【デレマスSS】オルゴールの小箱【綾瀬穂乃香】 (48)


--------------心にそっと蓋をする。


--------------鳴り響く、オルゴールの音色を止めるように。


--------------心に堅く鍵をかける。


--------------思いが、溢れ出てしまわないように。



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###############


出会いは偶然だった。


出張先でぶらついていると、公園で1人悩む女の子を見かけた。


その女の子の表情が、儚げで、綺麗で、目を奪われた。


とても、10代の女の子がする表情ではなかった。






なぜそんな表情をしているのか、彼女の話を聞いて納得した。


彼女は自分の人生に、息もできない閉塞感を感じているようだった。


たかがバレエと言ってしまえればいいのかもしれないが、きっと彼女は本気でバレエに一途に生きているのだろう。


それを理解するとひどく心配になった。


彼女の人生からバレエがなくなると、彼女の人生そのものが喪失してしまうかもしれない。




大袈裟かもしれないがそのように思えたので、彼女をアイドルの世界に導いた。


穂乃香「これから、よろしくお願いします!」


そう冷たい顔で挨拶をする彼女の表情は、今でも脳裏に焼きついている。



「バレエの有力選手だったので、話題性は抜群です。また、ダンスの実力はピカ1。このチャンスを逃す手はありません」


彼女の推薦書には、このように書いておいた。




だが、本音は別だ。


公園で見た彼女の表情が、とても心配で。


道は1つではない、遠回りをしないと見えない景色もある。


それを彼女に知って欲しかったから、彼女をこの世界に導いた。




我ながらひどい公私混同だ。


このことは会社には、いや彼女本人にさえ聞かれてはいけない。


ガチャリ、堅く鍵をかける。



###############


アイドルとしてのレッスンを始めたが、やはり彼女は恐ろしくストイックだった。


穂乃香「お願いします!もう一度!納得がいかないんです!」


トレーナー「駄目だ。もう限界ギリギリまでやってる」


穂乃香「お願いします!」


トレーナー「何度も言ってるだろ。もうお前は100点まで仕上がってる。これ以上のレッスンは無駄だ」


穂乃香「私は自分のパフォーマンスに納得いっていないんです!全然、100点じゃありません!」


トレーナー「お前はきっと、自分に納得することなんてないだろう?だから駄目だ!」


そう言いきって、バタンと扉を閉めるトレーナーさん。




穂乃香「どうして...?やっぱり私は...」


悲痛な顔で落ち込む穂乃香。


見ているこっちまで心をぎゅーっと握りつぶされるような思いになる。


P「トレーナーさんの言う通りだ。穂乃香のパフォーマンスはもう人前に出しても恥ずかしくないよ」


穂乃香「...恥ずかしくない...じゃ駄目なんです...」


消え入りそうな声ではあったが、はっきりと心に届いた。


穂乃香「やっぱり私には...もう...」


さっきのトレーナーさんとのやりとりは、穂乃香のストイックさだけが招いたことではないのだろう。


不安なんだ、穂乃香は。


自分の生きる道だったバレエから一旦外れ、別の道を歩いている。


もしその道の先に、辿り着くべきところがなかったら...?




