男「父さんな、ミュージシャンやめてサラリーマンで食っていこうと思うんだ」 (38)

「父さんな、ミュージシャンやめてサラリーマンで食っていこうと思うんだ」



男がこう切り出した瞬間、リビングは凍りついた。


若く美しい妻も、可愛らしく優秀な息子と娘も、果てはペットである血統書付きの猫まで。
皆が等しく凍りついた。





どうしてこんなことになったのか。

それを説明するためにも、男の半生を振り返ってみたいと思う。

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男はミュージシャンになるために生まれてきたような人間だった。



産声のリズムに産婦人科医と看護師が号泣し、

おもちゃの太鼓を叩くと両親がスタンディングオベーションし、

夜泣きをすれば「今のオペラは一体なんだったんだ」とご近所が大騒ぎになる。



そんな具合だったから、言葉を覚えるにつれ、彼の音楽家としての才能は加速的に開花していった。

リコーダーを吹くと、音楽教師とクラスメイトが涙を流してひれ伏し、


道ばたを鼻歌を唄うと、黄色い声援が飛び交い、


カラオケに行って得点でも測ろうものなら、機械が「1億点」を叩き出し、ブッ壊れた。

極めつけは高校の文化祭である。



友達の口車に乗せられてバンドを出してみたら、
全校生徒と教師が失神者も出るほど熱狂し、文化祭に招かれていたプロミュージシャンが土下座してきて、
たまたまその場にいたスカウトの目に入り、あっという間にプロデビューを果たしてしまった。

