凛の片恋 (99)
[水曜日]
屋上。
「だぁ~疲れた!漏れる!」
屋内へとダッシュする穂乃果。
「早くクレープ食べに行きたい!」
ことりが叫ぶ。
「せやせや~早いとこ解散しよ。ウチらも行きたいんや。」
「私もお腹空いたわ。ほらほら、海未!」
希と絵里の同意を受け、仕切り役の海未が言った。
「みなさん今日もお疲れ様でした!明日も同じ時間に集合でお願いします!解散してください。」
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「真姫ちゃーん、スーパー寄ってから帰ろ?」
「いいわね。今日は妹さんたちにカステラでも買ってあげましょ。」
このふたりは買い出しに。
ことり、希、絵里の三人はクレープを食べに。
海未は穂乃果の宿題を手伝うため、このまま穂乃果の自宅まで同行。
花陽は体調を崩して欠席している。
残された凛は、誰について帰ろうかウロウロしている…ように見えた。
しかし、足はひとりの方向に向かっていた。
「どうしたのですか?凛。」
「えっ、あっ、いや…えっと…」
「?」
ひとりで帰るのはさみしい、そう言うのかと思い、少し頬がほころびかける海未だった。
「今週の土曜日と日曜日、夏祭りあるでしょ?」
「ああ、はい、ありますね。」
「あの、凛、海未ちゃんと行きたいなって…」
「…私と?」
「嫌…かな…」
頬を赤らめながらも、真っ直ぐ見つめてくるその顔を可愛いと思いつつ、海未はこう答えた。
「日曜日なら、空いてますよ。」
「…本当!?」
「誘ってくださってありがとうございます。いいですね、行きましょう。」
みるみるうちに明るくなる凛の顔。
微笑む海未。
「お待たせ!」
現れる穂乃果。
「戻ってきましたか。」
そう言って海未は、穂乃果と共に帰る支度を始める。
「では、詳しくは追って決めましょう。」
離れていく海未。
凛は俯きながら力なく呟いた。
「ありがとう…」
[木曜日]
『ごめん。今日もちょっと出れそうにないかな。』
文面を見て、今日もひとりかぁとさみしく家を出る凛。
早起きの花陽からの連絡で目覚めたため、出発はいつもより早い。
いつもより長い通学路の終わりが見え、溜息をつきながら門を跨ぐ。
今日は一番かな、そんなくだらない期待をしながら部室へと向かう。
しかし、部室の前に立って気づいた。
「あ…鍵…」
今まで一番乗りしたことがないため、いつも来ると鍵は開いていたのだが、今日は幸か不幸か一番乗り。
「入れないや…」
「おや、早いですね。」
顔が赤くなるのを感じ、ハッとして振り向くと、そこには海未が立っていた。
「おはようございます。」
「おはよ!」
「珍しいですね。今日は早起きですか?」
「うん。かよちんの連絡で起きたんだ。」
「まだ花陽は体調が優れないのですね…」
「だから今日お見舞いにいくつもりなんだ。」
「ふふ、いいですね。きっと喜びますよ。」
微笑みながら鍵を開ける海未。
「どうぞ。」
「ありがと!」
一応部室に入った順番は一番乗り。
嬉しくてニコニコしてしまう凛。
「まだ一時間ぐらいありますね。」
チャンス、そう思って凛は椅子に座る。
「海未ちゃん!夏休みの宿題終わった?」
「勿論、済ませましたよ。凛はどうなんですか?」
「凛ももう少し!いつも溜めちゃうから、今年はちゃんとやってるんだ~」
「そうですか。悪い癖を治すのはいいことです。」
椅子に座る海未。
「お楽しみもあるしね…」
「何か言いました?」
「ううん!なんでもないよ!」
「そういえば…夏祭り、楽しみですね。」
「!」
凛は、驚きと嬉しさの混ざった笑顔になった。
「うん!凛も早く行きたい!」
