【R-18】由比ヶ浜結衣はレベルが上がりやすい (856)

このスレは『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』の二次創作スレッドです

・ヒッキーとガハマさんがイチャイチャエッチなことをするスレです

・初SSです

・独自解釈や妄想設定バリバリなので突っ込みは無用です

・R-18ですが何分初物なので夜食目的には向かないかもしれません

・初めてでイけると思ってんじゃねぇよこの童貞野郎ッ


以上了承出来る方のみ本編へお進み下さい。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1441033331

めちゃり。

ぴちゃり。

ぬちゃり。

くぐもった水音が静かに響き渡る。

「はむ、はふん、ふむぅ……」

水音に紛れて押しとどめた吐息のように漏れ出す声が内から外から耳朶を侵す。

生々しい吐息の香りと唾液の交換が音の正体。

距離を零まで近づけんと押し付けられた唇と唇、絡まる舌と舌。それは親愛情愛を示す作法だが、数多ある〝それ〟の中で最も情欲に濡れた行為であることを経験と本能が知っている。

「んむ、んぅ……あふ、あん……」

押し付けるだけでなく擦りつけるように、擦りつけるだけでなく吸い付くように。

俺と彼女の心の距離が限りなく近くとも別々の身体に別たれているように、どれだけ欲し、どれだけ近づこうともその距離は零にならない。

激しくねちっこく繰り返されるキスは、その根源が真っ直ぐな欲求ながら決して100%望んだ通りには叶わないもどかしさの証明であるようだった。

性愛は汚れたものだと大人は言う。

でもその欲望は、その心の本懐はひたすら純粋で真っ直ぐなものだ。けれどそこに孕むリスクやマイナスは純粋なものを綺麗なままにはしておかない。社会という集団がそれを許さない。

ああ、今胸を頭を満たす感情はこんなにも直裁なのに。

恥じる事など何も無いのだと、こんなにも雄々しく真っ直ぐそそり立っているのに。文字通り。

「んぅ……」

名残惜しむような吐息と共に唇は離され、糸引く唾液が未練たらしく先までの繋がりを示した。

かつてはキス一つ、抱擁一つでも胸中の感情を処理しきれず大粒の涙を零していた彼女は、幾多の体験を経て今や愛も欲も当然の物だと言わんばかりに受け入れ緩んだ表情で俺の目を真っ直ぐ見つめている。

そして、そんな彼女を見つめ返し湧き上がる俺の感情も至って当然のものだ。

可愛い。

美しい。

いやらしい。

汚したい。

汚したい。

未だ少女性を色濃く残す彼女の全てを、俺の欲望の色で余さず塗りつぶしたい。

そんな俺の胸中を察したのか、彼女は

「ね……ヒッキー……」

掠れたように甘く囁いて、

「……いいよ」

一刻も早く昇り詰めんと張り詰める俺の逸物を手で淡く握り擦り上げた。

今宵既に一度彼女の中に侵入した俺自身は彼女の蜜に塗れており、手が上下する度にちゃにちゃと粘付いた音を立てる。

「あ……ぐ……」

音と同期して下半身に走る淡い電流が、足先を甘く痺れさせ、脊椎を伝って脳に伝わった快楽の情報は俺の意思と関係無く呻き声を上げさせる。

電流は熱を伴い、氷で出来た鎖の如き理性を確実に融かしている。

しかしこれは本気ではない。ただ掠めるように擦っただけで、絶頂させる気など毛頭無い牽制のような責め。

これは俺を煽るための一手だ。

俺の本能を縛る理性の鎖を俺自身に引き千切らせる為の合図だ。

未だ自身の獣性を好きに解き放てない弱い俺への、彼女なりの求めなのだ。

そして、

「気持ち良くなって、いいよ」

出会った時と変わらないあどけなさはそのままに、彼女は妖しく微笑んだ。

少女と毒婦を両立させるその矛盾は、俺が彼女を喰らって良い理由へとすり替わって理性と本能を反転させた。

「ゆ、結衣ッ」

切羽詰まってどもった自身を恥じるヒマも無いと、彼女を押し倒し正常位の形で彼女の入り口に自身をあてがった。

「あ……!」

そこまで俺の行動が一瞬で、彼女が強引さに驚いたのも一瞬。

唐突さに驚いた彼女は、しかし一瞬でその瞳を期待で暗く輝かせ――

〝ぐちゅり〟

「んあッ!!」

躊躇無く体内に押し込まれた衝撃で、容易く身体の自由を放棄した。

「あ、あぅ、んん、んあぅ、ああ あ、ふあッ」

ぐちゅぐちゅと湿った音を立てながら、俺の肉と彼女の穴が上下左右と接し擦られていく。

先の一回目は俺の方が快楽に耐えきれず彼女が達する前に絶頂を迎えてしまった故、今の行われている二戦目は彼女を絶頂させる為のリベンジだ。

既に一度……否、一度目の途中彼女の口内に吐き出したのを含めれば三度目のストロークであり、普段我慢弱く落ち着きのない俺の逸物もそれなりに保ってくれる筈だ。

……筈なのだが。

「はひっ、ひ、ひっきー! ひっき、あぅ、きもちいい、きもちいいよぉ!」

彼女が、俺の名前を呼んでいる。

俺の動きに合わせて、快楽で鳴いている。

俺に貫かれながら、俺の名前を啼いている。

既に一度目の挿入で大きく昂ぶっている彼女の心と身体は、既に異性と快楽を受け入れる為の雌の心身へと代わっていた。

掠れた甘い声は俺の脳を迅速に融解させ、彼女の嬌声に合わせてうねって絡みつく彼女自身と相俟って抵抗しようもないほど俺自身が昂ぶる。

「ぐふ、んぅ……!」

俺の口からも耐えきれず荒い吐息が喘ぎ漏れる。

ヤバイ、もう、そんなに、保たない。

頭の奥底、そして逸物は「我慢する必要は無い」「我慢は身体に悪い」「出せば良くなる」そんな甘言を絶え間なく垂れ流す。

「ひっきぃ、んぉッ、ひっきぃのお、おちんちんが、ああ、あぃ、あつく、て、きもちいい……!」

意識してか天然か、熱に浮かされたような彼女の淫蕩な睦言は更に深度と濁りを増していく。

くちゅくちゅぐちゅぐちゅと、接合部から漏れる水音のスパンも細かく激しくなっていく。

既に俺の下半身の半分は、理性のコントロールから外れ独自に快楽を貪らんと動きを激しくしている。

出して良い、出せば良い。

それが一番俺に良い。

五月蠅い。そんなことは分かってる。

それでも俺が、俺だけが気持ちいいだけなら、そんなものは手前で握って擦るだけの自慰と何が違う。

「あひ、はひ、ひ、ひぅ、ひっきぃ、あ、んむッ!」


押さえきれない衝動を無理矢理に縛り付け、彼女と唇を合わせ、閉じる前に無理矢理舌を口内へねじ込む。

驚いて固まったままの彼女の歯をなぞり、舌を強引に絡め取り、唾液を流し込んで混ぜ合って交じ合う。

せめて絶頂に向かってひた走ろうとする下半身の感覚を誤魔化し抑えんと言うせめてもの抵抗だが、効果は精々が意識を僅かに逸らす程度。

「んん、ん、んん、むは、むぅ……」

寧ろ、次第に自ら口中の交合を求めて行く彼女の動きが徐々に、確実に楔を解き放ちつつある。

じゅる、じゅるり、じゅるじゅる、唾液の混じり合う音。

ぐちゃ、ぐちゅり、ぐちゅぐちゅ、粘膜の擦れ合う音。

どちらも周囲に飛沫を飛ばして濡れに濡れ、肌同士の触れ合いにすら何かのフィルターを通してしまったような錯覚に陥り、胸中の焦燥ともどかしさが一層増す。

それを受けて悦楽に浸り刺激され尽くす逸物も、早く出せ早く出せ疾く出せと内側から本懐を溢れさせんとする。

もう本当に余裕が無い。

「んちゅ、んむ……ふはッ、ひ、ひっきぃ!」

深い口づけを強引に引きはがした彼女の声。

「ひっきぃ!ひっきぃ!んひ、ひぃ!ひっきぃ!あたし、あたし、もう……!」

俺の名前を何度も呼び、それに合わせて細かく痙攣するように震える膣内……彼女も、もう幾ばく耐えられない。

「おれ、も……ぐ、ヤバイ……もう、出そう、だ……!」

最早加減する必要も無い、加減の仕方が分からない。

途切れなく響く交合の音は既に止まれなくなったことの証左。

互いに限界が近い。

ようやく出せる。

気持ち良くなれる。

今よりもっとずっと気持ち良くなれる。

待ちに待った瞬間への期待を同じくした俺の頭と下半身、そして苦しげで切なげに高まっていく彼女の顔はそんな根源的な欲望を俺と共有していることを理解させた。

しかし、

「い、いいよ、ひっきぃ!だして!あたしできもちよくなって!」

先に俺を受け止めることを彼女は主張し、

「ダ、ダメだ!さっきは俺だけだったから、今度はお前が先に!」

俺は彼女を先に上り詰めさせることを主張した。

「やだ!やだぁ!ひっきぃだして!そしたら、あ、あたし、そのあとでいいからぁ!」

「おれも、イヤだ……結衣がさきに、イってくれよ……!」

すれ違い。

こんな時でも、目指す先が近くて明白で、もう動きなんて止められないのに、それでもズレる。

俺は彼女を気持ち良くしたい。

彼女は俺を気持ち良くしたい。

ただ相手を気遣ってというだけではなく、彼女は俺が果てるのを中で感じながら達するのが気を失いそうになるほど気持ちいいと言う。

俺も、彼女が達したのを肉の蠢動で感じながら果てると気が狂いそうになるほど気持ち良くなれる。

相手を気遣い悦んで欲しいのは同じで、でもその先には自分の喜悦があって、お互い目指す極致はそこにある。

偽善なのだろう。

醜い自己満足なのだろう。

だがそれで噛み合い絡み合って、ここまで俺達は続いてきた。

付き合う前から、それこそ出会った当初から変わらずすれ違い続けるのが俺達の在り方だった。

きっとこれからも、何より今この瞬間も。

「あ、あ、あッ、や、やぁ! だめ、もうだめ、だめ、だめだよぅ……あたし、ほんとにもう! ひっきぃ、だからぁ!」

身体を侵す快楽も、心から溢れる情動も、もう止めどなく抑えきれないのだと彼女はその声で、汗で、涙で訴えかけてくる。

そんな彼女の最後の一手、左右に開いて俺の身体を受け入れていた両足で俺の腰を挟み込むように巻き付け、物理的に俺の退路を塞ぎ且つ俺自身を己の奥深くへ押し込み導いた。

「あぐぅ! うぅぅうう!」

「ちょ、おま……ぅあ!」

より内圧の強い深部へと導かれた俺自身に爆発的な衝撃が走り、それはより敏感な場所へ逸物を導いた彼女自身も同じだった。

自爆覚悟……否、そこまでの考えが彼女にあったかすら定かではない。ただ俺の為、自身の為、どちらも総取りにしようという安易で彼女らしい衝動がそうさせたのかもしれない。

そして、

「あ、ちょ、も、出」

この自爆は、彼女に功を奏した。

「で、でる」

もう制止も注意も出来ない、そんな間は存在しない。

一瞬下半身の筋力が全て弛緩し、直後張り詰めた全てが〝ぶつり〟と切れ、ありったけの熱を彼女の中にぶちまけた。

「あ、ああ、ああああ」

我ながら間の抜けた震える声と共に、逸物から全身へ絶頂の快楽が伝わっていく。

だがそれも僅かな間だった。

「!!!!」

俺の射精をそのまま直に感じ取った彼女は、

「うっ!」

ありったけの力を両腕と両足に込めて俺にしがみつきブルブルと震え始め、

「うぅ! ううぅ、うぅぅぅぅうぅうぅぅぅうううっ!」

呻くような嬌声と共に達した。

同時に、射精している俺の逸物を溶かし潰さんとばかりに彼女の膣が絡みうねった。

「んぐぁぁぁぁ……!」

射精している最中だというのに、まだ足りぬと搾られ出される。

三度目の途中で、四度目が始まったような錯覚。或いは本当にそうなったのかもしれない。

自慰、手淫、どれだけ濃厚な口淫ですらこうはならぬとばかりに長く続く射精。

「ひぅっ! あうっ、あぅぅぅぅぅぅぅっ!」

応じて彼女の中の痙攣も密度と濃度を増していく。

強い力で震えながらしがみつく彼女と間の抜けた弛緩と放出を続ける俺は、そのまま俺の肉棒と彼女の蜜壺の構図だった。

電流。

快楽。

身体中で迸り混じり合う物理的な信号と溢れ出る感情がない交ぜになって時間の感覚を引き延ばしていく。

実際は十数秒がいいところ、しかし数分にも数時間にも感じるような濃密な絶頂。

もう自意識すら彼女と混じり合って無くしてしまったのではと思い至り、そんな思考で以て俺はその絶頂が終了したことを悟り、同時に抗えない虚脱感に身を任せ、彼女の上にのしかかった。

「は……はぁ……はぁぁぁ……」

長く抜くような俺の嘆息。

「ひっ……ひっ……ひん……」

しゃくり上げるように短く小さい彼女の吐息。

性感が高まるに合わせて存在を忘れていった汗が俺達の身体を濡らしている。

……あぁ、シャワー浴びなきゃ。

未だ行為の熱と甘く痺れの残る身体の感触を感じながら、それでも急速に正常な温度を取り戻しつつある思考が滑り濡れる身体の後始末の道筋を立て始める。

だが本懐を遂げ大人しくなりつつある本能もまた、行為の余韻と疲労からこのままの静止を訴える。

だから五月蠅いんだよお前ら、まだ終わりきってないんだから静かにしてろぃ。

「ひ……ひ……ひぅ……ぅぅ……」

彼女の息も落ち着きつつあるが、快感があまりに大きかったからか目の焦点が合わず、意識も朦朧混濁しているらしい。

未だ繋がったままの秘所は彼女の呼吸に合わせて緩やかに蠢き、それを感じ取る俺自身は性感よりも温もりを強く感じている。

彼女の体温はそのまま胸までせり上がって心を満たす。

快感を求める欲望も焦燥もなく、余韻が薄れると共に愛おしさが湧き上がる。

もう性衝動は無いが、それでもこの感情の証を立てたい。そう思えばこそ身体は自然と後戯に移った。

「あ……」

彼女の身体を緩く抱き締め背中や足や髪を撫でつつ、唇は胸から首、頬まで口づけていく。

「はぁ……はふ……」

じゃれ合うよりもささやかな刺激を受け、彼女の息は整いその色は夢見るような甘さを含みつつあった。

「ね、ひっきぃ……?」

まだ少し呂律の怪しい発音で彼女が俺を呼ぶ。胸元を唇でなぞっていた俺は応じて顔を上げ、

「ん……」

間髪入れず、彼女の唇が俺の唇と合わさった。

さっきまでのように舌は使わず、ただ触れ合うだけの小さなキス。

たっぷり十秒の触れ合いの後に彼女は唇を離し、

「すき……」

そう囁いた。

心臓がくすぐられたように沸き立ち、落ち着かない。

恥ずかしく、嬉しい。

その返礼にと俺も万感の想いを込めて、

「俺も、愛してる」

そう呟いた。





「『俺も、愛してる』」

「……」

「だって、えへ、えへへぇ……」

「…………」

行為から暫く、諸々の後始末を終え俺達は同じ布団の中でくっついている……全裸で。

季節的にはもう春だが三月の夜はまだ冬の面影が薄く残っている故、布団を被っても着衣はしようという俺のポイント高い気遣いの提案は却下された。

彼女……由比ヶ浜結衣は行為後の余韻をより長く感じていたいらしく、その為に直接肌の温もりを感じられるからと行為後の就寝に着衣は不要と幾度と断言している。

いやもう何度目か分からないくらいだから分かってるんだけどさ、でもやるだけやってその後風邪引くとかなんか馬鹿すぎて目も当てられないんですけど。

しかしこうと決めた女性の決意に男性の腐った部分の代表足る俺が対抗できるわけもなく、まぁ人肌が一番暖まるしな、という一応の言い訳で交渉は終了した。片方が一方的に譲歩しただけのやり取りを交渉と呼ぶかどうかは見て見ぬ振りをする。

今は行為と睡眠の僅かな間に存在する交流の時間、所謂ピロートークの最中である。

あるのだが。

「お前なんなの? 俺の台詞コピって何したいの? 俺のこと辱めたいの?」

「えー、だって嬉しかったんだもん……愛してる、なんてさ、えへ」

……さっきからずっとこの調子である。

普段から悪いとは思っているが、結衣と付き合い始めて二年と経つ今でさえ、俺の童貞心丸出しのグラスハートは常日頃から睦言を避けるように自己主張している。

だって恥ずかしいんだもん、照れるんだもん。

以前の本物発言の後も相当に苦しみスーサイドな気分に陥ったものだが、彼女との行為の後、最中の熱に浮かされ歯も浮く台詞をリピートされてはこうして悶え苦しんでいる。

彼女からすれば貴重希少なデレた俺!みたいな感じで愛で回したいところなんだろうが、やっぱ恥ずかしいんだよこれをネタに強請りが成立しそうなくらいに。

そもそも週に何回ヤってんだってくらい(結衣限定の)ヤリチン状態の癖してなんで俺の心はまだ童貞を患ってんだよ。

チンコの皮剥けても心の皮は剥けないのと同じように、チンコが大人になっても俺自身が大人になるってことじゃないのか。大人の階段昇る、俺はまだシンデレラさ。

「だからさ、もっと言ってよ……好きとか愛してるとか、いつでもどこでも、嬉しいから」

「あー、その、うん……大事なことは口にする度軽くなってくってスナフキンも言ってててだな」

「スナフキン? ムーミンの?」

「そうそうムーミンの。 彼の生き方は正にぼっちの理想、マスターオブボッチってなもんだから俺的には超リスペクトなの」

「スナフキンはぼっちとは違うんじゃ……」

「細けぇこたぁいいんだよ」

まぁ件の台詞は正直うろ覚えで、本当にスナフキンが言っていたかどうかも定かではないんだが。

とはいえ自由を標榜し、孤独を愛し、気ままな旅を続ける彼のライフスタイルは確かに俺にとって憧れであった。もう少しを欲を言えば旅でなくちゃんと家を持って引きこもっていたいが、スナフキンは持ち家否定派だったよな確か。

ともかく彼女も知っていそうなカリスマから言葉を引用すれば、普段の煙に巻く言い回しよりは誤魔化しの効果はあるだろうと踏んだ。

しかし彼女も食い下がる。

「……でも、あたしは大切なことは何度も口に出して、耳で聞いてたいな……そうしないと大事だってことを忘れちゃいそうだから」

「だよな、バカだもんなお前」

「うん、バカだから、あたし」

……場を砕こうと口に出した揶揄も、避けるどころか真っ向から受け入れる。

強くなった。なりすぎてちょっと怖い。

「……大切なことは何度も聞いて、何度もやって、ずっとずっと忘れずにいたいんだ。 あたし、ヒッキーのこと好きだから」

「お、おう」

「だからね、もっともっと好きだって言って欲しい……そう言って貰えて、身体中でそれを感じられるから、もっともっとエッチもしたいよ……?」

何時の間にか背中に回された彼女の手にぎゅうと力が籠もる。

千葉県産柔らかメロンが俺の胸に押し付けらて形を変えるのが感触で分かる。

あー、あー、あー、拙い拙い。

これは落ちる、落とされる。マズイですよ!

恐ろしいのは、これが狙ったものではなく彼女が本心をぽろりと口にしただけの天然である可能性が濃厚ということ。

かつては素直に想いを伝えられず踏み込んでは避けられて、その末に自分の気持ちを無かったことにしようとした由比ヶ浜結衣。

そんな彼女だから、勝ち得た愛を失わない為に本能がそれを求め保持する最善手を打ち出し続け、それを実行し続けるのだろう。

何時からか棘が刺さったままの心臓が、ずきりと痛み、軋む。

半ば慢性化した幻痛に、未だ俺は慣れることができない。

きっと慣れてはいけないのだ。

「……いやでも、今日は流石にもう無理っぽいんだが」

「あ! いや違くて! 今すぐしたいってわけじゃなくて! また今度で、あ、明日にでも!」

「分かった、分かったから落ち着け、な?」

「う、うん……」

顔を真っ赤に伏せる彼女の様子があまりに可愛いらしく愛で回したい衝動に駆られるが、動けないし直視も出来ない。

何故って、多分……というか確実に俺の顔も燃え上がらんばかりに真っ赤になってるから。

これさっきのが一発で終えてたくらいなら彼女の言葉と感触でそのまま次戦に突入していただろう。言葉も態度も可愛らしいのに、醸し出す空気は吸うだけで酔っ払いそうなくらいに蠱惑的だった。

まだ肌を合わせて一年程度だというに、何時も間にここまでレベルが上がっていたのやら……。

「……もう一年経つんだね」

あれ、心読まれた?

さとりなの?

お前そこで渇いてくの?

「ヒッキーがこの部屋で……一人暮らし始めて、もう一年だよ」

あ、そっちですか。

ちょっとほっとした。

「? どしたの、溜め息なんて吐いて」

「いやいや何でもないから気にすんな……思ったより早かったな、一年」

「そうだね……色々あった筈なのに、気付いたらみんな昔の出来事って感じになってるの」

「なんとなくだけど分かるな、お前が夏休みの自由研究に捕まえた蝶々の羽ばたきが発端になって総武高の治安崩壊が始まったのももう何年前かってくらい」

「大学の課題で自由研究とかそもそもなんで昆虫採集!? 総武も不良の学校になんてなってないよ!?」

「いやほらアレだよ、大学の懐の広さはお前の知的レベルにも合わせてちゃんとカリキュラムを組んでくれるって話」

「バカにすんなし! あたしだってヒッキーと同じ試験受けて合格したんだから! バカにしすぎだからぁ!」

「……裏口入学じゃなかったっけお前」

「大丈夫だって大小判押してくれたのヒッキーじゃん!」

「うるせぇな、もう深夜なんだから静かにしてろよ」

「煽ってるのヒッキーの方だからね!?」

……とまぁ、女性らしさとか色気を身に付けても変わらないところがあるのは安心出来るというか、溜め息の原因追求を煙に巻く為の誘導は見事なまでに嵌ってくれた。

このように、変わるものもあるし、変わらないものある。

どちらか一方に固執するでなく、どちらも受け入れ己の血肉にしていくこと。

それを教えてくれたのは、間違いなく目の前でぷくりと頬を膨らませる彼女だ。

思い出されるのは彼女と触れ合ったこの一年、俺達は一体どんな切っ掛けで今へ至ったのだったか――

プロローグこれにて了、そして今日の投下はここまでです。
次回から一年前の回想が始まります。
多分一週間以内には投下出来る筈なので、期待して下さる方はお楽しみに。

どうも>>1です
「潜在的需要は高いだろうに数の少ないガハマSSでエロやれば天下取れるぜ!薄い本はガハマ本が一番多いしなガハハハ!」
などとバカの欲望丸出しで書き始めたわけですが、それでも想像以上に反応が良くて寧ろ罪悪感に押しつぶされそうだぜヘヘ……
かと思えば別作者さんのガハマSSが同じタイミングで始まりあちらはこっちと比べものにならないクオリティで吃驚
『結衣「おかえり、ヒッキー」八幡「……いつまでヒッキーって呼ぶんだ」』は超面白いから皆読もう!

とまぁそれはさておき、上述の通り好感触がどうにも嬉しくて「一週間なんて待たせない、とっとと書いちゃうわ!」と
出来る限りの力を以て執筆してみるも流石に一日じゃ無理だなって……一日一沙希の人って凄いね本当
とりあえず八幡が一人でキモい独白やら回想やらする導入部だけ完成したんですが、こういうのって出来た端から投下してった方がいいんでしょうか
プロローグは全部完成してから投下しようと心に決めてたわけですが、こういうのってレスポンスが大事だと見る側としては感じるんですよねぇ

何かご意見ご要望あれば書き込んで下さいな、もしかしたら参考にするかも?
ともあれ宜しくお願いします

どうも>>1です。
突貫作業だったとはいえ誤字多いし最後の方無理矢理感強いしで反省中。

内容がもうイチャエロじゃねぇって感じですがこういう流れは三話までになると思うので暫しお付き合い下さい。
次回はまた一週間以内、早ければ二、三日って感じで。


「そうそう用あんだよ用! お前さ、明日から昼は学食来いよ!」

「は?」

「だから猿渡、もう少し丁寧に言え……まぁ、でもコイツの言うとおりだよヒキタニ。 明日から昼は学食で俺達と一緒に食べないか?」

「……なんで」

「『なんで』って、お前マジスゲーわ! 本当マジ! マジじゃんお前! パネェって本当! ありえねーわ!」

何この壊れたテープレコーダー……決まり切った単語しか口にしないと思ったらパターンや配列変えてくるとかこの壊れ方は新しいな。全く有り難くない。

しかし俺、入る大学間違えたか? こんなのが入学できる大学ってお前……結構偏差値高いと思ったんだけどなー俺も割と受験勉強頑張ったんだけどなー。でも由比ヶ浜が入学できるくらいだから実はお察しレベルだったの……?

「猿渡、少し黙ってろ。 なんだ、その……由比ヶ浜が、お前のことを気にしているみたいだったからな……こんな所で一人で食べるより、皆で一緒の方が良いだろう?」

由比ヶ浜。

矢張り、という感想しか湧かない。お猿さんが「ゆいゆい」などと懐かしくレアな呼び名を出した時点で察しはついていた。ヒキタニさんはいるかも知れないが、苗字と名前が頭に「ゆい」が付く学生が由比ヶ浜以外にいるとは考えづらい。

そしてもう一つ合点が行く。どれだけ今の状態に不満を持っていようと、由比ヶ浜も一応は今の大学内での距離感には納得してくれた筈だ。高校の時分もカーストの違いを気にする俺を察して、部室以外での接触は極力避けることには協力してくれていたし。

故に猿が由比ヶ浜の存在を臭わせた時点で、あいつが学内で俺との接点を積極的に増やそうとはすまいと疑問に感じていたのだが、どうやら由比ヶ浜の取り巻きらしいこの二人が独断で俺を由比ヶ浜と引き合わせようとしているらしい。それなら納得はいく……が、大きなお世話だ。本当に。


「……ほっといてくれ、俺は別に由比ヶ浜とかお前らと一緒に飯を食いたいとは思わない」

俺は他人と仲良くなる方法を上手く実行出来ないだけであって、嫌われる前提でなら幾らでも好きに振る舞える。よってここは突き放すに限る。あと由比ヶ浜にも迂闊にヒッキーって単語出すなと言っておかねば。引きこもりの知り合いがいると思われたらどうするつもりなんだあいつ。半分合ってるけど。

「いやいや一人で食うとか流石にありえねーべ? 友達と一緒に食わねーとかマジでありえねーから」

「その友達がいないし、作るつもりもないんだよ」

「は? 何言ってんの? 友達いねーとかありえねーこと言ってんじゃねーって、面白くねーからそのギャグ」

……ギャグのつもりないんですけど。友達って内蔵とかの重要器官なの? 友達欠損してると五体不満足とかそういうアレなの? これは障害手帳ならぬぼっち手帳待ったなしですわ、ぼっちであれば国の補助で生きていける時代……それはそれで悪くないな。

「猿渡、そこは、その……察してやれ」

「……あ、友達いたのが死んじゃったんだろ! そりゃ友達いないわなつらいわなー、ごめんよヒッキーくんよォー」

「そうじゃなくてだな……」

猿くんの凄まじさに思わず頭を抱える牛山に同情。そのバカっぷりにちょっとだけ猿くんと戸部を重ねていたが、バカでも良い奴であることに疑いの無かった戸部ともまた違う……そも人と猿を比較すること自体が間違いだったか。戸部も猿レベルじゃないかってやかましいわ。

そうなるとこの牛山は葉山ポジションか? こいつもスポーツマンっぽいし、顔立ちも悪くは無いし……だが正に王子様の風格だった葉山と比べるとゴツくて男っぽい牛山は女性受けの点では幾分劣るか。そこはちょっと好感度アップだな。あと999回好感度上がったら学食行ってやろう。


「……とにかくだ、あまり由比ヶ浜を心配させるんじゃない。 お前の名前を出す度に少し落ち込んだ感じになっているんだぞ、彼女は」

〝ズキン〟

棘の痛みがまた走る。

彼女が俺の提案を飲んでも、それを内々に処理しきれないことなど容易に想像が付いたはずだった。何処か迂闊さの抜けない彼女が、約束を守っているつもりでもふと俺との繋がりを口にしてしまうことも。

その原因が俺の逃げ腰と逃げ足にあるということも、俺は痛い程知っていたはずなのに。

「……由比ヶ浜が何言ってたか知らんが、お前らには関係無い」

それでも、俺には突き放すことと逃げる以外に打てる手がない。どうしようもなくそういう人間だから。

言い終えると同時に俺は立ち上がり、中身の残ったマッ缶を持って二人に背を向けた。もう話すことも聞くこともない。

「おい、ヒキタニ……!」

「ちょ、そりゃないでしょヒッキーくんよォー! ゆいゆい可哀相じゃんよ!?」

明確に拒絶の言葉と空気を吐き出した俺に追いすがることはせず、二人はただ俺の背中に批難の色を込めた声をかけるに留めたようだ。

ウザいし鬱陶しいしもう二度と関わりたくないが、それでも由比ヶ浜の周囲にいるのがこういう気を遣える優しい人種であったことに心中でホッとし、感謝の念を二人に抱いて俺は墓場を後にした。


午後からの講義は二つで、先の一つがまた必修。後者は一年前期では数少ない選択科目で、由比ヶ浜は履修していない。

入学前から口を酸っぱくして俺を履修の理由にするなと言っておいた成果だろう。これは別に今の状況を予想してのことではなく、親しい人間の有無で履修科目を選ぶべきでないという至極真っ当な観点からである。

そして件の由比ヶ浜の今日の講義は午後一発目の三限で終了の筈だ。彼女は俺との帰宅、引いては俺の部屋へ上がりたがるだろうが、あの騒がしさやノリから察するに取り巻きはきっと駅前にでも遊びにいくことを提案するだろうし、由比ヶ浜もそれに乗ってしまうだろう。何事も優先順位通りに事が進んだり選んだりは出来ないとは彼女も知っている筈で、全てはタイミングの問題なのだ。

……今日は半ば意図的に由比ヶ浜との接触を断っている。一緒にいたのは通学時くらいのもので、後は二限終了時のやり取りしか彼女とコミュニケーションを取っていない。墓場を離れた後に確認したスマホには案の定由比ヶ浜からの着信とメールが届いており、彼女らしい顔文字絵文字でデコられた装飾過多の文面で「教室出る前に声くらいかけてよ」だの「無視しないでよー」と可愛らしく俺の態度を糾弾するその内容に少しだけ胸中の黒雲が晴れるのを感じ「すまん、後で埋め合わせはする」とこっちはそのままの文面で返信した。

その「後」は少なくとも今日ではなく、何時になるか俺自身でも分からなかった。俺は無責任に引き延ばされていった何時かのデートの約束を思い出し、薄くなった雲がより一層密度を増して胸を覆っていくのを感じていた……。


のだが、

「あ、ヒッキー! やっはろー!」

……四限が終了し講義室を出た俺を待っていたのは、件の由比ヶ浜結衣その人であった。

「いやお前、なにしてんの?」

「なにって、ヒッキーのこと待ってたんじゃん」

「……遊びに行ったんじゃないのかよ」

「え? 確かにカラオケいこーって誘われたけど、ヒッキーと一緒に帰りたいから断っちゃった……よく知ってたね、誰かと友達になって連絡貰った?」

「ねーから、単にお前と取り巻きのバカさ加減なら講義終わってからは遊び一択だろって予想しただけだから」

「ま、またそんなバカにすること言うし!」

「まぁ由比ヶ浜がバカなのは事実だから置いとくとして」

「置いとかないでよ! ここにちゃんと受験して合格してるんだし、あたしもうバカじゃないんだからね!?」

「一旦定着したイメージを覆すのって難しいんだよ、もう諦めろよバカ」

「説得するつもりならもっと丁寧にやってよ!」

俺の軽口にぷりぷりと怒る由比ヶ浜。二年前から変わらないやり取りに、俺は冷え切った心が芯から暖まるのを感じていた。

気が付けば雲は散って、俺の胸は平静を取り戻している。本当、自分でも嫌になるほど現金な心臓だ。


「……いいのかよ、お前」

「え、なにが?」

「何がって、誘われたことに決まってる……お前のグループなんだろ?」

「あたしのって、そんなことないと思うけど」

「あれは誰がどう見てもお前の為のグループだろ、自覚ないのかよ」

「んー、分かんないけど……でもそれより、見ててくれてるんだ、ヒッキー」

「いや見てない、断じて見てないから」

「今更誤魔化したってもう聞いちゃったもん……えへへ、ヒッキーありがとう」

「み、見てもねぇのに感謝なんてしてんじゃねぇよ、やっぱバカだろお前」

「そういうバカならあたしバカでもいいよ……今日ヒッキーの部屋寄って良い?」

「……泊まりは無しだからな」

「むぅ……今日のところはそれでもいいよ」

「今日のところは、か」

「うん。 今日のところは、ね」

想いを受け入れ大切な人と定めた癖に、何かあれば直ぐに突き放して距離感を計り直そうとする。でも離れれば離れるほど思い悩み、彼女の方から近づいてくると心が沸き立ち踊り出しそうになるくらい嬉しくなる。こんな都合の良い醜い感情を愛と呼ぶのか。呼んで良いのだろうか。

そう認めたくない反面、それを認めて肯定出来たらそれはどれだけ素晴らしいことだろうかとも思う。そしてきっと、それこそが俺と彼女を隔てる壁で、その差が俺と彼女のすれ違いなのだろう。

何時か、これを肯定して前へ進める日が来るのだろうか――彼女の温もりを隣で誰よりも感じながら、理性と本能の矛盾は何時までも俺の中で燻っていた。

というわけで本日投下分終了です
キリのいいとこで~とは言いましたが、このペースなら三分割くらいで済むかも……済んだらいいなぁ

筆が乗ればまた明日の同じ時間帯に投稿できるかもですが、詳しくはまた明日の報告をお待ち下さい

あと冒頭に今回のサブタイ入れ忘れてました申し訳ありません
今回のサブタイは「②由比ヶ浜結衣は触れて欲しい」になります

どうも、2マナのT氏ぐらいにはやる気も実力もないPWの>>1です。

現在推敲中で、やはり随分な量になったので昼頃に前半部投下予定です。
推敲、修正の進行具合では後半部の投下は明日以降になるかもしれませんのでご注意を。
期待せずお待ち下さい。

鉄血のオルフェンズ面白すぎ、どうも>>1です。
昼と認識できる時間は全部寝てました申し訳ありません。

飯食って諸々の雑事を終えたら投下します。

投下開始します。


ワイワイガヤガヤ。

喧々諤々。

混雑を極める学食内にあって俺が(物理的な意味で)末席に身を置くテーブルの賑やかさ……もとい、騒がしさは際立っていた。

「にしてもさっきのゆいゆい、いつもと違ってちょい子供っぽいっつかチョー明るくってー……ポジティブ? ポジってる感じ! シンセンでイイと思うンだよねー」

「それポジティブとは違うよ猿渡クン、でも気持ちは分かるかも……童顔の面目躍如みたいな、私的にはこっちの方が寧ろしっくり来る気がするなぁ」

「ど、童顔って……気にしてるんだからあんまり言わないでよー」

「いやでも、いいんじゃないか? 俺としては少し違和感あるが、それも由比ヶ浜らしいと言えなくはない……と思う」

とまぁ先程の椅子を巡る俺と由比ヶ浜の何時ものノリが取り巻き's達には大層珍しかったらしく、テンションageで由比ヶ浜をageる流れ……というか何というか。

かつて三浦という分かり易い女王様が持ち上げられる光景を「それ」のイメージとして擦り込まれていた俺としては、ヨイショと弄りが混じった「これ」をストレートに受け取ることも出来ず、しかしそれも由比ヶ浜らしいのかとなんとなく納得しておく。


それに俺にとってはバカで可愛くて知恵足らずでガキっぽくて可愛い由比ヶ浜であるが、そうした面が主に俺とその周辺の関わりでしか表れていないことを知っているし、寧ろ人との距離感を測る能力に長けた彼女は時折吃驚するほど大人っぽく見えることもあった。子供だ童顔だと生意気な年下に接するように対応していると、ふとした瞬間見せる〝女〟の色気に心臓が跳ね上がり……は、関係無いな。うん。

入学してからの彼女がこういう取り巻き達とどういう関わり方をしているか俺は知らない。知らないが、彼女を求める側の心はかつて葉山の周囲に集まっていた連中と同じなのではないか。目の前の光景を見ながらなんとなく思う。

誰かや何処かに重きを置くでなく、誰もが惹かれ担ぎ上げたくなるヒーローの幻像を作り出す。葉山はそれを半ば狙って行っていたし由比ヶ浜にそうした意図はないだろう。だが同年代、同じステージに立つ人間からすれば視界を遮らない暖かな光は良かれ悪かれ人を惹き付ける。由比ヶ浜結衣の持つ光は、その領域に足る輝きを持っているのだと嫌でも実感する。俺自身ですらその光に寄ってきた羽虫ではないかと考えてしまうほどに。


もそもそと惣菜パンを囓る。

幸いここの学食は外から食べ物を持ち込んでも席を使えるタイプで、授業前に買っておいたパンは本来使えるスペースのないテーブル端でも問題無く食べられる。

だが目前の四人が皿に盛られた温かな料理を飾りに談笑する中、一人黙々と冷たいパンを囓ることに疎外感を覚えた。それ自体は何時ものことなのに、その中に由比ヶ浜結衣がいるというだけで棘が深くまで刺さる感覚が生まれる。

何時ものように思考は暗い方へと沈下していく。

ここは俺の居場所じゃない――さっきは冗談めかして脳内を走った言葉が鎖となり、実感は重さとなって心臓を責める。

……とっととパンを食べきって、トイレへ行く体で逃げ出してしまおう。これ以上この空気を吸うこと――この空気に由比ヶ浜結衣が適応している事実に、これ以上はきっと耐えきれない。耐えきれなくなった俺がどんな醜態を晒すかなんて想像したくも無い。

が、そんな俺の内心と裏腹に、

「――でさヒキタニクン、高校の時はどうだったの?」

美声で囀る女学生……椅子を確保した際、駒鳥と名乗った彼女は俺に話を振ってきたのだった。


「え、何が」

「何がって話聞いてなかったの? 高校の時って結衣はどんな感じだったのかなって」

「あ、あたしさっき言ったじゃん! なんでわざわざヒッキーに聞くの!?」

「自己申告は情報として信用が低いからに決まってるじゃないの……で、どうなのどうだったのよヒキタニクーン」

焦りに焦る由比ヶ浜を無視してニヤニヤ笑いながら俺に問いかける彼女は、お伽噺か童話に出てくるようなゴシップ好きのお喋りな鳥そのものだった。うーんウザい、そして可愛い。繋げてウザ可愛いがこの場合あんまり有り難くない。

「どうって……」

「お、それ俺も気になんよー、ヒキタニくんぶっちゃけてみ!」

「まぁ〝友達〟の言うことの方が信憑性はあるかも、な」

ここぞとばかりに猿と牛も乗ってくるし、あんまり期待されても俺すべらない話し方なんて知らないよ?寧ろ全スリップ。比企谷八幡のすべる話でDVD発売まである。


「ヒッキー、変なこと言わないでよ!?……へ、変なとこなんてないけど!」

「いやお前、そういう態度を突っ込まれてるんだから自覚しような? 俺の前だからって――」

安心してんのか、とまで口から出そうになるのを止める。

〝俺の前だから安心している〟

危ない言葉だ。少なくとも今この場では……そう判断しての急ブレーキだったが、

「俺の前だからって……なに?」

上空から地上を俯瞰する鳥の目敏さから逃げることは叶わず、ニヤニヤとブレーキ痕を指さし俺を問い詰める駒鳥さんである。いや急ブレーキの擦過音って滅茶苦茶響くから見えて無くても関係無かったかもだけどね?

