ゆき「亜人?」 (584)
『がっこうぐらし!』と『亜人』のクロスオーバーです。
ストーリーは基本的に原作準拠。物語の時間軸は、『がっこうぐらし!』が1巻、『亜人』が5巻の途中からとなります。
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ーー学園生活部
由紀「おっはよ〜!」
胡桃「おはようって、もう昼だぞ」
由紀「あまいね、くるみちゃん! 業界では時間に関係なく『おはようございます』が基本なんだよ!」
胡桃「業界って、どの業界だよ。てか、『ございます』までちゃんと言えよ」
由紀「くるみちゃん、細かい〜」
悠里「二人とも、おしゃべりはそこまで。お昼ごはんできたわよ」
由紀「は〜い。って、あれ?」
悠里「どうしたの、ゆきちゃん?」
由紀「う〜ん。出前の人かなあ?とっても急いで走ってる人がいる」
悠里「走ってるって……まさかっ……!」
胡桃「っ……どこだ、ゆき!」
由紀「ほら、あそこ。校庭からまっすぐこっち向かってきてる」
胡桃「校舎に入った! りーさん、行ってくる!」
悠里「くるみ! でも、もう……」
胡桃「無茶はしないよ、りーさん。大丈夫だから」
由紀「くるみちゃん、ごはん食べないの……?」
胡桃「食前の運動だよ。だから勝手にわたしの分まで食うなよ、由紀。それからりーさん、念のためにもう一人前用意しておいてくれ」
由紀「ひどいよ、くるみちゃん!わたし、そこまで食い意地はってないよ!」
悠里「無茶しないでね……くるみ……」
由紀「はやく帰ってきてね、くるみちゃん。待ってるから」
胡桃「おう!じゃ、行ってきます」
ーー校舎一階
胡桃(たしかこの辺りから入ってたな)
胡桃(“あいつら”の数がいつもより多い……さっきの人を追ってきたのか……)
胡桃(これじゃ望みは……)
……ゴホッ……
胡桃(!……咳き込む声……こっちか!)ダッ
胡桃(この部屋だ。中で“あいつら”が動いている気配はない……)
胡桃(慎重に戸を開けて……)
ガラ……ガラ……
胡桃(“あいつら”はいないな……)ホッ
「……だれ、だ……」
胡桃「!」
「……せ、い、存者か?……」
胡桃「ああ。あんた、大じょう……」ハッ
胡桃(酷い……これは、無理だ……)
「……悪、いな……外の、やつ、ら……中、につれ、て……」
胡桃「そんなこと気にすんな!ほら、水だ。飲めるか?」
胡桃「!」
胡桃(このひと、指を切り落とされてる……)
「それ、よ、り……たの、み、があ、る……」
胡桃「何だ?できることなら何でもするぞ」
「“あいつら”……みたい、に……なる、前に……」ハァハァ
スゥ-ハ-
「殺してくれ」
胡桃「そ、んな……!」
「首、は……落と、す、な……頭を、潰、せば……だ、い、じょぶ、だ……」
胡桃「そういう問題じゃ……!」
「は、やく……して、くれ……自分、じゃ、むり……なん、だ」
胡桃「あたしはっ……! あんたを助けようと……!」
「だ、から……たの、んで、る……ん、だろ……」
ガタガタガタガタッ!
胡桃「!」
「はや、く……しろ……!」
胡桃「わかったよ! クソッ!」
「た、す……かる……」
胡桃「一撃で送ってやるからな……!」
「あ、り、……が、とう……」
胡桃「ッ〜〜〜!」ギュッ
グチャッ!
胡桃「………………」
胡桃「……ごめん……」
ガシャン!
胡桃「!」
胡桃(“やつら”が教室に入ってきた)
胡桃「逃げないと……!」ダッ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
……じゅわ……
……じゅわ……じゅわ……
パチリ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーー学園生活部
由紀「あっ、くるみちゃん遅いよ〜。もうお昼ごはん、冷めちゃったよ」
由紀「くるみちゃん、走って出て行ったから今日のメニュー知らないでしょ! 今日はねえ、ミートソーススパゲティなんだ!」
胡桃「……わりい、由紀。あたし、昼いらないや」
由紀「ええ?! せっかく、りーさんが作ってくれたのに」
胡桃「ああ、そっか。わりい、りーさん」
悠里「いいのよ、そんなこと」チラ
悠里「……スコップ、洗ってきたのね……」
胡桃「ああ」
悠里「えっと、お茶でも飲む?」
胡桃「ん? ああ、うん。飲もうかな」
悠里「はい」
胡桃「ん、ありがと」ズズ
由紀「くるみちゃん、大丈夫?」
胡桃「……いや……」
胡桃「なんか、疲れたな」
ーー夜
悠里「くるみ、起きて」
胡桃「どうした、りーさん?」
悠里「隣に誰かいるみたいなの」
胡桃「ほんとか。まさか、“あいつら”じゃないよな」
悠里「わからない。わたしもさっき気がついたばかりだから」
胡桃「数は?」
悠里「たぶん一人」
由紀「どうしたの、ふたりとも?」
二人「!」ハッ
胡桃「起きたのか、ゆき」
悠里「ごめんね、うるさかった?」
由紀「ううん。なんかあったの?」
胡桃「ちょっと物音がしただけだ。りーさん、あたしちょっと見てくるよ」
悠里「お願いだから無理しないでね」
胡桃「ああ。わかってる」
ーー廊下
胡桃(部室の戸が開いてる。やっぱり誰かいるんだ)
胡桃(“あいつら”のうちの一匹がバリケードを越えてきたのか? クソッ、暗くてよく見えない)
胡桃(こっちにおびきよせてみるか)ポイッ
コロコロコロ
「?」
胡桃(よし。ピンポン玉に反応した)
胡桃(出てきたところで、やつの足を引っ掛けて……)
胡桃(いまだ!)グイッ!
「!」
バタッ ゴンッ
胡桃「転んだ!」バッ!
由紀「待って、くるみちゃん!」
胡桃「?!」
悠里「ゆきちゃん?!」
由紀「くるみちゃん、そんなことしちゃダメだよ! その人、痛がってる!」
胡桃「バカッ! いいから隠れてろ!」
「……痛っえ……」
胡桃「!……生きてる……?」
悠里「うそ……人間なの……?」
胡桃「わりい。あんた、大じょう……」
カラン
悠里「くるみ?」
胡桃「嘘だろ……なんで……」
「ええ? ああ、アンタか」
胡桃「だって……わたしは、アンタを……!」
「ニュース見てなかったのか。こうなる前はさんざん報道されてたのに。まあいい」スクッ
「僕は永井圭」
永井「亜人だ」
今日はここまで。とりあえず導入部だけ書きました。
永井がコレジャナイ感
例えばそんな簡単に転かされないし、口調にしても「まあいい」といったぶっきら棒感ではなく「まあいいや」「まあいいか」など多少は柔らかい語調だしな
>>24
導入部とはいえ少し安易でした。すいません。あと、口調についてのご指摘もありがとうございます。以後気をつけます。
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由紀「ようこそ! ここが巡ヶ丘高校の学園生活部の部室なんだよ!」
永井「学園生活部?」
由紀「うん。学園生活部っていうのはね、学園での合宿生活によって、授業だけでは触れられない……えっーと……」
胡桃「授業だけでは触れられない学園の様々な部署に親しみ、自主独立の精神を育み、皆の規範となるべし」
由紀「そう! つまり学校で生活して立派な生徒になろうねって部活なの!」
永井「それって、君たち三人だけなの?」
由紀「めぐねえもいるよ」
永井「他にも誰かここに?」
悠里「そ、それはね……」
由紀「めぐねえは学園生活部の顧問なんだ。それでりーさんが部長で、わたし丈槍由紀とくるみちゃんが部員なの。……ああっ。大丈夫! めぐねえは影うすくなんかないよ!」
永井「えっと……」
悠里「あっ、わたしがりーさん。若狭悠里です」
胡桃「あたしが恵飛須沢胡桃」
永井「……よろしく」
由紀「それでね学園生活部はいま……えっ、なに? めぐねえ……はーい、佐倉先生。……うーん、でもいまは夜だしさ……またあとで着替えるんじゃない?」
永井「……」
悠里「な、永井君。よかったらこれ食べない?」
永井「ミートソーススパゲティか。僕がいただいてもいいの?」
悠里「ええ、お口に合えばいいんだけど」
永井「ありがとう。いただきます」
由紀「それ、くるみちゃんのじゃないの?」
悠里「ちょっと、ゆきちゃん!」
胡桃「いいっていいって。それよりゆき、お客さんが食べてるときは静かにしとけよ」
由紀「はーい」
悠里「ごめんなさい。騒がしくって」
永井「いや、お邪魔してるのは僕のほうだからね。この料理を作ったのは君なの?」
悠里「あんまり期待しないでね。料理っていうほどのものじゃないのよ。ただ麺を茹でてソースをかけただけだから」
永井「へえ、水が利用できるんだ」
由紀「屋上に水を綺麗にする機械があるからね! あと太陽の光で電気を作ってるから、天気のいい日にはシャワーも浴びられるんだよ!」
胡桃「ゆき、 静かにしろって言っただろ!」
由紀「ううっ、くるみちゃんこわいよぉ」
永井「……」
がっこうぐらしはFateと同じくらいクロスしやすいな
永井(学校は災害時の避難場所に指定されるものだけど、これほど設備が整っているところはめずらしいな)
永井(太陽電池に浄水設備、食料も他人に分け与える程度の余裕がある。セーフゾーンとしては申し分ない)
永井(問題は僕がここに長期にわたって滞在できるかどうか)
永井(丈槍さんはともかく、他の二人は僕に対して警戒心を抱いている。だが、亜人に対する特別強い差別感情があるわけでもなさそうだ)
永井(この状況下における、当然ありうるべき見知らぬ他人に対する警戒。だが僕が想定していたものより、かなりガードは甘い)
永井(彼女の、まるで何事も起きてないかのような言動と振る舞い。それに誰もいない空間にむかって会話している。幽霊でも見えているかのように)
永井(まあ、こんな状況下だし、こういうのが出てきてもおかしくはない。気になるのは、他の二人がそういった人物を許容している点だ)
永井(若狭さんにしても恵飛須沢さんにしても、丈槍さんの空想にのっかっている節がある)
永井(彼女たちにとっても情緒を正常に保つにはそうしたほうがいいということか? だとしたら亜人を所属させることの実利を説くよりも、別の方向から交渉を進めたほうがいいかもしれないな)
由紀「ねえねえ、けーくんは転校生なんだよね?」
永井「は?」
由紀「だから学校に来たんでしょ?」
永井「いや。ていうか、前の学校ならたぶん退学になってるんじゃないかな」
由紀「そうなの!? どうしよう……あ、そうだ! ちょっと待ってて!」
胡桃「ゆき、どこ行くんだ?」
由紀「すぐそこまで! すぐもどってくるから」ガララッ
胡桃「校長室か。すぐ正面の部屋だな」
悠里「なら大丈夫ね」
胡桃「だな」
胡桃「……」チラッ
永井「丈槍さんってさ」
胡桃・悠里「「!」」ビクッ
永井「こんな状況でも明るいんだね」
悠里「え、ええ。わたしたちはあの子の明るさに助けられているの」
永井「この学園生活部っていうのも彼女の発案なのか?」
胡桃「いや、考えたのはめぐねえとりーさんだ」
悠里「毎日ただ暮らすのも疲れるから、いっそ部活の合宿っことにしましょうって」
永井「めぐねえ……さっき丈槍さんが言ってた人のことか」
悠里「ええ。佐倉慈先生」
永井「その人、いまは?」
悠里「……もう、いないの」
胡桃「……」
永井「そっか。……丈槍さんにとっては親しみやすい、いい先生だったんだろうね」
悠里「わたしたちにとってもね」
胡桃「めぐねえがいなきゃ、この部活もたぶんなかったろうしな」
永井「……学校に来たのはずいぶん久しぶりだけど、前の学校にはそんなにいい先生はいなかったよ。僕も会ってみたかったな」
胡桃「……」
悠里「……」
永井(言葉にこそ出さないが、彼女たちは亜人発覚後の僕の置かれた状況と、現在の自分たちを重ね合わせている。やはり交渉の内容は情緒面に訴えるものにするべきか)
悠里「ねえ、永井君」
永井「なに?」
悠里「もし……」
ガララッ!
永井「!」
由紀「たっだいま〜」
永井(間の悪い……)チッ
悠里「ゆ、ゆきちゃん、もうもどってきたの?」
由紀「うん! 探してたものがみつかったから」
胡桃「校長室でなに探してたんだよ?」
由紀「これだよ! はい、けーくん」
永井「これって、制服?」
胡桃「こんなの校長室にあったっけ?」
悠里「たぶん、来客への展示用じゃないかしら」
胡桃「でも、どうして制服なんか持って来たんだ?」
由紀「だって、せっかく新しい学校に入ったのにちゃんとした服装じゃなかったら、けーくんまた退学になっちゃうよ」
胡桃「え、入学決まってるのかよ」
由紀「めぐねえはいいって言ってるよ。それに学園生活部に入って学校で過ごせば卒業するための出席日数も足りるって」
胡桃「そうはいってもさあ……りーさん、どうする?」
悠里「え、えっーと……そうねえ……」
永井(……マズイな。丈槍さんの提案が突飛すぎて、他の二人が戸惑ってる。なんとかして二人の意識を別なところへ向けないと)
由紀「けーくんはどう? 学園生活部!」
永井(こいつ……余計なことしか言わないのか)
永井「……いい部活だとは思うよ」
由紀「絶対いいよ! それに新学期だからね。新しい学期には新しい部活だよ!」
永井「新学期?」
由紀「もうはじまってちょっと経つけど問題ないよ。ねっ、めぐねえ」
永井「……」
永井「……若狭さん、今日が何月何日かわかる?」
悠里「え? たぶん、9月の終わりくらいだと思うわ」
永井「そっか」
永井「……夏休み、とっくに終わってたんだ」
胡桃「……」
悠里「……」
永井(さっきまでの戸惑いが多少薄れてきたな。この反応ならいけるか?)
永井「若狭さん。恵飛寿沢さん。お願いだ。丈槍さんと佐倉先生の提案を受け入れてくれないか」
永井「こんな状況で、いきなり現れた人間を不審に思うのはよくわかる。それに僕は亜人だ。普通なら警戒してしかるべき人種なんだってこともよくわかってる」
悠里「そんな……わたしたちは……」
永井「でも、僕は佐藤とは違うんだ! 亜人だってわかるまで、ほんとにただの高校生で……それが突然、なにもかもメチャクチャになって……」
永井「命があるだけで幸運だって思わなきゃいけないんだろうけど……でも、僕はもといた場所に、学校に戻りたいんだ」
永井「だから、お願いします。少しのあいだでいい。僕をここにいさせてください……お願いします……」ツ-
由紀「け、けーくん、泣いてるの!? だ、大丈夫だよ! りーさんもくるみちゃんもきっとわかってくれるよ!」
胡桃「……」
悠里「……わかったわ」
永井「!」
悠里「学園生活部のルールをちゃんと守ってくれるのなら、わたしたちはあなたを歓迎するわ」
胡桃「いいのか、りーさん?」
悠里「ええ。もちろん、寝る場所は別々だけど」
永井「……ありがとう」ゴシッ
由紀「やったね、けーくん!」
永井「丈槍さんもありがとう。佐倉先生にもお礼を言わなきゃね」
由紀「聞いた?! めぐねえ、けーくんがありがとうだって!」
悠里「ふふっ。よかったわね、めぐねえ」
由紀「そうだ! 歓迎会しようよ!」
悠里「それは明日にしましょ。もう夜も遅いし」
胡桃「ほんと、ゆきはさわがしい……」
グウウゥ-
胡桃「……」
由紀「くるみちゃん、おなかの音おっきいね」
胡桃「ううっ……///」カアア
悠里「お、お昼からなにも食べてないからよ。なにか用意するわ」
永井「……これ、食べる?」
胡桃「いらない……」
今日はここまで。
くるみちゃんをオチ要員に使ってしまった。ファンの方、すいません。
すいません。
>>31 と >>32 の間の文章が一部抜けてて、意味が繋がってない文章になってました。下に書く文章を挿入してお読みください。
永井(これなら、交渉次第ではうまく潜り込めるかもしれない)
永井(そうなると、留意すべきは丈槍さんについてだな)
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胡桃「ただいま」
悠里「朝の見回り、ご苦労さま」
胡桃「ゆきは?」
悠里「ゆきちゃんなら、もう教室で授業を受けてるわ」
胡桃「永井はどうしてる?」
悠里「彼なら屋上にいるわ。いろいろと見て回りたいって言ってたけど」
胡桃「そっか……」
悠里「なにか気になることでもあるの?」
胡桃「うーん……あんま、うまく言えないんだけどさ……」
悠里「なに?」
胡桃「いや、永井のやつ、ずいぶんあっさりとゆきのことを受け入れたなって思ってさ」
悠里「どういうこと?」
胡桃「こんなこと言うのもアレだけどさ……こんな状況でいまのゆきを見たら、普通は驚くとか戸惑うとかするんじゃないかって思って……あたしらだって、はじめはそんなだったじゃん」
悠里「それは……確かにそうだったけど……」
胡桃「それなのにあいつはさ、めぐねえにもちゃんと対応して受け答えしてたんだぜ。その様子を見てたら、なんかさ……」
悠里「……考えすぎじゃない?」
胡桃「そうかな?」
悠里「だって、めぐねえのことは事前に説明していたんだし、それに彼だって大変な目に遭ってきたんだから……」
胡桃「それは……まあ……」
悠里「くるみのほうこそ、大丈夫なの?」
胡桃「えっ、あたし? なにが心配なんだよ?」
悠里「永井君がここに来たとき、とてもひどい怪我をしてたんでしょ? だから、その……」
胡桃「ああ……いやそれは、むしろラッキーだろ? だって生き返ってきたんだぜ。ふつうありえないだろ、そんなこと? それに、永井自身もたしかそんなこと言ってただろ?」
悠里「ほんとにそう思ってる?」
胡桃「ああ。思ってる思ってる。大丈夫だって」
悠里「……なら、いいけどね」
胡桃「うん。問題ないって」
悠里「……あっ、そうだ。永井君の歓迎会の準備しなきゃ」
胡桃「でも、もうあんまり物資も残ってないんじゃなかったか?」
悠里「そうね。だから、永井君には歓迎会のあとでいきなり大変な仕事に付き合わすことになっちゃうわね」
胡桃「まあ、それはあいつもわかってるだろ」
悠里「たぶんね……ふふっ」
胡桃「どした?」
悠里「歓迎会の食べ物はたっぷり用意してあげるから。もうおなかを鳴らさないで済むわね」フフッ
胡桃「ちょっ、りーさん。勘弁してくれよ、も〜」
おしっこしたいので一旦中断。続きはまた夜に。
>>30 の方のおっしゃるとおり、クロスさせやすい設定ですよね。
『亜人』の他には、沙村広明の『ハルシオン・ランチ』とのクロスなんかも考えてました。ホームレス中年の生活マニュアルが吾妻ひでおの『失踪日記』から『アイアムアヒーロー』になるくらいのネタしか思いつきませんが……。
では、続きを投下します。
ーー屋上
永井「屋上なのに菜園まであるのか、ここは」
永井(本当に設備が充実してるんだな。学園案内には、自主自立だとか自給自足だとか書いてあったけど、それにしてもこれは……)
永井「まあ、なにを目的にしていようが、いまはこの設備が利用できるだけありがたいか」
永井(しかし、とりあえずはここで生活するとして、その後はどうするか)
永井(現在は9月末。戸崎さんと交渉した日が9月3日。あれから20日程が経過している)
永井(あの日、僕との交渉中に戸崎さんの携帯に入った連絡。いま思えば、あれはこの事態を告げるものだったんだろう)
永井(相手の話はスピーカー機能で僕も聞いたが、混乱していて要領を得ない内容だった)
永井(だがたしかに伝わったことは、それが亜人捕獲の命令だったということだ。大方、亜人の肉体を利用した原因究明と治療用ワクチンの生成が目的なんだろうけど)
永井(それにしても、あの日の僕はいくらなんでも不運過ぎるだろ)
永井(戸崎さんに携帯に出るのを進めたのがマズかったか……いや、どうせ後から同様の命令が伝わり、僕らは拘束されていた)
永井(そう思ったから戸崎さんに許可を出したんだし、彼の恋人のいるあの場なら、強硬確保に出られても恋人を利用すれば逃げ延びられることも可能だったはず……)
永井(……やっぱりどう考えても中野が悪い。いくらなんでも、僕が行動しようとする直前に天井から落ちてくるかよ)
永井(そのせいで、こっちは幽霊を放つタイミングは遅れるし、麻酔銃に撃たれるし、戸崎さんの隣の女性の幽霊で押さえつけられてリセットできないし……あいつ、僕の役に立つどころか足を引っ張ることしかできのか)
永井(おかげで研究所に逆戻りだ。なんとか逃げ出せたのは研究所にもやつらが発生したからだが、それは同時に事態の深刻化を意味する……)
永井(政府がこのままこの事態が収束できないでいると、いよいよ佐藤さんのグループが勢力を拡大していくことになっていくだろう)
永井(高度な戦闘能力を持つ亜人の集団。やつらなんて大した脅威にはならない。武器食糧、活動の拠点となるアジトも複数存在しているはず)
永井(もともと亜人だった者に、今回の事態で亜人だと発覚したやつ。すべてとはいわないが、行動を共にしようとする者も必ず出てくる……)
永井(いや、亜人だけじゃない。人間のなかからも生き残るために、佐藤さんに協力するやつも出てくるはずだ)
永井(このまま放置しておけば、事態は確実に悪化の一途を辿ることになる……仮にこの状況がこの近辺の局地的なものだとしても、佐藤なら意図して被害を全国的に拡散させることも可能……)
永井(“私がこの国を統治する”……ただのアジテーションだったはずのこの言葉が、嫌なリアリティを持ち始めてきている。亜人を利用してきた人間にとっては、僕以上に生々しく響いているだろう)
永井(だからといって、僕が佐藤さんのグループに参加することはできない。グラント製薬での一件を抜きにしてもだ)
永井(佐藤さんの言う“第3ウェーブ”、国家統治が実現したとして、それでどうなる?亜人テロリストがパンデミックの混乱時に政権を奪った国家だぞ? )
永井(ハッ、そんなものを国際社会が認めるはずがない。せいぜい、ならずもの国家扱いされるのがオチだ。あの人についていったところで、僕の望む平穏な暮らしは到底得られない)
永井(佐藤さんに合流するのは論外。そもそも、すでに敵対してるし。だからといって、政府側の人間との協力も不可能……)
永井「クソッ。どうしようもないだろ、こんなの」
永井(佐藤さんがなにか行動を起こす前に、政府がこの事態を収束させてくれればすべては杞憂におわるんだが……)
永井「希望的観測だな。すでに一ヶ月が経とうとしてるのにいまだこんな状況だし……」
ガチャ
由紀「あ、けーくん、ここにいたんだね」
永井「丈槍さんか。なにか用?」
由紀「もうすぐお昼ごはんだから、りーさんが呼んできてって」
永井「わかった。すぐ行くよ」
由紀「けーくん! 今日のお昼のメニューはなんだと思う!?」
永井「さあ? なんだろ?」
由紀「それはね〜、そのときになってからのお楽しみ!」
永井「あそう」
永井(気楽でいいよな、こいつは)
由紀「あ、あれ? もしかして、あんまり楽しみじゃない感じ?」
永井「そんなことないよ。ちょっと考え事をしてたから」
由紀「けーくん、頭良さそうだよね。きっととってもむずかしいこと考えてたんでしょ?」
永井「どうだろうね」
由紀「でもね、たまには楽しいことをしたほうがいいよ! そのほうが、頭もスッキリするってめぐねえも言ってたよ!」
永井「……」
永井(まあ現状、対処のしようがない問題に頭を悩ませても仕方がないか)
永井(いま考えるべきは、食糧物資の調達方法と設備の維持。このあたりの地理を把握することと移動手段の確保も重要だな)
永井(いずれ、外に物資を調達しなければならないようになる。そのときにはここ以外にも拠点となる場所を調べる必要が……)
由紀「あっ、ついたよ」ガラッ!
パァン!!
永井「!」ピクッ!
悠里・胡桃「「学園生活部へようこそ!」」
永井「……」
由紀「けーくん、ポケットに手を入れてどうしたの?」
胡桃「あれ?もしかして、スベった?」
悠里「や、やっぱり子どもっぽかったかしら?」
永井「いや、大きな音にびっくりしただけだよ。わざわざありがとう。歓迎会までしてもらっちゃって」
悠里「よかった。安心したわ」
由紀「ほら、けーくん! お菓子がいっぱいだよ!」
永井「ほんとだ。でも、こんなに用意しちゃって大丈夫なのか?」
胡桃「どっちにしろそろそろ補給に行かなきゃいけないからな。タイミング的にここでパーっとするのもアリだろ?」
永井「なるほど。納得したよ。それにこんなに食べ物があるんなら、恵飛寿沢さんも安心だしね」
胡桃「それ、どういう意味だよ!」
悠里「はい。おしゃべりは一旦おしまい。乾杯しましょう」
由紀「かんぱ〜い」
永井「乾杯」
永井(……咄嗟にカッターナイフに手が伸びてしまったな。せっかくのセーブゾーンだ。長く滞在するために、不審感を与える行動は避けないと)
今日はここまで。
ストーリーが全然進行しなかった…はやくみーくんと合流させたいんだけどなあ…
ーー夜
由紀「きっもだっめし、きっもだっめし」
胡桃「ちょっとは緊張しろよ」
悠里「ゆきちゃんは怖くないの?」
由紀「うーん、本物の幽霊に会ったら怖いかな。けーくんはどう?」
永井「そのときになってみないと分からないかな」
由紀「だいじょうぶだよ。ここ学校だから、何にもでないって」
悠里「ええ」ピタ…
悠里「たしかにこの時間、学校は誰もいないわ」ボソッ
悠里「だからね、誰もいないはずだけど、もしいたら……」ウフフフ…
由紀「い、いるわけないじゃん」ゾゾゾ…
悠里「そうね」パッ
悠里「知ってる? 幽霊ってね、すごく寂しがり屋で人の声によってくるんですって」ガチャ ポチ
由紀「じゃ、つけちゃだめじゃん!」
胡桃「幽霊なんていないんじゃかったっけ?」
由紀「も、もちろん! でもさ、万が一ってことが……あるよね?」アセアセ
悠里「だから、これはここにおいてあっちの階段から行きましょ」
由紀「なるほど! りーさん、頭いい!」
悠里「それじゃ、出発しましょ」
由紀「はーい」
永井「……」
胡桃「どうした? むずかしい顔して」
永井「丈槍さんもこっちに来てよかったのか?」
胡桃「うーん……まあ、りーさんが大丈夫って言ってたし。それにあいつ、けっこう素早いから」
永井「でも、あいつらのことをちゃんと認識してるわけじゃないんだろ?」
悠里「ゆきちゃんにはめぐねえがいるから大丈夫よ」
胡桃「りーさん」
永井「例の先生か」
悠里「ええ。ゆきちゃんが危ない目に遭わないように、めぐねえがちゃんと注意してくれるの」
永井「……ふぅん」
由紀「なになに、なんの話?」
悠里「永井君がさっきのゆきちゃんを見て、ほんとは怖がりじゃないかって心配してたの」
由紀「こ、怖がってなんかないよ。さっきのは、ほら、万が一のときにそなえて、念には念をいれてってやつだよ!」
悠里「それに、めぐねえもいるからね」
由紀「うんうん。ほら、あそこの階段のところで待ってるよ」トテトテ
悠里「転ばないでね、ゆきちゃん」
永井「………」
永井 (解離性同一性障害の交代人格のなかには主人格を無謀な行動や危険から守る保護者人格や救済者人格があるが、丈槍さんのいう“めぐねえ”もそういった類の存在か?)
……めぐねえ、もっと静…… ボソボソ
永井 (丈槍さんの言動や症状、またそうなった原因を聞く限り、解離性障害に患うには十分な理由はある)
……せ、せっかくだからみんなで……
永井 (だが、やはり違和感が残るな。妄想症や幻覚症状があるわりには、丈槍さんが日常生活を送ることに困難さを感じているようには見えない)
……そうね。そうしましょ……
永井 (周囲の人間が彼女の空想を受け入れているのも、これが大きな要因だろう。ルールを設定したり、注意を促しさえすれば彼女はそれに従う)
……わーい……!
永井 (それにわりと周囲の雰囲気に敏感だしな。そうした点が他の二人の不安やストレスを緩和しているとしたら、彼女はこのセーブゾーンの維持にけっこう貢献しているのかもな。彼女の病状が本物か詐病かは、それに比べれば些細なことだ)
……最初は購買部。次は図書館。みんなで……もしはぐれたら……まで戻ること……
永井 (しかし、だとしたら彼女が崩れた場合が怖いな。亜人でない限りいつ死ぬかわからない状況だし、丈槍さんが再びショックを受ければ病状が悪化する可能性もある)
永井 (今後生存者がここにやってこないとも限らない。その人物が丈槍さんや他の二人の態度に批判的だったとしたら、ここの安定性は簡単に揺らぐだろう……)
永井 (理を説いて納得する人物なら問題ないが、感情的な理由でここの安定性を攻撃してくるような人物だったとしたら、最悪の場合僕がそいつを始末しなければならなくなる)
永井 (そうした手段はあまり取りたくない。殺人罪に問われることのリスクはそれほど考えなくてもいいが、死人が出ること自体、彼女達にとっては心理的なマイナス要因になる……)
胡桃「永井、おまえ、りーさんの話ちゃんと聞いてたか?」
永井「最初は購買部。次は図書館。何か証拠の品を取ってくる。はぐれた場合は声を出さずにこの階段まで戻ってくる」
胡桃「なんだ。ちゃんと聞いてたのか。またなんか考え込んでたのかと思った」
永井「こんな状況なんだ。考えなきゃいけないことだらけだろ」
胡桃「まだゆきのこと心配してんのか? あたしからしたら、おまえがカッターナイフしか持ってきてないことのほうが心配だよ」
永井「これはあいつらを倒すためじゃないよ。リセットのために持ってきたんだ」
胡桃「リセットって……」
永井「噛まれてから死ぬまでいちいち待ってられないだろ?」
胡桃「そりゃ、そうだけどさ……」
永井「それから、基本的にリセットは僕が自分でするけれど、万が一それが不可能な場合は恵飛須沢さんにお願いしようと思う」
胡桃「あ、あたしが?! なんで?!」
由紀「くるみちゃん?」
悠里「どうかした?」
胡桃「い、いや。なんでもない」
悠里「そう?」
由紀「おっきな声だしちゃってたさ。くるみちゃんこそ怖がりなんじゃないの?」
胡桃「うっせ。はやく行けよ」
由紀「はーい」
永井「……あの二人には頼めないだろ? それに君ならいちど僕を殺してるしな」
胡桃「……」
永井「別に責めてるわけじゃない。あんな状況なら、たとえ僕が亜人じゃなくても同じことを頼んでたよ」
胡桃「……わかった。でも、万が一のときだけだからな」
永井「あと、もうひとつ言いたいことがある」
胡桃「なんだよ。まだなんかあるのかよ?」
永井「恵飛須沢さんがリセットすることになったとき、断頭だけは絶対に避けてほしい」
胡桃「亜人なんだろ? たしかにいやな死に方だけど、生き返るならそんなに気にしなくても……」
永井「……亜人は最も大きな肉片を核に散らばった肉片を集めて再生する。だが、離れすぎた部位は回収されず新たに作られることになる」
永井「それが頭だった場合どうなるか? 新たに頭部が作られるということは切り離された頭部は回収されず、そこにある脳は死ぬ。記憶や心は受け継がれても、いまここにある僕の意識はそこで終わる」
永井「死んだ脳にあった意識が新たに作られた脳に乗り移るなんてことはありえない。前の僕と同じように見えても、それは同じ設計図をもとに作られた別の脳が意識というプログラムを実行しているにすぎない。そこにアイデンティティの連続性はない」
永井「わかるか? 定義上の問題とはいえ、これは亜人にとっての死だ。断頭はこういった事態を引き起こしかねない」
胡桃「……正直、よくわかんねえ」
永井「……スワンプマンって知ってるか?」
胡桃「スワンプシング?」
永井「それは元ネタのほうだろ」ハア
胡桃「……よくわかんねえけど、それをやったら死んじまうんだろ? 新しい頭が生えてきても、おまえにとっては死んだのと同じってことなんだろ?」
永井「……ああ」
胡桃「わかった。断頭は絶対にしない」
永井「……助かるよ」
悠里「ふたりとも、もう購買部よ」
由紀「幽霊……いないよね」
悠里「油断は禁物よ」
ガラッ
胡桃「……だれもいないな」
由紀「ふぅー。あっ、証拠の品だっけ? 何取ってもいいの?」
悠里「いいのいいの。ちゃんとお金は払うし」
由紀「わーい」タタタ
永井 (ずいぶん律儀だな)
悠里「永井君も必要なものがあれば
取っていってね」
永井「そうだな……耳栓ってここに置いてある?」
悠里「ええ、たしかあっちの棚にあったと思うわ」
永井「そうか。人数分あればいいけど」
悠里「わたしたちの分も?」
永井「うん。またあとでちゃんと説明するけど、あいつらにも亜人の“声”が通用するんだ」
悠里「ほんとに?!」
永井「ただ、あんな状態だからか普通の人間より効果は短めだけどね。周りに人間がいる状況じゃむしろ危険だ」
悠里「そっか。だから耳栓なのね」
永井「ああ。丈槍さんにはとくによく言い聞かせておいて」
悠里「わかったわ」
永井「さてと、さすがにカッターナイフだけじゃ心許ないよな。なにか他にリセットに適した道具は……」テクテク
由紀「あっ。くるみちゃん、けーくん〜。見て見て。これ20倍に膨らむんだって!」
胡桃「おいおい。何に使うんだよ」
永井「風船か。ヘリウムガスでもあれば外にSOSを発信できるけど」
胡桃「あったぞ。たぶん理科室だ」
悠里「どうかした?」
胡桃「りーさん、理科室にヘリウムガスのボンベが置いてあったよな?」
悠里「ええ。でもそれがどうしたの?」
胡桃「風船で手紙を出すんだよ。ほれ、ゆき」
由紀「はい、これ」
悠里「そうか、これなら……!」
由紀「けーくんが思いついたんだよ」
悠里「ほんとに? 永井君、すごいわ」
永井「そんなにたいしたことはないよ。まさかヘリウムガスが学校にあるなんて思わなかったし」
永井 (さっきのは失言だったな。外部の人間を招くきっかけになる行為は僕にとってデメリットが大きい。それが行政機関による救助ならならおさら)
永井 (とはいえ止めるのも不自然か。まあ、これくらいならいずれ彼女達も思いついただろう)
永井「それにしても風船って。駄菓子屋かよ」
胡桃「んなこと言われてもなあ」
永井「……それは?」
胡桃「高枝切りバサミ」
永井「……高校の購買部だよな?」
胡桃「たぶん、用務員が使うんだろ」
永井「ああ。工具はひと通り揃ってるな。工具ベルトもある」スッ
胡桃「それ、持ってくのか?」
永井「使える道具は多いほうがいいからな」ガチャガチャ
悠里「みんな、もう証拠の品は手に入れた?」
胡桃「おう」
悠里「じゃ、次は図書館ね」
由紀「けーくん、その腰に巻いてるの、なに?」
永井「工具ベルトだよ」
由紀「あ、それサスペンダーがついてるんだ。おそろいだね!」
永井「……」
永井 (あとで外しておくか。佐藤さんみたいな格好になるのは嫌だからな)
ひとまずここまで。続きは時間があったら、また夜に。
スワンプマンの思考実験って、提唱者のデイヴィッドソンがアラン・ムーアが設定を改めたスワンプシングが発想の源になってるので、日本語版ウィキの書き方だと順序が逆に見えちゃうんですよね(ムーア『スワンプシング』のライター就任が83年、デイヴィッドソンのスワンプマン実験考案が87年)
ーー図書室
ガラッ
由紀「く、暗いね。電気つかないかな?」
悠里「そしたら肝試しじゃないでしょ。あ、足元気を付けてね」
パリッ
永井「かなり荒れてるな」
胡桃「放課後だったからな。まだ生徒がいたんだろ」
永井「なら、まだここに残ってるかもしれないな」
悠里「どうするの?」
永井「僕が入口から部屋の奥に向かって順に確認していく」
胡桃「だったら、あたしは入口を見張るよ」
永井「頼む」
由紀「え、えっーと……」
悠里「ゆきちゃんはわたしといっしょに本を探しましょ」
由紀「はーい」
胡桃「あたしから見えるとこでな」
悠里「わかってるわ」
永井「もしやつらを見つけたら、ライトを天井に向けて3回点滅させる。他に緊急の場合はライトを回転させる。それでいいか?」
胡桃「了解」
悠里「わかったわ」
永井「よろしく」スタスタ
永井 (図書室か。この地域の地理が知りたいな)
テクテク..チカッ...
永井 (脱出ルートの特定のほかに防災倉庫の位置なんかも把握しておきたい)
テクテク...チカッ...
永井「地図資料はこのあたりか」
永井 (本のまま持っていくのは面倒だな。必要なページだけ取っていくか)ペラッ...ビリビリッ
永井「とりあえずはこれでいい」
タタタッ.......アッ......ユキチャン......
永井「……若狭さん、あんた大丈夫だって言っただろ……」
永井 (これぐらいでライトを回すなよ……)
永井「はあ。たしかあっちに走っていった……!」
ユラ......ユラ......
永井 (いたか)カチ...カチ...カチ...
永井 (丈槍さんのほうに向かっている……ここで対処するしかない)
永井 (声で動きを止めてもいいが、すこし距離がある)
永井 (光でおびき寄せ、書架のあいだに誘導するか。せまい直線上だ。声で動きが止まったところをうしろから恵飛須沢さんに対処してもらえばいい)ピカッ...ピカッ...
ア...アア...
永井「来るか」
タタタッ...
胡桃「!」
永井「こっちも来たか」
永井 (待て待て……まだ襲うなよ……)ジェスチャ-
胡桃「……」コクッ
永井 (声を使う……耳栓をしろ……)パッパッ...トントン...
胡桃「……」スッ
永井 (準備は整った……あとはタイミング……恵飛須沢さんの武器だとこんなせまい場所じゃ扱いづらい……一撃で仕留められなかった場合に備えすぐに追撃可能な距離に来るまで待つ……)
ヒタ...ヒタ...
永井 (近すぎたら僕のリスクが増す……まだ遠い……のろいな……とっと動けよ……まだだ……あと一歩……)
ヒタ...ヒタ...
オオ...!
永井 (よし!)
永井 『“止まれ!”』ビリビリ!
ダッ!
胡桃「ふっ!」ズシャッ!
...グラッ...
胡桃「クソッ!」
永井 (角度が浅い! 骨に防がれた!)パシッ!
永井 (この位置じゃ脊椎は狙えない。こめかみのあたりは骨が薄い。そこをドライバーで突き刺す)ドスッ!
ゴッ...ガァッ!
永井「チッ! ケガ防止のために先が丸いのか!」
永井 (もう一度! 今度は下から突き上げるかたちで……!)ドシャッ!
...グジュ...ジュ...ジュグ...
...バタン...
永井「……よし。死んだな」
胡桃「わりい。仕損じた」
永井「お互いケガなく済んだんだ。上出来だよ」ビリッ
胡桃「おい、それ学校の本だぞ」
永井「血を付けたままにしとくわけにもいかないだろ」スッ-...バサッ...
胡桃「おっ、いまの武士みたいでカッコいいな」
永井 (ガキか)
永井「……丈槍さんは?」
胡桃「りーさんといるよ。隅っこのほうに隠れてた。めぐねえの忠告のおかげだな」
永井「どうせなら問題を起こすまえに忠告してほしかったよ。おかげで余計なリスクを想定しなきゃならなかった」
胡桃「そんな言い方はないだろ」ムッ
永井「恵飛須沢さんも彼女のことを懸念してなかったか?」
胡桃「あたしはゆきのことを“心配”してたんだ」
永井「あそう」
胡桃「……はやく2人に合流するぞ」
永井「わかってる」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ガラッ
永井「おはよう」
悠里「おはよう、永井君」
由紀「けーくん、はやく座って! もうすぐいただきますだよ〜」
悠里「今日はおうどんよ。いま、用意するわね」
永井「運ぶの手伝うよ」
悠里「あら、ありがとう」
由紀「わ、わたしも!」
悠里「ふふっ。ゆきちゃんもありがと」
胡桃「こぼすなよ、ゆき」
由紀「くるみちゃんも手伝いなよ〜」
胡桃「はいはい。飲み物用意するな」
悠里「よし、準備できたわね。いだたきますしましょうか」
由紀「いただきま〜す」
胡桃「今日はなにするんだっけ?」ズルル
由紀「忘れたの? 学校から手紙を出すんだよ!」
胡桃「ああ。あの風船でか。でも、手紙といえば伝書鳩のほうがらしいよな!」
悠里「そんなのいないでしょ?」
胡桃「だから、捕まえるんだって」
永井「ヘリウムガスを取りに行かなくていいのか?」
胡桃「ああ〜……じゃ、そっちを先に済ませるか」
悠里「お願いね」
由紀「おかわりー!」
胡桃「早いな! よく噛んで食べろよ」
由紀「ちゃんと噛んだよ〜」
悠里「ごめんね。おかわりはもうないのよ。取りに行かないと」
胡桃「じゃ、また肝試しか」ズル-
永井「購買部にはもう残ってなかったよ」
悠里「そう。だから外まで行かないと」
胡桃「外……」チラッ
由紀「じゃあ、めぐねえに聞かないとね」
悠里「そうね。聞いてきてくれる?」
由紀「うん!」スッ
ガラッ
胡桃「……めぐねえがいいって言ったらどうすんだ?」
悠里「いつかは出ないとね。足りなくなるのはうどんだけじゃないわ」
永井「調達しに行く場所の目処はついてる?」
悠里「このあたりだとリバーシティ・トロン・ショッピングモールがいちばん近いかな」
永井「丈槍さんも同行するのか?」
胡桃「置いていけるわけないだろ」
永井「なら、昨日の図書館でのようなことはなしにしてほしい。丈槍さんがはぐれたせいで、あいつに対処する際のリスクが高まった」
悠里「ご、ごめんなさい。でも、あれはわたしがちゃんと止めなかったから……」
胡桃「リスクって、おまえ亜人だろ」
永井「だから?」
悠里「ちょっと、くるみ……!」
ガラッ
由紀「ただいま〜」
悠里「あっ、ゆきちゃん……」
胡桃「……どうだった?」
由紀「ちゃんと文書にして提出しなさいだって。大げさだよね」
胡桃「めぐねえにだって職員会議とかあるんだろ」
永井「ごちそうさま」ガタ
胡桃「どこいくんだよ」
永井「食器を洗ってくる」カチャ...
悠里「そんなのいいのに」
永井「自分の使った食器は自分で洗えっておばあちゃんが…………」
悠里「?」
永井「いや。とにかく自分でやるよ」
由紀「わ、わたしも洗ってくる!」
ガラッ
悠里「……くるみ、さっきのはなに? 」
胡桃「べつに。ほんとのことだろ」
悠里「いくらなんでもあの言い方はないわ」
胡桃「あいつも似たような態度だっただろ」
悠里「……ゆきちゃんのことでムッとしてるのね」
胡桃「りーさんはなんとも思わないのかよ」
悠里「永井君はここに来たばかりなのよ。わたしたちと同じようにというわけにはいかないわ」
胡桃「どうかな」
悠里「大丈夫よ。ゆきちゃんのこと、わるく思ってるならいっしょに食器を洗いに行ったりしないもの。それに、昨日のことはわたしの責任。永井君もきっとそう言いたかったのだと思う」
胡桃「なんでそうなるのさ」
悠里「わたしがゆきちゃんは大丈夫って彼に言ったから。永井君はわたしの言ったことをひとまず信用してくれたけど、図書室でのことで余計に心配させることになっちゃったのよ」
胡桃「部長が責任感じる必要はないだろ。あいつはもとからあんなやつだ」
悠里「たとえそうだとしても、永井君はもう学園生活部のメンバーだもの。部長のわたしがしっかりしないとね」
胡桃「りーさん……」
ガラッ!
由紀「洗い物おわったよ!」バ-ン!
悠里「おつかれさま」
永井「洗った食器はここに置いておけばいいの?」
悠里「ええ」
由紀「めぐねえがけーくんのことをほめてたよ。男の子なのに家のお手伝いしててえらいねって。おばあちゃんに教えてもらったんだよね?」
永井「まあね」
悠里「あら。永井君っておばあちゃんっ子だったの?」
永井「そのひとは僕の親類じゃないよ。つい最近、お世話になっただけ」
悠里「最近……」
永井「その話はともかく、ヘリウムガスを取りに行こう。恵飛須沢さん」
胡桃「まだ食ってる」
永井「なら30分後に」
由紀「食べたら自分で洗うんだよ?」
胡桃「はいはい」
ひとまずここまで。
ーー理科室
永井「これがガスのボンベだな」
胡桃「ああ」
永井「台車に載せよう。道中、やつらの姿はなかったし多少の音がしても平気だろ」
胡桃「あと、これも持ってくぞ」
永井「鳥かごとザル……ほんとに鳩を捕まえるのか」
胡桃「なんだよ?」
永井「まあいいや。恵飛須沢さん、ひとりでも大丈夫だよな? 僕はほかに用がある」
胡桃「どこいくんだよ」
永井「工作室だ。ドライバーの先を鋭利にしておきたい。このままだと、武器としてもリセットの道具にしても信用性に欠ける」
胡桃「ゆきのことで文句言っといて、おまえは単独行動なのか」
永井「状況がちがう。丈槍さんの行動はあの場にいた全員にリスクしかもたらさないものだった。それくらいわかるだろ?」
胡桃「……」
永井「あと、手紙に僕のことは書くなって言っておいて。僕の居場所はだれにも知られたくないし、そっちも面倒ごとには遭いたくないだろ」
胡桃「なあ」
永井「まだなにかあるのか?」
胡桃「おまえも、家族いるよな」
永井「それも報道されてただろ」ハア...
胡桃「心配してないのか?」
永井「どういう意図の質問だよ」
胡桃「ほんとに手紙になんも書かなくていいのか? もし家族のひとに届いたらさ、励みになるんじゃ……」
永井「僕が死んでないってことは伝えなくてもわかってる」
胡桃「そうじゃねえよ……手紙にすること自体に意味があんだろ」
永井「現状、家族の安否は確認しようがない。死んでるかもしれない相手に手紙を出してなんになる? そんなリスクの大きい真似はできないね」
胡桃「そうか。よくわかった」
永井「ほかになにか?」
胡桃「いや。なんもない」
永井「なら、もういくよ……ああ、そうだ。恵飛須沢さん」
胡桃「なに?」
永井「あれは鳥類には感染しないみたいだけど、保菌してる可能性もある。つつかれたり、ひっかかれたりしないようにしてくれ」
胡桃「おまえの言いたいことはよくわかったよ」
永井「捕まえたあとは手洗いもしておいて」
胡桃「いちいちうるせえなあ」
永井「石鹸でな」
胡桃「わかったって!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ガラッ
悠里「おかえりなさい。永井君」
由紀「おかえり〜」
永井「手紙はもう書き終わった?」
悠里「ええ。永井君に言われたとおりにしてあるわ」
永井「一応、確認させてもらうよ」
ペラッ
由紀「うう……まじまじと見られるとはずかしいね。わたし字がきたないし……」
永井「気持ちのこもってる手紙だと思うよ」
由紀「ほんと?! なんか照れるな〜」
胡桃「……」
永井 (僕のことは一切書かれてない)
永井「これなら問題ないな」
悠里「なら、風船の準備をしましょうか」
胡桃「……ッよし! なら、こいつにも手紙をつけないとな!」
悠里「待ってくるみ、いま籠を開けたら……」
バサバサバサッ!
胡桃「あ、やべっ!」
由紀「この子、なんか怒ってるよ!」
胡桃「窓開いてる! はやく閉めて!」
悠里「だから待ってって言ったのに!」
永井「……」ハア...
ーー屋上
胡桃「よっしゃあ! ようやく準備完了!」
由紀「いよいよだね!」
悠里「ほんとにね……」
由紀「鳩子ちゃんもがんばってね」
胡桃「ちょっと待て。だれが鳩子ちゃんだ」
由紀「その子だよ。鳩錦鳩子ちゃん」
胡桃「鳩子ちゃんじゃない! こいつはアルノーだ」
由紀「ええー。わたしも名前つけたいー」
悠里「なら、間をとってアルノー・鳩錦でどうかしら?」
由紀「オッケー!」
悠里「永井君もどう? この子の名前つける?」
永井「やめとくよ」
胡桃「それにしても、アルノー・鳩錦ってハーフみたいだな」
由紀「アメリカとかまで行くかもしれないよ」
永井 (アルノーはフランス語圏の姓名だろ)
胡桃「よっし。それじゃ、アルノー・鳩錦、飛んで……」
由紀「あっ、ちょっと待って!」
胡桃「なんだよ、ゆき?」
由紀「けーくんに見てもらいたいものがあるの」
永井「僕に?」
由紀「うん。はい、これ」スッ
永井 (手紙?)
ペラ...ジッ...
永井「……ここに描いてある男子生徒の絵、まさか僕か?」
由紀「うん」
永井「僕のことは手紙に書かないでくれって頼んだよね?」
由紀「ごめんね。でも、けーくんも学園生活部のメンバーだから、どうしても4人そろって手紙に書きたかったの」
永井「僕がここにいることがわかったら、僕だけじゃなくみんなが不利益を被る」
由紀「うっ……で、でもさ、けーくんの名前は書いてないし、それにわたしの絵ヘタだから! だから大丈夫! 絶対バレないよ!」
永井「丈槍さん、なんでそこまでこだわるんだ?」
由紀「えっとね……昨日の肝だめしでけーくん、わたしのこと、ほんとは怖がりじゃないかって思ってたでしょ? あのときはそんなことないって言ったけど、そのあと図書室で迷惑かけちゃったから……」
永井「そのことならもういいよ」
由紀「まだあるの! あのとき、けーくんはくるみちゃんといっしょに不良のひとを追い払ってくれたでしょ? でね、そのあとくるみちゃんと話してること、聞こえたんだ」
胡桃「!」
永井 (こいつ……かなり耳がいい)
由紀「それで、もしかしたらちょっとケンカしたのかなって思って……2人ともすごいのに、仲が良くないのは……なんかさ……」
胡桃「……」
由紀「わたしね、学園生活部ってほんとにすごいと思うの。くるみちゃんは力持ちだし、りーさんやさしいし、けーくんは頭いいでしょ? だからね、そんなみんながいる学園生活部をちゃんと紹介したいんだ」
永井「それでこの絵を描いたのか」
由紀「うん! あっ、でもけーくんにも事情があるみたいだし、ダメだって言うんならこれは出さないから!」
永井「そうだな……」チラッ
悠里「……」
胡桃「……」
永井 (断るのは得策じゃないか……まあ、この絵だけなら僕だと特定することはできないしな……)
永井「わかった。この手紙だけなら出してもいいよ」
由紀「ほんとに?! やったあ!」
悠里「よかったわね、ゆきちゃん」
由紀「うん! りーさんもありがとう」
胡桃「なんだよ、りーさんも手伝ったのか?」
悠里「ゆきちゃんがどうしてもって言うからね。相談にのってあげたの」
胡桃「あたしには相談なしか」
悠里「あれだけムスッとしてたひとに相談なんてできないわよ」
胡桃「永井が断ったらどうしてたのさ?」
悠里「そうならないように、ここで手紙を渡すようにゆきちゃんに言っておいたの」
胡桃「……こわっ」
悠里「ひどいわね。ちゃんと永井君のお願いもかなえてあるのよ? ゆきちゃんのお願いもかなうように、ちょっと譲歩してもらったけど」
胡桃「いや……だから、それが怖いんだって」
悠里「まあそれはともかく、どう、くるみ? 永井君とゆきちゃんのこと、まだ不安?」
胡桃「今回はあいつがちょっと妥協しただけだろ」
悠里「最初にしては十分じゃない?」
胡桃「まだやるのかよ」
悠里「お互いに知り合ったばかりだもの。どちらも楽しくすごせるように工夫していかないと」
胡桃「はあ〜……わかったよ。あたしもちょっとは妥協しろってことだろ? でも、あいつの物言いけっこう腹立つんだよなあ……」
悠里「グチなら聞いてあげるわ。部長ですもの」フフッ
由紀「りーさん! けーくんの偽名、どうしよう?」タタタッ
悠里「偽名?」
由紀「けーくんがここにいることがバレたらマズイんだよね? だから、この絵のひとはけーくんじゃありませんよって書いとかなきゃ」
永井「丈槍さん、余計なことはしなくていいんだって」ハア...
悠里「そうねえ……くるみはどんな偽名がいいと思う?」
胡桃「あー……偽名ってもとの名前に近いほうが都合がいいんだっけ」
由紀「それじゃバレちゃうよ」
悠里「なら外国の名前ならどうかしら? アルノーみたいに」
由紀「りーさん、賢い! なにがいいかな?」
悠里「そうねえ、永井だから……文字数の長い名前なんてどうかな?」
由紀「ダジャレじゃん!」
悠里「ゆきちゃん、そんなこと言うのね……」ゴゴゴ...
由紀「ま、待って、顔が怖いよ、りーさん!」
ナニヲ-...ワ-...ゴミ-ン...