どうにか穂乃香の不安を取り除いてあげたかったが、かける適切な言葉を探しているうちにタイミングを失った。


P「まぁ、ゆっくり進もう。時間はまだまだあるよ」


伝えたい事はもっと山ほどあるのに、こんな言葉しかかけてあげられない。


彼女の憂いを消し去ってあげたいのに、それができない。


自分の無力さにイラついて、頭がどうにかなってなってしまいそうだった。


################


穂乃香「お菓子作り...ですか..?」


P「あぁ、レシピ本だけでお菓子を作るチャレンジだ。いい映像が撮れればTVで使ってもらえる可能性もあるぞ」




穂乃香の初めての大きな仕事はステージ以外にしよう。これは初めから決めていた。


新しい道の一歩目こそ、今での道と全く違う景色を見て欲しかったからだ。


穂乃香「わかりました。料理は授業以外でやった事はありませんが、頑張ります」


普通のアイドルであれば、ようやく自分をアピールできる大きなチャンスが来たことに喜ぶのだろうが、穂乃香は違った。


『この仕事が自分の辿り着きたい場所に近づくために必要なのだろうか?』


きっとそういう類の疑問が頭の中で巡っているのだろう。


仕事を快諾した反面、その表情からポジティブな感情を見出すことはできなかった。


それでもやると決めた仕事はきちんとやるのが穂乃香だ。


早速、本番に向けた練習が始まった。


穂乃香「では、手始めにクッキーを作りますね」


女子寮のキッチンに立つ三角巾にエプロンをした仏頂面。


なんだかミスマッチに思えて、笑い出しそうになるのを少し堪えていた。



穂乃香「とりあえずレシピ通りに一旦作ってみますね。おかしなところがあったら遠慮なく指摘してください」


そう言ってレシピ本片手にクッキー作りに取り掛かる穂乃香。


穂乃香「えっと、まず小麦粉の分量を...」


はかりに置いたボウルにちまちまと小麦粉を入れる穂乃香。


穂乃香「えっと...あと10gだからこのくらい...」


きっちりかっちりレシピ通りにしようとしているのだろう。


少し重さをオーバーしたり、足りなかったりを何度も繰り返す。


穂乃香「あぁっ...今度は2g少ない...今度こそ慎重に...」


かれこれ10分近く試行錯誤を繰り返している。


不器用ながら一生懸命はかりとにらめっこしている様はほほえましくて、いつまでも見ていたいとも思ったが、いかんせん時間がかかりすぎるので一言口を出す。


P「2gくらいは誤差じゃないか?次の行程に入ったらどうだ?」


穂乃香「いいえ!レシピ本はこの分量が最適だと判断して書かれているのでしょうし、それをきちんと守らないと美味しいクッキーは.......きゃあ!」


そう答えていた途中で、手元が狂ったのかボウルの中に小麦粉を全部ぶちまけてしまった。


P「おっ、おい!大丈夫か?すまん、話しかけるタイミングじゃなかったな」


パラパラ舞う小麦粉にケホケホとむせる穂乃香。


穂乃香「ケホ...だっ...大丈夫です...少し手元が狂ってしまって...」


穂乃香「...はっ、はっ、くしゅん!」


クシャミをした瞬間、反動で前かがみになった穂乃香は...


