奈緒「魔法使いとfirst stage」 (87)

神谷奈緒と、凛と加蓮と、あの人のおはなし。

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小さい頃、あたしは魔法少女に憧れてた。
フリフリの衣装を着て、かわいい歌を歌う女の子。
アニメの中の世界にあたしは夢中になって。
女の子は誰だって魔法少女になれるという少女の言葉を、信じていた。

小学校を卒業する頃には、あたしも彼女達の嘘には気づいていた。

妖精は、あたしの前には現れない。
物語のヒロインになれるのは、一部の選ばれた者だけだってこと。

それは当然のことだったし、フィクションと分かって観るアニメも面白かったから、
別にあたしはこの世に失望したりはしなかった。
……少し、寂しくはあったけど。

だから、街であの人に声をかけられた時は内心すごく嬉しかったし。
少し恥ずかしいけど、あたしもあの世界でヒロインとして歌えるのだと、舞い上がっていた。


そして、そんなあたしの膨らんだ自尊心は、
あっという間に打ち砕かれて。


代わりにやってきた劣等感と一緒に、
今もあたしはあの二人の後ろを歩いている。

「かみやん、何読んでんの?」

「ばっ……か、勝手に覗くなよ!」

昼休みの教室。
朝、靴箱に入っていた手紙を読んでいると、友達に覗かれてしまった。

「いーじゃん別に、どうせまたラブレターでしょ?」

「モテる女は辛いねえ、奈緒。いちいち読んであげること無いと思うけど」

「それは……かわいそうだろ、さすがに」

「律儀だなあ、なおちんは……そこがいいんだけどさ」

アイドルとして、スカウトされてから二年。
テレビや雑誌に出させてもらうようになってからは、この手の手紙はそれなりに増えていた。
もっとも、あたしが彼らの好意に応えてあげられたことは、一度もないのだけど。

「結局こいつら、アイドルの彼女が欲しいだけじゃん?」

「そうそう。かみやんとたまたま一緒の学校だから、やる気出しちゃってるだけでしょ」

「どうせ振っちゃうんだからさあ、読んでも読まなくても変わらないって」

「うーん……」

あたしだって、水着のグラビアがどういう意図のモノかぐらいは理解してる。
デビューしてから、廊下で時々妙な視線を感じるのも、たぶん気のせいじゃないんだろう。
こんなあたしのことをファンだと言ってくれたり、かわいいと思ったりしてくれるのは……
恥ずかしいけど、そんなに悪い気はしなかったし、アイドルとしては嬉しいことだと思う。

ただ、その好意はあたしがアイドルだからこそだろうし。
アイドルだからこそ、その気持ちにはアイドルとしてしか応えられない。
アイドルじゃなくなってしまえば、あたしは多分、元の地味な男女に戻るんだろう。

「奈緒は、今日の放課後仕事だっけ?」

「あー、うん。トラプリでシャンプーのCM撮って、後はウサミンラジオの収録」

「おおー。かみやんモフった感触が最近更に良くなったのはそれかぁ」

勝手に人の髪に顔を突っ込むな。

「ね、凛ちゃんのサインお願いしていい?」

「えぇ、またかよ……今度なんか奢れよな!」

「いやあ、私も最近塾通いでさ……成績伸びてないからって、お小遣い減らされてるんだよね」

そっか……もうそんな時期か。
野球部の連中も代替わりしてたし、放課後も自由参加の講習があるらしい。

「そーだ、今度の文化祭で歌ってよ! ギャラは出すからそれでチャラってことで!」

「お、お断りだっ! あたしが一個も得してないだろそれ!」

「えーいいじゃん。かみやんのけちー」

冗談じゃない。学校で歌うなんて、そんなの想像しただけで顔が熱くなりそうだ。

「しょうがねえなあ……じゃあ、今度のCD買ってもらうってことで」

「サンキューなおちん! 愛してるよお……!」

「はいはい……」

どこに行ってもあたしはこういう役回りなんだと、最近ようやく理解できた。

「そういや、奈緒は進路調査票出したの?」

「ん……まだ。事務所とも相談しなきゃいけないしな」

「ちょっとぉ、やめてよふーりん、なんで進路なんて未来の話するのぉ」

「未来て……あと四ヶ月でセンター試験でしょ?」

「やめてぇ、私は今に生きるのぉ……」

「ははは……」

友人達と駄弁って、笑いあいながら。
あたしは心の片隅で、疎外感を覚えていた。

放課後。

友達と別れて昇降口を出ると、校門の近くに見覚えのある車。
運転席のあの人と目があって、それだけで胸が高鳴った。

「よ、奈緒。後ろ開いてるから」

「校門の前に車止めるなよ……不審者かと思っただろ」

ぼやきながら、そそくさと後部座席に。
あの二人はともかく、クラスメートにこの人と話してるあたしを見られるのは……少し、困る。

「大丈夫だよ、奈緒が来るまでってことで先生方の許可はもらってるから」

「なんだよー、わざわざお迎えとはあたしも出世しちゃったなぁ?」

ありがとう、なんて学校のそばでは言いにくくて、照れ隠しにふざけてしまう。
授業参観で、親があたし以上に目立ってしまうような……そんな感覚。

「まあ、奈緒も含めて順調に売れてきてるからな……シートベルト、締めたか?」

「お、おう。凛達待たせてるんなら、さっさと行こうぜ」

……この人と話してるときが、一番調子が狂う。

ラジオからは、NGの輝く世界の魔法。

元々ソロでもある程度実績のあった凛は、トラプリ以外にも幾つかのプロジェクトに参加していた。
卯月も未央もいい奴だったし、売れっ子がユニットを掛け持ちするのは珍しいことじゃない。
それは……分かっているんだけど。

