椎名法子「トキコ」 (145)



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イラスト・にしむらくん





  本当はね、アイドルになる前に会ってるんだ。





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 授業で職業体験があったの。

 社会学習ってことで、一日だけ外のお店で働くんだ。

 配られたプリントには協力してくれる色んなお店がのってて、行きたい所に印をつけて提出するようになってた。

 そこにはドーナツ屋さんもあって、当然あたしはそこに丸をつけたの。


「やっぱり? 法子ちゃんだもんねー」


 なんて、友達からは言われちゃった。

 希望は通って、あたしはその日ドーナツ屋さんで働くことができた。

 店員さんのアシスタントをやったんだけど、大変だった。

 ドーナツ屋さんのことは全部知ってるつもりだったけど、働いてみると全然違った。

 カウンターを挟んだだけで、別世界のお店に来たみたい。

 混んだり、注文された量が多いと焦っちゃって。

 慌てて掴んだドーナツを落として売り物にならなくなったりしてさ。

 あの時のハロウィンドーナツが、今でもあたしを睨んでくるよ……

 でも段々慣れてきて、落とすこともなくなって。


 そんな時にね、その人はやってきたんだ。






 丁度あたしがついていた店員さんが、店長さんと相談してた。

 レジはあたしのところだけ空いていて、だからあたしのところに来たんだと思う。

 赤みがかかった綺麗な髪を長い髪を揺らしながら、かつかつとハイヒールが音を立てて。サングラスを取って、レジの上にあるメニューに眉間にしわを寄せながら目を向けてた。

 きっと普段はあんまり使わないんだな、ってあたしは思った。

 「どんなものを買おう?」じゃなくて、「どんなものがあるの?」って感じだったから。


「注文、いいかしら?」


 そう言ってから、その人はあたしを初めて見たんだ。透き通るような琥珀色の瞳がちょっとすぼまった。


「貴方、アルバイト? 働いていい年齢には見えないけど」


 学校の実習なんです! ってあたしは答えた。

 その人は、小さく頷きながらあたしに、穏やかに笑んでくれた。


「そう、頑張りなさい」


 社交辞令だったんだと思うけど、あたしの心にはその笑顔が凄く印象に残ってた。






 え、だからって?


 だからね……あたしがあのとき声をかけたのは、ただの気まぐれじゃないんだって。




 そう思うんだ。






 嬉しくって、駆け足で。


 あたしはフレンチクルーラーに挟まれたホイップクリームに負けないくらいの白い息を吐きながら、事務所に向かってた。

 胸には甘いドーナツがたくさん入った紙の箱を抱えながら。

 最近ね、事務所の近くに有名なドーナツ屋さんができたんだ。

 本当に人気で、開店日なんか一時間の行列だったって。あたしも並びたかったけど、お仕事の都合で行けなかった。

 それからもタイミングとか合わなくて買いに行けなかったんだけど。

 今日はね、ちょっと早起きしてね。

 それで、レッスンがちょっと遅い時間からだったの。

 朝食のパンを食べながら壁にかかってる丸時計を見たら、それがこのお店のドーナツになっちゃった。

 だからいつもよりちょっと早く家を出て、開店前のお店に行った。できてからだいぶ経つから、一時間の行列にはならなかったけど、それでも三人あたしより先に来てる人がいたんだ。びっくりだよね。

 ともかくそれで開店して、あたしはできたてのドーナツを買った。

 今日は、ゆかりちゃんと有香ちゃんの『ゆかゆか』の二人と一緒。

 レッスン終わりにこの甘いドーナツ、一緒に食べれるって思うと嬉しくて。

 急がなくていいのに、あたしの歩みはちょっと早足。それから駆け足。




 事務所に行く途中に、公園を通った。

 その場所からは、公園を通った方が近道なの。

 その日は十一月なのに、鼻につんとくるくらい冷えた日で。

 だけど空は雲ひとつない青空だった。

 都心にある公園だったけど、緑がたくさんある広い公園だった。

 遊歩道は、途中で林に入り込むんだ。

 紅葉した木々の合間を縫うように曲がりくねった道を、あたしは小走りで進んでいった。

 吸う息は肺に冷たく心地よく入って、はあはあと吐き出す息は水面の足跡みたいにあたしの後ろにできては広がって消えていった。

 おい茂る枝木に遮られて日の光は歩道に殆ど届かなかった。たまに木漏れ日が地面に光を落とす程度。


 だけどね。

 林の道の途中で、一か所だけ開けて日がたくさん当たる場所があったの。

 真っ白に煌いてるそこには、道の端に木製のベンチが一つ置いてあって。

 そこに、その人は座ってたんだ。



 財前時子さん。






 日をたくさん浴びながら、すらりと伸びた綺麗な足を組んで本に目を落としてた。

 綺麗な赤みがかった髪は、日の光でルビーみたいに輝いてた。

 本を読む顔は、つまらなそうにも真剣そうにも見えた。もしかしたら両方なのかも。

 あたしは足が止めて、木陰の中からその光景に目を奪われた。

 時子さんのことはもう知ってた。あたしがアイドルにスカウトされてから、少し後に事務所に入ったことも。

 でも仕事やレッスンで一緒になることはなかった。

 あたしにとって、彼女はあくまでポスターのなかで輝くアイドル……つまり、ライバルの一人だった。

 でも事務所は同じ。ちょっと悩んでから、あたしは木陰から彼女の元に歩いていった。


「時子さん……だよね?」


 彼女は不愉快そうに顔をしかめながらあたしを見上げて、それから目を細めた。

 あの時と一緒の、奇麗な琥珀色。


「貴方……ファンって訳じゃなさそうね。今は公私を分けたいと言いたいところだけど、ファンじゃないならそうもいかないわ」

「あたし、椎名法子。同じ事務所なんだけど……知ってるかな?」

「だからファンじゃないと思ったのよ」


 どうやら時子さんも、あたしのことは知っていたようだ。



 時子さんはぱたんと本を閉じる。


「財前時子よ。よろしく」

「よろしくね時子さん」


 それで会話は終了ってばかりに、時子さんは本を開いた。

 あたしとしてはもう少しお話がしたいんだけど、有無を言わせない感じ。

 呆気にとられちゃって立ちつくしてると、時子さんはあたしを見上げた。

 ちょっと面倒そうな表情で。


「なに、まだなにか用? ないならとっととどっかに行って頂戴。私がなにをしているかも理解できないのかしら」


 結構辛辣。

 そこらへんは、ポスターとかで見るキャラと一緒みたい。

 鞭持って、ちょっと怖い笑みを浮かべてるの。

 ああいうのが好きな人もいるって有香ちゃんから聞いた時はびっくりしちゃった。


「もしかして、有香ちゃんも好きだったりするの?」

「そ、そんな訳ないじゃないですか?!」


 顔を真っ赤にした有香ちゃん、可愛かったな。

 でもあたしはあんまり気にしないで、持っていた箱を差し出した。


「ドーナツ、食べません?」


 アァア? って顔された。





「ドーナツ、嫌いだった?」

「嫌いじゃないわ。貴方の提案に驚いたのよ」

「なにかおかしかったかな」

「貴方、知らない誰かとドーナツを食べる趣味があるの?」

「そんな趣味はないけど、誰かとドーナツを食べるのは大好きだよ。ドーナツって一人で食べてもおいしいけど、誰かと食べるともっと美味しいから。ドーナツを中心に誰かとわっかになって食べて、幸せのわっかが広がっていくの。
 それってとっても素敵でしょ?」


 えへ、とあたしは笑った。


「だから、よかったら一緒にどうかな」


 ちょっと強引すぎたかな? 時子さんはあたしを見つめたまま逡巡してたみたいだった。

 他人を小馬鹿にするみたいに口端を小さく釣り上げると、ぱたりと本を閉じた。


「ハッ……いい度胸してるわね。いいわ、付き合ってあげる」



 あたしは時子さんの隣に座って、膝の上で箱を開けた。

 色とりどりのドーナツが、透き通った陽光に照らされて宝石みたいにきらきら輝いてた。

 顔を近づけると、小麦粉の指揮に乗せられてチョコやいちご、ホイップクリームの甘い香りが早く食べてってあたしに歌い掛けてくる。


「時子さんどれがいい……あ、たくさんあるけど一個だけだからね。ゆかゆかやプロデューサーの分も残しとかなきゃだから」

「一個で十分よ。そうね……あまり甘くないの、あるかしら」

「じゃあこれかな?」


 あたしは黒いチョコのかかったドーナツを差し出した。ビターチョコドーナツ。プロデューサーかちひろさん用に買ってあった、ちょっと苦めな大人のドーナツだった。

 それから、今度は自分用のハニーディップを取り出すと、パクッて一口。

 思わず顔が綻んじゃう。

 蜂蜜のとろけるような甘さに、レモンの風味がドーナツにしっとり染みてて。


「うー、美味しいー!」


 そのままぱくぱく食べ進んじゃって、半分まで食べたところで時子さんの視線に気がついた。


「どうかした?」

「貴方……豚みたいに素直ね」

「それって褒めてるのかな?」

「やっぱり豚ね」

「それより、まだ食べてないの?」


 時子さんの手には、奇麗なリングを作ったままのドーナツが乗っていた。



 時子さんは、今まで忘れてたみたいにはっとなってドーナツに目を向けた。


「……あなたが豚みたいに食いついてるから、興味深かったのよ」

「ドーナツにもきょーみを持ってよう。おいしいよ?」

「指図しないで頂戴、不愉快だわ」


 そう言ったけど、時子さんはドーナツを口に運んだ。不機嫌で柔らかそうな唇が開いて、黒い円をかじりとった。

 時子さんは特に感情も表わさないで呟いた。


「ふん……悪くないわ」

「でしょ! ここのドーナツって海外の有名なお店が初めて日本にお店を作ったの! でえ、ずっと気になってたけど、今日やっと買いに来たんだ! すっごいもう楽しみだったの!」


 もちろん、日本のだって負けてないけどね。と付けくわえて。


「そんなに楽しみなのを、見ず知らずの人間と分かち合うなんて。貴方変わってるわね」

「見ず知らずなんかじゃないよ」

 口走ってから、なんだか分からないけど、ちょっとだけ後悔した。
 
 時子さんがびっくりしたような顔をしてたからだと思う。


「ほら、同じ事務所だし、お互いポスターとかは見たことはあると思うんだ。なんとなく話も耳に入ってくるし。それってもう、見ず知らずなんかじゃないんじゃない?」



 授業の職業体験のことは黙ってた。それは言わない方がいいように思えて。





 時子さんは、瞳を少し見開いてあたしを見てたけど、それから眼を伏せて、口元に笑みを浮かべた。

 自信ありげで、カッコよくて。とっても似合ってた。


「そうね、同じ事務所だものね」


 あたしはほっとするような、ちょっと残念なような気持ちが浮かんだけど、ともかく笑っておいた。

 この人の前では、笑っていたいと思ったから。

 あたしはハニーディップを食べ終えると、膝の上に箱に目を落とした。

 さあ、次はどれを……って、いやいや。


(これ以上は駄目だって……みんなの分もあるし、それにレッスンだし)


 目の前できらきら輝くドーナツ達に別れを告げ、箱の蓋を閉める。自然と首の力がなくなって俯き気味になってたところで、時子さんの視線に気づいた。

 不思議そうに眉をしかめていたから、あたしは素直に理由を口にした。


「あのね……みんなの分もあるし、ゆかゆかやプロデューサーと一緒に食べる分も残しとかなきゃだし」


「ふうん」ってつまらなそうに呟いた時子さんは、少し間を置いてからあたしに食べかけのドーナツを差し出してきた。


「うえ?」

「私、もういらないわ。後は貴方が処分して頂戴」




「えぇ、ドーナツだよ?」

「うるさいわね。いらないならその辺に投げ捨てるわよ」


 時子さんって、本当にそうしそうな感じがあった。

 だからスナップを利かせて、いまにも宙に放り投げそうな手をあたしは必死に抑えつけた。


「だ、駄目だよー!? それならあたしが貰うって」

「なら……ほら」


 差し出されたドーナツを、あたしは素直に受け取った。


「ありがとう、時子さん」

「……ふん」


 貰ったからには、責任もって食べないとね。ドーナツの為にも。なんて、妙な使命感を感じながらドーナツにかぶりつこうとしたんだけど。


「ねえ、紙ナプキンを頂戴」


 時子さんがうっとうしそうに言ったの。時子さんは人差し指を顔をしかめながら見つめてた。

 白くて綺麗な指先に、茶色い足跡。

 ドーナツの上にかかってたチョコが指に残ったみたい。



 時子さんは不意に、嘲るような笑みを浮かべた。チョコのついた指先をあたしに差し向けてきた。


「それとも、貴方が舐めとってくれる?」

「いいよ」



 ぱく、と白い指にあたしは口をつけた。


 雪のように冷たくなってた指先を口の中で舐める。指が小さく跳ねて歯に当たった。




 ビターなチョコの香り。





 すっと口を抜いて見上げると、時子さんが呆気に取られた表情をしていた。


「……貴方、本当に豚みたいね」

「えっ。時子さんが舐めてって言ったでしょ」

「それに従うから豚なのよ。これなら投げ捨てても良かったわね。拾って食べそうだわ」

「いくらなんでもそれはしないよ」


 むっとなってあたしは口をとがらせる。


「もし投げても、落ちる前に宙でぱくって食べるからね」

「それじゃあ、豚って言うより駄犬ね」


 ふん、と馬鹿にするように時子さんは笑った。けど、なんだか嫌な気持ちはしなかった。とっても自然で様になってたから。


「それより、早く紙ナプキンを頂戴」

「あれ。あたしがチョコを舐めたでしょ」

「だからよ。涎がついて不愉快なの」

「ああ、そっか」


 言われれば当たり前だった。紙ナプキンを渡すと、時子さんはあたしの舐めた指先をゆっくりと拭っていた。

 それを横目に見ながら、あたしは時子さんの食べかけのドーナツにかぶりついた。


 チョコは、思っていたよりも甘く口の中に溶けていった。






 あたし達は二人で事務所に向かった。時子さんもレッスンがあるらしい。

 事務所につくと、受付脇のテラス席に一人のアイドルを見つけた。

 速水奏さんだ。

 青味の強い髪に、真っ白な肌が神秘的なコントラストを生み出してた。

 脇の席にコートをかけて、ピンク色の音楽プレーヤーを机に乗せてイヤホンで音楽を聴いていた。

 小さな文庫本に視線を落としてたけど、あたし達に気がついたみたいで顔をあげた。

 なんだかびっくりしたみたいに目を見開いた。

 時子さんと瞳の色は近いけど、時子さんが深い月光の下のメープルなら、奏さんは太陽に透かしたパッと弾けるハニーって感じ。

 どっちもとても綺麗ってこと。


「おはよう時子さん、法子ちゃん」


 イヤホンを外しながら、奏さんが声をかけてきた。


「おはようございます、奏さん!」




 元気に返事したあたしと違い、時子さんは挨拶は返さないで尋ねた。


「奏も今日はレッスンだったの?」

「いいえ、これからお仕事よ。車を待ってるところ」

「会えるなら借りてた本を持ってくれば良かったわ」

「読み終わったの? どうだった」

「悪くないけど好みじゃないわね。最後が奇を狙いすぎて不愉快だったわ」

「あら、文香には言わないであげてね。彼女のお勧めだったの」

「言う気はないけど、気を使う理由もなくて?」


 二人が話してる姿は、とても似合ってた。大人な雰囲気っていうのかな。

 奏さんとは前に仕事で一緒になったことがある。その時にも思ったけど、とっても大人びてるの。

 高校生になったら、あたしもああなれるのかな? 密かに憧れてたりもした。


 時子さんの鞄から震動音。誰かから電話みたい。時子さんはスマホを取り出した。

 画面を確認した時子さんは、僅かに顔をしかめたようにあたしには見えた。





「すこし失礼するわ」


 時子さんは距離をとって電話に出る、こちらに背を向けてるから、どんな表情をしているか見えなかった。

 あたしはそんな背中から目を離せないでいると。


「ねえ、法子ちゃん」


 奏さんが話しかけてきた。振り返ると、奏さんは本を机の上に置いていた。落ち着いた深い赤のブックカバー。


「時子さんと知り合いだったの」

「知り合ったばかりだけどね」

「へえ……」

「そうだ、奏さんもドーナツ食べる?」

「ありがたいけど、遠慮しておくわ」

「そう? 時子さんもおいしいって言ってくれたよ?」


 口にしてから、時子さんがおいしいと言わなかったような気がしてきた。

 でも、まずいと言わなかったのは、おいしかったってことだよね。

 また時子さんの方を見た。時子さんは人差し指と親指をこすり合わせながら、横目にこちらを見ていた。

 あたしと視線が重なると顔をそむけてしまった。


「あら、時子さんも食べたんだ」

「そうなの。一緒に公園で――」



「分かってるわよ」時子さんの声が、少しだけ大きくなった。

 びっくりするぐらい冷たい声。時子さんの方を見ると、背を向けたままだった。


 声の大きさは元に戻って、もう耳には届かなかった。



 あたしは視線を戻した。奏さんはまだ時子さんの背中を目で追っていた。


「奏さんは、時子さんと仲いいの?」

「あら、どう見える?」

「仲よさそう」

「じゃあそうかも」


 奏さんは微笑んだ。なんだか煙に巻かれた気分。

 そう返されるのはちょっと悔しくて、ちょっと憧れた。

 電話を終えた時子さんが戻ってくる。靴音は、さっきよりテンポが速かった。

 あたしはさっきの声が胸に引っ掛かって、時子さんに尋ねた。


「時子さん、誰からだったの?」

「貴方には関係ないわ」


 突き放すような口ぶりだった。

 確かにそうなんだけど、もっと言い方があるんじゃないかな。

 時子さんは電話の前より少し気が立ってるようだった。




「法子ちゃんに当たるのはよした方がいいんじゃない?」


 含みを持たせるように奏さんが言った。時子さんは奏さんに鋭い視線を投げかけた。


「事実を述べただけよ」

「どうかしら?」

「今日はずいぶん突っかかってくるわね、奏」

「そういう気分なのよ」


 じっと二人が睨みあう。なんだか不穏な空気。もしかして、あたしのせいかな?


