八幡「その時には俺は死んでいた」 (45)
八幡「一色が死んだって……?」
八幡「一色が死んだって……?」」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1446168302/)
の前日譚兼後日談みたいな感じです。
あまりいい気分になる話ではありません。ご了承ください。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1468936653
眠っているわたしの耳を、甲高い音が突き抜けた。そのあまりの大きさの音に目が覚め、反射的に身体が跳ね上がった。
「な……なに……?」
何が起こったのかもわからないわたしには、恐怖という感情が生じるよりも先に驚愕とそれまで経験したことのない違和感が頭の中を駆け巡っていた。
「う……、さむ……」
部屋の中の温度は室内にしては低く、布団の外に出てしまったせいで身体が冷える。心なしか風が吹いていたようにも思えた。
……ん、風?
ここは部屋の中なのに、どうして風が吹いているんだろう。窓が開いているのだろうか。しかし今のご時世、寝る前には戸締まりするのが常識だし、ましてや今は冬だ。開ける意味も必要性もない。
トッと床の音が鳴った。
窓からそっちに視線を移すと暗闇の中で何かが動いている。
「えっ……?」
そう声が漏れるのとその何かがわたしに突進してくるのはほとんど同時だった。
――
――――
その日、俺は夜更かしをして深夜三時という草木も熟睡しているであろう時刻にも関わらず、起きていたのだ。
理由は別段になく、ただなんとなくネットで動画サイトやまとめサイトを見て回っていた。
するとふと気がついたのだ。
ナニカ、音がすると。
時間が時間なだけに眠気がじわりじわりとまぶたを重くしていたが、イヤホンを外すと物音はかなり大きかったとその時初めて気づいた。
暴れるような足音がして、また静かになる。
つぅ、と汗が背中をつたう。
「なん……だ……?」
漏れ出る声はかすれて壁に染みこんでいく。
するとそれに応えるかのように壁は音を返した。
歯切れの良いような悪いような、形容しがたい音。
まるで柔らかいものを強引に引き裂くような。
震える身体と足を両手で思い切り握ってどうにか動かして、部屋を出た。
出る直前に小学校の修学旅行で買った木刀を手にする。
何をやっているんだと、自分で問い詰めたくなるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
杞憂で終わればいい。
ただこれは、小町の寝相が悪いだけなんだと、そう誰に言い聞かせるでもなく心のなかでつぶやき続けた。
廊下に出ると物音は更に大きくなる。
そして聴覚だけでなく嗅覚に異変が訪れた。
痛烈な異臭。
思わず腕で鼻を覆った。
どうして家の中なのにこんなにおいがするのか。
木刀を握る手の力が自然に強まる。
刹那、足の先に異様なものが触れた。
それは液体のようで、裸足のままの足の体温を奪っていく。
しかしどうやら水ではないらしくどこかぬめりがついていた。
頭の中を言葉にならない黒い何かが渦巻く。
希望が静かに、しかし着実にその黒に塗りつぶされていく。
物音を立てずに、足を擦るようにして少しずつ進んだ。
耳に入るのは、自分の心臓の音と、今もなお不気味に廊下に響く、ぐしゃり、ぐしゃり、というこの世のものとは思えない音。
冬なのにもかかわらず、小町の部屋の扉は、開いていた。
年頃の女子ならば自分の部屋を開けっ放しにして眠るなんてことはしない。それは小町も例外ではない。
開けっ放しだと寒い冬の今ならなおさらだ。
なのに……。
この自分を支配する存在にもし名前があるとしたなら、絶望ほどに相応しいものもないだろう。
身体半分を壁で隠すようにして残りの半分で部屋の中を覗く。
