【艦これ】足柄さんは恋ができない (174)

「そろそろ寝るか」

読んでいた小説に栞を挟んで灯りを消す。
本を枕元に置き、ごろりと仰向けになった。

随分と夜更かししてしまったらしい。
窓から見える月は、もう半分ほど沈んでいた。

「明日は昼から……演習か」

意識がしだいに遠のいていき、ゆったりとした微睡みに身を委ねる。
この穏やかな瞬間こそが、自分の感じる幸せで――――――――



快眠を打ち破るがごとく、自室の扉がはじけ飛んだ。

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「提督! 起きてる!?」

のっしのっしと自室に侵攻してくるさまは、全てを壊しつくす破壊の化身のごとし。
何事かと顔を上げるのも億劫だ。

もうここまで来られてしまっては、彼女を拒絶するという選択肢はない。
正確には、無理強いしてでもたたき起こされる未来が目に見えているというだけだ。

「寝てる。起こすな」

「ん? この辺から声がしたような……」

布団に包まったところに彼女の足が乗った。
ぎゃあと声を上げる。

「ああ、そんなところにいたのね」

彼女は嬉しそうに、掛布団を引っぺがした。

「足柄。今、何時だと思ってる」

寒さに打ち震えながら、目の前の彼女に抗議をする。
しかし、そんなことはどうでもいいと言わんばかりに、彼女は一冊の本を突きつけた。

「これ、提督から借りた本だけど……」

「ああ、返しに来たのか。その辺に置いておけ」

「そうじゃなくて!」

ぐわんぐわんと体を揺さぶられ、物理的に眠りを妨げられた。
もう眠る気も起きないくらいだ。

「これ、ここ」

足柄が、ぐっと本を開き、こちらへ近づけた。
「よく読め」とでもいうのか、そのページを押し付けるように示してくる。

「これ、本当なの?」

足柄が示すそのページには、確かにこう書いてあった。
『愛は人を強くする』、と。

ああ、わかった。
彼女の言いたいことが手に取るようにわかる。

「待て、何も今でなくてもいいだろ」

「強くなりたい!」

ああ、やはりこうなるか。
こうなった足柄は、誰にも止められない。
止めたことはないが。

「提督、私に愛を教えて!」

大声で、しかも未明に、何を口走っているのか。
鎮守府内が根も葉もない噂で持ち切りになるような、そんな事態が起こっている。

だが、彼女の扱いには慣れていた。
こうやって理不尽に安眠を妨害されることも何度目だろうか。
彼女をどうにか説得しよう。

「それにはじっくりと時間が必要だ」

「うんうん」

足柄は素早く頷いた。
それはもう、食い入るように顔を近づけて。

「資料もいる」

「それでそれで?」

足柄は急かすように頷いた。
それはもう、星のように目を輝かせて。

「その資料を用意するには時間がかかるんだ」

ありもしない資料を取り寄せる体を装い、神妙な面持ちをしてみせる。
寝起きであるというのに、我ながらなかなかの演技力だと感じてしまう。

目の前の彼女は、困ったように首を捻る。
どうやら本当に知りたいらしい。
その愛とやらを。

今すぐにでも強くなりたい!
そんな心の声が聞こえてきそうな足柄に、次の言葉を投げかける。

「資料は明日の夕方くらいに用意できる。それまで待てるか?」

「待つわ! 了解よ提督。絶対だからね!」

炎でも背負っているのか、目にもとまらぬ速さで去っていく足柄。
適当な出任せで、すぐそばの嵐は去っていた――――――――かと思いきや、その嵐は帰ってきてしまった。

「ここで待つわ」

わざわざ椅子を持って来たらしい。
枕元にどんとそれを置き、彼女は腰かけた。

「寝かせてくれ」

ぽつりと呟くも、彼女の返事はなかった。
どうしたことかと顔を見ると、ようやく合点がいった。

「すー……」

「お前が寝るのか」

こんな時間まで本を読んでいたのは、自分だけではないらしかった。
彼女はきっと、これを読んでいたに違いない。
そしてこの一節を見つけ、寝惚けていた彼女は飛び起きたのだろう。

