中野有香「いつだってストレート」 (53)
「そして……せやっ!」
「お」
「そう、それだ有香! 今のは良いウィンクだったぞ!」
「押忍っ」
「どーんかーんっ、あ・り・え・な・いよー♪」
「ふむ、仕上げて来たな。感心感心」
「良いぞ有香! 巧いぞ有香! 佐久間ちゃんにだって負けてない!」
「押忍っ!」
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「……なのに」
「そこでステップ!」
「……てやっ!」
「中野ー。何度も言うが……それじゃ震脚だ」
「お、押忍……」
「どうしてダンスだけイマイチなんだぁ……!」
最強のアイドル――その頂は、遥か遠く。
最強のアイドルこと中野有香ちゃんのSSです
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前作とか
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恋色エナジーにKOされた
― = ― ≡ ― = ―
「おう、おはようさん有香。さぁ来い!」
「おはようございます、プロデューサー。いきますっ!」
デスクから立ち上がるとプロデューサーがネクタイを背中へ退けました。
お腹の辺りのボタンを外し、ワイシャツを開け、白い肌着が見えます。
「ふぅっ――」
呼気を調え、丹田に集中。
拳を固く握り締め、しかして柔を忘れず。
踏み出しを半歩下げ、踵から拳頭までを一本槍に。
籠めるは殺意に非ず。ただ裂帛の気合のみ。
「――せいっ!」
ずどっ。
放たれた拳は過たず腹直を捉えました。
拳頭が僅かに食い込み、踵まで伝った反動が事務所の床を鳴らします。
しばらく黙ったままだったプロデューサーは、ようやく満足そうに頷きました。
「今日も良い調子みたいだな。レッスンの成果、見せてくれよ!」
「押忍っ!」
「……一寸よいか、お二人」
久々にデスクへ着いていた社長が鋭い視線を向けてきます。
な、何かマズかったのかな。
確かに、よく考えたらこの挨拶、ちょっとアイドルっぽくないかも……?
「今の、なんだ……演武、は初見だが……平素の挨拶か何かなのか」
「え、ええ……そのようなもの、です……」
「ふむ」
社長がぺらぺらと書類をめくります。
まさかクビにでもならないかと、私は直立不動で固まったまま。
隣のプロデューサーも、中背とは言え分厚いその身体を縮こませ、やっぱり不動。
「客前にては控える様、気に留めておきなさい」
「……お、怒らないんですか?」
「あ、こら有香っ」
思わず開いてしまった口をプロデューサーに塞がれました。
油断。これはいわゆる……藪蛇。
「叱責する由も無い。我がプロダクションは保てる限り、個の気風を重んずる」
「……は、ありがとうございます」
「加え」
『ボンバーーーーーっ!!!!!』
思わず天井を見上げると、電灯から下がる紐がかすかに揺れていました。
続けて聞こえてきた声は多分、ベテトレさんのものでしょう。
プロデューサーと顔を見合わせていると、社長が書類を投げ出して、溜息。
「君達は、まだ物静かな方だ」
「い、以後、気を付けます……」
「は、はい……」
……上に立つ人も大変なんだなぁ。
そんな事を考えながら、私とプロデューサーは大人しく会議室へと引っ込みました。
「……で。改めて、おはよう有香」
「おはようございます、プロデューサー」
「あの挨拶については後ほど考えるとして、ミーティングしようか」
「押忍っ」
「……うーん」
頷くと、プロデューサーが腕を組んで唸ります。
そろそろライブも近いですし、なかなか厳しい時期なのかもしれません。
しかしあたしもアイドル。プロデューサーと言えば師も同然。
全力を以て、期待を超えてみせなければ。
「有香」
「押忍」
「こう、もうちょっと可愛くいかないか?」
「押…………えっ」
頬を掻きつつプロデューサーが指を泳がせます。
何度か唸り直すと、思い付いたようにぽんと手を打ち鳴らして。
「そう、部活だ」
「部活……ですか?」
「ああ。なんか俺たち、どうにも部活っぽいんだよ。顧問と生徒みたいな」
「それは、プロデューサーは、師のようなものですし」
プロデューサーは凄い人です。
いきなり道場破りに来たと思ったら、いきなりあたしをスカウトして。
何のかんのと稽古するうち、いつの間にかCDデビュー。
数週間後にはお披露目ライブも決まっています。
