魔女「ハッピーハロウィン・オーバーナイト」 (312)


ハロウィン。

起源をたどれば宗教的な意味合いもあったそうだが、この国ではただのお祭りの日だ。
この日になればそれぞれが思い思いの仮装をし、騒ぎ楽しむ。

魔女。ゾンビ。ドラキュラにゴースト。狼男や死神。

最近ではその範疇に収まらず、創作物の登場人物にまで変身するのも珍しくないと聞く。
異なる文化の風習は、この国でも随分と広まったようだ。


……僕にはあまり、関係のないことだが。

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……


自室に響く、タイピングの音。

カタカタカタカタ……ピタッ

男「行き詰まった……」

タイプする手を止めて、ネクタイを緩める。

男(どうも最近ペースが良くない)

男(というか悪すぎる)

男(進捗が悪いから色んな時間削ってんのにな……)

男「ふぃ~~~」コキッコキッ

男(ん、そういや期限まであと何時間かな……)チラッ

男「って!? もうこんな時間? 嘘だろ!?」

男「もう日、越えてるじゃん……」


男(せめて少しでも、文章に関わる仕事をって自分で決めたのは確かだけど)

男(最初のうちは意気揚々としてたっていうのに)

男(期限期限アンド期限。そして相手方の機嫌をうかがう)

男「はぁ~~~。今日も打ち合わせ終わったら、直帰でパソコンにむかってカタカタカタカタ……」

男「まだスーツから着替えてすらねー」

男(どうしてこうなった)

男「……ったくよ」

男「だいたい、何だよアイツ! 確かに下だよ? 立場は僕のほうが下だけどさ!?」


『あのですね、ちょっと頼みたい仕事ができたんですけど。できないことはない……ですよね?』


男「そう言って、面倒な仕事だけ回しやがって……!」

男(……)

男(とは言え仕事しないと食っていけないしなあ)


男(結局強く言えずに引き受けてしまう僕にも問題があるのだろうか)

男(昔はもっと違う何かを期待してたような……)

机の上にあったボツの草案をくしゃくしゃっと丸める。
背もたれに体重を預けたまま、天井に向かって投げた。
手元に落ちてくるはずが、狙いのそれた草案は壁に当たってそのままあらぬ方向へ。

ガシャン

男「ぬあああああ!?」

ブラウン管の上に乗っていた、飛空船のプラモデルに直撃し落下させた。

男(未完成だったのに……ああ、マストが折れて)

男(これも前は、暇さえあれば組み立ててたのになあ……あ、ホコリ)

幻想の世界の空を飛んでいく船は、床に墜落していた。

男「……はあ」

男「……自業自得か。仕方ない」

そう言って立ち上がったときだった。






爆音が耳をつんざいた。
窓の外からは強い光。


男「っ!? か、カミナリ!? ……驚いたー」

男(結構近かったなあ)

男「どれどれ……」ガラガラ

男(? おっかしいな。雨も降っていないんだけど……。あ、近所の家の電気がつき始めた)

男(あれだけデカい音だったら皆飛び起きるよな)

男(青天の霹靂ってやつなのか? ……夜だけど)

しかし悲劇に気がついたのは、その後だった。


男「まあいい。気持ちを切り替えて、仕事再開するか」

男「……ん?」

男(……おかしいな。パソコンのディスプレイが消えている……)

男(電源を落とした覚えはない……スリープ時間にはまだ早いはずだ……)

男「……」

男「……」

男(何だか胸がバクバクしてきたぞ。落ち着け、一旦落ち着こう……)スーハー

男「うん、何かの拍子にたまたま電源が落ちたんだな。うん」

男「うん、あんまりパソコン詳しくないしな。よし。ポチっとね、起動してね」ポチッ

PC「」

男「あれ? なんだ、ちょっと押す力が弱かったかな? ポチっとな」ポチッ

PC「」


男「ははは。こいつぅ。どうした? ちょっと機嫌が悪くなったのかな?」ポチッ

PC「」

男「まさかじゃないけどさ、さっきの雷? もしかして怖かった?」ポチッ

PC「」

男「僕も怖かった、結構ビビるよね。でも大丈夫だよ。家に落ちてもさ平気だよ? うん」ポチッ

PC「」

男「だからさ、機嫌治せよ」ポチッ

PC「」

男「……」ポチッポチッポチッポチッ

PC「」

男「……」ポチッポチッポチッポチッポチッポチッポチッポチッポチッポチッポチッポチッポチッポチッ


男「……ふぅ」

天を仰ぐ。仰げば尊し。さよならデータ。

男(終わったな)

男(完全に終わった)

男(バックアップはまだある。だけど、今持っていかれてしまった量が大き過ぎる……これじゃ間に合わない)

男(それに。それ以上に心がもう……)

落ちた飛空船を見る。
ポッキリとマストが折れている。

男(何とか期限にだけは間に合わせようと、必死でやってきてこれか)

男(……う)

男(……うう)

男「……いや、泣いてないし。全然平気だし。ダメージないし。むしろ漲ってるし」

精一杯虚勢を張るものの、聞く相手はいなかった。

男(……外の空気吸お。コンビニでも行くか)

コートを手に取った。


コンビニ

「ありがとうございましたーっ」

男「う……肌寒い。夜はもう冷えてくるなあ」

男「指先も冷えて」

男「今買ったミルクココアが……」ガサコソ

男「おお、温かい。お前くらいだよ僕に温かいのは……」

すぐに飲む気にはならず、カイロ代わりに触れた。

男(今からどうするかな。もう朝の時間にも近いくらいだが)

男(部屋に帰ってもなあ。すぐには寝付けそうにないし)

男(……ちょっと夜の町をブラブラすっかな)


夜歩くのは好きだった。
昼と違う風景が、別世界に迷い込んだような気持ちになる。

男(気持ちになるだけですがね)

男(お、月が出てる。青白い光で……、なかなかに良い形だな)

子供のころ、僕は月を見るのが好きだった。
神秘的な光にロマンを感じていたのだ。

男(そういや母さんから留守電入ってたな)


『年末年始はどうするの?』

『あんたも忙しいとは思うけれど、たまには帰ってきなさいね』


男(……今年も終わりが近くなったなあ。あと2ヶ月か)

男(どうすっかな。これから)


月に手を伸ばした。
もちろんつかめる訳はない。

男(そう言えば今日って。十月の終わりだから、確か……)

と、そのときだった。

ふっと、月と僕との間を何かが素早く通り過ぎた。

男(……何だ?)

確かめようと目を向けると。そこにいたのは。




輝く月に照らされていたのは黒い三角帽に黒いマント。
傍らには背丈ほどもある箒。
どこからどう見ても、魔女だった。



男「……」

ライトブルーに爛々と輝く瞳が、唖然としていた僕をとらえる。
そして、口を開いた。

魔女「☪☞♂♡⁇」

男「……は?」

魔女「☏☞☈☓」

男「あの、何て……」

男(外国の人かな?)

魔女「★☏☞☏◎♪★☏☞☏◎♪」ブツブツ

男「何をおっしゃって――」

魔女「分かるか?」

喋った。


魔女「突然の無礼を詫びる」

男「い、いえ」

男(変わった喋りかたをする)

魔女「いくつかキミに尋ねたいことがある……良いだろうか?」

男「え? ……ええ」

男「いいですよ。自分に分かることであれば、何でも」

魔女「そうか、感謝しよう。まず、ここはどこだ?」

男「どこ……って。えっと、北区の」

魔女「国だ。まず国を教えてほしい」

男「国……? 日本、ですが」

魔女「にほん? 聞いたことがない……辺境か、あるいは踏まれない東の地か?」

男「ひ、東の地? まあ極東の国と呼ばれることもあります、が……」

魔女「そう、か。ということは私は成功したのか……」

男(えっと……この子は何なのかな?)


格好はまさに魔女。非常に整った顔立ちをしていて、印象的な瞳の色をしていた。
腰近くにまで伸びている長い髪に、ウェーブがゆるやかにかかっている。
年のころはどうだろう。他人の年齢を当てることはあまり得意ではないが、まだ十代と言っても通用するのではないだろうか。

魔女「……ふむ。それで、ここはにほんという国の都市部に当たるのだろうか」

男「え? あ、ああ。そうですね、それなりに栄えているほうだと思いますが」

男(外国から来たのか? いや、それでも自分のいる国が分からない、なんてあるか?)

魔女「今は夜だな? 暗くなってどれくらいたつ?」

男「もうしばらくすると明け方になると思います」

魔女「……私が行使したのは昼だ。時間に差が?」ブツブツ

男(何やら難しい顔をして呟いているが。もしかして、犯罪的な何かだったらどうしよう)

魔女「……あるいは別の要素があったのだろうか」ブツブツ

男(何かしらの被害にあったような様子には見受けられないが……)

男「……ちょっと、いいですかね?」

魔女「すまない。没頭していた。何だ?」

男「あなたは、その。どういった方なんですかね?」

魔女「む。そうか、自己紹介がまだであったな」


魔女「私は……」

魔女「私は、魔女だ。……偉大な魔女だ」

男「えぇ……」

魔女「もちろん魔女とは魔法を使う女性すべてを指すこともあるが、私は魔女として正式に認定されている」

魔女「かの大国、☪♣♬☾から証を授かっている」

男(何て言った? どこの国?)

魔女「それで、その……そうだ。異国の文化を調べるよう、そう言われ……命じられた」

魔女「そして、この国に来たのだ……魔法を行使してな」


男(えーと)

男(本気で言っているのかな?)

男(この子、自分がファンタジーの世界からやってきたって)

男(……! ……あ、そうか!)

突然の出会いに戸惑うばかりだったが、ようやく合点がいった。
今日は何の日か、思い出せば良かったのだ。

十月最後の日。ハロウィン。

魔女。ゾンビ。ドラキュラにゴースト。狼男や死神。

それぞれが思い思いの仮装をし、騒ぎ楽しむお祭りの日。


男「なるほどね」ボソ

男(この子は演じて、なりきっているわけだ。『異世界から来た魔女』に)

魔女「?」

少しだけ残念な気もしつつ、目の前の少女の可愛い企みに気がついて安心した。

男(確かに似合っている。これ以上ないほどに)

男(ただ、少し気が早いんじゃないだろうか)

男(今日は確かにハロウィンだけど、まだ朝も来ていないのに)

男「ははっ……そうか、そうですよね。どう見ても魔女だ。すいません、察しが悪くて」

魔女「む? そうだな。確かに、この格好は魔女しかせぬ。特徴的ではあるな」

男「しかし、よくできていますね、その服。質感も、そこらで売っているようなものには見えない」

魔女「そうであろう? この装いは、かつて西の大魔女と詠われた私のお、ではなく、知り合いから譲り受けたものなのだ」フフン


男(結構値が張りそうだな……けど)

男「とは言え、この時期ですし。その格好は寒くないですか?」

いくら立派でも、このマントだけでは防寒の用をなさないだろう。
マントの下は薄着のようだった。全体的にダーク色で統一されていたが、所々にあしらわれているピンクが映えている。

魔女「そのようなことはない。この外套は――」

男「あ、そうだ。良ければこれ、飲みます?」ガサガサ

魔女「……?」キョトン

男「さっきコンビニで買ったんですけど、やっぱりいらないかなって思ってて。もちろん、まだ開けてないですし。良かったらですけど」

魔女「……」

手にしたミルクココアをしげしげと見つめ、そして僕の顔を見る。交互にそれを繰り返す。

魔女「これは飲み物か? どうやって飲むのだ? ここを開けるのか?」

男(へえー凄いな)

ファンタジー的な異世界から来たのであれば、見たこともないのが正しいわけか。
細かい設定もしっかり造りこんでいることに内心賞賛を送りつつ、僕は丁寧に飲み方を教えた。


おそるおそる、といった様子で。

魔女「……!」

非常に驚いた顔で缶を見つめた。

魔女「甘い! そして、美味しい。気に入ったぞ!」

男「ただただ甘いだけじゃないから、いいですよね。僕もそれ好きなんですよ」

魔女「感謝しよう。まさか、即このようなもてなしを受けるとは思わなかった」ゴクゴク

彼女は自分よりも年下に見える。
しかし、その堂々とした物言いはあまりに彼女に似合っていた。


魔女「ありがとう。素晴らしいものであったぞ」

見る間に飲みきると、彼女は満足げに頷く。

男「喜んでいただけて光栄です」

魔女「うむ」

男(まるで主と従者の会話だな)

だが不快ではない。
その芝居がかった喋り方がなかなか面白い。


魔女「しかし、キミは随分と変な格好をしているな。それが普通の格好なのか?」

男(何かおかしなところあったかな?)

自分の姿を振り返る。
ワイシャツにネクタイ。その上からコートを羽織っただけで、取り立てて変わったところはない。

男(そっか。この子の設定に従えば、これは変な格好に見えるんだろう)

男(こんなビジネススーツなんて存在しない世界だろうし、この格好は初めて見たってことになるのか)

などと考えていると。

魔女「……今のは失言であったな」

男「え?」

魔女「自分が知らぬからといって、キミの装いを変などと。気を悪くさせるつもりはなかった」シュン

僕の沈黙を悪くとったのか、彼女は申し訳なさそうに俯いた。

魔女「私は礼儀を知らなかったようだ。すまない」フカブカ


男「い、いえ。違うんですよ。僕は自分の服装にあまり頓着がなくてですね。だらしないところがあったんじゃないかって不安になっただけでして」

男「それに、あなたにはこの格好が妙に見えるのも良く分かりますし」

魔女「そう、か?」

男「ええ。あなたの国にはこんなスーツやコートなんてないんですよね?」

魔女「すうつ……。ああ。私は初めて見た」

男「だと思いました。だったら変に見えますよ、仕方ないですって」

あまりにも済まなさそうな顔をしたので、むしろ悪い気がしてフォローした。

男「僕自身、自分のスーツ姿が変に見えることもありますし。あまり似合っていないと言うか」

男「あなたみたいな素敵なひとに向き合うと、自分が少し恥ずかしくなるくらいですよ」ハハハ

魔女「……」マジマジ

男「ははは……」

魔女「……キミは……」

男(……う。恥ずかしい。何をベラベラと喋っているんだ、僕は)


魔女「……キミのことがききたい」

男「は、はい?」

唐突に尋ねられた。

魔女「その……キミはどういう人、なのかな?」

男「へ?」

男(どういう人?)

怪訝に思ったが、そう言えば魔女だという自己紹介は受けていた。
僕も自分のことを明らかにするのが礼儀だろうか。相手のそれが本当のことかどうかはまあ、さておき。

男「あー。自由業、ですかね?」

魔女「自由業?」

男「自営業って言ったほうがいいかな」

魔女「自営業?」

男(なんなんだ、この子は)

魔女「ふむ……よく分からんが、きっと立派なことなのだろう」

男(えらいざっくりとした評価だ)


魔女「住居は近いのか?」

男「すぐそこに住んでいるものでして」

自分の家のアパートを指差す。

魔女「……大きいな」

男(そうかな?)