「えっと、あたしは別に気にしてないよ? 時子さんも色々事情あるんだろうしさ」

「年下に気を使われちゃってるわよ、時子さん」

「気を使われてるのは貴方もでしょ」

「言われればそうね」


 奏さんは優しく笑むと、視線を時子さんからあたしにむけた。


「ごめんなさいね、法子ちゃん。私たちが迷惑をかけて」


 私たち、というところを特に強調して言った奏さんは、視線をまた時子さんに。

 なにかを促すような視線だった。




「……フン」


 時子さんはその視線から逃げるように背をむけると、建物の中へ歩いていった。


「着替えるなら、あたしも一緒に」


「私、レッスンまでまだ時間があるの。人がいない場所でゆっくりさせてもらうわ。くだらないことに付き合わないで済むようにね」


 言い残して、時子さんは行ってしまった。


「ふふっ」


 奏さんが口元に手を当てながらおかしそうに笑った。ちょっと意地悪で、でも寂しそうだった。


「怒らせちゃったみたいね」

「あたしが余計なことを聞いちゃったから……」

「法子ちゃんのせいじゃないわ。あれはあくまで時子さん自身のせい」


 少しは私のせいだけど、とお茶目に付けくわえた。


「それは彼女も分かってるわ。少なくとも法子ちゃんのせいじゃない。だから、気に病む必要はない」

「でも……」

「法子ちゃんが落ち込んでたら、時子さんだってもっと気にしちゃうわよ。だからいつもらしく、元気にいてちょうだい」


 もう少し奏さんと話したかったけど、あたしのレッスンの時間が迫ってた。公園でのんびりし過ぎたみたい。




 別れ際、奏さんが言った。


「時子さんと仲良くしてあげてね。私が言うのも、変な話だけど」






 ジャージに着替えてトレーニングルームに向かう途中、自販機で飲み物を買った。

 いつもなら家から持ってきてるんだけど、今日は早く出たらから持ってき忘れてた。

 あたしたちの使うトレーニング室に入ると、二人がもうストレッチを始めていた。


「おっはよう!」

「おはようございます、法子ちゃん!」

「おはようございます」


 元気よく返事を返してくれたお下げの可愛い女が有香ちゃん。

 この中では最年長の、カラテが得意で一生懸命な素敵な子なんだ。
 有香ちゃんとは逆で、ストレッチを続けたままのんびり笑んでる長い髪の可愛い子がゆかりちゃん。

 フルートが上手で、ちょっと抜けてるけどマイペースで穏やかな子。


 時子さんや奏さんのことも好きだけど、ゆかりちゃんや有香ちゃんといると……やっぱりほっとする。

 年齢も特技もバラバラだけど、今じゃ一緒にいて誰よりも気楽で、落ち着く二人だった。




「今日はね、来る前にドーナツ買ってきたんだ。レッスンが終わったら、みんなで食べよー!」

「まあ、それは素敵ですね」

「法子ちゃんの買ってくるドーナツはいつもおしいしいですから、楽しみです!」

「チッチッチッ、違うよ有香ちゃん。あたしが買ってくるドーナツが美味しいんじゃなくて、ドーナツがすべて美味しいんだよ!」

「では、中庭のテラスで食べるのはどうでしょうか?」

「それはいいですね」


 笑みを綻ばせている二人には、あたしが先に食べたのは秘密。


「ところで、いつまで前屈してるのゆかりちゃん?」

「あら。法子ちゃんとお話しするのに夢中で、数を数え忘れてました」


 ゆかりちゃんはゆっくりと姿勢を戻した。ちょっと呆れるように有香ちゃんが苦笑する。

 そんな光景に、あたしも頬がゆるむ。

 やっぱり、この二人といると楽しくて、気楽だな。

 あたしも早く準備しなきゃ。レッスンが始まっちゃう。

 時子さんのレッスンが始まるのはいつなのかな。それまで、一人で本を読んでるのかな。

 そういうのは大人っぽくて憧れるけど、寂しくないのかな。

 そんなのことをぼんやり考えながら、あたしもストレッチを開始した。




 今日はダンスのレッスンだった。

 トレーナーさんの手拍子と練習靴が床に擦れて鳴く音が、部屋に静かに力強く響いてた。

 今度のライブ用の踊りの練習。って言っても、あたし達専用曲があるわけじゃないんだけどね。

 みんなで歌う歌の中で、個々のダンスパートがあるから、それの練習。

 小さいチームの何個かに分かれてて、あたし達はこの三人。

 練習になると、一番上手なのは有香ちゃん。

 ゆかりちゃんも練習前ののんびりした雰囲気とは一転、とってもきりっとしてカッコいいの。

 もちろん、あたしだって負けないよ。

 たまにトレーナーさんの厳しい声を浴びながら、ダンスの練習を続けた。

 誰かが泣きじゃくったみたいに床に汗が飛び散って。

 練習が終わり、


「着替え終わったら、事務所で待っているようにとのお達しだ。お前らにプロデューサーから話があるようだ」


 と、トレーナーさんが言った。



 プロデューサーから聞かされたのは、凄い話だった。

 ドーナツ食べ放題じゃないけど、同じくらい嬉しくて、遙かにびっくりしたこと。


「あたしたち三人で、ユニット曲!?」


 ドーナツぐらい目を丸くしたあたしに、プロデューサーは穏やかに頷いた。

 プロデューサーは落ち着いてて、地味だけど芯がある感じ。

 ドーナツでいうと、なにもかかってないシンプルなオールドファッション、みたいな。


「ああ、今度のライブで発表する。三人のユニット、『メロウ・イエロー』としてね」

「メロウ・イエロー……ですか!」

「なんだか、おいしそうな名前ですね」

「あ、あたしも思った」


 あたし達三人の反応に、プロデューサーは苦笑してから話を続けた。


「今日練習をしたライブのダンスパートがあるだろ。実はその個別チームを同時にCDデビューさせるんだ。他も『チアフルボンバーズ』、『French Kiss』、『ファイヤー☆ファイヤー』としてな。発売記念合同ライブも予定してる」


 なんだか頭がくらくらして来た。盆と正月が一緒にやってくるというか、ドーナツとドーナツが一緒にやってくるというか。


 ともかくすっごく嬉しくて。




「やったね、二人とも!」

「本当ですね、この三人で曲を持てるなんて……」


 有香ちゃんは感激しすぎて、今にも泣きそうだ。ゆかりちゃんも穏やかだけど、言葉の奥からは喜びが溢れだしていた。


「本当に、嬉しいです。これはまるで……ドーナツとカラテが一緒にやってきたような。フルートに音色に合わせて……?」


 ゆかりちゃんもあたしと似たようなことを考えてた。


「ただし、その分忙しくなるからな。大変だと思うけど、三人ならやりきれるよ。僕は信じてるよ」


 説明を受けてから、簡単な企画書を配られる。

 胸に抱いた企画書は、朝のドーナツみたいにあたしの心をドキドキさせた。

 扉が開いて、人が入ってくる。

 あっ……と、あたしは言葉を漏らした。

 時子さんだった。






 今まで事務所内ですれ違ったこともなかったのに、今日だけで二回も会うなんて。

 時子さんもあたしに気付くと目を細めた。


「お疲れさま、時子さん」

「……お疲れ」

「もうレッスン終わったの?」

「喉のメンテナンスに、無駄な時間はかける趣味はないの」

「時子さんは優秀だから」


 と、言ったのはプロデューサーだった。


「基本レッスンなら、すぐこなせるからさ。オフでも自己鍛錬を怠らないし」

「様をつけなさいと言ってるでしょこの豚」

「いや、それはちょっと……プロデューサーとしてのどうかな」


 困ったように頭を撫でていたプロデューサーだけど、嫌がってるようには見えなかった。心なしか普段より顔も緩んでる。


(もしかして)


 なんて考えが頭に浮かんだ。





「そういえばね、時子さん。あたし達でCDを出すんだ」

「その三人で?」

「うん。だよね!」


 同意を求めるように振り返ると、二人は小さく口をあけていた。

 我に返った有香ちゃんが頷く。


「あ……はい、そうなんです。押忍!」

「ふん。せいぜい恥を晒さないように頑張りなさい」


 素気なく言ってから、時子さんはプロデューサーに言葉を投げた。


「話ってなんなの」

「今度のイベントの――」


「それとね、時子さん」


 あたしの声に、時子さんが振り返った。あたしは一歩前にでる。

 自分の言葉が、少しでもしっかりと届くように。


「さっきは、ごめんなさい」

「……いいわよ。気にしてないわ」

「そうかもだけど、やっぱり謝っとかなきゃって思って」


 せっかくこうして会えたのだ。なら、自分から謝った方がいいと思って。

 僅かな沈黙のあと、時子さんは息をついた。


「まったく。貴方には調子を狂わされるわ。言ったでしょ、気にしてないって。分かったんなら早くいきなさい」


 子犬を追い払うように手を払った時子さんに、あたしは笑顔で手を振り返した。

 部屋を出る前に、チラッと目を向ける。



 その時も、時子さんと一瞬、視線が重なったように思えた。 






 あれからライブがあって、メロウ・イエローのCD発売と合同ミニライブも発表された。

 それからは慌ただしさが前よりも増していった。

 必死にレッスンして。忙しかったけど、ゆかゆかとならどこまでも行けるように思ってた。



 そう。思ってただけだった。



 その日は、歌と踊りを合わせたライブ形式の練習を行っていた。

 自慢じゃないけど、我ながらよくできていたと思う。

 練習にはプロデューサーさんも見学に来ていて、なにかトレーナーさんと話をしていた。

 練習終わり、あたしは買って来ていたドーナツをゆかゆかの二人と食べていた。
 
 時子さんと会った日に買った、あのドーナツを。

 あれから、よくあのお店のドーナツを買うようになってた。事務所に行く時には公園を通って。

 でも、時子さんがベンチに座っている姿を見ることはなかった。

 事務所の中でも、あの日以来また会わなくなってしまった。

 気にはなってるけど、あたしもミニライブとかの練習で忙しくって。

 そもそも、連絡先も知らないし。


(あっ)


 と、あたしは思いつく。


 プロデューサーなら教えくれるかな。






 なんで今までその案が浮かばなかったんだろう。

 もしかしたら、心のどこかで遠慮してたのかもしれない。

 ドーナツも今日は買い過ぎてた。セールという言葉は恐ろしい。渡すついでに聞くだけ聞いてみよう。

 ゆかゆかと別れた後、あたしは余ったドーナツを持ってプロデューサーの部屋に向かった。

 日は傾き始め、廊下はオレンジ色に輝き陰影がくっきり浮かんでいた。

 部屋に入ろうとしたけど、誰かとの話し声が聞こえてきた


(この声は……トレーナーさん?)


 ドーナツ、トレーナーさんの分もあるかな。なんて思いながら扉を開けようとして。


「……メロウ・イエローのことだが」


 あたしの手が止まる。
 どうも、先ほどのレッスンの件で話をしてるようだ。
 思わず廊下で聞き耳を立てる。


(駄目だと分かっているけど……気になるよね)


 ちりちりとした罪悪感も、好奇心にはかなわなかった。


「センターは法子にしたほうがいいんじゃないか」


 あたしはびっくりした。今のセンターは有香ちゃんだ。でもあたしがセンターのほうがいい。

 それって褒められてるってことだよね。

 舞上がった気持ちは、続いた言葉で簡単に突き落された。




「法子を、あの二人と組ますのは早過ぎたんだ」



 体が金縛りみたいに固まって、心がぎゅっとなって……理解は後からやってきた。

 聞きたいわけじゃないのに、トレーナーさんの声を鼓膜が鋭くとらえていく。


「有香とゆかりに釣り合ってないんだ。今の立ち位置じゃバランスがやっぱり悪い。私は忠告したはずだぞ」


「しかしね……」プロデューサーさんの困ったような声が聞こえた。


「あの三人なら仲もいいし、息もぴったしだし。いけると思ったんだけど……」


 言葉を濁した。思ったんだけど……なんなの?

 あたしは、気がつけば扉を開けて部屋に飛び込んでいた。驚いた二人の顔が見える。


「ねえプロデューサー、早過ぎたってどういうことなの?」

「法子、まさか立ち聞きを――」

「まあまあ」


 動揺を隠すみたいに叱ろうとしたトレーナーさんを、プロデューサーが静止する。トレーナーさんはまだなにか言いたげだったけど、口をつぐんで肩から力を抜いた。

 プロデューサーが穏やかな笑みを浮かべる。あたしの顔。それから手元に。


「そうか、ドーナツを持ってきてくれたんだな……」


「ねえ、プロデューサー」自分でもびっくりした。今にも泣きそうな声が出てから。


「早過ぎたって、どういうこと。あたしはまだまだデビューでは早いってこと?」

「違う、そうじゃない」

「足りないなら、練習だってたくさんやるから。だから――」

「法子、落ち着いて」


 机に詰め寄っていたあたしを、プロデューサーは必死に宥めようとしてた。




「法子は頑張ってる、練習もしっかりしてるし……ただ」

「だた……なにかな」



「有香やゆかりと、うまく釣りあえてないんだよ」



 冷たく頬を叩かれたように心が痛くなった。プロデューサーは慌てて弁解する。


「いいか、法子は魅力的だ。それは間違いない。じゃなきゃアイドルになんかスカウトしてないし、ここまでは来れないよ。ただそう……バランスの問題なんだ」

「あたしがゆかゆかと比べて……下手くそってこと?」

「うまい下手じゃない。経験の差って言えばいいのかな。ゆかりも有香も人前に立つことに慣れてる。ゆかりはフルートの演者として舞台に立ってきたし、有香も空手がある。試合だけじゃなくて、演武もやってたし……そういう経験の差が出てるんだよ」


「もちろん」と、プロデューサーは続けた。

「今の法子が悪いわけじゃない。法子には法子の魅力がある。ただ並んで歌を歌うとなると、法子と他の二人の魅力の方向性がちょっとずれるんだ」


 言っていることは、分かるような分からないような。

 時子さんや奏さんみたいにカッコいい人と、ゆかりちゃんと有香ちゃんみたいに可愛い人。

 どっちも素敵だけど、同じ素敵じゃない。


(でも……)


 あたしとゆかりちゃんや有香ちゃんとの差が、いまいちぴんと来なかった。

 ぴんと来ないのは、あたしと二人とゆかゆかとはそこまで差がないからじゃないか。

 だからこそ、埋めることはできると思った。



「だから、それが少し気になるって話なんだ」

「なら心配しないで。立ち位置はそのままで大丈夫だから」


 そうあたしは胸を張った。


「もっと一生懸命練習して、頑張って二人に追いつくよ!」


 プロデューサーさんは、いつもみたいに優しく微笑んだ。

 その笑顔は、いつもより力なくも見えた。




 それから、あたしは今まで以上に頑張って練習に打ち込んだ。

 家でも振付を練習して、うるさいってママに怒られたりもした。

 レッスンにも多く入って頑張って。

 ある練習のとき、動画を撮ってもらった。自分たちを客観的にチェックできるように。



(あっ……)


 それを家で観て、あたしはプロデューサーの言っていたことを理解できた。

 画面に映っていたあたしは、頑張って踊ってて、自慢じゃないけどちゃんとできてて。



 ゆかゆかと比べて、なにが足りなかった。






 いつしか、メロウ・イエローはあたしにとって『食べられないドーナツ』みたいになった。

 確かにそこにあって、手を伸ばして口に入れて飲みこんで。

 でも、食べた感覚が全然ない。どんな味かも分からない。


 何度も食べようと食べようとするけど、飲みこんだ瞬間、雲のように消えてしまう。

 一生懸命やって、ゆかゆかたちとも努力をしてるはずなのに。

 あたしには、なにかが足りないらしい。

 ドーナツの真ん中みたいにぽっかり空いた穴。ドーナツの穴は素敵だけど、あたしの穴はちょっと厄介だ。

 こればかりは、ドーナツを食べても満たされず。満たされるのは胃の中ばかりだった。

 あたしは少し焦ってて、その焦りは有香ちゃんやゆかりちゃんにも気付かれているのも分かって。

 大丈夫? って心配されて、あたしは取り繕って笑顔を浮かべて、

 大丈夫! って元気に返して。

 そんな嘘は、きっと二人に通用なんかしてなくて。

 だからなおさら、あたしは焦ってた。


 その日も、あたしは自主レッスンを一人でやっていた。

 空いていたレッスンルームで鏡の前、何度も何度も踊って振付を確かめた。


 上手にはなってるけど、上手になってるだけ。



「はあ……」

 あたしは飲み物を手に腰をおろして、膝を立てたまま仰向けになった。

 冷たい床の感触が、体の火照りをじわじわと奪っていく。

 学校から直接事務所にやってきて、ずっとレッスンをして、疲れてた。

 気づけばあたしは眼をつぶって、呼吸する感覚があたしの意識を遠ざけていっていた。


「休憩中かしら?」


 びっくりして飛び起きる。開いたドアから奏さんが顔を覗きこませていた。

 奏さんは学生服を身に着けていた。赤いチェックのマフラーがとっても似合ってた。

 手には鞄を提げている。


「奏さんは今、事務所に来たの?」

「まさか。帰るところよ」


 壁にかかっている時計を見ると、確かにいい時間だった。

 奏さんは茶色いローファーを脱ぐとレッスンルームに入ってきた。柔らかな曲線を描いていた足を黒いソックスが飾り付けられていた。


「今度のミニライブの練習かしら?」

「うん」

「他の二人は?」

「今日はあたしの自主レッスン。本当は休みなんだ」

「休みも仕事の一部よ。根を詰め過ぎちゃだめなんだから」

「有香ちゃんにも言われたけど、大丈夫。あたしは元気が取り柄だから。奏さんは順調?」

「ええ、フレちゃんと二人のユニットも、なかなか刺激的よ」


 奏さんもFrench KissとしてCDを出すことになっていた。だから奏さんも、仲間でライバル。




「今日は別の仕事だったけどね。法子ちゃんの方もどう?」

「うーん、どうだろ?」


 歯切れの悪い答えに、奏さんは目を丸くしていた。それからなにか察したように優しく微笑んだ。


「なにか悩みがあるみたいね?」

「うん……まあそんな感じかな」


「それなら……」と、焦らすような間を空けてから、奏さんはにっこり笑った。


「お姉さんが、相談に乗ってあげるわよ」




 
 奏さんに案内されたのは、事務所近くのコーヒー屋さんだった。いつもは入らないようなお店で、落ち着いた装飾の店内はなんだか落ち着かなかった。先に席に座って、奏さんが飲み物の頼みに行ってくれた。