かと思えば、用が済んだら眠気に負けてしまう。
まるで螺子巻きのおもちゃのような存在だ。

「寝るなら布団へ行け」

「ぐぅ」

これは起きない。
ここで寝ていて、椅子から倒れて怪我でもされたら困る。
布団に移してやろう。

「うっ」

寝てしまった足柄は重かった。
よっこらせと悠々と抱えられるようなものではなかった。
よろよろと彼女を布団に下ろす頃には、自分の腕っぷしの貧相さに目が行ってしまう。

本を読むだけの優男だとは思われたくないな。
そう感じたものの、筋力をつける時間くらいあれば本を読んでいたいと強く思った。

「おはよう提督。んんー……なんだかよく眠れた気がするわ!」

「そりゃよかった」

寝床を失った自分は、結局のところ眠れなかった。
足柄が持ってきた椅子に腰かけ、夜が明けるまで読書に没頭していたのだ。
眠っている彼女のならぬよう、灯りの位置を調整するのには苦労した。

「それで、資料は届いてる?」

「まだ昼にもなってないからな」

足柄の態度がしゅんとなる。
寝起きでもこの調子なのかとため息が出るが、しおらしい彼女の姿はあまり見たくないものだ。

「なら演習もまだね」

昼からの演習のことだろう。
足柄は時計をじっと見つめたが、時間が慌てて進むようなことはなかった。

「ねぇ、提督」

「なんだ」

急に語勢を落とした彼女は、いつになく真剣な面持ちで告げる。

「愛って何に似てる?」

ロマンティックな発言だった。
しかしそれは、色恋に心ときめく少女のものとは違う。
ただわからないから例えてくれ、と言っているのだ。

「そうだな……」

愛とは何に似ているか。
愛とは何だと定義できるか。
なかなかに哲学的だ。

一言二言で説明できるようなものか。
そんなはずはない。
どこか高尚で、美しいもののはずだと考えてしまう自分自身こそ、夢見る少女のそれに近い。
そう気が付くと笑みが零れた。

「愛は愛だ。それ以外の何物にも代えられない」

「……うーん、わからない」

「それでいい」

「よくない」

頭をがしがしと掻く足柄は、色気の欠片も持ち合わせてはいなかった。
それが彼女らしいと言えばそれまでだが。

もやもやしているらしい足柄は、件の本を手に取って読み返し始める。
何度も読んだのであろうそのページに、何度か視線を落とした。

「まず、好きって何なの?」

「そこからか」

「いや、違うの。人が好き、ってどういうこと?」

足柄は真剣な表情をしていた。
言葉だけ聞いてみればなかなかに面白いものだ。
子供に意味を教えることと同じように、なかなか簡単に答えは出ない問いをかけてくる。

「好きって言葉はわかるわ。だって私は戦いが好きだから」

足柄は、きりりと表情を変えた。
戦いこそすべて。
迷いなく、そう言い切っていた。

「ううむ……」

何と言うべきか、いろいろと思案してみるも答えは出ず。
その場しのぎのような答えで、今回は茶を濁すことにしよう。

「戦いが得意な人間は好きか?」

「うーん、たぶん」

「では、とても弱い人間は好きか?」

「……弱いって? 戦いが?」

「まあ、そういうことだ」

足柄は小さな声で唸り始めた。
そして苦々しい顔をしながら、ゆっくりと答えを導き出す。

「わからない、わからないけど……別に弱くてもいいと思う」

初めて考えたという風に、彼女は次の言葉を探していた。
今まで、他の人間の事を考えていなかったのだろう。
だってその人と私は違うもの、と訴えるように告げる足柄は、どことなく幼く見えた。

