夕焼けこやけの観覧車 (68)
あれはまだ、私が小学校に入学したばかりのときだったか。
今でもよく覚えている。
それはもう、本当に悔しかったのだから。
1970年代の中頃。
「フラワーランド」は、まだオープン間もない遊園地だった。
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そのとき、私は両親に宥められながら、観覧車の窓際で大泣きしていたことを思い出す。
一番楽しみにしていたジェットコースターに、乗ることができなかったから。
乗り場の前に置かれている、身長制限を見極めるための看板。
そこに描かれていた宇宙服を着た少年は、当時の私の体よりも大きかった。
「ごめんねぼく、また大きくなったら来てね」
晴れ渡る青空の下。遊園地のスタッフが、まだ幼かった私に優しくそう囁く。
絵の中の少年は眩しいほどの笑顔をヘルメットから覗かせ、それが私にはとても憎らしかった。
だが……どうしてだろう。
ここまでは、両親の前で少しでも大人びた自分を見せようと、悔しくても涙は流すまいと踏ん張れた。
家が裕福ではなかったにも関わらず、厳しい中でのやりくりで私を遊園地まで連れてきてくれたこと。
それを知っていたから、私は両親に感謝こそすれ、わがままを言って困らせてはいけないと思っていた。
当時の私が乗れそうなアトラクションといえば、もう観覧車くらいしか残っていない。
両親はそれのチケットを三人分買って、最後に乗せてくれることとなったのだが……。
それがまずかった。
私たちを乗せた観覧車のゴンドラは、静かにその身を揺らしながら地表を離れてゆく。
優しかった母の膝の上に座り、その暖かみを感じながら。
父は私の気分を盛り上げようと、ゴンドラの窓から見える景色をあちこち指さして、そのつど私に教えてくれた。
そんな彼らの気遣いが、かえって私の心をちくちくと刺すのだ。
やがて、ゴンドラは観覧車のてっぺんにまで登り詰めた。
窓から差し込んだ夕暮れの陽が眩しくて、眩しくて。
目を逸らした先、オレンジに照らされた下界の街が、まるでミニチュアのようで。
そこを行き交う人も、建物も、車も。
私にとって、みんなちっぽけなものに見えた。
そして、私自身もそんなちっぽけな存在の一つだと知った。
途端、私は大人びることがついにできなくなってしまったんだ。
自然と涙が溢れ、ジェットコースターに乗れなかった悔しさを吐き出してしまう。
ゴンドラが地表に向かってふわりと降りゆく中、私は窓をドンドンと叩いて、わんわん泣いた。
抑えていた感情を、抑えきれなくなった。
そんな私を、両親は囁くように宥めたが、咎めることは決してなかった。
ゴンドラを降りて、私が泣き止むまで、ずっと。
父の運転する、帰りの車の中。
私は買い与えられたキャンディーバーを舐め、元気を取り戻しつつあった。
フラワーランドを出て、高速道路の入口に差し掛かったとき。
私は夕焼けをバックに佇む観覧車の姿を見た。
今思えば、当時の私も無意識に理解していたのだろう。
観覧車が教えてくれた、大切な“なにか”を。
だから、私は心の中でこう言ったんだ。
「ありがとう」と。
……
…………
………………
今日はここまでにします。
仕事終わりにちびちび書いていくので、よければ今後もお付き合いいただけると幸いです。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
今さらですが作中に登場する「フラワーランド」は、山口県に実在する同名の遊園地とは無関係です。
架空の遊園地としてお考えください。
では、続きを書いていきます。
あれからしばらく経って、学年が小学三年生に上がったときのこと。
図らずも、私は再び「フラワーランド」を訪れる機会を得た。
小学校でできた友達の親御さんが、私をそこへ連れて行ってくれることとなったのだ。
とても気のいいおばさんで、私のことも実の息子のように可愛がってくれる人だった。
私の家庭のこともよく知っていて、私と両親は今でも感謝している。
