花陽「死を視ることができる眼」 (1000)

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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花陽「凛ちゃん危ないっ!!」


気がついたときには無我夢中で走り出していました。

運動神経は良い方ではなかったけれど、幸か不幸か、最悪の展開だけは避けられたんです。

凛ちゃんを突き飛ばして、迫り来る鉄塊と対峙。

許された思考は一瞬。

みんな、泣いちゃうかなあ──

/2
眼が覚めると、強烈な頭の痛みに襲われました。

でも痛みは長続きせず、瞼を開いた先ではお医者さんとお母さんが、驚いた様子で私を食い入るよう見つめてます。

驚いた、信じられない、奇跡だ。

そんな驚きの声が耳に届く中、私には一つだけ、どうしても気になることがあったんです。


花陽「どうしてお母さん達は身体にラクガキしてるの?」

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

花陽「にこちゃん……」

にこ「あんたが体調悪いと、こっちまで調子狂っちゃうじゃない……だからきっちり治して、とっとと帰ってきなさいよ。いい?」

花陽「う、うん。ごめんね、みんな」

凛「かよちん……早く良くなってね」


逃げるようにその場から立ち去っても、線は眼の前から消えてくれません。

それどころか、帰路に着くために街を歩いていると、余計に線を視る機会が増えました。

行き交う人の身体には必ず線が視えます。

前々から気がついてはいたんですが、どうやらこの線は、生きているモノには必ず刻まれているようなんです。


花陽「生きているモノには必ず刻まれている線、かあ。やっぱり病気なのかな」


帰り道、何気なく立ち寄った公園でふと考え事をしていると、珍しいものを見つけました。


花陽「なんだろ、これ。ペーパーナイフ?」


落とし物なら、届けてあげないと──

そう思った私は、目的地を自宅から交番に変更して、そそくさと歩き出しました。


??「そこの君、ちょっと待ちなさい」


振り向くと、そこにはスーツを着込んだ綺麗な大人の女性がいました。

パンツスーツとヒールがやけに似合うその女性は、かけていた眼鏡を指で軽くいじると、私に向かって柔和な態度で手招きしてきたんです。


花陽「あ、あの……なにかご用でしょうか?」

??「──それ、私のなのよ」


私は自分の手の中に収まったペーパーナイフを、じっと見つめて目を丸くしました。

/5
ペーパーナイフの持ち主だと主張する女性は、落とし物を拾ってくれたお礼にと、私を喫茶店に連れて行ってくれました。

どうやら女医であるらしいその人は、早々に私の悩みを見抜いてしまったのです。

女医「聞いたことのない症状ね。網膜にノイズが映る病気ならいくらでもあるけど、生きてるものに限定して線がかかるなんて病気、聞いたことがありません」


花陽「そ、そうですか……」


病気を治す手がかりが掴めるかもしれないと期待していたけれど、やっぱりダメかな。


女医「あなた、ドラッグとかやってない?今の話を聞いた限りだと、麻薬による幻覚症状としか思えないわ」

花陽「ま、麻薬だなんて……!そんなの滅相もないです!見たことだってありません!」

女医「ふふっ、冗談よ。巷で話題のスクールアイドルが薬に手を染めるなんて、あるわけないものね」

花陽「えっ?あ、あの……もしかして私のことを知ってたりしますか」

女医「もちろん。前回ラブライブの王者A-RISEに肉薄する期待の新星μ's……そのメンバーの一人である小泉花陽さん、よね」

花陽「ご存じだったんですね」

女医「ええ、私の弟子……じゃなかった。知り合いの……いや、これもちょっと違うわね。そう!部下の妹さんがあなた達の大ファンでね、よく話を聞かされていたの」

花陽「なるほど、だから私のことを……」

女医「見つけたときにピンときたから、サインの一つでも貰おうと思ったんだけど……どうやらそれどころじゃないみたいだったから──」

花陽「いえ、そんなに酷い悩みじゃありませんから気にしないでください」

女医「──本当に?」

花陽「はい……大したことじゃ、ないです」

女医「顔に辛いって書いてある……嘘は良くないわ」

花陽「…………」

女医「病は気からと言うでしょう。あれ、本当のことよ。あなたには悩みを打ち明けることができる人が、沢山いるんじゃないの?」

花陽「……いんです」

女医「ごめんなさい、よく聞こえなかったわ。もう少し大きな声で言ってもらえる?」

花陽「恐いんです。悩みを打ち明けたら最後、この病気がμ'sのみんなを不幸にしてしまうような気がして──」

女医「メンバーのこと、とても大事にしているのね」

花陽「はい……夢だったアイドル活動ができているのも、みんなが一緒にがんばってくれてるおかげですから」


女医さんは薄く微笑んだ後、目の前にあるホットコーヒーを飲み干しました。

その動きが優雅で、私は少し見蕩れてしまいます。


女医「……ぽっと出の新人である君たちが、どうして人を惹きつけることができるのか、わかった気がするわ」

花陽「ええっ!?そ、そんな……人を惹きつけるだなんて、とんでもないです!」

女医「謙遜することないのよ。君はもっと自分に自信を持っていい」

花陽「私、あんまり積極的じゃないから……友達にもよく言われるんです。もっと自信を持った方がいいって」

女医「その友達と同感ね。ちょっと自信を持つだけで、君が視ている世界は大きく変わるでしょう」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/6
日が沈みかけ、正に逢魔が時となった頃、私は穂むらで買い物をしてから帰宅することにしました。

穂乃果ちゃん達からは外をうろついている理由を訊かれましたが、図書館でゆっくりしていたから帰るのが遅くなった──と答えると、渋々ながらも納得してくれました。

本当は違います。

家に帰ってじっとしているよりも、身体を動かしている方がいくらか気が紛れそうだったからです。

線を視るのは気持ちが悪いけれど──

外のしんと冷えた空気を吸い込むと、考え過ぎのせいで火照った身体が冷えて心地いい。


花陽「でも、今日はちょっとぶらぶらし過ぎたかなあ……」


みんなが心配してくれてるんだから、早くこの病気を治す方法を探さないと。

明日にでも大きな病院でちゃんと見てもらわなきゃ。

そう決心した矢先のことです。


花陽「ん……?赤い、ペンキ」


それは、小さな染みでした。

でも、見逃すことのできない色をしていたんです。

赤い、赤い、私の身体に流れているのと同じ色をした染み。


花陽「どうしてこんなところに染みなんかあるんだろう。近くで工事なんかしてないし……」

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

大丈夫、問題ない、逃げられるはず。

一歩、また一歩と後退するごとにアレとの距離が離れていく中、曲がり角まであと少しというところで、砂利を踏んでしまいました。

血を啜るのに夢中だった女の動きが止まります。

まるで、時間が止まってしまったかのようでした。

人間とは思えない猟奇的な犯行を行っていた女は、ゆっくりとこちらに振り返りました。


花陽「あっ、ああっ……」


??「見たのね」


女の目は真っ赤に染まり、にやりと笑った口元からは二本の牙がのぞいています。

人並み外れた迫力に圧倒され、私は腰を抜かしてしまいました。


??「いずれ迎えに行こうと思ってた……でも、見られたのなら仕方ない」


花陽「い、いや、来ないで……」


??「九人いるんだもん──別に一人ぐらい食べちゃってもいいよね」


花陽「いやああああっ!!誰か、誰か助けてえええっ!!」


私が叫び声を上げたと同時に、髪の長い女は襲い掛かってきました。

死を感じたからかどうかはわかりませんが、女の動きはまるでスローモーションの映像を見ているようでした。

希望的観測かもしれませんが、足が動けば避けることができたと思えるくらい、女の動きは遅く、俊敏性に欠けていました。

ですが、それも動けたらの話。

へたり込んでしまった私に覆い被さるよう馬乗りになった女は、首筋に噛みつこうとしてきます。

花陽「いや、離してっ!!いやああああ!!」


両腕を使って必死の抵抗を試みますが、女性とは思えない怪力になす術もなく、徐々に口元が首に近づいてきているのが肌でわかりました。

生暖かい吐息に鳥肌が立ち、必死に身を捩ります。

ですが、女の牙が私の肌に突き刺さるのはもう時間の問題です。



──ああ、私こんなところで死ぬんだ。



さっきの男の人みたいに、首筋をずたぼろになるまで血を吸い尽されるんだ。

みんなでラブライブに出ようって、今度こそ優勝しようって約束したのに。

こんな終わり方、あんまりだよ。

腕の力が限界を迎えようとしていたとき、女の身体に刻まれた線がやけにぎらついていました。

白い線が、眼に語り掛けてくる。

死にたくないのなら方法は一つだ、と。

どうせ死ぬのなら──最後まで足掻かないとみんなに示しがつかない。

やらなきゃ、やられるんだ。

片手でポケットを探り、昼間もらったお守り代わりのペーパーナイフを取り出します。

私を押さえつけている女の左腕に走る線をしっかりと睨み付けると、線に沿ってナイフを這わせました。

花陽「ううっ……やああああああああっ!!」


何故そうしようと思ったのかは、わかりません。

しかし、その行動は間違っていませんでした。

まるでバターを切るかのようにあっさりと──

女の左腕は、線に沿って両断されたんです。


??「ぎゃあああああああああ!!」


痛みにのたうち回る女をどかして立ち上がり、私は茫然としました。


花陽「腕が……切り落とせた?」


いくら切れ味が良くても、ペーパーナイフで腕を切り落とすなんてできる訳がありません。

自分の手に握り締められたナイフを凝視します。

しかしいくら確かめたところで、腕を落とすほどの切れ味があるようには見えません。

女は人間とは思えないような雄叫びを上げながら、腕を切り落とされた痛みに呻いています。


??「くそっ!!腕がっ、腕が再生しないっ!!あなた、私の腕になにをしたのっ!!」


同情なんかいらない。

眼の前にいるのは、間違いなく人間じゃない。

それに──人殺しなんだ。

さっきと同じことができれば、私はこの化物に勝てる。



──この化物を殺し切れる。



そこまで考えて、私は我に返りました。

自分がどれだけ恐ろしいことを考えていたのか、気がついたんです。

殺す?

そんなことする必要がどこにあるの?

だって、仮に目の前にいるのがホンモノの化物でも。

生きてることには変わりないじゃないですか。

私がなんとかしなくても、きっと誰かが手を下してくれる。

今は逃げることだけを考えなきゃ。


花陽「……ごめんなさい。そこまで傷つけるつもりはなかったんです」


贖いの言葉は、きっと自分自身に当てたものでした。

路地裏から脱出するために全速力で走り出したあと、自分の言葉に強烈な違和感を覚えたんです。

それはおそらく、私の根底にある弱さに繋がること。



──私、どうして殺しにきた人に謝ってるんだろう。

/7
路地裏から飛び出した私は、思いがけない人物と出会いました。


希「おっ、花陽ちゃんやん」


先ほどの出来事で混乱していたので、声をかけてもらわなければ気がつかずに通り過ぎていたかもしれません。


花陽「希ちゃんっ!?」

希「こんなところでなにやってるん?もう夕飯の時間──」


言い切るよりも先に身体が動いていました。

私は希ちゃんの胸に飛び込みました。


希「あらあら……甘えん坊さんやね」

花陽「の、の、希ちゃん……ひ、人が……」


尋常ではない怯え方に、希ちゃんもただ事ではないと察してくれたようです。


希「……とにかく落ち着いて。怖がらんでも大丈夫やから、事情を説明してくれる?」

花陽「こ、殺され──」

希「えっ、今なんて……」

花陽「人が……人が殺されてたの。あの路地の奥で」

希「……それ、ホント?」


逃げて来た路地の方を指差すと、希ちゃんは怪訝な表情でそちらに向かおうとします。

私は希ちゃんの腕を引っ張り、懸命に引き止めました。


希「離してくれんと確認できんよ」

花陽「行っちゃダメ!まだあいつが……!」

希「あいつ……?もしかして花陽ちゃん、犯人と会ったん!?」


ただ首を縦に振るしかできない自分が情けなくて、眼にこみ上げてくるものを抑えることができません。


希「……っ!その血、犯人になにかされたの!花陽ちゃん、しっかりして!」

極度の緊張から解放されたせいか、意識が段々と遠のいていく。

最後に視たのは、倒れ込もうとする私を支える希ちゃんの顔に刻まれた、白い線。

あの化物にも刻まれていた、線。

そこで漠然とだけど理解しました。


──ああ、そういうことなんだ。


線の意味を理解したところで、私の意識は深く暗い闇の底に沈んでいきました。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

真姫「……花陽」


確かに大変で、おまけに凄惨でした。

それでもこうして生きているなら、また元の日常に戻ることができるはず。

犯人だって左腕を失っているんですから、好き勝手することなんて──


花陽「あっ──」


できる。

普通の人間なら、腕を切り落とされた時点で致命傷です。

ですが、もし私の眼が間違っていなかったとすれば。

──あれが、本物の化物だとしたら。

まだ生きている。

とどめを刺すことができていないんだから、また人に手を出すかもしれない。

可能性は捨てきれません。

それにアレが私を襲おうとしたとき、なにか嫌なことを口走っていたような気がします。


確か──


真姫「花陽……ねえ、聞いてる?」

花陽「あ、うん……ごめんね、なんの話をしてたんだっけ」

真姫「しばらく練習休んだ方がいいんじゃないって話」

花陽「え、ええっ!?どうしてそんな話に!?」

真姫「病院ではお静かに」


思わず口を手で塞いでしまいました。

自分で注意した矢先のことなので、凄く恥ずかしい。


真姫「みんなで話し合って決めたのよ。退院してからのあなた、ずっと心ここにあらずって感じだったから……」

花陽「やっぱり真姫ちゃんにもそう見えるの?」

真姫「ええ、私達に気を遣い過ぎなように見えるわ。それに──嘘もついてる」


真剣な眼差しで臆さず見つめてくる真姫ちゃんに、遠慮はありません。

心の内を見透かされているようで、私は思わず眼を逸らしてしまいました。


花陽「そ、それは──」

真姫「図星のようね」


嘘はついていません。

ただ、話していないことがあるだけ。

一番重要で、真っ先に打ち明けるべき悩みを、まだ誰にも話していないから。

花陽「…………」

真姫「まあいいわ。話したくないことは誰にだってあるもの……でもこれだけは忘れないで──」


冷えていた手を握られる。

真姫ちゃんの手は、想像以上に暖かい。


真姫「あなたの味方はここにいる──ちょっと手を伸ばせば掴める位置にね」

花陽「うん……絶対に忘れない」


手に伝わる温もりに応えるよう、しっかりと握り返す。

白い線は未だに視界から消えず、真姫ちゃんの手にも蔓延っています。

だけど、それでも──

今このときだけは、その煩わしさから解放されたような気分になれました。

それは、随分と久々のことのように思えたんです。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

花陽「──っ!?」


瞬間、心臓を鷲掴みされたような錯覚に陥りました。

車の波が押し寄せ始めると、視界が遮られ、向こう側が視えなくなる。

もどかしくて、歯痒い時間。

永遠とも呼べそうな長い長い待ち時間を越えて、ようやく信号の色が変わった頃、向こう側にはもうあの化物はいませんでした。

もしかして、気のせいだったのでしょうか。

──いや、違う。

あれは間違いなく、私を殺そうとした殺人犯でした。

しかし、だとしたら辻褄が合いません。

あの化物が吸血鬼なら、昼間に動こうとしたら日に焼かれてしまうはずだからです。

なら、アレは人間?

そもそも、どうしてまた私の目の前に現れたの?

わからないことだらけで、頭の上にクエスチョンマークが乱立する中、一つだけ思い出せたことがありました。


──いずれ迎えに行こうと思ってた。

/10
あの化物が私を襲う前に口にしていたことが、昼休みになっても頭から離れませんでした。

迎えに行く。

九人いるんだから。

それはつまり、最初から私達μ'sのことを知っていて、いずれ会いに行こうとしていたということ。

──人をあんな形で殺してしまうような人デナシが、私達に会おうとする理由はなに?


凛「わーっ!かよちんのお弁当、美味しそう!」

真姫「確かに美味しそうだけど……全部おにぎりじゃない、それ」

花陽「ご飯は大事だよ、真姫ちゃん」

真姫「……そんな迫真の声出さなくてもわかるわよ」

凛「真姫ちゃんの弁当箱は相変わらず豪華で大きいにゃあ!」

真姫「わ、私はいいって言うんだけど、お母さんがどうしてもって言うから──」


二人と楽しく昼ごはんをとろうとしてるんだから、今は余計なことを考えるのはやめよう。

嫌なことばかり考えて暗くなっちゃうと、せっかくのご飯が美味しくなくなっちゃいます。


凛「さっ、早く食べよ。のんびりしてたら昼休みなくなっちゃうよ」

真姫「そうね、いただくとしましょう」

花陽「うん、食べよう」


両手を合わせて、いただきます。

弁当箱から取り出したおにぎりを視ていると、我ながら会心の出来だと惚れ惚れします。

最高級の南魚沼産コシヒカリを贅沢に使い、先進の技術を用いて生み出された新型の炊飯器で炊き上げられ少し硬めに調整されたお米は、邪なものを寄せ付けない輝きを放っていました。

色、艶、香り──どれをとっても一級品であることに間違いありません。

もうこれだけで口の中が唾液だらけになるんですが、さらにここから一工夫。

お米からおにぎりに昇華するための工程を辿ります。

旨味が強い塩として有名な、石川県産・奥能登揚げ浜塩を使い、中まで握らず外側は形が崩れぬ程度にかためて、中はかるく、ふんわりと適度な力で握られたおにぎりは絶妙なバランスの上で成り立ちます。

それは、決して崩れぬ白色の黄金比──

私達日本人の心を掴んで離さない、美のホワイトトライアングル。

無垢な色をしたおにぎりを最後に飾り付けるのは、佐賀県産・初摘みの高級焼きのり。

仮にこのおにぎりがシンデレラだとすれば、私はさながらガラスの靴を拾う王子様というところでしょうか。

ああ───このおにぎりを口に運んでしまった瞬間、魔法は解けてしまうんですね。

けれど、わかっていてもこの口はあなたを求めてしまう。

海未ちゃん、私ようやくわかったよ。

これが孤独なheavenなんだね。

花陽「はーむっ!」


口に運んだ段階から、舌の上で米が躍るように──

あれ、躍らない?

あれ、あれあれあれ?

塩気も全然ないし、米独特のほのかな旨味も感じません。

限りなく仄かで不確かな、味のようなものがするだけ。


花陽「…………」


いくら最近色々と大変なことがあったとはいえ、分量を間違えたりはしないと思うんです。

気のせいだと思いたくて、もう一口食べてみました。

やっぱり、味がしない。

こんなに美味しくないご飯、食べたことがありません。


凛「ねえねえ、かよちん」

花陽「ど、どうしたの、凛ちゃん」

凛「凛の唐揚げとかよちんのおにぎり交換しよ?」


疑問に思った私は、凛ちゃんのおかずで試すことにしました。

花陽「うん、じゃあこのおにぎりをあげるね」

凛「やったー!かよちんのおにぎりゲットにゃ!じゃあ凛は……最後に食べようと思って残してた一番大きい鶏の唐揚げをあげるにゃあ」

花陽「ありがとね、凛ちゃん」

凛「ううん、むしろ凛の方がお礼を言いたいくらいだよ。かよちんのおにぎり……すっごく美味しいから」

真姫「どうでもいいけど、おにぎりと唐揚げじゃレートが合ってないっていうか……釣り合ってないんじゃないの」

凛「あれれ……もしかして嫉妬かにゃ?」

真姫「ち、違うわよ!誰が嫉妬なんか──」

凛「まあまあ、ちょっと落ち着くにゃ。真姫ちゃんには、卵焼きを一つプレゼントしてあげるから」

真姫「なんでそうなるのよ!」

凛「いらないの?」

真姫「……せっかくだから、一応もらっておくわ」

凛「あー、顔赤くなってる!」

花陽「ふふっ……耳まで真っ赤だよお、真姫ちゃん」

真姫「凛、あなたが変なこと言うから!」

凛「真姫ちゃんは照れ屋さんでかわいいにゃあ」

照れた真姫ちゃんとじゃれ合う凛ちゃんを横目に、私は交換してもらった唐揚げを一口だけ齧り、味わってみました。

──少しも味がしない。

どうやらおにぎりの作り方を失敗した訳じゃなくて、私の味覚に問題があるようです。

全く味のしない唐揚げを喉まで押し込んで、お茶を一口。

原因はわかりませんが、おそらくはこの眼に映る線が関係しているんだと思います。

会話を続ける二人に刻まれた線が、いつもより濃いように感じる。

不意に眼の奥が灼けるような痛みに襲われ、両手で眼を庇いました。


花陽「──っ!」


ようやく線が眼に馴染んできたと思っていたのに。

大きな勘違いでした。

慣れるなんてとんでもない。

あれは死そのものなんだと、ちゃんと理解したつもりになっていたんです。

おかしくて嗤ってしまいそう。

眼を庇っていた両手をゆっくりと下ろし、まじまじと観察しました。

この眼に映る現実がどれだけ異常であやふやなのか、線にナイフを這わせたときに感じたはず──

命を直接この手で切り落とす感触が、まだ残ってる。

幸い、二人は会話に夢中でこちらの異変に気がついていません。

平然を装いながら、二人の方に視線を向ける。

真姫ちゃんの膝の上に置かれていた、豪華で大きな弁当箱がやけに眼を引きます。

そこには、視えてはいけないものがあったんです。

二人と同じように、弁当箱にもうっすらと線が視えたとき──


私は本気でこの両眼を潰してしまいたいと思いました。

/11
穂乃果「よーし、今日は遊ぶよ!」


放課後、病院に行こうとしていた私を引き止めたのは、なにを隠そうμ'sのみんなでした。

真姫ちゃんから色々と話を聞いていたせいもあって、私の身に起こっている不調は精神的な疲労からくるものだと知ったみんなは、それを取り除くために全員で遊ぼうと計画したようなんです。


海未「あまりハメを外し過ぎてはいけませんよ。今日は心のリフレッシュのために休息をとるのですから、身体にあまり負担がかからない美術館見学などが──」

穂乃果「えーっ!せっかくみんなで思いっきり遊べるのに、美術館なんか行くの!?」

海未「なんかとはなんです。いいですか、穂乃果……美術館見学は一見現代の娯楽からかけ離れているように見えますが、楽しみ方さえ理解すれば、あれほど有意義に時間を使える場はないのですよ」

穂乃果「げっ……海未ちゃんスイッチ入っちゃってる」

凛「合宿以来の目の輝きしてるにゃあ……」

にこ「……なんとかしなさいよ。また明後日の方向に話進んじゃうわよ」

穂乃果「えー、にこちゃんがどうにかしてよ」

にこ「あんた、私がアレを止められると本気で思ってんの?」

凛「にこちゃん、上級生って感じじゃないからにゃあ」

にこ「うるさいっ!」


しかし、そもそも真姫ちゃんの推測が外れているので、遊んだところでこの眼が治ることはありません。

これは当たり前のことでもあります。

なにせ、私は一番最初に言わなくちゃいけないことを、ずっと先送りにしているんですから。


ことり「海未ちゃん」

海未「どうかしましたか、ことり」

ことり「今日はみんなの意見を聞いて、多数決で決めた方がいいんじゃないかなあ」

絵里「私もそれに賛成よ。偏ってしまうと息抜きにならないかもしれないから、今回は多数決がいいと思う」

真姫「……私も賛成」

海未「そうですね……私の意見ばかりで行く場所を決めるのも忍びないですし、なによりこれは花陽のためでもありますから」

絵里「花陽もそれでいいかしら」

花陽「はい、大丈夫です」

希「なら決まりやね」

穂乃果「やったー!じゃあ穂乃果は──」

にこ「にこはあ……カラオケがいいと思うにこっ!みんなで楽しめてえ、好きな歌を歌ってたらストレス解消にもなるしい、みんなもそれがいいよね!ねっ!」

穂乃果「あっ、にこちゃんずるい!自分で決めようとしてる!」

にこ「アイドルはいつだって先手必勝なの!もたもたしてたら生き残れないのよ!」


病院に行こうとしていたことを、私はみんなに話していません。

だからこそ、隠し事をしているという罪悪感で胸が締め付けられそう。

みんなは私のために色々と動いてくれているのに、私は自分のことばかり考えている。

μ'sは九人揃っていないとダメなのに──

希「今日は楽しくなりそうやね」


多くの不安が混ざり合った内心が、顔に表れていたのかもしれません

希ちゃんは様子を窺うよう、私の顔を覗き込んできました。


花陽「うん……きっとすっごく楽しいよぉ」


無理をしてでも、顔に笑顔という名の仮面を張り付ける。

それがどれだけ愚かな行為だとしても、今は止める訳にはいきません。


希「無理せんでええんよ」

花陽「えっ!?」

希「今日の息抜きを提案したの──誰だと思う?」

花陽「……希ちゃんが考えてくれたの?」

希「ううん、うちやない……穂乃果ちゃん」

花陽「穂乃果ちゃんが、私のために?」

希「うん……ほら、以前練習のやり過ぎで穂乃果ちゃんが倒れたことがあったやん。あのこと、忘れてないんよ」


ラブライブに対する想いが強すぎて、起こってしまった悲劇。

メンバーである私達は、穂乃果ちゃんのことを責めたりしませんでした。

何故なら、あの悲劇は精一杯輝こうとした結果だからです。

花陽「リーダーとして責任を感じてるのかなあ」

希「もちろんそれもあると思う。でも一番の理由はそうやない──花陽ちゃんに、自分と同じようなつらい想いをしてほしくないからやと思うんよ」

花陽「…………」

希「μ'sの絆が強くなれば強くなるほど、自分のせいで起きてしまった失敗の重さは大きくなる……メンバーが互いを信じあっているからこそ、必要以上に自分を責めてしまう」

花陽「大事だから──責任を感じちゃう」

希「そう……どうでもいいなら、悩んでいてもどこかで諦めや妥協が許される。でも、うちらの場合は違うやろ」

花陽「……μ'sはみんな揃ってこそ、だもんね」

希「苦しいときこそ支え合うべきやって、カードもそう言うてる……だから花陽ちゃんも、うちらに対して遠慮なんかいらんよ」


遠慮はいらない。

支え合うべき。

いつもならこれほどありがたい言葉はありません。

だけど、私は──


花陽「大丈夫だよ、希ちゃん。苦しくて助けてほしくなったら、すぐにみんなを呼ぶから──」


私の返事を聞いて薄く微笑むと、希ちゃんは少し声のトーンが高くなりました。

希「つらいことがあるんなら、いつでも相談してくれてええんやからね……さっ、それじゃあうちらも行こ。もたもたしてると置いてかれるよ」

花陽「あっ、待ってよ希ちゃん」


嘘が積み重なる。

いつか崩れてしまうものだとしても、それは今じゃない。

苦しくても、つらくても──

みんなのためなら耐えられる。

でも今はただ、みんなの優しさが──痛い。

/12
最初に訪れた場所はにこちゃんの提案通り、カラオケでした。


にこ「今日は久々に全員集合の息抜きだということでぇ、部長こと、この矢澤にこにーが記念すべき一曲目を──」


ことり「なに歌おうかなあ……海未ちゃんどうするの?」

海未「カラオケなんて久しぶりですから……穂乃果はもう決めたのですか?」

穂乃果「ん?まだだよ」

絵里「……こんなに大勢でカラオケだなんて久しぶりだから、迷っちゃうわね」

真姫「絵里、早く決めてよ」

希「そうよ。えりちが決めんとリモコン次の人に回らんやん」

絵里「だ、だってこんなにいっぱいあったら迷っちゃうじゃない」

凛「かよちんはもう決めたの?あっ、もしかして……いつものやつかにゃ?」

花陽「うん、最初はこれがいいかなって」


にこ「──って、人の話聞きなさいよ!」


相変わらずなノリで始まったカラオケ大会ですが、みんなは選曲で悩んでいるようでした。

μ'sでの曲ならともかく、普段はソロで歌うことは少ないですから、みんなが迷うのも無理ありません。

にこ「思ーい出を裏切るならっ!こーの宇宙(そら)を抱いて輝くっ、少年よ神話になれっ!」


穂乃果「おおっ、にこちゃん上手!」

絵里「さすがにこね」

花陽「や、やっぱりにこちゃんは凄いです」

真姫「へえ……思ってたより上手じゃない」

海未「この曲なら私も知ってますよ」

ことり「凄い有名なやつだよね」

凛「にこちゃん初っ端から飛ばすにゃあ」

希「にこっちやるやん、見直したよ」

にこ「ま、まあね……やっぱり私の溢れ出るアイドル力がそうさせるっていうかあ、アイドルなら歌唱力は必須だしい、これぐらいは当然ってやつよ」

花陽「ふむふむ……勉強になります」


にこ「──くふふふっ、息抜きついでにここでにこの株を上げておけば、部長としての威厳も保てて、いずれはセンター抜擢間違いなし……完璧な作戦だわ」


真姫「……全部聴こえてるわよ」

にこ「なっ、なんのことかわからないにこっ!つ、次は絵里でしょ、ほらマイク──」

絵里「あ、ああ、そうだったわね……久しぶりだし、ちゃんと歌えるかしら」

希「えりち、柄にもなく緊張してるの?」

絵里「こ、これぐらいで緊張なんてするはずないじゃない……いいわ、お婆さま仕込みの歌唱力──ここで魅せてあげる!」

イントロが流れ出すと、部屋の中がざわつき始めました。

どうやら絵里ちゃんが歌う曲も、みんな知っているようです。


絵里「──放て!心に刻んだ夢を、未来さえ置ーき去りにしてっ!限界など知らないっ、意味ないっ!この能力(チカラ)が、光散らーすそーの先に遥かな想いをー!」


絵里ちゃんが歌い終わると、一瞬の静寂が訪れました。


絵里「ど、どうかしら?」


問いかけの言葉が絵里ちゃんの口から零れたあと、室内が割れんばかりの拍手喝采に包まれました。


にこ「あわ、あわわわわわわ──」

穂乃果「絵里ちゃん凄い!まるで本物みたいだったよ!」

海未「プロ顔負けじゃないですか、絵里!」

希「えりちにこんな才能があったなんて……」

真姫「音程も完璧だったわ、まさに圧巻の歌声ね」

花陽「凄い、凄すぎます!」

ことり「こんなに上手なの、私はじめて聴いたかも」

凛「絵里ちゃん才能あるにゃあ!」

絵里「そんなに褒めないで……照れるわ」

にこ「ぐぬぬぬぬっ……」


みんなが一通り歌い終えたあと、次の場所を提案するタイミングで、にこちゃんは叫びました。


にこ「次はゲームセンターよ!」

/13
他に具体的な案が出なかったため、一悶着あったものの、結局ゲームセンターに行くことになりました。


にこ「アイドルなら、ありとあらゆる分野で活躍するための適応力が求められるわ。特にこのゲームセンターにはいろんな種類のゲームがあるから、試すにはうってつけってわけ」

凛「なんかにこちゃんの行きたいとこに行く企画になってないかにゃ?」

穂乃果「そうだよ、穂乃果だってまだ行きたい場所いっぱいあるのに!」

にこ「ちゃんと多・数・決で決めたでしょ。不正はしてないわよ」

凛「にこちゃんの鬼気迫ったプレゼンにみんな同情しただけにゃ」


にこ「なんとでも言いなさい──あら、あらあらあら?こんなところにみんなの音楽センスや反射神経を測るために最適なゲームがあるわよ。さあ、これを使って自分のアイドル力を見極め──」


花陽「あ、あれはゲームセンター限定のプライズ!しかも少量生産で数が少なく幻と言われていた、A-RISEの寝そべりぬいぐるみ!こんなところでお目にかかれるなんて……」

