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空蜘「────……ぁ……ぅう……ん……、あれ……?」
あの闘争から丸一日が経過した頃。
空蜘は目を覚ました。
……何故、自分は生きているのか。
記憶を辿った先、最後の記憶は吐き気がするくらいに最悪なものだった。
正直、その記憶も曖昧なもので。
途切れ途切れの記憶。
それでも確かなことは、涼狐を殺そうとしたが先に自分の方が力尽きてしまった、という。
その後、涼狐はどうなったのだろうか。
空蜘「…………っ、アイツっ、ぐっ、ぁぎゃ…!? 痛い痛い痛いぃぃぃぃぃぃっ!!!!」
……起き上がろうとした空蜘だったが。
容赦なく身体中を激痛が襲う。
と、そこに。
牌流「…あっ、空蜘起きた!」
空蜘「ぁ…うぅ……っ、牌ちゃん……?」
痛みに悶える空蜘を覗き込むように、牌流。
空蜘は、なにがなんだかわからないといった様子で。
自分が生きているのはともかく、この牌流はあの時確実に自分が殺した筈、だが。
……これは、一体。
※前スレ
みも「なんかμ'sのみんなが忍者になってた件……」(第一章~第三章)
みも「なんかμ'sのみんなが忍者になってた件……」 - SSまとめ速報
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空蜘「……??」
鹿「おーおー、あんなグロい状態からホントに生き返るとは……気持ち悪っ!」
紅寸「鹿ちゃんもだいぶグロかったけどね」
鹿も紅寸も、そこにはいた。
……それと。
空蜘は敢えて触れようとしないが、隅の方にただでさえ小さい体を更に小さくしている頭領の姿も。
蛇龍乃「…………」
と、いうかそもそもここは。
石の壁、石の床、石の天井。
そして、鉄格子。
……そう、牢屋のようであった。
いや、どう考えても牢獄だ。
空蜘「……なに、どういうこと……? これ……」
紅寸「なんかね、ヱ密の術で私ら生き返ったみたいだよ」
空蜘「…………は、はい?」
牌流「私も詳しくはまだよく聞いてないんだけど。なんかね、ヱ密の術っていうのが──」
“甦生”。
ヱ密の術を種として鈴が与えられ、それを空が展開して今に至る。
その結果、自分たちはこうして再び生を与えられた、と。
ざっくりと牌流は話した。
空蜘「……なにそれ、……ていうかそれ……死ぬほど苦しめられて、死んだらまた生き返らされて、また痛ぶる……拷問の途中?」
牌流「えっ、そうなの!?」
紅寸「マジか」
鹿「私ら完全敗北のお知らせ……」
紅寸「もうだめだぁ…」
鹿「空蜘が死んじゃうから…」
空蜘「えー、鹿ちゃんも殺されてたじゃん」
鹿「あれは立派な策だし。私の担当だったヤツはちゃんと倒したっしょ? ふふんっ!」
紅寸「いや、めっちゃドヤってるけど倒したの鹿ちゃんじゃないらしいじゃん!」
牌流「そういう紅寸だって、結局あれを倒したの立飛なんでしょ?」
紅寸「あれは策なのだ」
牌流「へー」
鹿「……牌ちゃんと組むのは死ぬほど大変だったなぁ……まぁ死んだんだけど」
牌流「そ、それはっ……私は身を犠牲にして……って、私があそこまでしたのに仕留めきれない空蜘が悪い!」
空蜘「結局私かよっ! …って、あれ……?」
空蜘「ヱ密と立飛は……?」
この牢の中にいるのは、空蜘を含めた忍びの五人だけで。
ヱ密と立飛の姿はどこにも見当たらない。
牌流「ちょっと前に二人ともどっか連れてかれてたよ」
紅寸「比較的軽傷だった組だから」
鹿「まぁ死んだんだけどね」
空蜘「死んだのに軽傷って……」
鹿「……ていうか」
牢の隅に目をやりながら、鹿は。
ボソリと、言う。
鹿「まさかじゃりゅのんもやられちゃうとはねー」
蛇龍乃「……っ、……ぅう……ぁぁ……」
ピクリと、耳を反応させ。
……更に縮こまる蛇龍乃。
紅寸「あー、ここにいるってことは殺されちゃったってことだよね?」
牌流「無敵だと思ってた蛇龍乃さんが死ぬとか」
空蜘「…誰に殺られたの? やっぱあの涼狐?」
紅寸「空丸じゃないの? なんか二人ですごいことやってたし」
鹿「じゃりゅのーん?」
蛇龍乃「……ま、まぁ……そ、そそそそんな感じ、かな……あ、あんな化け物二人にリンチされたら、さ、ささ、さすがの、私でもすこーし無理があった、かな……う、うん」
鹿「……なんか怪しいなコイツ」
と、そこに。
ヱ密「ただいまー」
立飛「あ、空蜘も無事生き返ってる」
格子の向こうに、ヱ密と空蜘。
……と。
御殺「さぁさぁ入って入ってー、妙な動きみせたら駄目だよ?」
ヱ密「はいはい、わかってますとも」
立飛「…ははっ、私に殺されたくせに」
御殺「……」
ヱ密「こーら、立飛。挑発しないの」
立飛「はーい」
……ギギィーッ。
御殺が持っていた鍵で、開かれた鉄格子。
抵抗の素振りなどみせず、言われるがままにその中に自ら入っていくヱ密と立飛。
空蜘「…………」
牌流「おかえり、二人とも。ん、それ何持ってるの?」
紅寸「くんくん……美味しそうな匂いがする」
立飛「ご飯だよ、ご飯」
ヱ密「ここの城主さんがみんなでどうぞー、って」
鹿「え、城主ってまさかアイツ……ん?」
空蜘「……て、なにこれ…」
紅寸「こ、これは……」
牌流「おー……」
二人が持ってきたもの。
それは、箱いっぱいに詰め込まれた。
……餃子だった。
空蜘「……これだけ?」
紅寸「ご飯は無いのー?」
牌流「栄養バランスが心配」
鹿「そういえば最初に会った時も餃子食べてたような……なにこれ、イジメ?」
空蜘「もう軽く拷問始まってんじゃん」
牌流「ど、毒とか入ってないよね……?」
御殺「……これは一生、牢の中かも」
ヱ密「もう、せっかく善意で頂いたんだから文句言わないのっ」
立飛「そうだよそうだよ。さっき味見したけど美味しかったよ。皆もお腹空いてるでしょー?」
鹿「あの女が、私らに善意……?」
紅寸「まぁでも、お腹空いたし、いただきまーす! もぐもぐ…」
紅寸が餃子を口にして、何事も無いのを確認すると。
やはり相当空腹だったのか。
牌流や空蜘、鹿も一斉に箸を伸ばした。
空蜘「……ん、おいしい」
牌流「ねー、あとでレシピ教えてもらおうかしら」
鹿「…まぁ美味しいんだけどさ、さすがにこればっかひたすら食べ続けるのは」
立飛「お米欲しいねぇ」
ヱ密「…あ、蛇龍乃さん、食べないの?」
蛇龍乃「…………私は、いい」
ヱ密「……?」
立飛「なんか元気無いね。どうしちゃったんだろ」
空蜘「殺されたのがショックだったんじゃない? あんだけ偉そうにして、結局やられちゃったんだし」
紅寸「空丸と、あの鈴ちゃんそっくりな探偵が相手なら仕方ないじゃん」
牌流「うん、そこまで気にすることないと思うけど」
ヱ密「…ん?」
紅寸「あれ? ヱ密、知らない? なんかね、二人掛かりにボコられちゃったらしいよ」
ヱ密「……?」
鹿「ヱ密?」
ヱ密「あれ、おかしいなぁ……さっき空丸と話してたのと相違が」
蛇龍乃「え、ちょ……え、ヱ密っ」
ヱ密「蛇龍乃さんを殺したのって、鈴ちゃ」
蛇龍乃「うあああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
……突如、発狂し始める蛇龍乃。
蛇龍乃「な、なにバラしてくれてんだっ、ヱ密ーっ!! 秘密厳守は忍びの基本だろぉぉぉぉっ!!」
「「「「……………………」」」」
ポカンと口を開けたまま。
まるで可哀想なものを見るような目を、蛇龍乃に向ける一同。
鹿「……え、嘘、でしょ……鈴に殺されたって」
牌流「は、はは……じょ、冗談だよね……」
空蜘「えぇ……どこの忍びの世界に、鈴なんかに殺される頭領がいるの……」
紅寸「皆、待ってよ! きっと探偵二人にめっためたにされて虫の息だったところを鈴ちゃんにとどめさされたってだけでしょ!?」
ヱ密「ううん、最初から一対一だったって」
蛇龍乃「や、やめろぉぉぉぉぉぉぉっ!!!! もうやめてくれぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
「「「「……………………」」」」
紅寸「え……マジなの……」
鹿「よ、弱すぎにも程があるだろ……」
牌流「これにはさすがの牌ちゃんもドン引き」
立飛「私もそれ聞いた時ビックリしすぎちゃって、自然と涙出てきたもん」
ヱ密「あー、泣いてたね、立飛」
蛇龍乃「それなんの涙なのっ!? 立飛!! いや待て、言うなっ、頼むから言わないで……っ」
鹿「うっわぁ……恥ずかしすぎる……」
空蜘「私だったらとっくに自殺してる。そんな辱しめ受けて、もう生きていけないでしょ……」
鹿「万死に値する恥辱」
紅寸「さ、さすがにそれは、くすんもキツいものがあるかなぁ…」
牌流「あ、でも死んでも生き返っちゃうんだっけ? これこそ拷問だよね……」
ヱ密「ちょ……皆、それくらいに」
蛇龍乃「……ぐすっ……もうやだ、じゃりゅのさんおうちかえる」
……牢の隅。
すすり泣きながら。
ガシガシと、頭を壁に擦り付ける蛇龍乃。
蛇龍乃「……うぅっ……なぁに、この壁、固いよぉ……頭痛いぃ……」
紅寸「か、壁のすり抜け……会得したの?」
ヱ密「い、いや……そんなことは出来なかった筈……」
蛇龍乃「くぅぅ……っ、うぅ……帰る帰るっ、絶対帰ってやるもんっ…!!」
壁のすり抜けを諦めた蛇龍乃は、唐突に。
反対側、鉄格子の方へ走り出し。
……そして。
ガンッ──!!
蛇龍乃「ぐほぁっ…!?」
……盛大に顔面を打ち付けた。
「「「「……………………」」」」
蛇龍乃「ゅ……あぅ……痛いよぉ……なんでこんなとこに鉄格子があるんだよぉ……ひぐっ、うぇぇん……っ」
鹿「……よ、弱いうえに、唯一マシだった頭ですらおかしなことになってるぞ、コイツ……」
立飛「かわいそう」
空蜘「なんでこの人、頭領やってんの……」
牌流「介護が必要な気がしてきた……」
紅寸「鹿ちゃんよろしく」
鹿「やだ、無理」
蛇龍乃「……お、お前ら……好き放題言ってくれやがって……っ」
ヱ密「だ、大丈夫だよっ、蛇龍乃さん。私がちゃんと介護するから」
立飛「ヱ密一人じゃ大変だろうから私も手伝うよ」
蛇龍乃「私が怒ってんのはそこじゃねぇぇぇぇーーーーっ!!!!」
──……。
御殺「ふふ、賑やかだねぇ」
ヱ密と立飛を再び、牢の中へと戻し。
その場所から離れていく御殺。
御殺「……あれ?」
と、少し離れた所。
壁にもたれ掛かり、浮かない表情でいる者の姿を見付ける。
御殺「こんな所で何してるの? 鈴ちゃん」
鈴「……あ、みころん」
御殺「あの人たちと話したいなら行ってきていいよ? 依咒さんも何も言わないと思うし」
鈴「ううん、いいの。たまたま通り掛かっただけだし」
御殺「たまたまって…」
ここは城の地下。
牢に捕らえられている者への面会以外で、訪れることのない場所ではあるが。
この城に連れてこられるまでは、共に過ごしていた仲間たち。
やはり、様子が気になるのだろう。
それに事情が事情なだけに、顔を合わしづらいといったこともあるのかもしれない。
鈴「…………」
御殺「元気だったよ、全員」
鈴「……ん、声聞こえてた」
御殺「そっか……まぁ話したくなったら話せばいいよ」
鈴「うん、ありがと」
……でも、私は。
あの中にいてはいけない。
こればかりは、私がどんなに望んだとしても。
御殺「…あ、そうだ。鈴ちゃん」
鈴「なに?」
御殺「涼狐、見なかった?」
鈴「あたしは見てないけど……いないの?」
御殺「んー? さっきチラッと部屋見た時、いなかったから」
鈴「目見えないのにどこほっつき歩いてるんだか……また転んでないといいけど」
鈴「あたし、探してみるよ」
御殺「ごめん、よろしく。私、この後ちょっと依咒さんに呼ばれてるから。涼狐見付けたら連れてきてもらえる?」
鈴「うん、わかった」
────…………。
空の展開した“甦生”の術により、再び命を宿された忍びの七人と依咒と御殺。
それと、戦いが始まる前に忍びに虐殺されていた町民も。
が、さすがに半壊された城までも元通りとはいかず。
城兵によって修繕が行われている真っ只中といった現状である。
奇跡的に綺麗な状態のままであった、天守閣の真下。
城主である依咒が、座を構える一室。
そこに、地下から上がってきた御殺が姿をみせる。
御殺「やっぱ地下にもいなかったよ、涼狐。今、一応鈴ちゃんにも探してもらってるけど」
空「……そう」
依咒「私のすーちゃんが行方不明……捜索隊を編成して、こっから半径500kmくらいをしらみ潰しに」
御殺「子供じゃないんだから、そのうち戻ってくるでしょ」
御殺が訪れた時には、そこには空の姿もあった。
依咒「つーかさぁ、空がすーちゃんいじめるからー、どっか行っちゃったじゃーん!」
空「……涼が私に相談も無しに、いきなりあんなことするのが悪いんだよ」
と、不貞腐れたような表情を浮かべる空。
“あんなこと”とは、涼狐がスマホを破壊したことを指しており。
そのせいで、“Xenotopia計画”は実行されることは未来永劫消えて無くなってしまった。
空にとって、この世界を救う為。
というかそもそもそんな壮大な理由以前に、涼狐や御殺や依咒を守りたかった。
たったそれだけなのに。
計画を破綻に追いやったのは、守りたかった相手だった。
……しかも、その理由が。
依咒「空を失いたくなかった」
空「……っ、ホント信じられないっ……私がどんな想いでこれを進めてきたか、涼はわかってくれてると思ってたのに」
御殺「空さんがそこまで怒るのも珍しいね」
空「そりゃ怒るよ。こんな風に台無しにされたら……私だって、人間なんだし」
依咒「……そう、人間なんだよ。空も」
御殺「おや…?」
依咒「私や御殺やすーちゃんと何も変わらないただの人間」
依咒「だからさ、空が一人でなんでもかんでも背負い込むことないんだよ」
空「依咒さん……」
御殺「そうだね」
依咒「ねぇねぇ、今超良いこと言ったよね? 私!」
空「えー……」
御殺「うん、言った。ていうか私もこれで本当に良いのかなーって思ってたし」
依咒「まぁねー、空がいない世界なんて存在価値の無いクソみたいな世界だろうし!」
空「……調子良いこと言って」
御殺「まぁ実は……空さんの想いも汲んであげなきゃって私も思ってて、それはどっちを選んでも何かを失うものだから……正解は一つじゃない。人生ってそういうものでしょ」
依咒「すーちゃんは私たちよりほんのちょっぴり自分の気持ちに正直になっただけ」
自分じゃ決められなかった、選べなかった超難問。
そんな涼狐の背中を押してくれたのは、鈴だった。
同一人物であって同一人物ではない、不思議な関係性の二人だったからこそ。
言えたことであったし、言ってほしいことでもあったのだろう。
依咒「すーちゃん戻ってきたら、ちゃんと仲直りすること。いい?」
空「……」
依咒「そーらぁー?」
空「は、はいはいっ、わかったよ……」
依咒「こんな言い方あれだけど、もうスマホはぶっ壊れたわけでしょ? 今更どうしようもないじゃん。まぁすぐに何もかも受け入れるのは難しいと思うけど」
依咒「ここで空がいつまでも意地張ってたら、すーちゃんにとってこの選択は完全に間違いだったことになる。今ですら多分、罪の意識を感じてるからどっか逃げちゃったんだろうし…」
空「……うん」
御殺「空さんは、涼狐のこと嫌いになっちゃった?」
空「…そんなわけ、ないじゃん……でも」
空「あのアホがスマホ壊したせいで、涼の眼は……もう、二度と」
御殺「空さんもわかってるくせに。涼狐は自分が見る世界よりも、空さんと一緒に生きていくこの世界を選んだんだよ」
依咒「真っ暗な闇のなかで、きっとすごく心細いと思う。だからこそ、私たちがあの子を支えてあげなきゃ」
依咒「私はすーちゃんが選んだこの世界を間違いだったって思ってほしくない……貴女が選んだこの世界は、こんなにも美しい世界なんだよ、って」
依咒「示してあげることが、私たちがこれから辿る運命でもあるわけじゃない? 私と御殺、空、それにすーちゃんがいれば、世界に問うことなく……私たちがいるこの世界こそが理想郷、でしょ?」
依咒「まためちゃくちゃ良いことを言ってしまった」
空「…ははは、うん……そうだね。ごめんね、私、自分のことばかりで」
御殺「空さんも私たちのことを想ってくれてたわけでしょ、誰も悪くない」
空「うん。まぁでも、結果としてあの忍びの皆を巻き込んじゃって酷いことしちゃったよね…」
依咒「そう? それとこれとはまったく話は別じゃない? 私たちは探偵でアイツらは忍者なんだし、この件を抜きにしてもあの忍者たちは散々悪行を働いてきたわけじゃん」
御殺「ま、まぁ、間違ってはないよね……」
依咒「自業自得。ちょうど一網打尽に捕らえてるわけだし、処刑しよっか」
空「え、ちょっと、依咒さん!?」
依咒「なんてね、うそうそ。私としては別に殺しちゃってもいいと思うんだけど」
空「…で、これからどうする? 涼を捜しにいく?」
御殺「うーん……眼もあれだし、怪我も治ってないし、心配ではあるよねぇ」
依咒「放っておく」
空「あれ?」
御殺「さっき捜索隊を、とか言ってなかった?」
依咒「ん、まぁ……いくらすーちゃんに激甘な私でも、城主としてリーダーとしてなんのお咎めも無しっていうわけにはいかないよねぇ」
御殺「え、依咒さんってリーダーだったの?」
空「それは私も知らなかった」
依咒「え……だからすーちゃんには自分から帰ってきてもらわないと。それまで待ってよっか。喩えそれが何年も何十年先になろうと」
依咒「私たちがいる、この場所を目印に」
……依咒だけでなく。
御殺も空も、涼狐はすぐには戻ってこないのではないか、と。
なんとなく、そんな気がしていた。
凄腕の探偵である三人だ。
本気で捜せば、数日とかからず簡単に見付け出せる自信はあったが。
敢えて、そんなことはしない。
依咒の言葉に、頷く御殺と空だった。
御殺「涼狐はそれでいいとして。ねぇ、鈴ちゃんはどうするの?」
空「あー、鈴かぁ……」
依咒「計画もスマホも無くなった今、ここに私たちといる意味なんて何も無いでしょ?」
空「うわぁ、めちゃくちゃ冷たい人…」
御殺「依咒さん、鈴ちゃんのこと可愛がってあげてたのは本心じゃなかったんだね。嘘だったんだね…」
依咒「え、いや、ちょっ……そんな風に聞こえた? 違う違うっ、私が言いたいのは半ば無理矢理連れてきちゃったんだから、鈴ちゃんの好きなように決めればいいってこと!」
御殺「ああ、そういうこと」
空「……ここに私たちと一緒に残るのも、忍びの皆と行くのも、鈴の自由」
空「……でも、それは」
────…………。
数日後。
城の大広間に集められた、忍びの七人と涼狐を除く探偵の三人。
……と、鈴。
向かい合うように、忍びの七人が横一列になり腰を下ろし。
その正面に並ぶ三人の探偵。
鈴の姿は、探偵の隣にあった。
「「「「……………………」」」」
なんともいえない張り詰めた空気。
それも無理はない。
数日前には殺し合いをしていた双方だ。
互いに負った傷はまだ癒えていないが。
いつまた一触即発し、戦闘に発展するかわからないといったこの場の状況である。
依咒「……自由にしてあげたからって、妙な動きはしないようにね」
蛇龍乃「それはそっちの出方次第だな。まぁ話し合いなら一先ずこっちも応じてやるとしよう」
空蜘「無理。全員ぶっ殺す」
蛇龍乃「空蜘ウルサイ、ダマレ」
ヱ密「あのー、涼狐の姿が無いみたいだけど…」
空「あ、うん……涼は」
依咒「ちゃんといるよ。隠れてるだけ。だからそっちが手出してきたら殺しに現れるかもねー」
ヱ密「……」
気配は感じられないようだが、本当に潜んでいるのか。
そもそもこうして敵味方が一同に顔を合わせる場に、涼狐がいないのは少し妙だと。
ヱ密は首を傾げる。
空蜘「んじゃちょっと暴れて、アイツにリベンジを」
蛇龍乃「もうお前黙ってろ」
ヱ密「……涼狐、何かあったの?」
空「こっちの話だから。ヱ密には関係無いよ。気にしないで」
ヱ密「…空丸、冷たい」
依咒「ていうかそろそろ本題に入っていいー?」
紅寸「ん、本題って?」
鹿「そもそもさぁ、なんの為に集められたわけ? 解放してくれるの?」
牌流「ほんと? やっと里に帰れるの?」
紅寸「やった! やっぱ慣れない場所だと息苦しくて発狂しちゃいそうだったよー」
空蜘「ホントホント、あんな埃っぽい牢屋に何日も閉じ込められてさぁ…」
鹿「退屈でつまんないし、唯一の楽しみのご飯も餃子しか出てこないし」
立飛「そうそう、まぁ最初の一日くらいは美味しく食べてたけど、毎回だと辛いものがあったよね…」
紅寸「くすん、早く牌ちゃんのご飯が食べたい」
鹿「そう言われると急に恋しくなってきた、牌ちゃんの料理」
空蜘「拷問のように餃子ばっかり食べさせられてたから、ものすごく美味しく感じそう」
牌流「えへへ、なんか嬉しいなぁ。よーし、張り切って作っちゃうぞー」
依咒「コ、コイツら……っ」
御殺「まぁまぁ、依咒さん。落ち着いて」
依咒「もう限界。地下行き決定」
蛇龍乃「…というか、いきなり真面目な話をして悪いけど」
御殺「あ、どうぞどうぞ。真面目な話なら大歓迎」
蛇龍乃「私がヱ密に聞いた大体の事情によると──」
探偵側はまず先の戦いの最中に、ずっと求めていたヱ密の種を入手。
その術で、戦いで死んだ者と町民を甦生。
だが、涼狐がスマホを破壊したことにより、探偵側の計画は消え去った。
よって、探偵側としては忍びと争う理由は無くなった。
……しかし。
蛇龍乃「こうして平和的に話し合いに応じてやってはいるが……私たちからしてみれば、お前らを殺す理由はまだ残ってるんだよ」
蛇龍乃「そもそも、そのなんとか計画を潰すこと自体が本来の目的じゃないしね」
この蛇龍乃の言葉により、他の忍びの表情も先程までと一変させる。
……そう、何も解決はしていないのだ。
忍び側の本来の目的、それは。
城を潰すこと──。
何の為に。
この先も、生きていく為。
即ち、例の手配書。
これが存在している以上、今もこの瞬間だって国中から注目の対象となっている賞金首であることには何一つ変わりはない。
だからこそ、蛇龍乃はこの城を潰そうとした。
こうして依咒たち探偵が目の前にいるのだから、任務半ばの状態であるのだ。
蛇龍乃「……そこんとこ、どうなの?」
……睨みをきかせた蛇龍乃の問いに、答えたのは空だった。
空「城は潰させないし、私たちも殺されるわけにはいかない」
別に今となって、この城に特別拘りがあるわけではないが。
涼狐が帰ってくる目印、受け入れてあげる居場所として、無くすわけにはいかない、と。
空蜘「…ふーん、じゃあ力付くでってわけだね。望むところ」
ヱ密「待って、空蜘」
空蜘「やだ」
ヱ密「ねぇ、空丸」
空蜘「無視かよっ」
蛇龍乃「なるほど。空蜘がうるさい時は放っておけばいいのかー……さすがヱ密」
空「……なに? ヱ密」
ヱ密「こうして私たち全員を呼びつけたんだから、なにもここでまた殺し合いを繰り広げようってわけじゃないんでしょ?」
空「…うん、そうだよ。まぁさっきも言ったけど、殺されるのは勘弁だしねぇ」
ここで再び、抗争に発展して自分たちが討たれることも、この城を潰されることも。
かといって、このまま忍びの七人を野放しにしても、探偵を狙ってくるだろうし。
報奨金目当ての賊や民が返り討ちに遇うことも、容易に想像がつく。
……と、すれば。
依咒「手っ取り早いのは、やっぱあんたらが全員死ぬことでしょ。死者を狩ろうと考える人間は存在しないしねー」
蛇龍乃「……」
空蜘「は?」
鹿「ってそれ、また殺し合うってことじゃん!」
途端に目の色が変わる忍び一同。
そして。
即座に戦闘の構えを取り、先陣を切ったのは。
紅寸「先手必勝っ!!」
紅寸だった。
飛び掛かるように、真向かいの探偵の元へ。
蛇龍乃「…あ、待て待て。紅寸」
紅寸「ぐほぁっ…!?」
……ガンッ、と。
突如として眼前に出現した黒壁に顔面を激しく打ち付け。
跳ね返される紅寸。
紅寸「うぅっ……ぁあ……痛いよ痛いよぉ……っ!」
牌流「……ものすごい勢いでぶつかったけど、大丈夫……? 紅寸」
紅寸「ぁう……だ、だいじょぶ、じゃ……ない……って、もーっ! なにすんのー!?」
蛇龍乃「他人の話は最後まで聞こうねー」
御殺「ほっ、よかった……もう、依咒さんが誤解されるような言い方するから」
依咒「あれー? そんな言い方になっちゃってたー?」
空「めちゃめちゃ悪意だらけだった」
紅寸「ん……ん? あれ……違うの?」
鹿「どゆこと?」
空「手配書にも載った七人の忍者はこの城を強襲しようとしたが、探偵によって阻まれ、返り討ちにされた。この場所で命を落とした」
空「死んだんだよ。もうこの世界には存在しない。そういう事実を残す」
ヱ密「…ああ、そういうこと」
蛇龍乃「私たちを死んだ扱いにするってわけね」
空蜘「はぁ…? それじゃ私たちが探偵に負けたことになるじゃん」
立飛「どっちでもよくない? 空蜘は忍びのくせに名声が欲しいの?」
御殺「死んだとされる人間をわざわざ捜す手間なんかに誰も時間を費やさないし。これでなんとか納得してもらえたらなぁ、って」
紅寸「んー仕方ないなー、ほんとに仕方ないが、まぁいいだろう」
牌流「なんでそんな偉そうなの、紅寸……これで戦うことなくなったわけでしょ? なんも悪いことなくない?」
鹿「だね。正直、またやりあうのは勘弁だしね…」
ヱ密「私たちは蛇龍乃さんに従うだけだから。どう? 蛇龍乃さん」
蛇龍乃「あー……まぁいいんじゃない? それで」
空蜘「えー! なんか甘くない? ぶっ殺しちゃえばいいじゃん」
ヱ密「空蜘が一番重傷なのに、どっからその自信涌いてきてるのか不思議……また殺られちゃうよ?」
空蜘「むぅ…」
空「まぁ、とにかくこれで一件落着」
依咒「よくない」
空「…え?」
御殺「依咒さん?」
依咒「納得できない」
御殺「い、いやぁ……私は忍者さんたちに訊いたわけで、依咒さんには」
空「困った人だよ、ホントに…」
依咒「このまま帰すとか私の気が済まないから」
今回の手打ち。
忍びを死んだことにして、解放するという。
これを考えたのは、涼狐だった。
依咒としては捕らえたついでに処刑しても構わないと考えていたが。
涼狐に頭を下げて頼まれたわけだから、無下にするにもいかず。
その頼みを了承した後、涼狐は皆の前から姿を消した。
……が、それも今となっては後悔。
とはいえ、涼狐がこの場にいないのにその約束を破るわけにもいかない。
依咒が最も引っ掛かっている点。
それについて涼狐自身は何も言わなかったが、これだけはどうにも納得がいかず。
このままおいそれと逃がすわけにはいかない、と。
……そこで、依咒は。
依咒「立飛とかいうそこの小娘」
立飛「…ん」
……やはりそうきたか、と。
立飛は小さく溜め息を落とす。
この部屋で顔を合わせてからというもの、憎悪をたっぷりと含んだ視線を注がれ続けてきていたのだ。
無視しようと忍んでいたが、そういうわけにもいかないようだ、と。
ここまで
あと短刀は鈴に渡された時点でとっくに呪い保有済み
発動条件が刃が折れることだからあのまま空丸ぶっ刺してたとしても呪いの発動はなかったのです
依咒「すーちゃんの眼を奪ったお前を、私は許さない」
……静かに、そう告げる依咒に。
立飛も怯むことなく、返す。
立飛「別に私は忍びとして間違ったことをしたとはまったく思ってないけど? ……許さないんだったらどうするの? 私の眼も潰してみる?」
依咒「ならそうしてやろうか」
立飛「…へぇ、まぁそういうことなら私だって殺しにいくけどね。あんたには鹿ちゃんをグロい骸にされた恨みもあるし」
鹿「…………私、そんなにグロかったの?」
紅寸「内臓飛び出しちゃってた、らしいよ…」
鹿「なんてこった……全部、牌ちゃんのせいだ」
牌流「もう許してください、お願いします……」
依咒「……お前みたいな小娘に私が負けるとでも?」
立飛「誰が相手だろうが易々とやられるつもりはないよ。おばさん」
依咒「…あ?」
立飛「……なに?」
立ち上がり、戦意剥き出しで睨み合う二人。
一層緊迫した空気を纏ったこの場で。
……それを面白がっている者が一人。
蛇龍乃「くくっ……はははっ……」
ヱ密「蛇龍乃さん…」
空蜘「ん? これは戦ってもいいってことかな?」
蛇龍乃「だーめ。せっかく敵さんが丸くおさめてくれようとしてんだからさぁ、そんな物騒な」
紅寸「物騒なことしようとしてるのは向こうも一緒じゃない?」
蛇龍乃「ん、いやぁ、まさか本気で仕掛けてくるわけでもないっしょ。でもこのままじゃ納得してくれないのも事実」
蛇龍乃「……んで、どうするつもり?」
蛇龍乃「殺すつもりはないにしても、私の可愛い可愛い立飛の眼を潰されるのはちょっと見過ごせないなぁ…?」
依咒「……」
空「依咒さん」
御殺「あんま変なことしない、よね?」
依咒「…………」
……と、しばらく黙った後。
依咒は。
依咒「……すーちゃんとの約束だしねぇ。殺しはしないし、眼も潰しはしないけど」
依咒「一発だけぶん殴らせて」
蛇龍乃「…ん、まぁそんくらいならいいんじゃね?」
立飛「え…」
空蜘「なーんだ、つまんないのー…」
蛇龍乃「我慢してやれば? 立飛」
ヱ密「勿論、反撃しちゃ駄目だからね」
立飛「…………うん、わかったよ……」
蛇龍乃「よーしよし、えらいぞー立飛」
立飛「その代わり、一発だけだからね。それ以上やったら……私も手を出す」
依咒「はいはい、約束は守るよ。んじゃ…」
依咒「御殺、一発ぶん殴ってやって──」
立飛「……は?」
御殺「…え? 私?」
立飛「ちょ、えっ、えぇーーっ!?」
依咒「なに? どしたの? 今いいって言ったじゃん」
立飛「い、いやいやいやいやっ…!! あんなの喰らったら死ぬわっ!! あんたじゃないのっ!?」
依咒「誰も私がやるとは言ってないしー。まぁ本気だと死んじゃいそうだから。御殺、98%くらいの力にしてあげたらー?」
立飛「ほ、ほぼ全力なんですけど、それは…」
……結局。
ドゴッ──!!
立飛「ぁぐっ…!!」
依咒「…まぁいっか、これで」
依咒自ら、立飛の顔面に殴撃を与えた。
立飛「……っ、やっぱわかってたけど、ムカつくわぁ……」
空蜘「……!」
空蜘「ねぇねぇ、私が手貸してあげてもいいよ、立飛。この人ら腰抜けだからさぁ、二人でやっちゃおうよ」
立飛「…それもいいかなぁ、なんてちょっと思っちゃった」
蛇龍乃「こらこら、立飛を不良の道に誘うんじゃない」
鹿「空蜘のアホがうつっちゃったら大変だからね…」
ヱ密「空蜘、自重して」
牌流「立飛、こっちおいでー」
紅寸「くすんが頬っぺたナデナデしてあげる」
立飛「ん…」
空蜘「……まーた私だけ悪者扱い。まぁいいや……慣れたし。……でも、あんな顔して立飛が一番恐ろしい子ってこと、わかってないのかな…」
蛇龍乃「……で、これで完全に手打ちってことでいいの?」
空「あ、それは勿論。依咒さんもいいよね?」
依咒「駄目」
御殺「大丈夫らしいです」
蛇龍乃「私たちが死んだことにする……くれぐれもその約束、違えるなよ。まぁ、聡明な空なら忍びを憚れるとは思ってないだろうけど」
空「ははは、もう二度と蛇龍乃さんを敵に回したくないですしね」
蛇龍乃「まったく……お前を殺せなくて残念だよ。それと……いや、これはいいや」
蛇龍乃「もう話は終わった? 帰っていいの?」
空「どうぞどうぞー」
御殺「忍者にこういうこと言うのは愚問かもしれないけど、姿見られないようにね? 特に町の人たちには」
依咒「そうそう、さっきの戦いでお前らは死んだ扱いになってるから。そんな姿誰かに見られたら、私たちが嘘つきになっちゃうし」
ヱ密「ん、気を付ける」
立飛「幸いにも夜だしね。闇に紛れるならお手の物」
紅寸「なるほど、だからわざわざ夜にこうして集まってたのかー」
依咒「それもあるけど。どっちかっていうと、お前らが暴れた時に空に一撃で葬ってもらえるように」
鹿「あー、そーですかー…」
牌流「だって? 空蜘。暴れなくてよかったねぇ」
空蜘「そう? 私なら余裕だよ、余裕ー」
依咒「……あ、それと」
依咒「ここでは見逃してあげるけど。私たちは探偵で、お前たちは忍者であることは変わらない。だから、今度会った時は容赦しないからそのつもりでいてね」
蛇龍乃「ははは、当然そんくらい心得てるよ」
依咒「…立飛、いつでも歓迎してあげるから気が向いたら遊びにきなさい?」
立飛「どうだろうねぇ。私は忍びだから、ご期待に添えるかどうか。気が付いた頃には、あんた死んでたりして」
依咒「ふふっ、私相手に通じると本気で思ってるなら、おめでたい頭してる。……あ、ついでにお前も遊びにきてもいいよ?」
鹿「はぁ? 絶対行ってやるもんかっ! ばーかっ!」
紅寸「次までにはあんたより絶対強くなってやるからっ! 首洗って待ってるんだな!」
御殺「それは楽しみ。それまでにうっかり死なないようにね。危なっかしいから…」
ヱ密「……本当にいないみたいだね、涼狐」
空「…うん」
空蜘「チッ……いたら今度こそぶっ殺してやろうと思ってたのに。……あー、そういえば目見えないのかぁ」
空蜘「……なら、別にいいや、もう……そんな弱いアイツ殺しても、意味無いし」
少しだけ、ほんの少しだけ。
寂しそうな表情を浮かべる空蜘だった。
ヱ密「……空丸、涼狐に伝えておいてくれる?」
空「いいよ。なんて?」
ヱ密「……うん」
ヱ密「あの勝負は私の勝ちだ、って」
空「……はは、あはははっ。うん、わかった」
空蜘「え? なに、ヱ密、アイツに勝ったの!? 聞いてないんだけどっ!!」
ヱ密「涼狐に勝ったよー? 私」
空蜘「はぁ? 嘘でしょ? だってヱ密も死んでたらしいじゃん! どゆこと?」
蛇龍乃「さーて、そろそろ行くぞー。お前ら」
空蜘「ねぇ、絶対嘘でしょ? アイツがいないからってそんな適当なこと」
ヱ密「いやホントに」
空蜘「えー! 嘘だ嘘だー! ていうかあの後どうなったの!?」
蛇龍乃「空蜘うるせー! さっさとしろ!」
空「はーい、七名様お帰りでーす。お気をつけてー」
忍びの七人が、場を後にしようとした。
……その時。
鈴「……待って」
集まってからというもの、何一つ口を開くことのなかった鈴。
話し合いの最中でも、ただ一人俯いたままで。
忍びの七名も、誰一人として鈴の存在に触れることもしなかったし、視線を向けることさえも。
……ただの一度もなかった。
まるで、そこにいない者同然に扱っていたわけで。
……だから。
こうして声を掛けられたことに、一瞬にして表情を曇らせる忍び。
一旦は足を止めたものの。
すぐに何事も無かったかのように、再び足を進め始めた。
鈴「あたしも……あたしも一緒に、里に戻る」
……と。
誰もが聞こえぬふりをしてみせた、そんな声の元へと。
反応をみせ、振り向いた者が、たった一人。
蛇龍乃「…………鈴」
鈴「じゃりゅにょ、さん……」
蛇龍乃「いいよ、ついてこい」
鈴「……うん」
そして、鈴は。
場に残る探偵三人の方へと向き直り。
鈴「きっちゃん、みころん、そら……ありがとう」
鈴「ばいばい……さよなら──」
また深夜
────…………。
……さよなら、と。
笑顔で、別れを告げた。
城を離れ、里へと向かう山中。
その道中。
先頭には、蛇龍乃を抱えて、跳ねるように走る鹿の姿。
蛇龍乃「いやぁー楽チンだわ、この乗り物。ちょっと寝るからあんま揺らすなよー」
鹿「このまま放り捨ててやろうか。狼にでも喰われてしまえ」
蛇龍乃「生憎、動物を殺す趣味はないよ」
鹿「ったく……ねぇ、じゃりゅのん」
蛇龍乃「……」
鹿「どうして……やっぱり、あんた」
蛇龍乃「うるさい。寝るっつったろ……邪魔するな。おやすみ」
鹿「……おやすみ」
蛇龍乃「すやぁ……」
二人の後に続き、山道を移動する忍びたち。
その一番後方には。
鈴「はぁ……はぁっ……はぁっ……」
以前に鍛練は積んでいたものの、やはり皆と比べるとその身体能力の差は歴然で。
ついていくだけで精一杯。
皆、自分よりも負傷の度合いは大きい筈なのに。
よくもまぁ、そんなに動けるものだ。
対して、自分は。
……足が上手く回らない。
徐々に離されていく。
皆の背中が遠ざかっていく。
誰も、自分のことを見向きもしない。
蛇龍乃に許可を貰って、こうして行動を共にしているが。
……言葉も、視線さえも。
……与えられることはなく。
優しい言葉を掛けてもらいたかったわけではない。
自分がこうすることを選んだのだ。
皆に罪は無い、罪があるのは自分だけ。
こうすることで、この世界に降り立った自分と。
向き合って、受け入れて。
これまでの行動の果てに。
望むもの、その意味を。
……でも、それも、もう。
皆が遠すぎて、見失ってしまいそう。
鈴「…っ、はぁっ、はぁっ……あっ…!」
疲れからか足が縺れ、転びそうになった。
その時。
……ガシッ、と。
不意に、強引に腕を引かれ。
鈴「……え?」
空蜘「このノロマ。ホントにどんくさいんだから」
鈴「う、うっちー…」
空蜘「あの人を殺したって聞いて、どんだけ成長したのかと思ったら……なーんも変わってないじゃん。弱い鈴は弱いままだね」
……名前を呼ばれて、嬉しかった。
空蜘は、鈴をその腕のなかに抱え、走る。
ふと、懐かしい気持ちになる鈴。
そういえば、ずっと前にもこんなことあったなぁ、と。
鈴「…あ、ありがと……でも、うっちーだって怪我してるんでしょ…? 相当酷い傷だって…」
空蜘「ばーか。鈴なんかに心配されるほど落ちぶれてないよ。今ここで捨てられるのとどっちがいい? 私は別に捨ててもいいんだけどー」
鈴「こ、このままでお願いします…」
空蜘「…うん」
そんな二人の先を走るのは。
ヱ密たち四人。
ヱ密「…………空蜘」
紅寸「へぇ、なんか意外」
牌流「そう? こういうことするのは空蜘しかいないと思ってたけど。……でも、これで」
紅寸「……なんか、複雑」
ヱ密「……そう、だね」
立飛「……っ、…………余計なことを」
牌流「背中しか見えないけど立飛、めちゃくちゃ機嫌悪そう…」
紅寸「立飛だもん。それに、私たちだって…」
ヱ密「空蜘が悪いわけじゃないし……きっと空蜘だってわかってる。次は私たちの番」
ヱ密「……大人にならなきゃね」
……そして、ヱ密は。
少し前を行く立飛の隣に並び。
ヱ密「大人にならなきゃね?」
立飛「…さっきの聞こえてるからっ、わざわざ言い直さなくていいよ! ……それに私は、別になんとも」
ヱ密「それならいいけど。立飛はここにいる誰よりも人間らしくて優しいからね……そこがちょっと心配」
立飛「……」
ヱ密「一人で抱え込まずに、私でも他の皆でもいいから言って。皆、立飛の味方だから」
立飛「……わかってるよ、ヱ密はお節介なんだから……私だってもうそんな子供じゃないし」
ヱ密「そっか。じゃあ……そんな顔、ここで見せるべきじゃないってことくらい、わかるよね?」
立飛「……っ、…………先に行ってる」
ヱ密「蛇龍乃さん寝ちゃって鹿ちゃんが退屈してるだろうから、話し相手になってあげて」
鈴「……うっちーは優しいね」
空蜘「……ん」
鈴「いつもキツいこと言ってきたり、意地悪ばっかしてくるけど。なんだかんだあたしのこと助けてくれてるしね」
空蜘「……捨てるよ?」
鈴「ありがと」
空蜘「……やっぱ調子狂うなぁ……鈴といると」
空蜘「正直言うとね。私、鈴のこと嫌いだった」
鈴「え……あー、第一印象はあれだったけど、一緒にいるうちに好きになっちゃってたー、っていうよくある美談?」
空蜘「調子乗んなっ!」
ペシッ
鈴「いだっ…!」
空蜘「……まぁ正確にいえば、別に最初のうちも嫌いだったわけじゃないよ。……人の話をまったく聞かないのにはイラッとしたけど」
鈴「えー、そんなことあったっけー? ちゃんと聞いてたよー」
空蜘「…あ、またイラッとしたかも。崖から放り投げられるのと、沼に沈められるのどっちがいいか選ばせてあげる」
鈴「わーっ、ごめんごめんっ! その節はどうもすみませんでしたぁっ!」
空蜘「……嫌いだったんじゃなくて、嫌いになりたかったんだよ」
鈴「へ…?」
空蜘「能天気で、楽観的で、バカでアホで……忍びだった私が今まで見たことなかったそんな純な瞳を向けられたら」
空蜘「こう、胸の真ん中が温かく…」
鈴「……」
空蜘「……生ぬるくなって」
鈴「なんで言い直したの…」
空蜘「これまで自分が歩んできた生き方を振り返ってみた時……汚なく、とても酷く思えた。忍びとしての覚悟が揺らいじゃうのが怖くて、鈴のこと嫌いになりたかったけど」
鈴「……ごめん」
空蜘「……もし鈴がいなかったら、あの人たちとこうして馴れ合うこともなく、今頃一人で気楽だったんだろうねぇ」
空蜘「勝手に行動した挙げ句、敵に捕まっちゃうマヌケなんて破門確実。今更帰れないしー」
鈴「……ああ、うっちーは元々別の里の忍びなんだっけ……忘れてた」
空蜘「そうなんだよねぇ、なんかもうすっかりここの一員みたいに数えられてるし」
空蜘「……まぁ、なんだかんだあったけど」
空蜘「楽しいよ。鈴と一緒にいるのも楽しかった。こうして笑ってられるのも、鈴のおかげかな」
鈴「……」
空蜘「…なに、そのいつもより磨きがかかったアホ面」
鈴「うっちーが綺麗なうっちーになってる……別人かと思った。あ、別人だったり? もしかして、ぱいちゃん?」
空蜘「……私を煽ってくるなんて、ホント命知らずだよねー鈴は。言ったよね? 捨てるって」
鈴「ごめんごめん、つい」
空蜘「もう遅い。ていっ!」
鈴「えっ、ちょっ…」
冗談でも、脅しでもなく。
その言葉通りに、空蜘は。
……鈴を放り投げた。
鈴「ぎゃ、ぎゃぁぁぁーーーーっ!!!!」
結構な勢いで、宙に投げ出された鈴。
容赦無しかよっ、と。
嘆く余裕も無く、目の前の世界が回る。
とりあえず、受け身をとる体勢を整えて。
いや、もし本当に崖や沼だったらどうしようも。
……なんて考えていると。
ヱ密「…っと」
鈴「……ひゃぅっ! ……へ?」
空蜘「ナイスキャッチ、ヱ密」
腕の中に、すっぽりと。
放り投げられた丁度先にいたヱ密に、無事受け止められた。
ヱ密「まーた鈴ちゃんをいじめて。乱暴なんだから、空蜘は」
空蜘「あははっ、だってうるさいんだもん。というわけで、あとは任せた。気に入らなかったら捨てていいよ、それ」
鈴「えみつんはうっちーと違ってそんなことしないよーだっ!」
ヱ密「……さぁ、どうだろうねぇ?」
鈴「え……」
空蜘「あー、立飛は?」
ヱ密「先に行ったよ。多分、鹿ちゃんと一緒」
空蜘「そっか」
ヱ密「あーあ、怒られるよー?」
空蜘「ふふっ、知ってる。里で寛いでる時にギャーギャー言われたくないから、今のうちにね」
ヱ密「ん、喧嘩しないようにね」
空蜘「それはわかんないなー。じゃあ、ちょっと行ってくる」
そう言って空蜘は、ヱ密たちから離れ。
速度を上げ、前方へとその姿を消した。
空蜘「……私としたことが、ちょっと喋りすぎちゃったかな…」
鈴「んー……やっぱり、えみつんの傍にいると安心しちゃうなぁ」
ヱ密「鈴ちゃんさぁ、私のこと信用しすぎじゃない? 最初に会った時から思ってたけど…」
ヱ密「鈴ちゃんの世界の私ってそんなに良い人だったの?」
鈴「それはもう、今あたしの目の前にいるえみつんと同じくらいにね」
ヱ密「てことは、極悪人じゃん」
鈴「あはは、そうだけどそうじゃないよ。照れてるの?」
ヱ密「どうかなぁー」
鈴「……それにね。えみつんも、忍びのみんなも。探偵のみんなも」
鈴「仲間だったから。向こうの世界でも……こっちの世界でも」
ヱ密「……仲間、か」
鈴「仲間だよ。ほら、今もこうして一緒にいる」
ヱ密「……」
腕のなかにいる、鈴の瞳を覗くと。
ギュッと、まるで心臓を鷲掴みにされたみたいで。
ヱ密は、思う。
……ああ、この子はなんて強い子なのか。
……初めて会った時とは、大違い。
……本当に、強くなった。
ヱ密「そうだね、うん。大切な、仲間」
鈴「えみつん、あたしね……自分が望むもの、今なら言えるよ」
真に望むもの、手に入れたいものは。
犠牲を無くしては、決して得られない。
ヱ密「…………」
前言撤回。
強くなったと思ったが、まだまだ甘い。
自分が傍にいることによる安心感で、気が緩んだか。
腕のなかの少女からは、弱さが顔を覗かせる。
まぁそれも、悪い気はしない。
……しかし。
ちゃんと、付き合ってあげなきゃね──。
ヱ密「言ったら消えるよ? 鈴ちゃんもわかってるでしょ……ここまで来たんだから、自分から手放さないで」
ヱ密「今のは聞かなかったことにしてあげる」
鈴「…………」
鈴「……うん、ありがと……えみつん……っ、ダメダメだなぁ、あたし……嬉しくて、幸せで……っ」
鈴「なんかもう、ほんとに……あたしっ……」
ヱ密「……一分あげるから、泣き止んで。一分経ってまだぐずぐずしてたら捨てるよ?」
鈴「もう……うっちーの、真似……? 全然似てないし、似合ってないよ……? えみつんの、ばか……っ」
……そう言って、鈴は。
ヱ密の胸に、頭を擦り当て。
声を押し殺し、泣いた。
ヱ密「…偉い偉い」
ぽんぽん、と。
鈴の頭に手をやるヱ密。
紅寸「どしたの? 鈴ちゃん」
牌流「さっきから二人でなにイチャイチャしちゃってんのー」
ヱ密「なんかねー、鈴ちゃんって私のことが大好きで仕方ないみたいでさー」
鈴「…ん、そうなの。えみつん大好き」
ヱ密「い、いや、そこは否定してくれないと……こっちが恥ずかしいじゃんっ!」
紅寸「あはは、鈴ちゃんは天然さんだから」
牌流「ヱ密も意外と天然だよね」
紅寸「あ、言われてみればそうかも!」
ヱ密「えぇ……アホ代表の二人に言われるとへこむ…」
鈴「あはははっ」
紅寸「いやいや、笑ってるけどさー、今じゃアホ代表は鈴ちゃんだからね?」
牌流「そうだそうだー! ていうか紅寸はともかくとして、私は全然アホじゃないもん」
鈴「えー? そうかなぁー? だってさぁ、あたしが里に来た最初の頃。サイコーさんの村に三人で向かってる時に」
牌流「あー! 鈴ちゃん待って待って!」
紅寸「それは言っちゃダメー!」
ヱ密「え、なになに? 教えて、鈴ちゃん」
鈴「あのね、実は──」
ヱ密「い、猪捕獲用の罠に引っ掛かった……? 忍びなのに?」
牌流「それ鈴ちゃんが真っ先に引っ掛かってたやつじゃん!」
紅寸「言わない約束だったのに、この裏切り者ー!」
鈴「だってあの時は、あたしまだ忍びじゃなかったしー」
ヱ密「……紅寸、牌ちゃん。周りに敵がいなかったから良いとして、そんな初歩的な罠に」
紅寸「い、いやぁ、あと時は気が緩んでて…」
牌流「鈴ちゃんが余計なこと言うから、ヱ密と真面目スイッチが発動しちゃったじゃんーっ!」
鈴「人のことをアホ扱いするからだよーだ」
ヱ密「はぁ……まったく。あ、そうだ、鈴ちゃん」
鈴「ん?」
ヱ密「今のとは比べ物にならないくらいの二人のアホエピソードがあるんだけど、聞く?」
紅寸「ちょっ、ヱ密っ…」
鈴「聞きたい聞きたい! 教えて!」
牌流「だ、だめだめーっ! 先輩としての威厳が」
ヱ密「え? 何言ってんの? 威厳なんて最初から無いじゃん。あのね、鈴ちゃん」
鈴「うんうん」
紅寸「わー! わー!」
牌流「やめてやめてっ、恥ずかしいからっ!」
紅寸と牌流の秘密を聞いて。
お返しにと、二人からヱ密の恥ずかしい話も聞いて。
他の皆の話も。
馬鹿話や、他愛も無い話。
もう、何もかもが。
……楽しかった。
……嬉しかった。
……涙が出るくらい。
……幸せだった。
……見たことのない景色が続く。
太陽の光で水面がキラキラと輝く、湖があった。
多くの人が参列していた、教会があった。
西洋からそのまま運び込まれたような、大きな宮殿があった。
他にも、色々と私の見たことない、知らない光景が広がる。
それと同時に、自分がこれまで見てきた関わってきたこの世界の顔が思い起こされる。
朝も、昼も、夜も。
楽しいことも、嬉しいことも、悲しいことも、辛いことも、苦しいことも、痛いことも。
そのすべてを映した世界の美しさに。
目を焼かれた──。
気付けばこんなにも遠い所に来ていたんだなぁ、と。
改めて感じる。
里で気を失ったまま連れてこられたこの目に見える距離は勿論。
世界と世界──。
獄海に浸かった最底にあると謂われたこの世界でも。
こんなにも美しいと感じられたのは。
きっと。
違う世界を見てきた私だけの特権。
────…………。
里に着くまでの数日間。
忍びの足でも、それは長い距離で。
とはいうものの、ほぼ誰かしらに抱えられての移動であった身の鈴。
しかし、鈴にとってあっという間だった。
……いつぞやの様に、手刀で強制的に寝させられていたというわけではなく。
皆と共に過ごすこの時間。
なんて幸せなのだろう、と。
ヱ密も、紅寸も、牌流も。
隣で笑ってくれていた。
空蜘や、鹿だって。
ちょっかいをかけてからかってきたり、意地悪をしてきたり。
……そう、まるで。
……里で過ごしたあの頃と同じ様に。
ただ、立飛と蛇龍乃だけは。
立飛「…………」
蛇龍乃「……立飛はいいの?」
立飛「……何が?」
蛇龍乃「……褒めてあげないよ?」
立飛「そもそも褒められるようなことしてないし…」
蛇龍乃「……そうだな」
蛇龍乃「買い被り過ぎだったか。お前は全然優秀じゃない……最近は私の命令に背いてばかりだったし、忍びとしては落第だよ」
蛇龍乃「……でも、立飛はとびきり良い子だね」
蛇龍乃「だから、せめて私だけは褒めてあげよう」
立飛「…………」
二人は、常に鈴と距離を取るように。
道中、一言足りとも言葉を交わすことはなかった。
また深夜
次回更新で最終回、になる予定
────…………。
夕刻。
妙州の里。
忍びたちが住まう屋敷。
鈴「…………っ」
陽が沈みかけた茜空に重なり。
鈴の目の前に、懐かしい景色が映り込む。
見慣れた山道に入ってからは、自分の足でその地を踏み締め、この場所まで戻ってきた。
屋敷の前には、鈴を出迎えるようにいくつもの人影。
ヱ密「おかえり、鈴ちゃん」
……ヱ密。
紅寸「おかえり。遅いよ、鈴ちゃん」
牌流「おかえりー。疲れたでしょ?」
鹿「鈴、おかえり」
……紅寸、牌流、鹿。
空蜘「……おかえり」
屋敷の屋根の上には、空蜘の姿。
……そして。
蛇龍乃「……鈴」
鈴「じゃりゅにょさん」
皆の奥。
屋敷の入り口辺りに立つ、蛇龍乃。
蛇龍乃「おかえり」
鈴「ただいま、じゃりゅにょさん」
鈴「ただいま、みんな──」
この世界に来てから過ごしてきた、最初の場所。
たくさんの思い出が詰まった、暖かい場所。
鈴にとって、最も大切な場所。
鈴「…………」
空蜘「なにボケーっとしてんの? さっさと入れば?」
鈴「…あ、うん……なんていうか、そのままだなぁって思って」
鹿「ん? そのまま?」
鈴「あー、もっと酷い有り様になってるのかと」
鈴が最後に見たこの場所は。
あの襲撃時のものであったせいで。
自分がここを離れてから戦場となり、屋敷にもその被害が及んだのではないか、と。
冷静に考えてみれば。
あの子のことをよく知った今だから思えることではあるが。
彼女は、そんな意味の無い破壊を好んだりはしないのだろう。
鹿「ほーら、さっさと中入ろう?」
鈴「……」
鹿「…ねぇー、聞いてるー?」
鈴「聞いてる、けど……なんか不思議だなぁ。ほら、鹿ちゃんってあたしが最初にここ来た時、めちゃくちゃ嫌そうな顔してたじゃん」
鹿「あー、そうだったねぇ。だってすんごい怪しかったんだもん、鈴」
鈴「あはは、まぁそりゃそうだよねぇ」
牌流「もう、そんな所でいつまでも立ち話してないで入って入って。もうすぐ御飯できるから」
紅寸「やった! 御飯! 献立はなにー?」
牌流「餃子」
紅寸、鹿、空蜘「「「えっ……」」」
牌流「うそうそ。ちゃんとしたやつだから、安心してて」
鈴「あたしも手伝うよ」
牌流「平気平気。鈴ちゃんは帰ってきたばかりなんだからゆっくりしてて」
蛇龍乃「そうそう、せっかく里に戻ってきて久しぶりの飯なのに、鈴の味気無い料理食わされてもねぇ…」
鈴「ひどっ…!」
……そして、屋敷内。
鈴「あー、この古臭い匂い久しぶりだー」
蛇龍乃「古臭くて悪かったな…。趣があると言え」
蛇龍乃「んじゃ、私は部屋でゴロゴロしてるから御飯出来たら持ってき……呼びに来て。鹿」
鹿「はいはい」
ヱ密「鈴ちゃんも部屋で着替えてきたら? そのままにしてあるから」
鈴「あ、うん」
ヱ密「……さて、と。鹿ちゃん、立飛は?」
鹿「戻ってから部屋に閉じ籠ってる」
ヱ密「……そっか。じゃあちょっと私」
空蜘「いいよ、ヱ密。私が行く」
ヱ密「え? いや、でも…」
ヱ密「……うん、わかった。よろしくね」
立飛の部屋の前に立つ、空蜘。
……スッと、戸を引くと。
空蜘「……」
立飛「……」
布団に潜っていた立飛は、ひょこんと顔を出し。
言う。
立飛「……他人の部屋入るのにノックくらいするでしょ、普通」
空蜘「気配消さずに来てあげたんだからそれで充分じゃない?」
立飛「そういう問題じゃなくて……もういいや」
立飛「で、なんか用…?」
空蜘「あはは、わかってるくせに」
立飛「……私のこと心配してるの? それとも、あの馬鹿のこと? ……どっちにしたってそんな空蜘は、嫌い」
空蜘「ガキ」
立飛「…うるさいっ。ほっといて」
空蜘「……ほんと甘ったれてるなぁ、このクソガキは」
空蜘「調子の良い時は、私や鈴にナメた口叩いてんのに。ちょっと自分の思い通りにいかなくなるとこれだよ」
空蜘「一番年下だからって甘えてんなよ」
立飛「…っ、私はそんなんじゃないっ!!」
空蜘「そんなんだよ。まぁ、立飛はこの中じゃ強い方だし、なんか意地みたいなもの持ってるし。周りを頼ったりしない、自分は大丈夫だ、って」
空蜘「でもさぁ、お前はいつだって皆に味方になってもらおうとしてんじゃん。一人じゃ決められない、周りを自分に同調させないと不安で不安で仕方がない」
空蜘「わかってんでしょ? 今だってそうやってさぁ、可哀想な自分を見て見て、って。私に優しくしてー、味方してー」
立飛「…………っ」
空蜘「残念だったね。ここに来たのがヱ密や鹿ちゃんじゃなくて、私で」
空蜘「……まぁ尤も、私以外の誰が来てても今回ばかりは立飛に味方してなかったと思うけど」
空蜘「別に立飛はぶっ壊れた人間じゃないし、まともな思考を持ってる。だから、自分でも気付いてる筈だけど?」
空蜘「皆の気持ちも理解してる……誰よりも。でも、自分の気持ちも確かにそこにある。それが間違ってるわけじゃないし、皆も間違ってるわけじゃない」
空蜘「本当に納得がいかないなら、自分一人でどうにかすればいい……喩えここにいる全員を敵に回しても。自分が正しいと心の底から思っていれば、やれない立飛じゃないでしょ? だったら、抗ってみせろよ」
立飛「…………」
空蜘「……それが出来ないのは。誰も間違ってないにしても、自分の方が正しくないって心では理解してるからでしょ」
空蜘「気持ちを押し殺すのが正解じゃない、無理に周りと同調するのが正解じゃない」
空蜘「……けど、自分自身に嘘をついたままにしておくのは間違い。あとで絶対後悔することになる。そんなの大嫌いだから、私は今まで自分のやりたいように生きてきた」
空蜘「どうしようもないことかもしれないけど……見苦しくても滑稽でも、自分の気持ちを吐き出して、盛大に間違ってみせてやったら……その時は、誰かが優しくしてくれるんじゃない?」
立飛「…………皆は、これに納得してるんだよね……」
空蜘「さぁ? そんなの私が知るわけないじゃん。忍びなんだから表面上なんか偽ろうとすればいくらでも偽れるだろうしね」
空蜘「言ったでしょ? 私も、立飛も、皆も。誰も間違ってはない。ただ…」
空蜘「皆と比べて、立飛がほんの少し幼かったってだけ」
立飛「…………うん」
立飛「……なんだ、優しいじゃん……なんなの……ホントなんなの……」
立飛「……ずるい、ウザい、嫌い、気持ち悪い」
空蜘「あははっ、……ぶっ殺すよ?」
立飛「……でも、ありがと。ちょっとだけ、楽になったかも」
空蜘「ガキならガキらしく、構ってもらいたかったらびーびー泣いてればいいんだよ」
空蜘「もうすぐ御飯みたいだけど、一人で来れる? 連れていってほしい?」
立飛「ウザい」
空蜘「じゃあまた後で」
立飛「…うん」
部屋を後にする空蜘。
……そこに。
ヱ密「良いとこあるじゃん。見直した」
空蜘「盗み聞きとか……ヱ密が気配消すのはガチだから卑怯」
ヱ密「いやぁ、気になるじゃん? ま、それほど心配はしてなかったけどね」
空蜘「……どこから聞いてたの」
ヱ密「途中から少しだけだよ? 甘ったれてるなぁ、のとこくらい」
空蜘「それほとんど全部じゃんっ! ぶっ殺すよ!?」
ヱ密「まぁまぁ、お約束ってことで」
空蜘「チッ……てかヱ密だったら、なんて言ってた…?」
ヱ密「んー……なんだかんだで甘やかしちゃってたかも。いやぁ、空蜘大先生にはとても敵いませんよー」
空蜘「ウザい」
──……。
……そして。
この屋敷で暮らす八人全員が集っての。
夕食の場。
そこでも、いつもと変わらず。
賑やかで。
楽しくて。
笑いの絶えない、そんな時間。
……まるで、何も無かったかのように。
襲撃なんか無かった。
探偵との殺し合いなんか無かった。
幸せな日々が奪われたことなんか無かった。
……だから、誰一人として。
そんなことを口にする者はいなかった。
それは不自然なくらいに、自然な。
あの頃の続きのようで──。
止まってしまった、見失ってしまっていた。
千切れてしまった糸を。
運命を辿ってきた糸を。
再び。
繋ぎ、結び直す。
それが、鈴が望んでいたこと。
正確にいえば、その結び目こそが。
今生きる鈴がせいいっぱい望んだ、望み──。
……だから。
空白期間のことを皆が口にしなかったのと同様に。
未来についても。
誰も、言葉にはしなかった。
──……。
夕食が終わり、代わる代わる風呂へと。
当然、最も立場の下な鈴は一番最後で。
夜空には満月が浮かび。
優しい光を照らす。
静かな、夜。
鈴「ふぅ……よし、綺麗になった」
掃除を済ませ、出ると。
待ち構えていたように。
そこには。
蛇龍乃「ご苦労さん、鈴」
鈴「じゃりゅにょさん。こんばんわ」
蛇龍乃「こんばんわ」
鈴「……」
蛇龍乃「……」
鈴「あの…」
蛇龍乃「真面目だねぇ、鈴は。こんなにピカピカにしてくれて」
蛇龍乃「馬鹿正直で、ズルが出来なくて、一生懸命で。だから皆、お前のことが大好きなんだろうね」
蛇龍乃「……ついてきて、鈴」
鈴「うん」
そう言って、蛇龍乃と鈴が向かった先。
……そこは。
『こうしようか。三日間はここに置いてあげる。その間にみんなを納得させること』
『そして三日後、一人でも反対する者がいたらそこの、えーと……鈴ちゃん?は処刑ってことでよろしく』
『これが……空丸、紅寸、鹿、空蜘、ヱ密、立飛、牌流、そして私の答えだ』
『鈴、ようこそ──妙州の里へ』
大広間──。
鈴が里に来てから三日後の、あの時とまったく同じように。
その場には。
ヱ密。
紅寸。
牌流。
鹿。
立飛。
空蜘。
……六人の忍びの姿があった。
そして、鈴を六人の前に立たせ。
蛇龍乃は静かに口を開く。
蛇龍乃「……さて、楽しかった時間はおしまいだ。鈴」
蛇龍乃「私はお前を、殺さなくてはいけない」
……非情にも。
それは確定された死刑宣告であった。
前回とはまったく状況が異なり、決して覆らないもの。
殺される為に、鈴はこの場所に立っている。
殺される為に、里に戻ってきた。
殺される為に、皆を救った。
……よって、こうなることを鈴は知っていた。
だから。
曇りの無いスッキリとした表情で。
鈴「はい」
と、答えてみせた。
……皆も知っていた。
鈴の選んだ道。
望み。
自らのこの命を犠牲にして、鈴は忍びの皆と共にいられる僅かな時間を望んだ。
心の底から望んだ鈴に、皆も心の底から付き合ってみせた。
このような結末が待っていることを知りつつも。
それが期限付きの笑顔だったとしても。
その時間を偽りでなく、本物にするために。
鈴を大好きと想うそれぞれの気持ちそのままに。
応えてみせた──。
鈴「みんな、ありがとう。本当に楽しかった。とっても嬉しかった。幸せな時間を、どうもありがとう」
……もうすぐ死ぬとわかっていて。
……いや、死ぬとわかっているからこそ。
ここまで満たされた笑顔でいられた。
向かい合う皆も、各々思うところはあるだろうが。
その瞳を真っ直ぐ、鈴へと向け。
想いに応える。
……ただ一人を除いて。
俯いたまま、唇を噛み締め。
涙声が入り雑じった、震えた声を。
……溢す。
立飛「……っ、……なん、で……」
立飛「なんでっ……戻ってきたのっ……殺されるの知ってて……あんたは、どんだけ馬鹿なのっ…!?」
紅寸「立飛っ、駄目」
空蜘「いいから」
紅寸「え?」
空蜘「……言いたいことは言わせとけばいいよ」
鈴「りっぴー…」
立飛「ぅっ……っ……ふざけ、んな……っ!! 蛇龍乃さんは、あの時、鈴のこと見逃そうとしてくれてたじゃんっ…!!」
立飛「…それなのにっ、のこのこついてきたりしてっ……なんなの、ホントに……馬鹿っ、自分の命を、なんだと思ってんのっ……!!」
仲間となってから、常に厳しく接してきたのも。
誰よりも大切に想うという優しさたる所以。
立飛にとって、仲間というものは。
狂ったように、特別な存在にあった。
忍びとして、仲間として、許されないことをした鈴。
仲間だからといって。
いや、仲間だからこそ。
その罪を決して帳消しには出来ない。
そんな忍びの世界に自分が生きていることも理解している。
だからこそ──。
『私は、鈴を殺したいと思ったんだけど』
……あの言葉。
多分あれは、自分に言い聞かせるように。
空蜘が言っていた、周りに同調してもらわないと不安で仕方無いという。
それは。
弱い自分を後押ししてもらいたい。
そんな意が込められていて。
二律背反にも似た、幼さ。
他の皆がそれを完全に受け入れ、己の中で納得しているのかといったら、まったくそうではないだろう。
鈴「……ありがとね、りっぴー」
立飛「…っ、そんな言葉、いらない……っ」
鈴「りっぴーがそう想ってくれて、あたしはすごく幸せ」
鈴「だから、これでよかったんだよ。大好きなみんなと最後にこうして最高の時間を過ごせた。本当にありがとう」
鈴「りっぴー、えみつん、くっすん、ぱいちゃん、しかちゃん、うっちー、じゃりゅにょさん……今までお世話になりました」
鈴「これでお別れだけど、あたしのこと忘れないで、覚えててくれて……たまにでいいから、思い出してくれると嬉しいな」
立飛「……そんなこと、言わないでよ……っ、ねぇ、鈴、嫌だよ……私……っ、そんな勝手な……じゃあ、残された私たちは、私たちの気持ちは、どうなるのっ……」
鈴「ごめんね……本当に、ごめん」
立飛「…っ、そんな、ごめんねも、ありがとうも、聞きたくないっ……私だって……皆だって、鈴と一緒にいたい……これから先も、ずっと、ずっとずっとっ……!!」
立飛「お願い、します……っ」
両手両膝を付き。
額を床に擦り付け。
懇願する──。
立飛「…っ、蛇龍乃さん……っ、鈴を、許してあげてください……殺さないで……私、なんだってするからっ……だから」
鹿「……っ、やめろっ!!」
……鹿は、強引に立飛の頭と床を引き剥がす。
立飛「ぅう……っ、ぅ……ぁ……っ」
鹿「……そんなことしたって、何も変わらない。変えちゃいけない」
空蜘「……うん」
……そう、皆わかっている。
……立飛だって、わかっている。
何をしたって、蛇龍乃は取り下げたりはしないと。
牌流「……蛇龍乃さんだって、辛い筈だよ。でも、頭領として……忍びの世界に生きる私たちだから」
紅寸「立飛と同じように私たちだって、鈴ちゃんのこと大好きだよ。だから一緒にいたい……けど、だからといって混合しちゃ駄目なのはわかるでしょ……?」
立飛「…ぅ……っ、ぁ……っ……」
ヱ密「残酷なようだけど、それで蛇龍乃さんに頼むのも恨むのも筋違い。さっき立飛も言ったように、蛇龍乃さんは一度鈴ちゃんのことを見逃そうとしてくれてた」
ヱ密「それがギリギリの譲歩。そのことを鈴ちゃんだってよく理解していた……理解したうえでこの道を選んだ。命を捧げてまで私たちのことを大好きって、一緒にいたいって想ってくれた」
ヱ密「殺されるのがわかってて、もう二度と一緒にいられないってわかってて、どんな気持ちであの笑顔を向けてくれたと思う?」
ヱ密「文句を言うのはいい、自分の気持ちを吐き出すのもいい……でも、ここで情けを促すような言動は間違ってるよ、立飛」
ヱ密「それは、鈴ちゃんの覚悟も、望みも、想いも、すべて無駄にすることになる」
蛇龍乃「…………」
立飛「…っ、でもっ……わたし、わたしは……っ」
ヱ密「…辛いのはわかるよ。それでも」
……と、ヱ密が言いかけたそこに。
蛇龍乃「私は全然辛くないよ。頭領だからね、その仕事を遂行するのみ」
蛇龍乃「そうだね……うん。だからどんなに頼まれようと、鈴が今更になって許してほしいと喚こうと、聞き入れるつもりはない」
立飛「……っ」
ヱ密「蛇龍乃さん……」
蛇龍乃「それでも私のやり方に納得できないなら、私を力で平伏してみろよ……立飛。なんでもするんだろ? なら、殺しにきたら?」
蛇龍乃「立飛だけじゃない、お前らも。いいよ? その力で鈴を守ってみせてやれば?」
立飛「……あんたが相手でも、殺すつもりでいくよ……っ」
蛇龍乃「ふふ……かかってこい」
ヱ密「…………」
……ある違和感。
今まで、蛇龍乃は無茶苦茶なことを言ってきたが。
今回のはそれとはまったく違っているような。
ヱ密だけではなく、皆も同様に感じていた。
……ああ、そうか。
その答えはすぐにわかった。
だったら、ここでどうすべきなのか。
空蜘「……ヱ密」
ヱ密「…うん」
鹿「手貸してあげるよ、立飛」
紅寸「…だね」
牌流「うん、私たちも」
蛇龍乃と向き合い、構える五人。
そして、立飛は。
既に、術を発動させていた。
……徐々に、その瞳が緋色に染まっていく。
……が。
染まりきる前に、その色は失われた。
封術──。
立飛だけではない。
同時に、ヱ密たち五人も各々の術を封じられ。
更に、六人を囲うように黒壁が展開され。
……瞬く間に、行動を奪われてしまう。
立飛「…っ、ぁ……うぁ……りん……鈴っ、やだ、嫌だぁぁぁぁっ──!!!!」
内側から黒晶を壊そうとするも。
無情にも、傷一つ付くことはなく。
蛇龍乃「……無力だねぇ。お前たちが束になっても、私には敵わないどころか指一本すら触れられない」
蛇龍乃「何をどうやったって、お前たちは鈴を守れないんだよ」
……そう、守れない。
“守ろうとした”が、“守れなかった”。
その事実だけを目の前に与え。
言い放った。
鈴「……じゃりゅにょさんは優しいね。自分一人が悪者になって」
蛇龍乃「…何を言ってるのかさっぱり。私が悪者なのは今も昔も、これからも変わらない。言ったろ? 頭領としてやるべきことをするって」
蛇龍乃「アイツらが邪魔だったから、大人しくしてもらった。それだけ」
鈴「……うん」
蛇龍乃「まぁ、あんな状態でも声くらいは聞こえるだろ。最後に何かアイツらに言っておきたいことある?」
鈴「うん」
鈴「……くっすん、しかちゃん、じゃりゅにょさん、りっぴー、ぱいちゃん、うっちー、えみつん」
鈴「ここにいるみんなが、私のよく知ってるみんなのままでよかった。……この世界でも、あたしは最高の仲間に出会えた」
鈴「あたしは、幸せでした」
鈴「ありがとう──ばいばい」
蛇龍乃「……さて、行くか」
鈴「……へ? どこに?」
蛇龍乃「なんでこの場所をお前の血で汚さなきゃならないんだ……鈴が掃除してくれるなら別にいいけど」
鈴「あはは、それはちょっと無理かなぁ」
蛇龍乃「でしょ? ほら、さっさとついてこい」
──……。
……ガラララ、と。
重そうな扉が引かれ。
蛇龍乃「……ここならいくら汚しても問題無いしね」
鈴「あー…」
最初に里に来て以来、入ることのなかった場所。
存在すらも忘れかけていた。
そう、ここは空蜘が捕らえられていた簡易牢獄のような蔵。
鈴「ここってそういう場所だったの?」
蛇龍乃「……さぁ?」
鈴「さぁって……」
蛇龍乃「……鈴、最後に一つだけ訊かせて」
鈴「え? あ、うん」
蛇龍乃「どうしてあの時、私まで甦生させたの? 私がいなくなった理由を適当にでっち上げれば、お前を殺そうとする者なんかいなかっただろうに」
蛇龍乃「……まぁ、それが出来ないのが鈴なんだけど」
蛇龍乃「私さえいなければ、お前が望むアイツらとの生活ももっと長い時間得られたのに、馬鹿だねー」
鈴「へ? そんなことないよ? だってそれだとじゃりゅにょさんいないじゃん」
蛇龍乃「……」
鈴「あれ? あたしなんか変なこと言った?」
蛇龍乃「……お前、私のこと恨んでないの? これから殺されようとしてんだよ?」
鈴「当たり前じゃん。じゃりゅにょさんのこと大好きだし。忍びとしても尊敬してるし。あ、もうあたし忍びじゃないんだっけ」
蛇龍乃「鈴ってやっぱ変なヤツだねぇ」
蛇龍乃「右も左も分からずいきなりこの世界に落とされて、ここに連れてこられて。三日後には殺すーなんて言われてさぁ……」
大変な思いをさせられて。
強制的に忍びにさせられて。
あんなに拒んでいた人殺しまで強要させられて。
辛い鍛練を押し付けられて。
探偵とのいざこざに巻き込まれて。
蛇龍乃「駄目な頭領だよ、ホントに……私がもっとしっかりしてればお前も皆もあんな目に遇わせなくて済んだかもしれないのに」
蛇龍乃「今だって、もうちょっと上手いやり方があっただろうに……こんな結末しか考え付かなくてさ」
蛇龍乃「あーあ……駄目駄目だぁ……」
鈴「ちょ、ちょっと、じゃりゅにょさん……」
蛇龍乃「いやぁ、最後まで駄目駄目だからさぁ……今からお前を殺さなきゃいけないってのに、刀の一本の用意も怠ってしまうくらい」
鈴「……え?」
蛇龍乃「ちょっと取ってくるから待っててくれる? ……あー、そういやアイツらもあのままにはしておけないし……戻ってくるの遅くなっちゃうかもしれないけど」
蛇龍乃「……逃げたりしたら駄目だからね」
鈴「じゃりゅにょ、さん……」
そう言って蛇龍乃は、鈴に背を向け。
蔵を後にした。
その際に、微かに聴こえた声は。
……ポツリと、独り言のように。
蛇龍乃「…………達者でな、鈴」
鈴「……本当に、嘘つきだ…………ありがとう」
施錠されていない扉。
その先には、何処までも広がる夜の闇。
もう皆と一緒にはいられない。
まだまだ知らないことだらけのこの世界に、一人投げ出され。
罪を背負ったまま、生きていけと。
それこそが、自分に与えられた罰。
幸せな時間を与えられて。
大好きな皆に囲まれて。
命が捨てられたら、と考えていた自分は。
全然、甘かったみたいで──。
────…………。
過ごしてきた時間以上に、思い出が詰まりすぎた妙州の里。
忍びの屋敷。
何もわからなかった当初。
歓迎されていないどころか、いきなり殺される寸前からのスタート。
『どんなに機嫌取ろうと絶対に殺してやるからねー! 絶対っ、ぜーったいっ!』
受け入れられるまで、大変で。
受け入れられてからは、更に大変で。
でもその分、楽しいことも嬉しいこともたくさんあって。
皆と過ごせる日々がなにより温かく、幸せに感じられて。
大好きだった──。
だから。
最後に、この場所に戻ってこられて。
本当によかった。
「──ありがとうございました」
屋敷の正面に立ち、深々と頭を下げ。
別れを告げ。
もう二度と戻ってくることのない、この場所を後にした──。
……少し歩いた先の、森。
『なんかねー、変な子なんだよねー』
『あー、うん、すごいね。あ、もしかして、スパイなんじゃないの?』
ここで、空と紅寸に出会った。
“鈴”という名も、その時与えられた。
二人に見付けてもらえなかったら、とっくに死んでいたかもしれない。
……が、今考えてみれば空は。
私がここにいることを初めから知っていたのかもしれない。
もし訊いていたら教えてくれたのかな。
まぁ、なんだっていいか。
水が流れる音が、段々と大きく聴こえてくる。
……よく鍛練をしていた、滝。
『鈴は何もしなくていいって言ったじゃん。最初だから絶対に当たらないように投げるし』
『何が起きても精神を乱さないようにする鍛練。段階を踏んでいくと、これを自分で避けなきゃいけなくなるのだ』
立飛と紅寸に付き合ってもらった過酷な鍛練を思い出す。
辛く、苦しい毎日だったけど。
そのおかげで、少しは体も心も成長できた気がする。
あと、鹿にも。
『かうんたー』
『ひゅぇ…? ぁ、ぐほぉぁああっ…!!』
『よっしゃ、勝ったー!』
……酷い目に遇った。
……山奥の洞窟。
ちょうど今くらいの時間帯だったか。
あの時も。
人質として空蜘に連れ去られて、それを追ってきた立飛と鹿。
初めて、殺し合いの場を目にした。
怖くて恐ろしくて、たまらなかった。
『はぁっ……はぁっ……だって、殺そうと、してたから……あたし……、あた、し……』
『ふっ、ざけん、なっ……なんのために、立飛がっ……げほっ、げほっ…! はぁ、はぁ……ぁ……──』
空蜘も、立飛も、鹿も。
今こうして笑っていられるんだから。
あの時の自分の選択は間違ってなかった、と救われた気持ちになる。
『──死んでほしくないのなら、泣く前にやることがあるんじゃない?』
そういえば、ヱ密に初めて会ったのも、この場所だったっけ。
……紅寸と牌流と共に進んだ山道を、今は一人で歩く。
いっぱい笑った。
馬鹿なことをして怒られた。
立飛を救うための秘薬を求めて訪れた小さな村を、遠くから眺める。
今度は迷わないように、と。
妙州を離れ、山を越える。
その道中の廃れた寺。
以前に、ヱ密と空蜘と共に寝泊まりした。
ヱ密は優しかったけど、厳しかった。
空蜘は厳しかったけど、優しかった。
二人から貰った言葉の重さを、今でも覚えている。
そして。
長い距離を進んで見えてきたのは。
一つの町。
……私が生まれて初めて、人を殺した町だ。
命を奪う感触、一瞬たりとも忘れたことはなかった。
思い出すと、震える。
……ごめんなさい。
でも、後悔はしていない。
私は、短い期間ではあったが、忍びであった自分を。
誇りに思う──。
『誰かのために強さを得るんじゃなくて、まずは自分を生かすために強くなる。そうやって手に入れた強さなら、きっと誰かを守れるから』
本当なら、何度も失っていた筈のこの命。
強くなったなんて自分からは、口が裂けても言えない。
消えかけた命に、輝きを再び灯すため。
誰か一人でも、守れるように。
……強くなれたらいいな。
更に、気が遠くなるほどの距離を進んでいった先。
町。
その奥には、大きく聳え立つ城。
町の大通りを歩く三人の姿があった。
……よかった。
……元気そうだ。
町の人と楽しそうに会話をしているそんな三人を。
遠くから眺めていた。
すると、不思議にも。
気付かれる近さではないのに、不意に視線が合い。
穏やかに、こちらに微笑んでくれた。
私も笑みを返し、その町を後にした。
行く宛ても無いまま、旅を続ける──。
たった一人で。
いつも誰かに守られていたこんな自分が。
寂しくない、不安は無いといったら大嘘になるが。
明日のことすら、わからない。
自分で選んだ道の果て。
運命に導かれ。
宿命に委ねられ。
辿るべき地図に、御丁寧に印など記されてはいない。
真っ白な状態。
……とある町を訪れた。
屋台などが立ち並び、活気に満ちた賑やかな町だった。
小腹でも空いたし、何か食べようかと通りを歩いていると。
……チャリン、と。
小銭の落ちる音。
拾うのに手間取っている落とし主の様子を見兼ねて。
代わりに拾い上げ、少女へと渡す。
「はい、どうぞ」
「ありがとう……って、なんだあんたか」
「…え? あっ」
顔を上げると。
その少女の瞼は、閉じられたままで。
……そんな私と少女を見て、屋台の主人は少し驚いた表情で言う。
「あんたらなんとなく似てるねぇ……声までそっくりだ」
……少し可笑しくて、私は悪戯気に答える。
「この子、あたしの妹なんですよー。あ、すみません。あたしにもこの子と同じものください」
「まさかこんな所で会うなんてねぇ……で、何してんの?」
「それはこっちの台詞。てか、これってなに?」
「いや、あんたと同じのだけど」
「それは知ってる。何かわかんないから訊いてるの」
「……なんで何かわかんないもの買ったの?」
「良い匂いしてたから」
「ふーん……まぁあんたも絶対気に入ると思うよ。間違いない」
木陰に並んで腰を下ろし。
屋台で買ったものを口に入れる。
……と。
「……っ、お、美味しい……!」
「でしょー?」
「こんな美味しいものがこの世界にあったなんて……私はこれまでの人生、どんだけ損してきたの……」
「いや、大袈裟すぎでしょ…」
「……ていうか、もしかしてあれからずっと一人でふらふらしてたの?」
「そうだけど?」
「アホでしょ……よくもまぁそんな目でこんな遠い所まで来れたよね…」
「……別に、もう慣れたし」
「さっき落とした小銭も拾えてなかったのにー? あ……もしかしてだけど、ふらふら出ていったきり帰りたくても帰れなくなったってわけじゃないよね……?」
「…………」
「ばいやー……ふふっ、もう……可愛いとこあるじゃん。さすがあたしだねぇ。しょうがないなー、この頼りになるお姉ちゃんが城の近くまで連れていってあげるよ」
「た、頼りになる……? ていうか近くまで? それならあんたも一緒に来ればいいじゃん。あ、なんか用事あってここに来たの? 誰かと一緒?」
「……ううん、一人だよ。それにあたし、もう忍びじゃないし」
「だったら」
「戻れないよ……あたしは戻るわけにはいかない。これまでにいろんなものを捨てて、与えてもらって、笑って、泣いて、そんなのを繰り返してきて」
「その末に、こうしてここにいることが……あたしがこの世界で生きてきた証だから」
「……偉そうに。あんたも言えるようになってきたねぇ。じゃああたしもちょっとだけ、あんたの不器用な生き方に付き合ってあげるよ」
「いや、いいよ……あんたは帰る場所があるんだから。あたしに付き合う理由なんか」
「あっそ。ふーん……なら、さよなら。ばいばーい」
「え……一人で大丈夫? 近くまで送るって」
「結構。私はまだ戻るつもりないから。ここでお別れだね。あーもし、目が見えない私が崖から転落でもして死んじゃったらあんたが殺したことになるよねー」
「まぁ別に構わないかぁ、あんたは。じゃあねー、この薄情者」
「…………」
きっと、彼女は自分からは口にはしたくないだろうが。
あの眼では、もう探偵はとても務まらないと思う。
……元探偵と、元忍者。
……共に罪を犯した者同士。
隣にいて、微笑んでくれる存在がいるというのは。
やっぱり、私が欲するもので。
……うん、そうだね。
……じゃあまずは。
この子を守れる強さから始めてみようか──。
「あーもうっ、待って! 待ってってばー! 一緒に行こ?」
「…ふふっ、しょーがないなー」
「……あんた、実はあたしのこと大好きでしょ」
そして、いつの日か──。
彼女と共に。
美しい世界を見られるように──。
最終章『my Serment』
━━Fin━━
まさかこんなに長くなるとは……
最初から追ってくれてた人マジでありがとう
最初はほんと忍者っぽい名前ハマるなぁーって完全にネタスレ気分だったわ
ガチになるといきなり地の文増えちゃうからわかりやすいよね
前半は好き勝手やって後半になるにつれてなんとか矛盾だけは作らないように頑張ったけど
明らかな矛盾が一つだけ残っちゃったの多分あれ?って思ってる人、スルーしてくれてありがとう…
鈴が涼狐の後継者になる探偵エンドも考えてたけどなんかあっさりしちゃうし、最後はやっぱ忍びで終わらせたかったからボツにー
感想ありがとう。自分でもすげぇ面白いと思うわこの設定もストーリーも
てか自分が書いたやつ全部おもしろいから是非他のも読んでねぇ
http://twpf.jp/mi_mo_u
あと矛盾の件
かなり最初の方。牌流が空に偽創して鈴を騙した時。鈴は牌流に対して写真使ったのに偽創が破られてなかったんだよね
なんとかこれを伏線にして実は牌流も二重術者ってことにしようかと考えてたけどスマホは問答無用で術を破る超レアアイテムであるべきだし、牌流も弱いなりの立ち振舞いでいきたかったから矛盾そのままになっちゃった
(書けるのいつになるかわからんけどとりあえず保守)
(来月中旬か下旬くらいから再開する予定です)
────────────
────────
──────
────
忍者が操る“術”がある。
探偵が扱う“トイズ”がある。
呼び名は異なれど、これらは一括りに異能と称される力。
なにもこの者らだけが特別とされるわけではなく。
忍者や探偵の他にも、この異能を持つとされる者は存在する。
それは。
この世に生まれた時点でその力を宿している者もいれば、ある日突然目覚める者もいる。
……また、それらの中途に分類される。
即ち。
才能の片鱗、素質は備えてはいるがまだ上手く扱えぬといった者や、認識すら覚束ぬ者も。
ではそんな異能を宿すが扱えぬ者たちを放っておくとどうなるか。
それは様々である。
突然才能が開花することもあれば、逆に知らぬ間に異能の種が消失してしまうこともある。
人間を超越した異能を保持する者、その力は言わずとしれ強大である。
その強大な力は、この世界でどのように扱われているか。
片や、賊と化し私利私欲の限りを求める者。
片や、探偵として正義を掲げ、野望を追い求める者。
片や、その力を駆使し、仕事としている忍び。
……これは忍びに限ったことではないが、仕事とするならばそれを命じている者が存在する。
頭領、ではなく。その上。
任務ではなく、仕事として与える者。
と、いうことから。言い方を変えれば。
異能者を“飼っている”者、となるわけだ。
手段として。道具として。兵器として。
…………また、道楽として。
ある集落があった。
そこに暮らしている少年少女たちは、皆異能の力を秘めている者。
だが、その力を満足に扱える者はおらず。力自体を自覚していない者が殆んどだ。
そう、この子供たちは作為的に集められたわけである。
その中で日々を過ごしている、ある一人の少女。
少女に向け、監視役の大人が声を掛ける。
「おい、良かったな。迎えがきたぞ」
「…………迎え?」
ここで暮らす子供は皆共通して身寄りが無く。
いや、正確には金欲しさに実の親に売られた者もいた。
……では、この“迎え”。
我が子を探し当てた親が引き取りにきたのか。
違う。
少女の前に現れた者。
それはなんの面識も無い、貴族だった。
…………そして。
少女の所有権はその貴族へと渡った。
自分の意志など関係無しに。
自ずと生活の場所は、貴族の屋敷へと移ることとなった。
そこでの暮らしは。
今まで味わったことのない。
一言で言い表すならば。
地獄であった。
少女と共にあの集落から買われた者が他に十人。
半年でその数は半分に。
一年が経つ頃には、その少女を含め、僅か三人になった。
少女はこの中では最年長。
よって、懸命に皆を守ろうとした。
…………だがその想いも虚しく。
無情にも、それらの命は次々と奪われていく。
当然、少女自身も傷つけられることはあったが。
絶対に殺されることはなかった。
何故なら。
この貴族の目的は、その少女にあったからだ。
そう、少女が秘める異能を無理矢理に開こうとしたのだ。
貴族は少女の感情、心という器に。
悪意をもって衝撃を与え続けた。
連れてこられた他の少年少女ら。
嘗てから共に過ごしてきた彼らに害を与えれば、少女は己の感情を剥き出しに。
泣き、喚き、怒り、叫び、侘び…………やはり、泣き。
そうした感情の乱暴な起伏を伴い、少女は異能の片鱗を垣間見せるのだ。
それは誰の目にも見えるかたちで。
少女自身が傷付けられてもそれは同じで。
その身体中には、痛々しい傷跡が無数に残る。
しかし、その少女の異能。その本質が何であるか。
貴族は知らない。誰も知らない。少女自身ですらも。
ではどうしてそんな未確定なものに対して、こんなにも沢山の命を消費させるのか。
能力が開化するかも定かではないのに。
だが、失敗したら失敗したで。
貴族側としては別にそれでも構わなかったのだ。
前にも言ったように、過程としてのそれは道楽。
暇潰し。後々、利用できたら運が良い程度に。
飼い慣らそう、と。
ただ興味があっただけ。
…………その少女が宿す、瞳の緋色に。
「…っ、やめ、て、くださ、い……もう、みんなを、虐めないで……っ」
また目の前で、一つの命が消えようとしていた。
泣き叫んでも、聞き入れてくれるわけもなく。
自分以外の命へと、刃が振り下ろされる。
それと共鳴するように。
ドクン、と。
心臓が強く脈打ち、全身が熱くなる。
……まただ。
この感覚、嫌い。
気持ち悪い。
今、少女の瞳は赤く染められようとしており。
だが、いつもこれが発症すると。何かに支配されるように意識が遠退き。
その場に倒れ落ちる。
そして、再び目覚めると死体が転がっているのだ。
……これの繰り返し。
「……っ、また……守れなかった……っ」
自分よりも幼い皆を、私が守らなくちゃいけないのに。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
少女はいつも泣いていた。
自分を飼う貴族に、何度も何度も懇願した。
私を殺して、皆を解放してください、と。
そんな少女を見て、貴族は手に持つ刃を少女へと突き立てる。
グジュッ──!
「うぅぅぅぅぅぅぁぁぁあああああッ……!!!!」
泣き叫ぶ少女を、面白おかしく嘲うばかりだ。
美しく緋色に染まる瞳を吟味し。
だが、依然として染まるだけ。他の変化はまるで見られない。
いつまで経っても。
どれだけ繰り返そうと。
異能の覚醒には到らず。
そしてまた、少女の為の生け贄と称し。
一つの命が潰えた。
これで残す命は少女を含め、二つ。
……少女は薄々感じ始めていた。
貴族たちもそろそろ飽きてきている様子。
だからこれはカウントダウンなのだ、と。
多分、自分以外の命がすべて消えた時。
次に死ぬのは。
殺されるのは、自分なのだろう、と。
途端、恐怖に埋め尽くされる。
…………嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ──ッ!!
死ぬのは、怖い。
何よりも恐ろしい。
皆の為なら殺されてもよいと思えたのは。
自分は貴族たちからして価値のある存在であったから。
殺されることはないと、心の何処かで安心していたのか。
それとも、徐々に減っていく他の命を見て。
自分自身の命の計り方が変わってきたのか。
わからない。そんなのどうでもよくなるくらいに。
今はただ、恐ろしい。恐ろしすぎる。
…………そして、少女にとって運命を変える夜が訪れた。
眼前で、痛ぶられ続けていた少女以外の最後の命。
その躰に、刃が突き刺さった。
死んだ、のだろうか。
ピクリとも動かなくなった。
貴族が住まう大きな屋敷の一室。
そこに居合わすのは家主である者含めて十数程の人間。
その中の一人が、愕然と涙を流し続けている少女の元へ近寄る。
手には刀が握られており。
その先端は、赤く染まりかけている少女の瞳に向いた。
「……っ、ぁ……ゅ……ゃ、やめ……っ、たすけ、て、くだ……さい……」
恐怖に震える躰。
……やめて。助けて。殺さないで。
土下座でも、足の裏を舐めてもいい。
自分の出来る全てで、命乞いをしたいのに。
動けない。
これが殺されるという、命が消えるという、恐怖。
ただ、茫然と震えることしか、できない。
………そして。
瞳を抉ろうと眼前の刃が動いた瞬間だった。
ぼとっ。
刃、いやそれを握る手が落ちた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああッッ!!!!」
同時に狂ったような叫び声を上げるのは。
少女を殺そうとしていた男。
手が落ちた。それは、言葉の意通りに。
そう、手首ごと切断されたのだ。
何が起こったのか。
少女がおそるおそるその瞳を開けてみれば。
そこには。
自分よりも小柄な、黒装束を纏った一人の女がいた。
その女こそが、後の妙州の里。忍びの頭領となる者。
名は、“蛇龍乃”といった。
第零章『妙州』
「ぁ……ぐぅっ……て、てめぇ……っ、一体何者」
蛇龍乃「うるせぇ。さっさと殺されろ」
グジュッ──!
先程、手首を落とした者の喉を刃で一刺し。
呆気なくその命を奪ってみせた。
その後も襲い掛かってくる人間をなんなく返り討ちに遇わせ。
襲撃者の強さを目にした他の者たちは一目散に逃げる。
……が。
蛇龍乃「鹿ー、そっちいったぞー」
鹿「はいはい、全部殺っちゃっていいの?」
蛇龍乃「そこの殆んどが今回の任務の殺対象だ。まぁいいよ、殺っちゃって」
逃げようとした者たちを、待ち構えるように。
いつの間にかそこにいた“鹿”と呼ばれるもう一人の黒装束。
部屋奥に蛇龍乃。扉前に鹿。
逃げ場を失った殺対象とされる十数程の貴族共。
それらは瞬く間に、このたった二人の手によって。
…………殺された。
と、そこに。
ガラッと、ふと開かれた扉。
叫び声を聞き付けてか、この屋敷の使用人と思われる女。
部屋中の凄惨な光景を目にし。
「ひっ……きゃ、きゃぁあああああああああ!!!!」
悲鳴を上げながら、逃げ出した。
蛇龍乃「あーあ、見れちゃったからには殺すしかないか……鹿」
鹿「了解。んじゃ、じゃりゅのんはそっちよろしくね」
そう言って、部屋を後にした鹿。
蛇龍乃「ん、そっち? あー……」
蛇龍乃が目を向けた先。
そこには、例の少女。
一つの亡骸に触れ、泣いていた。
そう、それは此処に連れてこられた自分以外の、最後の命に向かって。
「ぅうっ……なん、で……なんでっ……殺されなきゃ、いけないの……っ」
「私、は……誰も……っ、守れなかった……ごめんね……ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
泣き、懺悔するように死体に語る少女に。
蛇龍乃「…………ふふっ……くくくっ」
「……っ!」
振り向き、少女が睨む。
蛇龍乃「ん? ああ、悪い悪い。ちょっとおかしくね。てか今なんつってた? 守れなくてごめんなさい、とか」
蛇龍乃「ははは、そもそも殺されかけてたくせに偉そうに……自分自身すら守れない奴が他人を、誰かを守れるわけがないだろ」
「…………うる、さい……っ」
蛇龍乃「謝るならせめて、弱くてごめんなさい、だろ?」
「…っ、うるさいっ、うるさいうるさいっ……! 黙れっ! あんたがっ、あんたがもう少し早く、来てくれて、たら──」
と、そこまで言い掛け。
少女は床に転がっていた短刀を一本拾い上げ。
蛇龍乃に斬りかかった。
キィーンッ──!
だが、刃は刃に弾かれ。
蛇龍乃に届くことはなかった。
「くっ、ぅうっ……!」
蛇龍乃「……お前が今言った通り、私たちがもう少し早く来ていたらどうなってただろう?」
「……っ」
蛇龍乃「それに気付いたからお前は今こうして私を殺そうとしてるんだろ? じゃあ答えやすいように聞き方を変えよう」
蛇龍乃「そこに転がっている骸のことは一先ず置いておくとして……私たちが此処に来なかったらお前は間違いなく殺されていた。だがお前は今まだ生きている」
蛇龍乃「…ということは普通に考えれば私はお前の命の恩人とされるべきじゃない? それなのに私を殺そうとしているその理由とは?」
「……っ、…………殺すんでしょ……? 見られたから…………さっきそう言ってた……」
蛇龍乃「正解。そうそう、私たちは正義の味方なんかじゃない。ましてやお前を救ってやりに此処に来たわけじゃないんだよ」
そう、蛇龍乃たちが此処を訪れた理由。
それは任務。
対象とされる人間を殺しにきただけ。
この少女はたまたまそこに居合わせただけ、というわけだ。
姿を見られたからには殺すしかない。
であることから、少女が守ろうとしていた人間も同じく。
誰に殺されるか、これが変わるだけで死そのものの結果が変わることはない。
蛇龍乃「情けなく泣いてばっかのくせに、よく弁えてるじゃん」
静かに殺気を混じらせた笑みを浮かべ。
蛇龍乃が少女を見やる。
痩せ細った体。
血色の悪い肌。
衣服の隙間から見えるだけでも、二桁を数える酷い傷跡。
蛇龍乃「ふぅん……まぁ、お前もこれまで相当酷い生き方をしてきたようだけど。最後の最期まで、運が悪かったな」
蛇龍乃「最期くらいは、楽に逝かせてやるよ」
そう言って、少女の首を掴み上げ。
刀を左胸に触れさせる。
……と、その時。
蛇龍乃「……? お前……それは……」
蛇龍乃が目にしたのは。
燃えるように、赤く染まった。
少女の緋色の瞳。
そして、その眼が染まりきると。
少女は糸が切れたように、意識を失った。
蛇龍乃「…………こいつは」
……と、そこに。
鹿「ただいま」
蛇龍乃「おかえり。御苦労さん」
鹿「さっさと引き上げない? 目的は終えたことだし。いくらなんでも長居し過ぎでしょ」
蛇龍乃「だねー。んじゃ、鹿」
鹿「んー?」
蛇龍乃「こいつ運んで」
鹿「…は? 死体なんか持ち出してどうすんの?」
蛇龍乃「いや、死体じゃないから」
鹿「え? 生きてんの? それ」
蛇龍乃「そうみたい」
鹿「そうみたい。……じゃなくてっ、さっさと殺せよっ!」
蛇龍乃「ははは。またまたーそんな物騒なこと言っちゃってー。だって可哀想じゃんかー」
鹿「…………いや、マジで何言ってんの?」
蛇龍乃「いやぁ、あのさ、この娘……里に連れて帰ることに決めたから」
鹿「は……? はぁ!? 何で!?」
蛇龍乃「だってお前、友達欲しいとか言ってたじゃん」
鹿「いらん。つーかそんなの一言も言ってないからっ!」
蛇龍乃「そうだっけー?」
鹿「…いや、ていうか本気で何考えてんの? あんたのことだから、まさかこの子に情が移ったってわけじゃないでしょ」
鹿「もしそうだとしても、私は絶対に反対。じゃりゅのんが殺しづらいなら、私が代わりに殺してあげる」
刀を抜こうとする鹿を、蛇龍乃が制する。
蛇龍乃「だーかーらー、殺すなって。ぐだぐだ文句垂れてないでさっさと運べよー」
鹿「……チッ、何様だよ」
蛇龍乃「次期頭領様ですけど?」
鹿「何十年後の話? あのじーさん元気有り余ってんじゃん」
また深夜に
まずは過去編から
────…………
「────……ん……あれ…………?」
意識を取り戻した少女。
周りを見渡してみると、そこは。
あの屋敷でも、天国でも地獄でもなく。
何処かの森の中のようだった。
鹿「…………おはよう」
「…っ!? ぁ……え、えっと……あの人と、一緒にいた人……」
鹿「へぇ、よく覚えてたね」
「…………私、生きてる、の……?」
鹿「……まぁ、そうみたい」
「…………あ、あの人は?」
鹿「さぁ? どっか行っちゃった」
「そう……」
鹿「…………」
「…………」
「……なん、で……殺さなかったの…………殺してくれれば、よかったのに……」
…………嘘だ。
本当は死にたくない。
死にたくない、から、あの時。
黒装束の人を殺そうとした。
でも、またこの人たちに捕まって酷い目に遇わされるくらいなら。
いっそのこと、殺してくれた方がよかったのに、とも思えた。
鹿「殺してほしかった?」
「…………………うん」
鹿「そっかそっか。気が合うね」
「え……?」
鹿「私も殺すべきだと思うのよ。でも何故かアイツはお前を連れて帰るーなんて言うからさ、ホント困っちゃってさぁ」
「…え、なっ……連れて帰る、って……なんで……」
……わかってた。
自分の地獄はまだ終わっていないことを。
あんなにも躊躇なく人を殺せる人たちだ。
どんな恐ろしい目に遇わされるのか、想像するだけで頭がおかしくなりそうで。
鹿「でも良かったよ。自分から殺してほしいって言ってくれて」
「え……?」
鹿「私もお前みたいな余所者と一緒に生活するなんて勘弁してほしいからね。出来ることなら此処で死んでほしかったんだわ」
鹿「でもいざ殺そうとすると、あれがうるさいからねぇ……じゃあこうしよっか。お前は目を覚まして直ぐ様逃げ出そうとしたけど、必死に逃げるも不馴れな森の中、足を負傷して動けなくなったところを熊でも狼でもなんでもいいや、食い殺された、と」
鹿「ほら、完璧! 嬉しいっしょ? 念願叶って死ねて」
「…っ、で、でも、私……足、怪我して、ない……それに、熊も狼も」
鹿「ははは、察しが悪いなぁ。いるじゃん、目の前に。私が殺して、森奥にでも放置してやるっつってんの」
鹿は笑みを浮かべ、刀を取り出そうと懐に手を入れる。
それを見て、少女は思う。いや、思い起こさせられた。
この感じ、知っている、と。
昨夜、意識を失う前にもう一人の黒装束が見せた殺気。
それと同じものを、今の鹿も少女に向けている。
暴力的な殺気ではなく、静かなる殺気。
同時に、本気であることを覚る。
…………逃げなきゃ。
逃げなきゃ、殺される。
動け。また震えて動けなくなる前に、動け。
「…ぁ……ゃだ……ぅううっ、うぁぁぁああああああっ……!!!!」
少女は震える体を叩き上げ、鹿から逃げ出す。
鹿「あれ? 殺してほしいって言ってたのに……まぁいいや。忍びの足から逃げられるわけないし」
そう、忍びの脚力は常人の遥か上を往く。
ましてや常人にも及ばない、筋力の衰えきった少女の足では逃げ切ることなど到底不可能で。
「ぁぐっ…!」
鹿「ほーら、捕まーえたー」
そして鹿が握る刃を、少女の喉に突き刺そうとした。
その瞬間。
ヒュッ──!