満面の笑みの凛にいつものように微笑む海未。
「凛は魚が苦手なんでしたっけ。金魚は大丈夫なんですか?」
「む!見るのは大丈夫だよ!」
「なるほど…食べる方も大丈夫になるといいですね。好き嫌いはよくないですよ。」
「うー…がんばります。」
その後も会話は続いた。
凛の嫌いなものの話の後は、海未の嫌いなもの。
逆に好きな食べ物のこと。
話も弾んで、ちょうど三十分ほど経った頃。
楽しい雑談を遮ったのは、扉の外から聞こえてくる二人組の声だった。
「昨日のクレープ美味しかったよ!」
「いいなー!穂乃果も行きたかった~!」
そして開く扉。
「穂乃果、ことり。おはようございます。」
凛よりも海未と仲のいい人。
その後、いつものように練習をこなし、解散。
「解散してください!」
各々がその後の予定に動き出す。
「さ、穂乃果、ことり。帰りましょう。」
「海未ちゃーん…今日も穂乃果の宿題見るの?」
「当たり前です。私が協力しないと終わらないでしょう。」
「はい…」
そこに、凛が割って入る。
「あの…」
「どうしました?」
「かよちんのお見舞いのお土産に、穂むらのお饅頭買って行こっかなって…」
「それはいいアイデアですね。それなら…今から一緒に行きましょうか。」
その言葉が欲しかったと言わんばかりの笑顔で凛は答える。
「うん!行く!」
道で一緒に歩くのは海未だけではないが、凛にはそんなことはどうでもよかった。
帰路につく四人。
海未は気を遣い、ひとりきりの一年生の相手をする。
「最近は特に暑いですね…。凛の体調は大丈夫ですか?」
「凛は絶好調だよ!」
「ふふ、絶好調ですか。それはよかったです。」
「でもちょっとバテちゃうこともあるかなー」
「そうですね…。練習も少し緩めた方がいいでしょうか。」
「うーん、凛はもっと辛い練習を中学校のときにしてたから、大丈夫かなー」
「凛は陸上部でしたもんね。」
「でも、かよちんには少し厳しかったのかも…」
「やはり少し厳しすぎましたか…」
「で、でも、ちょっと厳しいところもやっぱり必要だと思うよ!」
「凛は中立的ですね。将来世渡り上手になれそうです。」
「う、うまいことフォローできないだけにゃー…」
「花陽のことも考えて、少しだけ、練習を変えてみましょう。凛のその気持ちも無駄にはしたくないですし。」
「そう…」
そんな会話をしているうちに、目の前は穂乃果の家だった。
「じゃあ私は衣装作りがあるから。みんな、また明日!」
ことりは先に三人から離れる。
三人で手を振り、見えなくなってから店に入る。
「ただいまー!」
穂乃果の声を聞いて、母親が出てくる。
「おかえり。あら、海未ちゃん、今日も来たのね。毎日穂乃果の宿題ありがとうね。」
「いえ、私も役に立てているなら幸いです。」
「本当いい子ね。うちの娘にも見習って欲しいわ。あら、そっちは…凛さん?」
「こ、こんにちは。」
「いらっしゃい。今日はどうしたの?」
「えっと…お饅頭を買って行こうかなって。」
「あらそう!嬉しいわ。持って行きなさいって言いたいところだけど、ゴメンね、半額で許してね。」
「いえ!十分です!ありがとうございます!」
ご好意に甘え、購入する凛。
去り際、上がり込む海未と穂乃果にも別れの挨拶をする。
「ふたりとも、また明日。」
「じゃあね、凛ちゃん!花陽ちゃんによろしく!」
「花陽によろしく伝えておいてください。また明日。」
笑顔で店を出た凛は、俯きながら花陽の家へと向かった。
花陽の家のインターホンを押す。
応える花陽の母親の声は、もはや聞き慣れている。
「どうぞ、上がって上がって。」
「おじゃまします!」
「お茶持ってくるから、花陽の部屋で少し待っててね。」