「……奈緒?」

「ん? あ、いや……今日の撮影のイメトレしてたんだよ」

胸の奥に生まれた小さな悪意を、箱にしまって鍵をかけて。

「髪のことは、褒められることも多いし……二人には、負けたくないなってさ」

「おいおい……別に、勝負してる訳じゃないんだぞ?」

「分かってるよ。撮影なら、インタビューほどあいつらに弄られないってだけだし」

「はは、なるほどな。奈緒はいっつも貧乏くじ引いてるからなあ……俺からほどほどにって言っておくか?」

「い、いいよ別に。あたしも、結構楽しんでるからさっ」

「そうか? ならいいんだが」

「ああ、そうだ。ポスター撮影のあとなんだがな」

「菜々さんのラジオ、だろ? なんかトラブルか?」

「いや、ちょっと凛のカバーアルバムのプロモーションがあってな」

胸が、チクリとする。

「悪いが、そっちには同行できないんだ。奈緒なら大丈夫だとは思うが……」

この人に、迷惑はかけられない。

「凛は売れっ子だからなあ……まぁ、任せろって!」

そう言い聞かせて、あたしは今日も照れたように笑う。

「ハートウェーブラジオ! 今夜もお別れの時間となってしまいましたー」

「や……やっとか……」

不意打ちで先手を取られてから、ずっと菜々さんに振り回されてた気がする。

「いやあ、奈緒ちゃんの写真集爆売れの予感ですね♪」

「だからあれは、言葉のアヤって言うか……下着とか、載ってないからな!」

「あはは……さて、来週のゲストはこちらも写真集が発売されたばかりの小早川紗枝ちゃんでーす」

「ああもう、えーと……今週のお相手は、神谷奈緒と」

「安部菜々でした!それではまた、土曜日午前零時にお会いしましょう!
 はい奈緒ちゃん、締めのセリフよろしく!」

「えぇっ!? お……おやすみなさい、ご主人しゃま……」

「ぶふっ……」

「だああああ噛んだああああ! い、今のナシ! リテイク、リテイクさせて!」

「うぅ……結局あのまま放送かよ……」

「大丈夫ですよ、エコー入りますし。奈緒ちゃんかわいかったですから」

「あたしは菜々さんと違って、あんまりファンシー系では売ってないっていうか……」

またあいつらにからかわれるのかと思うと、今から気が重い。
そもそも、菜々さんがアドリブで振ってきたのが悪いんだ。
自分が無茶ぶりされると弱いのに、この人は……

「……そういえば、菜々さんってさ」

「はい、なんですか?」

「大学には行ったの?」

間。

「ナ、ナナは現役JKですよ!?」

ああ、そういえばそういう設定なんだった。
黙ってれば中学生でも通じるんだけどな、なんて思っていると、

「……えっと。真面目なお話ですか?」

正直なところ、冗談半分で聞いたようなものだったけれど。
菜々さんが思いのほか真剣な顔をしていたので、黙って頷く。

みんなには内緒ですよ、と前置きして教えられた、菜々さんの過去の話。
懐かしむようなその表情は、大人の女性のそれで……正直、どきりとした。

「ナナは……ずっと、アイドルになりたかったんです。だから、高校を出てすぐに上京しました」

お父さんには反対されましたけどね、と菜々さんは笑う。

「結構回り道だったから、大学でいろいろ勉強しながらでもよかったかな、なんて時々思います。けど」

「けど?」

「回り道をした結果、今のナナがいますから。大学に行かなかったことは、そんなに後悔はしてないんです」

……ほんとに、アイドルが好きだったんだな。

あの人にスカウトされるまで、別の世界の存在だと思っていたあたしとは、
アイドルに対する思い入れが桁違いなんだろう。

「あんまり参考にならないですよね。高校生の頃のナナは、アイドルに憧れる普通の女の子でしたから」

「いや、そんなことは……」

「でも奈緒ちゃんの悩みは、なんとなく分かりますよ?」

「このまま高校を出て、アイドル一本で勝負していくか。
 一度アイドル活動を休止して、大学でいろいろと経験していくか。難しい話だと思います」

「……バレてたかあ……」

「ナナはアイドルである前に、アイドルファンでしたからね」

お茶をすすりながら、菜々さんは続ける。

「大学進学後もアイドルを続けたけど、ファンが離れて消えていったアイドルもいます。
 大学の同級生と付き合って、スキャンダルになったアイドルもいます。
 卒業後に女優として復帰した方も知ってますし、
 アイドルとしてのピークが過ぎてから、改めて大学に通った人も少なくはないです」

「高校卒業後の進路は、アイドルじゃなくても大切な分岐点だと思うんです。
 それが、ファンやお仕事を抱える現役アイドルならなおさらです。なにより……」

「……トラプリをどうするのか、か」

夏が終わりに近づいて、次第に「卒業」「進路」という単語を見るようになってから。
そのことについて考えるとき、最終的に辿り着くのが凛と加蓮、そしてあの人のことだった。

「凛ちゃん達とは、もう話し合いとかはしたんですか?」

「いや……なんか、言い出しづらくって」

事務所としても業界としても、そしてあたし達四人にとっても、今はさらに飛躍するために大事な時期だ。
それを……あたし一人の人生設計なんかで、どうこうしていいんだろうか。

それに。
あたしが抜けた後、トラプリが簡単にその穴を埋めたとしたら、あたしは……
ならアイドルに専念するか? と聞かれたら……あたしは、自信をもってYESと言えるだろうか。

「ナナは……大切なのは、奈緒ちゃんがどうしたいかだと思いますよ?」

「あたしが?」

「はい。奈緒ちゃんはアイドル、楽しいですか?」

「え……うん。楽しいよ、すっごく」

突然あの人にスカウトされて。胸の奥でこっそり夢見てた衣装を貰って。
あっという間に時間が過ぎて……今でも時々ドッキリなんじゃないかと疑うぐらい、充実している。

「えへへ、ナナもアイドルになって、毎日がとっても楽しいんです」

その笑顔は、眩しくて。
あたしはこの人ほどアイドルを楽しめてるかな、なんてことを考えてしまう。

「ナナはアイドルを辞める瞬間、きっと色々と後悔するんだと思うんです。
 だから……せめて、満足して夢から覚めるために、頑張りたいなって」

「奈緒ちゃんも、たぶんどんな選択をしても「ああすれば良かった」って思うことがあると思います。
 どうすれば自分が一番納得できるか……今のうちに、いっぱい悩んじゃってください」

「悩め、かあ……」

「いろいろと悩めるのは、若い子の特権ですよ? ……あ、ナナもまだ17歳ですけどね♪」

人差し指を唇に触れさせて、菜々さんは笑う。
あたしも口外する気はないし、この話は二人だけの秘密、ってことなんだろう。

「ありがと、菜々さん。とりあえず……あの人に相談してみるよ」

凛はこの週末も予定が詰まってたはずだ。あたしの相談なんかに乗ってる暇はないだろう。
だからこれは……話を、後回しにしたわけじゃない。きっと。

呼び出しくらったんでとりあえずここまで
月曜までに再投下するタイミングがあればいいな(希望的観測)

