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そう言って、奈緒は仕方なさそうにはにかんだ。
「あたしが少し我慢するだけで、それでPさんの顔が立つっていうならさ。
こんなことで、仕事が貰えるっていうなら……安いもんだよ」
寂しそうな、悲しそうな、けれどもそんなことをおくびに出すまいと、
下手な誤魔化し笑いをする奈緒の姿に、俺は何とも言えない気持ちにさせられる。
「あたしだって、馬鹿じゃないからさ。
Pさんに誘われてアイドルになって、自分でも場違いだって思ってる芸能界って場所で仕事して。
だからいつかは……いつかは、こんな時も来るんじゃないかって……日頃から、覚悟だけはしてきたつもり」
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「……奈緒」
思わず俺が名前を呼ぶと、奈緒はジャケットのポケットに両手を突っ込んだまま、
俺の向けた視線から逃れるように顔を背けた。
「けど、今ならまだ断れる! 引き返すのも、別のやり方を考えることだって――」
「いーや……駄目だ、Pさん」
懇願するように言う俺の言葉を遮って、奈緒が静かに、けれども確固たる決意を秘めた声で言った。
それから彼女は、小さな子を諭すような、柔らかな口調で言葉を続ける。
「分かってるだろ? 最初から、この方法しか無いんだ。
そりゃ、あたしだって不安だし。今からすることのせいで、他の仕事に影響が出ないとは言えないけどさ
……なんでもかんでもやりません、できませんじゃ、この先トップになんて立てっこない。
今、この瞬間にある小さなチャンスを確実に物にするのが、
次の大きなチャンスを掴むために必要なことだって……そう、思うんだ」
「だからって、自分の体のことなんだぞっ!?」
つい、力を込めて叫んだ俺に「まったく、大げさだなぁ」と、奈緒が苦笑する。
「いつかは、やらなきゃいけなかったんだよ。それが思ってたより早いか、遅いかってだけで」
奈緒が、真っ直ぐに俺を見た。
その視線に、迷いは無い――……。
「……すまない」
「別に……Pさんのせいじゃない」
「いや、完全に俺の力不足だ。もっとハッキリ断ることだって、できたはずなんだ!
なのに、俺は、俺は……奈緒の優しさに、つい、甘えて……」
そう、もっとやりようは……方法は、いくらでもあったハズなんだ。
うつむき、奈緒に頭を下げる俺の脳裏に、つい先日に行った、打ち合わせの場面が蘇る。
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「確かに、君のところの奈緒ちゃんは何も悪くない」
奈緒を連れて向かった営業先で、相手方に言われたあの台詞。
「でもねぇ、こっちからお願いしておいてなんだけど、
今のままの彼女じゃあちょっと難しい、厳しいかなーって、僕はそう思うワケ」
「……と、言いますと?」
「言われなくたって分かるでしょ? 君だってこの業界で仕事してるんだ。
いくらアイドルとはいえ、引き受ける仕事の為には……時に、こういうことも必要だってこと」
俺と一緒のソファに座り、「Pさん……」と不安そうな顔をする奈緒に、
あの時、俺は何と答えていいか分からなかった。
「少し……考えさせては貰えませんか?」
「……まっ、そうなるよねぇ」
だからお互いにとってよりいい方法を考えようと、
そのための時間を少しでも稼ぐため、俺は回答を先伸ばそうとした。
テーブルの向こう側に座る、今回の人選の決定権を持つ男が、頷きながら腕を組む。
「いいよ、二人で相談して決めてちょうだいよ。
こればっかりは本人の意思を尊重……無理強いするもんじゃあないし」
「は……そう言って頂けると、助かります」
そうして、ほっと胸を撫で下ろしながら席を立った俺達二人の帰り際、「ただ……」と男は言ったんだ。
「ただ……こっちもいつまでもは待てないからさ。二、三日中には返事が欲しいかな。
じゃないと、他の子の手配とか色々あるし……分かるよね?」
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「――いい加減にしろよなっ!」
怒ったような奈緒の声に、俺の意識が、奈緒と二人でいる今に呼び戻される。
「い、いつまでもそうやってグチグチとさぁ……!