あたしの一撃にもビクともしませんし、いつもあたしを気遣ってくれますし。
そう、ええと、気は優しくて力持ち、と言うか。
とにかく凄い人です。尊敬してるんです。
「でも、もっとこう、素の有香を出していいんだぞ」
「素の、あたし……」
「有香って、けっこう可愛いものとか好きだろう?」
「そ、それは」
「そのドーナツっぽいシュシュとか、ト音記号っぽいブレスレットとか」
あたしはずっと、空手の道を歩いて来て。
スカウトされたのも道場で。
だからあたしは、強いアイドルを目指すんだって。
「……あの」
「ああ」
「……あたし……可愛いアイドルでも、いいんでしょうか」
おそるおそる訊ねてみると、プロデューサーが噴き出しました。
「な」
「くっ、ははっ……! もちろん! 可愛いアイドル、大いに結構!」
「う、うぅ……」
「悪かった悪かった。よく考えたらその辺、もっと話し合っとくべきだったな」
含みきれない笑いを零しながら、プロデューサーが深く頷きます。
なんだか言いようのないあれそれが湧き出してきて、言葉にならない言葉をぶつけました。
「有香」
「……押忍」
「ダンス。なかなか上手くいかなくて、悔しいよな」
このタイミングで優しい言葉は反則負けだと思います。
思わず熱くなった目元を抑え込み、ぐっと表情を引き締めました。
「どうしても固く、武道の型みたいになっちまって。染み着くぐらいやってきたもんな」
「……」
「大丈夫だ。有香は頑張ってるって、トレーナーさんも俺も分かってる」
「でもっ」
「一生懸命な有香も、真っ直ぐな有香も、負けず嫌いな有香も見せてもらった」
いつの間にか鼻先まで熱くなってきて、顔ごと緩んじゃいそう。
きっと面白い表情をしてるあたしに、プロデューサーが柔らかく笑います。
「ちょっと気を抜いてさ。今度は可愛い、素の有香を見せてみないか」
「……押忍っ」
「とりあえず、押忍は控えめで」
「押忍っ!」
「ははは」
そしてあたしの前に、新たなる敵が立ちはだかりました。
……『可愛い』って、どんなのだろう?
― = ― ≡ ― = ―
「それで、わたくしの元へいらっしゃったと」
「うん」
「有香ちゃんも一杯いかが?」
「押……はい、頂きます」
翌日。
桃華ちゃんを探していたあたしは休憩スペースへと辿り着きました。
担当さんと共に紅茶を嗜む姿は立派なレディで、ちょっとだけ気圧されたり。
元々はこざっぱりとしていたこのスペース。
今では桃華ちゃんや他の娘が持ち込んだグッズのお陰でだいぶ優雅になってきました。
えーと、ウェットウッド……だったかな?
確かそんな名前のティーセットが食器棚にずらりと並んでます。
あたしはその辺に近付けません。壊しちゃいそうで。
「桃華ちゃん、あたしに可愛さの稽古をつけてくれませんか」
「それは構いませんけれど……ゆかりさんや法子さんではいけませんの?」
「えーと」
「有香ちゃん、ラングドシャはお好き?」
「押忍、頂きます」
担当さんの上品な笑顔は皺だらけで、でも何だか可愛らしくて。
何とも不思議な笑顔に感心するあたしをよそに、彼女は刺繍の続きへ取り掛かりました。
「こう、法子ちゃん達は普通に可愛いじゃないですか。いかにも女の子っぽくて」
「ええ。有香さんの言う通りだと思いますわ」
「それはちょっと……恥ずかしいと言うか。まずは……可憐? うん、可憐さから学ぼうと」
「そんなに恥ずかしいものですの……?」
もちろんゆかりちゃん達に相談する事も考えた。考えたけど。
恥ずかしいっていうのもあるけど。
とりあえずドーナツを食べさせようとしたり。
とりあえずフルートを聴かせようとしたり。
正直、時間が無いときに頼るのは賭けになりがちです。
でも二人の名誉の為に黙っておきます。
「可愛らしさ……女の子らしさ……」
「ふふっ。お二人とも、楽しそうねぇ」
「……何か言いたそうですわね、Pちゃま」
「あら、そうかしら? でも、年寄りの戯れ言かもしれませんし」
「いえっ、そんな事ありません! 是非ご鞭撻を!」
勢い良く頭を下げると、担当さんはやっぱりにこにこと笑って。
一方の桃華ちゃんはと言えば、何だかちょっと不審げな眼差しで。
「有香ちゃん」
「押忍っ」
「恋をしましょう」
「それで、こっちはノープランで来たけど……コースとかあったり?」
「ええと」
懐からメモを取り出しました。
そこには桃華ちゃん達に頂いたおすすめコースが並んでいます。
端っこには法子ちゃんが描いたドーナツや、ゆかりちゃんの描いた……
……何だろう、この…………生き物?