胡桃「あーあー、……とめないのか?」
永井「……なんか面倒くさくなってきた」
胡桃「まあ……だな」
永井「……鳩に触ったなら、部室にもどるまえに手は洗えよ」
胡桃「おまえもたいがい面倒くさいぞ!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
生きているってすばらしい
「おはよー。ねぼすけ。朝だぞー」
私は
「ーー朝だぞー。おはよー」
負けない
「朝……」バチン!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今夜はここまで。
ようやく原作1巻分が終了。やっとこさ、みーくんが出せる!
ーーーーーー
ーーーー
ーー
胡桃「よし。いつでもいいぜ」
由紀「けーくん、そっちはどう?」
永井「いいよ」
由紀「じゃあ、いくよ。よーい……どん!」
タタタタタタタ……ひゅん!
胡桃「タイムは?」ハアハア...
永井「ん」
由紀「わたしも見せてー」
永井「はい」
胡桃「あちゃぁ」
永井「なんだよ?」
胡桃「タイムだだ落ちだ。練習さぼってたからなー。鍛え直さないとダメだな、こりゃ」
永井「……」
由紀「あのさ、くるみちゃん……もしかして……」
胡桃「え、なに?」
永井「シャベル、背負ったままだぞ」
胡桃「あ! そうだった」
由紀「わすれてたの?ほんとに?」
胡桃「うっ……」
由紀「くるみちゃんの愛には妬けちゃうよ。もう、シャベルと結婚しちゃいなよ」
胡桃「なっ……いやほら、道具は体の一部になるまで使いこなすって言うだろ。奥義開眼ってやつ?」
永井「土掘れよ」
胡桃「うるせえ」
永井「もう一回計るか?」
胡桃「いや、いい。これならいける。遠足でもなんでも来い!」
ーー2日前
由紀「おはよー」
悠里「おはよ」
由紀「あ、ごはんだ!」パアア
悠里「ゆきちゃん、缶詰どれにする?」
由紀「あ、大和煮! 朝から牛なんて! ぜ、贅沢!」
胡桃「昭和かよ。あ、鮭もらうぜ」
悠里「永井君は?」
永井「鯖にするよ」
悠里「はいどうぞ。さて、それじゃ……」
由紀・胡桃・悠里「いただきまーす」
永井「いただきます」
由紀「ふっふふ〜ん♪」ムシャムシャ
悠里「ご機嫌ね。ゆきちゃん」
胡桃「うん。すごいこと思いついたからね」
胡桃「昨日の夜言ってたな」
悠里「なにかしら?」
モグモグ...ゴクン!
由紀「遠足いこう! 遠足!」バ-ン!
胡桃「遠足?」
由紀「そろそろ遠足の季節じゃない?」
胡桃「まあ、そうだな」
由紀「わたし気づいたんだ」
悠里「あら。なにに?」
由紀「学校を出ないで暮らすのが学園生活部。でも、学校行事ならでたことにならない!」
悠里・胡桃「……」キョトン...
由紀「……よね……?」
永井「行き先は?」
由紀「あっ、それはもう決めてあるんだ。この近くのションピング・モール。いろんなお店があるから、職業見学にもバッチリかなって」
永井「なるほど」
胡桃「いやいや、おかしいだろ。遠足って部でやるもんじゃないし」
由紀「くるみちゃんは頭が固いね! わたしたちの後に道はできるんだよ!」
悠里「それなら提出用の文書を作って、めぐねえに見てもらわないと」
由紀「んふふふ…じゃーん!」
胡桃「むぅ、もうできてんのか」
永井 (ずいぶん準備がいい。それに目的地。よくもまあ、都合のいい……)ズ-...
悠里「そうね、これを見てもらったらいいんじゃないかしら?」
由紀「うん。ごちそうさま! あっ、食器洗わなきゃ……」
永井「確認を取ってきてからにしたら?」
由紀「そうだね! じゃ、聞いてくる〜」
悠里「さて、どうしましょうか」
胡桃「めぐねえ待ちだな。ゆきに任せようぜ」
永井「僕も異論はない」
胡桃「意外だな。おまえがそんなこと言うなんて」
永井「物資の補給と外の状況の確認ができるんだ。丈槍さんの提案に反対する理由はない」
胡桃「当然、ゆきも同行するぞ」
永井「ああ」
悠里「ゆきちゃんはわたしが見守っておくわ。それと、あとは足ね。めぐねえの車を使いましょう。運転できる人はいる?」
永井「僕は大丈夫」
胡桃「あたしも何とか」
悠里「あとは車を取りに行く方法ね。駐車場はグラウンドの向こうだから……」
タタタ...ガチャッ
由紀「オッケーだって!」
悠里「あら、よかったわね」
胡桃「じゃあ、いっちょやるか」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
悠里「それで、駐車場まで行く方法だけど……」
胡桃「玄関からじゃ無理だな」
永井「避難梯子でグラウンドに降りるとして、そこから駐車場までの距離は?」
悠里「150メートルってところね」
胡桃「問題なし」
悠里「でも、シャベルを背負っての全力疾走よ?」
胡桃「いけるいける。さっきタイム計った」
永井「グラウンドを突っ切るあいだは耳栓をしたほうがいい。ノータイムで“声”が使えるし、そのほうが安全だ」
胡桃「駐車場についてからは外したほうがいいな。めぐねえの車がわからない以上、そのほうが探しやすい」
永井「そうだな……キーのエンブレムでメーカーはわかってる。他にも何か手がかりがあればいいんだけど」
悠里「めぐねえはたしか1人暮らしだったから、ちいさめの車を使ってたんじゃないかしら?」
胡桃「どっちにしろ、向こうで探してみなきゃわかんねえな」
永井「その前にこの近くのガソリンスタンドの位置を確認しておこう。もし、ガソリンの残量が少なかったらそれも補給しないと」
悠里「それはわたしがやっておくわ」
永井「頼んだよ」
胡桃「じゃあ、いくか」
永井「ああ」
悠里「二人とも、気をつけてね」
ーー
ーーーー
ーーーーーー
胡桃「よし」キュ
永井「僕が先に降りるが、先頭は恵飛須沢さんが走ってくれ。耳を塞いでない僕が後方にいたほうが危険を察知しやすい」
胡桃「わかった」
永井「下についたら合図する。それまでは待機だ」
胡桃「上見んなよ」
永井「上にやつらはいないだろ」
胡桃「真面目か」
永井「もっとましな冗談を言え。先行くぞ」
カン...カン...カン...
永井「……よし。いいぞ」
カン...カン...カン...
胡桃「……よーい……どん!」ダッ!
タタタタタタタタタ!
永井 (グラウンドは問題なく通過できそうだ)
胡桃「ふっ!」ザシュ!
永井「ついたぞ!」
胡桃「この車、同じエンブレムだ」
永井「こっちにもある。先にそっちを試せ」
ガチャガチャ...
胡桃「くそっ! 合わない!」
永井「こっちだ。この赤い車!」
アアア...アア...
永井「!」
永井 (やつらが集まってきた)
永井「耳栓しろ!」
胡桃「ああ!」バッ
永井『“止まれ!”』ビリビリ...!
...ア...
永井「クソッ! やっぱり効果が短い」
永井 (図書室と違って開けた空間だ。短い時間動きを止めても、対処しきれない)
胡桃「数が多くなってる!」
永井「恵飛須沢さん、シャベルで車を叩け! 警報を鳴らすんだ!」
胡桃「よっしゃあ!」ガン!
フィフィフィフィフィフィ!!
永井「よし。早く来い!」
胡桃「やつらの数が多いんだよ……そうだ!」
ピョン...ガン!...ピョン...ゴン!...
永井 (車の上を……! むちゃくちゃだ、あいつ)
ズシャア...!
胡桃「いってえ! ボンネットで太もも擦った!」
永井「バカやってんじゃねえ! 早く開けろ!」
胡桃「今やってるよ!」ガチャガチャ...
ガチャッ!
胡桃「開いた!」
永井「エンジン!」
ブロン...!
胡桃「よし! 行くぞ!」
永井「待て、シートベルトがまだ……」
胡桃「後にしろ、んなもん!」
ーー正面玄関
悠里「ゆきちゃん、ガラス気をつけて」
由紀「玄関、工事中なの?」
悠里「他のクラスは授業中だから静かにね」
由紀「うん」
悠里「……ふぅー」
由紀「……」ギュッ...
悠里「……!」
由紀「大丈夫だよ」ニパ-
悠里「そうね」フフッ
....ブロロロロロロ……キキー!
永井「痛ってえ!」ゴンッ!
悠里「きゃっ!」ビクッ!
胡桃「早く乗れ!」
由紀「け、けーくん、頭大丈夫?」
永井「っ……シートベルトまだだって
言ったろ!」
胡桃「走ってるあいだにつけろよ!」
悠里「早く出して!」
由紀「待って、し、シートベルト……」アセアセ
永井「僕もまだだ!」
胡桃「だから後にしろ!」
...ブウゥン...!
永井「っ……おい、運転荒いぞ。ほんとに大丈夫か?」
胡桃「任せろ。いつもと感覚は違うけどな」
由紀「いつも?」
胡桃「ああ。いつもはハンドルコントローラーじゃなくて、パッド使ってるから」
由紀「ゲームじゃん!」
永井「殺す気か! 運転変われ!」
胡桃「おまえは殺しても死なねーだろ!」
悠里「と、とにかく! これで遠足に出発ね!」
由紀「りーさん、いまそれどころじゃないかも……」
今日はここまで。
くるみは永井のなかで中野と同じ扱いになってそう。
ーーリバーシティ・トロン・ショッピングモール 5F・避難所
美樹「……」
美樹 (街の様子……やっぱり、変わってない……)
美樹「圭……どこに行っちゃったんだろう…… 」
美樹 (CDプレーヤーの電池、もうなくなっちゃうよ……)
クゥ-...
美樹「お昼にしないと……」
美樹 (もう、食べ物も少ないや……)
美樹「……太郎丸、ご飯だよ? ごめんね。わたし、もう怒鳴ったりしないから……」
美樹「でてきて、太郎丸……」
美樹「……太郎丸……?」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーーリバーシティ・トロン・ショッピングモール 正面
由紀「見えた! 見えたよ!」
胡桃「元気だな、おまえ」
悠里「元気すぎよ。昨日ちゃんと寝た?」
由紀「えへっ。あんまり」
胡桃「おまえ、遠足で熱出すタイプだろ」
永井「体調が良くないなら、丈槍さんは車で休んでたほうがいいんじゃないか?」
由紀「そそそそ、そんなことないよ! 大丈夫、ばっちりだよ!」
悠里「喧嘩しないの。さ、行きましょ」
胡桃「どうだろ、誰かいるかな?」
永井「いるだろ。あれが起きたのは日中だったんだ」
胡桃「そうじゃねえよ」
永井「ああ。そっちか」
悠里「避難するなら、ここよね……でも……」
永井「いたとしても、そう多くはない。第一この車は四人乗りだ」
胡桃「……とにかく、中に入ろうぜ」
悠里「車のカギ、どうしよっか?」
永井「開けっ放しでいいと思うけど、キーは持っていったほうがいい」
由紀「わ、暗い。休みかな?」
胡桃「ドアは開いてるな」
由紀「閉め忘れかな?」
悠里「『リバーシティ・トロン館内案内』……」ピラ...
永井「若狭さん、ホームセンターはあるか?」
悠里「ううん……ないみたいね」
永井「そうか……モール内を動き回るよりはマシだと思ったんだけどな」
胡桃「ああ。客の数もそっちのが少なそうだもんな。使える道具とかもありそうだし」
永井「ないなら仕方ない。リストアップした必需品とそれがある階数を確認しよう」
悠里「食料品は地下一階ね。一階がフードコート、広場、ステージ。二階はアクセサリーや宝飾品のフロアだから関係なし。三階が女性服で、四階が紳士服。本や電化製品は五階ね」
永井「食料品から回収していこう」
胡桃「全員でいくのは危険だよな」
永井「地下に行くのは恵飛須沢さんと僕だ。可能なら、買い物カゴかカートを利用してより多くの食料品を先に車まで運んでおきたい」
胡桃「一階の状態次第か」
悠里「今日はイベントがあるみたいね」
由紀「イベント? お祭りみたいなの?」
胡桃「だったら邪魔しないようにしないとな」
永井「……“声”は緊急時以外には使用しない。モールの構造上、声が反響する恐れがある」
由紀「じゃ、怪しまれないようにそっーとね」
悠里「ええ。そっーと、そっーと……」
ーー1F
胡桃「ぱっと見、だれもいないな」
永井「素早く移動しよう。先頭は恵飛須沢さん、最後尾は僕が担当する」
悠里「わかったわ」
胡桃「よし、いくぞ」
タタタタ....
胡桃「あれだ、あのCDショップ。シャッターが下りかかってる」
悠里「なら、ひとまずあそこに隠れましょう」
胡桃「頭、気をつけろよ」
由紀「うんしょ……」
永井「シャッター下ろすぞ」ガシャン
胡桃「……ふぅ。店内を見回ってくる」
永井「恵飛須沢さんの見回りがおわったら、僕らは地下一階におりていく。そのあいだ二人はここで待っていてくれ」
悠里「それなんだけど永井君、これ使えるんじゃないかしら?」
永井「サイリウムか。たしかに」
悠里「学校でも使えそうね」
胡桃「見回りおわったぜ。問題なし」
由紀「もう買い物していい?」
悠里「無駄遣いはダメよ?」
胡桃「よーし、いくか」
悠里「くるみ、これ持っていって」
胡桃「ん? なんだこれ?」
悠里「サイリウム。かれらの意識をそらすのに便利かなって」
胡桃「へえ。なんか『ジュラシック・パーク』みたいだな」
永井「そうか?」
胡桃「ほら、ジェフ・ゴールドブラムがTレックス相手にさ、やってたろ? あんな感じ」
永井「あそう」
胡桃「似てないか? 死んでたのに生き返ったって点じゃ、恐竜も同じだろ?」
永井「どっちでもいいよ。それより、準備はいいか?」
胡桃「ああ。いこう」
ーーB1F
胡桃「……ひどい臭い……」
永井「生鮮食品は腐ってる。缶詰やインスタント中心に集めていこう」
胡桃「……やつらの数も多いな」
永井「サイリウム、使ってみるか?」
胡桃「そうだな。あそこの固まってるやつら、あれが邪魔だな」
永井「できるだけ遠くに投げろ」
胡桃「あたしが投げるのか?」
永井「楽勝だろ? そんな重たいシャベルを振り回してるくらいだし」
胡桃「なんか釈然としねえ……」シャカシャカ...ポ-ン...
ヒュ-...オ...オオ...
永井「……離れた。行くぞ」タッ...
胡桃「やっぱ釈然としねえ……」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
永井「日用品の数は十分。食料もひととおり手に入ったな」
胡桃「缶詰のコーナーはここだ」
永井「バッグに詰めるとき、乱暴にして音をたてるなよ」
胡桃「わかってるよ」カチャ...
永井 (……おでんの缶詰なんてあるのか)ジ-
胡桃「……気になるんなら持ってけば?」
永井「……そうするか」
胡桃「大和煮も探すか。ゆきの好物だしな……おっ、あった……」パシッ
パシッ
胡桃「ん?」
太郎丸「ハッハッ....」
胡桃「は? 犬?」
太郎丸「ワウッ!」タタッ!
胡桃「えっ、ちょ、おい! それ、あたしんだぞ!」
永井「おい、声でかいぞ」
胡桃「いや、だって、犬があたしの缶詰を……」
永井「棚にいっぱいあるだろ」
ウオ...オオオ...
永井「来るぞ」
胡桃「……悪かったよ」
永井「戦闘は避けよう。このカートに荷物を載せてエスカレーターのところまで走り抜ける」
胡桃「音が出ないか?」
永井「缶詰をバッグに詰め込でるんだ。走ればどのみち音が出る。サイリウムは?」
胡桃「あと6本」
永井「僕のも持ってけ。カートは僕が押す」
胡桃「了解」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー1F
由紀「おかえり〜」
胡桃「いや〜、大漁大漁」
悠里「おかえりなさい。時間かかったわね」
胡桃「いったん車まで戻って荷物を置いてきたからな」
永井「食料のほかにも、リストにある必需品もいくつか手に入った」
悠里「どんなの?」
胡桃「食料は缶詰やインスタント、レトルト、シリアルなんかが中心だな。乾パンやチョコレート、調味料もいくつか」
永井「医薬品は絆創膏や包帯、脱脂綿、消毒液、かぜ薬、傷薬、胃腸薬、軟膏。あとトイレットペーパーや乾電池、生理用品、マッチといった日用品も持てるだけ持ってきた」
悠里「そんなに運んでて危なくなかった?」
永井「サイリウムが役に立ったよ」
悠里「あら、よかったわ」
胡桃「あと行くとこは服屋と家電屋か」
由紀「人少ないよね。上にいけばだれかに会えるかな?」
胡桃「……きっとな」
永井「そろそろ行こう。外の様子も、もう落ち着いてきてるころ……」
由紀「けーくん、その子どうしたの?」
永井「ん?」
太郎丸「ハッハッハッ」
胡桃「あっ、そいつ! 缶詰とってったやつ!」
悠里「首輪してる。飼い犬だったのね」
太郎丸「ワン!」
由紀「返事した! ウ-...ワウワウ」
太郎丸「ワオンッ」
由紀「ワウ?...ワンワン...ワオ-ン!」ピョン
胡桃「ちょ、ゆきっ」
永井「待てっ」
太郎丸「ワン!」ピタッ!
由紀「あれ? 止まっちゃった」
胡桃「おまえ、“声”使ったのか?」
永井「使うわけないだろ、犬相手に」
胡桃「でも、こいつ、ピタッと動き止めたぜ?」
悠里「……もしかして、“待て”って命令されたと思ったんじゃないかしら?」
胡桃「んん?」
由紀「それって、けーくんの言うことなら聞くってこと?」
永井「なんで?」
悠里「それはわからないけれど……」
胡桃「なんか命令してみれば?」
永井「なにを?」
胡桃「動物飼ったことねーのか?」
永井「おすわり?」
太郎丸「ワン」ペタッ
胡桃「おお……」
由紀「すごーい。けーくん、この子と知り合い?」
永井「初対面」
悠里「でも……どうしましょうか、この子」
永井「決まってる。ここに繋いでおく」
悠里「えっ」
由紀「置いてっちゃうの?」
永井「この状況で普通の飼い犬なんてつれていけるわけないだろ。見たところ噛まれてはないようだけど、何を口にしたのかもわからない」
胡桃「うーん……そりゃそうなんだろうけど」
永井「ちょうどいい紐がある。これをここに結びつけておく」
悠里「でも、それじゃ……」
永井「帰るときに外していくよ」
永井 (余裕があればだが)
胡桃「まあ、仕方ないか。ゆき、首輪がしてるってことは飼い主がいるってことだし」
由紀「う〜……わんちゃん、ここで待っててね」
太郎丸「ワン!」
永井「おい、吠えるな」
太郎丸「ワウ...」
永井「できた。次は三階?」
悠里「ええ……」
由紀「あっ、待って。この缶詰さ、あの子のために置いておこうよ」
胡桃「そうだな。こいつが持ってきたもんだし」パカッ
太郎丸「……クゥ-ン」
由紀「けーくん、食べていいって言ってあげて」
永井「……食べていいぞ」
太郎丸「ワン!」パクパク
永井「なんなんだ、この犬」
胡桃「まあまあ」
ーー3F
永井「地下に比べればさすがに少ないな」
胡桃「夕方くらいに起きたからな」
悠里「ええ。だから、いちばん危険なところはもう過ぎたわね」
由紀「あっ、これかわいー! 何だろ? ストラップ?」
胡桃「ちげーよ。防犯ブザーだろ」
由紀「これ、アルノー・鳩錦みたい。つけてこー。これとこれとあとこれも」
胡桃「つけすぎだろ!」
由紀「みんなのぶんだよ。これ、くるみちゃんの」
胡桃「いらねーよ! なんだそのたてがみのないライオンみたいなの!」
由紀「も〜、しょうがないなあ。わたしが持ってこ」
悠里「それ、ここじゃ絶対鳴らしちゃダメよ。警備員さん飛んでくるから」
由紀「はい!」ビシッ
ーー女性服店
由紀「お、おしゃれな空間だ……」
悠里「さ、入りましょ」
胡桃「中はけっこうきれいだな」
由紀「ハイヒールだ。ね、これ履いてみてもいい?」
悠里「ええ、いいわよ」
由紀「はじめてなんだよね、ハイヒールって……ととっ、とっとっとっとおっ!」コテン
悠里「あら、大丈夫?」
由紀「うう〜……ハイヒールはまだ早かったよ……」
悠里「なら、こっちの靴はどうかしら? ゆきちゃんに似合うんじゃない?」
由紀「あっ、これもかわいーね」
悠里「靴を見終わったら、洋服を見に行きましょ」
胡桃「こんなことしてていいのかな……」
悠里「こんなときだからこそよ。だってわたしたち、女の子でしょ?」
胡桃「そうかもな……あれっ、永井は?」
悠里「時間がかかりそうだから、先に上の階に行って待ってるって」
胡桃「逃げたな、あいつ」
ーー4F
由紀「けーくん、お待たせ〜」
悠里「ごめんなさい。けっこう時間かかっちゃって」
永井「いや。必要なものはだいたい揃えきたよ」
由紀「けーくん、お金持ってたの?」
永井「おばあちゃんのキャッシュカードがあるから」
胡桃「おまえ、そのキャッシュカードって……」
永井「五階の様子もさきに見てきたよ。階段のところにバリケードがあった」
胡桃「バリケードの向こう、見てきたか?」
永井「まだだ。だが、人のいる気配や物音はしなかった」
胡桃「……どうする?」
悠里「……行きましょう。可能性があるなら確認しないわけにはいかないわ……」
永井「……わかった」
ーー5F
胡桃「ここか」
永井「荷物たのむ」
悠里「ひとりで大丈夫なの?」
永井「それが一番危険が少ないだろ? 耳栓はすぐつけれるよう準備しておいて」
胡桃「わかった」
永井「よろしく」
タッ...
悠里「……誰かいると思う?」
胡桃「いてほしいけど……車、どうする?……」
悠里「一人くらいならなんとか……」
永井『耳栓!!』
胡桃・悠里「「!」」
悠里「ゆきちゃん!」
由紀「うわっ! っあ!」ポロッ
胡桃「何やってんだ! 永井! ちょっと待て……」
永井『“止まれ”!!』
ビリビリビリ...!!
胡桃 (身体が……)
悠里 (全然うごかない……)
由紀 (うぅ………)
ダン!
永井「ダメだ、全滅してる。さっさと……ハァ!?」
永井「なんで固まって……ああ! “動け”! 逃げるぞ!」
胡桃・悠里「「!」」バッ
由紀「あっ、動く……」
ミシッ...ミシッ...
永井「耳栓間に合わなかったんなら言えよ!」
グラッ...
胡桃「言おうとしたんだよ!」
悠里「ケンカしないでよ! それよりバリケードが……!」
ガラガラガラッ!!
永井・胡桃「「!」」
グオオオオオオオ....!
永井「チッ……」
ーー避難所
美樹 (誰もいない……誰も……)
美樹 (圭も……太郎丸も……生きてるひとはみんな……)
ガラッ...
美樹「!」
ドタドタ...!
美樹 (足音……)スッ...
ガタ...ガタン
美樹 (これで……大丈夫……)
美樹「……隠れなきゃ……」
『耳栓!!』
美樹「!」バッ
『止まれ!!』
美樹 (声……男の人……!)
美樹「誰か、いるの……?」
美樹「誰かが、来たんだ……!」
今日はここまで。
ダッ!!
胡桃「急げ急げ急げ! やつらすごい数だ!」
由紀「はぁはぁ……」ゼエゼエ...
悠里「えいっ!」ポイッ!
胡桃「ダメだ……まだ半分以上追ってくる」
永井「チッ……」
永井 (黒い幽霊は放てない。あんな無闇に暴れまわるやつ、人がいる状況じゃ危険すぎる)
永井「恵飛須沢さん、先頭に行け! 殿は僕がつとめる!」
胡桃「いいのか? そこがいちばん危ねーだろ 」
永井「この際仕方ない。さしあたり、これが最も全員の生存率が高いからな」
胡桃「わかった」
永井「はぐれた場合は置いていってもいい。モール自体から離れなきゃいけないときは昨日のガソリンスタンドで……」
悠里「待って! 下にもいる!」
胡桃「りーさん、ゆき、動くなよ! あたしが……」
ガタタタタ!
胡桃「一匹! 滑り落ちてきやがった!」
永井「早く片付けろ!」
胡桃「下のは!?」
永井「僕がやる!」ダン!
ドカッ!!...ゴロゴロゴロ!!
永井 (足に当たって一匹転んだが、着地した場所が遠い! 近づいてくる二匹目から先にやる!)
グオオ...!
永井 (バッグを盾にして……!)ガブゥッ!
ドスッ! ドスッ!...バタン...
永井 (転がしたやつはまだ完全に起き上がってない。頭の位置が低いから髪の毛をつかみ、首の後ろを露出させる)グイッ!
グシャッ!...
永井「……ふう。こっちはもう大丈夫……」
オオオ...!!
永井「!」
永井 (もう一匹! 見えない位置にいたのか!)
永井「待て! まだ一匹いた!」
永井 (クソッ! はやく倒すこと優先したから武器は回収してない! こいつを盾にするしか……!)グイッ!
オオ!...グラッ...バタン!!
かれら「グオ!...ガァ!」
ガチン!ガチン!
永井 (これじゃドライバーが掴めない…….!)
永井「重いんだよ……!」グググ...
かれら「グアアア!」
ダッ!
ズバッ...!!
永井「!」
ゴロン...ゴロン...ブシャア...
胡桃「わりい、遅れた」スッ
永井「……首がなくなるかと思った」グイッ
胡桃「ん? ああ。心配すんなって。言われたことは守る」
永井「上のやつらは?」
胡桃「倒したやつの死体を投げつけたら倒れた。ついでに二、三匹やって、それが壁になってる」
永井「あまり長くはもちそうにないな。はやく移動しよう。さっきの戦闘を聞きつけて他のやつらもよってくるぞ」
悠里「ちょっと待って。ゆきちゃんが……」
由紀「大丈夫だよ……りーさん……」ゼエゼエ...
永井 (だいぶ消耗してる。熱もありそうだ)
胡桃「どこかで休憩とれないか? あたしもけっこうキツい」
永井「トイレの前の通路に行こう。ベンチもあるだろうし、フロアの反対側にも通じてる」
胡桃「よし。もうひと踏ん張りだ、ゆき」
由紀「うん……ごめんね……けーくん」
永井「いいよ。それより若狭さん、サイリウムの残りは?」
悠里「さっき何本か使ったけど、まだたくさんあるわ」
永井「あとで正確な数を確認しよう」
胡桃「もう行こうぜ。やつら、近づいてきてる」
永井「ああ」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
永井「思った通り、反対側はやつらの数が少ない」
胡桃「そうか。とりあえず一息つけるな」
永井「あと、自販機が開いていたから飲み物を持ってきた。ミネラルウォーターだけど」
胡桃「さんきゅ」
悠里「ありがとう」
永井「丈槍さんは?」
悠里「やっぱり熱があるみたい。いまは眠ってるわ」
胡桃「寝かしとこう。下を突っ切るのに体力いるしな」
永井「だがあまり長いことここにはいられないぞ。日が落ちる前に昨日のコンビニまでたどり着かないと」
胡桃「わかってるよ。そう焦らすなって」
永井「サイリウムの残りは?」
悠里「あと16本ね」
永井「すこし心許ないが、まあいいか。囲まれたときを想定して三人で分けておこう」
悠里「足りないなら、あのCDショップに取りに行ったらどうかしら? ほら、あの子もつないだままだし……」
永井「ダメだ。そんな余裕はない」
悠里「だけど……」
永井「優先すべきは僕たち自身の安全だろ?」
悠里「……そうね」
胡桃「なあ、永井」
永井「ん?」
胡桃「バリケードのむこう、どんな様子だった?」
永井「生存者たちが集まって生活してたみたいだ。おそらく十数名。それなりにうまくやってたようだが、物資の調達係が噛まれでもしたんだろう。それで全滅」
胡桃「やっぱり生き残りはいなかったか?」
永井「いないだろ。あの状態じゃ」
胡桃「いても助ける余裕はない、か……」
悠里「くるみ……?」
胡桃「あ、いや。そういう心構えも必要かなって」
永井「それもいいけど、大事なのは傷を負わないことだ。ここの生存者の例でもわかるように内部で感染者が発生するとヤバい。僕らも気をつけないと」
胡桃「おまえなあ……もうちょっと空気読んでくれよ。さっき発言するのも、けっこう勇気いったんだぞ」
永井「? 当然のことだろ?」
胡桃「はあ……まあいいや」
由紀「う〜ん……あっ、りーさん……」ゴシゴシ...
悠里「ゆきちゃん、もうよくなった?」
由紀「うん。もう平気」
永井「もういちど反対側の様子を確認してくるよ。問題ないようならすぐに行動しよう」
胡桃「わかった」
ーー5F・避難所
キィ...
美樹 (いまなら……)
タッ
美樹 (かれらの姿がない)
美樹 (! バリケードが……それにこれ……)
美樹「サイリウム……やっぱりだれか……」
美樹「……待って……お願い……」
美樹「待って!!」ダッ!!
ーーモール前
由紀「!」ピクッ
悠里「よかった……ここまでくれば安全ね」
永井「恵飛須沢さん、荷物を載せるの手伝ってくれ」
胡桃「はいよ」
由紀「……」
悠里「ゆきちゃん、どうかしたの?」
由紀「ねえ、なにか聞こえない?」
悠里「え?」
由紀「だれかが叫んでるような……ほら!」
ギギ..ギギギギ
悠里「別に……」
胡桃「ありゃ警備員が騒いでるんだろ。永井はどうだ?」
永井「ん? ああ、あの『はだしのゲン』の擬音みたいな音のことか」
胡桃「おまえ、その例えは……いや、わかるけどさあ」
永井「小学校の図書室とかになかった? あと、小児科の待合室とか」
由紀「ちがうよ! 声がしたもん!絶対だれかいる!」ダッ!
悠里「ゆきちゃん!」
胡桃「っ! 永井、追うぞ!」
永井「ん? ハァ!?」
永井 (そうだ、車のキーは!?)ハッ
ガゴッ
永井「ない……若狭さんが持ったままか……」
胡桃「なにやってんだ! 早く来いよ!」
永井「なんだよ、もう!」
ひとまずここまで。
つづきは10時頃に書きます。
ーー
ーーーー
ーーーーーー
美樹 (もうすぐ出口だ。あとはこのエスカレーターを降りれば……)
グオオオ...!
美樹「急がなきゃ……!」
ガタガタガタガタ!
美樹「!」
かれら「アア...」
美樹「下にも……」
美樹 (挟まれた……どこか他に逃げ場は……)
ポロン...
美樹「!」
美樹 (ピアノ……あそこに跳べば……!)
美樹「……えいっ!」ダッ!
ドタン!
美樹「……っ!」
美樹 (はやく起き上がって逃げないと……!)バッ!
かれら「グオオオ...!」ワラワラ
美樹「あ……」
ガンガン!...ポロン...パン!
美樹「ひっ!……やだ……来ないで……」
美樹「だれか……」
美樹「だれか来て!!」
由紀「いた! あそこ!」
美樹「!」ハッ!
美樹 (あ……)
美樹「ほんとに……いたんだ……!」
胡桃「おい、やばいぞ。囲まれてる!」
悠里「待って! いま行くから!」
美樹「」フラフラ...
胡桃「おい、待てって!」
永井「ダメだ。こっちの声が耳に入ってない」
ズルッ
胡桃「落ちたぞ!」
由紀「早くしないと!」タッ!
胡桃「やめろ!もう無理だ」ガシッ!
由紀「でも……」
永井「逃げよう。他のやつらもわいてきた」
由紀「っ!……けーくん、お願い! 助けてあげて!」
永井「は?」
由紀「できるでしょ!?」
永井「そっちの心配してる場合じゃ……」
グオオオオ!
美樹「……ぁ……ぁぁ」
永井「……」
永井「……今度はちゃんと耳塞げ」
由紀「! うんっ!」
ダッ!
永井『“動くな”!』
ビリビリビリ!
美樹 (……身体が……)
永井「おい! もう動けるだろ! はやく逃げるぞ!」
美樹「えっ? あっ、はい!」
永井「急げ! ここを抜けたら僕の前を……」
かれら「グ...オオオ!」
永井 「もう効果が切れたか!」
ザン!
永井「!」
胡桃「こっちだ! はやく!」
永井「行け! 彼女のあとについてけ!」
美樹「あの、でも……」
永井「いいから!」
アア...アアアア...アアアアアアア!
永井「やっぱり“声”が響いたか……」
悠里「もうサイリウムはないわ!」
永井「とにかく走れ!ばらばらになるな!」
美樹「あ、あの! わたし幾つか拾ってます!」
胡桃「ほんとか!?」
永井「すぐ投げれるように準備しろ!」
美樹「はいっ!」ゴソゴソ
アア...!
永井「!」
永井 (柱の陰に……彼女は気づいてない)
永井「チッ」ドンッ!
美樹「キャッ!」バタン!
かれら「グアアァ!」
永井 (避けられないか……!)スッ
ガブゥッ!!
ドシュ!
由紀「けーくん!」
美紀 (圭……?)
美紀「はっ……!」バッ
かれら「カア...!」グチャ
永井「」ブラン...
悠里「っ!……」
胡桃「あいつ……自分の首に……」
ブチチッ...バタン......ドクドクドク......
美紀「あ……」フッ...
胡桃「ヤバい、あの子……!」
ジュワジュワ...パチリ
グイッ...ドシュ!
かれら「ギ...」バタン...
胡桃「!」
永井「治った。逃げるぞ」
胡桃「待て、永井! その子、気絶してる!」
永井「ハァ!? ったく、面倒だな、もう!」ガッ
悠里「サイリウム貸して!」
胡桃「ほら、走れ走れ!」
ダダダダ!
悠里「もうすぐ出口よ! でも……」
胡桃「群れがいる! 永井、もういちど“声”だ!」
永井「無茶……いうな……人ひとり……担いで走ってんだぞ……」ゼエゼエ...
胡桃「体力ねえな、おまえ!?」
悠里「近づいてくるわ!」
胡桃「くそっ、やるしかないか……!」
悠里「待って、くるみ! ひとりじゃ……そうだ! ゆきちゃん、バック貸して!」
由紀「えっ、うん!」
悠里「みんな、急いで耳を塞いで!」
永井「は?」
胡桃「なんで?」
由紀「りーさんが?」
悠里「いいからはやく!」
胡桃「っ! そういうことか!」
永井「あっ! 待て、僕はこの子抱えて……」
悠里「いくわよ!」グイッ!
ビイイイイイイイ!!!!
永井 「ぐっ……」キ---ン
かれら「グオ......」
胡桃「よっしゃ! いまだ!」
ゴスッ! ザシュ! ゴスッ!
胡桃「道が開けた! 行くぞ!」
悠里「ゆきちゃん!」
由紀「うん!」
胡桃「ほら、永井も!」
永井「なんだ!? 聞こえないぞ!」
胡桃「ああっ!? あーもう、しゃーねえなあ!」ガシッ
永井「おい、なにしてる!」
胡桃「この子をいっしょに運ぶんだよ! ほら、そっちの手を持て!」
悠里「はやく! もうエンジンかけたわよ!」
胡桃「ふんばれ、永井!」
永井「なんて言ってんだよ……!」ゼエ...ハア...
悠里「気をつけて! 後ろからなにかくるわ!」
トテテテテテ!
胡桃「あっ、こいつ」
太郎丸「ワン!」
悠里「永井君がつないだ……!」
永井「なんか言ったか!?」
ギギ...ギギギギ...!
悠里「まだこんなに……」
胡桃「仕方ない、おまえも来い!」
太郎丸「ワン!」
悠里「全員乗った!? もう出すわよ!」
ドン!
悠里「!」
ドン! ドン! ドン! ドン! ドン! ドン!
胡桃「囲まれるぞ!」
悠里「っ!……つかまっててよ!」
ブォン!!
由紀「うわっ!」
ブオオン!!
ギギギ…ギギギ…ギギギ...ギ...………
ブオ--ン...
胡桃「……はあ。見えなくなった……」
悠里「……よかった……その子の様子は?」
胡桃「ぱっと見、ケガはないな」
悠里「……そう」
永井「念のため、目がさめるまでは拘束しておこう」
胡桃「おまえ、もう耳聴こえるようになったのか?」
永井「少しはな。まだキーンって音がするよ」
悠里「ごめんなさいね、永井君」
永井「なに? それくらいじゃ聴こえない」
胡桃「りーさんがごめんなさいって!!」
永井「そこまでデカくしなくてもいい!!」
由紀「うわっ」キ-ン
美紀「……ン……」
悠里「ふたりとも、その子起きちゃうわよ」
今日はここまで。
途中までみーくんの名前を誤表記したまま更新してました。すみません。
……たす……けて……だれか……きて……
……動くな!!……動け……逃げるぞ……
………けーくん!………圭?………………ブスッ……………
ブシャアアア!………ドクドクドクドクドクドク……………
美紀「……ヒッ!」
美紀 (……夢……?)ハアハア...
由紀「あ。おはよ」
美紀「えっ?」
由紀「お水、飲む?」
美紀「あ……ありがとう」
由紀「はい、どーぞ」
美紀「……」ゴクゴク
プハッ
美紀「……だれ?」
由紀「巡ヶ丘高校三年C組、丈槍由紀だよ」
美紀「……2Bの直樹美紀、です」
由紀「じゃ、わたしが先輩だね」エッヘン
美紀「ここは、どこですか?」
由紀「学園生活部の部室だよー。あ、めぐねえ、おはよー。こっちこっち」
美紀「……?」
美紀「……がくえん、せいかつ部、ですか?」
由紀「うん。楽しいんだー。新入部員絶賛募集中だよー。最近も一人入部したからねー。ね、めぐねえ?……はーい、佐倉先生」
美紀「?」
由紀「あっ、こんな時間。授業始まっちゃう。みーくん、またねー」
パタン...
美紀「みーくん……?」
キョロキョロ...
美紀 (あれ? 制服、きれいになってる)クンクン
美紀「……石鹸の匂いだ」
美紀 (廊下……だれもいないな……)
美紀 (……教室……)
美紀「夢……だったのかな……?」
ガラッ
美紀「……」
美紀「そんなわけ……ないよね……」
ハッ!
美紀 (じゃあ……わたしを助けてくれた、あの人が死んだのも……)
ガラッ!
美紀「!!」ビクゥッ!
胡桃「いた!」
美紀「あ……」
悠里「……あなた、わたしたちの言うことはわかる?」
美紀「あ、あの……わたし……」
胡桃「……大丈夫そうだな」
悠里「そうね。あなた、名前は?」
美紀「ご……ごめんな、さい、わたしの、せいで……」ブル...ブル...
悠里「え?」
美紀「あなたたちと、いた、男のひと……わたしを、助けて……それで……」
胡桃「あ、あー……」
悠里「お、落ち着いてね。大丈夫だから」
美紀「で……でも……」ボロ...
永井「あ、若狭さん。やっぱりダメだった」
美紀「え……?」
悠里「な、永井君!」アタフタ
胡桃「なんつータイミングで……」ハア...
永井「普通の洗剤じゃ、襟についた血は全然落ちなかったよ。漂白剤にすればよかったな」
美紀「え……? どうして……?」
永井「あ、目が覚めたんだね」
美紀「だ、だって……わたし……!」
悠里「大丈夫だから! ね、落ち着いて!」
胡桃「ちゃんと説明するから! な!」
短いですが今日はここまでで。
ーー
ーーーー
ーーーーーー
美紀「亜人……なんですね、ほんとうに……」
美紀 (それに……圭って名前……)
永井「見てたのならわかるだろ?」
美紀「はい……あっ、いえ、わたしは……永井さんが、その……倒れたところまでしか見てなくて……」
永井「ああ、そうだっけ?」
美紀「はい。すみません……」
永井「べつに謝らなくてもいいよ」
悠里「納得したら落ち着いた?」
美紀「あ、はい。さっきは失礼しました。うろたえてしまって……」
胡桃「無理もないって。あたしらもビビったもん」
永井「そういえば君らも亜人の復活ははじめて見たんだったか」
悠里「そうね。ふつうは見る機会なんてないわよね」
永井「佐藤さんがアップロードした亜人の実験映像、見てないの?」
胡桃「見ねえよ。つーか、躊躇なさすぎなんだよ。噛まれたのとほぼ同時だったぞ、おまえが自分の首刺したの」
永井「噛まれたんならさっさとリセットしたほうがいいだろ」
胡桃「慣れねえなあ。その感覚」
美紀「あ、あの」
胡桃「あ、わりい」
悠里「ごめんなさいね。つい、こっちの話に夢中になっちゃって」
美紀「いえ……あの、さっきゆき先輩が言ってた新入部員って……」
悠里「永井君のことね」
胡桃「ゆきにはもう会ったのか」
美紀「はい、起きてすぐに。それで、ゆき先輩はもうひとり、めぐねえという方のこともおっしゃってたんですが……」
胡桃「……」
悠里「……めぐねえは、もういないの」
美紀「でも、さっきゆき先輩が……」
胡桃「……ゆきにはめぐねえが見えてるんだ」
美紀「それは、オカルト的な話ですか?」
胡桃「そうじゃなくて……」
悠里「部活を始めてしばらくした頃かしら」
胡桃「それまですげー落ち込んでたゆきが元気になってさ、安心してたんだ。そしたら……元気になりすぎたっていうか……」
悠里「あの子の中では事件は起きてないの。学校は平和で、先生も生徒もいっぱいいて」
美紀「そうなんですか……」
悠里「最初はたまにそうなふうになる感じだったんだけど、めぐねえが亡くなってなから……ずっとなの」
永井 (この話聞くの二回目だな)
美紀「早く治るといいですね……」
胡桃「……」ムッ
永井「……」
悠里「ね、お願い。ここにいる間、あの子に合わせてくれる?」
美紀「その、永井さんもそうしてるんですか?」
永井「そうだよ」
美紀「……わかりました。やってみます」
ガラッ
由紀「たっだいまー」
胡桃「おかえり」
悠里「あら、その子もいっしょなのね」
由紀「うん。けーくんの部屋の前にいたんだよ。ねー?」
太郎丸「ワン!」
美紀「太郎丸!!」
太郎丸「!」ピョン
美紀「あっ……」
太郎丸「グルルル...」
永井「やめろ」
太郎丸「...ワウ」
トテトテ...ペタン
太郎丸「ハッハッ...」フリフリ
美紀「えっ……?」
悠里「美紀さん、この子のこと知ってるの?」
美紀「はい……太郎丸とはあの日、モールで出会ったんです。みなさんと出会った日の朝にいなくなってしまったんですが、それまでは五階の避難所でいっしょに生活してて」
永井「そのわりに嫌われてない?」
胡桃「おい! 言い方」
美紀「いいんです。太郎丸には八つ当して怒鳴ったことがあって……だから嫌われても仕方ありません……」
由紀「ケンカしちゃったんだね。でも大丈夫だよ。またすぐに仲直りできるよ」
美紀「そう、でしょうか?」
由紀「もちろん! けーくんも手伝ってくれるのね?」
永井「はあ?」
由紀「だって、太郎丸がいちばん好きなの、けーくんだもん」
胡桃「たしかに」
悠里「それも、ただなついてるというよりは忠犬って感じよね」
胡桃「おまえ、ほんとになんもしてねーの?」
永井「犬相手になにするってんだよ」
美紀「あの、太郎丸も永井さんが助けてくれたんですか?」
永井「こいつが勝手についてきただけだよ」
美紀「そう、ですか……」
由紀「一目惚れって感じだよね〜。きっと、けーくんには犬の飼い主にふさわしいオーラがあるんだよ」
悠里「なら、太郎丸のお世話は永井君にやってもらいましょうか」
美紀「えっ」
永井「なんで僕が?」
悠里「だって、それがいちばんだもの。永井君の言うことをきいてれば、太郎丸が危ないところに行くこともなさそうだし」
胡桃 (なんか、りーさんがいじわるだ)
永井「ほんとに命令に従うんならね。でも普通ないだろ、そんなこと」
胡桃「もっかい命令して確かめてみれば?」
永井「……お手」
太郎丸「ワウ」ポフ
悠里「問題なさそうね」
永井「直樹さんはどうなの?」
美紀「わ、わたしですか?」
永井「いままでいっしょに生活してきたんだろ? 他人に預けることに不満はないのか?」
美紀「わたしは、太郎丸が望むようにさせてあげたいのですが……」
永井「ああそう」
美紀「でも、もし永井さんが気乗りしないのでしたら……」
永井「いまさらそんな気遣いはいらないよ」
美紀「……すみません」
悠里「じゃあ、これで決定ってことでいいかしら」
永井「直樹さんも世話を手伝ってくれるんだよね?」
美紀「わ、わたしもですか?」
永井「丈槍さんがはじめにそう言ってただろ?」
美紀「でも、わたしは嫌われてますし……」
永井「いやならべつにいいよ」
美紀「い、いえ。やります! よろしくお願いします、永井先輩」
由紀「よかったね、みーくん」
美紀「あの、みーくんってなんですか」
由紀「美紀だから、みーくん。ダメ?」
美紀「美紀でいいです」
由紀「えー、みーくんのほうがかわいくない?」
美紀「かわいくなくていいです」
由紀「うー。あっ、そうだ。学園生活部の話はもうした?」
悠里「大体はね」
由紀「そっか。じゃ、みーくん行こ!」
美紀「! どこへですか?」
由紀「学園生活部はね、学校全体が舞台なんだよ!」
永井「丈槍さん、案内してあげたら?」
由紀「うん! ほら、みーくんも!」
美紀「わ! ちょっと待ってください!」
ガラッ!
胡桃「……よかったのかよ、ふたりで行かせて」
永井「直樹さんは同意しただろ。現在の状況を実際に目で確かめれば、うまく対応する必要があるって納得するだろうし」
胡桃「そう単純にいくかねえ……」
悠里「先輩役としては永井君が向いてるわよね。太郎丸の世話で話することも多そうだし」
永井「また僕かよ」
永井 (まあ、監視役についたと捉えておくか)
悠里「まあ、それはおいおい考えていきましょ。いまは美紀さんの歓迎会の準備をしないと」
胡桃「永井のときにいちどやったから、楽っちゃ楽だな」
永井「ついでに手に入れた物資の数と種類もちゃんと把握しておこう。まだ数えてなかったよな?」
悠里「そうね。じゃ、永井君、おねがい」
永井「わかった」
胡桃「クラッカーも取ってきてくれ。今度はちゃんとしたリアクションがほしいからな」
永井「はいはい」
今日はここまで。
このあと深夜2時からBS11で劇場版第一部『亜人 -衝動-』が放送されるので、未見の方はぜひ。
ーー深夜・放送室
由紀「スウ...スウ...」
グズッ...
由紀「ん……」パチッ
ムクリ...
由紀「……?」ゴシゴシ
美紀「……グスン」
由紀「……」
由紀「…………」
スッ...
…………
カバッ……
……………
……………………
ーー屋上
永井「……曇ってきたな」
美紀「さっきまで晴れてたんですが……ここで太郎丸とトレーニングするんですか?」
永井「校舎のなかだと不向きだからね……この椅子、園芸部の備品かな」ガタ
美紀「それで、どんなトレーニングなんですか?」
永井「そんなに緊張しなくてもいいよ。むしろ内容はとてもシンプルだ。屋上を太郎丸といっしょに歩くだけでいい」
美紀「それだけですか?」
永井「ああ。ただし、周回にあたっては直樹さんが主導権を握ること。リードは短く持ち、犬が行こうとする方向とあえて逆へ行く。あと、話しかけたり目を合わせたりするのも禁止だ」
美紀「でも、どうしてですか?」
永井「いちいち伺いを立てるのは犬の社会では下位の犬がすることだ。太郎丸が直樹さんのいうことを聞かないのもこれが原因だろう。だからこの訓練で主従関係をはっきりさせる。毅然とした態度で直樹さんが先導すれば、本来あるべき主従関係を確立できる」
美紀「はあ……」
永井「思っていたのと違った?」
美紀「あっ、いえ。そういうわけでは……」
永井「主従関係の確立は犬と同居するときの前提条件だよ。これを構築できなきゃ、そもそも性質も習性も異なる動物同士がいっしょに暮らせるわけがない」
美紀「……」
永井「どんな動物でもその習性や社会性を無視した共存はありえない。こんな状況で犬といっしょに生活したいのなら、なおさら危険な行動を取らせないようにならないと」
美紀「そのためのトレーニングなんですね?」
永井「ああ」
美紀「わかりました。永井先輩、わたし、かならず成功させます」
永井「なにか質問は?」
美紀「えっと……このトレーニングとは関係ないことなんですが……」
永井「いいよ。なに?」
美紀「その、ふつうの人間が亜人とそれ以外の人間を見分けることって可能なんですか?」
永井「見分ける方法?」
美紀「はい」ドキドキ
永井「……僕の知る限り、死んでみる以外にはないな」
美紀「そう、ですか……」
永井「……僕も亜人になってからまだ日が浅い。気が付いてないこともあるかもしれない。なにか分かったら教えるよ」
美紀「! は、はい!」
永井「ほかに質問がなければトレーニングを始めよう。いい?」
美紀「はい。太郎丸、行こう」
永井「声をかけない」
美紀「す、すいません」
永井「いいから始めて」
美紀「は、はい!」
太郎丸「……」ズルズル
美紀「あ、あの……太郎丸が歩いてくれないんですが……」
永井「引きずっていけばいい。そのうち歩き出す」
美紀「わ、わかりました」
太郎丸「……」ズルズルズル
永井「……」
永井 (亜人について興味があるみたいだな)
永井 (偏見や差別感情といったものはとくに見受けられない。だが理解が深いわけでもない。典型的な態度だな。ただ単に自分が亜人かどうか知りたかっただけか?)
永井 (生き残った人間にとってはある意味いちばんの関心ごとかもしれないな。こと生存限れば、亜人だった場合、ほとんどの問題が解決する)
永井 (とはいえ、この社会で亜人がどう扱われるかはこうなる前の連日の報道で知っているいるはず。現在の状況なら、亜人であることを口外することは、よほどうまく立ち回らないかぎりデメリットのほうが大きい)
永井 (仮に判別法があったとして、自身が亜人だと判明した場合、彼女はどう行動するつもりだった? 僕と協力してこの施設と物資を独占するつもりだったか、あるいは……)
永井 (……無意味な仮定だな。自身を亜人だと認識してない人間が亜人かどうかを見分ける方法なんて、死んでみるしかないんだ。興味本位で試すやつなんかいやしない)
永井 (生き残った人間が亜人だと判明する事態。やつらに襲われるのを除いて最もありうるのは……自殺か)
永井 (集団で生活しているグループから自殺者が出るとして、まず間違いなくそいつは見つからないように行動するだろう。そして、そいつが自身が亜人だと気づいたときの精神状態……これが気になるな)
永井 (自殺を試みて生還した者の心理状態……これが最も近いパターンか? 資料が欲しいところだが、高校の図書室じゃたかがしれてるし……現在のメンバーからそういう者が出てきた場合、僕がそれを判定する方法。そして、とるべき行動をいくつか想定しておくべきか? 亜人だからといって、そいつが僕にメリットをもたらすとは限らないし……)
ガチャ
胡桃「お、やってるやってる」
由紀「みーくん、大変そうだねえ」
胡桃「太郎丸引きずってんぞ、あいつ」
永井「ふたりとも、何か用?」
胡桃「もうすぐ昼メシだから、呼んでこいって」
永井「わかった。これが終わったら行くよ」
由紀「ねえ、みーくんと太郎丸のとこ、行ってもいい?」
永井「邪魔しないんならね」
由紀「そんなことしないよ〜。じゃ、行ってきます〜」
胡桃「ったく、りーさんが待ってるっていうのに」
永井「恵飛須沢さんだけさきに戻れば?」
胡桃「いや、待ってる。椅子、まだあった?」
永井「あっちのほうにあるよ」
胡桃「ああ、あったあった……それで? どんな調子?」ガタン
永井「始めたばかりだ。まあ、そのうち効果があらわれてくるだろ」
胡桃「思いっきり引きずってるけどな……」
永井「ちゃんとトレーニングしてけば、いずれ従うようになる」
胡桃「おまえ、犬のしつけにくわしかったっけ?」
永井「本を読んだ。どうやら、直樹さんと太郎丸が同じスペースを共有して生活してたのもまずかったみたいだ。飼い主の生活スペースに飼い犬が侵入するのを許したままにしておくと、犬は飼い主を上位の存在と見なさなくなるらしい」
胡桃「あの避難所なら仕方ないと思うけどなあ」
永井「ここで生活する以上、まえと同じじゃダメだ」
胡桃「てことは、専用のケージとかが必要になるか…… 理科室になんか利用できるものあったかな?」
永井「あとで確認すればいいさ」
胡桃「だな……永井、美紀はどんな様子だ?」
永井「僕に聞くのか」
胡桃「そりゃいまのところ、おまえといちばん会話してるからな」
永井「そっちはどうなんだ? たしかに彼女と面識はないのか?」
胡桃「ない。あたしもゆきもりーさんもな。あったら質問するまえに言うよ」
永井「……ふつうの人間が亜人を見分ける方法について聞かれた」
胡桃「亜人を見分ける方法?」
永井「ああ。まあ、こんな状況なら誰だって自分が亜人かどうかは知りたいだろうからな」
胡桃「それでそんな質問を?」
永井「そんなとこだろ」
胡桃「……たぶん、ちがうと思う」
永井「なら、ほかにどんな理由があるんだ?」
胡桃「 ……あの日、あのモールには美紀のほかにもうひとりいたんだよ。美紀の友達。あれが起きたときいっしょに逃げて、五階の避難所にいっしょにかくまわれて、避難所がダメになったときもいっしょだったんだ」
永井「……」
胡桃「しばらくはいっしょにいたけど、その友達は助けを求めて外に出ていった。美紀はその子を止められなかったって後悔してる」
永井「彼女の生徒手帳に書いてあったのか」
胡桃「ああ」
永井「ふうん……無謀なことをしたもんだ」
胡桃「……その子の気持ち、あたしにはわからなくもない。先が見えない状況じゃ、自棄になっちまうからな。そうならずにすんだのは、ゆきがいてくれてからなんだってあらためて実感したよ」
永井「だから、丈槍さんのことを僕から彼女に伝えろってか?」
胡桃「んー、それは必要ないかもな。それより、おまえもちゃんと先輩らしくしてやれよ」
永井「やるべきことはやるよ」
胡桃「どうにも不安がのこる返事だな……変に同情しろとは言わないけどさ、気づかいくらいはしてくれよ。おまえにだって友達いるだろ?」
永井「わざわざ自分の友人関係を振り返らなくても、不用意な発言は避けられる」
胡桃「あそう。はあ……今日もグラウンドに大勢いる……やっぱ、どれが知り合いかはわかんねえや」チラ......
