「冷蔵庫に入れてあったはずのプリンがない」
午前中のレッスンと、お昼の収録、ハードな一日の最後にはやっぱり甘いものを、
ということで買っておいたちょこっとだけ高いプリンが、ない。
疲れて、お腹も空いていたからか、普段はそんなことで怒ったりなんてしないのに、
楽しみを奪われた怒りで頭の中がいっぱいになってしまった。
誰が食べたか知らないけど、さ。酷いことするよね。
このままじゃ、なんかモヤモヤするし、事務所にいる人たちに聞いてみよう。
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まずは、ずっと事務所にいたちひろさんに。
そう思い立って、ちひろさんのデスクへと歩いていき、肩をとんとんとたたく。
「ねぇ、ちひろさん。冷蔵庫に入ってた私の、知らない?」
私がそう声をかけると、パソコンに向かって何かを打ちこんでいたちひろさんは作業の手を止めて
椅子をくるりと回転させて私の方へと向き直る。
「お疲れ様です、凛ちゃん。凛ちゃんの、ですか? 何か大事なものを冷蔵庫に?」
ハズレだ。
わざと、“プリン”とは言わずに、カマをかけてみたものの、食べてない人が相手では意味がない。
「お菓子を入れておいたんだけど……なくなっちゃってて」
「あら……じゃあ、そんな凛ちゃんには、こちらをプレゼントしますね」
ちひろさんはそう言って私に、デスクの引き出しからチョコレートを取り出して、私にくれた。
慰められた、のかな。
「ありがとう、ございます。あはは、なんか恥ずかしいな。こんなくだらないコトでごめんなさい」
「いえいえー。それじゃあ、犯人探し、頑張ってくださいね!」
犯人探し……?
ああ、そっか。チョコレートをもらってすっかり忘れていたけど、まだ私のプリンを食べた犯人は見つかっていない。
今日はもうこれでお仕事はないし、いっそ、犯人を見つけてこのモヤモヤを晴らしてやるとしよう。
未央。
「災難だったねーしぶりん。では、そんな渋谷君にはこの未央ちゃんが、飴をあげよう」
卯月。
「お菓子、食べられちゃったんですか? クッキーをあげますから元気出してくださいね! 凛ちゃん!」
楓さん。
「お菓子がないなんて、おっかしー、ですね。ふふふ」
文香。
「すみません、つい先ほど事務所に来たばかりで……」
奈緒。
「必死で聞き込みしてると思ったら、お菓子かよ! でも、残念だったな! アタシじゃねぇ」
加蓮。
「私でもないよー、人のもの勝手に食べたりしないし。あ、でもポテトだったら分かんないかも」
……だめだ。手がかりなし。
卯月や未央には慰められちゃうし、加蓮や奈緒には笑われる始末だ。
楓さんは、いつもあんな感じだし、ノーコメント。
文香は、読書の邪魔しちゃって悪いことしたかな。
しかし、これだけ聞き込みをしても、手掛かりがないとなると八方塞、もうどうしようもない。
諦めて帰ろう。そう思って、ため息を一つ吐きだしソファから立ち上がると、事務所のドアが開く音がした。
入ってきたのはプロデューサーだった。
どこかの現場に顔を出してきたのか、はたまた営業か、外出の理由は分からなかったけれど
プロデューサーが帰ってきた。
そういえば、プロデューサーにはまだ聞いてない。
「おー、凛。収録終わったのか。お疲れさん」
「プロデューサーもお疲れ様。暑そうだね」
「まー、こんだけかっちりしたの着てるとなー」
「ねぇ、プロデューサー。質問なんだけどさ。冷蔵庫に入ってたやつ、知らない?」
「冷蔵庫?」
「うん」
「なんだ、プリンでも入れてたのか?」
ビンゴ。
こうもあっさり引っかかられると拍子抜けだ。
「ねぇ、なんで“プリン”って知ってるわけ」
「いやー……あの、ですね。凛さん」
「言い訳は聞きたくないよ」
「ごめん。差し入れか何かで、食べていいものかと思って」
「普通、自分のものじゃないのに食べる?」
「はい、すみません。返す言葉もありません」
「ねぇ、見てこれ。チョコにクッキーに飴。誰がくれたと思う?」
「………………」
「ちひろさんと卯月と未央」
「はい」
「プリンがなくなっちゃって、落ち込んでる私にくれたんだよ」
「…………」
「それ、で。私の担当プロデューサーさんは、というと?」
「担当アイドルさんのプリンを勝手に食べました」
「そう。信じられないよね。大人としてどうかと思うよ」
「…………」
「だいたい、プロデューサーは私のだと分かって食べたんじゃない?」
「もう、ごめんって。今度買ってくるし、なんならもっといいやつ買ってあげるから」
「そういう問題じゃないでしょ?」
「何度も謝ってるだろ? 大体、そんなに取られたくないんなら名前でも書いとけよ」