そこにあったのは、想像すらしていなかったモノだった。
しかも、『三つ』も。
『ヒトのカタチをした』『モノ』が『二つ』、部屋の隅に横たわっている。
『母親』の目が、俺を見つめている。
まばたき一つせず。
ただじっと俺を見つめていた。
ただ、ただ、まっすぐに。
その虚ろな視線を俺に向けていた。
何もかもが止まったその部屋の中でただ一つだけ壊れたおもちゃのように動いているものがあった。
窓から入り込む月の光がそこにいる人間と、その下にいる『モノ』を照らす。
声も言葉も出なかった。
目の前に広がる光景を、頭で認識することが、目で視覚して脳にその情報が伝達しても、できなかった。
小町が、すぐそこにいる。
手が、そこから不自然に離れたところに転がっている。
もはや俺の嗅覚は失われていて、代わりの視覚も一つの色に塗りつぶされたせいでマトモに働いていない。
赤。
赤。
赤。
黒。
赤。
赤。
赤。
赤。
小町の上にいる男の顔に見覚えはない。
それが逆に俺の恐怖を倍増した。
だってそうだろう。
もし見ず知らずの人間が家の中にいたならば。
そしてそいつはようやく俺に気づくと、口元を思い切り歪めて笑ってみせたのだ。
そこに言葉はなかったが、それでも意味は伝わってきた。
全身がそれを察知した瞬間、俺の身体は動き出していた。
玄関の方ではなく、そこにいる男の方へと。
どこかから声がした。
それは奇しくもついさっきのと同じ文句だった。
次 は お 前 の 番 だ 。
花が咲いた。
赤い花が。
その名前を俺は知らない。
それどころか初めて見た。
赤い花が咲く。
咲き乱れる。
その花びらは俺の頬に付いた。
滴り、水たまりへと吸い込まれていく。
ぴちゃり、とはねる。
昔話で灰で花を咲かせる話を思い出す。
きっと今はそれにそっくりだ。
今は俺の望むだけ、花を咲かせられる。
綺麗な綺麗な、赤い、花を。
――
――――
小町が死んだ。
親父も死んだ。
母親も死んだ。
全員、死んだ。
「くぉ……、おっ……」
なのに、こいつは生きている。三人を殺したこいつはまだ、息をしている。
その事実に腹が立ち、縛られて転がされている男の頭を思いっきり蹴り上げた。
「なんで殺した」
「クッ、……クックックッ……、グフフフフフ……」
男は突然笑い出す。不気味なのと湧き上がる怒りでもう一度鼻を蹴り潰す。
「答えろ」
「フフフフフフフフフフ……グフゥッ!!」
さらにもう一度、今度は腹を蹴る。
「フフフ……ヒヒヒヒヒ…………」
男はニヤニヤと口元を歪ませながら、俺の顔を見つめる。まるで怒る俺の姿を見て楽しんでいるように。
「ヒヒヒヒヒ……」
「黙れ」
「ヒヒ……ヒャヒャヒャヒャ……ッ」
「黙れよ」
「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
「黙れってんだよ」
耐えきれなくなり顔を踏みつける。骨が軋む音と男のうめき声がひどく耳障りだ。
しばらくすると声はしなくなった。どうやら気を失ったようだった。
「……絶対に殺さねぇ」
この男はただで死なせない。
怒りと憎しみだけが俺の頭の中を支配する。
きっと、この時には俺は死んでいた。
――
――――
その男があたしの元を訪れたのは、ある晴れたの日のことだった。その姿を目にした時に魔法以上の愉快は来ないなと確信した。
最後に目にした時から姿は大きく変貌しており、一瞬誰なのかわからなかったが、眼鏡の奥に潜む瞳はあの頃と変わらない。
「あんた……」
「久しぶりだな。川崎殿」
「……誰だっけ?」
「俺だ! 材木座!」
「そんな口調じゃなかったでしょ」
「むしろこっちがデフォだからな! てか俺の黒歴史を掘り返すのやめて!」
「てかあたしあれしか知らないし……」
目の前の材木座は高校の頃とは似ても似つかないほどに痩せていて、面影はもうほとんど残っていなかった。
