、俗物である事を頭から否定する、
自分がそんな上等な人間だと言うつもりはない。
それでも、公のものを私した事は神かけてない。
私と阿知波が築き上げて来たものが、
私が青春を懸け人生を懸けて来た競技かるたの役に立つ、
後進のためになると言うのなら、
読み手の声、その息遣いを聞き、目の前の札を取るのと同じ。
全力で取り組むだけの事。
私は、そのルールの中で狙った札は決して逃さない。
だから、クイーンになった。
私と阿知波の築いた城は、競技かるたにとって、
かつての私達の様にそれに親しむ子どもたちに対して、
より良き未来を用意する事が出来る。
かるたの勝ち負けに、偶然もそれ以外の力も、ある筈が無い。
金ずくの、肩書に守られた格式だけのかるた。
そんなものなど、ある筈が無い。
その全てを名頃が直接言っている訳ではない。
名頃が煽っている部分もあるが、
名頃の言葉に外部で尾鰭がついている事も知っている。
あの男は、確かに不快な言動も多々聞こえるが、
根は些かの実力に驕って少々思い上がっただけの只のかるた馬鹿。
意地汚くともかるたそのものに対する思いは持っている筈。
だからこそ、その侮辱の根はかるた取りとして断ち切ってみせる。
大岡紅葉を初め有望な弟子達、子ども達の師であるならば、
その実力に相応しい存在であって欲しい。
私から見たら若造、だが決して侮れない存在だからこそ、
私がその事を示す意義はある筈。
× ×
慣れ親しんだ読み手の声が聞こえる。
それも、私が何時か聞いたその順序で。
その筈なのに、私は動けない。
動いた時には、既に終わっている。
かるたと言う競技の中で、それは何が起きていると言う事か。
分かり切っている事の筈なのに、理解が出来ない。
理解出来ない世界。
今までが嘘だった。
圧倒的な数学的現実が、私の心から
集中力も無念無想も何もかもをはぎ取っていく。
剥ぎ取られているのは虚飾。
かつてのクイーンとして皐月会、引いてはこの世界の
頂き近くに立っていたその現実こそが虚飾、飾り、嘘。
かるたに嘘はない。
クイーンとして断言する、かるたに嘘はない。
私は、私の人生を懸けてそう伝えて来た、
今でもその思いは欠片も変わらない。
この男が私と戦っているのは、嘘偽りなくかるた。
それも、こちらのフィールドでこちらが優位な条件を
向こうが承諾した上での競技かるた対戦。
かるたに嘘はない。ならば、嘘は私。
クイーンの座に在った私が、今、こうして良人の力を借りてすら、
そんな二人がかりで格下の取り手に手も足も出ない。
そんな私が、良人が築き上げ、飾り立てたその上に立っている。
それはさぞ滑稽な道化なのだろう。
クイーンの王冠。
皐月会、私と阿知波が、成り上がり者の道楽、売名と嘲笑を受けながらも
阿知波が心血注いで築き上げて来た城の頂きを飾る王冠。
その王冠である私のメッキは、こうも易々と剥がされる。
醜い鉄くずに過ぎないと、明日万天下に晒される。
私にとっての真実であるかるた、そのかるたと言う真実の名の下、
この男はこうしてその事を告げに来た。
完膚なきまでに徹底した証明の下、その事を、
明日からの私の、私と、良人の真実を告げに来た。
ーーーーーーーー
目の前の結果を認められず癇癪を起して泣く幼子。
そんなクイーンがいる筈が無い。
最初から何もなかった。虚飾の下には何もなかった。
只々情けない、醜態しか残されていない、
そんな私を、力強く抱き締めてくれた。
「皐月は、皐月は悪くない。
この男が何を言って、何をして来たかを知っている」
集中力、平常心、私にはなかった。
「これは、報いや。
薄汚い真似しか出来ない邪道が、
競技かるたの世界を蹂躙する、皐月はそれを防いだ」
私は、勝てなかった。私にその力は無かった。
「大丈夫だ、私に任せろ」
嗚呼、やはり頼もしい。
「とにかく、今すぐその服を脱いで、風呂に入って来るんだ。
私が処分しておく。
ああ、全てを処分しておく、皐月が気にする事は何一つない。
皐月の事は私が守る」
頼もしい良人。
良人が被せてくれた王冠は、私には不相応だった様です。
「後で、ゆっくり話そう。
だがもし、もし仮に今夜のこの男の事を聞かれたら、
君が勝って、真っ青な顔をして帰って行った、そう答えなさい。
それ以上の事は何も知らない、何も見ていない」
ーーーーーーーー
2014年
最近は、少しだけ気分が良かった。
会長職は病気療養のため退任、と言う形になったが、
元々理事会のドンに等しかった阿知波は、
会長職に就任後も私に名誉会長と言う肩書を用意してくれた。
そのお陰で、私の意を汲んでくれた阿知波の意向で、
創設者、名誉会長として今日の中学生皐月杯の表彰に関わる事が許された。
