雷「なんか変な夢を見たわ」 (54)
最近世界がおかしい。
それに気が付いたのは、深海棲艦に……潜水ソ級の雷撃を受けた時からかしら?
激痛に視界が歪み、頭の中が真っ白になった。艤装はペシャンコに曲がり、轟沈したんだと理解した。
目が覚めた時、私は入渠施設に浸かっていた。聞いたところによると、どうやら轟沈ではなく大破して気絶してしまったらしい。
それからだ。意識の戻った私には、世界の有様が少し違って見えた。
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雷「電、ほっぺた抓って」
電「またなのですか……?」
妹が呆れた顔をして聞いてくるけど。
私にとっては必要なことだ。
雷「はやく」
電「……わかったのです」
急かすと、電は恐るおそるほっぺを抓ってきた。むにっと。
こんなのじゃ全然足りない。
雷「もっと強くっ」
電「う~……いくのですっ」
雷「いったーいっ!」
電「あわわ、ごめんなさいなのです! 雷ちゃん大丈夫ですか!?」
雷「え、ええ大丈夫よ! 助かったわ電……意外と容赦なかったわね……」
予想以上に強く抓られて驚いたけれど、おかげで目が覚めた心地がした。
ひりひりするほっぺを手でさすっていると、電が私の顔で覗きこんでくる。
電「……まだ実感が湧かないのですか?」
雷「うん。ちょっとね……」
世界がおかしいというのはちょっと訂正しないといけないかも。
おかしくなったのは私だ。あの日以来、私にはあらゆる実感というのが湧かなくなっていた。
自分が生きているという実感も、そして他の人間が存在しているという実感も……
電「響ちゃん、おかえりなのです」
響「ただいま」
がちゃりと扉が開いて、第六駆逐隊の部屋にやってきたのは響だった。
響は私をちらりと一瞥してから、電に尋ねた。
響「またやってたのかい?」
電「またなのです……」
呆れられるのも無理はない。
あれから二か月。私は毎日同じようなことを頼んできたのだ。電だけなく、他のみんなにも。
けど、一度不安になるとどうしても確かめずにはいられない。私は響の傍によって、ぺたぺたとその身体を触った。
雷「よし、ちゃんと響は居るわね……えらいえらい」
響「……」
私の確認作業を、響は何の感慨も無く見つめている。
いつもの無表情である。試しにそのほっぺをびよーんと左右に伸ばしてみた。
雷「ぷっ、あははっ、変な顔」
響「……」
おちゃらけて笑うと、響は無造作に手を払いのけた。
それから手を私の身体に回して、耳元でささやいてくる。
響「私はここに居るよ」
ぎゅっと抱きしめられる。とても力強く。
ぎちぎちと身体が悲鳴を上げた。
雷「痛い痛い痛いってば響! ぽっぺ引っ張ってごめん、ごめんってば!」
響「本当に分かったのかい?」
雷「分かったから、分かったから!」
ばたばたと暴れると、突然すっと解放される。
かなりきつくやられた。電も容赦なかったけれど、流石に二か月も同じようなことをしていればそうなるのかもしれない。
暁「こらー響! お姉ちゃんを置いてくなんてどういうつもり!?」
どばーんと再び扉が開け放たれて……ぷんすかといった様子で入ってきたのは暁だ。
暁は響と同じように私を見て、それから言った。
暁「またやってたの?」
響「うん」
電「なのです」
暁「よし、お姉ちゃんに任せなさい! ふふんっ、今日こそ決着をつけてあげるわ! 響、電。雷を掴まえてて!」
雷「えっ、こら、ちょ、ちょっとなにをするつもり!?」
電と響に取り押さえられて、四肢の自由を奪われてしまう。
暁はにぎにぎと手を動かしながら、笑みを浮かべてにじり寄ってくる。
暁「さあ覚悟しなさい。こちょこちょの刑よっ!」
雷「ひあっ、や、やめてー!」
それから私はむせび泣くまでくすぐられ続けた。
黒い海の夢を見た。
私はただ逃げていた。恥も誇りも捨てて一目散に走っていた。
自分はどちらかと言えば気が強いほうだ。だからたとえどんな状況であろうとも、反撃の糸口を掴もうとする気概くらいはあると思っていた。
でも、そんなことは考えもしなかった。
逃げなくちゃ。