今回の件は、あたしが良いって決めたんだ! 他ならぬあたしが、自分の為に!」
顔を上げると、彼女は不機嫌そうに口をへの字に曲げて、俺の顔を睨みつけていた。
「あたしは、自分が事務所の他の奴らに比べて、パッとしないのも分かってる!
あ、あたしは、ほら……皆に比べて可愛くないし、歌も下手だし、ダンスだって上手くいかないことばっかりで……
で、でも! だからってそれを理由に甘えたくないし、負けっぱなしでもいたくないっ!」
いつの間にかポケットから出した腕を組み、うつむき加減で話す彼女は、
恥ずかしさを我慢するように口を結ぶと、少しの間黙ってから、再び勢い任せに喋り始めた。
「だ、だって……そんなあたしでもやればできるって、少しは周りに近づけるって、
じ、自信をくれたのはっ! あたしに教えてくれたのは……あ、アンタだろ!? プロデューサーっ!!」
「奈緒……!」
「だから! だから……こ、今度の仕事も、そう! これは仕事、仕事だから……あ、あたしは大丈夫だっ!
……ただ、ちょっと、不安が無いって言うと、嘘に、なる……けど……」
最後の方は、もごもごと。
少し聞き取りにくくはあったが、俺には、彼女の言いたいことがしっかりと伝わった。
……担当するアイドルが、仕事にたいして抱く不安を解消するのも、プロデューサーの大事な役目。
俺はそれを、たった今、彼女から求められたんだ。
……なら、俺がすることは一つ……たったの、一つだけしかない。
「決心は……固いのか」
「……うん」
……それは消え入りそうな、小さな返事だった。
俺はそっと奈緒の傍に近づくと、ライブ前、緊張をほぐす時にするように、
彼女の頭をポンポンと優しく、撫でるようにして叩いて言った。
「奈緒なら、できるさ。なんたって、俺の自慢のアイドルだから」
「……本当?」
「ああ……本当だ」
今にも泣きだしそうな潤んだ瞳で、奈緒が俺を見上げる。
「な、なら。あたしがこれからどんな風に変わっても、見捨てないでいてくれる?」
「ああ」
「からかわれたり、笑い者にされた時には、あたしのこと、守ってくれる? 庇ってくれる?」
「ああ、勿論だ」
「……約束」
頷く俺に、奈緒がそう言って小指を立てた右手を見せる。
「指切りまで……するのか?」
「嫌か? 嫌なのか?」
「いや、嫌というわけじゃ……」
「なら、指切りぐらいしてくれよ! あたしの不安、消してくれるんだろっ!?」
「あ、ああ消すぞ、消すともさ!」
「なら、指切り。しっかり絡めて、ゆっくりハッキリ……さ、最後までっ、ちゃんと……だぞ?」
奈緒の太い眉毛が、まるで不安で不安で仕方がないと言う子犬のようにハの字を描く。
俺は差し出された奈緒の小指に自分の小指を絡めると、
そのまま彼女の指示通り、ゆっくりハッキリとした口調で「指切り~」とやりだした。
「針、千本飲~ますっ」
「指切ったっ」
……だが、歌が終わっても俺たちの指は切れなかった。
正確には奈緒がしっかと絡めた小指に力を入れて、指切りをさせてくれなかったと言うべきか。
「な、奈緒?」
「……ごめん。もう少しだけ、このまま」
そう言う奈緒の肩は小さく震えていたが……俺はそんなか弱い少女を、
抱きしめて安心させることも、優しい嘘で勇気づけることもできず。
ただただ黙って小指を絡め続けることしかできないでいた。
「……じゃあ、行って来る」
それからしばらく経ってから、奈緒はそう言って自分から小指を解いた。
……仕事の為、チャンスの為。いくら必要な犠牲なんだと綺麗事を並べたところで、
今回奈緒が失うものは、大切にしてきた物は二度と元には戻らない。
唯一、時間だけが解決策を知っていたが、それも何年先になるか。