永井「……」
胡桃 (……こいつ、気にならないのかな? 逃走に協力してくれた友達がいまどうしてるかとか……)
タタタタッ
太郎丸「ワン!」
由紀「まって〜、太郎丸〜!」
美紀「もう! ゆき先輩がちょっかい出すから!」
由紀「ご、ごみんね、みーくん」
美紀「みーくんじゃないです!」
胡桃「あーあー、邪魔するなって言われたのに」
美紀「すみません、永井先輩」
永井「お昼の時間だし、戻ろうか」
美紀「で、でもまだ終わってませんよ」
永井「成否にはそれほどこだわらなくてもいい。トレーニングはこれから何度でも続けられるんだから」
美紀「はい……」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー学園生活部
由紀「ふぅ〜、お腹いっぱい。 今日はおかずがいっぱいあったね」
美紀「永井先輩、午後からもトレーニングですか?」
永井「いや、やめとこう。天気も悪いし」
美紀「えっと……じゃあ、わたしは何をしたら?」
由紀「みーくんはまだ仮入部なんだからゆっくりしてていいんだよー。あ、マンガ読む?」
美紀「いえ結構です」プイッ
胡桃「無理しなくてもいいんだぞ。太郎丸のトレーニングで疲れてるだろ」
美紀「いえ。何かしてたほうが落ち着きますから」
悠里「じゃあ、こっち手伝ってくれる?」
美紀「はい。家計簿ですか?」ガタッ
悠里「そうなの。最近、人数が増えたからいろいろ見直しをね」
美紀「手伝わせてください」
悠里「ええ、お願いするわ。これで見えるかしら?」
美紀「はい」
悠里「こっちが食料の欄で、こっちが……」
永井 (若狭さんとはとくに問題なさそうだな
永井 (やはり懸念があるとすれば、丈槍さんとの関係か。さっきのトレーニングも彼女のせいで中断したようなものだし)
永井 (あの程度なら時間が経てば反感も薄まっていくだろうから問題ないが、丈槍さんのことだ。なにか突飛な提案をしないとも……)
由紀「体育祭!」
永井「……チッ」
悠里「あら」
美紀「?」
胡桃「なんで体育祭?」
由紀「みんなで体動かすと楽しくなるよ! つらい悩みもすっきり!」
胡桃「……おまえ、悩みないじゃん」
由紀「それが……遠足から帰ってからごはんがおいしくって……」ハフゥ~
胡桃「ダイエットじゃねえか!」
由紀「くるみちゃんも運動しようよ〜。ほらっ」プニッ
胡桃「!! や、やめろこいつっ」ガタタッ
由紀「へへへ〜♪」ツンツン
胡桃「わかった、わかったから!」
悠里「ちょっと! 永井君もいるんだから……」
胡桃「あっ……」
永井「……」
美紀「あの、先輩?」
永井「ん? 聞いてなかった」
由紀「体育祭だよ! けーくん!」
美紀「ゆき先輩、遊ぶのは仕事が終わってからにしましょう」
由紀「遊びじゃなくて、部活動だよ!」
美紀「部活動?」
由紀「あ、そっか。みーくんはまだ仮入部だもんね」
美紀「それとどういう関係が……」
由紀「学園生活部心得第五条!」バッ
由紀・胡桃・悠里「「「部員は折々の学園の行事を大切にすべし」」」
由紀「だ・か・ら・体育祭!」
美紀「さっぱりわかりません……」
永井「僕は見学にしておくよ」
由紀「えー、けーくんもやろうよ〜」
永井「僕が参加しないほうが人数があうだろ」
胡桃「べつにいいじゃん。おまえ体力ねーんだし、これで鍛えれば?」
永井「僕はホワイトカラーなの」
由紀「けーくん、シャツ、赤いよ?」
太郎丸「ワウ?」
由紀「太郎丸もけーくんががんばるとこ、見たいよね〜?」
太郎丸「ワン!」
永井「準備くらいなら手伝うよ」
美紀「いいんですか? 仕事もまだ終わってないのに……」
永井「急ぎの仕事じゃないし、いますぐ取りかかる必要はないよ」
美紀「……永井先輩がそう言うのでしたら」
永井 (本意ではないのは僕も同じだけど、強く反対して僕に反感を持たれたら本末転倒だしな……直樹さんの運動能力を見るいい機会と捉えておこう)
由紀「みーくん、いっしょに準備しよ!」
美紀「……何をするんですか?」
由紀「玉入れの玉作り!」
胡桃「じゃ、あたしらは籠の代わりになるものを準備するか。いくぞ、永井」
永井「どうするんだよ?」
胡桃「紐をつかって鍋を蛍光灯な吊るすんだよ。あたしが結ぶから、おまえは机を支えててくれ」
永井「それはいいけど、着替えないのか?」
胡桃「うん?」
永井「制服のままでさっきの準備をするつもりだったのか?」
胡桃「……着替えてくる」
永井「うん」
悠里「くるみったら……」ハア...
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー三階・廊下
由紀「さ、体育祭はじめるよー」
由紀「体育祭といえば徒競走! けーくん、みーくんのタイムよろしくねー!」
永井「ハイハイ」
美紀「さっぱりわかりません」
胡桃「まあまあ。どうだ、ひと勝負?」
美紀「そのシャベルは?」
胡桃「ハンデ」ニッ
美紀「なるほど」
由紀「くるみちゃんのタイムはわたしが測るからね。それじゃ、いちについて……よーい、ドン!」
ダッ!!
胡桃「ハッハッハッ」
美紀「ハァハァ...」
ダダダッ!
由紀「……一位、くるみちゃん!」ピッ
永井「……」ピッ
胡桃「ふぅー……結構やるじゃん」ハァハァ...
美紀「ハンデつきで負けるとは」ゼエゼエ...
永井 (直樹さんのタイムは……これなら囮くらいには使えそうだな)
美紀「先輩、タイムはどうでした?」
永井「はい。結構いいタイムだったね」
美紀「ほ、ほんとですか? ありがとうございます」
由紀「次は玉入れだね!」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー2-B教室
胡桃「いくぞー」ガタン
ゴロゴロ...
美紀「これで玉入れって無理がありませんか……」
由紀「無理は承知の学園生活部っ、だよっ!」シュパッ!
ガコン
由紀「はうっ」ペシッ
悠里「強すぎ。もっとそっーと投げないと」
美紀「……」ソ-...ポンッ
ポスッ
美紀「やった」パア
由紀「おおっ!? みーくんすごい」
美紀「みーくんじゃないです!」
由紀「よーし、負けないぞー」
ズルッ
由紀「あたっ!」ドテンッ
美紀「隙を見せましたね!」
胡桃「ははっ、やるじゃん」
悠里「こっちも負けないわよ」
永井「……」ボ-...
太郎丸「ワウ」ポン
永井「ん?」
太郎丸「ハッハッ...」フリフリ
永井「ボールか……」
ポ-ン
太郎丸「ワン!」タタタッ
胡桃「うわっ」
悠里「きゃっ」
太郎丸「ワウ!」バクッ
胡桃「おい、永井! あぶないだろ!」
永井「仕方ないだろ? 教室が狭いんだから」
太郎丸「ハッハッ...」ポテッ
永井「ほら」ポ-ン
太郎丸「ワン!」タタタッ
由紀「わわ、太郎丸〜」フラフラ
胡桃「あいつ、とんだステージギミックになってやがる……」
悠里「まさか途中から難易度が変わるとは……」
美紀 (いいなあ……)
ーーーーーー
ーーーー
ーー
胡桃「ろーく、なーな、はーち……あ、もうない」
美紀「やった!」グッ!
悠里「よかったわね」
由紀「負けちゃったー……せ、先輩の威厳が……」
胡桃「いや、元からあんまりないだろ」
由紀「ひどい! よーし、勝負だ! わたしに負けて泣くんじゃないよ!」
胡桃「よっしゃ、受けて立つ!」
美紀「クスッ」
由紀「けーくん、審判よろしく!」
永井「玉入れに審判いらないだろ」サワサワ
太郎丸「ワウワウ~」
由紀「太郎丸お腹なでられてるんだ。気持ちよさそう〜」
悠里「ほんと。かわいいわね」
美紀 (いいなあ……)
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー
ーーーー
ーーーーーー
由紀「じゃ、ゴミ捨て行ってきまーす」
永井「僕はこいつを寝かしつけてくる」
太郎丸「スゥスゥ...」zzz
胡桃「すぐに戻ってこいよ? 片付けいっぱいあるんだから」
永井「わかってる」
ガラッ
悠里「さて、はじめましょうか」
胡桃「あたしらはボールを片付けようか」
美紀「はい」
悠里「どう? 美紀さん、少しは慣れた?」
美紀「そうですね。慣れたかもしれません」
胡桃「面白いやつだったろ?」ポンッ
美紀「何がですか?」ポスッ
胡桃「ゆき。変なことばっか言うけど、こういうのも楽しいっていうかさ」
美紀「……そうですね」
美紀「……」
美紀「ゆきちゃん、これからどうするんですか?」
胡桃「ん? ゆきならゴミ捨て行ってるけど」
美紀「そうじゃなくて……このままじゃダメですよね」
胡桃「べつにダメじゃないだろ」
悠里「ゆきちゃんは学園生活部に欠かせない子よ。楽しいことをいっぱい思いついてくれるから、わたしもくるみも助かってる。永井君もそれをちゃんと理解してくれてるわ。それじゃダメ?」
美紀「そうやって甘やかしてるから、治るものも治らないんじゃないですか?」
悠里「甘やかすとか治るとか、そういうものじゃないのよ」
美紀「どう違うんですか?」
胡桃「……」チラッ...
悠里「……」
美紀「永井先輩にしたって、あのひとは最近ここにきたばかりだから、意見を控えてるだけじゃないんですか?」
悠里「……わたしたちが永井君にゆきのことを強制していると言いたいの?」
美紀「どうなんです?」
悠里「……あなたはまだ、ゆきのことをよく知らないから……ゆきのおかげで、どれだけわたしたちが助かってるか……」
美紀「そんなの……」
美紀「ただの共依存じゃないですか」
悠里「あなたねっ……!」
胡桃「ふたりとも落ち着けよ!」グイッ
美紀「わたし、間違ったこと言ってますか?」
悠里「……」ジイイッ
美紀「……」
ガラッ
永井「戻ったよ」
悠里「!」ハッ!
胡桃「永井……」
永井「……何かあったか?」
美紀「永井先輩は、ゆきちゃんの状態についてどう思います?」
悠里「……!」
胡桃「おい!」
永井 (やはり、その話題か)
永井「直樹さんはどう考えてる?」
美紀「このままではいけないと思います。徐々にでも、現状に慣らしていかないと」
永井「ふうん……」チラッ...
悠里「……」グッ...
胡桃「……」
永井「それで? 具体的な治療法は?」
美紀「それは……」
永井「直樹さんの意見もわからなくはないけどね。でも、僕たちは治療の実践はおろか病状の診断すらできない。なんの専門知識もないガキが精神科医の真似をしたって、余計に状態を悪化させるだけだ」
美紀「それは、そうですが……」
永井「それでも、危険を認識できずに集団を危機にさらすことがあるなら、何らかの対策は必要だろう。隔離とかね」
胡桃「……本気で言ってんのかよ、おまえ」
永井「もしもの話だ。さいわい、丈槍さんは現実認識こそ正常ではないが危機認識はできてるみたいだし、さっき言ったようなことは必要ない」
美紀「……」
永井「だから、消極的ではあるけれど現状維持が現在とりうる最良の選択肢というのが僕の考えだ。何が言いたいことは?」
美紀「いえ……ありません……」
永井「若狭さんたちは? 僕の言ったことに訂正や反論はあるか?」
胡桃「……」
悠里「いいえ……」
永井「なら、この話は終わりだ。丈槍さんが戻ってくるまえに作業を再開しよう」
ガラッ
由紀「ただいま〜……あれ、どうかしたの?」
胡桃「いや、何でもない……ボール取ってくれ」
由紀「はーい」
美紀「……」
由紀「……みーくん、パス」
美紀「……」ポスッ
美紀「……」ジッ...
美紀「さっぱりわかりません……」
永井「……」
永井 (ここまで反発を露わにするとは、すこし予想外だったな)
永井 (もし彼女がこのまま強硬な態度をとりつづけ、軋轢も辞さないという姿勢でいるつもりなら……)
永井「邪魔……だなあ……」ボソッ...
今日はここまで。
ーー放送部
カチャ...カチャ...
美紀「……」パク
由紀「……」ムグ
悠里「……」スッ
永井「……」ズズ
胡桃「……」ハァ...
太郎丸「ク-ン...」
由紀「みーくん、ごはんはもっとおいしそうに食べないと」
美紀「……失礼しました」ゴクン
美紀「……先のことが気になるんです」
胡桃「先って?」
美紀「ずっと同じことをしてもしょうがありませんから……これから先、どうするか考えないと」
悠里「そうね。人数も増えたんだし、やれることはあるわよね」
由紀「これから先かー。うーん、悩むよねー」
美紀「永井先輩はどうお考えですか?」
永井「活動圏を拡げることかな。備蓄倉庫は地下にあるし、もしもの場合にそなえて避難ルートは確保しておきたい」
由紀「それって、学園生活部が過ごせる場所がいまより増えるってこと?」
永井「まあ、そういうことだね」
由紀「すごーい。なんかこう、学園の支配者って感じだね! マンガやアニメの生徒会みたいに!」
永井「なんだそれ?」
胡桃「学校を舞台にしたアニメとかだと定番じゃん。教師より権限がある生徒会長とかよく出てくるだろ」
永井「知らないな」
胡桃「普段なにして過ごしてたんだよ、おまえは」
永井「高校生なら勉強だろ。ふつう」
由紀「す、すごい……これが進学組の心がけか!」
美紀「……」
由紀「ね、みーくんはどう?」
美紀「え?」
由紀「やっぱり、みーくんも進学かな? 頭よさそうだもんね。そうなると、わたしは就職かなー」
悠里「ゆきちゃん、就職にも試験はあるわよ」
由紀「えっ!? そ、そんなー」アセアセ
悠里「ふふっ」
美紀「……失礼します!」ガダン!
太郎丸「ガウッ!」
美紀「!」ハッ
永井「座ってろ」
美紀「あっ……」
太郎丸「...…ワウ」ペタン...
美紀「……」カタン...
永井「直樹さん、食事はもういいのか?」
美紀「は、はい……」
永井「僕も食べ終わった。食器を洗いに行こう」
美紀「あ、あの……」
永井「なに?」カチャ...カチャ...
美紀「……いえ、ごちそうさまでした……お先に失礼します」カチャン
ガチャ...
胡桃「……おい、永井」
永井「なんだよ?」
胡桃「さっきの、ちょっとキツすぎるぞ」
永井「あれは直樹さんに向けての言葉じゃない」
悠里「でも、あのタイミングだと……」
永井「いまからフォローするよ。ごちそうさま」ガタン
悠里「あっ、永井君……」
胡桃「おまえ、もうこれ以上キツいこと言うなよ? 優しい言葉かけてやるんだぞ?」
永井「フォローするって言っただろ」
ガラッ
悠里「……大丈夫かしら?」
胡桃「不安だ……こればっかりは」
由紀「……」
ーー洗い場
ジャ-...
美紀「……」
ガチャン
美紀「!」
永井「となり、借りるよ」ジャ-...
美紀「あっ、は、はい……」
永井「すこしは落ちついた?」
美紀「あの……さっきはすみませんでした」
永井「まだ慣れるのに時間がかかりそう?」ジャバジャバ
美紀「そう、なのかもしれません……」
永井「長く極限状況にいたんだ。無理ないよ」
美紀「でも、それを言うなら永井先輩が日本中から追われてたときもそうだったじゃないですか。なのに、わたしは……」
永井「僕の場合、潜伏地の住民に怪しまれないようにしなきゃならなかった。その点、直樹さんのおかれていた状況とちがう」
美紀「……わたしは、どうすればいいんでしょうか?」
永井「すぐにこれだと断言することはできないな。いまできることを確実こなしていって、結論を出さなきゃ……ふきん取って」
美紀「は、はい……あの、先輩。お願いがあるんですが……」
永井「なに?」フキフキ
美紀「このあと、行きたいところがあるんです。いっしょについてきてくれませんか?」
永井「わかった」カチャン
美紀「ありがとうございます」
永井「……」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー図書室
ガラッ
美紀「かれら、うまく向こうの階段におびきよせられましたね」
永井「まだこの部屋のなかにもいるかもしれないからいちおう注意して。どんな本を探すんだ?」
美紀「心理学の本を借りていこうかと」
永井「丈槍さんの病状について調べるのか?」
美紀「はい。なにか知識があればふさわしい振る舞いもできるかと思ったんですが……あの、いけなかったでしょうか?」
永井「……いや。心理学の棚はあっちだ。いこう」
美紀「はい」
トテトテ...
美紀「ここですね」
永井「……」
美紀「先輩?」
永井「……僕はあたりを見回ってくる。なにかあれば、天井にライトをむけて合図してくれ」
美紀「あっ、せ、先輩……」
永井「……」スッ...
美紀「……」
美紀 (はやくすまそう。大丈夫。これくらい、ひとりでできるようにならないと……)クルッ...
チカッ
美紀「あれ?」
美紀 (だれか借りたのかな? ……どうしよう?)
美紀「とりあえずあるぶんだけでも……」スッ...
ズ...
美紀 (目次をみてそれっぽいのを選んでみたけど、それでもかなりの量になっちゃった)
美紀「重い……永井先輩、どこいったんだろ?」
美紀 (ライトで合図したほうがいいのかな? でも、なにかあったときって言ってたし……)
美紀「探したほうがいいのかな……?」キョロキョロ...
美紀 (たしか、奥のほうに行ったはず……)カチッ
美紀「先輩?……あの、もう本を選びおわったんですが……」
美紀 (もっと奥かな?)
ガタ...
美紀 (音……こっちから……)
美紀「先輩?」チカッ...
「……」
美紀「あの……もう終わりました。戻りませんか?」
「……」
美紀「……永井先輩?」
かれら「ギギ...」ギョロ!
美紀「!!」
美紀 (かれらだ!)
美紀「逃げなきゃ……!」クルッ...!
グラッ
美紀「あっ!」
ダン!!……バラ...バラ...
美紀 (っ、うぅ……バッグが重くて……!)
美紀「はっ!」
かれら「ギギギギ」
美紀「あっ……あぁ……」
かれら「ギギ……ギチッギチチッ」グバアッ!
美紀「っ!!」ギュッ!
ガシッ!!
かれら「ギッ!」グイッ
ドシュッ!!
美紀「……?」
美紀「ぇ?……あっ!」
永井「ん?」
美紀「な、永井せんぱ……」
永井「シッ」グイ
かれら「ギ……」
美紀「……」
永井「ああ。感触がいつもとちがうと思ったら、喉を貫いて口から出てたのか。やり直したほうがいいな」
...ドチュッ!
かれら「ギッ……!」ビクン...
バタン...
永井「あぶなかったね、直樹さん。ケガはないか?」
美紀「あ、あの……」
永井「直樹さん、ケガはないのか?」
美紀「は、はい……大丈夫、です」
永井「なら、はやく戻ろう。バッグは僕が持つ」
美紀「あの、すみません、先輩。わたし……」
永井「あとで聞く。いまはここから移動することが先決だ」
美紀「……はい」
永井「……」
永井 (状況は申し分なかったが、時期が悪かったな。恵飛須沢さんたちにああ言われた直後に彼女が無事でなかったら、僕の信用度にかかわる。ヘタすれば疑いをもたれる可能性もある……)
永井 (だが、この経験で直樹さんの周囲への警戒度は増す。彼女が孤立する状況は作りにくくなった……これを機に対立的な態度をあらためれば問題はないんだけど……もどってからの反応次第か)
美紀「……」
美紀 (また、助けられた……)
美紀 (それだけじゃない……足を引っ張って、迷惑までかけてしまった……)
美紀 (このままじゃダメだ。生き残ったのに、何もできず、だれかの助けなしじゃ生きていけないような人間のままじゃ……)
美紀 (だれかの負担になるような人間はふたりもいらない……永井先輩に戦力と認められるようにならないと……)
美紀 (そうでなきゃ、圭には……)
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー学園生活部
ガラッ
悠里「あっ、おかえりなさい」
胡桃「下に行ってたのか?」
永井「ああ。若狭さん、あとで直樹さんにケガがないか確認してくれ」ドサッ
胡桃「は!? おまえ、それ!」
悠里「かれらに襲われたの!?」
美紀「……大丈夫です。永井先輩に助けてもらいましたから」
悠里「でも……」
美紀「大丈夫ですから」
由紀「えっと……みーくん、不良のひとになにかされたの?」
美紀「いいえ。なんでもありません」
由紀「でもみーくん、ツラそうだよ? ムリしてない?」
美紀「問題ありません!……ほんとに、大丈夫ですから」
永井 (ダメか……)ジャ-
胡桃「いや、でもさあ……ケガ、ほんとに大丈夫なんだよな?」
永井「念のためだよ。外傷がなければ問題ない」トポトポトポ...
胡桃「つか、どこに行ってたんだよ」
永井「図書室だ」コトン...
美紀「わたしが永井先輩に同行をお願いしたんです」
悠里「まだ起きたばかりなんだから無理しちゃだめよ。読みたい本があったなら、永井君や……わたしたちに言ってくれればよかったのに」
美紀「体調は問題ありません。それにひとりでも活動できるようになりたいですから」
悠里「美紀さん……」
胡桃「ハア……永井、どうなってるだよ」ボソッ...
永井「聞いたとおりだ。本人が納得するまでやらせるしかない」スッ
胡桃「でも、ああも意固地じゃさあ……」
永井「考えはある」ペリリ...
胡桃「……う〜ん……」
永井 (やはり、排除の方向で動いたほうがいいかな)
永井「ふう……あいかわらず、天気わるいなあ」カリッ
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ひとまずここまで。つづきは明日更新します。
ーー深夜・放送室
美紀「……」ペラッ
『多重人格の実態と伝説』
「ーー主人格は、自己を守るため に人格交代時の記憶を持っていないことが多く、結果として無謀な行動をする場合があります。ーー
ーー救済人格とは、交代人格の一つであり、主人格をサポートする機能を持ちます。ーー
ーー主人格が無謀な行動をしようとした際、交て現実的な対処をするわけです。ーー」
美紀「……」パタン
美紀「ふぅ……」ゴシゴシ...
ギイ
由紀「あ」
美紀「……ゆき先輩」
由紀「みーくん、まだ起きてたんだ〜」フワ~
美紀「先輩はどうして?」
由紀「うん……なんか、ちょっと目がさえちゃって」エヘヘ
美紀「そうですか」
ギイッ
悠里「灯りが点いてると思ったら」
胡桃「ふたりしてここにいたのか」
由紀「みんな起きちゃったね」
胡桃「おまえの声がでけーんだよ」ペシッ
由紀「ごみん。けーくんは起こしてないよね?」
胡桃「どうだろ、こっからは離れてるし……」
ガチャ
永井「なんだ。全員いるのか」
美紀「先輩」
由紀「ごみん、けーくん。声おっきかったよね?」
永井「いや。灯りが点いてたから」
美紀「あっ、それ、わたしです。本を読んでたので……」
永井「へぇ……」
胡桃「おっ、なんの本?」
美紀「勉強の本です」
由紀「けーくんに引き続き、みーくんも進学組の心がけを!」
美紀「べつにそういうわけじゃ……ハァ……」ガタン...
由紀「どこいくの?」
美紀「……お手洗いです」
由紀「学園生活部心得第三条!」
美紀「?」
由紀「夜間の行動は単独を慎み常に複数で連帯すべし!」
美紀「ひとりで大丈夫です。だいいち、まだ部員じゃなんで」
由紀「いいからいいから。一緒にいこ? ね?」
美紀「だったら、永井先輩に……」
永井「……」
美紀「……」
胡桃 (渋い表情してんなあ……)
由紀「けーくん、男の子だよ?」
美紀「……わかりました。いいですよ」
由紀「じゃ、いそいで行かなきゃね!」
美紀「そういうのは言わなくていいです!」
パタン...
悠里「……大丈夫かしら? 不安だわ」
胡桃「まあ、永井のときよりは……安心、かな。ある意味」
永井「え? なんで?」
悠里「それは、その……心配り、とか?」
胡桃「気遣いがたりねえんだよ。気遣いが」
永井「直樹さんが直接それを要求したわけじゃないだろ?」
胡桃「そこは察しろよ。言外の意味を。先輩なんだから」
永井「要求にはこたえる。それでメリットが得られるならね」
悠里「……やっぱりわたしたちも、もっと彼女に話しかけるべきだったのかしら?」ヒソヒソ...
胡桃「永井ひとりに任せたのがいけなかった。これはあたしらの責任だ。もどってきたら、美紀とかよく話し合おう」ヒソヒソ...
永井「……」
永井 (聞こえてるっての)
永井 (それはともかく、今回も実行は見送りか)
永井 (実行自体はそう困難じゃない……ただ、さっき無理矢理ついて行くこともできたけど、それだと疑いを持たれるのは確実だし……こんな状況でも案外難しいんだな、邪魔を取り除くのって)
永井「……」チラ...
悠里「ーーーー」ヒソヒソ...
胡桃「ーーーー」ヒソヒソ...
永井 (まだ話し合ってるか)
永井 (……直樹さんの本でも読むか)ペラ...
永井「……」
永井 (……このタイトル……角が折れてるページが何箇所かあるな……)
胡桃「ん? どうした、永井?」
悠里「それ、美紀さんが読んでた本よね」?
永井「ちょっと黙っててくれ」ペラ...
胡桃「はあ?」
永井「……」ペラ...
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー三階・廊下
トテトテ...
由紀「……」チラッ...
美紀「……」
由紀「……夜の廊下ってさ」
美紀「はい?」
由紀「なんかいいよね」
美紀「いいですか?」
由紀「うん。だれもいなくてなんかドキドキするっていうか、ゾクゾクするみたいな」
美紀「じゃあ、昼はだれかいるんですか?」
由紀「え? そりゃいるでしょ」
美紀「……そうですか」
ピタ...
美紀「……」
美紀「もう、そういうのやめませんか?」
由紀「……え?」
美紀「めぐねえとかみんな無事とか……全部嘘なんでしょう?」
由紀「……」
美紀「いいんですよ、もう……隠さなくて」
由紀「えっと……なんの話?」
美紀「この学校にはだれもいないんです。もう終わってるんですよ」
由紀「夜だからねっ」
美紀「昼も夜もです」
由紀「……休日?」
美紀「……」ハア...
美紀「本を読みました。ちゃんと確かめました。人の心ってすごく不思議なんです」
由紀「え? う、うん……」
美紀「でも、自分の嫌なものだけ見えなくて、その矛盾に気づきもしない。そんな都合のいい病気なんてどこにも書いてませんでした」
美紀「妄想で現実を遠ざけても長続きしません。すぐに破綻してもっと症状が悪くなるんです」
由紀「ふぅん……?」
美紀「最初はふりをしてただけ。そのうちあの二人が本気にしはじめて、後に引けなくてずっと続けるようになって、永井先輩にも指摘されなかったからこのままでいいと思って……」
由紀「え、えと……」
美紀「そんな感じじゃないんですか?」ドン!
由紀「ッ……」ビクッ!
美紀「だから、もういいんですよ」
由紀「……あのね」
美紀「はい」
由紀「おトイレ行かなくてだいじょぶ?」パッ
美紀「あなたって人は……!」
由紀「だって、あの、おトイレに来たんだよ。ね?」
美紀「まだそうやって……!」ギリッ...
パシッ!
由紀「ど、どこ行くの?」
美紀「先輩の目を覚まします」
グイッ...グイッ...
由紀「に、二階に行くの?」
美紀「そうですよ」
由紀「でも二階は……」
美紀「別にいいでしょう? 誰もいないんですから」
由紀「そ、そうだけど……」
美紀「さ、行きましょう」ヨジッ
由紀「みーくん危ないよ!」
美紀「何が危ないんですか? 危ないものがあるって認めるんですか?」
由紀「え、えっと……」
美紀「いいですよね、この学校」
美紀「電気も水道も生きてて、お風呂まで入れて……」
美紀「それなのに……あなたたちは何をしてるんですか?」
由紀「なにって……」
美紀「わたしと圭は……」ギュ...
美紀「……そうやって毎日遊んでたら気が晴れるかもしれないけど、それでいいんですか?」
由紀「……」
美紀「現実を直視して行動しているのは永井先輩だけです。あなたはそれを見てなにも思わないんですか?」
由紀「ぅ……」
美紀「もういいです。ずっとそこにいてください……先輩」フッ
由紀「あっ……」
由紀「……」
「………………」
ハッ
由紀「めぐねえ、あのね、みーくんが……」
「………………」
由紀「ううん、わたしが行く。けーくんはすごいけど……すごいから、わたしじゃないとダメだと思う」
「………………」
由紀「ケンカしちゃったみたい。だから仲直りしないと」
「………………」
由紀「うん。それにね、みーくん、わたしのこと先輩って言ってくれるんだよ。えへ。そこだけ、けーくんと同じだ」
由紀「うん」コクッ
由紀「あのね、めぐねえ……ううん。なんでもない」クルッ
由紀「……いってきます」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー放送室
パタン...
永井「……」
ガタン!
胡桃「うおっ。なんだよ」
悠里「永井君……?」
永井「……」ガラッ!
胡桃「おい、どこ行くんだ?」
永井「……いったん部屋に戻ーー」
『何やってるんですか!!』
永井「!」
悠里「いまのは……!」
胡桃「下からだ!」
永井「クソ!」ダッ!
悠里「あっ、永井君!」
胡桃「シャベルとってくる! 」
永井 (もしかしたらと危惧はしていたが、こんな唐突に起こるかよ!)
永井 (丈槍さんの病状が虚偽であったとして、それをこんな状況で暴露するメリットがないことくらいわかるだろ!)
永井「ったく、ガキじゃあるまいし……!」
永井 (どうする? 二階におりたということはバリケードを越えているはず……直樹さんだけ向こうに置いておけばやつらがカタをつけるが……)
永井 (だが、やつらとの距離が近くないと難しい。それにほかの人間が見ているなかで直樹さんだけ孤立させられるか? できたとして、その時間は極めてみじかい。なら残された手段は……)
コンコン!
胡桃「永井、行くぞ!」
永井「ああ」ガラッ
胡桃「武器は?」
永井「持った。こっちの階段でいいんだな?」
悠里「ええ。こっちから声が聞こえたし、トイレのすぐ側にあるから」
胡桃「急ぐぞ!」ダッ!
永井 (……残された手段は、ひとつ)
永井 (黒い幽霊による、暗殺だ)
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー二階・廊下
ユラ...ユラ...
美紀「二匹……」
美紀 (わたしだってずっと戦ってきたんだ。こいつらなんて目じゃないはず)チャリ...
美紀 (静かに、冷静に。ひとりで生きていたときのように)
美紀「スゥー……ハー……」
ピンッ……チャリ--ン...…
かれら「……?」
コロコロコロ......
かれら「ギ......ギ......」
美紀「よし……」
美紀 (立ち止まるくらいなら、ひとりでいたときのほうがマシだ)
ダッ!
『みーくんいた!』
美紀「!」ビクン!
美紀 (まさか……)ソ-...
美紀「!!」
由紀「みーくーん」フリフリ
ゾロ...ゾロ...
美紀「何やってるんですか!!」
由紀「えっ」ビクッ
かれら「ギ......?」クルッ
美紀 (しまった……!)ハッ
美紀「くっ……」ゴソッ...ブンッ!
カラカラカラ.....
美紀「先輩、こっち!」パシッ
由紀「う、うん」
ハア...ハア...ハア...
美紀 (バリケード……!)
ヨジ
美紀「先輩、手!」
由紀「う、うん」
ギュ...
グイッ…
ハァ...ハァ...
美紀「……あんまり心配かけないでください」ハア...ハア...
由紀「え、でも……みーくんが危なくないって」ハア...ハア...
美紀「そういうことじゃ……まあ、いいです」プイッ
由紀「?」
美紀「……………」
由紀「……………」
美紀・由紀「「あの……」」
由紀「あっ……」
美紀「……どうぞ」
由紀「うん、あのね、あやまりに来たんだ」
美紀「先輩が……ですか?」
由紀「うん……」
由紀「わたしね、頭悪いから、みーくんの言うことはよくわからないんだけど、たぶんあれのことかなって思うんだ」
美紀「あれ、ですか?」
由紀「うん……りーさんとくるみちゃんがね、ときどきすっごく疲れた顔してるんだ。あと夜中にこっそりケンカしてたりね。それで、だいじょうぶ?って聞くと、うん何でもないよって言うだよね」
美紀「そうですか……」
美紀「……悲しくないんですか?」
由紀「え? なにが?」
美紀「だって仲間はずれじゃないですか、そんなの」
由紀「うーん……わたしのこと、かばってくれてるんだと思うよ」
美紀「どうして、そう思うんですか?」
由紀「りーさんとくるみちゃんが理由もなくそんなことするわけないし、ほら、わたし頭悪いからさ、むずかしい話されてもわからないから」プラプラ...
美紀「……」
美紀「そんなこと、ないです」
由紀「そうかなっ?」パアッ
美紀「……はい」
由紀「……と、とにかくね、ふたりが疲れてるからわたしはそのぶん元気でいようっておもったんだ」
美紀「どんな論理のつながりですか?」
由紀「ふたりはがんばってるけど、わたしは何もしてないからせめて笑顔でいたいなって。そしたらちょっとは元気出るかもしれないし」
美紀「そうですか……」
由紀「でも、みーくんには迷惑だったかなって」
美紀「え?」
由紀「みーくん、けーくんみたいになりたいんだよね? けーくんはひとりでなんでも出来ちゃうから、わたしがすることないんだよね。だったら、わたし余計なことしちゃったかなって」
美紀「……」
由紀「だから、ごめんね」
美紀「……たしかに先輩のテンションは疲れますけど」
由紀「ややや、やっぱり?」
美紀「でも、いいです」
由紀「え?」
美紀「ゆき先輩が、たださぼってるんじゃないってわかりました。それに……わたしと永井先輩はちがいますから」
由紀「そっか……みーくんもさ、なんかつらいことあるみたいだけど……」エッヘン!
美紀「はい?」ゴゴゴ
由紀「ウゥッ……」ビクッ
由紀「も、もしかしたらあるんじゃないみたいな、ほら、人生長いし!」アセアセ
美紀「まあ、ありますけど……」
由紀「そーゆー時はね、頼ってくれていいんだからね! なんたってほら、先輩だし!」ド-ン!
美紀「ふっ。あんまり頼りになる気がしませんけど」ニヤッ
由紀「あうっ。そりゃ、けーくんほどじゃないけどさあ……でも、頼りになるよ。それに話して楽になることってあるじゃない?」
美紀「……」
美紀「友達が……いるんです。クラスメイトで、調子が良くて元気で……」
由紀「……うん」
美紀「しばらく会えなくて」
由紀「登校拒否?」
美紀「そう、かもしれません」
由紀「そっか」
美紀「もういちど、会えたらなって」
由紀「きっと会えるよ」
美紀「気休めですか」
由紀「ううん。だってほら、わたしたち学園生活部だし!」ビシッ
美紀「さっぱりわかりません」
由紀「みーくんは学校嫌い?」
美紀「いえ……」
由紀「でしょ?」
由紀「みんな学校大好きなんだから、きっとその子もまた来るよ。わたしたちはずっと学校にいるから、こりゃもう会うのは時間の問題だね!」ヨット
美紀「来なかったらどうするんですか?」
由紀「そしたらさ、わたしたちでこの学校を、もっともっーと楽しくすればいいんだよ」トスッ
由紀「もういっそ遊園地にしちゃうとかさ! 夜になったら電飾がキラキラ〜って! こりゃーくるでしょ、明かりに誘われて!」
美紀「先輩」
由紀「ん?」
美紀「言ってることがむちゃくちゃです」
由紀「そ、そう?」
美紀「虫じゃないんですから、圭は」
由紀「あれ? ケイっていうの、その子?」
美紀「はい。永井先輩と同じ名前で、字もいっしょなんです」
由紀「んー」
美紀「どうかしました?」
由紀「けーくんとその子が結婚したら、どっちもナガイ ケイになっちゃうね」
美紀「永井先輩と圭が? ありえないです。ないですよ、そんなの」
由紀「そうなの?」
美紀「圭ったら調子がいいから、永井先輩とはあわないです。きっとあきれて放置しちゃいますよ」
由紀「そうかな〜?」
美紀「そうです。ありえないです」
由紀「……みーくん、もしかして、ヤキモチ?」
美紀「ちがいます! なんですぐそういう話にしちゃうんですか!」
由紀「ご、ごみ〜ん」
ワ-ワ-...
ーーーーーー
ーーーー
ーー
胡桃「……大丈夫そうだな」
悠里「そうね……ふたりとも楽しそうにおしゃべるしてる」
永井「……」
胡桃「永井、まだ見てるけどそんなに心配なのかよ?」
永井「……いや。僕はもう寝る」
悠里「え?」
胡桃「帰んの?」
永井「僕がここにいる必要はないから」
悠里「永井君……?」
スッ...
悠里「……どうかしたのかしら?」
胡桃「ん? あいつはいつもあんなんだろ」
悠里「そうよね。でも、なんだか……」
胡桃「ん?」
悠里「いえ……たぶん、気のせいね」
今日はここまで。
次回はいよいよあのイベント。永井君がブン殴られます(予定
ーー学園生活部
胡桃「あれ? また曇ってきたぞ」
悠里「朝は陽の光があったんだけど。洗濯物、乾いてるかしら?」
胡桃「つか、雨降りそうだな」
由紀「ねぇねぇ……」チョンチョン...
美紀「!……」コクッ
美紀「ちょっといいですか?」
悠里「あら、どうしたの?」
美紀「学園生活部に正式に入部したいと思います」
悠里「え?」
胡桃「へー」
永井「……」ボ-
美紀「いけませんか……?」
悠里「もちろん歓迎よ」
由紀「よかったね、みーくん」
美紀「みーくんじゃありません」
胡桃「なんかあったのか?」
美紀「内緒です」
由紀「内緒だもん。ねー」
美紀「はい」
胡桃「言ったろ。心配ないってさ」
悠里「……いいけどね」
永井「……」ボ-...
由紀「あ! そろそろ昼休み終わるじゃん」ガタッ
胡桃「おう。先行っててくれ」
由紀「うん。じゃ、また放課後ね」
バタン...
悠里「……それで、どういう風の吹き回しなの?」
美紀「どうってほどじゃありません。ゆき先輩と話して納得しただけです」
悠里「納得って?」
美紀「あの人も、頑張ってました」
悠里「……そうよね」
永井「……」ボ-...
美紀「あの人はあのままでいいって、そう思えたんです」
胡桃「人にやる気を出させるってのも才能だと思うぜ」
美紀「癒し系ですか。わんこみたいな……」
胡桃「そこまで言ってないけどな」
悠里「……わんこ」
美紀「……ゆき先輩ってちょっと犬みたいですよね」
悠里「わんこ」クスッ
美紀「わんこ、かわいいじゃないですか」ムッ
悠里「そうね。かわいいわね」
美紀「悠里先輩は……」
悠里「りーさんでいいわよ」
美紀「りーさんは嫌いですか、わんこ?」
悠里「もちろんそんなことはないわ。太郎丸だっているんだし」
胡桃「そういや太郎丸との訓練はどんな感じだ? けっこう慣れてきたんじゃないか?」
永井「……」
胡桃「おい、永井」
永井「あ?」
胡桃「なにボーッとしてんだよ。さっきの話ちゃんと聞いてたのか?」
永井「なんだっけ?……わんこがどうとか言ってたのは聞こえたけど」
美紀「なんでそこだけちゃんと聞いてるんですかぁ……」
悠里「美紀さん、正式に入部したいんですって」
永井「ああ。そうなんだ」
美紀「あの、ありがとうございました」
永井「ん?」
美紀「永井先輩には、いろいろとお世話になりましたから」
永井「んー……」
胡桃「気ぃ抜けてんなあ。まだなんか心配してんの?」
永井「別に。ちょっと考え事してただけ」
美紀「考え事ですか?」
永井「ああ。佐藤さんのこととか……」
悠里「佐藤って、亜人の……?」
永井「……まあ、ほかにもいろいろね」
胡桃「亜人だから、生きてはいるよな……でも、なにを心配するんだ? さすがにここにはこないだろ?」
永井「そういう心配はしてない」
悠里「だったらどうして……?」
永井「……佐藤さんのせいで国内での亜人に対する偏見、差別的論調が強まってただろ。その影響で僕が潜伏することは事実上不可能になった。以前のような生活を送るには、佐藤らグループを拘束し事態を収拾させることが絶対条件。なのにこれだ」
悠里「拘束し事態を収拾させるって……永井君が?」
永井「そうしなきゃいつまでたっても追われるだろ。グラント製薬の一件で僕と佐藤につながりができたと見做されていてもおかしくないんだし。佐藤を止めない限り、僕に平穏はない」
美紀「た、戦うってことですか? あんな人たちと……?」
永井「そうだよ」
美紀「そうだよって……」
永井「そのために利害が一致する亜人管理委員会のひとりと交渉を進めていたのに、この現象が起きてそれもご破算。これの収束はいつになるか不明だし、収束したとして交渉が再開できる可能性はほぼゼロ。憂鬱でしかない」
美紀「……」
胡桃「……なにもいま、そんなこと言わなくても」
永井「聞いてきたのはそっちだろ?」
悠里「永井君は……」
永井「あ?」
悠里「これがいつか終わると思ってるの?」
胡桃「……りーさん」
悠里「また、前みたいな普通の暮らしが戻ってくるの?」
永井「戻ってこなきゃ困るだろ。僕もいつまでもこんなとこにいるわけにはいかないし」
胡桃「こんなとこってなんだよ」
永井「設備はともかく、生き残りはたった五人でしかもただの高校生。たかだかガキ五人の集団になにができるよ?」
胡桃「そっちの都合で話すすめんな。ここで暮らしていくには十分だろ」
永井「その“ごっこ”だっていつまでも続くもんじゃないだろ」
胡桃「おまえ……っ!」
美紀「永井先輩!!」ガタン!
シ-ン...
永井「……なに?」
美紀「あの、えっと……た、太郎丸とのトレーニング、しませんか?」
永井「天気わるいし、やめとこう」
美紀「て、天気わるいならなおさら屋上に出ていたほうがいいです。もし雨が降ってきたら、すぐに洗濯物取り込めますし」
永井「それもそうだな……いこっか」カタン...
美紀「は、はい! 太郎丸、いこ?」
太郎丸「……」スッ...トテトテトテ...
ガラッ
美紀「あぅ……」
悠里「美紀さん、大丈夫なの?」
美紀「太郎丸に無視されるのには慣れましたから」
悠里「そっちもだけど……」
美紀「それも大丈夫だと思います。たぶん、ですけど」
悠里「そう……」
美紀「失礼します」
悠里「いってらっしゃい」
ガラッ
胡桃「ふんっ……」ムスッ...
悠里「永井君」
胡桃「あ?」
悠里「いつか、ここから出ていくつもりなのかしら?」
胡桃「知らねえよ。“ごっこ”に飽きたら勝手に出ていくだろ」
悠里「くるみ……」
胡桃「死なねえからって、いい気になりやがって……」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー屋上
美紀「うわ。雲、すごいですね」
永井「……」ガチャン...
美紀「えっと……トレーニングの内容はまえと同じですか?」
永井「あたりまえだろ。直樹さん、まえのとき達成できてなかったんだし」
美紀「そうですよね……えと、それじゃ始めますね。って、うわっ! た、太郎丸!?」
太郎丸「……」グイグイ
永井「なにしてるんだ」
美紀「す、すいません。太郎丸が……」
太郎丸「スンスン……スン」クイッ
美紀「なにか探してるの?」
太郎丸「……」ピクッ...
トテトテトテ....
永井「はぁ……」カタン
美紀「すいません、また……」
永井「直樹さん、さきに戻ってていいよ」
美紀「あの……」
永井「あ?」
美紀「さっきの話……亜人の佐藤と戦うって話なんですけど」
永井「ああ。あれね」
美紀「実際に戦うことになったとして、怖くはないんですか?」
永井「なにが?」
美紀「だって、たとえ死ななくても痛みはあるんですよね? それに、もし戦いに負けたとき、あの佐藤が先輩をそのままにしておくとは思いません」
永井「まあ、ドラム缶詰めにされて、どっかの山中にでも埋められるだろうね。余生は土の中で過ごすことになるな」
美紀「そこまでわかってるのに、どうしてわざわざ……亜人だから、平気ってことなんですか?」
永井「べつに怖くなかったわけじゃない」
美紀「えっ!?」
永井「なんだよ?」
美紀「先輩がそんなこと言うなんて意外で……」
永井「おかしなことは言ってないだろ? 怖がるってことはリスクを想定するってことだからな。佐藤さんの怖さはよく知ってる。そのうえで判断したんだ。佐藤を拘束し、事態の収束に貢献したほうが僕にとってメリットが大きいってな」
美紀「先輩は、すごいですね」
永井「あ?」
美紀「いえ、ほんとに。わたし、怖がるってことをそんなふうに考えてみたことなんて、一度もありませんでした」
永井「……」
美紀「ほんと、すごいです」
永井「……いいから犬見てろよ」
美紀「はい」
ポツ......ポツポツポツ......
美紀「あっ、雨」
永井「洗濯物、干してあるんだっけ?」
美紀「あっちのほうですね」
永井「太郎丸は僕がつれてくから、先に行ってて」
美紀「はい」
美紀「うわ、雨足つよくなってきたな……本降りになるまえにぜんぶ取り込まないと」スッスッ...
タッタッ
美紀「あっ、先輩」
永井「ここにあるのを取り込んだら僕は先に行くぞ」
美紀「 こっち手伝ってくれてもいいじゃないですか」
永井「そっちにはきみらの下着類もあるんじゃないのか?」
美紀「!」バッ!
美紀「み、見ました……?」ギュウ...
永井「見てないから早く手を動かして」バッ...バッ...
美紀「う、うぅ〜……///」カアァ...
ポツポツポツ......ザ-......
ーーーーーー
ーーーー
ーー
由紀「あっ、ミケくんと太郎丸」
美紀「なんですか、その呼び方?」
由紀「ほら、みーくんとけーくんで合わせたらミケになるでしょ。ふたりとも部室にいなかったからさー、どこいっちゃったのかと思ったよ」
美紀「猫じゃないんですから。勝手にどこかへ行ったりなんかしませんよ」
胡桃「洗濯物、濡れなかったか?」
美紀「はい。なんとか間に合いました」
悠里「急いでくれたのね。ありがとう」
美紀「いえ……」
永井「僕は部屋に戻る」
悠里「え? 永井君?」
永井「たたんだタオルはもとの場所に置いておくから」
悠里「わたしたちもたたむの手伝うわよ」
永井「直樹さんのをやってくれ。それ、きみらの衣類だから」
スタスタ...
悠里「えっと……ああ、なるほど。気を遣ってくれたのね」
胡桃「ふん。それくらい当然だろ」
美紀「……」
由紀「みーくん、顔赤いよ?」
美紀「な、なんでもないです!」
美紀 (思い出してしまった。屋上でわたしだけが意識してたの、なんかすごく恥ずかしい……!)
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ひとまずここまで。
みーくんのかわいい場面を書こうと思ってたのに、なんかヘンな感じになってしまった。女の子が赤面してるシーンが好きなんです……。
>>285 のセリフが一部抜けてたので訂正
永井「べつに怖くなかったわけじゃない」
美紀「えっ!?」
永井「なんだよ?」
美紀「先輩がそんなこと言うなんて意外で……」
永井「おかしなことは言ってないだろ? 怖がるってことはリスクを想定するってことだからな。佐藤さんの怖さはよく知ってる。そのうえで判断したんだ。佐藤を拘束し、事態の収束に貢献したほうが僕にとってメリットが大きいってな」
美紀「……」
永井「判断が終わったら、もう怖がる必要性はない。じゃなきゃ先に進めないんだ」
美紀「先輩は、すごいですね」
永井「あ?」
美紀「いえ、ほんとに。わたし、怖がるってことをそんなふうに考えてみたことなんて、一度もありませんでした」
永井「……」
美紀「ほんと、すごいです」
永井「……いいから犬見てろよ」
美紀「はい」
いまからお昼のつつぎを投下します。
予告がどうなるかどうぞお楽しみに。
ーー学園生活部
ザ-ッ...
由紀「運動部のひとたち、雨宿りしてる」
悠里「かなり降ってきたからね」
胡桃「それより、洗濯物ぜんぶたたんだか?」
由紀「もうおわったよ。わたし、めぐねえのとこ戻るね」
悠里「ゆきちゃん、遠くに行かないでね。この階から降りちゃダメよ」
由紀「はーい」
ガラッ...
美紀「あの、りーさん」
悠里「なに?」
美紀「さっきの注意、ゆき先輩が言ってたことと関係あるんですか?」
悠里「雨宿りのことね」
胡桃「あいつら、雨になると校舎に入ってくるんだよ」
美紀「じゃあ、ゆき先輩が言ってた運動部って……」
悠里「かれらのことね」
美紀「……人間みたいなことするんですね」
胡桃「どうも、人間だったころの記憶が残ってるっぽいんだよな」
悠里「思い出だけが残ってて、気になるところに戻ってくるのよ」
美紀「わかるんですか?」
悠里「なんとなくね。この学校にこれだけ学生がいるのも、そういうことなんじゃないかな」
美紀「気になるところ、ですか……」
悠里「……めぐねえがいなくなった日も、今日みたいな雨の日だったの」
胡桃「……」
美紀「そう、だったんですか……」
悠里「そのときはまだ雨宿りのことを知らなかったから、気づいたら校舎にたくさん入り込んでて、取り囲まれてしまって……」
美紀「……」
悠里「だから、雨の日はほんとに気をつけてね。なんども念を押すようで悪いけど、大事なことだから」
美紀「はい。肝に銘じておきます」
胡桃「かたっ苦しい返事だなあ」
悠里「いいじゃない。ちゃんとわかってくれたってことなんだから」
美紀「そういえば、めぐねえは先のことはどう考えてたんでしょうか?」
胡桃「んー……あのころはみんないっぱいいっぱいだったからなあ」
悠里「ノートに書いてあるかも」
美紀「ノート、ですか」
悠里「部の活動日誌。めぐねえ、よく書いてたから」
美紀「読んでないんですか?」
悠里「見ようと思ってたんだけも……なんとなく、ね」
美紀「あぁ……そうですよね……」
胡桃「……」
美紀「あの、そのノート、わたしが見てもいいですか?」
悠里「そうね、お願いするわ」
胡桃「たのむよ」
美紀「はい」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー放送室
カラカラ...
美紀 (ノートは……)
美紀「これ、かな?」スッ...
パラパラ...
美紀「あれ? これって……図書室の本?」
美紀 (棚になかった本、めぐねえが?)
パサッ...
美紀「あっ」
美紀 (落ちちゃった。綴じ込んである……パンフレット?)
スッ...
美紀「!」
ーー職員用緊急避難マニュアルーー
美紀「これって……!」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー永井の部屋(生徒指導室)
永井「タオル、置きにいくか」
太郎丸「ワウ?」フリフリ
永井「おとなしく待ってろ」
ガラッ...パタン...
太郎丸「ワウゥ...」ペタン...
太郎丸「……」
ァ...ォ-...
太郎丸「!」スクッ
ググッ...
太郎丸「ワヴゥ...!」グイグイ...
スポッ
太郎丸「ワウゥ...」フルフル
ガラッ
太郎丸「スンスン...!」ダッ
タタタタッ...!
太郎丸「ワン!」
かれら「ギッ...?」
太郎丸「!」ビクッ!
ダッ!
太郎丸「ハッハッ...!」タタタッ!
トテ...トテ...トテ...
太郎丸「ハッ...ハッ...ハッ...」
太郎丸「...クゥ-ン」
ピチャン...
太郎丸「!」
ピチャン...ピチャン...
太郎丸「ワン!」
トテトテトテ...
太郎丸「......」ピクッ...!
ピチャン...