振り返る。遥か後方に敵がいる。まだ姿さえ見えないけれど、確実にそこに居るのは分っていた。
逃げなくちゃ。
掴まったらおしまいだ。
逃げなくちゃ。
黒い黒い海。きっと何処かに光が……
目覚めは最悪だった。
お決まりの日常が続いた。
遠征して、出撃して、演習して。お休みの日はみんなと外へお出かけしたり、騒いだりして。
いつもと同じような生活圏内で、いつもと同じような顔ぶれで、いつもと同じようなことを続ける。
代わり映えの無い日々……
けれど、そんな日々が続くほど私の中にある違和感は膨れていった。
雷「あーもう失敗しちゃったわ」
修理ドックにて、任務で被弾してしまった私はぐてーっと伸びた。
明らかに自分の不注意によるミスだった。ここのところこんな失敗ばかりだ。
鳳翔「あら雷さんも居たんですね」
雷「あ、鳳翔さん!」
鳳翔「大丈夫ですか? 大きな怪我しませんでしたか?」
雷「平気よ! ちょっと掠っただけなんだから」
鳳翔「それはよかったです。私はすこしドジしちゃいました。損傷は軽微ですけどね」
そう言って、鳳翔さんはにこりと柔らかく笑う。
傍に居て落ち着く人だ。大人になるなら、やっぱり鳳翔さんみたいな人を目指すべきなのかしら?
そうすれば、司令官ももっと私を頼ってくれるかもしれない。
しばらく鳳翔さんと世間話に花を咲かせて……私は尋ねてみた。
雷「変なこと聞くんだけど、鳳翔さんはその……自分がここに居るって思う?」
鳳翔「……ん?」
首を傾げてくる。
流石に分かり難かったかもしれない。私は続けた。
雷「ええと、言いにくいんだけど、そうね……例えば自分だけが本物で、まわりの全部が偽物だって思うときはないかしら?」
雷「今あるすべてのものは自分が生み出した夢というか、空想の産物で、ほんとは何も無いの」
鳳翔「それを言うと……私も雷さんの想像で生み出されたってことになるのかしら?」
雷「……そうね」
鳳翔「なら雷さん、いま私の考えてることが分かりますか?」
聞かれて、じいっと鳳翔さんの目をみつめるけれど。
私はかぶりを振るった。
雷「うーん……わからないわ」
鳳翔「正解はですね、真面目な表情で悩む雷さんを可愛いと思ってました。もし私が雷さんの空想の産物なら、雷さんは私の考えが読めるでしょう?」
雷「……確かにそうね」
鳳翔「それが出来ないということは、私は私で、確かにここに居るということです」
雷「……むぅ」
鳳翔「あら、納得できませんでしたか?」
雷「ううん、納得できるわ。でも……なんというか、にゅあんす? みたいなものが違うの」
鳳翔「そうなんですか?」
雷「ええとね……」
頭の中にあるもやもやを言葉にするのはとても難しいことだと、私は最近になって理解した。
どうすれば相手に伝わるんだろう? 少し考えて、私は切り口を変えてみた。
雷「鳳翔さんは、深海棲艦が一体なんなのかわかる?」
鳳翔「そうですね。世界の海を荒らす人類の敵……ですか。そういう風に殆どの人は習っていると思います」
雷「じゃあ深海棲艦の目的は? どうして私たちでないと倒せないのかしら?」
鳳翔「それは難しい質問ですね……」
鳳翔さんが考えあぐねて口ごもるも、私は矢継ぎ早に続けた。
雷「他にもね、いろいろ疑問があるわ。例えばなんで私たちは海の上に立てるの? どうして射った弓が航空機になるの? とか。
そもそも妖精ってなに? 私たち艦娘ってどこからどうやって生まれたの? とか、たくさん……」
鳳翔「雷さん……」
雷「最近こんなことばかり考えてるの。
普段当たり前だと思っていたことが全部疑問になって、一度疑っちゃうと実感が湧かなくなって、もしかしたら全部が嘘なんじゃないかなって……」
鳳翔「難しいことを考えていたんですね……」
口に出してから後悔した。変な娘だと思われたかもしれない。
けれど鳳翔さんはいつものやわらかい口調で言ってきた。
鳳翔「雷さん……その疑問に答えることは私にはできません。ただ、そういうものだと考えるしかないと思います」
雷「そういうもの……?」
鳳翔「たとえば、どうして宇宙が誕生したのかわかりますか?
