モバP「泡沫の孤独」 (34)
どうやらぼくの記憶は並行しているらしいと、隣に眠る彼女の後ろ姿を見て気づいた。彼女は眠る前と違う女の子になっていた。それなのに、彼女と過ごした一夜の記憶はあったから、違和感はなかった。むしろ、違和感がないからこそ困惑した。
だって、記憶はあるのに実感がないから。
彼女というのはぼかしているわけではなく、他に表現できないからで、つまるところ彼女は記号的であり、何人もの女の子を代入できる。目を瞑れば、同じ場面同じ時間に、毎回違う女の子が立っている。そして言うのだ、あなたが好きだと、あなたのために死ねると、彼女は微笑む。
記憶のぼくは不思議なことに疑問を持たず、照れ隠しに頬を掻いてから嬉しそうに彼女の手を取った。これまで気づかないでこれたのは記憶は地続きで、一本道だと思っていたからだ。隣を歩く彼女は告白してくれた彼女で、手を繋いでキスをして身体を重ねて、愛を囁いてくれた彼女は彼女しかいないと思っていた。
実際、記憶は一本道で彼女は彼女だ。こんな言葉遊びみたいなことをしても、彼女はひとりであり、そして彼女は代入可能な記号でしかない。彼女は担当アイドルで、ぼくの恋人だけど、沢山の女の子が当てはまり、そして同時には存在しない。記憶を振り返れば、ぼくだけが変わらずそこにいて、恋人はいつも違う女の子だった。
どうして今になって気づいたのかはわからない。あるいはずっと気づいていたのかもしれないし、気づかないふりをしていたのかもしれない。一緒に歩いてきた女の子が別人になっていると、どうして信じられるのだろうか。それなら勘違いだとか、記憶の混同だとか、べつな言い訳をしたほうがマシに思える。
少なくとも、もうぼくの記憶は信用ならない。今だって、本当は隣に眠る彼女は初めから恋人で、なにも変わっていないのではと疑っている。でも、隣に眠る女の子との記憶に実感はなくて、ぼくの頭を混乱させた。
静かに身体を起こすと目が回った。きっと記憶の整列が追いついていないのだろう。まぶたを下ろして闇を作る。見えないはずなのに、情景が入れ替わり立ち替わりくるくると流れていく。これがばらばらな記憶ならどれだけ良かったか。気づかなければどれだけ良かったか。もう身体は自動では動いてくれないし、記憶を意識して選択しなくてはいけない。苦しくなって顔を手で覆う。彼女は記号的だ。甘寧な時間を共有した彼女はひとりではない。ひとりだけどひとりではない。
ぼくは彼女を愛している。では誰を愛しているのかと問われれば、彼女としか答えられない。並列する彼女の記憶。ぼくは誰を愛して、誰と歩いてきたのか。考えても沢山の女の子がいて、夢のようにぼんやりとしていた。
彼女の寝息が薄暗い部屋に漂う。ぼくの気持ちは、記憶はどこを漂っているのだろう。不安になって自分の腕をつねってみると残念ながら夢ではなくて、普通に痛かった。
カーテンの隙間から射し込む日差しは、埃をきらきらと輝かせて嘘をついた。ほら綺麗だろうと押しつけがましく、綺麗に見せた。埃は埃でしかないのに、やっぱり綺麗に見えて、輝く帯に手を伸ばしてみたけれど、ぼくの手はなにも掴めなかった。
ほんとなんだろうね。ぼくはどこに立っているのかな。時間は不可逆で、だから一本道だというのに、一本道に道が沢山あって、ぼくはどの道にいても彼女と手を繋いでいる。でもぼくは変わらないから、時間の道を跨いでいるということ。なにもかもが曖昧で、輝く埃みたいに嘘つきだ。
考えてみてははっと笑ってみる。馬鹿馬鹿しい妄想なのに、馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばせなかった。どうしようもない倦怠感がのしかかってくる。たばこが吸いたいな。彼女を起こさないように毛布から出るとぼくは全裸で、もうそろそろ夏だというのに肌寒かった。
リビングに移動する。換気扇の真下に灰皿を用意して、咥えたたばこに火をつけた。息を吸うとジジジっとたばこの燃える音が聞こえる。吐きだした紫煙は換気扇にゆっくりと吸われていった。これじゃあどっちが吸っているのかわからないな、なんて現実逃避ぎみにぼんやりと眺めた。
そういや、いつからぼくは換気扇の下で吸うようになったんだっけか。彼女に咎められたからなのは憶えている。その彼女は誰か思い出せない。たぶん、ひとりじゃないだろう。何人かに指摘された。服がたばこ臭くなると怪しまれるって。それから彼女の前では吸わないようにしてたけど、まあ寝てるからいいや。
