男「二人目の彼女を愛せるか」(104)
真っ白な景色の中で、彼女の赤い上着が浮いていた。
彼女が転がしている雪玉は僕のより少し小さく、雪だるまの頭の部分になる。
近年稀に見る寒波が来ているのに、彼女の振る舞いは寒さを感じさせない。
雪を煩わしいと思っている僕でも、雪が好きな彼女と会っているときだけは雪が良いものに思えた。
男「もうすぐさ、雪降らなくなるんだって」
彼女「春が来るからね」
男「そうじゃなくて、降雪をコントロールする技術が開発されたんだって。 無人機を飛ばして薬品を散布してを凝固点をどうのこうの」
彼女「なんでそこまでして雪をなくそうとするの」
男「別になくすわけじゃなくて、人が住むところだけ降らせないようにするんだって」
彼女「ロマンがないなぁ」
男「気象予報士って仕事ももうすぐなくなるってさ」
彼女「どんどん仕事がなくなるね」
彼女「雪遊び出来なくなるの?」
男「雪遊び用の施設が出来るだろうさ」
彼女「ロマンがない」
男「ロマンね」
彼女「そう、ロマン」
男「まぁ雪が降ると不便だし危ないから」
彼女「便利で安全って、つまんない」
男「君がそれを言うの?」
彼女「……」
男「そろそろいいだろ」
彼女「持ち上がらない」
男「頭デカイよ……これじゃドラえもんだ」
彼女「じゃあドラえもんにする?」
男「雪だるまじゃなくて雪像だな。 ちゃんと見られるものを作ろうと思ったら一日じゃ無理だ」
彼女「私は別にいいよ」
男「俺が面倒くさい」
彼女「ちぇー」
男「ふぅ。 じゃあ綺麗な球にしようか」
彼女「正確な球って、作るのすごく難しかったらしいね」
男「人の手で作ったりしてたんだと。 人の手を機械が上回ったのはつい最近らしい」
彼女「すげー」
男「雪玉も機械に切削させたらすげー綺麗なのが出来るぞ」
彼女「そんなの意味ないじゃない」
男「自分の手で作っても意味ないけどな」
彼女「遊びっちゃそういうもんでしょ」
男「だね」
彼女「よっしゃ! かなり綺麗じゃない!?」
男「ま、こんなもんかな」
彼女「これ目と鼻」
男「野菜使うの? もったいねぇ」
彼女「写真撮ったら回収する」
男「あ、その辺はちゃんとするんだね」
彼女「今夜のスープになるからね」
彼女「出来たー!」
男「お疲れ様でした!」
彼女「うーむ……素晴らしい出来だ」
男「年々技術が上がってるね」
彼女「人だからね」
男「うん」
彼女「一昨年より上手くなってる。 不思議だね」
男「不思議なもんか」
彼女「……」
不思議でないことが、不思議だ。
僕の知らないところで不思議が解明されている。
そして彼女もまた、同じことを言っている。
以前と違うのはそれだけだ。
僕は、救われた。
彼女との初めての雪遊びが、こんなにも楽しくて安らぐものであるのだから。
それでも、どうしても思ってしまう。
これは愛ではない。
愛であってはいけないのだ。
━━
━━━
━━━━
一年前のその日も、雪だった。
僕たちは雪遊びを終えた後銭湯に浸かり、昼ご飯を食べに行きつけのカレー屋に向かっていた。
男「やっぱ今の時期風呂は露天に限るな」
彼女「だね。 雪と紅葉は露天風呂によく合う」
彼女「珍しく君の方が長風呂だったしね」
男「サウナでおっさんと我慢比べしてたんだよ」
彼女「何それ」
男「寒いな」
彼女「寒いね」
男「やっぱさ、カレーやめない?」
彼女「いいけどなんで?」
男「鍋焼きうどんが食べたい」
彼女「お、いいね」
もしこのとき鍋焼きうどんを思いつかなければ、いつも通り風呂を上がっていれば。
何か一つ違っていれば、彼女は死ななかった。
うどん屋に向かう道に曲ると、僕達のすぐ前に車があった。
それは動いており、まっすぐ僕達に向かっている。
雪でスリップしたのか。
自動運転ならばあり得ない。
つまりは目の前にある車は、自分で運転出来るようにした、違法の改造車だ。
車がぶつかるまでの刹那の間にこれだけ物を考えられることが信じられなかった。
死の危機に瀕したとき、周りが極端にスローモーションになるというが、これがそうか。