穂乃果「ホント!?見せて見せて!」

ことり「わーっ、これすっごくカワイイ!帰ったら自分で作ってみようかなあ」

真姫「レコードプレイヤーにターンテーブル……これ、どうやって遊ぶのかしら」

海未「DJの仮想体験ができるのかもしれませんね、興味深いです」

凛「希ちゃん、あそこで一緒にイニDやるにゃ!」

希「おっ、ええね。ようやくうちのドライビングテクニックを披露するときがきたみたいや」

絵里「これ、免許証がどうとか書いてるわよ……ホントに大丈夫なの?」


にこ「だから最後まで聞きなさいよ!」

時間はいっぱいあったので、私達は一旦、にこちゃんの企みに付き合うことになりました。

ゲームの筐体を視る限りでは、ステップを踏む台が用意されているので、にこちゃんは音ゲーをやらせたいのだと思います。


希「まっ、たまにはにこっちのワガママに付き合うのも悪くないかな」

にこ「誰がワガママですって……」

希「言葉通りの意味やん。で、うちらはこれを一曲ずつプレイすればええんやね?」

にこ「そうよ。まずは私が見本を見せるから、あんた達はにこの華麗なステップについて来なさい!」


八人の観衆の前で踊るというプレッシャーがありながらも、にこちゃんの踊りは中々様になっていました。

難易度の高そうなテンポの速い曲だというのに、あっさりとクリアしてしまうあたり、さすがにこちゃんといった感じです。

きっと普段の練習も活きているのでしょう。


にこ「次は花陽、あんたよ」

花陽「わ、私ですか!?」

にこ「ぱっぱとやっちゃった方がプレッシャーも少ないでしょ。簡単な曲でいいから、さっさと決めちゃいなさい」

にこちゃんなりの気の遣い方が微笑ましくて思わず吹き出してしまいそうでしたが、ここはありがたく先にやらせてもらうことにします。

うわー、いっぱい曲があってどれにすればいいか悩むなあ。

クリアするだけなら、なるべく簡単な曲の方がいいんだけど──

これ、どうやって選ぶんだろう。


花陽「えーっと、ここを押せばいいのかな」

にこ「バ、バカっ!そのボタンは選曲じゃなくて──」


にこちゃんが止めようとしたときには、時すでに遅しといった感じでした。

私が押したボタンは選曲のためのボタンではなく、決定ボタンだったようです。


にこ「あー、やっちゃったわね」

花陽「この曲はダメなの?」

にこ「それ、難易度激高の超難関曲よ」

花陽「ええっ!?難しい曲にしちゃったのお!!??」

にこ「これじゃ開始早々ぐだぐだじゃない……失敗したらクレジットなくなっちゃうし、代わりにやってあげるから」


にこちゃんが私の肩を叩いてやんわりと押し退けようとしたとき、私はそれを優しく拒みました。

にこ「あんた、この曲やるつもり!?」

花陽「それはそれでいい経験になりそうだから……あっ、ほらもう始まっちゃうよ」

にこ「……ったくしょうがないわねえ。ダメだったらあとで一曲だけ普通のやらせてあげるから、頑張んなさい」


ありがとう、にこちゃん。

よし、ちょっとでも期待に応えるために頑張ろう。

深呼吸して肺の中の空気を入れ替え、集中する。

──やっぱり難しいんだろうなあ。

曲が流れ出したのと同時に、大量の矢印が現れました。

上がってくる矢印を、タイミングよくステップを踏んで消化しなくちゃいけない。

せり上がってくる矢印は量がもの凄く多いし、組み合わせも複雑です。

今のところはスピードが遅いから簡単だけど、これから足が追い付かないくらい速くなっていくのだと、容易に想像ができます。

一つ一つ丁寧にステップを踏んで矢印を消化していくと、いつの間にかコンボ数が三百を超えていました。

これいつ終わるんだろう。

というより、いつ難しくなるんだろう。

そうこうしている内に曲は終了して、画面にはクリアの文字が表示されました。

難関曲だっていうわりに意外と簡単だったので、少し面食らいそうです。

とにかく、これでちょっとはにこちゃんの期待に応えることができたはず。


花陽「にこちゃん、これ意外と簡単だったよお──あれ?」


振り返った先には、口を半開きにして私のことを見つめるみんなの姿がありました。


にこ「……フ、フルコンボ」

真姫「しかも初見なんでしょ、これ」

絵里「花陽……ハラショー」


周りをよく視るとμ'sのみんなだけでなく、他のギャラリーも大勢集まっています。

湧き上がる歓声と拍手。

その喝采を一身に受けていると、なんだか気恥ずかしくなってきました。


花陽「あ、ありがとうございました!」


訳もわからずその場の勢いで礼をすると、逃げるようにみんなの元に駆け寄ります。


凛「かよちん、すっごいカッコ良かったよ!」

花陽「そうかなあ……えへへ」

凛「練習してるなら凛も呼んでほしかったにゃあ」

花陽「ううん、これで遊ぶのは初めてだよ」

凛「初めてでクリアしちゃったの!?」

真姫「だからさっき言ったじゃない。まあ、花陽なりの冗談だろうけど……こんなの初見でフルコンボ取るなんて、人間技じゃないわ」

花陽「──えっ?冗談じゃないよ」

真姫「いくらなんでも無理ありすぎ。そんな見え透いた嘘に騙される人なんていないわよ」

花陽「…………」


自分でもなにがなんだかわかりませんでした。

私にとっては簡単だったけれど、みんなにとっては難しく視えているということかもしれません。

にこちゃんが嘘を言っているようにも思えないし──

私だけが簡単にあの矢印を視ることができた。

花陽「ねえ、真姫ちゃん」

真姫「どうしたの?」

花陽「さっきの曲、とっても速かったよね」

真姫「速いなんてもんじゃなかったわよ……よくあれを視界に捉えておけるわね」


やっぱりそうだ。

おかしいのはみんなじゃなくて、私の方。

そして最も異常なのは、私の瞼の下にあるもの。

外界の情報を読み取り、脳に映像として認識させる器官。

──眼だ。

/14
最後に訪れたのは、音ノ木坂近くのバッティングセンターでした。

どうやら穂乃果ちゃんは、このバッティングセンターに一度だけでいいから遊びに行きたかったようです。


穂乃果「みんな、ファイトだよ!」

にこ「……あんた、ホントに元気よね。その活力がどこから湧いてくるのか教えてほしいわ」

穂乃果「打つぞーって気になれば、いくらでもやれるよ」

にこ「底無しにも限度があるでしょ!」

穂乃果「さあ、夢の甲子園目指して特訓しよう!」

にこ「いやあああ、にこもう動けないいい!!」

真姫「……ゲームセンターで無理に張り合いなんかするから」


いろんな場所を遊び歩いていたので、みんなにも少しだけ疲労の色が視えます。

ですが、このバッティングセンターを最後に解散しようと決めていたので、あとは流れのままというやつです。

ヘルメットを被り、金属バットを持つと、勢いに任せてバッターボックスに入ります。

穂乃果「せいっ!とうっ!」

ことり「やーん、こんなの速くて無理だよおおお!」

海未「──見切りました!」

絵里「えいっ!ふふっ、野球って意外と楽しいわね」

凛「引っぱって引っぱってえ……にゃあ!」

にこ「に、にここんな重いもの持てないー」

希「にこっち……多分、みんな打つのに夢中で見てないよ」

にこ「わ、わかってるわよ!見てなさい……にこにーのスーパーウルトラグレイトエキサイティングスイングをお見舞いしてやるんだから!」

真姫「やあっ!あっ、当たった……」


みんなが自由にバッティングを楽しむ中、私はバッターボックスで遅い球を淡々と捌きながら、少し考え事をしていました。

それはゲームセンターで音ゲーをプレイしたときに発揮した、驚異的な動体視力と反射神経についてです。

経験したこともない音ゲーの高難易度曲をクリア。

しかも、フルコンボで。

いくらなんでも異常だと気がつきます。

だからこそ、穂乃果ちゃんの提案したバッティングセンターに賛成したんです。


──ここでなら、その疑問を解消できるかもしれない。


先ほど生まれた謎を解き明かすには、身体のどの部位が発達したのか、見極める必要がありました。

花陽「まずは……100キロくらいでいいかな」


みんなにばれないよう、少しずつ球速を上げていきます。

試しに100キロの球を打ってみると、遅すぎて歯ごたえがありません。

ゆったりのんびりとストレートで投げ込まれる球なんて、片目でも打ち返せます。

ストライクゾーン目掛けて飛ぶ白球は、素手でも捕球できそうなくらいノロマでした。


──これじゃ足りない。


10、20、を飛ばして130キロに挑戦してみます。

速度としてはこの時点で相当な速さを誇っているはずですが、あまり変化はありません。

私の眼には、止まって視えるレベルの遅さです。


──まだ足りない。


しかし、速さは足りませんでしたが、他に新たな発見がありました。

私のスイングスピードが遅いせいか、130キロの球を打つようになってから、球が中々前に飛ばなくなったんです。

それこそ、ヒット級の球なんて五本に一本ぐらい。

球威に押されているのか、手がしびれて握力がなくなってきた感じもします。

ということは、つまり────


花陽「身体が強くなったわけじゃないんだ……」


自分の手の平をじっと見つめて、ぽつりと呟く。

動体視力と反射神経が超人的になっただけで、基本的な身体能力は以前となにも変わってない。

やっぱり、眼に関係する部位が発達しているようでした。

──なら、もう少し速くすれば確信が持てるはず。

私は球速を150キロに設定すると、バッターボックスで構えます。

これがこのバッティングセンターの最速──

最初の一球はわざと見逃します。

流石に100キロよりは若干速くなっていますが、まだ遅い。

これなら余裕で打ち返せる──!

花陽「っ──!」


ゆったりした速度で迫って来る白球に、全力のスイングをぶつけます。

芯で捉えた打球はピッチャー返しのコースに飛び、ネットで衝撃を吸収され、地に落ちました。

手がぴりぴりしますが、まだ挑戦します。

次々と発射される球を難無く打ち返しますが、ヒット級の打球は中々打てません。

打てませんが、おかげで確信を持てました。


──今の私は、速いだけのモノならどんな動きにだって合わせられる。


最後の仕上げとして、ラスト一球が来ようかというところでホームベースの真上に立つと、バットを刀のように構え、迎え撃ちます。


凛「っ!?かよちん、なにしてるの!」

絵里「花陽、危ないからやめなさい!」


近くにいた二人には気づかれてしまいましたが、構いません。

何故なら、止めようとしても間に合わないタイミングを選んでここに立ったから。

機械から発射される球は遅くて退屈です。


──そろそろ終わりにしましょう。


私の胸部目掛けて飛んでくる球を、真上から思い切り叩き付けます。

叩き付けられたボールは天井まで跳ね上がると、数回バウンドして転がっていきました。


希「大根切り?」

絵里「花陽、あなた……」

凛「……かよちん」


かなり集中していたので、最後の一球を打ち終えると一気に疲労が押し寄せてきました。

息も乱れていて、腕で額を拭うとうっすらと汗がつく。

胸の中でもやもやとしていた疑問を解消できたことで、私は自然と笑みを浮かべます。

またこれで一つ、わかった。

/15
絵里ちゃんは私がバッティングセンターで犯した失態について、厳しく叱りました。

一歩間違えれば大怪我をしていたかもしれませんから、絵里ちゃんが怒るのも無理ありません。

私はただ平謝りを続けることしかできませんでした。


絵里「あんなこと二度としないで……約束よ」

花陽「はい……ごめんなさい」


最後の最後に場の雰囲気を悪くしてしまいましたが、穂乃果ちゃんや希ちゃんのおかげでなんとか持ち直すことができ、ある程度は雰囲気を改善して解散することができました。

帰りはいつも通り凛ちゃんと一緒でしたが、どこか会話が弾みません。


凛「……今日は、楽しかったね」

花陽「そうだね」

凛「……ねえ、かよちん」

花陽「どうしたの?」


凛「やっぱり今日のかよちん、変だよ」


並んで歩いていた凛ちゃんが急に立ち止まりました。


花陽「そ、そうかなあ……いつも通りだと思うよお」

凛「ううん、絶対違う。凛が知ってるかよちんは、危ないことを自分から進んでやったりしない」

花陽「あれはちょっと調子が良かったからつい──」

凛「それ、嘘だよね。凛知ってるよ、かよちんがあんなに速い球を打てるはずがないこと」

花陽「そ、それはこの前、たまたま野球をする機会があったから、そこで練習──」

凛「それも嘘。ダメだよ、かよちん……嘘つくとき必ず指合わせる癖あるから、すぐわかっちゃうよ」

指摘されて、はっとなりました。

無意識の内に重ねていることに気がついて、すぐに指を離しました。

長い付き合いなだけあって、凛ちゃんは私のことをよく知っています。

もしかしたら、私よりも私のことに詳しいかもしれません。

それぐらい、私のことをよく見ています。


花陽「こ、これは……その……」

凛「ねえ、かよちん。凛とかよちんは、友達だよね」

花陽「友達どころか……親友だよ」

凛「ならどうして話してくれないの?」

花陽「話すって……なにを話せばいいの?」


俯きがちな私の眼を下から覗き込むような形で見つめて、凛ちゃんは言いました。


凛「かよちん、凛に隠し事してるでしょ」


花陽「っ──!?」


問われた瞬間、心臓を鷲掴みにされたみたいでした。

動揺を口に出さないようにするのが精一杯で、表情を上手く隠せたようには思えません。

凛「ほら、今度は顔に出た」

花陽「か、隠し事なんてしてない」

凛「それも嘘!ねえ、どうしてホントのこと言ってくれないの?話してくれれば相談にだって乗るし、かよちんのためならなんだってするよ!」


両肩を掴まれ、軽く揺すられる。

それでも答えは変わりません。


花陽「……ごめん、今日は用があるから先に帰るね」

凛「かよちん、待って!」


凛ちゃんの制止を振り切って走り出した先は、家とは真逆の方向でしたが、もう引き返すことはできませんでした。

その先に、どんなものが待ち受けていようとも────

/16
あてもなく街をふらついていると、次第に夜の闇が深くなってきました。

もうとっくに家に帰ってないといけない時間だけど、今日はどこにも帰りたくありません。

じっとしていると、振り切ったときに凛ちゃんが見せた寂しそうな顔を、鮮明に思い出してしまうからです。

でも野宿なんてしたことないし──

どうすればいいんだろう。

まるで夢遊病患者みたいに力なく歩いていると、視界の先にある人物がいました。

大勢の人が行き交う街の繁華街で、人混みの中から確かにこちらを見据えています。


花陽「どうして、また──」


今朝の交差点で行き遭った化物は私から視線を外さず、にやりと不気味に笑ったんです。

何故、こんなところに?

再浮上してきた疑問に対する解を探し出すよりも早く、例の化物はその場から逃げるように走り出しました。


花陽「待ってください!」


身体は自然とその女を追っていました。

理由はわかりません。

ただ自分を納得させる理由なら、いくらか見つけることができたと思います。

捕まえて警察に突き出す。私に付き纏う理由を問い質す。本当に人間なのか確かめる。

そう、理由なんかなんだって構いません。

今はあの女に追いつくのが先です。

人の波を最短ルートで抜け、全速力で走ります。アドレナリンの影響からか、身体の疲れなんて感じない。

どこまでだって走って行ける。


花陽「この道は、音ノ木坂に続く道じゃないですか──」


考えが思わず口から零れる。

十五分ぐらい追いかけっこを続けていると、音ノ木坂の近くにある橋の付近までやって来ました。

橋のたもとまで走ったところで、小休憩。

あたりは見晴らしがいいのに、あの女の姿は影も形もありません。

どうやら完全に見失ってしまったようです。


花陽「こんなに視界のいい場所で、突然消えたりなんかできるわけないのに」


まるで狐に化かされたような気分になりながら呼吸を整えていると、空き缶を高いところから落としたときに聴こえるような高い音がしました。

もしかしたら、橋の下に隠れてるのかもしれません。

警戒しながら土手を降り、ポケットに忍ばせていたペーパーナイフを取り出します。

橋の下に近づこうとすると、途端に嫌な臭いがしました。

むせ返るような鉄の匂いに、思わず鼻を塞いでしまいます。

街灯がなく視界が悪かったので、スマホの光で代用。

一歩一歩、慎重に歩を進めていると足になにかが引っかかりました。

拾い上げて確認すると、それは自動販売機でも手軽に買うことができる缶コーヒーの空き缶でした。

ブラックの缶コーヒー?

ゴミだとしたら、ゴミ箱に捨てないと──

あとで回収するつもりで地面に置くと、スマホの光に照らされて、先にあるものがちょっとだけ視えました。


──あそこにいるのは、人?


強烈な異臭に耐えながら先に進むと、臭いの元に辿り着きました。




人が、死んでる。




もはや元のカタチがわからないくらいバラバラに切断されて、肉片や臓器がそこら中に散らばってる。



花陽「あっ、ああ──」


ダメだ。

これはもう無理でしょう。

だって、こんなの耐えられるわけない。

足が恐怖で小刻みに震えてるのがわかる。

喉元までせり上がってくる胃液を無理矢理飲み込んで、私は一歩ずつ後退しました。

そのペースは段々と早くなり、ついには振り返って走り出しました。

花陽「いやああああああああああっ!!!!」


その後のことは、よく覚えていません。

とにかく走って、走って、走って、走って──

家に着くまでひとときも休むことなく全速力で走り続けました。

無事に家まで辿り着くと着替えもせず、自室の布団に潜り込み、眼をつぶってひたすらさっきの光景を忘れるよう努めました。

でも、脳裏に染み付いた映像はそう簡単に消えません。

どうしてあんなに酷いことができるの?

一体なにが目的なの?

どんな動機があれば生きている人を、あんな、あんなやり方で──


殺してしまえるの?

/17
沈み切った心は、そう易々と戻ってくることはありません。

昨日の夜に視た光景は、夜を越えても脳裏にこびりついたままです。

できることなら一生忘れてしまいたいですけれど。


真姫「……昨日、音ノ木坂の近くで殺人事件があったそうよ」

花陽「そ、そうなんだ……最近は物騒だね」

真姫「ホント、いい迷惑よ。これでしばらくは練習も中止せざるを得ないわ」


習慣である神田明神での朝練に参加するため、私は少しだけ早起きをしました。

実際は単に寝つけなかっただけですが。


凛「真姫ちゃん、かよちん、おはよー」


しばらく待っていると、私達から少し遅れて凛ちゃんがやって来ました。

昨日は質問に答えることなく、急に帰ってしまったので顔を合わせづらいです。


凛「かよちん酷いよ。凛を置いて急に帰っちゃうなんて……」

花陽「ご、ごめんね、凛ちゃん……この埋め合わせは、必ずするから」

凛「なら今度新しくオープンするラーメン屋について来てくれたら、許してあげるにゃ」

花陽「そ、そんなことでいいのお!?」


昨日とのテンションの違いに、素で驚かされました。

ちょっと様子がおかしいように思えます。

これほど簡単に昨日の真剣さが雲散霧消してしまうほど、凛ちゃんは忘れっぽくありません。

凛「いいよー。かよちんがついて来てくれたら、ラーメンも三割増しぐらい美味しくなるからね。そのときは真姫ちゃんも一緒に行こ!あっ、あとはシエル先輩も連れてくにゃ!」

花陽「えっ、今なんて──」

真姫「私は別に構わないけど……シエル先輩がラーメン屋について来るとは思えないわ」

凛「カレーラーメンが食べられるとか言っておけば、きっと来てくれるよ」

真姫「まっ、あの人カレーには目がないものね。その点に関しては花陽も──」

花陽「ちょっと待って!」


私の声によって、会話が中断される。

かなり大きな声を出したので、二人とも目を丸くして驚いていました。


凛「かよちんどうしたの?突然そんな大きな声出して……」

真姫「いきなり大きな声を出すからびっくりしちゃったじゃない」


なんの違和感もなく会話が進んでいること自体が異常でした。


花陽「シエル先輩って誰!?私、そんな先輩知らないよ!」


二人は顔を見合わせると、困り顔で私に詰め寄ってきました。


凛「か、かよちん……それ本気で言ってるの?」

真姫「冗談にしては悪質すぎるわよ」


??「そうですよ、小泉さん。いくら私がカレー派だと言っても、存在をないがしろにされるのは悲しいです」


そう言って目の前に現れたのは、ちゃんと音ノ木坂の制服を着た人でした。

リボンの色も、三年生と同じ──緑。

でも私はこんな人は知らないし、視たこともありません。

花陽「あ、あの、どちらさまですか」

??「あなたの二つ上の先輩のシエルですよ。μ'sが結成される前から色々とちょっかいを出していた、あのお節介焼きのシエルです。ほら、私の目をよく見て──」


シエルと名乗る人の目を視ていると、段々と自分の言動に自信がなくなってきました。

あれ、どうして私はシエル先輩のことを忘れてたんだろう?

私達がμ'sとして活動できるようになったのも、シエル先輩の助力があってのことなのに。


花陽「ご、ごめんなさい、シエル先輩!私、なんて失礼なことを──」

シエル「いいんですよ、小泉さん。私とあなたの仲じゃありませんか、細かいことは水に流しちゃいましょう」

花陽「は、はい!」

シエル「さっ、遅刻してもいけませんし……他の方がくるまでウォーミングアップといきますか」


シエル先輩の一声によって、私達は朝練の準備を開始しました。

特に変わり映えしない、いつもと同じ日常。

だというのに、なにかが違う。

大切なモノを、知らないうちにすり替えられてしまったような不快感。

白昼夢にしては現実味がありすぎて、どうもぱっとしません。

いくら考えても答えに辿り着く気がしなかったので、私は途中で考えることをやめました。

/18
昼ご飯を用意していなかった私は、食堂で食事をとることにしました。

一人ぼっちの昼ご飯になることも覚悟していたのですが、真姫ちゃんも凛ちゃんもシエル先輩も、一緒について来てくれました。

おかげで少しも寂しくなんかありません。


凛「今日はラーメンって気分だから……ラーメンにするにゃ!」

真姫「今日はって……あなたいつもそれじゃない」

シエル「では、私はカレーにします。小泉さんはどうしますか?」

花陽「じゃあ、私もカレーで……」


ご飯を食べられるなら、どれでもいいかな。


シエル「さすがです、小泉さん!」


券売機でカレーを選択した途端、シエル先輩は唐突に両手を握り締めてきました。

私を見る目は、まるで宝石のように輝いています。


花陽「あ、あの……シエル先輩?」

シエル「カレー、いいですよね!昼ご飯ならカレーうどんやカレーパンも悪くありませんが、ここで普通のカレーを選ぶところが実に小泉さんらしいです!」

花陽「そ、そうですか?」

シエル「そうです!そうなんです!やっぱりカレーとご飯の組み合わせは最高ですよ!いえ、もちろんカレーはどんな食べ物と合わせても抜群に美味しいことは言うまでもありませんけど、やはりこの国のお米は品質が違いますから!」


なんとここにもお米の良さをわかってくれる同志がいました。

花陽「わ、わかるんですか!?シエル先輩!!」

シエル「ええ、もちろんですとも!この国の主食というだけあって、お米は品種や品質に優れていますし、なにより炊飯技術や調理方法が群を抜いています!こんな国は他にありません!」

花陽「う、嬉しいです……ようやく話ができる人と巡り合えました。最近はお米に関心がない人が多いですから、話が通じる人が少なくて──」


力強く握り締められた手に応えるよう、こちらもきっちりと握り返します。


シエル「これしき一般教養の部類です。カレーの相方となる食べ物には、助力を惜しみません」

花陽「シエル先輩……」

シエル「小泉さん……さあ、二人で一緒にあの長い長いカレー坂を登りましょう!」

花陽「ん?ちょっと待ってください」

シエル「どうかしましたか?」

花陽「登るのはカレー坂じゃなくてお米坂ですよね」

シエル「いえいえ、カレー坂で間違いありません。あくまでもカレーが主役という前提でお米がありますから」

花陽「ちょっと待ってください、それは聞き捨てなりません。お米という主役がいるからこそ、カレーを美味しく頂けるんです。そこを履き違えてもらっては困ります」

シエル「ほう……言うじゃありませんか」

硬く結ばれたはずの手は易々と解け、私達は券売機前で睨み合いました。

先輩だからとか、後輩だからとか──そんなの関係ありません。


絶対に負けられない戦いが、そこにはあったんです。


シエル「カレーがなければ、米なんてただの炭水化物の塊。摂取しすぎてスタイルが崩れたらアイドル活動に支障をきたしますよ……小泉さん」

花陽「お米はこの国の主食で、絶対に切っても切れない関係なんです。お米がなければカレーなんて、ただ味が濃いだけのスープ……到底主食にはなれませんよ、シエル先輩」

シエル「同志になれるかと思っていたんですが……残念です」

花陽「私達、近いようでとても遠い場所にいますね」


両者一歩も譲らぬまま睨み合っていると、真姫ちゃんが間に入ってきました。


真姫「どっちだっていいけど……あなた達、もうちょっと周りを見た方がいいんじゃない?」


視線を逸らして周囲を確認すると、訝しげな目で私達を睨む人が大勢いました。

邪魔だ、用が済んだなら早くどけろ──

目線が如実に語っていました。

/19
例の殺人事件のせいで部活動は休止となり、放課後は早々に下校するよう言い渡されていましたが、私はすぐに帰ろうとはしませんでした。

シエル先輩に呼ばれたからです。


シエル「少しお話がしたいので、ついて来てもらえますか」


特に優先してやらなければいけないこともなかったので、凛ちゃんと真姫ちゃんには先に帰ってもらうよう伝えて、私はシエル先輩について行くことにしました。

連れて来られた場所は、茶道部の部室。


花陽「勝手に入っちゃてもいいんですか?」

シエル「私、μ'sのマネージャーと茶道部をかけもちしてますから」


そう言って中に入ると、シエル先輩はお茶を汲みました。

出されたお茶を頂きながら、何故ここに連れて来られたのかを考えます。

学校で練習ができないから、その相談というやつでしょうか。

でもそれならメンバー全員を呼んだ方がいいですし、一人だけ呼び出すのなら、リーダーである穂乃果ちゃんの方が適任です。

私でないといけない理由は、見当もつきません。

シエル「小泉さん、アルパカの飼育係もやっているんですね」

花陽「ご存じなんですか?」

シエル「ええ、今日の休憩時間に世話をしてる姿を偶然見かけまして──しっかりものなんですね、小泉さんは」

花陽「い、いえ……私は別に大したことはしてませんから」

シエル「そうですか?地味ですけど大事なことですよ。あの子たちは飼育してくれる人がいるから、平和で安全な暮らしが享受できるんです」

花陽「でも、それは私じゃなくてもいいんだと思います」

シエル「と、言いますと?」

花陽「今は私が飼育委員だから、世話をするのは私の仕事だけど……あの子たちにとったら、世話をしてくれる人は誰だって構わないんじゃないかって──」


シエル先輩はにこやかに頷くことで、私の言葉に反応していました。


シエル「──お人好し」

花陽「えっ?」

シエル「あなたのような人を、世間一般ではそう呼びます。もちろん、この場合は良い意味でそう呼んでいますが」

花陽「…………」

シエル「誰だって構わない……なんてことはありません。全く同じ料理を出されるのでも、作った人によってその味は変わりますよね?それは受け取る側の主観がそうさせるんです」

花陽「感じ方の問題、ということですか?」

シエル「はい、概ねその通りです。例えばここに大好きなカレーがあるとします。でも、そのカレーを作ったのが私の大嫌いなやつだと知ってしまったら、きっと知る前と同じように味わうことはできません。何故なら、これは私の大嫌いなやつが作ったカレーだからです」

花陽「レシピの問題じゃない……」

シエル「そうです。逆に言えば、ここにあるカレーが煮詰めすぎて黒焦げで美味しくなさそうでも、私が大好きな人が作ったものだと知ることができれば、感じ方は大きく変わるでしょう」

花陽「受け取る側の気持ちで、いくらでも変わるんですね」

シエル「つまりはそういうことです。だから誰でもいいなんてあり得ません。あのアルパカたちも、あなたのことを見ています。きちんと世話をしているあなたを、代えの利くどうでもいい人だなんて思っていませんよ……それに、見返りを求めない真摯な優しさの名前を、あなたは知っているでしょう?」


見返りを求めない、真摯な優しさの名前?

数秒だけ思案してみても、答えが思い浮かびません。


花陽「ご、ごめんなさい……ちょっとわからないです」

シエル「ふふっ、少しわかりずらかったかもしれませんね……なら一つヒントを差し上げます。あなたたちμ'sがいつも歌っていることですよ」


私達が、いつも歌っていること?

もしかして──


花陽「──愛、ですか」


シエル先輩は一度だけ頷き、答え合わせをしてくれました。

シエル「正解です、よくできました」

花陽「で、でも先輩……これが今日話したかったことというのはちょっと──」

シエル「まさか、これはきっかけですよ。愛を歌う九人の歌の女神、μ's……名は体を表すとはよく言いますが、俄然興味が湧いてきました」

花陽「あ、あの……先輩?」


一人の世界に片足を突っ込んでいたシエル先輩は、こちらのペースに合わせる気はないようです。


シエル「もちろん、今日この場所に小泉さんをお呼びしたのは、別の理由があってのことです」

花陽「……やっぱり、本題じゃなかったんですね」

シエル「まあまあ、どうせ今日は部活もできませんし、のんびりといきましょう。小腹が空いてらっしゃるなら、ご一緒にいかがです?」


そう言って、シエル先輩は鞄から大量のカレーパンを取り出しました。

ううっ、視てるだけで胸焼けしそう。


花陽「い、いえ……結構です」

シエル「そうですか……ちょっぴり残念ですけど、アイドルは食事にも気を使わなければいけませんもんね」


自分の分のカレーパンだけ分けると、残りを鞄に仕舞うシエル先輩。

あれ、全部一人で食べるんですね。

シエル「では早速、今日の本題の方に入ってもいいでしょうか?」

花陽「あっ、はい。大丈夫です」


シエル「──小泉さん、最近なにか変わったことはありませんか?」


質問の内容に、少しどきりとしてしまう。

単に変わったことはないかと訊かれているだけなんだから、正直に答えればいいのに。

負い目を感じるところなんて、ないはずなのに。


花陽「特には、ないです」

シエル「──本当に?」


指を重ねる癖を出さないよう、意識する。

嘘がばれないよう、眼を逸らす。


シエル「なら質問を変えますね」


正座していたシエル先輩が、こちらに身を乗り出して来る。

あまりにも大胆に距離を縮められたので、若干後ろにのけぞってしまいました。

その拍子に、逸らしていた眼が重なり──


シエル「最近、変なモノを見たことはありませんか?」


シエル先輩の目を視ていると、隠し事をするのが馬鹿らしくなってきました。

ぼんやりとした意識のまま、閉じていた心を開かれる感じがします。

花陽「変なモノなら、今もずっと視えているんです」

シエル「今このときも、ですか?」

花陽「はい……先輩の身体に線が視えるんです」

シエル「……なるほど、それは確かに変ですね。すると、私以外の人にも見えちゃったりしますか──その線」


私は首を縦に振ることで、肯定の意思を示しました。


花陽「人の身体だけじゃなくて、最近はモノにも線が視えるようになってきて……すごく困ってるんですけど、どうしようもできなくて」


シエル先輩は腕を組むと、悩まし気な顔をして唸ります。


シエル「うーん、弱りました……その眼に関しては私では手の施しようがありません」

花陽「そ、そんな……」

シエル「そう気を落とさないで……私の知り合いに詳しい人がいますから、その人にかけあってみます」

花陽「ホ、ホントですか!?」

シエル「任せてください。これでも私、そこそこコネがありますので──」

花陽「あ、ありがとうございます!」


あれ、私どうしてシエル先輩にこんなこと話してるんだろう?

迂闊に話していいような内容でもないはずなのに。

シエル「他にはなにかありませんか?」

花陽「それが……これは私と先輩だけの秘密にしておいてほしいんですけど──」

シエル「ええ、絶対に口外しないと約束します」

花陽「今朝報道されてた殺人事件がありましたよね」

シエル「音ノ木坂近辺で起こった猟奇殺人のことですか?」

花陽「はい。私、あの事件の犯人を知ってるかもしれないんです」

シエル「へえ……それは興味深い話ですね」

花陽「以前、殺人事件の現場を目撃したことがあって……今回の事件の犯人は、そのときの人と一緒じゃないかって」

シエル「どうしてそう思うんです?」

花陽「……そのときの犯人が、殺した相手の血をまるで吸血鬼みたいに吸ってるのを見て、それで──」


心臓の鼓動が早くなる。

赤く濡れた剥き出しの牙に、人間とは思えない異様な迫力を持つ瞳。

忘れようとしていた記憶が段々と掘り返されていくことで、身体が自然に震え出す。


シエル「小泉さん、小泉さんっ──!」

花陽「……は、はいっ!」

シエル「もう十分ですから、無理に思い出そうとしなくても大丈夫ですよ」

花陽「そ、そうですか」


シエル先輩が制止してくれなかったら、もっと酷い記憶を思い出していたかもしれません。

ここで歯止めをかけることができて本当に良かった。

シエル「あ、それと一つ言い忘れていたことがありました……今日は夜中に出歩いちゃダメですよ!音ノ木坂周辺で殺人が起きた以上、どこに犯人が潜んでいるかわからないんですから!」

花陽「あ、はい……気をつけます」

シエル「現代の吸血鬼事件、なんて報道されてるみたいですけど……小泉さんは吸血鬼の俗説って知ってますか?」

花陽「いえ、あまり詳しくは──」

シエル「不老不死だとか、十字架が怖いとか、太陽の下に出られないとか、血を吸われたものは吸血鬼になるとか……吸血鬼に血を吸われた人間が吸血鬼になるとしたら、なぜこの世は吸血鬼だらけになってないのでしょうね」

花陽「な、なぜって……」

シエル「例えば一人の吸血鬼が一日一人の人間の血を吸って、もう一人の吸血鬼ができるとします。これを吸血鬼になった人も繰り返すとすると、一カ月で地上は吸血鬼でいっぱいになってしまうんです。すごく怖いですよね」

花陽「……でもそれは『居たら』の話で吸血鬼は空想の怪物ですよね?」

シエル「そうです、吸血鬼は現実に居たらとんでもない怪物です」

冗談を言う素振りなんか微塵もない真剣な顔つきで、シエル先輩は言いました。


シエル「いてはいけない、怪物なんです」

/20
──いてはいけない、怪物なんです。

シエル先輩の言葉が、頭の中で何度も繰り返し再生される。

あれは紛れもなく、本物の吸血鬼だったと思う。

紅い瞳に、二本の牙。

人の血を啜り、喰らう鬼。

見間違いなんかじゃない。

あれはまだこの街に潜んでいて、私達人間を食い物にするつもりなんだ。

だとしたら、やっぱり放っておけない。


花陽「とは言っても……ここからどうすればいいんだろう」


シエル先輩の警告を無視して夜の街を彷徨い歩く私は、まるで生気をなくした死者のよう。

嫌な例えだとわかっていても、思考に歯止めはかかりません。

物言わぬ死者と私。

唯一違う点があるとすれば、それは確固とした目的があるかどうかでしょう。

──あの吸血鬼を捕まえて、話を聞き出す。

私に付き纏うだけならともかく、あいつはμ'sのみんなのことを知っていました。

このまま野放しになんてできない。

幸い、今の私には超人的な動体視力と反射神経があります。

事故に遭う前ならともかく、今の状態ならプロの格闘家を相手取っても負ける気がしません。

死角からの不意打ちでもなければ、どれだけ速い動きでも対応してみせる。

花陽「……なんですか、あれ」


小一時間の間、ひたすら音ノ木坂周辺を当てもなく彷徨っていると、妙な人を見つけました。

いえ、あれを人と呼ぶべきではなかったかもしれません。


花陽「う……ぐっ!」


急な吐き気に襲われ、無意識の内に口元を手で覆っていました。

どんな人間にだって、線は何本かあります。

でもアレは本当に人間なんでしょうか。


あの人──身体中が線に侵されてる。


線が密集する箇所は点のようになっていて、視ているだけで気分が悪くなってきます。

いろんな人の線を視てきたけれど、あんなに壊れてる人──今まで視たことない。

生気の欠片も感じない人はそのまま狭い路地の方を抜けて、つい最近着工を迎えたばかりの工事現場に向かっていました。

唐突にやってきた頭痛に耐えながら追いかけ続け、工場現場に辿り着くと、そこには大勢の人が待ち構えていたんです。

花陽「あ、あの……ちょっといいですか」

「………………」


返事はありません。

それに工事現場の作業員といった感じでもない。

この工事現場にいる人間に共通している点は一つ。

みんな一人残らず壊れかけだということ。


花陽「みなさんは本当に人間ですか」

「………………」


数はおよそ二十と少し。

一人ずつを相手にするなら、大したことはない。

バッティングセンターでのことを思い出して──

この人達があの球より速く動くなんて、ある訳ないんだから。


花陽「……それ以上近づいたら、容赦はしません」


徐々に距離を縮めてくる人の群れに応戦できるよう、精神を集中させ、研ぎ澄ます。

大丈夫。

今の私なら、やれる。

花陽「手荒になるかもしれませんから、先に謝っておきます。ごめんなさい……でも、私もこんなところで止まっていられないから」

「………………」


返答はありませんでした。

眼前の人達は雄たけびを上げることもなく、静かに私に向かって襲い掛かってくる。

でも、遅い。

ほとんど一斉に突進してきた人達を見切りながら、順にいなして距離を保つ。

視界に収めてさえおけば、この人達に遅れをとることはありません。

数は多いけど、この程度では脅威にすら成り得ない。


花陽「質問があります。あなた達はあの吸血鬼の仲間ですか」

「………………」


返答はなく、ただひたすら無言で私を見つめるだけ。

生きている人だとは到底思えない線の量といい、この人達はなにかがおかしい。

次々と襲い掛かってくる弾丸のような人の群れを躱し続けながら、隙を見つけて反撃する。

肘で鳩尾を打ち、相手の反応を窺ってみましたが、まるで効果がありません。

普通なら痛みにのたうち回ってもおかしくないのに。

花陽「はあああ……やあっ!」


両手でこちらの肩を掴もうとしてきたところを、顎に掌底をぶつけることで回避。

よろけて動きが鈍ったタイミングを狙い、脛を踵で蹴り飛ばす。

ですが彼らは呻き声一つ上げず、私をじっと見据えたままゆっくりと体勢を整え、また向かってきました。

どうやらこの人達は痛覚さえまともに機能していないようです。


花陽「……これだけは使いたくなかったけど」


ポケットに忍ばせたペーパーナイフに手を伸ばす。

これを使えば、きっとすぐに片が付く。

でも、この人達はあいつとは違う。

見た目は普通の人間なんです。

人に対してこのナイフを使ってしまったら最後──もう後には戻れなくなる。


花陽「くっ……どうすれば」


ナイフを取り出し、逡巡する。

人のカタチをしたものに刃を向けるなんて、アイドルのすることじゃありません。

しかし、私の打撃では相手をよろけさせるので精一杯です。

多勢に無勢ですし、まずは状況を改善してからじゃないと──

花陽「あっ──!」


右手で握り締めていたナイフが、後ろから抱きつかれた拍子に手から零れ落ちる。

独特の金属音と共に、ナイフが地面を転がっていく。


花陽「離して!離してください!」


凄まじい力で押さえつけられ、身動きが取れない。

背後には注意していたつもりだったのに、いつの間に──


花陽「ううっ……ぐっ」


周囲を囲まれ、逃げ場がなくなっていく。

早く振り解かないと取返しがつかなくなる。

だから早く。

全力で抵抗しないと。


花陽「い、いや……来ないで……」


ナイフさえあればこんな腕ぐらい、簡単に切り落とせるのに。


花陽「触らないで!だ、誰か助けて!」


前方から向かって来る三人の手が、私の服に伸びる。

乱暴に掴まれたせいか、セーターが破けました。

身体中に無数の腕が伸びてきているのに、まともに抵抗することもできない。

そのまま地面に押し倒され、首を絞められる。

両腕で首を締め上げられながらも、必死に抵抗する。


花陽「っ────!」


服が破かれ爪が突き刺さったのか、鋭い痛みが身体を蝕む。

足首を掴まれ、完全に身動きが取れなくなりました。

息ができない。

痛い、つらい、苦しい。

段々と意識が遠のいていく。

視界が白で染まって、なにも視えなくなる。

ああ、せめてナイフさえ使えれば──


??「死人が騒ぐな──目障りなんだよ、お前ら」


遠のいていた意識が急速に回復し、視界がクリアになる。

耳に声が届いたと同時に、私の首を締め上げていた腕の圧力がなくなりました。

花陽「げほっ、げほっ……!」

??「ただの遣いだっていうのにさ、面倒なことになりそうな気はしてたんだ」


私の身体を掴んでいた腕が全て切断され、地に転がっていく。

覆い被さっていた人を軽く蹴飛ばすと、声の主は私に手を伸ばしました。


??「で、あんたは生きてる?それとも死人?」


差し出された手を掴んで立ち上がり、周囲を見渡す。

私に群がっていた人はバラバラに切断され、既に息はありませんでした。


花陽「な、なんとか……生きてます」

??「ん?ああ──ようやく合点がいった」


単衣の着物の上に赤い革のジャンパー着る独特なスタイルをした女性は、私の顔を視て一人で勝手に納得すると、未だに尽きない人の群れに視線を向けます。

中性的な美しさを誇る横顔は、見ようによっては男の人に見えるかもしれません。

その手には、六寸もののナイフが握られています。

??「死が濃い場所を手当たり次第に回ってたら、いつか辿り着くと思ってた」

花陽「あ、あの……あなたは一体」

??「自己紹介はいい。今はこっちが先だ」


まだ十人も残っているのに、着物の女性はこの状況を愉しんでいるかのような笑みを浮かべました。


??「徒党を組んで人を襲う死者の群れ……ふん、確かにこいつは魔的だ。なら──」


着物の女性は流麗な動作でナイフを一回転させ、一言。


??「殺さなくっちゃな!」


獣のような俊敏さで飛び出し、着物の女性は空いていた方の手で私のペーパーナイフを拾い上げ、二刀流の要領で構えます。

彼女に向かって真っ直ぐ近づいて来る三人の線を素早く正確になぞりながら、振り返りすらせずに駆けて行く。

そのままの勢いを維持して三間ほどの距離を一瞬で埋めると、固まっていた五人の中心に潜り込み、まるで舞い踊るような可憐さでナイフを操り、線に刃を這わせました。


花陽「えっ──」


線に刃を這わせている?

