堀裕子「テレパシー/オーバードライブ」 (32)
エスパー美少女ユッコがスプーンを曲げたり曲げなかったりするやつです。
短編
地の文
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プロデューサーは私の手を握ったまま、貸しスタジオから逃げ出した。
今日はたしか、有名なカメラマンのお弟子さんが撮ってくれるって話だったのに。
このひとはたった今、そのお弟子さんを殴り飛ばした。
今繋がっている手には、ところどころ血が滲んでいる。
「畜生、これだから芸能界ってヤツは……」
焦ったようにプロデューサーは吐き出して、私の手を握る力が強くなった。
私はまだ状況が飲み込めてなくって、でも。
お弟子さんが私の胸を触ったとき、とてもイヤだったコトは憶えている。
思い出したくなんて、ないんだけど。
「ぷっ、プロデューサー、痛い、痛いですっ!」
「あぁっ! ごめん裕子……」
彼は手の力を緩めて、それでも私と手を繋いだままで。
手には汗が滲んでいて、すごく急いで逃げたってことがわかる。
スタジオから五百メートルのダッシュのあと、私たちは小さな路地に入った。
居酒屋やカフェが、夜の中で光を付けている。
立ち止まって、二人とも肩で息をした。
「なんか、ハァ、裕子、妙に落ち着いてない?」
「な、ひぃ、なんでって、そりゃあ、有名なカメラマンの、お弟子さんだって」
「あれ、多分偽者だ。ごめん、裕子。僕のせいで……」
プロデューサーは二、三度深呼吸して、私に説明してくれる。
確証はないけれど、あのひとは弟子を騙ったセクハラ目的の人ということ。
私にイタズラして、そのまま……そういうことをするために、わざわざ夜を指定したっていうこと。
「でも、本物かもしれないんですよね……?」
「だとしたって、今後あいつとは付き合わない」彼は吐き捨てるように言った。
「仮に腕が確かだって、クソ野郎と付き合う筋合いはない」
珍しく汚い口調のプロデューサーは、まだまだ怒っているようだった。
「あのっ、プロデューサー! そこのカフェで少し落ち着きません!?」
「ん? あぁ、うん。そうしよっか……」
近くにあったカフェに入った。
テーブルの黒い木はピカピカに光ってる。
コーヒー豆の匂いが漂った、お洒落なところだった。
入って真っ直ぐ、店の一番奥の椅子に座った。
プロデューサーは少し首を傾げたけれど、そのまま私の向かいに座って。
それからコーヒーと、カフェオレと、ミルフィーユを頼んでくれた。
「これからどうしましょう?」
「とりあえずは事務所に報告。それからは、わかんないや」
プロデューサーはまだ若くて、私と歳が七つしか離れていない。
いつもは人懐っこい笑顔をした、近所のお兄さんのようなひと。
事務所の大人たちからはからかわれて、小さい子からは慕われる、そんなひとだ。
こちらになります、と目の前に店員さんの腕が見えたとき、私は少しだけびっくりした。
どうかいたしましたか? と聞く店員さんの声は、とても優しそうに聞こえた。
「裕子?」
「なっ、なんでもないですっ!」
そう言ったらごゆっくり、という声がして、足音が私たちから離れていった。
会話がなくなってしまって、古びた時計がチクチク鳴るのが聞こえる。
「ほら、ミルフィーユ! すっごく美味しそうですね!」
そう言ったら、プロデューサーの眉間に浅くしわがよった。
ああ、また怒った顔してる。なるたけ見たくない表情だから、私は視線をカップに落とす。
カフェオレを飲めば、それは私の中にじんわり染み込んだ。
それからミルフィーユの先をフォークで削って、一口食べる。美味しい。ホントに美味しい!
