二宮飛鳥「灰色の世界の外」 (30)
この話は、とある世界で、ある偶像が生まれるまでの話。
・デレマスSS
一応書き溜めありますが、誤字確認しながらぼちぼち投稿していきます。
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二宮飛鳥。
約14年前の2月3日、静岡に生まれ、現在、多感な思春期真っ盛りの14歳。
血液型はB型で、趣味はヘアアレンジやラジオを聴くこと。あと、漫画を描くこと。
二宮飛鳥というヒトをこの世界に定義するなら、そのようなアトリビュートが挙げられるのだろうか。
ボクがボクである理由……そんな、この年頃の人間なら誰もが苛まれてしまうようなことに、
ボクもまた、苛まれていたんだ。
◆
変わらない町並み。いや、それは違うか。
少しずつ、気が付けば気付く程度に変わっていく町並みを視界に入れながら、
ボクは学び舎からの帰路をぼんやりと辿る。
足を進めるにつれ少しずつ混じる違和感。
在るものが無い。無いものが在る。
見慣れたものの中でも、なぜか頭に特別強く焼き付いている景色があって。
その景色から何かが無くなってしまった時の虚無感はやはり、あまり味わいたいものではないよ。
ふと、行きつけの喫茶店――といっても半年程度しか通えなかったあれを
"行きつけ"と呼ぶのが正しいのかは聊か疑問が残るけれど――のことを思い出した。
小洒落たクラシックの響きの中、思考を揺蕩わせる時間。
ヒトがその想いを叫ぶような音楽を比較的好むボクにも、たまにはゆったりとした時を過ごしたい欲求も浮かぶ。
そう、つい行きつけと表現してしまうぐらいなんだ。
ボクは家と、学校と、そしてもう一つ。そこを自分の居場所として認識していたのかもしれないな。
ボクは、何も安らぎだけを求めてその喫茶店を訪れていたわけではない。
あまり変わり映えのしないこの世界に対して不満を募らせるだけでなく、
自らが変わるための試練を受けるために、というのも理由として挙げられる。
その試練の名は「ブラックコーヒー」、大人の象徴。
大人と子どもを分かつ境界線はファジーで、何ができれば大人と言えるのかは曖昧なもの。
けれど、きわめて理解(わか)りやすいものもいくつか存在する。
その一つが、ブラックのコーヒーというわけ。
"それ"を飲み干すことを自ら望んだボクを、マスターはそっと見守ってくれる。
やがて、「どうぞ」とそっと差し出されるスティックシュガー。
そこまでが、所謂お決まりの過ごし方だった。
幾度となく繰り返したその筋書きを否定しなかった彼は、
きっとボクのことを一人の挑戦者として認めてくれていたのだろうと思う。
そう。あそこはボクにとって、羽休めの場だというだけじゃなくて、
修練の場でもあったということさ。
でも、世界はボクが苦味の旨味を理解るまで、待っていてはくれなかった。
あの日、いつものように"お決まり"の時間を過ごしていたボクに、
マスターは申し訳なさそうにこの店を閉めるつもりだと伝えた。
なんでも、息子夫婦が良い年の親を一人にしておくのが心配で、
自分たちの家に来て一緒に住んでくれないかと連絡を寄越してきたそうだ。
ヒトの想像力など、たかが知れていて。
その時のボクには、その喫茶店で過ごす時間が無くなってしまうことを正しくイメージできなかった。
だからこそ「お元気で」とすんなり見送りの言葉を返すことができたんだ。きっと。
もし、あの時、引き留めていたなら。その選択をしていたなら。
なんてことを考えなかったといえば嘘になる。
……いや、でもあのままでよかった。あれでよかったのだとは思える。
別れは必ず訪れるんだ。そのタイミングが少し想像より早かっただけ。
でも、日常にぽつんと空いてしまった穴より流れる隙間風。
灰色の世界に少し、色付いた部分が再び、色を失ったあの日。
初夏のわりには、少々冷たすぎる風が心を凍えさせた夜のことを、ボクはきっと忘れないだろう。
嗚呼、世界は、こんなにあっけなく変わってしまうのか。
世界の一部分の町がこれほど簡単に変化するならば、
きっと、さらにその一部分であるヒトはもっと簡単に変わってしまうのだろう。
たとえ、変わらないことを望んだとしても。
たとえ、自分がその変化に気づくことができなかったとしても。
ヒトは他人から見た自分を見ることはできないと聞いたことがある。
精神的な意味ではもちろん、物理的に自らが自らを見ることもできない。
鏡を使ったとしても、そこに映る像は左右が逆転している。
だとすれば、ヒトが自分の変化に気付くことができないことにも納得がいく。
そうして気付かぬうちに、少しずつ。けれど確かに移ろいゆくボクらを、
ボクらで在らせる"何か"は一体、何処にあるというのだろう。
さて、そうこう思考を揺蕩わせるうちに十数分の道を歩き終わっていたようだ。
景色は少しづつ変わりゆくとはいえ、すでに慣れた道。
せめて未知なる道ならば、少しでも楽しみを見いだせただろうか。
◆◆
時は来た。
天文学部がちょうど休日前の観測を終える頃。
つまりは金曜日の午後8時半。
それから、午後9時の用務員が施錠しに回ってくるその時まで、
プールサイドに座り、空を眺めながらレディオ・プログラムを聞き流す。
それが最近のルーティンだ。
ポータブル・レディオをポケットに突っ込み、