太郎丸「グルルル...!」
ピチャン...!
『ギギッ...』
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー職員用緊急避難マニュアルーー
「感染対策は初期の封じ込めが重要であるが、それに失敗し、感染が爆発的に増加した、いわゆるパンデミック状態が引き起こされた場合ーーーー」
美紀「なに……これ……」
「対応できる資源とさ、人員ともに限定ーーーー厳密な選別と隔離を基本方針とすること。」
美紀「……」ゴクッ...
美紀「どういうこと……」
美紀「……」
由紀「みーくん!」ポンッ
美紀「わあああぁっっ!!」ガタガタガシャ-ン!
美紀「……」ハアハア...
由紀「……」ボ-ゼン
美紀「お、脅かさないでください」
由紀「ご、ごめんね……」
美紀「すいません。ちょっとびっくりしました」ゴホン
由紀「なに読んでたの?」
美紀「……こわい本です」
由紀「こ、こわい本?」ビクッ...
美紀「すごーくこわい本です。読みますか」ジリッ...
>>298 訂正
ーー職員用緊急避難マニュアルーー
「感染対策は初期の封じ込めが重要であるが、それに失敗し、感染が爆発的に増加した、いわゆるパンデミック状態が引き起こされた場合ーーーー」
美紀「なに……これ……」
「対応できる資源、人員ともに限定ーーーー厳密な選別と隔離を基本方針とすること。」
美紀「……」ゴクッ...
美紀「どういうこと……」
美紀「……」
由紀「みーくん!」ポンッ
美紀「わあああぁっっ!!」ガタガタガシャ-ン!
美紀「……」ハアハア...
由紀「……」ボ-ゼン
美紀「お、脅かさないでください」
由紀「ご、ごめんね……」
美紀「すいません。ちょっとびっくりしました」ゴホン
由紀「なに読んでたの?」
美紀「……こわい本です」
由紀「こ、こわい本?」ビクッ...
美紀「すごーくこわい本です。読みますか」ジリッ...
由紀「え、え、えんりょしとくねっ!」ピュ-
美紀「あっ」
由紀「じゃまたね!」
美紀「はい……」
パタン...
美紀「……どうしよ、これ」
コンコン...
美紀「?……はい」
由紀「みーくん……」
美紀「どうしました?」
由紀「あのね……なんか悩みごとがあったら相談してね」
美紀「え?」
由紀「わたしじゃ頼りなかったら、りーさんでもくるみちゃんでもけーくんでもいいから、とにかくみんなで考えよ?」
美紀「……そうします」
由紀「う、うん。ごめんね、へんなこと言って。それじゃね」
パタン...
美紀「……まいっちゃうなー」
美紀「怖がる必要性はない、だよね……」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
バサッ
永井「……!」
胡桃「ちょっと待て、なんだこれ」
悠里「これが……めぐねえの荷物の中に?」
美紀「はい。本に挟まってました」
胡桃「めぐねえが……最初から知ってたってことか?」
美紀「いえ、それは……」
胡桃「だったらなんだよ!」
永井「落ち着け。いまはその先生のことよりも、このマニュアルのほうが重要だろ」ペラッ...
胡桃「なんだと……?」
悠里「くるみ、やめて。永井君も、お願いだから」
美紀「くるみさん、めぐねえが知っていた可能性は低いと思います」
胡桃「……」
悠里「根拠は?」
美紀「表紙を見てください。開封指示がありますよね? 渡されて持ってたけど、内容までは知らなかったのだと思います」
悠里「……そんなところでしょうね」
胡桃「こんなことになって思い立って、開けてみたら……ってことか……」
悠里「……」
胡桃「言ってくれれば、よかったのに……」ポツリ...
永井「いまさらそんなこと言っても仕方ないだろ。それより直樹さん、これの中身は……」
ガッ!
胡桃「さっきから何なんだ、てめえは……!」
永井「放せよ」
悠里「くるみ!」
美紀「お、落ち着いてください、二人とも!」
永井「僕は落ち着いてる。勝手に興奮してるのは恵飛須沢さんだろ」
胡桃「めぐねえは……」
永井「あ?」
胡桃「めぐねえは、あたしらが不安にならないように、いつも明るくて、元気で……だから、だから……!」
永井「死んだ人間のことなんて、僕が知るかよ」
胡桃「てめえ、いい加減に……!」
永井「いい加減にするのはそっちだ。いつまで死人にこだわってんだ。そんな話して、僕らのメリットになるのか」
胡桃「そういう問題じゃねえんだよ……!」
永井「ズレたこと言ってんじゃねえぞ。いつまでもこの学校で平和に生活できると本気で思ってるのか?」
美紀「先輩ダメです!」
永井「そんなふうに“ごっこ”に夢中になってたから、その先生も死んだんじゃないのか」
胡桃「!」プツン
ゴッ!!
永井「っ!」ガタガタ...バタンッ!
美紀「先輩!」バッ
悠里「くるみ、ダメっ……!」ガシッ
胡桃「放せ! こいつはっ……!」
永井『“動くな”!!』
ビリビリビリ...!
悠里 (か、からだが……)
美紀 (こ、これって……!)
胡桃 (ぐっ……クソッ!)
ビリビリビリ..........ピクッ
美紀「! うごく……」
悠里「く、くるみ……?」ハァ...ハァ...
胡桃「はぁー……はぁー……」ギロッ
永井「……ハッ」ムクッ
美紀「あ……せ、先輩……?」
ガラッ
胡桃「どこ行くつもりだ?」
永井「自分の部屋だ。ここじゃ、こんな薄いマニュアルさえ満足に読めそうにもないからな」
胡桃「ダメだ。それはここに置いてけ」
永井「なに?」
美紀「く、くるみさん……」
胡桃「おまえは信用できない」
悠里「ちょ、ちょっとなに言ってるの!?」
胡桃「ここで読む分に構わない。だけど、マニュアルはこっちで管理する。それはめぐねえの持ち物だ」
永井「……」クルッ...
ガタン!
永井「……」ペラッ...
美紀「あ……」
悠里「……」
ガラッ
由紀「ねえ、太郎丸が……あ、あれ。どうしたの、みんな?」
悠里「ゆきちゃん……!」
美紀「あの……太郎丸が、なにか?」
由紀「う、うん。あのね、さっき太郎丸の様子を見に行ったんだけど、首輪だけしかなくて、太郎丸がいなかったの」
美紀「え……?」
由紀「紐はつないであったから、首輪から抜け出しちゃったのかなって」
美紀「そんな……」
悠里「美紀さん……」
美紀「あ、あの……」チラッ...
永井「……」ペラッ...
美紀「ぁ……」
胡桃「あたしが探してくるよ」
悠里「くるみ、でも今日は……」
胡桃「わかってる。危ないところには近づかないよ」
美紀「だったら、わたしも……」
胡桃「いや、大丈夫だ。いざというときはひとりのほうが逃げやすいからな」
永井「わざわざリスクを冒してどうすんだ」ペラッ...
美紀「な、永井先輩……?」
胡桃「……」
永井「雨の日にやつらの数が多いことは知ってるんだろ? ならここで待機してるのが一番だ。生前の行動を模倣するんだから、どっちの状態にしろ、ここに戻ってくる」
美紀「そんな……」
胡桃「……よくニュースで言ってたよ。亜人には人の心がないんだって」
永井「……」
由紀「く、くるみちゃん……?」
胡桃「べつに信じてたわけじゃないけど、おまえ見てるとよくわかるわ」
悠里「くるみ、やめてよ……!」
胡桃「おまえ、亜人じゃなかったらよかったのにな。そしたら、ここにも来なかった」
美紀「くるみさん!」
ガラッ!...バタン!
......
...
シ-ン...
由紀「ねえ、いったいなにがあったの? どうしちゃったの、みんな……?」
悠里・美紀「「……」」
永井「……」ペラッ...
永井「バカが」ボソッ...
今日はここまで。
いまさらですが、三点リーダー使いすぎですかね?
ーーーーーー
ーーーー
ーー
暗い空の色は、黄昏時からめざめの薄陽を消したときのような、夕暮時が蒼ざめたときのような、重苦しいものだった。
割れた窓からはいりこんでくる雨粒が校舎を徐々に水に浸していた。廊下には水膜が張り、その薄い水面を揺らすのは、雨粒をのぞけば恵飛須沢胡桃の移動する足と廊下に伏した“かれら”が流す血だけだった。
血と雨は下へ下へと流れていき、やがて胡桃を地下の非常避難区域へと誘い込んだ。
部室を出たあと、胡桃は屋上と三階部分を捜索した。太郎丸は見つからなかった。胡桃は階段をおり、バリケードの近くまでを足を運んだ。
朦朧と、おぼつかない足取りで徘徊する“かれら”が何体がバリケードのすぐむこうにいたが、胡桃は意に介さず、床をライトで照らした。犬のものと思しき足跡が、階段からバリケードの向こうへと続き、折れ曲がってまた階段を降りていったのが見えた。
胡桃はライトを消し、反対側のバリケードまで歩いていった。バリケードによじ登ると、スマートフォンを取り出し音量を最大にして音楽を再生した。太郎丸の足跡がある階段まで戻り、バリケードの上部から反対側をのぞきこむと、“かれら”はスマホから流れる音楽に誘われてバリケードのもとに集合していた。
音楽が流れているせいもあってか、“かれら”の動きは何処となく踊りを思わせるところがあった。その緩慢な動作は滑稽さを感じさせるには十分だったが、胡桃は表情をいっさい変えることなく、二階を通過し一階へ降りていった。
一階部分も二階とさほどかわりなかった。“かれら”が校舎に侵入してくる地点は胡桃が降りた階段から離れており、スマホから流れるポップ・ミュージックが校舎によく響くおかげで、“かれら”は胡桃のいる方向へ来ることはない。
もともと非常避難区域への道すがらにいたものたちは、胡桃がシャベルを振るうと動くのをやめた。だが、そのものたちの血は雨の流れにのって胡桃を追いかけ、やがて追い越し、胡桃が足を踏み入れるべき場所へ先導するかのように地下の暗い穴に吸い込まれていった。
一階倉庫隅のシャッターが机に阻まれ、七〇センチほど開いている。胡桃がライトをかざすと、犬の足跡が浮かびあがった。足跡は地下へと続いていた。胡桃はシャッターをくぐり抜けた。
地下への通路は灯りがほとんどなかった。頭上にあるいくつかの光源が、避難区域への通路が水浸しになっていることを教えていた。胡桃は通路へと続く階段をおり、“かれら”が潜んでいる場合に備えてサイリウムを一本放り投げた。
サイリウムが水を弾いた音がし、床から跳ね転がっていく。緑色のぼうっとした灯りがわずかに拡がり、沈黙もあたりに拡がった。
胡桃がサイリウムのところまで移動しようとしたとき、暗闇のなかから水音がした。それは規則正しく同じ間隔で続き、だんだんと胡桃に近づいてきていた。何者かが暗闇からこちらにむけて歩いてくる音で間違いなかった。
胡桃は柱に身を隠した。足音から察するに“かれら”ではなく、“かれ”または“かのじょ”であることは明白だった。胡桃は、いままでと同じようにシャベルを振るえば“かれ”または“かのじょ”はすぐに動かなくなると思った。むしろ胡桃が心配したのは、自身のことより太郎丸のことだった。太郎丸がこの人物、かつてひとだったものに遭遇していなければいいと願った。
足音がサイリウムの側まで近づいてきた。いまだ緑色の光を放つそれが、足音の正体を照らした。その正体は“かのじょ”だった。
“かのじょ”を見た途端、胡桃の目は見開かれ、極度の混乱と恐怖が襲ってきた。悪態をつきながら、異常に高まってくる動悸に胸を押さえる。しゃくりあげるように疑問の声をあげる。直後、胡桃は柱から飛び出し“かのじょ”にむかってシャベルを振り上げた。なんでだよ!と苦悶に等しい叫び声をあげながら。
だが、胡桃はすぐに動きをとめた。それは胡桃自身が命じたものなのかは定かでなかった。“かのじょ”は変わり果てていたが、“かのじょ”だった。“かのじょ”が腕をあげるようすは、ぎこちなく、操り人形よりも不自然な動きだった。“かのじょ”は、手のひらが頭上を越えたところで腕をあげるのをやめた。すこしの停止時間があった。胡桃も“かのじょ”も、わずかな時間静止していた。
そして、“かのじょ”だけが動いた。“かのじょ”の手は、きわめて正確に、胡桃にむかって振り下ろされた。
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー放送室
ペラッ...
由紀「……」
ペラッ...
美紀「……」
ペラッ...
悠里「……」
パタン...
永井「……」
永井 (塗りつぶされている箇所はあるが、それでもこのマニュアルに書かれていることは重大な価値を持つ)
永井 (食糧や救急物資の存在より、感染症の種類と事態の原因とおぼしき企業、関連組織の名前が判明したのは大きな収穫だ)
永井 (ランダル・コーポレーション……この企業とその関連企業の人間の名前は、佐藤さんの暗殺リストには挙がっていなかったはず)
永井 (田中の証言をもとに作成したリストだから確実とはいえないが、おそらくランダルと亜人管理委員会や厚生労働省とのあいだに癒着はない)
永井 (拠点一覧には航空基地や自衛隊駐屯地も記載されている。厚労省ではなく防衛省とつながりがある企業……このつながりを知っている人間は少ないだろう。生き残っていたとしても、保身のためそれを口にするやつはいない)
永井 (これほどの情報があれば、今後ある程度の規模の生存者のグループに遭遇した際、有利な方向に交渉を進めることも可能だ。それにこのランダルが今回の事態の原因なら、解決の糸口もここにあるかもしれない。もしそうなら、わざわざ佐藤と戦わなくても僕の社会的地位の回復を望める)
永井 (となると、ランダルまで移動できる足が必要だな。それと感染症別救急キット、これの効力も把握しておきたい。ほんとうに効果はあるのか、効果があったとしてそれは感染して何時間以内か、後遺症はあるのか。中野がいれば、すぐに確かめられるんだけど……)
永井 (まあ、それはあとでいい。必要なのはこのマニュアルと救急キットの中身、それも複数。食糧物資は最悪持ち出さなくてもかまわない。あとは、移動手段。車のキーは若狭さんが管理してたな。どうせここに長居はできないだろうし、あとはどうやって……)
チョン...
永井「っ……」ピクッ
由紀「あっ、ご、ごめん、けーくん……痛かった?」
永井「……なに? 丈槍さん」
由紀「えっとね、そのほっぺたのケガ痛くないのかなって思って……」
永井「さわらなきゃ痛みはない」
由紀「そ、そうだよね。ごめんね……」
永井「いいよべつに。丈槍さん、すこし考えたいことがあるからほっといてくれないか?」
由紀「う、うん。けーくん、でもさ……」
永井「なんだよ?」
由紀「ほっぺた、手当てしたほうがいいよ。救急箱ならここにあるし……」
美紀「あっ、ならわたしが取ってきましょうか?」
永井「必要ない。医療品の数だって限られてるんだ。これくらいのケガでいちいち使ってらんないだろ」
美紀「で、でも……」
由紀「あとでもっとひどくなるかもしれないよ! アザだってそんなにくっきり……」
永井「僕は亜人だ。死ねば治るよ」
美紀「っ……!」
悠里「美紀さん……」
由紀「みーくん……」
由紀「……」
永井「もういいだろ? 頼むからすこしでいいから静かに……」
由紀「たぁー!」ガシィッ!
永井「っ、はぁ!?」
悠里「ゆきちゃん!?」
美紀「ま、マニュアルを……!?」
由紀「こ、これはおあずけ!」
永井「どういうつもり……」
由紀「けーくんはケガを手当てしなきゃダメだよ!」
永井「はぁ?」
由紀「手当てしなきゃ、これは返さないからね!」
永井「さっきの聞いてなかったのか? 僕には必要ない」
由紀「……そのケガ、くるみちゃんのせいなんだよね?」
永井「それがなんだよ?」
由紀「くるみちゃんがなんでそんなことしたのか、わたしにはわからないけどさ、でも悪いことなのはたしかだと思うの。だからね、ほっぺたにおっきなガーゼがあればくるみちゃんもきっと反省するよ。そしたら、けーくんも許してあげて」
永井「価値観の違いが明確になっただけで、許す許さないは問題じゃない。今後は互いのメリットに抵触しないよう折衝を重ねてけばいいだけのことだ」
由紀「よ、よくわかんないけど、なんか学園生活部らしくないよ。それじゃ、学校なのに楽しくなくなっちゃう……」
永井「いいから、それを返せよ」グイッ
由紀「う、うぅ……」
美紀「……ゆき先輩! こっちにパスです!」
由紀「!……うんっ!」ポイッ!
パスッ!
美紀「取りました!」
悠里「み、美紀さん!?」
永井「……直樹さんまでなんのつもりだ?」
美紀「わたしもゆき先輩と同じ意見です。 手当てをしてください」
永井「必要ないってさっきから言ってるだろ。何回同じこと言わせるんだ」
美紀「先輩に必要なくても、わたしたちには必要なんです!」
永井「はあ?」
美紀「学園生活部に必要なんですよ!」
永井「なに言ってるんだ……? 自分が言ってることをちゃんと理解してんのか?」
美紀「せ、説明はむずかしいけど……わかってるつもりです! とにかく手当てしてください」
永井「なんで貴重な医薬品を消費してまでして僕がきみらの要望に応えなきゃいけない? きみらとちがって、僕は恵飛須沢さんと和解することにメリットを見出しちゃいない」
美紀「……どうしても手当てする気はなんですか?」
永井「ない。この会話も時間の無駄だ。わかったらマニュアルをもどせ」
美紀「……わかりました。なら……!」
シュボッ!
永井「!」
由紀「みーくん!?」
悠里「それ、着火ライター……!?」
美紀「永井先輩、ケガの手当てをしてください」
永井「……きみらにとってもそのマニュアルは重要だろ」
美紀「わたしはもう全部読みました。内容もちゃんとおぼえてます。永井先輩もそうですよね?」
永井「……」
美紀「なら、実物としてのマニュアルにそこまでこだわるのはどうしてですか?」
永井 (……こいつ)
永井「……」ギロッ
美紀「っ……」ビクッ...
美紀「……」ゴクッ...
美紀「わたしの要求は変わりません」
永井「……」
悠里「み、美紀さん……」オロ...
じゅわ………
美紀「お願いします。永井先輩が傷の手当てをすれば、すべて元通りになるんです」
じゅわ………………
永井「……はぁ」
永井「……救急箱、ここにあるんだっけ?」
美紀「……え?」
永井「どうなんだよ?」
美紀「あっ、はい。そっちの棚に……」
永井「これか……直樹さん、もう火つけなくてもいいだろ」
美紀「あっ、け、消します……あの、手伝いましょうか?」
永井「自分でできるから必要ない」カチャッ...
美紀「そう、ですよね……」
チョンチョン...ペタ...…
永井「おわった。マニュアルを返してくれ」
美紀「はい」スッ...
永井「……いったいなにがしたかったんだ?」
美紀「え?」
永井「これを読んだのならどれだけ重要なことが書かれてるのかわかってるだろ。それを失うリスクを冒してまで、僕に傷の治療をさせたのはなぜだ?」
美紀「それは……」
永井「はじめは丈槍さんに同調しただけだとしても、途中からの行動はあきらかにそこから逸脱していた」
美紀「……」
永井「直樹さんのしたことの結果しだいでは、部全体が不利益をこうむっていたかもしれない。それをわかったうたえで、何を目的にしてあんな行動にでたんだ?」
美紀「……とっさの行動だったので、後付けの理由になるんですが……それに、みなさんが納得できるような合理的な説明にはならないと思います。それでもいいですか?」
永井「どんな理由だ?」
美紀「……わたしがここにやってきて過ごしているうちに、気づけばたくさんのものをもらってました。楽しいことやあたたかいこと、ほかにも、大事なことを。わたしにとって学園生活部は大切な場所なんです。だから、ここにつれてきてくれた永井先輩にはほんとに感謝しています」
美紀「でも、そのうち気づいたんです。永井先輩はわたしたちといっしょにいるけれど、わたしたちとちがうことを考えてるんだって。当然ですよね、先輩とわたしたちでは事情がまったく異なるんですから」
美紀「だから、さっきみたいに意見が対立することもありえたんです。むしろその可能性のほうが高かった。なのにわたしは楽観して目をそらしてたんです。永井先輩は、わたしを学園生活部につれてきてくれたのだから、先輩にとってもここは大切な場所なんだ。だから本気でここからいなくなるようなことはしないはずだって……」
美紀「でも、ちがうんです。永井先輩は大きな決断を下せる人だから……いつかはここを去っていくときがくるかもしれない。それはわかります。でも、わたしはそれをまだ納得できないんです」
美紀「学園生活部も永井先輩も、わたしにとっては……どちらも両立することをあきらめられないんです。わたしがその方法を見つけなきゃって思って……それに永井先輩が必要がないのに死んでしまうのも、学園生活部のみんながそれを許容するのもイヤだったから……それが理由です」
永井「迷惑だな」
美紀「わたしもそう思います。これはわたしのわがままですから」
永井「……」
美紀「……わたしの言いたかったことは以上です」
悠里「……」
由紀「えっと……もうお話はおわり?」
美紀「はい。すいません、長々と」
由紀「ううん。いいの、言いたかったこと言えたなら」
美紀「ありがとうございます。りーさんもすいません。結局、わたし個人の事情でとんでもないことをしてしまって……」
悠里「それはいいんだけど……」チラッ...
永井「若狭さん」
悠里「な、なに?」
永井「今後の方針について話したいことがある。恵飛沢さんがもどってくるまでにマニュアルを読んでおいてくれ」
悠里「……なにをするつもりなの?」
永井「それを相談する。いまはまずこれを読んで……」
カリ...カリ...
由紀「なんの音?」
悠里「くるみ、かしら?」
由紀「太郎丸かも」
カリッ...カリッカリッ...
美紀「でも、なにか……」
永井「僕が開ける」
ガラッ
胡桃「ハァ……ハァ……」フラッ...
永井「!」ガシッ
悠里「く、くるみ!?」
胡桃「ミスった……」
ポタッ...ポタッ....
永井「……クソッ」
今日はここまで。書くのにえらい時間がかかってしまった。永井と学園生活部じゃ求めているものが根本的に違うから、そこを調整するのがほんとに大変。
そして、このssにいまだ姿を見せない佐藤さんが今月の『亜人』最新話で新技を披露してて、めちゃくちゃ面白かったなあ。
悠里「く、くるみ!」
永井「落ち着け!」
悠里「で、でも!」
永井「とにかく応急処置だ。ソファに寝かせるから若狭さんは運ぶのを手伝ってくれ」
美紀「あの、わたしたちは……」
永井「直樹さんは処置に必要な道具をたのむ。保健室から取ってきたヘビの咬傷用救急キットが放送室に置いてあるはずだ。止血帯もそこにあるから、救急箱と使い捨てのゴム手袋もいっしょに持ってきてくれ」
由紀「わ、わたしは?」
永井「清潔なタオルとシーツ。あとはお湯を二リットル沸かして。半分は生理食塩水をつくる。水一リットルに0.九グラムの食塩を混ぜるだけでいい」
由紀「わかった」
美紀「行きましょう、ゆき先輩」
由紀「うん!」
タタタッ...
永井「若狭さん、そっち側を持って」
悠里「は、はい」
永井「いくぞ」グイッ!
胡桃「ッゥ〜〜」ゼェゼェ...
悠里「永井君、くるみが!」
永井「まだ意識はあるな。いまのうちにどういう状況で傷を負ったのか聞いておこう」
悠里「でも、こんなに苦しんで……」
永井「それがわかれば処置の選択肢が増える。余分な感情で状況を悪化させたいのか!」
悠里「っ……!」
胡桃「…………だ」
悠里「え?」
胡桃「めぐねえ……だったんだ」
悠里「くるみ、それって……!」
美紀「先輩!」タッ!
永井「持ってきたか?」
美紀「はい、ほかには?」
永井「ドアを開けてくれ。僕らは手がふさがってる」
美紀「はい」
ガラッ
永井「ソファに寝かせるぞ。足はそっちに向けて」
悠里「くるみ……」
胡桃「ハァハァ……」
永井「ハサミ持ってないか? 傷をよく見たい」
美紀「あります」
永井「待って。手袋をはめる」
ジョキジョキ...
永井「止血帯貸して」
美紀「はい」
ギュッ!
胡桃「っ〜〜」
永井「……」ジッ...
悠里「……どうなの?」
永井「恵飛須沢さん、この傷は噛まれたのか? それとも引っ掻かれたのか?」
胡桃「ぅ……」ゼエ...ゼエ...
永井「ちゃんと答えろ恵飛須沢! 噛まれたのかどうなんだ!」
悠里「そんな大声で……!」
胡桃「……引っ、掻かれた」ゼエ...
永井「ならまだ可能性はあるな……直樹さん、丈槍さんのようすを見てきて」
美紀「はい!」
ガラッ!
悠里「……どういうことなの、可能性って」
永井「単純な話だ。これは血液だけでなく唾液からでも感染する。咬創でなく掻創なら発症するまでにまだ多少の時間的余裕がある」
悠里「なんで……どうして、そんなこと知ってるのよ?」
永井「人体実験されたからな。意識がある状態で感染させられたから、研究員たちの会話も断片的にだか聞こえた。だから、僕の認識にほぼ間違いはないと思う」
悠里「っ……!」
ガラッ!
美紀「もどりました!」
永井「生理食塩水は?」
由紀「これ!」
永井「かして」
美紀「どんな処置をするんです?」
永井「毒ヘビに噛まれた際の処置方法だ。止血帯で血流を抑え、洗浄した傷口を切開して毒を吸い出す」ジャバジャバ
美紀「き、切るんですか!?」
永井「毒を体外に出すにはそれしかない。手伝ってくれ、タオルで腕を固定する。」
美紀「は、はい」
ギュウッ...!
永井「救急箱のイソジンを」
由紀「う、うん」
ジュワ...ヌリヌリ...
永井「洗浄と消毒はおわった。咬傷用救急キットにナイフと吸引カップがある」
美紀「これですね」
永井「あと下にひくシーツを何枚か。床やソファを血で汚れないようにするから、ゴミ袋も用意して」
由紀「わたし、とってくるね!」
美紀「お願いします」
永井「いまから切開する。血がつかないよう、すこしはなれて」
美紀「りーさん、大丈夫ですか?」
悠里「え、ええ……」
ス-ッ...ス-ッ...
永井「……よし。吸引カップで毒を吸い出すのは三十分は続けてくれ。かならずゴム手袋とマスクをして血液に触れないようにしろ」
美紀「どこかに行くんですか?」
永井「武器を取りにいってから地下にむかう。マニュアルに薬の備蓄があると書いてあった」
美紀「ひとりで行くんですか?」
永井「それがいちばん確実だからな」
美紀「……そうですよね」
悠里「……薬の効果ことも、知ってるのね?」
美紀「え?」
永井「ああ」
悠里「そう……」
悠里「……永井君、くるみを助けてあげて……お願い、お願いします」
永井「それは僕だけの仕事じゃないぞ」
悠里「え……?」
永井「高熱が出ているうちは初期段階。時間がたてば全身が激しく痙攣し、やがて体温が急激に低下する。そうなればもう手遅れだ。だが、そうなった場合の対処も講じておく必要がある。僕が間にあわなければ若狭さんたちがしなきゃならない」
美紀「!」
悠里「……」
永井「移動できないよう拘束し、だれも立ち入らないようにしてくれればいい。そのあとのことは僕がやる」
美紀「永井先輩、それは……」
永井「部全体の問題だろ。情にすがって待っているだけじゃ事態は良くないほうに転ぶだけだ」
悠里「どうしても、必要なのね……?」
永井「たのむぞ。僕はもういく」ガラッ
由紀「あっ」ビクッ...
永井「……」
美紀「ゆき先輩……」
由紀「え、えーと……そうだ、ゴミ袋持ってきたよ!」
永井「丈槍さん、さっきの話聞いてたな?」
由紀「な、んのこと……?」
悠里「…….永井君」
永井「なんだ?」
悠里「ゆきちゃんのことは……ううん、ゆきちゃんのことも、わたしに任せて」
永井「……わかった」
ピシャン
美紀「……」
悠里「美紀さん」
美紀「あっ、すみません、ボッーとしてて……なにか手伝うことは?」
悠里「わたしのほうはいいの。それよりも永井君を手伝ってあげて」
美紀「え?……でも……」
悠里「なにか考えがあるんでしょう? さっき、そんな顔してたわ」
美紀「それは……」
悠里「いいの、くるみのためにできることがあるなら、してあげて」
美紀「……はいっ!」
ガラッ!
悠里「……ゆきちゃん、ほかの生徒が間違って入ってこないように、廊下見てきてくれない?」
由紀「う、うん」
由紀「……りーさん」
悠里「なに?」
由紀「くるみちゃん、元気になるよね?」
悠里「いま、永井君がお薬を取りにいってるわ」
由紀「……なら安心だねっ。それじゃ、廊下みてくるね!」
悠里「お願いね」
パタン...
悠里「……」
ジャラッ...
悠里「くるみ……すこしだけ我慢してね」
ガチャン!………
………
…
由紀「……」
由紀「……くるみちゃん」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー永井の部屋(生徒指導室)前
美紀「永井先輩!」
永井「……何しにきた、直樹さん」
美紀「いまから地下に向かうんですよね?」
永井「それがなんだ?」
美紀「あの、提案があるんです」
永井「まさか、ついてくる気じゃないだろうな」
美紀「ちがいます。放送室から音楽を流せば“かれら”を誘導できると思ったんです。地下に続くほうのスピーカーを切っておけば、行きも帰りもを邪魔されることはないはずです」
永井「たぶんね」
美紀「だったら……!」
永井「スピーカーはバリケードの近くに設置されている。今日のような雨の日には“やつら”の数が集中して、バリケードが破壊されるおそれがある」
美紀「様子を確認しながら、音量を調節すれば問題はないんじゃないですか?」
永井「直樹さんの言うとおりだと思う。だが、現状ひとつ懸念がある」
美紀「それは?」
永井「太郎丸だ」
美紀「!」
永井「感染した犬でも、習性は“やつら”と変わらないだろう。太郎丸は身体がちいさい。バリケードをたやすくくぐり抜けられる」
美紀「……」
永井「この緊急事態のなかじゃ、若狭さんも丈槍さんも冷静な対処はできないだろうし、それは太郎丸に思い入れている直樹さんもだ。そんな状態で直樹さんのアイデアを実行するのはリスクが高い。わかったのなら、話はおわりだ。僕はもう行くぞ」
美紀「……もし」
永井「なんだよ?」
美紀「もし、わたしが、感染した太郎丸を“眠らせる”ことができたなら、誘導案は受け入れられますか?」
永井「……できるのか?」
美紀「それで、くるみさんが助かる確率があがるのなら……リスクは、わたしが受け止めます」
永井「……」
永井「……放送室の折りたたみ机でバリケードの下を覆え。太郎丸がバリケードをくぐり抜けることがむずかしくなる」
美紀「はい」
永井「バリケードの状態に問題がなくても十五分が過ぎたら音楽はとめろ。それまでには戻ってくる」
美紀「わかりました……永井先輩」
永井「なんだ?」
美紀「あの、気をつけて」
永井「……僕は死なないけどね」
美紀「あっ……そう、でした」
永井「時間をすこしロスした。はやく実行するぞ」
美紀「はいっ!」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー放送室
美紀 「スピーカーの音量調節は……これだ」
美紀 (こっち側の音量をゼロにして……)
美紀「あとは音楽を流せば……」スッ...
パカッ
美紀「CD借りるね、圭」
ウィ-ン...
美紀「……再生」ポチッ...
♪♪♪〜〜
美紀 (曲は問題なく流れてる。バリケードの確認にいかなきゃ)
美紀 「……くるみ先輩、シャベルお借りしてます。力を貸してください」ガラッ
♪♪♪〜〜
美紀 (圭のお気に入りの曲に混じって、雨の音が聴こえてくる)
美紀 (不思議な感覚……こんなの学校でなきゃ、思わなかった)
美紀 (そう、学校……学校なんだ。わたしだけがいるんじゃなくて、ゆき先輩やりーさんやくるみさんがまずはじめにいて、永井先輩が転校してきて、そしてわたしがやってきた)
美紀 ( みんながいるから……みんなからいろんなものをもらったから……だから、わたしは戦える)
美紀「負けられない、よね」
美紀「……」
美紀「バリケード、まだ集まってきてない……」
『ギッ! ギギッ!』
『ギギギッ』
『ギチッ! ギッ!』
美紀「!」
ゾロ...ゾロゾロゾロ...!
美紀「っ……!」ゴクッ...
美紀「圭……わたし、ここで待ってるから……だから、お願い。力を貸して……みんなを助けて……」ギュウ...
ーーーーーー
ーーーー
ーー
とりあえずここまで。
みーくんがかけた曲はマキシマム ザ ホルモンの「ぶっ生き返す」です。嘘です。
個人的には『亜人』にぴったりの曲だと思っていて、このssを書いてるときは、もっぱらBGMにしています。
同じホルモンの曲でも「シミ」なんかは『がっこうぐらし!』、というかめぐねえのテーマソングとしていけると思ったりするんですがどうでしょうか。
いわずもがなですが、唾液とか咬み傷、引っ掻き傷のくだりはオリジナル設定です。
ーー1階廊下
永井「恵飛須沢のやつ……腹立ちまぎれの状態で突っ込んでったのかよ」
永井 (おかげで、“やつら”にほぼ遭遇することはないが……死体は生徒のものしかない)
永井 (教員と思われる死体は見当たらない……とすると、恵飛須沢が負傷した場所は……)
胡桃が“眠らせた”死体の横を通り抜けた永井のまえに、半開きのシャッターがあらわれた。地下へつつぐ黒い口が、わずかに開いている。
永井「……ここか」
永井 (暗いな。だが、電気は通じているはず……スイッチは壁だな)チカッ...
永井は懐中電灯を壁にむけた。光が壁にあたり、闇のなかに埋もれていたスイッチの存在を浮かびあがらせた。
永井「……これだな」パチン
永井が明かりのスイッチをいれると、天井に張り付けられていた蛍光灯の群れが一斉に光りだした。天井の灯りは通路を浸している水に反射し、波面の動きにともなって輝く場所をかえた。だが、そうした光りの動きをさえぎるものがあった。“それ”は通路の真ん中あたりにたたずんでいた。“それ”は灯りがついたとたん、上を見上げた。
永井「あれか」
“かのじょ”を視認した永井は、階段を途中まで降りていった。永井が止まった位置は、かのじょ“”からも視認可能で、なおかつ手摺の部分が、認識能力の低下した“かのじょ”の行動をはばむ障害となる絶好の位置だった。“かのじょ”は真っすぐに永井に向かっていき、手摺の壁にぶつかった。
『ギギッ! ギギギッ!』ゴッ...ゴッ...
永井 (階段の存在を認識していない。これなら楽に始末できる)
永井は手摺にのって、真下にいる“かのじょ”を見下ろした。“かのじょ”は腕を振り上げたが、胡桃のときとちがい、永井にはとどかなかった。死なない者がすでに死んだ者を見下ろす構図は、どこか皮肉を感じさせるものがあった。
永井は“声”をつかった。激しい空気の振動が、“かのじょ”の鼓膜から中耳を突き抜け、わずかに機能している脳に到達した。“かのじょ”が停止したのと同時に、永井は手摺から跳んだ。“かのじょ”の背後に着地した永井は、左腕をつかって、“かのじょ”の頭部を手摺の壁に押さえつけた。つづいて永井は右手にドライバーを握り、“かのじょ”の剥き出しになった脊椎を突いた。流れるような作業で、ためらいを見てとることはできなかった。
“声”の効果がきれた。ドライバーの切っ先は首の奥深くまで浸透していたが、“かのじょ”の口腔から歯軋りに似た不快な音がもれた。永井はすかさず左手でもドライバーのグリップを握りこみ、上から押さえつけるようにして“かのじょ”の頸部に全体重をかけた。ごきん、という音がして、“かのじょ”は倒れた。頭の位置は、首の骨が、かかった圧力に耐えられなかったことを示していた。
永井は床に伏した“かのじょ”を数秒のあいだ見下ろした。“かのじょ”が復活しないことを確認すると、その場をはなれ先に進んだ。
永井 (あの状態を死んでないと見なすのは、さすがにムリがあるか……)
そのように自嘲しながら、永井は地下二階へ降りていった。
地下二階のコンテナ群を前にして、永井は時間のロスを気にした。備蓄物資が多いことにこしたことはないが、現在の状況では、物資の多さはマイナスに作用するからもしれないからだ。
永井はふと、床に目をむけた。床には、血の跡がのこされていた。たどっていくと、医薬品と書かれたケースが床に置いてあった。
永井 (手の跡がついている……あの先生が取り出したのか)
永井はケースをあけ、非常持出袋に医薬品を詰め込んだ。それから踵を返し、地下一階への通路へもどっていった。“かのじょ”の遺体を通り過ぎ、階段をあがっていく。シャッターをくぐり抜ける前に、念のため、“かれら”を誘きよせないように、地下の灯りを消しておくことにした。
永井の手がスイッチにふれ、光から速度が消えた。ふりかえったとき、永井の目が“なにか”をとらえた。シャッターの隙間を走り抜けていった“それ”の大きさは、小型の犬ほどだった。
永井はスライディングで、シャッターを抜けた。立ち上がり、あたりを見回してみたが、さきほどの影の姿はどこにもなかった。
永井「クソッ!」
永井は悪態をつくと、すぐさま走り出した。来たときには存在しなかった血痕が、一階の廊下から二階へつづく階段に残されていた。永井は、太郎丸を学園生活部に帰すことは不可能になったと結論を下した。そして、あの幼犬が三階にたどり着くまえに始末をしなければならないとも考えた。
二階にのこされた血痕は三階への階段に向かわず、廊下のほうへのびていた。廊下の先から、雨の音に混じって、スピーカーから響く大音量の音楽と、それにあわせて歌うかのような、歯の軋む音が聞こえてきた。
永井はためらうことなく、音源の方向にむかって走っていった。
ーーーーーー
ーーーー
ーー
バタバタバタバタバタ!
悠里「はぁー……はぁー……」ビクビク...
「ーーーーーー」ガチャ! ガチャッ!
悠里「……もう、わたしにできることはないの……」
「ーーーーーー」バサッ! バサッ!
悠里「ごめんね……くるみ、ごめんね……」
バタッ! バタッ!...ガチャン!...バサッ!...バタン!
悠里「ぅぅ〜〜…………」ビクッ...
「た……す、け……て……」
悠里「!」
「や……だ……ああ、は……な、り……たく……」
バタッ! バタッ!
悠里「……」
胡桃の身体が激しいひきつけをおこすまで、悠里はかいがいしく世話をしていた。吸引カップに血を吸わせ、傷口をガーゼで覆い包帯を巻いた。悪寒で身体がふるえないように汗を拭き取り、濡れたタオルを額にあてた。
極度の緊張をのみこみ、悠里はつとめて淡々と作業に没頭していた。それ以外、彼女にできることはなかった。だがそれも、胡桃の容体が急変するまでだった。
胡桃が苦しみ悶えるすがたは、通常生きている人間が示してはいけないような動きだった。胸までかけられたシーツがいきおい顔を隠したせいで、その印象はさらに強まった。症状の進行とシーツによる隠蔽が、隠喩的な意味合いをもち、悠里の極限に達した精神に打撃をあたえる結果となった。
教室の隅でふるえる彼女がそれでもこの部屋から出ていかなかったのは、友人を見捨てることの後ろめたさと、永井が治療薬を持って帰還することへの切望感からだった。それだけが、いまにも折れてしまいそうな彼女のこころを支える、か細いい枝柱だった。
そんなとき、きこえてきたのは、友人のたすけをもとめるか弱い懇願の声だった。悠里にとってその声は、死という不可知の領域を越えて得体の知れないものに変貌しつつある友人にのこされた、「人間」の部分の最後の声のように思えた。
悠里「……」
悠里はソファを見つめた。そこにはいまも苦しんでいる胡桃がいた。悠里は立ち上がり、机のなかから布に包まれた包丁を取り出し、胡桃に近づいていった。
悠里は永井に言われたことを思い出していた。全身が激しく痙攣しだしたあと、急激に体温が低下したら手遅れだ。そうなった場合の対処も、悠里は永井に言われたとおりにするつもりだった。
悠里「……永井君、ごめんなさい。でも……」
悠里は包丁から布をとった。間に合わなかったとき、と悠里は思った。間に合わなかったときでも、わたしにもできることが、ひとつだけのこされている。そうなったとき、すぐに友人の頼みに応えられるように、悠里は包丁を頭上に構えた。
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー二階・階段(バリケード)
グオオオ!
ギシィ...!
美紀「っ……!」
美紀 (すくなくとも三十匹はいる。バリケードもきしみだしてるのに、まだ増えるの……?)
美紀 (音楽を流してから、十分は過ぎた。もう放送は中止するべきかも……)
美紀 (でも、永井先輩がまだ……)
永井「直樹さん!!」
美紀「せ、先輩……!? どうしてこっちから!?」
永井「太郎丸は来たか!?」
美紀「えっ?」
永井「どうなんだ!」
美紀「い、いえっ、来てません」
永井「太郎丸は感染してる。絶対に接触するな!」
美紀「そ、そんな……!?」
美紀「そ、そんな……!?」
永井「僕が始末する。直樹さんはこれを恵飛須沢に投与してくれ!」ブンッ!
美紀「うわ、わっ!」バスッ
永井「受け取ったならはやく!」
美紀「先輩あぶない!」
永井「!」
永井のほうに“かれら”が三体近づいていた。永井はいちばん近い位置にいたものに腕を引っ掛け背後にまわり、首を絞めた。拘束が成功すると、引き抜いたドライバーで側頭部を連打する。これで一匹、動かなくなった。
永井「急げ!」
美紀「……すぐ戻ってきます!」ダッ!
かれら『ギギッ!』ガバッ
永井「……!」
じゅわっ……
ドシュッ!!
かれら『ギ....?』
永井「……」
永井が拘束していた一体の腹から、黒い腕が飛び出した。包帯が巻かれたようなその腕は、永井に迫ろうと近づいてきた一体の腹を突いた。腕の持ち主は、致命傷をあたえたにもかかわらず動きをとめない“かれら”が気に食わなかったのか、腕を半回転させ爪を上に向けると、腹部から頭部にかけて真っ二つに引き裂いた。
引き裂かれた死体のあいだから“かれら”が見たものは、全身が真っ黒な、人間のかたちをした、しかし生きてる人間とも自分たちともまったく異質な存在だった。
その黒い幽霊は、天井に付着した断片から滴る血を気にもとめず、硬直して動けずにいる一体の頭を掴み、ざくろのように握り潰したあと、こう呟いた。
IBM『腕を折る……とかは、どうです?』
永井「なに言ってんだ。頭をねらえよ」
IBM『……』
IBM『ったく……なんで皮肉を言われなきゃ』ガシッ...
黒い幽霊は頭部のなくなった死体の足をつかむとそれを振り上げ、すこしはなれた位置にいる“かれら”にむかってハンマーのように振り下ろした。死体の首の断面が天井をこすり、設置してあった蛍光灯を割った。その破片が“かれら”に刺さるまもなく、“かれら”の身体はつぎつぎに潰れていった。
永井「おい! こっちに血をとばすな!」
IBM『……』
ブンッ!......ブチブチィッ!......ゴキゴキ! グチャン!
永井「ほんと言うことを聞かないな、こいつ……」
黒い幽霊は右薙ぎに人間ハンマーを振った。三体の“かれら”がつぶれた。ハンマーは使うたびに肉片がこびりつき、大きさと威力を増していった。幽霊は、窓側にいた“かれら”をつぶそうと今度は左に薙いだ。
二体がつぶれた。そのとき、持ち手の部分、柄のかわりになっていた死体の足がひざ間接のところでぼっきり折れた。何体もの死体をまきこんで巨大化したハンマーの大部分は窓をつき破り、校庭へと落ちていった。
IBM『あ……』
幽霊はのこされた足をだまって見ていた。ひざのところから白い骨が突き出していて、先のほうが尖っている。幽霊は、襲いかかろうとした一体の頭をそれで殴りつけた。その威力で頭はすっかりなくなってしまい、棍棒代わりになった足は首から下、胸のあたりまで埋まってしまった。
永井 (……幽霊が見えてるのか)
幽霊は足を捨てた。目の前には、まだ十数体の死者たちがいた。黒い幽霊はそのすべて、目についた死者たちを全員引き裂くことを決めた。
ーーーーーー
ーーーー
ーー
美紀「はぁはぁ……」タタタ...
ガラッ!
悠里「!!」ビクッ...
美紀「……」ハァハァ...
美紀は、包丁を握った悠里と目があった。悠里は胡桃に包丁を振り下ろそうとしたまま、静止している。
美紀「薬……持ってきました」
悠里「え?」
美紀「薬、持ってきました」
悠里「……」
美紀「だから、大丈夫です」スッ...
悠里「……」スルッ...
カシャン!
悠里「う、うん」ペタン...
美紀「手伝ってください」
悠里「あ、そうね……」
プス...
バタバタ...バダ........
悠里「大丈夫なの?」
美紀「鎮静剤と抗生物質と実験薬だそうです。脈拍も呼吸もあります。あとは……待つだけです」
悠里「そっか……」
悠里はシーツをかけなおし、胡桃のうえにやさしく手を置いた。
悠里「がんばってね、くるみ」
美紀「……あとはお願いしていいですか?」
悠里「え?…… ええ、いいけど」
美紀「失礼します」
悠里「そういえば、永井君は?」
美紀「……すぐもどってきます」ガラッ!
タタタッ
美紀 (放送室……反対側のスピーカーの音量をあげれば、“かれら”は永井先輩からはなれるはず……!)
美紀「もうすこし……先輩、もうすこしだけ待っていてください……!」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
IBM『おまえも……頭を……』ゴッ!
かれら『ギッ....!?』
グチャ...!
永井「……おわったか」
黒い幽霊が最後の一体の頭部を砕いたを見届けた永井は、あらためてあたりの惨状を見回してため息をついた。
永井「このなかから、犬一匹見つけだすのかよ……」
階段のまえの廊下には、“かれら”三十体分の血と肉片が撒き散らされていた。
永井「頭をつぶせばいいだけなのに、余計なことばっかりするし……だれがこれを片づけると思ってるんだ」
IBM『あな……たの……』
永井「まだいたのかよ。とっとと消えろよ」
IBM『娘さん……』
永井「はあ?」
美紀「先輩!!」
永井「!」
IBM『……』
美紀「大丈夫ですか!?」
永井「 何しにきた!」
美紀「え?」
IBM『あな……たの、娘さん……』
ダッ!
永井「あっ、待て! バカ! やめろ!」
IBM『殺されちゃうよ?』
永井「逃げろ!!」
美紀「!」
永井の声に反応して、美紀はとっさにバリケードからとび下りた。その直後、美紀の頭上で破壊音がした。美紀がさっきまでいた場所にあった机が真っ二つに割れ、原型をとどめていなかった。
永井「とまるな! とっとと逃げろ!」
美紀は階段をかけあがり、踊り場まで走った。永井の幽霊はバリケードの上から動かず、自分が壊した机の足を握った。踊り場をまわって三階へと逃れようとする美紀の逃走を遮るように割れた机が飛んできた。
美紀「きゃあっ!」
机は踊り場の壁にはね返り、全身を打ちつけながら三階へとのぼっていった。幽霊がふたたび机を投げつけようとしたとき、永井がバリケードに到達した。永井はうしろから幽霊に抱きつき、幽霊といっしょに二階の廊下側に落ちようとした。
幽霊はすでに投擲の段階に入っていた。幽霊の背面の盛り上がりが永井を宙に浮かせ、弧を描く左腕の運動が、永井の身体を机ととともに美紀めがけて飛ばした。
永井「ぐっ…………」
壁にぶつかった永井の額から血が流れでた。
美紀「先輩!」
永井にかけよった美紀の背後で液体のはねる音がした。ふりむくと、永井から流れた血の筋が、見えないなにかに遮られ二又に分かれている。
美紀はとっさに永井に覆いかぶさった。背後では黒い幽霊が美紀に狙いをさだめて、彼女の身体を貫こうとしていた。美紀は、見えないながらもその気配を感じとったのか、ぎゅっと目を閉じ、永井を抱きしめる腕に力をこめた。
太郎丸『ガウッ!!』
どこにひそんでいたのか、太郎丸が階段をかけ上がり、幽霊の首に噛みついた。
美紀「た、太郎丸!?」
IBM『……』
黒い幽霊はうしろに手をまわし、太郎丸をつかむと、踊り場の壁にむかって思いっきり投げつけた。太郎丸の肉と骨が、衝撃に耐え切れなかった音がした。
幽霊は美紀にふるうはずだった手刀を床に倒れこんでいる太郎丸につき放った。ちいさな身体がびくっとふるえた。太郎丸の身体の横側に四つ穴があき、そこから黒っぽい血がどくどくと流れ出した。
IBM『……』ボロ...
黒い幽霊の身体が崩れはじめた。幽霊はその場に立ち尽くし、身体が崩れるがままにしていたが、やがてひと言こうつぶやいた。
IBM『お手数おかけしました……』
黒い幽霊はこのひと言を言いおわると、踊り場から完全に消滅した。
美紀「た、太郎丸……」ヨロ...
呆然としながら美紀は、太郎丸に近づいた。致命傷を負いながらも、太郎丸はかすかに呼吸をしていた。美紀が太郎丸に手をのばそうとしたとき、彼女の手を永井がとった。
永井「まて。僕がみる」ゼエ...ゼエ...
片手で額をおさえながら、永井は太郎丸を抱きあげ、階段に腰をおろした。
美紀「先輩、太郎丸は……!?」
永井「もう長くないな」
美紀「そんな……」
永井「直樹さん、血にふれてないな?」
美紀「……」
永井「直樹さん!」
美紀「えっ……?」
永井「血に触ったか?」
美紀「いえ……」
永井「なら、いい」
美紀「……」
永井「……恵飛須沢はどうなった?」
美紀「……薬を打ちました。脈拍も、呼吸も正常になりました」
永井「そうか」
太郎丸『ヒュ-...ヒュ-...』
太郎丸の呼吸がしだいに弱まってきた。この幼犬の命が消えるまで、あと数分もかからないことは明白だった。
美紀の瞳から涙がこぼれた。涙は頬をつたい、手の甲におちた。彼女はそこで、自分が涙を流していることに気づいた。
美紀「あっ……すみません、わたし……」ポロッ...ポロッ...
永井「……」
美紀は涙を押しとどめようと、必死になって目をこすった。その効果はなく、美紀の瞳からは際限なく涙が溢れつづけた。
美紀「太郎丸が……こうなっていることも、覚悟して……受け入れるって、言ったのに……」ポロッ...ポロポロッ...
永井「べつに気にしてない」
美紀「わたし……もうすこし、ここに……いても、いいですか……?」グズッ...ズズッ...
永井「いいよ」
永井の腕のなかで太郎丸はすでに冷たくなっていた。永井は太郎丸を抱いたままそこから動かず、ただ黙って、美紀の泣きじゃくる声と、弱まりはじめた雨足に耳をかたむけていた。
今日はここまで。
IBMの初登場なので、はつきって書きました。
>>359
×はつきって→はりきって、でした。失礼。
ーー屋上
ザッ...ザッ...