「でもどうして……」
「平塚先生から、言伝を賜ってな。川崎があの事件の真実を知りたがっていると」
「……!」
事件。
その単語を耳にしたその瞬間にある記憶があたしの中に蘇る。
忘れられるはずのない、高校時代の記憶。
「俺はあれからずっと調べていた。あの時に本当は何があったのかを。川崎も調べていたのだろう?」
なにも言えずにただ首を縦に振る。
「まさか、全部わかったの?」
「絶対、とは言えぬ。ただほとんどは正しいだろう」
「……聞かせて、くれるの?」
そう問うと材木座はふふんと鼻を鳴らしニヤリと口元を歪めた。その反応を見てかつての彼の姿とダブる。
「無論。そのために来たのだからな」
――
――――
夜が明けてからも、俺はなにもできなかった。
三人の死体の前でただ座って息をするだけ。異臭のせいで嗅覚はとっくのとうに麻痺して、なにも感じない。
みんな死んだ。
俺は正真正銘一人ぼっちだ。
強烈な憎しみだけが頭の中で言葉を荒げて、俺はもうどうにかなってしまいそうだ。いや、もう既にどこかおかしいのかもしれない。
正常な思考の持ち主なら警察を呼ぶなりして、この事件の収拾をつけようとするはずだ。なのに、それすらしようとしない。
そんなことしてなんになる?
誰も生き返らないし、誰も幸せにならない。あの男は法律に守られ、俺は手出しできなくなる。そんなのを俺が堪えられるとは思えないし、選択をする気は毛頭ない。
ふとその時、携帯の着信音が耳を貫いた。それは普段よりも異様なまでに不快な音に聞こえる。
「……メール、由比ヶ浜か」
こんなことを呟いても返ってくる言葉は皆無。小町がこんなこと聞いたらどこからともなくすっ飛んできて、目を輝かせニヤニヤしながらその内容を見ようとするのに、目の前にいる小町は血だらけのままでピクリとも動かない。
それがどうしようもないくらいに悲しかった。
『学校来てないけど、大丈夫?
ゆきのんも心配してるよ』
「うるせぇ……」
なんてことのない内容のはずなのに、無性に癇に障った。きっと彼女たちは普段と変わらない平凡な日常を送っているのだろう。
もう小町はそんなことできないというのに。
一歩外に出れば平和な光景が広がっている。その日常は簡単なことで崩れてしまうと知らずに。
苛立ちが胸の中に次々に募り、呼吸が乱れ始めた。
その時だった。
無神経なインターホンの音が家中に鳴り響いたのだ。
思わず身が硬直し、焦燥感からか汗が吹き出る。
「警察か……?」
恐る恐るモニターへ向かうとそこに映っていたのは俺の予想だにしていない人物だった。
――
――――
「……これが俺なりのあの事件の見解だ」
あたしが入れたコーヒーをすすりながら材木座は一旦話を止める。まだ温度の残るコーヒーの湯気で眼鏡が軽く曇ったのが少し滑稽なように感じられた。
こんな時にそう思ってしまうのは彼の話した内容があまりにもショッキングな内容だったからに他ならない。
「平塚先生の話は……本当だったんだ……」
「俺が調べたところ、あの事件の前後で八幡の家からそう遠くない範囲で行方不明になった人物が三人ほどいた。うちの二人は老人、所謂ボケ老人による徘徊の類だった」
「もう一人は……?」
「察しの通り、かなりの問題のある人間だったらしい。何かしらの脳に障害があり、何度も警察沙汰になっていたことをその両親の口から聞いている。……あの事件への関与は認めようとしなかったがな」
「比企谷とは全く関係ない人物だったの?」
「うむ。住んでいるところがそう遠くないことくらいしか、関連性は見いだせなかった」
つまり、その精神異常者の奇行に巻き込まれて比企谷の家族は彼以外皆殺しになったわけだ。しかし、それで彼が狂行に走る理由がわからない。
実の妹や親を殺されたショックで気が狂ってしまったのだろうか?
