北沢志保「トゥルーマン・ショーに祝福を」 (110)
・アイドルマスターミリオンライブのSSです。
・志保のお話です。
・志保、誕生日おめでとう!
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舞台の端に置かれたベッドに腰掛け、辺りを見回す。
吊られたサスの光が等間隔に灯っている。
けんけんぱが出来そうかな。
でも、間隔が少し空きすぎているかも。
足をぷらぷらとさせながら、反動をつけて板の上に降りた。
ぎし、とベッドが軋む。
舞台の上は、私が演じる女の子の部屋だ。
セットと言っても、置かれているものは小さなベッドと、椅子、服を掛けるハンガーくらい。
いずれも木製で、白いペンキが塗られている。
舞台にあるものはそれだけだ。
セットを完璧に作り込む舞台監督もいれば、こんな風になるだけシンプルにする人もいる。
今回は座長さんの意向もあって後者になった。
俳優の演技を目立たせたい、と彼は言っていた。
私もそれに応えなければいけない。
板の上をゆっくりと歩く。
舞台の中央には白い椅子が置かれている。
すとんと座ると、慣れ親しんだ感触。
椅子に座ってする演技がいくつかある。実物で練習をしていた名残だ。
じっと客席を眺める。人影はまだない。明かりは点いている。
後ろにいけばいくほど高くなっていく客席は普段のシアターとはちょっと違う雰囲気だ。
アリーナライブは、どうだったかな。
後ろの方は高かったけど。さすがに広すぎて印象は重ならないかな。
階段をじっとみつめる。スーツを着た劇団の人が無線を口元に寄せているのがみえた。
音はしない。裏方さんを含めてかなりの人数がこの劇場にいるはずなのに。
本当にびっくりするくらい静かだった。
チケットの売り上げは好調だって聞いたけど、どれくらい埋まるのかな。
がらがらだったりして。
沢山のひとに見てもらえたらいいな。
ミスはしたくない。
沢山稽古したんだから、だいじょうぶ。
ぐるぐると頭の中で考えが巡る。
自分でコントロール出来ない事柄を考えるのはあまり良くないけど、しかたない。
何せ、初の舞台だ。
夢にまで見た、っていう比喩が陳腐になる位、本当に何度だって夢に見ていたのだから。
ちかちか、と何かが光る。
舞台袖に視線を向けると、プロデューサーさんが携帯電話のライトをこちらに向けていた。
開場の合図。
言いに来てくれればいいのに、と思うけど、彼は絶対に板の上にはあがってこない。
そこは役者さんの場所だから、と言っていた。
そういうものかな。そうかもしれない。
小さく手を挙げて、ベッドの位置へ戻った。
客席に一礼してから、ベッドに潜り込む。
開場はもうすぐだけど、開演時間まではまだ一時間ある。
けれど、私は開場から演技をしなければいけない。このベッドで眠る演技を。
サスの光も消え、舞台の上は真っ暗になった。
客席の明かりで間接的にベッドが浮かび上がるはず。
前の方だと、私が寝ていることに気づかないかも。
ベッドに横たわる。ぎしりとスプリングが軋む音がした。
また、ちかちかと光。なんだろう、と目を向ける。
プロデューサーさんの携帯電話はどうやらネックストラップにかけられているらしい。
そこから一拍、二拍、三拍と光が瞬く。
思わず、目を瞬かせた。
のち、大袈裟にため息をついてみせた。
暗闇に浮かぶ影絵で、猫のぬいぐるみが奇妙な踊りを踊っている。
あまりにも不細工で、不格好で、情けない。
そもそも、私の猫さんを使って何をしているんだ。
……いや、目的は分かるけど。それにしたって酷すぎるダンスだ。
闇のなか、プロデューサーさんを睨む。
その視線はおそらく届かなかったとは思うけれど、もともと怒られるために茶化していたんだろう、そっと明かりは消えた。
リラックスさせようっていう意図はわかるし、いいんだけど。
それにしたってプロデューサーなんだから、もう少し踊りには気を使って……
もしかして、ダンスが苦手な私への当てつけなんだろうか。
ありえる。彼は結構、意地が悪いし。大体、それを言い出したら——。
そんな風にどうでもいいことを考えていると、がちゃんと扉の開く音がした。
ざわめきが舞台の上にも染み渡ってくる。
観客が入ってきたのだ。空気や匂いが少しずつ変わっていく。
その全てを肌で感じていた。
緊張はしていない。いつも通り、私は私でいられた。
……不本意ながら、彼の目論見通りというか、狙い通りになったのかもしれない。
いつの間にかリラックス出来ている。
そういう意味では、うん、多少は頼れるようになったのかも。
私はそっと目を閉じた。
寝息でリズムを作る。
開演前のどたばたでかなり疲れているので、あまり熱心にやり過ぎると本当に寝てしまいそうだ。
色々と工夫しなければいけない。
考え事がいいだろう。
決して眠くならない様に。
これまでのことを思い返そう。なにせ、色々なことがあった。
シアターのみんな。
劇団の人たち。
座長さんの厳しい稽古。
お父さん。
家族。
そして、プロデューサーさんと出会った時のこと。
私がアイドルになってから、季節は一周している。
光の中、踊る猫の姿が思い出に重なる。少しだけ、笑いそうになった。
とても不本意だけれど。その笑顔は彼との出会いによって産まれたものだった。
1
「なぁ、志保ー。765プロに新しいプロデューサーさんがくるって噂あるやん? どう思う?」
ダンスの自主練を終えたレッスンルーム。
大の字に寝そべった奈緒さんがそんな風に声をかけてきた。
声を出すのも億劫なくらい疲れてるんだけど、この人、やっぱりタフだな。
格好はだらしないけど。おへそ出てるし。
タオルで汗を拭きながら、少し考えてみる。新しいプロデューサーさんか。
「そうですね……律子さんの負担が減るんじゃないですか」
前任のプロデューサーさんがハリウッド研修に旅立ってから、765プロ専任のプロデューサーは律子さんだけになった。
アリーナライブ以降、バックダンサーの仕事は継続しているので偶に会うんだけど、日に日にやつれているようにも見えたし。
「それはそうやけどー。もうちょっと私ら寄りの話あるやろ」
「……見習いにはあんまり関係ないんじゃないですかね」
でも、律子さんの手が空くなら、偶にレッスンみてもらえたりするかな。
それはいいかも。なんといっても竜宮小町を育てた敏腕プロデューサーだし。
スクールのレッスンに不満があるわけじゃないけど、現役プロデューサーの指導が気にならないわけがない。
「あかん、あかんで志保。当事者意識がたりひんよ」
がばり、と奈緒さんが体を起こす。そのままあぐらの姿勢を取り、私に両手を伸ばした。
「あ、そこのタオルとって〜。志保の貸してくれてもええよ」
「それくらい、自分でやってくださいよ……」
言いながら、背後に置いてあったスポーツタオルを手に取る。
へたに反発すると悪ノリされて、本当に私のタオルを奪われかねない。
アリーナライブからの付き合いだし、そういう距離感は少しわかった。
タオルを手渡すと、奈緒さんは顔をガシガシと拭く。
その後、周りをきょろきょろと見渡した。
レッスン室には私達、二人しかいない。
奈緒さんは四つん這いになって私の方に近寄り、息を潜めた。
近づく必要はあったんだろうか。ないんだろうな。
「ここだけの話やけどな、新しいプロデューサーさん、ひとりじゃないらしいで。
この前、百合子が事務所できいたんやって。小鳥さんと律子さんが話してたって」
「ふぅん……そうなんですか」
それは初耳だ。
765プロにはずっとプロデューサーが二人しかいなかったし、てっきり少数精鋭が社長の方針なのかと思っていた。
奈緒さんは私の隣に座り、またあぐらをかく。
距離が近いので少し空けたら、お尻がすいっと寄せられた。
それを二回繰り返した後、あきらめる。
奈緒さんは私のこういう反応を楽しんでいる節がある。
「で、それがどうかしたんですか」
「せやなぁ。志保はどう思う?」
「さぁ……律子さんの負担軽減以外には思い浮かびませんけど」
「それやったら、一人でええやん」
「十三人を二人でプロデュースしてたこと自体が奇跡だったと思いますけどね」
「んー、まぁ、それはあるけど。ともかく、前から考えると多すぎなわけや」
奈緒さんはどうしてもそこに拘りたいらしい。
話が進まないので、そうですね、と適当に頷いて、ペットボトルを手に取る。
「私が思うにやな……」
奈緒さんが不敵な笑いを浮かべる。
「アイドルの方も増えるんちゃう? つまり、私らバックダンサー組の正規昇格!」
大声と共に、拳を突き上げた。思わず、ペットボトルを落としそうになる。
「なんや、志保も動揺とかするんやな。ええと思うよ」
「してません」
慌てず、今度はきっちりと蓋を開ける。
ゆっくりとポカリスエットを口に含んだ。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。
正規昇格。
私達はまだアイドル見習い、所属はスクールの身だ。
765プロと直接、雇用関係にあるわけじゃない。
けど、ダンサー組で正規昇格について一度も考えたことがないって子はいないはずだ。
アリーナライブを経験して、想像するなという方が無理。
あのステージにもう一度立ちたい。そう思えるくらいに汗はかいたと思う。
「……ありえるんですかね」
「さー、わからんけど」
奈緒さんはけらけらと笑う。
「わざわざ見習で使ってくれてるんやから、ずっとこのままってことはないんちゃう?
本当にバックダンサーだけ必要なら、プロのダンサー呼べばええやん」
一理あるけれど、随分と楽観的な考え方のようにも思えた。
私達の力量を考えたら、とてもじゃないけど765プロで使ってもらえるようには思えない。
ただ……だからといって、はなから諦めるほど弱気でもない。
「仮にアイドルの数を増やす方針があったとして、
ダンサー組全員の昇格が約束されたわけじゃないって思いますけど」
「それは、そうやな。誰か落ちるか、わからへんわな」
けれど奈緒さんが言ったとおり、あがれる可能性もある。
バックダンサーに選ばれた時だってそうだ。
他に候補は何人もいた。その中から選ばれて、私達なりに少しずつではあるけれど、前へ進んでいる。
立ち上がり、軽く上半身のストレッチをした。
先ほどまで感じていた疲れが不思議とどこかへ消えている。
これじゃ馬と同じだな。あるかもわからないニンジンに踊らされてしまうなんて。
「志保のやる気満々なとこ、ええと思うよ」
「奈緒さんはやる気、ないんですか?」
「あるにきまっとるやろ! ライブ、楽しかったし。何度だってやりたいわな」
奈緒さんは手に持っていたアクエリアスを飲み干す。
その後、あぐらから反動をつけて、飛び上がるようにして立ち上がった。
やっぱり、運動神経すごいな。私にはない才能だ。
「それにな。私、もう一個、楽しみがあんねん」
「楽しみ?」
並んで鏡に映る。奈緒さんは体をツイストのように捻る。
「春香さんが言うてたねん。
一人じゃなくて、プロデューサーさんと一緒だから出来ることがある、って」
「……技術的なこと、ですか?」
それは竜宮小町の練習をみれば明らかだ。
律子さんのレッスンで、あのステージは形作られている。
「せやなぁ。皆さんが駆け出しのころのビデオとかみせてもろうたら、
そりゃあ、人間誰だって最初からうまくはできひんなぁって感じやったし」
でもな、と奈緒さんは続ける。
「春香さんはそれだけやないって言うねん」
私達は前任のプロデューサーさんとはあまり喋っていない。
レッスンをみてもらったこともあるけれど、正直、ほとんど印象はなかった。
どちらかというと、伊織さんに怒られたり使いっ走りさせられていたシーンが印象的だ。
巷では765プロを立て直した敏腕プロデューサーなんて言われていたけど、お世辞にもそんな風にはみえなかった。
けれど、彼がハリウッドにいくと伝えたあの瞬間。
765プロの人達に走った動揺は、私達にだって見て取れた。
それはそのまま、彼の影響力が強いってことを示しているんじゃないだろうか。
「……プロデューサーさんと一緒だから、出来ることがある。何なんでしょうね、それ」
私の言葉に、鏡の中の奈緒さんがにっと笑う。
「楽しみやとおもわへん?
ライブの時だってあんだけ色々と成長できたし。
そこに私らのプロデューサーさんがおれば、もう、どうなるか想像もつかんわ」
少し、意外だった。
奈緒さんがそんな不確定なものに期待しているなんて。
彼女は「暇やから」って誤魔化すけど、こうみえて練習の虫だ。
アリーナライブの時だって最後までダンスの難易度をさげることに反対していたし、奈緒さんが目指す理想は傍からみるより高いと思う。
その姿勢にちょっとした共感みたいなのを覚えてもいた。
自分が努力した分、何らかの結果が返ってくる。それが分かっている人だ、って。
……でも、私と奈緒さんが同じってわけじゃないか。
私はまず、自分のパフォーマンスが一番重要だって思うけど。
奈緒さんはそこまで極端じゃない。
可奈のことだって、ずっと気にしていたみたいだし。
いや、私も、気にしていなかったわけじゃないけど……。
「……なんや、考え込んで。私、なんか変なこというた?」
「……別に、何でもありません。
私は自分の力でトップアイドルになります。
新しいプロデューサーがどんな人か知りませんけど、邪魔をしなければそれでいいです」
鏡の中の奈緒さんが、呆れた様にため息をつく。
「邪魔て。ライブを通じて丸くなった志保はどこへいったんや……」
「私、丸くなってもないし、そもそも、尖ってもないんですけど」
「そういうの本気で言ってるところ、嫌いやないで」
どういう意味ですか、と聞いたら、奈緒さんはそれを無視してCDラジカセのスイッチを入れた。
練習している『きゅんっ! ヴァンパイアガール』の前奏が流れる。
習慣とはおそろしいもので、それだけで私の体はポーズを取っていた。
「どこかへお出かけ」の歌い出しにあわせて、奈緒さんが替え歌をする。
「言葉通りやで! フッフゥー!」
ちょっとイラッと来た。
○
世間に赤や緑の飾り付けが多くなる時期になっていた。冬だ。
ダンサー組の全員が呼び出され、みんなで事務所を訪れた。
出迎えてくれた律子さんの表情が心なしか明るくて、感じていた予感に期待が上乗せされる。
社長室へ少し緊張しながら赴くと、ぱかぱかーんと音。
高木社長が顔をほころばせながら、クラッカーを引いたのだった。
社長は渋いながらにお茶目なところがある。そういうところ、中々すてきだ。
「おめでとう、諸君。君たちはこれから、晴れて765プロの一員だ。
あぁ、もし嫌だったら、辞退も可能ではあるんだが。
その場合、私と律子くんで力の限り慰留させてもらうがね」
後半の話は誰も聴いていない。
辞退するような人なら、そもそもここにいないだろう。
沸きに沸く皆を尻目に、私と奈緒さんは思わず顔を見合わせた。
どうだと言わんばかりに胸を張って、いわゆるドヤ顔もセット。
まぁ、確かに彼女の予想通りではあったけど。
「なぁに、あんた達。あんまり驚いてないじゃない。
もしかして当たり前だと思っていた?」
律子さんが笑いかけてくる。
奈緒さんが「志保はそんな感じでしたよ」と盛大に裏切った。この人、ひどいな。
「そんなんじゃありませんから。
ちょっと前に、奈緒さんとそうなったらいいなって話をしたんですよ」
「ふぅん? まぁ、いずれにせよここがあんた達の新たなスタートなんだから。気を引き締めなきゃ駄目よ」
華やぐ場に社長が咳払いを一つ入れた。
「ごほん。実はまだニュースがあってね。律子くん、頼めるかな」
はいっ、と元気な返事。律子さんは既に準備を始めていた。
隅に寄せられていたホワイトボードをみやすい場所へ移動させる。
ボードにはまだ何も書かれておらず、律子さんもペンを持っていない。
多分、裏側に何か書いてあるんだろう。
「まず最初に、禅問答みたいな話になっちゃうけど。あんた達、自分とうちのアイドル、何が違うと思う?」
随分、ざっくりとした質問だ。
でも律子さんのことだ、ちゃんと意味があるはず。
……何が、違うか。
それは多分、人によって思う所が色々とある気がする。
「可奈、どう? あんたと春香、何が違う?」
「え、えぇ!? 私、ですか!
