舞園「霧切さん!」 (26)
百合
ネタバレ有
書き溜め無し
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「一緒に帰りましょう!」
また来た、と思わされるのは何度目だろうか。
一人でいると必ず彼女が来る。頷きもしないうちに隣を陣取り、同じ歩幅で歩いてくる同級生。
霧切「…ねえ」
舞園「はいっ」
霧切「…やっぱり、何でもないわ」
私から話しかけると、彼女は決まって私の目を見ながらにっこりと笑顔を浮かべて後に続く言葉を待つ。
まるで構われてうれしがる犬のようなその姿がどうにも不憫で、私はいつも文句を言うのを躊躇ってしまう。
彼女の事は嫌いではない。けれどそれ以上でもない。なのに学園内で彼女と過ごす時間は、いつの間にか誰よりも多くなっていた。
気が付けば私達は腕を組んで(というより一方的に掴まれながら)歩いていた。彼女は超高校級のアイドルなだけあって、自分のペースに引き込むのが上手いらしい。
離してと抗議の声を挙げても、彼女は話に夢中で聞いていない。寧ろそれも計算なのかもしれないが、推理したところで結果は変わらない。
わざとらしく溜息をつくと彼女はようやく私を見て、霧切さん、といつもの歌うような調子で名前を呼んだ。
霧切「…何?」
舞園「明日。バレンタインですよ」
霧切「だから?」
舞園「あげる人いないんですか?特に本命!」
霧切「義理も本命もあげる人なんていないわ」
舞園「ええ~私も?」
霧切「当然」
突き放せば突き放すほど彼女は私にすり寄って来る。現に酷い!なんて言いながら、結局私の腕を離してはくれない。
舞園「私はいますよ!本命」
聞いていない、と頭の中で返す。エスパーを謳う彼女なら聞こえていたかもしれない。
彼女は自分の話が好きだ。私も何度も舞園さやかという存在の話を聞かされた。
興味がないといえば嘘じゃない。けれど私は知らない内に、彼女の幼少期の思い出さえも知る人間になっていた。
霧切「アイドルが本命なんて周りに知れたら大騒ぎね。桑田君が泣くわよ」
舞園「桑田君はアイドルに夢持ち過ぎなだけです!私だって女の子だし、恋くらいしちゃいます」
霧切(……苗木君が恨まれないか心配だわ)
桑田君が彼女の事を好きなのも。苗木君と中学の時からの同級生なのも。皆彼女の口から聞いた情報だった。
本命チョコとやらが苗木君の手に渡るだろうというのは、私の推測に過ぎなかったけれど。
舞園「ね、霧切さんも今年は1つだけ用意しましょう」
舞園「それで、私と交換しましょう!ね、約束ですよ」
提案なのか約束なのか分からなくなる程一方的な取り決めだった。此方にメリットがない、何より面倒な話だ。
けれどつい漏らしてしまった溜息を彼女は肯定と受け取ったらしく、彼女は上機嫌に鼻歌を歌いながら私の腕を引っ張ってきた。
やっぱり彼女は自分のペースに引き込むのが上手い。私みたいなのは、すぐに飲み込んでしまうから。
そもそもバレンタインデーとか、そういうイベントは嫌いだ。
たかがお菓子で一喜一憂する男子も、毎年紙袋にお菓子を詰めて配り歩いている女子も、馬鹿にしか見えなかった。
霧切(…本当、馬鹿みたいね)
チョコレートと睨み合う私の姿はさぞ滑稽だろうと思う。やはり購買部に行かなくて良かったと思うのは、ここが希望ヶ峰からそんなに離れていないスーパーであるにもかかわらず、そこの生徒と思しき人は指折りで数えられる程にしか居なかったからだ。
それに思えばこの時期は板チョコや小麦粉なんかも売っていた。何に使うのかと思っていたけれど、いざ自分も関わることになると、あれは寮生向けに材料を販売していたのだと気付かされる。
やはりあの学園は金に目ざとい。そしてその目論見が上手くいくのが面白くない。
霧切(…アポロとかで良いわよね。美味しいし)
イメージキャラクターのピンクの兎が彼女っぽいし。そんな言い訳を足しながら手を伸ばした、その時。
「あっ、霧切さん?」
霧切(っ!)