何故地球が出来て、人が生まれ、このような複雑なことを考える知能を持つようになったのかわかりますか?」
雷「わからないわ、でも」
鳳翔「ええ、きっとそれは科学で説明できるかもしれません。でもそれが分かったところで、私たちはどうしようもありません。
もうすでに誕生して存在してしまっているのですから、その理由が分かろうと分かるまいと、そういうものかと受け入れるしかないんです」
そういうものだと、受け入れるしかない。
雷「……まあ、そうよね」
言われてみればその通りだけれど……少し気落ちする。
そして気が付いた。
私は別に疑問の答えが欲しかった訳じゃない。ただ私と同じように、自分を取り巻く環境を疑ってくれる人が欲しかったのだと。
鳳翔「ごめんなさい、雷ちゃんの期待には応えられなかったみたいね……」
雷「ううん、そんなことないわ! お話しできて楽になったわ」
鳳翔「ふふ、それはよかったです。ようは難しいことを考えずに、もっと楽しいことを考えましょう? ってことですね」
そう笑みを浮かべて、鳳翔さんは私の頭をなでなでしてくる。
前は心地よい感触だったけれど、今は何も感じなかった。
きっと鳳翔さんの言っていることは正しい。ただ私が納得できないだけなんだ。
黒い海の夢を見た。
私は逃げていた。振り返れば、私を追う敵の姿が見える。前よりも近づいて来ている……
敵はやっぱり深海棲艦だ。それも潜水型。私にとっては因縁ある相手でもある。
逃げなくちゃ。
戦うという選択肢は私の中には無かった。
逃げなくちゃ。
たった一隻……でも勝てる気がしない。
這いずるように迫ってくる。掴まったら終わりだということは、本能が教えてくれた。
逃げなくちゃ。
相手のほうが早い。どんどん距離を詰められる。
逃げなくちゃ。
振り切れない。駄目だ……
逃げなく
「こんばんは」
違う……
これは深海棲艦じゃない。私だ。
雷「わああああっ!」
提督「おわっ!?」
雷「え……あれ……?」
提督「おお、やっと起きてくれたか……ずっとうなされてたんだぞ。平気か?」
目の前に居たのは司令官だ。
呆然とする。夢? これも夢?
提督「すごい汗だな。ほら、これで拭きなさい」
目を見開いて見つめていると、彼はポケットからハンカチを取り出して渡してくる。
受け取ることが出来ずにいると、膝の上にハンカチが置かれた。司令官は立ち上がって言ってきた。
提督「何か飲むか……?」
雷「……」
提督「待ってろ、今水を持ってくる」
返答を待たず、こちらに背を向ける。
私はその背に質問をしていた。
雷「司令官……私、どうしてここに……?」
提督「秘書官の仕事をしていたら、お前はお昼寝してしまったんだ。仕方ないさ、疲れていたんだろう」
辺りを見回せば執務室だ。
記憶を探る。
……確かにそうだ。今日私は秘書官だった。そして司令官の手伝いをしていたら、うとうとして……
ソファに居るということは、司令官がここに運んできてくれたんだろう。
提督「ほら、水だ」
雷「あ、ありがとう……」
喉を潤すと、意識がはっきりとしてくる。
私はようやくここが夢の中ではないと理解してきて……それでも恐る恐る尋ねた。
雷「司令官……なのよね?」
提督「悪い夢でも見たのか?」
雷「うん……追いかけられる夢。何に追われてたのか覚えてないんだけど……最近よく見るの」
提督「そういう夢は私もよく見る。起きると大体忘れているものだ」
汗を拭いて呼吸を整える。
不覚にも執務室で寝てしまったのは、最近夢見が悪くて眠りが浅かったためだ。
提督「暁たちが心配していたぞ。ここのところ様子がおかしいとな。海に出てもぼうっとしていて危なっかしいとの報告も入っている」
提督「私も同じだ。普段元気いっぱいのお前がこうでは、私も寂しくなる。なにかあったのか?」
私を落ち着かせようとする声音で、わしゃわしゃと頭を撫でてくる。
武骨な手で、力加減はあまり上手くなかった。
雷「……最近変なの」
提督「変とは?」
雷「すべてが曖昧に感じるの、現実感がないというか……」
時間が経つにつれ、私の中の感覚は悪化していく一方だった。
そのことを司令官に説明する。
提督「なるほどね……全部が空っぽの偽物に見える、と……」