短くなったたばこを灰皿に押しつけてから、服はどこだっけと考える。ソファのあたりに脱ぎ捨てたはずだったな、と記憶を呼び戻してみたけれど、自信はなかった。振り返ると不安は的中していた。リビングに脱ぎ散らかした服はなかった。
まあどこかにあるだろう。1LDKの部屋で服を紛失なんてしない。いや、まあ、外で脱ぎ捨ててきた可能性も否めない。ないとは思うし、ないと信じたい。でもまだ見つかってない記憶があってもおかしくはないので、断言はできなかった。
最悪な展開は避けられた。ジャケットとスラックスはハンガーに掛かって、脱衣所の扉に掛かっていた。きっと彼女がトイレにでもいったタイミングで片付けてくれたのだろう。ほっと安堵して、ぼくは棚から新しい下着とTシャツを引っ張りだした。洗濯カゴに入っていたスウェットのズボンと合わせて着る。
重い頭と気分を引きずって寝室に戻ると、彼女は目を覚ましていた。半身を起こして、毛布で身体を覆った彼女は、不機嫌そうに目を細めて睨んでくる。
このとき、ああ、そういや彼女だったなと、別人になっていることを改めて実感して、知られないように記憶を整理した。
「こーゆーときは一緒に起きて、甘い挨拶があるんじゃない?」
銀髪は日差しを転がしてぼくの眼をしかめさせた。つり目がちな目はもうほとんど開いているように見えない。いっそ笑顔にすら思えるけれど、声音は刺々しくて、ちくはぐだ。触れたら怪我をしそうで、でも、触れないわけにもいかないから、ぼくは彼女の機嫌をとるために、ベッドに上がって隣に腰を下ろした。
「おはよう、シューコちゃん。よく眠れた?」
「眠れたよ。でも、寝起きはよくなーい。……ねー、なにしてたの」
黒く暗い瞳がぼくを見据えていた。疑念や不安とか後ろ向きな感情ではなくて、見定めるような瞳。
視線に居心地が悪くなって、うーんと唸って考えるふりをしながらシューコちゃんの瞳から逃げる。
「特別なにもしてないよ」
「なんで嘘つくかなー。浮気?」
浮気と反芻してみて、恋人が別人になる場合は浮気になるのか考えてみる。横並びの時間に横並びの恋人。自分でもよくわからないし、混乱させるだけだから、ぼくは困ってひとつ笑みを浮かべるに留めた。
「ふーん、浮気してんだ」
冷たい響きを伴って、ぼくは押し倒される。両手ともそれぞれ指を絡められて、身動きが取れない。視界にはなにひとつ身にしていないシューコちゃん。白い肌は作り物めいていて、きれいな形の乳房に咲いたピンクの乳頭だけが、卑猥さを持ってシューコちゃんを生命たらしめている気がした。
シューコちゃんは薄っすらと笑みを浮かべた。悪意的にさえ見える、怖い笑みだった。でも、もうぼくには抵抗する気力もなかった。横並びの乱雑する記憶に忙殺されかけていたから。どうせなら殺してほしいとさえ思う。
「泣いてるの?」
「わからない」
「泣いてるよ」
指摘されて頬を伝う熱を自覚する。目の前にいるのはシューコちゃんで、昨日愛し合ったのもシューコちゃんだ。でも、寝る前の彼女は別人で、愛し合ったのはシューコちゃんではなかった。記憶に混乱はない。どっちも真実だ。昨夜、記憶のなかのぼくは沢山の女の子と寝ている。
ぼくは誰を愛して、誰から愛されたのだろう。考えるのが辛かった。彼女は代入可能な記号だから。ぼくは誰も愛せていなくて、誰からも愛されていないんじゃないか。考えると張り裂けそうな痛みが胸を走った。
「あたしはね、プロデューサーさんを愛してるよ。プロデューサーさんだけを愛してる。他にはなにもいらないし、プロデューサーさんが傍にいてくれないなら生きてる意味なんてない。でもさ、べつにプロデューサーさんはあたしを愛してくれなくていいよ。浮気したっていいよ、我慢する。戻ってきてくれるならねー。傍にいてくれるなら、なんだって我慢するよ」
涙を舐めていくシューコちゃんの舌は温かかった。息が耳にかかってくすぐったい。それから、シューコちゃんはキスをしてきた。舌が腔内に浸入してきて、ぼくの舌をゆっくり愛撫する。シューコちゃんの香りに包まれて思考は麻痺して、下半身が熱くなった。
シューコちゃんが顔を離すと、どちらのとも言えない、よだれが線を引いてぼくたちを繋いでいた。線が垂れ落ちるのを見てシューコちゃんはうっとりとした表情を浮かべた。その表情があまりにも卑猥で、ぼくの息は荒くなっていく。
「プロデューサーさんを愛してる。あたしはプロデューサーさんの味方だよ。あたしだけはなにがあっても味方。あたしが守ってあげる。だから大丈夫だよ」