魔女「ときに、結婚はしているのか?」

男「はい?」

魔女「してるのか……」

男「いえ、独身ですけど」

魔女「……そうか。恋人は……いるのか?」

男(何だこれは)

なぜ今僕は、夜の町で、魔女の仮装をした少女に職務質問を受けているのか。
この現場を警察に見られれば、本物を受けることになりかねないが。

魔女「いるのか?」

男「い、いえ。残念ながら」

魔女「そうか。やはりな」

男(えぇ……やはりって)

地味に傷つく。


魔女「ふむ。なるほどな。ならば……」

なにやら難しい顔をして考え込む。

男(こんな不思議な遭遇をするとは思わなかったな)

正直に言えば、彼女と話すのは楽しかった。
もちろんそれは魔女の格好や、その垣間見える『世界観』によるものも大きかったが、何よりころころ変わる彼女の表情が魅力的だった。

男(……それともこれも魔女のキャラクター設定なのかな)

ふと、思いがけず時間が経っていたことに気がつく。

男「あの。もうしばらくすると明けるとは思いますが」

魔女「む?」

男「まだ暗いですから。出歩くのも用心して下さいね」

魔女「そうか。心配してくれるか。その心、ありがたく思おう」

魔女「しかし無用だ。私にいたってはな。何せ、私は――」

男「?」

魔女「偉大な魔女だからな!」フフン

男(……僕もそろそろ帰ろう)


男「そうか、そうでしたね。それなら大丈夫だ」

魔女「ああ! たとえ魔物が襲い掛かってきても、私の魔法で瞬時に灰にしてみせよう」

男「それはすごい。……でも、身の安全だけは気をつけておいて下さいねホント。ここ治安は良いところですけど」

魔女「そのようだな。着いてすぐに辺りを空から一望してみたが、魔物のようなものは見受けられなかった」シュイン

魔女「良いところに住んでいるのだな」

男「住んでいる身としても、そう思いますね。……では、僕はそろそろ。あなたに会えて楽しかったですよ」

男(さて、と)

身を翻そうとしたときだった。


ぐい。
コートを引っ張られた。

男「んがっ」

魔女「すまぬ」

男「えっと。まだ何か?」

魔女「その、何だ。もう少し話をしないか?」

男「はい? 話?」

男(どういうことだろう)

男「何か困った事情でもあるんですか?」

魔女「そういうわけではないのだ、が。キミともう少しだけ話がしたい……のだ」

男「話……ですか?」

魔女「う……うむ」

男(どして?)


男(これが緊急な事態ではないとすれば)

男(考えられるのは……例えば)

男(魔女の『なりきり』の練習に付き合ってほしい、とかそういうことかな)

男(今日どこかであるハロウィンイベントで、これを披露するのかもしれない)

魔女「駄目か……?」

男「あ、いえ、その……」

男(より『魔女』になりきるために、練習がてら僕に話しかけたとか)

男(……わざわざ夜に一人出歩いてまですることとは思えないが)


男「そう言われましても、こんな時間ですし」

魔女「……実は、これから、どうすればいいのか分からないのだ」

男「え」

男(僕に言われても、僕も分からないが)

男「この後、どなたかと会う予定なんてないんですか?」

魔女「初めての場所だ、知っている人などいない……」

マジか。
この子、誰かと示し合わせてこんな格好しているわけじゃないのか。
してはいけないとは言わないが、勇気があると言うかなんと言うか。

魔女「……」シュン

もしかして、そのような事情がある子なのかもしれない。
あまり友達がいない、というような。


男(困った……どうするかな)

彼女は俯き、箒を持たないほうの手で、僕のコートをぎゅっと握っていた。

魔女「……」

魔女「だ、だから、その」

魔女「……頼みがある」

男「なんです?」

魔女の頬が少し赤い。

魔女「……その」






魔女は魔法を使うという。
それは知っていた。




魔女「今日一日、私と一緒にいてくれないだろうか……?」


男「え、……え!? 僕と!?」

魔女「……そうだ」コクリ

男「え、いや。どうして、また?」

魔女「え、ええっと。その……文化を調べると言っても。この国の情報は全く持ってなくてな」

魔女「誰かに、協力を仰ぎたいと思ったのだ」

魔女「ちょうどその、キミがいたから。その、今日一日、夜まで。お願いできないだろうか?」

男「しかも一日中ですか?」

魔女「この一日だけでいい。無理なお願いなのは、分かっている。だが、頼む……」ギュッ

男「……」

男(もしかして……)

男(今日のハロウィンに一緒にいるはずの相手、例えば友達とか家族とか、あるいは……)

男(そういった人が来れなくなったのかな……?)

男(このコスプレ、かなり気合入っているし)

男(がんばって来たことが、台無しになるのは残念だろうな)

雷が落ちてデータが飛ぶとか。


見れば、コートをつかむ手は震えていた。

一瞬だけ、本当に。
彼女が異世界からやってきて、頼りもなく不安になっている魔女に見えた。

男(でもなあ……)

吹っ飛んだデータを思いやる。
実際のところ、それが切迫した仕事ではないことは知っていた。
気は進まないが、ひたすら低頭平身すれば作業の延長を許されるかもしれない。

男(……強烈な嫌味は覚悟しないといけないだろうが)


魔女「駄目、だろうか」

男「正直面白そうなお話ですが、あまりにも急ですし。今日、僕もしなければいけないことがありますので」

魔女「そう、か」

男「……すいません」

魔女「いや、いいんだ。無理を言ってすまない。私はわがままだったな」シュン

魔女「みるくここあ、だったか。非常に美味だった。感謝する」

男「いえ……」

魔女「ここに来て、初めて会ったのがキミで良かった。キミのことは忘れないでおこう」

魔女「それではな」ニコ

彼女は寂しそうに微笑んだ。そのまま踵を返す。

男「……」

とぼとぼと向こう側へ歩いていく。
振り返ったと思うと、ぱたぱたと手を振り、頭を下げた。

男「……」


いつもお世話になっております。

昨日、別の打ち合わせだったはずが、突然私に新しいお仕事をお寄越し下さり、感謝の念に堪えません。
日々日常的にたやすく行なわれているその恩義に報いるために、いつも以上に鋭意を込め、作業をしておりました。

しかしながら昨夜。近所に落雷があり、ほぼ完成していたと思われるデータが不幸にも丸々消失。
私の鋭意が余りにも鋭かったために、雷が落ちたのだと思われます。

添付しているのは、かろうじてバックアップしていたデータの一部です。
ご迷惑をかけて誠に申し訳ありません。


以上


追伸

今日はハロウィンなので、これから魔女と旅に出ます。探さないでください。


男「送信っと……」

魔女「良いのか、本当に。良いのか?」

男(強引だった割りに随分うろたえてるな)

男「良いんですよ。どっちみち、もうメール送ってしまいましたし」

魔女「? めえる?」

男(ああ、そうか)

男「今日は一日中遊ぶってことを伝えたんです、……部下に」

男「この道具でそういったことが色々できるんですよ」

魔女「そのような小さな物で……興味深いな」

男「でしょう? とっても便利ですよ、これ」

男(なんとなく会話の仕方を掴めて来た気がする)


魔女「その」

男「はい?」

魔女「心より、感謝する……。キミはやさしいな」ニコ

男「い、いえ。僕もそろそろ休み取りたいなって思っていましたし。振り返ると最近、働きづめでして」

男「だから、ちょうど良かったですよ。良い機会です」

魔女「そうか。私は運が良かったのだな」

男「そう、ですかね?」

魔女「ああ、そう思う。……、これから一日よろしく頼む」ペコリ

男「こちらこそ」


うっすらと空は明るくなりつつあった。
しかしまだ外は肌寒く、空腹も感じてきたので、とりあえず近所の24時間営業のファミレスへ向かうことにした。

魔女「む……あれは何だ? 随分明るい」

男「え? ああ。あそこはコンビニです。さっきのミルクココアもここで買ったものですよ」

魔女「みるくここあを置いている場所か」

男(こっちの世界のこと何も知らないって設定だったな)

興味深そうにコンビニを眺めた。


魔女「ここは何をする場所だろう? 対の犬の像がある」

魔女「これで飲み物を買えるのか? ……みるくここあはあるのか?」

魔女「猫は私の国にもいる。やはりにゃあと鳴く。そしておしゃべりだ」

魔女「な! み、見ろ。あれもキミたちの技術か!? 速い!」

魔女「凄い、凄いな。まったく、……凄いな!」

彼女の振る舞いは相当造りこまれており、辺りの物を目にする度に、目を輝かせ質問をしてくる。
おかげで到着するまで随分と時間がかかってしまった。

決して飽きるようなものではなかったが。

今日は以上です。読んでいただきありがとうございます。
ハロウィンまでには終わる予定です(おそらく)。


ファミレス

魔女「うーむ……ううむ」ムゥ

ファミレスの禁煙席でメニューを凝視しながら、魔女は唸り声を上げていた。

男(この時間はモーニングだから、そんなに選択肢はないんだけど)

男「随分と悩んでいますね?」

魔女「ん? うむ。ぞんざいに選んで後悔はしたくないからな」

魔女「考えた末の結果であれば、納得もできるだろう……これは魚だな?」

男「ええ」

魔女「魚か……よし。朝からとは少し贅沢かもしれんが、ここはこれを選択してみよう」



「おまたせしましたー。ごゆっくりどうぞ」

魔女「来たか。知見がない食事だが、どのような味がするのか……」ワクワク

男「さて、いただきます」

魔女「……む? それを使って食べるのか?」

男「箸ですか? あ、使いづらいんでしたら、フォークやスプーン頼みますか?」

魔女「いや、いい。私もそれで挑戦してみよう」


魔女「む……」ポロン

魔女「あ……」

男「……」

魔女「いや、今度こそ。……よし。このまま」

魔女「……あーん」

ポロッ

魔女「……」ムゥ

男「……」

魔女「難しい……。キミは随分器用なのだな」

男「慣れの問題ですよ」

男(……もしかして本当に扱えないのか?)

結局しぶしぶといった表情でフォークを選んだ。


魔女「……ふむ、ふむふむ……おぉ……」モグモグ

パクパクと鮭定食を食べる魔女。嬉々として。

男「そ、そう慌てなくていいですよ。落ち着いて」

魔女「……う、うむ。すまぬ。私としたことが、少しはしたなかったな」

魔女「いずれも見たことがない食事だが、美味い。この国は何でも美味いのか?」

男「どうでしょうか? 住んでる身にはあまり分かりません」

魔女「贅沢だな」

男(そうかもしれない)


「こちらお下げしますねっ」

魔女「美味しかった。感謝しよう」ニコ

「あら、ありがとうございます! 魔女さまに褒められたってキッチンに伝えておきますね」

僕たちが入店したとき、彼女の格好に店員は少し驚いた顔をした。
しかし、すぐに今日が何の日か思い当たったようで、にこやかに席に案内してくれたのだった。

魔女「ふふふ」

男「? 何か面白いことありましたか?」

魔女「うむ。実は不安だったのだ……ここの場所はまったく知らぬ」

魔女「もしも、いやな目にあったらどうしようかと恐れていたのだ」

魔女「でも、優しいひとたちに会えた。それが嬉しい」

男「そうですか……」

魔女「ああ。思い切って良かった」

ドリンクバーのミルクココアを嬉しそうにちょびちょび飲みつつ、ちょうど差して来た朝日の光に、彼女は目を細める。

魔女といえば夜のイメージだったが、彼女に限ってはそれは違うように見えた。
ひなたが似合う。

男(この子、普段は何している人なんだろう)


魔女「それでだ。これから、どうする?」

男「……え?」

我に返ると、ライトブルーに輝く瞳がこちらを見ていた。

男「へ? どこか行く予定のイベントがあるんじゃないんですか?」

魔女「いべんと? いや、予定はないのだ」

男(どこかのコスプレイベントに参加するものだと思っていたが)

男(この衣装で街を周ることができれば満足なのだろうか?)

男「えっと……」

男(どうしよう、困ったぞ)

男「あなたはどこか行きたい場所はないんですか?」

魔女「この国に来たのは初めてだ。どういう場所があるのかも知らぬ」

男「そっか、そうでしたね」

男(忘れてた、こっちの世界のこと何も知らないんだった)

男(……)

男(……じゃなくて。これは設定だ)

男(何だか、本当に何も知らないように見えるときがある……いかんいかん)


魔女「……その、実は。希望はある。具体的ではないが」

男「それを言ってもらえると助かります、聞きましょう」

男(どこに行きたいのか、ヒントをください)

魔女「その、私はあれだ。この国の人たちが、どういった暮らしをしているのか、を調査に来たんだ」

魔女「だから、その。そうだ。例えば……、例えばだが。仲の良い人同士が行く、というような場所とかいいのではないかと思う」

男(……仲の良い人同士?)

男「友達同士で遊ぶような場所、そういうことですか?」

魔女「む。まあ、その。それで方向はあっているのだが、その、それよりもう少しだけ仲の良い人というか。男女というか」

見れば、彼女はそっぽを向いている。

男「恋人みたいな?」

魔女「そ、そ、そ! そこまでとは言っていない、言ってはいないが。それに近いような気もする」


予想外の発言に面食らったが、しかし同時に少し面白くない考えが首をもたげた。

男(もしかして彼女には、そんな風にして一緒に過ごす予定の人がいたんじゃないだろうか)

男(その人の予定がキャンセルされたから、半ばやけで。僕をその代わりにっていう……)

男「……」

魔女「や、やはり、そういうのはよくないよな! 会ったばかりなのに! す、すまぬ。キミには、何だか好きなことを何でも頼んでしまいたくなるんだ。許せ」


男「いえ、いいんですよ。頭を上げて下さい」

男(……頼んだのは彼女だが、今日一緒にいると決めたのは僕だ)

憶測はやめておこうと思った。
どういういきさつがあって魔女の仮装をしたのか、どういう理由があってデートの真似事をしたいのかは知らない。

だが、そもそもが今日のハロウィン一日だけの話。明日には終わっていることだ。

男「そうか、でしたら。そういう感じで行きましょうか」

魔女「!? ほ、本当か? 本当なのか、ありがとう!」ニッコリ

男(この笑顔が見られるんだから良いかってことで……うん。カッコつけすぎだな)


「映画なんてオススメですよ。早朝だと人も少ないですし。今、確かリバイバルやってるはずです」

会計のときに、店員さんが教えてくれた。

「しかし、可愛い彼女さんですねえ」

男「いえ違いますよ」

「あ、可愛い魔女さんですね」

そういうことではない。

「でもお兄さんは仮装しないんですか?」

男「僕は仮装はちょっと遠慮しますかね」

「あら、どうしてです?」

男「そこまで吹っ切れないと言うか。僕は魔女の付き添いで十分ですよ」

「もったいない。せっかく彼女さんあんなに張り切っているのに」

だから違う。


魔女「良いのか?」

会計が終わって店を出ると、彼女は自分も払いたいと申し出てきた。

男「いいんですよ。こういう場合、男性が奢るものですし」

魔女「……そういうものなのか?」

男(そっちの世界の設定にはそんな風習ないのかな?)

魔女「いや、しかし。キミにばかり負担をかけるのも悪い」ガサゴソ

男「いやいいですってホントに。このくらい、奢らせて下さいよ」

魔女「私がつき合わせているのだ、せめてお金くらいは。どうだろう、これで足るだろうか?」

男「……え?」

男(……こう来ましたか)

彼女の手にのっているのは、金色に輝く大きな硬貨。

男(小道具までそろえているとは隙がない)


魔女「金貨であれば、この国でも換金できると思ったのだが」

男「えっと、そうですね。ただ、やはり結構ですよ。大した金額でもないですし」

魔女「いや、しかしだな」

男「それに額が大き過ぎます。こんなに貰っても困りますし、お気持ちだけで」

男(正直こんなおもちゃ貰っても困るし)

魔女「気持ちか。ならば、私の気持ちのために貰ってくれないだろうか?」

男「え?」

魔女「私はキミに何も返礼することができない。だから、せめてこれだけでも受け取ってくれないか」

魔女「無論十分とは到底思わぬ。だが、これを受け取ってもらえれば少しは気後れせずにすむ」

魔女「私のことばかりで、随分都合が良いかもしれぬが……」

男「い、いえ。そこまで言われるんでしたら……」

魔女「そうか、ありがとう!」

彼女の手から『金貨』を受け取る。

男(あれ? 見た目よりも案外重いなこれ)


男「これから行く場所なんですけど、映画館なんて良いんじゃないかなって思ったんですが」

魔女「よく分からないが、私はそれでいいぞ。そこは遠いのか?」

男「まあまあの距離なんですよね。歩いて、少し時間かかります」

魔女「ふむ、そうか! 遠いのか。それはちょうどいい」フフン

男「何で嬉しそうなんです?」

魔女「ふふふん。キミは私が誰なのか忘れているようだな!」

男「魔女……ですよね?」

魔女「偉大な魔女だ! そしてこれは箒!」バーン

男「……まさか、飛んでいくとか言わないですよね?」

魔女「何を言う。魔女が飛ばなければ他に何が飛ぶというのだ」

男(鳥とか飛行機とか)


魔女「キミくらいだったら私一人で十分にささえられる。しっかり掴んでくれるな?」

男「え、あ、は、はい」

男(え、どうするの、コレ? 飛ぶって言っても、ただの箒だし)

魔女「ふふ。そう緊張するな。私の箒捌きには、なかなか筋があるとおばさまも言っていた」

男(やる気満々……本気だ。まさか)

男(まさか、この子……?)

