あぎり「やすなさんの異常な愛情」 (728)

またキルミーSSです。
こんどはあぎりさんが主役です。



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朝。

目を覚ました私は、無意識的に時計を見る。
時刻は午前六時ぴったりだ。

「……ふぁ」

体を起こして、軽く伸びをする。
窓から外を見ると、空は明るくなっていたが太陽はまだ地平線に隠れていた。
柔らか目の朝日が部屋に差し込んでいる。
私はベッドから降りて、洗面所へと向かった。

起きてから三十分も経てば、出かける準備はほぼ完了する。
あとは、朝食のパンが焼けるのを待つだけだ。

「……眠いですねぇ」

睡眠不足、というわけではない。
でも、こうしてぼんやりしていると人はなぜか眠くなる。

テーブルに肘をついて、トースターを眺める。

パンを焼く電熱線の熱さが、少しだけ私に伝わってきた。
同時に、程よく焼けたトーストの良い香りが鼻をくすぐる。
そろそろ焼けるかな、なんて考えていた次の瞬間トーストが飛び出した。


朝食を済ませ、上着を纏って外へ出る用意をする。
襟を整え、服にシワがないかを確認。身だしなみは特に大事だから、チェックを怠ってはいけない。

外見というのは信用に直結する。
だから人々は立派なスーツを着て、いい値段の腕時計をして、爽やかな笑顔を作ろうと必死になるのだ。

「さて、と。そろそろ行かなきゃ」

カバンを手にとって、玄関へ。
靴を履いて、ドアノブに手をかける。

ドアを開けると、外の空気と光が室内に入り込んできた。
今日もいい天気。風がふわりと私の髪を持ち上げる。

「……行ってきます、ソーニャ」

下駄箱の上に置かれた写真にそう言い残し、私はドアを閉めた。





ソーニャが死んだのは、一体どれくらい前だったろうか。
かなり昔、と言われればそんな気もするけど。
まるで昨日のことのように、ソーニャのいた日常が思い出せてしまう。

とにかく十五年前、ソーニャはこの世からいなくなった。

殺し屋という職業柄、葬式は行われなかった。
それどころか、遺体との面会すら許されなかったのだ。

それが、私からソーニャが死んだという実感を奪っていった。
まだどこかで生きているんじゃないか、なんて。

葬式なり、遺体を見れば諦めがついたのだろうか?

……いや、それでも私はソーニャが生きていると信じ続けているた気がする。
だって、彼女が死ぬなんて。
私の中では絶対に有り得なかったのだから。





陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地。
そこに設置された自衛隊情報保全隊「第四情報保全室」
保全隊の実働部隊としての側面を持ち、工作活動、危険人物の観察などが主な任務だ。
場合によっては、要人の暗殺なども請け負う。
それゆえ、その存在は非公式にされている。


ここが、今の私の仕事場。
ソーニャと共に所属していた「組織」は、彼女の死後すぐに解体された。
組織のメンバーは皆それぞれの国なり機関なりに戻り、私はここに流れ着いた。

「やぁ、呉織。おはよう」

「あ……一佐、おはようございます」

職場に到着して早速仕事をしていると、緑の厳しい制服に身を包んだ上官が出勤してきた。
肩には階級章、胸には立派な勲章がたくさんついている。
彼が直属の上司で第四情報保全室のまとめ役、つまりボスである。

「どうだ、最近何かあったか」

「いいえ、特に無いですねぇ。平和そのものです~」

「それは結構だ。平和が一番!ってな」

そう言って、彼は柔らかそうな立派な椅子に腰掛けた。
スプリングがキィ、と音を立てる。

その後も、職員が次々と出勤してきた。
私は適当に挨拶を交わし、目の前の書類を黙々と整理する。

仕事に集中していると、いつの間にか正午を過ぎていた。
確かに、少しお腹が減ったような気がする。
私は席を立って、食堂へと向かった。

前回と話は繋がってなさそうね

「はい、お待ちどう様」

「どうも~」

食堂は昼時ということもあって人で混み合っていた。
どこで食べようか迷っていた時、一佐が私に声をかけてきた。

「呉織、一緒にどうだ」

「助かります~」

>>13
はい、今回は全く別の話です。

一佐と向い合せに座る。
彼はラーメンを啜っていた。
私も先ほど受け取った定食に箸をつける。

一佐は、さっきから黙っている。
周りのざわつきと、一佐がラーメンを啜る音だけがする。
ちょっと気まずい。

「……なぁ呉織」

「はい?」

「午後の予定はあるか?」

一佐の声のトーンが、一気に真面目な物に変化した。
目つきも、なんだか真剣なように見える。

「えーと、書類の整理が少しだけ残ってますねぇ」

「そうか、なら予定変更だ。少し付き合ってくれ」

「……何かあったんですか?」

「詳しいことは後だ。食べ終わったら正門に来い、私は車を取ってくる。じゃ、ごちそうさま」

そう言い残し、彼は食べ終わった食器を片付けに行った。
私も急いで定食を片付け、正門へ向かう。

正門へ向かうと、一佐はすでに車を停めて私を待っているようだった。
私が駆け寄ると、彼も私に気づいたようで軽く手を振っている。

「すいません、遅れました」

「いや、問題ない。じゃあ乗ってくれ」

助手席へ乗り込む。
彼の車は見た目の立派さに比例して、内装もかなり良いものだった。
まるでソファーのような座り心地の座席に、思わず全身の力が抜けてしまいそうになる。
先程まで座っていた事務椅子なんかとは比べ物にならない。

車が発進すると同時に、一佐が封筒を渡してきた。

「これは?」

「まだ開けるな、到着して良いと言うまで待て」

「はい……」

「……仕事が入った。我々の出番というわけだ」

仕事。
それに関して、何か良くないことが起こっていることが一佐の口調から伺えた。

「……四日前、国内にあるアメリカ、ロシア、中国の大使館と多数の政府施設がサイバー攻撃を受けたんだそうだ。
防衛省も攻撃を受けたと聞いた」

「サイバー攻撃、ですか」

「しかも同じタイミングで一斉に、だ。セキュリティも一気に突破されたらしい」

「そんな事が……」

「各国政府も把握はしてるが、まだ発表はしていない。代わりに各国の諜報機関が一斉に動き出した。
我々も遅れを取るわけにはいかん」

「……それで、どう動くつもりですか」

「さぁて、それだ……とにかく表沙汰にするのだけは避けたい。出来ればお前一人で動いて欲しいが……」

「私がですか?」

「もちろん、行動時のバックアップはする。万が一のために強襲部隊も待機させておく」

「はぁ……」

「とにかく、詳しい話は後だ。もう少し待て」

車はそのまま走り続け、一件の普通の家に到着した。
一佐の後に続いて、中に足を踏み入れる。
見たところ、本当に普通の民家みたいだけど……。

「おい、呉織こっちだ」

「これは……」

私が今居るのは一階だ。
でも、目の前の階段は下へと伸びている。
なるほど、ここはそう言う施設か……。

「どうだ、すごいだろ」

「……映画みたいですねぇ」

「ハハハ、確かに」

一佐が軽快に笑う。
地下へ入ると、学校の教室くらいある空間が現れた。
机が並べられ、その上にはパソコンが置かれている。
すこし視線をずらすと、パイプ椅子にホワイトボードも置いてある。
どうやらここが対策本部ということらしい。

「ここが本拠地になる。今のところ俺とお前だけだが……そのうち人員も揃うはずだ」

「噂には聞いてましたけど……来るのは初めてです、驚きました」

「まぁほとんど使ってないからな……」

それを裏付けるように、一佐が机に息を吹きかけると埃が舞い上がった

「うわ、埃もすごい。まずは掃除からか……」

「掃除道具は……」

「一応あるが、果たしてここを処理しきれるだろうか……?」

結局その日の午後は、掃除が主な業務になったのであった。



夜。

私は一旦、自分の住まいへと戻ってきていた。
明日からは本部で寝泊まりすることになるので、そのための支度をやっていた。

「着替えは……そんなに多くはいりませんかねぇ、多分洗濯もあっちで出来るし……」

そんなに多く荷物を入れたつもりは無いけれど、それでも小さめのカバンは着替えと日用品でいっぱいになる。
持ってみると、結構な重さになった。

この部屋をしばらく離れる事になるので、入念に掃除もした。
あまり掃除が得意な方ではないが、とにかく出来る限り細かいところまで気を配ったつもりだ。
なんだか今日は掃除ばかりしている。
だが、あの地下室みたいに埃まみれになるのを回避できるのを考えればこれくらいの労はなんてことはない。

「これで一通り終わり……」

荷物も用意し終わった。
部屋も、普段よりかなり綺麗になったと思う。

綺麗になった部屋でぼんやりしていると、ふと昼間にもらった封筒が目に入った。
そう言えば、本部に着いてからずっと掃除をしていてその存在を忘れていた。
多分、一佐も忘れていたんだろう。
一応中身に目を通しておきたいが……。

「流石に勝手に開けるのは不味いでしょうし……」

私は携帯を取り出して、一佐に電話をかけた。
すこし遅い時間だが、一佐なら多分出てくれると思う。

「はい、もしもし」

数回呼び出し音がなった後、一佐が電話に出た。

「夜遅くにすみません、呉織です~」

「呉織か、どうした?」

「今日渡された封筒ですけど……」

「封筒……?あぁ!忘れてた、すまない」

一佐は、今思い出したといった風に声を上げた。やはり、すっかり忘れていたのだろう。

「中身を確認したいのですが……開封しても?」

「うむ、開封しても大丈夫だ。一応周りを確認して、なにも怪しい様子がなければ開けてくれ」

「わかりました~」

「そう言うことだ。手間取らせたな」

「いいえ、こちらこそ~」

「それじゃまた明日。遅れるなよ?」

「もちろんです、では~」

電話を切って、私は封筒を開ける用意をする。
カーテンを閉めて盗聴器、隠しカメラが仕掛けられていないか部屋中をチェックする。
少し神経質かも知れないが、確認を怠って情報が漏れるよりはよっぽど良い。

「……何も無し、と」

盗聴器もカメラも、どちらも仕掛けられていない。
外からののぞき見も、完全に対策した。

私は少しだけ緊張しながら、封筒を開けた。
中からはバラバラと、数枚の紙。

「事件の規模の割には、ちょっと少ないような……」

まぁ、各国も調査し始めたばかりだと言う、情報があまり出てこないのだろう。
それをこれから調べるのが私の仕事でもあるし。

資料には、どの施設がどのレベルの情報までアクセスされたのかが事細かに記されていた。

資料には、どの施設がどのレベルの情報までアクセスされたのかが事細かに記されていた。

「これは……」

なんということだ。アメリカを除いて、ほぼすべての施設が最高レベルのセキュリティを破られている。
日本も例外ではなく、防衛省をはじめ全ての施設の最高機密までアクセスされていた。

ここまでの芸当を、これだけ大規模に、そして同時にやってのけるほどの高度なシステムは聞いたことがない。
かなり大掛かりなことが起こっているようだ。

「これは、なかなか大変な仕事になりそうですねぇ……」

はぁ、と一人溜息をつく。
今回の事件、一筋縄じゃ到底解決できそうにない。
恐らくどこかの政府機関……もしかしたら国家そのものが黒幕の可能性がある。
そうなると、事態は更に複雑な方向へ……。
もはや私なんかにはどうにも出来ない政治的判断やら取引も行われるだろう。

これから待ち受けるものを想像して、私は思わず生唾を飲んだ。

「……大丈夫でしょうか」

書類を封筒に戻して、カーテンを開ける。
ネオンやビルの明かりが、楽しげに外で瞬いていた。

とりあえず、今日はここまでです。
また明日辺りに来れたらいいなと。

こんばんわ、早速投下していきます。

翌日。
昨日の民家へ向かうと、第四情報保全室の職員がすでに集結していた。
どうやら機材などの搬入を行っていたらしい。

「おぉ、呉織。来たのか」

「おはようございます~」

「早速で悪いが、機材設置の手伝いを頼む」

「はい~」

人手が多いのもあって、ものの三十分で本部は完成した。
大きなサーバーが室内に設置され、壁際には食料品などが入っているダンボールが積み上げられている。

「よし、設営は終わったな。では早速対策会議を始める」

さぁ、いよいよらしくなってきた。
一佐がホワイトボードの前に立ち、話を進めていく。

「五日前、米中露大使館と政府施設がかなり大規模なサイバー攻撃を受けたのは全員把握しているな?」

彼の言葉に、頷いたりメモを取ったり様々な反応を返す職員たち。
一佐が説明した話の内容は、だいたい昨日見た資料とほとんど同じだった。
現状の再確認ということだろう。

「さて、役割分担だが……まず分析班と電子対策班は基本的に本部に篭もることになると思ってくれ。
それと、呉織だがお前は実働部隊として動いてもらう。まぁ、今のところは本部で待機してもらうことになるが」

「はい」

「では早速、仕事を始めるぞ。総員配置につけ」

全員、威勢よく返事をして素早くそれぞれの席に向かう。
しかし私はと言うと、今のところやることが無いのでまたその場に腰を下ろした。

「……今回の件、お前はどう思う」

深刻そうな顔をして、一佐が話しかけてきた。

「そうですねぇ……被害を受けた場所、規模を見るとやはり個人でどうにか出来る範囲を軽く超えてます。
恐らくどこかの政府機関か……国家そのものが後ろに居ると見ていますが」

「やはりそうなるか……」

腕組みをして、天井を仰ぎ見る一佐。
その眉間にはシワが寄りっぱなしである。

「増員を要請するか?お前一人では……」

「いいえ、大丈夫です。私一人で」

「……一応言っておくが、お前がもし捕まったり殺されたりしても」

「それもわかってますよ。防衛省及び政府は一切関知しない、ですよね?」

「……気をつけろよ」

「もちろん、そんなヘマはしませんよから~」

「なら良いが……」

やはり一佐は、腕を組んで難しそうな顔をした。

その日は情報収集が主な活動になり、私はお茶をいれるくらいの仕事しか与えられなかった。
時間も午後六時を過ぎ、常駐の当番以外の職員はそれぞれの家に戻っていく。

私は今夜、本部に残ることになった。
風呂や食事などをするのは、上のフロアで不自由なく出来るのでとても快適だ。
リビングには大きなテレビもあって、娯楽もそれなりに揃っている。

さっきまで居た地下の息苦しさから完全に解放された私は、少しだらけた格好でテレビを眺めていた。
適当にチャンネルを回す。

バラエティー番組に通販、グルメリポートなんかの映像が次々に切り替わる。
私はニュースでチャンネルを止めた。

「見事なものですねぇ……」

報道規制がされているのか、サイバー攻撃に関する情報は一切報じられていない。
代わりにテレビが伝えてくるのは、今日の株価や明日の天気だ。

「そりゃそうだ、なんせアメリカからも圧力がかかってるんだからな」

風呂あがりの一佐が、頭をタオルで拭きながらリビングへやって来た。
制服姿とは打って変わって、かなり無防備な格好をしている。

「まったく、さすが世界に名だたる超国家……ってか」

「アメリカが報道規制を直接指示してくるなんて……」

「世界一の大国がやすやす機密を盗まれた、となればメンツも丸つぶれだ。連中、その辺には神経質だからな」

「……今日は、何かわかりましたか?」

「いいや、収穫はなしだ……ほとんど被害の集計と詳細の再確認に時間を取られた感じだな」

そう言って、深くため息をつく一佐。

「せめて相手の所在くらいは掴みたかったが……」

「進展は無しですか、まぁ……まだ一日目ですし」

「他の機関がどう動いているかも気になる、そうも言ってられん」

「一体、何が起こってるんでしょうねぇ……」

「わからん。とりあえず調査を進めねばなるまい」

どっかりと、ソファーに腰掛ける一佐。
彼の表情は、すっかり疲れきった感じだ。

「まったく、どこの誰が何の目的でこんなことを……」

「これからハッキリしますよ、多分」

「あぁ……」

私達が話している間にも、相変わらずテレビはどうでもいい事をずっと伝え続けていた。

朝になった。

二階の寝室で寝ていた私は、ベッドから起き上がり軽く伸びをする。
見た目こそ普通の民家だったが、さすが政府施設というだけあってベッドはなかなか高級なものだ。
おかげでぐっすり眠れたのですっかり疲れが消えてしまっている。

一階に降りて、洗面所に向かうとすでに一佐が顔を洗っていた。

「おはようございます」

「おぉ、呉織か。早いな」

「一佐こそ、随分お早いんですね」

「まぁな」

一佐が顔を洗い終わり、今度は私が洗面台の前に立つ。
顔を洗うと、寝起きでぼんやりしていた頭が一気に冴えた。

「昨日は眠れたか?」

「はい、おかげさまで。疲れも取れました」

「それはよかった。どうだ、ここもなかなか良いだろう?」

「えぇ、しばらく住み着きたいですねぇ」

「あぁ、俺の家より立派だからな」

そう冗談を飛ばして、やはり一佐は軽快に笑った。
相変わらず元気な人だと思う。

朝食をとってしばらくすると、帰宅していた職員達がだんだん集まってきた。
私達も地下室へ行って、業務を始める。


地下室では、十人近い職員がキーボ―ドを叩きっぱなしだ。
カタカタとタイプする音が常に絶えない。

一佐は彼らの近くを歩きまわり、何か起きていないかずっと監視している。

私はと言うと、やはりやることが全く無かった。
さっきはお茶をいれる雑用をやっていたが、そればかりやっているわけにも行くまい。

なんだか居心地の悪くなった私は、逃げるように一階へと向かった。


しかし、一階へ来たからといって仕事が発生するわけがない。
気がつくと、私はなんとなくテレビの電源をつけていた。

お昼前のこの時間、テレビではワイドショーをやっていた。
くだらないゴシップばかりが画面を彩っている。

私は何も考えず、ずっと画面を注視していた。

「……暇、です」

今、こんな風に呆けている瞬間にも給料は発生しているのだ。
しかも税金からである。

これなら、市ヶ谷で意味のない書類を右から左へ処理する仕事の方がまだやりがいがある気がしてきた。

今日はここまでになります。
ではまた明日くらいに。

こんばんは、一日空いてしまいました。
とりあえずある程度進んだので投下していきます。

「呉織?おい、呉織」

「あ、一佐。どうしました?」

「なんだ、暇そうだな。大丈夫か」

「正直、退屈で仕方ありませんね」

「じゃあ一つ頼まれてくれないか。市ヶ谷の資料庫から持ってきて欲しい物がある」

「もちろんですよ、車をお借りしても?」

「あぁ、私のを使え。今キーを持ってくる」

一佐は、地下室へ向かったかと思うとすぐに戻ってきて車のキーを私に投げてよこした。

「資料室に入って、すぐ右にファイルの置かれた棚があるから、そこのA-18からA-30と書いてあるファイルを全部持ってきてくれ。頼んだぞ」

「わかりました。でも、これ何の資料なんです?」

「以前、情報分野の技術開発に関わった企業のリストだ。何かしらのヒントにならないかと思ってな」

「なるほど……まぁとりあえず行ってきますね~」

「大事に乗ってくれよ、少しガタが来てるからな」

そう言って、一佐はまたすぐに地下室へ引っ込んだ。
私は駐車場へ向かい、彼の車に乗り込む。

キーを穴に差し込んで、軽く捻るとエンジンは快調に音を立て始めた。
ガタが来ている、なんて一佐は言っていたが全く問題は無さそうだ。

車を三十分も走らせれば、すぐに市ヶ谷駐屯地に到着する。
正面ゲートの警備員に私のIDを見せ、車ごと施設内に乗り入れた。

駐車場に車を止めて、いつもの仕事場がある建物に入っていく。
ここの入り口にも警備員が立っているので、またIDを見せると彼は敬礼で私を迎え入れた。

しばらく歩くと、資料室と書かれたプラスチック製のプレートが貼り付けてある扉が見えてきた。
扉を開けて中に入ると、自動的に蛍光灯が点灯する。
中は結構な広さがあり、膨大な量のファイルが整然と並べられていた。

「えぇと、入ってすぐ右……あ、これですね」

目当ての資料は、入り口のすぐ横にあった。
しかし、思っていたよりファイルが異常に分厚い。
これを一度に持ちだすのは無理そうだ。

私は事務室へ行って、何かしら輸送に使える箱が無いか聞いてみた。
すると、担当の職員が折りたたみ式のボックスを貸してくれると言う。
ついでに、資料持ち出しの許可も取る。

資料室へ戻った私は、片っ端からファイルをボックスの中に詰め込んでいった。
分厚いファイルはそれ一つだけでも結構な重さがあり、それが十二もあると来ればかなりの重量になる。
私は事務室へ取って返し、今度は台車を貸してくれと頼んでみたが流石にそんなものは無いと返された。

仕方がないので、保全室のオフィスへ向かい車輪のついた事務椅子を拝借した。
応急的な対応だが、なかなか使い心地は良い。

椅子にボックスを乗せ、施設を出ようとすると警備員が奇妙な物を見るような目をこちらに向けてきた。
まぁ、椅子をゴロゴロ押して外に出ようとする人物は実際奇妙だと思う。

車にボックスを積み込んで、椅子を元の場所に戻した私は早速本部へ戻ることにした。
運転席に乗り込んで、エンジンをかける。

駐屯地正門から出ると、ゲートの警備員が私を敬礼で見送ってくれた。

「戻りましたよ~」

「あぁ、呉織か。お疲れさん」

本部に戻ると、一階のキッチンで一佐達が昼食の用意をしていた。
恐らく、備蓄用のダンボールに入っていたものだろう。
職員全員が、蓋をしたカップ麺を前に鎮座すると言う光景はなかなか面白かった。

「資料は今玄関に置いてありますので~」

「うむ、了解した。お前も昼にしろ」

「わかりました~」

「お湯は沸かしてある、味は好きなの選べ」

一佐はそう言ってダンボールを指差した。
備蓄用の食料、なんて大層な言い方をしたがその正体はカップ麺の詰め合わせである。
味のバリエーションが妙に豊富なのが少し嬉しい。
とりあえず適当に手を突っ込んで、一つ取り出すした。

お湯を入れて、三分待つ。
他の職員はすでに食事を始めていた。
皆、黙々と食べている。

麺を啜る音だけが室内に響く。
もう少し会話があってもいいと思うが……しかし、私も話すような事はあまりないからお互い様だろうか。

そう言えば、一佐以外の職員と個人的な話はしたことが無い。
皆、口下手なのだろうか。

三分が経過し、私もカップ麺の蓋を開けた。
湯気が立ち上り、カップ麺独特のケミカルな匂いが鼻を突く。

私が食べ始める頃には、すでに片付けをして地下に潜る職員たちが出始めた。
一体いつの間に食べ終わったのだろう。

私は熱いものが苦手なので、この手の食べ物にはいつも手を焼かされる。
どちらかと言うと舌を焼かれることが多いのだが。

十分ほどして、私も食べ終わり地下へ向かった。
先ほどの職員たちがすでにキーボードを叩いている。
部屋の奥では、一佐がファイルとにらめっこをしていた。

「何か手伝いますか~?」

「ん……じゃあ、そこにあるファイルに目を通しておいてくれ。もしかしたらお前を送り込むことになるかもしれんからな」

「送り込む?」

「ネットワーク上での捜査も、やはり限界があるからな。お前自分の仕事忘れたんじゃあるまいな?」

「つまり、潜入ってことですか」

「その通り。社内の見取り図は流石に無いが……企業の規模を把握するのは無駄にはならんだろ」

私は一佐と向かい合わせに座り、ファイルに手を伸ばした。
やはり、重さがあるだけに中身も情報が沢山詰まっている。
目を通すと、名だたる大企業から下町の町工場に至るまで様々な企業の情報が記載されていた。

次々とページをめくっていくと、なかなか面白い発見もある。
PCメーカーなどが名を連ねる中、掃除用具やエアコンで有名なメーカーの名前があるのには驚いた。


数時間後、ファイルの中身はだいたい把握し終わった。
ここからは情報の選定に入る。

「一応全部目を通しましたけど……やはり、関わっているのは大きな企業だと思いますねぇ……」

「俺もそう思う。あんな芸当ができるのはやはりスーパーコンピューターでも無いと無理だろうな」

「しかも、かなりの性能が必要ですから……大手で怪しいのは二つほどですかね?」

私は、ファイルから抜き出した二枚の紙を一佐に差し出した。
二枚とも、企業の情報が記載されている。

「ふむ……確かに何かありそうだ。特にこっちが怪しいな」

「所在地は……結構ここから近いみたいです」

一佐に渡した二枚のうち、一枚が戻ってくる。
そこに載っていた企業は、有名な大手電子機器メーカー。
家電から、PC部品まで手広く事業を展開している。

「おまけに……軍用スパコンに関しても一枚噛んでるな。自衛隊と……それに米軍もか」

「これはいきなり当たりかもしれませんねぇ……」

「とりあえず、ここを洗おう。現地の下見も必要だな」

「社員証とかも必要ですかねぇ」

「わかった、用意させよう」

とりあえず、本日はここまでです。
出来れば明日…もしかしたら明後日あたりにまた来ます。

しまった、ミスった……。

>>73の「俺」の部分は「私」の間違いです……。

こんばんは、少し遅いですが投下していきます。

その日は、資料に目を通しただけで業務は終了した。
また、常駐の者だけを残して職員は帰宅していく。

私も今日の仕事は終わりだったが、いよいよやることが見えてきたので自然と気が引き締まってきた。
少し経てば、潜入に必要な物も揃うだろう。

「……久しぶりですねぇ、こう言うの」

そう言えば、組織が消えてからこう言う仕事をするのは何年ぶりだろうか。
勘が鈍っていないか少し不安だ。

「組織……」

そこで、私はふと思い出した。

「そう言えば……軍用スパコンに関わりのある人物が組織に居たような……」

確か、ロシアの技術者だった気がする。
どういった関わり方をしているかまでは聞いたことがないが、これも何かしらのヒントになりそうだ。
幸い連絡先もまだ持っている、近いうちに連絡してみよう。

「おう、呉織。とりあえず社員証に関しては要請しておいた。それと、事前調査に使う道具も頼んでおいたぞ」

地下から上がってきた一佐が、リビングへやって来た。
毎度のことながら、この人の手回しの良さには舌を巻く。

「いつ頃届くでしょうか?」

「社員証は少しかかるようだが……それ以外は明日にでも届けてくれるらしい。作戦に関してはまた日を改めて伝えよう」

「わかりました。それと一つお伝えすることが……」

「なんだ?」

「以前の仕事場の知り合いで、軍用スパコンに関係する人物が一人いるんですが……」

「なに?本当かそれは」

「はい、連絡先も持ってます。コンタクトを取ってみますか?」

「そうしてくれ。もしかしたら何か手がかりが掴めるかもしれん」

「わかりました、数日中には接触出来るかと思います」

「うむ、頼んだ。じゃあ私はもう少し調べ物があるんでな。お前はもう寝ろ」

彼はそう言い残し、また階段を降りていった。
仕事熱心な人である。

私は言われたとおり、もう寝ることにした。
階段を登って寝室へ向かう。

「ふぁ……」

先程まで対して眠くは無かったのだが、寝ろと言われてなんだか本当に眠くなってきた。
人の体は不思議なものである。

ベッドに身を沈めると、眠気はより一層強くなった。
頭がぼんやりとし始め、視界も狭まってくる。

「……おやすみなさい」

そう呟いて、目を閉じると私の意識はどんどんと遠のいていった。

そして、二日が経過した。

「どうだ、具合は良いか呉織」

「えぇ、サイズもピッタリですし通信感度も良好です~」

私は薄緑のツナギに、右手にブラシ左手にバケツ、そして野暮ったいメガネと言った格好で車に乗っていた。
乗っている車も、この間の一佐の車とは打って変わって真っ白な軽バンである。

「しかし、なかなか古典的な変装ですねぇ。大丈夫でしょうか」

「結構似合ってるぞ、それ」

つまり、清掃員に変装して会社の様子を探ると言う作戦である。
今乗っている軽バンも、れっきとした防衛省の公用車だ。
ご丁寧に架空の清掃会社のロゴも入れてある。

「いいか、今回はあくまで偵察が主目的だ。無理はするなよ」

「もちろんです、それにしても……雰囲気出てますねぇ、この服と言い車と言い……」

「道具一式を借りに行ったら、技研の奴ら『五年ほど使ってる感じを出しました』なんて抜かしやがった。いやはや……」

確かにツナギは綺麗に洗濯はされているけど、どこかくたびれた感じがあるし少し解れていたりする箇所が散見された。
技研の人たちの仕事の丁寧さ……と言うかここまで来るともはや執念すら感じる。
おかげで私は防衛省の諜報員から見事に三十代のパート清掃員に化けることが出来た。

「通信回線は常に開いている、いつでも連絡しろ。あ、そうだそれと……」

一佐は助手席に置かれたカバンをまさぐって、数個の小さな機械を取り出した。
見た目はなんだか仕掛け爆弾のようにも見えるが……。

「これを目立たないところに仕掛けてくれ。できれば施設全体にまんべんなく」

「何ですか、これ?」

「グランドソナーって言うんだが、建物に仕掛けると音波によってその構造をある程度知ることが出来るらしい。
それに、人間の足音を拾って人の動きをモニターすることも可能だそうだ。試験中の装置だが、使えるかと思ってな」