横から吹き飛ばされ、スローモーションが解けた。
直後、グシャリと何かが潰れる音と、ドンと重いものがぶつかる音が、ほぼ同時に背後から聞こえた。
何が起こったか、瞬時に理解出来た。
立つことが出来ない。
後ろを振り返れない。
嘘であってほしい。
震える腕で突っ張りながら、頭を後ろに向けた。
彼女の身体が車のボンネットの上に横たわっていた。
上だけが。
壁と車の間には隙間が無く、しかしそこに彼女の下半身が吸い込まれている。
近寄って、肩を揺すって確かめるまでもない。
ついさっきまでいつものデートだったのに。
彼女と過ごす未来の為にこそこそ用意を始めたばかりだったのに。
今の時代に事故死なんて、あまりに理不尽だ。
昼飯前の空っぽの胃袋からこみ上げた胃液を雪の上にぶちまけた。
吐瀉物の上を超えて這い、ボンネットに捕まって立ち、彼女の上に被さった。
寝ているときですら有り得ない脱力した彼女の身体に触れた途端、僕の中の何かが切れた。
胃液と唾液と叫びが混ざりあって口から溢れ出た。
自分の内も外もわからない。
ぴくりともしない彼女の身体に触れている部分だけが、僕だった。
どれくらいそうしてただろうか。
徐々に自分が戻り、ゆっくりと身体を起こした。
運転手を殺さなければ。
この場を逃したら叶わなくなる。
車の側で青ざめてる運転手に足を向けたとき、ブレーキ音が響き、僕のすぐ脇に黒い車が止まった。
運転席と助手席のドアが開き、スーツを着た、中年の男と若い女がおりた。
女が僕の前に立った。
女「もう一度彼女に会いたいですか?」
無視して押しのけて運転手に向かおうとすると腕を掴まれた。
女「もう一度彼女に会いたいですか?」
こいつは何を言っているんだ。
男「うるさい、離せ」
女「会いたいなら、すぐに彼女の身体をかき集めてください」
男「それ以上言うと、君も殺すぞ」
女「会えるんです」
男「ふざけるな!! どけ!!」
女「恨みを晴らすより先に、私を信じて彼女の身体を集めてください」
男「……この」
もう殴ってやろうと思い女の目を見た。
その目は無機質で、僕に対する哀れみのようなものは全く感じられなかった。
不思議と、少し冷静になった。
彼女の目には僕に対する同情や憐れみすら無かったが、だからこそ、妙な説得力があった。
女「どうしますか?」
男「……」
女「時間がありません」
男「……変な冗談だったら」
女「では動きましょう。 彼女の身体を集めて、この箱の中に入れてください」
男「……」
女「内蔵は適当で構いません。 皮膚や目など外側のパーツはなるべく多く集めてください」
僕は、従うことにした。
運転手を殺したがったが、彼女にまた会えるらしいことと、時間がないらしいことが僕を動かした。
正気ではない。
女の頭がおかしいと思う以上に僕はおかしかった。
少し前まで激情が奔流していた僕の心は、虚ろだった。
何も言わずに彼女の身体をかき集めた。
僕が彼女の上半身を抱え、女が事故を起こした車に乗り込みバックさせた。
身体の全てを抱えてるはずなのに、異様に軽かった。
中身が飛び出しているせいだろう。
上半身と腰の辺りからは比較的傷が無く、しかし腹が潰れているせいでそこから皮膚を破いて血と内蔵が溢れ出ていた。
女に言われた通りに僕は彼女の外側を先に集めた。
幸いにも千切れている部分はほとんど無く、すぐに集め終えることが出来た。
サイレンが近づいてくるのが聞こえた。
女「撤収します。 後の内臓は諦めましょう。」
男「でも」
女「大丈夫です」
男「……」
女「急ぎます。 早く乗ってください」
男「……」
僕と女は後部座席へ、中年は運転席へ乗り込み、発車した。
女「これをつけてください」
男「……」
目隠しだ。
言われた通りにつけた。
女「念のために聞きますが、今日の野次馬の中に貴方か彼女の知り合いはいましたか?」
男「……朧気ながら、多分」
女「確かですか?」
男「……確実にそうとは言えない」
女「わかりました」