「いつもありがとうございます。」
「いやいや、こちらこそありがとう。」
長い付き合いの友人の母親とは、やはりこういうもの。
「かよちーん、入るよー」
「はーい。」
見慣れた扉の先には、見慣れた部屋。
もう何度も訪れている部屋。
「大丈夫?まだ熱下がらない?」
「もう朝よりは大分楽だよ…」
「無理はしないでね。これ、穂乃果ちゃんのところのお饅頭持ってきたよ。お腹の調子が悪くなければ…」
「ありがとう、凛ちゃん。」
冷えピタをおでこに貼りながらも、顔色はいい。
「みんなに迷惑かけてないかな…」
「大丈夫だよ!みんなかよちんが戻ってくるの待ってるよ!」
「そっか…」
「元気出して!ほら、楽しい話しようよ!」
「…そうだね、せっかく来てくれたんだから。」
「そうそう!あのね、昨日にこちゃんがね…」
幼馴染同士だと、会話もよく弾む。
不在だった二日間の話だけで、小一時間は潰せる。
「私、二日も休んじゃったから、今週の練習は出れても明日しか出れないなぁ。」
「あっという間にお休みだね。」
「そういえば、今週末、夏祭りあるよね!」
「!」
「凛ちゃん、一緒に行かない?」
「あっ…えっと…その…」
「…?」
「り、凛、別の人と行く約束したんだ。ごめん…」
「別の人?」
「うん…」
「誘われたの?」
「違うの。凛が誘ったの。」
ほんのりと赤く染まっていく頬と耳を見て、何かを察する花陽。
「そっか。」
「…」
「訊いていいのかわからないけど…誰?」
「え、えっと…」
ボーイッシュな幼馴染の乙女な一面を惜しげも無く見せられ、花陽は嬉しくなる。
「へぇ…そうなんだ。」
「恥ずかしいよ…」
「がんばれがんばれ!応援してるよ!」
「ありがと…」
「もー!かわいいんだから!」
「凛、自信ないよ…」
「あんまりネガティブになっちゃだめだよ?」
「うん…」
「今からそんな感じで大丈夫?」
凛は明らかに暗い。
「ごめん。そうだよね。がんばる。」
「うん。がんばってね。」
幼馴染の激励。
勿論嬉しい。
しかし「幼馴染」という存在は今、耐え難いものでもある。
「自信…ないよ…」
[金曜日]
「休憩にしてください!」
週最後の練習。
今日は花陽も来ている。
「ことりちゃん、ちょっとちょっと…」
「どうしたの?」
花陽は幼馴染のことを話したくて仕方ないらしい。
一方の凛は。
「…」
「凛?元気がないですね。」
「あ…。いや、大丈夫だよ。」
「体調が悪かったら直ぐに言ってくださいね。凛はがんばりすぎてしまうところがありますから。」
「うん。ありがとう。」
「花陽が治って、一安心したところですから。可愛い後輩にまた無理をさせたくはないです。」
可愛いと言われれば、照れるのは当然。
「か…かわ…」
凛が表情を変えると、海未が微笑む。
何度となく繰り返されていることだが、凛はその微笑みを直視できない。
「…変ですね。何を話しているんでしょうか。」
そう言った海未の視線の先では、ことりと花陽が会話をしながら明らかに動揺している。
意気揚々と話に行ったはずの花陽の顔は、不安混じりの顔になっていた。
凛も少し不穏な空気を見たのか、ふたりの方を見つめていた。
視線に気づいたふたりは、焦らず直ぐに会話を終わらせた。
さほどその様子に気も留めず、海未は言った。
「…さ、練習、始めましょう。」
「…」
凛は違和感を不快に思いつつ、残りの練習をこなすしかなかった。
「解散してください!また来週です!」
週末を迎えた9人は、休日の楽しみに向かい、帰路につく。
「にこちゃん、帰りましょ。ウチに泊まってくんでしょ?」
「一ヶ月ぶりぐらいかしらね。楽しみだわ。」
「えーりち、帰ろ。」
「ええ。でもあそこ寄っていかない?」
