lain「one experiment」 (51)
誰も声を出さない。
唯、走行音が響く山手線の車内。
手すりに掴まり、窓の外へ目をやると、
電柱と電柱の間を垂れ下がる電線が、波打つように過ぎ去っていく。
シートへと目を移すと、人々は皆熱心に携帯型デバイスを指でいじり、
何をそんなに夢中で見ているのか、片時も視線を画面から離すことはない。
他人などは全く目にも入っていないかのように目の前のプレートに熱中する様は、
現実の世界よりも電脳世界に自分の存在を見いだしているような光景である。
それはワイヤードがリアルワールドを優越したかのような光景に見えた。
玲音「・・・うるさいなぁ、・・・黙ってられないの・・・?」
一人の少女が小さく口に出した。
ここ十年の間に電子情報の流通量は爆発的に増加した。
一説によるとその増加量は十年で500倍以上になったとも言われている。
携帯端末の数は先進国や準先進国では人口比の100%を超え、
途上国でもその数は人口比50%以上になるのも珍しくはない。
地球の人口は70億を超え、今なお増加の一途を辿っている。
将来的に70億かそれ以上の人口が、ネットワークを通じて繋がりあい、
情報を共有する世界になるだろう。それはそう遠くない。
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このような電子情報の繋がりを、脳細胞に例えた話は昔から存在する。
人間の大脳にある神経細胞は140億以上にもなり、
ニューロンとニューロンの間を電気信号、シナプスの微細伝達物質でやり取りする様相は、
現代の地球に広がる電子情報社会に酷似する。
人類の人口は今日にきて、大脳にある神経細胞の半数に到達した。
やがてその神経細胞と同数の人口が情報の流通を行えば、
地球に一種の意識的なものを開花させるのではないかという推測は、
その半分にまで実験が進んでいると言っていい。
玲音は電車を降りると、ビルの屋上へ足をつけた。
玲音「なんで死んでしまいたいの?」
少年「学校で苛められるから。学校裏サイトで悪口を、メールで罵詈雑言を、
Rineで悪巧みをされたから。・・・・・・・死んだらまた生まれ直して幸せに生きたい」
玲音「生まれ直すことなんてできないよ」
少年「そんなの嘘だ」
玲音「リアルワールドでは肉体を失えば最後なの」
少年「そんなの信じない。それに例え生き直せなくても、ワイヤードが僕の世界になる」
玲音「ワイヤードの中で存在は、・・・ほんとうのあなた?」
少年「そうだ。肉体はただのアプリケーションだ。ワイヤードの中で生き続ける。放棄しても変わりはない」
玲音「ワイヤードは構築された世界。ネットワークがなければ何もできない」
少年「だけど現にネットワークは構築された。それは人類の進化の一側面だ。
リアルワールドでは距離が繋がりを阻むけど、ワイヤードでは距離に関係なく人を繋ぐ。
優秀な進化だ。僕は一人ぼっちだった。僕は死ぬことで繋がる」
玲音「どこにいたって人は、繋がっているのよ」
少年は飛び降りた。
スマートフォンの登場は従来の携帯デバイスの概念を著しく変貌させるものではなかったが、
より身近にネットワークを携行し直感的操作によってネットワークをリアルワールドの動作に馴染ませることに成功した。
この試みはデバイスとしての利便性を向上させたものとは必ずしも言えないが、
ネットワークを物理的にも感覚的にもリアルワールドに近づかせる先鋭的なイノベーションであったことは間違いない。
ネットワークとリアルワールドの垣根はゆっくりと崩されている。
暗い室内。
モニターの光だけが、煌々と散らかった部屋を照らす。
モニターの前に座る男は、コンビニの弁当を箸で口に運びながら、
不健康そうな顔を画面から離さない。
男「会社では個人的な話はしないよ。いつも業務上必要な会話しかしていない。
あの件はどうなった?とか、この件はこうなりました、とか。
たまに談笑することもあるけど、それは業務で付き合う上で円滑な人間関係を維持したいからさ。
誰だってギスギスした職場はいやだろ?だから談笑も義務的に行うのさ。
言ってしまえば談笑も業務上必要な仕事の一つってやつかな」
玲音「ワイヤードは繋がれた世界だけどリアルワールドの代わりにはならない」
男「勿論さ。だけど、リアルワールドの会話だって、
業務上必要な解答を求めて、Aと言ったらBという応答が欲しいだけさ。
これって、ネットワークで必要な情報を検索エンジンに打ち込んで、
膨大なデータベースから適切であろうリザルトを導き出すワイヤードネットワークと
何か変わるところはあるかい?僕はどっちも同じに思えて仕方ないね」
玲音「それでも人は、検索エンジンなんかではなく、思考して、感情を伴う。
Aと言ってBと答える集合体の単純な仕組みとは違う」
男「仕組みが違うとしても得られる結果が同じならそこに差異の意味はないさ」
玲音「本当にそう?」
男「それに、やがてコンピュータに思考ルーチンのアルゴリズムを組み込まれると、
人とコンピュータの境ってほとんどなくなるだろうさ。それって人と機械に最早差はあるかい?」
玲音「ワイヤード上の擬似的な思考能力は本当の人になりえない」
男「人もワイヤードも所詮、電気信号さ」
男は一度たりともモニターから目を離さなかった。
これまでもさまざまなスーパーコンピュータが作られ、
膨大な計算が必要な研究に対してその演算能力を発揮し、人類の科学の発展に寄与してきた。
軍事や気象や金融工学は勿論のこと、分子や銀河や宇宙の謎を解明することにも多大な貢献をしている。
人を超越する巨大な演算能力は人にできない処理速度を発揮する。
そして、このままスーパーコンピュータが順調に成長し続けると、
2025年には人間の脳内にあるニューロンのシミュレーションが可能になると言われている。
スーパーコンピュータの発展はワイヤードやリアルワールドへどう影響していくのか。
玲音「どこと、誰と、繋がるの?」
真昼にモニターへ向かう学生。
多少理知のある目を眼鏡の奥に除かせるが、線が細く、不健康そうな印象は先程の男と変わるところはない。
学生「リアルワールドで話す時間よりワイヤードで話す時間の方が長いね。
なんでかって?