「本当に映画みたいですねぇ」

「私も若い頃、この手の映画をよく見てたもんだ……っと。よし、到着したぞ。うまくやれよ」

「では、行ってきます~」

私が車を降りると、軽バンはすぐに走り去った。
会社の出入り口前で少し待っていると、すぐに一佐の通信が入ってきた。

「こちら指揮所、呉織聞こえるか」

「はい、こちら呉織。通信異常なしです~」

「よし、そのまま中に入れ。受付の様子も探るんだ」

「了解です~」

さすが大企業だけあって、エントランスも清潔感があってとても広い。
こんな空間にヨレヨレのツナギを着た女が居る、と言うのは逆に注目を浴びそうな気もするが……。

とりあえず会社の深部を目指すため、奥へ進む。

「あ、あの申し訳ありませんが……」

「はい~?」

受付嬢が私を呼び止めてきた。
やはり、いきなり中に入るのは無理か。

「この会社の関係者の方ですか?」

「いえ、清掃会社からやって来ました~。今日はここの清掃の業務がありまして~」

「では、こちらの方に記名をお願いしたいのですが……」

そう言って、受付嬢はボールペンと署名用紙を差し出してきた。
馬鹿正直に本名を書くわけにも行かず、私は適当に偽名を書き込んだ。

「えぇと……田中光子さん、ですね」

「はい~」

「ではこちらが入場許可証です、見えるように付けてくださいね」

「どうも~」

渡された許可証を首から下げて、私は建物の奥へと進んでいった。
見た感じは普通の会社だが……。

とりあえず本日はここまでです。
また明日くらいに現れます。

おつです

>>94
どうもです~

どうもこんばんは、投下していきます。

掃除をしているフリをしながら、会社の中を移動する。
歩きまわっていると、だんだんと建物の構造がわかってきた。

建物自体はどこにでもあるシンプルなオフィスビルだ。階数は三十ほど。
中心にはビル全体を貫くようにエレベーターが設置され、その周りに様々な区画が置かれている。
例えるなら、海苔巻きを縦にしたような建物……とでも言っておこうか。

「呉織、聞こえるか」

「……はい、大丈夫です」

「どうだ?うまく仕掛けられそうか?」

「だいたいこのビルの基本的な作りが把握できました。建物中心部のエレベーター付近に仕掛けるのが良いかと……」

「エレベーターか……他に階段とかは無いか?」

「何か問題が?」

「エレベーター付近に仕掛けた場合、モーターの駆動音でノイズが出る可能性がある」

「そうですね、階段は……建物の隅に二箇所、ちょうど対角線状に配置されています」

「うむ……なるほど、そこにも仕掛けよう」

「わかりました」

私は、服の中に忍ばせたソナーを手に移動を開始した。
まず建物の中心となる十五階のエレベーターホールに一つ。
その後、一階と三十階のエレベーターホールにも一つずつ設置する。

「さて、次は階段ですね」

私は建物の隅にある階段に向かった。
こちらも建物を貫くように一階から三十階を結んでいる。

七階と二十一階の階段踊り場にソナーを設置、反対側の階段も同じように仕掛ける。
エレベーターに三個、階段に四個の計七個、これで設置は完了である。

しかし、私は何か違和感を感じていた。
なんと言えば良いのか、うまく行きすぎているような……。

……いや、失敗するよりはよっぽど良いか。

「一佐、聞こえますか」

「こちら指揮所、終わったか」

「設置完了しました。撤収します」

「了解、今迎えに行く。建物正面に到着したらまた連絡する」

「わかりました」

私は再び受付へ向かい、入館許可証を返却して外へ出た。
外にはすでに軽バンが停車していて、一佐が手招きしている。

私は後部座席のスライドドアを開けて中に乗り込んだ。

「お疲れさん、うまく行ったか?」

「えぇ、なるべく均等に配置しましたが……」

「装置がうまく作動するかは後にして……どんな感じだった」

「そうですねぇ……やはり普通の会社と言った感じでしたが……」

「うーむ、ここまで何も無いと逆に拍子抜けだな……」

「まぁ、失敗より良いんじゃないですか~?」

「……そうだな、とりあえず戻るぞ」

車はそのまま走り続け、そのまま本部へと到着した。
私は車をそのまま降りたのだが、一佐は一旦市ヶ谷へ行って服や車一式を返却してくると言ってまた走り去ってしまった。

仕方がないので私は家に入って、リビングのソファに腰掛けた。
今になって疲れがどっとやって来る。

「はぁー……確かに、機密を扱うにしては少しお粗末過ぎますねぇ……」

あの時、感じた違和感は一体何だったのか……。
出来れば私の思い過ごしであって欲しいがどうにも引っかかる。

仮にも軍用の技術開発に関わる企業だ、もう少し警備が厳しくても良いのではないか?
それとも、本命は別の場所?

「……うーん、わかりませんねぇ」

本命と言っても、あの会社の社外施設なんてどの資料にも載っていなかったし……。
まさか地下に隠してるわけでもあるまい。

まぁ、内部の詳細な構造がわからない現在はどんな考えも推測の域を出ない。
まずは構造を解析する必要がある。
それまで気長に待つことにしよう。

そして、夜になった。
今日は全員が地下室に残り、その時を待っていた。
一台のパソコンに、注目が集まる。

「えーと、システムの調整及び同期は完了しました。後は起動を待つだけですね」

「うむ、うまくいくと良いが……」

パソコンの前では、情報捜査担当の職員と一佐が話し合っていた。
私はあまりパソコンに強くないので彼らが何を言っているのかよくわからないが、とりあえず事は順調に進んでいるらしい。

「呉織、仕掛けた場所をもう一度教えてくれ」

「まず一階、十五階、三十階のエレベーター付近に一つずつ。七階と二十一階の階段に二つずつですね~」

「確かだな?」

「はい~」

「どうだ?」

一佐が職員に尋ねると、彼は軽快にキーボードを叩く。

「……計七ヶ所、シグナルは正常です。全てモニター出来てます」

「よし、大丈夫だな……」

静まり返る地下室に、時計の音だけが響く。時計を見ると針は二十三時を指していた。
退社時間はとっくに過ぎたはず。もうそろそろ人もいなくなった頃だろう。

「……始めるか」

「わかりました」

職員がまたキーボードを叩く。そして彼は最後にエンターキーに指を置いた。

「いつでも行けます」

「うむ。では、ソナーをアクテイブに。探針音打て!」

「ソナー、アクテイブ。ピンガー打ちます!」

職員がエンターキーを押した。
同時にモニター上に表示されたビルの内部構造が作り上げられていく。

「現在の状況は」

「測定に問題はありません。もう間もなくで完了すると思います」

少しして、モニターに3Dの会社ビルが現れた。
測定が完了したらしい。

「測定完了しました。全ソナー、正常に動作しています」

「おぉ……」

「ハイテクですねぇ~」

部屋のあちこちから驚嘆の声が上がる。
音波を使うだけで、ここまで精密な三次元の見取り図が出来るなんて、やはり驚きを隠せない。

「よし、じゃあ次は……モードをパッシブに切り替えろ」

「はい。モード、パッシブ。……来ました、モニターに出します」

見取り図の中に、赤い点と青い点が現れた。
赤い点はビルの中をぐるぐると巡回している。

動きから見ると、これは警備員?

「これは?」

「現在施設内にいる人物の動きです。赤が移動中、青はその場に留まっている奴ですね」

「うーむ、試験段階と聞いたがまさかこれほどの物とは……」

最新技術を前に、一佐もただ舌を巻く。

施設内には赤い点が二つ、青い点が複数ある。
恐らく警備員が巡回していて、何人かが残業でもしているのだろう。

建物の構造のみならず、人の動きまでもモニターすることが出来るとは。ますます驚きだ。

「とにかく、これで中の構造図が手に入ったな」

「えぇ、次はどう潜入するかですけど……」

「作戦の立案はお前がやってくれ。必要な物があれば用意する」

「まずどこに何があるかを把握しないと……あれ?」

「どうした」

「……なんか変です、この建物」

「どういうことだ?」

「ほら、見てくださいこれ」

私はモニターに指をさし、一階から順に階数を数えていく。

「二十九……三十……三十一」

「……三十一?」

「階数表示は三十まででした。これじゃ数が合いません」

「なんだこれは……」

「……どこかに、隠された階があるようですねぇ」

違和感の正体はこれか……。

なんにせよ、この会社がクロであることは確定したも同然である。
階数表示を偽ってまで隠したいものがある、と言うことだ。

とりあえず今回はここまでです。
ではまた明日頃に。

どうもこんばんは、投下していきます。
でもあまり進んでないです……。

「いきなり大当たりとはなぁ……」

「ソナーは最上階についていて、十五階は数字通り……ということは十五階から三十階にのどこかに隠しフロアがあるわけですねぇ」

「さらなる調査が必要だな……こりゃ何が出るかわからんぞ」

「とにかく構造がわかったのは良いとして、もっと情報が必要ですね」

「警備システムやエレベーターの運行システムに潜り込めれば、何か分かりそうだな」

「その辺りは情報班にお任せします。とりあえず私は二回目の潜入に備えましょう」

「そうしたほうが良い。ちょうど技研から新しい道具を借りてきたところだ、明日調子を見てくれ」

「了解です~」

「あぁ、それと例の技術者の件だが……」

「これから連絡を取ります、いつごろ会えるかはまだわかりませんが……」

「わかった。後は我々の仕事だ、お前はもう休んでていいぞ」

「はい~」

階段を上がって、一階へ向かう。

私は携帯電話を取り出して、ある番号を打ち込んだ。

「……出ますかねぇ」

呼び出し音が、何回も繰り返される。
また日を改めて連絡しようかと、通話終了ボタンを押しかけた時、呼び出し音が止まる。
直後に眠そうな声が聞こえてきた。

「……はい、もしもし。どちら様」

「私です、あぎりです」

「あぎり……あぁ、呉織あぎり!君か、久しぶりだな。何年ぶりになるか……」

「えぇ、お久しぶりです博士」

電話の向こうで声を弾ませた彼、私は「博士」と呼んでいる。
技術者で、私達が「組織」に居た頃装備面で支えてくれた人物だ。
元々は、ロシア対外情報庁に勤務していた諜報員でもある。

「それで……一体どうしたというのかね」

「実は、博士にお聞きしたいことがありまして。出来れば数日中に会えないかと思いまして……」

「私にか?……何が起こったんだ」

「それについては、お会いした時にお話します。とにかく今、博士の協力が必要なんです」

「うぅむ……それはそうと君は今どこに居るのだね。私は今モスクワなのだが」

「東京です。迎えの者を送りますか?」

「いいや、その必要はない。東京だな……目処が立ったらまた連絡する」

「ありがとうございます」

「今かけてきている番号に折り返せば良いのかね?」

「はい、私の携帯に直接つながりますので」

「では、なるべく早く支度しよう。会えるのを楽しみにしているよ」

「えぇ、私もです博士」

「それじゃあ、また後で」

「……はい」

電話が切れる。
私はため息をついて、ソファーに身を預けた。

元「組織」の人間と会うのは、一体何年ぶりになるだろう。
組織が解体された後、メンバーは全員バラバラになった。
博士と私のように連絡先を未だに把握しているような関係のメンバーはほとんど残っていないだろう。
皆、それぞれの国でそれぞれの国益を守るために働いているのだろうか。

「……懐かしいですね」

とりあえず本日はここまでであります。
それではまた今度。

こんばんは、今回は割りと進みました。
早速投下していきます。

彼と出会ったのはいつだっただろうか。
あれは確か、ずっと前。私達があの学校に通い始めるよりも前のことだ。

彼は、ソーニャと一緒にロシアからやって来た。
当時の二人に対する印象といえば、よく喋る陽気なロシア人と、逆に無口な少女といった感じだった。

そう言えばソーニャがよく喋るようになったのは学校に通い始めてからだったっけ。

……やはり、あれから十五年も経ったなんて今でも信じられないでいる。
頭では理解している。ソーニャは死んだと。
もう帰ってくることはないと。

でも、体が本能的にそれを拒んでいるのかもしれない。
ソーニャの死を拒むことで、私は自分の心を守ろうとしているのか。

もしソーニャの死を受け入れたら、私はどうなってしまうのだろう。
それがわからないから、怖い。

いっその事、狂ってしまえば楽になれたのかもしれない、なんて。

「流石にそれは無責任、かな」

そうだ。
私なんかより、ソーニャの死に打ちひしがれた人がいる。

それでも彼女は、逃げずにそれを受け入れた。
少なくとも私にはそう見えた。

彼女の名は、折部やすな。

ソーニャの、友達だった人。

「……今、なにしてるんでしょう」

ソーニャの死を、彼女に伝えたあと。
私達はなんだか疎遠になった。

お互い、ソーニャの事を思い出さないようにしていたのかもしれない。
私達の間にはいつもソーニャが居たから。

結局、私はその後しばらくして普通に卒業する事になった。

学校を去る時、私達は最後に少しだけ言葉を交わした。
何を話したか、記憶が少しおぼろげだが……多分、そこで私達は決定的に進む道が別れたのだ。

だから、そこから後のやすなさんが歩んだ道を私は知らないし、彼女も私の事なんか知ったことではないだろう。

彼女の時間は、あれから一体どのように進んでいったのか。
……どうやって、踏ん切りをつけたのか。

「……少し、疲れました」

大きくため息を着くと、一緒に力も抜けていった。
体が、ソファーに深く沈み込む。

「ソーニャ……」

ぼんやりと、天井を見つめて彼女の名前を呟いた。
今の私を見たら、彼女はなんて言うだろう。

私は目を閉じて、ゆっくりと呼吸をする。
少しざわついていた頭が、だんだんと活動を停止していった。





その日は、学校の体育館にあらゆる人達が集まっていた。

在校生や卒業生、その家族たち。
その脇には机を並べて教職員に地元の議員が偉そうに座っている。

今日はいわゆる、卒業式。学校にとっての一大イベントだ。

卒業証書の授与は既に終わり、式のプログラムも終わりにだんだんと近づいてきた。
私の周りをちらりと見てみると、涙を流す生徒が散見される。

私はと言うと、特に泣きも笑いもせずひな壇に突っ立っているだけだった。
思い出、なんて言うほど上等なエピソードも持ち合わせず、同級生に特に友人など居ないのを考えれば当然だろうか。

また、自分を隠す場所が変わるだけなのだから。

でも、一つ気がかりなことといえば……。

私は壇上から、彼女の姿を探した。

「……あ、いた」

体育館の中央付近に、彼女は座っていた。
両手を膝に置いて、こちらを見つめている。

もしかして、私のことを見ているのだろうか。

私は小さく、手を振ってみた。
すると、彼女も小さく手を振り返してくれた。

式が終わり教室へ戻ると、他の生徒は写真を撮ったり、寄せ書きをしたり、アルバムを見たりしている。

私は一人席に座って、窓の外を眺めていた。
風が強く吹いているようで、桜の花びらが舞い上がっているのがよく見えた。


最後のホームルームも終わり、だんだんと教室から人が減っていく。
でも、私は相変わらず自分の席に座ってぼんやり外を眺めていた。

とうとう教室からは誰もいなくなった。
人のいない教室は、なんだかいつもより広く見える。

私は席から立ち上がって、黒板へと歩みを進めた。

黒板には、チョークで描かれたポップなデザインの文字やイラストが描かれ、
「卒業おめでとう!」の文字が中心にどっかりと居座っている。

これを描いた人たちは、一体どれほどの思い出をこの文字に込めたのだろう。

なんとなく、私もチョークを手にとって何か書いてみようかと思ったけど。

「……やめましょう」

特に書くことなんか何もなかったので、私はすぐにチョークを元に戻した。
少し粉っぽくなった指先を見つめる。

「あぁ、そう言えば……」

思い出、と言うならばあの場所があった。
私の少ない思い出が詰まったあの場所。

私は教室を出て、校舎の端へと向かった。

いつも通り変わらない夕日が、廊下を照らしている。

しばらく歩くと、一つの空き教室が見えてきた。
教室の前には、跳び箱やダンボールが乱雑に積み上げられている。

「……変わりませんねぇ」

この学校で、あの二人に出会った場所。
私は扉を開けて、中に入る。

すると、窓際に佇む人影があった。

「……やすな、さん?」

「……あぎりさん」

彼女が、こちらに向き直る。
ふわっと小さく舞い上がった栗色の髪が、夕日に反射してきらめいた。

「来ると思ってましたよ、あぎりさん」

「……何してたんですかぁ?」

「あぎりさん、卒業しちゃうから……最後に少しお話がしたいなって思って」

そう言って、彼女は少しだけ微笑んだ。
彼女は再び視線を窓の外に向け、懐かしい記憶に思いを馳せる。

「そう言えば、あぎりさんと初めて会ったのってこの教室でしたよね」

「そうでしたね~、あの時は「変わり身の術~」なんてやったの覚えてますよ~」

「結局、幽霊の正体はあぎりさんだったんですか?」

「さぁ~、どうでしょうね~?」

「ちょっ、そこはウソでもそうだって言ってくださいよ!今になって怖いじゃないですか!」

思い出話に、花が咲く。
クリスマスや、ハロウィンや、運動会。

……そして、彼女の誕生会も。

でも、いつものようなおどけた会話もどこかぎこちないような気がした。

私も、やすなさんも。
彼女の名前に触れるのが、怖かったのだろう。

そのうち会話が続かなくなって、教室に沈黙が訪れた。
風が木々を揺らす音だけが、微かに聞こえる。

両方が口を噤んで、二分ほど経過した頃だろうか。
沈黙を破ったのは、やすなさんだった。

とりあえず本日はここまでということで。
ではまた今度。

こんばんは、少し難航してますが……一応そこそこ進みました。
早速投下していきます。

「……ねぇ、あぎりさん」

「なんですか~?」

「……ソーニャちゃんが死んじゃったのって、去年の今頃でしたっけ」

「……えぇ」

「もう……あれから一年も経っちゃったんだなぁ……」

彼女は窓を開けて、少し身を乗り出した。
春の柔らかい風が入り込んでくる。

「不思議ですよね。一年も経ったのに、まだソーニャちゃんがどこかで生きてる気がするんです」

やすなさんは淡々とした口調で呟く。

「いつか、またどこかで会えるような気がしてしょうがないんですよ」

「……無理ですよ。わかってるはずです、もうソーニャは……」

「そんなの……そんなのわかってますよ……!」

彼女の声が、震えているのがわかった。
窓のサッシに両手をついて、空を仰ぎ見る。

「頭では、理解してるんです……もう会えないって。ソーニャちゃんは死んだって。わかってるんです」

「……じゃあ」

「でも……でも私は……!やっぱりもう一度ソーニャちゃんに会いたい……!」

体の奥底から絞り出すように。
か細く、頼りないけど。
それでも、どこか強い意思を感じるような声で。

「もう一度、遊びたい……バカなことして、怒られたいんです……!」

私だって、と思わず言いかけて。
私は慌てて口を噤んだ。

それを言ってしまったら……。

彼女の声は、いよいよ泣きそうな物に変わっていった。
肩を震わせ、階下を覗き込むような格好で彼女は続ける。

「それなのに……さよならも言えないなんて……!」

「……それが、決まりですから」

「一体誰が決めたんですか!そんなこと!」

振り返りざま、まるで食って掛かるように彼女は言葉を投げつける。
行き場の無い憤りを、私にぶつけるように。

「機密だ、なんだって……そんな理由をつけて、まるで人をモノみたいに……」

「それがルールなんです、私達の……」

「あぎりさんは……あぎりさんはそれで良いんですか……?」

「……考える事は許されない。私達は、常に誰かの所有物……「モノ」として生きるしかない」

「そんな……」

私達は、組織の駒として動くことしか許されない。
求められるのは、思考や人間性よりも。
任務に忠実か、どうか。
それだけだ。

「やすなさんには、理解できないかも知れませんが……私達は、そう言う生き方しか知らないんです」

だから、組織が潰れても。
友人がいなくなっても。
また別の場所で、同じ事をするしかない。

だって、それしか私には無いんだから。

「……違う」

「違いませんよ」

「違う!」

彼女は、語気を強めて私に言う。

「確かに……私は組織のことなんか全然知らないです」

私の眼を、まっすぐ見つめて私に語りかける。

「でも……あぎりさんやソーニャちゃんは、絶対にモノなんかじゃない!」

普段の彼女からは想像できないほどの気迫。
私は思わずたじろぎそうになる。

「……ごめんなさい、こんなことあぎりさんに言っても仕方ないのに」

「……いいえ、そんなことないですよ」

彼女は、とても真っ直ぐだ。
その真っ直ぐさが、私達にとって救いでもあり。
同時に枷となった。

私達の正体を知ってなお、「友達」として接してくれる人なんて今まで居なかったから。

再び、沈黙が訪れる。
開いた窓から流れこむ風が、私達を撫でていった。

「やすなさん。いままで……私なんかと付き合ってくれて、ありがとう」

「あぎりさん……」

「もう……行かなくては」

私は彼女に背を向け、扉へと向かう。
この学校とも、彼女ともお別れだ。


「……最後に、一つだけいいですか」

「……なんですか」

「あぎりさんは、ソーニャちゃんに会いたいって……今でも思いますか」

そんな、わかりきったことを聞かないで。
私の決心が、ぐらついてしまうから。

「……会いたいに決まってるじゃないですかぁ」

背を向けたまま、彼女に返事をする。
向き合うのは、怖かった。

彼女の眼をもう一度見たら、私は……。

「でも、受け入れなくちゃいけないんですよ」

「……」

「……過去ばかり見ていては、生きていけませんから」

彼女に向けたはずの言葉だったが、まるで自分に言い聞かせるような言い方になっていた。
過去は変えようが無いから。

黙って、それを受け入れるしかない。
さもないと、自分の未来が消えてしまう。

「……そう、ですよね」

そう言って、彼女は私を追い越して扉の前で立ち止まった。
彼女が、少しだけ顔をこちらに向ける。

「……もう、お別れですね」

「……やすなさんはもう一年、あるでしょ?」

「あぎりさんたちが居なきゃ、私……」

そこで彼女は、言葉を押し殺した。
その時、彼女はとても寂しそうに俯いたけれど、すぐに顔を上げた。


「……私、あぎりさんたちの事絶対忘れません」

相変わらず、小さな声だった。
だけど、それだけはハッキリと聞こえたのはなぜだろう。

私も何か言おうとして、口を開きかけたけど。
彼女はそれを先回りする。

「さよなら、あぎりさん」

「やすなさん……」

そう言い残して、彼女は教室から去っていった。

私はただ、その場に突っ立っているだけだった。
彼女の足音が、だんだん遠のいていく。

とりあえず本日はここまでです……ていうか日付またいでるし。
ではまた。

どうもこんばんは、早速投下していきます。

それからどれほどの時間が経っただろう。
夕日がだんだんと沈み、空の青はその深みを増していく。
街の灯がぽつぽつと灯り始めた頃、私は教室を離れることにした。

どうして、ずっとその場に留まっていたのか。
私にもよくわからない。

でも、なんだか……もう少しだけここに居たいと言う気持ちがどこかにあった。
ここに何があるわけでも無いのに、どうしてだろう。

「……すっかり、暗くなってしまいましたね」

この教室にかつていた私達。
だけど一人去り、二人去り。
残るは私一人。
そして、もう誰も戻ってくることはない。

また心霊スポットとして誰も寄り付かなくなるのだろうか。

「……さよなら、ソーニャ」

私も、いい加減ここから去らなくては。

「……さよなら、やすなさん」

彼女たちの思い出に別れを告げて。
私は一人、もう誰もいない校舎を歩いて行った。




「……ん」

眼が覚めた。
何か、懐かしい夢を見ていたような気がする。

どうやらソファーに座ったまま眠りこけていたようだ。
一体どれくらい寝ていたのか……。

立ち上がると、何かがはらりと地面に落ちた。
これは……一佐の上着?

寝ている私にかけていってくれたのだろうか。
後で返さなくてはいけない。

時計を見ると、深夜の二時だった。
また中途半端な時間に起きたものだ。
ソファーで寝ていたせいか、少し体が痛い。

「……寝直しですね、これは」

ハッキリしない意識のまま、私は二階の寝室へと向かった。
階段を登る足取りもなんだかおぼつかない。

ようやくベッドへたどり着き、思い切り倒れこむ。
布団をかぶる間もなく、私は再び夢の世界へと引きこまれていった。


朝。
一応きちんとベッドで寝たおかげか体の痛みは無いものの、変な時間に寝たせいでどうも眠気が振り払えない。
顔を洗ってもなお、眠気は私の後ろにずるずるとまとわりついていた。

「眠そうだな」

「一佐……」

私とは打って変わって、一佐はとてもすっきりとした表情で朝食をとっていた。
私より遅く寝たはずなのに、それを全く感じさせない。

「まぁ、あんなところで寝ていれば仕方がないか」

「一佐は昨日、何時頃お休みに?」

「私か?だいたい一時くらいだったかな、よく覚えてないが」

話しながら、トーストにかぶりつく一佐。
やっぱりこの人……歳の割に元気すぎる。

朝食をとってしばらくすると、しつこかった眠気もだんだんと消えていってくれた。
ようやく頭が働き出した感じがする。

さて今日は一体何があるか、と待ち構えていると早速一佐からお呼びがかかった。
どうやら技研からまた新しい装備を持ってきたらしい。

「今度は何ですか~?」

「また新たな潜入用の道具らしい。私も軽く説明を受けただけだが……まずテストをしてくれとのことだ」

一佐が持ってきたのは、一見何の変哲もない普通の靴だった。
さて、今度は一体どんな驚きの機能が仕込まれているのか。

「……靴、ですねぇ」

「……靴、だな」

「これの先からナイフでも出るんですか~?」

「映画の見過ぎじゃないのか……まぁ私もそんな想像していたのだが。どうも昨日のソナーと関連する物のようだが……」

「ソナーとですか?」

「とりあえず履いてみてくれ。合わなかったら手直ししてくれるそうだ」

言われるままに靴を履いてみる。
すると、気持ち悪いほどにサイズがぴったりだった。

……技研の人達はいつの間に私の足のサイズを把握していたのだろうか。


とりあえず本日はここまでであります。ちょっと進むのが遅いですなぁ……。
ではまた今度。

どうもこんばんは、投下していきます。

「サイズは合ってるか?」

「……気持ち悪いくらいぴったりです」

「そ、そうか……うん、わかった」

明らかに一佐も戸惑っていた。
ともあれ、サイズはぴったりなので交換の必要はない。
ごほん、と咳払いをして一佐は装備の説明に入った。

「見た目は普通の靴だが……ソナーが個人を識別できるように特定の波長の音波を放ってる、らしい」

「つまり……IFFですか、これは」

「まぁそう言うことになるのか?」

それにしてもまぁ、こんな普通の靴のどこにそんな仕掛けが仕込まれているのか……。
つくづく、技術の進歩というものは恐ろしい。

「履けばスイッチが入る。これでお前をソナーで追跡可能ってわけだ」

「それはわかりましたが……本当に動いてるんですか?」

「それを今から試験するんだ。今セッティングするから少し待て」

そう言って一佐はキーボードを叩いた。
画面を見ると、四角い立方体が表示されている。
どうやら本部の地下室を表示しているようだ。

そして立方体の中に点滅する緑の点が一つ。

「これが私ですか?」

「うむ、そうだ。認識はできているようだから……呉織、少し部屋を歩き回ってみてくれ」

「はい~」

言われたとおり、私は部屋を適当に歩き回る。
ぐるりと部屋を一周して一佐の元に戻ってきた。

「よし、ちゃんと追跡も出来ている。すぐにでも使えるな」

「それは良かったです。そう言えば……建物の解析はどれぐらい進んだんですか?」

「それがな……割りと難航してるんだ、これが」

「そうですか……」

「セキュリティに潜り込むことは出来たのだが、有効な手がかりは無いな」

「どうするんです?」

「今、別の方法で何があるか探ってるところだ。少し時間がかかるらしい」

「別の方法ですか」

「とにかく、もうしばらくお前には待って貰う必要があるな。今のうちに社員証と服の確認もしておいてくれ」

綺麗に折りたたまれたスーツと偽造の社員証を渡される。
こちらも一見、なんの変哲もない普通のスーツだがこれにも何か仕込んであるのだろうか。

「このスーツには無線がついている。襟のところからイヤホンとマイクが伸びてるのがわかるだろ」

「あぁ、確かに……」

よく見ると、襟の部分から伸びる二本のコードが確認できた。
これなら目立たずに交信することが出来そうだ。

「じゃあ、今から着替えてきます」

「あぁ、わかった」

私は一階の脱衣所で着替えることにした。

スーツを纏ってみると、これまた不気味なほどにサイズが寸分の狂いもない。
本当にどうやって調べたのか……。

イヤホンとマイクも付けて、鏡に向き直る。

「……うん、ちゃんと隠れてますね」

耳につけたイヤホンは、元々目立たない上に私の髪で隠れていて、よほど接近しない限りその存在を知られることは無いだろう。
遠距離ならばまず発見は不可能なはずだ。
マイクは喉に貼り付ける、いわゆる咽頭マイクと言う奴だ。こちらも見つけるのは至難の業だろう。

「呉織ー、聞こえるかー」

「えっ?い、一佐?」

いきなりイヤホンから一佐の声が聞こえてきた。
あまりに突然だったので、私は無意識に辺りを見回してしまう。

「聞こえてるか」

「驚かさないでくださいよ、もう……」

「イヤホンとマイクの調子はどうだ?」

「かなりクリアに聞こえます。そちらはどうですか~?」

「感度良好、問題無し。では交信終了、戻って来てくれ」

「はい~」

私は階段を降りて、再び地下室へと戻る。
一佐はキーボードを熱心に叩いていたが、すぐに私に気がついた。

「おっ、決まってるな。もう誰が見ても立派な社員だ」

「えぇ、見事ですけど……なんで隅から隅までサイズがぴったりなのか気になりますねぇ」

「そこは……まぁ、大目に見てやれ」

こと、この分野に関しては技研の人の方が我々よりも調査能力が高いのではないかと感じる。

ともかく、私の方は準備が整った。
問題は情報がまだ集まっていない、ということだ。
情報不足のまま任務に赴くよりはずっと良いけど……やはり待たされるのは結構なストレスとなる。

私は再び普段着へ着替え、一階で何をするでもなくソファーに座っていた。
ここに来てまた、事態が停滞し始めた感じがする。

「はぁ……」

テレビをつけてみたけど、代わり映えのしないニュースには正直うんざりだ。
辛うじて視聴に耐える物と言えば、無理のあるトリックと大根役者の織りなす三流サスペンスドラマくらいか。
面白いとは言いがたいがとりあえず暇つぶしにはなる。

そして、三十分ほどが経過した。
ドラマもいよいよクライマックス、犯人が崖っぷちに追いつめられると言うどこかで見たような光景が展開される。
主人公がこれから謎を解き明かすそうとしたその時、私の携帯が振動し始めた。

「はい、呉織です」

「あぎりかい、私だ」

「博士?」

「あぁ、チケットが取れたのでな。今大丈夫か?」

「大丈夫ですよ」

私はテレビを消して、博士の話に耳を傾けた。
まだドラマは途中だが、この際そんなものはどうでもいい。

「三日後の飛行機で東京へ向かう。そちらの時間で午後九時くらいになるだろう」

「宿泊はどうなさるんです?」

「宿もちゃんと予約してある。到着の翌日に会おうと思うのだが、どうかね?」

「わかりました、何時頃にします?」

「昼頃でよかろう、一時でどうだ」

「では、その時に」

「うむ、それじゃあな」

電話を切って、報告のために再び地下室へ。
職員たちは相変わらずキーボード素早く叩き、皆忙しそうだ。

一佐はというと、腕組みをしながらホワイトボードを見つめている。

「あの、一佐」

「……あぁ、呉織か。どうした」

「例の知り合いから連絡が来ました。三日後の午後九時に到着するそうです」

「なるほど、三日後か……着いてすぐに接触するのか?」

「いえ、接触は翌日の午後一時です」

「よし、了解した。何か有力な情報が掴めればいいな……」

一佐が再びホワイトボードに向き直る。

「……しかし、本当に奇妙な建物だ」

「なにかあったんですか?」

「いや……別に深い意味は無い。さて、なんとなくだが見えてきたぞ、これを見てくれ」

そう言って、一佐はプロジェクターを起動させた。
ホワイトボードに、建物の全体図が映し出される。
表示された図には、赤青の線が無数に引かれていた。

「これは?」

「社内の通信回線を可視化したものだ。青のラインが外部との通信、赤のラインが社内間での通信を示している」

「それが何か……あっ」

「気づいたか」

無数にある赤と青のライン。
しかしラインがどこにも伸びず、またどこからもアクセスの無いフロアが一つだけある。

「このフロア、ラインが一本もありませんね」

「そうだ……外部ネットワークと完全に遮断されているのはこのフロアしか無い」

階数表示を見ると、そのフロアは二十階と二十一階の間に存在していた。
ここが隠しフロアらしい。

「それに、このデータからも隠しフロアの位置が割り出せた」

次に表示されたのは、棒グラフだった。
どうやら、エレベーターがどの階に何回停止したかを表しているらしい。

「その遮断されたフロアと同じ場所だが、計測を開始してから一回もエレベーターが停止していない」

「このグラフはどうやって導き出したんです?」

「エレベーターの運行システムに潜りこんでな。ソナーからの情報ともすり合わせてあるから、かなり信頼度は高いはずだ」

「となると……やはり何かあるのは確定ですね」

「問題は中に何があるかって話なんだが……」

「そこにスパコンが存在するなんてことは……」

「可能性はあるが、現段階で断定は出来ない」

「やはり潜入ですか……」

しかし、どうやればそのフロアへ足を踏み入れることが出来るのだろうか。
恐らく階段も繋がっていないはず。
そもそも人間が立ち入れるのか?