雷「うん……第六駆逐隊だけじゃない。ここの艦娘の皆も、私たちが戦っている深海棲艦でさえも……全てが偽物に思えるわ」
雷「鳳翔さんにも相談したけど駄目だった。一度疑っちゃうと、そのことが頭にこびりついて離れないの……」
提督「ふむ……では自分自身はどうだ? そう考えるお前は偽物なのか?」
雷「私は本物だわ。前はそれも疑ってたけど、今ならわかる。あの時から私は本物になった……」
深海棲艦に大破させられた時から世界は変わり、私は私になった。
言い終えてから、自分がものすごい妙なことを口走っていると自覚するも遅かった。
提督「自分をとりまく環境がすべて偽物に思える、か……」
明らかに変なことを言ってしまったけれど、司令官は気にした様子もない。
彼はしばし考える素振りを見せてから、落ち着いた声音で続けてきた。
提督「子供のころだ。私も似たような考えを持っていた。周りはすべて自分の生み出した空想なんじゃないか、とな」
提督「だが成長するにつれて、やがて理解してくる。例え私がどう考えようと地球は自分が生まれる前から回っているし、死んだ後も変わることは無いと……」
雷「……」
提督「雷……要はただの観念的な遊びなんだ。お前や私だけでなく、昔から大勢の人が似たようなことを考えてきたはずだよ」
だから大袈裟に考えるんじゃないと、子供を諭すように言ってくる。
違う、そうじゃないと、私はかぶりを振った。
雷「司令官の言うことはわかるわ。でも、やっぱり何処か違うの……」
雷「ねえ司令官? 私達はいったいいつから戦っているの……?」
提督「……」
雷「毎日毎日戦っても深海棲艦は一向に減らない。それどころか新しい深海棲艦が増え続けてる……この戦いはいつ終わるの? ううん、この戦いに終わりはあるの?」
雷「私はね、最近思うの。ここには未来も過去もない。ただ今だけがあるんじゃないかって……」
司令官は黙って私の言葉に耳を傾けている。
私は続けて口を開いた。熱に浮かされたように言葉を吐き出した。
雷「ずっと考えてた。深海棲艦ってなんなの? 艦娘って……私たちはいったいどういう存在なの?」
雷「分からないわ……何もかも全部分からない! 妖精だとか艤装だとか高速修復材とか、私の周りは訳が分からないものだらけだわ!」
提督「雷……」
雷「全部嘘っぱちよ! なんで他のみんなはこんな疑問を放っておけるの? 人形みたいに、なんの疑問も持たずに考えずにただ戦って……どうかしてるわ!」
提督「雷っ!」
司令官の怒鳴り声に、びくりと身体が震えた。
そんな風に声を荒げる司令官を見たのは初めてで、私は冷や水を浴びせられた気がした。
雷「だって……だって……!」
ぽろぽろと涙が零れる。
感情が波打って思い通りに出来ない。
溜め込んだものを吐き出しても、すっきりしなかった。それどころか胸の中はもやもやするし、頭の中はこんがらがるだけだった。
提督「お前がここまで考えていたとはな……」
司令官は私の頭を撫でてくる。
耐えられずに、私は縋るようにしがみついた。
雷「司令官……私、怖いわ。みんなが人形に見えちゃうの。その中で私はひとりぼっち、黒い海の中で私だけが生きてる……」
どうしようもない疎外感があった。
みんな姿かたちは似ているけれど、自分とは違うモノなのだと頭の中では分かってしまう。
このおかしな世界の中で、私だけがぽつんと孤立している……
提督「なあ雷、お前のその症状は、極稀にだが艦娘に現れるものなんだ」
雷「え……?」
提督「その多くが一度轟沈しかけて生還した時に現れる。それも史実に沿った轟沈の仕方だ。お前の場合もそうじゃないのか?」
雷「そうだわ……私前に潜水艦の雷撃を受けて大破して……それからこんなこと考えるようになって……」
提督「やはりか。私も以前耳にして、詳しい理屈はよくわかっていないんだがな……」
ぽんぽんと司令官は私の背中をあやす様に叩いた。
提督「きっと轟沈しかけたとき、人間である雷の魂と、駆逐艦雷としての魂が少しずれてしまったんだろう。
今のお前は人間の価値観と駆逐艦の記憶から成る価値観がずれて、それで混乱している状態なんだ」
雷「そう……なのかしら……?」