「行ってくる」と親に向けて玄関より声を掛ける。
「またかー、気をつけてな」と聞こえるのを背に、ボクは学び舎へと歩きだした。
いつもは騒がしい学び舎も、夜には雰囲気をがらりと変える。
天文学部が帰っていったのを見計らい、ボクはプールサイドへと向かう。
今となっては慣れたものだが、初めからこうだったわけではない。
そう、これを始めだした日は、あっさりと用務員に見つかった。
もちろん、ボクは忍び込んでいる身だ。
それなりの処分を受けることになるだろうし、
それも、仕方がないことだと覚悟していた。
この灰色の世界で普段よりできる、ささやかな抵抗ではなく。
少し、大胆な抵抗の代償であれば、仕方がないと。
しかし、用務員の反応はボクの想像を超えていた。
彼はひとしきり笑った後、
「まさか、同じことをする子がまた現れるか」と言ったのだ。
"まさか"とはこちらの台詞でもあった。
まさか、ボクの他にこんな行動を取る"痛いヤツ"がこの学び舎にも居たとは、ね。
その"痛いヤツ"はとっくにこの学び舎を去っているのだが、
そいつは時たま実家に帰ってくると、ここに空を眺めに来ていて、
たびたび用務員の彼と世間話をしていくそうだ。
最近は芸能関連の仕事についていて、その痛さとも折り合いを付けつつ、
どうにかうまくやっていると彼は聞いたらしい。
いずれは、その"痛いヤツ"の先駆者に会う時も来るのかもしれない。
彼は、この灰色の世界に"色"を見つけることができたのだろうか。
そして、もし巡り合えたならば、礼を言うべきだろうか。
きっとその先駆者が居たからこそ、
ボクはこうして毎週のルーティンをこなすことができるのだとすれば。
用務員がわざと開けてくれているプールへの扉を開ける。
昼間はあれほど騒がしかったプールサイドも、
月明かりの下、しんと静まり返っている。
今宵は半月、上弦の月。
いつもの場所に腰を下ろし、片耳にイヤホンを付け、レディオのスイッチを入れた。
『やあ、よく来たね。待っていたよ』
そうだ。この時間の、この周波数のプログラムはレディオ・ドラマ。
……にしても、先週の引きからはいささか急すぎる展開だ。
『そこの君だよ。聞こえているのだろう?』
しつこく聴衆に語りかけるアクター。
おかしい。こんなにメタな要素の多いドラマではなかったはずだ。
ああ、プログラムが変更されているのだろうか。
少しだけ楽しみにしていたのに、と思いつつもほかのプログラムに周波数を合わせる。
「あくまで気付かないふりをするつもりかい? 二宮飛鳥、君になら届くと思っていたんだがね」
"そいつ"はボクの名前を呼ぶ。おかしい。
この声はレディオ・プログラムのアクターの声ではない。
「キミは誰だ。どうしてボクの名前を知っている」
声のする方――右後ろのプールのフェンスの方――を向く。
そこに在ったのは、フェンスの上に腰掛ける、
スーツ姿でいながら"痛さ"の隠しきれていない男の姿だった。
ボクは確信を覚える。"ヤツ"だ。
まさか、これほど早く巡り合うことになるとは思っていなかったけれど。
「オレはP。シンデレラを探しに来た、ただの悪い魔法使いさ」
「悪い魔法使い? そんなアクターは『シンデレラ』には登場しないはずだけど」
うろ覚えだけど、確かそうだったはずだ。
魔法使いはいても、悪役としては描かれていない。
「灰かぶりの少女を、当人が望んだとはいえ、輝かしいだけでなく、
悪憎渦巻く世界に引き入れようとする……その魔法使いは"望み通り手助けしただけ"
などとのたまうかも知れないが、それは余りにも無責任だと思わんかね?」
そうヤツは語る。道へ引き込む者の責任を。
人の往く先を歪めるという事の重大さを。
でも――
「でも、ヒト一人はあまりに無力で……誰かの往く先を歪めることなんて――」
「できる。……だってオレは魔法使いなんだから」
そう自信たっぷりにこちらを見据える目はなるほど、
"悪い魔法使い"といっても差し支えない、ギラギラとした目。
そしてヤツはこう問うた。
「さて、二宮飛鳥。君は偶像――アイドル――になる気はないか?」
「アイドル……というと、あのアイドルかい?」
華やかな衣服を身に纏い、煌びやかな舞台に立ち、歌や踊り等で人々を扇動する者。
扇動者より離れた場所で、流れに流されまいとしているこのボクが、アイドルに。
とてもじゃないが、そうなった自分は想像できない。
「そうだ。舞や歌声で人々を魅了する、アレだ。そして君には、他人には無い武器がある」
「それは、その"痛さ"だ。その強烈な個性は、この世界を勝ち抜く大きな力、武器となる」
ボクが思考を挟む間を与えぬようにヤツは呪文を紡ぐ。
「とはいえ、それは扱い方を間違えれば自らを窮地に陥れる諸刃の剣。だから、そこはオレが扱い方を伝授しよう」
目は輝きを増し、見かけ通りの青年というよりかは少年の目のような輝きを放つ。
「それに、君は絵にもなる。この月の下、オレが思わず言葉を失い、声をかけそびれかけてしまった程度には、ね」
「本当はかねてより聞いていた"痛い後輩"に少し挨拶でも……と思っていただけだったんだが。
君を一目見た途端、ティンと来てしまったのさ。
これほどの宝石――ジュエル――を前に、プロデュース欲を抑えられるはずもない」
そんな、歯の浮くような科白の後、彼はこう契約を持ち掛けた。
「再び問おう。二宮飛鳥。君は偶像になる気はないか?