ともかく、何かがあちこちに散りばめられています。
ゆかりちゃん達はとっても良い娘ですけど、相談にはとことん向いていません。
頑張れ、あたし。ファイト、あたし。
「まずは電車に乗って……水族館へ、行きましょう」
「……固いなぁ」
「……そうですか?」
「だってほら、歩き方が」
いえ、普通に歩いて……ううん、普通じゃないか。
デートっぽく、女の子っぽく、お淑やかに歩いてる……つもり、だけど。
空手の基本は足運び。
可愛いダンスは、まず歩き方からだと思うし。
「初ライブ30分前の有香を彷彿とさせるよ」
「むっ、昔の話はいいじゃないですか!」
「はっはっは。いやー初々しい有香も良かったぞ」
言われると、余計にぎくしゃく。
買ったはいいけど履く機会の無かったパンプスが、ちょっとだけむず痒くて。
居ても立ってもいられなくて歩き出しました。
キュートど真ん中ストレートな空手少女、中野有香ちゃんをよろしくね
「とにかくっ! 今日も稽古、よろしくお願いしますっ!」
「はいはい」
プロデューサーの笑顔はいつも通り。
練習とはいえデートなんて、って思ったけれど。
すんなりOKしてくれたのは、やっぱりあくまで練習だから?
騒ぎにもならないような、まだまだ無名のアイドルだから?
――それともあたしなんて、ちっとも意識してないから?
「プロデューサー」
「ん?」
「あたし、可愛いですか?」
「ああ。バッチリだ」
「惚れそうですか?」
「いや。俺、割と小動物系の娘が好みだなぁ」
……あれ。
あたし、告白もしてないのに…………フラれてません?
― = ― ≡ ― = ―
「はぁーー…………」
デートって、難しい。
水族館もカフェも、CDショップを巡る間も。
歩く度に耳をくすぐる髪。
どこかへ引っ掛かりそうな、ひらひら多めのスカート。
スニーカーに慣れきった、けっこう乳酸の溜まりつつある足。
いつもとは少し違う服装に包まれて、なかなか気が休まりません。
デートとは、かくも厳しいお散歩だったんですね……。
「はぁ……」
休日も相まって、区立の公園は賑わいを見せていました。
家族連れが目立ち、子供たちが元気いっぱいにはしゃぎ回ってます。
その一歩は無邪気で、大きくて。
プロデューサーは近くへジェラートを買いに行ったきり戻って来ません。
何でもなかなかに有名なお店らしく、かなりの行列に並ぶ必要があるようで。
有香はゆっくり休んでいてくれと、あたしは園内をそぞろに歩き回ってみます。
右足、左足、右足、左足。
女の子らしく、アイドルらしく――可愛らしく。
やっぱりむず痒い一歩を噛みしめるように。
ガラスの靴でも壊れないように。
「ねぇー……どこぉ…………?」
「……」
「お願いー……おいでー……」
今にも泣き出しそうな……あ、いま泣き出しました。
小さな女の子です。どうしましょう。すっごい泣き出しました。
いえ、どうしようもこうしようもありません。
義を見てせざるは勇無きなり。
小さな背中へ駆け寄って、すぐそばへしゃがみ込みました。
「あの……どうしたの?」
「……ふぇ」
「あ、えと。怪しい者じゃなくて、その、アイドルやってる……あ、いや違くて」
「ひぐっ、ぐすっ」
「あああ泣かないで……! 迷子ですか? はぐれちゃったの?」
「ちがう、もんっ! 迷子の……ひくっ、まいごは、おいでの方だもんっ!」
「迷子……え、あれ、んん……?」
道場で磨いてきた宥めの極意が役に立ちました。
やっぱりこの娘は迷子で、おまけに飼い猫ともはぐれちゃって。
オイデ、っていうのがその子のお名前らしくて。
……変わった名前。
「えーと、ひとまず案内所かどこかへ」
「オイデが、オイデがいっしょじゃ、えう、ないと、ないとやだっ」
「うぅん……」
こうなった子供はテコでも動きません。
いやこの子くらい簡単に持ち上げられますけど、そうじゃなくて。
オイデちゃんとやらを見つけないと、それはひどい有り様になるのは間違いなく。
「どの辺りではぐれちゃったか、分かる?」