間の悪い人間とはこういう人の事を言うのだろう。声のする方に慌てて目を向けると、私よりもやや背の低い同級生の姿があった。
霧切「苗木…クン」
苗木「奇遇だね!霧切さんも買い物?」
霧切「え、ええ…まあそんなところ」
苗木「参っちゃうよね~この時期は購買部混んでてさ。昨日買い溜めする筈だったんだけど忘れちゃって」
霧切(迂闊だったわね…どうして私と同じような人間がいると予測できなかったのかしら)
苗木「って、もしかして霧切さんもバ…明日の準備…とか?」
バレンタインデー、と言わなかったのは、彼なりの気遣いだったのだろう。
ぼんやりしているように見えて、彼は存外鋭い。
霧切「…どうせ似合わないとか思っているんでしょう」
苗木「う…そりゃ、少し…ね」
…そして正直だ。
苗木「でも、良いなあ。霧切さんから貰えるなんて、幸せだね」
頬を指先で掻く。これは苗木君の癖らしかった。
霧切「…本当にそう思う?」
苗木「?うん」
霧切「…そう」
手に取っていた箱を棚に戻す。
彼女にとって私が何なのかは分からなかったが、もしも苗木君が言うような感情を少しでも持ってくれるのなら、市販品を渡すのは申し訳ないような気がしたのだ。
霧切「…それじゃ、私他に見るところが出来たから」
苗木「あ、あのさ!」
背を向けようとした瞬間、苗木君が私を呼び止める。思った以上の声量が出たことを恥じたのか、次は照れくさそうに顔を赤らめて、声を潜めながら言葉をつづけた。
苗木「あのさ…誰にあげるの?」
霧切「…友達?」
苗木「そ、そっか友達…え、なんで疑問形…?」
霧切「秘密」
曖昧な笑いを口元に浮かべる苗木君に、私も曖昧な答えを返す。彼は益々不思議そうに首を傾げていたが、また明日と言葉を添えると殆ど反射的といった風に手を振ってくれた。
霧切(…苗木君でまだ良かった)
これが江ノ島さんや葉隠君だと思うと…想像するだけで恐怖で鳥肌が立つ。
この想像が現実にならない内にと、私は粉物のコーナーへと急いだ。
げ。最後長くなっちゃった
読みづらかったらスマン
とりあえず眠いんで続きは明日
霧切「…で、何を作ろうかしら」
寮に帰って、私は早々にパソコンを開いてレシピを眺めていた。
とりあえずお菓子に使いそうなものは一通りカゴに詰め込んだ。バター、卵に薄力粉、板チョコレート。
ピンク色のラッピングも買った。ハートの模様がちりばめられたそれはいかにも女の子の好みそうなそれで恥ずかしかったが、私が持つ彼女のイメージにぴったりだった。
けれど足りなかった。私の技術と料理に対する関心だけが、その先へと進ませない。
霧切「タルト、パイ…難しそうね。シフォン…失敗したら目も当てられない」
適当にスクロールしていくも、目につく写真はどれも出来の良いものを映していて気後れする。
恐らく彼女も手作りを用意してくるだろう。料理は好きだと言ってきたから、きっと見栄えも良い。
あの時生じた自分の気まぐれを恨む。彼女がどう思おうがが、私は今まで突き放してきたのだから今更気にすることは無かったのに。
板チョコレートをラッピングして渡そうか。とうとうそんな考えが過った時、私はあるひとつのレシピに目が留まった。
霧切(…ん、これ。ブラウニー?)
しっとりとしていて美味しそうなそれは、小さくて可愛らしいケーキだった。
霧切(粉を混ぜるだけね…さっくり混ぜるとか混ぜ過ぎないように混ぜるとか、よく分からないことは書いていない)
霧切(電子レンジで出来るのね。これなら厨房に居る時間も短縮できる)
霧切(…これにしましょう。簡単そうだし、手の込んだ飾りつけも必要なさそう)
レシピをメモに書き写す。一枚で収まるほどの簡単なものだった。
今頃厨房は寮生の女子たちで溢れかえっているだろう。私のクラスで居ないのは私とセレスさん、それから戦刃さん位かもしれない。
霧切(夜中なら大丈夫…よね)
妙な高翌揚感が湧き上がる。初めてお菓子を作ることに対してか、こそこそ隠れて行うことに対してかは分からない。
けれど、そんな自分が嫌であることは確かだった。
あ、sagaにするの忘れてた
夕飯時にはやはり彼女が現れて、当然のように横に並んで食事を取った。
はじめは普通向かい合って食べるのではと思わされたその行動も、いつしか順応して私も当然のことのように感じていた。
やはり話題は明日の事になった。霧切さんは作りましたか?私はもうできましたよ、楽しみにしててくださいね。
