雨と狐と焼きそばパン(225)

少年「……傘が無い」

そう、傘が無い。これは一大事だ。何せ外は大降りの雨だ。ゲリラ豪雨よろしく意気揚々と空から地面に飛び込む雫を、彼は校舎から呆然と眺めていた。

午後から雨が降るというのは朝からニュースでやっていた事で、事実傘だらけだった。しかし今一本も無い。ありえない事に。

少年(盗るとか無いわー……)

所詮安物の傘だったが、自分の名前を書き込んだ物を盗られるというのは、彼にとっては中々ショックな出来事だった。

その上彼の家は学校から全校生徒の中で一番時間が掛かる場所にある。何故ならば、中々高い山の上にあるのだ。しかもバスが麓すら通らない。

お陰で全校生徒中彼だけ自転車通学。何とまあ不幸な事であろうか。傘を盗んだ相手が自分の代わりに風邪を引くよう彼は願った。

少年(どうやって帰ろう……)

家が遠い彼の楽しみは、帰宅途中の道にあるパン屋で焼きそばパンを買い食いしながら帰る事だった。

しかし傘が無いとなるとそんな事してたら自分もパンもずぶ濡れだ。濡れたパンを食べるのはきつい。パンじゃなくてもきつい。

電話で親に迎えに来てもらうのも仕方ない、と考えた彼は、携帯電話を取り出すも、画面に映るは自分の顔だけ。つまり、充電切れだ。

これで、雨の中を全力疾走する事が確定した。傘を盗んだ相手が凄まじく嫌いになっていた。顔も知らないのに。

少年「はぁ……はぁ……」

夏場において全く嬉しくない、温いの雨の洗礼を受けながら、山道を突っ走る少年。雨は時間が経つ程激しさが増していく。

どうしてこんな目に、と愚痴を言いながら、走り抜けるしかなかった。

少年「……あ」

気付けば何時ものパン屋の前に立っていた。少年、迷う事無く入店。焼きそばパンが彼を呼んでいた。

そしてずぶ濡れの常連を目撃する店長。朝は傘を持っていたのを見かけて挨拶までしたのに、彼は傘を持っていなかった。

もしかしてイジメでも……!?と邪推して慌てふためいているのを、少年は不思議そうに見ていた。

店長「私は君の中学出身で、そこの先生と知り合いだから、少しは力になれるからな!」

少年「え?……じゃあ、その、タオルありますか」

店長の言ってる事が全く分かっていない少年だったが、取り合えず焼きそばパンを濡らさず取る為に、手を拭くタオルを要求した。

何せハンカチはあったが服と一緒にずぶ濡れになっていて、水分を拭い取るという唯一の仕事を放棄していたから仕方がない。

それくらいお安い御用とばかりに、ふっわふわのタオルを持ってきてくれた店長に感謝しながら、手を拭いた。

店長のタオルは、水分吸収効率が高く、あっという間に手に付いた雨粒はタオルに引っ越していった。

どこぞの薄っぺらい布きれ一枚と比べれば、非常に素晴らしい仕事をしてくれたものだ。

このパン屋では何故か焼きそばパンは何時も売れ残っている。学生の懐事情に優しいかなり安め、どころか店の中で最安の値段なのだが。

むしろ安すぎる所為で怪しまれているのかもしれない。他のパンはかなり売れているので、むしろ店長の作戦か。だが、少年が知る事はないだろう。

焼きそばパン以外に興味の無い彼にとってはどうでもいい事で、失礼と思いながら売れ残ってくれてありがとうとも思っているのだから。

少年「はい」

店長「……濡れるだろうし、ラップ巻いとくよ。あと、傘も貸しとくから」

少年「へっ、あ、あぁ……ありがとうございます」

いつものように焼きそばパンをレジに持っていくと、彼の状況に同情した店長が色々気を利かせてくれた。

少年は礼を言いながら、濡れて湿気たカバンからほんのり湿ってしまった財布を取り出し、お金を出す。

ラップの巻かれた焼きそばパンを手にした彼は、それを持ったまま外に出て、店長の傘を差した。

不味い事が起ころうとしていた。何と早速店長の傘が壊れそうなのだ。雨足がどんどんと強くなっていくのと、傘の骨がクソボロいのが原因だった。

このままでは焼きそばパンが食べられない、傘を弁償しなければならないと考えた彼は、どこかで雨宿りしようと考えた。

しかし、この山の中で雨宿り出来る所など、精々木の下――。

少年「……神社?」

普段はさっさと通り過ぎる道だったのだが、遠くに神社っぽい物が見えた彼は、一縷の望みを掛けて走り出す。

次第に木に隠れた、鮮やかな朱色の小さな鳥居が見えてきた。その先には――。

少年「……」

?「……」

『…………』

目が合っていた。小さな神社に居た、狐の耳と尻尾を身に着けた着物の金髪少女と。というかお互い信じられない、といった感じで身動きが取れてない。

少年からすれば、こんな所に自分と同い年位の、しかもコスプレした少女が居るとは思わなかったのだから、驚くのも当然だ。

とにかく、雨宿りしたい少年は、大変気まずい思いをしながらおずおずと神社に足を踏み入れた――。

〈不思議な出会い〉

木造で苔が所々目立つ、古臭さ全開の神社。賽銭箱も朽ちかけでボロボロ、賽銭の文字がほぼ行方不明と、管理している人は居なさそうだった。

屋根は中々大きく、雨宿りには最適……とは少々言い難く、水漏れというべきか、水が滴り落ちる所が点々とある。

神社の扉は開いており、その中には金髪短髪コスプレ少女が静かに座っていた。

少年「あ、あの~……」

?「……」フイッ

声を掛けたが思い切り目どころか顔を逸らされた。あっち向いてほいでもしてたのかと言わんばかりの振り向き速度には少年も口を閉ざした。

神社に濡れた物を持ち込んでビチャビチャにするのはいかがなものかと思っていた少年は、中に踏み込むのを躊躇う。

濡れている所為で座る事も出来ず、賽銭箱の横に立ちっぱなしで、気まずさ回避の為少女に背を向けながら、大人しく焼きそばパンを齧ろうと口を開く。

?「……ねえ」

少年「はっい!?」ビクッ

気付けばすぐ後ろに少女が寄ってきていた。それはもう欲しい玩具を見つけた男の子のような様子で。

見事に耳と尻尾が動き回って、抑えきれない感情を表現していた。

少年「」

?「ねえ……ねえ?」

少年、絶句。当然だ。少年が知る限り、動く耳と尻尾の玩具はこの世に存在しない。つまり、動くという事は、直に生えている事を表していた。

つまり、モノホン。彼女はマジの狐の女の子だったのだ。マジヤバい。目の前でアニメとかマンガとかの世界の住人がこんにちわしてるのだ。

驚かない筈が無い。のだが、少年は冷静だった。というのは嘘で、驚きすぎて放心状態になっているだけだ。固まったとも言う。

?「……。ねえ……大丈夫?」ツンツン

彼女が少年の頬をつつき回していると、流石の彼も放心から復帰する。が、今度は開いた口が塞がらなくなる。

そんな少年の異変とか何とか完全無視で、ある物に視線を注ぐ少女。

?「君のそれ……何?」

彼女が気にしていたのは、少年が手にする焼きそばパンだった。その目はこう告げているのだと少年は理解する。食べさせて、と。

変に断ればどんな目に合うか分からない。怯える少年はカツアゲされている訳でもないのに、焼きそばパンを良いよと言って差し出した。

?「食べ物……?」クンクン

少年「や、焼きそばパン、だよ……」

?「お揚げさんとか、おいなりさんと違う?」

少年「ぜ、全然違う、よ……」

?「そっか……焼きそばパンさんなんだ」

怖がりながらも、何故か食べ物にさん付けする少女を、ちょっとかわいいと思う少年だった。これではちょろい小僧、略してちょろ僧だ。情けない。

?「食べて良い?」

少年「ど、どぞう……」

予め少年が少し齧った焼きそばパンを、少女は躊躇いなく食べ……る前に、半分に引きちぎり、その半分を少年に返した。

全部食べられると勝手に思っていた少年からは、この行動は予想外だった。思わず理由を聞いてしまう。

?「君の物だから、君にちゃんと返さないと。食べたくて持ってた物だよね」

少年「う、うん」

?「だったら、全部食べたら君、悲しいよね。ちょっとしか食べられないなんて、嫌だよね。だから、私が食べるのは、半分だけ」

柔和な表情と言葉で、話してくれる少女。不思議と少年の怯えも、その表情と語りで自然に消えていった。本当にちょろ僧である。

そんな少年の様子も気にせず、話を終えた少女は両手の指で軽く掴んでいた焼きそばパンを、口を小さく開いて恐る恐る齧る。

?「……!」ピコピコ

美味しかったようで、耳を左右に振りながら、一口、一口、また一口と、焼きそばパンを食べ進める。

笑顔で食す姿に、少年も嬉しく思っていた。別に彼が作った物ではないし、怯えながら渡した物であるが。

気付けばすぐに食べ終わった少女は、物足りなさそうな表情を見せながら、御馳走様でした、と少年に深々とお辞儀をした。

?「……ところで」

少年「は、はい」

?「見えるんだね。わたしが」

少年「はい……はい?」

見えるという質問は、普通は見えないという事であって、つまり少年の目は見えてはいけない物が見えているという事なのだ。

しかし驚きすぎて最早ああそうなんだとしか思えなくなる程、少年の感覚は麻痺していた。

?「見える人、初めて会った。だから、目が合った時、話しかけられた時、びっくりしちゃった。顔そらす位」

少年「……じゃあ、ここにずっと一人で?」

?「お姉ちゃんが居た」

そのお姉ちゃんも今は見当たらない。もしかしたら、と考えた少年は、深く聞かない事にした。少女が寂しそうにしていたから。

?「君、名前……何?わたしは、妖狐」

少年「ヨーコ?……ぼくは少年。え~っと……よろしく」

和か洋か分かんない名前だなぁと思いながら、また会うかどうかも分からなかったので、彼はよろしく程度の一言しか言わなかった。

妖狐「少年、さん。うん、少年さん。よろしくね」ニコッ

でも、彼女の笑顔で、ここに足繁く通う事は決まった様な物だった。美少女の不意の笑顔には勝てなかった。男の子だもの。

〈雨が降る日〉

妖狐と話している間も、雨足は強まるばかり。これでは一向に帰れない。まだまだ少年の家は遠い。

山なので当然坂道だらけ。雨が上から下に流れて勢いの強い水流となって襲い掛かってくるのだ。

傘無しで立ち向かうのは、ゲームのラスボス相手にレベル1で何の装備も無しに挑む様な……程キツくは無いが、危険だった。

外を眺めてどうすればいいのか不安がっていた少年。強くなる雨足は不安感を加速させる。

妖狐「雨、止むの待ってるの?」

少年「うん。傘、壊れかけだしね」

そんな少年に彼女は再び話し掛ける。彼女なりの気遣いか、彼女も不安なのか。とにかく、会話が気を紛らわせてくれる。

妖狐「あと少しで雨、止むから。大丈夫だよ」

少年「分かるの?」

妖狐「うん。えっと……何だっけ。分。そう、七分経てば分かるから」

正直嘘っぽいと少年は思っていた。ただこっちの不安を消そうとしてくれているのだと。でも、とりあえず信じる事にしてみた。

別に騙されたって何か悪いかと言えば、どうせいつか雨は止むし、そもそも時計が無いから7分経ったかどうか分からないのだから。

妖狐「……ていう事は、君。好きでずぶ濡れなんじゃ無いんだね」

少年「好きでずぶ濡れになる人居るの?」

妖狐「わたし」

少年「えっ」

まさか目の前にいるとは思わなかった少年。最初からずっと正座をしている彼女を一瞥した。

何故か?少年も思春期の男の子だ、ずぶ濡れになると聞いて、その姿を想像してしまっただけだ。

雨に濡れて着物が透ける姿、透けた着物からその白い肌が見える姿……その先は、首を思い切り振ってかき消した。

妖狐「どうしたの?顔赤いけど……風邪、引いちゃった?」

少年「い、いや、引いてないよ、まだ……」

彼女が少年の顔を覗き込む様に顔を近付けたので、そんな妄想をしてしまった恥ずかしさもあって、少し後ずさりして目を逸らした。

そもそも、彼はそこまで女子と話をした事も無いので、実は結構緊張しているのだ。しかも誰もが見惚れる様な美少女なのだ。

そんな彼女に間近で見つめられたとあっては、大抵の男子は勿論女子でもたじろぐだろう。

妖狐「……少年さんに合う服があったら、着替え、持ってきたんだけど……あった方が良いよね」

少年「そんな、大丈夫だよ。こんなずぶ濡れになる事めったに無いし。それに、ぼくの為にわざわざ……」

妖狐「わたしが見える人の為に、何かしてあげたいって思っちゃうのは、駄目……なのかな」

女の子にこんな事言われて駄目と答えられる男は居るのだろうか。多分居る。だが少年には無理だった。

精々彼には無理はしないでほしいかな、としか言えなかった。彼女はそれに、笑顔でうんと返した。

妖狐「わたし、好きなんだ、雨」

少年「雨が?」

現在進行形で雨に手酷い目に遭わされている少年にとっては、信じがたい一言であった。別に雨が悪いのでは無く傘泥棒が悪いのだが。

妖狐「そう。ここ、静かでしょ?雨音がよく聞こえるんだよ」

静かなのは少年自身よく理解していた。この山に住んでいるのだから、当たり前だ。

しかし、いくら雨が強いとはいえ、神社の周りは本当に静かだった。同じ位の雨量であっても、家の周辺は生物の鳴き声が響くというのに。

妖狐「わたしはその雨音とか、雨の匂いとか、冷たさとか……雷は、ちょっと、うん、あれだけど……とにかく、好きなの」

尻尾をバタバタと動かしてそれはもう大変嬉しそうに雨の事を語る様は、少年に普通と違う子という認識を抱かせる。

まぁそもそも狐の耳と尻尾が生えている時点で普通の子ではないが。少年はずぶ濡れで寒くてそこまで頭が回らないのだろう。

妖狐「だから、雨の日は散歩するの。今日もしてきたんだよ」

少年「……傘、差さずに?」

妖狐「だって無いもん。あっても、差さないと思うけどね」

傘を差したくてもさせない少年からすれば、ある意味羨ましい考え方ではあった。

だが、よく考えれば風邪を引く確率が高まるだけなので、特に羨ましがる必要も無いのだと気付く。良く考えずとも分かる事なのだが。

妖狐「あ、そうだ。あの焼きそばパンさん、何で出来てるの?」

少年「……えっと。聞いてどうするんでしょう」

これまた突拍子の無い質問に、原材料をよく知らない少年は答えに詰まる。今の彼には答えは出せない。

と言うより、焼きそばとコッペパンです、としか言えそうも無かったので、口に出すのを止めただけだ。

妖狐「また食べたいから、頑張って作ろうかなぁって」

少年「ぼ……僕が持ってくるから」

妖狐「え、でも……迷惑、掛けられないよ」

少年はほんの少し意地になって大丈夫だと連呼していた。何も持たないで彼女に会える程、彼は図太い人間では無かった。

心臓に毛など微塵も生えていない初心な子なのだ。彼女に会う為の、恥ずかしくない理由が欲しかっただけなのだ。うーん、青春だ。

妖狐「う~……」バフバフ

少年「唸られても……」

彼女は不満そうな表情で、尻尾を何度も床に叩いて抗議の意を示す。その度に木が軋む様な不穏な音が鳴る。

妖狐「む~……ん~……。本当に、大丈夫?」

少年「ほぼ毎日食べてるから大丈夫」

ほぼ毎日食べていると聞いて、彼女は若干引いた様子で、同じ物ばっかり食べてたら大丈夫じゃないと思っていた。少年は気付いてない。

妖狐「ちゃんと、他のも食べないと駄目だよ……?」

少年「いや食べてるよ。一日中焼きそばパン食べてる訳じゃないからね」

妖狐「……?一日に、たくさん食べるの?」

少年「え、だって、普通は一日に三食……」

そこまで言って彼は話すのを止めて、ようやく深く考える様になる。彼女の様子からして、ここに住んでいるのはすぐに分かる。

しかし、彼女は姿が見えないらしいから買い物なんて出来ない。つまり食べ物を手に入れるには、拾うか採るか作るか貰うか、そして盗むか……。

おいなりさんとかお揚げさんと言っていた以上、ここにお供えされた物を食べている可能性は高いが、毎日お供えがあるとは限らない。

彼女は今までどうやって生きてきたのか……少年は強い不安に目覚める。

少年「えっと……ヨーコ、ちゃん?」

妖狐「はい」ピコン

名前を呼ばれて耳を真っ直ぐ伸ばす彼女を可愛いと思いながら、少年は彼女の食生活を緊張しながら問いだした。

少年が緊張している理由は、どんな事を言い出すのだろうという不安があったから。というのと……。

中学でまともに女の子と話した事の無い彼は、相手をちゃん付けで呼んだ事なんて小学校の中学年まで位だったのだ。

それ以降は年下相手でもさん付けで呼び始め、そして今、年上か年下か、年齢の分からない少女を目の前に、やっとちゃん付けで呼んだのだ。

そりゃ緊張もするのも当然だが、はっきり言ってヘタレ丸出しである。

妖狐「食べ物……木の実に、虫に、お供え物がご馳走、かなぁ……」

少年「き、木の実、虫……!」

完全に動物そのものの食生活に危機感を覚えた少年は、自身が大事そうに持っていた半分の焼きそばパンも彼女に譲る。

良い物食べないとダメだ!という半ば使命感の様な物に駆られた少年は、戸惑う少女の口に焼きそばパンを遠慮無くぶち込んだ。

妖狐「もご……んぐ。むぐ、むぐ……ん。美味しい」ピコピコ

それはもう美味しそうに笑顔で噛み締める姿は見ている方が幸せになれそうな程。耳まで動かして可愛さ全開。

しかし少年、焼きそばパンを一口齧っただけだという事を思い出し、若干後悔する。

妖狐「……やっぱり、食べたかったんじゃ」

少年「良いんだ。僕はいつでも食べられるから。というか、毎日食べてるしさ」

正直食べたかったと思いながらも、彼女の笑顔の為に口に出すのをグッとこらえた。グッとこらえないと言いそうになるというのもどうなのか。

彼女からすれば、少年が焼きそばパンを食べたかったと思っているのはバレバレだったりするが。

だからこそ彼女は、若干後悔しているとはいえ、自らの為に迷い無く好物を差し出してくれた少年に、ありがとね、と小さく呟いた。

彼女が頬張る姿をちらちら見ている間に、雨足は次第に弱まっていた。少年は内心、別れの時間が来ている事に寂しさを感じていた。

直後に、別に永遠の別れでも何でもないんだ、と思い直すも、彼女との時間が楽しいと感じていた自分に気が付く。

彼の一番の楽しみは、帰り道で焼きそばパンを食べ歩く事だったのに、彼女との出会いがそれを一瞬で塗り替えてしまっていた。

これだけで如何に彼が色々な意味で寂しい人間かが分かってしまうが、本人の名誉の為に詳細は省く。

雨が止んだ時に、彼女も食べ終わる。そして、一言。

妖狐「じゃあ少年さん、またね」

バイバイ、と笑顔なのに少し悲しそうな、複雑な表情を見せながら、彼女は手を小さく振る。

少年「うん、また」

その複雑な表情を単なる笑顔だと思って気付かないまま、徐に彼は帰っていった。

〈雨は続く〉

外では目を覆いたくなる程の大雨が、紐無しバンジーを楽しんでいる。二日続けての容赦のない大雨だ。台風、接近中なので。

一週間は雨が降るとの予報が出ている。雨が降って気分が高揚するような子は、中学には居ない。ただ、台風早く来いと思う者は居る。

勿論休みになる事を期待しているからだ。しかし、一人……少年だけが、不安に感じていた。

少年(雨が降ったら散歩する、って言ってたけど……台風の時、どうしてるのかな)

