荒潮は己の言語活動全てを「セックス」にしてしまうほど世界に絶望しているのだ。朝潮はそう思った。
「セックス」。荒潮がそれを言ったのは朝の出来事であった。朝潮と荒潮は二人向かい合って朝食のテーブルに座している。
初夏の季節。大きく開かれた窓から風が滑り込み白いレースのカーテンを大きく孕ませていた。旅行者めいた涼やかな風に揺れる机上のキキョウ。机の下には覚えのない白猫が寝転んでいた。遠くからキジバトの特徴的な鳴き声がホーホホッホホーと聞こえてくる。
「セックス」。荒潮は再び言う。キジバトの声がホーホッと半端に途切れて静寂。朝潮は焼けたトーストにピーナッツクリームを塗る手を止めた。
荒潮は澄んだ瞳で朝潮のことをじっと見ていた。朝潮には荒潮の発言がとても純粋なものに思われた。
「セックス」。荒潮は三度言う。先ほどと変わらず底意のない純粋な言葉だった。それのみで全てが完結していて含みがない。
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「セックス」は「セックス」以上でも以下でもなく純粋に「セックス」だった。そして朝潮にとって、その水晶玉の如く透明で滑らかで捉えどころのない「セックス」は馴染みのないものだった。
朝潮は荒潮がどうしてそんな言葉を口にしたのか真意を確かめたい気持ちになったが、恐らく探りを入れても「セックス」と返ってくるだけだろうと確信した。
それにその「セックス」は朝潮にとって不可解な出来事であるのは事実であったが、未知に遭遇したときに感じる特有の畏怖の念を持つこともなかったので、朝潮は直接深く追究する衝動に駆られることもなかったのだ。
朝潮は一度置いたバターナイフを再び手に取り、トーストにピーナッツクリームを塗る作業を再開した。
それにしてもどうして「セックス」なのか。そもそも荒潮は朝食の席で姉に「セックス」など言う低俗な娘だっただろうか。「セックス」。荒潮の言葉。朝潮ははっとさせられた。朝潮は今「セックス」のことをはしたないと無意識自動的に判断したが、荒潮から放たれた言葉は果たして低俗なのだろうか。
「セックス」が低俗なのは私秘的な領域に他者が無遠慮にずかずか入り込んでくるからであって、現在の荒潮の言葉はそのような秘密を催促するような押しつけがましさは全く存在しない無力な「セックス」であった。
世界から断絶され、いかなる意志も存在せず行為にも繋がることがない、ただ言葉として放り出されて究極的に物象化された「セックス」。機械的とも言える音の集合体。
朝潮はそれを無視することも出来たはずだった。実際、駅前の広場にて巨大な「セックス」がオブジェとして置かれていたとしても、朝潮はその「セックス」を認識することさえ無く虚しく通り過ぎ去ってゆくだろう。
しかし、今そのナンセンスな前衛芸術じみた「セックス」を行為したのは朝潮の妹である荒潮であった。荒潮はただ「セックス」と言うためだけに生まれてきた装置ではない。一つの主体的意志を持つ人格として存在が許されている朝潮の妹だ。
その荒潮がただ純粋に「セックス」と言うその意味を考えるに至り、朝潮は胸が締め付けられ泣きたい気分になった。
「セックス」。およそ同じ存在から発せられる言葉とは思えなかった。朝潮には今の荒潮の如く純粋に意志を介入させることなく「セックス」と述べることは不可能であろう。どうしても倫理に基づく心的抵抗を覚えずにはいられないはず。
それは恐らく朝潮がまだ言葉に意味を付与できるからこその羞恥心だった。対し荒潮の精神は世界から切り離されている。それは一種の超然的な静謐さを伴うものであったが、本質的に完全なる無力だった。
荒潮が精神的に圧殺され単純に物質として「セックス」と言うのだと思うと朝潮は少し哀しくもあった。
荒潮の「セックス」が朝潮の心を捉えたのは、生きている妹が死体も同然に「セックス」と言うことのその落差にあった。
しかし、朝潮にはどうすることもできない。いったい死体となり絶望的な断絶にある荒潮に対し外部から何をしろというのだ。今の朝潮にできることと言えば、荒潮の分までトーストにピーナッツクリームを塗りつけることだけである。
朝潮はピーナッツクリームを塗ることしかできない己の無力さを情けなく思った。ああ、荒潮はこのまま透明に「セックス」と言い続け、私はピーナッツクリームを塗るそれだけの人生か。
朝の陽光は爽やかに空の透明さを教えてくれる。机上のキキョウは星形の花びらを儚くも揺らし、机下の白猫は欠伸し背伸びしている。キジバトも再びホーホホッホホーと鳴き始めた。荒潮は「セックス」と言っているし、朝潮はピーナッツクリームを塗りたくる。静穏な朝食風景。