霧切(…まさかこれから作るなんて思っても居ないでしょうね)
時刻は2時を回っていた。徹夜は得意な方だったし、明日は休みだから特に支障はない。
当然人は居ない。無人の厨房は寒々しかったが、却って居心地が良く感じられた。
霧切「タッパーは備え付けのがあるわね。チョコを細かく切って…」
頭に刻みつけるように呟きながら、まな板と包丁を取り出す。チョコの包装紙を剥いだところで、私はふと自身の手元に目が行った。
殆ど自分の一部のように感じていた手袋。流石にお風呂の時は取っていたが、ずっと手の甲を見ることになるこの時ばかりは気が引ける。
霧切(でも…不衛生だし。何よりやりづらい、わよね)
言い聞かせるように頭の中で呟きながら、手袋を取る。
現れ出る醜い傷跡は思わず目を背けたくなったが、我慢して包丁を手に取った。
霧切(自分と、家族になる人の前でだけ見せるつもりだった傷を隠していた手袋…)
まさか彼女の為に取ることになるなんて、思いもよらなかった。
チョコレートを刻むこと卵と牛乳、薄力粉を混ぜ合わせて、湯煎したチョコを混ぜる。バターもほんの一かけらだけ入れた。
アイドルだし、カロリーは気にすると思ったから。
生地を流したタッパーをレンジに入れてスイッチを押す。作業は今のところ、滞りなく進んでいる…筈。
霧切「…ふぅ、疲れたわ」
料理なんて久しぶりだった。多分この学園に来てからは一度もしていない。いつも学食だったし、軽食も購買部のもので事足りた。
だからこんな簡単なものでも、上手くできている自信が無かった。
霧切(そもそも彼女とはどうして友達でもないのに、こんな苦労をしなくちゃいけないの)
友達ではない、と言い切れるのは、彼女の友達に対する態度と、私に対する態度が違うから。
彼女はクラスの友達にアイドルとしての自分の話なんてしないし、べたべた触れ合いもしない。寧ろ何か距離を置いているようにも見えた。
霧切(黙って話を聞いてくれるお人形とでも思っているのかしら…それとも、気を遣っているの?)
いつも一人でいる私に。
その時レンジが無機質な鳴き声を挙げて、我に返る。気が付けばチョコレートのいい匂いが厨房内に充満していた。
まな板の上でタッパーをひっくり返し、持ち上げると湯気の立つ平たいケーキが姿を現す。
これを小さく切れば、完成だ。
霧切(…一口大の方が良いわよね。大口開けさせるわけには)
思いながら包丁を通す。均一な四角になるように切り、余った欠片を味見する。
霧切(…でも出来立てと1日置いたのじゃ味が違うわよね)
今は温かいし、なにより柔らかくて美味しい。明日までこれが持つかどうかだ。
ピンクのラッピング袋を開き、切ったケーキを放り込む。見栄えが良いのは4つか5つ位か。
あまり多いと彼女も大変だろうと判断して、4つだけ入れる。ビニールのリボンをして、やっとおしまい。
霧切「…タッパーサイズだから結構余っちゃったわね」
まな板の上に転がるケーキ。コーヒーの無い今、自分で食べるのもしんどい。
霧切「…苗木君にあげましょう」
嫌がったら、私からもらえたら幸せなんでしょ、なんて言って脅せば良い。
残りはもう使わないだろう5枚入りの袋が、ぴったり無くなるように詰めた。自分の軽食用だ。
次の日の教室は、やっぱり普段とは違った賑わいを見せていた。男子はいつも以上に身なりを整えて。
皆片手に色とりどりに袋を持って、女子同士で交換するように渡し合っている。
何故かセレスさんには…山田君が渡しているけど。
女子の集団の中には彼女も居た。そういえばいつ渡せばよいのだろう。昼食時?まさか今とは言わないとは思うけど。
朝日奈「おはよー霧切ちゃん!はいこれっ」
霧切「あ、ありがとう…おはよう」
ぼんやりとしていると、ひと際元気な声と青いラッピング袋が降ってきた。
見ればチョコがコーティングされたドーナッツが入っていて、恐らく声を聞かなくても誰か分かっただろう。
朝日奈「えへへー自信作だから安心して食べてね」
霧切「自分で作ったの?凄いわね」
素直に感心した。油物なんて料理が出来ない立場からしたら超級の調理法だ。
それにしても私と朝日奈さんはあまり関わりがあったとは言えないのに、ただのクラスメイトにまで渡すものなのだろうか。
それとも私のように、余り物をついでとしてくれているのか。
霧切「あの…これあげるわ」
朝日奈「え?ウッソーくれるの!?ありがとう!大事に食べる!!」