二年経ってるってことは、奈緒もう高校卒業してるんじゃないのか……?
アイドル忙し過ぎて留ねn……ウッ頭が

翌日。
「今後のことで相談がある」とメールすると、事務所に顔を出すように言われた。

比奈さんと一緒に雑誌取材を受けて、事務所の最寄り駅に。
原稿があるから、と女子寮に直帰する比奈さんと別れて、一人事務所までの道を歩く。

……もらった眼鏡と帽子は付けてるけど、ちゃんと変装になってるんだろうか。
加蓮はまめに髪型変えてるらしいけど、あたしの髪量でそれはちょっと無理がありそうだ。

「……ま、あたしみたいなのを尾行する理由も無いか」

智絵里辺りは、たまにちょっと面倒そうな男が湧いてくるらしいけど。
最近は寮までの送迎バスも検討されてるって噂を、きらりから聞いた記憶がある。

「ただいま帰りましたーっと」

「あ……奈緒ちゃん、おかえりなさい……」

……噂をすればなんとやら、か。

「ちひろさーん、うちのプロデューサーは?」

「加蓮ちゃん達の撮影が終わったって話なので、しばらくすれば帰ってくると思いますよ?」

「了解。話があるから、ちょっと待ってるんで」

「はーい、伝えておきますね」

加蓮は……確か、深夜帯のドラマだっけか。
都、藍子と一緒に推理モノをやるって話だったような気がする。

「よ、智絵里。仕事終わり?」

「あ、はい……プロデューサーさんが、長崎から戻ってくるってお話だったので……」

「……また出張に行ってるのか、あの人」

智絵里の担当さんは去年、京都で撮影した時に顔を合わせたことがある。
そのとき、智絵里から恋愛相談もされたんだけど……
最近の様子を見る限り、どうやら順調に関係は進展してるらしい。

「奈緒ちゃんは……プロデューサーさんに相談、ですか?」

「んー……まあ、そんなとこ」

進路相談、というと、智絵里は納得してくれたようだった。
同学年はどうにも進学を考えてなさそうなのが多いから、そういう話は正直、しづらい。

「じゃあ、受験するんですか……?」

「それを相談しにきた……って感じなんだけどな」

あれから一晩考えて、なんとなくだけどやりたいことは見つかった。
けど、それがアイドル活動より大切か、と言われると……それは、どうなんだろう。

「正直言うとさ。ちょっと悩んでるんだ」

「それは……凛ちゃん達のこと、とか……?」

……そんなにわかりやすいのかな、あたし。
それとも……それほどまで、あたしがトラプリに依存してるってことだろうか。

「凛は……歌、うまいだろ。身長も高いし、
 年下なのにしっかりしてて、みんなを引っ張って……」

一緒のステージに立つと、そのオーラみたいなものがあたしにも分かる。
名実共にうちの事務所のエースなのはもはや周知の事実で、
あの如月千早と同じ土俵に立つのも、そう先の話ではないなんて言われているくらいだ。

「加蓮は……最初の頃はともかく、今は歌も踊りもちゃんとこなしてる。
 なにより、演技力がすごいんだ、あいつ」

仕事帰りに話している時にも、何度か騙されてからかわれた。
可憐な笑顔の中に映る、どこか幸薄そうな表情が男性の庇護欲を誘う……とかなんとかで、雑誌でも評価が高い。
死の淵から舞い戻った花嫁、なんて大げさな書かれ方をしたこともあったっけ。

「あたしは……あの二人と一緒にいていいのかな」

「……え?」

「考えたんだ。あたしが、あの二人よりも高い評価をもらえてるところ。
 ……あたしには、思いつけなかった。それで、怖くなったんだ」

「あたしはさ。スカウト組だったし、トップアイドルとかにはあんまり興味なかったんだ」

でも、あたしをアイドルにしてくれた人の、夢を誇る姿はすごく輝いていて。
だからあたしは、この人のためならがんばってみてもいいかな、なんて思ったんだ。

「あたしに魔法をかけてくれた人を、世界一の魔法使いにしたい。今だって、なってほしいと思ってる」

けれど、それはあたしが思っているだけで。

「最近さ、考えちゃうんだよ。
 あたしがいなくても、あの人は勝手にてっぺんまで行くんじゃないかって」

一度、「あなたをトッププロデューサーにする」と宣言したことがある。
あの人は笑って「ありがとう」と言ってくれて、それがたまらなく嬉しかったのを覚えている。

でも現実は、甘くない。

あの人は何も言わないけど、最近は雑誌で「新鋭の敏腕プロデューサー」なんて言われるようになった。

あたしも加蓮もランクCから先に進みあぐねている以上、あの人がそう呼ばれる理由はひとつしかない。



……期待の新星、渋谷凛。新世代のシンデレラ。

あの人はきっと、いつか「アイドルマスター」と呼ばれるようなトッププロデューサーになるんだろう。
でもその時。あの人の手を引いて、同じ景色を見ているのは……たぶん、あいつだ。

息を切らして走っていても。
だんだん距離が離れていって、あたしは凛にも加蓮にもあの人にも、置いていかれるんじゃないか。

「いつか置いてけぼりくらって、それが悔しくて泣いちゃうなら……
 今のうちに、あたしからトラプリと距離を置くのも、悪くないのかなってさ」

智絵里は、キョトンとして首をかしげていた。この子は何やってもかわいいんだな、と思う。

「あの人も、凛ちゃん達も……奈緒ちゃんを置いていったりなんか、しないと思いますよ?」

「……ま、だとは思うんだけどさあ……」

みんな、優しいから。あたしだけ除け者にされるってことは、多分無い。
あたしだって、凛を追い抜くつもりで今までやってきた。
進学するにしろアイドル一本で行くにしろ、手を抜くことはしないつもりでいる。

「奈緒ちゃんのサイン会、いっぱい人が着てたって……美波さんも、言ってました。
 置いていかれるほど差があるようには……わたしには、見えないです」

「……うん。多分さ、独占欲なんだ。
 トラプリのプロデューサーとしてじゃなく、あたしのプロデューサーとして、
 トップに立ってもらいたい、っていうか……あ、いや、今の無しっ」
 