えぇと……そう、ですね、春香ちゃ……じゃなくて、春香さんとは……えぇと、全部ちがいます!」
「全部ちがう、か。なるほど。
言い得て妙なんだけど、もうちょっと詳しくいきたいかな。
奈緒ー。あんたと響はどこが違う?」
「えぇと……そうですねぇ。
私、自分ではダンス得意かなーって思ってたんですけど、
響さんは比較にならんくらい、もっと上手かったです。真さんもそうですけど」
「なるほど、ダンスね。ま、うちの練習はそこそこ厳しいし。
あんた達の中では奈緒や美奈子のダンスはいい線いってるけど、まだ敵うレベルじゃない、と」
律子さんは頷きながらゆっくりとホワイトボードの前を歩く。
「ダンスだけじゃないわよね。
歌、演技、トーク……アイドルをアイドルたらしめるものはいーっぱいあるわけ。
もう一度聞くわよ。あんた達とうちのアイドルの違いは、なに?」
ぴんと来るものがあった。
「経験、ですかね」
「志保、ご名答。舞台にたった場数。くぐった修羅場。それを達成するための練習。あんた達に足りないのはその全て。つまり、経験よ」
そう言って、律子さんはホワイトボードを回転させた。
「765プロの新たな挑戦、シアタープロジェクト……?」
百合子が読み上げる。
律子さんはそのとーり、と頷いた。
「あんた達には、その足りない経験を積んでもらうわ。
765プロ専用のシアター、そこで公演をします。
ま、専用って言っても居抜き物件だけどね、いま内装工事中」
ホワイトボードには劇場への地図も書かれている。
ここから歩いて一〇分くらいの距離だ。駅からのアクセスも悪くない。
「二〇〇席くらいの箱よ。
いずれは他のみんなも出すけど、まず、あんた達自身のパフォーマンスで席を埋めてもらうわ。
期限はまだ決めてないけど……んー、いつまで経っても出来なかったら、それまでの器ってことよね。
じゃ、契約解除かな」
芝居がかった言い方だけど、冗談ってわけじゃないだろう。
そのくらいの箱を埋められないようじゃ、いつまで経ってもトップアイドルになんてなれっこない。
みんな、不安そうな顔してるけど、それ分かってるの?
「……いいですね、それ。分かりやすいし、手っ取り早いです」
「志保、こういうの好きそうだもんねぇ。……他のみんなはどう?」
杏奈と百合子が、顔を見合わせる。その中途半端な態度にイラッとした。
やる気がなければ出ていけばいい。
実際、口からそのままの言葉が出そうになった。
それを押し留めたのは今までの経験があったからだと思う。
無遠慮に言葉を投げても、正論に見えても、それだけじゃ上手くいかないって私はもう知っている。
……そこから具体的にどうすればいいか、までは浮かばないんだけど。
皆が黙りこくる中、可奈が辺りを何度か見回した後、大きく背伸びをしながら手を挙げた。
「や、やります! がんばります!」
出した声は震えているけれど、皆の背中を押すには十分だった。
口々に自分の意思を示す。
……私と同じ肯定の意味合いなのに、起こる出来事は全然違う。
可奈はそういうの、流石だなって思う。
「りょーかい、あんた達の覚悟しかと受け取ったわ。
……もちろん、私達もただ千尋の谷に突き落として後はどうぞ、なんてことはしない。
……言い忘れてたけど、経験にはもう一つ重要な要素があるの」
律子さんが手を挙げて、はいってきてー、と声を出す。
私と奈緒さんは顔を見合わせた。つまり、そういうことだ。
がちゃり、と扉の開く音。
私達は振り返り、入ってきた人を視線で追い、また元へ戻った。
律子さんの隣に立つ男の人。
ぱりっとしたグレーのスーツは、良く言えば初々しい、悪く言えば着られている、そんな風にみえた。
身長は律子さんよりは高いものの、高木社長よりは低い。
一七〇くらいだろうか。
大人の男性に威厳を求めるなら、あと一〇センチは欲しいところだ。
くわえて童顔でもあるから、年齢がずいぶん若くみえる。
流石に高校生ではないと思うけど……いや、あやしいな。
隣の社長が渋い分、相対的にとても若くみえてしまう。
「みんなをサポートする、新たなプロデューサーよ。
あんた達の経験にきっといい影響を与えるわ。二人三脚ってやつね。んじゃ、挨拶!」
律子さんに背中を叩かれ、男の人——プロデューサーさんが一歩前に出る。
「はじめまして、765プロに新しく所属するプロデューサーです。
皆と同じでまだ新人、と言いたい所だけど……皆はアリーナライブも経験してるから、むしろ先輩かな。
色々いたらない点はあるかと思うけど、精一杯頑張ります。よろしく!」
皆、わぁーっと拍手。口々によろしくお願いします、と一礼もあわせて。
私はぱちぱちと気のない拍手と形だけの礼をした後、じっとプロデューサーさんの顔を眺めた。
爽やかな風体は営業には有利そう。
だけど、のほほんとした面構えはどうなんだろうか。
猫か犬かで言えばどうみても犬で、それも柴犬とかそっち系。
ドーベルマンやシェパードみたいなクールさとは程遠い。
仕事が出来そうって感じでもないし、だまされて損をしそうなタイプにみえた。
総括すると、頼りなさそう、そんな印象だ。
この人が私のプロデューサーになるのか。選り好みするわけじゃないけど、もうちょっと頼りがいのありそうな人が良かったな。
プロデューサーさんは早速、みんなの質問攻めにあっている。
可奈がとりわけ目をきらきらとさせているけど、多分、春香さんに話を聞いたからなんだろうな。
あんまり期待しすぎるのは良くないと思うけど。
結局、ステージで頼れるのは自分の力だけなんだし。
手首を捻って時間を確認する。レッスンを終えた後だったし、結構な時間だ。
みればブラインドの隙間から、夕焼けの光が差し込んでいる。
この時間なら弟を迎えにいけそうだ。
後はこれといった話はなさそうだし。あそこに混ざるつもりもない。
「律子さん、すいません。今日はこれで上がらせてもらって、いいですか?」
「そうね……ああなっちゃ長いだろうし。弟さん、迎えにいくんでしょ?」
頷く。家庭の事情は伝えてあるので、早退には理解がある。
……ただ、そうは言っても今後は考える必要があるだろう。
仕事はもちろん、レッスンにだって全力を尽くしたいし。
「細かいことはまた連絡するわ。
とりあえず次はシアター完成お披露目会ってところかしらね。楽しみにしてなさい」
「はい、ありがとうございます。……では、お先に失礼します」
律子さんと社長に一礼して、部屋を出る。
給湯室に置いておいた鞄を手に取り、スマホでお母さんにメールを打つ。
弟を迎えに行った後は……ちょっとスーパーで買い物しないとダメかな。
買い置きの食材、あんまりなかった気がする。
せっかくだし、弟のリクエストに応えてあげようか。
でも、聞いたらまたハンバーグになっちゃうかな。まぁ、私も好きだし、別にいいんだけど……。
ぼんやり考え事をしながら、扉を開ける。その時だった。
「北沢!」
聞き慣れない声。
振り返ると、社長室から体を半分出して、プロデューサーさんがこちらに手を振っていた。
「今日は帰るんだってな、おつかれさん! また次の機会にゆっくり話そう!」
「はぁ……」
特に話すこともないんですけど、とは流石に言えない。いや、それより。
「っていうか、なんで、名前……」
率直な感想が漏れる。
耳ざとく聞きつけたプロデューサーさんは、ふふんと自慢げに笑った。少し奈緒さんに似ている。
「事前に予習したんだ。みんなの名前は覚えているよ。
趣味だって頭に入ってる。情報を頭にいれるのは得意なんだ。
それを活かすのは今後なんだけど……」
言ったはいいけど、特に返答に興味はない。お先に失礼します、と頭をさげて、ばたりと扉を閉じた。
そうだ。結局、彼がどうであろうと関係ない。
私は、自分の力でトップアイドルになる。
邪魔さえなければ、それでいい。
2
——何でこんなことになったのか、よく分からない。
開演を待つ客席はライトでそこそこに明るい。
私達のシアターではなくて、駒場にある劇場だ。
よく観劇に訪れる場所で、丁度いい大きさが気に入っている。
まだ開演までは時間があるため、席はまばら。
私は舞台を見渡せる前方中央の席に座っている。ここまでは休日によくあるパターンといっていい。
違うのは一つ。
私の隣に、プロデューサーさんが座っているところ。
休日なのでカジュアルな格好だ。
元々若い感じが更に増していて、大学生、下手したら高校生でも通じそう。
実際、窓口でも千円多いですって言われてたし。
はじめて顔を合わせてから最初の休日だ。
レッスンや事務所で何度かやり取りはしたけれど、一緒に芝居をみるほど打ち解けたわけでは決してない。
プロデューサーさんは受付で貰った折込を熱心に見つめている。
「ねぇ、北沢。このキャストのとこ、ザネリ/父親ってあるけど、
どういうこと? カンパネルラってのは一つしかないけど」
社会人なのにそんなことも知らないのか、と頭が痛くなる。
いや、何であなたがここにいるのか、そっちも頭痛の種だけど。
「……役名ですよ。二つあるのは、一人二役です。
登場人数が多い場合はそうなることがあります。三役くらいは普通ですよ」
「へぇ、そうなんだ。途中で着替えるの?」
「そうです。じゃなきゃどうやって一人二役やるんですか」
なるほど仰るとおり。
呟いたプロデューサーさんはまた折込に目を落とす。
「……この演出・脚本っていうのはどういう意味? 脚本はわかるけど」
「……演出は映画で言う監督ですかね。
脚本を元に演技のプランを立てて、それを俳優に伝えます。稽古の中心ですね。
演出と脚本が並んでるのは、演劇ではその二つを同じ人がやるケースが多いんです」
「なるほどね。……このチラシ、面白いな。
A3を折って、中にA4のチラシが挟み込んであるんだね。
でも、ほとんど自分とこのチラシじゃないんだ」
「……演劇は稽古に時間がかかるので、一つの劇団で年間四、五本やったら多い方なんです。
なので大抵、次くらいのチラシしか存在しません。折込は他の劇団との兼ね合いや依頼で挟み込まれます。料金を取る所もあるそうですよ。
それ以外にも受付のところに置きチラシが沢山あります。
最近はインターネットで公演の情報を調べることも出来ますけど、フライヤーも大切です。明らかに駄目そうなのを見分けたり出来ますし」
矢継ぎ早に質問が飛んでくるのが煩わしかったので、思いつく限りの返答を返した。
プロデューサーさんは頷きながら、北沢は詳しいなぁ、と呟いた。
「……プロデューサーさんはびっくりするほど、詳しくないですね。エンターテインメントに精通してないのはまずいんじゃないですか?」
皮肉のつもりだったけど、朗らかな笑みを返される。
「いやぁ、それはその通り。面目ない。僕もこれから勉強していくからさ。
チケット代分、いろいろと教えてよ。
……でさ、この粗筋なんだけど、ジョバンニっていうのは……」
もしかして、開演まで質問責めなんだろうか。本当に頭が痛くなってきたかも。
何が良くなかったんだろう。
駅前でばったり会ったこと?
うっかり口を滑らせて劇を見にいくなんて言ったこと?
いや、チケット代を払ってくれる、なんて甘言にかどわかされた自分が悪いか。
いくら学生で軍資金に乏しいとはいえ、二千円の皮算用に負けたのが良くなかったんだ。
……そもそもプロデューサーさんはなんで付いてくるなんて申し出たのか。
よく分からない。よほど暇だったのか。
それを言い出すと、どうして駒場にいたのかも謎だ。
急行だって止まらないし、遊ぶ場所もないんだけど。
……まぁ、いいか。考えたって分からないし。興味もない。
偶然、担当アイドルをみかけたからご機嫌取りでもしておこうって話だろう。
それならいいです、二千円分くらいは我慢してあげますよ。
私はプロデューサーさんの質問を適当に受け流しながら、
早く開演しないかな、それだけを考える。
○
劇場が万雷の拍手に包まれる。私も惜しみなく拍手した。
とてもいい劇だった。
『銀河鉄道の夜』は元々好きなお話でハードルが高かったけど、見事にそれを越えてくれた。
特にカンパネルラ役の女性が凄かった。ああいう演技、憧れるな。
拍手は鳴り止まず、カーテンコールで役者さんが立ち替わり現れては手を振っている。
やがてそれも終わり、客席にも明かりが点き、劇の終わりをスピーカーが告げた。
私は大いに満足し、そういえば劇が始まってからは静かだったな、もしかして寝てたのか、と隣を見やる。
同時に、ぎょっとした。
ぼろぼろと大粒の涙をこぼして、それをハンカチで拭っている。鼻水も少し垂れていた。
端的に言って、大人が人前でしてはいけない感じの顔をしている。
……う、うわぁ。ちょっと引く。
このまま関係ない人を装って劇場を脱出した方がいいのでは、
と考えたところで、プロデューサーさんがこちらを向く。
鼻水をすすっていた。大丈夫かこの人。
「北沢ァ……劇って、凄いんだなァ……」
「は、はぁ……喜んで頂けたのなら、何よりです……」
別に私が提供したわけじゃないけど、思わずそう漏らしてしまう。
プロデューサーさんはポケットティッシュを取り出し、鼻をかんでいた。
確かに感動する劇だったけど、ここまでボロ泣きする人は珍しいので、
周りの目がちょっと痛い。
……まぁ、でも。何も感じないよりは、いいか。
演劇って言うのは比較的マイナーなエンターテインメントだし。
そもそも見に来るって発想が中々思い浮かばないのだ。
それを私のご機嫌取りとはいえ実際に劇場に足を運び、
かつポジティブな反応であったのなら、演劇界にとって喜ばしいことだ。
芝居の力は初めてみる人にだって届くと証明したのだから。
「北沢、確か受付にパンフレットとかあったよな?
原作本も売ってた気がする。買いに行こう」
涙を拭い、鼻水をかみ、それなりに顔を整えた彼の目はきらきらと輝いていた。
私も現金なもので、自分が好きなものを好きと言われて、嬉しくないはずもない。
適当にあしらってとっとと帰ろうって思っていたけど、
駅までの帰り道くらい、感想に付き合ってもいいかなって思った。
「……どうぞ、ご自由に。私は感想を書いていくので」
鞄からペンケースを取り出す。
折込には大抵アンケートが入っている。
今頃、受付の座れる場所は人でいっぱいのはずだ。
「なるほど、そういうのもあるのか、僕も書いていこう。
あれ、でもペンケース持ってたっけ……?」
ごそごそとスポーツタイプのリュックサックを漁っている。
結構な荷物が入っていた。
小説、携帯ゲーム機、お笑いのDVD、小振りの中華鍋、『犬の飼い方』と書かれた本、アイドルのCD……何をする人なんだ、この人。
本当にプロデューサーなんだろうか。
「……多趣味なんですね」
「ん? あぁ、日々勉強だからな」
何故か少し照れくさそうに答える。
よく分からない。
そもそも、こんな大荷物なのに筆記用具を持っていないって社会人としてどうなんだろうか。
……とはいえ、ふだん演劇を見に来ない人なら感想アンケートのために筆記用具を持ってくるなんて頭が回らないか。
「しょうがないですね。これ、貸してあげますから。あとで返してくださいよ」
筆記用具からシャープペンシルを取り出す。
ノック部分が小さな黒猫になっていてお気に入りの品だ。
プロデューサーさんがそれを受け取り、何故かまじまじと見やった。
「……あ、猫が好きなのか、腰にもついてる。なんだ、北沢、意外にカワイイ趣味だな……」
「——意外って何ですか。不満があるなら返してください」
手から奪い取ろうとするも、ひょいっと避けられる。
動きが妙に軽やかだ。奈緒さんを思い出す。
くそ、この人も運動神経いいタイプか。最悪だ。
「不満なんてないよ。いい情報をゲットしたと思っただけ。
北沢は意外とカワイイのが好き、よく覚えておくよ」
「忘れてください。不要な情報です」
「なんだよ、アイドルなんだから可愛くていいじゃないか。いやぁ、そうかそうか、イメージ沸いてきたぞ」
「いやらしい目でみないでください。訴えますよ」
「これはどうやってプロデュースしていくか、思案する目だから。
そうかそうか、カワイイもの好きかー」
「あぁっ、もうっ! 返してください!」
シャープペンシルの奪い合いは白熱する。
何とも恥ずかしいことに、劇場のスタッフさんに仲裁されるまで続いてしまった。
あの苦笑いは、暫く忘れられそうにない。
もう、本当、最悪だ。
○
「最悪ですよ。遅いから家まで送るとか言い出すし。
ソワレだから終わるのが遅いのはわかってるんです。
子ども扱いして……夜が暗いのは当たり前でしょう」
髪をとかしながら奈緒さんの質問に答える。
返答がないので隣をみやると、奈緒さんはニヤニヤした笑みを貼り付けていた。
何か変なことを言っただろうか。
「……なんですか」
「いや、志保がそない喋るの珍しいなーって。
『プロデューサーさんのこと、どう思う?』って聞いただけなのに、
えらいテンションあがってびっくりしたわ」
奈緒さんは鏡に向かって揺れる前髪を触りながら、そんなことを言う。辺りを見回した。
公演前の控え室は、まだみんな慣れてないのもあって自分たちの準備で手一杯。
私達の話を聞いている人はいなさそうだ。
「心外です。聞かれたことを答えただけで、テンションは上がっていません」
毛先のハネがいまいちうまく決まらない。
奈緒さんが変な話をするせいだ。私は躍起になってブラシで髪をとく。
「あぁもう、分かったから、落ち着かんと。貸してみ」
奈緒さんにブラシを奪われる。
背後に回られ、立ち上がろうとする私の肩を押さえた。
ええから、と髪をとかれはじめる。しばらく、されるがままになる。
「ほら、こんな感じやろ? よ、美少女! いけてるで〜!」
「……ありがとう、ございます」
意外にも、といったら失礼かもしれないけど、奈緒さんのセットは中々悪くなかった。年の功ってことにしておこう。
奈緒さんは私にブラシを返しながら、隣の席に戻った。
ふたたび前髪と格闘を始める。何に拘っているのか、いまいちよく分からない。
「まぁ、勉強熱心なのはええことやん。私なんか二秒で寝る自信あるで。
あ、コメディならええかも」
「……勉強熱心? なにがですか?」
私が首を傾げると、奈緒さんはため息をつく。
マジかいな、と呆れた声もセット。
「そら、志保が演技に興味があるからわざわざ見に行ったんやろ。
同じとこにいったのは偶然やろうけど」
「……いや、私、演技の話とかしたことないんですけど」
ダンサー組は将来の夢というか、どんなアイドルになりたいか、そんな話をしたことはある。
その中で私はちょっと特殊だったかもしれない。
演技に興味がある、と答えた。私の最終的な目標はアイドルと言うより、女優だからだ。
ただ、そういった類の話をプロデューサーさんとしたことはない。
「せやったか? まぁ、プロフィールとかで書いてるやろ」
「……仮にプロデューサーさんが知っていたとして。
なんでそんなこと、するんですか。意味がわかりません」
「そら、意味はあるやろ。言うても十歳近く離れてるんやし?