「……わかんない。遠くじゃないと……おもう……」
「うん。じゃあ、一緒に探してみようか」
「……ありがとう、お姉ちゃん」
「お礼なら、見つかった後で大丈夫だよ」
ベンチの下。茂みの裏。噴水の陰。
猫が隠れられそうな場所を一通り見て回って。
それでもこの公園は広く、とてもじゃないけど探しきれそうにありません。
またほっぺたの染まり始めた女の子の隣で、あたしは途方に暮れてしまいそうでした。
「……オイデ……オイデぇー……」
「……」
……途方に暮れている暇なんてありません。
道場に掲げられた『至誠』の二文字を思い出します。
出来る事を、出来るだけ。
気持ちの良い昼下がりの空気を吸って、静かにまぶたを閉じました。
胸で吸い、胎で吐く。
拳を腰に、足を肩幅に。
一本の糸を研ぎ澄ませるように。
相手の、世界の息遣いを感じて。
ナァ
――真上。
「……居ました」
「……あっ! オイデっ!!」
「ナー……」
こういうのも灯台もと暗しって言うのかな。
見上げた頭上、高めのコナラ、太めの枝にその子の姿はありました。
又の辺りに丸まって、女の子へ応えるように小さく小さく鳴いています。
「オイデー!」
「……」
「降りられなくなっちゃったみたいですね」
本来、猫は木登りに長けた動物です。
上り下りは人間よりもずっと早く、軽くこなしてしまいます。
ですがあの子は……どうやら、木登りの経験が無かったようで。
こちらに目を向けてはいても、一向に飛び降りる様子が見られません。
「だいじょうぶ! オイデなら、おりられるよ!」
「フミッ」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる女の子を、オイデは悲しげに見つめるだけ。
その間にあたしは辺りを見渡しました。
えっと、昔取った首塚だっけ…………あれ?
「大丈夫」
「えっ?」
「ここで待っててね」
パンプスを脱ぎ捨てて、目の前の幹を見上げて。
確かに見えた道筋を信じて、あたしは枝に手を掛けました。
めくれるスカートが誰にも見られてないのを祈りつつ、次の枝へ。
靴下越しの樹皮は、それはもうごつごつしていて。
でも、むず痒くはありません。
「……もう、少し」
「お姉ちゃんっ、ムリ……しないでっ!」
枝に引っ掛かって、スカートの飾りリボンが破けました。
いつもの三倍くらい丁寧に櫛を通した髪は見るも無惨な有り様に。
指先がぬめる何かに触れて、どうやら樹液のようでした。
だけど、辿り着きました。
「おいで」
「ニャ」
腕へ跳び込んできた三毛を抱いて。
良い名前だなぁって、あたしは何となくそう思い直しました。
「さてと」
確保したはいいけど、今度はここから降りないと。
とは言っても、この子を抱えて戻るのもなかなか難しそう。
……出来るかなぁ、アレ。
あやめちゃんから教わりはしたけど、うーん。
この高さなら……なんとか。
「じゃあ、今から降りるからー」
「ナー」
「……えっ」
「ちょっとそこから離れててー」
「……? うん!」
離れていくのを確かめて、腕の中のオイデをしっかり抱き締め直します。
お腹と胸の間に空間を作るようにして、その中へ収まるように。
目指すは木の葉。
舞う葉の地を滑るが如く。
「――ふっ」
ゆっくりと重心を後ろへ傾けて、体捻りの準備。
重力のままに、逆らわずに。
地に触れるまでの一秒足らずに、全神経を集中させて。
とん。
踵が芝生へ着いた瞬間、籠めていた力を流します。
ふくらはぎ、腿、尻、脇腹。
少しずつ軸をずらして、最後は肩を中心に一回転を遂げました。
片膝を立てて勢いを殺し終えて、ほっと一息。
腕の中をそっと見守れば、オイデの目は丸く光っていました。
「……すっ……ごーーい!!」
駆け寄ってきた女の子へオイデを差し出します。
嬉しそうに鳴くオイデを抱き締めて、女の子はやっぱり泣き出しちゃいました。
うん。一件落着。めでたしめでたし。
「おね、ぐす、お姉ちゃん……ニンジャっ!?」