「と、特に意味はねぇけど」

「ふーん、でもその〝俺の前〟で結衣の態度が違うのが気になってるわけだからさー」

ああ、これはあかんタイプだ。

ゴシップへの関心、その源である興味と悪意を自覚しながら隠そうとしない。それでいて醜悪にならず悪意を善意に見せかける技術に長けている……そういうタイプの女性とかち合うのはおよそ一年振りで、それに伴う記憶のフラッシュバックは思考回路に予期せぬ負荷をかけた。


「……その、アレだ、誰に対しても同じ顔で接せられる人間もそういないだろ。 この中では一応、一応由比ヶ浜とは俺が一番つ……見知った時間は長いわけだし」

正論だが苦しい言い訳だと自分でも分かる。

誰に対しても同じ顔で接する、それが完全でなくても高次元で行える希有な例を俺は幾つか知っているし、正直由比ヶ浜はそこに近いタイプであると思う。だからこそ由比ヶ浜を中心に目前の人間はグループを形成しているのだ。

そんな彼女が人付き合いの外面を崩して相対する人間がどんな存在であるか。

「そうかも知れないけど、私が気になるのはその〝見知った時間〟なわけでして」

元より穴だらけの防壁、会話の風に乗って軽やかに滑空する鳥は穴をすり抜け核心へと迫ろうとしている。

「ぶっちゃけて聞くけど……二人って付き合ってるんでしょ?」


時間が停まった……そんな錯覚は起こらなかった。まぁ普通に考えりゃ由比ヶ浜の態度とか行動とか露骨だもんね?

「ちょ、コマちゃーん!? 相手ヒキタニくんだしそれはないっしょ! ないない!」

「す、すまんがその……俺もそれだけは無いと思うんだが」

更に男二人の反応が喧噪に拍車をかけた。内容は否定なんだが。

思わず熱々の丼ラーメンを「そぉい!」と脳天にブチ込んでやりたい衝動に駆られるが、天秤の釣り合いを考えればそれも一つの推理として正しい形ではあるだろう。それを常に言い訳に使ってきた俺が言うんだから間違いない。

それにこの二人が由比ヶ浜に近づいてきた理由も凡そ察しは付くから、こういう反応も予想出来る範囲ではあった。

計画通り……ではなく想定通り。

自覚無自覚関係無く薄暗い根暗男をオトす流れは俺の良く知るところであり、慣れた空気は俺の思考を僅かでも正常化させる一助になった。

なったが、

「……」

話題の中心である由比ヶ浜は、この致命的なゴシップに戸惑うこともなく静かだった。


何時もなら、また俺の前ということを加味すれば一番過剰に反応しそうなものだが、今の彼女は気持ち俯きその顔に僅かな陰を作っている。

空気を読んだのだ。

自分でなく、俺の望む状況を考えて自分の感情を押し殺している……何度も見てきた青と黒。

〝ズキリ〟

またも棘が大きく、杭に変化していくのを感じる。

いつまでも癒えぬ傷口が無理矢理に押し広げられていく幻痛。しかし痛覚の電流を介さない痛みは、それが単なる逃げの言い訳であると理性に認識させ、肉体的な苦痛より寧ろ俺の心を責め立てた。

本当に、なんて都合が良い心臓だろう。

罰が欲しければ痛みを与えて罪悪感を誤魔化し、耐えられなくならないよう物理的な痛みにはならず……きっと白木の杭を打ち立てても灰になどなるまい。

「……俺と、由比ヶ浜が?」

笑う。

「二人の言うとおり、ありえねぇよ」


自嘲。

顔面ハンデの名は高く笑顔がキモいと評判の俺でも負の笑いなら様になる。本心からであれば尚更だ。

言った瞬間どこかホッとした顔になる男二人の様子が無性に腹立たしく、しかし狙い通りの反応であることに安心もする。

しかし、杭からの痛みは爆発的に増大した。

俺の言葉と笑いに、由比ヶ浜がビクリと反応したのが見えたから。見えてしまったから。

彼女が傷付くと、痛がると分かっていて、尚それを。

「えー、でも結衣の反応は如何せんオーバーというか」

それでも食い下がるお喋りな鳥に小さくない怒りを抱くが、それを顔に出すこともしない。ただこれ以上付き合ってやる気もない。

もうパンは残っておらず手元には包装のビニールだけ。それを握り潰すとそのまま席を立つ。


「……トイレ行ってくるわ」

「あ、ヒッキー……」

「三限の準備もあるしここには戻らんからな」

結局俺は別の意味で耐えられなくなった。俺が自分の情けなさ故に由比ヶ浜をまた傷付けた事実と、未知の傷より既知の痛みを選んだ臆病さに。

きっと縋るような目をしていただろう由比ヶ浜の方は極力見ず、他三人の声を意識の外へ追い出しながら足早に学食を後にした。

だが学食を出てすら開放感はなく、曇って薄暗い灰空も、落ちてくる水の粒と雨音も全てが気に障ってどうしようもなく神経が削られていく。誰かや何かが傍にいることが、堪らない。

そのまま人の中に飛び込む勇気なんて有る筈もなく、俺は三限に出席することなく大学を後にした。

それもまた由比ヶ浜と彼女の傷から逃げ出すための口実であったこと、それを自分の中で誤魔化す余裕すら残っておらず、俺は自宅へ……薄暗い己の巣穴へと逃げ去るしかなかった。


家に着いてから、俺は何をする気にもなれず布団の上に転がっていた。

パソコンに向かうこともなく、携帯ゲーム機に集中も出来ず、本を読んでは頭に入ってこない。閉め切った窓の外から途切れず聞こえてくるくぐもった雨音の干渉だけ受け入れて、それ以外に力も意識も割くことは無かった。

スマホは例の如く振動すらないサイレントモードで、手に取ろうという気にすらなれない。手に取った先、痛みが待っているのが分かっているからだ。

石橋を叩いて渡り、水溜まりは長靴に履き替えてから踏み越え、平野を歩くのに金属探知機は欠かさない。それだけやって尚神経を太く太く保っていなければ痛みに折れず生きていくことは出来ない。それが高校の三年間で得た一つの結論だ。

誰だって痛いのは嫌だ。怪我なんてしたくないし、病気なんて以ての外。それでも人生は寒風熱気まきびしに地雷だらけ、空調完備の飛行機で人生のトラップなど関係無しと悠々生きていけるのはほんの一部の貴族だけ。その貴族だって飛行機内の人間模様次第で安寧の部屋は苦痛の匣へと変わってしまう。

なればこそ痛みに耐えることを美とする風潮は、避けざる痛みを徳と定めて心に麻酔を打つ欺瞞に他ならない。それは一片の真実だ。

だが一片は一片、少年探偵には悪いが真実は一つじゃない。


俺は由比ヶ浜結衣が好きだ。

彼女の幼くも可愛らしい顔立ちが好きだ。

その幼さに反するような色香を詰め込んだ豊満な肢体が好きだ。

くるくる変わる多彩な表情が好きだ。

中でも底抜けに明るい輝く笑顔が一番好きだ。

自分を置いても誰かの傍に寄り添う優しさが好きだ。

俺だけに見せてくれる涙と感情が、溜まらなく愛おしくて大好きなんだ。

だが好きであればあるほど、俺と彼女の在り方が理想とズレていることにこれ以上ない痛みを感じてしまう。

ベストな結果はほぼあり得ず、その中で苦しみながらベターを探していくしかないという現実が更に苦痛を伴う。


それでも、その痛みの先でしか彼女と共にいられないのなら俺は喜んでそれを請け負おう。確実な幸福の為の痛みなら、いっそマゾヒストを演じても良い。個々の性癖や痛覚への耐性・質などは関係無く、道が見えていればこそ経過の一つとして望まれる痛みもある。

ならばこそ避けたくない、そんな痛みなら欲しい。是非その痛みを請け負いたい。

……請け負いたかったのに、そんな痛みへの願望すら俺個人のものであるとしたら……そんな想像が俺と俺の望む道、未来を蝕んでいる。彼女が痛むことを何より怖れ、それでもその為に彼女を傷付けなければならない矛盾。

何故男女の関係というものがただ二人だけの間で完結しないのだろう。

何故不特定多数の有象無象との関わりすら配慮して関係を築かなければならないのだろう。

今の由比ヶ浜を取り巻き人間達は俺にとっては誰もが有象無象の障害でしかないが、由比ヶ浜本人にとってはそうではない。端から光の中に居ることを諦めた俺と、そもそも光源である彼女とで社会との関わり方を合わせてはどちらかが立ち行かなくなる。

ロミオとジュリエットとまで気取るつもりはないが、心と立ち位置で何故すれ違いが起こってしまうのだろう。

今の俺を取り巻く世界に在るのが俺と彼女だけなら良かった。

痛むのは俺だけで良かった。

何をしたって俺だけが痛いなら、それだけで良かったのに――。


ふと気が付くと、外は暗かった。

雨音は依然変わらず不定のリズムを一定に保って続いている。

恐らくネガティブの沼に沈み込んでいる内に意識が眠りを選んだのだろうが、変わらない外の音色が視覚と聴覚のバランスを崩して意識を曖昧にしていたのだと言われても多分信じてしまう。そのくらい現実感が希薄だった。

時間を確認したくて無意識にスマホへ手を伸ばしスリープを解除した瞬間己の迂闊さを呪うが、ロック画面に着信の情報はなく頼んでもいないメルマガが一件届いているだけだった。ぼっちにとっては何時も通りの画面の筈なのに、頭の中を安堵と寂しさが半端に混じった感覚が支配する。それを暫く弄ぶも、腹腔の訴える空腹感がそれを打ち切った。

時刻は19時前。

時間は頃合いだしこの雨模様では外食も億劫、冷蔵庫の中身もそこそこなので本日の夕食は自炊をすることに決めた。

金銭的にも献立のルーチン的にも外食ばかりで腹を満たすわけにもいかぬと引っ越し前から自炊の有無は考慮していたところで、最初は戸惑い面倒だった手順も少しずつ馴染んできたところだ。

まな板と包丁を洗い清め、家を出る際に「これを小町だと思って、大事にしてね……!」と押し付けられた飾り気のないエプロンを纏い冷蔵庫から食材を取り出そうという、その瞬間。

〝ピンポーン〟

呼び鈴が鳴った。


住処が住人の性質を表すのか、部屋すらステルス性を発揮しているらしくここに棲み着いて一ヶ月新聞とか宗教とか怪しげな勧誘が玄関に立ったことはない。かといって通販を頼んだ記憶もない。そもそも今のところこの部屋の呼び鈴を鳴らしたことがあるのは由比ヶ浜と小町だけだ。

……普段の俺ならばこの時点で来訪者が誰であるか察し、受け入れるか否かを考えたろう。しかし今の俺の精神状態は平時より不安定で、料理という作業の切れ間が集中力の断絶を生み、更に何時もは有る筈のスマホへの連絡が皆無だったことでその可能性に思い至っていなかった。

或いは、それを無意識に望んでいたからこそ本能が理性と記憶を切り離していたのか。

殆ど無意識に玄関を開けた俺の前には、今の俺にとって誰よりも会いたくて誰よりも会いたくなかった人が、

「……あ、ヒッキー」

由比ヶ浜結衣が立っていた。


「ンまい!」

てーれってれー。

「ヒッキーこれンまい! スゴいよヒッキー!」

「いいから飲み込んでから話せ、な?」

口から内容物を零しそうな勢いでモゴモゴ感動している由比ヶ浜。しかし俺と彼女の前に置かれているのは簡素な炒飯とインスタントのフカヒレ玉子スープという熱烈中華食堂も吃驚なお粗末さである。

男飯なんぞ「切る」「混ぜる」「焼く」の三拍子で済ませるのが仕儀であり、炒飯焼き飯は今昔問わず男の台所事情を支えるベストパートナーなのだ。

「んぐんぐ……ぷは。 いやでも本当に美味しくて吃驚しちゃった……もしかしてヒッキー、あたしより料理上手い?」

「こんなもん誰でも作れるだろ……まぁ由比ヶ浜の場合料理以前の問題だからそも勝負の土俵にすら立っていない」

「ちょ、失礼だし! あたしの料理はオママゴトって言いたいの!?」

「お飯事でも食材を扱ってる意識はあるんだよなぁ」

「い、意識くらいあるし! 農家の皆さんにちゃんと感謝してるし! バカにし過ぎだからぁ!」

俺の軽口にズレた返答でギャーギャー騒ぎ出す由比ヶ浜の姿にホッコリしつつもつつがなく食事は進む。


「……でも、あたしがチャーハン作るとべちゃべちゃになっちゃうし焦げるし玉子もおっきく固まっちゃうし、ヒッキーがこんなに美味しいの作れるのちょっとショックかなぁ。 ちゃんとお店のチャーハン!って味だし」

「まぁお前の場合はもっと意識しなくちゃいけないところが多いんだろうが、炒飯自体は基本さえ押さえてれば所謂『店の味』には簡単に近づけるんだよ」

「え、そうなの?」

「そうなの」

炒飯の基本は「中華鍋、フライパンは白い煙が上がるくらいに熱する」「パラつかせるのには冷や飯の方が向いている」「かき混ぜるも調味料の投入もスピーディに」の三つで、これさえ守れていれば最低限パラパラの炒飯にはなる。

味は好みが分かれるところではあるが、所謂「お店の炒飯」というのは大抵味の覇王的中華スープの素を使っているため、味付けには塩胡椒にスープの素を加えれば驚くほどお店感が出るのだ。これはネットの炒飯考察、小町のアドバイス、そして俺の経験からの結論である……ということを由比ヶ浜に説明してみた。

「でもそういうスープの素って身体に悪いんじゃなかったっけ?」

「それは一部におけるソースの無い誹謗中傷みたいなもんで統計上それが原因の健康被害は出ていない筈……まぁ主成分がナトリウムとは言うから、摂り過ぎは良くないってレベルで考えれば良い」

某新聞社員とU山とその生みの親には悪いがデマゴーグはいけないと思います。


「ふーん……やっぱりヒッキーは物知りだね」

「殆ど受け売りだけどな」

「でもでも、あたしは今まで何にも知らないで作ってたんだなって思ったから……」

「お前の場合レシピすら見ないで作ってるもんな」

「……」

「……そこで黙らないで貰えませんかねマジで」

やっぱり料理以前の問題じゃないか。どんな料理でもレシピ無しのソラで作れるようになるまではそこそこの研鑽が必要であって、最低限の下積み経験すら無しで見た物食べた物をハイレベルで再現出来るとかどこのラノベの主人公だ。お料理チートラノベか、多分流行らない。

とまぁそんなこんなで食事も終わり、今回は会心の出来だったと少しだけ気分を良くしながら今は食器を洗っていながら、なんともなしにテレビを見つめる由比ヶ浜……一時間前の彼女の姿を思い出す。


〝誰だ?〟

そう思わず口にしてしまいそうになるほど、普段の彼女からかけ離れた空気を纏っていた。

髪型、体格、輪郭、服装、顔立ちまで全て由比ヶ浜結衣なのに、その全体像から受ける印象はまるで異なっていた。

服の端々を濡らし、俯き足下を見つめる彼女の姿は何時もよりずっと小さく――元々小柄ではあったが――見えた。

ドアを開けた俺の姿をゆっくり見上げた彼女、その蔭りを正面から見つめる。灯りが落ちた、光のない由比ヶ浜結衣。

「……ごめんね、急に来ちゃって」


これは俗に言う「ピンポーン→来ちゃった☆」というアポ無しの到来により無防備迂闊な姿状態を見られ破局に繋がるパターンか愛故の暴走とその無遠慮さに疲れ果てやっぱり破局に繋がるって黄金パターンだな!?……などと口に出せるはずも無く、その弱々しさに息を呑んだ。

「……いいから、入れよ」

「いいの?」

「結構濡れてるし、流石にそのまま放置する気はねぇよ……細かい話は後でな」

「うん……」

今日の雨が豪雨というわけでもないしずぶ濡れでもないが、それでも締め出し放置するなんてあり得なかった。


聞きたいこと、言いたいこと、思うこと、感じること……色々あったが、きっと原因は俺の態度や行動に起因することなのだろう。そう思えばこそ再び胸は痛み出し、問題から逃亡してもただ選択肢が減少していくことだけなのだと改めて実感していた。

その後は彼女にシャワーを貸し、曰く「突発的お泊まりイベントの為の備え」と小町から渡された女物のパジャマを渡し(その際何故こんなもの持っているのか訝しがられたが、小町の差し入れと告げると納得された。小町ェ)、調理実食を経て今に至る。

何時もより気を使って作った炒飯は好評。シャワーで身体、ご飯で腹を暖めた由比ヶ浜の空気はある程度上向いたようだ。

お腹が一杯になったら多少でも機嫌が直るとかちょっと……と、今は思えない。寧ろちょっとしたトリガーでメンタルのバランスが取れるその性質が羨ましくもあった。

それが彼女のなりの俺に対する配慮、演技である可能性には目を伏せた。


「……ほれ」

「あ、ありがと……」

洗い物は終えたが、そのまま戻るのも気が引けたので二人分のコーヒーを淹れて差し出す……コーヒーと言っても粉末タイプのカフェオレという安っぽさ。

マッ缶ほどでないにしろ糖分乳成分過剰な甘味飲料だが、それでも薫るコーヒーの匂いがざわつく心を幾分落ち着けてくれる。

由比ヶ浜の方も、ずずと小さく音を立て啜ると、

「おいしい」

そう頬を緩め、周囲の空気は蕾が微かに花開いたように陽気を振りまいた。

何処か言い訳じみた気遣いの代価としては貰いすぎなくらいだったか……そんなことを思いながら彼女の正面に座る俺もカフェオレを啜り始める。

ず、ずず、ずずり。

啜る音が近く、何をやっているのかも知れないテレビ番組の音声が遠くなる。

俺も由比ヶ浜も啜る途中でチラチラと相手の顔を窺い、目が合っては視線をカップに移してまた啜る。

ず、ずず、ずずり。

時間の感覚が引き延ばされては縮み、舌と口内の粘膜を焼くような熱いカフェオレと軽くなっていくカップだけが現実感の指標だった。


やがて熱を保ったままカップは空になり、どちらともなくテーブルへ下ろす。

コト、という軽い音がテレビの音声を現世に引き戻すスイッチ。雨音は何時の間にか疎らで小さく、雨脚はようやく弱まりつつあるようだ。

「……三限」

ぽつり、由比ヶ浜が呟いた。

三限、今日のことだろう。

「三限、出てなかったよね」

視線を落としたままの問い。多分これは会話のとっかかりで、内容自体はどうでもいいのだろう。

それでもその確認、少なくとも俺が三限に出席していなかったことを把握している彼女は、きっと俺のことを探し待っていたのだろう。その気持ちは優しく有り難く、しかしチクリと痛みを胸に残す。

「……何かあった?」

「別に……ちょっと体調が悪くなってな」

「そう、なんだ……今は大丈夫なの?」

「ああ、帰ってから直ぐ寝たし」

「うん……」

俺の言っていることは勿論嘘で、それは由比ヶ浜も把握していることだろう。


俺の様子がおかしくなったこと、そしてその直後に三限だったこと。

それを由比ヶ浜が目撃していたこと。

……言い訳の仕様がない。ただ口にさえしなければ学食での一件が原因であると、俺と由比ヶ浜の関係への言及が引き金だったことを無に出来るのではないか……少なくとも俺はそう思っていた。浅ましく情けない、逃げの染みついた卑屈な性根がそれでも俺の本性だった。

また沈黙。

特に有り難くもない食レポを行っているらしいテレビの脳天気な音声に僅かな苛立ちを覚え、しかし空間を完全な静寂へ落とすことを妨害していると考えれば縋り付きたくもあった。俺の気持ちも考えずにただ緩慢なやり取りを繰り返してくれる、そんなことも救いになる。

だがそんな俺の内面を知って知らずか、由比ヶ浜はリモコンを拾うとテレビの電源を落とした。

沈黙は静寂へと近づき、しとしと小雨の音のみが部屋を満たしていく。

そして、

「今日ね、皆で遊びに行ったの」


ぽつり、由比ヶ浜は話し始める。皆、とは学食の面子のことだろう。

由比ヶ浜の周囲に寄ってくる人間は何もあの三人だけではないが、それでも一個人としての付き合い、その距離まで近づけているのはあの三人だけだろう。俺のような種類の人間とは決して相容れる存在ではないが、それでも三人は由比ヶ浜と同じく「光っている」側の人間であるのは分かる。

手っ取り早く誰かとの距離を詰める手段、それは相手と同じステージに立つことだから。

「今までは、ずっと断ってたんだ」

「そうか」

「……なんでって、聞かないの?」

「……自惚れでなりゃ、俺と一緒にいるためなんじゃねぇの」

「うん、自惚れじゃないよ」

俺と家路を共にする為に誘いを断っている、そんな話も聞いていた。

かつてのクラスと部活の両立、それとは訳が違う。その時よりも由比ヶ浜を取り巻く環境は広く浅く、或いは狭く深くなっている。前者は学校社会での振る舞いであり、後者は俺のことだ。高校という枠を取っ払えば、前者と後者の距離は果てしなく離れていく。

選択肢が増えるということはそれだけ道の種類や行き先が増えるということで、進めば進むほど隣合う道は減りそれぞれが交差することも無くなっていく。大学という自由は異なる道や可能性に踏み出す場であると同時に、異種間を引き離す壁のようでもあった。


「誘ってくれたのは牛くんで、本当はヒッキーも一緒にって……学食に連れてきたのもそういうことだったみたい」

「見知らぬ連中に混じって遊ぶとか、そりゃぞっとしないな」

「あはは……」

何時もの俺の自虐に何時ものような苦笑で応え、由比ヶ浜は続ける。

本当は今日も俺との帰宅を選ぶつもりだったが、俺のサボりで予定が宙ぶらりんになってしまったところに誘いがあったこと。

気にすることも無いだろうに、俺に対する後ろめたさで連絡を取れなかったこと。

新しい友人達に囲まれ遊ぶことは楽しかったということ。

そして、今彼女が俺の部屋を訪れた切っ掛け。

「ゆとりがね、昼間のこと謝ってきたんだ。 無遠慮だったって」

ゆとり――昼間に俺達の関係に言及してきた駒鳥ゆとりのことだ。

ゲーセンで男二人が遊んでいる隙に謝罪してきたらしい。

どうも>>1です
オルフェンズ配信二週したので投下します

あと今回投下後解説の名目で言い訳タイムが始まるのでご注意


「ヒキタニくんさぁ……マジでゆいゆいと付き合ってんの?」

「……まぁ、その、そうだけど」

雨の気配も無い快晴の昼休み、駒鳥さんと伴って接触してきた猿渡の問いに俺はそう答えた。

「……マジか」

「マジだよ猿渡クン、マジマジ」

「マジかよー」

駒鳥さんの相槌にくすんだ金髪をワシャワシャ掻いてオーバーに反応する猿野郎。
その様は如何にも滑稽だったが、そんな様子を見せるに躊躇のない、
或いは羞恥心が欠如した性根はひねくれ者の俺には少しばかり眩しくて、今は羨ましくもあった。

「ゆいゆいみたいな子にカレシいねーとかありえねーって思ってたけどさー、それでもヒキタニくんかよーマジかよォー」

「……悪かったな、俺みたいのがアイツの彼氏で」

「別に悪くねーべよ。 それはヒキタニくんの手が早かったか、ラッキーだったってことじゃん?」

幸運であったことは否定しようもないが俺の手が早いってのは……寧ろ遅すぎるくらいだったけどな実際は。
俺がスロウリィ!? その通りですとも。

ウザいし五月蠅いし見た目怖いしでお近づきにはなりたくないが、それでもこういう気っ風の良さが猿渡という人間の輝きであることは否定しようもなく、
だからこそ俺としては珍しいことだが突っ込んだ話を聞いてみたくなる。


「猿渡は、その、由比ヶ浜のことが?」

「んー……ゆいゆいぐらいカワイイ子が彼女だったらなー、おっぱいデケェしなーってくらい? カレシいないって聞いたから、じゃあ好きになっちゃう? みたいなさぁ」

「あー……」

綺麗な言い回しではないし欲望ダダ漏れで感心は出来ないが、それでもそういう感覚は理解出来なくもない。
表現や形が違っても、悲観的になる前のかつての俺と方向性はそう変わらないのだから。

「でも滅茶苦茶ガード硬くて、全然遊び付き合ってくんないし、それで何か男と一緒に帰ってるとか聞いて嘘吐かれてたんかなって……最初ヒキタニくん見た時、これカレシはないわーって思ったんだけど俺の見る目無かったわ」

「……別に、普通は由比ヶ浜と俺みたいなのが付き合ってるなんて思わねぇだろ」

「まぁフツーに考えたらな……でもゆいゆいはなんかフツーじゃなくカワイイし、ならフツーにバカな俺よりフツーじゃなさそうなヒキタニくんの方が良かったんだろうなって、思ったり思わなかったり?」

ふつう の ほうそく が みだれる !
こういうのゲシュタルト崩壊って言うんかね。


「俺の場合、普通じゃないのは人間性が平均値以下ってとこだけだけどな」

「だったらその分ヘーキン値以上のゆいゆいが穴埋めしてるってことじゃん? だったらやっぱフツーじゃない感じにお似合いなんじゃね?」

……そういうものなんだろうか。破れ鍋に綴じ蓋とは言うけども。

猿渡の言うことは、俺をフォローしているというよりは由比ヶ浜の選択が間違っていないか持ち上げる為の言でしかない。
だが自分のモノに出来る目が無くなっても相手を堕とさないというのは美徳だろう。
反りは合わないだろうし積極的に関わりたいとも思わないが、それでも由比ヶ浜と俺の縁が続いている限り、会えば挨拶くらいはしてやろう。
そう素直に思えるくらいには猿渡という人間は嫌いになれそうになれなかった。

そんな風に考えられること自体、俺自身変わりつつある証なのだろうか。

「まー俺からの話はそんなもんでこっから本題なんだけど、牛山がヒキタニくんとタイマンしたいって言ってるから講義終わった後にでも付き合ってやってくんね?」


え。

「……タイマン?」

「タイマンタイマン、男同士一対一ってタイマンしょ」

牛は牛でも紳士牛だと思っていた牛山某もやはり野生の本能に抗えなかったか……いやいやマジで?
あの体格の益荒男と一対一? 俺病院送り? もしくは突然の死?
俺赤い服とかアクセサリーなんて身に着けてないんだけどなぁ。牛君迫真の興奮。

「猿渡クン、それタイマンと違うよ……牛山クンもヒキタニクンと話したいことがあるんだって」

「……ま、そりゃそうだよな」

猿野郎の語彙力と知恵足らず振りを見てれば概ねそうだろうとは思っていたとも。
でも学食に連れて行かれたときの馬力が未だ記憶におニュー。
あんなんと物理的に対立するなんて想像するだに恐ろしい。
だから一分一厘でもリアルファイトの可能性があるなら避けたいところ……なのだが。

「や、やっぱり牛山も……なのか?」

「そうそう、てか俺が言わんでも見てりゃ一発で分かんじゃん?」

猿と一緒で薄々感付いていた……というかある意味一等分かり易くもあったけど。
正直逃げたいが、俺と牛山だけの問題ならまだしも由比ヶ浜が絡むとあっては無視するわけにもいくまい。
人との関わりはそのまま荷物の増加を意味するが、それは得られるリターンとトレードオフなのだ。多分。


「……牛山も話分からない奴じゃないとは思うけど、もしアレだったら俺も一緒に行っとく?」

「いや、大丈夫だ」

問題無い。しまったこの台詞はフラグになるじゃねぇか。
まぁ殴り合い(一方的)の可能性は0じゃないってだけで実際は杞憂なのだろうが。
牛山が裏表無く「出来た男」であるということを疑う余地はない。
ならば後は地雷をポンポン踏まないよう努めるだけだ……ヤバい、そこが一番自信ない。

「ま、牛山と話し付けたらゆいゆい誘ってみんなで遊びに行くべ? ヒキタニくんいねーとゆいゆいが来てくんないし」

「え、知らない男の人と遊ぶのってちょっと……」

「知らなくねーべ!? つか女の子だったらいいんかよ!?」

おおうテンションと声量過剰だが良い反応じゃないか。こういうのでいいのか、こういうので。
その後はボケツッコミを幾らか繰り返してから、
昼食を一緒にすると約束している由比ヶ浜を待たせられないと会話を打ち切りこの会合はお開きになった。
当然の如く猿渡は「俺らと一緒すればいーじゃん?」と言い出したが、そこは空気を読んだ駒鳥さんに諫められて収まった。

猿渡には悪いが、問題無くパーソナルスペースに他人を受け入れるには俺自身心の余裕が足りていない。
今はまだ風に飛ばされ行方不明になりそうな心の標を、由比ヶ浜という重石で固定するのが精一杯だから。
適当に手を上げて二人に別れを告げると、何時もの墓場ではなく由比ヶ浜が待つベンチへ足を向けた。
また数時間後に待っているだろう修羅場を想像すると風は勢いを増して心を浚いに来る。
でも数分後に由比ヶ浜と会えるなら、修羅場の後にも彼女の笑顔が待っているなら、耐えなければ。
痛みを望んだのは俺だ。全てを受容するのは無理でも、少しずつ受け入れて行きたい。
受け入れて行かなければならない。




何時もより時間を短く感じた午後の講義、
終わってから俺の席に近づいてきた牛山の姿を認めると隣に座る由比ヶ浜へ先に帰るよう伝えて立ち上がる。
しかし由比ヶ浜は何時かのように俺の袖を引っ張ると

「待ってるから」

そう微笑んだ。

本当にタイマンを張るわけでもないのに緊張で雁字搦めになっていた心が解されていくのを感じ、
短く礼を告げてから牛山と合流して奴の先導で外へと向かった。

牛山が向かったのは意外なことに(若しくは俺に気を遣ったか)例の墓場が如き中庭だった。
偶然か牛山(リア充)の気配を察知したのか住人は一人もおらず、
夕暮れにもまだ早い時間だというのに寒々しさで震えそうになる。
それが単なる寒気に対する生理現象なのか、脅えて竦む心の有り様だったのか、区別は付かない。

喧嘩、真剣勝負、果たし合い……それらを称して立ち合いと言う。
人気の無い場所で立って向かい合う俺達には相応しい言葉だ。
だが俺は逃げそうになる足を止めておくのに必死、向かう牛山も俯きがちで何時より小さく見えた。

立ち合って数分、沈黙は続いている。
長く長く感じる時間の中、俺達は互いに出だしを掴めていない。
先手で有無を言わさず打ち据えるか、後の先で切って落とすのか、どちらが有利か分からない。
かつての俺ならとにかく出方を待ってから意図的に間違いを選択し、
相討ちによる明確な断絶を以て決着とするだろう。
例え間違いでも、最速最短で間違った選択という場所に居着いて安心することが出来るから。
しかし今の俺の心は逸った。
安心したいのは同じでも、その居場所を選びたいと思っている。
その為にも手加減はしない。出来ない。


「由比ヶ浜の話、でいいんだよな」

俺の出だしに牛山は分かり易くビクリ……とは反応しなかった。まぁ俺じゃあるまいし。
だが反応して上がった顔は、苦渋とまで言わないまでも息苦しさを隠しきれない顔色だった。

「……そうだ」

その低い声には、何時もの力強さや安定感は感じられない。圧がない。
これは隙……なのか、そもそも相手を倒すことがこの場での目的でいいのか。
何を以てどうすればいいのか全てが闇の中。
それでも大切な物を競合する相手なら、負けるわけにはいかない。
全力で、斬る。

「悪いが、俺と由比ヶ浜は付き合ってる……ここに入学する前から、一年以上」

一息。

「……だから、お前が信じようと信じまいと、俺達には関係無い」

バサリ、一直線に走る見えない斬痕。
「上手く斬れば手応えは無い」とは何処かの時代劇漫画で見たが、正にその通り。
相手の弱みに付け込んだ時に感じるグズグズとした感触ではなく、
ただ通り抜けただけにも思えるような透明感。
斬った。
斬ってしまった。
寄りによって俺が、輝きで人目を惹く類の人間を。
そこに破壊の悦や解放の喜びなんて無い。
悪い夢だ……良い夢なんかじゃ、決してない。


「……俺には、信じられない」

呟くように吐き出された言葉は、俺ではなく自分自身に言い聞かせるような響きを伴っていた。

「お前が……ヒキタニが悪いとか、そういう話じゃない……ただ、少なくとも今は間違っている筈のお前と、由比ヶ浜が……」

何故、そう牛山は問う。
それは俺に対して、由比ヶ浜に対して……何より己自身に問いかけているように見えた。

「……俺が間違ってるってのは否定しないが、さっき言った通り、お前の意見は関係無い」

「分かっている、分かっているが、それでも信じられないんだ。 お前は、何時から〝其処〟にいて、何を見てきたんだ? どうすれば今のままで、由比ヶ浜と……お前は――」

〝何処へ行こうとしてるんだ?〟

続く言葉に俺の方がビクリと反応した。予期せぬ反撃で俺の心臓も貫かれた。
だがその威力とは裏腹に弱々しい響き、
それを吐く表情と切り分けられた肉から覗く内面に牛山という男の芯が見えた気がした。




気が付けば陽が落ちかけて、構内の人影も疎らになっていた。
そんな中夕暮れに照らながらベンチに座る由比ヶ浜の姿に
何時かの悲壮な決意を思い出して、不意に胸が締め付けられた。

「……よぉ」

「あ、ヒッキー」

何時もと変わらない簡易に過ぎる俺の挨拶は
今に限れば沈みがちな心中を悟られない為の作法だ。
そんな俺を正しく花の咲いたような微笑みで迎えてくれる由比ヶ浜の姿が眩しくて、
反射的に目を瞑りたくなった。

「お話、終わったんだ」

「ああ」

「……だいじょぶ?」

「殴り合いしてきたわけじゃないんだし、心配することなんてねぇよ」

「ヒッキーがそう言うなら、いいけど」

そう言うことにしておいてくれ、心中で呟くと校門へ向けて歩き出す。
立ち上がったらしい由比ヶ浜が小走りで追いついて俺の横に並んだ。
腕と腕が触れ合いそうなくらいに近いその距離は、
錯覚でなく彼女の温もりを感じさせられる。


校門から出て歩道へ、夕日を浴びながら駅へと向かう。
無言。
靴と地面が擦過する音と疎らな車の走行音だけが鼓膜へ入り込む。
何時もは会話が途切れて沈黙するのも珍しくなくて、
それが気まずいとは思っていなかったのに今は後ろめたい。

「……その、あれだな」

「ん、なに?」

「牛山って良い奴だな」

「そうだよ、いい人だよね」

好きな娘にいい人認定されるのは辛いなぁ……なんて心中でも茶化せない。
話を終えて振り返る。牛山は由比ヶ浜に惹かれつつも、
如何にも社会不適合な俺のことを心配していた……とかそんなニュアンスを受け取った。
それは牛山もまた俺とは相容れない類の人間で、その根は猿渡や駒鳥さんよりも深いことの証明だった。
真っ直ぐでお節介で苛々するくらい正しくて、だからこそ奴が善良な人間であることは確かで、
そんな牛山が俺という路傍の石に躓き転んだ事実が今は重かった。
大きなお世話だと、鬱陶しいと思っていても牛山の気遣いは俺にすら否定出来ないものだったから。
だというのに俺もまた、意図的でないにしろ奴の過剰な脚力で蹴っ飛ばされた痛みが残っている。
お互い攻撃しよう、傷付けようなんて思ってもいなかった筈なのに。


「……彼奴に、俺は間違ってるんだって言われた」

足を止めて言う。
歩きながらだと、風で足を取られて転んでしまいそうだと思ったから。

「何が正しいかなんて分かんねぇし、自分が正しいとも思ってない……でも、間違ってるって誰かに言われて、不安になった」

「……うん」

由比ヶ浜も足を止め、俺と向き合っている。
抽象的で要領を得ない言葉を受け止め、俺の顔を見つめて頷く。

正しいとか間違ってるとか幾度となく考えてきて、
その蓄積が今の俺を形成していた筈なのに、全て真っさらになったように今は感じている。
口にした通り不安だった。
本当に、由比ヶ浜だけが今の俺を繋ぎ止める楔だった。
だから、

「お前も、俺が間違ってるって思うか?」

そう尋ねずにはいられなかった。
否定して欲しかった。由比ヶ浜結衣にさえ言って貰えれば、それだけで良かった。
かつての俺ですら唾棄するような女々しさで、無遠慮に由比ヶ浜に体重を預けようとしている。
恥だ。
破廉恥だ。
それでも求めずにいられないというなら、これを恋とか愛と呼ぶのだろうか?