そのまま顔を小麦粉いっぱいのボウルに突っ込んでしまった。


穂乃香「ゴホッ...ゴホッ...。ふぁ...ふぁっくしゅ!」


真っ白な顔で、堪らず咳とクシャミを繰り返す穂乃香。


P「おいおい、大丈夫...か...プッ...クスッ...ほら...濡れタオルだ...顔...プッ...吹けっ...」


ここまでくると流石に笑いを堪えるのが限界だ。


タオルを渡すために穂乃香の方を見た瞬間、やっぱり笑いの閾値を超えてしまった。


穂乃香「...そんなに笑わなくても...」


タオルで顔を拭きながら、不満を漏らす穂乃香。


しかし顔を拭き終わった瞬間、穂乃香も笑い出した。


穂乃香「でも確かにおかしいですね...小麦粉をひっくり返して...それでクシャミして...そこに顔をつっこむなんて...」


ふにゃっと力の抜けた笑顔を見せる穂乃香。


ドクっと心臓が跳ねる音がした。


スカウトしてから数ヶ月経ったが、俺の知っている穂乃香はいつも真面目な無表情か仏頂面だった。


初めて知った穂乃香の笑顔は、優しくて暖かくてとても可愛かった。


初めて会った時、俺は彼女の儚げな顔に心を惹かれた。美しさに魅せられた。


でも、穂乃香にはいつでもこんな顔をしていて欲しいなと思えるほど優しい笑顔だった。


穂乃香「...なんだか久しぶりに笑った気がします...。さて、プロデューサーさん、気を取り直して続きをしましょうか」


それからも、レシピ本に熱中しすぎて牛乳を零したり、


「生地を寝かせるとはなんでしょう?布団が必要ですか?」と真面目な顔で尋ねたり、


キリッとしたストイックな普段の一面とは違い、ボケボケした穂乃香をみることができた。


そしてクッキーは完成する。


穂乃香「では、オーブンを開けますね...」


ゴクリと緊張した面持ちの穂乃香。


ガタンと蓋を開くと、黄金色の美味しいそうなクッキーが出来上がっていた。


穂乃香「わぁ、すごい!美味しそうです!」


両手にプレートを持って、ぱぁぁぁぁと満面の笑みの穂乃香。


さっきのふにゃっとした笑顔とは違う、心から嬉しさが溢れ出て止まらないような表情。


それを見てなんだかとても嬉しくなるとともに、またボケてプレートをひっくり返さないかドキドキしていた。


穂乃香「わぁ、本当に綺麗に出来ましたね。凄いです!」


まるで新しい化合物でも発見したかのようなテンションではしゃぐ穂乃香。


穂乃香「では、試食をしないといけないですね。最初はプロデューサーさんに」


そう言って、つまんでいたクッキーをおれの口元に持ってくる。


P「へ?」


穂乃香「え?」


バチっと目があった瞬間、みるみるうちに穂乃香の顔が赤くなっていく。


穂乃香「ああぁぁ///すみません///テンションが上がってしまって///私///」


耳で赤く染まってしまった穂乃香。頭からプシューという擬音さえ聞こえる。


P「あああああああいや、その、俺も、なんか、すまん...」


テンパってるのは俺も同じなようだ。上手く言葉が紡げない。


P「...じゃ、じゃあ、お先にいただきます...」


掌をすっと差し出し、その上にひとつ置かれるクッキー。


それをヒョイっと口に入れ、咀嚼する。


サクッとした歯ごたえ、ふわっとした甘みが鼻腔に広がる。


P「うん!美味しい!美味しいぞ!」


本当に美味しかったので、素直に感想を伝えた。


穂乃香「本当ですか?よかったです!」


今度はホッとした安堵の表情。


達成感からか、すっと穂乃香が少し脱力するのがわかる。


穂乃香「では私もいただきますね」


モグモグとしっかりクッキーを咀嚼し、ゴクッとしっかりクッキーを飲み込んだ後に、安堵の表情を強めて言った。


穂乃香「本当に、美味しいです。これを、私が作ったんですね...」


大袈裟なほどに感慨深く言う穂乃香が、本当に本当に可愛らしかった。


初めて挑んだお菓子作りのお仕事。


やっぱり本番もボケボケで、いくつかのカットがTVでも放映された。


初めての大きな仕事としては、大成功だろう。


だが、OAを事務所で見た穂乃香はよほど恥ずかしかったらしく、手で半分顔を隠しながら、耳まで真っ赤になっていた。


俺としては穂乃香の仕事の成功と同じくらい、穂乃香のいろいろな表情が見られて嬉しかった。


あんなに表情が豊かで、優しく暖かく可愛らしい笑顔をする子だなんて思ってもいなかった。


今はまだストイックな真面目顔がほとんどだけれど、いつか彼女の憂いを消し去ることができた時、いつもあの顔が見られるのだろうか?