けれど、この線は私にしか視えないはず。


??「八つ──!」


でも線が視えているという前提でないと、あの動きは有り得ない。

だとしたら、導き出される答えは一つ。

──あの人には、私と同じモノが視えている。


??「九つ!」


着物の女性は瞬く間に周囲の人をバラバラに両断していくと、最後に残った一人にナイフを投げつけます。

ペーパーナイフが線の密集した場所──つまり点に突き刺さると、刺された人は灰となって消えていきました。


??「これで十!」


この場にいた全ての人を切断したというのに、彼女の通った後には、腕の一本すら転がっていません。

投げつけたペーパーナイフをゆったりとした動きで拾い上げると、着物の女性はそれをまじまじと見つめて観察しました。


??「へえ……トウコのやつ、こんな上物を隠し持ってたんだ。どうせ面倒事になるのなら、こいつを報酬にしてくれたら良かったのに」

花陽「えっと、その……」

??「ああ、わかってる。こいつはお前のだ──オレだって人の得物を無暗やたらに奪ったりなんかしない」


手渡されたペーパナイフを仕舞って、改めて眼の前の女性と向き合い、深々と頭を下げました。

花陽「あの、私……なんてお礼を言ったらいいかわからないんですけど──危ないところを助けていただいて、本当にありがとうございました」

??「いいよ、そういうのは。こっちも訳ありで動いてたから、これはそのついで──別に良心の呵責がどうとか、人助けどうとかで手を貸したわけじゃない」

花陽「それでもありがたかったんです。あの人達に囲まれて身動きが取れなくなったとき……もうダメだって思ってましたから」

??「ま、死人と戯れるなんて経験──滅多にできないからな。そういう意味ではついてるよ、あんた」

花陽「……やっぱり、さっきの人達は普通の人間じゃなかったんですね」

??「当たり前だろ。連中はとうの昔に死んでるんだから、線だってなおのこと視えやすい……そもそも、あんただって視えてるならわかるはずだぜ」


視えている、か。

この人も、私と同じ眼を持ってるんだ──


花陽「あなたと私は、同じモノを視ているんですか」

??「さあな……ただ、これがろくでもないモノを視ることができる代物だってことぐらいは理解してる。あんたもそうなんだろ──小泉花陽」

花陽「──どうして、私の名前を?」


眼の前にいるのは紛れもなく命の恩人なのに、警戒心が働いてしまったせいか、一歩後退してしまいました。

??「……肉食獣に睨まれた小動物みたいな目をするなよ。ああ、やっぱりこういう仕事は苦手だ──蒼崎橙子ってやつに覚えがあるだろ。オレはあいつの遣いであんたに会いに来たんだ」

花陽「蒼崎橙子?いえ、聞いたこともありません」

??「トウコのやつ、名乗ってもいないのか……全く、魔術師って連中はどうしてああも秘密主義なんだか」


頭を抱えて悩んでいるあたり、どうやら本気で迷惑しているようです。

しかし、私も蒼崎橙子という人とは面識がないと思うので、フォローすらできません。


??「もういい……さっさと用事を済ませて帰る。ほら、これがあいつから渡されてきた品だ」


着物の女性は懐から取り出したケースを私に手渡すと、空けて中身を確認するよう促してきます。

片手にすっぽりと収まるサイズのケースを開いて確認すると、中にはアンダーリムの眼鏡が入っていました。


花陽「眼鏡、ですか……あっ、これ私が持ってるやつと同じ型のやつです」

??「いや、同じじゃない。かけてみればわかる」


言われた通り、素直に眼鏡をかけてみます。

すると驚くことに、視界から線が一つ残らず消えました。

事故に遭う前と同じ視界が、眼の前に広がっています。

なんだか現実味がなくて、まるで魔法にでもかかったみたい。


花陽「す、凄い!線が視えない……!」

??「そいつは視なくてもいいモノを視界から消せる……いわゆる魔眼殺しってやつらしい。オレはいらないけど、あんたには必要なものだろ、それ」

花陽「うわああああ、線が……やっと線が消えました」

??「喜んでるとこ悪いけど、眼そのものが治ったわけじゃないぜ。眼鏡を外したら、また元通り線を視ることになる」

花陽「いえ、一時的でも線が視えなくなるならこれほど嬉しいことはありません!やっと線から解放されると思うと、嬉しくて泣いちゃいそうです」

??「……話に聞いてた通りだな」

花陽「はい?」

??「小泉──あんたはこっち側に来るべき人間じゃない。突っ込んだ片足が抜けるまで、そいつを肌身離さず身に着けていた方がいい」

花陽「あの……それはどういう意味でしょうか」


こっち側というのはどこで、私がいる場所はなにを指すのだろう。

仮に私がいる場所が正しいのだとすれば、眼の前にいる女性がいる場所はおそらく、普通の人間が足を踏み入れることのない世界なのだと思います。


??「万物には全て綻びがある。完璧な物体なんてないから、みんな壊れて一から作り直されたいという願望がある──オレとお前の眼は、その綻びが視えるんだ」

花陽「…………」

??「死に触れた結果、死を直視することができるようになったなんて皮肉な話だけどさ、こんなこと普通は起こり得ないことだ。普通じゃないってことは異常ってことだろ──だから、あんたにその眼は似合わない」

花陽「私は普通ってことですか」

??「普通なのに、異常な眼を持ってる。だからバランスが崩れてややこしくなってるんだ。身体は異常に片足を突っ込んでるのに、心はそのまま──釣り合いが取れてないから、余計に苦しむことになる」

花陽「線を視るのは嫌ですけど……別に苦しくなんかありません」

??「下手な嘘だな」

花陽「……嘘なんかじゃないです」

??「心まで逸脱してしまえば楽になれるのに、あんたの中にあるなにかがそれを拒むんだろ」

花陽「私は──!」

??「オレには解る。あんたはそっち側の世界の住人だ──人並みに生きて、普通に死ぬ。その眼を手に入れてしまったのは、なにかの間違いなんだよ。だからさ、その眼鏡をかけて大人しくしていたほうがいい」

花陽「それはできません!」

??「どうして?死を視る必要がなくなることを、手放しで喜んでいただろ……もしかして、あれが嘘ってこと?」


嘘じゃない。

線が消えるようにと──

こんなラクガキを視界から消し去りたいと願っていたから、嬉しいに決まってるんです。

だけど、あの化物を捕まえるにはこの忌々しい眼の力が必要だから。

自分の身体がどれだけおかしくなっても、μ'sのみんなを守るためなら苦しくなんかない。

花陽「違います。線が消えるのは嬉しい……でも、今はじっとしていられないんです」

??「……死人を切ることさえ躊躇うやつが、生き残れるとは思えないけど」

花陽「そ、それは……」

??「今、この街は伏魔殿だ。そこらへんの路地から鬼や悪魔が出てきたっておかしくない。それを承知の上で、夜の街を彷徨う理由はなに?」

花陽「──守りたい人達がいるから、じゃダメですか」

??「それはあんたがやらなきゃいけないこと?」


きちんとした答えは、多分見つからない。

成り行きで吸血鬼退治をしようとしているのだから、仕方のないことだとは思う。


花陽「きっと、知らなかったら素通りすることができたんです。けど、もう知らなかった頃には戻れない……得体の知れない怪物がμ'sを狙っているかもしれないのに、無視して知らんぷりなんかできません」

??「自分から足を突っ込んでいくつもりって解釈でいい?」

花陽「必要なら、そうします」

??「なら勝手にしろよ。一応忠告はしたからな」


伝えることは全て伝え終わったとでもいうように、着物の女性は私に対する興味をなくしてしまったのか、踵を返して立ち去ろうとします。

花陽「あ、あのっ!」

??「なんだよ、まだなにか用でもあるのか」

花陽「こんなに凄い眼鏡をタダで貰うわけには──」

??「オレが頼まれてたのは、そいつを渡すところまでだ。渡したあと、これからどうするのかはお前が決めればいい」


こちらに向き直ることもせず、片手を上げて返事をする着物の女性。

立ち止まることなく歩を進めるその背中に、声を投げる。


花陽「せめて名前だけでも教えてもらえませんか!」


声に反応して、着物の女性の足が止まりました。


??「知ってどうする?また会うかどうかもわからないのに、面倒だろ……そういうの」

花陽「面倒なんかじゃありません!それに……このままだと不公平だと思います」

??「対等じゃないのは当たり前だ。オレとお前じゃ、住んでる世界が違う」

花陽「だとしても、視ているモノは同じはずです!」


数秒の間、互いに言葉を失ったかのように黙り込む。

場を支配する静寂を打ち破ったのは、着物の女性でした。


式「──両儀式。これで満足か」

花陽「……はい」

式「見た目と違って結構強情なんだな、アイドルって」


特に感慨もなく呟いた言葉は、おそらく皮肉だったのでしょう。

再び歩みを進めた両儀さんの背中が視えなくなるまで、私はその場で立ち尽くすことしかできませんでした。

/21
大した手掛かりを得ることができなかった代わりに、線が視えなくなる眼鏡を手に入れた日の翌日。

連続猟奇殺人の新たな被害者が出たということで、テレビはどのチャンネルに合わせても事件のことばかり報道していました。

犯人は精神異常者だ、とか。

薬物常習犯の可能性がある、とか。

これはとある宗教の信者が起こした犯行だ、とか。

どれも信憑性に欠ける推理ばかりです。

ただ、事件を報道する際、どの局も挙って同じ例えを用いました。

それは────


絵里「吸血鬼、ねえ……どんな人物が犯人だとしても、これは大変な事態よ」


昼休みの合間を縫って部室に集合した私達は、緊急ミーティングを開いていました。

事件のことは既に全員が認知していたので、集合をかけるのに余分な連絡は不要でした。

何故なら、ここにいる全員が事件に対して共通の認識を持っていたからです。


海未「花陽、先ほどの話は本当なのですか」

花陽「うん……秋葉近くの地区は、みんな部活を休止して下校することになったみたい」

にこ「UTXは!?A-RISEはどうなの!?」

希「これだけ事件が大きくなったら、例外はないやろうね」

穂乃果「そ、そんなあ──!」

真姫「それだけじゃないわ。下手をすると、この地区の選考は中止になる可能性だって出てくる」

凛「ならラブライブは!?凛達のパフォーマンスはどうなるの!?」

シエル「最悪、中止を余儀なくされるでしょうね」

ことり「せっかく沢山練習してきたのに……こんなのあんまりだよ」

重苦しい空気が、部室内に漂い始めました。

無理もありません。

みんなラブライブを目指して一生懸命努力してきたのに、悪質な事件のせいで中止に追い込まれるなんて、受け入れられるはずがないんです。

黙り込んだまま、誰も発言をしないことに痺れを切らしたのか、穂乃果ちゃんが机に手をついて勢い良く立ち上がりました。


海未「穂乃果、急に立ち上がってどうしたのです」

穂乃果「──私、理事長のところに行ってくる」

絵里「ダメよ穂乃果!理事長に直談判しても問題は解決しないわ!」

シエル「理事長の管轄はあくまでもこの学園内だけです。外に働きかけるのも限界があります」

真姫「そうよ。いくら理事長でも、できることとできないことがある……そもそも、部活の休止はここらの学校全てが行ってることじゃない」

穂乃果「だからってこのままなにもせずに黙ってたら、ホントに選考が中止になっちゃうよ!」

海未「わかっています!わかっていますが……どうか落ち着いてください!」

にこ「……私は穂乃果の意見に賛成よ」

希「──にこっちなに言うてるん!?」

にこ「なにもしないまま黙っていたら、中止は免れない……あんた達だって、それぐらいわかってるでしょ」

希「けど、理事長に言ったところでなんにもならないよ!」

にこ「そんなことわかってる!でもなにもしないよりはマシ……あんた達はどうなの」

凛「り、凛は大人しくしてた方がいいかなあって思うよ」

花陽「私も……凛ちゃんと同じです。あんなに酷いことをする人が街にいるかもしれないのに、ライブを見に来てくれるとも思えませんから」

にこ「そう……穂乃果、あんたは結局どうしたいの」

穂乃果「やらなきゃいけないって気持ちの方が強いけど、絵里ちゃん達が止める気持ちもよくわかる……だから、わからない」

にこ「わからないってどういうこと……まさか、諦めるつもりじゃないでしょうね!」

穂乃果「違うよ!こんなことで諦めたりなんかしない!だって、ラブライブは私達の夢なんだよ!今度こそ最後までやり遂げて、優勝するって約束したこと──忘れてなんかない!」


穂乃果ちゃんの発言で、にこちゃんは落ち着きを取り戻しました。

態度にも、少し余裕が生まれたように見えます。

きっと、穂乃果ちゃんの中にあるラブライブに対する情熱が消えていないことに、安心したのでしょう。


にこ「……ふん、心配して損したわ」

穂乃果「でもこのままじゃいけないこともわかってる。私達にはまだ次があるけど、三年生のみんなにとったらこれが最後のチャンス。だから今回を逃したら──μ'sとしてラブライブに挑戦する機会は二度と来ない」

絵里「……穂乃果」

希「……穂乃果ちゃん」


真剣な眼差しは、ここじゃない未来を見据えているようでした。

これからのこと。

私達のこと。

ラブライブのこと。

リーダーとしての責務を果たすため、その全てに対して想いを巡らせ、結論を出さなくてはいけません。

しかし、彼女はμ'sのリーダー。

答えを出すのに、そう長い時間は必要としません。

瞳の奥にある輝きはそのままにして、穂乃果ちゃんは言いました。


穂乃果「やろう!私達にできることを、全力で!」


海未「穂乃果!?」

ことり「穂乃果ちゃん!?」

真姫「……ようやくらしくなってきたわね」

花陽「ホ、ホントにやっちゃうのおっ!?」

凛「やっぱり穂乃果ちゃんはこうでなくっちゃ!」

にこ「いいわ、やってやろうじゃない!」

シエル「さすがμ'sのリーダーですね」


みんなの期待を一身に集め、穂乃果ちゃんは自分の考えを語り始めます。

リーダーが方針を打ち出したのですから、あとは流れる川の如くです。


穂乃果「今悩んでいるのは、私達だけじゃない。この地区のスクールアイドルは、みんな大変な思いをしてるはず……だから、その人達とも協力してなにかできないかな?」

絵里「……そうね。公的な活動をするのは難しいけど、一生徒としてひそかに犯人探しをすることは可能だと思うし、悪い考えじゃないわね」

シエル「それなら、私から一つ提案があります」

穂乃果「シエル先輩、なにか良い案があるの?」

シエル「ええ、みなさんの話を要約するとつまり──犯人がお縄になれば全ての問題は解決する。
だけど殺人を犯すような人を表立って捜査した結果、命を狙われるような事態を招くのだけは避けたい……ということですよね」

真姫「大方、その通りね」

シエル「でしたら、条件を限定するというのはどうでしょう」

海未「条件、ですか?」

シエル「はい。危険を避けながら、できる範囲内でのみ行動するということです。
今回の事件が現代の吸血鬼事件として大々的に報道されていることは、みなさんご存知ですよね」

にこ「当たり前じゃない。で、犯人は吸血鬼だから十字架でもぶら下げてろってわけ?」

シエル「いえいえ、犯人は十字架を引っ提げた程度ではたじろぎもしないでしょう。
ですが、件の犯人が吸血鬼らしい行動をしているのは事実です。そこから危険を避けるための条件を予め割り出しておく、というのはどうでしょう」

希「犯人と遭遇したり、狙われるリスクを最小限に留めるってことやね」

シエル「その通りです。もちろん、どれだけ条件を決めたところで襲われる確率はゼロにはなりませんが、それはなにもしていないときでも同じこと……平時と変わらないレベルで捜査できるなら、それに越したことはありませんから」

海未「話はわかりました。それで、条件というのは?」

シエル「細かいことは後々決めるとして、大事な部分だけ提案しておきましょう。
まず、捜査は昼間だけに行うこと──これだけはなにがあっても絶対に守ってください。犯行が起きたのはどれも夜間だと聞いていますし、昼間に限定するだけでも、遭遇する確率はかなり下がるはずです」

ことり「穂乃果ちゃんの言ってた、みんなで協力するというのは?」

シエル「もちろん、数が多いほど捜査の手間が省けるのは間違いありません。ですが、大所帯で行動するのは人目につきます。
どれだけ条件を設けても、それだけで全て台無しです。しかし、単独行動をするのはあまりにも危険すぎる──」

花陽「それなら、いくつかのグループに分かれて調べるのはどうでしょうか」

シエル「ええ、それが一番無難だと思います。人数は三人ほどで分かれて、連絡は携帯で行う。
グループ事に他のスクールアイドルを訪ねて、私達と同じように協力を要請する……というのはいかがでしょう」

真姫「悪くないわね……けど仮に犯人を見つけた場合はどうするの。相手は凶悪な殺人鬼なんだし、女子高生が三人束になったところで捕まえられるとは思えないわ」

シエル「いえ、今回の捜査はあくまでも情報集めが目的です。捕まえるのは警察に任して、私達は情報集めに専念する……犯人が捕まって一連の事件が解決すればいいんですから、無理に危険を冒すことはありません」


私達は互いに顔を見合わせて、静かに頷きます。

意思の疎通が図れたことを確認すると、穂乃果ちゃんはみんなを牽引するかけ声を上げました。


穂乃果「さあ、みんなで手分けして頑張ろう!」

/22
放課後、私達は三つのグループに分かれて捜査を開始しました。

Printemps、BiBi、lily Whiteのユニットごとで分かれたのですが、Printempsだけは最上級生がいません。

そこで、心配したシエル先輩が加わってくれることになりました。

三人から四人になるだけで、頼もしさも全然違います。

とはいえ、そう易々と有力な手掛かりは掴めません。

意気揚々と聞き込みを開始して、犯行現場付近の店を何件か回ったあと、穂乃果ちゃんが大きな溜息を吐きました。


穂乃果「聞き込みを始めたのはいいけどさあ……これ、ホントに犯人まで辿り着けるのかな」

ことり「やっぱりそう簡単にいきそうもないね」

花陽「ネットでも目撃情報の少なさが注目されているみたいだけど……目新しいことはなにもないみたい」

シエル「まあまあ、みなさんそう気を落とさずに。まだ捜査は始まったばかりですよ」


碌な手掛かりを掴めずに意気消沈している私達とは対照的に、シエル先輩はやる気に満ち溢れています。

穂乃果「なんでシエル先輩はそんなに元気なの!もうこれで二十軒以上回ってるのに!」

シエル「こう見えても私、そこそこ体力ある方なんです。いつも練習しているあなた達に負けないぐらいには鍛えてるんですよ」

穂乃果「ウソっ!?いつも練習に付き合ってくれてるのに、どこにそんな時間があるの!」

シエル「企業秘密です」

穂乃果「ええー、いいじゃん教えてよー」

聞き込みをしているという事実がなければ、普段の放課後と大差ないやり取りが繰り広げられています。


ことり「穂乃果ちゃん、そろそろみんなとの集合時間が近づいてるよ」

穂乃果「うえっ、もうこんな時間!?」

花陽「そろそろ日も暮れそうだし、ここで切り上げた方がいいかもしれないね」

シエル「ええ、夜の捜査は御法度ですから」

穂乃果「んもう、しょうがないなあ……遅刻したら海未ちゃんに怒られちゃうし、今日はここまでにして集合場所に行こう。確かUTXの前でいいんだよね」

花陽「うん。凛ちゃん達はもう着いてるみたい」

穂乃果「早っ!まだ約束の時間まで三十分以上あるよ!」

ことり「リリホワのみんなが一番集合場所に近いから、どうしても着くのが早くなっちゃう」

シエル「次回は集合場所を変えた方がいいかもしれません」

穂乃果「よーし、じゃあ練習がてらにUTXまで競争だ!」

ことり「あっ、待ってよ穂乃果ちゃーん!」


暮れなずむ街の中、駆ける足は軽い。

願わくば、こんな時間がずっと続いてくれるように──

両手を合わせるわけでもなく、膝を地に着いているわけでもないけれど。

集合場所に向かう道中で、落ちていく夕日にそんな祈りを捧げました。

/23
UTX学園の前に着いた頃には、既に他のメンバーは全員集合していました。

その中には、A-RISEの姿も見受けられます。

どうやら彼女達も協力してくれることになったみたいです。


絵里「そんなに急いで来なくても良かったのに……まだ約束の時間まで余裕があるわよ」

穂乃果「はあ、はあ──みんなで競争してたらつい調子に乗っちゃって」

海未「全く、あなたという人は……」

ツバサ「ふふっ、穂乃果さんらしいわね」

穂乃果「あ、ツバサさんだ!」

ツバサ「こんにちは、穂乃果さん」

穂乃果「A-RISEのメンバーがここにいるってことは……ツバサさん達も協力してくれるんですか?」

ツバサ「ええ、もちろん。例の事件はあなた達だけの問題じゃない……この地区全てのスクールアイドルにとって共通の問題だから、協力は惜しまないわ」

英玲奈「しかし、表立っての協力は難しい。私達の学園でも授業が終了次第、一斉に下校するよう強く言い渡されている……部活動なんてもっての他だろう」

穂乃果「……やっぱり、どこの学校でも同じなんですね」


多分、この場にいる全員が落胆する穂乃果ちゃんと同じ感想を抱いていたと思います。

例の事件によって迷惑を被っているのは、μ'sだけではないんです。

あんじゅ「そう気を落とさないで。直接力になるのは難しくても、手助けする方法は他にもあるから」

穂乃果「ホントですか!?」

ツバサ「心配しなくても平気よ。私達はこの地区のスクールアイドルの中継地点として、協力させてもらうつもり。具体的にはみんなが集めてきた情報を一つにまとめて、それぞれに発信する役割……といったところかな」

穂乃果「じゃあ、ツバサさん達がいれば──」

ツバサ「この地区全員で、より密に連携し合えるわ」

穂乃果「す、凄い……A-RISEだけじゃなくて、他のスクールアイドルにも協力してもらえるなんて」

海未「まるで夢のようですね」

ツバサ「それじゃ、事件の早期解決のためにお互いベストを尽くしましょう」

穂乃果「はい、よろしくお願いします!」


穂乃果ちゃんとツバサさんがしっかりと握手を交わしたことで、より頼もしい味方が増えたのだと実感できました。

ですが、若干の不安は残ります。

それはおそらく、私だけが持つ悩み。

もしあの吸血鬼が、今回の連続猟奇殺人の犯人だとしたら──

きっと、みんなが束になっても敵わない。

それどころか、命の危険だってあるかもしれません。

シエル先輩が条件を設けてくれたことで、捜査に一定の制限が生まれはしましたが、その制限だって必ずしもみんなの身を守ってくれるとは限らないんです。

みんなのことを想うのなら、ここは正直に悩みを打ち明けなくちゃ。

花陽「あ、あの……ちょっと──」

シエル「小泉さん」

花陽「ぴゃあっ!?」

シエル「驚きました?」

花陽「突然後ろから肩を掴まれたら驚きますよ」

シエル「それは失礼しました。でも先ほどの小泉さん、なにやら思いつめた表情をしていましたので」

凛「凛も見たよ。かよちん、この世の終わりみたいな顔してた」

花陽「そ、それは──」

シエル「なにか悩み事でも?」

花陽「いえ、大したことじゃないんです。今日の夕飯のことを考えていたら、お腹が空いてきちゃって」

凛「ホントに?」

花陽「うん……ほら、お昼ご飯もあんまり食べてなかったでしょ」

凛「言われてみたらそうだったような気もするけど……」

シエル「もう、ちゃんとみんなの話を聞いていないとダメですよ。ただでさえ捜査には危険が付き纏うかもしれないんですから」

花陽「す、すいません」

シエル「きちんと反省してください。こわーい吸血鬼に襲われてからじゃ取返しがつきませんからね」

花陽「……はい」

凛「かよちん」

花陽「ん?どうしたの、凛ちゃん」

凛「無理しちゃダメだよ。つらいときは、いつでも相談してくれていいんだからね」

泣き出しそうな顔で訴えてくる凛ちゃんに、私は嘘の返事しかできません。

嘘に嘘を重ねていると、いつか真実さえも見失ってしまうかもしれない。

それでも、私一人が我慢することで誰かを救うことができるのなら。


花陽「うん、困ったら真っ先に凛ちゃんに相談する」

凛「約束だよ。絶対絶対、忘れちゃダメだよ。」

花陽「凛ちゃん、ちょっと心配しすぎだよ」

凛「かよちんはいつものんびりしてるから、少しせっつくぐらいで丁度いいの!」

花陽「ははっ、そうかもね」

凛「あっ、そうだ──かよちん、指切りしよ」

花陽「えっ?」


唐突な提案に、少しだけ心を乱される。

ここまで強引に約束を取り付けてくるとは思っていなかったので、反応に困ってしまいます。


凛「ほら、指出して」

花陽「うわっ、ちょっと待って──」


空いて右手の小指を、凛ちゃんの小指と結ばれる。

気がついたときには結ばれていたので、対処の仕様がありません。

反射神経が良くなっても、意識を集中させていなければまるで役に立たないようです。

凛「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ーます!指切った!」


花陽「り、凛ちゃん」

凛「これでもう約束破れないね」

花陽「うん……でも強引なのはもうやめて」

凛「わかった。だからかよちんも忘れないで──凛はずっとかよちんの傍にいるよ」


首を軽く縦に振り、返事をします。

強引さの裏側には凛ちゃんなりの優しさが隠れていることはわかってる。

凛ちゃんが私のことを私以上に知っているように──

私もまた、凛ちゃんのことを凛ちゃん以上に知っているつもりです。

だからこそ、わかる。

凛ちゃんは、私が嘘をついていることに気がついてる。

気がついていながら、気がついていないよう演技をしてる。

私を傷つけまいとして、自分から悩みを明かすときを辛抱強く待ってくれている。

いつか必ず話してくれると。


──私のことを信じてくれている。


その信頼を裏切ることしかできない私を、どうか赦してほしい。

花陽「…………」


眼鏡のレンズを通して視る景色に、線は一本も映らない。

ひょっとすると治ったんじゃないかと思って、試しに少しだけずらしてみる。

ずれた眼鏡の隙間には、以前と同じように線が刻まれています。

まだ線は視える。

それは戦う術が消えていないという証。

死が私の視界から消えてくれないのなら、いっその事、味方にしてしまえばいい。

今ここにあるモノを守れるのは、私しかいないんだ。

だから決意を新たに、飛び込んでいくしかない。

死が跋扈する、夜の世界に──

/24
みんなと別れたあと、帰宅した私は私服に着替えて外出しました。

理由は一つしかありません。


──あの吸血鬼を捕まえて、事件を解決する。


みんなに危害が加わる前に、問題を処理することができればなんの問題もないんです。

その為なら、多少の苦痛にだって耐えてみせる。


花陽「いたっ──!?」


疲れのせいでしょうか。

今日はやけに、線が眼に痛い。

けれど、弱音なんて言ってられない。

私がみんなのためにできることなんて、これぐらいしかないんだから。


真姫「ようやく見つけたわよ──花陽」


痛みに耐えるため、道端で蹲っていると背後から聞き覚えのある声がしました。

即座に振り向き、声の主を確認する。


花陽「真姫、ちゃん……どうしてこんなところに!?」

真姫「どうしてこんなところに、ですって?それはこっちの台詞よ」


夜の捜査は禁止にするようみんなで決めたはずなのに、どうして真姫ちゃんがここにいるの?

花陽「私は、その……」

真姫「言っておくけど、もう嘘は通じないから。下手な言い訳考えたところで事態が好転することはないと思いなさい」

花陽「うう……」

真姫「頭痛が酷いんでしょ……すぐにうちの病院に行って治療しなくちゃ」


蹲る私が倒れてしまわないよう、真姫ちゃんは肩を支えてくれました。

一瞬、その優しさに甘えてしまいたくなります。

だけど、病院に行ってしまったら捜査が続けられなくなってしまう。


花陽「それはダメ!」

真姫「なんで?ちゃんと理由を話して」

花陽「……言えない。それだけは、ダメ」

真姫「私にも言えないようなことなの?」

花陽「……うん。真姫ちゃんにも、凛ちゃんにも、μ'sのみんなにも──言えない」

真姫「花陽!」

花陽「ねえ、真姫ちゃん。お願いだからこのことは黙ってて……内緒にしてくれたら私、なんでもするから!」

真姫「……どうしてそこまで頑なに秘密にしようとするの」

花陽「私ね、どうしても守りたいものがあるの。その為なら命だって惜しくないよ」

真姫「滅多なこと言うものじゃないわ。命より大事なものなんてない」

花陽「でも本当に、それぐらい大事なものなの」

真姫「それが夜の街を徘徊する理由?」

花陽「そう受け取ってもらっていいよ」

間違ったことは言っていません。

そう、私は守るために夜の街を彷徨ってるんだ。


花陽「私、行かなきゃいけないところがあるから──」

真姫「花陽!?まだ話は終わってないわよ!」


制止する声を振り切って、夜の街を駆けて行く。

線が鮮明で頭痛は酷くなるばかりだけど、おかげで眠気覚ましになって丁度良い。

幸い、真姫ちゃんは私の後を追いかけてくることはありませんでした。


花陽「はあ、はあ、はあ、はあ──」


全力疾走したから、息の乱れが激しい。

ちょっと呼吸を整えないと。


花陽「真姫ちゃん、ちゃんと家まで帰ったかな」


歩行用のトンネル出口まで辿り着くと、忙しなく動かしていた足を止め、眼鏡をかけ直して壁にもたれ掛かる。

蛍光灯の光がやけに眩しくて、思わず眼を細めてしまう。

立ち眩みかもしれない。

人通りもないし、この場所で少し休憩するのもいいかも。

そう思った矢先に、道の向こう側から缶が転がってきて足元にぶつかりました。

ブラックの缶コーヒー?

誰かが落としたのかな。

缶が転がってきた方に視線を向ける。

花陽「あっ──」


背中にかかるぐらい長く黒々とした髪。

夜の闇の中でも一際映える、真っ白な肌。

本来在るはずの左腕が、ない。

傾斜のある坂道の上で、見下ろしながら私を見据えると、女は口角を釣り上げいやらしい笑みを浮かべました。


??「クヒッ、ヒヒヒヒッ──」


あれは間違いなくやつだ。

私が探していた吸血鬼に間違いない。


??「ヒヒッ──」


突然蛍光灯が砕け散り、辺りが夜の闇に覆われる。

それが争いの合図となりました。

顔面目掛けて向かってくるナイフの一刀を、寸でのところで躱す。

拍子に眼鏡が吹き飛びましたが、こちらとしては都合が良い。

これで線が視えるようになるから、眼の前の敵を見逃すこともなくなる。

取り出したペーパーナイフを構えて、次々と繰り出される斬撃に応戦します。

交わったナイフが独特の金属音を奏でる中、しかし、私は冷静でした。

────血が冷たい。

まるで氷みたいだ。

相手のナイフを一発でもこの身に受ければ、間違いなく致命傷となるであろう場面なのに、全然怖くない。

暗闇で視界が悪くても、線を追っていけば視える。

相手の動きに合わせるのは、呼吸するのと大差ないぐらい簡単です。

ならば、返す刃で反撃するのが容易いのも道理──!


花陽「遅い──!」


刃を弾いたことにより、防御が手薄になった線目掛けて、ナイフを這わす。

しかし、相手の回避が速かったせいで服に掠らせることしかできませんでした。

けど、これならやれる。

────次は外さない。

相手が向かってきたところに合わせて、カウンターを決める。


そして今度こそ一薙ぎで、殺す────


殺す?