そう考えるのが一番妥当で自然だ。しかしどこか引っかかる。
「……と、あんたの話はまだ途中だったね。その比企谷を訪れたのは誰だったの?」
「その話をする前にある事実を川崎には話しておかねばなるまい」
材木座の顔つきが神妙なものになる。それこそ、あの場に他の誰かがいたことよりもずっと禁忌な内容であるかのような。
「川崎はあの事件の犯人が誰だと思っている?」
「?」
質問の意味がわからなかった。それは比企谷のことを指しているのか。それともその最初の加害者のことを指しているのか。
それとも……?
他に誰かいるのだろうか?
「あの犯行は正直に言ってしまって、八幡一人では不可能に近かった」
それは昔調べていたあたしも薄々感づいていた部分だった。いくら比企谷のことを信用していた人間が被害者であったとは言え、特に最終日の犯行はどう考えても比企谷個人で成り立つ代物ではない。
もし共犯者がいるとしたら――。
「一色いろは……?」
「気づいていたのか?」
「ううん。でも、共犯者になるような人が他にいないから」
「うむ。俺もそう踏んでいる。そもそも彼女が行方をくらませたのが事件の始まりだったが、その遺体が見つかったのは事件の最後。つまりこの事件の間中、一色いろはは生きた状態で行方不明だったことになる」
「そんな彼女が事件にただの被害者として関わっているなんて……」
「その通り。どう考えても不自然だ」
話に一区切りがつくと材木座は再びコーヒーを口にする。あたしもそれを追うように自分のコーヒーカップに口をつけた。温さによる不快感が同時に時間の経過も告げていた。
もし、一色いろはが共犯者として事件に関わっていたと考えると、犯行の無理さが多少緩和される。独りで行動するよりもその幅は倍以上に広がるだろう。
ただ、一つの疑問があたしの中に浮かんでいた。
「でも、それだとわからないことがあるよ」
「なんだ?」
「どうして比企谷に手を貸したのか。動機があたしには思いつかない」
「我……じゃなくて俺もそう思った。だから一色いろはという人物について、さらに詳しく調べてきた」
そう言うと材木座は鞄の中をまさぐり始め、少し手間取ってから手帳を取り出した。そのボロボロっぷりからどれだけ使い込んでいるのかがわかる。
どれだけ、この調査に時間を費やしたのかも。
「一色いろはの友人に話を聞いたが、あまり手がかりになるものはなかった。少し話してみればすぐにわかるような印象からはみ出した内容は得られなかった」
でも、と材木座は続ける。
「ある人物から気になる話を聞いた。一色いろはの小学校の同級生の話なのだが……」
「小学校?」
「うむ。その頃の彼女はあそこまであざといキャラではなくもっと普通の女子だったらしいが、その同級生はある光景を偶然目撃してしまったと話していた」
「ある光景って?」
「彼女は傍目からは普通だったらしいが、人目を忍んで虫や生き物を殺して遊んでいたらしい」
「はぁ……」
正直な話、それを聞いて肩すかしを食らった気分になった。高校生になってそれならまだしも、小学生のうちのそういう残虐さはあっても不思議ではない。
「それだけ?」
「それが一般的な小学生のレベルなら俺もわざわざ話しはしない」
――
――――
「……わたしを、殺すんですか?」
首に手をかけられた後輩は表情一つ変えずにそう言い放った。今にも俺に殺されそうな状況なのにも関わらず、少しも動揺していない様子に逆に俺の方が彼女に恐怖を抱いた。
「どうしてですか?」
「…………」
答え、られない。
半ば強引に家に入ってきた一色に、自分の行動をコントロールできなくなるくらいに腹が立ち、気づけば床に押し倒し首元を締めかけていた。途中で踏みとどまったのはまだ俺の中に理性というものが残っているからだろうか。
……いや、きっと違う。今の俺にそんなものが少しでも残っていたのなら、家族の死体を家の中に残してなんていない。
一色の理解不能な反応で俺の危機察知力が危険信号を発したからだ。
「……血」
「はっ?」
「血のにおいですね、これ」
冷たい手が背中に触れたようなゾッとした感触。
どうして、そんなことがわかる?