各々、早くも予定があるらしい。
「海未ちゃん!穂乃果、家の手伝いあるからすぐ帰るね!ごめん!」
彼女はまだ休めない。
「かよちん、帰ろ?」
「えっと…ごめん凛ちゃん。今日ことりちゃんとご飯食べてから帰るんだ。」
「あ…そうなんだ。わかった。楽しんで。」
「ありがとう。ごめんね。」
そうなると、余ったのはふたり。
「凛?」
話しかけられることはわかっていたのに、それでも凛は少し驚く。
「海未ちゃん…」
「よろしければ…一緒に。」
「…うん!」
「でも、その前に…少しお話ししていきませんか?」
「え?」
「凛とふたりなんてそんなにありませんし。もう少しだけ残って、私の話のお相手、してくれませんか。」
予想のしていなかった言葉まで出てきて、凛はより心躍る。
「涼しいね~」
「ええ…」
冷房の効いた部屋で、ふたりきり。
「えへへ…」
「どうしたんですか?」
「ん?」
「いえ、ニコニコと可愛いものですから。」
「かっ…」
「ふふ…」
「もう、からかわないでよっ!」
「からかってなどいませんよ。そう思ってるんです。」
「もう!怒るよ!」
「そう言いつつ、口元は緩んでますよ。」
「ゆ、緩んでないもん!」
「そうですか。」
「……ずるいよ…」
「凛。」
「なに?」
「何か悩み事でもあるんですか?」
「えっ…」
「最近、なんだか普段の凛と違いますよ?」
「き、気のせいだよ…」
「本当ですか?心配です。」
「大丈夫だから…だから…そんなに見つめないで…」
「それならいいんですが…」
しかし、凛は明らかに茹で上がっている。
「う、海未ちゃんは最近どう?夏バテとかしてない?」
「私ですか?」
「そう!海未ちゃんもがんばり屋さんだから!」
「そうですね…少し、疲れてますかね。」
「大丈夫?無理しないでね!」
「ありがとうございます。気を遣ってもらえて、嬉しいです。」
「心配だから…」
ふたりだけの時間を相手から作ってもらえた。
それだけで、凛は舞い上がっていた。
いつもの部室が、特別な場所になる。
お互い笑顔で語り合う。
終わって欲しくなかった。
「…日も落ちてきましたね。」
気がつけば日暮れ。
「そうだね…」
「そろそろ、帰りましょう。」
「もっとお話ししたかったな。」
「まだ、帰り道でもお話はできますよ。」
「うん!」
夕陽に照らされて淡い赤の通学路。
どこか超現実的な空間が、凛の気分を変える。
「いいですね…。夏の夕方は風情があります。」
夏の風情よりも、凛は彼女の微笑みが気になって仕方がない。
ただ見つめているだけだった。
「凛?どうしたのですか?黙って。」
「え、いや…きれいだなって…」
「ええ。綺麗です。」
「綺麗…だよ…」
握りしめる拳は、汗でびっしょりだった。
「では、また明後日ですね。」
「うん!楽しみ!」
「私もですよ。」
凛は日曜日が待ち遠しくてたまらなかった。
その晩。
暗い部屋で電話をかける凛。
「もしもし…かよちん?」
『り、凛ちゃん…どうしたの?』
「あのさ…明日、服買いに行こうと思うんだ。」
『っ…』
「どうしたの?」
『いや…なんでもないよ。』
「本当に?」
『…うん。』
「そう…」
『服…なら…ことりちゃんにお願いしてみるといいかも…よ。』
「ことりちゃん?」
『おしゃれなら私よりもことりちゃんの方が…』
「…わかった。ありがとう。」
『ごめんね。凛ちゃん。』
「ううん。大丈夫だよ。」
アドバイスを受け、かけなおす。
「もしもし?」
『もしもし…?どうしたの?凛ちゃん。』
「あの…明日ね、その…とびきり可愛い服を買いに行きたくて…」
『えっと…それで…私?』
「服ならことりちゃんかなって。」
『そうなんだ…』