「んー……」

問われた由比ヶ浜は人差し指を唇に当てて思案顔になり数秒、

「何のこと言ってるか分かんないから答えようがないかな?」

破顔した。

「……ですよねー」

うん、大概抽象的だった。
つか黒歴史ノートに追記確定の痛々しい問答だこれ。架空バスケ部並にペインフル。
この流れを由比ヶ浜が陰湿な匿名掲示板に投稿してコピペ化しちゃったらどうしよう、○ぬか俺。

……否定して欲しかったのは本当だが、今のこの流れも望んだモノの一つだった気がする。
ウダウダジメジメ訳の分からん理屈を捏ねくり回して、それを由比ヶ浜がバカっぽく受け止める。
在りし日の部活の光景を思い出させる郷愁が溜まらなく暖かく、胸を締め付けた。

「変なこと言って悪かった……帰ろうぜ」

「うん、帰ろ」

また歩き出す。隣に並ぶ。
近すぎるくらいの距離は変わらなかったが、一つだけ。


「ね、ヒッキー」

由比ヶ浜の手が俺の手に触れた。

「正しいとか、間違ってるとか、良く分かんないけど……でもね」

少しの力で壊れてしまいそうな小さな指に力が込められる。

「正しくても、間違ってても、あたしにとってヒッキーはヒッキーなんだ」

俺の手を握って、由比ヶ浜は言う。

「だから、そういうの関係なしで、あたしは傍にいるから」

その温もりは直接的で、さっきの距離よりもっと深く伝わってきた。
何より生々しいその感覚はいっそ切なくなるくらいに暖かかった。

「お前の言ってることも大概抽象的で分かんねぇな」

「……分かんない、かな?」

「いや……」

この温もりを少しでも何かに変えたくて、返したくて、俺も手を握り返す。
一方的だった力のベクトルは向かい合って、手を繋ぐ形になった。

「分かるよ」

「うん」

俺の返答に、由比ヶ浜は嬉しそうに笑って見せた。


この間の危うすぎるスキンシップと、今の笑顔と、手を伝う温もり。
ダメだ。もう俺は、少なくとも俺からは由比ヶ浜結衣から離れられない。
そう実感した。

だからこそ、先の牛山との遣り取りは寧ろ深く心に刻み込まれる。

「何処へ行こうとしているんだ?」

その言葉で奴は俺の立ち位置を問うた。

かつて沼に沈み込んでいく連中の手を取り救い上げてきたという男の目は、
日溜まりの中に在る由比ヶ浜と暗がりの中の俺との繋がりを歪と捉えた。
そんなことは分かっている。
歪でも、それが俺達の繋がりであればそれは他人からとやかく言われるものではないと思っていた。
ただ由比ヶ浜を好く俺と、そんな俺を好く由比ヶ浜が在りさえすればそれ以上は必要ないのだと。
だが俺は、由比ヶ浜の手を握ったまま何処へ向かっているのだろう。


彼女を暗がりへ引き込みたいのか、それとも彼女に日溜まりへ引っ張って欲しいのか。
それとも何処とも知れない明後日の方角へ暴走しているだけなのか。
分からないが、それでも先行きを考えないまま、
半端な立ち位置のままで誰かと共に在ることは出来ないと今は思ってしまっている。
手を繋ぎ、唇を触れ合い、そして次……そこに至るには、何処かで明確な答えが必要なのではないか。

視界に差し込まれる黄昏の橙色。
それはそのまま期待と不安とが入り混じる俺の心の映しだと錯覚してしまう程に美しかった。
光の中で徐々に空へせり上がってくる夜闇の青を見つめながら、
俺は抽象的な思考を転がしたまま由比ヶ浜と並んで家路を急ぐ。
黄昏時は逢魔が時、魔の差す時間帯だと言われている。
そんな危うい時間を超えて、俺は危難の無い夜と満たされた黎明を迎えることが出来るのだろうか。
相反する二つの感情はそれぞれ衝動を打ち消しあって、残った一つが握る手の力を僅かに強めた。

というわけで二話エピローグ、つまり二話完結です
長いことお待たせしてしまい申し訳ありませんでした

解説言い訳云々は飯他雑事を済ませたら投下するので興味ある方だけお付き合い下さい
それではまた後程

どうも>>1です
話題は幾つかあるので分けて投下します

・遅れについて
まずは丸々一ヶ月待たせてしまい申し訳ありません
遅くとも二週間ほどで二話は締める予定でしたが、完全に見通しが甘かったです

元のプロットでは場面転換は倍以上、書いてる内に際限なく文量が増え続ける
自分の悪癖を考えれば文字数は三倍四倍になった可能性もあり
流石にこのままでは書ききれないし締められない、と思ってバッサリカットし再構築しました
お陰で登場人物の情緒不安定感マシマシ、心理心情唐突過ぎと我ながら酷い内容にはなりましたが
そんなんなるなら最初から扱い面倒なオリキャラなんて出すんじゃねーって話ですな
ハハハ……いや本当に申し訳ありませんでした

・改行について
一番最初の投下時に読みにくさに関しては実感していました
しかし投下後の反応では特に読みづらくはない、とのことだったのでそのままにしてましたが
PCでは矢張り読みづらさも出ているようなので今回はちょこちょこ手を加えました

しかし台詞に関しては改行するのも変に感じたのでそのままですし、
単純に本文一行が長くならないようただ改行しただけなので今回不格好さはかなり強めな感じ
今後は掲示板投稿というフォーマットに合わせて文章も考えるべきか、などと思案中です

なお最初の段階でツッコミが入らなかったことに関しては
スマホで読んでいる方が多かったのかな、などと予想しています
実際どうなんでしょう

・今後について
二話で完結?と感じられている方もおりますが、まだまだ続きます
>>113でも書いた通り今の面倒臭い流れは次回までになる予定で
以降は普通のイチャエロスレになる筈です
とりあえず今は「三話とっとと書かねば」というところ

一応次回更新は長めに見積もって二週間辺りを目安に考えてます
勿論早く仕上がったり、区切りの良いところまで進んだらその都度投下する予定です
期待せずお待ち下さい

今日はこんな愚痴までお付き合い頂き有り難う御座いました




俺の主義とは反するドタバタ騒がしい朝食を終え今日は岩のように大人しくしていようと思ったものの、
一人でいれば夢の余韻で心を蝕み、かといって居間にいれば小町だけでなく
(祝日に休める程度には本当に時間の余裕が出来たらしい)両親から質問攻めに遭い疲れ切ってしまった為、
逃げ去るように実家を後にしていた。

いや俺、家族内じゃ影か空気みたいな扱いだった筈なんだけど、皆なんでそんなに八幡君に興味津々なの。
実は家族全員ツンデレで俺のこと好きだった? それともモテ期なの?
限界集落の住民みたく単にゴシップに餓えてただけだってのは分かってますとも、ええ。

それでも小町と比較して十対一、33-4くらいに注がれる関心や愛情に差があると思っていたから、
向けられる好奇はウザったいしくすぐったくて、なんだかんだ家族なんだなと変なところで納得していた。

大学合格強制独り立ちの決まった後日、それでもお祝いと回らない寿司屋に連れて行かれた時も
母親の生暖かい視線に感慨深そうな表情で何時もより酒のペースが早い親父の様子が珍しく、
どれだけ近くで暮らしていても知らないこと、知らなかったことはまだあるんだと思わされたばかりなのに。


実際やり過ぎなくらいには小町との愛情格差はあったがそれも両親が俺を疎んでいたとかではなく、
俺が良くも悪くも自己完結した子供で手がかからなかったからではと今は考えることが出来る。

手間のかかる子ほど可愛らしいとは言ったもの、小町がどれだけ愛らしくしっかり者に見えても
独りぼっちの留守番に耐えかねて家出するくらいには不安定且つ行動的だったわけで。
それだけ愛情のリソースが必要な子供がいれば平等な扱いなど難しいものだ。

一方俺は友達のいないぼっちの癖してただ生きていくことに疑問を感じない程度には鈍感で、
けれど妹には気を遣えて、それはひたすら忙しい大人にとってはさぞ頼もしく見えたことだろう。

大人の目線からの信頼もある意味家族の認定。だが大人の信頼が子供を満たすかどうかはまた別の話で、
それが全ての元凶と言うつもりはないが結果として俺は立派に捻くれ育ってしまった。

距離が近ければ分かり合えるわけじゃないし、本心を伝えられるわけでもない。

それでも今は環境の変化に起因した親族の未知を、痛みからではなく興味を以て見つめることが出来る。
まぁ、その……多分悪い家庭ではなかったのだ、比企谷家は。


とはいえ今はその愛情とか家族の証がひたすらウザい。
俺がいない間に小町が何を吹き込んだのか彼女がどうとか連れてこいとか言い出して冷や汗かいた。
無理矢理振り切って家を出る際に

「あれ、まさかお兄ちゃん結衣さんとデート……!?」

とか分かりきった小悪魔スマイルで言い出した小町は大層可愛らしく憎らしさもマシマシ。
後でシバくと心に誓ったが、でもこの分じゃ家帰ってもさっきの再現にしかならんかな……。
もう俺の家は一人暮らしのあの部屋なんだ、家に帰りたい。

と言っても実際ノープランで家を飛び出して、
この後どうするかと考えた時真っ先に思い浮かんだのは由比ヶ浜の顔で……突発的でも誘ってみるか?
と歩きながらたっぷり二十分悩んでいると件の由比ヶ浜からメール。
以心伝心、渡りに舟と喜び勇んで開いてみると



『今日は優美子と姫菜と遊びに行くんだ~、ヒッキーも来る?(デコ略』



……行けるわけないだろ! いい加減にしろ!

と、夢も希望も無い展開に絶望した俺はそれでも救い(ソウル)を求め町を彷徨っていた。
人間性を捧げよ。




歩いて、駅について、電車に乗って次の町へ。
特に目的もなく流離う一人旅は、これが案外悪くない。
運動したり太陽光を浴びると鬱を誘発する脳内物質が減少するとかなんとかで、その効果を実感していた。
運動は鬱に効く、故に悠々快適ぼっちライフの為には部屋に籠もりきるのではなく適度な外出や運動が不可欠。
これはぼっちアスリートの道が開けている……? 
山にでも登ろうか孤高っぽいし、神々の山嶺は原作も漫画版も超面白かったしな。
ぼっちであることをひたすら想え。想え――。

なんぞと変に前向きな思考を走らせつつ、それでもゴールデンウィーク故かなんでもない町中にも人は溢れている。
そんな中に紛れては疲労もして、次第に重くなっていく足を思うと運動趣味というのも中々厳しそうだ。
やはりぼっちアスリートへの道は険しい。俺には無理だった。


しかし疲労するということは考えが散漫になるということで、
これも思考が大きな穴だけに留まらないという運動に於ける鬱予防の効果の一つなのだろう。
体力と引き替えに僅かな心の平穏を得て、このまま何処に行こうかと悩んでいたところで、

「あれ、ヒッキーくん?」

聞き覚えのある声と呼び名が背中を叩いた。

足と相応に心も弱っていたのか〝ヒッキー〟という部分のみに反応し
俺は由比ヶ浜の存在を期待して反射的に振り向いた。
そしてその包容力を示すような柔らかい声と君付けの呼び方が、
由比ヶ浜は由比ヶ浜でも由比ヶ浜結衣でないことを再認したゲシュタルト崩壊in由比ヶ浜。

「やっぱりヒッキー君じゃない……えーと、やっはろー?」

その挨拶は年甲斐ない、とは言えないくらいに若々しく瑞々しい大人の女性。
由比ヶ浜結衣の母親、俺呼んで由比ヶ浜マが立っていた。




「ごめんね~付き合わせちゃってぇ」

「い、いえ……俺も、特に用事とか無かったんで」

俺は今、何処とも知れぬ喫茶店で彼女の母親と同席している。
買い物のため遠出をしていたママさんは偶然俺の後ろ姿を見かけて声をかけ、
時間も頃合いだしお昼を一緒にしないか?と誘われ軽食と茶目当てで直ぐ近くにあった店に入ったのだった。
ママさんはサンドイッチ、俺はハンバーガーを頼んだが全て自家製手作りらしいボリューム満点のハンバーガーは
ファストフードの挟み物に慣れきった若者の舌には驚くほどの幸福感を(中略)今は食事を終え一息吐いたところだ。

どうしてこうなったと言うには、まぁ流れは自然だったろう……だが、

「もう結衣ったら、折角の連休なのにヒッキーくん放って置いて友達と遊びに行っちゃうなんて酷い話よねぇ」

「別に、気にして無いです……と、特に約束もしてなかった、ですし」

「ヒッキーくんがそう言うなら良いけど……でもそのお陰でヒッキーくんとこうしてデート出来てるんだから、少しは感謝しなきゃかもね?」

「デッ、デー……!?」

「ふふふ、こんな若い子とデート出来るなんて、結衣には悪いけどおばさん嬉しくなっちゃうわ~」

終始翻弄されっぱなし、これが大人って奴か……!?


正直、ママさんのことは苦手だ。
苦手と言っても嫌いだとか会いたくない訳じゃなく寧ろ俺には珍しく好意的に接したい相手なのだ。
が、それ故に落ち着いて対応したいのに彼女の持つ属性・空気は俺を落ち着かさせずにはいられない。
由比ヶ浜の姉と見まごうほどに若々しく似通った容姿と甘い声、
そして由比ヶ浜結衣の持つ包容力のレベルを更に上げて、
吐く息からすら〝包まれている〟感じを錯覚させる。
ふとした拍子に、彼女はそのまま未来の由比ヶ浜結衣なのでは?
と思ってしまいそうなほど、俺には魅惑的で危険な人だった。

三年時、勉強目的で由比ヶ浜の家に行ったとき遭遇する度その甘い魅力と近すぎる距離感にクラクラして、
必死に引き剥がそうとする由比ヶ浜の存在がなければどうなっていたことやら。
理性のタガが外れて襲いかかる、とまで行かずともこれまでの黒歴史が生易しく思えるほどの醜態を晒した可能性を否定出来ない。

なんというか、今の俺には相対すら早すぎる人なのだ。


「……でも、良かった。 こうやってヒッキーくんと二人きりで話せる場を持てて」

「二人きり、ですか」

二人きり、という部分にイントネーションが寄っている気がしてドキリとしてしまう。錯覚だろうけどね実際は。

「ウチだとどうしても結衣も一緒になっちゃって、そうすると話せないこともあるし……ね?」

こちらに確認してくるような発音と視線が一緒になって、どうにもイリーガルでアナーキーな妄想が広がってしまう。
由比ヶ浜と一緒だと話せないこと……な、ナニを話すんですかねドキドキ。

だがそんな俺の不埒な予想は(当たり前だけど)外れ、ママさんは俺に向かって頭を下げた。

「ありがとう、ヒッキーくん……サブレと、結衣を助けてくれて」

「へ?」

「サブレを助けてくれたことは結衣から聞いてて、私もお礼にって思ったんだけど、結衣に『あたしが行くから!』て止められちゃってたのよねぇ……だから今更だけど、ありがとう」


それは俺と由比ヶ浜……だけでなく、総武高校奉仕部に於いて全ての始まりとなった出来事だった。
入学式の日、車に轢かれそうになった由比ヶ浜家の飼い犬・サブレを俺が助けて事故に遭い、
その車に乗っていたのは……という話。
その事実を知った俺の一方的な態度で一度繋がった関係は終わり、
でもある助言で再び繋がることが出来た、痛くて苦くて酸っぱくて少しだけ甘い思い出。

「は、はぁ……別に、俺は、その……偶々、偶然です」

「ふふ、やっぱりそんな謙遜して、結衣の言ってた通りね~」

「す、すんません、でも本当に……」

「本当に偶々でもサブレを助けて貰ったのは事実で、ヒッキーくんが何を意図したわけでなくても、そのお陰でサブレが助かっていたならそれは胸を張ってもいいことなの……もっと素直にお礼も受け取って、誇らしくしてくれてもいいんだから」

「はぁ……」

責めるわけでなく、嗜めるわけでもなく、有無を言わさぬ逃げ場のない暖かさが俺を包む。
むず痒くてくすぐったくて、でもひねた俺ですら心の底では求めて止まない確かな温もり。
もう少し苛烈というか厳しさもあるが、恩師の言葉や態度もこれに通じるものがあった気がする。
俺の尊敬する大人の女性、その理想の形は彼女らであるのかもしれない。

ところで妙齢の女性が「偶々」ってアクセント変えたらちょっと興奮しますね。
フヒ、フヒヒッ……これ、顔に出てたら終わってたな色々。出てないよね?


「その、サブレのことは受け取りますけど、由比ヶ浜を助けたって、受験のことですか?」

仮にも進学校である総武に何故由比ヶ浜結衣が入学できたのか、
これは総武高校七不思議の一つとして俺が妄想していることである。
時折見せる大人っぽさと裏腹に由比ヶ浜の学力は本当に色々アレで、それで尚

「ヒッキーと同じ大学に行く!」

と言って聞かなかったので俺は受験に大切な三年の勉強時間に大変なお荷物を背負うことになったわけで。
いやでも一緒に勉強とか実際は嬉し恥ずかし、由比ヶ浜が合格したのも教え子の努力が実ったって以上に
思うところがあったりしましたがね。

「そんなこともあったわね~、ヒッキーくん結衣の面倒見てくれてありがとう……でもそれじゃなくて、去年結衣が一週間くらい学校休んだでしょう? その時のこと」

〝どくり〟

心臓が跳ねた。

去年とは、三年のゴールデンウィークのことではない。それより前の二月の半ばから下旬にかけてのこと。
高校二年、これまで短い人生の中で最も濃密な一年の中で、最後に訪れた最大の事件。
脳裏に一年前の俺達の姿……夢の風景、その続きが走り抜けた。


「あの時の結衣、本当に熱出して寝込んでたの……でも直ぐに良くなって、それでもまだ調子悪いから学校休むって聞かなくて」

バレンタインを過ぎ、その中で発生した奉仕部最後の依頼を解決……と言えずともその露払いと準備を終え、
恐らくは長くなるだろう戦いに赴く依頼主の背中を押し、その中で決意を固め、
いざ俺自身も戦いを始めようと思ったらその相手である由比ヶ浜は熱を出したとかで学校を休んだ。

格好付けようとすればするほどスカを食らうのは俺の人生の様式美みたいなもんだから、
変に硬くなるならそれもアリだろうと思っていた。
……それよりもっと前に戦端は開かれていたことに俺は気付かなかった。気付けなかった。

「叱ろうと思ったけど、何時もだったら楽しそうに何度も話してくれたヒッキーくんとゆきのんちゃんのことを全く話さなくなってて……バレンタインのクッキー、凄く頑張ってたの見てたから、この子はきっと無くしてしまったんだって考えたら、何も言えなかったの」

バレンタイン、渡されたクッキー。あの時の由比ヶ浜の心はどれほど傷んでいただろう。
この期に及んで俺は想いを形として示されることを怖れ、だのにそれを否定する言葉を認めたくなくて、
その癖自分の理想だけは捨てられなくて、未成熟な学生とてあの時の俺ほど傲慢で愚かな人間は他にいまいと確信している。

そしてこれまで出来るだけ口に出さぬよう、思い出さないように努めてきた名が棘の痛みを誘発する。



〝ゆきのん〟



雪ノ下。



「あの子、今はあんな見た目だけど鈍くて恋なんてしたことなかったのに、その一番最初でこんなに辛い思いをしているなら、これからどうなってしまうんだろう……十何年も一緒に暮らしてきて、あの子のことは誰より分かって近くにいるのに、何かしてあげたいのに、何も出来ないのが歯痒くて」

そう、近い存在なら救える、何かしてあげられる……それは絶対ではない。
どれだけ長く寄り添い合う存在でも、結局は表層的な反応を印象に焼き付け、深層にあるものは想像するしかない。
近しい人間を赤の他人より多く助けてやれるとしたら、それは経験則で行動や心理のパターンを予測し対応しているに過ぎない。
そしてそれが現実の中で起きていることなら、読み切れない乱数は何処かで必ず発生する。
だから家族だって喧嘩するし、仲睦まじかった筈の恋人達がふとした誤解や思い込みで別れることもあるだろう。
人はどれだけ見識を深めても主観から逃げることは出来ない。俯瞰で他人を見定められる人間なんて存在しない。

それはきっと俺の憧憬する大人達でも例外ではなく、由比ヶ浜親子ですら……これはそういう話なのだ。
今朝俺が感じた比企谷家の距離感と似ているようで、それはもっと深くて重い。

「……だからヒッキーくんがお見舞いに来てくれて部屋から結衣を連れ出してくれたとき、またあの子からヒッキー君のお話を聞けるようになったとき、あの子にとっての王子様が現れてくれたんだって、私は大きな荷物を降ろせたんだって思ったから……だから、ありがとう」

そして、再びママさんは頭を下げた。
十何年分の重み、その最後の負荷が彼女の背を曲げさせたのだ。だがそこに苦しみや疲れは見えない。
俺にはまだ実感しようがないが、きっとそれは充実感と解放、その両方に起因した喜びなのだろう。


しかし、

「お、王子様って……そんな柄じゃないですよ、俺」

「ふふふ、家でヒッキーくんのこと話す結衣を見てたらそれ以外に言葉が無いもの、ヒッキーくんがどう思ってても由比ヶ浜家にとってヒッキーくんは白馬の王子様なのよぉ?」

えー、何このヨイショ。
宗教勧誘の前段階? それとも美人局?

なんかもう顔が熱い。多分てか絶対に赤くなってる。
言うに事欠いて白馬の王子様って。白(痴で)馬(鹿)の(自称)王子様なら分からんでもないが。
つか由比ヶ浜家って括りだと、まさかファブリーズパパヶ浜さんも俺の話聞いてる?
そっちは寧ろ怖いんですけど……。

まぁそれは良い、俺が二枚目か三枚目かなんて枝葉みたいなもんだ。
それより重要な話の幹は、

「……そもそもあいつを助けたのは俺じゃないんで」

これだ。


「謙遜することないのに……ヒッキーくんが結衣に告白して全部丸く収まったんじゃないの~?」

……寧ろ由比ヶ浜が家でどういうこと話してるのかが気になってきた。
俺なんか顎が鋭角な非現実的ハンサムヒーロー扱いになってんじゃないだろうな。

とはいえ、告白という部分にだけ注視するなら、話がそこだけに止まっていることは理解できる。
〝そこだけ〟しか話せないはずだ。

多分、あいつは。

「あいつ、雪ノ下の話はしてましたか」

沈黙。

ママさんは一瞬呆気に取られ、そこから暫く思案に入った。

そして、

「……そういうことなのかしら?」

なんら具体性の無い問い。だが俺には分かる。
これは“そういうこと”なのだ。

「……助けた、というのは正しくないかもしれません。 でも強いて言うなら助けたのは雪ノ下で、俺はそのお零れに与っただけの……そういうこと、なんです」

そして今俺と由比ヶ浜は二人だ。
どちらの隣にも、間にも、雪ノ下はいない。
スペースが無いんじゃない。
〝いない〟のだ。


「俺は、本当に何もかもの最初から、自分で決めたことなんて何も無かったんです。 誰かに頼まれて、お願いされて、それに対応するだけで、その裡にある気持ちなんて考えもしないで」

ママさんには好意的に思われたいし、悪く思われたくない。
そう強く思っている筈なのに、口は理性の関所をすり抜けて語る必要のない〝それ〟を垂れ流す。

「それで、欲しい物を自分から口に出来ても、それはただ自分の我侭で、その裏にあるあいつの……あいつらの気持ちや欲しい物を見て見ぬ振りして」

子供らしい浅慮な思い付きでで墓の下まで持っていこうと決めていた筈の本音を、まだ関係の薄い誰かに投げつけしまう。
それこそ由比ヶ浜や小町にすら隠したままでいようと思っていた醜さの塊。
俺の本質。

「それで自分に都合の良い場所へ腰を下ろして、それを支えてたあいつのことを忘れて、その癖あいつのことが欲しくなったら体重預けたまま願望だけ勝手に押し付けて」

優しく理想的な大人である彼女なら受け止めて貰える、そう勝手に信じ思い込んで吐き出し続ける。
汚く。
卑しく。
嫌らしい。


「結局俺はあいつらに何もしてやれなくて、今だって何かの度自分に嫌気が差すし、そんな自分を見られるのが辛くて距離取って、でも別れる気なんて全くなくて、本当に、自分勝手なままで……」

言いながら、本当に自分自身に嫌気が差す。黒いモノを抱えたままグルグル同じ場所を回っているだけの愚物。
あんな夢を見たから今こうなってるんじゃない、こんな自分だからあんな夢を今更見たのだ。
変わろうと誓った傍から「間違っている」と言われ、それをはね除けることも出来ず誓いが揺らぐ。
その癖自分の欲望優先で独りになることも選べない。
かつてのように虚勢でも独りであることを選び続けた方がまだマシである筈なのに。

間違ってるというなら、こんな俺が誰かと道を共にしていること自体が間違いなのだ。

それ以上は何も口に出来ず俯き、再度場は沈黙する。
連休の昼時だと言うのに人気も疎らで静かな喫茶店は何時もなら有り難いのに、
今は静けさが不可視の針となって俺を突き刺し苛んでいる。
硝子戸の壁に阻まれ小さくなった雑踏だけが時間の経過を示す短針だった。

何秒か何分、数えてもいない時間が経過し、

「……やっぱり、ヒッキーくんは真面目なのねぇ」

呆れるでもなく暖かい響きのまま、ママさんの言葉が沈黙を破った。
しかし、その言葉の意味するところは俺の発言が意図した方向とは真逆だった。


「真面目って……俺の話聞いてましたか? その真逆ですよ、俺は」

「そんなことないわぁ。 月並みだけど、本当に不真面目な人ならそんな風に自虐はしないと思うし、真面目過ぎるのね、きっと」

下からどうしてもジト目で卑屈に見上げてしまう俺に、ママさんは頬に手を当て変わらぬ笑顔で答えてみせた。
どうしたって曲解しようのない言葉をそれでも曲解しようとしてしまう陰気な俺と裏腹に、
何処までも陽気を振りまく彼女と俺は平行線だった。
それは俺に踏み込み何時の間にか隣に居座った……由比ヶ浜結衣と同じ。
本格的に二人の姿がダブり、心臓がギシリと軋んだ。

「……誤解です、貴女は俺のことを良く知らないからそう言えるんです」

「そうかしらぁ? 結衣からたくさんお話聞いてるし、去年はよくウチに来てくれたし、今だってこうやって話してるでしょう?」

「それだけで判断しているなら、それは早計か、情報源が主観的過ぎます」

「でも、結衣から聞いたお話とそんなに差は無いけど~……あ、でも確かに時々ヒッキーくんが少女漫画に出てくる男の子みたいに格好良くなってることはあったかな。 ね、聞きたい?」

「い、いえ……」

やっぱそういうことになってるのか、今度あいつから聞き出し……はいいや、怖いし。
妄想と現実の落差で墜落死余裕でした。俺が。

「それはそれで残念……でも、そこ以外も本当に一緒よぉ? 真面目で、気遣い屋で、優しくて」

「や、だからそれは」

「……だから、わざと間違った方に行っちゃうんだって、結衣が悲しそうに話してた」

〝ギ〟

軋むどころではない。

心臓が止まる。

〝お前は間違っている〟

何時かの放課後、もう聞き慣れてしまったバリトンボイスで紡がれた言葉が脳裏で再生された。


「確かに私が聞いたヒッキーくんはあくまで結衣にとってのヒッキーくんかもしれない……それでも、そのヒッキーくんがぶつかった問題や答えに独りで真摯に向き合ってきたんだってことは分かるつもり。 そのくらいには娘の、結衣のことを信用してるの」

真面目。

真摯。

そんなもの自分とは最も縁遠い言葉だと思っていた。否、今も思っている。

しかし、俺は俺なりの最善で問題課題へ回答をぶつけてきたつもりで、それはきっと正しい。
例えその内実が意趣返しや怨念返しだろうと、そこまで積み上げて来た自分を否定することは出来ない。
それを否定することは俺が何より嫌う欺瞞で、比企谷八幡という積み木の土台を抜き取るに等しい行為。
だから否定しないし、出来ない。

その固執が何よりの間違いであることを知っている癖に。

「……ヒッキーくんは、結衣はどんな子だって思ってる?」


「へ?」

己の間違いに思いを巡らせていた俺には唐突な問い。
だがこの人の問いかけなら、由比ヶ浜についてのことならきっと意味はある筈。
そうやって縋り付かなければバラバラになってしまいそうなほど、俺の思考はガタガタになっている。

「……なんか、その、イイ奴ですよ。 真面目って言うなら、あいつの方が相応しいって……」

……あれ、これ彼女の母親に「娘のことどう思ってる?」て聞かれてんじゃねぇの?
いや細部は違うのかもしれんけど、でも地雷質問をさり気なく踏まされてんじゃないの流石大人は怖ぇなぁ。
結局怖じ気づいて無難な回答に落ち着く。しかしボカした言い方とはいえ的を外してはいない筈。

「うん、親馬鹿かも知れないけど結衣は真面目な子で……真面目だから、時に自分から間違った方向に行ってしまうって、見てきたから分かるし、ヒッキーくんも結衣を助けてくれた時に見ている筈でしょう?」

そして返ってきた言葉で後頭部を殴りつけられる。

俺と雪ノ下が間違えても、由比ヶ浜結衣だけは間違えない。
彼女だけは正しいのだと、確かにあの時までは思っていた。
誰かが強くて誰かは優しい、それですら勝手な思い込みに過ぎないと分かっていてたのに。

由比ヶ浜の家を訪れる直前に身を斬られ、斬り返さざるを得ない状況に立たされていた筈なのに。
その原因が由比ヶ浜結衣の行動そのものだと、思い及んでいたのに――。


「きっとね、真面目な子って誰より早く安心したくて、だからどんなことにも真っ直ぐぶつかって行っちゃう。 例えそれが間違いでも、一番良い形なんだって思っちゃったらもう止まらない。 遠慮とか謙遜もそういうことだと思うの」

安心、確かにそれは俺の人生の指標に近い概念だとは思う。
独りであれば揺るがす物はなく、揺るがされることはなし。
ただ佇むだけで済むのならこれ以上楽な生き方もない。
そこがどんな不毛の大地だろうと、落ち着くことさえ出来れば良い。

〝激しい喜びはいらない、そのかわり深い絶望もない〟
そんな植物の心のような人生を求めた男は猟奇殺人の犯人だったけれど。

「きっとヒッキーくんにとってはそれが謙遜で、結衣にとっては遠慮なのね。 それが行き過ぎても独りじゃ引き返せないから、笑って間違いへ進んでしまうんじゃないかしら」

「笑って、ですか」

「そう、結衣が酷いこと言ってたのよ~? ヒッキーは偶に笑い方がキモい!って」

予想はしてたがひっでぇなあいつ!
きっと一字一句違ってないんだろう……キモいって便利な言葉だなー本当になー。

「……で、そんな風に笑っている時は大抵傷付いてる時だって。 結衣もね、間違うときは大抵笑ってたのよ? その後落ち込んだり泣きそうになったり……ヒッキー君も見たことあるんじゃない?」

「それは、確かに」

俺が傷付いていたかどうかは別に、あいつの笑顔に馬鹿っぽさが無い……らしくなく儚げな時、
あいつはあいつなりの考えで動いていたと思う。
由比ヶ浜は基本馬鹿だから、どんな問題も自分だけで動けば何とかなると思っている節がある。
自分が爆弾を抱えて遠ざかれば皆の命は助かると、後の事なんて考えないで実行してしまう。

自分を省みない人間を馬鹿と言うならあいつは大馬鹿者なんだ。
残された人間がどんな後悔に苛まれるかも知らずに。

「でも、あいつは人望あって、俺とは」

「ううん、人の多い少ないは関係なしに、自分勝手で誰かを心配させてたらそれは同じことなの」

同じ……なのだろうか。

俺のやり方では本当の意味で誰かを救うことは出来ない、そう言われたことはある。
己の価値を知れと言われたこともある。
だが何処まで行って何処まで考えても自分は陰の中の比企谷八幡で、あいつは光の中の由比ヶ浜結衣だ。
それを割切って一緒に居て、それでも尚居場所の違いを今でも痛感しているのに、それが同じとは思えない。
それとも、そう思いたくないだけなのか。

俺の傷は俺だけの勲章で、由比ヶ浜の傷は皆の悲嘆だと、そんな状況を俺だけ都合が良いと望んでいるのか。


「ヒッキーくんだってこれまで十何年生きてきて、感じたこととか考えたこと、色んな経験があって今のヒッキーくんになってるんだと思う。 だからああしろとかこうなれなんて言わないけど、何かあったら結衣にちゃんと言って、二人で考えて欲しいの……どんなに深い仲でも、言わないと分からないことってあるから」

……その言葉を聞いて、二人の姿がピッタリ重なった。
由比ヶ浜結衣は目の前の女性の分け身なのだと、当たり前の事実をこれ以上なく実感した。

言わなければ分からない、だから話し合って分かりたい。
それが比ヶ浜結衣の在り方。不確かな物を怖がって、だからこそ大切な人を分かりたい。
話し合えば、言葉を尽くせば分かり合える。彼女らしい前向きな信念。

「……でも言葉にすれば必ず分かり合えるってわけじゃないでしょう」

俺は真逆だ。
言葉にしたからって分かり合えるわけじゃない。言葉の裏を読もうと、真実を何時までも疑い続ける。
数式や科学的に解ける事象でなければ正答正着なんて概念はなく、
俺は揺らぎやすい言葉に寄らない関係性を求めた。

だから俺達は対極だった。
互いに不確かな物を怖れて、分かりたいのは同じでも、俺の求める本物はあいつにとって空虚な妄想で、
あいつの求める本物は俺にとっては猜疑の対象でしかない。
それでもお互いに歩み寄って、似合いやしないのに互いの本物を信じようとして空回った。

あいつが悲嘆に暮れたとき、俺の尽くした言葉と行動は、結局何処まで信じて貰えたのだろうか。
もう何度同じ場所、同じ思考をループすればいいのだろうか。

「俺は、もっと確かなものが欲しいって、そう思って……」

怖い。
感情、心、言葉。
全てあやふやで、全てが怖い。
変わっていく自分の心すら、怖かった。


「……うん、不確かな物は怖いわよね、おばさんだって未だにそう思うもの。 でもね……」

目の前の女性はそんな俺の怖じ気に一度は同意してみせ、そして、

「きっと誰かとの関係に、ハッキリした答えなんてないと思うの」

キッパリと、その拠り所を否定した。

〝ドスン〟

鳩尾に真っ直ぐ拳を受けたような衝撃。
けれど息が止まるようなその感覚は錯覚ではない。

ママさんは、俺のかつての理想……未だに捨てきれない夢の残滓を叩き砕いた。
信頼する人間に自分の論旨、自分の一部を否定された事実は、重かった。

だが、一度はキリッと整えた表情を即座に崩し、

「でもね、そんなおばさんの意見も信じなくていいの、だってハッキリした答えなんてないんだから」

笑顔でトンでもないことを口にした。

〝ガタン〟

本気で脱力して額がテーブルに衝突し、痛撃と共にテーブル上の食器をカタリ揺らした。


「あらあらヒッキーくん、大丈夫~?」

「だ、大丈夫です……いや、でも、えー……?」

平時と変わらぬぽわぽわ笑顔であらあらまぁまぁと心配を寄越す彼女の様子が……なんというか、もう処置無し。
めぐりん先輩宜しく、ほんわか天然という城砦を前に小市民は常に無力なのだった。

「なんか、色々シリアスに話し合ったの全部台無しになりましたよ、それ」

「ん~、でもそういうものだし……結局は何を信じたいか、誰を信じたいかって話に落ち着いちゃうもの。 好きって感情は、きっと信じたいって想いと同じだから」

「……想い、ですか」

「そう、信じたいから好きになるのか、好きだから信じたくなるのか……どっちが先かは分からないけど、でもそういうものだと思うの。 おばさんにとっては結衣と、特にパパがそんな感じだし~」

頬に手を当て過去最大のほんわか具合で笑ってみせるママさん。
これは分かるぞ、惚気の前兆だな! 断固辞退するッ!
しかし娘にファブ(リーズぶっかけ)られるパパさんも奥さんから見ればまた違うもんなのか、それとも思い出補正?




しかし、信じたい想いか。



「……自分の想いそのものを疑ってしまう人間は、どうすればいいんですかね?」

行き着くのは結局其処だ。

由比ヶ浜を好きで、離れられないと思っている俺の気持ち。
それが隣人愛異性愛からではなく、単なる自己愛の発露から生まれたのではないか。
薄汚い自己保身を他者愛に偽装し、ハリボテを煌びやかに見せて形骸化した関係を持続させる欺瞞。
もしそうであれば、俺の行き着きたい場所は何処なのか。こんな俺が何処に辿り着けるのか。

「自分のことを信じられないのに、誰かと一緒にいるなんて……誰かを信じるなんて、嘘でしょう」

分かっている。ハッキリした答えがないなら、こんな問いにも意味が無いことは。
自分を信用していないなら他者へのそれに意味は無く、そんな人間の心からの信頼なんて狂信者の盲信と同じだ。
だから卑屈を冷静と言い換えている俺にとっては信頼できる人間の言ですら揚げ足取りの対象でしかない。

いっそのことそんな俺の間違いを生温い優しさや同情じゃなく、圧倒的な力で轢殺して欲しかった。
自分を信じられないなら、せめてその間違いを俺が信じたまま砕いて欲しかった。
さっき俺の本物を砕かれたとき、そのまま俺自身まで一気に潰し殺してくれれば楽になれたのに――。


「それってヒッキーくんのこと?」

「……否定はしません」

「う~ん、でも結局は信じるしかないんじゃないかしら? 誰かより先に、自分のことを」

「それは簡単なことじゃないんです、それが出来ない奴だって」

そう、俺のように。
何処までも粘着質に食い下がる俺にママさんはまた頬に手を当て、

「そうね~……ヒッキーくんは結衣のことが好き?」

唐突に爆弾を投下してきた。
小柄な少年や太った男もかくやというほどメガトン。
というかこの人は何度奇襲強襲仕掛けてくるんだ……。

「そ、それは、今関係ないんじゃ……」

「それが関係あるのよ~。 ね、結衣のこと好き? 好きなんでしょ?」

身を乗り出してくるママさんから異性の甘い芳香が。
視界の何割かを埋めん勢いで強調される上半身の膨らみが! こっちもツァーリでボンバ!
また頭クラクラしてきたじゃねぇか、マズいだろこれ……。


「す、すす……好意的には、思ってますけど……」

目を逸らしどもりにどもってなんとかそれだけ捻り出す。
つか目を合わせたままこんなん絶対無理だから。あと多分目線下行く。バレたら唐突な死。

「うんうん、じゃあそんなヒッキーくんの大好きな結衣は良い娘だと思う?」

なんかちょっと追加されてるんですけど……いやそうだけどね、大好きだけどね?

「い、良い娘……というか、良い奴だってさっき言いましたよね?」

「そうね、ヒッキーくんが大好きな結衣はとっても良い娘……じゃあそんな風に思う自分は信じられてるじゃない?」

「へ?」

……何言ってんのこの人。

「い、いや、その判断が信用出来るかって話であって……」

「じゃあ結衣は悪い娘だってこと?」

「そ、それはないですけど、それとは関係なくてですね」

「関係あるわよぉ? 自分のことを信じてないって言ってるのに、結衣が悪い娘だってとこは直ぐに否定しちゃったじゃない」

「それは、客観的な情報の蓄積で……」


言いながらそれがただの言い訳であることを実感する。
そもそも自分の主観から人や社会の在り方を一方的に断じて唾を吐いていた俺が客観性など口にしていいものではない。
そんな俺の欺瞞をママさんは優しく除けていく。

「その情報の信じてるのはヒッキーくん自身なんだから、それは自分を信じていないと出来ないことだっておばさんは思うな~」

「それは……」

「それともヒッキーくんは、自分が間違っていることを信じたいのかしらぁ?」

……どうなのだろう。
かつて患った悲観は世界を有り様に捉えたつもりで、結局は自分が間違っていない根拠にしたかっただけなのかもしれない。
その癖正しい連中からそれを疑問視されれば、平気で自分が間違っているとした上で問答し、行動した。
……ここまで露骨なダブルスタンダードもそうあるまい。
多数派の都合の良さを批判しながら、己の見解はその都合の良さを下敷きにしていたのだから。

それでも、そんな歪んだ自分を抱えたまま進んできた俺は結局自分が可愛かったのだろうか。
間違っている自分を、それでも信じたかったのだろうか。
信じたいということが好意とイコールで繋がっているとしたら。
俺は、俺自身を。


「もう一度聞くけど、ヒッキーくんは結衣のこと、好きなのよね?」

「……はい」

ギリギリ搾り出した俺の呻くような返答に、ママさんは満足そうにニッコリと笑った。

「うん、結衣だってヒッキーくんのこと大好きよぉ……だから、好きな人の信じる自分を信じてあげて」

娘と同じ、花開くような暖色の笑顔で。

「あいつの信じる、俺……」

その時、ふといけ好かない男のことを思い出した。
周りから期待される自分を演じて己の望みも本心も押し殺していた、
きっと今もそのままの忌まわしいヒーローの姿を。
ただ周囲の信で縛られ動けなかった八方美人は何故俺を、俺なんかを特別に嫌っていたのだろうか?