「なら、優しい人は好きか?」

「優しいって? どんな風に?」

予想外の返答が飛んできた。
これには少し狼狽えるが、すぐに体勢を立て直して見せる。

「たとえば、戦いたいと言えば相手を見つけてくる人とか、わからないことに親身になって答えを示してくれる人とか」

「あー……」

足柄は弱弱しい声をあげた。
先程まで寝ていた布団に、ごろんと横になる。

自分で考えたこともないのだろう。
ありもしない雲を掴むように手を動かすと、彼女は再び唸り始める。

「いい人だ、と思う」

足柄は枕を抱きしめながら、もう一度呟いた。

「いい人。そう思うわ」

それ以外はわからない、と続ける。
その「いい」とは、誰にとっての「いい」なのだろうか。
枕から手を放した足柄は、いつの間にかうつ伏せになっていた。

「わかんないー!」

そういいながら、彼女は足をばたつかせる。
これ以上聞くと、足柄が知恵熱を出してしまいかねない。
適当なところで区切りをつけるかと思った矢先、足柄の動きがぴたりと止まった。

「ちょっと待って。それって提督じゃない?」

思わぬ答えに首を傾げた。
そんなことをしていたか?
考えているうちに、足柄はどんどん先へ進んでゆく。

「提督はいい人よね」

都合のいい人なのではないのか。
そう言ってみたが、足柄は聞く耳を持たずに考え続けてる。

そんな最中、「好き」を定義するに相応しい言葉を思いつく。
そうだ、これだ。

「足柄、閃いたぞ」

「ちょっと後でいい? 今、かつてないほど取り込み中で」

そう告げる彼女は、忙しなく動き続けていた。
首をぐるぐると回してみたり、腕を組んでみたり、何かを必死に掴み取ろうとしている。

まあ、邪魔をしてやることもないだろう。
私は足柄の様子を眺めながら、少しだけ待つことにした。

>>1って前にも何か書いてた?鳳翔のとか

>>26
これなら書いた
【艦これ】鳳翔さんは料理ができない - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1453996789/)