「明日大丈夫?」
『…その…私のセンスじゃなくて、凛ちゃんが自分で選ぶのもいいんじゃないのかな。』
「えっ…」
『私は…そう思う…かな…』
「どうして?」
『ほら…ありのままの方が気に入ってもらえるかもしれないでしょ?』
「そう…かな。」
『…』
「…うん、いいかも。」
『ごめんね…ごめんね凛ちゃん…』
「いや、大丈夫だよ、そんなに謝らなくても。」
『うん。ごめんね。』
凛は、背伸びしてみることにした。
[土曜日]
普段は来ないようなお店で、一生懸命服を探す凛。
「えへへ…」
どれも可愛いな。
そんなことを考えながら、次々に服をめくる。
それでも、買おうと決めている服は、ある程度は決まっていた。
ワンピースのコーナーで、立ち止まる。
「…かわいい。」
小さい頃のトラウマで、可愛いものには疎かった凛。
シンプルなものが、輝いて見える。
「…ウケるかな。」
薄い緑のワンピース。
フードつき。
凛なりの、隣を歩いて恥ずかしくない服。
選びに選び抜くよりも、直感で選ぶのが自分らしいと、凛は思った。
「よし…」
試着をして、心に決めた。
買った服を大事に抱きかかえて、ベンチでひと休みする。
顔を赤らめ、伏せ目になる。
改めて気持ちが高まるのを感じる。
明日という日と、あの人に思いを馳せながら。
「あれ、凛ちゃん?」
「ふえっ!?」
名前を呼ばれ、振り向くと、そこには穂乃果がいた。
「奇遇だね~。何してるの?」
「えっ、えっと…その…」
「お買い物?」
「そ、そうだよ!穂乃果ちゃんこそ何してるの?」
「穂乃果はね、デート!」
「デート…?」
「うん!宿題もひととおり終わったからさー!」
「……そう。」
「ところで凛ちゃん、持ってるものなに?」
「うん?あっえっとこれは…」
「見せて見せて!そこで買ったんでしょ~?」
「り、凛もう行くね!」
「あ!ちょっと!」
走って逃げる。
今は、誰にも会いたくなかった。
「はあ…はあ…」
陸上部出身の凛でも、長距離は苦手だった。
家の前まで走ってきたため、息は激しく切れている。
「はあ……はあ………」
改めて服を抱きしめた。
さっきよりも強く、強く。
[日曜日]
凛が目覚めたのは、昼過ぎのことだった。
寝過ぎたわけではない。
寝付けなかった。
重い体を精一杯起こす。
寝癖がひどい。
会うまでは、あと四時間ほど。
時間はあるようで、ない。
「んーっ…」
伸びをする。
ベッドから降りて、遅すぎる目覚めの身支度をする。
洗面所で顔を洗い、寝癖をなおし、食事をとる。
体内時計に自ら反抗してしまったことは、当然、悪い影響を及ぼしている。
「おもい…」
気だるさが拭えない。
鈍い足を運んで部屋にたどり着くと、アイロンがけした新調のワンピースを手に取る。
姿見の前で、靡かせてみる。
どんな反応を見せてくれるのだろうか。
とは言っても、きっと何を着て行っても褒めてはくれるだろう。
いい人すぎるのだから。
着替えて、改めて自分の姿を見てみる。
これが、今日の戦の甲冑。
気合いを入れてきたこと、気づいてもらえるだろうか。
貴女のために、新調しました。
裾を握り、震える。
目を閉じて、深呼吸をする。
戦は戦でも、今日の戦は。
落ちかけの夕日が眩しい時間。
神社の前で待ちぼうけ。
周りは既に賑わっている。
凛はひとり。
当然である。
集合の三十分前に来た。
ソワソワしている凛には、誰がどう見ても待ち人がいる。
視線も泳いでいる。
ガラでもない服に身を包んでいることが、少し恥ずかしい。
やはり夏祭り。
浴衣姿の人が多い。
凛にはまだ早いよね、なんて考えながら、ひとりひとりに視線を向ける。
色が入り混じって、それだけでも鮮やか。
