肇「藍と夕」 (28)


・藤原肇ちゃんのSSです

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藍が落ちてくる。

なんて気取った言い方をしたくなるくらいの空。
茜と藍が綺麗なグラデーションを描いて、昼と夜の境目を私たちに知らせてくれる。

まるでこの世の終末のような、圧倒されるその色彩は大地も木々も白い雲もすべてを焦がしていく……というのは大袈裟でしょうか。

暦の上ではもう冬だというのにまるで秋が陽気を忘れていったような気温。
これから夜を迎えて少しは寒くなる、はず。
ただ吹く風も木枯らしとは言いづらい温度のもの。
これならもう少しここにいれそう。


実家の縁側にひとり座ってただ空を見上げているだけなのに、寂しさとか楽しさとか侘しさとか、いろいろな感情が私を襲ってくる。

今日この日を迎えるまでいろいろなことがあって、そのたくさんの思い出たちが映画のシーンみたいに頭の中を流れていきます。

心地いい風を身に受けて、月に照らされて美しく輝く夜桜を見たこと。
たとえ暗くても、隣で桜を見上げるPさんの顔ははっきりと見えて、その春の日差しめいた柔らかな表情は忘れることはありません。
今度は私の故郷で一緒にお花見をっていう約束までして。
抜け駆けをしているようで、みなさんには悪いかななんておもいながら、それでもとても嬉しかった。

夏祭りのときははぐれないように手を繋いでもらって、Pさんの体温を直に感じられて。
肇の手はひんやりしているなって言われて、私の顔が熱くなっていったこと。
初めて握ったPさんの手のあたたかさはきっと忘れることはないです。


どんな顔をしていいのかわからずに何度も宣材を撮り直したことも。
緊張しすぎて逆に開き直って立った初めてのライブも。
新しい湯のみをプレゼントしたら以前渡したものをまだ使ってくれていてくすぐったかった気持ちも。

そのすべてが昨日のことのように思い出せます。

有名な絵画にも負けないこの景色をひとりで味わって、ほんのちょっとだけ隣が寂しいな、なんておもったり。


そんな私の心の声が聞こえたんでしょうか。

空いた右隣に影が落ちて、動けば触れてしまいそうな距離にPさんが。
なにか言葉をくれるわけでも、抱き寄せてくれるわけでもなく、ただ私の隣でこんなに素敵な空模様を共有してくれる。
それだけ、たったそれだけのことなのにこんなに嬉しくて、あたたかな気持ちに包まれて、私はなんて贅沢ものなんでしょう。

ちらりと横目で見ると、夕焼けに照らされたPさんの横顔に心臓がひとつ大きく跳ねる。
すぐに目線を正面に戻してもこの心の高鳴りは止まることなく、ぎゅうっと胸を掴まれたような感覚で息が詰まりそうになりました。
もう一度ゆっくりと横に目を動かすと、今度はPさんと視線がぶつかって、おもわず首を反対に向けてしまって。

冷たい風が私たちを撫ぜて、そこで初めて頬が熱を帯びているのがわかりました。


胸が、すごくうるさい。

頭から足の先までどくんどくんと脈打って、まるで全身が心臓になったみたいでおかしな感覚。
血の巡りまで聞こえてしまいそう。

小さく何度も深呼吸をして息を、心を落ち着かせます。
十回くらい繰り返したところでようやく落ち着いて、再び空を見上げる。

ひとりのときよりもずっと鮮やかに燃える空。
まるで最後の命を灯すように。
そしてゆっくりと藍色に染まっていく。


目を閉じても瞼の裏にはっきりと映し出されます。
ため息が漏れそうな美しさも、ゆっくりと流れる時間の感覚も、まるでそこに茜色の景色があるかのように。

気付いたら私はPさんの左肩に頭を寄せていました。
無意識。
自分でも驚いてしまって、体の奥から火照ってくるのがはっきりとわかるくらいなんて大胆なことをしてしまったんだと。
それでも離れたいなんて少しもおもわず、むしろこの温もりをもっと感じていたいというわがままが私の体をその場にしばりつける。

置かれた左手にそっと右手を重ねる。
Pさんの手はあのときと同じでじわりとあたたかくて。
冷えた私の右手をときほぐしてくれるようで、本当に心地よくて。

まるで引っ張られるように体と意識がPさんの方に。
なにも言わなかったけど、しっかり私を受け止めてくれるようにおもえてつい甘えてしまいます。


いつもそう。

手を取って、底でもがいている私を引っ張り上げてくれて。

何度も何度も失敗しても、嫌な顔ひとつもせず付き合ってくれて。

私の空想のものでしかなかった憧れを具現化してくれて。

まるで魔法使いみたいだって言うと、それは肇が頑張った結果だよって口癖のように謙遜する。


私だけじゃ絶対だめでした。

はっきりと、声を大にして言えます。

あなたがいたから、私は光り輝くステージに立てた。

あなたがいたから、私は新しい私に出会えた。

あなたがいたから、今の私がいる。


担当プロデューサーだと紹介された日から今日この瞬間まで、私を形成するすべての出来事にPさんがいるんです。

いくらお礼の言葉を並べたって足りなくて。

実家に招待して家族に紹介したけれど、迷惑だったでしょうか?

私の道を照らしてくれる人って紹介の仕方はだめだったでしょうか?