シューコちゃんの気持ちは嬉しくて、なにより悲しかった。シューコちゃんの言葉は彼女の言葉で、きっと誰でも同じように言ってくれる。そしてぼくがなにを言っても、彼女には届いても、シューコちゃんに届くかはわからない。だから悲しい。目の前のシューコちゃんに届く言葉を探しても、いくら主語を整えても、結局代入可能な記号に成り果ててしまうから。
それに。ぼくにとって彼女が代入可能な記号であるように、シューコちゃんにとってぼくが唯一のぼくであるとは限らない。ぼくだって代入可能な記号なのかもしれない。虚しさだけが積もって、あらゆる意味が失われていく気がした。
「もう、どうしたらいいのかわからないんだ。シューコちゃんはシューコちゃんじゃないかもしれない。……こんな日々に意味なんてあるのかな」
「難しいこと考えるのやめよーよ。美味しいもの食べて楽しいことして、気持ちいーことして、それでいいじゃん」
シューコちゃんはぼくのTシャツを胸までめくり上げて、腹に跨がった。溢れる愛液が熱かった。シューコちゃんは塗りつけるように腰を前後させて、小さく喘いだ。
膨れ上がる欲望が頭を支配し始める。いくら理性で抑えつけても身体は正直に反応していた。
なんだかな。結局、ぼくは誰も愛していないのかもしれない。彼女が誰であってもいいのかもしれない。受け入れてしまえば楽になれるのかな。
シューコちゃんはまるで答えるように囁く。
「あたしにはなにをしてもいーよ。プロデューサーさんがしてくれるならなんでも嬉しいから。触れられると熱を帯びるし、キスをしてくれると頭がぼーっとして気持ちいいよ。だから……ね、一緒に忘れてみるのも悪くナクナイ?」
紅潮した頬は白い肌によく映えた。もうどうでもいいか。吹っ切れないまま、絡められた指をほどいて彼女を抱き寄せる。唾液の交わる音をしばらくさせて、立場を逆転。彼女を押し倒した。
「いいよ、きて」
着たばかり服を脱ぎ捨てて、欲望を打ち入れる。瞬間、彼女の身体は小さく跳ねて、腰を打ちつけるたび、部屋に嬌声が融けていった。
次第に水っぽい音が聞こえだして、彼女の表情は苦悶と快楽を行ったり来たり。声も絶え絶えになって、息遣いばかりが大きくなる。そのうち息さえ詰まるようになり、一度強く締めつけてきて、彼女は声にならない声を上げながら痙攣を伴って果てた。
胸を上下して呼吸する彼女。ぼくはそんな彼女を眺めながら勢いを速めていく。
「ま、まって、今……まだ」
言葉は喘ぎとも唸りとも取れない声になって続かない。後半、彼女は「や」とか「うぁ」とか音を発していた。やがてぼくにも限界がやってきて、彼女の奥に醜い欲望をぶちまける。シューコちゃんは短い悲鳴とともに腰を跳ねさせた。
呼吸が聞こえる。繋がったまま彼女に覆い被さった。滴る汗がシューコちゃんの胸元に雫を作る。シューコちゃんの香りが鼻腔を満たすと頭がぼんやりとした。外からトラックのブレーキの音が聞こえた。
シューコちゃんの手がぼくの背中に回った。不思議と不安はなくなっていた。ぼくはシューコちゃんの胸に顔をうずめて、今を実感する。シューコちゃんは「ん」と可愛らしく声を漏らした。
「意味なんてさ、きっと見つからないよ。だってあたしのなかに出すのに意味なんている? いーじゃん、意味なんてなくなったって」
疲れた頭に、シューコちゃんの言葉は甘くて心地よかった。どうせ彼女もぼくも定かではないのなら、考えても無駄なのかもしれない。誰だってよくて、気持ちよくなれればそれで。
うんと応えて、身体を起こす。汗が冷えて寒かった。立ち上がって身体を伸ばす。シューコちゃんの奥からは、役割を終えた欲望が垂れ出てきていた。これが愛なんてことはないし、愛なんて言いたくなかった。
「プロデューサーさんがいてくれればね、あとはどーでもいーや。でもいなくなるなら、いらない。誰かに盗られるぐらいならいらないよ。そのときは全部壊しちゃうかもね」
ぼくはどこにも行けないよ。信用のできない言葉に思えて口にはしない。
それに、本当はどこにもいないのかもしれないなんて、無意味なことを考えてみたら否定できなくて怖くなった。
ぼくがこの状況にも発狂せず、比較的落ち着いていられるのは不思議な現象を起こす子を知っていて、実際に体験してきたからだ。幸運な女の子、不幸な女の子、失くしものを見つける女の子、幽霊と会話する女の子。他にも科学に明るい女の子たちもいるし、自称十七歳の女の子もいる。いずれにしても、ぼくの勤めるプロダクションは不思議な子が多い。だから、ぼくに起きている現象も、誰かがもたらした不思議パワーだと考えてみた。