「ここはお姉さんが奢ってあげるわ」


 なんて、ちょっと楽しそうにいいながら。

 奏さんはコーヒー、あたしにはココアだった。

 カウンター脇のケースにはドーナツも並んでいたけど……奢ってもらったのに、そこまで言うのは図々しいよね。


「ところで、最近は時子さんと会ってる?」



 いつも飲むのより少し苦いココアを口にしてると、奏さんが聞いてきた。

 あたしはふるふると首を振った。


「うんうん、あの日から全然会ってない。奏さんは?」

「私もそんなに会ってないわ。最近は事務所にもあまり来てないようだし」

「時子さん、事務所に来てないの?」

「仕事も減らしてるそうよ」

「時子さん、なんで仕事を減らしてるの……まさか」


 嫌な予感がした。減らしているということは、まさかアイドルを辞めようとしているのだろうか。


「減らさせているのは時子さんじゃなくて、ご両親の方よ」

「時子さんの?」

「ああ見えて親の監視が厳しいから」


 ちょっと意外だった。時子さんはもうお酒を飲める年なのに。でも、時子さんのご両親ってお金持ちと聞いていた。

 そういう家だから、色々厳しいのかもしれない。


「時子さん、けっこう過激な服とかも着てるもんね。それが心配なのかな」

「それは違うと思うわ。アイドルになる時点で、ある程度の覚悟はしていただろうし」

「じゃあどうして?」


 奏さんは目を細めながら、考え事をするように口に手を添えていた。

 白い指が、唇をゆっくりなぞっていた。


「多分……私のせい……」



「どういうこと?」


「それは……」我に返ったように顔をあげた奏さんは、小さく苦笑した。


「私ったら、本人がいないところで話過ぎたわね」


 そう言って、コーヒーを口にした。


「時子さんのことより、今は貴方の相談を聞かなきゃ。なにがあったの?」


 時子さんの話が気になっていたけど、本題に入ることにした。

 聞き終わると、奏さんは小さく顎を引く。


「それはそうよね。法子ちゃん、まだ十三歳だったわよね?」


「うん」と首肯する。

「なのに経験がどうなんてプロデューサーも無茶を言うわ。あたしがそのくらいの頃は、今の法子ちゃんより全然子供だったもの」

「奏さんが?」

「当り前でしょ? あの頃はなんでも知ったふうで、いま思えばなにも知らなかった」


 遠くを見るように目を細めながら、懐かしそうに微笑んだ。


「それに比べたら……法子ちゃんなんて遙かに大人よ」


 そう言われて照れくさくなったけど、そんな気分もすぐに引いていった。




「でも、三人で踊ってる動画を見たけど……やっぱりあたしだけ二人とはなにか違うんだ」


 奏さんはコーヒーを飲みながら、視線を泳がせていた。


「これは思ったより、悩みが深そうね」

「どうすれば、いいのかな」

「どうかしらね」

「ええっ。奏さんも分かんないの」


 ちょっとがっくりする。奏さんなら、ぱぱって的確な答えでも教えてくれそうだと思ってたのに。


「大人の人なのにー」

「私なんかまだまだ子供よ。子供にはちょっと難しい問題だったわ」


 少し申し訳なさそうに、でも明るく笑っていた。


「いっそ旅に出てみるのも、いいかもしれないけど」

「た、旅?」

「そう。一人旅に」


 よく聞く話だった。なにかが分からなかったりすると、自分探しっていって一人で放浪するの。

 憧れもあるし興味あるけど、さすがに怖気づいちゃう。


「それか……私より大人の人に相談するのはどうかしら」


 奏さんはちらりと目をあげた。入口の方だ。あたしも視線を追う。


 ドキリとした。

 そこに立っていたの、時子さんだった。





 時子さんも驚いたみたい。立ちつくしてる時子さんに、奏さんは手を振っていた。

 近づいてきた時子さんは、ぎろりと奏さんを睨みつける。


「なんでこの子がいるの?」


 それはあたしのセリフでもあった。目を向けると奏さんは頬杖をつきながら、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。


「大切な事務所の仲間が悩んでるみたいだから相談に乗ってあげてたんだけど。いけなかった?」

「御大層なこと。でも私との約束とブッキングするなんて、躾が必要かしら」

 やっと現状を理解できた。奏さんは時子さんと予め約束をしていた。だけど悩んでいる様子のあたしを見て、その約束があるにもかかわらず、相談にも乗ってくれたのだ。

 まさか、奏さんがうっかり……なんてことはなさそうだ。なんだか楽しそうだったから。


「どういう躾をしてくれるのかしら? 興味があるわね」

「その減らず口を二度と叩けないようにあげるわ」

「映画の悪役のセリフね、それ」

「アァア?」

「ふふっ」


 怒ったように眼を細めた時子さんにも動じず奏さんはすんと立ち上がる。鞄の上に置いてあったマフラーを首に巻き始めた。

 あたしはびっくりした。


「奏さん帰っちゃうの?」

「二人掛けでしょ。他の席も空いてないし、立たせたままじゃ時子さんに躾けられちゃう」

「あたしがどくって」


 二人の予定にあたしが割り込んだ形なのだから、あたしが帰った方がいいだろう。




 立ち上がろうとしたのを、奏さんは手で静止した。


「いいのよ。私は本を返したかっただけだから」


 テーブルの上に置いた学生鞄から、奏さんは一冊の文庫本を取り出した。


「けっこうおもしろかったわ。ちょっと読みづらい文体だったけど」

「古いものには耐性がなかったかしら?」

「映画ならいいけど……文香みたいにはいかないわね」

「あの子は雑食過ぎ」


 鞄を肩にかけた奏さんに、時子さんは眉をひそめた。


「本気で帰るつもり?」

「ええ、渡す者も渡したし……法子ちゃんの相談、乗ってあげて」

「……貴方、なにを考えてるの?」

「意味はないわよ。たいした意味はね。じゃあね、法子ちゃん」


 奏さんはトレイを下げ台に持っていき、ピンク色の音楽プレーヤーを取り出しながらお店を出ていった。

 あたしはその背中を見送ってから、立ったままの時子さんと目があった。怪訝そうにあたしを見下ろしていた。

 怒ってるようにも見える顔に、あたしはちょっと固まってたけど。


「座ったらどうかな?」


 と、前の席を指し示した。時子さんは表情を変えないまま少し間が空いてから、


「コーヒーを買ってくるわ」


 鞄を置いてレジへと向かっていった。





 コーヒーを飲みながら時子さんはあたしの相談を聞いてくれた。

 スマホにいれていた練習のムービーも見てもらう。


「どうかな?」

「確かに、他の二人とは違うようね」


 分かってはいるけど、いざ言われるとやっぱり気が重くなる。出そうになったため息の代わりに、時子さんに問いかけた。


「なにが駄目なのかな?」

「脳みそがあるなら、それぐらい自分で考えなさい」

「分かんないんだから相談してるんだよー」

「自分で理解できないなにかを、他人の言葉から得られるかしら?」


 時子さんはコーヒーを傾けると、素気なく言った。


「私の意見があるとすれば、このままでいいんじゃない。他人に合わせる必要はないわ。今でもまあ……醜態を晒しているわけではないわ」


 それなりに見ることができるってことなのかな。褒められれば悪い気はしないけど、それじゃあ駄目なのだ。


「でも今の状態はさ。ドーナツの中にワッフルが混ざってる感じじゃない?」

「はあ?」

「今のあたしはドーナツ屋さんに並ぶワッフルなの。ドーナツのショーケースの中に、一つだけワッフルがあるのって、変じゃない?」

「……ワッフルもおいしいわよ」

「もちろん。ワッフルはワッフルでおいしいよ。でも、ドーナツの中だとやっぱり浮いてる。ドーナツはドーナツだけで並んでる方が奇麗だから。
 だから、あたしもドーナツになりたいの。ゆかりちゃんや有香ちゃんみたいな」


 メロウ・イエローという容れ物の中をドーナツで満たしたいのだ。

 あたしは、ワッフルをドーナツに変身させる魔法のレシピを見つけたい。

 みつけなきゃ、ダメなんだと思ってた。




「……どちらにせよ、私からアドバイスなんてないわ」時子さんは言った。


「他人に合わせるなんて馬鹿なことはしないわ。自分をつき通すのみよ」


 時子さんの姿をみてると、とっても説得力がある。

 あたしからの相談だから当然だけど、あたしのことばかり話していた。

 時子さんの話も、聞いてみたかった。


「時子さんは、なんでアイドルになったの?」

「なに、貴方は私がアイドルをやって妙だって思うの」

「妙って訳じゃないけど……」


 半目で睨みつけてきていた時子さんだけど、不意に頬が緩む。


「気にしないで、私も妙だと思ってるから。別にこんな仕事、憧れもしてなかったし」


 聞く人が聞いたら怒りそうな言葉だった。あたしも人のことは言えないけど。


「ええ……じゃあなんで」

「私をスカウトする馬鹿がいたのよ。この私をよ。想像してみなさい。あまりにも滑稽だから、少しぐらい付き合ってやろうって思ったの」


 穏やかに語る時子さんに、あたしの胸は少し痛んだ。その思い出が大事そうだったから。


「まあ、暇つぶしにはちょうどいいわ」

「アイドルが?」

「そうよ。こんなものは暇つぶしよ。金のために働くなんて馬鹿のすること。アイドルは暇つぶしにはちょうどいいのよ。豚どもを見るのも滑稽で愉快だしね」


 軽く言う時子さん。なんだか寂しいけど、感じ方は人それぞれだから、強くは言えなかった。言うことでもないし。


 もしかしたら、仕事を減らしてるのも時子さんの意思なんじゃないだろうか。

 奏さんは時子さんが仕事を減らしてるのは両親のせいだと言っていたけど、文句を言われるのが面倒だから、時子さんが嘘をついているのかもしれない。


「来年にはイベントをやるのよ。どんな豚どもがくるのが今から楽しみよ」

「そうなんだ。知らなかった」

「告知は年末の予定だからね、でも色々やってるわ」

「ねえ。観に行っていいかな?」

「いいけど……貴方には刺激が強いわよ」

「お客さんを鞭で打つとか?」

「企画中よ」


 暇つぶしと言っていながら、それを語る時子さんはどこか楽しげだった。

 時期を聞いてみると、あたしたちのミニライブの後ということだ。

 普段観ないものを観ればライブにもいい影響があると思ったんだけど、おしい。

 時子さんのバックから震動音。一言断ってから、時子さんはスマホを取り出した。


 画面を見た時子さんは、いつかと同じように目を細めた。


「ちょっとゴメンなさい」


 時子さんはその場で電話には出ず、席を立った。遠慮をしているのか、それとも話を聞かれたくないのか。

 苛立たしげに外に行く時子さんの背中が、嫌に気になった。いつか事務所の入り口に響いた声が、耳で反響する。

 心がそわそわした。落ち着いて席に座っていられなかった。


 気がつけば、あたしも席を立っていた。





 お店を出ると冷たい空気が服の隙間に入り込んで鳥肌が立つ。コートを着てないと、とても冷たい。

 あたしは周囲を見回す。大通り沿いに面した店の前、行きかう仕事帰りの人の中に時子さんの姿はなかった。

 店の脇にある小道を覗き込む。そこに時子さんを見つけた。電柱に隠れるようにして電話をしていた。

 あたしはお店の陰から覗きこんでいたが、距離と喧騒にかき消され、会話は聞こえてこない。


(少し……ぐらいなら)


 あたしは時子さまに近づいていく。いいことじゃないのは分かっているけど、その気持ちを抑えられなかった。


「なんでその……」


 聞こえてきた声に、あたしは思わず立ち止まった。その声はとても苛立たしげで、でもどこか悲しげな声。


「関係ないでしょ……あのドレスのことは……!」


 それは泣きそうにも聞こえる声だった。肌に粟が立つ。

 聞いちゃいけない。あたしはそう思った。

 まだ時子さんはこちらに気付いていない。だから見なかった、聞かなかったふりをして去るべきだ。

 後ずさろうとして、でも間に合わなかった。

 時子さんも動揺したのか、周囲を確認しようとしてこちらを振りむいて。


 あたしと目が合った。



 驚いたように目を見開いた時子さんは、顔が白くなったように見えた。

 あたしは動けなかった。少しの間見つめ合っていたけど、時子さまは顔を背けると電話に戻った。

 それもすぐに終わらせ、耳からスマホを離した。

 再びこちらを向いた時、顔に浮かんでいたのは分かりやすいくらいの怒り。


「貴方、そこでなにをしてるの?」

「あの……ゴメンなさい。気になっちゃって」

「気になるならなんでも立ち聞きしていいと思ってるの? ずいぶんなご考えね」

「そう言う訳じゃ……」


 時子さんは苛立たしげに顔をひくつかせると、こちらに歩いてくる。

 あたしは血の気が引いて顔を俯けてた。時子さまは、あたしの隣を通り抜けていった。

 あたしは振り返って呼び止めた。


「時子さん、あたし」


 時子さんは立ち止まったけど、こちらに背を向けたまま言った。


「貴方、豚以下ね。躾ける価値もないわ」


 突き放す言い方。体の芯から凍え、頭が回らなくなった。


 冷たい街のなか、あたしは一人、茫然と立ちつくしていた。







 落ち込んだ気分は、傍から見ればすぐに分かったらしい。ママやパパにも心配されて、学校じゃ友達にも心配されて。

 レッスンやお仕事で悩みがあるの。そう言って誤魔化した。

 それも嘘じゃない。ただ、もう一つの悩みのことは黙っていたくて。

 だけどそれが通じない相手もいた。




 少し早く事務所についたあたしは入口のテラスで座っていた。

 もしかしたら、時子さんが来るんじゃないかって。またちゃんと謝りたいと思ったから。

 時子さんは来なかったけど、見覚えのある長い髪の少女がやってきた。


「あら、法子ちゃん。おはようございます」

「ゆかりちゃん! おはよう」


 今日のレッスンはゆかりちゃんとだった。有香ちゃんは、家の都合で今日はお休み。


「寒いですね、今日も」


 もう少しでレッスンも始まる。着替えるためにあたしたちは更衣室に向かった。

 その途中だった。


「どうかしたんですか、法子ちゃん」


 唐突な言葉に、あたしはちょっと驚いた。


「別に、なんでもないよ?」

「……法子ちゃん……嘘はめっ、ですよ」





「嘘なんて……」

「私は友達が悩んでいるなら、力になりたいです。最近は力になれないことばかりで、もどかしかったですから……」


 胸がチクリとした。ゆかりちゃんは、あたしがユニットで悩んでいることなどやっぱりお見通しだった。

 あたしも悩んでいるけど、悩んでいるあたしのことで、ゆかりちゃんも悩んでいてくれたのだ。

 その優しさがとても嬉しくて。

 だから心が痛い。

 そんな想いに答えたくて、あたしは少し濁しながらだけど、素直に悩みを告げた。


「あのね……ある人を怒らせちゃってね……その人が気がかりで。謝ろうと思って、テラスで待ってたんだ」

「だからあそこにいたんですね」


 うーんと、ゆかりちゃんは細く繊細な指で唇を叩いていた。


「それならば、待つばかりではなく自分から行動に移すべきではないでしょうか。偶然だけでは偶然は起こりえません。私達がここにいるのも、プロデューサーが探し出してくれたおかげです」

「……待ち伏せなんかじゃなくて、探し出せってこと?」

「そうですね……あら? 知り合いなら連絡先は知らないんですか?」

「うん……聞く機会がなくて」



「知っていそうな人に心当たりは」

「もちろん。プロデューサーとか――」


 言ってから、立ち聞きをしてしまった時を思い出した。

 あれ以来、自分から自主的にプロデューサーの元には行っていなかった。思えばあれも盗み聞いた結果だ。やっぱり盗み聞きなんてろくなことにはならい。沈んでいくあたしを見透かすかのように、ゆかりちゃんは優しく微笑んだ。


「聞きに行きましょう。私も一緒に行きますから」


 あたしの不安が顔に出たのか分からない。

 でも、その静かで落ち着く甘い声に、温かな気持ちが体にじんわりと広がっていった。





 でも、プロデューサーに聞かなくても問題なかった。


「あらー、お二人さんシルブプレー?」


 なんて明るい声で言ったのは奇麗な黄金色の髪で、くりっとした目が印象的なフレデリカさん。

 それに、奏さん。

 二人ともこれからレッスンのようで、奏さんは上のシャツを脱いでいた。
 
 黒いブラに短めのプリーツスカート姿は、なんだか艶めかしかった。ブラのまま、学生服の青いシャツをハンガーにかけていた。


「そうだ、奏さん!」

「なにが「そうだ」なのよ?」






「ちょっといいかな、お願いがあるんだけど」

「なになにー、愛の告白?」

「フレちゃん、馬鹿言わないで」

「お相手とは奏さんのことだってんですか。私はてっきり時子さんかと――」

(うっ、見抜かれてた)


 ゆかりちゃんはのんびりしてるけど、たまに鋭い。その名前が出て、奏さんは眉間にしわを寄せた。


「時子さん? 時子さんがどうかしたの」

「いいからちょっと」


 奏さんには説明をしたほうがいいかも。あたしは奏さんの手をとって、更衣室の端まで連れていく。


「あのね、時子さんの連絡先を教えて欲しいの」

「それは構わないけど……あの時には聞かなかったの?」

「それが……」


 あたしは、気が引けながらも喫茶店で起きたことをかいつまんで説明した。聞き終わった奏さんは、小さく息をついた。


「電話を盗み聞きしようとしたのは、褒められたことじゃないわね」

「うん……」


 しょんぼりと肩を落としてしまう。自分が悪いということは承知していた。


「だから、謝りたいんだ。ちゃんとあたしから」

「偉いわね、逃げないでまっすぐで」


 穏やかに目を細めながら奏さんは言った。あたしは苦笑しながら首を振った。


「そんなことないって。悪いと思ったら謝らなきゃ。それって普通でしょ」

「その普通が、なによりも難しいのよ」


 奏さんは小さく笑んだ。


「いいわ、教えてあげる。貴方から電話を、時子さんも嫌がらないと思うし」




 レッスン終わり、着替えを終えたあたしは、更衣室前のエントランスにいた。

 大きな窓から見える景色はすっかり暗くなり、人工的な輝きが光の雪のように点々と風景を描き出していた。遠くに見える通りの街路樹には、奇麗なイルミネーションが今日から灯っていた。

 あたしは奏さんに教えてもらった番号に連絡する。

 プププ、っていうダイアル音のあと、間が空いてから呼び鈴が鳴り始めた。少しだけ緊張する。

 あたしからちょっと離れた自販機脇の椅子では、ゆかりちゃんが座っていた。

 目が合ったゆかりちゃんは、大丈夫っていうように微笑みながら小さく頷いた。あたしも頷き返す。

 そこで、向こうから電話に出た音が聞こえた。


「時子さん?」

『貴方は……』

「あたし、法子」

『……どうしてこの番号を』

「奏さんから聞いたんだ」

『あの子はまったく……』

「奏さんを怒らないで。あたしが教えてって頼んだから教えてくれただけだから」

『分かってるわよ』


 深いため息が電話口から届いた。まだ怒ってるかと思ったけど、そういう様子ではなさそうだった。


「あのね、時子さん――」


『悪かったわ』





「へっ?」


 あたしは呆気に取られた。聞き間違いかな? 時子さんが謝ったように聞こえたけど。


『悪かったって言ってるの』


 やっぱり聞き間違いじゃなかった。あたしはびっくりして言葉を失っていると、怪訝そうな声が届いた。


『貴方、聞いてるの?』

「き、聞いてるよ。ちゃんと聞いてる」

『言っておくけど、貴方が無礼なことをしたっていうのも事実よ。分かっているかしら』


 ぶんぶんと頷いてから、電話じゃ意味ないと気付いて慌てて返事した。


「うん、分かってる」

『だけど、私のあの態度も褒められたものではなかったわ。だから謝るわ』

「うんうん、あたしもごめんね。もうあんなことをしないから」

『それが利口ね』

「絶対、絶対もうしないからね」

『分かったから、少し黙りなさい』


 いらだたしげな声のとおり、あたしはピタッと口を止める。電話の向こうからも沈黙が降り注いだ。


「えっと、それじゃあ――」

『待ちなさい』

「うん?」


 それから、また沈黙。どうしたんだろう、戸惑いながら時子さんの言葉を待っていた。


『貴方……明日の夜は空いてる?』




「どうだったっけな……でもどうして?」

『お詫びに食事なんてどうかしら』

「食事?」

『ええ。美味しいイタリアンなんかどう』

「イタリアン……」

『予定は大丈夫か聞いてるんだけど』


 せかすような声にあたしは慌てて頭の中の予定表を開いた。


「えっと……大丈夫。レッスンもお休みだから」

『そう、じゃあ決定ね。私はレッスンがあるから、六時に事務所の受付脇のテーブル席でどう。奏が座ってたあそこ』

「うん」

『それじゃあ六時に。お店の予約はやっておくわ』


電話が切れた。あたしはドキドキしていた。怒っていない安心感と、食事に行くことがとんとん拍子で決まったことに対する驚き。

 時子さんと二人で食事をする緊張感。耳の奥で鼓動の音が強く響いて、そのせいか耳も熱くなってくる。


「法子ちゃん?」


 ゆかりちゃんの声に、あたしは我に返る。ゆかりちゃんは不思議そうに首を傾げていた。


「どうしたのですか。仲直りは」

「うん、うまく行ったよ。ありがとうね、ゆかりちゃん」

「それなら良かったです」


 穏やかな笑みを浮かべていたゆかりちゃんに、あたしも笑みを返した。

 いつもより、少し引きつっているかも、そんな気がした。





 次の日、あたしは約束の時間よりも三十分早く事務所にやってきていた。


(流石に早く来すぎたかも)


 いても経ってもいられなかったのだ。

 学校から家に帰って、あたしは服を着替えてきた。白いタートルネックに、黒のワンピース。

 その上から学校でも使ってる茶色いダッフルコートを着ていた。


(子供っぽいかな?)