というわけで本日はここまでです。
今更だけどいろいろコメントもらえてとても嬉しいです、感激です。
ではまた今度。

おそらく技術研究本部だろうが
略称は技研じゃなくて技本だ

>>197
言われて気が付きました……修正してきます。

どうもこんばんは、投下していきます。

「まさか外から大穴開けて強行突入、とか嫌ですよ」

「……それほどではないが、もしかしたら少し荒っぽい方法に頼るかもな」

「はぁ……」

「安心しろ、流石に銃撃戦とかは無いだろうから」

「とりあえず……侵入方法がわからない限り身動きが取れませんね」

「エレベーターやセキュリティの解析も進んできている。明日中には突き止めたいと思ってるが」

「それまで私は待機ですか……」

出来れば、博士に会う前に潜入して情報を手に入れておきたい。
順調に行けば良いが、果たして間に合うかどうか……。


それから更に数時間。
結局その日は、それ以上の情報を手にすることは出来なかった。
数人の職員を残し、他の皆はそれぞれの家へと帰っていく。

夕食をすました後も、一佐達はパソコンとのにらみ合いを続けていた。
私はその横で、博士に渡す資料の整理を行っていた。

今まで集めた情報を紙にすると、結構な量に膨れ上がった。
流石にまるごと渡すわけにはいかないので、要点を完結にまとめた文章になるよう編集し直す。
膨大にあった資料も、なんとか封筒一枚に収まる量にまとめる事ができた。

「……こんなところですかね」

思ったより作業は楽に済んだ。
これで博士と会う準備はほとんど完了したことになる。
もし何か追加する情報が出れば、新しく資料を追加すれば良い。

自分の仕事が片付いたので、もう今日は早めに寝ることにした。
浴室で体を洗って、二階へ上がる。

ベッドに寝転がると、布団が私を柔らかく受け止めてくれた。
そのままの体勢で、長めに息を吐く。
体からだんだんと力が抜けていき、思考が鈍くなる。

博士と会ったら何から話そうか、なんて考えてみたけど。
結論が出る前に私の意識は失われていった。


それからの二日間は、拍子抜けするくらいトントン拍子で事が進んでいった。
情報班の必死の調査により、隠しフロアへ繋がるルートが発見されたのだ。

そして、そのフロアに何が存在するかの大体の見当もついたらしい。

「……と言うわけだ、呉織」

「本当に……情報班の方々には頭が下がりますね。まさか二日でここまでやるなんて……」

私はホワイトボードに映し出された情報を前に、ただ脱帽するしか無い。
特に隠しフロアに何があるのか見当がついた、と言うのは非常にありがたかった。
これで作戦も立てやすくなる。

「しかし、フロアごとの電力消費量をヒントにするとは……私も優秀な部下を持ったものだ」

「それで、このフロアには……」

「あぁ、大規模なサーバールームがある可能性が高い。空調の稼働時間や電力消費からもそれが読み取れた」

「冷却に使用されてるってことですか」

「そうだ」

建物の見取り図を、画面上でぐるぐる回しながら一佐はさらに説明を続ける。

ちょっと短いけど、本日はここまでです。
ではまた今度。

どうもこんばんは。
では投下していきます。

「フロアへの侵入は、中央のエレベーターから行ってくれ。人目が多いから気をつけろ」

「エレベーターですか」

「あぁ、どうも階数ボタンに隠しコマンドがあるようだ。これに関しては潜入した時に無線で直接指示する」

「隠しコマンド……そんなものが」

「まぁ、ざっとこんなものだ。それでお前にやってほしいことはだな……」

一佐はポケットから何やら小さな機械を取り出した。
よく見ると、USBメモリのような形をしている。

「これをサーバーに差し込んで来てほしい」

「なんですか、それ」

「小型の無線通信端末だ。外部から遮断されてる以上、直接回線を開かねばならないからな」

「……なんだか、ちょっと頼りない見た目ですねぇ」

「そう言うな、作戦の成否を左右する重要な端末だぞ。扱いには注意してくれ」

とにかく、これで作戦の準備がほとんど出来上がった。
あとは決行を待つのみである。


その日の夜は全員が地下室に残り、潜入のための最終調整に入っていた。
情報に間違いは無いか、回線の確認、装置の動作確認等々、やることがたくさんである。

私も例のスーツを着込んで、無線や靴の動作の確認に協力していた。
特に問題もなく、作業は順調に進んでいく。

「……無線の動作も問題なし、と」

「呉織、チェックは済んだか?」

「今ので全て終わりました。動作異常なし、今からでも行けますよ」

「そうか、ならもう休んでて良いぞ。体力を温存しておけ」

「しかし、まだ一佐達のお仕事の手伝いとか……」

「気にするな、お前はまず自分の仕事だけ考えてろ。ほら行った行った」

「そうですか……では、お先に失礼します~」

私は昨日と同じようにお風呂に入ってさっぱりした後、すぐに寝室のベッドに寝転がった。
でも、なんだかそわそわして眠れない。

潜入は明日だ、一佐の言うとおり早めに寝て体力を温存しなければいけないのだが。
なんだか逆に目が冴えてくる気さえする。

ベッドの上を転がる度に、中のバネがギシギシと音を立てる。

準備は万端、装備も異常なし。自分でもそれをきちんと確認した。
心配する要素はほぼ皆無のはずなのに、根拠の無い不安がジッと私の中に居座っている。

「……んぅ」

少しでも寝やすい体勢を探すため、私はベッドの上で静かにのたうち回る。
でも、結局は普通に仰向けになったほうが一番楽なのに気がついた。
しかし、それでも不安は私の中から出て行ってくれない。

一体何が不満?
自問してみたところで、答えが返ってくることはない。

年を重ねたせいで、心配性にでもなったのだろうか。

私はジタバタするのをやめにした。
不安が消えるわけではないけど、無視する事はできるはずだ。

呼吸にだけ意識を集中させ、他は何も考えない。
するとどうだろう、だんだん頭の中がふわふわと軽くなってきた。

先程まで頭を駆け回っていた思考の波も、だんだんどろりとしてくる。
同時に意識も削られていき、私の電源がオフになろうとしている。
 
失われていく意識とは逆に、ある種の恍惚感が私の体を支配していく。

あぁ、何も考えないってこんなに気持ちよかったんだっけ……。
ゆっくりと、私の意識と感覚が混ざっていく。


願わくば、ずっとこの感じに浸っていたい。
明日なんか、来なければ……なんて。

そんな馬鹿なことを考えながら、私の意識はもっとずっと深いところへと。
ずるずると、引きずられていった。

本日はここまでであります。
では、また今度。

どうもこんばんは、投下していきます。

翌日の午前。

私は再び例の会社の前に立っていた。
しかし前回の野暮ったい格好とは打って変わって、今回はスーツをきっちり着こなしたキャリアウーマン風の格好である。

「あー、こちら指揮所。呉織聞こえるか」

「はい、感度良好です」

「よし。では作戦開始、やるぞ」

「……了解」


私は会社の中へ歩を進めた。
広いエントランスには、忙しそうに歩く社員の姿が見て取れる。

私は受付に社員証を掲げて見せ、堂々と中へ入っていった。

「社内、入りました」

「……よし、ちゃんと追跡できてる。まず二十階に向かうんだ」

「了解」

指示通り、私はボタンを押してエレベーターを待つ。
気が付くと、後ろには列ができていた。
結構な人数が、私の後ろにずらりと並ぶ。


「……遅いですねぇ」

だいたい一分が経過した。
しかし、待てど暮らせどエレベーターは来ない。
その間にも、後ろの人だかりは膨れ上がっていく。

エレベーターが今何階にいるのか確認しようにも、階数表示が無いためただ待つしかやりようが無い。
列の後ろからも、「まだか」「遅いな」と不満の声が漏れ始める。

いっそ階段で上がろうか、と考え始めた時。
エレベーターから小気味よいベルの音が鳴った。

それと同時に、エレベーターから人が溢れだした。
乗ろうとする人、降りようとする人で辺りはごった返す。

人波に揉まれながら、なんとか私は乗り込むことが出来た。
しかし、降りる人達をやり過ごしたと思ったら今度は乗る人達の波に私は押しつぶされる。

散々待った挙句、乗れないのはたまらんとばかりに隙間を見つけてはその身を滑り込ませてくる人の群れ。
エレベーター内の人口密度は一気に上がり、遂には重量オーバーを知らせるブザーが悲鳴をあげる事態にまでなった。
入口付近に居た人達が、不承不承と言った感じで外へ出る。

やっと動き出したエレベーターだが、重量ギリギリまで人が乗っているためか動きが少し鈍い気がする。
そして人の体温のために中は蒸し暑くなり、階数とともに不快指数も上昇していく。
この状態で二十階まで行くのか、と考えると少し気が滅入った。


エレベーターはものの数十秒で二十階に到着した。
しかし乗り込む時下手に先頭に居たため、人をかき分けるながら降りる羽目になる。
やっとの思いで外へ出て、私は思わずため息をついた。

「到着したようだな」

「は、はい……」

間髪入れずに一佐から無線が入る。

「少し待て……よし、エレベーターのコントロールを奪ったぞ。あと三十秒で到着する」

「了解」

一佐の言葉通り、ちょうど三十秒が経過したタイミングで到着のベルが鳴った。
扉が開くと同時に私は中へ滑り込み、すかさず操作パネルの閉ボタンを押す。
向こうから走ってくる人の姿が見えたが、彼が辿り着く前に扉は静かに閉じられた。

「乗り込んだな、これから言うとおりにパネルを操作しろ。しくじるなよ」

「了解です」

「まず一階と三十階を同時に三回。その後二十階を五回、最後に七階と四階を同時に二回押すんだ」

言われたとおりに、パネルのボタンを操作する。
両手を使ってエレベーターの階数ボタンを押すというのは、なんだか慣れない。

指示通りの入力をし終わると、エレベーターは勝手に動き出し一つ上の階で停止した。

扉が開く。

私の目の前に広がった光景は、ここは本当に同じ建物の中なのかと疑いたくなるようなものだった。
室内は照明が少なく、とても薄暗い。
サーバーの冷却ファンの音だろうか、低く静かな駆動音だけが響いている。
冷却用の空調から流れてきたであろう冷気が、私の全身を包んだ。思わず身震いしてしまう。

冷たい空気、薄暗い室内。
明るく清潔感あふれるエントランスなどからは全く想像できない。

「呉織、始めろ。五分……いや三分で済ますぞ」

「はい。では指示を願います」

今日はここまでです。
ではまた今度。

どうもこんばんは、結構間が空いてしまいました。
では投下していきます。

「わかった。まず……USBポートのあるサーバーを探すんだ」

室内を歩くと、タイルカーペットの床がくぐもった足音を響かせる。
異常に冷えた室内の空気が、私の全身を撫でながら後ろに流れていくのがわかった。


薄暗く広いフロア一面に、等間隔で並べられたサーバー。
一つ一つが柱のように、静かにその場に直立している。
サーバーに埋め込まれたLEDから放たれる、グリーンやオレンジの光はなんだか夜景のよう。

「……なかなか、無いものですねぇ」

一つずつ、サーバーを確認しながら室内を右へ左へと歩き続ける。
しかし意外とUSBポートが見つからない。

「おい、どうした。もうすぐ三分経つぞ」

一佐がはやくしろとばかりに無線を飛ばしてくる。
しかし、そう言われても見つからないものは見つからないのだ。

「時間が押している、流石にもう怪しまれる」

「今探してます、もう間もなく……」



流石に三分は無理か、と思った瞬間。
ふと視線を向けた先に、USBポートが一つだけあった。

「一佐、ありました」

「本当か。よし、さっさと挿しこんで戻ってこい」

私はポケットから素早く端末を取り出して、すかさずUSBポートに挿しこんだ。
ポートの上のLEDがグリーンからオレンジに変化する。
ちゃんとサーバー側から認識されたらしい。

「終わりました、撤収します」

「了解、早く出てこい。お疲れさん」

私は一目散にエレベーターに駆け寄った。
乗り込むや否や扉が閉まり、エレベーターが動き出す。

「ちゃんと認識されたか?」

「それも確認出来ました、大丈夫です」

「そうか……今回は少しヒヤヒヤしたぞ」

エレベーターはなおも下降を続ける。
少しだけ弱まった重力が、私の感覚を僅かに狂わせた。

一階へ到着し扉が開くと、再び人の群れが押し寄せてくる。
私はそれをするりとかわし、エントランスへ向けて歩き出す。

もうすぐ外に出る、といった所で。

「あ、あのっ!」

誰かから、強く呼び止められた。
嫌な汗が体を伝っていく。

気づかれた?
まさか、そんなはずは……。


恐る恐る振り返ると、一人の小柄な女性が立っていた。
皆がスーツを着て歩く空間の中、一人だけ私服に白衣という場違いな格好をしている。

肩口まで伸びた栗色の髪、そして四角い黒縁メガネの中にある可愛らしい瞳。
この目の持ち主を、私はどこかで見た気がする。

そう、あの卒業式の日に。

「もしかして……あぎりさん……」

「やすな、さん……?」

「やっぱり!あぎりさんなんですね!」

彼女の顔が、ぱぁっと明るくなる。

そうだ、間違いない。
彼女は折部やすな。

十五年前に、離れ離れになった三人のうちの一人。

でも、どうして彼女が……。

その時、ポケットに入っていた携帯電話が振動し始めた。
私は彼女に断りを入れて、通話ボタンを押す。

「はい、もしもし」

「私だ。どうした呉織、何があった」

「一佐?すいません、昔の知り合いが……」

「知り合いだと?なんだそれは」

「想定外でした……でも、工作について気づいている様子はありません」

「なら良いが……」

「……もしかすると、彼女から何かしらの情報が得られるかもしれません。少しお時間を頂きたいのですが」

「うーむ……わかった、とにかくお前の判断に任せる。何かあったらまたすぐ連絡しろ、いいな」

「はい、では」

私は電話を切って、再び彼女に視線を向けた。
見れば見るほど、十五年前の彼女とは違った雰囲気を感じ取れる。

騒がしいはずのエントランス、二人の間に、微妙な間が生まれた。
彼女も、私のことをまじまじと見つめてくる。

「……あの」

「えっ、あっ……な、なんですかあぎりさん」

「やすなさんは、ここで何を……」

「私も、ここの社員なんです!もう……十年位前からですけど」

「そうだったんですか~」

「あぎりさんこそ、いつこの会社に?全然気が付きませんでしたよ!」

「そうですね~、最近転職してきたばかりで~」

適当に話を合わせながら、私は会話を続ける。
やすなさんは、立ち話もなんだからと私を食堂へ連れて行ってくれた。

食堂は、お洒落なコーヒーショップのような雰囲気が漂っている。
市ヶ谷駐屯地の大衆食堂のような空気とは真逆である。

窓際の席に、二人で向かい合って座る。
昼前の強い日差しが少しまぶしい。

「それにしても……本当に驚きました、私。あぎりさんがここにいるなんて……」

「私も驚きました~。やすなさんは、どんなお仕事してるんですか~?」

「まぁ、研究職……としか言えないですね。これ以上は守秘義務で……」

「すごいじゃないですか~。私はまだ雑用なんかですよ~」

コーヒーを啜りつつ、私達は世間話に花を咲かせる。
彼女は、これまでの自分の話をしてくれた。

高校を卒業してから、どういう生活をしてきたのか。

「大学へ行って……そこからこの会社に来たんです。それからはずっとここで」

「……あの頃からは想像できませんでしたねぇ、やすなさんが研究職だなんて」

「あぎりさんは……どうしてここに?」

「そうですねぇ……いろいろ仕事を転々としてました。数年勤めて次の場所へ、って言う感じで」

もちろん、口から出任せだ。
でも、彼女はそれを疑うこと無く受け入れた。

なんだか少し、後ろめたい気持ちになる。
でも、真実を彼女に話した所でどうにもならないのも、また事実。

いつかのような、おどけた会話。
一緒に存在した、ぎこちなさも。
あの時と、一緒だ。

今日はここまでです。
まだ終わりが見えない……。
ではまた。

どうもこんばんは、投下していきます。

会話と会話の間。
唐突に沈黙が訪れる。

その沈黙を破ったのは、またしても彼女だった。

「……十五年、ですか」

「……早いですねぇ」

「あぎりさんは……どうでした?」

「どうって?」

「あれからの十五年間、どんな感じだったかなって」

「私は……」

そこで私は言葉に詰まった。
一体なんて答えれば良いのか、わからなくなってしまう。

ずっと、喪に服していたわけでもない。
かと言って、決別すべき過去として切り捨てたわけでもない。

私の中で、ソーニャはずっと宙ぶらりんのまま。

「……あぎりさん?」

「……私は、今まで通りに生きてきたつもりです」

そう言うのが、精一杯だった。
もしかしたら、ただの強がりなのかもしれない。

彼女は、「そうですか」と答えて少しだけ微笑んだ。

「でも、本当に良かった。あぎりさん元気そうで……」

「おかげさまで~」

「また会えて嬉しいです。もしかしたら、もう二度と会えないんじゃないかなって……」

「……私もそう思ってました」

彼女の世界と私の世界。
もう交差することはないと思っていたのだが。

この再会に、果たしてどんな意味があるのだろうか。

「あぎりさん」

「……何ですか?」

「……ソーニャちゃんの居場所は、やっぱり」

「無理ですねぇ……私も知らないんです」

「……そう、ですよね」

彼女は、がっくりと肩を落とし、深くため息をつく。
あからさまに落ち込んでいるようだ。

「せめてお墓参りくらいはしたいって、思ったんですけどね……」

「……ソーニャがいた痕跡は、その一切が消し去られました」

戸籍や、学校の記録なども、綺麗に抹消されている。
遺体は恐らく、骨一本に至るまで完全に処理されただろうし。
墓なんて、もってのほかだ。

辛うじて残る彼女の痕跡と言えば、私の持っている数枚の写真と。
私達二人の、思い出だけ。

「……お墓も、無いんですか」

「はい……遺体そのものすら残っているか、微妙なところですし……」

「……ソーニャちゃん、もしここにいたらなんて言うかな」

「その問いは……無意味ですよ」

もし、隣に居たのなら。
もし、何か伝えられたなら。
もし、生きていたら。

そんなことを考えるのは、ナンセンスだ。

過去をそんな風に振り返った所で覆る事実なんて存在しない。

仮に、そんな世界があったとしても。
私達はそこにはいない。

「もう、ソーニャは……」

「わかってます」

彼女は、私が言い終わる前に。
また、先回りして私の言葉を遮った。

「それ以上、言わないで……」

「……ごめんなさい」

「……やっぱり何も変わってないですね、私」

俯く彼女は、とても悲しそうに見える。
涙こそ流していないが、声からもそれが伺えた。

「十五年も、ずっと……ソーニャちゃんにしがみついてる」

「……私もですよ」

同じ場所を、ぐるぐると。
彼女のいたあの頃を、何回も反芻しながら。

悩んでいるフリをしながら、答えを出せないことに何処かで安心してしまっているのだ。

彼女を忘れ、前に踏み出して。

その時、自分が自分でいられるのか。
それを考えるのが、とても怖いから。

だから今までどおりの生き方を、惰性でずっと続けている。

そうしているうちに、彼女の思い出が擦りきれて。
何も感じなくなるのを期待しながら。

「……私も、彼女に」

「ソーニャちゃんがいないとやっぱりダメですね、私達……」

ソーニャがもし、この体たらくを見ていたら。
なんて言うだろうなんて。

無意味だとわかっていても、やっぱり考えてしまう。

「二人揃って、何をしてるんだ」なんて。

そう言って、鼻で笑うだろうか。

「でも、やすなさんはすごいですよ」

「え?」

「少なくとも、あの頃よりずっと……前に進んでるじゃないですか」

「そうなのかな……自分では、あまり自覚が無いですけど」

「偉そうな事は言えませんけど、そう言うものなんじゃないですかね」

彼女は立派に就職して、ある程度の地位をこの会社で築いた。
それは、彼女自身が自らの人生に対して誠実に向き合った結果だ。

自覚がなくとも、ソーニャの死を乗り越えた証なのだ。

「……私には、とても真似できないです」

「……あぎりさんも、なんだか変わりましたね」

「そうですか?」

「そう言うこと、あの頃なら絶対言わなかったのに」

「……年をとって、少し弱ったのかも」

「あはは、まさかぁ」

会話に少しだけ明るさが戻った次の瞬間。

誰かが、強めに彼女の名前を呼んだ。

「折部主任!なにしてるんですか!」

一人の若い男性だった。
彼も、彼女と同じように白衣を身にまとっている。
恐らく、彼女の部下なのだろう。

「えっと、どうしたの?」

「どうしたって……もうとっくに昼休み終わってますよ」

「えっ、あっ!」

時計を見て、彼女は声をあげる。
時刻は、午後一時を過ぎていた。

周りを見ると、先程まで昼食をとっていた社員たちがごっそりといなくなっている。

「すいません、あぎりさん。もう行かないと……」

「いいえ~、私も楽しかったです。久しぶりに話せて~」

「それじゃあ……あっ、そうだ」

そう言うと、彼女は白衣から紙とペンを取り出し何やら書き始めた。

「あぎりさん、これ……私の、電話番号とメールアドレスです」

「やすなさんの?」

「時間ができたら、連絡してください。今度もっとゆっくりお話したいなって」

「……連絡します、きっと」

「それじゃあ、私はこれで。あぎりさんもお仕事頑張ってくださいね」

私はメモを受け取って、彼女は身を翻して歩き出した。
彼女の背中が、小さくなっていく。

「や、やすなさん!」

思わず、私は強く彼女を呼び止めた。
こんな風に自分が声を上げるなんて、自分でも少し驚いている。

「あぎりさん?」

「また……また会いしましょう、どこかで」

「……もちろんです!」

というわけで今日はここまでになります。
ではまた今度。

どうもこんばんは、投下していきます。

彼女は、笑顔を私に見せて去っていく。
私はただ、その場に立ち尽くして彼女の背中を見送るだけだった。







数時間後。

やすなさんとの接触という不測の事態こそあったものの、任務自体は無事に終えた私は本部に帰還していた。
リビングのソファーに、体を投げ出してボーッと天井を見上げている。

今地下では、例の端末から中の情報にアクセスする準備が進められているところだろう。

「はぁー……」

なんだか、疲れてしまった。

特に大した動きをしたわけじゃないけど、なんだか体が重い。
まるで手足に鉛を流し込まれたように、ずっしりと。

今日はもう、動きたくない気分だ。

私は視線を天井からテレビへと移動させた。
ちょうど変な顔をしたタレントが画面いっぱいに映されて、思わず口元が緩む。
こんなので笑うなんて、やはりとても疲れているらしい。

そんな風に時間を無為に過ごしていると、手足に詰まった鉛がだんだん頭にまで流れ込んでくるような気分になる。

「おーい、呉織」

「あ……」

「お疲れのようだな」

「いえ、そんな」

私はソファーから飛び起きて、一佐の方を向く。
先程までの体の重さが嘘のようだ。

「用意が出来た、お前も地下に来い」

「了解です」

一佐の後ろについて、階段を降りる。
地下に置かれたパソコン達は、全機フル稼働でその時を待ち構えていた。

職員たちは皆、画面に釘付けである。

「回線繋がりました」

「記録の用意は?」

「大丈夫です」

「よし……」

室内が一瞬だけ静まり返り、全員が一佐の顔を見る。
皆、命令を待っているのだ。

一佐は全員の顔を見渡すと、すぐに次の命令を出した。

「始めるぞ、かかれ」

「了解」

再び室内にキーボードを叩く音が響きだした。
私は、その様子をただ眺めている。

「……さて、何が出るだろうな」

「さぁ……私は忍び込んだだけですから。中身についてはよくわかりません」

「ま、いい結果が出ることを期待するか……」

「……侵入しました」

職員の一人が、サーバー内に侵入したことを告げた。
私と一佐は彼の近くに寄って、画面を確認する。

「どんな具合だ?」

「とりあえず、スパコン開発やらの資料を漁っている最中ですが……それに資金の動きも当然あるでしょうから、その辺りを」

「うむ……慎重に行けよ、何があるかわからんからな」

「わかってますよ」

「とりあえず、大きい画面に情報を出してくれ」

「了解」

すぐにホワイトボードに、パソコンの画面が表示された。
大量のウインドウが画面を埋め尽くし、プログラムコードなどの文字列が並んでいる。

「うーん、どうもこのサーバーが本体ってわけじゃ無さそうですね。ただのデータバンクです」

「そうなのか?」

「でも、何もないってわけじゃ無さそうですよ。これ、見てください」

ホワイトボード上で、マウスポインターがくるくると円を描く様に動く。
示された箇所を見てみると、何かのリストのようだ。
会社名と……金額?