……その解を今ここで得た気がする。
本当は気付いていたことだったかもしれないが、認めることが出来た……かもしれない。

それを自覚すると火が付いた。心に、それを満たす燃料に。
元々燃えやすく(色んな意味で)炎上には定評のある俺である。
火はあっという間に燃え広がって、赤壁宜しく水面を炎で埋め尽くした。

火は人間の行動の最も根源的な原動力で、切っ掛けだ。
良くも悪くも俺はそれを痛い程知っている。

炎の余熱は膝の靱帯を暖め、立ち上がらせる力になった。


「……すんません、用事を思い出したんでもう行きます」

「あら、そうなの? ごめんね~引き留めちゃって……それに説教臭くて、歳取っちゃったかしら?」

「いえ、寧ろ目が醒めたんで有り難かったです。 それに思い出したというか、出来たって方が正しいと思うんで……えと、会計は」

「大丈夫よ、ここは私が払っておくから」

「え、いや、悪いですよ」

「いいのいいの、こういう時は目上の人を立てて上げるのが若者の仕事なんだから」

「でも……」

「う~ん……じゃあこれは貸しってことにしておくから、何時か返して頂戴?」

「何時かって」

「何時かは何時か、別にそのままお金じゃなくて別の形でもいいから……ね」

別の形……彼女から期待されている形なんて、考えるまでもない。
そもそも用事の内容だってきっとバレてるだろうから、そこに思考を割く必要もないだろう。
俺自身も今〝そう〟やって返して行けたらと思っているのだから。


「……分かりました、御馳走になります」

「うんうん、若い子はやっぱり素直なのが可愛いわね~」

それは逆に素直じゃない捻くれた俺は可愛くなかったってことかしら。まぁ事実だけど。
でも素直になったところで可愛いどころかキモいのが俺クオリティ。

「……それじゃあ、今日は有り難う御座いました」

「私の方こそありがとうね、話し相手になってくれて。 また相手してくれるとおばさん嬉しいかなぁ……あ、お返しはデートでもいいかも」

「え、や、その……か、考えておきます」

「や~んヒッキーくん本当に可愛い~」

頬に手を当て身体をくねらせ笑う彼女の姿が、その、堪えがたい……最後まで心臓に悪い人だな。
でも絶対に嫌いになれないし、なりたくない。
多分由比ヶ浜や雪ノ下、小町の次くらいには。

「それじゃあ早く行ってあげて。 きっと相手も待ってるから」

最後の暖かい微笑みに礼で返すと、背を向けて出口へ向かった。
ドアを押したときに鳴った鈴の音は、決意と衝動に満ちた俺を祝福しているように聞こえた。
……自意識過剰だな、我ながら。


店を出ると即座にスマホを取り出し、足は駅に向けつつメールを打つ。
メール相手がいない……じゃない、少ない。いないんじゃなくて少ないんだよ。
ともかく同年代と比べてメール経験値が少ないし、伝えたい内容が内容だから打ったり消したり十数分、
駅に着く頃には結局最低限に短く纏まった内容を見返し震える指で送信する。
相手は勿論由比ヶ浜結衣だ。

返信は一分もしない内に返ってきて、幾度のやり取りを経て待ち合わせを約束した。
三浦と海老名さんには悪いことをしたか――少しだけ罪悪感の痛みを感じつつも
その程度で止まれない胸中の熱を意識した。
胸に手を当てると、熱に当てられ早くなった鼓動が伝わってくる。

……今の俺は多分暴走している。湧き出た情動に揺らされ、その衝動のままに動いている。
それはやれるだけの過ちを黒歴史に刻み込んだ俺と同じで、それをこそ俺は封印してきた。

でも過程で俺は間違えたけど、きっとその衝動は間違ってはいなかったのだ。
ただ堪え性が無く、また少しの傷でそれを引っ込めてしまうくらいに臆病だっただけ。

俺は結局、誰かを想う俺自身を信じ切れなかった。
それを揶揄した連中が正しかったとは今でも思わない。
だが俺が俺自身の気持ちを信じ貫くことが出来ていれば、成就こそしないでも状況は違っていたかも知れない。


だが、それを後悔もしない。
バタフライエフェクト宜しく俺の心境に差が出来れば、きっと俺は今この場に立っていなかっただろう。
それは由比ヶ浜と俺の縁が繋がらなかった可能性を意味していて、それだけは御免だった。

だから、それを伝えに行こう。

俺が俺自身を信じたいこと、その想いがあってこそ由比ヶ浜結衣が好きなのだと。
本当はもっとずっと前に言わなければならなかったか、或いは伝えるまでもない前提なのかもしれない。
けれど今それを伝えたい。俺自身の気持ちを知って欲しい。
俺はこうでもしないと自発的に想いを口に出来ないだろうから。



『今だよ比企谷』


『今なんだ』



凛々しくも優しい声音で告げられた恩師の言葉が脳裏を過ぎる。
そう、今なんだ。
かつて何処にいて、これから何処へ向かうべきなのか、そんなものどうでもいい。
今この瞬間に沸いてくる己の気持ちを伝えたかった。

そうして初めて、由比ヶ浜結衣と真に向かい合ったと己を誇れるのだろう。
そう信じたい。

ホームで電車を待ちながら、俺は沸き立つ心の熱量を両手の握力に変えた。

ヒキタニ呼びはもうヒッキーのパーソナリティみたいなもんだから――


ごめんなさい嘘です単にギャグの味付け程度にしか考えてませんどうも>>1です

今日の夕方から夜くらいに投下出来るかもしれません
期待せずお待ち下さい

極道ガンダムの流れに震えを隠せません、どうも>>1です

21~22時頃投下予定です
期待せずお待ち下さい

どうも>>1です、遅れて申し訳ありません
投下開始します

以上で本日の投下は終了です、お付き合いありがとうございました。

そして次回、ようやくエロいシーン突入です。

あと珍しく質問なんて来てたので回答をば


他作者の作品ですが、基本そこまで熱心には漁ってないので参考にはならないかもですが

現行なら 結衣「おかえり、ヒッキー」八幡「……いつまでヒッキーって呼ぶんだ」
過去作なら 由比ケ浜結衣「馬鹿にしすぎだからぁ!」
が好き

特に後者は自分がSSを書こうと思った切っ掛けになった作品です
大袈裟かもしれませんが、二次SS特有の軽妙さと楽しさを存分に描きつつも
さり気ない上手さや博識さもあって随分と唸らされました

ガハマさん好きで未読の方には是非ともオススメしたいところ

ようこそGraf Zeppelin、どうも>>1です。
取り敢えず導入部だけは完成したので突発的ですが投下します。


〝サァ、サァ〟

水の飛沫の連続する音が聞こえる。

しかしその音は壁と硝子、何より暴走気味な俺の心音に阻まれて現実感が伴わない。

夢心地。
今まさに俺は夢を見ているのではないか……そう疑ってしまいたくなる状況。

俺は、少なくとも二年前までの俺はこんな所には生涯来ることはあるまいと思っていた。
一年前の俺でも異次元別世界の城という印象は拭えなかったろう。

それが今はどうだ。
二人用のベッドに腰かける俺は、スマホで必死に男女の営みについて情報収集に勤しんでいる。
隣に投げ出されたコンビニのビニール袋には二人分のお茶ペットボトルと
連なる薄ゴム何枚かを収める小さな箱。

そして音を隔てる壁の向こうには一糸纏わぬ想い人。


悪い夢……とは言えなかろうが、そうなってしまう可能性は十分にあり、
天国と地獄の二つに分かたれた道の幻視が疲弊し尽くした筈の心臓にガソリンをぶちまけた。
シチュエーションとしては三月下旬の俺の部屋と似ているが、
そこに至る心の有り様は、少なくとも俺にとっては別物だった。


満ち足りたい。


幸せになりたい。


迂闊な変化のもたらすそれらとの断絶……膨大な悲観はそのままに、
未来への期待が胸の中で膨らんで思考の容量は破裂寸前。

ラブホテルの一室に大学生が二人。

そんなありふれた筈のシチュエーションは、再スタートしたばかりの俺達に
どんな結末をもたらすのだろうか。




『女なんて皆石地蔵wwwあんあん言ってても全部演技だからwww』


えー。


『男が思ってる以上に女ってエロい。ナニしても感じてくれる』


うーん。


『ぶっちゃけオナニーの方が気持ち良い』


マジで?


『女陰最強。中出しとか気が狂うレベル』


マジで!?


『最強なのは衆道。アレ知ったら女になんて戻れない』


マジかよッッ!!!


……と、一頻り眺めては見たもののなんかどれも嘘臭い。

そもこんな土壇場で匿名掲示板の自称経験者達の意見なんてどれだけ信用したものかって話。
それでも裸一貫・未知の領域で溺れる俺は藁でも掴みたい心境だった。


ある偉人は言った。

「賢者は歴史に学ぶ、愚者は経験に学ぶ」と。

歴史とは客観情報の集積であり、経験はあくまで主観。
故に先人の知識に肖ろうと思えば客観をこそ信用すべし、ということだ。

つまり痛々しい黒歴史を反省したつもりでただ厭世的になっていた俺は
正しく愚者だったというわけだ。全く持ってその通り。
スゲェぜ鉄血先生!

だからこそこうして主観客観問わず情報の洪水である掲示板群を覗いて見たわけだが、
その情報を判別するのもまた俺という主観でしかない……そんな現実を思い知った。

ネットの海は広大だ。
内包する情報を歴史という信用できる単位に編纂するにはまだ時間を要するだろう。
さしあたっては『ネットで分かるHow to SEX』の完成が待たれるところだ。
編纂はよ。



そんな何時も通りの愚考の中、一つの単語がどうしても気になってしまう

セックス。

俺はこれから、由比ヶ浜とセックスをする……のだろうか?
やはり実感が湧かない。
更に言えば「どうにか回避できないか?」と未だに情けないことを考えている自分もいる。

由比ヶ浜とセックスしたくない、なんてことは断じてない。
寧ろしたい。したくて堪らない。
俺の記憶の深くに由比ヶ浜との一時を刻み、由比ヶ浜の純潔を俺の色で穢したい。
極近い未来の展望を考えているだけの今でさえギチギチに張り詰めているくらいだ。

だからこそ怖い。
これほどのパトスを、男性として未熟で至らない己が御しきれるか自信がない。

自分を信じたいと言った。
信じようと誓った。
だがそれはあくまで言葉や決意表明であって、
言えば忽ち強くなるような魔法や呪文ではない。


更に己を御しきれず暴走気味に由比ヶ浜へフェラさせたのが記憶に新しい。

あれほど抗いがたい感触と欲求の先へ進もうというのだ、
今の俺ではレベルが足りないのではないか。
レベル不足の無謀なボス戦の果てに待つのは何か。
再戦はおろかコンティニューすら許されない、
問答無用のゲームオーバーではないのか。


だがここで断り逃げ出す選択肢はない。それは分かっている。

それを選んでしまえば戦いの機会すらなくバッドエンドだ。
俺は本物の狼少年になって大切な人と約束を喪い、己自身の矜持すら守れず、
幸福という境界へ浮かび上がることは二度となくなるだろう。


だからもう、ここは覚悟を決めるしかない。それも分かっている。

なのに不安と悲観は勢いを止めず、それでも期待と楽観も負けず勢力を強め、
俺の脳内心中は濁流さながらに荒れ狂っていっそ統制を放棄してしまいたいくらいだった。


結局スマホでの情報収集は精々『セックス時の男の子のマナー』程度に留まった。
その確認だけでも充分有意義ではあったが身の程知らずにも女の子を喜ばせるテクニック、
決定打を欲していた俺の心を安心させるには至らなかった。


役目を終えたスマホを放り出し、改めて部屋の中を見渡す。

中は意外な程に普通で、いかがわしい空気は感じられない。
それこそビジネスホテルの二人部屋と言われれば納得してしまいそうなくらい。

だが設備諸々はビジネスホテルの範疇ではなく寧ろ少しだけリッチな感じもする。
所々「そういう気遣い」が行き届いてはいたが、それでもただのホテルの一室という空気感は
俺の心を多少なりとも落ち着けてくれていた。落ち着けて濁流なんだけど。

由比ヶ浜と一緒にホテル街へ向かった時、あれやこれと姿を現すお城や館に目が回ったが、
流石にいきなりそんな中世ファンタジーに足を踏み入れる勇気なんぞ無かった。

結局は外装の色だけおピンクなホテルを選んだわけだが、これは正解だったかもしれない。
これでお城選んで、中身が正にSIMPLEシリーズ・THE ラブホテルって感じだったら失神してたかも。


……あの時、由比ヶ浜の要求は完全に予想外だった。

ここ一ヶ月で二度、由比ヶ浜は俺と男女の繋がりを求めてきた。
形も機会もちぐはぐで決定的な形にはならなかったが、それでも彼女にも性の意識があると、
そんな風に認識していた筈なのに。
俺はまともな回答も出来ず、半ば流されるようにコンビニで必要な物を買って今ここにいる。

ついでにシャワーまで先に貰って済ませた。
頭バシャバシャ濡らしてドライヤーまで使った。
バスローブか浴衣のような寝間着部屋着も用意されていたが、
わざわざ着るのも変に緊張して結局は着てきたシャツとズボンに納まった。

いずれ避けられぬ事態ならば、男の俺が甲斐性を見せるべきだったろうか?
理想としてはそうなのだろうが、それでも今の俺にそれが出来るかと言われれば……。


人生万事塞翁が馬。

なるようにしかならないならば流れに身を任せていいのでは?
しかし昨日の今日で全てを割り切れるほど俺は子供でも大人でもない。

ケセラセラ。
ケセラセラ。
俺の人生を操ってきた神か悪魔がそんな風に笑ってる……気がする。


そして、悶々懊悩とした俺の内面など関係無く水の音が止んだ。

それだけで心臓ごと身体がハネた。
もう逃げられない、そう告げられた気がした。
痛いくらいに勢いを増す血流と心音を感じながら、ただその時を待つしかなかった。

やがてシャワーを終えた由比ヶ浜が姿を現し、視認した俺の時は停まった。


「お、おまたせ……」


バスローブとか浴衣、じゃない。

バスタオル一枚、身体に巻き付けただけだった。


「…………」


言葉が出ない。
濡れたばかりの柔肌なんて目には毒でしかないのに、それを隠す布の面積はあまりに小さい。

根本近くまで覗く太股。

隠しきれず零れそうな胸の谷間。

上気した肌の色と殊更赤く染まる頬。

そして濡れた髪は、いつものお団子を解いて肩まで真っ直ぐ伸びていた。

元より童顔な由比ヶ浜だが、何時もはその髪型が彼女の少女性を象徴しているように見えていた。
それが解かれて、濡れて、由比ヶ浜は『女』になっていた。
童顔はそのままに肉の質感を強く持つ身体とその髪のギャップで、今度こそ俺は打ちのめされた。
……魅力と凶器は、紙一重だ。


「……あ、あんまり見ないでよ」

由比ヶ浜の一言で我に返るが、それへの返しは、

「――お前は何を言っているんだ」

の一語だ。

「そ、そんな恰好で、お前……見られない、とでも、思ってたのかよ」

「そう、かな……あたし、そんなに自分の……自信、ないし」

「お前は何を言っているんだ」

思わず突っ込みが一字違わずリピートした。
そんな立派なメロンとお肉があって「この村に名産品はありません」とか通るわけねぇだろ!
今すぐむしゃぶりつきたいくらいだわ!

「えと、この後のこと、か、考えたら、あんまり着ない方がいいのかなって、思ったんだけど」

「あ、そ、そう……」

はじめての前にもじもじし出す俺の彼女が可愛すぎる件について。
……ただのリア充じゃねぇか、売れねぇなこのタイトル。

しかし由比ヶ浜の肌を見るのは初めてではないのに、これほど動揺してしまうなんて。
理性の分析などお構いなしに、本能は脳の記憶野に無理矢理スペースを確保し撮影録画を開始する。
REC●
求む4K画質。


「……あの、ドライヤー使って良い?」

「え、あ、や、ど、どーぞ」

俺の視線に気付く……のは当たり前で、その強さに耐えきれなくなったか由比ヶ浜は身を抱くようにしながら言った。
そんな仕草がより雌性の気配を濃厚にさせるのだが、当の由比ヶ浜は気付いていないだろう。
何故だかそれを悟らせたくなくて動揺し、俺の返答はどもりまくりのキモ返しになっていた。
しにたい。



由比ヶ浜は当然のように俺の隣に、しかもかなり近くに座るとドライヤーで髪を乾かし始めた。
ぶおーん、という馴染みの風音と温風の余波が俺の身体にも届いてくる。
風は由比ヶ浜の髪の香りを際立たせ、鼻腔に運ばれては俺の中身を掻き乱す。

チラリと横を見やれば、顔を赤くしたまま髪を乾かす由比ヶ浜の横顔。
女性らしい身体の凹凸も確認出来る。

……グルグル回る心と頭はそろそろ限界で、ショートして機能停止しそうだ。

このまま陰陽の思考の渦に呑まれたまま停滞するなら、
いっそ何も考えず由比ヶ浜に抱きつきたい。
何もかも捨てて、何もかも奪ってしまいたい。
何より由比ヶ浜自身もそれを望んでいるのではないか。

そろそろ黒煙でも上げそうな過負荷を感じながらも、ドライヤーの音が止んだ。
いよいよ状況は動き出す、動き出してしまう。
もう言い訳の逃げ場が残っていない。
彼女が望んでこの場はあって、ならば後は俺が望むだけでスイッチは入る。


男と生まれたからには何より待望の体験を、それでも怖れる心が止まらない。
由比ヶ浜が女である以上その体験にはどうしても苦痛が伴うからだ。

『はじめてなのに、大好きな人とだから気持ち良くなってしまう』

そんな都合の良い展開のエロ漫画やらで自慰に耽った経験はある。
だが今はその時よりも強く、そんなご都合主義をと願ってしまう。

どんなことであっても、もう由比ヶ浜を傷付けたくなんかないのに――。


「ヒッキー」

気が付くと俯いていた俺は、腕に感じた柔らかさで正気に戻った。

先程の公園の時のように、由比ヶ浜が俺の腕に抱きついていた。
しかし感じる熱と柔感はその時の比ではない。
一瞬、理性も意識も飛びかけた。

「ヒッキーがなに考えてるか、わかるよ」

停止しかけた俺の顔を由比ヶ浜は見上げてくる。
目が合う。
濁りのない瞳、緊張を隠さない赤い顔。
可愛いとか綺麗とか、そんな陳腐な表現では全く足りない。


そして、


「でも、もう遅いんだよ……あたしはヒッキーにたくさん傷付けられて、ボロボロだから」


由比ヶ浜のこの言葉が、オーバーヒート寸前の心臓の上に特大の杭を打ち付けた。


ただ優しいだけの人間なんていない。
それは由比ヶ浜ですらそうなのだと、とっくに知っていたのに。
そんな彼女の優しさに甘えて、俺がその心にどれだけの非道を繰り返してきたのか。
……恨まれて当然なのだ、本来は。

「……すまん、本当に」

「今更謝ったって遅いよーだ……それにボロボロだけど、それが結果じゃないんだってあたしも信じてるから、だから、ヒッキーとホテルに行きたいって、あたしの、は、はじめてを、もらって欲しいって思ったんだよ?」

「でも俺はまだ、お前の、しょ、処女、を、受け取れる資格なんて」

「資格なんて要らないよ、大事なのはどう受け取るか次第ってヒッキーが言ったんじゃん」

「でも、でもだ、俺は、今更でも、またお前のこと傷付けるのかって、そう考えたら……」



「ヒッキー」


強く、綺麗な声。

優しいだけじゃない。
ズルいところも弱いところも持っている由比ヶ浜の、それでも強くて綺麗な一面。
やはり顔を赤くしたままで、それでも真っ直ぐ俺を見据えて、言う。

「あたしのことはいいの、ヒッキーがどうしたいか……聞かせてよ」

そして、腕に抱きつく力を強めた。

「俺が、俺、は……」


柔らかい。


暖かい。


愛おしい。


愛おしいんだよ。


だから、


「俺は……ゆ、由比ヶ浜と、お前と、シたい。 俺もはじめてはお前が良い……寧ろ、お前以外となんて、シたくない。 お前だけと、セックスしたい」



もう、そう言うしかない。

結局ギリギリまで追い詰められて、促されて、それでようやく言い出せた。
情けない、男らしさなんて欠片も無い。

でも、言えた。
情けなくて男らしくない俺が、そう言うことが出来たんだ。

言ってしまえばもう枷は軽くて、疲れた神経は瞬時に漲り下半身の充血をこれ以上なく意識した。

「うん、あたしも……ヒッキーと、シたい」

そして由比ヶ浜が微笑む。

「女の子は、最初はどうしたって痛いって聞くもん。 だから、はじめては、本当に好きな人とって……ヒッキーとなら、痛くたって良いって本気で思って――」

……由比ヶ浜の言葉は、本当に男冥利に尽きる。
今でさえそうだと言うのに、更に頭を振って、

「……ううん、大好きな人がくれるものだから、寧ろ、どんなものだって欲しいよ」

またも爆弾を投下する。



「だからね、ヒッキー……あたしに痛いの、ちょうだい?」



――言葉が、それを聞く俺の心が、爆ぜた。

爆発の勢いのまま、俺は由比ヶ浜を一度引き剥がすとベッドへと押し倒した。

以上で本日の投下は終了です、お付き合いありがとうございました。

次回から本当に本番ですが、前述の通り時間がかかりそうです。

・行くぜ目標一週間
・頑張れ及第二週間

くらいを目安に期待せずお待ち下さい。

どうも>>1です、これから投下を開始します。
予想通り結構な量になってしまったので時間がかかりそうです。
どうか最後までお付き合い下さい。




寝床の上で女の子を組み敷いている。

そんな状況に対する感慨を抱く間もなく、勢いのまま由比ヶ浜の顔に己の顔を近付けた。

「あ……」

俺の意図を悟ったのか、由比ヶ浜は眼を閉じた。
その対応は正解だ。
俺の方は目を開けたまま、唇を寄せる。

寄せた唇はやがて触れ合い、キスになった。

「ん……」

触れ合った瞬間ピクリと反応する。
強ばる身体と、少しだけ硬くなる表情。

目を開けたままのキス、マナー違反かもしれないが守る気も起きない。
過去何度かのキスの経験で分かったことがあるから。

瞳を閉じてキスを待つ由比ヶ浜。

触れた瞬間の反応。

全て可愛くて、愛おしくて、どうしてもその姿を目に焼き付けておきたくなる。
こんな姿を見てしまえば視覚情報をカットするなど勿体なくて出来やしない
つまり目隠しプレイは俺には無理だな、うん。


今回もキス顔の由比ヶ浜は気が狂いそうになるくらい可愛くて、
加えて唇の柔らかさや温もり、吐息や香り、
何よりセックスという状況が俺からブレーキを奪った。

右足と左足、どっちもアクセル。どう足掻いても加速するしかない。
加速した俺はキスの先が欲しくて、閉じた唇を僅かに開いた。

〝由比ヶ浜に、挿れたい〟

ぬるり舌を伸ばして、由比ヶ浜の唇の間に差し込んだ。

「んむッ!?」

由比ヶ浜はビクッと反応する。
無理もない。だが止まれない。

そのまま唇を超えて閉じられた歯を舌先でなぞる。
硬質な感触の先に閉じ込められた物を求めて、歯を舌でノックする。

トントン、トントン。

出ておいで、出ておいで。

一緒に遊ぼう――。


が、

「むんむぐ……ぷはッ、ちょちょちょっと待って、待ってヒッキー!」

強ばった由比ヶ浜が文字通り力を生んで、密着した顔や身体は押されて引き離される。

遊びたいのに、何故――なんて思う間もなく、熱くなった頭に冷や水ぶっかけられて正気に戻った。

や、やっちまったーッ!
警戒してた筈なのに注意してた筈なのにいきなりやらかしたァーッ!

「あ……ご、ごめ……」

反射的に口にした謝罪がまともな言葉なってない。
自分でも信じられないくらい声が震えてる。
心臓は一気に収縮し、顔もきっと血の気が引いて青ざめてる。

リードと自分勝手は違う……さっき確認したマナーにもそれっぽいこと書いてあったろうに。
ダメだ、現実はクソゲーだからセーブできないし残機ないし勿論コンティニューもない。

ああ、終わっちまった……さよなら大人の八幡くん、おいでませ魔法使いの八幡さん。


冗談めかした思考を混ぜつつも本気で絶望する俺に、それでも由比ヶ浜は、

「あ、ご、ごめんヒッキー! ちょっとビックリしただけだから、そ、そんな顔しないで……」

そんな風に言ってくれる。

「気ィ使わなくていいよ、やっぱ俺最低だ……」

異性の同僚の病室でそいつオカズにシコシコし出すナイーブな少年パイロットくらいには最低認定。
いっそ一思いに殺してくれ。介錯オナシャス。

「そんなこと言わないでよ……そ、そんなにしたかった? べろちゅー」

……べろちゅーってお前。
でもそんな可愛らしさとも今日でお別れなんだな。さよなら大好きな人。

「……したかった、です。 でも望みは絶たれました、ごめんなさい」

「だからもう、言ったじゃんビックリしただけって……それに、あ、あたしも、シてみたいし、シよ?」

「え、いいの?」

マジで? 許されんの俺?
希望が見えると元気になるなぁ兄弟!
精神的にも局所的にもなゲッハッハ!


「うん、だから何かシたい時は、ちゃんと言ってね? わかんないからさ、あたし」

「……サーセンした、以後気を付けます」

目と目が合う瞬間シたいと気付いた、みたいのはダメみたいッスね。
シたいことは言わなきゃ……クッソ照れるだろうし恥ずかしいけど。

言わなきゃ分からないこともある。
彼女の言葉で、在り方の表明。

俺は逆に言葉に依らず伝わってほしいと思ってしまうけど、
それは互いに追々擦り合わせていくものなのだろう。

そうして互いの在り方が一つになれれば、
それは想像を超えた素晴らしいモノ……本物に、俺達はなれる。

妥協なんて結局捉え方の一つでしかない。
互いに歩み寄って出来た新しい形が自分だけの望み以上にならないと誰が決めた?
一人では地面に転がる悲観が限界でも、二人なら想像を超えた新しい光が空に見えてくる筈だ。
分からないけど、きっと。

何はともあれ今は現実に集中だ。
そうだ、キスしよう。

「じゃ、じゃあ、いいか?」

「う、うん、どーぞ」


そうして再び由比ヶ浜は目を閉じた。キス顔カワイイヤッター!

しかしお互いにどもって緊張して硬くなって、初々しさがなんかそれっぽい。
何時もの俺達って感じなのか……そう思えば緊張は和らぎ自然に動けるような気がする。

さっきよりは幾分柔らかいスピードや心持ちで、俺達は再び唇を合わせた。

「んッ」

再び喉を鳴らす由比ヶ浜。
感触はさっきよりも硬い。先に待つ物を思えば緊張は仕方無かろう。
でもそこをフォローすることは出来ない。
だから緊張より先に幸福や快楽があると信じて、俺は再び舌を挿し入れた。

「むン……ッ」

柔らかな唇を超え、再び歯にぶつかる。
今度は開かれているものの入り口はせまく奥まで入り込むのは厳しそうだ。

まだ拒まれてる?と考えてしまうが、舌だって口内の機関としては中々のサイズ。
小柄な由比ヶ浜の口中に男性の舌は大きすぎるのかもしれない。
しかし今度は扉が開かれていて、中から出て来た由比ヶ浜の舌が俺の舌先に触れた。


「んぅ……」

おずおずただ触ってきただけで、仕掛けてきた由比ヶ浜がピクリと反応する。
ちょんちょん、ちょんちょんと小さなヒット&アウェイを繰り返す。
未知に怯えて、でも知りたくて、付かず離れずを繰り返す気持ちは俺にも分かる。

しかしそんな様子が可愛くて、
触れてくる粘膜の感触をもっともっと知りたいと思ってしまう。
だから小突いてくる由比ヶ浜の舌を待ち構え、俺の舌で一気に絡め取った。

「んむッッ」

さっきとは比にならない劇的な反応で、一気に由比ヶ浜の全身が強ばる。
でも止めない、逃がさない。
絡めたまま舌を動かし、こねくり回すようにその柔らかさを味わう。

「んッ、ぅッ、んんッ、むぅッ」

絡む度、由比ヶ浜の身体に電流が走ったような反応。
けれど舌は緊張の硬さが次第に解れて、なされるがままに蹂躙されていく。

随分入念に歯を磨いたのだろう、
歯磨き粉の清涼感が由比ヶ浜の口内や唾液から伝ってくる。
俺も随分磨いたからお相子だな。というか磨いといて良かった……。


「むは、はむ、はふ、んん……」

暫く絡み合っていると、由比ヶ浜の身体から緊張が消えていく。
断続的な大きなショックはピクピクと小さな震えに代わり、
何時の間にか俺の背中に回されシャツを握る手を除き身体は完全に脱力していた。

変わらず開いたままの俺の目は、
薄開きの目蓋で熱に浮かされたような表情の由比ヶ浜を捉える。

伝えきれない気持ちを伝えるのに一番簡単で特別なキスというコミュニケーション。
それが今は簡素さを濃密さに変えて、
これでもかというほど刺激的な性接触に変わっていた。

〝ちゅるちゅる、ぴちゃぴちゃ〟

「うぶ、うぅ……ん、んれ、んぇ、ぇふう……」

〝じゅるじゅる、じゅるり〟

互いの唾液が混じり合うくぐもった音が、内側からの振動を通して鼓膜へ至る。

俺が由比ヶ浜の上に覆い被さるようにしている為、
俺の唾液が由比ヶ浜の口内に流し込まれるような形になっている。
俺に唾液を流し込まれ、溺れ、恍惚と受け入れる由比ヶ浜。
そんな構図を想像しては頭も下半身も発熱し、どうしようもなく興奮する。


キス、凄い。

べろちゅー、ヤバイ。

キスの力は一年前から分かっていたつもりだが、甘かった。
抱き締めて、触れ合うだけのキスをして、
それだけで交際の経験値を内心誇っていた俺は完全に井の中の蛙だった。

自分の感覚も相手の感触も全て混ぜ合って尚足りないような、こんな。
そうして俺の頭も甘く痺れて、自他の境界が曖昧になっていく。

……それはただキスの力ってだけじゃなく、もっと切実な理由もあって直ぐ顕在化した。

息。

苦しい。

「むぐ、むぅぅ……ふ、ぷはッ!」

快楽と苦痛の天秤は生命の危機を察知し一気に苦痛へ傾き、勢いをつけてガバッと離れる。
長く長く、どれほどの時間続けていたかも分からない長いキスから解放された。

「ひー、ひぃー……」

「はふ、はふ……」

互いにぜぇぜぇ肩で息をしている。

何も全く呼吸出来なかったわけじゃないが、
互いの呼吸器を至近距離で過度に興奮するようなことしてたんだから
単純に摂取する酸素量が減るのは自明なわけで。そりゃチアノーゼ気味にもなる。

人体の明らかな設計ミス、神の意表を突く行為――柳、お湯。


キスする時は鼻呼吸、とかどっかで聞いたような気がするけど
初のディープキスでそこまで意識出来るかよ。

あんな脳の奥の奥まで痺れて壊れてしまいそうな行為の中で、
何処まで正常な思考を保てるものか。

息も落ち着いてきて、由比ヶ浜はどうなっているかと視線を下げる。
これで顔色青紫でマジチアノーゼってたらどうしよう。
酸素マスクはラブホテルに備え付けてありますかね?

そんな悪い予想に反し、由比ヶ浜は何時ものキス後顔よりも緩んだ顔をしていた。

いや緩いという表現で正しいのか分からない。
エロいとか、やらしいとか、そう言えばいいのか。

目の焦点が合わず、はぁはぁと荒い息を繰り返し胸や腹が上下する。
顔は勿論赤く、半開きの唇の周りには自分のものか、
俺のかも分からない唾液でぬらり濡れている。

その顔を認識すると、酸素不足で朦朧としていた意識が一瞬で覚醒する。
酸素吸ってる場合じゃねぇ!と下から突き上げられる。
下半身さん元気ですね……。

その由比ヶ浜も俺の顔を認識したか、

「ひっきぃ……べろちゅぅ、すごいよぉ……」

掠れた声で囁くよう、甘えるように零す。


どくり、心臓が、跳ねる。

最終的には向こうからも絡んできたとはいえ、
殆ど一方的に貪られるような形の接触で恍惚とした顔をする由比ヶ浜。
そんな童貞の妄想のような光景が、どうしようもなく現実だった。

女性優位の体勢だのやり方ってのもあるらしいが、それでも異性間の身体構造や筋力差を鑑みれば
雄性が雌性を組み敷くのが人間という種のスタンダードな性交渉だ。

そして俺が今この場の雄、由比ヶ浜がこの場の雌だと考えればもうブレーキはおろか障害物すらない。
寧ろ障害物を取り除いていこう、そう決めた。
差し当たっての障害は目前にある。

「その、いいか? タオル、取っても」

隠すことで扇情される、ということはある。
だが今はただ由比ヶ浜の肌を見たい。
隠すもののない、純正純粋な由比ヶ浜結衣の身体を、見たい。

「あ、う、うん、いいけど……ヒッキーも、脱いで?」

……由比ヶ浜も、純正純粋な俺の身体が、見たい?
エロ漫画とか薄い本知識だと相手だけ脱がして竿役は着衣って結構あるから意外というか、
流石にこの場で二次エロを当て嵌め行動するのは死亡フラグとして露骨過ぎだから踏まないけどね?

まぁ自分だけってのは恥ずかしいのかもだから、そういうもんなんだろうきっと。


「か、構わんけど、由比ヶ浜も見たいのか?」

俺の裸を。

「うん、見たい。 見せっこしよ?」

あ、今の言葉八幡的にポイント高い。クッソ可愛い。
というかここまでですらポイント高過ぎだから、
終わるまでにどれくらいポイント溜まってるやら。

楽しみなような、怖いような。

「そ、そうか……じゃあ、脱ぐわ」

ということで一旦由比ヶ浜から離れ、もたもたシャツとズボンを脱ぎ捨てた。

他人の前で服を脱ぐなんてのはぼっちにとってはかなりハードルが高いもんで、
これを異性の前で直接、しかもセックスの為……なんて考えたら何時も通りの動作なんて望むべくも無い。

しかもズボン脱いでるときの下半身の引っかかりっぷりったらもう。
改めてテントになってる自分のパンツを見下げては嘆息し、
パンツだけは後にしとこうと再び由比ヶ浜に近づき、覆い被さる。

「わ、わ……これが、ヒッキーの……なんだ」

若干のインターバルで思考や呂律が回復したらしい由比ヶ浜が
ちょっと妖しい感想を口にしてくれた。
変な妄想が逞しくなるし、以前手でシてもらった時の台詞と被ってドキリとする。


「ど、どうなの? 女子的に」

「え、えと……なんかイイ、かも。 キレイだと思う」

キレイ、キレイかー……男的には喜んでいいのかどうか。

別段貧弱貧相なもやしっ子ってわけじゃないと思ってるが、
かといって運動部の連中とでは比較にならない程度が自己評価。

だからキレイ、というのは案外表現として間違ってはいないのかも。
これはぼっちアスリートへの道再び。バレエでも始めようか?
上半身裸の黒タイツでボレロ踊ろう。

「……それじゃあたしも、脱ぐね」

脱ぐというのが正しいかは分からないが、
ともかく由比ヶ浜もまた身を纏う布地に手を掛け、
しゅるり衣擦れと共に抜きさった。

そうして隠すもののない女体が露わになる。

その瞬間を、それこそ電気信号で回路が焼き切れんばかりに脳内へ焼き付けた。

焼き付けた。

焼き付けた。

大事な事は二度、ただのネットスラングを真理を突いた至言と勘違いする。

それほど衝撃的で、それこそ本能からすら心を奪うほどに、


「綺麗だ……」

完全に反射で言葉が漏れ出した。

「そ、そう……かな」

由比ヶ浜の顔は自信なげで、俺から目を逸らすように横を向いていた。
もどかしそうに動く手指は腹の前で組まれ、何を隠すでもない。

自信が無い。
それは姿形に係わらず由比ヶ浜の抱える陰の一つだろう。

誰しも同じような悩みは抱えていようが、
由比ヶ浜はそれを外に漏らしにくい代わりに自責という針で深く刺すことがある。
自分よりも、自分だけ……誰かと繋がることで輝く彼女でさえ逃れ得ない孤独な痛みだ。

だが、そんな由比ヶ浜の内心と関係無くその身体は女性の魅力に溢れている。
寧ろオタク気味な俺の抱く女性への幻想、美しさへの憧憬、その形と限りなく一致するようだった。
少し前に上半身だけならばその裸体を視界に収めていた筈なのに、
それで尚その印象が吹き飛ぶほどの引力を感じる。

大きく膨らんだ乳房と先端を彩る鮮やかな桃色。

なだらかな曲線を描く腰と腹の線。

そして足の根から……。


「あ、やッ、そこは、まだ……!」

俺の視線が下腹へと下がったところで、由比ヶ浜は『そこ』を手で隠した。

「あ、わり……その、つい」

「え、あの、あたしの方こそ、ごめんね?」

「謝んなよ、普通の反応だろ、多分」

仕方が無いところではある、のだろう。
俺だって由比ヶ浜にテントとか本身見られたとき超恥ずかしかったし。悶死。
男の俺ですらそうなのだから、
女性で且つそういう経験の無い由比ヶ浜にとっては更に重いだろう。
暴走するな、COOL、COOL、KOOL。

まぁ『そこ』は後の楽しみにしておくとしてだ。
今はとにかく、由比ヶ浜を褒めよう。
彼女への気遣いでもあるし、胸中に留まる感動を有りの侭吐き出したかった。

「それに、自信持っていいんじゃねぇの? 綺麗だし、その、滅茶苦茶エロいし」

「そ、それって喜んでいいのかな……なんか、やらしくて」

「よし良いこと教えてやる。 男子はな、やらしい女の子が大好きなんだよ」

思春期の男子であれば、一度は美痴女からのセクハラという夢を見る。
実際には痴女とエッチな女の子の間には隔たりがある(らしい)んだけどね、良いんだよ夢なんだから。
非実在青少年が何だ、こっちは非実在痴女だバカヤロウ。


「それも微妙だよ……や、やらしいの? あたし」

「……やらしいというか、何だ。 可愛くて、いじらしくて、なのに綺麗で、エロくて、スゲェ興奮してる」

もう隠すこともない、かつてない大噴火。もとい大興奮状態。
衝動という意味では少し前のアレは異常なレベルだったが、
意志と本能の方向性が合致した今の方が持続的な力は数段強く感じている。
流されるでなく、己の意志で先へ進む。
進みたい。

「だから……触っていいか? お前の身体に」

「……え、えと」

もじもじと言いよどみ迷っている由比ヶ浜の姿も可愛らしくて、仕草が一々扇情的に見えてくる。
このまま襲いかかってしまうか、そんなことも冗談でなく考えてしまう。

何秒かの逡巡を経て由比ヶ浜はキツく目を瞑り、

「やさしく、してね?」

そう囁くように言った。

だからもういい加減にしろ!
俺の中で可愛いがゲシュタルト崩壊するくらいに一々可愛いんだよ!どうしてくれる!
そしてライオンは獲物を可愛い可愛いと愛でながら狩り殺すという……俗説だっけこれ。


ともかくそんな心境、今の俺はプレデターだ。戦闘宇宙人のことではない。
今は一方的に狩ったり殺すでなく、通い合う為にこそ肥大した欲望と力を使いたいと思う。
コントロールせねば。

「じゃあ、始めるから」

開始を宣言すると、目を瞑ったまま由比ヶ浜は無言でコクリと頷いた。

対する俺はゴクリと唾を呑み、由比ヶ浜に向かって手を伸ばす。
伸ばす先は大きく膨らむ丘陵……ではない。

「……ふぇ?」

場所と感触に疑問を覚えたらしい由比ヶ浜が目を開く。

右手は髪を、左手は頬に触れていた。

かなり明るい茶髪だと言うのに、梳いても抵抗なくサラリと流れ甘い香りが立ってくる。
ふっくらとした頬は予想通り見た目通りに柔らかな感触と体温。
それらが春の日溜まりのような彼女の人柄を表しているようで妙に嬉しくなった。

さらさら。

ふにふに。

……なんか癖になりそう。


「あ、あれ、ヒッキー? 触りたいの、そこなの?」

「いや、まずはって思って……こういう機会でもないと触れそうにないし」

「こんな機会でなくても触ればいいじゃん。 他の、か、カップルは、みんなやってるし」

「いや流石に恥ずいだろ、今はちょっと気持ち分かるけど」

言葉通り往来で髪や頬を撫でるバカップル共に唾吐いたこと数多だが、
今は気持ちが分ってしまう。
触れ合いっていいなぁ。一方的だけど。

「……恥ずかしくても、あたしはいつでも触って欲しかったし、触っていいよ?」

「お、おう。 その辺はその、追々な」

由比ヶ浜のストレートな言いぐさに押し負けたのを誤魔化すように再び手を動かす。

「はぅ……」

要求通り触れられるのが嬉しいのか、
由比ヶ浜の吐いた溜め息は幸福の色に満ちていた。
実際俺も女の子の手触り、それが由比ヶ浜結衣のモノを味わえている事実に
かつてない幸福感を抱いていた。

手は髪頬から耳、後頭部と撫でて背中へ下ろす。
そして抱き締める形で密着して自分の頬と由比ヶ浜の頬を擦り合わせた。

「んっ……あは、くすぐったいよー」

仰向けの由比ヶ浜と被さる俺が頬を合わせれば互いの顔は見えない。
しかし伝わってくる頬の寄りと振動、
何よりその声色で由比ヶ浜が笑っているのが分かる。


背中に回した手を肩へ移動しそのまま腕を伝って手指に至る。
頬に負けじと滑らかな肌の手触りもまた病みつきになりそうだ。

指を根から先までスルリ滑らせると
その一本一本を自分の指と組み合い絡ませる。
指に力を込めると、由比ヶ浜の方からも握り返してきた。

「……こ、恋人繋ぎ、はじめてだね」

そういえばそんな名前だったっけ。
そう名付けられると凄く大胆で不遜なことをしている気がしてくる。

だが身体を密着させて手と手を隙間無く絡ませていると、
それだけで心臓の底の方から沸き上がってくるモノがあった。
炎と言うほど熱くないが、それ故に心地よく心身を満たす暖かさ。