「ふーん。そこでそういう態度なんだ」
「あ……いや、ごめん。今回は俺が全面的に悪い」
「……それで?」
「ご飯でも行こうか、何でもご馳走するよ」
「ふふっ、最初っからそう言えばいいんだよ」
「あー! お前、最初っからそういう作戦かよ!」
「元はと言えば、勝手に食べたプロデューサーが悪いんでしょ?」
「そうだけどさぁ」
「はいはい、さっさと仕事片付けてよ? プリン食べた上に、待たせたりなんてしないよね」
「………はい」
なんて、やりとりの後、プロデューサーは自分のデスクに戻っていき、作業を始める。
加蓮と奈緒がこっちを見て「また、やってる」とかなんとか言いながらくすくす笑っていたのは見なかったことにしよう。
プロデューサーの仕事が済むまでの時間を私は本を読んで過ごすことにした。
文香に本を借りて、静かな場所へ。
ちひろさんに来客の予定があるか、と聞いたところ、今日はもうないらしいから
応接室を使わせてもらうとしよう。
文香が貸してくれた本は恋の話の短編集だった。
甘酸っぱい話。
ちょっとほろ苦い話。
胸が締めつけられるような話。
四編ほど読み終え、少し休憩しよう、と伸びをしているところに、ノックの音がこんこんこん、と三度飛び込んだ。
「おまたせ、準備できてる?」
プロデューサーだ。
気が付けば、時計の短い針が指す数字は一つ、大きくなっていて
窓の外はオレンジ色から、うすい紫に変わっていた。
「遅いよ」
「ごめんな、ご飯行こうか」
「うん」
「何が食べたい?」
「何でもいいよ」
「それが一番困るんだけどなぁ」
だって、ほんとに何でもいいし。
私の場合、「何でもいい」の前に「プロデューサーとなら」って入るんだけど。
二人して、事務所を出て、いつもの社用車ではなくプロデューサーの車に乗り込む。
「イタリアン、なんてどうだろう」
私の顔色を窺うかのようにプロデューサーがそう言うものだから、なんだかおかしくなって思わず吹き出してしまう。
「言ったでしょ? 何でもいい、って」
「じゃあイタリアンだ」
「うん。楽しみ」
このとき、既にプリンのことは、もう頭になくなっていた。
「ねぇ、プロデューサーって和食と洋食どっちが好き?」
「んー、どっちも好きだよ。凛は?」
「和食」
「今からイタリアン行くのに?」
「和食って、言ったら困るかな。と思って」
「お店に着いたら、和食がないか聞くか」
「絶対、やめて」
こんな、ばかみたい会話の風呂敷を広げて、広げて、
とうとう畳めなくなった、というときに、車はコインパーキングの中へ入った。
「着いたの?」
「ちょっと、歩くけど」
「いいよ。別に」
「ほら、帽子と伊達眼鏡。変装嫌いなのは知ってるけど、ちょっと我慢してくれ」
「堂々としてれば、ばれないもんだよ」
「ばれても、ばれなくても、だ」
「はいはい。分かった、って」
街の中を、てくてく歩くプロデューサーとその担当アイドル。
プロデューサーが10歩ごとに「腹減った」なんて言うせいで、
私まですごくお腹が空いてる気がしてきて
お店に着いたとき、声を揃えて「お腹空いた」と言ってしまった。
「和食、あるといいな」
「絶対やめてよ」
「冗談だって」
「やったら、お店の中でNever say never熱唱するからね」
「大騒ぎになって帰れなくなるぞ」
「道連れ」
「絶対やりません」
お店の中は、おしゃれな感じで、プロデューサーも大人なんだな、って思った。
まぁ当たり前なんだけど。
プロデューサーが、アテンドしに来た店員さんに何かを伝えると、
店員さんは「そういうことでしたら」と奥の個室へ通してくれた。
たぶん、素性を伝えたんだろう。お店としても芸能人が来てる、と騒ぎになったら迷惑だろうし。
その個室で、ぱらぱらとメニューを捲りながら、「ピザはどれにする?」だとか。
「パスタは別々のを頼んで、シェアしようか」だとか話し合っていると、
こんこん、と個室のドアを叩く音が聞こえて、店員さんがやってきた。
「ワイン、お出ししますか?」
「いやぁ、今日は車でして…それに仕事なので」
仕事、と聞いて少しムッとしてしまう。
デートではないのは確かだけど、この食事も仕事とは思いたくはないからだ。
「失礼いたしました。ご注文の方、お決まりでしょうか?」
「んー。また後で呼びます」
「かしこまりました。お決まりになりましたらそちらのボタンを押してお呼びくださいませ」
ぺこり、と丁寧におじぎをして店員さんは去っていった。
「プロデューサー、ここよく来るんだ」
「なんで?」
「ワインがどうとか、って」
「ああ。キープしてるだけだよ。知り合いの店でさ、ここ」
「ふーん」