……俺にくるりと背を向けて、奈緒が扉の向こうに消えて一時間と少し。
ようやく外に出て来た彼女の姿は、まるで別人のように変化していた。
「……お待たせ、Pさん」
そう言って奈緒が、先ほどよりもはるかに恥ずかしそうに、照れくさそうにはにかむ。
「……どうかな? これなら今度の仕事、上手く行きそう?」
「ああ……バッチリだ」
――……そこには、特徴的だったふわふわの髪をすっかり短くした、
別人のように見違えた神谷奈緒の姿があった。
「それなら、きっと監督もオーケーを出すよ」
「へ、へへ……そう? そうかな?」
今回の奈緒の仕事は、ベテラン監督が撮る新作映画の主演という大役。
それも監督本人から奈緒を主演にしたいという、熱烈なラブコールによるものだった。
しかし、喜び勇んで向かった打ち合わせ先において、監督の描いていたイメージに合わせるために、
役作りを兼ねて髪を短くする必要があるという話が飛び出した……と、言うワケだったのだが。
「いやー! ここまで短くするのなんて、ホント久しぶりだったからさー!
直前まで不安で不安で、しょうがなかったけど……Pさんがバッチリって言うなら、バッチリだよなっ! うんうん!」
奈緒は、この条件を提示されてから酷く悩みこんでいた。
何といっても彼女の長い髪は、ある意味でアイドル神谷奈緒最大のチャームポイントでもあったのだから。
それをバッサリと切り落とすことで、自分の印象がガラリと変わるのは必然。
最悪、そのままイメージダウンに直結する可能性だってあった。
けれども、今の彼女を見る限り――。
「……ロングも良いけど、ショートも似合うな」
「そ、そう?」
「ああ……とっても可愛いよ、奈緒」
「か、かわっ……!?」
褒められて、みるみるその顔を赤くした奈緒が、俺のことを思い切り睨みつけて言う。
「バ、バカっ!! あ、あたしはそんな……可愛いとか言われるために髪を切ったんじゃ、ないんだからなっ!?」
「分かってる、分かってるって」
「いーや! 分かってない! Pさんのその態度は、全然ちっとも分かってないっ!」
――例え髪型が変わったぐらいで、奈緒の本質まで変わってしまうわけじゃあない。
どんな髪型でも、どんな服装でも、どんなシチュエーションにあったって彼女は彼女。
真面目で、照れ屋で、どこか抜けてて、アイドルとしては少しだけ口も悪いけど……。
「さっそく監督と……それから事務所に、奈緒が髪を切ったって連絡しないとな」
「や、止めろぉ! 止めろよぉっ!!」
「加蓮からの返事がもう来たぞ。写メ送れ……か」
「だからスマホをこっちに向けるな! 撮るな、撮るなって! こ、このっ……!」
――……それでも持ち前のひたむきさで、どんな壁だって超えていけると思わせる。
「このっ、ろくでなしプロデューサーっ!!」
そんな最高に素敵で可愛い、とびっきりの女の子――それが、神谷奈緒なのだ。
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・2nd SIDEの「このまま抱きしめて」は、世界から争いを無くせるぐらいの破壊力だと思う。個人的に。
・ベットの中、奈緒の後ろ髪をスンスンしながら眠りにつきたい。
絶対手触りとか匂いとか最高だと思うんだ。
何ならお風呂で彼女の代わりに洗ってあげたい乾かしたい。
そんでもって「……下手くそ」「もう、自分でやるから!」「こ、子供じゃ、無いんだぞ!!」と
徐々に赤面していく奈緒を愛でたい。愛でたい。
・とはいえ一回ぐらいはショートの奈緒も見てみたいなぁ……
後罵られたいなぁと思って書いたのが今回のお話です。
それではお読みいただき、ありがとうございました。
このSSまとめへのコメント
知ってた(胸を撫で下ろしながら