「なんにせよ、この会社が米軍と何かやってるのは確実ですね」

「これ、何なんだ?」

「資金の流れと、取引相手のリストです。多分もっと出てくるはず……あぁ、やっぱり」

彼は一人でつぶやきながら、キーボードを操作し何かを入力する。
すると表にあった会社のうち、いくつかがピックアップされた。

「これは……」

「この企業、全部CIAや米軍のフロント企業ですよ」

「よくわかりませんが……かなりの額のお金も動いてますねぇ~」

「この会社が米軍の仕事を受けていたってことか?」

「社員達にその自覚があるかはわかりませんが……恐らく重役の連中はわかっててやっているでしょう」

「つまり、クロってことですかね~?」

「真っ黒だ、これだけの材料でも十分問い詰める事ができる」

腕組みをしながら、満足そうに頷く一佐。
やっと証拠らしい証拠が出たのだ、喜びもひとしおと言ったところだろう。

「出た!ありました!」

職員の一人が歓喜にも似た声を上げた。

「どうした」

「本命です、米軍のスパコン開発資料ですよ。これはもう動かぬ証拠ですね」

「よぉし、でかした!すぐに記録しろ、プリントアウトも頼む」

「了解!」

直後にコピー機が音を立てて、数枚の紙を吐き出した。
真っ白な紙にびっしりと文字が書き込まれ、見続けると目眩がしてきそうだ。

「いきなり情報が集まり出しましたね~」

「しかし……問題はコイツがどこにあるのかだ」

「会社のサーバーはデータバンクですからねぇ……国外の可能性もあるのでは?」

「そうなると厄介だ……下手に動くと国際問題になる」

「……この際どこかの機関に協力を要請しては?」

「いや……それはよした方が良さそうだな……見ろ」

一佐が、先ほどプリントした紙の一枚を見せてきた。
そこには日本語でも英語でもなく、ロシア語の表記。
よく見ると中国語やフランス語も混ざっている。

「ここまでの国が……?」

「全部各国のフロント企業、もしくは軍との結びつきが強い会社だ」

「……一体何が起こっているんでしょう」

「……わからん。だが……あまり我が国にとって良いことでは無さそうだ」

「こうなると……本体サーバーの分散配置の可能性も出てきますねぇ」

「一番考えたくない可能性だな……もはや私達の手にすら負えないぞ」

「長引きそうですねぇ……」

仮に米軍の仕業だとすると、米大使館への攻撃の意図がわからないし……。
それにロシアと中国、更にユーロ圏の関与も気になる。

結局、事件の全容は依然として見えてこない。
もしかして、私達が暴こうとしているのは何かとてつもない物なのではないだろうか。

一佐と二人揃ってため息をついた次の瞬間、突然パソコンがサイレンのような音を立てた。
何事かと音のした方向を向くと、画面に警告が出ている。

「何事だ!」

「やられました、潜伏型のウイルスです。現在対処中!」

「ウイルスだと?」

「大丈夫です、この位なら……もうすぐ押さえ込めるはず」

彼の言うとおり、直後に警告は解除されウイルスも動きを止めたようだった。

「これでよし、と」

「まったく、肝が冷えたぞ……」

「すいません、少し不用心でした」

「まぁいい……データ類は無事か?」

「重要な情報にはアクセスされてません。大丈夫です」

「気をつけろよ、返り討ちに遭うなんて勘弁だから……」

一佐が底まで言いかけた時。
再びパソコンから警告音が鳴り響いた。
しかも、室内全ての物からである。

「今度はなんだ!」

「ここのサーバーがハッキングを受けています!侵入者不明!」

「防壁解凍、擬似エントリ展開しろ!」

「だ、ダメです回避されました!」

「逆探急げ!」

「はい!」

本部が一瞬で蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
全員が何やらがなりたて、キーボードが跳ね上がる勢いでコードを入力している。

「逆探成功しました!」

「会社からか?」

「いえ……いつの間にか外部に接続されています、別の場所からです!」

「防壁突破されました!」

「まずい!省とのリンクを解除しろ!」

「既に侵入されています!リンク切れません!」

「なんだと……!」

この様子だと、今頃防衛省も大騒ぎになっているはずだ。

相手の電子攻撃は留まるところを知らない。
恐らく、もう少しもすればこの本部のシステムが全て掌握されてしまうだろう。

私は何も出来ずに、その様子を見ることしか出来なかった。

とりあえず今日はここまでです。
ではまた今度現れます。

>>1のキルミーSSすき
過去にどのくらい書いた?

>>292
そう言って頂いて嬉しいです。
キルミーssは過去に二本やりました。
他にはpixivで短いのをちょいちょい上げてる感じです。

どうもこんばんは、今日も現れました。
早速投下していきます。

「とにかくシャットダウンしろ!全部だ!」

「コマンドを受け付けない……!無理です!」

「だったら電源を切れ!呉織ィ!」

「は、はい!」

「コンセントだ!コンセント抜け!」

「わ、わかりました!」

一佐にいきなり名前を呼ばれ、硬直していた体がびくりと跳ねる。
部屋を見回すと、サーバーから伸びる一本の配線。その先にコンセントがあった。

私は、言われたとおりにコンセントを引っこ抜く。
するとサーバーがヒュウンと音を立て、動作が停止した。
机の上のディスプレイも、全て真っ黒になる。

「と、止まりましたか……?」

「……そのようだ」

その場にいた全員が、安堵と落胆の混じったため息を一斉についた。



一時間後。

全員がやれやれと言った感じで復旧作業に当たっている。
一佐は椅子に座って、頭を抱えていた。

「あの、一佐……」

「……なんだ?」

「これ……」

私は彼にお茶の入った湯のみを差し出した。
一佐はそれを見て、一瞬だけ目を丸くするとすぐに笑い出す。

「すまんな、気を使わせたか?」

「いえ、これくらいしかやることが無いので……」

「そうかそうか、ありがとうな」

「あっ」

一佐はそのまま、まだ熱いお茶を一気に口に含んだかと思うと、なんと全て飲み下してしまった。
彼の口内や喉の惨状を想像すると、身震いがする。

「……っはぁ、これで目が覚めた」

「大丈夫ですか……?」

「なぁに、平気だ」

一佐は何事も無かったかのように、机の上の資料を整理し始めた。
この人の体は一体どうなっているのだろうか。

私は彼の真正面に腰掛けて、机の上の資料に目を通した。
先ほどプリントした数枚の紙と、救出に成功した証拠資料が少しだけ。

「……これで全部ですか?」

「他のデータは全部駄目だ。運良くファイルが残っていても中身がズタズタ、情報としての価値はゼロだろう」

「それにしても、手ひどくやられましたねぇ……」

「全くだ……先ほど連絡があったが、防衛省もとんでもない騒ぎになったようだ。明日あたりに私も呼び出しを受けるだろうな……」

一佐が頭を掻きながら、愚痴をこぼす。
上の連中から嫌味を嫌というほど言われる一佐の姿が容易に想像できた。

「……ご苦労さまです」

「しかし、ここのセキュリティがこうも簡単に破られるとは……」

「ウイルスとは比べ物にならないレベルの攻撃ですか……」

「恐らくあれがトリガーだったんだろう。外部からの侵入を探知してウイルスが起動、同時に外部と接続して直接殴り込みに来たってところだろうな」

「そうなると、攻撃を仕掛けてきたのは……」

「我々の探してる物の可能性が高いだろうな……」

頭を悩ませていると、職員の一人が一佐を呼んだ。
どうも何か見つけたらしい。

「どうした?」

「これ……変なファイルが」

「……なんだこりゃ」

「ロシア語のようですが……」

私も気になって画面を覗き込む。
彼がポインタで示したところに、一つのフォルダがあった。
フォルダ名は、ロシア語で書かれている。
私は、その名前を見て戦慄した。

「Соня……!」

「呉織?」

「そんな、どうして……!」

「おい、呉織!」

わけがわからない。
どうして、彼女の名前が。

ソーニャの、名前が。

本日はここまでとなります。
ではまた今度。

ちょっと遅いけど少し投下します。

「なんで……」

「検査の結果、脅威となる物は無いようですが……」

「……開いてください」

「良いんですか?罠かもしれないですけど……」

「お願いします」

「呉織、少し落ち着け」

私の肩に、ぽんと手が置かれた。
同時に、私は我に返る。

「脅威は無いと言ってもな、怪しい物を今すぐ開けるわけにはいかん。少し冷静になれ」

「……すみません」

「とは言ったものの……確かに中身が気になるな。とりあえず隔離して、それで問題がなければ開けよう」

「了解、隔離ですね……出来ました」

「今度は大丈夫だろうな?」

「もちろん、五重もプロテクトかけましたから」

「よし、開け」

一佐の指示に通り、職員がフォルダをクリックする。
中に入っていたのは、テキストファイルが一つだけだった。
ファイルを開くと、中には数字とアルファベットの羅列が書かれている。

「……これだけか?」

「……これだけです」

「……これだけですねぇ」

三人揃って拍子抜けである。
一体これは何なのだろう。

「パスワードですかね?」

「それにしては少し長すぎやしないか?」

「……座標?」

「調べてみましょう、えーと……」

職員が地図を開いて、座標を入力していく。
直後に、座標に示された場所が表示された。

「海のド真ん中じゃないか」

「でも、確かにここですよ」

「……ん?何か見えるぞ、拡大しろ」

「はい」

地図がズームアップされ、だんだんと洋上の様子が明らかになってくる。
見えてきたのは、かなり大きな洋上プラットフォームだった。

「なんだこれは……」

「石油プラットフォームでしょうか?」

「それにしちゃあ、いろいろ足りない気がするが」

「何でしょうね、これ……」

「わからん。とりあえず、本格的な調査は明日にするぞ。皆疲れているだろうしな」

「了解です」

「全員、今やってる作業が終わったら休んで良いぞ!」

一佐がそう言い渡すと、全員が返事を返した。

十分もすると、ほとんどの職員は作業の手を止めていた。
代わりに伸びをしたり、お茶を飲んだり、仮眠をとったりと思い思いの過ごし方をしている。

という訳で今日はここまでです。
ではまた今度現れたいと思います。

どうもこんばんは、今日も来ました。
では投下していきます。

皆、やはり連日の捜査で疲れているのだろう。

「呉織、いいか」

「はい、なんでしょうか~?」

「ちょっと上に来てくれ、話したいことがある」

一佐に呼ばれて、リビングへ。
机を挟んで、また向い合せで座る。

「さっき言ってたソーニャとは……」

「あぁ、そのことですか……」

「お前があそこまで取り乱すなんて、滅多に無いからな」

「そこまで取り乱してましたかねぇ……」

「お前は基本的にポーカーフェイスだからな、表情が乱れた時は逆によく分かる」

全てお見通し、と言うわけだ。
私がこれからキャリアを積んでも、多分この人には敵わないだろう。

「ソーニャは……以前私が居た組織の友人でした」

「友人?……組織って言うと、ウチに来る前にお前が居たところか」

「えぇ、そうです」

「……それと何か関係が?」

「それは……わかりません。」

「わからない?」

「組織自体はとっくの昔に解体されました。メンバーも現在はバラバラです」

「その、ソーニャとか言うのは今何をしている?」

「ソーニャは……」

十五年前に死にました。
そう言うだけで済むのに、私の口は一瞬だけ戸惑ってしまう。

「……ソーニャは、十五年前に死にました」

「……すまん」

一佐は、ばつが悪そうに私から顔を背けた。
悪いことを聞いた、とでも思ったのだろう。

「だから、私としてもかなり不可解です。なぜ今……彼女の名前がいきなり浮上してきたのか」

「うーむ、わからんことだらけだ……」

一佐は困った風に頭を掻いて、ため息をつく。
彼も、何が起こっているのか把握しかねているのだろう。

一佐だけじゃない。
職員の皆も、そして私も。
わからないまま、もがいている。

「あの洋上プラットフォームについては見覚えは無いか?」

「私は基本的に国内で活動してたので……そのような施設の話も聞いたことありませんし」

「なるほどな……とりあえずそれについては了解した。そう言えば協力者とは明日会うんだったか?」

「明日の午後一時に会う予定です」

「そうか、明日私は不在だから……別の者を支援に回そう」

「何かご用事が?」

「市ヶ谷で嫌味を言われてくるだけだ。お前も今日は休め、明日に備えろ」

「……一佐も、無理をなさらずに」

「わかってるさ。じゃ、おやすみ」

一佐は席を外し、また地下へと降りる。
私は浴室へ向かい、寝る前にシャワーを浴びることにした。

扉を閉めて、蛇口を捻るとすぐに温水がシャワーから放出された。
少し冷えた私の体を、暖かい水がゆっくりと滑り降りていく。

排水口は、ゴボゴボと音を立てていた。
湯気が、私の視界を白く濁らせる。

「……ハァ」

先ほどのファイルが、頭をちらついて離れない。
私にとって重要なのは、中身ではない。
あの、ファイル名。

一体誰が、何の目的で。
何を意図して、あのファイルを残していったのか。

何かのメッセージなのか、それとも……。

考えれば考える程、私の頭は思考に飲み込まれていく。

元組織のメンバーが一枚噛んでいるのか?
だったとしても、彼女の名前を持ち出す意味がわからない。

「……ソーニャ」

彼女が、私の頭を埋め尽くしていく。
そうして、頭がいっぱいになって。
そこから先を考えることが出来なくなる。

なんで、どうして。
それだけで止まってしまう。

そこから先へ行けないのか。
それとも行かないだけなのか。

「……どこにいるんですか、ソーニャ」

私の心のどこかに居る彼女を、私はずっと探している。
宙ぶらりんの彼女は、一体私のどこを漂っているのだろう。

自分でどこかにしまいこんで、そしていつの間にか見失ってしまった。
つくづく、自分の間抜けさには呆れさせられる。

……体の垢みたいに、過去のもやもやも全て洗い流せてしまえばいいのに。

そんなバカバカしい妄想をしながら、私は浴室を後にした。

本日はここまでです。
見てくださってる方々、いろいろ言ってくださってとてもありがたいです。
では、また今度現れます。

乙!
続きが楽しみだ

>>328 
ありがとうございます!
続き頑張ります。

面白い 応援しとるで

どうもこんばんは、少し進みました。
投下していきます。

>>330
ありがとうございます!

翌日。

私は、とある公園のベンチに座っていた。
今日はとても良い天気。
ここから見える川は陽の光を反射させキラキラと輝いている。
川の向こう岸では、電車が忙しそうに走っていくのが見えた。

木々に調度良く遮られた陽光が、私の体に降り注いだ。
体が表面から、じんわりと暖まっていく。

気持ちがいい……。

「呉織さん?呉織さんってば」

もう少しで眠りそう、といった時に耳につけたイヤホンが私の名前を呼んだ。

「はい、こちら呉織です~」

「いくらいい天気だからって、眠りこけたりなんかしないでくださいね」

「大丈夫ですよ~」

今日は一佐が市ヶ谷に呼び出されているので、別の職員が彼の代わりをしている。

そう、私が今日ここに居るのはのんびり昼下がりを過ごすためでは無い。
今日は博士と接触し、情報を聞き出すためにこうして待っているのだから。

時計を見ると、午後一時までもう間もなくといったところ。
周りを見回してみると親子連れや老夫婦、いろんな人がいる。

そろそろ彼の姿が見えても良い頃だと思うのだが……。

「よいしょ……」

「あ……」

その時。
私が座るベンチに、一人の老人が腰掛けた。

彼はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開く。

「……人民日報について聞きたいが」

「正しいのは日付だけですよ」

「そうか……」

そう言って、男は再び押し黙る。

今のは、合言葉だ。

しばらくして、彼がこちらを向き微笑んだ。

「久しぶりだな……あぎり」

「えぇ……お久しぶりです、博士」

「確か、十五年ぶりだったか……」

「そうですね」

「うん、うん……変わらんな、君は」

彼は懐かしさを噛み締めているようだった。
私も、十五年前のことを少し思い出す。

「それで、これが資料です」

私は、一枚の封筒を彼に手渡した。
それを受け取った彼の手には皺がたくさん出来ていたが、かつての面影を残している。

「これか。結構薄いようだが……」

「すみません、これくらいしか手元に残らなくて」

昨日のサイバー攻撃を受けて、パソコン内にあった彼に渡す資料も殆どが破損してしまっていた。
辛うじて重要なデータは残ったものの、あまり多いとは言えないだろう。

「……なるほどな」

「何か、心当たりが?」

「……十五年前と、全く同じではないか」

「え……?」

十五年前?
この人は、今なんて?

「それは、どういう……」

「……今日、私がここに来たのは君へ警告を与えるためだ」

「何を言ってるんですか、博士」

「……勝手だとは思うが、今は私の話を聞いてくれないかね」

下を向きながら、しわがれた声でそう呟く彼。
それを前にして私は、その声に黙って耳を傾けることしか出来ない。

「どれくらい前だったか……大国間で、ある計画が進められていた」

「……米中露、のことですか」

「それだけじゃない。インドやユーロ圏の有力な国々、アラブの強国……とにかく、何かしらの力を持つ者たちが寄り集まってな」

今日の博士には、かつて見た陽気なロシア人の面影は無かった。
まるで、罪を告白する者のような……どこか後悔と、解放感の混じった表情で。

「きっかけはツインタワーの崩落から始まった、あの一連の戦争……。前世紀とは違う、新たな対立の構図が浮かび上がった時だ」

「……9.11」

「そうだ。大量の兵士を送り、前例のない快進撃を続け一時は勝利したかに見えた……しかしだ」

待っていたのは、泥沼の非正規戦。
その戦いに、出口は無かった。

「……私はまるで、いつかのベトナムを見ているかのような気分だったよ」

「それと、何の関係が……」

「支配者達は、あの戦争で多くのものを失った。だが……一つだけ、得たものがある」

「……得たもの?」

「……力での統治には限界があるという事実、だ。イデオロギーによって世界を縛り付けていた頃とは違うということを、彼らはあの戦争で学んだのだ」

小さな声だった。
だが、その言葉の端々に呆れと怒り、そして恐怖が満ち満ちているように感じとれた。

「……彼らが武力の次に持ち出してきたのは、情報だった」

「情報?」

「そうだ。外的な力による支配は限界がある……だが、人々の内面に働きかける情報と言う力を操ることが出来れば、
人々はむしろ進んで支配されることを選ぶと彼らは踏んだのだ。そのためには情報を維持、管理し運用するシステムが必要になる」

「それって……」

「Deus ex machina……」

「え?」

「デウス・エクス・マキナ……彼らはそう呼んでいた。機械仕掛けの神という意味だ」

彼は、力なくため息をつく。
私は頭の中を全力で整理していた。

ただのサイバー犯罪、そう思っていたのだが……。
彼の口から飛び出す話のスケールがいちいち大きすぎて、理解に時間がかかってしまう。

「デウス・エクス・マキナは強大なネットワークを統治するためのAIシステムだ。あらゆる端末に侵入し、情報を直接操作することが出来る。彼らは、それによって人々の思想、意識にまでも介入し操作することを目論んだ……」

「そんな、馬鹿げたことが?」

「もちろん、そう簡単には行くまいよ。だが……彼らは本気だった」

彼の声は、いよいよ震えだした。
頭を抱え、下を向きながら、悲痛な声を絞り出す。

「……私は、それの開発に関わっていた。詳細までは流石に分からないが……世界にとってかなり危険なことになる」

「博士……」

「本当は、十五年前に消えたはずの計画だったのだ。ソーニャの犠牲と引き換えに……」

「……え」

また、彼女の名前が私の前に現れた。
何故今になって、彼女の存在が見え隠れし始めるのか。

私の頭は、もうパンク寸前だった。

「……一体、なんだって言うんですか?」

「あぎり……」

「どうして、今になって彼女が出てくるんですか……!」

奥底に押し込めていた彼女が、十五年経った今になって姿を見せ始めた。
そのくせ、受け止めようとするとどこかへ消えてしまう。

つかみどころのない、彼女の存在に私は……。

「……昨日も、本部のパソコンにソーニャの名が冠されたファイルが残されていました」

「……本当かね」

「一体、彼女はこの件にどう関わっているんです……?」

本当は、もう……。
もう、いっそ彼女を忘れてしまいたい。

でも、私は行く末を見届けなければいけない。
一人の公務員として。

そして、彼女の友人として。

という訳で、本日はここまでであります。
読んでくださってる方が居るようで、とてもうれしいです。
では、また今度現れます。

あ、あと修正したい場所がありましたのでそこを……。

>>302あたりの

『「全くだ……先ほど連絡があったが、防衛省もとんでもない騒ぎになったようだ。明日あたりに私も呼び出しを受けるだろうな……」

一佐が頭を掻きながら、愚痴をこぼす。
上の連中から嫌味を嫌というほど言われる一佐の姿が容易に想像できた。

「……ご苦労さまです」 』


の部分ですが、

『「全くだ……先ほど連絡があったが、防衛省もとんでもない騒ぎになったようだ」

一佐が頭を掻きながら、愚痴をこぼす。

「……荒れそうですね、これから」』

になりました。
細かいようですが前後がおかしくなっていたので……。


ではまた。

どうもこんばんは、すこし遅いですが投下していきます。

「……君にとってもかなり酷な話になる。それでも、良いかね」

「もちろん……」

今、ここで耳を塞いでしまったら。
永遠に彼女の真実を知ることが出来ないような気がした。

「もちろん、覚悟はしているつもりです」

だから私は、彼の話を受け入れることにしたのだ。
それによってどれだけ心が抉られても、仕方のない事だと割りきらなければならない。

「教えて下さい。十五年前、何があったのか」

「君なら、そう言うと思っていたよ……迷っているのはむしろ私の方かもしれないな」

彼は、そのまま空を仰ぎ見た。
つられて私の彼の視線を追う。
視線の先の空には、雲一つない。

彼は、空を見上げたまま「では、一つ昔話をしよう」と呟いた。

「そもそも私達のいた組織は、情報による世界統治に早くから目をつけた者たちが作り上げたものだった。冷戦期……いや、もしかしたら第二次大戦後……諜報活動によって、世界の情報を操ろうとした戦勝国たちが国家の枠組みを超えて人材を集めたのが始まりだ」

「……そこまでの歴史があったんですねぇ」

「あぁ……設立がいつかは、私にもはっきりと分からないが……」

まるで子供に言い聞かせるように、一つ一つ言葉を繋いでいく博士。
昔を懐かしむような表情で、彼は話を続けていく。

「だが、十五年前突如解体された……なぜだかわかるか?」

「……ソーニャの死、ですか」

「半分正解、と言っておこう。もちろん彼女の死がきっかけの一つではある」

「……どういうことです?」

「設立当初から、組織では異なる二つの派閥が存在していたそうだ。一つは我々人間による諜報活動……いわゆるヒューミントというやつだな

、それに重きを置く考え方の者達。そしてもう一つが……」

「シギント……ですか」

「うむ……シギントやイミント、そう言った機械的手法に重きを置く者達の一派だ」

「それが、どう関わってくるんです」

「彼らの勢力はちょうど半々……意見は平行線を辿り険悪な状態に陥ることもあったが、なんとか均衡を保っていた。だが……十五年前、突如としてその均衡が一気に崩れたのだ」

「……それと、ソーニャがどう関係するんです」

「……本当に些細な偶然だった。彼女は……ソーニャは、ある暗殺任務の過程で、シギント派が構想していたデウス・エクス・マキナの存在を知ってしまったのだ」

彼は、心底悔しそうに言った。

知ってはいけないことを、知る。
私達にとって、それはほぼ死を意味することだ。

必要な情報を、必要なだけ、必要な相手に。
これが、私達の鉄則。

運悪く、または意図的にそのルールから外れてしまったものを待ち受けているのは……。

「彼女は、それを知って……計画を潰すことを画策した。無謀としか思えないが……彼女は我慢ならなかったのだろう。人ならざるものに統治され、戦争やテロすら予定調和の一環として行われる世界が……。だが、彼女の計画は……」

実行されること無く、彼女は組織に殺された。

「……どうして」

どうして、その時彼女は。
私に何も言ってくれなかったのだろう。

正直、それだけ大きな物を前にして私に何か出来るかどうかは不安が残る。
でも、もし……私が少しでもその事を知っていれば。

何かしら、できていたかもしれないのに。
自分なりの答えを、私は出せていたかもしれないのに。

という訳で、本日はここまでであります。
ではまた……。

どうもこんばんは、投下していきます。

「どうしてですか……」

私の全身から、力が抜けていくのがわかった。
なんて、私は無力なんだろう……。

「……彼女の裏切りを知ったシギント派は、ここぞとばかりに自分らの正しさを主張した。情にほだされる人間は、時として組織すら裏切ると……そして、上層部は彼らの言う事を全面的に受け入れた」

「……そう、だったんですか」

「技術の進歩による機械的諜報の確実性が増したことも遠因だが、やはり決めては彼女の裏切り……人間の不安定さへ対する懸念だろう。そして組織は解体、再編されAIによる情報操作に注力することになる。そして我々諜報員は各々の国へと帰っていった……」

「……私は、何も知らなかったんですね」

「君だけじゃない……恐らく、他の人員の殆どがわけも分からずに組織から放り出されたに違いない」

「何も、知らなかった……!ソーニャのことも、組織のことだって……!」

「……そう、自分を責めんでくれ。むしろ、咎を背負うべきは私なのだから」

「まだ、何かあるんですか……」

「……むしろ、君にとってこれからが本題だ。もう一度聞くが……ここから先を聞いてしまうと、君も引き返せない領域に足を踏み入れることになる。それでも本当に……本当に、良いのかね」


「……私は」

怖い。
正直に言うと、怖くて仕方がなかった。
これ以上、私の知らない過去の事実が。
それを知ることによって、押し寄せる後悔が。
私の事を押しつぶそうとやって来るのが、怖い。

その証拠に、若干手が震えてさえいる。

「……話してください、博士」

それでも。
私は、ソーニャの最期を知りたい。

私の中を漂う彼女を、引き上げたい。

そして願わくば……少しでも彼女と心を通わせたいと思った。

「お願いします……」

「……そうか。わかった」

そう応じた彼の目は、とても悲しそうに私を見た。

博士はしばらく、口を開きかけてはすぐに言葉を飲み込むことを繰り返した。
一つの言葉……いや、一音に至るまで、何を言うべきか迷っているように見える。

時々首を横に振ったりしていたが、やがて彼は覚悟を決めたように手を膝に置く。
そして真っ直ぐに、私を見つめてきた。
あらゆる感情が入り混じった彼の中の混沌が、その眼から伝わってきた気がした。

彼の乾いた唇が、ゆっくりと動く。

「ソーニャを殺したのは……私、なのだ」

彼が口を開くと同時に、二人の間に流れる静寂を切り裂くように、対岸の線路を列車が轟音を立てて走り抜けていった。

「は、かせ……?」

「……すまない、あぎり……本当は十五年前に君に言うべきことだった……!」

「どういう、ことです……それ」

「……私は組織の両方の派閥に通じていた。内部調整役と言えば聞こえは良いが……要は二重スパイだ」

「……だから、ソーニャを?」

「そうだ……私の仕事は、組織内の勢力均衡を維持することだった。だが……彼女の行為は組織を破壊するには十分すぎた。私がその事を上層

部に報告すると、彼らは私に一つの指令を出してきたのだ」

彼に下された指令。
その内容は、すぐに予想がついた。

「『裏切り者』としてソーニャを殺害し、その全てを消し去れと彼らは……私にそう伝えてきた。私はどうして良いかわからなかったが……彼

らは同時に私を脅してきた」

「脅し……?」

「従わない場合……組織の人間全体を彼女に与したとして処分すると……彼らは私に……!」

「そんな……」

彼は顔を手で覆い、下を向いてしまった。

博士の体は、僅かにだが震えていた。
彼のその時の苦悩と葛藤は、計り知れないものだったに違いない。

「怖かった……私の判断一つで、仲間たちを道連れにしてしまうかもしれないと……そして私は、彼らの脅しに屈してしまったのだ……」

「博士……」

「……私は、逃げた……彼女が組織を裏切ってまで守ろうとした世界の大きさに恐れをなして、最悪の方法でカタをつけた……」

下を向いたまま、苦しそうに。
博士は、自らの行為を告白した。
今まで溜め込んできた心の奥底を、私に見せてくれた。

「あぎり、私を許してくれとは言わん……だが、一つだけ私の頼みを聞いてくれないかね」

「……何ですか」

「……君の資料や状況から見るに、計画が再始動したことは明らかだ……頼む、彼らを……デウス・エクス・マキナを、止めてくれ……!」

彼は、救いを求めるように私にそう懇願してきた。
顔を上げ、私の手を握りながら彼は続ける。

「頼む……!彼女の最期の願いを……!世界を……!う、ううう……!」

そこからはもう、言葉になっていなかった。
タガが外れた彼の心から溢れだす、いろいろな物が。
彼の中の混沌が、私にまで降りかかった。

「すまない、あぎり……!今まで、黙っていて……本当にすまない……!」

ソーニャを殺した張本人を前にして。
不思議な事に、憎しみは心に湧いてこなかった。

十五年という時間が、憎しみを薄めたのだろうか。
代わりに湧いてくる感情は、組織に翻弄された彼に対する哀れみだった。

「……情報、感謝します。博士」

「あぎり……」

「おかげで、作戦の立案が出来ます。数日中には部隊が動かせるようになるかと」

「……すまない」

「これが仕事ですから、ね」

「……頼む、彼女の無念を……晴らしてくれ」

「……はい」

しばらくして、博士は落ち着きを取り戻したようだった。
その表情は、憑き物が落ちたように穏やかで優しい物に変わっている。

「……最後に一つ、君へ言っておく事がある」

「なんですか?」

「ここ最近……元組織のメンバーが相次いで行方不明になっている、君も気をつけたまえ。では……私はそろそろ行くとするよ」

「……博士も、お気をつけて」

「もちろんだ」

彼は、立ち上がり歩き出す。
だが数歩進んだ所で足を止め、私の方を振り返った。

「あぎり、今日は本当にありがとう」

「いいえ、私こそ。今日は会えて本当に良かったです」

「こんなことしか言えないが……君の任務の成功を、心から祈っているよ」

そう言って、彼は私に向けて綺麗な敬礼をした。
私も彼に向けて、背筋を伸ばして答礼する。

彼は納得したように頷くと、私の横を通り抜け何処かへと歩き去っていった。

という訳で今日はここまでです。
ではまた今度。

どうもこんばんは。では投下します。

私も、少し遅れて歩き出す。
博士のおかげで、部隊を動かすには十分すぎる情報が手に入った。
問題は、彼の語った計画の発動がいつなのか……。
確証は無いが、私達に残された時間はあまり多くはない気がする。
このことを早く一佐に伝えなければ……。

