渋谷凛「メインヒロイン」 (49)


しぶりんSS。地の分。 よろしくお願いします

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 今日も一日おつかれ様と、仕事に疲れた自分を労わりながら、缶ビールのブルトップを抜くと携帯が鳴った。
 
 こんな時間にかけてくるなんて非常識だと思うと同時に、
 仕事柄、何か緊急のことが起こったのかもしれないと懸念してしまう。
 
 ベットスタンドに置いてある充電器からスマホを抜き取ると、画面には渋谷生花店と表示されていた。


「もしもし」
「あ、プロデューサーさんですか?凛が。凛が」

 電話の相手は僕の担当しているアイドル、渋谷凛、の母だった。
 
 普段は仕事熱心で、面倒見もよく、まさに絵に描いたようなかっこいい大人なのだが、
 電話越しの彼女は違った。いつもより早口で、声も大きい。どうやら僕の懸念は当たったらしい。

「落ち着いてください。凛がどうしたんですか」
  
 僕ができるだけゆっくりと電話口に話しかけると、
 凛のお母さんは少し落ち着いたのか、先ほどよりもいくぶんか丁寧に、状況を語り始めた。



「凛がまだ帰ってきていないんです。もうとっくに帰ってきてもおかしくない時間なのに。
 今日はシンデレラガールの発表会だったようですので、
 お友達とご飯食べて帰ってくるかな?くらいには思っていたのですが、
 この時間になっても連絡なしで。あの子、いつもなら、遅くなる時は連絡を入れてくれるのに」

「そうですか……わかりました。こちらで凛の友達に聞いたりして探してみます。……はい。それでは」

 
 話すうちにだんだん小さくなっていく凛のお母さんの声を、僕は最後まで聞き取り、電話を切った。

 困った。想像していたよりも緊急だ。

 僕は頭を軽くかきながら、担当アイドル達にコールを飛ばした。

 渋谷凛
 
 出ない。30秒ほどコールを鳴らしたが、ずっとコール音のままだった。
 気づいていないのか、気づいていて出ないのか。それとも気づいていても出られないのか。


 島村卯月

 二かいほどコールを鳴らすと、卯月の嬉しそうな声が返ってきた。

「もしもし卯月か?」
「はい。どうしました?こんな時間に珍しいですね」

 卯月はやはり嬉しそうだ。声が浮き立っている。きっと電話越しに満面の笑みを浮かべているに違いない。
 
 以前、未央が「しまむーと電話すると楽しくて、気づいたら夜が明けてた」と言っていたのを僕は思い出した。
 卯月と一晩中楽しくお話しするつもりは、今はないので、すぐに本題に入った。

「発表会の後、凛と一緒にいたか?」
「凛ちゃんですか?一緒にいましたよ。未央ちゃんと3人でお話ししていました」
「何時くらいまでだ?」
「確か7時すぎくらいだったと思います。夜ごはんどうしようって話になって、
 そしたら、『わたし今日はパス』って、凛ちゃんが言って、今日は解散になりました」
「そっか。ありがとう。夜遅くにごめんな」
「いえいえ。凛ちゃんになにかあったんですか?」

 さっきまでにこにことしていた卯月の声が少しずつ沈み始めている。
 卯月を心配させるわけにはいかないと、僕はとびきり優しい声を作った。

「特になにもないよ。そろそろ切るよ。あ、卯月。シンデレラガールおめでとう。おやすみ」

「ふぅ」
 と小さく息を吐き、喉を癒そうと、開けたばかりの新品のビールに手をのばしたが、
 これからのことを考えて、飲むのはやめた。台所に向かい、安物のコップに水を注ぐ。

 大体わかってきた。頭の中で電話の内容を整理する。おそらくだが、凛が今いる場所も見当がついた。
 
 喉を潤して部屋に戻ってきた僕は、その予想を確信にかえるべく、もう一人の担当アイドルに電話をかけた。


「もしもしプロデューサー?どうしたの?こんな時間に?」

 元気いっぱいの弾んだ声で未央は電話に出た。 
 卯月と同じで、未央も今日はとても楽しそうだ。

「未央にききたいことがあってな」
「なになにー?未央ちゃんのスリーサイズ?」
「今日の凛のことについてなんだが」
「……あー、うん。何が聞きたいの?」

 普段の未央はとてもフレンドリーで、他人との距離が近い。
 騒ぐのも大好きなようで、しょっちゅうはめを外しては僕を困らせているが、
 実際は、人間観察や空気を読む能力に長けている。
 今も、凛の名前が出ただけで、はしゃぐのをやめ、静かに僕の言葉を待っている。
 そういうところも未央の魅力だと僕は思う。