朝潮は冷蔵庫に瓶詰のイチゴジャムがあることを思い出す。今朝潮はピーナッツクリームを塗っているが、イチゴジャムを塗っていても良かったはずだ。朝潮にしても荒潮にしても特別好物でもないピーナッツクリームに拘泥する理由はなかった。
しかし、仮に朝潮が今ピーナッツクリームではなくイチゴジャムをトーストに塗っていたとして、それが朝潮の世界にとって何の意味があるというのか。余りに些末すぎる境界は無きに等しい。
「セックス」。荒潮の言葉によって朝潮は己を省みた。これでは荒潮と同じではないか。運命への諦めを伴って、世界の透明なガラス越しに「セックス」と言い続ける荒潮と何が違うのか。
朝潮にとってピーナッツクリームかイチゴジャムかが重要な選択区別にならないのと同様、荒潮にとっては「セックス」と言うことと「セックス」と言わないことの差異こそ無力だったのではないか。
朝潮は姉として不甲斐なさを感じた。そうか、私は荒潮に諦められるほどに、彼女と繋がりを持ってこなかったのか。今更ながら朝潮は荒潮から「セックス」だけで済まされる関係にされているのだと感じた。
それは仕方のないことだったかもしれない。朝潮自身ピーナッツクリームかイチゴジャムかという選択さえできずに、運命に全面降伏していたのだから、はじめから荒潮を救えるはずもなかったのだ。
しかし、朝潮は己の絶望を自覚することを厭うた。選択から遁走する臆病さというのは、朝潮が己の属性として容認することができない類のものであった。
朝潮は机上のキキョウを一輪手にとった。ゆりの花に見紛うほど清廉な白い花びらは五芒星の形に分かれていた。
朝潮はピーナッツクリームかイチゴジャムかに関して花占いを行うつもりになった。といっても、手でつまむべき箇所は五箇所と明確。最初の選択へ回帰することが分かりきった賭けである。
それで良い。朝潮にとって重要なのは今ピーナッツクリームを塗っているということの否定がありえたということだった。イチゴジャムを否定することによって初めてピーナッツクリームを朝潮の意志で肯定したということになる。
たとい結末が同じでも、選択の過程において否定肢を含むことにより、現在は肯定される。朝潮はピーナッツクリームを塗る運命を己の意志で選んだのだと確認したかったのだ。
朝潮はキキョウの花びらをつまむ。数は五。ピーナッツ、イチゴ、ピーナッツ、イチゴ、ピーナッツ。そして朝潮は最後の一つを選択するのだ。それが全て。絶望はない。
朝潮は一枚目を引き抜いた。ピーナッツ。予定調和の運試し。結末は必ずピーナッツクリームのはずであったし、実際花占いの結果もその通りであった。
ただしこの占いで朝潮の期待を裏切るものが一つあった。キキョウは一枚の花びらからなっていた。つまり、最初のピーナッツで占いは早くも終止したのだった。
中央が空洞となった白い星の花びらに朝潮は動揺した。朝潮にとってはどう見ても五枚の花びらだったそれが実は先端だけ枝分かれし根元付近ではひと繋がりとなっているとは思いもよらないことだった。
手元の花びらを見るとどうしてこれを五枚だと思ったのか不思議なほどである。しかし、机上に飾られるまだ手つかずのキキョウを今一度眺めると、やはり五枚の花びらが境界線をつけているように見える。
朝潮はカニッツァの三角形を思い浮かべた。形象を不注意にも延長し描かれていないはずの三角の輪郭線を見てしまう錯視。畢竟人間の自由意志とはその程度の錯覚に根拠づけられているのではないか。
世界は端的にたった一つの事実存在であり、朝潮がイチゴジャムを塗る世界も荒潮が「セックス」と言わない世界もただの宗教的幻想に過ぎないのではないか。
朝潮は世界の残酷さに打ちのめされた気がした。そして、荒潮は「セックス」と言う。朝潮は己も荒潮も運命論的に絶望しているのだと思った。
カニッツァの三角形
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/55/Kanizsa_triangle.svg/225px-Kanizsa_triangle.svg.png
朝潮は二枚のトーストに対してピーナッツクリームをすっかり塗り終わってしまっていた。片方を荒潮に差しだすと「セックス」と感謝された。「セ」を「サン」にすればいいのにと朝潮は何だか面白くなった。
朝潮は椅子に座る己の足元に気配を感じた。確認すると白猫が朝潮の足周りをぐるぐるしている。
そもそもこの白猫はなんだ。この部屋で猫を飼った覚えはない。朝潮は白猫の両脇を持って掲げ、その姿を眺めた。胸から腹にかけて暖色系の大きな丸い模様があった。このような猫は鎮守府内でも見かけた記憶はなかった。
どこからか迷い込んだというならば、外に放してやらねば。開けた窓まで猫を抱えたまま朝潮は移動したが、そこで一旦猫を床に置き戻した。朝潮にしては珍しくも悪戯めいた閃きがあったのだ。