リアルワールドじゃ必ずしも自分の好きな話題を話せるわけじゃなく、
まわりに気を遣うこともしなけりゃならない。
その点ワイヤードは自分の好きな話題を探し出して誰に気遣うことなく話せる。
確かに掲示板では自分の発言に誰も反応してくれないときも多々ある。
一見、流れる川に石を放り投げるような虚しさだけど、波紋は確かに川に伝わってるはずさ。
場合によれば反応して対岸から応答が放られたり、川の流れが変わったりもする。
それが嬉しいのさ」
学生は不健康そうな笑みを見せる。
玲音は悲しそうな顔をしたあと、学生の部屋に背を向けた。
情報は錯綜する。
その情報の奔流の渦中、集合的無意識が情報に触れる人々の間に流布する。
それは例えば、あの政党が良いだとか、あの政党が悪いだとかいった印象が、
普遍的に広まるような作用を持つ。
その集合的無意識が、リアルワールドの活動に影響を及ぼす。
情報の流通が著しくなった今日の世界では、それが顕著に現れる。
ある国では革命が起こり、ある国では政権が交替し、ある国ではナショナリズムを高揚させた。
ワイヤードを通じて流れる無色透明な集合的無意識は、
既にリアルワールドに多大な影響を及ぼしている。
世論、評判、売買はワイヤードで形成され始め、
今や政治もワイヤードを活用する。
ワイヤードを担う大企業は個人の情報や企業の情報、
果ては国家の情報を、一握に掌握しようとする。
それはまるで、かつて神になろうとした男と同じ道に立っているように玲音は思う。
街頭の電気屋にディスプレイされている薄型テレビに玲音の顔が映る。
玲音「リアルワールドとワイヤードの境界って、はっきりしてない」
近年建設された、600mを超す電波塔、その頂上。
玲音の目の前には携帯デバイスを持って座る少女。風が強い。
玲音は地平の果てまで続く灰色に目を向ける。
天を仰げば24時間に16回地球を回る人工衛星が、
今日何度目かの上空通過するのが白い空にみえる。
少女「ワイヤードがリアルワールドでありリアルワールドがワイヤードなんだよ」
玲音「人はどちらの世界にも同時に存在する」
少女「そうだよ玲音」
そういやPS版のlainがレアだったな
少女は手に持つ携帯デバイスには一切目を向けず、
地平の彼方へと澄んだ瞳を向け続けている。
一匹のカラスが近くの電線から飛び上がり、
遠くまで飛んで行くのを、小さな点になるまで玲音と少女は見続けていた。
玲音「かつてデウスが地球の固有振動波にシンクロさせたコードをプロトコル7に組み込んだ」
少女「地球の固有振動波が生物の思考に及ぼす影響力は未だ解明できていない」
玲音「だけど原初以来の生物史上その影響を受けてきた人間はDNAにその固有振動波が刻まれている」
少女「地球の固有振動波がもたらす影響」
玲音「デウスは、地球の固有振動波により、集合的無意識を意識へと転移させるプログラムを導入し、
集合的無意識からリアルワールドにさえ干渉しようとした」
少女「だけど今は」
少女「ワイヤードにアクセスする端末は、
部屋の据え置きデバイスから手元の小型デバイスまで普及し、
人は一日中ワイヤードと共にあり、
あまりにリアルワールドがワイヤードに依存することになった」
少女「最早リアルワールドとワイヤードは同質」
少女「同質というより一つに溶け込んだ同一世界体」
少女「記憶を記録として書き換える力はなくとも」
少女「ワイヤードは侵食している」
玲音「・・・・・たとえ・・・そうであっても・・・・・・
温もり・・・・・・・・・残・・・・・・から」
少女が振り替えると、玲音は既にいなくなっていた。
ワイヤードの発達に伴うリアルワールドへの影響の推測は、大昔からされている。
その代表的なものとして、
ワイヤードはリアルワールドと錯覚するほど、リアルワールドに近づき、
やがてリアルワールドに置き換わる現象が起こるのではないかというものがある。
それは未だ実現していない。
むしろその推測とは別方向に、ワイヤードにより曖昧になるリアルワールドという現象が見え始めている。
現在、ワイヤードの発達はワイヤードとリアルワールドの境界を曖昧にし、
リアルワールドを侵食する段階にある。
それはワイヤードとリアルワールドは別個ではなく、
両者は極めて同質に共存し、相互に影響し合っているからである。
ミルクをいれたばかりのコーヒーのように、
両者はゆっくりと溶け込み、新たな世界をつくっていく。
雑踏。
皆、手に携帯デバイスを持ち、歩くもの、座るもの問わず通話し、あるいは画面を注視し、
まるで人間の身体活動の一部であるかのように当然に動作を繰り出している。
玲音は電車に乗る。車内の様相は街と変りはない。
窓の外へ目を向けると電柱と電柱の間を垂れ下がる電線が波打つように過ぎ去る。
電信音が耳につく。
玲音は小さく口に出した。
完
serial experiments lain の中村隆太郎監督に哀悼の意を込めて
lain生んでくれてありがとう
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