「あはは。本物のくノ一はもっと」
「えーと……有香?」
背中から、すっかり耳に馴染んだ声。
振り向いた先に居たプロデューサーは両手にジェラートを持っていました。
「……えっと、何があった?」
「こ、これはその……」
めくれていたスカートを急いで直しながら、あたしは大慌てで弁解を始めるのでした。
― = ― ≡ ― = ―
「本当に、お世話になりました……お召し物も、申し訳無く……」
「いえいえ。中野が勝手にやった事ですので」
「あ、あはは……」
「そうですね、先月出たCDの一枚でも買ってもらえれば」
「シーディー!? お姉ちゃん、かしゅだったの!?」
お父さんはすぐに見つかって、女の子はわんわん泣きながら駆け寄っていきました。
何度も何度も頭を下げるお父さんに、プロデューサーがさりげなく営業を掛けます。
やり手です。
「ほら、ゆか。もう一度、きちんとお礼を言おうな」
「ありがとうね、お姉ちゃんっ! ほら、オイデもっ!」
「ナー」
「うん、どういたしまして」
「またねー、お姉ちゃーんっ!!」
くっつきながら歩いて行く二人と一匹を、手を振りながら見送ります。
その姿が見えなくなると、プロデューサーが大きく溜息をつきました。
「あのな有香。ライブ前の大切な時期に無茶をするんじゃない」
「ご……ごめんなさい、プロデューサー……」
「……ま、言い含めといてもやっただろうけどな。結果オーライさ」
ぼさぼさの髪にくっついている葉っぱやらを摘みながら、プロデューサーが笑います。
確かにケガでもすれば、もしかしたらライブなんて出来なくなってしまうかもしれません。
だけど。
もし、もう一度こんな事があったら、あたしはまた――
「今度は俺も呼んでくれよ」
「え?」
「昔、スーパーマンに憧れててな。女の子と猫ぐらいばっちり受け止めてやるさ」
分厚い胸板を叩いて、ウィンクを一つ。
あんまりにも似合わない仕草に、思わず吹き出しちゃって。
「さぁて。それじゃデート練習の続きと洒落込もうか」
「……あ」
「ん? どした?」
「あの、あたし」
よれよれの髪に、土で汚れた服。
今のあたしは。
「可愛く……」
「ないかもなぁ、世間一般からすると」
「うぐっ」
ストレートに言われて、思わず呻いてしまいました。
落ち込みかけるあたしの前で、プロデューサーが首を振ります。
「でもさ。有香は後悔なんかしちゃいないだろう?」
「はい」
「それでいいんだ。汚れた服がどうした、シンデレラの証じゃないか」
「……」
「胸を張れ、有香っ!」
「押忍っ!!」
「良い返事だ――さぁ、可愛い服を見に行こう!」
可愛さってなんだろう。
残念だけどあたしにはまだ、よく分からなくて。
多分、むず痒くて、ちょっと恥ずかしくて、だけど素敵なものなんだと思います。
そんな未熟者のあたしの背を、プロデューサーは力強く叩いてくれて。
今はただ、あたしらしい一歩を。
「さっきの娘も、ゆかちゃんって言うんだな」
「また、会えるでしょうか」
「もちろん。だって、これから有香の歌を聴けるんだぞ? ライブにだって来るさ」
「……はいっ!」
「良い顔してるな、有香」
「そうでしょうか」
「ああ。みんなが可愛いって言わなくたって――俺は、今の有香が好きだなぁ」
プロデューサーは、凄い人です。
今のあたしなら、きっと最高のライブが出来ます。
あんなにぎこちなかった足取りも、今は踊り出しそうなくらいに軽くって。
あれだけ悩んでいたステップを、試してみたくって仕方がないんです。
……ちょっと恥ずかしくって、口には出せないけど。
― = ― ≡ ― = ―
「そうでしたのね」
「ごめんなさい、折角お二人に力を貸して頂いたのに」
「有香ちゃん、紅茶はいかが?」
「押忍、頂きます」
翌日、あたしは結果報告を兼ねて桃華ちゃん達の元を訪ねました。
休憩スペースで桃華ちゃんは宿題に、担当さんは何やら革の縫い物に取り掛かってます。
……このお二人、休憩し過ぎじゃないでしょうか?