女「知り合いがいなかったものとして話を進めます」
男「……」
女「今、彼女が亡くなったことを知っているのは、私達を除けば貴方だけです」
男「いろんな人が見てた」
女「人死が出たことではなく、『彼女』が死んだことをです」
男「……でも、いくらかの内臓と体液を残してきた」
女「大丈夫です、特定はされません。 そういう処理を前で運転してる男がしたので」
男「写真を撮られてたかもしれない」
女「端末は作動しないようにしました。 端末は、オフラインでは動きません」
男「オフラインにした? 馬鹿な」
女「ええ」
男「不可能だし、重罪だ」
女「不可能ではないです。 重罪ではありますが」
男「……」
女「ですから、前世代のカメラを持っている物好きがあの場にいない限り、今日彼女が亡くなったことを知っているのは貴方だけです」
女「今一度聞きます。 彼女にもう一度会いたいですか?」
男「……彼女は、治るのか?」
女「治りません。 彼女は間違いなく亡くなりました」
視界が揺れた。
男「……だったら、どういうつもりでそれを聞く」
女「また会えるからです。 貴方がイエスと答えるまではこれ以上は言えません」
男「……会いたい」
彼女にもう一度会いたい。
ずっと、死ぬまで一緒にいたい。
それが叶うならなんだってする。
女「では、このまま貴方を乗せたまま車を走らせます。 今から最低二日、最長で二週間貴方は私達の監視下に置きます」
女「外部と連絡を取ることも出来ません。 よろしいですか?」
男「……あぁ」
女「わかりました。 今から数時間、眠って頂きます」
女「これを飲んでください」
男「……」
女が手に握らせた薬を飲み込むと、すぐに意識が遠くなり、僕は深い眠りに落ちた。
>>26
今気づいたけど「朧気だけど、多分いなかった」の間違いです
それと内蔵は内臓だった
━━
━━━
━━━━
目覚めた場所が自分の部屋でなかったことで、事故が夢でないことがわかった。
白いタイル張りの天井だった。
横を向くとソファに腰掛けていた女と目があった。
女「おはようございます」
男「……今何時?」
女「お答えできません。 その為に眠ってもらったのですから」
男「そう」
女「まずは水を飲んでください」
男「ん」
女「食事されますか?」
男「いい」
女「そうですか」
女「食事をとりたいとき、またその他の用事があるときはそこの端末を使ってください。 私に繋がります」
男「内線のみか」
女「そうです」
女「飲み物はいかがです?」
男「……じゃあコーヒー」
女「わかりました」
女は流しの前に立ち、棚を開け、幾つかの道具を取り出した。
男「……へぇ」
女「どうしました?」
男「いや、そこにコーヒーメーカーがあるのに」
女「あぁ。 自分の手で淹れたほうが、美味しいんですよ」
男「……」
女「砂糖とミルクは要りますか?」
男「いらない」
女「わかりました」
女「どうぞ」
男「……ありがとう」
良い香りがする。
一口啜ると心地良い苦味が口の中に広がった。
男「……美味い」
女「お口にあってよかったです」
女が、少し微笑んだ。
男「……なんか不思議なほど落ち着いてる」
女「精神安定剤を投与したので」
男「それでか」
女「冷静に話を聞いてもらわなければなりませんから」
男「あぁ」
女「いつ話をしましょうか。 もう少し休んでからにしますか?」
男「今がいい」
女「わかりました」
男「……彼女は、死んだんだな?」
女「ええ。 それは覆りません」
男「……そうか」
痛みがないのは、薬の所為だろうか。
女「敢えて言葉を選ばずに言います」
女「今から、彼女を新しく作ります」
男「……え?」
女「というより、既に作っています。 今全行程の3分の1程を終えています」
男「作るって……」
何を言っているんだ。
女「再生医療の発達により、今や人体のほとんどのパーツは人工のもので代替することが出来ます」
男「そ、それは知っている。 でも」
女「もちろん出来る限りは治して、もともとの彼女のものを使います」