「先輩も、そういう人だったんですね」
ニコリと一色は笑う。
「も……?」
こいつはヤバい。
そう直感した。
彼女の中に巣食うおぞましい何かが一瞬見え隠れした。
今の俺なんかとは比にならないくらい、この後輩は狂っている。
それは恐らく昨日今日の話ではなく、ずっと前から彼女を形作ってきた本性。
「先輩」
一色の小さい手が俺の手に触れる。反射的に力が入りかけたが俺を見つめる彼女の瞳がそれを許そうとしなかった。
「じゃあ、わたしにも一枚噛ませてくださいよ」
――
――――
「昔、一色いろはの通っていた小学校の周りで動物の死体が連続して発見された事件があった」
そう材木座は語り始める。その内容はあの彼女のキャラからはあまりにもかけ離れていて凄惨なものだった。
始まりは通学路にある公園のベンチの上にカラスの死体が置いてあったことだった。その死体は原型からはるかに壊された状態で、それを最初に発見した主婦が失神したほどだった。
他の動物が食い漁ったせいだと最初は結論づけたがそれからまもなく、今度は大量の虫の死骸が同じ公園の別の場所で発見された。
そのどちらにも共通して言えることは、どれも刃物のようなもので切り裂いてその中身を抉り出していたことだった。まるで子どもがおもちゃを分解するかのように。
その行為は日を追うごとにエスカレートしていき、果てには飼い犬や猫にまで発展するようになった。
当時警察は変質者の疑いで操作をしていたがそんな中、その一色の同級生はある日偶然目撃してしまったのだ。
近所の留守の家の犬の首輪を外して人気のないところにおびき出して、そしてその犬を嬉々とした様子で解剖し始める一色いろはの姿を。
その同級生は恐怖に怯えてそれを言い出すことができないまま、時間が経つごとにその事件は沈静化していった。
そのことを打ち明けたのは材木座が初めてで、一色が死ぬまではずっと彼女に怯え続けていたという。
そして、その頃からだという。
一色いろはが、あのように周りに振る舞うようになったのは。
「わかっただろう? 一色いろはが八幡に手を貸した理由が」
「……たとえそれが一色の起こした事件だったとしても、あの比企谷の事件までにはかなりの時間があったんだよ? 一色にまだそんな願望があったなんて」
「だから、最後の言葉が活きてくるのだ」
「……何か関係あるの?」
材木座の話を聞いてもその関連性が少しも見出すことができない。一色があざといキャラを演じ始めたことと事件との間に一体何があるというのだろう。
「これは俺の解釈に過ぎないが、あの一色いろはのキャラとは周りに良く思われるためというよりも、自らの狂気を覆い隠す仮面であったのではないかと思う」
「……えっ?」
「考えてみればそもそも不自然だ。一色いろはほどの賢さがあれば、あれほどまでに過剰なあざといキャラは逆に自分にマイナスのイメージを付与することに気づくはず」
材木座の語気が強まっていく。解釈と言いながら彼の中では確信と言ってもいいほどの事柄に膨らんでしまっているのは一目瞭然だった。
「なのにそれを使い続けたのはなぜか。何か他の理由があったとしか考えられない」
他の理由。
彼女の計算高さから材木座のような疑問を抱くのはもっともらしいようにも思える。だがしかし、だからと言って彼の考えを肯定しようとも思えなかった。
「それはあまりにも強引な考えだと思うんだけど」
「だからあくまでも俺なりの解釈だと言ったのだ。その辺りの動機が如何にせよ、一色いろはが八幡の共犯であった可能性は相当なものだろう」
「…………」
「そしてそのあとのことは言わずともわかるだろう?」
「全員が一色が死んでいると思い込んでいることを利用してみんなを欺き、そして殺した……」
「その通り。そして最後には共犯であった一色いろはも殺し、自らの命を絶った」
