アイドル「ファンども……握手会をしてやろうッッッ!」(43)

アイドルとは!?



清く正しく美しく──

小便も大便もせず──

恋愛などもってのほか!

常に大勢のファンに囲まれ、期待に応え続ける──生ける偶像!



神といっても過言ではないのである!

アイドルファンの朝は早い──



ガバァッ!

ファン「五時か」

ファン「まずは礼拝をしなければ、な」



ファンはアイドルのポスターに向かって、深々と頭を下げる。



ファン「今日もよき朝を迎えられたのは、あなたのおかげです」

アイドルファンには体力が欠かせない。

ゆえに彼は毎日のジョギングを欠かさない。



ファン「行くか」ザッ…



スタートの姿勢はむろん、クラウチングスタート。

そして、アスファルトをえぐるような踏み込みから、ジョギングを開始する。



ドギュンッ!!!

高名な物理学者によると──

時速80kmで走ると、その空気抵抗による感触は女性の乳房に似るという。

今、ファンの走る速度は時速80kmに達しようとしている。



ファン(あ、あ、あ、あ、あ、これだ!)ブワッ…

ファン(これはアイドルちゃんの胸なんだ! 胸なんだァ!)ブワッ…



今や、彼にとっては大気そのものがアイドル!

アトモスフィア・アイドル!

一時間にも及ぶランニングを終えた彼は、朝食タイムに入る。

朝食はご飯一杯のみ──

なぜ、これほどに質素なのか?

理由は簡単である。



ファン「あぁ~、今月もアイドルちゃんのグッズ買いすぎて金ないや」

ファン「ま、いっか」



彼は慢性的な金欠なのである。

まさに彼こそ、ファンの鑑といえよう!

しかし、これだけではいくらなんでも栄養もカロリーも足りない。

こんな生活を続けていれば、体調を崩すことは必然。

体調を崩せば、もはやアイドルどころではない。

ならば、どうするのか!?



ファン(食卓に飾ってあるアイドルちゃんのポスター)

ファン(これを見るだけでオカズは十分!)

ファン(おっと、もちろんいかがわしい意味のオカズじゃないぜ!)



米しか食べていないはずのファンの体内に、

炭水化物、タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラルの五大栄養素が満ちてゆく。

まさに彼こそ、ファンの鑑といえよう!

朝食が終われば、本格的なトレーニングの時間である。



ファン「ふっ……ふっ……」グッグッ…

ファン「ふっ……ふっ……」グッグッ…



彼のトレーニングは器具を使用せず、自重トレーニングが中心である。

なぜなら器具を購入する金などないから!

方法次第では自重トレーニングでも十分な成果を得られるが、

やはり限界というものは存在する。

しかし、彼は──

目の前にアイドルのポスターを貼ることでそれを超える。



ファン(アイドルちゃんに見られている……)

ファン(アイドルちゃんに見られている!)

ファン(アイドルちゃんに見られているゥ~~~~~!)

ファン(やっべ、緊張してきた!)



この極上の緊張感(プレッシャー)が、彼の体に凄まじい負荷をかけ、

器具を使用したトレーニング以上の効果を生むのである!



トレーニングの種類には「アイソメトリック」「アイソトニック」というものがあるが、

このトレーニングは「アイドルニック・トレーニング」と呼ぶこととする!

昼食タイム──



ファン「アイドルちゃんと一緒に食べるご飯はおいちぃ~!」



やはり、ご飯一杯だけだがなんの問題もない。

昼食後、ファンは地下室にこもる。

核シェルター並の強度を誇るこの部屋で、彼は──



ズン! ズズン! ズン! ズズン!

ファン「この重低音!」

ファン「やっぱりアイドルちゃんの歌声は最高だぜ!」



場所が場所なら地平線の彼方まで響くような凄まじい大音量で、アイドルの歌を聞く。

もちろん、鼓膜への負担は半端ではない。

ただの自傷行為にも見えるが、これも立派なトレーニングである。なぜなら──

その理由はいずれ明らかになるであろう。

夕食タイム──



ファン「アイドルちゃんのポスターだけで、満漢全席だよぉ~う!」



いうまでもなく、ご飯一杯だけである。

就寝時刻になった。

ファンは抱き枕を用意する。

重さ1000kg、全体に鋭い針が生えた合金製抱き枕である。



ファン「おやすみ、アイドルちゃん」ギュッ… グササッ…

ファン「あぁ~、アイドルちゃん痛いよぉ~」グサササッ…



この枕を全力で抱き締めながら、寝返りを秒間1000回繰り返す。

すなわち、皮膚と筋力の鍛錬。

こうしてファンは熟睡し、一日を終えるのである。

いったいなぜ、ファンはこれほどの鍛錬をこなすのか!?

それはもちろん、アイドルファンとしての誇りをまっとうするため!

これぐらいせねばアイドルの『ツアー』にはとても耐えられないからだ!





まもなく、その時は訪れた。

ファンが年に一度行われる『ツアー』に参加する時がきたのだ。

北海道最北端、宗谷岬──

10万人を超えるファンの前に、アイドルが姿を現す。



ズシンッ……

アイドル「よくぞきたッッッ! 我がファンどもッッッ!」

ワー……! ワー……!