提督「確かそんなふうな解釈だったな。詳しい内容は明日大本営に問い合わせてみるが……」
提督「ただ、今のお前がショック状態であることは間違いない。当たり前だな。二度も轟沈を追体験するとなれば、誰だってそうなる。
今回の件は、それに気が付けなかった私の落ち度だ」
悪かったと、司令官は私に謝った。
少しだけ気が楽になったような気がした。今の自分の状態を客観的に評価されることは、それだけで救いになった。
けれど、まだ何も解決していないのは変わらない。
雷「司令官、私……」
提督「まだ怖いか?」
雷「……うん」
提督「そうか……雷、お前にとって私は偽物に見えるのか?」
聞かれて、私は司令官を見つめた。それから身体を寄せて胸元に耳を押し当てる。
熱を感じた。人形には宿らない何かがそこにあるような気がした。
温かい……さっきまで揺れていた気持ちが安らぐ。この温かさを私は偽物だと思いたくない。
雷「ううん、司令官は……きっと本物よ」
提督「よかった。ならその症状が治るまで、今日から秘書官として私の傍に居てもらおう。治るまでは海に出ることを禁止する」
雷「でも……いいのかしら。私……」
提督「いいさ。仕事がたくさん残っていてな、お前が居てくれると私としてもとてもありがたいんだ」
今日秘書官を務めていた私は、溜まっている仕事が無いことを知っている。
けど司令官がわざとそう言ってくれたのはわかった。だからその好意に私は甘えることにした。
雷「もう……司令官はほんと私が居ないと駄目なんだから。これからはもーっと私を頼らないと駄目なんだからね?」
提督「ああ、頼りにしているぞ」
私が笑みを見せると、司令官もほっとしたように微笑んだ。
黒い海の夢を見た。
私は逃げていた。もう後ろを振り返る余裕もない。背後……もうすぐそばに迫っている。
逃げなくちゃ。
ただ走る。嫌だ、掴まりたくない。もし掴まったら私は……
逃げなくちゃ。
探さないと……光を探さないと。
逃げなくちゃ。
この黒い海から逃れる出口が……きっと何処かに光が……
「もうすぐだよ」
嫌だ……私は私だ!
電「雷ちゃん!」
雷「……!」
電「よかった……大丈夫なのですか? すごいうなされていたのです……」
雷「あ……電」
目に映ったのは、心配そうに私の顔を覗きこむ電だ。
気が付いけば私は電に飛びついていた。
雷「電っ!」
電「わわっ!? 雷ちゃん? どうしたのです? よっぽど怖い夢でも見たのですか?」
何も言えずにしがみつく。
夢の内容はすでにおぼろ気で形を成さなかった。ただ感じた恐怖だけは、ありありと残っていた。
電は戸惑い気味に背中をさすってくれるけど、震えは止まらない。
がちがちと歯が鳴っている。寒い。まるで氷を抱いているみたいだ。
氷……私は身体を離して、電を見た。
雷「電……?」
電「どうしたのです?」
氷じゃない。確かに電だ。でもなにかが違う。
そうだ、この感じはいつもと同じ感覚だ。電がここに居るという実感が湧かないのだ。まるで中身のない入れ物と会話をしているような……
私は思わず尋ねていた。
雷「貴方、電よね……?」
知らず、縋るような声が出ていた。
もう雷ちゃんは何をいってるのです。またいつものですか? と、そんな呆れたような返事を期待していたけれど。
電は何も言わずに私を見つめるだけだ。
雷「電……?」
電「……」
電気の消えた暗い部屋で……黒い目が私をじっと見ている。
ぞっとする。まるで意思のない人形の目だ。
私は後ずさりをして、妹と距離を取った。背中に何かがぶつかった。とっさに振り返ると、
響「……」
暁「……」
響と暁が私を見下ろしていた。
電と同じ感情の見えない黒い瞳。引きつった声が喉を通った。
いつの間に起きたのだろう? なんで声をかけてくれなかったのか。
いや……もしかして、ずっと見ていた? 私が目覚めて電に抱き付いている間、何も言わずに、ずっと……
雷「……!」
気が付けば私は部屋から抜け出していた。
逃げなくちゃ。
夢と同じだ。何に追われていたのか覚えていないけど、逃げないといけないのは本能が教えてくれた。
でも何処へ? いや、誰かに助けを……
逃げなくちゃ。
部屋はどこも施錠されていて人気もない。どうして誰もいないの……!?