……とまぁそれはともかく、私はまたあの遊園地に行けることが何より嬉しかった。
私は苦手だった脱脂粉乳をたくさん飲んだ。
夜空を駆けるふたご座流星群に、お祈りもした。
すべては、ジェットコースターへのリベンジを果たすため。
形はどうあれ、あれは私が生涯で初めて自主的に行った“努力”だったと思う。
そのぐらい必死だったのだ。
そして、ついにその日はやってきた。
すみません、飯食ったらすぐ再開します
宇宙服姿の少年は以前よりもややくすんで見えたが、その眩しい笑顔は変わらない。
何より変わったのは、私と彼の目線の高さだ。
私より背の高かった友達は早々にこれをパスして、乗り場で私を待った。
対する私は、心臓が爆裂しそうなほどのドキドキの中、意を決して少年の横に並ぶ。
背はほんのわずかに足りなかった。
だが、スタッフのお姉さんは特別に私を通してくれた。
背が届かなかったことは若干悲しかったが、私は晴れてジェットコースターに乗ることができた。
友達も「やったな」と声を掛けてくれたので、結果的にはハッピーだったと思う。
私は鉄板の階段を、カンカンと飛ぶように駆け登って行った。
ジェットコースターは二列の黒いシートが前後に備わった、箱型の6両編成。
私と友達をシートベルトで結んだそれは、発進のピポポポポポというけたたましい合図とともに、がちょんと動きだした。
その時、座っていた箱が高さを上げてゆくたび、抱いていた高揚感が、後悔の念に変わっていったことはよく覚えている。
てっぺんから真っ逆さまに滑り落ちる刹那、私が心の底から本当に叫んだことも。
「もうこりごりだぁ」
「ぎゃはは、ばっかみてー」
ジェットコースターにはもう二度と乗りたくないが、二度目の遊園地は実に楽しい所だった。
一緒にいるの人が両親か友達かでは、感じる楽しさのベクトルもまた違って思えた。
何より子供が一人だけでいるよりも、二人いたほうが“らしさ”があるというもの。
私たちは二人で気が狂ったように遊んだ。
大きな主柱を中心に360度振り回される、空中ブランコ。
クソガキ根性丸出しで、ハンドルを回しに回したコーヒーカップ。
土台の上を不規則に前後回転する、名も知らぬ真ん丸な乗り物。
こうやって見ると、私たちは常に回ってばっかりだった。
それを外から見ていたおばさんの笑顔も印象的で、よく覚えている。
やがて遊び疲れた私たちは、最後にあの観覧車に乗ることにした。
あの時とは違い、高揚感で満たされていた私は常に外の景色に夢中だった。
私はうんと遠くを指さして、「僕の家はあそこだよ」と友達に教えてあげた。
すると、友達が「じゃあ俺ん家はあれだぞ」と、ビジネスホテルか何かの建物を指さした。
それに負けじと私はもっと大きなホテルを指さし、友達もこなくそとより大きな工場を指さす。
私たちの家が戯れで段々と大きくなったところで、同乗していたおばさんが冗談交じりにこう言った。
「あんまり暴れると、観覧車が取れて落っこちるよ」
私たちは、一瞬で静かになった。
それからというもの、私と友達は小学生の間に、何度か「フラワーパーク」へ連れて行ってもらえた。
あそこは大きな遊園地ではなかったが、それが“子供”だった私たちの歩幅にちょうど合っていた。
勉強のことや嫌なことなんか全部忘れて、友達と一緒にバカをやる楽しい時間。
そんな時間を過ごした二人が、最後に揺れる観覧車のゴンドラの中で一日を振り返り語らいあう。
このときの私は、それがいつまでも続けばいいと思っていた。
小学生最後の夏……私と友達は、いつものように観覧車に乗った。
いつもであれば、あのアトラクションに何回乗ったなとか、あのお化けの塗料が剥がれてたなとか。
そんな話で、1周15分前後の時間が過ぎていく。
だがこの日に限って、友達はこうぼやいた。
「この歳になって男同士の観覧車はないぜ」
「あ~ぁ、いつか女の子と乗りてぇなぁ」
友達が特別ませていることもあったが、私にはその言葉の意味が分からなかった。
結局、そんな何かの心の芽生えのおかげか、それ以来私は友達と一緒に遊園地へ行くことは無くなった。
もっとも、彼と私は今でも連絡を取りあう程度に仲良しではあるが。