ジェネレーションギャップを埋めるには共通の話題が必要やと思うで」
「いや、そもそも、仕事以外の話をしなければいいのでは……」
「それはあかんやろ。志保はアリーナライブで何を学んだんや」
……一理ある、か。頑なになりすぎるのは良くない。それは学んだはずだ。
なるほど、共通の話題。
確かに私も弟と話を合わせるため、日曜日の朝は早く起きてテレビを見るようになったし。
対話には有効な手段かもしれない。
いや、待てよ。そもそも……。
「……そういえば、他にも色々持ってましたね。小説とかお笑いのDVDとか……。もしかして、それって」
「それを見つけて何できづいとらんのや……」
今思えば、あれは私達ダンサー組に関係したものだったのかもしれない。
趣味だったり、興味があったり、好きなこと。
「健気やんか。向こうから話を合わせてくれようとしてくれてるんやろ?」
私がプロデューサーさんと会ったのは休みの日だ。
律子さんをみれば明らかなようにプロデューサー業は多忙のはず。
ましてや彼はこの仕事を始めたばかりで色々と慣れないことも多い。
それなのにわざわざ休日の時間をそんな風に割くなんて。
「……そこまでコストをかける意味、あるんですかね」
話をすることが、何に繋がるかよく分からない。
それは正直なところプロデューサーさんに限らない。
事務所のみんな、ダンサー組のみんな、学校のみんな……仲良くなることで具体的に何が起きるのか、想像が出来ない。
そういう意味では、春香さんの言っていたことなんてまだ理解も実感も出来ていないのだと思う。
「それは志保が意味ないって思ってたら、意味がないままやないかな。
私は意味があるーって思ったから、オススメのお笑いDVD貸してあげたよ。
志保もそうしたらええやん」
とりわけプロデューサーさんとの話は奈緒さんに言われるまで全然考えたこともなかった。
レッスンを見てもらったり、それに意見をいってもらうのは形になって表れるけど、じゃあそれ以外には何があるのかなんて、全然わからない。
お互いに自分の仕事をしていればいいんじゃないのって思うんだけど。
でも、それだけじゃないって、春香さんも言ってたみたいだし。
……うん、ちょっとは考えてみようかな。オススメの映画くらい、教えてあげられるし。
「そうですね。考えてみます」
「し、志保が素直になった……天変地異や……」
手に持ったブラシをわざとらしく床に落としながら、奈緒さんが言う。ちょっとムッとした。
「……百歩譲って、ですよ。それが何らか有意義なことに結びつくってことにしておきます。私にはよくわかりませんけど」
「訂正。ほんっと素直やないなぁ! ……ま、志保らしくてええねんけど」
何が私らしいんですか、と立ち上がるも、控え室の扉がノックされたことで有耶無耶になった。
はいっていいかー、とプロデューサーさんの間の抜けた声。
いいですよー、と可奈の声があがり、扉が開いた。
メンバーはわらわらと彼の周りに集まり、衣装をみせては感想をせがんでいた。
それをぼんやり眺めながら、奈緒さんが言ったことについて考える。
会話のきっかけ、か。
「北沢!」
声をかけられて、はっと顔を上げる。
「きみもこっち来なよ。可奈が円陣組みたいってさ」
朗らかに笑いながらプロデューサーさんが言う。
その隣で可奈がぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
……必要ないと思うけど。皆がしたいなら、邪魔するのは野暮。それくらいは分かってる。
「まぁ、いいですけど」
立ち上がり、皆の方へ歩く。
プロデューサーさんが「かわいい衣装、似合ってるぞ」と声をかけてきた。
それを呼び水に周りからもカワイイと囃し立てられる。
確かに、かわいい衣装だった。でも、私が着てかわいいかどうかはまた別の話だ。
いいからはやく円陣、とまるで私が組みたいみたいに率先して手を差し出してしまった。
「照れる志保を引き出しただけで、プロデューサーさんの価値はありますなぁ」
奈緒さんのそんな声でみんなが笑う。
どういうことですか、と私が声を上げると、可奈がわざと無視して「765プロ、ふぁいとーっ!」と声を上げた。
照れてなんか、いないんですけど。
○
「オススメの映画、ですか。色々ありますけど、そうですね……」
プロデューサーさんは『銀河鉄道の夜』でぼろぼろに泣いていたし、感動系がいいかもしれない。私は今まで見た映画の記憶を引っ張り出しながらじっと考える。
社用車は芳香剤の香りがした。ラベンダーの匂いだ。紫色の熊がバックミラーに揺れている。
車は夜を駆け抜けていた。
レッスンで遅くなった日、偶々事務所に寄る用事があったんだけど、気がついたらプロデューサーさんに乗せられていた。遅いから送っていくよと言われたのだ。
奈緒さんと話していた手前、少しは会話をかわしてもいいかな、と思っていた矢先だったのもある。
私が話を振るまでもなく、北沢は映画も好きなんだよな、と向こうから訊ねられた。
「『トゥルーマン・ショー』なんか、いいんじゃないですか。ジム・キャリー主演ですよ」
「……じむきゃりー?」
「……まさか、知らないんですか。一般常識ですよ」
にわかには信じられない。
「いや、大丈夫、わかる。金曜ロードショーでよくやる映画で教えてくれ」
「まぁ、いいですけど。そうですね、それなら……『マスク』とかですか。
黄色いスーツを着た緑色の怪人のお話です。元々コメディ俳優の人ですからね」
「あー、それは見たことあるぞ。仮面を手に入れて超常的な力をって奴だな。ジョジョみたいだ」
「ジョジョ? 映画ですか?」
「いや、漫画。なんだよ、ジョジョだって一般常識くらい浸透してると思うぞ。スマホだって出たし」
プロデューサーさんが不満そうに唇を尖らせる。
「……反省します。詳しくないジャンルなら、当たり前ですよね。
プロデューサーさんは漫画が好きなんですか?」
「いや、そうは言っても高校生の時、クラスの友達に借りて読んだくらいなんだ。詳しいってほどじゃない。
それより『トゥルーマン・ショー』だっけ? どんな話なんだ?」
ハンドルを切りながらそう問いかけてくる。
道は結構混んでいて、まだ時間が掛かりそうだ。
「平凡な生活を送る青年……トゥルーマンという人のお話なんです。
普通に生きて、仕事をして、恋をして、結婚をして……。
ある日、海難事故で死んだはずの父親をホームレスとして見つけるんです。けれど何者かに連れ去られてしまう。
トゥルーマンは追いかけるんですけれど、色々な障害に阻まれて見失ってしまう。それは明らかに恣意的なもので、彼は周囲を不審に感じ始めます」
「へぇ……何かあるわけだ」
「そうです。彼は気づいていないんですが、実はその街はすべてが巨大なセット。
ドーム状に覆われていて、住んでいる人も全員、俳優なんです」
「凄いな、手が込んでる。わざわざそんなことをする意味があるんだね?」
「えぇ。彼が送る日々は全世界に生中継されてる。人のリアルな生活がエンターテインメントになっているんですね」
「リアルな生活が、エンターテインメント……」
プロデューサーさんは何か思うことがあるのか、じっと考え込む。
私も黙ったら、続けていいよ、と促された。
「……仕掛け人みたいな人がいるんです。それこそ、プロデューサーですかね。
彼はずっとトゥルーマンの人生を操ってきた。
ドラマチックになるように、けれどリアルな感じは逸脱しないように。
……でも、父親との再会からそれが作られたものだということに、トゥルーマンが気づき始める」
ふぅと一息ついた。
人に粗筋を話すのって、難しいな。
あんまりこういう話、誰かとしたことがないし。
「……これ以上はネタバレになるのでやめておきます。
あんまり上手く説明出来ずに、すいません。でも、面白いですよ。
感動系でもあるし、オチもエッジが効いて興味深いです」
「なるほどなぁ。いや、よく分かったよ。ツタヤにいけば置いてあるかな?」
「えぇ、ドラマってジャンルにあると思いますけど……」
そういえば、家にある気がする。
お母さんが好きな映画でもあるのだ。子どもの頃から何度も見ている。
「確か、家にDVDがあるはずです。貸しましょうか?」
「おぉ、本当か、それはありがたい。他にもオススメがあったら貸してよ」
「そうですね。じゃあ適当にチョイスします」
何か変な感じだ。誰かにDVDを貸すなんて、はじめてだ。ちょっと新鮮かも。
……いけないな。この位のことで浮ついてどうする。
ふわふわした気持ちを持てあましていると、ふと、プロデューサーさんが笑みを浮かべた。
「それにしても北沢は映画や演劇の話をするときは、いきいきしてるね。やっぱ演技が好きなんだ」
「……そんな顔、してました?」
「うん」
「いや、前を見てくださいよ」
「声で分かるよ」
……そんなに分かりやすかったかな。まぁ、隠すつもりもないんだけど。
「えぇ。将来は女優になりたいんです」
けど、言い出すようなことも今までなかったなって思う。
自然とそんな言葉が出てきたのには、自分でも少し驚いた。
多分、プロデューサーさんに引き出されたのだ、と思う。
「社長から聞いてる。ステップアップもいいんじゃないかって言ってたよ。
確か千早も歌手志望だったんじゃないかな」
「そうなんですか。……でも、腰掛けのつもりはないです。
千早さんだってきちんとプロとして、アイドルをしていますし。
私もそうありたいって思います。結果を出せば、そういう仕事だって出来るでしょうし」
「うん、いいと思う。僕も精一杯、サポートするつもりだよ」
道はもういつの間にか住宅街に入っている。プロデューサーさんはナビを見ながら、車は細かく曲がっていく。
「北沢は何で女優になりたいの?」
改めて問われると返答に困る。
「お母さんが映画好きなので、子どもの頃からよく見ていましたね」
実は他にも理由はあるけれど。あまり他人に話すようなことじゃないなって思う。
「好きだから……じゃ駄目ですか?」
「いや、いいんじゃないかな。むしろそれが大切だと思う。……一番重要だよ」
プロデューサーさんは噛み締める様に言った。何だか実感が籠もっている気がする。
この人、アイドルが好きってこと?
でも、可奈にアイドルソング借りてたくらいだし、話していてもそんなに詳しいようには思えないんだけど……。
「よし、着いた。このマンションでいいんだよね?」
気がつけば見慣れた風景だった。
最も、車の中からっていうのは記憶にないけど。
「えぇ、大丈夫です」
ドアを開け、外に出る。冬の冷気が身に染みた。
「わざわざありがとうございました」
「いや、お構いなく。担当アイドルの送迎もプロデューサーの大事な仕事さ。マネージャーも兼ねてるんでね」
ばたん、と扉が閉まる音。何故かプロデューサーさんが外に出ている。
「……なんで外に出る必要があるんですか」
嫌な予感がする。
「ここまで来たから、せっかくだし親御さんに挨拶をしていこうかな、と」
「結構です。はやく帰ってください。まだ仕事が残ってるでしょう」
「お構いなく。書類仕事より大切なことがある」
私の発言を無視してとっとこマンションの敷地内に入ろうとする。手を掴んで止めた。
「不法侵入になりますよ」
「北沢と一緒なら大丈夫」
「だから! 必要ないですって!」
しばしの間、言い合う。埒が明かない。
これはもうダッシュでマンションの中に入ってオートロックをかけるしか……と考え始めた所で、志保、と声が聞こえた。
振り向くと、肩にストールを羽織ったお母さんがそこにいる。
満面の笑みを浮かべたプロデューサーさんが、慣れない手つきで懐から名刺ケースを取り出した。
私は盛大にため息をつくも、時既に遅し。
お母さんに、戻ろうよ、と何度か声をかけても、いいから志保だけ戻ってなさい、と言われる始末。
私が家に戻り『トゥルーマン・ショー』と他にいくつかDVDを見繕い、弟を連れて戻るまで会話は続いていた。
お母さんはすっかりプロデューサーさんの事を気に入ったのか「次、いつ来るの?」って急かしてくるし。
後日、奈緒さんにそのことを話したら「対話もして、親も公認! 凄いやん!」なんて言われるし。
本当、意味がわからないんですけど。
3
シアターの控え室だ。
プロデューサーさんから、A4のプリントを渡される。
「劇団ステラのオーディション……?」
規模はそんなに大きくないけれど、結構コアな人気がある劇団だ。
脚本がちょっと難解だけど、私も好きで何度か見たことがある。
「うん。そこがね、主演女優を探してるらしいんだ。
問い合わせたらアイドルでも構わないってさ。どう、受けてみない?」
年が明けるとシアター公演もぽつぽつと人気が出てきたみたいで、日によっては満席も増えてきた。
律子さん曰く、来月にはプロデューサーとアイドルの増員もあるそうだ。
私達が通うスクール以外からも来るみたいで、最終的には三〇人を越えるらしい。
そんな中、ダンサー組はそれぞれ新たな仕事を振られていた。
イベントの司会や、ゲームイベントのコンパニオン、街角ライブ……様々な内容で経験を積んでいる。
このオーディションもその一つというわけだろう。
じっとプロデューサーさんをみやる。
わざわざ自分のために仕事を探してきてくれたのは明白だ。
……意外ってわけじゃないか。
アイドルそれぞれの趣味をわざわざ自分で体験してみるくらいな人だし。
それくらいのことはやってくれる、か。
「どうしたんだよ、すっとんきょうな顔して。何か僕、おかしいことしたか?」
「いえ……」
自分でも変な顔をしていた自覚はあるので、妙に恥ずかしくなる。
……ましてや嬉しい、だなんて感情は読み取られたくない。話題を逸らそう。
「なんで劇団ステラなのかなって。ここの公演、見たことあるんですか? 結構むずかしいですよ」
「だよなぁ。実はこの話を見つけてから行ったんだけどさ、ちょっと僕には難しかったよ。志保についてきてもらえばよかったね」
そういえばいつからかプロデューサーさんは私のことを北沢じゃなくて志保って呼ぶようになった。
何でですかって問い詰めたら、お母さんも同じだから分かりづらいだろって返された。
二人同時にいることなんて滅多にないから、名字でもいい気がするんだけど。
「でも、興味深かった。脚本と演出をしてる座長さんについてもさ、色々調べたんだよ」
そう言って、彼は机の上のノートパソコンを操作する。
表示されたのは座長さんのインタビュー記事が載ったウェブサイトだ。
「元々は俳優だったんだってさ。売れなかったって自嘲気味に言ってるけど」
「……へぇ、そうだったんですか。それは知りませんでした」
俳優上がりの劇作家か。
自分で脚本を書いて演出して主役を演じる、みたいな人もいるし、この座長さんみたいな経歴の人もいるだろう。
「ともかく、理由は二つあるんだけどね。一つは、これ」
プロデューサーさんが書類のとある所を指さす。
それは私も気づいていた。次の劇のタイトルだ。
「『トゥルーマン・ショー』ですね」
「そう! 志保がはじめて僕に薦めてくれた映画。
いやー、あれは良かったよ。何度も見返したもんね。どう、運命を感じないか?」
かなり盛り上がっているけど、演劇で映画や小説が元になっていることは珍しくない。
『トゥルーマン・ショー』はいいお話だし、あのプロットは創作畑の人は好きだろう。考えてみれば中々、演劇向きの話にも思える。
まぁ、その偶然が続いてる、という話をしたいんだろうけど。
「どうだ? 興味ないか?」
「……やります。オーディションに受かるかは保証できませんが」
プロデューサーさんは握り拳をつくり、がんばろうな、と宙に浮かせる。
別に殴るわけではない。辺りを見回す。誰もいない。仕方なく、私もグーを作ってこつんとタッチした。
「でも、喜んで貰えて良かったよ。外したらどうしようかと思ってた」
……喜んでるのがばれてるのが、どうにも癪ですけど。
まぁ、プロデューサーさんが探してきてくれた仕事ですし。全力は尽くしますよ、とだけ答えた。
○
オーディションは劇団ステラが借りている稽古場で行われた。
シアターに併設されたレッスンルームに似ていて、ちょっとリラックスできた。
通された稽古場には長机が置かれている。
オーディションっていうと大抵こんな雰囲気だ。プロデューサーさん曰く、企業の面接も似たようなものらしい。
765プロはすぐに社長面接だったけどね、って笑ってたけど。
審査を受ける人達は、十五人くらいはいそうだ。
呼ばれるまで隅で待機とのことだったので、その通りにする。
プロデューサーさんは少し離れた場所で、審査の様子をみつめていた。
長机にいるのは劇団ステラの人だ。
中央に座っているのが座長さんらしい。
痩身で、黒のセーターを着ている。
下はジーパンで、裸足にサンダルを突っかけて、足を組んでいた。
小さな丸眼鏡をかけている。
年齢は、四十歳くらいだろうか。『トゥルーマン・ショー』に出てくるプロデューサー、クリストフにちょっと似ているかも。渋い感じだ。
「じゃあ、次、北沢……志保。演技して」
座長さんが私の名前を呼ぶ。
はい、と返事をして立ち上がる。
私の前に演技していた女性とすれ違い、机の前に立った。
オーディションに来ているのは私より年齢が高い人もいるし、同じくらいの子もいる。
みんな相当、うまい。経験値の差は歴然だ。
けど、気後れした瞬間に負けが決まる。せめて気持ちを強く持っていなければ駄目だ。
要項には脚本の一部が添付されていた。そのシーンを演じることになっている。
ただ、年齢や背景の正確なものは書かれていなかった。
脚本以外に提示されているのはただ一つ。
主役が男性から女性に改変されること、一点のみだ。
プロデューサーさん曰く、想像して作り上げる所も審査の対象じゃないか、とのこと。私も同意見だ。
原作の主人公であるトゥルーマンにプライベートは存在しない。
全ての生活がカメラに記録され、彼が知らないところで全世界に放映されている。
ただ日常が垂れ流されているわけじゃない。
それは時に操作される。番組を作るクリストフに。
リアリティと普通を逸脱しない程度に、ドラマティックに人生が脚色される。
けれど物語の中でトゥルーマンはその違和感に気づき始める。
審査に指定されたシーンは、それを親友に吐露するシーンだ。
プロデューサーさんやシアターのみんなに本読みを手伝ってもらって、色々と考えた。
もし自分がそんな状況になったら、どう思うだろうかって。
床にぺたんと座る。私はあんまりしないけど、女の子はよくこんな風に座る。
隣に、同じように座った親友をイメージする。
おそらく同性のはずだ。
私と同じ年に生まれ、これまでずっと親友として過ごしてきた。
けれど、その関係性も本当は作られたものだ。
私は演技プランをこう固めた。主役は私と同じ、中学生の女の子だ。
全てが作り物の世界だって感じる。漠然とした不安。行き場のない焦燥。
私なら、どう思う?
