佐々木千枝「千枝は、わるい子です」 (17)

 初めて会ったとき、プロデューサーさんのことがとても怖かったのを憶えている。彼の体はオトナ相応の身長があり、顔を見ようとすると見上げなくてはならなかった。見知らぬオトナの男性というのは酷く恐ろしく、これから長い間彼と一緒にいるのかと思うと、不安で不安でしょうがなかったものだ。

 しかし、その不安もすぐに解消されることになる。プロデューサーさんは私が見上げていることに気づくと、膝立ちになって目線を合わせてくれた。そして一言、柔和な笑みを浮かべながら挨拶をくれる。私は二三度口を開いたり閉じたりした後、なんとか挨拶を返すことができた。羞恥で頬が熱くなるのを感じたが、彼は私を笑うことなく、ゆっくりと自分のことを話し始めた。
 
 プロデューサーさんの口調はゆったりとしたもので、声音は優しく聞き取りやすかった。きっと私に配慮してくれていたのだと思う。
 
 私は彼の話を一通り聞いてから、口を開いた。

「怖い人だったらどうしようって、ちょっと泣きそうでした。やさしそうなプロデューサーさんで安心です」

「それは良かった」

 プロデューサーさんは、大げさに安堵の溜息を吐いてみせた。

 その様子が少し面白く、気が抜けてしまったのか、私は心中にくすぶっていた疑問を投げかけた。

「プロデューサーさん、ホントに千枝、アイドルになれる?」

「もちろん。千枝ちゃんなら、トップアイドルになれるさ」

 私の目をまっすぐ見つめながら、プロデューサーさんは言う。彼のまっすぐな視線と、名前を呼ばれたこととの二つの理由で、私は照れ笑いを浮かべたのだ。



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 仕事の合間、ふとプロデューサーさんを見ると、彼の着ているシャツのボタンの一つが外れかかっていることに気づいた。そのことを彼に指摘すると、彼は恥ずかしげに頬をかき、外で引っ掛けてしまったのだと教えてくれた。

「まあ、家に帰るまでの我慢だな」

 そう言って、プロデューサーさんは外れかけたボタンを揺らした。

 私は「良かったら」と前置きしてから、少しを間を空けて

「プロデューサーさん、シャツのボタン、つけてあげますよ?」 

 と提案した。その時の口調は、オトナを意識した似合わないものだった。勇気を振り絞って言ってみたが、プロデューサーさんに生意気だとは思われなかっただろうか。自分で不安を煽りながら彼の返答を待つ。返事はすぐだった。

「ははは、それじゃあ、お願いしようかな」

 プロデューサーさんは手早くカッターシャツを脱ぐと、私に手渡してきた。たちまち彼の姿は、肌着一枚にスラックスというアンバランスなそれに変わる。

 露出の増えたプロデューサーさんの姿のせいで、目のやり場に困ってしまう。見てしまえば、はしたない子だと思われてしまうかもしれない。彼のシャツを受け取り、私は彼に目がいかないよう、ポケットからソーイングセットを取り出して、すぐにボタンの取り付けを始めた。

「そうだ、今日は大きなイベントだし、緊張してるんじゃないか」

 針に糸を通し、ボタンの穴を通りながら針を生地に往復させていく。

「ドキドキするけど、楽しみです」

「そうか。それは良いことだ」

 静かで心地の良い時間だった。プロデューサーさんにオトナとして扱って貰えている様な気がして、とても嬉しかった。




 遊園地の敷地にある大きな池。水上には幾つかボートが浮かんでいる。その内の一つに、私とプロデューサーさんは乗っていた。

 お仕事は夜からの予定なので、しばらくは遊んでいて良いらしい。そのおかげで、私はプロデューサーさんとの時間を楽しめている。私の対面にいる彼がオールを漕ぐと、ゆっくりとボートが前進する。私が試しに漕いでみたときは、まったく進まなかったので、彼の手腕に心底感心した。

「わ、プロデューサーさん、とっても上手です!」

「初めてやってみたが、意外と上手くいくもんだなぁ」

「揺れも少ないし、凄いですね。ずっとここにいたいくらいです」

「おいおい、褒めすぎだろう」

 しばらく会話に興じた後、私は辺りに浮かぶ別のボートを見て、思うことがあった。どのボートの上にも、男女二人の姿が多いのだ。和気藹々とした雰囲気をかもし出す彼らは、きっとカップルなのだろう。

 そうなると、私とプロデューサーさんはどういう関係に見えているのだろうか。
 
 兄妹、親子、親戚。私が思い浮かんだのは、どれも自分の期待したそれとは違う関係だ。その事実が心に重く圧し掛かり、自分は子供でプロデューサーさんはオトナだということが、否が応にも自覚させられる。凹んでしまったことが顔に出ていたのか、彼が心配そうに体調を尋ねてきた。私はそれに答えることができない。

「千枝たち、どういう関係に見えるのかな……」

 不安をつい、言葉にして零してしまう。我に返り、私は慌てて訂正した。

「あ、な、なんでもないです!」

「……それなら良いが。そろそろ陸に戻るか。千枝も疲れたみたいだしな」

 私の言葉には触れず、プロデューサーさんはそう言った。

 プロデューサーさんはどうなのだろうか。客観的に見て、彼の目に私と彼はどういう関係で映るのだろうか。気になったが、ボートの上でも、陸に戻っても、私がそれを訊くことはなかった。





 衣装として渡されたのは、桃色の牡丹と白色の菊の模様をあしらった、空色の着物だった。可愛いというよりはキレイなそれに袖を通したとき、私自身がキレイになったような錯覚を受けて、ついつい舞い上がってしまった。