結局のところ、足柄が答えを見つけることはできなかった。
そして自分が閃いた答えも、彼女に伝えることはできなかった。

それは、演習の時間がやってきたからだ。
「体を動かせば妙案が浮かぶはず」と言いながら、足柄は部屋から飛び出していった。

「本当に自由気ままだな」

そんな愚痴を零した矢先、部屋の隅に置いてある姿見と目が合った。
お前も暇人だな、と言わんばかりに、鏡の中の自分が嘆息する。

夜にはまた、足柄が押し掛けてくる。
それまでに資料を用意しておかなければならない。
でっち上げの適当なものを、小難しく説明してやればいい。

しかし、ただそれを説明してやるだけでは面白みがない。
執務室に足を運びながら案を考えていると、ふと後ろから呼びかける声があった。

「司令官、司令官!」

「青葉か」

振り返ると、カメラを片手に抱えた青葉が立っていた。
何やら不満げに渋い顔をしている。

「先程、足柄さんが提司令官の寝床から出てくるのを見ました」

じとっとした目でこちらを見る青葉。

「ああ、それがどうかしたか」

「……」

一転してぽかんと口を開けたまま動かなくなる青葉。
ころころと変わる表情を見ているのは滑稽だが、どこか様子がおかしいように感じられる。

「んん? 司令官は……足柄さんのことをどうお考えで?」

頭の中は疑問符で埋め尽くされているのだろう。
彼女はひどく混乱した様子で問うた。

「戦績もいい。やる気もある。いい仲間だ」

「そうじゃなくてですねー」

目を細めながら、青葉は額に手をあてた。
からかわれていることを理解したらしい。

「そうやってはぐらかすのは良くないと思いますよ?」

ね?と念押しをしてくるものの、こちらにはあまり意味が伝わってこない。
何に良くないのだと言うのか。

「司令官と足柄さんは、この鎮守府ではかなり話題のお二人なんです」

話題にしたのは誰だ。
そう問うと。彼女は吹けもしない口笛を吹きながら顔をそらした。

「とにかく、私は今、知りたいんです」

「お前に教えると面倒だ」

どうせ聞きたいのは足柄との関係についてだろう。
そう聞いてみると、彼女は力強く頷いた。

この鎮守府で、彼女は情報屋じみた扱いを受けているのは知っている。
だからこそ、中途半端な受け答えをしてはならない。

たとえ事実そのものを伝えたとしても、そこには受け手の勝手な解釈が入ってしまう。
それは自分はともかく、足柄も本意ではないだろう。

「特に大した関係では……」

そう言いかけたところで、あることを思いついた。

「ひとつ、協力をしてもらいたいことがある」

「何ですか何ですか? 青葉にできることなら喜んで!」

先程まで「信頼が……信頼がちょこっと足りないのかしら」なんて言っていた者の反応だとは思えない。
そこには目を瞑ってやろう。

「足柄と話があってだな、そこに立ち会ってほしい」

「痴話喧嘩ですか?」

カメラを取り上げると、青葉は情けない声をあげた。
自分たちは、喧嘩をするほど互いを知ってはいない。
……そのはずだ。

「まあ、なんでもいい。詳しくは追って話す」

カメラをその手に返してやると、青葉はほっとした表情になる。
そして途端に「本にご執心の司令官、ついに人への興味が」などと言い始めるものだからたまらない。

「夜に執務室に来てくれ」

「ではでは」

要件を告げなかったが、青葉はにこやかな表情で去っていった。
何を期待しているのかは知らないが、彼女には少し演技をしてもらおう。



「司令官。足柄さん、遅いですね」

「ああ」

青葉を早めに呼び立てて、もう一時間が経とうとしている。
足柄の事だ。言った時間の三十分前には来るのだと踏んでいたが、どうやらそうではないらしい。
いつも通りなら、彼女はトレーニングをこなしてから来るはずだ。
それを踏まえても時間がかかりすぎている。

「何かあったのかもしれませんね。一度足柄さんの部屋に行ってみますか?」

「いや、そのうち来るだろう」

何かあったのなら妙高や那智らが言伝に来るだろう。
それもないということは、ただ自分の読みが外れただけだ。

少しは彼女のことを理解しているつもりだったが、そうではない。
何故か寂寥感のようなものを覚える。

ここは本でも読んで待っておこう。
読みかけの小説に手を取り、栞を外して机に置く。
ふと隣に視線を送ると、楽しそうに口角を上げる青葉の顔があった。

「寂しそうですね、司令官」

「何を寝惚けたことを」

「いえ、気のせいかもしれません」

潔く身を引いた青葉に不信感を抱きつつも、本へと視線を戻す。
そこでは、上下のひっくり返った文字たちが愉快そうにこちらを見ていた。
急いで横を見ると、笑いがこらえきれない様子の青葉が顔を手で覆っていた。