主役 人生ってさ、自分で歩くものだよね。
友人 どうしたの、急に。
長机の向こうにいる女性が私の声に応え、脚本を読む。
さすがに、上手い。声だけでその人物の輪郭が浮かび上がるみたい。
でも、飲まれてはいけない。私が——北沢志保が、主役だ。
主役 わかんなくなっちゃって。
友人 何が?
主役 言葉通り。実感がないっていうか。誰かに方向を決められている気がする。
友人 レールが敷かれているってこと?
主役 そう。そんな感じ。
友人 それは誰にだってあるんじゃないかな。全部は自由に出来ないよ。
主役 それは、そうなんだけど。
もっと大きな……枠組みたいなものが、決められているって思う。
友人 考えすぎだよ。
主役 こういうの、運命論って言うんだって。辞書に載ってた。神様が全部決めるんだって。
友人 うん。
主役 いるんじゃないかな。神様。
友人 どこに?
主役 あの、月の辺りに。
私は月を指さす。銀色の、まるい月。
主役が不安に思うのは当たり前だ。
じゃあそれ以外に表現するものはなんだろう。
わざわざ女性にした意味は?
それは私なら、アイドルなら、あるいはよく分かるのかもしれない。
例えば、千早さんが強いられたスキャンダルみたいに。
望まずともプライベートが暴かれてしまうことがある。
売れっ子になると外を歩くのにも神経を使うって律子さんも言っていた。
765プロでは行われないけど、敢えて私生活を切り売りしてプロデュースしていく方針だってあるらしい。
そこまで極端な例じゃなくてもいい。
アイドルは努力の過程にストーリーがあるんだよ、って可奈が教えてくれた。
そこにファンの人が感情移入して、元気を貰って、明日も頑張るんだーって気になるんだって。
テレビに出ることも、歌をうたうことも、写真を撮られることも、演技をすることも、ひいては全部それに繋がるんだって。
それは規模こそ違うけど『トゥルーマン・ショー』と同じだ。
人の物語を、誰かに見せている。
それでお金を貰っている。
私は、主役の女の子は、トゥルーマンだ。
友人 いても遠すぎるよ。何も出来ないんじゃないかな。
主役 神様だったら出来るよ。だって、全知全能なんだよ?
友人 全世界、全ての人の人生を仕切ってるの? 無理でしょ、それ。
主役 ……あなたは感じない? 誰かに人生が決められてるって。
友人 感じるよ。親とかかな。
主役 ……。
友人 あ、ごめん。そういう意味じゃ……。
主役 いいの。親、か。そうかもね。親が人の人生を左右すること、あると思う。
友人 ……あるよ。だって、子どもは、親の保護がなきゃ生きていけないでしょ。
主役 それは左右されている?
友人 うん。
私は見られることをを望んでいる。何が起きているかも分かっている。
けれど彼女は知らない。だから不安なんだ。ちらつく影に、怯えている。
主役 誰にも左右されないってのは、干渉を受けない。つまり、自由ってことなのかな。
友人 そうだね。自由だ。自由なら、誰にも左右されてない。
主役 自由。でも、それって。
友人 ……それって?
主役 孤独っていうことだよね。
……指定されたシーンはここまでだ。演技を終えたので、立ち上がる。
座長さんの方をみやるけど、表情は読み取れない。
そりゃあ、百戦錬磨の劇団を束ねる人が、小娘に分かる表情なんて浮かべないか。
手応えは、正直、よく分からない。私が演じたプランは中学生の女の子……つまり私くらいの年代が感じる漠然とした不安を、脚本に重ねることだった。
その部分はちゃんと出来たと思う。でも、それが脚本の意図通りなのかは分からないし。
私は一礼し、自分の席へ戻ろうとした。その時。
「……きみ。北沢、志保」
「あ、はい」
振り返る。座長さんがじっと私を見つめていた。しばらく間を置いて。
「俺がいつ、演技をやめろと言った」
「あ、す、すいません、指定のシーンまではいったので……」
「……まぁ、いい。次は気をつけるように。演技を止めていいのは、演出だけだ。戻りなさい」
私は意気消沈しながら席に戻る。怒られてしまった。
でも、前の人、演技をやめろなんて言われてたっけ。
普通に終わったら戻ってた気がするけど。
戻る最中、後ろで私を見守っていたプロデューサーさんの姿が目に入る。
少し興奮気味だった。親指を立てて、私に向けてくる。
いい演技だった、のかな。でも、怒られたから、どうしようもない気がするけど。
○
後日、シアターのレッスンルームで自主練をしていた時だった。
プロデューサーさんが慌てた様子で扉を開けて、志保、と私の名前を呼ぶ。
肩で息をしていた。何をそんなに急いでいるんですか、と訊ねると、一枚の紙を渡された。
えぇと……劇団ステラからのFAXだ。
「合格、ですか」
すっとんきょうな声を出してしまった。
手応えが正直掴めなかったし、座長さんに怒られたことも気になっていた。
ついでに、目の前のプロデューサーさんが私より喜んでガッツポーズまで取っているので、何となく喜ぶタイミングを見失ってもいた。
「僕は手応えを感じていたよ。志保の演技プランはばっちりだった。
多分、脚本も志保くらいの女の子を想定してるんだと思う。
じゃなきゃわざわざオーディションしないって。劇団に所属してる女優を使えばいいんだもん」
「まぁ、一理ありますけど……」
「それに座長さんが言っただろ? 次は気をつけるように、って。
あれはつまり次があるって意味だよ。いやぁ、良かった。僕も嬉しいよ」
まるで自分のことみたいに、いや、それ以上に喜んでいる。
……まぁ、別にいいけど。私も嬉しいのは変わりないし。
「お、なんや、志保、オーディション受かったんか〜!」
「す、凄いよ志保ちゃん!」
一緒に自主練習していた奈緒さんと可奈がこちらに気づく。それと、もう一人。
「いっぱい、練習してたもんね。私は信じていたよ」
春香さんだ。忙しいスケジュールを縫って、自主練に付き合ってくれたのだ。
……三人とも、凄い喜んでる。不思議だ。自分のことじゃないのに。
「志保、言うことがあるんじゃないのか」
「へ? ……あぁ、そうか」
三人に限ったことではないけど、シアターの皆には脚本読みや役作りに付き合ってもらった。
これは演技プランが固まった後、プロデューサーさんからの提案を受けてのことだった。
同じ年代の子に読んで貰った方がイメージが沸くだろ、というのは確かにその通りで、随分助けられたと思う。
とりわけ春香さんには色々と教えてもらった。
『春の嵐』主演は伊達じゃないってところ。近くに凄い人がいるのは、単純に刺激にもなる。
彼女の方をちらりとみやる。考えが見透かされたのか、春香さんはにこりと微笑んだ。
「……三人とも、手伝ってくれてありがとう、ございます。
合格したのもみんなのお陰だと思います」
奈緒さんと可奈が顔を見合わせる。お互いのほっぺをつまんでいた。
「……何してるんですか」
「いや、夢ちゃうやろかって」
「うん、流石の私も驚いたよ」
何が流石なのかよく分からない。
プロデューサーさんの方をみやると、ウンウン頷いている。
「……何ですか、その顔は」
「いやぁ、何でもない。聴いてた話より、随分丸くなったなぁって」
丸くなった。どこかで聞いた表現だ。
奈緒さんの方をみやると、目を逸らした。へたくそな口笛なんか吹いている。
「……奈緒さん。もしかして」
「ちゃ、ちゃうねん、私はプロデューサーさんに志保のこと聞かれたから、
ちょーっとアリーナライブとか、志保が演技に興味があるのとか、教えただけなんやで」
思わず奈緒さんの頬をつまんだ。
夢かどうか確かめる意味あいじゃなくて、お仕置きのためにだ。
彼女も分かってるのか、痛いわ〜と甘んじて受けている。
「わっ、そういう遊び? じゃ、私もやっちゃお〜」
春香さんが私のほっぺを優しくつまむ。
ふぇやろなぁ、と奈緒さんが呟いて、可奈のほっぺをつまんだ。
春香さんが可奈に笑いかけて、自分のほっぺを指さす。
無理ですよぉ、と可奈の声がレッスンルームに響いた。笑い声。
「……不毛です、やめましょう。
で、プロデューサーさん、今後のことなんですけど……」
振り返ると、プロデューサーさんがiPhoneで私達をばしゃばしゃと撮影していた。
いい画が撮れた、なんて満足そうな顔をしている。
「け、消してください!」
「え? もうTwitterに投稿しちゃったけど」
奈緒さんがプロデューサーさんの手元を覗き込み、めっちゃRTされてるやん、と呟いた。
「志保ちゃんってこんなこともするんですね、ってリプライ届いてるよ〜」
「うんうん、宣伝は重要だからね、志保ちゃん。がんばっていこう!」
「これからもいい表情を頼むぞ」
四人が示し合わせたように、親指を立てて私に向けた。
かくして望まない画像が全世界に発信されたわけだ。
「……はぁ。トゥルーマンの気持ちが少しわかったかも」
「お、演技の幅にも貢献しちゃったか?」
調子に乗らないでくださいっ、とプロデューサーさんの背中を叩く。
アイドルはレッスンを積んでいるので、見た目より力が強い。
しかも本気で叩いたので、プロデューサーさんは床に倒れ込み、悶絶していた。
奈緒さんが自分のスマートフォンでその様子を撮影してる。
「恥ずかしがった志保の平手打ちが背中に炸裂、と。
……お、羨ましいってめっちゃリプライ来てるで〜。
我々の業界ではご褒美ですって。やったな、プロデューサーさん!」
倒れ込んだまま、プロデューサーさんがピースサインをする。
私はそれを無視して、CDラジカセのスイッチを入れた。
ほら、いいから。練習しますよ。
○
「北沢、台詞が遅い。あとレイコンマ五秒はやく」
「振り返るタイミングが指示と違う。前の台詞よく聞いて」
「ニュアンスが違う。脚本の前後をよく読め」
「俺の言うこと、理解してる? もう一度最初から」
想像していた以上に、稽古は過酷だった。
稽古場は常に緊張感が漂っていた。
劇団ステラの稽古が普段からこうなのかもしれないし、私があまりにも下手で足を引っ張っているのかもしれない。
座長さんに一挙手一投足を指摘されては直し、稽古は遅々として進まない。
もう一週間経ったのに要領が掴めない自分に嫌気がさしてきそう。
でも、そんな不純物が演技に混じったら一瞬で見抜かれてしまう。
とにかく、目の前のことに集中だ。それしか出来ることはない。
座長さんは演者全体を見通せる場所にあぐらで座っている。
目の前には小さなちゃぶ台、その上にはノートパソコンが置いてある。
脚本の細かいニュアンスは随時修正されるため、台詞を覚えるのも大変だ。
「——一〇分、休憩。このシーン、もう一度いくぞ」
座長さんは年季の入った携帯電話でアラームをセットして、すぐに眠りこけてしまう。
他の団員さんもそれぞれ煙草を吸いにいったり、脚本読みに入ったりして各々自由に過ごしていた。
私は……とにかく、疲れた。水でも飲もう。自販機は外だったっけ……。
その時、ぴたり、と頬に冷たい感触。
みればプロデューサーさんが私の頬にペットボトルを押し当てていた。
「志保、お疲れさん。稽古の調子はどうだ?」
「アリーナライブの時も大変でしたけど、それに匹敵するかも。指摘、律子さん以上です」
受け取りながら言う。細かいもんなぁ、とプロデューサーさんが笑った。
「今日はこれが終われば帰りだろ?
もうちょっとだけ頑張ろうな。最後まで付き合うからさ」
「……えぇ、すいません。他の子もいるのに、つきっきりでみてもらって……」
最近はシアターの公演に出る頻度もかなり絞ってもらっている。
まぁ、私がいなくともシアターは順調に機能していて、新メンバーも続々と加入して好評を博しているみたいだけど。
「そうだな、可奈が寂しがってたぞ。メールでも送ってやったらどうだ。忙しそうだし自分から送るのは気が引けるって言ってたよ」
「はぁ、メールですか」
「……その顔は、何をメールすればいいか分からない、って感じだね」
「……別に、そんなことはないですけど」
図星だった。自分から家族以外にメールを送るなんて、連絡事項くらいなものだ。
何を話せばいいかさっぱりわからない。
「普通に話をすればいいと思うよ。最近シアターはどんな感じ? 劇はこんな感じだよ、とかさ」
「……なるほど。さすがプロデューサーさんですね。相手にあわせて色々勉強してたみたいですし……そういうところ、凄いなって思います」
自分にないものだ。そういうのが有効に働く時があるっていうのも、最近はわかってきたし。
……いや、疲れているのか、思わず本音がぽろっと出てしまうな。いけない。
「まぁ、志保は志保らしく、な。その中で変わっていけばいいよ」
「……そうですね、わかりました」
その時、プロデューサーさんがビニル袋を手に提げていることに気づいた。
「それ、どうしたんですか?」
みれば中にはペットボトルがみっちりと詰まっていた。
結構重そうなのに軽々と持ち上げる。
やっぱ男の人は力が強いな。
「劇中で実物の飲み物を使いたいって座長さんが言ってただろ?