そう思うと、もっと彼女のために頑張りたいと思った。




ただこの想いは、鍵をかけておくべきだ。


溢れ出てしまわないよう、ガチャっと鍵をかける。


########################


それからいくらか時間が経った。


穂乃香の頑なな態度は幾分柔らかくなったものの、それは普段の生活上だけだった。


いざレッスンが始まると、その目は表情は固く冷たくなり、何かを振り払おうとしてあがいているような息苦しさを感じる。


トレーナーさんの声も、俺の声も、穂乃香には届かない。


そういった現状に危機感を感じてるのは俺だけではなかった。


トレーナー「綾瀬のことですが、彼女はどうレッスンしていくつもりですか?」


この言葉は、字義よりももっと重い。


綾瀬穂乃香は技量的にはもう完璧に近いものがある。


ただ、決定的に足りないものがある。致命的に届かない壁がある。


その壁を破ることができない限り、これ以上ステージを見越したレッスンも無駄だ。


そう思わせる強い絶望感が、その言葉にはあった。



だが、もう我々にしてやれることはなかった。


P「どうすればいいんでしょう...伝えるべき言葉も伝えましたし、この先は彼女自身がアイドルに何を見出すかという問題しか...」


そう。もうこれからは綾瀬穂乃香自身だけの問題だ。




どうすればそのステップを踏ませてあげられるか悩んでいると、レッスンスタジオの扉が開かれて元気な挨拶が聞こえた。


???「おはようございます!あれっ?早く来すぎたでしょうか?」


ストレートに揃った前髪に、ボブカットの短髪。きりっとした眉毛に真っ直ぐな瞳を携えた少女が扉の前であたふたしていた。


トレーナー「あぁ、おはよう。すまんな、前のレッスンが少し長引いていただけだ。大丈夫、入ってきていいよ」


トレーナーさんがその子を室内に呼び込む。


トレーナー「すみません。新人の子の初レッスンが入ってまして、綾瀬のレッスンはここまででも構いませんか?」


P「あぁ、そんな時間になってましたか?すみません、レッスン初めてもらって構いません」


時計を見るともう決められたレッスン時間は過ぎていた。


トレーナーさんをこれ以上付き合わせるわけにはいかなかったので、次の子のレッスンを始めてもらうことにする。



トレーナー「あぁ、紹介しておきますね、この子工藤忍っていいます。先日オーディションを合格して、今日が初めてのダンスレッスンなんです」


忍「工藤忍です!アイドルになりたくて上京して来ました!よろしくお願いします」


工藤忍と名乗った子はそう言うと深々と頭を下げた。溌剌とした、元気のいい子だ。


P「丁寧にありがとう。これからよろしく!向こうで休憩しているのは、君より少し先輩の綾瀬穂乃香だ」


穂乃香を紹介したものの、彼女は部屋の隅で俯いて何かを反芻している。こちらの会話に気がつかない。


忍「はい!Pさんに、穂乃香ちゃんですね!これからよろしくお願いします!」


真っ直ぐでいい子だな。一目でわかる魅力が彼女にはあった。


P「穂乃香、お疲れ様。次の人のレッスンが始まるみたいだし、今日はこのくらいにしよう」


隅で俯く穂乃香に声をかけても、やはり彼女に言葉は届かない。


穂乃香「もう...終わりですか...?私はまだ...何も掴んでいません...」


真下にある暗い空間に向かってボソッと呟く穂乃香。


これは俺に当てたのではない。


彼女自身の進捗のなさへの不安が言葉として漏れ出ただけだ。


P「まぁ、こんな日もあるさ。大丈夫。今日のレッスンも明日には糧になってるよ」


幾度となく繰り返し送った、当てもない希望のような慰めの言葉。


もう俺には、こういう言葉しか見つからなかった。


穂乃香「...はい...」


諦めにも似た空虚な返事。


このやり取りももう何回繰り返しただろうか?