魔女「よし、箒!」シュイン


魔女『きいいいん。飛んでる、私飛んでるぞ!』

箒を股の間に挟み、ちょこちょことした動きで歩いていく彼女。

魔女『ほら、どうした? キミも!』

男『き、きいいいいん』

それに引っ張られながら、飛ぶ真似をしながら歩いていく成人男性。
街中を。奇異の目で見られながら。


男(これをやるつもりじゃあ……)

男(さ、さすがにそれは恥ずかし過ぎるぞ……!)

男(いくらハロウィンとは言え……!)


男「……待った」ガシッ

魔女「どうした? 忘れ物か」

男「いえ、違います。一緒に空を飛ぶのはまたの機会にしましょう」

魔女「どうしてだ? そちらのほうが早いし楽だぞ」

男「それは、そうなんでしょうが。あえて、ね。あえてですね、ここは歩きを選択しようかな、と」

魔女「なぜだ?」

男「特に理由ってほどの理由はないんですけど」

魔女「……?」

魔女「まさか」ハッ

魔女「も、もしかして……キミは……」

魔女「キミは……」


魔女「もしかして、私と手をつなぐのが嫌なのか……?」シュン


男「え、えっと。実はですね、ご存知ないと思うんですが。僕の国ではですね、むやみに人前で空を飛ぶことは禁止されているんですよ」

魔女「! そうなのか?」

男「え、ええ。色んなものが飛んでたりするでしょう? この国。だから危ないですしね」

魔女「すまない、そのことは知らなかった。……私は、知らないことばかりだな」

男「それは仕方ありませんよ。こちらに来たばかりですし」

男「それに知らないからこそ、楽しいってものじゃないでしょうか?」

魔女「……そうだな。ありがとう」

男(……何とか乗り切ったが、残念そうな表情を見ると心が痛む)

男(……)

男(いやいやいや。違う違う。彼女はなり切っているだけだぞ)

男(まったく、僕は)


映画館

魔女「面白い絵がたくさんある……なるほど、ここは画楼か」フム

男「違います」

魔女「違ったか!」ニコニコ

男(楽しそうだな)

魔女「ではここは一体……む!? この香りは」クンクン

男(ポップコーンか)

魔女「ふむ……食べ物のよう、だな……」ジー

男「……」

男(朝食とったばかりなんだけど)

男「……あの、もし食べたいんだったら、頼みます?」

魔女「え、よ、良いのか!?」

男「でも、お腹に入ります? さっき食事したばかりで、あんまり食べられないんじゃ……」

魔女「心配いらぬ。私は偉大な魔女だからな!」フフン

男(魔女って燃費が悪いのかな)

魔女「よし、それでは! この特別甘そうなのが良い!」

男「キャラメル味ですね」

魔女「うむ。それだ、きゃらめる味をくれ!」

「ありがとうございまーす」


男(それで今から上映されるのは……)

男(リバイバル……この作品か。名作中の名作だな)

男(白黒の古い作品だけど、いいかな?)チラッ

魔女「なかなかこの味は……病み付きになるな」モグモグ

ポップコーンを目一杯ほお張っておられる。

男「ま、いいか。行きましょう」

魔女「ぬ。もう行くのか? これを食べに来たのか?」モグモグ

男「今からが本番です。……館内の規則は守ってくださいね」

魔女「任せておけ。規則は守るものだと知っているぞ」

男(……あ、映画が始まる前に食べきりやがった)


男「そうですね、なんて言ったらいいんだろう。つまり……」

男「席に座って。あの壁に映る劇を鑑賞するための施設です」

魔女「そうか。劇を観るのは好きだ」

男「それは良かった。内容も気に入るといいんですが」

魔女「どのような話なのだ?」

男「無数にある作品の中でも、非常に名高いものです。こことは違う場所の話なんですが――」

魔女「ほうほう」

男(……そういや何の希望も言われなかったからこれにしたけど。もし観たことあったらつまらないかな)

男(って言っても確認しようがない。映画なんて観たことがないハズの設定なんだし……)


男「そんな感じでして……まあ後は観てのお楽しみということです」

魔女「キミは期待をさせることが上手いな。胸が高鳴ってきたよ」

胸をおさえるような仕草をした。

男「ぼ、帽子はとっておいたほうがいいかもしれないですね。後ろの人が観えづらくなるかもしれません」

男(ガラガラだけど)

魔女「分かった」

スポッという擬音が似合う調子で、彼女は三角帽を脱ぐ。
そのまま空席だった隣に置いた。


上映中

男「……」

男(僕は何度か観たことがあるが)

男(観てて楽しいな。何て言っても圧倒的にヒロインが魅力的なんだ)

男(……どんな反応してるんだろ)チラッ

魔女「……」

男(没頭してらっしゃる)

男「……」

帽子をとった彼女を見るのは初めてだったが、それだけで随分印象が違うように見えた。
作中のヒロインに合わせ、彼女の表情も喜んだり困ったりする。


……

男(このラストシーンがなんとも切ない)

男(決して口にすることのできない想いが、ヒロインの表情や声やそういったものに表れてて)

男(いいな。やっぱりとても良い映画だ)

男(……)

男(っと。ちょっと切なくなってしまった)

男(……どうかな?)


あまりにも静かなので、隣をうかがうと。
彼女は静かに涙を流していた。


男「は、はい。どうぞ」

魔女「……ありがとう」チーン

心配した係員さんが持ってきてくれたティッシュを、彼女はほとんど使ってしまった。

男「よほど、その。感動されたんですね」

魔女「うむ。最後のあの場面。あの言葉を口にするとき、彼女にどれだけの想いがあったかを考えたらな」

魔女「私には彼女の気持ちが特別によく分かるのだ……うう」

男「は、はい、どうぞ」

魔女「……あんまり泣き顔は見られたくなかったのだが」チーン

男(出来るだけ違う場所見ておこう)


魔女「すまぬ。ようやく落ち着いたようだ」

魔女「よもやキミにこのような姿を見せることになるとは。考えてもいなかった」

男「そこまで感動したなら、この映画を観て良かったですね」

魔女「ああ。素晴らしいものであった。私も今までいくつかの劇は観てきたが、ここまでのものにはなかなか出会えない」

魔女「城ではそもそもあまり観る機会もなかったがな……」

魔女「そうだ! あの役者に会えないだろうか? この感動を与えてくれたことを感謝したい」

男「……ちょっと難しいですね」

レスありがとうございます。続きは夜です。


魔女「……あの場面は驚いた。本当に手を食べられたのかと思ったぞ」トコトコ

男「あはは。印象的ですよね」

感想を話しながら、映画館を後にしたときだった。

魔女「ふむ。キミはもしかして、ああいったような……む?」

男「?」

魔女「あ!」

男(あれは……)

彼女の視線の先には、彼女と似た格好の魔女と……あれは吸血鬼?
これからどこぞのハロウィンイベントにでも向かうのだろうか、高いクオリティだ。

魔女「何だ、この国にも魔女がいたか」

安心したような、少し残念なような表情を浮かべた。

魔女「そうか、この国はあんな装いをするのだな。私たちの国とは少し違う」

男(確かになかなかセクシーだな、あのお姉さん)

魔女「!? あの隣にいるのは……吸血鬼!? 馬鹿な? もう太陽が昇っているのだぞ!?」

男(えっと)


魔女「太陽の下でも活動できるという超越種か!? 伝説にしか聞いたことがない!」

男(迫真だな)

魔女「もしや、あの子はしもべとされているのか! これはならぬ、助けねば!」シュイン

男「ま、待った待った」ガッ

魔女「なぜだ!? なぜ止める?」

男「他の人を巻き込むのは、ちょっと」

男(あの二人、急いでどこかへ向かっているみたいだし)

魔女「巻き込む!? しかし捨て置けん!」

男「ま、待った。あの、ハロウィンだからって、あまり調子に乗りすぎるのも良くないですって」

魔女「……はろうぃん?」

男「え?」


魔女「はろうぃん……」

男(今日はハロウィン。で、彼女はたまたまこの日に異世界からやってきた魔女、という設定)

男(頭が混乱しかかったが、整理すると単純だな)

男(彼女はこっちの世界のことは何も知らないわけだから、ハロウィンも知らないのが正解か)

魔女「……」

魔女「そうか。はろうぃん。今日はその仮装のお祭りの日だったのか」

男「ええ。いつもと違う格好に変装して楽しむんです。皆がみな仮装するわけではないですが」

魔女「なるほどな。そういう、ことであったか……」

魔女「……」

男「どうかしました?」

魔女「……いや。何」

魔女「あえて違う種族の仮装をすることによって、垣根を越えた集まりができるというわけか。素晴らしい試みだ!」

男(多分違う……)

魔女「……しかし私も、変な日に来てしまったものだな」

ぽつりと呟いた。


太陽が高くなってくるにつれ、街中に現れるモンスターも続々増えていった。
近頃はアニメや漫画のキャラクターのコスプレも増えてきたみたいで、僕には良く分からない仮装も多い。
彼女はそれを嬉しそうに見、はしゃぎ、そして声をかけることすらあった。

魔女「ほう……。これはなかなかの出来だな。もしや、吸血鬼の知り合いがいるのではあるまいな?」

魔女「ふふふっ。それがあの南瓜野郎の仮装のつもりなのか。知られたら奴ら怒るぞ? ふふふふふっ」

魔女「む? これは……なんだ、本物の魔女か。仮装かと思った」


逆に彼女に声をかける人も少なくなかった。同じ趣味の方から見ても、彼女の仮装は非常に素晴らしいものらしい。
会話の中でのそのキャラクターにブレはなく、それが一層彼女の評価を上げていた。

魔女「箒か? こいつはな、西の大魔女から直々に教わって作り上げたのだ。凄いだろう? ……まあ、時間はかなりかかったのだが」

魔女「この外套は、私の宝物の一つだ……尊敬している師から頂いたものだ」

魔女「……。あまりそうじろじろ見るな。……キミのことだ!」

男「善処します」


たまに連絡先を聞こうとする輩もいたが、彼女はそれをそのキャラクターで回避し、あるいは助けを求めた目で見られ、僕が割って入ることもあった。

やはり自分の作り上げた魔女を披露するのが嬉しいのだろうか?
彼女は笑顔を絶やさなかった。

魔女「はろうぃんというのは楽しいものだな!」

男(……だけど、どうしてだろう?)

男(少し無理にはしゃいでいるように見える)


男「何か気にかかることでもあります?」

魔女「えっ?」

男「いえ。何となくですけど」

魔女「……そう、見えるのか? いや、気のせいだろう。私は楽しい。とてもな」

男「そうですか、ならいいんです」

男(何言ってるんだ、僕は。会ってまだ時間もたってない。彼女のことなんて何も知らないっていうのに)

男「すいません、変なこと言いましたね」

魔女「いや。ただ、そうだな。少し品がなかったかもしれぬな。はしゃぎすぎたかもしれない」

魔女「でも今日ははろうぃんだろう? お祭りだろう? お祭りは楽しいものだろう?」

魔女「私はこの時間を楽しみたい。欲張りだからな」

魔女「時間は有限だ。楽しまぬと勿体無い。でないと一日などすぐに終わってしまう」

その場でくるりと一回転した。マントがひらひらと舞う。

魔女「キミも、楽しんでくれているといいのだが」

口元は笑っていたが、満面の笑みには見えなかった。


男「僕も? それは、もちろん――」

「お姉ちゃん、その魔女の格好かっけー」

感嘆の声に振り向くと、小さなお化けがそこにいた。
小学生くらいだろうか。白いシーツに穴を開けただけの、簡単な仮装だった。

魔女「む! そこにいるのは幽霊か!」

「うん。そうだよ。おばけだ。ユーレイだ!」

魔女「おのれ! もしや人に悪さをする気か!」

「へっへっへ。皆にいたずらしてやるー」

魔女「そうはさせんぞ!」


彼女は目配せをすると、僕に箒を預けてきた。

魔女「いたずらの霊とは、なんと恐ろしい! 絶対に防いでやる!!!」

綿布製の可愛い幽霊を追いかけ回す。

「いたずらって楽しいもーん」

魔女「決していたずらなどさせぬ! この世界がいたずらばかりになっては大変だ!」

きゃっきゃっとはしゃぐ魔女とお化け。


「じゃねー。魔女のお姉ちゃん」

一通り動いて満足したのか、お化けは友達の家へ行くと告げて去っていった。
彼女は楽しげに手を振る。

魔女「ふふふ。子供が楽しそうなのはいいことだな」

男「そうですね。こっちも楽しくなる」

男(……僕も子供のころは、あんな感じだったのかなあ)

その頃はハロウィンなんてよく知らなかったが、ごっこ遊びはよくしていた気がする。
空想の世界で遊ぶのが好きだったのだ。


魔女「さて、次はどうする? どこかキミが行きたい場所なんてないだろうか?」

男「え? 僕が行きたい場所ですか? ええっと……」

男「……」

男(僕が行きたい場所……したいこととか……)

男(何かあったかなあ)

良い案が浮かばない。


男(そう言えば最近、あのお化けの子みたいに思い切りはしゃいだことなかったなあ)

男(仕事しかしてないし)

男「……」

男(あれ、前にいつ遊んだか思い出せないぞ)

男(最近って程度じゃなかった。ずっとだった)

男「……」

男(僕は一体何を……)


随分と沈んだ表情になっていたらしい。

魔女「あ……」

魔女「もしかしてキミに無理をさせているのかな。すまない。キミの負担も考えずに」

魔女「私は自分が楽しむことばかりを考えていて……」

あらぬ誤解をさせてしまったようだ。

男「いえ、僕は……」

彼女の姿を見た。
黒い三角帽に黒いマント。
お伽の世界から来た魔女。



子供の頃。
僕はずっと、そういった世界を夢見ていた。

飛空船で空を駆け、騎士となって冒険する。
ドラゴンを撃退し、悪い魔女と対峙する。
囚われの姫を救い出し、僕は城へと向かうのだ。


自分が今もスーツを着ていることに気がついた。
せっかくのハロウィンだというのに。

どうせ乗りかかった船だ。
いっそ飛空船で飛ぶのも楽しいかもしれない。


男「いえ、少し悩んでいただけです。僕が行きたい場所。今思いつきました」

魔女「そうか? ならばそこへ向かおう」

男「そうと決まれば急ぎましょう。時間は待ってくれないですからね」

魔女「……! ああ、そうだな! 急ぐぞ! ……ところで、どこへ行くのだ?」

男「とりあえず、なんですが。装備を揃えたいと思って」

魔女「……装備?」


貸衣装屋

男「せっかくのハロウィンですからね。僕も仮装しようかなって」

魔女「……」

男「あなたが言っていた通り、僕も楽しみたいと思ったんです、が……」

魔女「……そう、か」

男(なぜか反応が重い)

男「ど、どんなのがいいですかね? 僕だとゾンビとか吸血鬼とか」

魔女「……騎士が良い」

男「え? き、騎士ですか? ハロウィンには少し合わないような気が……」

魔女「騎士が良い」

男「最近の風潮はかなり寛容みたいですけど。僕には少し格好良すぎるような」

魔女「いや、キミに似合おう。私が保証する。騎士にしよう」


男(結局押し切られて、騎士になることになったが)