スポンサー契約とってきた。今日も稽古ですって伝えたら、差し入れに是非どうぞってね」
原作の『トゥルーマン・ショー』にはCMがない代わり、作中のあらゆるシーンが広告という設定だった。
例えば主人公が愛飲するココア、カットの中で大写しになる企業ロゴ、親友が持ってくるビールは常にラベルがカメラへ向いている。
今回の演劇でもその手の演出を仕込むため協賛企業を探していたらしいんだけど、これが難航していたのだ。
……それにしても、随分と簡単そうに言っていたけど。
ビニル袋の中身は大手飲料メーカーの飲み物だ。これ、スポンサーを取ってこれるものなの?
「……もしかして、プロデューサーさん、仕事出来る人なんですか?」
「何気に失礼だな。出来るかどうかはわからないけど、色々やってるの。
……まぁ、765プロって看板もあるし、今回は大学の先輩を頼ったってのもあるから、僕の力じゃ全然ないよ。でも、経緯はどうあれ、必要だろ?」
プロデューサーさんはそう笑った後、ペットボトルを抱えて「飲み物の差し入れでーす、みなさんどうぞー!」と声を上げた。
プロデューサーさんには座ってていいよって言われたけど、不思議と休んでる気にはならなかった。
一番年下だからってのもあるかもしれないけど。
どっちかというと……ちょっと、隣のプロデューサーさんの功績を自慢したかった、のかも。
ペットボトルを配り終えたプロデューサーさんは、座長さんにも物怖じせず話しかけ、スポンサー契約について相談をしていた。
私はそれを眺めながらスポーツドリンクに口をつける。
甘い液体が体に染み渡っていくのを感じた。
気合いが入る。私も、もっと頑張らなきゃ。
○
稽古が終わったのは九時半。稽古場で音を出していいギリギリの時間まで粘るのが常だ。
私はプロデューサーさんに車で送ってもらうことになり、助手席に座っている。
道はかなり渋滞していて、家に着くまでかなりかかりそうだ。
話は自然、稽古場のことが多くなる。
「劇団の人には良くしていただいてますよ」
「そりゃあ良かった。大人の人ばっかりだからさ、ちょっと心配だったんだよ。シアターは同年代が多いだろ?」
「えぇ。でも、あまり気になりません」
「どっちかっていうと、年上の方が楽か? 志保はあんまり物怖じしないもんな」
正直に言うとその通りで、同年代の方がつらい。
最近はそれも少しはマシになってきたかもしれないけど。
「先生役の人が言ってたよ。志保はよく頑張ってるってさ」
オーディションの時、親友の台詞を読んでくれた人だ。
劇団では主役を張ることも多くて、本当にうまい女優さんだ。
そう言われていたのなら、ちょっと自信になる。……まぁ、お世辞だとは思うけど。
「そうですか。……がんばっても、上手く出来ないならあまり意味はないんですけどね」
「そりゃ初めてだしね、すぐに出来たら向こうも商売あがったりでしょ。
……劇団ステラの稽古は厳しいんだってさ。座長さんが完璧主義者みたいで」
「……それは感じます。そんなに細かい所まで、って思うことも正直ありますし。
でも、後から思い返すとちゃんと意味があるんですよね」
「うん、それは僕も感じた。素人目でも、稽古の最初と比べると、やっぱり今の方がいいなぁって思うもん。志保の経験値にもなってるんじゃないか」
「私個人からすると、そうですけど。周りの人に迷惑をかけていないか、心配です」
プロデューサーさんが、アリーナライブの時もそんなこと言ってたんだろ、って苦笑いした。
そうだったかな。言ってはいない気がするけど。
「まぁ、焦ってもしょうがない。まだ稽古はたっぷりあるんだし。
聞けば今回の演目はかなり気合いが入ってるみたいだよ。
何でも座長さんが入れ込んでる話なんだとか」
それは初耳だ。原作に思い入れ、あるんだろうか。
「実は脚本はずっと前に出来上がってて、オーディションも何回かやったんだけど、その度にお流れになってたんだって。
一回決まったこともあったけど、その時は主演女優が逃げちゃったとか」
「……なるほど。まぁ、無理もない気はしますけど」
「そうそう。だからオーディションに関わらず、劇団に入った人でもけっこう辞めちゃうんだってさ。……765プロとは、その辺違うよね」
フロントガラスの向こう側にある信号が赤になる。
プロデューサーさんがハンドルから手を離し、ぐっと伸びをした。
「……色々な形があるんだと思います。とことん追い込んで、いい物を仕上げていく。劇団ステラの演劇にはそういうストイックさがありました」
「そうだね。……でも、凄いよ志保は。全然違うやり方でも、頑張れちゃうもんな」
「努力すればいつかは出来るようになるって、信じてますから」
逆に言えばそれしか私にはない。アイドルも、演劇も同じだ。
私に特別な才能はない。
ちょっと人より台詞や振りを覚えるのが早い程度、この世界では何の役にも立たないって知った。だから努力で埋めるしかないんだ。
プロデューサーさんは再びハンドルに手を掛け、アクセルを少しだけ踏んだ。渋滞はまだ続いている。
「志保はなんで演技に拘るんだい?」
「……理由、ですか」
「うん。正直言って、十四歳の女の子が頑張れる稽古じゃないと思うんだ。
本当、性根が座ってると思う。それって、ただ仕事だからやってる、って話じゃないだろ?」
それは、その通りだ。
自分でも偶によく分からなくなる。きっかけは確かにあった。
でも、それについて、私は確かめたことがない。
ずっと陽炎みたいにゆらゆらしたものを追っているんだろうか。……それはちょっと、違う気がする。
「……ちょっと、長くなりますよ」
「いいよ。渋滞も長引きそうだし」
誰にも話したことがないけど、プロデューサーさんならいいかなって思った。
言いふらしたりはしないだろうし。今日の私はだいぶ、疲れてるし。
「私、父親がいないんです」
プロデューサーさんは前を向いたままだ。遠くの信号が赤に灯る。
「……正確には、いるんですけど、どこにいるのかは分からない。
蒸発って言うらしいですね、そういうの」
コップの水がいつの間にか気体になってしまい、あたかも消えてしまったように見える。
蒸発って表現は、まさしく現象を言い表していると思った。
「……うん、社長に聞いてる」
「そうでしたか。……ここからは正直、私も本当かどうかはよく分からないんです。
お母さんに聞けば分かるかもしれませんけど」
「聞かないのかい?」
「あまり、お母さんにとっても面白い話ではないでしょうし。
……ただ、もし全然見当違いだと、ちょっと困るかもしれません。
私が演技に興味をもったのは、それが出発点でしたから」
目を瞑る。頭の中に思い浮かぶのは、物心が付いてから最初の記憶だ。
しばらく、私はそれが何の景色だったのか分からなかった。
小学校の時、社会科見学で演劇ホールに赴いたとき、はじめて気づいた。
「私、子どもの頃、劇場に何度かいったことがある気がするんです。
それも多分、客席じゃない。就学前の子どもは入れませんから」
「……お母さんは昔、劇団の人だったの?」
「それは違うみたいなんです。今してる仕事は、私が産まれる前から続けているみたいですし」
記憶の中で、私は舞台の上に立っていた。
人はいない。
明かりもない。
凄い静かで、子どもにしたらちょっと怖い風景だったと思う。
でも、私は怖くなかった。
ひょいっと抱き上げられて、舞台の色々なところを見せて貰った。
あの光はね、あそこから出ているんだ。
ここから幕が下りてくるんだよ。
……多分、そのようなことを言われた。
あの頃の私は、よく分かっていなかったとは思うけど。
もしそれが本当にあったことなら、私を抱き上げたのは消去法で一人だけだ。
「お父さんが、劇団の人だったんじゃないかって。そう思ってるんです」
「……なるほど。じゃあ、お母さんはその人のファンだったのかな」
「そうかもしれませんね。
今でも母親は映画が好きで、時間があるときは観てます。
レンタルですけどね。
……でも、芝居を一緒に見に行ったことは一度もありません」
全部、私の勝手な思い込みや予想に過ぎない。
でも、もし私のお父さんが劇団に関わる人だったのなら。
お母さんにとって、演劇は辛い思い出が詰まっているのかもしれない。
「きっかけはそれです。
でも、芝居を観て、映画を観て……純粋に、興味を持ったのも本当です」
演劇は世界で最もプリミティブな芸術で、エンターテインメントだ。
俳優が生で芝居をして、観客にイメージを共有させる。
極端な話、何もない場所でも演劇は成立する。
目に見えないものに感動して、涙を流すことだってある。
映画だって凄い。
徹底的にセットを作り込んだりして、そこにもう一つの世界を作り上げてしまう。
カメラの中に切り取られた物語は、一つの異世界だ。
その中で人の演技が躍動する。
どちらも本当に広くて、奥が深い世界。
きっかけはどうあれ、私はそれに魅了され。
いつしか自分もその場所へ立ちたい、芝居をしたいと思い始めた。
「スクールに転校したのは、逆算です。
子役からスタート出来なかった私は、この年齢ですぐに女優になるのは難しい。
一番近いのは、アイドルだと思いました。
だったらそこで箔をつけて、ステップアップ出来ればいい、って。高木社長にも全く同じことを言いましたよ」
「あの人、笑ってたでしょ」
「えぇ。いいんじゃないか、って」
あんな人がお父さんだったら楽しいだろうなって、ちょっと思った。
「私、結構、打算的なんです。中学生で賃金をえるのは難しいですけど、アイドルなら家計を助けることも出来るかもしれない。それに……」
「それに?」
もう一度、プロデューサーさんの方をみた。信号は赤で車は止まっている。
彼もまた、私の方をみた。何故か慌てて、目を逸らしてしまう。
それが引き金で、ぽつり、と私は呟いてしまった。
「……見つけて、欲しいのかもしれません」
言ってしまった。これは多分、お母さんにも伝えたことがない。
誰にも言わず、ずっと胸の内に秘めていた。
映画や演劇で有名になれば、お父さんに見つけて貰えるんじゃないか。
いつしかそんなことを考えるようになっていた。
プロデューサーさんは視線を前へ戻し、じっと前方を見つめていた。
前の車が動き出してもそのままで、動きましたよ、と私が伝えると、ようやく車は動き出した。
車の中に沈黙が降りる。
なんで、こんなこと、言っちゃったのかな。
自分でもよくわからない。多分、疲れてるんだろう。
「……自分で言うのも何ですけど、子どもじみてますね。忘れてください」
「いや、忘れないよ」
プロデューサーさんはじっと前を見据えながら、そう言う。
交差点を曲がった。少し車のスピードが速い気がする。
「それが志保の夢なんだね」
「……えぇ」
「寝てていいよ。まだもうちょっとかかりそうだ」
「……そうですか。じゃあ、すいません。安全運転で、よろしくお願いします」
目を瞑る。疲れていたのか、すぐに睡魔が訪れた。
短い夢をみる。
劇場のステージで抱き上げられる夢。
けれど、子どもの私を抱くその人の顔は、真っ白に塗りつぶされている。
そうだ。
私は、お父さんの顔すら知らない。
○
猫さんが話せたらいいのにな、と私はいつも思っている。
物心つく前から、私は猫のぬいぐるみをどこへいくにも持ち歩いていたらしい。
お父さんが買ってくれたものだ、と知ったのは小学校高学年の時だ。
お母さんからしたら、ついうっかり口走ってしまったのかもしれない。
あるいは、出所を知らないままいつも持ち歩いている私が不憫だと思ったのか。
自分たちを捨てた人に貰ったのだと知ったら、もう持ち歩くのはやめるだろう、と。
けれど私は、それからも猫のぬいぐるみを手放すことはなかった。
卵か鳥が先かは分からないけれど、猫のグッズを集めるのが趣味になっていたのもある。
この猫に似ているものは、可能な限り集めてきた。
お母さんはそれをあまり快くは思っていないだろう。
多分、現実は私が思っているより、きれいじゃない。
私が想像する『お父さん』がこの世に存在しないのも分かっている。
だって、存在するのなら、今も家にいるはずなんだから。
私が想像するようなお父さんじゃなかったから、彼は私達の前から姿を消したんだ。
その理屈くらい、わかる。
自分が想像する父親像を勝手に押し付けているだけだ。
お母さんはお父さんを許しはしないだろう。
女手一つで子どもを二人育てるのがどれだけ大変か、少し手伝うだけの私にはわからない。
でも、お父さんのことを知っているのは、やっぱりお母さんだけなんだ。
彼がどういう人だったのか、私や弟は何も知らない。
何が好きだったのか、嫌いだったのか。
どんな顔だったのか。
名前。
着ていた服。
匂い。
煙草を吸ったのかどうか。
それをお母さんに聞くのは忍びない。
つらい記憶じゃなければ、演劇を避けたりはしないだろう。
だから、猫のぬいぐるみが話せたらいいな、と思う。
この子ならお父さんを知っているはずだ。
クリスマスの前。賑やかな陳列棚。
たくさん並んだぬいぐるみ達から、この子は選ばれた。
お父さんが、私に渡すために選んだ。
ねぇ、猫さん。
お父さんはどんな人だったの?
○
目が覚める。頭の奥がぼんやりしていた。
寒くはない。暖房が効いている。まだ、車の中だ。
うっすらと目を開けると、フロントガラスは曇っていた。
隣をみやると、プロデューサーさんの姿はない。耳を澄ます。外から声がした。
「……そうでしたか、志保がそんなことを……」
プロデューサーさんとお母さんが、外で立ち話をしている。
寒いんだから中で話せばいいのに、とぼんやり考える。
あぁ、でも、ひょっとしたら私に聞かれたくないのかな。
「……父親が残したものは、本当に少ないんです。
それこそ……志保がいつも持ち歩いている、猫のぬいぐるみくらい。あれくらいしか、買ってやれなかったんです」
私はそっと猫のぬいぐるみを撫でた。
ずっと持ち歩いているからか、表面は摩耗して、つるつるしている。
「志保にはずっと苦労をかけました。
アイドルの仕事をするのは……おそらく、家計を考えてくれているのでしょう。
……自分が、情けない。遊びたい盛りでしょうに……」
「……僕が言うのも何ですが。志保はアイドルになって、良かったと思います。
確かに大変なこともありますけど、仲間だって……友達だって、沢山できました」
「……そう、なんですか?」
「えぇ。お母さんもお忙しいと思いますし、志保も、中々照れて話すことはしないかもしれませんが。
聞いてあげてください。彼女はもう、自分で道を選んで、自分の足で歩いています」
「……いけませんね。親だからか、ずっと子どもだと思ってしまいます」
「そういうもんでしょう。僕も実家に帰ったら、から揚げの乗ったカレーライスが出てくる。いつまでも子ども扱いですよ」
二人の笑い声が、夜に小さく響いた。
それを聞きながら、お父さんのことを考える。
うまく纏まらなくて、色々なものへ散らばった。
例えば、『トゥルーマン・ショー』について。
原作の主人公は父親を海難事故で失う。けれど本当に死んだわけではなく、物語の終盤、感動の再会シーンが演出された。
例えば、稽古をしているお芝居について。
こちらに再会シーンはなかった。設定が統合されて、父親がプロデューサー役も兼任しているのが理由だとは思う。
でも、物語の最後。
主人公と父親は、顔を合わさないまま言葉を交わすシーンがある。
原作でクリストフが作り物の月からトゥルーマンへ語りかけたように。
座長さんは何を思って、あのシーンの脚本を書いたんだろう。
私が演じる彼女にとって、父親も、自分の人生を操ったプロデューサーも、大切で重要な存在のはずだ。
なぜ、二人は顔を合わせて、言葉を交わさなかったのか。
次の稽古の時、聞いてみようかな。
俳優が脚本に口を出すなって怒られるかも。
でも、気になるのは事実だし。
……そろそろ、起きようか。狸寝入りをしているってばれたら、色々と面倒だ。
私は身を捩り、起き上がろうとする。
そこで、お母さんの声。
「志保の父親は、俳優をしていました。
……今でも、当時の知り合いから風の噂を聞くこともあります。まだ演劇の世界にいる、と」
心臓が、どくん、と音を立てた気がした。脈が一気に速くなったのが分かる。
「どこの劇団にいるのかは、分からないんですか?」
「えぇ、知りません。東京だとは聞いています。
……志保は芝居をよくみにいっているようですから、あるいは父親をみたことがあるかもしれませんが」
気づけば猫のぬいぐるみをぎゅっと握りしめていた。
手にはじっとりと汗が浮かんでいる。産毛が全部、逆立っているのがわかった。
東京の劇場は何個も回った。
規模を問わず、沢山の劇団をみた。
その中に、お父さんがいた?