彼が考えるのは妖狐の事。あんなボロイとこじゃ台風は厳しいんじゃ、などと考えている。しかしすぐ別の考えが出てくる。

少年(いや、そもそもいつからあそこに居るんだろう……。それにそもそも、あんな場所なら台風くらい慣れてるかな……)

と、こんな感じで、昨日出会った時から彼女の事が頭から離れなくなっていた。しかしそれは決して恋とかではなく、庇護欲ともいうべき物だ。

彼にはあんな場所で一人過ごすというのは寂しいのではないかとか、変な物食べてないかとか、同情して心配しているのだ。

彼の目から見ても、彼女は元気そうだったが、虫とか木の実を一日一食だけなどと、普通は栄養失調になる。

少年だってそれが分かっているから強く心配している。もっと良い物を食べた方が良いと。しかし中学生故に限界がある。

家に呼ぶ訳にもいかない、そもそも見えるかどうか分からない、例え見えて呼べたとしてもお泊りは不味い、ずっとは面倒見れない……。

等々、そんな事ばかり考えていたのだ。でも結局はどうにも出来ないので、約束通り彼女に焼きそばパンを買うだけで終わってしまうのだった。

妖狐「んん~……癖になるね、この味」

口に青海苔を付けた妖狐が、美味しい美味しいと笑顔で言っている。カルチャーショックを受けたとでも言えばいいのだろうか。

もっとお金があれば、彼女にたらふく食べさせてやれるのに、もっと笑顔に出来るのに。少年はその笑顔を見て悔やんでいた。

妖狐「……何?」

少年「いや、その……もうすぐ台風が来るんだ」

ジッと自身を見つめている少年に、何か変な事が無いか聞いた妖狐。少年は何をどう話そうか悩んでいた。

自身が不安に思っている事を話すか、青海苔が付いている事を話すか少し悩んだ末、目下最も警戒すべき接近中の台風の事を話した。

青海苔と比べれば最優先に話すべき事だと考えるのは至って普通である。

妖狐「……そう、なんだ。台風かぁ……天気、荒れてるもんね」

実に嫌そうな顔で空を覆うご大層な雨雲に視線を向けて、やだなぁと呟く。

この表情だけで、彼女が台風に度々煮え湯を飲まされてきたのだろうというのが少々鈍感な少年にも伝わる。

妖狐「ここ、台風まで来たら流石に雨も風も全部防げないから……」

少年「まぁ、そう、だろうね。朽ちてるし」

妖狐「だから、いつもはここの地下に居るの」

少年「……地下?」

少年はとても気になった。こんな寂れた神社に地下が存在するというのは、男の子の心をくすぐるのには十分すぎた。

しかし彼にも遠慮という物は存在する。彼女の生活空間に、ただ地下が見てみたいという理由で足を踏み入れる事は、彼には到底無理だった。

妖狐「意外と広くて、ひんやりしてるよ。……何にも無いけどね、お宝とか」

少年「じゃあ、何であるんだろう」

妖狐「……作った人の趣味、とか」

そんな昔から隠れ家大好き職人がいたのか、と少年は顔には出さずとも驚いていた。古びた神社に存在する地下……。怪しさ全開だ。

だからといって考えたって謎のままなので、別段答えを探すつもりは誰にも無かった。

少年「とにかく……大丈夫なんだね。よかった」

妖狐「……心配してたの?」

少年「えっ……とまぁ、その……色々と」

妖狐「捨てられた動物じゃないんだから、大丈夫」

語気を強めた言い方で、彼女は暗に余計なお世話だと少年に伝えた。会ったばかりの人間が図々しかったか、と少年は落ち込む。

直後に彼女が優しく、でもありがとうと感謝を述べたので、彼はすぐ喜んだ。単純な子である。

さて、焼きそばパンと台風の話をした以上、少年にはもう用事が無いのだが、もう少しここに居たいと思っていた。

しかし、何も思い付かない。本当に何一つ。女性が食い付く話など、彼には欠片も無い。本当に無い。男が食い付く話もそんなに無い。

この対人スキルの低さは彼に悔しさを覚えさせた。このままうだうだ考えていてもみっともないだけなので、彼はあっさり帰る事に。しかし……。

妖狐「……もう、帰るの?」

少年「あ、その、長く居たら嫌かな、って」

本当は単に話す事が思い付かないから帰るだけなのに、いかにも君の事を考えての行動ですとばかりの言い訳を用意する少年。

だけどもその発言は彼女にとって気に食わない物だったようで、少し膨れっ面になっていた。

妖狐「そこまで心狭くない」ムスッ

少年「ご、ごめん」

実際長居すると彼女が迷惑に思うかもと少し思っていた少年だったが、だからといってすぐさま帰られるのも嫌そうにされては帰れない。

そして彼は一つの答えに辿り着く。ひとりぼっちだった彼女は、話し相手が欲しいのではないか、と。

見える人に初めて会ったと言っていたのだから、まともな話し相手も居なかった筈だ。色々と話したい事があるに違いない、と。

同時に彼は、自分と同じで何を話していいのか分からないのかもしれないとも考えていた。

そして彼は、彼女に何か聞きたい事は無いか質問しようとしたのだが……。そうしようとした時、彼女がぽつりと、呟いた。

妖狐「“やっぱり”、近くに居るのは、嫌……?」

やっぱり。この言葉が、少年の頭に何度も強く響く。やっぱりと言った意味が、すぐに理解出来なかった。

過去に彼女は誰かに側に居る事を拒絶されたのか。少年は突然の一言に思考を巡らせながら動揺していた。

妖狐「……そうなんだ。……無理、しなくて良いよ」

ただ、その様子は彼女からすれば、肯定の意を示しているようにしか見えなかったらしく、非常に落ち込んでしまっている。

そんなつもりなど一切無かった少年、情けなくも必死に弁明を始める。

少年「いっ、いやいや、違うんだよ。嫌とかじゃなくて、その……」

妖狐「……その、何?」

少年「……。何、話していいのか、分からなくて」

自分の情けなさが恥ずかしくて照れ臭く話す彼を、彼女は口を小さく開けて呆気に取られていた。そんな理由で帰ろうとしたのか、と。

彼女には理解出来なかった様だが、どヘタレの少年からすれば、何の会話も無いのに二人っきりというのは息苦しい物なのだ。

自分から話をすれば良いのに、会話がすぐに終わったり、一方的に話して結局理解されなかったり、という状況に陥るのを避けたいのだ。

相手が不快な思いをしないように気を使おうと考えているのに結果的に使えていない、少年みたいなタイプにはよくある事である。

妖狐「別に、良いのに。話さなくても」

少年「そう言われても、無言で居座るのは」

妖狐「じゃあ、何でもいいから、話せば良いのに」

少年「そうなんだよね……」

彼女からすれば理由が大変仕様も無いだけに、また膨れ面の彼女相手に責められ、返す言葉も無い少年。

取り敢えず非しかないので謝り倒す彼を、彼女は呆れながらも面白いと思っていた。何せ会った事の無いタイプなのだから。

妖狐「……えっと、私ね、人の事、そんなに知らないから、いっぱい、教えて欲しいな」

少年「……うん、分かった」

気を使って話を振ってくれた彼女の為にも、彼は色んな話を始める。

自分の話、家族の話、周りの話……。様々な話を聞かせる。彼女はそれを微笑みながら相槌を打って聞いていた。

……少年が内心懺悔しているような気になっていたのは彼女には秘密。

妖狐「……大変だね、人って。一杯、やる事あって」

少年「僕は君の方が大変だと思うけど……」

一応友達が居て、両親共に健在の自分よりも、誰の助けも借りず一人でずっと生きている彼女の方が、誰だって大変だと思うだろう。

妖狐「もう、慣れたから」

でも、彼の言葉に一言、彼女は笑顔でこう言ったのだ。自分より苦労している筈なのに……、と思った少年。

下手に慰めの言葉を吐くと、かえって彼女を傷付けてしまうと判断した彼は、何も言わずに彼女の手を握る。

ただ彼は初心なので、女の子の手を握るのに緊張で手が震えている上に手汗が滲み出ている。

そんな彼の勇気と言うより無謀と言うべき行動に、彼女は色々驚いたものの、笑顔で彼の優しさを素直に受け入れ、その手を握り返した。

が、その行為は彼にとって全く縁の無い行為なので、更に緊張させる結果となった。情けないにも程がある。

その日、彼女に別れを告げて家に帰ってきた少年はある事に気付く。

少年(しまった……!焼きそばパン食べてない……!)

昨日は一口だけ、今日に至っては自分の分を買っていない事を、今更ながら思い出す。凄くどうでもいい事と思えるが、彼にとっては一大事である。

何せ彼の毎日の習慣なのだ。生活サイクルの一部、最早人生の欠片だ。それをしないのは異常事態と言うしかない。

まぁ二個買えば店長にあらぬ疑いを掛けられる事間違い無しなのでどっちにしろ買えない事に気付いた彼は、少し落ち込む。

もう焼きそばパンを食べる事は出来ないのか……そんな端から見れば馬鹿馬鹿しい悩みを、少年は抱える事になった。

しかし悩みはすれど後悔している訳ではない。それで彼女が笑顔でいられるならと、むしろ喜ばしく思っていたのだった。

そうして、彼は彼女の事を心配しながら、眠りに就くのだった。

〈嵐の前〉

相も変わらず雨は飽きずに降り続いている。人間なら脱水症状を引き起こしている所である。そして少年、やっぱり授業に身が入らない。

彼女を心配しているのもあるが、傘の心配もしているのだ。彼の傘は依然盗まれたままであるし、店長の傘も依然借りたままだ。

少年(台風、Uターンしてくれないかな……)

あり得ないと分かりながらも、心配しなくて済むからとそう願うしかなかった。今の彼にとって台風での休みは不安を煽るだけだ。

窓の外では雨が踊り倒している。雨足が強くなる度に、少年は彼女の様子を気に掛けるのだった。

全授業が終わる頃には雨足は店長の傘が役に立たなくなる程になっていた。またずぶ濡れになるのかと思うと、流石に少年も憂鬱な気分になる。

別に誰が置いたか知らないビニール傘を使っても良いのだが、彼は使いたがらなかった。ちょっとした良心の呵責を感じるらしい。

正直相合い傘してほしいと思った事は何度もあるが、自転車通学の彼に相合い傘をしようという挑戦者は居ない。はず、だったのだが……。

学校の玄関で、一人の少女が何故か傘があるのにも関わらず、そこで雨降る外の景色を眺めていた。誰かを待っているのかと少年が考えた矢先。

?「ども、少年先輩」

少年「ど、どうも……?」

彼の足音で気付いたのか、彼女は少年の方を振り返る。そして彼の近くまで歩み寄ってくると、にこやかに挨拶してきた。

艶のある黒い長髪の目立つ美少女が自分に話し掛けてくるという未知の状況に、頭が真っ白になる少年。

肉付きの細い妖狐と比べると、中学一年にしては出る所が出ている体型の子。そして、当たり前だが狐の耳も尻尾も生えてない。

?「やっと2人きりで話せますよ、全く」

少年「えーっと……僕に、何か?ていうか、何で僕の事……」

彼にとって女子から話し掛けられるという事は貴重過ぎる経験なのに、さらに何故か彼を待っていたようなのだ。奇跡としか言えない。

?「先輩、有名人ですからね。一人だけ自転車通学だから」

少年「あぁ……だから……」

少年的には目立ちたくないと思っているのだが、今の家に居る以上目立つのは避けられそうにないようである。

?「まぁですね、そんな有名人に何かと言いますと……これですよ、これ」

そう言うと彼女は傘を彼に渡す。少年、気付いて無かったがそれは自分の傘だったのだ。律儀に返しに来たらしい。

?「勝手に借りちゃってたんで、返そうって思ってですね。前から待ってたんですけど先輩帰るの早いから」

少年「ごめん、その、わざわざ、どうも」

どういたしまして、と笑顔を振り撒く彼女に思わず少し目を逸らしてしまう。女の子の笑顔を目の前で直視した事が無いからだ。

眩しくて照れるかららしい。初心な彼らしい反応ではあるが、それは彼女に付け入る隙を与えるも同じ。

?「ところでぇ……相談なんですけどね?」

少年「な、何?」

?「この通り、傘無いんですよ」

少年「……じゃあ、どうぞ。また今度返してくれたらいいから」

彼は返された傘をそのまま彼女に渡した。彼女はまさかの対応に目を白黒させていた。それに気付かぬ少年。色々と大丈夫なのか。

?「先輩、ちょっと……無いです」

少年「え」

?「こういう時は一緒に帰ってあげるのが優しさだと思うんですけど」ムー

膨れっ面になって少年の対応に抗議する彼女。そんな事言われても彼は女性経験ほぽ皆無な為そんな事言い出せないのだ。

少年「いや、ほら、その、一緒に帰って噂になったら恥ずかしい、とか……」

?「そう思ってたらここで待ってませんてば。ね?」

首を少し傾げて微笑む彼女。ここまでフレンドリーに接して貰った記憶の無い少年にとって、彼女は大変恐ろしい存在だ。

彼以外ならば自分に好意を抱いているのでは、そう思ってしまうだろう言葉や仕種に、少年はドギマギしていた。

何分女の子に好意を持たれる事なんか無い、などと考えている少年からすれば、裏があるのではと勘繰ってしまうからだ。

?「いやぁ、私の為にありがとうございます」

少年「どういたしまして……」

結局、彼女と一緒に帰る事になった少年。帰宅する道とは真逆の方向に歩いているので、妖狐と会うのが遅れると思っていた。

因みに、少年は自転車を両手で引っ張っているので、代わりに彼女が傘を差してくれている。彼女本人がやると言ってこうなっている。

?「先輩、何でテンション低いんですかぁ。こんな美少女と一緒に帰れて嬉しくないんですか?」

そう言われて慌ててその理由を言おうとした少年だったが、妖狐が待っているなどと言えないので別の理由を考える。

少年「いや、えっと……や、焼きそばパンが離れていくから……」

?「もっとマシな言い訳無かったんですか」

自分でも無いなと思いながらも言ってみたが、やはり突っ込まれた。こんなの信じる方がどうかしてる。

しかし決して彼は嘘を言った訳では無い。真っ直ぐ家に帰りながら焼きそばパンを片手に齧り歩くのが好きなのだ。

?「……え、本気?まさかの?えぇ~……女の子より焼きそばパンですか」

少年「……好きだから、仕方ないじゃないか」

?「好きだから、ですか。ふ~ん……」

焼きそばパンに負けてしまったのが悔しい様で、再び膨れっ面になってしまった。でも彼は焼きそばパンのが好きだから仕方無い。

?「……あ、家この辺りなんで」

少年「じゃあ……」

?「その前に!連絡先交換しましょうよ。LINEでいいですよね?」

これまた未経験の出来事が訪れる。女子が連絡先を交換しようと言い出すなど、雨でも降るのかもしれない。降ってた。しかも後に台風も来る。

経験無さすぎて少年の手が震える。緊張で手汗びっしょりだ。雨で助かったかも知れない。

?「はい、交換完了!」

少年(は、初めて女の子の連絡先が……)

年頃の男の子である少年だってこんな美少女の連絡先を貰って嬉しくない訳が無い。焼きそばパンから連絡先を貰うより嬉しいだろう。

焼きそばパンの連絡先って何だろう。全く以て意味不明だ。イースト菌の中にでもあるのだろうか。

少年「……君、結(ゆい)って名前なんだ」

結「あぁ、言ってませんでしたね。どうも、結です」

彼女は頭を下げると、また朗らかに微笑む。雨の中でも笑顔は輝く物で、彼はやっぱり目を少し逸らす。

結「では先輩、すぐ連絡しますからね!」

何故か敬礼をした後、彼女は笑顔のまま雨の中を走り抜けて……。

少年「待った。はい、これ」

結「……え。い、いやいや、何してるんですか」

彼女が驚くのも無理は無い。何と彼は、返されたばかりの傘を彼女に貸し出そうというのだ。

少年「これ以上、肩を濡らされたら……さ」

結「……あ、その」

彼女、彼に気を使って少年が濡れない様に傘を差していた為、肩が濡れていたのだ。それどころか脇腹辺りまで濡れ広がっていた。

勿論彼女本人は気付いていたが、少年に気を使わせない為に何でもない素振りをしていた。だが、それを無視出来る程彼は優しくないのだ。

少年「受け取らなくともここに傘置いてくから。じゃ!」

びっくりする位早口で捲し立て、彼女に傘を押し付けると彼は濡れた自転車に乗って帰ってしまった。

結(カッコ付けちゃって……こんな事で風邪引いたらバッカみたい……)