 鏡の前で何度も確かめて、これだって着てきた。

 けど、途中でなんども不安になって、ショーウィンドーに映り込む自分の姿を確認した。

 ダッフルコートじゃなくて、もっと大人っぽい上着を着てくれば良かった。

 後悔したけど、これ以外に着れる上着を持ってはいなかった。

 背が伸びたせいで、ちょっと前のは入らなかった。

 小さい頃のも結局、可愛いデザインばっかり。大人っぽいとは全然言えなかった。

 自販機で買ったホットレモンを飲みながら、あたしは時子さんを待っていた。

 途中で何度か知り合いにすれ違って、挨拶をしていた。

 時子さんが来たのは、約束の時間の十分前だった。奇麗な髪を揺らしながら歩いてくる時子さんをみつけ、あたしは慌てて席を立った。


「もう来てたのね」

「うん、時子さんもレッスン終わるの早かったね」

「むしろ長引いたのよ」


 うんざりするように首を振った。それは長引かせたトレーナーさんに対してより、自分自身に向けられているようだった。


 それから、改めてあたしの姿に目をやった。


「今日は学生服じゃないのね」

「時間があったから着替えてきたの。変かな?」

「いいえ、似合ってるわ」

「そう、よかった」


 嬉しさと気恥ずかしさで、頬が熱くなる。

 時子さんの方はベージュのトレンチコートを着た、シンプルだけどかっこいい大人の服装だった。
 時子さんはタクシーをつかまえると、二人で乗り込む。後部座席に二人で並ぶと、車の中の特有の臭いが不思議と気になった。時子さんは窓際に頬杖を掻きながら、足を組んで窓の外に目を向けていた。たぶんいつもそうやっているのだろう。本当に無意識で自然な態度だった。

 あたしの視線に気がついて、時子さまが窓から顔を外した。


「どうかした」

「うんうん、なんでもないんだけど」

「そう」


 素気なく言ってから、また時子さんは窓の外に目を戻した。


 タクシーが停まったのは、大通りから外れた路地の奥、閑静な住宅街の中だった。





 目の前には小さな看板と奥に続くコンクリートの階段がついていた。時子さんの後について、あたしも急な階段を進んでいく。

 登り切ると、小さな庭のような場所に出た。

 入口の脇に桜の木が植えられている小さなお店だった。店構えはシンプルで、木の板に白いペンキが塗られている。なんだか、ドラマとかで見るような古い時代のお店がタイムスリップしてきたみたい。

 店内も、一見は地味な印象だった。でも、よく見ればとても綺麗に整えられてる。

 穏やかなオレンジ色の明かりが店内を照らしていた。お客さんや給仕さん達も笑顔で肩を張ってるようにはみえない。その動作はどれもとっても自然で、だから不自然に思えた。

 まるで演劇の舞台の上に立ったみたい。ドアを開けて舞いあがった塵さえ、決められた動きをこなしているようだった。

 時子さんはしっかりとお客さんをやっていたけど、あたしは多分、代役で駆り出された大道具さん。ぎこちない動きになってしまった。

 きらめく食器やナイフの合間を縫って席に案内された。給仕さんのお面のような笑みはあたしを落ち着かなくさせた。

 給仕さんにコートを渡し、席に着く。真っ白なテーブルクロスにはフォークやナイフ、ワイングラスが準備されていた。

 渡されたメニューにはよくわらかない料理の名前が並んでいた。


「トスカーナ地方のお店なの。豚肉のステーキがおいしいのだけど」


 時子さんはそれを頼むという。あたしも同じものを頼んだ。



「この前だったけど……悪かったわね」


 時子さんは目を伏せながら、ちょっと控え目に謝った。あたしは胸の前で両手を振った。


「いいって、悪かったのはあたしもだよ。立ち聞きしてゴメンなさい」

「本当よ」


 あっさり同意された。


「他人のプライバシーって言葉をご存じ。私が無意味に席を立ったと思ったのかしら。容易く踏み入れるべきでない領域はだれにでもあるではなくて」

「そ、そうだよね」


 がっくりと肩を落としたあたしを、時子さんはちらりと窺った。小さくため息。


「まあ、仕方はないわ。私も不注意があったのは認めざるをえないしね。お互いに不注意だったのよ。私にも非はあった。それであの態度は度が過ぎていたわ」

「時子さん」

「この話はこれで終わりよ。食事でも楽しみましょう。私が施してあげるんだから」


 頬を釣り上げた時子さんに、あたしも笑顔を返した。


「うん、そうだよね!」

 前菜にサラダ、パスタ、そして豚のステーキ。どれもとっても美味しかった。

 豚のステーキも美味しかったけど、パスタがあたしは好きだった。野ウサギって聞いた時はちょっとびっくりしたけど、お肉が柔らかくてジューシーで。麺も弾力があって好みだった。




 食事を終え、デザートに栗の入ったアイスクリームを食べていていた。

 時子さんはデザートワインという甘い白ワインを飲んでいた。一口勧められたけど、流石に遠慮しておいた。


「時子さん、このお店はよく来るの?」

「昔はよく来てたけど……最近は来てなかったわ」

 時子さんは飲みかけのワイングラスに目を落とした。なんだか物憂げな様子だった。
 
 それを喉の奥に流し込むようにワインを口に含む。テーブルに置いたワイングラスには、薄く口紅の跡が残っていた。


「どうして来なくなったの」

「昔は友達と来ていたのだけど……その友達と会わなくなったのよ」

「そのお友達って男の人?」


 時子さんが冷たい視線を送ってきた。自分のやった失態に気付いた。


「ゴメンなさい、また踏み入りすぎた?」

「不用心過ぎるわね。素直なのは結構だけど」


 落ち込んだ心を慰めるようにあたしはアイスを口に運んだ。栗の甘味が気を安らげる。


「……一応言っておくけど、相手は女よ。高校時代の同級生」


 それから、僅かに間が空いて。


「普通の、友達だったわ」


 静かに呟いた。





「もうその人とは合わなくなったの?」

「そういうものよ。どんなに仲がいいと思う相手でも、時が経てば合わなくなるのが普通なの」

「なんだか寂しいね、それ」

「そうでもないわ」


 時子さんの表情はよく読み取れなかった。誤魔化すように言ったみたいでもあるし、本心から言っているみたいでもあった。

 あたしもゆかりちゃんや有香ちゃんと合わなくなる時が来るのだろうか。

 それは……嫌だな。


「どうかした」

「え、なにがかな」

「ボーってしてたわ。アイスが解けるわよ」


 あたしはスプーンの上に乗せたままだったアイスを口に運ぼうと思ったけど、止めてしまった。


「絶対に合わなくなるものなの、友達と」

「……そうとも限らないわ。人には生きる場所があるのよ。同じ場所で生きる人間なら、ずっと続くこともあるかもしれないわ」

「生きる場所って、仕事場とかかな」

「もっと概念的なものよ」


 なんだか難しいことを言っていたけど、もしアイドルをやめる時が来ても、ゆかりちゃんや有香ちゃんと一緒にいられる。

 そう思えると安堵した。


 でも、ふと考えた。

 あたしもいつか時子さんと会わなくなる時が来るのだろうか。ここに来ていた時子さんの友達のように。

 それは嫌だ。


「時子さんは、いつまでもあたしの友達でいてくれる?」


 時子さんは眼を丸くしていた。豆鉄砲を食らったハトみたいに呆然としていたが、ぐっと目を細めた。


「あなたの友達になった覚えはないのだけど」

「えっ! ドーナツも一緒に食べたのに!?」

「ドーナツを食べたら、すぐ友達って安直ね」

「幸せのワッカだもん。それを一緒に楽しんだら、もう友達だよ」

「本当に短絡的で正真正銘の豚ね、あなた」

「でもその後もコーヒー飲んで、こうやってご飯も食べたんだよ」


 ドーナツだけでは足りないかもしれないけど、こうして食事にまでいっしょに行ったのだから友達と言っていいんじゃないだろうか。

 時子さんは悩ましげに眉間にしわを寄せていたけど、あたしから視線を逸らした。


「まあそうね……考えておいてあげるわ、法子」




 その日から、何度か時子さんとドーナツやご飯を食べた。

 時子さんって素直じゃない。でも、それが時子さんらしくていいと思った。

 あたしは素直過ぎるのだ。

 一度、時子さんに見習って素直じゃない感じをやってみた。どうしたのってママには驚かれて、次には笑われてしまった。

 これも経験の差なのか。それとも、単なる向き不向きか。


(あたしとしては、経験の差だといいな)


 奏さんもそうだけど、うまくごまかせたり言いくるめたりするのって、なんだか大人っぽくてカッコいいから。

 レッスンの方は、なにかが見つかりそうな気がしていた。

 でも、ゆかゆかにはまだ届かない。

 届かなくても、時間は進んでいく。

 クリスマスはゆかりちゃんや有香ちゃんと一緒に過ごした。

 その翌日だった。世間はお正月の準備に大忙し。

 クリスマスの残り香と混ざって、奇妙な高翌揚感が街中に渦巻いているようだった。

 あたしはその日も自主練習に励んでた。ゆかりちゃんと有香ちゃんは、それぞれ別のお仕事。あたしはもう仕事納めしていた。

 今日は朝から練習に行っていて、お昼には時子さんと一緒に食べることにしていた。

 時子さんも、年末に発表されるイベントの打ち合わせに来るらしい。




 シャワーを浴び終えたあたしは、着替えを済ませ待ち合わせ場所の部屋に行くことに。

 もう時子さんは来てるかな。そう思いながら扉をくぐると。


「なんですって?!」


 苛立たしげな声に、あたしは体をすくませた。見ると、部屋の中には時子さんにプロデューサー。それに、アシスタントをしているちひろさんがいた。

 時子さんはソファーから立ちあがり、むかいに座るプロデューサーを睨みつけていた。

 プロデューサーはあたしに気がついた。


「時子さん」


 ちひろさんがあたしの方を指す、振り返った時子さんは苦虫をつぶしたような顔をしたけど、すぐにプロデューサーの方に向き直った。


「私のイベントが中止って、どういうこと?」

(えっ)


 信じられない言葉だった。時子さんのイベントが中止? ちょっとタイミングがおかしいんじゃないかな。告知の直前だ。

 ないと思うけど、定員割れしてしまったなら仕方がない。でも、告知もせずに中止するのはおかしい。

 告知のチラシやサイトもできていると時子さんから聞いていた。そこまで準備をして、告知せずに中止などするのだろうか。

 時子さんも同じ思いだったようだ。


「どうして。答えなさい。ここまで準備をさせて、中止だなんて。私をピエロにしたの?」

「そんなわけがないじゃないか。こっちだって真剣に準備していたんだよ」

「その準備が無為になった理由はなに?」

「それは……」


 プロデューサーは言葉を濁しながら顔を俯ける。プロデューサーは中止になった理由を知っているのだ。それを時子さんに告げるのを躊躇している。


 その態度だけで、時子さんは理由を理解した。

 苛立たしげに言葉を吐き出す。


「……父ね」



 びっくりした。聞き間違いかと思うほど。

 父親が時子さんの仕事をキャンセルさせた? 

 どうして? そもそも、そんなことができるのか。

 ありえない話ではないのかもしれない。

 時子さんのご両親は色んな企業を経営しててとてもお金持ち。

 きっと、この事務所とも取引があるだろうし、なんらかの圧力をかけたのかもしれない。

 そういう怖い話は、少しは聞いたこともあったから。

 できるからってそれを実際にやるだろうか。父親なのに。仕事を減らさせているのは両親のせいだと奏さんは言っていた。

 あたしには理解できなかった。

 理解できなかったけど、プロデューサーの沈黙がそれを事実であると伝えているように思えた。

 プロデューサーは誤魔化すような笑みも浮かべず、唇を結び握りこぶしを作っていた。


(悔しいんだ、プロデューサーも)


 時子さんの為に、プロデューサーも頑張っていた。きっと色んな想いで、絶対に成功させようとしてて。時子さんもそれが分かってるから、プロデューサーに怒ることはしなかったんだと思う。

