橘ありす「半径10kmの大冒険」 (14)



八月も終わりかけたある日。八月が終わるということはすなわち夏休みが終わってしまうということである。

はい、長いようで短い夏休みもついに終わってしまうんです。学校も嫌いじゃないですけれどやっぱり夏休みは別格です。

さて、今日はどうしたものか、誰かと遊ぶ予定も、事務所のレッスンもありません。

もちろん宿題はもう終わらせてありますよ?当たり前です。国語は文香さんに、社会は菜々さんに、算数は理科と自由研究は晶葉さんに手伝ってもらいました。

自由研究はすごい大変でしたよ。主に晶葉さんのブレーキ役が。彼女の自由研究はノーベル賞でも狙っているのかってレベルでしたからね。

おっと話がずれました。今日やることがないって話ですよね。

「ごはんだよー」

一階のリビングのほうから私を呼ぶお母さんの声が聞こえます。昼食をとりながら考えましょうか。

「はーい、今行きます!」


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バタバタバタ、階段を下りていきます。今日の昼食は素麺です。少し飽きてきたけどそろそろ食べ収めだと思うと少し感慨深いです。

「いただきます」

「ありすは今日の午後はどうするの?」

「うーん、特に決めてない」

「天気もいいしどこか出かけてきたら?」

「どうしようかな」

真夏のピークは去ってるというけどまだまだ暑さは健在で、なかなか決めあぐねています。

もう一押し背中を押してくれる何かがないものだろうか。

「ごちそうさまでした」

とりあえず自分の部屋に戻って考えます。



ふと窓から外を眺めます。なんていうんでしょうか。多分この感じを言葉に言い表すことは出来ないと思います。例え文香さんほどの語彙を持っていても。

夏がそこにあったんです。終わってしまう夏が。太陽が、雲が、空気が夏なんです。

そうだ、今日は自転車でどこかに行こう。不意にそんな考えが頭に浮かびました。どこに?どこかに。

目的地なんてないです。なくてもいいじゃないですか。愛用のタブレットは荷物になります。置いていきましょう。

代わりになにかあったときにとお父さんとお母さんに買ってもらったスマホを持って行きましょう。

知ってますか?今はGoogleMapという素晴らしい機能があるんですよ。これさえあれば迷子になりません。

後持っていくものは水筒と念のためにお財布。あと汗を拭くためのタオル。それだけです。大分身軽ですね。

たっぷりと水筒に麦茶を入れたら準備完了です。


「お母さん、自転車でどこか行ってきます」

「どこに行くの?」

「決めてないよ」

「そう、暗くなる前に帰ってきなさいね」

「はーい」

そう言って私は家を出ます。自転車の鍵をはずして。ガラガラガラ、思いっきりペダルを漕ぎ出します。


セミの大合唱が降り注いできます。アブラゼミ、ミンミンゼミ、それとツクツクホウシだっけ。

いつもだったらあまり気にしないかもしれません。だけど今日だけはずっと耳を傾けたくなります。

長い直線の道路では陽炎が見えます。ゆらゆらと、道路が揺れています。

あの場所はどうなっているのでしょうか?たどり着けないとわかっているけど目指してしまいます。虹の根元に行ってみたいのと同じですね。

ふう、少し休憩しましょう。手頃な木陰を見つけて入ります。涼しい!やっぱり直射日光がないだけで変わりますね。

タオルで汗を拭いて冷たい麦茶を一口。体中に染み込んでいく感じがします。

夏は麦茶が一番ですね。Pさんやちひろさんは夏は麦のジュースが一番といっていました。

麦のジュースってなんですかね?麦茶の親戚みたいなものですよね、今度飲んでみたいです。頼んでみようかな。

よし、休憩終了!充電完了!うーん、やっぱり木陰からですと暑いですね。でも不思議と不快には感じません。むしろ心地いいぐらい!


自転車を漕いでいる最中に歌を口ずさみます。選曲はなににしようかな?そうですね、今のシチュレーションだったらこの曲ですね。

「好きだよー心込めてー好きだよー力込めて」

そうです。橘ありすに似合わない曲No1(橘ありす調べ)の曲、尊敬すべきアイドルの先輩でもある菊池真さんの曲、「自転車」

いやー、今日だけは歌いたくなったんですよね。誰も聞いていませんし。

私にはこんなにも真っ直ぐな曲は似合いませんよね。わかっています。曲の一番最後の部分。恥ずかしくて私には叫ぶことは出来ませんし。

それはそうと大分遠くまできましたね。もうとっくに知らない道です。

スマホがあるから多分帰れることは出来るけど……目的地を決めなかったのは少し失敗だったかもしれませんね。

あっ!小さな公園があります。あそこを到着地にしましょう。


こんなにいい天気なのに先客は誰もいません。全く最近の子は外で遊ばないのでしょうか?これだから現代っ子は。

え、お前が言うなだって?頭の中のPさんがツッコミを入れてきます。いやいや、私はこうして外に出てるじゃないですか。だからいいんですよ。

暑いので例に漏れず木陰に移動します。ちょうどいいところにベンチがありますね。

よいしょっと。うーん、風が吹くと涼しいです。今の私は充実感に満ちています。ずいぶんと遠くまで来た気がします。

さっそくスマホを開いて現在地を確かめてみます。……10km!家から10kmも離れていますよこの公園!

10kmなんて車か電車を使わないと移動できないと思っていました!ふふん!すごいことですよこれは。

帰ったらお父さんとお母さんに自慢しましょう。きっとすごいって言ってくれます。

あとあと事務所に行ったらPさんとちひろさんと文香さんと……あとは誰にしましょうか?たくさんたくさん話したいです。


それにしてもいいところですね、この公園。静かな感じが気に入りました。

風が木々を揺らす音、セミの鳴き声、車の走る音が微かに遠くから聞こえる。まるでここだけ時間がゆっくり流れているみたい。

私だけどこか特別な場所にいるみたい。……決めました!ここを私の秘密基地にしましょう。

そう決めたらますますこの場所が気に入りました。うん、いい!

しかし、この場所にお別れを言わなければなりません。なぜなら太陽が徐々に傾いてきたからです。

欲を言えばずっとここでぼおっとしていたいですがそうするとお母さんとの約束が守れません。

「また来ます」この場所に再び来ることを。そうですね、このベンチにでも誓っておきましょう。

じゃあ帰りましょう。行きはよいよい帰りは怖いってね。


自転車でどこかに出かけると行きは楽しいんですけど帰りが少し憂鬱なんですよね。

自転車を漕ぎ続けていると空がだんだんオレンジ色になってきました。

あれだけ鳴いていたセミたちは全てヒグラシになっていました。

カナカナカナカナ、ヒグラシの鳴き声はどうしてこんなにも哀愁漂うのでしょうか。

聞いているともの悲しくなってきます。さっきとは違う意味で一人ぼっち世界から切り離されたみたい。

あー、はやく家に帰りたい。誰かとお話がしたいです。

結局家に着いたのは空の半分が暗くなってからでした。半分はオレンジ色なのでまだセーフ、なはずです。多分。



あ、お父さんも帰ってきているみたい。ストッパーをおろして、鍵をかけて。家のドアを開きます。そして大きな声で言います。

「ただいま」

「「おかえりなさい」」

二人の声に迎えられます。

「今日、自転車で10kmもの距離を走ったんだよ!」

しばし私の今日の冒険譚を聞いてもらいましょう。

以上で短いけど終わりです。

ありすもまだまだ小学生ですし、オフの日のありすがこんな感じだったらいいなと思い書きました。

夏の終わりのありすです。

乙です

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