少女の頭上から手裏剣が投げられ。
鹿は後ろに飛び退いた。
蛇龍乃「もー、またすぐ殺そうとしてからに……」
「ぁ……うぅっ……ひぐっ……ぐすっ……」
蛇龍乃「あーあ、こんなに泣いちゃって……もう大丈夫だからなぁ。よしよし」
鹿「……ねぇ、ホントなんなの? いい加減にしてよ。こんな子を連れて帰るとか……うちは保護施設じゃねーんだよっ!」
蛇龍乃「あ、保護するとか別にそういうんじゃなくてだな…」
鹿「じゃあなに? 実践さながら殺しの練習台? それともあのじーさんが作る新薬の実験台?」
蛇龍乃「…なんでお前、そんな残酷なことしか思い付かないの。ドン引きだわ」
蛇龍乃「まぁ隠すことじゃないから言うけど。私はさぁ、この子を忍びとして育ててみようかなと思って」
鹿「…………なんの冗談? マジで笑えねぇわ。そんな弱そうで一人で何もできない、泣いてばっかの人間に忍びが務まるわけないじゃん」
蛇龍乃「泣かせたのはお前だろ……それに多分素質ある気がするんだよねぇ。知らんけど」
鹿「素質があろうとなかろうと、そもそも死にたい殺してほしいとか言ってる奴に忍びは向いてないでしょ」
蛇龍乃「そんなこと言ってたの? さっきお前から必死で逃げようとしてたじゃん。それって殺されたくないからじゃないの?」
鹿「いや、死にたいって言ってたよ」
蛇龍乃「んー……どうなの? もう生きていたくない? ここで殺してほしい?」
……と、蛇龍乃は少女に問う。
「……………………わかんない」
わからない。
それは正しく少女の本心だろう。
こんな自分がこの先を生きていく意味など見出だせない。
だが、いざ命を消されると思うと。
やはり、恐ろしく。
なんの争いも、恐怖もない、穏やかな日々を過ごせたとしても。
心からの幸せなんか、今更掴める気などしない。
それに、忍び側としても任務最中の姿を見た者にそのような選択を与えるわけにもいかないのだろう。
蛇龍乃「このまま生きていたくもなく、死ぬのは怖い。まぁ死を怖れるのは誰もが等しく持つ感情だから。そこが狂って壊れていたら、私もこんなこと言わないよ」
蛇龍乃「なら、生きていたくない、と……お前がこう思う理由について、教えてやる」
「…………」
蛇龍乃「それは一言に、お前は自分が嫌いなんだよ」
蛇龍乃「お前がこれまでどんな人生を経験してきたか、勿論私は知らないけど。あの状況を見れば大方察せられる」
蛇龍乃「自分のせいで他の命が奪われ、それをどうすることも出来なかった自分を責めている、憎んでいる、許せないと、だから嫌っている」
「……わかった風な言い方、しないでよ……っ、あんたに、何が、わかるっ……」
蛇龍乃「なら逆に訊くけど、今私がわかった風に口にした言葉。一つでも間違いがあった?」
「……っ、…………」
蛇龍乃「まぁなにも辛い経験をしてきたのはお前に限ったことじゃない。だがこうして運良く私の目の前にいるお前に、人生の先輩として一つ助言を与えてやろう」
蛇龍乃「思い出すのも苦しく、躊躇われる過去。人はこれをどうするべきか…………答えは単純」
蛇龍乃「殺すことだ。忘れるんじゃなく、殺す。過去の弱い自分が許せないのなら、その弱い自分を殺せばいい」
蛇龍乃「弱い自分を殺せるのは、強い自分だけだ」
「…………強い、自分……」
蛇龍乃「一度は消えていた命。使い方がまだ見付けられないなら、それを私に預けてくれない? お前はこれから私の為に、その命を使うんだ」
「…………私も、人殺しに……殺し屋に、なれって、こと……?」
蛇龍乃「殺し屋ってわけじゃないよ。私たちは、忍び……忍者だ」
「…にんじゃ? 聞いたこと、ない…………それって、楽しいの?」
蛇龍乃「ははは、楽しいわけないだろ。人を殺すんだぞ? でも、まぁ……お前も今よりは笑えるようにはなると思うよ。私やそこの鹿みたいに」
鹿「…………」
「…………すっごい睨んでるんだけど、あの人」
蛇龍乃「……まぁアイツも最初は取っ付きにくいと思うけど、実は良い奴だから。多分」
蛇龍乃「…んじゃぁ、一緒に来る? 忍びになるってことでオーケイ?」
「……ん……わかんないけど、ここで殺されるよりは……うん」
蛇龍乃「よし、良い返事だ。あ、そういえばお前、名は?」
「…………」
蛇龍乃「ん?」
鹿「無視? 殺すよ?」
「…………名前、無い……知らない……」
名を持たぬという。
だが、この世界ではそう特別珍しくはない。
集落にいた時も名で呼ばれたことはなく。
屋敷にいた時も赤目とか、確かそんな風に呼ばれていた。
蛇龍乃「んー、じゃあ何がいいかなぁー、うーん……」
「え…? いいよ、別に……いらない……今までみたいに、お前とかで」
蛇龍乃「いや、そういうわけにはいかないだろ。これから仲間、家族同然になるわけだし」
「仲間…………家族…………」
……そしてしばらく悩んだ後。
蛇龍乃「……よし、決めた! 今からお前は“立飛(りっぴ)”だ」
蛇龍乃「これまでと違い、お前は自由だ。縛り付けられることなく閉じ込められることなく……自分の足で“立”って、未来に向かって何処までも“飛”んでいける。だから立飛。うん、我ながら素晴らしい名付けセンスだ」
鹿「めっちゃ忍びとして縛り付けられるけどね…」
蛇龍乃「うるせー、水差すなっ」
立飛「立飛…………私の、名前……」
蛇龍乃「これからよろしくね、立飛」
立飛「うん……えっと……」
蛇龍乃「ああ、私は蛇龍乃。好きに呼んでくれていいよ」
立飛「あ、うん……じゃあ、蛇龍乃、さん……」
蛇龍乃「んで、こっちの狂暴なのが鹿。鹿ちゃんって呼んであげて」
鹿「ちょ、なんでいきなりちゃん付けなのっ!? 最初から舐めすぎでしょっ!」
立飛「……」
蛇龍乃「コイツには変に距離窺うよりも、気遣わずぐいぐい懐に入り込んじゃった方が打ち解けやすいからさ。ほれ、呼んでみ。喜ぶから」
立飛「え、えっと…………し、鹿ちゃん……」
鹿「…………」
立飛「……やっぱり、怖い」
蛇龍乃「平気平気。もう殺そうとしてくることもないだろうし。ね? 鹿」
鹿「あー……まぁー……たぶん……?」
こうして少女は。
“立飛”という名を、蛇龍乃から与えられ。
忍びとしての道を歩むこととなった。
────…………
任務を終え、活動の拠点となる里へ戻る道中。
蛇龍乃、鹿。
と、新たに忍びの一員に加わる……予定の立飛。
監禁され、筋力の衰えていた立飛はまだ満足に体を動かせないことから。
とりあえずは、鹿に抱えられるかたちで。
蛇龍乃「うっかり落っことすなよー? 鹿」
鹿「それフリ? フリなの? 落っことせってこと? ……つーかさぁ、なんで当然のように私が抱えてんですかねぇ!?」
蛇龍乃「はははっ、この私が人間一人を抱えたまま移動できると思ってんの? てか私もおぶってもらいたいくらいなんだけど……鹿ぁー、疲れた」
鹿「そこは自分でなんとかして。行きは運んであげたでしょ。……あと、もっと早く走れないの…? ジョギングしてんの?」
蛇龍乃「無理。これが限界……っ、今にも死にそう……」
鹿「…ったく、術以外はマジでポンコツなんだから……」
と、そこに。
鹿の腕の中の立飛が言う。
立飛「…………充分、早いと思う、けど」
鹿「はぁー? あんなトロトロしてたら忍者なんか務まらないって」
立飛「……鹿、ちゃんは……すごいね。余裕そう……私を抱えてるのに……」
鹿「こんなの抱えてるうちに入らないよ。だって立飛、軽すぎ。腕とか足とかこんな細いし……ご飯とか与えてもらえなかったの?」
立飛「ん……夜は、ちゃんと食べさせてもらってたよ……皆と分けると、ちょっとしか残んなかったけど」
鹿「…………なんか、ごめん」
立飛「別に、いい……それより」
鹿「ん…?」
立飛「何処に、向かってるの……? 鹿ちゃんたちが暮らす、家……?」
鹿「そうだよ。妙州っていう里。まぁ立飛が居たような立派な屋敷じゃないけど、部屋は沢山余ってるから」
立飛「……他にも、誰かいるの?」
鹿「私らの他にじーさんが一人。それだけ。そのじーさんが私らの頭領。あ、一番偉い人のことね」
立飛「ふぅん……じゃあ私を入れても、四人しかいないの? なんか意外……」
鹿「そう? そんな大勢で一緒の場所にいても良いことないしね」
忍びの里。隠れ家とも呼べる其処は。
人目を忍んで、その場所に在る。
この蛇龍乃たちは、多種ある忍びのなかで“蛇”という族派にあり。
その蛇の忍びも妙州だけというわけではなく。
あらゆる場所にその拠点を持ち行動している。
……というのも万が一、敵に里の存在が知られた場合に備え。
全滅を回避するべく。まぁ他にも理由があるが。
一般的には、一つの集落に多くても二十。その殆んどが十前後といった少数部隊の配置である。
それと比べ、この妙州の四人という数は。
立飛が言った通り、やはり少ない部類であった。
……そして、数日の移動を経て。
里に帰還した三人。
蛇龍乃「疲れた……もう動けん……死ぬ……っ」
鹿「ほら、シャキッとしないとまたじーさんにどやされるよ?」
蛇龍乃「あー、報告いかなきゃなぁ……めんどくせぇ……」
立飛「……」
蛇龍乃「疲れてると思うけど、立飛も一緒に来て。紹介しなきゃいけないから」
立飛「……うん」
頭領の元へと、三人。
屋敷奥にあるその部屋。襖を開くと、そこには。
老年の男が一人、険しい眼光で蛇龍乃たちを睨んでいた。
「…………おい、蛇龍乃」
この男こそが、妙州の里。
忍びの頭領である。
今賀斎甲。
蛇龍乃「ちぇ、なんだまだ生きてたか……くたばってくれてても良かったのに」
今賀斎甲「……何のつもりじゃ。そこの小娘は」
蛇龍乃「あー、コイツは立飛っていうの。ここの新人ね。若いからって手出すなよ? 頼むぞホントに」
今賀斎甲「わしはお前らに任務を与えただけで……誰がスカウトに行けと言ったっ!! このわしに相談も無しに勝手な真似をっ」
蛇龍乃「あーうるせーうるせー。ほら、立飛。一応挨拶して」
立飛「あ……うん……えっと、立飛といいます……よろしくお願いします……」
今賀斎甲「…………」
見定めるように、立飛の方へと眼を向け。
そして、不機嫌そうに言う。
今賀斎甲「……ああ」
鹿「じーさん、チョロいなぁ…」
立飛「チョロいって、どういう意味……?」
鹿「エロいってこと」
蛇龍乃「エロじじいめ」
今賀斎甲「やかましいっ! この馬鹿共がっ! ……おい、蛇龍乃」
蛇龍乃「んー、はいはい、わかってるって」
蛇龍乃「ちょっとこれからじじいと話あるから。鹿、立飛に屋敷のこと色々教えてやって。疲れてるだろうから、飯食わせて休んでいいよ」
鹿「だってさ。行くよ、立飛」
立飛「あ、うん…」
鹿「…………」
立飛「…………」
鹿「……ご飯と風呂、先にどっちがいい?」
立飛「……どっちでもいい」
鹿「んじゃまず風呂にしよっか。用意するから付いてきて」
鹿「ここが風呂場ね。沸かし方とか、わかりそう?」
立飛「……わかんない」
鹿「ま、しょうがないか。あとこれからは立飛が一番下っぱだから皆が使い終わった後は綺麗に掃除すること。今日は別にいいけど、明日からね」
立飛「掃除……?」
鹿「…え? いや……綺麗にするだけ、磨くだけだから。そんな難しいこと私言ってないよね!?」
立飛「綺麗に……ん、わかった……」
鹿「…………立飛、ちなみに料理とかしたことある?」
立飛「…ないよ」
鹿「……洗濯は?」
立飛「……ないよ」
鹿「ですよねー……生活能力ゼロかよっ、この子っ!」
立飛「……??」
鹿「えーと、文字は書ける?」
立飛「馬鹿にしてるの? それくらい出来るに決まってるじゃん……」
鹿「なんか怒られた……ごめん。 てか私にはお前がわからないよ……」
鹿は立飛に風呂の沸かし方を伝授した。
ついでに筆と硯を用意し、文字を書かせてみると。
立飛「…何て書けばいい?」
鹿「何でもいいけど……あ、自分の名前とかは?」
立飛「えーと、確か……立つに、飛ぶ、だったよね……」
立飛「立……、飛……、……と、出来た」
鹿「おおっ、めちゃめちゃ達筆だ! 字だけは上手いな、この子……」
立飛「字なんか誰でも書けるに決まってるでしょ……あ、もしかして、鹿ちゃん……」
鹿「私だって書けるわっ! てか掃除も知らねーようなやつが偉そうなこと言ってんじゃねぇっ!」
鹿「……で、風呂は一人で入れる? 体洗うの手伝ってあげた方がいい?」
立飛「……一人でいい」
鹿「そっ。じゃあ私、ご飯作ってるからゆっくり浸かってきていいよ」
立飛「…うん」
その一方で。
今賀斎甲の自室にて、蛇龍乃。
蛇龍乃「……で、どう? 立飛は」
今賀斎甲「これ以上ないくらいに不健康そうな、今にも死にそうな顔しておったな……何か訳有りということか」
今賀斎甲「……まぁお前が連れてくるくらいじゃから、何かあるんじゃろな。あの娘に」
蛇龍乃「そうそう、アイツさぁ……術持ってるよ」
今賀斎甲「ほぅ……どのような?」
蛇龍乃「さぁ?」
今賀斎甲「おい…」
蛇龍乃「まだ覚醒してないみたいでさ。多分、本人もその自覚を持ってないんだよ。だからそれを大事に大事に開かせてやるのが、私らの役目ってわけ」
蛇龍乃「見たところによると、感情が昂った時に瞳が赤く染まってたから……なんつーの、こういうの」
今賀斎甲「数ある術の中でも自身への負担が一際大きい精神系の術というわけか……しかし、そうなると、今のあの娘に扱えるとはとても思えんが」
蛇龍乃「だろうねぇ……私もじじいと同意見だ。今はまだ早すぎる。まぁなんにせよ、忍びのいろはを叩き込んでからだな」
今賀斎甲「……術以前に忍びとして大成する気がせんが」
今賀斎甲「というか、蛇龍乃」
蛇龍乃「ん?」
今賀斎甲「あの娘……立飛がこの先どうなろうと、お前には連れてきた責任がある。立飛が忍びとして飛躍しようが、無惨に死んでいこうが」
今賀斎甲「お前自身が、あの時殺してやればよかった、と後悔することは絶対に許さんからな。肝に命じておけ」
蛇龍乃「……わかってるよ。立飛は強くなる……きっと、私にとっての自慢になる。この私が言うんだ、間違いない」
────…………
鹿「…………それにしても遅いなぁ、立飛」
鹿「まさか、風呂場で自殺とかしてないよね……」
出会ってからさっきまで、一度も笑った顔を見せない。
そんな精神状態であった立飛だ。
ふと思い立って自殺を考えたとしても、なんら不思議ではないだろう。
様子を伺いに向かおうとしたが、あることを思い出す。
鹿「……てか着替え用意してあげないと。血が染み込みまくったあの服をそのまま着させるのはさすがに可哀想か…」
蛇龍乃の服では小さいし、今賀斎甲の服では立飛が可哀想だ。
とりあえず自分の物を一着手に取り。
風呂場の扉を開いた。
……と、その向こう側には。
鹿「あ……」
立飛「……あ、ごめん……遅すぎた、よね……ごめんなさい……」
裸の立飛がいた。
どうやら生きてはいるようで、一先ず安堵する鹿。
……が、その眼に飛び込んできた立飛の身体に、驚きを隠せなかった。
衣服の上からでも幾つかは確認出来ていたが。
その下には、数えきれない程の。
……傷跡、痣。
鹿自身もこの忍びという仕事をしているので、それなりに傷は残っているものの。
だが、それとはまるで比べ物にならないくらいの。
……最早それは、異常としか思えなかった。
出会ってから短すぎる時間しか経っていないが。
経緯はどうあれ仲間として受け入れることとなったからか。
……痛々しく、忌々しい。
残酷過ぎる仕打ちを受けてきた過去を、傷痕として刻まれた立飛を目にし。
胸が強く締め付けられる。
鹿「……っ」
立飛「…………どうしたの…? 鹿ちゃん……」
鹿「あ、あのさ…………立飛……」
……自分でもわからない不思議な気持ちだった。
特別な感情はおろか、仲間としての意識もまだ薄く。
立飛が辿ってきた過去に何があったとしても、関係無い。
…………それなのに、どうして。
鹿「……ううん、何でもない。着替え持ってきたから。私のだけど、さっきまで着てたのよりはマシでしょ」
立飛「ん、ありがと……」
鹿「じゃあ着替え終わったら、私のとこに来て」
そう言って、鹿は逃げるように立飛の前から去っていった。
深夜か夕方
立飛「……お待たせ」
鹿「ああ、どうだった? お風呂は。気持ちよかったでしょ?」
立飛「……うん」
鹿「んじゃご飯にしよっか。適当にそこ座っててー」
立飛「……ん」
鹿が運んできた食事が、立飛の前へと並ぶ。
鹿「まぁ簡単なものだけど。今までそんな食べてこなかったなら、最初はあっさりめの方がいいっしょ」
立飛「…………」
鹿「…ん? どした? 箸使えない、とか?」
立飛「また、馬鹿にしてる……」
鹿「ごめんごめん。じゃあなに? どうしたの?」
立飛「……ご飯……食べていいの……?」
鹿「当たり前じゃん。立飛の為に作ったんだし」
立飛「……私の、ため…………いただきます……」
一口ずつ。ゆっくり、と。
料理を口に運ぶ立飛。
立飛「……もぐもぐ……もぐもぐ……」
鹿「どう? 美味しい?」
立飛「……うん、おいしい」
鹿「……ならもっと嬉しそうにしなよ。ずっと暗い顔で俯いたまま」
立飛「……ごめん、なさい」
鹿「いや、別に謝らなくても。…………酒でも飲ませたら少しは明るくなるかな……」
立飛「…………」
鹿「ねぇ、立飛。お酒とか」
立飛「…鹿ちゃん」
鹿「ん、なに?」
立飛「…………なんで、鹿ちゃんは、私に優しくしてくれるの……?」
鹿「え…?」
立飛「最初は、あんなに嫌がってたのに……蛇龍乃さんに、言われたから……?」
立飛「……蛇龍乃さんが、強引に、私を此処に住ませるって言ったから……」
鹿「…………」
立飛「鹿ちゃんは、本当は嫌なのに……ごめんね……でもいいよ、気を遣ってくれなくても。……酷い扱いには、慣れてるから……」
立飛「気に入らないなら、殴っても……」
鹿「…………そう」
溜め息を一つ、落とし。
……静かに立ち上がった鹿は。
立飛の元へと近付き。
バシッ──!
その顔面を殴り付けた。
立飛「ぁくっ……!」
これまでに殴られたり、蹴られたり。
刃物で切り付けられたり、首を絞められたり。
あらゆる暴力を与えられ続けてきた立飛だったが。
……今のように、顔を殴られたのは初めてだった。
嘗て、立飛を飼っていた貴族からしてみれば。
それは道楽の対象であったことから。
往く往くは売り物になるかもしれない、くわえてルビーのような美しい瞳を持つ貌。
謂わば、芸術品と似た価値でもあったのだろう。
よって、傷だらけの身体とはまるで対照的に。
その顔だけは、傷一つ無い綺麗なままであった。
鹿「…ほら、望み通り殴ってあげたよ……その綺麗な顔をね。ていうかさぁ、お前が此処にいる意味は容姿じゃなくて心にあるってわかってる?」
鹿「私らはお前を見せびらかせたいわけじゃないから、その顔がぐちゃぐちゃになろうと一向に構わないんだよ」
鹿「ただ気に入らないから……ムカつくから殴った」
立飛「…………うん……顔でもなんでも、好きにしてくれていいよ……」
鹿「……殴った、けど、でもそれは立飛が嫌いだからってわけじゃない」
鹿「そりゃあ最初は嫌だったよ。いつも突拍子の無いことばっかり言うじゃりゅのんに反抗してみせた……悔しいけど、あの人の突拍子の無い行動はいつだって何か考えをもってのことだから」
立飛「…………」
鹿「それに、立飛だって自分で此処に来るって……忍びになるって言ったじゃん。与えられた選択肢がこれか死ぬかしか無かったかもしれないにせよ」
鹿「過去の弱い自分を殺す為に、自分自身が強くなる為に……忍びになるって。あれは無理矢理に頷かさせられただけ? だったら蛇龍乃に代わって私が謝るわ、ごめん。その償いとして、殺してほしいなら今ここで殺してあげる」
立飛「…………っ」
鹿「私はね……立飛が強くなりたいって此処に来て、過程はどうあれ仲間として受け入れるって納得したから。今は応援したいって、支えてあげたいって、そう思ってるよ」
鹿「……立飛は知らないかもしれないけど、仲間ってそういうものだよ」
立飛「…………仲間……」
鹿「仲間として立飛に接してるから、それを遠ざけようと自分を閉じ込めて拒絶しようとするその態度がめちゃくちゃ気に入らないっ……!」
鹿「いつまでも過去に囚われて、前に進もうとする意志を示そうともしない……そんなうじうじしたままでいられると不愉快なんだよ」
鹿「立飛がこの先もそんなままでいるなら……此処に連れてきた蛇龍乃、身を置くことを許してくれた頭領、そんな二人の気持ちも無駄になるね」
鹿「前にも言ったけど此処はお前の為の保護施設じゃない。だからそんな無駄なことに割く時間なんか無い……ここで死んでもらった方が皆の為だ」
鹿「お前はもう忍びなんだよ。私たちはお前の味方……仲間なんだよ。誰もお前に酷いことしようなんか考えてない。お前が一歩でも前に進みたいなら、私たちは全力で背中を押してやる」
鹿「……立飛、私たちは仲間だ。家族だ。だから信用もするし、お前にも私たちを信用してほしい」
立飛「……っ、ぅ……うぅっ……ひぐっ……」
鹿「さぁ選べ。今ここで私に殺されるか。それとも自分の足で立って忍びとして飛ぼうとするか……選べ」
立飛「…っ、……わ、私、は……っ、ぐすっ……ぅう……ッ」
……と、そこに。
蛇龍乃「…………」
蛇龍乃「鹿、私の分の飯は?」
鹿「…………今、超絶シリアスな雰囲気なのわかるよね?」
蛇龍乃「ん、ああ、途中から盗み聞きしてたから」
鹿「じゃあどうしてこのタイミングで入ってきた……」
蛇龍乃「いや、あまりにも腹が減りすぎて。てかさぁお前、私の可愛い立飛をあんま虐めんなよー。厳しすぎ。そりゃあ立飛だって怯えるだろ。此処に来てまだ初日……つーかさっき来たばっかだぞ」
鹿「いつからあんたの立飛になったの……どっちかっていうと頭領の、じーさんの立飛じゃない?」
蛇龍乃「えっ……じじいの立飛……」
鹿「じーさんの、立飛……」
蛇龍乃「……やめとこう」
鹿「そだね、ごめん……」
立飛「ぅう……っ、ぐすっ……ひぐっ……」
鹿「あ……」
蛇龍乃「ほら、立飛。今日はもう休め。な?」
立飛「……っ、ぁ……うぅっ、ひぐっ……ぁ……あのっ……」
蛇龍乃「……」
鹿「……立飛」
……そして、立飛は。
泣きじゃくるその顔を上げ。
鹿と蛇龍乃に、言った。
……嗚咽混じりの、涙声で紡ぐその言葉は。
立飛「…っ、ぅ……わ、わたしっ……ここに、いてもっ、いいです、か……っ」
……初めて、奥底からの自分の想いを映したものだった。
立飛「こん、なっ、わたし、でも……っ、強く、なれますかっ……?」
鹿と蛇龍乃は、互いに顔を見合わせ。
優しい笑みを、立飛へと向けた。
蛇龍乃「さぁな? それは立飛次第だ。……でも、決して後悔はさせない。私もお前を迎え入れたこと、絶対に後悔したりはしないよ」
鹿「あー、そんな泣いてばっかだとどうかなぁー? まぁ立飛が前に進もうとするなら、泣く暇も与えないくらいしごいてあげるよ」
立飛「……ぐすっ、……っ、ん、……うんっ……」
鹿「立飛。…………ようこそ、妙州へ」
────────……………………
立飛が忍びとしての道を歩み始めてから。
淡々と過ぎていく月日。
里での生活。
その殆んど全てが初めて体験することで。
当初は苦労したが。
料理、洗濯、掃除、といった当然というか最低限の雑用スキルを確実に修得していく立飛。
忍びに不可欠な身体的な能力に関しても。
衰えきっていた筋力を取り戻すことに約三ヶ月程を費やし。
……だが、そこから先は早かった。
立飛「はぁぁぁッ!!」
鹿「…遅いっ」
立飛が繰り出した鋭い蹴りを、なんなく避ける鹿。
そして流れるように、蹴りを放った側から打撃を仕掛ける。
立飛はそれに反応してみせ、辛うじて腕で防いだ。
同時に追撃を警戒し、最小限の動作で後ろに飛び退き。
鹿との距離を取り、仕切り直しの体勢を構えた。
鹿「ふぅ……はい、今日はここまで。お疲れ、立飛」
立飛「はぁっ……はぁっ……、はぁぁぁ……疲れたぁ。うぅー、今日も駄目だったかー……」
鹿「そう? でも着実に強くなってると思うけど。まぁ焦らない焦らない。地道にね」
立飛「結局、鹿ちゃんに一発も与えられなかったし……悔しい」
鹿「ははは。まだ本格的に鍛練始めてから半年くらいなのに、これでぶん殴られてたら私がへこむわ」
立飛「ん……よし、明日こそは必ずっ!」
鹿「はいはい、頑張ってねー」
……と、縁側に腰掛け。
その様子を遠くから眺めていた二人。
蛇龍乃と、頭領の今賀斎甲。
蛇龍乃「……んで、どう? 頭領様の目から見て、あの立飛は」
今賀斎甲「ふむ……正直驚いとる。まさかこの短期間でここまで動けるようになるとは。此処に来た頃とはまるで別人じゃな…」
蛇龍乃「ふふふ、やはりこの私の目に狂いは無かったか。立飛は元が素直だから飲み込み早いんだよなぁ」
蛇龍乃「アイツはこれからもっと、もっと強くなる……楽しみ、だな…………うん」
今賀斎甲「……悔しいか?」
蛇龍乃「はぁ?」
今賀斎甲「今の立飛でも、もうとっくにお前を超えとるじゃろ。……あの立飛や鹿のような、恵まれた身体能力が羨ましいか?」
蛇龍乃「……はははっ、んなわけねぇだろ。まぁ仮に私が格闘家だったらそう思うかもねー」
蛇龍乃「前にも言ったろ。私には術がある。これさえあれば充分だし」
今賀斎甲「ふっ……まぁそういうことにしといてやろうかの」
蛇龍乃「くだんねぇこと言ってないで、立飛の術の件……じじいの意見聞かせて」
今賀斎甲「…………難しいところ、じゃな。精神系となるとその扱いは見えづらい。いくら強くなったとはいえ潰れるかもしれんし、壊れるかもしれん……まぁ立飛のことを考えてやるのなら、大手を振って賛成はできんな」
蛇龍乃「逆だろ。立飛は強さを求めてる……自分に打ち勝つ強さを。その為にはどうしても避けては通れないんだよ。弱い自分を殺すってことは、まずその自分自身とちゃんと向き合ってからだ」
蛇龍乃「……それに、これから先。忍びとして生きていくには術無しではどうしても限界があるだろ。まぁそれも含めて」
今賀斎甲「立飛はお前とは違うぞ……術以外、何も持ち合わせていないお前とは」
蛇龍乃「……っ、殺すぞ……じじい」
今賀斎甲「わしが何を言おうと素直に聞き入れるお前じゃないことくらいわかっておる。まぁ立飛はお前が連れてきたんじゃからお前の好きにすればよい」
今賀斎甲「こう見えてわしはお前のことはそれなりに少しは信用しておる……それにお前があの立飛を大切に想っとることもわかる。せいぜい後悔だけは残さんようにな……」
蛇龍乃「…………わかってる。まぁ、多少の荒療治は必要になると思うけどね」
と、そこに。
鍛練を終えた二人が戻ってくる。
立飛「あ、蛇龍乃さんとじーちゃんだ」
鹿「相変わらず暇そうだねー……横に座ってると、どこのばーさんかと思ったよ」
蛇龍乃「誰がババアだコラ」
立飛「ずっと見てたの?」
蛇龍乃「…ん、まぁ途中からだけど。随分と成長したな、立飛。いつも真面目に鍛練に取り組んで偉いぞー」
立飛「えへへー」
立飛の頭に手をやり、撫でる蛇龍乃。
その手は温かく。
まるで心を直に撫でてもらっているかのように。
強くなること。自分が成長していくことは勿論。
だがもう一つ、それとは別として。
こうして誰かに、蛇龍乃に褒めてもらえることは。
とても嬉しく、誇らしく、温かく。
立飛はこの手が大好きだった。
鹿「…で、二人で何の話してたの?」
今賀斎甲「……」
蛇龍乃「ん? ああ、立飛はお前と違って可愛いなぁって話」
鹿「あ、そう……」
今賀斎甲「……さて、立飛」
立飛「なに? じーちゃん」
今賀斎甲「酒の用意。あと適当につまみも拵えてくれ」
立飛「ん、いいけど、あんま飲み過ぎちゃダメだよ?」
蛇龍乃「ははは、いいよ立飛。飲ませまくってそのじじい殺しちまえ」
立飛「もー、またそんなこと言ってー」
────…………
……そして更に月日が流れ。
いつも通り、日課となる鍛練を一通り終え。
その締めくくりの、鹿との組手。
立飛「今日こそは勝ってやるから。覚悟しといてね、鹿ちゃん」
鹿「ははは、まーだ私には遠く及ばないかなー。軽く捻り潰してやろう」
口ではこう言っているものの。
立飛の成長速度は、類い稀なほどに。
相手をするにあたって、始めの方に貯えていた余裕も少しずつ減らされていき。
今では手を抜きすぎれば、本当に一発食らってしまうのではないか、と。
だがそんな立飛の成長を嬉しくも思う鹿。
と、そこに珍しく顔を出した蛇龍乃もまた同じく。
蛇龍乃「お二人さん、相変わらず仲良いねぇ」
立飛「蛇龍乃さん?」
鹿「どしたの? 珍しいじゃん」
蛇龍乃「…ん、今から組手やるんでしょ? ちょっと間近で見させてもらおうかと思ってね。立飛、応援してるから。鹿をぶっ飛ばしちゃってよ」
立飛「あはは、頑張るっ」
蛇龍乃「……と、鹿」
鹿「ん?」
蛇龍乃「ちょっとこっち来て」
……何やら意味深に。
少し離れた場所へと鹿を呼び寄せる蛇龍乃。
鹿「なに、どしたの? 大事な話? だったら終わってからにでも」
蛇龍乃「いや、今言っておきたいから」
鹿「……?」
蛇龍乃「今の段階でさ、本気でやったらお前と立飛どっちが強いの?」
鹿「…は? そんなの私に決まってるでしょ。え、なに? じゃりゅのんからしたら私の方が劣って見えたの?」
蛇龍乃「ううん、どう考えてもお前の方が上だろ。まぁそれを聞けて安心したよ」
鹿「はい……?」
蛇龍乃「最近の二人の鍛練を私が見た感じ、現段階の立飛の強さは。そうだね……例えるなら、お前が全力で殺しにいったとしてもすぐには殺されないレベル、といったところか」
鹿「まぁ……多分、そのくらいだと…………え、何が言いたいの?」
蛇龍乃「鹿、立飛を殺すつもりでやれ。絶対に手を抜くな。勿論、術の使用も許可する。私が止めるまで全力で殺しにいけ」
蛇龍乃「以上。よろしくねー」
鹿「はぁ!? ちょ、何言ってんの!? え、冗談……?」
蛇龍乃「本気本気。超本気」
鹿「いや、待ってよ、そんなのっ……殺すつもりでって、しかも術まで……いくらなんでもやり過ぎでしょ」
蛇龍乃「いいからいいから。……頼むよ、鹿」
鹿「…………」
立飛「あ、戻ってきた」
鹿「……ごめん、お待たせ」
立飛「蛇龍乃さん、何だったの?」
鹿「……」
立飛「鹿ちゃん……?」
蛇龍乃「ほらほら、無駄口叩いてないで。準備して、立飛」
立飛「はーい」
蛇龍乃「鹿も。いいね?」
鹿「…………うん」
……そして、模擬戦開始。
合図と同時に、立飛が仕掛ける。
立飛「はぁぁぁぁぁッ!」
鹿の眼前まで、その距離を詰めると。
固く握られた右拳で、攻撃を放つ。
……が、軽く弾かれ。
その勢いのまま、再度別の腕で試みるが。
それよりも早く。
立飛「はぐぁっ……!!」
胴体に強烈な衝撃。
真横からの蹴りが見事に決まり。
立飛は吹っ飛ばされた。
鹿「…………」
立飛「ぁぐ……っ、げほっ、げほっ……ぁ、くっ……鹿、ちゃん……?」
……早い。それに、重い。
いつもとはまるで異なる、鹿の攻撃。
手を抜いて、というか。
力を抑えて相手してくれていたのは知っていたが。
……今のは、本気なのか。
惑う立飛に。
今度は鹿の方から仕掛ける。
立飛が体勢を整える暇も与えず。
一瞬にして、至近距離まで迫ってくる鹿。
立飛「くぅっ……!!」
飛んでくる殴撃を寸前で避けるも。
間髪入れず、放たれる蹴り。
先程と同じく、横一閃に振り抜かれた。
ヒュッ──!!
立飛「ぁぐっ、うぅっ…!!」
なんとか腕を出し、直撃は免れたが。
その衝撃は、やはり重く。
少しでも気を抜けば、防御の上からでも持っていかれそうになる程で。
と、鹿がその脚を引いたかと思えば。
入れ替わるように、正面から拳。
ヤバい──。
考えるよりも先に、身体が反応し。
距離を取るべく、背後へ飛び退こうとする。
……が。
立飛「えっ…?」
身体が、動かない。
……いや、正確にいえば。
その足だけ、何らかの力によって押さえ付けられているように。
立飛の意思に反して、行動を拒む。
ふと、視線を足下に落としてみれば。
……そこには。
グニャリ、と。
影が両足に、絡み付いていた。
そう、己の影を自在に操る鹿の術。
だが、立飛は初めて目にするものであった。
それも当然といえば当然だ。
里での鍛練では使用する機会など無く。
となれば、一見で対処など出来よう筈もない。
いや、事前に知っていたとしても。やはり今の立飛では対処は不可能だっただろう。
そうこう考えている間にも、振り抜かれていた拳は止まることはなく。
ズドッ──!!
ただ茫然とする立飛の顔面を、激しく打ち抜いた。
立飛「ぁぐぁっ…!! ぐっ、ぁ……はっ、うぅっ……!!」
脳が揺らされ、意識が飛ばされてしまいそうだ。
だが、これで終わりなわけではなく。
そう、立飛の両足は影によりその場に留められたまま。
倒れることすらも、許されず。
既に放たれていた更なる殴撃。
咄嗟に両腕で顔を守る立飛だったが、今度はそのがら空きとなった腹部へと。
ズドッ──!!
立飛「ぅあっ、ぐぁぁああああっ…!!」
凄まじい勢いの蹴撃。
その威力からか、鹿の操作か定かではないが。
体を地と縛り付けていた影は、切り離れ。
またしても、吹っ飛ばされる立飛。
鹿「…………っ」
立飛「ぁ……ぐぅ、ぁあっ……はぁっ、はぁっ……ぅぶっ、おえぇっ…!!」
内臓がいくつか潰れたのではないかと思えるほどの。
激痛。吐き気、嘔吐。
頭の中が真っ白になり、もう恐怖以外の何も考えられない。
…………恐怖?
思い出す。そうだ、これは知っている感情だ。
思い出した途端に、体が震え出した。
既に立ち上がれる状態ではなく、ましてや戦える状態でもない立飛に。
しかし、鹿は攻撃を止めることはなかった。
強引に体を起こさせ。
殴り、蹴り。
立飛「ぎゅぁっ……ぅうっ…! ふっ、はぁっ、はぁっ……! ぅぐ……っ、げほっ……げほっ……!!」
…………痛い。怖い。やめて。
…………なんで、こんなことするの。
…………酷いよ、鹿ちゃん。
こんなの、鍛練でも何でもない。
ただの暴力だ。
鹿「…………っ」
立飛の悲痛な表情を見て、鹿は思う。
自分は、何をしているのだろう。
こんなことに、何の意味があるのだろうか。
だが、あの蛇龍乃のことだ。
…………何か考えがあってに違いないだろうが。
…………数日前。
鹿『…話って?』
蛇龍乃『立飛について。一番近くにいるお前から見て、どう?』
鹿『どうって……順調そのものでしょ。じゃりゅのんもちょくちょく見に来てるじゃん。超優秀。教えたことはどんどん吸収して、鍛練の成果もご覧の通り』
鹿『それに、見違えるほど明るくなった。最初の頃はあんなに泣いてばかりだったのに、今では毎日楽しそうにしてるよ。自分で言うのもあれだけど、あの子……私らのことめちゃめちゃ大好きだしね』
鹿『立飛にとって、家族とか……誰かに心を許し、誰かと繋がって生活するのは初めてのことだろうし。立飛が笑顔を見せてくれると、私も安心する』
蛇龍乃『…………』
鹿『……悲惨な過去なんか忘れて、思い出すようなこともなく、ちゃんと前を向いてるから。強くなったよね、立飛』
蛇龍乃『……誰が忘れろなんて言った。誰が思い出すな、なんて言った。それじゃ何の意味も無いんだよ』
鹿『え、じゃりゅのん…?』
蛇龍乃『私からしてみれば、今の立飛は自分から逃げているだけに思える』
蛇龍乃『前を向いて前進すること。聞こえは良いがそれは、ただ前だけを視界に入れていたんじゃ意味は無い。後ろを見るのが、振り向くのが怖いから前へ進む……そんなんじゃ強くなったとはとても言えない』
蛇龍乃『弱い自分を殺すのなら、その弱い自分から逃げていてどうする。いくら強くなろうと、その相手と向き合わなきゃ絶対に殺せはしない』
鹿『……まぁ、なんとなく言いたいことはわかるけど、さ』
蛇龍乃『それに、今のアイツは忍びだ。立飛には生き抜く義務がある……そして私には、立飛を死なせない確率を最大限に引き上げる義務がある』
鹿『……うん、それで、じゃあどうするつもりなの?』
蛇龍乃『……私は、立飛のことが大好きだよ。だから死んでほしくない』
鹿『お、おぉ……てか答えになってなくない? それ…』
蛇龍乃『お前は?』
鹿『いや、そんなのあんたと同じに決まってんじゃん』
そして蛇龍乃は。
寂しげな、だが穏やかな表情を覗かせ。
何も言わず、自室へと戻っていった。
……………………
立飛「ぁぐっ、うぁっ……げほっ、げほっ……! はぁっ、はぁっ、はぁっ……ぅううっ……!」
戦意など、とっくに失っており。
だが鹿による猛撃は、今も止むことはなく。
……このままじゃ、殺される。
そんな恐怖に、体が震える、動けなくなる。
どうして、鹿は自分を殺そうとしているのか。
どうして、蛇龍乃はただ眺めているだけで止めに入ってくれないのか。
それはもう、一方的に降り注がれる暴力。
立飛がとても戦える状態ではないのは、誰の目から見ても明らかだ。
それでも鹿は、攻撃を浴びせ続ける。
やめて、と叫んでも無言のまま。視線すらも合わせようとしない。
“死”が立飛の脳裏を掠める。
死ぬのは、とても恐ろしい。
しかし、今はそれよりも別の感情が灯る。
…………裏切られた。
と、その眼に顕れるのは怯えではなく、哀しみで。
鹿を、そして蛇龍乃を映す。
信じていたのに、裏切られた。
信じてくれって言ってくれたのに、裏切った。
最初から、このつもりだったのか。
与えてくれたものは、何もかも嘘だったのか。
……と、その瞬間。
ドクン、と。
長らく忘れていた感覚が甦ってくる。
嫌だ。これは嫌い。
瞳の奥が、頭の中が、心が。
燃えるように、熱くなり。
何かに埋め尽くされ、自分が呑み込まれ。
おかしくなりそうだ。
……そして、ゆっくりとその瞳が赤く染められていく。
蛇龍乃「……鹿、もういい」
その変化を確認し、蛇龍乃が鹿を止めた。
そのまま二人の元へと歩み寄り。
立飛「うぅ……っ、はぁっ……はぁっ……」
蛇龍乃「……立飛」
地に横たわる身体を抱き起こし。
震えごと強く抱き締めた。
蛇龍乃「まず最初に……ごめん、立飛。やらせたのは私だ。鹿はそれに従わされただけ。私は酷い奴だな」
立飛「……っ、ぅう……ぁ……ぐぅっ……」
蛇龍乃「……恨むなら、私を恨め。そしてどうしても許せないのなら、殺せ」
立飛「…っ、……はぁっ、はぁ……っ……」
蛇龍乃の腕の中で、立飛は首を振った。
……どうしてだろう。
あんなに絶望させられ、許せない、と。
自分以外の誰もを、いや自分自身ですらも。
敵だと思った筈なのに。
…………温かい。
……ずるい。こんな温かさで包まれたら、私は。
安心させられてしまう。
いつだったか、鹿が言っていたのを思い出す。
蛇龍乃の突拍子の無い行動には、何かしらの意味があってのことだと。
今回も、そうなのだろうか。
蛇龍乃「…………ありがとう」
だが、鼓動は鳴り止まぬまま。
何もかもが、熱く。
自分の中に何かが潜んでいるような、蠢く恐怖。
一秒でも早く、この意識を手放したい。
……怖い。気持ち悪い。早く消えてなくなれ。
この感覚は、あの屋敷での時間を思い出させるように。
立飛にとって、何よりも忌々しいもので。
立飛「ぁぐぅっ……はぁっ、はぁっ、はぁっ……うぅっ……」
蛇龍乃「…大丈夫。私が傍にいるから、安心して」
瞳を閉じる立飛の瞼の上から、そっと手を被せ。
蛇龍乃が言う。
蛇龍乃「でも、逃げるな。しっかりと向き合え……“それ”はお前の敵じゃない」
立飛「はぁっ、はぁっ……ぅ、あっ………はぁっ……」
蛇龍乃「辛いと思うけど、お前が前へ進む為には決して目を逸らしてはいけない。立飛、お前は忍びだ。どんな時でも冷静でいなくてはならない。敵からは逃げてもいい、だが自分からは逃げちゃ駄目だ」
蛇龍乃「意識を強く持て。自分から逃げるな。ゆっくりでいい……そこに在るものを己で受け入れ、まずは心を静ませるんだ」
立飛「ぅう……はぁっ、はぁっ……ゅ……ぁ……っ」
蛇龍乃「何があってもなんとかしてやるから。私を信じて、今の意識を拒もうとするな……私は、立飛の傍にいるよ」
それは気休めではなく。
事実、蛇龍乃には対処可能な自信があった。
そう、蛇龍乃が持つ術────封術。
最悪の場合、それを使って強制的に消すことが出来る。
立飛はその術の存在について、まだ知りもしないが。
それでも、蛇龍乃の声、そして瞼に触れるその手の温かさは。
何よりも安心させられるものであった。
立飛「……っ、はぁ……はぁ……っ、はぁ…………」
蛇龍乃「……よし、偉いぞ。立飛」
立飛「ぅ……ぁ……っ……はぁ……っ、…………うん……」
蛇龍乃「率直に……今、どんな感じ?」
立飛「…………頭の中、が、ぐちゃぐちゃに……ばらばら、に……よく、わかんない……説明、できない」
蛇龍乃「うん、今はそれでいい……結んで、繋いで、紡いで、そうすればいつか立飛の力になってくれるものだから。怖がる必要はない」
蛇龍乃「一気に何もかもやれなんて言わない。まずは逃げないこと。受け入れること。向き合うこと。これだけでいい」
蛇龍乃「その今の感覚を忘れず、覚えておく。そして手放そうとするんじゃなくて、戻すんだ。自分の意思で。置場所を決めよう……何かあった時、すぐに見付けられるようにね」
蛇龍乃「頭の中でも、心の中でも、指先でも足の裏でもどこでもいい。忘れないように、無くさないように、立飛が自分で制御できるように」
立飛「…………っ、……うん」
そして蛇龍乃は、立飛の瞼から手を離し。
蛇龍乃「…よし、色も元通りだ。もう消えてるよね?」
立飛「……うん」
蛇龍乃「立飛……ごめんね。怖かったよね……本当に、ごめん」
もう一度、ぎゅっと抱き締めた。
立飛「……っ、うん……怖かった……嫌われたかと、思った……っ、でも」
立飛「蛇龍乃さんも、同じだったんだよね……私に嫌われる、憎まれるって……そうなったとしても、それよりも、私のことをちゃんと考えてくれてるって……そう思った」
蛇龍乃「……立飛。鹿のことも許してやってほしい」
鹿「立飛……ごめん。本当にごめんなさい……」
立飛「…………」
……立飛からの返答は無く。
蛇龍乃から言われたからとはいえ、実行したのは自分だ。
それに、拒もうと思えば拒めた筈なのに。
今でも、後悔が無いといえば嘘になる。
立飛の心に入り込める蛇龍乃が、ずるいとも思えた。
その目を直視するのも、躊躇われた。
嫌われることがこんなにも辛いなんて、知らなかった。
いつの間にか、自分のなかで立飛という存在がこれほどまでに大きくなっていたことを思い知らされる。
鹿「…………私、先に戻ってるね。夕飯の準備と、じーさんに立飛の手当ても、頼んでおかなきゃ……」
そう言って、逃げるように一人。
とぼとぼと、屋敷へと戻る鹿。
……と。
そんなヘコみまくっている背中を。
ズドッ──!!
鹿「ぎゅほぁっ…!!」
……立飛が思いきり蹴り飛ばした。
鹿「あぅっ……痛っ、ぁ……り、立飛……」
立飛「はぁ……しょーがないから、それで許してあげるよ」
鹿「い、いいの……? 立飛……」
立飛「あれ? 許してほしくないの? それとも鹿ちゃんは本気で私のことが嫌いだから、あそこまでボコれたのかなぁ……?」
鹿「そ、そんなわけないじゃんっ、私だって誰よりも立飛のことは大切に思ってる、から…」
立飛「だったら素直に許されてよ。あ、それともう一つ。許してあげる条件として」
鹿「は、はい……」
立飛「私の手当て、鹿ちゃんが責任もって自分でしてね」
鹿「……うん……うんっ! 立飛……立飛ーっ!」
跳ね起き。感激のあまり、立飛に抱きつくも。
立飛「ぁうっ……ちょっ、痛いからやめてっ!」
……再び、立飛に蹴り飛ばされた。
そして、それから一週間。鹿は立飛の奴隷として扱われることとなったのだった。
────…………
それから三ヶ月が経ったある日。
立飛「え? 任務?」
蛇龍乃「そうそう。そろそろ頃合いかなーと、じじいと話し合った結果。今回は立飛に任せてみようって」
鹿「あー、じーさんの了承済みってことね」
今賀斎甲「まぁ立飛も着実に力を付けてきとるからの」
蛇龍乃「こっちで勝手に決めたことだけど、いいよね? 立飛。てか断る権利なんかねーし。文句があろうと従ってもらうだけだし」
立飛「あはは。うん、勿論。待ちくたびれたくらい。やっとかーって感じかな」
立飛「ていうかそもそも忍びってそれが仕事でしょ。仕事ならなんだってやるから。で、その任務って殺し?」
蛇龍乃「そだよ。まぁ、といってもそこまで難しい内容じゃないからデビュー戦には丁度良いよ。対象もただの貴族一人だしね。ちゃちゃっと殺しちゃってよ」
立飛「うん、任せて」
任務。
内容、殺し。対象、貴族。
作為的なものか、それともただの偶然か。
立飛と蛇龍乃たちが出会うきっかけとなったそれと似たもの。
だが立飛は特に気にした様子を見せることもなく、嬉々として頷いてみせた。
蛇龍乃「さすがに最初だし、鹿も同行してよ。任務に関しては何も手出ししなくていいから」
鹿「ん、わかった」
立飛「よろしくね、鹿ちゃん」
鹿「今の立飛なら何の問題も無いと思うけど、しっかり拝見させてもらうから頑張って」
此処に暮らす他三人も認めるほど、立飛は優秀であった。
術、異能の覚醒には到ってはいないが。
それ以外の身体能力に関していえば、既に一人前の忍びとして恥ずかしくない程にまで成長しており。
だがそれに慢心せず、今でも日々の鍛練を真面目にこなしていることも含め。
やはり立飛は優秀であった。
……そして一夜が明けた、翌朝。
蛇龍乃「立飛、生きてまた此処に帰ってくるんだぞ。いいね?」
立飛「はい。行ってきます」
鹿「あれ? そういやじーさんは? まだ寝てるの?」
立飛「蛇龍乃さんが起きてるのに、じーちゃんが寝てるとか珍しいね」
蛇龍乃「……おい。あのじじいは昨夜からどっか出掛けてて、今は不在」
鹿「ふーん、前から気になってたんだけどなんかちょくちょく居なくなるよね。あのじーさん」
立飛「別の任務とか?」
蛇龍乃「いや……歳も歳だしボケてそこら辺フラフラ徘徊してんじゃね? つか、あのじじいのことはどうでもいいからさっさと行ってこい!」
立飛、鹿「「はーい」」
蛇龍乃に見送られ、里に一旦の別れを告げ。
任務へと向かう立飛と鹿。
……こうして、立飛にとって初めての任務が始まった。
鹿「緊張とかしてない? 立飛」
立飛「うーん、別に」
鹿「なんか余裕っぽいね。……立飛なら任務を軽く見てるってことはないとは思うけど、里を発つ前にじゃりゅのんが言ってた意味ちゃんと理解してる?」
立飛「生きてまた帰ってこいってこと。この命がある限り、絶対にやり遂げなくてはならない。つまり、この程度の任務すら失敗する奴は死ねってことでしょ?」
鹿「……ホント優秀だね、立飛って。優秀すぎて逆に怖いんだけど」
────…………
立飛の成長を誰よりも近いところで見ていたのは鹿だ。
よって、この程度の任務ならば。
“ほぼ”確実に、立飛ならやってのけるだろう。
能力面に関しては何も心配はしていない。
だがどんな任務においても、絶対に失敗しないとは言い切れないのも事実。
それは立飛に限ったことではなく、誰が臨もうとも、だ。
ただ、これが立飛にとって初任務ということが、考えられる中で最も大きな懸念材料と為りうるだろう。
忍び以外にもこうして命を奪い合う職において、初任務での殉職率というものは思いの外高い。
それは、能力が追い付かずというわけではなく。
どちらかといえば、影響するのは精神面である。
任務を軽んじるよりも、重く受け止め過ぎてしまい。
それに伴っての焦りや不安、空回り。
任務を言い渡されてから、特にこれといって変化も無く平常通りの立飛であったが。
やはりその例外というわけではなく。
少しずつだが、対象が住まう町に近付くにつれて。
変化を見せ始めていた。
過去において、屋敷に監禁されており。忍びとなってからもずっと里で暮らしていた。
だから、最初の内は外の世界が珍しいだけなのだろうと思っていたが。
立飛「ねー、鹿ちゃーん! まだ着かないのー?」
鹿「もうすぐだよ。このペースだったら多分あと数時間も走れば。昼過ぎには着くんじゃない?」
立飛「そっか。ふふふっ、やっぱ殺すのは夜なの? あの時も鹿ちゃんたち来たの夜だったし」
鹿「…そうだね。夜の方が何かと都合良いし。あ、でも別に今夜やらなくても。疲れてるだろうし、ゆっくり休んで明日の夜でも」
立飛「ううん、急を要する任務じゃなくても早いに越したことはないでしょ? それにそんなに疲れてないしねー! 日頃の鹿ちゃんの鍛練のおかげかな!」
鹿「まぁ、それはそうだけど…」
立飛「殺し方も教えてくれたし。実践はこれが初めてだけど、鹿ちゃんや蛇龍乃さんに教わった通りにすれば問題無いよね! あー、早く夜にならないかなぁー!」
鹿「……ねぇ、立飛」
立飛「ん、なに? どしたの?」
思えば里を発ってから、ずっと機嫌が良さそうにしていた。
言葉数も普段の倍以上に多く、楽しそうにしているその言動すべてが。
段々と、鹿の目には異様と感じられるくらいに映っていた。
鹿「いつもと比べて、やけにテンション高くない……? そんなに人を殺すのが楽しみなの?」
立飛「え? そうかな? 別に普通だと思うけど。でもまぁ楽しみだよ。あ、人を殺すことがってわけじゃなくて」
過去に自分を虐げ、同郷の子供らを遊び半分で殺し。
あまつさえ、飽きたからという理由で立飛をも殺そうとしたあの貴族。
とは当然まったくの別人ではあるが、同じ貴族という地位の人間が対象だ。
それと重ね合わせ、恨み憎しみを持ってのこの調子かと思いきや。
……そんなこと、立飛にとってはどうでもよかった。
ほんの僅かだが、何かを含んだような。
眩しくも翳らせたその表情で、立飛が言う。
立飛「任務を遂げて初めて、忍びとしての価値が生まれる。だから今の私は本当のところで忍びとしての価値はまだ零なんだよ。何の働きもしてない」
立飛「でもこれで、この任務を成功させれば私は本当の意味で鹿ちゃんや蛇龍乃さんやじーちゃんの仲間にっ、家族になれる気がする! 忍びになる前の弱い自分を殺せるんだよっ、これで、やっと……やっとっ!」
立飛「だからね、任務を与えられた時すごく嬉しかった。殺すのが楽しみなんじゃないよ。任務を遂げて弱い自分を殺して、心の底から皆の家族になれるのが楽しみで楽しみで仕方ないの……っ!」
鹿「り、立飛……」
立飛「なに? 私、何か間違ったこと言ってた?」
鹿「……う、ううん……間違ってはない、けど」
その言葉一つ一つをとれば、何も間違ってはいない。
これ程までに自分たちを想ってくれる立飛を嬉しく思えるくらいだ。
……だが、任務にあたる姿勢としてはどうか。
いつもの立飛ならば、何の問題も無くこなせてしまうであろう任務。
だからこそ、重要なのはミスを誘発しない平常心だ。
それ以外の余計な感情など、邪魔になるだけ。
…………今の立飛は、鹿の目には危うく映し出されていた。
鹿「本当に、大丈夫……? 立飛」
立飛「大丈夫だよ。任務の重要性も理解してるし、今の自分が何が出来て何が出来ないかもしっかり心得てる。当たり前のことを当たり前にやる……だから心配しないで、鹿ちゃん」
鹿「うん……立飛なら、やれるよ」
そこまで気にすることもないのか。
後戻りはできないのだから、何を言われようと立飛に任せるしかないのだが。
だがもしこの場に蛇龍乃がいたのなら。
果たして立飛にどんな言葉を与えてやったのだろうか。
……そんなことを考えているうちに。
陽が沈み始め、そして二人は任務の殺対象が住まう町に到着した。
────…………
……立飛から、笑顔が消えていた。
立飛「……………………」
目を細め、険しく睨み付ける先には。
…………一枚の皿。
摩訶不思議。狐に化かされたように。
忽然と、そこから小籠包が消失したのだ。
数分前までこの皿の上には、二つの小籠包が存在していた。
一つは立飛自身が食した。
であることから。
そう、この皿の上にはもう一つ小籠包が残っていないとおかしいのである。
ここは町の通りに店を開いている屋台。
長距離の移動で空腹な二人。立飛と鹿はここで食事をとることにした。
横並びの客席。
立飛の右には鹿。左には他の客。
ということは、つまり。
立飛「…………」
鹿「……? な、なに? どうしたの……」
……立飛は思う。
忍びとしての鍛練を重ねた自分にまったく気付かれぬよう、盗みとるなど。
そこいらの人間に可能とは、とても考えられない。
だが、自分よりも優れた技能を持つ者ならばどうか。
勿論、そんな人間はこの場に一人しかいない。
立飛「……素直に言ってくれればあげたのに。鹿ちゃんって意外と卑しいんだね。あ、別に意外でもないか……」
鹿「え……はい? ちょ、なんで私いきなりディスられてんのっ!? ストレス?」
立飛「見苦しいよ、鹿ちゃん……あ、そっか。これって奪われた私が悪いのかー……これも忍びの世界の常識なのかー。また一つ教えられたよ」
鹿「は…? いやっ、だから何がっ…!?」
立飛「はぁ……私の小籠包。食べたの鹿ちゃんでしょ?」
鹿「いやっ、知らねーしっ! さっき自分で食べてたじゃんっ! 忘れたの!?」
立飛「私が食べたのは一つだけだよ。一個残ってる筈なのに……こんなことするの鹿ちゃんしかいないでしょ。もういいや……のうのうと盗まれたマヌケな私が悪かったよ、ごめんなさい」
鹿「あ、え……なんで謝られてるんだろう……てか本当に私じゃないからねっ!?」
立飛「えー……じゃあ誰が」
「私だ」
鹿「ん?」
立飛「ほ?」
突如、口を開き、話に入ってきたのは。
立飛の左に座っていた客。
「もう見てらんなくて割って入っちゃった! ケンカしちゃダメだよっ!」
鹿「えーと……あ、ごめんね。うるさかった?」
立飛「ごめんなさい。でもやってもない罪を被ることないよ? 悪いのは全部この人だから」
鹿「だーかーらーっ、私じゃないって!」
立飛「まだ言ってるよ……ねぇ、見てたりしてない? この人が私の小籠包を盗んで食べるところ」
「ううん、見てないよ。だって食べたの私だもん」
立飛「そっかそっかー…………ん? え? 本当に貴女が食べたの?」
「うん」
鹿「嘘じゃなくて、マジのガチで?」
「うん」
立飛、鹿「「…………」」
立飛「泥棒だっ! 鹿ちゃんっ、この人が真犯人だったよっ!」
鹿「やっと私の潔白が証明されたか」
「違うよっ、泥棒じゃないよ! ちゃんと返すつもりだったもん!」
そしてこの左隣の客は、屋台の店主に向かって言う。
「マスター、この二人に超特製小籠包を」
すると、立飛と鹿の前に。
先程食べたものの十倍ほど豪華な小籠包が現れた。
鹿「おぉ……さっき立飛が食べてたのがゴミに思えてくる」
立飛「いいの? 別にここまでしてもらわなくても」
「いいのいいの、お金ならいっぱいあるし。ほらっ!」
左隣の客が誇らしげに机の上に叩き付けたのは。
布袋いっぱいに詰め込まれた硬貨、紙幣の数々。
鹿「す、すげぇー……見かけによらず、良いとこのお嬢さんとかかな」
立飛「……でもそんなにいっぱいお金持ってるなら、なんでさっき私の小籠包盗んだりしたの?」
「それは……」
立飛、鹿「「それは?」」
「ずばり、きっかけ作りかな!」
立飛、鹿「「……??」」
まるで意味がわからぬという風に、揃って首を傾げる二人。
それにつられてか、本人も首を傾げる。
「あれ? 伝わってない? 仕方ないなー、解説してあげるとしよう」
「えーとね、まず……大した理由もなく見ず知らずの人に話し掛けるのはなんか悪い気がするの」
……だから強引に理由を作った、と。
普通に話し掛けるのが悪いと思うのに、他人のものを盗むのはセーフという。
一体どのような思考回路をしているのか。
鹿「イカれてやがる……」
立飛「……え、えーと、なんで貴女は私たちに話し掛けようとしたの? 何か用件があって、とか」
「ううん、ただお話ししたいなって。この町って私と同年代くらいの子って全然いないんだよね。だから友達になろっ! 私ね、紅寸(くすん)っていうの!」
“紅寸”という名の左隣の客。
そして嬉しそうに、二人に訊ねる。
紅寸「二人の名前は?」
立飛「あ、うん、私はりっ──んぶぅっ!? んぐっ、んんーっ!!」
名乗ろうとした瞬間、物凄い勢いで立飛の口に超特製小籠包が詰め込まれた。
鹿「はははは……ほーら、美味しいかっ! 美味しいでしょっ!」
鹿の方へ向くと、その眼だけで何を言いたいのか理解させられた。
馬鹿正直に本名を口にする忍びがいるかっ!! ──と。
……そう、いくら立飛の名が蛇龍乃から与えられ、里の者以外知る筈もないとはいえ。
ここで軽々しく名乗るべきではないのだ。
紅寸「ど、どうしたの…?」
鹿「何でもないよ。この子がすんごい食べたそうにしてたから食べさせてあげただけ」
立飛「んっ……ごくんっ……ごほっ、ごほっ……! そ、そうそうっ……あー美味しかった! 食べさせてくれてありがとね、し──」
鹿「もう一つ食べたい…?」
立飛「あ、いや……お腹いっぱいです……」
紅寸「??」
鹿「ごめんごめん、気にしないで。この子は、り……うーん……リホちゃんっていうの。だよね? リホちゃん?」
立飛「そ、そうそうっ……で、こっちが、あー……ユリちゃん」
とりあえず、適当な名前を出してみた。
……が。
紅寸「ほぇ? さっき立飛とか鹿ちゃんとかって二人で呼んでたよね?」
立飛、鹿「「知ってるなら訊くなよっ!!」」
……結局、元々の名で通すことに。
まぁ素性がバレるわけもないし、忍びであることも明かしてはいない。
というか、明かす予定もない。
この町に滞在するのも、おそらく夜明けまでだ。
それにくわえて相手は、ちょっとアホそうな女一人。
さして問題は無いだろう、と。
紅寸「立飛と、鹿ちゃんね。くすんもそう呼んでいい?」
鹿「あーもうなんでもいいや。好きにしてー」
立飛「紅寸はこの町の人なの? あんなにお金持ってるってことはもしかして偉い人とか?」
紅寸「あー、これはねー、お仕事して稼いだお金。まぁ退屈な仕事だよ。なんか思ってたのと違うし。それより二人はなんでここに?」
……まさか人を殺しにきました、なんて言えるわけもなく。
鹿「私ら、旅してるの。んで、たまたま辿り着いたこの町で宿取ろうかなーって」
立飛「だからまたすぐ旅立っちゃうけどね」
紅寸「えー! そうなのー!? ゆっくりしていけばいいのにー」
鹿「まぁそういうわけにもいかなくて」
紅寸「つまんなーい……じゃあ夜まで遊ぼ! 町を案内してあげるよ!」
立飛「うーん……」
鹿「いいよ。あとついでに宿も紹介してくれると助かる」
紅寸「オッケー! このくすんに任せて!」
鹿「立飛もいいよね?」
立飛「うん、鹿ちゃんがそう言うなら」
……正直、意外だった。
てっきり紅寸を適当にあしらって、後の任務に備えるのかと思いきや。
この、任務とはまるで関係の無いこと。
だが関係が無いからこそ、鹿は了承した。
任務に対して、異常なまでに入れ込み過ぎている立飛をやはり不安に思って。
気負わなすぎも良くないが、気負いすぎもまた同じく。
よって少しくらい気を紛らせてやった方がよいのでは、という判断だった。
────…………
鹿「んじゃ紅寸、今日はありがとね」
立飛「楽しかった」
紅寸「うんっ、くすんも! あ、一番良い部屋頼んどいたからゆっくり寛いでね」
鹿「ていうかホントに宿代まで出してもらってよかったの……? 別に私たちなんか床と屋根さえあれば何処でも」
紅寸「いいのいいの! どうせ使い道なんか無いし」
立飛「あはは、なら甘えさせてもらおっかな」
紅寸「……立飛と鹿ちゃんは、明日この町を発つんだよね?」
鹿「まぁその予定かなー。朝起きたらそのまま出ると思う」
紅寸「じゃあさっ、朝御飯一緒に食べよ! 夜にお別れするのは寂しいから、くすんは嫌いなのだ。夕方に会った時の屋台で待ってるから!」
鹿「うん、そうだね」
立飛「紅寸にはお世話になったし。……必ず行くよ」
……多分、それは訪れない。
今夜、任務を遂行する。対象を殺す。
よって、夜が明ける頃にはこの町に。
二人の姿は無いのだろう。
紅寸「あっ、そろそろ戻らないと! 怒られる! じゃあまたねー!」
子供のようにいつまでも手を振る紅寸を見送り。
宿へと入る立飛と鹿。
鹿「良い具合にリラックスできた?」
立飛「…やっぱそんなことだろうと思ったよ。ていうかそんなに心配? もっと信用してくれてもいいのに……やっぱ成果を示すしかないかー」
鹿「平常心ね、平常心」
立飛「わかってるよー、もー……ま、実際楽しかったけど。あの子……紅寸、良い子だったね」
鹿「だね。賑やかで楽しい子。ちょっとアホっぽいけど。……まぁもう会うこともないだろうねー」
立飛「……うん。私が此処に来たのは、任務の為だから」
スイッチを入れ換えたように。
立飛の目の色が変わり、薄く笑う。
……もうすぐ、もうすぐだ。
逸る気持ち。鼓動が急く。
鹿を不安がらせないよう、懸命に抑えこもうとするが。
溢れ出すように。
もう、殺すことしか頭にない。
…………そして、深夜。
今回の殺対象が住まう屋敷から少し離れた場所で。
闇に溶け込む忍びが、二人。
鹿「ここから先は任務に関して私は何も手出ししない。全部立飛が自分でやるんだよ」
鹿「……最後にもう一度訊くけど、大丈夫だよね?」
立飛「うん。私は忍び……だから、忍びとして恥ずかしくない私の姿、しっかり見ててね。鹿ちゃん」
鹿「もう何も言わないよ。帰ってきたら全力で褒めてあげる。行ってこい、立飛」
立飛「──はいっ!」
────…………
……静かな夜だ。
紛れるように、鼓動を静め。
平常心。冷静でいられている。
対象となるのは、この屋敷に住む貴族の男一人。
月明かりが射し込む寝室を、息を潜め天井裏から覗く。
部屋の灯りが消えてからもうしばらく経つ。
よって、とっくに眠っているだろう。
立飛「…………」
……あとは殺すだけだ。自分の、この手で。
握る短刀。その柄に浮き上がった手汗が滲む。
大丈夫。問題無い。
心臓を一刺し。
それで、それだけで終わる容易い任務だ。
……そして。
音も立てず、部屋内へと降り立ち。
眠る対象へと、近付く。
……と、カタッと。
ここではない別の部屋から物音。
まだ起きている者がいたのか。
立飛「……っ」
一瞬ヒヤッとしたが、姿を見られたわけでもない。
数秒後にはこの対象を葬り、さっさと退散する自分には関係の無いことだ。
だが、その小さな物音に反応したのかそれとも偶然か。
「……っ!?」
殺対象が目を覚まし、短刀を握ったまま側に立っている立飛の姿を確認する。
だからどうした、と立飛。
声を上げられる前に、その刃を。
立飛「あんたに恨みは無いけど……死ね」
心臓目掛け、一刺し。
グジュッ──!
「ぁぐっ…! ゅぎぁ……っ、ぎゃぁぁっ……!! ぅ……あっ、はぁっ……!!」
立飛「……っ」
死んでない……?
浅かったか、狙いを外したか。
ならば次こそは確実に仕留めるとしよう、と。
立飛が再び、対象へと短刀を振り下ろした。
その瞬間──。
キィーンッ──!
立飛「…えっ?」
立飛が下ろした刃を遮るように、別の刃が出現した。
無論、刀が自ら動くわけがない。
……と、いうことは。
そう、この室内には立飛と殺対象である男、それともう一人。
ヒュッ──!
刃を防いだ刀は、そのまま立飛へと振り抜かれる。
即座に反応し、距離をとるように後ろへ飛び退く立飛。
……そして、男を守った者が口を開く。
「死んでないよね? よかったー、間に合った間に合った」
立飛「……っ?」
その声には、聞き覚えがあった。
やがて月明かりが二人の姿を照らし、互いにその顔を確認すると。
立飛「え……? く、紅寸……?」
紅寸「ん? あ、立飛!? え、なんで……?」
立飛「……こっちの台詞なんだけど…………まぁ、なんでもいいや」
……正体を知られたからには、殺すだけ。
自分には自分のやるべきことがある。
顔見知りだろうと友達だろうと、任務を思えば。
里の皆を思えば、それも些細なことである。
立飛「悪いけど、邪魔しないでくれる? これが私の仕事なんだよ。その人を殺す為に、私はこの町に来た」
……そして、その後に紅寸も殺すことになるのだろうが。
夕方に共にいた時とはまるで別人の表情。忍びの眼で見据え、立飛が言う。
と、紅寸もそれを理解したように。
紅寸「ふーん、まぁそういうことなら……邪魔するしかないね。だってこの人を守ることが私の仕事だもん!」
立飛「……え?」
紅寸「仕事してるって言ったでしょ? 私はね、この人の用心棒として雇われてるの。でも全然誰も狙ってこないから退屈だったんだよねー」
立飛「い、いやいやっ、さっき私がミスんなきゃその人死んでたよ!?」
紅寸「んぅー?」
そう、いざ主が襲われる、よもや殺されかけるまで駆け付けてこないとか。
完全に用心棒失格である、と。
だがそれでも構わないと、紅寸は軽く笑ってみせた。
紅寸「まぁまぁ、そんなの別にいいじゃん。くすんは用心棒だけど、どうしてもこの人を守りたいってわけじゃないし」
立飛「……?」
紅寸「こうして用心棒してると命を狙ってくる、それこそ今の立飛みたいな人が現れるでしょ? つまりね、強い人と戦いたいだけなの。その為に用心棒として働いてるんだよ! ごめんね、立飛が強くても弱くてもうっかり殺しちゃうかも」
立飛「ははっ、ナメられたもんだね……うん、いいよ。紅寸が用心棒でもなんでも関係無い……こっちも殺すつもりだから」
紅寸「へぇ、カッコいいー! 立飛がどれだけ強いのか楽しみだ! でも残念だけど、くすんには絶対勝てないよ? だってくすんは世界で一番強いからねっ!」
……世界で一番強い。とてもそんな風には見えないが。
だが立飛の刃を防いでみせたのも事実。決して侮ってはならぬ。
ましてや、里の人間以外とは交戦経験皆無な立飛だ。
そこに油断など、絶対に許されはしない。
任務に想定外の事態は付きものだと教えられた。
ならばその想定外を、その場でどう対処するかが求められる。
……冷静に、場を見渡し。
今一度状況を確認する。
殺対象である男。その者を殺すことが立飛に与えられた任務。
しかし、それを阻止しようと立ち塞がる用心棒。
ならば、その用心棒を排除し、対象を殺す。
……当然だが、これしかないだろう。
この状況を何処からか見ているであろう鹿も。
今のところなんの反応もみせないことから、己の力で対処してみせろとの考えだろう。
そもそも助けを求めるつもりもない立飛。
自分一人でどうにかしてみせる、と闘志を燃やす。
立飛「……言っとくけど、私も結構強いよ? あと、のんびり喋ってる時間もないし。さっさと死んでもらおうか。紅寸」
紅寸「ふふふ、おもしろい! さぁかかってきなー!」
【立飛 VS 紅寸】
立飛「はぁッ──!」
短時間での決着が望ましいと、先手を打ったのは立飛。
跳ねるように、一瞬で距離を詰め。
握る短刀で狙うは、紅寸の首。
だが。
キィーンッ──!
紅寸「甘いっ! ってかホントに殺す気なんだ? あはっ、楽しくなりそう!」
こちらも刃で応戦。
本気で殺しにいった立飛の攻撃を、余裕と言わんばかりに防いでみせる。
立飛「悪いけど、楽しませてはあげられないかなっ。紅寸と遊んでる暇なんて無いから、すぐに終わらせるっ!」
触れ合う刃と刃。
力を込め、押し切ろうとすると同時に。
死角となる足元から、立飛は膝蹴りを叩き込む。
しかし、これを紅寸。
なんと足裏で受け止め、その威力を利用し、高く跳んだかと思えば。
紅寸「はぁぁぁーーっ!!」
瞬間、立飛の頭上へと振り下ろされる刀。
キィーンッ──!!
立飛「くっ…! うぁっ…!」
その斬撃は、まるで斧で叩き斬るかのように重く。
とてもこんな短刀一本では受け止めきれない、と。
立飛は力で対抗するのを諦め、刀を手放し。
その身を転がし、斬撃からなんとか逃れた。
立飛「ふぅっ……」
紅寸「なかなかの判断だったね。普通の人間なら今ので死んじゃってた筈なのに。もしかして立飛って普通の人間じゃないの?」
立飛「普通の人間は人を殺しにこんな深夜に忍び込んだりしないでしょ」
紅寸「それもそっか。あ、いいよ? 刀拾っても。武器がないと大変でしょ?」
立飛「それはご親切にありがと。でもその余裕が命取りになるかもよ?」
紅寸「そんな心配いらないよ。だってくすんは絶対負けないもん」
立飛「…まぁ紅寸はそうだとしても、そっちはどうか、なっ!」
床に転がった短刀を拾い上げるや、いな。
投げ放った。
その狙いは紅寸ではなく、殺対象である男に。
……だが。
紅寸「させるかっ!」
キィーンッ──!
紅寸、その刀を振り。
放たれた短刀を弾き落とした。
立飛「ふっ、まぁそれくらいしてくるよねっ」
と、紅寸の注意が一瞬違う方へ向いたその隙に。
至近距離まで迫っていた立飛。
紅寸が刀を持つ手とは逆の側から、水平に蹴りを叩き込む。
ズドッ──!
紅寸「うぁっ、ぐぅっ…!」
これをなんとか腕で防いだ紅寸。
そしてお返しに、と同じく水平に刀を振り抜き、立飛を狙う。
こうくることを読んでいた立飛は身体を屈め、容易に避けると。
今度は振り抜いた直後の無防備となっている側から攻撃を仕掛ける。
立飛「もらったッ──!」
床に付けた右腕一本で体勢を取り。
浮かせた身体を捻り、鞭のような強烈な蹴りを繰り出す。
体勢の整っていない紅寸へ、絶好のタイミングでの立飛の攻撃。
普通に考えれば、防御も回避も間に合わない。
……だが、なんと紅寸。
真上に跳躍し、その蹴撃をギリギリで避けてみせた。
瞬時に反応し、喰らわなかったのは見事だ。だが。
しかし、それもその場しのぎに避けただけ。
体が落ちてくる着地の瞬間を狙って、追撃を構える立飛だったが。
……その眼前で。
紅寸の身体は宙を渡り、遠ざかっていった。
そう、床に突き刺し刀。
それを支えに、腕力だけで強引に虚空を駆けていったのだ。
紅寸「ほっ、おぉぅ……危なかったー……」
立飛「…やるね」
……立飛は内心思う。
短刀を捨てて、正解だったのかもしれない、と。
あの得物を迎え打つには、あまりにも分が悪すぎる。
紅寸が携えている武器、それは自分の背丈ほどの。
……なんとも長い刀。
このような室内で使用するに、向かないことは確かだが。
それでも自在に扱っているところを見ると、やはり相当の手練れなのだろう。
相手にするには厄介過ぎる長刀。
ならば、わざわざ不利な勝負を挑む必要はない。
武器には武器と、誰が決めた。
道具に頼らなくとも、これまでの鍛練で鍛えたこの身体がある。
迎え討つには、これさえあれば充分だ。
……その後も、一進一退の攻防が続く。
長刀を振るう紅寸に。
己の身体、体術のみで応戦する立飛。
斬撃を掻い潜り、腕を、脚を巧みに使い攻撃を放つ。
対するはそれを避け、止め、反撃に応じる。
刀の扱いもさることながら、体術に関しても紅寸は強者と言えるだろう。
それも含めて、強い。たしかに強い。
……だが、しかし。
最初に紅寸が口にしていた、世界で一番強いとまでではないと立飛は確信する。
まぁ元々、真に受けていたわけではないが。
一つ、確実に言えることは。
この紅寸と比べれば。
今まで自分の相手をしてくれていた鹿の方が、間違いなく強い。
それに、今この交戦を経ての体感として。
自分の方が“僅か”に優っている、と。
余裕で勝てるとは言えないが、それでも。
その“僅か”が積み重なれば────。
……カラン、と。
ついに紅寸の手から、刀が溢れた。
紅寸「くぅぁっ…! あ、やばっ…」
そして、怯んだその隙を逃さず。
立飛により放たれていた蹴りが、紅寸の体を綺麗に捉えた。
均衡していた戦況において、初めての有効打となるだろう。
襲ってくる衝撃。紅寸は吹っ飛ばされた。
立飛「ふぅっ……やっと、か。あ、紅寸に勝ったら私が世界一強いってことになるのかな? あはっ、ねぇもう諦めて降参したら?」
紅寸「げほっ、げほっ……はぁっ、はぁっ……うぅ、今のは効いたぁ……」
立飛「ふふっ、残念だったね。次で終わらせてあげるよ」
紅寸「はぁっ……はぁっ……、はぁぁ…………いやぁ、立飛強いねー。やっぱ、本気出さなきゃ無理かぁー……」
立飛「……は?」
……本気? まさか今まで手を抜いていたとでもいうのか。
いや、それは有り得ない。
交戦した立飛にはわかる。紅寸は間違いなく全力で向かってきていたし、自分も全力で対抗していた。
ならば、単なる負け惜しみか見苦しい言い訳か。
そのようなタイプには見えなかったが。
……と、次の瞬間。立飛は自分の目を疑う。
紅寸「これ、あんまやりたくないんだけどねぇ……よいしょ、っと……はむっ…… ん、んくっ……」
「ぁぐっ……なっ、なに、をっ……ぁ……ぐゃ、ぁ……っ、や、やめ……っ」
立飛「…っ!?」
……何を、しているのか。
紅寸は己の主、立飛が殺対象としている男の首に噛み付き。
それはまるで、血を吸っているような。
そんな風に、立飛の目には異様として映っていた。
……そして、しばらくすると。
男はピクリとも動かなくなり、紅寸もようやくその首から歯を離した。
口元から垂れている血を袖で拭いながら、顔を上げる紅寸。
紅寸「ぺろっ……お待たせ、立飛。じゃあ再開しよっか」
立飛「……いつでも、いいよ」
……なんだろう、この感じ。
……先程までと、雰囲気が違う?
明日は休み
まぁのんびり書いていきます
二月までには過去編終わらせたいな
……まるで意味がわからない、と立飛は怪訝そうな表情で睨む。
最初に紅寸は、この屋敷の主の用心棒であるがどうしても守りたいわけではないと言った。
しかし、だからといってわざわざ自分の手で殺す理由が見当たらない。
紅寸は何を考えているのか。いや、何も考えていないのかもしれないが。
だが結果として、立飛が殺対象としていた男は死んだ。
即ち、目的は遂げた。
……あとは、この紅寸を撃破すれば。
直前の攻防。立飛が優勢であったのは誰の目にも明らか。
ならばこのまま押し切れるだろうと、自信はあった。
自信があれば余裕も生まれる。だがその余裕から油断を生み出したりはしない。
忍びとして常に求められる冷静。心に余裕を持っていなければ、実の意味で冷静を保ってはいられていないのだ。
……とのことから、今の立飛。
必遂の目標であった対象が死んだことにより、気付かぬうちに精神にのしかかっていた重圧が半分拭えたのか。
任務に入った時と比べ、格段に冷静であるといえよう。
眼前の敵。紅寸が纏う気配の色、指先から髪の毛一本の揺らぎまで。
意識せずとも、情報として流れ込んでくるようであった。
……だからこそ。
その危険を刹那分の一で早く察知でき。
最悪だけは、辛うじて回避できた。
立飛「……ぇ」
吐息も触れるくらい、すぐ側に在った紅寸の姿。
目を切らせたわけでもないのに、いつの間に詰められたのか。理解が追い付かず。
既に放たれていた、鎌で抉られるかのような蹴りが真横から襲い掛かってきた。
頭で考えるより先に。咄嗟に両腕で体を守るが。
ズガッ──!!
立飛「うぁぁっ…!!」
防御越しにも拘わらず、軽々と吹っ飛ばされてしまうほどの衝撃。
真後ろの壁に叩き付けられる立飛。
立飛「ぅあっ、ぐっ……はぁっ、はぁっ……!」
たった一撃だけで、混乱が生じる。
目の前にいるのは、本当に先程まで相手していた紅寸なのか。
速度も威力も、まるで別人のように。
これが、紅寸の本気……?
……と、そこに。
跳ね飛んだ紅寸が、上空から迫ってくる。
立飛「くぅっ…!」
崩れた体勢ながら身を捻り、寸前で回避する立飛。
即座に反撃に転じようとするが、もうそこには既に紅寸の姿は無く。
……その背後。
ズドッ──!!
立飛「ぅぎゅぁっ…!!」
背から叩き込まれた、襲ってくる激痛に悶絶する立飛。
再度、頭から壁に打ち付けられ。
更に、顔を上げた瞬間に飛び込んできた殴撃は立飛の顔面を捉えた。
ズゴッ──!!
意識を刈り取ろうとするかのように、激しく脳が揺らされた。
……やばい。なんだこの、有り得ない程の変貌ぶりは。
まったく太刀打ちできず、一方的に降り注がれる乱撃。
立飛「ぎゅぁっ……うぅっ! あっ、がはっ……はぁっ、はぁっ…!」
……強すぎる。こんなの、敵う筈がない。
蓄積されていくダメージに、最早防御すら儘ならない。
死ぬ。このままじゃ、殺される。
……諦めが灯り出し、戦意が尽きかけようとした寸前に。
死ねない──ッ!
立飛は奥歯を強く噛み締め、手放しかけた生を意地で引き寄せる。
こんなところで、死んでたまるか──。
私はまだ何一つ遂げていない。私は忍びとして生きるんだ。
昔の弱い自分を殺せるくらい、強い忍びになると、そう決めたんだ。
だから、こんなところで殺されるわけにはいかないんだよ。
立飛「ぅ……っ、うぅっ、うあぁぁぁっ……!!」
力を振り絞り、身を転がし。無様ながら這い逃げ。
すがるように手を伸ばし、掴んだのは。
床に転がったままの、紅寸が使っていた長刀。
立飛「くっ…、はぁぁぁぁっ──!!」
なおも仕掛けてくる紅寸に向かい、振り抜いた。
……が。
パキンッ──!
なんとその刃を、力任せに破壊してしまった紅寸。
……驚愕。直ぐ様、絶望が忍び寄ってくる。
そして、無防備になった立飛の身体。
その中心に、掌底突き。
ズドッ──!!
立飛「ぐふぁっ…! ぁあっ、ぐぁぁぁッ!!!!」
……もう何度目になるだろう。身体を打つ壁の感触。
紅寸の攻撃、その一つ一つはとてつもなく重く。
喰らう度に、身体が悲鳴を上げていた。
……だが、今のはちょっとシャレにならないほどで。
立飛「はぁっ、はぁっ……うっ、ぁ……げほっ、げほっ……はっ、はぁっ……!」
紅寸「さて…っと! 次でトドメかなー! これでっ、くすんの勝ちだっ!」
動けずいる立飛に、紅寸がその腕を伸ばした。
その瞬間だった──。
唐突に、頭上の天井の一ヶ所が開き。
紅寸の脳天目掛け、降ってくる人影。その手には刀。
このまま突き刺し、葬れたらよかったのだが。
紅寸「ふふんっ、やっぱりもう一人潜んでた!」
不意討ちを想定していたか、これを超反応で避けた紅寸。
だが避けられることを想定していたのはこちらも同じと乱入者。
そう、鹿は。
その刀を投げ放ち、そして自らも紅寸へと攻撃を仕掛ける。
鹿「可愛い愛弟子の初舞台をっ、邪魔しないでくれるっ?」
紅寸「それはっ、ちょっと無理かなっ! くすんだって、仕事だからねっ!」
鹿「自分で雇い主殺しといてよく言うよっ…!」
いくら鹿が立飛より数段上手だからといっても、それを易々と喰らう今の紅寸ではない。
だが鹿も紅寸の猛撃の数々をギリギリのところで避け、受け止め、対抗してみせていた。
紅寸「…へぇっ、立飛よりもたいぶ強いねっ! 鹿ちゃんはっ!」
鹿「それはっ、どういたしまし、てっ!」
紅寸との応戦で手一杯かと思いきや。
余裕を使い果たしてしまえば忍びは終わり、と鹿は。
同時に、術を発動。
月明かりによって映し出された影が揺らぎ、動く──。
……だがこれは、紅寸へと向かわすものではなく。
立飛の身体に絡み付け、二人の攻防から遠ざけるように。
部屋の反対側へと、放り投げた。
鹿「そのまま退けっ! 立飛っ!」
立飛「…っ、し、鹿ちゃんっ……」
……様々な想いが胸をきつく締め付ける。
まず何よりも先に、自分を恥じた。
これは自分に与えられた任務なのに、手出しはしないって言っていたのに。
……助けられてしまった。
だがそれだけならば、まだいい。
立飛の視界に映るのは、苦戦を強いられている鹿。
本気の鹿、そして本気の紅寸。
その両方と手合わせした経験のある立飛からみれば。
おそらく、鹿でも今の紅寸には勝てない。
立飛「……っ」
自分が殺されるのは嫌だ。助けられるのも嫌だ。
……しかしそれよりも、何よりも。
弱い自分のせいで誰かが死ぬのは、もう絶対に、嫌だ──ッ。
そうなったら今度こそ私は、自分を許せなくなる。
無力だった昔の自分を思い出し、途端に消してしまいたくなる。忘れてしまいたくなる。
だが、忘れられない。忘れようとしては駄目だ。殺すんだ。弱い自分を殺すために、強さを得たんだ。
……今ここで、培ってきた強さを証明してみせる。絶対に鹿を死なせたりしない。
いくら紅寸が強かろうと、二人がかりならば。
激しい攻防を繰り広げている鹿と紅寸。
その紅寸の背後から。
先程真っ二つに折られた長刀の刃先を握り。
立飛が心臓を裏側から狙う。
……しかし。
紅寸「逃げずに向かってきてくれるのは嬉しいっ、けどっ……立飛ってアホなの?」
刃が触れる直前、紅寸は身体をクルリと反転させつつ。
刃を握る立飛の腕を下から蹴り上げ。
入れ替えるように、逆の脚で立飛の体を蹴り飛ばした。
立飛「ぁくっ…! しまっ…、うぁぁぁっ…!!」
溢れた刃は、宙を舞う。
それを掴んだ紅寸は、そのまま立飛目掛けて投げ放った──。
が、遮るように。鹿が身を乗り出し。……結果。
グサッ──!