頭の中で今までに見た演劇を全部捲っていく。
記憶の中に焼き付いた風景から、年齢が合致する俳優を探す。
無理だ。そんなの沢山いる。絞りきることなんて出来ない。
いや、そもそも私がみた劇団の中にお父さんがいたとは限らない。
けれど。私が思っていたよりも、近いところにいるのかもしれない。
目を薄く開ける。
フロントガラスの向こう側に、銀色の丸い月。
黒い紙に水銀を垂らしたみたい。
「いるんじゃないかな、お父さん」
呟く。誰にも聞こえないように。
「あの、月の辺りに」
私の声は、猫のぬいぐるみだけが聴いている。
○
お父さんが近くにいるかもしれない。
がんばれば、劇をみてもらえるかもしれない。声をかけてくれるかもしれない。
おぼろげな願いに具体性が帯びると、意識せずにはいられなかった。
でも、現実は私の思い通りに進んでなんてくれない。
それから一週間後、事務所に一冊の週刊誌が届けられた。
『765プロの新星、北沢志保の父親は蒸発!? 家庭崩壊、真相追いM@S!』
4
何を言われても平気だ、そう思っていた。
アリーナライブの時だってそうだ。
バッシング記事のきっかけは可奈がライブで転んだことだったかもしれない。
けど、あの時点のダンサー組のクオリティは叩かれてもしょうがないものだった。
……いや、それを言えば、今だって私達が765プロとして活動しているのを快く思っていない人達だっているだろう。
それを覆すには、自分の力を高めるしかない。
ダンスも、歌も、演技も、何だってそうだ。
だから私は何を言われてもいい。
どれだけ辛いことがあっても、叩かれても、それを力に変えて乗り越えてみせる。
そう、思っていた。
……言い訳ではないけれど。私は自分の力を見誤っていたんだろう。
自分のことを言われるのなら多分、我慢出来た。
けれど矛先が家族に向いた時、大いに動揺させられた。
学童保育に弟を迎えにいくと、泣きはらした跡がある。
保育士さんに聞くと、どうも友達に父親のことを言われたらしい。
なんで僕にはお父さんがいないの、とも聞かれた。
答えることが出来なかった。私にもそれは分からないから。
お母さんも仕事を休んだ。
仕事の行き帰り、週刊誌の人にしつこく取材を申し込まれたらしい。
志保は気にしなくていいのよ、と言っていたけれど、少なくとも私がアイドルにならなければ、こんな風に過去の傷を蒸し返されることもなかったはずだ。
シアター公演も暫く休むことになってしまった。
ただでさえ劇団ステラの稽古で穴を開けていたのに、シアターの皆には更に迷惑をかけることになる。
足を引っ張り、申し訳ない気持ちで一杯だった。
プロデューサーさんにも迷惑をかけてしまった。
事後処理はもちろん、彼は責任を感じているみたいだった。
記事は彼とお母さんが話していた内容が元になっている。
私が聞き耳を立てていたとき、盗撮というパパラッチの耳も近くにあったというわけだ。
まるで『トゥルーマン・ショー』みたいですね、と言ったら、彼は力なく笑った。
唯一、救いだったのは、劇団ステラの稽古はそのまま続行になったことだった。
千早さんの時はCMの契約がほとんど切られたらしいから。
やましいことがなくても、契約とはそういうものらしい。
プロデューサーさん曰く、劇団の中でも意見が分かれていたそうだけど、最終的には座長さんが決めたらしい。
真意はよくわからない。
公演は暫くあとだし、それ位には落ち着いているだろうと踏んだのか。
あるいはいい宣伝になったとほくそ笑んでいるのか。
そもそもあまり世論に興味がないのか。
いずれにせよ、劇が続行なのは不幸中の幸いだ。打ち込めるものがあるなら、まだ気が楽だ。
板の上に立っている間は、芝居以外のことを考えなくていい。
けれど、そんな私の思惑はすぐに見透かされてしまう。
○
「北沢、お前、やる気あるのか?」
いよいよしびれを切らしたのか、座長さんがそう私に言い放った。
稽古の進捗は完全に止まっていた。もちろん、止められるのは私の演技だ。
今日も何回、座長さんに怒られたか分からない。
指摘を受けても、それを全然、演技に反映させられない。
歯車が完全に狂っていた。
「……あります。稽古の続きをお願いします」
座長さんはノートパソコンを閉じ、立ち上がった。
「板の上は逃げる場所じゃない。雑念があるなら辞めろ。また次の女優を探すだけだ」
今日は解散。それだけ言い残して、裸足のままどこかへ行ってしまう。
情けなくて涙が出そうだった。
でも、女優が演技以外で泣いたら駄目なことくらい、私にだって分かる。
○
部屋の中に夕陽が射し込んでいる。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
ベッドから起き上がる。ノドが少しいがいがする。参ったな、最悪だ。
洗面所に向かいイソジンでうがいをする。
鏡に映る自分は、あまり顔色が良くない。
『トゥルーマン・ショー』にこんなシーンがあった。
マジックミラーになっていて、ビデオカメラで撮影されているのだ。
トゥルーマンはそこに石鹸で落書きをする。
私は鏡の向こうをじっと睨んだ。その向こう側にあるカメラを。
トゥルーマンと同じように石鹸を手に取り、鏡につける。
白い線を引いた。
何を描こうか考えていなかったけど、出来上がったのは自分のサインだ。猫がモチーフになっている。
奈緒さんに散々からかわれたっけ。可奈はかわいいって言ってくれたけど。
猫のことを考える。ぬいぐるみ。お父さん。
「私は、アイドル」
見られるのが仕事だ。前に進めば進むほど。痛くない腹だって探られる。
私だけじゃない。家族や仲間も、巻き込んでしまうかもしれない。
選んだ道は間違っていたのだろうか。
誰かを傷付けてまで、この道を行く意味はあるのだろうか。
考えてもすぐに答えは出てこない。迷いは演技に出る。
けれど、答えを焦るほど、遠ざかる気もした。
遠い月に触れるようとするみたいに。
水で顔を洗う。タオルで水滴を拭った。
鏡に描いた自分のサインも拭う。洗濯機の中に放り込んだ。
居間にいっても誰もいない。
テレビは消されているけれど、弟が玩具を散らかしたままだ。
キッチンには鍋が置いてある。カレーの匂いがした。
食卓にメモ用紙が置いてある。お母さんの字だ。
「屋上にいます……か」
外にはまだ報道の人がいるはずだ。
弟がサッカーをしたい、と言ったのかもしれない。
球を蹴るくらいなら、気をつければ屋上で出来ないこともない。
私は自分の部屋に戻り、コートを羽織った。春とはいえ、まだ肌寒い。
サンダルを突っかけて、鍵を持つ。
警戒してそっと扉を開けたけれど、流石にオートロックのマンションに侵入はしないらしい。
私は鍵を閉めて、階段をのぼった。
一応、踊り場を通るときは腰を屈めて、外からみえないように。
まるでスパイ映画だ。国家機密を狙うエージェント、なんてね。
屋上から声が聞こえる。
賑やかだ。ぼん、とボールを蹴る音もする。
私の予想は当たっているみたいだけど、違ったのは——。
「お、うまいやーん! 私にパスして、パス!」
「はい、可奈お姉ちゃん」
「わ、ありがとー。上手だねぇ〜」
「なんで私を無視して、可奈に渡すん!? 次は私やで! パス、ミー!」
「プロデューサーさん、どうぞ」
「なんだ、可奈も結構うまいじゃないか。よっ、はっ、とっ」
「せやから何でシカトするん!? プロデューサーさんもテク自慢とかええから!」
「だって、奈緒お姉ちゃん、さっき外に蹴りそうになったもん……」
「ちゃうねん。あれは下におるハエちゃんを潰そうと思ってやね……」
「奈緒、お前まで記事になるぞ……」
夕焼けの屋上で、サッカーボールを蹴るみんなの姿があった。
眺めていたお母さんが私に気づく。
「寒くない? これ、羽織る?」
お母さんがストールを私に勧めてきたけれど、大丈夫、と断った。
階段をずっと上がってきたから、体がぽかぽかしている。
理由は、それだけじゃないかもしれないけど。
「皆さん、来てくれたのよ。裏から回って、踊り場を乗り越えてもらったんだから。スパイ映画みたいだったのよ」
私と発想が同じだ。親子だからかな。サスペンス、好きだもんね。
お母さんの足下にはパンパンに膨らんだ紙袋が三つもある。
飴やら、お菓子やら、中華料理が入ったと思しきタッパやら、漫画本やら……私は入院でもしたのかな、って思う。
あるいは外国にでも旅立つのか。
「あなた、いい友達が出来たのね」
「……ただの友達じゃないよ。ライバルでもあるし」
「……私ね、凄く後悔していたの。
あんな記事を書かれちゃって、志保も傷ついて。
アイドルなんて、許さなければ良かったって」
お母さんは目を細める。
「でもね、プロデューサーさんの話を思い出したの。
そしたら、これだもの。ねぇ、志保はどう思う?」
私はじっと皆の方をみつめる。
奈緒さんはお兄さんがプロのサッカー選手だし結構うまいのかなって思ってたけど、いいのはフォームだけだ。
蹴り出すボールはあっちこっちに飛んで、その度に弟が走り回っている。
弟は、順番を変えようよ、と笑いながら不満を漏らしていた。
可奈へパスを出す。
身内の贔屓目かもしれないけど、年齢の割に上手にみえた。
可奈はフォームこそへんてこりんだけど、きちんと真っ直ぐプロデューサーさんへボールを蹴り出せていた。
うん、悪くない。
圧巻なのはプロデューサーさんだ。
今はスーツの上着を脱いで、ネクタイの先をワイシャツにねじ込んでいた。
ボールを足で受け止めると、ふわり、と浮かせる。
彼が体を折り曲げるようにして屈むと、ボールは首と背中の位置にすっぽりと納まった。
奈緒さんが「そういうのはええから!」と文句を言うも、弟はプロデューサーさんのテクニックに釘付けだ。
「……そんなの、答えるまでもないって思うけど」
「志保はいつもそうなんだから」
そう言って、お母さんは微笑んだ。
「あの子も塞ぎ込んでたけど、元気になったみたい。……いつかはお父さんのことも、話さなきゃいけないけどね」
「……うん」
弟は元気に屋上を走り回っている。
もう少し大きくなったら、彼も起きていることが理解できるだろう。
その時、何を思うだろうか。
私と同じように、お父さんと会いたいって思うかな。
それともお母さんを思いやって、会いたくないって言うかな。
その時は、多分、そう遠くない。きっとすぐだ。
子どもが大きくなるのは、本当にはやいから。
「私も、大丈夫だから。志保が責任を感じる必要はないの。
……でも、強制もしない。辛いならアイドル、やめてもいいのよ」
「……それも、答えるまでないって、思うかな」
今度は、肩をばしんと叩かれた。
「あなたね、大事なことは口にしないと、駄目よ。
……そういうとこばっかり、似てるんだから」
お母さんはため息をつく。
「似てるって、お母さんと?」
「お父さんと、かな」
そう言って、お母さんは笑った。
頬の皺を少しだけ緩ませて、驚いて声の出ない私の髪を撫でる。
「失言だったかしら。まぁ、男女には色々あるのよ」
「……お父さんを、恨んでる?」
私の言葉に、お母さんは曖昧に首を振った。
「自分を追い込んで、家族を遠ざけて。そうして進む道に何があるのか、お母さんには分からないわ。
……志保にも、そんな険しい道は選んで欲しくない」
アリーナライブの時を思い出す。
何もかも遠ざけて、殻に閉じこもって、周りを否定して。
そうして前に進むことだけを頼りにした、あの時のこと。
夕陽が射し込み、屋上は橙色に染まっている。
まだ肌寒いのにみんなで走って、笑いあっている。
きっと他の人にはなんてことのない景色なのに、私にはそれがとても大切なものに思えた。
少なくとも、今までの日々にはなかった。それを得ることが出来た。
「だいじょうぶだよ」
もう、あの頃の私とは違う。
私の言葉に、お母さんは少し驚いたような顔を見せた。
そうして、子どもは大きくなるのがはやいわね、と笑った。
○
「お、なんや、志保おるやん!」
「志保ちゃ〜ん! サッカーしようよ!」
「こらこら、二人ともあんまり大きい声を出すな。
下にいる奴らに聞かれたらどうするんだよ」
プロデューサーさんがボールをこちらへ蹴り出す。
私はあんまり運動が得意じゃない。
足を出すけれど、きちんと止められず、ボールはころころと転がった。
「姉ちゃん、凄いんだぜ、あの兄ちゃん! まるでサッカー選手みたい!」
弟がこちらに走りよってきて、ボールを蹴る。
ちょっと強い球筋に、可奈が怯えながら足を出していた。
プロデューサーさんがスーツを掴みあげて、肩にかける。
お兄さんは休憩な、って声をかけながら、こちらに歩み寄ってきた。
お母さんもやろうよ、と弟が声を上げ、私に出来るかしら、と苦笑いしながら輪に入っていく。
「志保もどうだ? すぐあったまるぞ」
プロデューサーさんは額に汗が浮かんでいる。
そのままにしていたら風邪を引きそうだ。
「ハンカチ、持ってます?」
「え? ……しわくちゃのやつなら」
そう言って、プロデューサーさんはハンカチを取り出す。
いつ洗ったのか分からない感じだ。
私はため息をついて、自分のコートのポケットからハンカチを取り出す。
プロデューサーさんの顔を拭った。背伸びをする必要はなかった。
「はい、後は自分で拭いてください。
終わったら返してくださいね。洗っておくんで」
「……悪いな、ありがとう。こんな時に風邪なんか、引いてられないもんな」
言いながら、プロデューサーさんは私からハンカチを受け取り、首筋を拭く。
よく見ると、思っていたよりも筋肉質な体つきでちょっとびっくりした。
「……プロデューサーさん、スポーツでもしていたんですか?」
「ん? あぁ、大学までサッカーをね。
奈緒の兄貴とチームを組んだこともあるんだぞ」
言いながら、胸を張る。
奈緒さんは関西の人だし、お兄さんはプロ選手になるくらい上手い人だ。
そういう人とチームを組む機会があるってことは、
プロデューサーさんも相当ならしたんじゃないだろうか。
「……プロには、ならなかったんですか?」
プロデューサーさんは紙袋からスポーツドリンクを取り出す。
それを一口飲んでから、目指してたよ、そうぽつりと呟いた。
「それが僕の夢だった。
でもね、三年生の夏に怪我をしちゃったんだ。もう二年前だね」
そう言って、プロデューサーさんはスーツのズボンを捲る。
膝の辺りには、かなり大きな手術の後があった。
「左膝十字靱帯断裂。指名するって話もあったんだけど、流れちゃったんだ」
「……でも、さっきは、あんなに……」
「リハビリ、がんばったからね。卒業が半年遅れてるのはそのせいってわけ」
そう言えばプロデューサーさんが入ってきたのは、秋口だった。
新卒の採用タイミングとしてはずれている。
「……そうだったんですか。人は見かけによらないんですね」
「一体、志保に僕はどうみえてたんだ」
言われて、考える。プロデューサーさんと出会ってから、もう半年くらいが経っている。
色々なことがあったな。……うん、本当に、色々あった。
「頼りない感じ」
「……ちょっとショックだな。でも、頼って貰えるように頑張るよ」
少し傷ついたように唇を尖らせる。
私は笑いながら「それは第一印象です。今はもうちょっとマシですよ」と答えた。
控えめに言っておこう。
あまり調子に乗られても困るし。
「でも、何でサッカーをしてた人が、アイドルのプロデューサーになったんです?」
「……単純だよ。怪我をしてふて腐れてたときにね、テレビで君たちをみたんだ」
プロデューサーさんは奈緒さん達の方を見つめながら、懐かしそうに言う。
「それまで僕はサッカーしか知らなかった。
だからね、765プロがなんなのかも全然わからなかったんだ。
松葉杖をつきながら部の詳しい奴に聞いてさ、色々貸してもらって。
すると、黒い衣装を着ていた子たちは新人で、
夏からバックダンサーを始めたばかりだって分かった」
アリーナライブだ。あの合宿は大変だったな。
プロの練習はこんなに厳しいんだって、驚いた。
もっとびっくりしたのは、プロなのに全然ドライじゃない所だったけど。
「765プロのドキュメンタリーとかも見たよ。
本当、凄いな、って思った。
ダンスレッスンなんかみてると、僕らがする練習と変わらないくらい、大変そうだったし。
それを君たちみたいな子どもが……いや、違うか」
プロデューサーさんは言葉を選ぶように考え込む。
「もう、君たちは子どもなんかじゃないんだよな。そこに驚いた。
自分の足で立って、自分の足で歩いている。まだ十八歳にもみたない女の子が、だよ。
……足を怪我してふて腐れてるのが、恥ずかしくなった。
僕のリハビリを支えたのは、君たちだったんだ」
可奈は言った。アイドルの物語が誰かの元気になるんだよ、って。
それはこういうことなのかもしれない。
「僕の足は完治した。ブランクはあったけど、競技に戻ることだって出来たかもしれない。
でも、そうじゃない、って思った。
気づいたら765プロに飛び込みで面接のお願いをしにいってた。
そしたら、社長が気に入ってくれてね。
タイミングも良かった。丁度、みんなの正規昇格の頃だったから」
プロデューサーさんは照れくさそうに微笑む。
「みんな、それぞれ、やりたいことも、夢も違う。
でも、アイドルであることに変わりはない。
だから今の僕の夢は、それをサポートすること。当然、志保も、だ」
そう言って、彼はじっと私をみつめる。
「志保は……アイドルを続けられるかい?」