 ただ、プロデューサーさんが私の姿を見たときの一声が

「おお、さすがは千枝だ。着物姿も可愛いぞ」

 というものだったのが、少しだけ不満だったのだけれど。


 イメージビデオの撮影のために、私は紅葉が舞い踊る京都を歩いていた。両手で受け皿を作ると、幾枚かの紅葉が吸い込まれるように滑り込んでくる。両手に重なった紅葉は、どれも儚い美しさを感じさせ、哀憐を誘う。それらを抱えたまま、私はプロデューサーさんに駆け寄った。

「見て下さい。こんなにいっぱい紅葉が集まりました!」

「おお、よく集まったな。どれも綺麗なもんだ」

 プロデューサーさんは私の持っている紅葉の内から一つを摘み取り、それを眺めて小さく頷きながら感嘆の吐息を漏らした。

「はい、とってもキレイですよね……」

 言葉を続けようか、数拍ほど逡巡してから口を開く。

「千枝、プロデューサーさんといっしょに京都に来れてよかったです。お仕事してて、良かったなって……!」 

「嬉しいこと言ってくれるなぁ。俺も千枝と仕事ができて、嬉しいよ」

 プロデューサーさんは満面の笑みを浮かべ、そう言ってくれる。けれども、彼の嬉しいは私のそれとは根本が違っているのだろう。私がもっとオトナであれば、彼と私の感情のズレは少なかったのかもしれない。

 はがゆく思い、私はプロデューサーさんから一歩距離をとり、その場でくるりと一回転してからポーズをとる。呆然とする彼に向かって、私は問う。

「あの……着物、似合ってますか」

「ああ。さっきも言ったけど、似合ってて可愛いよ」

 それなら、ともう一度質問する。

「千枝、オトナっぽく……見えますか」

 私の問いに、プロデューサーさんは何度か瞬きをしてから答えた。

「そうだな。初めて会ったときよりは、だいぶ大人っぽく見えるな」

 もやもやとする曖昧な答えに、私は少しだけ眉根を寄せて、無言で抗議をしてみせた。






 次の仕事は、悪魔の格好をするらしい。衣装を見せてもらうと、それはいつもよりほんの少し露出が多く、スカートの丈も短いものだった。

「千枝はわるい子じゃないです……」

 両親からはこういった格好をする子は『わるい子』だと教わっていたので、ついプロデューサーさんに文句を言ってしまう。彼は小さく笑ってから「知ってるよ」と言った。

「ファンの皆に、いつもと違う千枝を見せてあげたいんだ。千枝がさっき言ったような、悪い子な千枝をね」

「わるい子——わ、わるい子だぞー?」

「あー……うん、そんな感じ」

 苦笑浮かべるプロデューサーさんを見て、きっと違うのだろうな、と分かってしまった。



 わるい子というのはどんなものなんだろうか。どれだけ考えても、漠然としたイメージしか浮かばず、お手上げだった。

「プロデューサーさん」

「なんだ?」

「千枝に、いっぱい教えてください」

 私の言葉に、プロデューサーさんは額に汗を浮かべる。もしや、なにかおかしなことを言ってしまったのだろうか。

「なあ千枝、教えてほしいのは悪い子について、だよな?」

「えっと……そうですよ」

「そうだよな。ごめんな。俺、疲れてるみたいだ」

「え、大丈夫なんですか!」

「うん、体は大丈夫。頭がちょっとな……」

 プロデューサーさんはしきりに「馬鹿、俺の馬鹿」と呟き、頭を抱えている。その様子がおかしくて、私は頬を緩ませた。




 プロデューサーさんへの想いは募るばかりだった。

 初めて会ったときから、ずっと優しくしてくれる彼に、私はいつの間にか恋に落ちていた。

 プロデューサーさんはオトナだ。背は高いし、仕事もしている。他のアイドルも担当しているが、それでも私を気にかけてくれる。

 この想いを打ち明けたら、彼はどう応えてくれるだろう。いや、きっと応えてくれないのだ。だって彼はオトナなのだから。

 


「プロデューサーさん」

 呼びかけると、プロデューサーさんは仕事を中断して、こちらに首を向けてくれる。

「どうした、千枝」

 優しい声音だ。初めて会ったときから変わらない、安心できる声。

「前に、千枝はわるい子じゃない……って言いましたよね」

「そうだな。俺も千枝は良い子だと思うよ」

「ありがとうございます。ちょっと、照れちゃいます」

 プロデューサーさんの率直な言葉に赤面しつつも、私は口を開く。

「でも、本当に……千枝はいい子ですか」

「もちろん。俺が保障する」

「そう、ですか……」

 快活な笑みで答えたプロデューサーさんに、一言礼を言ってから、私は会話を切った。これ以上訊いても、きっと彼を困らせてしまうだけだから。


 プロデューサーさん、千枝はわるい子です。だって、オトナを好きになってしまったんですから。

 あなたとお仕事をしているときが、一番の幸せです。いや、お仕事だけじゃなくて、あなたと一緒にいれれば幸せなんです。

 プロデューサーさんはどうですか。千枝とお仕事ができて、一緒にいれて、幸せですか。

 そう訊いても、きっとあなたは困るだけだから、訊きませんけど。

 プロデューサーさん。好きになって、ごめんなさい。アイドルなのに、あなたを好きなってごめんなさい。

 子供なのに、オトナを好きなって、ごめんなさい。

 でも、いつか千枝もオトナになります。だからその時まで、千枝はわるい子のままでいます。あなたを好きなままでいます。

 オトナになったときはどうか、千枝をわるい子ではなく——

 一人のキレイな女の子として、千枝を扱ってくださいね?


                            おしまい 



千枝ちゃんは合法

誕生日に間に合わせようとしたが、けっきょくだめだった。だって地の文って難しいんだもの

読んでくれた人、ありがとですた


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