刃は鹿の左肩を、突き刺した。
鹿「ぅあっ…! ぐぅっ……!」
立飛「はぁっ、はぁっ……し、鹿ちゃっ…」
鹿「…っ、さっさと退けって! 居ても邪魔になるだけだからっ!」
反撃に、鹿は腕を出すが。簡単に払い弾かれ。
そして紅寸が標的に定めたのは、立飛の方だった。
……今の状態で狙われたら確実に殺られる、と。
力を切らすことを惜しまず術を限界まで使い、阻もうとする鹿。
だが、直前に負った傷の影響か。その術をもってしても僅かばかりの足止めが限界だった。
そして、立飛の眼前まで迫ったところで。
今まで防御回避に努めていたが、ついに有効打を喰らってしまった鹿。
鹿「ぅあぁぁっ…!!」
残る立飛も逃げる隙も与えられず。壁際まで追いやられ、絶体絶命の状況。
立飛「…っ、うぅっ、はぁっ、はぁっ……!」
鹿「や、やば……ッ、立飛っ!!」
紅寸「はぁっ、はっ……これでっ、終わり」
死を覚悟した立飛。鹿の位置からでは影でさえも届かぬ距離。
防ぐ術は残されておらず。紅寸に対抗できる力もとっくに尽きている。
……終わった、と瞼を閉じる立飛。
それに向かって、とどめを刺そうと腕を振り抜く紅寸────。
…………コテン、と。
立飛「…………え?」
電池が切れたように。目の前で突然倒れ落ちた紅寸。
何が起きたのか、まるで意味がわからないといった立飛。
鹿が何かしたのか、いや違う。当然、立飛自身も何もしていない。
……ならば、紅寸が勝手に。
と、そこに。
鹿「はぁぁ……やっと、かぁ……今のはマジでヤバいと思った」
立飛「…鹿、ちゃん……“やっと”、って……?」
鹿「ん、あー……紅寸さぁ、有り得ないほどいきなり強くなったでしょ? あの男の、血を吸ってたんだろうけど」
立飛「血、を……?」
……言われてみれば、たしかにそんな感じだったような気もする。
鹿「多分、あれ……術だよ」
立飛「え? 術、って……鹿ちゃんや蛇龍乃さんが使ってるのと、同じような……てことは、紅寸も忍びだったの……?」
鹿「いや、私ら忍びが勝手に術って言ってるだけで、んー……まぁ一般的には、すごい力? まぁなんでもいいや。とにかく、忍び以外にもこういった力を使う者はいるってこと、覚えといて」
立飛「……うん」
鹿「とまぁ、そういうことだから……今の術、そう長い効力は持ってないのかなぁーって」
立飛「鹿ちゃんは、あれがどういう術か知ってたの……?」
鹿「ううん、私もあの手のものは初めて見た。でも大体予測はつく……もし制限が無いのなら最初から使っておけばいいだけの話だし」
鹿「それに……立飛との戦闘。最初の方、紅寸は戦い自体を楽しんでたようだけど、あの力を使用してからは倒すことだけに集中してたよね?」
立飛「…………」
鹿「私が何処かに潜んでいると思ったから、一刻も早く引き釣りだそうとしたんでしょ。あとついでに、戦闘が続くにつれて息も上がってきてたしね」
立飛「…………っ」
……そうか。だから鹿はあの時、自分に退けと言ったのか。
紅寸が活動限界を迎えるまで。倒せはしなくとも、戦闘を長引かせ堪え凌ぐくらいなら鹿は可能だったのだろう。
……自分が、余計なことをしなければ。
改めて、鹿をすごいと思った。
冷静に戦況を見極めて、その場で最善を選択する。
紅寸が術を使用してもすぐに現れなかったのは。
可能な限り立飛に任せてくれた、いや違う。立飛が完全に倒されるまでと、紅寸の残り活動時間を想定、その両方を押し計ったうえでのギリギリの。
そう、これ以上ないほど最善のタイミングだったのだろう。
……と、鹿を心から尊敬するその一方で。
鹿「怪我は大丈夫? 立飛。相当派手にやられたでしょ」
立飛「……っ、…………」
鹿「……立飛?」
立飛「…………」
…………自分は、何をやっているのか。
紅寸によって殺されたとはいえ、今回の任務の殺対象を自分の手で殺し損ね。
用心棒相手に、手も足も出ず。
あまつさえ、鹿の命令に逆らって危機に陥らせてしまった。
運が悪ければ、紅寸の活動時間があと僅かでも長ければ。
二人とも死んでいたかもしれない。
本当に、何をやっているのか。
……最悪だ。
今回の件において、何から何まで最悪の働きであったと。
起き上がる気力も失い、俯いたまま。激しく後悔に襲われ。
己の存在価値が、揺らぐ。
立飛「…………」
鹿「……立飛」
立飛「……っ、……ごめん、鹿ちゃん…………ごめんなさい……っ」
鹿「あ、あー……やっぱ気にしてる? いや、そこまで落ち込まなくても……そりゃあ、言うこと聞かなかったのにはちょっとムカついたけど」
鹿「……まぁでも、こうして二人とも無事だったわけだし。ね?」
立飛「…………私が、素直に聞いてれば、鹿ちゃんがそんな深手を負うこともなかった……っ」
色濃く血が滲む、鹿の装束。
刃が突き刺さった左肩。手首の方まで血が伝うほど、相当に痛いだろうに。
表情に出さず、気丈に振る舞う鹿。
鹿「んー、別にこのくらい任務を重ねていけばそう珍しくもないよ。まぁ何はともあれ、殺対象も死んだようだしよかったよかった」
立飛「……私が、殺したわけじゃない…………私はっ……」
鹿「誰がやろうと死んだことに意味があるんだよ。立飛が紅寸をあそこまで追い詰めたからこそ、紅寸も殺さざるを得なくなったんでしょ?」
立飛「そんなのっ……私は、まったく紅寸に歯が立たなくて……っ、鹿ちゃんに助けられて……」
鹿「…まぁ、今回は相手が悪すぎたね。今の立飛じゃ仕方無いって。あのまま放っておいたらそれこそ私がじゃりゅのんに怒られるしー」
立飛「そんなことない……これは私のっ、私が一人でやり遂げなきゃいけなかった任務だったんだよっ…! 鹿ちゃんも蛇龍乃さんに手出ししなくていいって言われてたのに……っ」
鹿「手出ししてないじゃん」
立飛「……え?」
鹿「少なくとも任務に関しては、私は手出ししてない。そもそも今回の任務の内容とは? 私が出ていったのは対象が死んだ後じゃん。任務終了後、引き上げる際にちょっと手を貸しただけ」
鹿「勿論、最後まで一人でやるのが望ましいけど。初の実践だったしねぇ、点数に直せば50点くらいかな?」
立飛「…………っ、……なんなの」
立飛「……そんなこと、言ってくれてもっ、全然嬉しくないよっ…!! 私が駄目ならもっとハッキリ言えばいいじゃんっ!! 私は弱いから、これが初めてだったから……こんなもんで及第点? そんな情けをかけられる方がよっぽど惨めに思えてくるんだよっ!!」
立飛「まだ全然かもしれないけどっ、私はっ、自分のことを一人前の忍びだと思って、この任務に臨んだ……それなのに、結果はこの有り様……悔しいよ……悔しいからっ、鹿ちゃんには叱ってほしかったっ……!!」
鹿「…………」
立飛「こんな無理矢理作ったような、優しい言葉なんかっ、私は全然望んでないっ! ……っ、私のことを認めてくれてるとか、私ならやれるって言ってくれておきながら……心の底では私のことを見下してる……ううん、違うね。鹿ちゃんがそういう人じゃないのは知ってる……」
立飛「だから、私をこんなにも甘やかしてくれるんだよ……もしこれが、私じゃなくてまったく別の誰かでも、鹿ちゃんは同じことを言ってあげるの……?」
鹿「…………」
立飛「きっと違うよね? ……私は、鹿ちゃんのことが好きだよ。鹿ちゃんも私のことを好きだと思ってくれてる…………でもね、鹿ちゃんが私を甘やかすのは、好きだからって理由なんかじゃない」
立飛「鹿ちゃんはね……私のことを、可哀想だと思ってるんだよ」
立飛「昔の私を知ってるからっ……、だから、そのフィルター越しにしか私を見てくれてない。可哀想な私を守ってあげなくちゃ、可哀想な私を傷付けないように、って」
立飛「……私は、いつまで経っても、鹿ちゃんの隣を歩けないんだね……出来ることなら、もっと違うかたちで出会いたかったよ」
鹿「はぁぁ…………と、言いたいことは終わった? 気が済んだ? ならとりあえず落ち着こっか。はい深呼吸ー」
立飛「…っ、いつまでも子供扱いしないでよっ! なんでっ、やっぱりこんな私なんかじゃ、対等に見てくれないの……?」
鹿「はぁ? 対等? ……散々喚きまくったどの言葉よりも、今のが一番ムカついたわ。対等に見ろとかどの口が言ってんの? 別に今回の件がどうとか以前の話」
鹿「素人以下だった人間が、たった一年程度鍛練に取り組んだくらいでどうして私と対等になれると思ったの? あんまナメんなよ? ……私たちは普通の生き方を捨てて、今此処に忍びとして在る」
鹿「私も忍び、立飛も忍び。単純な強さだけを言ってるんじゃない。忍びとしての誇り、在り方も踏まえて……お前程度が私と対等? 立飛が自分のことをどう思ってようが勝手だけど、あんま軽々しく口に出さないで。イラつくから」
立飛「……っ」
鹿「はい、少しは落ち着いた?」
立飛「…………うん」
鹿「じゃあその落ち着けた心、冷静な目で。見渡せる光景には何が映ってる?」
立飛「光景……?」
激しい戦闘を思い出させるような、半壊した室内。
殺対象であった男の死体。
まだ死んではいないだろうが、動かぬままの紅寸。
そして、こうして会話をしている立飛と鹿。
鹿「……今、立飛の視界に映っている光景。これが“結果”」
鹿「ここに侵入してから……どう考え、どう戦い、どう失敗し、どう行動し。それらによってもたらされる結末はたった一つだけ。決して揺るぐことの無い、それが“結果”だ」
立飛「…………結果」
鹿「さてここで立飛に訊くけど。今回の任務の内容って何だっけ?」
立飛「……あの貴族の男を、殺すこと」
鹿「そう。んじゃ今その男はどうなってる?」
立飛「……死んだ」
鹿「なら今回の任務。成功か失敗か、さぁどっちでしょう?」
立飛「で、でもっ…」
鹿「立飛。私は成功か失敗かどちらか訊いてるんだけど? 答えて」
立飛「…………成功」
鹿「わかってんじゃん」
立飛「でもこれはっ、私に与えられた任務で」
……そう、自分が殺したわけではない。紅寸が殺したものだ。
だが立飛によってその死がもたらされたという解釈も間違いではなく。
そもそもの任務目標。それを遂げた時点では、立飛は一人で挑んでいたというのもまた事実。
しかしそれもやはり釈然としない、とても綺麗さっぱり納得できるものではなく。
鹿「だから50点だって言ってるじゃん」
鹿「まず、任務において点数を付けるなら、それは百か零しかない。これは理解できるよね?」
立飛「……うん。結果は揺るがない……揺るがないからこその、結果だから」
鹿「ただ今回はその基本となる任務に加えて、いや前提として……立飛が一人でやること。任務自体、私の介入無しで完遂した。私は火の粉を払っただけ。勿論、本当なら後始末含め全てを自らで行わなきゃいけない。まぁ微妙なところだけどね」
鹿「任務の結果。それは失敗か成功か、零か百か。例え私が何一つ手出ししなく、立飛が紅寸に殺されていたとしても……任務としては成功なの。だから任務じゃなくて、立飛に点数を付けるとしたら50点」
鹿「わかる? 理解できる? てか理解してもらわなきゃ困るけど」
立飛「……うん」
鹿「……あとさ、私は別に立飛のことを可哀想だなんて思ってないよ。勿論、そういう過去があったことに対してまったく何も思うところが無いっていったらさすがに嘘になるけど。それでも、忍びの私は忍びとしての立飛と接してるつもり」
鹿「私がとか他の誰がとかよりも、そういうことを口にする時点で、誰よりも立飛を可哀想と思ってるのは自分自身でしょ。違う?」
立飛「……そう、かも」
鹿「でも全部が全部悪いってわけじゃない。気付いてる? 立飛」
立飛「何が…?」
鹿「立飛が初めて里に来た日のこと。あの時、私に向かって立飛はこう言ったの──」
『酷い扱いには、慣れてるから……』
鹿「だからこうして可哀想って思える、そう口にできるってことは。ちゃんと自分と向き合ってる証拠」
鹿「少しは成長したね? まぁ殺せる日はいつになるのかわかんないけどー」
立飛「…………ありがと、鹿ちゃん」
鹿「ふふっ、よし。んじゃそろそろ撤退」
……と、そこに。
紅寸「ぅ……うぶっ、ぁっ……げほっ、げほぉっ……!! おえぇぇぇぇっ……!! がふぁっ、ふっ、はぁっ……!!」
ビチャビチャ
……大量の吐血。
だが意識を取り戻したというわけではなく、寝吐血。
まぁしかし、それも当然なのかもしれない。
どれだけの量なのかは定かではないが、他人の血液を自身の体内に取り入れ。
己の能力を一時的に上昇。そう、それはドーピングのようなものである。
となれば、当然それによる副作用は免れないのだろう。
立飛「うっわぁ……汚ない……」
鹿「そういや途中からすっかり忘れてたわ……」
立飛「まだ生きてる、のかな……?」
鹿「……とどめ、どうぞ? 記念すべきデビュー戦を台無しにしてくれやがった憎々しい敵。殺るなら今だよ?」
紅寸「……うぅぅ……ぁあ……げほっ、げほっ……うーん……っ」
立飛「…………」
立飛「……ねぇ、鹿ちゃん」
鹿「ん?」
立飛「せっかく50点も与えてくれたところ悪いんだけど…………それ、5点にしていいかな」
────…………
紅寸「────……っ、ん……んーぅう…………ハッ! 朝……?」
紅寸「…………??」
目を覚ますと其処は、知らない部屋だった。
昨夜のことは思い出せる。てっきり殺されたのかと思いきや。
何処かもわからぬ場所に寝かされていて。しかも御丁寧に布団まで掛けられていた。
……いや、よくよく見渡してみればまったく知らない場所というわけでもなかった。
ここは、町の宿屋の。それも特上の一室。
そう、紅寸が自ら手配した。誰に? あの二人、立飛と鹿に。
……ということは、よく考えずとも。ここに自分を寝かせたのはあの二人なのだろう。
…………だがどうして、自分を殺さなかったのか。
紅寸「うーん……うぁ、まだちょっとふらふらする……」
とりあえず、宿を出て。町の通りを歩いていると。
見えてきたのは、屋台の店。
お腹も空いたし、朝御飯でも。
と、そこを覗くと。
立飛「あっ、やっと来たー」
鹿「遅くない? 昨日、待ってるとか言ってたくせに私らより後に到着とか」
立飛「これはもう紅寸の奢りだね」
鹿「そうしよう」
紅寸「それは別にいいけど……って、え? ちょ、なんで? なんで二人がまだここにいるの!?」
鹿「え? なんでって?」
立飛「そんなの昨日約束したからに決まってるじゃん。朝御飯一緒に食べようって」
鹿「つっても、もう昼近いけどねー」
紅寸「そ……そっか! じゃあくすんもご飯食べる!」
鹿「おー、食いな食いなー。どんどん食いなー」
立飛「私もおかわり頼もっと」
……そして、最初に会った時と同様に。
屋台の前に、横並びで食事をする三人。
紅寸「それにしても、二人とも強いねー! くすん、敗けたのなんか生まれて初めてだよ!」
鹿「…え? いや、あれは紅寸が敗けたというより」
立飛「紅寸の自滅じゃん。私なんかボコボコにされっぱなしだったし」
紅寸「ううん、あれはくすんの敗北。本当は奥の手を使わずに勝つ予定だったもん。使ったとしても動けなくなるまでに今までどんな相手だって倒せてきたのに……それを……あーっ!」
紅寸「だからあれはくすんの敗け! 仕方無い……うむ、本当に仕方無いが、世界一の称号は二人に。あ、鹿ちゃんにあげよう! 立飛は世界で二番目ね!」
鹿「マジで? 私、世界一強いの? やったー! って、なわけないだろっ!!」
紅寸「ほぇ?」
鹿「悲しいことに、うちらの仲間には既に私よりもすげぇ強いのが二人もいてね……その時点で私はどんなに頑張っても三位なんだよ」
立飛「私は四人中四位、最下位だ……あはは」
紅寸「へ……? 鹿ちゃんより強い人が存在するの? それって本当に人類? 信じらんない」
鹿「紅寸って今までどんだけ狭い世界に生きてきたの?」
立飛「そうそう。まぁ私もあんまり他人のこと言えないけど」
紅寸「ほぇー……」
鹿「…というわけで、これからはちゃーんと相手の力量を計ってケンカを売ることね。この先も用心棒続けていくなら尚更」
立飛「雇い主を躊躇いなく殺しちゃう紅寸にはちょっと向いてない気もするけど。……まぁ続けるならまたどっかで会うこともあるかも」
立飛「今回の……紅寸がどう言おうとあれは私の完全敗北だから。これから私はもっと強くなる……次会った時は、絶対に私が勝ってみせるから覚悟しといてね」
紅寸「うん……ていうか」
紅寸「……なんで、殺さなかったの? だって最初は殺すつもりだったんでしょ? それなのになんで」
鹿「それは……」
立飛「紅寸ってアホっぽいから放っておいても全然問題ないかなーって」
紅寸「くすんアホじゃないよっ!」
鹿「まぁホント言うと立飛がさ、強くなるための目標としていつか絶対に紅寸を正々堂々倒したいんだって」
鹿「あははー、とても忍びとは思えない発言。聞いた瞬間、ブッ飛ばそうかと思ったわ」
鹿「まぁ私の立場上、とても頷くわけにはいかないからこれは馬鹿な弟子が勝手にやったことにしてんの。私は知らないもんねー」
立飛「そういうこと。まだ未熟過ぎる私の過ち。これから長く続く忍びとしての、最後にして最大の過ち。私を邪魔して大恥かかせてくれたこともそう……紅寸の罪はとんでもなく重いよ?」
立飛「……だから、いつか強くなった私と全力で戦って、そして私に殺されてね?」
……あと、これも忍びとして絶対に言うべきことではないので立飛は口にはしなかったが。
きっと紅寸は、立飛にとって初めての。
友達だったのだろう。
紅寸「…………」
鹿「……さて、と。そろそろ帰ろっか、立飛」
立飛「うん。あー……たしかにこの前紅寸が言ってた通り、夜にお別れするよりは寂しくないかもね」
鹿「じゃあ達者でね、紅寸。あっさり死ぬなよー?」
立飛「ばいばい」
────…………
任務を遂げ、里へと戻る道中。
山道を駆ける二人。…………いや。
立飛「鹿ちゃん、肩の怪我平気…?」
鹿「処置もしたし、余裕余裕。いつまでも気にすることないから。まぁそれにしても立飛が元通りに戻ってくれて安心したよ」
立飛「んー?」
鹿「任務前はウザいくらいにテンション高かったくせに、任務終わったら死にそうなくらい落ち込みまくってたじゃん? いやぁ、なんていうの? 若さ? 羨ましいわー」
立飛「うっさいなー、もー!」
鹿「んで、任務を遂げた感想は? これで私らの本当の仲間、家族になれるーとか、弱い自分を殺せるーとか言ってたけど。どうですか? 手応えの程は」
立飛「…………まだまだ。何もかも全然。てかあんま苛めないでよ。まだ結構引き摺ってるんだからさぁ…」
鹿「ふふっ、大丈夫大丈夫。どんなに不甲斐ない立飛でも私たちはちゃんと立飛の家族だよ?」
立飛「むぅ……見てろ、今に見返させてやる」
紅寸「うむ、精進したまえよ。それに仲間とか家族とかってなろうとしてなるんじゃなくて。気が付けばそこに在る、いつの間にかそうなってるもんじゃない?」
立飛「なるほど…」
鹿「だねー。こうしていつの間にか紅寸が一緒にいるように……って、はぁぁぁ!?」
立飛「気が付けば紅寸!?」
…………三人。
立飛「えーと、さっきお別れしたよね? 紅寸」
鹿「なんで付いてきてんの!?」
紅寸「だってくすん、もうあの屋敷には戻れないもん。たぶん、用心棒もクビになったと思うの」
立飛「まぁ、仕える主も既にこの世にいない、っていうか紅寸がぶっ殺してたしね……そりゃクビもやむなし」
鹿「だったら別のところで雇ってもらえばいいじゃん。紅寸はそこそこ強いし、すぐに就職先見付かるでしょ」
紅寸「うん! だからこうしてるの!」
立飛、鹿「「…は?」」
紅寸「くすんを鹿ちゃんたちのとこで雇ってくださいお願いしますある程度のことは何でもします」
立飛「何でもするなら、さぁ今すぐ町に引き返そうか紅寸」
紅寸「それは無理だー」
鹿「あーもーっ! 頼むから付いてくるなよーっ! 任務を妨害した奴をどの面下げて里に連れていかなきゃいけないの!?」
立飛「困ったねぇ…」
紅寸「ん……でもホントはね、仕事とかどうでもいいの。ただ二人と一緒にいるの、楽しいなぁって」
立飛「紅寸……」
紅寸「昨日の用心棒は今日の忍びって言うでしょ?」
鹿「言わん」
立飛「てことは、紅寸も忍びになるの?」
紅寸「なろうかなぁ」
鹿「忍びナメんな。ていうかマジでいい加減にしてくんない? 本気で怒るよ?」
鹿「ただでさえ立飛の5点報告をしなきゃいけないのに、どうしてそうなった要因をわざわざ連れて帰らなくちゃ…………あっ」
……と、何かを閃き、考える鹿。
立飛「鹿ちゃん?」
紅寸「ご飯の時間?」
鹿「……とりあえず私たちじゃ判断できないよ。極めて重要なことだからね」
鹿「20点くらいになるか、はたまた0点になるか……」
鹿「紅寸、どうしてもこのまま付いてきたいのならもう止めないけど…………死ぬかもしれない覚悟は持っておいてね」
────────……………………
そして、里。
帰還した立飛たちは、蛇龍乃の元へと報告に上がっていた。
蛇龍乃「おー、おかえりー。どうだったー? ……って、ん……? えー、あー……そこの変なの、なに? どなた?」
紅寸「変なのじゃないよっ! 紅寸だよっ! あ、こんにちわ。初めまして」
蛇龍乃「お、おう……」
紅寸「ふーん、この人が鹿ちゃんの言ってた強い人? 全然そんな風には見えないけど。どっちかっていうと弱そう」
蛇龍乃「…………おい、鹿。どういうこと? これ。返答によっては誰かを殺す」
鹿「いやぁ、なんていうか……まずその前に任務の結果から……立飛」
立飛「あ、うん。任務はちゃんと……対象は葬りました。……この紅寸が」
紅寸「あはは、そんなに誉めないでください、当然のことをしたまでです」
蛇龍乃「……さっぱり意味がわからん」
鹿「えーと、ね……実は」
……今回の任務であったこと。鹿は包み隠さず全てを蛇龍乃に伝えた。
鹿「……つーわけで、この紅寸によって記念すべき立飛の初舞台をめちゃくちゃにされたの」
立飛「でも私の力不足だったってのも大いにあるから……ごめんなさい」
鹿「だからお土産というか献上品というかなんというか……好きにしていいよ。煮るも焼くも殺すも生かすも、じゃりゅのんに任せる。姿見られたのはこの紅寸だけだから、それについては心配しないで」
立飛「うん……出来ることなら此処に置いてあげてほしい、けど。それは私が決めていいことじゃないから……まぁ普通に考えれば殺すべき、だよね」
紅寸「え? くすん、殺されるの?」
鹿「覚悟しといてって言っておいたじゃん。此処は忍びの里。事情は特殊なんだからこのじゃりゅのんとかじーさんが無理って言ったら絶対無理なの」
紅寸「えー! どうか御慈悲をっ」
蛇龍乃「…………」
立飛「蛇龍乃さん…」
鹿「じゃりゅのん」
紅寸「じゃ…なんとかさん」
蛇龍乃「…ったく、“どいつもこいつも”ちょっと里からどっか行ったと思えば変なの連れてきやがって……」
と、そこに。
襖がガラッと開き。姿を見せたのは。
今賀斎甲「まったくじゃ。此処を何処じゃと思っておる」
蛇龍乃「てめーが言うなっ、糞じじいっ! あんたもコイツらと似たようなもんだろーがっ!」
……部屋に入ってくる今賀斎甲。と、その後ろには。
今賀斎甲「ほれ、何をしておる。お前もこっちに来て皆に挨拶せい」
「…ん。こんにちわ、初めまして。あっ、よかったー、ちゃんと若い人もいたんだー。これからよろしくねっ。……あっ、牌流ですっ!」
蛇龍乃「ちょいちょい、それだとまるで私が若くないみたいに聞こえるんですけどー?」
牌流「あっ、いやっ、そういう意味じゃ」
蛇龍乃「まぁいいや。皆、仲良くしてやってねー」
立飛「え、えっ……」
鹿「は? 誰……?」
紅寸「ほぇ? 二人も知らない人なの? それは怪しいなー」
唖然とする鹿と立飛、そんな二人の前に唐突に現れた見慣れない女。
立飛よりも少し大人びていて、おそらく鹿と同年代くらいだろうか。
当たり前だが、二人が里を発つ前にはいなかった。
……ということは、その間に何かがあったのか。
蛇龍乃「まぁそんな何があったって大袈裟な話じゃないけど、このじじいが愛人連れてきた。それだけ。……んで内心キレてたらお前らまで変なの連れて帰ってくるから今すんげぇ呆れてる。以上」
鹿「あー、じーさんの……」
立飛「愛人?」
今賀斎甲「コラ、真に受けるな立飛……」
蛇龍乃「おいそこの変なの……紅寸とかいったっけ?」
紅寸「くすんです」
蛇龍乃「タイミングが良すぎるというか悪すぎるというか……こうなった以上、じじいも私も頭ごなしにお前のこと拒みづらいんだよねぇ……」
紅寸「ん……てことは」
蛇龍乃「うーん、一先ず保留。でも妙な真似したら殺すから心得ておいて。じじいもそれでいい? まぁ今この場においてあんたが私に対して意見する権利は無いんだけどね」
今賀斎甲「いちいち言わんでもわかっとるわ……」
鹿「ほっ……なんとか紅寸の死体を見なくて済んだみたい」
立飛「良かったね、紅寸」
紅寸「やった! 超ラッキーだ!」
牌流「…………」
────…………
翌日。屋敷前の荒れ地にて。
蛇龍乃「わかってると思うが、此処は忍びの里だ。此処で暮らしていく以上は新入りの二人にも忍びとして生きてもらうけど、そこは問題無いよね?」
紅寸、牌流「「はーい」」
蛇龍乃「激しく不安なんだが、大丈夫かこの二人……」
蛇龍乃「……まぁ、じじいが連れてきた牌流の方は一応信用してはいいんだろうけど」
……というわけで、とりあえず。
蛇龍乃「今の時点で二人がどの程度動けるのか、それをちょっと見たいからさ。鹿、立飛、二人の相手してー」
まず、鹿と牌流。
牌流「…………えぇ、いきなり戦うとか、嘘でしょ……聞いてないんだけど……まさかここってブラック企業なのかな」
鹿「えーと、牌流ちゃん? 大丈夫? 準備いい?」
牌流「あ、はいはーい! お手柔らかにー!」
さっそく手合わせ開始。
…………だが。
牌流「ふぎゃっ…! うぅっ……痛ぃっ……!」
鹿「えっ……」
牌流、瞬殺──!
蛇龍乃「よ、弱ぇ……めちゃくちゃ弱ぇぇ……! え、鹿、まさか今本気で」
鹿「なわけないでしょっ! めっちゃ軽く相手したつもりだけどー!?」
蛇龍乃「だ、だよね……これは前途多難」
……と、その一方で。
立飛「はぁぁっ!」
紅寸「くっ、このっ! ていっ!」
単なる模擬戦なのだが、少々熱の入っている立飛と紅寸。
あの夜同様に、激闘を繰り広げていた。
蛇龍乃「ほぉほぉ、紅寸はなかなか。んー、でも立飛と同格かまだ立飛の方が強いくらいに見えるんだけど……これに鹿が負けそうになった…?」
鹿「昨日、言ったっしょ? 紅寸は術使えるって」
蛇龍乃「あー、血を吸って急激に強くなるってやつか。見たいなぁー、まぁ一度は見ておかなきゃだしねー」
チラッ
鹿「こっち見るな……言っとくけど私は絶対にやだかんねっ! 噛まれて血を吸われるとかマジで勘弁」
蛇龍乃「えー……でもなぁ、私はその術をこの目で確認しなきゃいけないし、立飛は紅寸の相手してるし、じじいはそのままポックリ逝きかねんし。……別に逝ったら逝ったで構わんけど」
蛇龍乃「となると、残ってるのはお前しか……あ、いやそういえばもう一人いたな」
鹿「あー、あの子ねぇ……」
蛇龍乃「…よし。おーい! 紅寸ー!」
牌流「なんかここにいる皆、強すぎでしょ……私だけ場違い感がヤバい……」
皆から離れ、一人休憩中の牌流の元に。
紅寸「お疲れ様ー、牌流ちゃーん!」
タッタッタッ
牌流「あ、お疲れ。そっちも終わったの?」
紅寸「ううん、ちょっと立飛が手強くてねー。牌流ちゃんの力を貸してほしいの」
牌流「え、いやいや、私戦えないよ? 皆と比べて超弱いから役に立たないよ?」
紅寸「あ、別に一緒に戦うとかじゃなくて……その、えっと、言いづらいんだけど」
牌流「…? 応援とか? まぁ戦う以外なら……私に出来ることだったら何でも」
紅寸「ホント!? ありがとっ! じゃあ失礼して」
牌流「へ?」
ガブッ──!
牌流「ぎゃぁぁーーーーっ!!!!」
蛇龍乃「…………」
その後、“吸血”の効果で身体能力を格段に上昇させた紅寸。
対する立飛。
何の事前情報も無かった前回の対戦から学び、策を一つ講じてみた。
鹿が試みたものと同じ。戦闘を引き延ばす。ただこれだけである。
無闇な反撃など仕掛けず、致命打のみを警戒し。
可能な限り距離を計り、捕まれば防御に専念。
言ってみれば、それは逃げ腰。何かの試合形式ならば判定負けを取られるだろう。
……しかし、これでよいのだ。今の立飛に出来る、唯一の対抗策。
これが上手くハマり。
やがて、紅寸は活動限界に達したのか。
あの夜と同じ様に、突然倒れ、動かなくなった。
蛇龍乃「…………うん、強いね。強い、けど…………なんだあのコスパ最悪な術はっ!! 諸刃すぎるだろっ、あの剣っ!!」
鹿「まぁ、使い勝手は悪いよね……誰か犠牲にしなきゃならないし。それに使ったら使ったで、いきなり敵陣ど真ん中でぶっ倒れられてもね……」
蛇龍乃「とても任務には……というか忍びにまったく向いてなくね? あの術」
鹿「用心棒にはもっと向いてなかったよ。雇い主殺しちゃうくらいだから」
蛇龍乃「私、そのうち殺されないよね……」
立飛「蛇龍乃さーん、鹿ちゃーん! 紅寸、どうしよう?」
動けぬ紅寸を引き摺ってきた立飛。
蛇龍乃「うーん、とりあえず部屋に寝かせといて。それと鹿、あの子も忘れずに回収しといてね」
鹿「あの子? あー、牌流ちゃんか」
────…………
……どれくらい気を失っていたのだろう。
目を覚まし、窓から見える景色は夕暮れに染まっていた。
牌流「はぁ …………なんか流れで連れてこられたけど、正直やってける気がしない」
牌流「私が、忍者とか……そもそも忍者とかよくわかんないし」
紅寸「そうなの? くすんも忍者とかいまいちよくわかんないけど、楽しそうじゃない? 皆でワイワイして」
牌流「少なくとも皆でワイワイして楽しいものじゃないと思うけど……………って、きゃっ!? な、なんでいるの!? いつの間にっ!!」
紅寸「遅っ! ずっといたよっ! 隣で寝かせられてたから、ていうか今気付いたの?」
牌流「まさか隣にいたとは…………ハッ! そんなことよーりーもーっ、さっきはいきなり何してくれたのかなー!?」
ペシペシッ、と。
紅寸の額を叩く牌流。
紅寸「い、痛い痛いっ! へこむっ、おでこへこんじゃうって!」
牌流「殺されたかと思ったんだからねっ!」
紅寸「え、えー……でも戦う以外なら何でもするって」
牌流「だからってまさか噛み付かれて気絶させられるとか普通思わないでしょっ!」
紅寸「ごめんなさい、でした」
牌流「ふーんっ…」
プイッ
紅寸「あっ、あー……怒らないでー! くすんと牌流ちゃんは此処での同期なんだから仲良くしよーよー!」
牌流「同期ねぇ……まぁそうはいっても、私は紅寸と違って超弱いし。どう見たって才能なんか無いしねー」
紅寸「そんなことないよ! たしかに牌流ちゃんはめちゃめちゃ弱いけど」
牌流「くっ、他人に言われると無性にムカつくっ…」
紅寸「頑張ればっ、いっぱい修行すれば絶対強くなれるよ!」
牌流「才能の無い人間がいくら努力したところでねぇ……それに私、別に強くなりたいとか思ってないしー」
紅寸「でも弱いより強い方がよくない?」
牌流「はいはい、じゃあ私の分まで紅寸が強くなったらいいじゃん。頑張ってねー」
紅寸「むぅ……今は牌流ちゃんの話をしてるのっ!」
……と、二人の真後ろから唐突に、声。
蛇龍乃「こらこら……仲良くしろって言っておいただろー、二人とも」
紅寸「わわっ! ビックリした! じゃりゅなんとかさんだ」
牌流「蛇龍乃さん……? いたの? 全然気付かなかった」
蛇龍乃「ふふふ、なんたって忍びだからね。素人二人相手ならこのくらい朝飯前よ」
牌流「すごいっ、さすが蛇龍乃さん! 素敵! 私も少しでも蛇龍乃さんに近付けるように頑張るねっ!」
紅寸「え、えーっ! さっきと言ってること丸っきり違わない!? それにくすんの時との応対の差が酷い…」
牌流「そんなの当たり前でしょー? したっぱの紅寸と、このなんかよくわかんないけど偉いっぽい蛇龍乃さんとで同じ接し方してたらおかしいじゃん」
紅寸「そ、それはそう……なのかな? まぁどっちにしろ牌流ちゃん、胡麻摺るの下手すぎ……じゃりゅなんとかさんが最初からここにいたんならそんなの手遅れだからっ!」
牌流「あぅっ、しまった!」
蛇龍乃「この二人、アホ過ぎる……ますます不安になってきた……」
蛇龍乃「そういや調子はもう平気? 二人とも」
紅寸「うん、今回は殺しちゃわないように加減して吸っただけだからもう全然」
牌流「加減してあれって……もうやだ、紅寸嫌い。ねぇ蛇龍乃さんからも叱ってよ! そのうち加減間違って殺されちゃうかもしれないじゃんっ!」
蛇龍乃「あ、あー……」
紅寸「へ? でも牌流ちゃんを使えって言ったの蛇龍乃さんだったような」
牌流「え……」
蛇龍乃「あー、いやまさかぶっ倒れるまで吸うとは思わなかったっていうか…」
紅寸「くすんだってそんなつもりなかったけど、あの程度で気絶するとは思わなくて」
牌流「……はいはい、どうせ私は駄目駄目ですよーだ。あの程度耐えられなくてすいませんでしたー」
紅寸「ホントごめんね? 牌流ちゃん」
牌流「…ていうか戦うとかそもそも私には絶対向いてないし……紅寸たちと一緒にされても困る。いきなりこんな場所に連れてこられて……もうやだ」
牌流「私はただ、自由に生きてければ……好きなことだけやってたいのに」
蛇龍乃「……自由に生きてきたこれまでは、牌流ちゃんにとって幸せだった?」
牌流「それは……」
紅寸「……牌流ちゃんさっきからワガママばっかり。くすんもあんま理解してないけど、此処にいるってことは忍者なんでしょ? だったら戦うのが嫌とか、そんなの」
牌流「だから紅寸には関係ないじゃん。放っておいてよ、もう」
紅寸「やだよ。くすんたち、友達でしょ? 仲間でしょ? 家族でしょ?」
牌流「会って二日目で友達とか……それに、嫌がることを強要してくる家族なら私にはいらない」
紅寸「強要じゃないよっ、牌流ちゃんが敵と戦って殺されちゃわないか心配してあげてるのっ!」
牌流「戦わないから御心配なくー」
紅寸「あーまたそういうこと言ってー! 忍者なら戦わなきゃいけないのっ!」
牌流「なら紅寸が私を守ってよ。ほら、喋ってる暇あるなら腕立てとか腹筋とかして身体鍛えないと」
紅寸「あ、そっかっ、そうだよね……ってこの他力本願娘っ!」
牌流「……紅寸ってアホだよねぇ」
紅寸「そっちこそっ!」
蛇龍乃「……………」
蛇龍乃「なんかお前ら二人、両極端だねー。さっきから聞いてると、二人とも正しいことも言ってるけど間違ったことも言ってる。まぁそれは忍びってものをまだ深く理解してないから、しょーがないっちゃしょーがないが」
蛇龍乃「まず第一に……忍びだからって絶対に戦わなければならないってことはない。戦闘という項目、それは目的ではなく手段の一つに過ぎないことを念頭に入れておかないと、無意味に死期を早めるだけだ」
と、こうして蛇龍乃大先生による有り難い座学が始まろうとしていた。
が、その時。
……ぐぅー、と。
誰かの腹の虫が鳴き出す。それに続くように残りの二匹も鳴き。
紅寸「お腹すいた」
蛇龍乃「だね……」
牌流「私も……」
そして食べ物を求め、炊事場へと三人。
……しかし。
蛇龍乃「……まぁ、タイミング良く用意されてるわけないよね」
紅寸「このままじゃまた倒れちゃう! 蛇龍乃さん、なんか作ってー」
蛇龍乃「いや……基本私は料理とかしないから。いつも鹿か立飛に任せてるし」
紅寸「じゃあ今日だけでも頑張ってくれたまえ」
蛇龍乃「何様なの、紅寸……つーか、紅寸が自分で作ればいいじゃん。私よりもたぶんマシでしょ」
紅寸「うーん、紅寸も今まで料理とかあんまやったことないからなー。勝手に用意してくれてたり、お金出して好きなもの食べたりしてたから」
蛇龍乃「甘やかされてんなぁ……」
紅寸「立飛と鹿ちゃんは? いないの?」
蛇龍乃「どっかで鍛練してんじゃない? 仲良いからね、あの二人」
紅寸「早く戻ってこないかなー」
牌流「あのー……材料勝手に使っていいなら、私作るけど」
蛇龍乃「おおっ、牌流ちゃん料理できるの?」
紅寸「なんか意外だ……あ、そこら辺にある物なら好きに使っていいよ!」
蛇龍乃「お前が言うな。んじゃ頼むわ、牌流ちゃん」
牌流「はーい! でも私と蛇龍乃さんの分だけね。紅寸は外に生えてる野草でもかじってれば?」
紅寸「えー! 差別はダメだよー!」
……と、慣れた手付きで牌流が支度を進めているなか。
紅寸「んー、良い匂いー」
ヒョイッ
牌流「あっ、こらっ! それまだ途中のやつ! ていうか紅寸の分は無いから!」
つまみ食いをする紅寸を咎める牌流だったが。
紅寸「んんっ、なにこれめちゃくちゃ美味しい! 今まで食べたどんな料理よりも美味しいよ! 牌流ちゃん天才っ!」
牌流「そ、そう? なら仕方無いなぁ、紅寸のも作ってあげようかな……えへへ」
……めちゃめちゃチョロかった。
しばらくして三人分の食事が卓上に並び。
箸を伸ばす蛇龍乃たち三人。
蛇龍乃「おぉ、マジで美味いな。鹿や立飛の十倍くらい美味い」
紅寸「もぐもぐ……あ、そうだっ、これからは牌流ちゃんに毎食作ってもらおうよ」
蛇龍乃「んー、でもなぁ……さすがに一人に押し付けるのは」
牌流「全然いいよ? 私、料理するの好きだし。こうして皆に喜んでもらえたら私も嬉しい」
紅寸「決定ー! これでもっと御飯の時間が楽しみになるね!」
蛇龍乃「んじゃそうしてもらおっかな。あ、めんどくさくなったらいつでもあの二人使っていいからね?」
牌流「はーい。まぁこっちの方が私としても気が楽だし。忍者やらないのに此処に住まわせてもらうの、ちょっと悪い気してたから」
紅寸「え? 忍者やらないの!?」
蛇龍乃「あのさぁ、牌流ちゃん……それとこれとはまったく別の話なんだよねぇ」
牌流「……でも、役に立たない奴がいてもしょうがなくない? それなら雑用でも何でも好きに使ってくれた方がこの里の為になると思うんだけど」
蛇龍乃「…………」
蛇龍乃「……何か勘違いしてない?」
蛇龍乃「役に立つとか、立たないとか……それを判断するのは私やじじいであって、断じてお前じゃない」
牌流「……っ」
紅寸「なんか急に蛇龍乃さん怖くなった……牌流ちゃんが怒らせるからー」
牌流「あぅ……ごめんなさい」
蛇龍乃「……さっきの話の続きだけど、忍びであるうえで戦闘は目的じゃなくて手段だ。だから戦うのが嫌なら、戦わないようにすればいい」
牌流「……でも、そうは言ってもまったく戦わないわけにはいかないんでしょ」
蛇龍乃「そうだよ。何をどう廻っても、最後の最期で信用できるのはやはり自分自身だけ。その最悪に備えることが何より重要であり、自ずと必要となるのは……自分を守れるだけの強さだ」
蛇龍乃「ここで間違えてほしくないのが、強さの意味。忍びとして身に付けてほしいのは、敵を倒す強さじゃなくて自分を守る強さってこと」
紅寸「ほぇ? 一緒じゃないの? 強さは強さじゃないの?」
蛇龍乃「全然違う。別に強くなくても人間は殺せる……だが反対に、弱ければ自分が死ぬ」
蛇龍乃「紅寸は今まで用心棒の仕事をしてたんだっけ? 向かってくる敵を討ち払うそれと、この忍びという仕事……まったくの別物だぞ?」
蛇龍乃「それを踏まえたうえで、私の目から見れば……牌流ちゃんは自分を過小評価してるようだけどさ。忍びに向いてるのは、どう考えても牌流ちゃんの方だ」
紅寸「えっ…」
牌流「わ、私が紅寸よりも……? いやいや、それはさすがにないでしょ」
蛇龍乃「弱いから戦いたくない? 結構なことじゃん。臆病は人を生かす。後先考えない戦闘大好きな死にたがり屋より、よっぽど忍びらしいよ」
蛇龍乃「ねぇ? 紅寸」
紅寸「うぅ……やっぱりくすんのことだったかぁ」
蛇龍乃「忍びとして在るべき姿とは……最善を求めることじゃなく、最悪を回避することにある」
蛇龍乃「だから紅寸。これまでの生き方のままじゃ、とても忍びとして使い物にならない。それはお前がこれから先どんなに強くなったとしても、だ」
蛇龍乃「牌流ちゃんも。戦闘を回避したければ回避すればいい……だけど最低限の強さは備えてもらわないと、同じく使い物にならない」
紅寸、牌流「「は、はい…………」」
蛇龍乃「……あとついでにもう一つ話すると。牌流ちゃん、最初に言ってたよね? 才能の無い人間がいくら努力しても……って」
牌流「ご、ごめんなさい…」
蛇龍乃「ん、なんで謝るの? これについてはさ、私も激しく同意。心の底からそう思うんだわ」
牌流「え?」
紅寸「じゃあ牌流ちゃんは才能あるってこと…? あ、さっき忍びに向いてるって言ってたし」
蛇龍乃「それとは少し違う。そもそも才能って何だろう? それは天から授けられた……贈られた力だと私は思う」
蛇龍乃「…………だから私はこの才能という言葉が、何よりも嫌いでね」
蛇龍乃「よって才能の乏しい奴がいくら努力をし、ひたすら鍛練を重ねたところで殆んど意味は無い。逆に才能がある奴は何もしなくても大成するよ……だってそれが才能だから」
蛇龍乃「付け加えれば、才能がある人間は自分からわざわざ忍びになんかならないだろう。でもだからといって忍びがそれらと比べて劣っているかといったらそれもまた違う」
蛇龍乃「何故なら忍びとして私が重視するのは、才能ではなく素質の方であるからだ」
牌流「素質……?」
紅寸「え、素質と才能って何が違うの? 頭が痛くなってきた…」
蛇龍乃「簡単にいえば……さっき私は才能を天から贈られた力って言ったでしょ? だがこの素質は少し違っていて、それは天から植え付けられた力」
蛇龍乃「才能を持たぬ者が努力を重ねても意味は無い。才能を持つ者は何をせずとも大成する。それと比べ、この素質は何もしなければ一生眠ったままだ」
蛇龍乃「だが鍛え上げれば……芽を、そして花を咲かせてやれば、素質は才能を凌ぐと……私はそう思ってるよ」
紅寸「くすんにあるの? その素質……さっきボロクソに叩かれまくったけど」
牌流「私にも……?」
蛇龍乃「さぁ? あるんじゃね? 私は知らんけど」
紅寸「え、えぇー……そこで突き放すの!?」
牌流「急に投げやりになった!」
蛇龍乃「だってさっきちょろっと見ただけだし。二人ともすぐぶっ倒れたし、それだけで判断できるわけねーだろっ」
紅寸「ま、まぁ…」
牌流「たしかに…」
蛇龍乃「…でもまぁ、牌流ちゃんを連れてきたのはあのじじいだし、そこは心配してない。あと紅寸も……本当にどうしようもない奴だったら、どんな理由があったとしても鹿は連れて帰ってきたりしないよ」
蛇龍乃「こう見えても、私はアイツらを信用してるから。だから二人とも、早く私に信用されるくらいになってね?」
蛇龍乃「此処にいる以上、お前らは忍びだ。それを拒むことは許さん。目の前に転がっている素質を遊ばせておくのは勿体無いからね」
蛇龍乃「紅寸、牌流。さっさと忍びになれ。そしていつか……私の為に死ね。間違ってその途中で死んだりしないように、たっぷりと鍛えてあげるよ」
紅寸、牌流「「…………」」
……なんだろう、と不思議な気持ちになる紅寸と牌流。
自分たちは何も分かってはいなかったのだと。
今言われたからといって忍びのことを全て理解したわけではなく、ほんの一部に過ぎないのだろう。
それでも、こうして話を聞いた後だと。
蛇龍乃は勿論、鹿や立飛と自分たちの間にとてつもなく大きな差を感じ、途端に遠い存在に思えてきた。
あの二人と互角以上に戦った紅寸であっても、だ。
……それを見透かした様に、蛇龍乃は二人に問うた。
蛇龍乃「鹿と立飛、あの二人とお前たち二人の間で……決定的に違うのは何かわかるか?」
蛇龍乃「……それは“覚悟”。死ぬ覚悟じゃない、生きる覚悟だ」
紅寸「……うん」
牌流「……はい」
……なんとなく、分かる気がした。
つい先日、その覚悟に直に触れた経験のある紅寸。
牌流からしても、此処にいる忍びの人間と自分がこれまで関わってきたその他の人間とを比べ。
上手く説明はできないが、忍びが持つその異質は朧気ながら感じられた。
蛇龍乃「ふふっ、まぁこうしてぐだぐだ言われてもまず何をどうしていいのかわからんだろうから、一つゲームをしよう」
紅寸「げーむ?」
牌流「何するの?」
蛇龍乃「忍びを学ぶには忍びに触れるのが一番。ということから…」
……と、その時。
立飛「ただいまー、ってあれ? 皆揃ってる」
鹿「しかも先に御飯食べてるしっ、ずるっ!」
鍛練から戻ってきた立飛と鹿。
蛇龍乃「お疲れさん。丁度良かった、二人を呼びに行こうとしてたんだよね」
蛇龍乃「あ、その前に……牌流ちゃん。コイツらの飯も作ってやってくれる?」
牌流「はーい。米はさっきいっぱい炊いておいたから、ちゃちゃっとオカズ作っちゃうね」
立飛「牌流ちゃんが作ってくれるの?」
鹿「へぇー」
……そして、しばらくして。
鹿「ぉお……めっちゃ美味いじゃんっ! 立飛が作るのと同じ食材使ってるとは思えないくらい」
立飛「ていうか私の料理は全部鹿ちゃんから教わったんだから、問題があるとすれば鹿ちゃんなんだよね……でも、ホント美味しい、これ」
机を囲む四人。
紅寸、牌流、鹿、立飛。
立飛「あれ? そういえば蛇龍乃さんは?」
牌流「さっきまでいたんだけど…」
紅寸「どっか行っちゃった」
鹿「どうせまた部屋に籠ってんじゃん?」
……と、そこに姿を現す蛇龍乃。
蛇龍乃「部屋には行ってたけど、籠ってはないぞ。偉い、私」
鹿「はいはい…」
蛇龍乃「ふふふ、実はこれを取りに戻っていたのだ」
蛇龍乃の手の上にあるのは、二つの髪飾りだった。
それを鹿と立飛の髪に取り付け。
蛇龍乃「うん、似合う似合う。可愛いね。特に立飛」
鹿「……何のつもり? 不気味なんだけど」
立飛「鹿ちゃんはまたすぐそういうこと言って……蛇龍乃さん、ありがと。えへへ、大事にするね」
鹿「え? くれるの?」
蛇龍乃「あー、うん。取られなかったらそのまま持ってていいよ」
鹿「取られなかったら……?」
立飛「誰が取るの?」
蛇龍乃「紅寸、牌流ちゃん。この二人が付けてる髪飾り、奪っていいよ。てか奪え!」
牌流「はい?」
紅寸「へ?」
蛇龍乃「さっき言ってたゲームがこれ」
蛇龍乃「今から二十四時間以内に二人から髪飾りを奪うこと。反対に鹿と立飛はなにがなんでもそれを阻止しろ」
蛇龍乃「あ、 髪飾りは髪に付けてこその髪飾りなんだから外すことは駄目ただからね? あと奪われたら奪われた時点で終わり。再度奪い返すのは無しね」
唐突に始まったこのゲーム。
蛇龍乃を除く全員が戸惑っているなか。
パシッ──!
紅寸「痛っ!」
しれーっと頭に伸ばされた紅寸の手を叩き落とした立飛。
立飛「絶対に渡さない……これは蛇龍乃さんに貰った私の物」
紅寸「うぅ……隙が無い。さすが立飛」
蛇龍乃「そうそう、どんな手を使ってもいいから。何でもありだ」
蛇龍乃「今のように力付くとか、道具を使うも良し、寝床を襲うのも良し、二人で協力するのも良し。あ、でも紅寸は術使うのだけは禁止ね」
紅寸「えーっ!!」
蛇龍乃「もしオッケーつったら誰の血を吸うつもりだったんだよ…」
紅寸「それは当然…」
チラッ
牌流「……なーにー?」
ギロッ
紅寸「なんでもないです」
蛇龍乃「あー、あと最後に一つだけ。勿論、戦闘してくれても構わないけど……屋敷内ではやめてね? ぶっ壊れちゃうから」
────…………
一同、食事を終え。
その後片付けをする牌流。そこに。
紅寸「ねぇねぇ、牌流ちゃん」
牌流「なにー?」
紅寸「…手伝おっか?」
牌流「いい。紅寸にやらせると仕事が増えそうだし」
紅寸「相変わらずくすんに厳しい牌流ちゃん……そろそろ泣くよっ!?」
牌流「あはは、ごめんごめん」
紅寸「で、牌流ちゃんは忍びを頑張る気になってくれたの?」
牌流「別に紅寸のためにやるわけじゃないけど。まぁ自分を守れる強さくらいはあってもいいかなーって。それに……ここの人たちのことも嫌いじゃないし」
牌流「私だって皆の役に立てるのは、そりゃあ誇らしいからね」
紅寸「おー、牌流ちゃんも成長したねぇ」
牌流「……なんか、不思議な人だよね。蛇龍乃さんって。言葉に強さを持ってるっていうか……いつの間にかその気にさせられるっていうか」
紅寸「牌流ちゃんをその気にさせるのはそんな難しいことでもない気もするけど…」
牌流「なんか言ったー?」
紅寸「ううん、なんでもないよ。じゃあさ、さっき言われたゲーム」
牌流「ゲーム?」
紅寸「えっ、忘れたの!? 立飛と鹿ちゃんの髪飾りを奪えってやつ」
牌流「いや、覚えてるけど。それがどうかした?」
紅寸「えーとね……協力しよう、牌流ちゃん。ほら、協力していいって蛇龍乃さん言ってたし」
牌流「協力? 私と紅寸が? なんで?」
紅寸「なんでって……そんなの一対一より二対一の方が有利だからに決まってるじゃん!」
牌流「うーん……そうかなぁ? まず戦闘になったら私瞬殺されるし、向こうも二人で協力されたらますます不利にならない?」
牌流「それに、一人でいるところを狙うとしても。髪飾りは一つだけなんだから、あまり二人で協力する利点っていうのが私には見当たらないんだけど」
紅寸「…………」
牌流「まぁいくら失敗したっていいんだし、試しに一人で仕掛けてみたら?」
紅寸「もうしたよ。でも駄目だった……」
牌流「え?」
紅寸「くすん、考えたの……立飛と鹿ちゃんだったら、まだ立飛の方が可能性あると思って。鹿ちゃんはくすんよりだいぶ強いからね」
牌流「そうなの? その辺の力関係は私はまだよく知らないからなんとも言えないけど……ふーん、鹿ちゃんって人の方が上なんだぁ」
紅寸「でね、立飛がお風呂に入ってるところを狙おうと思ったんだけど……そこに門番のように立ってる鹿ちゃんがいたから泣く泣く断念して戻ってきた」
牌流「へぇ、向こうも結構警戒してんだね。そこまで本気になってくれなくていいのに」
紅寸「なんかね、そういうわけじゃなくてこのゲーム関係なしに立飛って他人に裸見られるの一番嫌がるらしいよ?」
牌流「なんで…? 別に男に見られるわけじゃないんだし、そこまで…」
紅寸「さぁ? 鹿ちゃんがそう言ってて。かなり真面目に」
牌流「ふーん……まぁ人には人の事情があるからそこはあまり詮索しないであげようよ」
紅寸「うん。それで協力は?」
牌流「しない」
紅寸「えー! 牌流ちゃんだって一人じゃどうしようもないでしょー!?」
牌流「何か二人ならではの明確な作戦とか考えてるの? それだったら協力してあげてもいいけど」
紅寸「え…」
牌流「作戦」
紅寸「今、考え中……」
牌流「……よし、片付け終わったー! じゃあ私、部屋に戻るからもし思い付いたら話だけは聞いてあげるよ」
紅寸「うーん、うーん……作戦……作戦……」
……部屋に戻っていく牌流と、一人その場で頭を抱える紅寸だった。
────…………
立飛「ふぅ、気持ち良かったー……あれ? 鹿ちゃん」
風呂から出てきた立飛が鹿を見付ける。
立飛「…あー、見ててくれたの?」
鹿「念の為に、ね。わざわざ掘り返されるのもあれかなーと思って」
立飛「ありがと。じゃあ鹿ちゃんが入ってる間、私が見張ってようか?」
鹿「ん、別にいらない。私は見られても気にしないし、浸入してこられても負けないしねぇ」
立飛「だよねぇ、余計なお節介失礼しましたー。あ、鹿ちゃん。お風呂から出たらさ、前に教えてもらった将棋やろ?」
鹿「おー、いいよー」
そして炊事場に戻ってきた立飛。
そこには頭を抱え、唸っている紅寸の姿があった。
立飛「…………わっ!」
紅寸「わわっ!? あっ、立飛!?」
立飛「何してんの? 悩み事?」
紅寸「ん、どうやったら立飛から髪飾り奪えるか必死に考えてた」
立飛「私限定なのね……ふーん、ナメられたものだ」
だが、もし自分が逆の立場だったら。同じく鹿の相手は回避するだろう、と。
それくらい自分と鹿の間に、まだ相当な力量差を感じている立飛だった。
立飛「…今日はもう夜だからあれだけど、明日でよかったら勝負してあげるよ。そこで奪ってみたら?」
紅寸「うーん、まぁそれが一番可能性高いのかなぁ……あの技が使えれば奪える自信あるのに」
立飛「あはは。蛇龍乃さんも言ってたけど、術に頼りすぎるのも良くないって。まずは自力を磨くことだねー」
……と、二人がしばらく話をしているとそこに。
立飛「あ、噂をすれば」
紅寸「もう寝たのかと思ってた」
立飛「蛇龍乃さんがこんな時間に寝るわけないじゃん。でもなんかこっちに来るのは珍しいかも」
「苦戦してるようだね、紅寸」
紅寸「ん……ねぇ、あの技、術? 一回だけ使っちゃ駄目?」
「無理。忍びなら頭を使うことだな。あー、それと立飛」
立飛「なに?」
「ちょっとこっち来て」
立飛を自分の元に来させ、その手には髪飾り。
先程、立飛が蛇龍乃から貰ったそれと形は似ているが、少し色が異なる物。
立飛「それは?」
「ふふっ、立飛にはやっぱこっちの色の方が似合うと思ってね。ちょっと頭下げてくれる?」
立飛「ん……このくらい?」
立飛の髪飾りを外し、代わりに別の髪飾りを取り付け。
……そして、悪戯げな笑みで言う。
「──はい、私の勝ち。案外余裕だったかな」
立飛「え?」
紅寸「??」
……と、蛇龍乃。
いや、蛇龍乃のカタチをしていた者の姿が一瞬にして変わり。
魔法を見ているのか、狐に化かされたのか。
立飛と紅寸、二人の目の前にいたのは。
立飛「なっ…!?」
紅寸「え、なんで……え? 牌流、ちゃん……?」
牌流「これ、ありがとねー」
これ見よがしに、奪った髪飾りをひらひらと掲げる牌流。
立飛「い、今のって……もしかして、術……?」
紅寸「す、すごー! てか牌流ちゃん、術使えたの? あ、術は使っちゃ駄目って本物の蛇龍乃さんが」
牌流「それは紅寸だけでしょ? 私は何も言われてないしー」
そう、牌流の術──“偽装”。
姿、声をその身に映し。相手を憚る。
牌流「こんな簡単にいくなんてちょっと拍子抜け。立飛、油断しすぎじゃない?」
立飛「うぅー、あー……完全にやられたー……」
紅寸「でも今のってちょっと卑怯じゃない? 牌流ちゃん」
牌流「なんで? 騙された立飛の落ち度でしょ。ていうか蛇龍乃さんの話聞いた限りだと、忍者ってそういうものじゃないの?」
牌流「もしかして紅寸、力ずくで奪おうとしてた? 今の私たちで勝てるわけないじゃん。だったら頭使わないとねー」
紅寸「牌流ちゃんが頭良さそうなこと言ってると、なんか複雑…」
立飛「悔しい……けど、身に教えられたよ。もし牌流ちゃんが敵だったら今ので私、殺されてたからね」
鹿「そうそう。良い勉強になったねー、立飛」
いつの間にか入口付近に居た鹿が口を開いた。
鹿「立飛もまだまだだねー」
立飛「最近、失敗続きでへこんでるんだからあんま苛めないでよー、もー……」
紅寸「ずっと見てたの? 鹿ちゃん」
鹿「うん、どうなるかなーって」
牌流「あらら、じゃあ鹿ちゃん相手だと警戒されちゃうなぁ。というわけで紅寸は自力で頑張ってねー」
鹿「…んー、警戒もなにも。私は立飛みたいに簡単に騙されないし」
立飛「鹿ちゃんのイジワル……そりゃあ私だってもし鹿ちゃんがやられたの見てたらこんな易々引っ掛からなかったのに」
鹿「あー……いや、そういうわけじゃなくて。今の術さ、初見であっても私には通用しないと思うよ?」
立飛「……?」
紅寸「強がり? 蛇龍乃さんの姿してたんだから、ここにいる人なら絶対騙されちゃうよ」
鹿「まぁ紅寸には……あと立飛でさえ騙されたんだから、それなりには使えるんだろうけど。私から言わせてもらえば、なんていうか……下手くそ」
牌流「ヘタクソ!?」
鹿「なんて言うんだろ、感覚的になるんだけど……仕込みが甘いというか粗いというか、違和感ありありで。立飛なら途中で気付くかなーと思ったら、全然そんなことなかった」
鹿「詳しくは私もよくわかんないけど、多分そこそこ術の演算が可能な手練れ相手だとすぐ見抜かれちゃうかも。だからじゃりゅのん相手なら100%通じないと断言しておこう」
牌流「うわぁ、マジで……? 知らなかった……」
鹿「自分の術の欠点について知っておくことはすごく大事だから。実践で痛い目見る前でよかったねー」
牌流「…はい」
紅寸「でも紅寸だって術使えるのに騙された…」
鹿「ん? 紅寸のあの術ってなんか演算使ってんの? てっきりそんなん必要としてないのかと思ってた」
紅寸「演算ってなに?」
鹿「えーと……簡単にいえば、頭の中で計算式浮かべたり、なんていうか……こうしてこうなってああして、とか考えたりしてる?」
紅寸「いえ、まったく」
鹿「だろうね。だからその耐性が備わってないか、それか紅寸自体がまだまだ弱いか」
牌流「あー、その演算っていうのなんとなーくわかるような…」
鹿「この牌流ちゃんの術は結構そういうの求められそうだもんね。だからそれをもっと巧く速く正確に扱えるようになれば今より精度は増す、のかな…?」
鹿「まぁ他人の術はよくわかんないから、じゃりゅのんに訊くのが一番だけどね」
牌流「やっぱりあの人ってすごい人なの?」
鹿「うん……ああ見えて私らとは格が違う。術に関してだけいえば、忍びのなかでも最上位の括りになるんじゃないかな」
牌流「へぇ……」
紅寸「術以外に関しては?」
鹿「ごみくず」
立飛「術、かぁ……」
鹿の術に負け、紅寸の術に負け。
……そして今回、牌流の術に負けた。
身体能力、体術の面でいえば着実に力を付けてきていると自分でも感じるが。
ここぞという場面での武器が、自分には無い。
……忍びとして最大の武器。奥の手。術。
立飛「……術」
鹿「ん?」
立飛「鹿ちゃん、私の術は?」
鹿「え、どうしたの? 藪から棒に」
立飛「皆ばっか術使えてズルい」
鹿「ズルいって……そんな子供みたいなこと……あ、もしかして拗ねてる? ははは。可愛いねぇ、立飛は」
立飛「……別に拗ねてるわけじゃないけど。前のあれ、術なんでしょ? いつになったら使えるようになるのかなぁ」
鹿「前のあれ…?」
立飛「ほら、鹿ちゃんが私をボコボコにした時のやつ」
鹿「うぐっ……あれ、私のなかでトラウマになってんだから、あんま触れないでよぉ……」
立飛「どちらかといえば私の台詞なんだけど……どう考えたってトラウマになるとしたら私の方でしょ。なんで鹿ちゃんが…」
紅寸「なにそれ、そんなことあったの?」
牌流「ケンカ? 二人ってすごい仲良さそうに見えるのに」
立飛「酷いんだよ? 鹿ちゃんってば、一方的に殴るわ蹴るわ術まで使ってくるわ、もう散々な目に…」
鹿「あの後めちゃめちゃ謝ったじゃんっ、もうこの話は終わりっ! ていうかその術に関しても丸っきり放置されてるってわけじゃないでしょ?」
立飛「まぁ、そうなんだけどさ……」
……立飛の術。
現状はというと、鹿が言った通り。
放置されているわけではないが、しかし扱い方を教授されたわけでもなく。
段階的には進展があるのかないのか、立飛自身あまり体感は出来ていない。
というのも、現段階で立飛に課せられている課題は。
術の使用についてのなんたるかというよりも。
術の使用を禁じられている──即ち、意識して使用しないよう心掛けろと命じられているわけだ。
立飛の精神に宿る緋色の意識。
以前に置場所を決めたそこから無意識の内に溢れ出てこぬよう、蓋をしておく制御の期間中というわけである。
前回の任務において、立飛にとって苦い記憶となっているが。
なにも全てが全て悪かったわけではなく。
一番の収穫として、この術における制御が乱されなかったという点。
紅寸に殺されかける寸前まで追い詰められた危機的状況。
以前までの立飛であれば間違いなく緋色の意識に精神が覆われ、戦闘不能に陥っていたことだろう。
だが最後まで自身の意識を途絶えさせることなく、制御を保てた。
立飛としてはそんな制御など考える余裕も残っていなかったのだろうが、それで結果正解なのだ。
何故なら。
まず、いざ取り出すにあたって意識的な制御は当然必要不可欠である。それが自らの意思で扱えている証となるわけであるからだ。
しかし、溢れ出てこぬよう止めておくこと。これに関しては意識して抑え付けておくよりも、無意識で抑え付けられる方がより望ましい。
……ということから、立飛の術。
少しずつではあるが、開花に向かっているといえよう。
鹿「…まぁ焦ることでもないから。そればっかで頭の中いっぱいになって、他が疎かになったらなんの意味もないでしょ?」
立飛「……うん」
鹿「もー、そんな落ち込むなってー。気持ちはわかるからさー。私はともかくとして、新入りの紅寸や牌流ちゃんにも負けちゃったからって今までの立飛の努力が否定されたわけじゃないんだし」
鹿「立飛はまだ発展途上なんだから、目の前にある課題に懸命に取り組めばいいんだよ。そんな心配しなくても、立飛はちゃんと日々成長してるから」
立飛「鹿ちゃん……うん、ありがと」
鹿「ま、私にはまだまだ遠く及ばないけどねー。……忍びも、将棋も。はい王手…っと」
……パチッ、と。
盤面に乾いた音が鳴り渡り。
立飛は詰んだ。
立飛「性格悪っ! 普通このタイミングで詰ます!?」
鹿「あははっ。まぁまぁ、私も立飛のことはすっげぇ認めてるからさ。だからこそ、何に関しても負けたくないんだよねぇ。それに、わざと勝たせてもらっても喜ぶ立飛じゃないじゃん?」
立飛「…当然。ね、もっかいしよ?」
鹿「もう寝るから無理」
立飛「えー」
鹿「またいつでも再戦は受けてあげるから。んじゃおやすみー」
立飛「私も寝よっかなー。二人はまだここにいるの?」
牌流「んー……私も早く寝たいんだけど、紅寸が」
逃がすまいと、牌流の服の裾を握り離そうとしない紅寸。
紅寸「まだ寝ちゃダメ。鹿ちゃんからどうにかして髪飾り奪う作戦考えなきゃ!」
紅寸「うーん、将棋の最中でもまったく隙を見せなかったし、強敵過ぎる……」
牌流「えー、私はもうゲーム勝利したし。紅寸に付き合ってあげる理由無いんだけどー? ほら、見て見てー。似合ってるでしょ? 立飛」
立飛「むぅ……それ私の……悔しい。もうゲームは牌流ちゃんの勝ちでいいからさぁ、それ返してくれない?」
牌流「え、ごめん無理。だって私もこれ気に入っちゃったし。てか立飛って蛇龍乃さんのこと大好きだよねー」
立飛「うん、そうだね。誰よりも、尊敬してる…………私を救ってくれた恩人だから」
牌流「ふーん……」
紅寸「うーん、うーん…………あっ!」
立飛「おや?」
牌流「何か思い付いた?」
紅寸「うん。あのね、よくよく考えてみたら。くすんがあの鹿ちゃんを騙すのって、普通に戦って倒すよりも遥かに無理難題だと思うの」
牌流「そこに気付いてしまったか……!」
立飛「それで?」
紅寸「だから戦って倒す!」
牌流「へー、頑張ってー」
立飛「おやすみ、紅寸」
牌流「また明日ねー、紅寸」
紅寸「待って待ってっ! まだ続きがあるからっ!」
────…………
……そして翌日。
髪飾りを奪い、そして守る。
新人二人 対 既存二人。その争いの最終日である。
途中経過としては。
牌流が術を使い、立飛から髪飾りを奪うことに成功。
よって、残る髪飾りは鹿が持つ物のみ。
紅寸はそれを奪うべく、屋敷外にて鹿に戦闘を申し出た。
……一度は了承した鹿だったが。
鹿「……え? ちょ、ちょっと待って……話が違うくない!?」
紅寸「何が? くすんは別に一人で挑むとか言ってないもん」
鹿「い、いや、そうだけど……これは」
禁じられていることといえば、紅寸の術と屋内での戦闘。
そう、それ以外は何をしてもよいのだ。
よって紅寸は協力を仰いだ。無論、誰かと協力することは禁止行為ではない。
……だがその相手は牌流ではなく。
立飛「さぁ覚悟だ、鹿ちゃん」
鹿の正面に紅寸。そして背後に立飛。
鹿「なんで立飛がそっちに回ってるんですかねぇっ…!?」
紅寸「だって駄目って言われてないし。ねー?」
立飛「ねー。まぁ私だってそろそろ鹿ちゃんに一泡吹かせたいし、それに報酬の約束もしてもらったしね」
鹿「報酬…?」
立飛「鹿ちゃんからその髪飾り奪ったら私にくれるって紅寸が」
紅寸「うん」
立飛「で、牌流ちゃんがそれとだったら私から奪った髪飾りと交換してくれるって」
鹿「忍びのくせに買収されてんじゃねーっ!!」
……若干危機感を覚える鹿。
紅寸と立飛。それぞれと一対一であればまず敗ける可能性は無い。
だが、同時にこの二人を相手にするとなればどうか。
鹿「はぁ……まぁいいや。二人まとめて相手してあげるよ」
短いけどここまで。読んでくれてる人いたら今年もどうぞよろしくです
この話の設定やらキャラ付けやら結構気に入ってるから今書いてる過去編終わって新編も書きたいし今年はずっと書いてるかもね
あとエロい話も書きたいしもしかしたらR-18の方で本編とは関係無いエロパートとしていつか書くかも書かないかも
ではまた深夜に
決して弱くはない相手二人との戦闘。
だがそれでも敗ける要素は見当たらない、と鹿は思っていた。
立飛「はぁぁぁぁッ!!」
紅寸「たぁぁぁぁッ!!」
前方後方、同時に迫り来る二人。
鹿「…………」
身を水平に引き、左右から向かってくる相手の動きを観察するように、ただ両眼で見やる鹿。
だが何をするわけでもなく、その場に立ち尽くすまま。
……そして。
立飛、紅寸の攻撃が触れる寸前。その刹那。
ヒュッ、と。
その一瞬の動作で後ろに飛び退くと。
紅寸「うわわっ!!」
立飛「え、ちょっ…!」
ズドッ──!!
攻撃対象である鹿の姿を見失ったことで。
超速で迫っていた二人は、まるで冗談のように。
……激しく衝突した。
立飛「うぅ……っ」
紅寸「痛たたた……」
鹿「哀れやのう…………てかわざとやってるようにしか見えないんだけど」
……まぁこうなるだろうとは予測はしていたが。
一対二というこの状況。立飛と紅寸の実力をほぼ同等と考えた場合。
二人がかりだといって、なにも単純計算でその能力が倍になるわけではない。
息が合っていなければ、その自乗効果は望めないどころかマイナスに陥ることもある。
ましてやこの二人による即興タッグ。いきなり上手く働くわけがないのだ。
長い時間共に戦ってきた者ならまだしも、知り合って一月も経っていない立飛と紅寸。
……波長を合わせることがどれ程難しいか。
紅寸「ちょっと立飛! 邪魔しないでよ! くすんを倒すんじゃなくて敵は鹿ちゃんだからね!?」
立飛「えー、私のせいなのー?」
紅寸「…よし、もっかい」
立飛「……紅寸、ちょっと待った」
紅寸「なに?」
立飛「多分、このままじゃ何度やっても今の二の舞になっちゃうからさ……各々の役割を決めよう」
そう、二人協力しての戦闘。その戦い方は無数にあるが。
即興で効果が見込めそうなものは一つだけ、と立飛が言う。
立飛「紅寸が前衛で鹿ちゃんと戦う。で、私が後衛ポジションで隙を狙う……とりあえずこれでいかない?」
紅寸「でもくすんだけじゃ鹿ちゃんにすぐやられちゃうよ?」
立飛「それはそれで紅寸に注意を注いでるんだから、少なからず隙が生まれる筈。その隙を私が狙うの。なにも鹿ちゃんを倒すわけじゃなくて髪飾りを奪うだけだから、その僅かな隙を突けば…」
立飛「まぁ別に私が前衛で鹿ちゃんと戦ってもいいんだけど、紅寸は後衛よりも完全に前衛向きじゃない?」
紅寸「なるほど。そうかも」
立飛「うん、紅寸ってそんな器用なタイプじゃないし、フォローは私に任せてさ。難しいこと考えずにただ真正面から全力で戦ってくれればいいから」
紅寸「うんっ、うん……? 立飛、遠回しにくすんのことアホ扱いしてない?」
立飛「き、気のせいじゃないかな? ほらほら、さっさと行った行った!」
紅寸「よーしっ!」
役割を決めての戦闘再開。
立飛は鹿から距離を取った位置に。
紅寸は先程と同じく、近接での戦闘を仕掛けにいく。
鹿「ふーん……ま、最低限は心得てきたか」
鹿が紅寸を迎撃するべく、構えを取った。
と、その瞬間。
ヒュッ──!
鹿「へ…? うぉっ!?」
飛んできた手裏剣をなんとか避けた鹿。
立飛「ちぇっ、外したー」
鹿「ちょっ、立飛! なんでそんな物を」
立飛「別に道具使うことは反則じゃないし。使えるかなーと思って準備してた」
鹿「私、丸腰なんだけど…」
遠距離からも攻撃手段があるとなれば、立飛の方への警戒を切らすわけにもいかない。
が、紅寸への注意も当然疎かにはできない。
紅寸「鹿ちゃん覚悟ぉぉっ!!」
鹿「くっ、このっ!」
難しいことは考えず、ただ真正面から全力で戦う。
これを踏まえたうえで、紅寸に求められるのは。
それは、鹿との距離を可能な限り近接に保つこと。
倒せなくても構わない、だが簡単に吹っ飛ばされてしまえば。体勢を整えられてしまう。
即ち、立飛が狙うべく隙を摘まれてしまうのだ。
立飛も立飛で、飛び道具で紅寸を援護。
それにも対処しなくてはならない鹿は、紅寸に対する隙を少なからずどうしても生んでしまう。
透かさずそこを近距離から狙う紅寸だが、この程度で動じる鹿ではない。
紅寸の攻撃を華麗に受け流し、直ぐ様反撃に転じる。
紅寸「あっ、ヤバいっ…」
と、鹿のその背後から唐突に。
立飛「はぁぁっ!!」
鹿「甘いっ!」
立飛の不意打ちは通りはしなかったが、その僅かな間に紅寸は体勢を取り戻し。
攻撃を再開。
遠距離にいながらも、隙が生まれそうなら距離を詰めてくる立飛。
そして紅寸も近接での鹿との交戦に、粘りを見せ、奮闘する。
思った以上に厄介だと、鹿も感心するほどであった。
……そして一進一退の攻防が続き。
戦いの最中に、徐々に波長が合ってきた立飛と紅寸に。
幾度か危うい場面に晒される鹿。
……だがそれでも、万一の際への備えは残してはいるが。
さて、このひらすら長い攻防における立飛と紅寸。
波長が合ってきた、ということは。
そう、単調であった戦術に変化を与えられるわけである。
……互いの目を見て、いや感覚的に。
自分がこうすれば相方はこうするんだろうなぁ、という。
それよって、鹿は追い詰められることとなった。
変わらず近接で交戦する紅寸と鹿。
と、そこに。
立飛が参戦。戦いの初っぱなで失敗した二人がかりでの近接での戦闘に打って出たのかと思いきや。
鹿「え?」
立飛が距離を詰めてきたと同時に、紅寸はその身体を退いてみせた。
二人が選んだのは、前衛と後衛の逆転。
……と、思いきや。
紅寸の姿はまだ鹿の眼前にあった。
退いたように見えたのは、実は重心だけ後ろに移しただけであり。
その足は今もしっかりと地に付いていた。
そして、前へ身体を戻す反動で鹿に仕掛ける紅寸。
鹿「……っ!」
鹿の注意は一瞬ではあるが、紅寸から切らせてしまっており。
同時に立飛の相手もしている。
完全にやられた、と唇を噛み締める鹿だったが。
……まだ手はある、と。
出来ることなら使いたくなかったが、ここまで自分を追い詰めた二人を讃える意も込め。
瞬間。鹿の真下に伸びている影がぐにゃりと動く。
立飛「えー、そこまで本気なんだ!?」
鹿「言ったでしょ? 負けるのは嫌だって」
影は地面から浮き上がり、紅寸へと伸びる。
……だが、立飛。そして紅寸もそれを待っていたとばかりに笑みを薄く浮かばせた。
立飛「…まぁ鹿ちゃんがむきになって術使ってくることも一応は想定してたよ。ね? 紅寸」
紅寸「まぁねっ」
そして影が紅寸の腕を絡み取ろうとした瞬間だった。
鹿「なっ!? えっ…」
影は鹿の制御を離れ、地へと戻っていく。
完全に目を疑い、理解が追い付かない鹿の頭へと伸びる紅寸の手。
……そして結果、髪飾りは。
鹿の頭を離れ、紅寸の手へと渡った。
紅寸「やったー! 取ったー! 勝ったー!」
立飛「上手くいったね! 紅寸!」
鹿「え……ちょ、ちょっと待って! 異議あり異議ありっ!」
突如、術が自分の制御を離れ、無効化された。
それは今もだ。操ろうとしてもまるで動いてはくれない。
術を消された。いや、封じられた。
……そう、このような真似が出来るのは。
蛇龍乃「いやぁ、お疲れさーん。頑張ったねー、やるじゃん二人とも」
鹿「ちょっ、なんでじゃりゅのんまでそっちの味方してんの!?」
紅寸「だって駄目って言われてなかったし」
立飛「駄目元でお願いしてみたら軽く頷いてくれたの、蛇龍乃さん」
蛇龍乃「立飛に頼まれたら嫌とは言えなくて」
鹿「ゲーム発案者は中立であれよっ!!」
蛇龍乃「ははは、ルールの盲点を突いた二人の考え勝ちだな。まぁでもこれはこれで有りだと思うよ。もし私が紅寸の立場だったら間違いなく、この蛇龍乃さんを使ってるもん」
……実はこの手法。
紅寸がそこまで考えていたかは定かではないが、立飛を使うと堂々と明かしていたことが何よりも大きかった。
いざ戦闘が始まる前、立飛と協力すると公言されたことで鹿は無意識のうちに安心してしまったのだ。
もしこれが紅寸が一人で交戦を申し出て、戦いの最中に突如立飛が参戦してきていたら。
……蛇龍乃の存在も警戒していたかもしれない。
最初に反則すれすれの手段を用いたことで、鹿はこれ以上は無いと心理的に他の可能性を除外してしまっていたのである。
立飛「あー、初めて鹿ちゃんに勝てたー、やったー」
鹿「くっ……今の勝利に数えちゃうの!?」
立飛「結果は結果、でしょ? あ、紅寸」
紅寸「んー?」
立飛「協力してあげた報酬。髪飾り、ちょーだい」
紅寸「んー、どうしよっかなー? もしダメって言ったら?」
立飛「…………」
ギロッ
紅寸「う、嘘だよ嘘っ…! ちょっとからかっただけなのに立飛、目が本気なんだもん……あーこわいこわい」
────…………
夜。食事を済ませ、一同が集う。
蛇龍乃「はい、結果発表ー。まず牌流ちゃん」
牌流「はーい」
蛇龍乃「完璧だったね。まぁ仕掛けた相手が鹿じゃなく立飛だったのは運が良かったけど」
蛇龍乃「相手を欺き、そして奪う……それが物だろうと命だろうと変わらない。これが忍びの基本だ」
蛇龍乃「如何にしてリスクを抑えて目的を遂げるか。それを踏まえたうえで牌流ちゃんの手法は何よりも忍道に添っている。ただ強いだけの奴よりも遥かに使いやすいよ」
牌流「いやぁ、どーもです」
蛇龍乃「でも、今のままの精度じゃ心許ない。あと自分でもよーくわかってるだろうけど、地力もまるで足りてないから。術に頼りすぎるのはそれはそれで危険だからね……これからたっぷり鍛練積んで頑張ってよ」
牌流「はい……でもさっきの三人の見てると、なんかもう凄すぎて目が回っちゃった。強くはなりたいけど、とてもあんな風に自分がなれる気が」
蛇龍乃「あー、なれるなれる」
牌流「え、即答? そんな簡単に」
鹿「勿論簡単なわけじゃないけど、一生懸命取り組めばあれくらいなら充分手が届く範囲かな。だって立飛とか最初は牌流ちゃんと比べ物にならないくらい酷かったもん」
牌流「え? 立飛が? 嘘でしょ?」
立飛「あはは……まぁ鍛練は厳しいけどね。私くらいならそう遠くないんじゃない? ……ていうか私もまだまだ全然だし」
牌流「ふーん……なんか信じられない……まぁでもそれなら頑張ってみようかな。私だって皆の足手まといになるのは嫌だし」
紅寸「そうそう、その意気その意気!」
牌流「とりあえず紅寸には負けたくないかなぁ。まー今回は私の大勝利に終わったわけだけどー」
紅寸「牌流ちゃんって意外と負けず嫌いだよね。ていうか今回のは引き分けじゃないの? くすんも成功したし!」
蛇龍乃「んじゃお待ちかね。紅寸」
紅寸「あ、はーい」
蛇龍乃「んー、なんていうか……合格っちゃ合格」
紅寸「ん…? なにその微妙な判定」
蛇龍乃「えーとねぇ、まず…」
蛇龍乃「使えるものは何でも使う……結果、目的を遂げることが出来たらそれは大成功だ。でもなぁ、戦闘行為っていうのはどうしてもリスクが伴うから、あまり第一の選択に入れてほしくないのよ。わかる?」
紅寸「ん、なんとなく」
蛇龍乃「戦闘内の臨機応変さも当然必要だけど。戦闘外、そこに到るまでの臨機応変さを養うべきかなぁ。対応力ね、策を案ずる頭、知恵、発想。紅寸に一番欠けてる部分な」
紅寸「うぁぁ……牌流ちゃんと扱いの差が酷い」
蛇龍乃「あ、それと」
紅寸「まだあるの!?」
蛇龍乃「そうそう、これが一番大事だった……そして紅寸の一番駄目なところ。たしか私に助力を求めたのって紅寸じゃなくて立飛だよね?」
紅寸「うん」
蛇龍乃「立飛を味方に引き込んだところまでは良い。でもそれでなんとかなると思って二人で鹿に挑もうとしてたらしいじゃん」
蛇龍乃「自分一人じゃ無理だけど立飛と二人なら勝てるかも、どうにかなるかも、って」
蛇龍乃「“かも”じゃ駄目なんだよ。どんな手段を用いても構わないが、やるからには敵に付け入る隙を与えさせるな」
蛇龍乃「そもそも紅寸は鹿の術は初見じゃないでしょ? だったらそれを想定しての対策を練る必要があり……そして絶対に詰ませなくてはならない」
紅寸「はい……おっしゃる通りでした」
蛇龍乃「その点、立飛は優秀だったね。偉いぞー」
ナデナデ
立飛「えへへー。やった、褒められた」
蛇龍乃「まぁしかし……牌流ちゃんの術を知らなかったとはいえ、油断し過ぎたね」
立飛「うぁ……それに関しては何度も自分で反省してるからもう勘弁してよ」
蛇龍乃「ははは。んじゃ…………鹿」
鹿「なにー?」
蛇龍乃「なにー?じゃねぇ! なにあの体たらく。情けなー」
鹿「いや、もう何もかもが私に不利なゲームだったんだけど。健闘したって褒めてくれてもいいじゃんっ!」
鹿「髪飾りも付けっぱなしが条件だから一瞬たりとも気を抜けねーわ、前回の任務で負った傷も治ってなくて肩がクソ痛ぇーわ、向こうは立飛使ってくるわ、こっちは丸腰なのに手裏剣バンバン放ってくるわ、挙げ句の果てにはあんたが術を封じてくるわ……もうリンチじゃんこんなの……」
蛇龍乃「えー……そんなの気を抜かなきゃいいだけだし、怪我したお前が悪いし、協力していいって最初に言っておいたし、武器を持ってきてないお前が悪いし、術を使わざるを得ない戦況に追いやられたお前が悪いし」
蛇龍乃「まぁ全部引っ括めて……ナメてたんでしょ? 立飛と紅寸を」
鹿「あー、な、なんというか……えーと、うーん……この二人相手ならなんとかなるかなー、と」
蛇龍乃「それをナメてるというのだ」
鹿「はい…」
蛇龍乃「あんまうかうかしてるとすーぐ追い抜かれるかもよー? 立飛は勿論のこと、紅寸や牌流ちゃんにも」
鹿「だ、だよね……精進します、はい……」
────────……………………
紅寸と牌流が忍びとなり、およそ半年が経過していた。
日々、鍛練に励む紅寸と牌流。重ねる毎に、少しずつ忍びの色に染まっていき。
現状は、というと。当然といえば当然か。
独学による戦闘スキルを半端に備えていた紅寸と比べ。
限り無く戦闘経験の薄い、謂わば空っぽの状態であった牌流の方が伸び幅的には大きく。やはり、ある程度の域までの成長速度は格段に早かった。
立飛も苦い記憶を払拭するように、新たに与えられた任務を今度こそ己一人の力で最初から最後までやり遂げた。
そして、次の段階へ。
鹿、紅寸、牌流とは別に。立飛のみ、蛇龍乃と共に別メニューに取り組んでいる。
……そう、術の扱いである。
立飛「っ、はぁっ、はぁっ、はぁぁ……もう無理ぃ……っ」
蛇龍乃「大丈夫…? ホント無茶しないでね? いくら私でも立飛の精神にまでは介入出来ないんだから、そこの判断は自分で頼むよ?」
立飛「…ん、平気平気……ちょっと目眩がしただけだから。それに、いざとなれば蛇龍乃さんがなんとかしてくれるでしょ?」
……もし危機的事態に陥りそうになれば封術を使い、最悪は免れるだろうが。
立飛の精神内での意識制御の鍛練。蛇龍乃といえど、他人の内でどうなっているかなどの全容を隅から隅まで把握可能なものではない。
どちらかといえば、今言った最悪に備えて立飛の側に付いているかたちである。
……しかし。
蛇龍乃「これを始めてから何度も言ってるけど……強制的に私が止めなきゃならない事態になった時点でそれはもう失敗だ。もしそうなれば金輪際、術の使用は許可しないから」
立飛「うん……わかってる」
蛇龍乃「強さを得る為には無茶は禁物。くれぐれも判断を見誤らないでね」
立飛「気を付けます……でもなんとなく感覚を掴んできたような気もする、から……もう少しだけ続けていい?」
蛇龍乃「まぁ自分で大丈夫と思うならそれは立飛に任せるよ」
立飛「うん、もう目眩も収まったし大丈夫!」
……そして立飛は、再び眼を閉じた。
…………さて、ここ数ヵ月続けているこの鍛練。
端から見れば、ただ瞑想を行っているだけにも思えるが。
内では相当に神経を使う極めて繊細な、意識を紡ぐ作業が行われている。
半年前には、立飛の中に存在する別の意識。瞳を染める緋色の意識を、定めた置場所に閉じ込めたままにしておく段階にあったが。
今はその緋意識を取り出し、それを制御しつつ内に流しているわけだ。
更に詳しくいうならば。立飛の中にある、“主意識”と“緋意識”。
まず、その緋意識は集合体であり。感覚的にいえば、一つの固まりである。
当初、これが発動してしまえば立飛の主意識も問答無用に絡め取られ。
その結果、意識を失ってしまうというものであった。
当然、これではまるで使い物にはならない。
よって、立飛が今集中して行っているのはその逆。
緋意識を主意識に溶かすことにより撹拌させ、その濃度を薄め。主意識に混ぜるというもの。
そうすれば、主の制御で緋を発動させることが可能になり。
更に、緋の濃度が薄まったことで術を使用したからといって今までのように主意識全てを持っていかれることもなくなる。
こうして言葉にすれば簡単そうに思えるが、これが中々どうして難しく。そしてリスクをも伴うのだ。
……というのは、以前までの緋意識の強制発動。
これは固まりである緋意識に絡め取られているのだから、自ずとその主意識も一つの固まりとなっている。
であることから、緋意識が鎮まれば主意識も元の場所に戻される。
……しかし、今の状態の場合だとどうなるか。
先程言った通り、緋意識は主意識の中に溶けている。つまりはバラバラの状態にあるわけだ。
もしも、この状態で緋意識が暴走──強制発動してしまった場合。
同時に主意識もバラバラになり、緋意識が鎮まったからといってそれが元通りになるという保証は無い。
立飛「はぁっ……はぁっ……ぅ、あ…………ふぅ…………っ」
蛇龍乃「……今日は終わりにしよっか?」
立飛「うん、さすがにこれ以上はヤバい気がするー…」
蛇龍乃「んじゃ屋敷に戻ろう。そろそろアイツらも帰ってきてるっしょ」
……そして夕食時。場に一同が集う。
立飛「はぁぁ……疲れたぁ……」
紅寸「毎日毎日お疲れだね、立飛。なんか顔色悪いけど大丈夫?」
鹿「日増しに痩せていってる気がしないでもない……ただでさえ細いんだから、もっと食べた方がいいんじゃない? 食欲ある?」
立飛「そんな心配してくれなくても平気平気。ちょっと疲れてるだけでちゃんと食欲もあるし。牌ちゃん、お代わりちょーだい」
牌流「はーい」
立飛「んー、相変わらず牌ちゃんの御飯美味しいから元気出るー」
蛇龍乃「疲れてる時はいっぱい食っていっぱい寝るのが一番だぞ、立飛」
……と、そこに。
今賀斎甲「……」
牌流「あれ? じーちゃん」
紅寸「さっき一足早く部屋で御飯食べてたのにもうお腹空いちゃったの?」
蛇龍乃「食べたこと忘れたんじゃね?」
鹿「あー、とうとうボケ出してきてしまったか…」
今賀斎甲「やかましいわっ、この馬鹿共!」
立飛「あ、お酒?」
牌流「ならすぐ用意するね。簡単なものでよかったらおつまみもすぐ作るから」
今賀斎甲「いや、それもあるが……その前に」
鹿「もしかして任務の報せとか?」
今賀斎甲「…そうじゃ。今回も同じく殺しを一件」
蛇龍乃「ふーん」
今賀斎甲「行ってこい、蛇龍乃」
蛇龍乃「……は? なんでわざわざ私が行かなきゃいけないの?」
蛇龍乃「紅寸や牌ちゃんだって力付けてきてるし、鹿か立飛と一緒に行かせりゃいいだろ……それかそこそこ厄介なやつなら鹿にでも任せりゃ」
今賀斎甲「お前が行け。蛇龍乃」
蛇龍乃「…………え、そんなヤバい件なの?」
今賀斎甲「お前なら何も問題は無いじゃろ」
蛇龍乃「……逆を言えば私以外だと危険な任務ってわけね……なるほど」
蛇龍乃「詳細は後でじじいの部屋でゆっくり聞くとして……あ、此処を発つのは明日でいいの?」
今賀斎甲「それで構わん」
蛇龍乃「牌ちゃん、じじいの部屋に酒とつまみ運んどいてー」
牌流「かしこまりましたー」
蛇龍乃「…それと、立飛」
立飛「うん?」
蛇龍乃「まぁなんかいきなり駆り出されることになったからさ。私が戻ってくるまで術の鍛練は禁止ね? 約束して」
立飛「うん、わかった。早く戻ってきてね」
蛇龍乃「あー、ちゃちゃっと済ませて帰ってくるよ。私が戻ってきたら、術完成させようね」
鹿「めちゃめちゃ死亡フラグみたいに聞こえるんだけど……まぁじゃりゅのんなら心配いらないか」
蛇龍乃「ふふふっ、この私を誰だと思っている。私が不在だからって鍛練を怠るなよー、皆の衆」
────…………
今賀斎甲の自室にて、蛇龍乃。
蛇龍乃「…んで? わざわざ私を行かせるくらいだから城一つぶっ潰せとかかなー?」
今賀斎甲「ふっ、残念ながら対象は一人じゃ」
蛇龍乃「一人ねぇ……まぁそんな気はしてたけど。で、その対象ってのは? 勿体振らずさっさと教えろよー」
今賀斎甲は、対象の名が記されている依頼書を蛇龍乃に渡した。
蛇龍乃「ん……あー、コイツか。見覚えがある……この裏の世界じゃ結構名が通ってるよね…………悪い意味で」
蛇龍乃「私らみたいに殺しを仕事とする奴等が、過去に何度もコイツを狙ってるらしいじゃん……で、度重なる失敗の連続でついに此処まで依頼が回ってきたわけか」
……過去に何度も殺対象として狙われたこの者。しかし、その全てが失敗に終わっているという。
その噂が真実ならば。
そう、それはつまり。返り討ちに遇う確率100%という、とても信じられぬ謂われを持つ。
……ということから、付いた異名は──“殺し屋殺し”。
蛇龍乃「最初からこっちに回してくれりゃ良かったのに……まぁ私が行くからには、コイツの命も遂に尽きる時が訪れたってわけだ」
今賀斎甲「お前に限って無いとは思うが、くれぐれもヘマをするなよ」
蛇龍乃「あー、わかってる。ま、久々の任務だしそれなりに張り切って殺してくるよ…………この“ヱ密”って奴を」
────…………
……たしか、最後に携わった任務は立飛の件だったか。
それも今では遠い昔のことのように思えてくる。
しかもその殆んどは鹿と行動を共にしていたので、こうして単独で任務にあたるのは実に数年ぶりとなる。
任務を告げられた翌朝、里を発った蛇龍乃は。
蛇龍乃「……っ、ぜぇっ、ぜぇっ……ぜぇっ……うぅ……し、死ぬ……っ」
……死にかけていた。
蛇龍乃の強さ。それは極端なまでに術に特化したものであり。
身体能力、体力。といった面で比較してみれば、忍びのなかでは最下層にある。
よってこうして己の身体のみで長距離を移動するなど、肉体が悲鳴を上げ。今の状態である。
蛇龍乃「はぁ……だから乗り物(鹿)をよこせっつったのに……あのじじい……帰ったら殺す」
あくまで蛇龍乃一人で向かえと。他の誰かの同行を認めなかったのは。
万が一に備えてのことなのだろう。
得体の知れない今回の殺対象。その記録だけを見れば、自分を討とうとした者は皆返り討ちに遇っている。
僅かな油断すらも許されない、この忍びという仕事だ。
いくら蛇龍乃が己の強さに自信があるといっても、誰かを守りながらこの対象を討てるかといえば軽々に頷けはしない。いや、決して頷いてはならない。
つまり、自分より能力の低い者が側にいては足手まといとなる可能性が付いて回るわけである。
蛇龍乃「仕方ない、か……行こ……あー、一人は寂しいなぁ……」
…………そして、数日を費やし。
蛇龍乃はようやく今回の任務の殺対象。
“ヱ密”の姿をその目に捉えた。
蛇龍乃「……まぁいざこう見ても、そんな狂暴な化け物には思えないんだよなぁ……」
率直な印象としては、小柄な女。まるで強そうには見えない。
……まぁ自分も他人のことは言えないが、と。
蛇龍乃「……さて、どうするか」
今、蛇龍乃がいる此処は町から少し外れた森の中。
その先を歩いているヱ密を木の上から監視し、動向を追っているわけだが。
相手は蛇龍乃の存在に気付いてはいない様子。不意を狙ってもいいが。
……と、そこに。
蛇龍乃「ん…?」
ふと、森を進むヱ密の足が止まる。
蛇龍乃の気配を察したわけではなく。
「ああ、コイツだ。間違いねぇ」
「こんな人気の無い所でふらふらと、殺してくださいって言ってるようなもんじゃねぇか」
「こんな女一人殺すだけとか、楽な仕事だよなぁ」
「おい、油断するなよ。この女の噂は聞いてるだろ」
ヱ密「…………」
ぞろぞろと、森の脇から姿を現し。
ヱ密を囲むように、賊と思しき男が十人。
その様子を遠巻きに眺める蛇龍乃は。
蛇龍乃「あーあ……私の獲物だっつーのに……まぁ、私以外にもあれを狙う奴等がいたとしてもおかしくはないか」
欲を言えば、与えられた任務なのだから自分の手柄にしたいところではあるが。
この状況で、譲ってくれと言っても素直に渡してはくれないだろう。
だからといって、そこにいるヱ密を含む十一人を皆殺しにするのもかなり面倒だ。
……とのことから、とりあえず。
何もせず見守ろう、と。ヱ密がこの状況をどう対処するのか。
100%返り討ちに遇わせるというあの噂が真実なのか。
蛇龍乃「…さぁ、お手並み拝見だ」
「死ねぇっ!!」
ヱ密を囲む十人が刀を抜き、一斉に襲い掛かる──。
そしてヱ密も、同じく刀を抜き。応戦の構えを取った。
蛇龍乃「ほぅ……」
見た感じ、あの十人の刺客。その一人一人が相当の手練れと見受けられる。
だがヱ密も噂通り、かなりの強者。
襲い掛かる剣戟を器用に避け。一人、二人、と確実に殺していった。
蛇龍乃「へぇ、なるほど……たしかに、これは鹿や立飛じゃ手に余る……」
蛇龍乃「…………だが」
ヱ密「…っ、はぁぁっ!!」
「うぐっ、ぁく……っ、ぅあ……────」
最後の一人の心臓に、刀を突き刺し。
……結果。
全身傷だらけになりながらも、たった一人で十人全てを殺してみせたヱ密。
ヱ密「ぁく……げほっ、げほっ……ぅ……はぁっ、はぁっ……はぁ……っ」
だが、さすがにかなり無理があったか。
刀を地に突き刺し、体を支えるように。少々苦しそうな表情を見せていた。
……と、そこに突如。
シュルルルルッ──!
ヱ密「…っ!? ぁ…ぐぅぅっ! かはっ、ぐっ……!!」
首に絡まる糸。
ヱ密はその巻き付いた糸を断ち切ろうと、刀を動かすが。
同時に眼前に姿を現した人影。
その手に持つ小刀により。
グサッ──!
ヱ密「ぐぁっ……うぅぁっ、ぁ……ッ……────」
……心臓を貫かれ、ヱ密は地に倒れ落ちた。
蛇龍乃「あーらら……どっかの蜘蛛の忍びかな。あの賊共を討って安堵しちゃったか……まぁ今のはしゃーない」
念には念を、と予備策として。あの賊を雇った者が用意していた忍びだろう。
さすがにあの手練れ十人を相手した直後では、隙を狙ってくる忍びへの対処は極めて難しい。
蛇龍乃「…………てか結局、私何もしてねぇ……何の為にわざわざ死にかけになりながらこんな所まで来たんだ……」
……重い溜め息を吐きながら、森を去る蛇龍乃だった。
────…………
そして宿を取ろうと立ち寄った町。
その酒場にて。
蛇龍乃「いやぁ、仕事終わりの酒は美味いなぁー……なーんもしてねぇけど」
まぁ殺対象であった者が死んだのだから、それはそれで良しとしよう、と一人酒を嗜む蛇龍乃。
……だが、ふと後ろの席から聞こえてきた話に少々眉をひそめ、耳を傾ける。
町の外れで死体が一つ見付かったという。
この町の者からすれば珍しい、物騒な話なのかもしれないが。蛇龍乃にとっては日常茶飯事。
先程ヱ密を襲った賊の死体か、一つだけということを考えればヱ密のものか。
どちらにせよ、これだけを聞けば特段気にするものでもないが。その死体が黒の装束を纏っていたとなれば話は別だ。
蛇龍乃「…………」
……記憶が正しければ、ヱ密を殺したあの忍びと一致する気もするが。
別の忍びか、それともあの後に別の何者かに討たれたのか。
まぁなんにせよ、自分には関係の無い話だ、と日本酒を口に運んだ瞬間だった。
蛇龍乃「…ん? ぶふぅぉぉっ!?!!」
……盛大に日本酒を吐き出した。
蛇龍乃がこれ程まで取り乱したことが、今までにあっただろうか。
それくらい視線の先には信じられぬものが映っていたのだ。
ヱ密「すいませーん、これとこれください」
……それは、先程殺されていた筈のヱ密の姿。
これは一体、どういうことだ。まさかあの忍びが殺し損ねていたのか。
いや、賊や侍ならまだしも。忍びである者がそんな初歩的な失敗を犯すわけがない。
それに、今話にもあった黒装束の死体。もしこれがあの忍びだとしたら、殺したのは。
……というか、目の前にいるのは本当にヱ密なのか。ただ似ているだけの別人という可能性も。
蛇龍乃「……??」
……ないな。
あの頬の傷は戦闘中に負ったもの、それに首にもくっきりと絞め付けられた跡が確認できる。
ということから、あれはヱ密本人に間違いはないだろう。
……だが、と軽く混乱する蛇龍乃に。
ヱ密「……?」
蛇龍乃「あ……」
……ヤバい。目を合わせてしまった。
ヱ密「あのー」
蛇龍乃「は、はい……」
ヱ密「口の周りがお酒でびちゃびちゃになってるけど…」
蛇龍乃「あ、いや、これは……そう、こう豪快に呑むのが好きなんだよねぇ…」
ヱ密「…ふーん、変わってるねぇ」
蛇龍乃「まーそういうことで。んじゃ、私はこれで…」
ヱ密「…………」
そそくさと店を後にする蛇龍乃。
蛇龍乃「はぁー……あービックリした、なんだアイツ……馴れ馴れしく話し掛けてくんなよなー……」
……そして、しばらくが経ち。
店から出てくるヱ密。離れた位置から、その様子を窺う蛇龍乃。
あの森で自分が去ってから何があったかはわからないが、今こうして生きているのなら殺すだけ、と。
蛇龍乃は静かに殺気を灯し、ヱ密の跡をつける。
ヱ密が店を出て、向かった先はあの森だった。
蛇龍乃「…………」
……夕刻時より、更に深い所まで。
この闇の中。険しい森。草木が邪魔して、尾行するのも容易ではなく。
だが目を凝らし、慎重に追っていたのだが。
蛇龍乃「……あれ?」
……見失った。
蛇龍乃「嘘だろ……この私が目の前にいた対象を見失うとか……」
木から降り、辺りを捜してみるも何処にも姿は無く。気配すらも感じられない。
……目標ロスト。
がくりと項垂れた、その瞬間──。
ヒュッ──!!
蛇龍乃「…っ、うぉっ!!」
唐突に背後から放たれた殴撃。
それを寸前で身を転がし、回避した蛇龍乃。
直ぐ様、顔を上げると。そこに立っていたのは。
ヱ密「へぇ、今の避けちゃうんだ?」
……ヱ密。
……というか今の攻撃。よく避けられたな、と自分自身で感心する。
もう一度同じことをやれと言われても、おそらく無理だろう。
蛇龍乃とヱ密では、その身体スペックの差に著しく開きがある。
よって、今一撃を喰らっていたとしたら。そのまま殺されてもおかしくはなかった。
蛇龍乃「……っ」
……焦りは去ったものの、蛇龍乃の胸中は今も穏やかではなかった。
不意討ちで殺されかけたこともそうだが、それよりも。
蛇龍乃「ヱ密……お前、何者だ……?」
尾行から逃れたことは、ヱ密が蛇龍乃の想定を上回るほどの手練れだったと、百歩譲って認めよう。
……だが。
あの距離まで詰められていたことに。その気配を、殺気を、寸前まで察知できなかっただと……?
蛇龍乃相手にそのような真似。如何に訓練された忍びですら不可能だろう。
……それを、忍びでもないヱ密が。
ヱ密「別に、何者でもないけど」
蛇龍乃「ははっ……ならどうして私を襲った? それによく気付けたな、私の存在に」
ヱ密「私の名前を知ってるってことは、貴女も殺しにきたんでしょ? ……私を」
蛇龍乃「自分を殺そうとする者は、殺すってことね……なるほど」
ヱ密「誰だってそうでしょ? 殺されるのは嫌いだもん。だったら、殺される前に殺さなきゃ」
蛇龍乃「…そりゃごもっともだ。仰る通りで。でもお前の名を口にしたのは今が初めてじゃん。もし私がただの通りすがりだったらどうすんの…」
ヱ密「ただの通りすがりの人に、私を捜す理由がどこにあるの?」
蛇龍乃「あー、そりゃそうだな」
蛇龍乃「……まぁ、お前も可哀想だよね。いくら殺せども次々と新しい刺客に狙われてさぁ……でも、それも今夜で終わりだ」
ヱ密「終わらせてくれるなら嬉しいけど、貴女に私が殺せるとはとても思えないし……殺されるのは嫌いって言ったでしょ?」
蛇龍乃「ははっ、今までお前に殺されたような雑魚共とこの私を一緒にされるとは心外だな」
ヱ密「すごい自信……まぁでも大体皆そう言うよ、殺されるまではね。どんな噂を聞いてるか知らないけど、私って結構強いよ?」
蛇龍乃「弱いだろ。私より弱い奴は皆等しく弱い」
蛇龍乃は余裕の笑みを浮かべ、言う。
不意討ちで仕留められなかった時点で、ヱ密に勝機は消えた。
こうして正面切っての戦闘。
蛇龍乃自身あまり好きではない、それに他の忍びの面々にも可能な限り回避するように伝えている。
……だが。
いざ、そうなった場合。
最強は自分である、と。
絶対的な自信を誇り、ヱ密の眼前に立つ。
蛇龍乃「……さぁ、殺してやるから掛かってこいよ」
【蛇龍乃 VS ヱ密】
ヱ密「……いくよ」
ゆっくりと鞘から刀を抜き。
月明かりに輝る銀の刃を、蛇龍乃へ向けた。
蛇龍乃「いつでもどうぞ」
一方の蛇龍乃。こちらは武器を持たず、丸腰のように窺える。
……ザッ、と。
そして、ヱ密が地を強く蹴り。蛇龍乃へと飛び掛かった。
その動作を見て、蛇龍乃は。
虚空を掻くように、腕を前方へと振った。
……すると、その瞬間。
ヱ密「…ぅあっ!? えっ……な……っ」
突如、ヱ密が倒れ込んだ。
太股に激痛。そこには深々と刺さった一本の苦無(くない)。
痛みよりも、その苦無を見て驚きを隠せないといったヱ密。
……出所がまったく見えなかった。
いや、あの手には何も握られてはなかったように見えた。
ヱ密「……っ」
刺さった苦無を抜き捨て、痛みを堪え。
再び身体を踏み出したヱ密だった、が。
グサッ──!
ヱ密「うぁぁっ…!!」
先程とまったく同じ様に。
蛇龍乃が腕を振ると、今度は逆の太股に刺さっていた苦無。
どういうことだ、と惑いを露に表情に浮かべる。
あの腕から目を逸らさず、注意していた筈なのに。
……まったく見えなかった。
ヱ密「…………っ」
蛇龍乃「どうした? まさかこの程度で戦意喪失したとか言わないよね?」
ヱ密「何を、したの……?」
蛇龍乃「ふふっ、私はただお前に苦無を放っただけだよ。……まぁ、見えない苦無ではあるが」
ヱ密「見えない……?」
蛇龍乃「…といっても、苦無に限ったことじゃない」
と、蛇龍乃は地面に転がっていた小石を一つ、適当に手に取り。
蛇龍乃「私は術師。世には無数に術が存在するが、そのどれもが科学や人体の構造上において有り得ない現象だ……言ってみれば術師ってのは手品師のようなもの」
蛇龍乃「これとかまさに、ね」
そして蛇龍乃は小石を乗せた右手を握ると、その腕をヱ密に向けて振った。
開かれたその手の中、なんと握られていた小石は忽然と消えており。
……数瞬遅れて、コツンと。
ヱ密「…っ」
ヱ密の頭に何かが触れた感触。
そしてその何かは、そこでやっと小石としての形を現した。
蛇龍乃「どう? すごいっしょ? これが私の術。何かに触れるまで目に視えぬ状態になる……小石でも苦無でも、刃物でも、弾丸でも」
感触はあるが、視認は不可能。
それは発動者の蛇龍乃であっても、一旦消してしまえばその眼には映らない。
そしてその透明効果は、空気以外の何かに触れるまで持続する。
“不可視の弾丸”【インビジブル・バレット】
……蛇龍乃が扱う数ある術の中の一つである。
蛇龍乃「視えないってのは恐ろしいでしょ? 暗闇に包まれてるのと同じだからねぇ……視覚は大事だよ、何よりも」
蛇龍乃「ほら、盲目の達人とかってよくいうじゃん? 眼が視えない代わりに心眼を極めてなんたらかんたらーってやつ……実際に存在するのか知らんけど」
ヱ密「…………」
蛇龍乃「断言しよう……まぁあんなもん大嘘だ。だって見えないより見えた方がいいだろ? 故に見えぬ者は見える者と比べ、確実に劣る……見るということは知るということ。何より大切なのは、情報だからだ」
蛇龍乃「戦闘時でも非戦闘時でも、情報を得た者が優位に立てる。それは何故か。選択肢が増えるからだ。今のお前も同じ状況なのはわかるよね? 見えないから、知れない」
蛇龍乃「いつどこから襲ってくるかわからない攻撃に、常に警戒しなくてはならない。まぁ警戒したところで防ぎようはないんだが」
蛇龍乃「実際の痛みとは別に、恐怖に苛まれる。この恐怖が埋める脳内の占有率が増えれば、正常な思考はどんどん失われていく」
ヱ密「……っ」
蛇龍乃「なにぼやっとしてんだ? そんなんじゃすぐ殺しちゃうよ? ……さぁ次は心臓を狙うぞ。死ぬのが嫌なら、しっかり守ってやれ、よっ」
悪どい笑みを浮かべつつ、再び蛇龍乃が腕を振ると。
グサッ──!