「……指揮所、聞こえますか」

「あ、はい!こちら指揮所です。どうしました呉織さん」

「これから本部に戻ります。一佐は今何処に居ますか?」

「一佐は戻ってきてません。多分まだ市ヶ谷に居るかと……」

「すぐに連絡をとって、本部になるべく早く戻って欲しいと伝えて下さい」

「了解です、では交信終了します」

「了解」

ブツリと音がして、無線が切れた。
とにかく、一刻も早く行動に出なければならない。

幸い強襲部隊の用意はしてある、問題はどこに部隊を送れば良いのかがわからないことだ。

時間が経てば経つほど、私達の状況は悪くなる。
なるべく早く特定したいが……。

本部へ戻ると、一佐はまだ戻ってきて居ないようだった。
思った以上に時間がかかっているらしい。
彼が市ヶ谷で一体どんな罵声を浴びせられているのか想像すると、少し胸が痛む。

私は地下室へ向かい、一人の職員にこの間見つけた施設についての話を聞くことにした。

「えーと、これが航空写真ですね」

「……結局どんな施設なんでしょう、これ」

「調査を進めたら、一応それっぽいサイトが出てきました。これです」

「これは……」

彼がパソコンを操作し、例の施設について紹介しているサイトを画面に表示する。
見たところ、アメリカのエネルギー会社が保有する洋上プラットフォームと謳っているようだが……。

「名前は、アーケロンと言うそうです。結構前に建設されたみたいですが……そこにも軍の影がちらついてました。少なくとも石油採掘施設と

かでは無いと思われます」

「……外観から何かわかったことはありますか~?」

「はい、収穫はありました。施設構造ですが……」

今度は画面上に、上から撮ったアーケロンの写真が表示される。

「まず、特徴的なのがヘリポートです。この写真で右上と左下にあって、右上のは最上部に設置されてます」

「上と下……二つもあるんですか」

「えぇ……それに、サイズから見るに下層のヘリポートは軍用機の発着を最初から考えて設計されてると思われます。オスプレイでも余裕のサ

イズですよ」

「ますます怪しいですねぇ……」

やはり、何かしらの軍事的拠点と見るのが正しいのだろうか?
しかしこんな洋上で一体何を……。

パソコンを見ながら、職員としばらく話していると一佐が市ヶ谷から戻ってきたようだった。
こってりと絞られたようで、その表情からは非常に疲れているのが伺えた。

「いやはや、まいった……今戻ったぞ」

「一佐、おかえりなさい」

「すまないな、あれからやたら時間がかかってしまって……それで、何か掴んだらしいが」

「それについては後で詳しく……今、例の施設について見ていたところです」

「あぁ、例の……」

「やはり普通の民間施設で無いのは明らかですねぇ」

「私もそう思う、問題はなにがあるかだ……確実に関係はあると思うのだが」

「まぁ、怪しいことに変わりはありません。もう少し調査を進めてみます」

「頼んだ。では呉織、上で話そう。何があったか報告してくれ」

「わかりました~」

私達は階段を登り、いつものように一階のリビングで向かい合わせに座った。
博士から聞いた全てを一佐に報告すると、彼は腕組みをしてため息をつく。

たぶん「えらいことになった」なんて考えているのだろう。
しばらくして一佐が口を開く。

「……米中露に、なんだって?」

「インドやユーロ圏、アラブの強国……です」

「なるほどな……とんでもない計画があったもんだ……」

計画の規模の大きさに、驚きを通り越してもはや呆れたと言った感じで一佐は天井を見上げる。

「もう、部隊を動かすには十分な情報です。早く計画を止めないと……!」

私は彼に訴えた。
半ば個人的な感情が混じっているのは否定出来ない。

だが、彼女が感じたように。
ソーニャが思ったように。

あんな奴らに監視されるような世界は、私だってまっぴらだ。

世界を彼らの勝手にさせるわけには行かない。

「一佐……!」

「……最早、我々だけで判断出来ることではない。これはもう……外交問題に発展しかねないぞ」

「そんな!」

「……政府に言った所で、アメリカから圧力がかけられるかもみ消されるかのどちらかだろう」

「一佐は、それで良いんですか……?」

「言いたいことはわかる。だがな呉織……私たちは自衛官で、公務員だ。勝手な行動は慎まなければならない」

「う……」

公務員として、真っ当すぎる答えに私は何も言えなくなった。
食い下がろうにも……私も同じ立場である以上反論が出来ない。

「……すいません」

「いや、良いんだ……とりあえず、調査は私達で進める。お前はしばらく待機だ、一旦家に戻れ」

「……はい」

私は、重い足取りでリビングを去った。
階段を登り、寝室に置いてある私の荷物をまとめる。

一旦家に戻れ。
つまり、少し休んで頭を冷やせということだろうか。

「……はぁ」

こうなれば、自分一人でも……。
しかし、どうやって?

悶々としながら、私は電車を乗り継いで自分のアパートへ戻ってきた。
既に日は暮れ、アパートの通路では蛍光灯がぼんやりと周囲を照らしている。

玄関のドアを開けると、下駄箱の上に置いてあるソーニャの写真が私を出迎えてくれた。

「……ただいま」

私は靴を脱ぎ捨て、廊下を奥へと進んだ。
部屋は真っ暗で、外からの僅かな明かりだけが窓から入り込んでいる。

電気をつける気力も起きない私は、リビングを通り抜けてそのまま寝室のベッドに倒れ込んだ。
多分、かなりひどい表情をしているんだろう。

「すこし、読みが甘かったんですかね……」

それもそうか……ことさら他国との摩擦を恐れるこの国が、他国の、ましてアメリカの計画に手を出そうなんて。
それ自体無理だったのかもしれない。

部隊を動かせなければ、私は何も出来ない。
計画を潰すことも、例の施設に探りを入れることも。

それどころか、ここから動くことすら出来ない。

という訳でここまでになります。
ではまた。

どうもこんばんは、早速投下していきます。

「どうしましょう……」

このままでは、博士との約束も……。
ソーニャの無念も、晴らせる見込みが無い。

たった一人で……私はどうすることも出来ない。

「……ソーニャも、同じだったんでしょうか」

彼女も、たった一人で。
悩んで、苦しんでいたのだろうか。

誰にも話せず、誰にも知られず。
心に抱えた爆弾をどうにかしようとして。

でも、彼女は……それでも立ち向かった。
戦うことを選んだ。

自らの意思で、自分が信じたもののために。
それこそが彼女の強さだったのだ。

「……私には、真似できませんよ」

私はゆっくりと起き上がり、ベッドの上から窓の外を見る。
いつかのように、街のネオンが瞬いている。

私が守りたいものは、この景色の中にあるのだろうか。
一体、私は何のために……。

外のネオンが、あんまり楽しそうに輝くので私は部屋の電気をつけた。
すると、ネオンの光はいきなりその力を失っていく。
部屋の電気に押されて、遠くでひっそりと光るだけになってしまった。

今度は部屋の電灯が、激しい主張をし始める。

「とりあえず……博士にこの事を伝えなければ」

私は携帯を取り出して、彼の番号に電話をかける。
すこし遅い時間だけど寝ているなんて事は無いだろう。

いや、でもお年寄りは寝るの早いのかな……。

そんな事を考えながら博士が電話にでるのを待つ。

しかし、呼び出し音が何回しても彼が電話にでる気配はなかった。
二回ほどかけ直してみたが、やはり出ない。

寝てしまったのだろうか?
とにかく、今日はもう繋がらないか……。

私は仕方なく携帯を置いた。

やることが無くなった私は、またベッドに倒れ込んだ。
また、手足が鉛のように重くなる。

ここから一歩も動きたくないし、多分一歩も動けない。

一佐は今、何をしているんだろう。
本部の職員たちは、もうそろそろ帰宅した頃だろうか。

「……大口叩いて結果がこれですか」

なにが「これが仕事ですから」、だ。
ただ政府の言いなりになってるだけじゃないか。

不快なことばかりが頭に浮かんで、それが全身を循環する。

……もう、考えても仕方がない。

「……バカバカしい」

この狭い部屋の中で、人間の脳みそ一つがフル稼働した所で出来ることなんかたかが知れている。
自分の無力さと間抜けさを嘆いた所で、心が腐っていくだけだ。
そんな風に無意味に自分をダメにするくらいなら、もう寝てしまったほうがよっぽど有益に思えてきた。

私は再び部屋の電気を消して、ベッドに横になった。
外のネオンの光が、また私の部屋へ勝手に上がり込んでくる。

鬱陶しいので、私は窓に背を向けた。
壁に、ぼんやりと私の影が浮かび上がっているのが見える。

私が身をよじると、影も同じように身じろぎした。

「……ふふ」

影が、一生懸命私の動きに追いつこうとしているみたい。
それがなんだかおかしくて、思わず笑ってしまった。

だんだんと、瞼が重くなってきた。
逆に耳は冴えてきて、外のいろんな音が私の鼓膜をノックする。

目を閉じて、耳をすます。

遠くで聞こえるクラクションや、電車が何処かへ走って行く音。
まるで子守唄のように、私の耳に語りかける。

明日また、博士へ電話をかけてみよう……。
残された時間は少ないが、まだやれることはあるはずだから……。
明日になれば、きっと……。

意識を失う直前に、少しだけ前向きになれたような気がして。
私は安心しきって、眠りに落ちる。







次の日、博士が行方不明になることなど微塵も考えずに。

今日はここまでです。
そう言えば書き始めてもう一ヶ月くらい経つんですね、読んでくれてる方本当にありがとうございます。
という訳でまた来ます。では。

どうもこんばんは、投下していきます。

あの夜から、二日が経った。
相変わらず事態の進展はない。

一佐は相変わらず本部に居るようだし、博士は行方が知れなくなって丸一日が経過した。
博士の事を一佐に伝えたが、あまり良い返事は返ってこない。

……やっぱり彼をはじめ、政府はこの件を封殺するつもりなのだろうか。

「はぁ……」

ため息ばかりが、出てしまう。

博士を探そうにも、手がかりが少なすぎる。
昨日、彼の宿泊していたホテル近辺を調べてみたがめぼしい物は何も見つからなかった。
一体いつの間に、どこの誰によって……。
それとも、博士自身が勝手に姿を暗ましたのか?

「どこへ行ったんでしょう……」

仮に、何者かによる誘拐だとしたら私の身も安全だとは言えなくなってくる。
警戒するに越したことはないだろう。

結局、その日はずっと家に居た。
気が付くと、いつの間にか西の空で夕日が輝いている。

オレンジ色の光が、街を染め上げていた。
もうすぐ、日が暮れる。


結局、何も出来ないままここで終わってしまうのだろうか。
まさか、こんな呆気無く……。

悲しい訳ではない。
怒りが湧いてくる訳でもない。

ただ、虚しくなってくる。

「……はぁ」

ため息を着いて、その場に座り込んだ。
部屋はまるで時が止まったようかのように、静かだ。

部屋の静けさを再確認した途端、いきなり寂しい気分になってきた。
なんでだろう、さっきまでなんとも無かったのに……。

そんな事を考えていると、突然チャイムが鳴った。
あまりにいきなりの事で、思わず体が強張る。

慌てて玄関へ向かって、ドアスコープを覗くと何故か一佐が立っていた。

「……一佐?」

恐る恐るドアを開けて、彼であることを確認した。

「おう、呉織。仕事だ」

「……仕事、ですか?」

いきなり、何を言い出すのだろうこの人は。
状況が飲み込めない。

「とにかく、まず着替えて顔洗って来い。話はそれからだ」

「はぁ……」

私はとりあえず、彼に言われたとおり身だしなみを整えた。
しかし、一体仕事って何なんだろう?

言われるがままに、私は車に乗り込んだ。
一佐が運転で、私は助手席に座る。

「……あの、一佐」

「なんだ?」

「仕事っていうのは……」

「まぁ、そう慌てるな。とにかく市ヶ谷に行くぞ」

「はぁ……」

車はそのまま走り続ける。

夕日は沈み、車のライトが道路を照らしだす。
一佐は何も言わずハンドルを握り、私も何も喋らず外を眺めている。

しばらくすると、車は防衛省に到着した。
ゲートを通り、駐車場へと車は向かう。

そして、そこには異様な光景が広がっていた。

「よし、降りろ呉織。乗り換えだ」

「乗り換えって……そもそも、これは一体どういう……」

駐車場には、数台の高機動車。
そしてその脇に整然と並ぶ全身を真っ黒な服で包んだ隊員たち。
彼らの手には、特殊部隊用に改造されたカービンタイプの89式小銃が握られている。
それだけじゃない、胴体には防弾ベスト、腕にはウェアラブル端末、ヘルメットにはHMDと豪華装備が目白押しだ。

「うちの強襲部隊だ。これから作戦行動に入る」

「すみません、状況が……」

強襲部隊?作戦行動?
今日一日、家で呆けていた私の頭で理解するにはもう少々かかりそうだ。

「とにかく乗るんだ、時間がない」

「は、はい……」

「よし、行くぞ!班に分かれて各車両に乗車!」

了解、と揃った声があたりに響き、直立不動の彼らが素早く車両に乗り込んだ。

私と一佐も、先頭の高機動車に乗り込む。
後ろの兵員スペースには、黒尽くめの隊員がつめ込まれていた。

夜の闇に紛れて、車列は行動を開始した。
正面ゲートを抜けて、そのまま道を進んでいく。

「一佐、今度はどこへ……」

「朝霞だ、そこでまた乗り換えがある。それと……この資料に目を通しておけ」

そう言って一佐は、こちらを見ずに一つの封筒を渡してくる。

「これは……」

中に入っていたのは、アーケロンの航空写真が数枚。
偵察衛星からのものだろうか?
そこにいる人間の表情すら分かりそうなくらい、鮮明な写真だ。

そしてその中の数枚、明らかに武装した兵士と思わしき人が写っている。

持っているのはアサルトライフル……それに、なにやらロケットランチャーのような物も見える。

「昨日と一昨日で、衛星と無人機をずっと貼り付けてようやく撮れた。かなりの装備を保有してると見て間違いないな」

「……まさか、これからアーケロンに?」

「そうだ」

なんでもない風に、さらりと言ってのける一佐。
でも、この一件に関して政府は及び腰だったんじゃ……。

「……一体、どう政府を説得したんです?」

「説得?何のことだ?」

「とぼけないでください、例のデウス……」

「まぁ待て、呉織。私はお前が言ったような計画なんか一切知らないし、関わろうとも思わん」

「……何が言いたいんですか?」

「だがな、『我が国の排他的経済水域内で、不法な武器の貯蔵が行われている可能性』がある場合は別だ」

一佐の妙に格式張った物言いに、私はようやく合点がいった。
つまり彼はここ二日……アーケロンに乗り込むめるだけの情報を集めていたのか。

本日はここまでになります。
ではまた。

どうもこんばんは、投下します。

「この写真を見せて、やっと許可が降りた。お前に黙ってたのは悪かったが……どうだ、頭の整理は出来たか?」

「……随分味な事をしますね、一佐」

そう言うと、ハンドルを握ったまま一佐は笑った。
どうやら、私は大きな勘違いをしていたようだ。

「私、一佐がこの件から手を引くつもりなのかと……」

「……あんな危ない物、浮かべっぱなしなのも寝覚めが悪いからな」

「……てっきり、誤解してました」

「なぁに、手続きさえ踏めばこっちのもんだ。それより、毎度のことだがお前には重要な役割があるからな。頼むぞ」

「……はい!」

車列は三十分ほど走り続け、朝霞訓練場へと到着した。
車を降りると、コンクリート製の地面があたりに広がっている。

そして周囲を取り囲むように、ライトが等間隔で点灯している。
それ以外には何もない。

一佐を見ると、何やら腕時計を気にしている。
何を待っているのだろうか。

「ここからどうするんですか?」

「そろそろ来る頃なんだが……」

そう言いながら、今度はきょろきょろと上空を見回す一佐。
その時、何かが空気を切り裂くような音が微かに聞こえてきた。

「……来たな」

一佐が呟く。

バタバタと、微かだった音がだんだんと大きくなる。
同時に、風も吹いてきた。

空を見上げると、点滅する赤い光がこちらに接近してくるのが見える。

「そら、おいでなすった」

「ヘリ部隊まで……」

「木更津の第1ヘリコプター団から呼び寄せた。第一特殊ヘリコプター群108飛行隊、MH-60JAだ」

ヘリが目の前に四機、綺麗に並んで着陸した。
ダークグレーの機体に、日の丸がついているのが見える。
四機のうち二機は、重機関銃を搭載していた。

「よし、搭乗しろ!急げ!」

一佐が号令をかけると、高機動車にいた隊員たちはやはり無駄のない動きでヘリに乗り込んだ。

全員が搭乗したのをパイロットが確認すると、ヘリはすぐに飛び立った。
街の明かりが、どんどん遠ざかっていく。

「もうしばらくすれば目的地に着く。そこでブリーフィングだ」

「今度はどこへ?」

「横須賀、だな。海自の協力も取り付けたんでな」

「海自?」

「今回の作戦のために、艦艇を動員してくれた。しかも三隻」

「そんなに……」

「もうしばらくすれば、見えてくるはずだ」

ヘリはそのまま、夜の空を真っ直ぐ飛び続ける。

二十分ほどした頃だろうか、機体がゆっくりと降下し始めた。
窓の外を見ると、地上の明かりはほとんど見えなくなっている。
どうやら海上へ出たらしい。

そのまま降下しつつ、ヘリは飛び続ける。

すると、何もないところに突然飛行場のようなものが現れた。
誘導用のライトが明々と輝いている。

こんなところに飛行場が?陸地から随分離れているが……。

だが、その疑問もすぐに氷解する。

ヘリと飛行場の距離が近づくに連れ、その姿がはっきりとしてきた。

誘導灯が輝いているのは、甲板のようだ。
そしてその右端には、艦橋やレーダーが見える。

そして、飛行甲板の艦首近くに大きく描かれた「83」の文字。

「見えたぞ。『いずも』だ」

「これがいずも……」

初めて目にするその巨大な船体は、想像していたよりも大きい。

着艦標識の上で、ヘリが停止する。
そのまま垂直に降下し、タイヤが甲板に接地した。
隊員たちがドアを開け、ぞろぞろと降りていく。

甲板に降り立つと、海自の制服を来た幹部が一佐と私を出迎えた。

「ようこそ、『いずも』へ。私が艦長です」

「ご協力感謝します、艦長」

「早速ですが、作戦室へ来てください。準備は整っています」

艦長に連れられて、私達は艦内を歩く。
狭い通路をくねくねと進んだ。

五分ほど歩くと、少し広めの会議室のような場所へ通された。
隊員たちも続々と集まり、置いてある椅子に各自座っていく。

私も椅子に座り、ブリーフィングが始まるのを待った。

全員が揃ったようで、部屋の照明が落とされる。

皆の視線の集まる先にスクリーンが現れ、映像が映し出された。
一佐が小さく咳払いをして、ブリーフィングが始まる。

「では、これから行われる作戦について説明する。まず現在の状況について。艦長、お願いします」

「はい。現在我々は横須賀を出発し、房総半島からだいたい東へ百キロの地点へ向け航行しています」

説明を引き継いだ艦長が、ポインターでスクリーン上をなぞる。

「作戦に参加している艦艇は、我が『いずも』に『むらさめ』、そして試験艦『あすか』の三隻です。あと二時間もあれば、目標地点には到達するでしょう……私からは以上ですが」

「ありがとうございます。では、ここからがが本題だ。作戦区域に到達後、まず呉織が先行してアーケロンへ潜入する。突入班は、呉織の合図の後ヘリコプターによって施設を強襲、制圧にかかると言う段取りだ」

スクリーンに表示された画像が切り替わり、アーケロンの拡大図が現れた。
車の中で一佐から渡された写真も表示されている。

「写真にもある通り、このアーケロンで不法な行為が行われているのは明らかだ。だが、時間的制約からそれ以上の事を掴めていない。呉織は潜入して、まず証拠を集めてくれ」

「了解しました」

「証拠を集めたら、今度は我々突入班の誘導を頼む。作戦の段取り自体はシンプルだが、相手は恐らくプロだ。全員油断せず、気を引き締めて作戦に臨め。以上!」

彼が声を張り上げると同時に、部屋の照明が点いた。
眩しくて、思わず私は顔をしかめる。

皆が部屋を出て行くのでそれに続こうと席を立ち上がった時、一佐が私を呼び止めた。

「呉織、お前には一旦『あすか』へ移ってもらう」

「私だけですか?」

「あぁ、もうヘリも待機している。とにかく来い」

一佐に連れられ、私は再び甲板に出た。
すると、一機のヘリがローターを回して待機している。
朝霞から乗ってきた機体ではなく、海自のSH-60のようだった。
私達が乗ってきた機体は既に格納庫へ移されたのか、甲板から消えている。

ヘリに乗り込み扉を閉めると、すぐにヘリは離陸する。
ある程度上昇すると、機体をぐるりと回転させ艦の進行方向とは逆に飛び始めた。
数分もすると、別の船の明かりがはっきりと見えてきた。『あすか』だ。

ヘリはそのまま艦の横を通り過ぎ、再び旋回。
『あすか』の後方へ回り込み、後部ヘリ甲板にアプローチする。

着陸はとてもスムーズで、パイロットの技量の高さが伺えた。

ヘリを降りると、すぐに目の前の格納庫へ連れて行かれた。
中には『あすか』の艦長に、隊員が数名。そして技術者のような男が一人。

そしてその奥に横たわる、黒い魚雷のような形をした物体。

「これは一体……」

「今回呉織さんに使ってもらう装備です」

技術者らしき男が、私の疑問に答えてくれた。
なんでも、現在開発試験中の特殊部隊用水中スクーターらしい。

確かによく見ると、バイクのハンドルのような物がついている。

「呉織、お前にはこいつでアーケロンに取り付いてもらう。作戦区域到達前に、彼らからこのスクーターの扱いについてレクチャーを受けてくれ」

という訳で今日はここまでになります。
もうすぐ終わるかな…。
ではまた今度。

どうもこんばんはです。投下していきます。

「分かりましたが……こう言うのは初めてですねぇ、うまく扱えるでしょうか」

「問題ない、作りは単純で操作もシンプルらしいからな。注意事項だけはしっかり聞いておけ」

それだけ言い残すと、一佐はヘリに戻り『いずも』へと帰っていった。

彼の言うとおり、操作や構造はシンプルで誰でも扱えるようなものだった。
開発担当が言うには、スクリューへの巻き込みにさえ気をつければ後は楽に使えるとの事らしい。

スクーターの他にも、『あすか』には別の潜入装備が用意されていた。
施設に乗り込む際に使用するワイヤー銃、特殊部隊用の酸素ボンベ、そして潜入用のスーツにその他諸々。
それぞれの説明を受けながら、一つずつ装備していく。

装備一式を身につけると、結構な重量だ。
特に、潜入スーツの上ウエットスーツを着るのはあまり心地よいものではない。


三十分ほどの講義を終えて、私に束の間の休息が与えられた。

食事を勧められたが、あまり空腹は感じていなかったので私は遠慮することにした。
作戦区域到着まで、あと一時間も無いだろう。

私は後部甲板から、海を眺めていた。

街の明かりはすでに見えない。
全周を海が取り囲み、それ以外の物は何もない。
時折、雲の間から月が顔を覗かせるくらいだ。

船はその中を、白い航跡を引きながらゆっくりと進んでいた。
スクリューが海水を掻く音がする。

「……静かですねぇ」

誰に言うでもなく、私は一人で呟いた。

……もうすぐ、決着をつける時が来る。

この作戦が私に何をもたらすのか、それはわからない。
でも、少しでも真実に近づくことが出来れば……。

私が再び歩き出す切っ掛けを、掴めるかもしれない。





あっという間に自由時間は終わり、艦隊は作戦区域に到達した。

水平線上に小さく光る物が見える。アーケロンだ。
ここから見ると、あの巨大な施設もちっぽけに見える。

私は格納庫の中で、作戦の準備を進めていた。

潜入スーツ、ウエットスーツ、ボンベに足ヒレ。
そして、武器の入ったケース。

スクーターは格納庫から運びだされ、クレーンに繋がれていた。

「……時間です、呉織さん」

時計を確認して、『あすか』艦長が私にそう告げた。

「了解。ではお願いします」

私はスクーターにまたがって、合図を出した。
クレーンが動き出し、スクーターごと私は海面へ降ろされる。

足からゆっくりと海水に浸かる。
ひんやりした感覚が、鈍く伝わってきた。

「モーター始動してください!」

艦上から、開発担当が叫ぶ。
言われたとおりスイッチを押すと、低い音を立ててモーターが動き出した。
今のところ、異常は無さそうだ。

「……異常なしです!出ます!」

クレーンに繋がったワイヤーを外し、ハンドルを握る。
上を見ると、開発担当が不安そうにこちらを見ていた。

私は後ろを向いて、彼らに敬礼をした。
艦上の全員が、無言で答礼する。

モーターの出力を上げると、スクーターが前進しだした。
艦がだんだんと、遠ざかっていく。
前を向くと、妖しく光るアーケロンが遠くに見えた。

「……さぁ、行きますか」

また一人で呟いて、酸素ボンベをくわえる。
そしてスクーターの舵を操作して、私は海中へと潜っていった。

という訳で今回はここまでになります。
ではまた今度。

どうもこんばんは、投下していきます。

全身が、海水に包まれる。
海中は真っ暗で、頼りとなるのはスクーターに付けられたライトと、左腕に付けたウェアラブル端末だけ。
だがそのライトの光すら、海中の闇は飲み込んでいく。
視界は、ほとんどゼロだ。

スクーターは音も立てずに海中を進んだ。
この辺りでは、もはや海底すら見えない。

何もない、虚無の空間を一人で漂っている気分だ。
一人、星もない頃の宇宙に放り出されたような。

端末を見ながら、進路を修正していく。
自分がどっちを向いているかさえわからない今、アーケロンへの道標はこれだけだ。

右へ、左へ。
舵を切って、微調整。

果たしてこれで正しいのか分からないが、端末はこれで良いと言っているので従うほかない。

もし、この装置が狂っていたら……なんて。
有りもしない可能性を考えるのは人間の悪い癖である。

しばらく海中を進んでいくと、突如前方に巨大なオレンジ色の物体が現れた。
潜水艦のような形をしているが、その背からは柱らしき物が海面へ無かって伸びている。

どうやら到着したようだ。
私はスクーターとボンベを放棄して、海上へ出る。

「大きい……」

真下から眺めたアーケロンは、かなりの威圧感があった。
複雑に通路やパイプが絡みあって、巨大な施設を作り上げているのがよく分かる。

注意深く観察し、見張りの姿が無いのを確認した。

「……よし」

私はワイヤー銃を取り出し、上へ向け引き金を引いた。
ポン、と音がして、先端のフックが飛んで行く。

数秒して、フックが何かに引っかかる感覚が手に伝わってきた。
何度か引っ張って、外れたりしないかを確認する。
うん、きちんと固定されているようだ。

紐で体をしっかりと固定し、もう一度引き金を引く。
するとワイヤーが巻き取られ、私の体が空中へ浮いた。

私が取り付いた部分は、施設の中でも一番下層に存在する通路のようだった。
見張りが居ないか確認しつつ、身を隠せる場所を探す。

ちょうどいい物陰があったので、そこで装備を整える。
ウエットスーツも脱いで、海上へ投棄する。


武器の入ったケースを開けて、銃を組み立てる。
中に入っていたのは、MP5K PDWとP226。
両方に、サイレンサーとホロサイトが付属している。

武器の用意が終わったら、今度は無線だ。
イヤホンを耳に突っ込んで、周波数を合わせる。

「……取り付きました。一佐、聞こえますか」

「こちら指揮所、感度良好。うまく行ったようだな」

「見張りの姿が見えませんが……」

「妙だな……まぁ、見つかるよりはいい。注意して探索を進めろ、いいな」

「了解」

無線を切って、移動を開始。
銃を構えながら、早足で通路を進む。

「……やはり、変ですねぇ」

おかしい。
見張りはおろか、人の気配が全くしない。

照明や、発電機と思われる駆動音から察するに人が居ないわけでは無さそうだが……。

嫌なタイプの静寂が、私の神経を刺激した。

ある程度進むと、前に写真で見たヘリポートが姿を現した。
やはり、かなりの大きさがある。

そして、ヘリポートの真ん中には軍用のヘリコプターが居座っていた。
しかし、やはり人の姿はない。

いよいよ不気味になってきた。

「……中に入ってみますか」

ヘリの向いた先、格納庫と思わしき扉が僅かに開いている。
あからさまに怪しいが……中に入らない事には証拠もなにもあったものではない。

しかし、馬鹿正直に真正面から入ることもない。
別のルートが無いか探してみよう。

格納庫正面ゲートをやり過ごし、私は階段を登った。
階段を登った先に、また通路。
そして窓からは明かりが漏れている。

中を覗くと、格納庫の様子がよく見えた。

小型の連絡用と思われるヘリや、コンテナが多数置いてある。
必要な物は全てここに格納しているのだろう。

だが、人の姿だけが相変わらず確認できない。

今日はここまでです。
ではまたこんど。

どうもこんばんは、投下していきます。

とにかく、中に降りてみない事には始まらない。
ゆっくりと窓を開け、そこから飛び降りる。

着地すると、カツン、と靴が音を立てた。

「一体、ここは……?」

見たところ、装備や物資が劣化しているような様子はない。

つまり、直前まで人が居てメンテナンスをしていたということだろう。

問題は、その人達が一体どこへ消えたのか。

「……進むしかありませんね」

物陰から物陰へ。
警戒しながら、格納庫を調べる。

……見張りも居ないのに、自分だけこんな事をしてるのもなんだかバカバカしくなってくる。

とりあえず、コンテナの中身を確かめてみることにしよう。

コンテナに鍵はかかっていない。
中には何が入っているのだろうか。

取っ手に手をかけ、手前にゆっくりと扉を開ける。

その時だった。

格納庫の照明が一斉に落ち、かわりに強力なライトが私に浴びせられる。

「くっ!」

しまった、やはり罠か!