男「ちょ、ちょっと待ってくれ。 そういう次元の話じゃないだろう!」
女「一旦私の話を先に聞いてください」
男「で、でも」
女「ここまでは一般に知られている技術です。 ここからは、そうではありません」
女「ですから、これから話すこと、私達と会ったことも他言無用でお願いします」
男「……あぁ」
女「では話を戻します」
女「今、貴方が集めた彼女のパーツと、自家細胞を用いた人工臓器で補って彼女の身体を組み立てています」
男「……」
女「何か一部でもあれば全てのパーツを作ることは可能です。 しかし私は貴方に出来るだけ多くのパーツを集めて貰いました」
女「特に外側の部分を優先して」
男「……そうだったね。 全部作れるなら、何故?」
女「パーツの再生は、彼女の遺伝情報が基になります」
女「しかしそれはただの設計図で、しかもかなりアバウトなもの」
女「双子の兄弟をイメージしていただければと思います。 同じ設計図を持っていても、完成形は同じにはならないんです」
女「もちろん彼女の身体をスキャンし、同じ型を作った上で再生をします」
男「……スキャン?」
女「気づきましたか」
男「損傷した身体を?」
女「それについては後ほど話します」
男「……」
女「ではまた話を戻します」
女「内臓は人工物で差し支えありません。 しかし制作日数に影響するので出来る限り集めました」
女「問題は、外側です」
男「……」
女「場所によりますが、身体の外側の三割を人工物で代替すると、約七割の人が違和感を覚えるそうです」
女「もちろん親密度にもよります。 恋人同士だと、さらにもう少しシビアになります」
女「顔面だと、一割に満たない代替でもかなりの確率でパートナーは気づくそうです」
男「……」
女「今回はほとんど全てを集められたので、違和感を覚えることはないと思います」
女「ここまで大丈夫ですか?」
男「……まだ、既存の技術の話しかしていない」
女「そうですね」
男「一般的ではないけど、今まで君が話したことが可能であるだろうことはわかる」
男「それでも、まだ彼女を作るのに一番大きな問題が残ってる」
女「はい」
女「今の技術を以ってしても未だ回復させることが出来ない器官があります」
女「脳です」
男「君は確かにあのとき彼女は死んだと言った」
女「はい。 間違いありません」
男「それは脳が、生命を維持出来ないレベルの不可逆な損傷を負ったということだ」
女「そうです」
男「不可逆なんだろ?」
女「そうでなければ『亡くなった』とは言いません」
男「じゃあ……」
女「戻すことは出来ません。 ですが、損傷前の脳を再現することは出来ます」
男「……?」
女「私、先ほど彼女の身体をスキャンした、と言いましたね」
男「あぁ」
女「あれは、外側だけの話じゃないんです」
男「……内側も? CTやMRIみたいな?」
女「それらとも違うんですが、どちらかといえばMRIの方が近いです」
男「……」
女「これが表に出ていない技術です」
女「活動状態の脳をスキャンし、それをコンピューター上で完全にシミュレートすることが出来ます」
男「……!」
女「これで彼女のハードだけでなく、ソフトの方も再現することが可能です」
男「で、でも」
女「コンピュータは今やどんな劣悪な環境でも作動しますからね。 人体に埋め込んでもなんら問題はありません」
女「脳の移植手術の技術は確立しています。 身体の神経系とそれを繋ぐのも可能です」
男「……そんな」
女「……大丈夫ですか?」
男「……信じられない」
女「信じなくても、数日の内に前と全く同じ彼女が用意されます」
男「……」
女「……」
男「……今、君たちは彼女のデータを持ってるのか?」
女「ええ」
男「損傷前の」
女「はい」
男「どういうことだ?」
女「彼女は二ヶ月前に私達のもとでスキャンをしています」
男「……」
女「私達のしていることは、ある種生命保険のようなものです」
女「お金ではなく、本人で保障する」
女「つまり、私たちは彼女と契約をしているんです」
男「契約……」