責任転嫁するとすこしだけ気楽になった。嫌がらせか、あるいは誰かの願望かは知らないけれど、ぼくがおかしくなったのではなく、外的要因による現象なのだとしたら解決の仕方もあるのだ。あるいはその誰かが飽きれば元に戻るのかもしれない。
今は待つべきだろう。下手に干渉して悪化させる可能性は避けたい。だから、様子を見ながら日常の範囲で原因を探すに留めよう。自分に言い聞かせて、ぼくは日々を過ごした。
しばらくはシューコちゃんとの日々が続いた。続いたと言っても、実感のない記憶は増え続けているし、ふとした瞬間に別な女の子になったりもする。その度に、混乱しないように記憶をうまく繋げて対応した。けど、すぐにシューコちゃんは戻ってくるし、ああ、この現象も落ち着いてきたのかな、なんて納得しつつ安堵した。
だから、油断してしまった。
彼女は記号でしかないのに。
書類を作成していると、いつもみたいにシューコちゃんはやってきて、「おつかれーん」なんてゆるい挨拶と微笑みをくれた。くだらない話をして、笑いあって、シューコちゃんは悪戯っぽく際どい冗談を言ってくる。だけど、今日は冗談にキレがなくて、際どさはあったけど、あくまで一般的な範疇でぼくは首を傾げた。
機嫌が悪いわけじゃないし、どうしたのかな。他人の眼を気にしだしたのか。だとしたら今さらな話だけど、まあ、意識しないよりはしたほうがいい。余計な障害や問題は足枷にはなっても薪にはならないと思う。少なくともぼくにとっては。
ちょっとした変化だと思った。仕事が終われば甘い時間を過ごせると、当然のように考えていた。パタパタと駆け寄ってくる彼女が声を上げるまでは。
「あー! プロデューサーさん浮気! 浮気はダメだよー。いいけど、堂々とはダメ。せめて隠れてしてよね、じゃないとほら……」
そう言って腕に抱きついてきた夕美ちゃんは、シューコちゃんを一瞥して見せる。シューコちゃんは愛想笑いを浮かべて、いやいやと顔の前で手を振った。その仕草でぼくは悟った。ああ、彼女はシューコちゃんから夕美ちゃんに変わったんだって。そう思ったら泣きたくなって、でもシューコちゃんに迷惑はかけられないから笑って見せた。
「恥ずかしいからやめてよ。ぼくはそんなにモテる男じゃない。夕美ちゃんが隣にいてくれるのは奇跡的なんだから」
べつに夕美ちゃんに不満があるわけでも、記憶の繋がりに不備があるわけじゃない。シューコちゃんとの記憶は夕美ちゃんとの記憶でもあり、換言すれば彼女との記憶でしかない。でも、実感があるのはシューコちゃんとの記憶で、あの日、ぼくを苦しみから脱してくれたのはシューコちゃんなのだ。
シューコちゃんのはずだ。
本当に。問いかけてみても答えは返ってこない。混乱してくる。実感も薄れてきていて、本当にシューコちゃんだと言い切れない自分に腹が立つ。
シューコちゃんは「ふたりの邪魔しちゃ悪いしもう行くねー」と立ち去った。その背中はぼくの見てきた恋人のシューコちゃんではなくて、腕を組んだ夕美ちゃんが恋人だった。
「私がプロデューサーさんの隣にいるのは奇跡じゃないよ。うん、運命かもね。まゆちゃんじゃないけど、そう思うよ」
奇跡だよ。だってシューコちゃんはいなくなって、夕美ちゃんが隣にいて。彼女はべつに夕美ちゃんじゃなくてもいいんだ。それでもここにいるのは偶然の産物で、恋人になったのは確かに奇跡じゃないかもしれないけど、今この場に夕美ちゃんがいるのは奇跡的でもあるんだよ。
そうだね。それでも、ぼくは言葉を隠して頷いた。わかっていたことなのに、こうしてダメージを負う。誰にも言えないダメージ。隠さないと、と思う。
「そっか、ありがとう」
ぼくは上手く笑えているのだろうか。
「悲しい顔してるね」
夜、ぼくの部屋にやってきた夕美ちゃんは寂しそうに微笑んだ。ソファに座ってぼうっとしていたぼくは、夕美ちゃんの表情に気づかないふりをする。
「気のせいじゃないかな」
「ううん、悲しそうだよ。シューコちゃんとなにかあったの?」
シューコちゃんの名前を聞いて、ぼくは間抜けにも戸惑いを隠せなかった。夕美ちゃんは気づいたのだろうけど、そんな素振りを見せずにぼくの隣に腰を下ろした。フローラルな香りがして、シューコちゃんとは違う香りにすこし悲しくなる。