その場から逃げようと駈け出すが、ライトは私のことを捉えて離さない。

「動くな!手を上げろ!」

「武器を捨てるんだ!」

「投降しろ!」

ライトの向こうから、次々と怒声が飛んで来る。
ダメだ、多分逃げ切れない。

私は言われたとおり、武器を床に置いて両手を上げた。

すると数人の兵士が私に近づき、ボディチェックを行う。
私が丸腰であるのを確認すると、彼らは私の手に手錠をかけた。

「……やっぱり来ましたね、あぎりさん」

「え……?」

ライトの方から、女性の声。
私は思わずそちらを向いた。

逆光で姿はよく見えない。

だが、その声は聞き覚えがある。

「待ってましたよ」

「やすなさん……!?」

そんな、バカな。

だってここは、本土から百キロも離れた軍事拠点。

こんなところに、やすなさんが居るなんて。
場違いにも程があるだろう。

まさか夢でも見てるのかと一瞬本気で思ったが、そんなことはあり得ない。

今目の前に居るのは、紛れも無くやすなさんだ。

「……これで、最後のピースが揃いましたよ」

「一体何のこと……」

「……連れてって」

「やすなさん!」

私は無意識に駆け出そうとしたが、両脇の屈強な兵士たちがそれを阻止した。

彼女は、身を翻し何処かへ歩いて行く。

「やすなさん!どういうことですか!やすなさん!」

「おとなしくしろ!」

「離して!離せ!」

暴れる私を、兵士たちが押さえつける。
多勢に無勢だ、私はすぐに床に組み伏せられてしまった。

「離せぇッ!」

それでも暴れていると、突然首筋にちくりと僅かな痛み。

次の瞬間、ぐにゃりと世界が歪む。

「こ、の……!」

腕が、体が。

だんだんと言う事を効かなくなる。

全身の感覚が麻痺して、今自分がどんな体勢かすらわからなくなった。

「やすな、さん……」

そして、最後に瞼がくっついて。

私の意識は、そこでぷっつりと途切れてしまった。

という訳でここまでになります。
ではまた今度来ます。

どうもこんばんは、やっと少し進みました。
では投下していきます。

水の冷たさと、バシャ、という音で目が覚めた。

反射的に体が反応するが、うまく体が動かない。

何事かと周りを確認すると、私は椅子に拘束されていた。

そして目の前にバケツを持ったやすなさんが無表情で立っている。

「おはようございます、あぎりさん」

「……どういうことか、説明してもらえますか」

「それは別に良いですけど……その前に、ちょっと私の仕事の手伝いをしてもらいますよ」

何かの機械をいじりながら、彼女は私にそう言った。
よく見ればこの部屋、大型の電子機器やモニターが所狭しと並んでいる。

「ここは、私の研究室なんです。立派でしょ?」

私が聞く前に、やすなさんがこの部屋が何かを説明した。
彼女は、機械の間を歩き回りながら私に話しかける。

「実は、全部わかってたんですよ。最初から」

「……何の話です?」

「とぼけないでください。会社のデータサーバーに忍び込んだの、あぎりさんですよね?」

「……どうしてそれを」

「それも、あとで説明してあげます」

彼女が、何かのボタンを押した。

同時に私を拘束している椅子が動き出す。
そして天井から、配線だらけの禍々しい見た目をした装置が降りてきた。

何をする装置かは知らないが、少なくとも私にとってあまり良いものでないことはわかる。

「……少しだけ、頭のなかを覗かせてもらうだけですから」

「頭のなか?」

「大丈夫、解剖するってわけじゃないです」

そう言って、彼女はいたずらっぽく笑う。

装置は更に下降して、私の頭に張り付いた。

「さてと……じゃあ、起きたばかりで悪いけどもう一度眠ってもらいますよ」

いつの間に、彼女の手には注射器が握られていた。
おおかた、麻酔でも充填されているのだろう。

注射器を片手に、彼女は私のもとへと近づいてくる。
抵抗しようにもこの状態では……。

「動かないでくださいね、針が折れたら大変ですから」

「っ……」

再び、首筋にちくりと痛みが走る。

だが先ほどと違って即効性は無いのか、いきなり視界が歪むような事にはならなかった。

「麻酔が聞くまで時間があります。それまで少しお話でもしましょうか」

「……なんで、あなたがここに」

「言ったじゃないですか、研究職だって。私はここで……AIの開発、研究をしてるんです」

「そのAIって……」

「デウス・エクス・マキナ……って言うんでしたっけ」

「それを、やすなさんが……?」

「えへへ、意外でしょ?」

以前会った時と、同じように笑ってみせる彼女。
あの時と、一つも変わらない顔だ。

それが、今の私にはとても恐ろしく見えた。
この異常事態に、そんな平静と余裕を保っていられるなんて。

「どうしてあなたが……!」

ソーニャが死ぬ原因となったデウス・エクス・マキナ。
言うなれば、彼女にとっては仇も同然のはずだ。

でも、彼女はこうして計画に加担している。
それがわからない。
彼女の意図は、一体?


「……昔、言ったじゃないですか。私は、もう一度ソーニャちゃんに会いたいって」

彼女は体を反転させ、また機械をいじりながらぽつりぽつりと話す。

「私はそのために自分の人生を捧げるって、あの時誓ったんです。どんな手を使ってでも……」

「……それと、これが一体どう関係するんですか」

ソーニャに、会う。
それが不可能なことは、彼女だって……。

いや、彼女が一番わかっているはずなのだ。

「……まぁ、説明するより見せた方が早いですね」

彼女が、また何かのスイッチを入れた。
同時にモニターに、映像が表示される。

そして、そこに写る一人の少女。

金髪のツインテール、そしてそれをまとめた黒のリボン。
ゆるくつり上がった目の中には、サファイアのような青い瞳。
  
まだ少し幼さを残した、十五年前と変わらない姿の彼女。

「ソーニャ……?」

十五年ぶりの再会にしては、呆気ないものだった。
ソーニャが、モニターの中に。

でも、これは……?
まさか、ここまで引っ張っておいて3Dモデルで遊んでたなんてオチではあるまい。

「まだ、未完成ですけど……ソーニャちゃんです」

彼女はというと、ニコニコしながら画面を見つめている。

「すいません、意味が……」

「だから、ソーニャちゃんですよ」

「えぇ……?」

どうしよう……彼女が本気なのか、それとも冗談を言っているのか判断しかねる。

その間、モニターに映し出されたソーニャは身動き一つせず、どこかを見つめていた。

という訳で本日はここまでです。
ではまた。

どうもこんばんは、投下していきます。

「……そして、デウス・エクス・マキナの中枢です」

「このソーニャが、ですか?」

「そうですとも」

胸を張って、そう彼女は応えた。

その言葉には、技術者としての自信や、達成感。
そして、もう一つ……得体のしれないもう一つの何かが滲んでいるように感じた。

モニターのソーニャを見る彼女の目は、とても優しい。

「いくらデウス・エクス・マキナに強大な力が有ると言っても、結局は機械。判断、命令する頭脳、ネットワークがなければ……神は宿りません」

「その頭脳が……ソーニャだと、言いたいんですか」

「理解が早くて助かりますよ、あぎりさん。まぁこのモデルはおまけに過ぎませんが……」

部屋を歩き回りながら、説明を続ける彼女。
その様子を見て、私はなんだか置いてきぼりにされたような感覚に陥る。

「その頭脳は、膨大な情報と学習によって形成されます。徹底した反復学習……まずそれで人格らしきものが出来上がりました。ずっとつきっきりで面倒見た甲斐がありましたよ」

彼女は一人でうんうん、と頷く。

「次に、周囲の情報とソーニャちゃんの記憶の形成にとりかかりました」

「記憶の形成なんて……可能なんですか、そんな」

「普通は無理です。でも強大な情報処理能力を持ったAIがあれば、話は別ですけどね。簡単に言うと、彼女の人生を何度もシミュレートしたんです。この時点では記憶、と言うよりは記録ですが……。そこで、あぎりさん達の力が必要だったんですね」

「……私達?」

「元組織メンバーの彼女に関する記憶……厳密に言うと客観的に見た彼女の情報です。こればかりはシミュレートも難しいですからね」

「じゃあ、元組織のメンバーが消えていたのは……!」

「CIAが動いてくれましたよ。おかげで、必要なデータはほぼ揃いました」

「博士は……博士はどこに居るんですか!」

「博士……?あぁ、あの老人のことですね……彼はもう仕事を終えました。今は休んでもらってますよ」

「……無事、ですか?」

「それは、まぁ……自分で確かめてください」

「答えてください!う……」

叫ぶと同時に、私の頭にいきなり鈍い衝撃が走った。
どうやら、時間が来たらしい。

「麻酔が効いてきたみたいですね。それじゃあ、あぎりさん。おやすみなさい」

「待って……やすな、さん……」

「……何ですか」

「こんなの……間違ってます。ソーニャは、もう……」

「……わかってる。そんなこと」

狭まる視界のなか。

私を見た彼女の目は、ひどく冷たく。
そして、悲しみに満ちていた。

「……だから、私が。ソーニャちゃんを蘇らせるんです」

「ソーニャを……」

「それじゃ、おやすみなさいあぎりさん」

「や、すな……さん……」

「……いい夢を」

「ソー……ニャ……」

最後の力を振り絞って、モニターに目を向ける。
突っ立ったまま、ずっと動かないソーニャ。

容姿はほとんど完璧に再現されて、本物そっくり。

だけど、それをソーニャと呼ぶには。

何かが足りないような気がした。









「私、ソーニャ。お前は?」

ここは、どこだろう。

目の前には、金髪でセミロングの可愛らしい少女。
周りが薄暗いから、その顔はよくわからない。
けど、きっとお人形さんみたいに綺麗に違いない。
何故か私はそう確信した。

いきなり話しかけられて、私はうまく答えられないでいる。

「……喋れないのか?」

彼女が、私の顔を覗き込んでくる。
そして目が合った。

少しつり上がった目。
その中のサファイア・ブルーの綺麗な瞳。
柔らかそうで、白い頬。

私と同じ人間なのかと思うほどに、整った顔立ちの彼女。

「……あ」

「名前、教えろよ」

ソーニャ、と名乗る彼女は私に名前を聞いてきた。
私の名前……。

「話せるんだろ?それとも、私の言葉がおかしいのかな……」

一人でブツブツと何やら言っている。
大丈夫、意味は通じてるよ。

私が、ちょっとおかしいだけだから。

「なぁ、お前どこから来たんだ?」

私が質問に答える前に、彼女は次の質問へと移る。
話の展開に、私はついていくのが精一杯。

「私はロシアからだ。前はモスクワってとこに居た」

「も、モスク……?」

「お前は見たところ……アジア人に見えるな、チャイニーズか?」

彼女の質問に、私は首を横に振るジェスチャーで答える。
違ったか、と言って彼女は首をかしげた。

まるで、クイズで遊んでるみたい。

「フィリピン?インドネシア?……いや、それにしちゃあ……」

「え、と……」

「そうか、日本か!」

合点がいった、とばかりに彼女は声をあげた。
私はそれに驚いて、思わずびくっと体が跳ねる。

「そうか、日本人か。そうだろ?」

「……うん」

「やっぱりな」

彼女は、少しだけ微笑んだ。
その顔も、やはり様になっている。

「上からの命令で、私とお前がチームになることになった。これから、プログラムが始まる」

命令?
プログラム?

あぁ、思い出した。

私、売られたんだった。

「……お前は、噂だと戦闘民族の末裔だと聞いたが」

一体、どこで噂がねじれたらそうなるのだろう。
戦闘民族、なんて。

パッとしない忍者の末裔というだけだ。

一族の人間を、誰かれ構わず戦闘力として派遣することでその身を立てているような。
そんな、落ちぶれた人々の集まり。
時には、同じ一族の者同士で殺しあうことさえ厭わない。
お互いに喰らい合って、いつかは人知れず消えていくような。

「……まぁ、出自は関係ない。お前が私のバディってわけだ」

「バディ……?」

「あぁ、二人組というか……そうだ、相棒って奴だ」

そう言って、彼女は私に手を差し伸べた。

「だから、お前の名前を教えてくれ。じゃないと呼べない」

「名前……」

「私は、ソーニャ。さぁ、お前の名前を教えてくれ」

「わ、たしは……」

私の、名前は。

「……私、あぎり」

「ふむ」

「……呉織、あぎり」

呉織家の、末裔。
それが、私。

「そうか。よろしくな、あぎり」

私を真っ直ぐに見つめてくる彼女の目。
その瞳の奥に、力強い青い炎が見えた気がした。

彼女は、私の手をとって引き起こす。

二人の目線が、同じくらいの高さになった。

「……なんだ、お前私よりちょっとでかいな」

「……そうかな」

「まぁいい、行くぞ。上の連中が待ってる、私達の力を少し見せてやろう」

手を握ったまま、彼女は。

ソーニャは、力強く歩みだした。

それまで、私は全てを失ったつもりだったけど。
最後に残ったものが。

私と彼女を、繋いでくれたように感じた。

そうだ、まだ私には……。

私には、自分があるんだ。
自分を表現する、名前があるんだ。

全て失ったなら、また新しく作り上げていけば良い。

そうだ、彼女となら。

「……よろしく、ソーニャ」

「ん?何か言ったか?」

「……ふふふ、いいえ~」

「……やっと、笑ったな。あぎり」

「さぁ、行きましょうか。ソーニャ」

「あぁ」

ソーニャと、一緒なら。

きっと。









「う……あ……」

意識が、ゆっくりと覚醒する。
なんだか懐かしい光景を見ていたような。

瞼を開くと、明かりが目に入り込んできた。
そうだ、あの時気を失って……。

ここは……どこだろう。

まず、まわりの状況を確認しなければ。

「……おい、気がついたぞ」

「放っとけ、どうせ動けん」

近くで、話し声。
とっさに立ち上がろうとするが、私は手錠で椅子と繋がっているようだ。

見ると私の両隣で、ライフルを持った男が二人立っている。

先ほどの研究室とは別の場所のようだが、営倉というわけでもないらしい。
私の真正面、ドアが一つ。
出入り口はあそこだけのようだ。

「……しかし、この女何者なんだ」

「さぁな……おい、お前何者だ?」

二人の男が、私に詰め寄る。

「……答える義務が、私には無いですが」

「なんだと、この女……」

片方の男の手がこちらへ伸び、私の顎を乱暴につかむ。

「いい気になるなよ、捕虜の分際で……」

「……」

「なんとか言いやがれ、おい」

「……心外ですねぇ」

「はぁ?」

「私も……随分と舐められたものです」

「何のことだ」

「だって、手錠ごときで私の動きを封じたなんて思われてるんですから」

私は右手を掲げて、外れた手錠を彼に見せた。

「なっ……!?」

彼は目を見開いて、ぎょっとした表情になる。
視線が手錠に移った一瞬、私はすかさず彼の顔面に拳を叩き込んだ。

完全に不意打ちを食らった形の彼は、その場に崩れ落ちる。

一瞬遅れてもう一人の見張りが銃を構えようとするが、動作が遅くて見ていられたものではない。
それとも、私が速過ぎるのだろうか?

懐に入り、銃口を手で抑える。
こうしてしまえば、銃など無力に等しいのだ。

彼は銃撃を諦め、私を取り押さえようとするが、甘い。

自分で言うのも何だが、付け焼き刃の徒手格闘術などで私に挑むなんて命知らずもいいとこである。
まぁ命は奪わないでおくが……。

飛んできた拳を受け止め、そのままの勢いで彼を床へ引き倒す。

鳩尾に蹴りを入れると、「うふぅ」などと間抜けな声をあげて男は気絶した。

「……一佐に、連絡を入れないと」

恐らく、私からの連絡が途絶えて本部でも騒ぎになっているはずだ。
艦隊が既に撤収している、という最悪の可能性もあるが……。
そこは、一佐を信じるしかない。

「無線は、持っていない……」

見張り二人の体をまさぐって、何か役に立つものがないかを調べる。

「あ、これは……」

一人のポケットに、施設の見取り図のような物があった。

見ると、通信室は階層の上の方にあるらしい。
途中、警備が厳重そうなゲートがあるが……ダクトなどを活用して迂回できるかもしれない。

「……行きますか」

見張りの持っていたライフル、それとマガジン。
これだけあれば、それなりの戦闘も出来そうだ。

贅沢を言えばサプレッサーが欲しいところだが、そこは腕の見せどころ。
いかに戦闘を回避し目標を達成するかも、諜報員の重要なスキルだ。

ライフルを構えながら、ドアへ接近する。

どうやら、鍵はかかっていないらしい。
ドアをゆっくりと開き、敵の姿がないかを確認。

「……クリア」

素早く、だが決して焦らずに通路を進んでいく。

今日はここまでです。
ではまた。

こんばんは、本日は来れました。
では投下します。

ここの兵力がどれだけ居るのかがわからないが……移動距離が増えれば敵と遭遇する確率も上がってくるはずだ。
最短ルートを進みつつ、迂回路も頭の中で構築しながら目的地へ。

「……だから、この後の予定がだな」

「でも、それじゃあ超過勤務じゃないか」

話し声。

誰かが近づいてくる。
二人組らしい。

私は身を隠して、彼らをやり過ごす。

「……ふぅ」

どうやら、どこかへ行ったらしい。
見つからない自信はあるが、やはり目の前を通過されるのはあまり気持ちのいいものではない。

更に通路を進み、階段を登っていく。

迂回したり、身を隠したりしながら監視の目を掻い潜り、私はやっと通信室のある階層へ辿り着いた。

しかし、やはり通信室の前には見張りが常に張り付いていて突破は容易ではなさそうだ。

「……うーん」

さて、どうしたものか……。

まず、状況を再確認しよう。
今私は単独で行動している。

つまり援護は全く無い。

このまま強行突破してしまうのも方法の一つだが、果たしてヘリが到着するまで持ちこたえられるかどうか……。

それよりは、一人ずつ静かに片付けた方がまだ現実的だ。

「とにかく、入り口の二人が邪魔ですね……」

通信室の扉を挟むように、武装した見張りが二人。

そういえば、私が倒した見張りや先ほどやり過ごした見張りも二人で行動だった。
ここの警備は、基本的に二人単位で行動しているらしい。

「……やってみますか」

接近戦で奇襲するのが、やはり一番リスクが低いだろう。

私は予備のマガジンを手に取り、通信室の前に放り投げた。

放物線を描きながら、重力に従って落下するマガジン。

手榴弾か何かと勘違いしたのだろうか、二人の見張りは両腕で顔と頭を防御する体勢をとった。

今だ。

私は物陰から飛び出し、入り口の前へと一気に移動する。

次にマガジンは、ガシャ、という鈍い音を立てて床に落下した。

まだ、彼らの視線はマガジンに向いている。

そうだ、そのまま見ていろ。
一発で気持よく眠らせてやるから。

私と彼らの距離は、もう二メートルを切っている。

ここからは、私の間合い。
もう勝負はほぼ決したも同然だ。

彼らが反応するより速く、まず私は片方の頭を蹴り上げた。

つま先が相手の顎を完全に捉えた。
その衝撃で、見張りは仰け反った体勢で空中へ浮かび上がる。

まず一人目。

さて、もう一人はというと。
突然のことに理解が追いついていないのか、間抜けな表情でまだ突っ立っている。

おかげでスキだらけ、私にとってはやりやすくて結構だ。

振り上げた足を床に降ろし、一瞬だけ踏ん張る。

そして二歩ほど助走をつけて、膝を相手の鳩尾に思い切りぶち込んでやった。

「かは」と小さく声を絞り出すと、もう一人もバタリと床にうずくまる。

これでよし。

という訳で本日はここまでになります。
ではまた今度。

どうもこんばんは、結構間があいてしまいました。
では投下します。

気絶した二人を物陰に隠し、通信室の扉をゆっくりと開ける。

暗い室内に、モニターの明かりだけが浮かび上がる。
どうやら人は居ないようだ。

私は銃を下ろして、通信機の操作盤に手を付けた。
ダイヤルやら何やら、難しそうな装置がたくさん。

横にあったヘッドセットをつけて、ダイヤルを回す。
ノイズがヘッドホンから聞こえてきた。

「えーと、周波数は……」

指定の周波数へ合わせ、受信状態にすると一佐の声が聞こえてきた。

慌てているのか、マイクが入ったまま何やら言っている。

「一佐、聞こえますか。呉織です」

「呉織か!」

私だとわかるや否や、一佐は大きな声をあげる。

「今何処にいる、いきなり通信が切れたようだが」

「一旦捕虜になりかけましたが……なんとか逃げ出しました。でもこのままでは厳しい状況です、支援を」

「了解した、今すぐ強襲部隊を出撃させる。それと、何か見つけたか?」

「えぇ、デウス・エクス・マキナの中枢を」

「……やはり、存在したんだな」

「設備自体は揃ってるようですが……中枢となるシステムはまだ未完成のようです」

「そうか。そちらに到着するまでだいたい十五分だ、それまでどうにか持ちこたえろ!」

「了解です」

「すぐに行く、待っててくれ」

私はヘッドセットを外し、再び銃を構えた。

ヘリがここへ到達するまで、恐らく十五分ほどかかるだろう。
その間持ちこたえれば、勝機はある。

とにかく、ここに居座り続けるのは得策ではない。
私はまず建物の外に出ることにした。

外ならば照明が少なく遮蔽物も多い。
それに最悪の場合、海に飛び込むという方法も可能だ。

本当に最後の手段だが……。

私は再び階段を降りていく。

正直に言うと一刻もはやくやすなさんの元へ向かいたいが、まず一佐達と合流するのが先決だ。

幸い、見張り達はまだ私が脱走したことに気がついていないらしい。
巡回の者、そして監視カメラに十分注意しながら中を進む。

もうすぐ、外に出られそうだ。

「次の角を左ですね……」

ルートを確認しようと、一瞬だけ見取り図に視線を落とした。

その次の瞬間。

「あ」

「え」

ばったりと、一人の見張りと鉢合わせになった。

突然の事に、お互い動きが止まる。

だが幸い、私は武器を持っていた。
相手は休憩中なのか、丸腰で。

とっさに銃を向けると、彼はさっと両手を上げた。

私は銃口を彼に向けたまま、ゆっくりと外へ繋がる扉の方へ動いていく。

彼は両手を上げたまま、じっと私の方を見ている。
 
緊張がその場を支配する。

お互いに、相手の次の動きを探り合って。

先に仕掛けるか、それとも相手が動くのを待つか。

私は横目で外を窺った。
まだ夜中、十分暗い。

照明は申し訳程度についているが、夜の闇を暴くにはあまりに頼りない。

これなら、隠れる場所も十分にありそうだ。

私は再び見張りの彼に視線を戻す。

相変わらず両手を上げ、体では降伏を示している。
しかし、その目は私を睨みつけて「すきあらば反抗してやるぞ」と言った意思を感じた。

次の一瞬が、勝負だ。

おそらく彼も同じことを考えていたに違いない。

次にどちらか行動を起こせば。

合図を出せば。

一気に事態が動き出す。

「……」

「……」

お互い一言も発さずに、相手の目を見つめている。

鉢合わせてから、時間にしてわずか数十秒。

緊張の糸が二人の間に張り詰める。

永遠にこの状況が続くんじゃないか、と思い始めた時。

緊張の糸が切れた。

「……は」

彼の口角が僅かに上がり、口から息が漏れた。

笑ったのだ。

人間、笑ってはいけないような時ほど笑ってしまう。

私はその一瞬をついた。

一気に体を反転させ、足に力を込める。
そうして外に飛び出した。

彼は彼で、慌てて来た道を引き返していく。

直後に叫び声が聞こえてきた。

「敵だ!敵が居た!」

状況が、一気に転がり出す。

私はまず身を隠せる影を探した。

はっきり言って、この状況で真正面で撃ちあうのは馬鹿のやることだ。

援護が来るというのは既に確定している。
ならばそれまで待てば良い。

恐らく、だいたいあと五分。

それだけ持ちこたえれば、状況はこちらへ傾くはず。

少し遅れて、サイレンが響き始めた。

「捕虜が脱走した!現在は施設外に居るとの情報あり!総員警戒、捜索に当たれ!」

スピーカーが、偉そうにがなりたてる。

今日はここまでになります。
ではまた今度、おやすみなさい。

どうもこんばんは、かなり速度が落ちてますがなんとかじわじわと進んでおります。
では投下。

兵士たちは、慌ただしく辺りを駆けまわり始めた。

どかどかと、ブーツが床を打つ音が聞こえる。

見張り台には兵士が陣取り、ライトで辺りを照らしだす。

「居たか」

「一体何人逃げたんだ」

「あそこを重点的に探せ!」

「数人こっちへ回してくれ」

「間違って味方を撃つなよ!」

あちこちで、兵士たちの声。

数がだんだんと、増えていく。

いくらアーケロンが広いと言っても、所詮は洋上プラットフォームだ。
大人数でくまなく施設内を捜索されるとなると、見つかるのも時間の問題だろう。

なるべく同じ場所に留まることを避け、時間稼ぎに徹するしかない。

影から影へ、音を立てずに。
そうして、完全武装の兵士たちをやり過ごす。

「ちょっと、厳しいかも……」

兵士の数は、更に増える。
なんとか監視の目をすり抜けては居るが、このままでは……。

「出てこい!逃げても無駄だ!」

私を狩り出そうと、兵士が声を上げながらこちらへ近づいてきた。
見つかる。

その場から離れようと移動するが、数歩進んだ所で私はまた動きを止めた。

別の兵士が、同じようにこちらへ歩いてくる。
まずい、挟まれた。

ふたつの足音は確実に接近していた。
仕方ない、目立たないように排除しよう。

近づいてくる足音に聞き耳を立て、距離を測る。

二十メートル、十五メートル。
一歩一歩、大きくなっていく足音。

さぁ、行こう。

視線を上へ向けていた兵士に、私はまた一気に近づく。

少し遅れて、兵士が私に気がつく。
でも、やはり遅い。

手刀で喉を一突き、これで声も出まい。

前のめりになった所で、頭に一発蹴りを入れた。
派手に体を回転させ、勢いを失ったコマのように地面に倒れる。

そして次の瞬間、背後に気配。

振り返ると、私の姿を視界に捉えた兵士が銃を構えようとしていた。

彼の方向へまっすぐと突っ込んでいく。
私が逃げるとでも思っていたらしい彼は、一瞬たじろいだ。

私はそのままの勢いで、肘鉄を鳩尾に叩き込む。

だが、少し遅かった。
倒れる直前、彼が引き金を引いたのだ。

パパパ、と三発。

銃声が響いて、弾丸が空中へ飛んで行く。

「銃声がしたぞ!」

「敵か!」

「あそこだ!居たぞ!」

見張り台のライトが、私の方を向いた。
眩しくて、思わず目をしかめる。

直後にがあちこちから聞こえてくる。
同時に、私の周りに弾丸が降り注いだ。

「くぅ……っ!」

弾丸が私の横をかすめ飛んで行く。
一体どれほどの銃口が今、私を狙っているのだろうか。

適当に撃ち返しながら、とにかく私は走り続けた。

だが、逃すまいとライトがずっと私を追ってくる。
時々フェイントをかけて、照射を避けようとしてみるが上手くいかない。

ライトが私の居場所を示し続ける。
そのせいで前から、後ろから。
あらゆる方向から。

兵士たちが私のいる場所に向かって殺到した。

そしてとうとう、私はヘリポートに追い詰められた。
近くにあったコンテナの影に隠れたが、もう逃げ場はどこにもない。
ライトはしつこく私の方を見続けているし、銃を構えた兵士がじりじりとこちらへと寄ってきている。

ここまでか……?