当たり障りのない慰めの言葉と、当たり障りのない空虚な言葉。


そんなやりとりが、俺と穂乃香の日常になってしまっていた。


穂乃香がすくっと立ち上がったとき、トレーナーさんの声が部屋に響く。


トレーナー「忍!なんだそのダンスは?ヘロヘロじゃないか?レッスンビデオは見て来たのか?」


忍「はい!見ました!すみません、思うように体が動かなくて!もう一度お願いします!」


トレーナー「オッケー!じゃあ、2小節前のとこから行くぞ!レディー?」


音楽に合わせてぎこちないダンスをする工藤さん。


なるほど、初レッスンらしいダンスだ。よく言えば初々しいダンス。


リズムはずれ、振りは流れてしまっている。


踊っているというより、音に流されている感じ。




だが、彼女は真っ直ぐだ。


上手く出来ないながらも、1つ1つの動きは「嬉しい」「楽しい」の気持ちに満ちている。


トレーナーさんもそれを感じているのだろう。


怒声を響かせているが、彼女もポジティブな気持ちが溢れている。


きっと彼女はいいアイドルになるだろう。


そうぼんやり思いながら、彼女のレッスンの邪魔にならないよう穂乃香を退室させようと彼女に向き直った俺は、ハッとした。


工藤忍のレッスンを見つめる穂乃香の顔に、一雫の光がつたっていた。


P「穂乃香...?」


何が起こったかわからず、ただ彼女に問いかける。


彼女は俺の声に聞く耳を持たず、ずっと工藤忍のダンスを見続けていた。


トレーナー「よし、今日はここまでのフリを仕上げるぞ。じゃあ一旦休憩だ!」


そうトレーナーさんが工藤忍のレッスンを区切るまで、穂乃香はずっと微動だにしなかった。


頰をつたわる涙を拭おうともせずに。


忍「あっ!Pさんに穂乃香ちゃん?見てたんですね...うぅ...ダンスって見てるより全然難しいですね、上手く体が動かなくて」


忍「下手なダンス見られて、恥ずかしいなぁ」


そう顔を赤くする彼女に、穂乃香は真剣なトーンで語りかける。


穂乃香「...下手じゃ...ありません...」


忍「へ?いやいやそんな、ありがとう。でも、トレーナーさんにもたくさん怒られたし、頑張って上手くならないとね」


穂乃香「...技量の問題ではないです...私、忍さんのダンスに...感動しました...」


そう言って、鼻をすする穂乃香。


鼻先は真っ赤、目も頰も真っ赤。


どうやら本当に心の底からの涙らしい。


忍「かっ!?感動!?まさかまさか、私のダンスなんて...」


困惑する工藤さん。それはそうだ。


初レッスンでトレーナーさんに怒られて、それを見てた先輩が感動で泣き始めるなんて、そんな場面すぐに理解できるわけがない。


穂乃香「忍さんのダンス...いろいろな暖かい気持ちが溢れて、それが伝わってきて...こんなダンス...私知らないです...」


残念ながら、穂乃香の涙の裏にどういう感情があるのかわからない。


けど、その涙をみて、その言葉を聞いて、俺は理解したことがある。


きっと穂乃香はやっと、壁に向かい合えた。


目の前を覆い尽くす雲をなぎ払って、目の前にそびえていた問題にようやく気がついた。


何が自分に足りなくて、何を自分が目指せばいいのか明確に理解できた。