「結局、可愛さについてもよく分からずじまいで」
「そんなにはっきりした何かではありませんもの。気を落とさないでくださいまし」
「ねぇ、有香ちゃん?」
「はい」
「昨日は、ちゃんとストレートで臨みました?」
「え、ええ」
「でも、今日はまたおさげなんですね」
「えっと、まぁ……やっぱり、ちょっと恥ずかしいので」
「ふふ。それが可愛いという事ですよ♪」
「…………?」
担当さんは満足げに頷いて、あたしと桃華ちゃんは顔を見合わせるばかりでした。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
湯気に乗って、紅茶の良い香りが届いてきます。
お茶菓子はちょっと甘めで、この分ならミルクとかは要らないかな。
何だっけこのお菓子。フィ、フィ……フィニッシュブロー?
「そうそう、きちんとお礼は伝えましたか、有香ちゃん?」
「はい。別れ際に」
「本当に、きちんと?」
「……そう、念を押されると……普通に、としか」
「あら、それはいけませんね。思いは伝わりにくいものですから」
「そう……でしょうか」
「そうですよ♪」
担当さんは皺の刻まれた顔を緩ませて、ゆっくりと紅茶を傾けました。
納得したように頷くと、桃華ちゃんにも微笑み掛けます。
「やっぱり、ストレートが一番だと思いません? 桃華ちゃん♪」
「……Pちゃまの、言う通りかもしれませんわね」
首を傾げっぱなしのあたしをよそに。
桃華ちゃんが降参したように笑って、ティーカップへ角砂糖を沈めました。
― = ― ≡ ― = ―
「おはようございます、プロデューサー」
「おう、おはようさん有香……お」
「どうかしましたか?」
「今日は縛ってるんだな、髪」
「昨日は特別ですよ」
「そうか……よし、来い!」
デスクから立ち上がり、プロデューサーがいつものようにネクタイを退けます。
お腹の辺りのボタンを外し、ワイシャツを開けると白い肌着が見えます。
「ふぅっ――」
呼気を調え、丹田に集中。
拳を固く握り締め、しかして柔を忘れず。
思わず踏み出しを半歩下げかけたのに気付いて、あたしはつい笑ってしまいました。
籠めるは殺意に非ず。ただ――
「…………有香?」
とんっ。
一歩半の距離を詰め、プロデューサーの懐へ、軽く当て身を仕掛けました。
やっぱりまだ恥ずかしくって、みんなには見せたくないから。
「いつも優しくしてくれて、本当にありがとうございます」
「……あ、ああ」
震えそうな拳を握り締めて。
「一昨日は、あたし、とっても……とっても楽しかったです」
「お、おう……?」
凝り固まりそうな顔を上げて。
「だから……これからもずっと、よろしくお願いします――Pさんっ♪」
精一杯の笑顔と気持ちを、ストレートに。
「…………」
「……Pさん?」
あたしを見たまま固まって。
それからPさんはゆっくりと後ろへ倒れ込みます。
どすんと床が鳴って、Pさんは大の字に倒れて。
丸く開いた口を塞ぐように、大きな両手で顔を覆っていました。
「…………有香」
「は、はい」
「今のは……反則だ…………」
「……?」
「中野」
呻くように呟いたPさんを眺めていると、社長の声が飛んできます。
居住まいを正して向き直れば、社長は書類を放り出して満足そうに笑いました。
「腕を上げたな」
「…………押忍っ!!」
リリースライブまで、あと2週間。
最強のアイドル――その頂は、まだまだ遠く。
おしまい。
有香ちゃんは手加減抜きのストレート可愛い
【楽曲試聴】「恋色エナジー」(歌:中野有香)
http://www.youtube.com/watch?v=-YCnWrRKE8s
細かい事はいい
とにかく恋色エナジーを聴いてほしい
ちなみに微課金なので第6回シンデレラガール総選挙へ備えてます
高垣楓さんへの投票を是非よろしくお願いします
(あと冬の新刊追加委託したのでどうぞ >前スレで言ってた方)
おつ
社長初登場かな?
このSSまとめへのコメント
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