一体私はなにを考えているんでしょう。

自分から人を殺そうとするなんて、どうしてそんな恐ろしいことを──

??「……」

花陽「うわっ!?」


集中が乱れたせいで、相手の手刀を躱し損ねるところでした。

敵が眼の前にいるのに考え事だなんて、そんな呑気なことしてる場合じゃない。

大した速さじゃないけれど、相手はこっちの線を狙ってきてるんですから。

…………ん?

いや、ちょっと待って。

こっちの線が狙われてる?

さっきの手刀をぎりぎり躱すことができたのは、こちらの線を狙ってたから……?

そんなことが本当にあるのでしょうか。


花陽「視えて、いるんですか……!?」

??「…………ヒヒッ」


勢いを増す相手の猛攻を、ナイフで防ぐ。

一刀、二刀、三刀──続け様に繰り出される斬撃に刃を合わせながら、攻撃してくる箇所を確認する。

やっぱり的確にこちらの線を狙ってきてる。

この人にも、視えてるんだ。

なら、それを踏まえた上で戦うしか──


花陽「ぐっ──!?」


激痛に苛まれ、頭を抱え込む。

こんなときにまた頭痛だなんて、タイミングが悪すぎる。

これじゃ集中できない。

??「…………」


相手のナイフが向かってくる。

速く防がないと──


花陽「……っ!」


まずい、ナイフが弾き飛ばされた。

このままじゃやられる。


??「……オ……マエラ……」

花陽「──!?」

??「……オマ……エラが……イナケレバ」


この人、一体なにを──

なにを言ってるんですか……!


??「ハハ、ハ、ハハ……ハハ、ハハハハハ!!」


顔面目掛けて向かってくるナイフから逃れる術は、もうありません。


────ここまでかあ。


迫ってくるナイフを見つめながら、突き立てられる瞬間を待つことしかできない。

命を刈り取る刃がこの身に届こうとしたとき、宙から降ってきたレイピア状の剣が敵の右手を貫きました。

続け様に降り注ぐ同じ形状の剣が、敵の身体を穿ちます。

剣の雨がやつの全身を貫いたところで、投擲者は私を庇うように敵の眼前に立ち塞がりました。

??「ジャ……マヲ……」


敵が身体に刺さった剣を自ら引き抜こうとすると、剣に触れた部分から燃焼を起こし、やがて炎は全身に燃え移ります。

やつの身体が燃え尽きたところで、私の前に立つ人物はようやくこちらに振り向きました。


シエル「小泉さん、大丈夫ですか!?」

花陽「シエル先輩……!?何……で」

シエル「詳しい話は後です!今は──」


言い切るよりも速く、地面の亀裂がシエル先輩を取り囲みます。

どうやら、やつはまだ生きているようです。

あれだけ全身を焼き尽くされたのに、何故動くことが──!?


シエル「くっ……!結界ですか……!」


身体に突き刺さっていた剣を掴むと、敵はゆっくりとこちらに向かって歩いてきました。

狙いは私ですか──

頭痛がなければ自分でなんとかできるのに。


??「アアアアアアアアアア!!!!」


敵が投擲してきた剣が矢のような速度で飛んでくる。

なんとかして躱さないと──


シエル「つっ……」


私を庇うよう立ち塞がったことで、シエル先輩の胸に剣が突き刺さる。

深々と突き刺さった剣の痛みに耐えるよう、シエル先輩が膝に手をついてよろけたのが視えました。


花陽「せん……ぱい……」


ダメだ、一大事だっていうのに頭痛が治らない。

それどころか、さっきより激しく──


シエル「──────」


なにがどうなっているのかさっぱり理解できないまま、私は朦朧とする意識を手放しました。

/25
──追いかけっこをしている夢?

そっか、μ'sのみんなで誰が一番になれるか競争してるんだね。

できれば一番になりたいけど、私……足遅い方だからなあ。

凛ちゃんは相変わらず速いね。

私も凛ちゃんみたいに速く走れるようになりたいよ。

けど、私も全力で走ってるのにどうして差が縮まらないんだろう。

それどころか、むしろ段々と差が広がってるような気がする。


えっ、みんないつの間にそんな足が速くなったの?


待って、置いていかないで──!

私も、みんなと一緒に走りたいの。

これから練習だって頑張るし、速くなれるよう努力するから。

だから、だから──



私を見捨てないで。

/26
意識を取り戻して最初に視たものは、シエル先輩の安心した表情でした。


シエル「よかった。あまりにも静かなのでもう起きないかと──」

花陽「……先輩」

シエル「起き上がれますか?どこか怪我は……?」

花陽「いえ、ただの頭痛ですから……先輩、でも、何で……」


大きな溜息を吐くと、シエル先輩は少しだけ顔をしかめて言いました。


シエル「小泉さん!わたし、いいましたよね──夜は出歩いちゃダメだって」

花陽「ご、ごめんなさい。どうしてもやらなきゃいけないことが……」


そこまで喋って、ようやく思い至りました。

先輩の胸には、剣が──!?


花陽「あっ、そんなことより先輩の方こそ大丈夫なんですか!?胸に槍みたいな剣が……」

シエル「これですか?」


シエル先輩は服に空いた孔を指差すと、別段大したことなさそうな顔をしています。


シエル「それこそ心配ご無用です。わたし、死神さんに嫌われちゃってますから──」


と、事も無げに胸を張り。


シエル「死ににくい身体なんです」


そう、明るく話してくれました。

花陽「……っ!」


ましになったとはいえ、まだ軽い頭痛がする。

線が眼に痛いし、眼鏡をかけ直しておかないと。


花陽「先輩、ちょっと待っててもらってもいいですか」

シエル「ん?ああ、眼鏡ならこちらで回収しておきましたから、ご心配なく。はい、どうぞ」

花陽「ありがとうございます」


受け取った眼鏡をかけ直して、シエル先輩と向き合う。

眼鏡のおかげで、線はもう視えません。


花陽「ところで先輩、その格好は……」


修道女が着る礼服に近い格好をしたシエル先輩は、教会でミサをしていても不思議じゃなさそうです。

こんな服で街を歩いていたら、間違いなく周囲から浮いてしまうことでしょう。


シエル「これはですね、対吸血鬼用の戦闘服といいますか──正装みたいなものなんです。コスプレじゃありませんよ」

花陽「……はい。眼鏡もされていないんですね」

シエル「ええ、ちょっと残念です。せっかく今まで小泉さんとおそろいだったのに」


和やかな雰囲気は、シエル先輩が意識して作り出してくれているものなんでしょう。

だけど、意識を失う前に視たアレは────


花陽「先輩はそういう人だったんですね」

シエル「はい」


シンキングタイムなんてありません。

正に即答でした。


花陽「先輩は吸血鬼を追っていて、そういうことには詳しいんですよね?」

シエル「ええ、少なくとも小泉さんよりは」

花陽「でしたら、ちょっと教えてもらえませんか。さっきの片腕がなかった女の人、普通の死者には視えませんでした。あれは一体何なんです?」

シエル「聞いてどうするんですか、小泉さん」


落ち着いた声色とはいえ、先ほどよりも格段に冷たい。

できれば聞かれたくないことなんでしょう。

それでも私は、ここで引くわけにはいきません。


花陽「先輩……どうしても教えてほしいんです」


数秒だけ思案する素振りを見せたあと、シエル先輩は口を開きました。

シエル「確定はしていませんが……あれはロアの残滓です」


花陽「──ロア?」

シエル「はい。ミハイル・ロア・バルダムヨォン、別名『アカシャの蛇』。その残滓です」


聞き慣れない単語が出たせいで、脳内の処理が追い付かない。


花陽「そのロアって吸血鬼の残滓が、どうしてこの街に……」

シエル「どこから説明しましょうか……まず多くの吸血種はいわゆる『不老不死』ですが、人間から吸血種に変貌を遂げた死徒は、
血を吸わなければ絶えず劣化するその身を維持できません。そこでロアは永遠の存在を追及した結果、一つの肉体に固執することをやめた吸血種です。ここまではいいですか?」

花陽「……はい」

シエル「順を追って話します。やつは自分の肉体が滅びたとき、他の人間に転生する吸血鬼でした」

花陽「でも過去形ということは、もうロアって吸血鬼はこの世にいないってことですよね」

シエル「ええ、その通りです。本来、ロアにとって肉体の死は無意味ですが、やつはもう二度と転生することはできません。
何故ならやつは、発生から数えて十八代目の転生体のときに本物の死を迎えたからです」

花陽「本物の、死?」

シエル「あなたと同じ眼をした男の子の手によって、存在そのものを殺されたんですよ。
その眼で捉えた死に例外はありません。視ることさえできれば、概念だって殺すことができるんですからね」

花陽「こ、この眼にそんな力が……」


私が視ているものはモノの死だってことは、薄々感づいていました。

でも、概念さえ殺すことができるだなんて──

俄かには信じられない話です。


シエル「本物の死を迎えたことで、ロアそのものはこの世界から消え去りました。
しかし、やつが転生体として地上で暴れている際に、その血液を回収し、保管することに成功した魔術師がいたんです」

花陽「じゃあ、残滓というのはもしかして、その血液のことですか」

シエル「はい。なにが目的かはまだはっきりしていませんが、先ほどの女はロアの血液を使って、ロア直系の死徒──つまり吸血鬼に成り下がってしまった」

花陽「っ……!自分から吸血鬼になるなんて、そんなのおかしいですよ!」

シエル「私もそう思います。自ら人であることを放棄するなんて、どれほど馬鹿げた行為であることか……ですが死徒化の恩恵による『不老不死』を求める人は一定数いて、どれだけ教会が対策を施しても何人かはそういう人が出てきてしまうのが現状です」

花陽「強制的に吸血鬼に変えられた可能性はないんですか!」

シエル「可能性はゼロではありません。しかしその線は薄いでしょう」

花陽「……どうして、そんなことが」

シエル「吸血鬼になったことを後悔していないからです。自分の意思とは無関係に吸血鬼になってしまった人間が辿る道は、大抵二つしかありませんから」


想像ができなかったわけじゃない。

ただ、自分の考えを誰かに否定してもらいたかっただけ。

花陽「……先輩みたいな人に退治されるんですね」

シエル「それが一つ目。成り立ての吸血鬼は力も弱く、討伐に苦労しませんから、吸血衝動に負けた時点でいずれかの組織に排除されます。そしてもう一つは──自死です」

花陽「…………」

シエル「いわゆる自殺ですね。小泉さんは何故その手の吸血鬼が自殺するか、わかりますか?」

花陽「寿命が長いから、ですか」

シエル「正解です。元が人間であった吸血鬼は、吸血種としての時間の流れに耐えられない──長すぎる寿命は孤独を呼び、孤独は絶望を招きます。
身体は化物だから、人間とは相容れない。精神は人間のままだから、吸血鬼とも分かり合えない。そんな状態に嫌気が差してしまって、自ら死を選ぶんです」


自分から死んでしまうような人の気持ちなんて、私にはわかりません。

でも、もし仮に私の周りから人がいなくなってしまったら。

永遠とも思えるような長い年月を一人で生きていかなければならなくなったら。

私は死を選ぶかもしれません。

誰だって一人は寂しい。

それは吸血鬼という怪物においても、同じことなのでしょう。


花陽「さっきの女の人は、そのどちらにも当てはまらないってことですよね」

シエル「そうです。やつはロアの血を使って手に入れた力に酔いしれている……おまけに吸血衝動を抑えるどころか、その欲望を率先して解放しています。今はまだ力のコントールが上手くいってないようですが、いずれ第二のロアとして君臨するかもしれません」


第二のロア──

私はロアという吸血鬼の恐ろしさを知りません。

だから、それが私達人間にとってどれほど脅威な存在かも、正確な判断を下せない。


花陽「もし、仮に……あの吸血鬼が第二のロアとなってしまったら、この街はどうなりますか」

シエル「生きた人間がいない──文字通り死都となるでしょう」

花陽「……そ、そんなことって」

シエル「心配ご無用です。今お話しした事態を未然に防ぐために、わたしのような人間がこの地に派遣されたのですから」

花陽「で、でも……」

シエル「今の状態なら討伐は容易ですから、わたしだけでもへっちゃらです。小泉さんもこんなことに関わらず、普通にアイドル活動を続けていいんですよ」

花陽「そ、それは無理です!」

シエル「……理由を伺ってもいいですか?」

花陽「私、前に一度あの吸血鬼と会ったことがあって……そのとき、言ってたんです。私達のことを迎えに行こうと思ってたって」

シエル「μ'sのことを前々から知っているような素振りをしていたと」

花陽「はい。だからあの吸血鬼が街にいる間は、見て見ぬ振りなんてできません!」


μ'sのみんなには打ち明けられない、心からの本音でした。

あの吸血鬼が街の人を襲うのなら、それを止めるだけ。

いずれ誰がやらなきゃいけないことなら、いっそのこと──


シエル「小泉さんは、普段の生活が楽しくないんですか?」


話の流れとは違う方向の質問に、少しだけ戸惑ってしまいます。


花陽「μ'sのみんなと一緒に過ごす時間は、とても楽しいです。多分、これからもそうだと思います」

シエル「……でしたらここでお別れです」


先輩はワンアクションで人間離れした跳躍を見せると、電柱の真上に立ちました。


花陽「待ってください!まだ先輩には訊きたいことが──」

シエル「くれぐれもロアの残滓には近づかないようにしてください。それが小泉さんのためです」


花陽「──先輩っ!」


先輩は私の呼びかけに応えることなく、夜の闇に紛れるよう忽然と姿を眩ましました。

一人取り残された私は、納得ができないまま立ち尽くすのみ。

あの吸血鬼がロア?

だとしたら、どうしてそんな恐ろしい怪物が私達を知っているの?

わからないことだらけの自分に、答えを与えてくれるような人物はいませんでした。

/27
朝練もないのに早起きした私は、急ぎ足で学校に向かいました。

当然、学校にはまだ誰もいません。

部活が休止となっている中、朝練のために早くから学校に通っている人を除いてしまえば、こんなものなのでしょう。

まだシエル先輩には聞きたいことが山ほどあります。

吸血鬼のこと。

第二のロアのこと。

そして、吸血鬼が私達を狙う理由についても話してもらわなければいけません。

小一時間ほど経過したあと、段々とクラスメイト達が登校してくる中、少し遅れて凛ちゃんがやって来ました。


凛「かーよちん、おはよー」

花陽「おはよう、凛ちゃん」

凛「今日は朝練もなかったから、ゆっくりできて良かったにゃ」

花陽「うん。最近はずっと早起きしてたから、こういうのは珍しいよね」

凛「そうそう。ラブライブで良い結果を出すためにはしかたないんだろうけど、流石に毎日はキツいもん」

花陽「でも休んでばかりだと身体がなまっちゃうよ」

凛「……朝から厳しいこと言わないでよー」


あからさまに嫌そうな顔をする凛ちゃん。

良くも悪くも正直者な凛ちゃんらしい反応です。

花陽「ところで凛ちゃん」

凛「ん、どうしたの?」

花陽「シエル先輩ってまだ来ないのかな?」

凛「シエル先輩……?誰、それ」

花陽「冗談はやめて。私、先輩に訊きたいことがあるの」


凛「冗談なんか言ってないよ。シエルなんて人、凛聞いたことないもん」


嘘……

そんなことある訳がない。

だって昨日まで普通に会話していたし、捜査の提案をしてくれたのだってシエル先輩なのに。


花陽「シエル先輩はシエル先輩だよ!お節介焼きだけど真面目で、μ'sのマネージャーもしてくれてたシエル先輩っ!凛ちゃん、ホントに覚えてないのぉ!?」

凛「覚えてないっていうより、多分会ったこともないと思う。というより、うちの学校にそんな留学生いないんじゃないかな」

花陽「そ、そんなことって……」


自分の記憶がおかしいんじゃないかと思って、もう一度思い返してみる。

昨日の晩、吸血鬼の魔の手から私を救ってくれたあの人は服装こそ奇妙だったけれど、確かにシエル先輩だった。

……やっぱり私は間違ってない。

忘れてしまっているのは、凛ちゃんの方だ。

凛「ちょっとかよちん!そんなに慌ててどうしたの!」


駆け足で教室から出て、職員室を目指す。

到着して早々、担任の先生に凛ちゃんと同じような質問をしました。


担任「シエル……?そんな生徒聞いたことないわねえ」


頭を下げてお願いして、三年の名簿を確認させてもらう。

だけど、そこにはシエル先輩の名前は載っていませんでした。


花陽「……学校にはいなかったことになってるんだ」


だいたい『しえる』なんて変わった名前、何で始めに気がつかなかったんだろう。

この様子だと凛ちゃんだけじゃなくて、μ'sのみんなも覚えていないかもしれない。

みんな、先輩のことを忘れてる。

だったら私は一体……これからどうやってあの吸血鬼を追えばいいんでしょうか。

/28
放課後、昨日と同じように捜査を行いましたが、一向に有力な情報は手に入りません。

収穫といえば──夜は出歩かない方がいいという噂があちこちで出回っているのを、知ることができたぐらいでしょう。

解散して間もなく、私は真姫ちゃんの自宅にお呼ばれすることになりました。

昨日の夜、街で偶然会ってしまっていたにも関わらず、私は事情を説明することなく逃げ出しています。

多分、真姫ちゃんはそのことについて聞き出すつもりなんです。

これ以上は逃げられないと判断した私は、渋々ながらもその誘いに応じました。


花陽「はえー、いつ見ても大きい」

真姫「慣れたら案外大したことなくなるものよ……さ、上がって」


真姫ちゃんのお家に遊びに来るのは、μ's結成前に生徒手帳を届けて以来です。

部屋に通されてしばらくすると、真姫ちゃんが紅茶とケーキを持って戻って来ました。


真姫「口に合うかはわからないけど、良かったら食べて」

花陽「ありがとう。それじゃあ、いただきます」


ホントはあまり食べ物を口にしたくなかったんですが、真姫ちゃんの勧めだから仕方ない。

それにこれ以上不自然な行動をして、変に怪しまれたくもないから。


真姫「私はどっちでも良かったんだけど、ママがどうしてもって言うから……」

花陽「でもこのケーキ、すっごく美味しいよ」


これも嘘だ。

味覚が正常に機能していないから、ホントは味なんかわからない。

真姫「そう……ねえ、花陽」

花陽「むう?」

真姫「そのレモンティーは私が淹れたものなの。どう、味の方は」

花陽「独特の酸味が丁度良い加減でブレンドされてる感じがする……ケーキの甘さを和らげてくれるから、よく合ってると思うよ」


差し障りのない感想が言えたはずなのに、真姫ちゃんはどこか浮かない表情をしています。

なにかまずいことでも口にしてしまったかもしれません。


真姫「へえ、そう……花陽、実はそのレモンティーね……ホントはハーブティーなの」

花陽「そ、そうなんだ。ケーキと一緒に頂いてたから、ちゃんと味わえてなかったのかもしれないね」

真姫「………………」

花陽「それにほら、もう一回飲んだらやっぱり全然違うよ。口に含んだだけで感じるハーブの清々しさが、お口直しに最適だね」


真姫「嘘、本当はレモンティーよ」


花陽「──えっ?」

真姫「あなた、やっぱり無理してるじゃない!身体はもう元に戻ったなんて嘘ばっかりよ!」

花陽「そ、それは──」

真姫「誰にも言わないって約束するわ……だからちゃんと正直に答えて。今、あなたの身体に一体なにが起きてるの!」

花陽「う、うぅ……」

真姫「花陽!」


肩を掴まれ、揺さぶられる。

真剣な眼差しは、真っ直ぐ私の瞳に向けられていました。


花陽「……本当に誰にも言わないって約束してくれる?」

真姫「ええ、例えそれがμ'sのメンバーだとしてもよ」

花陽「………………」


決意が固まらない。

これまで隠しきたという罪悪感だけじゃなく、秘密を明かしてしまったことで真姫ちゃんにも迷惑がかかるかもしれないという不安が、心に蓋をしろと命令してくる。


真姫「……はあ。知ってはいたけど、あなたってかなり強情なところあるわね」

花陽「そうかなぁ」

真姫「そうよ。これは他言無用だって言われてたけど、仕方ないわね──」


そう言って、真姫ちゃんは私の肩から手を離して立ち上がりました。


真姫「魔術師なら魔術師らしく、契約で事を進めるとしましょう」


真姫ちゃんはベッドの近くに置いてあったぬいぐるみに目を向けたあと、片手を地面につけて、呟きます。

真姫「────同調(トレース)・開始(オン)」


花陽「真姫ちゃん……一体なにしてるの!?」

真姫「静かにして、気が散る!」


なにやらただならぬ気配を感じ、思わず身構えてしまいます。


真姫「────仮定完了(オールカット)。是、即無也(クリア・ゼロ)」


眼の前で、淡い光が生まれる。

光が掻き消えたあと、そこにはベッドに鎮座しているぬいぐるみと同じものが横たわっていました。


花陽「同じぬいぐるみが、二つ……?」

真姫「どうやら成功みたいね」

花陽「あのぉ……」

真姫「先に言っておくけど、これは手品じゃないの……投影っていう、強化の延長線上にある魔術よ」


魔術が使えるってことは……

真姫ちゃんは魔法使いってこと!?


花陽「す、凄いよ真姫ちゃん!どこでそんな技を覚えたのぉ!?」」

真姫「うえぇ!?べ、別に大したことじゃないわ!創造理念から丁寧に編み込まなければ、これぐらい苦でもなんでもないんだから!それにほら、見て──」


促されるままぬいぐるみを視ると、先ほど真姫ちゃんが出現させた方のぬいぐるみは段々と透明になっていく。

次第に宙に離散していき、最後は跡形もなく雲散霧消しました。


真姫「魔力をほとんど込めていなかったガラクタだから、存在していられる時間も短い……本来この魔術は、とても効率の悪いものなの」

花陽「はえー、そうなんだ」

真姫「……なにがなんだかわからないって顔してるわね。まあいいわ……これでこちらの情報を簡単には提示できたでしょう。次は花陽、あなたの番」

花陽「わ、私──!?」

真姫「そうよ。私は明かせる限りの情報をあなたに公開する……その代わり、あなたも私に隠してることを必要な分だけ公開すること。いい?これは契約よ」

花陽「契約を結ばないという選択肢はある……?」

真姫「あるわけないでしょ。強制よ、強制。この後に及んでまだ拒否権なんてあると思ってわけ!」

花陽「だ、だよね。失礼しました」

真姫「……わかればいいのよ。それじゃあ、順番に話を聞かせてもらおうかしら」


ベッドに勢い良く腰かけたことで、真姫ちゃんの身体が数度バウンドする。

逃げることなんてできそうもないし、そろそろ白状しようかな。


花陽「真姫ちゃんは、私が以前事故に遭ったことは知ってるよね」

真姫「ええ……もちろん。あの現場には私もいたから──あなたの様子がおかしくなったのも、あの時からじゃない」

花陽「うん。あのときから──」


凛ちゃん、ごめんね。

私、また嘘ついちゃった。

でもまさか、初めに打ち明けるのが真姫ちゃんになるとは思ってなかったなあ。


花陽「──私、モノの死が視えるの」

/29
一通り事情を説明したあと、真姫ちゃんは言いました。


真姫「死を視ることのできる眼、ねえ……トウコさんからもらった参考文献にも、そんなものは載ってなかった。でもそれに似たものは知ってるわ」

花陽「この眼に似たものがあるの?」

真姫「ええ、ケルトの神様があなたの眼と似た能力を持ってる」

花陽「か、神様っ──!?」

真姫「睨むだけで相手の死を具現させる眼よ。花陽の眼はそこまでデタラメじゃないにしろ、まあ似たようなものね」

花陽「知らなかった……真姫ちゃんはなんでも知ってるね」

真姫「なんでもは知らないわ。知ってることだけ……とにかく、今はその眼を治療する方法を探しましょう」


吸血鬼を捕まえる方が先だと訴えたかったけれど、真姫ちゃんの心配そうな様子を視ていたら、言うタイミングを逃してしまいました。

そして、現在────

とある高級ホテルのエレベーター内。

どうやらここには、真姫ちゃんに魔法を教えてくれたお師匠さんが宿泊しているらしいんです。

真姫「トウコさんなら、あなたの眼もどうにかしてくれるはずよ」

花陽「……うーん」

真姫「不安なの、花陽?」

花陽「そういうわけじゃなくて……そのトウコって名前をどこかで聞いたことがあるような気がするの」

真姫「あなたがかけてる眼鏡に関連してるのは間違いないと思う。ただ、一体なんの目的があって花陽に近づいたのかは気になるわね」


エレベーターが目的の階に到着する。

真姫ちゃんの後を追う形で付き添い歩くと、部屋の前まで辿り着く。


真姫「先生、真姫です……急なお願いがあって来ました」


数回ノックしたあと、部屋の中から声がしました。


橙子「ロックは外したから、入ってもらって構わない」

真姫「……失礼します」

花陽「し、失礼します」


扉を開けて室内に入ると、個人が宿泊するには贅沢すぎるほどの豪華な内装が目に入りました。

真姫ちゃんの部屋に負けず劣らず広々とした空間の中で、椅子に腰かけてPCと向き合っている女性が一人。

あれ、この人どこかで見たことがあるような────

ああ、あのときの女医さんだ!

橙子「真姫、魔術師としての大原則を忘れたか?」

真姫「魔術は秘匿するものである……ですよね。忘れてなんかいません」

橙子「ならどうしてこの部屋に部外者を連れて来た」


トウコさんと呼ばれた女性はこちらに視線を向けることなく、淡々とタイピングを続けながら真姫ちゃんと会話していました。

私としては早くペーパーナイフのお礼をしたいのですが、真姫ちゃんとの会話に割り込むわけにもいきません。

ここはしばらく黙っていた方がいいでしょう。


真姫「契約だからです」

橙子「ほう……面白い。続けてみろ」

真姫「はい、私は彼女と契約を交わしました。内容は情報交換のための一時的な同盟──つまり、彼女は部外者ではないということです」


タイピングが止まり、無機質で規則正しい音が途切れる。

やっと私達の方に顔を向けた女性は小さく感嘆の声を上げ、真姫ちゃんと向かい合う。


橙子「なるほど、真似事はできるようになったと……では契約書を出せ。それを確認してようやくこちら側の人間だと証明できる」

真姫「そ、それは……」

橙子「どうした、契約書だ。早く出せ」

真姫「こ、今回は急を要する事態でしたので、所持していません」

橙子「では交渉は不成立だ。彼女にはお引き取り願おう」

真姫「ちょっと待って!まだ話は終わって──」

花陽「あ、あのっ──!」


場の空気が怪しくなったのを感じ、私は声を張り上げました。

花陽「難しいことはよくわかりません。けど、危害を加えるようなことはないとお約束します。だから……私に力を貸してくれませんか」

橙子「…………だそうだ」

真姫「花陽、あなたって人は……」

花陽「あ、あれ?」


なにか物凄い勘違いをしてしまったようです。

真姫ちゃんの溜息がなによりの証拠でした。


橙子「気を遣わせて悪かった。これは私達なりの訓練みたいなものでね……まあ、恒例行事といったところだな」

真姫「先生、初対面の人をからかうのはやめてください」

橙子「いやいや、初対面ではないぞ。そうだろう、小泉花陽」

花陽「はい。以前はお世話になりました」

橙子「気にするな。あれはもののついでだ」

真姫「先生、花陽と会ったことがあるんですか?」

橙子「ああ、一度だけ顔を合わせたことがある。その眼を持った人間と会うのはこれで二人目だったものでね、どうしても声をかけたくなってしまった……というわけだ」

真姫「エレベーターで言ってたのはそういうことだったのね……」


でもまさか、あのときの女医さんが真姫ちゃんのお師匠さんとは夢にも思いませんでした。

こんなところで再び会うことができるなんて、不思議な縁もあるものです。

橙子「紹介が遅れてすまない。私はこの娘の師として魔術の指導にあたっている、蒼崎橙子というものだ」

花陽「お久しぶりです。真姫ちゃんと一緒に音ノ木坂でスクールアイドルをしている小泉花陽といいます」

橙子「君たちの評判はよく聞いてる。スクールアイドルだというのに、今やプロのアイドル顔負けの人気があるそうじゃないか」

花陽「きょ、恐縮です」

橙子「そう緊張しないでよろしい。立ち話もなんだから、そこのソファにでもかけてくれればいい」


トウコさんの対面にあるソファに腰を下すと、彼女はPCを閉じてこちらに身体を向けました。


橙子「しかし真姫……あれだけ魔術を外で使うなと言っておいたのに、こうもあっさりと禁を破るとはどういう了見だ」

真姫「……この娘が強情なのが悪いんです」


頬を膨らまして軽く拗ねる真姫ちゃんは、横から見ても実に可愛らしい。

そっぽを向いても笑って流してくれるあたり、真姫ちゃんとトウコさんの関係は良好のようです。

橙子「大方、話を聞き出そうとするために魔術を見せびらかしでもしたんだろう。術の質が落ちても私は責任なんぞ取らんからな」

真姫「べ、別に構いませんよ、それぐらい!」

橙子「不出来な弟子を持つと苦労する……センスは飛び抜けているが、魔術師としてのモラルはからっきしだな、おまえは」

真姫「誰がからっきしよ!」

花陽「は、はははは……」

真姫「ほら、先生が変なこと言うから!」

橙子「多分それ、私のせいじゃないと思うぞ」

真姫「もう!私達は世間話をするために来たわけじゃないわ!花陽、早く説明して!」

花陽「う、うん……蒼崎さん、今日はお願いがあって来たんです」

橙子「あまり楽しい話にはならないだろうが……一応聞いておこう」


途端に表情が真剣なものに変わるトウコさん。

真姫ちゃんの師というだけあって、スイッチの切り替えは早いようです。

花陽「前回、私の眼についてはお話しましたよね」

橙子「ああ、その魔眼にはなにかと縁があってね……忘れることはないよ」

花陽「話が早くて助かります。今日のお願いは、この眼についてでして──」


橙子「先に断っておくが、その眼を治療することはできない」


花陽「えっ?」


予想外の返答に、少しだけ狼狽える。


橙子「対象の死期を視覚情報として捉えることができる眼……別名『直死の魔眼』。
それは眼だけで死を捉えているのではなく、脳とセットではじめて成立するものだ。例え眼を潰したところで、視えるものは視えてしまう……呪詛の類はな、捨ててしまっても戻ってくるものなんだから」

花陽「呪詛、ですか……なんだかわかる気がします」

橙子「だろうな。どのような形であれ、死を覗こうとする人間は死に魅入られてしまう。深淵を覗くのと同様に、死は常に我々の傍らに在りながらこちらを覗いている。まともな精神では、まず耐えられない」

真姫「じゃあ、花陽はどうすればいいんですか!」

橙子「そう声を荒げるな。完全な治療は望めないにしろ、一時的な対処療法は既に施している。彼女の眼鏡を見ろ」


私がかけている眼鏡。

これがあれば、確かに線は視えない。


橙子「あれは魔眼殺しと言ってな、着用することで魔眼の効果発生を抑制するものだ。
死を視ることで発生する脳に対しての負荷は、あれで解消される……治療法はないが、症状がなければ病にかかっていないのと同じだろう?」

真姫「けど、それは────」

橙子「無論、今後延々と眼鏡をかけ続けなければならないという、条件付きにはなる」

花陽「根本的な治療はできないということですよね」

橙子「残念だが、その通りだ」


易々とこの眼を治すことができないことくらい、ずっと前からわかっていました。

だから、特に驚くこともありません。


橙子「まずそもそも、浄眼を持っているわけでもなければ霊的視力が強いわけでもないのに、
その眼が発現しているのがおかしいんだ。通常、結果には原因と過程が付き物だが、君にはそのどちらもが欠けている」

花陽「そうでしょうか。あ、あの……線が視えるようになったのは事故のあとでして。多分それが原因じゃないかと……」

橙子「いや、それだけでは足りない。臨死体験によって一度死に触れたのだとしても、先天的素質を持ち得ない者が、突然その眼を会得するなんてことは普通有り得ないんだよ」

真姫「なら、どうして花陽は死を視ることができるようになったんですか?」


少し考える仕草を見せたあと、橙子さんは質問に答えました。


橙子「これは一つの仮説だが……君は抑止力によって力を与えられたのかもしれない」

真姫「抑止力っ──!?でもそれは、世界の滅亡や人類史の危機にしか出現しないものじゃないの!」

橙子「ああ、そうだ。あれはカタチのない力の渦であり、無意識が故に発生しても誰の目にも止まることはない……
だが、あれは大抵『一般人』を後押しするカタチで発現する。本人の自覚とは無関係に、滅びの危機を回避するための後押しをしている可能性は十分にある」

真姫「……まさか、そんなこと有り得ない」

橙子「しかし、そうとでも考えなければ説明がつかん。
小泉花陽は未来の滅びを回避するべく、後天的に力を得て、知らず知らずの内に世界を救うために奔走していると考えれば、いくらか納得もできるだろう?」

真姫「で、でも先生。それは────」

花陽「な、なんだか規模が大き過ぎてちんぷんかんぷんです……」


急に世界の滅びがどうとか説明されても、内容がさっぱり飲み込めません。

線が視えるようになってから、誰かを守るために使おうと思ったことは何度かありますが、それにしたって人類規模はやり過ぎです。


橙子「もしくは君の近くにあるものが世界に多大な影響を与えるかだ。
例えばμ'sが影響を与える人物が、後に世界の命運を左右することになると仮定する。だがなんらかの邪魔が入り、μ'sが本来影響を与えるべき人間に干渉することが不可能になったら……どうなる?」

真姫「……世界の命運を左右することが困難になるかもしれない」

橙子「ああ。小泉花陽は後の未来のために、μ's解散を阻止するべく力を手に入れた……と解釈する方が分かりやすいかもしれない」

花陽「わ、私がμ'sを守るんですかぁ!?」

橙子「知らない内にそういう行動をしているかもしれない、という話だ。あくまでも仮説だということを忘れるな。現状ではこの程度のお粗末な推測しかできんのが歯痒い限りだが、あながち見当違いでもないだろう」

真姫「というと、なにか根拠があるんですか」

橙子「直死の魔眼だけならまだ他の要因を探していたんだが、あまりにも戦闘向けの能力に特化しているのが気になってね。
見たところ彼女の身体は視神経が異常に発達しており、反射を司る神経系も同じ傾向にある。これだけの変化が事故によって引き起こされたとは、到底考えられない」

真姫「確かにこれだけの要素が揃っていたら、先生の仮説も信憑性を帯びてくるかも……」

花陽「ま、真姫ちゃん……」

真姫「どうしたの、花陽」

花陽「今、二人はなんの話をしているの?」

真姫「あなたがどうして突然力を手に入れたのか、という話よ」

花陽「……ごめん。私、ついてけそうにないよぉ」

真姫「いいのよ。考えがまとまったら、今度は私が教えてあげる」

花陽「うん、お願い」


真姫ちゃんぐらい頭が良ければ、話の内容も十分理解できるかもしれないのに────

やっぱり勉強が足りないってことなのかなぁ。

内心落ち込んでいると、トウコさんが私の顔をまじまじと見つめてくる。

ごはん粒でもついているのかと思って口元を拭ってみましたが、変なものが張り付いていたわけではないようです。


橙子「先ほど治療は困難だと言ったが…………あまり落胆しているようには見えないな」


心の中を覗かれているようで、なんだかむずがゆい気分になる。

治療の必要性を感じていないということが、見透かされているのかもしれません。

花陽「い、いえ、そんなこと……ないです」

橙子「君は嘘や隠し事が下手と見た。隠したところで大した意味はない……話してみろ」

花陽「今はこの眼が必要だから……それでもいいかなって」

真姫「花陽、あなたなに言ってるの!」

橙子「…………目的はロアの残滓か」

花陽「────っ!?」

橙子「何故君が手を下す必要がある。あれは遅かれ早かれ、必ず処分される運命だ。特に事を急ぎ過ぎたのがまずい……これだけ世間で大々的に騒がれれば、この地の管理者も黙ってはいないだろう。放っておいても問題はない」