彼女に必要だったのは、先を導いてくれるプロではなかった。


目の前の雲を薙ぎ払うのは、俺の役目ではなかったんだ。


必要だったのは、同じ目線で、自分に足りないものを持っている仲間だったんだ。


その証拠に、彼女はその直後工藤忍との合同レッスンを申し出て、共にレッスンを受けた。


その穂乃香のダンスは、飛躍的に変わったものがあった。


その姿を見て、俺もトレーナーさんも安堵を感じた。


深い霧の中にいた穂乃香に、一筋の光が射した。


進むべき道の輪郭が、照らされた。


彼女はきっと、その光を頼りに進んでいけるだろう。


しかし俺は安堵と共に、少しとは言い切れない悔しさを感じていた。


綾瀬穂乃香が見出した工藤忍の輝きを理解できなかった。


綾瀬穂乃香の涙の裏の感情を思いを、理解できなかった。


工藤忍は確かに素晴らしかった。ダンスを見てるとワクワクして、元気をもらえた。


ただ、涙が溢れて止まらなくなるような感動を味わうことはできなかった。


綾瀬穂乃香の見ている世界を、感じている世界を、俺は見えていないんだ。


そんなの当たり前だと冷静な自分が言う。


彼女と俺は別の人間だ。価値観も信念も何もかもが違う。


でもそれでは納得できないと、沸々と湧いてくる感情がその言葉を覆い尽くす。


彼女を理解したい。彼女の見ている世界を共有したい。


そういう気持ちが、暴れ出して止まらない。





綾瀬穂乃香と工藤忍のダンスを後ろから見ながら、暴れ出した気持ちを押さえつけて、閉じ込めて、鍵をかける。


これでいい...こうしないといけないんだ...。



################


それからまた幾らか時はたった。


いつしか穂乃香は、工藤忍とレッスンをすることが多くなった。


プライベートでも仲は良好らしい。


仲間の存在は劇的に穂乃香を変えた。


今では柔らかな表情、態度を見せることがますます多くなった。


今日は地方の夏祭りでの一人のステージだ。


ステージといっても、盆踊りのサポートみたいな仕事だ。


アイドルが盆踊りをレクチャーし、みんなで楽しく踊るというのが趣旨のイベント。


穂乃香もとても楽しそうで、この仕事を受けてよかったと心から思えた。


イベントの後は、たっぷり祭りを楽しんでほしいという先方の好意に甘える。


衣装の法被から浴衣に着替えた穂乃香が、恥ずかしそうにトコトコと歩いてきた。


青を基調とした色合いに牡丹の柄の浴衣。白く太い帯が穂乃香の清楚な綺麗さを映えさせる。


青い控えめな髪飾りもすごく素敵だ。


あまりに見惚れていると、少し顔を赤くした穂乃香がたずねてきた。


穂乃香「あの...どこか変なとこありますか?」


P「え?変なとこ?」


穂乃香「はい。あまりにも、その、じっと見ていたので...」


そう言って、もじもじっと動かす指を見つめてしまう穂乃香。


P「いや、綺麗な...浴衣だとおもって」


恥ずかしさが酷く、目が合わせられない。


穂乃香「そうですよね...はい。実行委員の人が、呉服屋の中でも一級品を持ってこられたとおっしゃってました」


そう言ってニッコリ笑う穂乃香。


穂乃香「プロデューサーさん!私、早く屋台を回りたいです!」


屋台を回る穂乃香は、まるで幼い子供のようにはしゃいでいた。