朝潮の内で二つの俗信もしくは法則が結びついていた。一つは猫が落ちるとき必ず足から着地するというもの、もう一つはピーナッツクリームを塗ったトーストが床に落ちるとき必ずクリーム側が下になるというもの。この二つの運命が対決する時どちらに軍配があがるのか、この好奇心が悪戯の核だった。
朝潮は丹念にこしらえた己のトーストを白猫の背中に、クリーム側が当然上になるように取り付ける。しかし、一面ピーナッツクリームのトーストは色彩的に華やかさが欠けているように思われた。
朝潮は束の間逡巡すると、思い出したように机上に残されたキキョウの花びらを持ってきて、ピーナッツクリームを糊にして貼り付けた。白い五芒星がワンポイントになり、とりとめのない印象が抑えられ、少し洗練された感じになった。
朝潮は荒潮に対しピーナッツクリームの運命と白猫の運命のどちらが勝利すると考えるかと尋ねる。「セックス」。言下の解答は予想できたものだったので、朝潮は特に気にかけることもなかった。
それに朝潮にしてみれば、結果は分かりきったものだった。かたや単なる物体としてのトースト、かたや意識ある生命としての白猫。運命に強度というものがあるとするなら、当然生命の運命の方が強度はあり、物体の運命に勝利するだろう。いったい猫がピーナッツクリームに遠慮して自分の背中を犠牲にするなんてことがありうるものだろうか。
朝潮は一階の窓から顔を出す。東の水平線から赤みがかった朝日がいまだ眩しく切り込んでくる。反対側の半透明な夜空には月が今にも消え入りそうな亡霊の如く浮かんでいた。
朝潮は白猫をその背中側から抱き、窓の外に突き出す。猫を地面に直接つけようとする己に気付き朝潮は慌てて持ち直すと、そっと上空から落とした。高さでいうと一メートルもない。注目すべきことは何もない。朝潮はもう賭けの内容さえ半ば忘れ無関心な装いだったが、しかし、猫が地面に至ることはなかった。
たった一メートルの落下中に不自然なほど急にぐるりとトーストが猫を上にするように回転したのだ。だからといってトーストが地面についたわけでもない。更にそこから半回転し猫が下になる。そして更に半回転。
標高一メートル以下の空中でぐるぐる回転してそれは留まったかと思うと、さらに驚くべきことに落下するどころか徐々に上昇してさえゆくではないか。ぐるんぐるんとハンマー投げのような激しい重心回転で上昇していくさまは、プロペラが一枚にも関わらず遠心力によって飛ぶモノコプター型のドローンを彷彿とさせた。
猫とトースト、生と死は螺旋を描いて不規則に明けた夜の方角へ向かう。両者は互いに相手を上におとしめようと激しく離反を試みるが、その上昇の根拠がまさにその離反運動である限り、完全に離れ去ることもできないはずだった。
「セックス」。荒潮が言う。言われてみればそうかもしれない。その飛びざまはトンボやチョウに見られる空中で行われる愛の営みに近いものがあった。現状、猫とトーストは憎悪的な戦争状態にあるとも言えたが、同時に友愛的な和解状態にあるとも言えた。
この奇跡的とも運命的とも言えるアンビヴァレンスこそ進歩の秘訣なのかもしれない。猫とトーストが西の方で小さくなって消える時にはもう夜は完全に崩れ去り月の亡霊も宵の煙も完全に失われていた。
「セックス」。荒潮の声が新鮮に響いた。そうか、なるほど「セックス」か。朝潮は後ろを振り向いた。荒潮はじっと朝潮を見つめている。朝潮は「セックス」と言った。荒潮が笑った。朝潮も笑った。たといこの世界から「セックス」以外の他全てが失われることがあったとしても、私たちは繋がりあえる、そう強い絆で結ばれるのを実感した。
荒潮は己のトーストをバターナイフで半分にして朝潮に差し出して言った。「うふふふ。朝潮姉さんったら朝から大胆なんだからぁ。ちょっとびっくりしちゃった」。朝潮は考えた。これは朝潮が荒潮との「セックス」関係を受け入れたから意志疎通できるようになったのか、それとも朝潮が「セックス」と言ったことに対し、正気になった荒潮が常識的な乙女の素朴な反応を返しただけなのか。
朝潮は半分こされたトーストを齧った。不味い。「ちょっとぉ、これなんか冷めていておいしくないわ」。荒潮が文句垂れるのを聞き、朝潮は笑った。荒潮は不思議そうな表情をしたのも束の間、すぐに笑いだした。キジバトがホーホホッホホーと再び鳴きだす。朝潮は何だかとても懐かしい感じを受けた。
おわり
>>10の貼り忘れ。モノコプター型ドローン
The Monospinner
https://www.youtube.com/watch?v=P3fM6VwXXFM
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