 時子さんは肩で息をついた。


「……ふん、まあいいわ。なら、しばらく私は暇になるということね」

「すまない」

「謝られると返って不愉快よ。起きてしまったことは仕方がないわ。早く次の仕事をとって来て頂戴、せいぜい豚みたいに這いずりながらね」


 言葉はきついけど、声音は静かだった。時子さんなりにプロデューサーを慰めてるんだ。




「じゃあ私はこれで失礼するわ」


 時子さんはコートを持つと、部屋を去っていった。

 途中であたしの隣をすれ違ったけど、うまく声をかけることができなかった。

 その顔が、余りにも冷静に見えたから。だから逆に、なにも言えなかった。



『アイドルなんて、ただの暇つぶし』



 いつかの時子さんの言葉が頭の中で反響した。

 だから、仕事がなくなっても時子さんはそこまで気にしていないんじゃないだろうか。


「法子ちゃん」


 あたしは時子さんが消えた扉に目を向けていたが、ちひろさんの言葉に振り返る。

 ちひろさんの手には、時子さんのバックがあった。


「時子さんが忘れていったの。届けてくれる?」

「時子さんが?」


 あたしには信じられなかった。そんなうっかりをするとは思えない。

 そんな人じゃない。

 はっとなった。自分が一瞬でも浮かんだ馬鹿な考えが嫌になった。


「分かった」


 あたしは強く頷くとちひろさんからバックを受け取った。それを持って、廊下を走っていく。

 すぐに時子さんの後姿を見つけた。


「時子さん!」



「……どうしたのよ」

「バック、忘れてたよ」


 その言葉の意味も、理解できていなようなぼんやりとした表情。

 虚ろな瞳が、あたしの差し出したバックに留まる。その物体を見て、やっと分かったようだった。


「ありがとう」


 受け取った時子さんは、でもそれだけ。手の中のバックを無感情に眺めていたけど。


「……クク」


 顔を俯けながら、堪え切れなくなったように笑いだした。その姿は、物悲しくて、痛々しかった。


「滑稽ね、まったく。滑稽よ」

「時子さん……」


 今度は、怒るように吐き出した。


「だってそうじゃないかしら。人の努力を簡単にもみ消すなんて……ふざけてるわ」

「今から時子さんのパパにお願いすれば。イベントをしたいって」

「無駄よ。あの人は固意地になるだけ。やるって言ったらからには絶対にやるの」

「なんでそんなことを」

「私のことが憎いのよ、あの人」


 ぞっとする言葉だった。お腹の底に氷を詰め込まれたように鳥肌が立つ。


「娘が自分の思い通りの人間じゃないから、だから私を憎んでるわ」

「なんで? 時子さんいい人なのに」


 あたしの心に浮かんだ悲しみは、段々と怒りに変わっていった。


「思い通りにいかないからって、そんなの酷いよ。そんなことするなんて……」

「優しいわね……でもその気持ちは自分のためにとっておきなさい。浪費してはだめ」




「そんな、浪費なんかじゃないよ。全然」

「貴方の気持ちはありがたいけど、私もなんだか……どっと疲れたのよ。しばらくはなにも考えたくはないわ」


 疲れの色は顔にありありと浮かんでいた。

 そこまで疲労をあらわにしている時子さんを見たことがなくて、あたしは悲しくなった。


「じゃあどうするの」

「どうしようもないわ。なにも考えないで生活するだけ。そういう時って必要なものよ」


 あたしにはよく分からないけど、時子さんは両親と一緒に生活をしているはずだ。

 自分の仕事をめちゃくちゃにするような人と一緒にいて、気が休まったりするだろうか。あたしなら、どんどん嫌な気持ちになりそうなのに。

 ふと、いつかの奏さんの言葉が頭によぎった。


「ならいっそ旅に出てみたら?」

「旅?」


 時子さんはきょとんとした。


「そう、旅だよ。自分を見つめ直すには、いつもはいないような環境に自分を置くのがいいんじゃないかな!」


 口にすればするほど、名案のように思えてきた。

 そうすれば、自分を憎んでいる相手からは離れることはできる。




 最初は取り合わない様子の時子さんだったけど、事務所の出口に向かっている間に、考えが変わっていったようだった。


「いいかもしれないわね、旅をするのも」

「でも、大丈夫なのかな」


 逆に、あたしはちょっと心配になっていた。


「よく考えたら、時子さんのパパが旅を許してくれるかわからないかもだし」

「許されなくたって結構よ。仕事も潰されたし、これ以上困ることはないわ」


 吹っ切れたように言った時子さんに、あたしは嫌な予感がした。


「……もしかして時子さん、誰にも言わないで出ていくつもり?」

「母にメールぐらいはしとくわよ」


 逆に言えば、一方的にメールを送って、姿を消すということではないか。

 つまり家出だ。

 なんだか大変なことになってしまった。

 しかし時子さんの意思は固そうだった。


「で、でももし勝手に消えてまた怒らせて……それで今度はアイドルの仕事そのものをやめさせられる……なんてなったら」


 考えただけで恐ろしくなってきた。顔を俯けたあたしの肩に、時子さんの手が乗った。


「大丈夫、あの人は頑固だけど、自分の非を認められる程度の情は持ってるわ。原因を作ったことは、十分に分かってるはずよ」


 時子さんは優しい笑みを浮かべていた。自信があるようにも、自棄になってるようにも見える表情だった。




 だけど、肩に乗った時子さんの手が、あたしの心を和らげた。


「うん……ならいいけど。どこに行くつもりなの」

「そうね、海外に行くのもいいかもしれないわ。NYも嫌いじゃないけど、今は気分じゃないわ」

「にゅーよーく!」

「興味があるみたいね」

「興味というか。海外って行ったことないからさ」

「じゃあ一緒に行ってみる、NY」

「ええぇ!」


 その提案に驚いちゃったけど、すぐに思い直す。


「ダメだって、あたしパスポート持ってないもん」

「なら、国内旅行なら着いてこれるの?」


 ちょっと冗談じみた言い方だった。

 さっき、ニューヨークに行くことを誘った時のような軽口の延長。




「いいの?」



 でもあたしは、思わずそう口に出た。





 時子さんの瞳は大きく開いた後、すぼまってあたしをまっすぐ捉えていた。


「法子。貴方、本気で言っているの?」

「うん、ついて行っていいならさ」


 時子さんはしばらくあたしを見つめていたけど、「ふっ」って小さく笑った。


「ご両親にはどう説明する気? 今日中には出発する気なのよ。私みたいに黙って出ていくわけにはいかないでしょ」


「だ、大丈夫だよ。練習の合宿があるって言えばさ」

「嘘をつくってこと?」


 ぴしゃりと言われた言葉が胸をチクっと刺した。その痛みを残しながら、それでもあたしは口を開いた。


「平気だよ。時子さんと旅行、行ってみたいし」


 時子さんは、また黙りこんでいたけど。


「……いいわ。好きにしなさい。私も準備があるから、一度家に帰るわ。あとで連絡を頂戴。もし行けるなら、待ち合わせをしましょう」




 家に帰るまでの間、あたしは感じたことのない高翌揚と恐怖が胸を覆っていた。

 予定より早く帰ってきたあたしに、両親はびっくりしていた。

 嘘はうまくつけたと思う。練習が上手く進んでないから、事務所に泊まり込みでレッスンをすると伝えた。パパとママはあたしが悩んでいることは知っていたから、あっさりと了承してくれた。荷物を詰めて、あたしは家を出た。


「連絡とかいいからね。プロデューサーも年末で忙しいからさ」


 そう両親には伝えておいた。嘘がばれないように。

 時子さんにも、うまくいったと連絡する。


「分かったわ」


 待ち合わせの場所と時間を決めた。時子さんはもう少し時間がかかるようだった。

 待ち合わせは事務所近くの、時子さんと初めて会った公園。事務所とは逆の入り口前だった。

 すっかり冷え、寒さは今年でもっともきつくなると言っていた。

 夜からは、もしかしたら雪が降るかも。そんなことをニュースが告げていた。

 手袋をした手をもみながら、どこかのお店に入ろうかとも考えた。けど時子さんが早く来たとき、あたしがいなかったら不安になるんじゃないかって思うとそういう気にはなれなかった。