男「……うーむ」

男(騎士の服にも結構種類があるなあ……どれを選ぶか……)

魔女「悩んでいるのだな」

男「こういうの選ぶの苦手なんです。自分に何が似合うかあんまり分からないんですよね」

魔女「ならば私が見立ててやろう。キミに似合うものをな」フム

男「あんまり派手なのはやめて下さいね」

魔女「大丈夫だ! 私に任せておけ!」


男「……」ガシャンガシャン

魔女「どうだ? なかなか男前だぞ?」

男「いや、フルプレートですけど、これ。前も見にくい」ガシャンガシャン

魔女「そうか……。突然魔物が襲ってきても大丈夫だと考えたのだが……」シュン

男「この国では襲ってこないです」ガシャンガシャン


男「……」ギシギシ

魔女「これならいいだろう?」

男「痛っ!? 食い込む食い込む! チェ、チェーンメイルが食い込んで痛いです!」ギシギシ

魔女「動きやすさと防御力を兼ね備えた装備なのだが……」シュン

男「防御力は気にしなくていいです……」ギシギシ


男「……」グラグラ

魔女「やはり急所は重点的に守らなくてはなっ!」

男「て、鉄兜は想像していたより重い……。く、首にダメージがああ」ゴキッ

魔女「頭だけは守れるようにしなければと思ったのだが……」シュン

男「……一旦、襲われることは忘れましょう……」


魔女「……すまない。正直に言うと、私は騎士のことはあまり知らぬのだ。遠くから見るだけだったからな」

男「いえ。でも、なかなかだと思いますよ。僕が選ぶより良いと思います」

魔女「そうか!? よし。なら、もう一度だけ」


男「……」ジャン

男(軽装の騎士といった格好だ、腰には剣までついている。鞘から抜けないけど)

魔女「動きやすく、それでいて私の趣味で選んだつもりだ。どうだ?」

男「洒落てるし軽快だ。いいですね、これ」

魔女「それに外套もある……ふふふ」ファサ

男「?」

魔女「分からないか? おそろいだ、おそろい!」クルクル

男「そ、そうですね」


魔女「もちろん最小限の守りはできるしな。良い選択ができたようだ」

男(やはり守りだけは譲れないのか)

男「ええ。さすがです……ん?」

男(おぉ。キミ、結構値が張るみたいだねえ……)

男「あの……やっぱりこれ……」ボソボソ

魔女「うむ。さすが私の見立てだ。これなら、近衛騎士としても見劣りするまい!」フフン

男「……」

男(とびきりご機嫌であられる)

男「……ええい!」


初めての仮装は少し緊張したが、街行く人は結局皆彼女を見ていた。
それが格好の奇抜さによるものではなく、彼女の振りまく愛らしさによるものだとようやく気がついた。

彼女は僕の少し先をたたと早歩きしては振りかえり、にこにこと僕が追いつくのを待った。

魔女「遅いぞ! 時間は待ってはくれぬ! それは、どこでも同じだ!」

今日は以上です。


家電量販店

魔女「何だあれは? 奇妙な形だ……この店は一体?」

店頭に並ぶ高性能掃除機が彼女の気を引いたようだ。
どうせだからと入ってみることにした。
さすがにこの場所で魔女と騎士は少し浮いたが、気にしても仕方がないと割り切る。


男「これですか? 部屋に置いておくだけで、勝手に掃除してくれるんですよ」

魔女「働き者だな! これが私の部屋にあれば、私も説教を聞かずにすむな」

男「部屋散らかっているんですか?」

魔女「……。あ、あれは何だろうか? 行ってみよう!」

男「……おや?」


魔女「この箱が冷えるのか?」

男「食糧をこの中に入れて保存するんです」

魔女「似たようなものが私の国にもあるぞ」


魔女「これは何なのだ?」

男「この中に食べ物や飲み物を入れると、温まって出てくるんですよ」

魔女「何とまあ」


魔女「ああああああああああああああ゛」

男「だ、大丈夫ですか?」

魔女「むぅ。ぐいぐい背中を揉まれたが……よく分からないな。こんなものが必要なのか?」

男「みんな疲れているんですよ」


魔女「む。また知らぬ魔女かと思えば、映っているのは私ではないか」

魔女「そうか、これが私を映しているのだな……?」

魔女「……。……」クルックルッ

カメラの方向にくるくる回る。

男「何しているんです?」

魔女「うむ。どの角度から私を見れば、偉大な魔女らしく見えるかと思ってな」

男「どこから見ても魔女らしく見えますよ」

魔女「そうだろうか……。む! この角度は良いようだな」

魔女「どうだ? この角度」クルッ

男「あー。偉大さが増してますね」

魔女「うむ。これからキミが私を見るときは、この角度を優先するように」


昼食はオープンカフェでとることに決めた。
彼女は飲み物にミルクココアを頼んだ。

魔女「あ……」

それまで楽しげにしていた彼女だったが、運ばれてきた食事にそれを見つけて表情が固まった。

男(……グリーンピース?)

魔女「こ、こいつはこの国にもいたのか……」ゴクリ

男「もしかして苦手なんですか?」

魔女「……いや。別に食べられないことはない。もちろん大丈夫だ。私は偉大な魔女だからな」

魔女「が、そうだな。あえて食べようとは思わないだけだ。大した栄養もなさそうに見える」

魔女「その形や大きさもな、私はどうかと思うぞ。ころころと転がっては非常に食べにくい」

魔女「もちろん決して食べられないことはない。この私が好き嫌いなどと」

魔女「あくまでも客観視された正しい意見だ」

目をそらしたままだった。そのまま矢継ぎ早にまくし立てる。

男「……」

魔女「まさかキミは疑っているのか? 失敬だな!」

男「何も言っていないですけど」

魔女「このような小さきものに私が心惑わされるとでも?」

男「では、どうぞ召し上がって下さい。きっと美味しいですよ」

魔女「……う」


男「……」

目をそらし続ける彼女を見つめた。

魔女「……」

男「……」

魔女「……すまない。本当は苦手で食べられないんだ」シュン

男「っくく、ははははは。別に謝らなくても、顔を見れば分かりますよ」

魔女「む……キミはいじわるだ」

男「無理して食べなくても。こっちのサンドウィッチ食べましょう」


魔女「この味は、私がよく食べているものと近い気がするぞ」モグモグ

男「でしたら、違うの頼んだほうが良かったかもしれないですね」

魔女「いや、これでいい。近い部分があると知るのも楽しい」モグモグ


天気がよかった。秋の柔らかな日差しが、辺りを暖めている。
見ると何匹かの猫が、ごろんと気持ちよさそうにひなたぼっこをしていた。

男「……どういうところなんです?」

魔女「ん?」

男「あなたの国の話です。魔法の国なんですよね? 良ければ、話が聞きたい」

少し驚いた後、彼女はとても嬉しそうに微笑んだ。


いくつかの話から見えてきたのは、魔女や騎士が存在しドラゴンが炎を吐く、まさにそのものの世界だった。
モンスターのような害敵もいるものの、彼女の国では平和が守られ、そして彼女はその国を愛していた。

魔女「君臨しているのは王とはいえ、何でもできるというわけではない。制限されることも多い」

男「そうなんですか。お姫さま……王女はいらっしゃるんですか?」

魔女「む。キミはそのようなことが気になるのか? ……まあよい。王女はいる」

男「悪者に囚われているとか?」

きょとんとした。

魔女「ふふふ。他の国でそのような話を聞いたことはあるが。私の国ではそんなことはないよ。あまり外には出られないようだがな」

男(囚われの姫はいないのか。少し残念な気もする……というのは変かな?)


男「飛空船?」

魔女「ああ。と言っても、無数にあるわけではない。王室や軍が所有する数隻のみだ」

男「……凄いなあ。一度でいいから乗ってみたい」

魔女「そうか。……もしも、将来。キミが私の国に来ることがあったら乗れるようはからってやろう」

男「それは夢のような話です。ありがたい」

彼女は微笑んだ。

魔女「そうだな。夢のような話だ」


黒猫「にゃあ」

見ると、さっきまでひなたぼっこをしていた黒猫が、彼女の足元にちょこんと礼儀正しく座っていた。
妙に絵になる。やはり魔女と黒猫だからだろうか。

魔女「ふむ。何か私に話があるのか?」

黒猫「にゃあ」

魔女「む。何と……。まさか」

黒猫「にゃあ」

魔女「お前たちの組織網もあなどれんな」

黒猫「にゃあ」

魔女「そうか、それは助かった。覚えておこう」

黒猫「にゃあ」シュタッ


男「なんて言ってたんです?」

魔女「え!? う、うん。えーとな、そうだな、挨拶をしておきたかったと」

男「はは。礼儀正しい猫だったんですね」

黒猫「にゃ」

男「え? 今度は僕に?」

見ると足元にいた。

黒猫「にゃあ」

男「ええっと。何、かな?」

魔女「『失礼のないように』と言っておる」

男「ああ、そうなんですか」

魔女「ん、それから……『キミはとても素敵だ』とのことだ」

男「お前そう見えるんだ?」

黒猫「にゃ?」

魔女「……」

ふと顔を上げると彼女は明後日の方向を見ていた。

次は夜…か明日でせう。では。


遊園地

ハロウィンのおかげで、モンスターの襲撃を受けたかのような光景だった。
ここでも彼女は注目の的になりかけたが、彼女の興味はもっぱらアトラクションに向けられた。


魔女「よし、次はあれだ! 次はあれに乗るぞ!」

男「え、すぐに、ですか?」ヨロヨロ

絶叫系はどうだろうかと思ったが、予想に反してお気に召したようだった。
初めは怪訝な表情を見せていたものの、すぐに楽しくなったらしい。
曰く、箒に乗る感覚に似ているとのこと。

魔女「変に曲がりくねっているな。どんな感覚になるんだろうか」ワクワク

男「……さ、さあ、どうでしょうかね」

帽子が飛ぶといけないので、まだ後ろで順番を待っている小さな女の子に被せていた。
女の子は魔女になったと嬉しそうにはしゃぎ、母親が箒も預かってくれた。


男(そろそろかな……お)

彼女が出口から出てきた。
僕は見学である。寒いのは苦手なのだ。寒いというより凍えるってほどだと思うが。

男(マイナス三十度の世界はどうだろうか)

魔女「……む? 終わりか?」

男「どうでした?」

魔女「いや、そうだな。その、少し、迷ったかな……?」

男「へ?」

魔女「……すまぬ。正直に言うと、面白さがあまり良く分からなかった。すまない……」

男「い、いや! 謝ることじゃないですよ。そっか、あんまり面白くなかったかー」ハハハ

男(そういえば、昨夜会ったときも平然としていたな……寒いのは得意なのか?)


……しくじった。

男「あの、大丈夫ですか……?」

魔女「少し驚いただけだ……平気だ」

お化け屋敷。
大丈夫だろうと高をくくったのが良くなかったのだろうか。

魔女『何が出てくるのだ、ここは……!? あ……』

そこが何のアトラクションなのか、理解した瞬間彼女の表情は強張った。
道中は僕のマントをぎゅうと握り締め、俯いたままだった。できるだけ急いだ。

魔女「よい。気にするな。これは私の問題だ」

顔が青白い。

男(ハロウィンということで力を入れた特別仕様だったみたいだし)

男(もっと慎重になればよかった)

男「少し休憩しましょうか」

魔女「いや良い。大丈夫だ。次は、あれに行こう」

おずおずとそれを指差した。

男「え、あれ……ですか?」

魔女「……すぐ、行こう」


男「……」ゴクリ
魔女「ふふふ。心が躍るな?」

高い。高い。地面が遠い。遠い地面。
大丈夫だろうか。何だか少しベルトが緩い気がする。

男「こ、こういうの好きなんですね? ま、まあ。僕も嫌いじゃないですけどね?」
魔女「む? 楽しいだろう? しかし、もしやキミは……」

「じゃ行きますよー5、」

男「ちょ、ちょ、ちょちょちょと。ちょっとだけ待ってもらっていいですかね!?」
魔女「そう心配するな。万が一のことがあっても、私が掴まえてやろう。キミが地面に激突してぺしゃんこになる前に」

男「た、頼みましたよ」
魔女「頼まれた!」

男「……万が一のことなんて、ありませ
魔女「よし。

ガシャン

男「おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ
魔女「あはははははは


……

魔女「とりっかとりーとはどういう意味だ? 皆が口々に言っていた」

休憩所にて、インターバルの重要性を実感していた僕に、彼女が問いかけた。

男「とりっかとりー? ……ああ、ハロウィンの」

魔女「今日の日のお祭りだったな。関係があるのか?」

男「お菓子くれないといたずらするぞ」

魔女「?」

男「そういった決まり文句なんです。ハロウィンの日。子供が仮装をして、色んな家を訪ねて歩くんです」

男「そこで大人に向かってそれを言う。いたずらをされたくない大人は」

魔女「お菓子を差し出す」

男「そういうことです」

魔女「随分と面白いことをするのだな。よし。うしし」

爛々と瞳を輝かせている。


魔女「とりっかとりー!」

男「……」

魔女「と、とりっかとりー!」

男「……」

魔女「お、お菓子くれないといたずらするぞ!」

男「どうぞ」

魔女「いじわるするでない」ムゥ

男(つい、したくなる)

魔女「む。そういうことなら、次はあれだ。空をぐるぐる回る船に乗ろう!」

男「う……」


比較的小さい規模の遊園地ではあったが、観覧車は結構高くまで上昇する。
徐々に広がっていく景色に、彼女はいたく感動したようだった。

魔女「……美しいな」

彼女は一心に見つめていた。
まるで二度とこの景色を忘れぬように、と。

魔女「私の国の風景も美しいんだ」

男「それはいつか見てみたいものです」

魔女「キミもきっと感嘆の声をあげるに違いない」

太陽は大きく傾いていた。
彼女の黒い三角帽や黒いマントを、不思議な色に染めている。

男(この衣装はこんな色だっただろうか?)


魔女「あれは?」

街の景観に気になるものを見つける度に、彼女は尋ねた。

男「水族館ですね。海の動物たちや植物などが公開されているところです」

魔女「海のものを見るのか。では、あれは何だ?」

男「ええっと、競技を行ったり、それを観戦したり。そういった場所です。屋根があるから悪天候でも大丈夫なんですよ」

魔女「ふむ。あそこは? 湖のようなものが見える」

男「あれは公園。夏になれば花火が打ち上がります。たくさん人が来ますよ」

魔女「花火か、良いな」

尋ねられるままに答えた。

魔女「私が知らない場所ばかりだ」

それらの場所を周る時間はもうないように思った。
でももし訪れたなら、彼女はどんな反応をするだろうか。

魚たちを見たり、スポーツ観戦したり、花火を見たり。


魔女「もうそろそろ日が暮れるな」

ぽつりと呟いたその声が、僕を現実に引き戻した。

男「つ、次に行くところですけど、さっき考えたことがありまして」

咄嗟に言葉を口にする。

魔女「何か当てがあるのか?」

男「ずっと考えていたんですけど。そういったイベントにやっぱり参加してみるのが楽しいかなって」

魔女「……いべんと」

男「今からでも参加できそうなものがいくつかあって――」

今日は以上です、続きは明日。


「「「トリック オア トリート!」」」

店内にジョッキをぶつけあう音が響く。
選んだのは、二人でゆっくりと話ができるようなところだった。


魔女『皆で騒ぐよりも、キミと話がしたいかな……』


ポツリとそう呟かれれば、僕はそれに従うほかない。

仮装をしていない人たちもちらほらと見かけたが、
店内にはモンスターが跳梁跋扈していた。


南瓜野郎の光の下で。
悪魔が闊歩し、ゾンビが這い回る。
ゴーストはふわふわと漂い、狼男は月を眺めて。
ミイラ男が包帯を巻きなおし、吸血鬼はトマトカクテルを頼んでいた。


そして魔女は。



林檎酒を飲んでいた。


男「本当に、あの大丈夫なんですよね? お酒、大丈夫ですよね?」

魔女「何度か飲んだことがある。年齢も問題はない。キミは心配性だな……んくっんくっ」ゴクゴク

男(……何歳なんだろ)

魔女「何だ、そんな目で見て……まあ、本当は。飲んだことがあるって言っても父上のをこそっとくすねたくらいだが」ボソ

男「大丈夫じゃないですよ、それは。飲みすぎて酔っ払わないでくださいね?」

魔女「大丈夫と言っているだろう? 何をそんなに心配しているんだ? キミは」

男「酔っ払って、大きな魔法でも使われたら困りますから」

魔女「え?」

男「大騒ぎになります。それじゃ、楽しめなくなるかもしれないじゃないですか」

ビックリした顔をした。
それが次第に笑顔にかわっていき。

魔女「キミは……キミは、とても素敵だな! とても素敵だ!」

嬉しそうにはしゃいだ。


魔女「ふふふ。心配はいらぬ。何せ私は偉大な魔女だからな。自身を律することを心得ている」フフン

男「本当ですか?」

魔女「ふふ。しかし、そうだな。もしも……もしも私が。自分で望まぬ魔法を使ってしまいそうなときは、キミが止めてくれ」

その瞳が潤み、悪戯っぽい眼差しで僕を見た。

魔女「それは騎士の役目のはずだ」

男「その仕事、喜んで承りました」

魔女「頼んだぞ。よし、だったら誓いの乾杯だ!」カチャン


魔女「む、私か? 私は三十も半ばをとうに過ぎたぞ」

男「……へ?」

男(あれ? もうアルコールが回ってきたかな?)