以前「スキンシップは共同幻想を続ける為の欺瞞」などと考えたものだが、
今はそう思えない。
ただ触れ合うだけで、俺は本当に由比ヶ浜結衣が好きなんだと確信できるから。
そのくらい分かり易くて、なんでもっと早くこう出来なかったのかと悔やむばかり。

極限状態は抜けつつも高速の一定でトクトク動く心臓を意識する。
俺の身体に圧されて形を変えている柔丘からも、それに負けじと響く振動を感じた。


「……ドキドキしてる?」

「――そうだよ、当たり前じゃん。 ヒッキーもだよね? わかるよ」

そりゃそうだ。
はじめて同士で、裸で、身体をくっつけて、それで鼓動が伝わらないわけ無い。
それで興奮しないわけがない。
何時もは緊張やマイナスの感情で心身を痛めつけるようにしか動かなかった心臓、
その鼓動が今は幸福と歓喜を呼び込んでくれているように感じる。

そして多幸感に満ちた心臓が脳に叫ぶ。

「先へ進め」と。

このまま心地よりぬるま湯に浸かって一時を終えたい欲求もある。
ささやかな温もりを尊ぶ慎ましやかさは農耕民族か儒教的で、
曲がりなりにもその遺伝子と魂を欠片でも継いでいる人種の心は
落ち着くことを善しとし、それを否定することは出来ない。

だが魂と対を為す魄は本能の先にある宴の快楽を求める。

ただ衝動的なだけでなく、魄は魂を飲み込み一つとなって
幸いあれと俺の道行きを祝福していた。
心か身体かではない。
まず身体の欲求を満たし、その隣に心の充足もある。

どちらがどちらを言い訳にするのではない。
どちらも真実だ。

だから、進む。
進もう。

「由比ヶ浜、そろそろ……いいか?」


密着していた身体を離し、それでも至近の距離から目を見つめながら問う。
正直照れっ照れ。うまい!(テーレッテレー)と叫び出したいくらいに照れてる。
だが言わなければ。

「うん、いいよ。 寧ろあたし、ここに来てからずっと心の準備はしてたから……さっきのシャワー中も、ヒッキーが入って来てもいいって思ってたし」

その問いかけに彼女は首肯し、またそんな嬉し恥ずかしなことを言ってくる。

あーもう、一度は落ち着いて自分のペースで行けるって思ってたのに直ぐコレだ。心臓ビクンビクン。
まぁようやく誰かと共に立って歩いて行こうって決めたばかりのヘタレ野郎と、
ずっと恋心を抱えて喜び悲しみ進んできた清純乙女とでは、
現時点で獲得経験値とかレベルだって圧倒的に差があろう。そう思えば仕方無い。

だからもう開き直ってしまえ。

「あ、そ、そう……そ、そーいうのもまた、追々、な」

「また、するの?」

しかしまたもあっさりカウンターを取られて膝下ガクガク。倒れそう。

国内とWBAルールでは1ラウンド3ダウンでKO負けなもんだから
今倒れるわけにはいかんのだ。

「い、嫌か? そうだったら無理強いは――」

「ううん、また、シよ? だから、今は……」

一緒に進もう。
俺を見つめる由比ヶ浜の目からも俺の本心と同じ意志を感じ取った。
錯覚じゃない。
絶対に錯覚なんかじゃない。

ここに至り、言葉ならずとも通じ合う……俺の理想が現実に見えた気がした。


それがどうしようもなく嬉しくて、その勢いのまま、

「――さ、さわる、ぞ」

言葉と同時に両手で由比ヶ浜の乳房に触れた。

「んぅッ」

ビクリ、由比ヶ浜が反応する。

しかしそれを気に掛ける余裕は無かった。

こうして彼女の乳房に触れるのは二度目だが、それでも最初の時は暴走気味な思考と
感情の余波で味わった体験や感覚を朧気にしか覚えていなかった。

だが今は理性と本能の行き先が合致してこの場に臨んでいる。
自意識と目的意識が明瞭、ハッキリとしているのだ。

故に両の指に伝わる柔らかさと温もり、頬の手触りより尚濃厚な〝それ〟の感触は、
指の神経を伝って脳髄に荒れ狂う磁気嵐を巻き起こした。

「う、わ……!」

思わず感嘆の息が漏れる。

柔らかい。
ただ、柔らかい。

皮膚に触れるだけでふるり震える手触り、僅かに力を込めればそれだけで指が沈んで行く。
それほど柔な印象なのに張りのある形を保っていて、
更に奥まで指を沈めていくと手応えも返ってくる。

そして、


「はぁ、ふ、ふ、はふ……」

指を動かす度に短く息を吐く由比ヶ浜の反応が極上のスパイスだった。

ただ触り感触を確かめるだけならそれこそ二の腕でも触っていれば良く、
その内空しさが勝り行為は止まるだろう。
だが今は想い人の感触を味わい、それにより想い人が反応する。

こんなもの、夢中になってしまう。
夢中になるに決まっているじゃないか。

そう思えば、頭は熱くなり衝動のまま両手を動かし、捏ねくり回す。

「あ、あぅ、ひ、ひん、ひぁ……!」

握りしめない程度の力でホールドして、円を描くように動かす。

外側から包み込み内側に寄せて谷を大きくする。

引っ張るように動かし、その伸縮性を目にして驚く。

何をしても反応があり、何をしても予想を超える。
それほどの包容力、物理的な大きさと容量を由比ヶ浜の乳房は持っていた。

所詮経験薄な童貞の思考や想像力なんてさもしいものとは分かっているが、
それでもこちらの入力に応じて如何様にも形を変えるこの乳房は、
悲観的になって以後深くへ封じ込めていた筈の万物への興味・好奇心を呼び起こし、刺激した。


「ふ、ふ、はぁ……ね、ねぇ、んっ、ヒッキー……」

時間の感覚を忘れて夢の世界へ飛び立っていた思考を引き戻したのは由比ヶ浜の声。
暴走だけはするまい、そう固く誓ってこの場に臨んでいた筈なのに
結構危うい領域に足を突っ込んでいた。学習しねぇな俺。

「な、なんだ? 痛かったりしたか?」

「ううん、そんなことないけど……あたしのことじゃなくて、ヒッキーは、どう?」

「どうって」

「あたしの、お、おっぱい、変じゃない?」

……だからさぁ、そういう言い方とか聞き方はさぁ。
何なんだよ本当、何なの。
俺の心臓を蜂の巣にするつもりか。今更だけど。

「……まともかどうか判断出来るような経験ねぇよ、俺だって、は、はじめて、なんだし」

「そ、そうだよね、変なこと聞いて、ごめんね?」

「あ、や、でもな、正直夢中になってたわ。 そのくらいその、ヤバいと、少なくとも俺は思う」

もうちょっと言い様とかあるだろう、とは自分でも思うが、
そんなストレートに睦言の類が出てくるわけもない。俺だし。
ヤバイヤバイヤバイわーマジヤバイわー。

しかし、

「え、あ……ス、スゴイ嬉しいんだけど……どうしよ」

既に赤い由比ヶ浜の顔が、こんな俺のこんな言葉に更に紅潮する。
俺もそういう反応が嬉しいです、嬉しいです……。


「あたしね、今まで胸大きくて良いと思ったことないんだ」

「え、そうなの?」

それを ほこれないなんて とんでもない!

と男の目線からは思うが、女性には女性ならではの悩みもあろう。

「だって重くて肩凝るし、体育のとき揺れて痛むし、そうでなくても女子から変にネタにされたり、やっかまれたり、逆に男子からは変な目で見られたりするし……皆と同じくらいで良かったのに、そういうとこ似なくて良かったのにってママのことちょっと恨んだこともあったよ」

同性の中では突出した個性が嫉妬の対象になり易いだろうし、
異性にとってもその畏敬の出所が性欲なら嬉しい視線にはなりづらかろう。
富める者には富める者なりの悩みや苦労があるのだ。

「でもね、ヒッキーが、あたしのに夢中になったって言ってくれて、そしたら今までの苦労が全部なくなっちゃうくらい嬉しくなって……お、おっきくて良かったって、思っちゃった。 馬鹿で、単純だよね、あたし」

未だその乳房に触れたままの俺の両手の甲に由比ヶ浜は手を合わせた。
手の平と甲が、それぞれ違う柔らかさと暖かさに包まれる。

あー、あーあー。
蜂の巣どころか、終わるまでに破片一つも残ってるか心配になってきたな心臓。


嬉しい。
由比ヶ浜のこんな言葉が、反応が、どうしようもなく嬉しい。

好きだ。
大好きだ。
寧ろこの娘を好きにならないなんて男としてどうかしてる。
由比ヶ浜のこんな一面を知ってしまえばこの世のあらゆる男が恋に落ちるだろう。

だがそれでも、由比ヶ浜結衣をこの世で一番好いているのはこの俺だ。
由比ヶ浜結衣がこの世で一番好いているのはこの俺だ。
ただそれだけで、俺は世界と向かい合える。
これを盲信や勘違いだなんて誰にも言わせない。

想いの丈は瞬時に臨界を越え、声帯を通して一気に出力される。

「好きだ、由比ヶ浜。 お前の身体も、馬鹿で、脳天気で、優しくて、暖かくて、変な所で自虐的になっちまう所も、全部、全部、好きだ。 どうにかなっちまうくらい、好きなんだよ」

言いながら、手の中で勃起していた乳首を指二本で摘み、クリッと転がす。

「ッ!?」

由比ヶ浜の身体が跳ねる。
ここまでで一番大きな反応に興奮は増し、手指の動きは止まらない。
そのまま親指の腹で先端を擦り、ゲームのコントローラーのスティックのように回す。


「い、いきなりは、あぅ! ひ、ひっきー!」

元々性感帯だったのか、それとも昂ぶり高まったタイミングだったからか、
局部への干渉の効果は絶大なようだ。
まだ先や奥がありそうだと思う故に心は逸り、左手を離すとそのまま口を近づけて、

「ひぃっ!?」

乳首を咥え、そのまま舌で舐め上げた。

当たり前だが甘い味などしない。しょっぱい。
そもそも母乳は成分が血液と同じで味も塩と鉄の赤い味だそうだが。

だが今味覚は関係無い。
柔らかさはありつつもコリコリとした独特の感覚を、今度は吸い付きながら口内で味わう。

「あ、あ、あ、あ、あぁあ、うぅ、ぅ、うぁ!」

舌で転がし、吸って白い肌ごと引っ張ったりする度に一々ビクビク反応する由比ヶ浜。
己の力で何かが変わる、そんな認識が清い青少年を中二病やら不良の道へ誘うのだろうが、
今正に俺の行為で、由比ヶ浜は反応する。性的な方向に変わっている。

そんな承認欲求と劣情と愛情が混じり合った魔女鍋が、頭の中でグツグツと煮えたぎっている。
鍋から勢いよく起ち上がる妖しい煙か蒸気がタービンを回す。

止まらない。

止まれるわけがない。


「ひ、ひっきぃ! んひっ! そ、そんなにぃ、んく、しても、で、でないよぉ!」

舌も手も、どんな風に動かしているのかすら埒の外にある俺の耳に由比ヶ浜の悲鳴が届く。
俺が幼児退行で赤ん坊返りでもしたと思ったか、
或いは乳首への執着それ自体の目的を履き違えたか、

そんな由比ヶ浜の誤解すら鍋を炊く燃料にしかならない。
いっそ本当に出るようにしてやろうか、という考えすら頭を過ぎる。

出るようにする為には……そこで互いの下半身を意識し、それでようやく正気に戻った。

……本当に反省がない。こんなの、それこそ前回の再現じゃないか。
ダメなんだよあれじゃ、ダメなんだよこれじゃあ。

口と手を止め離し、身体を上げる。

「あ……わ、悪ぃ、また、俺……」

眼下の由比ヶ浜は先のキスの時と同じ、或いはそれ以上に貪られ、
脱力したまま身体を投げ出していた。
その目に力はなく、為されるが侭のその姿に興奮し、
同時に矢傷とは別の胸の痛みが鋭く走る

「気に、しなくて、いいよぉ……ひっきぃが夢中になってくれて、あたし、うれしいもん……」

生気の薄れた瞳で微笑み放心気味に言ってくれる由比ヶ浜だが、でもそれじゃダメなんだ。
衝動を否定しないでも、ただ衝動の侭に動くだけでは積み上げとは言わない。
ただ一方的に受け取ることが心苦しく、せめて何かを返したいと再び密着し抱き締めた。


「でも、ただ俺だけがってのは、なんか嫌なんだよ。 お前にも何かって思う」

必死に搾り出した俺の言葉への反応を、
由比ヶ浜は俺の背中に力ない腕を回すことで返してきた。

「あたしは、たくさんもらったよ? ひっきぃが、あたしの身体を喜んでくれてるって、それだけで、いっぱい、いっぱい……」

いじらしい彼女の言い様には胸が熱くなる。
だが、それでもただそれを受け入れるわけにはいかない。
由比ヶ浜の言葉を信じないわけではないが、
一歩間違えばただの搾取になりかねないから。

貰った分は返す。
以前彼女が肯定した終わらないお返しの円環、そうでこそありたい。
今、俺が出来うる彼女への貢献やお返しは何があるか。

逡巡し、少しでも可能性の高い行為をと右手を恐る恐る下腹部へと伸ばし――。

「あッ! やッ!」

しかし、臍の下辺りに触れると由比ヶ浜の両手が瞬時に右手を止めた。

「だ、だめだよひっきぃ! そ、そこはまだ、まだだめぇ!」

「え、ダメ、か?」

「う、うぅ、だ、だめなの、まだ、だめ……」


先程までの愛撫で良くも悪くも警戒心や羞恥心は取り除けたものと思っていたのだが、
そうでもなかったか。
しかし幾ら何でも反応が過剰な気もする……。
でも嫌がってるのに無理矢理ってのもなぁ、うーん。

「なんでダメなんだ? まだ怖いか?」

「き、きかないでよぉ……」

眉を寄せて、涙目で回答を拒否する由比ヶ浜。
そんな様子に胸は痛むが、
ああも蕩けていた彼女が一気に緊張した理由を判明させないことには先へ進めない。

……周りから攻めてみるか。

止められた右手はそのままに、左手を足に這わせる。
右手の抑えに注意が割かれていたからか、ただ触れただけでまたも跳ねるように反応した。

「あっ、そ、そっちも!? や、やめてよ、ひくっ、まだ、だっ、だめだからぁっ!」

本格的に泣きそうなのか、しゃくりあげながら警告される。
最悪国境侵犯から強制送還・射殺も覚悟の上の左手芸だが、
少なくとも今〝そう〟するつもりはない。

まず安心させなければ。

「大丈夫だ、その、そっちは触んねぇよ」

言いつつ、膝下から太股までを外からなぞる。

「ひぅっ!」

さっきまでとは違う、ぞわっと来たような反応。
まぁ足なんて普段触られたり触らせたりしないとこだもんなぁ。
それ故か、腕とはまた違う滑らかさ、抵抗感の薄い肌触りがまた興味深い。


「ひ、ひっきぃ……足も、さわりたかったの?」

「足、というか、由比ヶ浜の全部に、触ってみたい」

「あ、あぅ……」

俯いて縮こまる由比ヶ浜さんの姿がね、またね、可愛らしいんですよ本当に。
そんな可愛らしさに煽られ、このまま勢いに任せて
手籠めにしてしまいたいという火種も燻っているが、そこは抑え込む。
ゆっくりと全てを目にし、確かめながら進んでいきたいという気持ちもまた強い欲求だから。

すべすべの足をゆっくり撫で回していると、少しずつ緊張が解れていくのを感じる。
その中で次の機を見定めると左手を由比ヶ浜とシーツの間に滑り込ませる。
即ち、尻。

「え、ひゃぁ!」

うーんこの反応。
淫蕩淫靡なさっきまでのものとはまた違うが、こういう馬鹿っぽい明るさも実に由比ヶ浜。
その由比ヶ浜の臀部の感触は乳房よりも僅かに堅く、厚みのある重量感がまた興味深い。

無意識に、撫で回すより揉み込むことを優先してしまう。

モミモミ。


「わー、わー! ひ、ひっきぃが痴漢になっちゃったよぉ!」

「お前の中じゃ痴漢=尻スキーなのか……」

「うぅ、だって、ひっきぃの手付きが、う、やらしいんだもん……こんなにぎゅって触られたこと、ないけど」

……なんか聞き捨てならない台詞。

「触られたことはあんの?」

「ハ、ハッキリ『痴漢だ!』て感じのはないけど、んっ、女の子は皆そういう経験あるし……」

「よし分かった触った奴殺そう」

「いきなり極端だ!? ハッキリしてないんだから誰かって分かんないよ!?」

「じゃあ今度一緒に電車乗ったときそれっぽい視線向けた奴皆殺しにするか。 痴漢という民族に対するジェノサイドだ、社会正義だ」

「ひ、ひっきぃが今度は怖い人になっちゃった……」

「冗談に決まってんだろ、ジョーダン」

半分は、だけどな。
痴漢被害発覚で割と本気の殺意沸いたのはマジですマジ。

しかし何時も通りな会話の流れが混じったからか、強ばりはもう殆どない。
強引に右手を〝そこ〟へ届かせることも出来るだろうが、まだだめ、だ。
今はまだ暫し流れに身を任せよう。


「それはともかくだ……そういう経験あるってことは、尻触られるのって嫌だったりすんの? だとしたら、謝んなきゃだけど」

だが手を止める気はない、というか止められるかなぁ。
胸のような熱中こそ伴わないが、その分中毒性が高い気がする。
この具体的な手応えが、この、このこの。

「あっ、そ、そんなこと言って、全然止める気、ないじゃんっ、はうっ」

「いやすまん、でもこんなん夢中になるわ。 こんな身体してるお前が悪い」

「ほ、ほんとにひっきぃが痴漢みたいなこと言い出した! ひっ、んくぅ」

「でも、本当に嫌だったらちゃんと言ってくれよ? じゃないと多分止められん」

「い、いやなわけ、ないよ……ハッ、ハッ、ひっきぃに、痴漢されてるって、思ったら、変な気分に、なっちゃう……」

…………だからさぁ、もう省略するしかないくらい同じ感想しか出せねぇよ。
疑似痴漢プレイとかOKなの?
俺自分じゃそんなにアブノーマルな嗜好じゃないと思ってたんだけど、
変な方向にイっちゃいそう。

「変な気分になってんの?」

「な、なってるよ。 べろちゅーのときとか、おっぱい触られてたときとか、今も熱くて、熱くて、あたしの全部が、変になってるの……」

すべてが変になる――いや違うかこの場合。

すべてがHになる――……そういうパロAVとか出る?出そう?

いずれにせよ台無し感ハンパねぇ。


「……全部?」

「うん、全部、ぜんぶ、だよ」

「じゃあ、ここも?」

まだ機が熟したか判断は付かない。
しかし明確な岐路を待ってはそれこそ機を逃すかもしれない……そう思い、
もう抑えの体を為していない由比ヶ浜の両手をすり抜け、右手を下腹部へと滑らせる。

「あ!」

また一気に緊張が走るが、もう遅い。
指先がサワサワと柔らかい感触を捉えた。
陰毛だ。

エロ漫画とか薄い本だと存在そのものを省略されることも多いが、
由比ヶ浜も成熟した女性の身体を持つならば生えているのも当然。少しだけ夢が妄想の形を損なう。
しかしそんな生々しい現実も、今は由比ヶ浜の性を強く意識させる燃料だ。


だが、そんな実感も継いで触れた感触の前に全て吹き飛んだ。


〝にちゃり〟



「え」

指先に触れたのは、濡れた何か。

濡れた陰毛。

濡れた、下腹部。

「ひ、ひっきぃ……だ、だから、だめって、い、いって……ひくッ、うぅ……」

由比ヶ浜は守り通したかった秘密を暴かれ、その顔は更に赤く、
瞬く間に目に涙を溜めていく。

だから〝だめ〟だったのか。
由比ヶ浜はこれを隠したかったのか。

秘密というより、秘蜜。

由比ヶ浜の局部、秘所、陰唇は、触れられる前から濡れていた。

溢れた蜜が入り口に近い部分の陰毛まで濡らすほどに。

「ひ、ひとりで、シてたときだって、こ、こんな、さわってないのに、こんなになる、なんて、なかった、のに……ぅぅ」

中々衝撃的なカミングアウトも混じりつつ、
俺は事態の急変に呆然と――している場合じゃねぇ!

この流れはマジ泣きのアレか!それはマズイマズイそれだきゃあかん!


由比ヶ浜には悪いが、隠そうとしたところに思い至ったとき……興奮した。
同時に嬉しかった。

濡れる濡れないが女性の性的な興奮、また快楽のバロメータだとするなら、
俺は由比ヶ浜を気持ち良くさせることが出来ていたということだ。

女性をアンアン喘がせて上手いの何のと褒められるのなんて童貞男にゃありがちな妄想だが、
言葉が無くともそういう状態になってくれることの達成感と充実感は何にも代え難い。
その相手が誰よりも想う相手であればこそ、今胸に充ちるこの感動は伝えるべきなのだろう。

これは恥ずかしいことでも、汚いことでもない。
それが正常で、きっと幸せに繋がるものなのだと。

間違いによる暴発も覚悟の上で、俺の指は滑る陰毛の先……熱放つ入り口へと至った。

「ッッッ!!?」

また、由比ヶ浜の身体が跳ねた。
言葉にならない衝撃を呼吸で鋭く吐き出す。

女性の最もデリケートな部分に触れる感動は一先ず置いておき、
濡れに濡れて滑る愛液の源泉、その排出口に少しだけ指の先端を潜らせた。

「――――あぁッッ!」


柔らかく、そして濡れている。

幽波紋の名前っぽいが、ただ感じたままの言葉が脳細胞の奥に刻まれる。

今、俺は由比ヶ浜に触れている。
由比ヶ浜結衣の、最も大事な部分に、侵入しているのだ。

そんな事実にカッとなる頭を抑え付け、
割り入れた先端で浅い部分をゆっくりとかき回した。

「や、めッ、ひっきッ、あ、ひ、き、きたな、いッ、からッ……こ、こんな、あ、あたしの、なんてぇ……!」

小さく回す度、びくりびくりと如実に反応する由比ヶ浜。
この反応は悪くない……筈だ。
だから次は自らを堕とす彼女の言葉を否定していく。

「大丈夫、だ、由比ヶ浜……わ、悪いことじゃないだろ、これ」

「う、うそ、だよぉ……ひッ、ひぅ! こ、こんなの、やらしくッて、きたない、よぉ……ッ!」

「さっきも言ったろ、男はやらしい女の子好きだって。 それに、汚くなんて、ないから」

想いが伝わるよう、彼女が自分を許せるよう、静かに言葉を吐き出していく。

同時に浅く動く指が入り口の近く、濡れそぼった突起に、触れる。


「~~~~~~~ッッ!!??」

その反応はこれまでで一番大きく、声にならない声を呻き、身体を弓のように反らした。
ここが陰核だったか。
女性のデリケートゾーン、その中でも特に敏感な部位への接触。
その効果は絶大なようだ。

「その、さ、ぬ、濡らしてるってことは、気持ち良かったんだろ? 俺の、色々」

「わッ、わかんないッ! わかんないぃッ!」

己の感覚を誤魔化したいのか、震えつつもイヤイヤと首を振っている。
だがここは逃がさない。

「分からなくても、由比ヶ浜の身体だってもう大人の女なんだから、気持ち良くなって反応したんだろ、きっと。 そうだったら俺、スゲェ嬉しいよ……さっき由比ヶ浜が自分の身体に夢中になってくれて嬉しいって、それと多分一緒でさ」

ハッとなって顔を上げる由比ヶ浜。
目からはもう悲嘆か快楽の衝撃故か分からないくらい涙が溢れていた。

「その、好きな人に喜んで貰えるのって本当に嬉しくて、だから由比ヶ浜がこれを認めてくれたら、俺達二人で、滅茶苦茶幸せになれると思う……多分」

一旦指を止め、万感の想いを込めて囁く。

自分を優先出来ない、
誰かとかち合った幸せは誰かに譲ってしまう彼女にこそ幸せになって欲しい。

これを快楽だと、受け取って良い幸福なのだと認めてくれたら――。


「いい、の? こんな、あたしで、やらしいあたしで、ほんとにいいの?」

「良いんだよ、良いに決まってる。 俺は由比ヶ浜に幸せになって欲しいし、気持ち良くなって欲しい。 その為なら、俺の持ってる全部、何もかも、使ってやる」

さっきの公園での演説もかくやというほど熱っぽくて恥ずかしいことを言ってしまった。
が、これも本心なれば、一々峻巡している場合ではない。
鉄も言葉も、熱い内に。

「……うん、あ、ありがと、ひっきぃ……あたし、多分、きもちよかったし、今も、すごく、きもち、いいんだと思う。 まだハッキリとは、わかんないけど」

まだ涙を目に溜めて恥ずかしそうに、しかし真っ直ぐ言ってくれる。

性に対しては直情径行な男と違って女性の心身で〝それ〟を認めるのには抵抗もあっただろう。
そういう意味では俺の言葉や行いは彼女の羞恥心や道徳観を無視した酷いものかもしれない。

だが、どんなものであれ彼女の全てを認めて受け入れたい。
そして今由比ヶ浜はその入り口に立ち、
自らの全てをさらけ出しながら俺の差し出す全てを待っている。


そんな現実を目の前にしたら、俺は。

俺は。

「じゃあ、由比ヶ浜……もっともっと、気持ち良く、するから」

「うん、もっともっと、きもちよく、シて……?」

彼女の言葉に頷くと、浅瀬で止まっていた指をゆっくり、深くへと進めて行く。

「――――ぅあッ!」

より強い熱と蠢動、由比ヶ浜の嬌声を感じながら、深部へ辿り着いた指を掻き回した。





――どれほどの時間が経っただろう。

「あ、あふ、ひッ、ひぅ、はっ、はっ、はっ……はぁ!」

膣内を掻く中指のリズムに合わせて由比ヶ浜の身体が跳ね、揺れる。

最早俺の身体やシーツにしがみつく力もないのか、
骨も筋もなくしたようにただ俺の指に為されるがまま生み出される感覚に震え、
漏れ出る喘ぎも空間を桃色の液体が満たしていくような響きを伴い
何処か異次元にでも迷い込んでしまったような錯覚に陥っていた。

時折リズムを崩し、親指で入り口近くの突起を押すと、

「――ぃぎッ!」

なくしたように見えた力で一気に身体を反らし、痛みを堪えているように歯を食いしばる。
陰核への刺激が落ち着き切る前に、再び中指を中で折り曲げ、ストロークを再会する。

「ひぐッ、う、うはぁ、はぅ、うぅ、うぅぅ……んぁ、あ、ぁ、ぁ、ぁあ……」

継続的に与えられる電気と突発的に襲いかかる衝撃に、由比ヶ浜は完全に蕩けきっている。
正直これほど反応してくれるとは思わなかった。


ベッドイン前に確認したマナーうんたらで、
膣内を刺激するなら抜き差し出し入れよりも中の壁を押し擦る感じが良く、
陰核は敏感と言えどその分傷みやすい部位だからあまり執拗に触るものではない――、
そんな情報を仕入れておけたことが幸いだった。

結果由比ヶ浜の身体を(恐らく)痛めつけず、かつ彼女に性感を与えることが出来ている。
なんと素晴らしやネット情報。エロ情報はAVよりエロゲよりネットが一番や!

ともかく、時間感覚が無くなるほどに続く行為に終わり所が見えない。
由比ヶ浜の秘所から漏れ出した愛液は既に陰毛の全体、
股を濡らすまで広がり、刺激する俺の右手もビショビショのドロドロだった。


「あぅ、あぅ、あぅぅ、ぅ、んくッ、くはッ、はぁッ、はぁッ、はぁ――」

俺が、こんな俺が愛しい人に生物として根源的な快楽を与えることが出来ている。
その事実が胸中を満たし、行為を続けたいという欲求にコンマやピリオドを打たせない。
何時までも、永遠にでもこれを続けていたい。

それこそこの先の本番を無かったことにしてもいいと考えてしまうくらい。

俺の陰茎も本能も、入れたい、挿れたいと限界まで膨れ上がっている。
しかし奪う悦びは与える喜びに取って代わられ、衝動は行動に繋がるに至らない。

女性の絶頂がどういう条件でどうやって発生するのかは分からないが、
このままこの刺激でそこまで至れるというならこのまま由比ヶ浜を昇り詰めさせ、
その後由比ヶ浜の愛液で濡れた右手で自分自身を擦り上げればそれだけで互いに性的な充足が得られるだろう。

そこに苦痛はなく、ただ快感だけを得るだけの結果があり何の問題も挟まない。
それこそが理想の結末と言えるのではないか。




そんな思考を呼ぶ充足の根底に、怖じ気があることには気付いている。

分かってるんだよ。



「ッ!? ぁ、あぐッ! んぃ、ぎぃ! ぃう、うぁ! ぁ! あッ!」

自分の中の感情を見て見ぬ振りしようと、陰核を淡く摘み連続で擦って反応を大きくさせる

眉を寄せ、ただ快感に耐える由比ヶ浜の顔。
困っているように見えてもそこには悦楽があり、
ここから先に進めば必然的にそれを失わせることになる。
それどころか伴うのは痛みと苦しみだ。

そんな由比ヶ浜の苦痛と引き換えに、俺は陰茎の快楽と童貞を脱したという満足感を得るだろう。

誰より大切な人の苦しませて、得るのは俺自身の幸福?

ここまで誰よりも由比ヶ浜の心を苦しめてきた俺が、今度は身体を傷付けて気持ち良くなろうって?

なんて巫山戯た話だ。
たとえそれが男女関係の過程に必ずぶつかる壁だとしても、そんなものを認めたくない。
避けられない苦しみなら、俺が得るはずの快楽を失ってもそれの肩代わりをしたい。
けれど俺が男で、由比ヶ浜が女である以上その摂理は曲げられない。


ならば、そこに行き着くまでの代償行為で全て済ませるしかない。
済ませるしかないじゃないか。

幾ら何時間前かに決意したと言っても、
実際吊り橋の前に来て決意が揺らがないかなんて分からない話だ。
俺は結局、二人の幸せの重なる最後の橋の前で動けなくなってしまった。

本当に……言葉なんて、決意なんて、ただ言葉と決意でしかない。
そんなもの、ただの虚だ。

「あ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁあぁああぁ、ぁ……ぁ、ぁぁ……」

ここまでは緩急――中と突起を織り交ざった責めだったが、
今は急に集中したその刺激に由比ヶ浜は耐えられなくなったのだろうか。
全身がヒクヒクと絶え間なく震え始め、口は半開きで涎が垂れている。
喘ぎ声もただ「あ」の大小を連続させるだけ。

天井が近い……のか?

いよいよ逃げ場も選択肢も限られてきて、ならば間違いだとしても進むしかない。
間違いなら間違いでいい、俺自身が決断したことならば。

傷付けない選択肢なんてない。
無意識に浮かび上がってくる何時かの言葉を振り切り、アクセルを限界まで――

「ぁ、ひ、ひっき、ひっきぃ、も、や、やめ、てぇ……と、めて……っ」

――踏み込もうとしたところで、由比ヶ浜が急ブレーキをかけた。
俺にだけ効く、慣性の法則を無視した強力なモノを。


一瞬だけ思考が真っ白に、言葉の意味を悟って再度真っ青に染まって慌てて指を引き抜いた。

「くひッ!」

引き抜きにも刺激が伴ったのだろう、由比ヶ浜は身体をビクリ震わせると鋭く息を吐く。
が、それを気に留める暇なんて無い。

「ど、どうした!? なな、なんかやらかしたか、俺!?」

ここで予想される最悪の状況、
由比ヶ浜の陰部への愛撫自体が快楽ではなく苦痛を伴っていた可能性。
だとすれば最悪にも程がある。

気持ち良くさせるつもりが実際は苦しめていただけで、
そもそも快楽の有無を判断していたのがただ俺の主観だけでしかなかったというのは、
元々ストップ安だった自分の株価の1050年地下行き待ったなし。これはもう死ぬしかない。
○ぬとかしぬ、氏ぬじゃない、本当に死ぬしかない。

最悪ってレベルを超えて本当に犯罪の領域、強姦と同じようなもんだ。
俺が、由比ヶ浜を強姦する、とか。
その場で射殺されて、否、苛烈な拷問の末に殺されたって当たり前で……。

「ち、ちがう、の、きもち、よくって、ほんとうに……へんに、なっちゃいそう、だったから」

しかし肩を上下させて荒く息を吐く由比ヶ浜は、呂律の回らない舌でそう言ってくれる。

あ、そうなの、一安心……どころじゃねぇ、嬉しい。嬉しすぎる。

へんって。

変ってそれ、実際もう天井寸前だったってことじゃ。


「そ、そう……じゃあ、続き」

「え、あ、だか、ら、とめない、と……まだ、つぎ、あるし」

だが、俺の満足感か葛藤など知ったことかと由比ヶ浜は現実を突きつけてきた。

つぎ。

次。

「……それは、いいから、まずお前を」

それでも、と逃げが口に出る。
熟々自分の臆病さに呆れるが、俺が選んだことならば。
間違いでも、選ばされたんじゃなく、俺が、自分で。

「……ひっきぃ、こわいんでしょ?」

――自分で、選んだ?

嘘を吐け。

怖くて、怖くて、選んだ振りをしていた癖に。

由比ヶ浜は、そんな俺の怖じ気を見抜いていた。

当たり前だ。

家の外、とても寒くて恐ろしい世界の中で俺のことを一番見てきたのは……
俺を一番分かっているのは、彼女だから。


「そんなこと、ねぇよ」

「そんなこと、あるよ?……だいじょぶ、あたし、だいじょぶだから」

由比ヶ浜は俺の手を、べとべとに濡れた俺の手を両手で淡く握ると胸の前に持ち上げた。

「ひっきぃがやさしいのも、怖がりなのも、あたし、知ってるから」

由比ヶ浜結衣は比企谷八幡のことを一番知っている。

知っているのに、やさしい?

何の冗談だろうか。

「……俺は優しくなんか、ねぇよ。 言ったじゃねぇか、前に」

「ううん、そんな風に思っちゃうところも含めて、ひっきぃはやさしいの……やさしいのと怖がりなのって、一緒だから」

衝撃――は受けなかった。

だが、呂律の回復しつつある由比ヶ浜のその言葉が、
意味が、鼓膜を通して全身に浸透して行った。

優しさと臆病さは、同じ。


「……あたしね、ずっと、今だってあたし自身はズルくて臆病な酷い子だって思ってる。 でもひっきぃも、ゆきのんも、色んな人があたしのことやさしいって言ってくれて、それはなんでなんだろうって考えたの……それで、ひっきぃとゆきのんのこと思い出して、たぶん、痛いのがつらいってわかってる人が、やさしくなれるんだって。 あたしもつらいのは、怖いから」

俺と雪ノ下と、そして由比ヶ浜。
三者三様、それこそ部活の繋がりがなければ関わり合うことすら無かったろう三人。
そんな三人が何故繋がり、関わり、あんな結末を迎えなければならなかったのか。

それぞれが対極に位置していても、その根底が酷似していたからではないか。
痛みを怖れて逃げ出して、それで行き着いた場所が離れていただけだ。
だから身近になって無視出来なくなった互いの痛みを避けようとして、全員が擦れ違った。

痛みを知るから、それを味わいたくない、味わわせたくないと誰かに優しくなる。
それが間違いなのだとしても。

……そういうことではないのか。

「……ひっきぃがあたしのこと気遣ってくれてるって、わかるよ。 あたしのこと好きだから、痛くさせたくない、怖がらせたくないって……嫌われたくないって思ってくれてるんだよね?」

ズバリ言い当てられる。

痛ませたくない。
苦しめたくない。

……本当は、その先にある嫌悪をこそ何より怖れている。


離れて欲しくない、一緒に居たい。
だから、間違いでもその思いの下に直進する。してしまう。
結果として、離れるようなことになったとしても。

ママさんの言っていたことを、それこそ心で理解出来た。

一年前、涙ながらに望みを捨てようとした由比ヶ浜のことも。

「でもね、だいじょぶなんだよ。 怖くても、辛くても、痛いのちょうだいって、言ったよ? 今更そんなくらいじゃ、あたしはひっきぃから離れないし、嫌いになったりしない……だからね」

顔はまだ赤く染まって、上下する胸の早さは残った疲労や余韻の大きさを示している。

けれど俺を見上げる彼女の目は、とても綺麗に澄み渡って。

「ヒッキーのを、痛いのを、あたしの一番奥に……ちゃんと、頂戴?」

――果報だ。

俺なんかには、本当に過ぎた幸福で、幸運だ。

由比ヶ浜結衣と知り合えたことが。
由比ヶ浜結衣と想い合えていることが。

今の俺の行動、思考、指針……何もかもの根源になり代わるくらい。
それを怪しいとも、危険だとも考えられないくらいに。

「……分かった。 由比ヶ浜と……本当に、最後まで、するよ」


「うん」

最後の最後まで促されて導かれて行為に及ぶ情けない俺に、それでも優しく微笑み頷いてくれる。

この想いを、本当に奥の奥まで届けたい。

今は無理でも、奥まで届けた想いでお互いが遜色ない等価の幸せを何時か得られるように。

「じゃ、じゃあ、ゴム、付けるから」

そう言って一旦由比ヶ浜から身体を離すと、ビニール袋の中にある小さな箱を取り出した。

箱を開けると出て来る銀紙の連なった四角。これが近藤さん……。
思春期の男子なら話の弾みに興味本位で買うこともあるだろうが、
ぼっち故に猥談の一つも出来なかった俺には初めて目にする避妊具。
なんか妙に感動。

しかしそれに浸っている暇はない。
幾ら由比ヶ浜を頂点スレスレまで昂ぶらせたと言っても、高まった熱は経過で冷えていくのが必然。
エントロピー増大則、宇宙は熱的死を迎える……で、良いのかどうか。
そもそも俺理系じゃないし、魔法少女を騙す詐欺師からの受け売りみたいなもんだし。

ともあれ一枚を千切って開封すると、濡れてもないのにヌルっとした質感のあるゴムが出てくる。
しかし今度は感動する時間は己に与えず、手早く装着する。

……本当は手早く装着できず手間取りまくって
その後ろ姿を見つめる由比ヶ浜にフフッと笑われてしまったのだが。
恥ずか死。


そうして再び由比ヶ浜の上に覆い被さる。
薄いゴム一枚纏ってはいるが、今度の俺はパンツも履いていない。
お互い裸で、向かい合っている。

「えと、それじゃあ……」

ゴムに包まれた陰茎の位置を合わせる……のだが。

「あ、あれ?」

何処が〝そう〟なのか、見失っている。

流れに任せて始めてしまったから灯りは付いている。
だが由比ヶ浜の陰部に目をやるのは今更ながら照れるし、
由比ヶ浜自身も恥ずかしがりそうなので山勘で何とかしようとするがどうにも。
溢れた淫液でつるつる滑るし、入り口の場所も特定できない。

ヤッベェ滅茶苦茶焦る。さっきのゴムといい俺格好悪過ぎィ!