ヱ密「ぐぅぁっ…!」
宣言通り、心臓を目掛けて放たれた苦無は。
防ごうと胸の上に出された腕に刺さった。
蛇龍乃「ま、心臓は守りやすいからね」
ヱ密「ぅ……ぐっ、はぁっ……はぁ……」
蛇龍乃「さーて、次はどこを狙おうか……額、眼球、喉、それとも、もう一度心臓にしてみようか」
ヱ密「……っ」
蛇龍乃「……へぇ、もっと怖がってくれるかと思ったのに」
ヱ密「…視えないんじゃ防ぎようがないけど、急所だけ警戒してれば別に……貴女を掴んでしまえば、それで終わりっ」
身を屈め、地を這う様に極限まで低い体勢で蛇龍乃へと迫る。
首から上、そして心臓だけは腕で隠したまま。
死ななければいくら喰らっても構わない、と。
捨て身の特攻、というわけである。
蛇龍乃「……わかってないな。僅かながらにも恐怖心を抱いた時点でお前は詰んでるんだよ」
蛇龍乃「足を狙うぞ。左の甲だ」
……グサッ、と。
左足の甲に突き刺さる苦無。
ヱ密「うぐっ、ぅ……この、程度っ……!」
一瞬怯むものの、足は止めず蛇龍乃を目指す。
蛇龍乃「次は右肩だ」
……グサッ。
これまた宣言通りに、放たれた苦無が右肩に刺さる。
が、ヱ密は足を止めない。
蛇龍乃「眼球。二つ同時だ。まさか使えるのが一つだけとか思ってないよね?」
蛇龍乃が同じ動作、だが今度は両腕で虚空を掻いた。
ヒュッ──!
不可視の苦無が空気を切り裂き。
ヱ密は両眼を覆うように、腕を前に出す。
グサッ──!
と、腕に刺さる二本の苦無。
ヱ密「あぅっ……ぐぅっ…!!」
……だがこの程度、と。
捕まえてさえしまえば、妙な技を使われる前に一瞬で首の骨を砕いて、それで終わりだ。
眼に被せていた腕を下ろし、蛇龍乃を捕らえようとするヱ密。
……だが。
ヱ密「え…?」
その視界内から、蛇龍乃の姿は消えており。
まさか自分自身さえ不可視の対象なのか。
……いや、違う。
蛇龍乃「戦闘中に敵から目を離すとか、一番やっちゃいけないことだろ。馬鹿」
背後から、声。
……そして。
蛇龍乃「言い忘れてたけど……術師である前に、私は忍びなんだよ」
……グサッ。
今度は不可視でもない。
ただヱ密の無防備な背中から、心臓へと。
蛇龍乃の手に握られた短刀の刃が、突き刺さり、貫いた。
ヱ密「ぁぐっ、ぅう……っ、がはっ……ぁ……ッ、……────」
短いけどここまで
明日からお仕事始まるのでちょい更新ペース落ちるかも
早く過去編終わらせて新編で鈴を書きたいぜ
ではではー
────…………
ヱ密「────……ぅ……あ……っ、はぁっ…………はぁ…………」
……また、死んでしまった。
何度殺されても慣れないな、この感覚。
……吐き気がするほどに、気持ちが悪い。
潰えた命が、再び灯る。その度に、なんとも言い表せぬ感覚に苛まれる。
まぁ生まれついてのこの能力のおかげで、自分を殺した者を殺すことが叶うのだが。
人は誰しもが傲り、そして誇りを持つ。それが殺し屋なら尚の事だ。
自分の仕事を、自分の力によって上げた成果を信じてやまない。
だからこそ、確実に殺したと確信している相手が生きているかも、などと夢にも思わないのだろう。
……先程、自分を殺した女も同じだ。
ヱ密「…………」
足跡を辿った先、少し歩いた所にその姿を見付ける。
木にもたれかかって、静かに眠っている様子だった。
終始余裕の笑みを浮かべていたあの女だが。
触れる物を不可視にするなど、反則級の術。やはりそれに見合うだけの体力の消耗が伴うのか。
……近付くヱ密の気配に気付かず、眠ったままの無防備な相手。
ヱ密「……さよなら」
その小さな体に、刀を振り下ろした。
ズバッ──!
……が。
ヱ密「……?」
手に伝う違和感。
……手応えが無い。明らかに人間を斬った感触ではなかった。
蛇龍乃「……お前って意外とアホなのなー」
ヱ密「…っ!?」
声に反応し、ヱ密が振り向くと。その先には、蛇龍乃の姿。
蛇龍乃「空蝉の術。お前が斬ったのは偽物だ。まぁ術といっても、そう大袈裟なものでもないが……忍びなら誰でも使える。というか、そもそも御丁寧に足跡なんか残すわけないだろ」
ヱ密「あー……そういえばさっきも言ってたね。忍びだって」
蛇龍乃「ふふっ、私より弱いところを除けば完璧かと思ってたけど。人間らしい一面を見せてくれて嬉しいよ」
蛇龍乃「うんうん、人間らしい……実に人間らしい」
ヱ密「…………まるで嫌味にしか聞こえないんだけど」
蛇龍乃「あ、やっぱ好きじゃないの? ……その能力」
ヱ密「好きなわけ、ないでしょ……これのせいで散々続き。ていうかなんでそんな平然としてるの? 今までの人は皆、私の姿を見ると腰抜かして驚いてたのに」
蛇龍乃「まー、初見だったら多少は驚いてたかもね。お前、今日死んだの二回目だろ?」
ヱ密「…………見てたんだ」
蛇龍乃「といっても、直にその瞬間を見てたわけじゃないけど。死んだ筈の奴が目の前に現れたんだ……だとしたら辿れる可能性は二つ。然も死んだように見せ掛けたか、死んでから生き返ったか」
蛇龍乃「だがお前を殺したのは忍びだった。忍びは決して死を見誤らない……とすれば、お前は確実に死んでいた。と、そう考えるのが私のなかでは最も自然なんだよ」
ヱ密「……そう」
蛇龍乃「だからなのか……常人と比べ異常なまでに少ないお前の身体の内を廻る熱量。まぁかなりこじつけだが、死人のそれだと考えれば納得がいかないこともない」
蛇龍乃さえ不意を突かれた、気配の遮断。
ヱ密はその気配を殺していたのではなく、気配が死んでいた、と。
あらゆる行動の際に伴う熱量の発生。それは加算ではなく乗算である。
例えば、A地点からB地点まで移動する際に必要となる熱量。身体スペックや動法によって幅は大きく異なるが。
ここでは仮に1.3倍としよう。
体内に宿す基本の熱量が100の人間がこの行動をした場合、新たに発生させなくてはならない熱量は30となる。
では基本熱量10の人間が同じ動法により、この行動をとった場合どうなるだろう。そう、そこに発生する新たな熱量は。
……たったの3である。
つまり、元々のベースとなる熱量が少なければ少ないほど、行動に伴い発生する熱量も少量で済むというわけだ。
元より空っぽに近い状態であるヱ密。戦闘の際にも優位に働くことから、これもヱ密の強さの要因の一つなのだろう。
ヱ密「ふぅん……今まで気にしたことなんかなかったけど」
蛇龍乃「ははっ、だろうな。だってお前が今まで相手してきた奴は皆、お前よりも弱い者ばかりだったろ。だが私は強い。だからお前の異常さがすぐに分かる」
ヱ密「…………うん。強いよ、貴女は……すごく強い。強い貴女は、どうやったら死んでくれるのかな? どうしたら私は、貴女を殺せるのかな……?」
蛇龍乃「どうやったって無理だ。お前もわかってるでしょ?」
ヱ密「……っ、それでも……殺さなきゃ。私の秘密を知られたからには、絶対に死んでもらわなきゃいけないんだよ……ッ」
ヱ密が両眼で蛇龍乃を睨む。
はぁ、と溜め息を一つ落とす蛇龍乃。
蛇龍乃「私も殺されるのは勘弁だからねぇ…」
……と、次の瞬間。
“不可視の弾丸”により、短刀がヱ密の心臓を貫いた。
……………………
………………
…………
ヱ密「──…………っ、ぅあ……はぁっ…………はぁ……っ」
蛇龍乃「おはよう。目覚めは如何かな?」
ヱ密「…………最悪」
……そう、これだ。
過去にヱ密は自分よりも強い相手とも戦ってきた。そして殺されてきた。
だが、このヱ密の不死──“甦生”の能力を知る者は今おそらく蛇龍乃しか存在しない。
これがどういうことか。
そう、自分を討った者は、例外なく殺してきたというわけである。
相手もまさかヱ密が不死の能力を備えているなど、想像だにしない。
よって、後に討つことはそれほど難しくはなかった。それがヱ密より、戦闘において優れている者だったとしても。
これこそが、返り討ちに遇う確率100%の殺し屋殺し。その異名のカラクリなのである。
だがそれもこれまで、この不死の情報を誰一人として知らなかった故の事。
……一度その情報が知れ渡ってしまえば、何もかもが終わる。
だから、絶対に蛇龍乃に殺されたまま終わらせてはならないのだ。
なにがなんでも、殺す────。
ヱ密「…っ、くっ……!」
ヱ密が身体を起こそうとした、その瞬間。
グサッ──!
ヱ密「がはっ…! ぅぐ……ぁ……っ、く……っ……────」
蛇龍乃「……」
…………再び、心臓に刃を突き立てた蛇龍乃。
……………………
………………
…………
ヱ密「────……っ、なん、なのっ…………この、悪魔……っ」
蛇龍乃「性懲りもなく、お前が殺気を向けてくるからだろ。私はその牙を折ってやっただけ」
蛇龍乃「さぁ……あと何本折ればいいのかな」
ヱ密「……っ」
蛇龍乃「ほら、その眼だ。まだ私を殺そうとしてる。お前もとっくにわかってる筈なのに……どうやったってお前じゃ私には勝てない」
蛇龍乃「例えば、これが初見だとしたら。お前を葬ったと思い込んでる私を、その死んだ気配で不意に討つことも可能だったかもしれない。だかこの現状、ネタが明るみになった今……お前に何が残されてる?」
ヱ密「…っ、それでもっ……私はっ……ぐはっ…! ぁぎゅ、ぐぅっ……────」
刺さる短刀。心臓が突き破られた。
……………………
………………
…………
……だって、殺さなきゃ。いつか本当に殺される。
……殺されて、殺して。
……また殺されて、また殺して。
何度繰り返してきたことだろう。死ぬ苦しみを何度味わってきただろう。
きっと私は、死を怖れているから。死を拒んでいるから。
死を、眼前に与えられ続けている。
死を前提とした宿命に抗えば抗うほど、無限に与えられる死。
殺されるのが嫌だから、殺してきた。
殺されるのが嫌だから、強さを求めてきた。
それなのに、命を狙われ続ける。奪われ続ける。
その連鎖はどうやっても断ち切れない。
世界は不条理だ、残酷だ。私が一体、何をした。
この眼に映る世界は、暗く歪んだ、私にとって酷く生きづらく。
だからこそ、私は死ぬわけにはいかない。死を諦め、死を手放すわけにはいかない。
…………世界ノ全部ガ敵ダトシテモ。
今一章から読み直してるけど空丸がえみつんに気配消して気付いたらそこにいるのやめてよみたいな発言はこういうタネがあったんだな
蛇龍乃「────おはよう。さぁ、悪夢の再開だ」
……最悪の敵が、瞼を開いたその先で笑っていた。
ヱ密「…………っ」
蛇龍乃「それ、回数に制限は無いみたいだね。ま、そりゃそうか……殺されたのも今日が初めてってわけじゃないだろうし」
蛇龍乃「ならどうやったら死んでくれるんだろう? そうだねぇ……心臓を取り出すか、頭を捌き脳を潰すか、首を切断するか、その身を焼き払うか」
ヱ密「…………」
蛇龍乃「さすがにそうまでされたら、まず甦生は無理だろうね。もし、それでも不死が働けば……化け物以外の何物でもないな」
ヱ密「……それをわかっていながら、何度も死を与えてくるとか……どんだけ性格悪いの」
蛇龍乃「ははっ、まぁ忍びだからね」
ヱ密「またそれ……忍びだからって、なんでもかんでも許されるの……」
蛇龍乃「それが許されるんだよなー。他人を欺いてこその忍びだ。結果さえ残せれば、人間性がどうだろうと、どんな過去を持ってようと関係無い」
ヱ密「その言い方だと……今のところ、私は化け物じゃないみたいな。皮肉……?」
蛇龍乃「そのままの意味だよ。さっきも言ったろ? 人間らしいって。血を吸って元気になる奴とか、影を動かして遊ぶ奴とか、風貌を別人の物にする奴とか。お前もそいつらとあんま変わんないっしょ」
ヱ密「何それ……そんな人たちがいるの……?」
蛇龍乃「ん、まぁね。……あれ? もしかして他人の術を見たの、私のが初めて?」
ヱ密「……うん」
蛇龍乃「ふぅん……なるほどね。どーりでずっと苦しそうな顔してるわけだ。なにもお前だけが特別なわけじゃないよ。能力を欲しがる者もいれば、お前みたいに嫌う者もいる……まぁ、生きづらいと思う気持ちもわかるよ」
ヱ密「貴女も、そうなの……?」
蛇龍乃「…いや、すこぶる快適だよ。忍びだからね。だからお前とは違う」
ヱ密「またその台詞……好きだよね、忍び忍びって。そんなに忍びだと偉いの……? さっきから偉そうに、人のことを見下して、何もかも見透かしたような態度で」
ヱ密「またその台詞……好きだよね、忍び忍びって。そんなに忍びだと偉いの……? さっきから偉そうに、人のことを見下して、何もかも見透かしたような態度で」
蛇龍乃「あー、気に障った? まぁ忍びとか関係無く、これが私だからね。こういう性格なんだ、大目に見てよ。でも……自分より弱者を見下すのは別におかしなことじゃないでしょ」
ヱ密「……」
蛇龍乃「お前も多少なりとも自分の強さに自信はあるんだろうけど、誰かに平伏したことってある? まぁ、あったらそんな生き方なんかしてないか。殺し、殺され、殺し、殺され……その繰り返し」
蛇龍乃「はははっ、馬鹿じゃないの? 頑固というか不器用というか……はい、そんなお前に私が救済を与えてやろう」
ヱ密「……救済?」
蛇龍乃「私の元で忍びとして生きろ。そうすれば首を斬り落とすのは勘弁してやるよ」
ヱ密「はい……? 私が、忍び……?」
蛇龍乃「私が見たところによると、ヱ密……お前、忍びにすげぇ向いてるよ」
ヱ密「…………ははっ……あと何回死ねばいいのかな。まぁ使う側からしてみればそりゃ便利だよね、殺されても死なない駒があれば」
蛇龍乃「は?」
ヱ密「え?」
蛇龍乃「……そんなもん使い物になるわけないだろ。死んでも生き返るとか、死への恐怖が薄くなるだけで邪魔なだけだ」
ヱ密「…へぇ、そう言ってくれるんだ。案外良い人なんだね。いいよ、言う通りにする」
……と、ずっと仰向けのままでいたヱ密が、起き上がろうとした瞬間。
グサッ──!
ヱ密「ぁぐっ、がはっ……なっ、ぅ……っ……────」
……………………
………………
…………
ヱ密「────……っ、はぁ……はぁっ……な、何を…………っ」
蛇龍乃「おいおい、ナメるなよ? 私を欺くつもりなら、もう少し巧く殺気を隠せ」
ヱ密「…っ」
蛇龍乃「何度も言うが、私に牙を向けるな。心優しい私がせっかく救いの手を差し伸べているっつーのに、お前がその態度だと私も殺すしかないじゃん」
蛇龍乃「あー、心が痛いわー」
ヱ密「嘘ばっかり……私に忍びになれっていうのもそう……ただ利用したいだけでしょ?」
蛇龍乃「ははは、何を今更。そんなの当然だろ。忍びってそういうもんだし。私の元に置くからには利用する。というか、利用する価値があるから言ってるんだけど」
蛇龍乃「でも勘違いするなよ? 私はお前に道を示してやっただけ。ここで首をはねられるか、忍びになるか。それを選ぶのはお前だ」
蛇龍乃「よって私がお前に、忍びになってくださいとお願いするんじゃなくて。お前の方から私に頭を下げるんだ……殺さないでください、私を忍びにしてください、ってね」
ヱ密「……っ、そんな何もかも一方的に言われて……どう貴女を信用しろっていうの……?」
蛇龍乃「信用、か…………信用って何なんだろね」
ヱ密「は…?」
蛇龍乃「いや、勿論意味はわかるよ。目に見えないものだから、その扱いは難しい……忍びなら特に。他人を欺くのに長けている連中だから」
蛇龍乃「そいつらに信用されようと思えば、それは優しさなんかじゃなく強さだと……私はそう自分に言い聞かせている。絶対的な強さをもって、従わせる」
蛇龍乃「……ヱ密、お前は自分の強さを自分自身で信用してる?」
ヱ密「…………してたよ…………貴女に出会うまでは」
蛇龍乃「うん、それでいい。私が惚れたお前の強さは不死の力なんかじゃなく、元々備わっている身体技能の方だ。だからこそ、私はお前が欲しいと思った」
蛇龍乃「……何故なら、私とお前は強さを計るうえで、見事に正反対だからね」
蛇龍乃「……私が世界で一番恐れているのは何かわかる?」
ヱ密「えーと……天災、とか?」
蛇龍乃「え? い、いや、まぁ、それはたしかに…………やべぇ、こいつが本気で言ってんのかボケで言ってんのか全然わかんねぇっ…」
ヱ密「あ、あの……ボケてみたんだけど……ツッコミ、まだ?」
蛇龍乃「やっぱりかっ、やっぱりそうかっ! このド下手くそっ! てか私が超真面目に話してんのにいきなりボケてくんなよっ!」
ヱ密「ごめん。で、正解は?」
蛇龍乃「私自身だ」
ヱ密「…………私にはボケるなって怒ったくせに」
蛇龍乃「いやっ、ボケじゃねぇからっ! 真剣そのものだからっ!」
ヱ密「はぁ……そりゃ貴女が強いのはよーくわかったけど……世界で一番っていうのは、ちょっと自信過剰過ぎるんじゃ」
蛇龍乃「まぁ正確にいえば、私の術という意味なんだけどね」
ヱ密「術、って……さっきの?」
蛇龍乃「ううん、それとは別の」
ヱ密「まだあんなの他に隠してるんだ……なんかもう、すごいね」
蛇龍乃「だからこそ、恐ろしいんだよ。自分と同じ術を使う者が存在しないとも限らない……その可能性を考慮した時、私の強さは何よりも脆いものになる」
ヱ密「……ごめん、ちょっと途中からよくわかんない」
蛇龍乃「異能を問答無用で封じ込める……私が最も得意とする術だ」
……そう、術に特化した性能の蛇龍乃。
もし仮に、同じ封術使いが目の前に現れた場合。
それはどんな強者よりも、天敵となり。
その一手のみで、いとも簡単に強さの全てを失ってしまう。
……術に扱いにおいて誰よりも優れている故の、脆さ。
ヱ密「ああ、なるほど……」
蛇龍乃「だからさ、私に足りないものを持ってるお前がいると何かと都合が良いんだわ」
ヱ密「そういうこと……うん……」
蛇龍乃「今ちょっと私のことを良い奴って思ったっしょ? 弱さも混ぜてやると、お前みたいなのは扱いやすそうだからなー」
ヱ密「それ自分で言っちゃうんだ。変な人…」
蛇龍乃「でも少しは気持ちが傾きかけたのは事実でしょ。じゃあそれをもっと大きく傾けてやろう」
ヱ密「…………」
蛇龍乃「まず、さっき言った私のもう一つの術。覚えてる?」
ヱ密「たしか、異能を封じ込めるってやつ…」
蛇龍乃「そう。もしこれをお前に使ったらどうなるだろう」
ヱ密「それが本当なら……私は」
蛇龍乃「お前が完全に死にたいと望むのなら、私はいつでもお前の不死を封じてやる。今、ここで殺してほしいか?」
ヱ密「…………っ」
蛇龍乃「それでいい。お前は誰よりも死を体感してきた。だから誰よりも死の恐ろしさを知ってる……軽々しく頷けるわけがないんだ」
蛇龍乃「お前を殺してやれるのは、私だけ。よーく覚えとけよ」
ヱ密「……はい」
蛇龍乃「それともう一つ、お前の最も馬鹿なところ。……いつまで討たれる側にいるつもりなの?」
ヱ密「…え?」
蛇龍乃「ふらふらしてっから狙われるんだろ。後手後手に回って、結果自分が一番苦しい目に遇う。死ぬのが嫌だとか、不死が嫌だとか……命を粗末にしてるのはお前自身だろ」
ヱ密「はは……その通りだね。うん……こんなのが一生続くって考えたら、途端にうんざりしてきた…………今貴女に言われて初めて気付くなんて、とっくに私の心は死んでたのかもしれないね」
蛇龍乃「…いや、ちゃんと生きてたよ。その証拠に、最初に会った時よりも表情が少しだけ穏やかに見える。私はお前を殺すことはできても、生き返らせることはできない」
蛇龍乃「だからその心は、磨り減らしながらもお前が大切に守ってきたものだ。これからも大事にしてやれよ」
ヱ密「…………ははっ、なんなの……これまで散々正論ばっかで殴ってきたような人が、いきなり優しいとか」
蛇龍乃「忍びの里は臆病者共が隠れ潜む場所。同業者か探偵にでも目を付けられない限り、誰に見付かる心配もほぼ無いと思うよ」
蛇龍乃「それに加え、今度は討たれる側じゃなく討つ側だ」
蛇龍乃「目を輝かせて飛び付くほどの、お前にとっての天職だと思うんだけど」
蛇龍乃「さぁ、何か言うことはある? ヱ密」
ヱ密「……名前は」
蛇龍乃「ん? あー、そういえば言ってなかったな。……私は、蛇龍乃」
ヱ密「…蛇龍乃さん」
牙を抜かれた殺し屋殺し。ヱ密は。
幾度と無く殺され続けてきたその身体を起こし。
静かに蛇龍乃へと向き直る。
……そして。
ヱ密「……私は、まだ死にたくない。この呪われた宿命を、価値有るものにするため。私のこの命を、生き方を示してくれた貴女に捧げます。命を遂げるその日まで」
ヱ密「蛇龍乃さん、私を忍びにしてください。お願いします」
深々と頭を下げたヱ密に、蛇龍乃は。
蛇龍乃「……」
その垂れる首に。
抜いた刃を振り下ろした──。
ヒュッ──!
……だが、触れる寸前で刃は止まった。
ヱ密「…………」
蛇龍乃「…ははっ、我ながらよくこの短時間でここまで飼い慣らせたものだな。ちゃんと弁えてるようだね、ヱ密」
蛇龍乃「命は一つ。皆等しく平等だ。それはお前だって例外じゃない」
蛇龍乃「お前を殺してやるのは私だけだ。これからは私以外の誰にも、その命に触れさせるな。勝手に奪われることは許さん。私の為に生き、私の為に死ね。そして、忍びとして灰になるまでその命を燃やせ」
ヱ密「はい。……ありがとう、蛇龍乃さん」
ヱ密「……はぁ、なーんかとんでもない人に捕まっちゃったみたい。これでよかったのかなぁー」
蛇龍乃「ははっ、自分で言ってわかってるくせに。さっき私が刃を止めるって確信してたんでしょ? 信用してくれた証。嬉しいねぇ」
ヱ密「その強さで信用させるんだっけ? もう嫌ってほど身に知らされてるから…」
蛇龍乃「ああ、そうだったね。ま、この私の強さが、ぐるぐると迷路を彷徨っていたお前の未来を切り開く道標。導いてやるから、見失うなよ」
……と、何かを察したのか。
目を細め、横目で辺りを見やる蛇龍乃。
蛇龍乃「……せっかくイケメン台詞吐いてんのに邪魔しやがって」
ヱ密「……?」
蛇龍乃「私に取られたからって妬いてんのかなぁ」
……ふと感じた気配。
数にして十ほどだろうか。蛇龍乃とヱ密を包囲するように。
一挙に禍々しい殺気が押し寄せる。
ヱ密「これ、私を狙って……?」
蛇龍乃「ま、そうだろうね。そうそう、これがお前の馬鹿なところ其の弐……後始末が下手くそ。だから余計な手間が増えるんだよ」
……そう、二人を囲む殺気の主。それは忍びのものであった。
蛇龍乃「多分、お前が殺した忍びの仲間じゃない?」
ヱ密「あー……」
蛇龍乃「死体の始末を適当に済ませるからこうなるんだよ」
ヱ密「だねぇ……ごめんごめん」
蛇龍乃「…まぁ、てことはコイツら全員蜘蛛の忍びか。はぁ……忍びのくせに馬鹿とは救いようがないな。たった十程度でどうにかできると思ってんだったら……めでたすぎる」
ヱ密「蜘蛛? 忍びってことは、蛇龍乃さんの仲間の人?」
蛇龍乃「おい……私をこんな連中と一緒にすんな」
ヱ密「じゃあ殺してもいいの?」
蛇龍乃「ははっ、偉そうに言いやがって。一人で全部いける? 相手は忍びだぞ」
ヱ密「さぁ? 蛇龍乃さん級が十人だったら無理かな…」
蛇龍乃「ははは、まぁ私レベルじゃないにせよ、忍びの相手はなかなか面倒だぞ。なんかお前、そういう卑怯な手法に弱そうだし」
蛇龍乃「仕方無い、半分手伝ってやろう」
ヱ密「それはどーも」
途端に二人の目の色が、戦闘モードに切り替わり。
襲いくる蜘蛛の忍びに対し、迎撃の姿勢を構える。
……そして、瞬く間に。場に転がる十の死体。
ヱ密「ふぅ……」
蛇龍乃「やっぱ強いね、お前。私の目に狂いはなかったようだ」
ヱ密「お褒めに与り光栄でございまーす」
蛇龍乃「さーて、新手が現れないうちにさっさと退散するぞ」
ヱ密「うん。えーと、その忍びの里ってとこに行くんだよね?」
蛇龍乃「そうだよ。ほら、何してんの? 早く私を抱えて走れ」
ヱ密「…え? なんでわざわざ……自分で走らないの?」
蛇龍乃「私は走りたくない。疲れるから。ここまで一人で走ってきたら死にかけた。いつもは誰かに運んでもらってる。でも今はお前しかいない。即ち、私を抱えて里を目指すことがお前の役目だ」
ヱ密「なんなの、この人……」
……渋々、蛇龍乃を抱え上げ。
腕の中から聞こえてくるナビに従い、里へと向かい走るヱ密だった。
────…………
……二人が森を去ってからしばらく経った後。
「…………んー? あれぇ?」
そこに現れた一つの人影。
転がる死体を見つめ、そして笑う。
「あははっ、全員殺されるとかホント笑えるよねぇ。まぁ生きてたとしても、こんな弱いのが仲間だとか恥ずかしくて殺しちゃいそうだし……死んでくれてよかったのかなぁ」
「んー、それにしても誰が殺ったんだろ? 私をハブってこんな楽しそうなことするのズルい……あー、誰か殺したいー」
「でも弱いの殺してもつまんないし、そこそこ手応えある奴殺したいなぁー……ん?」
……と、蜘蛛の忍びがふと足下に視線を落とした。
「……これ、苦無? 私のとこのじゃないみたい。てことは、コイツらを殺したのは忍びってこと?」
同じ族派同士で争うことは稀にあるが。
ここまで派手な戦闘となると、その線は考えにくい。
……ということは。
「へぇ……ふふっ、あはははっ! ちょっかい出すなって言われてるけど、最近退屈してたし」
「ちょっとくらいなら、いいよね──」
ここまで
>>372でも言ってくれたのも含め、新編を書くにあたってこの過去編でも伏線(っぽいの)をばらまきまくってるから一通りは文章に目を通してもらえると嬉しい
────…………
妙州。
ヱ密「……此処が、忍びの里」
蛇龍乃「これからお前の家。そして私たちは、お前の家族だ」
ヱ密「…うん」
蛇龍乃「皆に紹介するから付いてきて」
……と、二人が屋敷に入った瞬間。
ガシャンッ──! と。
蛇龍乃「ぐぅぉっ…!?」
飛んできた酒瓶が、蛇龍乃の頭で弾け割れた。
蛇龍乃「ぐっ……い、痛ぇっ……うぅっ……」
ヱ密「ちょっ、だ、大丈夫!? 頭から血がっ……此処、敵地とかじゃないよね?」
蛇龍乃「こ、このっ……クソじじいめ……っ」
二人の前に現れたのは。忍びの里、頭領の今賀斎甲。
今賀斎甲「馬鹿だ馬鹿かだとは思っておったが……よりによって殺対象を連れて帰ってくるとは何事じゃ、蛇龍乃!」
蛇龍乃「…っつー……だからっていきなりぶん殴ってくんなよっ! 術が消し飛んだらどうしてくれんだっ!」
今賀斎甲「わしはお前にヱ密という輩を殺してこいと命じておいた筈だが」
蛇龍乃「あー……それなら、殺したよ。な? 何回殺したっけ? 三回?」
ヱ密「五回は殺されたような…」
蛇龍乃「ほら。な?」
今賀斎甲「……なら、わしの目の前にいるこの女は誰だ?」
蛇龍乃「ヱ密、自己紹介して」
ヱ密「あ、うん。えーと、ヱ密です。よろしくお願いします」
今賀斎甲「…………」
と、再び飛んでくる酒瓶。
だが今度は蛇龍乃に命中する前に、ヱ密によって叩き割られた。
蛇龍乃「…ね? コイツの牙は私が折ってやったから。今は私の忠実な下部だ」
ヱ密「信用してくれるのは嬉しいけど、ちょっとは自分で対処してよ」
今賀斎甲「…………」
蛇龍乃「……と、まぁ、これで納得するわけがないか」
今賀斎甲「当たり前じゃろ。蛇龍乃、ちょっと部屋に来い」
蛇龍乃「へいへい……ヱ密、しばらくそこら辺で遊んでて」
……一人取り残されたヱ密。
ヱ密「…………遊んでてって言われても」
つい先程、初めて訪れたこの場所で何をしていればよいのかもわからず。
とりあえず、縁側に腰掛け、ぼーっとしていると。
ヱ密「……?」
……こちらに向けられる視線に気付く。
紅寸「あそこに座ってる人、誰?」
牌流「お客さん、かな?」
立飛「さっき蛇龍乃さん戻ってきたみたいだし、もしかしたら一緒に来た人かも」
鹿「ったく……珍しく任務に出たと思ったら、女拾って帰って……真面目に忍びやる気あんのかよ」
牌流「うんうん」
紅寸「そうだそうだー」
立飛「……まぁ、ここにいる誰も他人のこと言えそうにないけどね」(← 蛇龍乃と鹿に拾われ、紅寸を拾ってきた奴)
紅寸「え?」(← 鹿と立飛に拾われた奴)
牌流「たしかに…」(← 今賀斎甲に拾われた奴)
鹿「あー……でも、しかし」(← 一応反対はしてみせたものの、結果的に立飛と紅寸を拾ってくることを容認した奴)
鹿「気に入らないね……」
立飛「……同感。私たちに挨拶も無しとか」
牌流「緊張してるんじゃない? てか鹿ちゃんはともかく、立飛までそんなこと言うのちょっと意外かも」
立飛「ん、そう?」
牌流「だって私が来た時は最初から普通に接してきてくれたし」
立飛「んー……なんでだろ」
鹿「妬いてんでしょ。立飛は誰よりもじゃりゅのんに可愛がられてたからねー。そのじゃりゅのんが自分を放置して別の女を連れてきたとなれば、ねぇ…」
牌流「ふーん。可愛いね、立飛」
立飛「…?」
牌流「ていうか鹿ちゃんも似たような感じなんじゃない?」
鹿「わ、私は別にそんなっ……そういや紅寸は?」
牌流「さっき奥の方に引っ込んで……あっ、戻ってきた」
紅寸「お茶用意してきた」
牌流「紅寸、気が利くねー。それだったらお茶菓子も持ってってあげよ」
鹿、立飛「「…………」」
紅寸「こんにちわー」
ヱ密「あ、どうも…」
牌流「待ってよー、紅寸ー! あれ? 二人は来ないの?」
鹿「私は、いいかな……」
立飛「鹿ちゃんがそう言うなら、私も…」
牌流「そう? ……ふふ、なーんか可愛いねー、二人とも。じゃ私はおもてなしに行ってきまーす」
紅寸「はい、お茶でもどーぞ」
ヱ密「ありがと」
牌流「よかったらこのお菓子もどーぞー」
ヱ密「ありがと。頂きます。あ、初めまして。私はヱ密。二人は此処で暮らしてる忍者さん?」
紅寸「うん。私は紅寸。で、こっちが牌ちゃん」
ヱ密「紅寸と、牌ちゃんね。よろしく」
牌流「よろしくねー。ヱ密はここの新入りさんなの?」
ヱ密「って蛇龍乃さんに言われたんだけど……うーん、どうなるのかなぁ?」
牌流「あー、やっぱり蛇龍乃さんと一緒に来たんだ? ところで蛇龍乃さんは?」
ヱ密「えっと……帰ってきて早々、お爺さんに連れて行かれちゃったみたい。いきなり酒瓶で殴られてたからビックリしちゃった」
紅寸「あはは、まぁいつものことだよ。じーちゃんは蛇龍乃さんには特別厳しいから」
牌流「ちなみにそのじーちゃんは私らの頭領ね」
ヱ密「あ、そうだったんだ? てっきり蛇龍乃さんがここの一番偉い人かと思ってた」
紅寸「まぁ蛇龍乃さんはいつも偉そうにしてるから、そう勘違いしちゃうのも仕方無いよねー」
牌流「こーら、紅寸」
紅寸「あっ、失言失言」
紅寸「それで、ヱ密はどういった経緯で此処に来ることになったの?」
牌流「あ、それ私も聞きたい。今までは何をしてたの?」
ヱ密「…………」
紅寸「あれ?」
牌流「??」
ヱ密「……それ、言わなきゃ駄目?」
紅寸「あ、えっと……言いたくなかったら、無理には……ごめんね? 怒った?」
牌流「会ったばっかなのに、いきなり不躾だったよね。ごめんなさい。誰にでも言いたくないことはあるよね……忍びになる人なら尚更」
紅寸「くすんは別に無いけど。そういえば牌ちゃんのここに来る前のこと知らない」
牌流「いや、私もそんな大したもんじゃないけど……ていうかこの話はおしまい! ヱ密、気を悪くしないでね? 紅寸はアホだけど悪い子じゃないの」
紅寸「え? 世界中の誰に言われても、牌ちゃんだけには言われたくないんだけど」
牌流「うっさい! この前、山で迷子になったくせに」
紅寸「それ……捜しにきてくれた牌ちゃんも迷子になって、結果二人とも立飛に助けられたよね?」
牌流「もー! いちいち余計なこと言わなくてもいいのっ!」
ヱ密「…ふふっ、二人とも仲良しなんだね。見てるとこっちまで楽しくなってきちゃう」
紅寸、牌流「「ほぁー…………」」
ヱ密「あ、あれ? どうしたの?」
紅寸「なんか、ヱ密って大人だね……」
牌流「うん……すごい余裕が感じられる」
ヱ密「そ、そんなことないよ」
牌流「一応、私たちの方が先輩なのにまったく勝てる気がしない」
紅寸「きっと達人だよ! めちゃめちゃ強いよ!」
ヱ密「あはは……でも私、忍びの経験全然無いから色々教えてくれると嬉しいな」
紅寸「うん! このくすんにお任せあれ!」
牌流「いや、そこは私たち以外に訊いた方がいい気がする…」
立飛「なんかあっち楽しそう……」
鹿「…向こうに交ざりたかったら別に行ってもいいよ?」
立飛「ううん、それだと鹿ちゃんがぼっちになっちゃうから私は一緒にいてあげるよ」
鹿「そんなに気を遣ってくれんでも……逆に申し訳無いわ……」
立飛「鹿ちゃん……もし世界中が鹿ちゃんを無視したとしても、私だけは味方だからね」
鹿「立飛ぃっ……立飛が良い子に育ってくれて嬉しいよぉっ……!」
立飛「はいはい。……で、どうしよっか?」
鹿「なにが?」
立飛「あの新入りの人。見た感じ、そんな悪い人でもなさそうだし……挨拶くらいは」
鹿「…………そうだね。よしっ」
立飛「おっ」
紅寸「でねー」
ヱ密「へぇ、そうなんだー」
牌流「そうなのそうなの、それでねー……あ、鹿ちゃん。それに立飛も」
立飛「お邪魔しまーす」
鹿「……どーも」
ヱ密「え、えーと……」
紅寸「二人はくすんと牌ちゃんよりも先輩なの。睨んでる方が鹿ちゃんで睨んでない方が立飛ね」
牌流「おー、わかりやすい」
ヱ密「鹿ちゃんと、立飛」
鹿「……ねぇ、そこの新入り」
紅寸「ヱ密だよ」
鹿「……じゃあヱ密」
ヱ密「は、はい…」
鹿「ちょっと面貸せやぁ」
ヱ密「……え?」
立飛「し、鹿ちゃん…? 何するつもり?」
…………鹿からの呼び出しを受け、屋敷の外へと一同。
ヱ密「あ、あのー……これは……」
鹿「此処に来たからにはそれなりに戦えるんでしょ? 私が腕試ししてあげるよ」
ヱ密「今、ここで……?」
鹿「つべこべ言わずにさっさと構えて」
ヱ密「は、はい……」
立飛「……なんか、どっちが上か最初に分からせてやるんだって」
紅寸「なにも今やらなくても……せっかくおしゃべりしてたのに」
牌流「鹿ちゃん、新入りには厳しいからねぇ……私も最初、ボコボコにされちゃったし」
紅寸「いや、あれは牌ちゃんが超絶弱かったからで、鹿ちゃんはそんなつもりなかったって聞いたけど…」
牌流「え……」
立飛「…まぁ、あの人。ヱ密は初期牌ちゃんよりは戦えそうだよね。なんか風格みたいなの感じるし」
牌流「立飛まで……今更、別にいいけど」
紅寸「お、始まったみたい」
この三人が見守るなか、鹿とヱ密の手合わせが始まった。
特にルールは決めてはいないが、とりあえず道具の使用は禁止で。
体術のみでの模擬戦となった。
……そして、開始から数分が経過した頃。
牌流「…へぇ、すごーい。鹿ちゃん相手にちゃんと戦えてる」
紅寸「やっぱりヱ密って結構強いじゃん。鹿ちゃんは手加減してあげてるのかな?」
立飛「……違う」
紅寸「ん? 立飛?」
牌流「違うって、何が?」
立飛「見てわかんない? ……手加減してるのは、鹿ちゃんじゃなくて」
鹿「…っ、はぁっ、はぁっ……なんなの……そんなわかりやす過ぎる手抜き、不愉快なんだけど……っ」
ヱ密「ねぇ、もうやめない?」
鹿「……やだ。てか手加減するならもう少し上手く出来ないの? そんな余裕しゃくしゃくだとこっちも引き下がれないっていうか…」
ヱ密「あ、ごめん。今まで加減して戦ったことなかったから……」
鹿「ふぅん……弱い相手とはそもそも戦いませんってか」
ヱ密「そういうわけじゃないけど……ていうか鹿ちゃんも、本気出してないでしょ」
鹿「え?」
ヱ密「忍びは術を使うらしいじゃん。でもそれを使った気配は無いし。ほら、これでおあいこだね」
鹿「……わかった」
ヱ密「うん。じゃあ皆のところ戻ろ?」
鹿「私も術使うから、ヱ密も全力で掛かってきて」
ヱ密「えぇ……そっち……?」
鹿「……いくよ」
ヱ密「……うん。そうだね、本気で向かってくる相手には本気で挑まなきゃ失礼だもんね」
……そして。
明らかに雰囲気が変わったヱ密と、術を使用すると宣言し100%本気モードの鹿。
二人の戦闘を、固唾を呑んで見守る立飛と紅寸、牌流。
次の瞬間、そんな三人の目に飛び込んできたのは。
……物凄い勢いで吹っ飛ばされる鹿の姿だった。
鹿「ぐほぅぁぁーーーーっ!!!!」
立飛「…………」
紅寸「すごっ……ねぇっ、ヱ密ってめちゃくちゃ強くない!?」
牌流「う、うん……あの鹿ちゃんがあそこまで一方的に…」
紅寸「トンデモナイシンジンガアラワレタヨウダ」
牌流「鹿ちゃん、死んでないよね……」
立飛「…ちょっと回収してくる」
鹿「ぅ……げほっ、げほっ……し、死ぬかと思った……っ」
立飛「あ、よかった。ちゃんと生きてた」
鹿「あ……立飛……っ、はぁぁ……うぅっ……」
立飛「ん? 痛いの? 大丈夫?」
鹿「…………めちゃめちゃダサいね、私……もういっそのこと、影と同化して闇の中だけを生きていたい……」
立飛「なに言ってんの……カッコよかったよ、鹿ちゃん」
鹿「…っ、立飛……マジで良い子だねぇ。好きになっちゃいそうだわ…」
立飛「えー、今まで好きじゃなかったのー? 私は鹿ちゃんのことずっと大好きなのに」
鹿「…ふふっ、ありがとー、立飛」
立飛「ほら、掴まって。屋敷に戻ろ?」
鹿「ん、おんぶじゃなくて抱っこがいい…」
……と、そこに。
ヱ密「…へぇ、二人ってそういう関係なんだぁ?」
鹿「え、ヱ密っ!? いつの間にっ…」
立飛「…そういう関係がどういう関係なのかよくわかんないけど、私と鹿ちゃんはこういう関係だよ?」
ヱ密「ほぉ……まぁ女同士でも私はそういう偏見とか持たないから、安心してくれても」
立飛「女同士だと、普通は何か駄目なの?」
ヱ密「へ?」
鹿「あー……ヱ密、気にしないで。立飛も、意味わかってないのに適当に返事すると誤解を与えちゃうから気を付けよーねー」
立飛「う、うん……?」
鹿「……ヱ密。あんま詳しくは言いたくないけど、立飛はそういう知識とか極端に乏しいからさ。深く突っ込まないでやって」
ヒソッ
ヱ密「あ、そうなんだ。なんかごめんね」
鹿「いーよいーよ」
ヱ密「それと、怪我してない? 大丈夫だった?」
鹿「おかげさまで……まぁなんとか、ね」
立飛「…ていうかヱ密ってホントに忍びじゃなかったの? さっきの気配の消し方とか、ちょっと驚いたんだけど」
鹿「あー、たしかに」
ヱ密「……これだけは、昔から得意だったから。だから蛇龍乃さんに誘ってもらえたのかも」
鹿「これだけは、って……普通にめちゃくちゃ強いのに何を言ってんだか」
ヱ密「あはは……でもホントに忍びに関しては何も知らないから、御指導のほどよろしくお願いします」
蛇龍乃「あー、こんな所にいたのかー」
牌流「蛇龍乃さんだ。お久しぶりで」
紅寸「おかえんなさーい」
蛇龍乃「はい、ただいま。ん、向こうの三人は……ヱ密まで連れ出して、何してたの?」
牌流「嫉妬に狂った鹿ちゃんがヱ密にケンカ吹っ掛けて」
紅寸「そんであっさりブッ飛ばされてた」
蛇龍乃「…なるほど」
牌流「あの人、何者なの? すごく強かったけど…」
紅寸「くすんが見たところによると只者じゃないね、あれは」
蛇龍乃「まぁ強いから拾ってきたんだけどねぇ……お、戻ってきた」
……と、蛇龍乃の元へとヱ密たち三人。
立飛「あっ、蛇龍乃さん」
蛇龍乃「ただいま、私の可愛い立飛。ちゃんと良い子にしてたかい? 私も立飛に会えなくて寂しかったよ。……で、このアホはヱ密にブッ飛ばされたんだって?」
……蛇龍乃が、立飛に抱えられた鹿の顔を覗くと。
鹿「うぅ……紙一重だったわ。てかこんな危険人物、野放しにしておくなよぉっ……」
蛇龍乃「お前の方からケンカ売ったって聞いたけど。ヱ密、悪かったね。うちのがちょっかい掛けて」
ヱ密「ううん、全然」
蛇龍乃「ははは、軽く捻ってやった感じ? 鹿程度じゃヱ密の足元にも及ばないだろうからねぇ」
ヱ密「いや、そんなことは」
蛇龍乃「…でも、まぁよかったよ。こいつが一番反発すると思ってたから、早いうちに鼻っ柱へし折ってくれて。これで皆もヱ密の力量を理解してくれただろうし、話が早くて助かるわー」
鹿「……なんだろ、今日は特に上から目線でムカつくなー」
立飛「私も、その言い方はあまり好きじゃないかな」
蛇龍乃「ん…?」
立飛「……新しいお気に入りを見付けたからって、それで鹿ちゃんを蔑ろにするのは違わない?」
蛇龍乃「蔑ろって……おいおい、別にそういうつもりじゃないよ」
立飛「蛇龍乃さんがそういうつもりじゃなくても、私にはそういう風に聞こえたの。……ハッキリ言って不快だった」
蛇龍乃「……」
鹿「え、ちょっと立飛? あ、も、もういいから、さ…」
紅寸「え、なに、ケンカ……?」
牌流「ど、どうしちゃったの、立飛らしくないよ…?」
蛇龍乃「そんな睨むなよぉ……機嫌悪いの? 立飛」
立飛「鹿ちゃんに謝ってよ」
鹿「り、立飛……もうやめてったら。別に大したことじゃないじゃん……ね?」
立飛「……」
蛇龍乃「立飛、ホントに悪意があったわけじゃないからさ。でもそういう風に捉えられたのなら、悪いのは私の方か。鹿も、ごめんな?」
鹿「う、うん……立飛も、ほら。もういいでしょ? 私の為に怒ってくれてありがとね。だから、よし、もう仲直りしよ? ね?」
立飛「…………うん」
紅寸「ほっ…」
牌流「ごめんね、ヱ密。いつもはこんな感じじゃないんだけど……どうしちゃったんだろ」
ヱ密「ううん……少なからず、ていうか大分私のせいでもあるだろうし。まぁ、あまり良い気はしないよね……いきなり私みたいなのが現れたら」
紅寸「そ、そんなことないよ、ヱ密」
ヱ密「ん、ありがと……紅寸」
鹿「な、仲直りしたところで、よーし、屋敷に戻ろ。ほら、立飛」
牌流「ご、御飯にしよー!」
紅寸「そ、そうだねっ、楽しい楽しい御飯だー!」
立飛「…………」
鹿「り、立飛…?」
蛇龍乃「…………まーだ納得してないって顔だねぇ……てかマジで拗ねてんの? 自分がほったらかしにされたのに、私がヱ密を構ってばっかだから?」
立飛「……っ」
蛇龍乃「ははっ、嬉しいねぇ。そんなに想ってくれてたんだ。ほーら、撫でてやるからこっちおいでー」
鹿「ちょ、じゃりゅのんっ、このタイミングで立飛を煽るのホントやめてっ…!?」
立飛「…………」
蛇龍乃「あれ? 来ないの? ちぇ、なんだよ寂しいなぁー。あーあ、嫌われちゃったかな」
立飛「……」
蛇龍乃「ねぇ……黙ってちゃわかんないよ? まだ何か言いたいことがあるなら言えよ、ほら」
鹿「じゃ、じゃりゅのんっ…」
紅寸「……なに、この空気。仲直りしたと思ったのに、また」
牌流「とりあえず、私たちは先に戻ってよっか……ヱ密も」
ヱ密「う、うん……」
牌流「鹿ちゃん、あと任せちゃっても大丈夫……?」
鹿「あー……うん、多分」
立飛「…………」
蛇龍乃「…………」
……屋敷内。
紅寸「あー、怖かったぁー……立飛も蛇龍乃さんも、なんなのあれ……」
ヱ密「……立飛と蛇龍乃さんって、普段からあんな仲悪いって感じじゃない、よね……?」
紅寸「まさかー、超仲良しだよ! 立飛が蛇龍乃さんを尊敬してるのすごい伝わってくるし、蛇龍乃さんも立飛を一番可愛がってるし」
牌流「うん……」
ヱ密「じゃあやっぱ完全に私のせいだよねぇ……立飛に嫌われちゃったかぁ」
紅寸「で、でもっ、立飛なら話せばわかってくれるよっ! ヱ密ってすごい良い人っぽいし」
ヱ密「だといいんだけどね……てか紅寸、会って間もないのにちょっと私のこと信用し過ぎじゃない?」
紅寸「ふふふ、心配は御無用。くすんの人を見極める目は確かだからねっ! それに、あの蛇龍乃さんが連れて来たわけだし。それだけで信用に足りる。ね? 牌ちゃん」
牌流「だねー」
ヱ密「へぇ、そんなに信用されてるんだ……あの人。じゃあ私も早く皆に信用してもらえるように頑張らなきゃね。立飛に好かれる……まではいかなくても、せめて嫌われたままにはしておけないから」
紅寸「くすんも協力してあげる。なんたってくすんと立飛はマブダチだから」
ヱ密「うん。ありがと、紅寸」
牌流「……別にそういうのじゃない気がする」
紅寸「え? な、なんで牌ちゃんにくすんと立飛の友情をどうこう言われなきゃいけないのっ!」
牌流「あ、いや、違っ……そっちじゃなくて」
紅寸「ほぇ?」
牌流「立飛はなにもヱ密のこと嫌ってるってわけじゃないと思う」
紅寸「あー、なんだそのことかー。それならそうと先に言ってよ」
牌流「…てかこっちの方が本題でしょ。紅寸と立飛の友情談なんか今はどうでもいいのっ」
紅寸「ひどい……でもまぁいいや。…で、立飛がヱ密を嫌ってないって?」
ヱ密「……私が此処に来たことが気に入らないから、あんな感じになっちゃってるんじゃないの?」
牌流「…ていうか途中からだけど、立飛は普通にヱ密と接してたじゃん。少なくとも私にはそんなに嫌悪してるようには見えなかったけど」
紅寸「んー、まぁそうだよね。てか立飛は鹿ちゃんに対してのことを怒ってるんじゃないの?」
牌流「引き金となったのはそうだと思うけど、普段の立飛ならあれくらいであんなになったりしないよ」
ヱ密「ならやっぱり私が原因ってことでしょ…」
紅寸「ヱ密、落ち込まないで。立飛には後でビシッと言っとくから」
牌流「……普通に嫉妬だと思うけど」
紅寸「へ? だから最初からそう言ってるじゃん。今更?」
ヱ密「蛇龍乃さんのことを慕ってる立飛からしてみたら、私を邪魔だって思っても仕方無いからねぇ」
牌流「まぁそうなんだけどそうじゃないっていうか……本当にヱ密を嫌がってたら、立飛の性格なら直接ヱ密に当たると思うし」
ヱ密「……? じゃあ立飛は何に対して怒ってるの?」
紅寸「やっぱり鹿ちゃんを苛めた蛇龍乃さんにじゃない?」
牌流「……二人ともマジで言ってるの?」
紅寸、ヱ密「「え…?」」
牌流「紅寸はそういうのに頓着無さそうだから仕方無いとしても、ヱ密まで…? 私も他人のことは言えないけど、もしかしてヱ密って他人と深く関わったことないんじゃない?」
ヱ密「……」
牌流「あ、別に過去を詮索するつもりじゃなくて。……立飛は素直な良い子って話」
……一方、此方は屋敷外の三人。
蛇龍乃「はぁ……文句あるなら好きなだけ吐き出していいからさー、どしたの? 喋り方忘れちゃった? おーい…」
立飛「…………」
蛇龍乃「無視? ……てかさぁ、立飛。別に私は此処を、仲良しこよしの温い環境にしたいと望んでるわけじゃないけどさぁ」
蛇龍乃「あの態度、皆に余計な気を遣わせて……特にヱ密に対して失礼だとは思わないの? ねぇ? そりゃあ私も悪かったけどさ、謝ったじゃん」
蛇龍乃「それなのにお前一人、ずーーっと不貞腐れて、引き摺って。そのくせ何も言わないとか……そうやってへそ曲げてりゃ皆が自分に優しくしてくれるとか思ってんの?」
立飛「……っ」
鹿「ちょっとっ、じゃりゅのんっ! 立飛もおかしいけど、今日のあんたも相当おかしいよ!?」
蛇龍乃「…………そうかもね」
鹿「……自分でもわかってんでしょ? 何に苛ついてんのか知らないけど、その都合で立飛に当たるなよっ! 私になら気の済むまで当たっていいけどさぁっ」
鹿「これじゃ、いくらなんでも立飛が可哀想じゃんっ……」
鹿「あんただってわかってるでしょ……? 立飛が今どんな気持ちでいるのか」
蛇龍乃「…………うん……そう、だな……」
蛇龍乃「……立飛」
蛇龍乃「私、相当酷かったよね……すげぇ性格悪かった……ごめ」
立飛「ごめ、んなっ、さい……っ、私っ……そんなつもりじゃ、なかったのに……っ、じゃりゅのさん、にっ……嫌われたく、ない……っ」
蛇龍乃「嫌ったりしないよ。元々の発端は私だしね……だから泣かないでよ。ごめんね、立飛」
立飛「…っ、私、なんかもう、自分でもよくわかんない……っ、特別嫌なこととか、辛いことがあったわけじゃないのに……心の奥が急に、きゅって、苦しくなって」
蛇龍乃「うん……私が悪かったんだよ。立飛の気持ちをもっとちゃんと考えてたら、あんなこと言えるわけもなかったのに」
立飛「ううん……私が……っ、私の態度が悪かったのに、ごめんなさいっ……でも、なんて言えばいいのか、自分が何を言いたいのか、どうしてこんな苦しいのか……わかんない」
鹿「立飛が自分でわかんなくても、私たちにはわかるよ。……ずっと立飛を見てきた私たちには、わかる」
立飛「鹿、ちゃん……」
蛇龍乃「……立飛が初めて此処に来た時からこれまで、いろいろあったよね。そしてこれからもきっと、いろいろある」
立飛「蛇龍乃さん……うん…」
蛇龍乃「一言で言えば、立飛は此処が大好きだったんだよ。私がいて、鹿がいて、じじいがいて、紅寸がいて、牌ちゃんがいる……この妙州を守りたかったんだよ」
蛇龍乃「ヱ密によってそれが壊される、って思ったわけじゃないにせよ……いや、それよりも。自分の時と同じく、ヱ密を拾ってきた私の、鹿を貶したとも取れる発言を許せなかったんでしょ?」
蛇龍乃「だから立飛は守ろうとした。誰かが加わったからといって、そこに在ったものが揺らいではいけないから。間違ってないよ……これに関しては私が軽率だった。反省してる」
立飛「…………そうなの、かな……」
蛇龍乃「その後の私の態度も、最悪だったよね……それについても謝る。ごめん。……鹿に言われた通り、八つ当たりしちゃってたのかも……最低だわ、私」
立飛「ううん、そんなことない……私が……自分の気持ちも理解してないのに、生意気言ったから」
蛇龍乃「……立飛は、ヱ密のこと嫌い?」
立飛「……嫌いじゃない、よ」
蛇龍乃「そっか、よかった。私も立飛と一緒。この場所が大好きだから、守りたいと……いや、守ると誓う。その誓いをカタチにするのは、強さだ」
蛇龍乃「強さが無ければ……力が無ければ、奪われ、壊され、潰やされる。これはわかるよね? 忍びは結果が全て。それは任務以外にあってもだ」
立飛「…うん」
蛇龍乃「鹿、ヱ密と拳を交えて率直にどう思った?」
鹿「ん、あー……強いよね、とんでもなく。悔しいけど、認めざるを得ないというか」
蛇龍乃「うん。でもただ強ければ良しってものでもない。それを踏まえたうえで、私はヱ密を此処に呼んだ……この里の為、此処にいる皆の為、あとヱ密自身の為に」
立飛「……うん」
鹿「ったく……そんな正論ばっかで正面から撲ってると、いつか誰かに反感喰らうよ? ……まぁ立飛はじゃりゅのんのそういうところに惚れてんだと思うけどさー」
蛇龍乃「ふっ、人を説き伏せられるのはいつだって正論だけだ。なんだかんだ言って鹿は偉いよ。実はひっそりと私も認めてるし。付き合いも長いしねー。それと当然っちゃ当然だけど、立飛よりも随分大人だ」
立飛「ん……私も、鹿ちゃんのこと尊敬してる」
鹿「な、なんかいきなり褒められて反応に困るんだけど……」
蛇龍乃「立飛、これだけは覚えておいて」
蛇龍乃「忍びたる者、常に冷静を心掛けておかねばならない。……ま、今日の私がとても言えたものじゃないけどね。はははっ」
蛇龍乃「今日はお互い散々だ……反省しなきゃだね」
立飛「うん」
蛇龍乃「……立飛。ヱ密を此処に置いてやってもいいかな?」
立飛「勿論。もしまた私が間違った態度とってたら、ちゃんと叱ってね?」
蛇龍乃「ん、たっぷり甘やかしてやる。鹿もいい?」
鹿「うん。鼻っ柱へし折られちゃったからねー」
蛇龍乃「ぅぐっ……お前なぁ……」
蛇龍乃「あ、ところで……立飛は私に妬いてくれてたの?」
立飛「焼くって、何を…? 魚とか?」
蛇龍乃「なんだその御約束みたいな返答……ふふ、まぁいいや。心配しなくてもいいよ、立飛」
蛇龍乃「ここだけの話、皆には内緒だけど……私のなかで立飛と鹿だけは、何よりも特別だからね」
鹿「……この女誑しめ」
立飛「そう言ってくれて嬉しい。でも、蛇龍乃さんのなかでの一番は鹿ちゃんに譲ってあげる。ていうか私は鹿ちゃんの次がいい。蛇龍乃さんには、鹿ちゃんを誰よりも大事にしてほしいから」
蛇龍乃「お、おぅ……」
鹿「ま、またしても反応に困る……」
立飛「……そっか。私、此処が……皆のことが、大好きなんだ……うん」
昔から、そう思っていた筈なのに。
なんだろう、胸の奥が温かい。
失いたくない、私の大切な居場所。
……守りたい、なんてまだ一人前にもなれていない私が使うべき言葉じゃない。
……だから、強くなりたい、と。
いつまでも守られる自分じゃなく、いつか私の大切なものを守れるように強くなる、と。
自分自身に、そう誓う。
鹿「立飛、そろそろ屋敷の中に戻ろ?」
立飛「うーん……どんな顔して皆に会えばいいのかわかんないし、ちょっと自分の気持ちも整理したいから」
立飛「……その辺走ってくる」
鹿「え…? ちょ、ちょっとっ、立飛!?」
蛇龍乃「御飯までには戻ってくるんだぞー」
……屋敷とは反対方向へ、走り去っていった立飛。
────…………
そして、夕食の仕度が整ったとの報せを受け。
蛇龍乃と鹿が、皆の前に姿を現す。
蛇龍乃「腹減ったぁ……おぉ、なんか今日は随分と豪勢だね」
紅寸「今夜はヱ密の歓迎会だからねっ、牌ちゃんが張り切りまくっちゃって」
ヱ密「あはは。嬉しい、けど……こんなに食べられるかなー」
牌流「はーい、まだまだありますよー」
……机の上に乗りきらない程に、次々と運び込まれる料理の数々。
鹿「おー、さすが牌ちゃん」
紅寸「ヱ密ヱ密、ここの御飯は超美味しいんだよ! 牌ちゃんって忍びに関してはちょっとあれだけど、料理だけは達人の域だから!」
牌流「ふふっ、まぁねー!」
ヱ密「え、そこツッコまないの? でもたしかに、めちゃめちゃ美味しそうだ」
紅寸「よーしっ、早く食べよ食べよっ」
蛇龍乃「牌ちゃん、酒も出してー」
牌流「はいはーい」
蛇龍乃「ヱ密も飲むでしょ?」
ヱ密「うん、じゃあ貰おうかな」
鹿「ん…? って、あれ……?」
紅寸「どしたの? 鹿ちゃん」
鹿「ねぇ、立飛は?」
ヱ密「え? ここには来てないけど…」
牌流「鹿ちゃんたちと一緒にいたんじゃないの?」
鹿「い、いや……あの後、立飛。ちょっと走ってくるって何処か行っちゃって……てっきりもうこっちに戻ってきてると思ってたんだけど」
紅寸「ううん、来てないよ?」
ヱ密「てことは…」
蛇龍乃「立飛が家出してしまった…………」
ここまで
前にちょこっと言ってたこれのエロSSバージョンを別の場所に載せたので読みたい人は読んでねぇ
牌流「家出って……」
紅寸「まだ仲直りしてないの?」
蛇龍乃「したよ」
紅寸「じゃあなんで……もしかして迷子になってるとか?」
牌流「紅寸じゃないんだから、それはないでしょ」
鹿「はぁ……しょーがないなぁ、ホントにあの子は。ちょっと迎えに行ってくる。なんとなく立飛が居そうな場所わかるし」
ヱ密「それなら私も行く」
紅寸「え? ヱ密も? でもヱ密の歓迎会なんだし、主役がいなきゃ…」
ヱ密「…うん。だからだよ。どうせなら皆に歓迎されたいしね」
紅寸「あ、そっか」
牌流「皆って言うなら……そういえばじーちゃんは? 蛇龍乃さん。今日くらいはこっちに顔出してくれてもいいのに」
蛇龍乃「あ、あー……あれは、今日はいいや……」
牌流「まーた喧嘩してるの?」
鹿「あー、それでじゃりゅのんは機嫌悪かったわけね……今回は結構酷そうだけど、大丈夫なの?」
蛇龍乃「まぁ、なんとかなるよ……多分」
鹿「そ、んなら行こっか、ヱ密。付いてきて」
ヱ密「うん」
ひんやりと頬を撫でる夜風は心地好く。
夜空に浮かぶ半月は、煌めく星に囲まれ。
明鏡止水。目の前で叩き付けられる水の音、煙る水飛沫は、心を落ち着かせてくれる。
“忍びたる者、常に冷静を心掛けておかねばならない”
蛇龍乃に言われた言葉。
……此処は、この妙州は。
嘗ての、一人じゃ何も出来ない弱い子供だった自分の居場所ではなく、忍びである自分の居場所。
心を、乱すな。
環境に慣れ、甘えてしまっていたのかもしれない。
そんな甘え(弱さ)は、もう捨てよう。
冷徹ではなく、冷静に。
……もっと、強くならなくては。
立飛「…………手間取らせちゃって、ごめん」
木にもたれ掛かり、眼前の滝に視線を預けたまま。
背後の気配に、言う。
立飛「こんな所までわざわざありがと」
鹿「いいよいいよ。……ね? ちゃんと居たでしょ?」
ヱ密「さすが信頼で結ばれてる二人って感じだね。私は今までずっと一人だったから、そういうのなんか羨ましい」
鹿「もう、一人じゃないでしょ?」
ヱ密「うん……立飛は」
立飛「……私も、ヱ密も、蛇龍乃さんに救ってもらった仲間だね。勝手かも知れないけど、こんな私でもヱ密は仲間と思ってくれる?」
ヱ密「……私ね、蛇龍乃さんと初めて会った時に……“人間らしい”って言われたの。その時はあまりピンとこなかったけど……こうして立飛を見てると、なんとなくわかる気がする」
ヱ密「怒って、泣いて、悩んで、そして笑ってくれる……そんな素直な立飛。機械的で無感情な人間よりも、仲間として一緒にいるなら、そっちの方が嬉しいよ」
立飛「ありがと。でも、忍びとしてはそれって未熟だよねぇ……もっと大人にならなくちゃ」
ヱ密「大人にならなくちゃ、か……まぁ本当に必要な時はそう在るべき、かな」
立飛「ヱ密……さっきはごめんなさい。皆の前であの態度はさすがに無かったよね」
ヱ密「もういいよ、気にしてない。それを言うなら蛇龍乃さんもだし」
鹿「まぁたしかにね。あははっ」
立飛「…ていうか、鹿ちゃん」
鹿「ん?」
立飛「私が泣いてたこと、ヱ密に話したでしょ」
鹿「え……あ、いや、それは話の流れといいますか……」
立飛「ふーん……」
鹿「私なりにフォロー入れたつもりなんだよぉー……ね? ヱ密」
ヱ密「うん。鹿ちゃんがどんだけ立飛のことを大切に思ってるのかがすごい伝わってきた」
鹿「でしょ? でしょ?」
立飛「はぁ……まぁ別にいいけどさー」
ヱ密「私も立飛が泣いてるとこ見たかったなー、なんつって」
鹿「私はもう見慣れたもんだけどね。最近は全然泣かなくなったけど、最初会った時とか此処に来た当初とか、ずーーっと泣いてばっかだったからねぇ」
立飛「ちょっ……し、鹿ちゃんっ!」
ヱ密「へぇー」
立飛「…もう鹿ちゃん嫌い。ヱ密、帰ろ」
鹿「え、えーっ、待って待って! さっき別にいいって言ってたじゃーんっ!」
────…………
それから、しばらくの年月が経過していった。
ヱ密は皆からの教えを受け、忍びとしての心構え、姿勢を身に付けていき。
他の者たちも、日々の鍛練により着実に力を増していった。
……そして、この忍びも。
立飛「…………」
……ドクン、と鼓動が鳴り。
緋意識が活性化する。その瞬間には既に、緋意識は主意識に混ざり溶け合っていた。
その混在された二つの意識は、安定を保っており。立飛の脳内においても冷静を保てている。
以前はこの状態を保つだけで必死になっていたが、今ではその余裕を欠くことなく。
それはつまり、通常の活動ならば支障無く行えるわけであり。
同時に、この術に関しての次なる段階へ進むことが可能となる。
蛇龍乃「……イイ感じだ。さすが優秀だねぇ、立飛は」
立飛「全然だよ。展開による成功率もまだ八割くらいだしね」
蛇龍乃「たしかに、実践で使用するには十割以外認められない。……まぁそれにしても、まさかここまで早くこの段階に到達するとは私も予想してなかったから、充分優秀だ」
立飛「そうなの?」
蛇龍乃「精神系の術、その演算は特に難易度が高い。演算中に心を少し乱すだけで、それは命取りになるかもしれない……ヱ密が加入した辺りから立飛、精神的に成長したよね。大人になったというかなんというか…」
蛇龍乃「親離れというのか、なんにせよちょっと寂しい……」
立飛「何言ってんの、もう……それより、見てて」
緋色に染まった瞳を、前方の野兎に向ける。
その間、立飛の内で廻らされている作業。それは。
……意識の分断。
緋意識が撹拌された主意識、その一部を内において自らで断つ。
そして、緋色の瞳。
その瞳を介し、意識を外へ流す。所謂、砲のような役割である。
やがて放出された意識は、虚空を渡り、対象としていた野兎の瞳に届くと。
すぐにその瞳も、立飛のものと同じ色……緋色にと染まり。
結果、瞳が染まると同時に、その内にある意識を支配した。
立飛「……成功」
蛇龍乃「お見事」
対象の意識を支配した、ということは即ち。
その対象を思うがままに操れるというわけである。
……それを証明するように、立飛が遠隔で意識を操ると。
蛇龍乃「おっ……可愛いな」
野兎が蛇龍乃の元へと駆け寄ってきた。
蛇龍乃がそれを抱え上げ、頭を撫でてやると。
立飛「…んっ」
蛇龍乃「あー、そうだったね。直接の触覚はないにしろ、本体の精神へ及ぼす痛覚の類いは存在するんだっけ?」
立飛「ん、そんな感じ」
蛇龍乃「撫でてやれば心地好いし、斬り刻めばめちゃめちゃ痛いし……もし、コイツにすげぇ気持ちいいことすれば立飛も気持ちよくなちゃーう、と……ほぉほぉ」
立飛「……うん。変な悪戯しないでね?」
蛇龍乃「変なって、たとえばー?」
立飛「わかんないけど……殴ったり、刺したり、とか?」
蛇龍乃「あー、そっちね……」
……と、そこに。
何者かの気配を察し、二人がその方へと視線を向ける。
立飛「ん……あ、なんだ、誰かと思ったら…」
蛇龍乃「そんなとこで何してんの? 極秘の訓練中なんだから盗み見は良くないぞー……空」
立飛「紅寸たちと一緒に鍛練してたんじゃないの? 空丸」
空丸「あ、もう終わったよ。で、牌ちゃんに山菜摘んできてって頼まれて、ここら辺歩いてたらたまたま」
……この“空丸”という忍び。ひょんなことから、数ヶ月前にこの妙州の一員となった者。
空丸「術の練習してたの? 立飛」
立飛「うん。最近、結構調子良いんだよね。空丸の方はどう?」
空丸「いやぁー、頑張ってるんだけど……如何せん、なかなか」
立飛「あはは、空丸って絶望的に身体能力低いもんねー」
空丸「ちょ、笑わないでよ、立飛ー」
立飛「ごめんごめん。今度、私が空丸の鍛練見てあげるよ」
空丸「ん、よろしくー」
蛇龍乃「……空ぁー」
空丸「はい? 何ですか? 蛇龍乃さん」
蛇龍乃「…………いや、なんでもない」
空丸「??」
蛇龍乃「立飛、今日はここまでにしよっか」
立飛「あ、はーい。じゃあ空丸、私も山菜摘むの手伝ってあげるよ」
空丸「ホント? やったー」
立飛「蛇龍乃さんも一緒に行く? 空丸と山菜部」
蛇龍乃「山菜部に入れって? ……拒否するっ! 何故ならめんどくせぇから」
空丸「えー」
立飛「あはは、そう言うと思ったー」
蛇龍乃「熊や狼に襲われないように気を付けろよー」
空丸、立飛「「はーい」」
蛇龍乃「…………さて」
立飛と空丸、二人が去った後。
蛇龍乃が茂みの奥に向かって言う。
蛇龍乃「いつまでもそんな所にいないで出てこいよ、ストーカーじじい」
……と、蛇龍乃が声を放った方から。
今賀斎甲「誰がストーカーじゃ。人聞きの悪い……」
蛇龍乃「…で、どうよ? 私の自慢の愛弟子は。立飛の様子を見てたんでしょ?」
今賀斎甲「……最初はどうなることかと危惧しておったが、立派な忍びになったな」
蛇龍乃「この私が育てたからね。ま、当然だろ」
今賀斎甲「図に乗るな。あれの素質と努力、周りの者の助けがあってのことじゃろ。断じてお前一人の成果ではない」
蛇龍乃「立飛の素質を見抜いたのは私。この環境を作り上げたのも私だ。それと、あんたがずっと反対してたヱ密に関してもね」
今賀斎甲「任務を放棄した分際で大口を叩きおって……それほどわしに自分のことを認めてもらいたいのか?」
蛇龍乃「あー、それについては悪かったと思ってるよ。でも私は自分の行動に後悔はしてない。アイツは……ヱ密は、此処に要るべき忍びだ」
蛇龍乃「それ抜きにしたって……あんたの方こそ、私を意地でも認めたくないんじゃないの?」
今賀斎甲「…………ふっ、わしだってあやつらが可愛い。ヱ密の参入の一件、それに限らず、誰か一人でも異を唱えておれば」
今賀斎甲「お前を殺してでも、ヱ密の息の根を止めてやろうかと考えていたが……」
蛇龍乃「私の方が正しかった、と?」
今賀斎甲「たわけが……そうは言ってはおらんじゃろ」
蛇龍乃「ははっ、素直じゃないねぇ。年寄りは」
今賀斎甲「ふんっ……まぁ心の奥底ではお前を認めていないこともないじゃろうが、この歳になれば如何せん頑固でのぉ……なんにせよ、お前がとことん気に食わん」
蛇龍乃「それはこっちだって同じだ、クソじじい」
今賀斎甲「ふっ……だからこそ、いつまたお前を殺したくなるやもしれん。お前一人の命と、あやつら六人の命。比べるまでもないじゃろ」
蛇龍乃「そうだな、あんたの立場からしてみればそれが正しい」
今賀斎甲「……元は忍びではなかったあやつらに、忍びになったことを後悔だけはさせるなよ」
蛇龍乃「…わかってるよ」
今賀斎甲「蛇龍乃、わしはお前が嫌いじゃ。お前が求め、進む道に理解を示すことは一生叶わんじゃろ」
蛇龍乃「……知ってる」
今賀斎甲「もうお前とこうして軽口を叩き合うことも無くなると思うと、清々する反面……少し名残惜しいがの……」
蛇龍乃「…………ああ……お疲れさん」
───…………
鹿「…………は?」
立飛「い、今、なんて……?」
蛇龍乃「これからは私が此処の頭領だ。今まで以上に敬い、崇め称えるように。以上」
紅寸「ちょ、ちょっと待ってよっ…!」
牌流「そんな、いきなり……っ」
今賀斎甲「元々こやつとは馬が合わんかったからの。遅かれ早かれ、こうなることは決まっておったのかもしれん」
蛇龍乃「そうそう……つーわけだから、まぁしょうがないだろ」
ヱ密「……私のせい、なの?」
空丸「ヱ密……?」
ヱ密「私のせいで、蛇龍乃さんと……だったら私っ」
蛇龍乃「勘違いするなよ、ヱ密。お前のことなんか大した問題じゃない」
ヱ密「で、でもっ…」
蛇龍乃「我が儘三昧で好き勝手やってた私に、ついにじじいが愛想尽かしたってだけだ。別に消えるのは私であっても構わないんだが……そうすりゃ、このじじいはこのままだろうよ」
鹿「なに、それっ……なんでどっちかを選ばなきゃいけないのっ…!?」
立飛「やだよ……そんなの……」
今賀斎甲「勝手なことを言うな、蛇龍乃。今更お前がどう言おうとわしは此処を出ていく。こやつらには、わしよりもお前の方が必要じゃろうからの」
牌流「そ、そんなことっ……」
紅寸「そうだよ、じーちゃんだって…」
今賀斎甲「ふっ、お前らはわしを慕ってくれており、蛇龍乃のことも慕っておる……それはそれで構わん。じゃが、わしは蛇龍乃が想うこの里の在り方というのにはとても賛成できん」
ヱ密「……」
立飛「……っ」
鹿「……だったらじーさんはさぁ、立飛やヱ密、此処に今いる皆が……皆のことが、間違いだったって言いたいわけ……?」
蛇龍乃「おい、鹿……」
今賀斎甲「そんなもんはわからぬ。どちらが正しく、どちらが間違っていたかなど……わしか蛇龍乃、仮にどちらが死んだとしても一生その答えは提示されぬじゃろう」
牌流「なら、最期まで見届けてよ……なんでそんな途中で投げ出すようなこと」
紅寸「じーちゃんは、くすんたちのこと、嫌いになっちゃったの……?」
今賀斎甲「ふぅ……まったく、聞き分けの悪い……それならハッキリ教えてやるとしよう」
今賀斎甲「この蛇龍乃とかいう馬鹿を不幸にも慕ってしまった貴様らも同じく馬鹿じゃ。そんな馬鹿共の相手は、もう疲れた」
今賀斎甲「……それでも一度惚れ込んだ相手ならば、其奴を信じて突き進め。その信念を揺らがさせるな。わしはもうお前らのことなど知らん。この馬鹿を信じたのなら、この馬鹿と共に死ぬのがいいじゃろ」
「「「…………」」」
蛇龍乃「はぁ……好き勝手に馬鹿馬鹿言いやがって……」
今賀斎甲「ふっ……」
……部屋を出ていこうとする今賀斎甲に、蛇龍乃が言う。
蛇龍乃「……最後に、何かコイツらに言っておくことないの?」
……暫くの沈黙の後。皆に背を向けたまま、静かに口を開いた。
今賀斎甲「…………紅寸、牌、空、ヱ密……立飛、鹿。…………達者でな」
────────……………………
妙州の里。忍びの衆、頭領だった今賀斎甲が里を離れ、既に三ヶ月が経とうとしていた。
頭領の座を引き継いだ蛇龍乃。そして他の忍びの面々共に。
直後は各々思うところはあっただろうが、三日も経つ頃には異論を唱える者はいなくなり。
……そう、頭領と元頭領との間で決定された事案にいつまでも文句ばかり言うのは。
それは、ただの我が儘である。
そのことを皆、理解し。気持ちを切り替え、今日も鍛練に勤しむ。
鹿「…っ、ぐほっ…! げほっ、げほっ……はぁっ……はぁ……」
立飛「大丈夫? 鹿ちゃん」
鹿「ふぅっ……うん、それにしても……強くなったね、立飛。まぁいつかはこんな日が来ると思ってたけど」
立飛「ただの模擬戦でしょ。術を使っての本気勝負だったらわかんないよ」
鹿「ははは。いいっていいって、そんな気を遣ってくれなくても。元々素質があって、こうして何年も鍛練に取り組んで……一日も欠かさずひた向きに……やっぱ立飛は優秀だよ」
立飛「……そんなことないよ、鹿ちゃんや蛇龍乃さんや皆のおかげ。あんなだった私を此処に、忍びとして迎え入れてくれて、色々教えてくれて。本当に感謝してる。ありがとう、鹿ちゃん。鹿ちゃんには一番お世話になったから」
鹿「ちょ、ちょっと、やめてよ……立飛がどっかに行っちゃうみたいじゃん、そんなの」
立飛「あはは、何処にも行かないよ。だって此処が私の居場所だもん。当たり前じゃん。……ていうか鹿ちゃんは悔しくないの?」
鹿「ん? 立飛に負けて? あー、そりゃあ悔しいけどさぁ……なんていうか、それよりも嬉しい」
立飛「嬉しい?」
鹿「だって私ら家族じゃん? その中でも立飛のことは、本当の妹みたいに勝手に思ってたから。そんな可愛い妹の成長を喜ぶのは姉として当然でしょ?」
立飛「うん……ありがとう、鹿ちゃん」
立飛「……っ、やった……やったぁっ……!」
鹿「え? ど、どしたの、いきなり…」
立飛「一番の目標だった鹿ちゃんに、やっと、届いた……っ、これからは肩を並べて、忍びとして生きていけるって思ったら」
鹿「そんな今更じゃない…?」
立飛「最初の任務の時に言われたこと、ずっと引き摺ってたんだからね……これくらいいいじゃん」
鹿「最初の任務? あ、あー……」
『はぁ? 対等? ……散々喚きまくったどの言葉よりも、今のが一番ムカついたわ。対等に見ろとかどの口が言ってんの? 別に今回の件がどうとか以前の話』
『素人以下だった人間が、たった一年程度鍛練に取り組んだくらいでどうして私と対等になれると思ったの? あんまナメんなよ? ……私たちは普通の生き方を捨てて、今此処に忍びとして在る』
『私も忍び、立飛も忍び。単純な強さだけを言ってるんじゃない。忍びとしての誇り、在り方も踏まえて……お前程度が私と対等? 立飛が自分のことをどう思ってようが勝手だけど、あんま軽々しく口に出さないで。イラつくから』
立飛「だから私は……もう守ってもらう自分じゃなくて、これからは誰かを守れる自分になれるように。もっと強くならなきゃ」
鹿「ホント真面目だねぇ、立飛は。あんま気負い過ぎるのも良くないよ?」
立飛「はーい」
鹿「あ、そうそう。じゃりゅのんから聞いた話なんだけどね」
立飛「うん?」
鹿「少し前から、蛇の忍びの里が襲撃される事件が起こってるって。此処以外にも私たちの族派の集落が存在するのは知ってるでしょ?」
立飛「ん、それは勿論。なにそれ、そんなことが起こってるの? 蛇の忍びが狙われてるってこと……?」
鹿「私たちだけってのかはよくわかんないけど。忍びを狙ってのことなのか、それとも蛇の一派のみを狙ってのことなのか。どっちにしろ、蜘蛛の情報は入ってこないからなんとも言えないんだけどね」
立飛「ふーん……」
鹿「まぁ脅すわけじゃないけど、警戒しておくに越したことはないから。妙な気配を感じたら、私かじゃりゅのんに報告してよ」
立飛「…わかった」
…………そして、また別の日。
立飛「はぁー、疲れたぁー」
蛇龍乃「おー、その術もかなり完成されてきたみたいだね。さすが立飛、偉いぞ。優秀だー。だが……」
立飛「えへへー……ん?」
蛇龍乃「自分の意識を分散して他の何かに移し制御する術、か……何度も聞くようだけど、負担はどのくらいあるの?」
立飛「えっと、その対象によるんだけど。敵の尾行や監視、情報収集に使える蝙蝠なら意識を5%くらい注げば済むかなぁ」
立飛「戦闘にも使える獣だったりするとその容量はもう少しだけ増えて10~15%……多くても30%くらい?」
蛇龍乃「……一つ一つは少なく済むとしても同時に使えば負担は大きくなるだろ?」
立飛「うん」
蛇龍乃「そして術を使用中…意識を注いでいる対象が攻撃を受ければそのダメージは立飛にも及ぶ」
立飛「あ、うん……でも別に痛みは生じるけど傷ができるとかじゃなくて、なんていうんだろ? んー、精神に干渉されるみたいな?……自分でも上手く説明出来ない…」
蛇龍乃「強力な術だが使い方を誤れば身を滅ぼすからくれぐれも気を付けるんだぞ? 私の可愛い立飛にもしものことがあったら、私は…わたしはぁっ…!」
立飛「そ、そこは自分でちゃんと考えてるから大丈夫! どんなに使ったとしても意識の30%は残しておかないとこの身体で活動できなくなっちゃうからね」
蛇龍乃「…ん、まぁ立飛はかしこくてかわいい子だからあまり心配はしてないんだけど」
蛇龍乃「…もう一つだけ訊いていい?」
蛇龍乃「その術、人間に使うことは可能……?」
立飛「……可能、だとは思うけど……それだと私の意識、全部注がなきゃ無理だと思う。それに使用時間も極端に短くなる」
蛇龍乃「使ったことあるの?」
立飛「ううんっ、対象が動物の時と感覚としては同じだと思うから……そこから想定すると」
蛇龍乃「ああ、そっか……うん」
立飛「あと人が対象の場合、その人が強い弱いに関わらず意識全部が必要だから……あー、相当精神力が強い人だと完璧に制御することは難しいかも…」
立飛「うーん、よくわかんない。ごめんね?」
蛇龍乃「いやいいよ。誰も人間に使えなんて言ったりしないから。というか……絶対に使うなよ」
立飛「うん」
蛇龍乃「ぜったいのぜったいのぜーったいにね?」
立飛「わかってるよー!」
立飛「あ、蛇龍乃さん」
蛇龍乃「んー?」
立飛「鹿ちゃんから聞いたんだけど、忍びが狙われてるって話」
蛇龍乃「あー、そのことね」
立飛「誰の仕業とか、蛇龍乃さんもわかんないの?」
蛇龍乃「…………」
立飛「……蛇龍乃さん?」
蛇龍乃「過剰な敵対意識は持ってほしくないから皆には言ってないけど。私も気になってある程度調べてはみたんだ」
立飛「うん…」
蛇龍乃「……まぁしかし、殆んど何もわからんかった」
立飛「あ、そうなんだ…」
蛇龍乃「これが忍び全体を狙ってか、私たち蛇だけを狙ってか%…そこだけでも判れば対処法は変わってくるんだが、と。実はこっそり蜘蛛の忍びの知り合いに探りを入れてみた」
立飛「え、そんな知り合いがいるの?」
蛇龍乃「一応ね。どっちかがどっちかのスパイってわけじゃないけど。私もそいつのことはある程度信用してるし、向こうもわたしのことはある程度信用してる」
蛇龍乃「…んで、そいつが言うには蜘蛛の側での被害は確認されなかったというわけ」
立飛「え? じゃあその犯人っていうのはまさか」
蛇龍乃「って思ったんだけど、向こうが集団で動いたような形跡は無いんだよねぇ……てことから考えられる線っていうのが。まぁこれが蜘蛛の忍びによる仕業と取るなら」
立飛「少人数、もしくは単独犯……でもそんなこと有り得るの? 里ごと潰されてるわけなんでしょ?」
蛇龍乃「まぁね。忍びが忍びを狙うんだ……いくらなんでも不意討ちなんかであっさり壊滅されるってことはないだろ」
立飛「てことは……」
蛇龍乃「本当に単独での仕業なら、相当の強者に違いはないだろうね」
立飛「…………」
蛇龍乃「怖い?」
立飛「ん……自分自身が怖いっていうより、此処の誰かがもしそんな目に遇ったらって考えたら……」
蛇龍乃「ははっ、心配するな。無様にも里を潰された無能な頭領共とは違って、私は強いからね」
立飛「違うよ」
蛇龍乃「…ん?」
立飛「私が、蛇龍乃さんを守るの。私がこれまで得てきた強さは守られない為の強さ、それを証明してみせる」
蛇龍乃「…はははっ、生意気言っちゃって。そういうのが一番危ういんだよ」
立飛「うん、そこは私も心得てるよ。だから無謀とは履き違えない。自分が出来ることは自分でやる。出来ないことは、誰かに任せるよ」
蛇龍乃「うん、それさえ弁えてれば大丈夫だ」
蛇龍乃「さぁ、戻ろっか。今日も牌ちゃんが作る美味しい夕飯を堪能するとしよう」
立飛「うん」
……………………
立飛「ただいまー」
ヱ密「あ、おかえり。立飛、蛇龍乃さん」
蛇龍乃「ただいま、御飯は?」
鹿「帰ってきた早々それかよ」
牌流「まだもうちょっと掛かるから、先にお風呂入ってきたら?」
空丸「お風呂の支度も完了してますよー」
鹿「さすが、空。気が利くねー」
蛇龍乃「ん、ならそうするかなぁ…」
立飛「あれ? そういや紅寸は? まだ鍛練してるの?」
牌流「あ、紅寸には山菜採ってきてーって頼んでおいたの。もうすぐ戻ってくると思うけど」
立飛「そっか。じゃあそれまで将棋でもしてよう。鹿ちゃん」
鹿「いいよー。ま、将棋ならまだまだ私には及ばないからねぇ、立飛は」
立飛「絶対勝ってやる」
空丸「なら私が試合開始のゴング鳴らしてあげよっかー?」
鹿「それはいらん」
立飛「いらん」
……その頃、紅寸。
紅寸「よしっ、大量収穫。菜の花もいっぱい採れたし」
紅寸「んー、お腹も空いたしそろそろ帰ろっかなー……っ!?」
と、そこに何者かの気配を感じる。
紅寸「だ、誰……?」
……ガサッ、と。
頭上の葉が鳴り、飛び降りてきたのは。
「やぁっと気付いてくれた。わざわざ気配放ってあげたんだから、もうちょっと早く反応してよ」
「まぁ普通の人間ならこれでも察せないか。てことはぁ……」
「──お前って忍び?」
紅寸「…………こっちに訊ねるなら、まずはそっちからでしょ。あんたは、誰?」
「んー、それもそっかぁ。私は空蜘っていうの。ほら、この通り普通の旅人。だから全然怪しくないよ?」
紅寸「普通の旅人はいきなり上から降ってこないよ」
空蜘「あははっ、そんくらいは考えられる頭あるんだぁ。……で、忍びなの?」
紅寸「…………忍びって言ったらなんなの?」
空蜘「うーん……殺す?」
紅寸「じゃあ違う。さよなら、お気を付けて」
……紅寸がそそくさとその場を離れようとすると。
紅寸「…………」
スタスタ
空蜘「…………」
スタスタ
紅寸「……なんで付いてくるの?」
空蜘「なんで付いていっちゃいけないの? 私が余所者で、この先に忍びの里があるから? 他にも忍びがいるから?」
紅寸「……っ」
……コイツッ、と。
そこでようやく紅寸が気付く。この者も自分と同じく忍びなのだと。
そして昨今、界隈を騒がせている襲撃者でもあるのではないか。
ならば尚更、里に招くわけにはいかない。
紅寸「……」
……紅寸は進路を変え、里とは逆方向へと向かおうとする、が。
空蜘「あれ? なんで戻っちゃうの?」
紅寸「…………」
空蜘「ふぅん、まぁいいや。なら私はこのまま進んじゃおうーっと」
紅寸「…っ、ま、待ってよっ!」
空蜘「なに? やっぱりこの先に忍びの集落があるんだぁ? お前もそこで暮らす忍びなんでしょ? あははっ、まぁ最初からわかってたけどねぇ」
紅寸「い、いい加減にしてよっ! その質問には答えないっ……でも、そこまで煽られたら殺すしかないみたいだね」
空蜘「……殺す? お前が、私を?」
空蜘「あはははははっ! なにそれ、冗談? あそこまで気配を大きく見せてやらないと気付きもしなかったくせに?」
紅寸「……っ、うるさいっ」
……瞬間。
紅寸が空蜘に対し距離を詰め、殴りに掛かる。
紅寸「このっ…! なっ……え……?」
対象と狙いを定めていたその姿が、目の前で忽然と消えた。
いや、消えたように映った。
空蜘「──遅っ……この程度で忍びやれてるんだから、此処も潰すの簡単そうかな。あはははっ」
……吐息が触れるくらいに、背後からの声。
紅寸「…っ、うぅっ…!」
危機を感じ、即座に前方へと飛び退こうとするが。
紅寸「ぇ…? なっ、くっ……ぅ……っ」
身体が動かない……? 金縛り? いや、違う。
肌が締め付けられるような、痛み。
これは、糸……?
身体中に絡む糸により拘束され、逃げることは許されない。
……もがく紅寸に、空蜘は。
空蜘「え? この程度でもう何も出来ないの? あははははっ、弱いってホント……可哀想だよねぇ♪」
グシャッ──!
……………………
………………
…………
紅寸「……っ、かっ……ひゅ、ぁ……っ、ぐぅっ……はぁっ、はぁっ……ぁ……」
空蜘「ふふっ、耐久だけはまぁまぁかな。すぐに死んじゃってもつまんないしね」
紅寸「ぁ……ぅう、くっ……ゃ……げほっ、げほっ……はぁっ、ぅく……っ」
空蜘「ねぇ、どんな風に殺してほしい? どうせなら凝った殺し方したいから、特別大サービスでどんなリクエストでも答えてあげる……あ、その前に」
空蜘「仲間の居場所教えて? まぁこの辺に忍びの集落があるのは解りきってんだから、自分で探し歩いてもいいんだけど。それだと面倒だしね……教えてくれると嬉しいなぁ」
紅寸「ぐ、ぎゅ……っ、ぁ……はぁっ、はぁっ……誰、がっ……お前、なんか、にっ……」
空蜘「ふぅん……まぁ一応忍びとしては口が裂けても言えないよねぇ、うんうん。じゃあ、体に教えてもらおっかなぁ」
……と、空蜘は紅寸の腹部の傷口の一つに触れ。
その傷口から、体内へと、糸を展開した。
紅寸「…っ、ぁ、ぎゅっ、ぅぅうっ……ぎゃっ、ぐぅぅっ、ぁぁあっ……!」
空蜘「あははっ、一回やってみたかったんだよねぇ。嘘発見器っていうの? ほぉら……まるで指先で触れてるみたいに、お前の脈動が伝わってくる」
空蜘「あ、操作間違って殺しちゃったらごめんね?」
紅寸「はぁっ……ぁ、ぐぅっ……ひゅ、ぁあ……っ」
空蜘「さて、と……お前がさっき帰ろうとしたこっちの方向、この先に集落があるんだよね? ……ねぇ?」
紅寸「ぐぎゅっ……が、はぁっ……ふっ、ぅうっ……ぁ……」
空蜘の指先に伝わってくる微かな脈動の変化。
それを読み取り、空蜘が笑う。
空蜘「…うふっ、良い子良い子。さ、行こっか?」
体内に糸を通したまま空蜘は。
髪の毛を掴み、紅寸の体をズルズルと引き摺って歩き出した。
空蜘登場、ということはこの過去編もそろそろ終盤
予定通り今月で終わらせられそうでよかった
また深夜に書くかも書かないかも
…………妙州。屋敷内にて。
その異変に逸早く気付いたのは、鹿だった。
鹿「……っ」
空丸「鹿ちゃん?」
牌流「どうしたの…? そんな怖い顔して」
立飛「……!」
血相を変え、屋敷を飛び出していった鹿に。
皆、続くように外へ。
……そして、そこで目に飛び込んできたのは。
うっすらと雲が掛かる月を背に。
紅寸を引き摺り、こちらへ向かってゆっくりと歩いてくる人影。
牌流「えっ……紅寸っ……?」
空丸「まさか、し、死んで…」
鹿「遠目からじゃ、わからない……けど」
立飛「……単騎で乗り込んでくるとは良い度胸してるよね」
鹿「…立飛、熱くなってない? 大丈夫?」
立飛「…うん。あれが相当ヤバそうってことはちゃんと理解できてるよ」
鹿「なら良し。あんだけの殺気をまったく隠そうとしないのは、向こうもやる気満々ってわけね……立飛、いける?」
立飛「うん、勿論。牌ちゃんと空丸は下がってて……紅寸があんなになってるわけだし、多分二人じゃ相手にならない」
牌流「……っ、うん……わかった」
空丸「私、蛇龍乃さんたちに報せてくるっ…」
鹿「よろしく、空。……ってこんな一大事になんでどっか行ってんだよっ、あのアホ頭領はっ!」
立飛「……鹿ちゃん、熱くならない熱くならない」
鹿「はい……すいません」
……ズルズル。
……ザッ……ザッ……。
一歩、また一歩、と不気味に。
屋敷の前に立つ鹿たちの方へと、向かい近付いてくる襲撃者。
……そう、気を失っている紅寸の髪を乱暴に掴み上げた、空蜘の姿である。
そして、距離にして10メートルくらいだろうか、その手前でピタリと止まり、ニヤリと笑って口を開いた。
空蜘「こんばんわぁ、蛇の忍びの皆さん。歓迎ご苦労様。察しの通り、殺しにきてあげたよ♪」
鹿「…っ、死ぬのはそっちね。此処に足を踏み入れて生きて帰れると思ってんの?」
立飛「……紅寸を離して」
空蜘「くすん? あぁ、この弱っちい子ね。うーん……でもぉ、死体なんか欲しがってどうするの?」
立飛「……っ」
鹿「こ、このっ…」
立飛「鹿ちゃんっ、落ち着いて」
空蜘「あははっ、うそうそ。まだ生きてるよ? ……“まだ”、ね」
そう言って、空蜘は紅寸を脇へと放り捨てた。
牌流「く、紅寸っ…!」
直ぐ様、牌流は紅寸の元へ駆け寄る。
それを見て、妖しげに笑む空蜘。
空蜘「ふふっ…」
立飛「…っ、牌ちゃんっ、駄目っ!」
牌流「え? きゃっ…!?」
何かを察した立飛に引き寄せられ、二人して地面に倒れ込む。
そして刹那、その二人の眼前を。
ヒュッ──!
音も無く、虚空を突き抜けていった小槍のような飛来物。
空蜘「…へぇ、勘が良いね。なかなかやるじゃん」
牌流「な、なに……今の……っ」
……あのまま紅寸の元へと近付いていたら、間違いなく串刺しにされていただろう。
牌流「ご、ごめん、立飛……助かった」
立飛「うん……気を付けて……それにしても、今の、術……?」
少なくとも、道具を使った様子はなかったことから、おそらく術だろう。
だとするなら、驚くべきはその発動速度だ。
思わず息を呑み、凍り付くほどの冷たい汗が背筋を伝う。
立飛「……離れてて、牌ちゃん。紅寸はあとで絶対助けるから」
牌流「…うん、ごめん、立飛……っ、お願い」
空蜘「そっちのとびっきり弱そうなのはとりあえず今は見逃してあげるとして。まずはそこの二人……まとめて相手してあげるから、少しは楽しませてよ」
立飛「……鹿ちゃん、今の術」
鹿「うん……迂闊に踏み込んだら、すげぇヤバそうだよね……」
立飛「とりあえず、あれだけは警戒しておかないと」
鹿「だね……ま、やれるだけやってみよっか」
空蜘「あれ? 掛かってこないの? もしかして今のでビビっちゃった? ……じゃあ、こっちからいくねっ」
今度は術ではなく、本体自ら超速で迫ってくる空蜘の初撃を。
鹿「くっ…!」
立飛「なっ、速っ…!」
……寸前でなんとか避けた二人、だが。
その後も息つく暇も無いほどに、襲ってくる乱撃に。
鹿と立飛は、防戦一方。
空蜘「あははははっ! さぁて、いつまで逃げ切れるかなぁ?」
……攻撃はおろか、近付くことさえ出来ない。
直撃、致命打だけは回避するべく、可能な限り距離を取ることだけに努めていた。
空蜘が使用する術に関しては、最も警戒するところで。
集中を切らし、一度でも捕まってしまえば一貫の終わり。
……死の鬼ごっこ。
懸命に逃げ回る二人に対して、空蜘はそれを楽しんでいるかのように。
まだ余裕を残している様子で笑う。
鹿「くっ……ゃ、やばっ……!」
一瞬、体勢を崩した鹿に、空蜘の腕が伸びる。
が、月に照らし映された影。
術を使って、それを空蜘を迎撃する。
空蜘「…っ!? 術? ふーん、まぁでもこの程度っ」
影は淡く。空蜘の行動を一瞬遅らせる程度にしか叶わなかったが。
だがその一瞬があったからこそ、この難をとりあえずは逃れられた。
鹿「はぁ……はぁっ……この、化け物……っ」
空蜘「だんだん動きが鈍くなってきたよ? そろそろ終わらせてほしい?」
立飛「はぁっ……はぁ……鹿ちゃん……っ」
現時点で空蜘が狙いとして定めているのは、鹿の方。
しかしこのままでは鹿が捕まることは確実だろう、とのことから少し離れた位置にいる立飛は。
援護に向かおうとした、その時。
蛇龍乃「ちょっと待った、立飛」
立飛「あ、蛇龍乃さん」
姿を現した蛇龍乃。
その姿を目にし、安堵すると同時に、自分の無力さを痛感する。
蛇龍乃「状況は把握してるから。よく堪えてくれたね、さすが立飛と鹿だ」
立飛「悔しいけど、向こうが遊んでくれてるだけだよ……あの術が予想以上に厄介で。あっ、蛇龍乃さんの術だったら、あれどうにか出来るんじゃない…?」
蛇龍乃「……ごめん、今は無理だ」
立飛「え?」
蛇龍乃が扱う術、封術。
それは対象の術を問答無用に封じ込めるというもの。
ならば空蜘の術も封じられるようにも思えるが。
いや、封じ込めること自体ならば、ものの数秒あれば可能だろう。
……だが、この状況においてそれが出来ない理由というのも存在していた。
立飛「なんで!? このままじゃ鹿ちゃんがっ…」
蛇龍乃「鹿がヤバいのは見ればわかる。でも、それ以上にヤバいのは…」
蛇龍乃が目を向けた先。
そこにあったのは、倒れたままの紅寸の姿。
蛇龍乃「……立飛、見える?」
立飛「え……何が?」
蛇龍乃「紅寸の体から伸びている細い糸のような…」
立飛「糸……あ、うん……なんとなく、だけど」
その糸は今も、空蜘の右手の小指に繋がっていた。
立飛「でも、あれがなんだっていうの…?」
蛇龍乃「私が考えてる最悪に当て嵌まっているならば、アイツの術を封じた瞬間に紅寸は……死ぬ」
立飛「え…?」
……蛇龍乃が考える最悪。それは不幸にも的中していた。
そう、空蜘の指先から伸びているあの糸は、紅寸の傷口を介して体内に張り巡らされている。
ではその状態で封術を使えばどうなるか。
既に生成されていた糸は、空蜘の制御を離れる。これは糸が消えて無くなるわけではなく、それ以上術を発動、及び展開出来なくさせるといったもの。
後に鈴が使うことになるスマホによる“写真”とは、似て異なるものである。
その違いを明確に説くならば、“写真”は展開された術そのものを破壊するという単発的な効果になり。
それと比べ、蛇龍乃の“封術”とはそれ以上の発動、展開を永続的に許さないといった効果。
……つまり、この状況で封術を使ったとしても、紅寸の体内に糸は残る。
更に最悪の最悪を想定するのならば、制御を離れた糸は紅寸の体内に引き込まれ、死に到らしめるかもしれない。
蛇龍乃「鹿を救う意味も込めて、説明している時間は無い。……立飛、一つ頼まれてくれる?」
…………そして。
鹿「はぁっ、はぁっ……くっ……あのさぁ、なんで、私らを狙うの……? 何が、目的なの……?」
空蜘「目的? そんなものないよ。ただの暇潰し。強いと思い込んでる奴に絶望を与えて捻り潰すのも楽しいけど、雑魚を狩るのはそれはそれで楽しいからねぇ」
鹿「ははっ、ただの暇潰しで、敵地に単騎で乗り込んでくるとかっ……狂ってんのかよ……っ」
空蜘「あははっ、そうかもねぇ。でも敵地といってもこんな雑魚だらけ、一人で充分過ぎるよ。てか仲間とか引き連れても邪魔なだけだし」
空蜘「まぁ、お前は雑魚のなかではまぁまぁな方だったよ。だからそろそろ殺してや……ん?」
……ふと空蜘の視界に入ったのは、紅寸の元へ歩み寄る蛇龍乃の姿。
空蜘「……私の玩具に勝手に触ろうとするなんか。あははっ、何をどうやったって、そいつは死んじゃうのにねぇ」
空蜘が小指から伸びている糸を操作し、紅寸の息の根を止めようとしたその瞬間。
……スパッ、と。
蛇龍乃によって、その糸は断ち切られた。
そして、切断された糸。紅寸と繋がる側の端を、その糸が体内へと飲み込まれぬよう慎重に指先で摘まむ蛇龍乃。
空蜘「そんなことしたって無駄なのに」
……そう、展開された糸を切られたからといっても、その制御が直ぐ様死ぬわけではない。
空蜘は、紅寸と繋がっている糸を遠隔で操作しようとした、が。
空蜘「……? どういうこと……?」
……その制御は既に死んでいた。
どういうことか、というと。
蛇龍乃「紅寸、しっかりしろ。すぐに私が助けてやるからな」
紅寸「……ぁ…………ひゅ……く、ぁ……っ……」
蛇龍乃「まずは意識をしっかり保て……私の声、聴こえる?」
……封術の応用。
術師本体の術を封じたわけではなく、展開された術の側をまずは封じたというわけだ。
よって、紅寸の体に干渉しているこの糸に。
空蜘の制御は届いてはいない。
空蜘「ふーん……なんかよくわかんないけど、なら直接殺すだけ」
ヒュッ──!