「結果発表終わってからの様子。いつもと違ったりしなかったか?」
「うーんとね……」

 言葉を整理していたのか、状況を思い出していたのか、少し時間をおいてから、未央はしゃべり始めた。

「発表直後はいつもと同じ感じだったよ。あたしが冗談振っても、ツッコミ入れてくれたし。
 でも時間が経つにつれて、悲しいというか悔しいというか、
 そんな感じの表情をちょくちょくするようになってたよ」
「そっか」
「どうしたの?なにかあった?」
「実は凛が家に帰ってないらしくてな」
「え?事件じゃん」
「いや。まぁ、凛がいる場所の見当がついたから、俺はそこに向かってみるよ。
 未央は凛から何か連絡来たら、俺に知らせてくれ」
「わかったよ。しまむーには連絡する?」
「今日くらいはずっと笑顔でいさせてやろう」
「わかった。じゃあプロデューサー頑張ってね」
「まぁ努力はするさ」

 僕は寝間着からジーンズとTシャツに着替え始めた。
 
 凛がいるとしたら、あの場所だろう。いるという保証はないが、いるはずだ。

 夜の東京の道路は空いている。
 東京都民でない人には意外に思えるかもしれないが、
 渋滞が起こるのは朝から夕方にかけてで、21時以降は比較的どこも交通量は少ない。
 もちろん銀座などの例外はあるが。

 夜の東京の街を、車は止まることなく、進んでいる。

 これならすぐにたどり着けそうだ。僕は左手をハンドルから離し、ラジオをつけた。
 ラジオでは、夜のドライブを楽しめるようにと、ジャズがかかっていた。
 ギター、ドラム、トランペット、が奏でるアップテンポなリズムを聞きながら、僕は凛のことを考えていた。

 11月28日。僕がプロデューサーに就任した日。

「まずはアイドルをスカウトしましょう」と事務所のアシスタントに言われた僕は新宿まで来ていた。
 特にあてがあったわけでもない。若い女の子。それもアイドルになれそうな女の子がいそうな場所で、
 最初に僕の頭に浮かんだのが新宿だっただけだ。

 冬への変わり目の季節だからか、真っ昼間の新宿はいろいろな服装で溢れていた。
 カーディガンやセーターを重ねているだけの、まだ秋気分の子や、コートにマフラーと、完全に冬を迎えた子。
 
 そんな女の子たちの街行く姿を見ながら、僕はスクランブルの上で手さぐりにアイドルの原石を探した。

 2時間ほど経った頃には、新宿の街にも冬の風が吹き始めていて、
 僕は少しの肌寒さとスカウトの難しさを感じていた。

 確かに、整った顔立ちや愛嬌がある、いわゆる美人や可愛いと言われるような子たちも何人かはいた。
 その中には、この子なら、と思える子もいた。でも僕は声をかけられなかった。

「スカウトは直感です。ティンときた子をスカウトしましょう」とアドバイスをくれた事務員さんの言葉を借りるなら、
 その子たちはまさしくティンと来なかった。 

 あと一時間ほどしたら事務所に帰ろう。
 缶コーヒーを一気にあおり、僕は交差点の向こうを見つめた。

 一人の少女が信号の変わるのを待っていた。

 遠くからでもわかる端正な顔立ちに長い黒髪。
 学校帰りなのか、シャツの襟を大きく開け、緩くネクタイを結んだ上から黒のカーディガンを羽織っていた。

 同じくらい美人な女の子は今日何人も見たはずだったが、僕はこの少女から目が離せなかった。
 これがティンと来るというやつだろうか。

 信号が変わると同時に、たくさんの人がそれぞれの目的地へと歩き始めた。
 気づけば、僕は人波をきれいにかわしながら、彼女を目指していた。そして、
 ちょうどスクランブルの真ん中で僕らは出会った。

 すみません。予定あるので出かけます。日付変わるまでには更新できると思います

「あの」
「……なに?」

 愛想なく彼女は答えた。どうやらナンパと勘違いしているらしく、
またか、とうんざりした様子で、形の良い目を尖らせ、僕をにらみつけていた。
僕は彼女の視線と彼女から出ているどこかおかしがたい気品に、気後れしつつも、スカウトを試みた。

「アイドルに興味はありませんか」
「ない」

 鋭い目つきのまま彼女は即答した。最近の女子高生はここまでおっかないのか。
そう思いながらも引き下がるわけにはいかず、僕は続ける。

「せめて名刺だけでも」
「だから興味ないって」
 
 彼女は僕の誘いを一蹴し、街の中に消えていった。

「おつかれさまです。プロデューサーさん。いい子は見つかりましたか?」
「いい子はいたんですけどね」

僕は事務所に戻るとすぐに、コーヒーを淹れ、
彼女が着用していたネクタイやスカートの柄を手掛かりに、彼女が通っている高校を調べ始めた。


彼女に振られた後も、僕はしばらく新宿の街でアイドルの卵を探し続けた。
 しかし彼女を見てからだと、他の女の子がどこか物足りなく感じられ、
 結局、だれにも声をかけることが僕にはできなかった。