あまり騒がないでほしい…と思うも、杞憂に終わる。周りは周りで騒がしいから、こちらに意識は誰一人として向かない。
…いや、目が合った。彼女だ。ふてくされたような面持ちでこっちを見ていた。
そういえば一つだけ用意しろと言っていたっけ。思惑通りにいかなくて怒っているのか。
昼食も一緒に食べたが、特に変化は無かった。相変わらず自分の話をして、時々私に質問する。いつも通りだ。
かくいう私は、彼女に渡す分以外の袋を全部さばけていた。
苗木君は意外と素直に受け取ってくれた。不二咲さんと、それから以外にも戦刃さんもくれたからお返しに。
そして放課後、中庭で本を読んでいると案の定彼女が現れた。
相変わらずどうして私が居る場所が分かるのか不思議だけど、それ以上に驚かされたのは、アイドルらしからぬふくれっ面をしていたこと。
舞園「霧切さん!」
叱咤するような声音。あんなに昼間普通だったのに、一体彼女の感情回路はどうなっているのか。
舞園「ひどいですっ!私にくれるんじゃなかったんですか」
霧切「あ、あれは余りよ…貴女のはこっちにあるわ」
舞園「あれ?なーんだ……でも!一つだけ用意するって!」
霧切(それは貴女が勝手に言い出した事でしょ…)
やっぱり当然のように隣に座る。寒くないの、と聞くより前に、彼女は鞄を漁っていた。
舞園「はい、ハッピーバレンタインデーです」
何がハッピーだ、と言いたくなる気持ちを抑えながら、私も鞄から見飽きたラッピング袋を出した。
彼女は嬉しそうに笑う。
舞園「霧切さんのはなっにかな~…あ!名前…」
歌が途切れ、彼女が私を見た。何の事かと思えば、分かり易いよう舞園さやかと名前を書いて貼り付けておいたメモの事らしかった。
霧切「…これが何?貴女の名前なんて知らない方がおかしいでしょう」
舞園「えへへ…そうじゃありませんけど。内緒です」
食いつくところが分からなかった。でもどうしてだかとても嬉しそうで、それ以上つつくのも野暮な気がした。
薄紫色の袋から出て来たのは、一口大のチョコレートパイだった。
生地にチョコレートが練り込まれているのだろう、茶色い体にピンクのデコレーションが施されている。
手作り感はあったけど、やっぱり綺麗に整っている。それに比べて、彼女の手にあるブラウニーはいかにも粉っぽいし地味だ。
霧切「あの…やっぱりそれ…」
返して、と言い終えぬうちに、ブラウニーは彼女の口の中に消えた。
もぐもぐと小動物が食べるように咀嚼し、小さく喉を動かして飲み下した。
舞園「うん、美味しい!」
霧切「……気を遣わないで」
褒め言葉にどうして素直に礼が言えないのか、自分で自分が嫌になる。
彼女は暫くきょとんとした顔で私を見つめていたけれど、突然私にもたれかかってきて、美味しいですよともう一度言った。
舞園「だって霧切さんが私の事考えて作ってくれたんだって分かるから」
霧切「…どうしてそう思うの」
舞園「だって、エスパーですから」
霧切「………重いわ」
ひどい!と、今度は笑いながら彼女は言った。私もつられて笑うと、彼女は身を起こして、私の手にあったパイを奪った。
舞園「はい、あーんしてください」
霧切「い、嫌よ。恥ずかしいでしょ」
舞園「あーん!」
ぐい、とパイが唇に押しつけられて、私は渋々口を開いた。舌の上にパイが乗せられて、急いで口を閉じて手で隠しながら噛む。
サクサクとした食感。チョコの甘ったるさはコーヒーが欲しくなる、けど。
ちょい中断
舞園「感想は?」
霧切「…美味しい、に、決まってる」
舞園「良かった!ね、私にも!」
一瞬何のことか分からなかった。けれど彼女はブラウニーを一つ私の手に乗せて、餌を待つひな鳥のように口を開けた。
このまま放置して帰るというのも悪くなかったけれど、しなかった。一口大にして正解だった。すんなりと口の中に入って、舌の先に押しつけてやるとぱくりと唇が閉じる。
アイドルと食べさせ合いなんてしてる一般人、この日本という国の中でで私だけじゃないだろうか。
舞園「霧切さんにあーんなんてして貰えるの、今のところ私くらいじゃないですか?」
…彼女も同じようなことを考えていたらしかった。
霧切「それより。本命とやらは、渡せたの」
舞園「え?あぁ、はい!美味しいって言ってくれましたよ」
霧切「…そう、良かったわね」
苗木君、その場で食べてあげたのね。桑田君に見られてなきゃ良いけど。
舞園「でっ、霧切さんは朝日奈さん以外に誰かに渡したんですか?」