花陽「そんなことありません!あれを放っておいたら、大変なことになります!」

橙子「見もしなければ素性も知らない誰かのために、君は命を張ると……そういうことかい?」

花陽「違います。あれは……μ'sのことを知ってて、私達の命を狙っているかもしれないんです!」

真姫「な、なんですって!?」

橙子「…………嫌な予感はしていたが、やはりそうか」


トウコさんはおもむろにPCを立ち上げ、画面を私達に見えるよう置き直しました。

そこにはとあるニュース記事が映っています。


真姫「女子高生が……失踪……?」

橙子「今続いている連続殺人事件の一カ月前に起きた、女子高生の失踪事件に関する記事だ。現在も未解決のままだが、保護者の意向によってマスコミもそう騒ぎ立ててはいない」

花陽「この未解決事件が……あの吸血鬼と関係あるんですか」

橙子「君の発言を聞いて、その可能性は飛躍的に上がった。これを見ろ」

真姫「被害者は日常生活でも大人しかったが、高校入学と共にスクールアイドル活動を……スクールアイドルっ!?」

橙子「名前は杉崎亜矢。今年高校に入学したばかりの彼女は、日頃から読書を趣味としていた、比較的大人しい生徒だったらしい。だが、なにかがきっかけで彼女はスクールアイドル活動を開始した。しかも、たった一人で」

花陽「………………」

橙子「日頃から大人しかった彼女がいきなりアイドル活動なんてできるはずもない。故に、活動そのものに対しては冷ややかな視線を送られていたんだろう……しかし、それでも彼女はめげなかったそうだ」


たった一人でアイドルになろうとした彼女の気持ちを、推し量ることなんてできない。

私はみんなのおかげでアイドル活動を続けられているだけ。

背中を押してくれる二人の存在がなかったら、きっと今頃は別のことをしていたはず。

アイドルになりたいという想いを、胸に秘めたままで終わらせていたと思う。

だから──私には彼女の苦しみがわからない。


橙子「そして活動を続けていた最中、彼女は失踪した。ほら、誘拐じゃないとしたらもう一目瞭然だろう。動機なんてわかりきってる」

花陽「アイドル活動に嫌気が差したから…………」

橙子「だけならまだ救いはあった。けれど先ほど君が言っていたことが事実なら、話は変わってくる……μ'sを狙っているというのなら、彼女は君達に対してなんらかの恨みがあると見て間違いない。それは────」


どういうことを意味するのか、わからないはずがなかった。

真姫「待って、先生!話が飛躍しすぎよ!」

橙子「私が語ったのはただの推測でしかない。断定するには証拠が足りん……それでも、なにを意味するかぐらいは理解できたはずだ」


生きていれば、恨みの一つや二つは買うでしょう。

でも、その矛先がμ'sに向かうのは我慢できないから。


花陽「…………私、やっぱり行かなくちゃ」


自然と足が動いていた。

ソファから立ち上がると、踵を返して退出しようとする。

だけど、真姫ちゃんは私の手を掴んで止めた。


真姫「待って、どこに行くつもり」

花陽「…………あの吸血鬼を野放しにはできないよ」

真姫「バカなことはやめて!あなた一人で勝てる相手じゃないわ!」

花陽「それでも誰かがやらなきゃいけないことだから────やるの」

真姫「あなたがやる必要なんかない!」

花陽「ごめん、真姫ちゃん…………手を離して」

真姫「絶対に離さない…………ここで離したら、一生後悔するもの」

花陽「…………真姫ちゃん」

真姫「それでも行こうというのなら────」

真姫ちゃんは立ち上がり、私の額に人差し指を向けた。

真姫「────喧嘩じゃ済まなくなるわよ」


身体が底冷えするほどの冷たい目。

情や迷いを捨てた本気の視線に、身体が固まって動けなくなる。


橙子「真姫、そのへんにしておけ」

真姫「…………先生は黙ってて」

橙子「私はその娘に賛成だ」

真姫「────先生っ!!」

橙子「君達のような活動的な人間が集まったグループに、事実を告げるのは得策じゃない。知ってしまったら最後、自らの手で問題を解決しようと躍起になる。戦闘手段を持たない普通の女子高生に、鬼退治は酷だろう」

真姫「そんなことはわかってる!わかってるけど…………」

橙子「私は魔術師の方を追っているのであって、ロアの残滓に関わるつもりはない。両方を相手取るにはあまりにもリスクが大きいからな。しかし、おまえは違う」

真姫「………………」

橙子「真姫。魔術師という輩はね、身内には親身になるんだ。自分の分身みたいなものだから……必死になって守りもする。おまえも魔術師の端くれなら、どうするべきか教えずとも理解できるはずじゃないか」


剣呑な目をしていた真姫ちゃんから、気迫が薄れていく。

人差し指を下し、私から手を離すと真姫ちゃんは言いました。

真姫「わかったわ…………これでも魔導の門戸を叩いた身よ。郷に入っては郷に従えとも言うしね」

花陽「な、なら────」

真姫「ただし!一つ条件があるわ」


少々興奮気味なのか、頬は薄い朱色に染まっている。

私から顔を背けたあと、真姫ちゃんは腕を組み、若干高圧的な態度で告げてきました。


真姫「私も連れて行きなさい。あなた一人じゃ危なっかしくて見てられないもの」

/30
真姫ちゃんが加わったことで、夜の捜査は二人で行うことになりました。

あの日から────

例の吸血鬼を目の当たりにして以降、それは初めての試みでした。


真姫「死者の気配が濃い場所を手当たり次第に探していくのは、効率が悪い……もっと別の方法を試しましょう」

花陽「なにか良い案があるの?」

真姫「ええ。街で起動している術式を目印に探しましょう」

花陽「…………術式?」

真姫「対広域の浸食結界術式のことよ。今この街全体は、魔女の鍋として用いられてるようなものなの。ロアの残滓は成り立ての吸血鬼で、魔力を貯蔵できるだけのスペックを持ち合わせていないから、他の入れ物を用意する必要がある」

花陽「入れ物って、そんなに簡単に用意できるものなのかなぁ」

真姫「いいえ。だからこそやつはこの地に式を打って、土地から魔力を吸い上げてるんだと思うわ。それが始まったのが丁度一月ほど前……あんまり言いたくはないけど、トウコさんの予想はおそらく当たってる」

花陽「そこまでして、一体なにをしたいんだろう……?」

真姫「死者という手駒を増やすと、世間や教会の目を欺くのは困難……そのリスクを冒してまで行う大儀式……正直、考えたくもないわね」


難しいことはわかりませんが、恐ろしい計画が秘密裏に進行していることだけは、これではっきりしました。

真姫ちゃんに連れられたまま、式が打たれているという神社の境内に到着。

辺りを見渡すと、招かれざる客が大勢出迎えてくれました。


花陽「ま、真姫ちゃん…………!」

真姫「わかってる。どうやら罠だったみたいね……でも────」

白い手袋をはめると、真姫ちゃんは一歩前進する。

物言わぬ死者を前にしても、凛とした態度を崩すことはありません。


真姫「この程度の数で倒し切れると思わないことね」


押し迫ってくる死者の群れ。

しかし、真姫ちゃんは一歩も引くことなく迎え撃ちます。


真姫「花陽、あなたはそこで見てるといいわ。魔術師の戦い、とくとご覧なさい────」


真姫ちゃんは両手を合わせて、叫んだ。


真姫「Sperrung(遮断)────!!」


そのまま両手を地に付けると、私達二人の周囲を覆うように薄紅色の膜が出現する。

死者が膜に触れると、接触した箇所から勢いよく燃え盛り始めた。


真姫「────Anfang(セット)……!Ein KÖrper ist ein Körper(灰は灰に 塵は塵に)……!verlorenes Friede für die Toten(迷える死者に 安らぎを)────!!」


膜は大きく広がり、境内全域を浸食しました。

真姫ちゃんの術の影響なのか、死者達はこの世に留まることを許されず、次々と灰になり消滅していく────

真姫「Es ist Warten(待機)……!」


視界に映る死者を一掃したところで、真姫ちゃんはようやく地面から手を離しました。

すると、境内を覆っていた膜が一気に消失していきます。


真姫「まっ、こんなところね……さあ、ウォーミングアップは終わりよ!いつまでも隠れてないで出てきなさい!」


真姫ちゃんが声を張り上げると、境内の奥から人影が視えました。

月光に照らされて、その姿が徐々に露わとなっていく。


亜矢「そう焦らないでよ……やっとこうして巡り合えたんだからさあ……」

花陽「あ、あなたは──!」


眼前に立った相手を、私が見忘れるはずがない。

この人こそ、私が探していた吸血鬼。

ロアの残滓と呼ばれていた、今回の事件の元凶──!


真姫「悪いけど、楽しくお喋りするつもりなんて毛頭ないわよ」

亜矢「冷たいなあ……それがA-RISEと並び立とうとするスクールアイドルの言う言葉……?ファンにはもっと親切な対応をすべきじゃない?」

真姫「死者を差し向けてくるファンなんて、こっちから願い下げよ」

亜矢「ふふ……気丈なのはありがたいわ。そう簡単に壊れてしまったら、つまらないものね」

不気味な笑みを浮かべる吸血鬼からは、焦りなど微塵も見受けられない。

花陽「あなたが……杉崎亜矢さんですね」

亜矢「だとしたら…………どうする?」

花陽「何故私達のことを狙うんですか。あなたも、元はスクールアイドルだったはず……アイドルを想う気持ちは、あなたも私達も変わりません……!なのに、どうしてこんなことを────」


────するんですか。

言いかけたところで、嘲笑が聴こえた。

それは眼前で余裕を見せる吸血鬼のものでした。



亜矢「ふふ、ふふふふ…………アハハハハッ!もう最ッ高!これは傑作だわ!アイドルを想う気持ちですって?あんたたちが私にそれを言うの?なんにも知らない癖に、どうして同じだなんて言い切れるわけ?理由があるなら聞かせてちょうだいよ。ほら、最後まで待っててあげるからさあ」



アヤは両手を横に目一杯に広げると、無防備であることをアピールする。

それは私達に対する余裕の表れでした。



花陽「スクールアイドルは、人を笑顔にさせる仕事だからです!」

アヤから目を逸らさず、私ははっきりとそう口にした。


亜矢「はあっ?」

花陽「歌ったり、踊ったり、とにかく一生懸命で……真っ直ぐに前を見つめて輝いてる姿に心惹かれた。自分も誰かを笑顔にすることができたら、どれだけ幸せかと憧れた。だからスクールアイドルになろうと思った……違いますか────」

亜矢「………………」

花陽「元を辿れば、スタート地点は同じ……なら、私達の気持ちがわからないはずがないんです!」

真姫「花陽、あなた────」


ここだけは絶対に譲れない。

ちっぽけだった私を変えてくれた、アイドルという道。

その始まりは些細なことだったとしても────


走り出した場所は同じだと信じたいから。


飾りのない想いの丈をぶつける。

相手の心に届くように。

しかし、返ってきたのは射殺すような冷たい視線と、淡々とした返事だけ。

亜矢「…………言いたいことはそれだけ?」

花陽「えっ?」

亜矢「なら逆に訊くわ。どれだけ努力しても、誰も自分に目を向けることがないのだと知ったとき……あんたは今と同じことが言える?」

花陽「そ、それは────」

亜矢「アイドルを大切に想っているのなら、なおさら理解できるでしょう。人を惹きつけ、本当の意味で人を笑顔にできるアイドルなんて、ほんの一握りだってこと……偽りのない努力も、そこに至るまでの過程も、目を向けられなければ無価値よ」

花陽「違います!そんなことは────」

亜矢「いいえ、そうよ!アイドルなんて……所詮単なる偶像崇拝でしかない!一部の者が多数を惹きつけ、残り少数はせせこましいステージでピエロのような扱いを受ける!それが輝きの裏に隠された真実よ!」

花陽「────違うっ!!」


少しでも肯定してしまったら最後、私の中にある大事なモノが壊れてしまう。

それがわかっていたから、ただ否定することでしか心を保てない。


亜矢「…………だから決めたのよ。あんな偽りだらけの腐った世界──全てこの手でぶち壊してやるってねえ!!!!」


アヤの手から、視覚できるほどの力場が生まれる。

その手から放たれた雷撃が、凄まじい速度で私に迫って来る。

────防御が間に合わない。


覚悟を決めた瞬間、先ほどと同じ膜が私達の前に現れた。

膜は雷撃を吸収してなお、傷一つ付いていない。


真姫「呆れた。全然わかってない……それじゃ逆恨みもいいとこね」

亜矢「──なに?」

真姫「あなたは致命的なところで勘違いしてる。ステージで見せるのは努力や、そこに至るまでの過程じゃない……見に来てくれた観客のためにできることはたった一つ────」


一歩前進して、真姫ちゃんは構える。

その姿には迷いや戸惑いなんて微塵もない。



真姫「最高のパフォーマンスを魅せる!それだけよ────!!」



真姫ちゃんの指揮に従い、薄紅色の膜が亜矢を包み込むべく流動する。

液体の如く分離して、一面を覆うよう取り囲んでいく膜に対応できず、アヤは逃げ場を失った。


真姫「どんなに頑張ったところで、ステージで成果を発揮できれなければ意味がない──!
そこに至るまでの苦労や過程なんて、観客にはなんの関係もないわ。真のアイドルなら、頑張ったからこれで許してくださいだなんて、口が裂けても言えるはずがないのよ……!」

亜矢「なら目を向けられない人はどうなる。あんたは日の当たらないアイドル達に、お前たちはアイドルをする資格がないとでも言うつもり?」


余裕の笑みを崩さないアヤに、真姫ちゃんが吠える。


真姫「バカ言わないで!本気の娘ならそんなことで諦めたりなんかしない!観客が他所を向いているなら、実力で振り向かせるだけ──!!」


膜がアヤの身体にまとわりつく。

その影響で徐々に溶かされていく身体は、燃焼と再生を繰り返していた。


亜矢「多重隔離の術式結界か……それで、固有結界の真似事をしてどうする気?」

真姫「あなたはここで拘束する。逃げられると思わないことね……!」

亜矢「はっ!逃げるですって……?こんなみすぼらしい結界で、よくもそんな口が叩けたもんだわ」


皮膚が燃え、筋肉の繊維が剥き出しになってなお、アヤは動揺すらしない。

並々ならぬ自信に背筋が震え、私は無意識の内にナイフを取り出していました。

眼鏡を外し、臨戦態勢を整える。

これで、やつの死を見逃すことはありません。

花陽「真姫ちゃん、相手は吸血鬼だよっ!少しの攻撃だとすぐに再生されちゃう!」

真姫「わかってる。この程度じゃ終わらせない……!zwei, drei, vier, fünf, sechs, sieben, acht, alles Mauer. eine Salve(二、三、四、五、六、七、八、全障壁、一斉射撃)────!!」

華麗に腕を振るい、新しい膜を生成して、アヤの身体に幾重にも纏わりつかせる真姫ちゃん。

その様は、まるで熟練の指揮者のよう。

膜はどろどろに溶けてスライム状の檻となり、敵の行動を束縛する。

一つでも死者達には効果覿面だったんだから、重ね合わせれば彼女も容易には突破できないはずです。

だけど、どうしてでしょう。

声すら聞こえなくなったのに、不安だけは拭えない。

眼の前の吸血鬼には、この障壁では歯が立たない──

そんな悪寒がして、やつに近づいて行く真姫ちゃんの腕を取る。

すると、アヤの身体に纏わりついていたスライム状の膜が、突然一斉に弾け飛んだ。

散り散りになった膜の破片が周囲に散乱していく。

真姫ちゃんを守るため、正面から抱きつき、背中で膜の破片を受けました。


花陽「っ────!!」


制服が焦げ付き、皮膚が灼ける感触がした。


真姫「花陽──!」

亜矢「こんな荒い式で私を捕えようと思っていたなんて……安く見られたものね」

真姫「くっ……!wieder Einsatz──(再展開)!」


こちらに歩み寄って来るアヤに対し、再び膜を浴びせる真姫ちゃん。

ですが、やつは残った右腕を一振りするだけで、完璧に掻き消す。


亜矢「温い、温い温い温い温いッ!!これじゃせっかく苦労して手に入れた力の試運転にもならないわよッ!」


必死に膜を展開していましたが、そのどれもがあっさりと打ち破られる。

すぐそこまで迫っていた敵に応戦すべく、私は真姫ちゃんを横にどかしてナイフを構えます。


真姫「ちょっ、花陽!」

花陽「真姫ちゃんは下がってて、あとは……私がやる」


意識を研ぎ澄まして、やつの死を視る。

例え吸血鬼でも、死からは逃れられない。

私達人間と同じように、アヤの身体にも線が蔓延っていました。


花陽「少しだけ安心しました……あなたも、私たちと変わらない」

亜矢「…………その眼のことは一時たりとも忘れたことはなかった。この腕の借り、今ここで返させてもらう」

亜矢は右腕を前方に突き出し、力場を形成している。

この呼吸が終わる刹那に、再び雷撃が私を襲うでしょう。

けれど、そうはさせない。

視ることができるのなら、避けることだってできるはず──!

雷撃が射出される箇所は、やつの手の平で収束している力場。

ならそこに注視していれば、どこに攻撃してくるかも予測ができる。

あとは当たらないよう、タイミングを合わせて動くだけ。

バッティングセンターの応用編だと思えばいい。


花陽「ぐっ……!」


肩に掠りはしたけれど、初撃はなんとか躱せた。

ここからは的を絞られないよう、ジグザグに走りながら接近していく。



亜矢「ちっ、ちょこざいな……!」


連続で放たれる魔力の線は、鮮やかな黄色でとても綺麗だ。

でも、おかげではっきりと視える。

バッティングセンターの球より速くても、追尾してこないなら大したことない。

連続で放たれるなら、こちらも最小限の動きで躱すのみ────

亜矢「いい加減に──しろッ!!」


持てる力の限りを尽くして、全力で駆ける。

しかし、今度の攻撃は先ほどよりも範囲が広く、射出速度も桁違いに速い。


ダメだ、躱し切れない──


そう思った瞬間、上空から舞い降りた人物が私の眼前で、やつの術をいとも簡単に打ち破りました。

離散した雷撃が周囲に散らばり、昼間のような明るさになる。

おかげで彼女の背中を見間違えずに済みました。

修道女のようなその後ろ姿を、見忘れるはずもありません。


花陽「シエル先輩っ!」


シエル「小泉さん!あなたは西木野さんを連れてここから離れてください!」

亜矢「一度ならず二度も邪魔をしてくるなんて……教会の狗は随分と鼻がいいのね。それとも、あの出来損ない共じゃ満足できなかった?」


レイピア状の剣を鉤爪のように装備し、シエル先輩はロアの残滓と対峙する。

一触即発の空気が漂う中、私と真姫ちゃんは二人の様子を見守ることしかできませんでした。

シエル「ええ……あの程度で足止めになると思っていたのなら、それは計算違いでしょう。
あなたたち吸血種を殲滅し、無に帰すことが我ら代行者の使命。急場凌ぎの寄せ集めでは、前哨戦にすら成り得ません」

亜矢「それはとんだ失礼を──けどね、私の目的はあんたじゃないの。用があるのはそこで無様な姿を晒してる二人。邪魔をしなければ命ぐらいは見逃してあげてもいいのよ」

シエル「……戯言はそこまでです、杉崎亜矢──その溜め込んだ血液ごと、在るべき場所に還して差し上げます」


先に攻撃を仕掛けたのはシエル先輩だった。

この眼で追うのがやっとの速さで剣を振り被ると、張り詰めた弓が矢を放つように、シエル先輩の投擲した剣がやつの身体に向かって飛んでいく。

しかし、やつは避けませんでした。

それどころか攻撃を受けるのと引き換えに、潔く後退を始めたのです。



亜矢「目的は果たした。あんたとやるのは、この血が完璧に馴染んだときの愉しみとして取っておくわ」


人間離れした跳躍力で後方に跳ぶと、アヤは薄気味悪い笑い声を上げました。

口角を吊り上げて笑う様は、まるで悪魔のよう。

なんらかの魔術を使用したのか、境内上空が濃い霧で覆われ、やつの姿が視えなくなる。


亜矢「アハ、アハハハハハ!!また遊びましょう!!今度は杉崎亜矢ではなく、吸血鬼ロアとしてね──!!」


吸血鬼が去ったあと、私は極度の疲れと背中の傷からくる痛みで勢いよく膝をつきました。

真姫「花陽、しっかりして!」

花陽「ご、ごめん真姫ちゃん……あんまり役に立てなくて」

真姫「謝らなきゃいけないのは、むしろ私の方よ。ほら、早く傷を見せて」

花陽「で、でも…………」

真姫「いいから早く!」

花陽「う、うん」


どれだけの怪我を負っているのかは、自分ではわからない。

酷い怪我かもしれないし、もしかしたら痕が残るかもしれない。

それでも、真姫ちゃんの盾になれたという一種の達成感のおかげか、全然苦痛じゃなかったのが驚きでした。


真姫「Das Verheilen(癒しを)」


真姫ちゃんの手が、背中を温めてくれる。

これも多分、魔術の一種なのだと思う。

次第に痛みが和らいでいくのが、肌で感じ取れました。


シエル「小泉さん、大丈夫ですか!」


少し遅れて、シエル先輩が駆け寄って来る。

花陽「は、はい。まあ見ての通りではあるんですけど」

シエル「背中の傷が完治ですか。しかもこんな短時間で……」

花陽「ええ、もう治っちゃったのぉ!?」

シエル「治癒に関連する魔術は基本的に難易度が高いのですが、これは相当高度な式で構成された術です。西木野さん……あなた才能がありますよ」


私の背中に翳していた手を離すと、真姫ちゃんは訝しげな態度でシエル先輩に返答しました。


真姫「元々医療に活用するために学び始めたんだから、できて当然でしょ。それよりも、先輩には聞いておきたいことがあるわ」

シエル「ええ、なんなりと。西木野さんには暗示が通用しませんでしたからね……小芝居に付き合ってくれたお礼として、特別にお答えしちゃいます」

真姫「…………どうしてμ'sに近づいてきたのか説明して」

花陽「あ、暗示?μ'sに近づく?んん……なにそれ?」

真姫「はあ……あなたが口を挟むと話がややこしくなるから、ちょっとの間だけ静かにしてて」

花陽「あ、はい」


言われるがままに口を閉じると、シエル先輩は語り出しました。

シエル「お察しの通り、吸血鬼退治です」

真姫「ふざけないで……事と次第によっては、教会にあることないこと吹き込むわよ」

シエル「それは困りました。私も本部の上司には頭が上がりませんので、目的を喋らずにはいられなくなっちゃいそうです」

真姫「御託はいいからちゃんと答えて!教会の代行者が、わざわざ極東のアイドルグループに潜入する理由はなに!」


少しだけはにかんだあと、シエル先輩は恥ずかしそうに後頭部を片手で擦りながら、告白しました。



シエル「実は私、一度アイドルになってみたかったんです」

/31
シエル先輩の言い分はこうでした。


シエル「自分が輝くことで他の人達を笑顔にすることができるスクールアイドルに、興味が湧いちゃったんですよ。あっ、信じていませんね。でもこればかりはホントです。それは私にはできない……みなさんにしかできないことですから────」

真姫「へえ、代行者でも案外俗物な考えを持つこともあるのね」

シエル「もちろんです。私達も人間ですから、魅力的なものに心惹かれるのは当たり前のこと……ホントは十人目のメンバーになるつもりだったんですが、非常に難しそうなので止めました」

真姫「……どうして?先輩ほどの術者なら、それぐらいの暗示は簡単じゃない」

シエル「いやーそれがですね……みなさんの記憶に介入して、十人目のメンバーであるよう刷り込みを行おうとすると、必ず心のプロテクトが入って失敗しちゃいまして」

真姫「多分、『μ'sは九人である』ってことが深層意識に刻まれてるんだわ」

シエル「はい。それでもμ'sに入ろうとするなら、みなさんの自意識を根こそぎ消失させるぐらいの暗示が必要なので、泣く泣く諦めたというわけです」

真姫「……先輩なら私達全員を操り人形にしても、うまいことやれたと思うけど」

シエル「まさか……そんなことは絶対にしませんよ。私が関わりたかったのはμ'sであって、心を無くした操り人形じゃありません。なので、マネージャーで妥協させてもらいました」

真姫「…………聞いてた話と違う」

シエル「──はい?」

真姫「教会の代行者は異端狩りのエキスパート。主の教えに逆らう愚者を狩る、血も涙もない殺戮マシーンだと思ってた」

シエル「……あながち間違いではありませんよ。西木野さんが私を警戒するのも無理ありません。
事実、この手は血で汚れています。地獄というものが本当に存在するのなら……死後、私が行きつく先はそこでしょう。だから誰かを笑顔にするなんて資格──ホントは初めから持ち合わせていないんです」


花陽「────そんなことありません」


シエル「小泉さん……?」

花陽「難しいことはわかりませんし、私もまだまだ未熟者です……でも、誰かのことを想ってなにかができるなら……それだけで救われる人がいると思うから──先輩にだって、きっとできます」

シエル「私が誰かを笑顔に、ですか?」

花陽「はい」

シエル「…………ちょっと難しく考え過ぎていたのかもしれません。ええ、その通りです。みなさんのようなスクールアイドルは、そうやってここまできたんでしたね」

真姫「……もうすぐ終わるみたいな言い方やめてよ」

シエル「すいません。みなさんはまだまだ上に行けますよ、私が保証します」


そう言ってシエル先輩は跳躍し、社の上に立ちました。


シエル「これでμ'sのマネージャーでいられる理由もなくなっちゃいました。楽しい事はすぐ終わるって本当みたいです」


花陽「まだ終わってなんかいません!一緒に吸血鬼を────」

シエル「それは無理な注文です。小泉さんも西木野さんも、やつに関わってはダメですよ。あとは私が処理しておきますから」

花陽「先輩っ!」

シエル「さようなら──小泉さん、西木野さん」

昨日の出来事を思い出していると、授業中でさえ上の空です。

これで本当に終わったんだ────


真姫『あとは先輩に任しておけばいい。私達は、私達の日常に戻るべきよ』


先輩が去ったあと、真姫ちゃんは私に言いました。

──私達の日常。

ありふれた、特に変わり映えしない学校生活。

そこに戻ることができたんだから、素直に喜ぶべきなのに、胸の中にあるもやもやは消えてくれません。

現実感のない白昼夢のような夜が連日続いていたせいか、疲労がどっと押し寄せてきて、気を抜いているとすぐに眠ってしまいそう。

けど、もう夜の街を出歩かなくてもいいのなら、少しぐらいはいいかなあ──なんて、考えたりもしちゃいます。


凛「かーよちんっ!」


教室でうとうとしていると、後ろから凛ちゃんに声をかけられました。


花陽「凛ちゃん、どうしたの?」

凛「特に用はないにゃー」

花陽「ふふ、暇だったんだね」

凛「そうとも言うかにゃ」


凛ちゃんは相変わらず元気いっぱいで、体力が有り余ってるのをひしひしと感じます。

部活動が休止になっているので、それも仕方のないことかもしれませんが。


凛「……今日のかよちん、いい顔してるよ」

花陽「そ、そう?」

凛「うん。最近のかよちん、いつも気を張ってるように見えたから心配してたんだ」

花陽「心配かけさせてごめんね。でも特に変わったことはないから、大丈夫だよ」

凛「ホントにー?一仕事終わって気が抜けてるんじゃないかにゃあ?」


お見通しとは、素直に驚きです。

凛ちゃんに隠し事はできないなあ。


花陽「……やらなきゃいけないことが終わったって意味なら、そうかもしれないね」

凛「なになに?凛にも聞かせて」

花陽「そ、それはちょっと……」

凛「聞かせてくれるまで、凛はここから一歩も動かないにゃ!」

花陽「ちゃんと席に着かないと授業受けられないよぉ」

凛「授業よりもかよちんの方が大事!さ、喋らないとワシワシMAXいくよー」

花陽「凛ちゃんがするのぉ!?希ちゃんじゃなくて!?」

凛「のんたん師匠直伝の奥義──かよちんにも試してあげるね」

花陽「だ、誰か助けてぇぇぇ!!」

胸を両腕で隠して防戦していると、凛ちゃんの頭に真姫ちゃんチョップが刺さりました。


凛「痛いにゃあぁぁ!」

真姫「バカなことしないの」

凛「真姫ちゃん……いるならいるってちゃんと言ってよぉ」

真姫「言おうとした矢先に変なことしてるのが悪いんでしょ」

凛「変じゃないにゃ!凛はかよちんの発育をこの手で確かめようとしてただけ!」

真姫「だからそれが変だって言ってるの!希の悪いとこばかり受け継いでんじゃないわよ!」


遠い目をした凛ちゃんは、どうやら遥か昔に想いを馳せているようです。


凛「のんたん師匠は、言ってた」


真姫「……なんかいきなり語り出したわよ」

花陽「唐突な話題変更だね」


凛「揉め、そこに胸があるなら──って」


真姫「あなた、もうリリホワ脱退しなさい」

花陽「海未ちゃんにも事情伝えとくね」

凛「えぇー!?お願いだからそれだけは勘弁して……」

真姫「海未の名前出した途端、急にしおらしくなったわね」

花陽「海未ちゃん、そういうの厳しいから」


中々に愉快な会話でした。

凛ちゃんをここまで意気消沈させるとは……

海未ちゃんは普段、リリホワで凛ちゃんにどのような接し方をしているのでしょうか。

なにやら想像するだけで恐ろしくなってきました。


凛「もう山登りは嫌……もう山登りは嫌……」

花陽「トラウマスイッチ押しちゃったね」

真姫「放っときなさい。いい薬だわ」


項垂れた恰好でぶつぶつとなにかを呟き続ける凛ちゃんを横目に、真姫ちゃんは私の手を引いて言いました。


真姫「花陽、ちょっと来て」

花陽「ま、真姫ちゃん!?」

凛「あっ、どこ行くの!?」

真姫「ちょっと話をするだけよ。すぐ戻るから待ってて」

凛「二人っきりなんてずるいにゃー」


教室から出て、廊下に人がいないことを確認してから、真姫ちゃんは耳打ちしてきました。

真姫「あなた、例のことまだ誰にも喋ってないでしょうね」

花陽「……例のこと?」

真姫「ロアの残滓のことよ」


ロアという単語を聞いた瞬間、身体に緊張が走る。


花陽「……うん、まだ誰にも話してない」

真姫「ならいいけど……あのことは他言無用よ」

花陽「わかってる、誰にも言わない」

真姫「先輩がやつを処理したことがはっきりしたら、改めて伝えるから」

花陽「できたら早めに教えてね」

真姫「……ええ」






凛「………………」





真姫「凛、中で待っててって言ったでしょ!」

凛「あ、うん……ごめんごめん。どんな話してるのかなぁって気になっちゃって」

真姫「今の話、聞こえた……?」

凛「ううん、なんにも」

真姫「……まあいいわ。次の授業も始まるし、早く中に戻りましょ」

花陽「そうだね。次はなんの授業だったっけ?」

真姫「数学。しっかりしてよ、花陽」

花陽「えへへ……考え事してたから、授業のことが頭から抜けちゃってたみたい──」


凛「………………」

/32
昼休みに入ってすぐ、私と凛ちゃんはにこちゃんに呼び出しをくらいました。

場所は私達がいつも日常的に練習場として使用しているところ。

つまり、屋上です。


にこ「……なんであんた達を呼び出したのかわかる?」


両腕を組んでこちらに問いかけてくるにこちゃんは、真剣そのもの。

上級生に呼び出しをくらうなんてシチュエーションを味わったことがないので、なんだか変な気分です。


凛「かよちん、わかる?」

花陽「わかんない。凛ちゃんは?」

凛「全然……ねえにこちゃん、どうして凛たちを呼び出したの?」

にこ「ちょっとは考える素振りぐらい見せなさいよ!」


にこちゃん迫真のツッコミは相変わらずキレが冴え渡っています。

しかし、考えたところで理由はさっぱりわかりません。


凛「そう言われても……ねえ」

花陽「うん」

にこ「ったく仕方ないわねえ……いい、よく聞きなさい。これから毎日、昼休みは三人で特訓するわよ」

凛「特訓!?」

花陽「この三人でぇ!?」


想像もしていなかった発言に、思わず大きな声が出てしまいました。


にこ「そうよ。このままだと、ラブライブ地区予選まで少しも練習できずに挑むことになるかもしれないでしょ。そこで!私達だけでも秘密の特訓をしておこう──という算段よ!」

凛「どうせならみんなでやればいいのに」

花陽「わ、私も凛ちゃんと同じ意見かな」

にこ「わかってなーーーーいっ!!今全員を集めて練習の話なんかしてみようものなら、海未やら絵里やら真姫やら希やらにボコボコにされるに決まってるわ」

凛「ようはみんなに言うのが恐いってこと?」


露骨に目が泳ぎ、そわそわした態度になるにこちゃん。

気持ちはわからないでもありませんけど、言いたいことはちゃんと言っておいた方がいい気がします。


にこ「そ、そんなわけないでしょ……宇宙ナンバーワンアイドルのにこが、たかが練習の提案をするだけでビビるわけないじゃない」

花陽「あっ、にこちゃん足震えてる」

にこ「余計なこと言うなぁー!!」

凛「にこちゃんノリノリだにゃー」


エンジンフル回転のにこちゃんは、ちょっと指摘されたぐらいでは止まる気配すら見せません。

元気が有り余っているのは、どうやら凛ちゃんだけじゃないようです。


にこ「とにかく、事件のあれこれが収まるまでは自由に身動きできないとしても、予選の日は着実に近づいてるわ。となったら、多少無理してでも練習すべきでしょ」

凛「まあ、そう言われれば」

花陽「確かにそうだけど」


即答できるような内容でないことは確かでした。

本番のことを考えるのなら、ちょっとでも練習して完成度を上げておいた方がいいのは当然です。

けれど、もし秘密裏に特訓してるのがバレて活動停止処分をくらったら、大変なことになります。

この時期にそんな処分を受けたら、予選には間に合わない。


にこ「無理にとは言わない。でもあんた達二人のアイドルへの情熱は、このぐらいで消えてしまうようなものじゃないって、私は信じてる」


にこちゃんはおふざけや冗談で言っているつもりはなさそうです。

本気で予選のために練習するつもりなのでしょう。


凛「にこちゃん…………わかった、凛も一緒にやるよ。事件もまだ解決しそうにないし、待ってるだけじゃつまらないもんね」

にこ「よく言ったわ、凛。それで花陽はどうするの」

花陽「わ、私は…………やること自体は構わないんだけど……」

にこ「だけど?」

花陽「やるならみんなでやった方がいいんじゃないかなって──」

にこ「もちろん、このことはいずれメンバー全員に話すつもり。でもある程度頃合いを見計らってからじゃないと、提案そのものがボツにされかねない……それだけは絶対に嫌なのよ」