永井「これくらいでいいか」
美紀「そうですね」
永井「太郎丸を」
美紀「はい」
美紀は、永井が掘った穴に太郎丸をいれた。太郎丸は血で汚れた学生シャツに包まれていた。シャツについた血は時間がたち、黒っぽく変色していた。そのシャツは、永井が太郎丸を冷たくなってからも抱きつづけていたときに着ていたものだった。
美紀「おやすみ、太郎丸……」
永井「土をかけるぞ」
美紀「はい」
一分もしないうちに太郎丸の姿は土に隠されてしまった。掘り返された土は雨を吸っていて、まわりの土の色と区別がつかない。永井はこんもりと盛り上がった土のうえに、木材を簡易に組み合わせた十字架を立てた。美紀がその十字架に太郎丸が付けていた首輪をかける。屋上菜園にある十字架は、これで二つになった。
美紀「めぐねえも、太郎丸も、これでさみしくないですね」
永井「死んだらなにも感じないだろ」
美紀「またそんなことをいう……くるみさんに殴られたのに懲りてないんですか?」
永井「間違ったことをいったとは思ってないからね」
美紀「先輩がいうと、皮肉がききすぎてますよ」
永井「亜人だって死ぬよ」
美紀「そうなんですか?」
永井「あくまで定義上だけどね。くわしく知りたかったら、恵飛須沢に聞け」
美紀「くるみさん、ですか」
永井「あいつ、もう目はさめた?」
美紀「いいえ、まだです。でも、もうすぐだと思います」
永井「そう」
美紀「……昨日のことなんですけど」
永井「なに?」
美紀「昨日のあれは、永井先輩に関係あるんですか?」
永井「ああ」
美紀「階段での出来事は、永井先輩の意思でやったことなんですか?」
永井「やつらを始末するのに使っただけだ」
美紀「そうですか……質問はそれだけです。ありがとうございました」
永井「ほかに聞かなくていいのか?」
美紀「念のための確認ですから。先輩、昨日は必死になって止めようとしてくれたじゃないですか」
永井「……」
美紀「それで充分です。それにわたしは、先輩がわたしたちの味方だって思うよりも、わたしが先輩の味方でありたいと思ってますから。ほら、昨日部室であんなこと言っちゃっただけにそれくらいはしないといけないと思って……」
永井「……僕はあれのことを黒い幽霊ってよんでる」
美紀「……!」
永井「亜人は幽霊が出せるんだ。幽霊といっても、物質的な存在だけどね。強い感情をむけられたときをのぞけば、ふつうの人間に幽霊は見えない」
美紀「……」
永井「僕の幽霊は、僕の命令を聞かずに勝手に暴れまわる。昨日の出来事もそれが原因だ」
美紀「そうだったんですか……」
永井「亜人が黒い幽霊を出せることは、亜人管理委員会の関係者をのぞけば、一部の警察関係者ぐらいしか知らないだろう。直樹さんも、トラブルに巻き込まれたくなかったら口外しないほうがいい」
美紀「はい……りーさんたちにはどうします?」
永井「好きにしていい」
美紀「わかりました」
ふたりは屋上をあとにした。階段をおりているとき、永井は太郎丸について、疑問に思ったことを考えていた。
永井 (やつらに幽霊が見えたのはわかる。やつらももとは人間。やつらを始末するために発現した幽霊だから、視認ができるのもありえない話じゃない)
永井 (だが、太郎丸はちがう。幽霊発現時に、僕は太郎丸のことを考えてはいなかった。亜人でないものが幽霊を視認できる条件にあてはまらない)
永井 (にもかかわらず、太郎丸は黒い幽霊に飛びかかり、噛みついた。つまり、太郎丸にも幽霊が見えていたことになる)
永井 「……」
美紀「どうかしました?」
永井「いや、なんでもない」
美紀「……そういえば、先輩、幽霊といっても足はあるんですよね?」
永井「基本的には人間に似た形状をしている。個体差があるみたいで、佐藤さんの幽霊はハンチング帽みたいな平らな頭をしていた」
美紀「持ち主に似るってことですか? でも、むやみに暴れるのって永井先輩らしくないと思いますけど」
永井「単にあいつが直樹さんのこと嫌いだったんだろ」
美紀「……あくまで先輩の幽霊のことですよね?」
永井「そう言っただろ?」
美紀「ならいいんですけど……あの、ほんとに幽霊のことなんですよね?」
廊下の端に学習机の残骸がおかれていた。永井はそのまま階段をおりつづけ、二階にむかった。
美紀「手伝いたいですけど……やめたほうがいいんですよね」
永井「まあね」
美紀「じゃあ、わたしはりーさんと交代してきますね」
永井「ああ」
陽のあたる日中にあらためて見てみると、二階廊下の有り様はひどいものだった。そこらじゅうに血と肉片が撒き散らされ、分断された死体からは骨や臓器がはみ出ている。だが妙なことに、この廊下に異臭やハエの存在はなかった。そのおかげで血や肉片の配置次第では、二階廊下がアーティスティックな空間になりうる可能性がでてきた。
永井はレインコートとゴム手袋、ゴム長靴を着用し、まずおおきい部分から片付けにはいった。頭のない上半身や右脚と左脚の向きが前後逆になった下半身を抱えては窓から捨て、肉片をシャベルでかき集めバケツに詰めた。バケツがいっぱいになると、それも窓から捨てた。何度かくりかえし、大方の肉片は片づいた。トイレの蛇口につないだホースから水を放出し、ブラシで血を擦る。シャベルで掬いきれなかった細かい肉片をちりとりに集める作業。それがおわると、赤い泡がいくつも廊下に湧いてでてきた。それをスポンジで擦って吸いとる作業にもっとも時間がかかった。
廊下にはうっすら血の染みがのこっていたが、さきほどの惨状にくらべれば劇的にきれいになっていた。永井は汗だくで、一刻もはやくシャワーを浴びたいと思ったが、まだ一階と地下にやるべき作業がのこっていた。永井は道具をかかえ、階段にむかった。
『おはようございます』
『『『おはよう!』』』
窓から聞こえてきた。四人の少女の朗らかな朝の挨拶だった。永井はすこしだけ天井を見上げた。一秒ほどのあいだだった。そして、永井は道具をかかえ直し、一階へむかうため階段を降りていった。
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー学園生活部
ガラッ
美紀「あっ、おかえりなさい」
悠里「おつかれさま。ご飯できてるわよ」
永井「さきに食べててよかったのに」
由紀「だめだよ、ごはんは全員いっしょに食べなきゃ。そのほうがおいしいよ、ねっ、くるみちゃん」
胡桃「そ、そうだな」
永井「……」
胡桃「……」
永井「目がさめたのか」
胡桃「う、うん……」
永井「調子は?」
胡桃「いいと、おもう……」
永井「若狭さん、起きたとき体温と脈拍は計った?」
悠里「いちおう、ノートに書いてあるけど」
永井「……体温がすこし低いくらいでとくに問題なさそうだな」ペラッ...
胡桃「あ、あのさ……」
永井「ああ、そうだ。シャベル借りてるぞ。まだ使うから、もうすこし貸してくれ」
胡桃「えっ? あっ、うん、いいけど……」
永井「飲み物もらっていい?」
悠里「お茶でよかったら」
永井「ありがとう」ゴクッ...ゴクッ...
由紀「ねえ、はやくごはん食べよ」
美紀「そうですね。先輩も座りませんか?」
永井「いや、僕はまた下におりるから」
美紀「え?」
悠里「食べていかないの?」
胡桃「……」
永井「校庭にやつらがいないうちにすませたい作業があるからね。校舎にはいってきたやつらはあらかた始末したし、なるべく早いほうがいい」
由紀「えー、わたしもうおなかペコペコだよー」
永井「僕を待たなくていいから。飲みものだけ、水筒かなにかにいれてくれ」
悠里「わかったわ」
コポコポ...
悠里「はい」
永井「それじゃ」
胡桃「あ、あのさ!」ガタッ
永井「……なんだよ?」
胡桃「その……あたしも手伝おうかなって……」
永井「はあ?」
悠里「くるみ、それは……」
永井「回復したばかりだろ。まだ休んでろ」
胡桃「や、ほんともう平気だから。むしろ、なんかしないと落ち着かないっていうか、あたしもなにかしたいなって……」
永井「体力の回復が先決だ」
胡桃「それがなんか不思議とからだが軽くてさ……」
永井「……」
胡桃「やっぱ、だめかな……?」
永井「好きにしていい」
胡桃「! う、うん!」
永井「シャベルはここに置いとくぞ。あと、よごれても大丈夫な服装に着替えとけ」
胡桃「わかった」
永井「準備が終わったら、地下のシャッターまで来い」
ガラッ
悠里「……永井君に謝るんじゃなかったの?」
胡桃「なんか、とっさに口にでちゃってさ」
美紀「でも、ほんとに体は大丈夫なんですか?」
胡桃「ああ、それはほんとに心配ないから」
美紀「それで、いつ謝るんですか?」
胡桃「……折をみて」
悠里「不安になるようなこと言わないでよ……」
由紀「大丈夫だと思うよ」
胡桃「え?」
美紀「ゆき先輩?」
由紀「みーくんもそう思うでしょ?」
美紀「そうですね、大丈夫だと思います……たぶん」
胡桃「たぶんか……はぁー……そろそろいくわ」
悠里「ムリしないでね」
胡桃「わかってるって。んじゃ」
ガラッ......
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー地下一階・シャッター前
永井「きたか」
胡桃「校庭に行くんじゃないのか?」
永井「埋めるものがここにあるからな。まずはそれを運ぶ」
永井と胡桃はシャッターをぬけた。永井が電気をつけると、胡桃の目の前に黒い遮光カーテンで包まれた物体が置いてあった。その物体のおおきさは、ちょうど人間とおなじサイズだった。
胡桃「これって……」
永井「きみらの先生だ」
めぐねえの遺体は担架にのせられていた。担架は怪我人がでたときに備え、保健室に常備されていた。よく見ると、めぐねえを包むカーテンのあいだからビニールのようなものが見えた。めぐねえはまず、大型のビニール袋で三重に密封され、そのうえから遮光カーテンが彼女を包んでいた。遮光カーテンの端はねじられ、ガムテープでとめてあった。
永井「これからこの人を埋葬する。雨が降ったあとだから、地面が水を吸って重くなってる。重労働になるが、それでもいいか?」
胡桃「……」
永井「聞いてるか、恵飛須沢?」
胡桃「ああ、聞いてる……平気だよ」
永井「後ろのほうを持ってくれ」
永井と胡桃は担架を持って校庭へと出ていった。遺体を運んでいるあいだ、胡桃はじっと黒い布に包まれた恩師を見つめていた。校庭にかれらの姿はなく、学校は不気味なくらい平穏なようすを見せていた。
胡桃「なんで、やつらがひとりもいないんだ?」
永井「僕が片付けた」
胡桃「ひとりでか?」
永井「ああ。どうやったか知りたかったら、直樹さんに聞け」
胡桃「美紀に?」
永井「校門は閉めてある。資材もなにもないから、門をかためることはできなかった。しばらくしたら、またやつらが入ってくるだろうな」
胡桃「……」
永井「そろそろはじめるぞ」
二人が穴を掘りはじめた場所はプールから少しはなれたところにある、巡ヶ丘学院高等学校第十期卒業生が植樹した桜の木のすぐそばだった。そこは窪地になっていて、まわりの地面より五十センチほど凹んでいる。永井はまず、穴の縦横の長さを遺体にあわせてシャベルで土にかいた。二人は左右にわかれ、永井が頭のほうから、胡桃が足のほうから、それぞれ掘りはじめた。
二人は淡々と土を掘る作業をつづけた。胡桃の調子がいいのは、どうやら本当らしかった。永井が思っていたよりも作業のペースはずっとはやく進んだ。おかげで、ここで永井が自身の幽霊が命令を聞かないことに愚痴を言うことはなかった。
永井「そろそろバケツがいるな」
永井は用意していた金バケツを穴に放りこんだ。作業は分業になった。胡桃が掘り、永井が土のつまったバケツを運んだ。思ったより重労働だった。繰り返しているうちに、腕が永井の意思に逆らってくるのがわかった。永井はここでようやく、心のなかで幽霊を罵った。
穴を腰の深さまで掘るのに、思ったより時間はかからなかった。穴の深さを胸元まで掘り進めるのには、腰の深さまで掘るのとおなじくらいの時間がかかった。だが、それもようやくおわった。永井はしびれる腕で、最後のバケツ運びを完了した。
すこし休憩をとることになった。永井は木の根元に腰をおろし、息を喘がせていた。胡桃はその隣で木によりかかり、ただ黙って立っていた。胡桃の目線はめぐねえにむいていた。しばらくして、永井の腕が軽くなった気がした。それは過度の疲労による錯覚にすぎなかったが(永井自身、それを理解していた)、はやく埋葬をすませたかったので、作業を再開することにした。
今度は胡桃がめぐねえの頭を持つことになった。遺体に死後硬直はみられなかった。もっとも、いったいどの時点を彼女の死後と見なすかはだれにも分からないことではあった。胡桃は脚立をゆっくりと降りていった。めぐねえの頭をゆっくり穴の底に置き、脚立を降りてくる永井を手伝った。めぐねえの背中が穴底にくっつき、下半身は永井が抱えている状態になった。胡桃は頭のほうにまわり、肩を掴んで遺体を引っ張り、めぐねえが完全に横たわるようにした。
遺体の安置がおわった。永井は脚立をのぼって穴から出た。それから、遺体の頭のほうにいる胡桃が穴から出られるよう脚立を持ち上げて、移動させた。地面にあがった二人は、ふたたびシャベルを手にとった。穴を埋める作業は、それまでの重労働にくらべるといくらか楽な作業だった。不思議なことに土をかけているあいだ、時間が引き延ばされているような感覚が起こった。それは胡桃だけでなく、永井にも感じられた。それでも、作業はちゃんと終了した。
永井と胡桃は盛りあがった土をシャベルで叩いて地面を均した。そこに校庭の花壇の木柵からつくった十字架をたて、ひとつの墓ができあがった。作業はおわったが、胡桃はまだ立ち去る機会をつかめずにいた。永井は桜の木の枝にかけていたジャージのポケットからハンカチを取り出し、胡桃に差し出した。胡桃がハンカチを開くと、そこには遺髪がひと房おさめられていた。
胡桃「これ、なんで……」
永井「屋上にも墓にもなにか埋めておいたほうがいいだろ」
胡桃「……」
胡桃は反射的に上をむいた。鼻の奥に、つんと痛くなるような感覚があった。
永井「僕は先にいくぞ。はやくシャワーをあびたい」
胡桃「永井」
涙が滲んだような声だった。
永井「なんだよ?」
胡桃「悪かった」
永井「……必要なことをしたまでだ」
胡桃「ちがうよ。めぐねえのこともだけど……あたしが謝りたかったのは、そのまえのことだよ」
永井「……」
胡桃「殴って悪かった。それに、ひどいことも言ったことも、ごめん」
永井「感情的な発言なんて、いちいち気にしてない」
胡桃「うん。でも、ごめん」
永井「……とっとと戻るぞ」
胡桃「ああ」
三階の窓が開き、由紀がそこから顔を出した。由紀は校舎にむかって歩いてくる永井と胡桃をみつけ、大声で呼びかけた。
由紀「くるみちゃーん! けーくーん! まだー?」
胡桃「もうおわったよ! すぐ上にいくからー!」
由紀「はやくしてよねー! りーさん、時間がかかるみたいだからもう一品おかずつくっちゃったんだよー」
胡桃「わりーわりー。すぐいくから!」
由紀「くるみちゃん!」
胡桃「ん?」
由紀「うまくいった?」
胡桃「……おう!」
胡桃は由紀にこたえると同時に、永井の肩に腕をまわして、引き寄せた。
永井「おい、なんだよ」
胡桃「いいじゃん、これくらい」
永井「はなせよ、暑苦しいだろ」
胡桃「おまえ、汗ベタベタだなー。あたし、ぜんぜん汗かいてないのに」
永井「だったら、はなせって」
胡桃「まあまあ。おつかれさん」
結局、胡桃は永井の肩を抱いたまま歩いていった。永井は迷惑そうにしていたが、やがて観念したのか、胡桃の好きにさせておいた。部室に残った三人はそんな永井と胡桃の様子を窓から見ていた。三人には、二人の歩く姿が不恰好な二人三脚のように見えていた。
今日はここまで。
>>376 訂正
今度は胡桃がめぐねえの頭を持つことになった。遺体に死後硬直はみられなかった。もっとも、いったいどの時点を彼女の死後と見なすかはだれにも分からないことではあった。胡桃は脚立をゆっくりと降りていった。めぐねえの頭をゆっくり穴の底に置き、脚立を降りてくる永井を手伝った。めぐねえの背中が穴底にくっつき、下半身は永井が抱えている状態になった。胡桃は頭のほうにまわり、肩を掴んで遺体を引っ張り、めぐねえが完全に横たわるようにした。
遺体の安置がおわった。永井は脚立をのぼって穴から出た。それから、遺体の頭のほうにいる胡桃が穴から出られるよう脚立を持ち上げて、移動させた。地面にあがった二人は、ふたたびシャベルを手にとった。穴を埋める作業は、それまでの重労働にくらべるといくらか楽な作業だった。不思議なことに土をかけているあいだ、時間が引き延ばされているような感覚が起こった。それは胡桃だけでなく、永井にも感じられた。それでも、作業はちゃんと終了した。
永井と胡桃は盛りあがった土をシャベルで叩いて地面を均した。そこに校庭の花壇の木柵からつくった十字架をたて、ひとつの墓ができあがった。作業はおわったが、胡桃はまだ立ち去る機会をつかめずにいた。永井は桜の木の枝にかけていたジャージのポケットからハンカチを取り出し、胡桃に差し出した。胡桃がハンカチを開くと、そこには遺髪がひと房おさめられていた。
胡桃「これ、なんで……」
永井「屋上の墓にもなにか埋めておいたほうがいいだろ」
胡桃「……」
>>377 たびたびの訂正スミマセン
涙が滲んだような声だった。
永井「なんだよ?」
胡桃「悪かった」
永井「必要なことをしたまでだ」
胡桃「ちがうよ。めぐねえのこともだけど……あたしが謝りたかったのは、そのまえのことだよ」
永井「……」
胡桃「殴って悪かった。それに、ひどいこと言ったことも、ごめん」
永井「感情的な発言なんて、いちいち気にしてない」
胡桃「うん。でも、ごめん」
永井「……とっとと戻るぞ」
胡桃「ああ」
投稿文が途中からだったので >>383 はなかったことにしてください……
胡桃は反射的に上をむいた。鼻の奥に、つんと痛くなるような感覚があった。
永井「僕は先にいくぞ。はやくシャワーをあびたい」
胡桃「永井」
涙が滲んだような声だった。
永井「なんだよ?」
胡桃「悪かった」
永井「必要なことをしたまでだ」
胡桃「ちがうよ。めぐねえのこともだけど……あたしが謝りたかったのは、そのまえのことだよ」
永井「……」
胡桃「殴って悪かった。それに、ひどいこと言ったことも、ごめん」
永井「感情的な発言なんて、いちいち気にしてない」
胡桃「うん。でも、ごめん」
永井「……とっとと戻るぞ」
胡桃「ああ」
スッ...キュッ...
クルクルクル.......ビシッ!
胡桃「うむ。完璧」
悠里「調子、いいみたいね」
胡桃「いやー、ご心配おかけしました」
由紀「すっごーい。くるみちゃん、アクション俳優になれるよ」
胡桃「え、マジ?」
由紀「うん。くるみちゃんの将来は決まったね!」
胡桃「いやいやいや、ならんから」
由紀「じゃあ、なにになるの?」
胡桃「そりゃー……」
胡桃「かわいいお嫁さん……とか」
美紀「希望をもつのはいいことだとおもいます」フッ...
胡桃「そ、そうかな」
永井「そのわりに料理とかしないんだな」
胡桃「……今日はあたしが料理しようかな」
由紀「くるみちゃん、料理できるの?」
胡桃「家庭科の授業ならうけたことあるぜ」
由紀「わたしだってあるよ!?」
永井「やめとけ」
美紀「くるみ先輩、りーさんにまかせましょう」
悠里「せめて見学からはじめない?」
胡桃「なんだよ、おまえら! みんなして!」
永井「バカげた話はこれくらいにしよう」
美紀「そうですね」
胡桃「おまえらがいちばんひどくねーか!?」
由紀「そうだよ二人とも! それじゃまるでくるみちゃんがお嫁さんになれる見込みがないみたいじゃない! そりゃ、くるみちゃんは筋肉質で男前で無鉄砲で料理できないけど……」
胡桃「そーゆーことを言うのはこの口かー」ギリギリ...
由紀「いたたた……だから、わたしじゃなくてー」
悠里「はいはい、そのへんでねー。出かけるわよ」
由紀「はーい。どこに?」
悠里「今日は倉庫の整理よ」
胡桃「地下一階のな。ひろいぞー」
由紀「た、大変そう……」
悠里「ちゃんとやったら備品にしていいって」
由紀「やるっ! ねっ、みーくん」
美紀「現金ですね」
由紀「ちがうよー。先輩として、後輩に残すものは多いほうがいいからねっ」
美紀「……」
由紀「けーくんもそう思うでしょ?」
永井「まあね」
美紀「……そういうことにしておきましょうか」プイッ
由紀「えー、ひーどーいー」
美紀「ひどくないです」
悠里「ふふっ」
キャッキャッ.......
ーー
ーーーー
ーーーーーー
ーー
美紀「宝の山、ですか?」
永井「ああ。救急物資のほかに食糧品のコンテナも大量に置いてあった」
胡桃「最初から準備してたってことかよ……」
悠里「……怖いわね」
永井「マニュアルによれば、最大十五名での生活を想定し一ヶ月分の食糧が備蓄されている。僕ら全員で五人だから、単純計算で三ヶ月分の食糧があるってことだ」
美紀「手がかりもあるもしれませんね」
胡桃「ん?」
美紀「この事態を引き起こした人がいるなら、そこへつづく手がかりです」
胡桃「お、確かに」
永井「巻末の拠点一覧を見るかぎり、ここのほかに四つの施設に同様の設備があると思う。生存者がいるとすれば、まずこの四ヶ所だ。病院は除いていいかもしれないけれど」
胡桃「病院や自衛隊の基地はわかるけど、高校や大学にもか?」
悠里「災害時の避難場所だから? でも、そうなると……」
永井「この高校も聖イシドロス大学も私立学校だ。このランダル・コーポレーションって企業は、この辺りの地区開発も請け負っていたのか?」
美紀「ええ。わたしのいたモールやアイオスターグループとかも傘下だったはず」
胡桃「あ、聞いたことあるな。悪そうじゃん」
美紀「ネットがあればもっと調べられるんですけど」
悠里「でも、どこに行くのがいいのかしら?」
永井「向かうとしたら大学かランダルのどちらかだ」
胡桃「そりゃなんで? 病院がダメなのはわかるけど」
永井「駐屯地や航空基地に生存者がいるとしたら、そいつらは銃火器で武装している確率が高い。仮にその生存者と対立することになった場合、僕らの装備じゃ対抗できない。それに受け入れたとしても、人的要因が生存に直接作用するこの状況下じゃ、自衛官の職業意識がどこまで保たれているかわからないし、避難所のガバナンスに問題が発生した場合、まっさきに僕らが切り捨てられることもありうる」
美紀「映画の『死霊のえじき』みたいな感じですね」
永井「その映画は見たことないけど」
胡桃「そういうのよく見るんだ?」
美紀「た、たまたまですっ。よく見るってわけじゃありません」
永井「まあそれはともかく、あの先生もおなじように考えたんだろうね」
悠里「めぐねえが?」
胡桃「なんでそんなことわかるんだ?」
永井「この高校と大学、ランダル以外の施設名が半分塗りつぶされてるだろ。ここに居住が何らかの理由で不可能になったときに、つぎに移動するべき拠点の候補を挙げておいたんだろう。完全に塗りつぶさなかったのは、大学やランダルがダメだった場合に備えてだな」
美紀「学園生活部のため……ですね」
胡桃「……」
悠里「……そうなのかな」
永井「日誌を読むかぎり教師としての責任感はあったみたいだし、そう判断してもいいだろう。マニュアルの塗りつぶしも、対処ができない事柄を初めから判読させないことで危険から遠ざけようという意図を感じる。塗りつぶすよりは想定されるメリットとデメリットを書き添えてくれたほうが役に立つんだけど」
美紀「また、そんなこと言って……」
胡桃「ほんっとあいかわらずだな、おまえ」
永井「あの先生にも思うところがあったってことだ。それ以上のことはきみらが考えればいい」
悠里「わたしたちが?」
永井「佐倉先生のことを知ってるのは、もうきみら三人しかいないんだろ? 僕はもう口出しするつもりはないし、あとはきみらが好きに解釈すればいい」
悠里「めぐねえが、考えていたこと……」
胡桃「……りーさん、倉庫の整理がおわったらさ、めぐねえの日誌読んでみようぜ」
悠里「……そうね。でもくるみ、無茶しちゃだめよ」
胡桃「大丈夫だって。校舎のなかにいたやつらは永井がかたづけてくれたんだし。な?」パンッ
永井「背中をたたくな」
悠里「それでも、ね?」
胡桃「わかったわかった」
永井「もういいか? 話しをもどすぞ」
美紀「大学かランダルか、ですね」
胡桃「何かあるとしたらランダルだよなあ」
悠里「でも、大学にもここみたいにだれか集まってるかも」
胡桃「うーん、そっちはそっちで気になるな」
美紀「……進学と就職」
悠里「え?」
胡桃「ん?」
美紀「あ、選択肢がそんな感じだなっておもって」
悠里「そう言われてみればそうね……なら、わたしは進学かな」
胡桃「んー、就職がいいな。みきと永井は?」
美紀「悩ましいですね……」
永井「地下にまだ手がかりがあるかもしれない。どちらにむかうかはまた後日決めよう」
胡桃「ん」
美紀「わかりました」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー一階・シャッター前
悠里「頭、気をつけてね」
由紀「はーい。くらいねー、電気ないの?」
胡桃「ああ、たしか……」
由紀「あ、あった。パチッとな~」パチッ
胡桃「そっちに……」
パッ
由紀「くるみちゃん、なにか言った?」
胡桃「いや、なにも……」
永井「なに落ち込んでんだ?」
胡桃「あたし、注意力ないのかなあ……?」
永井「腹立ちまぎれで突っ込んでいくからだ。周囲の確認くらい、習慣化しとけ」
胡桃「きびしい……」
由紀「なにがあるかな~?」トテテテ...
美紀「ゆき先輩、長靴はいていってください」タッ...
悠里「わたしたちも行きましょう」
永井「ああ」
ーー地下一階・備蓄倉庫
ズラッ--
由紀「うえー……これ全部?」
悠里「後輩のためでしょ?」
由紀「そうだねっ。がんばるよー!」パッ
由紀は美紀のほうを振り向いた。美紀はとっさに顔をそむけたが、由紀はさっきの意気込みよりすこし落ち着いた声で、後輩に語りかけた。
由紀「がんばろうねっ」
美紀「……はいっ」
永井「食糧品と医療品は別々の棚に備蓄されてる。それぞれ手分けして数を数えおわったら、交代して個数に間違いがないかチェックしよう」
倉庫の整理にとりかかるまえに、念のため、胡桃と永井が地下にひそんだ“かれら”がいないか見回った。胡桃は床に落ちた血の跡を見つけた。血痕はドアへと続いていて、ドアの横にはタッチパネル式の電子ロックが備え付けてある。
由紀「くるみちゃん、そっちはなにかあった?」
胡桃「あ、いや、なんにもないぜ」
胡桃はすこしためらってから、ドアの取っ手をつかんだ。唾を飲み込み、手をひねりドアを開けた。部屋の中はからっぽだった。胡桃は床に目をやった。血は部屋の真ん中で途切れていた。注意深く部屋のなかを観察すると、端のほうにロープが置いてある。ロープには、切断面があった。
永井「なにしてる?」
胡桃「や、なんかあるかと思って」
永井「丈槍さんがなにか見つけたらしい。行こう」
由紀が見つけたのは冷蔵室だった。ドアに貼られた表示を見た学園生活部の面々は期待と不安に息をのんだ。
由紀「どどど、どうしよ……?」
胡桃「まあ待て。落ち着こう」
悠里「中身があるとは限らないし」
美紀「腐ってるかも」
永井「開けてみれば?」
胡桃「あたしがか?」
永井「いちばん近いだろ」
胡桃「うーん……」
胡桃はドアの取っ手をつかんだ。そのとき、ふと思いあたったことがあり、胡桃は永井に振りむき問いかけた。
胡桃「……おまえ、もしかしてもう中見てるんじゃないのか?」
永井「いいから開けろよ」
胡桃はおそるおそるといった風情で冷蔵室のドアを開けた。ゆっくり開いていくドアの隙間から冷蔵室の内側がのぞいた。冷蔵室は暗く、中の様子は判然としなかった。学園生活部の面々が中身を確認しようと目を凝らしていと、永井がドアの隙間から手を入れ冷蔵室の明かりのスイッチを押した。
冷蔵室の中身が照らしだされると、学園生活部の瞳はだんだんとおおきく、輝きを放ちながら見開かれていった。
ーーーーーー
ーーーー
ーー
「「「「いっただっきまーす」」」」
熱せられた鉄板のうえにステーキがのせられ、ジューッと音をたてている。その横には白米がよそわれた茶碗があり、米粒から湯気がたっていた。食材がたてる音と匂いは食卓にいる者たちの食欲に訴えかけ、唾液腺を否応なく働かせた。
胡桃「……うっめー!」ジィ-ン...
ひさびさの豪華な食事に感じ入っている胡桃の横では、由紀がリスのように肉と米をつめこみ、ほおばっている。
由紀「ふー……完食」
胡桃「っておい! もっと味わって食え!」
由紀「だってこれ、すごくおいしかったんだもん」
胡桃「となりにいる永井を見てみろ。きっと優等生らしくゆっくり……」
永井「ごちそうさま」
胡桃「おまえもかよ!」
永井「うるさいな。どう食べようが、僕の勝手だろ」
胡桃「あー、もう……ほれ、二人とも。みきを見てみろ」
テーブルマナーの見本を示すかのようにナイフとフォークを丁寧に扱いながら、美紀はステーキを食べやすいサイズにカットしていた。左側から切った肉をフォークで刺し、口へと運ぶ。咀嚼された肉の食感と濃厚な肉汁、香草付けされた芳香が口の中で混ざりあい、口内に広がると、美紀はその快感をじっくりと味わった。
美紀「おいしい……」
胡桃「ああやって食べるんだ」
由紀「おお……!」
永井「……」
美紀「……あの、そんなにじっと見ないでください」
悠里「ほらみんな、おかわりあるけど、たべる?」
「「「たべる!」」」
永井「僕もおかわり」
ごはんがよそわれた茶碗を受けとった永井は、箸に手をつけずに机に置いた。そしてふたたび、ステーキを咀嚼している美紀を見つめた。
永井「……」ジッ...
美紀「あの、永井先輩、はずかしいです……」
永井「ああ、ごめん」
美紀に注意された永井は茶碗を持ち、箸でご飯を口に運んだ。湯気のたった炊きたての白米を咀嚼しながら、永井はこう思った。
永井 (……直樹さん、ステーキ残しそうにないな)
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー学園生活部
由紀「今日は楽しかったねー」
美紀「そうですね」
由紀「でも、こうやってみんなで楽しいのも、もうすぐおわりなんだねえ」
美紀「ちょっと、それどういう意味ですか?」
由紀「え? ほら、わたしたち、卒業するし」
悠里「ああ、そうね」
美紀「卒業……ですか」
由紀「ねえねえ、みんな卒業したらどうするの?」
胡桃「卒業なあ……」
悠里「そうねえ……ちゃんと考えないといけないわね」
由紀「けーくんは?」
永井「ていうか、僕はこの学校の生徒じゃないし」
由紀「ええ!?」
胡桃「おまえ、いまさらそれ言うか!?」
永井「ほんとのことだろ?」
胡桃「いやいやいや、めぐねえがちゃんとしてくれたから」
永井「どうやって?」
胡桃「……ゆき、どうなんだ?」
由紀「えっ…………コネ?」
胡桃「裏口入学じゃねえか!」
由紀「いまのはなし! えっと、あれ……そう! みーくんを学園生活部に勧誘したこと! それでけーくんは合格しました!」
悠里「あら、いいじゃないそれ」
胡桃「ほんとだ。意外といい」
由紀「よかったね、けーくん。これで卒業できるよ」
永井「その話はもういいって」
美紀「わたしもいいと思いますよ」
顔をしかめる永井と学園生活部の面々にむかって、美紀はゆっくり微笑ながらこう言った。
美紀「でも……卒業はもうすこし先でも、いいと思います」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー某所
ヘリコプターに乗り込んだのは、四人の隊員たちだった。彼らは防毒マスクとヘルメットで顔を覆い、特殊繊維で出来たボディアーマーで全身を包んでいる。全員が拳銃を装備し、それぞれ二名ずつ小銃と短機関銃をかかえている。そのほかにはサプレッサーと光学照準器、折りたたみ式の担架、弾薬、発炎筒、そして麻酔銃が隊員たちの装備品だった。
基地の方向から一名、ヘリに近づく者がいた。ヘルメットとマスクは隊員たちと同じだったが小火器は持たず、迷彩服の上に薄いベストを羽織っているだけだった。彼はヘリコプターの操縦席に乗り込むと安全帯で身体を固定し、乗員である隊員たちに離陸を告げた。
隊員たちが身体を固定したのを確認すると、操縦士はメインローターを回転させ機体を浮遊させた。発進するヘリコプターの操る操縦士は、機体が安定すると懐ろから一通の手紙を取り出した。その手紙には、これから彼が隊員たちを送り届ける経緯度が書かれていた。操縦士は手紙を裏返した。
手紙には四人の男女の絵が描いてあった。四人の周囲には星が輝き、くまのぬいぐるみのようなキャラクターも添えられている。そんな子どもが描いたようなその絵の上に、“わたしたちは元気です。”という言葉が書かれていた。その言葉を書き付けたのは、絵を描いた者と同一であろう。
空から見下ろす街に灯りはなく、星の光だけがよく見えた。操縦士は手紙をしまうと、操縦に集中した。投光器が浮かべる街の残骸を手掛かりに、ヘリを手紙に書かれた経緯度にむかって進めていく。
彼らの目的地は、手紙が出された場所、私立巡ヶ丘学園高校だった。
今日はここまで。大学編に登場する理学棟の女性、モロに『死霊のえじき』のオマージュですよね。
ーー三階廊下
由紀「りーさん、きこえる?」
『きこえるわよ。そっちは準備OK?』
由紀「いつでもいいよ」
『じゃあ、いくわよ。さん、に、いち……はい!』
由紀「こんにちはー!」
由紀「きこえてますかー? きこえたら返事くださいねー」
由紀「あれー? 声がちいさいですよー。もーっと元気に」
『ゆきちゃん、これラジオだから』
……(間)……
由紀「なーんちゃって! ラジオだから返事してもきこえませーん!」
由紀「でも、みんなの気持ちは届いてますよ!」
由紀「こちらGSH。学園・生活部・放送局、丈槍由紀です。今日は巡ヶ丘学院高校より、学園生活部による文化祭をお送りします。チャンネルはそのまま。最後まできいてくださいねっ」
由紀「あ、学園生活部っていうのは部活です。学園内で合宿活動して、行事もやっちゃうんですよ。とーっても楽しいんです」
胡桃「ゆきー、こっちー」
由紀「はーい。チーズー」
カシャッ...ジジ-...
由紀「どう? くるみちゃん」
胡桃「うん、よく撮れてる」
由紀「おおー」
『早速使いこなしてるわね』
由紀「けーくんも写真撮ってもらったらいいのに」
『遠慮しとく』
『わがまま言っちゃダメよ、ラジオ放送に賛成してくれただけでもありがたいんだから』
由紀「はーい。けーくんは顔出しNGってことでー」
『……』
『ゆきちゃん、永井君が微妙な表情してるから』
胡桃「じゃ、つぎは放送室な」
由紀「けーくんは撮っちゃダメだよー」
胡桃「わかってるって」
由紀「ぜったい撮っちゃダメだよー」
胡桃「だから、わかってるよ」
由紀「ぜったいのぜったいだよー」
胡桃「それ、フリ?」
『絶対やめろ』
ーー
ーーーー
ーーーーーー
ーー学園生活部
ドサッ
胡桃「とりあえず、使えそうなものを集めてみたけど……」
美紀「ちゃんと動くんですかね?」
永井「ひとつひとつ動作確認していこう。そのパソコン貸して」
胡桃「ん」
由紀「えーと、ほかには……あ、なんだこれ?」
美紀「ポラロイドカメラですね」
由紀「カメラ? 写メ?」
胡桃「メールはできねえだろ。ほら、パス」
由紀「はーい」
カシャ
由紀「わっ! 急にはひどいよー」
胡桃「ごめんごめん」
由紀「で、どうなるの?」
胡桃「見てなって」ジジ-...
由紀が受け取った写真は白地で、まだ像を結んでいなかった。
由紀「紙じゃん!」ペシ-ン!
美紀「先輩、落ち着いてください。ほら」
ジワッ...
由紀「お?」
ジワ--
由紀「おお! おおおお! これ、すごい、すごいよ! スゴイカメラと名づけよう!」
美紀「ポラロイドカメラです」
由紀「これがあればさ、あれ作れるよね」
悠里「あれ?」
由紀「卒アル! あ、けーくんも写真撮る?」
永井「やめとく」カチッ...
美紀「でも、まだ卒業は先ですよ?」
由紀「いやいや、卒業直前に撮っても間にあわないでしょ? みーくんも計画性ってものを身につけないと」
美紀「むっ……」
悠里「それはいいけど、学園祭やるって言ってなかった?」
由紀「あ、そっか」
胡桃「てか、まだ学園祭の内容も決めてないしな」
由紀「んー……あれ? りーさん、それなに?」
悠里「これ? ラジオよ。原理が単純だから停電だったりネットが落ちてたりしても聞けるの」
由紀「ふーん、便利なんだね。で、なんか聞こえる?」
悠里「聞こえない……わね。壊れてるのかも」
由紀「……あ、そうだ」
由紀「うちでラジオ放送ってできないかな?」
胡桃「話が飛ぶな、おい」
由紀「だって原理簡単なんでしょ? 工夫すればできるんじゃない?」
美紀「機材があれば意外とできるかもしれませんね。放送室の設備とか」
由紀「さっすがみーくん、頼りになる!」
美紀「ま、まだわかりませんよ」
悠里「で、なにを放送するの?」
シ-ン...
由紀「え……音楽……とか……?」
永井「部活の紹介でもしたら?」カチッ...
由紀「それだ! ほら、研究発表とかなら学園祭の内容にもピッタリだし!」ズイッ
美紀「えっと、そ、そうですね」
由紀「模造紙を張るだけとかもう古い! 電波で世界中に発信だよ!」
胡桃「どんだけ強い電波だよ!」
由紀「ご近所中に発信だよ」
美紀「現実的な線ではありますけど……」チラ...
悠里「……そっか、永井君がいるのに放送してもいいのかしら?」
永井「僕のことは気にしないでいい」カチッ...
美紀「いいんですか?」
永井「ああ」
美紀「でも、先輩は……」
永井「対策はいくつか考えてある。せっかくのチャンスをふいにすることないだろ」
美紀「……わかりました」
胡桃「ありがとな」
永井「全体に最もメリットがある方法を選んだだけだ」
胡桃「そっかい」
由紀「それじゃ、さっそくめぐねえに聞いて……」
悠里「そのまえに……」ゴゴゴゴ...
ドサッ
胡桃・由紀「「ウッ……」」ビクッ...
悠里「やることがあるわよね」ニコッ
由紀「や、でも文化祭が……」アタ
胡桃「遠足のこともあるしさ、さきに計画をたてたほうが……」フタ
悠里「そう、勉強は後回しにするのね。なら、遅れた分は永井君に勉強を見てもらいましょうか」
胡桃・由紀「「!!」」
永井「ヒマだったらいいよ」
由紀「やります! いますぐ勉強やります!」
胡桃「あたしも!」
悠里「あら? いいのよ、文化祭もうすぐなんでしょ?」
胡桃「いや、やっぱり日頃から勉学に努めてないと! あとから遅れを取り戻そうなんて考えじゃダメだよな!」
由紀「だから、先生役はりーさんとみーくんでお願い!」
美紀「それはちょっと言いすぎでは。たしかに凄く厳しかったですが……」
悠里「有無を言わせず、長時間淡々と問題を解かせてたわよね」
美紀「まったく手つかずの問題集を一日ですべて終わらしましたよね」
由紀「けーくんに勉学を教えてもらった次の日、手のひらが筋肉痛になったんだよ……」
胡桃「あたしなんか漸化式に頭を爆発させられる夢まで見たんだぜ……腕つるまで問題集やらせるとか人間じゃねえよ」
美紀 (『スキャナーズ』みたい……)
胡桃「あ、ちがった。亜人だったな」
永井「……」
美紀「あの、それは関係ないと思います……」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー放送室
由紀「放送部のみなさん、おつかれさまですー」
由紀「放送部のみなさんはいつも放課後にナイスなミュージックを流したり、連続ドラマとかをやってます。今日はその設備をお借りして放送してます。では、話しかけてみましょう」
由紀「りーさん、こんにちはー」
悠里「こんにちは」
由紀「りーさんはわたしたちの部長です。電波の調子はどうですかー?」
悠里「順調かな?」
由紀「ここにはもう一人、学園生活部唯一の男子部員がいますが、残念ながら取材はNGです。シャイですねー」
胡桃「ぶっ……ふふふ」ブルブル...
永井「……」
悠里「こら、ゆきちゃん」
由紀「ごめんなさーい。それではまたー」
ーー
ーー
ーー
ーー図書室
由紀「さて、次は図書室です。学園生活部は図書委員会のお手伝いもしてるんですよー」
由紀「図書室だから、ちいさい声でいきますねー」ボソッ...
由紀「ここが超人気スポット、マンガコーナーです。新刊は……まだ来てませんね。つぎは……」
由紀「ここが勉強の本。こっちも勉強の本。勉強ばっかりですね、つぎ行きましょう」
胡桃「おいおい、そんなんでいいのかよ!」
『うるさいぞ』
ーー学園生活部
由紀「さあここが! 学園生活部の部室にです!」デデン!
由紀「さっそく入ってみましょう。みなさん、こんにちはー」ガラッ...
由紀「あ、出店やってますねー。文化祭といえば出店ですね。こんにちはー」
美紀「……こんにちは」
由紀「後輩のみーくんです」
美紀「みーくんじゃありません」
由紀「調子はどうですか? 売り切れ間近ですか?」
美紀「そこそこです」
由紀「一枚もらいますねー。ぱくっ……おいしー!」
由紀「では美紀さん、ここでリスナーの皆さんになにか一言」
美紀「え、なにか、ですか?」
由紀「質問あったほうがいい? えっと、それじゃ……なんで学園生活部に入ったんですか?」ズイイッ
美紀「変な先輩にむりやり誘われました……!」
由紀「いい先輩ですね! 学園生活部に入ってどうでしたか?」
美紀「わるくはないです」
由紀「いいってことですね。じゃあ最後に……」
由紀「美紀さんの未来の夢はなんですか?」
美紀「……」
美紀「わたしの……」
美紀「わたしの未来の夢は……」
美紀「先のことはわかりませんけど、みんなで一緒に卒業してずっと一緒にいることです」
美紀「たいした夢じゃないですね。でも……それだけでいいんです」
パシャ!
美紀「!」
胡桃「うん、いい顔」
美紀「べつに……たいした顔じゃありません」
由紀「見せて見せて」
胡桃「待ってろよ……ほら」
美紀「わ、わたしのですっ」
ーー
ーー
ーー
ーー放送室
『さあここが! 学園生活部の部室にです!』
悠里「ふふっ」
永井「放送に問題はなさそうだな」
悠里「そうね」
悠里「……永井君、ありがとね」
永井「なにが?」
悠里「いろいろあるけど、まずはくるみを助けてくれたこと。それに、めぐねえのことも」
永井「あの先生のこと?」
悠里「永井君のおかげで、めぐねえの日誌を読むことができたから」
永井「ああ……」
悠里「めぐねえ、やっぱりつらい思いを抱えていたの。いつも元気で、笑顔でいてくれたけど、心のなかには後悔がいっぱいで、そんなことぜんぜんないのにこんなことになった責任まで感じていて……」
永井「へえ」
悠里「そんなことないよって言ってあげたかった。わたしたち、めぐねえのおかげで生きてるんだって、言ってあげたかったの。それを直接伝えることはもうできない。でもね、もしかしただけど、わたしたちがこれからも笑って生きていけたのなら、それはめぐねえがここでやってきたことを肯定することになるんじゃないかって、そう思ったの」
永井「……」
悠里「めぐねえは立派な先生だったって、わたしたちが生きていくことがその証明になるって思ったら、そしたらとても力が湧いてきたの。だから、そのきっかけをあたえてくれた永井君には、ほんとうに感謝してる」
永井「たまたまだよ。日誌の内容が有益だと思ったから読んでおくことを勧めただけで、そんな意図はなかった。僕は合理的に判断を下しただけだ」
悠里「わかってる。永井君はそうだもの。でもね、永井君がそんな人だったからこそ、わたしはさっきみたいに考えるようになったのよ?」
永井「それはどういう意味なんだ?」
悠里「永井君はなにがあっても生きることをあきらめないでしょ? あきらめることができないって言ったほうがいいのかな。どんな考え方をしているかは別にして、それ自体とても力強いことだと思うから」
永井「亜人だからだろ。死なないという性質上、そうしているだけだ」
悠里「そんなふうに割り切って考えることができるのも、永井君だからできるのよ。たとえ、いまの永井君の考え方が亜人であることを前提としたものだとしても、その考え方のもとにあるのは、亜人になるまえの永井君でしょ?」
永井「……」
悠里「だから、わたしも永井君を見習おうかなって。最後の瞬間まであきらめずに、生きて、戦って……めぐねえのためにできることは、たぶんそれがいちばんだから」
永井「……戦うより逃げるほうが生き残る確率は高いだろ」
悠里「たしかにそうかもね。わたし、あまり足は速くないけれど」フフッ...
悠里の笑みに永井はすこしだけ視線を向けた。永井の表情は一貫して変化がなく、胸の内を外からうかがい知ることはできなかった。永井は、悠里の自分に対する評価を検討し反芻するかのように、腕を組み無言で考え込んだ。ヘッドホンからは、学園生活部の部室にいる美紀の声が流れてきた。
『先のことはわかりませんけど、みんなで一緒に卒業してずっと一緒にいることです』
『たいした夢じゃないですね。でも……それだけでいいんです』
永井は、美紀のこの願いが、自分の静かで平穏な生活への望みとどれほど差があるのか考えてみた。美紀の願望はあくまで情緒面から生まれたものであり、社会的・物質的にある程度の水準を満たした生活の保証を願望する自分のそれとは異なるものだろうと永井は結論づけた。いっぽうで、美紀の情緒的な願いは、現実的な生活基盤があってこそ成り立つもので、その点では彼女の願いは永井の願望の延長線上にあると言ってもよかった。
現在のところ、と永井は考えた。彼女の願望と自分の願望は到達点は異なるが、目的とする方向は一致しているかもしれない。だとしたら、美紀たちと共同して活動することは悪い選択肢ではない。永井は合理的に判断して、引き続き学園生活部に所属することを決めた。だが、なぜ自分がそのような結論を下すのに、ふたたび合理的な思考を展開したのか、永井がその理由に気がつくことはなかった。
悠里「頼もしいわね」
永井「いまの発言のどこが?」
悠里「だって美紀さん、永井君からいちばん影響を受けてるもの」
永井「どうかな……」
由紀のマイクが拾った音声は、美紀が思いを語った瞬間の表情が写真に収められたことを伝えていた。写真をめぐるじゃれあうような言いあいを美紀たちが続けるなか、それを伝達するヘッドホンから不穏なノイズが一瞬聞こえてきた。
『いーじゃん、べつ、に……~……』ピ-...ガガガ...
永井「いま、なにか……」ムク...
悠里「え?」
永井「周波数変えて!」
悠里「は、はい」カチカチ...
『……い存者を捜索中』
『応答せよ、応答せよ。こちらーー』
悠里「ーーっ!!」
永井「……」
悠里「ゆきちゃん、大変!」
『えっ、なに? どうしたの?』
永井「若狭さん。まず、彼らと交信できるか試そう」
悠里「や、やってみる」
断片的な交信が続いた。永井はメモ用紙に交信相手に対する質問事項を書き付け、悠里に手渡した。交信状態が万全でないとはいえ、来訪者の存在に動揺している悠里が質問を読みあげる声の調子や受け答えのタイミングは、別の誰かの質問を悠里が読みあげていることを告げてしまっていた。
永井はそのことを指摘しなかった。多少の違和感をもたれても、情報を収集することを優先した。永井がもっとも知りたかったのは、自分の居場所が外部の人間に発覚したかどうかだった。彼らの来訪は、以前屋上から飛ばした手紙によるものであることはまず間違いなかったが、モールへの遠征で自身の姿が目撃された可能性も捨て切れない。永井はそれを直接的に問いただすようなことはせず、いくつかの基本的な質問から判断しようとした。
その結果、交信相手が所属する組織、現在こちらに向かっている集団の人数、救助が目的ということ、救助後の収容先、移動手段であるヘリコプターの収容人数などがわかった。武装の有無は、相手側に“かれら”への警戒を伝えるなかで間接的に発覚した。
悠里が校舎にひそむ“かれら”の数を不安げな声で告げると(これは永井が設定した嘘の状況を説明したためだった。校内にいた“かれら”は、永井の幽霊によって殲滅され、いまだその数を回復していない)、交信相手であるヘリの操縦者から開けた場所で待機し、なにか目印となるようなもの、できれば蛍光色のもの身につけるよう指示があった。
悠里「ゆきちゃん、いまの聞こえたわね? すぐに屋上に……って、永井君!?」
永井は放送室から飛び出し、自分が使用している部屋に向かった。隠してあったバックパックを取り出し、肩にかける。バッグの中身は、地下倉庫から持ち出した数日分の食糧と水に医療物資、予備の武器、地図、コンパス、単眼鏡、懐中電灯、ライター、ロウソク、電池、ポンチョ、寝袋、テント、その他サバイバル用品などだった。
部屋を出たところで、永井は学園生活部の面々と対面した。荷物を見た彼女たちは永井がこれからどう行動するつもりなのか察し、動揺した。
美紀「先輩……?」
胡桃「おまえ……なんだよ、その荷物」
永井「わかるだろ。ここから出ていく」
胡桃「なっ……」
悠里「そんなっ……」
美紀「どうしてですか!? せっかく救助のヘリが来たのに……」
永井「忘れたのか? 僕は亜人だぞ」
美紀「あっ……で、でも……」
永井「僕がここにいることはバレてないようだが、奴らの装備が対亜人用である可能性も捨てきれない。交渉に持ちこむにもその材料がすくない現状じゃあ、奴らと遭遇するまえに逃げるのが最善手だ」
胡桃「逃げて……それでどうするんだよ」
永井「潜伏先はいくつかピックアップしてある。その先のことは今後の状況次第だが、どうなるにしろきみらとはここで別れる」
美紀「……」
永井「もう時間がない。僕がここにいたことは口外するなよ」
由紀「ま、待って、けーくん!」
永井「なんだ? 時間がないって言っただろ」
由紀「十秒だけ! 渡したいものがあるから、それだけ待ってて」
永井「はあ?」
由紀「すぐもどるから!」
その言葉の通り、由紀はすぐに戻ってきた。胡桃たちが問いただすまえに、由紀は永井にかけ寄り、持ってきたものを永井の手に渡した。
由紀「これっ!」
永井「これは……」
永井が手を開くと、そこにはミニクーパーのキーがあった。
由紀「めぐねえがけーくんには必要だからって。だから、これ持っていって」
永井「……」
由紀「けーくんはひと足先に卒業だね」
永井は由紀の顔を見た。それからすこし視線をあげ、ほかの三人も見つめた。みんな、なにかを堪えてるような顔をしていた。永井が視線をもどすと、由紀が笑顔を作りかけていた。口角がすこしあがって微笑みを作ろうとしている。一方で瞼は伏せ、目には曇りが浮かんでいた。
永井「ありがとう」
それだけ言い終えると、永井は階段を駆け下り、学校から姿を消した。四人はしばらくそのまま、階段を見つめていた。
悠里「そろそろ……」
胡桃「ああ、そうだな」
悠里「ゆきちゃん、行きましょ?」
由紀「うん……」
美紀「……」
胡桃「……美紀、大丈夫か?」
美紀「みんなで卒業できると思ってたんです……」
胡桃「……」
美紀「永井先輩のことだから、こうなることもわかってるつもりだったのに……」
胡桃「うん」
美紀「圭が出ていったときも、わたしはただ見ているだけでなにもできなくて……」
胡桃は美紀の頭に手を置いた。わしゃわしゃと髪を撫でると、美紀は驚いて振り返った。振り向いたさきには、胡桃の力強い視線があった。
美紀「く、くるみ先輩?」
胡桃「生きてりゃまた会える」
美紀「え……」
胡桃「気休めなんかじゃないぞ。あいつは絶対死なないからな」
美紀「……」
悠里「たしかにそうよね」
胡桃「問題はこれからどうするかだ。だからさ、あたしらもちゃんと卒業しようぜ」
由紀「あっー!」
悠里「ど、どうしたの? ゆきちゃん」
由紀「けーくん、卒業証書もらってないよね!?」
胡桃「あー、それなら……」
胡桃は言いかけて言葉を途切った。美紀を視線を向けあごをクイっと動かし、自分が言いかけた言葉の続きを美紀が口に出すようにうながした。美紀はそのジェスチャーにはじめはとまどっていたが、心底あわてている様子の由紀をながめているうちにため息をつき、自分のなかの気持ちが切り替わるのを感じながら由紀に語りかけていた。
美紀「心配ないです、ゆき先輩」
由紀「みーくん?」
美紀「永井先輩にはまた会えますから。今度会ったときに、渡してあげれば大丈夫です」
美紀はいつのまにか微笑んでいた。自分の言った言葉が気休めではなく、心の底からの思いに変わっていることを感じながら。学園生活部の先輩たちは、もうこのさみしがりの後輩を心配しなくてもいいと思った。
胡桃「それじゃ、いくか」
悠里「そうね」
由紀「歓迎の準備はしなくていいの?」
悠里「この発炎筒を振ればいいの。すごく明るい光が出て、わたしたちはここですよーって意味になるから」
由紀「お昼でもみえるのんだ、すごーい!」
美紀「……」
由紀たちが階段をのぼるなか、美紀は永井が去っていった階段を見ていた。そこに永井がいた痕跡はまったく残っておらず、記憶から永井の存在が消えてしまうかと思うほど奇妙に静まりかえっていた。美紀は、おもむろに、いきおいよく頭を下げ、お辞儀をした。
美紀「ありがとうございました」
救助が迫り、時間がないなか、美紀はそのひと言にできるだけ自分の感情を込めた。言葉にして直接伝えたかったこともあれば、いまだ言葉として出来上がっていないこともそこにはあった。美紀の言葉は、反響することなく、空気のなかに溶けていった。
美紀は、完璧なまでに返事がないことにどこか満足した思いを抱いていた。そして、ちいさく鼻をすすり、屋上への階段をのぼっていった。
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー屋上
屋上に出ると、ヘリコプターのホバリング音が上空から聞こえてきた。音のする方向に目を向けると、そこには迷彩色が施されたヘリコプターが学校から西の方角の上空で待機している。
悠里「自衛隊のヘリかしら?」
胡桃「たぶん、そうだな」
由紀「……ねえ、はやく歓迎しようよ」
美紀「そうですね。りーさん、発炎筒を」
発炎筒はモールへの遠征に行ったとき、永井が持ち帰ってきたものだった。悠里が発炎筒に着火しようとしたとき、美紀が上空のヘリの不審な様子を見てとった。
美紀「……あの……」
胡桃「ん?」
美紀「揺れて、ませんか?」
胡桃「どうだろ?」ジィ...