あまりに颯爽と帰っていった事に、彼女は心の中で悪態を吐くものの、その心内とは裏腹に顔は風邪でも引いた様に赤くなっていたのだった。

妖狐「また、濡れてる……」

少年「あ、はは……」

最早笑うしか無い程びっしょりと濡れた少年。別に濡れたくて濡れた訳ではなく、少し格好を付けた結果だ。

妖狐「良いのに……。無理する必要、無いよ?」

少年「約束したから……」

本当なら風邪を引かない内に帰るべきなのだろうが、彼は約束を破る訳にはいかないと考えていた。彼女と毎日会う理由を失いたくないのだ。

ただでさえ摩訶不思議な出逢いだった。それがふとした切欠で消えてしまうのではないかと、彼は不安視していたのだ。

妖狐「病気になったら守れないと思うよ?」

少年「……確かに」

無理した結果風邪を引いてしまえばここに来るのも一苦労、家に帰るのも一苦労する。危ない真似してほしくないと、彼女は少年を窘めた。

妖狐「……本当はね。違う種族に会わない方が良いんだよ。不幸に、なるから」

彼女は辛い出来事でも思い出すかのように、暗い表情をする。彼女の言う通り、実際そういった物語は山ほどある。

種族や身分が違うから恋い焦がれ、しかし恋破れるという創作の物語。例え愛し合っていても、種族や身分が違う為にお互いを真に理解し合えない……。

彼女が言いたいのは、人には人の、動物には動物の、妖には妖の生き方があるという事だ。互いの領域を侵し、生き方を乱す事があってはならない、と。

少年「本当にそうなのかな」

妖狐「え……」

彼女は少年にそう思った理由を尋ねた。彼女は過去を思い出しながら、少年の疑問を否定しようとしていた。しかし……。

少年「じゃあ君は今、不幸って思ってるのかな。僕と会って、話してて、不幸だって」

淡く怒気を含めた、少し強い口調で少年が話しているのを、彼女は感じ取る。彼女はどうして彼がほんの少し怒っているのか、分からなかった。

妖狐「そんな事、思ってない。でも……」

ここで彼女は気付く。自分と会うのは、話すのは、迷惑だったんじゃ、と彼に思われた事に。

迷惑だなどと、彼女は考えた事がない。むしろ折角話し合える相手が出来た事を非常に喜んでいた程だ。

少年「でも?」

妖狐「……でも、怖い。今ね、少年と話せて幸せって思ってるのに、また無くなりそうで」

耳も尻尾も力無くしなだれて、小さく震える彼女の姿に、少しずつ罪悪感に満たされていく少年。

そして、“また”という響きに、彼は彼女の「お姉ちゃん」を思い出す。ここには居ない、彼女の家族の事を。

妖狐「そんな事、無いよね。急に来なくなったり、しないよね……?」

少年「た、多分……いや、絶対、そんな事無いよ」

断言出来ない事は二人とも分かっていたが、だからといって適当な事も言えなかった。だからこそ、少年ははっきりと言った。

そう言っておかないと、今の関係が壊れそうな、そんな気がしたからだ。気休めの言葉でしかなかったが、彼女を安心させるには充分だった。

彼女は少し陰りはあるものの、少年にありがとねと微笑んでいた。彼は、今の彼女には自分以外に頼れる人が居ない事を、実感していた。

落ち着く為か、彼女は少年の手を軽く握り、静かにしている。雨と風の音がうるさくはしゃいでいたが、二人の空間は何人たりとも邪魔出来ない。

妖狐「……風、強くなってきたね。帰らなくて、大丈夫?」

彼女の一言で、その静寂は静かに破られた。最近少年は帰りが遅い事を親に心配されつつもからかわれていたが、最早どうでもいいと思いつつあった。

少年「君こそ、大丈夫?」

妖狐「……ちょっと、雨漏りとか、戸締まり何とかして、地下に隠れる」

少年「手伝ってもいいかな」

妖狐「うん、お願い。……体、拭いてから、ね?」

お互い、もう少しだけ同じ時間を過ごしていたいと思っていた。一人は寂しがらせない為に。もう一人は寂しくならない為に。

時間というのは楽しい時ほどせっかちな物で、かなりの勢いで時計の針を回す。

ボロい神社に台風の対策をしようとするだけで、中々の重労働になり時間も大量に掠め取られていく。

だが二人とも、大した時間が過ぎていると思っていなかった。本当は先程から三時間近くは経っているが時間を確認していないので気付かない。

二人がそれを知るのは、少年に電話が掛かった時であった。画面を見た少年の顔がみるみる青ざめていく。

少年「……ろ、6時?」

妖狐「……顔色、良くないけど」

少年「あ、あのさ、か、帰ってもいいかな」

妖狐「う、うん……ありがとね、手伝ってくれて」

慌てる彼の様子から、親に叱られるのだろうと彼女は察する。自分の所為だと思ったが、謝れば彼が「僕が悪いんだ」と言うのが目に見えていた。

少年「じゃあ、また」

彼は手を振ると、彼女に背を向けて一目散に駆けていった。彼女はその背を見届けながら、胸に湧く寂しさを堪えて、小さく手を振る。

そして、ふとある事に気が付くのだった。

妖狐「焼きそばパンさん……」

彼と過ごしたほんの一時で忘れていたが、今日は焼きそばパンを貰っていなかった事を。別に食べなくても平気だが、物足りなさを感じていた。

台風は1日で過ぎるようだが、その間彼と焼きそばパンを見れない事を考えると、寂しさが一層強くなる。

寂しい時、彼女は何時も自分の尻尾を抱いて眠る。ある程度暖かく、少しは寂しさを紛らわせて眠れるからだ。

そして、その尻尾の立ち位置に居た筈の相手を思い浮かべて目を閉じる。「お姉ちゃん」と。

一方その頃、少年はお叱りを受けている……訳でなく、まるで面接の様な形で両親に質問責めを受けていた。

母「最近帰りが遅い様ですが」

父「もしやデートでも?」

少年(何だこれ……)

眼前に顔を寄せてくる両親から発せられる圧力が、少年を追い詰める……事は全く無い模様。顔近いだけ。

それもその筈。彼はからかわれるのが分かっていて素直に答えるような性格ではないのだ。というか根本的に答えられないのだが。

まず女の子と会っていると知れば、両親が絶対に連れてこいと言うのは分かっている。しかし彼女曰く自分が見えるのは少年が初めてだそうだ。

息子が見えたからと言って、両親が見えるかどうかは分からないし、見えても彼女の姿にどんな言葉を吐くか分かったものではない。

だから彼は彼女の事を周囲に話す気は一切無い。というか今の所連れてくる気も無い。別に恋人同士でも無いし、そもそも友人でも無い。

少年「遅くなったのは悪かったけどさ、別に付き合ってる子が居るとかじゃないって」

父「そうか……お前も、もうちょっと女っ気があっても良いと思うんだがなぁ」

母「まぁ、あんたの事だから、誰かの世話焼いてたんでしょ」

親の勘というのは鋭い物で、一度もそんな話をした事も無いのに、彼がしていた事を的確に当ててくる物だから、彼は見られていたのでは、と勘繰る。

どうしてそう思ったのか聞いてみると、気付いてなかったのか、そう両親に驚かれてしまった。小さい頃から世話焼きだったらしい。

父「今も友達とかの世話を焼いてるんだろ?」

少年「……まぁ」

母「相変わらずねぇ」

少年は両親に合わせて微笑んでいたが、自身の心の内に薄暗い感情が、沸々と静かに沸き上がっているのを感じ取っていた。

決して表に出す訳にはいかない、負の感情。彼はそれを抑えながら、精一杯両親に向かって何でもないとばかりに笑ってみせる。

その感情が身勝手な逆恨みから来る物と分かっていたから。そんな嫌な事があった時ほど、好物の焼きそばパンを食べるのだが、それは彼女に����。

少年(……あ。渡して、ないっ!)

全く彼女に焼きそばパンを渡していない事を今頃思い出す少年。しかし今渡しに行くのはほぼ無理だった。言い訳が出てこないのだ。一つも。

忘れ物をした、と今頃言った所で今度にしろと、両親に止められるのは目に見えていた。そしてどこに行くのかも聞かれるだろう。

少年(…………)

最初に渡す事も出来ず、そして今何も出来ない自分の無力さを悔しく思う少年。彼女の無事を信じて祈る事が、彼が精一杯出来る事だった。

〈激動の日〉

翌日、強烈な台風が上陸、進行速度も遅く、この地域を2日間に渡って通過するという予報が出ていた。

中学校の生徒の大半は大喜びだろうが、少年としてはそんな牛歩戦術など使わずもう少しくらい早足でも良いのに、そう思っていた。

とにかく今の彼は妖狐の心配で頭が一杯だった。しかし外はかなりの荒れ模様で、今会えば逆に迷惑になるだろう事は予想出来る。

それでも心配で堪らない彼は、どうせ見えないのだから台風が来る前に、自分の家に連れて帰れば良かったのだと、頭を抱え後悔していた。

両親はやたらとソワソワしている息子を、怪しげに思いながらもこの年頃ならよくある事として、大して気にせず仕事に出掛けた。

前ならば少年は間違いなく外には出なかったし、こんな荒れた天気でも外に出なければならない両親を心配している所だった。

だがそんな事今の彼にはどうでもいい事だ。最早少年には彼女を無事に自分の家に連れて帰る事しか考えていない。

傘が役に立つ様に思えないので、彼はレインコートを着込んで忽ち外へと駆けだした。若さがなせる技である。

因みに彼が自転車通学でレインコートを着ないのは、可愛い猫と厳つい髑髏のマークが散りばめられた虹色の柄の奴だから。

勿論親が買ってきた。何処で見付けてきたのだろうか。購入理由は面白そうだかららしい。本気で勘弁してとは少年の弁である。

少年「……ウソだ」

そんな彼の目の前に飛び込んできたのは、屋根の崩れ落ちた神社であった。老朽化し過ぎて耐えられなかったようだ。

見るも無惨な光景に、開いた口が塞がらず、急いで駆け出す。彼女を助けなければ。その思いで一心不乱に神社の破片をのかそうとする。

しかしいくら脆くなったとはいえ、水を吸った重い木材を暴風雨の中動かすのは至難の技で、どうにも出来ない状態だった。

店長「……ん?ちょ、子供がこんな所で……!」

少年「……店長さん?」

店長「……き、君か。まさかこんな天気の日でも焼きそばパンを?」

少年「違います流石に買いません」

お互い意外な相手に意外な場所で出会った事で、混乱したりかえって冷静になったり。そうこうしている間にも雨風は激しさを増す。

店長「とにかく、ここで話はキツいから、店に行こう」

あまりに騒がしく落ち着きの無い外の状況で、まともに会話が出来る筈も無いので、少年は不安を抱えながらも素直に従う。

店長「はぁー……まさかこんな事になるとは」

店長は少年と共に店の奥に入ると、参ったなとばかりに頭を抱え、深い溜め息を吐いた。

それを聞いた少年が申し訳無さそうにしたので、即座に君じゃあないと否定する。

店長「あの神社、うちの爺さんがいっつもお参りしてたんでね。時々お供えとかしてたのさ」

少年(ヨーコちゃんが食べてたって言ってたお供え物って、店長さんの……?)

店長「……ところで、毎回お供え無くなるんだけど君じゃあないよな」

少年「食べませんよ……」

店長は冗談だと言うと、少年に君はこっちだろうと言わんばかりに焼きそばパンを差し出した。少年は受け取ると、財布を取り出す。

店長「おっと、お金はいい。それより君の話が聞きたいな」

つまり彼はこう言っている。焼きそばパンをタダで渡すから代わりに神社に居た理由を教えろ、と。

断ろうにも二度と焼きそばパンを買わせないという大変大人気ないやり方で少年を脅す店長。

人質ならぬパン質を取るという卑怯な作戦に、逆らう真似は出来なかった。食欲には勝てない。

46
店長「あの神社はボロい。何にも無いんだ。なのに君は、あそこで何をしようとしたんだ?」

少年「えっと……その」

正直に言った所で信じてはくれないだろうと少年は考えていた。何せ彼が話せる嘘の話よりも、よっぽど嘘っぽい話になるからだ。

狐の耳と尻尾の生えた少女と会っていたと言ったら、本気で心配される事間違いなしだ。この店長は病院行きにさせるのも辞さない。

店長「もしかして……猫とか住み着いてた、とか?」

と、ここで少年からすればまさしく助け舟が出された。言った本人は自覚してないが。少年はこの話に乗っかる事を決めた。

少年「……まぁ、はい。一匹だけで、そこに居てて……すごく、心配だったから」

狐の少女が居た、という事実だけ伏せて洗いざらい話した。そのお陰か店長も素直に信じてくれた。

店長「そうかぁ……。でもあれをどかすのは難しい。猫だから崩れる前に逃げてる、と思いたいんだけどなぁ」

猫じゃなくても逃げていてほしいと少年は願いながら、店長と一緒に店の奥から出る。

少年「…………。ん?」

思わず二度見する。その上目を擦って見間違いかどうかもう一度確認する。居る。間違い無く居る。

妖狐「むむむ……大量のパンさんが……むむむむ……」

ジーッとパンの群れを眺める彼女がそこに居たのだ。しかもちょっとよだれが垂れてる。大変元気そうである。

店長「どうかしたかい?」

少年「あっ、いや、その、あの猫が走ってるのが見えて……」

店長「おっ、逃げてたんだな、良かったじゃないか」

少年の背中を叩いて喜んでくれる店長。叩かれる少年の表情は、色んな感情がない交ぜになっていた。素直に喜んでいいか分からないのだ。

そりゃ目の前で耳と尻尾を振ってパンを凝視してる探していた子が居たのだから。取り敢えず可愛いと彼は思った。思考放棄である。

店長「じゃあこれ、持っていきなよ」

少年「へ、あの……」

店長が手渡してくれた袋の中には色んな種類のパンが入っていた。彼はてっきり焼きそばパンだけだと思っていたので驚いていた。

店長「君、焼きそばパンあげてたんだろ。言ってくれたら俺が他の持って行ったのに」

少年「で、でも、良いんですか?」

店長「良いんだよ昨日の余り物だから。昨日の減らさないと俺の朝昼晩パンになるから。猫の手も借りたい。マジで」

どこか遠い目をする店長の姿に、少年は毎日パンだらけなのだろうと察した。色んな味付けや調理で乗り切っている模様。

店長「それに、常連客にちょっとくらいサービスしないと罰が当たるってな」

朗らかに笑うと店長は、次はこんな天気に外出るなよ、と言いながら奥に戻っていった。少年はその背に向かって礼を告げる。

少年「ヨーコちゃん。ヨーコちゃん」

妖狐「……はっ!?べっ、別に、こっそり、食べようとかは!……あれ?少年さん?」

呼び掛けながら彼女の体を揺する少年。その後の反応を見て、全く気付いていなかった事と盗んででも食べたかった事に少し呆れる。

と同時に変わりない姿にホッと一息を吐いて安心した。ここに少年が居る理由が分からず首を傾げる彼女の目の前に、パンの袋を突きつける。

少年「一緒に食べよう」

妖狐「……い、いただきます!」

余程食べたかったようで、耳と尻尾を千切れんばかりに振りながら、満面の笑みを見せてくれる。

妖狐「……でも、何処で?」

少年「僕の家」

妖狐「……良いの?大丈夫?」

様々な意味合いで彼女は大丈夫なのか聞いてみたが、彼はその問いに大丈夫と答えた。今現在両親は不在なので、彼女に迷惑が掛かる事は無いからだ。

しかし、少年は全く気付いていなかった。中々に面倒な事態によって、彼女に迷惑が掛かる事を……。

少年は彼女を雨で濡らす訳にはいかないと、自分のレインコートを彼女に着せて、そのまま豪雨の中を突き抜けた。

彼の家に着いた時、少年はまるで雨の服でも着ているのかというぐらいずぶ濡れの極みだったが、彼女はレインコートで無事だった。

が、そもそも最初から彼女は雨で濡れていたので、少年は取り敢えず自分の体を拭いて、彼女から先にシャワーを浴びてもらおうと考えた。

そして少年は気付く。彼女の服が無い事に。今更。もう少しくらい早く気付けると思うのだが。だからといって気付いてもどうにか出来る訳でもない。

少年「あの、ごめん。僕の服しか合うのが……大きくても良いなら母さんのがあるけど……」

妖狐「別に、気にしなくても大丈夫」

と言ってくれたので、少年は自分の服を持ってきたのだが……。その時風呂場の扉から彼女が顔だけ出して、困った様子でこう言った。

妖狐「……どう使うのか全然分かんない……教えて少年さん」

少年は頭が真っ白になる。まさか彼女がシャワーの使い方が分からないとは予想だにしていなかったからだ。普通は予想しない。

そして風呂場から女の子が顔を覗かせているという慣れない状況に、彼は顔を赤くしながら固まってしまった。

そんな少年とは裏腹に、一切恥ずかしがる様子の無い彼女。どうやら少年を異性として意識していない上に、肌を晒す事にあまり抵抗感が無い様子。

気を使って顔だけ出しているものの、少年が気にする様子が無ければそのまま扉を全開にしていた所であった。運が良いのか悪いのか。

少年「…………。えっと、赤と青の栓を、その、赤い方に、うん」

彼女に目を合わせないどころか、体ごと真逆の方を向きながら説明しだす少年。よっぽど恥ずかしかったらしい、色んな意味で。

妖狐「捻ればいいの?」

少年「最初水が出るから、気を付け����」

気を付けた方が良いよ、と言い切ろうとした瞬間には時既に遅く、ふにゃっ、という何とも言い難い、短い悲鳴が響く。

少年「だ、大丈夫?」

妖狐「あ……」

少年「あ……?」

妖狐「温かかった……」

心配しながらも後ろを振り向けない少年に返ってきた反応は、想像した事と真逆だった。お湯が出た事に驚いたらしい。

普段彼女は水浴びをしている事を知らない少年からすれば、全くの予想外の反応であった。

逆にお湯を浴びない上に、人の暮らしとはかけ離れた生活をしている彼女からすれば、熱い水が出てくる事など予想出来る筈も無かった。

妖狐「少年さん、この白い石と変な容器、何?」

少年「たぶん石鹸とシャンプーだね」

妖狐「しゃんぷう……変わった名前」

目の前の普段見ない物が気になるようで、浴槽の事を聞いたり、床のタイルを不思議がったりと、好奇心が沸き立てられるようだった。

妖狐「どうやって使うの?」

少年「…………。あの、え?」

そして、少年最大の試練が今訪れる。そう、知らないとは使った事がないという事であり、使い方を教えなければならないという事だ。

無論、全く使用した事の無い相手に、石鹸はともかくとしてシャンプーを使わせれば何がどうなるか分かった物ではない。

少年「や、えっと……」

つまり、一番安全なのは彼自身が洗ってあげる事であり、即ち今の彼にとって最早拷問と言っていいのである。

妖狐「使っちゃ駄目?」

少年「そ、そんな事はないんだけど……」

一体どうやってこの場をくぐり抜けようか。少年の頭の中で思考が渦を巻く。途轍も無くしょうもない事の様だが、彼にとっては一大事なのだ。

悩んだ末の答えは、一旦彼女を風呂場から上がらせて、服を着てもらってから目の前で身振り手振りで教えるという物だった。

中々に良い発想だと自画自賛する少年。確かに彼も彼女もそこまで困らない作戦ではある。しかしナイスとは言えない。理由は簡単だ……。

少年「あ、風呂、沸いた……」

自ら考えた作戦の説明をしようとした時、ちょうど浴槽の湯が沸いた。そこで再び彼は予測出来ない事に直面する。

妖狐「少年さん、入る?」

少年「え」

それ以上言葉が出ない。そう、再び彼は固まってしまったのだ。初心な中学生の彼には刺激的な問いだった。

妖狐「この、しゃんぷう、も良く分かんないし、少年さん、使って」

こんな事を言われては、完全に作戦を始める前から作戦大失敗である。そう、彼の作戦には、妖狐が何を考えるか、という大事な事が抜けている。

失敗と彼女の事を考慮していない、自分の事で精一杯な作戦が上手くいく筈も無いのだ。もう彼には二つの選択肢しかない。

洗い方の分からない彼女の為に、羞恥心を捨てて共に入浴するか、結局捨てきれずに入浴しないか……。彼の性格上、選択肢など無いも同じだった。

少年「……ヨーコちゃん。これ」

妖狐「……大きい、布?」

少年が腕だけ風呂場に出して、彼女に見せているのはバスタオルである。当然どういう意味か彼女には分からない。

少年「これ、体に巻いて。そうしないと僕が気を使うから」

そう言われて彼が自分の肌を見ないように気を付けていた事に気付く彼女。見られても平気だったが少年に気を使わせない為に、素直に従った。

少年(うぅ……どうして僕が……)

恥ずかしいという感情を内に閉じ込め、優しく彼女の髪の毛を洗ってあげる少年。そう、結局彼も入る事にしたのだ。

ちゃんと彼も腰にバスタオルを巻いている。でなきゃ中々の変態になってしまう。彼にそんな趣味は無い。誰にあっても困るが。

洗われて気持ちいいのか、鼻歌を歌う彼女。何の歌かは分からないが、不思議と心地良くて彼は聴き入っている。

どういう歌なのか聞いてみたかったが、邪魔をしたくなかった少年は、それを堪えて静かにしていた。その内に、恥ずかしいとは思わなくなっていった。

少年「流すよ」

少年の言葉に、鼻歌を歌うのを止めないまま頷く彼女。少年はシャワーを掴んで、彼女の髪を撫でる様に洗い流してあげる。

流し終わると、彼女の何時もの癖か犬の様に頭を素早く振って、水気を飛ばす。勿論少年にも飛んでくる。

妖狐「あ、ごめんね……」

少年「大丈夫、ちょっと驚いたけど」

申し訳なさそうにする彼女を心配させまいと、微笑んでみせる少年。内心ちょっとどころか本気で驚いていたのは内緒である。

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次は尻尾を洗って欲しいと彼女に言われ、尻尾を優しく掴んで洗う少年。割と大きいので疲れそうだと彼は思う。