花陽「バレたら活動停止にされるかもしれないよ」

にこ「それがなに」

花陽「えっ!?」

にこ「仮にそんな処分下されたら、他の部活の生徒味方につけてでも理事長に直談判してやるわ」

花陽「に、にこちゃん?」

にこ「大体ねえ、この時期に部活動全面休止なんてのがそもそも間違ってるの。
あんな平気で人を傷つけるようなやつに、私達の大事な時間は渡さない……犯人がどんなやつかなんて興味ないけど、この事件でラブライブそのものが中止になったら、絶対に許さないんだから!」


言われて、はっとした。

私達は幸いにも、犯人の魔の手から逃れられていると思い込んでた。

相手は恐ろしい殺人犯だということに目が眩んで、大事なことを見過ごしていた。

やつはすでに、私達から大切なものを奪っていたんだ。

しかもそれは未だに続いていて、いつ終わるかもはっきりしてない。

ああ、今の今までこんな大事なことを忘れていたなんて、本当にどうかしてる。

やつが現在進行形で奪っているもの。


それは────時間だ。

にこ「私達三年は今年が最後──でも、今はもうそんなことどうでもいいの。
大事なのはμ's。そしてスクールアイドルμ'sとしてラブライブに挑戦できるのは、今回がラスト……最後にどんな結果で終わるんだとしても、悔いは残したくない──そうでしょ?」


花陽「そうだね……うん、私もあんな事件を起こす人に屈するべきじゃないと思う」

にこ「なら、決まりね」

凛「やったー!これでかよちんも仲間入りにゃ!」

花陽「ちょ、ちょっと待って……!」

にこ「なに?まだなにか聞きたいことでもあるの?」

花陽「にこちゃんは、どうして私達を選んだの?」


もう心の中では決心がついていました。

それでも、理由だけはちゃんと聞いておきたかったから───

にこちゃんは目を数回瞬きさせると、あっけらかんとした口調で答えました。


にこ「ん?ああ、簡単なことよ。あんた達が一番可能性があると思ったから声かけたの」

花陽「そ、そうだよね。一年生だから声もかけやすいし……最初に声かけるのは当たり前だよね」

にこ「はあ?なに言ってんのよ、あんた。可能性っていうのはそういう意味じゃなくて、将来有望だって意味!」

花陽「え、ええっ!?私達が将来有望!?」

にこ「そうよ。誤解されないように言っとくけど、別に他のメンバーがダメってわけじゃないわ。その中でも特に将来に向けての可能性があると思って、あんた達にしたの」

凛「ホントにー?ちょっと見得張りたいとかじゃなくてー?」

にこ「良いこと言ってるときに水差してんじゃないわよ!」

凛「日頃の行いの結果にゃ」

にこ「……あんた、実は喧嘩売ってんのね。そうなんでしょ、ねえ、そうなんでしょ」

凛「なんのことかわからないにゃー」

にこ「ぬわぁんでそういうことばっか言うのあんたわぁー!!」

凛「にゃあにゃあにゃあにゃあにゃあ……頭が揺れるぅーー」


にこちゃんは凛ちゃんの両肩を掴むと、そのまま前後に大きく揺らしました。

じゃれ合う二人は、傍目から見ても仲が良さそうです。


にこ「はあ、はあ、無駄なことで体力使っちゃったじゃない」

凛「ねえ、大丈夫?」

にこ「…………誰のせいだと思ってんのよ」


理由はさておき、にこちゃんは私達のことを相当高く買ってくれているようでした。

でも────

花陽「私、ちゃんとにこちゃんの期待に応えられるかなぁ……」


不安が口を衝いて出る。

しっかりしなくちゃって思うんだけど、今回みたいに弱音を吐いちゃうことはあります。

だけど、にこちゃんはそれを咎めようとはしませんでした。


にこ「心配いらない。最初の想いを忘れることがなければ、あんたはこれから誰よりも輝ける……もっと自信持ちなさい」

花陽「にこちゃん……うん!私、一生懸命頑張るね!」

にこ「……まっ、輝けるとはいっても、宇宙ナンバーワンアイドルであるにこの次に──だけどね」

凛「にこちゃん素直じゃないにゃ」

にこ「別にいいでしょ……さ、休み時間が勿体無いし、早速練習始めるわよ!」


にこちゃんの指示で、私達は久しぶりに練習を開始しました。

身体を動かしていると、元の日常に帰って来れたんだって実感できる。

眼鏡は常にかけていないとダメだけど……もう、夜の世界に自ら足を踏み入れる必要はない。

それは私が心の底から望んで、なにより求めていたことだったんです。

/33
もはや恒例となった放課後の捜査が終了すると、軽い情報交換だけ行って早々に解散することになりました。

相変わらず有力な情報を掴むことができずにいるのは、杉崎亜矢の計画が着々と進んでいる証なのかもしれません。


凛「結局今日も手掛かりはなし、かー」

真姫「眉唾な情報はいくらでも出てくるけど、正直どれも信憑性はないわね」

花陽「このままほとぼりが冷めてくれればいいんだけど……」

真姫「まあ、これだけ大々的に報じられてるんだし、あとは警察に任せておけばいいわ」

凛「うーん、やっぱりどうしてもそうなっちゃうよね……」

真姫「私達もそこそこ大きなネットワークを構築できているのは確かよ。でも、所詮は学生の集まり……プロである警察とは比べようもないわ」

花陽「……プロ、かぁ」


プロという単語を聞いて、不意にシエル先輩を思い出す。

あとは私に任せればいいと言ってたけれど、一人で大丈夫かな。


真姫「花陽っ!」

花陽「はいっ!?」

真姫「………………」

花陽「な、なに?」

無言でこちらを見つめてくる真姫ちゃんの意図が掴めず、どう反応すればいいのか判断に迷います。

凛ちゃんの方に目配せしているので、おそらく吸血鬼関連のことだと思うのですが──

もしかして、余計なことを喋るなと言いたいのでしょうか。


花陽「そ、そういえば今度の小テスト、範囲が広いから難しそうだよね」

凛「ああっ、忘れてたっ!凛、もうテストは嫌だよぉ……」

真姫「……覚える内容も多いから復習は必須よ」

凛「真姫ちゃん、折り入って頼みがあるにゃ!」

真姫「このタイミングで頼み事とか、全然折り入ってそうに見えないわね……」

凛「まあまあ、細かいことは気にしないで……凛の成績のために人肌まで脱いで欲しいにゃ」

真姫「ん?……その文脈だと意味が大きく変わるんだけど」

凛「いやいや、これで合ってるよ」

真姫「あなた、私に脱げって言いたいわけっ!」

凛「真姫ちゃんの抜群プロポーションを見れば、きっと勉強も捗るにゃ!」

真姫「うぇぇ!?バ、バカ言ってんじゃないわよ!冗談じゃないわ!」

花陽「あはははは…………」


何気ないやりとりを繰り返している内に、分かれ道に差し掛かる。

真姫ちゃんとはここでお別れです。

真姫「それじゃ、また明日」

花陽「うん、お疲れ様。また明日ね」

凛「バイバーイ!また明日ねー!」


凛ちゃんと二人きりになったので、先ほどよりもちょっとだけ静かになる。

とはいえ、会話が途切れることはありません。

私が話題を振らなくても、凛ちゃんが自然に会話を継続してくれるからです。


凛「今日も色々あったねぇー」

花陽「そうだね。にこちゃんとの特訓もあるし、明日からはもっと忙しくなるかも」

凛「……ねえ、かよちん」

花陽「どうしたの?」

凛「かよちんはさ、事件がもうすぐ解決すると思う?」

花陽「……どうだろ。こればっかりはなんとも言えないかな。ただ、早く事件が解決して、元通りの生活が送れるようになってほしいって思うよ」

凛「そっか……これはもしもの話なんだけど──」

花陽「…………?」

凛「明日犯人が捕まって、これまで犠牲になった人達も帰ってきて、ラブライブにも無事に出場できるようになって……凛やかよちんとμ'sのみんなで、ずっとずっと今みたいな生活が送れたら……それは凄く素敵なことじゃない?」

全てが上手くいって、信頼し合える仲間と一緒に過ごす未来は、とても輝かしいに違いありません。

────眩しくて、目も眩む黄金色の日々。

でも、それは永遠に続くものじゃない。

いつか終わりが来るってわかっているから、大切に思える。

限りがあると知っているから、愛おしくなる。

変化を拒絶した永遠に、私は魅力を感じない。

だから、凛ちゃんの『もしも』は受け入れられない。


花陽「私、そういうもしもは好きじゃない……」

凛「どうして?」

花陽「だって、いつかは必ず終わっちゃうことなんだよ。なのに、その先のことまで考えるなんて……なんだか現実逃避してるみたいで、やだ」

凛「そう?けど凛はそういうもしもって好きだよ。どんな結果になるかわからないけど、とりあえずその時は救いがあるような気がするから」


満面の笑みで語る凛ちゃんが、やけに眩しく視える。

夕日を背にしているせいかもしれない。


花陽「凛ちゃん、そういう話好きだったっけ……?」

凛「うーんとね、昔はそうでもなかったよ。でもμ'sに入ってから、考え方が変わったっていうのかな……昔よりずっと前向きになれた気がするんだ」

花陽「それは……わかる気がする」

凛「でしょ。明日がどんな日になるかなぁって考えるだけで、胸がドキドキしてくるなんてこと、今までなかったもん」

花陽「こういうのも、全部μ'sに入ってからだもんね」


μ'sがくれた、夢のトビラ。

それは確実に、凛ちゃんを少しずつ変えていっているようでした。

もしかしたら、気がつかない内に私も変わっていってるのかもしれません。


凛「うん。だからね、これまでが楽しかったんだから、これからもきっと凄く楽しいよ」

花陽「そうだね……明日は今日よりもっと良い日になるよ」


夕暮れ時の帰り道。

常に隣にいるから視えないだけで、本当は少しずつ成長してるってわかってた。

季節がいつの間にか塗り変えていった街の色に気がついて、少しだけ振り返ってみる。

立ち止まった私を呼ぶ凛ちゃんの声を、風が不意に搔き消す。

一瞬なんだか切なさへと、景色が揺れ動いた。

/34
夜が濃くなり、時計の短針が十二を指そうとしていた頃、私は自室のベッドに寝転んで天井を見上げていました。

なんだか寝つけなくて、おもむろに携帯電話を手に取り、適当にいじってみたりする。

もう外を出歩く必要なんてないのに、心がざわついたまま落ち着かない。


『あとは私が処理しておきますから』


先輩の言うことが信じられないわけじゃない。

でも、やつが大人しく退治されるとも思えません。


『私達は、私達の日常に戻るべきよ』


真姫ちゃんの言葉が、頭の中で何回も繰り返し再生される。

壊れたテープレコーダーみたいに、何度も何度も────

ダメだ、やっぱり落ち着かない。

外出するため、パジャマから私服に着替えている最中、携帯に着信が入る。

手に取って確認すると、画面には真姫ちゃんの名前が表示されていました。

こんな時間になんの用だろう?


花陽「はい、小泉です」

真姫「花陽、あなた今外に出てないわよね!」

花陽「あ、うん……自分の部屋だけど。そんなに慌ててどうしたの?」

真姫「良かった……いい、落ち着いて聞いて」


待って。

嫌な予感がする。

まだ心の準備ができてない。

心臓の鼓動が激しくなり血圧が上がってるのか、身体が熱くなってくる。

こちらの気持ちを察することなく、真姫ちゃんは携帯電話越しに告げてきました。



真姫「────凛がまだ家に帰ってないみたいなの」



花陽「うそ…………」

真姫「先輩に連絡を取りたいんだけど、向こうの居場所がわからないからどうすることも──ねえ、花陽聞いてる?ねえ、ねえってば!」


気がついたときには、もう走り出していた。

通話を終了することもなく、携帯をベッドに投げ捨てて自室を飛び出した。

家を出て、眼鏡を外し、街の方に向かい全力で駆けた。


花陽「はあ、はあ、はあ、はあ────」


深夜だというのに、繁華街は人で溢れている。

ネオンの光に照らされて、大勢の死がまばらに動いている姿が眼に映った。

死が蔓延した世界はタチの悪い夢みたいで、視ているだけでも吐き気がする。

集中しているせいなのか、建物にも線が蔓延っているのが視えた。

頭が割れそうな痛みに耐えながら、気がふれたように街中を捜し回る。


花陽「なんで、凛ちゃんが────!」


凛ちゃんがどうしてこんな時間まで出歩いているかなんて、どうでもいい。

ただ、凛ちゃんは────

凛ちゃんは吸血鬼から自分を守る術を持っていない。

そのことが、不安に拍車をかける。


花陽「て……いっ……」


何だか、視え方がおかしい。

線が濃くなり、点も大きくなっていく。


『花陽、視えないものを無理に視ようとしないで。それは本来在り得ない運動よ。使い過ぎれば脳が過負荷を起こして────』


この際、眼が良くなるなら好都合です。

花陽「アアアアアアッッ────!!」


これでもっとあの吸血鬼を探しやすくなる。

そう思った瞬間、頭の中でなにかが割れる音がした。


花陽「あっ────」


身体に力が入らず、足が縺れて前のめりに倒れ込む。

再び立ち上がろうとするも、壁に寄りかからなければ満足に立ち上がることもできない。

今ほどこの使えない身体が恨めしいと思ったことはありません。

死者も見つけられない状況で、私はどこを探せばいいのでしょうか。


『これまでが楽しかったんだから、これからだってきっと凄く楽しいよ』


…………学校?


でもまさかこんな時間に学校に行く理由なんて────

そう思うのが普通です。

しかし、今は藁にだって縋りたい。

棒切れみたいになってる足を奮い立たせ、私は音ノ木坂に向けて再度走り出しました。

/35
音ノ木坂に到着すると、閉め切られた校門をよじ登り、グラウンドに向かいます。

そこには先客がいました。

黒いローブのようなものを羽織り、ぐったりとした凛ちゃんを片手で抱え込む姿に、私は見覚えがあった。


花陽「杉崎、亜矢────!!」

ロア「ああ、その名前はもう捨てたわ。血も馴染んだことだし、必要ないから。欲しいならあげるけど……ま、あんたには必要ないか」

花陽「凛ちゃんを離してっ!!」

ロア「そうがなるなよ。ほら、返してほしければくれてやるから──さっ」


軽い動作でこちらに向かって放り投げられた凛ちゃん。

宙から落下してくる凛ちゃんを受け止めると、安否を確認する。

良かった、まだ息がある────


花陽「凛ちゃん、しっかりして!」

凛「う、うぅ……」

ロア「いやー、しかしホント良かったわ。前々から目を付けてはいたんだけどさ、血が馴染むまで中々手を出せなくて困ってたのよ。今回やっとのことで教会の狗を退け、念願のごちそうにありつけた時は舌が震えたね」

花陽「な、なにを────」

この化物は、一体なにを言ってるんだろう。

ダメだ、理解が全く追い付かない。


ロア「ま、結界から離れてのこのこ散歩してるその娘も悪いと思うわよ。あんた達知らない?吸血鬼がいる街では夜出歩いちゃいけないって」

花陽「なにを言ってるんですか……」

ロア「ん?ああ、まだわかってないんだ……ふん、察しが良いヤツはムカつくけど、察しが悪すぎるのも問題ね」

花陽「一体なにを言ってるんですか、あなたは!!」


ロア「────絞り尽してやった」


二本の牙を見せつけるよう口を開くと、ロアは不気味に嗤いました。

いくら察しの悪い私でも、それだけあれば状況を理解するのは容易です。

小さく呻く凛ちゃんの首筋に視線を向けると、そこには二本の牙の痕があった。


ロア「筆舌にしがたい味だったわ……濃厚で、いくら吸っても吸い足らなかった。搾り尽してもまだ物足りないと思えたのは、その娘が初めてでね……素直に感動したわよ」

花陽「よくも……よくも凛ちゃんを──!」

ロア「待て待て。感謝されるならまだしも、憎悪を向けられるのは筋違いでしょ。私はその娘を一段階上の存在に上げてやったのよ。だからもっと────」

花陽「ふざけるなっ!!」


怒りを抑えきれなくて、自分でも驚くぐらいの声で怒鳴っていた。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

ロア「ふざけてなんかいない。至って真面目で冷静に努めてる。私にあれだけのことをして、殺されなかっただけマシだと思えよ」

花陽「凛ちゃんがあなたになにをしたっていうんですかっ!!」

ロア「はあ……あのねえ、その娘がなにもしなくたって、あんた達がμ'sであるってだけで私には受け入れられないの。抹殺対象なの。殺しても殺し足りないぐらい憎らしいの。何故だかわかる?それはあんた達がμ'sだからよ」

花陽「どうしてそんなにμ'sを憎むんです!私達はあなたに危害なんて加えてないのに……!」

ロア「その考えがまず致命的に間違ってんのよ。私達はなにもしてない?危害なんて加えてないのに?なにも知らない癖に、よくもまあそうペラペラと弁解の言葉を並べられるわね」


ロアを睨み付けながら対峙していると、傍らで凛ちゃんの苦しそうな呻き声が聞こえた。

必死に誰かに助けを乞うようなか細い声に、私はいたたまれなくなりそうだった。


凛「うぅ……だ、れか……たす……け……」

花陽「凛ちゃん……待ってて、今助けてあげるから!」


凛ちゃんを抱き抱えてその場を離れようとすると、ロアが目の前に立ち塞がる。


ロア「おっと、そうはいかない……せっかく会えたんだから、もうちょっと遊んでいきなさいよ」

花陽「そこをどいて……さもないと────命の保証はしない」

ロア「アハハハハハッ!そうこなくっちゃ面白くないわよねえ!」

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

上着を脱いで布団代わりにすると、抱き抱えていた凛ちゃんをそっと寝かして立ち上がる。

取り出したナイフを構えると、やつの死を睨む。

ああ、今日は線を見逃すことはない。

だって、今夜はこんなにも月が綺麗だから────


花陽「どんな事情があるのか知りません。もしかしたら、私達の行動があなたの眼についたのかもしれない、だけど──もうそんなことはどうでもいい」


構えたナイフを逆手にして、敵の攻撃に備える。


花陽「凛ちゃんを傷つけた罪……その身で償ってもらいますっ──!!」

ロア「来なよ、偽善者。その軽々しい口を塞いであげる」


花陽「あなたをここで──」ロア「あんたをここで──」


花陽・ロア「「────殺してやる!!」」


次の瞬間には、自然と身体が動いていた。

刹那の攻防は、人の領域を超えた見切り合いの中にある。

渾身の力で地面を踏み込んで、一歩前に飛び出す。

やつの右手が放つ雷撃を躱しながら前進し、そのまま一気に懐に潜り込む。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

ロア「そう易々と──」


右手の線を狙う斬撃は、奇しくもやつのナイフに阻まれた。

しかし、このままでは終わらせない。

交えた刃を拮抗させ、空いた左手で点目掛けて突きを繰り出す。


ロア「やらせるかぁ!!」


こちらの胴を狙った蹴りを回避して、一旦距離を取る。

ナイフを口に咥えて両手を空けると、再びやつに向かって駆け出す。

────狙いはロアの死が視覚として表れている場所。

即ち点──!

こちらの線を狙ってくるナイフの一閃を見切り、肘で跳ね飛ばす。

がら空きになった胴体に最後の一撃を与えるべく、口に咥えていたナイフを離し、宙で掴み取る。

左手に握り締めたナイフに全神経を集中させると、相手の攻撃を躱すという考えを捨て、点に最速の刺突を繰り出す──!


ロア「──ちっ」


あと一歩のところで、やつの足元から発生した力場の波動をもろに食らい、十メートルほどの距離まで吹き飛ばされる。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

花陽「かはっ……!」


ぎりぎり受け身は取れたものの、正面から波動を受けた影響で中がやられたらしい。

肋骨がいかれたかもしれない。

込み上げてきたものを地面に吐き出すと、真っ赤な血が大量に零れた。


ロア「アイドルっていうのは業の深い仕事だと思わない?自分達は笑顔という名の仮面を張り付けてステージに立っているのに、観客にはそれが自然なんだって錯覚させる……そりゃ見てる側は誤解するわよねえ」

花陽「ち、違う……」

ロア「違わないわよ。誰だって輝けるなんて、ただの幻想でしかない。だというのに、あんた達スクールアイドルはその幻想を他人に押し付けて、なおかつそれが素晴らしいことだって平気で嘘をつく」

花陽「嘘なんかじゃないっ!」

駆けてきた相手が繰り出すナイフを、こちらのナイフで受け流す。

十を超える斬撃の応酬を終え、ナイフを交えたまま拮抗を続ける。

しかし、力負けしているのか、段々と後ろに仰け反っていく。


ロア「いいや、嘘だ!その証拠に私は唯一の親友を失い、スクールアイドルも続けられなくなり、しまいには人をやめなければ引っ込みがつかないところまで来てしまった……!!その苦痛が、怨嗟が、あんたに理解できるのかっ!!」

花陽「ぐっ……!!」

ロア「そうよ、誰かを笑顔にしたいという願いが綺麗だったから憧れたっ!!ステージで輝く姿が眩しかったから心惹かれたっ!!自分もあんな風に誰かの為になれるならと、持てる全てを捧げて走り続けたっ!!」


圧倒的な力に負け、身体ごと後方に弾き飛ばされる。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

追撃を続けるロアのナイフを防ぐのに精一杯で、反論する余裕がない。


ロア「見ろっ!!あんた達μ'sの言う輝きとやらの末路がこれだ!!元から才を持たないものは偽者にすら成り切れず、凄惨な醜態を晒すしかなくなる!!これがあんた達μ'sが作り上げた嘘の正体だ!!」


花陽「違うっ!!」


攻撃を防ぐことはできても、体力は確実に消耗している。

おかげで、ナイフを握る手には痺れが回っていた。


先ほどと同じやり取りをあと二回も繰り返せば、握力も底を突き、ナイフを握ることは叶わなくなるだろう。

それでも────

この女には絶対負けたくない。


花陽「あなたは間違ってる……スクールアイドルは、そんなものじゃない……」

ロア「認めろよ。所詮アイドルなんて、偽りの笑顔を晒すだけのくだらない仕事だってね」


ナイフの一撃を耐え忍ぶ度に、身体が軋む。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

私達もどこかで道を違えていたら、眼の前の怪物のようになっていたかと思うと、心が折れそうになる。

でも心の奥で、この女の言うことは間違いだって、誰かが叫んでる。

────手も足もまだ動く。

まだなにも終わっちゃいない。


花陽「それは無理です……だって、私の尊敬する先輩が言ってたから……」


眼前の敵から眼を逸らさず、私は言った。


花陽「アイドルは笑顔を見せる仕事じゃない……笑顔にさせる仕事なんだって」


説き伏せることができずに焦り出したのか、ロアの表情が歪んでいく。


ロア「ああ、そう……そうなんだ。この後に及んでまだそんなこと言うなんて……筋金の入った偽善者ね」


連続して放たれる斬撃を受け流しながら後退するも、躱し損ねたナイフが右腕を掠めていく。


ロア「じゃあもう用ないよ。とっとと、死んじゃえ」


僅かに出来た隙を突かれて、ナイフを握っていた右腕を横に弾かれる。


ロア「無様────」


無防備になった左腕を断ち切られ、身体から血が噴き出す。

私、斬られちゃったんだ───

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

ロア「クックックックッ……アハハハハハッ!!凄い、あの時以来だわ!転生者の血をこの身に受け入れたときの快感とそっくり!あの時は身体どころか魂まで生まれ変わるんじゃないかって思うぐらいだったけど、あれに勝るとも劣らない快感ね!」


なにも感じない。

力が入らない。


ロア「おいおい、まさか腕が一本飛ばされたぐらいでそのまま死ぬつもり?まだこの眼の試運転も済んでないってのにさあ」


だんだんと周りが暗くなっていく。

ただただ凍えるようにさむい。

ああ、そうか────私死ぬんだ。


ロア「─────────」


何か言ってる。

なんだろう。

もうなにも聞こえない。

大事なことは、なにも────


『これまでが楽しかったんだから、これからだってきっと凄く楽しいよ』


意識が飛びそうなところを、舌を噛んでなんとか堪えた。

立ち上がり、相手の死を見据える。


ロア「そうそう、立ち上がってもっと私を楽しませ────」

花陽「凛ちゃんは、まだ生きてるの」

ロア「……?さあて、どうでしょうね。人間としては終わってるだろうけど、吸血鬼としてなら生きていけるんじゃない?まあ、どちらにしたってあんたはここで────」

花陽「そうですか」


最後の力を振り絞って、やつの点を突く。

もうカウンターなんて望まない。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

命に代えても、この化物だけは殺し切る──!


ロア「やるじゃない!さっきよりも速いわよ!」


ジグザグに前進して、相手の点に刺突を浴びせる。

防がれてもなお、ナイフをジャリングの要領で宙に滞空させながら、あらゆる角度で線に刃を這わせようと斬撃を繰り出す。


ロア「なっ──」


やつには視えなくても、私には視える。

ナイフは私の手にないのだから、そう易々と刃の軌道を読まれることはない。


ロア「ちぃぃ──!」


相手の死角を取るよう立ち回れば、まだ戦える。


ロア「いちいち視界の外にっ!」


次の一撃で、首を刈り取る。

ステップを駆使して、やつの背後を取れれば──


ロア「いいかげんに、しろっ!!」


足元から発せられた波動に勢いを殺され、そのまま地に叩き伏せられた。

ナイフもどこかに落としてしまった。

早く立ち上がって、探さないと。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

ロア「………………」


凛ちゃん……を……助け……なきゃ。


ロア「死ね」


立ち上がった瞬間、胸にナイフを突き立てられた。

全てが足元から崩れていくような感覚。

これが……死……なんだ。


ロア「……クック……ッハハ……ハハ……ハハ…アハハハハッ!少し点からずれたか!?どうよ、死の点を突かれた感覚は!全てが足元から崩れていく感覚……あんたもたっぷりと味わいなさい!」


な……に。


ロア「ふう、素晴らしい気分だわ。あんたの命一つでこれなら、μ's全員ならどれだけの快感を得られるか、想像も付かないわね」


やつが……来る──


ロア「さて、記念にそのナイフは貰っておきましょうか。じきに消えるあなたには必要のないものよ」


あいつを倒さな……いと……

凛ちゃんが……

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

シエル「小泉さん、ここは引きますよ!」


すぐ近くで聞き覚えのある声がした。

誰かが私の身体を抱き抱えてくれているのか、ほのかな温もりを感じる。


ロア「へえ……あれだけズタズタにしてやったのに、随分とお早い御着きね。私のことを化物と罵るけど、あんたも十分人外の領域に足を踏み入れてるじゃない」


身体が……寒い……


ロア「治療したところで無意味よ!死線を裂かれたものは、如何なる手段を用いても死から逃れられない!ハハ、アハハハハハッ!!」


あれ……先輩…どうして……


シエル「詳しい話はあとです!小泉さんは助かります!気をしっかり持って!」


私のことは……いいから……早く……凛ちゃんを……


シエル「大丈夫、星空さんも一緒です!」


良かった……凛……ちゃんも……一緒なんだ……


シエル「西木野さんの病院に向かいます!そこでなら治療も────」


身体……の感覚が……なくなっていく。

凛……ちゃん……

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/35
眼が覚めたあと最初に視ることになったのは、真っ白な天井でした。

白一色の壁紙に蔓延る線と点。

ああ、私──まだ生きてるんだ。


真姫「──花陽っ!」

花陽「真…姫……ちゃん」

真姫「良かった……」

花陽「ぐうっ……はあっ……!」

真姫「花陽、しっかりして!」


頭が割れそうなぐらい、線が眼に染みる。

このまま死を視ていたら、脳が焼け切れてしまう。


綺礼「眼鏡を渡してやれ。それで多少はマシになるだろう」


真姫ちゃんから眼鏡を受け取り、かけ直す。

すると、あれだけ濃く刻まれていた線がほとんど消え去りました。


花陽「あ、ありがとう」

真姫「いいのよ、これくらい……他にどこか痛いところは?」

花陽「ううん……動かなければ、多分大丈夫だから……それより凛ちゃんは──!」

真姫「凛も他の病室にいるから、心配しないで」


良かった、凛ちゃんも無事だったんだ。

安心したついでに、少しだけ身体を動かしてみる。

すると、意識を失う前とは違うところに気がつきました。

赤い布を巻かれてはいましたが、無くなっていた左腕が元通りになっていたんです。

花陽「左腕が……ある……」

綺礼「接合に成功したとはいえ、聖骸布の効果で切断された事実を身体に忘れてもらった上での、仮初の治療でしかない。無理すれば、また腕が落ちるぞ」

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

修道服を着た大柄な男性は、私達から少し離れた位置にある椅子に座ったまま、淡々と告げてきました。


花陽「あの……あなたは……」

真姫「言峰綺礼……教会の代行者の一人よ。あなたと凛を助けてくれたの」

花陽「言……峰、さん?」

綺礼「如何にも。私が言峰だ。君と君の友人を救出する際、多少援助させてもらった」


言峰と呼ばれた男性を、ベッドの上から観察してみる。

服の上からでもわかるぐらい鍛え上げられた、屈強な身体。

シエル先輩と同業だということが一目でわかる修道服。

三十代前半ぐらいの容姿をしているのに、まるで全てを悟り切った僧侶のような雰囲気。

特徴的な点は他にもありましたが、その中でも特に嫌な感じがしたのは、彼の目でした。

人間らしい温かみを感じない、死んだ目をしてる──

どうしてこの人がシエル先輩と同じ組織に属していられるのか、私は不思議でなりませんでした。

もしかすると件の組織では言峰さんみたいな人が大多数であり、シエル先輩が少数派なのかもしれませんが。


花陽「どうして……私を助けてくれたんですか……?」

綺礼「私は代行者としての責務を果たしただけだ。そこに特別な意味などない」

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

花陽「凛ちゃん危ないっ!!」


気がついたときには無我夢中で走り出していました。

運動神経は良い方ではなかったけれど、幸か不幸か、最悪の展開だけは避けられたんです。

凛ちゃんを突き飛ばして、迫り来る鉄塊と対峙。

許された思考は一瞬。

みんな、泣いちゃうかなあ──

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

花陽「そう、ですか……でも、力を貸してくださったことには……変わりありません。ありがとうございます」

綺礼「礼なら目の前の彼女に言うべきだろう。左腕の接合はともかく、削り落とされた生命力を彼女が補填してくれていなければ、君は今頃冥途を彷徨っていたのだからな」


削り落とされた生命力……?

それはどういうことだろう。

死の点を突かれたモノは、どんな手段を用いても死からは逃れられない。

私はロアの手によって、確かに点を突かれたはず。

治療なんて不可能なはずなのに、何故無事に生還することができたのでしょうか。

…………もしかして、私とあの吸血鬼が視ているモノは違うのかな。

考えも程々にして中断すると、私は真姫ちゃんの方に向き直り、改めてお礼の言葉を述べた。


花陽「真姫ちゃん、ありがとね。おかげで助かったよ」

真姫「気にしないで。困ったときはお互いさまだから」

綺礼「ふむ。助かった、か……その台詞は少し早いかもしれんがね」

花陽「えっ?」


どういう意味かと訊き返そうとしたとき、病室にシエル先輩が入って来ました。

先輩は曇った表情のまま、真姫ちゃんを呼びます。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

シエル「西木野さん、ちょっと……」


そのまま二人は病室から出て行き、残されたのは私と言峰さんだけ。

命の恩人とはいえ、この人とはあまり二人きりになりたくない。


花陽「………………」

綺礼「………………」


気まずい沈黙が病室内を支配する中、先に口を開いたのは言峰さんの方でした。


綺礼「君の友人の経過を看に行ったのだろう。じきに戻る」

花陽「そう、ですか」

綺礼「確か君の名は──」

花陽「小泉花陽です」

綺礼「そうか。では小泉花陽……彼女達が戻るまで、少し時間がある。退屈凌ぎといっては何だが、少し昔話をしよう」


会話を続けたいとは思わなかったので、向こうが一方的に話を続けてくれるなら、それはある意味好都合でした。


綺礼「昔、正義の味方になることを志した男がいた。その男は一片の迷いや後悔もなく、心の底から正義の味方になることを望んだ。だが、男が目指した『正義の味方』という理想は、絶対に叶うことのない破綻したものだった。何故だかわかるか」

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

花陽「……全ての人を助けることができないから、ですか」

綺礼「そうだ。男は正義の味方として、誰も血を流すことのない世界……つまり恒久的な世界平和を望んだ。しかし、それは人の領分を越えた、決して叶わぬ願い──己が理想の内にある矛盾に苦悩しながらも、男は走ることを止めなかった」

花陽「………………」

綺礼「いつしか男の理想は、最初に抱いたものとは別物になっていた。全ての人を救うことができないと悟ったときから、救えぬ少数を早々に切り捨て、助かる見込みのある多数を取るようになっていたからだ。それでも誰かを救うことができるならと、男は自分に言い聞かせ続けた」


私には言峰さんの話す人物が誰かはわかりません。

本当に実在する人物かどうかも、微妙なところです。

でも、彼を語る言峰さんの弁には並々ならぬ熱意が籠っていました。


綺礼「いつしか男は、自分の理想を叶えるために、奇跡に縋るしかなくなっていた。どんな願いでも成就させることができる万能の杯に、男は願った──誰も傷つかない世界を」


自然と喉が鳴る。

言峰さんは途中で黙り込んだまま、先を話さない。


花陽「それで、その人はどうなったんですか」


綺礼「杯は願いを汲んだ。その結果、誰も傷つかない世界を実現させるため、全ての人類を殺し尽そうとした。誰も存在しなければ、誰も傷つかない──奇跡の杯は、人間の悪性を以って男の願いを成就させた」

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

さっきと同じことができれば、私はこの化物に勝てる。



──この化物を殺し切れる。



そこまで考えて、私は我に返りました。

自分がどれだけ恐ろしいことを考えていたのか、気がついたんです。

[ピーーー]?

そんなことする必要がどこにあるの?