穂乃香「うぅ...綿菓子食べるの難しいんですね...鼻にくっついてしまいます」


穂乃香「金魚すくいですか...金魚を掬うのか、救うのかどちらなんでしょうか?」


1つ1つの屋台に喜び、驚き、リアクションをする。


コロコロと変わる穂乃香の表情は、どれも愛くるしいかった。


そんな感じでゆっくり屋台を回る穂乃香に、たくさんの声がかけられる。


焼きそば屋の店主「おぉ!嬢ちゃん!さっきは凄かったね、おっちゃん年甲斐もなくときめいちまったよ」


穂乃香「いえいえ、お役に立てて嬉しいです」


焼きそば屋の店主「そうかいそうかい、いい子だねぇ。お礼と言っちゃなんだけどよ、焼きそば持って行ってくれよ!」


穂乃香「えぇ?いいのですか?ありがとうございます!」




りんご飴屋店主「ちょい!アイドルさん!」


穂乃香「私でしょうか?」


りんご飴屋店主「もちろんだよ。いやー近くで見ると本当に別嬪さんだねぇ」


穂乃香「いえいえ///そんな///」


りんご飴屋店主「アタシも若い頃は別嬪だって村中の噂だったけど、アンタには叶わないねぇ」


穂乃香「恥ずかしいです...///」


りんご飴屋店主「これ持って行きな!応援してるからさ、頑張るんだよ!」


通りかかったお客さんたちも「頑張ってね」「またきてね」と、暖かい言葉をかけてくれる。


1つ1つ丁寧に言葉を返す穂乃香は、きっと社交辞令ではなく本気で喜んでいるのだろう。


小さな規模ではあるものの、穂乃香の頑張りが報われたことが、とても嬉しかった。


そしてメインの花火の時間、俺と穂乃香は実行委員の人が用意してくれたvip席にいた。


隣に座り、いただいた食べ物を二人で分ける。


穂乃香「私、こんな暖かい世界、知りませんでした」


唐突に穂乃香が話を始める。


穂乃香「バレエをやっていた頃は、自分の演技とスコアとばかり向き合っていました」


穂乃香「ただ自分の演技を完璧にすることに徹底する。そういう世界で生きてきたんだと思います」


穂乃香「誰かに何かを届ける。そしてそれが暖かく目に見える形で返ってくる」


穂乃香「心と心の通い合い。それがアイドルなんですね」


P「心と心の通い合いか。確かに、そうかもしれないな」


穂乃香「はい。歌う、踊るではなく、伝える。私、それを大事にしたいと思います」


そう言って微笑む目の前の笑顔には、かつての憂いも悲しみもなかった。



穂乃香「アイドルを初めて、たくさんの世界を知りました」


穂乃香「初めのおかし作りもそうですが、忍ちゃんにゲームセンターに連れて行ってもらったり、こうして夏祭りに来たり」


穂乃香「どれも大事な素敵な思い出で、もっともっとたくさんの世界を知りたいです」






見せてあげたいと思った。連れて行ってあげたいと思った。


たくさんの景色を見せてあげて、世界はこんなに広いんだって教えてあげたい気持ちになった。


それに自分自身も知りたいと思った。感じたいと思った。


綾瀬穂乃香が、世界をどう見るのか。


自分では1つ1つ普通だ、つまらないと見落としていた世界を、


綾瀬穂乃香は1つ1つ綺麗だ、大切だと拾い上げて愛おしむ。


彼女と一緒だと、いろんな世界を愛せるような気がする。



ヒュー!ドン!