女「その為に半年に一度、彼女にはスキャンに来てもらってるんです」
男「……」
女「このサービスは、本人の為のものではありません。 遺された人の為のものです」
女「彼女は、貴方の為に加入しました」
男「……あぁ」
彼女には身寄りがない。
女「このサービスの契約料は、莫大です。 よっぽどの要人でないと加入出来ない」
男「あぁ。 彼女はそれだけのお金を持ってるかもしれない」
女「しかし全てを投げました」
女「お金は、人以外の全てに代わります」
男「皮肉だな」
女「私が言っているのは彼女自身のことではなく、貴方のことです」
男「……」
女「彼女にとって、他の全てより貴方が大事だったんです」
男「……」
女「彼女との契約はこうです」
女「『私が死んだとき、彼が側にいなければ再生を』」
女「『もし側にいたなら彼に決めさせて』です」
男「……」
女「……」
男「……」
彼女とまた会いたい。
何より強い願いだ。
しかし、しかし。
女「……大丈夫ですか?」
男「……」
女「……今から18時間以内に決めてください。 私は席を外します」
男「……いてくれないか」
女「え?」
男「情けない。 自分のことなのに、一人で抱えきれない」
男「考えることをやめてしまいそうだ」
女「……わかりました」
女「……考えなくても、いいと思いますよ」
男「……」
女「難しいでしょう。 それが出来るような人ではないでしょうから」
男「……悩んでるふりだよ。 もう、自分の中で答えは決まっている」
女「正確ではないですね。 『悩んだ末にどっちを選ぶかはわかっている』です」
男「……そんなこと」
女「もちろん想像に過ぎませんが、でも、貴方がどういう人か知っているので」
女「少し、私達の話をしてもいいですか?」
男「……あぁ」
女「私たちは何人かの契約者を担当します」
女「そして、監視とまではいきませんが交代で契約者の側につきます」
女「少なくとも、救急車やパトカーより早く駆けつけられる距離に」
男「……そうか」
女「そして契約者の周りのことも調べます。 デリケートなことなので。 随時調査し、問題があれば契約内容を見直すこともあります」
女「彼女の場合、貴方達の関係と、貴方についてを調べる必要がありました」
男「……」
女「貴方達の関係、貴方の人柄如何によっては、彼女の死を貴方が見た場合、保障出来ないようにする必要がありました」
女「しかし、何ら問題はありませんでした」
女「私だけではなく、一緒にいた中年、交代で見張る他の担当も同じ結論でした」
女「これって非常に珍しいんです。 それほどまでに貴方達の愛は深く、貴方は誠実でした」
女「不快に思うかと思いますが、私達、貴方達を見て救われてたんです」
男「……?」
女「私達が相手にするのは権力者がほとんどです」
女「会社の為に社長を、政治の為に党首を」
女「その場合私達の秘密さえ守られればいいので、それらは保障出来ることが殆どです」
女「しかし、組織内の政治によって再生されないことが非常に多い」
女「また、家族にかけた保険は、保身の為であることが多いです」
女「大黒柱へかけたものであるならば、お金の為に」
女「子供にかけたものなら、跡継ぎのために」
女「保険金次第で再生されないこともあります」
女「さらに、自由の為にパートナーを再生しないこともあります」
女「もちろん全てではないですが」
女「……全く身勝手な個人的意見ですが、お金や立場を持っている人は、愛する人よりそれを大事にすることが多すぎます」
女「私たちは、本来慈善団体なんです」
女「倫理的に意見が分かれるものではありますが。 ですから宗教にも近いかもしれませんね」
女「ここで働く人たちは、皆ここの理念に賛同した人たちばかりのはずだったんです」
女「しかし運営の為に莫大なお金がいる為に、結局相当のお金持ちしか相手に出来ません」
女「結果、私達の理念とは程遠い体験ばかりしています」
女「団体も大きくなりすぎました。 上層部は理念も糞もありません」