プロになっても彼の才能は衰えるどころか、ますます隆盛を極めた。



どこでコンサートをやろうと満員御礼、チケットは即売り切れ。
テレビ中継やネット配信もされるコンサートなのにチケットが100万円以上で売買されることもあった。


なにを歌っても、CDはバカ売れ、ダウンロードする者が後を絶たない。
試しにものすごく適当に歌ってみたら、やっぱりバカ売れ。


もはや集団催眠や集団感染が疑われるレベルだが、これらは紛れもなく男の実力なのだ。



やがて男は結婚し、二児の父親となった。誰もが男を羨み、祝福したことはいうまでもない。

しかし、どれだけ歌が売れても、ファンからチヤホヤされても、男の心が満たされる事は無かった。



なぜなら、彼の心はここにはなかったから。



なぜなら、彼は本当はサラリーマンになりたかったのだから。

サラリーマンになって――



背広姿でビジネス街を闊歩したい。

満員電車に苦しんでみたい。

デスクワークをしてみたい。

プレゼンテーションしてみたい。

つまらない雑用に汗を流したい。

自分の営業成績に一喜一憂したい。

会社のために力を尽くしてみたい。





これが、彼の子供の頃からの夢だったのだ。

思い悩んだ挙げ句、男は冒頭の言葉を口にする。





「父さんな、ミュージシャンやめてサラリーマンで食っていこうと思うんだ」

当然、家族からは猛反対の声が上がった。


あり余るミュージシャンとしての才能や地位や名声を捨てて、なぜ今さらサラリーマンなどになるのか。

長年同じ家に暮らしてきた者としては、怒りや嘆きより、戸惑いの方が大きかっただろう。



しかし、男の決意は固かった。

盛大すぎる引退セレモニーを経て、男はサラリーマンへの道を歩み始めた。

男はいわゆる就職活動をしたことは一度もなかったが、サラリーマンになること自体は簡単だった。



引退したとはいえ超有名人である彼は、多くの企業から引く手あまただったのだ。



男はある大手電気機器メーカーの営業部に配属された。

ところが――

男のサラリーマンとしての才能は絶望的なものであった。



まず、自社の製品を覚えられない。上手く説明できない。

電話応対もまともにできない。

名刺交換するだけでなぜかトラブルが起こる。

ものすごく機嫌がよかったクライアントが10分後には激怒していた。

社外秘の情報をライバル社に送ってしまった。

経理絡みのトラブルも日常茶飯事。





ここまでひどいと、なまじ有名人だったせいか、周囲の目が冷やかになるのも早かった。

程なくして、男はクビを宣告された。



彼を再び拾ってやろう、という人のいい企業はなかった。



男のサラリーマンとしての道は潰えた。

ショックだった。



周囲の反対を押し切って、あれほど熱望した夢がやっと叶えたというのに、

自分はその夢にあまりにも不向きなことが分かってしまった。



気がつくと、男は深い森の奥にいた。



彼は自分のすべきことが分かっていた。

枝に縄をかけ、先端に輪っかを作り、そこに首をくくろうとする。

きっとこれで、自分は若くして自ら命を絶った悲劇のミュージシャンとして神格化される。
そうすればファンは悲しみつつも喜ぶし、家族も食うには困らないだろう。


男が最後の仕事を果たそうとした、その時だった。







「お待ち下さい」

男の後ろには、スーツ姿の紳士が立っていた。


「あなたは……?」

「私は……あなたと正反対の性質を持った者です」

「俺と正反対……?」


男はすぐに悟った。


「ってことは、まさか……」

「はい、私は昔からミュージシャンになることを熱望していましたが、箸にも棒にもかからぬ有様でした。
 現在は一般企業に勤めておりますが、そこでは順調に成果と地位を上げております。
 将来的には社長間違いなし、と称されています」


男は驚いた。まさか、こんな人間がこの世にいるとは思わなかった。

「私もあなたのように死を考えたことがあります。しかし、できませんでした」

「なぜ?」

「おそらく私の中にあるサラリーマンとしての素質・才能がそれを許さないのでしょう。
 それに私には自分に見切りをつけたらすっぱりと命を絶つ、という
 ミュージシャン的気質も皆無だったのですから……」

「そんなあなたが……どうして俺のところに?」

「私は元ミュージシャン志望者として、あなたに憧れ、また嫉妬していました。
 しかし、あなたが引退してサラリーマンになるというニュースを見た時、もしや……と思ったのです。
 あなたは私と逆の性質を持った人なのではないか、と……」

「…………」

「あなたが勤めていた会社は、私の会社の取引先でもあったので、あなたのことを調べるのは簡単でした。
 そして少し前、あなたが解雇されたことを知り、
 もしかするとあなたは命を絶ってしまうのでは、と密かにマークしていたのです」

「……あなたがここに来れた理由は分かった。で、俺にいったいなんの用があるんだ?
 まさか、今の話をしにきただけということはないだろう?」

「その通りです。ここから本題に入ります」


スーツ姿の紳士は、男が予想だにしなかった言葉を発した。





「私と組みませんか?」

およそ一年後、満員の東京ドームで、コンサートを行う二人組の姿があった。



一人は、背広姿でビジネスバッグ型ギターを弾き、
サラリーマンをテーマにした歌を熱唱する、復活を果たした天才ミュージシャン。

もう一人は、背広姿でビジネスバッグ型ベースを奏でる、かつての天才サラリーマン。
ただしこの相方は音楽的才能が全くないので、エア演奏である。



この一見奇妙なサラリーマン風バンドは、天才ミュージシャンの歌と演奏に加え、
天才サラリーマンの営業力のおかげで現在売れに売れている。

コンサートが終わり、男が相方である紳士に話しかける。


「サラリーマンにはなれなかったけど、あなたのおかげでサラリーマン気分を味わいながら、
 自分の才能を生かす道を見つけることができた。命と家族を失わずに済んだ。
 本当に感謝している」

「いえいえこちらこそ、私は完全にお飾りとはいえ、ミュージシャンになるという夢を叶えられたので……
 お互い様ですよ」



自分の夢と才能にようやく妥協点を見つけることができた二人組は、にっこりと微笑み合った。







<完>

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