 薄く雲の張った空の下で待ちながら、あたしの心には不安が蘇ってきた。

 時子さんは、本当に来てくれるのかな。

 もしかしたら、時子さんの気が変わるかもしれない。時子さんの計画がご両親にばれたかもしれない。

 そうなれば、時子さんの代わりに時子さんの両親がやってきて、あたしを怒るかもしれない。

 自分の娘に変な考えを吹き込んだ張本人だと。

 それを考えると、あたしはぞっとした。



 もし両親にばれたらどうしよう。

 家の中では、ともかく早く出ることに一生懸命で、そんなことを考える余裕もなかった。

 待っている間に嫌な想像がどんどん浮かんできた。

 やがて、銀色の車が公園の前に停車した。窓の向こうに見えた人物に、鼓動が跳ねた。

 あたしはその車に駆け寄る。降りてきた時子さんがあたしを捉えた。とたん、あたしは笑みがこぼれた。

 時子さんはいつものようにカッコいい笑顔。


「時子さん」

「お待たせ。まさかここでずっと待ってたの?」

「だってお店に入ってて、時子さんとすれ違ったらって思うとさ」

「馬鹿ね。連絡でも入れてくれれば良かったのに」

「そうかもだけどさ」

「まあいいわ。冷えたでしょ。早く乗りなさい。その荷物の寮なら……トランクに入れるまでもないわね。後部座席に置いときましょう」


 指示通り、荷物とコートを後部座席に置いてあたしは助手席に座った。

 時子さんは隣の運転席に乗り込むと、テキパキとした調子で車を発進させた。


「時子さん、車の運転できるんだ」

「ええ、普段は運転手に任せるけど。私の運転で車に乗れるなんて、光栄に思いなさい」

「もしかして、助手席に乗るのはあたしが初めてなの?」

「そう言ってるでしょ」


 あたしはなんだか頬が熱くなった。暖房が利きすぎてるせいかもしれない。


「それで、どこに行くのかな」


 時子さんは言った。


「貴方、冬の軽井沢って興味ある?」



http://i.imgur.com/ikHDKUb.jpg
イラスト・にしむらくん




 軽井沢、といわれてもあたしはピンとこなかった。




 避暑地として有名らしいけど、あたしには遠い話だった。

 時子さんの家は、軽井沢に別荘を持っているらしい。


「この時期なら人も少ないし、自然のなかでいいと思わない?」

「でも、別荘の鍵は」

「私がそんな初歩的なことに気付かないとでも?」


 時子さんは上着のポケットから鍵を取り出して揺らしていた。


「ハウスキーパーも、月始めに一度入るだけだから。今日からなら数日居てもばれることはないわ」


 それから、小さく微笑んだ。


「しばらくはのんびりするのも、いいじゃない」


 車は高速に乗って道を進んでいった。途中、パーキングエリアで軽い昼食を食べた。豚の串焼きだった。

 それからまた車を走らせていく。灰色の世界に雪がちらほらと混じり始めていた。

 車の中で、あたし達は話したり話さなかったり。

 あたしの子供の頃のこと。どうやってアイドルになったか。ドーナツ好きの理由。

 時子さんも訥々とだけど話してくれた。どんな子供だったか。聖歌隊のこととか。通っていた女子高のこととか。


 それから仕事のこと。


「時子さん、前からお仕事減らされたんでしょ?」



 ハンドルを握りながら、時子さんが一瞥をくれた。


「どうして知ってるの?」

「奏さんから聞いたの」

「なるほどね……」


 少し間を置いてから時子さんは頷いた。


「そうよ。その時は両親の言葉に従ってあげたんだけど、イベントだけは譲らなかったわ。そしたらこの強硬手段よ」

「あのね、奏さんが言ってたの」

「他になにを言ったの、あの子」

「仕事が減らされた理由は、奏さんと一緒に居るのを見られたからだって」


 時子さんの顔が微かに強張った。また私の顔を見た。なにを考えているのか伺っているような表情だった。

 時子さんは素気なく言った。


「さあ、どうかしら」


 少し間が空いてから、また時子さんが口をひらいた。


「……あの子は誤解されやすいタチなのよ」

「誤解?」


「おふざけが過ぎるの……タイミングが悪かったのよ」


 静かに呟いた声は、走る車の音にかき消えそうなほど小さかった。

 それから、お互いに話すべきことをどこかに置き忘れたみたいに無言になった。

 カーナビの誘導音が静かに響いてた。




 高速道路を下りてしばらく走ると、辺り一面雪景色だった。


「ここまで積もってるのね」


 恨めかしそうに時子さんが呟いた。時間を見ると、出発してから二時間ぐらいが経っていた。

 二時間ぐらいで、ここまで違う景色のところに来るのがなんだか不思議だった。車の量は東京よりもはるかに少ない。

 慣れない雪道を、時子さんは慎重に車を走らせていった。寒さが強くなって、暖房の温度を二度上げた。


 薄闇のなか、山道を走らせていくとある小道で時子さんは車を停めた。雪に埋もれた道の向こうに、時子さんは目を向ける。


「ここよ」


 それから車をのろのろと進ませ、雪に覆われた森林の中を進んでいく。

 車のライトに照らし出されたのは、小さな御屋敷とも見間違えるほどの白い建物だった。
 
 雪の中に浮かび上がる姿は、お化け屋敷みたいに見えてちょっとだけ怖かった。


「さあ、降りて」


 車の扉を開けると、滑り込んできた刺すような寒さに、あたしは肩をすぼめる。慌てて後ろに置いてあったコートに手を伸ばして羽織った。

 踏み出すと、膝近くまで雪にうもってしまった。ジーンズを穿いてきていて良かった。もしスカートだったなら、車から一生でなかっただろう。

 すっかり暗くなっていたのに、吐く息は雪に負けないほど真っ白だった。

 時子さんも顔をしかめながら、玄関へ向かって鍵を開けようとした。

 寒さのせいで上手く鍵穴に刺さらないようだった。





「あたしやろっか?」

「大丈夫よ……ほらっ」


 ガチリと音を立ててから、扉が開いた。広い玄関が出迎えてた。

 時子さんがブレーカーを上げると、別荘に明かりが灯った。

 廊下は古風な洋風の木の廊下。玄関のすぐそばに、二階に上がる階段がついていた。

 その脇を通り抜け、廊下の突き当りが小さなリビングルームとなっていた。

 丸テーブルに荷物を置くと、時子さんは眉間にしわを寄せてテーブルを指でなぞった。


「少し汚れてるわね……」

「じゃあ、まずは掃除しなきゃだね」

「チッ……面倒ね」

「あたしだけがやろっか? 時子さん、車の運転で疲れたでしょ」

「よく調教されてるようね。でも結構。私もやるわ」


 という訳で、二人で掃除を始めた。面倒そうだったけど、掃除してる時子さんはけっこう様になっていた。

 もちろん、言ったら怒ると思うからあたしだけの秘密。

 ハウスキーパーさんのお陰でそこまで汚れてはいなかったけど、それでも二人だけだと結構な時間がかかった。

 流石の時子さんも疲れていたし、晩ご飯は簡単なものにすることにした。

 ソーセージを茹でて、パンとチーズを添えたもの。


「質素すぎるけど、我慢しなさい」

「大丈夫、おいしいよ」


 嘘ではなかった。



 時子さんは買ってきたワインを飲んでいた。あたしも一口だけ飲んでみたけど、やっぱり美味しくない。変な味だ。

 食事を終えたあたし達は、二人で暖炉の前に椅子を持って行った。


「ここの暖炉って使ったことがなかったのよね」


 パチパチと薪が弾ける音に耳を傾けながら、時子さんが言った。

 真っ暗な窓の外では、雪景色が月明かりに照らされ美しく輝いていた。

 キッチンの方からは作りかけのコーヒーの香りが漂ってくる。


「冬にここの別荘に来たことはなかったから」

「だから火をつけるのに苦戦したの?」


 食事前にこの暖炉に火を入れたのだが、なかなかうまくいかなかった。気が立っていたのは分かったので代わろうかと提案したが、時子さんは頑なに自分でやると言い張った。

 そういうところは時子さん、結構頑固だった。きっと父親譲りなんだとあたしは想像した。そういうところが似てるから、そりが合わないのかもしれない。


「黙りなさい」


 苦戦したことは触れられたくない話題だったようで、時子さんは不機嫌そうに言った。

 でもおかしくて、あたしは笑ってしまう。


「なにを笑ってるの」

「別に? なんでもないよ」

「まったく……まあいいわ。飲み物を取って来るわ。コーヒーができてるけど法子は?」

「あたしがとりに行くよ」

「いいのよ。ここは私の別荘なんだから。主の施しは喜んで受けるべきよ」





 時子さんはキッチンの方へ向かった。

 部屋に一人残されたあたしは、急に不安が襲ってきた。

 窓の外の音に、あたしは驚いて顔をむけた。雪が木から零れおちたのだ。

 なんだか落ち着かなくなって、改めて部屋のなかを見渡した。

 奇麗に整えられた室内。フローリングの床に木と煉瓦でつくられた内装。

 パチパチと鳴る薪。
 あたしは白いファーのついたスリッパを床に残して、椅子の上で膝を抱えて丸くなる。

 目の前では、暖炉の中で火がゆらゆらと揺れていた。

 近所の公園を思い出した。その公園には大人の人が常駐していて、その人がいる時だけたき火をするのが許されていた。

 あたしも友達とたき火を何度か見に行った。

 あれはいつだったか。小学校帰りに寄った時、友達と近くで並んで一緒に座っていた。

 学校で、友達が別の子と喧嘩をしたのだ。

 放課後、彼女があたしを誘ってきた。その子は普段は口数が少ないけど、きっと色々言いたいことがあるんだと思った。

 でも、その子はたき火の前で、あたしと一緒に泥で汚れてた椅子に座ってじっとたき火を見ているだけだった。

 帰り際、彼女が小さく手を振ったのが心に残っていた。

 自分からなにか聞いてあげるべきだったのか。元気づけるべきだったのか。

 家に帰った後、あたしはママに聞いてみた。


「いいのよ。あなたがしたことは、それで」


 優しく頭を撫でながら、お母さんは言ってくれた。

 蒸し暑い夏の日のことだった。



 これから帰った時、ママは頭を優しく撫でてくれるだろうか。

 例え撫でてくれるとしても、それは今日ではない。

 あたしは自分の体を抱きしめるように丸まった。


「法子?」


 顔を上げると、時子さんがお盆を手に立っていた。


「ダンゴムシみたいに丸まって。どうしたの」

「うんうん、なんでもないよ」

「コーヒーにしたわよ。砂糖とミルクは好き入れて」


 膝を伸ばしたあたしに時子さんは片方のコーヒーカップを渡してくれる。真っ白なカップの中で、黒くて綺麗な液体が波打っていた。


 時子さんは、少し悩んでからお盆を間の床に置いた。自分の分のコーヒーを手に取り口に運ぶ。

 あたしも、カップを口元に近づける。芳しい匂いが鼻をくすぐった。そのままゆっくりとカップを傾けて。


「……」


 口の中に広がった苦みに、あたしは顔をすぼめてしまった。横では時子さんがおかしそうに笑っていた。


「馬鹿ね。無理して飲まなくていいのに」


 大人っぽい雰囲気だからブラックでも大丈夫かなって思ったけど。ブラックは、やっぱりあたしにはまだ早い。

 ちょっとがっかりしながら、コーヒーに砂糖とミルクを入れることに。

 砂糖は三杯。ミルクたっぷり。それであたしにはちょうどよかった。紙パックのコーヒー牛乳より、ちょっと苦いくらい。でもそれよりは味がまろやかだった。


 あたしは、やっぱり子供だ。




「なにか考えごとのようね」


 時子さんの声に、沈澱しかけた意識が浮き上がってくる。


「いや、考えごとって訳じゃないんだけどさ……」

「……一緒に来たこと、後悔してる?」

「後悔なんて、そんなことない!」


 時子さんの方を向いた勢いで、コーヒーがソーサーに少し零れてしまった。


「ただ……パパとおママに嘘をついちゃったから」


 今までは緊張は興奮で気がつかなかったが、こうして落ち着いたために改めてその疑念が心に浮かんでしまっていた。


「そうね……」


 時子さんの温かな手が、あたしの頭に添えられた。優しくて、甘い温もり。


「私ももう少し考えればよかったわね。貴方、大人っぽいから忘れてしまうけど、まだ子供ですもの」

「うんうん。付いて行くって言ったのはあたしだから」


 時子さんは手を引っ込めると、肘かけにのせて頬杖をつきながらあたしの顔を見てきた。


「ご両親のことが心配になるのは当然ね。無理をしてまで付いてこなくてよかったのに」

「そんなことないよ。あたしが時子さんと一緒に行きたかったから」



 時子さんとあたしの視線が絡まった。


 
 琥珀色の瞳が揺れている。

 あたしは時子さんの瞳の色を、月明かりに照らされたメープルのようだと思っていた。

 でも今その瞳は、まばゆい月そのものだった。

 時子さんは頬杖をつくのをやめて、あたしに向けて指を伸ばそうとした。

 自分でも意識をしていないように、ゆっくりと、ゆっくりと。



 でもその手は、今度はあたしに触れることはなかった。



 時子さんは我に返ったように瞬きをすると、宙で指を丸めこむ。まるで熱したフライパンに触れてしまったみたいに。

 ぎこちなく頬杖をつき直すと、視線を燃え盛る暖炉に向けた。


「下僕みたいについてきてくれたんだから、せいぜいもてなしてあげるわ。楽しみにしてなさい」

「うん」


 暖炉の炎に浮かびあがる美しい輪郭に目を向けながら、あたしは頷いた。





 次の日、目が覚めた時は妙な感覚だった。

 普段よりもふかふかベッド。カーテンの隙間から洩れる光に目を細めた。

 蒲団をめくりあげると、寒さに身震いする。時子さんの別荘に来ていることを思い出した。部屋のなかはあたしの部屋よりはるかに広い。

 ゆかりちゃんの部屋よりは狭いけど、十分に広いということだ。

 スリッパを履くのも忘れてあたしは窓際に近づいてカーテンを開いた。

 まぶしい景色に目を奪われた。

 あたり一面の雪景色。朝日に照らされ、ダイヤモンドみたいに輝いていた。木々に残る緑に白い雪、土台には木の茶色。

 シュガードーナッツのミントトッピングって感じ。

 きっと食べたらシュンと冷たくて甘くて、そこにミントの香りが鼻を突きぬける。想像するだけで涎が出てきそうだった。

 スリッパを履いてからカーディガンを羽織り、部屋を出る。

 時子さんはもう起きているようだ。キッチンの方から音と、お肉のいい匂い。

 覗き込むと、キッチンでは時子さんがコンロに向かっていた。


「おはよう、時子さん」

「あら、おはよう」


 振り返った時子さんの姿に、あたしは目を丸くする。赤いエプロンに頭巾をつけて、手には菜箸。


「なに、その意外そうな顔は」

「以外というか、可愛いね時子さん」

「アァア?」


 不愉快そうな顔された。




「馬鹿にしてるの、法子」

「可愛いって言われるのはいや? 有香ちゃんやゆかりちゃんは喜ぶよ」

「黙りなさい。またブラックのコーヒーを淹れるわよ」

「うう、それは勘弁して……」

「ふん。もう朝食が出来るわ。顔を洗ったら準備を手伝って」

「はーい」


 洗面台に向かおうと思ったけど、またキッチンを覗き込んだ。


「ねえ時子さん」

「なによ」

「ドーナツはないのかな?」

「早く手を洗ってきなさい。トロい奴は嫌いよ」


 朝食はパンとサラダ、目玉焼きに昨日食べたソーセージの残りだった。

 食事をしながら、今日の予定を尋ねてみた。


「別に。特にないわよ。この雪の中じゃ出掛ける訳にもいかないし。一日中、料理でもしながら本でも読んでいるわ」


「それとも」と時子さんは続けた。「貴方はなにかやりたいことがあるのかしら」


 あたしはふるふると首を振った。


「時子さんと一緒にいられたらそれでいいよ」

「そう」


 素気なく時子さんは言った。
 結局あたし達は昨日の夜のように、リビングでなにをするでもなくくつろいでいくことにした。

 時子さんは言っていたとおり、文庫本を読んでいた。

 あたしは奇麗に雪化粧された庭を見ながらのんびり時間をつぶしていた。



 とはいえ、流石に飽きてくる。

 本を読んでる時子さんの邪魔をするのも悪いと思って、話しかけづらかった。

 あたしは時子さんに断わりを入れて庭に出ることにした。

 コートをまとい、別荘に置いてあった長靴を履いてテラスの扉を開ける。吹き込んできた寒さに身が絞まった。
 視界は一面銀色に覆われていた。

 もしかしたら、ガラスの靴はこの雪を集めて作りだしたんじゃないのか。そう思うくらい美しくて目を奪われた。

 テラスにも雪がつもっており、踏むときゅっと雪が鳴いた。足を上げるとあたしの足跡が綺麗に残っていた。

 白い息を吐きながら、あたしは階段を降りて真っ白な庭に降りていく。

 中ほどまで歩いてから振り返ると、あたしの歩んだ軌跡が綺麗に残っていた。

 うずうずしてきた。

 あたしは屈みこむと、足ものと雪を思いっきり両手で抱えるようにすくいあげる。

 それを勢いよくゆうに放り投げた。


「えーい!」


 あたしの作りだした雪景色は、神様が作り出した雪景色のように綺麗にひらひら落ちることはなく、弾けたポップコーンみたいに舞い上がった次の瞬間にはドサッと落ちてきた。

 雪の欠片が服の間に入り込んで、あたしは短く悲鳴を上げた。





 それから、あたしは雪だるまを作ってみることにした。

 本当はかまくらにチャレンジして見たかったけど、雪だるまを転がして大きくしていくうちに諦めた。一人で作るのは難しそうだから。

 時子さんに言ったら、手伝ってくれるかな。

 なんて思ったけど、そんなお願いは子供っぽそうに感じられたからやめておいた。

 雪だるまを作って、落ちていた木の枝で顔と手をつける。手袋はあたしの手袋を貸してあげた。


「あら、大きいの作ったわね」


 テラスの窓を開いて、時子さんが顔をのぞかせる。寒そうに体をさすっていた。


「えへ。どう、これ時子さん!」

「似てないわ」


 ばっさり切り捨てられた。でも、とあたしはアピールする。


「ほら、この目のあたりとか似てない?」

「いい。次それを私に似てると言ったなら貴方を鞭でひっぱたくわよ」

「そっか。鞭を持たせると時子さんらしいか!」

「人の話を聞きなさい」


 鞭の代わりになりそうなものを探している間、時子さんは壁に持たれかけながら、呆れるように腕を組んであたしに目を向けていた。





 使えそうな長い木の棒を見つけたので、それを雪だるまに持たせた。

 本当は上向きに持たせたかったけど、雪だるまは手を握れるはずもなく、立てかけるように下向きに置いた。


「どう?」


 尋ねると、時子さんはため息一つ。白い息。


「そうね、さっきよりは私らしくなったわね」

「似てるでしょ?」

「らしくなったと言っただけ。似てはいないわ。その差を理解しなさい」


 時子さんは気難しい。

 冷えたあたしに、時子さんはココアを用意してくれた。ソファーに座りながらココアを飲んでいる間、時子さんは昼食の準備に取り掛かった。

 時子さんの読んでいる文庫本に目がいく。気になって手にとる。古い本だった。


(これも、奏さんから借りたのかな?)


 ぱらぱらとめくってみたけど、それ以上見る気にならなくて、本を元の位置に戻した。

 昼食も豚の料理だった。少しはあたしも準備を手伝った。


「時子さん、本当に豚好きなんだね」

「貴方に言われたくないわ」


 確かに否定はできなかった。

 でもあたしにとってのドーナツと時子さんの豚って、なんだか意味が微妙にずれてる気がした。



 食事を終えて、食器洗いはあたしがやった。

 居間に戻ってくると時子さんはまたソファーに座っていた。

 のんびりしているのもいいけど、少し落ち着かなくもなっていた。

 あたしは自分の部屋に戻る。

 置いてあった大きな見鏡と向かい合うと、スマートフォンで今度踊る曲の振付を確認し始めた。

 スリッパじゃやりづらくて素足になった。ひんやりとした床が足裏に感じられた。

 一つ一つ、音楽に合わせながらステップを繰り返す。流れる時と止まる時を意識して。

 何度か繰り返していると、開けたままだった扉から、時子さんが顔を覗かせた。

 あたしはステップを止める。ベッドではスマホが音楽を流し続けていた。


「ごめん、うるさかった?」

「ええ、少しね。でも気にするほどではないわ。こんな時にもレッスンするなんて偉いじゃない」

「やってなきゃなんだか落ち着かなくて。お母さんたちにはレッスンの為って言ってあるんだから、少しはやらなきゃだよ」

「焦るのもいいのだけど、旅の目的はのんびりすることよ」


 結局、そこで練習はやめることにした。時子さんが散歩に誘ってくれたのだ。


「散歩といっても、歩けるような場所はないかもしれないけどね」


 準備を終えてあたし達は玄関から出た。

 時子さんはなんだか新しいスノーブーツ。




「雪が降ってるのは分かってるんだから、当然準備してあるに決まってるでしょ」

「なら最初に言ってよー。あたしだって自分の長靴持ってきたのにー!」

「黙りなさい」


 素気なく言った時子さんの口元は少し楽しそうに吊り上っていた。

 あたしは別荘に置いてあった長靴を借りた。それも綺麗なものだけど、長靴は長靴。

 お洒落なスノーブーツと並ぶと、どうしても野暮ったくみえてしまうのが悔しかった。

 私道の雪は深く積もり、一歩進むたびに片足を固定して後ろの足を引っこ抜く。

 並んで歩いていた時子さんが、足を滑らせて態勢を崩した。ぐらりと傾いた時子さんに、あたしは手を伸ばした。

 時子さんの指もあたしの腕に絡みつく。時子さんの見開いた瞳には、感謝と動揺が浮かんでいた。


「……ありがとう」

「気をつけてよね」


 離れる手に名残惜しさを感じながらあたし達は私道から出た。坂道は除雪が行われており、いくらか歩きやすい。立ち止まった時子さんが提案する。


「上に行きましょう。あっちにカフェがあるのだけれど、手造りドーナツがあるのよ」


 ドーナツと言われて、あたしが断る理由はなかった。

 そしてあたしたちは緩やかな坂道を上っていく。

 他の音は聞こえなかった。人の話す声も、車の走る音も。

 響くのは、雪踏む私たちの足音と、息使い。


 ここまで来ても、私たちは二人だけだった。




 そう思うと、靴の差もそんなに気にならなかった。

 だって、時子さんが気にしていないなら、あたしが気にする意味もないから。

 歩きながら、あたしは時子さんに尋ねた。


「ねえ、時子さん。時子さんってどうして奏さんと仲良くなったの?」

「奏と?」


 横を歩いていた時子さんは、あたしにちらりと目をむけた。


「さあ、どうしてだったかしら」

「お仕事で一緒になったことがあるの?」

「いいえ。ただ前に奏がやった仕事と同じのが、私にも依頼されたの。その時にあの豚が会わせたのよ、参考になるようにって」


 豚、というのはプロデューサーのことだろう。時子さんがプロデューサーを豚と呼ぶとき、他で豚という時と違う優しさが混じっているように感じられた。


「正直、面倒だとは思ったけどね。話してみると悪い子じゃなかったわ」

「それから仲良くなったんだ」

「仲良くという言い方が正しいかは分からないけど。そうね、お茶ぐらいはするようになったわ」

「ふうん」

「じゃあ、貴方はどうしてあの二人と仲良くなったの?」

「あの二人って、ゆかゆかのこと?」

「私が教えたのに、貴方が教えないとは言わせないわよ」

「どうしてって言われてもなー」


 うーん、とあたしは考えてみる。




「二人ともあたしと同じくらいに事務所に入ってね、レッスンで一緒になったんだ。あれは確か……ボイスレッスンかな。始まる前にお話ししててね。あっ、この子たちと気が合うなって思って。それで連絡先を交換して、仲良くなったの」


 本当に簡単なものだった。それくらいあの二人とは波長があった。あの後に二人とも年上だと知って驚いちゃったけど、あたしってあまりそういうの気にしなかったから、すぐに打ち解けられた。


「ゆかりちゃんはおっとりしてて危なっかしいけど、マイペースで穏やかでね。有香ちゃんはハキハキしてるけど、ちょっと照れ屋で可愛くて。二人と優しいんだ」


 ゆかゆかのことを話していると、あたしは自然と頬が綻ぶ。

 時子さんを見ると、ぼんやりとしたようすであたしの方を見下ろしていた。


「あっ、もちろん時子さんも優しいと思うよ」

「そんなフォローは結構よ」

「ホントだって、だから怒らないでよ~」

「どう見たら怒ってるように思えるの」


 呆れるように言いながらも、その口調はちょっと刺々しい。

 早足で歩いていった時子さんの片腕に、あたしは掴みかかった。急過ぎて、時子さんもあたしごと雪の中に倒れこみそうになったがなんとか堪えた。


「ちょっと……!?」


 時子さんはあたしが掴んだ手を引き抜こうとしたが、あたしは離さなかった。


「えへへ」


 笑いながら、鼓動が速くなっていることを意識してしまう。時子さんに気付かれないかと心配してしまうほど、鼓動は強く体に響いていた。

 時子さんの白い肌が、赤くなっていた。それはこの寒さのせいかもしれない。もしかしたら、あたしの顔も赤くなってるかもしれない。

 時子さんは驚いたようにあたしの方を見ていたが、ふんとそっぽを向いた。


「まったく。躾のなってない豚みたいね」


 そう言って、歩きだした。あたしは時子さんの腕を抱きかかえるように腕を組んで。

 二人で並んで。



 時子さんの言っていたお店についた。

 緩やかなカーブになっている道沿いに一軒だけあるログハウス風の外装だった。

 お店は閉まっていた。

 シャッターの下りた店の前につもった雪には、足跡一つついていなかった。

 あたしと時子さんは、シャッターの下りたお店の前でぽつんと立っていた。


「まったく、私がわざわざ来てやったって言うのに、閉まっているなんていい度胸じゃない」

「その理論はむちゃくちゃじゃないかな?」


 あたし達は閉じられた入口まで歩いて行く。張り紙が貼ってあった。


『冬の間はお休みします』


 考えてみれば当然だった。ここまで歩いてくる間、車一台通らなかったのだ。

 そんな時に店を開いても閑古鳥が鳴くだけだろう。

 あたしは時子さんの顔を覗き込んだ。時子さんは気まずそうに顔をしかめてから、あたしがしを振り払って腕を組んだ。


「冬には来ないからよ。いつもなら開いてるの」

「分かってるよ」


 別にあたしは気にはしていないのだけど、時子さんは納得していないらしい。

 扉の前で腕を組みながら張り紙を睨みつけ、時折ブツブツと文句を言っていた。




 あたしは改めて敷地を見渡す。駐車場となっている場所も、利用されていないようで雪が綺麗に残っていた。

 ふと思いついたあたしは、駐車場に屈んで雪玉を作った。

 それを時子さんの足もとに狙いをつけて、大きく振りかぶって。


「そう思わない法子?」

「うえ?」


 振り返って叫んだ時子さんにあたしは驚いてしまった。振りきるはずの腕が中途半端に止まったせいで、奇麗に弧を描いて飛んだ雪玉はあたしの予定より上を飛翔して。

 ずぼっ。と時子さんの顔に直撃してしまった。

 あたしは思わず絶句する。ぱらぱらと零れおちる雪の破片の奥から現れたのは、閻魔さまの如く顔をしかめている時子さんだった。


「……法子、あなたいい根性してるわね」


 頬をひくつかせながら顔の雪を払った時子さんに、あたしは引きつった笑みを浮かべた。


「いやあ、あはは……ゴメンなさい!」


 思わずあたしは走って逃げだす。そんなあたしの後頭部に思いっきり衝撃が襲いかかった。

 誰かに殴れたような感覚は、次に首元に入った冷たさにすぐになにか理解した。

 ズキズキ痛む頭を抑えながら振り返ると、時子さんが雪玉をギュっと握っていた。


「逃がすと思ったの……貴方には躾が必要なようね」

「えっと……手加減……してよね?」

「悪いわね法子……上に立つ者は決して、手を抜いちゃダメなよの」


 嗜虐的な笑みを浮かべた時子さんは、あたしに向けて握りつぶした雪玉を投擲してきた。



 結局そのまま二人だけの雪合戦になった。あたしも負けてないんだけど……時子さん、本当になんでも出来るんだね……。

 勝敗を決めてなかったけど、仮に審査員がいたなら2―9ぐらいであたしの負けになってたと思う。

 息をついた頃には、日は傾き始めていた。

 夕日は冬限定の白いキャンバスをどう塗ろうか悩みながら、ゆっくりと自分色に染め始めていた。

 あたし達はお店の前の階段に腰をおろして、その光景に目を向けていた。


「雪合戦なんてやったの、何年ぶりかしら」


 体を動かしたせいで火照ったのだろう、頬が赤くなった時子さんは、遠い目をしながらも、すっきりしたような顔だった。


「時子さん、雪合戦やったことあるの?」

「あら、私をなんだと思ってるの。そういうことをやる年頃もあったわよ。意外かしら」

「うんうん、そんなことないよ」


 嘘だった。時子さんが雪合戦……想像がつかなかった。


(って、今あたしとやったんだけどね)


 雪合戦をしている間に、二台車が通り掛った。一台目が通りかかったときは、時子さんは取り繕うように投げるのをやめたので、あたしは隙をついてボンと一発時子さんに命中させた。

 二台目が来た時もチャンスだってあたしは思った。ところが、あたしが車に目を取られている隙にあたしに時子さんは雪玉を命中させられた。

 その闘争心は流石だった。




 ふと考えてみる。時子さんが雪合戦をしていた年頃。

 今のあたしぐらいだろうか。もうちょっと年頃かもしれない。その頃の時子さん。

 大きな小学校、きっと私立だ。その校庭で雪合戦をしている。無邪気に走り回っている時子さん。

 その隣に、あたしがいたらどんな感じだったんだろう。今みたいな、元気か感じだったのか。

 それとも……案外大人しかったりするのかな?