ああいえばよかった、こうすればよかったなんて後悔は蛇口の壊れた水道のようにとめどなく流れてくる。

待つのは得意なはずなのに、どうして焦るように動いてしまったのか自分でもよくわからないんです。


もしかしてアイドルをしているときよりも緊張していたのかもしれません。
ただ家族にPさんのことを紹介するだけだったのに。
たったそれだけのことすらちゃんとできないなんて、やっぱり私はまだまだですね。

それでもPさんはきっと、頑張ったなと言って褒めてくれる。
そう言い切れるのは優しい人だって知っているから。

おじいちゃんも優しい人だなって言ってPさんを気に入ったみたい。
まるで自分のことを褒められたみたいに嬉しくて、くすぐったくて。
気難しくて、私と同じで頑固な人だから、いつ帰れって言うのかと話を聞くまでハラハラしていました。

もしそんなことをすれば私が怒るというのがわかっているので言わないだろうとはおもっていたけれど。


私たちをつないでいるもの。

それはこの重ねた手とか、感じるあたたかさとか、そういうものだけじゃない。

ここまで一緒に歩んできた道のりや、共有してきた空気、時間、風景。

そのすべてのものが見えない糸のようなものとなってふたりを結んでいる。

椿の花のように情熱的な赤なのか、誰にも踏まれていない初雪のような白なのか。

私たちの間にあるものの色はわからないけれど、多少のことじゃびくともしないくらい強く、太いものだったら……


来年も再来年も。

その次の年も、そのまた次の次の年も。

この先もずっと、この晩景をあなたの隣で見れたら。

あなたの左側が私の特等席になれたら。

私がこんなにわがままになったのは他の誰でもないあなたのせい、なんて。


「肇」

澄んだ声が私の鼓膜にすうっと入ってくる。
ゆっくり瞼を開けて声の方を見る。
いつも私を見守ってくれている人の、いつもの優しい顔。

なにを、どんな言葉をかけてくれるんだろう。

はい、と短く返事をして、変な期待が風船のようにどんどん膨らんでいく。
紡いでくれるだろう言葉の一言一句も聞き漏らさないように耳をかたむける。


お互いの息がかかってしまう距離。

アイドル失格だということはわかっています。

それでも、空想しがちな私はこういう日が来ることを願っていたんです。


初めて交わす口づけはどんな味がするんだろう。

砂糖を溶かしたホットミルクのように甘いのかな。

それともほんのり苦さが残るコーヒーのような味なのかな。

考えれば考えるだけ意識してしまって、唇がやけどしたんじゃないかとおもってしまうほどピリピリと痺れる。


少しだけ怖さというものもあります。
受け入れてくれるのかなとか、いまの関係が壊れてしまうんじゃないかとか、してしまえば後戻りできなくなるとか。

よくないイメージは必ず頭のどこかに身を潜めていて、ちくちくと感情を刺して味気ない現実に引き戻そうとしてくる。

でもこのとき、この瞬間だけはそのイメージを捕まえて奥深くにしまいこむ。
しっかりと施錠を忘れずに。


私はアイドル、藤原肇です。

それと同時にひとりの女の子、藤原肇という存在でもあります。

卑怯だっていうのはわかっていても、この胸に生まれた気持ちは、熱は、抑えることができないんです。

いつもPさんが大きな道まで手を引いてくれていたけど、これは自分の意思で、足で、進まなくちゃ、切り開いていかなくちゃいけない。

心臓がいままで感じたことがないようなリズムを刻む。
一度下唇をぎゅっとつぐんで、口からこぼれそうになったいろいろなものを唾と一緒に飲み込んだ。


目を閉じる。

覚悟の証明。

見えなくたってすぐそこにPさんがいるのを感じる。

とても近くて、触れていないのがもどかしい。

体が、熱い。

この夕景に焦がされているみたい。


ごほん、とわざとらしい咳ばらいが後ろから聞こえてきて、夢から現に連れ戻されるような感覚に襲われました。

驚いて目を見開くと、Pさんも同じような表情をしていて、お互い声の方に視線を向ける。

そこにはばつの悪そうな顔をしたおじいちゃんが。
あごをひと掻きしてから、夕飯ができたぞ、と一言だけ残して立ち去っていきました。


いつの間にか入っていた肩の力が一気に抜けて、中にたまった熱を外に出そうと大きく息を吐いた。

いい雰囲気だったのに。

宙ぶらりんになった私の勇気。
行く宛をなくしてそのままシャボン玉みたいにぱっと消えていった。
どこに向ければいいのかわからない、この例えようない感情は頭の上をぐるぐると回って軽いめまいを起こす。

不満が顔にそのまま出てたのか、Pさんの手が私の頭にぽんと置かれて、ゆっくりと撫でてくれて。
それがすごい気持ちよくて、まるで魔法みたいで、すっかり満足してしまいました。

なんて単純なんだろうとおもいつつ、目の前の幸せをゆっくり確かめるように目を細める。
撫でてもらうのは好き。

もちろん、Pさんにしてもらうことが前提ですけれど。


「……肇」

数分前の出来事とまったく同じ言葉に、私の胸は期待であふれて溺れそうになる。

「顔が赤いぞ」


「……夕焼けのせいです」

そう口にしたあと、いつの間にか夜が訪れていることに気付いて、Pさんの顔が見れなくなりました。


おわり


IとYou
備前焼の湯のみ買おうとしたけどおもったよりボーナスがなくて、家中の湯のみ全部叩き割って買わざるを得なくした

湯のみ乙 もう少しここにいれそうではなく、い「ら」れそうの方が肇ちゃんの心理に沿っている気がします
関係を積み上げていく途中でどきどきします

>>26
ご意見ありがとうございます!
完全に誤字でした

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