モバP「五十嵐響子とユー・エフ・オー」 (26)
十年後の五十嵐響子ちゃんとちゅっちゅしたりしなかったりするやつです。
ド短編、地の文
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「あっ! 流れ星ですかねっ、あれ!」
「いや、人工衛星じゃないかなぁ、アレ」
ふらふらと動く点を見つけて、響子は夜空を指差した。
墨で塗りたくったような東京の夜に不釣り合いなほど、それは明るかった。
おそらくは人工的な、規則的な点滅を繰り返している。
そのまま視線を下げれば、今度はスパンコールの海だ。
屋上の柵に寄りかかって、昔よりもずっと高いところから街を見下ろす。
十年の歳月は事務所のビルをそれなりに高くした。
冷たい風を避けるように、響子は俺の横で上を見上げている。
いつの間にか二十五歳になった彼女は、それでもあの時の面影を残していた。
「ロマンのカケラもありませんね、プロデューサーさん」
「俺はもう響子のプロデューサーじゃないっての」
プロデューサーじゃなくなってもう五年になるのに、彼女はまだその呼び方をする。
時間が経てば肩書きだって変わる。
今じゃ俺は俳優部門で、それなりに偉くなった。
「それで、なんでこんなところに来たんだ。身体冷やすぞ」
「えいっ」
ズボっとYシャツの襟から手を差し込まれる。
「冷ってェ!」
「こんなに寒いんだから、早く戻ろうってことです」
「わかったって。そんな怒んないでくれよ」
こっちは煙草が吸いたいんだ。
胸ポケットからグレーの箱を取り出した。
パッケージで悪魔が笑っている。
「煙草は身体に悪いっていっつも言ってるのにっ」
「分かっちゃいるけどやめられねぇ」
「なにがスーダラ節ですかっ!」
おっ、知ってるんだこの歌。俺だって産まれてない頃の曲なのに。
スイスイスーダララッタ、スラスラスイスイスイ。
呪文を唱えたら、響子は特大のため息を吐いた。
「プロデューサーさん」
「その呼び方やめてくれよ」
「プロデューサーさん、煙草変えたんですか?」
響子は俺の手元を見てそう言った。
巻紙まで真っ黒の煙草は、確かに珍しいか。
最後の一本が、箱の中でカラカラ鳴る。
真っ黒なフィルターには甘い味が付いていて、隠れて吸うにはぴったりだった。
おやつみたいなもんだ。
「昔からたまに吸ってたヤツだよ」
「いつもは緑色の箱ですもんね」
「まあね」
煙草に火をつけて、やたら甘いニコチンを肺まで吸い込む。
目の端で光がチラついた。
「なぁ」俺は煙を吐き出しながら言う。「アイドル辞めたの、後悔してないか」
「あなたがそれを聞くんですか?」
響子はあはは、と曖昧に笑った。
「楽しいですよ。女優業も」
「それなら良かった」
「アイドルより向いてるんだと思います」
「テレビじゃ見ない日がないほど人気だったのに?」
「それでも、です」
高校を卒業した後もアイドルを続けて、いよいよ響子の勢いは止まらなくなった。
雑誌の表紙を飾れば書店からそれが消える。
写真集は即完売、ライブは即日ソールドアウト。
カレーのCMで言ったセリフは流行語大賞にノミネートされ、トップアイドルの道を突き進んでいた。
そんな中で、突然のアイドル引退。
余りにも急だったから、大手出版社から木っ端のようなパパラッチまで、山のように彼女の後を追っていたらしい。
ライブ活動から女優業に、活動の場を移したい。
会見の場で言ったのはその一言だけ。
破裂したようなフラッシュの中にいる彼女の姿が、スポーツ紙の一面にでかでかと掲載された。
彼女の二十歳の誕生日が、アイドル五十嵐響子の最後のライブになった。
それから五十嵐響子は、今じゃ知らない人もいないほどの女優になった。
今では銀幕のスター、と言ったほうがいいのだろうか。
朝ドラのヒロインになったのが二十一歳の頃。
そのまま映画と舞台を中心に、「清純派女優」の名を欲しいままにしている。
人気絶頂のアイドルからの、華麗な転身。
女優になった途端に落ち目になるアイドルの多い中、彼女は華々しく輝き続ける。
俺のかつての担当アイドル、五十嵐響子の十年は、頭上でちらつく人工衛星よりもずっと眩しかった。
「プロデューサーさんは」
「うん」
「どうしてアイドル部門からいなくなったんですか」
「どうしてって、そりゃあ」
そこから先は答えられなくて、煙草のフィルターに噛み付く。
べたつくような甘さに厭気がさす。
俺は確かに、五年前の春にタレント部門に異動になった。
自ら、異動を申し出た。
「逃げたんですか?」
「誰から」
「私から」
そんな訳あるか、と返そうとして、口から出たのは煙だけ。
嘘をつくのは良くないんだろう。
多分彼女は全て解っている。
響子の光は日を増すごとに強くなった。