暗闇に一輪花が咲く。


遅れてやって来た爆発音が、空気を体を震わせる。


穂乃香「きゃっ!」


ビクッと身体いっぱいで驚く穂乃香。


穂乃香「花火って綺麗だけじゃないんですね。音の圧がすごいです!」


それからしばらくの間、空を彩るたくさんの花を見つめていた。


穂乃香「...わぁ、綺麗...」


大きな音にビクつきながらも、感嘆の声を漏らす穂乃香。




やがて花火は終わり、嘘のように暗く静かな空間に変わる。


穂乃香「プロデューサーさん...来年も再来年も、またここに来たいです...」


涙声でボソッと穂乃香が呟く。


P「あぁ、そうだな。頑張って、また呼んでもらおう」


################


綾瀬穂乃香はゆっくりだが、一歩ずつ着実に歩んで行った。


自分がどこにいるのか、そういうところからじっくり進んできた。


遠回りの回り道から始まった彼女のアイドル人生は、ひとつの到着点を迎える。




穂乃香「プロデューサーさん、衣装...似合ってますか?」


P「あぁ、よく似合っているよ」


ある程度の大きなハコで、ある程度の数のお客さんを迎える初めてのステージ仕事だ。



P「緊張しているか?」


いくらバレエで場慣れしているからといえど、真面目でストイックな穂乃香だから、緊張は相当のものだろう。


穂乃香「えぇ、さすがに少し緊張しています」


きゅっと衣装の胸元を掴む穂乃香。


穂乃香「ただ...それ以上に楽しみなんです!たくさんの新しい出会いが、積み重ねた思い出が、私のパフォーマンスをどう変えてくれたのかを知るのが」


満面の笑みをみせる穂乃香。


あぁ、もうこの娘は大丈夫だ。こんな顔で笑える娘が、受け入れられないわけがない。


P「よーし、行ってこい!初めてのステージ、楽しんで来い!!」


穂乃香「はい!行ってきます!見守っていて、くださいね!」


ステージ裏から穂乃香のステージを見守る。


はじめから完璧に近かったパフォーマンスに、たくさんの暖かくて優しい気持ちが乗っかった。




---------------最初は公私混同だった。


---------------憂いている彼女を心配し、なんとかしてあげたいという気持ちだった。


---------------彼女をみていて、たくさんの感情を経験した。


---------------憤り、怒り、苦痛、悲しみ、喜び、


---------------そして・・・


---------------ただ、勝手に鳴り響くこのオルゴールの音色は彼女の夢とにとっては不協和音だ。


---------------この思いを知られてしまうと、守れなくなってしまう。彼女を。




---------------だから,心にそっと蓋をした。


---------------鳴り響く、オルゴールの音色を止めるように。


---------------心に堅く鍵をかけた。


---------------思いが、溢れ出てしまわないように。


やがて穂乃香のパフォーマンスが終わり、舞台裏に帰ってきた。


P「おかえり!よかったよ!!」


穂乃香「本当ですか!ありがとうございます!」


汗だくで息も上がっているなか,俺の言葉にしっかりと返してくれた。


穂乃香「踊っていて、全然違いました。どうしようもなく楽しくて」


今にも泣きだしそうな穂乃香。


穂乃香「ファンの方もあったかくて・・・」


声が、肩が、瞳が震えている。


穂乃香「私、アイドルになってよかったです!」




---------------思いが暴れだす。




穂乃香「あのとき,プロデューサーさんと出会えてよかったです!」




---------------ガチャリ。ガチャリ。しっかり閉じていたはずの鍵が開かれていく。




穂乃香「プロデューサーさんと一緒に歩くことができてよかったです!」




---------------ダメだ,しっかり閉じていた蓋が開いてしまう。


---------------思いが溢れて,音色が漏れ出してしまう。




穂乃香「これからもよろしくお願いします!」


穂乃香の両目から,涙が零れる。







---------------"あぁ,君が好きだ。君が好きで、どうしようもないんだ・・・"






ガシッと穂乃香の両肩を掴む。


穂乃香と向かい合って、言葉を絞り出す。


P「あぁ、俺も穂乃香と出会えてよかった。プロデュースできてよかった」


P「だから、これからも『プロデューサー』としてよろしくな」




---------------感情を殺して、もう一度オルゴールの小箱の蓋を閉じる。


---------------鍵をかけなおす。




穂乃香「はい!よろしくお願いします!!」


涙ながらも満面の笑顔を返してくれるその表情が,何よりも救いで。


そしてちょっぴり残酷だった。



################


帰りの車内。


すっかり脱力して、ぴにゃ?なんとかのぬいぐるみを抱いた穂乃香が俺に尋ねる。


穂乃香「プロデューサーさん、本当に私のパフォーマンスがいいと思っていましたか?」


P「ん?何度も言ったじゃないか。最高のパフォーマンスだったよ」


もうこの質問を数回繰り返している穂乃香。


穂乃香「そうですか・・・いえ、プロデューサーさんのことは信頼しているのですが」


P「しているのですが?」


穂乃香「プロデューサーさんとお話していると、いつも何か見えないベールを感じてしまって」


穂乃香「心の底に何かを隠して、鍵をかけているってそういう気がしてしまうんです」


穂乃香「失礼で申し訳ございませんが」


背筋が凍る・・・もしかして穂乃香に気づかれて・・・


穂乃香「プロデューサーさんが何をそこにしまっているのかはわかりません」


穂乃香「ただ、わかるんです。私もそういう性格なので」


穂乃香「思いをしまい込む思いというものが」


穂乃香「私もずっと大事な箱の中に思いをしまい込んできました」


穂乃香「その中身は、昔と今では違いますが」


そう何かを慈しむようにゆっくりと話す穂乃香。


穂乃香「だから、私頑張ります!」


穂乃香「いつか,プロデューサーさんの心の奥の思いを、その鍵を開けられるように」


そう強気に笑う穂乃香。


きっとそんな日が来ることを願いながら、鍵のついたオルゴールの小箱をそっと心の引き出しにしまう。


然るべき日に、然るべき音色を響かせることができるように・・・。




END


終わりだよ~(AA略


少しでも皆様の心が豊かになればこれ以上の幸いはありません。


穂乃香かわいいよ穂乃香。

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