優勝者、大岡紅葉。
2年前、彼女は解散した名頃会から皐月会に移籍した。
聞く所では、多少の風当たりはあっても彼女一流の鼻っ柱の強さ、
それをぬるぬると京言葉に包み込んだ強かさと何よりも頭抜けた実力で、
皐月会の同年代のエース、クイーン一番候補として
皐月会に溶け込み、尊敬を受け、君臨している。
それでも、私からの授与を受けた時、
あの時より更に大人びた、美人そのものになっていた紅葉さんが何処か翳った、
そう見えたのは、私の心の影なのでしょうか。
名頃鹿雄は、散々にマスコミを煽り
公開対戦を挑んでおきながら当日に失踪した、
かるた界の大恥晒しとしてこの世界から追放され、
名頃会も解散と言う事になった。
良人は穏便な解決を望んだが、皐月会の矢島が強く主張した結果だと言う。
これまでの彼の言動の上のこの結果ではやむを得ない事、
白々しくそう言ってしまう私は。
名頃会の元会員の中でも、
希望者は皐月会に移る事が出来る様に現会長が取り計らった。
移籍者は紅葉さんともう一人いるが、
今や皐月会でも有力なかるた取りとして活躍している。
かるたの世界は何事もなく日々是無事に過ぎている。
やはり、良人の言う通り、
あってはならない不快なものに過ぎなかったのかも知れない。
彼は、何をあの様に無理無体に尖っていたのだろう。
その様に、自分を正当化してしまう。
逞しく精力的に乗り越えて見える良人と共に、
何もかも忘れた振りをして
暗い暗いトンネルを抜けて光の道に戻る事が出来るかも知れない。
そんな希望的観測が胸をよぎる。
ーーーーーーーー
私は、既視感を覚えていた。
こういう時にばったりと、と言うのだろう。
会場の廊下で彼女に出会った。
「おめでとう」
「おおきに、有難うございます」
私の言葉に応じた紅葉さんは、
いかにも京女らしい如才なさ、そう見えた。
「あの、長く臥せっておられたと伺いましたが」
「ええ、少し体を壊しまして。
かるたは闘い、でもこの有様です」
「お見舞い申し上げます」
「有難う。今は少し気分がいいですから」
「それでは、元気になっていただいて、
何時かお手合わせをお願いしたいです」
「そうですね………」
如何にもなお愛想を応酬しながら、
私は気が付く。あの時と同じ、紅葉さんの見せる翳りに。
「名頃会の解散の後、
こちらで引き取っていただきありがとうございました」
「いえ、そういう次第ですから私は大した事はしていません。
それに、あなたみたいな有望な方、大歓迎ですよ」
改めて丁寧に一礼する紅葉さんに、私はそう答える。
「それでは………」
私は、礼と共に立ち去ろうとする。
相手は次代のエース、慣れなければいけない。
でも、やはりあの男の愛弟子は、今は
「………瀬をはやみ………」
私の耳は、体は、それを許さなかった。
「岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思う」
「どなたか、想い人でも?」
「はい、未来の旦那様が」
「それはそれは」
和んだ。
目の前で可愛らしくはにかむのは、年相応の恋する乙女。
そう、皐月会の、引いては競技かるたの大切な次世代エース。
それに、それとなく見て来たが品のいい可愛らしいいとはん。
未来を、曇り無き未来を掴み取って欲しい。
そうでなければそれこそ嘘だ。
「最近の大○ドラマでも描かれていました。
家族の、男と女の愛と憎しみと、そして政り事に翻弄されて、
荒ぶる祟り神にならはりました」
「崇徳院ですか」
「ウチは、狙った札は必ず取ります。未来の旦那様も。
だから、その前に知りたい事があります」
「知りたい事ですか?」
「狙った札は必ず取る、
ウチにその事を教えてくれた人の事です」
私は、踏み止まる。
ここで、踏み止まる事が出来たなら、
私は未来を掴めるのかも知れない。
「あの様な事になって、処分も何も、その事は申しません。
只、知りたいんです。
ウチにとっては、今のウチのかるたを教えてくれた先生です」
真っ直ぐ、私の事を見据えていた。
狙った札は決して逃さない、
その教えを瓜二つに受け継いだその眼差しで。
「いなくなったあの日から、
先生、名頃先生の事、何かご存じありませんか?」
==============================
「君っ? 誰かっ!?」
曲がり角の向こうから聞こえる鋭い声に、
伊織無我はタッと鋭く動いていた。
「!? お嬢様っ!!」
廊下の床で血の気を失った主を抱き起す。
そして、気が付いても、恐らく客観的にはもっと重症であろう、
血だまりに顔を突っ込んで倒れる女性が視界に入らない様に配慮する。
「お、おい、しっかりしろ皐月しっかり、しっかりせぇ!!
