響「ここにはなにもないぞ」 (13)

このSSを読むと雨が降ります。

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 朝、私はとある動物病院の外来患者待合室で、他の五人とともに椅子に腰を下ろしていた。私たちはみな何週間も毎日この時間に診療室に入る予約をとってあった。

 このことがどういう意味を持つかはもう少しあとで説明したいも思う。ただ、しないかもしれないとも思う。

 その日、私の隣に腰掛けているのは疲れた中年の女性だった。彼女は昔一世を風靡したアイドルで、担当プロデューサーと結婚することで引退したが、子供はできず、たくさんのペットと暮らし、やがて夫が死に、この街でも特にひどい地区のアパートに住んでいた。

 食べるものも食べず、僅かな蓄えは全てペットの食事に消えたそうだ。

 そして、全てのペットが餓死したとき、彼女は他の人々と同様、周りの人に運ばれてきた。もう少しで5階の自分の部屋の窓から飛び降りるところだったそうだ。

 私たちは、毎朝のように、私たち同士で身の上話をしていたが、彼女は突然私に「あの・・・先生は自分にできるだけ静養しなければならないとおっしゃるさー・・・でもとてもそんなことできるわけないんだぞ・・・」と話しかけてきた。

 「なぜですか?」と私は彼女に聞いた。すると彼女は言った。「えっと、自分は近所の人に、自分の頭がおかしくなったなんていえないだぞ。そんなこと知ったら、あの人たちは、いつ自分が包丁を持って家にやってくるかもしれないなんておもってるし・・・どちらにしても、こういう病気のことは、あんまり人聞きのいい話ではないさー・・・」。

 彼女はさらに続けて、「そっちだって、そっちのお友達にはそんなことお話しないだろ・・・?」と言った。

 もちろん、彼女はすでに私と顔見知りになって、私が聞きなれない、一風変ったところから来ていることを知っていた。彼女は、そこで見慣れない一風変った大勢の人が優雅な暮らしをしていると思っていた。

 昨年数ヶ月間、私は周りの人が私に敵意をもっていることを感じていた。私はいろいろ片付けたいとおもう仕事もできなくなった。おまけに私は物事に集中することもできなくなった。

 薄皮がはがれるようにそういった敵意が消えていくのを私は自分のことながら感心したものだった。人は、単に「自分ではない」ということだけで他人を恐れることができるのだ。ただ、私がそのときに感じたことをただの妄想だと考えることができなかった。

 こういった考えは寸法や重さではかることのできないものであるが、人間相互関係の本質に関連している。それなのに、これらを推計する試みもされてこなかった。

 試されることなく結論づけられてきたし、許される機会を与えられたこともなかった。咲くように全てはなされなかったし、枯れることを期待をされていた。カップラーメンの墓のように、冷えていくことを望まれていた。

 私の隣に座った彼女は、事実上、社会的正義の哲学や公正への観念がその能力と寛容の精神を発揮せず、細部にわたらない不完全な行動に移された場合に、正義や愛や平等や自由やそういった諸観念及び人間関係についての理解ある社会が達成できないでいる結果を示す、一つの実例であった。

 だから、これから私が宣言したいのだ。

 その宣言とはこうだ。

「私は宣言を書くが、何も望んではいない。

それに、私は原則として宣言には反対だ。

ただ、私は行為としての宣言には反対するが矛盾する行為には常に賛成だ。」

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