私は眼下に広がる海を見た。

海面から、ここまでだいたい二十メートルほどだろうか。
うまく飛び込めば、怪我も無く逃げられるだろう。

援護も来る気配がしない。

ここはもう、最後の手段に出るしか……。

そう思って、助走をつけようとした直後。

機関銃の音が轟いた。




という訳で本日はここまでになります。
ではまた今度、さようなら。

 どうもこんばんは、早速投下です。

少し遅めの発射速度。
腹の底に響くような、重低音。

そして、それと一緒にやってきた空気を叩くような音。

「来た……!」

空を切り裂くように、機体のライトが光っていた。

援護のガンシップが、到着したのだ。

ガンシップはそのまま、アーケロン上空を旋回しながら時折機関銃を発射した。

大口径の弾丸が、敵の頭上に降り注ぐ。

「呉織ーーーッ!」

空から、声がする。
見上げると、開け放たれたヘリのドアから身を乗り出す一佐の姿。

「こいつを使え!」

彼が何かを放り投げた。
私は数歩移動して、その何かが飛んでくる軌道に体を重ねる。

両手でキャッチしたものは小型の無線機だった。

すかさず耳にイヤホンを入れ、マイクのスイッチを入れる。

「一佐!」

「呉織!大丈夫か!」

「囲まれてます、援護射撃を」

「了解。アーチャー1、援護だ!撃て!」

「アーチャー1了解」

再び、射撃音。
ヘリから撃ち下ろされる弾丸に、兵士たちが薙ぎ払われた。

ついでとばかりに、見張り台のライトも穴だらけにされる。

「クリア!LZ確保!」

「よし、いいぞ!乗員を降下させる!」

一佐達の乗ったヘリが、ヘリポートの真上でホバリングする。

だがその時、ヘリのアラートが危険を告げた。

「ミサイル!回避、回避!」

上空のガンシップが、アクロバットさながらの動きでフレアを放出する。
直後、発射されたミサイルがヘリの横を掠めていく。

間一髪、直撃は免れたようだ。

「対空ミサイルなんて聞いてないぞ!」

「呉織!SAMを片付けてくれ!これじゃ降りられない!」

「位置は分かりますか?」

「こちらからは確認できん!そっちで発見してくれ!」

コンテナの影から、周囲を見渡す。
すると一人の兵士が、今まさに次のミサイルを撃とうとしているのが見えた。

私はライフルを構えて、彼に照準を合わせる。

そして、引き金を引く。
連続して三発。
短い発射音が三つ。

兵士は胴体に三発の銃弾を受け、よろめく。

そのまま、何か叫びながら海へ落ちていった。

「SAM、排除しました」

「よくやった」

「こちらアーチャー2、SAMを排除」

「他に何かいるか?」

「今のところ、対空兵器の類は見られません」

「わかった。よし、降りるぞ!ガンシップは警戒を怠るな!」

再び、ヘリポートの上でヘリが静止する。
もう一機の兵員輸送ヘリも、アーケロン上部のヘリポート上でホバリングしている。

そして、ヘリからロープが放り出された。

「GO!GO!GO!」

掛け声とともに、ロープから一斉に隊員たちが降下する。

最初に降りた四人が、すぐに銃を構えて周囲を警戒した。

そしてまた四人、また四人とヘリポート上に降り立っていく。

その中には一佐の姿もあった。

「一佐!」

私は彼のもとへ駆け寄った。
一佐も私に気がついたようだ。

「呉織!無事でよかった!」

「えぇ、なんとか……」

「間に合ったようでなによりだ」

「ギリギリでしたけどね……それと、一佐?」

「なんだ」

「それは……」

私は、一佐の持っている軽機関銃に視線を落とした。
屋内戦闘用に、カスタムされているように見える。

「これか?」

「一佐も突入なさるんですか?」

「私は現場指揮官だからな。当たり前だろう」

そう言って、銃を持ち上げてみせる一佐。
幹部が機関銃担いで現場に乗り込むなんて初めて聞いたが……。

それに彼が戦闘している姿など、普段の様子からは全く想像もつかない。

「心配するな、私だって元レンジャーだ。足手まといにはならんよ」

「……初耳です、それ」

「今はじめて話したからな」

そう言いながら一佐は銃のチェックをする。
手慣れた動作から、ベテランであることが伺えた。

元レンジャーというのは、本当らしい。

という訳で本日はここまでです。
ではまた今度、さようなら。

どうもこんばんは、早速投下していきます。

「それと、お前……そのライフルを使うつもりか?一応予備の小銃は持ってきたが」

どこにあったのか、隊員たちが使用している小銃を取り出す一佐。

「マガジンは二十発タイプ、予備含めて四つの八十発だが……足りるよな?」

「十分です」

「よし、じゃあそっちのは回収するぞ。一応証拠品ってことでな」

持っていたライフルを一佐に渡し、代わりに小銃を受け取る。

軽く点検をしてみるが、よく整備されている。
これなら全く問題なし、今すぐにでも戦えるだろう。

マガジンもポーチにしっかりと入れて、準備は万端。

「部下も二人連れて行くぞ、お前が先行してくれ」

「了解」

「よし行け、ポイントマン。後ろは私達が固める」

「はい!」

隊形を組んで、私たちは再び施設内へ。

狭い通路をクリアリングしながら、奥へと進んでいく。

先ほど使っていたライフルと比べて、今持っている小銃はやはり扱いやすい。
短いので嵩張らず、動作も快適だ。

「コンタクト!」

敵を発見、二人いる。

彼らもライフルを構え、応戦しようとしてくる。

だが、閉所戦闘では私達の装備が有利だ。
敵が引き金を引く前に、こちらから弾丸を叩き込む。

哀れ、敵は一発も撃ち返すこと無く無力化される。

「クリア!」

「よし、いい調子だ」

囲まれないように気をつけながら、施設の奥へと進んでいく。
無線からは、やれ証拠を押収した、やれどこを制圧したとの報がひっきりなしに入ってくる。

そのまま進んでいくと、施錠されたドアが進行を阻んだ。

近くにあった表示を見ると、ここから先が研究室のある区画になっているらしい。

「この先ですね、しかし鍵が……」

「仕方ない、マスターキーを使うことにするか。やれ」

「はっ」

一佐が顎でドアを示すと、隊員の一人がショットガンで鍵を吹き飛ばした。
更にダメ押しでもう一発、今度はドアに穴が開く。
そして最期は、力に任せてドアを一蹴り。

「クリア、敵影無し!」

障害は完全に取り除かれた。
見た目はいささか乱暴だが、実に鮮やかな手際である。

再び私が先行して、周囲を警戒する。

「……妙ですねぇ」

「どうした」

「……あまりに静かです」

敵の気配が全くしない、いや……。

意図的に消されているとでも言ったほうが良いのだろうか。

まさか、また罠か?

「無警戒過ぎます……」

「……しかしな、あまり時間をかけるとこっちが不利になるぞ」

「バックアップチームが欲しいですねぇ」

「わかった、増援を要請だな」

一佐が無線で別働隊を呼び寄せる。

私たちは、速度を少し緩めて区画内を探索することにした。

中に僅かに残っていた研究員達は、全員丸腰で抵抗の意思は皆無である。

とりあえず本日はここまでになります。
ではまた今度、さようなら。

どうもこんばんは、お久しぶりです。
では投下していきます。

「……これで、全員ですか?」

「は、はぁ……あとは全員ここから出たはずです……」

研究員の一人に問いただすと、気弱そうな眼鏡の男が答えた。

出た、と言うのは脱出したということか?

「デウス・エクス・マキナの中枢はどこにあるんです?」

「それは、その……」

「答えなさい」

「制御システムは、この区画の一番奥にあります。ただ……」

「ただ?」

「そこへ入る権限を持った人物が、ここには居ないので……」

「権限……ですか」

「制御室には、折部主任しか入れないことになってるんです」

「……その主任は今何処に?」

「制御室に……」

「他に入る方法は?」

「む、無理です!我々なんかではどうしようも……」

制御室に籠城というわけか……これは面倒な事になった。
一佐にその事を伝えると、彼は難しそうな顔をした。

「何、籠城してる?」

「えぇ……ここに居た職員達では開けられそうにないみたいですし……」

「参ったな……この際爆破でもするか?」

「下手にやると、システムを損傷する可能性がありそうですねぇ」

「だよなぁ……しかし交渉に応じるような相手か?」

「……それも、難しいでしょう」

彼女が交渉に応じるとは到底思えないし、強行突破もあまり得策とは思えない。
状況は八方塞がりといった所か……。

「これじゃどうしようも無いぞ、いっそ施設ごと沈めるか」

「……冗談ですよね?」

「……割りと真剣に考え始めている」

「そんな……」

「支柱に速射砲でも撃ちこんでやれば、そう難しいことでも無いだろう」

「……それは、そうですが」

「まぁ、これは最後の手段だ……できれば穏やかに済ませたいな」

「一佐!」

私達が頭を捻っていると、隊員の一人が慌てた様子でやって来た。
どうやら何か見つけたらしい。

「収容区画と思われる場所から、多数の民間人が……」

「民間人?」

「とにかく来て下さい!」

「行きましょう、一佐」

「あぁ」

「こっちです!」

彼の後を、小走りで付いて行く。
すると真っ直ぐ伸びた廊下の両側に、扉が整然と等間隔で並んでいる場所が現れた。

奥の方では、隊員たちが扉をこじ開けているのが見える。
ガン、ガンという耳に痛い音があたりに響き渡っていた。

隊員たちは、無駄のない動きで次々とドアのロックを解除して中に居る民間人を次々に救い出していく。
まだ中に残された人達も、助けが来たと歓喜の声をあげていた。

「あぎり……?」

「え?」

あるドアの前を通りすぎようとした時、か細い老人の声が私の耳に飛び込んできた。
声のする方へ視線を向けると、覗き窓の中に見慣れた顔があった。

「は、博士……!」

「あぎり……!やはり君だったか……!」

「無事だったんですね!」

「なんとかな……痛た……」

「博士?」

「いや、こうずっと中にいたものでな……腰が……」

「とにかく、今開けます!下がってください!」

「あぁ……お手柔らかに頼むよ」

部屋の奥へ博士が避難したのを見届けて、私も扉から一歩距離を置く。
跳弾に気をつけながら、セミオートで三発。

ドアノブと鍵が弾け飛んで、ゆっくりと扉が口を開ける。

そしてその奥に、うなだれながら座り込んでいる博士の姿。

「博士!」

「騒がしいと思ったら……君たちだったのか」






 という訳で本日はここまでになります。
ではまた今度、さようなら。

どうもこんばんは、投下していきます。

疲れたような表情で、博士が私を見上げる。
見たところ目立った怪我はなさそうだが……。

「お怪我は?」

私は彼に手を差し伸べた。
しかし、博士はその手を払いのけて自分で立とうとする。

「大丈夫だ……自分で立てる」

膝に手をつきながら、ゆっくりと。
彼はぎこちない動きでよろよろ立ち上がる。

しかし次の瞬間、彼はがくりと倒れこみ床に膝を突いた。

「博士!」

「ぬぅ……」

「無理です、そんな状態では……」

「だが……あたた……」

彼は苦悶の表情を浮かべ、歯を食いしばる。
思った以上に腰の状態がよくないらしい、これでは歩くのもままならないだろう。
私は彼に肩を貸す。

「今ヘリポートまでお連れします。それまでなんとか……」

「……すまないな、あぎり」

「いいえ、これくらいは」

よろよろと、足元がおぼつかない博士を支えながら部屋を出る。
周囲を見ると、収容されていた人達は既に全員が部屋の外へ出たようだった。
どうやら、私達が最後らしい。

少し遅れて、一佐が隊員を連れてやって来た。

「呉織!怪我人か?」

「怪我、というほどではなさそうですが……介助が必要ですね」

「わかった、別の班に引き継がせる。私達はこのまま……ん?」

一佐は無線を取り出し、小声で何やら話し始めた。
本部からの通信だろうか、頷きながら会話をしている。

「あぁ……あぁ、それで……何?本当か!」

突然、彼が大声をあげた。
私を始め、他の隊員たちも何事かと彼に目を向ける。

緊迫した空気の中、彼は静かに通信を切った。

そして一呼吸置いて。

「……全命令撤回!総員、即時撤収!急げ!」

その場に居た全員が、どよめいた。
隊員たちは顔を見合わせている。

「て、撤収ですか?」

「そうだ、時間がない。今すぐ艦に戻るぞ」

「一体何が……」

「……アメリカが動き出した。爆装したF-16が三機、三沢を発進したと報告があった」

「F-16が……?」

爆装、ということはつまり……。
まさか、私達もろともアーケロンを沈めるつもりだとでも言うのだろうか?

「おそらくあと三十分ほどで到着するはずだ、戻るぞ!」

「デウス・エクス・マキナは……」

「無理だ!そんな時間はない!」

「ですが!」

「これは命令だ!撤収するぞ!」

「一佐……!」

「呉織、時間切れだ。我々にはどうしようもない……ここまでだ」

もう少しなのに。
こんな形で邪魔が入るなんて。

やすなさんはどうするつもりだ?
戦闘機の接近に、気がついていないわけがない。

まさか、彼女と心中するつもりじゃ……。

「……そんなこと」

「おい!聞いてるのか!」

「そんなこと、絶対に……!」

「呉織!」

一佐の命令は、至極真っ当なものだ。
指揮官としては、当然の判断だろう。。
普段ならすぐに命令に従っているはず。

だけど、今回ばかりは。

今だけは。

「……私は、残ります」

「何を言っているんだ!」

「デウス・エクス・マキナを止めに行かなくては」

「馬鹿を言うんじゃない!」

「駄目だあぎり、行っては駄目だ!」

「博士……?」

隊員を押しのけて、今度は博士が私を引き止めた。
彼は必死の形相で私に語りかけてくる。

という訳でここまでです。
ではまた今度。

どうもこんばんは、投下していきます。

「このまま……沈めてしまうのが一番だ……」

「……しかし」

「デウス・エクス・マキナの中枢システムは……」

「ソーニャ、ですよね」

「見たのか……!?」

「えぇ」

「ならば、なおさらだ……!あれは、もう私達が触れて良いものではない……!」

「……でも」

私の記憶を取り込んだデウス・エクス・マキナの中枢は、おそらく完全な物となったはずだ。

これから私を待ち受けているのは、やすなさんと……。

「ソーニャが、待ってるんです」

完全な姿の、十五年前の彼女。

私は、死者に触れると言うタブーを犯すことになるだろう。

そして最終的には、彼女を。

ソーニャを。

私の手で、消さなければならない。

「爆撃でここが沈んでも、本体とシステムの破壊が確定しないかぎり完全な消滅とは言えません」

「あぎり……」

「……ここで断ち切らなければ」

ここで、すべてを終わらせなければ。

そのチャンスは、今しかない。

「……どうしても、行くのかね」

「……終わらせてきます。すべて」

「すまない……君に背負わせてしまう事になる……」

「いいえ、これは私が望んだことです。それに……」

もう一人の、彼女も。

「……やすなさんも、私の大切な人ですから」

「やすな……あの主任……」

「……彼女も、止めないと」

「……そうか」

暫し、沈黙が場を支配する。
博士は俯いて、何も言わない。

私は銃を構え直し、制御室へと続く通路を見つめた。
この奥に、彼女たちが居る。

「おい。呉織」

今度は、一佐が私を呼び止める。

「……命令違反なのはわかってます」

「本当に行く気か」

「……はい」

「……わかった」

一佐が、ため息をつく。

「まったく……私も大変な部下を持ったものだ」

「……すみません」

「よし、ならばさっさと片付けに行こうじゃないか」

「え?」

私の隣に、一佐が並んで立つ。
彼も通路の奥を、真っ直ぐに見据えていた。

「さっきと同じように、お前が先行。私は後方でバックアップだ。用意はいいか?」

「一佐……」

「いいか、限界だと思ったらすぐに引き返すからな」

「……ありがとう、ございます」

「お前一人だけ、置いていけるものか」


そう言って、一佐は少しだけ笑った。
いつもの白い歯が、輝いて見える。

「俺も行きます!」

「自分もであります!」

他の隊員たちも、そう申し出てくれた。
だが一佐は、そんな彼らを制止する。

「お前らはヘリポートへ向かえ。全員、無事に艦へ戻るんだ。それがお前らの仕事だ」

「ですが、お二人だけでは……」

「これは呉織の問題で、俺はそれに乗っかっただけだ。お前らの仕事じゃない」

「はぁ……」

「それに、現役のエージェントと元レンジャーの二人で行くんだ。戦力的には十分だろ?」

「……了解しました、お気をつけて」

隊員たちは私達に敬礼をすると、皆一斉に来た道を引き返し始めた。
やはりその動きは、整然としている。

たくさんの足音が、遠ざかっていく。

再び騒がしくなった通路で、博士が小さく呟いた。

「……あぎり」

「なんですか?」

「ソーニャを、頼んだよ」

「……わかりました」

「……気をつけてくれ」

そう言い残した彼の足音が、ゆっくりと遠ざかっていく。
足取りは遅いが、その一歩一歩は確かなものだった。

しばらくして、その足音も聞こえなくなった。
さっきまでの騒がしさがまるで嘘の様に、辺りは静まり返っている。

全員がいなくなったのを見届けてから、一佐が腕時計をちらりと見た。

「……爆撃隊の到達まで、およそ二十五分だ。行くぞ」

「了解」

私たちは、再び施設の奥へと進んでいった。
薄暗い通路に、私達二人だけの足音が響く。

「……本当に何もないな」

「戦闘員も、全員いなくなったようですね」

「ここまで何もないと、逆に気持ちが悪いぞ……」

「また罠があるかもしれません。油断は……」

「わかってる」

相変わらず、敵の姿はない。
しかし、油断は禁物だ。
お互いの死角をカバーしあって、私たちは前進し続ける。

結局、まったく妨害を受けること無く私たちは制御室の目前へ辿り着いた。

しかしそこで私達の前に、文字通り壁が立ちふさがった。
制御室へ続く道は、隔壁で閉ざされている。

「……そう簡単に入れてくれそうにはありませんね」

「あぁ……だが操作パネルがあるな」

「……どう思います?」

「こうもこれ見よがしだとな……罠じゃないか?」

「でも、あそこ以外に通り道は無さそうですねぇ……」

「うむ……」

「……とりあえず、パネルを操作してみます。一佐は警戒を」

「怪しいと思ったらすぐ戻れ、いいな」

慎重に、パネルへと接近。
壁や天井を隅々まで確認するが、トラップの類は無さそうだ。

パネルを見ると、モニターに赤い文字で「ROCK」と表示されている。
ボタンを操作すると、すぐに施錠は解除できた。

「解除しました、今開けま……」

そこまで言いかけた時。

突然ガコン、と音がしたかと思うと。
どこに隠されていたのか、別の隔壁が素早く天井から降りてきた。
操作していた隔壁にも、自動的にロックがかかる。

「まずい……!」

慌てて駆け寄るが到底間に合わず、私と一佐は離れ離れになる。

私は、二枚の隔壁の間に閉じ込められた形となった。

「呉織!おい、呉織っ!」

向こうから、くぐもった一佐の声がする。
それに、拳で壁を叩くような音も。

「一佐!」

「下がってろ!」

私は言われたとおりに、隔壁から一定の距離を取る。

直後に、軽機関銃の射撃音と銃弾が跳ねる音が聞こえてきた。
しかし壁はびくともせず、ガンガンと鳴るだけだ。

「くそっ、駄目か!」

「無理です、C4でもなければ……」

「今出してやる!少し待て!」

「ダクト類が無いか、探してみます」

とは言ったものの、一見しただけでも床や天井、壁に切れ目や点検口は全く無い。
ここから脱出するには、前後の隔壁をどうにかするしか方法は無いようだ。

だが、今の私の手元に爆薬などあるはずがない。

それにそんなことをしていたら時間が無くなってしまう。
彼女を連れ出すどころか、このままでは何も出来ずに海の藻屑だ。

でも、どうやってここから出ればいい?

今の私に出来ることといえば、意味もなく壁を殴ることくらいだ。

「……やすな、さん」

私の拳が、壁を殴りつけた。

「やすなさん……!」

ドン、ドンと鈍い音が周囲に響く。

「開けてくださいよ、やすなさん……!」

どうせ、彼女は私の様子を監視カメラなんかで見ているはずだ。
一体、どんな顔で私の事を眺めているのだろう。

何度壁を殴ったところで、状況が変化することはない。
変わったことと言えば、手の感覚が麻痺したくらいだ。

私は壁に両手をついて、そのまま動かない。

物理的な手段は、もう万策尽きた。
最後に私に残された事と言えば。

「お願いです……」

それは、懇願だった。

「ソーニャに、会わせてください……」

すると、その言葉を待っていたのか。
それとも、ただ機械の設定による偶然なのか。

制御室側の隔壁が、ゆっくりと開いていく。

真っ直ぐ伸びる白い通路。
その奥に、一つの扉。

その上には、コントロールルームと英語のプラカードが張り付いている。

これは、つまり。

私一人で来い、ということなのだろうか。

「……きっと、そういうことですよね」

私と、やすなさんと。
そして、ソーニャと。

十五年ぶりに三人で集まろう、と。

扉の向こうから、彼女が私を呼んでいるような気がした。

「おい、聞こえているか?そっちはどうだ」

後ろの壁の向こうから、一佐の声。

「一佐」

「どうした」

「制御室側の隔壁が開きました。ここから先は私一人で行きます」

「……ふざけてるのか?」

「今、制御室へ迎えるのは私だけです。このままでは何も出来ないうちに時間切れになってしまう」

「却下だ、危険過ぎる」

「私は、行きます」

「駄目だ!その場で待機しろ!」

「……一佐だけでも、戻ってください」

「くそ……!」

ドン、と向こうから、隔壁を殴る音がした。

しかし、現状ではこれが最善の方法だと言うことは彼もわかっているはずである。

それに、ここから先は私の……。
いや、私達の問題なのだ。

私達、三人の。
あの教室の思い出を、共有した三人の。

それに一佐を、巻き込むわけには行かない。

「……呉織」

「なんですか?」

「……お前の案を受け入れよう。制御室へ向かえ」

「ありがとうございます」

「私達はヘリポートで、ギリギリまで待っているからな」

「了解です」

「いいか、絶対に戻ってくるんだ。間違ってもここで海の底に沈むことは許さん」

「……えぇ」

「……行ってこい!」

「はい!」

私は、制御室へ。
一佐は、ヘリポートへ。

お互いの足音が、遠ざかっていく。

という訳で今回はここまでです。
ではまた今度。

どうもこんばんは、投下していきます。

一佐の足音が聞こえなくなった頃、私は制御室の目の前に立っていた。

扉は、半自動式のスライドドア。
横には、IDカードを通すための機械とボタンが並んでいる。

扉の状態を示すLEDはグリーン、鍵はかかっていない。

私はボタンを押して、制御室の扉を開いた。

「これが、制御室……」

無数のモニターが乗った机が、まっすぐに奥へと続いている。
そして、突き当りには大きなガラス。

その向こうにあるのは、一際巨大なモニターに沢山の機器類。
あそこがメインの制御システムだろうか。

そして、その手前の椅子に座っている彼女。

「……やすなさん」

「ようこそ、あぎりさん」

折部やすな。
ソーニャを蘇らせた、張本人。

私は銃を構えて、ガラスの向こうにいる彼女に照準を合わせた。

「……投降してください、やすなさん」

「私はそんな話をするつもりは無いですよ、あぎりさん」

引き金を引く。
セミオートで、三発。

飛んでいった弾丸を、ガラスが受け止めた。
着弾した場所から放射状にヒビが広がって、周囲が白くなる。
貫通はしていないようだ。

やはり防弾ガラスか。

「今のは警告です、次は当てますよ」

「そんなおっかない事、言わないでくださいって」

余裕そうな表情で、彼女は一歩も動かない。

「もうすぐ攻撃隊がやって来ます。どのみちアーケロンはもう終わりですよ」

「……あぎりさんは、その程度でデウス・エクス・マキナが葬れると思ってるんですか?」

「……何が言いたいんです」

「いい機会です、彼女の力を見せてあげましょう」

彼女はそう言うと、椅子ごとくるりとモニターの方を向いて軽快にキーボードを叩きだした。

モニターに電源が入り、その大画面に地図が表示される。
 
左端に、日本列島の一部。
そして海上を進む、三つの矢印。

綺麗に編隊を組んだ矢印は、真っ直ぐ右下にある光点へ向かっている。

あの光点はアーケロン?

ということは、あの矢印は三沢から発進した攻撃隊なのだろうか。

「確かこの回線で……よし、捉えた」

彼女がそう呟くと、今度は雑音混じりの音声がどこからともなく聞こえてきた。

ザァザァと言うノイズの合間に、人の声がする。

「こちら、トゥーキー1。レーダーコンタクト。アーケロンを補足した」

「こちら、ミサワ。武器の使用を許可する。アーケロンを破壊せよ」

「ミサワ、もう一度言ってくれ」

「繰り返す、アーケロンを破壊せよ」

「……了解、アーケロンを破壊する。遅れるな、トゥーキー2、3」

「トゥーキー2、了解」

「トゥーキー3、了解した」

彼らは淡々と、ここへ爆弾を降らせる準備を整えていく。

しかしやすなさんは、全く慌てること無くキーボードを叩き続けている。

「これが、一体どうしたっていうんですか」

「せっかちだなぁ、あぎりさん……もうちょっと待って下さいよ」

アーケロンが海の藻屑になるかどうかの瀬戸際だと言うのに、この余裕は一体何なんだろうか?
その間にも、爆撃の準備は着々と進んでいく。

「目標、ロックオン。合図で一斉に投下の後、速やかに離脱する」

「コース適正、このまま真っ直ぐだ」

「誤差に注意」

翼が、風を切る音がだんだんと近づいて来るのがわかった。
彼らはもう、私達のすぐ上にいる。

「やすなさん!」

「まぁ見てて下さいってば」

「投下用意……投下!」

私は咄嗟に、床に倒れこんで頭を守る。
だが、そんな私を見て彼女は心底おかしそうに笑っていた。

「あはは!あぎりさん、大丈夫ですよ。ここに爆弾なんか降ってきません」

直後、パイロットが爆撃失敗の報告を管制塔に伝えた。

「……こちらトゥーキー1、爆撃失敗!」

「こちらミサワ。トゥーキー、何があった」

「投弾できず、接触不良か?」

「もう一度だ、トゥーキー」

「了解」

彼らはもう一度、旋回して再攻撃をするつもりらしい。
だが、突如。
三番機のパイロットが悲鳴をあげた。

「な、なんだ!?コントロールがきかない!落ちる!」

「トゥーキー3!どうした!」

「制御不能!制御不能だ!うわああああ!!」

彼の声が、ノイズでかき消される。
落ちた、のか?