「おっ」
 
 緑と紺の柄のネクタイに無地のグレーのスカート。どうやら当たりらしい。

「どうしました?プロデューサーさん」
「いえ、なんでもないです。あ、ちひろさん。明日もスカウト行って大丈夫ですか?」

 コーヒーを飲みながら、僕は初めてのスカウトを振り返った。 
 
 スクランブルにいたたくさんの女の子たちの顔をはっきりと思い出すことはできなかったが、

 彼女の姿だけは写真のように、くっきりと僕の脳裏に焼き付いていた。

 それから毎日、僕は彼女の元へ通った。

「アイドルに興味はありませんか」

 彼女が下校する時間を見計らって、彼女を待ち、彼女を見つけては、僕は駆け寄った。

「ない」「またあんた?」「いい加減にして」

 勧誘するたびに、冷たい言葉と視線を彼女は浴びせてきたが、不思議と僕は折れなかった。


「話聞くだけなら」

 一週間ほどストーカーまがいの勧誘を続けて、僕の熱意が伝わったのか、彼女がついに折れた。

 彼女に名刺を渡し、二人で近くの喫茶店に入った。
  


「でもどうして私をアイドルにしたいと思ったの?」
 
 チーズがたっぷり入ったラザニアを綺麗にフォークですくいながら、彼女がきいた。

「なんというか、ピンときたというか。俺もよくわかっていないんだ。
 でも君ならアイドルになれると俺は確信しているんだ」
 
 乾燥した唇をコーヒーで濡らしながら僕はそう答えた。

「ふーん。変なの」
 
 彼女は表情を一つも変えず、フォークをゆっくりと皿の上に置いた後、立ちあがった。

「渋谷凛。15歳。これからよろしくね。プロデューサー」

 なにもされていない、ありのままの、綺麗な彼女の長い黒髪が、僕の前で揺れた。


 凛はクールな見た目や愛想のなさとは裏腹に、生真面目でストイックな性格だった。
  
 レッスンで、このステップが苦手だとわかると、それができるようになるまでずっと練習を重ねる。
 ライブ前はカラオケボックスでボーカル練習を行ったりもする。

 そんな様子を見て、未央が「しぶりんは完璧主義」だと評していたが、まさにその通りだと思う。
「やるからには全力でやる」を信条に、凛は全力でアイドル活動に取り組んでいった。
 
 僕も凛の熱意にあてられたのか、
 凛がよりたくさんレッスンを受けられるようにスケジュールの調整をしたりと、凛を全力でバックアップした。

 瞬く間に、凛はトップアイドルへの階段を駆けていった。

 最初に組んだ、卯月、凛、未央、の3人から成るユニット、
 ニュージェネレーションはデビューと同時に爆発的な人気となった。
 
 その勢いが消えぬうちにと続いた、凛、奈緒、加蓮、のユニット、
 トライアドプリムスで凛の人気は不動のものとなり、
 凛は第3回のシンデレラガール総選挙で、見事シンデレラガールに選ばれた。

「ガラスの靴は1個じゃなくて1足ないとシンデレラにはなれないもんね」

 結果発表の日の夜。春の夜風が心地よく吹く、パーティー会場の船の上で、
 黒のスレンダードレスに身を包んだ凛が、シンデレラガールにのみ渡される、
 ガラスの靴をモチーフにしたトロフィーを僕に渡した。

「期待しているよ。お姫様」

 頬がゆるみっぱなしの凛から、僕がトロフィーを受け取ると

「まかせて。魔法使いさん」

 頬がゆるみっぱなしの僕に、凛ははにかんだ。

 それから僕は、シンデレラガールに選ばれて、
 前よりもずっと忙しくなった凛への負担を少しでも減らそうと努めた。

 凛のスケジュール管理や、凛が出演する番組の打ち合わせなどが一日の大半を占めるようになり、
 家に帰る時間がもったいなくて、事務所に泊まる日もあった。

 凛の方も僕の努力や期待に応えようと今まで以上にストイックにアイドル活動に取り組んでいった。
 
 次の総選挙に向けて、僕と凛は気合十分だった。

 
 しかし現実はそううまくはいかなかった。

 第4回の総選挙で、凛は総合9位、部門別3位だった。

 周りから見れば、これでも十分すごい結果なのだが、凛はやはりどこか満足していない様子だった。

「大丈夫だ。次、頑張ろう」
 
 グラス一杯に入ったアイスコーヒーに目もくれず下を向いている凛に、僕は言った。
 
 凛は小さく頷いただけで、その日はずっと黙ったままだった。


 