女「私達下っ端は、人々の幸せの為に動いてるつもりです」
女「ですから、貴方達を見て、救われてるんです」
男「……」
女「彼女の亡き父親が、相当の遺産を遺していることに貴方は気づいていた」
女「しかし、貴方はそのことを全く気にしなかった」
女「彼女が保険に全ての遺産を投じていることを知ったとき、貴方の顔には微塵も失望の色が浮かばなかった」
女「そんな人たちの為に私たちは活動しているんだと、改めて思いました」
女「ですから、貴方がどちらを選ぼうと、私は支持します」
女「私は、再生する彼女に対して、敢えて非倫理的な言葉を選びました」
女「新たな彼女がモノか人か、判断するのは貴方だからです。 もしモノとした場合に、罪悪感を持たないよう」
男「……」
女「しかし人と思っても、モノと思っても、愛故と思うからこそ、私は貴方を支持します」
男「……君は、どう思う?」
女「私の意見は関係ありません」
男「君の意見を聞きたい」
男「最初君に会ったとき、サイボーグなんじゃないかと思った」
男「それほど無機質な目をしていた」
男「それは、僕を冷静にする為にそれがベストだと判断したんだろ?」
女「……はい」
男「でも、ドリッパーを使ってコーヒーを淹れる君は、すごく人間臭かった」
男「演出だろ? 僕に話を聞かせるための」
女「……はい」
男「そこまでひた向きな君の意見を聞きたい。 新しい彼女は、人か? モノか?」
女「……本来、重荷になりかねないので言うべきではないですが」
女「人です」
女「どっちにしても貴方は苦しむでしょうが、これだけは忘れないでください」
女「新しい彼女は、間違いなく人です」
男「……」
女「私は、新しい彼女と一緒なんですよ」
男「……!」
女「つまり、脳がコンピュータなんです」
男「!」
女「私からすれば、私は間違いなく人です」
女「それを証明する術はありませんが」
男「……」
女「私は貴方にそこで悩んでほしくない」
女「貴方が悩むべきことは他にある」
男「……」
女「その結果、どっちに転んでもいい」
女「私は、応援しています」
男「あぁ」
女「彼女を再生しますか?」
男「頼む」
━━
━━━
━━━━
彼女「……やぁ」
男「……!」
彼女「……私、やっちゃったんだね」
二ヶ月前の彼女は、バツの悪そうな顔で現れた。
唇を内に入れてニッと笑う仕草が、まさに彼女のそれだった。
彼女「泣かないでよ。 私には突然のことでいっぱいいっぱいなんだから」
男「……ごめん」
喜びであってはならない。
もちろん安堵でもない。
しかし後から後から涙が出てくるのを止められず、僕は彼女を抱きしめた。
彼女「ごめん、ごめんね……」
彼女は何も悪くない。
僕も何も悪くない。
ここに来るまでは。
僕はこれから、彼女のことを忘れず、彼女がいる世界を生きなければならない。
選んだのは僕だ。
彼女を幸せにしなければ。
それがどんな形であろうと。
女「彼女にはこれまでの経緯をすでに話してあります」
男「あぁ」
女「帰ったら、警察が貴方達を訪ねてくると思います」
彼女「そうなの?」
女「事故と、空白の期間があった者を紐付けて。 しかし、しらばっくれてください」
男「そんなんでいいの?」
女「どうせ警察が私たちに深入りすることは出来ません。 下っ端をあしらえればそれでいいんです」
彼女「怖い組織だ」
女「ええ」
男「ちょっとこっち来てくれる?」
女「私ですか?」
男「ごめん、ちょっと話したいことがある」
彼女「私が聞いちゃ駄目なこと?」
男「聞いてもいいけど、意味が無いこと」
彼女「聞かれたくないことなんだね。 分かったよ、行っといで」
男「すまん」
女「いいんですか?」
彼女「ちょっと面白くないけどいいですよ」
女「すみません」
小部屋に移り、女に向き合った。
男「まずは、ありがとう」
女「私は何もしてませんよ」
男「後押ししてくれた」
女「無責任に。 これで貴方が幸せになれるかどうかは保障できません」
男「わかってる」
女「願わくば、お幸せに」
男「うん」