だって、仮に目の前にいるのがホンモノの化物でも。

生きてることには変わりないじゃないですか。

私がなんとかしなくても、きっと誰かが手を下してくれる。

今は逃げることだけを考えなきゃ。


花陽「……ごめんなさい。そこまで傷つけるつもりはなかったんです」


贖いの言葉は、きっと自分自身に当てたものでした。

路地裏から脱出するために全速力で走り出したあと、自分の言葉に強烈な違和感を覚えたんです。

それはおそらく、私の根底にある弱さに繋がること。



──私、どうして殺しにきた人に謝ってるんだろう。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

花陽「そんなことって…………」

綺礼「男は何かを成し遂げることもなく、何かを勝ち取ることもなく、その短い生涯を終えた……これが正義の味方になろうとした男の末路だ」

花陽「……なにか救いはなかったんですか」

綺礼「どうだろうな。私はその男でもなければ、正義の味方になろうなどとは露とも思ったことがない……結末だけ見てしまえば男に救いはないが──如何せんこれは作り話だ。残念ながら、その先にある物語の用意がないものでね」


確かにここまでの話だと、その男の人には救いがない。

でも────


花陽「きっと、その人に救いはあったんだと思います」


そう、自然と口にしていた。


綺礼「……何故そう思う」

花陽「その男の人が一生懸命、脇目も振らずに夢を追いかけた姿を、誰かが見てると思うんです。だから、その中の一人でもいいから……誰かがその夢に惹かれたのなら、まだ物語は終わってません」

綺礼「誰かが憧憬を抱くということか……しかし、果たせぬ理想を抱かせるのは、罪だと思わないのかね」

花陽「私には、わかりません……ただ夢を手に入れた人は──自分が輝けるなにかを見つけた人は、後悔なんてしないと思います」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

私の発言を心の中で反芻しているのか、言峰さんは目を閉じて黙り込みました。

十秒ほど経過したあと、言峰さんはゆっくりと目を見開く。


綺礼「なるほど……現役の夢追い人らしい考え方だ。君達がスクールアイドルとして成功するのも頷ける」

花陽「言峰さんも、私達のことを知ってるんですか?」

綺礼「ああ、もちろんだとも。君達の評判は私の住む街まで届いている。これでも神父をしているのでね……巷の噂には事欠かない」


この人が、神父さん……?

あまり信じたくない話ではありますが、そう考えると色々な辻褄が合ってしまうので、おそらく事実なのでしょう。


綺礼「先ほど君達二人を助けたことに特別な意味合いなどないと言ったが……あれは訂正しよう。これで一つ、先々の愉しみができた」

花陽「言峰さんも、応援してくれると……?」

綺礼「その必要はない。私がエールを送らずとも、君達はライバルであるA-RISEを下し、いずれスクールアイドルの頂点に君臨することになる」

花陽「ま、まだわかりませんよ。だって、まだラブライブへの出場だって決まってませんし、それに────」

綺礼「いいや、必ずそうなる。そして全てをやり遂げ、スクールアイドルとして活動できる限界を迎えたとき──君達は大きな問題に直面することになるだろう」

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

そのときが愉しみだと──続けて言うつもりだったのでしょう。

だけど、言葉にせずとも理解できた。

おかげで私は、背筋が凍るのではないかと思うくらいぞっとさせられた。

人の気持ちを慮ることのない発言には、邪悪さが滲み出ていました。

この人は本気で、私達がスクールアイドルの頂点に立てると信じてる。

その上で、問題に直面する私達が苦悩する様を想像して愉しんでるんだ。

なんて、悪趣味────


綺礼「イカロスは太陽に焦がれ、近づき過ぎたが故に飛ぶための羽を失い、墜落した……輝きを求めるのは構わんが、自身が生み出した光に目を潰されぬよう、精々気をつけることだ」


言峰さんは椅子から立ち上がると、病室の出口に向かって歩いて行く。

捨て台詞とは正にこのことだ。

言いたいことだけ言って去って行くなんて、流石の私でも許せない。

だから、その大きな背中に向かって言った。


花陽「私達は──負けませんっ!」


彼はこちらを振り返ることなく、立ち止まる。


綺礼「ならばその身を以って証明してみろ。一人では困難でも、九人なら……私の予想を覆すやもしれん」

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

再び歩み始めた言峰さんは病室の引き戸を開き、こちらに振り返って一言────


綺礼「救いを得たければ迷うな。友の命をどうするのかは、お前次第だ」


そう告げて彼は出て行った。

私には、その言葉の意味が理解できませんでした。

友の命……?

それって、凛ちゃんのこと?

でも、凛ちゃんは私と一緒に助かったって真姫ちゃんが────


『助かった、か。その台詞は少し早いかもしれんがね』


言峰さんの言葉を思い出す。

そして先ほどの意味深な台詞。

……なんだか嫌な予感がする。

胸がざわついて、落ち着きがなくなってきた。

そういえば、まだ凛ちゃんの容態を確認してないじゃないですか。

この眼で確かめないと、休もうにも休めません。

私は死に体の身体に鞭打って、ベッドから上体を起こしました。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

真姫「花陽っ!?」

シエル「なにをしているんですか、小泉さん!」


ベッドから降りるために身体を動かしていると、シエル先輩と真姫ちゃんが病室に入って来ました。


花陽「っ──!?」

シエル「今は絶対に安静が必要なんですよ!」

花陽「ごめんなさい……また先輩に助けられましたね」

シエル「ええ、これで三度目です。いい加減次は見捨てますから、覚悟しておいてくださいね」

花陽「はい……それより、凛ちゃんがどこにいるか教えてもらえませんか。一度くらいこの眼で安否を確認しておかないと、落ち着かなくて」

シエル「小泉さんには悪いと思いますが、星空さんの病室を教えることはできません」

花陽「えっ……?でも、私と一緒に助けてくれたんだって、真姫ちゃんが────」


真姫ちゃんは私から露骨に目を逸らし、俯きました。

シエル先輩の表情も暗く、どこか後ろめたい感情が見え隠れしています。


シエル「助けたことは事実です。ですが、無事ではありません」


部屋の空気が凍り付いてしまったような錯覚に襲われる。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

花陽「それってどういう────」

シエル「彼女は杉崎亜矢に血を絞り尽され、死徒化している最中なんです」

花陽「死徒化……?もしかして、凛ちゃんも吸血鬼になっちゃうってことですか!?」

シエル「……申し訳ありません。私がもう少し早く駆け付けていれば、こんなことにはならかったのに」

花陽「謝らないでください!あと質問に答えて!凛ちゃんは……凛ちゃんはこれから一体どうなるんですか!」

シエル「私がここに来たのは、小泉さんに相談するためです」

花陽「相談って、なんの────」


言い切るより先に、シエル先輩が答えました。



シエル「星空さんを処分する方法についてです」



一瞬、先輩がなにを言っているのか理解できなかった。


花陽「は、はは、先輩、冗談はやめてください。凛ちゃんを処分だなんて……冗談でも言っていいことと悪いことがあります」

シエル「これは冗談ではありません」

花陽「だったらっ──!!どうしてそんな酷いこと言うの!!凛ちゃんは生きていて、まだ誰も襲ってないんでしょ!!」


病室だということも忘れて、声を荒げていた。

無理に身体を起こそうとして、全身に激痛が走る。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

花陽「いっ……たっ……」

真姫「無理して動いちゃダメよ!」


真姫ちゃんが駆け寄り、身体を支えてくれました。

崩れ落ちそうな身体で、先輩と見つめ合う。


シエル「確かに、今の星空さんは吸血鬼と呼べる段階ではありません。しいて言うなら、吸血鬼もどきの人間といったところでしょう。ですがこれから時間が経つにつれて、彼女は段々と人間性を失っていく」

花陽「で、でも…………!」

シエル「次第に血を求めずにはいられなくなり、一度その箍が外れてしまえば、人を襲い血を求めることになんの躊躇いも抱かない、醜悪な鬼と化す。小泉さんだって、そんな星空さんを見たくないはずです。だから────」

花陽「だから殺すっていうんですかっ!!本人の意思とは無関係に、命を奪うっていうんですかっ!!いつかあなたは人殺しになるから、邪魔になる前に処分させてくれって、どんな顔して言えばいいんです!?」

真姫「花陽、お願いだから落ち着いて!」

花陽「いくら真姫ちゃんのお願いでも、それはできないよ!だってここで食い下がらなければ、先輩はきっと凛ちゃんを殺す……そんなの許せるわけないじゃないですか!」

シエル「…………あなたならそう言うと思っていました。だからこそ、私達はここに戻って来たんです」


ベッドの方に歩み寄って来ると、シエル先輩は私にナイフを手渡してきました。

トウコさんから貰った、銀製のペーパーナイフ。

大した重さじゃないはずなのに、今は一段と重く感じる。


シエル「本来なら、これは失策した私の責務……代われというなら、私が請け負います。恨んでもらっても結構です。ですが、星空さんはあなたの親友……最後の選択は、小泉さん自身の手でするべきです」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

発言の意図を理解して、手が震えた。

手の震えが、徐々に全身に行き渡っていく。


真姫「花陽…………」

花陽「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ!!そんなの絶対嫌!!だって、凛ちゃんはまだ生きてるんだよ!!こうしてる間にも、必死で生きようとしてるはずでしょ!!なのに、それを止めるなんて……そんなこと、私にはできない!!」

シエル「では私が代わりに処分してもいいのですね」

花陽「そういう意味じゃない!ねえ、他になにか方法はないの……?凛ちゃんが人間に戻れて、誰も傷つかずに済む方法を、先輩なら知ってるんじゃないんですか!」


無意識の内に、先輩の胸に縋りついていた。

私の中にはなかったから、先輩の中にならあると思った。

凛ちゃんを助ける方法が、あると思った。


シエル「死徒化が始まった者を完全に元に戻す手段は……ありません。良くて進行を遅らせる程度で、根本的な問題解決にはならない……いずれ来る悲劇を先延ばしにすることが、星空さんにとっての救いにはならないでしょう」

花陽「そんなぁ……じゃあ、凛ちゃんは────」

シエル「人を食い荒らしても平然としていられるような姿になる前に、手を下してあげるのがせめてもの情けです」

花陽「私は、私は………………」


答えを出さなければいけないことが、これほどまでに苦痛だとは思わなかった。

どんな状況に陥っても、必ずなんらかの解決方法があって、救いはもたらされるものだと信じてた。

でも、それは幻想だった。

眼の前の現実に打ちひしがれながら、私は最後の選択をした。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/36
病室は、不気味なくらい静かだった。

大きな音を立てないようにリノリウムの床を歩いて行くと、凛ちゃんが寝ているベッドがあった。

すぐ隣まで近づくと、上から凛ちゃんを見下ろす。

顔は真っ白だったけれど、寝顔は安らかで、視ているこっちまで微笑ましくなってくる。


花陽「凛ちゃん……」

凛「………………」

花陽「前に指切りしたこと、あったよね。困ったら真っ先に相談するってやつ、まだ覚えてるかな」

凛「………………」

花陽「私、嘘ついちゃったの。だから針千本飲まなきゃだね」

凛「………………」

花陽「もっと早く打ち明けてればこんなことにもならなくて、私と凛ちゃんと真姫ちゃんとμ'sのみんなで、ずっと楽しいこと……できたのかな」

凛「………………」

花陽「もしもの話って好きじゃなかったけど、今ならちょっとは好きになれそうだよ」

凛「………………」

花陽「だって、その場だけは救いがあるような気がするでしょ」


眼鏡を外して、一番視たくない死を視る。

多分私はこの瞬間を、一生忘れられない。

────この死を。

気が狂ってしまったかのような静かな気持ちを────私は一生忘れられない。

ナイフを取り出し、凛ちゃんの胸部にある点に翳す。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

この細く頼りない板切れを胸に突き刺すだけで、全てが終わる。

歯を食いしばって、腕に力を込める。

だけど、身体はいうことを聞いてくれない。

心の準備はしてきたはずなのに、目の前で安らぐ親友の顔を視ていると、なにもできなくなった。


花陽「うっ……うう……」


凛ちゃんの胸に一粒の雫が落ちて、服を濡らした。

それは他の誰でもない、私自身の涙だった。


花陽「ううぅぅ……凛ぢゃん……」


一度溢れ出したら、もう止まらなかった。

堪えていた想いが込み上げてきて、ナイフを握るどころじゃなかった。

ダメだ……やっぱり私にはできない……


凛「かよ……ちん……」

花陽「凛ちゃんっ!?」


驚いた拍子に、ナイフが手から零れ落ちた。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

少し様子を窺ってみても全く動かないあたり、どうやら意識を取り戻したわけではなかったらしい。

ただの寝言でした。


凛「かよ……ちん……」

花陽「……私は、ここにいるよ」


凛ちゃんの手を包み込むように握り締める。

眼から溢れ出してくるものを拭うこともせず、眠り続ける彼女の顔を眺めた。

涙で線が滲んで視える。


凛「ずっと……友達だよ……」


呟いた言葉は、誰に宛てたものだったのか。

深い眠りの中で見ている夢は、どんな夢なのか。

それを知る術はない。

だけど、願わくば幸せなものでありますようにと祈りを込めて────

私は凛ちゃんの寝言に返事をした。


花陽「友達じゃない、親友だよ」


頬を撫でると、柔らかくて冷たかった。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

か細く弱々しい呼吸でも、胸は僅かに上下している。

凛ちゃんは、まだ生きている。

こうして精一杯、生きようとしてるんだ。


『救いを得たければ迷うな。友の命をどうするのかは、お前次第だ』


言峰さんが言っていたことを思い出す。

あのときは、彼がどうしてあんな言葉を残していったのか、理解できなかった。

でも、今ならわかる。

いずれ訪れる選択の時を見据えて、彼は私に告げたんだ。

そう────万事を丸く収める道なんて、最初からなかった。


ならば、どちらかを選ぶしかない。

なにを取り、なにを捨てるのか。

誰を生かし、誰を殺すのか。

今眼の前にいる親友の命が、私の手にかかっているのだとしたら、選ぶ道は一つだ。


花陽「────凛ちゃんは、私が守る。どんなことになっても、凛ちゃん自身が凛ちゃんを殺そうとしても────私が、凛ちゃんを守るよ」

凛「………………」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

花陽「約束する。私はいつまでも、凛ちゃんの味方でいるから────」


誓いはここに。

固く結ばれた手が、いずれ離れてしまったとしても。

この約束だけは永遠に守り続ける。


花陽「────だから、生きて」


─────それで、一つの選択が終わった。

おそらく、決定的なものが終わったんだ。

これから多くの人が、私の選択を責めるだろう。

でもこの胸に去来する想いだけは、私を肯定してくれる。

ただそれだけのことで、どこまでも歩いて行ける気がした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

(/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。)

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/37
自分の病室に戻ると、シエル先輩と真姫ちゃんが待っていました。

二人して同時に顔を向けてくると、事の結末を語るよう、目配せしてきます。


花陽「先輩。私、やっぱり凛ちゃんを殺すことはできません」

真姫「────っ!?」

シエル「覚悟はできた……ということですね」

花陽「…………はい」

シエル「後悔しませんか」

花陽「はい」

シエル「小泉さんのような人に前例がない訳ではありません。なので、結末がどのようなものになるかも、よく知っています。そのどれもが、悲惨で救いようのない終わりを迎えていると知ってなお、あなたは同じ選択をするのですね」

花陽「はい」


躊躇うことなく、即答する。

シエル先輩の視線は、矢のように私の心に突き刺さってきたけれど、辛くはありませんでした。


シエル「残念です、小泉さん。あなたとは戦いたくなかった…………」

花陽「……同感です」


凛ちゃんの病室に向かおうとするシエル先輩の前に立ち塞がり、行く手を遮る。

ナイフを握り、眼前の死を見据えます。

先輩は私の前で臨戦態勢を取ったまま、動こうとしません。

互いに一歩も譲らず、膠着状態が続く

一触即発の空気が病室に流れる中、真姫ちゃんが静寂を打ち破りました。


真姫「二人とも待って!こんなの絶対に間違ってるわ!」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

シエル「だとしても、もう後には引けません。私には代行者としての責務があり、小泉さんには星空さんの親友という立場がある……互いに相容れない関係となった以上、これより先は自分の使命を果たすために行動するだけです」

花陽「真姫ちゃん、危ないから下がってて……先輩は本気だよ」


先輩と私の間に割って入ると、真姫ちゃんは瞳を潤ませ、声を荒げる。

普段感情的になることが少ない彼女としては、珍しい行動です。


真姫「ダメ!暴力で解決するなんて、私は絶対許さない……力で相手を捻じ伏せるなんて、考えることを放棄した臆病者のすることよ!」

シエル「西木野さん……危ないですからどいてください」

真姫「やるならやりなさい!私を傷つけてでも争いたいというならね!」

花陽「……真姫ちゃん」

真姫「花陽、あなたも同じよ!さっさと武器を仕舞って頭を冷やして!ここは傷をつける場所じゃなくて、傷を癒す場所だってことを忘れないで!」


言われて、室内を見渡す。

凛ちゃんを守ることばかりに意識を向けていたから、自分の居る場所がどこなのか完全に失念していました。

流石にここで戦うのは良くない。

それはシエル先輩だって承知のはずです。

私はナイフを仕舞い、一旦眼鏡をかけ直しました。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

真姫「ねえ、先輩。本当に死徒化を食い止める方法はないの?」

シエル「進行を遅延させる方法ならあります。ですが完全に止める方法はありません」

真姫「ならその遅延させる方法でもいいから教えて」

シエル「聞いてどうすると?」

真姫「考えるのよ。私達の未来にとって一番良い選択肢が他にないか、もう一度真剣に考えるの」


真姫ちゃんと対峙したシエル先輩は軽い溜息を吐いたあと、元いた椅子に腰を下しました。


シエル「……全く。一筋縄ではいきませんね、あなた達は」

真姫「さあ。教えてもらうわよ、先輩」

シエル「黙っていてもいずれ知ることになるでしょうから。まあ、いいでしょう……遅延させる主な方法は、親である吸血鬼を討つことです。これが達成できれば、親からの支配や束縛から逃れられますし、現在進行している死徒化もストップします」


真姫「なら杉崎亜矢を倒すことができれば────」

花陽「凛ちゃんは吸血鬼にならなくても済む────」


私と真姫ちゃんは顔を見合わせ、同時に声を上げました。

こんな方法があるのなら、もっと早く教えてくれたら良かったのに。

そう思わずにはいられない内容です。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

シエル「ちゃんと最後まで聞いてください。死徒化がストップすると言っても、親である死徒の影響を受けることがなくなったというだけで、吸血種としての血を取り除いたことにはなりません。ですからなんらかの外的、または内的要因で吸血種としての血を活性化させた場合、再び症状は進行します」

真姫「つまり、死徒化は一種の病みたいなものなのね」

シエル「かなり大雑把な言い方にはなりますが、概ねその通りです。
親を討ち滅ぼしたところで吸血衝動がなくなる訳ではありませんから、人として在り続けようとするなら、その欲求に耐え続けなければいけない」

花陽「……いつまで耐えれば、完全な人間に戻れるんですか」

シエル「血を取り除く手段を見つけるか、もしくは死を迎えるかのどちらかです」

真姫「現段階で治療する方法がないっていうのはそういうことか……」


必死で現状を打破する方法を考えているのでしょう。

物憂げな表情で呟く真姫ちゃんは、口元に片手を添えて思案していました。


花陽「血を入れ替えることはできないのかな?ほら、輸血の要領で身体の血を総とっかえしてしまえば、吸血鬼の血は凛ちゃんの身体からなくなるんじゃない?」

真姫「ダメよ。大量輸血は合併症のリスクもあるし、全身の血を全て入れ替えるなんて真似をして急性腎不全や溶血を招いたら、元も子もないわ。
それに、血を輸血するぐらいで死徒化を治療できるなら、医療関連の職に就いている人がもう試しているはず……なのに治療法が確立されていないということは、つまり──普通の医療では治療が困難だということ……」

シエル「はい。過去、多くの魔術師や医師が死徒化の治療に挑み、悉く失敗しているのは、死徒化のメカニズムが明確にされていないのが大きな原因の一つなんです。医学的、また魔術的側面のアプローチが幾度となく繰り返されてきましたが、結果は芳しくありませんでした。血を取り除くというのは、魔術師たちが死徒化治療のために使っている用語であって、実際に血を取り除くだけでは死徒化は完治しません」

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

真姫「でしょうね。血液だけに注視してるから進展がないのよ。噛みついて血を吸うという行為自体にも、呪詛のような効果があるのかもしれない……血と肉体を平行して治療する必要があるんだわ、きっと」


真姫ちゃんは一人でぶつぶつと呟きながら考え事を続けていましたが、途中でなにか閃いたのか、突然大きな声を上げました。


真姫「そうよ、いいこと思いついた!」

花陽「ま、真姫ちゃん……?」

真姫「治せる人がいないなら、私が治せるようになればいいんじゃない!こんな簡単なこと、どうして今まで思いつかなかったのかしら!」

花陽「ま、真姫ちゃんが治すのぉ!?」

真姫「ええ、どうせ高校を卒業したら医療の道に進むことは決まってたんだし、丁度いいでしょ。凛の死徒化とあなたの眼は、私が治療するわ」

シエル「それまでに星空さんが堕ちたら……?」

真姫「堕ちないし、堕とさせない。責任は全て私と花陽が持つわ」

花陽「ま、真姫ちゃん!?」

真姫「どうしたの?まさか、ここまで来て降りたいなんて言うんじゃないわよね?」

花陽「そうじゃなくて、真姫ちゃんはホントにいいのぉ!?」

真姫「いいって、なにが?」

花陽「もし凛ちゃんが吸血鬼になっちゃったら、私達は凛ちゃんを手にかけないといけなくなるんだよ!私は覚悟ができてるけど……真姫ちゃんまでそんな重いものを背負う必要なんて────」

真姫「花陽……ちょっとこっち」

花陽「ん……?」


手招きをされたので促されるまま近づくと、軽くデコピンをされました。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

花陽「ぴゃっ!?」


唸るほどの痛みではありませんでしたが、打たれた箇所がちょっとだけひりひりします。


真姫「なに一人で全部背負い込もうとしてるのよ」

花陽「だ、だって…………」

真姫「重いんでしょ?なら一人より二人で背負った方が楽に決まってるじゃない」

花陽「でも、真姫ちゃんが…………」

真姫「でももだっても禁止!凛は私と花陽の二人で助けるの!わかった?」

花陽「は、はい!」


堂々とした態度で先輩に近づいて行くと、真姫ちゃんは言いました。


真姫「凛の変化は逐一、聖堂教会に連絡すると約束するわ。その上で私は死徒化治療の研究を医学と魔術の両方面から進める。研究結果は協会の方には渡さず、あなた達だけのものにすればいい。もし凛が暴走したときは、私達の手で確実に処分する……この条件と引き換えに、先輩は凛を見逃してくれるだけでいい。どう?悪い取引じゃないと思うけど」

シエル「私は主に仕える身ですよ……取引に応じるとでも?」

真姫「応じるわ。だってあなた、お人好しだもの」


無言のまま、視線を交わす二人。

暫くそうしてじっとしていると、先にシエル先輩が折れました。


シエル「参りました。まさかお二人がここまで頑固者だとは思っていませんでしたよ。完全に計算違いでしたね、これは」

真姫「交渉成立ね」

シエル「ええ、星空さんの処分は保留ということにしておきましょう」

花陽「よ、良かったぁ……」

シエル「ただし────」


同じ人類とは思えないぐらいの威圧感に、思わず戦慄させられる。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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どれだけの修羅場を潜り抜ければ、一言で人を畏怖させるほどの迫力を持つことができるようになるのでしょう。

正直想像したくありませんでした。


シエル「最後まできちんと責任を持ってあげてくださいね。星空さんを救ってあげられるのは、あなた達二人だけなんですから」

真姫「……言われなくてもそうするつもりよ」

花陽「はい。凛ちゃんは、必ず私達が助けます」


これからどんな試練が待ち受けているのか予想すらできないけれど、真姫ちゃんとなら、きっと乗り越えていけるだろう。

新たな決意を胸に今後の方針を決めようと提案したところで、病室に言峰さんが帰って来た。


綺礼「いやはや、遅くなってすまない。少し野暮用があったものでね」

シエル「どこに行っていたのですか」

綺礼「今後の戦闘の為に準備を整えていた。今宵の狩りに黒鍵だけでは少々心許無い。万全の体勢で事に臨むのは当然のことだろう」

シエル「……ならいいのですが」

綺礼「ではそちらの準備が出来次第、私は魔術師の討伐と残党狩りに向かう。異存はないか」

シエル「ありません」

真姫「ちょっと待って!」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

シエル先輩と言峰さんの会話に、真姫ちゃんが横から割って入る。


綺礼「どうした、西木野真姫」

真姫「魔術師って、ロアの残滓を生み出した元凶でしょ。なら、やつの工房には死徒化の研究資料が大量に保管されてるはず……どうせ行くなら私も連れてって」

シエル「西木野さん……気持ちはわかりますがそれはあまりにも危険です。同行は許可できな────」

言峰「いいだろう。安全は保障できんが、それでも構わぬというならついて来い」

シエル「言峰────!」

綺礼「己が望みを果たしたければ、それを他人に委ねるべきではない。自らの力を以って大願を成就させてこその、愉悦というものもある」

シエル「愉悦……ですって?そんなことのために一般人を危険に晒すなんて真似、許すわけにはいきません」

綺礼「ふむ。このままでは話が平行線だな……では問おう、西木野真姫。お前は己が望みのために、どちらを選択する」

真姫「決まってるでしょ。私も行くわ」

シエル「西木野さん──!」

花陽「真姫ちゃんっ!?」


おそらく言峰さんは、真姫ちゃんがついて来ることを見越してこのような発言したのでしょう。

充分な用意もないまま、危険が付き纏う仕事に同行するのは無理があります。

安全が保障されない以上、自分の身は自分で守らなければいけなくなるのですから。


言峰「……決まりだな。十分後、この病院を出る。それまでに支度をしておけ」

真姫「ええ、わかったわ」

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

言峰「ああ、それとついて来るのは構わんが、一つだけ忠告しておく」

真姫「……なによ、子どもの御守りはできないって言いたいの?」

言峰「いや。事の優先順位を明確にしておくよう告げておきたかっただけだ。迷いは判断を鈍らせ、行動を阻害する。そのようなものは戦闘には無用だ。まだ持ち合わせがあるなら、今の内に捨てておけ」

真姫「……上等じゃない。やってやるわ」


言峰さんは病室を後にし、真姫ちゃんもそれに続いて退出しようとする。

去って行く背中に向けて、シエル先輩が声をかけました。


シエル「西木野さん」

真姫「止めても無駄よ」

シエル「いいえ。止めても無駄だということはわかっていますので、止めません。ただ、あまりあの男の口車に乗せられないようにしてください」

真姫「……どういう意味?」

シエル「やつは信用できません。くれぐれも警戒を怠らないように────」

真姫「私を誰だと思ってるの?この程度の仕事でへまなんてしないわ」

花陽「真姫ちゃん……気をつけてね」

真姫「心配しないで。きっちり資料を回収したら、すぐに帰ってくるから」


それまで大人しくしてるのよ──と続けて、真姫ちゃんは病室から出て行きました。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

シエル「では、私もロアの残滓の元に向かいますので、小泉さんはここで大人しくしていてくださいね」

花陽「あの……先輩!」

シエル「……?」

花陽「私もロアの残滓のところに連れて行ってください」

シエル「……何故そこまでやつに拘るんです、小泉さん。今だって立っているのがやっとでしょう。必要以上の無理をして、死に体でやつを討つ理由がどこにあるんです」


確かに先輩の言う通りです。

ロアのことなんか忘れて、ベッドで寝転がっていた方が何倍も楽なのは一目瞭然。

でも、杉崎亜矢は────

ロアは私から、大事なモノを奪おうとした。

それだけは絶対に許せない。


花陽「最初はμ'sを守るためだったんです」

シエル「………………」

花陽「でも追っていく内に段々と知りたくないことまで見えてきて……スクールアイドルの良くない部分をこれでもかってぐらい晒されたとき──ちょっとだけ同情しちゃったんです。μ'sのみんながいなかったら、私もこうなってたのかなぁって」

シエル「杉崎亜矢が元スクールアイドルだということは聞いています。ロアの血に手を出してしまったのも、そこに原因があるのかもしれません。しかし、やつの行動はただの逆恨みとしか思えません。情を挟む余地など皆無です」

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

花陽「わかってます。どれだけの事情があっても、凛ちゃんを傷つけたことだけは許さない……それに、親を倒さないと凛ちゃんが吸血鬼になるというなら、私は無関係じゃありません」

シエル「……仇討ちですか。しかし、それなら小泉さんが戦わなくても決着はつきます」

花陽「っ────!?」

シエル「法王庁────私の本拠地に要請が通ります。何が起きようともあと数日で法王猊下直属の埋葬機関が送り込まれてきますから、ロアの残滓はそれでお終いです。小泉さん自身が戦う理由なんて、どこにもないんですよ」

花陽「先輩……やっぱりそれじゃダメだよ」

シエル「何故ですか。あなたが手を下さずとも、ロアは処断されるというのに」

花陽「早く凛ちゃんを楽にしてあげなきゃ、可哀想じゃないですか。数日間なんて待ってられない……今できることがあるなら、今しておかないと」

シエル「あなたの星空さんへの想いは、常軌を逸しています。自分の命を蔑ろにしてまで他人の命を救おうなんて、偏った考えです」

花陽「他人じゃありません。自分の命よりも大切な、この世に一人しかいない────親友です」


自分の命よりも他人の命の方が大事だなんて、偽善だってわかってる。

それでも、綺麗だって思えたんだ。

凛ちゃんが喜んでる顔。

凛ちゃんが怒ってる顔。

凛ちゃんが哀しんでる顔。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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凛ちゃんが楽しんでる顔。

その全てがどうしようもないくらい愛おしいって思えたんだ。

だから、決めた。

私は凛ちゃんを守る。

例えこの命が擦り切れてしまっても、凛ちゃんを責める全てから守り通す。

だって私はこんなにも────


花陽「凛ちゃんのことが大好きだから、行きたいんです。他に理由はありません」


シエル「はあ……似たような人が世の中には三人ほどいるとは言いますが、まさかこんなところでお目にかかるとは」

花陽「……先輩?」

シエル「私はμ'sのマネージャーですからね。メンバーが決死の覚悟で挑むというなら、お供するのが筋でしょう」

花陽「じゃあ、私も!?」

シエル「……乗り掛かった舟です。最後までお付き合いしますとも。ですがその前に────」


ごくりと喉を鳴らす。

妙な緊張感が全身を支配する。

まだなにか条件を付けられるのでしょうか。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

シエル「服、着替えちゃってください。寝間着じゃ恰好つきませんからね」

花陽「あっ、はい」


一気に肩の荷が下りました。

なにを言われるかとびくびくしていたので、ちょっと拍子抜けしたところもありますが、無茶な内容でなかっただけ良しとしましょう。

着替えをしながら、窓から差し込む月明かりに誘われ、外を眺める。

惚れ惚れするぐらい美しい満月が、宙にぼんやりと浮かんでいました。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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/38
音ノ木坂の校舎に到着すると、シエル先輩は修道服を脱ぎ捨て、身の丈ほどもあるパイルバンカーを装備しました。

移動中、やたらと大きなものを運んでいるなと気にはなっていたのですが、まさかこんなものを用意していたなんて、素直に驚くばかりです。


シエル「やはり少し出遅れてしまったようですね。学校に結界を張られてしまったようです」

花陽「結界……?」

シエル「かいつまむと、私や小泉さんに対する罠です。土地や生物から魔力を吸い上げて、式で括っています。どういうものかはわかりませんが、それだけの魔力量です。危険であることには間違いありません」

花陽「もしかして、街にある式と関係があるんですか?」

シエル「ええ。やつはこの学校を城として街全体を堕とすつもりなのでしょう。しかし、これだけ大掛かりな仕掛けを打てば、あらゆる組織から目の敵にされるのは確定的です。どうやら、やつは長生きをするつもりはないようですね」

花陽「自滅覚悟で、街の人を襲うつもりなんだ……」

シエル「長引かせると厄介なことになります。小泉さん。私は先に行っていますので、あとで合流しましょう」

花陽「せ、先輩っ!?」

シエル「では、後ほど────」


先輩は人間離れした跳躍力で三階まで一飛びすると、窓を割りながら廊下に侵入して行きました。

取り残された私は、茫然としたまま立ち尽くすのみ。


花陽「先輩、まさか────!?」


置いてけぼりにしたのは、一人で全部終わらせるつもりだからかもしれません。

後を追うよう、一階から校舎に入って行きます。


花陽「ぐっ──」


月の明るい夜、か。

やっぱりダメだな。

月の弱い光だと、余計に線がはっきりと視えてしまう。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

線を掻き消すぐらいの強い日射しか、本当の暗闇の方がいい。

眼に映る世界が何もかも死にやすそうで、気が狂いそうになる。

でも、これなら────

ロアの死を見逃すなんてことはないでしょう。

身体が限界を迎える前に、終わらせないと。


花陽「………………」


校舎内を進んで行くと、廊下でふと立ち止まる。

眼前には、数え切れないほどの死者の群れ。


花陽「……あなた達が悪いことなんて一つもない……私を恨んでくれてもいい……謝って許されることじゃないけど……でも、私は凛ちゃんを助けたいんです。だから、ごめんなさい」


気づいたら、そう言ってた。

群れを成して襲いかかってくる死者を解体しながら、考える。


花陽「ああああああああああ!!!!」


この願いが星を掴むくらい無茶だったら、諦めるかもしれない。

でも、今なら届く。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

花陽「かはっ……このぉ……」


私さえ諦めなければ、叶えられる。

ロアがどんなに手強くたって、次の瞬間この胸を突かれたって、やつの死を貫いてみせる──!


花陽「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ………………」


『そう?けど凛はそういうもしもって好きだよ。どんな結果になるかわからないけど、とりあえずその時は救いがあるような気がするから』


花陽「はあ、はあ、はあ、はあ………………」


『でしょ。明日がどんな日になるかなぁって考えるだけで、胸がドキドキしてくるなんてこと、今までなかったもん』


花陽「はあ、はあ、はあ………………」


『うん。だからね、これまでが楽しかったんだから、これからもきっと凄く楽しいよ』


花陽「これで、全部────」


廊下に転がる数十の死体を乗り越えて、次の階に進んで行く。

すると、上の階から轟音が響いてきた。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

先輩────そこに、ロアが。


無我夢中で走った。

階段を二段飛ばしで登り切り、音のした方角まで駆ける。


花陽「うわっ──!?」


戦闘の影響からか、煙が充満して前が視えない。

これじゃ先輩がどこにいるかもわからないじゃないですか。


花陽「先輩っ!大丈夫ですか!」


返事がしない。

徐々に眼の前の煙が薄れていく。

そこに広がっていた光景は、あまりにも無残なものだった。


花陽「先輩っ──!!」


片腹に拳ほどの穴が開き、地に伏したまま倒れ伏す先輩の姿が視える。

一目散に駆け寄り、先輩の身体を抱き起す。

さっきと同じことができれば、私はこの化物に勝てる。



──この化物を殺し切れる。



そこまで考えて、私は我に返りました。

自分がどれだけ恐ろしいことを考えていたのか、気がついたんです。

[ピーーー]?

そんなことする必要がどこにあるの?

だって、仮に目の前にいるのがホンモノの化物でも。

生きてることには変わりないじゃないですか。

私がなんとかしなくても、きっと誰かが手を下してくれる。

今は逃げることだけを考えなきゃ。


花陽「……ごめんなさい。そこまで傷つけるつもりはなかったんです」


贖いの言葉は、きっと自分自身に当てたものでした。

路地裏から脱出するために全速力で走り出したあと、自分の言葉に強烈な違和感を覚えたんです。

それはおそらく、私の根底にある弱さに繋がること。



──私、どうして殺しにきた人に謝ってるんだろう。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

花陽「しっかりしてください!」

シエル「すい……ません、小泉さん。ちょっと……どじっちゃいました」

花陽「大丈夫、先輩は助かります!早く傷の手当てを────!」

ロア「とんだ概念武装を持ってきたものね。でも……転生批判の聖典は私には通用しない。この身は一代限りの儚き命──例え転生者の血を受け入れようとも、元より私は次の生などに興味などない」

花陽「ロア──!!」


廊下の奥で佇んでいたのは、ロアの残滓。

杉崎亜矢、その人でした。


ロア「限りなく続くものなんてない、終わりのないものなんてない。永遠なんてクソ喰らえよ。死を迎えてこそ、万物は真の安らぎを得ることができる……それをこの街の連中に与えてやる」

花陽「あなたは……狂ってる──!!」

ロア「誰のせいだと思ってるの?自覚させてくれたのはあんた達でしょう?」

花陽「うるさいっ!!」


精々余裕ぶってるといい。

すぐにその死を貫いてやる──!