……何口走ってるんだろ、あたし。

「奈緒ちゃんは……好きなんですね、奈緒ちゃんのプロデューサーさんのこと」

「……どうなんだろうなあ」

少し、ため息がもれる。

それは、ここしばらくずっと考えていて。
考えたけど、結論の出なかった話だった。

「尊敬はしてるし、感謝はしてる。あたしをアイドルにしてくれた恩に報いたい、って気持ちなら、
 凛達にも負けてはいない……と思う」
 
ただ、それが恋心なのか……となると話は別だ。
バレンタインの時は変なことを言って、微妙な感じになってしまったけれど、
あたしがあの人の彼女になっている姿はどうも想像できない。

気になる人。それは間違いない。

でも「それは尊敬から生まれた年上の男に対する憧れだ」と言われれば、あたしは否定できないだろう。

それに、これが恋心だったところであたしはアイドルで、あの人はプロデューサーだ。
中高生に手を出した業界人の皆が皆、星井美希の担当さんのように受け入れられる訳じゃない。

そして、なによりも。

「二人がさ。好きみたいなんだよ、あの人のこと」

あたしもなんとなく気づいていたし、本人達からもそれとなく聞かされたこと。
あの人に関するあたしの思考は、毎回ここで止まっていた。

加蓮は、あの人が初めてデビューさせたアイドルで。

凛は、あの人が育て上げた初のランクBアイドルだ。

そんな二人が不定期に繰り出しているアプローチを、
あの人は知ってか知らずか器用に受け流し続けている。

アイドルとしても、女の子としても二人に敵わないあたしが想いを告げたところで、
あの人はきっとあたしを異性としては見てくれないだろう。

……そんな風に諦めて、自分に言い聞かせている自分が、あたしは嫌いだった。

「……えいっ」

「ふぇっ!?」

こつん、と。
気がつくと、智絵里のチョップがあたしの額に炸裂していた。

「友達と同じ人を好きになって、友情を理由に勝手に身を引くのは……ズルい、と思います」

「そ、そうなのか……」

まゆちゃんからの受け売りです。えへへ……と智絵里は笑う。
目の前にいる小さな女の子は、あたしが思っている以上に大人になっているらしい。

「わたし……奈緒ちゃんも、かわいいと思うんです」

「かわ……あ、あたしが?」

「はい。それに、お仕事してる時の奈緒ちゃん、落ち着いてて、楽しそうで……
 わたしもあんな風になりたいなって、去年京都で思ったんです」

「いや……あの頃は、落ち着いてなんか……」

「だから……がんばってください。わたしも、応援してますから……」

なんだ、これは。すごく、照れる。
知らないうちにあたしが、智絵里みたいな女の子の目標になっていたなんて。

「あー……うん。ありがとう……かな。
 智絵里にかわいいって言われたら、なんか自信ついた気がする」

奥でパソコンとにらめっこしていたちひろさんが、顔を上げた。
ノックの音が、二回。

「お疲れ様です、プロデューサーさん」

「お疲れ様です。加蓮は明後日の準備があるらしいんで、直帰させました」

「はい。あ、奈緒ちゃんそっちのソファーにいますよ」

「おっと……待たせて悪いな、奈緒」

「いいって、そっちは仕事なんだから。行こうぜ」

それじゃ、と智絵里に挨拶をして立ち上がる。

「あの、奈緒ちゃん」

「んー?」

「その……ふぁいと、おー……ですっ」

「ありがと。智絵里もなっ」

「……なんだ、今度ユニットでも組むのか?」

頭上にハテナマークを浮かべたあの人を連れて、
事務所の一角にある応接室に向かう。

「受験シーズンねえ……奈緒ももうそんな時期か」

コーヒーを飲みながら、あの人は笑う。
あたしは、テーブルを挟んで……ではなく、ソファーの隣に。

デビュー前はセクハラでもするのかと勘ぐっていたけれど、
この人なりに、あたしとの距離を縮めようとした結果らしかった。
今のあたしとしても、隣にいるとなんだか安心するし、
目を合わせなくても気まずくならないのはありがたかった。

「それで? わざわざ相談に来たってことは、受験を視野に入れてるんだろ?」

「まあ、うん。それで大学入った後も、アイドル続けたいんだけど……」

「ふむ……」

沈黙。即答で却下されないってことは、別に進学禁止、というわけではないらしい。

「一般入試にしろ推薦やらAOやら使うにしろ、受験勉強は必要だな?」

「そりゃあ、まあ……そんなに成績優秀ってわけでもないしな、あたし」

「胸張って言うことかよ……そうなると、ある程度露出は落とした方がいいか。
 スケジュール調整しないとな……レッスンは据え置きにするとしても……」
 
スケジュール帳を捲りながら、黙って考え込んでいるらしい。
言ってほしいことを先に言ってくれないのが、この人の悪い癖だと思う。
 
「えっと……じゃあ……受けていいのか?」

「ん? なんだ、止めて欲しかったのか?」

「いや、そうじゃないけど」

「確かにトラプリじゃ、奈緒には何かと貧乏くじ引かせることが多いけどな。
 人生設計にまで口を挟むほど悪どいプロデューサーじゃないよ、俺は」
 
そんな人に人生設計もプロデュースしてほしいと思っている人間を、あたしは何人か知っている。

「その……ありがとな! 合格したら、真っ先に知らせるからさ!」

「そりゃどうも。分かってるとは思うが、厳しい道だぞ?
 最大限努力はするが、受験が終わるまでファンが待っててくれるって保証はどこにもないからな」

「大丈夫だって、その辺はちゃんと考えて決めたんだから……
 その分一個一個の仕事、今まで以上に頑張るからさっ!」

「おう。張り切りすぎて空回るなよ?
 無事に女子大生アイドルになれるよう、応援してるからな」

わしゃわしゃ、と手のひらがあたしの髪を乱す。
文句を言って抵抗しながら、あたしはその手の温度に安心感を覚えていた。

……やっぱりあたしは、この人のことが好きなんだ。

書き溜め追い越しそうなのでここまで、あとは多分夜に

>>20
年齢変わってないのに去年のバレンタインの話とかしてる世界観なので……
まあそういう世界で確定もしてないのに学年周りの話するなって話なんですが

ちびちび書いてきまふ

トラプリは夜から、歌番組に出演することになっていた。
あたしと加蓮は事務所待機。
凛は事務所の合同プロジェクト……jewelsのお披露目があるらしく、あの人はその付き添いをしている。

「それで? 昨日は何の相談だったの?」

「だーかーらー、加蓮が思ってるような話じゃないっての!」

「だって、奈緒の将来の話だったんでしょ?」

「将来って……そ、そういう意味じゃないだろっ」

受験する、ってことは加蓮にも説明したけれど、どうにも信用されてないらしい。
加蓮のことだから、分かっててからかってるってこともありそうだけど。

「私はてっきり、奈緒もついにあの人に告白かあ、なんて思ってたんだけど」

「だから、それは……その……言ってないよ、なんにも」

「……へぇ?」

なんだよ。
あたしなんか、加蓮が邪悪な笑みするようなこと言ったか?