魔女「何を驚いた顔をしているんだ……っ、そうか、もしや!? この国では法が違うのか?」

魔女「私としたことが失念していた。ここでは飲酒は何歳から許されているのだ?」

男「……に、二十歳ですが」

男(きっと聞き間違いだな)

僕も普段から酒を飲む習慣がなかったから、少し感覚が鈍くなっているのかも知れない。

魔女「二十!? 随分寛容な国だな! いや、他国の法に口を出すのも不作法ではあると知ってはいるが……まだ幼い時分から飲む習慣があるのか……」

男(うんうん。きっとそうだな。聞き間違いだ。きっとそうに違いない)

魔女「ある面で厳しいと思えばある面で寛容でもある。異なる文化に接するのは学ぶことが多く面白いな」

男(たとえそうだとしても、何も問題などないしな。うんうん)

だが確認はしなかった。


ナースゾンビ「おっとっとっと。ごめんね邪魔しちゃって」

僕たちの座るテーブルにナースゾンビが寄りかかった。

ナースゾンビ「ここ狭いからさ。ほら、あそこのエリアでダンスまで踊っているもん」

見るとスリラーを踊っているのはゾンビだ。

ナースゾンビ「ハッピー・ハロウィン? 楽しんでる?」

魔女「ああ。素晴らしい日だ」

ナースゾンビ「ふうん。魔女さんと、こっちのカレは騎士ね。お似合いね」

魔女「そう思うか?」

ナースゾンビ「ええ。とっても」

魔女「それは嬉しい」ニコニコ


ナースゾンビ「可愛い話し方をするわね。ね、あなた、どちらの出身?」

魔女「私は☪♣♬☾から来たものだ。そこの正式な魔女だ」

女性の目がちらりと僕に泳いだ。にこりと微笑み返す。

ナースゾンビ「あー、知っているわ! あの、綺麗でおてんばのお姫様がいるってところ……だったかしら?」チラッ

男(ごめんなさい、僕には分からないです)

魔女「知っているのか?」

男(あたったのか)

ナースゾンビ「ええ、飼ってる猫が言ってたの」

なかなか上手なお姉さんだ。ゾンビなのが悔やまれる。


魔女「そうか。やはりこの国にも知る人はいたか」

ナースゾンビ「彼氏さんも同じ国かしら?」

男「あ。いや、僕は」

魔女「うむ。その国に仕える騎士だ。なかなか立派であろう?」

男(彼氏でも騎士でもないんだけど)

ナースゾンビ「へえ! 幻想的な二人なのね」

男(幻想的か……)

ナースゾンビ「あ、ごめん。狼男が寂しげに吠えてるわ。じゃね、素敵な夜を」


魔女「ふむ。意外と知られているのだな、私の国も。王女のことが有名だとは思わなかった」

男「綺麗でおてんばなんですか?」

魔女「そう言われているようだな」

彼女は林檎酒の入ったジョッキを見つめた。

魔女「実を言うと、私は魔法の研究ばかりをしてきた。あまり俗で言われているようなことは知らないのだ」

男「魔法の研究……」

魔女「ああ。毎日そればかり。今日のように遊ぶこともなかった。だから、これまでに妙な振る舞いも少なくなかったと思う」

男「僕からすると新鮮で楽しいですよ」

魔女「……うれしい。とてもうれしい。ありがとう」ニコ


男「そうだ。魔法のこと聞いてもいいですか?」

魔女「魔法?」

男「ええ。僕には魔法が使えない。だから興味があって」

魔女「……」

彼女は思案したが、それもほんの少しの間のことだった。

魔女「本来、魔法は門外不出の技法だ。だが少しくらいなら、いいだろう」

魔女「私がキミに教授してやろう」

男「それはありがとうございます、先生」

魔女「……先生? 私が、先生か! ふむ。良いな、良い響きだ」


魔女「魔法とは、想いを形にする技術だ」

男「想い?」

魔女「ああ。心の中の願いや何かを成し遂げようとする意志。そういったものの力を用いて事象を起こす」

魔女「もちろんそれは誰でも持っている力だ」

魔女「例えばキミが今、そこにある林檎酒を飲みたいと思ったとしよう」

目の前のジョッキを指し示した。

魔女「キミは手をのばし、杯を掴み、林檎酒を飲む」

魔女「魔法はその代わりができる。腕を動かさずに、杯を口に運ぶことができる」

魔女「わざわざ、そのようなことで魔法は使わないがな。手で取った方が早い……んむっ」ゴクゴク


魔女「魔法の最大の利点は、その手段や過程に通常では不可能に近いものを選択できるということだ」

魔女「しかし、魔法は心のあり方が強い影響を及ぼす」

魔女「人の心は移ろいやすい」

魔女「今は林檎酒を飲みたいと思えば、しかし次の瞬間にはみるくここあを飲みたいとも思う」

男(もしかして飲みたいのかな?)

魔女「それが影響して失敗してしまう。私は偉大だから、もうそのような簡単なものでの失敗はないが」

魔女「その魔法が複雑かつ大きいものであるほど、行使が難しくなっていくのだ」

男「そうなんですか」

男(分かったような分からないような)


魔女「キミは使ってみたい魔法などあるのか?」

男「使ってみたい魔法……そうですね、何だろう。空を飛んでみたいかな」

魔女「? 何を言っておる。箒があるだろう? 魔法を使うまでもないことだ」

男「ああそうか、そうでした。うーん。だったら……」

男(何だろう、使えたら便利な魔法とか……あ)

男「そうだ、すぐに場所を移動できる魔法なんてあればいいかな」

魔女「……ふむ。であれば転移魔法になるか」


男「転移魔法?」

魔女「ああ。今いる場所から、思い描いた場所にすぐに移動できる魔法だ」

男「それは便利ですね。じゃああなたは――」

魔女「先生と呼べー」

男「じゃあ先生は、気軽に旅行ができますね」

魔女「……む。それなんだが、実は、それはできない」

男「え?」


魔女「転移魔法は、今ある魔法の中でも特別に難易度が高いんだ」

魔女「高度な技術を持っている者、あるいはそうした者の補助がなくては非常に行使が難しい」

魔女「その上で、目的地に強い心像を持っていなければならぬ。どうしてもその場所に行きたいという望みとともに」

魔女「だから見知らぬ場所を旅行したい、などという軽い気持ちでは成功しないだろうな」ゴクゴク

男「……」

魔女「? そんなに残念かな?」

男「あ、いえ……」

魔女「考えてもみよ。各々が好きな場所に簡単に行けるようになれば、社会として問題が起きよう。踏み入るべきでない場所というものもある」

魔女「先生は、そう考えるぞ」エッヘン

男「そうですか……?」

魔女「……煮え切らない顔をしているな。何か聞きたいことがあるのか?」

男「いえ。少し疑問に思っただけなんですけど」

魔女「うむ?」

男「だったら、あなたはどうやってこの国に来ることができたのかなって思って」


魔女「あ……」

彼女がしまった、という顔をしたのを見て、質問を間違えたことに気がついた。

魔女「……それは……」

男「あ。いや、すいません。分かってたことでしたね」

魔女「……え?」

男「あなたは偉大な魔女でした。聞くまでもなかったことでしたね」

魔女「……」

男「すいません、あはははは」

魔女「……、そうだな」

男(……失敗した)


慌てて場の空気を変える話題を考えたが、こんなときに限って全然思い浮かばない。

男「楽しいからついつい飲みすぎてしまいました。……ちょっと、席外しますね、すいません」

無理にでも言葉を口にしようとして、出たのは結局それだった。


化粧室

男「……」

鏡を見ると、騎士の仮装をした自分がいた。
自分が思わぬショックを受けていることに気がつく。

男(馬鹿だな、僕も)

男(まさか本当に、彼女が異世界から来た魔女だとでも思い込んでいたのか?)


『目的地に強い心像を持っていなければならぬ。どうしてもその場所に行きたいという望みとともに』

『だから見知らぬ場所を旅行したい、などという軽い気持ちでは成功しないだろうな』


彼女は、この国のことを何も知らなかったはずなのだ。


魔女『あ……』


彼女もそれに気がついたから、あんな顔をしたのだろう。
矛盾を感じたからといって、簡単に口に出すべきではなかった。


魔女の仮装。
もちろんそんなことは理解している。

ただ、彼女の話の中に見つけた小さなほころび。

それが、今日一日の時間は絵空事の上に成り立っているものだと僕に思い出させた。
今日のハロウィンが終われば、彼女の魔女というキャラクターはいなくなる。


魔法が解けてしまうように。



男「……なんてな」

僕が動揺したのは、それを意識してしまったからだ。
それほど、彼女と一緒にいることは楽しかった。


男「……戻るか」

ハロウィンが終わるまでにはまだ時間がある。

男「っ」

「っと」

出ようとして、入ってきた男性にぶつかりそうになる。
奇妙な柄のシャツを着ていた。

男「あ、すいません」

「ん? ……っは」

男「?」

僕を見ると、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「楽しいのか、それ?」

男(騎士の仮装のことか)

どう答えようかと思ったが、そのうち興味をなくした様ですれ違っていった。
服の奇妙な柄は、巨大な蛇だと気がついた。


男「……あれ?」

戻ってみると席に彼女の姿がない。
辺りを見回すが、見つからなかった。

男(どこか行ったのかな?)

とりあえず座ったが、あの特徴的な魔女の姿は見当たらない。
テーブルの上には、飲みかけのジョッキが二つ。

男(……まさか帰った?)

男(何も言わずに?)

男「……そんな」


男(さっきの質問が良くなかった? まさか、そんなことで?)

そう思ったとき。
林檎酒のジョッキに彼女の顔が映った。

「だーれだ」

視界が塞がれた。

男「……」

「む? だーれだ?」

男「……偉大で、いたずら好きな魔女」

魔女「その通り、正解だ!」

にこにこと微笑みながら向かいに座る。

魔女「さっき狼男がやっているのを見た。……? どうした?」

男「少し驚いてしまって。どこに行ったのかと思いましたよ」

魔女「私もいたずら好きだということを見せたくてな。……私には、いたずらは似合わないだろうか?」

男「誰よりも似合っていますよ」

魔女「うしし」


意気揚々と物を語り、目を輝かせながら話に聞き入り、コクコクと喉を鳴らして林檎酒を飲む。
楽しげな彼女の様子を見ながら、頭の隅で考えた。

明日には彼女は何をしているのだろうか。
箒に乗って空を飛び、魔法を使っている?

まさか。


『だーれだ』


男(……あなたは誰なんですか?)


ふと気がつくと林檎酒は空になっていた。見ると、彼女のもだ。

男「何か飲みますか? 僕はそろそろコーヒーでも頼もうかなと思っていますが」

魔女「みるくここあは置いてあるだろうか」

男「聞いてきます。待ってて下さい」


「何がハロウィンだ!! 馬鹿馬鹿しい!」

カウンターにてコーヒーとココアを待っていると、店内に怒号が響いた。
場にそぐわぬ声に振り返ると、さっきすれ違った男だ。

「くだらねえんだよ!」

ゾンビの仮装をした男性に、掴みかからん勢いで吼えている。

男(何かトラブルでもあったのかな?)

「お、お客様。当店は今夜はハロウィンパーティとの前提で、開催しておりまして」

店員に宥められるも、彼の気はおさまらない。
周囲の客も談笑をやめ、遠巻きにして見ている。


「わ、悪かったよ。そんなつもりじゃなくて」

ゾンビの男は引きつりながら、言葉を返す。
どうやらその場のノリで、ちょっかいをかけてしまったらしい。

男(こういうのが好きになれない人もいるだろうが……)

「ああ? じゃあどういうつもりなんだよ、てめえ?」

男(少し、興奮し過ぎだ)

酔った影響もあるのだろう、顔を赤くして怒っている。


そのときだった。
全身真っ黒に包まれた姿が、その場に現れた。

男「え……」

魔女「何をそこまで怒っているのだ?」

凛とした声が響いた。


「あ? 何だ、お前は?」

魔女「私は偉大な魔女だ」

「は?」

魔女「私のことは良い。今そなたが何に怒りを感じているかが問題だ」

「……そなた? 舐めてんのか、てめえ?」

魔女「そのようなつもりはない。気に障ったなら謝ろう」

「っは。何だその喋り方は。魔女になりきっているつもりか?」

魔女「……、何をそんなに怒っているのだ」

「てめえには関係ないだろ?」

魔女「そんなことはない。私もこの場に居合わせた」

魔女「関係ないと、見て見ぬ振りはできぬ」

「何かのキャラクターか? ……そういうのが癪に障るんだよ」


「このハロウィンって騒ぎを皆が皆楽しんでいるわけじゃない」

「てめえらは何も考えず好きに騒げばいいだろうが、迷惑に思う人間もいるんだよ!」

魔女「……そう、か。そうだな」

魔女「誰かの我がままに、振り回されている人もいるかも知れない。……すまない」

「っ……」

思いがけず彼女は消沈し、その謝罪の言葉に、彼は少しうろたえたようだった。
根は悪い人間ではないのかもしれない。
だが、引っ込みがつかないのだろうか。

「そ、そもそもが気に食わない。いい歳の大人が気味の悪い格好をして楽しむなんてな」

魔女「……気味の、悪い……」ポツリ


男(成り行きを見守っている場合じゃない)

だが、どうすればいい。
何とか場を上手くおさめることは出来ないだろうか。

男(このまま割って入るか? けど……)

ふと自分の腰に下がっている剣を思い出した。

男(そうか。そうだな。だが、これは……)