 連覇できなかったのが、相当ショックだったのか、
 1週間ほど、凛は気分が沈んでいる様子だったが、次第に、
 第5回でリベンジしよう、と思えるようになったらしく、
 レッスンや仕事に意欲的に取り組めるように回復していった。

 そんな凛を見て、僕はほっと胸をなでおろし、シンデレラガール奪還に向けた日々を過ごしていた。

 そして今日。第5回の結果が発表された。

 凛は総合11位、部門別6位。

 僕は今日、別の仕事の用事が入っていたので、直接現場で凛を見たわけではないが、
 未央の話を聞く限り、やはり凛は落ち込んでいるのだろう。


「大丈夫だ。次、頑張ろう」

 前回、凛に言った言葉が僕の頭に思い浮かんだ。

 今回もこういった言葉を凛にかけていいのだろうか。

 そしたら、凛は少し時間が経つと、また復活して、アイドル業に取り組んでくれるのだろうか。
 それとも……


 気づけば、ジャズはテンポを変えていた。

 透き通ったピアノの音が車内に鳴り響くのをぼんやりと聞き流しながら、僕は凛への言葉を探し始めていた。

 少し重たい木製の扉を引くと、からんからんとベルがなり、店のマスターが僕に声をかける。

「いらっしゃいませ。おひとりですか?」
「いえ。待ち合わせです」

 大通りから少し離れた場所にある喫茶店は、時間のせいか、客もまばらだった。
 清掃が行き届いた店内を僕は一直線に奥まで進む。
 
 一番奥のテーブル席の窓側。
 いつもの場所に、凛はそこにいるのが当たり前であるかのようにしっくりと座っていた。

「おつかれさま。プロデューサー」

 突然現れた僕に驚くこともなく、平然と凛は言った。

「凛。お母さんから俺のところに電話かかってきたぞ。
 それもいつもより取り乱した様子で、すごく凛のことを心配していたぞ」

「それは……ごめんなさい」

 僕を見ていた目を下げ、凛は黙ってしまった。気づけば目元が少し赤い。
 卯月たちと別れてから二時間ほど、この場所で涙を浮かべながらコーヒーを飲んでいたのだろう。
 さて、どうしたものか。

 僕は凛の正面の席に座り、マスターを呼んだ。
 空だったカップを下げてもらい、新しくコーヒーを二つ注文した。

 凛はコーヒーにミルクも砂糖も入れない。
 チョコレートは甘い物を好むのに、コーヒーは苦いまま飲む。

 いつだったかは忘れたが、
 いつものように仕事終わりに、この店で凛とコーヒーを飲んでいた時に

「どうしてコーヒーは何も入れずに飲むんだ。苦くないか?」と凛に聞いたら、
「苦いけど、コーヒーはブラックで飲んだほうがかっこいいじゃん」となんともかっこ悪い答えが返ってきた。


「おまたせしました。ホットコーヒーです」

 運ばれてきたコーヒーにはミルクが添えられてあった。
 
 凛との会話が聞こえていたのか、それとも何回もコーヒーを淹れるうちにわかったのか、
 僕と凛がコーヒーには何も入れない人間だと、マスターにはわかっているはずだ。
 現に、いつも僕らがコーヒーを頼むときには、砂糖もミルクも付いてこない。

 僕の視線に気づいたのか、マスターは優しい笑みを作った。
 
 敵わないな。
 マスターの好意に感謝しながら、僕は自分のコーヒーにほんの少しミルクを入れた。

「おおっ。久しぶりにミルク入れて飲んだら、なんかまろやかで落ち着くな。凛もどうだ?」

 今にも消えてしまいそうなほど、小さくなっていた凛は顔を上げ、
 僕を何秒か、じっと見てから、ミルクを受け取った。

「うん。確かにいつもより落ち着くかな」
「それはよかった」
「プロデューサー」
「なんだ?」
「11位だった」
「そうか」

 凛はそれきりまた口を閉じてしまった。
 僕の方を見ずに、喫茶店のアンティークな内装や窓の外の様子を、ひっきりなしに確認している。


 凛は僕の言葉を待っている。

 わかっていたからこそ、僕は何も言えなかった。
 ここでなんて言葉をかけるのが、プロデューサーとして正解なのか、僕にはわからなかった。

 重い口を少しでも軽くしようと、僕はミルク入りのコーヒーを一口飲んだ。


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