「前は私があの人の話振っても、『あたしはお前らと違って、そういうのじゃないからな!』
 とか言ってたのにねー。そっかぁ、そうなんだ……ふふっ」

「あ……う、うっさいな! 昨日はほんと、仕事の話しかしてないんだから!」

「はいはい。いやー、奈緒も大人になっていくんだねえ……」

こ、こいつ……。

「そういえば、プロデューサー傘持ってたっけ?」

「……いや、多分持ってなかったと思うけど」

そもそも今日は、事務所の車で出てたし。

「そっかあ。天気予報見たけどさ、今日これから雨なんだって。どうする?」

「どうするって……何をだよ」

「いや……だってほら。トラプリのお迎え担当といえば、奈緒じゃない?」

「べっ、別にいらないだろ! 車で移動してるんだから」

そもそも何なんだ、そのお迎え担当って。
凛も一緒にいるのに、わざわざあたしが傘を届ける必要なんかないだろう。
……別に、二人きりじゃないと嫌、とかそういうわけじゃなくて。

「加蓮ちゃん、奈緒ちゃん、プロデューサーさんからお電話ですよ」

「あ、はい」

ちひろさんから呼び出し。
この大所帯で事務員がちひろさんだけって、実は結構おかしいんじゃないかとよく思う。

「なんだろ。凛、まだ仕事中だよね?」

「加蓮の声が聞きたくなったとかじゃねえの」

「……怒るよ?」

理不尽だ。
さっきあたしを弄りまわしてた人間のセリフとは思えない。

「もしもし?」

「加蓮か? スケジュール確認してくれ、今日この後何時入りになってる?」

「えーっと……午後7時だよ?」

あたしの方のスケジュールメモにも、7時から収録ってことになっている。

「やっぱりか……すまん、俺のミスだ。
 先方に確認とったんだが、今日は17時入りに変更になっていたらしい」

「えぇ!?」

時計を確認する。
凛の仕事は時間が押してるらしく、間に合うかどうかは微妙って話だった。

「こっちも、俺と凛だけの問題じゃないから抜け出すわけにはいかない。
 最悪、歌番組の方はキャンセルか、代役を立ててもらうことに……」

「……私、行くよ」

「うん。あたしも行きたい」

「いや、しかしな……俺の不始末の尻拭いを、お前たち二人に任せるわけには……」

「なんだよ……凛抜きのあたし達じゃ、不安だってか?」

一つ一つの仕事を頑張ると言ったのは、昨日のことだ。
それに……凛無しじゃ仕事にならないと思われるのは、嫌だった。

「大丈夫。私達だって、あなたの育てたアイドルなんだよ?」

「……そうだな。いい機会かもしれない。
 なんとか俺だけでも本番に間に合うように調整するから、先に動いていてくれ」

あの人からの電話が切れた。ちひろさんが、不安げにあたし達を見やる。
加蓮と目が合った。お互い、なぜか笑ってるらしかった。

「行こう、奈緒」

「ああ。凛にもたまには、楽させてやらないとな」




調子に乗っていた。要するに、そういうことなんだと思う。

視聴者参加型の、5組によるライブバトル番組。




あたし達は、普段の実力の半分も出せないまま、ミスを連発した。

何度か出たことのあった番組だったのに……ステージが、なんだか広く見えて。

「まあホラ、今回はね? うちの新入りがそっちに入り時間、間違えて伝えてるからさ」

「いえ……折り返し確認を怠った、こちらのミスですから……」

結果は……言うまでもない。

「やっぱりさ、視聴者って正直なもんなのよ。今日はお互い、一両損ってことでね?」

「はい……申し訳ありません」

「いやいや、また呼ぶからさー、三人でリベンジに来てよ。
 なんだかんだ言っても数字持ってるからさ、あの子ら」
 
……なんだか、ひどく惨めで。
泣いてしまいそうになるのを、無理矢理抑えていた。

「今回みたいなことは本来は俺が、もう少し慎重にタイミングを考えないといけないとこなんだ」

帰りの車の中、あの人はずっとあたし達を励ましてくれて。

「ちょっとずつ、慣らしていこう。このぐらいで離れるファンはそう多くない」

そんなあの人の言葉に、あたし達は相槌を打つことしかできなかった。

「……車置いてくるからな。先に二人で、事務所で待っててくれ」

「……なんか、ダメだね」

オフィスに向かうエレベーターの中で、加蓮がポツリと呟いた。

「私も、最近はようやく独り立ちできたかなーって気がしてたけど……
 奈緒と二人だと、周りも私達も『凛がいない』って感じがしちゃってさ」

「……今日はごめん、加蓮」

「もう……反省会はあの人とゆっくりやろ? 二人で謝りあっても仕方ないよ」

「……そう、だな」

思えば、あの人が仕事を切り上げて、あたし達を迎えに来た時点で気づくべきだったんだ。
事務所の奥にある、少し古くなったソファー。

「あ……」

「ん……二人とも、おかえり」

今、一番顔を合わせたくなかった子が、そこに座っていた。

「……帰ってたんだ、凛」

凛以外は、みんな出払っているか別の階にいるらしかった。

「うん。プロデューサーには、終わったら事務所で待つように言われてたし。
 ……どうだった?」

あたしは目を逸らしていて。加蓮はバツが悪そうに笑っていた。
だいたい察したのだろう、凛は

「そっか。お疲れ様」

とだけしか言わなかった。
凛なりに気を使っているのが分かるから、尚更惨めな気持ちになる。

「……凛の方は? どうなの、今回のユニット」

「魔法組の時ほど、一緒にいて疲れる感じは無いかも。年上も多いからかな」

「あはは……相変わらず苦労人だね、凛は」

結局……あたしはどうあがいても、こいつを超えられないんだ。
そう思うと、急に空気が冷たくなっていくような錯覚に陥って。

「……ある意味、いい機会だったのかもな」

自分でもよく分からないことを、無意識のうちに口走っていた。

「……奈緒、それどういう意味?」

「あれ、凛はまだあの人から聞いてないのか?」