悠里「着陸……するんじゃないの?」
由紀「……」
由紀は屋上についたときから、いやな予感を抱いていた。上空に浮遊するヘリコプターの存在は、卒業という門出の行事にはふさわしくないように思えたからだった。しかし、永井がこの校舎から旅立ち、再会を信じながら次は自分たちが卒業するのだというそのとき、美紀たちに、来訪者に不吉な予感を読み取ったことを伝えるのは、由紀にとっては恐ろしい行為だった。
ヘリの揺れはいよいよ大きくなっていった。ホバリングしている地点で左右に揺れているだけだった機体は、突然そのバランスを崩し、機首を上下に激しく揺らしながら、制御を失っていった。
コントロールを完全に失ったヘリは、機体を回転させながら急激に高度を失っていた。安定性はもはやなく、混乱しながら校舎から離れていく機体は、轟音とともに地面に落ちた。
落ちた場所は学校の駐車場だった。駐車場は、道路を挟んで住宅地と隣接しており、ヘリのメインローターとテールローターが学校と外部の境界線となっていた金網フェンスを引き裂いてしまっていた。ヘリは校舎と外部との接点をつくるだけでは飽きたらず、誘蛾灯の役割も果たそうとしていた。先ほどの轟音で目を覚ました大量の“かれら”が、ヘリに引き寄せられ、由紀たちのいる学校に侵入してきた。
由紀たちは、その様子をただ黙って見ているしかなかった。昨日まで静かだった学校に、“かれら”のうめき声が響き始めた。
今日はここまで。
今月の『亜人』、佐藤さんの「君ならできる」発言に心底吹き出してしまった。やっぱ、この人頭おかしい。
>>1 です。更新が遅くなってすみません。
前回の投稿分の訂正を少ししてから、今日の投稿をはじめます。
>>413 訂正
ーー学園生活部
由紀「さあここが! 学園生活部の部室です!」デデン!
由紀「さっそく入ってみましょう。みなさん、こんにちはー」ガラッ...
由紀「あ、出店やってますねー。文化祭といえば出店ですね。こんにちはー」
美紀「……こんにちは」
由紀「後輩のみーくんです」
美紀「みーくんじゃありません」
由紀「調子はどうですか? 売り切れ間近ですか?」
美紀「そこそこです」
由紀「一枚もらいますねー。ぱくっ……おいしー!」
由紀「では美紀さん、ここでリスナーの皆さんになにか一言」
美紀「え、なにか、ですか?」
由紀「質問あったほうがいい? えっと、それじゃ……なんで学園生活部に入ったんですか?」ズイイッ
美紀「変な先輩にむりやり誘われました……!」
由紀「いい先輩ですね! 学園生活部に入ってどうでしたか?」
美紀「わるくはないです」
由紀「いいってことですね。じゃあ最後に……」
由紀「美紀さんの未来の夢はなんですか?」
>>415 訂正
ーー放送室
『さあここが! 学園生活部の部室です!』
悠里「ふふっ」
永井「放送に問題はなさそうだな」
悠里「そうね」
悠里「……永井君、ありがとね」
永井「なにが?」
悠里「いろいろあるけど、まずはくるみを助けてくれたこと。それに、めぐねえのことも」
永井「あの先生のこと?」
悠里「永井君のおかげで、めぐねえの日誌を読むことができたから」
永井「ああ……」
悠里「めぐねえ、やっぱりつらい思いを抱えていたの。いつも元気で、笑顔でいてくれたけど、心のなかには後悔がいっぱいで、そんなことぜんぜんないのにこんなことになった責任まで感じていて……」
永井「へえ」
悠里「そんなことないよって言ってあげたかった。わたしたち、めぐねえのおかげで生きてるんだって、言ってあげたかったの。それを直接伝えることはもうできない。でもね、もしかしただけど、わたしたちがこれからも笑って生きていけたのなら、それはめぐねえがここでやってきたことを肯定することになるんじゃないかって、そう思ったの」
永井「……」
悠里「めぐねえは立派な先生だったって、わたしたちが生きていくことがその証明になるって思ったら、そしたらとても力が湧いてきたの。だから、そのきっかけをあたえてくれた永井君には、ほんとうに感謝してる」
では、本日の分を投稿します。
胡桃「行くぞ」バッ
美紀「わたしも行きます」
由紀「えっ、あの……」
美紀「先輩は待っててください」
由紀「でも……」
悠里「歓迎の準備ね、わかったわ」
由紀「うん……くるみちゃん、みーくん……」
胡桃「ん?」
美紀「はい」
由紀「いってらっしゃい」
胡桃「おう!」
美紀「いってきます!」
ガチャ...
由紀「……」
由紀のなかで、下に降りていく二人にむかって言うべき言葉は、はたしてあれでよかったのだろうかという思いがかすかによぎった。だが、かわりに何と言えばよかったのか由紀にはわからなかった。由紀はただ黙って、二人が去っていたドアを見つめていた。
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー一階
胡桃「校舎にはまだ入ってきてないな」
美紀「たぶん、あそこに集まってるんでしょう」
胡桃「駐車場の様子は……」
美紀「外からだいぶ来てますね」
胡桃「発炎筒と防犯ブザーは持ってるな」
美紀「はい……あれ?」
胡桃「どうした?」
美紀「煙が、二筋昇ってませんか」
胡桃「そういえば……黒いほうは墜落したヘリだよな。もうひとつは白い煙で発光までしてる……」
美紀「発炎筒? だとしたら…….!」
胡桃「……急ぐぞ!」
美紀「はい!」
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー屋上
悠里「煙が……」
悠里「……」
屋上からは駐車場から昇る白煙が一目瞭然だった。墜落したヘリから脱出した生存者がいることは間違いなく、少なくとも行動不能になるほどの重傷も負っていないようだった。
悠里は駐車場に向かって大声で叫び、ヘリの生存者を自分たちのいる安全圏まで誘導するべきだと考えた。しかしそれを躊躇させるものが、駐車場にはあった。それは引き裂かれたフェンスから侵入し、数を増やし続ける“かれら”ではなく、単発的に瞬く音のない小さな閃光だった。悠里がその閃光を目撃するたびに、歩き回っている“かれら”の頭が揺れ、地面に倒れていく。
悠里「くるみ……美紀さん……」
由紀「りーさん」
悠里「……」
由紀「りーさん!」
悠里「!……ごめんなさい、どうしたの?」
由紀「あのね……準備だけど、お客さん、お菓子好きかな?」
悠里「……そうね、聞いてみないとね」
由紀「お客様だもんね。お茶も入れないと。あ、玉露となあったっけ?」
悠里「ええ、ちゃんと準備しなーーー」
泉が湧き上がるようにして、炎が起こった。耳をつんざく爆発音のあとに、熱気をはらんだ突風とガソリンとゴムの焼ける臭いが学校中にひろがった。爆発は周囲のものに分け隔てなく火炎を撒き散らし、命のあるなしに関わらず炎で包み込んで、その勢力を校舎全体に行き渡らせようとしていた。
悠里の膝がくずおれた。由紀にはなにが起きたかわからなかった。胡桃と美紀は、爆発の起きた駐車場にいるはずだった。
ーー
ーーーー
ーーーーーー
ーー駐車場
駐車場に到着した胡桃と美紀がまず見たものは、地面に倒れている、動く気配のない死体たちだった。その頭部からは中身がこぼれ、黒い血の染みが花弁のように広がり、地面を染めている。
胡桃「これって……」
美紀「くるみ先輩、ひとまず隠れましょう」
駐車場の入り口付近には車がなく、二人が身を隠すにはすこし離れた位置に駐めてある自動車まで走らなければならなかった。走っているあいだ、胡桃と美紀はこれまで味わったことののない種類の緊張を感じていた。銃弾がもたらす痛みを知っているのは、ここにはいない永井だけだった。ようやく自動車までたどり着いたとき、二人は同時に息を吐いた。
胡桃「どうする?」
美紀「ヘタに近づくとわたしたちまで撃たれかねません」
胡桃「どうにかして、あたしらのことを伝えないと……」
美紀「まずは彼らの位置を確認しましょう」
胡桃はスマートフォンのカメラ機能を使い、駐車場の様子を確認した。“かれら”の群れは、ヘリコプターに集まるものと発炎筒に誘き寄せられるものに二分していた。発炎筒は駐車場の中心に投げ込まれており、光に群がる“かれら”の様子は、まるでキャンプファイアーをしているみたいだった。
胡桃はスマートフォンを傾け、ヘリコプターが墜ちた場所とは反対側にカメラを向けた。そこには、駐めてある自動車の数がおおく、身を隠すには絶好の場所だった。だが、そのせいで脱出したはずの隊員の姿は確認できず、その数も不明のままだった。
胡桃がスマートフォンの画面に目をこらすと、カメラを向けた先にいる“かれら”の身体から急に力が抜け、そばにある自動車やコンクリートの地面にその身を打ち付けている様子が確認できた。さらによく注視すると、“かれら”は倒れる前に頭部を破裂させ、中身を噴出していることがわかった。映像には“かれら”が倒れる直前に、金属製の歯を噛み合わせたかのような硬質の短音が響いている様子が記録されており、そのことから、隊員たちが装備する銃器にはサプレッサーが装着されているだろうと予測できた。
胡桃「あそこにいる」
美紀「どうしますか?」
胡桃「あたしらの存在を認識してもらわないとな。撃たれるのはゴメンだ」
美紀「話しかけるしかないですね」
胡桃「リスクはあるけど、それしかないか……話している最中に“やつら”がこっちに寄ってきたら、発炎筒と防犯ブザーを使って遠ざけよう」
美紀「はい」
美紀が道具の準備を整えていると、チカっとした光が目を刺した。美紀がそちらに目を向けると、墜落の衝撃で車体が潰れた自動車から漏れたガソリンの上を火が走っていく姿が見えた。
美紀「ーーーー」
美紀が言葉を作る前に、黄色い火はガソリンで描かれたコースを走りきった。自動車をスタート地点とした小さな火は、自身を炎に変えながら、ゴール地点であるヘリコプターまで到達した。
白い光が瞬間的に膨張し、すべての影を奪う。これ以上切り刻むことのできないほど短い時間だけ真っ白な世界が存在し、爆発の衝撃とともに抹消され、周囲にいたものを容赦なくその場から追放していった。
あとに残ったものは、燃え落ちる死者たちと、そこから立ち昇るどす黒い煙だけだった。
ーー屋上
力なく垂れた悠里の頭頂部に熱があたった。へたり込んでいる彼女の脚には力が入らず、細かく震えている。
由紀「……りーさん?」
悠里「……なに?」
由紀「えっと……みーくんとくるみちゃん、迎えにいったほうがいいんじゃないかな?」
悠里「そうね……」ガクン...
ブルブル...
悠里「……さき、行っててくれる?」
由紀「う、うん……」
タタタ...タタタタ...パタン...
悠里「……」
悠里「……ハァ……ハァハァ……!」
いまにも吐き出してしまいそうな絶望を、悠里は嘔気を堪えるかのように必死で食い止めていた。絶望を言葉にして吐露してしまったら、もう立って歩くことすらできなくなってしまう。屋上で崩折れたまま動くこともできず、あの不吉な黒煙を見つめながら、いつしか下に降りた胡桃と美紀の命を諦めることになってしまう。そうしたら、わたしたちが生きている意味が消えて無くなってしまう。それは、放送室で永井に告白した誓いを否定することだった。
だが、それ以上の抵抗は悠里にはできなかった。
悠里「なんで……なんでよ……っ!」ブルブル...
悠里は震える脚を拳で叩き、なんとか自分を奮い立たせようとした。はじめは力が込められていた拳も、一向にいうことをきかない萎えた脚に徒労感を覚えつつあった。振り下ろし運動がだんだん弱まっていき、最後の一発はただ重力に従っているだけという有様だった。
悠里「わたしが、こんなんじゃ……ゆきちゃんが……」ポロ...
圧倒的な無力感が自分のなかで水位を上げていくのを悠里は感じていた。それは身体の隅々まで行き渡り、やがて涙滴となって眼球から外の世界に溢れ出てきた。
悠里「ごめん、なさい……めぐねえ、ごめんなさい……」ヒック...ヒック...
由紀「りーさん」
悠里「ゆき……ちゃん……」
屋上に戻ってきた由紀は、呆然と自分を見る悠里をまっすぐ見つめ返した。その目には決意のようなものが浮かんでいる。
由紀「……よしっ」
由紀は、ずかずかと大げさに、力強く、悠里に歩いていった。
由紀「よかった。りーさん、元気でたんだね」
悠里「え……?」
由紀「だってほら、立ってる」
由紀に指摘され、悠里ははじめてそのことに気がついた。その脚はまだ震えがのこっていて、頼りになるとは言いがたい。
由紀「いっしょに、いこ?」
由紀が悠里の手をとった。由紀の表情は明るかったが、いつものような幼さを感じさせる笑顔ではなく、周囲を気遣う者がだれか他の人間に寄り添うことを決めたときに見せる顔だった。悠里の左手を包み込む由紀の両手には温もりがあった。しかし、それだけではなかった。由紀の手もまた震えていた。
悠里「……うん」
悠里は涙を拭き取り、うなずいた。屋上から降りるとき、後ろを振り返らないことにした。あの黒い煙と燃え盛る死者たちをふたたび見てしまえば、たちまち、絶望的な感情に支配されてしまうことは確実だったからだ。だから悠里は、手をつなぎ自分を先導する由紀の背中をずっと見ていた。その背中に、悠里は一瞬、なつかしい面影を重ねていた。
ーー
ーーーー
ーーーーーー
永井「……彼女たちも、運がなかったな」
永井はしばらくは目を細めて、黒煙を見つめていた。その表情に外から読み取れるような明確な感情があらわれるまえに永井は車に戻り、道を引き返し、あらためて警察署に向かおうとした。
永井の運転する車が大通りから側道に入り、そこから障害物を避け目的地へと向かおうとする。車一台が通れるほどの細い道を通り抜け、右に曲がり側道に入る。自動車道に沿った側道の歩道には、街路樹が数メートルの間隔をあけて植えられていた。そのうちの一本、側道の幅より高い樹高をもつ街路樹が、車が曲がり切るまえに、突然倒れかかってきた。
永井「はあ!?」
車を急停止し、車外に出た永井は倒れた街路樹に駆け寄る。樹は完全に側道をふさいでしまっている。
永井「なんだってんだよ」
悪態をつきながら、永井は車にもどった。ドアを開け、運転席に乗り込もうとする。そのとき何かの気配を感じた永井は、車で来た道を振り返った。蜃気楼のようにあいまいな人影が遠くに立っている。遠くからでも、その人影が女性であることはわかった。離れた十字路の中央に立つその女性は、左腕をあげ何かを指差している。
永井が女性が指差した方向を見やると、そこにはいまだ勢いよく昇る黒煙があった。永井が視線をもどすと、十字路の女性は姿を消していた。
永井は顔を歪め、しばらく逡巡していた。やがて、いまいましげにため息をつきながら運転席に乗り込み、乱暴にドアを閉め、エンジン・キーを回した。
永井「間に合わなくても、僕の責任じゃないからな」
もしまた化けて出てきたら、そのときは黒い幽霊をけしかけてやる。そう思いながら、永井はアクセルを踏み込んだ。
ーーーーーー
ーーーー
ーー
ーー駐車場
メラメラメラ...
胡桃「はあ……はあ……」
胡桃は自動車に背をつけ、一人、駐車場に立っていた。目の前には何体もの“かれら”がにじり寄ってきている。
爆発のあと、胡桃は気を失った美紀を近くにあった自動車のなかに匿い、“かれら”がそこに近づかないように、すぐにその場からはなれた。捕まらないよう一直線に“かれら”の群れの真ん中を走り抜け、みずからを囮にするために、シャベルで車を叩き“かれら”を引き寄せる。
美紀が目を覚まし、校舎に避難できるようになるまで時間をかせぐつもりだった。万が一にそなえ、発炎筒も防犯ブザーも美紀のもとに残していった。胡桃は自動車の前部座席の窓を割り、ドアのロックを外す。運転席に備え付けてある発炎筒を手にとり、火をつけるとそれを高く放り投げる。
赤い色をした閃光はしかし、わずか数体の“かれら”の注目を浴びたにすぎなかった。ごうごうと燃え盛るヘリの火炎が強烈な熱気を孕みながら、辺りを照らし出している。そのせいで、発炎筒程度の明るさでは、ほんの近くにいる“かれら”しかおびき寄せることができなかった。
胡桃「クソッ……!」
胡桃は渾身の力を込めて、シャベルを振るう。近づいてくる“かれら”のなかには、火で身体を焼かれているものもいた。胡桃は、無我夢中で“かれら”を歩みを終わらせていく。足を引っ掛けて転ばし、ギロチンのようにシャベルを落とし頭を切り開く。身体をひねり、シャベルを引き抜いた勢いを利用して、遠心力を加わったシャベルの刃を背後にいる一体の首にぶつける。肉が燃える臭いとともに宙を飛ぶ首は、まるで火の玉のようだ。
胡桃は熱さを感じることもなく、ひたすら“かれら”を終わらせる作業に没頭していた。爆発の衝撃で、身体が傷んでいてもおかしくなかったが、胡桃はそれも感じることはなかった。ただ、どうしようなく疲れていた。目の前にひろがっているのは、炎と死者しか存在しない地獄のような光景だった。地獄に終わりはない。死者に刃を振り下ろせば振り下ろすほど、新たな死者たちが列に並ぶ。いい加減歩くのに疲れてしまったから、眠らせてくれよと頼みにきているかのように。死者たちの権利は、生者のそれよりあらゆる面で優先される。
胡桃はまた死者にむけてシャベルを振るう。シャベルの刃先は頬を裂き、顎の左側を切り落とした。だが、死者の歩みはとまらなかった。シャベルを口に入れたまま、胡桃にむかって近づいてくる。かちん、と刃先が骨にあたった音がした。シャベルの刃は、後頭骨の真下に滑りこんでいる。
胡桃は、一瞬身体を落とし、全身のバネを利用して宙に飛んだ。両手でシャベルを掴んだまま、前方に倒れこみ、シャベルを咥えたままの死者にぶつかっていく。肉が地面に打ち付けられた音。地面に倒れた両者はどちらもすぐには動かなかった。数秒して、胡桃がむくりと上半身を起こした。シャベルのグリップに手を置いて身体を起こしたため、刃先が跳ね上がり、その勢いで死者の顎から上の部分がポーンと飛んでいった。
胡桃「ゼェー……ッ……ゼェー……ッ……」
呼吸するのも、限界だった。胡桃は首を横に回し、駐車場の現状を確認した。胡桃は、ここは渦の中心なのだ、と思った。死者を吸い込む地獄の渦。それが、わたしたちの学校のにできている。
渦は一向に弱まる様子をみせず、炎によってその勢力を増大させている。それはつまり、死者たちの数が増え続けることを意味していた。
ーー
ーー
ーー
ーー三階
校舎のなかに煙が充満しつつあった。放送室をあとにした悠里と由紀は、顔の下半分をハンカチで覆い、煙を吸い込まないようにしていた。だが、荒れ果てた校舎の窓から侵入し放題の煙は、容赦なく彼女たちの喉を攻め立てた。
由紀「げほっ……げほっ……」
悠里「!」バッ!
悠里はとっさに咳き込んだ由紀の口元に手を伸ばした。煙にまぎれて、“かれら”も校舎に侵入してきたからだ。呼吸すらままならいなか、二人は声を潜めて階段を降りていった。
一階に降りた悠里は、慎重に壁から廊下の様子を確認する。視界が不十分でも、一階廊下にゆらめく二体の“かれら”の影は見えた。悠里は、明光するサイリウムを転がし、“かれら”を廊下から遠ざけようとする。サイリウムは煙のなかでよく発光し、いつも以上に効果を発揮した。
“かれら”の姿がきえたことを確認した悠里は、由紀の手をとり、避難を再開する。
悠里 (はやく……いかなきゃ……)
悠里 (でも、どこ……どこ……?)
『訓練火災でーす』
スマートフォンに録音された由紀の音声が放送室のマイクを通じて、学校全体に響き渡る。
『訓練火災でーす』
悠里「……いそがっ」
ガシィッ
急ごうとする悠里の服の袖を、由紀が掴んだ。
『くるみちゃん、みーくん、聞こえる?』
由紀「……っ……あっち……」フル...フル...
震える手で廊下の奥を指差す。煙が目にしみるなか、悠里は由紀が示した方向に目を凝らした。
悠里「え……だれ……?」
『わたしたち、先に避難してるね』
人影が煙のなかに浮かんでいた。その人影は、案内人かなにかのように悠里たちのさきを歩いていく。
悠里 (待って……)
苦しさのあまり、歩くのもつらそうな由紀の腕を肩にまわし、悠里は人影を追っていく。案内人めいた人影は、煤けた煙を意に介することなく、平然と歩いていった。
悠里 (待って……)
悠里は、すがるように手をのばす。それでも、その人影は歩みをとめない。
悠里は歩き続けた。そのあいだ、人影を見失わないように、手を前にのばしつづける。気づけば、人影は歩くのをやめていた。悠里の意識は朦朧としていたから、人影が立ち止まっていることにはすぐには気がつかなかった。彼女がそれに気づいたのは、それまで背中しか見せていなかった人影がこちらを振り向いて、悠里たちに顔を向けてからだった。
悠里 (あ……)
なつかしい面影に悠里の指が触れそうになる。
トン...
悠里 (ここって……)
悠里の指にあたったのは、地下避難区域に続く入口のシャッターだった。学習机がはさまれてできた隙間をくぐり、悠里と由紀は地下へと降りていく。
ふらつく足で慎重に階段をおりる。煙が届かないところまでおりたとき、悠里は由紀を階段に座らせた。
悠里「シャッター閉めないと煙がくるわね。すぐ戻るわ」
由紀は息をあえがせながら、なんとか悠里にうなずいた。悠里が去っていくと、緊張の切れた由紀の全身に疲労が襲ってきた。由紀は目を閉じた。
由紀「ありがと、めぐねえ……」
そのひと言だけ呟いた由紀は、あっという間に眠りに落ちてしまった。
『安全なところに避難して、またあとで会おうね!』
校舎中のスピーカーから由紀の声が流れてきた。その声は、駐車場のすぐ側にあるスピーカーからも響き、その音の振動がいまも昇る黒煙の筋をかすかに揺らした。
ーー
ーー
ーー
ーー駐車場
胡桃「はっ、はっ、はっ、はっ……」
胡桃は気力だけでなんとか立っているという状態だった。自動車に背中を預け、それでなんとか姿勢を維持している。シャベルの刃から付いたばかりの血が滴り落ちる。胡桃の足元には、新たに二体の死体が動かなくなっていた。
かれら『ギッ...ギチッ...』
胡桃を取り囲むように“かれら”の集団が押し寄せてくる。シャベルを握る手が痺れを現しはじめた。胡桃は余力を絞り出し、握力を加える。だが、シャベルの柄は、油が塗られたかのように胡桃の手からすべり落ちた。
胡桃「……ちっ」
胡桃は身体を曲げ地面に落ちたシャベルをつかみ、杖がわりにして身体を支えた。しゃがんだ際、肺に残っていた空気が一気に吐き出され、身体を持ち上げるときの深呼吸の前段階となった。深く息を吸った胡桃は、すこしだけ戦いから解放され、頭の隅で感じていたことを思考に形作る余裕ができた。
胡桃 (よくやったほうだよな……)
胡桃 (精一杯やって、もう何も残ってない)
胡桃 (人間、いつかは死ぬんだし、それがいまってだけのことだ)
胡桃 (ここまでがんばったんだから、もうおわってもいいよな……?)
そのように考える胡桃のなかには、安堵感が生まれていた。休息を要求する身体の叫びによろこんで従える安堵感。もう武器が必要でない場所に行ける安堵感。なによりもう戦いを終わりにしてもいい。その考えは、恩寵が訪れたときのような平穏を胡桃にもたらした。
胡桃 (あいつもこんな気持ちになるのかな……?)
穏やかさに包まれた胡桃には、他者について考える余裕もうまれていた。胡桃がまず思ったのは、車の中で気絶している美紀のことでも、校舎に取り残されている悠里と由紀のことでもなく、ここから去っていった永井のことだった。
胡桃 (あいつはそもそも、こんな状況に追い込まれそうにないな。さっきだって、自分だけさっさと卒業しちゃったし……)
胡桃は永井とはじめて出会ったときのことを思い出していた。永井圭は、胡桃がこれまで出会ったどんな人物とも異なっていた。亜人であることはもちろんだが、それよりも極度に合理的で冷徹な性格をした人間がいること自体に驚いた。“かれら”が闊歩する状況も相まって、永井の合理性はむき出しになり、胡桃たちが見たくない現実を容赦なく突きつけることも何度かあった。
だが一方で、永井は、めぐねえの幻影を見る由紀や現実逃避的な虚構の産物である学園生活部の存在をごくあっさりと受け入れ、順応さえしてみせた。それが合理的な判断のもとでの行動に過ぎないということは胡桃もうすうす感づいていたが、この意外な許容は胡桃を警戒をすこしほぐすこととなった(出会って早々、胡桃が永井を殺害した事実を、気持ちの整理がつくまえに処理されてしまったことも、警戒心を生む遠因となった)。
永井の合理性は、自身の安全を保持するために発揮されるが、属している共同体の人間関係の調整に使われることもある(場合によっては、共同体の安定性に不利益をもたらしかねない者を排除する方向に動きかねないその合理性は、学園生活部との生活のなかにおいて、ぎりぎりのところで回避された)。永井がくだした学園生活部への合理的判断のなかで最良のものは、屋上にあるめぐねえの十字墓に、彼女の遺髪を収めたことだと胡桃は考えていた。
それは胡桃たちを気遣ってなされた行動ではないことはわかっていた。永井本人が言っていたように、必要だからしただけのことかもしれない。だが、永井が学園生活部が必要だと考えたこと、そのための行動がめぐねえに関するものだったことは、胡桃にとって単純にうれしいことだった。感傷的な理由に依らずとも、学園生活部の存在は肯定できる。永井の合理性とそれに基づく行動は、永井の知らないところで胡桃に安堵をもたらしていた。
胡桃 (しかし、妙な話だよな)
胡桃はうつむきながら考えをつづけた。
胡桃 (めぐねえのことなんか知ったことじゃないなんて言ってたやつが、あたしたちがめぐねえにしてあげたかったことをしてくれるなんて)
胡桃 (そういうのって、ふつう思いやりとか同情とかからやるもんなんだけどな。合理的に考えてそうしたほうがよかったからって、やっぱふつうじゃねえな)
そう思ったところで、胡桃は苦笑した。
胡桃 (あいつ、ふつうの静かな生活が望みっていってたけど、あんな性格じゃ、むしろ苦労するだろ。頭いいけど、そういうところはわかってなさそうだよな)
絶体絶命の状況下で、ひどくおせっかいな心配をしている自分に気づき、胡桃はおもわず吹き出してしまった。なんといっても、永井圭は不死身の亜人なのだ。心配することなど、ひとつもないはずだった。
胡桃 (まあ、苦労とか気にもしないんだろうけど。性格はわるいけど、あきらめもわるいし、なんだかんだで乗り越えていっちゃうんだろうな)
胡桃は、シャベルを持ち直した。シャベルの柄を握る手にもういちど力を込める。
胡桃「だからって、あたしがそれにならうつもりはないんだけど……」
胡桃「……うちの後輩は、あんなやつでもまた会いたいみたいだしな」
胡桃 (ゆきは卒業証書を渡してないってあわててたし、りーさんの達筆な字をみたらあいつでも驚くかもしれないし。ああ、それに、あたしはもう一回くらい謝っといたほうがいいのかもしれないし)
腕をあげ、シャベルを胸の位置に構える。同時に胡桃は顔をあげた。“かれら”の姿が目にはいる。あまりにものそのそとした動きに、体力が限界を迎えていることも忘れ、なんだ、楽勝じゃん、と思ってしまう。
胡桃「来いよ」
“かれら”にむかってそう言い放った胡桃の目に、奇妙な人影が映った。その人影の全身は黒い包帯が巻かれているかのように、身体に何本もの横線がはいっていおり、黒塗りされた顔には目や鼻といった人間にあるはずの顔のパーツが一切なかった。
その人影は手になにかを持っていた。柄の部分からさきに分厚い鉄板をくっつけたそのなにかは、遠目から見るとまるで剣のようだった。だが、鉄板の刃である部分は丸みをおびていて、その分厚さから推察される重量は、とても人間には持ち上げられない重さをほこっていると思えた。なにより、長さが異様だった。胡桃は正面から見ていたので気づかなかったが、黒い人影が持っている鉄板は十メートル近い長さがあった。
胡桃の目は、黒い人影から煙のようなものが立ち昇っている様子を捉えていた。粒子が集まってできたその煙は、風に流されることもなく、真っ直ぐ上空にむかっていく。
“かれら”のうちの一匹が、黒い人影のに気づいた。さっきまでそこにいなかった人影の存在を疑問に思うこともなく、その一匹は黒い人影に近づいていく。本能に従って、歯を剥き出し、がっちりとした首に噛みつこうとする。あと一瞬で歯が食い込むというまさにそのとき、顔のない黒い頭が揺れた。
胡桃「え?」
近づいてきた一匹の顔面に、黒い頭部がめり込んでいた。ぐちゃりという血がぬめる音がして、顔を無くなったその一匹が地面に倒れた。凹状にへこんだ頭部からはみ出た脳が、コンクリートに溢れた。
IBM『ざまーみろ』
それをきっかけに、胡桃にむかっていた“かれら”は一斉に黒い幽霊のほうを向いた。“かれら”にできたのは、それだけだった。黒い幽霊に対して、“かれら”は悲しくなるほど無力だった。
幽霊は鉄板の柄を両手で握った。ゆっくりと持ち上がる鉄板が、十メートルにもわたる異様な長さを見せたとき、胡桃はその鉄板がなんなのかわかった。それは、墜落したヘリコプターのメインローターだった。
幽霊の右手はメインローターのブレード部分を握っていた。金属製のブレードに爪が食い込み、なにがあっても放しそうにない。幽霊はメインローターを、胡桃がそうしているように胸のところで構えていた。ちがいがあったのは、刃にあたる部分が横に異様に長いことだった。胡桃のシャベルの刃よりはるかに長いブレード部分が、駐車場のフェンスからはみ出していた。
黒い幽霊がメインローターを持ち上げてから構えるまでの動作は、その重量にふさわしい緩慢なものだった。だが、幽霊の足が一歩踏み込まれたあとの動作、“かれら”を一掃するためになされた動作は、鉄の風そのものだった。
コマ落としのように、“かれら”の首から上が一瞬で消え去った。ブレードは研がれていたわけではないので、“かれら”の首は遠心力と質量でぶちぶち千切られた。首の無い死体が、駐車場のあちこちで倒れてく。胡桃は膝を曲げ中腰の姿勢でいたため、メインローター・ブレードによる横薙ぎの一閃を回避できた。駐車場にいる“かれら”のほとんどが首をなくしてしまっていた。学校側のフェンスの近くに植えられた木の先が地面に落ちる。黒い幽霊による右から左への薙ぎ払いは、駐車場近くの木の先端も切り落としていた。
“かれら”の頭部が雨のように降り注いでくる。地面についた瞬間、“かれら”の頭部はスイカのように割れてしまった。二十を越える切断された頭部が空から落ちてくる。胡桃はへたり込んだまま、頭の雨をただ呆然と見ているしかなかった。
しかし、幽霊の行動はそこでおわりではなかった。黒い幽霊の動作はまだ連続している。幽霊は、こんどはメインローターを真っ直ぐ上に持ち上げた。天に伸びる分厚い剣のうしろで黒い粒子もまた天に昇っている。胡桃は剣が振り下ろされる場所がどこなのか、瞬時に悟った。
胡桃「嘘だろ……っ!」
胡桃の全身の筋肉がバネの役割を果たそうとする。着地を考えない横っ跳び。地面に触れた瞬間、無意識的に胡桃は前転し跳躍の勢いを減らしていく。胡桃の身体が回転し上下逆さまになったとき、メインローター・ブレードが、胡桃がいた場所にあった自動車に振り下ろされようとしていた。
金属同士の衝突音。自動車のフレームは歪むどころか切断され、窓の部分だけではなくライト部分のガラスまで衝撃で割れる。回転している胡桃の身体にガラスの破片がぶつかった。数片のガラスが胡桃の服の隙間に入り込んだ。アスファルトの地面を転がると、ガラスの破片が肌にすり込まれたのがわかった。
転がり終え、うずくまっていた胡桃が身体を起こした。胡桃がいた場所にあった自動車は真っ二つに切断されていた。自動車の向こう側にもうひとつ真っ二つになっていたものがあった。茶髪のロングヘアをした女性の“かれら”が頭から縦に割れて、身体が左右に分かれてバタンと倒れた。
IBM『……僕の責任じゃないからな』ボロッ...
黒い幽霊が姿を消した。手に持っていたメインローターは、幽霊の消滅とともに鈍い音を立てて地面に落ちた。
胡桃「なに……なんなの……」
自失している胡桃の前に一台の車が停まった。その赤い自動車は胡桃のよく知っているものだった。助手席側のドアが開いて、運転手の顔が見えた。
永井「乗れ!」
胡桃は口をパクパクさせていた。突然、目の前に現れた永井に言うべきことが見つからない。
永井「なにやってる? やつらを消したいまのうちに逃げるぞ!」
そこで胡桃は、さっきの出来事がなんだったのかようやくわかった。胡桃はまるで殴りかかるかのように車に突進し、車内に乗り込んだ。ついさっきまでの殊勝な考えは頭からすっかり抜け落ちていた。胡桃は永井の耳元に顔を突き出し、大声で、こう叫ばずにはいられなかった。
胡桃「このっ……クソバカヤロー!!」
>>442 の前にあるはずの文章が抜けてました。1レス内に収まりきらないので、二つに分けて投稿します。
ーー巡ヶ丘市内
永井「この道もだめか……」
永井はミニクーパーを停め、地図を広げると、事故車によって通行不能になった道路にバツ印を書き込んだ。バツ印の数はすでに五つになっている。
永井の地図には道路状況を示すバツ印のほかに、永井がピックアップした潜伏地点も書き込まれている。潜伏地点は、どんな施設設備があるか、他の潜伏地点との連絡のつきやすさ、生存者がいる可能性の高さなど、諸々の判断基準によって、緑、黄、赤の順で優先順位別に塗り分けられている。この色分けされた潜伏地点のなかでは、当然ながら緑の数が最も少なく、それは永井がその目で状態を確認した場所に限られているからだった。
いま永井が向かっている先は、三色の潜伏先のどれでもなく、市内にある警察署だった。一人での行動を余儀なくされた永井にとって、拳銃の入手は可能ならばしておきたいことだった。この事態が発生する直前まで全国報道で正体と素顔を公表された身にあっては、今後起こりうる生存者との接触を想定した際、できるだけ強力な武器を入手しておいたほうが物事を有利に運べる。巡ヶ丘市内に鉄砲店はなく、銃器を手に入れるには警察か自衛隊関係の施設にゆくしかない。
もちろん、警察官の緊急出動によって署内に保管されている拳銃のほとんど持ち出されている可能性もあった。だが、いくら緊急事態とはいえ署内に警察官がまったく残っていないということはありえないし、事態発生の初期において“かれら”は傷害か殺人の現行犯として警察署に連行されたと推察すると、生存者が署内にいる可能性は低く、いたとしても少人数、黒い幽霊を使えば楽に制圧できる、と永井は考えた。
警察署への道筋は、駐屯地から学校への航空ルート上にはなく、反対方向だったので永井は車で移動していた。警察署へ続く大通りは、玉突き事故で衝突した何台もの自動車と横転したトラックの荷台から放り出された大量の土砂に埋められ、とても車が通れる状態ではなかった。いっそのこと車をどこかに隠し、警察署まで歩いていこうかと永井が考えていたとき、地盤が沈んだかのような鈍い衝撃音が車体を揺さぶった。
永井は車から降り、音のした方向を見やった。もうもうと黒煙が猛り上がるその場所は、巡ヶ丘学院高等学校であることが永井にはすぐにわかった。
今日はここまで。更新に時間がかかってすみません。
お待たせしてしまってスミマセン…
書溜めができたので、今夜帰宅したら更新できると思います。
いまから投下します。
本屋が閉まってたので『がっこうぐらし!』の8巻が買えませんでした。
永井「やつらの群れに突っ込んでいくとでも思ったのか。黒い幽霊だって見えるようにしたんだ。幽霊をみたら隠れてやりすごすように言っておいただろ」
胡桃「隠れてたら真っ二つにされてたよ!」
永井「それより、おまえひとりか?」
胡桃「そうだ、美紀! あれ! あの車にいる!」
永井「つかまってろ」
永井はギアをバックにいれ、美紀がいる自動車までミニクーパーを走らせた。いくつもの死体をよけながらミニクーパーは後退していく。永井はミニクーパーのフロントバンパーが、美紀のいる自動車の右のフロントライトとほぼ直角に接するかたちで車を停めた。上から見るとL字型を反転させたかたちになっている。
永井と胡桃は車を降りた。ドアを開け中の様子をさぐると、美紀は体を横にして後部座席にうずまったままだった。
胡桃「美紀、大丈夫か!」
美紀「う……くるみ先輩?」
胡桃の声に反応して美紀が目を開けた。
胡桃「よかった、目が覚めたか」
美紀「なにが……どうなって……」
胡桃「なにが起きたか覚えてるか?」
美紀「ヘリが爆発して……それから……」
胡桃「もう大丈夫だ。すぐにここから離れよう」
美紀「はい……痛っ……!」
胡桃「怪我してるのか?」
永井「ちょっと見せて」
美紀「え……」
美紀は血が滲んで視界がはっきりしない右目を拭って、聞き覚えのある声の正体をたしかめようとした。永井はそれを食い止めるように、美紀の右手が傷口に触れるまえに彼女の額に手をのばした。永井の左手が美紀の前髪をあげ、額を露出させる。美紀の両眼が今度はしっかりと像を結ぶ。永井の顔が美紀の目前にせまっていた。
美紀「な、永井先輩……?」
永井「額を切ってるな。とりあえず血を洗い流して、傷口にタオルを巻いておこう」
永井はペットボトルの水を額からかけた。かけられた水が傷に沁み、美紀はちょっと顔を歪めた。美紀は声を出してしまいそうになったが、永井の前だったのでなんとかこらえた。べっとりとついた血が洗い落とされると、額にある裂傷がよく見えた。深くは切っておらず、タオルを巻くだけでも出血は抑えられそうだった。永井は額から垂れてくる水が制服を濡らさないよう顎にあてていたタオルで美紀の顔を拭いてやってから、傷口を抑えるようにして彼女の頭にタオルを巻いた。
胡桃「消毒とかしなくていいのか?」
永井「これ以上は避難してからだ」
胡桃「でも、ゆきやりーさんとも合流しないと」
永井「彼女たちももう避難してると思う。校舎にも火が燃え移ってるようだしな」
胡桃「なら、どこに?」
胡桃の問いに答えるかのように駐車場入口付近のスピーカーが鳴り出した。
『訓練火災でーす』
『くるみちゃん、みーくん、聞こえる?』
胡桃「これ、ゆきの声……!」
『わたしたち、先に避難してるね』
『安全なところに避難して、またあとで会おうね!』
胡桃「安全なところ……地下の避難施設か!」
永井「行くぞ!」
美紀の足はまだふらついていた。車から降りようとしたが足に力が入らず、身体がよろめく。
美紀「あっ」
地面に倒れた美紀に永井と胡桃がかけ寄る。
永井「恵飛須沢、そっちの手を持て」
美紀「す、すみません」
胡桃「気にすんな」
二人は美紀の肩を担いでミニクーパーまで運んだ。車の後部座席に座らされた美紀は、ポケットにいれておいた防犯ブザーがなくなっていることに気がついた。よろけた拍子にスカートのポケットからすべり落ちた防犯ブザーは、美紀がいた自動車の前輪のあたりに落ちている。
永井「拾ってくる」
永井が腰を曲げ防犯ブザーを拾いあげる。顔をあげたとき、永井はボンネットのすぐ横に位置していた。なので、永井の上身体を、自動車のボディが遮蔽することはなかった。
胡桃と美紀が見ているなか、突然、永井の首から血が噴き出した。右から左、首の真ん中あたりを高速でなにかが突き抜け、永井の膝がくずおれる。前方によろめき、地面に手をつく。
美紀「……え?」
胡桃と美紀は突然の出来事に反応できずにいた。永井の首に星形に裂けた傷口ができ、そこからポンプで汲み上げているかのようにして血が噴き出している。永井は首の左側を押さえながら、飛来物が襲ってきた方向を見た。自分を襲ったものの正体を知った永井は、膝を地面につけた状態のまま身体を捻じ曲げ、胡桃と美紀のほうに顔をむけた。
永井「隠れろ……っ!」
永井の口唇からこぼれた音声は血で濁っていて、胡桃たちの耳にわずかに届かなかった。凍りついたように硬直していた胡桃と美紀が事態を把握できたのは、右手ひとつでなんとか身体を支えている永井の頭が弾け飛び、その反動で一度びくんと跳ねた身体が地面に倒れたからだった。
美紀「永井先輩!!」
ミニクーパーから飛び出そうとする美紀をおさえつけ、胡桃は後輩を後部座席に押し込んだ。
胡桃「すぐ逃げれるようにしとけ!」
ミニクーパーのエンジンはかかったままだったので、胡桃の指示はほとんど方便にちかかった。胡桃は力まかせにドアを閉めると、自動車で身体を隠しながら、永井のところまで慎重に移動していく。身体を下げたとき、割れた窓を通して車の向こう側の様子が目に入った。自動小銃を構えた隊員が、三点バーストで永井の頭部を撃ち抜きながら近づいてきている。射殺は一・二~五秒に一度の割合で行われていた。銃弾が頭部を抜けていく度に、永井の身体が反動で揺れた。
胡桃「ひでえことしやがって……」
永井との距離を縮めていく胡桃は、地面の弾着の集まりが二箇所に分散していることに気がついた。それは身体を晒しながら近づきつつある隊員のほかに、もう一人、銃撃者が存在することを示していた。自動小銃で永井を殺し続けている隊員は、胡桃から見て右横の位置から銃撃しており、その弾着は永井の頭部の左側の地面に多く残されていた。それとは別に仰向けに倒れている永井の頭部の左斜め下の位置にも、銃弾によってアスファルトが削れた跡があり、その弾着数は自動小銃が残したそれと比べると、三分の一程度だった。
胡桃が前輪タイヤまで到達した。二方向からの銃撃が間断なく続けられ、永井を死に押しとどめている。胡桃は逸る心と恐怖心を抑えつけながら、銃弾が飛来するタイミングを計った。無思慮に飛び出せば、銃弾に身体を引き裂かれ、胡桃は死を迎えることになるだろう。胡桃は永井とちがって、たった一発の銃弾で永遠に死に続ける。
胡桃はボンネットからすこしだけ顔をのぞかせ、駐車場の様子を観察した。自動小銃の隊員が銃撃を続けながら永井との距離をさらに縮めてきている。もう一つ、狙撃の方はヘリが爆発する前、胡桃が生存者が隠れているだろうと当たりをつけた地点から行われていた。まず、自動小銃から吐き出される三発の銃弾が永井を殺す。そして回復が図られる一・五秒のあいだに、姿の見えない狙撃者からの横槍が永井の復活を阻害する。このコンビネーションは、現状彼らの装備から考えれば最良の部類といえた。
だが亜人の生命と違い、銃弾の数には上限がある。永井を殺し続けるための銃弾も、“かれら”との戦闘でかなりの数を消費していた。麻酔銃の有効射程までまだ距離があり、隊員は前進を続けなければならなかった。彼は万全を期すため、自動小銃のリロードを行うことにした。片膝を落とすと同時に左手で予備の弾倉を掴み、装着してあった弾倉を外し、弾倉交換を完了させる。ふたたび照準を永井の頭部に合わせて引き金を引く。一連の動作の合計時間は三秒といったところだった。そのあいだ、身を潜めている狙撃者が連続的に永井を殺害していた。射線が一方向に集中したせいで、永井の頭の位置が左斜め下に傾いた。胡桃は覚悟を決めた。
クラウチングスタートの体勢でいた胡桃が、猫のように跳び上がった。車の陰から跳び出て、永井の右足首を握力の限り掴み、思いっきり引きずる。アスファルトに赤い一筆線が引かれ、血のなかに砕けた頭蓋骨の破片が残される。直後、永井の頭があった地点の地面が割れた。
永井はまだ射線に晒されたままだった。肉の塊をめいいっぱい引き寄せたせいで、胡桃は尻もちをついてしまった。弾倉交換を終えた隊員が、自動小銃を斜めに傾けボルトリリースレバーを引こうとする。狙撃者は、胡桃の動きを牽制しようと、大まかな狙いのまま撃ち続ける。そのうちの一発が永井の肩に当たる。三秒が過ぎようとしている。
胡桃は、永井のシャツの胸元を力任せに掴むと、背筋の利用してめいいっぱい仰け反り、永井の体を持ち上げ射線から逃そうとした。伸び切った背筋が胡桃の感じる恐怖のせいでこれ以上ない程強張っていた。胡桃の腕と背中にさらに力が入る。永井の頭部が曲線上の頂点を越えたとき、頭に空いた穴からこぼれ落ちた血が胡桃の顔や胸にかかった。胡桃は、のしかかってくる永井の身体にまかせるようにして、地面に倒れた。減音された銃声が三度響いたあと、二人を隠している車のフロントライトが割れた。
胡桃「あっ……!」
永井の穴はまだ塞がっていなかった。胡桃は咄嗟に頭部の両側に空いたいくつもの穴を手で塞ぎ、これ以上血が流れ出ないようにした。永井の血は手袋に浸透し、胡桃の手の平を赤く汚したが、血の流出はそこで止まった。永井の身体から黒い粒子が湧き起こり、時間が巻き戻ったかのように致命傷が治っていく。
永井「!」
胡桃「目ぇ覚めたかよ」
永井の目が開き、胡桃が安堵の表情を零す。
永井「恵飛須沢……」
胡桃「生き返ったなら、のいてくれ。重い」
永井「どれくらい死んでた?」ムクリ...