「ねっ、プロデューサー。一口食べてくださいよ!」
また私はミルフィーユを一口削って、プロデューサーに差し出した。
彼は渋々というふうに、フォークの先に口を開く。
「うっまぁ……」
「美味しいですよね!?」
「すっごい美味い……今度からここ贔屓にしよ」
わぁ、やっと笑った。
プロデューサーの人好きのする笑顔は、私がアイドルになる原動力。
歌うときも、超能力を披露したときも、彼はよく笑ってくれた。
私の中で笑顔といえば卯月ちゃんに並んで彼だ。
私は、彼の笑った顔が好きだった。
晴れた夜の、月のような笑顔が好き。
「私は大丈夫ですからっ」
「本当?」
「はいっ! さ、事務所に帰りましょう?」
そう言ったら彼はコーヒーを飲み干して、それから立ち上がった。
私もミルフィーユをさいきっく別腹に収める。
スーツを着た背中をぴったり追って、彼は千五百円を払って、店を出る。
街を歩くひとたちの顔はなんだか見れなくって、ずっと彼のスーツの端を掴んでいた。
事務所は電話の応対に追われるちひろさんと、頭を掻くプロデューサーの先輩がいた。
「只今戻りました」
「あァ、うん、おかえり」
飄々とした声が聞こえた。「やっちゃったねェ、グーパンチ」
「やっぱり、不味かったですか」
「ちょっとだけ」
「あぁー……」
「いや、個人的にはよくやった! って思うけどね?」
話を聞けば、どうやら弟子というのは本当だったみたい。
業界でもまだ名が広まってない、ポッと出の悪いヤツということだった。
まだ業界に入って日が浅いプロデューサーはもちろん、事務所のみんなが気づけないくらいに。
まずかったのは、プロデューサーがお弟子さんを殴ってしまったこと。
「つまりだ」先輩さんは首をポリポリ掻きながら話し出した。
「今後ユッコくんが仕事をするとき、プロデューサー絡みで悪い噂がついて回るかもしれない」
「でも、プロデューサーは悪いことなんてっ!」
私はほとんど叫ぶように言った。
プロデューサーは暗い顔をして、先輩さんの言葉を受け入れているようだった。
「向こうも殴られたままじゃ終われないからね」
俺たちも頑張るけど。そう先輩さんは付け加えると、プロデューサーは頭を下げた。
「アイドルを喰い物にしようとするヤツはいくらでもいる」
「それは、今回で身に沁みました」
「彼女を守れるのは君だけなんだ」
そういって先輩さんはプロデューサーの肩を叩いた。
思ったより大きな音がして、ひゃっと声が出てしまった。
「ユッコくんも、安心してね? 今後は俺たちがどうにかするから」
先輩さんが椅子から立ち上がった。それから、大きな手が私の頭に伸びてくる。
黒い影が伸びてくる。男のひとの手が、私に伸びてくる!
「きゃあ!」
プロデューサーの背中に隠れて、スーツをぐっと握りしめる。
心臓がバクバクしている。
私は、どうして、あんなに叫んだんだろう。
自分でもわからなくて、プロデューサーに顔を埋めて、浅く浅く息をした。
ちらっと視線だけ、先輩さんを見た。
先輩はただただおろおろしていて、いつもの私なら笑えてたはずなのに。
いつものらりくらりしている彼があんなふうになってるのは、面白いことのはずなのに。
全然おかしくなかった。
どうして?
「裕子、やっぱり……」
そうプロデューサーは呟いて、優しく私の髪を撫でた。
くすぐったくて、あったかくて、安心する。
「先輩」
「あっ、はい」
「今日は帰ります。裕子を送って」
「そ、そうだねェ。もちろん。是非」
プロデューサーは私の手をまた引いて、事務所を出た。
「どうして」が反響し続けている私は、わけもわからないまま。連れられて、外に出る。
寮には帰りたくなかった。一人になるのがなんだか嫌だったから。
「じゃあ、朝日でも見に行こうか」
車のエンジンがかかって、暗い地下駐車場から逃げ出す。
あたりは真っ暗になっていて、もう少しで日付が変わる頃だった。
「大学時代にね、貯金して買ったんだ」
そう言って彼はハンドルを回した。
彼の車はゆっくりと高速に入っていく。社用車とは違う革のシートが暖かかった。
高速道路を走っていれば、ひゅんひゅんと光が流れていく。
空はよく晴れていて、少し欠けた月が私たちを追いかけてくる。
神秘的に見えて、私は追い抜いた光を一つずつ数えた。
「疲れてたりしてない?」
「正直、少しだけ……」
「寝てていいよ。起こすから」
私はシートに倒れこんで、目を閉じた。今も「どうして」って、ガンガン頭の中を叩いている。
本当はわかってるはずなのに、気づいたら終わりのように思えて。
それから、夢を見た。
エスパーユッコは無敵の超能力者で、相棒と一緒に世界を笑顔にするんだ。
強大な敵が現れたって二人は無敵だ。
敵の手が伸びてきたら相棒がそれを跳ね除けて、そこを私のサイキックぱわーで倒す。
そしたら相棒が頭をいっぱい撫でてくれて、よくやった! って褒めてくれる。
それは手の届くイメージのはずで、いつも見る夢。
だけど、もうダメなのかな。夢の終わりに伸びてきた手は、私の超能力を弾きとばした。
