遠回りをしすぎた僕たち (6)
運命という言葉を信じる人はいるだろうか。
僕は信じている側の人間なのだけれど、それでも運命にもいろいろ種類があると思うんだ。
例えば運命にも、幸運な運命と不幸な運命が存在する。
100円を拾った運命と100円を落としてしまった運命。これら二つを比べてみても運命みたいなものだろう。
良くも悪くも運命は未来の、将来の話なのだ。
過去の運命に、今の時間軸で気づいたとしても意味などない。なぜならそれは過ぎ去ってしまった事柄なのだから。
でも、それでも運命を信じるのであれば、きっと…
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僕はとある田舎の裕福とも貧乏とも言えない家に生まれた。
その家庭にしては第一子。長男として誕生した僕は両親にとても愛されていたと思う。思うというのはそのころの記憶など残っているはずもなく、のちに写真などで見た光景をみて想像している。
もしかしたらカメラの前だけでは幸せそうな顔をさせられているだけで本当は虐待を受けていたかもしれない。なんて妄想をしだしたら止まらないのでこのへんで止めておこうと思うけれど。
そんな両親に愛されて育ったであろう僕という人間はとにかく両親と距離を置くこと、特に母親と少しの時間会えなくなると泣いてしまうほど弱い、この頃には存在しない言葉かもしれないが、いわゆるマザコンという病にかかっていたからかもしれない。
そんな僕も、ついに親元を離れる時が来たのだ。なんて言うと高校を卒業した学生の一人暮らしや、結婚して愛する人と同じ家に住むために家を出ていくと言った話になるかもしれないが、話はそんなに一気に進んだりしない。
ここでいう、親元を離れるというのはいわゆる保育園に入園することを指している。僕は先も申した通り、母親と離れることに異常なまでの拒絶反応を示してしまう。とはいっても泣いてしまってどうしようもないという状況に陥るだけなのだが。
しかし、行きなさいと言われたら行くのがその時の僕であった。車で保育園まで送ってもらいその後一人で保育園の入口のアーチ状の門を通る。
だが、その時の僕はその門を通る前に泣いてしまうほど弱い人間であった。
母親もさぞ困ったことであろう。今はあるがどうかはわからないが、僕の通っていた保育園にはその日、保育園に行ったということを証明をするためにカレンダー用な連絡帳に毎日、先生からシールを張ってもらうことが義務付けられていた。
今そのカレンダーを見るとぞっとするのだが、僕の連絡帳にはひと月丸々シールが貼られていない月が存在したりしていた。
今思えば今僕のサボり癖とまではいかないけれど、何かから逃げてしまう性格はこの頃に仕上がっていたのかもしれない。
しかし、そんな僕の連絡帳のシールが毎日貼られるようになったのはあの頃からであったであろうか。
といっても僕はその出来事も、毎日シールが貼られるようになった日付も覚えてはいないのだけれど。
僕はその日のことを覚えていない。覚えていなければ書く事ができない、なんてこともなく、僕は忘れてしまったその日の出来事をその相手は鮮明に覚えているようだった。
その相手というのはそれはもうとても可愛い少女ということしか覚えていないのだけれど、その少女は保育園の入口の前でないていた僕に対してこういったそうだ。
「そんなところで泣いていないで一緒に行こ」
何回も繰り返すが、僕はそんなことを言われた覚えも、記憶も残ってない。けれど連絡帳のシールの増え方を見る限り、その少女が言ったようにそのような出来事もあったような気がしてくるのは何故であろうか。
そうして僕は保育園に無事、泣くことなく行くことができるようになりました。終わり。などといった話であるのならどこにでも存在しそうではないか。
しかし、これはまだ物語の序章もいいところである。
そんな可憐な少女に出会って保育園の中でも一緒にいることが多くなった僕たちはこれから何十年にわたって一緒に過ごすことになるとはこの時の僕も、その少女も決して思っていなかったことだろう。
その少女と過ごすことが多くなって僕も保育園にいることが楽しいと感じるようになった頃だろうか。そろそろ少女という表記もそろそろ趣がなくなってきた頃であろうが、僕がこの頃少女のことをなんと呼んでいたのかなど覚えているはずもないので、まだこの少女は少女のままでいてもうことにしよう。