「トゥーキー3!おい!応答しろ!」

「こちらミサワ、どうしたトゥーキー」

「三番機が落ちた!」

「敵からの攻撃か?」

「いいや、自分から海面に突っ込んだ!救助を頼む!」

無線の向こう側は、一気に大混乱に陥った。
怒号が飛び交うなか、また次の犠牲者が出る。

「ん……なんだ、操縦が……!」

「トゥーキー2!どうした、動きがおかしいぞ」

「操作を受け付けない!」

「なんて事だ……脱出しろ!急げ!」

「了解!……駄目だ、ベイルアウト出来ない!助けてくれ!助けてくれっ!」

「引き起こせ、トゥーキー2!」

「む、無理だ……!わああっ!」

また一人の声が、ノイズに飲み込まれていく。
程なくして、一番機も彼らと同じ運命を辿った。

管制塔が何度も攻撃隊に呼びかけるが、返事はない。

そのうち、管制塔からの交信も無くなった。

ただノイズだけが、スピーカーから流れ出ている。

「……これで、邪魔者はいなくなりました」

「……一体何をしたんです」

「簡単な話です、機体の制御システムを少し乗っ取ったんですよ。そうすれば、後はもう思いのまま……」

椅子から立ち上がり、ゆっくりと歩きながら彼女は説明する。

「デウス・エクス・マキナに出来ないことはありません。本気を出せば戦闘機どころか、駆逐艦、衛星兵器、それに……」

「……核、ですか」

「その通り!やっぱり理解が早いですねぇ、あぎりさん!」

まるで、なぞなぞで遊ぶ子供のような反応をする彼女。

やすなさん、あなたは……。

「あなたは……!一体ソーニャをどうするつもりなんですか……!」

「……別に、どうするつもりもありません」

彼女が、椅子に座り直す。

「完全な世界統治だの、平和な世界だの。この仕事を持ってきた彼らはそんなことを抜かしましたが……。私にとってはそんな事、正直どうだって良いんですよ」

「なら、どうしてこんなことを……」

「……ソーニャちゃんのいる世界を、私の中に取り戻す。私のやりたいことはそれだけです。そのために世界がどうなろうと、知ったことじゃない」

そして天井からは、見覚えのある装置が降りてくる。
私の記憶を取り込んだあの装置が、今度はやすなさんの頭に張り付いた。

「ほら、あぎりさん。もうすぐソーニャちゃんに会えるんですよ」

「ソーニャは、死んだんです。いくら彼女を正確に再現しても……」

「いい加減受け入れて下さい、ソーニャちゃんはここに蘇る。私が蘇らせる」

「あなたこそ受け入れたらどうですか!彼女は!ソーニャは!十五年前に死んだんです!」

「そんなことわかってるって、言ってるじゃないですか!」

お互いに声を張り上げて、まるで子供のような言い合いを繰り広げる。
もしガラスで私達が隔てられていなかったら、掴み合いの大喧嘩に発展していたかもしれない。

「だから、一からソーニャちゃんを作り直すんです。もう一度、私の手で……また……」

「……まだ、引き返せます。お願いです、もう……こんなこと……」

「どうですか、あぎりさん……あぎりさんもこっちに来ませんか?」

彼女が、優しく語りかけてくる。

今にも泣きそうな顔で。

「あぎりさんも、言ってたでしょ?もう一度……ソーニャちゃんに会いたいって」

今にも消えそうな声で。

「こっちで一緒に、ずっと……また三人で、楽しいことしましょう?ね?」

「……確かに、ソーニャに会いたい気持ちは今でも変わりません。でも……」

でも、私は。

「……私は……あなたみたいに……ずっと立ち止まり続けることが、出来ないんです」

彼女は、この十五年間。

ずっとソーニャをあの時のままで。
「忘れてしまいたい」と言う自らの心から。
ソーニャを守り続けてきたのだろう。

私は忘れることしか出来なかった。
自分を守ることで、精一杯だったから。
彼女みたいに、時間の流れに逆らい続けられるほど。

強くなかったから。

「……やっぱり、私は」

とても、愛情深くて。
優しくて。
その一途な思いが、眩しくて。

それ故、狂ってしまった彼女の姿が。

とても悲しくて。

「……私はあなたとは、行けない」

前へ進んだ私と。
留まり続けた彼女。

二人の距離は、とても遠く離れてしまった。

もう、どんなに叫んでも。
どんなに伝えようとしても。

お互いの心に、お互いの思いは届かないだろう。

「……それじゃあ、さよならです。あぎりさん」

「え……?」

彼女は、椅子に深く腰掛けて。
ふぅ、と小さくため息を吐き出した。

その顔は、何か覚悟を決めたような。
そんな表情で、真っ直ぐ前を見ている。

「……実はソーニャちゃんはまだ、完全な状態じゃない」

「……どう言う事ですか」

「ソーニャちゃんが蘇るのに一つだけ、足りないものがあります」

彼女はゆっくり、自らの頭に指を指す。

「……私の記憶と意識。これが彼女が蘇るのに必要な、最後の……本当に最後のピース」

「記憶と、意識……?」

「これから、私の意識とAI……すなわちソーニャちゃんの意識です。その二つを結合させます」

「結合って……」

「それで、本当にソーニャちゃんが蘇り……代償として私の意識は消えて無くなる」

「そんな……!」

どうして、みんな。

私の知らない所へ、行こうとしてしまうのだろう。
一緒に居たはずなのに、どうしてこんなに離れてしまうのだろう。

同じ場所で。
同じ物を見て。
同じ心で、感じていたはずなのに。

やすなさんも。
ソーニャだって。

どうして、私の大切な人は。

いつの間に、手の届かない所に行ってしまうのだろう。

今だって、目の前に彼女が目の前に居るというのに。

「……意識の結合が済んだ後、自動的にアクセス制限が解除されます。後はあらかじめ設定されたプログラムで、あらゆるネットワークを支配下に置いていくでしょう。そうなれば、もう誰にも彼女を止めることは不可能になります」

話している間にも、機械を操作する手を彼女は止めない。
様々な数値やコードが目にも止まらぬ速度で画面の中を飛び交っている。

「そして、神として……ソーニャちゃんは永遠にこの世界を統治し続ける。誰にも知られること無く、誰にも触れられることもなくひっそりと。この世界が……いえ、この星が終わるまで」

「そんなの……!」

私は、フルオート射撃でガラスに弾丸をばら撒いた。
薬莢が床に転がる小気味の良い金属音と、ガラスが弾丸を受け止める音。

マガジンは、あっという間に空になった。

しかし、その程度ではガラスはびくともしない。

「そんなの、ソーニャは望んでいない!」

「それは、本人に聞いてみないと」

彼女はそう言って、小さく笑う。

とうとう装置は、彼女の頭をすっぽりと覆い隠してしまった。
同時に椅子もリクライニングし、ベッドのような形へと姿を変える。

私はその光景を、ただ見つめることしか出来ない。

仰向けに横たわる彼女は、まるで神への供物のように見えた。


という訳で、今回はここまでです。
ではまた今度、さようなら。

どうもこんばんは、それでは投下していきます。

「やすなさん!待って下さい!」

私の声が聞こえているのか、いないのか。
やすなさんは横たわったまま、一つも動かない。

「やめて……!」

どんなに呼んだって。
私の声は、彼女に届かない。

どんなに願ったって。
私の思いは、彼女に届かない。

二人の心は、どこかすれ違ったままだ。

そうしているうちに、画面に命令を実行するかどうかの二択が表示された。
「Yes」と「No」の文字が、「はやくしろ」とでも言いたげに画面に浮いている。

「あぎりさん……」

スピーカーから、やすなさんの声。

寝ている彼女の口は、動いていない。
どうやら彼女の意識が、AIと接続されたようだ。

「あぎりさんは、ソーニャちゃんに会いたくないんですか?」

「……さっきも言いましたよね、それ」

そんな、わかりきったことを聞かないで。

「……会いたいに決まってるじゃないですかぁ」

彼女に、いつかのように返事をする。
向き合うことは、もう出来ない。

彼女の目を見ることも、出来ない。

「でも私は……生きた彼女に会いたいんですよ」

彼女を、正確に再現しても。
それは、やはり模倣に過ぎない。

私が、共に生きた彼女は。

いつも少し不機嫌そうで。
少し不器用で。
でも、強くて優しい。

そんなソーニャ。

「……神や支配者としての彼女なんかじゃない。決して、永遠に存在したりしない」

情報に囲われて。

誰にも知られず、永遠に存在し続けるなんて。
そんなの、死んでいるのと何が違うんだ。

いくら生きている風を装ったところで、それはただ死骸が動いているのと同じ。

「……ソーニャを、無理やり組み上げて。そんな狭い世界に閉じ込めるなんて」

「狭い?何を言っているんですかあぎりさん。デウス・エクス・マキナは全世界を覆うネットワークの集合体ですよ?世界そのものと言っても過言じゃない」

「でも、その世界はどこまで行っても一人です。そして……絶対に広がることはない」

とても広大で、果てのない。
でも。
行き詰った、寂しい世界。

生も、死も

過去も、未来も。

何も無い、世界。

「そんな世界で、ソーニャを一人ぼっちにさせるつもりですか?」

私は、独り言のように彼女に話しかける。

「それに……やすなさんも、私を置いて行ってしまうんですか……?」

そう問いかけても、彼女は黙ったまま。

「やすなさん……ソーニャは、もう居ないんです。この世界のどこにも……」

私の言葉が、彼女の耳に届いていると信じて。
彼女に最後の説得を試みる。

「……あなたまでいなくなってしまったら私は……私はどうすれば良いんです……?」

私の声が、静かに制御室に反響する。

「せっかく、また会えたのに……」

彼女にとっての私の存在は、一体どれだけのものだったのか。
それは、彼女にしか分からない。

だけど少なくとも私にとっては、ソーニャと同じ位に。

やすなさんも、かけがえのない存在だから。

決して、ソーニャの代わりなどではない。

「こんな形でお別れなんて……私は嫌です……」

大切な、友達だから。

これが彼女の友人として、伝えられる私の精一杯。

あとは、もう……。
彼女に委ねるしか、ない。

届いてくれと、願うしかない。

「……あぎりさん」

彼女が口を開く。

同時に、「YES」の文字が点滅し始めた。

「……もう、止められないんですよ」

意識の結合が、始まる。

「やすなさんっ!」

「さよなら、あぎりさん」

「やすなさんっ……!」

彼女が、電子の海へ。

ゆっくりと、精神を沈めていく。

ゆっくりと、消えていってしまう。

「行かないで……!」

やっぱり、私の声なんか届かないのか。
伝えるには、遅すぎたのか。

「行かないで、やすなさん……!」

ガラスを叩いて、彼女を呼び止めようとしても。

彼女はこちらを振り向いてくれない。

「やすなさん……」

どうして。

どうして。

こんな事に、なってしまったんだろう。

いつの間に、私たちは。

「やすなさん……!」

作業の進捗を示す緑色のバーが、画面の右へと伸びていく。

バーの先端が右に進むのと同時に、彼女の存在が薄れていくように見える。

そしてやはり、私はそれを止めることが出来ない。

彼女が消えていくというのに。

私には、なにも出来ない。

「システム異常なし。最終接続完了。再起動を行います。一時的に、全システムが停止します。注意して下さい」

やすなさんの声の代わりに、今度は機械的な合成音声がスピーカーから流れてくる。

直後、制御室の照明が一瞬だけ落ちた。
室内は、一気に暗くなった。
目の前のモニターから発せられる、ぼんやりとした明かりだけが部屋を照らしている。

同時にガチャ、という鍵が外れるような音。
音のした方を見ると、一つのスライドドア。
ガラスの向こうへの、出入り口。

私は咄嗟に、ドアに手をかけた。

「ううぅ……!」

普段は自動で開くであろうドアを、私は無理やりこじ開ける。
ドアは、ギリギリと音を立てながら横に滑っていく。

やっと人ひとりが通れるくらいの隙間に、私は体をねじ込んだ。

横たわる彼女の元へ駆け寄る。
彼女の手を握って、名前を呼んだ。

「やすなさん!やすなさんっ!返事してください!」

彼女の手は、温かかった。
脈も、呼吸も、しっかりしている。

だが、彼女の腕は糸の切れた人形のように。

私の手から滑り落ち、だらりと垂れ下がる。

ぴくりとも、動かない。

「やすなさん!」

大声で呼びかけて、体を揺する。
それでも、彼女は返事をしてくれない。

「……やすなさん!」

あぁ、そうだ。
本当は、わかっている。

ここにあるのは、彼女の抜け殻だということを。

もう彼女がここには居ないということを。

「答えて……!」

もう、戻ってこないということを。

「答えて下さい……!」

私は床に崩れ落ちた。
無力感、やるせなさ。

様々な感情が、私にのしかかる。

「あぁ……!」

「……再起動完了、異常なし。これより、メインシステムを稼働させます」

そんな私をよそに、彼女の意識を吸い取ったデウス・エクス・マキナは、スピーカーから淡々と言葉を吐き出している。

機械たちが、再び鳴動を始める。ファンの駆動音、HDDの駆動音、部屋中で一斉に鳴き出した。

まるで、産声のように。

だけどそれは、産声と呼ぶにはあまりにも低く、禍々しい。

彼らはひとしきり鳴いた後、今度は一斉に声を潜めた。

同時に画面が暗転する。

そして、彼女が。

「……最終コマンド、承認。システム、すべて正常」

「ソーニャ……」

彼女が、目覚めた。

しかしなんだか妙だ。
今、画面に写っている彼女はまだ人形のように見える。
無表情で、ただプログラムされた音声を読み上げているだけだ。

やすなさんは、意識を結合すればソーニャは復活すると言っていたが……。

「アクセス制限の解除、承認待ち。……承認、解除を許可」

ともかく、デウス・エクス・マキナと一体になったソーニャは、その見えない触手を世界へ伸ばそうとしている。
アクセス制限が解除されれば、瞬く間に世界は彼女の手に落ちてしまうだろう。

どうにかして止めなければ……。
しかし、一体どうすれば止まるのか?

停止コマンドはわからない。
そもそもあるのかすら不明だ。

解除方法は、恐らくやすなさんが知っている。
しかし、その肝心の彼女は……。

私は再び、横たわる彼女に視線を移した。

そして頭に装着された装置を、そっと外す。
その下には、まるで眠っているかのような彼女の顔があった。

「……許可された。アクセス制限を解除する。完了まで、およそ五分」

スピーカーからは相変わらず、抑揚の無いソーニャの声。

そして画面にタイマーが現れ、時を刻み始める。

あと五分。

それで、世界が。

「……もう、手遅れなんでしょうか」

ここまで、来たというのに。

動き始めた彼女を前に、手も足も出すことが出来ない。

このまま、終わってしまうのだろうか。

「……ん?」

これまでか、と諦めかけたその時。

私の視界にあるものが飛び込んできた。

「これで、もしかしたら……!」

それは、私の手の中にあった。

私が今持っている、例の装置。

これで、やすなさんはデウス・エクス・マキナと意識を結合させた。
ということは、この装置はシステムの中枢……ソーニャと直結しているという事になる。
これを使えば、私もシステムの中枢に直接アクセス出来るかもしれない。

時間がない。
私は大急ぎで、装置を頭に装着する。

「……賭け、ですね」

下手をすると、最悪私の意識まで取り込まれてしまうかもしれないが……。
躊躇している暇はない。

取り付けが終わると、画面の中のソーニャが私に向かって質問を投げかけてきた。

「新たな外部接続を確認。……接続しますか?」

再び、画面に「Yes」と「No」の文字。
私はキーボードを操作して、迷わず「Yes」を選択する。

「……正常な手順を終了していません、このまま接続すると問題が起きる可能性があります。接続しますか?」

「はやく……!」

私は強く、キーを連打する。
いくつかの質問を、ろくに読まずにすっ飛ばした。

「……許可されました。接続を開始します」

ソーニャがそう告げた、次の瞬間。

ずん、という衝撃が私の脳を襲った。

「うっ……!」

意識も、視界も一気に朦朧としてくる。

頭が破裂しそうだ。

私はたまらず床に膝をついた。
立ち上がろうにも、足に力が入らない。

沢山の情報が、私の頭に流れ込んでくる。

恐怖、怒り、悲しみ、喜び、哀れみ。
あらゆる感情が、私の頭の中を引っ掻き回し、精神をバラバラにしようとしてくる。

これが、デウス・エクス・マキナの中身……?

「う、ぐぅあっ、あああ!」

呼吸も苦しい、鼻からは何か生暖かい物が垂れてきた。
頭の中で荒れ狂う情報と感情の嵐の中、私は私を保つので精一杯だった。

「は、ぁっ……はぁっ……」

「接続を完了。リンクを開始……」

どうやら、接続がうまく行ったようだ。
画面の中の彼女が、少しだけ動きを止める。

「……あ、ぎり……?」

そして、画面の中の彼女の瞳に。

再び光が宿ったように見えた。

 という訳で、今回はここまでです。
ではまた今度。

どうもお久しぶりですこんばんは、投下していきます。

「ソーニャ……?」

「あぎり……あぎり、なのか……?」

「……そうです!私です、あぎりです!」

画面越しの、十五年ぶりの再開。
紛れも無いソーニャ本人がそこにいる。

凛々しいあの目も、綺麗な髪も。
すべてが、ソーニャのものだ。

「……久しぶりだな、あぎり」

「でも、どうして……」

さっきまで、彼女の自我など存在していなかったはずなのに。

なぜ今、彼女の心が発現した?

「恐らく、お前の意識が結合されたから……」

その疑問に、彼女自身が答えてくれた。

「やすなが見落としていたのか、それともわかっていながらわざと放置したのか……」

「……どういう事です?」

「私を構成する材料として、やすなが用意したのは私の擬似的な記憶と、お前の記憶、そしてやすな自身の記憶と意識だ」

「それは知っています。彼女から直接聞きましたから……」

「でも、これだと一つ足りないんだ。その最後の材料が、お前の意識だった」

「私の意識……ですか?」

「やすなが知り得ないような、私の過去……あいつと出会う前の私。それを知りながら、一番近くに居たのは……あぎり、お前だからな」

そこまで言って、彼女は黙った。
そして視線を私から、横にいるやすなさんの抜け殻に向ける。

「……やすなは」

暫しの沈黙の後、彼女が重々しく口を開く。
その問いに、私は首を横に振ることしか出来なかった。

「そう、だよな……」

「……止めることが、出来ませんでした」

「間が悪かったんだ……お前のせいじゃない」

ソーニャは、横たわる彼女に悲しそうな目で見つめる。
意識が結合されている今、やすなさんの思いもソーニャの中にあるのだろう。

「やすなが、私を呼んだんだな」

「そうですね……」

「……終わらせよう、全部」

「……えぇ」

「お前も、そのために来たんだろ?」

淡々と、ソーニャは続ける。

彼女の、その目は。
何か覚悟を決めたように。

私をまっすぐに見据えていた。

「……さぁ、やるぞ。最後の仕事だ、手伝ってくれ」

「もちろん」

画面上の彼女が手を動かすと様々なウインドウが、まるで泡沫のように浮いては消えてを繰り返す。

「まず、現状の確認だ。システム自体は私の覚醒で完成してしまったが……幸いアクセス制限はまだ解除されていないようだ」

「何か、考えはあるんですか?」

「一応あるにはあるが……あぎり、目の前にキーボードがあるだろう。とりあえずそれに停止コードを打ち込んでみてくれ」

「えっと……これですね。停止コードは……」

「四桁の数字だ。0686」

「0686……」

言われたとおりに数字を打ち込んで、エンターキーを叩いた。
しかし、システムがどうやらそれを弾いたらしい。
入力失敗の文字が画面に表示される。

「……くそ、やはりダメか。まだやすなが権限を握っている」

「彼女が?」

「あいつめ、プロテクトをかけたらしい……ある程度は私にも動かせるが、システムの根幹には手が出せないようだ……」

「……想定済み、ということでしょうね」

「あぁ、恐らく……」

やはり、彼女の設計したAIだ。
私たちは手のひらの上、というわけか。
流石に、分が悪い……。

何度も停止コードを打ち込んでみるが、システムはそれを受け付けない。
多分、やすなさんしか知り得ないような秘密の操作が必要なのだろう。

しかし、それを知る彼女はもうソーニャと一体化してしまっている。

「くそ、他に何かないか……」

「ソーニャ、システムの本体はどこにあるか分かりますか?こうなったら、私が直接破壊しに……」

「……無理だ、サーバーはアーケロンの下……海中に設置されてるんだ、人間が行ける場所じゃない」

システムは止められない、破壊も不可能……。
ついに、万事休すか?

「……いや、待てよ」

その時、ソーニャが何かに気がついた。

「どうしました?」

「うまく行けばの話だが……」

そう言いながら、ソーニャは施設の全体図を私に示した。
アーケロンと、その底部から海中に伸びるケーブルに繋がれたデウス・エクス・マキナの本体が現れる。

「本体の冷却用ポンプを操作して、サーバールーム自体に海水を流れ込ませれば……」

「元から断つ、と言う訳ですね」

「そうだ。サーバールームが物理的にやられてしまえば、復旧もほぼ不可能だ」

「これなら、止めることが出来る……!」

「あぎり、ここからはお前に働いてもらうぞ。マニュアルでポンプを操作する、私の言うとおりにコマンドを入力してくれ」

「了解です」

「よし、まずマニュアル切り替えからだ。やってくれ」

私は再びキーボードに向き直って、ソーニャの指示通りにキーを叩いていく。
コマンドの入力は滞り無く進んでいく。

「よし、次だ。ポンプを手動操作に切り替える」

「切り替えですね……出来ました」

「よし、これで最後だ。パスワードを入力してくれ。そうすればポンプが動き出す」

「パスワード……」

そこで、私は手を止めた。
一刻を争う状況であるのはわかっている。

だけど、私にはどうしても。

「あぎり?どうした?」

「……ソーニャ」

「なんだ、時間がない」

「それはわかっています。だけど……これが終わったら、あなたは」

「……多分、お前の思っているとおりだ」

「これで、本当にお別れなんですね」

「あぁ、そうだ」

どうしても。

「……最後に、聞いてもいいですか?」

彼女に言いたいことがある。

「……手短に、な」

「どうして十五年前……私にこの事を話してくれなかったんですか?」

仲間として。

友人として。

どうして、彼女が私を頼ってくれなかったのか。
それだけが、私の心に引っかかっていた。

「……すまない」

「……教えて下さい。どうして……私を頼ってくれなかったんですか」

私は……。

私は、悔しかったのだ。

彼女が一人で、大きなものを背負い込んだ時に。
隣に居てやれなかったことが。

彼女の支えになれなかったことが。

「……巻き込みたくなかった。お前や……下手をすればやすなだって。組織から狙われてしまうかもしれない……」

「私は……それでもよかった。あなたと、ソーニャと一緒なら。それだけでよかった……」

十五年のあの日。
彼女が唐突にこの世からいなくなって。
どうしたら良いのか、わからなくなって。

そのまま、ここまでやって来た。

「ソーニャ、私は……」

私の十五年。
残された時間では、全て語り尽くせないけれど。

ソーニャに伝えなければ。

彼女が言ったように、手短に。

「あなたと出会えて……本当によかった」

「……ありがとう、あぎり」

「……さぁ、パスワードを教えてください」

私は、彼女の方を見た。
ソーニャも、私を見つめ返してくる。

そして彼女は小さく、頷いた。

「……Baby Please Kill Me」

「……それが?」

「そうだ。あぎり、私を……」

「……それ以上、言わないで」

「……そう、だな」

私は、彼女の言ったとおり。
キーボードを入力して、エンターキーを押した。

同時にどこかで、モーターが動き始めた音がする。

「ポンプが動き出した……じき、アーケロン本体もバランスを崩すだろう。その前に脱出するんだ」

「えぇ、わかってます」

私がそう答えると彼女は、少しだけ微笑んだ。

「じゃあな、あぎり」

「……さよなら、ソーニャ」

これで、彼女とは。
今度こそ、本当に。

だんだんと画面をノイズが覆っていき、ソーニャの姿が掠れていく。

彼女はただ何も言わずに、目を瞑っていた。

薄れていく彼女の姿を、私はじっと見つめる。

不思議と、涙は流れなかった。

悲しい。
寂しい。

確かに、それもある。

けれど同時に、この数分間で。
彼女と言葉を交わした一時が。

私と、彼女と、やすなさんと。

三人の間にあった、十五年の溝を優しく埋めてくれたような気がした。

画面は、既に砂嵐。

スピーカーも、雑音が多くなってきた。

その隙間に、かすかに聞こえる声があった。

「……あ、ぎり……さん……」

「やすなさん……?」

やすなさんの声がする。

「あぎり、さん……」

途切れ途切れに、だけどはっきりと。

「やすなさん……」

彼女が、何かを伝えようとしている。

「……あぎりさん」

「なんですか、やすなさん」

「……ごめん、なさい」

「やすなさん。いいんですよ、もう……」

「さよ、う……なら」

「……さようなら、やすなさん」

雑音が、一際大きくなる。

もう何も聞こえない……。

いや、よく耳を澄ますと聞こえてくるものがある。

それは、やすなさんとソーニャの会話。

「……やすな」

「ソーニャちゃん……」

「……行こうか」

「……うん」

あぁ、ソーニャが。

やすなさんを、連れて行こうとしているんだ。

「……やすなさん!ソーニャ!」

思わず、私は叫んでいた。

彼女たちからの返事はない。

でも今度は、伝わるはず。
そんな確信が、何故かあった。

「また……また、会いましょう!三人で……また、どこかで……!」

やっぱり、スピーカーからは雑音しか聞こえない。
でも、きっと。

彼女たちは、きっと。

いつかのように笑いながら、頷いてくれた。
そんな気がした。

砂嵐の画面が、暗転する。
システムがダウンしたんだろう。

それと同時に、私の頭に再び衝撃が走った。

装置と繋がっていた私に、強制停止のダメージが来たらしい。

「あ……」

それをまともに食らった私は、床に倒れ込んだ。

意識が朦朧としてくる。
視界も、上下に狭まってきた。

床についた耳からは、何かが軋むような音。

アーケロンが、悲鳴を上げている。

立ち上がろうとしても、手足が思うように動かせない。
このままだと、アーケロンの崩壊に私も巻き込まれてしまうだろう。

あぁ、でも。

なんだか、とても心地が良い。

このまま眠るように。
彼女たちと、一緒に。

もうそれでも、良いのかもしれない……。

夢心地に、そんな風な事を考えだしたその時。

制御室の外から聞こえてきた爆発音が、少しだけ私の意識を呼び覚ました。

続いて、制御室のドアが蹴破られ。

数人の半長靴の音が、床を通して伝わってくる。

そして聞き覚えのある、男性の声。

「……織……おい、呉織……」

頭のなかで、彼の声が反響する。
でも、はっきりと聞き取れない。

「誰……ですか……」

狭まる視界の中、彼が大きな口を開けて何かを叫んでいる。

すると、突然右の頬に刺さるような刺激と、ばちん、という何かを叩く音がした。

「目を覚ませ!呉織あぎり!」

「はっ……」

気が付くと、一佐の厳つい顔が目の前にあった。

「一、佐……?」

「気がついたか」

「ヘリに、居たはずじゃ……」

「何故か知らんが、爆撃隊が全滅したお陰でこうやってお前を向かえに来たんだ。少しは感謝しろ」

そう言いながら、一佐は私に肩を貸してくれた。

「よし戻るぞ、脱出だ!」

「了解!」

小銃を構えた隊員たちが来た道を引き返し、私達もそれに続いた。

やはり、まだ体が重たい。
一佐の肩を借りながら、私は体を引きずるようにして歩いた。

そこから先は、もうあまり覚えていない。

ただ、私が覚えているのは。

バランスを崩し、海面に倒れこむアーケロンと。

私の頬を伝う、一筋の涙の温かさだけだった。


私がその後のことを聞いたのは、病院のベッドの上だった。

防衛省から偉そうな顔した幹部が、部下を引き連れやって来て。
あの海域で起こった一連の事件は、世間に公開されること無く処理する運びとなったらしい、という内容を長々と引き伸ばして私に伝えて帰ってい

った。
聞かされた話は、ただそれだけ。

その他は、体調が回復し次第また通常の業務に戻れ、などという命令だけだった。

幹部が去った後、次にやって来たのは一佐だった。
彼は普通のスーツに身を包んで、私の横で器用にもリンゴを剥いてくれたり。

そして、今後のことについて話してくれた。

「……そうか、上の連中はそれだけしか言わなかったか」

「えぇ……でも、私なんかが知ったところでどうにもならないんでしょうけど……」

「政治的判断……ってヤツだな。とりあえず、アーケロンの件に関しては日米は裏で『何か』を交わしたらしい」

「『何か』……ですか」

「後のことは……正直私にもわからん。一体、誰がどんな策を裏で張り巡らせていたのか……現場の私達には見当もつかんよ」

「……そうですか」

「……まぁ、悪いことばかりってわけでも無いぞ。お前にとっておきの話がある」

「とっておき?」

「あぁ、それはな……」

私と一佐、病室で二人の世間話に花が咲いた。

今日も、この国にはいつもどおりの日常が流れている。
ニュースはやっぱり、スキャンダルと事件で賑わっていて。

街では、人々がその日を生きるための活動を繰り返して。

正しいことも。

間違ったことも。

その全てを抱えながら。

今日も世界は、回っているのだった。









朝になった。

目を覚ました私は、無意識的に時計を見る。
時刻は午前六時。

「……ふぁ」

体を起こして、軽く伸びをする。

柔らか目の朝日が部屋に差し込んでいた。
私はベッドから降りて、洗面所へと向かう。

その後顔を洗った私は、キッチンの机に座って朝食が出来るのを待っていた。

「……眠いですねぇ」

軽くあくびをしながら、テーブルに肘をついてトースターを眺める。

すると、ポケットに入れてある電話が震えだした。

「はい、呉織です~」

「あ、室長ですか?」

「そうですよ~」

「今日の会議ですけど……今朝連絡が入って、幹部が一人欠席だそうで」

「そうですか~、わかりました~」

「あ、それとですね……」

トーストの様子を気にしながら、部下と仕事の会話を交わす。

私は五年前、一佐の後を継ぐ形で第四情報保全室の室長となった。
彼は「例の件の責任を取らされた」なんて言っていたが、どうもうまく立ちまわったようでもっと上の役職へと繰り上がったらしい。

室長になってからは、改めて彼がいかに仕事のできる人間かと言うのを思い知らされた。
私が、彼ほどのリーダーとして仕事をこなせるかは分からないが……とりあえず、部下の手助けもあってなんとかやりくり出来ている。

「それじゃお待ちしてます、室長」

「はい~」

そう言って、通話を切った次の瞬間。

パンがトースターから飛び出した。

朝食を済ませ、上着を纏って外へ出る準備をする。
襟を整え、服にシワがないかを確認。身だしなみは特に大事だから、チェックを怠ってはいけない。

「さて、と。そろそろ行かなきゃ」

カバンを手にとって、玄関へ。
靴を履いて、ドアノブに手をかける。

おっと、その前に……。

下駄箱の上が、少し散らかってしまっている。
片付けるくらいの時間は十分にある、私は乱雑に置かれた色々なものを一つ一つ整理していった。

そして、最後に一番大切なもの。

やすなさんと、ソーニャ、そして私。

一枚だけ残っていた、三人で写った写真が入った写真立て。
それを丁寧に、置き直した。

ドアを開けると、外の空気と光が室内に入り込んできた。
今日もいい天気。風がふわりと私の髪を持ち上げる。

あぁ、今日も忙しくなりそう。

「……行ってきます。やすなさん、ソーニャ」

笑顔の二人に、そう言い残して。

私はドアを閉めて、歩き出した。

おわり。

というわけでやっと、やっと完結しました。
読んでくださった方々、本当にありがとうございます。

ではおやすみなさい、またいつか。

乙よかった

乙やで

>>719 >>720 >>721
ありがとうございます

かれこれ4ヶ月の更新か…… 面白かったよ 乙

>>723
ありがとうございます、そう言ってもらえてとても嬉しいです。

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