しかし、見た目こそ大きいがフサフサではなく、彼女の毛はあまりスベスベしていない。水浴びしかしていなければ当たり前だ。

その上食生活が小動物並だったので、彼女の体は少し痩せ細く不健康気味だ。人間ならばもっと痩せこけて餓死寸前になっている筈なのだが。

そこは人間ではない所以か。理由は何であれ、少年を心配させるには充分過ぎる程だった。

少年「……ところで、尻尾触って良かったのかな」

妖狐「何で?くすぐったいだけだよ」

何となく勝手に触ってはいけない感じがして聞いてみたが、こそばゆいだけで特に問題は無いらしい。

昔から尻尾を握ると力が抜けるお話があるからなのか、少年の冴え渡る勘が働いたのか。間違い無く前者。

妖狐「おぉ~~……お湯溜まり」

沸いた風呂をそう表現するのは見慣れていない彼女ならではの表現である。あまり響きの良い表現ではない。

妖狐「お湯だ……」

少年「お湯だよ」

チャプチャプと手を浸けて、温度を確かめている彼女。尻尾も喜んでるのかバタバタとうるさい。そして少年にちょいちょい当たってる。

妖狐「入っていい?」ブンブン

少年「う、うん。どうぞ」

それはもう目を輝かせながら尻尾を暴れさせている彼女に、ちょっと引く少年。入った事が無いから興奮しているのだが少年はそこまで知らない。

しかし焼きそばパンの時と反応が似通っている事に気付いた少年は、その事実を察する事が出来た。彼にしては中々勘が良い。

妖狐「ほぉ……ふぅ……へにゃ……」プルプル

風呂に足から少しずつ浸かっていく度に、震えながら変な声をあげる。気持ちが良いらしく、表情もふにゃふにゃである。

妖狐「これが、お風呂……!」パチャパチャ

尻尾をそれはもう疲れそうな勢いで振り回し続ける彼女。その時跳ねた水飛沫が少年に当たる。尻尾は彼に恨みでもあるのだろうか。

妖狐「少年さん少年さん、温かい!」

まるで初めて遊園地などに遊びに来た子供の様にはしゃぐ彼女。その姿は耳と尻尾があろうとも人と変わらない。

少年(お風呂でこれなら遊園地とか行ったら気絶するんじゃ……)

そんな彼女に余計な心配をしている少年。最早保護者である。いや、現時点では実際彼が一応の保護者なのだが。

少年「ずっと浸かってるとのぼせるから、気を付けてね」

妖狐「うん!」

あまりに屈託の無い笑顔は、彼にはパンを食べていた時より輝いて見えた。その眩しさに、少年は少し顔を赤くして、彼女から目を逸らした。

妖狐「はふぅ……このままだと、元の生活に、戻れない……」

そう言いながら、まるで炬燵に寝転ぶ猫の如く(狐なのに)、ふにゃっとした顔で温かさを満喫している。

少年も、別に戻らなくて良いと断言出来れば良いのだが、ここは彼の家ではあるが、彼の親の家である。

見えないからと言って許可無く住まわせるのは悪い事だと、少年は認識していた。座敷童なら良かったかも知れない。

だが、いくら悪くとも、少なくともあの神社に住み直せる様になるまで、彼は妖狐をここに留めておこうと考えていた。

妖狐「ねぇ」

彼が悩み抜いている間に彼女の顔が目の前に。驚きで少し後ろに引く少年を、彼女は不思議そうに見つめている。

妖狐「少年さんはお風呂に入らないの?」

少年「あ、後から入るよ。体洗うから。先に上がってて」

妖狐「……もっと入ってていい?」

少年「い、いいけど……」

よっぽど気に入ったらしく、暫く浸かりっぱなしで少年との会話を楽しむ彼女。

しかし、少年が体を洗い終わってから、彼にそれ以上はのぼせると言われて少々残念そうにしながら浴槽から出る。

……本当の事を言えば、恥ずかしいので彼女と一緒に入浴したくなかった、という理由も彼にはあったのだが。

何しろ少年に言われて彼女は体にバスタオルを巻いていたが、尻尾を出す関係上ミニスカなんて比じゃない位下が短いのだ。

思春期の少年にはかなりキツい光景である。むしろよく抑えて我慢強くしきった物だ。

少年「……あの」

妖狐「何?」

少年「何で、ずっと後ろに……」

妖狐「乾くの待ってるの」

またしても予想の外の出来事が発生。そう、彼女には身体を拭くという考えが無い。雨に濡れるのが好きなだけはある。

実を言えば彼女は平気で服を脱ぎ捨て、服と自分の体が乾くのを待つという、ぶっ飛んだ生活をしていた。

だが少年がタオルを巻いてろと言うから外さずに待っているのだ。健気と言えば健気。

さて、聡明な皆様には想像が付いたと思うが、この後少年は顔を真っ赤にしながら目を瞑って彼女の体を拭いてあげた。

彼女はやはり羞恥を感じていないらしく、彼が何故顔が赤いのかよく分かっていないようだった。流石に気付いてもいいのでは。

体を拭き終わって服を着た御両人は、少年の部屋に。少年としては女の子を、妖狐としては人の部屋に初めて入るのだ。

少年は未だ緊張してるし、目蓋の裏には先程ちょっとだけ見てしまった、彼女の裸体がチラチラ顔見せしてるのだ。気が気でない。

妖狐は人の家に招き入れられた事は無いし、個人の部屋に入った事も無いので、とても物珍しそうに周りをキョロキョロ見回していた。

まず彼女は見た事あれど良く知らない物が山ほどあり、彼にそれが何か質問しまくって彼を少々困らせていた。

妖狐「てれびにげえむ機、すまあとほん……凄い……!」

電子機器を触った事が無い彼女。初めて玩具を買って貰った子供の様にワクワクしている彼女の姿にドキドキする少年。

このドキドキは恥ずかしがっている訳でも緊張している訳でも無く、壊してしまわないか不安、のドキドキである。

何せ彼女ゲームやる気満々なんだもの。そして彼に早く早くとその目で教えて光線を浴びせまくっているのだ。不安にもなる。

その前に少年、彼女をベッドに座らせて、店長から貰ったパンの袋を突き出す。

少年「まず、食べよう」

妖狐「パンさん」

餌付けされた鳩の如く(狐だけど)近寄って袋の中を覗き込んで食べたそうにする。そんなに彼女の気を引く要素がパンにはあるのか。

単純に他の食べ物を知らないだけだ。つまり、そんなに気を引く要素は無い。少年にとってはある。焼きそばパン限定だが。

妖狐「これは、何?」

彼女が引き当てたのはホットドッグだ。あの店においては大人気商品で、焼きそばパンジャンキーの少年も実際美味いと思った程だ。

コッペパンの間にザワークラウトと店長の好みか魚肉ソーセージを挟んだ物で、大体の人が目当てにして店に来る。

少年は付いていたケチャップを掛けて彼女に渡してあげる。彼女はジッとホットドッグを見つめると、手にとって観察しだす。

そして、何時ぞやの様に半分にして少年に返した。彼女は袋に二人分無い事に気付いた時からこうするつもりだった。

妖狐「同じの、一緒に食べよ?」ニコッ

大変良い笑顔でそんな事言われては、拒否出来る筈も無し。彼は素直に食べる事に。まるで恋人みたいだと考えて、すぐ消した。

例え想像でも恥ずかしいらしい。ならしなきゃいいのだが、彼は思春期の初心な男子中学生である。むしろ健全な反応では無かろうか。

妖狐「……!」ボフボフ

尻尾を高速で布団に叩き付けて喜びを表現する。焼きそばパンより反応が良い。少年としては多少残念に思ったが、彼女の喜びには代えられない。

少年「ホコリ飛ぶから気を付けて」

妖狐「え……?……あ」ボフボフ

無意識に動いていたらしく、少年に言われて照れくさそうに尻尾の動きを抑えた。が、上下の動きを抑えただけで小さく左右に動いている。

抑えられないパンへの思いが尻尾に伝わっているのだと少年は考えたが……もう一つの理由には気が付かない。

妖狐(誰かと何か食べるなんて、久しぶり……)

同じ物を食べ合う……それは家族が当たり前の様に行う日常。彼女は今、それを実感していたのだ。

つまり、彼女は少年を家族の様な存在だと思って見ている。より正確に言えば、彼にはそういう存在であって欲しいと思っている。

もっと言えば、彼女なりにとても甘えている。自分をその目で見てくれる彼と、様々な物に対する意識を共有したいのだ。

妖狐「少年さん、このパンさんは?」

少年「メロンパンだね」

妖狐「めろん?果物の?入ってるの?」

少年「見た目が似てるだけ」

メロン要素が見た目だけなのにちょっとがっかりな彼女に、今度は少年がメロンパンを半分程にちぎって与える。

念の為断面を彼女はジッと見てみるものの、当然ながらそこには真っ白でフワフワなパン生地が見えるだけだった。

妖狐「……でも美味しい。カリカリしてて、甘い」

さっきまでと違って小動物の様に小さく齧り、味を確かめている彼女を、少年は微笑ましく見ていた。

妖狐「……けぷ。お腹いっぱい」

ホットドッグとメロンパン、しかも半分にした物しか食べていないのにも関わらず、腹をさする。やはり少食。

無理して食べさせる必要は無いとはいえ、不安になりそうな食事量だと少年は心配していた。

少年「そこに寝てていいよ。くつろいでて」

妖狐「うん」

彼女は返事をすると猫の様に体を丸めてベッドの上に寝転がった。少年は何だかペットを飼った様な気になっていた。

もしそうだったなら今の彼は、飼いきれるか分からないのに親に内緒で捨てられた動物を拾ってきた、と言った所か。

ただ彼女はペットではない。人型だし、喋るし、良く笑う。そして、少年に対して恩を感じていて、それを返さなければと考えている。

少年は彼女の考えに気付いてこそいないが、彼女が自分に対して親しみを持ってくれている事くらいは分かっていた。

何と言ったって、自然と彼の手を握り締めながら寝転んでいるのだから。これで実は嫌いだったと言われたら立ち直れないだろう。

少年「ところで……どうやって、神社から?」

妖狐「地下に抜け道あるの。狭いけどね……ふぁあ……」

彼女は暫くすると、すぐに眠り始めた。少年としてはあくまでちょっとした休憩をしてもらうつもりだった。

まさか彼女が眠りに就くと思わなかった彼は、布団が汗臭くないかとか心配していたが、彼女の表情は、とても安心しきっていた。

ずっと一人で生きてきて、その上住んでいた場所を失った彼女にとって、この場所は非常に落ち着く空間だった。何せ……。

妖狐(少年さんの匂いがする……)

こんな事を考えて眠る位なのだから。少年は、幸せそうに眠る彼女の事を心配するのを止めて、試しに頭を撫でてやる。

すると、嬉しそうに耳をピコピコ動かすのだった。

今回はここまで。

〈嵐?〉

少年「……ん?」

さてこれからどうしようかと考えながら、彼は携帯を取り出してみると、LINEの通知が舞い込んでいた。まず一人しかいない。

結{どうもおはようございます先輩(。・∀・。)ノシ]

 {台風ヤバいですね!朝起きたら窓の音凄かった(゜Д゜;)]

 {これが明日まで続くなんてヤダー!(T^T)]

少年的にはいかにも女子的な文章だという風に見えた。特に顔文字とかが。彼は使った事が無いというかメールとかそもそも使ってない。

故に何て返せばいいのかいまいちよく分かってない。取り敢えず彼は疑問に思った事を無難に返しておいた。

少年[明日も休みでラッキー、じゃないの?}

結{外出掛けられないでしょ!ヽ(`Д´#)ノ]

 {それに、私学校面倒とか嫌いとか、思った事無いんですよね( ̄3 ̄)]

 {勉強出来た方が、将来遊びまくれると思うんですけどねぇ?(・ω・)?]

彼が辿々しくフリック操作をしているのに対して、彼女は怒涛の勢いでコメントを送り込んでくる。そのパワーに圧倒される。

結{それに、これからもっと学校が楽しくなりますし(・∀・)]

少年[どうして?}

結{私は先輩と、先輩は私と会えますからね!(ゝω・)ー☆]

少年としては、これに何と返せばいいのか分からない。そのままの意味で受け取っていいのか、冗談と思えばいいのか。

でもLINEでこんな気軽に書くなら冗談だろうと考えておく事にした。本気にして引かれるのは流石に嫌だったのだ。

70
しかし彼女は勘違いするなと言い聞かせている少年に、更に容赦なく言葉を畳み掛ける。

結{という訳で、土日どっちかデートしましょうよ、デート(≧∀≦)]

 {勝手に傘を借りたお詫びと、傘を貸して貰ったお礼を兼ねて、ね?(ゝω・)]

 {どうかお願いします!(ー人ー)]

何がどういう訳かは彼にはさっぱりだが、これが狙いか、と思っていた。何と彼は罠だと疑っているのだ。

何分女の子から誘われる事など有り得ないと信じている少年。どうせこれは罰ゲームなんだと思い込んでいた。

結{ちなみに嫌だと言っても、何処に逃げたって引き摺りに来ますからね……〈●〉〈●〉]

 {まぁ優しい先輩ならそんな事言わないと思いますけどね!(*^ー゜)]

 {……断りませんよね?断られたらちょっと泣きそうです(・_・、)]

断ろうとしたら脅された挙げ句逃げ道を完全に塞がれてしまった。恐らく計算ずくでやっているのだろう。

しかし、例え罰ゲームでなくとも彼には躊躇いがあった。それは、デートの仕方が分からないという事だ。

それに、何となく妖狐に申し訳ない気持ちがあった。別に彼は誰とも付き合ってないが、浮気をしているような、変な気分になっている。

とはいえ断ると本当に引きずりにきそうなので、彼はこうする事にした。

少年[じゃあどっちもデートしよう}

そう、攻めたのだ。奥手で初心な彼だが面と向かって言うよりは、メールで告げる方がマシだ。

その後の返事で罰ゲームでやってるのか、違うのか判別しようとしたのだ。正直判別出来るかは不安だが。

結{おぉ、意外と積極的なんですね先輩って。良いですよ]

妙に返答が遅かった上に顔文字が無くなっている事に、少年は罰ゲームじゃないかも、と思っていた。

彼は彼女が動揺したと感じたのだ。実際、少年の返事を受け取った結は����。

結(ど、どうしよ……!さ、作戦にズレが……!ま、まさか向こうから来るなんて……!)

彼が自身の思い通りの行動をしなかった事に、狼狽していた。思いの外想定外の事態に弱い様である。

結(い、いや、かえって好都合……!このままの勢いで、メロメロに……!)

理由不明だが、どうやら彼の気を引きたいらしい彼女は、動揺しつつも気合いを入れる。

ただ彼女は気付いていない。女の子に縁が無いし鈍感気味の彼を落とすのは至難の業だと……。

少年(勢いで送ってしまった……僕がデート?夢じゃなく?しかも2日連続?)

ちなみに想定外の事態に弱いのは彼も同じである。自分がしでかした事が信じられないらしい。

何をすれば良いのか分からないし、デート中は妖狐の面倒を誰が見るのだろうとか考えていた。

少年(いっそ着いてきてもらう……駄目だ多分)

一応経験無しと言えどデートに他の女の子を呼ぶのは、例え見えないとしても避けた方が良いと考えていた。

だが、一人留守番する妖狐は寂しがらないかな、とか彼は考えていた。つい勢いでデートすると言ってしまった自分に後悔していた。

それに、彼女を置いて家を出る事に罪悪感が湧く。出来るだけ側に居てあげた方が良いと思っていたからだ。

だけども台風が去って学校に行く事になれば、彼女を留守番させるしかないのだ。少年的には自分の学校生活を覗かれたくないのである。

恥ずかしいというのもあるし、ほぼボッチの寂しい野郎なので失望されるのでは、というのもある。

他にも実質透明人間の彼女と目の前に居るのに会話出来ない、というのも中々辛いと思っている。

そして、自身が弱くて惨めな存在である、というのを知って欲しくないのだ。

結は好きだと言っていたが、彼は学校が嫌いだった。授業が嫌いな訳ではなく、環境が嫌いなのだ。

少年(……駄目だ駄目だ。こんな事考えてたら駄目になる)

彼は頭を振って悪い考えを吹き飛ばす。折角の休みなのだから、もっと楽しく過ごさねば。

何せ今日と明日が台風で休みになり、明後日明々後日は土日だから4連休だ。しかも妖狐も近くに居るし美少女とデートも出来る。

今間違い無く彼はラッキーボーイなのだ。

結{で、土日ともデートって、何するおつもりで?(*´艸`*)]

 {さぞ素敵なデートプランをお考えなんでしょうねぇ?( ̄ー ̄)ニヤリ]

考えてませんでした、と心の中で即答する少年。勢いでやったから後の展開を殆ど考えてないのだ。

ニヤリと書かれた顔文字を使っている辺り、彼女はそれを見透かしているのだろうと思った。

結{あぁ、ただ私から誘ったので……土曜の方は私にお任せを!( ´∀`)b]

 {それはもう楽しませてあげますのでね!(>ω<)]

一体どういう事をするのか不安になる少年。会って間もないしよく知らないのだから当然の反応である。

というかデートした事ないから不安しか感じない。彼女の手腕に期待。

結{まぁ、失礼ながら正直言って先輩のプランには期待してません(*ノω・*)テヘ]

顔文字で誤魔化しているがそれはもうバッサリと叩き斬られる少年。自覚してるとはいえ直接言われると流石にショック。

結{先輩、デート経験は……?(/ω・\)チラッ]

少年[無いです……}

結{やっぱり。なら、デートしながら次の日の予定決めましょ?その方が安心だと思います(`・ω・´)ゞ]

何故ここまでしてくれるのか。彼はその理由を考えていた。自分に何を求めているのだろうか。

もしや優しくしてれば貢いでくれる、とか。考えた所で彼は疑う事しか出来ない。だって彼女の事知らないし。

少年[分かったよ。お願いします}

結{任されました!( ´∀`)]

疑っても仕方ないので少々警戒しながらデートに挑む事にした。何も無い事を願うばかり。

少年「はぁ……」

疲れた。その一言に尽きる。そんな感じの溜め息だった。慣れない事をする物ではない。

妖狐「…………」クイッ

少年「あ……どうかした?」

何時の間にか起きていた妖狐が、彼の服の袖を引っ張って見つめている。お腹でも空いたのか、と考えてすぐかき消す。

彼女のその仕種がまるでペットを飼った気分にさせる。ペットじゃなくて彼女は……妖と言っていたけど人間だと思う事にしていた。

妖狐「何してたの?」

少年「連絡し合ってたんだ……その、友達と」

首を傾げてどういう事?と疑問符を浮かべる彼女に、出来るだけ簡単にメールの話をする。ついでに誤魔化した。

妖狐「今は手紙ってそんな感じなんだ……!」

起きてきて、目を輝かせながら少年の携帯を眺めている。好奇心が湧き立つらしい。

妖狐「……女の子から?」

少年「え、あ、まぁ、うん」

何故そんな事を聞くのか分からなかったが、別に女の子の友達が居たって変じゃないと自分に言い聞かせながら話す。

妖狐「彼女?」

思わずブッと息を飛ばす少年。まさかそんな事を聞かれるとは思わなかった彼は、その質問の意図を問う。

妖狐「もしそうだったら、わたし邪魔かなって」

少年「た、ただの友達だし、僕が連れてきたのに邪魔な訳無いよ」

どうやら気を使って聞いてくれたらしく、気にする必要は無いと彼が言うと、ホッと安心していた。

妖狐「邪魔にならなくてよかった……」

そう胸を撫で下ろす彼女。今の所は少年を感じられる場所が彼女の居場所なのだ。

もし彼に恋人が居たら、彼の側にもこの家にも居づらくなるところだったと考えていた。

まぁ、そもそも彼自身が妖狐をとても気に掛けているのに邪魔に思う訳が無いのだが。

少年「……そもそも、女の子にそこまで好かれた事無いし」

実際、彼は変わった人間だと思われていて、周りもあまり関わってくれないから女子どころか男子にもあんまり好かれてない。と思っている。

妖狐「わたしは好きだよ?少年さん、優しいから」

あまりに素直な回答と屈託の無い眩しい笑顔が彼に突き刺さる。やはり少年、嬉しさと照れ臭さで顔を赤く染める。

そして彼女はそれを不思議そうに見ていた。人付き合いしてこなかったとはいえ、気付いてあげてもよさそうな物だが。

妖狐「それで、どんな話してたの?お買い物に付き合って、とか?」

買い物に付き合う、というのが彼女なりのデートという言葉の表現方法なのだが、少年が察するのは難しいだろう。

でも強ち間違いではないので、彼もそれを認めた。

少年「だから土日は、本当は休みなんだけど、出掛けてくる事になっちゃって」

妖狐「うん、分かった。留守番は慣れてるから」

留守番は慣れてるなどと、さらりと重い言葉を悪気無く言う彼女の言葉が、彼の罪悪感に変わっていく。

彼女もそれを察したらしく、そんなつもりは無かったと謝った。単純に不安に思わなくていいよ、と言いたかったのだ。

妖狐「大丈夫。頑張ってね、少年さん」

何をどう頑張れば良いのか彼にはよく分かっていないが、取り敢えず頑張る、と言っておいた。

それから数時間、二人は会話やゲームなどを楽しんでいたが、今少年は困った事態に直面していた。

妖狐「…………」ブルブル

彼女が布団を頭から被って、震えている。先程、豪雨が豪雷雨と化した所だからだ。確かに彼女は雷が苦手と言っていた。

問題は、何故か少年の背に引っ付いている事だ。つまり、傍から見たら、彼の背中に膨らんだ布団が掛かっていて、しかも振動しているのだ。

今誰かに見られたら間違い無く心霊現象呼ばわりである。いや、悶える布団つむりか。

少年(暑い……!)