「……でも、やっぱり納得できない」
だって、それでもまだわからないことが残っている。
「八幡の動機か?」
心が見透かされたような驚きで思わず言葉を失う。
「俺もそれだけが自分の中で納得できるだけのものが見つからない。でも最近、俺はこう思うようになった」
「?」
「それはきっと、我らには理解し得ぬものなのだと」
「あの事件に関する情報はもう調べ尽くした。これだけ時間が経ってしまったら、風化していくだけのものをこれ以上知ることは不可能と言ってもいい」
そう材木座は伏し目がちに漏らす。あたしも一時期真実を知ろうとしていたからこそ、彼の気持ちは痛いほどに共感させられた。
「だから今となっては得られない情報の中にその答えがあるのだと思っていた。……しかし俺は思い違いをしていた」
「思い違い?」
「きっと八幡ならこう言うのだろうな。『理解なんてできるはずがない』って」
そして材木座はこう続けた。
人が真の意味で互いを理解することが、そもそも不可能なのだということ。どれだけ近づこうとしても、歩みを進めても、そこにたどり着くことはないということ。
共感とは相手の気持ちを理解することではなく、自分の中で最も近いそれらしい感情を想起し、同一視することだ。
人を殺したことのないあたしたちが、人を殺した彼の感情を理解しようとすることそのものが決定的な誤りなのだ。ましてやその動機を知ろうなど、言うに甚だしい。
「……これが我が最終的に導き出した解だ」
「……それって、結局は諦めたってことだよね」
「まぁ、そう言われたらぐうの音も出まいよ」
弱々しく笑みを浮かべながら材木座は視線を落とす。しかし不思議なことに悔しそうには見えなかった。
「だが、俺にとっての真実にたどり着けた。それを平塚先生と川崎殿に伝えることができた。それだけでもう十分なんだろう」
…………。
いや、本当は彼にはそれすらわかっているはずだ。でなければ、さっきから一度も合わない彼との視線の説明がつかない。
それなのに頑なに口にしようとしないのは、あたしのことを思ってくれてなのか。それほどまでの真実がそこにはあるのだろうか。
……でも、あたしにはそれを言及する権利はない。あたしは途中で投げ出した身だ。彼が得た情報をどのように扱おうともそれを非難することはできない。
「そっか。わざわざありがとう」
だからそれを探るための言葉ではなく、感謝の言葉を材木座に贈ることにした。彼にとってもこの事件を終わらせるために。
「ところでそれは」
と、材木座があたしの左手を指した。そこに視線を移すと小さな幸せの輝きが目に入る。
「来月にね」
「なるほど……」
その意味を解した材木座は心から嬉しそうにこう言ってくれた。
「おめでとう。お幸せにな」
「ありがとう」
「……さてと、ではそろそろお暇させてもらおう」
立ち上がる彼にあたしはもう一つ言葉をかけることにした。
「あのさ」
「む?」
「あんたも、そろそろ自分を幸せにしてあげたら。きっとあいつだってそう思ってるはずだよ」
「……あいつのことだ。どうせ嫌みったらしい回りくどい言い方をしてくるのだろうな」
「かもね」
そうして二人で笑いあった。あれから取り残されてしまった二人が、ようやく元の一人と一人に戻ったような気がした。
――
――――
乱雑にポケットに入れていたせいでグチャグチャになった箱から煙草を一本取り出し、百円のライターで火をつける。一口、小さく吸った煙は我の頭をぼんやりと曇らせた。
一つ、灰を落とす。地面に落ちていく小さな光がその灯りを失う。
終わったと、そう強く感じた。
我の役目は、これで終わり。
さてと、これからはどうするとしよう。
まぁいいだろう、そんなことは。これからのことはこれから考えればいい。
……なぁ、八幡よ。