そのうちのひとつが、だんだん近づいてくる。
水色だ。
凛は、わかってしまった。
「…どうして…」
水色にはなびらの浴衣が、より本人を際立たせる。
「すみません。お待たせしました。」
「大丈夫。そんなに待ってないよ。」
「やはり浴衣に着替えるのは時間がかかりますね…」
「似合ってるよ。」
「そう言ってもらえると嬉しいです。」
似合っている。
世界一。
海未も、凛の格好を見る。
「随分と可愛い服ですね。」
「えへへ…」
「凛も、とてもよく似合っていますよ。」
「ありがと…」
「もっと怖がらずに、そのような服を普段から着ればよいのに…」
「そう…かな。」
「私はそう思いますよ。貴女が思っている以上に、貴女は素敵です。」
そんなことを言われても、目の前の海未が素敵すぎてすんなり入ってこない。
「さ、立ち尽くしていても仕方ないですよ。行きましょう。」
海未は歩き出す。
麗しい後ろ姿に、着いて行くしかなかった。
歩みを進める度に、周りが暗くなる。
次第に提灯が輝き出す。
「凛、何か、したいことや、見たいものはありますか?」
「えっと…」
誘ったはいいが、特にしたいことがあったかと言われれば、なかなか出てこない。
ただ、一緒にいたかった。
「しかし、歩いているだけでも楽しいものですね。」
軒を連ねる様々な屋台。
夏祭りに来たと、今更ながら実感する凛。
「お腹、空いていませんか?」
「り、凛は大丈夫かな。」
「そうですか…すみません、私は少し小腹が空いたもので。何か、頂いてもいいでしょうか?」
「うん、いいよ。」
「ありがとうございます。では…」
海未の空腹を紛らわすものを探しに歩き出す。
一体何を選ぶのだろうか。
唐翌揚げ、たこ焼き、焼きそば、アメリカンドッグ。
かき氷、チョコバナナ、りんご飴、カステラ。
並ぶ、庶民の味。
今の凛は、どれも喉を通りそうにない。
「迷いますね…」
海未は、少し目を輝かせながら、右往左往する。
ついていく凛。
誘ったのは凛なのに、そう思うと少し情けない。
「凛、飲み物ならどうです?」
そう言って海未が立ち止まった屋台では、ラムネが売っている。
「あ…うん、飲み物なら、飲めるかな。」
「そうですか。」
ラムネなんて、こういう機会でないと飲まない。
海未が提案してくれたのだから、飲まないなんて選択肢は、凛にはなかった。
「えっと…ラムネひとつ、ください。」
瓶。
ラムネといえば、ビー玉。
なかなか飲まないものだから、落とそうにも苦戦する凛。
そんな凛の手に、細く綺麗な指が重なる。
「こう…力の、入れどころですよ。」
少し圧をかけられると、成功。
「ありがと…」
「いえいえ。いいですよね…ラムネ瓶。」
情けない。
「何か食べたいもの、決まった?」
「そうですね…せっかくですし。」
そう言って海未が向かったのは。
「りんご飴?」
「ええ。これも、なかなか食べないでしょう?」
選びそうだなぁと思い、なんとなく納得する。
「久しぶりですね…」
財布を取り出し、貰う海未。
その横で凛は、別のものに目を奪われていた。
「ありがとうございます…さ、凛…凛?」
凛は、糸を割り箸に巻きつけている機械に釘付けだった。
「…ふふ。」
子供のような顔になっている凛を見て、海未はいつものように微笑む。
「わたがし、ですか。」
ラムネを片手に、わたがし作りを見つめる凛。
「食べますか?」
「…うん。」
左手にラムネ、右手にわたがし。
小さな子供に戻ったようである。
隣の海未は、優しい目でりんご飴を持っている。
食べ歩きをしながら、小さな会話をする。
「ふふ、まるで小さな妹のようです。」
「むー、そんなに小さくないもん!」