冷たくなった空気は、ひどく重くて。

「あたしさ、今年受験するんだよ。だからまあ……受験勉強とかしないといけなくってさ」

呼吸が、うまくできなくなる。
思考が、うまくできなくなる。

「あたしと凛のスケジュール、なかなか合わなくなるだろうし。
 トラプリから抜けた方がいいかもな、みたいな話をしてたんだよ」

「ちょっと、奈緒!?」

「……私、そんな話一度も聞いてないよ?」

「当たり前だろ、いちいち凛に言う必要がどこにあるんだよ。
 あたしはお前の部下じゃないんだぞ?」
 
「……奈緒。ひょっとして私、喧嘩売られてる?」

「ケンカ? まさか。あたしがお前とケンカして、何の得があるってんだよ」

口から溢れでた悪意は、坂を転がる雪球みたいに膨らんでいって。
心のどこかであたしは、ああ、これはきっと壊れてしまうまで止まらないんだ、と悟っていた。

「だってそうでしょ? トライアドプリムスは、私達三人のユニットだよ。
 何の相談も無しに、いきなり脱退ってどういうこと? ふざけないで」

「……ああそうだな、トラプリはお前のためのユニットだもんな!」

「な……っ!?」

「三人のユニット? 冗談じゃない、だったらこのザマはなんだよ!
 世間も業界も、あの人も、お前が居て初めて成り立つユニットだって思ってるんだ……!」

こんなこと叫んだって、なんにもならないってのに。

「お前だって本当は思ってるんだろ?
 あたしと加蓮は、渋谷凛を綺麗に見せる為の道具だもんな!」

「ちょっと奈緒、言い過ぎだよ!」

そんなこと分かってるんだ、加蓮。でも、もうあたしにも止められなくて。

「あたしが抜けたって、代わりはいくらでもいるだろ?
 大学行ったら引退してやるから、下手な噂も立たないだろうしな!
 アーニャなんかいいかもな、あたしと違って反抗しないでお前を引き立たせてくれ……」

言葉になったのは、そこまでだった。
頬の熱さが全身に広がっていって、真正面に涙目になってる凛が見えた。
……まるであたし悪役みたいだな、なんて考えがぼんやりと浮かぶ。
主人公? そんなの、目の前の彼女以外誰がいるっていうんだ。

「謝ってよ」

「何がだよ……お前の輝かしい業績に泥を塗って悪かった、とでも言えば満足か!?」

「私にじゃない!!」

「ちょっと、凛も奈緒も落ち着きなよ……」

「私達をユニットとしてプロデュースしてくれた人に、謝ってって言ってるの!」

「っ……冗談じゃない、誰があんな奴に!」

あたしの今日の運勢は、きっと最悪だったに違いない。
一番来て欲しくないタイミングで。一番聞かれたくない言葉を。

「……おい、なんだよこの空気……」

「……プロデューサー……」

緊張の糸が切れたんだろう。凛は、そのまま泣き崩れた。

「ちょっ……おい、凛!?」

あの人が凛に駆け寄る姿が、スローモーションみたいに見えた。
あたしだけが、みんなから取り残されたみたいで……ひどく、寒い。

「奈緒。いったい何があったんだ」

「……んだよ……どいつもこいつも、凛、凛って……」

「奈緒?」

「っ……! 分かったよ、高校卒業なんて言わずに、今すぐ辞めてやるよ!
 あたしは……凛の踏み台になりたくて、アイドル始めたわけじゃない!」

何もかもから逃げ出したくて、階段を駆け下りる。
事務所を飛び出すと、外は土砂降りだった。
そういえば、雨が降るからあの人を迎えにいこう、なんて話をしてたんだっけ。

「おい、奈緒!」

後ろから、あの人の声。
あたしは、なんだか怖くなって……行く当てもなく走り出した。

「くっ……そ……最悪だ、あたし……」

どうして、こんなことになるんだろう。
肝心な時はいつだってそうだ。あたしの言動が誰かを傷つけて、滅茶苦茶にしてしまう。

すぐに戻って謝らないと。そんなこと、本当は分かってるんだ。
でも、体が事務所の方を向いてくれない。
あたしは……怖いんだ。
このまま戻って、また傷つけて、傷ついてしまうのが。
あんな表情をした凛と、もう一度向き合う気力が……なかった。

ずぶ濡れになったまま走っていれば、どうかしてるあたしの頭も冷えるかもしれない。
そう思っていたけど、どこまで行っても頭の中はぐちゃぐちゃのまま。
手足の先だけが冷たくなって……熱を失った足は、気が付くと動くのを止めていた。

事務所には、戻れない。財布はカバンごと置いてきたから、電車で家に帰るって選択肢も無し。
携帯は……あるけど、こんなとき誰を頼ればいいんだろう。
ほんと……バカみたいだな、あたし。こんなの、駄々を捏ねてる子どもじゃないか。

すれ違う人達は、あたしを避けるように無関心に歩いていく。
アイドル、なんて言っても結局はこんなもんなんだ。
どうせ、こんな顔で愛想笑いなんてできそうにないから、今は誰にも気付かれない方がいい。

ふらふらと歩いているうちに、ぐるりと回って駅前まで出てきてしまっていたらしい。
歩き疲れて、雨の中立ち止まる。
街頭やビルの光が雨でぼやけて、アニメでも見てるみたいだった。

……アニメのヒロインなら、こんなとき後ろから、追いかけてきた主人公が声をかけてくれるかな。
……なんだ、あたし。追いかけてきて欲しくて、逃げたのか。

嫌な女。
雨に溶けて、消えてしまえたらいいのに。

「……やっと、見つけた」

よく知っている声。それで初めて、あたしの頭に雨が落ちてきてないことに気づいた。

「……か、れん」

「もう、びしょ濡れじゃん……風邪引くよ、奈緒」

「加蓮……かれん……」

「ちょ……」

「どうしよう……あたし……凛に……あの人に……」

限界だった。
壊れそうで、壊したくなくて。
加蓮に抱きついて、あたしはしばらく声を上げて泣いていた。

たぶん、あの後あたしは加蓮の家に連れて来られたんだと思う。
頭の上から、熱めのシャワーを浴びて……頭を冷やす。
思いっきり泣いたからか、事務所を出た時よりはマシな思考回路になっていた。