胡桃「そんなに長くない。一分かそこらだ」
永井「スマホを貸せ。奴らの位置を……」
次の瞬間、耳障りな轟音が雪崩のように襲ってきた。ボディの鈑金が引き裂かれることで生じるの自動車の悲鳴。自動小銃のフルオート射撃が自動車を穴だらけにしていく凶暴な音。
永井『“止まれ!!”』
永井は“声”を使用した。“声”の効果は現れず、銃撃はなおも自動車を引き裂き続けている。
永井「車までもどるぞ!」
耳を塞いでいた胡桃に聞こえるよう大声で指示を出す。美紀がすぐさまドアを開けた。身体を低くして移動した胡桃が座席の下に潜り込む。永井はミニクーパーに乗り込まず、タイヤの裏に身を隠しながら胡桃のスマートフォンを回収した。
胡桃「何やってんだ!? 逃げるぞ!」
永井「ダメだ! 奴らを始末してからじゃないと!」
美紀「何言ってるんですか!?」
永井「目的はこの車だ! 唯一残された脱出手段を見逃すはずがない!」
永井は二人の返答を待たずドアをばん、と閉めると、胡桃のスマートフォンを使って、自動車の破壊を続けている銃撃者たちの位置を確認した。画面に映っているのは一人だけ。狙撃者はいまだに姿を隠している。入口からは、校庭側にいた“かれら”が火に誘き寄せられ駐車場にやって来ている。
永井 (数が少ないが、これでやるしかない)
永井は防犯ブザーのピンを引き抜いた。わめきだした小さな機械を水切りの要領で投げる。ブザーは、墜落したヘリの真向かいにある廃車の集合地へ向かって、斜めの射線をなぞるように滑っていった。
けたたましい大音量は死者も含めた全員の視線をブザーに集中させた。その隙に、永井は車のトランクに飛び乗り、むこう側へ渡っていく。ブザーに気を取られていた自動小銃の隊員が、トランクから跳躍する永井に気づき身を翻す。永井が地面に降りたつ。その位置は隊員の身体が狙撃の射線に入っているので不意を撃たれることはないし、狙撃者はまず“かれら”を引き寄せる防犯ブザーに対処しなければならない。
自動小銃が永井に向けられる。永井はまだ地面に膝をつけたままで、走り出す気配がない。隊員が引き金を引く。フルオート。永井を引き裂くには充分な発砲数。がきん、と耳障りな音が塊になってあたりに響く。
永井は黒い幽霊を発現させていた。先ほどの音は、肉を貫いた音などではなく、骨よりももっと硬度のある物体に銃弾が激突した音だった。黒い幽霊は背中に銃弾を浴びたが、そのことをとくに気にしてはいなかった。幽霊が受け止めた銃弾はすべてぐしゃぐしゃに潰れ、地面に落ちている。幽霊が振り向くと、不可視だった肉体が自動小銃を構える隊員の目にも徐々に見え始める。
防毒マスクの内側を焦燥に歪めながら、隊員はふたたび引き金を引いた。がきんがきん、と銃弾がひしゃげる音が駐車場に響く。黒い幽霊はもの凄いスピードで隊員に接近し、容赦無く襲いかかった。振りかぶった幽霊の手が自動小銃にぶつかり、銃身を破壊する。とっさに身を引いたおかげで、隊員は幽霊の攻撃をぎりぎりで躱すことができた。
地面に倒れた隊員が拳銃を引き抜いた。そのまま銃口を幽霊の飼い主である永井に向けようとするが、自走する幽霊に拳銃を握る左手を踏みつけられ指ひとつ動かすことすらできない。幽霊が拳を振り上げる。
永井「まず一人目」
がちん、という硬質な音が響く。銃弾が幽霊の頭部にぶつかり、弾かれた音。一台の乗用車の後部座席のドアが開き、中にはライフルを構えた男がいた。左の太腿の傷口にタオルを当てベルトで固定していた。傷を負った左足は、男の言うことを聞かず車外にはみ出し、だらりとしている。男は防毒マスクとヘルメットを外し素顔を晒すと、ふたたびライフルの引き金を引いた。
黒い幽霊が銃弾が飛来してきた方向を見る。男は幽霊の顔のない顔が自分を見てもなお引き金を引きながら、こっちだ、おれを先に殺せ、と叫んだ。幽霊は銃弾を浴びながら、じっと男を見ている。
永井「おい、待て……」
黒い幽霊が男に向かって走り出した。男は銃撃をやめ、テリー・レノックス的な態度を見せる左足をなんとか車内に収め、後部座席のドアを閉めた。幽霊の右腕がドアを貫通し、そのままドアを引きちぎる。発砲音のあとに、ふたたび銃弾が潰れる音。防犯ブザーは走り来る幽霊に踏み潰されていて、ブザーの誘導音を失った“かれら”が幽霊のいる自動車のまわりをウロウロしている。
永井「ちゃんと殺してから行けよ!」
幽霊をののしる永井に向けて、隊員が拳銃を持つ手をあげた。永井はすぐさまリセットできるよう右手でドライバーをつかみながら、その場から飛び退ろうとする。拳銃の安全装置はすでに外されていた。スライドも引かれ、撃鉄も起きている。
隊員はとっさに急所を避け、もっとも当てやすい箇所である腹部を銃撃した。拳銃から発射された銃弾は五発。四発が永井に命中した。そのうちの三発は永井の腹部を貫き、うち一発が脾臓を破裂させた。のこりの一発は右腕にあたった。肘の関節にぴったり命中した銃弾は、右腕の使用を不可能にした。隊員の射撃は、地面に背中をつけた状態から上体をわずかに起した体勢で行われた。そのため永井の身体には、腹部の射入口より、背中にある射出口のほうが高い位置にあった。
永井にとってほんとうに不幸だったのは、これほどの傷を負ってもなお、すぐには死ねなかったことである。自動車に背中を預けながら、永井は地面にずり落ちていった。自動車のドアには血がべっとり付いており、ドアに空いた穴の周りの塗料が剥がれ露出していた鈑金の地色を、永井の血が艶かしく光る赤色に染め上げている。ドアには血で赤く染まった大部分と銃弾が開けた黒い虚のような部分があり、その穴は色が付いているというより、光や血を吸い込むことで完璧な黒色を獲得しているように見えた。
永井は死を感じていたが、それがやって来るのはあまりにも遅い。死を早めるための左手の動きが緩慢なことも、永井を焦燥させた。意志だけが先走り、身体の運動がそれに追いついていない。永井は、いますぐにしなければならない作業の行程を頭のなかで何度もくりかえし、左手を意識に従わせようとした。
円環的な意思の反駁の果てに、ようやく永井の左手がナイフをつかんだ。腰に巻いた工具ベルトにケースごと挿してあったナイフは、刃長九センチの電工ナイフで、ケーブル等のビニール皮膜を剥ぎ取るために使用される刃の厚いものだった。
永井がナイフの刃を首まで持っていこうとする。ナイフのグリップを握るのもやっとの手で頸動脈を掻き切るのは、いまの永井にとってはあまりにも巨大な労苦を伴う作業だったが、なんとしても成し遂げなければならない。隊員の腰のベルトにはホルスターが装着されていたのだが、いま彼が手に持っている拳銃はそこから引き抜いたものではなかった。ホルスターの先からは、麻酔銃の黒いノズルがのぞいている。
永井の手があがっていく。隊員は慌てることなく自動拳銃の弾倉を交換したあと、スライドを引き、狙いを定め引き鉄をひいた。銃弾はナイフとともに永井の指を吹き飛ばした。永井の左手がおちる。痛苦を感じる余裕もなく、永井は弱々しい呼吸を続けながら黙って銃口を睨んでいる。
隊員が拳銃を腰の後ろの長方形のポーチにしまい、麻酔銃をホルスターから抜いたとき、永井の身体に空いた穴から血と別の物質が流出し始めた。その物質は透過率百パーセントの完全に不可視の物質で、洪水のような勢いで永井の身体から放出された黒い粒子が、すでに駐車場全体を覆い尽くしていることに麻酔銃を構える隊員は気づいていなかった。
駐車場に広がる波面が、風や重力の影響に逆らい独自の運動を見せ始める。黒い粒子はわずかに上昇したかと思うと幾つかの塊となり、まるで個体発生のように人型の形成を始める。この現象の水源である永井の瞳にはおそろしく冷たい殺意が宿っていて、このまま永井が死ねば、その復活をきっかけに、この個体たちは敵味方の区別なくこの学校にいる者を皆殺しにするだろう。
細く長いナイフのような視線を永井は隊員に浴びせていた。その目が次の瞬間に捉えた光景は、殺意に滲んだ残酷な予想図とはいささかズレた、すこし滑稽なものだった。胡桃のシャベルが隊員の顔面を強打した。マスクが宙を飛び、隊員の身体が一回転しながら地面に倒れる。胡桃は、カラカラと音を立てながら転がる麻酔銃を追って隊員を飛び越えて走り出した。
頭部を駆け巡る疼痛を堪えながら、隊員はふたたび拳銃を取り出し、背面をさらす胡桃に向かって拳銃を向ける。胡桃は地面に落ちた麻酔銃を手に取ると、右手を左脇から通して背後に向けて突き出し、その勢いを利用して身体を反転させながら麻酔銃を撃った。
隊員が拳銃を撃ったのもほぼ同じタイミングだった。麻酔ダートは運良くボディアーマーの隙間に命中し、またたく間に麻酔薬が隊員の全身に広がった。隊員の身体が地面に沈むのを見て、胡桃はむくりと起き上がり、息を吐いた。安心したところで右の上腕の違和感に気づき、右腕を顔の前に持ってくると、包帯が巻かれた箇所の皮膚が裂け血が滲んでいた。
胡桃「掠っちゃってるよ……」
永井「ハッ……」
短い笑いを漏らすとともに、永井の身体から支えが消えた。同時に、発生しつつあった黒い幽霊の群体も霧消し空気に溶けていく。
胡桃「永井!」
胡桃が永井に駆け寄る。すでに再生は完了していて、永井はゆっくりと身体を起こした。それを見た胡桃はほっとしたあと、皮肉をぶつけた。
胡桃「何回死ねば気がすむんだ、おまえは」
永井「やつを拘束して運ぶぞ」
胡桃「さっき言ってたことと違うじゃん」
永井「殺さず無力化できたんだ。情報を引き出すチャンスだ」
胡桃「じゃあ、もう殺しはなしってことでいいんだな?」
永井「状況に応じて対処が変わるのは当然だ」
胡桃「ああそう」
駐車場の向こうでは黒い幽霊が、シャチが捕らえた獲物に対してそうするように、“かれら”を宙に放り投げてもて遊んでいる。
胡桃「見つかるとヤバいよな」
永井「いったん車までもどれ。拘束だけしておいて、幽霊が消えてから回収しよう」
胡桃は永井の荷物から結束バンドを取り出すと、それを永井に向かって投げてよこした。永井はバンドを使って、隊員の手足を拘束した。
胡桃「そういや、さっきのアレ、なんだったんだ? 黒いじゅわじゅわしたやつがすごい出てたけど、煙幕のつもりだったの?」
永井の作業を見ながら、胡桃は黒い粒子の放出について永井にたずねた。
永井「いま、なんて言った」
胡桃「だから、さっきの黒いやつのことだよ」
永井「見えたのか?」
胡桃「見えるようにしたんだろ?」
永井「……ああ、そうだよ」
永井にしてはめずらしく、もったいぶった、あいまいな肯定の返事だった。奇妙に煮え切らない雰囲気がわずかに永井と胡桃のあいだに漂い、美紀もそのことをおぼろげに感じていた。
ぶすっ、という音がして、地面に伏せられていた隊員のこめかみが膨れあがる。一瞬、時間が間延びして、そのあいだに隊員のこめかみを見た永井は、幼い頃、父親に連れられたキャンプで焚き火を囲い、いっしょにマシュマロを熱していたときの光景を思い出していた。その刹那が過ぎると、膨らんだマシュマロのような隊員のこめかみが、今度は熟し過ぎたトマトのように破裂し、あたりに中身をぶちまけた。隊員の頭部のすぐ側にあった永井のスニーカーに、こぼれた血と脳漿がかかる。
美紀「先輩! はやくこっちに!」
永井はズタボロにされた車をまたぎ越え、美紀が開けた助手席のドアからミニクーパーに乗り込んだ。車に乗り込むまで、音のない銃撃が永井の後をついてきていて、ひとりでに地面が割れていく様子は、どこか心霊現象めいて見えた。
永井「役立たずが。なんでまた殺し損てるんだよ!」
胡桃「ぶっそうなこと言うなよ!」
美紀「はやく変わってください!」
ミニクーパーのフロントガラスに穴が開き、周囲に亀裂が走った。銃弾はバックミラーに命中し、付け根の部分からぽっきり折れギアの上に落ちた。次の瞬間、車内の三人は外から姿が見えないように限界まで身体を伏せた。
永井「はやく出せ!」
美紀「どうやって運転するんですか!?」
永井「エンジンはかかってるだろ! アクセルを踏め!」
胡桃「待って、ギアってドライブになってんの!?」
美紀「だから、どうすればいいんですか!」
永井「いいからはやく!」
永井がギアをドライブに入れ、アクセル、と美紀に叫ぶ。美紀がめいいっぱいアクセルを踏み込むと、ミニクーパーの赤い車体がパチンコ玉のように前方に飛び出していく。びしびし、と銃弾で窓ガラスが割れるなか、はじめての運転をする美紀はパニックのあまり、ハンドルを切ることを忘れていた。
永井が助手席から手を伸ばしハンドルを左に切る。身体にかかる急劇な遠心力のせいで、美紀はおもわずアクセルから足を離してしまった。ミニクーパーはその場でスピンし、車首が左に百三五度傾く。ミニクーパーの向きが駐車場の入口に対して、斜め正面になったところで、永井がふたたび叫んだ。
>>481 訂正
永井「はやく出せ!」
美紀「どうやって運転するんですか!?」
永井「エンジンはかかってるだろ! アクセルを踏め!」
胡桃「待って、ギアってドライブになってんの!?」
美紀「だから、どうすればいいんですか!」
永井「いいからはやく!」
永井がギアをドライブに入れ、アクセル、と美紀に叫ぶ。美紀がめいいっぱいアクセルを踏み込むと、ミニクーパーの赤い車体がパチンコ玉のように前方に飛び出していく。びしびし、と銃弾で窓ガラスが割れるなか、はじめての運転をする美紀はパニックのあまり、ハンドルを切ることを忘れていた。
永井が助手席から手を伸ばしハンドルを左に切る。身体にかかる急劇な遠心力のせいで、美紀はおもわずアクセルから足を離してしまった。ミニクーパーはその場でスピンし、車首が左に百三五度傾く。ミニクーパーの向きが駐車場の入口に対して、斜め正面になったところで、永井がふたたび叫んだ。 「アクセルだ!」
左足を怪我した男が、急発進するミニクーパーにふたたび銃弾を浴びせかける。タイヤを狙った狙撃は、逸れてアスファルトを削るか、タイヤ周りのボディ部分にあたるかで、ミニクーパーの走行を止めるには至らなかった。
ミニクーパーが、切開部分のように開いたフェンスの切れ目を通過する。その際、右側のフロントバンパーがフェンスにぶつかり、コンクリートに打ち込まれたフェンスの基礎を破壊していった。その衝撃で美紀はふたたびアクセルから足を離したが、慣性で進む自動車は校舎に向かって直進を続けた。永井は、ミニクーパーが校舎に激突する寸前にハンドルを右に切った。フロントバンパーが擦れ、窓下に植えられた緑化樹木を巻き込みながら、自動車の運動はつづく。
胡桃「美紀、前! ブレーキ!」
ミニクーパーが直進する先には、校舎内に通じる出入り口があり、そこには分厚い庇を頑丈なコンクリート製の二本の柱が支えている。胡桃の声に反応した美紀は咄嗟にブレーキを踏んだ。永井は車体が柱と出入り口のあいだに入り込むよう、ハンドルを左に調節する。ミニクーパーの運動が止み、慣性のはたらきに従って、車内にいた三人の身体が宙に浮かんだ。
ーー
ーー
ーー
ーー地下一階
由紀は、校舎の一階部分と緊急避難区域を分断するシャッター前に一人で立っていた。悠里とともに地下に避難した由紀は、しばらくのあいだ就寝していたらしく、気づいたときには物資保管庫のあいだに横たわっていた。
目を覚ましたとき由紀の目に入ったのは、憔悴しきった悠里の姿だった。膝を抱えたまま濡れたハンカチを目に当て、なんとかして疲労を取り除こうとしている。由紀は、いつもと変わらない態度で悠里に話しかけた。自分たちを襲った煙は本物の火事によるものではなくあくまで訓練火災によるものだとし、胡桃と美紀を待つ間の時間の埋め合わせとして、トランプによるゲームを提案した。
悠里「すこし、静かにして」
悠里は由紀に視線を合わせることなく、そっけない態度でそれを断った。
由紀「ご、ごめん……」
二人のあいだに、沈黙がおりた。
悠里「……ねえ」
しばらくして、悠里が口を開いた。
由紀「なに?」
悠里「ごめんなさい……さっきの」
由紀「……ううん」
悠里の左手が、見知らぬ場所で迷子になったこどものように途方に暮れ、床に落ちている。由紀はその左手に自分の手を重ね、悠里の顔がこちらにむいたとき、微笑みを浮かべた。悠里はすこし余裕を取り戻し、どうにかして身体のこわばりを解いて、由紀の微笑みにやわらかい表情を返した。
由紀「あの、りーさん……だいじょうぶ?」
悠里「うん、へいき……」
悠里の目から涙が一粒こぼれた。悠里は由紀と触れ合っていた手を離して、ふたたび膝を抱えた姿勢にもどった。
悠里「ごめん……」
由紀「うん……」
二回目の沈黙を破ったのは、今度は由紀だった。
由紀「そろそろ、いこっか?」
悠里「どこへ?」
由紀「くるみちゃんと、みーくんを迎えに」
悠里「ダメよ!」
悠里からの予想外に強い否定に、由紀は驚き固まった。
悠里「外はまだ危ないの! こわい人たちがいるの! だから、まだここにいなきゃダメなの!」
由紀「り、りーさん、いたい……!」
悠里は自分が力任せに由紀の肩を掴んでいることに気がついた。
悠里「ご、ごめんなさい」
謝りながら由紀から手を離し、悠里はまた膝を抱えた姿勢にもどる。三度目の沈黙。
悠里「ほんとは、わたしがもう無理なの」
戸惑う由紀に、悠里は自分の心情を吐露し始めた。
悠里「外に行くのがこわくて仕方ないの。助けに行かなきゃいけないのに、身体が動かないの」
由紀「……」
悠里「どうしようもないの。わたしは、くるみや美紀さんみたいにすぐに動けない。ゆきちゃんみたいに人を元気させられない。永井君とちがって、すぐにあきらめちゃうの」
そこまでしゃべったところで、悠里の感情の堰が切れた。それまではまだ平静さを残していた声に嗚咽が混じりだし、瞳から涙がとめどなく溢れ出した。
悠里「ごめんなさい……ごめんなさい……わたしが、こんなんじゃ……」グズッ...ヒック...
由紀は泣きじゃくる悠里にそっとを手を伸ばすと、髪を撫で、悠里をやさしく胸元に抱きよせた。
悠里「ごめん、なさい……」ヒック...ヒック...
由紀「だいじょうぶだよ。だいじょうぶだから、ね?」
由紀は、悠里が泣きつかれるまでずっと彼女の背中に手をあて、だいじょうぶ、と唱え続けた。悠里が由紀の膝の上で寝息を立て始めると、由紀は慎重に悠里の頭の下にタオルを敷いてその場から離れる。倉庫のなかから、記憶を頼りにチョコレートとスポーツドリンクを探し出し、メモとともに悠里の枕元に置く。
一階のシャッターへとつづく階段の前に立った由紀は、リュックを背負い、バットを手に持ち、頭に巻いたハチマキの左右にサイリウムを差し込んでいた。愛用のニット帽をかぶっていないせいか、その表情はいつもより凛々しく見える。
階段に足をかけたとき、彼女を呼び止める声が由紀の耳に届いた。
由紀「うん。くるみちゃんとみーくん見てくる」
由紀「大丈夫だよ」
由紀「そりゃそうだけどさ、わたしね」
由紀「ずっと、りーさんとくるみちゃんに大変なこと任せてきた。みーくんを助けるときも、けーくんに頼りきっちゃった」
由紀「だからたまには、ね?」
由紀「うん、気をつける。それじゃね」
由紀は誰もいない場所にむかって手を振った。ふたたび階段に足をかけ、軽やかに段差を駆け上っていく。
由紀「さあ、行くよ!」
シャッターは閉まりきっておらず、わずかに隙間があいていた。由紀はとくに考えもせず手を伸ばしシャッターに触れてみると、素手ではとても触れられない程の高温におもわず手を引っ込めた。手に息を吹きかけ、やけどしてないことを確認すると、バットの柄を隙間に差し込み、ほじくりながらシャッターを開けようとする。
かりかり、という無駄ともおもえる作業の音がする。シャッター部分と地面のコンクリートが金属バットによって擦られている。涙ぐましい擦過音がすこしの間響いたあと、突然、シャッターがガタガタと揺れ出した。
由紀「!?」
由紀「え?」
揺れは、外にいる何者かがシャッターを開けようとしているために発生していた。突然の事態に、由紀はとっさたシャッターから離れた。そのとき、持ち上げた右手が高温のシャッターに触れ、由紀の手に痛みを与えた。
由紀はシャッターの側から一歩引いたところで立ち止まり、深呼吸すると、バットを身体の前で構えた。シャッターの隙間が広がり、高温の戸が持ち上げられる。由紀はバットを両手で持ち上げた。そのとき、おもわず両目をつむってしまっていたので、シャッターをくぐり抜けた者たちの姿は由紀の目に入らなかった。
由紀「あれ?」
永井「あ?」
シャッターを抜けてきたのは、胡桃と美紀と永井の三人だった。手袋をした胡桃と濡れたタオルを手に巻いた永井がシャッターを押し上げている。疲労の色が濃い美紀は、胡桃のパーカーを肩からかけて息を喘がせていた。一同はしばし見つめあっていた。シャッターの隙間から煙が入り込んできて、永井がふたたび咳き込んだ。
由紀はあわてて振り上げたバットを身体の後ろに隠し、ハチマキを外すと、取り繕うかのように隣にいるめぐねえに言い訳を始めた。その様子を見て笑みをこぼす胡桃と美紀をよそに、永井は手に巻いたタオルを外し、血が染み付いたシャツの裾をズボンが出すと、シャツのボタンを外してから身体にべっとりと付いた血を拭き取り始めた。
由紀「け、けーくん、それどうしたの!?」
永井「ああ、これ?」
シャツとタオルについた血に気づいた由紀の表情は青ざめ、さっきと異なり本気で焦っている。そんな由紀に対して、永井は表情を変えず平然と答えた。
永井「ちゃんと死んだからケガはないよ」
由紀「けーくんの言ってることがよくわかんないよ!?」
胡桃「……ぷっ」
美紀「くっ……ふふふ……」
胡桃「あははは!」
亜人の性質を即物的に説明する永井の態度と由紀のリアクションとのギャップに、胡桃と美紀は笑いを抑えることができなかった。
由紀「え、え~?」
笑い転げる二人に、オロオロとうろたえる由紀。呆れた永井はため息を一つついてから、血の感触が気持ち悪いシャツを着替えるため、先に一人で階段を降りていった。
由紀「あっ、待って、けーくん!」
階段の途中で呼び止めらた永井は、振り返って由紀を見た。由紀に注意された胡桃と美紀がいまは爆笑をやめ、こみ上げてくる笑いをこらえるために口に手を当てている。
由紀「おかえりなさい」
永井「ただいま」
気負わない、そっけない返事だった。永井は何事もなかったかのように、ふたたび階段を降りていった。シャッターの前にいた由紀たちは、いずれも不意を打たれ、ぽかんと口を開けたままだった。しばらくして、やっと硬直が解けた三人は急いで永井の跡を追っていった。ばしゃばしゃという、三人分の水音がしたかと思うと、姦しい声がすぐに通路に響きだした。
今日はここまで。フラッド現象の描写については、原作と異なるところもありますがあくまで演出ということでどうかご容赦を。
次回の更新がおそらく最終回となります。本編が完結したら、SS本編に登場させられなかった『亜人』側のキャラクターのおまけをいくつか書きたいと思います。読んでくださってる方々には、更新が遅れてることが申し訳ないです。できるだけ早く更新するよう努力しますので、もうすこしだけお付き合いください。
--地下一階
胡桃「なあ、ほんとにやるのか……」
永井「当然だろ。その右腕の傷口を放置したままでいいとはおまえも思ってないだろ」
胡桃「いや、でもさあ……消毒して包帯巻くだけじゃダメ?」
永井「それだと傷口が完全に塞がらない。この状況で、感染症にでもなったら命取りだぞ。さいわい、縫合糸と持針器が医療用キットからみつかった。道具は揃ってる」
胡桃「でも、おまえ経験ないだろ!」
永井「縫合の仕方は父の医学書を読んで記憶してある。手の動かし方も動画を見て学んだことがあるから、再現可能だ。実際、何度か練習したことあるしな」
胡桃「……練習って、どうやって?」
永井「家庭科の授業で、雑巾に針を刺したことがあるだろ? あれで単純結節縫合は習得した」
胡桃「あたしに料理するなっていっといてそれかよ! なあ、やっぱこれなしだろ! みんなもそう思うよな?」
由紀「う、う~ん……」
悠里「でも、傷が深いのはたしかだし……」
美紀「やっぱり、縫ってもらったほうがいいと思います」
胡桃「……美紀、こいつ、医学部志望ってだけで、ただの高校生なんだぜ? そのおでこの怪我がもうちょっと深かったら、おまえも縫われてたかもしれないんだぞ?」
美紀「そのときは、永井先輩におまかせします」
胡桃「うそだろ……なんでそんなに信頼度高いの? ちょっとこえーよ」
永井「おい、はじめるぞ」
胡桃「いやいやいや、待ってよ。あたし、まだぜんぜん納得してないから。ていうか、犯罪だよな、これ。医師資格ないのに、やっちゃダメだろ。な?」
由紀「くるみちゃん、注射を嫌がるこどもみたい」
永井「……みんな、耳ふさいでて」
由紀・悠里「「?」」
美紀「……あっ」
胡桃「えっ、なに……?」
永井『“動くな”!』ビリビリ...
ブスッ...ス-ッ...ス-ッ...
胡桃 (ッーー!)
由紀「う、うわぁ……」
悠里「ちゅ、躊躇がまったくない……」
美紀 (手の動き、きれい……)
ピクンッ...
胡桃「うわっ、わっー!」
永井『“まだ動くなって!”』ビリビリ...!
ブスッ...ブスッ...
悠里「ああ、また固まっちゃった……」
由紀「これから、ケガだけはしないようにしよう……」
ーー
ーー
ーー
胡桃「ひどい目にあった…….」
美紀「でも、傷口はぴったりふさがってますよ」
悠里「ほんと。縫い目もすごく丁寧。というか、きれいなくらい」
胡桃「そういう問題じゃねーんだよ……」
永井「傷がふさがったら、抜糸するから。それまで縫合箇所を触ったりするなよ」
胡桃「まだあんの……」
永井「一週間程度はかかるかな。経過観察しつつ、あとは自然治癒力に任せる」
由紀「それで、治っちゃうの?」
永井「まあ、普通ならね」
胡桃「……」
美紀「?」
由紀「よかった。それじゃ、気を取り直して……こほん……避難訓練の無事終了とけーくんの学校復帰を祝いまして……かんぱーい!」
胡桃・悠里・美紀「「「かんぱーい!」」」
永井「乾杯」
五人はジュースの入った紙コップをかかげて、生還と再会を祝した。袋の背を開けて多数の人間が取りやすいようにしたポテトチップスをつまみつつ、あかるい談笑がつづく。話の内容は、もっぱら永井が学校に戻ってきたことについてだった。おもに胡桃に囃されるのが面倒になった永井は、話題の先を悠里に向けた。街で見た女性のことは最後まで話さなかった。
食糧庫で眠っていた悠里は、起きたとき目に飛び込んできた血まみれの永井の姿を見て、亜人のそれを思わせる絶叫をあげた。彼女の声におどろいた一同は、しばしのあいだ固まって、怯えながら息をぜえぜえさせている悠里をだまって見ているしかなかった。やがて、おちつきを取り戻した悠里は、永井の後ろにいる由紀たち三人に気づいた。それから、永井の顔にばっと目を向けると、醜態を晒してしまったことにいまさらながら気がついて、顔を赤らめながらふたたび膝を抱えてしまった。
永井「大丈夫か? 若狭さん」
胡桃「スルーしといてやれよ……」
血が染み込んだシャツを替えおわった永井がふたたび食糧庫の通路を通りかがると、悠里は三人に抱きついておもいっきり泣きじゃくっていた。腕をまわされた由紀たち三人が、要領をえないうめき声を出す悠里を必死でなだめている。永井はそのままそこを通り過ぎ、血で汚れたシャツとタオルを捨てにいった。
由紀「あれ? ポテチもうない?」
胡桃「ん?」
由紀「取ってくるね」
由紀が階段を下りていった。由紀の姿が見えなくなると、胡桃たちの意識にそれまで明確にはのぼらず底流していた緊張が、わずかにゆるんだ。
悠里「それにしても……今度ばかりは、もう……」
胡桃「まったくなあ……」
美紀「生きた心地がしませんでした」
悠里「そんなにひどかったの?」
胡桃「まあな。ヘリが爆発するは、やつらに囲まれるはで大変だったな」
悠里「でも、永井君が助けにきてくれたんでしょ?」
胡桃「いや、こいつのせいでもっと事態が悪化したから」
悠里「ええっ!? ど、どうして?」
胡桃「あれだよ、まえに永井が言ってた黒い幽霊。あれがほんとにめちゃくさでさ」
永井「だから、幽霊みたら隠れてろって言っただろ」
胡桃「隠れてどうにかなるもんじゃないぞ、あれ」
悠里「いったい、なにがあったのよ?」
美紀「わたしも気絶してたから、よくは知らないんですけど」
胡桃「ヘリのプロペラあるじゃん? あれをさ、永井の幽霊があたしのシャベルが霞むような勢いでぶん回すの。ぶおん、ってな感じで空気が唸ったかと思ったら、あいつらの首がことごとく空に飛んでてさ。驚いてたら、その首がつぎつぎ落っこちてきて、スイカみたいにぶしゃーって……」
悠里「くるみ、もういいから」
胡桃「まだつづきあるんだけど」
悠里「いいから!」
美紀「あっ、もしかして、あの真っ二つになってた自動車って……」
胡桃「あれも永井の幽霊のせいな」
悠里「ほんとに大変だったのね……」
胡桃「でも、おかげであいつらはほとんどいなくなったかな。残りも燃えちゃっただろうし」
美紀「そういえば、先輩の幽霊は命令を聞かないって言ってましたけど、それって普通なら命令を聞くってことですよね?」
永井「みたいだね。すくなくとも、佐藤さんの幽霊は命令通りに動いていたし。ほかにも、視覚や聴覚をリンクさせて、幽霊を通じてものを見たり聞いたりできるらしいけど」
胡桃「すごい便利じゃん。おまえ、いろいろできるくせに、なんでそれだけできないんだよ」
永井「僕だって困ってるんだよ」
美紀「でも、先輩の幽霊、そこがちょっとかわいくないですか?」
永井「はあ?」
美紀「いえ、言うことをきかないところとか太郎丸みたいだなあって……」
永井「直樹さんだけだろ、それ」
胡桃「こら」ボスッ...
永井「殴んな」
美紀「……もしかして、わたしだけですか? かわいいって思ってるの」
由紀「たっだいま~。なになに~? なんの話~?」
由紀がお菓子の袋をいくつか抱えて戻ってきた。
美紀「ゆき先輩」
胡桃「なあ、ゆき、全身真っ黒でがっちりした身体つきのミイラ男みたいなのっぺらぼうの透明人間ってどう思う?」
由紀「うえぇ……それ、おばけ? こわい話はやめてよー」
胡桃「だよなあ」
美紀「説明の仕方がわるいんですよ。というか、口で伝え切れるものじゃないです。遠くから眺めてると、たまにとても愛嬌のあるしぐさをするんですよ。たとえば、永井先輩の命令をよくわかってないのか、小首を傾げたりとか……」
永井「……」
悠里「永井君、引かないであげて」
由紀「おばけの話はおしまい! それより、ほら! これ!」
胡桃「大盤振る舞いだな」
由紀「たまにはいいでしょ」エヘヘ
悠里「そうね。でも、汚さないようにね」
美紀「ゴミ袋、取ってきますね」
由紀「待った!」ビシッ!
美紀「どうしました?」
由紀「汚しちゃいけないのは、ここだけじゃないよね」
胡桃「はあ?」
由紀「そもそも! 学園生活部にとって一番大切なのは、なんだかわかる?」
胡桃「あー、そりゃ……学校?」
由紀「そう!」
由紀「だから、感謝の気持ちをこめて、みんなでお掃除するのはどうかな?」
由紀の提案に顔を見合わせる一同。
悠里「そうね。いいんじゃないかな」
胡桃「よし、ぴっかぴかにしてやるぜ!」
由紀「じゃ、手分けして掃除はじめよっ」
拳をあげ、団結する学園生活部に対して、永井はひとり、紙コップをかたむけ、ジュースを飲んでいた。
永井「掃除ね」
胡桃「なんだよ? おまえも手伝うんだから、やる気だせよ」
永井「まずはアレを片付けないといけないと思っただけ」
胡桃「ああ、アレね……」
美紀「……」
悠里「?」
由紀「アレ?」
ーー
ーー
ーー
--一階・廊下
校舎裏へと通じる出入り口から、煤けたミニクーパーが扉をつき破ってがつっこんでいた。赤く塗られた車体に黒い煤が重なっていて、ボンネットが廊下の半分以上ふさいでいる。そのせいで、生徒たちの通行はひたすら妨害されている。
由紀「め、めぐねえの車が……」
美紀「ご、ごめんなさい、ゆき先輩」
永井「やっぱり、だいぶ火にやられてるな。エンジンもかからない」
胡桃「タイヤもダメになってるし、もう動きそうにないな」コン
悠里「でも、さすがにこのままにしておくのは……」
永井「全員で押せばなんとかなるよ。校舎裏は、なだからかだけど斜面になってるし」
胡桃「そうするか。りーさん、軍手ある?」
五人はミニクーパーを校舎外へ押し出そうとする。永井と胡桃が前部座席の窓枠をつかみ、あとの三人がボンネットを手で押す。車体にかかる力がタイヤへと伝わり、自動車は後ろへゆっくり動き出す。
ミニクーパーが傾斜した地面をくだっていく。左後輪のゴムタイヤが熱によって割れていたため、ミニクーパーは後退しながら、だんだんと左に曲がっていった。ヨロヨロとうしろへ進む自動車は、駐車場の焼け焦げたフェンスにつっこむかと思うと、また車体を曲げフェンス前に植えられた樹木にぶつかった。その際の衝撃で亀裂がはいり割れかけていたガラスが、今度こそ砕けちった。
さらに上からぶつかった木の一部が落ちてきて、ミニクーパーの屋根をおおきく凹ませた。落ちてきた木の幹の先端は、黒い幽霊が振るったメインローター・ブレードがかすったせいで半分ほど切り込みが入っていて、ミニクーパーがぶつかった際の衝撃でついに折れてしまった。ミニクーパーの姿は、すっかり哀れをさそう有り様になってしまっていた。
悠里「めぐねえが見たら怒るんじゃないかしら……」
胡桃「泣くんじゃねえの?」
散々な目にあった恩師の車を学園生活部一同がみつめるなか、永井がひとり、その場を離れようとする。
美紀「先輩、どこへ?」
永井「代わりの車を取りにいってくる」
胡桃「探しにいくんじゃなくて?」
永井は返事をせず、そのまま歩いていって裏門を乗りこえた。外に立った永井は、煤で汚れた軍手をはずしスライド式の門戸の上に置いた。軍手は内側をむけて門に置かれていたので、塗料がはげたところに黒い染みをのこしていたが、左右はそろえられていた。
胡桃「しょうがねえな、あのヤロー。りーさん、すぐもどってくるから、ちょっとたのむ」
悠里「気をつけてね」
由紀「じゃ、わたしたちで先にやっちゃおう。まずは三階からだね!」
美紀「ちょっ、先輩待ってください」
火災の痕跡にまみれた校舎を無邪気に駆けていく由紀に、胡桃も悠里も懸念の表情を浮かべた。しかし、永井があいかわらず歩いて住宅街のほうへきえていくので、胡桃もあとを追わなければならなかった。胡桃が門を越えようとしたところで、車のエンジンがかかる音がした。胡桃が門の上に腰をおろし、軍手とならんで待っていると、真新しい銀色のボディのトヨタ・クラウンが門の閉まった通用口前までやってきた。乗員定数は五人。胡桃は門戸を開けた。すべるようにトヨタ・クラウンが校内にはいってきて、駐車場のなかまで進んでいった。
胡桃「その車、どこに隠してたんだ?」
永井「裏門から出て、左に五軒目の住宅だ」
胡桃「ヘリが来たとき、はじめはそれで逃げるつもりだったんだ?」
永井はうなずいた。そのあと、トランクを開け、なかからたたまれたブルーシートと紐を取り出すと脇に抱え、駐車場のなかでもっとも自動車が集まっている場所へむかった。
ブルーシートを焦げ跡の残る一台のトランクにおいた永井は、事故現場そのままの空間でなにかを探すようにして腰をかがめ、うろうろしていた。胡桃が永井のいるところまで歩いているとき、目的のものを見つけた永井はむかってくる胡桃にブルーシートを渡すようにいった。
ブルーシートを手にした胡桃が永井に近寄る。永井が発見し見下ろしていたものは、左足を負傷した男の死体だった。死体には胸啌をつらぬく人間の腕ほどの大きさの穴が空いていて、砕けた頭蓋から内容物が放射状に飛び散っていることが確認できた。永井はブルーシートを死体の横にひろげ反対側にまわり、男の装備から使えそうなものを回収すると(空の自動拳銃一丁、予備の弾倉四つ、拳銃型の麻酔銃一丁、予備の麻酔ダート八本、無線機一個、自動拳銃と弾倉と麻酔ダートが収まる弾薬ポーチ一つ)、シートの上にのるように死体を転がした。
胡桃「……どうするんだ?」
永井「見つからないよう処分する。この傷跡だと、黒い幽霊に殺されたって丸わかりだからな」
胡桃「むこうのは?」
永井「あれは撃たれて死んだだろ。こっちの死体が発見されなければ、仲間割れだと思われて時間を稼げるかもしれないし、あのまま放置しておく」
永井は死体を包みおわるとシートを紐で固定し、肩に担ぐようにして両手で紐を持つと死体を引きずっていった。永井が足を進めるたび、縛られて宙に浮いた足が揺れ、頭は地面に擦れた。永井のあとをついていく胡桃はすこし迷っているようだったが、結局永井を手伝うことはなかった。永井のほうも、胡桃になにもいわなかった。トヨタ・クラウンのところまで死体を持ってくると、永井は手こずりながらも消防士が救助者をかつぐ方法で死体を車のトランクに入れた。
死体の足を折り曲げ巻き取った紐をトランクのなかに収めたとき、校舎から由紀の泣き声が聞こえてきた。胡桃が泣き声の方向に素早く首を巡らせる。直後に、心配して駆け寄ってきた美紀の声が響いた。
永井「部室があったところだな」
永井がトランクを閉めた。あった、と過去形が用いられたことに、胡桃は沈黙で同意した。屋上から、悠里が顔をのぞかせている。表情は見えなかったが、きっと自分と同じような表情をしているんだろうな、と胡桃は思った。胡桃は悠里にむかって手を挙げ、とりあえず大丈夫だ、ということを示した。悠里は駐車場にいる胡桃にもわかるように大きくうなずくと、屋上の手すりから離れた。
うしろで車のエンジンがかかる音がした。永井は運転席に座っていたが、ドアが開いたままになっている。
永井「三階にいかないんだったら、使えそうなものをサルベージしておいてくれ」
永井はそれだけ言い残すと、ドアを閉め駐車場をあとにした。残された胡桃は、すこしのあいだ視線を三階にむけ、部室があった場所を見ていたが、やがて駐車場の探索を始めた。
--
--
--
--学園生活部
由紀「……」
美紀「……」
由紀と美紀は、どちらも無言のまま部室の掃除をつづけていた。もともとは生徒会室として利用されていたその部屋は、壁や備え付けの備品に焦げ跡をあったりガラスが割れたりしていたが、それ以外には目立った損傷もなく、わずかに鼻をつく煙のにおいが部屋に染みついていたものの、充分に行き届いた掃除と補修さえおこなえば、また部屋として利用可能な状態だった。唯一取り返しがつかなかったのは、生徒会室の表札の上にセロテープで貼られた、学園生活部と黒マジックで書かれた白いコピー用紙だった。紙の面積の半分以上が炎にのまれ、もともとあった「学園生活部」の文字は「学園」と「生」の三文字しかのこっていない。
雑巾で机を拭きおわったあと、由紀はつぎにきれいにするものをまだ発見できないでいた。ふと目線を下げると、ボールがひとつ床に転がっているのが目に入った。
由紀「あった」
その言い方は、ボールがこの部屋にあったことが、まるで予想外の出来事のような発声の仕方だった。部屋からしてみれば、なくなったものもあれば、なくなってないものもあるというだけのことだった。
美紀「あ、運動会の」
由紀「うん」
床からボールを拾いあげ、表面にまぶされた煤を雑巾で拭き取っていく。ボールを補強しているガムテープをはいでしまわないよう、目張りにそって手を動かす。煤がとれ、白い表面が露出したところで、由紀はボールになにかの跡がついているのを見つけた。それは犬の歯型で、サイズからいって子犬が歯をあてたものと思えた。
由紀「みーくん、パス」
美紀「え?」
ダンボールの蓋を開けて中身の確認をしようとする美紀に、由紀がボールを投げた。ボールを受け止めた美紀は、はじめ、それが何を意味しているのかわからなかった。手の中でボールを回転させてみると、由紀が汚れを拭き取ったおかけで見えるようになった子犬の歯型が美紀にも見えた。
美紀「これ、太郎丸の……」
由紀「みーくんがうちの部に仮入部して、その次の日だったよね。運動会」
美紀「……はい」
美紀はボールの噛み跡をじっくり観察してみた。そのうち、その噛み跡の存在感は太郎丸の過去の痕跡というよりは、何らかの形で今も存在しているというリアリティを獲得しているように見えてきた。それは、不死の証明なのかもしれない。
由紀「いっぱいあったよね」
美紀「そうですね……あ、これ……」
美紀はダンボール箱に目を戻した。中には卒業アルバムとポラロイドカメラが入っていて、どちらも火事から逃れて無事だった。
由紀「よかった……」
由紀がアルバムをぎゅっと抱きしめた。美紀はその姿をポラロイドカメラで撮影した。撮影音に気づいた由紀が顔を赤くし、美紀に抗議する。
由紀「ちょっ、今のなしっ!」
美紀「いい写真ですよ」
由紀「なーしー!」
--
--
--
--夜・地下一階シャッター前
悠里「ゆきちゃん、もう寝た?」
美紀「はい。ぐっすり」
胡桃「永井呼んでくるか」
美紀「わたし、行ってきます」
悠里「お願いね」
すこしすると、美紀と永井が連れだってもどってきた。永井の瞳は昼のときより暗い色していて、瞼に眠気がかかって閉じ気味になっている。
永井「丈槍さんが参加してもよかったんじゃないか?」
胡桃「そういうわけにもいかねーだろ」
永井「設備のほうはどうだった?」
悠里「電気はもうだめ。食料と水は、この人数なら数ヶ月分は……」
美紀「その時間を使って準備したほうがいいですね」
胡桃「車を改造して詰め込めるだけ詰め込んで……忙しくなるな」
美紀「太陽電池パネル、どっかにありましたよね」
悠里「車に載せられないかしら?」
美紀「載せられると思います。問題はどこへ行くかです」
胡桃「それなんだけど……」
胡桃が印のついた地図を見せた。
胡桃「ヘリのとこで拾ったんだ」
悠里「この印の場所……たしかパンフレットにあったわね」
美紀「聖イシドロス大学とランダルコーポレーション」
胡桃「どっちがいいか」
悠里「大学にしない? 人いるかもよ」
胡桃「ランダルって、あの薬作ったとこだよな」
美紀「進学か就職か、ですね」
胡桃「永井、おまえの意見は?」
永井「どちらもそれなりにリスクはある」
胡桃「なんか眠そうだな、おまえ」
永井「実際眠いんだよ」
悠里「なんか、ごめんなさいね」
由紀「進学じゃないかなー」
背後から聞こえた由紀の声に、一同の視線が集中した。
由紀「ずっといっしょに勉強してきたんだから、進学かなーって思うんだ」
由紀「社会に出る前にもう少し準備しておきたい、みたいな?」
美紀「……たしかにそうかもしれませんね。就職するなら準備は必要です」
悠里「基盤を整える必要があるわね」
胡桃「それもいいかもな」
永井「決定だな」
永井は立ち上がり、そそくさと倉庫の方へ戻っていった。
美紀「……」
永井の背中を見送りながら、美紀はさっきまでの永井の視線について考えを巡らせていた。その視線は胡桃に向いていて、ランダルの名前が出たとき、目が意志を反映するようにしゅっと細まった。
駐車場で胡桃が言っていた“黒いじゅわじゅわ”とはなんだったのか。なぜ、永井は胡桃の言及に驚いていたのか。それは、さっきの視線と胡桃のどこか違和感を覚える態度と関係あるのだろうか。
美紀は、唯一身体が接する床からの感覚以外、すべてが暗闇に消えてしまったあとでもずっと考えをつづけていた。だが、結論めいたものを出すことはできず、結局は眠りに落ちてしまった。
--
--
--
--翌日・屋上
胡桃は手すりに背中を預けながら、屋上に腰をおろし空を見上げていた。この季節、あと数時間もすれば、薄く広がる雲と空色のコントラストが、だんだんと強まる日差しの光量の強い白色に消えてゆくだろう。だがいまはまだ、青い空に浮かぶ雲のゆくえを気ままに堪能できる時間帯だった。綿菓子を思わせるふくらみのある巨大な雲が、上空で乱れる大気のせいで、空に横たわる一本の河のように形を変えた。
永井「おい」
心ここに在らずといった風情で空を眺めていたいた胡桃は、突然声をかけられびっくりして肩を跳ねさせた。声の主が永井であることを確認した胡桃は、どこかほっとしたように見えた。自分の心のなかに頓着しない相手は、この学校では永井だけだった。
胡桃「なんだ、永井か」
永井「昨日、回収できたものは?」
胡桃「そのポーチのなか」
永井は胡桃の横に置いてあるポーチを手に取って、その中身を確認した。中身はいま永井が腰につけているものとほぼ同様だったが、三本の注射器だけがちがっていた。永井は拳銃を取り出すと、薬室と弾倉を確認し残弾を調べた。そして、ハンマーを戻しセーフティをかけると、拳銃を胡桃に差し出した。
胡桃「いらねーよ。銃とかこわいし」
永井「そうか」
永井は拳銃をポーチにもどした。やや間があってから、胡桃が聞いた。
胡桃「拳銃の使い方、知ってんの?」
永井「あの隊員が使ってるところを見たからな」
胡桃「見ただけで使い方分かるのかよ」
永井「昔から見たものは憶えられたし、動作なら再現もできた」
胡桃「すげえな」
また間があいた。先ほどよりも早いタイミングで、今度は永井が口を開いた。
永井「気づいてると思うけど、体温と痛覚に異常がある」
胡桃「……」
永井「“声”の効果がきれた直後に針を刺したのに一瞬無反応だったな。その後のリアクションも、実際に針が刺さってるところを見てからだ。体温のほうは説明しないくてもわかるだろ」
胡桃「……まあな。それだけでよくわかったな?」
永井「人体実験されたからな。痛みに対する人体の反応は、身をもって知ってる」
胡桃「リアクションしづらいこと言うなよな……」
胡桃は膝を抱え、そのあいだに頭を置いた。左手が、右腕の包帯に触れ、指でそっとなでる。
胡桃「あたし、どうなっちゃうのかな……」
永井「さあな」
胡桃「冷てえ」
永井「事実だから仕方がない。いまのおまえの症状の原因はなんなのかすら、現状じゃあ特定しようがない。投与した薬剤の効果が切れ症状が進行したのか、あの薬剤もともとの副作用なのか。結論はでない」
胡桃「あそう」
胡桃はふたたび空を見上げた。雲の河は消えていた。胡桃はまっすぐ降りてくる光線を顔で受け止め、目をつむった。それからゆっくり瞼をあけ、隣で手すりにもたれて立っている永井に顔を向け、話しかける。 「なあ、永井」
胡桃「もし、あたしになんかあったらさ、みんなのこと頼んでもいい?」
永井「そのときの状況次第だ。集団行動にメリットがあると判断すれば、僕は彼女達についていく」
胡桃「ほんっと相変わらずだな、おまえ」
永井「人が生まれ持った性質は死ぬまで変わらない」
胡桃は苦笑した。死んでも変わりそうにないやつがなにを言ってるんだ、と心のなかでつっこんだ。
胡桃「やっぱ、このままほおっておくのが一番かな」
胡桃がぼそっと、このままあるがままでいようかというふうにつぶやいた。永井は胡桃が拾ってきたポーチをふたたび手に取った。そのなかから袋詰めされキャップのついた注射器を三本取り出すと、胡桃に渡した。
永井「おそらく、地下に保管してあった治療薬と同じものだろう。使うか使わないかの判断はおまえに任せる」
胡桃「副作用かもしれないんじゃなかったのか?」
永井「人の性質と違って事態は変化していくんだ。賭けでも、何もしないよりかマシだろ」
胡桃「かもな」
大気が屋上にすっーと降りてきた。大気は土のうえにできた炭をすこしだけ持ち上げると手すりの近くにいる二人にむかって、炭そのものははこばなくても、炭独特の鼻をすっーと突き抜ける、リラックス効果がありそうな涼しいと形容できる匂いをはこんだ。
胡桃「……やばくなったら使ってみる、かもしれない。たぶん」
永井「好きにしていいよ」
胡桃「とりあえず取っておくよ」
永井「そう」
永井は手すりから身体を離した。さきに行くぞと胡桃に声をかけると、胡桃はもうすこしここにいると言った。屋上のドアを開けると、永井のちょうど目の前にドアノブに手をかけようとしたら、向こう側から勝手に開いたので手を引っ込めた美紀がいた。
美紀「先輩」
永井「直樹さんか」
美紀は手にペンキの缶持っていた。ドアのすぐ横には、美紀が置いたであろう工具箱と薄い木材が四枚重ねてあった。
永井「墓を見にきたの?」
美紀「はい。屋上も火がまわったそうなので、もしなにかあったらと思って」
永井「どちらも焦げ跡はあったけど、原型はとどめてたよ」
美紀「そうですか。よかった。じゃあ、ペンキだけでよさそうですね」
永井「恵飛須沢に手伝ってもらったら? あいつ、ヒマそうにしてるし」
美紀「くるみ先輩も屋上にいるんですね」
永井「ああ」
美紀「くるみ先輩は……」
美紀はそこで言葉を切った。
美紀「いえ、やっぱり大丈夫です」
永井「そう」
永井はそれで会話を終わらせると美紀の脇を抜け、階段を降りようとした。
美紀「永井先輩」
美紀が永井の背中にむかって声をかけた。
永井「なんだ?」
美紀「太郎丸を埋めたときに言ったこと、憶えてますか? わたし、あのときと変わってませんから」
言いおわり、美紀はドアを閉め屋上に向かった。永井は美紀を見送ってから、静かに階段を降りていった。
--
--
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--三階・教室
胡桃と美紀が屋上から戻ると、永井たち三人が教室の掃除をしていた。由紀と悠里は箒とちりとりで床を掃いている。その横を永井が机を後ろへ運んでいった。
由紀「あ、おかえりー。はやく手伝ってよ」
胡桃「わりい」
胡桃は永井を手伝って机を運んだ。掃き掃除がおわり、今度は雑巾を使って教室のあちこちについた黒い汚れを落としていく。五人がかりの拭き掃除で教室の汚れはかなり落とせた。
美紀「ふぅ……」
美紀が教室を見渡した。
美紀「だいぶ綺麗になりましたね」
悠里「そろそろいいかしらね」
由紀「じゃ、はっじめっるよー」
チョークを手に持った由紀が黒板の前に立った。かっ、かっ、とチョークが黒板に触れる音が軽快に鳴った。
由紀「できた!」
由紀が黒板からばっととびのく。黒板には、大きくひらがなで「そつぎょうしき」と書かれていた。文字を囲うようにして花とくまのイラストも描き込まれている。文字のバランスは「そつぎょう」の部分がスペースを取り過ぎていて、残りの「しき」が縦書きになってしまっている。
由紀「……ちょっと違ったかな」
美紀「ちょっとじゃないです!」
大きな声でつっこんだものの、由紀の文字を見ているうちに、美紀にはこみ上げてくるものがあった。ここまで生きてこれたこと、これからも生きていくこと。その節目の行事が目前にせまっていた。
美紀「ずるいです。こんなに下手なのに……」
由紀「まだだよ」
涙をぬぐった美紀の手に由紀のてが触れた。由紀はやさしく微笑みながら、美紀を見守っいる。
美紀「別に……わかってます」
悠里「あとでみんなで描きましょうか」
胡桃「ていうかさ、まだまだやることあるぞ?」
由紀「え?」
悠里「卒業証書も作ってないでしょ?」
胡桃「卒業旅行の準備も」
由紀「じゃ、なんで書いちゃうの?」
胡桃「おまえが始めたんだろうが!」
胡桃が黒板消しを手に取り、由紀の書いた文字を消そうとする。由紀は胡桃にすがり、二人の姿を悠里と美紀がやさしく見ている。そんな彼女たちの様子を、永井は机に腰かけながら、やはり他人事のように眺めていた。
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卒業式と卒業旅行の準備が終わった。教室には五つのパイプ椅子が並べられ、黒板には卒業生四名の名前と永井のイニシャルが綴られている。その横には、永井の顔の特徴をよく捉えたイラストがデフォルメされ描かれていた。これは美紀が作したものだった。
教壇の飾り付けを終えた胡桃は、教室の外のプレートの下に会場案内の書を貼りに行った永井がまだ戻ってこないことを訝しんだ。様子を見に行くと、ドアのすぐ横の柱に貼られた半切があるだけのがらんどうの廊下だけが残されていた。
胡桃「バックれやがったぞ、あのやろう」
悠里「えっ!?」
由紀「どういうこと?」
美紀「サボりです」
胡桃「優等生だったんじゃなかったのよ、あいつ」
胡桃が文句を言ってると、外から車のバックファイアのような軽い音が立て続けに聞こえてきた。その音は学校から離れた場所から響いており、学校の周囲にある住宅地のどこかが音源らしかった。
胡桃「拳銃撃ってる……」
悠里「そんなもの持ってるの?」
胡桃「いや、駐車場でひろってさ」
美紀「でも、どうして今?」
胡桃「練習なんだろ。あと、動作確認とか」
またあの乾いた音が聞こえてきた。パン、パン、パン、と三発の発砲音が落ち着いたリズムであたりに響いた。
胡桃「つーか、なんなんだよ、あいつ。卒業式バックれたうえに発砲って。不良かよ」
美紀「不良はふつう拳銃は撃たないと思いますけど」
悠里「せっかくの卒業式なのに」
由紀「けーくん、そゆとこあるよね」
由紀の指摘はほんとうに的を射たもので、その的中っぷりは三人を笑わせるのに十分なものだった。
美紀「確かに」
胡桃「すぐ人のこと、バカにするんだよな」
悠里「 口調とか、けっこう荒いときあるわよね」
胡桃「平然と無茶やったりするもんなあ。そのくせ、人をその無茶に巻き込んだりするし」
悠里「くるみは永井君のこと言えないからね」
美紀「あと、こっちの思ってることとかも平気で無視したりしますよ」
胡桃「あいつは自分の都合を最優先にするようなやつだからな」
由紀「でも、太郎丸にはやさしかったよね」
美紀「……そうですね」
胡桃「めぐねえのことも、やることだけはちゃんとやってくれたしな」
悠里「そうね。それに、ここにまた戻ってきてくれたわ」
胡桃「ああ。あれには驚いた。いろんな意味で」
美紀「駐車場、ほんとに凄いことになってましたね」
胡桃「あいつがいなかったほうが被害少なかったんじゃねーの?」
美紀「でも、わたしはうれしかったです。戻ってきてくれて」
三人はその声を身体に浸透させるように沈黙した。
由紀「……やっぱり卒業式はみんなでやりたいよ」
悠里「卒業アルバムも永井君の写真だけないから、それもなんとかしたいわよね」
胡桃「でも、どうする? 素直に参加しそうにないぜ」
美紀「あの、じつは考えがあるんですけど……」
由紀「さっすが! やっぱり進学組には進学組をぶつけるべきだね!」
胡桃「なんか聞いたことあるフレーズだなー」
美紀「そ、そんなたいした考えじゃないですよ」
悠里「いいじゃない。美紀さん、話してみて」
美紀「じゃあ、ちょっとこっちに……」
--
--
--
--校庭
トヨタ・クラウンは昇降口の手前に停車していた。助手席のドアは開いていて、永井はシートに対して横向きに腰かけている。学園生活部の四人は校舎の天辺まで見納められる場所に一列に立ち、深々と頭を下げた。胡桃が他の三人よりさきに頭を上げ、こぼれた涙をすっと拭う。
永井「終わったか」
胡桃「まあな。『仰げば尊し』、聴こえた?」
永井「聴こえたよ。窓開いてるんだから」