「やめだ、やめ」

再び栞を挟み、小説を脇へ置く。
ついでに青葉を小突く。

「もう、認めちゃえばいいんですよ」

わかっているくせに、と小声で付け足しながら、彼女は囁いた。
首を横に振ってやると、納得がいかないように顔をしかめる。

「あ、もしかして……話した内容のすべてを、私が記事にするとか思ってるんですか?」

強ち間違いではないのだろう。
そう問うと、彼女はきっぱりと告げた。

「そんな野暮なことはしませんよ」

「司令官が本気でなかったから、私たちは茶々を入れるんです」

「本気?」

些か言葉不足だ。
童子のように同じ言葉を繰り返すと、青葉は再びはっきりと告げる。

「ええ、足柄さんのことを、本当に愛しているのなら」

馬鹿を言うな。
そんな言葉が喉にまで出かかった。
ただ、どうしてだろうか。
彼女の真剣な目を見ていると、誤魔化しは効かないように思えてくる。

「わからないな。愛とか、本気とか」

気付けば口が勝手に動いていた。
自分の中の、本音の欠片が零れたのだ。
慌てて取り繕おうとするものの、青葉は意地悪な表情を浮かべていた。

「今朝は、足柄さんに『俺が教えてやる』なんて言っていたくせに?」

彼女はどこまで知っているのか。
「そんなところまで聞いていたのか」と呆れると、青葉は笑みを作ってみせる。

腹が立つが、その通りだった。
足柄が来たら、青葉を資料として適当に話してもらおうと考えていたのだ。
最初から、本気で彼女に愛だの恋だのを教えるつもりはなかった。

「そうですね……愛なんて、人から教わるものじゃありませんよ」

突然、すました顔で告げる青葉。
そう言いたかっただけだろう。

こちらから関わりに行くと面倒そうだ。
彼女を放置して、再び本を手に取る。
ここからがいいところなんですよ、なんていう声には耳を貸してやらない。

「あ、足柄さんですよ」

本を閉じて顔を上げると、そこには誰もいなかった。
隣を見るのは三度目だ。
したり顔の青葉を小突いた。

ぬc

「私が帰るまでに、ちゃんと決着はつけてほしいものです」

青葉は小突かれた額を摩りながらくすくすと笑う。
きっと彼女のことだ、記事にしない囃し立てないのは決着がつくまで。
足柄との関係に何かしら決着がつけば、喜び勇んで茶々を入れてくるのだ。

「さっさと帰ってしまえ」

手を払うジェスチャーをしてやると、青葉は不貞腐れたように頬を膨らませる。

「呼んだのは司令官の方なのに」

ふざけているのか真面目なのか。
彼女の人柄はよくわからない。

「帰るって、そういう意味じゃないですよ?」

青葉は思い出したようにこちらを向いた。
わかっているのかと問うように、やや心配そうな目を向ける。

「元の鎮守府に、か?」

「そうです。寂しくなりますね」

どの口が言うかと返すと、青葉は軽く笑って躱した。

彼女は別の鎮守府から来ている、いわば派遣の艦娘だった。
期間は一箇月。
一時的な人手不足を解消するために、親しい同僚から派遣されたのだ。
その期間の終わりは近かった。

「会いに行こうと思えば、いつでも行ける距離だろう」

青葉のいる鎮守府は、多少離れているとはいえ、それほど遠い場所ではない。
船でも使えば半日もかからない。

元はと言えば、もともと一つだったものを二つに分けたのだ。
激戦が予想されるなどと言って分化し、別々に増強した上の判断は、太陽を緑色だと言うくらいに間違いだった。

「ええっ、司令官、私のために毎週会いに来てくれるんですか?」

心なしか嬉しそうな彼女の姿に、年相応の少女らしさを垣間見た。
しかし次に「足柄さんと一緒に来てくださいね」なんていう言葉のせいで台無しになる。

適当に会話が弾んでいたその時、コンコンと戸を叩く音が響いた。
青葉が訊ねる。

「足柄さんですか?」

ノックなんてするわけがない。
そう思った矢先、「足柄よ」という声が聞こえてくる。

度肝を抜かれるとはまさにこのこと。
椅子から転げ落ちた自分を支えてくれたのは壁だった。

思えばこの壁も、足柄が衝突して砕けたことがあった。
その時の欠けた壁の窪みが妙に懐かしい。

「司令官、大丈夫ですか? ぼーっとしてますけど……」

「いや、何でもない」

本当に声の主は足柄なのか?
「入れ」と言った自分の声は少しだけ震えていた。

「こんばんは」

足柄であった。
現れたのは、足柄に間違いはなかった。

「ささ、司令官の隣にどうぞ」

突如、青葉が立ち上がって椅子を差し出す。
彼女は目でこう訴えている。
私に任せろ、と。

微塵にも期待ができない。
疑いの目を向けていたが、彼女が再びこちらを向く様子はなかった。

ぐいぐいと青葉に押された足柄がこちらへ迫ってきた。
よく見ると、足柄の髪は湿り気を帯びている。

「雨でも降ったか」

「ああ、お風呂に入ってきただけよ」

足柄は照れくさそうに頬を掻く。
トレーニングでよほど汗をかいたのだろう。

しかし、これまでにそんなことはあったか。
珍しいこともあるものだ。

「ではでは、ここは若い二人にお任せしますね」

ふと気が付くと、青葉は廊下に出ていた。
身のこなしの素早さもなかなかだが、変わり身の早さもそれに準ずるらしい。
引き留めようとするものの、うまい言葉が出てこなかった。