彼女の横顔は、心なしか青ざめているように見えた。
躊躇する時間は必要なかった。

僕が恥をかくだけで、すむならば。


男「ちょっ、ちょっと待ったああああああ」

シュタッと身を躍らせて、彼女の前に立つ。
息を大きく吸い込む。

「? 今度はなん――」

男「嗚呼! なんたる不覚! 我が主をこのような危機に晒してしまうとは!」

ぽかんとした。
僕以外の皆が。

魔女「え……」

魔女も含めて。


男「主様!? 大丈夫ですか、お怪我はありませんか?」

魔女「……え? あ、ああ。大丈夫だ」

男「この私めがみるくここあを買いにお側を離れたばかりに! ああ! 何たる失態!」

男「我が主様の騎士としてなんと恥ずべき行い! ああ! 面目ない!」

ガックリとうな垂れる。

魔女「……いや……」

彼に向き直る。

男「貴殿! 我が主に仇なすとは不届きな輩め!」

「何だお前……酔っているのか?」

かなり困惑しているようだった。よし。


男「はっ!? も、もしや貴殿、人ではないな? む! その、正体は……」

男「竜! 悪竜か!」

男「おのれ、悪竜の化身であるな。この国を侵略せしめんとは。恐ろしき竜め!」

「何言ってんだ……」

僕にもよく分からない。

が、かなり引いているようだ。

魔女「……」

……よ、よし。


男「おのれ竜め!」

男「貴殿がもしも仇なすというのならば、我が主より授かったこの剣にて――」ガッ

男「……?」

男「この、剣にて――」ガッ

男「……」

抜けない。にせものだ。

「……お前、恥ずかしくないのか?」

さっきまでの興奮はどこへやら、ひどく冷静な様子で問われた。
割とダメージを負う。

男(……かなり)

何とか微笑んで返す。


男「悪しき力を持つ竜よ。恐ろしい竜よ。来るというなら容赦はせぬ」

男「この剣が鞘から抜ければ、たちまちに――」

魔女「それは、抜けないのではなかったか……あ。す、すまない」

男「……」

「はっ。ご主人サマから心配されてるじゃねーか」

男「……。くっ、さすがは恐ろしき竜。しかし、この剣が抜けずとも!」

男「たとえ私では勝てぬとも! だが、退くわけには行かぬ!」

男「敗北に沈もうと、恥辱に塗れようと、主様だけは守り抜く! その心こそ我が剣!」

魔女「……」


「……」

男「どうした、来るのか。帰るのか。帰ろうか。もう帰りませんか。もうよろしいじゃないですか」

「ちっ……もういいよ。付き合わされてるこっちが恥ずかしい」ツカツカ

男(……はぁ)


何とか彼は去ってくれたものの、周囲のぎこちない空気はまだ流れている。
周囲の視線を感じながら、僕は続けた。

男「ご無事でしたか? 我が主様よ!」

男「助けに馳せ参じました……っ」

彼女の前にうやうやしくひざまずく。

魔女「……」

男「しかし、僅かであっても御身を危険に晒したこと、誠に申し訳ありませぬ……っ」

男「その罰、何なりと――」

魔女「よい。かまわぬ」

男「何と、ありがたきお言葉!」

魔女「……それより――」

男「?」

魔女「悪竜を撃退した手際、見事であった。……褒美をつかわす」

彼女は僕の顔の前に手を差し出す。

男「っ……」


手を取ると、その甲に軽くキスをした。

おお、と周囲から小さな歓声を聞いた。



狼男「やあやあ! 騎士さまが恐ろしきドラゴンを撃退なさったぞ!!」

ゾンビナース「さすがは騎士さま! その勇ましい剣によって主をお守りになったわ!」

狼男「二人を祝して杯を空けようではないか! 乾杯!」


……

男「さすがにやりすぎた……」

席に戻り、羞恥に頭を抱える。

魔女「恥ずかしいことなど何もない。キミは勇敢だった。とても、とても」

男「あれでは騎士というより道化です」

魔女「ふふ。分かっているよ。あの場を収めるために、わざとそうしてくれたのだろう?」

男「……上手く行って良かった」

僕の力じゃない。
あのゾンビナースと狼男のカップルが、上手に盛り上げてくれたおかげだ。

魔女「やっぱりキミは……」

とても嬉しそうに手の甲を見つめながら、彼女は言った。

魔女「キミは騎士だよ。私の騎士だ」


男「身に余る光栄です」

魔女「ふふふ。……そうだ。忠義には礼を持って応えねばなるまい。キミに私と踊る名誉を授けよう」

ダンスフロアを指し示した。

男「僕は踊れません。踊ったことがない」

魔女「何だと。それは拙いな。騎士たるもの、舞踏のひとつもこなせねばな」

魔女「よし! 私がじきじきに教えてやる」グイッ

男「えっちょっ」


彼女がその旨を店員に切り出すと、快く承諾された。
照明が少し落とされ、BGMがゆったりとした曲調のものに変わった。

魔女「まずは……、そうだな。手をぎゅっと握れ」

男「こう、でいいんですか」ギュッ

魔女「……」ホッ

男「どうかしました?」

魔女「何、少し気にかかっていただけだ。……箒で空を飛ぼうとしたとき、言っただろう?」

男「飛ぼうとしたとき?」

魔女「覚えてないならいいんだ。つまらないことだ、忘れろ」

男「あなたとこうやって手をつなぐことができて、嬉しいです」

魔女「……う。き、キミはいじわるだ……」


彼女の指示で、少しずつ簡単なステップを覚えていく。
苦労するが、彼女は熱心に教えてくれた。


男「……どうですか、こんな感じですか?」

魔女「いいぞ、慣れてきたのなら私の目をまっすぐ見ろ」

男(顔が近い)

魔女「……あまり見るな」

男「どっちですか」


ハロウィンの夜に、魔女と踊る。

さして僕は上手には踊れなかったが、それはもうどうでも良かった。

僕は魔女をずっと見ていた。
楽しそうに僕と踊る魔女を。

男(……ああ、しまったな)

そんなつもりじゃなかったのに。


目が合うと、魔女は恥ずかしそうに照れて俯いた。

男(……彼女はどう思ってるんだろう)


……

魔女「初めてにしては、上手くやっていたぞ。褒めてやろう」

男「ありがとうございます。私のようなものと踊っていただけるとは。光栄にございます」

魔女「ふふふ」

男「あはは」


魔女「……」

男「? どうかしましたか?」

魔女「う、うん。こんなことでは礼にはまだまだ足りぬと思う、が」

男「え?」

魔女「す、少し待て……」フー

男「あの、どうしたんですか?」

魔女「大丈夫だ……よし」

キッとした表情で、僕の顔を見た。
そして、目を閉じると僕の頬に軽く、口づけた。


外はもう真っ暗だった。

男「熱い」パタパタ

身体にまだ熱がこもっていた。
酔いの熱と、それから。

魔女「熱いな」パタパタ

彼女も頬を赤く染めて、それをぱたぱたと手で仰いでいた。

魔女「少し、飲みすぎてしまっただろうか?」

男「踊ることを教えていただき、ありがとうございました」

魔女「ふふ、良い。次は……、いや。キミにも、この先踊る機会があるかもしれぬ。できぬよりかは、覚えておいたほうがいいぞ」

男「努力しましょう」

魔女「うむ」


外の冷たい空気に、頭の熱が少しずつ奪われていくのが分かった。

男(『次は』……彼女と踊る機会は。もうないのだろうか……)

魔女「……そうだ」

男「?」

魔女「その貸衣装を返さねばなるまい」

男「え……」

魔女「仮装のお祭りは今日一日だけだろう?」


店に寄り、スーツの姿に戻る。
コートを羽織ったが、妙に寒い。

魔女「どうした?」

男「いえ、何だか騎士の格好に慣れてしまって。スーツ姿も妙な心持になります」

魔女「はは、そうか。だが、私はそのすうつ姿も良いと思うぞ。似合っている」

男「それはありがとうございます。ところで、あなたは――」

魔女「何だ?」

男「……いえ。あなたは寒くないんですか?」

魔女「この外套は暖かいんだぞ?」

格好を戻さないのか、という言葉をすんでのところで止めた。


もうすぐ今日が終わる。
口に出すことはなかったが、それは分かっていた。

男(そうしたら、その先はあるんだろうか)


『今日一日、私と一緒にいてくれないだろうか……?』


今日一日だけの話だった。
最もな話だ。ハロウィンは、仮装は、今日一日きりなのだから。

だけど。

男(今日が終わった、そのあとは……?)


どちらから言い出したわけでもなく、初めて出会った場所に向かっていた。
彼女をどこまで送ったらいいのか聞くべきだったのかもしれない。

男「……」

夜にも変わらず、コンビニは照明がまぶしかった。

男「……何か買いますか?」

魔女「ん? 私は、もう良い」

魔女「キミに入り用のものがあるのだったら、私はここで待とう」

男「ああ、いえ。僕は、大丈夫です」

魔女「そうか」

魔女は何かを考えているようだった。
会話も弾まず、足が重く感じられた。


男「……」

魔女「……」

男(ここだったな)

昨夜、月を見ていた僕はここで魔女に出会ったのだ。

魔女「……感謝する。今日一日、付き合ってくれて」

男(そうか、ここで終わりか)

男「……いえ。大したことはしていませんよ。どうでした? 僕の国の文化は、何か分かりましたか?」

魔女「そうか、そうだった。ふふ」

魔女「そういう体裁であったな。忘れていたよ」

彼女の口から体裁などという言葉を聞くのは、とても残念な気がした。


魔女「面白いところだったよ。私の知らないものばかりで、驚くことばかりだった」

男「まだたくさん、あなたの知らない面白いことがありますよ」

魔女「そうだろうな」

男「他にも見せたい場所が数え切れないほどあります。例えば――」

魔女「それを見ることができないのは残念だな」

男「……」

魔女「キミには感謝してもしきれない。私の我がままを聞いてくれて、ありがとう」

魔女「キミに会えてよかった。この時間を過ごすことができた」


男「いや、まだ……」

魔女「私は自分の国に帰らなければならない。そこが私の本来いるべき場所だから」

男(そんな……)

魔女「楽しかったよ。心からそう思う」

魔女「本当のことだ」

魔女「こんなに楽しい日を私は他に知らない」

魔女「ありがとう」


彼女は2,3歩前に進むと、くるりと振り返った。

魔女「それでは、ここでさよならだ」

魔女「もう二度とキミには会えないだろうが、私は今日のことを覚えておこう」

魔女「……元気で」

微笑むと、彼女は背を向けて歩き出した。


男「待った、待って下さい!」

魔女「どうした? 何か忘れ物か?」

男「僕はあなたと、まだ話がしたい」

魔女「すまない。私はキミに迷惑ばかりをかけたな」

男「僕はそういう話がしたいんじゃない」

魔女「……」

男「僕は、これからのことを話したいんです」

魔女「……今日の日のお祭りはもう終わった」

男「どうしてですか? 今日が終わってもまた明日、話をすればいいじゃないですか?」


魔女「キミにはもう会えない」

男「……!」


男「確かに、今日で仮装は終わりです。だけど、あなたが消えていなくなるわけじゃない」

魔女「……」

男「また、どこかで会えませんか? いつでも良いです」

魔女「もう、会えないと言っただろう?」

男「……それは、僕と会うのはもう嫌だってことですか?」

魔女「っ」

魔女「キミは……悪くない。非があるとすれば私のほうにある。言っただろう? 帰らなければならないと」

魔女「ここにもう来ることはできないんだ」


男「どうしてですか? 遠いところに住んでいるんですか? それとも他に、事情があるんですか?」

魔女「そうだ。私の国は、遠いところにあって――」

男「日本じゃない? 海外ですか?」

魔女「……魔法の国だと言っただろう」

男「そうじゃない、現実の話をしているんです」

魔女「……もう、やめてくれ」

男「僕が嫌いなんだったら、そう言って下さい。そっちのほうが、いっそ諦めもつく」

魔女「……」

男「今日一日だけだった。それでも、あなたの好きなことや嫌いなことを知って」

男「あなたの笑った顔や泣いた顔を見た」

魔女「……っ」


男「こんなのでお別れなんて、納得できない」

男「僕は、僕はあなたを。あなたともっと――」

魔女「やめて」

男「……っ」

魔女「……、やめなさい」


魔女「……」

長い沈黙があった。
彼女は僕に背を向けると、言った。

魔女「キミは」

魔女「いい加減に、するべきだ」

男「……」

魔女「分からないか?」 

魔女「私は、今日を素敵な思い出にしたい」

魔女「そのためには、ここで終わるべきだ」


男「そんな。僕はまだ」

魔女「……やめろと、言った」

男「けど、こんなんじゃ納得できません」

魔女「……っ」

男「こんな終りじゃ、僕は……」

魔女「……」

男「僕はまだ、あなたと――」

魔女「……、……私?」

魔女「……キミは今、私のことを言ったな?」


魔女「……私は何だ? キミは私の何を知っているのだ?」

男「……」

男「あ……」

男(それは、それは――)


魔法を使える。箒で空を飛べる。大国から正式に認定された魔女。故郷は平和な国で。
それで……。それから……。

男(これは、この話は……)




魔女「キミは私のことなど何も知らない」

魔女「キミが今日知ったのは、魔女の仮装をした私」







魔女「すべて、作り物だ」


魔女「これは言いたくなかった」

魔女「本当は、別の人と来る予定だったんだ。私は今日のために、今日を楽しむために」

魔女「この服も、道具も一生懸命揃えて。細かい部分まで考えて」

魔女「でも、その人が来れなくなった」

魔女「ずっと今日のことだけを考えていた。ずっと楽しみにしていた。それなのに」

魔女「だから。一人でも、魔女になりきって。一日中楽しもうって思った」

魔女「そのときに会ったのが。キミだ」

魔女「キミは、こんな私の演技に嫌な顔をせずつきあってくれた。だから、私も思わず調子に乗ってしまった」

魔女「楽しかったのは嘘ではない」

魔女「感謝しているのも嘘ではない」

魔女「だから、こんなことは言いたくなかった」

魔女「だからこそ、こんなことは言いたくなかった」

魔女「こんな喋り方も本当はしないのだよ。変だろう?」

顔を背けたまま、畳み掛けるようにまくし立てられた。


何を言えば良いのか分からなかった。
罵れば良いのか、泣き言を漏らすのか。

自分の感情が分からなかった。

男「……」

魔女は僕に振り返ると、告げた。

魔女「もう会うこともない。私という架空の存在は、この世界にはもういないのだから」

魔女「……」

魔女「キミの人生がより良いものになることを祈っているよ」

魔女「これは本当の気持ちだ」

魔女「……さよなら」


そして魔女は去った。


男「……」

立ち尽くした。

分かっていたよ。そんなことは。
魔女なんていないんだ。魔法なんてない。

丁寧に作りこまれた設定を、ちょっと面白そうに思ったから。
その崩れない演技に、感心したから。
だから一日中付き合ったんだ。

最悪な気分だった。

実は全部演技でした。あなたも分かっているはずでしょうなんて。
お祭りはもう終わりよ、なんて。
あんまりじゃないか。


トリック・オア・トリート。

ひどい悪戯をされたものだ。

男「……ミルクココアあげたのに」

魔女め。






こうして、僕のハロウィンは終わった。

今日は以上です。



夜道を一人で帰る。

男「あーあ。もう次の日か」

どっと疲れを感じた。思い返せば、ずっと遊んでいたのだ。
しかも騎士の格好で。

男(みっともない話だ)

のぼせ上がっていたのだろう、僕は。


ハロウィンに変な女の子と関わり合いになったと、笑い話にできるだろう。
ただ、そうなるまでにはもう少し時間が必要だった。

どれくらい必要なのか、今はちょっと予想がつかないが。


無造作にポケットに手を突っ込んだ。

男「……ん?」

何かが触れる。
取り出すと、金色に輝く硬貨。魔女から唯一もらったもの。
紛い物なのに随分と重く感じる。それを腹立たしく思った。


大きく振りかぶると、どこか遠くへ向かって――



男「……はぁ」

投げられずに手のひらの金貨を見つめた。

男「女々しい野郎だ」


男「カッコ悪いね……」

比べて金貨は良く出来ていた。おもちゃにしては随分と精巧な造りだな、と思った。




その金貨が何かの光を受けて、キラリと輝いた。

男(? 何だろう?)