裕子、と呼ばれた気がして目を覚ました。
目の前にはコンビニの袋が落ちていて、そこからミネラルウォーターを取り出して飲む。
どれくらい眠ってたんだろう? 口の中がカラカラで仕方がなかった。
あのひとは車の外で、まだ暗い海を見ていた。
カモメがにゃあにゃあ鳴いている。東の空が、少しだけ水色になっている。
車のドアを開けたら、彼が振り返った。
「あれ、起きたんだ」
「プロデューサーが起こしてくれたんじゃないですか」
「いいや? 今起こしに行こうと思ってたとこ」
あれれ、じゃああの声はなんだったんだろう。確かに呼ばれたはずなのに。
「テレパシーだったりして」
「プロデューサー、エスパーだったんですか?」
「裕子の側にいたから、僕も目覚めたのかも」
「そうだったら、ステキですね」
彼はコーヒーを持っていて、裕子も飲む? と聞いてきた。
飲みさしを一口もらう。
「もうすぐ朝日が見えるよ」
「もっと早く上がってこないですかね? さいきっくぅ、太陽早く登れー!」
「あっはは! いいねそれ。僕も真似しよう」
彼が笑った。二人でムムーンって唸ってても、朝日はまだ顔を見せなかった。
二人で顔を見合って、また笑う。
ずうっとこういう風にいられればいいのに。
今までのことなんて無かったみたいに、プロデューサーと二人で笑った。
「ねぇ」
「はい?」
「もう、大丈夫?」
少しだけあの手を思い出して、それでもかぶりを振る。
いつも明るくて、さいきっく美少女の私を思い出したかった。
いつもそれを見て微笑む彼のためにも。
だから、「悪いひとは、私の超能力で倒しちゃいます!」って言う。
潮風が吹いて、体が冷えていく。不安を、見なかったことにする。
「裕子は、強いなぁ」
僕は弱いや。と彼は続けた。
「でも、やっぱり裕子も女の子なんだ。十六歳の」
そういって彼は私の手を握る。
冷えていた手が暖かくなって、私もじんわり暖かくなる。
「じゃあ、私が、エスパーユッコじゃなくて、十六歳の私が困ったときは」
「助けるよ、必ず。こんなところで燻っていられるもんか」
プロデューサーのスーツに顔を埋めれば、潮の香りがする。
顔をすりすりしたら私にも移るかな?
「アイドル、私たち二人ならちっとも怖くないです」
きっとさっきの夢の続きは、プロデューサーさんが助けてくれるんだ。
きっとそうだ。彼のあったかい手でまた私を守ってくれる。
(そうですよね?)
「当たり前だよ。そのために僕がいるんだから」
二人ならちっとも怖くない。
口にしなくたって、プロデューサーには私のことが伝わるんだから。
二人だけのテレパシーだけど、今はそれでよかった。
朝日が水色を塗り替え始める。空を飛ぶカモメごと、全部オレンジ色に染め上げて。
「キレイですねぇ」
「裕子ならもっとキレイなものが見られるよ。アイドルなんだから」
「そうかもしれないです!」
割れるような歓声。
サイリウムの波は今以上にオレンジ色に光るんだ。会場全体が海になる風景は、どれだけキレイなんだろう。
「いつか、絶対にもっとキレイなところに連れていってくださいね?」
「もちろん」
「それまで、朝焼けは見なかったことにしておきましょうか」
「なら、いつか思い出になったころに」
「また見に来ましょうっ!」
二人で手を繋いで、朝焼けの中に溶けていく。
私も彼も薄れていって、どこか遠いところにテレポートしていくような気がした。
朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだら、こわかったことも全部どこかにテレポートしていく。
確かに、そんな気がした。
「ねぇ」
「うん?」
「これからどうしましょっか?」
「ぜーんぜん考えてないや。でも、今まで以上にみんなを笑顔にさせないと」
「プロデューサーはいっつも行き当たりばったり! さてはおバカですね?」
「裕子には言われたくないんだけどなぁ……」
「えへへ、でも、頑張りましょうねっ。二人で!」
バカな私たちは手を繋いで、遠い未来を想像するんだ。
なにがあったって乗り越えられる強いイメージで。
体温も感情も、全部手のひらから伝わってくる。
じんじんと暖かくなる胸の奥は、サイキックが暴走したせい。
きっと、私のキモチも伝わってますよね? プロデューサー。
(また一緒に、キレイな景色を見ましょうね。絶対に)
お わ り
Πタッチは用法用量を守って正しくお使いください。
今回の元ネタ→きのこ帝国 Telepathy/Overdrive (https://youtu.be/Qm0tecPKI-0)
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(https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1452562621/))
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