「そう言ってムキになるところも。」
「いつもそうやっておちょくるんだから!」
「凛、わたがし、ひとくち頂いてもいいですか?」
「うん!いいよ!」
凛が差し出すと、海未は少しかがみ、そのまま口に入れる。
味わうように溶かす海未を凛が見ると、海未は笑顔で返す。
凛も、また、笑顔で返す。
人混みの中を、進むふたり。
そろそろ、遊びが目につき始める。
「見て見て、射的!」
「お祭りの定番ですね。楽しそうです。」
「そうだ!海未ちゃんやってみてよ!」
「私ですか?凛ではなくて?」
「うんうん、上手そうだから!見てたいの!」
「上手そう、ですか…」
凛の持ちで、お代を出す。
「がんばれ!がんばれ!」
「期待される以上、中途半端な結果は出せませんね。」
渡された銃を見つめる海未。
弓道での経験を見込まれたのだろう。
しかし、このような銃になると自信がない。
ほんの少しだけだが、重圧と緊張を感じる。
凛の視線が少し重い。
まずはルールの確認をする海未。
景品を獲得するには、落とす必要がある。
許された弾は、五発。
「…厳しいですね。」
眉間にしわを寄せる。
「…」
しかし、決して弱気ではない。
その目は銃から的へと向けられる。
的として置いてあるもの。
小さいものは、お菓子。
大きいものは、ぬいぐるみ。
可愛らしい猫のぬいぐるみが海未の目に入る。
中段の真ん中、少し上のあたりだ。
そして凛を見る。
当然、凛の目は猫に釘付け。
普通なら、ぬいぐるみは避けるところ。
しかし、隣の凛を見ると、そういうわけにはいかない。
コルクを五つ、手に取る。
素人でも、品定めぐらいはできる。
勢いの出る、できるだけ新しいものを選ぶ。
そのうえで、打って、銃の状態を知る必要がある。
意を決し、コルクを詰める。
目の色の変わった海未を、凛は見つめている。
凛の手は、汗で濡れていた。
銃を構える。
当然、弓を射るときとは構え方が大きく違う。
脇を締め、身を乗り出す。
不慣れな体制で的を睨む。
海未は真ん中を狙う。
うつ伏せでこちらを見る丸い猫の顔面の、中心。
鼻先を目掛けて、引き金を引く。
弾は、猫の左耳に直撃した。
「…右上ですね。」
即座に次の弾をこめる。
凛は、息を飲んで見つめるのみ。
逸れた原因は自分にはない自信が海未にはあった。
寸分の狂いも許さない精神状態は、構えが変わっても同じ。
左耳を撃ち抜かれた猫は、少し左後ろに後ずさりしている。
再び構える。
次の狙いは、対角線。
大きく左下に銃口を向け、集中する。
二発目。
猫は少し跳ねて、右半身も後退させた。
「…」
狙い通りだが、残りの三発で上手く落とせる自信が持てない。
頬に、一筋の汗を感じる海未。
次の一発を迷っている。
不安と憧れの目で海未を見つめる凛。
凛にも、海未の汗は目に入っていた。
弾をこめて、構える。
迷った結果、狙うのはどこか。
深く息を吸い、銃口を彷徨わせる。
止めた瞬間、息も止める。
引き金に指をかける。
「…っ」
猫はアッパーを食らった。
先の二発で進んだ距離の二倍は押せただろう。
「ふう…」
集中力が途切れないよう、できるだけ周りを見ない。
コルクすら、目を向けず手に取る。
次の狙いは、先程と変えなければならない。
大きく下がった分、同じ場所は狙えなくなった。
しかし、端を狙っても少ししか稼げない。
海未は、腹を括った。
即座に装填、構える。
鋭い目を猫から離さず、そのまま引き金に手を掛ける。
「ふっ」
眉間をぶち抜かれた猫は狼狽える。
あともう一歩で崖っぷち。
凛は、祈るように見つめる。
弾をこめ、構える。
浴衣の狙撃手は、最後の一発に備える。
息を止め、引き金を引いた。
猫は、一歩後退し、そのまま止まった。