辺りを見回したが、光源は見つからない。
また、キラリと輝いて。
今度はそれが何か見当がついた。

男(雷か……)


見上げたが、雲なんて一つもない。

なのにまた一瞬。空が光った。


ゴロゴロゴロ

雷の音がする。

昨夜もそうだった。
雨も降っていないのに、雷が落ちたのだ。

その後、魔女の格好をした彼女に出会った。



不意に。

自分が何かとんでもない間違いをしていたんじゃないかと考えた。


男(いやいや……)

すぐに打ち消す。
そんなことがある訳がない。

男(まさかね)

確かに、彼女の設定も演技も素晴らしいものだった。
それは事実だ。


詳細まで作りこまれ、彼女はこちらの世界のことを何も知らなかった。

それはまるで異世界からやってきた本物の魔女のようだった。


男「……」

男(想像力の働かせすぎだ、こんなのは)

あるいは自分の願望だろうか。

男(あり得ないことを信じるなんて――)

男「みっともないし」

男「……」



どうせ一日、みっともないことをしていたのだ。
この際、どこまでも。

僕は走り出す。


ゴロゴロゴロ


先ほどまでの場所に彼女は見当たらない。

男(……もう帰ってしまった?)

男(いや、もしもあの落雷が関係あるんだったら)

男(雷が落ちるまでは。まだ猶予があるはずだ)

とても馬鹿らしい考えだとは思ったが、あの雷が落ちるまでは彼女を探そうと思った。


ゴロゴロゴロ

いない。見つからない。
特徴的な黒い三角帽に黒いマント。背丈ほどもある箒。


男「……」


ウェーブがゆるやかにかかった長い髪。
爛々と輝く瞳。


芝居がかった喋り方。
ころころ変わる表情。


ゴロゴロゴロ


男(どこだ……)


雷鳴が徐々に大きく聞こえてくる。

もしも、彼女を見つけるより先に、あの雷が落ちてしまえば。
もう二度と彼女には会えないような気がした。

男(……あの雷の鳴る方向へ)



走った。


男「……っ」

息が上がる。
自分がとんでもなく馬鹿なことをしているとは分かっている。

男(けど……)

ぱしり、と何かが小さく弾けるような音を耳にした。

男「!」

近づくにつれ、空気が変わっていくのが分かる。

男(……確かあそこは、小さな公園があったはずだ)

男「……っ」


男「な……」

呼吸がし辛いほどの重い空気。風が吹き荒れ、木々は震え大きな音を立てている。
辺り一面に響く雷鳴。ぱちぱちと何かが弾けていた。

混沌とした状況の中心に、いた。

男「……っ」

彼女は宙に浮いていた。箒に横向きに乗り、その腕を空に向かって延ばしている。
黒い三角帽と黒いマントが大きくはためく。

魔女「☞☀☁☂☞☪☯☞☀☁☂☞☪☯……」

何かを一心に呟いていた。
彼女の顔はここから見えない。


男(……本当に……彼女は……)

浮いている。間違いない。

だが。

気配が一段と重くなった。
何かが起きる。はっきりと分かった。

それが起きる前に、何かを言わなくては。

男(何を? 何を言えば良い?)

ぱしい、と何かが弾け、眩しい光を見る。

男(……!!!!)


叫んだ。



男「ハロウィンは、もう終わりましたよ!!」



 


魔女の背がびくりと震えた。

男「……」

雷鳴は静まり、暴風はやみ、あたりに漂っていた濃密な気配は消えた。
空を飛んでいた枯れ葉が、静かに舞い落ちる。

魔女「……」

おそるおそる振り返った魔女の顔は、今にも泣きそうだった。

続まーす


……

しょんぼりとした様子で、彼女は公園のベンチに座っていた。
三角帽の長いつばに、顔を隠すよう俯く。

自販機で買ったミルクココアを1つ差し出すと、おずおずといった様子で手を伸ばす。
飲みきるまで、お互いに何も喋らなかった。


魔女「……おばには、詰めが甘いとよく叱られたものだ。今になって痛感する」


男「……あなたは」

彼女の肩がびくりと震えた。

男「あなたは本当に魔法が使える魔女、なんですね」

コクンと小さく頷く。


男(まさか……)

魔女「……」

男「それじゃ、あなたが言ってた話は本当だったんですか? 例えば、故郷とか……」

魔女「……ああ。それに嘘はない」

男「……」

二の句をつげないでいると、彼女が口を開いた。


魔女「……キミが驚くのも分かる」

魔女「私の国は、この世界の地図にはないんだろう?」

魔女「魔法も。魔女という存在も。全て架空のものなのだろう?」

男「……そう、です」

魔女「最初は気がつかなかった。キミと一緒に、この世界の色々なことを見聞きするうちに、それを知った」

男「だったら――」

どうしてそう言ってくれなかったのか、なんて言葉を口にしそうにして飲み込んだ。
それは、あまりにも自分に都合が良過ぎる台詞じゃないだろうか。
彼女は初めて会ったときから、そう言ってたのだ。


魔女「……キミは本当に優しいんだね」

魔女「それに比べて、私は随分と卑怯だ」

目を瞑ると、深い呼吸をして告げた。

魔女「私はキミに本当のことを言わなくてはならない」

魔女「どうしてキミに、あんなことを言ったのか」

男(仮装だと嘘をつき、もう会えないと言った理由……)

魔女「……」

魔女「私はもう、ここに来ることはできない。これは本当なんだ」

突然、周囲の温度を感じた。
今夜はこんなに寒い夜だっただろうか。


魔女「私は、魔法の力でこの場所にやってきた」

魔女「ここにいられるのは一日だけ。それが過ぎれば、帰らねばならぬ」

魔女「……そういう約束だ」

魔女「再び、ここに来れるかは分からない」

魔女「……だから」

男「仮装だと嘘を?」

魔女は目を伏せた。


魔女「……」

魔女「私の世界は、キミたちにとっては御伽噺のようなものなのだろう?」

魔女「はろうぃんも、皆それが架空だと割り切った上で楽しんでいるようだった」

魔女「そのような虚構の世界が本当に存在すると知ったところで、キミに良い影響を及ぼすとは思わなかった」

魔女「……もう、二度と会うこともないのに」

男「……」


そうかもしれない。
例えば、異世界は実在する! などと声を高らかに主張する人がいるとして僕はその人をどういう目で見るだろうか。

男(それに僕は夢見がちだ)

男(その存在に、魅せられて。振り回されて。現実が疎かになるかもしれない)


魔女「……すまない」

彼女はほとんど泣きながら言った。

男「いえ、それだったら。僕も、言っていることは分かりますし――」

魔女「違う。今のも、真実じゃないんだ」

男「え?」

魔女「今のことを考えたのも事実だ。だが。それは建前だ」

魔女「自分自身を騙すための」

魔女「キミのためによくないと、そういう嘘をついた。自分に」


魔女「キミに嘘をついた本当の理由。これを知ってしまったら。キミは私を軽蔑するかもしれない」

魔女「だが、私は言わなくてはならぬ」

男(……いったい)

魔女「私は、私は。臆病で卑怯だった。私が憧れる偉大さとはかけ離れていた」

魔女「私は……」



魔女「ただ、怖かった」

魔女「私が本当の魔女だとキミに知られることが怖かったんだ」


魔女「この世界で、魔女は架空の存在だということに気がついた」

魔女「それと同時に、そのことも知った」

魔女「……はろうぃんというお祭り。皆で仮装をするというお祭り……」

魔女「このはろうぃんというお祭りでは、恐ろしくて気味が悪い存在に仮装をするんだろう?」

魔女「この世界で魔女は」

魔女「幽霊や吸血鬼と同じ、忌むべき恐ろしい存在なのだろう?」


魔女「……キミと一緒に行ったおばけやしき、という処」

魔女「あの時、私は幽霊や魔物を恐れたのではない」

魔女「私が恐れたのは、魔女の姿。この世界での魔女たちの恐ろしい造形」

魔女「この世界で、抱かれている魔女への印象」

魔女「それを直視することができなかった」


魔女「私が仮装だと思っているから、キミも優しく接してくれる」

魔女「もしも」

魔女「もしもキミが私を本当の魔女だと知れば」

魔女「この世界にはいないはずの恐ろしい存在だと知ってしまえば」

魔女「そうしたら、キミはいったいどんな目で私を見るのだろう」

魔女「私に優しく微笑んでくれる、キミはいったいどんな……」

魔女「……」

魔女「それを考えるだけで怖かった」


魔女「私は、本当の私が、傷つくのを恐れたんだ」

魔女「だから、偽者の私が嫌われるならそれで、良かった」

魔女「……」

魔女「それが、本当のことを言わなかった理由だ」

魔女「私は自分の臆病さのために、キミに嘘をついた。キミにひどいことを言った」

魔女「とても卑怯な、行いだった。……とても。とてもとても」

魔女「謝っても、許してもらえるとは思わない」

魔女「……だが、すまない……」


男「……」

何て言えばいいのか分からなかった。
この感情を何て言えばいいのか。

自慢の外套を掴む彼女の手が、震えていた。

魔女「良い、良いのだ。分かっている」

魔女「わ、私は魔法を使える魔女だし、そのことに誇りも持っている」

魔女「こちらの世界で、忌むべきものとして扱われてても、そういう文化だと思えば仕方がない。仕方がないことだ」

魔女「……ただ、少し。キミがそうなったら少し、嫌だなと思っただけだ」

魔女「大した話ではないのだ。キミが気にすることではない」

魔女「私はただ、少しだけそう思った、だから、それで――」


魔女の小さな手に触れると、大きく身じろぎした。
おずおずと顔を上げる。

今にも涙がこぼれそうな顔をしていたが、きっ、と口を結んで僕を見た。


男「……正直に言うと、魔女ということを僕はまだ正しく理解できていないと思います」

魔女「……うん」

男「お話の世界の話だと思ってた。そんなの、あり得ないって。そんな馬鹿な話があるかって」

魔女「……」

男「だけど、さっき。ハロウィンが終わったあと。もしかしたら、って思ったんです」


男「……僕は物心ついたときから夢見がちなところがありました」

男「だけど今日はそれで良かった」

男「だから、あなたを探し出せた」

魔女「え……」



男「今。このとき。僕は思うのはたった一つです」



男「あなたが、本物の魔女で良かった」



男「だから、こうしてまた話が出来る」

男「とても、嬉しく思います」

魔女「ぁ……」


男「……これは少し、ズルいですかね?」

男「さっきまで信じてなかったクセに」


魔女「……き、キミは優しいから、そんなことを言うのだ」

男「嘘は言いませんよ、この期に及んで」

魔女「……ほ、ほんとう、か?」

男「本当ですよ」

魔女「……うそだ」

魔女「だって、私は魔女だし、ここでは嫌われてるって知ってる」

魔女「それに、私の我がままで、強引にキミに一日つき合わせて」

魔女「……それ以上に」

魔女「それ以上に私はキミにひどいことをした。あんな……」


魔女「キ、キミが優しいのは知ってるし、だから。正直なことを言ってくれてかまわない」

魔女「別に、傷つかない……そこまで、弱くはない子だし……」

男「……ハロウィンは昨日。もう仮装の日は終わった。この際、お互い嘘はなしにしましょう?」

魔女「う……」

男「たとえあなたが何であったとしても、僕は今こうしていられて嬉しいです」


魔女「そ、そんな、だって」

魔女「い、今のだって! そうだ! 今のだって! 私は、どこかで、キミに許してもらおうと思って言ってたぞ!」

男「そうなんですか?」

魔女「そ、そうだ! わ、私はズルいぞ! 卑怯なんだ」

魔女「許してくれるんじゃないかって、キミならって。ちょと期待してて、それで、そう……」

魔女「私なんて、自分勝手で、我がままで……なのに……」

男「……」

魔女「……」

魔女「……本当に、キミは嬉しい、の……?」

男「ええ」


魔女「う……」

しばらく黙ったあと。

魔女「ううう、うぇ、えぐっ」

変な嗚咽を漏らした。


ぐすぐすと泣く魔女。

魔女「私は、自分勝手でひどいやつだ。なのに、キミは……」

男「もう言わないでください。それをあなたに言われると、僕が責められなくなるでしょう?」

魔女「……ならもう言わぬ。……存分に責めてくれ。そうして欲しい」グスグス

男「! 本当にあなたは……!」

くそう、可愛い。


……

小さな手の震えは、ようやく治まったようだった。

魔女「あ……」

手を離すと、彼女は小さく声を上げた。

男「すいません。思わず」

魔女「い、いや。良い……いや」

魔女「……別に、もっと触れていてくれても良い」

男「え……」

魔女「い、いや違う! ……今のは嘘だ。すまない、もうキミに嘘はつかぬようにする」

魔女「……本当の気持ちを言おう」


魔女「……もっと触れていて欲しい」

魔女「……もっと、ぎゅっとだ」


男「……仰せのままに」


男「……ごめんなさい」

僕も謝らなければならないことがあった。

魔女「……? 何がだ?」

男「あなたを思い違いしていたことです。ずっと仮装をしていると思っていたことです」

魔女「良い。もう良い」

魔女「確かに、そのことに気がついたときは衝撃を受けた。だが同時にキミの優しさを知ることもできた」

魔女「キミは『魔女の演技をする人』にわざわざ付き合ってくれていたんだろう?」

男「いえ、それは……」

魔女「それに私はキミの思い違いを知っていて、あえてそのままにしておいたんだ。キミに真実を知らせることなんてすぐにできたのに」

そう言うと、彼女は手首を箒に向け、クイッと動かした。
何も触れていないはずの箒は、彼女の手に吸い込まれるように移動し収まった。


男「凄い」

魔女「これを見せれば、すぐに知らせることができただろうに。私はそれをしなかった……怖くて」

魔女「キミが思い違いをしていることに気がつくまでは、大っぴらに行なっていたのだがな。偶然にも、キミは目にしなかったようだ」シュイン

男「あなたを見ることで精一杯で。箒まで見る余裕がなかったんです」

魔女「……あまり変なことを言うな。私はもう泣き顔をキミに見せたくはない。……変だから」

男「可愛いですよ」

魔女「や、やめろと言った! やめろと言ったぞ!」


それから、話をした。
家族や友人たちの話。今の生活や仕事のこと。
かつての趣味や子供のころの夢。

ゆっくりと二人で話した。

彼女は僕の話に、笑ったり困ったり。
あるいは、怒ったりはにかんだりしながら、話をしてくれた。

男(……やっぱり)

本当の魔女だと知ったところで何も変わらない。
僕が好きになった女の子だった。


……

空が幻想的な色合いになっていた。
夜が明けるのが近い。太陽が近づいて、夜は去ろうとしている。

短い沈黙のあと、彼女は呟いた。

魔女「もう、行かなくてはな」

手が離れた。


男「どうしてもですか?」

魔女「……どうしてもだ」

男「もう、こちらに来ることはできないんですか?」

魔女「絶対とは言えない。だが、とても難しいだろう。いつになるかも分からぬ」

魔女「……」

魔女「私はもうここに来ることができない」


曖昧なものに僕を付き合わせるわけにはいかない。
そう考えたのか。

彼女は格好良かった。もちろん魔女の姿ではなく、彼女自身が。

男「そうですか。なら、仕方ないな。仕方がないことですね」

だから、格好つけた。せめて良く見えるように。

魔女「……ふふふふ」

バレバレなのは承知の上だ。


魔女「……実は」

男「? 何です?」

魔女「私がキミに隠していたことが、まだある」

悪戯っぽく僕を見た。

男「今は仮初めの姿で、本当は山ほどもある巨大な竜だとか?」

きょとんとした。

魔女「突飛なことを言う。……だったらどうする?」

男「肩に乗せてもらう。そのときはできるだけ乙女の肌に触れぬよう、紳士的に振舞いましょう」

魔女「ふふふ。私も変だとは言われていたが、キミも随分と変な奴だな」

そうかな。


魔女「私は……」

魔女「☪♣♬☾から来たといったが――」

魔女「固有名詞は上手く伝わらないようだな……、まあいい」

魔女「私は、その国の王女なのだ」

男「……わお」


魔女「……とても良い国だ。私は愛している。だが日々の公務に追われていた。身分ゆえ行動も制限され、外出もままならぬ」

魔女「それでも仕方ないと自分に言い聞かせてきた。だが、私もそのうち大人になる」

魔女「伴侶を、という声も聞こえてきた」

魔女「恋も碌に知らなかったのにな」

魔女「それが嫌だった。だから、西の大魔女と呼ばれ、師でもある、私のおばに相談したのだ」

魔女「おばは私にこの魔法を教え、力添えをして下さった」


空を仰ぐと、腕を空に伸ばし、僕にはよく聞き取れない言葉で何かを呟く。

魔女「☞☀☁☂☞☪☯☞☀☁☂☞☪☯……」

ゴロゴロゴロ…

遠くから雷の音が聞こえてくる。
気配は少しずつ重くなり、空気の流れが増したように感じられた。


魔女「……私が望む場所に私を連れて行ってくれる」

魔女「キミが使いたいと言っていた魔法だ」

男「転移魔法……?」

魔女「ああ。誰しもが簡単に扱えるものではない。今も、おばの補助があって行使できている」

魔女「おばと約束をした」

魔女「……一日だけ。この魔法で私が望む場所に行き、そして城に帰ってくること」


魔女「……」

魔女「私がこの魔法で強く望んだ場所。どうしても行きたい場所があった」

魔女「心から私が想った場所。それは――」

僕に振り返ると、微笑んだ。







魔女「……私が恋に落ちる相手。その人の側に行きたい」




 