今に始まったことではないじゃないか。窘めてみる。すると、そうは言っても悲しいものは悲しいよ、としょぼくれた答えが返ってきた。その通りだったので頷いてから、でも、言葉を続ける。夕美ちゃんは悪くないんだ、心配をかけないようにしないと。できるかな。やるしかないんだよ。
意を決して茫漠とした記憶の渦から夕美ちゃんを抽出、数日のできごとを上書きしていく。シューコちゃんと過ごした時間は夕美ちゃんと過ごした時間で、違和感はないけれど、実感のない記憶を整列させた。
忘れるわけじゃない。そう自分に言い聞かせて、夕美ちゃんに向き直る。明るい茶髪、くりくりとした茶色い瞳。健康的な肌色。笑うと半円になる口許。どれもこれも可愛らしくて、だからこそ、不安の色を覗かせた今の表情は似合わない。払拭するように、ぼくは努めて明るく微笑んだ。
「なにもないよ。なにもなかったんだ。少なくとも、夕美ちゃんの思うような浮ついた話はね」
「じゃあ、浮つかない話はあったんだ。……ねぇ、プロデューサーさん、シューコちゃんとなにがあってもいいよ。でも、ちゃんと帰ってきてね」
どこへ。思わず口にしそうになって、ぼくは一度唾を飲み込んでから、うんと頷いた。明日は夕美ちゃんではないのかもしれない。だから、これは彼女の言葉だ。だとしたら夕美ちゃんの言葉はどこにあるのだろう。
ああ、まただ。気を抜くとすぐに余計なことを考えそうになる。やめよう。考えたって意味がない。答えはでないし、苦しくなるだけで、辛くなるだけで、そして孤独を実感するだけだ。
ぼくはどんな表情をしているのだろうか。夕美ちゃんは柔らかく微笑んで、それから抱きしめてくれた。温かかった。存在を証明してくれた気がした。嬉しさと不安で涙が溢れてきて、ぼくは夕美ちゃんを強く抱きしめ返した。
「大丈夫だよ、大丈夫。私はなにがあってもプロデューサーさんの傍にいるから、いつだって抱きしめてあげるから。だから、不安も悲しみも寂しさも全部全部、私にちょうだい。受け止めるから、全部だしてよ」
身体を離して唇を重ねる。お互いを求めるように舌を絡めると、唾液も舌もどちらが自分のものかわからなくなった。夕美ちゃんは悪戯っぽく唇を離して、額と額をくっつける。ぼくの腔内に残る夕美ちゃんの香りが名残惜しさを主張した。
「美味しいもの食べて楽しいことして、気持ちいいことして、みんな忘れちゃおうよ。私はプロデューサーさんといられればいいんだよ。だから私のことは気にしないで。ね、今だけは考えるのやめようよ」
キスで応える。舌が交わって、ときどき夕美ちゃんは甘い声を漏らした。夕美ちゃんを感じてぼくは頭が痺れていく。なにも考えずにいられる気がして、快楽に身を委ねた。身体が熱い。顔を離すと上気した夕美ちゃんは、淫らに口許を歪ませる。
「もうこんなになっちゃった」
立ち上がった夕美ちゃんは、ワンピースの内側から群青色の下着を脱いで足下に落とし、座るぼくの脚を跨いで青地に花柄のワンピースをめくり上げた。水滴が糸を引いて落ちて、スウェットのズボンに染みていく。
淫靡な光景に息を呑んで、ぼくは彼女のジャケットを脱がした。一度短くキスを交えてから、彼女はワンピースと、残った下着を取り払い、ぼくのズボンの中央にしなやかな指を添えた。ぼくは情けない声を出してしまう。彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「可愛いね。私がしてあげる」
頷いて、ぼくも全裸になる。彼女はぼくの目を見たまま、ソファに膝をついて隆起した欲望を自分のなかに導いた。支えるように、ぼくは腕を彼女の腰に回す。奥まで入ると彼女はしな垂れてきて、熱い吐息を漏らした。
彼女はゆっくりと腰を上下に動かし始めた。腰を下ろすたびに短く喘ぎ、恍惚に表情を歪ませた。下から上へ、快楽は身体を上る。ぼくは悪戯心が湧いて、乳頭を舌で転がした。彼女はひゃっと驚き、そして嬌声は切れ間なく続く。
次第に緩慢な刺激にもどかしくなって、彼女を立ち上がらせて、ソファに手をついてもらった。いきり勃つ性欲を背後から突き入れると、彼女は苦しそうに喘いだ。そのまま腰を打ちつけ始めると、声は掠れていく。
「好きだよ、好き、愛してる」
絞り出すように彼女は言って、強く締めつけてからびくっと腰を痙攣させた。ぼくは構わず腰を動かす。彼女は逃げるようにソファの背もたれに身体を預けて苦しそうに喘ぎ声をあげる。ぼくは逃がさまいと一歩前に出て奥に突きいれた。