空蜘は新たに術を展開。
作り出された小槍は、蛇龍乃へと放たれた。
その攻撃に気付いていないのか、紅寸に声を掛け続ける蛇龍乃の無防備な背中に。
飛び迫る、無数の糸で編み込まれた槍。
空蜘「…死ねっ」
……だが、届こうとするその手前で。
スパッ──!
突如、虚空から現れた刃によって斬り落とされた。
立飛「……一本足りとも、通さない」
……蛇龍乃と空蜘の間に立つ、立飛。
蛇龍乃を狙う術による飛来物は、自分がすべて対処してみせる、と。
空蜘「へぇ…………うんうん、そんくらいしてくれないと面白くないよね」
……と、空蜘は再び小槍を編み上げ、それを放つ。
ヒュッ──!
立飛「…っ、はぁぁっ!」
スパッ──!
立飛も再び、同じ様に対処。刀で糸槍を斬り落とす。
立飛「ふぅ……はぁっ……はぁ……」
……いける。見える。
この、守るものが背にある状態。決してミスの許されない状況下。
極限まで集中した今ならば、如何にとてつもない発動速度をもったあの術だとしても。
対処は充分に可能である、と。
空蜘「ふぅん……結構やるじゃん。こうなったら意地でもキミを射ち抜いてやりたくなっちゃうよねぇ」
立飛「……っ」
空蜘の微動ですら逃すまいと、術の発動に警戒し目を凝らす立飛。
……だが。
空蜘「……なーんて言うと思ったぁ? 刀捌きは器用なものだけど、キミのレベルに合わせて遊んでやる時間はもうおしまい♪」
立飛「…っ、……!」
……途端空気に触れ、肌が痺れるような感覚。
眼前にある空間を切り裂くが如く。立飛に向かい、いやその立飛の背後の蛇龍乃を狙い。
空蜘がゆらりと身を揺り動かした瞬間の超速のままに、地を這い跳び、迫る──。
一瞬にして、距離は詰められ。
だが、立飛も集中の境地に在り。
空蜘の動きを、研ぎ澄ましたその眼で追う。
立飛「……っ」
空蜘「あははっ! 遅いよ」
……しかし、速すぎる。
既に眼前には空蜘の姿。その鋭く尖らせた指先が襲い掛かってくる。
立飛は腕を返し、迫り来る手首ごと斬り落とそうとするが。
立飛「ぐぁっ、ぁくぅっ…!」
……カラン、とその手から刀が溢れ落ちた。
空蜘のもう片方の腕が、柄を持つ立飛の手の甲に、手刀となって振り下ろされたのだ。
立飛「ぅっ……くぅぅ……っ!!」
反撃を諦め、回避に徹する。
強引に身を捻り、空蜘の初撃を避けるが。
空蜘「へぇ、今のを避けるんだぁ……でも」
しかし、それと同時に。
……ヒュッ、と。顔のすぐ側に風鳴り音。
立飛「なっ…!?」
空中に在った空蜘の姿。そこから繰り出される蹴り。
立飛は咄嗟に腕を出し、頭を守ろうとするも。
抉られるような衝撃を真っ向から受け。
立飛「ぁっ、うぅっ……ぐぁっ…!!」
無理な体勢だったことも影響してか、力負けしたその体ごと。
吹っ飛ばされた──。
空蜘「今のにも反応するとかちょっとだけ面白いかも、あの子。あとでじっくり遊んであげようかな。……まぁ、その前に」
紅寸「ぅっ……ぁ……はぁっ……ぅぐ……はぁ……っ、じゃ、じゃりゅ、の……さ」
蛇龍乃「…私がわかるか? お前は私が絶対に死なせないから、苦しいだろうが今は気を保つことだけに集中しろ」
傷口から伸びる糸の端を掴んだまま、紅寸を励ます蛇龍乃。
立飛が退けられたことで完全な無防備となったその背中を見下ろし、空蜘が言う。
空蜘「そいつを救う前に、お前が死ぬんだけどねぇ。他人を構うよりも自分の命の心配した方がいいんじゃない?」
蛇龍乃「……あっそ。私もコイツも死なねぇからお構い無く。あー、あとさぁ、結構神経使う作業を今からやるからちょっと黙っててくんない? 邪魔」
……蛇龍乃は空蜘の方を振り向きもせず、そう言った。
空蜘「そう…………なら、死ねっ!」
大鎌が振り下ろされるように、虚空を切り裂き。
蛇龍乃の頭へと。
空蜘の腕、その指先が伸びた──。
そして、風穴が空きそうな程の勢いで後頭部に貫こうとした。
──その瞬間。
……パシッ。
空蜘「え……?」
その腕は、いとも簡単に弾かれた。
いつの間にか、蛇龍乃のすぐ側に在った者によって。
空蜘「なに……お前?」
蛇龍乃「しばらく私、手が離せないから、そいつの相手よろしくね……ヱ密」
ヱ密「うん、任せて。あとごめん、遅くなっちゃって」
蛇龍乃「ホントだよ……鹿と立飛が頑張ってくれなかったら、私死んでたぞ?」
ヱ密「蛇龍乃さんは死なないでしょ。まぁその場合、死んでたのは紅寸の方じゃない?」
蛇龍乃「紅寸を救おうとして私が殺されるか、紅寸を見捨てて私がその蜘蛛を殺すか。そうだねぇ……って、それ今言うことじゃなくない?」
ヱ密「…だね。私もそう思う」
蛇龍乃「ったく……馬鹿なこと言ってないで、あれに負けたりしたら承知しないからね」
ヱ密「わかってるよ」
空蜘「……なんか気に入らないね、お前」
ヱ密「いきなり乗り込んできて、暴れまくってる人に気に入られる必要は無いと思うけど」
空蜘「はぁ? チッ……ムカつく。てかなに邪魔してくれてんの? 私は殺すって決めた獲物は絶対殺すの。退いてくんない?」
ヱ密「ならその殺すって決めた獲物をとりあえず私にしてくれると嬉しいかな。蛇龍乃さん、忙しいみたいだし」
空蜘「……ナメてんの? そもそもさぁ、大物ぶって仲間のピンチに駆け付けてきたヒーロー気取りですかぁ? そういうのマジキモい。鳥肌立ちそう」
ヱ密「ははっ、そういうつもりはなかったんだけどね。あんたがもうちょっと早く来るか遅く来るかしてくれてたら、皆に余計な手間取らせることもなかったのに」
ヱ密「だって私がお風呂から上がったら、皆いなくなってるんだもん。で、外が騒がしいから見に行ってみればこの有り様でビックリしちゃった」
空蜘「……ふぅん、マジでナメてんだぁ? あははっ、わかったよ。そこまで言うなら、まずはお前を殺してあげるっ!」
……ヒュッ、と。
唐突に抜かれた手刀。
喉元に迫るそれに対し、ヱ密は表情一つ変えずに。
パシッ、と払い落とした。
空蜘「やっぱさっきのはマグレってわけじゃないみたいだね。お前がこのなかで一番強いの?」
ヱ密「違うよ」
空蜘「ふーん、あっそ……まぁなんでもいいや。全員殺すし」
【ヱ密 VS 空蜘】
空蜘の目の色が変わり、始まった近接での打ち合い。
いや、攻撃を放っているのは空蜘のみであった。
なにせ反撃の隙も与えないと言わんばかりに、無数に繰り出される手数。
とても両腕両脚だけとは思えないほどに。
まるで本物の蜘蛛さながらに、手足が八本。いや、それ以上在るかのような。
空蜘「ふふっ、あははははっ!」
ヱ密「……っ」
だがヱ密も冷静に、この乱撃を耐え凌ぐ。
どころか、一撃たりとも喰らってはいない。
見極め、回避し。受け止め、反撃の機会を眈々と窺っていた。
……だが、ヱ密をもってしても、空蜘の動きを完璧に捉えることは容易ではなく。
空蜘「…ふふっ」
と、そこに。
シュルルルッ──!
術の発動。これはヱ密を直接狙ったものではなく。
指先から展開された糸が伸びた先、それは。
先程、立飛が落としていった刀。
その柄を糸で絡み取り、操作して刃先を飛ばした。
ヒュッ──!!
……だが、狙い先。それはヱ密ではなく。
ヱ密の背後にいる、蛇龍乃を串刺しにするもの。
しかし、そう簡単にヱ密が通す筈もなく。
……カツンッ。
飛来する刀を、器用に下から蹴り上げ。
同時に自らも跳ね飛び、宙に舞った刀を掴む。
そして更に、空中で身体を翻し、その柄に伸びている糸を断ち切ってみせた。
ヱ密「あれ? 相手は私じゃなかったの?」
空蜘「チッ……その程度で調子に乗んなっ!」
より一層、速度を上げた空蜘が。
術を展開し、編み上げた糸槍を今度こそヱ密へと放つ。
それも同時に、五つもの槍がヱ密を降り迫った──。
……だが。
スパッ──!
その全てを瞬く間に、斬り落としてみせたヱ密。
空蜘「……っ 」
ヱ密「そんな軟弱な糸じゃなくて、鉄線とかだったらよかったのにね」
今度はヱ密の方から、仕掛けに入った。
握る刀、そして体術も駆使し、攻める。
……最初よりも、数段激しい攻防。
だが、空蜘とて完全に攻められっぱなしというわけでもない。
攻防が続くにつれ、その速度も更に増していき。
鹿と立飛と戦っていた時とは、まるで別人のように。
……そう、空蜘のなかでも、もう遊びではなく。
ヱ密を強者と認めたうえでの、自らも本気モードにギアを入れ換えたわけだ。
鹿「す、すげぇ……なんなの、あの二人……ていうかマジでヱ密が仲間で良かったわ」
立飛「ヱ密が強いのは勿論だけど、なんていうか巧いよね」
鹿「ん?」
立飛「あんな目まぐるしいことやっててまだ余裕あるのかな……多分、意識的に。ほら、段々と戦闘の場を蛇龍乃さんから遠ざけていってる」
鹿「あー、うん」
立飛「どうしよう、ヱ密の加勢にいく?」
鹿「……いや、ヱ密に任せよう。私らがいってもあんま意味無い、どころか逆にヱ密の足枷になりかねないし」
立飛「……っ、そう、だね……じゃあとりあえず蛇龍乃さんのとこに」
鹿「そうしよう。紅寸が心配だしね」
……そして、蛇龍乃と紅寸の元へ。
鹿と立飛、それと牌流と空丸も集まった。
紅寸「はぁ……っ、ぁ……ぐ、ぅ……あ……っ……はぁっ……」
立飛「蛇龍乃さん」
牌流「紅寸は、大丈夫なの…?」
蛇龍乃「……あのじじいが居てくれりゃ、こんくらい訳無かったんだが……まぁそんなこと言っても仕方無いな。私の専門じゃないけど、なんとかしてみせるよ」
鹿「それ、糸……? アイツの?」
空丸「傷口から伸びてるってことは、それを取り除く処置ってわけですね」
蛇龍乃「……ああ、時間は掛かりそうだが、やってやれないことはない……でも」
紅寸「……ぁ……かっ……はぁ……っ、ぅ……ぁ…………っ……」
蛇龍乃「徐々に脈が弱くなってきてる……私が完璧に処置を施したとしても、その前に紅寸が力尽きてしまったら意味は無い」
牌流「…蛇龍乃さん。私の血、紅寸にあげてよ」
立飛「あ、そっか。血を与えてあげれば一時的にでも回復するから…」
鹿「まぁその後どうなるかが怖いけどね……でも今はそれしか方法が無いんだったら、私の血もいいよ」
立飛「勿論、私のも」
蛇龍乃「お前ら……そうだね、私もそうするしか無いと考えてた。……よし、紅寸」
紅寸「ぅ……うぅ、ぁ……はぁ、はぁっ……」
蛇龍乃「私の声、聴こえてる? 聴こえてるなら返事して。頭領命令だ、無視したら許さん」
紅寸「…っ、んぅ……ぁぐ……はぁっ……ぅ、じゃ、りゅの、さん……っ……」
……弱々しいながら、反応を示した紅寸。
その傍で、牌流が言う。
牌流「……紅寸、噛み付く元気くらいは残ってるでしょ? 牌ちゃんの血は超絶美味しいから……ほら、好きなだけ吸って」
紅寸の口元に、首を近付ける牌流。
……そして、歯が肌に触れ。
紅寸「ぁ……んっ、はむっ……んゅ……ぴちゃっ……んくっ」
牌流「……っ、ぅ、ぁく……っ、ぁ……んっ、ふふ……っ、良い子、良い子……っ」
牌流「もっと、いっぱい吸って、いいから、ね……っ、ぁ……はぁっ、はぁ……」
蛇龍乃「吸えるだけ吸った方がいいのは確かだけど、それで牌ちゃんが間違って逝っちゃったら駄目だからね?」
牌流「ン……っ、だいじょ、ぶっ……ぁっ、んっ、はぁっ……はぁっ……ぅ、ぁ……っ」
蛇龍乃「はい、そこまで」
牌流「ぇ……ま、まだ、平気……ぁっ……はぁっ、だから……っ」
蛇龍乃「駄目。牌ちゃんだけじゃない、皆だって紅寸を助けてやりたいと思ってんだから一人だけ良いカッコしないの」
牌流「は、はい……ぁ……っ、んぅ……はぁ、はぁっ……」
……紅寸の口から、首を離し。身体を起こした牌流だった、が。
ヨロッと、倒れ落ちそうになったところを空丸に受け止められた。
空丸「だ、大丈夫っ? 牌ちゃん」
牌流「ぁはは……っ、へーきへーき……ただの、貧血だから……はぁっ、はぁっ……」
空丸「……まぁ、そうなんだろうけど」
蛇龍乃「紅寸、気分はどうだ?」
紅寸「……ん、ぅ……さっきより、は……楽になったかな……っ」
蛇龍乃「まだ吸えそう?」
紅寸「うん……でも、……いい、の……?」
蛇龍乃「ああ、いいよ。今だけは特別だ」
紅寸「ん……じゃあ…………かぷりっ」
蛇龍乃「ぉわっ、痛ぇっ! って、ちょっ、私のじゃねーっ! 死にてぇのかっ!? 私がぶっ倒れたら誰が紅寸を助けるんだよっ!」
紅寸「ほぇ……? ぁ……そっか、じゅるっ……」
……そして蛇龍乃の身代わりに。
いや、自ら志願した鹿の血を吸って。
一時的にではあるが、気力を取り戻した紅寸だった。
紅寸「ふぅ……げふっ、ありがと……鹿ちゃん。でも、牌ちゃんの方が美味しかったような……」
鹿「役に立てて良かったよ……一言余計だけどねっ! ぁうっ……ぁ……はぁっ……」
……牌流と同じく、その場に崩れ落ちる鹿。
立飛「じゃあ次は、私のを」
蛇龍乃「…いや、こんくらい元気だったらもういいだろ。ね? 紅寸」
紅寸「うん……ていうか、……ごめんなさい。くすんのせいで、あの変なのに、此処が……」
蛇龍乃「心配するな。あれの対処はヱ密に任せてあるから」
紅寸「……ん、ヱ密だったら……安心、かな……うん」
蛇龍乃「さて、と……んじゃ、処置の続きをするとしよう。紅寸、元気になったからって、はしゃがないで大人しくしててね」
紅寸「うん……わかった」
蛇龍乃「あー、空」
空丸「はい?」
蛇龍乃「牌ちゃんと鹿を屋敷の中に運んでやって。布団に寝かせて、あと水もたっぷり与えといて」
空丸「わかりました」
立飛「…私は?」
蛇龍乃「立飛はここにいて。無いとは思うけど、万が一ヱ密が振り切られた際に備えての私の護衛」
立飛「…うん。今度は絶対に負けない」
蛇龍乃「それと……あのレベルの戦闘はそうそう見られるものじゃないから、よーく目に焼き付けときな。今後の忍び人生の為にもね」
立飛「……うん」
……そして、立飛の視線の先。
屋敷から少し離れた位置に、戦闘の場を移した二人。
ヱ密と、空蜘の姿。
【ヱ密 VS 空蜘】
空蜘「…してやったりって感じ?」
ヱ密「そっちがあまり抵抗してこなかったおかげかな」
空蜘「あははっ、本気でお前とやるなら広々と使いたいからね。……まぁ、でもお前を殺したあとに全員殺すけど。殺される順番が変わっただけ」
ヱ密「……殺す殺すって、そんなに人間を殺すのが好きなの?」
空蜘「うんっ! 死ぬほど好きっ!」
ヱ密「うわ……即答って……」
空蜘「お前も似たようなものでしょ? そんくらいの力持ってるんだから、殺すのが好きで好きで堪らない筈だけど? 違う?」
ヱ密「…………違うよ」
空蜘「あははっ、嘘だね。じゃあ今まで生きてきたなかで、何人殺してきた? 忍びなんだから零ってわけじゃないよね?」
ヱ密「……」
空蜘「そんな人の良さそうな顔して、もしかしたら私よりもずっと多くの人間を殺してたりしてぇ?」
ヱ密「…………」
空蜘「え、まさか図星? へぇ……何人、いや何百、何千人くらい殺してきたの? あ、そんなのいちいち覚えてないよねぇ。私もとっくに数えるのやめて忘れちゃったし」
空蜘「あー、もしこれで私より多かったらショック大きいかも……なんてね。あはははっ!」
ヱ密「……人を何人殺しただとか、そんなものを勲章代わりにして喜んでるようじゃ、あんたの程度も知れてるね」
空蜘「…………は? 今、なんつった?」
ヱ密「その手でこれまで殺してきた多くの命、その命は軽かった? そう思うのなら、あんたの強さも所詮その程度。たしかに強いと思うよ? ……でも、その強さは軽すぎる」
空蜘「偉そうにっ……説教? じゃあなに? お前の強さは私よりも重いとでも言いたいの?」
ヱ密「さぁ、どうだろうね? まぁ、うん……あまり自分の強さを誇示するのは好きじゃないんだけど」
ヱ密「不思議と、あんたには絶対に負ける気がしない」
空蜘「…っ、殺す……っ、絶対殺すッ、殺す殺す殺すッ……!!」
ここまで。また明日です
ヱ密と空蜘、互いの距離はおおよそ3メートルといったところだろうか。
咆哮と共にその距離を一瞬で詰め、間合いに入った空蜘。
空蜘「死っ、ねぇぇぇぇッ──!!」
ヱ密は、迫る空蜘を狙い。
下から掬い上げるように、斜めの剣戟を放つ。
ヒュッ──!
だが、空蜘。
その太刀筋を、瞬時に身を反転させ、避けた。
そしてその動きの流れのままに、横に跳ね。
……鉤爪のように尖らせた指先で穿つ。
グシュッ──!
ヱ密「ぐっ、うぁっ…!」
ヱ密もなんとか反応するものの、完全には避け切れず。
指先は、ヱ密の胴を掠めた。
だが、ダメージの余韻を感じさせぬように。空蜘に掴み掛かろうするが。
そこには既に、その姿は無く。
……空中。
ヱ密の頭上から、降り下ろされる蹴撃。
ヱ密「…っ、くっ…!」
辛うじて、前方に飛び退き、回避した刹那。
ズドッ──!!
地面を抉り取るほどの衝撃で、土砂が舞う。
唐突に、その中から飛び出してきた空蜘。
体勢を取り戻す間も与えられないヱ密に、牙を剥き襲い掛かった──。
その体目掛けて、ヱ密は剣先で突く、が。
空蜘「遅っ……止まって視えるよ?」
……パシッ。
白刃取り。両の掌で、完璧に刃を捉えた空蜘。
そして、その手を前へと滑らせ、ヱ密の眼前まで迫り。
ドゴッ──!!
顔面に、強烈な蹴りを叩き込んだ。
ヱ密「うぁっ……!」
ヱ密は、刀を持たない方の腕で防御するも、不利な体勢からか。
その衝撃全てを受け止めきれず。
……吹っ飛ばされ、地を転がった。
ヱ密「……っ、はぁ……はぁっ……ふぅっ……」
空蜘「あっれぇ? あんなに大口叩いてたのに、まさかその程度?」
ヱ密「思ってたより、速くてね……ちょっと参ってる。あはは……」
空蜘「さっき言ってた……私には絶対に負ける気がしないって? 訂正するなら聞いてあげるよ。頭を地面に擦り付けて、土を舐めるなら、ね」
ヱ密「…ううん、いいや。だって負ける気がしないもん」
空蜘「……あっそ。じゃあ、死ねッ──!!」
快速で飛ばし、一瞬で詰め寄る空蜘。
間合いに入ったと同時に、繰り出される殴撃、蹴撃。合わせて六発。
その全てを見極め、なんなく払い除けるヱ密。
そして、攻撃と攻撃の隙間を縫っての。超至近距離からの斬撃に転じた。
ヒュッ──!
空蜘。これを大きく避けることはせず、最小限の動きだけで避け。
刀を振りかぶっていたヱ密に対し、顔面を殴り、更に腹部に蹴りを叩き込んだ。
ドゴッ──!!
ヱ密「っ、ぁぐっ……!」
空蜘「あははっ、ははははっ ……っ、痛っ…」
……と、頬に痛み。
今の斬撃か。完璧に避けたと思っていたが。
先程までよりも、ヱ密の行動速度も上がっていたのか。
……まぁ、だがこの程度、と。
頬に触れ、血の付いた指をペロリと舐め、空蜘は笑った。
空蜘「ふふふふふっ……まだまだ、こんなんじゃ全然駄目。もっと楽しませて、よっ!」
ヒュッ、と喉元を狙った手刀。
それを避けたヱ密、拳を放ちカウンターを狙うが。
これを読みきっていたのか、その拳を避けた空蜘は。
ズドッ──!
ヱ密の胴体へと、渾身の一撃。
そして更に、刀を持つ方の腕を蹴り上げ。
その手から刀を落とさせた。
ヱ密「ぅくっ……はぁぁぁっ!」
だが、そんなことお構い無しにと、空蜘の死角になっている側から蹴りを振り放つ。
しかし、空蜘。それを掻い潜るように、下から。
一発、二発、三発、と。ヱ密に殴撃を叩き込み。
……そして、とどめに。
ズドッ──!!
派手に全身を使い、体重を乗せた蹴り喰らわせた──。
……またしても吹っ飛ばされたヱ密。
ヱ密「はぁ……はぁっ……はぁ……っ」
空蜘「へぇ……完璧に入ったと思ったのに、なかなかタフだね。起き上がってきたのは褒めてあげるけど、もう立ってるだけで限界でしょ?」
ヱ密「……別に。どうってことないよ」
空蜘「あははっ、強がっちゃってさぁ。じゃあいつまでそんな口が利けるのか、見せてもらおうかなっ」
シュルルルルッ──!
術を展開した空蜘。
一瞬で糸で編み上げ、作り出したのは。
2メートルはあるであろう、長細い槍。
その巨大さとは思えないほどの速度、勢いをもってヱ密へと放たれた──。
ヱ密「……っ」
……現状、刀を持たないヱ密は、それを斬り落とすことは不可能。
よって、回避の姿勢を構えた。
……だが。
その槍がヱ密に届く、それより手前で。
あっさりと形を失った。
これはヱ密が何かしたのではなく。そう、空蜘の操作によるものだ。
槍の形状を放棄したそこに在るのは、大量の糸。
シュルルルルッ──!
ググググッ──!
その糸はヱ密に巻き付き、その体躯を絡め取り、拘束した。
空蜘「あはっ、捕まえたぁ♪」
ヱ密「……攻撃に防御に補助に、なかなか使い勝手の良さそうな術だね」
空蜘「あははっ、そんな余裕ぶっちゃってさぁ……自分の状況わかってる?」
ヱ密「まぁ、ね……こんなぐるぐる巻きにされたら簡単には動けないし。刀があったら斬れたんだけど、これじゃ脱け出すのは難しそう」
両腕ごと、身体を糸に縛り上げられ、身動きのとれないヱ密。
そこから伸びている糸は、リードのように空蜘の右左計六本の指に引かれていた。
空蜘「その余裕の表情をすぐに、苦悶に変えてあげる──ッ!」
……グググッ、と指先で糸を、それに絡まるヱ密の身体を操作すると。
いとも簡単に、ヱ密の身体が宙高くへと舞い上がり。
そして。
ズドッ──!!!!
地面へと叩き付けられた。
空蜘「あははっ! まだまだっ、こんなもんじゃお前は死なないよねッ!」
と、更に。
グググッ──!
糸を操作。再び、ヱ密の身体が宙を飛ぶ。
ズドッ──!!!!
宙高い位置から、地面へと叩き付け。
立て続けに、糸を引き。
今度は大木へと、容赦なくその身体を打ち付ける──。
……空蜘の攻撃は終わることなく。
その後も、何度も何度も。
ヱ密を地面に叩き付け、大木の太い幹が折れるくらいに打ち付けた──。
ズドッ──!!!!
……そして、二桁に届こうとする頃に。
勢い、衝撃に耐えきれなくなったのか、プツリと糸が切れ。
ようやくヱ密の身体からほどかれた。
ヱ密「……っ、…………」
土まみれになり、地に附せるヱ密。
その元へと、至福の笑みを携え、空蜘が歩み寄る。
空蜘「ふっ、ふふふふっ……ねぇ? 気分はどう? 泣いて謝る気になってくれた?」
……と、ヱ密が顔を上げ。
なんと、何事も無かったかのように起き上がった。
ヱ密「ん……まぁ、気分はあまり良くない、かな」
あまりにも平然としているヱ密の様子に、空蜘の表情が険しく翳る。
空蜘「なっ……まさか今の全部、受け身をとって……? いや、だからって普通、死ぬでしょ……なんなの、お前、不死身なの?」
ヱ密「散々殺した数を誇ってたわりには、随分とぬるいね。こんなんじゃ、死ぬ必要すら無いくらい、生温い」
空蜘「…っ、このっ…!!」
シュルルルルッ──!!
再度、術を展開し、糸槍を乱射する空蜘。
だが、ヱ密。
それらをまるで避けようとはせずに、急所だけを庇い。
空蜘へと掛け迫る──。
空蜘「チッ……うざいッ!」
飛び込んだ来たヱ密に、至近距離での乱撃。
両腕、そして両脚も使い、攻撃を与える。
……が。
ヱ密、その全てを無視。
防御など、考えるつもりなど更々無く。
空蜘「ぇ……? くっ……な、なんなのっ……!」
ヱ密「最初に言ったでしょ? 軽いんだよ……急所さえ守ってしまえば、私を殺しきれない。そんな力、技、術……何もかもが、軽いっ!」
防御無視など、空蜘とて同様であった。
絶対の自信があった自らの速度、身体性能をもって無限の手数を繰り出せば。
相手は反撃に転じ得ない。ましてや、体を捉えられるなど。
……だが、それでも止まらぬヱ密。
……そして。
ズドッ──!!
空蜘「ぎゅっ、ぅあぁぁッ…!!!!」
完璧に入ったヱ密の拳。
その衝撃は相当なもので、肋骨を砕かれた空蜘は地に転がった。
空蜘「ぁ……っ、ぐっ、ぅうっ……はぁっ、はぁ……げほっ、げほっ……!!」
……吐血。真下の土が黒く染まる。
有り得ない、こんな、たった一撃で。
しかも直撃ではない。攻撃が触れる直前に、糸で防御壁を張っていたにも拘わらず、だ。
空蜘「…っ、がはっ……ふぅっ、ふぅっ……ぎゅ、ぁ……はぁっ、はぁっ……!!」
……いつ振りだろう。こんな激痛を感じたのは。
今ので肋骨が何本かイカれた。あとおそらく、内臓も損傷したか。
意識は、大丈夫だ。ハッキリしている。
足は、うん……まだ動く。
空蜘「……ぅ……きゅ、はぁっ……殺す…………お前だけは、殺す……ッ」
……ゆらり、と決してダメージの少なくないその身を起こし、空蜘が立ち上がる。
と、同時に。術を発動させ、無数の糸を周りに展開させた。
不意を討つ為ではなく、こうして前以て糸を浮かばせておけば、ヱ密の行動への対処は一瞬である。
隠すことなきに、“術で殺す”……と。
ヱ密「……頑張るね。そのまま寝てたら楽になれるのに」
空蜘「そっち、こそ……っ、涼しい顔が崩れ掛けてきてるよ……仕留められなかったにせよ、あれだけ喰らったんだから、結構キテるでしょ……?」
ヱ密「まぁ、うん……さっきのは、ちょっと無理しすぎたかも」
空蜘「チッ……お前、強いね……悔しいけど、相当強いよ…………でも、私の方が、強い。だから、殺す……ッ」
ヱ密「どっちが強いかとか、どうでもいいけど。……それでも、私が強いのだとしたら、その強さの置場所は此処にある。それを与えてくれた蛇龍乃さん、皆を守る為に、私は負けるわけにはいかないんだよ」
空蜘「あははっ……皆の為とか、仲間の為とか……そんな戯れ言吐く奴にはっ、死んでも負けない……っ、……あ、そういやお前、名前は?」
ヱ密「……ヱ密。私は、この里の忍び」
空蜘「ぇ……? お前が、あのヱ密……? …………くくっ、あははははっ! なにそれ、私よりよっぽど極悪人じゃんっ! どうりでここまで腕が立つ筈だぁ……」
ヱ密「……」
空蜘「なんでこんな所で忍びなんかやってるのか知らないけど……なら尚更、なにがなんでも殺してやりたくなったよ……ッ!」
ヱ密「うるさいなぁ……ねぇ、そろそろいい?」
空蜘「いいよ。でもさっきみたいには、させないからっ!」
予め、発動させておいた糸。
それが瞬時に槍に変形し、その無数の糸槍は。
ヱ密目掛け、雨霰のように降り注ぐ──。
ズダダダダダッ──!!!!
ヱ密はその槍の雨を避けつつ、空蜘へと距離を詰めようとするが。
空蜘の手により、無限に生成される糸。
そこから無限に編み上げられる槍。
その攻撃は依然として止まず、近付くことは容易ではない。
ズダダダダダッ──!!!!
だが、無限と思しきものであっても、それを操るのが人ならばそこに無限など有り得ない。
……術力。即ち、意識をもってしての正確な演算が必要となるこの術。
ならば、空蜘の気力が尽きた時にこそ、術による攻撃は止む。
しかし、今の空蜘。ヱ密を殺すという信念、既に精神は凌駕されており。
ヱ密もヱ密で、今までのダメージの蓄積もあり、このまま避け続けられる保証は無い。
……とすれば。
空蜘の精神が尽きるのが先か、ヱ密の足が止まるのが先か。
と、不意にヱ密。
空蜘への接近を諦めたのか、別の方向へと回避のままに動いた。
空蜘「……っ!」
ヱ密「…っ、はぁっ……はぁっ……!」
ヱ密が目指した先。それは。
先の攻防の末に失った、刀。
掴もうと手を伸ばした、その瞬間。
……空蜘がニヤリと笑う。
空蜘「ふふ、ばーかっ…!」
すると刀がひとりでに動き、剣先がヱ密へと向いた。
……そう、これはヱ密が必ずや求めてくるであろうと予測し、空蜘が糸で制御していた、謂わば罠であった。
空蜘「死ねッ──!」
ヱ密「…まぁそうくるだろうとは思ってたよ……っ」
これが罠であることをヱ密は想定し、承知の上で自ら向かっていったのだ。
……つまり、刀の確保。その為なら罠にでも嵌まってやる、と。
だが、それが可能なのか。みすみす渡す空蜘ではない。
遠隔から操作された刀は、突とした勢いでヱ密の喉元へと飛ぶ──。
ヱ密「……っ」
これを避けてしまえば刀は得られない。
だが空蜘のように白刃取りで掴もうなど、成功と失敗の確率は良くて五分五分だろう。
……ならばどうするか。
もっと簡単で確実な方法があるではないか。
ヒュッ──!!
加速度を増し、向かってくる刀を。ヱ密は。
……グジュッ。
なんと自らの掌で受け止めた。いや、故意に突き刺さりにいった。
こうすれば、刀も命も失わない、と。
そして、勢いが消えた刀の柄をしっかりと掴み、掌から刃を抜く。
空蜘「なっ……馬鹿なのっ……?」
かなりの負傷は伴ったが、これで。
降り頻る糸槍の雨の、両断が可能となった。
スパッ──! ザシュッ──!
降る槍を斬り捨てつつ、空蜘への距離を一気に詰めるヱ密。
そして攻防は近接へと移った。
刀による斬撃、そして殴撃をまともに喰らわぬよう警戒し、応戦する空蜘だったが。
……やはり優勢なのはヱ密の方であった。
このままではヤバい、と痺れを切らした空蜘は距離を取ろうと横に飛ぶ。
……と、そこに。
グサッ──!!
空蜘「ぅぎゅっ、ぁぁああっ…!!」
太股に深々と刺さった刀。ヱ密が放ったものだ。
その激痛に、空蜘が倒れ込んだ。その瞬間にはもう既に。
……眼前には、ヱ密の姿。
ヱ密「…っ、これでっ、終わりっ!」
ドゴッ──!!
空蜘の頭を掴み。
そのまま地面へと勢いよく叩き付けた──。
空蜘「…ぅっ、ぁ……ぐぅっ……!! ぅ……あっ…………ッ…………」
ヱ密「ぁ……ぅくっ……はぁっ、はぁ…………疲れた……」
気を失い、戦闘不能に陥った空蜘を見下ろすヱ密。
……と、そこに。
蛇龍乃「お疲れ、ヱ密。結構苦戦してたようだね」
ヱ密「あ、蛇龍乃さん。うん……だってホントに強かったもん、この人…」
蛇龍乃「ふーん、ヱ密がそこまで言うくらいの奴かー、へぇー、なんか欲しいなー」
ヱ密「……え?」
蛇龍乃「いや、ね……強い奴ってのはそれだけで魅力なんだよね。それに、なんか面白そうな奴だし」
ヱ密「面白そうって……で、でもこの人って私たちとは別の族派の忍びなんじゃ……?」
蛇龍乃「まぁそうなんだけどさぁ、コイツに限ってはそんなの有って無いようなもんかなーって」
ヱ密「…?」
蛇龍乃「普通こんな単騎で里一つぶっ潰しにくるとか、どう考えたって敵方の総意ではないし。ほら、周りに援軍が潜んでる気配もコイツが仲間とつるんでたって様子も無いしさ」
蛇龍乃「駄目……?」
ヱ密「暴れないかな? 大丈夫かな?」
蛇龍乃「そうなったらまたブッ飛ばしてやってよ、ヱ密が」
ヱ密「えー、また私ー?」
蛇龍乃「ははは、よろしくねー」
ヱ密「はぁ……まぁ蛇龍乃さんがそう考えるなら、私はそれに従うまでだけど。それより紅寸は大丈夫だったの?」
蛇龍乃「うん、もう問題無い。……とはいっても負傷とは別で、術の副作用でもがき苦しんでるけど」
ヱ密「あー……なにはともあれ、命に別状は無いならひと安心だよ」
蛇龍乃「んじゃ、戻ろうか。屋敷までそいつ運んでくれる?」
ヱ密「はーい……って一応、私怪我人なんですけど? 蛇龍乃さんが運ぶという選択肢は?」
蛇龍乃「なにそれ? ちょっと何言ってるかわかんない」
ヱ密「ですよねー…」
次の更新で過去編終わりっぽい
────…………
蛇龍乃「ただいまー」
立飛「おかえりなさい。……ヱ密も、お疲れ様」
ヱ密「…うん。皆、無事でよかった」
立飛「やっぱすごいね、ヱ密は。あんなの相手に余裕で勝っちゃうんだもん」
ヱ密「全然余裕じゃないよ。ギリギリの辛勝です、はい」
立飛「ふーん……ま、そういうことにしといてあげよー」
ヱ密「いや、ホントに……見てよ、このボロボロ具合」
立飛「その程度で済んだのが、さすがヱ密だよね。こっち来て。手当てしてあげる」
ヱ密「よろしくお願いします。痛たた……」
蛇龍乃「紅寸は、あれからどう?」
空丸「そこらじゅうをのたうち回って大変でしたけど、今は落ち着いてぐっすり眠ってますよ」
蛇龍乃「あの二人は?」
空丸「鹿ちゃんと牌ちゃんも、紅寸と一緒に向こうの部屋で休ませてます」
蛇龍乃「そかそか。いろいろありがとね、空」
空丸「いえいえ、こんなことくらいしか出来ませんから。私は」
蛇龍乃「そうだね」
空丸「そうだねって……」
立飛「……そういや、蛇龍乃さん」
蛇龍乃「んー?」
立飛「さっきの人、どうしたの? こっちに運んでたみたいだけど、殺したの?」
蛇龍乃「いや、ちょっと訊きたいことあるし。使ってないあの蔵に突っ込んでる。これから様子見に行くけど、一緒に来る? 立飛」
立飛「…うん。行く」
空丸「勇気あるね、立飛…」
立飛「別に、そんな……襲ってくるわけでもないだろうし。じゃあ空丸、ヱ密の手当ての続きお願いしていい?」
空丸「あ、うん。勿論」
……ガラガラガラ、と。
重い引き戸を開け、薄暗いその奥に見えたのは。
空蜘「…………」
両手両足を鎖で縛られ、拘束されている空蜘の姿。
その元へ、蛇龍乃と立飛が近付く。
……と。
空蜘「…………なんだ、アイツ……ヱ密じゃないんだ」
立飛「……」
蛇龍乃「悪いね、私で。これでも此処の頭領なんだから許してよ」
空蜘「……お前が、頭領? じゃあヱ密より強いのって…………ははっ、とてもそうは見えないけど」
蛇龍乃「はは、よく言われるよ……てかあそこまでヱ密に派手にやられて、もう意識取り戻してんのかー」
空蜘「別に……で、なんの用? ていうか殺さないで拘束するとか。こんなんで私をいつまでも縛り付けられるとでも思ってんの……?」
蛇龍乃「思ってるよ。今のお前にはそれで充分だ」
空蜘「……へぇ」
自分を縛っている鎖を破壊しようと、空蜘は術を発動しようとした。
……しかし。
空蜘「え……? あれ……?」
蛇龍乃「また暴れられると面倒だからね……封じさせてもらったよ」
空蜘「ぇ……なっ……術を封じる、術……? まさか、そんなのが…………あ、だから、あの時……」
……展開中の糸を断たれた時、その制御が不意に離れたのはそういうことだったのか、と。
蛇龍乃を静かに睨み付ける空蜘。
空蜘「…………ふーん、そういうこと……っ」
ガシャンッ──!! と、唐突に鉄が鳴り響く音。
術が無いのならば、力付くでどうにかしようと空蜘が両腕を振り動かす。
立飛「…っ!」
それを見て、即座に身を前に出し、蛇龍乃を守ろうとする立飛。
蛇龍乃「大丈夫。ありがとう、立飛」
立飛「…うん」
その後も、何度も何度も。
……ガシャンッ、ガシャンッ、と。
空蜘は鎖を引き千切ろうと試みるが。
空蜘「ぅ……くっ、このっ、くそっ……!!」
蛇龍乃「無駄だよ。お前の力じゃ、それは壊せない」
空蜘「……っ、そうみたい、だね……っ」
立飛「大人しくして」
空蜘「はぁ……あー、はいはい……わかりましたー、殺したかったら殺せばー?」
蛇龍乃「……んじゃまず、私の質問に答えてもらおうか」
空蜘「やだ」
蛇龍乃「えーと……コイツの名前、なんだっけ?」
立飛「んー、たしか紅寸が空蜘……とか言ってたような」
蛇龍乃「じゃあ、空蜘。お前さぁ…」
空蜘「うるせー、軽々しく呼んでくんなっ」
蛇龍乃「なんで単独で乗り込んできたの? これはお前のとこの上の奴がやれって言ったわけじゃないよね?」
空蜘「……」
蛇龍乃「素直に答えたら、術返してやる」
空蜘「ホント!? ……って騙されるわけないじゃん! あんまナメんなっ、バーカ!」
空蜘「てかどうせもう大体知ってるくせに……結局のところ、此処以外の蛇の里を何個も潰しまくった私を殺したくて仕方無いんでしょ?」
空蜘「……だったら、さっさと殺せば?」
蛇龍乃「……いや、別にその事に関しては全然怒ってないよ。いくらお前が腕の立つ忍びだといっても、たった一人に殲滅される雑魚共のことなんざ、どうでもいいからね」
空蜘「ふーん……意外とドライなんだね。あ、忍びなんだから当然っちゃ当然か。まぁその考えは私も同感だけどー」
蛇龍乃「お、気に入ってくれた? つーわけで、どう? 空蜘、お前も此処で忍びやらない?」
空蜘「は…?」
立飛「え……?」
蛇龍乃「だってお前、別に今の場所に執着とか無いでしょ? まぁ、執着持ってたらこんな馬鹿な真似しないだろうしね」
空蜘「だからって、正気……? 自分が何言ってるかわかってる?」
蛇龍乃「私はお前みたいな馬鹿な奴は嫌いじゃないし、強さを持ってる奴は好きだよ」
空蜘「……ここで頷けば解放してくれるの? 腹いせに何人か殺しちゃうかもしれないよ?」
蛇龍乃「そうさせない為に、此処にはヱ密がいるし」
空蜘「ヱ密……アイツねぇ……」
蛇龍乃「お前が妙なことすればヱ密にまたブッ飛ばしてもらう。戦って解ったでしょ? 今のお前じゃ何度挑もうとヱ密には勝てないよ」
空蜘「…………っ」
蛇龍乃「お前は素でも相当強いけど、術の扱いはそれを凌ぐほど見事なものだ。だからこそ術の存在は尋常じゃなく大きいと、お前自身でもそう思ってる筈だけど?」
空蜘「……要するに、術を返してほしけりゃ従えって?」
蛇龍乃「絶対服従ね? 私はお前の上司になるわけだから、今のお前の上司と違って勝手は許さない」
空蜘「…………」
立飛「…蛇龍乃さん」
蛇龍乃「……ま、ゆっくり考えといてよ。お前が衰弱死しない程度には面倒みてやるからさ」
……鎖で拘束された空蜘を背に、蔵を後にする二人。
空蜘「……………………チッ」
……………………
立飛「……」
蛇龍乃「ん、どうした? 立飛」
立飛「空蜘……最初に見た時はもっと恐ろしく映ってた気がしたけど」
蛇龍乃「…まぁ、あの状態だと殺気を放つ気力も自然と失せてくるでしょ。それにアイツ、戦闘で敗けたの初めてだったんじゃない?」
蛇龍乃「自分よりも強い奴と戦って敗ける……言葉にすれば極めて当たり前のように聞こえるが。それをどうしても受け入れられず、許せない奴もいるしね」
立飛「……うん」
蛇龍乃「あ、そうだ。立飛」
立飛「うん?」
蛇龍乃「これからしばらくあれの世話よろしくね」
立飛「空蜘の? まぁいいけど…」
蛇龍乃「……複雑? 紅寸をあんな目に遇わせた空蜘を仲間に招こうとしたこと」
立飛「本音を言えば、あまり良い気はしないよね。私がここで首を振って拒んだとして、それで蛇龍乃さんが諦めてくれるならそうするけど」
立飛「……まぁそんな人じゃないから、蛇龍乃さんは」
蛇龍乃「はははっ、そうだよ。よくわかってるじゃん。なんだかんだでもう長い付き合いなだけはあるなぁ」
立飛「うん……だから、蛇龍乃さんの決定には従うよ。蛇龍乃さんを信用して、命を預けた私だから」
立飛「きっと、皆だって私と同じ────」
────────……………………
……そして、空蜘襲撃から一夜が明け。
目を覚ました鹿と牌流は、すっかり平常通りで。
三日が経つ頃には、紅寸も気力を取り戻し。
一月も経てば、ヱ密の怪我もほぼ完治していた。
蛇龍乃、鹿。
立飛。
紅寸、牌流。
ヱ密、空丸。……それと、空蜘。
忍びが暮らす里、妙州。
忍びとして生きる八人。
カタチを変えつつ、だがその在り方としては決して変わることはない。
立飛「……蛇龍乃さん、鹿ちゃん」
蛇龍乃「ん?」
鹿「立飛?」
立飛「ありがとう────」
……これまでの日々を思い起こす。
『弱い自分を殺せるのは、強い自分だけだ』
『お前はもう忍びなんだよ。私たちはお前の味方……仲間なんだよ。お前が一歩でも前に進みたいなら、私たちは全力で背中を押してやる』
『辛いと思うけど、お前が前へ進む為には決して目を逸らしてはいけない。敵からは逃げてもいい、だが自分からは逃げちゃ駄目だ』
『もたらされる結末はたった一つだけ。決して揺るぐことの無い、それが“結果”だ』
『忍びたる者、常に冷静を心掛けておかねばならない』
……時に優しく、時に厳しく。自分をこの場所まで導いてくれた。
……いつしか、かけがえのない大切なものになっていた。
……あの時、命を諦めないでよかった。
命の尊さに触れ、忍びの覚悟に触れ、家族の温かさに触れ。
幾多の挫折や困難に惑うも、それでも前を向いて走ってきた。いや、二人が傍にいてくれたからこそ走ってこられた。
決して忘れられない、忘れてはいけない過去。
弱い自分を殺せたのかはわからないけど、今の自分は少しだけ誇れる気がしている。
…………だから、今思うことはたった一つだけ。
立飛「私、忍びになって良かった」
立飛「生き方を与えてくれたこと、居場所を与えてくれたこと、強さを与えてくれたこと……本当に感謝してる」
立飛「二人に与えてもらってばかりの私だけど、いつの日か……蛇龍乃さんと鹿ちゃんに、恩返しできる日が来るといいな」
これまで重ねてきた記憶、経験、温もりを噛み締め。
立飛は、幸せそうに笑った──。
────────………………………
……そして、ある日。
物語は、更なる展開へと。
それは、偶然によってもたらされた一人の少女(当時二十九歳)によって。
「……すぅ……すぅ……むにゃむにゃ…………」
空丸「…………」
紅寸「……? 空丸? そんなところで何してるのー?」
空丸「ああ、うん……この子」
紅寸「へ? あ、誰……?」
食材の調達に山を歩いていた空丸と紅寸は。
その途中で、森に倒れている少女の姿を見付ける。
空丸「さぁ?」
紅寸「知り合いとかじゃないの? くすんが声掛ける前、微妙に笑ってなかった?」
空丸「…笑ってた? 私が? いやいや、全然そんなことないから」
紅寸「そっか。じゃあ見間違えかな」
空丸「森に転がってる女の子見て笑ってたら、なんか私ヤバい人みたいじゃん」
紅寸「だねー。てかどうしよう? この子」
空丸「寝てるみたいだし、とりあえず起こしてみよっか」
空丸「おーい、もしもしー? こんな所で寝てると山賊に殺されちゃうよー?」
「すぅ……すぅ……むにゃ……もぅ……うる、さい、なぁ…………すぅ……すぅ…………」
空丸、紅寸「「……………………」」
空丸「全然起きないね、この子……」
紅寸「放っておく?」
空丸「うーん、でもなぁ……とりあえず私、水汲んでくるから。紅寸、この子見といて」
紅寸「おっけー! 穴が空くくらいガン見しとく!」
……………………
………………
…………
そして、少女は目を覚ます。
「……………………え?」
第零章『妙州』
━━Fin━━
過去編おしまい。第一章に続く
────────……………………
……夢を、見ていた気がする。
とても長い夢。それでいて妙に鮮明な記憶として思い出される。
瞼を閉じた、その内側での自分は。
忍び、所謂忍者としての生き方を強いられ。
実際に自分が誰かを殺したり、反対に誰かに殺されそうになったり。
痛みや恐怖、数々の非日常的を体験してきた。
…………ような気がする。
まぁどれもこれも全部夢の中での話だ。
この現代の東京で、そのような事は絶対に起こり得ない。
私が今こうして生きているのは。
殺し殺されたりといった命のやり取り、ましてや忍者と探偵の争いなどといったそんな野蛮で血生臭い世界とはまったく無縁の。
超平和な世界なのだから。
……でも、その夢の全部が全部、辛く苦しかった嫌な記憶だったわけではなく。
暗く、殺伐とした世界の中でも、私は何か大切なものを手に入れた気がしていた。
……そう、大切な。
……それは温かく、私を包んでくれる。
……まるで、この布団のような。
「────鈴」
と、誰かの声が聞こえてきたと同時に。
ペチンッ、と額が打たれる痛み。
「んん……すぅ……すぅ……むにゃむにゃ…………にん、じゃ……? なに……それ…………あはは………すぅ……すぅ……」
「…………おいこら、鈴っ!」
……ペチンッ、と。
再び、額が打たれた。
鈴「んっ、痛っ! ふぁ……? んんっ…………? あ、うっちー?」
空蜘「あ、うっちー?じゃねーよっ! やっと起きたよ、この寝坊助」
鈴「ぁ、あれ……? なんでうっちーが、あたしの家にいるの……? 昨日、泊まりにきてたっけ?」
空蜘「はぁ? ふーん……まだ寝惚けてるようなら、一瞬で覚醒するくらいの、もぉーっと刺激的な目覚ましがお望みってことだよねぇ?」
鈴「へ……?」
シュルルッ、と突如として空蜘の指先から出現した糸。
それを見て、鈴は覚った。
……まさか、これは。
鈴「……夢じゃないっ!?」
空蜘「何言ってんだか……ま、鈴がアホなのは今に始まったことじゃないけどー」
鈴「う、うっちーっ…! 起きたっ、起きたからっ! その糸、こっち向けないでっ」
空蜘「うっせー、わざわざ起こしにきてやった私を散々無視しやがったんだからさぁ……ちょっと遊びに付き合ってくれるくらい、いいじゃん? ねぇ?」
鈴「ちょっ……う、うっちーっ!」
怯える鈴を、可笑しそうに空蜘。
……と、そこに。
ヱ密「こら、その辺にしとこうね。空蜘」
空蜘「なんだ、いたの? ヱ密」
ヱ密「もー、また鈴ちゃんを苛めて……蛇龍乃さんにまた怒られるよ?」
空蜘「はいはい、すいませんでしたー」
鈴「えみつん、おはよ……あと、うっちーも、おはよ」
ヱ密「おはよう、鈴ちゃん」
空蜘「てか熟睡し過ぎ。叩かれないと起きないって、忍びとしてどうなの? 鈴」
鈴「だよねぇ……あはは」
空蜘「そのアホ面…」
ヱ密「涎の跡、付いてるよ?」
……そう、これが現実。
何を隠そう、私は“鈴”という名の忍びだ。
そして私には仲間がいる。忍びとしての仲間。
この世界に迷い込んだ私の、大切な仲間。
ヱ密はいつも優しく、空蜘はいつも私をからかっていじめてくる。
顔を洗い、朝食を求め炊事場へ向かうと。
立飛「あ、遅いよー、鈴」
鈴「あはは、ごめんごめん。おはよう、りっぴー」
立飛「まったく……おはよ。鈴の分の朝御飯、そこにある」
鈴「ありがと。あたしが来るの待っててくれたの?」
立飛「他の皆はもう済ませたし、一人で食べるのも寂しいでしょ? 一緒に食べよ」
鈴「…なんかりっぴーって、なんつーか最近あたしに対して優しくなったよね」
立飛「そう? 今も前もそんな違わないと思うけど。……ていうかさっさと食べよ? 食べたらすぐ鍛練だからね」
鈴「はーい。今日もよろしくね、りっぴー」
立飛は私の師匠。
すごく厳しいけど、その鍛練のおかげで少しは強くなれた気がする。
といっても、まだまだ皆には遠く及ばない。だから日々、鍛練に励む。
少しでも皆に追い付けるように。
そして自分自身、もっと強くなれるように。
鈴「…………」
立飛「……? なに? 私の顔に何か付いてる?」
鈴「…ううん、なんでもない」
立飛「変な鈴……起きたならもっとシャキッとしてよ」
鈴「うん」
私が今こうして生きているのも、立飛のおかげだ。
…………そう、あの時。
────────
──────
────
立飛『…っ、蛇龍乃さん……っ、鈴を、許してあげてください……殺さないで……私、なんだってするからっ……だから』
蛇龍乃『…………』
鈴『……っ、やめてよ……りっぴー、そんなこと……っ』
立飛『私、やっぱり嫌だ……鈴が死ぬなんてっ……絶対に嫌だ……っ、だって……私は、鈴のこと、大好きだからっ……!』
立飛『大好きな人が、目の前で殺されようとしてるのに……黙って見過ごせない……っ、お願いします……蛇龍乃さん、鈴を、……許してあげてくださいっ……!』
蛇龍乃『……大好きだから? 見過ごせない? お願いします? とても忍びの言葉とは思えないな』
立飛『…っ、私はもう、忍びじゃないからっ……ヱ密と鈴を助けるって決めた時に、忍びは辞めた』
蛇龍乃『そんなのを許可した覚えはないよ』
立飛『なら私も鈴も、今は忍びってこと……?』
蛇龍乃『…だったらなに?』
立飛『私は鈴の師匠だ。弟子の不始末は師匠である私の責任……間違ったことをした鈴を裁くのなら、私も殺すべきだよね……?』
蛇龍乃『残念ながら、鈴はもう忍びじゃないよ。……私を殺して、忍びを卒業した』
立飛『……じゃあなんで此処に連れて帰ってきたの? 忍びじゃない者を里に入れるなんかおかしいよね?』
蛇龍乃『……立飛』
鈴『もうやめてよ……っ、お願いだから、りっぴー……』
立飛『やめない。鈴は、私の仲間だ……大切な仲間だから、失いたくないっ…………いいよ? ガキでも……欲しいものを欲しいと、失いたくないものを失いたくないって言えないなら、ただのガキでいいっ、忍びじゃなくたっていいっ……!』
蛇龍乃『……それは、お前をこれまで育ててきてやった私よりも、鈴を選ぶということ?』
立飛『違う……蛇龍乃さんも鈴も、私の大切な家族だ……家族に優劣なんか付けたくない。私は、蛇龍乃さんに出逢って、家族の温かさを知った……すごく、嬉しかった。誰かから愛される喜びを知った。だから、私も皆を愛してる』
立飛『鹿ちゃんも、紅寸も、牌ちゃんも、ヱ密も、空蜘も……蛇龍乃さんも、鈴も、私の大切な……大好きな家族』
立飛『忍びとして、私は強くなったよ……皆のおかげで強くなれたよ。自分の為に強くなった、自分を生かす為に、自分を守る為に。…………そうやって手に入れた強さなら、いつか誰かを守れる……そう信じて』
立飛『だから、それを今ここで、証明してみせる……っ』
鈴『…っ、もう……もうやめてって言ってるじゃんっ!!』
鈴『もういいよ、りっぴー……あたしのために、じゃりゅのさんと争うことなんてない……そんなこと、してほしくないっ……』
鈴『……せっかく、自分の気持ちに決着つけたのに……っ、りっぴーがそんな、言ってくれたらっ…………あたし、生きたくなってくるじゃんっ……!』
鈴『……っ、ずるいよ……いつもあたしに対して、厳しくて、馬鹿にしてくるし、イジワルばっか言うくせにっ、なんでっ……今になってそんなこと……っ』
立飛『今だから、だよ。このまま鈴を見殺しにしたら、私……絶対後悔する……大切な人を守れなかったこと。鈴を思い出そうとしても、浮かんでくるのはきっと泣き顔の鈴だ』
立飛『そして私はその度に辛くなる……結局弱かった私は、今も弱いままなんだって……』
立飛『忍びとして生きてきたこれまでのすべてを、無駄だと思いたくない……後悔したくないから。たとえ、相手が蛇龍乃さんでも……私の、この気持ちを、譲るつもりはない』
蛇龍乃『…………後悔、か』
蛇龍乃『…………ねぇ、鈴』
蛇龍乃『立飛は優秀な忍びだよ。何処に出しても恥ずかしくない一流の忍びだ。冷静で周りをよく見ていて、まぁたまに言うことを聞かず突っ走っちゃったりもするけど……それでも、とても優秀だ』
蛇龍乃『優秀……なにも能力だけを言ってるんじゃない。忍びとしての姿勢、心構え、在り方、どれをとっても優秀といえる。私の自慢だ』
蛇龍乃『……だからね、今みたいに立飛が私に正面から意見してきたり、否定してきたのは、初めてなんだよ。あんなに優秀だったのに、どうしてだろう。……うん、お前のせいだ。鈴』
蛇龍乃『みっともなく泣いて、喚いて、吐き出されるのは忍びとしての在り方を忘れた情に照された戯れ言ばかり……こいつを見て、みっともないと思わない? 鈴』
鈴『……っ、思わないよ、そんなの…っ』
蛇龍乃『そうか……私にはとてもみっともなく映ってるよ。出来ることならこんな姿、見たくはなかった。立飛が自分でも言ってたように、本当にガキだ。ガキの我が儘ほど見苦しいものはないからね』
蛇龍乃『ま、それに比べて、鈴。お前は随分と大人だね……自分の犯した罪を理解して、自分自身で生の終わりを納得して、決断して、すべてを弁えたうえで此処に来た』
蛇龍乃『私が立飛のことをみっともないと言ったのは、その言動だけじゃない。立飛のせいで、お前の覚悟が揺らいでしまったことも含めてだ』
鈴『そ、そんなことは……っ』
蛇龍乃『あのままあっさり殺されてしまえば、お前も楽だったろうが。今のお前は酷く辛そうだ……まぁそれでも、私はお前を殺すことに後悔は無いよ』
蛇龍乃『……でも、私の選択で立飛が後悔するのは、私の望むところじゃない』
蛇龍乃『普段は私たちの前で情けない姿しか晒したことがないお前だが、こういう場で情けなくみっともない姿を晒すのは嫌いか? 鈴』
鈴『……え?』
蛇龍乃『ズルくない? お前の師匠である立飛が、ああもみっともない姿で今まで見せなかった本音吐き出してさ、そのせいで何年も費やして培ってきた私からの評価もがた落ちだ』
蛇龍乃『その醜態を目にして、お前は何も思うところが無いの? 本音をさらけ出した立飛に対して、鈴はどうやって応える?』
鈴『……っ』
蛇龍乃『勿論、揺らぎそうな気持ちをそのまま押し止めておくのも応えの一つ……とても立派なものだと思うよ。ただ……暴走したガキの我が儘を宥めるのは私の役目であって、お前じゃない』
蛇龍乃『言葉にしなければ伝わらないものもある……そこで私からお前に、最初で最後。一つ、訊ねよう』
蛇龍乃『鈴、お前の気持ちを聞かせて。このまま死を受け入れ、私に殺されるか……それとも』
鈴『生きたいよ』
立飛『り、鈴……っ』
鈴『そんなの……そんなの、当たり前じゃん……っ、りっぴーが言ってくれたよりも何倍も、あたしはみんなのことが大好き……そんなみんなと別れたくないっ、ずっと一緒にいたいよ……っ』
鈴『……っ、あはは…………ダメだなぁ、あたしって……死ななきゃいけないのに、みんなにいっぱい迷惑かけたから……生きたいって思っちゃ、ダメなのに……』
鈴『だから、最後に少しだけでも、って……みんなと一緒にいたくて、こうしてまたここまで連れてきてもらって…………なのに、みんなといるとやっぱり、嬉しくて、みんなが優しいから、すごく幸せな気持ちになって…………もっと、もっとこんな時間が続けばいいのにって、望んじゃった……っ』
鈴『ごめんね、りっぴー。本当なら、りっぴーに頭を下げさせるべきじゃない……あたしがするべきだった』
鈴『じゃりゅのさん……あたし、生きたいよ。これから先も、ずっとみんなと一緒にいたい。だから……っ、あたしを殺さないでくださいっ……お願いします……っ』
蛇龍乃『…………』
立飛『……蛇龍乃さん、お願いします』
鈴『あたしを、これからもずっと、この場所に置いてください……っ』
蛇龍乃『…………』
空蜘『はぁぁぁー…………ねぇ、いつまで続くの? この茶番』
牌流『ちょ、空蜘っ…』
空蜘『あっさり殺されてた方が楽だったのは、なにも鈴だけじゃないんだけど』
牌流『え…?』
空蜘『……殺すなら、さっさと殺しとけよ…………アホ頭領』
ヱ密『空蜘…………ふふ、そうだね。ホント、遅すぎだよ……蛇龍乃さんらしくない』
牌流『うん……忍びの道理に背いた戯れ言を吐き出したいのは立飛だけじゃない。覚悟が揺らいじゃうのも、鈴ちゃんだけじゃない』
紅寸『立飛の我が儘を早々に無視してれば、くすんもこんな風に気持ちが揺らぐこともなかったのに……大人の、忍びとしての対応でいられたのに』
鹿『立飛一人ならまだしも……こうして私たちも黙っていられなくなった時点で、これはあんたの失敗でしょ。じゃりゅのん』
蛇龍乃『…………』
鹿『ねぇ……あのプライドが高くて誰よりも自分に厳しい立飛が、ここまで形振り構わず泣きじゃくって本音をぶつけてきたのって……いつが最後だったか覚えてる?』
蛇龍乃『…………うん、覚えてるよ』
ヱ密『忍びの口で結果を語るなら……私たちが今こうして生きてられるのは、鈴ちゃんのおかげでしょ? 鈴ちゃんがいなかったら、私たちは死んだままだった』
蛇龍乃『裏を返せば、その鈴のせいで私もお前たちも死ぬ羽目になったんだけどね。…………まぁ、“おかげ”だろうが“せい”だろうが、そこに重なるもの。ずっと前に私が言ったこと覚えてる? 鈴』
鈴『…うん。責任…………だから、あたしが責任取るよ』
蛇龍乃『ほぉ……どうやって?』
鈴『生きる。どんなことをしても生き抜く……どんなに無様でも、生に縋って、そして強くなって……いつかみんなを守ってみせる』
鈴『あたしのこんなちっぽけな命で責任が取れるほど、軽い罪じゃないでしょ? だから、生きてその責任を果たしたい』
蛇龍乃『…………』
鈴『…………』
蛇龍乃『…………うん、まぁそれでいいと思うよ』
鈴『……っ、ありがとうございます……じゃりゅのさん』
立飛『鈴……よかった……鈴が生きてくれて、本当によかった……っ』
蛇龍乃『ただし、何もお咎めが無いのはさすがに皆に対して示しがつかないのはわかるよね? 鈴』
鈴『う、うん……』
蛇龍乃『よって……ここしばらく空き家同然で埃が溜まりまくってるこの屋敷中の隅から隅まで、ピカピカに掃除しとくように。もし手抜いたらぶっ殺すからね?』
鈴『はいっ…』
蛇龍乃『あー、当然そこの馬鹿でクソガキな師匠も一緒になー』
────────
──────
────
第二幕 第一章『再邂』
……誰かの為じゃない、自分の為に。
己すら守れない者が、他の誰かを守れるわけがない。
強さを手にするならば、それは自分が生きる為にこそ、だ。
そうやって手にした強さなら、いつか誰かを守れるから。
……いつしかヱ密に言われた言葉。
それを胸に秘め、今日も鍛練に向かう鈴だった。
鈴「んぅーっ、今日も良い天気ー! ……ん?」
……と、屋敷を出た鈴に向かって、彗星の如く飛んでくる何か。
それは、人のカタチをした……いや、人だった。
鈴「わわっ…!」
ササッと、鈴が横に跳び、避けると。
ズドッ──!!
飛んできた人間は玄関横の塀へと激突し、その衝撃により塀は破壊された。
と、それとは違う方向から、姿を現した別の人影。
彼女も此処に暮らす忍びの一人。鹿。
鹿「おー、なんか今の避け方ちょっと忍びっぽかったよ。やるじゃん、鈴」
鈴「ホント? えへへー、まぁあたしも成長してるってことだね」
立飛「こんくらい当然だよ。鹿ちゃん、あんま鈴を甘やかさないで。すぐ調子に乗るんだから」
鹿「いやぁ、最初を思えばよくここまで成長してくれたと思うよ。ちょっと前の鈴だったら、反応すらも儘為らず確実にヒットしてたじゃん?」
立飛「んー、まぁそれはそうだけど。あの酷すぎる初期の頃と比べてもねぇ……」
鹿「ははは。当初があまりにもゴミクズ過ぎたから、逆に感慨深いものがあるとは思わない?」
立飛「うーん、私から見ればゴミクズがゴミに昇格した程度の差かな」
鹿「まぁ、忍びとして鈴が今でもゴミレベルなのは間違いないよね」
鈴「あ、あの……そのくらいにしてはもらえませんかねぇ……」
「……っ、そうだよっ!」
……と、鈴に同調するように。
ごそごそと、瓦礫の中から這い出てきたのは。
紅寸「けほっ、けほっ……うぇ、口の中がじゃりじゃりする……」
鈴「あ、くっすん」
立飛「いたの?」
鹿「いつの間に」
紅寸「今さっき皆の前に派手に飛んできてたでしょっ! 皆して鈴ちゃん鈴ちゃんって、くすんのこともちょっとは心配してよっ!」
鹿「この程度、どうってことでもないっしょー」
立飛「あとでちゃんと修繕しといてね、紅寸」
鈴「大丈夫? くっすん。土だらけになってるよ? はたいてあげるね」
紅寸「うん、ありがと。鈴ちゃん」
鈴「ていうか誰にやられたの? すんごい勢いで吹っ飛んできたけど。くっすんも今、鍛練中だったよね?」
紅寸「ん……組手してたら、うん、あー……鈴ちゃんの前でカッコ悪いとこ見せちゃった……はぁ」
鈴「……誰と?」
立飛と鹿は側にいるし、ヱ密と空蜘は屋敷の中にいた。
蛇龍乃はいつもの通り、この時間は寝ている筈。
……と、いうことは。
牌流「あ、鈴ちゃんも来てたんだ?」
鈴「ぱいちゃん? ん……ってことは、ぱいちゃんがくっすんを?」
牌流「まぁねー、超カッコ良かったでしょー? 惚れちゃった?」
鈴「え、あー、あたし今来たとこで。くっすんが吹っ飛んでくるとこしか見てなかったから……多分カッコ良かったんじゃないかな」
牌流「ふふっ」
立飛「腕上げたね、牌ちゃん。まさか紅寸に勝つとか……正直、私も驚いてる」
牌流「でしょー? でしょでしょー? ついに私の時代到来!」
紅寸「むぅー……もっかい!」
牌流「別にいいけど、何度やったって勝てないよ?」
紅寸「うわぁ……たまたま一回勝っただけで調子に乗っちゃってさー! 牌ちゃんに負けるとか、くすんのプライドが許さないの!」
立飛「紅寸にプライドとかあったんだ…」
鹿「……てか、二人の勝負見てたけどさぁ。うん……牌ちゃんが言うように、多分何度やっても勝てないと思うよ。紅寸」
紅寸「へ……?」
鹿「まぐれ勝ちってわけじゃなさそうだし。ていうか身体能力だけなら紅寸の圧勝でしょ。それなのに紅寸はああもあっさり負けた……ってことは」
鈴「術……?」
鹿「いや、戦いにおけるもっと基本的な部分」
牌流「…さすが鹿ちゃん。お見通しかー」
……………………
蛇龍乃の間。
外の様子を窓から眺めていた蛇龍乃たち。
空蜘「……ふーん、鈴は論外として。此処じゃ超絶弱いと思ってたのに、ちょっとはやるじゃん」
ヱ密「…ね。ビックリした。まさかあの牌ちゃんがここまで」
蛇龍乃「……そう? それだけの素質があったってだけでしょ。牌ちゃんには」
ヱ密「素質、か…」
空蜘「ははっ、簡単に言っちゃってさー。だからってそれが強さの直接的な証明にはならないでしょ」
蛇龍乃「なるよ。簡単なことだ」
空蜘「…?」
ヱ密「蛇龍乃さん?」
蛇龍乃「もしかして忘れてる? 牌ちゃんは、此処の前頭領……あのじじいの孫娘だぞ? 素質だけで計るなら、ここにいる誰よりも上に決まってるだろ」
蛇龍乃「ズルいよねぇ、血筋って。あー、それにしても久々に思い出したな、あのじじいのツラを」
ヱ密「ああ、そっか。なるほど…」
空蜘「誰? 私、知らないんだけど……その人」
蛇龍乃「あの一件でのこと、本人も相当気にしてたからね。……自分一人、皆の役に立たなかった。自分の弱さが許せない、って」
ヱ密「……そんなこと、ないのに」
空蜘「うんうん。私のなかでは牌ちゃんが一番役に立ってくれたのは間違いないし。おいしいとこ取りのヱ密とは違って」
ヱ密「空蜘からしてみればそうだろうねー……」
蛇龍乃「あ、あー……そういやお前、あの時牌ちゃんを躊躇無くぶっ刺して殺してたな……」
蛇龍乃「まぁ……今までの甘えも抜けて、本気になったってことか。喜ばしいねぇ。他人から教わる強さと、自らで考え追求する強さは種類が違うから。これからが楽しみだ」
蛇龍乃「さすがはあのじじいの孫娘……もしも私の見込み通りなら、面白いことになりそうだな。ふふ、うかうかしてるとお前らも足元掬われるかもよー?」
ヱ密「…うん。充分に心得ておく」
空蜘「てかそんな布団にくるまった姿で言われてもねぇ……説得力まったく感じないし」
蛇龍乃「……おい、こら」
ヱ密「あ…」
蛇龍乃「それは私が気持ちよくすやすや寝てるところをお前らがいきなり叩き起こしてくるからだろっ!! さっさと出てけっ!!」
ヱ密「ごめんね、蛇龍乃さん。私は空蜘を止めようとして……それなのに全然聞かないんだから、空蜘は……」
蛇龍乃「なんなの空蜘、お前……遊んでほしいなら私じゃなくても他にいっぱいいるだろー……」
空蜘「私の遊びは人が死ぬからあんたに言ってんじゃん」
蛇龍乃「なに、お前、私を殺そうとしてんのー? 勘弁してくれよ、眠いんだから……」
空蜘「そうじゃなくてー、まぁそれでもいいんだけどさー。最初に言ったじゃん! 忘れたの?」
蛇龍乃「あー……?」
空蜘「任務。あの探偵の城から戻って以降、一つも任務与えられてないんだけどー。さっさと殺しの任務ちょーだいちょーだいちょーだーい!」
空蜘「隠してないでさー、どんな対象でも私がぶっ殺してきてあげるからさー! ねー! ねー!」
蛇龍乃「あー、もーっ、うるせぇーっ!! 無いものは無いんだよっ!!」
空蜘「はぁー?」
蛇龍乃「お前、私たちが今どういう扱いになってんのか理解してんの……?」
空蜘「ん、扱い…?」
ヱ密「はぁ……空蜘。向こうと折り合いつけたでしょ? 此処にいる私たち……鈴ちゃん以外は、もうこの国では死んでることになってる。本来なら、こうして生きていちゃいけないってわけ」
蛇龍乃「そうそう。だからこれまで仕事を与えてくれていたお得意さんとのパイプも消滅した。私たちが死んだんだからそれも当然だろ?」
蛇龍乃「つーわけで、新しく仕事を斡旋してもらえる雇用主が見付かるまで大人しく待機な? そしてもう二度と私の眠りを妨げるな……次は、殺す……ッ」
空蜘「…見付かるの?」
蛇龍乃「お前に心配されなくても見付けるよ…」
空蜘「寝てばっかなのに? こんな寝てる暇あるならもっとやることあるんじゃないの?」
空蜘「毎日毎日だらだらしちゃってさー。ホントに探す気あるの? あんたが最近部屋から出た形跡無いんだけど?」
空蜘「殺したい殺したい。あー、誰か殺したい。このままじゃ私、そのうち誰か殺しちゃうよ? いいの? ねぇ、いいの?」
蛇龍乃「ぅ……うるっっせぇぇぇぇぇっ!!!! ヱ密っ、さっさとコイツ連れてどっか消えろっ!!!!」
ヱ密「は、はーい……ほらっ、空蜘!」
空蜘「えー! だってこの人さー、絶対やる気ないよー!」
ヱ密「いいからいいからっ、早く! 蛇龍乃さんに任せとけば、問題ないから、ね?」
空蜘「えー! でもー!」
ヱ密「はいはい、わかったから、退場退場ー」
……………………
牌流「そりゃあこうして長いこと一緒にいるわけだし、戦闘スタイルってのもある程度わかってくるじゃん?」
牌流が扱う術──“偽装”。
対象と定めた者の姿形に為り済ます。これに通じる部分で、牌流が他の者と比べて長けている、それは。
……観察眼である。
相手の能力、癖、次の動きを読み、知れば自ずと戦闘において数的優位に立つことが可能。
……しかし。
鹿「でもだからって、あそこまで完全に動きを読みきるのは口で言うほど簡単なことじゃないでしょ」
牌流「まぁそんなんだけどねぇ、鹿ちゃんや立飛と戦っても今みたいに上手くいくとは思えないし」
鈴「ということは…」
牌流「紅寸の動きはめちゃめちゃわかりやすいから。マジで手に取るようにわかる。だって私が予測した通りに動いてくれるんだもん」
勿論、あまりにも実力が掛け離れている相手であった場合。
いくら動きを読んだとしても意味は無い。ということは、つまり。
そう、牌流自身の成長もたしかに有っての成果。
紅寸「…………やばい、牌ちゃんなんかに負けるとか……立ち直れそうにないかも」
鹿「牌ちゃんなんかって…」
立飛「でも紅寸には術があるし、ね」
紅寸「あんなコスパ最悪の術とか使い勝手悪すぎじゃんっ!」
立飛「あ、そこは自分でもわかってたんだ……」
紅寸「うぅ……あぁぁぁ…………くすんはこの里で一番の役立たず……ゴミクズ以下だぁ……」
牌流「そ、そこまで落ち込まなくても…」
鈴「くっすん、元気出して」
立飛「そうだよ。紅寸がゴミクズ以下なら、鈴とか存在そのものが許されないんだけど」
鹿「間違いないね」
紅寸「たしかにっ! ありがと、鈴ちゃんのおかげで元気出たよ!」
牌流「立ち直り早っ!」
鈴「あぅ……なんかいろいろと複雑だ。ってなんであたしがくっすんの代わりに落ち込まないといけないのっ!?」
鹿「まぁ鈴はそういう立ち位置だしー?」
牌流「あははっ、 うん。鈴ちゃんは鈴ちゃんだしねー。そのままで充分可愛いよ」
紅寸「鈴ちゃんが超弱くいてくれるからこそ、くすんも挫折してもまたこうして前を向けるからねっ」
鈴「そ、そう? あたしでもみんなの役に立ってるなら、まぁそれでも…」
立飛「よくない」
鈴「り、りっぴー……?」
立飛「私が教えてる以上、さっさと強くなってもらわないと困るの。私の教え方が悪いみたいじゃんっ!」
鈴「い、いやぁ、あたしも頑張ってはいるんだけど…」
立飛「なら今日も鍛練するからさっさと準備して、ゴミクズ」
鈴「はぁい……」
立飛「うそうそっ。ほら、行こ? 鈴」
鈴「…うんっ!」
────…………
……そして、皆が一日の鍛練を終え。
夕食の場に集う。
蛇龍乃「ふふふ、どうだ? 部屋から出てきてやったぞ」
空蜘「い、いや……御飯食べに降りてきたくらいでそんな威張られても……なんなの、アホなの?」
ヱ密「こら、空蜘。こんな蛇龍乃さんでも私たちの頭領なんだから敬うふりくらいはしてもいいんじゃない?」
立飛「たしかに久しぶりに蛇龍乃さん見たかも。ずっとだらだらしてたのー? 少しは鍛練しないと腕鈍っちゃうよ?」
空蜘「この人に鈍る腕なんか無いじゃん」
蛇龍乃「うぐっ……皆からの風当たりが強い……」
鹿「ニートに対して風当たりが強いのは当然でしょ」
牌流「働かざる者、食うべからずって謂うしね。あははっ」
紅寸「くすんはいっぱい働いたからいっぱい食べよーっと」
鈴「忍びの仕事は任務で、鍛練は鍛練じゃないの? くっすん」
紅寸「あぅ……鈴ちゃんに指摘されるとは、一生の不覚っ!」
空蜘「で、その仕事は? 任務は? 任務」
蛇龍乃「昼にまだっつってんのに、夜になっていきなり進展あるわけねーだろっ!」
空蜘「はぁ……殺戮の旅に出ようかな」
蛇龍乃「あ、そのことなんだけどさ……皆」
空蜘「なに? 皆で殺戮の旅に行く計画?」
蛇龍乃「そっちじゃねーよ、このアホ!」
紅寸「そっちじゃないというと?」
蛇龍乃「はい、任務が無いということはどういうことでしょう? 鈴ちゃん」
鈴「え、えっと……このままみんなでのんびり平和に暮らす?」
鹿「忍者要素は?」
鈴「この際、別に無くてもいいんじゃないかなぁ…?」
「「「……………………」」」
立飛「はぁ……」
空蜘「アホっていうのはこういうのを言うの。わかった?」
鹿「アホの忍び代表かよ…」
蛇龍乃「……鈴、お前はまだ忍びとしての自覚も誇りも全然足りてないようだね。立飛」
立飛「うん。明日からは今までの十倍しごくね」
鈴「え、えぇー…」
牌流「あ、そうだ。蛇龍乃さん。調味料とかそろそろ切れそうだし、他にも色々必要なものとか欲しいものあるから町に買い出し行きたいんだけど」
蛇龍乃「……」
牌流「明日にでも行ってきていい?」
空蜘「あ、それ私も付いていく! ずっと此処にいても暇だしねー」
牌流「えー、空蜘とー? ま、いっか。ねぇ、蛇龍乃さん?」
蛇龍乃「あ、あー……それが本題ね。私が今話そうとしてた」
牌流「……?」
空蜘「んー? まぁそれは置いといて、お金ちょーだい。遊んでくるから、娯楽費用もコミコミでね」
蛇龍乃「そんなものは無い」
空蜘「は?」
ヱ密「無いって、何が…?」
鹿「あー……そういうこと、か」
紅寸「ん? どゆこと?」
蛇龍乃「任務が無い、ということはっ! つまり、そう……この里には、ノーマネーというわけなのです」
空蜘「あ?」
ヱ密「あー」
立飛「まぁ、そうなるよね…」
牌流「一応、贅沢言わなきゃ食べる物には困りはしないだろう、けど」
空蜘「ちょ、ちょっと待って待ってっ! え? じゃあお酒は!? 今あるのを全部飲みきったらどうなるの!?」
紅寸「牌ちゃん、作れる?」
牌流「無理に決まってるでしょ」
空蜘「ああもうっ! ただでさえ超絶暇すぎて死にそうなのに、唯一の楽しみであるお酒を取り上げられたらマジで何人か殺しちゃうからねっ!?」
鈴「え……うっちーってお酒の力で殺人衝動抑えてたの?」
空蜘「そうだよっ、それ以外にどう抑えろっていうの!? 最後の一滴が無くなった瞬間、鈴の命も消えるから覚悟しとけよっ!!」
鈴「ちょっ、ヤバいよこの人っ! 助けて、えみつんっ!」
ヱ密「そうなるのはちょっと回避したいよねー」
鈴「なんかすごいあっさりしてるけどちゃんと真剣に心配してくれてる!?」
蛇龍乃「……つーわけで、私もついに本腰入れて考える時が訪れたわけだが」
空蜘「遅いよっ! 金が尽きる前になんとかしといてよっ!」
鹿「それに関しては、空蜘に全面的に同意だわ」
立飛「私も何か手伝おうか? 蛇龍乃さん」
蛇龍乃「いや、気持ちは嬉しいけど、直接的に関わる人間が増えればそれはそれでまた面倒なことになるから……ま、私が頑張るよ」
立飛「うん、頑張ってね。蛇龍乃さん」
蛇龍乃「ふふふ、任せろ」
空蜘「頑張り始めるのが遅いんだよねぇ……」
蛇龍乃「空蜘。明日から飲む量、今までの半分ね」
空蜘「じゃあ鈴が何者かの手によって半殺しになるけどいいの?」
蛇龍乃「いいよ」
鈴「よ、よくないよくないっ…!!」
ここまで
読んでくれたらわかるように最終章とは別の鈴生存ルート
これまた超絶長くなりそうだけど第二幕もよろしく
新章開始乙待ってた
里から出なかった√ね
>>513
あ、そうでした。トゥルーエンドでも鈴死んでなかったね……
鈴が里に残るルートです、はい
最終章は最終章で完結したと思ってください。だって鈴が里にいないと書きたい話書けないから……そこは何卒御容赦を
────────……………………
それから数日が経った。
相変わらず任務に関しての進展は滞ったまま、だが里の状態はというと。
…………平和、平穏、退屈、暇。と。
数分に一度は聞こえてくるくらいに(主に空蜘から)穏やかな日々が続いていた。
永遠に続くとも思える、この穏やかな毎日。
鈴は平穏を喜び、空蜘は退屈にキレていた。
……しかし、そんな風に平穏を堪能していると。退屈を嘆いていると。
それを壊そうと、魔の手が忍び寄ってくるのは。
世の常か、それとも忍びとしての宿命なのか。
……どちらにせよ、まずは刺激を求めていた空蜘に、その刺激は降り注ぐことになる。
空蜘「あー、あー、あー……殺したい殺したい殺したいー……」
鹿「……チッ、うっせーな」
鹿「人間以外ならいくらでも殺していいから……さぁ好きなだけ殺せっ」
空蜘「そうだね。たんまりお酒飲めない分、御飯くらいは美味しいの食べたいからね」
……空蜘と鹿。珍しい組み合わせではあるが。
二人が何をしているのか。それは、狩り。
せめて豪勢な夕飯を堪能するべく、猪や熊など。この山に生息する獣肉を求めての狩りに赴いていたのであった。
鹿「……とはいっても、いざ捜そうとするとなかなか見当たらねぇなー。いつもはそこら辺ちょろちょろしてるのに」
空蜘「立飛連れてきた方が絶対効率良かった気がする」
鹿「私らと違って忙しいんでしょ。立飛は鈴にお熱だからねぇ」
空蜘「…あー、やっぱそうなの?」
鹿「さぁ? 自分では気付いてないだろうけど、多分ね……あー、どうだろ、やっぱ違うかも」
空蜘「ハッキリしないねぇ……鹿ちゃんは立飛と付き合い長いんでしょ?」
鹿「まぁね……でも、立飛はわかりやすそうで案外わかりにくいから、なんとも」
空蜘「ふーん……ま、どうでもいいや」
鹿「ん…?」
……と、山道を進む二人の先で。
ガサッ、と葉が揺れる音。やっと現れてくれたか、と一瞬期待した空蜘と鹿だったが。
すぐに違うと気付いた。
そう、それは追い求めていた今晩のおかず(野性動物)ではなく。
……人の気配だったからだ。
そしてその気配は、二人の前に姿を現す。
「え? あ……」
空蜘「こんなところに人間……殺していい? さすがに人肉は食べないけど」
鹿「第一声でそれは控えようか、空蜘。……えーと、そこで何してるの? もしかして迷った?」
「ん……あー、たしか……あー……」
上品そうな白色のローブを頭から被った女。
その隙間から窺えた顔は、やはり二人の知らぬ者であった。
鹿の問いに女は生返事を溢しつつ、何かを探すようにガサゴソと手荷物を漁り。
取り出した数枚のボロ紙、そしてそれを見やり。
「あ、やっぱりそうみたい。えーと、空蜘……鹿……うん」
名乗ってもいないのに、何故名前を知っているのか。
答えは明確に。
ローブの女が持つ、紙にあった。
空蜘「それ、いつぞやの手配書」
鹿「なに、逆に私らが狩られようとしてんの…? あのさぁ、こんな所まではるばるお越し頂いたのに悪いんだけど、それもう無効なんだわ」
鹿「私たち死んだの。とっくにその御触れも出回ってる筈だよ。だからここで私たちを殺して首を取ったとしても、一銭たりとも貰えない。知らなかった?」
「でも生きてますよね? あれ? どうしてだろ? 変なの……」
鹿「はぁ……あまり察しが悪すぎると早死にしちゃうよ? ……此処では何も見なかった。賢い選択として、今すぐ引き返すことを提案するけど?」
「うーん、ちょっと仰ってる意味がよくわからないですけど…………なんてね。当然、知ってますよ。貴女方が探偵に刃向かった愚か者として処刑されてることくらい」
「此処にお二人がいるってことは、他の方々も……“あの人”もいるってことですよね」
空蜘「……」
鹿「……私たちに何か用?」
「御心配無く。お二人には直接的な用はありませんので。それでは、また」
……と、白ローブの女は里の方へと足を進める。
鹿「…ちょっと待て。訪問者とか聞いてないんだけど? 勝手に来られると困るんだよね」
「だって言ってないですもん。サプライズみたいなものですよ。此処を探し当てるのだって相当苦労したのに、一言に帰れなんて酷くないですかぁ?」
……鹿を軽くあしらい、歩を止めず、先へと進む女。
鹿「…………」
空蜘「……鹿ちゃん。いい?」
鹿「うん、久々にイラッときたわ……殺っちゃおうか。空蜘」
空蜘「あはっ、駄目って言われてたとしても、殺すけどねっ!」
瞬間。ヒュッと、地を蹴り、跳ね飛んだそのたった一歩で。
空蜘は白ローブの女の前方へ、行く手を阻むように着地してみせた。
「……」
さすがに足を止める女。前には空蜘、後ろには鹿。命を狙う二人の忍び。
空蜘「せっかくの殺しだもん。じっくり痛め付けさせてねっ…!」
鹿「言っとくけど、今更命乞いしてきても聞かないから。自分の馬鹿さをあの世で悔やむんだな……死ね」
空蜘「あははっ、死ねっ!」
「……」
……そして、空蜘。そして鹿が、白ローブの女へと同時に。
攻撃を仕掛けに、迫った──。
「…………野蛮な人たち」
……………………
………………
…………
鹿「────…………ぁ……痛っ、はぁ……ぅ……っ、空蜘…………空蜘、生きてる……?」
空蜘「……ぅ……ぁ……っ、え……? あっ……鹿ちゃん…………私、どんくらい堕ちてた……?」
鹿「さぁ、ね……っ、私も、さっきまで堕ちてたから……」
空蜘「……なんなの、アイツ」
鹿「めちゃくちゃ、強い……というか、なんというか……“あれ”って、そういうこと、だよね…………なんで、アイツが……?」
空蜘「…もう何もかも、意味がわからな……あれ?」
鹿「……?」
空蜘「…………え? なっ…!? 嘘、でしょ……?」
鹿「空蜘…? どうしたの」
空蜘「なん、なの……こんなのって……っ! 鹿ちゃんは、なんともない……?」
鹿「何が…? 怪我なら、それほどじゃ…………っ!? ぇ……これって……」
……空蜘、そして鹿もその異変に気付く。
空蜘「…っ、あの女っ……まさかっ」
鹿「これが、そういうことなら…………このままじゃ、じゃりゅのんが……終わる」
……………………
鹿と空蜘が意識を取り戻すよりも前に。
二人を返り討ちに遇わせた白ローブの女は。
既に、里へと足を踏み入れており。
屋敷の前には、立飛と鈴。それと紅寸と牌流もその場に居合わせていた。
ゆっくりとこちらに向かって、歩いてくる怪しげな女の姿を確認する四人。
……距離が近付くにつれ、自ずと立飛の表情が険しくなる。
立飛「あれ、誰……? 誰かの、知り合い……?」
牌流「ううん、私は知らない……ていうか顔見えないし」
紅寸「くすんもわかんない」
立飛「…鈴は?」
鈴「あたしに、この世界の知り合いなんているわけないじゃん…」
立飛「……それも、そうだよね」
紅寸「一応蛇龍乃さんに報告してくるね」
立飛「…うん。念の為、その方がいいかも」
「……あっ、見付けた」
女は瞳を輝かせ、立飛と鈴の方へ真っ直ぐ向かってきた。
立飛「……止まって」
警告を促す立飛。だが、女はそれを聞く素振りも見せず、軽快に近付いてくる。
鈴「……っ」
立飛「…鈴、下がってて」
鈴「う、うん…」
「……久しぶり。うん……すごく」
立飛「止まれって言ってるのが聞こえないの? なら痛い目に遇ってもらうしかないか」
敵と見定めた女へと、立飛が攻撃の姿勢で迫る。
とりあえず殺すまではしないが、無抵抗の状態にはなってもらおう、と。
するとその直前に、女は“ある物”を取り出した。
鈴「え……?」
それを見て、目を丸くする鈴。
立飛「はぁぁっ!」
「そんないきなり……ちょっと待ってくださいよ」
スッと、向かってくる立飛の初撃を簡単に避け。
そして、二発目。それに対し、軽く腕を出し、払うと。
立飛「ぇ……ぐぁっ…!?」
有り得ない衝撃がその身に叩き付けられ、いとも簡単に吹っ飛ばされた立飛。
その最中、立飛はたしかに感じた。
……この衝撃の感覚、知っている、と。
一瞬で立飛の相手を済ませた女は、鈴へと歩み寄る。
鈴「……っ」
牌流「り、鈴ちゃんっ」
牌流が鈴を守るべく、動こうとするが。
それよりも先に、白ローブの女は鈴に触れ。
そして。
鈴「……っ、……………………へ?」
……ギュッと、抱き締めた。
「会いたかった……ずっと会いたかったです。“この世界”で────ミモリさん」
鈴「ぇ……?」
…………“三森”?
そう呼ばれたのは、いつ以来だろう。
この世界で私は誰からも“鈴”と呼ばれている。
だから、この名を知る者は存在しない筈。
……と、いうことは。
「お久しぶりです、ミモリさん」
……と、女はローブを頭から外し、その素顔を鈴の前に現した。
鈴「ぁ…………ゆ、由佳……? え? ホントに、あの由佳なの……?」
その顔は間違いなく、嘗て私が元いた世界での友人のものだった。
……そう、あのゆるーいゆりのやつだ。
この世界で初めて会う、この世界ではない自分と同じ世界の人間。
不思議な感覚だった。
鈴「で、でもっ、なんでこっちにいるの!? どうやってこの世界に来たの!?」
ユカ「逆に訊きますけど、ミモリさんはどうやってこの世界に来たんですか?」
鈴「それ、は……わかんない。気が付くと、こっちにいたから」
ユカ「私だって同じですよ。だから……一人じゃ心細くてっ、うわぁーんっ、ミモリさぁーんっ!!」
鈴「んっ……よしよし。怖かったよね……うん、あたしもそうだったからよくわかるよ」
牌流「……え、鈴ちゃんの知り合い?」
鈴「う、うん……えーと、なんて言えばいいんだろ。あたしが元々いた世界での友達で由佳っていうの。あとでちゃんとみんなに紹介するね」
鈴「仲良くしてあげてくれると、嬉しいな」
牌流「…………どうだろ。わかんない」
鈴「え…」
牌流「だって、立飛に対してあんな…………敵じゃないなら、挨拶にしてはちょっと度が過ぎるんじゃない……?」
鈴「あ、そ、そうだよね……由佳、なんでりっぴーにあんな」
……と、言い掛けて鈴はふと思う。
どうしてユカは、立飛を一撃で倒してしまうほどに強いのだろう。
いや、その力のタネは理解はできた。
そう、それは鈴も以前は所持していた……“スマホ”。
当然といえば当然なのか、このユカもそれを持っており。
先程の様子から窺えば、ユカはそのスマホによる“種”を使って立飛を退けたのだろう。
だが、だからこそ生じた疑問である。
…………どうしてユカは、まったく鈴が扱えなかった“種”を扱えているのだろうか。
鈴はそのことをユカに問うと。
ユカ「え? そんなこと言われましても……てかミモリさんは使えないんですか?」
鈴「うん。だからなんでかなぁって…」
ユカ「さぁ? 私もわかんないとしか」
鈴「だよね…」
……なるほど。同じ世界の人間でも、その種を上手く扱える者と扱えない者がいる、と。
忍びの言葉を借りるのなら。
鈴にはその素質が無く、ユカは素質を持っていたということなのだろう。
ユカ「それにしてもこれがこんなに役に立つなんて! あ、でも安心してください! これからはこの私がミモリさんの騎士となって傍でお守りしますからっ!」
鈴「あはは……ありがと」
ユカ「あ、そうだ。ミモリさん」
立飛「……そんな変な名前で、鈴を呼ぶなっ…!」
牌流「立飛、大丈夫…?」
立飛「うん……平気。それより、この女……っ」
鈴「由佳、りっぴーに謝って」
ユカ「私が悪いんですか? 私はただミモリさんに会いにきただけで。先に攻撃してきたのは向こうなのに」
鈴「でも結果的にりっぴーを殴ったのは由佳でしょ。ちゃんと謝って」
ユカ「はい。ミモリさんがそう言うなら」
そしてユカは、まだ起き上がれない立飛の元へと歩み寄り。
見下すように、その視線を下ろして。
スッと、手を差し伸べた。
ユカ「さっきは乱暴な真似してすみませんでした。ミモリさんに会えた嬉しさでつい昂っちゃって」
立飛「……っ」
パシンッ、と立飛はその手を払った。
ユカ「痛っ…」
立飛「……ミモリミモリって、その名前苛つくからやめてくれない?」
ユカ「でも、ミモリさんはミモリさんですし」
立飛「鈴は、此処では鈴だから」
ユカ「違いますよ? ミモリさんはミモリさんです」
立飛「…うるさいっつってんの」
ユカ「なんなんですか……そんなに怒っちゃって。ああ、もしかして妬いてるんですか? 私が貴女の知らないミモリさんを知ってるから」
立飛「このっ…」
鈴「ちょ、ちょっとやめてよっ! 二人ともっ!」
牌流「立飛も落ち着いてっ」
立飛「……」
ユカ「……」
鈴「由佳」
ユカ「すみません。私ちゃんと謝ったのに、この人が…」
鈴「この人じゃない……りっぴーだよ。由佳も知ってるでしょ? だから仲良くしようよ……ね?」
ユカ「……でも、顔が似てるだけで別人ですよね? 仮に二つの世界で合わせ鏡のように対になる存在だとしても、私や本当のミモリさんを知らないんじゃ、それってもう別人じゃないんですか?」
鈴「そ、それは……」
ユカ「それに……ミモリさんはミモリさんであって、鈴じゃない。そんな名前を呼ばせて……ミモリさんはもう私たちの世界のことなんて、どうでもいいんですか?」
鈴「そ、そんなことないよっ! でも、あたしは鈴って名前呼んでもらって全然嫌じゃないし……由佳が向こうの名前で呼んでくれることも嬉しいって思ってるよ」
ユカ「……はい」
立飛「……っ」
牌流「立飛、あの子が種を使ってるってホント?」
立飛「……うん、さっき私を払ったあの有り得ない衝撃。探偵のトイズのものだよ、多分」
牌流「探偵の、トイズ……」
立飛「おそらく、それ以外にも種の揃えはあると思う……から……っ」
立飛は、ハッと気付く。
もしも、他にも数々の種の揃えがあるとするなら。
自分たちに何より脅威的なもの、それは。
御殺のトイズでもなければ、凉狐のトイズでも、ヱ密の術でもなく。
……そのたった一手のみで、何もかもを詰ませてしまう、術。
紅寸「なんかね、変な人がいるの」
蛇龍乃「変な人? 紅寸より?」
紅寸「うん。くすんの二百倍くらい」
蛇龍乃「ふーん、まぁさっきから外が騒がしい気はしていたけど」
と、そこに紅寸に連れられ姿を現した蛇龍乃。
立飛「だ、駄目っ、蛇龍乃さんっ!!」
牌流「立飛…?」
ユカ「……」
蛇龍乃を見て、ユカが笑う。
そして瞬時にスマホを操作し、術を発動。
展開された術は、蛇龍乃へと真っ直ぐ放たれた。
蛇龍乃「…………え?」
紅寸「ん、蛇龍乃さん?」
立飛「や、やられた……っ」
牌流「やられた、って何が…?」
蛇龍乃の体に外傷は無く。苦しむ様子も、精神に異常をきたすといったことも見受けられない。
それもその筈。この術はそういった類いのものではないからだ。
そう、ユカが放った術。それは攻撃を目的とした術、あるいはトイズではなく。
…………“封術”。
蛇龍乃が持つ八つの術。その全てが。
ユカの展開した封術によって。
封じられた──。
蛇龍乃「ぇ…………な、なに……これ…………? おい……ふざけんな、よ…………」
と、そこに戻ってきた二人。
鹿と空蜘は、惑う蛇龍乃の様子を見て。
遅かった、と覚った。
空蜘「……っ」
鹿「マジか……ちょっと、シャレにならなくない?」
牌流「鹿ちゃん、空蜘も……その怪我って」
立飛「まさか、二人も…」
鹿「やっぱ、種……封術ってわけね。完全にやられたわ……っ」
空蜘「あの女……っ、殺すッ……」
紅寸「え? ちょっと事情がよく呑み込めないんだけど」
鈴「由佳……? ねぇ、何してんの……?」
ユカ「念の為ですよ。私全然悪いことしてないのに、なんかあちこちで恨まれてそうですし。私自身とミモリさんを守る為に。護身として」
この所業に憤る忍びの面々が、今にもユカを殺しに掛からんとするなか。
誰よりも早く、先陣を切ったのは。
今までただ一人、姿を見せなかった。
ヱ密「……死ね」
……ヱ密だった。
ヱ密はユカの死角、頭上にあるその虚空から。
音も無く忍び寄り、容赦無くその脳天に刃を突き立てようとする。
……が。
ユカ「ちょっと、初対面でいきなり殺そうとするとか、いくらなんでも酷くないですかぁ?」
ヱ密「…っ!?」
ほぼ気配を伴わないヱ密の完全なる不意討ちに、あっさり勘づくユカ。
勿論、たまたま偶然というわけではなく。先程、立飛を退けるのに使った御殺のトイズ。
ということは、今展開しているのもそれと同じく探偵の……依咒のトイズ。
……即ち、五感強化。
それによってヱ密の気配を察したユカは、次に。
更なるトイズを展開した。
と、その瞬間。
ヱ密の身体は目に見えぬ何かに掴まれ。
ヱ密「ぁっ、ぐぅっ…!!」
ズドッ──!!!!