「なにを笑ってるの、法子」


 どうやら表情に出てらしい。あたしは慌てて誤魔化した。


「なんでもないよ」


 時子さんは訝しそうな様子だったけど、深くは聞いてこなかった。

 それから、あたし達は別荘に戻ることにした。

 その帰り道も、あたしは時子さんと腕を組んだ。時子さんはそれを振り払うこともなく、そのまま受けいれてくれた。

 道の途中、ある小道にあたしは気がついた。行きでは気付かなかった横道だった。

 あたしがこの道について尋ねる。時子さんも知っている道だったようだ。すぐに答えてくれた。


「この山の山頂に続いているのよ」


 時子さんは道の先を顎で指した。そこには夕陽によって黒い影となった山が浮かび上がっていた。





 別荘に帰ると、つけっぱなしだった暖房の温もりがあたし達を出迎えた。

 火をつけっぱなしは怖いからと、暖炉の火を消す代わりに、時子さんがガスストーブの電源を入れていた。

 本当なら、ガスストーブのままでもいいのだけれど、時子さんは暖炉の火をつけた。

 上手く付けれるようになって得意になっているのかもしれない。

 それとも、あたしが暖炉の火が素敵、と言ったからかもしれない。

 暖炉に萌え出た火の明かりに、あたしは眼を奪われた。


「少し早いけど、動いて汗も出たでしょ。お風呂を沸かしましょう」


 時子さんの提案に、あたしも頷いた。お風呂が沸くまでの間、時子さんは夕食の準備にキッチン台に向っていた。

 料理の仕込みも出かける前に終わらせていたそうだ。


「今日は豚の角煮よ、法子」


 時子さん、本当に豚が好きらしい。

 沸いたお風呂には、あたしが先に入れさせて貰った。

 時子さんの別荘のお風呂は、なんとヒノキの立派なお風呂。木の柔らかな香りに包まれて、あたしはゆっくりとつかった。

 今でも、少し落ち着かない。時子さんも入った湯船。時子さんも入る湯船。

 あたしは顔を半分湯船に沈めて、ぶくぶくと口から泡を出す。

 手を湯船から出し、滴の残る腕をもう片方の手でなぞった。



 お風呂を出ると、暖炉の前で時子さんは座っていた。


「料理の方はいいの?」

「今は煮込んでいる途中よ」


 居間のテーブルには、タイマーが乗っかっていた。


「来なさい、髪の毛を梳かしてあげるわ」

「ホント?」

「嘘をついてどうするの。ドライヤーで焼き豚にされたいのなら別だけれどね」


 あたしは少し緊張しながら、空いていた傍らの椅子に座った。

 背後で準備されていたドライヤーが唸り出し、少ししてから熱い風があたしの後頭部にぶつかった。

 優しい手の触感。櫛があたしの髪の毛を梳かす。


「綺麗な髪ね」

「そうかな」

「そうよ」


 気恥ずかしくて、でも心地よくて。それ以上会話を交わさず、あたしは時子さんに身をゆだねた。

 ドライヤーの音が止まり、櫛が離れる。

 時子さんは、あたしの髪を僅かな間、なにも言わず弄んでいたけど、そっと離れた。


「どうする、髪は結ぶ?」

「うーん、いいかな」

「そう……じゃあ私もお風呂に入って来るわ」



 歩いて行く後姿を、あたしは見送った。時子さんは振り返ることもなく廊下を曲がる。

 一人きりになると、自分の髪に手を伸ばした。

 それを顔に近づけて、眼を細めながらあたしも弄ぶ。
 どうしてそんなことをしているのだろうと、少しだけ考えて。

 そこに『なにか』残っていないか。

 それを探していると自分で分かると、頬がじわじわと熱くなった。

 もしかしたら真っ赤になっているのかもしれない。

 そう思っても止められず、しばらくの間あたしは自分の髪を意味もなく弄んでいた。

 お風呂から時子さんが出てきた。濡れて湯気が立っていた。ブラウスにゆるいパンツ。

 時子さんならガウンでも着てきそうだけど、意外にも庶民派な恰好。もっとも、身に着けているのは室内着というには立派過ぎるものだけど。

 肩からは白いブラの紐が、僅かに覗いていた。


「時子さん、あたしが髪を梳かしてあげよっか?」

「あら、お願いできるかしら」


 湯上りで僅かに上気した澄まし顔で、椅子に座った。

 机に乗っていた櫛とドライヤーで、時子さんの髪を梳かしはじめる。

 あたしよりも長くて、滑らかな髪の毛。

 まるで清らかな川のように、指の合間を髪が流れていく。



 ぱちぱちと暖炉の鳴く音。


 いつの間にか、あたしは櫛を通すのを忘れ、片方の手のひらにそっと時子さんの髪を乗せていた。

 指で感触を確かめる。

 顔が熱くなっていた。


 あたしは、それをゆっくりと持ち上げると、顔に近づけた。


 ヒノキと雪、時子さんの甘い匂い。





 大きな音が室内に響いた。


 手から時子さんの髪の毛が滑り去っていく。

 あたしは心臓が跳ねあがった。

 勢いよく立ちあがった時子さんが、座っていた椅子を倒したのだ。

 時子さんは、暖炉を背にしてあたしに振り返る。


 その目にあたしは息がつまった。

 今までに見たことがないくらい、大きく目を見開いて、怯えているように見えたから。




 恐ろしいまでの軽蔑の視線。




「調子に乗らないでちょうだい」


 拒絶の響き。事務所で電話越しに投げかけた声と同じ、冷たい言葉。

 あたしは心臓がぎゅっと掴まれたようになった。喉をなんどか詰まらせ、それでもあたしは時子さんに尋ねた。


「そんな……でも……」


「調子に乗らないで」時子さんは言葉を繰り返した。先ほどよりゆっくりと、言い聞かせるように。


「度が過ぎるわよ。そこまでされる理由はないわ」


 時子さんは顔をしかめて、吐き捨てた。



「不愉快よ、貴方」



 その言葉はあたしの毛穴という毛穴から内部に沁み込み、冷たく心を突き刺した。

 心臓が一瞬止まったかと思った。頭が真っ白になって、視界がかすんできた。
 あたしは口を開こうとしたけど、声の代わりの別のなにかが零れてしまうように思えて。

 なにも言えなかった。

 時子さんに背を向ける。あたしは自分の部屋に飛び込んで、ベッドに丸まった。
 
 荒々しい自分の息が酷く耳に響く。心臓は冷たいくせにバクバク唸っている。

 涙をこらえようとしても無駄だった。

 あたしのいうことを訊かないで涙は瞳から次々と流れだし、止まらなかった。


 嗚咽が漏れる。時子さんに聞かれたくなかった。あたしは布団に顔をうずめて、嵐が過ぎ去るのを待った。




 それがおさまると、今度は気持ちが泥沼に沈んで行っていた。

 どうしてこうなったんだろう。すべてはあたしの勘違いなのか。正しくない気持ちなのか。

 怒りのような感情が湧いてくる。憎しみにも近いそれはけれど、怯えるような時子さんの顔が浮かんで消え去ってしまう。

 いろんな考えが浮かんでは心をかき乱して、終わりのない螺旋のように頭を混乱させた。

 やがてそれにも疲れて、あたしはなにも考えないようにしていた。ただやわらかな蒲団の感覚に逃げ。

 その感覚に埋まるようにあたしは沈んでいった。





 いつらか、ノックの音であたしの意識は目覚めた。部屋の中はすっかり暗くなっていた。

 返事をしないでいると、またノックの音。


「法子」


 時子さんの声。


「ゴメンなさい、私が言い過ぎたわ。その……動揺してしまったのよ。急に。もう怒ってないわ」

 嘘ではないとすぐにわかった。弱々しい声だったから。

 気丈に振る舞おうとしていたけど、不安げなのは隠しきれていなかった。


 そんな時子さんの声、あたしは聞きたくなかった。




「ご飯の準備ができてるの……だから出てきなさい」


 無視しようと思ったけれども、気配は扉の前から退こうとはしなかった。

 とたん、とても酷いことをしてるんじゃないかという思いがあたしの胸を締め付けた。

 あたしはベッドから体を抜け出した。

 扉を開ける。時子さんは居間に戻ろうとしていた。振り返った時子さんは茫然とあたしを見ていたけど。


「さあ、ご飯にしましょう。冷めてしまうわ」


 時子さんの擁してくれた料理は豚の角煮にお味噌汁。ご飯にサラダ。角煮は舌の上で溶けていった。口の中にワザとらしく油っぽさが残った。


「さっきは悪かったわ、法子」


 ショートグラスに入ったお酒――ワインとは別の、透明で柔らかくて甘い匂い――を飲んでから、時子さんが口を開いた。

 その声は室内に異物のように響いて聞こえ、あたしは少し驚いた。

 テーブルについてから一度も会話をしてなかったことに気付いた。

 時子さんの視線は手の中のグラスに向けられていた。


「ああいうこと、いきなりやってはいけないわ。失礼にあたるのよ」

「……」

「法子」

「でもあたし……」



「私のことを好きとでもいいたいのかしら」




 あたしの体が微かに強張った。

 時子さんは顔を上げ、いつものように不遜に微笑んでいた。まだ力ないけど、さっきよりは時子さんらしかった。

 あくまで諭すように、時子さんは言った。


「小さいときによくある勘違いよ、それは。誰かを愛するということを正しく理解していない時におこる、錯覚というもの」

「時子さんも、そういうときがあったの?」


 答えるかわりに、時子さんはグラスに口をつけた。


「時子さん、プロデューサーのことを好き?」

「彼のこと? ええ、嫌いじゃないわね」

「好きじゃないってこと?」

「嫌いではないわ。ただ……」

「じゃあ、奏さんのことは?」


 時子さんはちらりとこちらを見た。それから、グラスを手首でゆっくりまわし始めた。


「生意気でいけすかないこともあるけど。嫌いじゃないわ。でも、それ以上じゃないわ。奏とは」

「じゃあ、誰かを好きだったことって、あるの?」

「どうかしらね」


 時子さんは薄く笑みを浮かべた。奏さんみたいな誤魔化し方だった。

 あたしはふと、一緒にいったイタリア料理のお店を思い浮かべた。





 翌朝、目が覚めてしまった。

 けだるさが体に残って、頭にも薄い靄がかかっているのに。

 また寝付こうとも思ったけど、全然うまくいかなかった。カーテンの隙間からは、雪に反射した朝日がうるさくあたしをせき立てた。

 居間に向かう。テーブルの上には一人分の食事にラップがかかっていた。ソファーで座っていた時子さんが、こちらに振り向いた。


「起こすのも悪かったし……先に頂いたわ」


 時計を見た。確かにいい時間だった。


 食事を終えてから、あたしは直ぐに部屋に戻った。あまり時子さんと同じ場所にいたくなかった。

 心の中ではなにも整理ができていなかった。

 だからと言ってレッスンをする元気もない。冬休みの宿題を持って来ていたけど、それをやる気もない。

 結局ベッドで横になって、カーテンを開けた窓の外の景色を見ていた。

 光は無遠慮にあたしを責めたててくるけど、光を浴びている方が元気になるとどこかで聞いていた。

 本当なら、もっと素早く元気になる方法があるのだけれど。


(ドーナツ、食べたいな)


 でも、このあたりには街までは距離がある。時子さんに車を出してもらう気も起きない。

 街にドーナツ屋さんがあるかも分からなかった。

 せめて昨日時子さんが案内してくれたカフェが開いてればよかったんだけど。




 溜息をついたあたしは、窓の向こうに見える小さな山の頂が目についた。

 昨日、カフェの帰りに見つけた小道が続いている山だった。

 昨日は影となっていてとても遠く見えたけど、日の明かりに照らされたなかでみると、そう大きくはなさそうだった。

 どんな景色が見えるんだろう。

 別荘にこもっているより、あたしは外を出歩きたい気持ちだった。散歩にはちょうどいいかもしれない。

 あたしはコートを羽織って部屋を出た。


「時子さん、ちょっと散歩行ってくる」

「そう」


 素気ない返事だったけど、少しだけあたしは安堵した。無視されるかもと思ったから。

 長靴を履いてあたしは外に飛び出した。外気の冷たさと雪に反射する眩い光に、あたしは眼を細めた。

 歩いていると、木から雪が滑り落ち音を立てた。一羽の綺麗な鳥が、その木から飛び立っていった。

 道路に出ると、雪が少し解けていて、土と混ざって汚い色になっていた。

 じゃきじゃきと水っぽい雪道を歩きながら、あたしは道を上っていった。


 その横道に着くには、思ったよりも時間がかかった。
 
 誰も歩いた跡がない。道というよりも、できたてのクリスマスケーキみたい。

 真っ白な道が向こうには続いていた。

 小道の前には、縄がつるされており、侵入禁止の看板。


 ちょっと悩んだけど、あたしはそれ飛び越えて道の中に進んでいった。






 ザクザクと歩く。思ったよりも雪が深い。

 場所によっては膝ほどまで埋まっていた。

 長靴の中に雪が入って、足の指先が冷たくなった。だいぶ歩いたと思って振り返る。

 まだ小道の入口が遠くに見えた。


(思ったより、大変かも)


 ここまで来るだけでも、それなりに体力を消耗していた。

 足もとは緩やかな階段状になっていて、夏ならば快適に進めるのだろう。けど雪に埋もれていては、境目が分からず返って危なかった。

 段の長さも均等じゃない。途中で読み違えて、何度かこけそうになってしまった。

 でも、ここまで来たのだ。あたしはまた道を登り始めた。

 雪の上に茶色い影が見えた。あたしの頬は緩む。リスだった。

 小さくて丸っこい瞳をこちらに向けていたが、あたしが動こうとすると小さな足跡を残して逃げていった。


 風が吹いた。

 木々が揺れて、どこかで雪が落ちる音が聞こえた。


 小さく鳴く。木の枝を見ると、一羽の鳥があたしを見つめてきていた。

 あたしはその鳥の方へ一歩踏み出す。

 鳥は逃げようともしなかった。

 もう一歩踏み出して。


 雪に足もとをとられてしまった。


 あたしは息が詰まる。


 鳥のいる木との間には、亀裂のような穴が開いていた。


 深い亀裂だ。


 雪と疲労のせいで、見落としてしまっていた。

 体勢が崩れながら必死に手を伸ばしたけど、掴めたのは白い雪だけだった。


 ぐらりと視界が揺れながら、仰向けのままその亀裂に落ちていった。









 暗闇に覆われて、すぐにあたしは体を起こした。

 心臓がバクバクと唸っていた。荒い息をつきながら周囲を見る。

 亀裂といっても、そこまで深いものではなかった。

 深さで言えば五メートル。流れ込んでいた雪がクッションになったお陰で、怪我らしい怪我はしていなかった。無事であると分かると、次は服の間から入り込んだ冷たさに意識が向かった。

 でもすぐに起き上がる気にはなれなくて、しばらくは服の中に入り込んだ雪のなすがままだった。

 やっと立ち上がったときには、寒さと恐怖で体中が強張っていた。

 あたしが落ちた場所の反対側は、緩やかな坂となっていた。

 不安定な足もとに注意しながら、あたしはそこを上ると元の道に戻った。


 鳥はどこかへ飛び立ってしまっていた。

 改めて体の様子を調べる。本当になんでもないようだ。

 ほっとした瞬間、急に鉛のような疲労が体に襲いかかってきた。

 足がガクガクと震えてきた。近くの木にもたれかかって、あたしは息を整える。

 自分の吐息がひどく耳に響く。襲いかかる寒さをこらえるように、自分を抱きしめた。

 深く深く息をついて、冷たい空気が肺をずきずきと刺激した。


 意識がやっと落ち着いてくると、また山を登り出した。




 さっきより慎重に。
 
 途中で大きな木の枝を拾った。

 小枝を折ってから、杖の様にして足もとを確かめながら進んでいった。

 小さなリスが二頭、こちらを見ていた。

 奇妙な異物を警戒するような瞳だった。

 あたしはぎこちない笑みを浮かべただけで、その脇を通り過ぎていった。


 一匹の鳥が、木陰から飛び立った。

 雲ひとつない青い空を舞う鳥を見送っていたけど、その鳥が飛び立った場所になにかがあることに気がついた。

 あたしは息を飲む。




 鹿の死体だった。





 胴体は殆ど残っていなかった。皮を剥がれ、肉は綺麗に食われ、骨だけが残っていた。

 獣の足跡が残っていた。熊ではなさそうだ。そんなに大きくない。

 辺りには血の跡はなかった。死んでからそれなりにたっていたのだろう。それか、死んでから雪が降ったのだろう。

 胴体に対して、顔の形ははっきりと残っていた。

 今に鼻先を動かしてもおかしくないぐらい。

 でも、よく見れば目玉がなくなっていた。

 耳の付け根はなにかに食い破られたのか、赤い肉がむき出しになっていた。


(さっきの鳥が食べたんだ)
 

 あたしはそう思った。

 右前脚も、まだ毛がついた状態だった。関節部分が大きくむき出しになり、赤く染まった骨が見えた。

 あたしはその鹿の顔に指を伸ばす。

 堅い毛に触れて、すぐに離した。

 もしかしたら、動くんじゃないか。そんな思いが心を巡ったけど、そんなはずはなかった。

 鹿は死んでいたから。

 あたしは鹿を優しく撫でた。その手を、恐怖が優しく撫でていた。

 硬直して、堅くて冷たい。肌触りはぬいぐるみより、ブラシの歯のようにざらざらしていた。

 鼻に微かに混じり込む獣の匂いが、それが生きていたことを感じさせた。

 それを意識した瞬間、あたしは跳ね上がるように立ち上がった。


(進まなきゃ)


 そう思った。

 手の中に残る毛皮の感触を感じながら、あたしは道を進んでいった。






 歩道の終わりは、展望できる開けた場所だった。

 でもそこは頂点ではない、道の途中だった。

 さらに上に行く道が続いていた。

 でも、疲れ果てていたし、戻ることも考えればならない。


 これ以上昇っても、きっと意味はない。

 ここが、今のあたしの終着点だった。

 小さなベンチと、落下防止の木の柵が取り付けられている。

 あたしは柵の近くまで行って、景色を眺めた。

 そこからは街の方まで見渡すことができた。白い景色に別荘に街々。

 遠くに見える大きな山に沈みかけている、夕焼けというスポットライトに照らされて、夢みたいに綺麗に輝いていた。


 その風景のなかに、確かにあたしもいた。


 どれだけ眩い世界にいても、あたしはあたしでしかなかった。


 風が吹いた。


 吐きだす息は冷たく流され、世界に虚しく溶けていった。








 どれくらいそうしていたのか、あたしは少しして道を引き戻った。

 自分の歩いた痕跡を確かめながら、雪の中を戻っていく。疲れが体にまとわりつき、決してペースは速くない。

 一歩一歩、確実に下っていった。

 遠くにベージュのコートに赤い髪が見えた。向こうもあたしに気付くと、歩を早めて昇ってきた。


「法子」


 白い息を吐きながら、時子さんは深く息をついた。


「なにやってるのよ貴方。立ち入り禁止の看板が見えなかったの?」

「えへへ、ゴメンなさい」

「笑ってすむと思わないで」


 ムッと怒ったように顔をしかめていたけど、時子さんは急に抱きついてきた。すっかり冷えきった体を、強く抱きしめてた。

 耳元で、時子さんが囁く。


「心配させないで」

「時子さん」

「なに?」

「あたし、ドーナツ食べたいな」


 時子さんはあたしを正面から見つめると、呆れるように頬を釣り上げた。


「こんなときにドーナツだなんて。本当に食い意地の張った豚ね」









 別荘に帰ると、すぐにお風呂に入った。すっかり冷えた体に心地よく湯が沁み渡った。

 夕食は豚の煮込んだ料理。とても美味しかった。

 それから、あたしたちは初日のように、暖炉の前に椅子を並べて座っていた。

 時子さんの淹れてくれたコーヒーを、一緒に飲んで。

 取り留めのない話をした。

 事務所で同僚たちのことを中心に。あたしはゆかゆかのこと以外にも、いろいろな人のことを話した。

 今度一緒にライブをする人たちのこと。

 奇麗なフレデリカさん。元気いっぱいな茜ちゃんに智香ちゃん。

 意外と気の利く友紀さんに、ムードメーカーな美羽ちゃんと鈴帆ちゃん。

 いつしか、あたしばっかり話していた。

 横を見ると、時子さんが頬杖をつきながら、微笑みながらあたしの顔を覗いていた。

 あたしは話すのをやめて、時子さんと視線を絡ませた。


 時子さんははっとなって、顔を暖炉に向けた。

 あたしは時子さんの横顔に顔を向けていた。





「時子さん」


 呼びかけても、時子さんはちらりとこちらを見ただけだった。

 あたしは時子さんに手を伸ばす。

 柔らかな頬に触れた。時子さんは悲しそうな顔をした、それから、怪訝に眉をひそめた。


「法子、やめなさい」

「大丈夫だよ、時子さん」



 あたしは言った。


「信じて、あたしを」


 時子さんは小さく口を開いた。私は体を乗り出すようにして、時子さんに近づいていった。

 時子さんは僅かに身を引いて視線をそらした。あたしが手を優しく添えて、向きなおさせた。

 奇麗な睫毛の下では、琥珀色の瞳は暖炉の火でなによりも輝いていた。


 泣きそうにも、怯えるようにも、怖がるようにも見える表情だった。


 だけど、もうあたしを拒否しなかった。

 重なった唇からは、小さな吐息が漏れた。



 初めてのキスは、コーヒーの味がした。





 その夜、あたしたちは時子さんのベッドで寝た。

 お泊り会みたいで楽しかった。

 枕もとのランプをつけながら二人でうつぶせで並んで、色々な話をした。

 本当に、色々な話。

 時子さんは、高校は女子高に通っていたという。


「父は悪い虫がつかないように女子高に通わせたけど、今じゃ悪い虫がつくことを願ってるわ」


 目を細めながら、時子さんは言った。


「だから、アイドルになるのを時子さんのお父さんは許したの?」

「それも理由だけど……」


 時子さんは、枕に頭を乗せた。


「ドレスよ。母のドレス。母はね、私が結婚したときに、自分の着たドレスを着て欲しがってた。何度か見せてもらったわ。別に憧れはなかったけど、母が喜ぶなら拒否するつもりはなかったわ」