今日はここまでです。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
彼とフラワーランドへ行かなくなったことも、はじめは若干寂しいと感じていた。
だが、やがて中学生となった私の心は、そんな気持ちをどこかへ押し流していった。
勉強や部活動に割く時間が増え、遊園地に対する執着がなくなったのだと思う。
めぐるめく時間、「思春期」の到来。
やがて訪れる自分の将来に、少年少女がおぼろげな想いを馳せるときだった。
とはいえ、私の家庭はあいも変わらず貧乏なまま。
見据えていた将来の自分の姿といえば、それは親に楽をしてもらうために働くことだけだった。
先生も友達も、周囲はそれを褒めてくれたが、そのために私は勉強一筋となった。
ことさら、移り変わる流行や恋愛沙汰といったものには、かなり疎くなっていった。
部活動も早々に辞め、交友関係も幅を狭めてゆく。
私はそれでよかった。
もっとも、貧乏で奨学金を借りることにも抵抗のあった私は、大学まで進むつもりはなかった。
そのために私は就職を見越して、地元のごく一般的な公立高校への入学を決める。
だがここに来て、私がそれまで押し殺してきた心が再び芽吹くこととなろうとは。
忘れもしない出会いだった。
彼女はクラスのマドンナではなかったが、隣り合う机のウマの合う女の子だ。
会話下手となってしまった私に対しても、彼女は気さくに話しかけてくれた。
単純な動機だが、私はそれが嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
それからというもの、私は彼女の気を惹くことに注力した。
流行に疎い自分がインターネットの普及していない時代にとるべき行動。
それは、疎遠になりかけていた友達との交流を取り戻し、そこから情報を得ること。
そして、これまで見向きもしなかったテレビジョンを、貪るように見ることだ。
今思い返せば、この時期はまさに人生の転機だった。
中学で思い描いていた自分の姿は少しだけぐちゃぐちゃになってしまったが、これは寄り道なのだと自分を納得させる。
彼女と過ごす自分の姿を妄想し、部屋で一人ニヤつく私の姿は実にお笑いだった。
だが、そんなアホらしくも真っ直ぐな気持ちは、私の行動力を育んでくれたように思う。
やがて、私はアルバイトを始めた。
収入の半分は家に入れつつ、娯楽に割く分は自分で面倒をみることにしたのだ。
これらの努力の甲斐もあって、私はついに彼女を“デート”へ誘うことに成功した。
スポットが当たったのは、あの「フラワーランド」だった。
……
…………
………………
デート当日、それは炎天下の初夏だった。
新車のシルビアに乗って、ディズニーランドへ……とはいかず、私は電車でフラワーランドへやって来た。
慎重な服選びの末に選び抜いた黒のポロシャツに紺のチノパンを身に着け、門の前で落ち着きなく待つ。
高校受験の時以上の緊張が、私を襲っている。
滴る汗が、暑さのせいでないことだけは確かだ。
やがて、彼女はやって来た。
長い髪のワンレンが良く似合う、ブルーチェックのワンピース姿だ。
私を襲った緊張感は、より苛烈さを増した。
6月の休日とはいえ、ここもまだ多くの人で賑わっていた。
とりわけ、最近になって登場したアトラクションなんかには、大勢の人が並んでいる。
彼女もそれに乗りたがったので、私たちは列に並ぶことにした。
しかしここで、ひとつ問題が発生した。
何故か、いつものように会話ができない。
私は彼女を楽しませなければならなかったが、それが思うようにいかないのだ。
隣にチラチラと目を遣ると、彼女はむっと暑そうな顔をしていた。
私は焦りに焦った。
中々目を合わせられない中、私は勇気を振り絞って一言かけた。
「コ、コ、コーラかなんか、買ってこようか」
「あ、じゃあ私が買ってくるよっ」
「え、いや、そんな」
「ちょっと待っててね」
彼女は一人で自販機に走っていった。
なにをやってるんだ!
そこは、「俺が奢るからいいよ」「何にする?」と言うべきだっただろう!