プライベートで来る場所に連れてきてくれたのは、少し、うれしい。
「さ、早いとこ選んじゃおう。お腹空いたろ。俺は空いた」
プロデューサーはメニューを再度開くと、そう言った。
「ふふっ、そうだね。私も空いた」
「俺はパスタはカルボナーラにしようかな」
「じゃあ私はこの蟹のやつ」
「ピザはどうする?」
「この、くあとろふぉるまっじ? はどうかな」
「蜂蜜とチーズの甘いやつ。おやつピザって感じだな」
「じゃあご飯としては、合わないかな」
「そうでもないぞ? おいしいし、こういうのは直感を大事にしよう」
「じゃあ、クアトロフォルマッジ」
「言いたいだけ、とかないよな?」
「さぁ? どうかな。ふふ」
店員さんを呼んで、注文を伝えてから、料理が来るまでの時間は空腹のせいか、すごく長く感じられて
ほかほかと湯気を出しながら、運ばれてきた料理に思わず「わぁ」と声を上げてしまった。
私のそんな、恥ずかしい一瞬をプロデューサーが見逃すはずもなく、
にやにや笑って、「食べようか」と言った。
今は言い返すより、お腹が空いた。だから否定せずに、そのまま手を合わせる。
「うん。いただきます」
「いただきます」
フォークでくるくるとパスタを巻いて、口の中へ。
どろっとした濃厚な蟹のクリームソースをたっぷり纏ったリングイネの楕円形の麺。
「おいしい……」
口からこぼれた感想は無意識だった。
「そりゃ、よかった。カルボナーラもどうぞ?」
依然としてにこにこ顔のプロデューサーは、自分が食べるより先に、小皿に取り分けてくれていて
少し、自分の食い意地が恥ずかしくなったけど、それはそれ。
渡してくれた小皿のカルボナーラを、フォークで巻き取り、ぱくり。
麺はフェットチーネで、ボリュームがあって、私の蟹のクリームソースパスタとはまた違ったおいしさだった。
ご飯は誰かと食べる方がおいしい、って言うけど、こういう理由もあったりするんだろうか。
そんな感じで、お互いがパスタを半分くらい食べ終えた頃、満を持してクアトロフォルマッジがやってくる。
スライサーで切り分けて、小瓶に入った、蜂蜜を万遍なくかけて、準備は完了。
6等分した内の一つを切り離すと、チーズがびよーんと伸びる。
それをもう一方の手で受け止め、口へと運ぶと、口いっぱいにチーズのしょっぱい感じと蜂蜜の甘さが広がって
もう、幸せって感じで、直感を大事にしてよかった、と心の底から思った。
「ふー、食べたなぁ」
「うん。おいしかった」
「デザート、プリンでも頼むか?」
「ううん。またにする。もうお腹いっぱい」
「また、か」
「そ、また連れてってよ」
「お安い御用だ」
「ふふっ、楽しみにしてる」
プロデューサーは、わざとらしくお会計の時に領収書を切っていたけれど
きっと、これは経費で落ちないと思う。
たぶん、私に気を遣わせないためなんだろうな。
そんなちょっと大人なところに、どきりとしてる自分が笑えてきて「ばかみたい」と小さく零した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ぴぴぴ、と携帯電話が私を呼ぶ。
画面には『最寄、着いたよ。もう10分もかからない』のメッセージ。
それを見て、私は鍋の中に、パスタの麺を入れた。
キッチンタイマーをセット。
予め作っておいたソースを、弱火で少し温める。
ドアの鍵が、がちゃっと開く音がして、その少し後でキッチンタイマーも鳴った。
茹で上がった麺をソースと絡めて、お皿に盛りつける。
それをダイニングテーブルに2つ分並べて、その間にサラダ。
フォークを並べ終えると、スラックスのおしりで濡れた手を拭くあの人が洗面所から出てきた。
「お、今日はカルボナーラか」
「もう、ちゃんとタオルで拭きなよ」
「んー」
「それじゃ、食べよっか」
「ああ」
「そういえば、カルボナーラと言えば、昔一緒にイタリアンに行った日、覚えてる?」
「ああ、そんなこともあったな」
「何で行くことになったか、それも覚えてる?」
「俺がプリンを食べたから」
「そ。そのとき、貴方が言ったセリフ、まだ覚えてるからね?」
「え、なんか言ったっけ」
「取られたくないんなら名前でも書いとけよ」
そう言って、ペン立てから、マジックを1本取り出して、キャップを開け、あの人に近づく。
「動いちゃだめだよ」
きゅっ、きゅっ、きゅっ、と彼の頬に一文字。『凛』と書いてやる。
「これは、絶対取られたくないからね。ふふっ」
おわり
>>1に乙。
渋谷さんには『ごちそうさま』
Pには「もげろ」と
後油性ペンなら隠してもらいなさいよ。
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