閉まったドアを見ていると、すぐ傍から視線を感じた。
しかし言葉はかけてこない。

「……」

こちらから何か話そうかとするものの、先程の青葉の言葉が脳裏にちらついた。
『足柄さんのことを、本当に愛しているのなら』
その一言を思い出すたびに、今までのように接することができないように思える。

「……」

二人して見つめ合い、時折目線をそらす。
互いに、何か切っ掛けはないものかと窺っている。

そんな中、唐突に視界が闇に落ちた。

「なんだ」

椅子から立ち上がって、すぐに事態を察した。
部屋の電気が消えたのだ。

しばしの沈黙を打ち破ったのは、自分でも足柄でもなかった。
窓から外の様子を窺うと、辺りには電気が輝いている。

なるほど。
誰かの仕業に違いない。
その誰かは容易に想像がついた。

「ねぇ、提督」

暗闇の中、声が聞こえる。
窓の外は明るくとも、この部屋を照らしきれるまでの光は持たない。
声の聞こえたほうに振り返り、姿の見えない彼女の方へと向き直った。

「あれ、やってくれない?」

うっすらと見える手が、頬を指しているようだ。
彼女の表情は見えない。

今日はこんなに曇っていただろうか。
月明りもない中、そっと彼女の頬へと手を伸ばした。

ぺたりと何かが手に触れる。
何だこれは。
わさわさと手を動かして、その形を確かめる。

「ひゃうっ」

悲鳴のような声があがった。

「提督、そこは耳!」

「ああ、悪い」

その声を聞いて安心した。
いつもの彼女の声だ。

手前へと手を動かし、彼女の頬へと触れた。
肌触りの良い髪をすり抜けて、無事、そこへとたどり着いた。

「やっぱり、ロマンチックなんて私には向いてないわね」

小さな笑い声が聞こえる。
頬に触れていた手に、別の手が重ねられた。

「今度は何の本を読んだ?」

「なんにも」

足柄は手を動かして、こちらの手の感触を確かめるように撫でた。
くすぐったい気分になる。

不思議だった。
顔を合わせていてはぎこちなくなってしまう。
だからこそ、この意図的な停電が二人を導く灯となった。

彼女の表情こそ見えないものの、きっと安らかな顔をしているのだと察しが付く。
さて、本当のところはどうなのか。
自分がそう思いたいだけなのかもしれない。
ただ、この手の感触だけしか真実を読み取るものはない。

「あの……昼間に言ったこと、覚えてる?」

「もちろん」

それに答えるように手で合図をする。
手を覆う彼女の力が少しばかり強くなった。

「あれね、やっぱりナシ。好きとかどうとか、私にはよくわからないままなの」

普段通りのあっさりとした言い方で、彼女は告げた。
その瞬間、自分が安堵していることに気が付いた。

「前と変わらないまま、か?」

「まあ、そんな感じかしら」

この安堵の正体は、変わらないことへの執着だ。
彼女との関係が変わるよりも、自分はこの関係を維持していたかったのだろう。
愛だの恋だのという、よくわからないものに囚われるくらいなら、いっそ知らないままの方が良い。