私はそうやって自問自答するが、何にしたって一人残された自身の姿は情けないものだ。
一旦ここまでです。
夜もまた書きます。
すみません、帰ってきましたが滅茶苦茶眠いので、続きは夜中か明日の朝に書きます
本当にすみません
その後も、私と彼女の間には変な空気が流れているような気がして仕方がなかった。
例えばお化け屋敷に入っても、お化けのからくりのチープさが目について、お互いリアクションに困ったり。
ジェットコースターに乗った後、「顔色が悪いよ」と心配をされたり。
昼食をとる時も、空いた座席を見つけられなくてその場でおろおろしたり。
こうなると、もはやどうすれば楽しく会話ができるかどころの話ではなかった。
3年近く研鑽を怠ってきた社交能力の無さは、一朝一夕でどうにかなるものではないと思い知らされた瞬間だ。
追い詰められた私は、ついに勝負に出ることにした。
夕方までは少し早いが、友達に教えてもらった遊園地の“セオリー”なるものをここで実践する。
そう、あの観覧車だ。
私たちの前には、二組のカップルが並んでいる。
より気まずくなった空気から逃れるため、私は彼女を視界から外した。
目線の先に見えた観覧車の支柱を辿って、空を見上げる。
この歳にもなると、鉄柱同士のあの幾何学的な組み合わさり方に感動すら覚えるようになった。
乗り場付近の看板には、観覧車の説明が書いてある。
“開園当時、日本一の高さを目指して作られた観覧車です”
“フラワーランド自慢の花時計を、88mの高さより是非ご覧ください
へぇ、それは知らなかった。
いつもは街ばかり見ていたから。
私自身の気持ちを打ち明けるには、申し分のないシチュエーションだろう。
私と彼女を乗せたゴンドラは、ゆらゆらとその身を舞い上げる。
横に座ろうか、対面に座ろうか。悩んだ私は、彼女の対面に座ることを選択した。
おかげで気恥ずかしいながらも、窓から花時計を見下ろして喜ぶ彼女の、普段通りの無邪気な姿を見ることができた。
そんな彼女の姿が、私にとっては本当に魅力的だったのだ。
安心したと同時に、このゴンドラが早急に最上段まで登り詰めることを願う。
しかし、何事も私の思い通りにはいかなかった。
折り返しまでの7分半の間に、発達した雲が私たちの上空を覆っていった。
この時点で嫌な予感がよぎっていたが……。
やがて、ゴンドラがいよいよてっぺんまでやって来たという所で、そいつが突然雨を降らせたのだ。
初夏の夕立、激しい雨。周囲の景色はあっという間に真っ暗になってしまった。
これでは、花時計や街のロケーションが台無しだ。
気持ちを打ち明けるタイミングを、私は完全に失ってしまった。
希望を絶たれ、私は激しく落ち込んだ。
しかし、彼女はそれを知ってか知らずか、そんな私に対してこう言った。
「見て、他のお客さんたちがたくさん帰っていくよ」
「ラッキーだね、空いてるうちにもっと遊ぼうよ!」
“もっと遊ぼう”。
その言葉が救いだった。
結局この日、私は気持ちを打ち明けることができなかった。
だが、この一件のおかげで私と彼女は、以後より気さくな付き合いができるようになったのだと思う。
今思えば、あの観覧車は私に「がっつきすぎるなよ」と釘をさしてくれたのかもしれない。
誠に勝手ながら、そう思っておくことにした。
結果的に、私と彼女はそれから二年の時を経て、正式な付き合いを始めることができたのだから。
……
…………
………………
高校を卒業したのち、私も彼女も、お互いが仕事に就いた。
地元の土木計測会社に就職した私は、施工管理補助として懸命に働く。
根暗だった自分を律し、徐々にだが現場のはつらつとした空気に馴染むことができるようになった。
休みの少ない仕事だったが、やりがいはあったのだ。
やがて、私が晴れて一人前の施工管理士となった頃。
日本は昭和天皇の崩御を以て、平成の年号を迎えることとなる。
それから間をおかずして訪れたバブルの崩壊。
会社が公共土木工事の入札に力を入れていたおかげで、私はこれを無事に乗り切ることができた。
だが、営業職に就いていた彼女にとってはそうもいかない。
“なんでも売れた”好景気の頃とは違って、業績の悪化は免れられなかったのだ。
私が職を失った彼女と再会したとき、彼女は気丈にふるまったが、その内心を察することは容易だった。
私はただ、彼女を守りたかった。
切り出したのは、ちょうどその時だ。
「私が、貴女を幸せにする」
彼女は、私を受け入れてくれた。
一旦ごはん休憩します
………………
…………
……
それからしばらく経った、ある日のこと。
休みの取れた私は、妻と授かったばかりの第一子を連れて、フラワーランドへやってきた。
あの日、見ることのできなかった花時計を、観覧車から3人で眺めるためだ。
剥げ始めた塗装、まばらな数のお客さん。