男「それで、一つだけ言っておきたい」
女「はい」
男「君を裏切ることになる。 でも、もしかしたらこの先彼女と別れることになるかもしれない」
女「わかってます」
男「そのとき、君に気に病んでほしくない」
女「わかってます。 もし別れることになったとき、貴方が何を思っているか」
男「……」
女「裏切ることにはなりません 」
男「……そうか」
女「そして、彼女は私より遥かに貴方を深く知っています」
男「……」
女「その内、彼女に驚かされる日が来ますよ」
男「……どういう意味?」
女「さぁ」
女「なんせ私は、貴方と彼女が幸せに生きることを願ってます」
男「……あぁ」
彼女「あ、話終わった?」
男「あぁ」
彼女「空白の期間は、4日だって。 これから私達が眠る時間含めて」
男「うへぇ……上司に何て言おう……」
彼女「クビになっても文句言えないね」
男「君もだろ」
彼女「ごめんね」
男「謝るのは僕の方だ」
彼女「ま、この話は戻ってからで」
男「おう」
男「じゃ、また」
女「もう会うことはないでしょう」
彼女「また会うよ。 月一でお茶しよう」
女「そういうわけにはいきません」
彼女「じゃあそういう作戦を彼と練っとくんで、また」
男「そういうわけなんで、また」
女「……えぇ、また」
僕たちは、深い眠りに落ちた。
━━
━━━
━━━━
あれから、一年が経つ。
去年私の空白の二ヶ月の間にそうしたらしいように、私たちはまた雪遊びをしている。
これからもずっと、彼と雪遊びをしたい。
しかし、そろそろお座なりにしてきた問題に決着をつけなければ。
そうじゃないと、私も彼も苦しい。
彼女「私はね、これから雪像だって作れるようになる」
男「おう」
彼女「同じように、君への愛も深めてゆく」
男「……あぁ」
彼女「でも、君はそうじゃない」
男「……なんでそんなこと言うんだ」
彼女「お互い触れないようにしてきたけど、ここらで向き合わなきゃね」
男「……」
彼女「君は、私を愛してない」
男「……」
彼女「さぁ、何もかもさらけ出せ! 私はとっくに気づいているんだ!」
泣きそうなのを堪えるために、私はおどけた風を装って言った。
彼も、決心したようだ。
男「あぁ」
男「愛してない」
彼女「……どうしてさ」
男「……君といると、たまに、虚しくなるんだ」
彼女「……」
男「彼女はもういないのに、彼女そっくりなアンドロイドとデートをしている」
男「今、僕は恋愛ゲームをしているのと変わらないんだよ。 君は、所詮機械だ」
彼女「……」
男「数式を叩けば答えを表示する電卓と同じだ。 君は、僕の言葉に彼女の答えを用意する機械なんだよ」
彼女「……違うよ」
男「違うかどうかは僕にはわかりっこない」
男「少なくとも、今僕はこんなにも酷いことを言ってるのに全く心が傷まない」
彼女「それも違う」
男「違わない」
彼女「ぜーんぶ違う。 よくもまぁペラペラそこまで出任せを言えるもんだ」
男「……」
彼女「私が人でないということが違う。 君が心を痛めてないことが違う」
彼女「今言ったことに君が悩んでて、それに私が気づいていて苦しんでると思っている」
男「!」
彼女「それも違う」
彼女「君は私を人だと思ってるし、君は今とんでもなく心を痛めながらそれを言った」
彼女「私と別れる為に」
彼女「君は見当違いな私の苦しみを取り除くことは出来ないと思った」
彼女「それなら、私の頭のことを知らない誰かと一緒にいた方がいいだろうと」
男「……」
彼女「でもそもそも私は、君が私を人でないと思ってると思ってないんだ」
彼女「だってそんなこと言ったら、元からそうなんだもん」
男「……」
彼女「脳がタンパク質であったって、電卓じゃないかはわからない」
彼女「機械の脳か、タンパク質の脳かなんて、パフォーマンスが同じなら同じものでしょう」
男「……」
彼女「君はきっとそう考える」
彼女「違う?」
男「……違わない」
彼女「良かった。 もし本当に君の悩みがそこならタンパク質の脳に取り替えてこようかと思った」
男「え?」