……地面に叩き落とされた。
そう、ユカが最後に展開したトイズ。
それは、凉狐のものだった。
空蜘「なっ……あの、探偵の……?」
……こんなの、どうやったって敵うわけがない、と。
鹿、立飛、牌流、紅寸、そして空蜘さえも、意気消沈。戦意を削がれてしまった。
鈴「ゆ、由佳っ!!」
ユカ「正当防衛です。あのまま何もせず立ち尽くしてたら、私死んでましたよ? それでも構わないって言うんですか? ミモリさんは」
鈴「そ、そうじゃない、けど……っ」
ユカ「そんな辛そうな顔しないでください。もう誰も傷付けたりしませんから」
鈴「ホントに……? 約束してくれる?」
ユカ「はい。だってもうこの方たちと会うことも無いですし」
鈴「え…?」
ユカ「さぁ、行きましょう? ミモリさん。私は貴女を迎えにきたんです」
鈴「迎えに……?」
大坪さんについては自分も詳しく知らんので、この話においては三森さん大好きっ子という認識だけで充分です
ではまた
────…………
ユカ「御飯っ♪ 御飯っ♪」
ずらりと料理が並ぶ食卓。
それを前に機嫌良さそうに、鈴の隣に座るユカ。
……だが。
「「「……………………」」」
同じく食卓につく忍びの面々は、皆揃ってユカを無言で睨みを飛ばしていた。
ユカ「あの……私、もしかして歓迎されてないですか?」
鹿「…歓迎される要素があると思ってんの?」
紅寸「ていうかなんでさも当然のようにそこに座ってるの? 牌ちゃんも牌ちゃんでこの子の分まで御飯用意しちゃってさー」
牌流「……私は、蛇龍乃さんに言われたから」
ユカ「ありがとうございますー。じゃりゅさん」
蛇龍乃「…………うん」
立飛「…………」
ヱ密「立飛、大丈夫? 御飯食べられそう?」
立飛「……うん、平気」
空蜘「チッ……」
鈴とは逆の隣、ユカの右側に座っている空蜘。
そのユカを横目で窺い、おそらく隙あらばスマホを差し押さえようと企んでいるのか。
しかし、その企みを見透かすようにユカ。
ユカ「やめてくださいよ? 私、これ以上皆さんに敵対視されるのは嫌なんですからね? ……さすがに殺しちゃったら、此処から追い出されちゃいそうですし」
空蜘「はぁ? 私を殺す? あんまナメんなよ、クソガキ……ッ」
ユカ「怖っ……で、でも、さっき私に負けたの忘れちゃったんですかぁ?」
空蜘「なら今回も勝てるって? あの機械を操作して術を展開するのを悠長に待ってやるとでも思ってんの?」
ユカ「…もう展開してたとしたら?」
……そう、使用しているか否か、すべてがすべて目で確認できるわけではない。
例を出すならば、御殺と依咒のトイズ。
これらは空蜘や鹿の術のように単発性のものではなく、本人が望む限り永続的にその効果を発揮する。
そして外側から見たのでは使用しているかはまるでわからない。
ユカのスマホに、どれだけの術とトイズの揃えがあるのかは定かではないが。
言ってしまえば、多種多様な術をごちゃごちゃ使うより。
蛇龍乃の術が奪われた今となれば、この二つさえあればまず討たれることはないのだ。
それを証明するかのように、既に立飛が返り討ちに遇っていた。
あの後、屋敷に入り、寛いでいるユカを取り押さえようと試みたが。
……結果は言わずもがな。
ヱ密「……空蜘、やめた方がいい」
空蜘「…………チッ」
ユカ「うぅ……ミモリさん、なんか私嫌われてるみたいなんですけど」
鈴「そ、それは由佳にも問題があるから……みんなを傷付けちゃダメって言ったよね?」
ユカ「私だってわざわざ嫌われるようなことしたくないですよぉ……でもこうしてミモリさんと再会できたのに、殺されるのは嫌ですし……」
ユカ「それに私、自分からは一度も手を出してないですよ?」
鈴「そ、そうなの…?」
ユカ「はい。ですよね? 皆さん」
たしかに、ユカの言う通り。空蜘と鹿、立飛、そしてヱ密に対しても。
先に仕掛けてきたのは忍び側の方である。
しかし、明らかに怪しい者が里に近付いてきたのだから、それを阻止しようとするのは至極当然のことで。
鈴「え、えっと……由佳もこうして反省してて、だからみんなも由佳のこと許してあげてくれない、かな…? ホントに悪い子じゃないから……仲直りしよ? ね?」
ユカ「ミモリさん…」
ヱ密「……許す許さない以前に、さ。部外者が此処にいること自体がおかしいと思うんだけど」
空蜘「そうだよ。さっさと消えろよ」
ユカ「……わかりました。じゃあ行きましょう? ミモリさん」
鈴「ちょっ、由佳っ」
立飛「…っ、消えるならお前一人で消えなよ。鈴を連れていくな! 鈴はこの里の忍びなんだから」
ユカ「違います。ミモリさんは私と同じ世界の声優です」
紅寸「せーゆー?」
鈴「だからあたしは行かないって言ってるじゃんっ、迎えにきたって言われても元の世界に戻れるわけじゃないんでしょ?」
ユカ「はい……でも、此処にいるより私と一緒にいた方が絶対に」
鈴「ごめんね、由佳。あたしはここにいたい……由佳と一緒には行けない」
ユカ「……っ、ぐすっ……なんでっ……そんなこと、言うんですかっ……酷いですよ、ミモリさん……っ」
ユカ「ミモリさんに、見捨てられたら……っ、私、また一人ぼっちに……」
鈴「由佳……だから、由佳もここで一緒に」
空蜘「は? 何言ってんの? 鈴」
牌流「鈴ちゃんにそんなこと勝手に決める権限なんか無いでしょ」
鈴「そ、そう、だけど……あたしと同じ境遇で、由佳もこの世界に来て不安だらけだと思うし……そんな由佳を放り出すなんか、あたしには」
鹿「不安ねぇ……そんだけ無茶苦茶な力を使い放題なら、怖いものなんか別に無いんじゃない?」
鈴「ち、違うよ……いくら強くたって、それとは別に気持ちは…」
立飛「騙されてるんじゃないの? 鈴。その女、どう見たって信用できない」
鈴「……っ、由佳があたしを騙すわけないじゃんっ! りっぴーは何も知らないからそんなことっ」
立飛「…鈴」
鈴「あ……ご、ごめん…………でも、あんま由佳のこと、悪く言ってほしくない」
鈴「最初はちょっと衝突しちゃったけど、ホントに良い子だから……偏見無しに話せばみんなもわかってくれると思うから……」
「「「…………」」」
鹿「……ま、鈴がなんと言おうが関係無いしね」
紅寸「頭領様が駄目って言ったら駄目だもんねー」
ヱ密「うん、蛇龍乃さん?」
蛇龍乃「…………好きにさせてやれよ」
空蜘「ほら、この人もこう言ってるわけだし…………って、はぁぁぁぁ!?」
鹿「……?」
立飛「蛇龍乃さん……?」
牌流「…………」
鈴「あ、ありがとうございます……っ、じゃりゅにょさん」
ユカ「やったー!」
空蜘「あ?」
ユカ「ひっ…」
鈴「由佳。もう一度みんなにちゃんと謝って」
ユカ「…はい」
ユカ「皆さん、えっと……すみませんでした。本当に悪意とかは無くて、ただ怖かったから……それで。ミモリさんが嫌がるなら無理矢理連れて行こうなんて考えてないです」
ユカ「でも、私……ミモリさんと一緒にいたいから、皆さんにどう思われようと此処で御世話になります。……だから、出来ることなら仲良くしたいなぁ、って」
鈴「あたしからもお願いします。由佳の面倒はあたしがみるから、みんなには迷惑掛けないようにするから……お願いしますっ……!」
立飛「……やけにそいつの肩を持つんだね、鈴。やっぱ同郷の友達は特別なんだ? それとも友達以上の何か、とか? 鈴にとって特別な存在なの?」
鈴「り、りっぴー……? 由佳は、あたしの大切な友達だよ」
立飛「ふぅん……なら私たちは特別下に見られてるんだ?」
鈴「え…?」
立飛「だってそうでしょ? どう考えたって私たち全員、その子のせいで嫌な思いしてるのに。それを無視して、お願いしますとか言われてもねぇ……」
鈴「む、無視とか、下に見てるとかっ、そんなんじゃないよっ…!」
立飛「……別にいいけど。蛇龍乃さんが言ったんだから従うよ。はいはい、よろしくねー」
鈴「……っ」
紅寸「立飛。拗ねない拗ねないー」
立飛「……拗ねてないし」
紅寸「鈴ちゃんだって複雑な立場にいるんだからわかってあげようよ、ね? くすんたちがあの子、えーと……ユカちゃん?に攻撃しなきゃ問題ないわけでしょ?」
牌流「そうそう。どうせしばらく此処にいるんだから、あんまギスギスしててもつまんないじゃん? ……ふふっ」
立飛「……紅寸も牌ちゃんも直接攻撃されてないからそんなこと言えるんだよ。それに術だって」
鹿「あっ! すっかり忘れてたけど、それだ! 術!」
空蜘「ほら、さっさと術返せよ。そしたら仲良くしてあげるからさぁ」
ユカ「……それはできません」
空蜘「はぁ?」
鹿「なんで? 此処に置いてやるっつってんだからさ、少しは信用されようとか思えないわけ? そっちがそんな態度貫くなら、こっちだってお前のこと認められるわけないじゃん」
ユカ「でも……」
ヱ密「……鈴ちゃん。鈴ちゃんから頼んでよ。その子、鈴ちゃんの言うことなら聞くでしょ? 今までの様子見てるとそんな感じする」
鈴「あ、うん……由佳」
ユカ「…ごめんなさい。いくらミモリさんから言われても、これだけは聞けないです」
鈴「どうして?」
ユカ「わかりませんか…? ミモリさんには、私の気持ちが」
鈴「由佳……?」
ユカ「あの……ミモリさんは此処に来て、どれくらいですか?」
鈴「え、えっと……一年は経ってる、のかな」
ユカ「私は、今日初めて来たんですよ。それに……こういう言い方もあれですけど、此処にいるのは皆忍者といえど、殺し屋……でしょ?」
ユカ「仲良くしてほしいとは思ってますけど、私自身もすぐ皆さんのこと、信用できるわけないじゃないですか…………ハッキリ言うなら、私はミモリさん以外誰も信用してないです」
鈴「……」
ユカ「だって、何度も殺されそうになってるんですよ? いくらこのスマホの力があるといっても……っ、怖いんですよ、私だって……っ、私は生きて、ミモリさんと元の世界に帰りたいっ……」
ユカ「……だから、護身として。すぐに返すわけにはいきません。ごめんなさい、わかってください……っ」
紅寸「ふむ……」
ヱ密「まぁ、わからなくもないけど…」
鹿「それって、信用してくれたら返してくれるってこと…?」
ユカ「はい、それは勿論……でも今すぐにというのは、ごめんなさい」
「「「…………」」」
鈴「え、えっと、あの…」
牌流「要するにっ、誰も敵じゃないわけでしょ? その、ユカちゃんもいつまでかは知らないけど此処で暮らすこと決まったわけだし、鹿ちゃんたちも早く術を返してもらいたい」
牌流「だったら、もういがみ合ってないで仲良くする努力……っていうのもおかしいか。ちょっとは私たちもユカちゃんも歩み寄った方が、お互いにとって利があるんじゃない?」
紅寸「うん、そだね。牌ちゃん良いこと言った」
ヱ密「現状をみると、そうかもね」
鹿「あー、わかったよー……」
空蜘「はぁぁ……もう術が戻れば何でもいいや」
牌流「立飛も、いいよね?」
立飛「……うん」
牌流「ふふ、良い子良い子」
鈴「ぱいちゃん、ありがと」
ユカ「ぱいさん!」
牌流「いいのいいの。んじゃ今日はユカちゃんの歓迎会だー! 皆、食べよ食べよー」
鹿「えぇ……そこまでしてやるの?」
牌流「こういうのは最初が肝心だからね。あ、ユカちゃん、ちょっと待ってて」
ユカ「はい?」
空蜘「最初が肝心とか言われても、その最初の最初が超最悪だったんだからもう手遅れじゃない……?」
……そして。
一旦場を離れた牌流が戻ってきた、その手には湯気の立つスープが入った器があった。
それをユカの前に置き。
牌流「お待たせー、ユカちゃん。とっくにスープ冷めちゃってるでしょ? だからこれは私からのお近づきの印に」
ユカ「あ、ありがとうございます……ぱいさん」
牌流「さぁさぁ、お熱いうちにお召し上がりをー」
鈴「良かったね? 由佳」
ユカ「はい。……でも、私猫舌なんで。ちーさん」
空蜘「…ん? 私のこと? なに?」
ユカ「ちーさんには沢山御迷惑掛けちゃったから……よかったら熱々のスープどうぞ。私は熱いの食べられないんで交換しましょ?」
空蜘「へぇ、ちょっとは気が利くじゃん。まぁこんくらいで認めてはやらないけどねぇ」
ユカ「いえいえ、そんなつもりじゃないですよー」
空蜘「んじゃ、しょうがないから貰ってあげようかな」
牌流「へ…? あ、ちょっ、空蜘っ!」
空蜘「ずずずーっ……ごくっ……」
ユカ「……」
そして、空蜘がスープに口を付け、飲み込んだ瞬間。
空蜘「…んぐっ!? ぁっ、うっ……ゅっ、がはっ……!! げほっ、げほっ……!! ぁ……っ、ゅあ……────」
……盛大に血を吐き出し、息絶えた。
鈴「え……? う、うっちーっ!? な、なんでっ!?」
ユカ「まさか、毒……?」
鹿「牌ちゃん、もしかして…」
牌流「ち、違っ……私は、そんなつもりじゃ、まさか空蜘が飲むなんて、思ってなくて……」
鈴「ねぇっ、うっちーっ! しっかりしてよっ、ねぇっ…!!」
ユカ「……じゃあ、私を殺そうと」
牌流「……っ」
紅寸「牌ちゃんっ、なんでこんなことっ…」
牌流「だって……だって、この子が死ねば、全部元通りに……っ」
鹿「そうだけど、たしかにそうだけどさっ……空蜘は」
牌流「う、空蜘……私のせいで、死……っ、ごめん、なさい、ごめんなさい、ごめんなさい……ひぐっ、うぅっ……!」
ユカ「…………可哀想に」
立飛「……お前っ、わざとだろ…?」
ユカ「はい…?」
立飛「最初からトイズを展開してたことで、自分が食べる前にその匂いか何かで、毒が含まれているのに気付いた……違う?」
ユカ「い、言い掛かりですよ……なんで殺されかけた私が疑われないといけないんですか。もし仮にそうだとしても、私が裏切られたことには変わりない」
ユカ「口ではあんな調子の良いこと言ってたぱいさんがわたしを殺そうと…………この仕打ちって、あまりにも酷くないですか? ぱいさん」
牌流「……っ」
ユカ「やっぱり、ミモリさん以外は誰も信用するべきじゃないんですね…」
立飛「……お前は、なんなの? こうやって私たちを皆殺しにするつもりなの?」
ユカ「どうしても私を悪者にしたいみたいですね……貴女は。二度も私に殴られたからですか…? それともミモリさんに対して、何か個人的に思い入れがあったりとか?」
立飛「…っ、その名前で鈴を呼ぶなって言った筈だけど……?」
ユカ「今それまったく関係無くないですか?」
立飛「うる、さいっ…」
ユカ「……それに、そんなつもりは無いですけど。貴女が邪推した通り、もしも私がミモリさん以外の皆さんを全員殺そうと企んでるとしたら」
ユカ「いつでもそれが可能ってこと、わかってます……?」
立飛「お前、やっぱりそのつもりでっ…!」
ユカ「だからもしもって言ってるじゃないですか。私はそんなつもりは」
立飛「うるさいっ! 黙れっ、このっ…!」
ヱ密「うん……うるさいよ。黙って、立飛」
立飛「ヱ密っ…」
ヱ密「証拠が無い以上、全部立飛の推測でしかない。そんなことを今とやかく叩き付けても意味無いのわからない?」
立飛「で、でもコイツがっ…!」
ヱ密「黙れって言ってんの。殴るよ?」
立飛「……っ」
ユカ「怖っ……忍者って怖い人ばっかり」
ヱ密「……ねぇ、ユカちゃん」
ユカ「あっ、はい、ごめんなさい…」
ヱ密「さっき言ってた、その気になれば私たち全員を殺すことが可能……それはスマホにある種を使えばってことだよね?」
ユカ「しゅ…?」
ヱ密「そのスマホを操作して発動できる術やトイズのこと」
ユカ「あ、それが種って言うんですね、へぇ……」
ヱ密「一つ訊きたいんだけど。その種のなかに、私の術の種ってあるかな…?」
ユカ「えみさんの術の種…………はい、ありますよ」
この先の展開に関係あるのか無いのか知らんけど、現段階で術を封じられてるのは、空蜘・鹿・蛇龍乃だけね
ヱ密「……“甦生”の術を展開してくれれば、空蜘は生き返る」
ユカ「……そう、ですね」
ヱ密「使ってくれない?」
ユカ「…………」
ヱ密「…ユカちゃん」
ユカ「……私、殺されかけたのに、ですか……? あのまま私が飲んでたとしたら、死んでいたのは私の方だったんですよ」
ユカ「その結果、自分たちの仲間が間違って死んじゃったから私になんとかしろって……それって虫が良すぎるとは思いませんか? えみさんは」
ヱ密「……そうだね。私もそう思うよ」
ユカ「……」
ヱ密「でもそれしか方法が無いんだから、私はこうしてユカちゃんにお願いするしかない。空蜘を死んだままにしたくないからね」
ヱ密「……何をすれば術を使ってくれる? 私に出来ることなら何でもするから言って」
牌流「ヱ密っ、これは全部私が馬鹿なことをしたせいだからっ! 私が何でもするっ…! ユカちゃん、お願いします……っ、空蜘を助けてくだ、さいっ……」
……そう言って、ユカの前で土下座をする牌流。
ユカ「……」
牌流「お願い……っ、お願いしますっ……! もう殺そうなんて考えないから、反対に私を殺してもいいからっ……空蜘を」
ユカ「……」
紅寸「牌ちゃんだけで足りないなら、くすんも頭下げるから……それでどうにか」
ヱ密「私も。それで空蜘を救ってくれるなら」
ユカ「ちょ、ちょっと待ってくださいよっ……そんな揃いも揃って土下座されたら、私がなんかすごい嫌な奴みたいじゃないですか……」
ユカ「私は別に、えみさんやくーさんに頭下げてもらいたいなんか全然思ってないですよ……っ、ただ……ミモリさんは私と皆さんが仲良くするのを望んでくれてるので、そんな敵対視されることが嫌なんです」
ヱ密「うん……それについては改める」
牌流「ごめんなさい……っ、本当に、ごめんなさいっ」
紅寸「だからお願い……空蜘を助けてあげて」
ユカ「い、いや……ですからお三方の誠意はもう充分に伝わりました……でも」
と、ユカは牌流たちから目線を外し。
別の者へと向けた。
立飛「……」
ユカ「その人は……私のこと一番嫌ってそうですし」
立飛「……っ、私にも土下座しろって……?」
ユカ「そうは言ってません、けど……」
立飛「するよ。すればいいんでしょ?」
ユカ「いえ、結構です」
立飛「なんなのっ、じゃあ私にどうしろっていうの!?」
ヱ密「立飛っ、いい加減にしろ」
立飛「……っ」
ユカ「……さすがにここまで盛大に憎まれてると、ちょっとやそっとじゃ人の気持ちって変わりませんから。無理に私と仲良くしてくださいと言うつもりはありません」
ユカ「ですからせめて、ちょっとのことですぐに突っ掛かってくるのを抑えてくれませんか? 勿論、ミモリさんに対しても」
立飛「私は、鈴には別に…」
ユカ「さっき言ってましたよね? 拗ねてるのか知りませんけど、すごい嫌味ったらしく……あんなこと言われて平気でいられる人なんかいると思いますか……?」
立飛「……っ、……ごめん」
ユカ「ミモリさんは優しい人ですから……貴女のこと嫌ったりせず、すぐに笑いかけてくれるんでしょうね。……でも、私はミモリさんが傷付くところは見たくないです」
立飛「…………わかった。私が、悪かった……ごめん、鈴」
鈴「う、ううん……あたしは、そんな」
ユカ「……」
鹿「……ユカ、立飛には私からもキツく言い聞かせとくから。空蜘を、その…」
ユカ「どうなんですかねぇ、それも…」
立飛「……っ」
ユカ「私が今ここで術を使ってちーさんを甦生させることは簡単ですよ。ですが簡単だからこそ、また同じことになりませんか?」
ユカ「もしまた誰かが私を殺そうとして、今みたいに間違って殺されても……私に頭下げれば、反省を取り繕ったふりさえすれば、また私が助けてくれるだろう、って」
鹿「……」
立飛「…………お前っ、ふざけるなよ……っ、そんな尤もらしいこと言って、要は私たちより優位に立ちたいだけだろっ…!」
立飛「弱味を握ったようにっ、それで上から見下して……さぞかし気持ちが良いだろうねぇっ……そうやってお前は──」
バシッ──!!
と、遮るように立飛の頬を打つ拳。
立飛「ぁぐっ…!」
ヱ密「殴るって、言っておいたよね……なんでわかんないの?」
鈴「ちょ、ちょっとえみつんっ、やめてよっ……! 由佳もなんでわざわざりっぴーを怒らせるようなこと言うの!?」
ヱ密「鈴ちゃん。今のは明らかに立飛が悪いから……ユカちゃんは当然のことを言っただけ」
鈴「で、でも…」
ヱ密「元々都合の良すぎるお願いをしてるのはこっちなんだから……それも踏まえて今の立飛の言葉は人間として歪んでるし、忍びとしても何一つ得の無いもの」
ヱ密「再三注意はしてたけど、聞く耳持ってないようだし……だから殴った」
鈴「えみつん……」
ユカ「……」
鈴「由佳……由佳は、えみつんの術を持ってるんだよね?」
ユカ「はい」
鈴「だったら、うっちーを助けてあげて。お願い……由佳」
ユカ「はい、いいですよ」
鈴「え……? いいの?」
ユカ「だってミモリさんは私にそうしてほしいんですよね?」
鈴「う、うん……ありがとう、由佳」
……鈴が一度頼んだだけで、こんなにも呆気なく。
執拗に頼み込んだこれまでのやり取りは何だったのか、と。
各々、複雑な心境に駆られる。
特に立飛は、ユカに対しての苛立ちを一層募らせるものであった。
……そして。
ユカによっての甦生の術が展開され、生を取り戻した空蜘は。
何がどうなって自分が死んだか分からず、皆からその経緯を聞かされた。
空蜘「……牌ちゃん」
牌流「は、はい…………こ、この度は、大変申し訳ございませんでした。これにはさすがの牌ちゃんもやらかし過ぎたと猛省している所存であります……」
空蜘「ちょっと遊んであげるから、裏山来いや」
牌流「ひっ、ひぃぃっ……!」
ヱ密「空蜘。とりあえず今は抑えて」
空蜘「うるせー」
鹿「…まぁたしかに牌ちゃんの大失態は許されることじゃないけど、空蜘も以前に牌ちゃんを一度殺してるじゃん」
空蜘「はぁ? だからってそれとこれとは」
紅寸「まぁまぁ、空蜘」
空蜘「なにがまぁまぁ、だよ……絶対にぶっ殺…………あれ?」
紅寸「ん?」
牌流「空蜘…?」
空蜘「…………ぅう、気持ち悪っ……お腹のなかがめちゃめちゃ気持ち悪い……吐きそう……っ」
鹿「うわぁぁ、ここで吐くなよっ、もうちょっと我慢してっ!」
鈴「よかった……うっちー、生き返って。ありがとね、由佳」
ユカ「いえいえ、そんなそんな」
蛇龍乃「……………………」
……………………
紅寸「ここがユカちゃんの部屋ね。好きに使っていいよ」
ユカ「わぁ! ミモリさんのお隣! ありがとうございます、くーさん」
紅寸「なんのなんの。いいってことよ」
鈴「由佳。今夜はあたしの部屋で一緒に寝ようよ。いろいろ話したいこともあるし」
ユカ「え? あ、でも…」
鈴「あたしと一緒だと嫌だったかな…?」
ユカ「いえ、そういうわけじゃなくて…」
鈴「??」
ユカ「そ、その…」
紅寸「…?」
……一瞬、チラリと横目で紅寸を窺い、そして言いづらそうな口調で。
ユカ「くーさんはそんなことしないと思いますけど……もし、誰かに寝込みを襲われたら、ミモリさんが危ない目に遇っちゃわないか……心配で」
紅寸「あー……まぁさっきの今で、そりゃ心配にはなるよね」
ユカ「気を悪くさせてしまって……ごめんなさい。くーさん」
紅寸「ううん、それはしょーがないよ。あ、全然気にしてないから」
ユカ「なんかすみませんです…」
紅寸「でも心配しないで。立飛はヱ密にたっぷり叱られてヘコみまくってるから、当分そんな気力起きないんじゃないかな」
ユカ「そう、ですか…」
鈴「…うん。だからおいで、由佳。みんなのこといっぱい教えてあげる。そうしたら由佳もきっとみんなこと好きになってくれると思うから」
ユカ「ミモリさん……はいっ、わかりました。そういうことなら、一緒に寝ましょうっ、超一緒に寝ましょうっ!」
鈴「ちょ、超……?」
紅寸「あ、鈴ちゃん……」
鈴「くっすんも一緒に寝る?」
紅寸「いや、そういうことじゃなくて……その、私たちさ、一応こういう仕事してるわけだから。あんまりくすんたちのこと、ペラペラ喋られるのは……」
鈴「そ、そうだよね……ごめん、くっすん。えっと、由佳…」
ユカ「あ、いえ、お気になさらず。私はミモリさんと一緒にいられるだけで大満足ですから!」
鈴「あ、ありがと……そう言ってくれると、助かるよ」
……………………
……夜が更けた頃。
数本の蝋燭の灯りを囲み、集う七人の忍び。
鹿「……さて、あのクソガキをぶっ殺す会議にお集まりの皆様。大変お待たせ致しました」
紅寸「わー! ぱちぱちぱちー!」
空蜘「この会合の際の合言葉は“ユカ→絶殺”にしよう」
紅寸「ユカ」
牌流「絶殺」
紅寸「よし入れ」
牌流「はい。…てかもう入ってるし」
ヱ密「はいそこ、ふざけないの。で、何か名案でも浮かんだ? 鹿ちゃん」
鹿「いや、何も」
牌流「毒が通用しないんじゃ相当難しくない? 正面から挑んだんじゃ絶対無理っぽいし」
ヱ密「あの術、いやトイズが厄介過ぎるんだよねぇ……まずあれをどうにかしないと」
紅寸「ねぇ、思ったんだけどさ。本人じゃなくてスマホの方を破壊する方が簡単そうじゃない?」
空蜘「でもアイツ、そのスマホも肌身離さず持ってんじゃん」
牌流「まぁそこは向こうも一番警戒してるところだろうし…」
鹿「うーん……種を扱えるだけで、いや扱えるからこそか。あの凉狐よりも難敵に思えてくる」
ヱ密「逆を返せば、ユカの強さの全てはそのスマホによる種にあるんだから、本来の身体性能だけでいえば凉狐よりかなり劣るでしょ」
紅寸「鈴ちゃんと同じ世界の人間らしいから、初期鈴ちゃんくらいのレベル?」
空蜘「ゴミクズ以下じゃん」
ヱ密「だからまずはスマホを奪う方向で何か対策を」
立飛「なにそれ……結局、皆だってそうなんじゃん」
ヱ密「……」
鹿「…立飛」
立飛「アイツの前では取り繕って……私一人だけ悪者みたいに……」
紅寸「いや、それはそうでしょ」
牌流「ユカの前だから、空蜘を救うためにはああするしかなかったってだけじゃん」
ヱ密「……その程度、わからない立飛じゃないでしょ? あの時は挑発に乗せられてただけかと思ってたけど、まさかホントにわかってないわけじゃないよね…?」
立飛「……」
ヱ密「今後二度とあんな馬鹿な態度とらないでね? ……あと、殴ったことは謝らないから」
立飛「わかってるよ……うるさいな」
空蜘「はぁぁ……っとにガキなんだから」
立飛「うるさい」
鹿「てかマジでおかしいよ? どうしちゃったの? 立飛」
立飛「別に…………アイツ見てると苛々するんだよね。それだけ」
ヱ密「……」
牌流「……立飛は極力、ユカに関わらない方がいいかもね」
空蜘「いい加減にしてほしいよ……足引っ張るのだけはやめてよね。冷静さを失う忍びとか、ホント使い物にならないんだからさぁ」
蛇龍乃「…………いい加減にするのはお前らも同じだ」
空蜘「ん? あ、いたの? まったく喋らないから置物かと思ったよ」
鹿「…てか立飛以上におかしいんだよなぁ、あんた。なんでユカに何も言わないわけ? 口達者なじゃりゅのんならどうにかしてユカを言いくるめられないの?」
蛇龍乃「…………」
ヱ密「蛇龍乃さんだってこの状況を良しとはしてないでしょ? 何か策を考えてくれてたり…」
蛇龍乃「無いよ。……というか」
蛇龍乃「余計なことばっかするなよ、無能の馬鹿共が……っ、お前らのやってること、やろうとしていることは何一つ意味が無い…………何も知らない、分からないなら、大人しくアイツの機嫌でも取ってろ……役立たずの塵らしく」
空蜘「は……?」
鹿「やっと口開いたかと思えば、なんだよそれ……っ」
立飛「……」
牌流「ちょっと、その言い方はさすがに無いんじゃないの…?」
紅寸「くすんたち、何か変なことした……?」
蛇龍乃「…………」
空蜘「チッ……ねぇ、聞いてんの?」
ヱ密「……蛇龍乃さん、私たち何か間違ってたかな…? そりゃあ牌ちゃんの手段は裏目に出たかもしれないけど」
紅寸「そうだよっ、くすんたちはあのユカちゃんを何とかして排除しようと」
蛇龍乃「そもそもそれが間違ってんだよ……アイツを殺してどうになる、スマホを壊してどうになる……っ、そんなことしちゃ駄目なんだよ……だから考え無しの馬鹿だと言ったんだ」
ヱ密「……」
紅寸「えっと……ちょっとよくわかんない」
空蜘「……わかるように言ってくれない?」
蛇龍乃「…………はぁ」
……重い溜め息を一つ落とし、蛇龍乃は力無く話し始めた。
蛇龍乃「…………お前らはどうしてアイツを、ユカを殺そうとする? 気に入らないからか? 鈴を連れ出そうとしているからか? 術を取り返す為か?」
蛇龍乃「なんにせよ……馬鹿なお前らのことだ、ただ殺してしまえばすべては元通り……解決するとか思ってんだろ。それが大きな間違いだ」
蛇龍乃「ユカを殺したとしても、スマホを破壊したとしても……奪われた術は、戻ってこない」
鹿「え……?」
ヱ密「術者が死ねば、その術の効力も消えるんじゃ…」
蛇龍乃「……違う。分かりやすく例えるなら、封術というのは……精神の一部を施錠する南京錠のようなものだ」
……封術によって、術を封じられたとする。
術、即ち異能というものは、当然そのものとしては視認など不可能である。
だが封術は、その術に対して鍵を掛けるという効力であり、鍵を掛けられるとその術は使用不可能になる。
演算しようにも、展開しようにも。術そのものが固く閉ざされ、取り出せないのだ。
よって、一度封じられた術を使用可能な状態にするには、自ずとその鍵を解除する必要が生じる。
たとえば、蛇龍乃が鹿に対して封術を使用し、再度術を戻し与えるとした場合。
鍵を掛け、そして鍵を解く。“閉”と“開”。この二つの行程が必要となる。
……今回も同様に。
ユカは蛇龍乃たちの術に鍵を掛けた。それを取り戻すには封術の能力を持った者に“開”を施してもらわなくてはならない。
この“閉”と“開”、なにも同じ者による必要は無いが。
封術を扱う蛇龍乃の術が封じられた今、それが可能なのはユカしかいないという現状。
蛇龍乃「…………だから、アイツを殺すわけにはいかないんだよ……っ」
牌流「そ、空に封術を使ってもらうとかは…」
ヱ密「鈴ちゃんのスマホがもう無いのは知ってるでしょ? 牌ちゃん」
鹿「仮に残ってたとしても、種を発動できるのは鈴だけ。此処に来てから鈴にべったりのアイツがそれを許すわけもない…」
紅寸「じゃあ、くすんたちに出来ることって……」
蛇龍乃「……っ、だから、何も無いって言ってるだろ……わかれよ……っ、それなのに余計なことばっかりしやがってっ……ふざけんなよ、ますます状況が悪くなるだけってわかれよ……馬鹿共が……」
……そう、既に手遅れ。どうすることもできない。
あの時、蛇龍乃の術を封じられた時点で。
何もかもが、詰んでしまっていたのである。
ヱ密「……っ、なら、これから私たちは」
蛇龍乃「ユカの機嫌だけ取ってればいいよ……あと、鈴に対しての対応も…………無能なお前らでも、それくらいなら出来るだろ……」
鹿「……っ」
空蜘「……おい、いい加減にしろよ。さっきから聞いてれば、なにその弱腰。こういう時、今までなら何らかの策を講じて状況を打破しようとしてきたあんたが」
空蜘「いざ術を取り上げられたらそれですか? ダッッッサ!」
蛇龍乃「……っ」
ヱ密「……」
紅寸「……空蜘の言う通りだよ。蛇龍乃さん、自分のことしか考えてないよね? それって私たちの頭領として間違ってると思う」
牌流「術を奪われたのはショックだと思うよ……でも、それで私たちを否定して、叩いて……それってただの八つ当たりじゃない? これまでの蛇龍乃さんと違って、その言葉には何も説得力が感じられない」
蛇龍乃「……っ、うる、さい……うるさい……っ、お前らに、何がわかるっ……」
空蜘「だからさぁ、わかるように話せって言ってんの。今のあんた、すっごいムカつく……たしかにこれまでもあんたには散々ムカつく思いさせられてきたけど」
空蜘「今は純粋にムカつくだけだわ。……殺すよ?」
蛇龍乃「……っ、…………ごめん、なさ、い」
空蜘「え…?」
ヱ密「じゃ、蛇龍乃さん……」
蛇龍乃「…………私、部屋に戻るわ」
……そう言って、逃げるように出ていった蛇龍乃。
空蜘「……今、あの人……ごめんなさいって言った?」
牌流「あの蛇龍乃さんが、空蜘に対して…」
紅寸「なんだろ……あんな蛇龍乃さん、見たくなかった」
立飛「…………っ」
ヱ密「……鹿ちゃん」
鹿「うん…」
よく読んでないからだったらスマンが
なぜユカはトイズも含め種を全部持ってるのか、術者が展開中写真撮ることで術無効・インストールされるのでは?
来た時点で既に入っているチートモードだったのか
しかし正直胸糞キャラだなww
>>563
さすがにユカのスマホだけ特別使用というわけではなく鈴と条件は同じです
これに関して後々に話中で説明するのでお待ちを
……………………
…………怖い。
…………怖い怖い。怖い、怖い怖い、怖い怖い怖い…………怖い。
力を失うことが、こんなにも恐ろしいとは、知りもしなかった。
見えない何かに、圧し潰されそうで。
頭がおかしくなる。気が狂いそうだ。
このままじゃ、消えて無くなりそうだ。
…………返せ、私の力を。術を返せ。
返、せ…………いや、返してください。お願いします。
蛇龍乃「…………っ、……………………」
布団を頭から被り、震える蛇龍乃。
……そこに嘗ての姿は無かった。
忍びの里、妙州。忍びの衆。それらを束ねる頭領、蛇龍乃は。
……最強にして、最弱だった。
“忍び”として求められるもの。それは大きく分けて、四つ────心、技、体。そして、術。
だがこの蛇龍乃の忍びとしての力は、極端過ぎる歪な程に、術に特化したものであった。
よって、術を奪われた今。蛇龍乃には何も残らない。……心でさえも、だ。
決して大袈裟ではない。何故なら、同じく術を奪われた鹿や空蜘とはまるでわけが違うからだ。
小柄な体躯である故か他人より遥かに劣る筋力、耐久、敏捷、体力……等。今となれば蛇龍乃の身体性能は、鈴よりも劣る。
だがそれでも頭領として、ヱ密や空蜘ですらをも上から抑え付け、従わせていられたのは。
他を圧倒する異才。驚異的な術力があったからこそだ。
術があるから、強くいられる。それは戦闘面以外でも同じこと。
誰よりも凛として、勇ましく、己を誇れる絶対的な自信。
強くいられていた、強く……誰よりも、強く……。
誰にもひけをとらない強さを手に入れていた。
…………筈だった。
蛇龍乃は、決して天才などではない。
強大な術力とはとても釣り合わない乏し過ぎる身体性能。
いや、その術に関しても、忍びを始めた当初は“他の者と競べてやや優れている”程度だった。
鍛練を怠っているわけではないのに、まるでその成果が伴わない。
周りと比べると、嫌でも自分の才能の無さを突き付けられる。
……どうして、自分は腕力が付いてこないのだろう。どうして自分は速く走れないのだろう。どうして自分はすぐ息が切れてしまうのだろう。
……どうして。……どうして。
何度も何度も、数え切れないくらい他人を羨んだ。
だが、一度たりともそれを口にはしなかった。
口にしてしまえば。自分の価値を否定し、吹く風に委ね、何もかもを手放してしまいそうな気がしていたから。
蛇龍乃は血の滲むような、壮絶な努力を重ねた。
恵まれなかった才能はすっぱりと諦め、代わりにその素質を磨いた。
素質、自分に残された唯一の可能性。決死の思いで手繰り寄せ、種(たね)を育てた。
……忍びを諦めたくなかったから。
磨り減るくらいに磨き続けた素質は、やがて開花した。
苦難の末に、そうしてやっと強さを手にしたのだ。
この術があれば、誰にも負けない。どれだけ身体能力で他に劣ろうとも、それさえも無意味とさせる圧倒的な術。
自分がこれまで鍛練の末に培ってきた術。これは自分そのものだ。
どんな天才にだって負けはしない、そのことをこの力で証明してみせる、と。
…………しかし、その力はとても脆く、そして儚かった。
何年、何十年と積み重ねてきたこれまでの自分の生き様が、何処にも存在していなかったかのように。
元々、そこには何も無かったかのように。
一瞬にして、この手から消え落ちていった。
たしかに今まで自分だってまったく同じことを相手にしてきたのかもしれない。
……だが、いざ自分が同じ立場に晒されたら。
……恐ろしくて、たまらない。
……と、そこに。
部屋の外から微かな物音。そして声が聞こえてきた。
鹿「……じゃりゅのん、入っていい?」
蛇龍乃「……っ」
ビクッと体を震わせ、布団の更に奥へと潜る蛇龍乃。
鹿「……ヱ密」
ヱ密「……うん。ごめん、勝手に入るね。蛇龍乃さん」
部屋に入る鹿とヱ密。
聞こえてきた声により、訪ねてきたのがこの二人だとは当然わかっていたが。
蛇龍乃は、布団の袖からそろりと顔を出した。
蛇龍乃「………………っ」
ヱ密「あの、蛇龍乃さ」
蛇龍乃「出ていけ」
鹿「じゃりゅ」
蛇龍乃「今すぐ、出ていけっ……!」
鹿「いや、ちょっと話を」
蛇龍乃「うるさい……っ、お前らと話すことなんか、無い……だから、さっさとここからっ、出てい」
鹿「聞けよっ!!」
蛇龍乃「…っ、…………ごめん……けど、私は……お前たちと、いたくない」
鹿「じゃりゅのん……」
ヱ密「どうして……?」
蛇龍乃「…………」
……恐怖に、気付いてしまった。
“殺す”、と空蜘に言われた。その言葉が本気なものだったのかはわからない。
いや、本気だったらとっくに殺されていただろう。
……そう、もしも本気だったら、殺される。
空蜘に限ったことではない。この屋敷に居る者、鈴も含めて。
皆が皆、今の蛇龍乃よりも強さを持っている。
つまり。
…………殺そうと思えば、誰でも蛇龍乃を討てる状況にあるということ。
それに気付いてしまったら、仲間ですら恐ろしく感じてしまう。
何をしていても、何処にもいても、その背中には“死”がべったり張り付いているかのように。
拭えない。死という恐怖を。
蛇龍乃「お、お前らは…………私を、殺しにきたの…………?」
鹿「……は?」
ヱ密「え、ちょっと、蛇龍乃さん…? 何を言って」
蛇龍乃「ごめん…………ごめんなさい……っ、偉そうに指図したり、小馬鹿にしたり……何度も殺した私を、恨んでるの…………?」
ヱ密「えっ……?」
鹿「そ、そんなわけないじゃん……ねぇ、しっかりしてよ」
蛇龍乃「ぅゅしゃっ……ぅ、うるさいっ」
蛇龍乃「も、もう…………私に、構わないで…………頼むから、放っておい、て…………」
鹿「……術が無くなったからって、あんたは私たちの頭領だよ。たとえ一生術が戻らなかったとしても、そのことに変わりはない」
蛇龍乃「……っ、ぅゅ…………っ」
鹿「あんたがどんだけ弱くたって、どんだけ情けなくたって……私はあんたを見捨てたりしないし、殺そうとしたりなんかしないっ……絶対に、だ」
鹿「私がじゃりゅのんを守るよ。相手がユカでも空蜘でも、立飛だったとしても……あんたを殺そうとする奴は、私が全員殺してやるよ」
ヱ密「私も、同じ。……最初に逢った時に言ったよね? 私のこの命も、この強さも、すべてを貴女に捧げる」
ヱ密「強さの置場所は貴女の傍だ。だから、この躰が何度死のうとも、蛇龍乃さんを守ってみせる」
蛇龍乃「ぅゅ………」
鹿「つーか、そんな小さかったんだね……いつもより三割増しくらいで小さく見える」
ヱ密「小さい方が、守りやすい」
鹿「ははっ、たしかにそうかもね」
ヱ密「そんな表情、蛇龍乃さんには似合わないよ。蛇龍乃さんがまた私たちの頭領として勇ましい姿を取り戻すまで、ずっと待ってるから」
鹿「うん……だから安心して普段みたいに振る舞ってよ。あんたがそんなだとこっちだって調子狂っちゃうんだからさ」
蛇龍乃「……………………鹿…………ヱ密」
鹿「…うん」
ヱ密「蛇龍乃さん」
蛇龍乃「言いたいことは、済んだ……? だったら、早く出ていって…………もう、来なくても、いいから…………」
鹿、ヱ密「「え……?」」
蛇龍乃「二度と、顔を見せないで…………頼むから……っ、…………私は、お前たちが…………恐い」
蛇龍乃「……っ、…………ぅゅ」
……部屋を追い出されてしまった鹿とヱ密。
鹿、ヱ密「「……………………」」
鹿「……今の、完全に心開いてくれる流れだったよね?」
ヱ密「う、うん……完璧だと思ったのに」
鹿「まさか、あそこまで重症だとは…」
ヱ密「ぅゅぅゅ言ってる蛇龍乃さん初めて見たよ……」
鹿「いや、私も……」
……………………
ユカ「へぇ……そうだったんですか。それで、忍者に」
鈴「…うん。あんま詳しくは話せないけど、そんな感じ」
ユカ「ミモリさんは、此処にいる皆さんのことが大好きなんですね」
鈴「大好きだよ。みんなのこと、すごく好き。だからもうりっぴーとケンカしちゃダメだよ? 由佳」
ユカ「……私はそんなつもりないんですけどー。ていうかあの人、ミモリさんのこと大好きですよねー」
鈴「そうなの、かなぁ? うーん…」
ユカ「ミモリさんも、好きなんですか? あの人のこと」
鈴「そりゃあ、りっぴーだから。うん、好きだよ」
ユカ「……そうじゃなくて」
鈴「ん?」
ユカ「この世界の立飛さんと、私。……ミモリさんはどっちの方が好きですか?」
鈴「そんなの、どっちも好きだよ」
ユカ「……」
鈴「…由佳? 寝ちゃった?」
ユカ「…………ミモリさん」
鈴「あ、起きてた」
ユカ「……私、迷惑でしたでしょうか?」
ユカ「ミモリさんを捜して、此処に来て……皆さんに邪魔者扱いされて、その結果ミモリさんにも迷惑掛けちゃって」
鈴「そんなことないっ! 由佳に会えてあたしも嬉しいよ、迷惑だなんて思うわけないじゃんっ!」
ユカ「だったらどうして、私と一緒に来てくれないんですか?」
鈴「それはあたしが由佳を想うのと同じくらい、ここにいるみんなのことが大好きだからだよ」
ユカ「…でも、此処の皆さんは私のこと」
鈴「大丈夫。すぐにわかってくれるよ。由佳がすごく良い子ってことはあたしがよく知ってるんだからさ。誤解なんかすぐに解けるよ」
ユカ「……相変わらず、優しいですね。ミモリさんは。だから好きになったんでしょうか…」
鈴「へ?」
ユカ「でも正直、まだ皆さんのことは怖いです。ミモリさんはどうだったんですか? 初めて此処の方々と会った時」
鈴「え、えーと……まぁ、怖くなかったっていえば嘘になるかな……あはは……」
鈴「だから由佳の不安もよくわかる。あたしも協力するからさ、一緒に頑張ろ?」
ユカ「……私はこの世界に来てから今日ミモリさんに会うまで、ずっと独りぼっちでした…………だから、ミモリさんに見捨てられたら私はもう生きていけないです」
鈴「み、見捨てないからっ……そんなことするわけないじゃんっ」
ユカ「ミモリさんに一つお願いがあるんです」
鈴「お願い?」
ユカ「何があっても、私の味方でいてください」
ユカ「他の誰にどう思われたっていい…………でも、ミモリさんには私の一番の味方でいてほしいです」
鈴「由佳……」
ユカ「駄目、でしょうか?」
鈴「ううん、いいよ。ていうかそんなの当たり前じゃん」
ユカ「…ありがとうございます。ミモリさん」
鈴「ねぇ、由佳。手、握ってもいい?」
ユカ「え? あ、はい……勿論」
一枚の布団の中、身を寄せ合う鈴とユカ。
鈴はユカの手を握り、言った。
ユカ「……あ、あの」
鈴「もう由佳は独りぼっちなんかじゃない。今まで大変だったよね、怖かったよね、不安でいっぱいだったよね……でもこれからはあたしが由佳の傍にいるから」
鈴「安心して。もう二度と、由佳を独りにはさせない」
ユカ「……っ、ミモリさん……ありがとう、ござい、ますっ……ぐすっ……」
鈴「…よしよし。いくら種を使えて強くたって、由佳は女の子だもんね。あたしでよかったら、どんだけでも由佳の力になるよ」
鈴「だから頼って。辛いこととか悲しいことがあったら、なんでもあたしに言って」
鈴「あたしが由佳を守るから。この世界で、あたしは由佳よりずっとずっと弱いけど……傍にいてあげることくらいはできる。あたしが由佳の心の支えになるから」
ユカ「…………」
鈴「……あはは、なんかあたしばっか話してるね。ねぇ、由佳の話も聞かせてよ」
鈴「……? 由佳?」
鈴「寝ちゃった、かな? そりゃそっか……ここまで来るのだけでも相当大変だったろうし、その後もみんなといろいろあったし」
鈴「うん……今日はゆっくり休んで。あたしもそろそろ寝よっかな」
鈴「おやすみ。由佳」
ユカ「…………」
ここまで
なぜ空丸がいると思ったのか……
でも探偵組の気配がそろそろ感じる気がするー
────…………
翌朝。
鈴「おはよー」
牌流「あ、おはよ。鈴ちゃ……」
紅寸「……と、ユカちゃん」
ユカ「お、おはよう、ございます…」
牌流、紅寸「「…………」」
『……っ、だから、何も無いって言ってるだろ……わかれよ……っ、それなのに余計なことばっかりしやがってっ……ふざけんなよ、ますます状況が悪くなるだけってわかれよ……馬鹿共が……』
『ユカの機嫌だけ取ってればいいよ……あと、鈴に対しての対応も…………無能なお前らでも、それくらいなら出来るだろ……』
……昨夜、蛇龍乃の言葉が思い起こされる。
口調こそ殺伐とした棘を含んでいるものだったが、これは紛れもない正論であった。
ユカを殺してしまえば、二度と奪われた術は戻らない。
これに関しては、鈴から頼んだとしてもユカは聞き入れるつもりはないのだろう。
よって、完全にユカの気分次第という事案。
……とのことから。
紅寸「おはよ、ユカちゃん。昨日はよく眠れた?」
ユカ「あ、はい。いろいろとお気遣いありがとうございます。くーさん」
紅寸「そのくーさんっていうの…」
ユカ「あ……もしかして、嫌でしたか…?」
紅寸「ううんっ、さん付けで呼ばれたのなんか生まれて初めてだから感動してた!」
ユカ「そうなんですか? なら、これからもそう呼んでも……?」
紅寸「もちろん!」
ユカ「やったー!」
紅寸「あはは。なんか可愛いねぇ、ユカちゃんって。妹みたい」
ユカ「そうですか? 私もくーさんのこと、お姉ちゃんみたいに思えてきました!」
紅寸「うまいなぁ、もう。鈴ちゃんはくすんの後輩だけど、それなりに歳がいってるから妹って感じがあんまりしなかったんだよねー」
鈴「くっすん……由佳のこと可愛がってくれるのは嬉しいけど、一言余計だからっ!」
紅寸「へい…」
牌流「鈴ちゃん、ユカちゃんも。こっち来て。はい、朝御飯」
鈴「ありがとー、ぱいちゃん」
ユカ「私の分も……いいんですか?」
牌流「もっちろーん。昨日は空蜘が食事中に盛大に吐血しちゃったから美味しく味わえなかったでしょ? だから食べて食べてー」
紅寸「他人事みたいに言ってるけど、あんたのせいなんですけどねぇ……」
牌流「うるさい、紅寸。それはもう充分に反省したから。昨日は昨日、今日は今日。さ、切り替えていこー」
紅寸「うーん、やっぱこの子アホっぽい」
ユカ「……」
牌流「あ……やっぱ、躊躇しちゃうよね。もう毒殺なんか考えてないから安心して、って言っても……私の言うことなんか」
紅寸「昨日は昨日、とか言って切り替えられるのはアホの牌ちゃんだけだよ」
牌流「やっぱそうだよねぇぇ……うぅっ……」
鈴「由佳。じゃああたしのと交換しよ? それなら大丈夫でしょ?」
ユカ「いえっ、それだとなんかぱいさんに悪いですから。私、全然このままでも」
……と、ユカは目の前に出された料理に箸を伸ばし、口へと運んだ。
ユカ「もぐもぐ……うんっ、おいしいです! 実は昨夜はあまり食べれなくて……もし足りなかったら、おかわり頂いてもいいですか? ぱいさん」
牌流「うん……うんっ、もちろん! いっぱい食べてね! 必要ならすぐ持ってくるからっ、米でもおかずでも! それでも足りなかったら速攻で作るから!」
ユカ「あ、あの、まだお願いするかはわからな」
牌流「そんなこと言わないで、ほらほらっ、食べて食べて」
ユカ「あ、ありがとうございます……ていうか、その、そんなまじまじ見られると食べづらいんですけど」
牌流「はっ……だよねぇ、ごめんごめん。あ、えーと、ユカちゃん」
ユカ「はい?」
牌流「……その、昨日はホントに、ごめんね…? あんなことしといて、あれだけど……許してくれると、嬉しいな…」
ユカ「えと、その件については、もう……ぱいさん、いっぱい謝ってくれたし、私の態度も良くなかったかなって……反省してます。私の方こそ、すみませんでした」
牌流「そ、そんな、ユカちゃんが謝ることじゃ……でも、これからは仲良くしようね。鈴ちゃんのお友達は私のお友達同然だし!」
紅寸「うんっ、やっぱ楽しいのが一番だもんね!」
ユカ「はいっ。こちらこそ、これからよろしくです!」
鈴「ふふふー」
ユカ「ミモリさん?」
鈴「良い子良い子。ご褒美にあたしがなでなでしてあげよー」
ユカ「……えへへ、嬉しいなぁ」
昨夜のことが嘘の様に、四人が楽しげに食事をしていると。
そこに。
立飛「おはよ。紅寸、牌ちゃん」
紅寸「あ、立飛。おはよー!」
牌流「おはよ。珍しいね、こんな時間に。いつもはもっと早いのに」
立飛「あはは、寝坊した」
紅寸「立飛でもそんなことあるんだねー」
立飛「そりゃあ私だって人間だしー? 布団が引っ付いて離れない日くらいあるのさ」
牌流「そこ座ってて。すぐ立飛の分の御飯持ってくるから」
立飛「いいよ、それくらい自分でやる」
牌流「いいのいいの。ユカちゃんにお代わり持ってくるついでだし」
ユカ「え、私まだ頼んでな」
牌流「平気平気。これくらい食べれる!」
ユカ「あはは…」
鈴「残さないで全部食べるんだよー?」
ユカ「が、頑張りますっ…」
立飛「おはよ、鈴。昨日はごめんね?」
鈴「あ、ううん……いつものりっぴーに戻ってくれてよかった。昨日はずっと怖い顔してたから」
立飛「あはは、反省してるー」
ユカ「あ、おはようございます」
立飛「……牌ちゃん、やっぱ手伝うよ」
牌流「えー、そんな、いいのにー」
立飛「喉乾いたし、お茶だけでも」
ユカ「……」
鈴「ゆ、由佳…」
ユカ「あはは……で、ですよねー」
ユカ「やっぱ嫌われちゃってますよねー、私。まぁ、私にもたくさん原因あるんだから、仕方無いですよ……あはは……」
鈴「……っ、りっぴ」
ユカ「いいですいいですっ、ミモリさん!」
鈴「由佳……」
ユカ「無理に距離を詰めると逆効果になっちゃいそうですし……きっと時間が解決してくれますよ! 私は平気ですから…」
鈴「由佳がそう言うなら……でもホントに辛かったらちゃんと言うんだよ?」
ユカ「はい。じゃあさっそく……辛いのでさっきみたいに頭なでなでしてください」
鈴「はいはい、由佳はあたしの前では甘えん坊さんだなー」
ユカ「えへへー。ミモリさんの手、気持ちいい」
立飛「……」
紅寸「立飛」
立飛「ほ? なに?」
紅寸「えっと……大丈夫?」
立飛「大丈夫って、何が?」
紅寸「え、んーと……」
牌流「…ヱ密に殴られたとことか。昨日よりはだいぶマシになってるけど、まだちょっと腫れてるね」
立飛「あー、全然平気だよ。ヱ密も手加減してくれてたしね。もし本気だったら死んでたよ、私。あははっ」
紅寸「…まぁ立飛が元気そうでよかったよかった」
立飛「えー、私いつも元気だよー」
牌流「だよねー。立飛は優秀なんだから私たちの心配なんていらないかー。あ……ほらっ、紅寸!」
紅寸「ほぁ?」
牌流「立飛も私と同じく昨日は昨日派じゃん! やっぱスパッと切り替えていけるのが優秀な忍びなんだよねぇ」
紅寸「あー、はいはい。牌ちゃんのアホが感染してないか心配である」
立飛「……そうだよ。私は、優秀なんだから」
紅寸「お、おぉ……」
牌流「……?」
立飛「蛇龍乃さんと鹿ちゃんに教えを受け、皆に支えられて今の私が在る。だから、優秀であって然るべきなんだよ。皆がいてくれるからこそ、私は忍びで在れる」
立飛「いやぁ、なんていうか、忍びっていいもんだよねー。あははは」
紅寸「なんてことだ、牌ちゃんのアホが……既に手遅れかも」
牌流「……立飛」
立飛「ふぅ……食べたー、御馳走様ー」
鈴「ごちそうさまー」
ユカ「御馳走様でした、ぱいさん。美味しかったです。ありがとうございます! あとすいません、私の分までお手間掛けさせてしまって」
牌流「ううん、一人増えたくらいで全然手間は変わんないから」
立飛「さて、と……鍛練行くよ、鈴」
鈴「あ、はーいっ」
ユカ「鍛練…?」
鈴「うん、忍びの鍛練。いつもりっぴーに稽古してもらってるの」
ユカ「へぇ……私も一緒に行っていいですか?」
鈴「え…? えーと…………って言ってるんだけど、どうかな? りっぴー」
立飛「鈴、早く準備して」
……………………
……一方、こちらは。
空蜘「はぁー…………暇だ暇だ……」
ごろごろと広間で寛いでいる空蜘。
空蜘「なーんか面白いこと無いかなぁ…………ふふふっ」
空蜘「……で、ヱ密はどうして此処にいるのかな?」
ヱ密「……別に」
空蜘「まるで私のことを監視してるみたい」
ヱ密「まぁ、そんな感じで」
空蜘「あははっ、そこは濁さないんだぁ? ていうか私よりも、危なそうな奴いるじゃん。そっち見てれば?」
ヱ密「…ユカのこと?」
空蜘「違う違う。もう一人のガキ」
ヱ密「あー……立飛か」
空蜘「いいの? 今日も鈴に鍛練つけてるんでしょ?」
ヱ密「そっちは鹿ちゃんが見てくれてるから」
空蜘「そっか。そういや、さ……昨日あの後、あの人のとこ行ったみたいだけど」
ヱ密「蛇龍乃さん…」
空蜘「どんな感じ? まだ腑抜けきってんだろうけど」
ヱ密「……空蜘、変なこと考えてないよね?」
空蜘「変なことってー? 私があの人を殺しちゃうんじゃないか、とか?」
術を奪われ、憔悴しきっている蛇龍乃と比べ。
このあっけらかんとした様子の空蜘。
何を考えているかわからない以上、仲間である空蜘に対する警戒も怠るわけにはいかない。
術を使えないといえど、もし空蜘が本気で何かを仕掛けてきたとすれば。
対処可能なのは、ヱ密しかいないわけである。
ヱ密「……」
空蜘「そんな疑っちゃって、酷いねぇ……ヱ密は。グレちゃいそう……あははっ!」
ヱ密「……空蜘」
空蜘「ユカがどうして私たちの術を封じたか……私たちを警戒してるから。私たちを恐れているから。ホントにそうかな?」
空蜘「あれだけ種を揃えてるんだから、私や鹿ちゃんが術を使えようが使えまいがそれって大した障害じゃないんじゃない? あのガキが最も警戒してるのは、蛇龍乃だけでしょ」
空蜘「私や鹿ちゃんは戦闘の流れで封術を使われちゃったけど、蛇龍乃は違う。封術の他にもあの人は私たちですらまだ知らない術を扱える……ユカがそれを恐れるのは当然。だから蛇龍乃の術を封じた」
空蜘「これについて、どう思う? ヱ密」
ヱ密「間違ってはないと思うよ。……だから、蛇龍乃さんが死ねば自分の術を返してもらえるかもって?」
空蜘「ユカの気分次第だからどう転ぶかはわからないけど。それでも今よりも可能性は増えると思わない?」
ヱ密「喩えそうだとしても……そんなこと、私がさせると思う…?」
空蜘「その気になれば、私はいつでも蛇龍乃を殺せる」
ヱ密「……話聞いてた? 私がいるんだから、そんなことは絶対にさせない」
空蜘「あははっ、まるで私相手ならどうにでもできるみたいな言い方」
ヱ密「どうにでもできるよ。術が無い空蜘なんか私の相手じゃない。今ここでわからせてあげた方がいいかな…?」
空蜘「今この状況で本気でやれば……たぶん私が勝つよ」
ヱ密「へぇ……鍛練中も含めて、一度も私に勝ったことないのに。どこからその自信が湧いてくるの?」
空蜘「忍びとしての年季。それが私とヱ密の差。今の状況で殺し合いをすれば、その差によって私が勝る」
ヱ密「……どういう意味?」
空蜘「えー、教えなーい。でも安心してよ。今ここでヱ密とやり合おうなんか考えてないから」
空蜘「ここでヱ密を殺しても、あまり意味は無いからね。こう見えて私だって此処を居心地好く思ってるし、わざわざ壊したくないの」
空蜘「最善はユカに封術を解かせること。それくらいはまともな思考を持ってるよ。……ねぇ、ヱ密。ユカは死を恐れてるのかなぁ?」
ヱ密「え? それは、そうでしょ……人間なら誰でも死は恐れるもの」
空蜘「そっかそっか。そうだよねぇ……だったら死を突き付けて脅せば、封術を解いてくれるのかも」
ヱ密「だからそれが難しいから皆行き詰まってんでしょ……あんなに種を多用されたら、まず力では勝れない」
空蜘「ふふっ、ホントにそうかなぁ?」
ヱ密「空蜘…?」
空蜘「いくら多種多様な種を、それこそ無限に扱えたとしても……だからって完璧なわけじゃない。人間であれば当然、欠陥は生じる」
ヱ密「……何か知ってるの?」
空蜘「さぁねー」
ヱ密「空蜘っ!」
空蜘「ヱ密、私は別にどっちでもいいんだよ。蛇龍乃が死のうが生きようが」
ヱ密「…っ、空蜘っ! 空蜘が私の知らない何を知ってようが、私たちの頭領に対するその言葉を許すわけにはいかない」
空蜘「ふーん、私たちの頭領ねぇ…………じゃあヱ密は、その頭領様のあんな姿を見せられて、そのうえで言ってるの?」
空蜘「本当に今の蛇龍乃が、私たちの頭領として相応しいと思ってるの?」
ヱ密「それ、は……っ、でも、術が戻りさえすれば」
空蜘「いつ戻るの? 戻る算段はあるの? もしずっとこのままでも、ヱ密は蛇龍乃を頭領と認めたまま一生ついていけるの? 私を否定した今の気持ちを一生誤魔化せないでいられるの?」
ヱ密「……っ」
空蜘「ほら、言ったそばから揺れてんじゃん。ま、安心してよ。なにも今すぐ事を起こそうなんか考えてないから」
空蜘「ウザいから監視とか止めて。じゃあねぇー」
……そう言って空蜘は、広間を後にして。
ふらふらと屋敷の外へと出ていった。
……………………
鈴「はぁっ、はぁっ……はぁぁ……疲れたよぉー……」
立飛「よし。んじゃ、一瞬休憩」
鈴「うぇ、一瞬じゃ休憩になんな」
立飛「はい、休憩終わり」
鈴「えっ、マジで一瞬だけ!?」
立飛「あはは、うそうそ。もうちょっとだけ休んでていいよ」
鈴「ふぅぁー……」
立飛「それにしても……まるで成長が見られない」
本格的に鍛練を始めてしばらく経つが。
未だ2m程度の塀すら飛び越えられない。飛び道具に関しても、先の蛇龍乃との一戦ではマグレだったのか。
手裏剣を真っ直ぐ放ることすら、叶わない鈴だった。
立飛「基礎体力や反応速度なんかは少しずつ上がってはいるんだけどねぇ……なんだろ、技術がまるで足りてないのかな」
立飛「決して手を抜いてる感じは無いのに、ここまで上達しないのは逆にすごいよ。素質がとんでもなく乏しいのか、それとも私の教え方が究極的にダメダメなのか…」
鈴「あはは……どっちだろうねぇ」
立飛「鈴ー?」
鈴「う、嘘です嘘ですっ、全部あたしのせいですっ!」
立飛「わかってるならもう少しどうにかしてよねー」
鈴「はい、精進します…」
……と、そこに。
ユカ「手裏剣ってそんなに難しいものなんですかー?」
二人から少し離れた場所で、ずっと鍛練の様子を眺めていたユカが口を開き、鈴の元へと。
ユカ「皆さん、簡単そうに投げてる印象なのに」
鈴「だよね。あたしも最初はそう思ってたけど、やってみるとこれが意外に手強くて…」
ユカ「一回だけ私も投げてみていいですか? もしこれでミモリさんより上手かったらどうしましょー」
鈴「いやぁ、それ全然有り得るよ。だって由佳ってば、あたしがまったく使えなかった種も使えてるしさぁ、あたしより才能あるんじゃない?」
ユカ「そんなことないですよー。えへへ、じゃあ一つ拝借して」
立飛「鈴、休憩終わり。続きするよ?」
鈴「あ、うん…」
立飛「手裏剣も。今日はもう使わないから返して」
鈴「え、えっと…」
ユカ「…一回だけ。駄目ですか?」
立飛「鈴。ほら、返して?」
ユカ「……」
鈴「り、りっぴー…」
立飛「ん、なに?」
鈴「その……由佳と、会話くらいはしてあげてくれない、かなぁ……?」
鈴「今日、由佳が何度かりっぴーに話し掛けてるのに、全部無視っていうのは、さすがに…」
立飛「……」
鈴「だ、駄目なら駄目って言ってくれていいから、返事くらいは…」
ユカ「ミ、ミモリさん……いいんです、私は」
立飛「うん、わかったよ。鈴」
鈴「りっぴー……ありがと」
立飛「…手裏剣、投げたいんだっけ?」
ユカ「あ、はい」
立飛「忍びでもない人間が、その道具に触らないでくれる? 遊びじゃないんだよ、こっちは」
立飛「あと、鍛練中に周りをちょろちょろしないで。気が散るから」
ユカ「……すみませんでした」
鈴「……っ」
立飛「これでいいよね? 鈴。あー、無駄な時間使った。さっさと次の課題に」
鈴「ねぇ……なんでそんな風な言い方しか出来ないの?」
鈴「由佳が、りっぴーの気に障ることしちゃったかもしれないけど……何度も謝ってたじゃん」
鈴「……由佳ね、りっぴーに嫌われてるって落ち込んでて、それでも頑張って仲良くなろうとしてるのに……っ、それなのに、りっぴーは」
立飛「私が悪いの? 鈴はそう言いたいの?」
鈴「りっぴーにもりっぴーの気持ちがあるのはわかるから、悪いとは言えない、けど……今みたいな対応が正しいとはあたしにはとても思えない」
立飛「……そう、まぁ鈴になんて思われようが別にどうでもいいけどさぁ。今は鍛練中なの忘れないで」
立飛「あんたは私に教えを乞う立場。関係無い人の話に費やす時間は無いことくらい理解できるよね?」
鈴「…………うん」
ユカ「あのー…」
鈴「…由佳? どうしたの?」
立飛「……チッ、煩いなぁ」
ユカ「そもそもの話、どうしてミモリさんは鍛練してるんですか?」
鈴「え? ああ、それはね、強くなるためだよ」
ユカ「強く? 何の為に?」
鈴「あたしは忍びだから、今のままじゃ」
ユカ「ミモリさんは強くなる必要なんか無いですよ。だっていずれは元の世界に帰るわけですし、もし万が一その方法が無くて一生この世界にいるとしても……私が傍にいるじゃないですか?」
ユカ「初めて逢った時に言ったでしょ? 私はこの世界で、ミモリさんを護る騎士だって。私が強くいられてるわけだから、ミモリさんは弱いままでも一向に構わないです」
鈴「由佳…」
立飛「おいっ、勝手なこと言うなよっ!!」
ユカ「貴女にはミモリさんを守れる強さは無いのかもしれませんけど……私にはその強さが、自信があります」
立飛「なん、だと……っ、そういう問題じゃないんだよ……私たちのことを、忍びのことを何も知らない分際でっ」
ユカ「忍びのことを言ってるんじゃありません。私はミモリさんのことを言ってるんです」
立飛「だからっ、それが余計なことだっつってんだよっ!!」
ユカ「余計なことかどうかはミモリさんが決めることです」
ユカ「ミモリさん……こんな苦しい思いや痛い思いをしてまで、強さって必要ですか? 私じゃ、頼りないですか?」
立飛「…っ、…………殺、す……ッ」
……ドクン、と。
鼓動が脈打ち、立飛の内で術が発動されようとしていた。
ただ、これは立飛の意思によるものではなかった。
……そう、能力の暴走。扱い方を知らなかった初期と同じく。
感情の昂りと共に、徐々に緋色が溢れ出す。
……と、そこに。
鹿「…ごめん、立飛」
ストンッ、と。
立飛の裏首に手刀を下ろした鹿。
立飛「ぁうっ…!」
意識を失い、崩れ落ちる体を鹿が受け止めた。
鹿「はぁ……まったく、世話が焼ける」
鹿「鈴、まぁこんな感じだから……今日は鍛練、もう無理そうだわ」
鈴「…うん」
鹿「……立飛のこと、嫌いになった?」
鈴「ならないよ。なるわけないじゃん」
鹿「そっか。ありがと……って私が言うのも変か。……立飛も立飛で辛いと思うからさ、難しいと思うけどわかってあげてほしい」
鈴「……うん」
鹿「…ユカも、ごめんね」
ユカ「いえ……」
鹿「……じゃあ、また」
……立飛を抱え、鹿は屋敷の方へと戻っていった。
鈴「……由佳。あたしは、強くなりたい」
鈴「その日が来るまで、あたしは忍びとして生き方を、果たしたい」
ユカ「…はい。余計なこと言って、すみませんでした」
鈴「ううん、あたしの方こそ……余計なお節介で、またりっぴーと衝突させちゃって……ごめん」
ユカ「そんなこと、ないです…」
……………………
……そして、夜。
牌流「そういや、何処行ってたの? 空蜘。昼間は屋敷にいなかったみたいだけど」
空蜘「んー、ちょっと散歩ー」
牌流「ふーん」
空蜘「あー、つまんなーい……つまんないつまんないつまんない」
ユカ「なんか、すいません…」
空蜘「あー? 別に全部が全部、お前のせいってわけじゃないよ。お前が来る前から退屈だったのは事実だしねー」
ヱ密「……」
紅寸「ヱ密? どしたの? さっきから怖い顔して…」
ヱ密「べーつにー……ごくごくっ……」
空蜘「あーっ!! それ私のお酒ーっ!! なに勝手に飲んでんの!?」
ヱ密「空蜘一人のじゃないでしょ。皆のお酒」
空蜘「残り少ないんだから飲むなら飲むでちゃんと私の許可を得てよっ!」
ヱ密「だからなんでわざわざ……」
ヱ密「これまで圧倒的に空蜘一人で飲んでたんだから、残りを誰かが飲んだって文句言わないでよ…」
空蜘「……っ、うぅっ……ぁぁぁぁぁ……っ、ひぐっ……酷いよぉ……ヱ密、酷いっ……」
牌流「ちょっ、そんなことくらいで泣かないでよ。はい、お水」
空蜘「牌ちゃん……お水ありがと。でも、殺していい?」
牌流「だめ」
空蜘「じゃあ鈴を殺そう。ヱ密のせいで無性に誰かを殺したくなってきた……って、あれ? 鈴は?」
紅寸「最初っからいないけど」
空蜘「あれ? そうだっけ? このガキんちょがいるからてっきり一緒にいるもんだと錯覚してた」
牌流「あー、言われてみればたしかに……珍しいね」
ユカ「ミモリさんなら用事あるって言ってました」
空蜘「ふーん……鈴のくせに用事とか、生意気な」
ユカ「…ちーさん、お酒飲みたいんですか?」
空蜘「そうだよ、誰かを殺したくなるくらい飲みたいよっ……もし鈴が突然死体になってても私を恨まないでよね、悪いのは全部ヱ密なんだから」
ヱ密「えぇー……なにその暴論」
ユカ「だったら……えーと、たしか……あった」
ユカ「お口に合うかわかりませんけど、どうぞ」
空蜘「へ……?」
ユカが荷物の中から取り出したのは。
なんと、空蜘が欲していた酒だった。
空蜘「こ、これ……お酒? 中身がただの水ってオチじゃないよね……?」
ユカ「あはは、ちゃんとお酒ですよ。手ぶらで来るのもあれなんでお土産に、と……ホントは昨日渡そうと思ったんですけど、なかなかタイミング難しくて…」
空蜘「…………お前っ! 良い奴だねっ!」
ユカ「ど、どうも、です…」
空蜘「うんうんっ、なかなか気が利くじゃん! いやぁ、いつぶっ殺そうかとずぅーっと考えてたんだけどさぁ、そういうことなら話は全然別っ!」
空蜘「ふふふ。よし、特別に舎弟にしてあげよう」
ユカ「しゃ、舎弟……ですか?」
空蜘「そうだよ。あー、お前の大好きな鈴も私の舎弟だし。嬉しいでしょ?」
ユカ「あ、はい。嬉しいですっ」
ヱ密「……」
空蜘「やったー! 久々に思いっきり飲めるー!」
牌流「よかったねぇ、空蜘」
ユカ「あ、私が注ぎますよ」
空蜘「おぉ、ユカは鈴よりも弁えてるねぇ、舎弟として…………でも」
空蜘「まさか毒入りの酒ってわけじゃ、ないよね? これ」
ユカ「そ、そんなわけないじゃないですかっ」
紅寸「空蜘っ、それはいくらなんでもユカちゃんに失礼じゃ」
空蜘「はぁ? なにぬるいこと言ってんの? 昨日来た奴をいきなり信用するわけないじゃん。私は、言いたいことは濁さず言うし。そこに失礼がどうとかなんていうのはまったく別の話」
空蜘「信用は疑念から生まれるものなんだよ」
空蜘「というわけでー、ユカ。お前がまず毒味してよ?」
ユカ「それは構いませんけど、私そんなお酒強くないですから一口だけですよ?」
空蜘「いいよいいよ。一口で。死なないか試すだけだから」
注がれた酒に、躊躇いなく口を付けるユカ。
当然、毒などは入ってはおらず。毒味とは別に、もっと飲めと勧めてくる空蜘をやんわりと断った。
まぁそれも仕方無いといえるだろう。ユカにとって、此処は敵地ど真ん中。
安心して酒を入れ、酔える環境では決して無い。
ユカ「すみません、お付き合い出来なくて」
空蜘「まぁいいや。お酒強い弱いとか、お前が嘘ついてるのかわかんないけど。間違って潰れでもしたら間違いなく誰かに殺されちゃうからねー」
空蜘「うんうん、しょーがないよ」
ユカ「……言いづらいことずばずば言ってくるんですね、ちーさんって」
空蜘「黙ってても容易に知れることだし、別にどうでもよくない?」
ユカ「ですね。そういうところ、好きですよ」
空蜘「まぁ……飲まないなら飲まないで全然いいけど、話相手にはなってくれるよね?」
ユカ「あ、はい。もちろん」
空蜘「じゃあさっそく…」
空蜘「私さ、お前にずっと訊きたいことあったんだよねぇ」
ユカ「なんでしょう?」
空蜘「あのさ…」
……そして、ユカに対するこの空蜘の問いに。
その場にいたヱ密、紅寸、牌流の目の色が変わる。
空蜘「……どうしてお前は、こんなに沢山の“種”を持ってるの? どうやって手に入れたの?」
……………………
……ある部屋の前。
そこに立つ一人の少女。入るのか入らないのか。
いや、用があるからここにいるのだろうが。
なんとなく、躊躇してしまい。立ち尽くすこと、既に一刻が経過しようとしていた。
……と、そこに。痺れを切らしたのか、部屋の内から声が飛んできた。
立飛「……いつまでそこにいるの?」
鈴「あ……えっと、その……ごめん」
立飛「そこにいられると落ち着かないから、入れば?」
鈴「う、うん……」
鈴が中へ入ると。
布団から上半身だけ起こした立飛が、やや不器用そうな笑みを向けていた。
術の影響か、それともあの後泣いていたのか。その瞳は、微かに赤く染まっているようにも窺えた。
鈴「寝てた? ごめんね、起こしちゃったかな…」
立飛「ううん、横になってただけ」
鈴「体調悪い…?」
立飛「なんともない。平気」
鈴「そっか……」
立飛「うん…」
しばらくの沈黙の後に、鈴は立飛のすぐ側まで近寄り。
そっと手のひらを立飛の頭に乗せ、言った。
鈴「…ごめんね、りっぴー。また怒らせちゃったね」
立飛「……」
鈴「りっぴーはあたしのために怒ってくれてるのに……あたし」
立飛「鈴……私の気持ち、聞いてくれる?」
鈴「…うん、聞くよ。なんでも話して」
立飛「……といっても、上手く話せないと思う。自分でもよくわからないから。だから、わからないことをわからないままに話す」
立飛「何か答えてほしいわけじゃない、同調してほしいわけでもない……ただ、言葉にして誰かに聞いてもらえれば、少しは楽になれそうな気がするから」
鈴「…うん」
立飛「私ね、おかしいんだよ。ユカを見てると苛々してどうしようもない……嫉妬、っていう感情が私はいまいち理解できてないけど、たぶんそれに当て嵌まるんだろうね」
立飛「私は鈴を失いたくないと思ってるから。ユカの言う通り、私は鈴のすべてを知らない。でもユカは私の知らない鈴を知ってる。……直接これが私の抱く嫉妬の原因なのかと考えたら、それは少し違うと思った」
立飛「まったく関係無いかといえばそうじゃないと思う……けど、私は別に鈴の全部を知りたいわけじゃない。それに、ユカがそれを知っていても構わない」
立飛「私だって、鈴に言ってないことなんか山ほどあるし、鈴が知らない私を蛇龍乃さんや鹿ちゃんは知ってる。これらを鈴に知ってもらいたいとはまったく思わない」
立飛「だからね、お互いの情報を共有することを私は望んではないんだよ。私は、鈴を自分のものにしたいわけじゃない……所有欲はたしかにあるのかもしれない、でもそこに皆が言うような恋愛感情?っていうのは無いと思う」
立飛「鈴が他の誰のものになったって別に構わない。それこそユカのものであっても。なのに私はどうしてこんなにユカを受け入れられないのか……それはユカが鈴を連れて行こうとしてるから」
立飛「私の傍から、この里から……そんな小さなことじゃない。ユカは鈴をこの世界から、別の世界に連れて行こうとしてる。だから嫌なんだよ」
立飛「私が抱く嫉妬の対象は、ユカじゃない……此処じゃない別の世界に対してだよ」
立飛「……でも、これはたぶん間違ってると思う。わからないくせにわかろうとした結果、無理矢理にこういう結論を押し込めただけなのかも」
立飛「部外者といえばそれまでだけど、ユカという個人の人間性について考えた場合……そんなに嫌いなタイプじゃないんだよね」
立飛「アイツと度々言い争いになることがあった。その瞬間はめちゃくちゃ腹立たしい……けど、後になって思い返してみると。そこまでじゃない、って思う」
立飛「だってアイツから出てくる言葉はどれも紛れもない正論だけだから。変に感情を混じらせた雑言じゃなく、歴とした意見として正しいことを言ってる…………なのに、それに対して感情的になって返せてないのは私の方だ」
立飛「…………」
……こうして淡々と口にしてみて初めてわかった。
ユカは種を多々扱えることで、討たれることはないと自信があるのだろう。
だから敵とも呼べる忍びたちに囲まれている状況下であっても、自分の意見を曲げず、恐れることなく反論してみせる。
冷静に考えれば、尋常じゃない肝の座りようだ。
だからこそ、なのか。
決して認めたくはないが、全部が全部というわけではなく。どこが?と訊かれれば言葉に詰まる。
落ち着いた口調で正論を述べるユカの姿は。
立飛が忍びを志した当初から憧れてやまない、蛇龍乃と重なるところがあった。
よって、気が合う……とまではいかなくとも。そこまで過度な言い争いに発展する要素は今の冷静な頭で考えれば、無いように思える。
まぁどれもこれも、己の未熟さ故の醜態なのだろう、と立飛は軽く溜め息を落とした。
……だが、そもそもユカが部外者ということには変わりはない。
誰よりも里を、皆を愛する立飛からすれば。
この不穏分子の存在を軽々しく認められるわけがないのだ。
…………此処は、大切な私の居場所だ。
考えることは数多くあるが、これだけは決して譲れない。
立飛「はぁぁ……わかんない、もう自分がわかんない……」
立飛「んぅ、まぁ……でもこうして吐き出せてちょっとはスッキリし…………鈴?」
鈴「……っ」
立飛「どうしたの? なんか顔、赤くない…?」
鈴「…っ、そ、そりゃあ赤くもなるよっ……なんでも話してって言ったけど、りっぴー、もう、なんつーか……っ」
立飛「……?」
鈴「せ、世界に嫉妬とか……なんか究極的な愛の告白みたいに聞こえて……ど、どんだけあたしのこと好きなんだって話よっ!」
鈴「いつも超厳しいくせに、いきなり、そんなっ……そ、それならそうと日頃からもっと愛情表現を」
立飛「……何言ってんの? 鈴」
鈴「こっちの台詞だからっ、それ」
立飛「家族のこと好きなのは当たり前でしょ?」
鈴「あ、うん、それは、そうだね……ん?」
立飛「めちゃめちゃ浮かれてるところ悪いんだけど、なにも別に鈴だけを特別視してるわけじゃなくて」
立飛「たまたま鈴が別世界の人間だったってだけだから」
鈴「あ、あー、そうなんだー……そ、そうだよねぇ……あははは……」
立飛「うん」
鈴「……っ、ゃ、やばい……なんかめちゃくちゃ恥ずかしいっ…! な、なにを調子に乗ってんだあたしは……っ、ぅぁあっ、1分前の自分を殺してやりたい……っ」
立飛「…………」
鈴「うぅっ……ぁぁぁぁ……っ」
立飛「…………そこのアホ」
鈴「うぅ……は、はいぃ……」
立飛「というわけだから、勝手に此処からいなくなったりしないでね……約束」
鈴「……うん」
立飛「よし。明日からの鍛練、どうする?」
鈴「…今まで通り、お願いします。もう鍛練の場には、ユカを連れてこないから」
立飛「……どうせ駄目って言っても付いてくるでしょ、アイツ」
鈴「そ、それはあたしがなんとか」
立飛「だから、別にいいよ……ホントは嫌だけど。駄目って言って付いてこられるより、それなら最初から許可してやった方がストレス少ないしね」
鈴「り、りっぴー…」
立飛「その代わり、口出しは許さないから。いい?」
鈴「うんっ、ありがと」
……と、ふと部屋の外に気配を感じる。
立飛「……っ」
鈴「…?」
二つ。一つは知っている気配、ともう一つはあまり馴染みの無い気配。おそらくユカのものだろう。
立飛「……入っていいよ」
そして中に入ってきたのは、気配通り二人。
ユカと、紅寸だった。
紅寸「あ、やっぱり鈴ちゃんもいたー」
ユカ「ていうかまだ声掛けてなかったのに、すごい……これが“気配を感じた”ってやつですか?」
鈴「まぁねー。なんたって忍びだから」
立飛「鈴は何も感じてなかったでしょ」
鈴「あはは…」
立飛「まったく……で、どうしたの? 紅寸」
紅寸「御飯の時間だよー!」
立飛「あ、そっかそっか」
ユカ「もしかして、大事なお話し中でした?」
鈴「ううん、もう終わったよ」
ユカ「そうでしたか、じゃあ御飯に行きましょ」
鈴「うん!」
立飛「……ユカ」
ユカ「はい…?」
立飛「……さっきは、ごめんね。私が悪かったよ」
ユカ「…………いえ、私の方こそすみませんでした」
立飛「…………これまでのことも改めて、悪かったね」
ユカ「…………いえ、お気になさらず」
立飛「……………………」
ユカ「……………………」
鈴「由佳? りっぴー? 早く行こ?」
紅寸「二人とも何してるのー?」
ユカ「はーい!」
立飛「ん、今行く」
そして、蛇龍乃以外の皆が集まった食卓。
昨夜のように、命を狙い狙われといったこともなく。
水面上は、とても穏やかな雰囲気のまま。
ユカが里に来てから二日目の夜が終わった。
…………だが、これの三日後(ユカ訪問から五日目)に。
ユカを含め現状九人が暮らす屋敷から、その内の“二人”の姿が消えることになるとは。
この時点では、誰も予想だにしていなかった。
────…………
翌日。誰が争うこともなく、平和な一日だった。
依然として蛇龍乃は部屋に籠ったまま。
鈴の鍛練に関しても、ユカは離れた場所からその様子を窺っていたが。立飛の言い付け通り、一切の口出しはしてこなかった。
昨日、一昨日のように言い争うことはなかった立飛とユカ。
存在を受け入れられたのかといえば、まったくもってそうではない。
最低限の会話のみ。
胸中は、消えてほしいという憎悪で満たされており。だが現状、どうしようもないこととも理解はしている。
……とのことから、なるべく不要な接触は避け、余計な苛立ちをどうにか抑えようと自分なりに善処していた立飛。
しかし、苛立ちの要因はなにも直接的なやり取りだけではない。
たとえば、鍛練中の口出し禁止の弊害か、鍛練を終えた直後。直ぐ様鈴の元へすり寄ってくるユカだったり。
たとえば、皆のユカへの対応の変化。初日と比べ、とても柔らかなものになっていた。
これは蛇龍乃が言ったように、ユカの機嫌をとっている“ふり”なのだろうが。
それでも、やはり良い気分にはならないのは事実。
……杞憂なのだろう。皆は、忍びなのだから。
ヱ密や鹿ならばそんなことはないだろうが、空蜘はまるで何を考えているのかわからない。ユカと交わす会話も次第に増えていた。
あまり考えたくはないが、紅寸や牌流に至っては本当にユカに懐柔されているかのようにも窺えた。
……まさか、そんなことがあるわけがない。
ここのところ不安定な心情が続いている自分の目が曇っているだけに違いない、と自身に暗示するように。
……だが、その夜のことだった。
一昨日と同じく、“クソガキをぶっ殺す会議”として集った鈴以外の忍びの衆。いや、蛇龍乃以外。
紅寸「別にいいんじゃない? そんな悪い子じゃないみたいだし」
立飛「は……? 何言ってんの、紅寸……本気で言ってるなら怒るよ?」
紅寸「まぁ立飛ならそう言うと思った」
立飛「それはそうでしょ。冗談でもそんなこと言わな」
紅寸「でもまるっきり冗談ってわけじゃないよ」
立飛「……は?」
紅寸「完全に信用してはないけど、これからのことを考えるなら仲良くしてもいいんじゃないのって話」
立飛「……これからのことって、なに? まさかアイツを此処に置くことを認めるって意味じゃないよね?」
牌流「私もそれは絶対に嫌だ」
立飛「牌ちゃん……うん、当然だよね。紅寸はアホだから簡単に籠絡されちゃってるみたいだけど、普通に考えてそんなの認められるわけが」
紅寸「それは立飛が認めたくないから認められないってだけでしょ」
立飛「…そうだよ。それの何が悪いの?」
紅寸「ただの意地じゃん」
立飛「私はこの里のことを想って言ってるの」
紅寸「里を想うのなら尚更。立飛は此処を壊したいの?」
立飛「…………まるで言ってる意味がわかんない。紅寸とじゃ話にならないね……空蜘は」
空蜘「んー、どっちでもいいんじゃない?」
立飛「ごめん、空蜘に訊いたのが間違いだったよ……ねぇ、鹿ちゃん。なんとか言ってよー」
鹿「……ついに意見が割れちゃったね。まぁ遅かれ早かれこうなる気はしてたけど」
鹿「ユカの存在を認める派と、認めない派……立飛は仲間を集めてどうするつもりなの?」
立飛「え? それはどうにかして、アイツを排除するに」
鹿「どうやって? 現状残された手立ては無いよ」
立飛「…で、でもっ、だからってこのままアイツの好きには」
ヱ密「立飛一人でも大変なのに、これ以上立飛に賛同する者が増えたら間違いなく里は崩壊するね」
牌流「……」
立飛「……なに、ヱ密と鹿ちゃんはアイツを認めるっていうの?」
ヱ密「そのどちらかで問われれば、認める……いや、認めざるを得ないってとこかな」
立飛「なっ……鹿ちゃん、も……?」
鹿「あー……うん……」
立飛「……っ、……ははっ、そっか……ふーん、最近仲良いもんねぇ、二人でこそこそして……」
立飛「ていうか、まだ私のこと怒ってたんだ? ヱ密……だから鹿ちゃんも、ヱ密に言いくるめられちゃって」
鹿「そういうわけじゃなくてさぁ、立飛」
ヱ密「立飛。私たちは忍びなんだよ」
立飛「…っ、それくらいわかってるよっ!! またガキの我が儘とか言いたいわけ…?」
ヱ密「それもあるけど。私たちは忍びだ……忍びであるならば、最善を求めるよりも最悪を回避するべきじゃない?」
立飛「…………最善……最悪」
ヱ密「今の状況においての最善、それは皆も重々わかってるように……術を取り戻した後にユカを排除すること」
ヱ密「……まぁもしかしたら立飛は、たとえ鹿ちゃんたちに術が戻らなくてもユカさえ排除できればそれでいいって思ってるのかもしれないけど」
立飛「……っ、ぁ……いや、それは」
……即座に否定できなかった。
術というのは、謂わば忍びにとっての命とも同義。
鹿、空蜘ならばともかく。術を失った蛇龍乃はこの先、一生忍びとして生きてはいけないだろう。
一瞬でも、それでも構わないと思ってしまっていたのか。
後ろめたさが喉奥を舐めた。
ヱ密「そして、最悪というのが……まぁ、私たち全員皆殺しにさせられてゲームオーバーってのが当然最悪っちゃ超最悪なんだけど。ユカはそういう考えは、多分持ってないでしょ」
空蜘「殺れるならいつでも殺れるしねぇ。それをしないっていう理由が見当たらない」
ヱ密「だから現状考えられる範囲での最悪とは……ユカがこの里から消えること。鈴ちゃんを連れ出そうと、ユカ単体だろうと」
ヱ密「ユカが私たちの前から姿を消したら……蛇龍乃さん、鹿ちゃん、空蜘の術はもう戻らないと考えるべき」
鹿「そう。てなわけで、現状だけを考慮するとユカを敵対するんじゃなくて。とりあえず共存の方向で動くべきだと私とヱ密は考えた」
紅寸「うんうん、くすんもそれが言いたかったのだ」
立飛「……共存、って…………はははっ、馬鹿馬鹿しいっ! なにそれ、鹿ちゃんもヱ密も頭どうかしちゃってんじゃないの!?」
ヱ密「……今、笑った? そんな笑われるようなこと、私言ったかな…?」
立飛「言ったよ。あんな部外者と共存とか、耳を疑った。寒気がする」
ヱ密「……てことは、私が提示した“最悪”は立飛にとって、最善……とまではいかなくても、それなりに妥協できちゃうってわけだ」
ヱ密「見損なったよ、立飛。私たちは頭領の下に在る忍び……何より優先すべきは蛇龍乃さんでしょ? それを軽んじる考えは」
立飛「見損なったのはこっちだ……っ、なにをさっきから偉そうにっ! 蛇龍乃さんが出てこなくなったからっていきなり主導者気取り!?」
立飛「私は蛇龍乃さんの下で忍びをしてるけど、お前の下に付いた覚えはないっ…!!」
ヱ密「蛇龍乃さんが引き籠ってる以上、誰かが指揮をとらなきゃいけないのはわかるよね?」
立飛「だからってなんでお前がそれをするの!?」
ヱ密「なら自分がやる? 立飛の考えに乗って、ユカと敵対して歪み合って隙あらば殺そうと……それって、下手すりゃ全滅するよ? そもそも私は今の立飛に従うつもりは無いけど」
立飛「…っ、うるさいっ! お前のやり方だってなんの意味も無いだろっ! 問題を先伸ばしにしてるただの停滞に過ぎないじゃんっ!」
ヱ密「でも誰も死なない。可能性は生きたまま。リスクだけを背負ってる立飛なんかよりずっとまともだと心得てるけど?」
立飛「…私はっ、そんなものに従うつもりはない……っ、アイツが近くにいる環境が、この先も続いていくなんか、絶対に嫌だっ!」
ヱ密「嫌なら嫌でそれなら代替案を出してよ。さっきから立飛は感情そのままで吠えてるだけじゃん……あんま聞き分け無いなら、また殴るよ?」
立飛「またそれ……そんな野蛮な手段に出ないと納得させられないとか、蛇龍乃さんとは大違いだね」
ヱ密「悪いのは殴られなきゃわからないのはあんたでしょ? 立飛」
立飛「殴られても聞き入れるつもりはないけどね」
ヱ密「……そう」
鹿「ヱ密っ、やめてやめて! ここで立飛を殴っても何も解決しないでしょ!」
ヱ密「…だね。そんな心配しなくても、本気で殴るつもりなんかなかったから」
紅寸「そうそうっ、ほら! もうケンカはやめよ? 立飛も、ね?」
立飛「……っ」
紅寸「立飛…」
空蜘「あははっ、ますますガキに磨きがかかってるねぇ。ウザいを通り越して可愛く思えてきたよー」
牌流「ちょっ、空蜘!?」
……空蜘なりの励ましなのだろうか、明らかにキレている立飛の頭に手を置き。
あろうことか、髪をぐちゃぐちゃに撫で回した。
空蜘「わしゃわしゃわしゃーっ、あははははっ!」
立飛「や、やめっ……触るなっ! マジで殺すよっ、空蜘っ!」
空蜘「うっせー、ガキんちょ! ま、それにしてもムカつくよねぇ、ヱ密って。すーぐ暴力で平伏させようとするし」
空蜘「そこでっ! ……ねぇ、嫌われ者の立飛ちゃんやい。この私がお前の味方になってあげようか?」
ヱ密「空蜘っ!!」
空蜘「このお強い私がいれば心強いと思わない? 一緒にあのガキをぶち殺す策でも練ろうじゃないかぁ♪ 大っ嫌いな奴に媚びるなんて嫌でしょー? 蛇龍乃の術が戻らなくてもさぁ、この際どうでもよくない?」
立飛「……」
空蜘「お前はこの里が大好きなだけなのに、それを守りたいだけなのに……誰にもわかってもらえず、厄介者扱いまでされてさぁ。あー、可哀想ー」
ヱ密「いい加減にしてっ、空蜘! 立飛もこの変な奴の言うことなんか聞かなくていいからっ!」
空蜘「うん? 変な奴って誰のことだろ?」
……ますます何を考えているのかわからない空蜘に、不気味な脅威を感じるヱ密。
空蜘「もしヱ密が気にくわないならぁ……私が殺してあげよっかぁ?」
立飛「…………余計なお世話。空蜘と結託なんか、悪い予感しかしないから」
空蜘「あらら、そっかそっかぁ……ざんねーん」
ヱ密「…………」
鹿「……と、まぁ、そういうわけだからさ、立飛」
立飛「……」
鹿「私だって此処が好きだよ。たとえ鈴の友人だろうと、そこに突然部外者が入ってきてなんとも思わない筈ないじゃん……私も、早く元の里の状態を取り戻したい」
鹿「辛いのは皆だって同じだ……立飛だけじゃない。立飛が言ったように、今私たちは停滞を辿るしかないのかもしれない。でも、何も意味が無いとか言わないでくれ」
鹿「私はじゃりゅのんに術を取り戻させてあげたい……また以前みたいに、偉そうにふんぞり返ってほしい。その為なら、どんなに僅かな可能性だとしても……私はそれを諦めたくない」
立飛「鹿ちゃん……」
ヱ密「……立飛。嫌なら私の言うことは聞かなくていいよ。でも、鹿ちゃんの言うことなら少しは考えてくれてもいいんじゃない?」
鹿「立飛だって、あの誰よりも強くて偉そうなじゃりゅのんが好きでしょ? それに憧れてこれまで忍びやってきたんでしょ?」
立飛「……うん」
鹿「私やヱ密もこのままで仕方無いとは思っていても、決してこのままで良いなんて思ってない。だから……絶対になんとかするから、もう少しだけ辛抱してくれない?」
立飛「……わかった」
……蛇龍乃の姿を思い出せば、少し心が楽になった。
蛇龍乃は、立飛の憧れ。
自分を救ってくれた強さ、育ててくれた優しさ、手のひらの温かさ。
蛇龍乃のすべてに惹かれて、立飛は忍びとして在る。
だから、蛇龍乃の術を取り戻す為に、自分は自分の出来ることをやろう、とそう思えた。
立飛「……うん」
鹿「よしよし、偉いぞ。立飛」
なでなで、と立飛の頭を撫でる鹿。
立飛「ん、もぅ……ガキ扱いはこの際仕方無いとして、子供扱いはやめてよね」
鹿「えー、じゃりゅのんにされる時はめちゃめちゃ幸せそうな表情するくせに…」
立飛「うん。だって鹿ちゃんと蛇龍乃さんは違うでしょ?」
鹿「うぐっ……さりげなく酷い……っ…………あ、そういえば」
鹿「ヱ密、たしかここに来る前に……なんか言い掛けてなかった?」
ヱ密「あー、うん。でもそんな大したことじゃないよ。空蜘がユカに訊ねてくれたんだけど……なんでそんなに沢山の種が揃ってるのかーってこと」
鹿「えっ、めちゃめちゃ大したことじゃん、それっ!」
立飛「…うん」
立飛「ユカは、それに答えたの……?」
ヱ密「う、うん、まぁ……」
牌流「答えたには、答えたんだけど……」
紅寸「なんていうか、その…」
空蜘「聞いてもあんま意味無いと思うよ?」
立飛「……?」
鹿「意味無いことないでしょ。教えてよ」
ヱ密「一応、そうだね……じゃあ牌ちゃんお願い」
牌流「えっ、私っ!? 無理無理無理っ、自信無いっ! 空蜘が一番近くて聞いてたんだから、空蜘!」
空蜘「忘れた」
鹿「…はぁ? ちょっと、大事なことなんだからもっと真面目に」
立飛「なんなの、ふざけてんの…?」
ヱ密「いや、ふざけてるわけじゃなくて……ホントに私も自信無くて。紅寸、覚えてる?」
紅寸「まぁなんとなく? それっぽいことは言えそう、かな?」
牌流「さすが紅寸、頼んだ!」
空蜘「もうなんでもいいよ。どうせ時間の無駄だし…」
鹿、立飛「「……?」」
紅寸「こほんっ、では……どうしてこんな沢山の種を持ってるの?って空蜘が訊ねた時のユカちゃん」
紅寸「えぇとぉ、それはですねぇー、ミモリさんのすまーとふぉん?のあかうんとにいんすぉーるされてるおぶじぇくしょんをかすたまーしてさーばぁがどろっぷするとすとーりーんぐされたそふとうぇやをおーくそんのやーかいぶをみくすちゃぁしたてきすちゃーがうみちゃーがりんちゃーでえんかうんとしたあるてまうぇぽんがさらまんどらをなんとかかんとかをあーだこーだ……ってもう無理っ!!」
鹿、立飛「「…………は?」」
紅寸「はぁっ、はぁっ……疲れたっ……自分で何を喋ってたのかわからないっ……」
牌流「よし、紅寸は頑張った!」
ヱ密「ユカちゃんが喋ってたのとだいぶ違う気がするけど……まぁ大体こんな感じだったね」
空蜘「ていうかなんの呪文だよ、これっ」
立飛「……あんまふざけ過ぎてるとマジでキレるよ? 紅寸」
鹿「紅寸、何言ってんの…? ちゃんとした言葉で説明してくれないと伝わらない」
紅寸「こっちにだって伝わってないよっ! そして立飛がマジで怖いっ…」
ヱ密「どうやら鈴ちゃんの世界で使われてる言葉らしく、私たちにはさっぱり。あ、二人はわかったりする?」
鹿「わかるわけないよねっ!?」
立飛「何語なの、それ……」
牌流「簡単にいえば、鈴ちゃんのスマホにあった種はユカちゃんのスマホにもそっくり同じものが反映されるんだってー」
立飛「なんで?」
牌流「その仕組みの説明っていうのが、さっき紅寸がごちゃごちゃ長ったらしく唱えてたあるてまうぇぽんとかいうやつらしいの」
空蜘「あるてまうぇぽん? そんなこと言ってたっけ?」
ヱ密「うーん、言ってなかったような…」
紅寸「言ってたよ!」
牌流「どっちでもよくない?」
鹿、立飛「「……………………」」
空蜘「ね? 時間の無駄だったでしょ?」
……空蜘の問いに答えてみせたユカだったが。
その言葉の殆んどは、この世界の人間が初めて聞くような単語の羅列で。
とてもじゃないが理解可能なものではないことから、当然その真偽は謎であった。
鹿「要するに、すっげぇ機械ってこと?」
紅寸「そんな感じでいいよ、もう……あぅ、頭痛くなってきたぁ」
立飛「…でもそれだと探偵のトイズまで種として持ってる説明になってなくない?」
牌流「あー、言われてみれば……」
空蜘「鈴が誘拐された時にあの探偵共が城で撮ったんじゃないのー? なんちゃら計画っていうの、あれっていっぱい種が必要だったんでしょ?」
立飛「あ、そっか」
ヱ密「種を保存する写真だけなら、鈴ちゃんじゃなくても使えるとか言ってたしね」
牌流「んじゃ、ユカちゃんが持ってる種は私ら全員の種と探偵全員の種ってわけねぇ……」
鹿「なにその最強装備…」
ヱ密「こっちに危害を加えてこないなら、そんな身構えることでもないでしょ」
空蜘「危害を加えてこないなら、 ねぇ……ふふふっ」
ヱ密「空蜘…?」
空蜘「ん、べーつにー? 笑ってみただけ」
ヱ密「なら勝手に笑わないで」
空蜘「牌ちゃん、今の聞いたぁ? 私は笑うことも許されないんだってぇ、それはさすがにあんまりだよねぇ?」
牌流「だ、だねぇ……」
鹿「……まぁ、とりあえず。立飛、もうキレちゃ駄目だよ? ユカにも私たちにも」
立飛「わかってるよ……蛇龍乃さんの為だもんね。我慢する」
────…………
……そして翌日。
この日も鍛練に励んでいる鈴。そして、側にいるのはその師匠である立飛。
立飛「…………」
やはり昨夜のことを引き摺っているのか、やや表情に翳りを見せていた。
またヱ密と喧嘩をしてしまった。自分が悪いのか。おそらくそうだろう。
ここのところ感情論ばかり放っている自分と比べて、ヱ密や鹿は冷静である。冷静に現状を理解し、向き合っている。
……忍びたる者、常に冷静を心掛けておかねばならない。
この里の為、蛇龍乃の為。苛立ちを抑え振る舞わねば、と理解はしている立飛だったが。
鈴「…りっぴー? なんか今日は元気ないね。どうしたの?」
立飛「……」
鈴「りっぴー? もし調子悪いようなら、今日は」
立飛「…うるさい。私のこと心配する暇があったら、ちゃんと鍛練に集中して」
立飛「なんでいつまで経ってもこれくらいのことが出来るようにならないの? そうやって余計なことばっか考えてるから上達しないんだよ」
鈴「ご、ごめん。そうだよ、ね……うん、もっと頑張らないと」
立飛「ぇ……あ…………」
……鈴に当たるとか最低だ。何をやってるんだろう、私は。
鈴がいつも一生懸命なことは、私が一番よく知っているのに。
自分とユカが仲違いした状態で、辛い思いをしているは鈴も同じなのに。
いや、それ以上なのかもしれない。自分のせいで、という責任も感じているのかもしれない。
それなのに、こんな自分勝手な私は。
……本気で嫌われてもおかしくないのに。
だから、今は鈴の優しさが痛かった。
向けられるその瞳を見ていられなくなり、鈴から目を逸らす立飛。
立飛「……っ」
ユカ「…………」
その先にあったのは、ユカの姿だった。
いつもの通り、離れた場所から鍛練を見ており。今のように立飛が鈴に強く当たったとしても、口出しはしてこない。
言い付けを守っているのだろう。立飛が言ったことだ。それに従っているユカ。
だがそのことが、逆に立飛の苛々を助長させた。
ユカの視線は鈴にではなく、立飛に向かって真っ直ぐ伸びていた。
……無言の訴え、なのだろうか。
立飛「……っ、…………言いたいことがあるなら言えよ」
鈴「え?」
立飛「なんでもない。それより、続き」
鈴「あ、うん」
立飛「……ほらほら。そんなんじゃ百年鍛練したって、ヱ密には到底追い付けないよー?」
鈴「へ…?」
立飛「鈴の目標でしょ? ずっと前に言ってた」
鈴「よく覚えてるね、そんなこと」
立飛「今も、それは変わってない…?」
鈴「……うん。えみつんくらい強い忍びに、あたしもなりたい」
立飛「ふーん……じゃあヱ密に鍛練してもらえばー? 師匠の私を蔑ろにして他の忍びみたいになりたいとか、失礼にも程があるよねー」
鈴「そ、それは、ごめん……別にそんなつもりじゃなくて……って、なんでいきなり拗ねてるの? りっぴーの方から言ってきたのに」
立飛「……あははっ、冗談冗談。からかってみただけ。……うん、早く強くなれるといいね」
……いっそのこと、嫌われてしまえば楽になるのかな。
鈴を大切に思えば。鈴のことを考えれば。
自ずとユカの存在が絡んできて、冷静でいられなくなる。
そのせいで皆にも迷惑を掛けてしまう始末。
だったら、鈴がいなくなれば…………私は。
いや、何を考えているのか。そんなんじゃ本末転倒ではないか。
……自分は何を求めているのか、何を失いたくないのか、本当に大切にすべきものは何なのか。
……そんなことすらも、見失ってしまいそうだ。
……………………
立飛「はぁ…………眠れない…………」
鈴のこと、ユカのこと、そして皆のこと。
考えることが多すぎる。頭がパンクしてしまいそうだ。
……まぁ、いくら考えたところで何も好転するわけではないのだが。
だったら、ヱ密の言う通り。せめて状況を悪化させないことに努めるのが唯一の策というわけか。
……そう、此処で忍びをしているからには蛇龍乃を第一に考えるべきだ。
今までだって蛇龍乃を信じて、忍びとして歩んできた。
それはこれからも変わらない。今、蛇龍乃は少し休んでるだけなんだ、と立飛は己に言い聞かせた。
立飛「…………蛇龍乃さん、どうしてるかな。明日、様子見に行ってみようかな……うん、そうしよう」
…………だが、寝付けない。
溜め息だけが、静かな夜にこだまする。
立飛「……喉乾いた。水でも飲もう」
そして、部屋を出た立飛。
皆が寝静まった深夜、音を立てぬようにと廊下を歩く。
と、その途中。
広間から灯りが漏れているのに気付いた。
立飛「……?」
こんな時間に誰が?と、戸の隙間から中を覗くと。
そこにいたのは。
……蛇龍乃だった。
微かに話し声が聴こえる。他に誰かいるのか。
角度を変え、蛇龍乃の対面を覗けば。そこには、なんとユカの姿があった。
どうやら鈴はいない様子。どうして、蛇龍乃とユカが二人で一緒にいるのだろう。
と、疑問を抱いた次の瞬間、立飛は目を疑った。
……信じられない光景が、その目に飛び込んできた。
ユカ「……ごめんなさい、それは無理なんです。わかってください、じゃりゅさん」
蛇龍乃「…………ユカ」
……両手、そして両膝を床に付け、頭を下ろす蛇龍乃。
蛇龍乃「頼む…………お願い、します…………っ、私の術を返してください……」
ユカ「…………」
蛇龍乃「お前の望みはなんでも聞く……鈴を連れて行っていいから…………なんなら、私が鈴を追い出してやってもいい……だから、お願いします……っ」
ユカ「……ですから、いくらそんな風に頼まれても無理です」
立飛「……………………」
…………夢であってほしいと思った。
こんなの嘘だ、と何度も言い聞かせた。
だが、素足に伝う床の冷たさも。吐息が掠れる喉の乾きも。背負う闇に溶けゆく熱情も。
すべてが、現実だと教えてきた。
自分が最も憧れ、誰よりも尊敬していた者が。
あろうことか最も憎々しい者に、頭を下げているその弱々しい姿。
それを目にし、自分の内側で何かが崩れ去る感覚に陥った立飛は。
静かにその場を後にした。
────…………
翌朝。
鈴「あ、おはよう。りっぴー……ってなんか顔色悪くない? 大丈夫…?」
立飛「別になんとも……なんともないよ」
鈴「なら、いいけど…」
ユカ「おはようございます」
立飛「……おはよう、ユカ」
鈴「……?」
立飛「ん、なに?」
鈴「ううん、りっぴーが由佳に笑い掛けてあげてるの初めて見た気がして」
立飛「…私、今笑ってたの?」
鈴「え……」
紅寸「立飛、ホントに大丈夫? さっき鈴ちゃんも言ってたけど、体調悪いなら」
立飛「だから平気だって。寝てないだけだし」
紅寸「へ? 寝てないって……何してたの?」
ユカ「……」
立飛「……別に」
紅寸「別に、って…」
立飛「鈴がいつまで経っても弱いままだからさぁ、どうやったら強くなるんだろーって考えてたら朝になってた」
鈴「えぇっ、あたしのせい…? ごめんなさい…」
立飛「あはは、というわけで今日も鍛練頑張ろ? ほら、早く御飯食べてよ。食べたらすぐ行くから」
牌流「…え、立飛は?」
立飛「あー、私いいや。食欲無いし」
紅寸「寝ないし食べないし、ってそれ身体に悪いよー? 倒れちゃうよー?」
立飛「うるさいなぁ、紅寸は」
紅寸「まだ怒ってるのー?」
立飛「へ? あー、いやもう全然。いちいち怒るのも馬鹿らしいしね」
紅寸「おー、立飛が大人になってる」
立飛「あはは」
立飛「……………………てか、もうどうでもいいし」
紅寸「うん? 何か言った?」
立飛「ううん、なにも」
牌流「…………」
紅寸「そっかそっか。あ、牌ちゃーん」
牌流「んー?」
紅寸「御飯おかわり」
牌流「自分でやって」
紅寸「いきなり冷たっ!」
牌流「朝は何かと忙しいのっ、ずずずぅーっ……」
紅寸「ただ座ってお茶飲んでるようにしか見えないんだけど」
牌流「……なに? 文句ある?」
紅寸「無いです。自分でやります。あ、食べないなら立飛の分のおかずも貰ってもいい?」
立飛「いいよ」
紅寸「わーい! やったー!」
立飛「…………」
牌流「……立飛」
立飛「ん?」
牌流「ちょっとこっち来て」
立飛「え? なに?」
牌流「いいから」
鈴「ふぅっ……ごちそうさま」
ユカ「ミモリさん、お茶どーぞ」
鈴「ん、あんがと」
ユカ「……あの二人」
鈴「うん? りっぴーとぱいちゃん?」
ユカ「はい。何か特別な関係とかなんですか?」
鈴「へ? いや、そういうんじゃないと思うけど……どしたの? いきなり」
ユカ「いえ……ぱいさんたち二人で同じ髪飾り付けてるから、なんとなく気になっただけです」
鈴「んー、仲良しだからじゃない?」
紅寸「あれ? 二人とも、どしたの?」
牌流「待て、紅寸」
紅寸「へ?」
立飛「牌ちゃん…?」
牌流「御飯。紅寸に全部食べられる前に」
立飛「え、だからいらないって…」
牌流「せっかく作ってあげたのに、無愛想にいらないって。私に失礼とか思わないわけ?」
立飛「そ、それは…………ごめん」
牌流「今更謝らなくていいから。食欲無いなら仕方無いけど…………せめて一口だけ」
牌流「はい、あーんして?」
立飛「…………うん、あーん……はむっ……」
牌流「よし、許す」
立飛「……ありがと、牌ちゃん」
紅寸「ほー……牌ちゃん、くすんにも! ほらっ、かっぽり大きく開いてるよ?」
牌流「自分でやれば?」
紅寸「もー! 牌ちゃんはいつもそう言ってー……いいもん、立飛にやってもらうから。…って、いないっ!?」
立飛「…行くよ、鈴」
鈴「はーい!」
ユカ「さて、私もミモリさんと一緒に」
牌流「ねぇ、ユカちゃん……ちょっといいかな?」
ユカ「はい?」
鈴「…ぱいちゃん?」
牌流「あ、鈴ちゃんは別に……食後に果物でもどうかな?ってお誘いだけだから」
鈴「えー、あたしも食べたい」
立飛「鈴、早くして」
牌流「ほら、鬼教官が怒ってるよ? 心配しなくても鈴ちゃんの分はちゃんと残しといてあげるから」
鈴「ん、わかった」
そうして鈴と立飛は鍛練のため、屋敷の外へ。
そして場に残されたユカ。その対面に座る牌流、と紅寸。
ユカ「……」
牌流「……」
紅寸「……? 牌ちゃん、果物は?」
牌流「裏の山にでもあるんじゃない? 収穫してきたら?」
紅寸「へ?」
ユカ「……何か私に話でも? ぱいさん」
牌流「察しが良いね。案外賢いよね、ユカちゃんって」
ユカ「それはどうもです」
牌流「此処での生活だってそう……いくら鈴ちゃんが傍にいるからって、他に殺し屋が七人もいる環境でよく普通でいられるよね」
ユカ「えっと……それ、褒めてくれてるんですか?」
牌流「“種”を持ってる絶対的な自信からなんだろうけど、怯えることなく……頑張って溶け込もうと、気さくに皆と接してる“ように”見えるから」
牌流「ユカちゃんのあらゆる技量を判断して、賢い子だなぁって印象」
ユカ「……どうも、です」
紅寸「うんうん、まだ若いのに。なかなかいないよねー」
牌流「でも、それだけ賢いんだったら、立ち回りとか……もっと言うなら。口にして良いこと、口にしちゃマズイことの区別くらい自分でもついてると思うんだよね」
ユカ「なんのことですか?」
牌流「ふふっ、ホントはわかってるくせに。ならハッキリ言ってあげる」
牌流「ユカちゃんさぁ、わざと立飛を怒らせてない?」
ユカ「ご、誤解ですよっ……なんで私がそんなこと」
紅寸「そ、そうだよ、牌ちゃん。いくらなんでもユカちゃんに失礼だよっ」
牌流「紅寸は黙ってて」
牌流「さっきの立飛、明らかに様子がおかしかった。これについて何か心当たりは?」
ユカ「ありません」
牌流「本当に?」
ユカ「本当ですぅ」
牌流「……まぁ、あったとしても言うわけないか」
ユカ「……」
紅寸「牌ちゃん、ユカちゃんにわざわざ立飛を怒らせる理由なんかないでしょ? そんなの居心地が悪くなるだけじゃん」
牌流「誰の?」
紅寸「え? いや、だからユカちゃんの」
牌流「だけじゃないでしょ。居心地が悪いと感じてるのは立飛だって、鈴ちゃんだって……更に言えば、私たち皆だって同じでしょ?」
紅寸「だとしても、その理由は」
牌流「そんなの簡単なこと。ユカちゃんは此処を良く思ってないんだよ。だってそうでしょ? ユカちゃんは鈴ちゃんを迎えに来た……でも鈴ちゃんは此処から出たくないって言ってる」
牌流「やけに大人しく引き下がったと思ってたんだよねぇ……まぁ鈴ちゃんの手前、私たちを皆殺しにするわけにはいかないんだろうけど」
牌流「そこでユカちゃんはこう考えたの……だったら鈴ちゃんが此処の皆を嫌いになるか、逆に此処の皆が鈴ちゃんを嫌いになればいい、って」
ユカ「ち、違います。そんなこと考えてません」
紅寸「え、えっと、牌ちゃん…」
牌流「その為には火種が必要……そこで運悪く火種として選ばれてしまったのが立飛だった。おそらく最初の印象からして、一番けしかけやすいと思ったんでしょ」
ユカ「ですから、私はそんな」
紅寸「ね、ねぇっ……牌ちゃ」
牌流「立飛は鈴ちゃんをすごい気に入ってたからねぇ。だから案の定、ユカちゃんの罠に嵌まってしまった」
牌流「楽しかった? 立飛の気持ちを弄ぶのは」
ユカ「……っ、そんなの完全にぱいさんの憶測じゃないですかっ! 私だってそろそろ怒りますよ……?」
牌流「ほーら、図星じゃんっ! その反論こそが何よりの証拠だっ! やっと本性を表したね……さぁ全部白状してもら」
紅寸「牌ちゃんっ!!」
牌流「あーもーっ! うるさいなっ、紅寸はー! 今良いところなんだから邪魔しないでよっ」
紅寸「いや……ご機嫌そうに探偵の真似事してるところ悪いんだけどさ。ていうか、反論こそが何よりの証拠だっ! …て、何言ってんですか、あんた……」
紅寸「…あ、そんなことよりっ!」
牌流「なーにー?」
紅寸「あっちでヱ密がめちゃくちゃ恐ろしい笑みを浮かべて牌ちゃんのこと手招きしてるよ……」
牌流「ぅげっ……」
ヱ密「…………」
……そして、ヱ密により連行される牌流だった。
ユカ「…………」
紅寸「ユカちゃん、その……うちのアホがごめんね……?」
ユカ「いえ、気にしてないです! …………って言いたいですけど、正直ショックでした」
紅寸「だ、だよねぇ…」
ユカ「……でも、くーさんが庇ってくれたこと。嬉しかったですよ」
紅寸「ユカちゃん……あの子、牌ちゃんもたしかにアホだけどさ、そんなに悪い子じゃないんだよ。つい暴走して空回りしちゃうっていうか……信じてもらえないかもしれないけど」
ユカ「くーさんが言うなら信じますよ。それに、今のぱいさんやこの前のちーさんだったり……まだ皆さんと知り合って間もない私への対応としてはそれが当然なのかもしれませんね」
紅寸「ユカちゃん……」
……………………
ヱ密「牌ちゃぁん……?」
牌流「ど、どうしたの……ヱ密、そんな怖い顔しちゃって……あはははは……」
ヱ密「……この前の会議で言っておいたよねぇ? 私と立飛があんなにも激しくバトッてたのも当然、見てたよね? もしかして、寝てたとか?」
牌流「お、起きてた! ちゃんと起きてたからっ!」
ヱ密「なら尚更問題なんだけど……じゃあなに、その頭の中は空っぽなの? はぁ……立飛に続いて牌ちゃんまでとか…」
牌流「わ、わかってるけどー! でもっ……これじゃあまりにも立飛が可哀想じゃん!」
牌流「立飛の様子が日増しにおかしくなってるの、ヱ密だってわかってるでしょ!? それなのに、あんな追い打ちかけるようなこと……このままじゃ、立飛が破滅しちゃいそうで」
ヱ密「…立飛が破滅する前にこの里が破滅したら、それこそ大問題でしょ」
牌流「それは、そうだけど……何もしなくても、里が崩壊しちゃいそうで」
ヱ密「それは、立飛のせいで?」
牌流「ユカのせい」
ヱ密「同じこと」
牌流「そうかも、しれないけど……だから私だけでも立飛の味方になってあげようと思って」
ヱ密「だったらもっと別のやり方あるでしょ……ユカ本人にあんなこと言ったってどうにもならない」
ヱ密「ただの喧嘩じゃないんだよ。不快にさせられたからって、だから相手にも不快な思いをさせる? そんなんじゃなんの解決にもならない。ずっと私が言ってることだよ?」
牌流「……」
ヱ密「今は互いの信用を重ねていくしか手段が無い。もしこれ以外に解決策があるなら、聞くけど?」
牌流「互いの、信用……」
ヱ密「どんだけ時間を費やせば、なんて野暮なこと訊かないでよね?そんなのこっちが知りたいくらい。だから、お願いだから余計なことだけはしないでほしい」
牌流「……ヱ密は、私と立飛が邪魔だと思ってるの?」
ヱ密「そう思いたくないから、何度も何度も口を酸っぱくして言ってる」
牌流「…………」
……………………
ズドッ──!!