私は目を瞑り、じっと考えた。
自分がどうしたいのか。どうありたいのか。
先ほどのお母さんとの話を思い出す。
「これからも辛いことが続くかもしれない。
痛くない腹を探られたり、プライベートが暴かれることだってあるかも。
望まないことを強いられるかもしれない」
目を開ける。
夕焼けの屋上では、みんなが笑い合いながらボールを蹴っている。
お母さんと弟もだ。
私がアイドルを続ければ、また家族も辛い目にあうかもしれない。
でも、こんな風に笑顔になることもなかったと思う。
「お父さんと会いたいのなら、もう、アイドルである必要はない。
向こうもこの件で志保に気づいただろう。
アイドルをやめて、会いに行く、そんな道だってあるはずだ」
可奈がボールをこちらに蹴り出した。
私はそれを奈緒さんに向かって、蹴る。
ボールが少し浮いて、奈緒さんが「フェンス越えたらどうするんや!」と叫びながら手で掴んだ。
キーパーが向いてるんじゃないですかね。
でも、後ろで待ってるなんて出来ないか。
二人だけじゃない。シアターのみんなを思い出す。
私には仲間がいる。
それはアイドルにならなければ得られなかった、掛け替えのないものだ。
「やめたり、しません。
どれだけ辛くても、この道で得られたものがあります。
この先にだって、ある。私はそう信じてますから」
私はアイドルだ。見られるのが仕事だ。
だからトゥルーマンと同じだと、思った。
でも、違う。私はトゥルーマンじゃない。
——北沢志保は、望んで舞台の上にいる。
「お母さんが会って欲しくないって思ってるのも、わかります。
でもやっぱり私はお父さんに会ってみたい、話してみたい。……そう思います」
周りからどう思われたって、この気持ちは本当だ。
何を話せばいいのかも分からない。
話なんて全く通じないかもしれない。
それでも、会って、話がしてみたい。
「でも、こうも思うんです。今は色んなことが楽しい。
シアターのみんなと公演をするのも、厳しい演劇の稽古を積むのも。
そりゃあ、全部がうまくいって、面白いってわけじゃないですよ。
つらいことだって、沢山あります」
丁度、昨日も座長さんに怒られましたしね、と笑う。
でも、それで終わったりはしない。
「昨日の自分より今日の自分の方が絶対に良くなってる。
じゃあ、明日の自分はどうなんだろうって楽しみなんです」
「……あぁ、そうだね。僕も皆をずっとみてるから分かる。
本当に毎日変わっていくんだもんな」
そうかな。そうだったら、いいけど。
「なので、私の目標は全部です。シアターも演劇も頑張ります。
それ以外の仕事だって、全部。
いつかお父さんとも会います。だから、プロデューサーさん——」
大事なことは、言葉にしなさい。
お母さんの言葉を思い出す。そういえば千早さんにも言われたこと、あったな。
……そうですね。その通りかもしれない。
「サポート、よろしくお願いします」
プロデューサーさんが、一瞬、面食らったような顔をする。
「……どうしたんですか、鳩が豆鉄砲くらったような顔をして」
「志保が素直だなんて、珍しいなって。
もう一回言ってくれない? スマホで録音するから」
いやです、と答えた。せっかく真面目に考えたのに、この人は、全く。
でも、多分、わざとやってるんだろうな。私をリラックスさせるために。
……そうですよね? ちょっと心配になってくる。
私がじとりと睨んでると、プロデューサーさんはスマートフォンをポケットへしまう。
鼻の頭を一度かいて、空を見上げた。
「絶対、叶えるよ。一緒に頑張ろう」
「えぇ、頼りにします。少しは、ですけど」
そう言って、笑い合う。
出会った頃の私じゃ、こうはいかないだろうなって思いながら。
○
稽古場にはまだ誰もいない。
朝一番にやってきて、プロデューサーさんと雑巾がけをした。
ストレッチもして、準備万端。
やって来る劇団の人に、おはようございます、と挨拶をしていく。
やがて座長さんもやってきた。いつものようにちゃぶ台とノートパソコンを抱えている。
壁によりかかるように座った。視線が合う。
「今日もよろしくお願いします」
「……女優ほどよくわからん生き物はいない」
ちゃぶ台を組み立て、ノートパソコンをその上に置く。
あぐらをかいた。小さく笑う。
「一日でそんだけ変わるんだからな。いい俳優の条件だ。何があった?」
「雑音は、気にしないことにしました」
そうやって今までやって来た。
間違ってなんかいない。
ずっと戦ってきた。これからもだ。
お父さんのことは考えてもしょうがない。
いないのは事実だ。私にはコントロール出来ない。
じゃあ、出来ることはなんだろう。シンプルだ。
「この劇をもっと良くしたい。その一心です」
「……それならもっと稽古をするぞ。まだまだへたくそだからな、お前は」
「えぇ、わかってます。……それに関して、一つだけ、脚本で質問です。
物語の最後……シホと父親は、何故再会しないんですか?」
気になっていた疑問をぶつける。
脚本に口を出すなって怒られるかなって思ったけど、座長さんは不敵に笑った。
「感動の再会シーンが欲しいか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど。
最後のシーン、父親兼プロデューサーは声だけじゃないですか。
せっかく、演劇なんだから、体全体が映った方がいいんじゃないかって」
劇団の人がざわついたのが分かった。
しまった、流石に言い過ぎたかな、って焦る。
でも、そんな様子をみせたくない。これだって私の戦いだ。
「会話の流れに異存はないんです。
でも、顔を合わせて言った方が、シーンのディテールが出るんじゃないかって」
座長さんが中指で眼鏡のずれを直した。
「北沢」
「は、はい、出過ぎた意見なら、謝ります」
手招きされる。言われるがまま、座長さんの傍へ。
彼はノートパソコンを指さした。
年季の入ったパソコンだ。画面も少し黄ばんでいるように見える。
そこには脚本のデータが映し出されていた。
座長さんは劇団の人も一人、呼ぶ。
父親役をやる人だ。三人で画面を覗き込む。
「シホの立ち位置は変えない。セットの端の階段だ。
こう変えるのはどうだろう。父親は中央、海に浮かぶ船から語りかける」
それなら舞台監督の意見もいりますね、と父親役の人が唸った。
なんだか、楽しそう。劇団の人にも活気が出ていた。
「今から間に合うか?」
「なんとか間に合わせますよ。やるのはオレじゃないけど」
そう言って、がははと笑う。
「いい劇にするんだもんな。ねぇ、志保ちゃん」
「……はいっ、そうです!」
私はその時、ようやく、皆に認めて貰えたのかもしれない。
お客様じゃなくて、劇団の一員として。
「ラストシーンを組み直す。アイディアが湧いてきた。
すまんが、そこまでのシーンをさらっといてくれ。俺は書いてるから」
そう言って、座長さんはキーボードを叩き出す。一心不乱といった感じだ。
私はプロデューサーさんの方をみやる。
オーディションの時みたいに、ぐっと親指を立てた。私は頷いて、応える。
○
それから一ヶ月の時が経つ。
私の家庭環境についてはしばらく面白おかしく書き立てられた。
頼んでもいないのにお父さんを探そうと躍起になった週刊誌もあった。
東京の小劇場中の俳優を探したと豪語するも、ついぞ見つけられず。
しまいには死んだことになっていて、これにはお母さんが「笑えない冗談ねぇ」と笑っていた。
それからは新たな情報が出るわけでもなく、次第に話題は廃れていく。
社長の勧めで善澤さんに記事を書いてもらったのも大きかったかもしれない。
久し振りにシアターに出たときは、あたたかい声援も貰った。
奈緒さんと可奈が妙にはしゃいで滑りまくってたから、むしろそっちの方が気になったくらいだ。
演劇の稽古も順調……とは簡単には言えないけれど、少しずつ進歩したと思う。
劇団の人全員で会場に仕込みをし、ゲネプロも滞りなく終わった。
本番を明日に控え、それぞれが帰路につく。
けれど月にいる神様は、まだ私達に試練を課すのだった。
5
初演の朝だ。入りは午後からでいいって言われたけど、私とプロデューサーさんは気がはやって午前九時には劇場に着いていた。
座長さんに呆れられたけど、この人が一番に来ているので人のことはいえないと思う。
劇団の人も同じみたいで、続々と控え室に人が集まる。
先生役の女の人がスマートフォンで、私が出てるライブ映像を映し出して「カワイイ」ってからかってくる。
プロデューサーさんの差し金だな。後で文句を言わなければ、と心に決める。
いい意味でゆるんだ空気が流れている控え室に、突然、緊迫した声が響いた。
みんな、驚いてそちらの方を向く。座長さんが電話で誰かと話している。
「……なに、交通事故? 容態はどうなんだ……」
不穏な空気。辺りを見回す
私の父親役の人がまだ来ていない。もしかして、と思う。
「手、空いてる奴いるか。ちょっと病院に様子を見に行ってきて欲しいんだが……」
座長さんが辺りを見回す。プロデューサーさんが手を挙げるけど、君は残ってくれ、と断られた。
劇団の人が慌ただしく控え室を飛び出すのを眺めながら、これから起きることを想像した。
壁に掛けられた時計を見る。開演まで、あと五時間を切っていた。
座長さんが皆を集めて、説明を始める。
「……クリストフが交通事故にあった。命に別状はないが、手と足を骨折したらしい」
役名は、私の父親役だ。
「本人は車椅子でも出ると言っていたが、横から医者の怒鳴り声が聞こえたからな、期待薄だろう」
本番まで、もう間はない。少なくともすぐに事態が好転することはありえないだろう。
座長さんは苦虫を噛み潰したように、声を絞り出す。
「……公演は、中止だ」
ざわめきが広がる。
「中止、ですか?」
プロデューサーさんの質問に、座長さんは首を振る。
「俳優の代わりがいない。端役なら、間に合わないこともないが……」
ある意味、父親役は最も重要なポジションであるともいえる。
誰かが二役をこなすには時間が足りない。
ましてや今回の劇は女性の方が多く、
そもそも演じる適した年齢の男性がいないのだ。
「振り替えや延期は出来ないんですか?」
「俳優の状態による。明日以降は可能性がある。
しかし、それが難しいなら、近日中に日程を押さえ直すのは無理だ」
それに、初日が中止になるなんて公演のスタートとしては最悪だ。
最近はウェブで評判もすぐに出回るし、向かい風になれば全体の動員にも関わるだろう。
「残念だが、手はない。決定は早いほうがいいだろう。
とりわけ今回は北沢目当ての客も多いだろうし、765プロ側からも中止の知らせを……」
プロデューサーさんが、私をみた。
不意に、彼が劇団ステラのオーディション要項を持ってきたときのことを思い出す。
あっと声を上げた。
いるじゃないか。俳優が出来て、台詞も演出も、全部頭に入っている人が。
プロデューサーさんがにこりと笑う。思いついたことは、同じだ。
「座長さんが、父親役をやればいいんですよ。俳優出身なんですよね?」
彼の声に、周りがざわつく。
知らない人も多いみたいだ。座長さんは眼鏡のずれを中指で押し上げた。
「……もう十年も前の話だ。ブランクが長い。劇のクオリティが担保出来ない」
十年、か。思っていたよりも前だ。
となると座長さんの言うとおり、流石に難しいか。
ただ、プロデューサーさんはその辺の機微は分からない。
えっ、と声を上げて、疑問を呈す。
「あれだけ俳優にダメ出しをしておいて、自分では出来ないんですか?」
……素人、おそるべし。劇団の人にもざわめきが広がる。
字面だけみると正論っぽく見える所がまた嫌らしい所だ。
私、あんなこと言われたら、絶対に冷静さを欠いちゃうな。
出来る気が全然してなくても、出来るって言うと思う。
座長さんは、どうだろうか。また眼鏡を直している。
「北沢、頼みたいことがある」
「は、はい」
この馬鹿プロデューサーをつまみ出せ、だろうか。
ありえる。私は身構えながら、次の言葉を待つ。
「本読みを手伝ってくれ。稽古をしないと、勘が取り戻せない」
——あ、この人、負けず嫌いだ。
劇団の人が苦笑いと共に、慌ただしく動き始める。
プロデューサーさんと顔を見合わせた。脚本を渡される。
「負けん気の強さ、志保みたいだな」
そう言って、プロデューサーさんに背中を押される。
そうですね、と私は笑い返した。
座長さんに呼ばれる。舞台へ急いだ。
○
座長さんは流石にブランクはあるようだったけど、
台詞を喋るごとに少しずつ勘が取り戻されていくみたいだった。
自分で書いた本は自分が一番よくわかっている、と言わんばかりで、
むしろ新たな父親像がどんどんと作り上げられていくみたい。
本読みに付き合っている、というより、私の演技もどんどん変わっていくように思えた。
今まで固めていた砂場の山が崩れていくのと同じなのに、全然、嫌な気持ちにはならない。
だって、それと同じ、いや、それよりも早いスピードで新たな山が出来上がっていくのだから。
楽しくてしょうがない。
不思議な感覚だった。
台詞や動作は決まっている。それを大きく違えることはない。
けれど、全く新しい何かを、私と座長さんで引き出しているような気がする。
三時間、ぶっ続けで演技を繰り返した。
かわした会話は台詞だけなのに、それ以上のものを得た気がした。
良くなったのかどうか、私にはよく分からない。
ただ、客席でずっと見ていたプロデューサーさんが力一杯拍手をしていた。
いつの間にか劇団の人達も客席にいて、みんな、同じように拍手をしてくれる。
時計を見上げる。中止かどうかを決める、最後の分水嶺だった。
「どうしますか?」
息が切れている。始まる前から疲れ切っていた。
まいったな。最初のシーン、ベッドで寝てしまわないか心配になる。
「……その顔、やる気じゃないか。最初のシーンについて考えていたろう」
「そりゃあ、私はいつだってやる気です。
むしろ座長さんは自分の心配をしてください。トチる可能性が一番高いのは、あなたです」
劇団の人達からまた違った拍手が湧く。
おー、と感嘆のため息まで。向こう見ずですいませんね。
「……全く、とんだプロデューサーとアイドルに当たってしまったようだ」
座長さんが中指で眼鏡を直す。本当に一瞬だけ、笑ったようにみえた。
結構長い期間、一緒に稽古したのに、はじめてみたかも。
「座長さんでも、笑うことがあるんですね」
「当たり前だ。俺も人だからな」
そう言って、彼は舞台を降りる。
「準備を始めろ。北沢目当ての客に、本物の芝居をみせてやれ!」
ですよね。そうこなくちゃ。
6
ベッドに横になり、眠る演技をしながら思い返す。
シアターのみんな。
劇団の人たち。
座長さんの厳しい稽古。
お父さん。
家族。
そして、プロデューサーさんと出会った時のこと。
色々なことがあった。
これからもあるだろう。まだ道の途中だ。
どこまで続くかはわからないけど。少なくとも今は止まらない。
私はアイドルを続ける。
演技もだ。欲しいものがある。手を届かせたい場所がある。
アイドルになって、アリーナライブを経験して、
シアターの皆と時を過ごして、
劇の稽古をして、
こうして実際に舞台に立って。
願うことはずっと同じだ。
でも、ディテールが少しずつ変わっていく。
私の力は、私だけのものじゃない。
誰かと関わりあって、影響されて、少しずつ変わっていく。
あぁ、そうか。
律子さんや春香さんが言っていたのは、つまりこういうことだったんだ。
その中心にはプロデューサーさんがいた。
衛星みたいにぐるぐる回る私達を重力で繋ぎ止めていた。
彼がいなかったら、私は今、ここにはいない。
光を感じた。
舞台にライトが当たっている。
この劇に緞帳はない。
ずっとビデオカメラで撮られている女の子の話なんだから、当たり前だ。
でも、やっぱり劇が始まるときには、適した表現がある。
幕が上がる。
小道具のスマートフォンが震えた。
アラームが鳴っている。
散々焦らされて、待ってましたという感じだけど、がっついてはいけない。
さっきまで本当に眠っていたように、動作はゆっくりと。
アラームを止めて、身体だけベッドから起こす。
欠伸をした。逆光で舞台からは客席がみえない。
けれど、ざわめきを感じた。みんな、アラームが自分の携帯電話だと思って、びっくりしたかな。
もっとびっくりするかも。
お母さん、卒倒しちゃうかな。
立ち上がり、ゆっくりと歩きながら、パジャマを脱ぎ捨てた。
下着姿のままハンガーの所まで移動して、制服に着替える。
シホはビデオカメラに撮られていることに気づいていない。
けれど私は、今まさに皆に見られていることを知っている。
その矛盾を埋めて、芝居で繋ぎ合わせていく。
着替え終わった後、舞台の中央に置かれた椅子に座る。髪を触った。
目の前には透明の鏡がある。
その向こうに見ている人達がいる。
前の席。シアターの皆がいた。お母さんもいる。弟もだ。
客席は全部、埋まっていた。沢山の人が私を見ている。
震えそうになった。
けれど、今までの稽古がそんなことを許さない。
舞台袖に、プロデューサーさんはいるだろうか。
いるはずだ。
見ていてくださいね。
私を。私の夢を。
○
シホ 今朝、お父さんを見た気がする。
母親 ……他人のそら似よ。死んだ人は生き返らないわ。
シホ 知ってるけど。でも、いたんだよ。
じゃあ、そもそも死んでないってことにはならない?