すべてを忘れるようにぼくは彼女に打ちつける。すこしして彼女は悲鳴に近い嬌声を上げて再び痙攣、ソファを濡らした。そして、その締めつけによってぼくは限界を迎えた。
尻餅をつくように床に腰を下ろす。繋がりの抜けた彼女の奥からは、おびただしい量の性欲が溢れていた。彼女はソファに突っ伏したまま肩を上下させていて、部屋には淫らな香りとふたりの呼吸だけが余韻になった。
しばらくして呼吸が落ち着いてくると、夕美ちゃんは気だるそうに身体を起こしてぼくに身体を預けてきた。支えきれず床に寝転ぶ。夕美ちゃんの体温を感じてぼくはすこしだけ安心した。
「ふふ……いつになく激しかったね。嬉しかったよ」
微笑む夕美ちゃんが可愛いくて、短くキスをした。なにかに満たされる感覚。退廃的な錯覚でもある。本当はこんなこと望んでいないのに、もう逃れられる気がしなかった。
苦しくなりそうだったから、ははっと笑ってみる。虚しくても笑える事実に安堵する。まだ大丈夫だ。まだ大丈夫。ぼくはまだやっていける。忘れられるから。
「私はプロデューサーさんのためになんでもするよ。プロデューサーさんが私のために這いずり回ってくれたみたいに、なんでもする。だから泣きたいときは泣いて。私の前では弱くてもいいよ」
ここで夕美ちゃんを抱きしめて、愛を誓い合えればどれだけいいだろう。でも、夕美ちゃんは近いうちにいなくなってしまうんだ。違う誰かになってしまう。シューコちゃんがそうであったように、前触れもなく跡形もなく別人になってしまう。それなのに不都合なく記憶は横並びに増え続けて、理路整然と連続性は保たれる。
誰でもない誰かを愛してなになるのだろう。
混乱する思考は、やっぱり夕美ちゃんに止められた。唇が離れて、夕美ちゃんは微笑む。
「また悲しい顔してる。ね、もう一回しようよ」
辛くなるだけだ。苦しくなるだけだ。寂しくなるだけだ。わかっているのに逆らう気力はなくて、ぼくは夕美ちゃんのキスを受け入れた。
きっと、ぼくは頭がおかしくなってしまった。ぼうっとしていると記憶の奔流に飲み込まれて、誰のプロデュースをしているのか混乱した。不意に涙が溢れだし、それなのにおかしくなって噴き出して、どうしようもない孤独感に襲われて、また笑うしかなかった。
考えずにいられたら楽なのにね。頭のなかで呟いてみる。なにも考えずにいるのは難しくて、独りになるのも怖くて、逃げだせなくて。ぼくはなにをしているのかな。忘れるために仕事をしても、部屋に戻るとまた考えてしまう。
浴びるように酒を飲んだ。ふわふわとして気持ちよかったけど、寂しさは増すばかり。涙は止めどなく流れるけれど、泣くことはできなかった。
夕美ちゃんを傷つけたくなくて、できるだけ距離を置いた。もしかしたら、ぼくが傷つきたくなかっただけなのかもしれない。別れは寂しいから、受け入れてくれる夕美ちゃんに申し訳なく思うから。なにより、なにも伝えられないことが悲しかった。
だけど、いくら距離を置いても、別れを告げても夕美ちゃんは部屋にやってきた。帰ってくれと懇願してもにこにこと笑顔を浮かべて上がり込んでくる。優しく抱きしめられて、ぼくは抵抗する気力を奪われた。夕美ちゃんは甘い言葉でぼくを包み込んだ。
「私は大丈夫だよ。私だけはなにがあってもプロデューサーさんの傍にいるから、プロデューサーさんが私を嫌いになっても守ってあげるから。だからね、プロデューサーさんはひとりじゃないよ」
温もりはぼくの思考を麻痺させた。身体を重ねている瞬間だけは、心が休まり不安と苦痛から解放された。愛欲と快楽に溺れる日々が続いた。泥沼だとわかっていても、もう自力では浮かべないぐらい沈んでいて、せめて夕美ちゃんだけでもと思っても、しがみつかれて離れてくれない。
ふたりして堕ちていく沼は気持ちよくて、苦しくて、悲しくて、どうしようもない現実から目を背けるため、狂ったように交わった。夕美ちゃんが喜んでくれるのが嬉しかった。何度も何度も何度も、求められるままに、ぼくは夕美ちゃんのなかに混沌としたなにかをぶちまけた。
もうほとんど同棲状態で、スキャンダルとか色々な不安が頭の片隅を過ぎったけれど、茄子さんの幸運があらゆる面でプロダクションを守ってくれているらしい。どんなに羽目を外しても大丈夫だと、夕美ちゃんは微笑んだ。
どうせならぼく自身にも幸運を分けて欲しいと考えて、もし気が狂わないのは幸運の結果だとしたら余計なお世話だよななんて、乾いた笑みをこぼした。この頃には悪い意味で安定してきていて、以前のように思い悩むことは減っていた。