鈴「うぁっ…! くっ、ぁ……げほっ、げほっ……り、りっぴー……?」
……強烈な殴撃をくらい、地に転がる鈴。
立飛「何してんの? ほら、さっさと立って。手合わせの途中なんだから。……倒れたまま、殴られたいの?」
鈴「ご、ごめん……でも、あたしが、りっぴーに勝てるわけ」
立飛「鍛練なんだから、なにも私に勝てなんか言ってないよ。これは、そうだね……荒療治ってとこかな」
立飛「いつまで経っても弱いままの鈴を、私が強くしてあげるっつってんの。今までは危機感が足りなかったのかなぁ……しばらく任務から遠ざかって、平和が続いてたからねぇ」
立飛「だから、私が今一度叩き込んであげるよ……死の恐怖をっ!」
ズガッ──!
鈴「ぅぐっ! がはっ……うぅっ……ぐっ……」
……起き上がった鈴に、直ぐ様蹴りを叩き込む。
立飛「ねぇ……避けるか受け止めるくらい出来ないわけ?」
鈴「はぁっ、はぁっ……ごめ、ん……ごめん、りっぴー……っ」
立飛「ごめんごめん、ってそうやって謝ってればやめてもらえると思ってんの? 私だって反省してるんだよ、鈴」
立飛「最近、鈴に対して甘過ぎたなぁーって。鈴が強くなれないのも、師匠である私のせい。……師匠が弱いんじゃ、弟子だって強くなれるわけないもんねぇ」
鈴「……っ、げほっ、げほっ……はぁっ、はぁ……」
立飛「ほら、さっさと立てよっ!」
……ズドッ、と。倒れたままの鈴の腹を蹴り飛ばす立飛。
立飛「あんたがそんな弱いんじゃ、私だって弱いみたいじゃんっ…!」
立飛「私は、強くなったんだよ……っ、忍びになって、弱い自分を殺してっ、強くなれたんだよっ……!」
立飛「だから、ほら……鈴も強くなって、私に教えてよっ……! 私がこれまで忍びとして、信じて、生きてきた時間は無駄じゃなかったって……っ、証明してよっ!」
……何度も、何度も。
最早、起き上がる気力も無い鈴に。
容赦なく、攻撃を浴びせ続ける立飛。
鈴「げほっ、げほっ……はぁっ、はぁっ……はぁっ……ぅうっ、ぁ……っ」
立飛「なんだよ……っ、ふざけんなよっ、私は、これまで……何の為にっ……!」
……もう、自分が何をしたいのかもわからない。
ユカがこっちを見ている。わざわざ確認しなくてもわかる。
きっと、軽蔑の眼差しを向けているのだろう。
お前の大好きな鈴をこれほどまでに痛め付けている私が憎いだろ、私を殺したいだろ。
……だったら、殺せばいい。お前なら、簡単に私なんか殺せるだろ。
ユカ「…………」
立飛「……っ、くそっ、こんな時だけ…………苛つくんだよ……っ」
……これまで散々、私を苛つかせておいて。
私の言い付けを、 いや正確には鈴から告げられたことか。
律儀に守って、手出しどころか口出し一つしてこない。
その姿勢が、尚更気にくわない。
鈴「うぅっ……はぁっ、はぁっ……り、りっぴ……っ、やめ」
立飛「やめない。まだ鍛練の途中だよ? 鈴。わざわざ付き合ってやってんだからさぁ……少しはやる気を見せてよ、ねぇっ!」
そして、鈴の頭を蹴り飛ばそうと振り抜かれた立飛の脚。
……が、それを受け止める鈴ではない他の誰か。ユカ、ではなく。
立飛「……邪魔しないでよ。鍛練中なんだけど」
鹿「……鍛練? これが?」
立飛「私の指導方針に文句あるの?」
鹿「あるよ。こんなの鍛練とはとても呼べない、単なる憂さ晴らしじゃないの?」
立飛「違う。鈴の師匠は私。師匠は弟子を強くする義務がある。関係無い鹿ちゃんは引っ込んでて」
鹿「それは出来ない。これ以上は、鈴が壊れる」
立飛「チッ……煩いなぁ……これくらいなんてことないよ。そうでしょ? 鈴」
鈴「……っ、はぁっ……はぁ…………」
立飛「……ていうかさぁ、自分のこと棚に上げて……鹿ちゃんだって、昔同じことを私にしてたじゃん」
立飛「私がどんなにやめてって叫んでもやめてくれなくて……あー、地獄だったなぁ、あの時は。……そんなあんたが、どの口で私に説教してんの?」
鹿「……っ、それとこれとは状況が違うでしょ」
立飛「一緒だよ。強くなるため必要なこと。……ほら、さっさと立って続きやるよ、鈴」
立飛「たっぷり休憩したでしょー? いつまでもそんなやる気見せないんじゃ……殺すよ?」
鹿「り、立飛っ!!」
……と、鹿が制するよりも前に。
鈴の元へと歩み寄ろうした立飛の体が、突然真横に弾き飛ばされた。
立飛「なっ…!? ぐぅっ……くっ、こ、このっ……」
他人の身体を触れずして、制御する。凉狐のトイズ。
……そう、ユカが扱う種によるものだった。
ユカ「……いくらなんでも、これはやり過ぎなんじゃないですか?」
立飛「うる、さいっ……忍びでもない部外者は黙ってろ……っ」
起き上がり、再び鈴へと寄る立飛を。
立飛「くっ、うぁっ…! ぐぅっ……ユ、ユカぁ……ッ!!」
……トイズを操り、地へと叩き付ける。
鈴「ゆ、由佳っ、あんまり乱暴は…」
ユカ「乱暴されたのはミモリさんの方でしょ。それなのに…」
鈴「そうかも、しれないけど……あたしが弱いせいで、りっぴーが辛い思いしてるなら、あたしは」
ユカ「……優しすぎるのも、時には人を苦しめたりするんですよ」
鈴「でも、あたしは、それでも……りっぴーが好きだから、りっぴーが何か辛い思いしてるなら……あたしに出来ることならしてあげたい」
ユカ「ミモリさん……」
鹿「……鈴、それは優しさじゃなくて甘さだよ。今は必要無い」
鈴「……どっちでも、いいよ」
鈴「ねぇ、りっぴー…」
立飛「……っ、…………」
鈴「あたしなら平気だから、またいつものりっぴーに…………あ、髪飾り落ちちゃってるよ。……はい」
立飛「…っ!」
先程のトイズの衝撃で頭から外れた髪飾り。
それを拾い、立飛に返そうとした鈴の手を。
パシッ──! と、強く払い除けた。
鈴「痛っ…!?」
立飛「それにっ、触るなっ…!!」
鈴「…っ、ご、ごめん……っ、そんな大事なものって、あたし知らなくて」
立飛「…………大事な、もの……?」
立飛「……っ、全然、大事じゃないよ…………もう、いらない……そんなもの」
鹿「立飛……」
立飛「……なんだったんだろ……もう、よくわからない……どうでもいいや……」
立飛「私が好きだったものは……大切に思ってたものは、ずっと信じてたものは…………なにもかも奪われ、壊され……もう、何処にも無い……」
鈴「り、りっぴー……」
立飛「……っ、全部、お前のせいだ、鈴」
鈴「ぇ……?」
立飛「お前がいるから……っ、お前さえいなければっ…! お前さえさえいなければっ、こんな奴が来ることもなかったのに……っ」
立飛「最初からっ、お前がいなければ────」
……ズドッ。
……今度は、頭から地に叩き付けられ、立飛は気を失った。
鹿「……ユカ、悪かったね。鈴の前でこんなこと、やりたくなかっただろうに」
ユカ「い、いえ…」
鈴「……っ、…………りっぴー……あたしが、りっぴーを、苦しめて……」
鹿「鈴が気にやむこと、ないよ……」
鈴「でも……っ」
鹿「どんなに苦しくたって、どんなに辛くたって……そこにどんな理由があったって、今の発言はとても許されることじゃない。立飛は言ってはならないことを言った」
鈴「……っ、あたし……」
ユカ「ミモリさん……大丈夫、ですか?」
鈴「あたしが、いなければ……りっぴーは……っ」
鹿「鈴。あんなの、立飛の本心じゃないよ……そんなことくらい、わかってるでしょ?」
鹿「嘘っぽくなるから、ユカが此処に来て良かったとは言わないけど…………鈴、お前は私たちの大切な仲間だ。お前がいなければ……なんて思ってる奴なんか、誰もいないよ」
鹿「だからそんな落ち込むな……っていうのも難しいよね。私は、鈴の能天気でアホっぽいところ、好きだよ」
鈴「しかちゃん……」
鹿「すぐにとは言わないけど、また鈴のアホ面見せてね」
鈴「……うん」
……………………
立飛「……………………」
目が覚めると、自室に寝かされていた。
昨夜殆んど睡眠をとっていなかったせいか、かなりの時間眠っていたようで。
外は既に真っ暗になっていた。
……もう、疲れた。何も考えたくないのに。
昨夜の光景が目に焼き付いたまま、離れてくれない。
あんな姿、自分がずっと憧れていた蛇龍乃じゃない。そうであってはいけない。
堪えられない……自分が好きだった蛇龍乃は、もう何処にもいない。
消えてしまった。死んでしまったも同然。
……ふと、空蜘の言葉を思い出す。
『お前はこの里が大好きなだけなのに、それを守りたいだけなのに……誰にもわかってもらえず、厄介者扱いまでされてさぁ。あー、可哀想ー』
立飛「…………私が大好きだったものは、もう戻らない」
……もう、取り戻せないのなら。
立飛は静かに布団から起き上がり、部屋を後にした。
……ひたひたと、廊下を進み。
そして、ある部屋の前で、足を止めた。
立飛「…………」
虚ろな表情。その手には、短刀が握られていた。
と、戸に手を掛けようとしたその時。
鹿「……おい」
立飛「……ああ、なんだ鹿ちゃんか。なに? 昼間の説教の続き?」
鹿「昼間の件はこの際別にいいよ……いや、よくないけど。…………お前、何してんの?」
立飛「…………」
鹿「……ここが誰の部屋か、わかってるよね?」
立飛「…………蛇龍乃」
鹿「“さん”を付けろよ、クソガキ……って怒られるよ?」
立飛「ははは……怒ってくれるくらいなら、こんなことする必要も無いのにね。残念だよ……ホントに残念」
鹿「立飛……お前、本気で」
立飛「お世話になったからね……だから殺してあげるの。私のこの手で」
鹿「自分が何を言ってるか、わかってる……?」
立飛「あんな弱い人、私は知らない……私の中には、必要無い」
立飛「もう、何もかもめちゃくちゃだよ……アイツのせいで、めちゃくちゃだ……はははっ…」
立飛「…………やだよ……っ、大好きだった人を、大嫌いになるのは……嫌だ……っ、だったら、完全に嫌いになる前に殺させてよ?」
立飛「殺したっていいじゃん……あんな人、忍びとして生きてる価値なんか」
バシッ──!!
立飛「ぁぐっ…!」
鹿「殺すぞ……っ、クソガキ」
立飛「……私に勝てると思ってるの? 術も使えない鹿ちゃんが……術を使えたとしても私には」
鹿「うるせぇ、殺す」
……と、そこに。
ヱ密「殺さなくてもいいよ、鹿ちゃん」
立飛「……っ」
鹿「ヱ密……いや、こいつさぁ」
ヱ密「うん、状況はわかってる。……ねぇ、立飛」
立飛「……」
ヱ密「そろそろ私も我慢の限界なんだよね……立飛もこの現状に不満たらたらなんでしょ? 蛇龍乃さんを手に掛けようとするくらい……この里のことなんか、もうどうだっていいんでしょ?」
ヱ密「だったらハッキリ言ってあげる。私や鹿ちゃんが何度忠告しても、性懲りもなく愚行を繰り返す……それも鈴ちゃんにまで」
ヱ密「出ていけ、立飛」
ヱ密「此処にお前の居場所なんか無い。居ても邪魔になるだけ。迷惑極まりない」
立飛「……ああ、そう。でも」
ヱ密「蛇龍乃さんを殺してから……とか言うつもりなら、私がお前を殺すよ?」
立飛「……っ」
ヱ密「仲間が殺されるのを見過ごせないし、私自身も仲間を殺したくはない。……だから素直に出ていってくれない? 今すぐ」
立飛「…………」
牌流「ほら、さっさと行こ? 立飛。私もこんな所、すぐにでも抜け出したいし」
鹿「え……?」
立飛「……牌ちゃん?」
────…………
闇に射し込む月明かり。妙州の里から離れた山道。
微かな吐息と、葉が揺れる音。移動する二つの人影。
牌流と立飛の姿があった。
立飛「…………」
牌流「ねー、立飛ー!」
立飛「……」
牌流「むぅ…………ていっ!」
立飛「えっ、ちょっ…!?」
唐突に、立飛の身体に手足を絡める牌流。
走っている最中ともなれば、当然。
立飛「わわわっ…!」
牌流「きゃーっ!」
……二人揃って、転倒した。
牌流「痛たたぁ……」
立飛「い、いきなり何すんの!?」
牌流「だって立飛、いくら声掛けても反応してくれないから」
立飛「だからって…」
牌流「私のことも、嫌いになっちゃった?」
立飛「…………別に、牌ちゃんのことは…」
牌流「あー、良かったー。これで立飛に嫌われてたら、一緒に里を飛び出してきた意味無いからねー。ひと安心だ」
立飛「なんで牌ちゃんまで……私に気を遣ってくれてるなら、そんなの」
牌流「私も立飛と同じ。今の里には居たくないから…」
立飛「……そう」
牌流「ユカは当然のこととして……ヱ密と鹿ちゃんは口煩いし、蛇龍乃さんは屍状態だし、紅寸はアホだし、空蜘はなんかキモいし、鈴ちゃんは可愛いし」
牌流「息が詰まるんだよねぇ……」
立飛「……うん」
牌流「だから……こうして里を離れてみると、ちょっとスッキリしない?」
立飛「そう言われてみると、うん……なんか何もかもから解放された気分」
牌流「あはっ、ねねっ? どうせならもっとスッキリしない?」
立飛「ん?」
牌流「ふふふ……こんな山奥、どうせ周りに誰もいないんだし、ね?」
立飛「……?」
牌流「すぅぅーーっ…………紅寸のアホーーーーーっ!!!! ユカなんかに蘢絡されやがってそれでも忍びかーーーーっ!!!!」
立飛「お、おぉー……」
牌流「ほらほら、立飛もやって。大声で叫ぶと超爽快だよ?」
立飛「う、うーん……よしっ!」
立飛「すぅぅーーーーっ……………………鹿ちゃんのアホーーーーーっ!!!! なんかとりあえずムカつくわボケーーーーっ!!!!」
立飛「ふはぁっ……あははっ、スッキリした!」
牌流「ボケぇって……どこでそんな汚ない言葉覚えたんだか…」
立飛「どこだっけ? 忘れちゃった」
牌流「……ねぇ、立飛」
立飛「うん?」
牌流「……ごめんね」
立飛「…何が?」
牌流「今朝……立飛、明らかにおかしかったから。私が無理矢理にでも問い詰めてたら、こんなことにはなってなかったのかなって……」
立飛「……そんなの、全然牌ちゃんのせいじゃないじゃん」
牌流「ん……昨日の夜、寝てないって…………何かあったの? またユカに何か言われた……?」
立飛「……っ、…………」
牌流「言いたくないなら、無理にとは言わないよ」
立飛「…………ユカに直接ってわけじゃ、ないけど」
……昨夜の、蛇龍乃とユカの密会?について。立飛は牌流に話した。
牌流「えっ……あ、あの蛇龍乃さんが……嘘でしょ……?」
立飛「……っ、私だって嘘だって思いたい…………でも……っ、あんな弱い人だとは思わなかったよ……」
牌流「そんなことが、あったんだ……」
立飛「それを見た瞬間、もう何もかもがどうでもよくなった…………ユカのことも、里のことも、皆のことも……」
立飛「だから……こうして追い出されて良かったのかも……」
牌流「…………」
立飛「……こうしてると、なんかあの時を思い出すね」
牌流「あの時…?」
立飛「ほら、探偵に里を襲われた時。皆、バラバラになっちゃったところを私と、牌ちゃんで……っ」
牌流「立飛……」
立飛「……牌ちゃんがいなかったら、私たちはバラバラになったままだったかもしれない…………少なくとも、私じゃ、あんな行動は起こせなかった」
牌流「……」
立飛「でも……せっかく牌ちゃんが、繋ぎ会わせてくれたのに…………もう……っ」
牌流「…………立飛は、もう諦めちゃった?」
立飛「え……?」
牌流「少しは頭を冷やせた今だったら……今の立飛だったら、嫌になったからって簡単に捨てられるほど軽いものじゃないと、ちょっとは後悔してると思ったんだけど?」
立飛「…………もう、無理だよ。……何もかも、手遅れだよ……っ」
牌流「あの時だってそう思ってた……もう無理だって。どうしようもないって」
牌流「でもね、隣に立飛がいてくれたから勇気を持って一歩を踏み出せた。私だけじゃ無理だった……一人じゃ無理だと思うことも、二人だったら可能になるかもしれない」
立飛「まだどうにかなるって、やり直せるって……牌ちゃんは諦めてないんだったら……どうして里を出てきたの? まさか私を引き留める為じゃないよね……?」
牌流「違うよ。いや、100%違うってわけじゃないけど……もし里が元通りになった時に立飛がいないと、私やっぱり寂しいもん」
立飛「ごめん、素直には喜べない…」
牌流「まぁそうだろうね。でもね、私は諦めてないから……諦めたくないから、里を出たの」
立飛「どういうこと……?」
牌流「えーと、実はですねぇ……私も今日ヱ密と軽くケンカをしてしまいまして」
……今朝のユカとのやり取り、そしてその後のヱ密との会話の全容を話した。
牌流「…てなわけで」
立飛「牌ちゃんはアホなの?」
牌流「アホゆーなー!」
立飛「まぁ正直、多少スッキリした」
牌流「でしょでしょー? でね、ヱ密が言ったこと……“互いの信用を重ねていく”」
立飛「うん……それしか手段が無いっていうのも理解はできるけど…」
牌流「いつになることやらねぇ……」
立飛「……え? もしかして牌ちゃん、信用が深まった頃合いを見計らって里に戻るつもり?」
牌流「いやいや……そんなわけないじゃん。いつになるかもわかんないのに」
立飛「だよねぇ……ならどうして里を出ようと?」
牌流「……信用を深めるにあたって、時間が必要なのはなんでだと思う?」
立飛「え……それは、見ず知らずの他人同士だからでしょ」
牌流「正解。お互いのことを知るには時間が必要。逆を言えば、もし相手の心うちが透けて見えてたらそんな時間を掛ける必要もいらないよね」
立飛「…まぁ、そうだよね」
牌流「つまり、信用というのは相手のことを知るということ。私や立飛がユカを受け入れられないのも、その情報がまるで足りてないから」
牌流「いきなり里を訪ねて、鈴ちゃんの元の世界の友達だか知らないけど……挨拶代わりに痛め付けられて?術も封じられて?種を揃えてるから命を握られているも同然。そのくせ、さもまともなことを言って愛想振り撒いてくる」
牌流「そんな状態で何をどう信用しろと?」
立飛「あー、うん……」
牌流「当然、ユカ本人の口から出てくる言葉をすべて鵜呑みにするのは危険。だからこうして相容れなかったわけでしょ?」
牌流「……私はユカの情報を探るために、里を抜け出してきたの」
立飛「ユカの情報を、探る……?」
牌流「ユカがいつこの世界に来たのか、この世界に来てから里に姿を見せるまで何をしてたのか……とかね。私はユカをまるっきり信用してない、どころか怪しいとさえ思ってるから」
立飛「身辺調査ってわけ…」
牌流「叩いて埃が出なかったらそれはそれで構わない。疚しいことが無いって、信用の一つになるからね」
立飛「牌ちゃんの考えはわかったよ。でもさ……どうやってそれを調べるの? いくら私たちが諜報に長けてるからって、そんな名前と風貌しかわからない……それも異世界の人間を」
牌流「まぁ、さすがに異世界の情報まではどう考えたって無理でしょ。こっちに来てからの行動だけでもいい、調べてみる価値はあると思うけど?」
立飛「……だからそれも同じことじゃん。具体的にどうやって過去を洗うのかって話」
牌流「あはは、そんなの私たちには無理でしょー」
立飛「はぁ……?」
牌流「え? てかいつもの立飛だったら、こんなに鈍くない筈なんだけどなぁ…」
立飛「悪かったね……」
牌流「たしかに、私たちでは到底手に負えない人物調査…………だったら、その道のプロに頼めばいいじゃん?」
立飛「プロ……? ぁ……ま、まさかっ……」
ここまで
奴等の出番は近い
第二幕 第一章『再邂』
━━Fin━━
完全に忘れてた
さっきの更新で第一章終わりでした
次からは二章突入
──────
────
──
第二幕 第一章『再邂』
探偵との激闘からしばらくの月日が流れ、平穏な日常を取り戻した妙州。そして、その里で暮らす八人の忍び。
そんな平和、退屈を壊すように。ある日突然、忍び衆の前に白のローブを纏った怪しげな女の姿が。
「此処にお二人がいるってことは、他の方々も……“あの人”もいるってことですよね」
里に近付けさすまいと、女を排除しようとした鹿と空蜘。更には立飛とヱ密までもが、女の持つ圧倒的な力の前に倒れ落ちてしまう。
そう、その力こそが──“種”。
以前に鈴も所持していた異世界の機器“スマホ”により、忍者、そして探偵の能力までをも巧みに扱う謎の女。
「会いたかった……ずっと会いたかったです。“この世界”で────ミモリさん」
「ぁ…………ゆ、由佳……? え? ホントに、あの由佳なの……?」
この者こそ、鈴がいた元の世界の人間。同職の友人、ユカだった。
鈴を迎えに来たと言うユカ。しかし、鈴はそれを拒む。
同じ世界のユカと同様に、この世界で共に生きてきた忍びたちも自分にとっては大切な存在である、と。
その鈴の意向を尊重したユカ。だがその代わりに自分もこの里で暮らすと言い出した。
しかし、此処は忍びの里。鈴の知り合いといえど、部外者を置くわけにはいかないと猛反発する忍び一同。
「……許す許さない以前に、さ。部外者が此処にいること自体がおかしいと思うんだけど」
「そうだよ。さっさと消えろよ」
だが、不意討ちを狙うも種の力の前にまるで敵わない。ならばと暗殺を試みるも、あろうことか空蜘が代わりに死んでしまうという始末。
空回りしつつも、どうにかユカを排除しようと画策する忍びたちに対し。
忍びの衆、頭領の蛇龍乃がそのすべてを否定してみせた。
「余計なことばっかするなよ、無能の馬鹿共が……っ、大人しくアイツの機嫌でも取ってろ……役立たずの塵らしく」
そう、ユカが放った封術により術を奪われた蛇龍乃と鹿と空蜘。これを取り戻すにはユカ自身にもう一度封術を使用させる必要があると言う。
つまり、ユカを殺してはならないし、同じ理由でスマホを壊してもならない。
正論なのだろう、だがその蛇龍乃の態度は忍びたちの反感を買った。更には空蜘が向けた殺意に、蛇龍乃は恐怖に気付いてしまう。
術を失った蛇龍乃は誰よりも弱く、誰にでも容易に討たれてしまう存在。
いつ誰に殺されるかわからない……その恐ろしさに、嘗ての威厳も消え去り。部屋に引き籠る蛇龍乃。
「二度と、顔を見せないで…………頼むから……っ、…………私は、お前たちが…………恐い……っ、…………ぅゅ」
そんな様子を目の当たりにした鹿とヱ密は、蛇龍乃を守ると決意。
誰にも蛇龍乃を討たせない……たとえそれが、ユカではない別の誰かだとしても。
そして同時にユカに対して表立った敵対姿勢は下げ、とりあえずの共存の道を提示した。
「ミモリさんに一つお願いがあるんです……何があっても、私の味方でいてください。他の誰にどう思われたっていい…………でも、ミモリさんには私の一番の味方でいてほしいです」
ユカをもう独りにはさせたくないと思う鈴は、ユカと他の皆との仲を掛け持とうとするも。それが裏目に出ることもしばしば。
……その一方で、何かを知っているかのような口振りで不敵に笑う空蜘。
「忍びとしての年季。それが私とヱ密の差。今の状況で殺し合いをすれば、その差によって私が勝る」
「いくら多種多様な種を、それこそ無限に扱えたとしても……だからって完璧なわけじゃない。人間であれば当然、欠陥は生じる」
……また、ユカの様子を不審に思い、本人に直接問い詰めようとする牌流。
「ユカちゃんさぁ、わざと立飛を怒らせてない?」
「その為には火種が必要……そこで運悪く火種として選ばれてしまったのが立飛だった。……楽しかった? 立飛の気持ちを弄ぶのは」
だが、現状最も危惧しなくてはならないのは、空蜘でも牌流でもなく。
事あるごとにユカと衝突し、苛立ちを露にする立飛であった。
「……そんな変な名前で、鈴を呼ぶなっ…!」
「…………お前っ、ふざけるなよ……っ、そんな尤もらしいこと言って、要は私たちより優位に立ちたいだけだろっ…!」
「だからっ、それが余計なことだっつってんだよっ!!」
鹿とヱ密は立飛に度々注意を促し、立飛自身も極力苛立ちを抑えようとするも。
徐々にその歪みは大きなものになっていく。
更には、その不安定な心情に追い打ちを掛けるように。立飛は、偶然にも蛇龍乃とユカのやり取りを目にしてしまった。
「お前の望みはなんでも聞く……鈴を連れて行っていいから…………なんなら、私が鈴を追い出してやってもいい……だから、お願いします……っ」
自分が最も憧れていた者が、最も憎らしい者に、頭を下げている光景。
これは自分に対する裏切りにも等しい、とそんな衝動に駆られた立飛。
……その時、立飛の内側で何かが崩れ落ちた。
「……………………てか、もうどうでもいいし」
何をすれば、何を考えれば、何を信じればよいのか、自分自身すら見失ってしまった立飛は。
「だから、ほら……鈴も強くなって、私に教えてよっ……! 私がこれまで忍びとして、信じて、生きてきた時間は無駄じゃなかったって……っ、証明してよっ!」
「げほっ、げほっ……はぁっ、はぁっ……はぁっ……ぅうっ、ぁ……っ」
「お前がいるから……っ、お前さえいなければっ…! お前さえさえいなければっ、こんな奴が来ることもなかったのに……っ」
憂さを晴らすように、鈴に激しく当たり飛ばし。
そしてあろうことか頭領の蛇龍乃を葬るべく、その部屋の前まで足を向かわせる。
……だが、そこに立ち塞がる鹿。
「自分が何を言ってるか、わかってる……?」
「あんな弱い人、私は知らない……私の中には、必要無い」
殺意を交じらせ、睨み合う二人。
殺し合いに発展するかと思われたその場に現れたヱ密は怒りを混じらせ、立飛に告げた。
「そろそろ私も我慢の限界なんだよね……出ていけ、立飛。此処にお前の居場所なんか無い」
「ほら、さっさと行こ? 立飛。私もこんな所、すぐにでも抜け出したいし」
もう里には居たくないと言う牌流と共に、立飛は妙州を出ていくこととなった。
……そして里から離れた道中の山道で牌流は立飛に言う。
「…………立飛は、もう諦めちゃった?」
自分は諦めていない、諦めたくないから里を出てきたのだ、と牌流。
そして牌流はあることを立飛に提案する。
「ユカがいつこの世界に来たのか、この世界に来てから里に姿を見せるまで何をしてたのか……とかね。私はユカをまるっきり信用してない、どころか怪しいとさえ思ってるから」
それはユカの素性を洗う調査。だが自分たちにはとても不可能、ならばその道のプロに任せればよい、と。
そして牌流と立飛は、ある場所を目指すことに──。
────…………
第二章『探偵の誇、忍者の紲』
翌朝。忍びの里、妙州。屋敷内。
鈴「…………」
ユカ「ミモリさん、大丈夫ですかぁ?」
鈴「…ん、平気だよ。今日も一日頑張ろー……うん」
ユカ「……やっぱり、昨日のこと」
鈴「……あたしなんかより、りっぴーの方が何倍も何十倍も辛い筈だよ、きっと。ユカは知らないかもしれないけど、あのりっぴーがあんなになるくらいだもん」
ユカ「……」
鈴「会ったらりっぴーに謝らなきゃね……由佳もだよ?」
ユカ「え? 私もですか…?」
鈴「だってそうでしょ? りっぴーに、その……暴力を……あたし駄目って言っておいたよね?」
ユカ「でも、向こうが先にミモリさんに」
鈴「あれは、鍛練だから……人間だもん、ちょっと加減を間違えちゃうことくらいあるよ。それに、あたしが弱いのがいけないんだし」
ユカ「そ、そんなのっ…」
鈴「由佳。お願い……ごめんね、あたしのわがまま。……りっぴーが大切だから」
ユカ「……わかりました。私も謝ります」
鈴「ありがと。由佳」
……そしていつも通り、朝御飯を食べに炊事場に向かった二人、だったが。
紅寸「あ、おはよー! 鈴ちゃん、ユカちゃん」
鈴「おはよ、くっすん」
ユカ「くーさん、おはようございます」
紅寸「ねぇねぇ二人とも、牌ちゃん知らない?」
鈴「え? 見てないけど……いないの?」
ユカ「寝てるんじゃないですかぁ?」
紅寸「そう思って部屋にも行ったんだけど、見当たらなくて。あのままヱ密に殺されちゃったかなー、なんて。でも夜御飯の時は居たしなー」
紅寸「うーん……ま、いっか」
鈴「えー、心配じゃないのー?」
紅寸「そのうちひょっこり戻ってくるでしょ。ほら二人とも、座って座って。朝御飯だよー」
鈴「あれ? ぱいちゃんいないってことは…」
ユカ「くーさんが?」
紅寸「まぁね! ふふふーっ、と言いたいところだけど。鹿ちゃんが作ってくれてたよ、皆の分も」
紅寸「ま、おにぎりだけどね。おかずは無し!」
……と、三人がおにぎりを食べていると。そこに。
空蜘「おはよー。あ、良いところにいるじゃーん。鈴」
鈴「おはよ、うっちー」
空蜘「お酒、用意して。五秒以内ね。一秒遅れるごとに指が一本消えるから気を付けて」
鈴「ま、まだ午前中なんですけど…」
空蜘「うっせー、さっさと動け動けー」
鈴「え、えぇー……はいはい、やりますよー」
ユカ「あ、私やりますよ。ミモリさんは座っててください」
鈴「いいの? 由佳」
ユカ「はい」
空蜘「おー、さすが私の舎弟二号。あれだよ、あの姿勢。鈴も見習いなよー?」
鈴「いつの間に由佳を舎弟に……ってあたしもうっちーの舎弟だったの!?」
空蜘「は? 逆に今まで何だと思ってたの?」
鈴「はぁ……まぁいいけどさぁ、あんま由佳をいじめないでね?」
空蜘「んー?」
ユカ「私なら平気ですよー、ミモリさん。はい、ちーさんのお酒」
空蜘「ごくろーごくろー。んで、毒は?」
ユカ「入ってませんって…」
空蜘「よろしい。じゃあ一口飲んでみ?」
ユカ「えー、そんな朝から……うーん、まぁでもしょうがないですねぇ。……ごくっ」
空蜘「ほぉー、どうやら大丈夫なようだ」
ユカ「もー、そろそろ私のこと信用してくださいよー」
空蜘「あはは、やだー」
鈴「…なんか仲良しだね、二人とも」
紅寸「空蜘のめんどくさい絡みを全然嫌がらないとか、ユカちゃんって変わってるねー」
空蜘「めんどくさいとは失礼な。それより、お酒飲んでんだから気を利かしてつまみでも持ってきてよ」
紅寸「そこにあるじゃん。おにぎり」
空蜘「いや、酒のつまみにおにぎりって……なんか他に無いの?」
紅寸「無いよ」
ユカ「なら私が何か作りましょうか?」
空蜘「お前の作ったのは食べたくない。信用ならないから」
ユカ「えー」
鈴「ちょ、うっちー…」
紅寸「断り方が直球過ぎる……」
空蜘「ねぇ、牌ちゃーん! なんでもいいから適当に……ん? あれ? 私の専属シェフの姿が見当たらないようだけど」
鈴「うっちーの専属シェフじゃないけど、ぱいちゃんなら朝からいないよ?」
空蜘「うっせー、鈴の分際でー! その肉付きの良さそうな頬を抉ってやろうかー?」
……むにゅっ、と鈴の頬を指で摘まむ空蜘。
鈴「うぁっ、痛い痛いっ! マジで抉れるからやめてーっ!」
紅寸「あはは、たしかに鈴ちゃんの頬っぺたは摘まみ心地良さそうだよねー」
ユカ「ちょーっと、お二人とも! ミモリさんの頬っぺたは私専用なんですからやめてくださいー!」
鈴「え、えーと……違うよ?」
空蜘「…で、何処行ったの? 牌ちゃんは」
紅寸「さぁ? とりあえず部屋には姿は無かったよ」
空蜘「ふーん……立飛に続いて牌ちゃんも行方不明、ってことは……なるほどねぇ、あははっ」
鈴「へ?」
紅寸「立飛も…?」
ユカ「…何か知ってるんですか? ちーさん」
空蜘「さぁね? 私は知らないけど、ヱ密とかなら知ってんじゃない?」
鈴「そんな、りっぴーまで……どうしちゃったんだろ……」
ユカ「ちょっと私、えみさんに訊いてきますね」
鈴「あ、待ってユカ……あたしも行くよ!」
……食事を取り終え、鈴とユカはヱ密の元へと向かった。
空蜘「…………ふふっ」
紅寸「まだおにぎりいっぱい残ってるのに…」
紅寸「うーん、空蜘と二人きりは嫌だからくすんもヱ密のとこに行こうかなぁ……」
空蜘「……ねぇ」
紅寸「ぁ……やばっ、聞こえちゃってた!」
空蜘「そうじゃなくて」
紅寸「はいはい、注げばいいんでしょー? はい、とくとくとくー」
空蜘「違っ……ちょっ、あー、もーっ! 溢れてるしーっ! ……チッ」
紅寸がなみなみ注いだ酒を一気に飲み干し、空蜘が立ち上がった。
紅寸「…ん? もういいの?」
空蜘「つまみが無いんじゃ美味しく飲めないしね。つーかお前、アホ過ぎて私の舎弟失格ー」
紅寸「舎弟になった覚えないからっ!」
空蜘「やっぱ遊ぶなら舎弟とに限るよねぇー。というわけで、行くよ?」
紅寸「へ? くすんも…? あ、それならヱ密たちにもおにぎり持っていってあげよーっと」
空蜘「あっ……ねぇ、一つ、私の言うこと聞いてほしいんだけど」
紅寸「……?」
……………………
蛇龍乃「…………ぅゆ……っ……」
鹿「だーかーらーっ、ぅゆ…じゃなくてちゃんと言葉を喋ってよっ!」
蛇龍乃「……っ、ぅうっ…………ぅゅ……っ」
鹿「…………」
ヱ密「鹿ちゃん鹿ちゃん、蛇龍乃さん怯えてるから……ね? なんかこの蛇龍乃さんも可愛く思えてきた」
鹿「つーかなんでそもそも私たちに怯えてんだよぉ……はぁ…………ほぉら、じゃりゅちゃーん? こわくないよー?」
蛇龍乃「…………ぅゅ……な、なにしに、来たの…………来ないで、って、言ったのに…………」
鹿「お腹空いてるでしょ? だから御飯持ってきてあげたの」
ヱ密「鹿ちゃんが作ってくれたんだよ? 美味しいよ?」
蛇龍乃「…………いらない」
鹿「いらない、じゃなくて……何か食べなきゃ死ぬよ? ほら、一口だけでも」
蛇龍乃「…………っ、ど、毒……っ」
鹿「……おい」
ヱ密「入ってないから、そんなの。私たちは蛇龍乃さんの味方。安心して?」
鹿「じゃあ私も一緒に食べてあげるから。ほら、半分こ! これなら大丈夫でしょ?」
蛇龍乃「ぅ……うん…………ぅゅ…………っ」
……と、蛇龍乃が鹿の手からおにぎりを受け取ろうとしたその時。
蛇龍乃「……っ、……ぁわわ…………っ」
ヱ密「……!」
この部屋に近付いてくる気配。ヱ密が様子を見に行くよりも先に、戸が開かれた。
……ガラッ。
ユカ「あ、やっぱりここにいました」
鈴「由佳、勝手に開けちゃダメだよっ…」
ユカ「でも、ちーさんがいいって」
空蜘「うん、許可した」
紅寸「またヱ密に怒られるよー?」
鈴とユカ、そして空蜘と紅寸の姿も。
蛇龍乃「……っ、ぅゆっ、ぅぅうっ……!」
……突然の四人もの訪問に、縮こまりまくる蛇龍乃。
鹿「あぁ……もうっ、せっかく苦労して御飯を与えてたところだったのにー!」
ヱ密「どうしたの? 皆揃って…」
空蜘「皆、ねぇ……」
鈴「は、入ってもいい…? じゃりゅにょさんの様子も気になってたし」
紅寸「ここ数日全然姿見せなかったからねー」
ヱ密「あー、うん……」
鹿「まぁ、立ち話もあれだから……その手前の方までだったら」
ヱ密「ただし空蜘は駄目。戸は開けたままでいいけど、部屋の中に足を踏み入れることは禁止」
空蜘「えー、なんでー?」
ヱ密「蛇龍乃さんがビビりまくってるから」
蛇龍乃「ぅゅ……っ、ゅゅぅ……っ、う、空蜘は…………まぢムリ…………」
鹿「…………」
ヱ密「……ね?」
空蜘「ったく……まぁ別にいいけどー」
……そして、空蜘は室外に待機。残りの面々は室内へと。
鈴「じゃりゅにょさん、久しぶり……だけど、あんま元気そうじゃないね」
蛇龍乃「……元気、だよ」
紅寸「とてもそうは見えない…」
鹿「精神病を患ってるから、優しくしてあげて。あと刺激的な言動は控えるように」
鈴「ん、わかった」
紅寸「あー、それで刺激物の固まりみたいな空蜘を遠ざけてるのかー」
ヱ密「まぁね……あれが側にいたら蛇龍乃さんの精神が崩壊しちゃいそうだから」
空蜘「ねぇねぇ、ショック療法って知ってる?」
ヱ密「空蜘、喋るんだったら屋敷からも出ていってもらうよ?」
空蜘「あははっ。酷いなぁ、ヱ密は。屋敷から追い出すとか…………あの二人みたいに?」
ヱ密「……次、勝手に口を開いたら本気で追い出す」
空蜘「はぁーい、わかりましたぁー」
鹿「…で、何しに来たわけ? じゃりゅのんのお見舞いだけってわけじゃないようだけど」
紅寸「えっとね、朝から牌ちゃんの姿が見当たらなくて。立飛も行方不明みたいで」
鈴「今のうっちーとえみつんの会話って…」
紅寸「え……まさか、ヱ密」
鈴「追い出したの……? りっぴーとぱいちゃんを……嘘、だよね?」
ヱ密「……あの二人は、この里にはいないよ」
ユカ「なっ……ど、どうしてですか!? なんで、そんなことっ…」
鹿「え、えーと……それは」
蛇龍乃「…………任務だよ。私があの二人に与えた」
鈴「任務……? え、だって、任務は」
紅寸「…! あー、 なるほどー! 任務ならしょーがないかー」
ユカ「……任務?」
鈴「てことは、それが終われば戻ってくるんだよね。あー、ビックリしたー……昨日、りっぴーとしかちゃんがケンカしてたからホントに追い出しちゃったのかと思ったよ」
鹿「ま、まぁ、たまにはケンカもするよ…」
ユカ「任務……本当ですか? それ」
蛇龍乃「…………本当だよ」
ユカ「どのような任務で?」
蛇龍乃「機密事項だ………………ぅゅ……」
ユカ「機密、事項……」
蛇龍乃「…………ぅ…………ゆぅ……っ」
紅寸「まー、そういう仕事だからね。こればっかりは忍びじゃないユカちゃんには話せないんだよ、ごめんね?」
ユカ「い、いえ…」
紅寸「少しの情報漏洩でも命取りになるからね、だからくすんも知らない。ていうか基本、任務にあたる人にしか詳細は伝えられないのだ!」
ユカ「なるほど……さすが忍者さん! プロ意識高いですね!」
ユカ「まぁ、いずれにせよあの二人がまた戻ってこられるなら良かったですね、ミモリさん」
鈴「うん、あのままケンカ別れみたいなのは嫌だったから……安心した」
鈴「…………あたしには勝手にいなくなるな、なんて言ってて自分が居なくなるとか……そんなわけないよね」
ユカ「…どうしました? ミモリさん」
鈴「ううん、なんでもない」
子供スレの方見たら、やっぱ続いてるの知らない人もいたのね
子供スレおもしろいよねー、こっちもおもしろいよー
零章からここまででも結構長いけど頑張って読んでもらえたら幸いです
ではまた
────────……………………
……さて、此処は。
妙州の里から、遠く離れた場所に立つ城。
その上層にある、だだっ広い一室。
真剣な面持ちで向かい合う二人の女。城主である依咒と、その側近の御殺。
二人の脇に配置され、行儀良く並ぶは十人の仕女。
依咒が目で合図を送ると、そのうちの一人から詩が詠まれ始めた。
「金毘羅船々 追風に帆かけて シュラシュシュシュ──」
依咒「はっ」
御殺「よっ」
依咒「ていっ」
御殺「ほっ」
「まわれば四国は 讃州 那珂の郡象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば──」
依咒「それっ」
御殺「はいっ」
依咒「…っ、せいっ」
御殺「ほっ……あっ! しまったぁー……」
依咒「あはっ、私の大勝利ー!」
依咒「ふふふっ……御殺、雑魚すぎー」
御殺「いやいやっ、これで二十六勝二十六敗の五分だからね!? さっきまでは私が勝ち越してたし!」
依咒「そんな細かいこと別にどうでもよくなーい?」
御殺「依咒さんが煽ってきたんじゃんっ! もっかいする?」
依咒「しない。もう飽きた」
御殺「だよねぇ…」
依咒「まぁ最終戦に勝った私の総合勝利ということで……御殺、なんか面白いことして」
御殺「うん、わかった! ……ってなにその無茶ぶりっ!?」
御殺「ていうか遊んでる暇あるの? 依咒さん」
依咒「え? なんかあったっけ? 我が城の修繕も一通り終えたし、抱えてた仕事も片付いたと思ってたけど?」
御殺「……まぁ殆んど私がやったんだけどね。それとは別に、近々どっかの国の御偉いさんがこの城を訪ねてくるって前に言ってたでしょ?」
依咒「あー、それねー、わかってるわかってる。で、どっかの国って?」
御殺「えーと……あれ? 何処だっけ? 私もすぐには出てこないけど……近いうちにその外交関連についても」
依咒「別に御殺がやってもいいんだけど?」
御殺「私も私の仕事が色々とあるから」
依咒「んー、了解。手が空いたらやっとくー」
御殺「よろしくね」
御殺「……で、依咒さん。当然、気付いてると思うけど」
依咒「あー……んー……まぁ、そうだよねぇ……」
御殺「……どうするの?」
依咒「……めんどくさ」
……溜め息を落とし、側の仕女たちに向けて言う。
依咒「……これからちょーっと大事な話があるから、もう下がっていいよ」
「「「畏まりました、依咒様」」」
依咒「…………」
御殺「…………」
依咒「……でも、そこのお前は残って」
依咒「……お前ね、お前」
依咒「私と御殺が優雅に金比羅船々を楽しんでるところに、ろくに詩も知らん分際で無理矢理ハモり入れてきて、そもそも一人だけ異様に派手な格好して、そのうえ頭に猫を乗っけて面白いほどにふざけまくってるお前ね?」
「えー、私ですかぁ?」
……そして、依咒に指名された一人の女を残し、他の仕女たちは部屋を後にした。
御殺「……えーと、何のつもり? 多少は成長したようだけど、まさかそれで私や依咒さんを欺けるとは思ってないよね?」
依咒「気付いてもらいたかったんでしょ。あー、あのまま無視してやった方が良かったかなー」
「ほへぇ? 何を仰ってるのか私にはサッパリなのですぅ……依咒様ぁ、御殺様ぁ」
御殺「なにそのふざけた演技……」
依咒「……今すぐ変装を解くか、それか私に殺されるか」
……依咒が扇子を取り出し、立ち上がろうとすると。
「わ、わかったわかったっ! もー、こんなのただの冗談じゃん……ノリ悪いなぁー」
……そして。
牌流「ふぅっ、お久しぶりー、二人とも元気そうだねー。あんだけ半壊してた城も綺麗に直っちゃって……さっすが金持ちー!」
御殺「帰れ」
依咒「死ね」
牌流「酷っ! 久々の再会であんまり過ぎでしょっ……誰が生き返らせてあげたと思ってんのー?」
御殺「空さん。一歩譲って鈴ちゃん。百歩譲ってヱ密」
依咒「お前の世話になった覚えは無いっ!」
牌流「そ、それはそうだけどー……まぁその件は置いといて。今日はお話があって」
御殺「帰ってください。お願いします」
依咒「死んでください。お願いします」
牌流「もー、なんなのー? そっちの城主様はともかく、御殺?だっけ? も冷たくない……?」
御殺「いや……だって、あんたはもう死んだことになってるんだから、もし誰かに姿見られたら私たちの信用に拘わるんだよ」
牌流「むぅ……って言ってますけど? 猫ちゃん」
……と、牌流は頭に乗せていた猫。その瞳が緋色に染まった猫と、さも会話をするように。
猫「にゃー」
牌流「ふむふむ……なるほどなるほど…………城でこの人たちと別れる時に?」
『…立飛、いつでも歓迎してあげるから気が向いたら遊びにきなさい?』
牌流「……と言われた? だから遊びにきてやった? 歓迎されることはあっても、追い返される筋合いは無い? たしかに……うんうん、その通りだよねぇ……」
御殺「やっぱりその猫……」
依咒「はぁ……なんであんなこと言っちゃったんだろ」
御殺「もう二度と会わないと思ってたのにね…」
牌流「一国の城主様ともあろう御方が、まさか自分の発言に責任を持ってないとー?」
依咒「コイツ…………あーもう、わかったわかった……」
牌流「ふふ、ありがと」
依咒「……ただし隠れてる奴もさっさと出てきて。自分だけ安全を決め込んで、術使われてることはめっちゃくちゃ不愉快」
猫「にゃー」
猫は牌流の頭から飛び下り、窓の付近まで移動すると。
猫の意を汲んだ牌流は、その窓を開けた。
……と、さすがは忍者といった身のこなしで。
するりと、開かれた窓から室内に飛び込んでくる立飛。
立飛「……どーも、こんにちわ」
御殺「いらっしゃい」
依咒「コイツだけ? 他には?」
牌流「いないよ。私たち二人だけ」
依咒「…ふーん」
御殺「それで、私たちに話って?」
依咒「聞いてあげるからとっとと話しなさいな」
立飛「う、うん……」
御殺「……?」
立飛「えーと……何から話せばいいのかな……」
牌流「…いいよ、立飛。私から話す」
依咒「どっちでもいいけど、さっさとしてね」
……そして、牌流は。
ユカが現れてから自分たちが里を出ていくまでに起こった事の顛末を。
依咒と御殺に話した。
牌流「……と、いうわけなの」
立飛「……っ」
依咒、御殺「「……………………」」
御殺「そ、それは、大変だ……っ、ぷっ、くひゅっ……ふふ、ふふふふ……っ」
依咒「…っ、……ふふっ、ちょっ、御殺っ、笑ったら駄目だって、ぷっ、あはははっ、ははははっ……」
御殺「だ、だって、くははっ……乗り込まれてっ、手も足も出ないとかっ、あははははっ……!」
依咒「し、しかもっ、ふふっ、たった一人にっ、ふふふふっ、あはははっ……大将はビビって、引き籠りとかっ、くはっ、あはははっ…」
立飛「…………牌ちゃん、コイツら、殺していい……?」
牌流「き、気持ちはめちゃくちゃわかるけど……抑えて、立飛。でも私も、キレそう……っ」
迸る殺意をなんとか押し止め。
依咒と御殺が一頻り笑い終えた頃を見計らって、牌流が言う。
牌流「……もう、いいかな?」
依咒「あー、久々にこんな笑ったー」
御殺「鉄板ネタ羨ましい」
依咒「ふふふっ、面白話を提供してくれてどうも御苦労様。もう帰っていいよ」
御殺「姿を見られないように気を付けてね。あ、お土産用意してあげる」
依咒「昨日作りまくった餃子が残ってるから、それ持たせてやって。そのユカって子にも意地悪せずに食べさせてあげてね?」
牌流「わぁ、ありがとー! ……って、そうじゃなくてっ!!」
立飛「…………殺す」
牌流「り、立飛っ、落ち着いてっ! ていうかこんなことになってんのもあんたらのせいでもあるんだからね!?」
依咒「ん…?」
御殺「私たちの、せい?」
牌流「あんたらが調子に乗って自分たちの種まで鈴ちゃんのスマホに保存したせいで、ユカもあんたらと凉狐のトイズをガンガン使ってくるんだからっ!」
御殺「…え?」
牌流「トイズが無かったらまだ対処の仕様があったかもしれないのにっ…」
依咒「ねぇ……つーか、何の話?」
牌流「はぁ? しばらっくれるつもり? 鈴ちゃんを拐った時に、トイズに写真を使ったんでしょ?」
立飛「……種の仕組みは勿論知ってるよね? ……異能の力を展開中に写真を使われたら、その能力は種としてスマホに残る」
牌流「ていうかそっちの方が私らより詳しいでしょ?」
依咒「いや、そうじゃなくて……」
牌流、立飛「「……?」」
依咒「私たちが、自分たちのトイズにスマホを使った……?」
牌流、立飛「「え……?」」
依咒「使った? 御殺」
御殺「ううん、使うわけないじゃん。何の為にそんなことするの?」
依咒「だよねー」
立飛「でも、この前の一件……なんだっけ? なんとか計画には種が必要で、それらを集めてたじゃん」
依咒「Xenotopia計画に必要だったのは、お前らの術の種……まぁ全部が全部必要だったってわけじゃないけど。私らのトイズは別に必要無かったよ」
御殺「だからその為にわざわざ私たちの種を集めるなんてしなかったし」
牌流「え……なにそれ、ホントに!?」
御殺「本当だよ」
依咒「私たち探偵は、お前ら卑怯者忍者と違って嘘なんかつかないし」
牌流「……て、ことは」
立飛「なんでユカは、探偵の種まで持ってたの……?」
御殺「……まぁとりあえず、話を纏めると」
御殺「鈴ちゃんの友達が訪ねてきて、里を半分乗っ取られちゃった……と。で、そのユカちゃんって子と仲良く出来ない二人は仲間と喧嘩して飛び出してきた」
依咒「なっさけなー」
牌流「あんなのマジでどうしようもないって……」
依咒「つーかそれって、完全に大将の蛇龍乃の責任じゃん。相手がどうのこうの言う前に、やる気無くして塞ぎ込んでるって上に立つ者としてどうなの?」
立飛「……っ」
依咒「あの空とあんだけやり合ったんだから、もうちょっと骨のある奴かと思ってたのに、とんだ期待外れ。ま、所詮忍者か」
牌流「術さえ封じられてなかったら、蛇龍乃さんだって…」
依咒「術さえ、ねぇ……言い訳にしか聞こえないんですけどー」
立飛「……ねぇ、そういえばさ」
依咒「んー?」
立飛「二人だけ? 空丸と、凉狐は……?」
依咒「あー、すーちゃんはまだ帰ってきてないよ」
牌流「え……? たしか、私たちが此処を後にした時にはもう姿無かったみたいだけど、まさかあれからずっと?」
御殺「まぁ、ね……自分探しの旅にでも出てるんじゃない?」
牌流「…大丈夫なの? それ。凉狐ってあれでしょ? 完全に失明してんじゃ……その状態で」
依咒「そうそう、どっかの誰かさんのせいでねー」
立飛「……」
御殺「…凉狐なら大丈夫だよ。ああ見えてしっかりしてるから」
牌流「そう…」
依咒「ていうか、お前らに心配される筋合いは無い。こっちのことは関係無いっしょ」
立飛「そうだね。で、空丸は?」
牌流「空も旅行中、とか?」
御殺「空さんはいるっちゃいるけど…」
依咒「なんかわけわからんことしてる」
牌流「わけわからんこと、って……?」
依咒「わけわからんことはわけわからんこと。私たちにもさっぱり」
御殺「空さんは天才だからね。凡人には分かりかねるの…」
牌流「…?」
依咒「だからこっちの話は別にいいじゃん。で、話して気が済んだ? ならさっさと帰ったらー?」
牌流「は? ちょっ、ここで放り出すの!? 私たちの不幸話を聞いて、少しは可哀想だなーとか思ったりしないの!?」
依咒「全然」
御殺「ぶっちゃけ関係無いしねぇ…」
牌流「あんだけ殺し合いした仲じゃん……もうちょっと、こう、なんか無いわけ?」
御殺「うーん…」
依咒「……もし仮に、お前たちのことを可哀想とか思ったとしたら、なんなの? 私たちにどうしてほしいの?」
立飛「……ユカのことを調べてほしい。あんたらを一流の探偵と見込んで頼みにきた」
依咒「……」
御殺「まぁ、そんなことだろうと思ったけど…」
牌流「暇そうにしてたんだし、いいでしょ? ちょっとでいいから、力貸してくれない?」
依咒「断る」
牌流「はぁ!? な、なんでっ…」
依咒「あのねぇ、こう見えてそんな暇じゃないの……私、城主ね? 一国の主」
御殺「優先順位としたら、国が第一なわけだし。そんな厄介事に割く時間は」
牌流「でも探偵でしょ!?」
依咒「だからー?」
立飛「……自信が無いとか? これだけ大物ぶってんだもん、いざ引き受けてやっぱり無理でしたーなんてなったらカッコ悪いもんね」
依咒「……は? 舐めてんの? そこまで言うならやってやろうじゃん! ……とか安っぽい挑発に乗るわけないでしょ。ばーか」
立飛「……」
御殺「ビックリした……勢いで引き受けちゃうのかと思った」
依咒「こんな面倒なことやるわけないっしょー」
牌流「面倒って……それでも探偵? 私たちはあんたら探偵に依頼にきたの! 客なんだけどー? 客っ!」
御殺「依頼……?」
依咒「なるほど、依頼となれば話は別か」
牌流「最初から言ってんじゃん。で、引き受けてくれる?」
依咒「うんうん、やっぱプロとしてはクライアントは大切にしないとだし、引き受けてもいいよ」
牌流「ホント? やたっ!」
依咒「ホントホント。探偵嘘つかない。よし、じゃあまずは報酬の話をしよっか」
牌流「え…?」
立飛「ほ、報酬……」
依咒「え? なに、まさかタダで私たちを使おうとしてたわけじゃないよね?」
御殺「あはは。依咒さん、さすがにそれはないでしょ」
依咒「だよねー。友達感覚のお願いじゃなくて仕事として正式に依頼されたわけだしー? それなりの報酬が発生するのは当然。いくら下賤な忍者といってもそれくらいの常識は弁えてるって」
牌流、立飛「「…………」」
依咒「あれ? どうしたの?」
御殺「突然、消沈してる…」
牌流「ほ、ほうしゅう……」
立飛「やけにあっさり引き受けたと思ったら……」
依咒「報酬ね、ほーしゅー」
牌流「も、勿論払うよ……報酬ね、報酬。今回の一件が落ち着いたら」
依咒「成功報酬ね。それとは別に前金も貰わなきゃだから、とりあえず前金を用意してもらおうか」
牌流「え、前金……? ち、ちなみにいくら?」
依咒「御殺」
御殺「ちょっと待ってねー……対象は一人、だけど異世界から来たとなればちょい割増で……わかってるのは名前と風貌だけ、となれば……えーと」
……そして御殺は、見積りを記した一枚の紙を二人の前に差し出した。
立飛「は……?」
牌流「なっ……こ、こんなに!? ぼったくってんじゃないの!?」
依咒「それで納得してもらえないなら、諦めていただくしか」
御殺「今回は縁が無かったということで。今後とも御贔屓に」
牌流「ま、待って待ってっ…!」
牌流「成功報酬の方はあとでなんとかするとして。前金…………立飛、今いくら持ってる?」
立飛「猫の餌買ったからもう殆んど残ってないよ」
猫「にゃー」
牌流「わ、私も和服買ったから無いに等しい……」
牌流「……ね、ねぇ、成功報酬でまとめて払うっていうのは」
依咒「無理。……ていうかその成功報酬も払えるのか怪しいものなんだよねぇ」
牌流「ぎくっ…」
依咒「……まぁそっちの事情が今どうなってるのか知らないけどー? あんだけ大々的に名前と術をばらされて世間的には殺された存在になってるお前ら忍者が、そう簡単に今まで通り殺しで稼げているのか甚だ疑問」
御殺「だからって仕事以外で、もし他人から奪った金があったとしても、若しくはそれで工面するつもりだとしたら……正義の名の下で探偵してる私たちとしては簡単に頷くわけにも」
立飛「…………」
牌流「で、でもっ、お金はお金じゃんっ! 私たちがどんな手段で用意した金であっても」
御殺「……そうだね。なら今からその前金だけでも調達してくる?」
依咒「でも、ここら辺で誰かの財を奪うような真似するつもりなら……この私がお前ら二人を殺すことになるけど? お前ら忍者のことは一応、賊よりは上に見てあげてんだからさ……あんま失望させないでよね」
牌流「……っ」
依咒「というわけで、報酬すらまともに用意できないんだったらお引き取り」
牌流「ま、待っ…」
立飛「あるよ。報酬」
御殺「え?」
牌流「立飛……?」
依咒「はぁ? 今さっきお金無い無い言ってたじゃん。錬金術の心得でも?」
立飛「お金は無いよ。……でも、あんたが欲しいものあげるって言ったら、それで納得してくれない?」
依咒「……私が欲しいもの?」
立飛「うん。それなら私は用意できる」
御殺「……?」
依咒「……一応、聞くだけ聞いてあげる」
立飛「もしこの件が片付いたら、あげるよ…………あんたに私の命を」
牌流「…は? り、立飛!? 何言ってんのっ、そんなの…」
依咒「……」
立飛「あれ? もう許しちゃった? 私のこと。……殺したいほど憎いんでしょ? 凉狐の眼を潰した私が。だったら、欲しくない? 私の命」
依咒「へぇ……なかなか面白いこと言うね」
立飛「でしょ? ……でも、私だってただ殺されるのは嫌だ。だから、勝負しようよ」
依咒「……勝負?」
立飛「誰の邪魔も入れさせない、私とあんたの一対一の殺し合い。その時に自分の力で私を殺してみせればいい……誰にも文句言わせないようにするから」
依咒「…………」
立飛「……どう?」
牌流「立飛、そんなの私が許さない」
立飛「でもこれしかこの人たちを動かせる手段が無いのは事実でしょ? ……それに私は死なないよ。だって私が勝つから」
立飛「反対に、あんたは自信無い? 一対一という場を用意してあげても私に勝てる自信が無いの? それとも、時間が経ったからって簡単に私を許せちゃうほど物分かりの良い人だっけ?」
依咒「……」
立飛「……ねぇ、どうなの?」
依咒「……なるほどね。うん、まぁ成功報酬についてはそれでいいよ。で、前金は?」
立飛「…今、殺させろって? 悪いけどそれは出来ない」
依咒「そうじゃなくて……解決した後にバックレられても困るしね、前金代わりに一つ条件がある」
立飛「条件……?」
依咒「私と一緒に行動すること。逃げようとしたらその時点で殺す」
立飛「常に私の命を握らせろってこと……いいよ」
依咒「んじゃ交渉成立。とりえずそのユカって子の、この世界に来てからの動向を調べればいいわけー?」
立飛「うん、よろしく。ありがとう」
依咒「…と、いうわけで御殺」
御殺「ん、了解。どんだけ時間掛かるかいまいち見当付かないけど、出来るだけ迅速に終わらせて戻ってくるようにするから」
依咒「あ、いや、違う違う」
御殺「へ?」
依咒「私が行ってくるから、戻るまでこの城のことよろしくーって意味」
御殺「はい…? え、依咒さんが行くの!?」
依咒「だって報酬からして、私とコイツの個人契約みたいなもんじゃん。それなのに御殺に放り投げるのはさすがの私も心苦しくてねー」
御殺「そ、それはそうだけど……いつ戻ってくるの?」
依咒「さぁ? 進捗次第」
御殺「んー、でもなぁ……時期が時期だし。ほら、どっかの国の御偉いさん来るって言ってたじゃん」
依咒「まぁ、そんな堅苦しいの最初から乗り気じゃなかったしー。そっちで適当にやっといてー」
御殺「適当に、って……形式上、城主が不在じゃ」
依咒「代わりを置いとけばよくない?」
御殺「私や空さんならともかく、依咒さん……城主の代わりはいないでしょ」
依咒「いるじゃん。そこに」
……依咒が指差した先、それは。
牌流「……え? わ、私?」
依咒「私に化けて座ってるだけでいいから。あとは御殺が上手くやってくれるだろうし」
御殺「あー、なるほどー……って、大丈夫? この人で」
依咒「たぶん大丈夫っしょ。ほら、試しにちょっとやってみてよ」
牌流「う、うん…」
……そして、偽装の術を使い、依咒の姿になる牌流。
牌流「ど、どう…?」
御殺「うーん…」
依咒「下手くそだけど、素人相手ならなんとかなるっしょ。まぁこれも依頼を引き受ける条件の一つとして」
御殺「不安だなぁ」
立飛「頑張ってね、牌ちゃん」
牌流「よ、よし、頑張るっ…! ようやく私の術が役に立つ時がきた!」
依咒「術、か……」
依咒「ねぇ、ふと思ったんだけどさ。さっきの話によると、蛇龍乃たちは術を封じられてんのに、なんでお前らは封じられてないの?」
御殺「あ、たしかに」
牌流「それは……蛇龍乃さんの術は脅威だと思うし、当然といえば当然じゃ」
立飛「鹿ちゃんと空蜘は最初に会った時の戦闘の流れでって言ってて」
依咒「牌流の術はどうでもいいとして、脅威として思うのならまずお前の術なんじゃないの? 立飛」
立飛「え…」
依咒「ユカって奴と何度も衝突してたんでしょ? なのに封じられてないのは普通に考えておかしいと思うけど?」
立飛「そんなの私に訊かれても……って、もしかして私たちのこと疑ってる……?」
依咒「忍者が言うこと全部を全部、鵜呑みにするわけないじゃん。だからお前は私と牌流は御殺と。監視も兼ねて、ね」
依咒「少しでも妙な動きしてたら殺していいよ、御殺」
御殺「殺しはしなくても監禁はするかも」
牌流「うぇ……」
依咒「ま、そこんとこは調査しながら追々見極めていくとして……じゃあ仕度してくるから、ちょっと待っててー」
……そして、しばらくして依咒が戻ってくると。
依咒「たっだいまー! さ、行こっか、立飛」
立飛「ん、あ……ねぇ、依咒」
依咒「…なんで呼び捨て? “様”を付けろよ」
立飛「えー……嫌だ」
依咒「じゃあ依頼受けない。さーて、餃子の試作でもしよっかなー」
立飛「ひ、卑怯だよっ、そんなの!」
依咒「私、城主。此処等で一番偉い人。お前、庶民どころか既に死んでる……死者に等しい存在。さて、どっちの立場が上でしょう?」
立飛「……私、依頼主。客。お客様は神様。探偵っていうのは依頼主を無下に扱っちゃうんだー、へー」
依咒「客は選ぶ。選んでもらっただけでも感謝してほしいよねー。気に入らないんだったら別の探偵にでも依頼すればー? ま、私たち以上の探偵なんか存在しないけどー」
依咒「というか探偵そのものが貴重な存在ってこと分かってるー?」
立飛「くっ……あとで絶対殺してやる……っ」
依咒「そうそう、楽しい楽しい殺し合いが待ってるからさっさと片付けたいよね」
立飛「…………わかったよ」
依咒「はい、呼んでみ呼んでみー?」
立飛「ぃ……依咒…………さ、様……っ、どうぞ、よろしく、お願いしますー……」
依咒「ふふ、よく出来ました。えらいえらい」
……そう言って、立飛の頭を撫でる依咒。
立飛「ちょ、ちょっ……か、勝手に、触るなっ……」
依咒「なんで照れてんの? 小生意気だけど案外可愛いところあんじゃん」
立飛「う、うるっ、うるさいなぁっ……照れてなんかないよっ……! くだんないこと言ってないでさっさと行くよっ!」
依咒「はいはーい。んじゃ御殺、あとよろしくねー」
御殺「うん、気を付けてね」
牌流「え、もう行くの? 空に会ってかないの? 立飛」
立飛「あー、空丸かぁ」
御殺「空さんは作業中だから勝手に入ったら駄目だよ。なんか集中したいんだって」
立飛「ふーん……まぁ別にいいけど」
依咒「さ、立飛」
立飛「うん」
牌流「あ、依咒……様」
依咒「んー?」
牌流「依頼主は立飛だけじゃなくて、私もいるってこと……忘れないで」
依咒「……自分にも真相を教えろってわけね。心配しなくてもきっちりと報告してからその後で成功報酬は頂くから」
“ユカ”を調査するべく、城を出ていった依咒と立飛。
そして城に残った御殺と、まさかの城主代行を命じられた牌流。
御殺「大丈夫かな……あの二人、仲良くしてくれるといいんだけど」
牌流「……ねぇ、頼んでおいてこういうこと言うのもあれだけど」
御殺「なに?」
牌流「手掛かりも少ない人間なんか……その過去とか調べられるものなの? 調査に託つけて立飛を殺して、はいおしまいってことないよね……?」
御殺「……」
牌流「悪いけど、まだ半信半疑で…」
御殺「私たちは一流の探偵だよ? 無理なものは無理で最初から引き受けたりしない。解決出来る自信があるから依咒さんは依頼を引き受けた」
御殺「それに、一度引き受けた依頼はどんなことがあっても解決まで導く。探偵としてのプライドがあるからね。ま、依咒さんの普段の振る舞いを見てるとなかなかすぐに受け入れるのは難しいとは思うけど、仕事に対する腕と誇りはたしかだから安心していいよ」
牌流「…そっか。どんなことがあっても依頼は果たす、か……私たちでいう任務と似てるね」
御殺「まぁ何かと正反対の探偵と忍者だけど、そういうところは共通してるかもね」
牌流「うん……なんか心強く思えてきた。これで上手くいけば、里もまた元の姿に戻れるかもしれない」
御殺「……でもいいの?」
牌流「ん?」
御殺「さっき簡単に話を聞いただけでも、種の件での嘘といいそのユカちゃんって子……白か黒かでいえば、たぶん黒だよ」
御殺「潔白の証明は難しいけど、何か後ろめたいことがある人間はその分行動を起こしてるから調査をすれば必ず引っ掛かる……依咒さんならそう難しくはないだろうね」
御殺「だから調査対象が黒であれば黒であるだけ、成功報酬はより近いものになる。里が元通りになる頃に、立飛はこの世にいないかもしれないよ?」
牌流「……立飛は死なないって言ったから、私はそれを信じる」
御殺「そう……ま、情けは期待しない方がいいよ?」
牌流「わかってる。あ、ところでさ」
御殺「…?」
牌流「依咒の……城主の代行って、具体的には何してればいいの? 私」
御殺「別になにも。優雅に寛いでくれてればそれでいいよ。仕事は私がやるから」
牌流「そっかそっか。楽な仕事でよかったー」
御殺「でもその変装の術だけは絶対解かないでね? この城にいる人たちの前でも。まぁこの部屋にいれば勝手に誰か入ってくることはまず無いと思うけど…」
牌流「おっけー! りょうかーい!」
……と、言った側から突然に戸が開かれ。
牌流「えっ、ちょっ…!」
御殺「あー、大丈夫大丈夫」
空「うー、あー……疲れた疲れた、ちょっと休憩ー……って、ん? あれ?」
御殺「お疲れ、空さん」
空「……? その人、もしかして、牌ちゃん?」
牌流「空ー! 久しぶりー!」
空「な、なんで牌ちゃんが此処に? ていうかなんで依咒さんに偽装してるの……?」
御殺「えーと、実はね…」
……御殺と牌流は、事の顛末を空に伝えた。
牌流「というわけで、依咒に調査を依頼して私は此処で城主になったわけ」
空「へ、へー……牌ちゃんが城主とか……お願いだから国を崩壊させたりしないでね」
牌流「もー、空ったらひどーい! 心配しなくても私に任せてくれれば天下統一くらい余裕で」
御殺「い、いやいやっ、何もしなくていいって言ったよね!? くれぐれも余計なことしないで! 牢獄にぶちこむよ!?」
牌流「はいはい、わかってますってー」
牌流「で、空は何してたのー? よくわからんことしてるって聞いたけど。手伝おっか?」
空「いえ結構です。牌ちゃんに話しても絶対にわからんだろうし」
牌流「ふーん、遠慮しなくていいのに。じゃあお茶でも用意してくるね。休憩中でしょ? ちょっと待っててー」
牌流「えーと、炊事場は何処かなー、と…」
……ふらふらと部屋を出ていこうとする牌流に。
御殺「あー、待って待ってっ! 勝手に城内をうろうろしないで! お茶なら私が持ってくるから、牌ちゃんはここで全力で寛いでて!」
牌流「あら、そう? ならよろしくー」
代わりに御殺が出ていき、二人になる牌流と空。
空「うーん、今日も良い天気だー」
牌流「……こうして落ち着いて話すのもいつぶりになるかな」
空「……さぁ、どうだろうね」
牌流「…………この、裏切者」
空「ま、それに関してはなんと言われても仕方無いね。見ての通り、私は探偵。里にいたのは目的を遂げる為だけの潜入……最初から仲間じゃなかったって思ってくれた方がお互いのためじゃない?」
牌流「そう、かもね…………でも、空と一緒に過ごした日々は楽しかった」
空「うん……私も同じ。…………ねぇ、里の皆は元気にしてる?」
牌流「さっきの話にもあった通り、結構悲惨な状況でね。そんななかでも元気なのは紅寸と空蜘くらいかなー」
空「あはは、なんとなく想像つく」
────────……………………
依咒の仕事に同行している立飛。城主の代行を務めている牌流。
その一方で、此方は。
二人が出ていってからしばらくが経った妙州の里、屋敷。
紅寸「……ねぇ、空蜘」
空蜘「んー? なにー? ちょっとはマシなつまみを作れるようになったー?」
紅寸「はい、おにぎり」
空蜘「だからぁー、おにぎりはいらないっつーの! こんなのばくばく食べるんだったら塩舐めてた方がいくらかマシだよ」
紅寸「なら塩舐めてればー? ってそんなことじゃなくてー、この前の件、あれって何だったの?」
空蜘「この前のってー?」
紅寸「牌ちゃんと立飛が行方不明になったのを訊きに行った時。その直前にくすんに言ってきたじゃん……『もし不穏な空気になったら、蛇龍乃さんの発言を全肯定しろ』って」
空蜘「……」
紅寸「ねー、空蜘ー?」
空蜘「……今、ユカは何してる?」
紅寸「へ? ユカちゃんなら、立飛の代わりに鈴ちゃんの鍛練に付き合ってる鹿ちゃんたちのとこに付いてってるけど…」
空蜘「ならいっか。……うん、あれはまぁ一応念の為に、これ以上状況を悪化させないための措置」
紅寸「ん…? よくわかんない…」
空蜘「…私もお前にちょっと訊きたいことあるんだよね」
紅寸「なに?」
空蜘「ユカが此処に来た初日のこと。私が牌ちゃんに殺されてから、生き返るまでのやり取り……細かに教えて」
紅寸「…? いいけど…」
……紅寸は訊かれた通りの事を空蜘に話した。
空蜘「ふーん、やっぱりおかしいよねぇ……」
紅寸「立飛と喧嘩したこと? あの時はかなり立飛も荒れてたし、別におかしなやり取りはなかった気が…」
空蜘「違う違う。そこはどうでもいいんだよ。私が気になったことは──」
『一つ訊きたいんだけど。その種のなかに、私の術の種ってあるかな…?』
『えみさんの術の種…………はい、ありますよ』
『……“甦生”の術を展開してくれれば、空蜘は生き返る』
『……そう、ですね』
紅寸「……? これがどうかしたの?」
空蜘「どうしてユカは、ヱ密の問いにすぐ頷けたんだろ?」
紅寸「そんなのスマホに書いてあるんじゃないの? それか一度でも使えば簡単にわかることじゃん」
空蜘「すごい前に鈴が言ってたことだけど……スマホの画面には、『数字とアルファベットを適当に羅列したような名前があるだけ』って」
空蜘「だから見ただけでその種がどんな術かわかるわけないんだよ。使うったって、術を発動させてもそこに何かの死体が無いと当然効力は伴わない」
紅寸「あ、そっか」
空蜘「ユカが言ったように、あのスマホが鈴のスマホにあった種のデータをそっくりそのまま持っているなら私たち忍びの術が七つ、発動してみせた探偵のトイズが三つ……最低でも十の種を持ってることになるよね?」
紅寸「え、えーとっ……ひー、ふー、みー…………うん、たぶん」
空蜘「……」
空蜘「その種一つ一つは画面上には記号の羅列でしかない……まぁ消去法で残った種がヱ密のものってなるのは一応納得はいくけど。ヱ密がすぐに内容をばらさなきゃ面白いものが見れたかもしれないのに…」
空蜘「やっぱ馬鹿だねぇ、ヱ密も」
紅寸「……ん? ってことはそれだと別にユカちゃん全然怪しくないじゃん」
空蜘「私が言いたいのは、ユカがヱ密の術を知っていたことじゃなくて、術を持っているかの問いに頷いたこと。……もし、ヱ密が自分から術の詳細を口にしなかったらユカはどうしてたんだろう」
空蜘「お前から聞いた話、そのやり取りの直前の内容だと“甦生”に結び付けるのはかなり無理があるんじゃない?」
『さっき言ってた、その気になれば私たち全員を殺すことが可能……それはスマホにある種を使えばってことだよね?』
『しゅ…?』
『そのスマホを操作して発動できる術やトイズのこと』
『あ、それが種って言うんですね、へぇ……』
『一つ訊きたいんだけど。その種のなかに、私の術の種ってあるかな…?』
空蜘「……普通この会話の流れだとさ、甦生よりもまず先に攻撃系を連想すると思うんだよ」
紅寸「あ……言われてみれば」
空蜘「もしユカがヱ密の術を知らなかったとしたら、余計なリスクを回避する為には絶対に頷くべきじゃない。これまでの感じだと、アイツはなかなか頭が回る奴だし……だから本当に知らないんだったら、頷くわけないんだよ」
空蜘「でもアイツは頷いた……それは、知ってたが故の軽率なミス」
紅寸「うーん……空蜘の言いたいことはわかるけど、それって空蜘の推測でしかなくない?」
紅寸「術は持ってるけど内容は知らない、でも持ってることは持ってるからとりあえず頷いたとか。以前に試したことがあって、その時たまたま死体が転がってて種を発動させたら生き返っちゃったとか…」
空蜘「あはは、まぁそれも可能性的には無くは無いよね。なにも私はこれだけでユカを怪しいと睨んでるわけじゃないし」
紅寸「え、他にもあるの? あれ? ちょっと待って……今の空蜘の話だと、もっとおかしくない?」
空蜘「ん?」
紅寸「だって種はスマホ上では記号の羅列なんでしょ? だとしたらくすんの吸血とか蛇龍乃さんの封術とか、発動しても試せる状況なんてそうそうないと思うし」
紅寸「それだと消去法でヱ密の術に辿り着けないよ。でもあの時ユカちゃんは、なんの迷いもなくヱ密の術を使ってた……これは」
空蜘「いや、それは全然おかしくない。だってユカはヱ密以外の術は知ってて当然だから」
紅寸「なんで?」
空蜘「アイツが屋敷に来るまでに私と鹿ちゃんが先に会ってたじゃん? その時、アイツ持ってたもん……前に探偵がバラ蒔いた私たちの手配書」
紅寸「あー、なるほどー。それに術の詳細も記されてたもんねー…………ん? だったらヱ密の術知っててもまったくおかしくないじゃんっ! 何言ってんの、空蜘」
空蜘「はぁ? 何言ってんのはこっちの台詞だよ、このアホ! よーく思い出せよ」
空蜘「あの手配書にはたしかに私たち七人の名前、風貌が記されてあった……でも術に関しては一人だけ、空白の者がいた。さて、誰でしょー?」
紅寸「あっ、そっか……あの時点ではまだヱ密の術って知られてなかったもんね」
空蜘「そういうこと。だからヱ密以外の術については知ってたとしても全然不思議じゃない。で、まぁその時なんだけど、私と鹿ちゃんが最初にユカに会った時ね…」
空蜘「さっき話した私が死んでいる時のやり取りをユカのミスだとしたら、ユカはこの最初の時点でもミスを一つ犯してる……これがアイツを怪しいと思い始めた理由でもあるの」
紅寸「ミスというのは…」
空蜘「アイツね、私と鹿ちゃんの前でこう言ったんだよ──」
『うーん、ちょっと仰ってる意味がよくわからないですけど…………なんてね。当然、知ってますよ。貴女方が探偵に刃向かった愚か者として処刑されてることくらい』
紅寸「うん、間違ってないね。これのどこがおかしいと?」
空蜘「……そう言うと思った。やっぱ話すのやめていい? お前のアホさに付き合ってやるの疲れてきた」
紅寸「そ、そんなこと言わずにー! 気になる気になるっ!」
空蜘「はぁ……私たちは“誰に”処刑されたって?」
紅寸「探偵でしょ? まぁ実際に処刑されたわけじゃないけど、処刑されたって世間ではなってるよね?」
空蜘「そう……世間一般的には、ね」
紅寸「う、うん?」
空蜘「そもそも世間一般っていうのは、私たち裏家業に携わる者だったり、その当事者、一部の上流民、公表されていない案件を知ることが出来る情報強者なんかじゃなく……あくまで庶民の認識として」
空蜘「それと同じように世間では、あの依咒たち探偵は探偵としての認識じゃなくて、城主とその一行なんだよ」
空蜘「私たち忍びを処刑したのが城主だと知ってる者はいても、探偵に処刑されたと知ってる者なんか限られた人間だけ」
空蜘「なのにアイツは“城主”とは言わずに“探偵”という言葉を使った……何故ユカはアイツらを探偵と知っていたのか」
空蜘「此処に来るまでにアイツらと接触したことがあったのか……それか忍びと探偵の抗争、あの現場を目撃していたか。もし近くにいたんだとしたら、ヱ密の術を知っているのも説明がつくよね」
紅寸「な、なるほど……」
空蜘「あくまで可能性の域を脱してない私の推論でしかないけど、それでもユカが私たちに何か隠してることは間違いないと思う」
紅寸「じゃあユカちゃんに訊いて直接確かめてみれば」
空蜘「このっ、超絶アホ! そんなことしてもし本当に私が言った通りだったら状況悪くなるのは目に見えてるでしょ…」
紅寸「えー、ならどうするのー」
空蜘「今はまだ何もしなくていいよ。お前は今まで通りアイツと仲良くしてればー?」
ここまで
空蜘の方が探偵みたいだ
こういう推理会話はどっかで矛盾が生じてそうでびくびくする
紅寸「ん……今まで通りね、よし、わかった!」
空蜘「……あくまで自然体にねー?」
紅寸「任せて!」
空蜘「大丈夫かな……やっぱお前に話したの私の最大のミスになりそうな予感がしてきた」
紅寸「そんなに言うんだったら話さなきゃよかったのに。そもそもユカちゃんがどんだけ怪しくても、私たちは敵いっこないわけじゃん…」
空蜘「そう? どうしようもないってわけじゃないよ。私には切り札があるし。今はそれを使うタイミングを見計らってるってとこかな。この私があんなクソガキに好き勝手されたまま黙っていられる性分じゃないことくらいわかるでしょ?」
紅寸「…切り札? そんなのあるの? なに?」
空蜘「切り札なんだから教えるわけないじゃん。バーカ」
紅寸「仲間なんだからちょっとは信用してくれてもいいのに……空蜘はまだ仲間意識に欠けるところがあるよね、早くそれを改めるべきだとくすんは思うの」
空蜘「ははっ、仲間とかアホらし。ま、これでも一応お前らのこと少しは思ってやってるから、こうして色々考えてんじゃん。ホントにどうでもよかったらとっくにこんな所から退散してるし」
空蜘「ちょっとは感謝してほしいくらいなんだけどー?」
紅寸「はいはい、どーもありがとうございますー。やっぱり空蜘って変わってるよねー。何考えてんのかわかんないから不気味……あっ、そういえばヱ密が心配してたよー?」
空蜘「なにを?」
紅寸「空蜘の様子がキモいから何か知らないかー、って。まぁこうして空蜘なりに里のこと考えてくれてるわけだし、話したらこれで多少はヱ密も安心するんじゃない?」
空蜘「は? 今話したこと、ヱ密にチクったら殺すよ?」
紅寸「え、駄目なの?」
空蜘「駄目」
紅寸「なんで…? ていうかヱ密に知られたくないことをなんでくすんに話してくれたの?」
空蜘「ヱ密、あと鹿ちゃんも完全に保守的思考だからね……蛇龍乃を過度に崇拝しまくってるのも面倒。それに比べ、お前は余計な知恵が働かないから扱いやすいんだよねー」
紅寸「……」
空蜘「ん? なにー? 生意気にも気を悪くしちゃった?」
紅寸「空蜘がくすんのこと見下しまくってんのは今更だから、まぁ別に……あまり気分は良くないけどね。てか扱いやすいって……またくすんに何かさせるつもりなの?」
空蜘「必要となればね。今のところは特に……どちらかといえば、私の行動を咎めたり誰かにチクったりしなきゃそれでいいよ。お前の役目は、私を見過ごすこと」
紅寸「……空蜘が、何を企んでるのかわからないことにはなんとも。もし本当に里のことを思って考えを廻らせてくれてるなら、私にも手伝わせてよ」
空蜘「それはヤダ」
紅寸「どうして?」
空蜘「私は忍びで、お前も忍びだから」
紅寸「うん…?」
空蜘「忍びっていうのは、自分に出来ることをすればいいんだよ。だから私は私に出来ることをする。でもそこに他者の介入……足手まといが加われば出来ることも出来なくなるからねぇ」
紅寸「むぅ……くすんは空蜘の足手まといって言いたいわけ?」
空蜘「あははっ、そうだよー! だってお前は腕も頭も私に劣りまくりじゃーん!」
紅寸「ぐぬっ……ホ、ホントむかつくよねっ、空蜘って」
空蜘「私がヱ密と組んで凉狐と戦ったのは、ヱ密が戦闘面で私より優れていたからだよ。そして私が大人しく此処で忍びやってるのは、頭領が私よりもずっと強かったから……ま、今となってはそれもどうかわかんないけどね」
紅寸「……一つ聞かせて」
紅寸「空蜘は、何を目指してるの……? ただユカちゃんを殺すこと? スマホを奪うこと? なんらかの精神誘導で封術を解いてもらうこと?」
空蜘「さぁ、なんだろうねぇ? 一つ言えることは、私はね……自分の強さに自信を持ってる奴の余裕をぶち壊してやりたいんだよ」
自分に屈辱を与えた者を、自分の手で潰せるのなら尚の事。
……例えば、そう。
以前に、殺す寸前まで追い詰めた時の凉狐の苦悶の表情といったら、今でも忘れられないくらいの快感だ。
今回の件でも同様に。
万全なる種の揃えを以てして此処にいる全ての忍びの命を握っているユカの余裕をどのようにして葬り去ってやろうか、と。
……………………
陽が暮れると鍛練を終えた鈴、そしてユカが紅寸と空蜘の元へと。
その一方で、鹿は蛇龍乃の部屋へと足を運んでいた。
……ガラッ、と戸を開く。
鹿「ただいまー」
蛇龍乃「…っ、ぅゆ………し、鹿、か…………ビックリさせないで、よ……」
ヱ密「鹿ちゃん、ノックくらいしてあげてよ」
鹿「あ、ヱ密もいたんだ? つーかノックしても基本シカトされるじゃん……それに、わざわざ足音消さずに訪問してあげてんだからそれで察してくれてたでしょ」
ヱ密「まぁ、うん…」
鹿「お茶と茶菓子持ってきたから、じゃりゅのんも布団から出てきたら?」
蛇龍乃「ぅ……うん……」
鹿とヱ密による懸命な介護の甲斐もあり、この二人に対する警戒心は徐々に薄れつつあった。
駄々を捏ねることなく、布団から這い出てくる蛇龍乃。
蛇龍乃「お茶お茶…………ずずぅっ、ぁっ…! 熱っ、熱いっ…!」
ヱ密「大丈夫? 火傷してない? 蛇龍乃さん」
蛇龍乃「ぁう……ぅゅ…………ヱ密……っ」
ヱ密「はいはい、ふーふーして冷ましてあげるから、湯呑み貸して」
蛇龍乃「ん……」
ヱ密「ふぅー、ふぅー……」
鹿「……ヱ密さぁ、いくらなんでも甘やかし過ぎでしょ。いや、私にも責任あるか…」
ヱ密「そう? でも蛇龍乃さんこんな状態だし、多少は」
鹿「こんな状態がいつまで続いてんだよ……」
ヱ密「まぁまぁ、私たちには少しずつ心開いてくれてるし、長い目で見てあげれば」
鹿「長い目で見ようとしたその結果、立飛はいなくなった」
史実 「穂乃果と絵里」
矢王朝にこ始皇帝が亡くなった後の物語である。
蛇龍乃「……っ、ぅゅ…………っ」
鹿「じゃりゅのん……術を失って辛いと思うし、不安だと思う。私たちにはその苦しみがどれほどのものかをすべて理解は出来ないのかもしれない」
鹿「……でも、頭領として本当にそれでいいの? 私たちのことを気に掛ける余裕が無いにせよ、それでも……立飛がいなくなったのはあんたのせいだ」
蛇龍乃「…………っ」
ヱ密「…鹿ちゃん、あまり刺激的な発言は」
鹿「ごめん、でも少しだけ許して」
……そして鹿はある物を取り出し、蛇龍乃の目の前へ掲げた。
ヱ密「それ……立飛の髪飾り……?」
鹿「ヱ密が里に来る前だったかな……立飛がじゃりゅのんから貰った物。あの時の立飛、すごく喜んでたよ」
蛇龍乃「…………」
鹿「……でも、もういらないって。立飛がそう言った。あんたがそう言わせたんじゃないの?」
蛇龍乃「……っ、…………立飛」
鹿「……ユカが来てから、立飛は誰よりも辛そうにしてた。その素行はとても誉められたものじゃなかったけど、あんたの……蛇龍乃さんの為なら、って自分なりに精一杯堪えようとしてた」
鹿「救ってくれたあんたを心の底から慕い、忍びとして憧れ、本物の家族以上にあんたのことが大好きだったから…………そんな立飛がどうして、どんな思いで、こんなことを言ったんだろう」
……その意としては、蛇龍乃への失望。そして決別を顕す。
ヱ密からでも、それは感じ取れた。
鹿「立飛と何かあったんじゃないの?」
蛇龍乃「……ぃ、いや…………立飛とは、最初の夜以降、会っては…………ぁ…………まさか」
鹿「……やっぱり、心当たりあるんだ」
蛇龍乃「…………」
……蛇龍乃は何も言わず、ただ頷いた。
あんな情けない姿、醜態を見られていたら、失望されても無理はないだろう。
立飛がどんなに蛇龍乃のことを慕っていたとしても、いや誰よりも狂おしいくらいに慕っていたからこそ。
……その心の傷は、計り知れない。
術を失った蛇龍乃の苦しみを誰もわからないのと同様に、信じていた者にあのようなかたちで裏切られた立飛の哀しみも、また。
鹿「何があったのかは敢えて訊かないけど……立飛だけじゃない。牌ちゃんだってそう。紅寸だって、空蜘だって、鈴だって……私やヱ密だって」
鹿「どんな窮地に立たされたって、あんたにはあんたであってほしいと思ってる。私とヱ密はあんたのことを守ると言った。でもそれは、失うのが怖いから繋ぎ止めているに過ぎない……」
蛇龍乃「……………………」
鹿「術を失ったからって、頭領としての資格を失ったわけじゃないよ。私たちは信じてるからこうしてあんたの傍にいる……そんな私やヱ密に、あんたはどう応えてくれる?」
蛇龍乃「……っ、……ゎ、わたし、は…………」
鹿「……もう、どうでもよくなっちゃった? 私たちのこと」
蛇龍乃「……ぅ、ぅう………………うゅ」
ヱ密「次、うゆうゆ言ったらシバくよ? ……冗談だけど」
鹿「……もし、じゃりゅのんが少しでも私たちのことを想ってくれてて。頭領としての、忍びとしての誇りを失くしてないのなら──」
……鹿の手のひらには。
蛇龍乃と立飛を繋ぐ紲とも呼ぶに等しい髪飾り。
これを蛇龍乃へと差し出した。
鹿「じゃりゅのんの手から、これを立飛に返してあげて」
蛇龍乃「…………」
……蛇龍乃は思う。自分に、これを受け取る資格があるのだろうか。
鹿が言った通り、立飛を追い込んでしまったのは自分だ。
すべてのきっかけ、元凶はユカだったかもしれない。だが現状、里が崩壊に傾きかけているのは紛れもなく自分の責任。
……しかし術を失い、誰よりも力を持たぬ自分に何が出来るのか。
いや本当に、何も出来なかったのか。何もしなかったの間違いではないのか。
仲間が苦しんでいるのを知っておいて、自分の方が苦しい思いをしている、と見てみぬふりを……ただ甘えていただけではないのか。
自分を慕い、守ろうとする忍びの皆。それに応えるべく、頭領としての己の責務。
……それは、この里を守ることである。
だが、もう遅くはないだろうか。
立飛と牌流は戻ってこないかもしれない。もう二度と会えないのかもしれない。
こんな最悪な頭領に失望し、これまで忍びとして生きてきた日々を後悔し、もし再び会ったとしても軽蔑されるかもしれない。
……いや、されて当然だろう。
しかし、それでも、立飛を救った自分には。
救ったからこそ、忍びとしての道を与えた自分には、立飛を後悔させてはならない責任がある。
もしまた再びあいつらと会える日が訪れるとするなら、私はその時までに自分を誇れる自分になっていなくてはならない。
……だから、私は。
蛇龍乃「…………うん、そうだね。この髪飾り……立飛に、よく似合ってたから」
そして蛇龍乃は弱々しくも笑みを溢し、鹿の手から髪飾りを受け取った。
鹿「…よし」
ヱ密「蛇龍乃さん…」
蛇龍乃「……鹿、あとヱ密も。…………ありがとう」
……そう言って蛇龍乃は、布団の中へと戻っていった。
蛇龍乃「ん、んぅ…………ぬくいぬくぃ……」
鹿、ヱ密「「…………」」
鹿「こ、こいつ……っ」
ヱ密「はぁ……仕方無いね。蛇龍乃さーん」
……ヱ密は、蛇龍乃から布団を剥ぎ取った。
蛇龍乃「んゅっ……な、なにする、の……?」
ヱ密「リハビリの時間ですよ。今日からは新たなことに挑戦してみましょうか」
蛇龍乃「んぅ……っ、ぇ…………ぅゅ……?」
史実 「穂乃果と絵里」
矢王朝にこ始皇帝が亡くなった後の物語である。
……………………
鈴「お待たせー! ご飯できたよー!」
空蜘「遅いよ、鈴! このノロマがっ! いつまで待たせんのっ!」
鈴「えー、せっかく作ってあげたのに……文句言うならうっちーも手伝ってくれればよかったじゃーん」
空蜘「なんでわざわざ私がそんなことしなきゃいけないの」
鈴「だったらせめて由佳に」
ユカ「私もお手伝いしますって言ったのに、ちーさんが頑なに許してくれないから…」
空蜘「んなの当然じゃん。コイツが触れた料理なんか安心して食べれたもんじゃないしねー」
ユカ「そろそろ信用してくーだーさーいー!」
空蜘「いーやーでーすー」
ユカ「しーてーくーだーさーいー!」
空蜘「絶対にいーやーでーすー」
紅寸「うーん、仲良しだなぁ。あ、運ぶの手伝うよ、鈴ちゃん」
鈴「うん、あんがと。くっすん」
鈴「まぁ時間は掛かっちゃったけど、頑張って作ったから。ほら、見て見てー!」
鈴が調理した料理が卓上へ並ぶ。
ユカ「わぁー! さすがミモリさん!」
紅寸「そうだよ、最初から鈴ちゃんに任せればよかったんだよ」