「うん……うん。今日はとりあえず、うちに泊めるから。根回しよろしくね」

「……シャワーありがと、加蓮」

「あ……奈緒戻ってきたから切るね。うん、大丈夫。また明日」

誰かと電話中だったらしい。相手は多分……凛か、あの人。

「下着とか、サイズ大丈夫だった?
 プロフは割と近かったはずだから、ちょっときついか緩いぐらいだと思うんだけど」

「うん……ちょっと、丈が長いくらい」

「お母さんに洗濯お願いしたから、明日には乾いてるよ。
 服の趣味は奈緒好みじゃないかもしれないけど、今夜は我慢してね」
 
「ん……ありがと。なんか、色々ごめん」

「……素直すぎる奈緒って、新鮮だね……ほら、髪梳いてあげるからこっちおいで」

ベッドに腰掛けた加蓮の、隣に座る。
視界の端に、あたし達が三人で撮った写真が見えて……胸が、締め付けられる。

雨音が窓を打つ音と、加蓮の櫛があたしの髪を梳く音。
世界中に、二人だけみたいになったような時間。

「……分かってるんだよ、自分でも。凛は何も悪くないことくらい」

「うん」

「あたしが勝手に、凛の才能に嫉妬して……
 あたしが勝手に、自分の無力さに腹を立ててるだけなんだ」

あるいは、凛のことが怖かったのかもしれない。
その結果、こんな形で感情を歪めて爆発させて……馬鹿みたいだな、あたし。

「……私もさ。奈緒の気持ちはなんとなく分かるし、凛の言いたかったことも分かるよ」

ぽふん、と。
髪を梳く手を止めて、加蓮はあたしの髪に顔を埋めてきた。

「加蓮?」

「奈緒のこと、ちょっと羨ましいんだよね、私」

「……あたし、が?」

「そ、凛も奈緒もズルいんだもん。私はオーディションで最初にあの人のアイドルになったのにさ。
 私が少し足踏みしてる間に、スカウトされて、信頼築いて」

後ろから、抱きしめられる。
ちょっと高めの体温が暖かくて、あたしはなすがままになっていた。

「なんか……いつまでたっても、娘か妹みたいな扱いでさ。
 そりゃ、反抗期の娘みたいな態度だったことはあるけど……
 だから私も、奈緒みたいにフランクに話せたらなって」

「そ、そんなの、あたしだって……
 加蓮とあの人は、何も言わなくても繋がってるみたいで……その……」

すごく、羨ましかった。

「……ふふっ」

「な、なんだよ……」

「あ、ちょっと調子戻ってきたね。
 あのさ、私と凛に遠慮なんかしなくていいよ、奈緒」

別に、遠慮なんか……そう言おうとして、結局口を閉じる。
いろんなことを凛に遠慮して、その結果が今日のことだった。

「私は……あの人が好き。私に前を向かせてくれたとことか。ちょっと過保護すぎるとことか。
 私の子供の頃の夢を叶えてくれる、世界で一番大切な人」

奈緒は? そんな、無言の問いかけ。

「……はじめて、だったんだ。あたしをかわいいって言ってくれて。
 ファンの人が、あたしをかわいいって言ってくれるようなプロデュースをしてくれて。
 ……アイドルとしても女の子としても、あの人の……一番に、なりたかった」

よしよし、と加蓮はあたしの頭を撫でて。
さすがに少し鬱陶しくなって、あたしはブンブンと頭を振る。

「私はね、凛にも奈緒にも負けるつもりはないよ?
 アイドルとしても、女の子としても……でも二人とも、私の大切な友達なの」

「……強いな、加蓮は」

「そう見えたなら、奈緒達のおかげ……かな?」

ぎゅっ、と。強く手を握られて、あたしは加蓮の方に向き直る。

「私、まだ凛や奈緒と一緒に歌っていたい。
 それは凛も、たぶん奈緒も一緒だと思う。……違う?」

「……それは」

違わない。けど、あたしはどんな顔で凛に謝ればいいんだろう。
そして……凛は、あたしを許してくれるだろうか。

「奈緒はさ。ちょっと、自己評価が低いんだよ」

「そうか……?」

「私も凛も、実力も意識も低い子と何年もユニット組んだりしないって。
 一つの音だけ弱かったら、「最高の三和音」になんかならないんだから」

ああ。
そういえばユニット名を決める時に、凛がそんなことを言ってたっけ。

「……凛は、自分でも知らないうちに、事務所の顔みたいになっててさ。
 他のユニットじゃ、まとめ役みたいな感じで……」

「でも、トラプリは違うでしょ? 凛が主役だから、凛が居ないと成り立たないんじゃない。
 私達三人が対等だから、誰か一人抜けると物足りなく感じる。私は、そう思ってるよ」