魔女「キミに初めて会ったとき、すぐに分かったよ。私の魔法は成功したのだと」

魔女「まさか。異世界にまで飛んでしまうとは、さすがのおばさまも思うまい」

魔女「……ふふふ。あのとき。転移魔法について尋ねられたあのとき」

魔女「どうやってここに来れたのかという質問には困ったよ」

魔女「だって」


魔女「キミに、告白をしているようなものだろう?」

悪戯っぽく笑った。


男「……おかしな子だな、って思ってた」

魔女「知っていた。どう考えても、変な話だ。出会ってすぐに、一日付き合ってくれ、なんて」

魔女「それは私の世界でも同じだ。だけど、キミは付き合ってくれた」

魔女「何ひとつ文句も言わず。……キミは優しいな」

男「いえ、それは……」

魔女「私の『笑った顔や泣いた顔を見た』と、キミは言った」

魔女「とても嬉しい。嬉しいことだ。少し考えるだけなのに、胸が苦しくなるくらいだよ」

魔女「だけど、キミは知っているのだろうか?」


魔女「変な子だな、って私を怪訝に思ったり」

魔女「箒で飛ぶと言われて焦ったり」

魔女「……私の食欲に少しあきれたような顔をしたり」ボソ

魔女「驚いたり、悔やんだり、恥ずかしそうにしたり」

魔女「……傷ついた顔をしたり」

魔女「そして、何より私に優しく微笑んでくれる」


魔女「キミが私を見つめていたように、私もキミを見つめていた」


魔女「だから、聞きたいことがある」

魔女「……今、キミは。私のことをどう思ってるだろう?」


正直に言った。
何も飾らず、素直に想っているままを。


魔女「ふふ……ふふふふふ! そうか、私と同じだな。おそろいだ、おそろい!」クルクル


魔女「よ、よし……よし! こ、この際だ!」

男「?」

魔女「も、もう一つだけ、キミに我がままを言おうと思う」

魔女「もう一つだけだ」

男「僕にできることなら何でもしましょう。なんせ、主様の騎士ですからね」

魔女「……き、騎士じゃなくて良い。いや、今は騎士でないほうが良い」

男「?」

魔女「め、命令ではない。命令をする間柄では決してできないことだ」

男「? 何です?」

魔女「ぅ…………」

男「?」




とても長い沈黙のあと、とてもとても小さな声で彼女は言った。




恋人たちがする口づけというものを、してみたいのだ、と。


……





 
 


魔女「……本当に、お菓子のように甘いものだったとは思わなかったぞ」



そう言って、悪戯をした子供のように笑った。


ゴロゴロゴロゴロ……

雷鳴が唸る。

もう、時間はなかった。
僕は魔法を使えなかったが、それが分かった。


魔女「……時間だな」


魔女「それではな。……元気で」

宙に浮く箒に、ちょこんと横向きに乗る。

男「しまった」

魔女「?」

男「箒で空を飛ぶこと、経験しておけば良かったと思って」

魔女「なら、今からでも――」

男「次」

魔女「え?」

男「次の機会には、お願いします。そのときには手をぎゅっと握ってください」

魔女「……ああ。そうしよう、約束する」


男(魔法とは、想いを形にする技術)

僅かの間の、彼女の講義を思い出した。

彼女を中心に、世界は渦を巻いている。
そんなイメージが浮かんだ。

箒に乗り、空を飛ぶ彼女。
風が唸り、雷鳴が轟く。

大きな力が徐々に蓄積され、そして何かに達しようとしている。
それが感じられた。

彼女が振り返り、僕に小さく微笑む。

男(……ああ、もうこれで)

男(……)

男(そうだ)


魔法に負けないよう、力の限り叫んだ。

男「さっき言ってましたけど!」

魔女「?」

男「僕が優しいから、一日付き合ってたなんて言ってました!」

男「それは間違いだ!」

男「だって!」

男「僕も楽しかったんです!!」

男「あなたと一緒にいることが、とても楽しかった!」

男「僕はあなたと一緒にいたいと思った!!!」

男「だから、あなたと一緒にいたんです!」

男「一緒にいれて、楽しかった!!」

魔女「……ありがとう」ニッコリ


幸せなハロウィンだった。
……いや、今はハロウィンの翌日か。

だったら。
幸せなハロウィンと、その次の日だ。


魔女「まったく! 素晴らしい時間だった! かつて私が夢見ていたよりはるかに!」

魔女「見るものすべてが面白かった! 聞くものすべてが楽しかった!」

魔女「何より、カッコよい騎士が側にいてくれた!」

魔女「私はこの日があったというだけで、ずっと幸せになれる」

魔女「私は幸せものだな!」

満面の笑みで、ぽろりと涙をこぼした。


魔女「……さよなら」


もう少し一緒にいたかった。

いや、少しじゃ足りないか。


男「さよなら」

僕も魔法が使えたら。
そうしたら、あなたと一緒にいられるのに。


もっとずっと一緒にいたかった。







爆音が耳をつんざいた。





 


男(これが魔法か)

視界が青白く染まっていく。
青白く、青白く……

強烈な光に眩暈を覚えた。だが、最後まで見ておこうと決めた。

彼女の姿が光に埋もれる。

黒い三角帽に黒いマント。背丈ほどもある箒。
彼女が見えなくなっていく。

彼女の微笑が……


光が、視界のすべてを満たして、満たして、世界がまるで光につつまれたかのようで、
それで、天地がぐらりと
そのうち上下も分からないまま……






青白く、
青白く……





 






青白く、
青白く……





 






青白く、
青白く……





 


青白……って。


いくらなんでも長くないだろうか。
青と白は、一向に消え失せない。というか、むしろはっきりと色濃くなっている。

男(……?)

何かがおかしい。

男(この色、この色は――)

これは分かる。空の色だ。というか、空だ。白いのは、雲だ。

僕が今見ているのは空だ。
眩しいほどの光が差している。晴天だ。
晴れ晴れとした、気持ちの良い青空だ。

男(……青空?)

視点をずらすと、地平線が見え、そして大地が見えた。

男(随分と広い平野だなあ……)

さきほどからびゅうびゅうと音がする。
身体の感覚が妙だ。
ごく最近、どこかで体験したような。


色形さまざまなものが目に入った。
なんだろう、キラキラ輝くものもある。

男「おぉ……」

男(綺麗だな)


目を凝らしてみると、それが町並みだと分かった。
奇妙な形の屋根が多い。
ひと際高くて大きい建物が見える。

男(まるで城のように見えるなあ)


しかし、びゅうびゅうと音がする。うるさい。
びゅうびゅうというかぼうぼうというか。風切り音が。……風切り音?

視界の隅で何かがクネクネと意志を持ったように動いていた。
よく見れば、僕のネクタイ。踊っている。

男「……」

男(もしかして、これはとんでもない状況になっているんじゃないか……?)


自由落下していた。


男「おおおおおおーーーー!? おおおぉぉっおっおーーーーー?」

落ちている、落ちている。このままだと大地に叩きつけられてぺしゃんこになってしまう。

バタバタともがくも、ぐるぐると身体が回るばかりで、なす術がない。

男(何かよく分からないうちに死んでしまうのか、僕は?)

もちろん死ぬ覚悟なんて出来ていない。
まだ、やってないことがある。やりたいことがある。
死ぬにはまだ早すぎる。


だけど、せめて死ぬのなら。

最期に、彼女の顔をもう一度見たいと思った。
それを願った。

何かを掴もうと手を伸ばした。
その手がぎゅっと掴まれた。

魔女「……」

唖然とした彼女の表情を見た。
やっぱり死にたくないと思った。


空を飛ぶことは悪くなかった。
彼女が手を握っていたからかもしれない。

魔女「な、なな、な。何で。き、き、キミが……こ、ここに?」

男「……僕もよく分からないんですけど、えっと。今はどういう……」

魔女「……ま、まさか? いや、しかしそんな……」ブツブツ

男(僕は、まさか)

魔女「そんなことが起きるのか? いや、しかし……」ブツブツ

魔女「そうか。そ、それしか考えられぬ。いや、間違いない……」

男「……あの?」

魔女「……魔法は、想いだ。想いを形にする……」


魔女「……どうやら。どうやら。私とキミは、同じ想いを抱いていたのだ。し、しかも強烈にだ」

魔女「その強烈な想いが、キミに世界を超えさせてしまったようだ……」

えっとつまり。

今僕がいる場所は。


男「……」

魔女「ど、どうするか。どうする? とりあえずは一旦城に……」

男「……突然の無礼を失礼します」

魔女「? な、何を言って……」

男「いくつかあなたに尋ねたいことがあるんですが、良いですか?」

魔女「あ、ああ」

男「感謝します。まず、ここはどこですか?」

魔女「? 場所? 一体なにをキミは……! ……そうか、これ、は。そうか、ふふふ。……よし」

魔女「どこ、か。ここは、南のエリアの」

男「国です。まず国を教えてほしい」

魔女「国だと……? この国は、かの大国――

僕の演技に彼女は嬉しそうに応える。


男「初めての場所で、知っている人などいません」

彼女は微笑み、箒を持たないほうの手で、僕の手をぎゅっと握り返してくれる。

男「……だから、頼みがあります」

魔女「何だ?」




魔女は魔法を使うという。
それは知っている。




男「今日一日、僕と一緒にいてくれませんか?」





 

続まーす。次で終わりです。


……


自室に響く、タイピングの音。

カタカタカタカタ……ピタッ

男「行き詰まった……」

タイプする手を止めて、ネクタイを緩める。

男「この先はどうすればいいんだ……」

黒猫「にゃあ」

男「……お前に聞いてもな」

何か物を言いたげな瞳をこちらに向けたが、鳴くこともせずに所定の位置――薄型テレビの上に飛び乗ると、ごろんと寝た。

男「器用な奴だな。そんなところで寝るとは」


締め切りが近い。また嫌味を言われるかもしれない。

男「休憩入れるか……ん? 留守電入ってる。母さんか」


『年末年始はどうするの?』

『忙しいのかもしれないけれど、たまには帰って顔見せてね』


冷蔵庫を開けて、飲み物を取り出した。
電子レンジに入れて、温める。

男「……甘い」

あれからどれくらい経ったのだろうか。
思えば短い間の出来事だったのだ。あの日のハロウィンと、その翌日。

男(あれから僕は日本に戻って、それから……)

コンコン

思考を遮ったのはノックの音だった。

男「はい、どちら様ですか?」


ドアを開けるやいなや。

童女「とりっかとりー!」

爛々と瞳を輝かせている。
ピンク色のワンピースに身を包み、嬉しそうに僕に手を差し出した。

童女「とりっかとりー!」

男「何の御用でしょうか?」

童女「うしししししし。お菓子をくれなきゃいたずらするぞ!」

男「お菓子はないから、いたずらしていいぞ」

童女「む、むぅー」

頬をぷくりと膨らませる。くそう、可愛い。

男「どうしたどうした、いたずらしないのか?」


童女「マーマ! パパがイジワルする!」

魔女「だったら、パパのちい飛空船にいたずらするしかないな! 仕方ない!」

橙のチュニックを着た彼女は、娘の後ろで楽しそうに微笑んでいた。
そして僕の部屋の中をぷかぷかと泳いでいる、小さな飛空船を指差す。
船首に取り付けられた金貨がぴかぴかと輝いている。

男「ま、待てっ! それは駄目だ。こっちからもあっちからも、材料集めて作ったんだぞ!」

童女「うしし。お菓子がなかったらいたずらしていいもーん!」

男「くっ。し、仕方あるまい。コレを渡すから、僕の飛空船に手を出すのは止めてくれ!」

童女「あ、ばあばの! かぼちゃきんときだぁーうししししし。いただきます!」


魔女「調子はどう?」

男「ちょっと行き詰まってて。そのまま書けばいいだけなんだけどね」

黒猫「主。先ほど言われたことを今まで考えていましたが、やはりここは猫を出すべきではないでしょうか」

男「お前はいっつも猫を出したがるよね。だから聞いても意味がない」

黒猫「何を。我輩と主の故郷では、かつて我が一族が語り手である有名な作品が――」

男「はいはい」

黒猫「にゃあ」


男「そう言えば、母さんが孫の顔見たい見たいってうるさいんだ。この前帰ったばっかりなのに」

魔女「孫というものはすぐに見たくなるものらしい、仕方あるまい。私の父も同じだろう?」

これは勅令だ!と大げさなことをすぐに言い出すのは正直やめて欲しい。

男「まあ、向こうの年始に帰る予定だから……えーと今から……」

使う暦が2つあると色々と大変だ。計算は単純なんだけど。

黒猫「あまり慌てずに食べなさい。喉に詰まらせてもいけない。そして余裕があれば、少し我輩に」

童女「うしし、やっぱりおいしいー」

男「今からお出かけするんだから。服、汚さないように気をつけてね」


魔女「……ふふふ」

男「どうしたの?」

魔女「やはり私は偉大な魔女だった、と思って」

魔女「あのとき。あちらの世界のハロウィンの日。自分が望む魔法を、思い切って使って良かった」

男「知っているよ、君が偉大な魔女っていうのは」

男「僕が一番ね」

魔女「それは嬉しい」

多分君よりも。


……

男「よし、行こうか」

魔女「ええ。ハッピー・ハロウィン」

童女「とりっかとりー!」

黒猫「にゃあ」

大きな扉を開けると、青空が突き抜ける。
皆の歓声が聞こえた。
見ると、ビジネススーツ姿の集団がこちらに手を振っている。
隣にいるのは……あれは十二単?


ハロウィン。

起源をたどれば宗教的な意味合いもあったそうだが、この国ではただのお祭りの日だ。
この日になればそれぞれが思い思いの仮装をし、騒ぎ楽しむ。

会社員。女子高生。警察官に消防士。野球選手や宇宙飛行士。

最近ではその範疇に収まらず、創作物の登場人物にまで変身するのも珍しくないと聞く。
異なる文化の風習は、この国でも随分と広まったようだ。


……その発端はと言えば、スーツ姿でこの国に落ちてきた僕なのだが。


僕たちの乗っている飛空船はすでに繋留されており、広場へと空中タラップが伸びていた。
娘を抱きかかえ、側に寄り添う彼女の手を握る。

魔女「今日一日――」

男「?」

魔女「次の日も一日、その次の日も、その次も。これからもずっと一緒に――」

魔女が微笑む。
僕の魔法は解けそうにない。

fin


読んでいただきありがとうございました。ハロウィンは終わりましたね。
それでは。

運とか眉唾だと思ってるけど
明らかにアンコウ寄って来る日とかあるよな
なんなんだろあれ

すんごい誤爆
恥ずかしい…

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