ファン(アイドルちゃん、可愛いなぁ……!)

ファン(今年こそ、最後まで『ツアー』に参加してみせるぞ!)

アイドル「只今の時刻をもって、『ツアー』を開始する」

アイドル「我について参れッッッ!」

ズドドドド……!



ついに『ツアー』が始まった!

『ツアー』最初の試練は──「おっかけ」である。

時速100km以上の速度で走るアイドルを、どこまでも追いかけねばならない。



ファン(やっぱり最初は“おっかけ”からか!)

ファン(たしか四年前は──)

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四年前──

北海道宗谷岬から走り続け──ちょうど新潟県に差し掛かったあたり。



ファン「ハァ、ハァ、ハァ……」ヨタヨタ…

ファン「も、もうダメ、だ……」ヨロヨロ…

ファン「おえええええっ!」ビチャビチャ…

ファン「おえええええええええええっ!」ビチャビチャビチャ…



スタミナ不足であったファンは、あっけなく脱落してしまったのである。

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ファン(あれで猛省したボクは、毎日のジョギングを欠かさなくなった!)

ファン(今のボクにスタミナ切れは存在しない!)



今年、アイドルのたどったコースは──

北海道 → 青森 → 秋田 → 岩手 → 宮城 → 山形 → 福島 → 新潟 →

群馬 → 栃木 → 茨城 → 千葉 → 埼玉 → 長野 → 富山 → 岐阜 →

石川 → 福井 → 滋賀 → 京都 → 兵庫 → 鳥取 → 岡山 → 広島 →

島根 → 山口 → 福岡 → 佐賀 → 長崎 → 熊本 → 大分 → 宮崎 →

鹿児島 → 沖縄 → 高知 → 愛媛 → 香川 → 徳島 → 大阪 → 奈良 →

和歌山 → 三重 → 愛知 → 静岡 → 山梨 → 神奈川 → 東京

途中泳ぎも含めたこのコース!

およそ9割が脱落したが、ファンは難なくこなしてみせた!



ファン(クリアーだ!)

東京ドーム──

「おっかけ」をくぐり抜けた観客一万人が見守る中、アイドルが歌い出す。



ワー……! ワー……!

アイドル「心して聞けいッッッ!」

アイドル「では最初の曲……『灼熱☆ジェノサイド』ッ!」

ワー……! ワー……!



コンサートが幕を開けた!

アイドルの生の歌声は一味ちがう!

日頃のレッスンで鍛え抜かれた喉から発せられる美声は、まさに超振動の散弾!

常人ならば一秒も聞けば、鼓膜もろとも脳を破壊される!



「うぎゃあああああっ!」ドッパァァァン

「ぐわあああああっ!」パァンッ

「があああああっ!」ドパァァァン



頭や耳から血を噴き出し、次々に倒れていく観客たち。

しかし、地下室で拷問のような特訓をしてきたファンは倒れない!



ファン(相変わらず、凄まじい美声だ……! ボクは三年前──)

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三年前──

「おっかけ」をクリアしたファンは、油断していた。



ファン「おっかけをクリアしたら、あとはライブを楽しむだけだ!」

ファン「お、アイドルちゃんが歌う──」

ボムッ!



開始一秒で、ファンの頭は破裂した。

その後、iPS細胞でどうにか命を取り留めたのであった!

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ファン(あの時は頭が割れたスイカみたいになってしまったけど──)

ファン(今のボクなら耐えられる!)



ファン「アイドルちゃ~ん、いいぞぉ~!」ヒューヒュー

声援まで送るこの余裕!



コンサートが盛り上がってくると、

熱狂的な観客たちは持参した光る棒──ライトセーバーを取り出し、互いに斬り合う。

ヴンッ…… ヴンッ…… ヴンッ……



ファン「よし、10人ほど斬れた!」

ちなみにファンは剣道三段の腕前である。

歌が終わるとサイン会!

もちろん、色紙にではなく、体に“直接”である。

アイドルが鍛え抜いた爪(ネイル)で、サインを彫るのだ!



アイドル「サインが欲しいか……?」

「はいっ!」

アイドル「ならば、くれてやるッッッ!」ガリガリガリ…

「うぎゃああああああああっ!!!」



あまりの激痛に、大半の人間は数センチ彫られただけでショックで心停止する。

ただし、AED(自動体外式除細動器)があるので安心である。



ファン(そういや、二年前──)

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二年前──

かろうじて歌を耐え抜いたファンは、意気揚々とサインを求めた。



ファン「“ファンさんへ”って書いて下さい!」

アイドル「よかろうッッッ!」ガリガリガリ…

ファン「ぐわあああああああっ!!!」



腹を骨と内臓ごとえぐられ、ファンの目の前は真っ暗になった。

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ファン(あの後、内臓をiPS細胞で再生するはめになった……屈辱だった)

ファン(だけど、皮膚を鍛えに鍛えた今なら──)




ファン「“ファンさんへ”って書いて下さい!」

アイドル「よかろう」

アイドル「ほう、なかなかよい皮膚をしておる。まるで鋼鉄!」ガリッ…

ファン「いだっ!」

アイドル「彫りがいがあるッッッ!」ガリガリガリ…

ファン「う、ぐぅ……っ!」



耐えた!