「そっか。……そうだな。なのにあたし、凛にひどいこと言っちゃったんだ」

「……凛、言ってたよ。相談してくれなかったのが、ショックだったって」

「うん……怖かったんだ、たぶん。凛とあの人が、遠くに行ったような気がして」

相手にされないんじゃないか。そんな気がしていたんだ。

「そんなわけないよ。トラプリは、凛の実家みたいなもんなんだから」

「……なんだよ、それ」

「え? ほら、NGが嫁ぎ先みたいな感じでさ」

「よく分かんない例えだな……」

「凛が帰ってくる場所はここだし、私や奈緒が一番落ち着けるのも、ここでしょ?」

「それは、まあ……うん」

「凛の方には、あの人が奈緒から受けた相談の説明してるから大丈夫だってば」

「けど……」

「アイドルも、凛も私も、あの人のことも好きで……
 昨日は女子大生アイドルになろうって張り切ってた。なら、明日することは一つでしょ?」

「……うん。凛にも話すよ、ちゃんと……いろんなこと」

携帯のアラームが鳴っている。……なんか、設定してたっけ。

「あ……あーあ、日付変わっちゃったじゃん」

「あ……もう、そんな時間か」

「寝よっか。色々準備してたんだから、無駄にさせないようにちゃんと仲直りしてよ?」

「準備って……なんの……」

呆れたように肩をすくめて、ため息。なんだか、すごくひどい反応だ。



「誕生日おめでと、奈緒」


翌朝。
加蓮には後から行くから、と背中を押されて、洗いたての服に袖を通す。

「はい、電車賃。ちゃんとした誕生日プレゼントは、仲直りしたらってことで」

「……分かったよ。ちゃんとするってば」

ご両親にお礼を言って、事務所へ向かう。
凛には話したいことがある、とメールをしておいた。
来なかったら……その時は仕方ない。それだけのことを、したわけだし。

最寄り駅で降りて、改札を通る。
事務所方面に向かう出口には、見覚えのあるスーツ姿。

「よ、奈緒。事務所、行くんだろ」

「……うん」

「安心しろよ。凛なら、今日は朝一で事務所に来てるから」

「そっか」

いろいろと、言いたいこと、言わなくちゃいけないことがあって。
でも、うまく言葉にできなくて。

「あたしはさ。ずっと……渋谷凛に、憧れてたんだ」

これが多分、今のあたしの一番素直な気持ち。
あたしは……あいつの、ファンだった。あいつみたいに、なりたかった。

「憧れてるだけじゃ、夢は叶わないもんな。
 だから……昨日のアレは、対等な立場での、最初の喧嘩だったんだ」

「ああ。凛もなんか、そんな風なこと言ってたな。
 どんな話をしてたのかは、詳しく聞けなかったけど」

言わなかったのは……自惚れでなければ、凛の優しさなんだと、思う。

「あのさ。私はこれからも、あなたを……
 世界一のユニットのプロデューサーにするために、歌い続けていたい」

顔は見ないまま、あたしは宣言する。
そんなあたしの髪を、あの人は優しく撫でてくれた。

「ありがとな。じゃあ行ってこい。お前の歳が変わって、最初の大仕事だ」




「……おはよう、奈緒」

「……ああ。おはよ、凛」


「……ついてこい、なんて私は言わないよ。
 今まで通り、ひたすら前に向かって走っていくだけだから」

「……あたしは、凛より小さいからさ。
 後ろからついていくんじゃ、お前の背中しか見えないんだよ」

牽制パンチの応酬。

「隣で走って、たまに追い越して。
 お前が躓いたら、笑いながら加蓮と一緒に引っ張ってやるんだ」

「できるの? 昨日まで、私に勝てないって泣いてたのに?」

昨日と違って……お互い、笑っていた。

「春になったら、あたしも女子大生アイドルだからな。
 凛と違って、誰かと付き合ってもそこまで騒ぎ立てられないし」

「……生まれるのが少し早いぐらいで、大人になったつもり?
 受験勉強してる間に、私が既成事実作っちゃうかも」

「凛が? 無理無理、お前一人で加蓮から抜け駆けできるわけないだろ」

ドアの向こうに、人の気配。
ちひろさんだろうか。声だけ聞いたら、少し心配させてしまうかもしれない。

「話があるって言うから始発で来てあげたのに。奈緒、喧嘩売りにきたの?」

「だったらどうする? 今ならたいぶ安くしとくぜ?」

「買うよ。こう見えて私、昨日のこと結構根に持ってるんだから」

「……で、どうするんだ?」

「来月の連休、単独ライブがあるでしょ?
 アイドルらしく、そこでライブバトルするっていうのはどう?」

来月の、トライアドプリムス定例ライブ。
年末年始は余裕ができるか怪しいから、受験までにできる最後のライブかもしれない。

「……乗った。ファンの前で、最近天狗になってる凛の鼻を折ってやらないとな」

「そんなこと言っていいの? 今度は私が、実力で奈緒を泣かせてあげるから」

「二人とも、その辺にしときなよ。ちひろさん、中に入れないでしょ」

「ええと……これは、どういう……?」

「こっそりついてくるぐらいなら、最初からあたしとくれば良かっただろ、加蓮」

「だってほら、凛と奈緒の水入らずの時間を邪魔しちゃ悪いし」

夫婦かよ。じゃあこれは痴話喧嘩か何かか。

「ところで凛、そのライブバトル私も参加していいんだよね?」

「いいけど? その方がプロデューサーも納得しやすいだろうし」

「よし。じゃあ、勝った人は一日あの人を好きにできる、ってことで」

「えっ……!?」

「なっ……!?」

「二人とも、反応が可愛いんだよね。子供っぽいっていうかさ。
 やっぱり、私とあの人がちゃんとしてなきゃまとまらないかな」

「……負けないからな、凛にも加蓮にも。
 お前らの相手ができるのはあたしぐらいだって、世間に認めさせてやる」

「目指すのは一番上なんだから、誰にだって負ける気はないよ。
 二人とも、勝手に逃げたりしたら許さないからね?」


「ええと……大団円、でいいんですかこれ?」

「いいんじゃないですか? いい顔してるでしょ、あいつら。俺の自慢のアイドルなんですよ」

「まあ、そうですね……期待してますよ、プロデューサーさん」



……一ヶ月後。トライアドプリムス、定例ライブ。

衣装を着ると、あたしは少しだけ素直になれる。
それは、あたしがアイドルだってことを意識できるからで。
あの人から受け取った衣装が、勇気をくれるからなんだと思う。

今日のライブバトルは、カバー曲で行われる。
公式には、トラプリ単独ライブ内でのミニ企画……ということになっているらしい。

三人で歌うedeNをオープニングに、最初が加蓮のマリオネットの恋。
次が今凛が歌ってる、迷走Mind。
そして、ラストが……あたし。

「三人とも、割と高年度の曲を選んだな……奈緒、大丈夫か?」

「心配ないよ。この曲はずっと聴いてたし、一人で歌ってたから」

「あたしさ。大学生になったら、伝えたいことがあるんだ」

「……死亡フラグとかじゃないだろうな? 今じゃダメなのか」

「うん。そのときになったら、必ず伝えるからさ。楽しみにしててくれよ」

「なんだよ、もったいぶるなあ……」

「へへ」

今は、このくらいでいい。
春になって、あたしが少し大人になれたなら。
その時は真正面から、あの二人に宣戦布告してやろう。

「……余裕そうだね、奈緒。交代だよ?」

「お前の歌聴いて、変な緊張したくなかったんだよ。
 ……それじゃ、行ってきますっ」

「ああ、楽しんでこい!」

今は、少しだけあたしのことを意識してくれるだけでいい。



これがあたしの、first stage。




くぅ疲
一週間もかける内容じゃないですねこれ、もうちょっとまとまった時間で一気に書けるようにしたい

遅れちゃったけど奈緒ちゃん誕生日おめでとう、三人揃って声がついてedeNのカバーとかしてくれると俺得ですはい

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