だけど、よく考えてくれ。オレは悪い魔法使いだからね。
これは契約だ。もし、君がアイドルになりたいというならば、
オレは君がありのままに個性を変えていくはずの人生を失うことを代償に、
非日常へ、この灰色の世界の外へ君を連れ出すことを。
そしていずれは、君と共にそのセカイの頂点にまで上り詰めてみせることを約束しよう」
突然現れたこの世界の外への扉を前に、ボクは押し黙ってしまった。
そんなボクの状況を認めたからか、
彼は空を眺めながら、独り言のように言う。
「ほら、今も空に月が輝いているだろう? 半月、今日は上弦の月か。
少しずつ、満月に向かい満ちてゆき、やがて、満月になる。
それからは逆に陰っていって、再び新月になってゆく。それが月ってもんだ。
これを、月が最も輝くのは満月だから、満月のままでいさせたとして、
それはもちろんありのままの月の姿とは言えない。
こうして月を見る者のエゴで満月で居させ続けるっていうのは、
変わるはずだった未来を奪うことに他ならない」
「ボクがボクで居ることを強いることになるかもしれないと?」
「そういうことだ。出来る限りはそうしたくない。けれど、しないとは言い切れないさ」
その言葉には、少しばかりの後悔と未練が含まれているように感じられて。
それが逆に、ボクのココロに火を灯した。
「……キミの言いたいことは理解ったさ。それでもいい。ボクに世界の外を見せてくれ」
「え、いや、もう少し考えてからのほうが――」
「これ以上考える必要は無いよ。世界の流れに流されてしまう前に、選んでおきたいんだ」
彼の言葉を遮り、ボクは言葉を並べ立てる。
「キミはボクと"共に"セカイの頂点まで上り詰めると言った。つまりはフェアな関係。だから――」
「オレが気に病む必要も無い、というのか」
「変わらないでほしいと願ったものでさえ、世界は変えてしまうんだ。
だったら、そうキミに言われた程度なら、ボクは変わってやるさ」
そうだ。
本当に、ボクは変わらないでいることを強いられたくらいで、変わらないでいるだろうか。
自身のレゾン・デートルすら曖昧なボク。
ボクがボクである理由すら見つけられないボク。
そんなボクが、"変わらないでいろ"と言われて、そもそも変わらないでいることができるだろうか?
だったら、ボクは。
彼の謂うこの世界の外。ボクが望むセカイへの扉が、鍵が、すぐそこにあるなら。
自身の望みを掴むための選択ならば。
その選択を、躊躇する理由なんて無かった。
「はは、そこまで言われてしまえば、オレがどうこう言うことももうあるまい。
魔法をかけるつもりがまさか、シンデレラに魔法をかけなおされてしまうとはね」
ボクの言葉を、いや、彼に言わせれば魔法にかかった彼は、ニヤリとしながらそんなことを言った。
「シンデレラが魔法を使えたとしても、キミは本物の魔法使い。
だったらキミは、シンデレラの魔法なんか目じゃないような魔法を扱えるんだろう?」
「もちろんさ、シンデレラ。手始めにオレの魔法でこの世界の外に――」
「――飛鳥。ボクの名前は二宮飛鳥。それ以上でもそれ以下でも、シンデレラでもなく、ただただ、ボクは飛鳥さ」
そしていずれは、偶像のセカイの頂点に立つことを志す者。
「――飛鳥。君をオレの魔法で手始めにこの世界の外へ連れ出そうではないか」
「ああ、頼むよ。共に、往こう。プロデューサー」
かくして上弦の月の下、一人のプロデューサーと、一人のアイドルの旅が始まったのだった。
以上で終了となります。
◆おまけ
用務員「まだ終わらないのかぁ……」
結局、結構大事な話っぽいので終わるまで待っててくださっていたようです。
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