サインが終われば、残るは最終試練のみ!

『ツアー』最終試練、握手会!!!



しかし、これを乗り越えた挑戦者は、これまで皆無!

果たして今回クリアする男は出るのだろうか!?



アイドル「ファンども……握手会をしてやろうッッッ!」

「お願いしますっ!」

「ぜひっ!」

「握手して下さい!」



ファン(そう……ボクも一年前はここまできたんだ!)

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一年前──

サインまでを耐えたファンが、握手会に臨むが──



グシャッ!!!



ファン「ぐあああああああああっ!!!」

アイドル「脆すぎる……次ッッッ!」



一瞬にして、右手をグシャグシャに潰された。

親指、人差し指、中指、薬指、小指が一本にまとまってしまったのだ。

もちろん、一年経った今では回復している。



ありがとう、iPS細胞!

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グシャッ!!!

「ぐえええええっ!!!」

グチャッ!!!

「ひぎゃあああああっ!!!」

グチュンッ!!!

「ぎゃあああああっ!!!」

次々と利き手を差し出しては、利き手を圧縮されていく男たち。

右でも左でも、結果は同じであった。



アイドル「脆い、脆い、もろォォォォォいッッッ!」

アイドル「軟弱者どもめ、我は10分の1の力も出しておらぬというのに!」

「無理だろ、これ……」

「明日は入試だから、右手潰されたら困るし、帰ろっかな……」

「ひええ……」



青ざめる男たち。

しかし、ついにファンが動く!



ファン「ボクと……握手して下さい!」ザッ…

アイドル「右か? 左か?」

ファン「右で」スッ…

アイドル「よかろう」ギュッ…

アイドル「ふんッッッ!」



ギュウッ!!!



誰もが弾け飛ぶファンの右手を想像したが──

アイドル「!?」ギュゥゥ…

ファン「ぐぐ……ぐ……!」ギュゥゥ…

アイドル「我と張り合うだとォ!? ──面白いッッッ!」ギュゥゥ…

アイドル「ぬううううッッッ!」ギュゥゥ…

ファン「ぐううううっ……!」ギュゥゥ…

アイドル「ならば……本気を出そう! アンコールだァッッッ!」

ファン「来いっ!」



ギュワンッ!!!!!



二つの圧倒的握力が交わったことにより──

「げえっ!?」

「時空が歪み始めた!」

「す、すげえええ!」

時空が歪んだせいで、東京ドームは東京ドーム100個分の広さになってしまった!

そんな狂った空間で、二人はかまわず握手を続ける。

さあ、どっちが上だ!?



ファン「うおおおおっ……!」ギュゥゥ…

アイドル「ぬうう……ッッッ!」ギュゥゥ…

ファン「ぬがあああっ……!」ギュゥゥ…

アイドル「うぐぬぅぅぅぅ……ッッッ!」ギュゥゥ…

ミシミシミシミシミシ……

アイドル(負けるというのか!? 絶対者である、アイドルである我がッッッ!?)

ファン(アイドルちゃん……この勝負、ボクが勝つ!)



グシャンッ!!!



アイドル「ぐぬおおおおあああああッッッ!!!」

ファンとの握手で、アイドルの右手は粉砕された。

すると──



アイドル「ぐ、ぐぬううう……」シュゥゥ…

アイドル「あら、私……」シュゥゥ…

ファン「!?」

ファン(あの異常なまでの覇気が、すっかりなくなってしまった……)

ファン(これはどういうことだ!?)

アイドル「あ、そっか!」

ファン「?」

アイドル「私、あなたに敗れたことで“普通の女の子”に戻っちゃったみたい!」

ファン「なんだってぇぇぇ!?」

アイドル「というわけで私、普通の女の子に戻ります! 引退しまぁ~す!」

アイドル「つまりもう私、トイレも行っていいし、恋愛も自由だから、責任取ってね!」

ファン「はいっ!」



「おめでとう!」パチパチパチ…

「ちくしょう、祝福するぜ!」

「ヒューヒュー!」



アイドルを“普通の女の子”に戻したファンは、彼女と結婚したのだった!

明日のスポーツ新聞の一面を飾ることは間違いないだろう!

三年後──

ファンとアイドルは、今では普通の男女として仲良く暮らしていた。



男「いただきまぁ~す!」

女「たくさん食べてね」

男「そういや、この娘たちまたテレビに出てるのか。最近よく見るけど……」

女「今流行りの忠臣蔵系女性アイドルグループ“CSG47”ね」

男「この娘たちもいつか普通の女の子に戻れるのかな?」

女「あなたみたいなつよ~い白馬の王子様が現れたら、戻れるんじゃない?」



今日もアイドルたちは、か弱きファンたちの偶像であり続ける……。





おわり

※実際の握手会や近頃あった事件を茶化すなどの意図はありません

>>1に書くつもりだったのですが忘れてスレ立てしたので今書きます

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