空蜘「ほぉー、おにぎり以外の料理なんか久しく目にして無かったから美味しそう! でも鈴の料理だからどうせめちゃめちゃ薄味なんだろうねぇ…」
鈴「そこは健康志向と言ってほしいね」
……と、そこに。
鹿「あ、御飯の匂い」
ヱ密「今日は鈴ちゃんが作ってくれたの?」
鈴「そうだよ。なんでわかったの?」
ヱ密「こんな凝ったの紅寸にはとても作れそうにないからね」
紅寸「失礼な。くすんだってこのくらい見よう見まねでどうにかなるよ!」
空蜘「なんねーよっ!」
鈴「まぁまぁ。あ、二人の分も勿論用意してるから座って座って」
鹿「あ、あぁ……うん」
ヱ密「えっと、今日は…」
鈴「…ん?」
ヱ密「ほら、入って入って」
鹿「つか、なんでそんな遠くにいるんだよ…」
ヱ密と鹿の背後に隠れるように、いや二人の遥か後ろの方に。
……小さな体が見え隠れしていた。
鈴「あっ、じゃりゅにょさんだ」
蛇龍乃「ぁ、うぅ…………み、見付かってしまった……」
鈴「やっと出てきてくれたんだ?」
紅寸「おー、蛇龍乃さんいらっしゃい。こっち座って一緒に食べよー?」
蛇龍乃「う、うん……」
……皆に促され、席につく蛇龍乃だったが。
空蜘「どしたの? 皆の前に姿を見せるなんて、なにか心境の変化でもあったのかな?」
蛇龍乃「……っ、まぁ……うん…………」
空蜘「ふーん、なにはともあれ喜ばしいことだねぇ。うんうん」
蛇龍乃「……ご、ごめん」
空蜘「あははっ、なんで謝るのかなぁ? 変なの」
ヱ密「空蜘、蛇龍乃さんが怯えてるから視界に入ってこないで」
空蜘「そっちが勝手に来たんじゃん。仲間なのに私は御飯も食べさせてもらえないわけー?」
ヱ密「出ていけとは言わないから、そうだねぇ……天井にでも張り付いててくれる?」
空蜘「うん、わかった! …って出来るかっ!」
ユカ「え、ちーさんともあろう御方が天井に張り付く程度のこと出来ないですか? 凄腕の忍者って聞いたからそのくらい造作も無いことかと」
空蜘「出来るよっ、出来るけど! なんで一人だけ天井飯しなきゃいけないのって話だよっ!」
紅寸「ヱ密、椅子に座って御飯食べることくらい許してあげてよ。空蜘はイカれてるけどやっちゃいけないことくらい自分で弁えてるよ、多分…」
鈴「うっちーはお酒さえ与えてれば変なことしないんじゃないかなぁ? もしお酒切れても、狙われるのはあたしだろうし……」
ユカ「ミモリさんに妙なことしようものなら、私が黙ってませんからね? ちーさん」
空蜘「ユカにぶち殺されるのは勘弁だから、鈴以外の殺りやすそうな奴にしよう!」
蛇龍乃「……っ、うゅ……っ」
ヱ密「…空蜘」
空蜘「冗談だよ、冗談。そんな睨まないでよー、ヱ密」
鹿「ったく……まぁ空蜘の狂気に徐々に慣れていくのもリハビリの一貫だからね」
ヱ密「蛇龍乃さん、安心して。もし空蜘がイカれた行動に打って出ようものなら私がぶちのめすから」
蛇龍乃「う、うん……」
紅寸「よーし、じゃあ食べよ食べよー! いただきまーすっ!」
鈴「どうぞ召し上がってー」
蛇龍乃「……あ、鈴」
鈴「うん?」
蛇龍乃「塩」
鹿「あ、私も」
ヱ密「私も」
空蜘「塩」
紅寸「くすんも」
鈴「せめて一口食べてから言ってくれない!?」
ユカ「……?」
立飛と牌流が居なくなってからの里は、とても平和なものであった。
二人が里を離れたのが任務のためと信じきっている鈴は、この平穏を心の底から喜んでいたが。
その一方で。
空蜘は言うまでもなく、他の皆もユカに対して各々思うところはあるのだろう。
しかし、直情的になったり、言及するといった者はおらず。
目立った争いも起きず、この場にユカがいることが自然と思えるほどの空気も生まれつつあった。
────…………
一方、此方は。
依頼を受け、調査中の探偵依咒。と、それに同行している立飛。
依咒「はい、これ持ってて」
立飛「…また? 自分で持てばいいじゃん」
依咒「つべこべ文句言わないでくれるー? 助手の分際で」
立飛「だ、誰が助手だっ! 依頼人を雑に扱うのやめてくれない!?」
依咒「あ、向こうの店にも」
立飛「聞いてよっ!」
……そして。
依咒「よし、これでこの町は制覇したかなー」
立飛「餃子ばっかり、こんなに……」
依咒「嫌なら食べなくていいけど? せっかく立飛の分まで買ってあげたのにー」
立飛「た、食べるけど……前の町でも、その前の町でも! 餃子食べ歩きしてるだけじゃんっ! 真面目に調査する気あるの!?」
依咒「してるよ。私は餃子を食べると、その町に住んでる人間の記憶を情報として自身に取り入れることが出来るの」
立飛「えっ、本当に…?」
依咒「嘘に決まってんじゃん。簡単に信じちゃって、それでも忍者なのー?」
立飛「こ、このっ…!」
殴りかかろうとする立飛を容易にあしらい、依咒が言う。
依咒「ちょっと、揺らさないでよ。中がぐちゃぐちゃになったらどうしてくれんのー?」
依咒「これだから忍者は……品が無いというか、育ちが悪いというか。礼儀作法を一から私が叩き込んであげようか?」
立飛「よ、余計なお世話だよっ…!」
依咒「いちいち喚いちゃって……これだから子供は。城での一戦の時はもうちょっと落ち着いて見えたんだけどー? ユカや蛇龍乃からも解放されたってのに、なんでまだ荒ぶってんだか…」
立飛「…それもう答え出てるよね? あんたのせいだ、あんたのっ!」
依咒「あー、なるほど。私のせいかー、そりゃそうだよねー」
立飛「わかってるならもうちょっと真剣に…」
依咒「あ、宿発見! 今日はここに泊まろっか。行くよー、立飛」
立飛「……この人に頼んだの間違いだったかも」
……そして、宿。案内された部屋にて。
依咒「はぁ……まさか一部屋しか空いてないとは。ごめんね、一緒の部屋になっちゃって。一人の方が立飛も寛げたよねー」
立飛「え? あ、いや……私は別に、どっちでも。ていうか気遣ってくれるなら、もっと違うところで遣ってほしいんだけど…」
依咒「でも安心して。一緒の部屋だからって、変なことしないから」
立飛「……? 変なことって?」
依咒「え?」
立飛「??」
立飛「なんか、よくわかんないけど……ありがとね、いつも私の宿まで取ってくれて」
依咒「……」
立飛「ん、なに?」
依咒「いや、お礼言えたんだなぁって。いつもそんくらい素直にしてれば可愛げあるのに」
立飛「い、言えるよっ、お礼くらい……それにあんたに可愛いとか言われても嬉しくないからっ…」
依咒「じゃあ誰にだったら嬉しいの?」
立飛「それは…」
……一瞬、蛇龍乃の顔が頭に浮かんだが。
立飛「……いない。もう、いない」
依咒「あっそ」
立飛「聞いておいて素っ気ないね」
依咒「ん? 構ってほしいのー?」
立飛「ほしくない」
依咒「餃子は?」
立飛「……ほしい」
依咒「食べよっか」
立飛「……うん」
先程買った餃子を広げ、箸を伸ばす二人。
依咒「もぐもぐ……うん、まぁまぁ美味しい」
立飛「もぐもぐ……」
依咒「どう? お味は?」
立飛「ん、美味しい……けど、こうして大量の餃子を前にすると、あんたの城に閉じ込められてた時を思い出す」
立飛「どっちかっていうと、あの時の餃子の方が美味しかった気がする、かな…」
依咒「……ま、あれは私が作ってやったやつだからねぇ」
立飛「…………ねぇ、依咒」
依咒「依咒様、ね」
立飛「……依咒」
依咒「……なに?」
立飛「米が欲しい」
依咒「餃子を米だと思って食べればいいよ」
立飛「……うん、無理」
……チャポン、と。湯船に浸かると、一日の疲れが洗い流されるようだ。
立飛「ふぁぁ……気持ちいい……」
ほとんど歩きっぱなしの一日。疲れもする筈だ。忍びとして鍛練を積んだ自分でもくたくたになるくらいに。
それでも、依咒の前ではそんな表情を見せたくなく、意地になって平然なふりをしてみせたが。依咒も同じだったのだろうか。
どちらにせよ、依咒はすごい。終始ふざけた態度をとっていたが、忍びの自分と同等。いやそれ以上の体力。
……その点だけは、自分の方が優っている自信があったのに。
並外れた才能。依咒は、他の三人の探偵も、おそらく“天才”なのだろう。
立飛「……あれで、もう少し性格がまともだったらなぁ。忍びのこと、見下しまくってるし」
……忍び。
今の自分は忍びといえるのだろうか。
牌流は皆を救うべく、里を出てきた。それに比べて自分は、また忍びを投げ出してしまった。
前回のように仲間を助けるという理由ではなく、ただ嫌気が刺して。
情けない蛇龍乃に失望して、里を、忍びを捨てた薄情者だ。
今回こうして依咒と調査をしているのも、皆の為というよりは牌流の為だ。
牌流がそう望んでいたから、自分も力を貸そう、と。
だから、自らの命を賭けてまで探偵に依頼をしたのも牌流の為。
そう、誰があんな人の為に、この命を賭けられるというのか。
……そう思っていた筈なのに。
先程、依咒の不意打ちの問いに、思わず蛇龍乃を浮かべてしまった。
もうあんな人、どうでもいい筈なのに。
里がどうなろうと、もう自分には関係無い筈なのに。
……わからない。とりあえず今は、余計なことを考えても仕方無いか。
と、立飛が湯船から立ち上がったその時。
ガラッ、と。
唐突に、浴室の戸が開かれた。
立飛「…………え?」
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
里では、暗黙の了解で立飛が風呂に入っている時、無闇に侵入してくる者など誰一人いなかった、が。
……それをこの者が知ろう筈も無く。
依咒「なかなか出てこないから死んでるのかと思ったら。なんだ、生きてんじゃん」
……そこには、裸の依咒の姿が。
立飛「ぇ……なっ、ちょ、ちょっと……っ」
依咒「なに、その身体中の傷跡。敵にやられた? それともお前、もしかして虐められてたの? あの忍者共に? でも相当古そうだし、その前からとか?」
立飛「…ッ、お、お前には関係無いだろッ!!」
この身体に消えることなく今も残る忌々しい傷跡は。
弱かった自分を象徴するもので、その過去を知る蛇龍乃と鹿以外には死んでも見られたくないものであった。
……それを、この女は一切悪びれることもなく。
依咒「うわ、エグっ……よくこれで殺されなかったね。敵だろうが味方だろうが、ここまでされてお前どんだけ弱いのって感じー」
立飛「こ、殺すよっ……? さっさと、出てけよっ…!!」
依咒「なに怒ってんの? 自分が弱いのを私に当たんないでくんない?」
立飛「お前がっ、勝手に入ってくるからだろっ!!」
依咒「前金としてお前の命は私が握ってんだから、別に何しようと文句言われる筋合い無いでしょ」
立飛「前金の契約は私の同行でしょ!? それに成功報酬に関しても私が勝つんだからお前に殺されたりしないっ!!」
依咒「ふふっ、弱いくせに威勢が良いね」
立飛「…っ、マジで、殺す……ッ、死ねッ!!」
ヒュッ──! と。
立飛が怒りに委せ、依咒の顔面に向けて拳を振り抜こうとするが。
避けるまでもないといった様子で、簡単に手首を掴み、攻撃を防いだ依咒。
立飛「……っ」
依咒「ほーら、弱い。そんなんで私に勝つとか、笑えるわー」
立飛「…っ、くっ、この……っ、は、離せぇ……っ……ぐすっ…」
依咒「え、えぇ……なんで泣いてんの……」
立飛「ぅ……うるさ、ぃっ……もうっ、最悪……っ、おまえ、嫌いっ……」
依咒「わかった、わかったから……そんなに傷見られるのが嫌なら、ほら、湯船浸かればいいじゃん」
立飛「うぅっ、言われなくても、そうするよ……っ」
……立飛が湯船に浸かると、何故か湯船に入ってくる依咒。
立飛「なっ……は、入ってくるなよっ…!」
依咒「なんで? 一緒にお風呂くらい普通じゃない? 私、よくすーちゃんと入ってたし」
立飛「知らないよそんなのっ、こっちにはそんな習慣ないからっ…!」
依咒「そう? ま、いいじゃん。もう服脱いじゃってたわけだし」
立飛「…っ、だったら私が出ていく」
依咒「駄目」
立飛「なんでっ…」
依咒「まだ泣いてんじゃん。ここなら涙も紛れるし、一人で流す涙は自分を追い詰めるだけだよ」
立飛「……」
依咒「ふふ、また名言を作ってしまったようだ」
立飛「誰のせいで泣いてるのかわかってる……?」
依咒「え、泣いてるの?」
立飛「な、泣いてないっ……! もう私は、弱くない……っ、弱い自分を殺して強くなったのに……あんたが、思い出させてくるから……っ」
依咒「思い出して泣いちゃうのは殺しきれてないんじゃないの? 本当に殺しきったなら、たとえ思い出したとしてもそれに怯える必要ないじゃん」
立飛「う、うるさいなぁ……っ、屁理屈言わないでよっ…」
依咒「……立飛は、忍者になって強くなったの?」
立飛「……だったら、なに?」
依咒「蛇龍乃に愛想尽かして、裏切られた、これまでは全部無駄だった、とか言ってたけどさ。立飛が忍者になって強くなったと思いたいのなら、その日々は決して無駄なんかじゃなかったってことじゃん?」
立飛「……っ」
依咒「ここ数日お前と行動を共にしてるけど、いまいちお前が何をどうしたいのかわかんないんだよね」
依咒「蛇龍乃のこと嫌いになって、他の奴に邪魔者扱いされて不貞腐れて、お前らが暮らす里のこともどうでもよくなって……じゃあなんで私らにこんな依頼したの?」
立飛「…………」
依咒「牌流に便乗して? 牌流はお前にどうしてほしいと思ってんの? お前自身はどうしたいと思ってんの?」
依咒「立飛さぁ、私に対して真面目にしろとか真剣になれとか言ってくるけど……お前が一番真剣になれてないじゃん。上に立つ者を失って仲間に流されるままで」
依咒「お前自身でやったことといえば、後先考えずの愚行のみ。衝動的にユカとぶつかったり、感情的に里を飛び出したり……結論、立飛は一人じゃ何も出来ない。自分で決断することが怖いから、他人に頼るし流されるし引き込もうとする」
立飛「…………それが、あんたに何か関係ある? 雇われの探偵のくせに、依頼人に説教……? なん、なの……っ」
立飛「私のこと、嫌いなくせにっ……変なところで優しくしてくるし、やたら馴れ馴れしいし……っ、私が怒っても、怯まず突っ込んでくるしっ……もう、なんなのっ……!」
依咒「…………」
立飛「…なんとか、言ってよ……っ」
依咒「……助手」
立飛「助手ゆうなっ…!!」
依咒「ふふっ……なんか面白いね、立飛って」
立飛「人の傷跡抉り返して、怒らせて、泣かせて、説教して……その挙げ句、面白いって、激しく人間性を疑うんだけど……」
依咒「あはは、よく言われる」
立飛「なに……まさか私に情を持っちゃったとか言わないよね……?」
依咒「なわけないじゃん。心配しなくてもすべてが終わったら全力で殺してあげるからさ♪」
立飛「あ、そう……その満面の笑みがすごいムカつく……」
依咒「面白いっつったのはそのまんまの意味。お前をいじってやると反応が面白いからね」
立飛「……あんたが最低な人間ってことはよーくわかったよ」
依咒「まぁ、なんていうか…」
依咒「感情を溜め込み過ぎると暴発しちゃうからねぇ……それを上手く吐き出せると楽になれるものだけど、好きな人にはなかなか言いづらいじゃん? でも嫌いな奴相手なら、なんつーか逆に言いやすいことってあると思うんだよね」
立飛「……」
依咒「私はお前が嫌いで、お前は私が嫌い。ほら、なんと素晴らしい関係性かっ!」
立飛「…………依咒は、私に何か吐き出したいこと、あるの?」
依咒「すーちゃんが帰ってこない。お前のせいだ。よって殺す」
立飛「それ、いつも言ってるやつじゃん……」
依咒「……あれ?」
立飛「ん?」
依咒「そういえば立飛、お風呂の時も髪型変わってないよね」
立飛「…?」
依咒「そうだそうだ、なんかずっと違和感あるなーと思ったらそれかー。たしか最初に会った時はポニーテールで束ね目に髪飾り付けてたでしょ?」
立飛「よく覚えてるね…」
依咒「なんでやめちゃったの?」
立飛「…もうあの髪飾りは無いから」
依咒「なんで? どっかに落としたとか?」
立飛「ううん……あんなゴミ、とっくに捨てたよ」
ここまで
超今更だけど里バージョンの立飛のイメージは黒髪ポニーテールね
ついでに鈴もポニテ
────────……………………
……それから、数日が経った。
依咒「ふぅっ、やっと着いたー!」
立飛「着いたー!」
立飛「へぇ、この町はかなり栄えてるね」
依咒「よし、んじゃ手筈通り立飛は町の北から。私はこの南側から攻める」
立飛「ん、わかった」
依咒「ほい、軍資金。無駄遣いしたら駄目だかんねー?」
立飛「でもそろそろ拉麺も食べたいよー」
依咒「拉麺かー……それもイイなぁ」
立飛「ほ、意外な反応……言ってみるものだ。てか餃子以外も食べれたんだね…」
依咒「ま、たまにはね。んー、いやー、でもなぁ……壱に餃子、弐に餃子、三四が百合で伍にすーちゃんのこの私が立飛みたいなガキに侮られるのもなぁー」
立飛「別に侮ってるわけじゃないんだけど……百合?花好きなの?」
依咒「…ふふ、立飛にはまだ早いかな」
立飛「??」
依咒「ま、とりあえず。餃子は一人前ずつ買って、まだ食べられそうだったら拉麺も見てみよっか」
立飛「わーい! じゃあ行ってくるねー!」
依咒「町の中心部で落ち合おう」
……そして。
立飛「あ、やっと来た」
依咒「あれ? 立飛の方が早かったか。で、収穫は?」
立飛「そ、それが……」
依咒が目を下ろすと、どう見ても手ぶらの立飛。
依咒「は……? 立飛さぁ、拉麺食べたいからって、わざとスルーしたわけじゃ」
立飛「そんな狡いことしないから! って、そういう依咒こそ何も持ってないじゃん!」
依咒「そうなんだよねぇ……こんだけ栄えてるから胸弾ませてたってのに…………なんで餃子売ってる店が一件も無いわけっ!?」
立飛「…ね、私もビックリしたよ」
依咒「……潰すか、この町」
立飛「依咒の城から領土広げるにしては、ちょっと離れ過ぎてない? 監理大変そう」
依咒「まぁ、冗談だけどさぁ。はぁ…………」
立飛「元気出してよ。向こうに拉麺屋ならあったよ?」
依咒「仕方無い、御飯はそこにしよっか」
立飛「うん。じゃ、案内してあげる」
依咒「あ、その前に。ちょっと待って、立飛」
立飛「んー?」
……ごそごそと、服の袖から何やら取り出す依咒。
依咒「じゃーん! これ買ってきた。簪」
立飛「え? ……わ、私に?」
依咒「なんか頭淋しいなーと思ってね。頭貸して、ついでに結ってあげるから」
立飛「ん、うん…」
依咒「おぉ、見た通り綺麗な髪……さらさらして触り心地良いね。なんか手入れとかしてるの?」
立飛「べ、別に、特には……そういうのあんま興味無かったし。……てか、なんで私にわざわざ」
依咒「金は天下の回りものって言うじゃん? だから町を歩いて何も買わないっていうのはつまんないし、世の為人の為にならないからねぇ」
立飛「金持ちめ……」
依咒「他に欲しいものも無かったしー、最近よく働いてくれてる立飛への御褒美に、ってね」
立飛「……ふーん」
依咒「……よしっ、完成。はい、鏡」
立飛「ん…」
依咒「どう? なかなか似合ってると思うけど?」
立飛「うん……ありがと。じゃあお礼に私が拉麺奢ってあげるね」
依咒「それ私の金なんだけど……まぁいっか」
────…………
……一方、妙州の様子はというと。
ユカ「痛っ…!」
鈴「由佳、大丈夫?」
ユカ「あ、全然平気です。果物剥こうとして指切っちゃっただけですから」
鈴「血が出てる。手当てしなきゃっ…」
ユカ「大丈夫です大丈夫です、こんなのすぐ治りますよ」
空蜘「おいこら、誰が食べ物に触っていいっつった! 勝手にそんなことするから罰が当たったんだよ! ざまぁっ」
ユカ「心配してくれなくてもちーさんの分じゃないですぅーっ! 私とミモリさんの分だから別にいいじゃないですかー!」
空蜘「ならこれでもし鈴が死んだらお前が犯人ってわけだ。うんうん、まぁ実験台としては丁度良いかー」
ユカ「ちーさんには百年経っても信用してもらえなそうです……じゃあよーく見ててくださいよー? これを食べてミモリさんが死ぬのかどうか」
空蜘「もういっそのこと鈴が死んでくれた方が逆に信用できそうに思えてきた」
ユカ「えー、なんですかそれー! 期待にそぐえなくて申し訳無いですけど、ミモリさんは絶対に死んだりしませんよーだ」
空蜘「えー、死なないのー? 残念」
ユカ「ほら、ミモリさん。死なないってところを一発ちーさんに見せつけてやってください!」
……そう言ってユカは皮を剥いた柿を鈴に差し出した。
ユカ「どうぞ」
空蜘「どうぞどうぞー」
鈴「い、いや……めちゃめちゃ食べづらいんだけどっ!」
ユカ「え……ミモリさん、まさか私のこと、信用してくれてな」
鈴「そ、そういう意味じゃなくてっ……二人がそんな死ぬとか死なないとか言ってくるから……もう、普通に食べさせてよっ!」
蛇龍乃「…………」
鹿「…どした? じゃりゅのんも柿食べたいの?」
蛇龍乃「……いらない」
鹿「そっか」
蛇龍乃「……なんか、すっかり馴染んでるね」
鹿「え?」
蛇龍乃「ユカ」
鹿「あ、あー……うん。妙なことしなきゃそんな悪い奴でもないし。なんだかんだ言って、空蜘も可愛がってるみたいだし」
蛇龍乃「……部屋戻る」
鹿「……」
蛇龍乃「ぁ……お茶、持ってきてくれる? 鹿」
鹿「う、うん!」
蛇龍乃「あと、ヱ密も呼んどいて」
……………………
……蛇龍乃の間。
鹿「じゃりゅのん、お茶持ってきたよー。それと…」
ヱ密「うぅ……ぐすっ……じゃ、蛇龍乃、さん……っ」
蛇龍乃「……な、なんで、泣いてるの?」
ヱ密「まさか、蛇龍乃さんの方からっ……呼んでもらえる日が、また訪れるなんて……嬉しくて、ぐすっ……」
蛇龍乃「そ、そう…………なんか、ごめん……」
ヱ密「ううん、それで話って?」
蛇龍乃「いや、そういうわけじゃないんだけど……なんていうか、その……ヱ密と鹿が側にいてくれると、安心するっていうか……だから」
ヱ密、鹿「「…………」」
鹿「ヱ密…」
ヱ密「うん……鹿ちゃん」
鹿「なんか私、今めちゃくちゃ感動してる……」
ヱ密「蛇龍乃さん、立派になられて…………私たちも苦労して介護した甲斐があったね」
鹿「もう死ぬまで面倒見ていくのかと覚悟してたよ…」
蛇龍乃「…………」
蛇龍乃「……それと、気持ち悪いな、と」
ヱ密「え…」
鹿「私たち、が…?」
蛇龍乃「い、いや違う……自分の生活空間に、知らん奴が入り込んでる違和感というのか……」
鹿「……まぁ、それは」
ヱ密「そういえば、さ……蛇龍乃さん」
蛇龍乃「なに……?」
ヱ密「なんであの時、立飛と牌ちゃんを任務に出したなんて言ったの…?」
蛇龍乃「……そっちの方が余計な波風立てなくて済むと思ってね」
ヱ密「そっか…」
蛇龍乃「……立飛と、牌ちゃん、今頃どうしてるかな」
ヱ密「……」
鹿「元気でやってるよ……きっと」
蛇龍乃「そういやあの二人は、術、そのままなんだっけ……?」
ヱ密「たしか、うん……私の知ってる限りではそうだったと思う」
蛇龍乃「…………現状、術を奪われたままなのは、私と鹿と空蜘、だけ?」
鹿「そうだよ。それがどうかした…?」
蛇龍乃「……いや、まだなんとも」
蛇龍乃「…………」
蛇龍乃「ねぇ、二人とも……私が部屋に籠ってる間に起こったこと、二人が知ってること、全部私に教えて」
鹿「う、うん…」
ヱ密「わかった」
鈴の鍛練中に起こったいざこざ。空蜘の意味深な言動。
違う世界の言語ではあるがスマホの仕組み。里に降りるより前でのユカとの接触。
ユカをぶっ殺す会議でのやり取り。屋敷での何気無い会話の一つ一つ……等々。
……覚えている限りのことを蛇龍乃に伝えた。
ヱ密「こんくらいかな……たぶん」
鹿「空蜘は放っておいて大丈夫なの……それ」
ヱ密「うーん、わかんない。拷問して吐かせる?」
鹿「あれが拷問に屈するとはとても思えないし、これ以上問題増やしてもねぇ……」
蛇龍乃「ふむ…………種……スマホ……術…………鈴…………ユカ…………トイズ……探偵…………手配書……世界…………忍者」
鹿「ん、何か気付いたの?」
蛇龍乃「……何か、見えてきそうで見えてこない…………繋がりそうで、繋がらない……というか」
ヱ密「…?」
蛇龍乃「久々に頭動かしたら、頭痛が……うぅ……っ、寝る……夕御飯になったら、起こして……ぅゅ……」
そう言って、のそのそと布団へと潜る蛇龍乃。
まぁ仕方無いか、と。鹿とヱ密は互いに顔を見合わせた。
相変わらず瞳に力は無く、まだ辿々しい口調は残るが。
それでも以前と比べ、随分と立ち直ってくれたようにも窺えた。
……そして数時間後。
蛇龍乃「すぅ……すぅ…………」
ヱ密「朝ですよー、蛇龍乃さん」
鹿「嘘です。夜です。御飯できたって」
蛇龍乃「ん……んぅ……御飯、か…………やっぱいらない……起きるの、めんどくさい……」
鹿「んなこと言ってないで、じゃりゅのんは病み上がりみたいなもんなんだからさ。ちゃんと飯食わないと元気戻んないよー?」
ヱ密「そうそう、鹿ちゃんの言う通り。てか蛇龍乃さん、前と比べてちょっと痩せた……というか窶れた気がするよ」
蛇龍乃「んんぅ……そんなこと、ないだろ、変わってないよ……知らんけど」
ヱ密「ほら、鏡。自分で見てみたら?」
蛇龍乃「んー……?」
ヱ密から渡された手鏡を覗くと、当然ながら自分が映っていた。
……たしかに、少し窶れているようにも見えた。精神的なストレスはあるにせよ睡眠は充分すぎるほどとっているので、栄養不足なのだろうか。
だが、そんなことはどうでもよく。普段あまり鏡を見ることは少なく。そのせいか、少々驚いてしまった。
まったくと言っていいくらいに覇気が無く、なんと弱々しい顔をしているのか、鏡に映し出されているこの女は。
忍びの衆の頭領という誇りがまだ残っているのか、こんな自分を受け入れ難く、鏡を叩き割ってやろうかと考えたが。
ヱ密の私物ということもあり、なんとか堪えた蛇龍乃だった。
……そして夕飯時。これには蛇龍乃を含め、今この屋敷に暮らしている全ての人間が揃っていた。
空蜘「うーん……なんか日を追うごとに質素になっていってない? 鈴の料理」
鈴「えー、そんなこと言われても限られた材料で調理してるんだから、これ以上どうしようもないよ」
紅寸「お肉食べたい…」
空蜘「そうだ、ユカ」
ユカ「はい?」
空蜘「お前、肉は持ってきてないの? ほら、酒は持ってきてたじゃん。私への献上品として」
ユカ「あるわけないですよね……もし今まで隠してたらとっくに腐ってますよ」
空蜘「チッ……使えないね」
鹿「また狩りにでも行ってくれば? 空蜘」
空蜘「うーん、そうしよっかなー」
鈴「狩りって、その……猪とか、だよね? そんなのあたし料理したことないんだけど」
ヱ密「まぁ鈴ちゃんが難しそうなら、それは私がやるよ」
鈴「さすがえみつん! 頼りになる!」
ユカ「あ、ミモリさん。お茶どうぞ」
鈴「ん、ありがと」
空蜘「こら、舎弟。鈴なんかの前に私に注げよ」
ユカ「えー、だってちーさん、私に何かされるのすんごい嫌がるじゃないですかぁ」
空蜘「お茶注ぐくらい許してあげるよ。ほーら、さっさとしてー」
ユカ「はいはい、わかりましたー」
蛇龍乃「……え? ……ぁ…………まさか」
ヱ密「蛇龍乃さん?」
ユカ「どうかしました? じゃりゅさん」
蛇龍乃「……いや、なんでもない。私も……お茶、飲みたい」
蛇龍乃「……………………」
そして、夕食を取り終え、部屋に戻った蛇龍乃。
神妙そうに口を開き、同じく側にいる鹿とヱ密に言う。
蛇龍乃「……二人とも、ちょっと頼まれてほしいんだけど」
鹿、ヱ密「「……?」」
……………………
深夜。夜空に浮かぶ白い満月が妙州の里を照らす。
……しかし、ここにはその光は届かない。
蛇龍乃は、冷ややかな空気が流れる薄暗い空間に一つ灯りを灯した。
屋敷とは隔離された、嘗て空蜘を幽閉していた独房。
窓も無いこともあり、外へ繋がる口は重そうな引き戸が一つだけ。
……そして。
……ガラガラ、と。
戸が開かれ、射し込む月明かりと共に人影。
蛇龍乃「いらっしゃい、待ってたよ」
蛇龍乃「……鈴」
鈴「…さっき鹿ちゃんに手紙みたいなの渡されて、来たんだけど…………じゃりゅにょさんだけ?」
……その手紙には、“ユカに気付かれぬよう一人でこの場所まで来い”と記されてあった。
何か企みを匂わせる内容ともあり、少々の緊張感をもってこの戸を開け恐る恐る足を踏み入れた鈴。
蛇龍乃「そうだよ。ちょっとお前と話したいことがあってね」
鈴「な、なに……? なんかここって、不気味で……あまり好きじゃないんだけど」
蛇龍乃「まぁそう言わずに……そんな長い話でも無いから、さ」
鈴「う、うん……」
蛇龍乃「まず初めに……鈴」
鈴「は、はい……」
蛇龍乃「お前はアホだ」
鈴「……………………はい?」
────…………
立飛「え? 今、なんて……?」
依咒「あれ? 聞こえなかった? 今回の対象……ユカの人物調査が大方終わったって言ったの」
立飛「ほ、本当? いつの間に……」
依咒「まぁねー! さすが私!」
立飛「すごいっ…!」
依咒「で、調べていくにつれて面白いことがわかってねぇ……まぁ最初に話を聞いた時点でもある程度予想はついてたけどー」
立飛「え、なに…?」
依咒「……それは」
立飛「そ、それは…………ごくりっ……」
依咒「なんと……」
立飛「なん、と…………」
依咒「驚くことに……」
立飛「お、驚くことに……って! 勿体振らずに早く教えてよっ!」
依咒「あははっ、まぁ百聞は一見に如かず。自分で目を通してみて?」
……と、依咒は立飛に紙の束を渡した。
依咒「これと……あと、こっちも」
立飛「ん、ありがと……どれどれ……」
立飛「…………」
立飛「…………」
立飛「…………え? なに、これ……嘘、でしょ……?」
────…………
蛇龍乃「そうなんだよ、最近すっかり忘れてたけど……お前はアホだったんだよ」
鈴「え、えーと…………戻っていい?」
蛇龍乃「駄目。まぁわざわざここに呼んだのはお前を罵倒するためじゃなく、いくつか訊きたいことがあってね」
鈴「あたしに、訊きたいこと……? それって、由佳のこと、だよね?」
蛇龍乃「お、正解。鈴にしては察しが良いじゃん」
鈴「……そりゃあ、由佳に内緒で来いなんて言われたらそれしかないよね」
蛇龍乃「ユカ……そう、ユカについてのことなんだよ」
蛇龍乃「ねぇ、鈴…………どうしてユカは種を扱えるんだろう? これが私のなかで一番引っ掛かっていてね」
鈴「へ? そんなのあたしに訊かれても……素質の問題、とか?」
蛇龍乃「お前はまったく扱えなかった種……それをあのユカは完璧に使いこなしている。これは紛れもない事実だ」
蛇龍乃「素質といったけど、向こうの世界でお前とユカは能力値としての差はそれほどあったの?」
鈴「差、って言われても……まぁ一応あたしの方が先輩だけど。そんな、目に見えてどちらが優れているとか劣っているとか、そういうのは」
蛇龍乃「それなのにお前は種を使えなくて、ユカは使える……と」
鈴「……」
蛇龍乃「鈴の世界と、この世界。お前が何度も口にしているように、その二つは合わせ鏡のようなもの。だから対となる者が存在する……こっちの世界でお前と対となる存在は誰だっけ?」
鈴「……凉狐。それはじゃりゅのさんも知ってるよね?」
蛇龍乃「そうだね、それに間違いは無いと思う。当然、その世界の両方を見てきたお前がその認識は最も強いのも確かだ」
蛇龍乃「……で、これは私が最もお前に訊きたかったことなんだけど」
蛇龍乃「お前があの城に囚われていた時のすべてを、私は把握していない」
蛇龍乃「だからこうして一つ、お前に問う」
蛇龍乃「一度でも、凉狐がスマホを使って“種”を操作した試みはあった?」
鈴「な、無いと、思う…………でもスマホは空が管理してたから、あたしの知らないところで使ったかもしれない、けど」
蛇龍乃「鈴の知る限り、凉狐は種を使ったことはないというわけだ?」
鈴「まぁ、うん……」
蛇龍乃「それなら、もしかしたら凉狐は種を扱えるのかもしれないし、やはり扱えないのかもしれない」
鈴「…………」
蛇龍乃「鈴が言ったように、この世界においての術やトイズというのは素質というものが大きく関わってくる。……あくまで可能性の問題だよ、可能性」
蛇龍乃「お前の話してくれた向こうの世界というのは、術やトイズといった異能が存在しなければ、滅多に争い……殺し合いなんかも起こらない」
蛇龍乃「そんな世界で暮らしていたお前とユカの間に、この世界でいう素質の差っていうのは実際殆んど無いと思うんだよ」
蛇龍乃「それなのに、鈴は種が扱えなくてユカは容易に扱える」
蛇龍乃「果たしてこれは偶然だろうか? たまたまユカにそういう素質があっただけだろうか?」
鈴「…………」
蛇龍乃「明確な証拠なんか何も無いよ。あくまで私の勝手な憶測。どんなに私が低いと思っていようとそういう可能性はあるかもね。でも、可能性の話をするなら……」
蛇龍乃「お前が所持していたスマホ……これに備わっていた特殊な力、“種”を対となる存在の凉狐が実は扱えるのだとしたら。どちらかといえば、その方が可能性としては濃いようにも思える」
蛇龍乃「こう考えた方が、私としてはまだ自然だ」
鈴「……っ、じゃりゅのさん…………それって、まさか」
……ここまでくれば、誰だって蛇龍乃が言わんとすることは自ずと察せられた。
当然、この鈴であっても。
蛇龍乃「鈴、アイツは……あのユカは、“どっち”だ────?」
鈴「……っ、どっちの、って…………そんなの」
……この蛇龍乃の問い。“どちら”のという意は、最早言うまでもなく。
鈴の世界で鈴と共に声優をしていた由佳か。
この世界に対となり別に存在するもう一人の由佳となる者か。
鈴「で、でもっ……由佳はあたしのこと知ってたし」
蛇龍乃「ああしてスマホを所持してるんだ、お前が知っている方のユカと接触したことに間違いはないだろ。その時にお前の情報を入手していたとしても特段おかしな話じゃない」
鈴「……っ」
蛇龍乃「最初に言ったように、お前はアホだ。だから、お前を欺くことなんかそれほど難しくないんだよ」
蛇龍乃「私たちにその区別がつかない以上、お前さえ騙してしまえば私たちの認識のなかでは……ユカはお前と同じ世界から来たユカということになる」
鈴「そ、そんなこと……あるわけ」
蛇龍乃「間違いなくあのユカがお前のよく知ってるユカだと言い切れる? この世界に存在する筈のないスマホを持っていて、お前の名前を知っていて、ある程度の情報を用意していた……」
蛇龍乃「それだけで勝手にお前がそう思い込んでただけじゃないの?」
鈴「そ、それ、は……」
……と、その時。
ズドッ、と外で争う音。そして短い悲鳴が聞こえ。
次の瞬間には。
ズガッ──!!
鍵を掛けていたこの部屋の戸が、破壊された。
ユカ「…あっ! こんなところにいたんですかー、ミモリさん。何処にもいないから心配しちゃいましたよー」
鈴「……ゆ、由佳」
……そこに立っていたのは、いつもと変わらずあっけらかんとしているユカ。
種を使ったのだろう、手に握られているスマホ。
その背後には、蛇龍乃から見張りを任されていたヱ密が倒れていた。
蛇龍乃「…………」
ユカ「安心してください。殺したりなんてしてませんから」
鈴「由佳、なんでえみつんを…」
ユカ「だってミモリさんの姿が見当たらなくて、そこに立ってたえみさんに訊いても何も答えてくれないから……心配になっちゃって」
ユカ「もしかしたら、ミモリさんが虐められてるんじゃないかって……だから、私」
蛇龍乃「……相変わらず、白々しい芝居だね」
ユカ「え?」
蛇龍乃「……鈴、何かユカに訊いておきたいことある?」
鈴「…………」
鈴「……あたしは、由佳を信じたいよ」
鈴「だから……っ、由佳。あたしの名前、言える? 本名……言えるよね?」
ユカ「ど、どうしたんですか、そんないきなり……」
鈴「お願い、答えて……」
ユカ「ミモリさんはミモリさんでしょ? ミモリスズコさん」
鈴「…………」
ユカ「ミモリ、さん……?」
鈴「…………ユカ、あたしは本名を訊いてるんだけど。あたしのこと本当に知ってるなら、簡単に答えられるよね……?」
ユカ「…………」
蛇龍乃「…そこまでは教えてもらえてなかったみたいだね」
鈴「……っ、ユカ、本当に」
ユカ「…………」
ユカ「…………ふっ」
ユカ「ふふっ……あははははっ! あーあ、なんだバレちゃってたんですねぇ」
鈴「……っ、なん、で……っ」
ユカ「ていうか、遅っ……もっと早い段階で気付かれるかと思ってたのに、全然気付いてくれないんですもん」
ユカ「お人好しというか馬鹿というか……やっぱ向こうの世界の人って平和ボケしてるから簡単に信用しちゃうんですねぇ」
鈴「……ずっと、騙してたの…………あたしのこと」
ユカ「そうですよ。貴女と会ったのは此処が初めてです」
鈴「……っ、じゃ、じゃあ本物の由佳は」
ユカ「さぁ? どうでしょう?」
蛇龍乃「……殺したのか?」
ユカ「そこはノーコメントで」
鈴「…っ、そん、な……っ」
ユカ「今更私が、由佳は元気にしてまーす、って言ったところでそれを信じます? ミモリさん」
鈴「……っ、ひぐっ……うぅっ……」
ユカ「……」
蛇龍乃「…お前の大好きな鈴が泣いてるよ? 優しく慰めてあげなくていいの?」
ユカ「私の話聞いてましたぁ? 私とミモリさんは面識も無い赤の他人。素性がバレた以上、優しくしてあげる必要があるとでも?」
蛇龍乃「そうだね。その通りだ」
蛇龍乃「なら、お前が此処に来た別の目的があるということ。もしかしたら、そのもう一人のユカから鈴を連れ出すことを条件に情報を与えられたのかもしれない」
蛇龍乃「いや、実際そうだろうね」
鈴「なら……っ、由佳は、生きて」
蛇龍乃「それはわからない。情報を得た後に殺すことも可能だっただろうし……まぁそこはコイツの人間性次第」
蛇龍乃「それを私たちはどうしたって知れないんだから、今の時点で判断するのは不可能だ」
ユカ「へぇ……あれだけビビってた人が、やけに冷静ですね」
蛇龍乃「……恐ろしいよ、恐ろしいけど…………なんていうんだろ、開き直ってんのかな」
蛇龍乃「どんなに脅えていたとしても、実際いつでも殺される可能性はある……でもそれをしないお前」
蛇龍乃「鈴以外に……私たちを殺す以外の目的、いやいずれは殺すんだろうけどね」
鈴「なにか、知ってるの……?」
蛇龍乃「……ユカ。終始余裕を貫いていたお前が、一度だけ素の反応を表したことがあったよね」
ユカ「……」
蛇龍乃「鈴の他に別の目的があるのだとしたら……お前が此処に来てから、最も被害を被っている者」
ユカ「すごい……素直に尊敬しますよ、じゃりゅさん」
ユカ「はい……あの時は正直驚きましたよ。いきなりこの屋敷からいなくなってるんですもん」
蛇龍乃「……やっぱり、そうか」
ユカ「……戻ってくるんですよね?」
蛇龍乃「……」
ユカ「ま、戻ってこなかったらその時はその時で。別の方法を考えなきゃですねぇ…」
ユカ「今はゆっくり待ちましょうか。……“アイツ”がまた此処に戻ってくるのを────」
────…………
立飛「…………なんで、こんなのって」
依咒「私たちはすーちゃんに種を使わせたことはなかったから、こっちのユカが種を使えたとしても不思議じゃないかもね」
……依咒が行った調査。
依頼としては別世界の由佳について、だったが。
調べていくうちに、こちらの世界のユカと接触があったと思われた。
そこで依咒はこちらの世界のユカの人物調査も行った。
この世界に来てからそう年月が経っていない由佳と比べ、こちらのユカは当然この世界で二十年以上存在している。
その過去を可能な限り調べ、その調書も併せて立飛に渡したというわけだ。
……しかし、これに目を通した立飛の反応は依咒としても少々予想外のものだった。
立飛「……っ、なんで……」
依咒「どしたの? 顔を青くして…」
立飛「……」
……調書のなかから立飛が茫然と目を落としているある項目。
依咒「ん、ああ、これ……こっちのユカが十年前くらいに生活してた地域」
立飛「…………丁度同じ頃……此処に、私もいた」
依咒「……え?」
調査によると、その場所は今は無く。
当時は異能を持つ者が集められた集落であった。
そこに立飛も居たとするなら。
依咒「それって、偶然……?」
立飛「……わからない」
ここまで
また深夜か明日か明後日か
依咒「偶然……のわけないか。妙な女が突然鈴ちゃんを訪ねてきて、屋敷に居座って。本当に欲しければ強引に拐えば済む話なのにね」
依咒「術を封じて、内情掻き回して、立飛を散々煽り倒してキレさせて。ムカつくなーと思えば、なんとこの世界のそいつは実は過去に立飛と面識がありました、とか」
依咒「どう考えたって出来すぎてるよねぇ……ちなみに訊くけど、立飛が追い出されたその場にユカはいた?」
立飛「……いなかった」
依咒「ならほぼ決まりだね。お前らの里に現れたのは、この世界のユカってこと」
依咒「立飛が里を出ていったのは、ユカにとってイレギュラーだったのかも。立飛、そのユカのこと覚えてないの?」
立飛「……知らない。少なくとも、私は覚えてない」
依咒「ま、十年も経ってんだからねぇ。ちょうど成長期の時期だし、風貌が変わって思い出せなくても仕方無いか」
立飛「……でも、向こうは私のことを知ってた」
『……久しぶり。うん……すごく』
今思えばあの言葉は鈴に対してではなく、自分に対してのものだったのかもしれない。
だとすれば、ユカが里を訪れた目的は鈴ではなく私ということになる。
鈴のせいで、なんて酷く責め立ててしまったが、こんなの完全に自分のせいじゃないか。
自分のせいで、蛇龍乃たちは術を奪われ、里をぐちゃぐちゃに掻き乱され。
どう考えたって、鈴は被害者だ。
あんなになついていたのは、ただ利用するためだけだったのか。
……ユカの目的が私であるなら、私が出ていった後の里はどうなっているのだろう。
……もし、最悪を想定するなら、それは。
立飛「……っ!」
依咒「待てっ! ……何処行くつもり? 立飛」
立飛「里に戻るんだよ……私のせいで……っ、依咒の言う通りあのユカが偽者なら、私に用があるんだから……っ、早く、戻らなきゃ」
依咒「その用って?」
立飛「知らないよそんなのっ! 顔も名前も全然思い出せない相手なんだからっ…」
依咒「……間違っても良い案件じゃないよね、それ。下手すりゃ、殺されるよ?」
立飛「…っ、そうかも、しれないけどっ、だってこのままじゃ皆が!」
依咒「ユカの企み、それがなんなのかは私にもわからない。鈴ちゃんにあるにせよ、立飛にあるにせよ、また別の何かだったにせよ」
立飛「……だったら、なんだっていうの!?」
依咒「でも原因が何であったとしても、立飛が蛇龍乃を見限ったことには変わりはないでしょ? 蛇龍乃が立飛に見限られるような言動……上に立つ者としてお前の憧れ、信念、誇りを裏切った事実は揺るがない」
依咒「他の奴等もお前のことを散々厄介者扱いして、追い出したんでしょ? そんな奴等の為に、殺されるかもしれないリスクを負ってまで」
依咒「そこに戻る価値なんてあるの?」
立飛「……っ、でも……私は」
依咒「ねぇ、立飛…………忍者なんか捨てて、探偵にならない?」
立飛「…………え?」
依咒「立飛の術は、忍者よりも探偵向きだと思うけど? 自分でもそう思ったことない? 私が立飛を一流の探偵に育ててあげるよ」
依咒「私に付いてくれば何も間違いは無い。お前を否定したあんな馬鹿で情けなくて弱い連中なんか切り捨ててさ……蛇龍乃なんかよりも私の方が、立飛をずっと上手く扱える」
立飛「…………」
依咒「……どう? なんなら牌流も一緒に面倒見てあげてもいいよ。それに腐るほど金もあるし、環境も申し分無い」
依咒「悪い話じゃないでしょ?」
立飛「……そう、だね」
立飛「…………依咒の元で探偵になれば、殺される心配なんてない。あんたは頭も良くて腕も立つし、ムカつくほどプライドも高いから情けない姿なんか死んでも見せないんだろうね」
立飛「…でも、ユカの標的が私だとして……もし私を追って城にまで現れたら」
依咒「どんなに、それこそ無限に種を揃えて本気で殺しにきたとしても……あの空が負けると思う?」
立飛「…思わない」
依咒「でしょ?」
立飛「うん。こんな好条件、厚待遇を提示されて、それでも忍びを選ぶなんて有り得ないよね。そんな奴がいたとしたら、どうしようもない馬鹿だよ」
立飛「……でも、私はそんなどうしようもない馬鹿でいい。私と同じくらいどうしようもない馬鹿な皆が、私は大好きだから」
立飛「何をされたって、どんなことを言われたって、嫌いになんかなれるわけなかったんだよ」
立飛「だってあの里が、たった一つの私の居場所なんだもん」
依咒「……そっか」
立飛「…うん」
依咒「はい、合格」
立飛「うん……ぅ、え?」
依咒「まぁ当然だよねぇ。そんな簡単に仲間を捨てる奴なんかこっちから願い下げだわ」
立飛「え、い、依咒……? じゃあ、私を探偵にするつもりは」
依咒「んなのあるわけないじゃん。え、まさかマジで信じちゃってたー? ま、殺されるの承知で敵が待ってる場所へ戻ろうとするくらいだもんねー」
立飛「……やっぱ、あんた嫌い」
立飛「でも、ありがとね……依咒」
依咒「……」
立飛「じゃあ私、里に」
依咒「だからー、待てって」
立飛「は? え……まだなんかあるの?」
依咒「私、お前から依頼受けてたよね? まさかバックレる気?」
立飛「……もしかして、調査終わったからさっさと命よこせって? でも牌ちゃんと御殺に会ってからじゃないと……なら一旦城に戻る、とか?」
依咒「城にも里にも向かわない」
立飛「……?」
依咒「私は依頼に関しては完璧主義だから。お前に報告書渡した時に言ったよね?」
立飛「渡した、時……?」
『あれ? 聞こえなかった? 今回の対象……ユカの人物調査が大方終わったって言ったの』
依咒「“大方”終わった……つまり、実はまだやり残してることあるんだよねー」
立飛「やり残してること、って……?」
依咒「これが今回の一番の要で。お前ら忍者の里に現れたのはこの世界のユカ。じゃあ別の世界から来たユカは今何処で何をしているでしょう?」
立飛「アイツのことだから、とっくに始末してるんじゃ……涼狐にとっての鈴みたいな存在でしょ? そんな足手まとい…」
依咒「いや、ちゃんと生きてるよ。その場所も既に掴んである。んで、そっちのユカに聴取すればまた新たに何かわかるでしょーってこと」
依咒「手ぶらで戻るよりもずっと賢い策だと思うけど、どう?」
立飛「依咒…………ありがと」
依咒「依頼受けたんだから、これくらい当然のこと。……あと、お前を殺すのは私なんだから簡単に死んでもらっちゃ困るんだよねー」
立飛「そっか……うん、頑張って死なないようにする」
────────……………………
「「「……………………」」」
遊伽「さて皆様、改めまして“遊伽(ゆか)”です。今後ともどうぞよろしくですー! って、あれ? どうしましたぁ?」
鹿「…どうしましたぁ?じゃねーよ、この詐欺師め」
紅寸「遊伽ちゃんは、最初から皆を騙すつもりで…」
遊伽「あはは、こうも上手くいくとは思ってませんでしたよ。ま、いくら騙せても信用はしてもらえてなかったみたいですけどねー……ま、軽々しく他人を受け入れるわけもない、そこはさすが忍者というのでしょうか」
遊伽「でも、一人だけ……ミモリさんだけはずっと私のことを信じきっちゃって、嬉しかったですよ。ありがとうございます。貴女が疑うことも知らないお人好しだったおかげで、私もそこそこ楽しめましたし」
鈴「…………」
遊伽「もー、そんな暗い顔しないでくださいよー。怒ってるんですかぁ?」
鈴「……ごめんね、みんな。あたしのせいで……っ、あたしが、簡単に騙されちゃったせいで」
ヱ密「…そんなことないよ。もしも鈴ちゃんや私たちがもっと早い段階からそういう疑念を抱いてたとしても、遊伽ちゃんは力付くでどうにでも出来たんだから……こうなる結果は変わらなかったと思う」
遊伽「さすがえみさん。仰る通りで」
ヱ密「…で、私たちを一体どうしたいの? ただ殺したいっていうのとはまた違う気がするけど」
遊伽「それはまだ内緒です。メインがこの場に居ないんじゃ、何も始まりませんしねぇ」
紅寸「メイン…? えっと、此処にいないのって……」
蛇龍乃「……お前と立飛は、知り合いだったの?」
遊伽「ぱいさんという可能性は完全に除外ですか?」
蛇龍乃「ないよ」
遊伽「ふふっ、でしょうね」
紅寸「でも、立飛……遊伽ちゃんのこと、此処で初めて会った風だったけど」
鹿「どういう関係…?」
遊伽「……」
蛇龍乃「……話したくないってこと?」
遊伽「どうでしょうねぇ。たとえ私が話したところで、それを皆さんは信じちゃうんですか? こんな嘘つきの言葉を」
蛇龍乃「さぁね。まぁそこはこっちで勝手に判断するから、とりあえず言ってみ」
遊伽「うーん、じゃあ恋人同士とか?」
鹿「じゃあ、って…」
ヱ密「どうやら真面目に答える気は無さそうだね」
遊伽「あはは、なんでもいいじゃないですかぁ。今のところは皆さんに何かするつもりは無いので、今まで通り仲良くしてくださいね?」
……あの時。蛇龍乃が遊伽の素性を暴いた後。
遊伽は、ヱ密と紅寸の術を封じた。
これで現在この里に居る鈴以外の忍び全員が、封術により術を封じられていることになる。
遊伽「……それにしても災難ですねぇ、皆さんも。“あんな奴”の仲間だったばかりにこんなことになっちゃって」
鈴「……っ」
ヱ密「……立飛を殺した後に、私たちも殺すの?」
遊伽「さぁ? そこはご想像にお任せします。 でも、今どうこうってことはありませんのでご安心を。……まぁ、妙な動き、此処から逃げようとしたらどうなるかわかりませんけどね」
ヱ密「……」
蛇龍乃「……ま、大人しくしておくしかなさそうだな」
遊伽「はい。あ、そうだ。普通に暮らしててもつまんないんで、ゲームでもしましょうか?」
遊伽「私と一番仲良くしてくれた人には御褒美として、もれなく術を返してあげるっていうのはどうです? 面白くないですかぁ?」
鹿「そんなつもり絶対無いだろ…」
遊伽「はい、しかさんは-1ptです」
鹿「はいはい、一人で勝手にやってろ」
遊伽「あははっ、ノリ悪っ! -3pt」
蛇龍乃「ほ、本当に……?」
遊伽「あ、じゃりゅさん参加します?」
蛇龍乃「うーん……ど、どうしようかな……」
鹿「簡単に騙されそうになるなよっ…!」
蛇龍乃「ぅ……うゅ……っ」
遊伽「あははっ、ゆっくり考えてくださいよ。……まぁその話は一旦置いといて」
……と、愉快げに笑っていた表情から一変、睨むような目付きを飛ばし。
遊伽「…………で、ちーさんは何処に?」
ヱ密「知らないって何度も言ってるでしょ。こっちが知りたいくらい」
蛇龍乃「この状況を考えれば、早々に逃げるのが賢い選択ではあるが…」
鹿「でも、あの空蜘が、術を奪われたまま逃げた……?」
鈴「……」
紅寸「……空蜘」
遊伽の正体が判明した時点でか、鈴が独房を訪れた時点か、それともそれよりも前か、定かではないが。
いずれにせよ。
…………空蜘はこの屋敷から忽然と姿を消していた。
────────……………………
依咒「見えてきた……彼処」
草木を掻き分けながら、険しい森を進む二人。
前に立ち先導する依咒と、その後ろを付いていく立飛。
依咒が指差した先、そこに見えたのは。
立飛「あれって……塔?」
依咒「うん、彼処に別の世界から来たユカがいるみたい」
立飛「そういえばさ、会ってどうするの…?」
依咒「そんなの決まってんじゃん。知ってること全部吐き出させて、その情報を元に解決策を練る」
立飛「…もし」
依咒「もし大した収穫が無ければ、重要参考人として身柄を拘束するよ。交渉の材料、人質くらいにはなってもらわないとね」
依咒「殺さずに今も生かしてるってことは、何か理由があってのことだろうし」
立飛「なるほど」
……そして、少々急ぎ足で森を進み、抜けたその先。
立飛「……」
視界に入ってきたのは、湖だった。太陽の光を反射し、キラキラと輝く水面。
美しい光景に思わず、目を奪われた。
それほど大きくはない湖。ドーナツ型のように、中心に小さな陸地がある。先程見えた塔は湖の中央に聳え立っていた。
その塔へと渡る道は一本。
依咒「立飛」
立飛「…うん」
……塔に向かうべく、二人がその道を進もうとした、その瞬間。
依咒「…っ、後ろに跳べっ!!」
立飛「っ!」
ヒュッ──!!
塔がある方向から、物凄い速さで何かが放たれたのか。
侵入者を狙い撃つように。
殺意を察した依咒と立飛は、即座にその場から飛び退いた。
二人の目の前の地面に深々と刺さっていたのは、鋭く尖った鉄製の杭のようなものが数本程。
依咒が逸早く気付いたおかげで回避出来たものの、もし喰らっていれば軽傷では済まなかっただろう。
依咒「……」
立飛「…ありがと、助かった。私たちを近付けさせないように……ユカ、じゃないよね」
そう、此処にいるユカが鈴と同じ世界から来た者だとするならば。
このような正確無比な芸当、とても不可能だろう。
だとすれば、この攻撃を放ったのはユカ以外の何者かということに。
……と、立飛が奥に見える塔を睨み付けていると。
ヒュッ──!!
またしても鉄の杭のようなものが二人目掛けて飛んでくる。
立飛「…っ!」
先程と同じ様に、飛び退き避けようとしたが。
立飛「え…?」
その鉄の杭は、一直線に地面には突き刺さらず。
避けた二人を追い、なんと浮き上がり軌道を変えた。
逃がすまいと、まるで誘導ミサイルのように迫り来る。
立飛「…っ!?」
再び避けようとする立飛、だがその眼前で依咒。
キィンッ──!
依咒「……」
バッと、扇子を広げ。
追ってくる数本の杭を、軽々と弾き落とした。
依咒「…………」
立飛「い、今のって……」
依咒「…………」
依咒は何も言わず、ただじっと先に視線を向けたまま。
そして、この攻撃を放ったであろう者が、塔の方から姿を現す。
一歩一歩、此方へと近付いてくる一人の人物。塔の守人なのだろうか。
……やがて、二人の目の前に。
立飛「……え?」
その者の姿に驚きを隠せないといった立飛。だが依咒は予想していたのか、大して惑いもせず口元を緩ませ。
……静かにその名を口にした。
依咒「どうして邪魔をするの? すーちゃん」
凉狐「依咒ちゃんこそ、此処に何か用?」
立飛「す、凉狐……っ、なんで……?」
あの一件以降、行方を眩ませていた探偵凉狐がどうしてこの場所にいるのか。
ということは、先程の攻撃を放ったのも凉狐のトイズの力なのだろう。
……そして驚くことがもう一つ。
……トイズが使える。それは即ち。
凉狐「へぇ、立飛も一緒なんだ? すごい意外な組み合わせ。いつの間に仲良くなったの?」
……以前、立飛により潰されていた筈の二つの眼。
それが今は、何事も無かったかのよう開かれており。
凉狐の瞳には、依咒と立飛の姿がしっかりと映し出されていた。
依咒「ははっ、これはただの助手だから。別に仲良しなわけじゃないって。そんな妬かなくても、私の一番はすーちゃんに決まってんじゃーん」
凉狐「ふーん、別に妬いてるわけじゃないけどー……まぁ、なんつーか久しぶりだね。依咒ちゃん」
依咒「うん。また会えて嬉しい。元気そうで良かった。てかすーちゃんさぁ、いつまでもふらふらしてないでそろそろ城に戻ったらー?」
凉狐「んー、そうだね。そのうち戻ろっかな」
依咒「うん、そうしてあげて。御殺と空も喜ぶと思うから。なら今はとりあえず……そこ、退いてくれない?」
凉狐「ごめん、いくら依咒ちゃんに言われてもそれは無理だ。依咒ちゃんこそ、引き返したら?」
依咒「無理。依頼、引き受けちゃったから。この先に私が求める手掛かりがあるんだよねー」
凉狐「なるほど。そっか、依頼だったら仕方無いね」
依咒「一度引き受けた依頼はどんなことがあっても解決まで導く。すーちゃんも知っての通り、これは探偵としての誇り」
凉狐「だったらこっちも退くわけにはいかないかな。私も依頼、引き受けちゃったから」
依咒「依頼って?」
凉狐「此処に誰も近付けさせるな、って。あと、お姫様のお世話係もかな」
依咒「お姫様? それって別世界のユカのこと?」
凉狐「さすが依咒ちゃん。もうそこまで調べ上げてるんだ?」
依咒「まぁねー! だって名探偵だもん、私。依頼ミスったことなんか一度も無いのすーちゃんも知ってるでしょ?」
凉狐「うん。ま、私も引き受けた依頼をミスったことなんか一度も無いし。知ってるよね?」
依咒「……私は依頼を遂げる為に、その塔にいるユカに会う必要がある」
凉狐「……私は、相手が誰であろうと由佳を守らなくちゃいけない。会わせるわけにはいかない。それがたとえ、依咒ちゃんだとしても」
互いに大切な仲間であっても、どのような想いを持っていたとしても。
探偵として、何よりも優先すべきは“依頼”。
一度引き受けた依頼はどんなことがあっても必ず解決まで導く。
その誇りを胸に、対峙する二人の探偵──依咒と凉狐。
【依咒 VS 凉狐】
依咒「本気で戦うのはこれが初めてだっけー? 悪いけど、すーちゃん相手でも手加減しないよ? てか相手がすーちゃんだから手加減出来ないって言った方が正しいか」
凉狐「こっちも同じ。全力で挑まないと、依咒ちゃんには勝てそうにないからね」
依咒「楽しくなりそう……さて、じゃあさっそく」
立飛「い、依咒っ! ちょっと待ってよっ、二人ががりっていっても凉狐と戦って勝てるわけないじゃんっ!」
依咒「はぁ? ごめん、すーちゃん。助手がなんか喚いてるから、ちょっとだけ待ってて」
凉狐「私はいつでも。戦わなくて済むなら、それが一番良いし」
依咒「ありがと。……てかまずさぁ、立飛」
立飛「…なに?」
依咒「二人がかりっつった? お前の援護なんか誰も求めてないから。私とすーちゃんの真剣勝負に横槍入れたら殺すよ?」
立飛「え、あの凉狐と一対一でやるつもり? ヱ密と空蜘が二人で戦っても敵わなかったんだよ!?」
依咒「なんで私をそんな雑魚二人と同列に並べてるの? めちゃくちゃ不愉快なんだけどー」
立飛「いや、あんたヱ密に殺られてたじゃん…」
依咒「そんなことあったっけー? 忘れたー」
凉狐「はははっ、勝った負けたでいえば、私もヱ密に負けたことになるのかな?」
立飛「…ていうか、凉狐。なんでその眼……直ってるの?」
凉狐「そんなに不思議かなぁ?」
依咒「この状況を考えれば、そこまで驚くことじゃないでしょ」
立飛「え……この状況って」
依咒「すーちゃんを雇った、依頼主はこっちの世界のユカ。これは間違いはない筈」
依咒「まずそもそも、依頼を引き受ける引き受けないなんていうのは探偵の自由で。忍者の任務のように強制じゃない」
依咒「なら何故すーちゃんは、こんなどす黒い企てに加担しているのか。それも面識の無い相手からの依頼。いくら大金を積まれたとしても、普通なら引き受けたりしないでしょ」
凉狐「…………」
依咒「それなのにすーちゃんはこうして依頼を受け、私たちの前に立ち塞がっている」
依咒「壊れた筈の眼は直り、そして依頼主のユカは立飛と同じ集落出身」
依咒「その集落は、立飛のような異能の力を持った者が集められていた」
依咒「ほら、もう答え出てんじゃん」
立飛「じゃ、じゃあ……ユカの能力で」
依咒「そうとしか考えられない。多分ユカと接触した時に、トイズの種も与えてあげたんでしょ」
依咒「……どう? すーちゃん。私の推理、当たってる?」
凉狐「……ホントは喋っちゃいけないんだろうけど、そこまで完璧に言い当てられたら否定するのも見苦しいよね」
凉狐「さすが依咒ちゃん、お見事。そうだよ、遊伽のおかげでこの眼は直った。誰かさんのせいで一生光は戻らないと思ってたから……最初は遊伽の言葉を素直に信じられなかったんだよね」
立飛「……」
凉狐「だからこうして光を与えてもらったこと……すごく恩義を感じてる」
依咒「だから恩返しに依頼を引き受けてやった、と」
依咒「治癒能力ってこと? でも空ですら無理だったものをここまで完璧に直すとか」
凉狐「正確にいうと遊伽の能力は、治癒じゃなくて“修復”。異常を治すんじゃなくて、壊れたものを直す」
立飛「修復……」
……皮肉なものだと、立飛は思った。
自分の大好きだった居場所を“破壊”したユカの能力が“修復”なんて。
だが能力の詳細を聞いても、やはりユカのことは思い出せない。
本当に会ったことはあるのだろうか。
いや、あの集落で生活していたのは事実なのだから少なくとも同じ空間には居たのだろう。
だとしても凉狐を雇ってまで、ここまで手の込んだ嫌がらせを受ける、恨みを買った覚えなどまるで記憶には無かった。
とりまここまで
やっと凉狐を出せた。この二人はどうしても戦わせたかったからね
ではまた
別件が片付いたので夜からまた更新します
────…………
……あれから数日が経った妙州では。
立飛と牌流は未だ戻ってこず。空蜘も姿を消したまま。
遊伽が自分たちの敵であると、完全に確信したからといって起死回生の策が発案されるわけもなく。
術を奪われ、いや術があったとしても真っ向から力で勝ろうなどとても不可能とも思える最凶最悪の敵。
依然として、どうしようもないといった状況が続いていた。
遊伽「……なんか、つまんないです」
鹿「当たり前でしょ……どう楽しくなると期待したのか」
遊伽「私と皆さんとの間に、あからさまな壁を感じます」
ヱ密「自業自得って言葉知ってる?」
蛇龍乃「お前は私たちに媚びてほしいの?」
遊伽「別にそういうわけじゃありませんけどー」
紅寸「くすんたちを殺したいなら、なんですぐに殺さないの…?」
遊伽「あれ? くーさんは死にたいんですかぁ?」
紅寸「死にたくないよっ、そんなの当たり前じゃん」
ヱ密「……立飛が此処に現れるまで私たちを殺さないし、動機も喋るつもりもないってこと?」
遊伽「まぁ、そんな感じですかねぇ。だから皆さんとは仲良くしたいんですけど……それも無理っぽいみたいですねー。あーあ、残念です」
鹿「んなの、こっちから願い下げ」
遊伽「……ていうか、そもそも戻ってくるんですかぁ? アイツ」
「「「…………」」」
遊伽「任務、でしたっけ? それも怪しいんですよねぇ」
遊伽「実は任務というのはまったくの嘘で、私といるのが耐えられなくなって出ていったか……それとも皆さんがアイツを邪魔と切り捨て追い出したか」
遊伽「いずれにしても、戻ってこない奴をいつまでも待ってあげるほど私も暇じゃないんですよねー。さてどうしましょう?」
蛇龍乃「……」
遊伽「じゃりゅさん」
蛇龍乃「任務だよ。前にも言った通り、機密事項だから部外者のお前に内容は明かせないが」
遊伽「そうですか。なるほど。まぁ、そう言うしかないですよねぇ……戻ってくる見込みが無いと知れたら、何するかわかりませんもんねー?」
遊伽「わかりました、ではもうしばらく此処での暮らしを堪能させてもらいますので。どうぞよろしくです」
……妖しげな笑みを浮かべ、遊伽は自室へと戻っていった。
……………………
遊伽「はぁ……」
……夜。自室にて溜め息を落とす遊伽。
空蜘が行方を眩ましたのは、正直予想外であった。
鹿も口にしていた通り、遊伽が知っている限りでもあの空蜘が術を諦めて逃亡したとは考えづらい。
ということは、もしかしたらまだ近くに潜んでいるのか。
だとすれば警戒を怠るわけにはいかない。が、術を奪っているのだから、いや術があったとしても遊伽には“種”がある。忍者の、そして探偵の。
相当に油断しない限り、空蜘相手に討たれるといったことはないだろう。
……そして、空蜘などよりも。一番の優先対象の立飛が里から姿を消したこと。
おそらく、任務というのは機転を利かせた蛇龍乃の嘘なのだろう。
追い出されたにしても、立飛自身に多少なりともその気が無ければすんなり出ていく筈も無い。
何故なら立飛にとって、此処は何よりも大切な場所。
……それを一度でも、見失ってしまうくらいに。
遊伽「……ちょっとやり過ぎちゃったかなぁ」
蛇龍乃と二人で会っていたあの夜。蛇龍乃は気付いてなかったようだが、部屋の外から感じた気配。
錯乱したタイミングからして、おそらくあれは立飛のものだったに違いない。
そもそも遊伽が此処を訪れた一番の目的は立飛にあるのだから、その対象が居なくてはなんの意味も無くなってしまう。
裏目に出てしまったか、と少し後悔している遊伽。
……と、そこに。
部屋の外に気配を感じ、目を細める。
遊伽「…誰、ですか?」
鈴「……あたし」
遊伽「……ミモリさん?」
鈴「……入っていい?」
遊伽「……ええ、構いませんけど」
鈴相手なら警戒する必要も無い、と遊伽は入室を受け入れた。
鈴「おじゃまします」
遊伽「……どうしましたぁ?」
鈴「ん、一緒に寝ようかなって。ほら、ユカが来た最初の日も一緒に寝たじゃん?」
遊伽「……はい? どういうつもりですか……理解してますよね……? 私にとってミモリさんはただの利用手段でしかなかったんですよ?」
遊伽「私はミモリさんのことを知りません。だから、自分だけは気に入られていると思っているとしたら、それは大きな勘違いです」
鈴「…わかってるよ。それくらい」
遊伽「ならどうして?」
鈴「ユカが、寂しそうだったから」
遊伽「は……?」
鈴「前に言ったでしょ? ……何があってもユカの味方でいる、って」
遊伽「……あー、なるほど。そういうことですか」
遊伽「こうして私とミモリさんがまったくの面識が無いと判明したから、殺さないでください、と? 忍者の皆さんを捨てて私に取り入ろうってわけですか。意外としたたかなんですね、貴女」
鈴「……違うよ。ユカがりっぴーやみんなに酷いことしようと考えてるなら、あたしはユカの味方はできない……ごめん」
鈴「でも、ユカの側にいてあげることはできるよ。独りにはしないから…」
遊伽「…………」
遊伽「……ふっ、あはははははっ!」
遊伽「何を言い出すのかと思えば……私、そんなの全然望んでませんけど?」
遊伽「……私はずっと独りでしたから。孤独が寂しいとか、辛いとか、思ったことなんか一度もありませんよ」
鈴「本当に……?」
遊伽「ええ、本当ですよ」
鈴「みんなと一緒にいる時、楽しそうな顔も覗かせてたから…」
遊伽「馬鹿なんですか? そんなの演技に決まってるじゃないですか。おめでたい頭してますねぇ、ミモリさんって」
鈴「……そっか。ユカがそう言うならそれでもいいよ。でも寝るまでの間、話すくらいいいでしょ?」
遊伽「……」
鈴「ユカに、みんなのこといっぱい話してあげたい。もっとよく知ってもらって、もしりっぴーのこと誤解してるなら、それで考え直してくれれば」
遊伽「いい加減にしてもらえませんか? ウザいですよ、ミモリさん」
遊伽「まだわかってないんですか? 私が今まで貴女に好意的に接してあげていたのは、此処に自然に潜入するため」
遊伽「まさか今でも自分だけは殺されないとか思ってます? ご存知の通り、ミモリさんと同じ世界の由佳に会いましたよ。私」
遊伽「だからこうしてミモリさんの情報とスマホを与えられて此処に来ました。貴女を連れて帰ってくることを条件にね」
鈴「……」
遊伽「……でも、そんな口約束守ってあげる必要がどこにあるのかって話ですよ。このスマホがあれば由佳なんかもう用済み」
鈴「じゃあまだ由佳は生きて…」
遊伽「さぁ? ていうか生きてたらなんなんですか? 死んでたらなんなんですか? どっちにしたって、私にはあの存在は不快です」
遊伽「だって自分とそっくりなもう一人の自分とか、普通に考えて気持ち悪いでしょ? ミモリさんだって凉さんにそう思われてるんじゃないですかー?」
鈴「え? ユカ、凉狐に会ったの……? それに、あたしと凉狐が知り合いってこともどうして」
遊伽「…………別に、貴女には関係無いです」
鈴「凉狐、元気にしてた?」
遊伽「知りませんよ。そんな他人を気にするより、自分の命を心配した方がいいんじゃないですかぁ? あまりウザすぎると殺しますよ?」
鈴「……っ」
遊伽「私は由佳とは違う。勘違いの特別意識なんか期待してたら、寿命を縮めることに……あっ、そうだ」
……と、遊伽は何かを閃いたのか。わざとらしく笑みを作り出し、鈴へと向けた。
遊伽「……ふふっ、ねぇミモリさん」
鈴「な、なに…?」
遊伽「ミモリさんって良い人ですよねー。普通ならこんな私が憎くて仕方無い筈なのに、側にいてあげるなんて言ってくれて」
遊伽「自分の命可愛さか、あわよくば私の目的を阻止できれば、とか……まぁ理由なんてなんだっていいです」
鈴「……」
遊伽「私のことを独りにしない……そう言ってくれて、素直に嬉しかったですよ」
鈴「ユカ……」
遊伽「ミモリさんの言った通り……私、寂しかったのかもしれませんね。私だって人間ですから、皆さんから軽蔑の視線を向けられ続けてたら心だって痛みますよ」
遊伽「だからミモリさん、私と仲良くしてくれます?」
遊伽「別に皆さんを裏切って私の方に付けなんて言うつもりはありません。今までみたいに普通に接してくれるだけで嬉しいです」
遊伽「駄目でしょうか?」
鈴「…ううん、ダメじゃない。それってあたしの話も聞いてくれるってことだよね?」
遊伽「話? ああ、皆さんの話ですか……まぁ絶対に言いくるめられたりしませんけど、それで気が済むのなら構いませんよ」
鈴「うん、ありがと」
遊伽「でも一緒に寝たりはしませんよ? 会ったばかりの人と同じ布団で寝るとか……キモすぎて初日の夜なんか吐き気と必死に戦ってましたしー」
鈴「うぅ……そこまで言わなくても……」
遊伽「あははっ。それじゃミモリさん、そろそろ私寝たいので出ていってもらえますかぁ?」
鈴「…はいはい、キモくてウザくてすいませんでしたー」
……と、部屋を出ていこうとする鈴に。
遊伽「……ミモリさん、一つ訊いてもいいですか?」
鈴「なに?」
遊伽「私が由佳じゃないってことを知った時こそショック受けてたみたいですけど、今とか特に平然と接してきて……私が怖くないんですか?」
鈴「どうなんだろうね……でも、別々の世界だとしても、ユカはユカでしょ? こんなこと言うと怒るかもしれないけど、今あたしの目の前にいるユカがどんな理由でこんなことしてるのかはわからない」
鈴「でも、悪い子には見えないから……信じたいから。あたしは由佳が好き。だからあなたのことも好きになれたらいいな」
遊伽「…………訊いた私が馬鹿でした。よくそんな考えで生きてこられましたね。尊敬しますよ」
鈴「ねぇ、ユカ」
遊伽「おやすみなさい。ミモリさん」
鈴「…うん。おやすみ」
……鈴が去った後、再び重い溜め息を吐く遊伽。
遊伽「はぁ…………変な人。あんな人のどこが良いんだか……」
遊伽「……まぁ、でも、まだまだ利用価値は有りそうかな」
────…………
そして翌日。
広間に皆が集まり、いやユカによって集められ。
蛇龍乃、鹿、ヱ密、紅寸、鈴を前に。
……そんなユカが開口一番に放った言葉といえば。
遊伽「つまんないです」
鹿「勿体振って何を言い出すのかと思えば」
蛇龍乃「……それ、昨日も聞いたぞ」
遊伽「はい。昨日の続きですから」
ヱ密「……?」
遊伽「アイツが戻ってこなきゃ、ただただ退屈なだけですからね。任務だろうと任務じゃなかろうと……待ちくたびれちゃいました。私」
鹿「だったら、なに……?」
紅寸「……」
遊伽「皆さんが悪いんですよー? ちょっと素性を知ったくらいで掌返したように、これまで築き上げてきた友好関係を放棄しちゃって」
遊伽「仲良くなれたと思ってたのにー……ねぇ、くーさん?」
紅寸「それは遊伽ちゃんがくすんたちを騙してたからでしょ」
遊伽「あははっ、そりゃそうですよねー。はいはい、わかってますよー」
遊伽「でもどうせ此処にいるなら楽しく過ごしたいですし、まぁそれも今となっては無理ということは承知しています」
遊伽「……だから、三日」
遊伽「三日経ってもアイツが戻ってこなければ……此処にいる誰か一人、死んでもらうことに決めました」
「「「……っ!?」」」
遊伽「で、次もまた三日ごとに誰か一人に死んでもらいます。もしアイツが戻ってきた時に、此処に死体が積まれていたらどんな顔をするんでしょう? ふふっ」
鹿「…おい、ちょっと待て」
遊伽「まぁ誰が死ぬか私が勝手に決めてもいいんですけど、どうせなら皆さんに決めてもらいましょうか」
ヱ密「……」
遊伽「不公平が無いように投票制です。三日が経っても此処にアイツが現れなければ、皆さんには誰か一人の名前を書いて提出してもらいます」
遊伽「それで、最も書かれた名前の多かった人が死にます。どうです? わかりやすいでしょ? 楽しそうでしょ?」
ヱ密「自分が死にたくなかったら、他の誰かを……仲間を売れってこと」
鹿「お前のそのくだらない遊びに、私らが付き合ってやるとでも思ってんの…?」
ヱ密「命を握られてるこの状況……といってもこんなの、ちょっと趣味が悪すぎるよね」
遊伽「あはは、嫌なら別に誰の名前も書かずに白紙でも結構ですよ? まぁその場合、無記入はじゃりゅさんと見なして白紙の枚数によってはじゃりゅさんが死んでしまうことになりますが」
鹿「……っ」
蛇龍乃「…………」
遊伽「まぁそれも良いかもしれませんねぇ。術を失っては何も出来ない無能な頭領……切り捨てるとすれば絶好の機会かと」
……だがそう言われて、素直に蛇龍乃の名を書く、もしくは白紙にする者などいないだろう。
普通に考えて、この中から誰か一人を犠牲にしなければならないとしたら…………おそらく。
と、遊伽にもそれは容易に想像できた。だからこそ、遊伽は。
遊伽「…あー、言い忘れてましたけど。ミモリさんはこれには参加しませんので」
紅寸「…え?」
遊伽「ミモリさんは私と仲良くしてくれる、と仰っていただけました。ねぇ? ミモリさん」
鈴「ユカっ、こんなの……っ」
ヱ密「鈴ちゃん、本当に?」
紅寸「う、裏切った、の……?」
鈴「ち、違うよ……? あたし、そんなつもりじゃ」
遊伽「はい、ミモリさんは別に皆さんを裏切ったわけじゃありませんので責めないであげてください」
遊伽「ただ純粋に、ミモリさんが皆さんを想う気持ちの一欠片でも私に向けてくれたのが嬉しくて」
鈴「ユ、ユカ、待ってよっ……いくらなんでも」
遊伽「ですから、三日待つと言ってるじゃないですかぁ?」
遊伽「その間にミモリさんが私を改心させるも良し、アイツが戻ってくるも良し、なんなら私を殺しますか? ま、その時は返り討ち覚悟でね」
鈴「……っ」
蛇龍乃「……そうか。まぁ鈴はそういう奴だよね。ああ、悪い意味じゃないよ? 私たちを裏切ったわけでも遊伽に味方してるわけでないってとこはわかってる」
ヱ密「うん……鈴ちゃんらしいね、それも」
鹿「……遊伽」
遊伽「はい?」
鹿「んじゃなに? 私らもお前と仲良くしてやればいいの? 拗ねくったお前の気まぐれで殺されるくらいならそれも」
遊伽「いえ、結構です」
鹿「はぁ!?」
遊伽「あの、しかさんって友達いないでしょ…? 殺されるのが嫌だから仕方無く仲良くしてやる、とかそんなんで誰が喜ぶと思ってるんですか……」
鹿「お、お前にだけは言われたくねーしっ!!」
遊伽「最初にも言いましたけど、信用してくれたら術を返してあげるつもりはまだありますよ? 私は皆さんに恨みはありません、目的はアイツだけですから」
ヱ密「また、術をちらつかせて私たちを操ろうとしてる…」
蛇龍乃「術…………」
鹿「なら、どうしたら信用してくれるの……?」
遊伽「それは自分で考えてくださいよ。ミモリさんと違って一流の忍者を相手にしているわけですし、私だって簡単に気を許したりなんてしません」
遊伽「行動で示すのが一番なんじゃないですかぁ? たとえば、満場一致で誰か一人を犠牲にする意思を見せる、とか?」
ヱ密「…どうしても仲間割れさせたいみたいだね」
遊伽「あははっ、まぁどれもこれも三日の内にアイツが戻ってこなかったらの場合ですから……仲間を信じるか、それとも仲間を裏切るか」
遊伽「よーく考えてみてくださいよ」
紅寸「…………」
……………………
紅寸「……っ、…………」
鹿もヱ密も蛇龍乃も、皆、大切な仲間。
それなのに、どうしようもない孤独感に苛まれる。
立飛と牌流が戻ってこないということ、あれが任務などではないということ。
紅寸も薄々感付いてはいた。
二人揃って里から姿を消した。自ら出ていったのか、追放されたのか。
直前に起こった鍛練での騒動、牌流が遊伽を問い詰めようとした件。
その夜に何が起こったのか、ヱ密や鹿に訊けばわかることなのだろうが……それも今となっては。
……先程、遊伽が提案したこの中の誰か一人を殺すという、遊び。
鈴が省かれたとなれば、残る対象は。
紅寸、ヱ密、鹿、蛇龍乃。
立飛が戻ってこなかったら、誰かが殺される。遊伽は本気だ。猫を被る必要が無くなった今なら、躊躇などしないだろう。
自分たちの中の誰かが、死ぬ。
……誰か? そんなの考えるまでもなく、自分なのではないか。
率先して蛇龍乃の名前を書こうなど誰も考えない。
ならば残るのは自分含めの三人。以前からヱ密と鹿は結託しているようにも思える。
……と、なれば。殺される第一候補としては。
紅寸「…っ、違う……皆が、そんなこと、思うはずが」
……疑いたくない。疑いたくない、のに。
もし、あの二人が立飛と牌流を屋敷から追放、里から切り捨てたのなら。
同じように、紅寸を切り捨てる選択もあるのかもしれない。
……死にたくない。いざ突き付けられた死の恐怖で、頭がおかしくなりそうだ。
術なんかいらない。このまま何もせず殺されるのを待つくらいなら。
いっそのこと、皆を捨てて此処から逃げ出すか。
いや、空蜘の件もあり。誰かが逃亡することに関し、遊伽も注意を払っているだろう。
遊伽は依咒の五感強化に加え、立飛の術も持ち合わせている。追跡など容易い。
……だったら、自分に残された選択は。
……………………
……コンコン。
ある部屋の前に立ち止まり、戸を鳴らすと。
「どうぞ」と中から応答。紅寸は戸を開けた。
遊伽「いらっしゃい、くーさん」
紅寸「……うん」
遊伽「……どうしました? そんなところに立ってないで、どうぞこちらへ。私を殺しにきたってわけでもなさそうですし、歓迎しますよ」
紅寸「……鈴ちゃんは、一緒じゃないんだ?」
遊伽「ミモリさん? えぇ、私はミモリさんの知ってる由佳ではないので、もうべたべたしてみせる必要もないでしょう?」
遊伽「……それとも、ミモリさんの同席をお望みでしたか?」
紅寸「ううん」
遊伽「ふふっ、ですよねぇ? ミモリさんがいない方がくーさんにとっても都合良いでしょ?」
紅寸「……っ」
遊伽「それで、用件はなんでしょう?」
紅寸「…っ、遊伽ちゃんも、もうわかってるでしょ……?」
遊伽「私はくーさんの口から聞きたいんですよ」
紅寸「……」
紅寸「……遊伽ちゃん」
紅寸「助けて……っ」
少ないけどここまで
明日はちょい厳しいかも
紅寸「このままじゃ、殺されちゃう……助けて、ください」
遊伽「殺される? 誰にですか?」
紅寸「え? それは、遊伽ちゃん、に……」
遊伽「私がくーさんを殺す? いつそんなこと言いましたっけ?」
紅寸「だ、だって、三日後の投票で名前書かれた人を」
遊伽「はい。でもそれがくーさんと決まったわけではないでしょう? えみさんかもしれませんし、しかさんかもしれない。じゃりゅさんの可能性だってありますよね?」
紅寸「な、ないよっ! ヱ密や鹿ちゃんが蛇龍乃さんの名前を書くわけがないっ!」
遊伽「へー、そうなんですかぁ。ま、私にはそこらへんの、誰が誰をみたいな事情は知らないのでよくわかりませんけど。ふふっ」
と、遊伽はわざとらしく笑ってみせた。
そして言葉を続ける。
遊伽「ならじゃりゅさん以外の誰かってことですね。くーさんも負けないように頑張ってくださいねー。私、応援してます」
紅寸「だ、だからっ、無理なんだよ……っ、どうやったって、私はっ……」
ヱ密と鹿が蛇龍乃を殺そうとするわけがない。
かといって、喜んで紅寸の名前を書くといったことはないだろう。
だが、誰か一人を選ばなくてはならないのなら。
……それは。
遊伽「元気出してくださいよ、くーさん。そんなに死にたくないんですかぁ?」
紅寸「あ、当たり前でしょっ、死にたいわけが、ないよ……っ」
死と隣合わせに在る忍びといえど、その覚悟はいつだって生の為にある。
こんな任務でもない、ただの遊びに付き合わされ、どうして自分が殺されなくてはならないのか。
遊伽「じゃりゅさんのためでも、ですか?」
紅寸「え……?」
遊伽「頭領を守るのも、その手下であるくーさんの大切な務めじゃないんですかぁ?」
紅寸「……っ」
遊伽「自分が生き抜くためだったら、じゃりゅさんが死んでも構わない、と?」
紅寸「…………」
即座に返答はできなかった。唇を噛み締め、俯く紅寸。
以前の自分なら、躊躇いもなく蛇龍乃の盾となっていただろう。
……だが。
遊伽「……術が無ければ私に抗う力は持たず。かといって何か起死回生の策を見出だすわけもなく。状況に委ねるだけで着実に死へと向かっている。皆さんを引き連れて、ね」
遊伽「そんな無能なお荷物のために、どうして自分が犠牲ならないといけないのかー。……どうです? 当たってました?」
紅寸「……っ、…………」
遊伽「だったらじゃりゅさんの名前を書けばいいだけじゃないですかぁ?」
紅寸「…っ、遊伽ちゃん、わかってて言ってるでしょ……」
そう、いくら紅寸が蛇龍乃の名前を書いたところで。
紅寸の名前が二票以上書かれたらなんの意味もないのだ。
無記入は蛇龍乃も見なすとルールのせいで、誰の名も書かない責任逃れは許されない。
蛇龍乃が自分の名を書くわけがないし、ヱ密か鹿に蛇龍乃の名を書くように誘導することなど、紅寸には不可能だ。
それはあの二人と戦って勝つより難しいかもしれない。
紅寸「お願いします……助けて、ください……っ、仲良くするから」
遊伽「仲良く、ねぇ……」
紅寸「ほらっ、鈴ちゃんを除けば前々から遊伽ちゃんと一番仲良くしてたのくすんだったじゃんっ…!」
遊伽「そういえばそうでしたねぇ。くーさんのこと、結構好きでしたよ。私」
紅寸「だ、だったら…」
遊伽「ねぇ、くーさん」
遊伽「くーさんの必死さは伝わってきました。でも皆さんの前でも言った通り、そう簡単に信用はできませんよ?」
紅寸「……っ」
遊伽「……ここだけの話。別の世界の私、由佳は今も生きています。ここにいるミモリさんを連れて帰るという約束を交わし、彼女からスマホと情報を与えてもらいました。だから、私はミモリさんを殺せません」
紅寸「……」
遊伽「ずるいと思います? 本当なら真っ先に切り捨てられるべきミモリさんは、私が素性を明かした今でも特別扱いを受けてる。そのせいでくーさんが最も死に近い位置に置かれたわけですからね」
遊伽「わかります? ミモリさんとくーさんは置かれている立場がまったく違うんですよ。くーさんは二つは選べない。死ぬのが嫌なら、皆さんを捨てて私の側に付いてください」
遊伽「私は、アイツが大嫌いなんですよ」
紅寸「アイツ、って……立飛のこと、だよね……?」
遊伽「あー、そんな名前でしたねー……ふふっ、名前なんか与えてもらえなかった塵以下のくせに。私はそんなの口にしたくないので呼びたくありませんけど」
紅寸「名前を、与えてもらえなかった……?」
立飛の過去を詳しく聞いたことはなかったが、“立飛”という名は蛇龍乃が与えたものだと紅寸も知っていた。
だとすれば、この遊伽はかなり昔から立飛のことを知っていたというのだろうか。
紅寸「遊伽ちゃんって……立飛と、どういう」
遊伽「それ、くーさんに関係あります?」
紅寸「…ごめん」
遊伽「……わかりました。では、くーさんは私の味方になるということでいいんですね?」
紅寸「…………うん」
紅寸「でも殺さない、よね……? あとになって殺したりしないよね?」
遊伽「はい。それはお約束します。“私は”くーさんを殺したりしません」
紅寸「わ、私は、って……?」
遊伽「くーさんにはアイツを殺してもらいます。当然、アイツを殺せばくーさんは殺されませんし。もしアイツに殺されたら、死んじゃいますけどね」
紅寸「…え? 私が立飛を、殺す……?」
遊伽「アイツが死んだ時点で皆さんは用済みになりますから解放してあげますよ。くーさんが本当に私の味方になってくれるのなら……それくらい出来ますよね?」
紅寸「…………」
……初めて立飛と会った日からこれまでのことを思い出す。
年下のくせに自分よりもずっとしっかりしてて。でも稀に年相応の幼さも覗かせて、可愛いなと思うこともあった。
何度か共に任務へ向かったこともあった。あの探偵と戦った時も、隣には立飛がいたっけ。頼もしいと、そう感じた。
私は立飛を信頼していて、立飛も私を信頼してくれて。
里での日常も、立飛といると楽しかった。たまにケンカすることもあったけど、それも含めて立飛の何もかもが大好きだった。
大好きで、大切な。
友達で、仲間で、家族。
……でも、今はそんな立飛を想う余裕なんかどこかに無くしちゃったみたいだ。
ごめん。でも立飛が悪いんだよ。お前さえいなければ。
遊伽との間に何があったのかは知らないけど、そんな私怨にどうして私たちが巻き込まれなければならないのか。
私は、死にたくない。今は誰のためにも死んだりしたくはない。
……だから。
紅寸「うん、わかった。立飛が戻ってきたら、私が立飛を殺すよ」
遊伽「…ふふっ、ありがとうございます」
紅寸「あ、でも」
遊伽「はい、ご心配なく」
……と、遊伽はスマホを操作し、種を発動。そして展開。
展開されたその術とは。
紅寸「え? 術……いいの?」
そう、封術。
閉ざされた紅寸の術、吸血の術に。“開”を施した。
遊伽「それがあればアイツに負けませんよね? その時になれば、殺さない程度にミモリさんの血を吸って構いませんので」
紅寸「…うん。必ず殺してみせるよ」
遊伽「頼もしいです。くーさん。あ、術を返してあげたのは私からの信用を込めてですので……私を裏切ろうとしたり、此処から逃げようとか考えないでくださいよー?」
紅寸「そんなこと考えないよ。立飛が死ねばすべて解決するんでしょ? それで無意味な死から解放される」
遊伽「…はい。よろしくです」
紅寸「立飛、お前のせいで里がめちゃくちゃだよ……こんな状態にしてくれたお前を、私は許さない。絶対に殺してやるから、早く会いたいよ……立飛」
遊伽「……ふふふっ」
やはりWBC中は調整で忙しい
しばし待たれよ
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書き手が常軌を逸したゴミだった