悠里「まあまあ。それじゃ、はじめましょうか。ゆきちゃん」
由紀「はーい。三年生、永井圭君」
永井「は?」
ぴん、と伸びた由紀の手には卒業証書があった。永井の本名が達筆な文字で書かれ、巡ヶ丘学院高等学校における全課程を修了した旨の文も勝手に書かれていた。
永井「なんだよ?」
由紀「卒業証書だよ!」
胡桃「おまえも高校くらい出ておきたいだろ」
永井「こんなのなんの証明にもならないだろ」
由紀「細かいことは気にしちゃダメだよ! これを受け取らないと卒業旅行には参加できないからね!」
美紀「ここは受け取っておいたほうが早いですよ、先輩」
悠里「ちゃんと両手でね」
周囲に囃され、永井はしぶしぶ卒業証書を受け取った。証書の四隅それぞれを永井と由紀の指が挟んだ瞬間、シャッターを切る音が聞こえてきた。見ると、美紀が手に持ったポラロイドカメラから、永井の卒業式を見事に画面に捉えた写真が吐き出されていた。四人は写真の出来映えに満足気だった。永井の刺すような視線を感じた美紀は、機先を制すように言った。
美紀「だって、卒業アルバムに永井先輩の写真がないとさみしいじゃないでか」
美紀のひらき直った発言に、いよいよ永井もあきらめがついた。
永井「いいよもう、好きにして」
胡桃「美紀の言うとおり、うまくいったな」
美紀「ほぼゴリ押しでしたけど」
永井「いったいなに話してたんだよ」
胡桃「おまえの悪口で盛り上がってた。いやー、楽しかったよな」
由紀「それ、くるみちゃんだけだよ」
美紀「悪口というか、直してほしいところは挙げましたけど」
悠里「さすがに性格悪いわよ、くるみ」
胡桃「あれ!?」
永井「バカが」
胡桃「バカって言うんじゃねえ。あと、その目も怖いからやめろ」
永井「運転はおまえがやれよ」
そう言うと、永井は後部座席にさっさと乗り込んでしまった。永井に一杯食わそうとして結局やり込められてしまった胡桃はぶつくさ文句を言いながら、悠里になためられ運転席に乗り込んだ。由紀と美紀は後部座席に乗り、由紀が永井の隣の真ん中の席に座ることになった。
ドアが閉められた。胡桃がキーを回し、車のエンジンがかかる。アクセルペダルをゆっくりと踏み込み、タイヤが徐々に回転をはじめる。自動車が始動し、門戸が開かれた校門へ向かって前進をはじめた。
美紀は額を窓にあずけ、外の様子をなんとなしに眺めていた。
美紀「……」
由紀「なんか忘れ物?」
美紀「いえ、別に……」
自動車が校門の手前にさしかかった。そのとき、校門を通って外から学校にやって来たものたちの中に、見覚えのある姿をしたものがいるのを美紀は見つけた。“かのじょ”は美紀の乗っている車には興味を示さず、よろよろとした足取りでまっすぐ校舎に向かって歩いていく。
美紀「あ……」
永井「あ?」
すれ違いざま、窓越しに見える“かのじょ”の姿が、永井の顔に重なって一瞬見えなくなった。自動車は前進をつづけ、“かのじょ”もまた前へと進んだ。
美紀「いまの……」
胡桃「どうした?」
振り向き、リアウインドウ越しに“かのじょ”の後ろ姿を眺める。その姿がゆっくりと小さくなっていく。
美紀「……いえ、大丈夫です」
美紀「わたしたち、学校が大好きなんだなって……」
校門の前までたどり着き、胡桃は車を徐行させ、ウインカーを出し左右を確認した。
永井「なんでウインカー出してるんだよ」
胡桃「あ、そっか。つい」
由紀「くるみちゃんが成長したってことだよ、けーくん」
悠里「遠足のときはヒヤヒヤしたわよね」
胡桃「おまえらな」
美紀「……ふふっ」
車内で交わされる先輩たちの会話を聞きながら、圭は、あの黒板を見るのだろうか、と美紀は思った。そのためには、まず三階まで階段でのぼらなければならない。かれらのように、ゆったりよろよろ歩くすがたを見ると、それには時間がかかりそうだ。それでも、いつか、わたしの書き残したことを読んでほしい。わたしは生きていてよかったと、あの黒板に書き残してきたのだから。
そしてまた、圭とおなじ名前をしたこの人にもあの黒板を見てほしい、とも美紀は思った。チョークで描いた似顔絵はけっこううまく描けたとおもう。もしかしたらそのせいで、情報が残ることをいやがって似顔絵を消してしまうかもしれない。でももし、そうしてしまうなら、消してしまうまえに、じっくり絵を見る時間があってほしい。それくらいよく描けた似顔絵なのだ。
美紀が見た“かのじょ”が、学校の昇降口に消えていく。車は校門をぬけ、五人が学生であることをやめ、何者でもない時間をすごす場所へと旅立っていく。永井は頬杖しながら、静かに両目を閉じていた。美紀は目線を窓の外にもどし、しばらく景色を眺めたあとで、あの黒板のことをもうすこし考えいたいとおもい、目を閉じて、そっと窓ガラスに額をあてた。美紀はおもいきって「仰げば尊し」の歌詞を口ずさんでみようかと考え、窓をすこし開けた。音は空気や物質の振動によって空間に波及する弾性波だ。美紀は、音が空間だけでなく時間にも響いて渡り、過去にも未来にも届けばいいなと思い、閉じていた唇をすこし開けた。
以上で本編は完結です。ここまでお読みくださって本当にありがとうございました。いただいたコメントもたいへん励みになりました。
そもそものこのクロスオーバーを書こうと思ったきっかけは、『亜人』と『がっこうぐらし!』の5巻の終わりの描写がなんとなく似てるところにありました。戸崎に「何が目的だ」と問われた圭が返した言葉が学校に関わることであったこと、学園生活部ほどの思い入れがあるわけではなさそうだけど、学校生活を取り戻すべき日常の象徴としての見ているという点ではけっこういい感じにクロスしてくれそうだなと。それに、永井の名前とみーくんの友達のケイが同じ読み、同じ漢字なこともありましたし。
しかし、完結にここまで時間がかかるとは予想外でした。しかも、後半になるに従って更新速度がどんどん遅くなっていくし……。改めて、遅筆をお詫びいたします。
おまけのほうですが、いまも書き途中です。書き上がり次第、順次更新していく予定なので、もしよろしければもう少しだけお付き合いの方をお願いいたします。
コメントありがとうございます。自分も続きを書きたいと思っていますので、機会があればぜひ。
とりあえずのネタは、小学校にむかうことに一人強硬に反対する永井と悠里の対立(悠里「永井君にも、妹がいるんでしょう!?」 永井「あそこにいるのは僕の妹じゃない」)とか、理学棟の女性がみーくんに唯一受診した放送が亜人の佐藤のものだったと告げたりとか、武闘派の襲撃を待ち構えていた永井がキャンピングカーから出てきた胡桃に遭遇。正気を失った胡桃に首の肉をガブリンチョされリセット。直後、我に返り口の中のものを吐いて呆然。倒れる永井を見た胡桃のガチ絶望からの逃走。からの永井とのガチ戦闘と別離とかを書いてみたいですね。
では、おまけを投稿します。
--キャンピングカー入手後
朝まだき時間の川のほとり。うすぐらい風景に、にわかに虫や鳥たちがざわめき始める。川岸の草が生えてない石が集まっている場所にキャンピングカーが停められていて、その周囲をポールが囲っている。ポールは紐でつながれていて、結び目ごとに防犯ブザーが括り付けられている。もし夜遅い時間にキャンピングカーに近づく者があっても、ポールの紐に身体を引っ掛ければ防犯ブザーが起動し、就寝している学園生活部に警報を鳴らす仕組みだ。
キャンピングカーから少しはなれた場所に、テントが張ってあった。茶葉を思わせる深い緑色の生地が外気に無防備に触れ、周囲に対してまるで無警戒な四角錐型のテントから、Tシャツとハーフパンツ姿の永井が出てきた。永井は瞼をこすりながらスニーカーを履いた。ポールを乗り越えキャンピングカーに近づくと、ドアをノックし、中で誰かが動く気配すると「見回りに行ってくる」と言い残し、キャンピングカーから離れ見回りにでかけた(朝の見回りは胡桃との交代制だった)。
川辺の薄靄が晴れ、朝陽の光線が群生する草の緑を光らせ、地面に青暗い影を作った頃、永井が見回りから戻ってきた。すでに学園生活部の四人は目を覚まし、制服に着替えている。
悠里「おはよう、永井君」
永井「おはよう」
美紀「このあたりの様子はどうでした?」
永井「これまでと特に変わりはなかったね。今日通行予定の道路の状態も、別段問題なかったし」
胡桃と由紀は川に洗濯に行っていた。その川はゆるやかで水深はそれほど深いものではなかったので、スティーヴン・スピルバーグ『宇宙戦争』に登場する川のように死体が群れを成して流れてくる凶々しい光景が広がることはなかったが、誰かの衣服の切れ端が赤い染みを残したまま下流へ消えていくことがたまにあった。
胡桃たちが洗濯から戻ってくると、悠里と美紀が朝食の用意をしていた。胡桃は永井を呼んでくるように悠里に頼まれ、それを引き受けた。キャンピングカーから出ると、黒い粒子が空に向かって真っ直ぐ伸びているのが目に入った。黒い粒子の狼煙は永井のテントのあるところから昇っていて、亜人か胡桃と同じ状態のものなら遥か遠くからでも見渡せる。
胡桃は狼煙の袂へと歩いていった。すでにテントはたたまれていて、制服姿の永井がキャンピングチェアの背に頭を乗せているほど浅く腰かけていた。両足を地面に投げ出し、手には、武田泰淳『ひかりごけ』の文庫本を持ち、戯曲部分を読んでいる。永井の目は、船長が首の後ろにある光輪の存在に言及する箇所を追っていた。それは、こんな台詞だった。
-- 船長 私には見えませんよ。しかし、あなた方には、見えるはずなんですよ。よく見て下さい。もっと近くに寄って、よく見て下さい。
胡桃「永井、りーさんが朝ごはんできたって」
永井「ちょっと待って。このページで読み終わる」
胡桃は待ってる間、キャンピングチェアの肘掛に積んであった本のタイトルを読んでみた。以下、そのラインナップ。
--シエサ・デ・レオン『インカ帝国地誌』、コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』、コーネル・ウールリッチ『マネキンさん今晩は_コーネル・ウールリッチ傑作短編集〈4〉』、藤本タツキ『ファイアパンチ』、大江健三郎『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』
胡桃はいちばん上にあった『インカ帝国地誌』を手に取り、しおりが挟んであるページを開いた。第32章、「すべての者が人肉を食べていた。」とそこには記述されていた。次に手に取ったのは『ファイアパンチ』だった。これだけがマンガだったので、ほかの本との違和感が際立っていた。
胡桃「おまえ、マンガとか読むんだ」
胡桃はパラパラとページをめくりながら言った。
永井「丈槍さんから借りた。けっこう面白いよ。僕は代わりにスウィフトの『穏健なる提案』が収録されてる本を貸したっけ」
永井は文庫本を閉じ、椅子をたたんだ後、胡桃といっしょにキャンピングカーまで戻って朝食をとった。洗濯物が乾くまでの間、残りの食糧と水の確認と通行予定のルートの再確認に時間を使った。それが終わると、今度はポールに括り付けられた防犯ブザーを慎重に取り外した。キャンピングカーの荷物入れにポールを収納すると、出発の準備は完了した。
本日の運転は美紀が担当することになった。美紀は駐車場でのおそろしい体験がいまだ忘れられず、車の運転に対して必要以上に神経を使ったし、神経に障りもした。
胡桃「どうせあいつらしかいないんだし、轢いちゃっても大丈夫だって」
美紀「そんなのアドバイスじゃないです」
キャンピングカーのタイヤが、美紀の運転の慎重を表していた。川辺からじりじりと川沿いの道へと上りきる手前、進行方向である右に出るために角度のついたカーブを曲がるため、美紀はハンドルをぐるりと回した。
永井「もっとアクセルを踏み込んで」
永井の言葉にしたがって美紀はアクセルペダルをぐっと踏んだ。それに呼応してキャンピングカーがぐいっと前進したとき、フロントガラスに空を飛行する鳥のような黒い影が映り込む瞬間を美紀の目は捉えていた。直後、鈍い音と衝撃がキャンピングカーの車体を響かせ、鳥を思わせた影の正体は地上を走るなにかであったが、そのなにかは車と衝突した衝撃で宙を舞うことになった。それはそのまま土手に落ち、傾斜を転がり落ちると、丸い石の上で動くのをやめた。
>>537 はミスです。
胡桃「……たぶん、あいつらだから」
呆然とハンドルを握ったままにしている美紀に胡桃はしぼりだすように慰めの声をかけた。おそらく、犬かなにか、動物が飛び出してきたのだろうと胡桃は考えた。“かれら”はあんな速さで動くことはできない。出会い頭の衝突事故はこの世界ではずいぶんめずらしいものになっていたが、事故を起こした運転手の動揺は変わらないままだった。
美紀は息を止めていた。由紀は頭にクッションをかぶってふざけたことを後悔し始めていた。エンジン音だけが持続する状態が数秒続いたあと、外から「いってえ……!」という男の声が聞こえてきた。
美紀「人じゃないですか!」
胡桃「あっ、待てって、美紀!」
永井「いまの声……」
胡桃に抗議したかと思うと、美紀はもう外に飛び出していた。胡桃は、悠里に由紀といっしょにここに残るように言い残し、美紀のあとを追った。続いて、永井が歩いて外に出ていった。
地面に倒れていた男は永井と同じくらいの年齢で、背負っていただろうバックパックを支えにして上半身を起こしていた。胡桃が男の側により、痛みのある箇所を質問している。男の意識ははっきりしていて、脂汗を滲ませながらも胡桃の質問にきちんと答えていた。美紀は胡桃の後ろから不安そうにその様子をのぞき込んでいた。とりあえず命に別状がなさそうですこしは安堵していたものの、胡桃を手伝ったり、医療品を持ってくるという判断ができないでいた。加害者としての罪悪感が、美紀に見守る以上の行動を取らせなかった。
永井はその様子を見てもなお、歩く速度を変えなかった。永井が男の顔を確認できる距離まで近づくと、男も同様に永井の顔を見ることができた。男のは永井の顔を見た瞬間、あっ、と声をあげた。思わぬところで顔見知りに再会したときに出す声とは、このようなものに違いない、そう思わせる声だった。永井もその男の顔が、見知ったものであることを確認した。
永井「やっと来たか、中野」
中野「永井!」
中野と呼ばれた男が左の肋骨の下を押さえた。車に跳ね飛ばされ土手を転がった際、地面から露出した石の尖った部分がその箇所を刺したのだ。中野のTシャツの穴が空いたところから、赤い血がじわりと滲んでいた。
美紀「お、お知り合いなんですか……?」
永井「ああ。こうなる前、こいつといっしょに行動してた」
美紀の顔がサァッーと青くなった。
永井「大丈夫。問題ないよ」
永井は、ごく当然の事実を告げるように美紀に言った。その声の調子は慰めの効果を発揮するには、平然とし過ぎていて、美紀の動揺はすこしもおさまらなかった。
胡桃「とにかく、手当しないと。まずは車まで運ぶぞ」
中野「これくらい平気だって……」
胡桃「なに言ってんだ。その足、折れてるじゃねえか」
永井「はあ? なにやってるんだよ、中野」
呆れたように永井は言い放った。その言葉に、胡桃は永井をキッとにらみ、美紀はその言葉が自分に投げかけれたわけでもないのに、ビクッと身体を震わせた。
胡桃「永井、そっちの手を持てよ」
中野「いや、だからさ……」
永井は拳銃で中野の頭部を撃ち抜いた。
『シンドラーのリスト』で、後頭部を撃たれてクニャッと身体を曲げ地面に倒れるユダヤ人を模倣するかのように、中野も同じような脱力を示し地面に倒れた。あの映画の銃殺が、撃つ側と撃たれる側を同一画面に収めたワンカットで捉えられていたように、胡桃と美紀の目にも、永井が中野を射殺する瞬間は、持続する時間のなかでのひと続きの光景として映った。
胡桃「おまえ……なにやってんだよ!!」
困惑と怒りが入り混じった声で、胡桃は永井に詰め寄った。美紀は目の前で起きたことが信じられず、口を開けその場にしゃがみこんている。美紀は、自分の運転で永井の仲間を轢いて跳ね飛ばしてしまったことに対するショックの気持ちが、永井本人によってなかったことにされるどころか、ますます巨大な、つかみどころのない状態へと変えられてしまった。
自らが引き起こした事態に対する脳の反応は色々なものがあるが、今回の美紀の場合、それは当然ながら罪悪感と呼ばれる精神状態を生み出す回路が働いたことはまず間違いない。その回路は、永井の「いっしょに行動してた」という発言によって、ますます強く働いた。それは責任を感じる対象が中野ひとりから中野と永井のふたりになったためだが、その対象がもうひとつの対象を射殺してしまった。
いったいなんという状況なのか! このような事態に対する思考様式など、わたしは持ち合わせていない。しかし、状況は思考を要求している。わたしは思考を深めねばならない! この声は自我の声というよりエスに反対する超自我の声、または象徴界からの要求だろう。
永井「なに怒ってるんだよ」
胡桃「仲間だったんじゃねえのかよ!!」
永井「だからだろ」
胡桃「おまえっ……!!」
中野「おい! 永井!」
胡桃が永井に掴みかかるまえに、復活した中野が永井に対して抗議の大声をあげた。
中野「いきなり撃つなよ!」
永井「でかい声出すな。おかげで全部治っただろ?」
中野「びっくりしたじゃねーか!」
緊迫した状況が破裂を回避し(というより、破裂のしようがない)、空気の抜けた風船のように萎んでいった。胡桃も、そして美紀も、先ほどはそれぞれ異なる様相を呈していたが、いまでは同じような様相になっている。呆然と見守る状態から一歩先に踏み出したのは、黒い粒子ののろしが見えていた胡桃だった。
胡桃「……あっ。亜人か」
中野「あ?」
中野が胡桃の方を見た。
中野「仲間?」
中野が永井に尋ねた。
永井「ほかにあと二人いる」
中野「おれは中野攻」
胡桃「えっと……あたしは恵飛須沢胡桃」
美紀「な、直樹美紀、です……あの、ごめんなさい……」
中野「ん?」
美紀「あの車を運転してたの、わたしだったんです」
中野の身体からはすでに衝突の痕跡は消し去られていた。なので、美紀の言葉に対して、そんなこともあったな、というふうな意味の「ああ」とだけ答えた。中野が気にしていたのは、永井が頭を撃ち抜いたせいで着ているTシャツの襟が血で汚れたことだった。
中野「べつに気にしてないぜ。もう治ってるし」
美紀「で、でも……」
由紀「みんな! 戻ってきて!」
由紀が川辺にいる四人にむかって警告の声をあげた。周囲から“かれら”が発したであろう音がにわかにざめきたっている。四人はキャンピングカーに急ぎ足で向かった。永井と中野の連れだって先立ち、胡桃といまだ戸惑い気味の美紀が後からついていった。車内に入ると、中野は由紀と悠里にかるく挨拶をかわし、慣れないキャンピングカーの操作に手こずる悠里に代わって車を運転した。
永井の案内に従って安全な場所まで車を移動させると、学園生活部一同はあらためて中野と会話を交わした。
由紀「けーくんの友だち?」
永井「友だちじゃない」
中野「監禁されたしなあ」
胡桃「は!?」
悠里「監禁!?」
永井「潜伏場所を知られたからだ。政府やマスコミに僕の居場所を知られるわけにはいかないからな」
胡桃「……美紀」
美紀「いえ、さすがにわたしもナシだと思いますよ?」
中野「なあ永井、腹減ったんだけど」
永井「僕たちの食糧だって余裕ないんだぞ。夜までに見直しておくから、それまで我慢しろ」
永井がそう言ったところで、中野は足元に置いていたバックパックをテーブルの上にのせた。バックパックの口を開き倒すと、中の荷物がこぼれだす。ハム、ベーコン、ソーセージ。真空パックされた製肉加工食品の数々。豚だけでなく鳥肉のものもある。そのほかにはベーグルにバターロール、食パンといったパン類も数種類。
永井「盗ってきたのか」
中野「もらったんだよ。アウトレットモールにいた村井さんって人から」
永井「だれだよ」
中野「いい人だったぜ。メガネかけてた」
由紀「すごいね、これ! 今日はひさびさにお肉だよ!」
悠里「ゆきちゃん、これは中野君の食糧なんだから……」
中野「えー、みんなで食べようぜ。そのほうがぜったい美味いって」
胡桃「いいのか?」
中野「仲間になるんだから、これぐらい当然だろ」
美紀「……」
中野「直樹さんも好きなの選んでいいぜ」
美紀「えっ?」
中野「それで、さっきのことはお互いチャラにしようじゃんか」
美紀「でも……」
由紀「じゃ、お言葉あまえて~。わたしハムね!」
胡桃「はしゃぎすぎだって、ゆき」
由紀「あっ、でも食べすぎると太るよね……みーくん、鳥のハムにしたほうがいいかな?」」
美紀「……ゆき先輩の好きにしたらいいじゃないですか」
由紀「なら、これみーくんと半分こね」
美紀「え?」
由紀「わたしの好きにしていいんでしょ? だから、みーくんといっしょに食べたいなって」
美紀「……わかりました。しかたないですね、ゆき先輩は」
由紀が美紀の心を解きほぐしていく。それにともなって、胡桃と悠里もどんな食べものを選ぶかあかるく話しだす。悠里はひさびさに調理しがいのある食材をまえに、料理の想像力が働きだす。
胡桃「あたしはベーコンにしようかな」
悠里「鶏肉のベーコンって食べたことないわね」
中野「火つけて、料理しようぜ。フライパンってあるか?」
永井「中野おまえ、料理できんの?」
中野「焼けばいいんだろ?」
悠里「わたしが料理するわね」
悠里が即答した。
由紀「わっ! たのしみ~。こーくん、りーさんは料理得意なんだよ」
中野「へえー、すげえな。若狭さんなら、永井とちがって毒入れられる心配もねーし」
永井「余計なこと言うなって」
悠里「……料理はわたしがするからね永井君!」
胡桃「永井、明日から調理当番外れてくれる?」
永井「いまは毒物の類いは持ってないって」
美紀「持ってないとかじゃなくて、入れないって言ってください……」
おまけ①は以上です。投稿ミス連発失礼しました。
余談ですが、永井の本のラインナップは共通点がありますので気になる方はぜひとも読んでみてください。どれと面白いですよ。
蛍光灯の薄い灯りのもと、この施設の休憩スペースらしいその場所に、七人の男女がいる。壁に隅には、二台の自動販売機が並んで置いてあったが、その中身はとっくにすべて持ち出されていて、いまではすこし色が褪せた商品サンプルをむなしく披露しながら、白い灯りを浴びて佇んでいる。
場の上座とおもわれる場所に、ワイシャツの袖をまくった戸崎が立っている。前方に並んで立っている戸崎と下村から、今後の活動方針についてレクチャーを受けるように、四人の黒服がそれぞれ席についている。黒服たちのテーブルから離れた場所に、オグラが座っており、そのテーブルのうえの灰皿には、すでに十本ほどのタバコの吸殻が捨ててあった。戸崎はオグラのほうに視線をむけ、話をするよううながした。
オグラ「単刀直入に話すとしよう」
オグラ「この事態の原因、こいつは亜人の体細胞から作られている」
オグラ「とはいっても、そのことによって死んでるくせに徘徊したり生きてる人間をとって食うようになったわけじゃない。この資料に書いてあるように、もともとは単なる生物兵器で、これらの効果はすでに開発済の兵器に備わっていた」
オグラ「亜人に関係してくるのはここからだ。このランダルという企業がどこからのお達しでこの生物兵器を改良しようとしたのかは知らんが、とにかくこいつらはこれを死なない兵器に作り変えようとした。つまり、対亜人用兵器にだ」
オグラ「完成形として目指されたそれはおそらく脳を仮死状態にし、肉体の機能、思考力や運動能力を奪うことが主目的とされただろう。亜人を起源的な意味でのゾンビに仕立てようとしたわけだ」
オグラ「そして、その際に着目したのがIBM粒子というわけだ。ご存知のとおり、この物質は亜人によってしか生み出されないし、存在もしない。これを利用すれば亜人のみを標的にしたうえで、感染を拡大できるとふんだわけだ」
平沢「事態を見る限り、成功したとは言いがたいな」
オグラ「当然だ。そもそも、目に見えない物質をどうやって利用する? 前提から間違ってんだよ、これを作ったやつらは。IBM粒子を亜人の肉体以外に定着させたところは興味深いが、それ以外は完全な失敗だ」
戸崎「だが、その失敗のせいでわれわれは危機に瀕している」
オグラ「そう。しかも、よりにもよってこれに対するワクチンのせいでな」
真鍋「そりゃどういう意味だよ?」
戸崎「オグラ博士、続きをたのむ」
オグラ「ワクチンの効用についてはすでにあんたらの知ってのとおりだが、おもしろいのはその副作用だ。感染の初期段階でワクチンを投与した場合、症状の進行を遅らせることができる。あくまで遅らせるだけであって、完治はしないんだが、その過程で思考力や運動能力は保持したまま肉体はやつらと同様の状態を示すようになる」
オグラ「具体的には極端な低体温、血流の低下、意識混濁、睡眠障害、味覚障害、温痛覚障害などだが、それらよりもっとも重要なのは、やつらから攻撃対象として認識されなくなる点だ。泥だらけのシュワルツェネッガーにプレデターが気づかなかったように、見事にスルーされるってわけだ」
戸崎「つまり、この副作用を利用すれば、ある程度の状況のコントロールすら佐藤には可能となるということだ」
……(沈黙)……。オグラをのぞく一同は戸崎の言葉を重く受け止めている。オグラだけがあいかわらず不味そうにタバコを吸い続けている。しばらくして、平沢がワクチン投与の副作用についてある質問をオグラにする。
平沢「血流が低下してるといってたが、それは麻酔銃の効果は望めないということか?」
オグラ「そう受け取ってもらってかまわない。事実、麻酔に限らずだが投与した薬物の効果が現れるまで極端に時間がかかるようになった」
真鍋「マジかよ……戸崎さん、対亜の話はどうなったんだ?」
戸崎「対亜人特選群の再組織化はあまり芳しくないのが実状だ。組織の概要を知る私と亜人の特性を知るオグラ博士の助言によって、それらしい形はできてはいるが、実際の指揮運用についてはコウマ陸佐ほか、限られた人間しか知らなかった。そのかれらの安否も絶望的なのはいうまでもない」
真鍋「おいおい……ただでさえ佐藤がやりたい放題できる現状で、対亜すら組織されてねえのかよ。つぎはやつらで満杯の旅客機でつっこんでくるかもしれねえってのに」
戸崎「だが、われわれはそれでも佐藤と戦わなければならない」
真鍋「どうしてだ? また佐藤が襲撃してくると決まったわけじゃないだろ?」
黒服・1「やつだってこの事態への対応に追われてるはずだ」
真鍋の意見に同調するように髪をオールバックにした平沢と同年代と思われる年嵩の男が戸崎に反論した。その隣に座っている、黒服たちのなかでは比較的若い男は無言のままだった。沈黙というより寡黙という言葉がふさわしいその態度は、若い黒服の男が職業的に獲得したプロフェッショナリズムの現れだった。
戸崎「その障害はわれわれよりはるかに少ないだろう。生存のための基盤作りはやつにとって日常的な作業とそう変わらないのは、あなたたちも分かっているはずだ」
……(再び沈黙)……。先ほどの沈黙とは性質を異にする今回のそれは、いうまでもなく肯定の表明だった。
戸崎「私は以前、個人的に佐藤の過去を知る人物に面会に行ったことがある」
しばらくして、重い沈黙を打ち破るように、戸崎が語り出した。
戸崎「ベトナム戦争終結後、米軍の完全撤退が完了して一年が過ぎた、一九七六年のことだ。その人物の弟がいまだベトナム国内に捕虜として囚われているとの情報を入手した米軍は、彼を佐藤が所属していた特殊部隊に同行させ、ベトナムの奥地まで送り込んだ。そこは、戦争終結後も戦いはまだ続くと信じていた、ベトコンのなかでもとくに狂信的な集団百人ほどが潜伏している地域だった。厳重な警備をくぐり抜け、佐藤らチーム四名は捕虜を救出。あとはピックアップポイントまで後退すればそれで任務はおわるというときだった。発砲ひとつ、わずかな物音ひとつすらたてなかった佐藤が、突然、拳銃を手に取り、引き金をひいた。一発の銃弾が、百人の敵を呼びよせた。おびただしい数の敵との戦闘。なんとかヘリまでたどり着いたものの、チームのひとりは死亡、もうひとりは重傷。佐藤も片足を失った。佐藤が拳銃の引き金をひく直前、チームに同行した彼は、ポーカーフェイスと渾名された佐藤の表情が変わるのを初めて見たそうだ。その表情は、われわれでいう、喜びの表情そのものだった、と彼は語ってくれた」
戸崎「佐藤のテロリズムには、政治的目的も宗教的目的も存在しない。争乱を引き起こすこと、戦いそのものがやつの目的だ。このような事態の渦中であろうと、それでわれわれが滅びようと、やつの本質が変わることはない。佐藤は必ず人類に対して戦いを仕掛けてくる。われわれが生き残るためには、佐藤を止めるより他に選択肢はない」
三たびめの沈黙は、今度は戸崎に緊張をもたらした。黒服は職業的な戦闘者たちだったが、それ故に先ほどの戸崎の説得が、黒服たちが佐藤との戦闘を放棄する理由にもなりえた。戸崎の体感時間は引き延ばされ、賽の目が出るには長すぎる時間を口を結んだまま、無言で耐えていた。実際に黒服たちが結論をだすのにかかった時間は一分ほどで、それは相談というかたちをとることはなく、一人ひとりの裁量による決断だった。最初に口を開いたのは、平沢だった。
平沢「戸崎さん、おれはあんたの命令通りに動く。それ以外にやるべきことはない」
次に発言したのは、黒髪をオールバックにした年配の男だった。
黒服・1「生き残るにしても戦うにしても、どっちにしろやることに変わりなさそうだ」
黒服・2「食糧、武器弾薬の供給は優先的にされるんだろ? 」
戸崎「ああ。私が保証する」
黒服・2「なら問題ない」
最後に真鍋が口を開いた。
真鍋「ちっ……まあ、平沢さんがそういうんなら? おれもやるよ」
戸崎は、隣に立つ下村に目を向けた。戸崎が何かいうまえに、下村は自分の意思を表明した。
下村「わたしの仕事はあなたを守ることです。仕事は、まだ終わっていません」
戸崎「あなた方に感謝する。食糧、水、その他必要な物資はかならず用意すると約束する」
オグラ「おれがFKで死ねるくらいにはねばってくれ」
オグラがタバコを吸いながら、口を挟んだ。
戸崎「あなたたちは亜人捕獲の経験がある。それをもとに各自でなんらかの意見を次の会議で出してくれ。それでは解散する」
戸崎と下村は休憩スペースから離れ、割り当てられた業務用の一室にむかった。白っぽい、無味乾燥とした廊下ですれ違うものはだれもいなかった。施設を自由に行き来できる収容者は限られていたため、ある特定のスペースには雑然と人でごった返しているのに、その他、施設のほとんどのスペースは無菌室のように白く閑散とした空白ばかりが目に映るといったありさまだった。
戸崎は部屋にむかいながら、現実問題として、佐藤と戦える猶予はそう残されていないと考えた。人的資源も、物的資源も、時間経過に比例するように減ってきている。そういった資源の減少がなくとも、日常が一変し、外に出ることはかなわず、一か所に押し込められ、外に出れば“かれら”の群れにはらわたを喰われることを覚悟しなければならない、そんな状況では精神的に磨耗するしかなかった。時間がたてばたつほど、われわれは弱くなっていく、と戸崎は思った。
戸崎が部屋の前につくと、ドアにメモが貼ってあるのをみつけた。手にとってメモの内容を読む。戸崎はメモを下村に渡し、書かれている内容を読むようにうながした。
下村「戸崎さん……!」
戸崎「ああ。永井圭の潜伏地域がわかった」
二人はすぐさま身体を翻し、また別の部屋にむかった。
下村「やはり、巡ヶ丘市内に潜伏してたようですね」
戸崎「ヘリが消息を絶った地点に調査隊を送り込んで正解だったな。IBMのものと思われる痕跡があるとは予想していたが、血液が残されていたのは僥倖だった」
下村「しかし、すでに市内から脱出しているのでは?」
戸崎「永井はバカじゃない。このような状況なら、先を見越して自らが有利に立ち回れるような行動をとるはずだ。マニュアルを入手しているのなら、行き先は予測できる」
下村「しかし、われわれに協力するでしょうか?」
戸崎「させてみせる。そのための切り札は、こちらにある」
二人は目的の部屋の前についた。中に入ろうとしたとき、ドアノブに手をかける戸崎の顔に、一瞬、憂い表情が浮かんだのを下村は見逃さなかった。戸崎の身に沈んだ憂いは、ドアを開ける手の動きを通常より遅らせ、下村が戸崎に声をかける時間を作り出した。
下村「戸崎さん、大丈夫ですか?」
戸崎「なにがだ?」
戸崎の表情は、いつものように、公人にふさわしい感情の読めないものに戻っていた。
下村「いえ……失礼しました」
戸崎「……下村君、きみはなぜまだここにいる?」
下村「はい?」
戸崎「佐藤に与する理由がないように、君が佐藤と戦う理由ももはやないはずだ。いま離脱しても、君を責めるものはいないだろう」
下村は記憶を反芻していた。永井と中野を捕らえた数日後のことだった。事態の進行は深刻なスピードで広がっていた。戸崎と下村は、数日前と同じように、戸崎の婚約者の病室にむかって走っていた。叫喚が病院に響くなか、戸崎は、身の危険も顧みず階段を駆け上っていく。下村の静止を振り切り、戸崎は走り続けた。戸崎の足が三階に届いたとき、看護師服を着た“かれら”が三体、戸崎の前に現れた。下村はIBMを発現し、“かれら”を瞬時に無力化した。
二人は目的の病室のある階までたどり着いた。下村はIBMを病室まで先行させた。ルートの障害になる“かれら”を無力化したあと、戸崎と下村は拳銃を構え、警戒しながら、目的の病室まで足を進めていく。婚約者は無事だった。生命維持装置はまだ機能を続けていて、彼女を死の境界線より上に、なんとか位置づけている。
病室には白い衝立が置いてあり、婚約者に気を取られていた戸崎は、入り口から衝立の後ろに続く足跡に気がつかなかった。衝立に影が浮かびあがり、黒く丸まっていたその影が、蛹から脱皮する昆虫のように身体をのばした。ガタン、と衝立が揺れた音がしたかと思うと、衝立は倒れ、歯を剥いた死者が戸崎に踊りかかろうとしていた。戸崎は婚約者の様子をうかがうため、拳銃をホルスターに収めてしまっていた。下村が拳銃の引き金をひいた。銃弾が脳を破り、死者の身体からは力も害意も消えてしまった。
銃弾は、生命維持装置の上を通り過ぎ、装置の真上にある壁にちいさな穴をあけた。意志的な力を失い、残された運動は、重力によって床に接地するだけになった死者は、まるで壁にあいた穴に吸い込まれるように、身体をぐにゃんと傾け、生命維持装置めがけて倒れこもうとしていた。
下村「あっ」
下村のIBMが、弾かれたように倒れこむ死者にむかって接近する。宙に投げ出された死人の手を、IBMの黒い手が掴もうとする。アクション映画なら、死人が落ちる先に、床は存在しない場面だった。IBMの手は間に合わなかった。死人は、生命維持装置を巻き込みながら床に倒れた。直後、病院の灯りがすべてついえて、すぐそばにいたはずの婚約者の姿が、戸崎の目の前から消えた。下村は、それからあとのことは思い出すのをやめた。
下村「わたしは、もう、だれも死なせるつもりはありません」
戸崎「……そうか。下村君、改めて感謝する」
下村「いえ」
戸崎がドアを開けた。部屋はまるで病室のようだった。ベッドのうえには、ひとりの少女がいて、三つ編みをふたつ垂らして、身体を起こしている。その少女は、部屋に入ってきた戸崎を見て一瞬ひるんで顔をふせたものの、見覚えのある下村を見て、すこしだけ緊張がほぐれたようだった。
戸崎「永井慧理子さん」
戸崎は、ベッドの上でまだ顔をふせがちな少女にむかって呼びかけた。
戸崎「あなたのお兄さんの行方がわかりました」
永井慧理子と呼ばれた少女は驚き、戸崎と下村の方へパッと顔を向けた。
戸崎「あなたに協力してほしいことがある。われわれには、どうしても永井圭の力が必要だ」
おまけ②おわり。戸崎たちのいる施設の描写はかなり適当です。
われながら、半感染状態の佐藤さんはいいアイデアだと思うんですがどうでしょう?
中野が言っていた村井さんというのはアイアムアヒーローのブライですか?
もしそうならこの世界のどこかには英雄や藪がいるかもしれませんね。
>>562 思いつきで入れた小ネタだったんですが、気づいてもらえるとうれしいですね。
『アイアムアヒーロー』といえば、海法さんもツイッターで呟いてた11月に出る「世界初、ゾンビ総合的学術研究書」たる『ゾンビ学』という本でかなりのページを割いて論述されてるみたいなんですが、目次を見る限り『がっこうぐらし!』も扱われてるようです。それどころか周縁的な扱いですが『亜人』もこの本に登場するようなので、このssの作者としてはかなり気になる本です。
今夜はおまけ二本です。と、そのまえにシャワー浴びてきます。
では、いまから投下します。
琴吹武は、このような隙間だらけの建物に腰を下ろしたのはいつぶりだろうと感慨にふけっていた。琴吹がいるのは、建築途中のマンションの十五階にあたる場所で、いかなる壁も窓も存在していなかった。コンクリートの柱と各階層の基盤となる床、というか平べったいコンクリートの塊といったほうがその実に近い、外から見れば立体駐車場みたいな建物だった。
いま琴吹がいる場所の右手にあるのは、一時間ほどまえに西日が差し込んできた、映画館のスクリーンのような、長方形に切り取られたガラスもなにもない、窓代わりの開いた空間だった。横七・〇五メートル縦三メートルの大きさで、この横縦比率二・三五:一は、シネマスコープと呼ばれるスクリーンサイズと同じ比率だった。この大画面から見えるものは、どこにでもあるありふれた街の風景でしかなかったが、一時間前に夕日で一面赤く染まった街並みを見下ろしたときは気分がよかった。その風景を見たとき、琴吹はむかしテレビで観た『風櫃の少年』という映画に、ちょうどこれと同じようなシーンがあったことをふと思い出していた(しかし、『風櫃の少年』のアスペクト比は一:一・八五のアメリカンビスタだ)。
目の前では、海斗がインスタントラーメンを作っていた。底の深い鍋に沸騰したお湯がぐつぐつ煮えていて、黄色っぽい乾燥麺がふたつ、湯がかれほぐれていた。海斗は鍋に粉末スープの素を入れた。二人分なので二袋。砂時計の砂のように一定の速度で粉末を落とし、ダマにならいよう箸でかき混ぜていく。粉末が溶け、鍋から味噌の匂いがたった。海斗はインスタントラーメンを器に取り分け、一つを琴吹に渡した。海斗は自分の分を器に入れると、すぐには食べず、アウトドア用のコンロの上にケトルを乗せてから麺をすすった。しばらくして湯が沸くと、海斗はコーヒーを作った。
琴吹「ラーメンにコーヒーって合うのか?」
海斗「口の中にいっしょにいれなきゃいい」
海斗はそういってスープを飲み干した。琴吹は海斗のそっけない返答に心のなかで舌打ちし、残りを食べた。食事が終わると、砂糖とミルクもない真っ黒なコーヒーを飲みながら、琴吹はスクリーンに視線をやった。日は完全に落ちていて、かすかな光さえもその長方形から入り込んではこなかった。完璧な暗闇。琴吹は突然、自分はスクリーンの裏側にいるのだと感じた。暗闇を照らすものは、琴吹と海斗のあいだに置かれたランタン型の懐中電灯だけしかなく、このあたりの唯一の救いの光源となっていることが、琴吹を見る側から見られる側へ転倒させたと感じさせた。
琴吹「おい」
海斗「ん?」
琴吹「永井圭は亜人だろ?」
琴吹はコーヒーに視線を落としている海斗に言った。
海斗「ああ」
琴吹「それでも探すのか?」
海斗「友達だからな」
海斗の顔を上げず、琴吹に対してそっけなく答えた。そのひと言で、理由のすべてが説明できるかのような口ぶりだった。
琴吹「あっちは助けなんかいらないかもしれないぜ?」
海斗「そのときは引くさ」
海斗は壁の中にいたとき、その言葉と同じようなことを言った。いままた、壁の中にいたときと同じような答えを返された琴吹は、そのときと同じことを思ったが口には出さなかった。いまいる場所に壁なんてものはないし、このような状況にも関わらず目的が変わらない海斗に同じことを言ってもしかたないと思ったからだった。
琴吹「じゃあ、まだこのあたりを捜索するのか?」
海斗「ああ」
琴吹「永井圭を見つけるまえに死ぬ気かよ?」
海斗「死なないように気をつけてる。おまえこそ、死なないようにしろよ」
海斗の言葉を聞いて、琴吹はなにをしゃべればいいかわからなくなった。まさか、この後に及んでこいつはおれが亜人だということを気がついてないのだろうか、という疑念が琴吹の頭を過ぎったが、それは海斗の次の言葉で誤解だとわかった。
海斗「亜人でも死ぬときは痛いんだろ?」
琴吹「海斗、おまえ、おれを永井と重ねんのか?」
海斗「そこまでバカじゃない」
琴吹「そうか?」
海斗「おれはおまえを出来るだけ死なせたくないと思ってる。亜人でもな」
琴吹「海斗、やっぱりバカだぜ、おまえ」
海斗「あそう」
琴吹「どうやってあの壁を越えたのか、わかってねえのか?」
海斗「なにか特別な力があるんだろ? 亜人には」
琴吹「わかってるじゃねえか」
海斗「でも、そんなに何回も使えない」
琴吹「永井から聞いたのかよ?」
海斗「いや。でも、見てたらわかる」
琴吹は黙った。
海斗「亜人の特別な力は日に何度も使えない。だから、おれは外に出てバイクを運転する。何かあったとき、すぐに助けに行って逃げれるように」
琴吹「……」
海斗「バイクのケツに乗ったことあるだろ?」
琴吹「ああ」
琴吹は昔の友達のことを思い出していた。自分が亜人だとわかるまえのことで、琴吹が恩を与えた相手だった。琴吹が海斗にその友達のことを話したことはない。これからも話すつもりはなかった。おそらく、もう死んだであろうそいつのことなど、琴吹にはもうどうでもよかった。
琴吹は潰れたタバコの箱から一本取り出しそれを海斗に手渡した。海斗は琴吹から受け取ったタバコを口に咥えてからコンロを付けると、青い円を形作る火にタバコの先を近づけた。タバコの先端が赤く光り、そこから白く細い煙が立ち昇る。細煙は電灯の光を受けとめ、みずからの白色と電灯の黄色い光を調和させ、はちみつのような淡い色を生み出していた。
琴吹は自分のぶんのタバコを取り出した。口に咥え、火を付けようとするのだが、そのタバコは湿気っていて火が付かなかった。琴吹はそれをスクリーンの外の闇に投げ捨てから、もう一度箱の中身を見た。さっきのが最後の一本だった。琴吹はタバコの箱を握りつぶし、仕方なくぬるくなったコーヒーを啜った。その様子を、吐き出した紫煙越しに見ていた海斗は、右手の人指し指と中指のあいだに挟んでいたタバコを左手の親指と人指し指で掴み、手首を捻って吸い口を琴吹に向かって差し出した。
琴吹は黙ってそれを受け取ると、口にタバコを咥え存分に味わった。今度は海斗がコーヒーを飲む番だった。しばらくすると、琴吹がさっきの海斗と同じ行動を取った。海斗もまた、琴吹がそうしたように無言でタバコを受け取った。
タバコを根本まで吸い切るまで、二人のあいだでタバコの移動が続いた。外から見ると、タバコの赤い火がまるで蛍の光ように見えた。タバコが一方の口に咥えられているとき、もう一方の口はコーヒーに浸されていた。コーヒーの色は、今夜の新月の風景のように真っ黒だった。やがて、タバコの小さな赤い灯も、すっかり冷めてしまったわずかなコーヒーの残りもなくなってしまった。
琴吹「寝るわ」
海斗「おう」
二人は寝床につき、海斗は灯りを消した。目を閉じた琴吹は、自分の心臓の音がやけに大きく聴こえる気がした。琴吹は色聴者ではなかったが、その鼓動の音を聴くと、まぶたの裏に赤い色が見えてきて、黒い背景のまえでその色がゆらゆら踊っている光景が浮かんだ。琴吹はその光景を、目を閉じたままじっと見ていた。その灯りはとても小さくて、タバコの先端についた赤い火みたいだった。揺れる火を見つめるうちに、琴吹の閉じたまぶたの内側が暖かくなってきた。琴吹はその熱を感じながら、こんなに小さくても火は火なんだな、と思った。
隣では海斗が眠っていた。すこししてから、琴吹も眠りについた。小さな赤い灯はそれで消えた。十五階は真っ暗闇になった。だが、そんな真っ黒闇のなかでも、二人の人間が確かにそこで鼓動を刻み、生きていた。
おまけ③終わり。
立てこもるなら、少年院ってけっこういい場所なのかも。でも、雰囲気は悪そう。
その建物は堅牢さではシェルターと呼ぶにふさわしい立方型の建物で、シャッターを閉めきれば地面と接する四方の壁に建物への入り口はなく、梯子を使って屋上から中に入らなければならなかった。
屋上には銀行の金庫室の扉を思わせる丸い入り口があり、そこについているハンドルが内側から回され、軋んだ音を立てた。中から一人の男が出てきた。男は昼休憩に出てきたといった風情で外の空気を吸った。タバコを取り出し口に一本咥え、ライターで火を付け、深々と吸う。鈍い光が降り注ぐ冬の朝みたいに、男は白い煙をばーっと吐き出した。タバコの煙は上空に向かって真っ直ぐ消えていった。
男は頭をからっぽにしてタバコを吸う以外の何の動作もしないでいると、白く立ち昇る煙の向こうに、黒い狼煙のようなものが上に伸びているのが見えた。男が狼煙の方へ近寄ってみると、予想した通り黒い幽霊がいた。黒い幽霊の頭部は、上から見下ろすとハンチング帽のように見えた。
男が幽霊から視線を外すと、“かれら”が一体、迷い込んだみたいに建物の前にいるのがわかった。その死んだ迷子は黒い粒子の狼煙を目印にやって来たようで、直立不動の姿勢のままでいる幽霊にのそのそと近づいていく。男は迷子のゆっくりとした接近をじっと見守っていた。迷子の死者は、幽霊に一メートルほどの距離まで迫っていた。一歩踏み出し、死者は歯を剥いた。どこでもいいから幽霊の身体に噛みつこうとしていた。
突然、黒い幽霊が首を巡らして死んだ迷子を見た(といっても、幽霊に目はなかった)。そして、平べったい頭部が上下に割れたかと思うと、次の瞬間には、幽霊が死者の頭部をまるごと齧り取ってしまっていた。首から上が無くなった死体はごろんと地面に倒れた。嘴の先に食べ物を咥えた鳥がそうするかのように、幽霊は頭を上に向け喰いちぎった頭を喉の奥へ落として、頭蓋骨を噛み砕いた。
佐藤「田中君」
田中と呼ばれた男が振り向いた。ハンチング帽をかぶった白髪の老年の男がそこに立っていた。帽子の男の目は糸のように細く、普通の人間みたいに眼球が存在するのかすぐにはわからなかった。
田中「佐藤さん」
田中は佐藤が隣に来たので、吸っていたタバコを携帯灰皿に捨てた。二人は並んで咀嚼を続けている幽霊を見下ろした。
田中「あれ、命令してないんすか?」
佐藤「うん。とりあえず、自分で動くようになったみたいだね」
黒い幽霊は飼い犬が皿に盛られたドッグフードをほおばるように、首のない死体をばくばく食べていた。食べられている肉体は当然ながらすでに死んでいたので、血は吹き出ることはなく、食いちぎられた傷口から静かに漏れだし地面を濡らした。
佐藤「そういえば田中君、もう奥山君から聞いたかい?」
田中「なんすか?」
佐藤「永井君、このあたりにいるらしいよ」
田中「よくわかりましたね、そんなこと」
佐藤はなにも言わず、真下にいる黒い幽霊を指差した。幽霊は食べるのをやめ、地面にしゃがんで犬みたいに待っていた。
田中「内通者っすか……しかし、そいつ、こんな状況なのによくおれらに情報を流す気になれますね」
佐藤「人間だからねえ。あんまり死ぬのを怖がってると、死にたくないより怖がりたくないって思うようになっちゃうんだ」
田中「それ、『ソナチネ』の台詞もじりっすか?」
佐藤「うん。よくわかったね」
また一体、建物の前に“かれら”が迷い込んできた。佐藤はちょうどいいものを見つけたというふうに梯子を下り、その一体に近づいていった。
田中「ちょっ、佐藤さん! 武器は?」
田中の静止を気にもとめず、佐藤はその一体に向かって歩いていった。その一体も、佐藤の姿を認めた。先に死んだ“かれら”がそうしたように、歯を剥いて佐藤に噛みつこうとしていた。かあっ、かあっ、と舌を使わない音が口からもれる。歯を剥いたその一体には、すでにただの死体になった仲間の姿は見えないようだった。幽霊もすでに消滅していて、その一体の目には脅威らしきものはなにも見えなかった。
佐藤もその一体も、互いに正面から近づいていった。すり足のように足を動かす“かれら”と違い、佐藤の足取りはまっすぐ大股だった。なので、仕掛けるタイミングは佐藤のほうが早かった。佐藤の両手がその一体の頭に伸びた。右手は頭頂部を押さえ、左手で顎を下からがっちり掴んだ。まるでセメントで固められてしまったかのように、その一体の全身がピクリとも動かなくなった。佐藤の前腕に力を込められ、筋肉が膨らみ、手のひらを通じて頭部に多大な握力がかかった。顎を掴んでいる左手も同様で、開いた口は無理やり閉じられ、その一体は血と肉で汚れていた歯で自分の舌が潰され、赤い舌が靴が脱げ裸足になった右足に落ちた。
佐藤は、時計の針を調節するぜんまいを巻くときのような軽やかさで死者の首を捻り折ってしまった。ばきりという子供が木の枝を折って風景に属していたものを自分のものにしてしまう音がして、頚椎は完全に破壊されていた。“かれら”の肉体は腐りはしていなかったが、どこもかしこもかなり損傷していて、それは首の肉も例外ではなかった。頭部の上と下が一八〇度回転したとき、佐藤からみて首の左側の皮と血管とそのまわりの肉が裂けて開いた。まぎれもない素手の作業なのに、ナイフですばやく切ってしまったみたいに死者の首は開いていった。そのあと、肉体とつながっていた部分もジッパーを開いたみたいに裂けていって、死者の肉体はだらしなく重力に従って地面に倒れた。
佐藤「注射器を取ってきてくれるかい、田中君?」
佐藤は頭を捨て、一部始終を目撃したため梯子を下りたところで固まっている田中に向かっていった。
佐藤と田中が建物のなかに戻ると、銃器の点検を終えた高橋とゲンが与太を飛ばしていた。奥山は、ソファに腰掛けた二人から離れた位置でドローンの改造を行っていた。三台のドローンが作業台の上に置いてあって、すでに改造を済ませた二台が等間隔に並べられている。奥山はドライバーを使い、三台目のドローンから不要なパーツを取り外し作業台の傍に寄せた。左右から取り外したパーツがあった場所に音響装置をふたつ装置すると、奥山は改造ドローンをふたたび作業台の上に置き、タブレットを手に取った。奥山の指がタブレットに触れ、あらかじめプログラミングされた自律飛行のパターンに従って三台のドローンが起動した。
ドローンは真上に浮上すると、左右に備え付けられたスピーカーからショッピングモールで流れるような陽気で間の抜けた音楽を流しながら部屋の端まで飛行し引き返し、作業台の上に着地した。ドローンが流した音楽は、ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』のショッピングモールのBGMだった。
佐藤「いいねえ」
奥山「まだ試験段階だけどね。ちゃんと効果的に使うには台数も増やさなきゃならないし、プログラムも書きなおさないと」
高橋「なんか音楽ダサくねえ?」
ゲン「間抜けな感じだよな」
奥山「そういう君らは他にいい曲知ってるの?」
高橋「これなんかどうよ?」
高橋はマイクの横に積まれたCDの山から、サム・クックのベスト盤を選び、手に取った。ケースからCDを取り出し、ミニコンポに入れ、十二曲目を再生する。ピアノによるイントロ。そこにドラムとギターの音が重なり、黒人特有のよく通るボーカルが歌を歌い出した。
佐藤「“ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー”か。渋いの選ぶねえ、高橋君」
ゲン「これ、なんて歌ってんの?」
佐藤「出ていった恋人に帰ってきてくれって懇願してるんだよ」
高橋「宝石でも金でも渡すからってな。そんな曲が聴こえるなかで、生き残ってるやつらが死んだ恋人や家族に再会したら笑えるだろ?」
田中「『猿の手』かよ」
奥山「いいんじゃない? ゾンビーズもカバーしてる曲だし。それより、佐藤さん。その注射器」
佐藤「うん。かれらの血だよ」
高橋「……はっ」
ゲン「マジかよ」
高橋とゲンは、佐藤の発言に驚きを隠せなかった。
佐藤「とりあえず、四分の一ほど注射してみるよ。そのあとはワクチンを射って様子見かな。奥山君は、その後の私の状態をチェックして記録してくれないかな?」
田中「マジでやるんですね……」
佐藤「早くしないといま生き残ってる人たちの数がどんどん減っていっちゃうからね」
佐藤は自分の腕にかれらの血の入った注射器を刺した。さきほど口にしたい通り四分の一ほどの量を注入すると針を抜いた。その後、しばらく時間を置いてから佐藤はワクチンを打ち込んだ。田中たちには、佐藤がどのように変化したのか、見た目からは判断することができずにいた。佐藤はワクチンの入った注射器を腕から抜き、テーブルに置いた。
佐藤「そうだ、みんな。黒い幽霊の放任の成果はどうかな?」
佐藤は何事もなかったかのように、四人にむかって話しかけた。
高橋「おれと田中だけだよな、放任やってんの」
ゲン「おれは黒いの出せねーし、奥山はド下手だしなあ」
田中「やってはいますけど意味あるんすか? やつらしかいないんだし、適当に命令しても問題ないすよ?」
佐藤「幽霊は二体同時に出せるけど、命令して動かせるのは一体だけでしょ? でも、放任して自我を育めば、その問題を解決できるかもしれないからね」
佐藤の言葉は、一同を高揚させるものがあった。ただ、田中だけがいま以上の暴力の獲得に疑念を抱いているようだった。
そんな田中の様子に佐藤が気がついていないのか、それとも気がづいていてあえてそのままにしているのかは、やはりわからないままだった。佐藤はいつものように微笑みながら、その細い目で、すべてを見渡しているかのように田中たちを、そして、壁の向こうにある外の世界を眺めてから、こう言った。
佐藤「さあみんな、精一杯頑張ろう」
佐藤「私たちの働きぶり次第では、人類はほんとうに滅んでしまうかもしれないよ?」
以上でおまけの方もすべて終わりです。ここまでお付き合いくださって本当にありがとうございました。いずれまた、原作が進んだときにでも、この続きが書けたらなと思っています。
あと別のアイデアですが、アニメ版の『シンデレラガールズ』と『亜人』とのクロスも思いついたりしました。もし新田美波の弟が永井圭だったら、というのがそのアイデアで、発表された曲を一度も聴いたことがない、姉のアイドル活動に全く無関心な弟がいたら異質な感じがしてもしろいかな、と思うのですが新田さんの心労がえらいことになりそうだ。
それでは、機会があればいずれまた。重ね重ねありがとうございました。
このSSまとめへのコメント
すげーおもしろかった