「あ、でもちょっと変わるかも」

足柄の手が離された。
この暗闇の中で、彼女を感じられるものは一つ減った。

「何が変わるんだ」

微かな不安が蘇る。
夜が怖くて眠れない少年のように、その心は身構えていた。

ところが、返ってきたのは軽い言葉だった。

「やっぱり、身だしなみとかはちゃんとしないといけないのよ」

何の脈絡もない話題に戸惑った。
だが、すぐにそのことには合点がいった。

「だから風呂に入ってきたのか?」

「ちゃんと寝ぐせも整えたわよ」

そんなもの見えないからわからない。
ありのままの感情を伝えると、彼女は驚きの声をあげた。

「見えなくなるってわかってたら、もっと早く来たのに」

その悔しそうな声を聴くと、笑いがこみ上げてくる。
足柄は何も変わっていない。
そう簡単に変わられてたまるものか。

「でも姉さんたちに怒られたのよ。提督の事が好きなら、なおさらきちんとしなさい、って」

途端に彼女はその出来事を語り始めた。
別に好きとまでは言っていないのに、なんだか三人とも盛り上がっていた。。
知らず知らずのうちに、ドアを破ったことが知れていて、説教に話がすり替わっていた。
そんな風に他愛のない話ばかりが出てくるのだ。

「でもね、本当は優しいのよ」

最初は怒っているようだったが、段々と口調が穏やかなものへと変わっていく。
世話を焼いてくれて助かっている。
いつも助かっている。
そんな感謝の言葉が出て、最後は「風呂は気持ちがよかった」で締めくくられた。

「最後のそれは関係ないと思うが」

「いやいや、これは重要よ」

今度は風呂の話になってしまう。
果たして最初は何の話をしていたのか。

段々と足柄の輪郭が見えてきた。
夜目がきくようになってきたのだろう。

矢継ぎ早に話し続ける彼女を手で制す。
きょとんとしている顔が見てとれた。

「付け焼刃でどうにもならないのは、礼儀も戦闘も同じだろう」

「なるほど。日々の積み重ねがものをいうわけね」

若干話がずれた気がするが、何とか持ち直したはずだ。
足柄の方を見ると、何度か頷いているのが見える。
それほど納得できる話だったか。

それはともかく、話を進めるべきか。

「自分たちの関係を、好き嫌いで考えるから難しいことになる」

それに対して足柄が相槌を打つ。
どうやらそのような答えが出るのは間違いではないらしい。

ならばどうするべきなのか。
一度小説に立ち返って考えてみてはどうか。

足柄に貸したあの小説の内容を思い返し、その答えを探ってゆく。
明確に言葉にできない概念よりも、きっと自分たちに相応しい答えがあるはずなのだ。

本の中の彼と彼女は、一体どのようにして愛を結実させていたか。
思い返してみる。

「……ん?」

思い返して、初めて気付く。
彼らは思いを口にしあうことはあっても、何か特別な行為を行っていただろうか。
男女の愛を描写した様子はあれど、明確に何かを行うことはなかったはずだ。

「……」

「提督? どうしたの?」

考えるほど泥に嵌るように体が重くなってゆく。
愛はすなわち、「愛とはこうである」という認識を互いに共有して、初めて愛であるといえるものなのではないのか。
では「愛とはなんだ」と互いに認識している二人は、前提からしてその資格がないのか。