霧切「…不二咲さんと、戦刃さん。それから…苗木君」
舞園「苗木君?」
言うべきか迷ったけど、言う。特にやましい事は無いし。
霧切「昨日のお礼よ。実は今日、貴女に市販品を渡そうと思ったの。でも思い直させられたから」
舞園「そうだったんですか…じゃあ、苗木君に感謝しないとっ」
そう言うと、彼女はまた私にもたれかかった。重い、と言うと、大丈夫ですよ、なんて頓珍漢な応えが返って来る。
舞園「私、霧切さんのこと好きです」
霧切「…ありがとう」
舞園「もう、そこは『私も舞園さんのこと好きよ』ですっ!」
霧切「…私は貴女のこと馬鹿だと思うわ」
舞園「ええっ、ひどい!」
今日で何度目だろう、ひどいって言われたのは。でも彼女はいつも笑ってくれる。
うっとおしいと思っていた存在が、今では居心地よく感じてしまっている。
霧切「…私も、舞園さんの事嫌いじゃないわよ」
そう言うと、彼女は静かに私の腕にしがみついた。
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夢を見ていた。内容は思い出せないけれど、懐かしい夢。
多分彼女が出てきた。コロシアイの最中ではあまり関わりが無かったはずなのに、何故かたまに夢に見る。
朝日奈「霧切ちゃん、ハッピーバレンタイーンっ!」
事務所に入ると香ばしいコーヒーの香りと甘ったるい匂いがした。
朝日奈さんが差し出すタッパーの中に羅列されたチョコレートのドーナッツの匂いだ。
霧切「ありがとう。はい、お返し」
朝日奈「やったー!頂きまーす」
一つドーナッツを取り、代わりに袋を押し付ける。昨日準備しておいたバレンタインデーとやらのお菓子だ。
苗木「珍しいね、霧切さんもそういうのするようになったんだ」
霧切「…この時期はどうしてもチョコのパイが食べたくなるの。だから余りを配ってるだけ。ついでに苗木君も」
苗木「アハハ…でも嬉しい、かな。ありがとう」
葉隠「んなーっ、苗木だけずるいべ!霧切っち!俺にもくれ!くれ!」
朝日奈「アンタドーナッツ3つも食べといてまだ食べる気か―っ!」
騒がしいこの職場も随分と慣れた。マグにコーヒーを淹れ、ドーナッツを一口食べる。
皆良い人だ、性根はともかくとして。癖がある人ばかりだけど、それが却って飽きない。
霧切(なのに…何かが足りないのよね)
十神「おい、霧切」
霧切「良い所に。はい、腐川さんにも渡しといて」
言いながら2つの袋を投げると、彼はぶつくさ言いながらもキャッチする。そして流れるように書類を突き出され、代わりにひったくるようにして奪う。
十神君がむっとして何か言おうとした時、丁度良いタイミングで苗木君が声を挙げた。
苗木「霧切さん!これ美味しいよ!」
葉隠「へー霧切っち料理できんのか?イメージにあわねーべ」
朝日奈「アンタはまたそういう事言う!」
霧切「料理できなさそうな人からよく貰おうと思ったわね」
きっと学園時代よりも、私は色んな人と関わりを持つようになったと思う。特にあんな惨劇を乗り越えたこのメンバーは、思い入れが深い。
けれど拭えない虚無感があった。私の隣に誰かが居ない気がした。思い当たるのは、夢によく出てくる彼女。この時期になると、無性に思い出してしまう彼女。
思えば何故か、当時初対面に近しい状況だったのに、私は彼女の事を知っていた。テレビも見ないのに、彼女が抱えた苦労も楽しいことも、どこかで聞いたような気がしていたのだ。
アイドルという華やかな世界に立つ彼女と私が関わりを持っていたとは思えないけれど、脳に染み付いた彼女の情報は、偽りだとも思えなかった。
霧切(舞園さん…)
霧切(もしも私が貴女と友人だったのなら……私は貴女の良い友であれたかしら)
霧切(なんて…今更考えたって、仕方のないことよね)
取っておいたパイを齧る。料理は好きじゃないけど、どうしても食べたくて自分でレシピを調べてから、毎年作っている。
毎年一回しか作っていないけれど、腕は上達したと思う。不思議と思い入れのあるお菓子だから、それに関しては嬉しい。
霧切(……仕事、しないとね)
コーヒーを飲み、背伸びをする。喧騒を背に、ようやく私は仕事に取り掛かることにした。
終わり
霧切さんと舞園さんが修羅場ってるSSばかりで絶望して書いた
せめて友達としてでも仲良くしてくれやー
このSSまとめへのコメント
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