いくら豪風雨霰と言えども、今は夏場である。くっ付かれたら半袖であっても暑いもんは暑い。

彼も別に雷は平気ではない方だが、すぐ側に怯えてる子が居ると却って落ち着く物で、どうしようか考えていたのだ。

このままでは動けないし動けても彼女が離れないだろう。トイレいけないのはマジでキツい。

少年に誰かを落ち着かせた経験は無い。が、大きな音と光を嫌がっているのなら……と、彼は思い付く。

妖狐「んー……!んんー……!」ギュウ

しかし動こうとすると彼女がしがみ付いて離れようとしない。可愛いが身動きが取れないとどうしようもない。

少年「ヨーコちゃん、ちょっとだけ離して。向き変えたいから」

彼がそう告げると彼女は本当にちょっとの間だけ離して、少年が向きを変え終わった途端また抱き着いた。

何故自分にピッタリとへばり付くのか疑問だったが安心するのかもと思う事にした。別に好意を抱いている訳ではないと己に言い聞かせる為に。

妖狐「んん~……」

涙目になりながら、布団の中から上目遣いで見つめてきて、何かを必死に訴え掛ける彼女。どうして喋らないのかは不明。

少年「えっと……ほら、これ」

彼が用意したのはヘッドホン。これで耳を覆って音を遮ろうとしたのだ。という訳で、思い切り被せる。

妖狐「……何?」

がしかし、頭の上の方に生えている関係上、ちゃんと覆う事が出来ない。彼女の耳を潰す形になってしまう。

なのでイヤホンで無理矢理頑張る事にした。やっぱ無理だった。作戦失敗である。

妖狐「…………」

何とも言えない目でこちらを見つめる彼女に対し、何も言えない少年。何とかしてやりたいが、何にも出来ない。

なので、結局雷が鳴り終わるまで、引っ付き虫の彼女を殆ど抱き締める形で、暫く過ごすのだった。

投下終了。

諸事情によりしばらくは投下出来そうに無いので、もし落ちそうなら保守して頂きたいです。

〈波乱〉

雷が鳴り終わる頃には再び眠りに就いた彼女。その状態でも強くしがみ付いていて、動きにくい。

取り敢えずトイレに向かいたい彼は何とか起こさない様にしながら引き剥がした。

そろそろ両親が共に帰ってくる。職場結婚したとか何とかで、二人共同じ会社に勤めている。

昔から似た性格趣味趣向だからなのか仲が良い。少年からすれば鬱陶しく感じる時がある程だ。

出来れば彼女の姿が見えない事を望むばかりであった。絶対からかわれるから。

少年(もし見付かったら、何て説明すれば……。ペットとかと訳が違うのに)

出来るだけバレない様に、彼は彼女が身に着けていた物全てを自分の部屋に持ち込み、見えない所に隠した。

後は勝手に捜索されなければ何とかなるはず、というのが彼の考えだったが、まだ甘い事に気付いていなかった����。

母「……あんた、女の子連れてきたでしょ」

少年「!?」

バレた。帰ってきて洗濯物を見た母が即見破った。ハッタリだと思って誤魔化そうとしたが意味無し。

母「バスタオル使い過ぎ。女の子の体にバスタオル巻かせなかったら、こんな使わない」

失念していた。そう、大体の人が普段身体を拭く為に一枚使うのだろうが、今回彼と彼女の体に巻いた物、そして身体を拭いた物で四枚使っていた。

母「しかも、一緒に入ったでしょ。それにあんたがこの台風の中帰すと思えないし……家に居るんでしょ?」

完全に思考を読まれている。流石は親である。こんな事ばかり鋭い、と少年は内心文句を言う。

母「その子呼んできなさい。紹介してくれる?」

少年(……終わった)

項垂れて溜め息を吐く少年。当たり前だろう、見えないかもしれない相手を呼べと言われても、頭を心配されるだけだ。

母「早く呼ばないと母さんが見つけるから」

と言いながら速攻少年の部屋に駆け出していく母を、慌てて追い掛ける少年。そして、部屋に辿り着いた時……。

母「……あれ?居ないの?」

母は無遠慮に部屋を開けたが、そこには誰も居なかった。らしい。少年の目にはスヤスヤ眠る妖狐の姿がハッキリ見えていた。

上手い事掛布団が下に落ちているのもあって、うつ伏せで尻尾をゆっくり左右に揺らす彼女がしっかりと。

母「……まさかあんたモテなさ過ぎて」

少年「僕はまともだから!」

やはり頭を心配された。確かに彼自身はまともだが、彼が見ている光景は普通の人間では見れない物だ。

何せ母親の手が妖狐の身体を貫通しているのだから。どうやら見えない人間は透けて触れないらしい。

少年(何で、僕には見えてるんだ……?)

当然の疑問が頭に浮かぶ。偶然だろうと何だろうと、気になるのは普通の反応だろう。考えた所で答えが出る事は無いのだが。

母(嘘苦手なこの子の反応からして、この家に女の子が居るのは間違いないのに……)

母親の考えは完全に正解ド真ん中だが、相手が悪かったとでも言うべきなのか。

その内騒がしさで目を醒ました妖狐だが、目を擦って眠そうにしている。

少年(母さんがこんなんじゃなかったら、起こさなかったのに……)

余計な茶々を入れたがる両親に辟易としている少年。この両親の所為で様々な迷惑を被り続けてきたら、そうも思う。

妖狐「少年さ~ん……」ムギュ

未だ何かを探そうとしている母親をすり抜けて、少年にまた抱き着いてくる。彼は色々と混乱している。

妖狐「ね~……見えてないでしょ……?」

どうやら寝惚けている様で、何とそのまま眠りだす。立ったまま眠るなんて器用だがそれは些末な問題である。

今この場で眠られると後が大変なんて物じゃ済まない。抱えるにも姿勢が固定される為、怪しまれるのはすぐ分かる。

なので何とか起こして歩かせて、もう一度ベッドで寛いでもらった。彼女はすぐに寝転んで静かに眠りに耽けた。

母「……まぁ、ご飯くらい作ってあげるから、渡してあげなさい」

全く見付からないので諦めて居間に母は戻っていった。母さんにしては静かに引いたな、というのが少年の感想だった。

考えられる可能性は、飽きたか、彼を泳がせているのか。そして、かなり可能性としては低いが、少年に気を使ったかのいずれかだ。

少年(今は、助かった……)

ぐっすり眠っている彼女を見ていて、次第に気分が落ち着いてくる少年。そのまま部屋に鍵を掛けて誰も入れなくする。

因みに彼は思春期を迎える前から鍵を掛ける癖があった。普段からふざけ気味の両親を反面教師にし、日頃から真面目な生活を心掛けていたからだ。

ついでに言うと両親に勝手に部屋を荒らされたくないから鍵を掛ける様になったのだ。彼にもプライバシーはある。

とにかく、女の子が居るのは完全に察知されたので、これからどう動くべきか悩んでいる。全く思い付かないだろうが。

妖狐「んみゅ……」

最初に寝た時の様に、出来るだけ優しく優しく頭を撫でてあげると、くすぐったそうにしながら耳と尻尾が嬉しそうに動く。

少年(妹とかいたら、こんな風に過ごしてたのかな……いや、喧嘩ばっかりかも)

一人っ子な彼にとって兄弟姉妹という存在に憧れていた所がある。それ故か、妖狐を妹分の様に思っていた。

ただでさえ自分に懐いてくれているのだから、そう思うのも自然、かもしれない。

少年(……この子だって、一人は寂しいって……僕が兄貴分、なのかな)

こんな夏の時期でも人の温もりが欲しいのか、彼女の頭を撫でていた少年の手を両手で優しく掴んで、彼女はそこに頬擦りをしていた。

こういう所が小動物的というのか、愛玩動物的というのか。

その日の晩ご飯の時間は彼がある程度想像していた通り、まさしく波乱に満ちていた(彼的には)。

父「聞いたぞ彼女出来たって」

少年(まぁ、そう思われるよね……)

そういう縁の無かった奴が家に女の子連れてくるとか彼女じゃなきゃ何なんだ、と誰もが思うだろう。

だがしかし、彼女ではない。歴とした人助けの結果連れて来られただけなのである。そんな扱いされたら彼女がどう思うか。

母「家に連れてくるなんて……随分進んじゃってねぇ」

やはり見えない彼女を炙り出そうとしているのだ。少年自身の口を割らせる事によって。

が、彼は口を割らない。だって言ったら変な奴呼ばわりだ。学校で言われて家でも言われたらストレスだ。

少年(……あ、そうだ。ヨーコちゃん、一緒に食べたがってたな……ちょっと、控えよう)

両親の質問責めを無視しながら、そんな事を考えていた。一方、その問題の彼女の方は……。

妖狐(…………)

その様子を、起きてきた彼女が少年に見付からないよう物陰に隠れて見ていた。家族団欒の姿が気になったらしい。

今彼女は寂しさを感じていた。家族と共に過ごす時間の中に居る少年との間に、壁を感じてしまったのだ。

自分は向こうには入れない、と。見えないなら、居ないのと何も変わらないのだと。その上彼に嘘を吐かれたとも思っていた。

妖狐(彼女じゃないって言ってたのに……何で嘘吐いたんだろ……)

少年一家が、少年の彼女の話をしていたのを悪いとは思いながらも盗み聞いていた妖狐。

その彼女というのを、妖狐は携帯で連絡し合っていた女の子の事だと考えた。連絡し合う位で買い物にも一緒に行く仲なのだから、と。

……当然端から見聞きしてれば分かるが、少年一家の言う彼女とは、妖狐自身の事である。

まさか自分の話をしているとは一切思っていなかったが故に、誤解してしまったのだ。

少年と言い、妖狐と言い、そういう経験が無いしお互い親しい仲の間柄としか思ってないから、色恋沙汰にはかなり鈍感。

妖狐は少年が態々隠した事なのだから、聞かないでおこうと気を使い、彼女が居るという誤解をしたまま少年の部屋に戻った。

少年は彼女が誤解した事など露知らず、彼女もそれを言わないので誤解した事に気付かない。

あぁ、何と面倒なすれ違いだろうか。その僅かなすれ違いは、いずれ小さな歪みに、そして──

晩ご飯を食べ終えた少年は、当然自分の部屋に戻る。そこでベッドで寝そべる彼女に声を掛けようとした。

少年(……元気が無いような)

そんな事ばっかり察しの良い少年は、何となく彼女の背中に元気が無くなっているように感じたが……。

少年(お腹空いたのかな)

やっぱり鈍感であった。まぁ、普通元気が無い理由に気付く方が凄い事なのだが。

少年「大丈夫?」

妖狐「……ん?うん、大丈夫」

少年には何時もの妖狐だという風に見えた。しかし彼女は内心落ち込んでいた。

恋人が居れば、少年が自分に割ける時間が短くなる。もっと構って欲しいと思っていた。それがワガママだと分かっていても。

妖狐(……どうしよう、迷惑だよね)

しかし、少年と妖狐の、近くて遠い関係が、出来る限り彼に迷惑を掛けたくないと彼女を遠慮させる。

別にベタベタに甘えたって彼は混乱したり恥ずかしがったりはしても、拒絶したりは絶対しない。

だがこの二人はほんのつい最近出会ったばかりで、お互いの事を殆ど知らない。だから付かず離れずの距離を取る。

少年「ご飯、後でこっそり持ってくるから」

妖狐「うん……」

少年「……どうかした?……あ、一緒に食べたかったとか」

考えていた事を当てられて、驚きと同時に喜びが彼女の胸の内に湧く。過ごした時間は短くとも、自分を理解してくれる。

彼女にはそれが堪らなく嬉しかった。自分達は通じ合っているのだと。甘えたい気持ちは強くなるばかり。

その後、宣言通りご飯を持ってきた少年と、同じ物を食べあった。少年が家族と食べていた光景と、今の状況が重なる。

妖狐「美味しい……」

少年「……良かった。口に合わなかったらどうしようって」

僕が作った訳じゃないけど、と照れ笑いしながら、彼女が美味しいと言ってくれた事を自分の事の様に喜んでいた。

妖狐「……料理、作ってみたい」

少年「料理?いいけど……明日にね」

彼女としては、美味しい物を自分で作ってみたいというのと、少年に食べてほしいという気持ちがあった。

少年を喜ばせたかった。お邪魔している事には変わりないので、何かで助けてやりたかったのだ。

二人共仲良く食べ終わり、少年が食器を台所に持っていく。風呂には入っているので後は寝るだけ。

しかし、少年の部屋はそう大きくない。ベッドは大きいので詰めれば三人は眠れるが、だから一緒に寝るかと言われたら……。

少なくとも少年は同衾出来る様な人間ではないので、床に寝ようと考えていた。が。

妖狐「何で?」

その考えを彼女に告げた所、本当に不思議そうな顔をされた。彼女にはそういう躊躇いが無いらしい。

正確に言えば、彼女は少年の側で眠りたいのだ。一番安心出来る場所。なのに彼が変な事を言うのでちょっと怒っている。

妖狐「……少年さんが嫌なら、別にいいよ」

少年「えっと、嫌じゃ、ない……無いんだけど。やっぱり、男女一緒に寝るっていうのは、何と言うか……」

上手い言い方が出来ず、しどろもどろになる少年。ちらりと彼女を見てみれば、ムスッとした表情に。

妖狐「嫌なら嫌って言えばいいのに」

誰の目から見ても機嫌が悪そうである。鈍感な少年でも一緒に寝れないから怒っていると気付ける程だ。

少年「いや、その……男女一緒に寝るのって、基本的には、恋人同士とか、夫婦だとか……」

妖狐「…………」

言えば言う程彼女の機嫌が悪化していくので、少年はもう何も言えなくなった。まぁ彼としては健闘した方である。

少年だって立派な男の子なので、今までは我慢してきたが何かあったら大変である。だからあまりベタベタくっ付くのは避けたかった。

それを素直に言えれば解決するのだろうが、普通は引かれる。言える訳が無い。

しかし妖狐からすれば少年が嫌がっている様にしか見えない。その上恋人同士という言葉を聞いて更に嫌な気分になる。

彼女自身よく分かっていないが、何となく少年が恋人だのと言うのが嫌になっていた。

妖狐「……もしね、彼女が居たら、一緒に寝るの?」

少年「えっ……と……僕は、無理かも……緊張するだろうし、気恥ずかしい、というか」

実際に女の子に添い寝してもらうシーンを想像した結果、やっぱり無理だと頭を掻きながら結論付ける少年。

妖狐「わたしでも緊張する?」

少年「……まぁ、うん、緊張するよ、女の子だから」

女性関係に縁の無い少年からすれば、見た目的に同年代で、しかも狐の耳と尻尾が生えた女の子なんて、緊張するに決まっているのだ。

その上凄く可愛く自分に懐いてくれているのだから、彼は幻滅されたくないという気持ちを抱いていた。

妖狐「そっか……」

無表情で返事をしていながらも、彼女は内心とても喜んでいた。無表情なのは口角が上がってしまうのを防ぐ為だ。

自分の事を気にしてくれているのが、心の底から嬉しいと感じていた。

……誰が考えても、明らかに妖狐は存在しない少年の彼女に嫉妬しているし、少年に対して間違いなく好意を抱いている。

が、彼女自身もそういう経験が無い事が、その想いを自覚させない。そもそも自身の恋愛という概念が無い。

だから彼女は今の気持ちを身内に対する物だと認識してしまっている。気付くのは何時になるやら。

少年も少年で女の子の気持ちに疎い。だから彼も彼女が懐いているのは身内の様に思われているからだと考えている。

二人共妖狐本人の心を把握出来ていないのだ。二人の先行きは不安だらけ、前途多難なのは間違い無し。

ちなみに、結局少年が部屋の床で寝て、妖狐がベッドで寝る事になった。彼女が少年の気持ちを汲んでくれたようである。

こうして、夜は更けていく……。

今回はここまで。
何とか投下出来た……。

〈束の間の一時〉

少年「」

朝一番、台風によって雨が宴会を開催していて騒がしい。その騒音で目覚めた少年が目にした物は����。

妖狐「ん……」

丸まって眠っている妖狐であった。ただそれがベッドなら良かったのだが。

少年(い、いつの間に……)