さて、話は戻るけれど、この時の僕が住んでいたところというのがとあるアパートの一室である。僕一人ならまだいいとしても、この時にはすでに母親は第二子である妹を出産しており、今まで住んでいたアパートでは手狭になってきたらしい。
そこで、両親の祖父母に相談し、一軒家を買おうという話になったらしい。何週間化した後、両親はとある場所に家を買うことを決めてきたらしかった。
なぜそこなのかと問うたがどうかは、やはり僕の記憶には残っていないのだけれど、のちの両親の話では近くに神社が存在し、何か守ってくれそうだったからといった曖昧な理由であったことが判明する。そもそも神社というものはお願いを聞いてもらうところでも、近くにあるだけで守ってもらえるなどといったお守り的な場所ではない。神社というのは昔からありがとうを伝える場所なのだ。この中にどれだけの人が毎年お正月に神社に向かってお願い事をしていることであろうか。この日本にお願いを聞き入れてくれる神社というものは一箇所しか存在しなかったと思う。僕も記憶が曖昧なのでこれに関してはあまり自信がないのだけれど。
そんな理由で両親が家の場所を決めてきたそうなので僕も一緒にその場所を確認することになった。
そこは本当に神社の近くであり、(神社といってもとても小さなものだったけれど)その場所を僕は大変気に入った記憶がある。
なんといってもとても広い空間であり、遊ぶスペースがたくさん存在していた。近くには児童公園もあり、遊ぶ場所には苦労しなさそうな場所であった。
そして僕はこの場所でまたあの少女と出会うことになるのだけれどそれはまだ先の話である。
さて、家が建つまでの間も僕はほとんど休まずに保育園に通い続けた。ほとんどというのは何回かは風邪で休んでいそうなのでこういった表記になってしまう。この頃になると保育園には少女のほかにも友達ができており、複数人で遊ぶことが多くなっており、僕は活発な少年になっていたと思う。
僕は保育園で補助輪なしで自転車を乗れるようになり、一輪車や竹馬、縄跳びといったものも、一通りできるようになっていた。
そんな僕のことを少女はカッコイイと言ってくれた。とてもカッコイイと。
しかしながら、といっても今初めて話すのだから誰も知らないだろうが、この頃の僕はその少女より身長が低かった。
僕はそのことをとても気にしていた。女の子より身長の低い男の子というのも現代では珍しいことではない。しかし、その頃の僕は単純に女の子より身長が低いことが恥ずかしかったのかもしれない。母親に頼み、僕はよく牛乳を飲むようになった。牛乳にはカルシウムはたくさん入っているから身長が伸びるよ、と保育園の先生に言われたからであった。いらない記憶ばかり覚えているものだなと今の自分を少し感心すると同時に、少女との記憶が曖昧なことに対する後悔の念が入り混じっているような不思議な感覚に陥る。
そんなことで飲み始めた牛乳であったが、その効果を実感することは小学生の低学年まで現れることはなかった。
僕が5歳の年齢になりついに保育園を卒業する頃にはもう、新しい僕たちの家は完成しようとしていた。
家が完成するまでにも何度か家を建てているところを見学しにいっていたので、僕は家が建つであろう周りの遊び場所はかなり把握している状態であった。
しかし、そんな僕もご近所さんの存在は忘れていた、というより子供の頃は興味がなかったのだろう。
僕が住むであろう家の周りにはどんな人が住んでいて、なんて5歳の子供が考えることではない。それは親の役割である。
などといっても子供ながらにも気になっている家があった。その家の前には、というかその家の敷地になかには大きな犬小屋があり、大きな柴犬が存在していた。その柴犬もとい犬はいつも僕が家を見学しに来ても眠っているようなぐうたらな犬であった。しかし、5歳の僕にはそれは恐怖の対象であった。僕のほうが体格的には大きかったが、僕はその犬の周りに近づけずにいた。
だからだろう。その家に住んでいる少女の存在に全く気付かなかったのだ。
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