逃げなくちゃ。
振り向かなくても分かる。追って来てる。
逃げなくちゃ。
司令官……
逃げなくちゃ。
いやだ、助けて……
逃げなくちゃ。
助けて……司令官……!
「ここまでだよ」
世界に光が溢れた。
目覚めは快適だった。
今までの悪夢が嘘のようにすっきりとした目覚めだ。
第六駆逐隊のみんなと話をしても、なんの違和感も無い。いや、そもそもいったい何を疑っていたんだろう?
電は電だし、暁は暁だし、響きは響きだ。それを人形みたいだなんて、なんでそんな馬鹿なことを思っていたのかしら……?
悪い夢でも見ていたようだ。
雷「司令官、おはよう!」
勢いよく執務室に入って、挨拶をする。
提督「うむ、おはよう。……今日は元気だな?」
雷「うん、なんかすごい調子がいいの。世界が変わって見えると言うか……とにかくやる気は十分よ!」
提督「そうか、元気なのは良いことだ。ただ大事をとって、しばらくは秘書官について貰うからな」
雷「任せて! 今後私が居ないと仕事に支障が出るくらい頼ってくれていいのよ!」
提督「はは。そうなっては困るから、あまり頼らないようにしないとな」
雷「あーひどーい!」
いつものやり取りをする。
それからふと気になって、司令官に言った。
雷「ねえ司令官、ちょっとこっちに来て?」
提督「ん?」
司令官は席を立って私の傍に寄って来る。
恥ずかしさで少しだけ逡巡したけど、私は思いっきり司令官に抱き付いた。
彼は戸惑いの声を上げるも、やがてぽんぽんと背中を叩いて優しい声で言ってきた。
提督「どうした、やっぱりまだ怖いのか……?」
雷「……」
あれ? と思う。
昨日は司令官の中に何かがあった気がしたのだ。熱を持った何かが……
でもそれを感じ取ることができず、私は司令官から離れた。
雷「ううん。元気のおすそ分けよ」
提督「うむ。いっぱい貰ったぞ」
雷「そうそう、やっぱ元気がないと駄目よねぇ」
提督「そうだな。それじゃあ今日も一日がんばろう」
雷「はーい!」
おかしなところは無い。司令官はいつもの司令官だし、私はいつもの私だ。
あれはいったい何だったんだろう?
しばらくして私は再び戦線に復帰した。
すっかりいつもの調子を取り戻した私は、みんなにからかわれた。
恥ずかしかったけど、まあ仕方ないと諦める。世界がおかしいとか、みんな偽物だとか、自分でもどうかしていたと思う。
何故あんなことを言ってしまったのか……あの時の感覚を、私は思い出せないでいる。きっと変な夢でも見ていたんだろう。
そうして私は変わらぬ日常に溶け込んでいく。
なんの変化も疑問もない、けれど楽しい戦いの日々に……
黒い海の夢を見ることは二度と無かった。
おしまい。
あとがき
次書けるなら中編くらいのお話にしたいですね。
読んでくれてありがとうございました。
このSSまとめへのコメント
言葉にし辛いこの感覚、嫌いじゃないけどタグ付けに困る
これは轟沈して死後の世界の話なのか、
轟沈して深海棲艦にでもなったのか、もやっとする話だな