「でも」と、時子さんは言葉を止めた。目を細めながら口元を押さえた。


「私のことを父が知った時……怒り狂って……母のドレスを引き裂いたの。ボロボロに。どうせお前に着る機会はないんだって……そう言ったわ……」


 お父さんに、時子さんのことを知らせたのは、時子さんの友達だった。

 あたしは時子さんにキスをした。

 時子さんもあたしにキスしてくれた。

 夜が更けるまで、あたしたちは話をしていた。


 窓の外では、雪がまたたき始めていた。






 翌朝、あたしは外から聞こえる車の音で眼を覚ました。

 寝息を立てている時子さんを起こさないよう蒲団から抜け出して、時子さんの部屋を出た。

 玄関を開けると、新雪のなかにプロデューサーとちひろさんが立っていた。

 二人とも険しい表情をしていたけど、あたしは不思議と笑みがこぼれた。


「おはよう、ちひろさん、プロデューサー」

「法子……」

「どうしてここが分かったの?」


「近所に時子さんのご両親と知り合いの人が泊まりに来ていて、時子さんらしい人を見たからって電話をしたんだ。それで、僕の方に連絡が。時子さんがいなくなったことは、聞いてたから」


 時子さんのお父さんはかなり怒っているらしい。

 電話をとったのがお母さんでなかったら、警察に通報して捕らえる勢いだったとか。

 あたしのこともプロデューサーはすでに知っていた。あたしはパパとママに連絡をしなくていいと伝えていたけど、結局プロデューサーに連絡をお礼の連絡をしたそうだった。

 その時には、時子さんがいなくなったことをプロデューサーは知っていた。



 時子さんの『そのこと』も、時子さんの母親から電話で聞いていた。



「二人が仲良くしてるのは、なんとなく分かってたから……もし、一人じゃなくてお前と二人だと知れたら、時子さんのお父さんは彼女をどうするか分からないからさ」


 時子さんのお母さんはプロデューサーに時子さんを連れてくるように連絡をした。


「法子、分かってると思うけど僕にも君を預かっている責任がある。それを利用したことはいいことじゃない」

「うん、分かってる」


 あたしは頷くと、プロデューサーは驚いた顔をした。


「連れ戻しにきたんだもんね。すぐ準備するよ。でもお願い。時子さんはもう少しだけ寝かせててあげて。気持ちよさそうに寝てたから」


 あたしは荷物をまとめて発つ準備を終えた。最後に、もう一度時子さんの部屋を覗いた。

 寝息を立てている時子さんの頬に、あたしはキスをした。

 ちひろさんが別荘で時子さんを待ってくれるという。あたしはプロデューサーの運転する車の助手席に乗った。

 車は高速に乗って、軽井沢から離れていった。


「なあ、法子」


 その車内で、プロデューサーが口を開いた。控え目な調子だった。


「法子は……時子さんのことが好きなのか」

「プロデューサーもでしょ」


 ちらっとあたしを見てから、気まずそうに頭を掻いた。


「まあ……そうだね」

「プロデューサー、時子さんのことを知ってびっくりした?」

「ああ、驚いて……ちょっと残念だった。だから法子が羨ましい」


 冗談のようで、でも半分本当にそう思っているようにあたしに微笑みかけた。




 その顔が引き締まる。


「でも、みんなが素直に受けれてくれるわけじゃない。人は自分と違うものを簡単には受け入れらないからね。テレビにたくさん出てるから、そういう人を受け入れてる社会なんて言う人もいる。
 でも、あれは結局、そういう人たちを笑いものにしてるだけだ。
 もし目の前でそういう人が出てきたら、その人を指をさして忌避し、軽蔑するかもしれない」

「……あたしも、笑いものにされるってこと?」

「そうじゃない。ただ法子の年頃は繊細だ。自分が誰を愛せるか、もう少し見極める時間を作ってもいいんじゃないか。結論を急がずにさ」

「でも……時子さんは」



「時子さんは大丈夫。あの人は強いから」

「時子さんが?」


 あたしは自然と語気が強くなった。それが当然だとでも言いたげなプロデューサーに、ふつふつとした怒りがわいてきた。

 動揺した様子のプロデューサーに、あたしは言った。



「時子さんは強くないよ。時子さんだってたくさん傷ついてるんだよ。そんなことも分かってないの。プロデューサーなのに」



 あたしは無性に悲しくなって、そっぽを向いて窓の外を見た。

 景色には、ビルが目立ち始めていた。



 プロデューサーには、あたしの最寄り駅まで送ってもらった。

 車から降りるとき、あたしは少し反省していた。


「プロデューサー、ごめんなさい……さっきは言い過ぎちゃった」

「いや、いいんだよ。法子の言う通りだ」


「でも」とプロデューサーは続けた。


「きっと法子だから、時子さんもそこまで見せてくれたんだよ。そのことは、十分に喜んでいいことさ」




 あたしは歩いて家に帰った。

 気持ちが重くて、どこかに逃げ出したくもなったけど、あたしはまっすぐ家に帰った。

 両親が迎えてくれた。プロデューサーは、あたしの両親にも秘密にしていてくれていると言った。

 でも会った瞬間、二人ともあたしが嘘をついていることに気付いていると、あたしは分かった。

 玄関でなにを言おうか悩んでいるあたしに、両親は優しく微笑んでくれた。



「大事な用事だったんだろ。素直に言ってくれればよかったのに」


 あたしは顔を俯け、少しだけ泣いてしまった。







 年が明け、あたしたちはいよいよライブに向けて忙しくなってきた。

 ある合同練習のとき、あたし達の番が終わったら、プロデューサーが話しかけてきた。


「うん。やっぱり法子がセンターでもよかったかもな」


 少しだけ気が重くなったけど、それでもあたしは微笑んだ。


「やっぱり、まだ駄目かな」


 プロデューサーは優しく笑いながら、首を振った。


「いいや、逆だよ。法子も二人に負けてない。誰がセンターでも問題がないってことさ」






 合同練習は、奏さんも一緒だった。

 前よりも奏さんとよく話すようになっていた。

 どんな本を読んでいるかと尋ねると、その本を貸してくれたりもした。

 アメリカの小説だった。最近の本だけど原書自体は凄い古い本で、最近和訳されたらしい。


 表紙では、寂しい夜のカフェで、一人の女性が物憂げに一人座っていた。

 あるとき、奏さんと二人で喫茶店に出かけた。


「ごめんなさいね。私、おせっかいが過ぎたのかもしれないわ」


 目を伏せて、コーヒーに目を落としながら奏さんは言った。

 そんなことないよ。とあたしは言った。

 改めて尋ねた。時子さんと仲良くなった理由。

 奏さんは穏やかに笑んだ。


「波長があったのかしらね……それにちょっと……私が甘えてたのよね。だって時子さん、とっても優しいんだもの」


 うん、知ってる。と、あたしも微笑んだ。


 優しい相手に甘えたくなることも、あたしはとても理解できた。





 それは練習終わりだった。あたしが買ってきたドーナツを、ゆかりちゃんと有香ちゃんの三人で食べている時だ。

 澄み渡るような空の下の屋外テラスだった。その日は暖かな陽気だったから外にしたけど、やっぱりまだ寒い。

 自販機で買ったカップでは、ココアが湯気を立てていた。


「これ、いつものお店とは違いますよね?」


 有香ちゃんはドーナツを口にしながら、持ってきた箱を改めて見つめていた。


「これね。奏さんに教えてもらったお店なんだ」

「奏ちゃんにですか……?」

 とたん、有香ちゃんは少し難しそうな顔をしながらドーナツを見下ろした。

 奏さんから教えてもらったというのが、気になったらしい。


「あれ、もしかして奏さんと仲悪いの?」

「そんなことないですよ……別に」

「法子ちゃん」


 静かに、優しくゆかりちゃんが微笑んだ。


「有香ちゃんは妬いてるんですよ」

「えっ?」

「え、そ、そんな訳ないじゃないですか!」


 真っ赤にしてして否定する有香ちゃんに、あたしは眼を丸くした。


「なんで」

「だって法子ちゃんは悩んでいたのに、いつの間にか解決していたじゃないですか。有香ちゃんは頼って欲しかったんですよ。もっと」

「ち、違いますよ!」

「あら? でも前にそう言ってたではありませんか。解決したのは良かったけど、少し寂しいと」


 有香ちゃんはあたふたとしていたけど、あたしの視線に気が付くと、気まずそうに顔を俯けていた。




「……その、悩みが解決したのは嬉しいですけど……なんだか法子ちゃんが遠くにいってしまったようにも……思えて」


 有香ちゃんのあたしを思いやる気持ちは感じていたけど、実際に口にされるとあたしは胸が熱くなった。

 あたしは席を立つと、有香ちゃんのそばに移動した。


「の、法子ちゃん?」

「ゆーかーちゃん!」


 言うと同時に、有香ちゃんに思いっきり抱きついた。


「ちょ、ちょっと!?」

「遠くになんか行ってないよ」


 あたしは有香ちゃんの耳元で静かに言った。


「あたしはずっとここにいるよ。有香ちゃんもことも、ゆかりちゃんのことも大好きだから」


 大好きだから、二人に頼らないで解決しなきゃいけないことだったのだ。

 二人といると、あたしは甘えちゃうから。だって、二人ともとっても優しいから。


「二人がいたから、あたしは頑張ってこれたんだよ?」

「法子ちゃん……」

「あら? 有香ちゃん……泣いてますか?」

「な、泣いてなんかないですよ!」


 ゆかりちゃんの言ったことを必死に否定していたけど、その声には涙が交じっていた。


「えいっ」


 と、あたしの反対からゆかりちゃんも抱きついた。


「ゆかりちゃんもなんであたしに抱きつくんですか!」

「だって、私も寂しかったですもん」


 有香ちゃんの頭越しに、あたしを見つめてきた。


「私ももっと頼って欲しかったです……だから、私も少しだけ……妬いてるんですよ」


 そう微笑んだゆかりちゃんに。とても嬉しかったけど、有香ちゃんに抱きつく理由にはならないような。

 でも、いっか。


 寒空の下、あたしたちはそうやってしばらく抱き合っていた。







 時子さんのことは、あれから一度も見かけなかった。



 何度か電話をしたけれど、時子さんは一度も電話をとってくれなかった。

 事務所にも来ていない。


「一か月。謹慎だそうだ」


 その後は。


「昨日電話があった、またいつも通り事務所に来るって」


 プロデューサーは、あたしの気持ちを見極める時間が必要だと言っていた。

 でも、一か月たっても、あたしは時子さんのことを考えて涙が零れることがあった。

 ドーナツを食べながら、隣に時子さんがいてくれたら。そう思って。

 時子さんも、誰か想って泣いたことがあるのかな。

 その誰かは、あたしだったことがあるのかな。





 二月の始め、合同ライブの前日だった。

 その日はライブ会場での練習が入っていたのだけど、会場に向かう前、あたしは事務所に向かった。


 奏さんから借りた本を、忘れてきてしまったのだ。

 帰る時は急いで出たから、ロッカーの中に忘れてきたのかも。

 案の定、ロッカーの奥に本がぽつりと置いてあった。

 鞄にしまい、事務所を出ようとした時だ。



 そこで、時子さんと鉢合わせた。




 受付前のロビーだった。お互いに目が合った瞬間に、立ち止まった。

 時子さんはいつもと変わらない、ベージュのコートの大人スタイル。

 あたしは新しく買った灰色のコートを身にまとっていた。

 あたしは微笑んだ。


「久しぶり、時子さん」

「ええ、そうね」


 あたしは時子さんの元へ歩み寄っていく。


「よかった、時子さんが戻ってこれて」

「戻ってこないと思っていたの、貴方」

「少しだけ」


 えへっ、とあたしは笑った。時子さんも頬を釣り上げて腕を組んだ。

「父を脅したのよ。もし私のアイドルを妨害したら、会見を開いて包み隠さずに口にするって。父にとっては、知られたくないことよ。それで十分だったわ」


 周囲を気にしながら、小声でそう言った。


「流石時子さんだね」

「当り前でしょ、私を誰だと思っているの」


 あたし達は、くすくすと笑いあった。

 それから会話が途切れ、沈黙が降り注ぐ。

 生み出すべき言葉が沢山あるはずなのに、どれも言ってはいけないようにも思えて。



「あのね、時子さん」


 あたしは、精一杯に言葉を振り絞った。



「明日ライブがあるんだ。もしよかったら、観に来ない?」





 
 時子さんはその月のように美しく輝く瞳で、あたしをまっすぐと見つめていたけど、視線を逸らした。


「……明日は別の用事が入っているの」

「そっか」

「でも、用事が早く終わったなら、行くわ」




 その言葉はどこか力なかった。行こうか悩んでいる風だった。


 あたしは強制をしないように、静かに微笑んだ。







 翌日、ライブの日。会場は想像よりも狭かったけど、舞台からの景色は印象が違った。奥行のあるライブ会場だった。

 直前までせわしなく準備を進めた。

 沢山の事務所の仲間が観に来てくれたけど、そこに時子さんの姿はなかった。




 あたし達の歌の時にも、時子さんは現れなかった。




 歌は、うまく歌えたと思う。

 有香ちゃんやゆかりちゃんにはまだ叶わないかもしれないけど、精一杯を届けることができた。

 少なくとも、お客さんはとっても盛り上がってくれた。

 まだまだ未熟だったかもしれないけど、それでいいんだと思った。

 でも。一番聞いて欲しかった人は、そこに居なかった。

 そこまで落ち込むことはなかった。


 きっと来ないと、どこかで予感していたから。









「一階の右手前の扉を見て」


 そう耳打ちされたのは、ミニコーナーが終わった後だった。

 一通り歌を歌い終えた後は、ちょっとしたミニコーナーをやった。

 司会は友紀さん。意外と言っては悪いけど、みんなをにぎやかしながら、うまく進行を進めていた。

 そのコーナーも終わって、最後にメンバー全員で歌う直前だった。

 あたし達とは反対の方に立っていた奏さんが突然駆け足でやってきて、そう耳打ちをしたのだ。

 言われたとおり、客席のそちらに目を向ける。

 あたしは頬が綻んだ。

 その人は、赤い長い髪をなびかせ、コートも脱がすにそこに立っていた。

 手すりに手を置きながら、少しだけ前のめりの姿勢で舞台を見つめていた。

 その瞬間、あたしは確かに目があった。


 その美しい琥珀色の瞳と。


 遠くて、薄暗くて、表情はよく見えない。

 でも、きっとあの人は驚いた表情をしていた。あたしも驚いて、嬉しい表情をしていた。


 もしかしたら、それはあたしが勝手にそう思い込んだだけかもしれない。


 そんなのどっちもでもいい。


 貴方がここに来てくれた。


 それだけで、あたしは胸がいっぱいになった。






「ねえねえ二人とも、なにひそひそ話してるの~?」


 司会の友紀さんが、ニヤニヤと笑いながらあたしと奏さんを見つめていた。


「な、なんでもないよ友紀さん?!」

「そう? じゃあ最後の曲紹介は法子ちゃんに任せちゃおっかー」

「えっ!?」


 急な振りに、あたしは戸惑ってしまう。


「ほら、法子ちゃん」

「頑張ってください!」


 そんなあたしの背中をゆかりちゃんと有香ちゃんが押した。

 目が合った奏さんは、私のせいじゃない、とでもいうように微笑みながら肩をすくめていた。


 あたしは向き合った。お客さんと。



 そして時子さんと。






 思い出す。貴方と初めて会った時のこと。その時と一緒だ。

 お互いをちゃんと知って、初めて向き合っている。

 あたし達の交わす、新しい最初の言葉。


 あたしは、深く息をついた。


「えっと……いろんな人に支えられて、あたしたちはここまで来れました。家族や友達、ファンのみなさん。ドーナツみたいな素敵なワッカのお陰で、あたしたちはここにいられます……
 でも、あたしたちはまだつぼみなんだと思う……って、先にタイトル言っちゃった?」


 ゆかりちゃんと有香ちゃんに確認をとる。客席から笑いが起きた。


「ともかく、あたしは……あたしたちは、まだつぼみです。上手く咲けるか分からなくて、不安で……怖いけど……」


 言葉が詰まる。言いたいことが溢れて喉で押し合って、けっきょくなにも出てこない。


 あたしは顔を俯け、胸元でマイクを握り直す。背後で心配する気配を感じる。観客から応援が飛ぶ。

 それのせいで尚更言葉が詰まる。


「法子ちゃん?」


 有香ちゃんがマイクを覆って、あたしにだけ聞こえるように言った。振り向くとあたしは微笑み、頷いた。



 大丈夫。


 あたしは、大丈夫。


 あたしは客席に向き直った。





 静まりかえった会場に、あたしは想いをゆっくりと紡いだ。


「つまずくこともあると思うけど、それでも前に進んでいきたいです。私たちが飛ばした希望の種が芽吹くために」


 きっとこの先も、大変なこともたくさんあると思う。


 つらいこともたくさんあると思う。

 それでもあたしは、一緒に前に進みたい。



「だから、この歌を……届けます」




 誰よりも大切な、貴方と。




「つぼみ!」




 その花を咲かせられるように。




 花咲いた時、貴方が隣にいてくれることを願って。









     ――椎名法子「トキコ」《終》

 終わりです
 この作品は冒頭に貼ったにしむらくんさん(https://twitter.com/246r1031)のイラストがスタートでした。
 時子と法子での、『キャロル』ネタにビビッと来たので書いた作品です。
 掲示板に投稿する際には、イラストの利用を快諾していただいたばかりか、新規のイラストまで描いていただき、感謝してもしきれません。

 その素敵なイラストをもう一度張らせていただきます。
 http://i.imgur.com/ikHDKUb.jpg
 http://i.imgur.com/BlfsJEk.jpg


 イラストを提供していただいたにしむらくんさん。そして読んで頂いた方、本当にありがとうございました。
 楽しんでいただけたなら幸いです。

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2017年01月16日 (月) 14:59:18   ID: PTLvYiEU

なげぇ!

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