ああわしや、先生にわしの名前出して支度させぇ、急げ早くやっ!
もぉたもたしてたら琵琶湖に叩っ込むぞおっ!!!」
ーーーーーーーー
「ここは?」
「病院です、お嬢様」
ベッドに入ったままぱちっと目を見開いた紅葉に、
伊織は安堵を抑え込みつつ返答した。
「どうして?」
「お嬢様、覚えておられませんか?」
「んー、確か、表彰式に出て、それで、帰る所で、つっ、
帰る所やったけど、それで………」
「はい、お花を摘みに行かれると仰ったので、
車を用意して待機しておりましたらお嬢様が廊下で倒れていると。
大会までの心身疲労の蓄積で何かにぶつかって気を失ったのだろうと。
目を離した時に、申し訳ございません」
「そんなん一緒は無理やて。そう………ウチもまだまだやなぁ」
「今後も検査はありますが、緊急検査に異常はございません。
今はゆっくりお休み下さい」
× ×
「栄養失調?」
ミナミのホルモン屋の片隅で、
大滝悟郎は情報屋の言葉を聞き返した。
「さいで。直接の所は持病の胃潰瘍だか十二指腸潰瘍だかが急激に悪化して、
穴が太い血管まで届いたから言うてますが、
それ以前に栄養状態が極端に悪いて、
それが命に関わるまでの悪化に繋がってると」
「それは………」
「阿知波の裏のモンが病院にも警察やマスコミにも
根回しに動いてるらしいですわ。
そちらさんにも色々繋がりがありますし、
マスコミも、東京の新聞社のトップともツーカー言いましたか」
「まあ、そやなぁ。地検や四課が狙った事もあったちゅう話やが、
色々ややこしい絡みがあるさかい」
「わしもこれ以上の深入りは命が惜しいですさかい、
大滝はんのお耳には入れさせてもらいますわ」
× ×
「皐月っ!?」
病室の丸椅子に掛けて
片っ端から祈りを捧げていた阿知波研介は、気配に立ち上がった。
カッ、と、目を見開いた阿知波皐月は、
荒い息を吐きながら激しい手踊りを始めていた。
「あ、あああ、あああああ、あああ………」
「こ、ここや、わしは、わしはここにおるでっ」
その手に縋りつき、研介は呼び掛ける。
「あああああ………」
「わしが、わしが守る、皐月はわしが守るさかい………
………出て行かんかい………」
それは、裸一貫海千山千の輩共と渡り合い、
堂々たる己の城を築き上げた漢の声だった。
「
自分、誰の女に手ぇ出してる?
自分を闇に葬ったんはわしや、
連れて行くならわしを連れて行けっ。
連れて行くならわしを連れて行けわしと勝負せんかいっ!
この上皐月に指一本触れてみぃ、
殺すで
」
ーーーーーーーー
「かなんなぁ」
それは、疲れた男の空耳だったか、夢が聞かせた言葉だったか。
転寝から覚めた阿知波研介は、
惚れた女の柔らかな笑顔を見ていた。
「皐月っ! 皐月、休んどけ皐月っ………」
跪いて転寝していた研介が、ベッドに覆い被さる様に皐月に迫る。
身を起こしてふっ、と、微笑んだ皐月の掌が、慌てる研介の頬に触れた。
皐月の目から、一筋、痩せた頬へと伝い落ちる。
「
………ごめ………さい………
………り………とう………
」
ーーーーーーーー
「くな………逝くな皐月逝くな逝くな逝かんでくれ
後生や逝かんでくれ皐月逝かんでくれぇ………」
廊下で駆け付ける医師、スタッフとすれ違う。
別件の事情聴取の名目と多少のコネで同じ廊下にいた大滝悟郎が、
その場からそっとエレベーターに向かった。
× ×
2017年
東京都内で、小さな名探偵がひっそりとデビューを飾っていた。
「
そう…確かにこのまま隠れていれば、
警察からは逃れられる…
だが、犯した罪からは決して逃げられませんよ…
」
「
奥さん…あなたは息子さんに一生…
一生この重荷を、背負わせる気なんですか?