「ん、ヒッキー……ちょっと、待って」

俺の焦りを見て取ったのか、由比ヶ浜は手を下に伸ばすと、俺のモノを優しく掴んだ。

「うぁ……!」

ゴムの上からとはいえ、予想外の感触に背筋が震える。
しかし由比ヶ浜の手はそれ以上刺激することなく、陰唇まで先端を導いてくれる。


「んぅッ」

先端の、本当に先っぽの部分だけが入り口に呑まれた。
それだけで由比ヶ浜は喘ぎ、俺もそれだけで感じる熱さに震えた。

「ここ、だよ……」

「あ、す、すまん」

視線を下に向ける体で恥ずかしそうに顔を伏せる由比ヶ浜。
そんな彼女の態度が愛おしく、また己の醜態に恥ずかしくなる俺。

そんなでも、これから始まるのか。

これから俺のモノを由比ヶ浜の奥へと挿し込み入れる。

由比ヶ浜と、セックスを、する。

「――行くぞ」

「うん、来て……」

多分怖いくらいに緊張しているだろう俺の顔。
でも優しく微笑んで迎えてくれる由比ヶ浜。

覚悟なんて今も決まらないけど、もう止まれやしない。
今は苦痛も過程と信じ、後の結果で全てが報われると信じる。


そして錯綜し混じり合う想いはそのままに、腰を押し出した。



「ンぃッ……!」

由比ヶ浜の顔が歪み、身体が一気に強ばる。

対して突き出し呑み込まれていく俺自身は、その熱さと柔らかさに脊椎から脳髄まで一気に焼かれた。

これが。

これが、由比ヶ浜の、中。

「ぅぐッ! ぃ、ぃいぎ……!」

歯を食いしばる由比ヶ浜の軋みを、それでも気に留められる余裕が無い。

漫画やらで表現されるようなキツさや徹底的に外敵を拒む密閉感は感じず、
その気になれば一息で根本まで、奥まで侵入できそうだった。

だが、熱い。

一枚のスキンを介しているとはいえ、由比ヶ浜の体温を直に感じる。

その温もりを伝えてくる肉に包まれていく。

期待したものと違う、だが想像を超える感触に脳内の何もかもが消し飛んでいく。

これが、これに、全部、包まれたら――。


「ゆ、いが、はま……ッ!」

我慢なんて出来なかった。

劣情に突き動かされ、腰を突き動かす。

奥の奥まで、一気に。

〝ぐにゅり〟

音無き音が、聞こえた気がした。

「ぃい、あ、か、はッ……!」

貫かれた衝撃に、由比ヶ浜の顔は今度こそ苦痛に歪んで息を吐いた。
肺腑の中身を全て吐き出そうとするような短くて強い息。

だが、由比ヶ浜の身体を気遣う思考が安定しない。
根本まで埋まった肉棒が味わう〝はじめて〟が頭も身体も感情も全てを掻き乱している。

「ぅ、う、ぁあ、こ、れ……!」

刺激で言えば、握った方が強い。
生々しさで言えば、口の中が濃い。
だがそれらがただ一瞬や一時の快感でしかないことを思い知った。

感覚の逃げ場がない。
包まれて密着する生暖かくい柔らかさは、こちらの意志や力加減とは無関係に性感を与えてくる。

そして中にある限りその性感は一切外に逃げず、ただ昂ぶり、高まっていくしかない。
このまま動かずにいるだけでもいずれ射精してしまいそうな気すらしてくる。


そして感じるのは身体の快感だけでなく、心の器も暖かいもので満ちていく。
入っているのは身体のほんの一部だけなのに、
自分の何もかもを受け入れられて包み込まれるような錯覚。

内側から沸き上がって止まらない、郷愁のように胸を突く感傷。

これが交合。

生殖。

由比ヶ浜の、中。

気持ち良くて、嬉しくて、温かくて、申し訳無くて、乱れに乱れた内側は更に混沌を極めていく。


ああ。

なにか。

なにかが、あふれて――。


「ひ、っきぃ……?」

暴走する何かに文字通り我を忘れていた自分を現実に引き戻したのは由比ヶ浜。
その声色には色濃い戸惑いがあった。

「……どうして、泣いてるの?」


「え……?」

泣いている、誰が?

由比ヶ浜のことじゃないのか。
現に彼女の目尻には苦痛に耐えた結果か、大粒の水滴が浮いている。

だがそうじゃなくて、俺?
俺が、何故?

指を伸ばして自分の頬に触れる。

温かい。

温かい湿り。

ああ、本当に泣いている。

「え……? 俺、お、れ……?」

乱れていた意識と感覚がハッキリとして、ここで改めて自分が泣いていることに気が付いた。

そしてそれが崩れかけた堤防を切るスイッチで、後はもう止めどなく涙が溢れてきた。
掻き乱された胸中が痛みで纏まり、その痛みが更なる落涙を誘発する。

……バッカじゃねーの、俺。


「ど、したの、ぅく、ひっきぃ……あたしの、変だった? い、たい、の?」

今泣いたりしたら、由比ヶ浜はこんな風に言うって分かってる筈だろうに。
由比ヶ浜の顔を歪ませている原因はただ破瓜の痛みだけじゃない、
己の不手際・不能を自分で責めている。

「痛くなんか、ねぇよ……気持ち良すぎて、どうにかなっちまいそうなくらい、いい……ッ」

由比ヶ浜の心配を止めたい一心でのフォローだが、嘘じゃない。本当にどうにかなりそうだ。

……どうにかなった結果がキモさ爆発の泣き顔ってわけかよ、笑えねぇ。

そもそも泣きたいのは痛みしか感じていないだろう由比ヶ浜の方で、
この上ない快楽を享受している俺の方が泣き出すとか、何なんだ。

「じゃあ、なんッ、で、泣いて……」

なんで、なんでだ。
まるで自然と溢れ出るように流れ落ちた涙の源泉は何処だ。

それを探る為に心の中に潜って、直ぐ原因は見つかった。

何のことはない、何時だって強く深く感じていたことだ。


「……俺、お前とこんな風になれるなんて、想像もしてなかった」

ぽつり、零し始める。
熟考の後に整然と語り始めるものでなく、衝動に駆られた行き当たりばったりの放言。
ただ感じたまま思ったままが声帯を通して出力されていく。止まらない。

「前は専業主夫になりたいって割とマジで考えてたけど、それは将来の生活の為であって、主夫として愛する誰かを支えたい……家を守りたいなんて思ってもなかった」

それは結局傷付かず生きていく為の方便。
温かな閉所に籠もって外界との接触を必要最低限まで断てば楽に生きられる。
それは一片の真実で、今でも否定しようのない魅力的な選択肢だ。

だがそれは合理的であっても感情の一切を慮外に置いた愚考で、それが今なら分かる。
如何にも堪えがたい痛みと、何にも代え難い温もりがそれを証明している。

「だから主夫として認められても愛情とか、ましてやセックスなんて望むべくもなくて……こんな俺が今更誰かの愛情なんて得られないし、こんな俺の愛情なんて迷惑なだけ、だから専業主夫とか言って真っ当になれない理由だけ探して、それで」

人はパンのみにて生くる者に非ず。

伝わる言葉の意味は誤用であっても、それもまた真理だ。
生きていれば誰だって腹は減り、それが身体の不足と言うなら同様に心も飢える。
それぞれの充足が互いの助力となっても根本の隙間が埋まるわけじゃない。

専業主夫という義務のみを果たすだけだった俺の指針は、それを意識していただろうか?
腹さえ満ちれば心は餓えても良い、そんな覚悟をしていただろうか?

……あり得るか、愚か者め。


「それでも……お前と、お前に、こうやって迎えられて、俺の、全部ッ、受け入れられて……あったかいって、気持ちいいって、それで、む、むねの中、ぐちゃぐちゃに、もう、わけわかんねぇ……と、止まんねぇよ、もう……!」

剥き出しの芯を守っていた理屈の囲いはボロボロで、
中を満たしていた汚水は残らず蒸発した。

洗いざらいを吐き出して、残るのは裸の心。
どこまでもどこまでも、ひたすら弱い魂の恥部だけ。

身体は粘膜の快楽に、心は受容の暖かさに包まれてただただ悲鳴を上げる。
今の自分が嬉しいのか、悲しいのかすら分からず、ただ情動に任せて泣くしかなかった。

格好悪い、情けない、みっともない。
彼女との初体験で泣き出す男とか何なんだ。
たとえ見せかけだけだとしも、
誠意を示し安心させなければならない立場の筈だ、俺は。

本当に惨めで、こんな、こんな男が、由比ヶ浜を、その純潔を、本当に――。

「ひっきぃ」

不意に、引き寄せられた。

涙に濡れた顔面が柔らかいものに包まれ、由比ヶ浜に抱き寄せられたことに気付いた。


「ッッ!!!」

体勢の変位は必然的に密着した互いの粘膜が擦過することを意味して、
新たな刺激に俺も由比ヶ浜も悶絶した。
それぞれ出所は正反対なのだが。

身を走る感覚の余韻を抑え付けながら、胸に埋められた顔を上げて由比ヶ浜を見やる。

「――いいんだよ、ひっきぃ」

彼女も、泣いていた。

だがそれでも微笑んでいた。

「弱いとこ、ちゃんと見せてくれた……それでいいんだよ、それがいいの」

そして放たれた言葉が、感謝が、俺の剥き身の心を包み込んだ。

「……なんだよ、男の情けないとこ見る趣味でもあんのかよ、お前」

「そんなんじゃないよ……あたしね、今すごくうれしいんだ。 身体も心も、ひっきぃとピッタリくっついてるの、感じられたから……あたしがひっきぃのいちばん近くにいるの、わかったから」

そうして微笑みは笑みに、彼女はえへへと何時ものように笑って見せた。
眉は涙と苦痛の余波で八の字に歪み、瞳から涙を零しても、
何時もの日溜まりがそこにはあった。

誰もが欲して止まない、人の心の太陽が。


「ひっきぃはいつも強がって、痛くないように、傷付けないように、一人でいて……あたしじゃ隣にはいられないって思ってたこともあって、だから、うれしいよ」

「……違う、過大評価だ。 俺は、そんな」

「違わないよ。 隣にはいられなくても、ひっきぃの優しさだけは、誰よりもわかってるつもりで……ずっと、ずっと見てたから、だから、だからね……?」

それ以上は言葉にならないのか、由比ヶ浜は両手で顔を鼻まで覆って嗚咽を漏らし始めた。

俺は誰よりも自分を客観し、理解して進んできたつもりだった。
けれど人間、本当は自分のことだって碌に分からない。

そうでなきゃ医者の苦労なんて今ほどではないし、
誤解による擦れ違いだってもっと少なくなる筈だ。

卑屈で逃げ腰な俺を、彼女は優しいと言う。

弱くてズルいと己を評する彼女を、俺は優しいと感じている。

誰よりも分かっているから大切な人なのか。
大切な人だから誰よりも分かっていたいのか。
そこに答えはないが、それでいい。

今こうして繋がって互いが涙を流すほどの喜びを、嬉しさを感じているということ。
それだけが結果で、真実だから。


「由比ヶ……ゆ、結衣……俺も、俺のほうこそ、ありがとう……受け入れてくれ、好きになってくれて……」

ここで本当にプライドも羞恥心も捨て去った。
もう距離感など知ったことかと、本当に何も挟まず密着したいと、
衝動のままに呼び名を変えた。

もっと、もっと、近づきたい。

裸になってくっつくだけじゃ足りない。
身も心も全て合わせて混ぜ込んで、一つになってしまうくらいに近く。

「あ、な、なまえ……ひっきぃっ……!」

それを受けた由比ヶ浜……否、結衣は手を外して、
更に涙を溢れさせて俺に抱きついてきた。

俺もまた結衣の背中に手を回し、
始まったばかりの時のように頬を合わせて密着した。

涙の熱さを感じながら、それこそ性器まで隙間無く触れ合っている。
身体も心も満ちに満ちて、
童貞にありがちな想像妄想でも及ばないような充足が俺の全てを包んだ。
きっと結衣も同じだ。

傍から見れば、涙を流しながら抱き合い交合う男女なんて滑稽なのだろう。
惨めで情けない傷の舐め合いにしか見えないのかもしれない。

だがそんなもの知った事か。
俺達の為の時間と俺達だけの行為に、俺達の満足感以外は一切が不要だ。
この喜悦こそが人の生きる根源であり活力なのだと心から思う。

俺はきっと、今日という日、この時間の為に生まれてきたんだ――。


暫くは俺も結衣も動かなかった。
涙は止まり、お互いの呼吸音だけが空間に泳いで散っていく。

動きさえしなければ痛みはないのか、
密着した胸から伝わる結衣の心音は落ち着いていた。

対する俺は……さっき感じたとおり、
動かずとも少しずつ絶頂に近づいている実感がある。

だが俺は既にこの場の目的を果たしたような気分になっていて、
いっそ動かぬままイッても良いと思ってしまっている。
どちらにせよ気持ち良くなれるのなら、このままでも……。

「ね、ひっきぃ。 う、動かなくて、いいの?」

しかし由比ヶ浜結衣は正しい選択肢や道筋を見据えている。
頬を離して目を見つめ、おずおずと囁く彼女の声がくすぐったく、
また言葉の示唆するところが嬉しくもある。

だが逆に、やはり俺の選択肢や考えは間違っている。
ここまで来てもより痛ませない過程を経られるなら、
正しくなくともそっちを選びたいと思ってしまう。

「あー、そのな……やっぱり、なるべく、ゆ、結衣を痛がらせたくないな、と」

「うん……ひっきぃの気持ちは嬉しいけど、あたしはちゃんとしてほしいな。 それとも、やっぱりあたしの、その、気持ち良くない?」

「い、いやいや、正直このまま動かないでも出ちまいそうなくらいイイから……だからって、思う、けど」


そしてそんな俺達だから、こんな時でも食い違うし擦れ違う。
想い合っていても重ならず、同じ形にならない。

「……でも、動いた方が気持ち良いんだよね?」

「えー……多分」

「じゃあ、動いてほしい……ひっきぃがもっともっと気持ち良くなってくれたら嬉しいし、ひっきぃの気持ち良くなるとこ、見たいから」

そして照れて直裁に話せない俺と、
ストレートに欲求をぶつけてくる彼女とでは勝敗は明確。

「……じゃあ、分かった。 イクまで、動くぞ」

これからもこうして俺が最後に折れることで停滞を打破し、進んでいくのだろう。
間違った俺と正しい彼女があちらこちらへ行ったり寄ったりしながら、
それでも最後は真っ直ぐに。

それだってきっと幸福なことなのだ。

「う、うん。 たくさん、気持ち良くなって……ね?」

何処までも俺のことばかり気に掛ける彼女の態度が心苦しく、しかし嬉しくもある。
そんな彼女の言葉に押されるように腰を引き、

「ひぐ……ッ!」

そして、また押し込む。


「ッッ!!!」

一瞬、視界が歪んだ。

ゴム越しの感触だというのに、たった一度のグラインドで
溶けかけていた俺の肉棒を完全に溶解させた。
そう錯覚するほどの性感だった。

結衣は一層強く、耐えるように俺の背中にしがみついていた。
声に苦痛が混じるのが避けられないからか、
唇をきゅっと結んで息一つ漏らすまいとしている。
しかし対照的に荒くなる鼻の呼吸が隠しきれない苦しみを表している。

本当にいじらしい。
完全には隠し通せていないところがまた庇護欲をくすぐる。
満ち足りていたはずの心の器が、中から沸騰して荒れ出すのを感じた。

そうして動きは単発から脱し、ピストンへ移る。

〝ぬち、ぬちゅ、ぬちゅ、ぬちゃ、ぬち、ぬち〟

接合部から擦れる度に粘着質な水気を含んだ音を聞く。

「んッ! んッ! んッ! んぅッ! んッ!」

動く度に、口中で消しきれない結衣の喘ぎが低く伝わってくる。

動く度に、擦れ合う結衣の膣壁と逸物の境界が分からなくなっていく。


手淫や口淫と違って、性的な刺激の先に絶頂があるんじゃない。
中にあること自体が性的な刺激で、動くのはただただ射精に至る為だけの儀式だ。
肉棒は精液を吐き出す為の器官で、膣は精液を搾り取る為の器官だと今更ながら確信する。

結衣の方は行為に快楽の伴っていないからそれもまだ一方的でしかない。
だがそれでも今のこの快楽の享受を我慢することなど出来ない。

後はただ結衣の苦痛が少しでも小さく、また早く終わるように。
心は少しでも早く彼女がこの行為で快楽を得られるよう祈り、
身体は本能の赴くまま腰を動かした。

「んぃッ、んくッ! んぅぅッ!」

耳朶から脳を侵していくような低い喘ぎに蕩けながら、
あっという間に昇り詰めていく下半身を意識する。

元々長く中に留まっていたことで昂ぶっていた性感は
動きを得たことであっという間に高まっていく。

もう長くは保たない、後何往復かで絶頂に至る。

気持ち良い。

気持ち良すぎる。

かつてない快感に逸る心は、
行き着くべきゴールを視認すると速度を限界まで上げた。


もっともっと気持ち良くなりたい。

出したい。

たくさん、出したい。

「ゆ、結衣っ! ゆいッ! も、で、出る、でる、イく、いくッ!」

「んぃ、ひっき! ひっきぃッ! い、いって、きもちよく、なって……ッ!」

本当に、最後まで俺のことばかり。

そんな彼女の姿を見せられ聞かせられれば、我慢することも、
また我慢する理由も消えてしまう。

次の瞬間肉棒の肉が消失し、中の管だけが感覚を伝えてきた。

精が、漏れ出る。


「んぐッ、ぉ……ッ!!」

止めどない呻きと共に白濁を吐き出し始める。

精液が外へと抜け出る度に下半身は力を失い、
荒れ狂う快感に為す術なく蹂躙されていく。

「~~~~~~ッッ!!!」

ゴム越しとはいえ射精の度に震える肉棒の感覚を捉えているのか、
結衣はただ俺にしがみついて震えていた。

結衣にしてもらった手淫も、口淫でも、その時の快楽や放出の長さは既知の外だった。
だが今回はそれらと比較しても尚……、
或いは比較なんぞ出来ないほどに脳を焼かれているのか。

走馬燈のように巡る思考や記憶の嵐、それらに実体を与えない性感の渦。

やがてそれらも収まり、残ったのは呼吸を荒くする俺と結衣。
頭と下半身ばかりでなく、上半身すら力を無くしかけていた。

だがまだ、最後にしなければならないことが残っている。
ただ出して終わりなんて勝手過ぎるから、
せめてこの経験の素晴らしさを伝えたかった。


「ひ、っきぃ……あたし、ちゃんと、できた……?」

だが、ここでも先を取ったのは結衣だった。
それも自分の出来不出来を問う言葉。

ああ本当に、彼女は由比ヶ浜結衣だ。

こんな彼女の処女を貰えて、彼女が俺の〝はじめて〟の相手で、本当に良かった。

「ゆ、ゆい……すっげぇ、気持ちよかった」

だから、せめてもの報いにとストレートに伝える。
これが今の彼女に対する最良の返答だと信じて。

「よかった……あたし、ちゃんとできたんだぁ……」

「ああ、だから心配とか、いらねぇから……ありがとな」

「ううん、あたしのほうこそ、ありがと、ひっきぃ……」

互いに感謝を応酬して目を見合わせると、どちらともなく破顔した。

そして自然と顔が近づき、口づけを交わした。

舌は絡ませない、ただ触れるだけを長く、長く。


一つの盛りと流れが切れると心身の溢れんばかりの充足は終わりを告げ、
しかし唇を通して伝わる温もりが虚脱した心身に一つの実感を与えてくれた。

大それた、中二病のそれにも近いような勘違い。



「今の自分達は、世界で最も幸せな二人だ」と。



以上で本日の投下は終了です。
投下しながら「流石に長くし過ぎたか」と反省してました。

次回で三話は終了です。
何とか年内に投下出来たら、と思ってます。

お付き合い有り難う御座いました。

どうも>>1です。三話エピローグ投下します。
今回は流石に短めです。
ではどうぞ。


ホテルを出たら既に宵闇……なんてことはなく、
沈みかけの夕日が目肌を刺してクラッとした。

夕暮れ、黄昏。
カラスが鳴いたら帰ろうという、一抹の寂しさを匂わせる僅かな一時。
淡く胸を締め付けるような橙色の光の中を由比ヶ浜と並んで歩いている。

ホテルを出る前、事が済んだらシャワー浴びて時間ギリギリまでこう、イチャイチャしていた。
手を握ったり、頬や唇を合わせたり、撫でたり、撫でられたり、
具体的な性刺激以外のスキンシップは軒並みやったと思う。

睦言も吐けるだけ吐いた。
もう唾液が水飴の如く、乾燥させたらサッカリンにでもなりそうなくらい甘々。
冗談抜きにこれまでの人生で口にした以上の回数「好き」「愛してる」を伝えた。

暖かで、甘やかで、何にも代え難く満ち足りた時間だった。
しかし大切な時間は何時だって早く過ぎ去って、
ホテル――部屋を出た瞬間から魔法は解けてしまった。

そうして夢から醒めた俺の内側は一つの感情に支配されている。




恥。

恥。恥。

恥恥恥。

恥恥恥恥恥恥恥恥恥恥恥恥恥恥恥。
羞恥羞恥羞恥羞恥羞恥羞恥羞恥恥辱羞恥羞恥羞恥羞恥。


……かように、赤字の弾幕で俺の脳内は埋め尽くされた。

いやだって俺だよ?
比企谷八幡だよ?
女々しさと切なさと心弱さに定評のあるダメ男クズ男の千葉代表だよ?
その俺が好きとか愛してるとか裸で抱き合ったりとか、
あまつさえ脱童貞の感動で噎び泣いたんだよ?

恥。
恥。恥。
恥恥恥。
恥ずか死。
これは恥ずか死ぬ。
要は皮一枚、羞恥によっても人は死ぬのだ。
七丁歩いたらモツが飛び出す勢い。

それだけでなく、こうして二人並んで歩く妙齢の男女、
周囲からは間違いなくカップルと思われているだろう。それがかなりキツい。

一部ではあらあらまぁまぁと微笑ましく、
大部分ではあんなナリ(男の方だけ)でカップルとかプッwwwと嗤われ、
陰からは爆発しろ爆散しろと大量にして強力無比な呪詛を向けられているだろう。
勘違いなんかじゃない、そうだ、そうに決まってる!
窓に!窓に!


睦み合いの光景が僅かでも脳内でフラッシュバックする度、
俺はまたとんでもないことをやらかして、現在進行系でやらかしているのだと、
俺以外の全員にそれが分かっているのだと、
四方から精神の鉛玉をしこたまブチ込まれている気分だった。

よって部屋……はともかくホテル出た瞬間から由比ヶ浜とは一言も喋れていない。
こんな状態で口聞いたらどんなキモどもりや勘違い発言が飛び出すか分かったもんじゃないし。
そして部屋から出た途端に呼び方が下の名前から
上の名前に戻ったことも既に隣の彼女から突っ込まれている。
なんか「むぅ」って膨れちゃったけど。そういうのスゲェ可愛かったけど。

ともあれ愛の城は魔法の城。外に出れば結界の影響は消えてしまう。
賢者とは魔法使いの行き着く先ではなく、
魔法の世界を抜け出て現実を見据えてしまった者のことを言うのだと実感した。
発射した後の冷静さで世界平和とか考えても長続きしないんだよなぁ。

だが今の俺は賢者ではない。
脳も心臓も現実の負荷ですっかり参ってしまっているが、ただ一つ魔法の解けていない部分があった。

俺の右手と由比ヶ浜の左手。

俺達の手は、指は、何を言うでも示すでもなく自然と繋がっていた。

互いの握力が互いの手をホールドして離さない。
ホテルを出る前からずっと、俺達の手は指一本一本を組み合わせた恋人繋ぎのまま。


それこそ脳は数時間、数十分前の己の痴態を思い出しては発狂し、
周囲の視線を意識しては悪い意味で心臓は跳ねに跳ねた。
それでも繋がったままの手は言うことを聞かない……否、離そうだなんて思いもしない。

〝この人の手を離さない。僕の魂ごと離してしまう気がするから〟

昔そんなキャッチフレーズのゲームがあって、正にそんな気持ちだ、

組み合わさって、互いの異なる体温が一つになっている。
今こうして、かつての俺なら一人逃げ出していただろう羞恥から
逃げずにいられるのはこの温もりを失いたくないからだ。

どれだけ歪でも、一度手に入ってしまった物を失わない為に人は間違いを繰り返す。
そんな一般的な情の維持を欺瞞と見下し、
また同じような状況に置かれては誤りに誤った俺が、また失うことを怖れている。

〝人の出会いは一期一会〟

〝本物の繋がりは意識しなくとも続いていくし、そうでない偽物なら維持する必要は無い〟

今は、そんな風には到底考えられない。
どんな関係も、維持しようとしなければ続いていかない。
それを痛い程に思い知ったから。
放って置いても深まっていくのなんて借金か重病くらいのもんだ。


チラと横を見やる。
チラとこちらを見つめていた由比ヶ浜と視線がかち合い、急いで目を反らす。
二人同時に、逆方向に。

由比ヶ浜の方もさっきからずっとこの調子だ。
魔法が解けたのは同じだったのか、ホテルを出てからこっち由比ヶ浜も黙り込んだまま。
でも繋がった手から前向きな感情や気持ちが伝わってくるようで気まずくはない。
少しでも力を緩めると、その分を埋めるかのように向こうの握力が強まるくらいだ。

恥ずかしいが、嬉しい。
手を繋いだままどこまでも、永遠にでも歩いていたいと思う。
だが今俺達が向かう先は由比ヶ浜の家で、手に残った僅かな魔法を消し去りに行くのだ。

始まったものは何時か終わる、だが俺達の関係が一時だけってわけじゃない。
それでもあの時間と明確な断絶を作ってしまうことが惜しかった。


何時までも今日であって欲しかった。

何時までもあの部屋の中にいたかった。

何時までもこの手を繋いでいたかった。

でも、終わってしまう。

これから由比ヶ浜と俺が歩んでいくということは、
こうした喪失と向き合い続けるということなのだろうか。
それは幸せな展望なのだろうが、反面とても寒くて寂しいことだと思えてならない。

由比ヶ浜の温もりと隣に在れる幸福を身に受けながらも、
僅か先の時間にそれを失うことを想像しては
今でさえ裡側に残るネガティブな執着が駄々っ子のようにグズり震え始めるのを感じた。



不意に由比ヶ浜が足を止めた。
見渡せばそこには見覚えがある。
二年前の夏、浴衣の由比ヶ浜と並んで歩いた道だ。

その後の記憶と比べればまだ小さく淡いものだが、
それでも由比ヶ浜の気持ちから逃げた思い出は心臓の棘を軋ませた。

「……ここまででいいから」

由比ヶ浜は小さくそう告げる。
それは魔法を解かす最後の合言葉。
この一言で俺達は切り離され、特別な時間は終わってまた日常が戻ってくる。

かつてはそういう特別さを不運不幸と割切っては身を伏せてやり過ごし、
戻ってくる日常だけを頼りに生きていた。

けれど今は足が止まる。
進めない、進みたくない。
特別な時間は何時までも特別で、終わらないが故に特別なのだと信じたかった。

どうしてもそんな気持ちが途切れず、途切れない気持ちは握力を緩めなかった。


「ここまでで、いいから……だからヒッキー、手を離してよ」

でもそれは、由比ヶ浜も同じ。

「お前こそ離せって。 帰れねぇぞ、それじゃ」

俺の手が離れないように、由比ヶ浜の握力もまた緩まなかった。

「あ、あたしはもう力抜いてるし。 ヒッキーが離さないんじゃん」

「ばっかお前、既に脱力状態だっつの。 お前の方こそ離せよ」

「うわヒッキー久々にキモい! そんなバレバレな嘘であたしの手を、ぎゅ、ぎゅってしてたいんだ!」

「お前も久々にうっぜぇ勘違い女だなおい、女から男でもセクハラって成立すんだぞ? 知ってた?」

「そ、そのくらい知ってるし! 逆セクハラって奴でしょ!?」

「はい浅知恵確定ー、性別問わず性的な接触や交流の強要をセクハラと呼ぶのであって逆って付けるのはジェンダー的には蔑称なんだぞ」

「……べっしょ?」

「そこに引っ掛かるのかよ……」

何時かのような馬鹿馬鹿しいやり取り。
それですらただこの時間を引き延ばすための言い訳なのだろう。


けれどそんな無理矢理な時間の確保は直ぐに止まる。
蔑称の話題はそこから「う」の字を抜いた俳優の名前に届いた辺りでストップした。
目的の無い会話を続けるには俺の方がその手のスキルに乏しいし。

「……えーと」

それでも由比ヶ浜はどうにか話を続けようと脳を回転させているらしい。
そんな姿が微笑ましく、だからこそここは俺が動かねばならないのだろう。

意を決しその部分の霊体を切り離すが如く、今度こそ手から力を抜いた。

「――え?」

俺の脱力に驚いたらしい由比ヶ浜も力が緩み、
その隙を逃さず由比ヶ浜の手から逃げ出した。

「あ……」

その瞬間、由比ヶ浜の眉は八の字に寄った。
悲しいのか、寂しいのか。
それを見てはまた心臓がギシリと痛む。


仕方無いことだし、傷付けたわけではないだろう。
でも仕方が無いのに、一時の終わりがこうも胸に穴を空けるなんて。
お互い随分手汗をかいたのだろう、
ほんの僅かなそよ風で残った温もりが急速に失われていくのを感じた。

きっとこの未練は正しい。
誰かを大切に、また誰かから大切にされていることの何よりの証明だから。

でもそれで足踏みを続けることはきっと正しくない。
だから切り離すのはあくまで俺の役目……なのに。

「えー、その」

何も出てこない。
さっきみたいな脊髄反射の軽口でいいのに、何か言わなければいけないのに。
このまま黙って別れてそれでどうにかなる浅い絆じゃないけれど、
それでも何か残さなければいけなかった。
義務感なのだろうか。

そうして俯いて何分か、ひょっとしたら数十分。
大切な言葉を残そうと果てなく言語野の粘土を捏ねくり回して、
まだ形が定まらない。
あれこれ悩んでいる内に由比ヶ浜が、

「えと、じゃあ、あたしもう……」

そう切り出してくる。


「あ、いや、ちょっと」

過剰に熱を放出していた脳が焦って更に発熱し始める。
そうなれば余計に粘土は柔らかく、寧ろ解けて液状になりつつあった。


ああ、どうすればいい。

何か、何か言え。

大切なんだ、大切なモノを残さなければ。

大切なのモノがそんな直ぐに出てくるか馬鹿め。

何分も考えてそれかよ情けない。

数分とか一瞬に決まってるだろいい加減にしろ。


とうとう思考は内側で仲違いを始め、
由比ヶ浜はそんな俺のことを知ってか知らずか今度こそ言い切ってしまう。

「あたしもう、行かなきゃ」

寂しげな顔は、別に俺を責めたわけでも俺がやらかしたせいでもない。
ただ俺は高望みして、何か綺麗な締めをこの場に用意したかっただけだ。

でも、残したいんだ。
特別な時間が終わる、それが避けられないならせめて特別な終わり方が欲しい。
ここまで情けなく格好悪い俺でも、そのくらいの欲や贅沢があってもいいじゃないか。


でも、何を言おう。何を残そう。

特別な重さを持った、責任ある言葉。
しかしその重さに足を取られて動けなくなったのが今の俺だ。
逃げに逃げ続けた俺の心にここ一番で発揮する馬力なんてありはしない。

……だったら、責任を放り投げるしかない。

「ゆ、由比ヶ浜!」

もう背を向けようとしていた由比ヶ浜に向けて、必死に呼びかける。
でも上擦って裏返りかけてた。うわ俺キモッ!
しかしそれを咎めるようなことはなく、由比ヶ浜は再び俺と向き直ってくれる。

「な、何? ヒッキー」

こんなキモい俺がこれから何を言おう。
大切な時間を締めくくる重石を放棄して、チャラくていい加減な言葉を残すのか。

俺だから?

仕方無いから?

ああでも、何もないなら、そのくらいなら――。


「えと、何だ、その」

軽くて、チャラくて、無責任。

でも大切な言葉。

次へ繋げるための。

次。

未来。

〝明日〟



「……また、明日な」





自然と口に出たのは、それだった。


受け取った由比ヶ浜は瞬間目を見開き、

「――うん! また明日!」

その顔も一瞬で華になった。


あまりに濃密な一日だったから忘れていたけど、
今日はゴールデンウィークの初日なんだ。
その初日が何処までも突発的なイベントで埋め尽くされていた。
だから、そんな風に放り投げたって何の問題も無いじゃないか。

また突発的な、どんな形になるかも分からない口約束だけど、繋がりさえすればいい。
あやふやなまま続いたって、それでも今日のように大切な時間になっていく……そう信じよう。
どんな形だって今は過程で、その先に幸福な結末はきっと待っている。

「じゃあ帰ったら連絡するわ」

「そだね、あたしも家着いたら超メールするから! あ、電話の方がいい?」

「いや落ち着け、とりあえずお互い帰宅してからな?」


何時ものようにはしゃぎ回る由比ヶ浜を見ると、
さっきまでの重圧や疲労が嘘のように吹き飛んで行く。
言って良かった。
無責任でも、動けて良かった。

「そんじゃ俺も帰るわ……また、明日」

「また明日ね、ヒッキー」

繋げよう。
繋げ続けよう。
それが俺のやるべきことなんだと、心から思う。

背中を向けて家を目指し、でもことある毎に振り返って手を振ってくる由比ヶ浜を
呆れ半分嬉しさ半分で見つめながら、終わる今日への寂寥が鳴りを潜めているのに気が付いた。
さっきまでグズっていた胸中のネガい子供は、はにかむように笑っていた。

「……帰るか」

由比ヶ浜の姿が見えなくなってから俺も踵を返す。


もう夕暮れの気配は消え去り、辺りはすっかり夜。
しかし夜空には雲一つ無く、黒よりも透き通って広がる濃紺が全天を埋め尽くすようだった。
ポケットに手を突っ込みながら、見るとも無しに上空を見上げる。


――良い夜だ。


何を思うでもなく、自然そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
中二病を患っていた頃の苦い記憶が蘇ってきそうなものだが、痛々しさは感じない。
綺麗な夜空だって、そう思っただけだ。

その夜空と同じように澄み渡っていく心を感じながら、
今までにない軽い足取りで駅へ向かっていく。

明日もきっと、良い日と良い夜になるだろう。
そう信じている。








が、それでも一日が綺麗に締まらないのはやっぱり俺。

帰宅した俺を待っていたのはゴシップに餓えた両親と小悪魔な妹で、
俺の帰宅を待ちきれなかったのか由比ヶ浜が小町に送ったメールの文面を巡って
夜も遅くまで舌戦・烈戦・超激戦を繰り広げ、
何十通と待ちぼうけのメールを送ってきた由比ヶ浜に気付かず家族をあしらい疲弊した俺は
激おこな由比ヶ浜に電話で深夜まで謝り倒したのだった。

やっぱ俺の人生ってクソだわ。

これにて第三話、また今年の投下は終了となります。
次回から始まる第二部・性春激闘編をお楽しみに。

嘘です。でも第二部に入る予定です。

・今後の予定

以前書いた通り、次回からは面倒臭い展開は控えめで毎回イチャエロする予定です
ようやくタイトル回収ってことでガンガンレベルが上がっていくガハマさんの勇姿をお楽しみに
そんなガハマさんに悔しくてビクンビクン感じさせられちゃうヒッキーの雄姿もお楽しみに
更新速度も上昇……したらいいなぁ


あとこのスレを別の場所でまとめようか、と思案中ですが需要あるでしょうか
色々面倒臭い内容ですしまとめにもスルーされてるので自家発電したろうか、と
ただまとめるにしても次回以降の話優先で、ここまでの話は訂正したい部分が多いので何時になるか分かりませんが
何か意見がありましたら書き込んでもらえると有り難いです


というわけでここまでの応援有り難う御座いました、来年も宜しくお願いします
良いお年を

どうも>>1です、遅れてしまい申し訳ありません
四話前半投下します


ゴールデンウィークも明けて五月病の倦怠が心身を蝕む中、俺は遅まきながらベッドを買った。

人間生きてさえいられればどんな状況にも適応出来てしまうもので、
実際フローリング布団にもそれなりに慣れてきたつもりだったが、
先日の帰省で味わった久々のベッド就寝はズボラな俺にすら睡眠の質を意識させるに十分だった。
やっぱ長生きしたきゃ睡眠は大事だわ、水木先生の睡眠力を俺にも!

というわけでベッド導入は生活向上には当然の成り行きであり、そこに他意は無い。

……ということにしてある。


〝ピンポーン〟


来訪者の存在を示す安っぽい電子音が鳴った。

唐突というわけでもなく近い時間にそうなるのは既知だったが、
意識を裡側に向けていた俺は身体をビクリと反応させてしまった。
誰も見てないのに何だか恥ずかしくなる生理現象その一である。


一息吐いてビビリの余韻を静めながら扉へと向かう。
宅配でもないから判子も持たない。
新聞とか宗教の勧誘の可能性も微粒子レベルで存在しているけど。

ガチャリ、もう聞き慣れた音を耳にしながら扉を開くと、

「来たよヒッキー、やっはろー!」

何時も通り元気で馬鹿っぽくて愛おしい声色の、
こちらも聞き慣れてしまった珍妙挨拶が耳に入ってきた。

今日は俺の……恋人、であるところの由比ヶ浜結衣が遊びに来る予定だったのだ。


事の起こりは一昨日のこと。

ゴールデンウィーク終了後最初の土日前にベッド導入の話を由比ヶ浜としたのだ。
すると「見て見たい!」と過剰なくらいの反応で俺の部屋に押しかけることを
一方的に決定したのだった。やっぱコイツ変なとこで押しが強い。

正直ベッド見て見たいってだけで遊びに来るのはどうなのとぼっちの習性で思わなくもない。
そもそも学校帰りに遊びに来るのもしょっちゅうだけど。
ともあれ些細なことで騒ぎたがるのはリア充の性質だし、
何よりそれ自体は口実で由比ヶ浜は単に俺と一緒にいたかっただけなのかもしれない。

そう考えるととにかく恥ずかしく、また少しだけ嬉しくなる。
そういうのを疑わない程度には俺も由比ヶ浜と一緒にいることを望めているということなのだろう。

で、持ち運びの都合上バラバラのパーツを通販での購入になり、
組み立てにも時間がかかるだろうということで
宅配予定の土曜ではなく本日日曜の来訪と相成った。


狭く短い廊下を通ってリビングへ連れ立って行く。
事前に準備しておいたテーブルと座布団へ由比ヶ浜を誘導……する間もなく、

「これがヒッキーのベッドかー……えいっ!」

俺の脇をすり抜けて、由比ヶ浜は遠慮無しにベッドへとダイブした。

購入組み立てしたばかりの真新しいベッドの瑞々しい反発で由比ヶ浜はぼよんと跳ねる。

「わーふっかふかー! えいっ、えいっ!」

新しい玩具か寝所を与えられた犬のように目を輝かせながらぼよんぼよん跳ねている。
ついでに何処かがぼよんぼよん揺れている。何処とは言わんが。だっだーん。

「……何やってんのお前」

由比ヶ浜のこういう勢い任せな行動にも慣れたもんだが、それでも一応突っ込んでおく。
片方が非常識ならも片方は常識的な対応でバランスを取るのが人間関係の正しい在り方だろう。
由比ヶ浜は九割常識的で俺の方は九割非常識なんだけどな、ハッハッハ。


「だって新しいベッドだし、遊びたいし」

「子供か」

「あたし達まだ成人前なんだから子供じゃん?」

「そういう意味での子供じゃねぇよ……」

投票権の範囲拡大とか成人年齢の引き下げの流れが出来てるっぽいし、
何より子供と言うには由比ヶ浜の肢体は爽やかで瑞々しくも熟れて包容力抜群の甘々なんだけどな。
果糖万歳。

……なんてことを考えれば、
必然一週間ほど前の記憶がフラッシュバックし一瞬で心臓が肥大化する。
ついでに股間も肥大化しそうになる。ズキューン。


ゴールデンウィークが明けてからこっち、学内外問わず由比ヶ浜との距離は更に近くなった。
まだまだそれが恥ずかしく出来れば避けたいと思う逃げ腰は変わらずとも、
その距離を周囲に見せ付けてやりたいという感情も自分の中に生まれていた。
あの日を境に、俺は由比ヶ浜との関係を前向きに受け取れるようになったのだろう。

だがそれにしたってあの日の記憶や経験はあまりに鮮烈で濃密で、
それらが引き起こす衝動は生半なコントロールなど受け付けないほど爆発的に強力だった。

それこそ由比ヶ浜とのスキンシップは愚かただ話をしたり見かけるだけで、

由比ヶ浜のいない日常生活の中でも、

そもそも生殖性欲の一切関わらない哲学数式の話の中からですら、

ふとした切っ掛けで顔を出し俺の中を無茶苦茶にかき回していった。


だからその……そーいうことを意識させる状況というのは、マズい。
由比ヶ浜の来訪が決まってからあらぬ妄想で心身共に浮き足立っていた。

二人きりの部屋、ベッドではしゃぐ彼女。
思わず「誘ってんの?」と口から滑りそうになるくらいおあつらえ向きのシチュエーション。

付き合い始めて一年以上、俺達はようやく共に歩み始めたが、まだ歩み始めたばかり。
何が正解で間違いかを判別出来る経験なんて持ってやしないのだ。

勘違いは、まだ怖い。

「ともかくベッドから降りて座れ、茶ァ淹れるから」

後は顔や態度に焦りが出ないよう努めながら、平和な方向へ誘導する。
ベッドの話を肴に茶と菓子で舌鼓を打ち、陽が暮れたら送っていく。
これで良い。無難だ。ベタベタにベター。

「やーだっ」

が、由比ヶ浜は実に楽しそうに俺のもてなしを拒否った。
それどころかベッドへ全身を投げ出し、布団に顔を埋めて

「ヒッキーの匂いは、まだそんなにしないなぁ」

なんてことを仰りやがる。


いやもう何なのこの子……本当に誘ってんの?