べったりと少年に引っ付いて寝ていたのだ。だから蒸し暑かったのかと、少年が納得する。

一目見て可愛いと思う程、良い寝顔だった。出来るだけ起こさない様に慎重に、と少年が考えている間に。

妖狐「……んふぁ……おはよう、少年さん」

彼か起きた事で釣られて彼女も起きてきた。ん~、と声を上げながら、伸びをする。

少年「……隣、寝たかった?」

妖狐「だって、落ち着くから。安心出来るんだよ?少年さんの側」

ニコリと微笑む彼女の笑顔は相変わらず眩しい。が、慣れてきたのか少年は目を逸らす事は無くなった。頬は赤いが。

妖狐「今日は料理、良いよね?」

少年「い……いいけど、あんまり材料無いし、天気もこれだから、作れるの決まってるよ?」

その言葉に彼女は大丈夫と笑ってみせた。ただ少年の為に、それが彼女が料理を作りたいと言い出した理由なのだから。

少年「……ところで、料理作った事ある?」

妖狐「火を使った事無いよ」

つまり無いのと変わらない。そりゃ半ば原始的な生活してたら料理も何も無い。

少年「じゃあ、簡単なのしようか」

妖狐「うん」

二人は少年の両親が出掛けたタイミングを見計らって、朝食を食べた後、昼食の準備をした。

少年「……あっと、これは……丁度いいかな」

妖狐「お揚げさん?」

少年が手にした油揚げを眺めて、不思議そうに見つめる彼女。何分そのままでしか食べないから、どんな料理になるか想像出来ないのだ。

少年「きつねうどん作ろうと思って」

妖狐「き、きつね?」

きつねうどんと聞いて、狐の肉でも使うのかと恐々とする彼女。つまり、自分が食べられるのかと思ったのだ。

少年「……別に狐を食べる訳じゃなくて。油揚げが乗ったうどんをそう呼ぶんだよ」

妖狐「そ、そうなんだ……怖かった」

自分が食べられなくて良かったと安堵する彼女。少なくともこの界隈でカニバリズムを好む者は居ない。

少年「って、僕が作るんじゃなかった……教えるから、一緒にやろうか」

妖狐「うん、お願い少年さん」

やはり少年と様々な事を共有したいらしく、積極的に彼と触れ合おうとする。誰かに何かを教えた経験は無いが、それでも頑張ろうと決めた少年だった。

で、そんな少年だが、彼女の隣に立って台所に立っている時、まるで新婚夫婦の様だと思ってしまった。

勿論彼の事なのですぐに忘れ去ろうとしたのだが。対して彼女はうどんを湯がいている鍋を強張った顔で凝視していた。

どうやら初めての料理に緊張しているようだ。まぁ当たり前の反応だろう。というかお湯が沸騰するシーンを見た事無いのだ。

しかもうどんも大して見覚えが無い。ほぽ未知の存在なのである。それでも少年に作ってやりたい思いが強かった。

妖狐「むむ……ここからどうするの?」

少年「もう出来たよ?」

妖狐「もう良いんだ……」

味の分からないきつねうどんなる物に、強い興味を示す彼女。特に油揚げの味が気になっている。

器に盛られ、良い香りと湯気をなびかせるそれに、妖狐の食欲は増すばかり。

妖狐「じゃあ少年さん」

少年 妖狐「いただきます」

少年「熱いから気を付けて、ね……」

少年は知らなかった。昨日彼女は普通に箸を使っていたから。実は彼女、箸で食べた事は殆ど無い。何が言いたいのかと言うと……。

妖狐「つ、掴めない……」プルプル

うどんの食べ方が分からないし上手く食べられないのだ。先程から掴もうとしたらちぎれ、掴んだら落とすを繰り返していた。

しかも麺が長いのをわざわざ持ち上げて食べようとする為、落ちる時に出汁が飛び散っていた。

少年「よ、ヨーコちゃん、そんなに持ち上げなくても大丈夫だから……」

妖狐「む、難しい……」

つるつる滑るうどんに四苦八苦する彼女。少年は取り敢えず落ち着かせて、食べ方を教えてあげたのだった……。

妖狐「あむ、んむ」

少年「だ、大丈夫?」

ゆっくり一口ずつ食べる彼女に、不安が隠せない少年。たどたどしい手元に目が離せない。

妖狐「美味しいね、これ」

少年「そっか、よかった」

小さい子供の様に少しずつ食べていくからか、あまり熱さを感じてないようだった。遅くとも笑顔で食べ進める姿に、少年も一安心。

妖狐「…………」ジー

少年(……食べる姿見られるのって、何だか緊張する……食べ終わるの待ってるのかな)

彼女は食べる量が少ないので、早々に食べ終わってしまう。なので、少年が食事を終えるのを待っていた。

ただ、それを言わなかったので、少年としては何故見られてるのか分からず、緊張するばかり。

少年「ふぅ。えっと……」

妖狐 少年「ごちそうさまでした」

少年が手を合わせたタイミングで、彼女もその真似をし、言葉を合わせる。元々こうしたくて彼女は黙っていた。

どんな事でも一緒にやって共有したいらしい。健気な子である。

少年「……この後、どうする?」

荒れ模様の外とは対照的な、穏やかな時間を過ごす二人。彼女としては少年と居られればそれでいい、と考えていた。

だから、少年さんの好きにして良いよ、と返した。彼のやる事を一緒に出来ればそれでいいと思っているから。

少年「んー……じゃあ……うーん……ゲーム、する?」

別段宿題がある訳でもないので、外に出られなければ後は最早ゲームするしかない。という結論に至ったらしい。

勿論彼女は二つ返事で返す。よく分かってないのにも関わらず、だ。まぁどんなに難しかろうと彼女はやるだろうが。

二人は少年の部屋に戻って、彼はゲーム機を起動した。テレビ画面を食い入る様に見る彼女。

ゲームのゲも知らない彼女からすれば、今の光景は衝撃的だろう。初体験の物ばかりで落ち着けないのか尻尾が興奮でバタバタはしゃいでいる。

妖狐「……!……!」フンスフンス

鼻息荒く画面を眺める彼女。興奮し過ぎて声も出ない様子。先程からベッドの上で正座しながら小さく飛び跳ねている。

少年「あの……落ち着いて」

妖狐「多分無理……!」

ジッとしていてもソワソワしていて目が輝いている。よっぽど気に入ったらしい。

妖狐「もっと近くに見ていい?」

少年「いいよ」

と言うと、少年はテレビ画面に近寄るのかと思っていた。が、何と彼女は少年の前に座ってきた。画面見えない。

少年「ヨーコちゃん、前見えないから……」

妖狐「……あ」

指摘されると、恥ずかしそうにしながら横にズレる。興奮し過ぎなのを自覚したようである。

妖狐「……ねぇ少年さん」

少年「何?」

妖狐「膝座っていい?」

少年「……い、いいけど」

相当近くで見たいらしく、少年の視界を邪魔せず最も近くに居られる場所を選んだ彼女。

思春期の男の子の膝上に年の近い女の子が座る……これは一大事。しかし、彼女の純粋な目で見られたら、彼も断われない。

妖狐「少年さん少年さん!あれあれ!」

少年「う、うん……」

彼女を膝に座らせたままゲームをする。慣れない感覚に上手く操作出来なくなる少年。しかも尻尾がわさわさと動いているから更に操作しづらい。

その上彼女は結構深く腰掛けて座っているので、少年としては当たらないかヒヤヒヤしている。何がと言われたら、想像にお任せする、としか。

更に姿勢の関係上、自然と彼女を背中から抱き締める様な形でプレイしているので、より緊張する少年。

そんな彼の気持ちを知る由もない彼女は足を伸ばしてバタバタと、ついでに尻尾も耳もはしゃぎ倒している。

少年(どうしよう何かいい匂いがするし尻尾がくすぐったいしいい匂いする)

思春期迎えた少年には今この状況は様々な意味で非常にキツい。何かもう色々と頭の中で駆け巡っていてマズいのだ。

ゲームどころでは無いが、彼女の為にそれはそれは大変我慢してゲームを実行している。

本当は彼女と共にゲームをしながら過ごすつもりだったのだが、今の彼女は見る方が楽しそうにしている。

なので少年、耐えつつ暫くしてから彼女に操作を教えて一人でやらせてみようと考えていた。これ以上この姿勢、彼には厳しい。

そして彼女が一人で楽しんでいる間、彼は一人熱を冷ます、という道筋だ。何の熱かと言われたら、強いて言うなら顔だろうか。

しかし、そんな少年の心を揺さぶる出来事が。

妖狐「んー……♪」スリ

少年「」

何と彼女は後頭部を少年に擦りつけたのだ。ぶつかったのでは無く、確実に擦り付けたのだ。

何の意図を持ってそうするのか彼には不明だったが、明確に甘えてきたのは間違いない。

少年(こ、このままじゃゲームどころじゃない……!)

妖狐(凄く安心する……ここに居たいなぁ)

少年が非常に危うい所まで来ているのに対し、彼女は彼の膝の上に座る事に安らぎを感じていた。

しかしこのままだと彼が爆発するので安らぎを覚える暇は無かったりする。何の爆発かって聞かれても困る。

少年「よ、ヨーコちゃん、やってみる?」

妖狐「いいの!?」

自分もやっていいと聞いてとても喜ぶ彼女。理由が理由なので何だかなぁ、という感じ。

ある程度彼女に操作方法を教えて、自身はベッドで寝転ぶ少年。彼女に聞こえそうな程心臓がバクバク鳴っている。

ワイワイと一人騒ぎながら楽しんでいる彼女を横目に、彼は静かに大の字で横になっていた。

暫くしてると、彼の携帯からLINEの通知が。見てみると、やはり結と表示されていた。

結{暇なんで連絡しました。先輩も暇なら話しましょうよ~(´・ω・`)]

少年[僕はそんなに暇じゃないから……}

結{暇じゃ、ない?(・・?]

暗にどうせ暇でしょと言わんばかりの返事にムッとする少年。それを書き込む事は無いが。

少年[僕に連絡するより、友達とした方が暇潰しになると思うけど}

結{男友達は先輩しか居ません。女の子同士だと色々あるんですよ( ´Д`)]

少年[喧嘩でもしたの?}

結{そんなんじゃないですよ。先輩なら気兼ねなく話せるってだけです( ´∀`)]

数時間も関わっていない自身の何が彼女にそう思わせるのかは分からないが、とにかく話しやすいらしい。

彼女が何か企んでいる様にしか、彼には感じられなかった。が、悪意がある様には思えないと感じてもいた。

少年[何で僕なの?他にもかっこいい人とかいるのに}

結{私、何とな~く分かっちゃうんですよ、一目で良い人か悪い人かって( ̄ー ̄)]

少年[僕はどうなの?}

結{良い人過ぎ、ですかね。底抜けのお人好しって所ですね(*´∀`*)]

本人に自覚は無いが、彼女からはそう映るらしい。妖狐を放っておけない辺り、お人好しなのは間違いない。

結{それと、お人好しだから色んな問題抱えちゃって、しかも周りに言わないタイプと見ました( ゚∀゚ )]

図星だった。ほんの短い時間で見抜かれていた事に驚く少年。実際に彼は幾つかの問題を抱えているのだから。

少年[そんな風に見える?}

結{実はですね、先輩には色々逸話と噂が広まってるんですよ( ´艸`)]

あんまり目立ちたくないのが彼なのに、その陰では目立ちまくっている。という事を知ってしまった少年。勘弁してと頭を抱える。

結{意外と人気者ですよ?誰にでも優しい自転車の王子様って(o゜▽゜)o]

少年[嘘だよね}

結{確かめます?前からファンクラブみたいなのあるみたいですよ?(≧∀≦)]

少年は一切信じていなかった。彼のイメージとしては、ファンクラブのある人はラブレターとかごっそり貰う、という風になっているのだ。

彼は貰った事無いし、そもそも女子が話し掛けてこない。確かに何度か困っている人を助けているが、同級生を助けた覚えがほぼ無い。

がしかし、これは事実なのである。実際彼は滅茶苦茶助けまくっている。ただそれが彼にとって助けた内に入ってないだけで。

なので本当に人気者だったりする。彼は全く気付いてないが、割と学内で広まっている。

ちなみに話し掛けられないとかは、何故か緊張するからとからしい。あくまで彼はスターなのだ。

少年(絶対嘘だよ……適当に言ってるだけだこんなの……)

彼的には周りがそういう目で見ているなどと考えたくなかった。本当にそうなら彼は視線に耐えながら過ごさなくてはならないから。

結{まぁですね、もっと自信持って良い、って事です(・∀・)]

少年[自信、って言われても、実感無いし}

結{先輩はそのまま変わらないのが良いのかもしれませんね( ̄∇ ̄)]

彼の事だから変わらないというより変われない。これからも喜んで貧乏くじを引き続けるタイプ。

結{ところで先輩、結局暇じゃないって、ゲームでもしてたんですか?(?ω?)]

少年[そんなところ}

結{それはお邪魔してごめんなさい<(_ _)>]

少年[別にいいよ、キリもよかったし}

チラリと横を見れば、彼女はゲームに没頭していて、完全に自分の世界に入り込んでいる模様。確かに丁度良かったのかもしれない。

結{そうですか、そう言ってくれて何よりです(^_^)]

少年[いい暇つぶしになった?}

結{まだ足りません!(`Д´)]

彼女はよっぽど暇なようで、暫く少年は中々疲れるトーク三昧であった。女の子の話題に着いていける様な彼では無い。

少年がやっと終わった、と思って溜め息を吐いて、妖狐の方に向く。

妖狐「…………」ジッ

少年「」ビクッ

何時の間にかガン見されていた。無言、無表情で見つめられていると、驚きより恐怖の方が勝る。

少年「ど、どうかした?」

妖狐「楽しかった?」

先程の結との連絡の事を指しているのだろう、と少年は判断するが、彼には彼女がそれを聞く理由が分からない。

が、何となく怒っている様な気がして、ちょっと申し訳無さそうにしながら、正直に告げる。

少年「楽しいより前に疲れるよ……」

怒涛のトークラッシュに圧倒されている彼にとって、結との会話は疲れる物であった。

彼女は少年とは気兼ねなく話せると言ったが、彼は妖狐との方が気兼ねなく話せる。彼女は静かに聞いてくれるから。

妖狐「ふーん……」

妙に淡白な反応が彼の恐怖感を煽る。放っておいた事に怒っているのかもしれないが、とにかく何か怖い。

何が悪いか分からないのに謝ると、却って怒りが増す。それが彼の認識だった。なので彼女の反応を確かめながら会話する。

少年「あのさ、ヨーコちゃん……嫌、だった?」

妖狐「何が?」

反応が冷たいような感じである。彼は何かが嫌で、恐らく放っておいた事に対して怒っている、と考えた。

少年「いや、その、ヨーコちゃん放って連絡しあってたから」

妖狐「別に嫌じゃなかったよ」

とは言いながら、彼女は不満そうにしている。やっぱり放っておかれたのが嫌なんだ、そう感じ取る。

が、実際には彼女は少年の彼女だと勘違いしている結に、嫉妬しているから不満そうなのだ。

ただし本人は胸の内がモヤモヤするとしか思っていない。何故モヤモヤするのかまだ理解に至っていないのである。

初めて湧く感情に、彼女自身が制御出来ていない。と言っても、中学生くらいで感情を自在に制御する子はあまり居ないとは思うが。

少年(ど、どうしようかな……)

女の子の扱い方など最初から頭の中の知識に存在しない少年。何と言っていいのか分からず悩みだす。

そもそもこの場合は誰であっても最適な解答はほぼ無い。あるとすれば少年が彼女に向かって好意を告げる事だ。

しかし別に少年は妖狐に庇護欲こそあるが、恋愛感情がある訳ではないのであり得ない選択肢である。

妖狐「…………」ムスー

一向に機嫌が戻る兆しの見えない彼女。しかし、少年が部屋を出ようとすると着いてくるし、離れようとしない。怒ってても近くには居たいらしい。

結局1日が終わるまで機嫌を直す事は無かった。が、それでも少年にぴったりなのは変わらない。

ついでに寝るときも一緒の布団で眠ろうとするあたり、どうしても離れたくない、というのも本心らしい。

少年(あ、暑いぃ……)

そんな彼女に罰のつもりか、ギュウッとくっつかれて、暑くて眠れない夜を、彼は過ごす事になった……。

今回ここまで。
次は結のターン。

〈スクランブルデート〉

少年「はぁ……」

結と決めた待ち合わせ場所に一足早く着いた少年は、朝の事を思い出して少し落ち込む。

少年『い、行って来ます……』

妖狐『行ってらっしゃい』

まだ機嫌の治らない彼女に困り果てる少年。そりゃムスっとし続けられたら当たり前だ。どう対処していいのか分からないから。

彼女のジト目を背に受けて、おずおずとデートに向かったのが朝の出来事。

少年(どうすればよかったんだろ……)

考えても仕方無いのだが、彼はそういうのを考えてしまうタイプなのだ。どうすれば、と言われたら彼女一筋で構いまくるしかない。

結「何だか落ち込んでますねー」

少年「え、あ、その、どうも」

後ろから声を掛けられたと思ったら、結であった。いきなりの出来事に、落ち着きの無くなる少年。ついでに私服が可愛くて戸惑う。

何気に私服の知り合いを面と向かって会った事が無いのが少年、待ち合わせていた私服の女の子と出会って、デートなんだと自覚する。

結「おはようございます、先輩」

前日までの荒れ模様は尻尾を巻いて逃げ出したので、今日は快晴である。なのに彼女は傘を持って──。

少年「あれ、その傘……」

結「わざわざ持ってきたんですよ」

その傘は、この前少年がカッコ付けて彼女に預けた代物であった。差し出されたそれを受け取り、礼を言う少年。

結「もうしないで下さいね。あれで風邪引かれたら私の所為なんですから」

少年「善処します……」

彼女から少し怒った調子で言われ、その姿が今朝の妖狐とダブって見えてしまい、落ち込む少年。

結「……はい、この話は終わり!楽しく行きましょう先輩。ほら早く♪」

少年「わ、ちょ、ちょっと待って!」

彼女は少年の手を握って引っ張り、何処へ向かうか分かっていない彼の反応を楽しみながら、デートを開始するのだった。

結「どうです?これ」

少年「う、う?ん……」

結「むぅ、気に入りませんか」

彼が連れられてきたのは、服屋。明日の彼のデート用の服を見繕ってあげよう、という事だそうだ。

結「デートする時はもっとオシャレに気を配った方がいいですよ。相手が隣に立ちたいって思う位の物をね」

お洒落など一切興味無かった少年からすれば、このアドバイスは凄く耳が痛かったに違いない。

結「お母さんが適当に選んだのを着てくるだけじゃ、ダメダメですからね」

少年「はい……」

完全に自分で選んだ服装ではない事を見抜かれ、説教される。少年、ぐうの音も出ない。

結「先輩は見た目的にも性格的にも落ち着いた色が似合うと思う、ん、で。これとかどうでしょう?」

彼女が言う事を素直に信じて、彼は彼女の選んだ衣類を着る事にした様だ。だってどれ似合うか分かんないからしょうがない。

結「では、お金払いますんで」

少年「え?」

彼は本気で驚いていた。まさか直接会うのが二回目の子が奢ろうとする事にだ。そこまでしてくれる理由なんて彼には思い付かない。

結「私から誘ったんですから、これくらいは」

少年「だ、大丈夫だよ、自分の服だし、払わせるなんて」

そういってソソクサと彼女がお金を用意するより早くお金を出して、有無を言わせない様にしてのける。

彼は気付いていないが、彼女は少年がこんな事を言いだすのを見越して、出来るだけ安い物を、と気を使って選んでいる。

もしかなり高くても彼は苦い顔しながら買ってしまうだろうが。ちょっとくらい見栄を張りたい年頃なのだ。

少年「次はどうするの?」

結「最初から最後まで内緒です♪」

どうやら彼女はデートの仕方を教えるつもりらしい。本当なら男女逆の立場である事の方が多いのだろうが、初心者未満の彼には分からない。

少年「……映画館?」

結「ダメですか?」

そういう訳じゃ、と彼は首を振った。単純に、彼は映画を見ないから、どういう所かあんまり知らないのだ。

結「良かった、もうチケットは買ってるんで」

楽しそうに二枚見せびらかす彼女が握っているのは、いかにもな恋愛物の映画。少年もCMで見た事のある奴だからすぐに分かった。

結「私、好きなんですよね?、映画館のポップコーン!」

いっちばん大きいサイズのポップコーンを抱えて、それはもう良い笑顔で少年に語り掛けてくる。やはり少年、こういう笑顔に弱いので目を逸らす。

少年「あ、の、飲み物持ってくるよ。何がいい?」

結「オレンジジュースで!」

気恥ずかしさを振り切る様に、話題を切り出す少年。彼女はそれに答えると、お願いします、と手を振って見送ってくれた。

結(あっと、パンフレット、売り切れる前に……)