眩しすぎた訳でもないのに、直視するのが憚られるほど。
強すぎる光は得てして一瞬で消え去ってしまう。
だから、せめて思い出にしてしまいたくなった。
育てたアイドルが手を離れていく感覚に耐えられなくなって、間違いなく、俺は五十嵐響子から逃げたのだ。
「響子は」煙を全て追い出す。
「響子は、それでも逃しちゃくれなかっただろう」
「追いつくのに時間が掛かっちゃいました」
「どうして俺を追いかけてきたんだよ」
「責任を取って欲しかったんです。私って芸能界しか知らないんですよ?」
「その責任を取れってか」
「プロデューサーさんのせいで、この世界しか知らないんです」
それに、と響子は続ける。「私きっと、アイドルに向いてなかった」
あれほどの活躍を見せた元アイドルから、そんな言葉が聞こえるとは思わなかった。
驚いて響子を見たら、彼女と目が合う。
サイドテールは今でも揺れていた。
「だって私、結局はファンのためのアイドルになれなかったんです」
「どういうことだよ」
「私はずっと、あなただけのアイドルになりたかったってこと」
響子は、まっすぐ俺を見てそう言った。
「あなたを追って良かった。あの時より、ずっと近くにいられるから」
「目の前に居るのは、自分から逃げた男なんだぞ」
「ここは屋上だから、逃げ場はないですねっ」
あははっ! 本当に楽しそうに笑う。
いつまでもあのときのまま扱っているつもりじゃなかったんだけれど、いつの間にか男の扱いを心得ている。
大人びた、濃いめのルージュが目を引いた。
「どこでそんな技術知ったんだよ」
「私はプロデューサーさんしか知らないですよ」
「俺ってそんなにわかりやすい?」
「はい、とっても」
参ったな。今後も響子に勝てそうにない。
頭をガシガシ搔いたら、煙草の灰がジジッと燻った。
あんまり間抜けな音に聞こえて、たはは、と声にならない返事しかできない。
「煙草、私にも一本ください」
「体に悪いんじゃなかったのかよ」
「初めて吸う一本ですし、良いんです」
「今迄吸ったことないのか。癖にならないようにな」
「はいっ、体に悪いですから」
俺はまた胸ポケットから煙草を取り出して、響子に差し出した。
生白い指が伸びて、フィルターを挟む。
ライターを取り出せば、彼女は首を横に振る。
形の良い唇にフィルターを咥えて、キスをせがむように顔を寄せてきた。
「火ならあるじゃないですかっ」
「だから、どこでそんな真似覚えたんだ」
伸びた灰を携帯灰皿に落とせば、煙草の先がまた赤く光った。
顔を寄せて七百度のキスをすれば、それはフィルターを通して甘ったるい煙に変わった。
響子はゲホゲホと咳き込む。美味いもんじゃないだろう?
「どうしてこんなの吸ってるんですか?」
そりゃあ……もう忘れた。
もうふにゃふにゃになったフィルターを咥えたまま、空を眺める。
人工衛星はまだ頭上にふらついていて、眩しかった訳でもないのに目が細くなる。
もういらないっ、と言って、響子に携帯灰皿を奪われた。
勿体ねぇ。最後の一本だったのに。
まぁ、それでも良いかと思った。どうせ今後も煙草を辞めろって、口煩く言われるんだろうから。
「なぁ」
「なんですか? プロデューサーさん」
響子もアンニュイな表情をして、夜空を眺めていた。
息が白くなっていて、それは寒さのせいも有るのだろうけど、随分艶やかに見えた。
彼女の白い指には黒い煙草が挟まれている。
頭上の光と何処と無く似ていて、また目が細くなる。
何か神々しさとか、大事なものを感じたのだろうか。
「なぁ、結婚でもしよっか」
「良いんじゃないですかね? 待ちくたびれちゃいましたし」
「追っかけてきたのはそっちなのに」
「その言葉を聞きたかったから追ったんですっ」彼女は唇を舐める。「本当に甘い」
いよいよフィルターが熱くなって、俺はそれを灰皿に突っ込んだ。
手持ち無沙汰になって彼女の手を握れば、しっかりと指が絡む。
逃がさないとでも言いそうなほどキツく握り返された。
シガーキスじゃ飽き足らなくて、本当のキスをする。
彼女の唇は甘く、チョコレートの香りがした。
目の端で、人工衛星だと思ってたモノが空を切り裂くように走ったのが見えた。
お わ り
響子の唇っていうUFOにキャトルミューティレーションされてぇ
今回の元ネタは吉田ヨウヘイgroupの「ユー・エフ・オー」でした→ https://youtu.be/sXr0jiIUr6g
最近書いたの→ 鷺沢文香「バウムクーヘン」(鷺沢文香「バウムクーヘン」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1450955000/))
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