ちなみに越してきた当初の一夜がアレだったもんで布団も一枚必要だろうとそっちも買っていた。
これは新しい方を自分用にしといて正解だったな……。
ここで「ヒッキーの匂いがする」とか言われてたらちょっとヤバかった。
というかその想像だけで既にヤバい。

「……買ったばかりで、当たり前だろ。 馬鹿なこと言ってねぇで早く降りろって」

「だからやだって……よーしヒッキーのより先にあたしの匂いつけちゃおー♪」

そして布団に全身を擦りつけ楽しそうにマーキングを始めた。
実に愛玩動物的……いやその喩えも危険が危ない。

由比ヶ浜が愛玩……ぺ、ペットってお前。ご主人様ってお前!
何時かのメイド喫茶なんて比じゃねぇぞオイ!


「本当お前、いい加減にしとけよ。 早く降りんと茶も菓子も出さんぞオイ」

何が彼女をそこまで駆り立てるのか……ならばその欲望を直接攻撃すれば何とか。
食欲には敏感な彼女のこと、これなら俺のグダグダ説得よりもまだ効果が――

「んー、だったらお茶もお菓子もいらないや」

――さいですか。
いやちょっと悩む素振りはあった。
でも効果があってこれだからやっぱ所詮俺だわ。

「それに座るならベッドにだって座れるじゃん? ここでいーよ」

「……さよけ」

なんかもうどうでも良くなってきた。
由比ヶ浜が九割常識的というならこういうのもリア充、
引いては社会の常識でありそこに馴染めず反抗しているぼっちの俺こそが
マイノリティであり世間知らずの恥知らずなのだろう。
そういうことにしとけ俺。


そしてベッドに寝転んでいた由比ヶ浜は起き上がるとベッドの縁に腰をかけた。
ちょこんと座る姿勢はまぁ可愛いんだが妙な疲労感からそこに感慨を抱くこともない。
疲れた時に肉食っても顎疲れるだけで味気ないよね……。

麻痺気味な思考で俺もフローリングに敷いた座布団へ腰を下ろそうとした……

「ヒッキーもこっちに座ろうよ」

ところで、由比ヶ浜が自分の隣のスペースをポンポン叩いた。
いやもう俺は座布団が良い、座布団が呼んでる……。

「いえそちらはおぜう様専用でせう」

「変な口調すんなし。 とにかく隣でよくない? 隣がいいよ」

「俺は身を挺して尻を庇おうとする座布団君の心意気を無駄にしたくねぇんだよ」

「あ、そーいうの知ってる! えーと……ギジン化、てヤツでしょ?」

「え、お前擬人化とかイケる口なの?」

「イケるっていうか、聞いたことあるってだけで……床と天上の届かない恋、みたいな」

何その無駄に詩的な捉え方。これが現代文学?
シェイクスピアの魂は現代にも連綿連なり新たな形へ至――

「……てゆーのを前に姫菜が言ってたし」

――前言撤回、ホモかよ。
いや演劇や文学の新たな受け皿として餌を与えれば与えるほど肥ゆる
腐葉土があると考えれば……その内本当になりそうで怖ぇな。


「変わんねぇなぁ海老名さんも」

「寧ろ卒業してからもっと自由になってる気がするよー」

あははと笑う由比ヶ浜の様子に幾分心が休まり、何食わぬ顔で座布団へ腰を下ろそうとすると、

「あ、ヒッキー隣! こっちこっち!」

間髪入れず由比ヶ浜の突っ込みが入る。チッ。

「……別に場所なんてどこでもいいじゃねぇか」

「どこでも良くな――ううん、隣の方がいいと思うよ?」

「程々で満足しとかないと身を滅ぼすって孔子と韓非の中華二大思想家も言ってるぞ」

「こんなの程々だし、ヒッキーが淡泊なだけじゃん?」

「清貧質素は比企谷家の家訓だから」

「専業主夫でダラけて暮らしたいとか言ってた人のセリフじゃないし!」


おおう失敬な、専業主夫は志していたがダラけて暮らしたいとまでは――言ってたっけ、どうだろう。

「ともかく、声さえ届けば会話なんて成立すんだから場所なんて一々気にするもんじゃないだろ」

この話題が続くと墓穴掘りそうだったので強引に戻していく。

会話というコミュニケーションに於いてこの主張は正論だろう。
あくまで互いの声、言葉によるやり取りが主となるなら声さえ届く位置に居れば良い。
この場には俺と由比ヶ浜しか居らず、鼓膜の振動を邪魔する雑音も無い。

よってこれは絶対的に正しい。

正しいが。


「……お話だけで、いいの?」


――掠れたような甘い声が、俺に間違いを突きつけてくる。


心臓が一気に破裂する。
そう錯覚するほど痛烈な鼓動。

僅かに視界が白み、足は重みを手放し浮遊感に踊る。

話だけ。
それで済まそうとしていた俺の間違いはとっくにバレていたのだ。

「話以外の、何をすんだよ」

それでも見苦しく本質から遠ざかろうとする俺だが、それを逃がすような由比ヶ浜ではない。

「色々あると思うよ……だから、ね?」

ニコリ微笑み逃げ道を塞いでくる。
由比ヶ浜はただ強引なだけの押しだけでなく、こういう柔らかな誘導も使うようになっていた。

人はそれを、誘惑、と呼ぶのだろう。


「いや、その、でもだ、な、こう……なんだ」

毒か混乱か、霧状にバステを散布して弱点を突いてくる由比ヶ浜を前にしたら俺に為す術はない。
それでもとしどろもどろに抵抗する俺に、また有効な手。

「……それとも、ヒッキーはあたしの隣、イヤ?」

切なげに眉を寄せ、俯きながら上目遣い。

ゾクリ、背筋が震える。

ズクリ、胸が痛む。

再度膨張する心臓、今度は棘が疼いて痛覚に電流を走らせた。

あー畜生、こんなん勘違いしようもなく狙ってやってやがる。俺でも分かるわこんなん。
でも抵抗できない、悔しいけど(痛みを)感じちゃうビクンビクン。

由比ヶ浜は馬鹿だが、それは知性や賢さと両立しないものではない。
ここ一年、彼女は実に女性らしい強さ賢さを会得しつつあった。
……それはそれで良いんだけど、なんだ、困る。

そんな由比ヶ浜の老獪練達な攻めに困り果てた俺は由比ヶ浜の望み通りに折れるしかなかった。


「……分かったよ、隣、座る」

「うん♪」

俺の敗北宣言を実に嬉しそうに受け取る由比ヶ浜。
そんな様も愛らしいのだが、なんか小町に似てきたような気がして複雑な気分。
アイツ、由比ヶ浜に変なこと吹き込んでねぇだろうな。

今度問い質してみようと心に誓い、俺は由比ヶ浜の勧め通りベッドの縁に腰掛けた。

「……ヒッキー?」

「なんだよ」

「隣って言ったよね?」

「隣だろ」

「50センチは離れてる気がするんだけど」

「離れてるな」

「隣って言ったよね?」

「隣だろ」

「……離れてるじゃん」

「離れてるな」

「隣って……てなんか繰り返しになってるし! 隣じゃないよそんなのー!」


「いやお前、距離があろうが俺とお前の間に誰か居るわけでも何か置かれてるわけでもない。 よって今はお前の隣に俺が居て、俺の隣にお前がいる状態ってわけだ」

「屁理屈過ぎるっ!」

「でもお前の隣でこうして会話してるんだから提示された条件は満たした筈だろ」

言われた通り屁理屈を垂れると由比ヶ浜は「むぅ」って感じに頬を膨らませた。
なんか小動物的だな、カワイイ!(伝説のスーパーサイヤ人的ニュアンス)

そしてそんな栗鼠チック由比ヶ浜は無言で身体をズラした。
方向は勿論俺の居る方。
距離が30センチくらいまで狭まる。

「……」

俺の方も黙って身体をズラす。
方向は勿論由比ヶ浜の居ない方。
距離がまた50センチくらいまで広がる。


「むー」

また由比ヶ浜が距離を詰めてくる。

「……」

応じて俺はまた距離を開ける。

「むぅー」

以下エンドレス……とは行かない。

〝ごつ〟

「……ってッ」

所詮は男の一人暮らしに使うシングルベッド、そう何度も追いかけっこが出来る幅も無い。
三度目の逃亡であっさり逃げ場はなくなり、肩がベッドの端の柵にぶつかり止まる。

そしてそれをチャンスと見たか、小動物は肉食動物へと姿を変え、

「かくほー!」

俺との距離をゼロに詰め、勢いのまま腕に抱きついてきた。


「ちょ、おまッ!」

つい最近も味わったばかりの過剰な柔感がぎゅぅっと押し付けられる。
由比ヶ浜の体温と身体の感触はあまりに心地よく、それ故に危険だ。

何せ二人きりで、こうも密着して、場所は……ベッドだ。

「えへへぇ、やっと隣って感じだよー」

そんな俺の葛藤を知って知らずか、由比ヶ浜は抱きつく力を強めると腕に頬ずりまでし始める。
スリスリ。

「ひぅッ!?」

そりゃ声も裏返るってもんですわ。大きな声出すと自分の声のキモさを再認してしまって若干鬱るよね。
ああやわこい、擦れるとなんか気持ち良い……。

だがそれで止まってくれるほど今の由比ヶ浜は甘くなかった。
頬ずりを止めると今度は俺の腕に顔を埋めてスンスンと鼻を鳴らし、

「こっちはヒッキーの匂いがするね……」

籠もって、でも甘えたような声で巫山戯たことを仰られる。


「――ッ!」

そりゃビクッとする。
同じ不意打ちでの反射とは言え、さっきのインターホンに反応したアレなんか比じゃない。
幸福や快楽を司る神経を直接愛撫されたような、くすぐったくてムズ痒くて溜まらない感覚。
それは俺の意思を無視して下半身が血を集め始めるに十分過ぎる刺激だった。

マズい、これは本当に危ない。
ゴールデンウィークの時のように覚悟が決まっているわけでもないのに、衝動だけは同じくらいに膨らんでいる。
如何に親しみ想い合う仲だろうと、過ちを予期させるには十分過ぎるほど漲り高まっていく。

止まれ。
止まれ。
止まらなければ。

「そ、そりゃ当たり前、だろ。 俺の身体直接だし、俺、その、臭ぇし、だから離れろよ」

顔を背けて腕を強ばらせ、出来るだけぶっきらぼうに。
本当なら言葉だけでなく体自体引き剥がさなければならないのだろうが、振りほどけるほど力が入らない。
幾ら俺の思考が足掻こうと身体は正直ってことなのか。


「臭くなんてないよ、すごく安心する匂いで……あたし、好きだな」

勿論そんな俺の弱々しい抵抗など何のそので由比ヶ浜は侵攻してくる。
今の由比ヶ浜は壁の隙間を縫う霧であり、塹壕トーチカを轢殺する戦車だ。
屁理屈で目張りされただけの破れ障子が如き俺の防壁など障害にすらならない。

だからもう、直接防御に出るしかない。
ともすれば拒絶になりかねないような、強引で稚拙な守りに。

「ッ……お前いい加減にしないと、危ねぇだろ」

「……何が危ないの?」

「だってお前、今の状況考えろって」

「考えなきゃいけないようなことなんて、ないよ」

「だから、その……だ、男女が二人きりで、ベッドの上って、お前」

「……問題無いじゃん、あたしたちなら」

「い、いや、そりゃそうなんだろうが」


ああもう、やっぱりコイツは分かった上でやってやがった。
単にくっつきたいとか、スキンシップ不足でやったことじゃない……それも混ざってるかもしれないが。

由比ヶ浜は、本当に俺を誘惑していた。
そして、それを一々見て見ぬ振りしようとしている俺の方が異常なのだ。

「……ダメ? ヒッキーは、あたしと……って、思ってないの?」

「え、そ、そんなことはない、と、思ったり、して、多分」

「じゃあいいじゃん……ね?」

何時しか由比ヶ浜の顔は再び寂しげ切なげに曇り、潤んだ瞳で見上げてくる。

また棘が疼いて胸が痛む。

彼女の望みは叶えてやりたい。
全部が全部なんて約束出来るほど前向きでも脳天気でもないが、出来うる限りを尽くしたいと思う。

でも俺は天の邪鬼だから、由比ヶ浜の望みが俺と同じ方向を向くと逆に躊躇してしまう。
俺と由比ヶ浜と、同じことをして幸せに……なんて都合が良すぎないか。
何処かに落とし穴はないか、重要な何かを見落としてはいないか。

彼女がただ俺に気を使ってそうなっているだけではないのか。


「その、い、痛かったろ、こないだの。 大丈夫なのかよ」

「え、あ……い、痛かったけど、それとは関係なくて」

「関係無くないだろ。 俺、痛がらせたり苦しめたりって趣味ねぇし、お前がそうなるってのは、なるべく避けたい」

「ヒッキー……」

痛いのが欲しい、と彼女は言った。
だがそれは由比ヶ浜がMってわけではなく、互いが深く繋がる為の必然だからこそ求めていたのだろう。
故に俺もそれを認め、自身の快楽を追うことに決めた。

でも今は違う。
大切であるからこそ破瓜の痛みがあるならば、初めて以降に痛むことの意味は?
そりゃ痛いのは最初だけという可能性もあるが、そんな都合の良い妄想に浸れる性格はしていない。

経験しなければ快楽にならない。
しかしその過程に痛みがあるなら、快楽は求めていいものなのだろうか。

だが葛藤に苛まれる俺に、由比ヶ浜は問う。

「……ヒッキーはさ、こないだの、気持ち良かった?」


「え、そ、そりゃ……当たり前だろ」

「気持ち良いだけだった?」

「それって、どういう」

意味だ、と続けるよりも早く答えが来た。

「あたしね、あの時……痛かったけど、すごく幸せだったの」

幸せ、その単語は鼓膜を通して即座に俺の中へ吸い込まれていった。

ガツンと頭を殴られたような、胸の裡にストンと落ちてくるような。

「ヒッキーとシてる、ヒッキーにあげられたって思ったらね、痛いのなんて何も関係無いくらい暖かいのが溢れてきて、これが幸せなんだって分かったんだ」

「……でも、痛かったんだろ?」

「それは痛かったよ、でも関係無いって言ったじゃん。 だから多分、気持ち良いのと幸せなのって別々だと思うんだ……ヒッキーは、どうだった?」

「俺は……」


下世話な喩えだが、自慰に耽っているときに幸福を感じているかと問われたら?
大抵の男が違うと答える気がする。それでも性感はあるのだ。
つまり自慰を終えたときの虚脱とはそうした心身の不一致がそうさせるのではないか。

本当はもっと脳科学とか何かでハッキリした回答はあるのだろう。
しかし由比ヶ浜の提示した心の形は、俺にとって限りなく真理に近い説得力を持っていた。

「俺も幸せだった、と思う……」

胸の中から暖かいものが溢れて、それが涙になった。
あの時確かにそう感じた。

涙は悲しみだけに起因するものではない。
器の許容量を超えた感情が涙となって零れ落ちるのだろう。

幸福を幸福と感じることもまた、感情の役割だ。

「うん、だからね……痛くても、あのあったかい幸せをもっともっと感じたい、あの時からずっとそう思ってて、それでヒッキーがベッド買ったって言うから、誘ってくれてるのかなって思ったの……違った?」

「あー……」

まぁこんなタイミングで一人暮らしの彼氏がベッド買ったなんて報告してきたら、
そりゃそういうアピールだって思われて当然だよなー。


実際俺自身ベッドの購入を考えてる時、
購入を決意した時、
宅配から組み立て設置、
今日由比ヶ浜が来訪する時まで「あくまで安眠用、QOL向上の為」と逐一脳内で言い訳をしていたわけで。
そうまで執拗に否定するというのは、面倒臭い性格の俺にとっては願望の裏返しでしかない。

そもそも一人暮らしの男子学生が彼女と……なんて当たり前の欲求で未来予想図だ。
幾ら俺でも、そんなシンプルな欲望まで誤魔化したり見て見ぬ振りをする必要はもう無いのだ。
由比ヶ浜を想う自分を否定しないと、そう決めたんだから。

「そのつもりが全く無かったとは言わねぇけど、その為だけって訳じゃないからな?」

「それは分かってるし、幾らヒッキーでもそれだけの為に買ってたらキモ……ううん」

こんなムードの中でもナチュラルにキモ……とか出て来るガハマさんパネェッス。
しかし由比ヶ浜は俺の心のデリケートゾーンを凍えさせる言葉を引っ込めると、

「……あたしとシたいからって理由だけで買ってくれてたら、寧ろ嬉しかったかも」

抱きつく力を強め、逆に熱湯をぶっかけてきた。

もう今日何度目だってくらい心臓が跳ねた。その内心臓疾患で死ぬぞ俺。


「お、前ッ……なぁ」

「えへへ、こういうこと言われると嬉しい? でも本当にそう思ったんだからね?」

そうしてはにかむ由比ヶ浜の姿を見ていると、意識のスイッチが切り替わるのをハッキリ感じた。

既に下半身は隠しようもないほど起き上がっている。
布地を押し上げる窮屈は理性の抑圧に反抗する本能のメタファーだ。
もうここで止まるなんて選択肢はない。

走ろう、行き着くところまで。

改めて心を決めると力を取り戻した腕で由比ヶ浜を引き剥がし、由比ヶ浜の全身を抱きすくめる。

「あ……ヒッキー……」

今度は由比ヶ浜がビクッと反応したが、直ぐに力を抜いて俺に全てを委ねてくれた。

久し振りの抱擁。
異なる体温と身体の感触を全身で受け止める、それだけで幸福感が高まっていく。
けれどそれだけでは終わらない。
幸福の、文字通り絶頂を目指してこれから俺達は触れ合うのだから。

「由比ヶ浜……じゃあその、いいか?」

ここまでの遣り取りで既に許可を得ているようなものだが、それでも確認はする。
この行為は一人だけでは成立しないのだから、独り善がりにならない為このくらいは当然だろう。


「えと……いっこだけ、お願いしていい?」

「無茶なお願いじゃなけりゃ」

「無茶じゃないよ、多分……こないだみたいに、名前で呼んで?」

あー、そう来たかー。

だが今はそのことに対する照れとか忌避感とかは一切無い。
なんというか、心を決めた瞬間、この部屋が俺だけではなく二人の空間になった気がするから。
ならば、どんな形でも彼女と距離を詰めることに躊躇う理由はなんてある筈も無かった。

「えーと……その、結衣、いいか?」

「――うんっ!」

それでもちょっと堅い声になってしまった俺だったが、由比ヶ……結衣の声は抑え切れない喜色に満ちて、抱き締める俺の胸板に更に体重を預けてきた。
この重み――と言うほど結衣が重いわけではないが――こそは幸福の実感、その証だ。


そのことに改めて感動している俺の顔を上目遣いで見つめ、結衣は言う。



「じゃあヒッキー……えっち、しよ?」



――こうして買ったばかりのベッドに俺の体臭が染みつくより早く、
二人の思い出が刻み込まれることになったのだった。




かくして俺と結衣の二度目の交合いが始まったわけだが。

「んぃッ! んぅ……くぅ、ぅああ、あぁあ……」

――蕩けたのは外殻だけに留まらず、侵食は一筋に非ず。

「あッ、あっあっあっ、ひっきぃっ! それ、へ、へんに、なるっ、なるからぁ……!」

自分が上手だなんて思ってない。
童貞卒業したての良いとこレベル2・奮発してこんぼう買っちゃいました勇者がキメラかゴーレム相手に勝てるわけもなく、
前回同様あくまで善戦・及第点を目指して極々慎重に事を進めるつもり……だったら強引に唇奪ったり許可無くおっぱい掴んだりゃしませんよねー。
ともかく、かいしんのいちげき前提にすまいと石橋を叩いて進むつもりだった。

だが、

「ゆ、結衣……気持ち良い、か?」

「う、うんっ! ひっきぃの、ぅ、してくれの……んくっ 全部、ぜんぶ、きもちいい……!」

誰だチートコード入れた奴ァ。


事態はあまりに俺に都合が良く戸惑いは隠せないが、結衣の反応は良好すぎるくらいだった。
ブラをズリ下げ直接脂肪の柔らかさや中心の突起に触れると熱い息を吐き、
ショーツの中に指を潜らせると全身を震わせ蜜を漏らした。

八幡君、確かに学校じゃ疎まれ虐げられるポジだったけど
鬱屈と抑圧の果てに催淫術に目覚めたりなんてしてないよ?

確かに前回の結衣の反応も処女とは思えないほど良かった。
いや処女の反応の平均値なんて知るよしもないが、
ただ男の行為に身を固くして耐えるしかないくらいまで想像していた身としては、
彼女の反応は嬉しさと安心感をもたらし……しかし、前回を超える今の痴態は安心すら超えた。

「一緒に、いじるぞ」

そう宣言して、左手と口で両乳首、右手で陰部をまさぐり、舐る。

「――――ッ! あッ、あッ、あぁ、あぁあっ」

三点同時となると流石にどの動きも覚束なくなるが、それでも結衣の震えと熱が正着を知らせてくれる。
乳房に唾液を滲ませ、下着を役に立たたさぬとばかりに諸共濡らす。

……打てば1km先まで響くような彼女の様子に不安を感じないわけではない。
彼女は何処かおかしいのではないか。或いは、そうさせている俺の方が何かおかしいのではないかと。


だがそれを冷静に考えられる状況ではない。
明け透けに乱れる結衣の様子に反し内で静かに、或いは同じく猛り盛り上がる物がある。
一物のことだけど。

如何に比企谷八幡が未だに思春期拗らせた鶏野郎とはいえ、
本能を司る神経へ過剰な電流が走っている状態でそれでも逃げを打てるほど人間やめちゃいない。
快楽目当てに突き進む情動も、失敗と痛みの予想に竦む臆病も、
ごちゃ混ぜに弾け合ってとっくにコントロール下を離れていた。

本当に、もう、結衣を犯さずには、いられない。

土壇場でストップをかけられても、それこそ殺されなければ止まれないと思えるほどに性欲が肥大化していた。

その勢いのままに告げる。

「結衣、俺……そろそろ、い、いれたい」

我ながらあんまりな言い様。
けれどこれまで自分の欲求すら自身の中で誤魔化していた俺だ、
きっと荒削りな幼さが本質により近いのだろう。

そんな欲望の原石を受け取った結衣は、

「うん……ひっきぃ、あたし、だいじょぶ、だから……」

はふ、はふ、と可愛らしく息を荒げ、


「……いれて、いいよ」



爆発。

暴発。

頭がカッとなるという経験はある、が、過去のそれらとは比べものにならないほど真紅。

ただあまりに衝撃的な鼓膜の振動は、逆に踏み止まる冷静さを僅かなりとも残してくれた。
戸惑い、嬉しく、生まれた化学反応は爆発と相殺を同時に起こす。

OK、落ち着け俺。
クールに、冷静に、しくじらなきゃ最高の体験が待っている筈だ。
だから、まずは、まずは……。

「じゃ、じゃあ、ぱ、パンツ、脱がせる……脱がせていい?」

「うん……」

さっきはまだ恥ずかしいと言っていたが、レールに乗ってしまえば拒む選択も無し、ということか。
不埒なサークルが酒や空気を過剰に注いで断れなくさせるが如し……いやこの喩えはないな。

酔わせるなら言葉で、気持ちで酔わせて、受け入れさせろ。
今は本気でそう思い、そうありたく願う。

劣情の激流に呑まれながら、結衣の下着に手をかけ下ろしていく。
その際足を上げ腰を浮かせてくれたのが、当然の行為だと分かりつつも嬉しくなった。


するり、抜き取った黒い下着は秘所の分泌液で濡れてただの布きれよりも僅かに重く、
指先に感じる生暖かさが失われ冷えていくのが妙に惜しかった。

「あ、んッ……」

そうして、仰向けに待つ彼女の下へ……膝を開かせ、自分の身体を割り込ませて密着する。
抱擁と同じような温もりと、結衣の足に挟まれ彼女の身体そのものに包まれる感触。

押し倒し組み敷いた姿勢。

もう彼女は抵抗出来ないという事実の補強。

そして、上気した頬と潤んだ瞳で、ただ俺を見上げて交尾の瞬間を待つしか出来ない愛しい人。

気分の乗った女性はそれはもう柔らかいとか。

結衣が何をされても気持ち良いとか。

今俺は、完全に落ちてる。
堕とされた。
空気と状況と、由比ヶ浜結衣に。


今この空間、この事象を構成する全ての要素が、ただ俺達の、俺の為にある。
かつて俺を孤独に追い込んだ勘違いとそれらは同質のもの。
だが今は正着か誤答かなんて単なる無粋か臆病と同じだ。

今を真実にする以外に、取るべき行動なんて無い。

乗ったレールに対する疑問なぞ皆無、ただ幸福だけを求めて腰を押し出――

「ひ、っきぃ……」

――そうとした瞬間、声がかかる。

囁くような声でも、何処か重みを持った響きで。
その重さは勢いあってもあまりに軽い俺の自意識に対して強力なブレーキになった。

「な、なんだよ」

何かある、のは分かるが返せる言葉はこんなもんだ。
情けないとは分かっていても、いざ喰らいつく寸前にお預け食うのは流石に辛い。
早く、早く、シたい。
だから早く、早く、言葉を、用事を、済ませてくれ。

「そのまま、するの?」


「――当たり前だろ」

何を言い出すかと思えば、この状態からどうしろと言うのだ。
ロマンチックな空気が足りないのか、それともあれで尚前戯が足りないのか。
何を損なっていようと既に止まれる空気じゃないと、もう前提は尽くしたと知れ。
それ以上は傲慢だ。

「あの、ね……あたし、今日、多分、危ない日、なの」

「へ」

あ、そう。ふーん。それで?

確かに近藤さんのセーフ率は100%で無いとは聞くが、それでもその防護の信用性あってこそ
近代の性交渉はコミュニケーションの一つとして成立しているのだろう。
どんなに当たり前の事象だろうと医者や科学者がそう簡単に100%を口に出来ないように、
そんなものは誤差レベルのものでしかないと――

あれ。
ちょっと待て。



そもそも俺、着けてたっけ?


「……だから、このまましたら、出来ちゃう、かも」

見上げる結衣の顔は不安の色濃く、それでもその裏にあるものを見間違えはしない。

「で、でも、でも、ひっきぃが、そうしたいなら、欲しいなら、それなら、あたし――」

期待と、悦びが、そこには、確かに

「い、いやいやいやいやまてまてまてごめんごめんごめんごめんなさいわすれてましたわすれてましたごめんなさい」

さぁと血の気が引く……のはいい加減何度目だよオイ。
咄嗟に跳び引いてそのまま手と額をベッドに付ける。
ああ、俺のはじめて(土下座)は恋人相手になってしまった……。





そして暫く。
下手な鉄砲なんとやらの精神で己のミスを埋め尽くし急場を凌いだ。凌げたよね?

興奮で火照っていた結衣は妙な方向の急展開に適応出来きていたか怪しく見えたが、
俺の暴走じみた吶喊と謝罪に一先ず安心したようだ。

それでも惜しむような気配を感じたのは気のせい……ということにしておきたい。

俺の中にも「あのまま気付かなければ」「結衣の言うこと無視してれば」という
危険な欲望と後悔がうじうじ愚痴を繰り返しているのだ。
二度目のブレーキを踏める自信は正直ないから、この思考に拘るのは危険だ。

そしてとにかく無心でゴムを装着し、先程と同じ体勢に俺達はなっている。

「そ、それじゃあ改めて、なんだけど……大丈夫か?」

「うん、だいじょぶだよ。 さっきので緊張ほぐれたし、ありがとヒッキー」

「あ、ハイ……それならよかった」

由比ヶ浜結衣は良いところを見てくれる、褒めてくれる、ありがたい。
……ありがたいがこの場合ちょっとでも責めてもらった方が救われたかもしれない。
俺自傷癖は無いんだけど、こうなったら自分で自分の手首切るしかないじゃん。メンヘラーメンヘラー。


ともあれ状況は戻った、さっき出来なかった最終確認。

まず自分。ピッチリ覆われる感触は確かにあるが、それでも触って確かめる。
ぬるり、どこか油のような粘質さはコンドーム特有のものだ。確実に装着している。
しかしあんな醜態を晒してた癖にそれでもお堅いままなんだから愚直じゃないか八幡二号。
これは恥じるべきか。

そして次は、

「ぁんッ」

結衣の秘所に再び手をやる。
中までは触れず、入り口をなぞるようにそっと触れたが、彼女の方もまだ濡れている。
男の方も同様だが、生の潤滑油はどうも乾燥し易いようなのでこちらも一安心。
濡れてないまま挿入して痛めつけるなんて論外だし、
そもそも処女だろうと性交で出血というのは逆に危険な兆候だとか。
故にこういうのも最低限の男のマナーだろう。

「じゃあ、その、いくぞ」

「うん、来て」

そして、今度こそ最後の意思確認。
結衣がそうだと言ったように、さっきの失態で俺の方も緊張がほぐれたらしい。
まぁこういうのも怪我の功名だ。そう開き直って位置を直し狙いを定め、

押し出す。


「んく……ッ!」

押し出した。

包まれる感触、その二度目。
音無く侵入するがその行為が気付かれないわけがなく、
肉壁は蠢動して俺自身を迎え入れる。

まだ二度目だが、変わらず熱く、柔らかく、溜まらない。

「ぉ、う……!」

俺の呻きは無意識。
自身の容量を超えた快楽に理性は反応しきれず、
それはあたかもノイズのように。

「ふっ! うっ!……ん、んんぅ、ぅぅ……!」

受ける結衣も呻き、喘ぐ。
だがこちらは固く、それが快楽に起因するものでないとハッキリ分かる。


粘膜を、中を抉られる感覚とはどんなものなのだろうか。
口も耳も鼻も、粘膜と言えど外気に晒されることが前提だ。
女性の膣と比べられるものではない。

気遣いたいが、想像が及ばない。
どうすればいいかと言えば行為を止めればいいのだが、
それはそれで互いの心情を無視した勝手な振る舞いになるのだろう。

だから時間はかけず、一先ず落ち着ける地点を目指し、また押し出す。

「ひぐっ、う、うぅうぅぅッ!」

突き出し、進む。
結衣の中は過度な刺激に戦慄きうねる。
それがどうしようもなく俺自身も刺激し、震えながらもやがて到達した。

「ふ、くぅ……!」

ぶつかるような感触は無いが、根本まで入り込み密着した身体が限界を証明している。
深奥までの交合を実感すると思わず息が漏れた。

「ふぅ、ふぅ、ふぅぅ……!」

結衣も呼吸荒く、しかし落ち着こうと必死になっている。
その様子から悦楽を見出すことは出来ないが、
それでも不快感を口にはせず己を律しようとする姿はいじましく、
愛しさと罪悪感で刺さった棘ごと胸が軋んだ。


「は、入ってる、よ、な……?」

「うん、うんっ、はいって、るっ、はいってるよぉ……!」

この上なく交合の感触を味わっている癖に、間抜けな感想しか出てこない自分の口舌が恨めしい。
ともすれば結衣の女性器を貶めたようにすら受け取れる言葉だったが、
俺以上に挿入の実感を得ているだろう結衣は息も絶え絶えにありのままの事実をただ口にする。

言葉は耳朶を通じて脳の奥底へ届き性交の実感に輪郭を与え、
脊椎は上から下から染み込んでくる快感と幸福感で壊れそうなほど電流が交錯した。

まだ、入っただけ、なのに。

初めてじゃないのに。

セックスってのは、何処まで。

どこ、まで。

「ゆ、い……!」

思考は上手く働かないし、身体は直ぐにでも暴発しそう。
そんな行き場のない衝動を誤魔化すように結衣を抱き締める。


「んぃ、ひっきぃ……」

柔らかくて、暖かくて、甘くて美味しい、彼女の身体。
抱擁で心は僅かに落ち着き、抱き返されると新たに生まれる肉の震えで身体の方は余計落ち着かない。

密着し形を変える乳房は呼吸の上下で微妙に感触を変える。
挿入したとはいえ、彼女の反応それだけで全ては変化し劣情は煽られた。
それでも暴走まで身体が振り切れないのは、
先程の失態から彼女に対する負い目が錨となっているから……だと思う。

頬を寄せ合い、そのまま暫しもどかしい停滞を抱えて悶々としていたが、

「ひっきぃ……気持ち、良い?」

耳元で、ぼそり。


〝ぞわ〟


「ひっ」

不意打ちのような囁きが鼓膜を貫き直接脳のパルスへと変換される。
意図せぬ信号は存分に脊髄を刺激し、身体が一物ごとガタと震えた。

「んぐッ」

その振動をもろに受けて結衣は喘ぐ。
甘い響きなんてない、固い呻き。


「わ、わり、痛かった、よな」

「う、ううん、へーき、だよ」

同じく不意でもこちらは快楽、相手は苦痛。
あまりに一方的な関係性は「こうあってはならない」という先日の決意を嘲笑うよう。
顔を上げ結衣の顔を見つめれば、いじらしく耐える愛らしさがやり場のない後悔を生み、
その黒い水を吸って棘は杭へ、心臓の傷を圧し広げていく。

痛みを望んだ彼女と、痛みを与えた俺。
その形の意味を、その答えを、まだ俺は出せていなかった。

「それよりさ、気持ち良い? あたし、ちゃんと出来てるかな……」

再度の問いはそのまま前回のリフレイン。
辛みをぶつけてくれればある意味楽になれたかもしれないが、彼女はただ献身の出来を問う。
分かり易い罪を彼女は相手に背負わせない。
ただ良心の所在を、呵責の有無を無自覚に問うてくる。


由比ヶ浜結衣は誰よりも優しい。

けれど甘やかしてなんてくれない。

何時だって彼女は答えを欲し、求めてくるのだから。


だから俺はこれから、何時だって彼女と向き合っていかなければならないのだろう。

前回みたいに特別じゃない、今のような普通の時間に、当たり前みたいに繋がる為に。
彼女との時間を当たり前にしていく為に。


「……気持ち良いに決まってんだろ、だから、悪い、本当に」

「悪いなんてことないよ、気持ち良いなら、よかったぁ……」

そうして顔は綻んだ。
緩やかで暖かな、由比ヶ浜結衣らしい笑顔。
でも、違うんだよ。
俺だけが心身両方の充足を得ている限り、

「悪いんだよ……どうしたって気持ち良いのは俺だけで、お前は痛いだろ?」

「えと、もう痛いのはそんなになくて、それよりカタいのがいっぱいになって、苦しい、みたいな」

「え、あ、そうスか」

固い、硬いか、無自覚だよなこれ。
また興奮するぞオイ。

「でも苦しいんじゃねぇかよ、しつこいかもだけど、俺だけってのはやっぱりズルくて、ダメだろ」

「ズルくなんてないよ。 苦しくても、ひっきぃのが、な、なかに、あって、それが幸せで、だから」

「俺だってお前の、その、中にあって、それも幸せだから、不公平でさ」

「でも……」

「でもだな……」

譲歩のような、勝手な言い分を差し合い行ったり来たり。


本当に噛み合わない。
比企谷八幡と由比ヶ浜結衣は、何処まで行ってもこうなのかもしれない。

でも互いに想い合って、お前の方が幸せになんて、不毛な押し付け合い。
心と気持ちで触れ合う幼さまで含んだようなくすぐったいじゃれ合いは、
爛れたスキンシップの中でも自然に溶け込んでいる気がする。

人はそれを愛とか、そんな風に呼ぶのだろう。

流石に直截過ぎて恥ずかしいから口には出せない。
でもそんな物が中にあると分かっていれば、それ以上望むものはきっと無い。

少なくとも、心の上では。

「……ひっきぃは、あたしが楽になったらいいの?」

「楽、でいいのか……まぁ、多分」

「じゃあさ、やっぱりひっきぃが気持ち良いようにして、それが良いよ」

「いや、それを気が咎めるって話をしてんだろ」


「わかってるよ、でも……あたし、というか女の子はさ、たくさんシないと……き、きもちよく、なれないんでしょ?」

……それを寄りによって俺に聞くのか。
本当に楽な道を選ばせてくれねぇな。

「い、一般論ではそういうことになってるけど、実際はどうか分からん」

「男の子ってこういうのは詳しいんじゃないの?」

「妄想と現実は似て非なる物だってのを見て見ぬ振りしてるだけだよ、思春期男子は」

「ふーん……でも、そういうものだって言われてるんだよね?」

「それは、そうだな、うん」

質問の意を量りかねる俺の曖昧な返答、
それを聞くと結衣は再び俺の耳元に唇を寄せて、

「あたしも、ひっきぃので、ひっきぃと一緒に、きもちよく、なってみたくて、だから」

だから――



「――ひっきぃに、たくさん、シてほしい」


〝ぞわり〟


「たくさん、シて?」



いいよ、とは付けなかった。

引き金を、自ら引いた。

その意味を本能は勝手に解釈して、
勝手に背筋を泡立て、
勝手に盛り上がって、

勝手に。

「……分かったよ、じゃあ、動くからな」

「うん」

頷く彼女の愛おしさ、そのままに腰を引き、

「んくッ」

押し出す。


「ぅッ」

熱。

前回同様抵抗感はなく、その滑りをゴム越しに受ける部分が感じる熱のまま溶けて体積を減らす。
そんな錯覚。
自慰のように曖昧に高まっていく感じじゃない、一動作で確実に絶頂へ近づく。
そんな実感

「ふ、ぉ……!」

そんなものを受ければ、俺の喘ぎも無意識だ。耐えられるものじゃない。

人間というのは苦痛には耐えられても快楽には耐えられない、とは何処かの格闘漫画だったろうか。
結衣は身を固くしても呻くだけで弱音を吐かず、対する俺は肉欲の赴くまま暴れて果てる。
あまりに情けない構図だがそれは真実であったということ。
真のまま、最短距離で昂ぶり飛べればどれほど気持ち良くなれるだろうか。

だが、今は耐える。
少しずつ、揺するように小さく、ゆっくり腰を動かしていく。


「ぅ、ん、い、ぁ、あ、ぅ」

小刻みな動きに合わせて、喉の奥から声に鳴りきらない音が漏れ落ちる。
ぎゅうと俺にしがみついて耐える結衣は、前回ほど強ばっていない。筈。

痛みの多寡は自己申告で、優しい彼女は俺に負い目を感じさせない為に嘘を吐いた可能性も否定は出来ない。
だが感じる力の具合に嘘はない。一先ずはそれを信じる。

ずっ、ずっ、ずっ、音は鳴らないが感触を擬音化するならそんなところだろうか。
動くというより緩慢に震えているようなものだが、それ故に快楽も小さく俺は俺自身を制御できている。