我慢出来ないのか、少しポップコーンを食べながら、購入するのを忘れていた物を買いに行く事にした様だ。

中々に席が埋まっていたが、二人は上手く隣同士の席を確保していた。少年、端から見たら恋人同士に見えるんじゃ、とか思ってる。

結「先輩……手を繋ぎながら見ます?」

そんな彼の心を見抜いたのか、こう言って少年をからかう。いたずらっぽく笑う彼女に、ドギマギする。

そんなこんなで始まった恋愛映画。中々表現が生々しく、ドロドロしたストーリー展開で、微妙な表情の少年。

果てには若干の性的表現を匂わせる描写があって、何だか気まずくて画面が見れなくなる少年。

助けを求めて彼女の方に視線を向ければ、彼女は少年よりも顔を赤くして俯いていた。こういう映画だと思ってなかった模様。

こういう話、実は少年より彼女の方が耐性低い。落ち着かないらしく顔を伏せたままポップコーンを食べまくっていた。

結「い、いや?、良かったですね、あは、はは……」

映画は終わったのに、まだ顔を赤くしながら、精一杯話し掛ける彼女。しかし、お互い顔を合わせるのが気まずい。

結「じ、時間も時間ですし、お昼食べましょう!」

少年「そ、そうだね、そうしようか」

必死に笑顔を取り繕って気を使いあう二人。映画の内容をかき消す様に、空元気で張り切って歩き出す。

しかし、片方少し顔を赤く、片方多少目が泳いでいる二人の姿は、初心なカップルの初デートである。実際その通りだが。

少しお洒落な感じのするカフェに連れてかれた少年。二人共よく冷えた水を飲んで落ち着きながら、メニューを眺めている。

少年「何頼む?」

結「おや先輩、デートなの忘れてません?」

といって彼女が指し示したのは、カップル向けのメニュー……というか、ここはやけにそういうメニューが充実している。

結「先輩、関係ないとか思わず流行りの場所くらいは覚えてた方がいいですよ」

面食らってた少年を見て察したのか、彼女はこの店の説明をしてくれた。最近流行りの、女性向け、カップル向けの飲食店、らしい。

確かに周りを見れば、若いカップルと女性グループが集まっている。何だか少年は、急に場違い感を味わう。

結「ほらほら、選びましょうよ?。暑いんですから冷たいのお願いです?」

エアコンの効いた店内のテーブルは当然冷えていて、気持ちいいのか彼女は突っ伏して伸びている。

少年「え、と、じゃ、じゃあこれで」

何だかカップル向けメニューから選ばなきゃいけない感じがして、彼は一つ選ぶ。

結「ほう、チョコパフェですか……」

少年「だ、ダメだった?」

結「いやいや、男の人って、パフェとか苦手そうなイメージが何となくあって」

別に男の人と特に会話した訳でも無いんですけど、と笑いながら付け加えていた。まぁ苦手でなくともよく食べる人は少ないかもしれない。

ちなみに彼には別に嫌いな食べ物など無い。ただ、焼きそばパンがトップに立っているだけだ。

結「ここのパフェ結構おっきいみたいなんで、気を付けて下さいね」

ほら、とスマホからこの店のパフェの写真を見せてくる。確かにデカい。カップル向けなだけはある。

二人はテーブルの呼び鈴を押して、店員を呼ぶ。勿論注文を聞いてきたので少年はチョコパフェを頼む。

結「それと、メロンソーダを」

さらっと飲み物追加する彼女。これもカップル向けメニューに乗っていた、恐らくストローがすごい事になってる奴だ。

少年は気になった。何故、数ある中でメロンソーダなのか、と。大変どうでもいい事だが、興味を持ったらしい。

結「いいじゃないですか、メロンソーダ。先輩は嫌いなんですか?」

少年「そもそも飲んだ事無くて」

結「え??それ人生損してますよ」

と豪語してのける彼女。そう言ってしまう位には好きらしい。少年的にはそこまで言い出すから不安感が増す。

少年「……来たね」

結「来ましたね……」

目の前にドン、と置かれた巨大な器に思わず圧倒される二人。画像で見るのと現実で見るのとではやはり色々違う。

結「ふふ、じゃあ食べましょっか」

すぐに気を取り直し笑顔で口を付ける彼女。一口食べて美味しかったのか、笑いながら唸っていた。

外がそれはもう夏なだけあって暑いので、彼女は遠慮無くパフェの山を開拓していく。少年も負けじと食べてみる。

少年「うん、おいしいね、これ」

確かに話題を集めるだけあって、中々に美味しい。中々に、なのは一番が焼きそばパンだから。それは絶対揺るがない。

結「おっと、メロンソーダですよほら」

ちょっと大きめのグラスに入った、明るい緑色の液体が現れる。物珍しそうに見る少年を、彼女は面白がっていた。

グラスにはやはり螺旋を描いて絡まっている二人用のストローが刺さっている。やはりカップル向けである。

結「一緒に飲みましょうよ?」

少年「えぅ、いや……わ、分かったよ……」

彼女に言われるままメロンソーダを飲もうとするが、当然ながら顔が近くなる。目も合う。恥ずかしくなる。

頑張って飲むが色々と辛い少年。ちょっと飲んでストローから口を離す。ついでにむせる。

ちなみに彼女の方だが、誘い出した側なのに顔が朱く染まっていた。想像してたよりも恥ずかしかったようだ。

そんな恥ずかしさを振り切ろうと、二人揃って開き直ったかの様に食べていた。恥ずかしがるなら何故やるのか。

二人共食事を終えて、外に出た途端太陽の熱が、エアコンとパフェとメロンソーダで冷えた体にダイレクトアタック。

それを嫌がった彼女が買ったのは何とアイスクリーム。さっきパフェ食べたのに。しかもチョコである。さっきチョコパフェ食べたのに。

意気揚々と口に運んでは美味しそうに笑っている。お腹壊さないのか、飽きないのか、そう心配する少年。

結「ん?、やっぱり外で食べるのって良い感じなんですよね」

少年「食べ歩きとか好きなの?」

結「ええ、それはもう。何て言うんですかね、こう、特別な気分、というか美味しさ、というか」

上手く説明出来ないようだが、少年には伝わった。彼も焼きそばパンを食べながら帰宅するのが好きな奴なのだ、彼女の気持ちも少しは分かる。

結「まぁ、屋台とかは高めですけど、つい買っちゃうんですよ。特にクレープとか」

と、言った矢先にクレープ店の屋台がそこに。勿論買いに行こうと近寄る彼女……よりも早く辿り着く少年。

結「先輩もクレープ好きなんですか?」

少年「食べた事無いから、君のと同じの買おうかと思って」

結「じゃあチョコクレープ二つお願いします」

まさかのチョコ3連続に苦笑する少年。そして彼は、2つ分のお金をサラッと払う。

結「え、ちょっ、ちょっと、そんな、何か頼んだみたいじゃないですか」

クレープが好きだと言ったから少年が奢ったのは彼女の眼から見ても明白だった。単純に相手の好きな物を買ってあげようとしただけ。

少年「別に気にしなくていいんだよ。僕が食べれなかったのを君が食べてくれるだけだから」

食べても無いのにそんな事を笑顔で言い出す少年に、彼女は心の中で呟いた。

結(まーたカッコ付けて……そういうの、別に要らないのに)

と、まるで聞く人次第では喧嘩に発展しそうな、感謝の言葉の無い失礼な事を考えている。

……ように思えるが、実はこれ、彼女が落ち着く為にわざと悪い事、嫌な事を考えているのだ。凄く嬉しかったりすると、考え出してしまう。

そうでもしないと、場合によっては恥ずかしさの余り頭が沸騰して倒れるかもしれない、それ位今の彼女は彼の行動に心ときめいたのだ。

要は照れ過ぎて頭が真っ白になる前にクールダウンしているのである。なので彼女に悪気は無いしそれどころか凄くドキドキしている。

ただこの手法は相手からされた場合にしか出来ないので、自分からそういう事をした場合は……もう知っての通り、顔真っ赤っかになる。

まぁ例え口にしても理由を言えば彼なら許してしまいそうだが。というか彼女自身が聞かれた瞬間泣き崩れるだろう。そんな子である。

二人は近くの公園のベンチに座ると、チョコクレープを頬張る。甘い物尽くしで少年は焼きそばパンが恋しくなる。

結「どうですか?クレープ」

少年「たまにはいいかもね」

女の子が好きそうな味だと思いながら、彼はクレープを一口、また一口と食べ進める。気に入ったのだと、彼女は受け取る。

どちらも食べ終わった時、会話の無い静かな時間が流れた。風に煽られた木々のざわめきが響くばかり。

少年「……やっぱり気になって仕方ないんだけど、さ」

それに耐え切れなくなったのか、申し訳なさそうに口を開く少年。やっぱり、という言葉から、彼女は内容を察した。

結「どうして会ったばかりの少年先輩とデートなんか、ですか」

当てられても対して驚きもせず、黙って頷く少年。その目は真剣その物で、是が非でも聞き出してやろうという様子だ。

結「……別に、罰ゲームだとか、そういうんじゃないです。前から、こうする気でした」

流石に前からと聞いてちょっと狼狽する少年。そりゃデートの機会を狙ってたと言われた様な物だから。

結「その理由は……まだ、早い、かな。私も、心の準備があるんで」

少年「い、いやいや、理由が知りたいんだ僕は」

焦る彼の唇に、彼女は人差し指をそっと置き、顔を文字通り彼の目と鼻の先まで近付けると、少し頬を染めながら囁く。

結「がっつくのは、ダメ、ですよ……必ず、話します。だから……」

勿論こんな事されて胸の鼓動が激しくなる少年。だって端から見たらキスし合うカップルだもの。それぐらい顔が近い。

しかしそんな中で彼が考えたのは、妖狐の事だった。今この光景を見られたら怒られるだのなんだのと。

何で妖狐の事を考えるかって、彼の中で今一番大事な事が妖狐を助ける事だから。別に恋愛感情とかは一切無い。

むしろその感情は徐々に結へと向けられつつある。いやだってここまでやられて勘違いするなってそれ無理じゃない?

少年「……や、約束、だよ。教えてね、必ず」

結「ふふ……はい」

顔を赤くして逸らしながらも、追及を止めた少年に、彼女は微笑みながら、感謝の念を伝える。

結「カワイイですね?先輩は」

場の雰囲気を変えようとしたのか、彼女は茶化す形で彼の頭を撫でる。まさか後輩から頭を撫でられると思ってない少年は当然驚く。

彼女の方を向けば、彼女はいつも通りと言うべきか、悪戯っぽく笑っていた。

結(そう……先輩がそうだって、確信が持てれば……)

その心の内では、自身の目的の結果、彼に嫌われるかもしれない、その事に対する恐怖が、じわりじわりと蝕んでいた。

結「ところで、何でそんな気にするんです?モテないって思ってるからですか?」

少年「僕からすれば、会ったばかりなのに、急にこんなに関わられたら、裏があるとしか」

結「まぁ、無いとは言いませんけども。でも罰ゲームじゃないですから。そこは大事なとこです」

何度も罰ゲームじゃないと言われたら、逆に怪しい物だが、少年はその言葉を信じた。特に根拠は無く、ただ信じたい、それだけだ。

彼女の方も念を押すのはそう勘違いされたくないからだ。嫌われたくない、とも言える。

少年「……今日は、これで終わり?」

結「ん?……どうします?実は、私もデートとかした事無くて」

少年「え。あると思ってた」

普通はここまでやってたら慣れていると誰でも思うだろう。しかし今彼女は首を横に振っている。

結「誘われた事ならありますけどね、何度も」

いい加減にして欲しい、とばかりの溜め息を吐く彼女。彼女の美貌なら当然だろうと少年は納得している。

少年「別に、断る理由とか……」

結「それがですねぇ、皆目がギラギラなんですよ。狼ですよオオカミ」

食べられちゃいそう、と少し頬を染める彼女。中学生くらいにもなれば、意味の分かる子も増えるだろう。

まぁつまり意味深な方である。そういう方面の知識の無い、純粋な少年には通じなかったが。

結「私の周りの男の子って大体そんな感じで、欲がダダ漏れというか。そういうの嫌でして」

さっきも言っていたが、がっつかれて攻められるのが苦手なのが彼女だ。しかし、大体の中学生はそんなのばっかりだと思うが。

というか学生の間は男なんて大抵そんな物である。後は少年みたいな草食系がポロポロいるぐらいだろう。

結「ま、そんなこんなで先輩が初めてです、デート。なんで、結構頭使いましたよ」

少年「どこ連れて行こう、とか?」

結「明日は先輩の番ですからね。期待してますよ?一応」

最後の言葉が余計だと言う人は居るだろうが、そういう経験の無い少年なのでむしろ期待してくれていると彼は感じている。

少年「頑張って応えるから」

結「はい、応援します」

端から聞いてたら何とも不思議な会話だが、二人共楽しそうに話し合っている。何というか、仲の良い親戚?

とにかくまるで身内同士で接している様な気安さというか。お互い明確に認識し合ったのは最近なのに、不思議な関係である。

しかし、これ以上何をすれば良いのか分からなかった二人は、明日同じ待ち合わせ場所で会う事を約束しあう。

少年(予定、よく考えないと……)

自身が言い出した事を若干後悔しながらも、明日のデートプランを歩きながら考える少年。その表情はしかめっ面だった。

だがそれは本気で考えてるからで、後悔しているのも相手がよく考えてくれていたのに、軽く発言し過ぎた事に対してだ。

結(優しい人……お母さんと“同じ匂い”がする人……だから、きっと……)

そして結は、少年に対して何か思う所があるらしい。彼女の母親と同じ存在……彼女は何故それを求めているのか、それはいずれ──。

妖狐「…………」ムッス-

少年「うーん……」

そんな少年を出迎えてくれたのは、未だに機嫌の良くない妖狐であった。完全に忘れてたようで。お土産など無く。

それの所為でますます機嫌が悪くなる妖狐。正直今の少年では対処の仕方など分からないので、いっそ本人に聞いてみる。

少年「ど、どうしたら機嫌直してくれる……?」

妖狐「…………」

何も言わなかったものの、彼女は少年がちょっと痛いと思う位にムギュッと抱き着いた。やっぱり寂しかったらしい。

少年も謝りながらも彼女の頭を撫でてあげる。すると、彼の胸に頭を擦り付けながら、嬉しそうに耳を動かしていた。

今日はここまで。

次は結構長くなってしまった……。

〈ハプニングデート〉

翌日、機嫌の戻った妖狐の「行ってらっしゃい」を聞いて気分良く外に出掛ける少年。今日は昼前に焼きそばパンを食べようかと考えていた時……。

結「あ、おはようございます」

少年「……何で?」

そりゃ彼だって驚く。その店の前に結が居たのだから。どうしてこの場所が分かったかと聞けば、ファンクラブの情報らしい。恐るべし。

結「先輩の事だから、デートでもここに来るんじゃないかって」

完全に図星である。それってどうなのと聞かれそうだが、彼が本当に美味しいと思ってる店なのだから仕方ない。

結「な��に買うんです?やっぱり焼きそばパン?」

少年「そうだよ。君みたいに食べ歩くのが好きだから」

そう言うと彼は店内に入ったので、彼女も後を追う。何が起ころうともこれだけは外せない、それが焼きそばパン。彼にとっては大事な物。

結「外から見えてましたけど……いっぱいありますね」

少年「それで美味しいからいっつも来てるんだ」

たくさんの種類のパンの山を見て、彼女は感嘆の息を漏らす。あまりこういう所は行かないらしい。彼女は甘い物が好きだから。

左手にトレー、右手にトングというパン屋の標準装備を持って、彼女はパンを見回す。トングをカチカチ鳴らすのを忘れずに。少年はしないが。

結「先輩、オススメどれです?焼きそばパン以外で」

焼きそばパンを彼が勧めてくると思ったのか釘を刺す彼女。しかし元より彼にその気は無かったのだが。

少年「皆ホットドッグ買うよ。美味しいし」

結「数、ありますもんね」

これは前にも言ったが、少年にとって焼きそばパンの次に好きなパンだ。妖狐もかなり喜んで食べていた物。老若男女どころかヒト以外にも好評な奴。

結「じゃあまずこれ一個。と、後は……」

見回している途中でふと足を止める彼女。少年の方に振り返ったかと思うと、こうねだられる。

結「選んで下さい」

普段通り悪戯っぽい微笑みが少年を襲う。まあ一応デートなのでそれ位はやってあげないと、と彼は選び始めた。

昨日の時点で彼女が甘い物が好きなのは分かっていたので、甘めの系統のパンを選択していく。

そして、少年が珍しく他のパンを買う時、必ずする事がある。

少年「店長、今月のパン下さい」

店長「はいよ」

今月のパン……それは表に並ばない裏メニューであり、常連にしか店長が教えない物。名の通り月替りである。

結「おお、何だか先輩常連みたいですね」

少年「実際ほぼ毎日来てるしね」

と言っても買うのは焼きそばパンばっかりだが。少年も申し訳なく思ってたまに他のも買い込んだりする。

ついでに言うと、今月のパンもそういう少年が居たから出来てしまった物だったりするが、それは店長以外知らない。

店長「ほら、どうぞ」

少年「ありがとうございます」

そのままパンを持っていこうとする少年の腕を捕まえて、店長が耳打ちする。

店長(彼女?)

普段一人で店にやって来る少年が、誰かと、しかも女子と来ている事がよっぽど気になったらしく、聞いてきた。

少年(違います、ただの後輩です)

すごく冷静に返答する少年。ただの、と言うには疑問が浮かぶが、確かに今の所ただの先輩後輩の関係である。

店長(日曜にここで待ち合わせてたのに?)