「あ…」
力が抜けていく凛。
銃を置く海未。
「惜しかったね…」
海未は複雑な顔をしている。
「でもすごい!あと一歩だったもん!」
「ええ…あと一歩。」
煮え切らない海未。
「じゃあ、行こっか。」
立ち去ろうとする凛。
「あと一歩、です。」
海未はお金を払い、再び銃を取る。
驚く凛。
慣れた手つきで弾をこめ、涼しい顔で一発。
今度こそ、猫は落ちた。
「ふう…」
凛は、立ち尽くしていた。
受け取った猫のぬいぐるみを、凛に渡す。
「どうぞ。」
「あ、ありがとう…」
凛は貰ったぬいぐるみを抱きしめる。
「少し、意地になってしまいました。」
照れ笑いをする海未。
顔を真っ赤にし、猫に顔を埋める凛。
海未は、いつものように微笑みかける。
再び屋台を巡るふたり。
海未は、ひとつひとつ見ては感想を発する。
隣の凛は未だ胸の高鳴りが抑えられず、頷くしかない。
海未からのプレゼントに、すがるしかない。
チラチラと海未の方を見ては、伏せ目になる。
そして目が合うと、恥ずかしくて逸らす。
その度に、海未はやはり微笑む。
「少し休みましょうか。」
そう言って海未は、人気のない場所へと凛を連れて行く。
ベンチを見つけ、座るふたり。
「凛、楽しんでいますか?」
「う、うん、楽しいよ!」
「そうですか。」
楽しいというよりは、この特別な時間が終わって欲しくなかった。
暗がりで、提灯の明かりが隣の顔を照らす。
凛はまた、横目で海未を見る。
「…花火、そろそろですね。」
「…そうだね。」
焼き付けるように、その横顔を見つめる凛。
今この風景にこの格好で似合う一番の女性。
憧れて、連れ出して。
この距離で隣に座っている。
「あっ…」
花火が上がり出す。
「…」
見上げる海未。
「…」
俯く凛。
「綺麗ですね…」
そう言って凛を見る海未。
「…どうしたのですか?」
「…ばか。」
凛の声は、花火に掻き消された。
花火。
勢い良く飛び出しては、派手に散る。
美しき月の隣で。
一瞬の輝きを見せて、跡形もなく消える。
花火を終えた祭りから、人気が消えていく。
ふたりも、流れに乗る。
「いい夜でしたね…」
「うん。」
「さみしいですね、これで終わりとは。」
「そうだね…」
「誘っていただけて、本当によかったです。」
「そっか…それなら凛もよかった。」
「猫、気に入っていただけました?」
「うん!すごいかわいい!」
「ふふ。」
「大事にするよ!」
「ありがとうございます。」
「抱いて寝ようかなー!」
「それはいいかもしれませんね、よく眠れそうです。」
「えへへ~」
会話の区切りがつくと同時に、屋台の列も終わる。
人が散っていく。
ふたりも、方向が違うため、別れなければならない。
「じゃあ、また明日だね。」
「いえ、待ってください。」
「…?」
「時間も遅いですし、途中までは。凛が心配です。」
「い、いいよ、大丈夫だよ…」
「ですが…」
「大丈夫だって。」
「そうですか…」
「…ごめん。」
「いえ、謝る必要はないですよ。」
「うん…」
「では…お気をつけて。また明日、元気に会いましょうね。」
「うん、また明日。」
「改めて、今日はお誘いいただいてありがとうございました。楽しかったです。」
「…」
「それでは。」
離れていく海未。
凛は俯きながら力なく呟いた。
「ありがとう…」
おわり
別サイトに投稿していたものを改めてここに書き込みました。
back numberの「わたがし」を聴き、思い立って書きました。
とってもいい曲ですので、是非聴いてみてください。
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