お主は、その時どう思っていたのだろう。
我はそれを知ることができない。想像をもって推測することしかできない。
八幡が『本当の意味で死んだ』その瞬間のことを。
――
――――
「小町っ!!」
手にしていた木刀を投げ捨てて小町の元へ走り寄る。
「お、にい、ちゃ……」
あまりにも、弱々しい声。
「大丈夫だ、俺がすぐに救急車を呼んで――」
血を失いすぎたせいか虚ろな目の妹は、そんな俺の言葉を遮った。
「ころ……して……」
「……えっ?」
予想だにしていなかった小町のセリフに思わず言葉を失った。
「おね……がい……」
その虚ろな目は焦点が定まらない。もしかしたらもう何も見えていないのかもしれない。
「なんでだよ……」
「いたい……いたいよ……」
その目からボロボロと涙が溢れ出し、頬を伝って血だまりに吸い込まれていく。透明な雫が血の色に染まる。
「手がね……うごかないの……」
ハッとそっちを向くと肘から先にあるはずの腕がそこにはなく、ずっと離れた先にポツリと置かれていた。叫び出しそうになり思わず口を手で覆う。
「あ……しも……、からだがどこも……うごかないよ……」
小町は懸命に歯を食いしばりながらどうにか口を動かす。こんなに苦しそうな顔を見るのは初めてで、そのせいでさらに胸が締め付けられた。気づけば俺も泣き出していた。
「もう……たえられない……っ。いたいよ……いたいよぉ……」
「……っ!」
小町がもう助からないことはあまりにも明白だった。これだけの出血ではどうしようもない。もし仮に助かったとしても、もう小町は手も足も、何もない。残るのは傷だらけでまともに生きることのできない未来。
そしてこのままだと小町が想像を絶する苦痛を受け続ける。なら、せめて俺が――。
「……ち、くしょう…………っ!」
己の無力感に苛立ち床を思い切り殴りつけた。小町の血が頬に跳ね返ってくる。まだ温度の残るそれはほのかにあたたかくて、それが余計に俺を苛立たせた。
「おにいちゃん……、ごめんね……」
「なんで……」
「こんなのつらすぎるよね……」
「なんで……お前が謝るんだよ……!」
「ごめんね……。でもね、小町のさいごのおねがい……だから……。……うっ」
また痛みが走ったのか顔を歪める。そんな辛そうな実の妹の姿をこれ以上見ていられなくなり、その首元にゆっくりと手を近づけた。
「くそ……、くそ、くそ、くそっ!」
息が詰まり吐き気が全身を取り巻く。でも、こうするしかない。他でもない小町のために。
その残酷すぎる現実が強烈に、痛烈に俺の心を締め付ける。
「……痛いのはこれでおしまいだからよ。あとはゆっくり眠ってくれ」
だからせめて最後くらいは俺らしく。
小町が安心して眠れるように。
「あ……りが……と……う」
「小町、愛してる」
「まったく……おにい……ちゃんは……いつまでたっても……」
のどに手をかけて、少しずつ力を込める。
「こまちもね……だいすき」
「ああ。知ってるよ」
指の先から小町の生命が消えていくのを感じる。
かすかに俺に生を告げる脈が少しずつ弱まっていく。
小町が死んでいく。
俺が、小町を殺している。
最初は苦しそうに身をよじらせたが、それもすぐになくなり、小町は静かにその目を閉じた。
鼓動の速度が次第に遅くなり、その一つ一つが力を失っていく。それと同時に自分自身をも殺しているような錯覚にとらわれた。
そして、小町の息が止まる。
ついさっきまで確かにこの手で感じていた妹の鼓動は、もうどこにもなかった。
終
以上で終わりです。読んでくださりありがとうございました。
前作を読み直したら矛盾だらけでアレだったので次はもう少し頑張ります。
>>41
なにそれkwsk
>>42
いろは三部はとてもいいですよ。おすすめです
このSSまとめへのコメント
前作もよかったし真相を知れてよかった