「ん、ねっ、ひ、っきぃ、ぅ、きもち、いい?」

そして、同じ言葉を結衣は何度も繰り返す。何度でも問うてくる。

「ああ、気持ち、良い、から……お前も、苦しかったら、ちゃんと、言えよ」

だから俺も出来うる限りの言葉を、同じことだとしても何度も返す。

「う、うんっ、だいじょーぶ、だいじょぶ、だから、あ、んぐっ」

最後に彼女らしい強がりを受け止め愛でて、そのまま行為は続けられる。


本当に結衣のことを想いその身体を気遣うならば、最短距離でとっとと射精した方が良い。
動きを小さくしてもただ緩慢になるだけなら、その分結衣を苛む時間が長くなるだけだ。
それは実際に苦しむ彼女と、早く出したい俺の身体の望みを切り捨てるようなもの。

今の俺の動きはただ結衣の心身を長く味わっていたいという、
比企谷八幡の心の我が侭でしかない。
一分一秒でも長く彼女と触れ合い繋がっていたいというエゴだ。
そのエゴを、両者の心は共有していると身勝手に信じている。

「んッ、ひっきぃ、あ、そ、それぇ、ひっきぃ……!」

腰を揺するだけじゃない。
俺の手は髪に、耳に、頬に触れ、また肩に、腕に、胸に触れていく。

別種の感覚が苦痛を和らげるかどうかは分からないし、
ただ俺が触れたいだけということもある。
でも触れ合うことが嬉しいなら、これもきっと結衣の幸福に繋がる筈だ。

そうして暫く、局部から伝わってくる痺れが徐々に下半身、
また上半身へも伝播し筋の強ばりを奪っていった。

幾らスローペースだと言っても経験の浅い俺だ、この弛緩が全身へ至るとき終焉はやってくるだろう。
その瞬間を俺と結衣がどれだけ甘く満ち足りた状態で迎えられるか、
その為の手法を湯立った頭で考えていた。


その時だった。

「ひ、くぅ、ふ、ふは、はぅ、はぅ、はぁ――」

何時の間にか、結衣の声が変わっている。それに気付く。
質が変わった?
硬さが抜けたような、角が研磨されたような、丸みを帯びている。

「ゆ、い?」

「! ひぅ、ひぅぅ、あ、あ、ん、んん、ぅぅ」

心配するような声が無意識に漏れ、そのまま彼女の頬に触れ、
びくりと反応しまた桃色の響きが強まる。
それはまるで挿入より前、彼女の入り口や中と俺の指が戯れていた時のような。

それだけでなく、彼女の声に合わせるように中の感触も変わっている。
柔らかな圧力の一定は所々で震え、蠢くようになっている。
当然、

「ゆ、ゆい、それ……!」

中の俺自身がモロに影響を受ける。


〝もぞ、もぞり〟


肉に圧されたまま、その厚みが蠢き揺れる。


〝ひく、ひくり〟


脈打つような俺自身の性感の波長、その盛り上がりに変化が重なり、絶頂が間近に迫る。
一瞬全身が麻痺、抑えや弁が壊れ……しかし寸前で止める。止まってくれた。

「うぐ、ぉ……ふ、ぅ……!」

腰を止め、引く波に足を浚われないよう見送る。息を吐く。

不意に訪れる興奮、絶頂へ至る圧倒的な圧。
自慰に浸っている時に幾度と経験したことがあった。

一人の時はその波を見つけて乗ってしまうが早く有り難いが、
今は堪えられたことに安堵する。

確かめなければならないことが、あるから。

「お、おい……だいじょうぶ、か?」

ただでさえ柔らかい結衣の身体が更に柔らかい。
ただでさえ暖かい結衣の中が更に熱い。

その意味を都合良く解釈しようとする本能を抑え込み、問う。
問わなければ、溜まらない。


「え、ぅ、な、なにも、な、ン、だいじょぶ、だよ……?」

バレバレの嘘。
或いは彼女自身自覚していないのか。

呆けたように怪しい呂律で零す結衣の姿に、
蕩けて緊張を忘れたようなその表情に、
自覚しきらない『なにか』を期待してしまう。

「き、気持ち良かったのか? さっき」

「あ、え……わ、わかんない」

「わかんないって……苦しいの分かって、気持ち良いのは分からないのか?」

「う、ぅ、だって、まだ二度め、だし、ひっきぃので、その……きもちよくなるの、まだ、しらないし」

蕩けつつも眉を顰め、ぷいと横を向いてしまう結衣が、まぁ大層可愛いわけだが。


ともかく彼女の申告からは無自覚であることが判明。
……いや信じ切るには怪しいが、これ以上は確認しようがない。

どう足掻いても野郎の身で女性の性を実感することなんて出来ないし、
指での刺激と棒での圧迫では感覚が別種だと言われたら否定も出来ない。

それでも食い下がらずにはいられない。

「い、入れる前の、指でしたのと、違う?」

「え、ま、まだ聞くの? うぅ、その……は、はずかしいんだけど」

「いやでも気になるし、教えてくれって」

「わ、わかんないっ! しらないっ!」

どうも強情だな。
まぁ俺だってこれまでのオナニー体験でどんなのが気持ち良かった?
なんてインタビューされたらブチ切れ金剛する自信あるが。

いや待てそれを言うとさっきから結衣が聞いてくる「きもちいい?」アピールは何なんだ。
いじらしくて滅茶苦茶可愛くて素晴らしいとこだが本質は同じじゃないのか。


未だ中で結衣を感じていることとか、
射精を我慢して寸止めみたいになっていることとか、
色々合わさって、特に理不尽でもない筈の言葉に妙に腹が立ってくる。

イライラするし、ムラムラしてくる。

だから、確かめてやる。

そうして無言で、押し込む。

「ひぃ!?」

突然の刺激に、背を反らして可愛らしく悲鳴を上げる。
この反応が、これが快楽じゃないなんて、あり得るのか。

ぐつぐつ煮立っていく欲望に押されるように結衣の奥を小突いていく。

「あひっ、ひん、ひく、ひっ、ひぅっ! い、いきなり、は、だめっ!」

そういえば、何かするときはその前にちゃんと言ってとお願いされてたな。
でもいいか、悪いのはハッキリしない結衣だし。


開き直る心と、声に合わせて蠢動する中で震える肉棒。
動きはあくまで小さく、動きで彼女に問う。

気持ち良いだろう、気持ち良い筈だ、と。
俺ので、俺と一緒に、気持ち良くなりたいとか、言ってただろ。

中にいる俺がこんなに気持ち良くて、お前はどうなんだ――。

「ど、どうなんだよ、指と、なんか、違う、のかよ……!」

「はぁ、はぅっ! わ、わかんないって、い、いったじゃん! ふぁ、ぅっ」

「似てないのか、かすっても、ないのか、ちゃんと、教えてくれたら……」

教えてくれたら、何だろう。
そもそも知ってどうなる。
後のことなんて何も考えてなかった。

でも知りたいから、知りたい。
エゴの押し付け合いを良しとするなら、それも良いんじゃないか。

だから、このまま俺が果てる前に、教えてくれ。


「で、でも、でもぉ……!」

「頼む、から、教えてくれよ、はやく、はや、く」

「う、うぅ、ぅうぅぅぅ、ぅぅうっ!」

さっきの耐えるようなものとはまた違う。
恥ずかしそうな、悔しそうな、そんな呻き。

限界が近づいてくる。
動きは小さいまま、間隔は一定のまま、きっと上手なんて言えない拙さ。

それでも合わせて揺れる肉に俺はもう限界で、

結衣が、

結衣が、

気持ち良いって言うなら。

言ってくれたら。

「ひ、ひっきぃっ! わかんない、けどっ、あたし、ひっきぃの、き、きもちいい……!」

言って、くれたら。

言ってくれた、ら。

「だから、きもち、いいっ、から、と、とめてっ、やすませて、よぉ……!」



こみ上げ。


一気に。


「ぅぎッ!」

砕けんばかりに歯を食いしばる。

再度の決壊寸前、全身全霊を局部に集中して、漏れ出る刹那にブレーキ。
結衣の要求通り動きを止め、歯を鳴らしながらギリギリで踏み止まった余韻に全身を震わせた。

「はぁ、はぁっ、はぁっ、はっ、はっ……」

俺の肩にしがみついて、結衣も息を荒げている。

気持ち良い、そう言った。

そういうことで、いいのか。

「ゆい……さっき、きもちいい、って、おまえ」

「はぁ、はふ、そ、そうかも、だけど……きもち、よかった、かも」

「そ、そう……なの?」

「わ、わかんないって……でも、す、すごかった、から、いまは、やすませて……」

途切れ途切れに吐き出すと、結衣は俺の肩に顔を預けるよう、深呼吸を始めた。


気持ち良い。

気持ち良いのか。

互いが充足出来ているのか。

その準備が出来たのか。

まだ二度目だけど、まだ二度目なのに。

俺達は、セックスが、ちゃんと出来ているのか。

寸止めの余韻が冷めやらぬ中、それでも結衣の呼吸のリズムを、
肌や髪の甘やかな香りを楽しめるくらい沸き立つ心の落ち着きを実感出来ている。

ああ、そうか。



もう何も、問題無いのか。



〝ずぶり〟





「――っッッ!?」

不意に呼吸の間隙を突かれた、声にならぬ結衣の声。

ああ、そうだ。

もう、問題、無いから。

「ゆ、い、ゆいっ、ゆいっ、ゆいゆいゆいゆい……!」

我慢ならず、思いも纏まらず、ただ名前を呼び、繰り返す。

問題無いなら、俺ももう、壊れていいのか。

どちらかが快楽を得られないなら、あくまで心の為の触れ合いであろうとした最初。
未熟な精神と経験で上手く立ち回ろうとした無様。
ギリギリを我慢し続けて甘くも暗い痺れでおかしくなった身体。
殆ど壊れかけの全部で、ただひた走る。

大波が引いて荒れた水面、でも追いすがれば波に乗れる
まだ間に合う。

間に合うから。


「あ、あっあっあっ、ひっき、ひっきぃ! やめ! やすませ、ひぐ! あぅ! ああっ!」

気遣いがどうとか、もう何も分からない。

全部忘れた。

全部忘れて、

ひたすら腰を動かして、

俺の肉と、ゆいの肉を擦って、

震えて、

すごく、すごく気持ち良い。

ガツガツと打ち込んで、無理矢理に走って、走って、走って。

互いの言葉も、反のうも、ぜん部、気もち良いなら。

どこかにだけ我慢させなくていいなら。

おれも、きもちよくなるから。


「ゆいっ、ゆいゆい、ゆい……!」

もう、なまえいがい、いらない。

なかがきゅうきゅう、ぞわぞわ、あつくて、うごいてる。

かんじるものが、ゆいのにくであることがわかれば、よぶだけで、それだけで。

「ひ、ひっきぃ! ひっきぃ、あ、んひゅっ、とめ、とめ、や、め、ふぁ、んくあっ! ひ、ひっき、ひっき――」

ゆいも、おれのこと、よんでる。

ならだいじょうぶ。

もうくるから。

もうだめだから。

もう、もう――








「いぎ、いぐ、い、ぐ……!」

でた。

でて、でてる。

びくびく、

びゅくびゅく、

しんぞうが、ぜんぶ、したの、でるのに、なったみたいで。

「ひ、ひ、ひ、ひふ、ふぁ、うぁ、ぁぁ……!」

ゆいのこえ、いきが、すごく、せつなくて

もっと、もっと、あ、

あ、

あ、

あ、

でて、でてる、でてる。

ゆいのなか、

ゆいのにくで、でて、でて――




――時間の感覚はもう全部ぶっ飛んでる。

結衣の中に入って、まだ冷静だった時から、ずっと。

「はっ、はっ、はっ、はっ――」

燃え尽きた。
真っ白だった。
白痴という言葉、字の意味をこれ以上なく実感した。

真っ白な中、ただ欲望だけが肉の中で暴れ、
幼児の手紙のような言葉の羅列が飛び散っていた。

射精の麻痺が落ち着くと、まず感じたのは憑きものが落ちたように虚脱する本能。
脳内麻薬か何かで消されていた湿っぽい熱、汗の感触で全身に滑りを感じた。

次いで荒く、暴れる心臓に合わせた俺の呼吸と、

「ひ、ひっ、ひっ、ひっ、ひく、ふぅ……!」

か細く響く、結衣の呼吸。


そう、オナニーじゃない。

俺は結衣とセックスをして、互いに気持ち良くなって、今。
何度も味わった射精後の虚の中に、広がり満ちていく感情がある。

「ゆい……」

前回だって思ったけど、共有出来た今回こそ強く感じるもの。

気持ち良くて、愛おしくて。

それを共にした相手のことが、由比ヶ浜結衣が、俺は好きなんだ。

好きだから、セックスをして、気持ち良くなって、愛おしくなるんだ。

「ゆい、結衣、俺、お前が――」

充ち満ちて、溢れそうで、それでいい。

溢れた分は全部言葉とか、結衣と触れ合う何かに変えて。

そしたらもっと、きっと。


「……ぐす」



……え?



「ぐす、ひぐっ、ぅう……やめて、とめてって、い、いった、のに、ふぐ……!」

あれ?

「こ、こわかった、ふえっ、こわかったよぉ……ばか、ひっきぃの、ばかぁ……!」

泣いてる。

結衣が、泣いてる。

なんで泣いたのって、全部、言ってるじゃん。


……やらかしちゃったよ、オイ。


その後暫く、しゃくり上げる結衣をあやすのに力を尽くした。

事後の熱や余韻なんぞ一瞬で醒め引き、代わって恐怖や戦慄の冷たさが心臓だけでなく
胃にも杭を打ち付けギリギリ痛みを走らせては狼狽え噛みまくるただキモいだけの男がそこにはいた。
俺のことだよハハッ。

そうして今は二人、ベッドの上に座って向かい合っている。

「お、おちついた?」

「……ぅぅ」

すん、と返事のように鼻奥を鳴らす音が聞こえた。
俺の慰めテクニック(初級)がどれだけ作用したか、ともかく今は落ち着いて見える。

さてまぁ落ち着いたとして、良かった。
良くない。
涙は治まっても、その原因足る俺の軽挙が無くなるわけもなく、ここからは楽しい楽しい尋問タイム。
楽しくねぇ。

「……なんで、とめて、くれなかったの」

語尾に疑問符は付いていない。
痴漢はあったのか、という調査ではない。
何故痴漢したのか、と尋問されているのだ。

寄りによってなんで例えを痴漢にした俺。


「えーと、その節は、真に申し訳無く……」

「ごめんじゃなくて、なんでって、聞いてるんだけど」

……謝罪倒しで有耶無耶にする作戦は失敗した。

「き、気持ち良かったって、言われたので、つい」

「……その時、やすませてって、とめてって、言ったじゃん」

「……ハイ」

「ひっきぃ、あたしのこと見えてないみたいで、こわかったんだよ?」

「……ハイ」

その追求はゴールデンウィーク、初ホテルの前の問答が如し。
同じことの繰り返しと思えば、後に許しのあったことを思い出し心も晴れやか……といってもあの時は事前、
今は事後にこれもんなので事態の深刻さは比べるべくもなく。だめだこりゃ。


「き、きもちよかった、かも、だけど……分かんないのはこわいって、ひっきぃもそうだよね?」

「仰るとおりで……」

多分痛みなら既知で、快楽は未知。男はそれが逆。
よくよく考えれば、というか考えるまでもなくそういうものだと気付けよ俺。
快楽であれば飛びつくと考えるのはあまりに男性思考過ぎる。

セックスはオナニーと違う。
そう嘯きながら、結局俺がやったことはオナニーの延長でしかなかった。
そういうことなのか。


「……でも、気持ち良いって言われたら、それは」


それでもと、ぼそり、呟く。

呟いてしまった。


「……なに、ひっきぃも言いたいことあるの」

勿論聞かれてるし、拾われる。
先と同じく疑問符が付かない、釈明する気なら聞くぞというゴッドファーザーが如き威容。
やっぱり女帝じゃないか。

「いや、な、男からすると、気持ち良いっていうの、それだけで問題無しになっちまうくらいの、アレなんだよ」

「……へぇ」

「何時だって妄想逞しくて、アレはどんなだろう、コレは凄いんだろなとか、知らないことも全部輝いて見えてな」

「……そう」

「だから、気持ち良いって言われると、何もかんも全部肯定されてるみたいな……ほら、お前だって俺が気持ち良いの嬉しいとか、そ、そういうこと言ったろ、お、同じじゃないかなーとか」

「……そーなんだ」

「気持ち良くなってみたいって言われて、そんで実際気持ち良いって、それもう全部OKだってことじゃないかって、その思ったり、思わなかったり……」

「……ふーん」


おざなりな相槌で背筋を恐怖で煽られながら、言わなくて良いことまでぽろぽろ零す。
ああやっぱり俺のアドリブじゃ精々他人を煽るくらいが精々で、
許しを請うたりとか出来ないんだな。
平塚先生に散々ねじ込まれたもんな実際……。

しかしどうなんだこれ、今後どうなる。

快楽と幸福感は別だと始まる前に言われたし、そこを履き違えて勝手に振る舞ったわけで。
期待や希望という幸せな絵に泥を塗ったようなものだ。
そうなると結衣が性行為に負い目や忌避感やを感じるのは当たり前、
今後の恋人関係に悪影響は免れないだろう。


そもそもこんなキモくて気が利かない上に自分勝手なセックスしか出来ないような男なんて幻滅されて当たり前だしそんな俺との恋という悪夢から醒めた彼女に侮蔑の目線と言葉を貰いそのまま縁切りさようならってことにもなりかねない寧ろそうなって当然ヤッベェもちっと考えて話せよ俺全然反省してないし逆に煽ってるんじゃ執行猶予無しの即豚箱絞首電気椅子で落伍者確定そもそも和姦でもその後女性側が無理矢理されたって交番に駆け込まれたら男の立場じゃ反論しようがないんではヤバイヤバイ何をどうして――


「……じゃあ男の子は、きもちよければ怖くないんだ?」

「え、アッハイ」

正しく暴走する思考と感情の回路に振り回される俺は、突然の問いに反射でしか応じられなかった。

「本当に?」

「それこそ、分かんねぇけど……多分」

気持ち良いと怖いは男の中だと両立しない……んじゃないかなぁ。分からんけど。
しかし何だってまだこんな問答を続けるのだ。もう有罪確定みたいなもんだってのに。

「……分かった」

何を思うか俯き姿勢で低く零す由比ヶ浜結衣。
不意に背筋を伸ばし、童顔に似合わずキッと俺を睨め付け、


「リベンジ、するから」



……why?


「今日は、ひっきぃにされるだけで、れ、練習してたこと、全然出来なかったけど……そういうの、今度、全部するから」

え。

あれ、どうしたの。
なんで嬉しい宣言されてるの、バグった?

「全部で、全部して、やめてって言うまで、し、シちゃうからっ! そしたら、あたしと同じになって、それで相子でしょ?」

思い出されるは春先の彼女の手と、雨の日の口の感触。

全部。

それらも含めて、全部?

まだ知らないこともある?


「え、マジで?」

「ちょ、ヒッキー!? なんでそんなに嬉しそうなの! こ、こわがってよ!」

「いやだって、色々シてもらうとか、男子的には夢だろ。 さっき言ったじゃねぇか全部OKだって」

「も、もー! 反省してよ! 反省させるから! 絶対させるから! 今から後悔しても遅いんだからね!?」

……そんなこんなで、言われるまでは正に恐怖で震えていたのに斜め上の提案が吹き飛ばしてしまった。

これが正常な関係性だとか平均値かなんてのは分からないが、男女の性の観点は正しく逆であるらしい。
何とか首が繋がり、それどころか次の予告まで頂いては期待する名という方が無理というものだ。

こんなのが続いていくなら、ちょっとやそっとのやらかしじゃ恋人って関係性は崩れないのだろう。

なんだ案外いけるじゃないか大丈夫大丈夫。



……大丈夫だよね?



涙がこぼれそう、どうも>>1です

長いスランプの上に色々ありすぎてこんなにも時間が経ち原作者に指差せる立場ではなくなってしまいました、申し訳ありません
ですが原作でどんな目に遭わされても俺にとってはこっちが原作だぜゲハハと言い張る為に何とか完結まで持って行きたい所存

いつにも増してガバガバな出来ですが第五話導入ですどうぞ



『あなたが──蜘蛛だったのですね』



複雑に絡み合った因縁と遠謀は同心円状に美しい紋様を描き、冒頭と同じ文句で物語は幕を下ろした。


閉頁。

嘆息。

満足。


煉瓦の如き文庫本の読破から得られる快感は脳や心だけでなく、
その重量を支える腕にも解放感という形で訪れた。
ページを捲り始めてから優に一週間は経っている為殊更だ。

読書趣味を自認しているとはいえビブリオマニアとまでは行かない乱読派であり、
それ故に分厚い物は無意識に避ける傾向があったが、一念発起しシリーズを読み進めていった甲斐があったというものだ。

脳内麻薬でも分泌しているのだろう、脳髄の奥底に達成感と快楽を刻み込むと1000ページを超える文庫本をパタリと閉じ、

「――終わったの」

……小説の内容をなぞるが如きじとじと湿った響きが俺に向けられた。


チラリと前を見やれば、そこには言葉と同様湿った視線を向ける不機嫌そうな犬が一匹。
かのクリストファー・ウォーケン、トム・ベレンジャーを超える今世紀最大の犬チックこと由比ヶ浜結衣である。
渋谷駅前の忠犬や疲れた少年と一緒に召されたセントバーナードにも負けない千葉最大級の御犬様だ。

そんなワン公女子が入り浸って久しい比企谷別邸アパートの一室、読書を開始してから優に二時間は経過していた。

「えー、うん、読み終わった、です」

「スゴい集中してたけど、面白かったの」

「アッハイ」

「そう」

ぶつ切りというか、なんというか。
何時もは喋り始めりゃ一人でも姦しい彼女には珍しく、単なる確認で会話は終わる。
そも会話なのかこれ。

遊びに来た彼女を放って二時間も読書に耽る糞野郎が俺であるが、
根っこの部分が未だペニシリンの培養にも使えない青カビの出来損ないな性分としては
ここに至る経緯を認識すればこの手の逃避も仕方無いと思いたい。

何せ勘違いの暴走状態で強か……和姦の上で失敗したのが昨日のことだからだ。


そう、新家具であるベッドの確認という名目で彼女が我が家にやって来て誘惑してきたのが昨日。
妙な空気で終わった逢瀬から今の状況まで二十四時間も経っていない。しかも学校帰り。

良いも悪いも女性はサッパリ振り切るし、うじうじしつこいのは男性と話は聞く。
だが昨日の今日の気まずさでアウェーまで踏み込んでくるとは予想外デス。
いやここが既も彼女の縄張りと言われれば否定出来ないけど。実際昨日マーキングしてたし。

更に言えば、今日は学校で彼女と顔を合わせてからずっと同じ仏頂面。
視線が合う度一々「むむー」とか口に出すくらい徹底した馬鹿、もとい不機嫌ぶりだった。
誤魔化し半分からかい半分で「今日はなんか可愛いな」とか言ってやると力を緩め
「そうかなえへへ」と最高の照れ顔を披露してくれた辺りは如何にも由比ヶ浜結衣らしいことである。

迂闊にもそれを指摘してこれまでに無い程不穏な顔をさせて今に至ることは公然の秘密。


……まぁこんなことを考えつつも昨日のやらかしを後悔し反省しているのは本気だし、
これまでの負の積み重ねを思えば不機嫌さを隠そうともしない様子に不安を覚えるなと言う方が無茶な話だ。

じっとり心身に張り付く湿った空気。
梅雨前と言えど初夏も過ぎようという時期にあってこの湿気は気候のみが原因にあらず。
頭蓋の内外が膨張か圧迫されるような錯覚と合わさって如何ともし難い居心地の悪さがたっぷり二時間俺を苛んでいた。

でもこんな状況下で逃避目的とはいえ読書には集中出来るんだから我ながら大層な面の皮である。


「……」

「……」

「……なぁ」

「なに」

「な、なんか飲む?」

「いらない」

「あ、うん」

「……」

「……」

これと同じ遣り取りが帰宅直後にもあったのだ。学習しろよ俺。


くそぅなんだこれ。
かつては気を遣った結果会話よりも沈黙に重きを置いていた俺が、
今は沈黙に耐えかねて慣れない気遣いを口にすることになろうとは。
しかもバッサリ。救えねぇ。

矢張りこれは、もう取り付く島もないと、
お前はやり過ぎたのだと、
それにつけてもカルタゴ滅ぶべしと、そういうことなのだろうか。

由比ヶ浜が如何に〝出来た〟性格をしていようと、
それは俺という人間の不始末全てを抱え込んで尻ぬぐい出来るということを意味しない。
そんなのは出会ってからここ数ヶ月で嫌というほど思い知ったことだ。
だから一晩経って、改めて俺なんかと付き合いきれないと思い直したっておかしくないのだ。

彼女の胸の裡は既に傷だらけなのだと、他ならぬ彼女自身から告げられたばかり。
昨日の出来事が一日遅れでトドメになっていないと信じられるほど楽天的ではない。
積み重ね始めた端から、倒れようのない横置きの積み木を吹き飛ばしてしまうのも比企谷八幡なのではないか。


鉄球を丸呑みしたかのような負荷が内蔵を、不気味な動悸が血管を痛めつけ、
彼女にどう接すればいいかと考える余裕すらなくしかけていた。

その時である。

「……カーテン」

「へ?」

予想外の一言。

対する俺の間抜けた返事。

事態は由比ヶ浜が動かした。

「カーテン、閉めてあるの?」

言っていることの意味は分かるが、理由を飲み込めない。


「えー、あー……き、昨日のまんまだから、多分、閉めてある」

そもそも見れば分かる話ではあるが、カーテンは昨日のまま閉まっている。
部屋の状態を戻すのも億劫に感じていたということはあるが、
ぼっちの習性なのか暗がりとか狭い場所にどうも愛着を覚えるものでして……半年一年そのままにしていた可能性が微レ存。
どころか倍率1.1倍以下の鉄板。

「……そう」

またもその二文字で確認のリピート。
最低限の遣り取りで目的を果たすのだから効率化至上主義足る現代の風潮に合致し、
故に人の間の交流としては寒々しい。

何の為の確認か、と考えるも、彼女もまた過ぎた沈黙に耐えかねたのかもしれないと落ち着く。
内面がどれだけ沸騰するか凍てついていようと彼女は彼女で、
声帯鼓膜の無振動も、陽の光の射さない部屋も、本来苦手にしているのだ。
そうした内面の発露が無意識に行われていたと考える方が妥当なんだろう。

そんな「らしさ」を蔑ろに「らしくなさ」を強要しているのだとしたら。
やはり比企谷八幡には誰かと寄り添い生きることなど不可能で、
ましてや相手が由比ヶ浜結衣であることなど泡沫の夢でしかなかったということなのか――。


「……ちょっと暑いね」

ぼそり、新たな響き。
囁きとも言える小さな声だったが、
悪い未来の予知か想像に混乱している脳と鼓膜はそれでもその意味を拾い上げた。

あつい。
あー、暑い。じめってる。

そりゃぼっちの棲家はじめじめするだろうし五月にしてこの湿気というのも
お前の存在が梅雨の梅雨らしい所以なのだぼっちメン!と遠回しに言ってくれてるのかなハッハッハ泣きそう。

女性って一度嫌ったものに対する評価は死んでも変えないそうだよお兄ちゃん、

なんてネットで拾った俗説が愛する妹の声で記憶の底からリフレインして脳震盪起しそう……。

「あ、あつい、ねー、あついなー」

ああ、そんなにもお前がカビの温床なのだ消えろイレギュラー!と仰りたいのか……
と脳を虐めるストレスに流されて考えたのが一瞬。

……んん?


「あっついなー、もうー」

棒読み。

「な、なんでこんなに、あついのか、なー」

大根。

なんだこの、なんだ。
暑いというかもう春も過ぎ去った陽気ではあるんだが、そんなに暑い?
いやこれはバイキン男か夜叉猿の爪もビックリするような雑菌塊がお前じゃい!
という気の利きすぎた比喩の流れであって字面は何も関係な……。

「も、もうー、こまっちゃうよねー」

しかし由比ヶ浜、ここでシャツの襟をパタパタ。
夏場とかで特に効果もないのに外気を取り入れて冷えた気分になるアレ。

なんかその速度が妙に遅く、しかも下気味に範囲が広い。
あんたそれ、お山と渓谷が見えちまう奴でっせ……!

「……チラ」

そして口に出してチラ見。
薄暗くじめじめどんより、という空気は斜め上の疑問符で別方向の重さを増しつつある。
だが「良い船です」としか言いようの無い痴情もつれまくりな空気より
ソフトでウェットに摩擦0で行うシュールギャグで寒々しい方が八幡君適正高いからな!


「……何やってんのお前」

ツッコミだ。ツッコミしかない。
これが今俺に許された唯一の特火点……それトーチカじゃねぇか守ってどうする。
ともかく今何か選択肢があるとすればここでの一転突破だ。後のことなど知ったことか。

「なにって……いや、あついなーって」

「いや不自然すぎるだろ色々……熱でもあんの?」

「べ、別にフツーだし……あ!」

「急に大きな声だすなっt」

「今あたしの、む、むね見たでしょ! うわやらしー、ひっきーの、すけべー」

斜め上、或いは下。

生谷間in由比ヶ浜にドギマギせんこともないが、
今の状況のあまりの不自然さと数秒前より更に磨きのかかった棒読みに折角のエロハプニングは台無しになってしまっている。

つか既にスローペースどころか襟下に引っ張ってるだけのお前に視線向けたら否が応でも見えるでしょー。
……だから乳にだけ反応してstand up to the victoryしてくれるなよ愚息よ。


「今朝サブレに噛まれた? 水怖がって痙攣したりしてない?」

「それ狂犬病! ちゃんとワクチン打ってるし日本安全じゃん!」

「何だ、由比ヶ浜の癖に詳しいなエライねぇ~」

「そりゃ犬飼ってるし……ていうかその馬鹿にした言い方なんなの!バカにしすぎだからぁ!」

「由比ヶ浜、酸素欠乏症にかかって……」

「よ、よくわかんないけどバカにされてることは分かるし!」

とまぁ神風特攻は功を奏したのか、いつもの様な俺達のリズムに戻る。
これがいつもってのも別の意味で問題な気がするが今は見ない振りをしておく。

ともあれ、

「まぁ諸々置いといて、お前今朝からなんかおかしいだろ……何かあった?」

ここまでノリが元に戻るなら別れ話とかそういう致命的なアレはないと信じたいところ。
……こうでもしないと彼女の奇態にすら口出し出来ないんだから俺ってやっぱ俺なんだなぁ。


「何か、って……」

「そのさ、頼りないかもしんないけど、てか実際頼りないけど、か、彼氏だろ俺。 何かあるなら、言ってほしいなとか、頼って欲しい、的な……」

そして決め台詞もどもりまくる実に比企谷八幡。これでも渾身なんですよ……。

「……もう忘れたの?」

「へ?」

「き、昨日のこと! あんなことあったのに、もうバカ!」

「昨日の……」

やっぱり昨日の件じゃないか!
先までの奇行との関連は分からず意図も読めないが、やはりこれはもう挽回不可能、
我々の恋仲の比喩たる豊かなチュニス湖東岸に塩を撒いて引導を渡してくれるわという意思表示だったんだなぁ。
……練炭と混ぜたら危険な洗剤の組み合わせってどっちがお手軽なんだろなー?


「いや、忘れてないから……ごめんなさい、すぐしにます」

「し、しななくていいから! 大袈裟すぎるっ!」

「いやだって、もうあんたとは付き合いきれんわぁって話じゃないのかこれ」

「なんでお笑い芸人っぽいの……そんなことないし、その、昨日のことは気にしてるけど、それだけで嫌いになんてならないから……」

「そ、そうスか……」

良かった……いや本当に良かった。
ここで別れたりなんかしたら自決できなくともマジモンのヒッキー確定ってところだったぜ……!


しかし、最大の懸念が解消されても疑念は消えていないのである。


「そ、それはともかく、じゃあさっきの……暑いとか、アレなんだったんだよ」

「わ、わかんない?」

「サッパリ分からん」

目に見えない妖精が部屋埋め尽くすレベルで分からんわ。ハートを大切にね!

「えと……何も思わなかった? 感じなかった?」

「ばかだねぇ、じつにばかだね、とは思った」

「なんでドラちゃん風なの!? バカにしすぎ!」

「いやだって、なぁ」

「も、もう! 本当にもう!」

本日現時点で最大の激昂を見せた由比ヶ浜結衣、そのままこちらに掴みかかり……って、え?


「お、おま、何!?」

由比ヶ浜の左手が俺の肩にかけられ、一気に距離を詰めてくる。
かけられる力は彼女の見た目に相違なく強くはないが、
その勢いと気迫は永世名誉鶏肉男子を圧するには十分な力があった。

え、DV? DVなの? 猟奇的な彼女なの? ギンタマンなの!?
そもそも家庭内暴力って俺まだ由比ヶ浜と結婚してるわけじゃないんだよなぁってかまだってなんだまだって結婚するつもりなんてそりゃいつかはって思ってるに決まってんだろつかこの思考スピードはなんだよ走馬灯なのこんな乱雑なのがそうなの死ぬの俺――

だが、

「これで、どう!? 何にもないの!?」

(由比ヶ浜結衣にしては)精一杯の怒気が込められた声で、左で俺の肩を抑えたまま、
乗り出した身を俺の目前に、右は再びシャツの襟からバレーがアップ……て、え。


バレーが、

谷間。

山が、

熟れた果実で。


「え、お、おま」

至近距離、文字通り目と鼻の先。
白くて、豊かで、何よりも柔らかいことを俺が知っている、

由比ヶ浜の、胸が。

目前に、

乳が。

「ど、どう!? これでもコーフンしないの!?」

「あ、え、それは、します」

しますとも……なんで敬語。

「ふ、ふーん、じゃあコーフンしたヒッキーは、どうしたいの?」

「いや、どうもしません、です」

「なんで!?」

自分が悪いという前提でなら差し障りの無い返答が脊髄反射レベルに染み付いたナチュラルボーン謝罪人間比企谷八幡の本領発揮である。
……いや由比ヶ浜の反応的には明らかに失策なんだけど。


これはあれか、昨日と同じで、誘惑してるつもりだったのか。
だからカーテン気にしてたのか。
そういう案件なのか。

「胸見えたってだけで興奮はともかく、その、盛るって、痴漢じゃあるまいし」

「そ、それはそうなんだけど……でも、こ、こいびとの、む、むねが見えてても、何もないの?」

「いやそれはほら、親しき仲にも礼儀ありとか、昔の人は言いまして」

「それもそうだけどー……」

みるみる萎んでいく由比ヶ浜の覇気であった。改めて自分の水差す才能に惚れ惚れするぜ……。

まぁしかし、誘惑というか、そういう方向に持って行きたかったのは何故なのか。
それも昨日のようなことがって、それでも昨日の今日でそうしたというのは。
問わねばなるまい……見えてる地雷なのかもしれないが、
それでも踏み込んでいくのは彼氏とか、恋人ってヤツの責務ではないか、と思う。

出来うる限り丁寧に、丁寧な配球を心掛けて。


「あのさ、その……シ、シたかったの? セックス」

ごめん、デッドどころかビーンボールになった。

「そ、そーいう聞き方はデリカシーとか、ないよ……」

「わ、悪い。 いやでも、その、そーいうこと、なの?」

事前にデバフってたお陰か由比ヶ浜の反応に激したものはない。
そして言葉から察するに、渇望やら欲求を否定してはいない。

これは、まさか、本当に――?

今日一日のジェットコースターの締めくくりが昨日の再現であると、
あらぬ期待に下半身の神経が俄かに強張り始める。

「……言ったじゃん」

「へ?」

「リベンジするって、昨日言ったじゃん。 だから……」


俯いて、由比ヶ浜らしからぬ低い調子で呻く様に。
あれやこれやですっ飛んでいた記憶、それは確かに昨日、自分の耳朶から脳細胞に刻み込まれた言葉だった。
リベンジすると、やり返すのだと、俺が茶化して冗談半分にしてしまったそれを、彼女は真であると言うのか。

「マジで!?」

「だからなんでそんなに嬉しそうなの!? む、無理やりシちゃうんだよ!?」

「逆に考えるんだ、無理やりして貰えると考えるんだ」

「うぅ、もしかしてヒッキー、変態なの……?」

世界のS・M比率なんて知るべくも無いが、年上お姉さんの上からご奉仕的なのとか、ジャンルとしちゃメジャーですよ?
まぁ由比ヶ浜は同い年だしお姉さん面しても大層バカで可愛らしくなってしまうからミスマッチかもしれないが。

「でまぁリベンジはいいとして、さっきの……その、胸がどうだの、あれ何か関係あんの?」

「……い、言わなきゃダメ?」

「駄目とは言わんけど、変だったし、気にはなるし」

それが誘惑であることの裏付けは取れたようなもんである。
しかし何かシチュエーションの意図があったのは察するがどうも杜撰で、ある種の疑念と興味は尽きない。


「……えと、む、胸が見えちゃって、そしたらヒッキーはコーフンする、でしょ? するよね?」

「まぁ、それは、さっき言ったとおり」

「う、うん……それで、コーフンしたヒッキーがあたしに……それを、まだダメーって止めて、シたいです、シてくださいってお願いしてくるまでストップさせて、し、躾ちゃう、みたいな」

ぼそぼそ俯きがちに話す由比ヶ浜の意図を聞き、ようやく合点がいった。
主導権を握りたかったと。
そうだったのか、そういうシチュエーションを期待していたのか。

「バカだろお前」

「ま、またそういう言い方して! 何度もバカにし過ぎだから!」

「そもそも脚本も演出もなってないし、それに俺が無理やり、手篭め、とか、そういうのしようとしたらどうするつもりだったんだよ」

「て、手篭めって」

「力ずくでとか、それこそお前の言う無理矢理って奴だよ」


まぁそういうことである。
由比ヶ浜のガバガバストーリーラインはともかく、スポーツもトレーニングもしているわけでもない彼女が、
同じく運動経験薄いとはいえ成人前の男性に腕力で訴えられたらどうするつもりだったのか。
緩そうに見えても男子の下心からスルスルと慣れた調子で逃げ回っていた彼女らしからぬミスというか。

「それは、その……」

俺の指摘に今更気付かされた由比ヶ浜は、口中でもごもごと声ならぬ言葉を泳がせて、

「……やさしく、してね?」

上目遣いで、頬を赤く、怯えと甘みを響きに含み、仰ったのだ。

ハイ死んだ! 今俺の心臓死んだよ! 何度目だよ!


「い、いやお前、それ何の解決にもなってないし、その、お前それ……」

「で、でも、そうなっちゃったら、そうするしかないし……ヒッキーなら、聞いてくれるかもって」

「いやまぁその可能性は否定しないけどな……そもそも逆襲されてんじゃん、リベンジ返しじゃんよ」

「あぅ……」

何を期待されてんだ俺は……そもそも優しく出来なかったからリベンジ云々って話になってたんじゃないのか。
支離滅裂な由比ヶ浜の言いようも、全部彼女の可愛らしさで引っかきまわされて『わや』になる。
なんかもう大変で、疲れるのに、どうしようもなく幸福感で満ちてしまうのは、それは。

「うぅ、リベンジ失敗しちゃったよ、どうしよヒッキー……」

それを俺に聞くのかよ、と思いつつも声には出さなかった。
何故ならば。

「ま、まぁ面接?は失敗しても、この試験は実技で取り返せるぞ、多分」

「そ、そうなの?」

期待して、
期待して、
俺の方がもう止まれなくなっているから。


昨日の己の失敗を彼女に転嫁しているようなものかもしれないが、
由比ヶ浜が「シてくれる」という、その希望が己の失態を無視して走っている。
昨日の今日でこれなのだから、俺が自分の失態を本当の意味で反省することはありえないのかもしれない。

罪悪感はあるが、それすら超えて張り詰めた神経が血流となって勃ち上がってしまっている。
ならばもう行く道は一つしかない。

「じゃ、じゃあ……リ、リベンジ、お願いします」

「は、はい……リベンジ、し、します」

こうして、何故か俺の主導により由比ヶ浜結衣の逆襲は始まったのだった。

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