少年(いや、それは……)

休みの日に二人きりで待ち合わせる関係を人はただの先輩後輩だとは思わない。少なくとも相当仲の良い二人だと判断する事だろう。

店長(……まぁ、違うんなら違うんだろうな。じゃ、デート楽しんでくるんだぞ)

完全に付き合う前の二人だと思われたが、デートは事実だし誤解を解こうとしたらしたで怪しまれるし、という事で弁明を諦めた少年だった。

店を出た後、早速パンを袋から取り出して、少年に食べていいかどうか目で聞く彼女。しかし彼に食べないの?と言われた為、遠慮なく一口。

結「……!」

パンを一口食べた後、美味しいと感じたらしく目を輝かせて口一杯に頬張る彼女。気に入ってくれた事に喜ぶ少年。

少年「どう?」

結「先輩!ズルいです!こんなの独り占めして!」

少年「しては無いんだけど……」

意味合い的にはどうして学校で広めないのか、という事なのだが、彼には広める相手が居ないだけである。

結「これ広めます。あそこ広めます。流行らせます」

むしゃむしゃと食べながら決意を表明する彼女。食べながら喋るのは行儀が悪いと知ってはいるが、それが吹き飛ぶ位美味しかったらしい。

結「ファンクラブの人達も店の場所しか知らなくて。何で食べに行かないんですかね」

少年「知らないよ……」

真相は少年が目立つのを嫌がるタイプなので、ファンクラブも迷惑を掛けまいと動いているから。

でも情報だけはあるとか彼の周りにストーカーでも居るとしか思えないが、その真相は闇の中である。

大体そんな事に労力を割くのなら彼と友達になればいいのでは?とは思うが誰もそうはしない。一体彼を何だと思っているのか。

結「ん��、先輩が通い詰める訳ですね、これ」

ペロリとパン一つ平らげると、直ぐ様袋からもう一つ取り出して食べだす彼女。余程気に入ったらしい。

結「そういえば、何であの店の焼きそばパンなんです?安いから?」

食べてる内に気になったらしく、パンを口に含みモグモグしながら、彼女は首を傾げて少年を見やる。

少年「……小さい頃、父さんと母さんに、欲しいってねだって買ってもらったんだ」

結「焼きそばパンを、ですか」

少年「美味しそうだったから」

何だか恥ずかしそうにそう答えた彼に、彼女は頭の中に浮かんだちょっとした疑問をぶつけてみた。

結「つまり、お父さんとお母さんがくれたから、焼きそばパンが好きって事なんですね」

少年「…………」

結「……あ、あれ?違いました?」

何か触れてはいけない物に触ったのかと彼女は不安になって、何かごめんなさいと、おずおずと口にした。

少年「あ……ごめん、その……ごめん」

何か言い淀んで答えにくそうにしている少年。どうやら親に関して何かあるらしく、その表情は明るくない。

彼女はその様子を見て、親の話は触れない方が良いと思い、話題を変えようとする。しかし彼が黙っている為会話が続かず、その内彼女も口を閉ざした。

お互い暫く沈黙した後、少年は覚悟を決めた様にポツリポツリと己の心情を彼女に話し始める。

少年「……よく、分からないんだ。好きなのか、嫌いなのか」

結「……お父さんと、お母さんが?」

彼はゆっくりと頷く。彼女は変わった悩みだと捉えていた。親が好きだと言う子も、嫌いだと言う子も彼女の周りに居る。

だが、好きか嫌いか分からないと言う子は知らない。そもそもそんな事言う子まず居ない。

少年「父さんと母さんは優しいよ。でも……僕は……苦手、なんだ。分かって、くれないから」

結「分かってくれない……?」

少年「僕の事、分かってるつもりなんだ……けど……分かってるのは、昔の僕の事だけ……今の僕の事なんか……」

悲しいのか、怒っているのか、悔しいのか、空しいのか……複雑に入り混じった感情が表に出ていた。

結「言えば、いいんじゃないですか?」

少年「……言った事、あるよ。普通に、僕もう昔とは色々違うって」

結「そしたら……?」

少年「笑って済まされた。昔と変わってないって。そういう意味じゃないって言っても、分かってる分かってる、ってさ」

彼の諦めきったその表情を見て、彼女は少年が両親に対して失望の念を抱いている事を悟る。

少年「だから、あんまり自分の事話すのやめたんだ。父さんも母さんも、忙しいのは分かってるから、変な心配されても困るし」

結「……やっぱり優しいですね、先輩」

彼女の言葉に目を白黒させる少年。まさか、今の話から優しいと言われるとは思っていなかったから。

結「だって、結局はお父さんとお母さんの心配してるじゃないですか。本当に嫌いだったら、二人ともくたばれ!ぐらい思いますよ」

少年「く、くたばれ……周りにそういう人、居るんだ」

結「ほとんどみ~んなそうだと思ってました。親が邪魔だって思う人いっぱいですよ。思春期ってそんな感じじゃないですか?」

よく分かりませんけど、と最後に締めると、再び悪戯っぽい笑顔を彼に見せる。その笑顔は彼の心を少しは和らげる事が出来た。

少年「……君は?お父さんとかお母さんの事」

結「好きですよ」

何時に無く真面目な表情で、即答してのける彼女に、少年は少し狼狽えた。彼女の目が真剣そのものだったから。

結「私の所はお母さんしか居ませんから、私を育てるのってすごく苦労してると思うんです。でも、そんな素振り、全然見せなくて」

さらりと衝撃的な話をする彼女。まさかシングルマザーだと思っていなかった少年は、何を言っていいのか分からず戸惑っていた。

結「だから、感謝してるんです。いつも頑張ってくれるお母さんに」

そう話す彼女の顔は、少年にはとても輝いて見えていた。同時に、自身がとても暗い存在の様に思ってしまう。

自分には、あんな表情は出来ない、そう考えてしまったから。

少年「……結ちゃん、とりあえず、一度行こうと思ってた所があって」

結「あ、はい。行きましょう。勿論、してくれますよね?」

お決まりの如く悪戯っぽい笑顔で、彼女は彼に向かって片手を差し出した。手を繋いで欲しいという事らしい。

恥ずかしながらも少年は手汗に気を付けながら、彼女の手を若干震える手でふわっと握った。

結「そんなの繋いだ内に入りませんよ」

そう言うと彼女は彼の手を、お互いの指が交差する様に強く握り返した。要は恋人繋ぎ。流石の彼もそれは知っている。だから今凄く動揺している。

ドキマギしながらも彼はその手を離す事は無く、何とか目的地まで辿り着く。その場所とは……。

結「ね、猫……!」

そう、猫カフェ……猫好きの為の店である。別に少年はそんなに好きという訳ではないが、前から面白そうとは思っていたらしい。

結「せ、先輩、猫、猫!はぅぁぁ……!」

入店した途端顔色を変えてキラキラとした瞳で猫を見つめる彼女。足元に擦り寄ってきた猫をひょいと抱き上げて、頬擦りしている。

どうやら物凄い猫好きだったらしい。猫に囲まれて、深い溜め息を吐いて大変嬉しそうにしていた。

少年「猫、そんなに好き?」

結「はい、癒やされますねぇ……」ウットリ

恍惚とした表情で色んな猫を撫でまくる彼女。カフェなので勿論色々売っているが、メニューの中には猫に食べさせる為の物もある。

彼女はその中から猫用のクッキーを頼んで、手で割って猫達に与えていた。その光景が良かったのか、またしても溜め息を吐いていた。

結「ほら、先輩も」

そうやって手渡された猫は、座っている彼の膝上に寝転がる。思っていたよりも重みを感じると同時に、熱さも感じる少年。

少年(……何だか、ヨーコちゃんみたいだなぁ)

本人はそんな風に考えてはいけないと思いながらも、やはり何処か妖狐の事をペットの様な感覚で捉えているようだ。

まぁ、猫の様にくるりと丸まって寝転んだり、犬の様に匂いを嗅ぎつつ嬉しいと尻尾を横に振ったりと、確かに愛玩動物感は強いが。

取り敢えず、その猫と妖狐がダブった少年は、まるで妖狐にする様に優しく優しく撫でてやった。

結「…………」ジー

少年「……え、な、何?」

結「あっ、いや!猫!その猫見てたんです!」

何かを取り繕うかの様に慌てて弁明する彼女の様子を不審に思う少年。だって完全に彼の顔を見てたから。目だってバッチリ合ってた。

結(まるで、お母さんみたいな、優しい顔だったなぁ……)

少年は猫を撫でていた時、とても穏やかで優しい表情をしていた。彼女にはそれが自身の母親と重なったようだ。

彼女が少年の顔を見ていたのはそれが理由で、弁明したのはその表情に見惚れていたとはバレたくなかったから。

ただ見ていた事に関してはバレバレにも程がある。それ以上追及する気は彼には無いが。

少年「……足、痺れそう」

気付けば彼の膝上の猫は寝息を立ててグッスリ眠っていた。それを邪魔するのは気が引ける少年は、仕方無く撫で続けた。

が、重いのでそろそろ退かしたいと思っているのもまた事実。そしてそういう時に限って長々と居座るのが猫。

結「はふぅ……何時間でも居たい……」

何時の間にやら猫に纏わりつかれている彼女。足やら頭の上やらと、大変重そうだが気にしてない模様。

先程の発言もそうだが、あんまりにも嬉しそうにしている為、そろそろ店を出ようとは言い出せない少年。

何か言ったらこの世の終わりの様な表情をして、恨み節をぶつけられそうな気がして仕方無かった。

だが本当に何時間も居座る訳にはいかないので、彼は恐る恐るその事を口にする。

結「あ、そうですか?じゃあ行きましょう」

と、想像していたよりあっさりとした返答で、逆に心配になる少年。良いのかどうか聞くと。

結「だってここにはいつでも行けますし。でも先輩とのデートは今日だけじゃないですか」

名残惜しいですけどね、と寂しそうに笑う辺り、本当は言葉通り何時間でも居たかったのだろう。

しかし彼とのデートを台無しにしてまで居座りたいとまでは考えてはいなかったのだ。だからあっさり諦められた。

そんなこんなで彼が次に向かったのは、彼自身一切興味が無かった場所。

結「アクセサリーショップ……ですか」

少年「服、選んでくれたから、お礼に」

高いのは無理だけど、と苦笑する少年。しかし今目の前にある店は、彼女の記憶が正しいなら、結構なお値段の店である。

結「先輩、何売ってるか調べたんですよね?」

少年「調べたけど」

結「値段見ました?」

少年「見たよ」

彼の財布事情を心配して聞いてみたが、分かっていてこの店を選んだらしい。彼女からすれば、見合ってない、というのが本音だった。

しかしそれは、選んだ服とここのアクセサリーではあまりに値段の差があって、昨日のデート費用と一気に釣り合わなくなるから。

結「別に、その、無理しなくても」

少年「安くて一万円近くなら、一個か二個は買えるから」

と、平然な顔して言ってのける少年。焼きそばパン換算で百個か二百個の物を買えると言っているのだ。これが如何に恐ろしい発言か分かるだろう。

それだけの未来の焼きそばパンを犠牲にしてでも彼は彼女にアクセサリーを買ってあげようとしている。流石は自転車の王子様。

店に入れば、貴金属がいっぱい。こんな物買われようとしている彼女は内心悪態をつけない程にテンパっている。

別に誰かにアクセサリーをねだった事は無いし、親に欲しいと平気で言える程図太くない。が、欲しくない訳でも無い。

正直に言えば数あるアクセサリーに目を惹かれているが、高いの一言に尽きる。それこそ買う気を失くす位には。

なのに彼はどういうのが似合うのか探しているのだ。嬉しいとか怖いとか何とか、どうしようとか何て言おうとか、今の彼女は混乱の極みである。

少年(うーん……ヨーコちゃんのも……)

ただ、彼はどっちかと言うと自分の服ばかり着せてる妖狐に、ちょっとは女の子らしいのを買ってやりたい気持ちが強い。

デートついでに他の女の子の事を考えている上に、アクセサリーを買う気という彼は、中々大物かも知れない。

単に異性としてあまり意識していない、という表れでもあるが。最初はあんなに照れてたのに、慣れちゃったらしい。

同時にデート中でも考える位には大切に想っている、という事でもある。アクセサリーは、妖狐に対する彼なりの責任でもある。

少年「あ、これとかは?猫だけど」

彼女と妖狐の物を探す中、彼が見つけたのは、真横から見た歩く猫のシルエットが、猫の足跡を模したチェーンで繋がっているブレスレットだった。

彼女は超欲しい、と喉元まで出かかったが、値段が値段の為何も言えず。言葉を濁すとかそんなのも出来なかった。

少年(この感じだと、高くて気を使わせちゃってる、かなぁ……)

誰だって高ければ喜ぶ、奢ってもらったら嬉しい、と勝手に思い込んでいた少年。普通はそりゃ嬉しいだろうがそういうの求めてない子だから。

彼女は貰うより渡す方が好きだし、奢られるより奢る方が良いと思う子なのだ。要は二人共、所々似た者同士なのである。

なので、彼自身が喜ぶ事を彼女にやってあげれば良いのだが、そんな事に気付ける少年ではない。彼には荷が重過ぎる。

結(う、うぅ……安物でいいです、って言ったら、否定された、とかって思われるかなぁ……)

少年(うーん、別に高いのが嫌ならいいよ、って言おうかなぁ……でも更に気を使わせそうだから……)

少年 結(どうしよう……)

付き合いが短いから、お互いどうすればいいのか分からないという状況に陥っている。端から見てたらイチャついてるとしか思えんのだが。

少年「……ちょっと高いの気にしてる?」

結「気にしない、訳ないですよ」

でも踏み込まないと話が進まないので何とか話題を切り出す少年。彼自身の中では高等テクニックの一つに入る。

少年「じゃあ、もうちょっと、安い所……僕は知らないけど」

結「……仕方ないですね、先輩は」

申し訳無さそうに頭を掻く少年に、呆れた様な言葉を吐く彼女。しかしその表情は高い物から選ばなくて済むという安堵に満ちている。

そして同時に、何というか、飽く迄例え話だが、ダメなヒモ男を養う女性が、男が甘えてきた時の、しょうがないなぁ、という時の表情もしてる。

つまりは「この人は私が居ないと駄目なんだ」的な感じだ。正確に言えば「ちゃんとリードしてあげないと」と思われているのだが。

結「まぁ、そういう私もあんまり知らないです。食べ歩きばっかりで」

少年「じゃあその、調べておいてく」

結「その間にここのアクセサリー買うつもりですね」

少年「う」

あっさり自分の考えを見抜かれて、何にも言えなくなる少年。彼女は今度こそ本気で呆れて溜め息を吐いた。

結「……そんなに買いたいんですか?」

少年「いや、喜ぶかな、って」

結「……嬉しくない、事は無いですけど。無理する位ならいりません」

おそらく大半の子なら、素直に受け取るだろう。しかし彼女はそういうのでは動かない。真面目と言えるが変とも言える。

結局、調べてる間に何するか分からないと言われて、彼女に半ば無理矢理次の場所へと行くよう促された少年。

そんなこんなで辿り着いたのが、ゲームセンターである。休日の午後なだけあって人は多い。

結「こういうとこ、初めてです。よく来るんですか?」

少年「僕も来たことない」

結「下見はした方がいいんじゃ……。私、しましたよ」

そう言われて、確かに、と頷く少年。もし次があるなら、とこの事を心に刻み込む。まぁ下見も何も、台風が来日してたから無理な話である。

少年「……ちょっと待って、いつしたの?下見。この前まで台風だったのに」

結「……結構前です」

という感じではっきり言わずにぼやかすので、彼も聞くのを止める。昨日、前からこうする、と言っていたのを思い出したから。

少年(あの時も理由言ってくれなかったし、今はあんまり言いたくないんだろうな)

彼は一人納得して、あんまりそういう質問をするのを止める事にした。質問ばっかりというのも嫌だろうと思ったのもある。

という訳で、二人共ゲーセンなんか未経験。なので取り敢えず近くのクレーンゲームからやる事に。

結「……何かのアニメキャラですかね」

少年「なんだろね……」

彼らが見ているのは、グレーの毛並の何とも言えない脱力感のある顔の、高さ五十センチ位の猫のぬいぐるみ。

結「えっと、100円ここに入れるんですよね」

少年「書いてるからそうだと思うよ」

そこからなド素人二人。勿論この後ボタンを押して変な所に行きまくった為、二人で千円使った所で諦めた。

結「これ、銃ですよね。結構重い……」

少年「画面に向けて操作する奴だと思うけど」

結「こう?こんな感じですか?」

キリッとした顔で銃型コントローラーを構える彼女。美少女なだけあって非常に様になっている。さながら映画のワンシーンだ。

少年も思わずおぉ、と唸る位だった。彼女はその声を聞いて、少し照れながらやっぱり重いと銃を下ろす。

結「で、どうしましょう」

少年「二人で出来るみたいだし、やろうか」

と、一人称視点のシューティングゲームをやる二人。少年はゲームをしてるからこういうのはすぐに分かって対応している。

しかし彼女はゲームをした事が無いのか、先程のキリッとした雰囲気と打って変わって、慌てながら画面の手前に近付く敵を撃っていた。

……その割には何故か全弾小さくて当てにくい筈の弱点に当たっているのは、彼女の才能なのだろうか。

結「あ��……何か勝ったみたいですね……重かった……」

少年「……うん、君のお陰でね」

そう言われてもよく分かってないのか、彼女は首を傾げてキョトンとしている。普通ならプロ呼ばわりされそうな腕前なのだが。

少年「ゲームとか、した事ない?」

結「無いですね��全然」

少年「……あんまり、楽しくないとかは」

結「一人だったらそう思ってたかも、ですね」

またまた彼女お得意の悪戯っぽい笑顔。意識してやってるのだろうが、少年をドキリとさせるには充分な威力を誇っている。

その後更に微笑み掛けて、彼の心に揺さぶりを掛けるのだ。周りの人達もつい目を奪われる位には、眩しい笑顔である。

結「おっと先輩、これは例のアレですよ」

少年「プリクラだよね」

結「撮りましょうよ��」グイィ

少年(ちょっ、強っ、力強っ)ズルズル

にこやかな笑顔のまま、驚く程のパワーで彼をプリクラの中へ引きずり込む彼女。是が非でも撮るという強い意思を少年は感じ取る。

少年「……僕と撮るの?女友達の方がいいんじゃ」

結「へぇ、先輩は私とじゃ嫌ですか」

こういう意地悪な質問をされて、そうじゃないけど、と否定する少年。じゃあ何かと追及されて答えあぐねている。

少年「……こういう写真って、彼氏とかの方が良いと思って」

何故か散々追及されて、仕方なしに答える少年。どうして言いたがらなかったかというと。

結「じゃあなっちゃいます?……なんて、ね?」

と、こうして純情な少年のハートを揺るがしながらからかってくると分かっていたからである。

しかしそこは少年、こんな事言われてもからかわれてるとしか思ってない。彼女としてはからかい“半分”なのに。

結局は強引に押し切られて撮る事になった少年。彼女の悪戯心がときめいたのか、色々と落書きされて大変そうにしていた。

結「くふ、これ、いい写真、んふふ、ですよ」

目一杯落書きして楽しんでいる彼女。さっきから笑いを堪えながら滅茶苦茶に書き倒している。

彼は、彼女を大人っぽいと思っていたが、こんな子供っぽい所もあるのか、とその手を頑張って止めつつ驚いていた。

結「くふっ、ふくく、んふふふ」

少年「笑いすぎ、笑いすぎだから」

結「だっ、だって……ぷ、あははは!」

落書きされた彼の顔の何処が壷に入ったのか、お腹を抱えて笑っている彼女。そりゃ彼に変わった子と思われても仕方ない。

少年「次行くけどいい?」

結「はひっ、は、はい、良いです、んふふ」

もしこれがネットの掲示板なら大量の小文字のダブルが並んでいるぐらい笑い転げる彼女を困った顔で見つめる少年。

対処の仕方も分からないので、早々にプリクラから離れるべきと判断し、今度は彼が彼女の腕を掴んで引きずる様に移動する。

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