」
× ×
嗚呼、これぞまさしく白馬の王子様。
ウチのために危険を顧みず飛び込んで来てくれた未来の旦那様。
細かい事はどうでもよろし、大事なのは既成事実。
元・葉っぱちゃんは確かに手強いけど
性格的に一度口に出した勝負の結果は曲げない筈。
だから、明日になれば、まずは二人きりでも挙式、ハネムーン以下略
目薬上目遣いまで、お稽古もお勉強も下準備も
毎夜のイメージトレーニングも万全に整ってます。
ほら、その時の事を想像するだけでこの身が熱く火照って
熱うなって熱うて熱うて熱い熱い熱い
事件の真相を解き明かすのもウチの旦那様、
だからおまけがいるとか細かい事はどうでもよろし。
旦那様の言葉でも、その真実は苦く、辛いものでした。
もう遭えないと告げられて、涙が出るには少し、時間が要る様どす。
あの女性(ひと)の名前が告げられた時、
錐で突いた様に、頭に痛みが走りました。
ひどい悪寒を覚えながら、あの男性の言の葉を耳にしました。
ウチはまだ子ども、とは認めとなくても若輩なのは分こうてます。
かるた取りとして、或は女性として、背負わなあかん者として、
それがどれ程のものか、何十分の一でも、
うちの心の芯に触れる度に、胃から突き上げそうでした。
例え社会的に愚かでも歪んでいても誤っていても、
あの男性の読む歌は、あの男性にとって嘘偽りなき真実であり、
そして、あの時代より連綿と歌に込められて来た想いなのでしょう。
そうであれば、ウチは、その札を取らなあきまへん。
逃げずに、受け取らな、あきまへん。
旦那様が命懸けで読み上げた真実と言う歌。
ならばその札を取るのは妻の役目どす。
狙った札は決して逃さない、その事を教えてくれた先生。
その先生の想いなんどすから。
× ×
一日の仕事を終え、
主の安らかな就寝、そうであろう事を確信した伊織無我は、
ある弁護士から預かった録音データをイヤホンで聞いていた。
「君がこの録音を聞いていると言う事は、
私の計画にあるパターンの齟齬が生じた言う事だと思う」
「………」
「今更何を言うか、と言う話なのは百も承知だが、
紅葉君に含む所は一切ない。
いい年をした私達の愚かしい顛末に巻き込み
その命すら危うくした事は幾ら詫びても足りるものではないが、
ここで改めて謝罪をさせてもらう。
本来であれば、かるた共々早々に焼き捨ててしまえば良かったのだろう。
かるたにしても、口実などいくらでも作る事は出来た。
しかし、それが出来なかったのは、
一欠片と言えど、皐月との思い出をこれ以上失う事は耐え難い
命懸けて皐月を守ると大見得切りながら、
要はわしが耐えられない、それだけの話や。
その上で、紅葉君が知るべきか否かも、私にも正直分からない。
只、この上の我が儘が許されるならば、警察への提出は控えて欲しい。
諸々を含めて、君に託す。
本当に申し訳ない」
プレイヤーを止め、イヤホンを外す。
若菜色の帳面を手にする。
「………今少し、あの方との決着がつき、
今少し大人になられるまで
この伊織が責任をもって預からせていただきます」
「May diary」
―了―
後書きあり
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後書き
………参りました………
この映画、特にこの人の辺り、
小説の物語をアニメ映画に映し出したみたい、と言いますか、
魅力的な行間に富んでいます。
しがない二次書きが書きたい、と突き動かされ、見事玉砕をした残骸ですが、
お付き合いいただきありがとうございました。
一応お断りしておきますが、
私のドヘタな文章がそのまま日記だと言う訳ではありません。
それでは、縁がありましたら又どこかで。
本作はここまでです
HTML依頼は折を見て。
このSSまとめへのコメント
このSSまとめにはまだコメントがありません