彼女「出来るようになったってさ」
彼女「タンパク質のプリント技術で、人体まるごとプリント出来るようになったってこないだ女さんに聞いた」
男「すげぇ……」
彼女「だから脳がタンパク質であることが君にとって重要ならそうしてこようかなと」
男「……絶対に、やめろ」
彼女「うん。 わかってる」
彼女「さて、君の勘違いを解いたところで」
彼女「本題に移りましょう」
男「……本題?」
彼女「君が私を愛してない問題」
男「……」
彼女「正確に言えば、愛すのを避けてる問題」
男「……あぁ」
彼女「さっきまでのは君の、私に対するズレた思いやりを修正しただけの話だ」
彼女「でも君が私を愛してないのは本当で、そこだけは私への誤魔化しの材料じゃない」
彼女「私は、この先に踏み込むのが怖い」
男「……」
彼女「このまま私が触れなければ、表面上は平和にいられる」
彼女「でもそれは私も君も苦しい」
男「……そうだな」
彼女「分かってるつもりだけど、君の口から聞かせて」
男「……あぁ」
男「と言ってもそんな長く話すことはないんだけど」
彼女「うん」
男「……前の君を、忘れられない」
彼女「……」
あぁ、やっぱり。
誰にも咎められないことなのに。
彼にも私にも辛いだけなのに。
男「忘れるのが怖い」
彼女「……私ね、見ちゃったんだ」
彼女「一昨年の写真見て、君が泣くところ」
男「……見られてたのか」
彼女「君は、前の私を忘れられないんだね」
前の私と今の私は、別人だ。
全く同じ中身を持った、別人だ。
男「……いや、忘れられないってのはやっぱり正確じゃない」
男「忘れてしまいそうなんだ。 凄まじいスピードで」
彼女「……」
男「君は彼女と全く同じだから、君といると楽しくて、安らいで」
男「だから、彼女が死んだことを忘れそうになる」
男「残酷だ。 あまりに可哀想だ」
男「君を愛してしまったら、彼女が消えてしまう」
男「だから、君を愛せない」
彼女「……君は、それを分かっていながら私の再生を望んだ」
男「あぁ。 君がいない現実に耐えられなかった」
全て、予想通りだ。
つまり彼は、前の私を愛しながら、それを隠して今の私を幸せにするつもりだったのだ。
誠実なのか不誠実なのかわからない。
彼女「誤魔化せると思ったの?」
男「……すまん」
彼女「前の私は、死ぬのを君に見られたとき、再生しないとしておくべきだったのかもね」
男「……」
彼女「今の私はそう思わないけど」
男「……」
彼女「愛してよ! 前の私のことなんか忘れて!!」
彼女「君の考えてることは全部私にバレてるんだ! 君は私を幸せにするつもりなんでしょ!」
彼女「じゃあもう本当に私を愛するしか手はない!」
男「……」
滅茶苦茶だ。
彼への思いやりなんて毛ほども無い。
でも、正解がわからない。
彼女「前の私だってそう言う! 私が保証する!!」
男「……そうなんだろうな」
彼女「私を忘れて」
男「……」
彼女「私が全部気づいてることを知ったんだ。 君はもう逃げられない」
男「……あぁ」
彼女「覚悟決めて、私を愛せ!」
男「……」
いつからか、私の顔は涙と鼻水でグジャグジャだ。
彼女「私が許す!」
男「……今はまだ、何も言えない」
彼もまた。
男「でも、君と一生一緒にいたい」
彼女「うん」
男「エゴの塊だ」
彼女「私もそう」
男「それでもいいなら」
彼女「元からそんなもんでしょ」
解決は、まだずっと先のことになるだろう。
もしかしたら、解決しないかもしれない。
それでも、一緒にいたいと思う。
エゴ以外の何物でもない。
でも、それでいいと思う。
人は、たとえ愛する人であっても他人にはなれないのだから。
彼女「絶対に、離さないから」
男「俺もだ」
彼が何を思っているか、私にはわからない。
私が何を思っているか、彼に伝えられない。
それでも、同じ道を歩むことを私たちは決めた。
いつか混ざり合うことを信じて。
fin
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