だから、仕事から帰ってきた彼女が別人になっていても、ぼくは笑って受け入れることができた。
「ただいまー! おお、アタシはお笑いの才能あるね! ただいまって面白いもんねー!」
フレちゃんは笑いだしたぼくを眺めて、楽しそうに破顔した。その笑顔はシューコちゃんでも夕美ちゃんでもなくて、どこから見てもフレちゃんで、フレちゃんでしかなかった。彼女は記号的なのに、シューコちゃんも夕美ちゃんもフレちゃんも記号ではない。みんな違う笑顔。そんな事実に笑えてきて、悲しくもないのに涙が溢れる。
これくらいがちょうどいいのかもしれない。誰かひとりに執着するより、こうしてフレちゃんを笑顔で迎え入れるぐらいのほうが、気楽なのかもしれない。だってシューコちゃんはいないし、夕美ちゃんもいない。フレちゃんだってそのうちいなくなる。楽しんで笑ってそれで、次を迎えられればいいのかもしれない。
あまりにもぼくが笑いをやめないものだから、フレちゃんは心配になったのだろう。ゆっくりと歩み寄ってきて、涙を拭ってから僕の頬に手を添えてくれた。
「ご飯食べよーよ。プロデューサーが腕によりをかけたご飯、食べたいなぁ」
「そこはフレちゃんが作ってくれるんじゃないの」
「アタシは食べられる専門だからねー。バランスは大事だよー?」
ニヤっと悪戯な笑みを浮かべて、ほらほら、と急かしてくる。その微笑みは優しさとぬくもりに満ちていて、ぼくは喜びと虚しさに支配されながら、わかったよと微笑み返した。
料理をするにも食材がほとんどなくて、仕方なくオムライスを作った。我ながら上手くできたと思う。フレちゃんはオムライスを美味しそうに頬張り「チキンライスと卵だから親子丼だねー、エッチだねー、でも美味しいから大丈夫!」とぼくを笑わせた。
それからそれぞれ風呂に入った。先にぼく、次にフレちゃん。フレちゃんを待つ間ぼうっとしていると幻聴が聴こえた。
あたしのこと忘れちゃったの? そっかー、仕方ないね、だってプロデューサーさん、あたしのこと見てなかったもんね。べつに怒ってないよ、あたしはプロデューサーさんが幸せならいいんだからさ。でも、プロデューサーさんが幸せじゃないなら、誰かに盗られたなら嫌だな。ねえ、プロデューサーさんは、本当は誰が好きなの?
美味しいもの食べて楽しいことして、気持ちいいことして、笑おうよ。私はいつだってプロデューサーさんの傍にいるよ。でも、プロデューサーさんは傍にいてくれなかったね。私が隣にいても、プロデューサーさんはいつも遠くにいたね。美味しいものを食べているときも、楽しいことしてるときも、気持ちいいことしてるときも、プロデューサーさんは笑ってなかったね。ねえ、プロデューサーさんは、本当は誰と笑いたいの?
幻聴は耳を塞いでも聴こえて、声はシューコちゃんだったり夕美ちゃんだったり、記憶にいる色んな女の子だった。知らないよ。ぼくが訊きたいよ。答えても返答はない。同じように幻聴は言う。本当は、本当は、本当は。本当ってなに。ぼくは苦しくなって、逃げるようにたばこに火をつけた。
紫煙を燻らせると頭はぼんやりして幻聴は消えていった。だけど胸の痛みは消えてくれなくて、煙は喉を通らず蒸せ返る。気持ち悪い。でもたばこを消せばまた彼女は言うだろう。本当は、と。怖かった。苦しかった。短くなったたばこを飲みかけのビール缶に落として、ぼくはソファにうずくまる。
もう嫌だ。どうしたらいいんだよ。忘れたいのに忘れられなくて、忘れたくない。シューコちゃんも夕美ちゃんもぼくを愛してくれて、喩えその愛が記号的な彼女の愛だとしても、実感を伴ってぼくに示してくれたのだ。忘れたくない。でも、もう苦しいんだよ。
涙が静かに溢れて嗚咽が漏れた。
そっと頭に手が添えられる。顔を上げると鼻が触れるかどうかの距離に、優しく微笑むフレちゃんの顔があった。
「ひとりで泣いちゃダメだよー? プロデューサーの涙はアタシのだよ、だから、ひとりで泣いちゃダメ。アタシがいるときにね、手の届く距離にいないと泣いちゃダメ」
「それじゃほとんど泣けないよ」
「ううん、アタシはいつでもプロデューサーの傍にいるよ。でも、時々は一緒にいれない時間もあるから、そのときは泣かないで。我慢できるよねー?」
子供に聞かせるみたいに言うフレちゃん。おどけるように首を傾げてるから、威圧感は覚えない。それに実際、ぼくは子供のようなものだし、フレちゃんはお姉さんな雰囲気を出していたので悪い気はしない。