母親 ……お父さんに会いたいの?
私は首を振る。
否定も、肯定も、全部含めて。
シホ 分からない。お母さんは、どうなの?
母親 ……会いたくないわ。私達は、捨てられたのだから。
○
親友 神様はみつかった?
シホ 月にいるから無理だよ。望遠鏡を買わないと。
親友 はは、なるほど。じゃあ、お金を貯めないと。
シホ お小遣いを増やしてもらわなきゃ。
親友 プレゼントしてくれればいいのにね。
シホ 本当に欲しいものがあげられるか、わからないんだよ。
親友 ゴミを押し付けられる?
シホ いつだって親は子どものことなんか分からないんだから。
欲しいものは自分で手に入れないと。
親友 大人になって、仕事をすればいいね。
シホ 大人には、なりたくないな。
親友 やりたいことはないの?
シホ 夢?
親友 そう。夢。
シホ ……笑わない?
親友 私があんたの冗談で笑ったことある?
シホ それ、褒めてないよ。
親友 最初から褒める気がないから。お笑い方面はやめておきなさい。
シホ 結構、自信、あるんだけどな。
私は立ち上がる。くるりと身体を反転させる。スカートが揺れる。
シホ 私、アイドルになりたい。
○
先生 シホさん、進路調査票のことなのだけど……。
シホ はい、どうかしましたか。
先生 えぇ、どうかしています。この、アイドルというのは……。
シホ ご存じないですか?
先生 そういう話をしているのではありません。
ここは進学したい高校を書く欄です。
シホ 高校には行きません。
先生 ……では、どこに行くのですか。
シホ この島の外へ。やっぱり、東京ですかね。
先生は東京、行ったことがありますか?
先生 ……いい所ではありません。あなたが想像しているよりは、汚い場所よ。
シホ 汚い?
先生 人の感情が渦巻いているから。
シホ そうなんですか。それは沢山人が住んでいるから?
先生 えぇ、そうよ。悪い人も沢山いる。
シホ 不思議ですね。
先生 何が不思議なのですか?
シホ この島にも人は沢山いる。そりゃあ東京って程じゃないですけど。
……ねぇ、先生。この島は、汚くないんですか?
○
母親 ……先生に呼び出されたわよ。あなた、進路で……。
シホ ふざけてないよ。
母親 許しませんからね。
シホ 外の世界は怖いから?
母親 そう。なんだ、分かってるじゃない。
雑誌を捲る。
煌びやかな世界。春香さんの笑顔。
こんなに素敵な笑顔がある場所なのに、何で皆、怖いなんて言うのだろう。
不思議だ。
でも、私もそうだった。
こんな楽しい場所に来ることが出来たのに。
つまらなそうにして、ずっと隅に座っていた。
だから今の私なら、シホの気持ちが分かる。
シホ お小遣い、増やしてほしいな。
母親 何を買うの?
シホ 望遠鏡と、船かな。その二つで東京を目指す。
母親 馬鹿おっしゃい。
○
シホ ねぇ、これ、何だと思う?
親友 ……カメラ、かな。
シホ 制服のボタンについていたのよ。
親友 誰かがつけたのね。どういうつもりかしら。
シホ 私の制服じゃない。あなたのよ。
親友 ……悪戯かしら。怖いわね。あなたのことを撮っていたのかも。
シホ 着替えの時も?
親友 ストーカーかしら。シホはかわいいから。
シホ やめて。
親友 怖いの?
シホ 当たり前でしょう。
親友 でも、外に出たら、知らない人ばかりよ。
アイドルになったら、色々な人にみられる。こういうの、きっと日常茶飯事よ……。
シホ ……。
親友 泣かないで。
シホ 泣いてない。
親友 警察にいきましょう。調べてもらわなくちゃ。
シホ 大丈夫。一人でいけるから。
○
母親 シホ、気づき始めてるんじゃないかしら。
父親 大丈夫だよ。万全を期してる。
母親 だって、あなたを見かけたって。
父親 あれは伝達の不手際だったんだ。図書館で勉強していくって話だったのに。
母親 じゃあ、見つかったのは事実なの?
父親 僕は取材を受けていた。死んだ父親がそんな風になるかい?
母親 だからおかしいって思ってるんでしょ。進路だって、おかしなことを書いて……。
父親 アイドル?
母親 えぇ。
父親 馬鹿な話だよ。
母親 どういうこと?
父親 だって、彼女はもうアイドルじゃないか。
日本中がシホを知っている。これ以上、どうやって有名になるんだ?
○
旅に出なければいけない。目指すのは島の外。東京だ。東への旅だ。
お金は全然ない。外にいく手段は不思議とうまくいかない。
バスも船も電車も私が乗ると止まってしまう、
でも、行かなければいけない。
絶対にありえない日を選ぼう。風の強い日がいい。
日本列島を台風が襲っている。窓の外はどしゃぶりだ。
海はどうなっているんだろう。真っ暗だろうな。
でも、こんな日じゃなきゃ、私は外に出ることは出来ない。
嵐でもいい。船を盗もう。
私の道は、私が決める。神様じゃない。
○
父親 もっと風を強くしろ。波も高く。
AD これ以上強くしては、命の危険が……!
父親 やれ。ドラマにしろ。
AD 死にますよ!?
父親 引き返す筈だ。風が弱ければいけると思い込んでしまう。
AD ……出来ません。
父親 辿り着かれては困る。世界に果てがあると知ったら、番組は成り立たない。
AD ……娘を、殺すんですか!?
父親 ……どけ。必要な演出だ。
AD ……会いたい。
父親 ……何を言っている?
AD 彼女は、会いたいんじゃありませんか。消えた父親に。
父親 何を馬鹿なことを。
AD カメラを写してくれ! 一番近い映像を! 音を拾え!
父親 勝手なことをするな。
AD 聞こえるだろう! 娘の声が!
父親 風の音だ。父親の名前を、呼ぶわけがない!
——私は、呼ぶと思うな。
シホ ……さん、……お父さん……。
○
暗転。風と海の音は凪ぎになる。
舞台の転換が素早く行われる。
船は世界の果てに辿り着く。
巨大なセットの端へ。
舞台に明かりが戻った。
下手から中央にかけて立て掛けられるのは、壁だ。
世界を囲う、壁。
青い絵の具で空と海、白い絵の具で雲が描かれている。
確かめるように壁に触れる。世界の果て。
シホは、今まで起きていたことを理解する。
世界は作り物だった。
漠然と感じていた不安の正体はこれだ。
壁に触れながら、ゆっくりと歩く。
階段を見つけた。一段ずつ、踏みしめて登る。
その先には扉があった。
ここではないどこかへ続く、青い扉。
手を触れ、すぐに離す。
そこで声がする。
「シホ」
名前を呼ぶ声。
振り返る。
上手から壁沿いを伝い、歩いてくる影。
座長さん——いや、父親、クリストフだ。
「あなたは、誰?」
階段の上から彼に話しかける。
警戒を緩めず。シホはもう誰も信じられない。
今までの人生は全て作り物だった。誰かに操られていたと知ったから。
「君はもう分かっているはずだ。僕が何者かについて」
「神様。月から降りてきたのね」
「そうだ。望遠鏡はいらなかったね」
「近づかないで。……あなたが私の人生を操っていたの?」
「あぁ、そうだ」
「そんな権利はない。私の人生は私が決める」
「一人でなんて生きていけない。誰かは誰かに関わっている」
「きれいな言葉を使わないで!」
私は扉に手を掛ける。押せば、扉は開く。
「むりだ」
「外の世界は、怖いから?」
「そうだ」
「私、アイドルになりたいの」
「思春期特有の思考だ。現実的じゃあない」
「でも私、みんなに見られているんでしょ?」
「……わかっているのか。それなら、何も変わらない。君はもうアイドルなんだ」
「この区切られた世界の中にいれば、私はアイドルでいられる」
「そうだ。外に出なくてもいい。俺が導く。演じろ、シホ。皆が望む君を」
私達は何かを演じている。
弟思いのお姉ちゃん。
劇団の人や、シアターの仲間達へ見せる顔。
プロデューサーさんにはどんな表情をしてるのかな。
全部、違うはずだ。
仮面の裏に顔がある?
それも違う気がする。
私達は日常的に演じている。
なら、そのどれもが本当だ。
それを選ぶ意思こそが私達自身だ。
じっと彼を見る。
さっきまで二人で演技をしていた時のことを思い出した。
楽しかったな。
今も楽しい。
沢山の人がみている。
何かを伝えられたらいい。
ばらばらだったピースが組み合わさっていく。
お母さんの言葉を思い出す。
お父さんは俳優をしていた。
週刊誌の人が探したけど、俳優には該当する人はいなかった。
——あぁ、そうか。
今も、俳優をしているとは限らない。
「お父さん」
呼ぶ。
見ていてくれたんだね。
こんなに近くで。
私の演技、どうかな。
あなたの望むものが作れている?
後で、教えてね。
喋りたいこと、多分、今なら分かるから。
お母さんに張り飛ばされても、私は黙っているけどね。
私は振り返る。客席を端から端まで眺めた。
ビデオカメラの向こう側をみる。私を、シホを見ていた人達へ。
「また、外の世界で逢えたらいいね」
私は控えめに手を振った。
「ばいばい」
青い扉を開ける。外の世界は、真っ暗闇だ。道なんてみえない。
でも、大丈夫。
私は一歩、力強く踏み出す。歩いていく。
○
セットの裏から舞台袖に捌ける。
プロデューサーさんがぼろぼろに泣いていた。
思わず笑ってしまう。一気に現実に引き戻されて、余韻が冷めた。
「……あの、もうちょっと、落ち着いて。
あー、もう、スーツの袖が……ハンカチ、持ってないんですか」
涙を拭いながら、預けていた猫のぬいぐるみを渡される。
鼻水とか、垂れてないよね。大丈夫かな。
「……ガーデンコール、行ってごい」
気づけば、拍手が鳴っていた。止まらない。ずっと音がしている。
万雷の拍手を受ける側って、こんなに気持ちいいんだ。
「……ちょっと、待ちます。
そんな目に涙が溜まってたら、みえないでしょう?」
壁に背を預ける。
不意に、彼が劇団ステラのオーディションを持ってきた時を思い出す。
「劇団ステラの劇を私に勧めてくれた理由、一つ聞いてなかったですね。
もしかしてプロデューサーさん、気づいてたんですか?」
「……いや、あの時は気づいていたわけじゃないんだ。もっと後だよ」
プロデューサーさんは、私が気づいたことに感づいている。
「『トゥルーマン・ショー』以外に何があったんですか?」
「その時は偶然で面白いなって思っただけなんだ。
でも、意味はあった。劇団ステラ、これ、どういう意味だと思う?」
「ステラ……英語ですか?」
意味はわからない。プロデューサーさんは首を振った。
「百合子に教えてもらったんだ。ステラはラテン語で、星って言うんだよ」
星……ほし。もしかして。
「逆から読むと、しほ?」
「正解」
——馬鹿じゃないのか。
そんな理由でオーディションを薦めてくるこの人も。
そんな名前を、大事な劇団につけるお父さんも。
「きっと、空からずっと見てる、そんなイメージが込められてたんだよ」
「百歩譲って、お父さんがその名前をつけたのは理由があったとしておきます。
でも、プロデューサーさん、逆から読むと志保だからオーディションを薦めるって、それはないでしょう……」
「そっちの理由はおまけ! だからあの時もいわなかったんだって」
「どうだか。プロデューサーさんが親父ギャグ好きだなんて幻滅しました。
そういう年の取り方はよくないですよ」
プロデューサーさんは真剣に怒られていると思ったのか、ごめん、と顔を伏せた。
私はその様子がおかしくて、笑ってしまう。
拍手はまだやまない。いや、それどころかどんどん大きくなっていく。
そろそろ行こうか。
くだらない理由だったけど……まぁ、よくよく考えると、悪くない気もするし。
「なんだ。満更じゃないって顔、してるじゃないか」
「してません!」
私は自分の袖でプロデューサーさんの顔を拭った。
そうして、手を引く。温かな手を。
「お、おい、何するんだよ」
「カーテンコールですよ。プロデューサーさんが出てもいいでしょう」
「いや、板の上は演者さんだけが……」
「関わった人なんですから。いいんですよ」
私はプロデューサーさんの手を引いて、舞台にいく。
拍手がより一層、大きくなった。本当、割れんばかりだ。
前の席、シアターのみんなも目一杯拍手をしてくれる。
奈緒さん寝てるんじゃないかなって心配してたけど、可奈にティッシュを貰っていた。
鼻をかむ音が響いて、笑い声が起こる。
私は手を振りながら、舞台の中央へ。プロデューサーさんが何度もぺこぺこお辞儀をしているのが笑える。
他の演者さんたちもやってきた。
みんなで手を振ったりお辞儀をして、拍手に応える。
私の隣に、お父さんが立った。少し照れくさそうに手を振っている。
その先はお母さんがいた。ハンカチで目を拭っている。
化粧、落ちちゃわないかなって心配になる。
「俺はお前に、演技の道は選んでほしくなかった」
お父さんがぽつりと呟く。
「つらいことがたくさんあるから?」
「……でも、お前は選んだんだな」
「うん。だって、お父さんの子どもだもん」
交わした言葉は少ないけれど。沢山のことを私達は交換した。
許す、許さないの問題じゃないと思う。
お母さんだって一言二言、いや、それじゃすまないか。
とにかく言いたいことは沢山あるだろう。私もまだまだある。
「……俺を恨んでいるか?」
「さぁ?」
「さぁ、って……母さんの怒りも深そうだな」
「ここで語るのは無理だよ。だから……もう逃げないで」
お父さんの手を握る。ごつごつした大人の手。
プロデューサーさんよりもシワが深い。
私はプロデューサーさんから返してもらった猫さんを、その手に握らせる。
「やっと、会えた」
今はこれが精一杯。この先は、また埋めていこう。
稽古みたいに少しずつでいいから。
奈緒さんと可奈が立ち上がり、手が腫れちゃうんじゃないかって勢いで拍手をする。
シアターのみんなも、続いた。みんなには意味がわかったのかもしれない。
周りの人達も立ち上がる。拍手は波になっていく。音がみえるみたいだった。
「……志保はいい仲間を持ったんだな」
「えぇ。自慢の仲間です」
プロデューサーさんが答える。仲間、か。
まぁ、そうですね。そういうことに、しておきましょうか。
間違っては、いませんからね。
私達は手を振って、舞台をあとにする。
名残惜しいけれど、幕は下りるものだ。
けれどそれで何もかもが終わるわけじゃない。
青い壁の向こうへ、私は自由に歩いていける。
そこでみんなと出会うことが出来る。
だから、また出会うその時まで。
それじゃ、ばいばい。
トゥルーマン・ショーに祝福を/了
乙でした、力作読めて満足です
>>2
北沢志保(14)
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