当時は気にも留めなかったが、経年によるくたびれが随所に現れてはじめていたように思う。
途中、ジェットコースター乗り場の前に置かれた、あの宇宙服を着た少年の描かれている看板を見下ろした。
プラスチック質の足と腕が、大きくひび割れていたことが印象的だった。
澄み渡る快晴の春空の下。
形を変えない観覧車と、大きくなった私。
私と妻と息子を乗せたゴンドラは、ふわりふわりと高みを目指す。
隣に座った妻の暖かな膝の上で、我が子が大きな窓に小さな手をついて。
花時計ではなくその向こうに広がる世界へ、そのきらきらとした目を向けていた。
私の根本はある意味で、小学校のときと何ら変わっていないのかもしれない。
いつかのように、こう思ってしまったからだ。
このような繰り返しが、「いつまでも続けばいい」と。
潜在的な懐古思想に起因する情念。
そして、心のどこかで叶わないと分かっている願いだった。
やがて、息子が小学校を卒業し、娘が小学三年生を迎えた。
この頃になると、息子と娘は既にフラワーランドには行きたがらなくなっていた。
あの後、都市部に新しくできた巨大テーマパークが、子供たちにとっての憧れとなっていたのだ。
事実、私は息子たちにせがまれ、彼らを連れてそこを訪れたことがある。
大勢の人で賑わうそこは、映像と装置の一体化したアトラクションや、ホラーやファンシーを問わず、本格的な役者を起用したイベント。
極めつけは場内の雰囲気を損なわないための、徹底したスタッフの指導などが伺え、その人気も頷けた。
仕事仲間の内でも評判は上々だったが、そのうちの何人かは「商業に走り過ぎている」と批判の声を上げていた。
しかし、多くの人が望んでいるものを反映するという意味では、商業主義に走って悪いことなど無いような気もした。
そんな考えを、私が持っていたからかもしれない。
日夜飛び込んでくる、昭和後期を支えた数多くの遊園地が閉園するというニュース。
その中のひとつに「フラワーランド」の名前があっても、自然と受け入れることができたのは。
……
…………
………………
……そして時はさらに流れ、現在に至る。
夕陽の差し込む仮設事務所の中、私は最後まで残って机の上に散らかる橋の側面図を片していた。
ようやく使い慣れてきたスマートフォンを覗くと、妻からのメールが入っていることに気が付く。
娘が妻の料理を手伝ってくれたことと、息子が早めにバイトを切り上げるらしい旨が、そこには書かれていた。
どうやら皆、私の誕生日を覚えていてくれたらしい。
このような幸せな日々を送れていることが、たまらなく嬉しくて仕方がなかった。
汗の染み込んだヘルメットの紐を握り、私は事務所を出ようとした。
ドアを開けると、溢れんばかりのオレンジの光が、私の身体を包み込んだ。
光焔の陽が眩しくて、私は思わず手で目元を覆ってしまった。
やがて、私はうっすらと瞼を開く。
そこに映るのは、支柱と軸と僅かな鉄柱だけとなった、一輪の巨大な枯れた花。
夕焼けをバックに、あの観覧車がそこには佇んでいたのだ。
現場の道路橋は、かつてのフラワーパーク跡地のすぐそばだった。
跡地はしばらく手つかずで残されたままだったが、ある不動産会社の買い手が付いたことで、更地となることが決定したらしい。
私の監督する現場の作業と並行し、最後に残された観覧車の解体作業も順調に進んでいるようだ。
作業の様子はここからも良く見えるため、私はそれを常に見守る形となっていた。
とはいっても、初めは懐かしさより、高所作業員の無事を祈る意味合いが強かったのだが。
しばらくして、私の心は在りし日の記憶を呼び起こしていた。
ある時は、揺りかごのような存在で。
またある時は、人生の上で大切なことを気づかせてくれる存在だった。
歴史の上では浅い期間だったが、常に私の人生とともにあった観覧車は、今まさに姿を消そうとしている。
古めかしい遊園地が時代に取り残され、消えゆくことは当然の摂理と言えた。
私自身、それを重々理解しているつもりだ。
しかし、私と言う人間を育んだ環境や、その思い出。
ささやかながら、幸せな毎日を享受している今。
せめて、それらだけでも、私の心からは風化させるべきではないと思った。
だから、私は日が暮れるまで、心ゆくまで眺め続けていた。
あの少年の頃のように、夕焼けこやけの観覧車を。
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淡々と進めたため、退屈された方もいらっしゃるかと思います。
それでもここまでお読みいただいた方、楽しく書かせていただきありがとうございました。
このSSまとめへのコメント
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