なにか応えないと。口を開こうとすると、キスで口を塞がれた。舌は絡まり、唾液の混ざる音が部屋にいやらしく、泡沫のように浮きでては消えていった。
同じシャンプーを使っているのに、いい香りに感じて不思議な気分。浮かされていると、キスを終えたフレちゃんは一歩下がり、蠱惑的に微笑んだ。その笑顔はまるで別人のように色っぽくて落ち着かなかったけれど、記憶のなかで乱れるフレちゃんはいつだって色っぽかった。
「ほら、この服お洒落でしょー?」
くるっと一回転して見せるフレちゃんは服なんて着ていなくて、バスタオルを巻いているだけ。濡れたまま回ったものだから、金髪から水飛沫が飛んでぼくの顔を濡らした。あまりに適当な発言と、急に子供っぽく振る舞うフレちゃんが可愛らしくて、おかしくなった。
「お洒落だね、脱がしやすそうなところがとてもね」
「でしょー。でも、脱いでもとってもお洒落だよ? 見てみたいでしょ?」
言うなりぼくの手を取ってきたので立ち上がると、フレちゃんは勢いよく抱きついていくる。背中に回された手はゆっくり、ぽんぽんとあやすようにリズムを刻み、とことんぼくを子供扱いする。
やっぱり、ぼくは子供らしい。フレちゃんの穏やかなリズムは、ぼくの気持ちを和らげた。このまま眠ってしまいたいと思った。
「大丈夫、大丈夫。アタシが笑わせるよ。美味しもの食べて楽しいことして、気持ちいいことして、悲しいことは忘れちゃお?」
手を引かれて寝室に移動した。灯りは点けなかった。カーテンの隙間から街の光が入り込み、部屋に退廃的な雰囲気を漂わせる。遠くから車の走る音や人の話し声が聞こえて、まるでこの部屋が世界から切り離されたような錯覚を覚えた。
フレちゃんはタオルを落として綺麗な裸体を晒す。ぼくも服を脱いで、抱きつかれる形でゆっくりとベッドに倒れ込む。フレちゃんはベッドに手をついて身体を支えて、ぼくを見下ろす。細く長い脚、くびれたウエスト、形のいい豊満な乳房。確かにどこをとってもお洒落で、絵画のモデルのようだった。
「なにも考えないでいーよ? プロデューサーの好きにしてほしいなぁ」
余裕を持って微笑む彼女。それからキスをされた。子供扱いされてるみたいで悔しくて、ぼくは彼女の秘部に触れる。受け入れるように湿っていて、指を奥に入れた。指を動かすたびに彼女は甘い声を漏らしたけれど、表情にまだ余裕があって、ぼくは念入りに同じ場所を責める。次第に彼女の表情から余裕の色は消え、陽気な彼女に不似合いな表情の歪みにぼくは興奮した。
なかを動かしながら、余った指で外側に隠れた小さな膨らみに触れる。すると小さな悲鳴とともに腰を浮かす彼女。ぼくは左手で彼女の腰を押さえて逃げ場をなくし、なかと外、両方を責めた。目の前で揺れる乳房を舐めて刺激を強める。乳頭を舌で転がしてすぐに、彼女は苦しそうに喘ぎ、身体を仰け反らせた。
崩れるように覆い被さってきた彼女と舌を交わらせ、体勢を入れかえる。見下ろす彼女の緑眼は濡れて輝き、乱れた金髪と紅潮した頬が色っぽくて、ぼくの理性を崩していく。
「プロデューサー、きてぇ」
呂律の怪しくなった言葉を合図に、ぼくは彼女の奥に突き入れる。激しく、強く強く奥を突く。初めこそ堪えようとしていた彼女だったが、ぼくの勢いに合わせるように嬌声は部屋に響いた。
どんどんふたりの息は荒く乱れていく。彼女の表情に明るさや楽しさはなく、涙をこぼしながら歯を食いしばり、苦悶を浮かべて耐えるように枕元のシーツを握り締める。その姿は背徳的で、暗い感情が脳裏を過る。
なぜだか不思議と涙が溢れて、彼女に落ちた。苦しくて苦しくて、快楽はもうなにも忘れさせてはくれないらしい。それでも動きは止められずに、ぼくは一心不乱に腰を動かす。胸が痛くて、やめてしまいたいのに身体は言うことを聞かない。
彼女の口許が小さく開いた。
「ア、アタシは、し、あわ、せだ、よ。プ、ロデューサーに、も、わけ、て、あげた、い、な。あ、あいして、る」
途切れ途切れの言葉を口にして、腰を跳ねさせる彼女。ぼくも同時に限界を迎えて、そして心の限界を悟った。
繋がりを抜くと、たらっと溢れた性欲は虚しくて見えて、ぼくは力が抜けた。倒れこむように、ベッドに横になってフレちゃんを抱きしめる。
「ありがとう。今までありがとう」
それはフレちゃんに向けた言葉でもあり、彼女へ向けた言葉だった。
フレちゃんはなにも言わず、優しく抱き返してくれた。
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