ロアに向かって一直線に駆けて行くと、やつの手から放たれ、三又となった雷光が迫ってくる。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

グラウンドなら避けられたかもしれない。

けれど、廊下は躱す範囲に余裕がなかったので、もろに攻撃を喰らってしまった。


花陽「っ────」


肩を掠めた衝撃で、バランスを崩して前のめりに倒れる。


ロア「あぶないあぶない。城による復元が可能とはいえ、その眼で斬られれば無事かどうかは怪しいものね。けど私にも視えているわよ……呼吸の度にあんたに死が迫っていることが!」


床から湧き上げる衝撃破を全身で受け、後方に吹き飛ばされた。

背中から叩き付けられた衝撃で、肺の空気が一気に無くなる。


花陽「かはっ──!」

ロア「ああわかってる。この力は素晴らしいものね。生きとし生けるもの平等に死を与えることのできる──直死の魔眼。喜びなさい、この力を持っているのは世界でも私とあんたぐらいのものよ」


よろこ……べ?

こんなモノが視えてしまう世界を喜べ?

こんな壊れかけの世界を視ることを喜べって、言ったんですか?


ロア「その希少能力をなくしてしまうのは惜しいし、なにより私達は同じスクールアイドルだった身よ。誰よりも互いを理解できるでしょう」

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

花陽「なにを……今更……」

ロア「パートナーとしてこれほど心強い存在もいないと思わない?」

花陽「……仲間になれって言いたいんですか」


口角を上げて笑みを浮かべると、ロアは言った。


ロア「いや。仲間にしてやるのよ、この私がね」

花陽「………………」

ロア「あんたの意思なんて知るかよ。むしろそんなものは邪魔でしょ。安心しなさい……その血を吸い上げ魂まで略奪したあと、あんたがなんの躊躇いなくその力を行使できる存在に昇げてやるわ。あの娘と同じようにねえ、アハハハハハッ!!」

凛ちゃんと同じように……だって?

余裕に満ちた耳障りな声。

聞いてるだけで頭が痛む。

立ち上がり、再びナイフを構える。


ロア「よせよせ、いくら線を視たところで私に触ることができなければ意味がない。私はね、こう見えてもあんたの能力を高く買っているのよ。そんな調子で動けばその貴重な身体が死んでしまうでしょう」

花陽「……どうして凛ちゃんを吸血鬼にしようとしたんです」

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

質問の意図が理解できないといった素振りで、ロアは首を傾げた。


ロア「何故って、あれがμ'sのメンバーだからに決まってるじゃない。誰だって輝けると豪語するなら、吸血鬼に堕ちた身でも同じことをしてもらわなくちゃ信憑性がないじゃない。あんた達が本物なら、化物になったぐらいで客が減ったりしないでしょ?」

花陽「そんなことのために……?」

ロア「そんなことってあんた……客が来るのは大事でしょ。ほら、どれだけ練習したところで、ステージを見る客がいなくちゃ意味が────」


満身創痍の身体を押して、やつに飛び掛かっていた。

すぐ様後退されたことで、ナイフは宙を掠める。

引き際に放たれた衝撃破が胴に打ち込まれ、躱すこともできずただ痛みに耐えるしかできない自分がいた。


ロア「卑怯だなんて言わないでね。爪で斬り結べば爪ごと切り裂かれそうだもの」


自分の考えを証明する──ただそれだけのために凛ちゃんを吸血鬼にしたの?

私達の考えを否定するために、凛ちゃんの人生を無茶苦茶にしたの?

もう……いい。

やつの死さえ視れれば、他にはなにも────

ふらつきながらも立ち上がり、そのままやつの元に駆けて行く。

狙いはやつの死。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

その点を穿ち、息の根を止める。


ロア「ハハハハッ。あんた、そんなに死にたいわけ?」


攻撃を躱しながら前進するも、閃光が脇腹を掠め、駆けていた足が止まった。


ロア「あんた、その身体────もう死んでるわよ」


今度倒れたら、もう立ち上がれない。

歯を食いしばって耐え、なんとか姿勢の維持に努める。


ロア「驚いた……それでもまだやれるのね。仕方ないから首から上だけで我慢するとしましょうか。あんたを下僕にしてどこぞの代行者にでもけしかけてやろうと思ってたんだけど、これじゃあ無理ね」


も、う……なんの、感覚も……わから、な、い。

死に、包まれ、ていく。

世界に死が、満ちている。


ロア「あんたとの戯れ合いもここまでよ。さ、とっとと死んじゃいなさい」


眼の前に最大出力の雷撃が迫って来る。

迫って来るけれど、もうどうだっていい。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

どこもかしも線と点だらけで、触れただけで壊れてしまいそうなのに、こんな攻撃されたところで、意味なんてない。

眩い閃光にナイフを通すと、一瞬で術が打ち消される。

ええ、当然でしょう。

だって、この術はナイフを通した時点で死んだんですから。


ロア「な……そこに転がってる代行者の仕業か!」


先ほどと同じ閃光が、倍の数になって襲ってくる。

だけど、なんの意味もない。

数だけ倍にしたところで、ナイフを這わせれば終わるんです。


ロア「何を……した?」

花陽「殺しました。私と……同じなら……理解できるでしょ。死は万物の結果……あらゆる存在は、発現したと共に死を潜在します。そこに、ナイフを通しただけです」

ロア「ハハ、ハハハ、ハハハハッ!全く、無知蒙昧にもほどがあるわね!いい、生きていなければ命はないの!命の源である”箇所”は生き物にしか在り得ない!そんな戯れ言ハッタリにもならないわよ!さあ、どんな概念武装を渡された!」


ああ、そうか。

そうなんですか。


花陽「ようやく合点がいきましたよ、吸血鬼。私とあなたは、視ているものが違うんです。あなたはただ命を──モノを生かしているところを視ているだけで、死を理解なんてしていない。だから私も殺せず、抵抗する術もない娘しか襲えない」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

ロア「ハ、ハハ……死にぞこないが減らず口を────」


廊下を埋め尽くすほどの雷光が、やつの式により発動する。

もはや避けることは不可能な規模の術式。

ですが、そんなことはなんの意味もない。

式の大元となっている点にナイフを突き刺す。

すると、学校全体に蔓延っていた邪悪な気配が消失した。


ロア「莫……迦な……起動すれば解除なんて不可能なはずよ!!」


式が死んだ影響でボロボロになった廊下を、ゆっくりと歩いて行く。

数秒後には足元から崩れそうな世界を、一歩、また一歩、しっかりと踏みしめながら。


花陽「──死が視えているなら、正気でなんかいられない」

ロア「ッ────!?」

花陽「死が視えているなら──とても立ってなんかいられない。物事の『死』が視えるということは、この世界が────あやふやで脆いという事実に投げ込まれるということ。地面なんてないに等しいし、空なんて今にも落ちてきそう」

ロア「なんだ……なんなんだよ、あんたっ──!?」

花陽「一秒先には世界全てが死んでしまいそうな錯覚を、あなたは知らない。それが死を視るということなんです」

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

────そう、両眼を潰してでも逃れたいと思っていたあの頃。

私だって多くの人の支えがなければ、とうの昔にどうかしてた。


花陽「それがあなたの勘違いです、吸血鬼。命と死は背中合わせでいるだけで、永遠に顔を合わせることはないものでしょう」

ロア「ふ……ふざけるなっ!それが真実であるなら、人のカタチを保っていられるはずがない!あんたはなにを視て────」


眼の前の敵と対峙して、睨み合う。

ようやく理解できました。

ずっと問い続けていたことに、やっと答えを得ることができた。

この眼は──────


死を視ることができる眼は、このときのためにあったんだ。


ロア「あっがあっ……ぐっ─────」


すぐ眼の前にいるというのに、背中を晒して逃げ出すロアの死が視える。

絶対に逃がさない。

あなたは私が殺します。


花陽「教えてあげます。これが、モノを殺すっていうことです」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

ナイフを廊下の点に突き刺す。

すると、死を迎えた廊下は早々に崩壊していく。

崩れていく足元の中でも、私は冷静さを保つことができた。

何故なら、眼の前にいる吸血鬼の死がもうすぐそこにあったから。


花陽「──────!!」


落下していく瓦礫に飛び移り、ロアの元に向かう。

普通なら、やつが全力で逃げに徹すれば追い付けない。

だけど今は違う。

重力がこちらの味方となっている以上、この距離では逃げ足の速さなんて関係ない。


ロア「オオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!!!」


やつの手から放たれる雷撃も、もう見飽きた。

落下しながら閃光にナイフを這わせ、距離を縮めていく。


ロア「ば……化け物っ!」


術を行使していた右腕を切り捨て、やつの懐に入り込む。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

点を視据えて、ナイフを握っている方の手を振り被る。

きっと恐ろしくはないでしょう。

あなたにとったら、一度が永遠なんですから。

でも違うところがあるとすれば、それは────


花陽「二度と帰って来られない」


ロアの点を穿ち、ナイフを突き刺したまま落下していく。

瓦礫から地上に飛び移ると、勢いを殺し切れずに転がり続けた。

全身が激痛に苛まれたけれど、一応は生きているらしい。

もはや力尽き、仰向けのまま寝転がる。

途絶えそうな意識の中で、真姫ちゃんの忠告を思い出す。

そういえば、なんて言ってたっけ────


『花陽、視えないものを無理に視ようとしないで。それは本来在り得ない運動よ。使い過ぎれば脳が過負荷を起こして使い物にならなくなるわ』


……もう、どうでもいいや。

こんなことで良かったのなら、もっと早くロアを仕留めとくべきでした。

そうすれば、凛ちゃんだってあんなことにはならなかったかもしれません。

心残りといえば、それぐらいかな────

そう思って眠りにつこうとした瞬間、左足を強烈な力で掴まれた。

この化物、まだ生きてたんですかっ──!?

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

ロア「キ、キ、キ、キサマ──!!消絵消江るワタシガキェ留──ナにヲナニヲシタ!!ナゼ……ドウヤッテワタ死ヲ──!!」

花陽「くっ──!?」

ロア「あグォォケケキ……キ……消エナイ!!マダ、キレキキキ……キレナイ!シ死し死死ナ────」


絶対絶命のピンチの中、碌に身体を動かすこともできずにいると、やつの背中に大きな槍のようなものが突き刺さりました。

シエル先輩のパイルバンカーがロアを串刺しにしたまま、その身体を宙に運んでいきます。


ロア「ギャォガアェェオオギァ──!!ゲヒッ──!!」


空を貫くまで伸びる光の線が放たれ、ロアのカタチが消えていく。

やつを消し去ったあと、シエル先輩は私の身体を抱き起してくれました。

先輩の身体に開いていたはずの孔は、既に跡形もなく塞がっています。


シエル「はい。これでやつを殺したのは私です」

花陽「えっ、先輩……?」

シエル「ですから、ロアを殺したのは私です。相手がどんなものであれ、人殺しはいけません。小泉さんはこっち側に来てはいけない人です。だから殺したのは私なんです」

花陽「先輩……それ、詭弁ですよ」

シエル「でも、優しい嘘ならそれでいいと思います。例え詭弁でも、なんとなく救いがありそうじゃないですか」

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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──────その言葉は似ている。

夕暮れ時、彼女が笑って答えていたあの台詞に─────


花陽「そうですね。なんとなく────どこかに救いが残っているのなら」


──────それはどんなに幸せなことだろう。


シエル「──って、身体の方は大丈夫ですか、小泉さん!?まさか──どこか咬まれたりしません──た!?小泉さん!?気を──しっか──目を─開─て────」


私は静かに眠りに就く。

再び意識が戻ったあと、笑って彼女と向き合えるようにしなくちゃいけないから、休息が必要だ。

次に会ったときは、どんな話をしよう。

取り留めのない考えばかりが浮かんでは消えていく。

でも、きっとどんな話をしたって楽しいに決まってる。

だってこれまでが楽しかったんだから、これからだって楽しいんだ。


…………そうだよね、凛ちゃん。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/39
時間が過ぎるのは早く、目まぐるしい。

ちょっとでも気を抜いていると、見逃してしまいそうなくらいです。

ロアを退治したあと、私は数日の入院を余儀なくされました。

予定した日数よりも大幅に早く退院できたのは、真姫ちゃんの懸命な看護の賜物です。

真姫ちゃん自身も魔術師を倒したあとで満身創痍だったというのに、少しも嫌な顔をせずに看護してくれたのは、今でも忘れられません。

私が無事に退院するのを見届けたあと、シエル先輩はこの街を去って行きました。


花陽『本当に行っちゃうんですか』

シエル『ええ。仕事も終わりましたし、長居は無用です。ずっとこの街にいると、離れるのが余計辛くなっちゃいますから』

花陽『で、でも……先輩なら、μ'sのマネージャーにだってなれます。だからもう少しこの街で、一緒の学校に通うことはできませんか?』

シエル『その提案は凄く魅力的ですね……でも今回のような事件で困っている人が、他にもいるかもしれません。そういう人のためにも、私は行かなくちゃいけないんです』

花陽『う、うぅ……』

シエル『そんな泣きそうな顔をしないでください、小泉さん。これが今生の別れではありませんよ』

花陽『……また会えますよね?』

シエル『もちろんです。まだμ'sのステージ用衣装を一回も着ていないんですよ、私は』

花陽『ふふふ、そうですね』

シエル『そう、それです。やっぱり小泉さんには笑顔が一番似合います。これからもその笑顔で誰かを癒してあげてください』

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

花陽『はいっ!』

シエル『それではまた』

花陽『先輩っ!』

シエル『…………?』

花陽『今度……またいつか会ったときは、一緒にカレーを食べましょう!』

シエル『────そのときはカレー大盛でお願いしますね』

花陽『……はいっ!』


先輩の荷物の中に、内緒でボンカレーを数パック入れておいたのは、誰にも話していない秘密です。

またどこかで誰かを助けるときの腹ごしらえにでも使ってくれたら、もうなにも言うことはありません。

ただ、食べるときに少しでいいから────

私達μ'sのことを思い出してほしいなあ。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

収まるところは綺麗に収まり、一件落着──という風になれば最高なのですが、現実はそうもいきません。

私達にはまだやることが沢山残っていました。

私の眼と、凛ちゃんの死徒化の治療。

ラブライブ本戦に向けての練習。

今年で卒業する三年生のみんなを送り出すためのスペシャルサプライズの準備。

等々、しなくちゃいけないことは尽きません。

それでも、充実した日々であることに違いはないのですが。


凛「さあ、今日も張り切って練習、行っくにゃー!!」


部室でのミーティングが終わったあと、凛ちゃんが元気良くかけ声を上げました。


海未「最近の凛はいつにも増して元気がいいですね」

凛「当ったり前だのクラッカーにゃー!A-RISEに勝ってラブライブ出場も決まったことだし、この波に乗っていかないと!」

希「そうやね。波に乗るのはええことやん……でも、山に登るのも同じぐらいええことやと思わない?」

凛「えっ──!?い、いやー。凛、山登りはちょっと遠慮しとこうかなぁーって────」

希「海未ちゃん!今度の休日、凛ちゃんが海未ちゃんと一緒に山登りしたいってぇ!」

海未「なっ──それは本当ですか、凛!?」

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

凛「ち、違うよぉ!希ちゃんが勝手に──」

海未「山は良いですよぉー。澄んだ空気、のどかな自然、頂上に着いたときの達成感。そのどれもが日常生活では味わえない貴重な経験となり、日々の暮らしをより充実したものに昇華してくれるのです。さあ、凛。共に大自然に抱かれて癒されましょう!」

凛「絶対嫌にゃ!もう山はこりごりなの!」

海未「嫌よ嫌よも好きのうち……希、出番です!」

希「ほいさ、任しといて!」


二人に拘束された凛ちゃんは、耳元で山の素晴らしさをひたすらレクチャーされているようです。


凛「にゃあああああああああああ!!!!」

海未「凛、無駄な抵抗は為になりませんよ」

希「凛ちゃんはカワイイなぁ……ういうい」

凛「にゃああああ!!耳たぶ触るなぁぁぁ!!」


真姫「なにアレ、意味わかんない」

絵里「リリホワの三人は本当に仲が良いわね。羨ましいわ」

にこ「……絵里、前々から思ってたけど、あんた結構天然よね」

絵里「えっ、なにが?」

にこ「いや、気づいてないならいいわ」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

花陽「凛ちゃん危ないっ!!」


気がついたときには無我夢中で走り出していました。

運動神経は良い方ではなかったけれど、幸か不幸か、最悪の展開だけは避けられたんです。

凛ちゃんを突き飛ばして、迫り来る鉄塊と対峙。

許された思考は一瞬。

みんな、泣いちゃうかなあ──

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

絵里「もう。勿体振ってないで教えてくれてもいいじゃない!」

にこ「……知らなくてもいいことはあるのよ」


穂乃果「うん、今日もパンがうまいっ!」

ことり「ほ、穂乃果ちゃん」

穂乃果「ん、どうしたの?」

ことり「その……凛ちゃんが大変なことになってるの。助けないでいいかなぁ」

穂乃果「大丈夫大丈夫!凛ちゃん強いから!」

ことり「そういう問題じゃあないと思うんだけどぉ……」

花陽「はは、あはははは……」


元気があるのは良いことです。

あり過ぎるのも考えものですが、落ち込んだりするよりはずっとマシでしょう。

例え全てが元通りにならなかったとしても、そういう在り方が大事なのだと私は思います。


凛「にゃあああああ!!離すにゃああああ!!!!」


花陽「………………」


結局、凛ちゃんの首筋にはあのときの傷が二つ残ってる

髪を伸ばしているとはいえ、注視すればはっきりとわかる、二本の牙の痕。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

本物の吸血鬼とまではいかなくとも────

凛ちゃんは吸血鬼もどきの人間としての生活を余儀なくされています。

傷の治りが異様に早かったり、身体能力が以前より上がっていたり、視えてはいけないものが視えるようになったりと、数え出したら枚挙に暇がありません。

真姫ちゃんのサポートがあるとはいえ、なにかが引き金となって暴走してしまう可能性は十分にあります。

でも、凛ちゃんならきっと大丈夫────

根拠なんて一つもないけれど、これだけは確信を持って言えます。

────凛ちゃんはこれから先もずっと、人として生きていける。


ことり「そう言えばかよちゃん、最近ずっと眼鏡かけてるね」

穂乃果「ホントだ。コンタクトやめたの?」

花陽「あっ、これ?えっと……これはその、私もにこちゃんに倣ってキャラ作りしていこうかなぁ……と思って」

穂乃果「眼鏡でキャラ作り?うーん……そっかわかった!眼鏡っ娘だぁ!」

ことり「コンタクトもいいけど、眼鏡もすっごく似合ってるよ、かよちゃん」

花陽「えへへ、ありがとう」


眼鏡をかけていれば線は視えない。

だけど、外せばまた以前と同じように死が視えるでしょう。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

()/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

治療する方法が見つかるまでは、うまいこと付き合っていくしかありません。

線を視なければ味覚もいくらか元に戻るみたいだし、日常生活はなんとか誤魔化せると思うのですが。

まあ、あとは私の努力次第だと思います。


凛「だ、誰か助けてぇぇぇぇ!!」


失ったものと、手に入れたもの。

天秤に乗せたらどちらが重くて、どちらが軽いかなんてのは野暮な話。

求めた結果が出せなくても物語は続いていく。

繰り返す日々の中で、最高の今を迎えるための旅路はまだまだ終わらない。


真姫「花陽」

花陽「ん……?どうしたの?」

真姫「そろそろフォロー入れてあげなさい。凛、伸びてるわよ」

花陽「うん、そうだね」


変わってしまったことはいっぱいあるけれど、私はこれからも小泉花陽として変わらず生きていける。

あの日と違うのは────


花陽「ちょっと待っててぇー!」


誰かに頼られることが増えたぐらいかな。





FIN

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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花陽「凛ちゃん危ないっ!!」


気がついたときには無我夢中で走り出していました。

運動神経は良い方ではなかったけれど、幸か不幸か、最悪の展開だけは避けられたんです。

凛ちゃんを突き飛ばして、迫り来る鉄塊と対峙。

許された思考は一瞬。

みんな、泣いちゃうかなあ──

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

弁当箱から取り出したおにぎりを視ていると、我ながら会心の出来だと惚れ惚れします。

最高級の南魚沼産コシヒカリを贅沢に使い、先進の技術を用いて生み出された新型の炊飯器で炊き上げられ少し硬めに調整されたお米は、邪なものを寄せ付けない輝きを放っていました。

色、艶、香り──どれをとっても一級品であることに間違いありません。

もうこれだけで口の中が唾液だらけになるんですが、さらにここから一工夫。

お米からおにぎりに昇華するための工程を辿ります。

旨味が強い塩として有名な、石川県産・奥能登揚げ浜塩を使い、中まで握らず外側は形が崩れぬ程度にかためて、中はかるく、ふんわりと適度な力で握られたおにぎりは絶妙なバランスの上で成り立ちます。

それは、決して崩れぬ白色の黄金比──

私達日本人の心を掴んで離さない、美のホワイトトライアングル。

無垢な色をしたおにぎりを最後に飾り付けるのは、佐賀県産・初摘みの高級焼きのり。

仮にこのおにぎりがシンデレラだとすれば、私はさながらガラスの靴を拾う王子様というところでしょうか。

ああ───このおにぎりを口に運んでしまった瞬間、魔法は解けてしまうんですね。

けれど、わかっていてもこの口はあなたを求めてしまう。

海未ちゃん、私ようやくわかったよ。

これが孤独なheavenなんだね。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。、

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

(/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。)

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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弁当箱から取り出したおにぎりを視ていると、我ながら会心の出来だと惚れ惚れします。

最高級の南魚沼産コシヒカリを贅沢に使い、先進の技術を用いて生み出された新型の炊飯器で炊き上げられ少し硬めに調整されたお米は、邪なものを寄せ付けない輝きを放っていました。

色、艶、香り──どれをとっても一級品であることに間違いありません。

もうこれだけで口の中が唾液だらけになるんですが、さらにここから一工夫。

お米からおにぎりに昇華するための工程を辿ります。

旨味が強い塩として有名な、石川県産・奥能登揚げ浜塩を使い、中まで握らず外側は形が崩れぬ程度にかためて、中はかるく、ふんわりと適度な力で握られたおにぎりは絶妙なバランスの上で成り立ちます。

それは、決して崩れぬ白色の黄金比──

私達日本人の心を掴んで離さない、美のホワイトトライアングル。

無垢な色をしたおにぎりを最後に飾り付けるのは、佐賀県産・初摘みの高級焼きのり。

仮にこのおにぎりがシンデレラだとすれば、私はさながらガラスの靴を拾う王子様というところでしょうか。

ああ───このおにぎりを口に運んでしまった瞬間、魔法は解けてしまうんですね。

けれど、わかっていてもこの口はあなたを求めてしまう。

海未ちゃん、私ようやくわかったよ。

これが孤独なheavenなんだね。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

弁当箱から取り出したおにぎりを視ていると、我ながら会心の出来だと惚れ惚れします。

最高級の南魚沼産コシヒカリを贅沢に使い、先進の技術を用いて生み出された新型の炊飯器で炊き上げられ少し硬めに調整されたお米は、邪なものを寄せ付けない輝きを放っていました。

色、艶、香り──どれをとっても一級品であることに間違いありません。

もうこれだけで口の中が唾液だらけになるんですが、さらにここから一工夫。

お米からおにぎりに昇華するための工程を辿ります。

旨味が強い塩として有名な、石川県産・奥能登揚げ浜塩を使い、中まで握らず外側は形が崩れぬ程度にかためて、中はかるく、ふんわりと適度な力で握られたおにぎりは絶妙なバランスの上で成り立ちます。

それは、決して崩れぬ白色の黄金比──

私達日本人の心を掴んで離さない、美のホワイトトライアングル。

無垢な色をしたおにぎりを最後に飾り付けるのは、佐賀県産・初摘みの高級焼きのり。

仮にこのおにぎりがシンデレラだとすれば、私はさながらガラスの靴を拾う王子様というところでしょうか。

ああ───このおにぎりを口に運んでしまった瞬間、魔法は解けてしまうんですね。

けれど、わかっていてもこの口はあなたを求めてしまう。

海未ちゃん、私ようやくわかったよ。

これが孤独なheavenなんだね。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


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弁当箱から取り出したおにぎりを視ていると、我ながら会心の出来だと惚れ惚れします。

最高級の南魚沼産コシヒカリを贅沢に使い、先進の技術を用いて生み出された新型の炊飯器で炊き上げられ少し硬めに調整されたお米は、邪なものを寄せ付けない輝きを放っていました。

色、艶、香り──どれをとっても一級品であることに間違いありません。

もうこれだけで口の中が唾液だらけになるんですが、さらにここから一工夫。

お米からおにぎりに昇華するための工程を辿ります。

旨味が強い塩として有名な、石川県産・奥能登揚げ浜塩を使い、中まで握らず外側は形が崩れぬ程度にかためて、中はかるく、ふんわりと適度な力で握られたおにぎりは絶妙なバランスの上で成り立ちます。

それは、決して崩れぬ白色の黄金比──

私達日本人の心を掴んで離さない、美のホワイトトライアングル。

無垢な色をしたおにぎりを最後に飾り付けるのは、佐賀県産・初摘みの高級焼きのり。

仮にこのおにぎりがシンデレラだとすれば、私はさながらガラスの靴を拾う王子様というところでしょうか。

ああ───このおにぎりを口に運んでしまった瞬間、魔法は解けてしまうんですね。

けれど、わかっていてもこの口はあなたを求めてしまう。

海未ちゃん、私ようやくわかったよ。

これが孤独なheavenなんだね。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

(/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。)

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/8
真姫ちゃんの両親が経営する病院で眼が覚めたあと、私は警察から簡単な事情聴取を受けました。

内容は思っていたよりあっさりとしたもので、拍子抜けするぐらいのもの。

それもそのはずです。

現場には犯人はおろか、死体さえなかったんですから。


真姫「残っていたのは血痕だけ……ね。例のペーパーナイフにも血液は付着していなかったし、他に凶器らしい凶器も所持していない……証拠不十分もいいとこだわ」

花陽「…………」

真姫「でも悪質なイタズラで済ますには不可解な点が多過ぎる……花陽、あなた本当に嘘はついていないんでしょうね」

花陽「……うん」


ベッドの横で悩ましそうに考え事をしている真姫ちゃんは、小さく唸りました。


真姫「馬鹿げてるわ……そもそも死体が独りでに消失するなんてあり得ない」

花陽「そ、そうだね。やっぱり私の見間違いだったのかなあ」

真姫「真面目に答えて!」

花陽「真姫ちゃん、ここ病室だよお」


個室とはいえ、隣は普通の部屋だから大きな声は響いちゃいます。


真姫「うえっ!?ちょ、ちょっと興奮しちゃっただけよ」


狼狽える真姫ちゃんはいつも通りで、視ていると少し安心します。

いつもと変わらないものというのは、思いの外に心の清涼剤となるようでした。


真姫「身体はどこも問題ないし、症状も疲労による失神だったから、明日には退院できるってパパが言ってた」

花陽「そっか……えへへ、嬉しいなあ」

真姫「なに呑気なこと言ってるのよ。自分がどれだけ大変な目にあったか、ちゃんとわかってる?」

花陽「それはそうなんだけど……最近は病院にいるばっかりだったから、早くみんなのところに帰りたくて」

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

/4
地獄のような冗談で、冗談のような地獄でした。

退院後、私は元通りに学校に通い始め、μ'sの練習にも復帰しました。


海未「花陽!ステップがワンテンポずれていますよ!」

花陽「は、はいっ!」


みんなの身体に刻まれた線が、動きと一緒に揺れる。

幼い子どもが描いたようなラクガキは、決して眼の前から消えることはありません。

躍る線を視ていると、強烈な眩暈に襲われます。

至る所に蔓延る線。

凛ちゃんにも、真姫ちゃんにも、穂乃果ちゃんにも、海未ちゃんにも、ことりちゃんにも、にこちゃんにも、絵里ちゃんにも、希ちゃんにも──

そして私自身にも。

線、線、線、線、線。

身体に刻まれた線を視ていると、どうしようもない不快感が胸の内から溢れ出します。

はっきり言って、気持ち悪い。


花陽「うっ……!」

海未「花陽!大丈夫ですか!」

花陽「う、うん……最近ちょっと食が細かったから、そのせいかな、なんて……えへへ」

海未「冗談を言っている場合ですか。今日はもう安静にしていてください」

花陽「で、でもラブライブも近いし……休むわけには──」

にこ「ダメよ。さっさと帰って養生しなさい」


私の眼をしっかりと見据え、にこちゃんは言いました。

有無を言わさない態度には、強い意志が表れています。余程心配してくれていたのだと思います。

もちろん、他のメンバーも同じでした。

/1
きっかけは、ありふれた日常の狭間にありました。

多分、それは誰にも止めることなんてできなかったと思います。

今になって考えてみれば、ひょっとすると私がこんな眼になってしまったのも、避けられない巡り合わせだったのかもしれません。


花陽「凛ちゃん、今日はちょっと食べ過ぎだよお」

凛「ヘーキヘーキ、これぐらい腹八分目にゃ」

真姫「それ、ラーメン3杯平らげたアイドルが言うセリフじゃないわよ」

凛「あれ、もしかして真姫ちゃん……凛の心配してくれてるの?」

真姫「と、当然でしょ。もうすぐラブライブだっていうのに、花陽の次は凛がダイエットなんてことになったらたまったもんじゃないわ」

凛「うわあ~、真姫ちゃん怖いにゃあ……」

花陽「この時期に落とすのは大変だから……凛ちゃんも気をつけた方がいいよ」

凛「二人に言われたら仕方ないにゃ……でも沢山食べたなら、沢山動けばいいんだよ。ほら、こんな風に──」


そう言って、凛ちゃんは横断歩道に飛び出しました。

信号の色は赤から青に切り替わり、私達は凛ちゃんに続いて歩き出そうとしたんです。

瞬間、視界の端に映ったのは、止まる気配を見せない鉄の塊。

信号の色は、確かに青だったのに──


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1482928326

そう言って、女医さんは渡したはずのペーパーナイフを私に差し出しました。


花陽「あの、これは?」

女医「名工が暇潰しに作った一品物にルーンを刻んだだけのものだけど、魔除けとしては一級品でね……きっとあなたを守ってくれるわ」


差し出されたペーパーナイフを受け取ると、女医さんは嬉しそうな表情を浮かべました。

ペーパーナイフは大きさの割にそこそこの重さがあるので、もしかしたら純銀で作られたものなのかもしれません。


花陽「こんな高価そうなもの……本当に頂いてもいいんですか」

女医「道具は持つべき人が使いこなしてこそ、真の価値が生まれるものなの。そのナイフは、君が使ってこそ輝ける……私はそう思った。大事に使ってね」

花陽「は、はいっ、ありがとうございます」

女医「そろそろ時間かしら……支払いは済ませておくから、君はゆっくりしていくといいわ」


腕時計を確認した女医さんは伝票を持って席を立つと、レジに向かって歩き出そうとします。

しかし、一度だけ立ち止まると、元いた席の方──つまり私がいるテーブルの方に振り返ると、一言だけ告げました。


女医「また会いましょう」


女医さんが店を出て行くのを見送ってから、もらったペーパーナイフに目を向けます。

外から差し込む日光に照らされ、ナイフが白く鋭く光ったのが、やけに印象的でした。

/9
病院から何事もなく退院したあと、私は普段より少し遅れて登校することになりました。

いわゆる、遅刻寸前というやつです。

普段は朝練に出てるからこんなことはないんだけどなあ。

遅刻したくなくて焦る気持ちと、早くみんなの待ってる学校に行きたいという気持ちとが重なり合って、自然と駆け足になります。

ですがこちらの気持ちなんて配慮することもなく、信号の色は変わるものです。


花陽「……もう、タイミング悪いなあ」


広くて見晴らしの良い交差点前で信号待ちをしていると、向こう側の方に見知った人物がいました。

いえ、人物と呼ぶのは間違いだったかもしれません。


??「…………」


──普通の人なら見落としていたかもしれない距離。

視力の悪い人なら、その表情をはっきりと確認するのは難しかったのではないかと思います。

でも、今の私にははっきりと視えました。

黒髪で、髪が背中にかかるぐらい長くて、女性で、肌が白くて、左腕がなくて──

ニヤリと笑みを浮かべた口元には、鋭い牙が二本。

終わったはずなのに。

終わらせたはずなのに、彼女は向こう側から私のことをじっと見つめていました。

あの路地裏で人を食らっていた化物は、昼間の交差点に平然と姿を現したんです。

/3
危惧されていた事故の後遺症もなく、私はすぐに退院することになりました。

μ'sのみんなも退院を心から祝福してくれて、誕生日でもないのに主役気分です。


凛「かよちん……かよちんかよちんかよちんっ!!ホントに良かった……かよちんが無事に退院できて、ホントに良かったにゃ!」

花陽「凛ちゃん、ちょっと苦しいよお」

凛「ご、ごめんね……痛かった?まだどこか悪いところあるの?」

花陽「大丈夫だよ。強く抱き締められたから、ちょっと苦しかっただけ。もうどこも悪いとこはないから、心配しないで」


唯一無二の親友に、私は嘘をつきました。

治っていない場所なら、ある。

私を抱きしめる凛ちゃんの身体の至る所に刻まれた、まるでツギハギみたいに蔓延る線を視ていると、心がざわつきます。

頭の奥がジリジリと焼け焦げるような感覚。

視てはいけないモノを、直視している恐怖。

その両方を抱えたまま、私は日常に戻ることになりました。

──その先には、地獄のような非日常が待っているとも知らずに。

染みは路地裏に向かうよう、続いていました。

点々としている染みを追いかけていると、その色が段々と濃くなっていきます。

これ以上は良くない、人もいないし視界も悪い。なにより嫌な予感がする。

そう思っていても、足は歩みを止めようとしてくれません。

曲がり角の先にある行き止まりに辿り着いたところで、私は息を呑みました。





花陽「──えっ?」


人が、人を食べてる。


髪の長い女の人が、スーツを着た中年の男の人の首筋に喰らいついてる。

じゅるじゅる。

じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる。

なにかを啜るような音が聴こえる。

なにか──なにかってなんなの?

そんなの見ればわかるに決まってる。

アレは、血を啜ってるんだ。


花陽「──っ!」


叫び声を上げそうなところを、間一髪のところで防ぎました。

まだ、向こうはこちらに気がついていません。

なら逃げられるはず。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ!

逃げなきゃ!!

その場で膝をつきそうなのを堪えて、震える足に無言で喝を入れて、一歩ずつ後退します。

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