頭が爆発しそうだ。

「あ、そういえば」

混乱する中、足柄の声がはっきりと聞こえた。
何か妙案でも浮かんだのか。

「姉さんたちに、もうキスとかはしたのかって聞かれたんだけど……キスって何?」

「口づけの事だ」

知識だけは知っているが、活用したことはない。
淡白な反応をした自分とは異なり、足柄は何かに気が付いた様子でこちらへ迫ってきた。

「それができれば、もしかして愛なの?」

「……なるほど!」

思い返せば、あの時の自分たちはおかしかったのかもしれない。
こちらまで届きすらしていない月光か何かに毒されていたのかもしれない。

その夜、足柄から頭突きの如き口づけを受け、気を失った事は覚えている。
情緒も趣も色気も感じられない、ただの唇と唇のぶつかり合いは強烈な痛みを伴った。


そんな有り得ない形の接触は、再び自分と足柄の関係を大きく変えてくれた。

どうして逃げた。
そんな野暮な切り口は好ましくない。

顎を引き、その塊へと視線を送る。
彼女はまるで殻に籠ったかのように堅牢だ。

「足――――」

「言わないで」

逸る気持ちは抑えたつもりだった。
それでも、彼女の名前すら呼ぶことは叶わなかった。

何を言っても無駄だ。
無能の烙印を押されたような虚無感が、心臓を握った。

意図しなかったわけではない。
彼女の口から直接「拒絶」の言葉が表面化したのが、予期していたほど重いものではなかった。
ただ、それだけだ。

「……」

「……」

互いに沈黙を保ったまま。
拳二つ分の距離を保ったまま。

呼吸を整えるという言い訳は、もう使えなくなるくらいの時間は経っていた。

>>159 訂正



何を言っても無駄だ。
無能の烙印を押されたような虚無感が、心臓を握った。

意図しなかったわけではない。
彼女の口から直接「拒絶」の言葉が表面化したのが、予期していたほど軽いものではなかった。
ただ、それだけだ。

「……」

「……」

互いに沈黙を保ったまま。
拳二つ分の距離を保ったまま。

呼吸を整えるという言い訳は、もう使えなくなるくらいの時間は経っていた。

目を合わせることもできないまま、時は過ぎていく。
互いの呼吸が認識できるほど近い距離だ。

もどかしい。

「あー……」

ふと、沈黙を切り裂いたのは足柄だった。

欠伸か、それとも溜息か。
どちらにも聞き間違うようなそれが、自分に向けられるものだと気付くまでに数秒を要した。

「今から言うのは独り言」

この部屋には自分のほかに誰もいないのだ。
そう言わんばかりの彼女の声は掠れていた。

こんな前置きは、どんな大根役者でもしないだろう。
口元が綻ぶのを感じる。

ただ、ここで自分が何を言っても封殺されるのは目に見えている。
口を引き結び、次の句を待った。

「戦いたい」

最初はその言葉だった。

彼女らしい。
そう言い切ってしまえば簡単だろう。

だが、その言葉は久しく聞いていない言葉だった。
それは、もっと裂帛の意思を持つような言葉であったはずだ。

声音は弱弱しく、どこか折れてしまいそうだった。

「前みたいに、何も考えずに、好きなように戦えたらなあ」

二言目は、将来の夢を語るような声音で呟かれた。
その、「前みたいに」という言葉の指す意味は、彼女の変化に関わっているそれに違いない。

「敵を見つけて、狙って、撃って倒すだけ……」

布を被った彼女の肢体がさらに丸くなる。

「戦場で、敵のこと以外なんか考えられるはずもないのに」

足柄は、吐き捨てるよりは優しく、思いやるよりは厳しく言い放った。

突如として、睨み付けるような視線が飛んでくる。
まったくもって身構えていなかった。
自分に刺さったそれは、弛緩していた緊張の糸を再び張る。

「……だぁめだ」

しかしどうだろう。
布越しに感じられる殺気は、たちまち跡形もなく消え去った。

代わりに現れたのは、ゆったりとした慈しみのような視線。
その変化がわからないほど、愚鈍ではない。

「あのね、提督」

独り言だと言っていたはずだが、いつの間にか切り替わっていたらしい。

「ああ」

「返事はしないで」

「わかった」

どうやら独り言だったようだ。
考えるまでもなく、口を噤んだ。

「弱くなったの、私」

「そうだな」と、口の中で呟く。

「いつもみたいに戦えない……提督は気付いていたと思うけど」

黙って顎を引いた。

「なんでかしら」

子供の疑問そのものだった。
できることができなくなった、それはどうしてか、なんていう素朴な疑問だった。

「ねぇ、なんでだと思う?」

独り言だと言っただろう。
その一貫性のなさに、そんな小言も言いたくなった。

惚れた弱みだろう。
気付けば口が勝手に言葉を紡いでいた。


「戦いより、好きなものができた。それだけだ」

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